第34回目(2014年2月)の課題本
2月の課題図書は・・
永遠のゼロ
故児玉清氏(読書家で有名だった俳優ですね)が、涙を堪えようと頑張ったのに、
ラストのシーンではこみ上げてくるモノを抑えきれず、号泣してしまったという
エピソードがあるくらいの小説です。
噂では400万部も売れているようで、今さら感があるって、読んでいる人もたくさん
いるようなんですが、2月は日数も少ないのでボーナス月間という事でこの本にしま
した。でも、多くの人が泣くストーリーで他の人との独自性を出すコメントを書くのは
簡単じゃありませんよ。
【しょ~おんコメント】
2月優秀賞
今回はベストセラーという事で、しかもかなり泣ける小説という事もあって、
みなさん同じような視点で書かれていたのが印象的でした。というか、やっぱ
りああいう書きっぷりになりますよね、フツーは。
ところがそうすると選考に苦労するんですよ。同じような事を書いているのに、
なんでこの人が選ばれたんだ?って話になりますから。
こりゃ困ったなあと思いながらみなさんの投稿を読んでいたら、お一人だけ全
く違う視点で、感想文と言うよりは論文のスタイルで書いている人を発見。こ
の論に賛成かというとかなり微妙なんですが、しっかりとした意見であること
は間違いなく、文体もカッチリしていた『mol』さんに差し上げる事にしました。
まさかオルテガを持ち出す人が出てくるとは思わなかったので、かなり驚きました。。
【頂いたコメント】
投稿者 aya16497 日時 2014年2月9日
「永遠の0」を読んで
主人公は、幼い時から努力家で立派な祖父と思っていた人が実は全く血のつながりのない人で
本当の祖父は戦争で亡くなっていたと知る。
自分は試験に落ち続け目的をなくしてしまい、怠惰な生活をしているから
実の祖父も少なからずそうなのだろうと思っていたところ、祖父の知り合いから
本当の祖父の姿がわかってきた。
私たちは自分の習性をつい血筋に関連付ける傾向にあると思う。
本来血筋というより、家庭のの育児方針が受け継がれるのと本人の甘えの構造が
都合よく勝手に造りあげているのだと思う。
そのような誤解のなかで主人公は、祖父の生き方をしっていく。
戦争を全く知らない世代からは想像もつかない当時の状況で
祖父と共に生きた人の話を聞いて主人公は動揺し混乱する。
私自身も戦争は全く知らない。
空襲の話は親から聞いたことがあるが、私の親戚にも戦争で亡くなった人がいることは
聞いたこともない。
私は、テレビ、新聞などで偏った報道からしか戦争を学んでいない。
だから、特攻で出陣した人々が美化された姿しか知らなかった。
知覧にある特攻隊の資料館に行ったことがある。
10代20代の血気盛んな前途ある若者たちが書いたとは思われないほど
、落ち着き品性を保った内容だった。
名前を呼ばれれば死ぬとわかって出陣する
覚悟はどれほどの葛藤があったのだろう。
本心を書けない状況で書いた手紙だと思うと本当に胸が切なく詰まってしまう。
また、それを見送る家族の心情も、息子を持つ親となってみて
一層辛さが身にしみる。
小説の後半で、戦後の日本経済の躍進が死と隣り合わせだった人々が
働く喜び、生きる喜びを見出した結果だったとわかったとき、妙に納得できた。
凄まじいほどの経済の成長は、生きている証そのものだったのだ。
改めて高度成長時代の背景を知り、尊敬と敬意の念で胸が一杯になった。
ところで、資本主義社会というものができて以来、上下、格差というものが同時に発生し
それは過去から変わらずにきている。
これはこの社会が続く限り普遍のものなのだろうか?
コップに水と油を一緒に混ぜて入れても
必ず分離するのと同じように、資本主義社会でも必ず上下の格差が生じてしまうのだろうか。
その中でより良く生きるとしたら、上を目指すか、社会の外に出てしまうしかないのではないか。
同様に幸せを求めて努力しても、生まれついた家柄で努力が役に立たないのでは
ないかと暗澹たる気持ちになった。
著者は「モンスター」という小説もかかれ、その内容も生まれ持った容姿について
書かれていた。
私には「不公平・ずるい」というワードが鉛のように引っかかっているが、
おばあさんの「主人は『手がなくなっても帰ってきます、足がなくなっても帰ってきます。
たとえ死んでも貴方の元に帰ってきます。』と言ったが、あの人は本当に約束を守ってくれました。」
という言葉が鉛をとかしてくれそうに感じた。
追伸、映画も見てきました。
岡田准一さんは主人公の実の祖父役にぴったりだったと思います。
惚れてしまうやろ~!
投稿者 NobuhiroIida5 日時 2014年2月11日
「永遠のゼロ」
私はこの小説を読んで、その時代の男たちを支えた女性の揺るぎない力を感じました。この小説には戦闘機乗りや後の特攻兵の妻、そして生きて帰った男たちを戦後支えた妻の姿が所々で描かれています。戦時中と戦後で世の中の考え方が180度変わり、戦時中は「英雄」ともてはやされていた戦闘機乗りが戦後は「戦犯」に、「鬼畜米英」から一転して「アメリカ万歳」「民主主義万歳」になる中、女性たちの愛は何事にも揺るがないものだったと思い、それが戦後の大復興に繋がっていったのだと思います。
いつでもその時代の流れに翻弄されるのは、その時代の表舞台に立っている男たちのように思われがちです。本当は愛する人のもとへ生きて帰還したい、その思いを胸にしまって特攻に志願する、そしていずれ愛する者たちが自分の真の思いを行間から読み取ってくれることを切に願い、あたかも国の為に、天皇の為に喜んで死ににいくかのような遺書を残す、いずれも悲しい時代に翻弄されたのは名も無い若い男たちのみと思われがちだと思います。
しかし私は、この小説では少しだけしか取り上げられない女性たちの想いにこそ、「揺るぎない力」「不変的な力」を感じずにはいられません。彼女たちの想いは戦時中も戦後も一貫しています。それは愛する人を待ち続け、信じ続け、支え続けることです。一見すると一貫した男たちを妻が支え続ける構図にも見えたりしますが、私は妻の揺るぎない想いがあり、その一本筋の通った信念のもと、それに支えられた男たちはどん底から大復興を成し遂げたのだと思うのです。
だから私も、この先幾度となく遭遇するだろう困難においては、妻の心からの助言に耳を傾け、それに従って生きていこうと思います。なんせ女性はとても強いですから。
投稿者 kenkomania 日時 2014年2月15日
小説を読むのは10年以上振りでした。
これは、僕は本を読むのは好きな割りに活字を読むのが苦手なので、「小説なんてマンガと同じ。どうせ活字を読むなら小説以外を読みたい。」というのが自論のせいでもあります。
そんな僕がこの本を読む気になったのは、今月の課題図書だからというのもあったのですが、職場でこの本の話題になった時に「戦地に赴く男の気持ちを垣間見たくはないか?」という同僚からの推薦文句に心が動いたからです。
つまり、以前の記事で書いたように、自分にとっての幸福が何かがわからずに人生迷走気味の僕にとっては、何か手掛かりがつかめるかもしれないと思った次第です。
~ストーリー~
戦死した祖父(宮部久蔵)について当時を知る祖父の戦友たちにインタビューしていく。
インタビューでは、戦争の悲惨さが語られるとともに、戦友たちそれぞれのドラマの中に宮部久蔵が登場する。
色々な戦友へのインタビューを重ねる度に戦争の悲惨さや宮部久蔵の偉大さが徐々に明らかになっていく。
~わずか70年ほど前の日本~
子供の頃は学校で定期的に戦争について触れる機会がありましたが、大人になってからはほとんどなかったので新鮮でした。
わずか70年ほど前には日本がこんなに悲惨なことになっていたのかと改めて感じました。
~歴史と真実は違う~
僕の拙い知識では、戦争中はお国のため、天皇のためと自ら進んで命を捧げたと習った記憶してますが、本の中で宮部久蔵の戦友が「我々の中には天皇陛下のために命を捧げたいと思っている者など1人もいなかった」と語っています。
つまり、わずか70年ほど前のことでさえ、歴史の本に載っていることは間違っていると戦争体験者は語っています。
それ以上昔のこと、例えば江戸時代や戦国時代のことは絶対にその時の権力者の都合の良いように残されているに違いないと思います。そんな歴史を義務教育で学ぶことの必要性には疑問を感じます。
~カミカゼアタック~
本の中で「死を覚悟することと死ぬと定めて出撃することは全く別もの」と書かれていました。
少し考えれば当たり前のことですが、これまで学校で戦争のことを教えられても、僕はそんなことすら考えたこともありませんでした。
~カミカゼアタックと自爆テロ~
「カミカゼ特攻に志願するかを問われ、ほとんどが志願すると答えた」と書かれています。
上述の通り、当時天皇陛下を神と崇めていたのは見せかけで、本心ではなかったのです。
ですので、そこに強烈なパワハラがあったことは容易く想像できます。
我々が日本でニュースを見ている限りの情報だと、現在の北朝鮮と同じような感じなのかなと思いましたが、9.11の自爆テロとは違うように思います。
~人間の特性~
世論に流され、戦時中は英雄と言っていた人を、戦後には戦争犯罪人と言う。そしてみんなで弱い立場の者を追い込むのです。
僕は特にこれが嫌いです。
弱い者を差別するのと同じ発想だと思います。相手の立場にも立てず、強い立場を利用して差別をする人間は本当に許しがたいです。
今でもヘイトスピーチで騒ぐなど、日本人の人間性は変わっていないんじゃないかと思いますが、日本人に限ったことでもなく、人間の特性なのかもしれないと感じました。
ですので、現代社会においても、差別に負けないよう1人でも戦える強さを備えておく必要があると思います。
~絆~
これだけの死闘を共にした仲間との絆は相当なものだろうと思います。
僕の経験においても、仕事で苦楽を共にした同僚とは深い信頼関係ができました。その仕事が厳しいものであればあるほど信頼関係は強いように思われ、会社が変わっても、その関係はなかなか崩れるものではありません。
戦後、戦争を戦った仲間として日本中で信頼関係ができたんじゃないかと思います。そしてそれが、うまく復興ができた要因なんじゃないかと感じました。
~幸せは環境で変わるものではないか~
冒頭で述べた通り、僕にとっての幸せとは何かがわからず人生迷走気味です。
僕が生死をかけた生活をしていたとしたら、毎日生きているだけで幸せを感じた気がします。
差別を受けて全ての権利をはく奪されていたとしたら、自由に生活できるだけで幸せを感じたのでしょう。
これらのことから、やはり現代社会は満たされ過ぎていて幸せを感じにくくなっているんじゃないか、日々が平穏無事に過ぎることに幸せを感じられる感性が自分には足りないのかなあと思いました。
本当に良い本だと思います。
映画も見たくなりました。ありがとうございました。
投稿者 jorryjorry55 日時 2014年2月16日
「永遠の0」を読んで。
話題になっていたのは知っていたが、課題図書にならなければまず読まなかった本である。
そんな個人的な事はおいておいて、一日で読み終わった直後の感想はやっぱり戦争って愚かしいなと。ましてや人の命を虫けらの如く扱う特攻なんてもってのほかで、それを半強制でやらせたなんて。
それだけならまだ自分の習ってきた範囲内だったのだが、本の中で「自爆テロと同じ」という文を見て本気で驚いた。本当にそういう風に思っている人がいるのかと。そんな事を生き残りの人が戦後生まれの平和な日本しか知らない人に知った風に語られるとそれは怒りますよね。私の祖父は本来戦争に行かなくても良かったのに、陸軍軍人に逆らったばっかりに、翌日赤紙がきたと聞いています。歳の行った二等兵だったので、かなり年下の上官にこっぴどくやられたらしい。本人に聞いたわけではなく、伝聞のためどこまでが本当かわかりませんが。そのため、自分にとっても先の大戦は直接的ではないにしろ他人事ではありません。人の命を軽んじていたという事は絶対に許される事ではなく、さらには特攻が自爆テロと一緒にされるとはなんて浅はかな考えなのだろうかと読んでいて思った次第です。
得意顔で言い放った記者さんは自分を極限の状況下に置いたことがあるのだろうか?もちろん私は無いけれども、それでも素人考えだとしても当時の命令は絶対を考えると自爆テロには全く結びつかない。戦中は英雄扱い、終戦後は戦犯扱いになった人達の心境は想像を絶するものがあるが、浅はか過ぎて読んでいて私も本気で怒ってしまった。
いつの時代も全てではないにしろ、マスコミの責任は大きいと思う。特に、反日を社是にしているようなマスコミは特に。
戦後、東京裁判による日本悪玉論や、GHQによって自虐史観を植え付けられた日本としては何処かで正しく修正していかないといけないと思う。
話がずれてしまったが、反論や否定的な事を言うことが許されない状況下で、自分の信念を頑なに貫き、「生きたい」と言っていた宮部久蔵が、最後は特攻で果ててしまったが、その辺の心変わりについては私は残念ながらよく読み取ることができなかった。周りが次々と死んでいく状況を当然のことながら知らないため、極限的な精神状態がうまく理解できず、自分の力不足に非常にがっかりした。
この作品に賛否両論あるが、そこまで声高に批判する作品であろうか?実際に戦争を経験していない人がどうのこうの言っても全く説得力がないと思う。ましてや特攻の生き残りではないのに。
平和ボケした日本でこの先大丈夫だろうか。
ありがとうございました。
投稿者 sakigake 日時 2014年2月17日
映画も見てきましたが、これだけボリュームがある本をどこまで再現できたのだろうという期待感はありました。しかし、この本の創作部分、奇跡的なヒューマンストーリーばかりに焦点が当たり、肝心な史実があまり語られなかったところが残念に思えてなりません。確かにこの本の魅力として、主人公と祖父、そして宮部久蔵との関係性は挙げられますが、それよりも主人公が宮部久蔵を知る元同僚たちを取材して回り、その口から語られる史実にこそ、作者が膨大な資料をまとめあげてわかりやすく読者に伝えた力量に賛辞が送られるべきだと思います。映画を見て感動した人が、その後どれだけの割合で原作を読んだのだろう?という疑問が残ります。
恥ずかしながらこの本を読むまで日中戦争から日米開戦、そして終戦に至るまでの細かい経緯を知りませんでした。しかし、この本を読んで、真珠湾攻撃から始まり、ミッドウェイ海戦、サンゴ海海戦、ガダルカナル攻防戦、フィリピン、レイテ、マリアナ沖海戦、サイパン、沖縄攻防戦まで、健太郎が祖父、宮部久蔵のことを知るために戦友会を通じて、各戦争経験者にインタビューする形でストーリーが進むにつれて詳細が明らかになっていくのは勉強になりました。下手な歴史教科書類を読むよりも戦史事実が分かってより深く理解できたように思います。
「お国のために命を捧げる」という考えが当時戦っていた兵隊たちの信条であったなかで、宮部久蔵だけが「私は必ず生き残って妻、子どものところに帰る」という信念は当時では「臆病者の考え」と罵られましたが、それこそが作者の強い反戦メッセージではなかったと思います。
しかし、大本営、参謀たちの現場を顧みない決定、行動が結局は日本を敗戦に追いやった根本的な原因だったのだと思います。彼らの大多数は超保身的であり、メンツに拘り、且つ下士官始め兵隊たちの命をいかに軽じていたかは、東日本大震災直後の政府の対応に共通するものがあると感じました。今、尚、こうした官僚的システムは健在であり、福島原発事故の充分な検証も行われていないのに、原発再稼働を目論む経産省官僚、電力関係者、与党議員達の行動に通じるものがあります。
零戦は名機ですが、攻撃能力、航行能力に特化し、全く人命を守る防御という考えが設計段階で欠けていたこと、また桜花という馬鹿げた人間爆弾を作り出したこと自体が人命を軽んじ、モノ以下の価値しかないとみた当時の海軍の思想はどこから生まれたのか疑問に思いました。それに反してアメリカは物量作戦ばかりがクローズアップされますが、人命尊重の上での防御のしっかりした戦闘機開発、捕虜になることを厭わないこと、前線のローテーションの組み方を見ても日本より遥かに近代的であったと思います。「陸軍大将、今村均」も読みましたが、彼のような人材は稀有の存在だったのでしょう。
この本の中で出てくる新聞記者である高山の信条の陳腐さには呆れました、特攻隊員たちの心情、精神構造が、9.11テロのような殉教的テロリストの同じ精神構造だと断じたことです。実際にテロが起きるたびに、特攻隊員の例を挙げて同じ精神構造だと断じた論者がいたのでしょうか?作者が何故、このようなキャラクターをあえて登場させたのが疑問でなりません。ただ、登場人物の一人である武田貴則が高山とのやりとりの中で、戦争の原因を作ったのは新聞社いわばマスコミであると断じたのには納得しました。マスコミはいつの時代でも正義面して、かも正論を述べるかのようにして国民を扇動します。そして事実を述べない。自分たちの都合にいいように脚色する。これが言いたいがために作者は、高山という人物をあえて出したのでしょうか?
個人の生命、尊厳を蹂躙した特攻隊員というものをつ作り出した当時の軍の思想、行動は断じて許されるものではありませんが、こういう時代を生きた人達の礎のうえに、我々の平和な現代があるんだということをもっと真摯に受け止めなければいけません。
朝、昼、夜と食べることに困らない、帰る家がある、安心して眠ることができることのありがたみを我々はもっと感謝すべきです。こうした日常が送れることにも幸せを感じるべきなのです。今、なお、内戦がやまない中東、アフリカ情勢を全く関係がないこととして聞き流してしまうのか?
じゃあ、お前は何ができるんだという声が聞こえてきますが、少なくとも過去の史実を踏まえて現代政治・経済に関心を持ち、今の日本の境遇に感謝し、日々やれることを懸命にこなす。衣食住が確保されていることに幸せを感じる、現代を作り上げてきた先人たちの思いを忘れない、マスコミに扇動されない、選挙投票に行く、ワールド・ビジョン・ジャパンを通じて定期的に寄付を行う等、こうした心構え・行動が必要なのだとこの本を読んで改めて認識しました。
投稿者 s320121 日時 2014年2月24日
「永遠の0」を読んで
宮部久蔵は
特攻・戦争の無意味さを誰より深く感じていた
守りたい家族のためにも生きて帰ること
その気持ちを分かってくれた教え子が体を張って久蔵を助けた
久蔵に特攻命令が出たとき、自分にまだ運があることを知った
特攻で喪った自分の教え子への懺悔
命の恩人に家族を託すことを決めたとき
久蔵を特別攻撃へ向かわせた
読者は、宮部久蔵の思いを感じたとき、感動の涙があふれるのだと思う
本書を読み終えた後、2点思うところがありました。
1つ目は、この本を戦争経験者である父が生きている間に読んで貰って
感想を聞いてみたかったこと。
本書が出版された2006年当時、まだ父は存命中でありながら、自分が本書の
存在を知らなかった事が残念です。
2つ目は、父の戦友が晩年までずっと語ってくれていた事についてです。
父は、大東亜戦争に招集されました。
主に満州の戦場で、いわゆる激戦区では無かったのですが、そこでの話です。
今となっては、詳しい場所、日付は不明ですが、その戦友の方は「**さん
(父のこと)は、命の恩人だ。今の自分があるのは、あの時、助けて貰ったからだ」
と事ある毎に言われていました。
その話はこのような内容でした。
戦線から、撤退命令が出て三日三晩寝ずに歩き続ける強行軍の時、歩兵の装備
、機材の重さから脱落者が続出し、父の部下であったその戦友も
「もう歩けない自分を置いて行って欲しい」と座り込んだ際、父が「装備を持って
やるから、諦めずに歩け」と二人分の装備を持ってくれたという話です。
脱落者=死といった極限状態に置かれたとき、助けて貰った恩は忘れようが無い
とずっとこの話をされていた事です。
この話を、父から聞いたのは1回だけで、「あの時は何人も脱落者が出た。
立ち止まる事=敵に殺される、なので何が何でも歩き続ける極限状態だった」
「人間、極限状態では、歩きながら寝ることが出来る」と語っていました。
その戦友の事は「自分の部下でもあり、何とか助けたいとの思いで荷物を持った
記憶しかない」とのことでした。
当時の戦場では、同じような話は多くあるかもしれません。
現在、自分がこうして生きていること、助けた戦友にも家族があり、その娘が、
私の家内の友人であった事など運命的なものを感じます。
今、自分は心から「父の子で良かった」と思います。
戦争は国家の為政者(支配者)が行うものです。
我々日本国民は、表向きは選挙で国家の政治家は選べます。
日本には、世界に類を見ない憲法第9条があります。
しかし、為政者が「集団的自由権の行使容認」「閣議決定が優先」など戦争の
準備をしているとしか思えない状況になりつつあります。
「美しい国」より「戦争をしない国、日本」であるべきと思います。
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失礼しました。誤字がありました。
誤:「集団的自由権の行使容認」
正:「集団的自衛権の行使容認」
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投稿者 takeda 日時 2014年2月26日
「永遠の0」を読んで
本書を読む前に、映画を見て、感動したのを覚えてから読んだのですが、あまりの内容の濃さに感激と共に、映画の中身がかなり薄くなっていたのに驚愕と少しばかりの憤りを覚えました。
まず、戦争についての新聞社・ジャーナリストの考え方。これについては、映画はノータッチですが、おそらくこれに触れると上映されない・広告がつかないなどのためでしょう。これについては、新聞社が過去に自社が起こした間違いを認めたくないと共に、信頼が落ちるとの為だと思っています。
本書の中に、特攻=テロだという新聞記者の考えがありますが、本を読まない・自分から知ろうとしていない方にとっては、何十年後には、「特攻は・・・今で言う『テロ』みたいなものだ!」と教える人もたくさん出てくるのでは?と危惧しています。wikipedeliaで検索すると、海外では同じ意味でとらえられていると書かれています。では、日本では?というと、あまり特攻の意味を捉える機会がなく、やはり同じ意味で考えている人が大多数なのでは?と思わずにはいられないのが、残念です。
戦後、復興と称して、戦争で日本のために戦った方が悪者扱いにされるような風潮が作られたのも、やはり新聞社。情報発信者として、人としての良識は無かったのか?と問い詰めたいところですが、新聞社だけでなく、戦後をつくった政府の責任も多大にあると思うし、色々な要因があるのだとは思うが、人の命を軽視し、将棋のように考える・人=歩と考える・いつでも取替え可能・補充可能・捨ててもいいという馬鹿馬鹿しい考えがあり、実際に過去に存在したという事実は、いつまでも後世に引きついで行かなければならないと強く考えさせられました。
余談ですが、第十一章で通信員だった方の話がありますが、その成果、つまりモールス信号での超長符は、戦後の遺族年金の受給額の差につながったそうです。戦争後半は、突入すらもかなわず、亡くなった方たちの金額は少なかった、という亡くなった当人が聞いたとしたらその驚き、無念は、なんとも代えがたい戦後の苦悩の一部なのではないでしょうか?
時代は刻々と変化しつづけています。ですが、人の命については、いつの時代も変わらず一人一人が平等に大切であり、かけがえのないものです。『戦争』という命を軽視した戦略ではなく、『話し合う』という人間ならではの方法で、これからも戦争の無い日本であってほしい、と強く望みます。
投稿者 akiko3 日時 2014年2月26日
「永遠の0」を読んで
著者は、現代の日本人が生きがい、目的を見失っているように感じ、生きたくても生きられなかった人達の“生きる”希望を伝え、“生きるっていいな、明日から頑張ろう”と思ってもらいたくて書いたと対談で話されていた。
日常生活の小さな幸せは、見つけるようにしているが、辛い体験をした人の苦労話を聞くと、自分はなんてぬるま湯に浸かっているんだろう…と恥ずかしくなって、何か自分も苦労せねば!と“ねばならない”に傾きがちだった。
だけど、“どういう心境で戦ったか”を考えると、今、自分に何ができるかと考えたあの時代の人達、死と背中合わせの日常を生きた人達は、生きる為に家族や国を守ろうとした。それは、平和で、笑って、仲睦まじく共に暮らせる日常を取り戻す為。少しでも人の役に立ちたいという気持ち。生まれてきてよかった、出会えてよかったと感謝する為。
だったら、自分も今を明るく朗らかに生きよう!何があっても、平和な今を生きている自分に愚痴は不要だ。それが、今の平和な時代を残して下さった方々への最低限の感謝の印だ。
時代や国や文化、環境によって価値観は変わる。国を守ってくれたということが、どれ程の安定をもたらすか。一歩間違えれば、当たり前に存在していなかったかもしれない。いつの時代にも、偏った考えの人がいる。多数に惑わされずに、“何の為に”という基準を常に問いかけて、ブレない自分軸をもっていよう。ちゃんと智の道の取捨選択をしよう。そして、自分の人生を生きるのだ。
生きろ、生きろ。永遠の0の行間からにじみ出る”生きろ“という言葉。
シンプルだが、ただ呼吸して、食べて、寝てではない、深い深い言葉。その言葉のように、深く生きているだろうか?生きていることを噛みしめているだろうか?自分を苛める苦労ではなく、自分を鍛える努力をしているだろうか?
そんな時、オリンピックのフィギュア金メダリスト羽生選手についての新聞記事を読んだ。
金メダルを取ったのに、あまり笑顔がでない選手の思いについて書かれていた。
仙台出身の羽生選手は、震災後、スケートができないかもという状況で、生活することすら精一杯。ギリギリの状態だった。でも、たくさんの人のおかげで辞めずに続けられ、感謝で一杯。
だから、「自分に何ができたんだろうかと考えていたから、金メダルを取っても笑顔が出なかった。自分一人頑張っても、復興の直接の手助けにはならない。無力感さえ感じる。」と。
自分にできるのはスケート。選手として努力を尽くすことで人々を支えたい。急成長の陰には、自分の為だけでなく、被災地の人々に何かを伝えるという大きな目標が、使命感となって、体を突き動かしていた。生命をかけて1つの目標に対し捧げる力、それが彼の強さの原動力だった。その結果、金をとって被災地の何を変えられたのか?という戸惑いが、インタビューの言葉になったのだろう。
記者は続けて、人の力で一歩一歩築くものなら、一人ひとりの心のありようで進み方は違ってくるはず。羽生選手の成し遂げたことを心の糧にしてくれる人がいる。選手とともに祈り、ともに感じることで自分を重ね、力を見出すのだから。大切なことは、信じ、伝え続けること。思いを定め、努力を重ねれば何かをつかめるのだと。皆に届けと命を削ったその姿以上に強烈なメッセージはないのだからと。
まさに永遠の0を読んで、あの時代に比べたら、恵まれすぎている今の自分でいいんだろうか?と罪悪感を抱きそうになった危うさ。今の人達を罰する為に、あの時代があったのではなく、今の幸せの為にあの時代があったという生き方をしないといけないと思った。あの時代の人達と共に祈り、ともに感じることで新たな自分の力を見出したい。よし、明日も頑張ろうと、自分の目の前にあることに力を注ぐ。生きろと渡されたバトンを受け取って、生きよう、生きよう、よりよく生きようという思いを強くする。きっと、その思いに応えて、生かそう、生かそうという運が働くのだろう。
言葉にならない感動とともに、丹田に暖かいものが湧いてきた。
先人達の多くの慈悲に感謝を捧げ、良書との出会いにも感謝感謝です。
ありがとうございました。
投稿者 dukka23 日時 2014年2月27日
宮部久蔵は、なぜ特攻を選んだか。
1.軍参謀の強烈な圧力に屈したから
最終的には上官からの命令として唯々諾々と受け入れた。
流石に軍人であれば拒むことはできなかった。
→でもあの宮部久蔵であれば、平然と断るでしょう。
2.特攻の護衛をやるうちに、いたたまれなくなったから
自分の教え子が次々と特攻によって犠牲になるなか、
自分だけが生きているのは申し訳なかった。
→宮部久蔵の考え方からすると、無駄死にはしないでしょう。
3.霊的能力が発達し、死んだ後も妻を守れると確信したから
「ただ単なる肉体を捨てるだけ」とまでの境地に至った。
おそらく、上記1、2の理由、その他により限界まで追い詰められて、
その考えに至った。
意外に、本当に3なのではと思えるほど、
当時の日本軍の兵士の方々は超人間的な戦いされていたと思う。
良い悪いは別の議論として、
本当に「あの当時の日本人にしかできない」戦いだったと思う。
兵士の扱いの苛酷さや、食事や、作戦の酷さも含めて、
そんな別世界の力を開花させなければ「死んでしまう」という
状況だったのでは、と感じる。
現代では、自分が意図しなければそのような状況にならないだろう。
意図してもそこまでの状況を作り出すことさえ難しいかもしれない。
そんな平和な時代に生きる今、自分に出来ることと言えば、
●一日に一回でも英霊の方々に感謝をすること、
●毎日寝る前に今日一日が英霊の方々に見られて恥ずかしくなかったかを反省する
ことぐらいしかできない。
それでも自分のできることを、先人への感謝を忘れずに
一日一日訥々とやっていくしかない。
官僚(軍参謀部)批判や、マスコミ批判、
またマーケティング用に愛とロマンスが入っているが、
それ以上に、先人たちの犠牲の多さと酷さに、
背筋を伸ばされる書だった。
投稿者 BruceLee 日時 2014年2月27日
「読み終わったんだ?」
「うん、ありがとう、良かったわよ~、映画に出て来ない話もあったわねえ。
あの記者って、朝日新聞の事でしょ?あと不良少年の話とか。でも、こういう
本が流行るっていうのは、日本は右寄りに向かおうとしてるのかしらね」
それから暫し。。。私は母と『永遠の0』について話をした。
映画を観に行った母が「原作本も読みたいから買うつもり」と言っていたので
私は読み終えていた自分の文庫本を貸したのだ。我が家は完全分離型の
二世帯住宅のため、普段の生活は全く別なのだが、昔から週に一度は共に
食事をする事にしており、その時に母との会話になったのだ。料理や箸を
テーブルに並べる妻。父と子供たちはテレビを見てケラケラ笑っている。
70代後半に入った戦争体験者である母にとって、本書は感じる部分が
大いにあったのだろう。そして考えてみれば、1冊の本について母と会話を
するなんて、私自身初めての事かも知れない。
不良少年、というのは井崎の孫の誠一の事だろう。最初の関係ねえよ的な
態度が、井崎の話を聞くうちに変わったのが印象的だった。そして、私も
母に取っては迷惑を掛けた不良少年だった事を思い出した。子供の頃、
母の財布からお金を盗み、宿題をせず母が小学校に呼び出された。そして
高校入試、大学入試、初めての海外一人旅、就職、結婚等のライフイベント
の度に心配をかけ、子供たちが生まれてからは更に面倒を見て貰っている。
それでも口には出さないが母は孫が可愛いくて仕方無い様子だ。外面が
良いお調子者の次男には 遠慮なく叱るが、少し大人びてきた長男に対しては
気を遣い始めている。でも、長男が免許を取ったらドライブに連れて行って
欲しいな、それまで生きてられるかしら、 と笑いながら話す。
この何気ない家族のシーンの中で改めて感じた事。平穏で皆が揃い、
食卓を囲んだ騒がしい中で、酒を酌み交わしながら1冊の本を肴に母と会話が
出来る事って・・・何て幸せな事だろう。だからこそ強く感じるのだ。この
幸せは『永遠の0』で描かれたような先人達の苦しみ、 悲しみ、そして無念
の上の、今の世の平和があって成立している尊いものなのだと。
『永遠の0』では元特攻隊員の話を聞く事で若い世代の人生が変わっていった。
やる気を失くしていた主人公は司法試験の勉強を再開する決意をした。姉は
エリート記者ではなく、大好きな人との結婚を選んだ。元特攻隊員が話した
真実が彼らを変えたのだ。 私が強く感じた本書のメッセージ、それは
「当人が過去の人となっても、語り継がれ、後世の人の中で生き続けるものがある」
という事だ。これが「永遠」なのだと思う。有難い事に、我が家はこうして
三世代が揃っている。ジイジとバアバとのやり取りは、息子たちの人格に影響し、
彼らの人生の一部となるだろう。それは私と妻では与えられない経験なのだ。
だから私はこういうシーンを更に増やしたいし、それには両親に長生きして
貰わねば困るのだ。そして、その大前提として「世の中が平和である事」が
絶対的に必要なのである。
その平和を守るために何が出来るだろう?大きな事は出来ない。が、出来る
事もある。戦争の本や先人の話からあの戦争が何であったのかを知る事、
そしてメディアに流されない確固とした自分の考えと想いを持つ事、その上で
自分の想いを託せる政党と候補者に投票する事だ。その間接的な政治参加により、
政治をウォッチし、全てを人に任せない姿勢、それこそがこの平穏な生活を享受
している現代人の、先人に対する最低限の恩返しではなかろうか。
そう思える夜であった。
投稿者 kd1036 日時 2014年2月28日
今回の感想文を書くにあたり、ちょうど映画を観終わった後で、本と映像により本を読んだ時に気づかなかった部分にも考えが及びました。
本を読んでいる時は、自分の視点は健太郎視点に固定されていたなと気づきました。そして映画を観ると、それぞれの人物の視点でどういったものが見えるのかという事が鮮明になりました。
宮部久蔵の振る舞いは正しいのか?
これについてが考えるべきところなのかと思います。
自分がその場にいない、完全に客観的な立場でみると、正しい正しくないの前に、人間として当たり前の事だというのはわかります。
しかし、ではその場にいたらどうなのか?、というと話は別になりそうです。
このあたりは、映画でより鮮明になった部分だと思います。
正しい正しくないというのは、あらゆる角度・視点から判断して絶対的にどちらかだと言い切れるものは存在しないと考えます。
それは、一人の人間に対する評価が、人によってバラバラだという所からみてもあてはまります。
とはいえども、「それって当たり前じゃん」って事が口にしたり行動したり出来ないというのはおかしいと思います。
集団の思考や行動は、意識するしないに関わらず空気によって支配されているようです。
日本と戦火を交えている国からしてみれば、何でそんな事するの??というような、作戦でもなんでもない終戦間際の軍事行動にしても、指揮を執る層も、命令を下す層も、実行する層も、こんな事しても意味がない・戦局を逆転できるはずがない、という事は意識のなかにはあったのではないかと思います。
それでも特攻はなされたのです。
今もし、そのような状況になったら個人は自分の意志で行動できるのでしょうか?
戦争という極限状態に組み込まれることは考えづらいですが、全く可能性がない訳ではありません。そしてそのような状況に組み込まれたら、個人でいくら真っ当な言葉を発したり行動を取ろうとしても、それは難しいと思います。
ではどうしたら良いのか?
一個は、そういった状況に陥らないようにするという事でしょう。
先の戦争は、当時の日本と諸外国の状況と意図がわかったうえで結果を見れば、それは日本が敗戦するのは当たり前だとわかります。
しかし、当時はそのような情報は国民になく、為政者の側には情報はある程度あったにせよ、その解釈は徐々に自分達の都合のいいように解釈されていったようです。
そして、戦争を起こした責任は、為政者の側にもあるかと思いますが、国民がそれを望んでいたというのもまた事実でしょう。
望んでいたと言うと言いすぎかもしれませんが、それを望む空気が存在したことは否定できないと思います。
大切なのは、
・正しい情報を手に入れる(簡単そうで実は相当難しい)
・そのうえで然るべき行動の選択をする
といった所でしょうか。
個人の生活でも、国対国でもそうですが、自らの考えだけではなく、他者の思惑や実際の行動など様々な要因が存在します。
ですから、自分は戦争をしないよ、というのはいいのですが、こちらがやらないからと言って他方が仕掛けてこないとは限りません。戦争をしないのであれば、そのスタンスを固辞するためには、どのような状態に自己を置いておけばいいか、またどのような行動をしていく必要があるのか、その場しのぎではなく長期的に構築していく事が必要だと思います。
ラバウルの将軍でも書かれていましたが、戦争で負けた国(特に日本)は、あまりにも理不尽な裁判を押し付けられたりしています。事実を事実として取り上げられない状況は、あっけなく具現化してしまいます。
そのような事が昔あったけど、今は違う、なんてことはないはずです。個人のレベルから他者に踊らされない実力をつけていきたいと思います。
戦争というと、「目的のためには手段を選ばず」という言葉が浮かびます。
しかし、手段を選ばずでないと達成できない目的なんて、本当に良いものなの?と私は思います。世界が愛と平和に満ち溢れることを切に願います。
PS.映画のなかの岡田准一君はカッコ良すぎます。そして映画にすると尺の問題で特に邦画はチープになりがちですが、原作を損なうことなく構成されていてとても嬉しかったです。
投稿者 nkatani 日時 2014年2月28日
#内容が濃いため、あらすじ書きは略させていただきます。
■永遠の0を読んで
物語の順序の組み立ってがうまくなされていると思いました。
宮部久蔵の人物像とともに、当時の背景やゼロ戦や空母などの説明などが行われ、
すんなりと話に入り込め、後半はドラマの部分に集中できるようなつくりになっていました。
また、感情や状況の描写がうまく、
あたかも自分が物語を体験しているような錯覚さえ覚えました。
自分は、永遠の0が紹介されたときに一度読み、
今回の感想文のためにもう一度読みかえしました。
一度目は、
真珠湾の戦いから終戦後しばらくの間までの時代背景を知るとともに、
兵の命を将棋の駒のように軽く扱う大本営の非情さや、
戦前は戦争へと煽りたて、戦後は掌を返したように反戦を訴えたマスコミの節操のなさに深い憤りを覚えました。
二度目は、
機体をやられ帰還不能になった艦攻撃が自爆する間際に搭乗員が見せた笑顔の敬礼、
さわやかな笑顔で飛び立っていった特攻隊の人たちの心の強さに心を打たれました。
死を目の前にしたとき、家族を残して逝く事の辛さや死の恐怖などの葛藤が大いにあったにも関わらず、
死を受け入れ、笑顔を作る事ができるというのは、並大抵の事ではありません。
狂気のような作戦のために散って行った兵たちの命の後に、今の自分たちの命があります。
家族のために、お国のためにと大事な自分の命をかけて戦い、散って行った命に祈りをささげるとともに、
今の自分がある事に感謝したいとおもいました。
願わくは、この本が「泣ける小説」の一言でくくられ一過性のブームで終わる事なく、
戦争の資料の一つとして長く残り、多くの教訓を与えてくれればなあと思います。
投稿者 t1100967 日時 2014年2月28日
【『永遠の0』はなぜこれほどまでに売れるのか?】
とんでもない作品だと思います。
これまでの文庫本史上第1位の売り上げになっているそうです。
ではなぜこの本がこれほどまでに多く売れるのか?
その理由を考えてみました。
■
まず、この本が訴えるメッセージが、
現代日本人が忘れかけており、
非常に深く、重く、心に突き刺さるものだからというのが、
この本が売れた最大の理由だと思います。
私が思う、この本のメッセージは次の3つです。
・戦争で戦った多くの人のおかげで、今の平和な日本があるということ
・もう2度と戦争はしてはいけないということ
・命は自分だけの物では無いので決して軽んじてはならないということ
・・・決して目新しいメッセージではありません。
しかしながら、この本ほど心の奥深くに到達しものは、
未だかつてありませんでした。
それはなぜか?
以下のような要素がこの本を名作たらしめていると思います。
■
まず考えられるのは、作品の幅の広さだと思います。
この本に描かれている要素としては大きく、
・宮部という架空の人物を通したヒューマンドラマ
・資料を元に第二次世界大戦を克明に描いた戦記
という2つの要素があります。
その2つが絡み合い、うまく融合し、最高の物語を構成しています。
この2つを巧みに使い、以下のような多くのテーマを描いています。
・人間の愛情の深さ
・人間の命の尊さ
・人間の強さ
・戦争の悲惨さ
・あの戦争の無謀だった点
・軍部の愚かさ
・官僚組織の愚かさ
・兵士の強さ
・兵士の葛藤
・特攻隊の心理
・マスコミの愚かさ
・現代日本の変化
これらが重層的に重なり、物語に深みを与え、
メッセージを届きやすくさせています。
ただのお涙頂戴ヒューマンドラマでは無く、
ただの戦記の羅列でも無く、
フィクションでありながら、圧倒的なリアルさでもって、
あの戦争を追体験できるところに、
この本の面白さがあります。
■
次に、読ませ方のうまさがあります。
あれだけの克明な戦記を飽きさせずに読ませるテクニックは、
相当なものです。
まず主人公を現代日本の若者にし、読者と同じ目線に立たせた上で、
「なぜ”臆病者”とも呼ばれた宮部が特攻で死んだのか?」
というミステリーを解明するという流れで話が進んでいくという点です。
これにより早く次の展開を知りたくなります。
次に、戦友たちの立ち位置の違いにより、宮部像が異なり、
人間宮部が徐々に明らかになってくる点です。
宮部という人間のかっこよさ、誠実さ、強さ、やさしさに、
多くの読者がひきつけられると思います。
戦友たちのキャラクターも面白い点です。
片腕を失った者から、やくざ、上場企業社長まで、
多彩な人間をかき分けることで、物語に深みが出ています。
■
以上の点が、私が「永遠の0」を読んで思った感想であり、
「なぜ『永遠の0』がこれほどまでに売れるのか?」
という問いへの解でもあります。
以上。
投稿者 magurock 日時 2014年2月28日
永遠の0を読んで
「愛する人のためにも絶対に死にたくない」という思いと、身を挺してでも特攻する機を守らなければならないという任務の間に揺れ惑い、次第に心を病んでいく宮部。
たくさんの無駄死にを間近で目にし、時にはそこから逃げ、自分を激しく責めながら、ついに特攻に志願するまでの彼の心の動きは、わかるようでいてわからなかった。
平和な時代に生きている自分が、軽々しく理解できるなどとは言ってはいけない領域なのだとも思う。
自分を執拗に付け狙う敵機に自らの命を顧みず体当たりしてくれた教え子に、生の可能性と家族を託して突っ込んで行った最期は、葛藤し続けた彼のギリギリの落とし所だったのだろうか。
子どもの頃からずっと、戦争の話を見聞きすることが苦手だった。
平和に甘え緊張感無く生きている自分に罪悪感を覚えるからだ。
「戦争に関する書籍や映像に触れるたびに、平和ボケしている自分が申し訳なくなる」
と広島出身の小説を書いている友人に話したことがある。
彼女は幼い頃より、その環境から戦争や原爆の悲惨さを、いやというほど目にし耳にしながら育ってきた。
耐えきれず目をそむけようとすると、しっかり見るよう大人たちに叱られたらしい。
そんな彼女が私の言葉に、
「平和ボケして何が悪いの? 今は平和なんだもの。戦争の時代の人に感謝しながら、せっかくの平和を謳歌しないと、死んでいった人たちに申し訳ないのよ」
と言った。
彼女の言葉に、頭を殴られるほどの衝撃を受けた。
彼女は、子ども時代に大人たちから押しつけられた戦争・原爆ものがトラウマになっていたと言う。
でも、それに触れたことで今の自分があるから、それで良かったと思う、とも。
目を覆いたくなるたくさんのことに怯え傷つきながら、それを受けとめて心を育ててきた彼女だからこその、重い言葉だ。
今の私が同じように言っても、薄っぺらになってしまう言葉だ。
まだ自分の中で整理できていない状態だが、これからはもっと当時の情報に触れ、今の平和が少し前までは当たり前のことではなかったことを忘れないように、感謝しながら生きていこうと思う。
戦後の松乃の過酷な境遇を救った二人の男は、宮部に心底惚れてその死を惜しむ者たちだった。
家族のために生きて還ることに執着しながらも、教え子たちが特攻に行く中、自分だけ生き残ることに耐えられなかった宮部だからこそ、人を惹きつけるのだと思う。
真剣に人を愛し人を思いやり生きるということは、思いやった相手や自分のためだけでなく、自分の大事な人をも救うことにもなるんだな、ということが、この本から学んだ重要なひとつだ。
悲壮な決意をしなくてもよい平和な日常を守っていくために、自分ができることはなにか、目をそむけずに考えていきたい。
そう私に思わせたのだから、この物語は決して戦争や特攻を賛美したり美化したりするものではない。
断じて違う。
投稿者 tractoronly 日時 2014年2月28日
永遠のゼロを読んで
先日ある人が、人の死には3つあるということをおっしゃってました。
一つ目は生物としての肉体的な死
二つ目は名前を忘れられ、人々からその人の存在がなくなる記憶の死
三つ目はその人が伝えた生き様が失われてしまう魂の死
物語の冒頭ではこれら3つともが失われてしまっていた宮部久蔵氏の人生ですが、読み進むにつれて生き生きと宮部氏の生き様がよみがえり、主人公の一人健太郎にもそれが引き継がれていく様子がありありと描かれ、まさに宮部氏がすぐそばにいて生き方の指南をしてくれているように感じました。
本を読み終わり、周りを見渡すと、道の脇に立っている電柱も、公園に植えられている木々も、誰かの想いがあって”そこにある”のではないかとふと思い、ハッとしました。
70年近くも戦争をしていないこの平和な日本は戦時中の人々が望んだ世界なのだということに。
特攻をはじめ戦争で失われた命は自ら望んで捨てたものではないけれども、自分の命と引き換えに自分たちの家族が平和に幸せに暮らせるなら惜しくはない…そう強く思ったのではないかと思います。
幸いなことにまだまだ戦争時代を生き抜いた方々が身近におります。
その人たちの生き様をしっかりと焼き付け引き継いで、強い意志で生きていきたい。そう思いました。
投稿者 kangbo 日時 2014年2月28日
永遠のゼロを読んで
この本を読み終えて、まず感じたことは、人間の原点は皆、同じであり、
それは「愛」だということです。
先の大戦で亡くなられた多くの方々は、天皇陛下のためでも、国のため
でもなく、自らが愛する人のために亡くなられたということです。
私は戦後に生まれ、これまで何の不自由も無く暮らして来ました。
戦争についても、第二次世界大戦で多くの犠牲者を出し敗戦。戦後目覚
しい復興を遂げたという程度の理解しかありませんでした。
ただ、幼い頃から、「戦争」や「死」という言葉には敏感で、大きな恐
れを抱いていました。それは、幼少期を広島で過ごし、小学生の時から
広島の原爆ドームや平和記念資料館を参観し、原爆や戦争の凄まじさ、
恐ろしさが深く心に刻まれたこと、原爆や戦争に関わる映画や漫画など
を見る機会が多かったことがあります。
「戦争は怖い。第三次世界大戦が起きれば皆死んでしまうに違い無い。
死というのは恐ろしい、死んだら人はどうなるのか?人間はいつか必ず
死ぬ、父も母も兄も死ぬ、そして、自分にも死というものは必ずやって
くる。死にたくない!」
そういったことを考え、そのたびに、一人で涙した記憶があります。
しかし、成長するに従って、すぐに死が自分に訪れることはないだろう
という危機感の薄れ、死に対する恐れに替わって、地位や名誉、金銭・
物質的名的な欲求、欲求が満たされないことへの不満やあせりなど実際
に直面している問題が解決されないことによる心の不安が支配していく
ようになり、「死」に対する現実的な恐れを以前ほど感じなくなってい
ました。
それどころか、思い通りにならない現状から逃避するために、「死」を
選んだ方が楽では無いかと思うようにもなりました。
ところが、そんな思いを根本的に変えてしまう出来事が私自身の身に
起こりました。
あと1,2秒、距離にして数センチの差で自分が交通事故死していたかも
しれないという事態に遭遇したことです。
その瞬間は当時色々と問題を抱え、自暴自棄になっていたこともあり、
助かったという喜びよりも、いっそのこと、死んでしまっていた方が
良かったとさえ思っていましたが、時間が経ち冷静になるにつれて、
安易に「死」ということを考えた自分が恥ずかしくなり、反対に、私
に「生」を与えてくれた神様に心の底から感謝しました。
こんな不肖な私をなぜ、神様は見捨てず、救ってくださったのかは分
かりませんが、この頃、問題を改善するため「運」が上向くよう、少
しずつ取り組んでいたことが、生死の境目で救いの手が差し伸べられ
る結果になったのだと思います。
この体験をきっかけに、今までの不満や焦りが、大したことでは無く、
生きていることが幸せで、不満や悩みも生きていればこそ、乗り越え
られるものだということを実感しました。
生きていなければ、悩みや不満を感じることもなければ、喜びや幸せ
を感じることすらできないのです。
このような不思議な体験をした矢先に、本作品を知りました。
名作だと言う声もあれば、戦争・零戦の美化だ、右傾化作家の作品だ
と言った否定的な声もあり、手にするのをためらっていましたが、思
い切って読んでみました。
小説を読む前に、映画も鑑賞しました。映画は良くできていましたが、
やはり小説の方が作品としては素晴らしいと感じました。
文章で読むことでその情景を想像する、登場人物それぞれに自分がなっ
た気持ちで読んでいくことで、より心に響いてくるような作品でした。
本作を読み終えてから改めて、日本という国が経験した戦争はどういっ
たものなのか、本や資料また、当時の実体験を語った映像などを調べま
した。
そして感じたことは、私が生まれた日本という国がいかに多くの方の犠
牲と想いの上に今、存在しているかということです。
先進国の仲間入りをし、豊かになったと言われる一方で、日本では毎年
3万人近くの自殺者が存在しているという悲しい現状があります。
今こそ、戦争の事実を知り、そこから平和に暮らせる事のありがたみ、
素晴らしさ再認識しなければならないと思います。
この作品を読んで、過去に生きたくても生きられなかった時代があった
ことを知れば、自ら死を選ぶということがどんなに愚かなことであるか
気付いてもらえるかもしれません。
文中で、健太郎の祖父大石が特攻に出撃した際、母親から受けた愛情に
感謝し、それに報いずしてして死ぬことへの無念を吐露する段落では胸
が締め付けられる思いがしました。
「女として生まれ、母と一生暮らせていけたら・・・。」
この一言に戦争で自ら死を選ばざるを得なかったものの思いが込められ
ていると思います。
戦場で亡くなった多くの方が同じような想いを抱いて死んで行ったこと
を思うと、戦争というものの残酷さと家族への愛がかけがえの無いもの
であるということを感じられずにはいられませんでした。
今、生あるこの一秒一秒を悔い無く、真に生きること、これこそ大事な
ことであり、私に注がれた多くの愛に報いることであると、痛切に思い
ました。
投稿者 6339861 日時 2014年2月28日
作家というものは、小説の執筆に至るまでに膨大な資料を収集・研究するのでしょう。
百田尚樹さんの小説もそのような努力の積み重ねを感じた。
特にこの永遠のゼロは、戦争という史実を架空の登場人物や家族の目線から、生生しく伝えてくれた。
この小説を読むことで、当時の戦争のことが本当によく分かった。
一流の歴史本といってもよいものだと思う。
当時の零戦の性能が世界一だったこと。
当時の零戦航空員の航空技術が世界一だったこと。
特攻というものが、ほとんど効果がなかったこと。
ミッドウェイ海戦の戦いがどういうものだったかということ。
ガダルカナル島の戦いが太平洋戦争で最も過酷な地獄であったということ。
そして、当時日本という国は本当に人命を軽視していて、
大本営や高級参謀たちはとてつもなくむごいことを平然とやっていたこと。
作戦全般を通じて感じる徹底した人命軽視、その最たるものが特攻。
ガダルカナルの戦いでの戦術の幼稚さ、全滅した一木支体の負傷兵が自決と玉砕を強要されていたがために
最後まで抵抗し、やむなく米群が戦車で彼らを踏みつぶしたこと。
こんなのを読むと、何とも言えないやるせない気分になり、脱力感に襲われた。むなしくてたまらなかった。
なぜ、むなしいのか?
過去の化け物に憤っても仕方がないからか。
自分にはどうにもできない歴史だからか。
とにかく、むなしいという感覚だ。
なぜ、同じ戦争で、同じ人間なのに、日本は兵士の命を軽視し、アメリカは兵士の命を大事にしたのだろう。
アメリカは偉いと思った。
”子供の運動会を元航空整備兵が回想するシーン”がある。
私も中学生の一人息子と、ただなんとなく家でじゃれあっているとき、それをふと第三者のように感じるときがある。
部屋に息子がいて、自分がいて二人でプロレスをしてじゃれあっている。
同じ部屋のキッチンでは妻がもくもくと料理をしている。
それを第三者的に俯瞰している自分がいる。
そして、ただそれだけのことがむしょうに幸せに感じる。本当に心から幸せだな~と感じる。
彼らは、戦争を戦った。そこでは、現代の日常とは全くことなる日常があった。いつも死と隣り合わせの日常があった。
ただ、子供や家族と一緒にいるだけでこれ以上ない幸せを感じるのは、私も彼らも同じなんだ。
”戦争で亡くなった大勢の男たちは皆この幸せを奪われたのです。”
の部分を読んだとき、なにかたまらないものを感じてしまった。
一体この戦争は何のためのものだったのだろうか。
何でこのようなことになってしまったのだろうか。
人間にとって、幸せとは何なんだろうか!?
”家族と過ごす何気ない日常”というのは幸せの極地なんだ!心からそう感じた。
”自分なりの死の意味を考え、深い葛藤の末に心を静めて出撃したと思う”
この時、特攻隊員が何を考えたのかは私には、想像すらできない。
何か想像すること自体が失礼な感じがした。
これは特攻した人にしか分からない心境だと思う。
”関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた”
”戦後は一転して戦争犯罪人の母として”
”「せめて行男の墓を」”
なんともやるせない気持ちを言葉にすることさえできない。
著者 百田尚樹氏は、この本を通じて太平洋戦争時の日本軍官僚組織、エリートたちの性質・風土を深くえぐりだしている。
”「海軍の将官クラスの弱気なこと」”
”「ガダルカナルもニューギニアもアリアナ沖海戦もレイテ沖海戦もインパールもそう
これらは無謀というか命知らずの作戦だけど、ここで忘れちゃいけないのは、これらの作戦を
考えた大本営や軍司令本部の人たちは自分が死ぬ心配が一切ない作戦だったことよ」”
”「自分が前線の指揮官になって死ぬ可能性があるときはものすごく弱気になる」”
”「たとえば真珠湾攻撃の時に、現場の指揮官クラスは大三次攻撃を送りましょうと言っているのに
南雲長官は一目散に逃げ帰っている。珊瑚海戦でも、敵空母レキシントンを沈めた後、井上長官は
ポートモレスビー上陸部隊を引き揚げさせている。ガダルカナル緒戦の第一次ソロモン海戦でも
三川長官は敵艦隊をやっつけた後、敵輸送船団を追いつめずに撤退している。極めつけが
レイテ海戦の栗田長官の反転よ」”
このくだりで大本営の基本的性質、それに基づく具体的行動がよくわかる。
全くもって、ひどいかぎりである。
これらが少しでも違ったものであれば、戦争の形勢もどうなったか分からなかっただろう。
さらに、これが構造的なもので、なぜそのような構造になったかまで切り込んでいる。
それは官僚たちのエリート意識が原因だということである。
彼らは一切責任を取らず、一般兵士の命を道具のように扱った。
その象徴が”特攻”ということである。
ふと、思ったのだが、自分の会社で「責任をとる」ということがなされているだろうか。
会社では、人命にかかわるような指揮命令はないものの、利益という結果を得るために
日々、いろいろな意思決定がなされ、支店長から本部長、本部長から課長、係長、担当へと指示が出されている。
しかしわが社では大きなプロジェクトで戦略ミスをして、売上や利益を逃しても誰も責任をとらない。
もし、外資系企業のように責任をとって給料カット、降格、クビなどの措置があるとしたら、
相当殺伐とした雰囲気になると思われる。
反面、仕事の質、利益という結果は相当上がるのではないかと思われる。
責任をとらないのがわが社のよいところなのか・・・。どうなんだろうと思った。
新聞社の罪についても言及されている。これも著者が言いたかったことの一つではないだろうか。
あの戦争を引き起こした原因は新聞社にあった。
そのような新聞社の振舞を初めて知った。
特攻した人を戦時は英雄視していたのが、戦後は犯罪人呼ばわりしたのも新聞社の影響なのだろうかと思った。
我々には絶対に特攻に行った人の気持ちは理解できないと思う。
この作品を読み始めて、すぐに作品の世界にどんどん引き込まれていった。
佐伯健太郎と姉慶子を通じて、現代と過去を行ったり来たりしながら、あっという間に読み終えてしまった。
普段小説を読まない自分が、小説ってすばらしい! 心からそう思えた作品であった。
このような素晴らしい作品に出合えて感謝です。
投稿者 bokuno 日時 2014年2月28日
「永遠のゼロ」を読んで 奥野文司郎
日ごろは通勤車内が読書タイムなんですが、
泣くだろうと思い、自宅で読む事にしました。
予想通りというか、予定通りというか、
一気に停まれずに読み、何度か涙ぐみながら読みました。
この数年、第二次大戦に関する書籍をいくつか読んできており、
何人かの実在の登場人物や作戦名は、既にパーソナリティや認識が
出来上がっていましたが、それを差っ引いて
冷静に読み、幾つか学んだ事。
やっぱり、戦争は、いかんと言う事。
外交力をつけなければ、やっていけないという事。
命について。
自分の置かれた立場でできる事。
目的を忘れた、あるいは、履き違えた組織の事。
勝つ、負けるって何だという疑問。
人の上に立つ者が、持たなければならない、原理原則。
意志を持ち続ける事、
評価者の立場によって、評価が違うという事。
恩の表現の形について。
男女と親兄弟の愛の形について。
先祖の事。
時間を越えた、愛の連綿について。
次世代に遺すものについて。
日本国民の気質について。
メディアの責任について。
技術進化の背景にある、考え方の重要性について。
戦時という、平時ではない環境で生まれた、人間関係についての事。
礼節。
「無理」と「挑戦」の違い。
人間の覚醒という事。
へぼ将棋。
王より飛車をかわいがり、の愚かしさ。
思う事がたくさんあり、絞り切れず、上手く文章にまとめる事ができません。
人に伝える文章というより、自分の内省への備忘として、書いてしまいました。
ご容赦ください。
投稿者 lupinthethird0710 日時 2014年2月28日
読み進めていくうちに自分がいかに恵まれた環境の中で生きているのかを痛感しました。
第七章読み終えた時に、なんて自分は幸せなのか、
そして今現在をこうして生かされているだけでもう他には何も要らないとほんの10分間位ですが、心の底
から思えました。
それほど戦争は何があっても過ちでありもう二度と繰り返してはならないことです。
しかし、登場人物の心境の中には戦争の悲惨さがあまり描かれてなかったように思われました。
いかに過酷な状況、そこから逃れられない運命が目の前に立ちはだかってもなお、出来うる限りにおいて
自分で考え、自分で決断し、懸命に生きていかなければならないということを
著者が言いたかったことなのかなと感じました。
戦時中を生きた私の祖父母や戦後すぐに生まれた両親と比べることは出来ませんし、比べるものではない
のでしょうがただ一つ強く思うことは根性を持って挫けず生きて行きたい。
誰かさんが「やさしさは根性だ」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。私は登場人物たち
に足元にもおよびませんが彼らのように強くやさしい人間でありたいですし、
そう目指して生きていきたいです。
投稿者 bluefilm2006 日時 2014年2月28日
「日本という国家が行ってきた戦争とはここまで酷いものなのか、、」
戦争に詳しくない私が感じた読み終えた後に感じた率直な感想である。
酷い=他の国や人に対して戦争であり、日本国民に対しての戦争を指す。
特に、戦地に向かう日本国民は「捨て駒扱い」であった。
アメリカが戦争に勝利した要因は「人を守る(残す)」努力を続け、
人の問題に工数を割く事が少ない分、相手の研究に注力出来た差が出た事が大きいのではないか。
ゼロ戦にも見られるように日本の戦闘機は攻撃重視、防御力は低く、
結果的に徐々に優位性を失い始め多くの熟練者を失う事となった。
その反面、アメリカは熟練者を守る努力を続け、熟練者を次々に失っていく日本を尻目に戦争を徐々に有利に進め勝利する。
現代社会の「外資系」のイメージはバサバサとレイオフするイメージが強く、戦争でのアメリカの対応は意外に感じてしまった。
そのあたり、今回の書籍から学ぶ事が出来たのは驚きである。
(ここで少しビジネスに話を移してみると、、)
ビジネスにおいても人を切るのは簡単ではあるが、それでは駄目である。
いかに熟練者(プロフェッショナル)を多く育て自社の状況を有利に進めるか。
現代の日本企業の人員整理を見ていると、 日本が培った技術やノウハウの現象がさらに衰退するのではないかと不安が過るが、今までの失敗から学ぶ事も可能である。
戦争で命を失われた方々の為にも日本人としてそうありたい。
いずれにしても、戦争で命を落とすことになった人々に祈りを捧げたい。
投稿者 senumishima 日時 2014年2月28日
永遠のゼロ
主人公の宮部久蔵は、特別な人というわけではなく、いわゆる「普通」の人だった。
家族があり、子供が産まれ、現代に生きている人たちと何ら変わりのない人物だと思う。
しかしあの時代、そういった大勢の普通の人たちが戦争に生きそして人生を終えることとなった。
そのことを痛感する内容でした。
産まれた時代や場所が違えば、こんなにも違う生き方なのかと強く思いました。
今、隣で文句を言いながら仕事をしているあいつも、時代次第では家族を捨て、命を捨ててしまうのか
と考えてしまいます。
特攻というものをどう受け止めるか、少し時間がかかりました。
そのやり方が良いのか悪いのかという判断はしませんが、そこへ向かっていった人たちの強い思いは凄いものがあると思います。その強い思いを方向づけてしまったのはいったい何だったのだろう。軍なのか、国民なのか、マスコミなのか。
少なくとも今の時代に生きる自分の考えとしては、一人の考えの集合が国民の総意になるのならば、「1/日本国民」として戦争という手段は選択しません。命をどう使うかを考えたとき、多くの人が幸せになる道を選びたいので、生きて多くの人と接していきたいと思います。
その選択ができるこの時代この場所に産まれたことを感謝し、精一杯生きていこうと決めました。
宮部久蔵という、戦争を生きた数多くの人たちの上に今の世界が成り立っていることを忘れずに一瞬一瞬の限りある時間を大切にしなければと感じました。
投稿者 yousuketakahashi 日時 2014年2月28日
おそらくこれはしょ~おんさんの新しい名著リストにランクインするだろう
と思えるほど秀逸な作品でした。
戦争歴史本として非常に優れており、当時の情景や背景が想像できる。
あっという間に読めるほど物語に引き込まれる。感動する。
なぜこんなにも引き込まれるのかを考えてみました。
・物語にドラマがある。
人の生死、愛、憎悪など感情を揺さぶられるドラマが多数ある。
・意外性と驚きがある。
まさかおじいちゃんがでひっくり返るほど驚きました。
・キャラが立っている
どのキャラもたっていますが、やくざの親分の「生きろ」が一番印象的でした。
・その時の情景が浮かぶほどのリアリティがある
ゼロ戦の空中戦の様子がありありと目に浮かびました。
・伏線がしっかりと回収されている。
なかでも飛行機のエンジンに詳しいという最初の方のエピソードが
最後のキモの部分で回収された時にはやられたと思いました。
これを狙って書いている百田さんは天才です。
としか表現しようがありません。
この本を単純に物語として楽しむだけでなく、身近な現代のビジネスに置き換えて
何が教訓となるかを考えてみました。
・戦略の大事さ
どうすれば最小の兵力で最大の効果が産むことができるかを考え抜く必要がある。
特攻のようなあたって砕けてこいといったものは戦略ではない。
人はモノでは無い。
・反復と真剣な修練
人には得て不得手がある。でも真剣に積上げてきたことは嘘をつかない。
何度も何度も真剣に練習した。本番を想定して数をこなした。
その結果、ゼロ戦は世界一になれた。
・本気と覚悟
どんな状況でも活路はある。あきらめる(死ぬ)のは簡単。相手の力量と自分達の戦力を把握し、
無謀とならないように本気で最善を尽くす。あきらめない覚悟があれば活路は開ける。
生き残ることができる。
様々なビジネス書にも書かれている成功哲学と同じことが表現されているように感じました。
投稿者 ktera1123 日時 2014年2月28日
「永遠のゼロ」を読んで
映画にもなった「永遠のゼロ」、映画館で感極ってうるうるし見ている最中に力が入っていたのかエンディングで脱力感がありしばらく立ち上がれなかった。そこまで素晴らしい映画を作った関係者に感謝。現代の分の冒頭で祖父の弁護士がなぜあまり儲からない案件を扱っているのか、国鉄を辞めて弁護士になったのかも映画を最後まで見ているの腑に落ちることに気づく。映画の感想としては「戦争」「死」を取り上げることにより「平和」「命」の尊さを訴えていることを強く感じた。客層は週末だったこともあり「岡田君」ファンの若い女の子と原作をよんでいるとおもわれる40代以上にわかれていた。
これでは映画の感想になってしまう。映画、原作とも私の苗字と同じ人が特攻隊員としてでてくる。全国ランキングで1000位ぐらいなので極端に少ないわけではないが身内以外の同姓の人と直接あったことは今まではない、ただ単に百田さんの出身の関西方面が多いだけでたまたまかもしれないが、ここまでの本で登場人物として出てくるのはなにか訴えているものがあるかもしれない。
私の父方の祖父、母方の祖父とも海軍だったらしいのだが世代、年齢的な関係もあり先の大戦には従軍していない。父、母とも厳密には戦前の生まれだが幼少期なのでそこまでの戦争の記憶はないはずなのだが、空襲があったことと落下した爆弾であいた池があったことだけは幼少のころから聞いてきた。
いま改めて「永遠のゼロ」の小説、映画を通じて先人の御苦労がありいまにつながっている。そんなことを深々と思い感じさせられました。
以上
投稿者 lapis 日時 2014年2月28日
戦争の話を読んだり聞いたりすると「運」について考えさせられる。
運が悪いということは死を招くことになる。
宮部は運を自ら引き寄せていたと思う。
宮部について9人の人間が語っているが
誰もが評価していることが
戦闘機乗りとして宮部は一流であることである。
宮部のエピソードで印象が強かったのは
・エンジン音で機体の善し悪しが分かり、整備を徹底させていること。
・搭乗中に臆病者といわれるほど周囲に注意を払うこと。
・戦闘機のGに耐えられるよう鍛錬を怠らないこと。
天性の操縦センスを持っていたかも知れないが、
搭乗員にとって当たり前のこと当たり前にやっている。
誰もが心の底では「生きて帰りたい」と願っているが
どこかあきらめている状況の中で
宮部はためらいなく生きて帰りたいと口に出し
それを実現するために手間を惜しまない。
だから、激しい戦闘にあっても1cmの差で帰還することができ
特攻へ行く場面で調子の悪い戦闘機が割り当たったことも
偶然ではなく必然であったと思う。
彼は生きて帰れるチャンスがあることを知りながら
“幸運”を手放す選択をした。
どんな思いで戦闘機を交換するという行動にでたのか
想像するだけで辛い。
戦争に巻き込まれていく人々の
怒り、辛さ、やるせなさを宮部を通して伝わる。
現代だと運がいい事は喜ばれることだが
戦争では運があることで葛藤が生まれるという皮肉な面もある。
素直に運が良いと素直に喜べる今に感謝したい。
投稿者 morgensonne 日時 2014年2月28日
『永遠の0』を読んで
主人公の宮部さんの考え方は、当時の日本人としては珍しく欧米的な(アメリカ人的な)もので
あったと感じました。
命を大切にする。
家族を大事に思う。
周囲の意見に流されることなく冷静に現状分析する。
地位に関係なく誰に対しても公平に接する。
なぜそのような考え方になったのか。
日本の将来のためにそのような思想を持つようになったのではないかと思います。
「十死零生」
生き残る確立は限りなくゼロに近い。
そのような状況で決してあきらめることなく、自分を崩すことなく、
そして毎日筋力トレーニングを欠かさず、常にベストの状態で戦闘に挑むようにしていた。
「死ぬのはいつでも出来る。生きるために努力をするべきだ。」
宮部さんはこの言葉を行動で実践していたと思います。
しかし、最後は自分を犠牲にして、特攻の任務を果たし、日本のために
当時の日本人としての“模範的”行動をとったんだと感じました。
この本を読んで、身近な家族と戦争についてあまり話したことがないのに
改めて気付きました。
そこで今度帰省したときに戦争について聞いてみようと思いました。
そして、できれば子供にもそれを聞かせてあげたいと思います。
ありがとうございました。
投稿者 gizumo 日時 2014年2月28日
永遠の0(ゼロ)」百田尚樹を読んで
「お客さん、終点なんで降りてもらえますか?!」・・・。
やってしまった、「すいません」と言いつつあわててバスを降りる。
涙ぐみ鼻をすすりながら立ち去る私を見てバスの運転手は怪訝そうな顔。
天邪鬼の私は、ベストセラーになるとその本は読む気がしないが、職場の若いアルバイトさんに「読んでください!!」と言われ手に取ったのが1回目。
最初から最後まで一気に読んでしまった。
それこそ、終点に気づかないほど読みふけった本は初めてだと思う。
「読まなきゃ!」の義務感ではなくストーリーが面白かったし、勧めて本を貸してくれた彼女には心から感謝している。
(受け取った時、その本の厚みに“ギョッ”とし、めまいはしたが・・・)
「良かったですぅ」と目をキラキラさせながら勧めてくれた彼女の感性が普段の言動からすると意外だったのも思わぬ発見だった。
課題図書となって読むのは2回目でも、相変わらず涙は止まらなかった。
「映画化」の話を聞いて、正直「やめてほしい~!」と思った。
キャストを聞いて、「嫌いじゃないけど、イメージ違う!!」と文句たらたら。
一度、映画館で「この冬公開!!」と番宣・予告を見た。
戦闘シーンと主題歌が流れるだけで、うるうる・・・。
これから映画見るのに・・・。
自分にとってなぜこんなにこの本が面白かったのか不思議だと。
戦争ものは、小学生のころになぜか友達に「感想を聞かせて!」と「山本五十六」の本を読ませられた以来だと思う。
ひたすら「かわいそう」「悲劇」「死」などは避けている自分だから・・・。
自分の身近では、祖父は戦争で亡くなったようなものだし(戻ってきて亡くなったと聞いています)、お祭りのときなどに「傷痍軍人」の方を見かけることもあった年代です。
両親とも空襲を経験して、いまだに多くは語らないものの「大変だった」「勝つわけないよね」と時々当時を振り返っています。
今の日本は戦争の面影も薄れ、日本が駆け抜けてきた戦後は本当に早かったんだろうなと。
しかし、「人が人を思いやる気持ち」というものは不変であり、各人がその気持ちをいろいろな形で表現するその様が面白かったのかもしれない・・・。
今の時代にこの小説がこれだけヒットするのは、「まだまだ日本は大丈夫」とも感じられる気がしています。
多分、映画を見ることはないと思うが、また本を読み返して涙するのは間違いないと確信しています・・・。
全てがつながっていて、大どんでん返しのラストを知っていても、わかっていてもきっと泣けます。
個人的には、最後の解説が「児玉清」さんだった事にもいたく感動。
スマートで紳士で、自分にとってステキな男性の代名詞のような方がこんなにも熱く戦争や戦闘機を語るのはまた予想外にときめいたのです。
「本っていいな、小説っていいな」と改めて実感した本でした。
また、真剣に日々と向き合うことのたいせつさを噛みしめています。
投稿者 iristome 日時 2014年2月28日
「永遠の0」を読んで。
何ともまぁ、、、読み終えて想いはこみ上げるも想いを言葉にできない。
まさに今日のメルマガそのもの。
こんなんじゃ、感想文書けないや、と思いつつも書くことをしなくちゃ何も変わらないので
とりあえず何とか頭から言葉を打ち出していこう。
<「ビジネスゲーム」から自由になる法>をこの本を読む前に読んだ。
もし、上記の本に書かれていることが事実だとすると、戦争とはどんな想いを経験したくて
それを実現させたんだろうと思ってしまった。
戦争に関する本や資料。それこそ私が目にすることがあるのはドラマが精一杯なところかな。
本やドラマだけで、想像してみれば胸が苦しくなる。
それでも戦争の本当のむごさは体験した人しか分からない。
それを経験した人はどんな心を持っていたのだろう。
想像してみる。私はきっと戦争中自殺しそうだ。
苦しいことから逃げたくて。そこらじゅうに死体が転がっているのなんて頭がおかしくなりそうだ。
それでもカミカゼにはびびって入れないんだろう。
そんな人もいたのかな、どうなんだろう。
でも生き残って日本を復興させ、戦争のひどさを伝えるべく生き残った方達が確実にいる。
心が強いのだろうか。
強いとかもなく、ただただ生きたいと思い生きてきたのだろうか。
分からない。
最後に爽やかな笑顔で自爆しにいく人。
どんな気持ちだったんだろう。
死にたくないはずなのに、何かが吹っ切れるんだろうか。
本を読んでいて、錯覚に陥ったが、宮部さんも含め立派な登場人物達は皆18~20代前半。
あれ?私より年下ですか?この大人な方達は、と。
人間って年は実のところ関係なく、やっぱり生き方なんだろうか。
あと10年経ったら私も立派に大人になれるのだろうか?なんて考えていたけど、
今の感じで人生過ごしていたら、この本に登場してくる方達ほど立派にはなれないだろうな。
戦争の前線で戦っていたストーリを読んで、
この日本には凄い方達が実際に多くいたのだな、と改めて思った。誇らしく思った。
しかし、日本だけではなく、世界には凄い方達が多くいる。これも誇らしいことだと思う。
逆にそれを指揮していたエリート集団の箇所では
日本にはこんな奴がいたのか!と本を読みながら嫌な気持ちになった。
同じ人間なのに、なんでこうも違うんだろう。
みんな違うけど、それぞれの良いところ・悪いところをうまく尊重しあえる関係が
世界中で出来たらいいのにな。
投稿者 YOSHIKAWA 日時 2014年2月28日
「前線で戦う兵士たちはどこまでも優秀で献身的だが、幹部の考えや思いやりが足りないせいで悲しい戦いを強いられる」という構図は、そのまま現代にも通じるしその構図ゆえにドラマとしては大衆の涙を誘い、喝采を浴びる。
けれども、リーダーを目指すのであれば、宮部さんよりも海軍首脳に近い立ち位置で、自分なら何ができたかを考えざるを得ない。なんたって今や我々は主権者なのだ。
絶望的に力の差がある相手と争わなければならないとなったとき、どんな戦い方が考えられるか。
考え始めから自分の中に狂おしい感覚が湧いてくるが、それをこらえながら冷静に冷静にと唱えて考えを巡らせる。
(1) 序盤において、敵より一部でも優れた能力があれば、敵の不意をついてひたすら攪乱する。
物も資源もおそらくは知力も敵のほうが勝っているので、戦いは一撃離脱を旨とし、深追いは避け、兵力の温存に努める。
(2) 序盤の攪乱がうまくいけば、敵もしばらくはうかつな動きはできないであろうから、序盤で得たリソースを活用して自分の力の拡大に努める。
---しかし攪乱作戦は軍事的には成功したものの、政治的には敵の国内を一致団結させ、本気で戦う意思を固めさせることになった。
なので、獲得したリソースを活用する暇もなく、圧倒的な力による反撃を受けることになった。
(3) もはや、気合を見せるしかない。死をも恐れぬ気概を見せて、我々を屈服させるためには根絶やしにするしかなく、そのためには敵も相応の犠牲を払う必要があることを思い知らせる。そしてひるんだところで適当なタイミングを見計らって交渉に持ち込む。
---しかし原子爆弾の開発に成功した敵は、「なんなら根絶やしにして見せるけど、どう?」という手を打ってきた。
(4) お手上げ。「時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」
命がけで使命を果たすことが今よりずっと重んじられていた時代だったことを考えると、上記の一連の考えの流れはリーダーとしては自然で無理がないように見える。関わる人が多くなればなるほど、戦略は自然に納得してもらえるものを採用せざるを得ないことを考えると、それ以外にありえなかったのではないかとすら感じられる。
ひょっとしたら分岐点はもっと手前にあったのではなかろうか。軍の活躍に人々が熱狂してしまったのが、悲劇のトリガーだったのではないか。
そう考えると、ゼロ戦を駆る宮部さんの活躍を格好いいと感じてしまう---前半のこうした高揚感があるからこそ、結末の悲劇が際立つのがこの小説の読みどころではあるのだけれど---その心が、戦争を引き寄せているとは言えないか。
気構えとか良し悪しとかは別にして、もう一度アメリカと戦っても負けると思うし、中国と戦っても勝ちきることはできないと思う。今の日本の外交は歪んでいると思うのだが、歪まざるを得ない冷徹な現実があるように思う。
歪みながらも繁栄を謳歌できればそれはそれでハッピーなのだが。
投稿者 mol 日時 2014年2月28日
永遠の0
最初に、メルマガにて、戦争賛美ではなく強烈な反戦思想であると書かれているがそのとおりで、これを戦争賛美と受け取るとすれば、限りなく好意的に見て、本作品での昔の日本人の価値観に対する肯定を戦争の肯定と読み違えたとしか思えない。
あえて言うなら、反戦というより負ける戦争をしたことに対する当時の日本への強烈な批判と見ることも出来る。反敗戦思想と言ってもいいかもしれない。
私には誰かが言った、
「戦争は絶対してはいけない。してはいけないが、もし戦争になったら絶対勝つ」
これが一番しっくりきている。
ウィンストン・チャーチルが言うように、目の前の戦争を避ける平和主義がより大きな戦争を呼ぶことすらありえることは留意しておかなければならない。
それにしても、そもそも戦争賛美の定義とはなんだろうか?
反戦は、戦争することに反対という意味なので簡単だ。そう考えると、戦争賛美は戦争することに賛成している、つまり戦争すること自体を素晴らしいと肯定している。こうなるはずだ。ロバート・A・ハインラインもびっくりである。
この定義に従えば、反戦ものなど掃いて捨てるほどあるが、戦争賛美の作品自体きわめて少ないのではなかろうか?このように思える。
戦記物にしても戦争に勝利することを肯定していても戦争をすること自体を肯定しているのはなかなか聞いたことがない。
完全にブルーオーシャンである。あったら見てみたいものだ。
それはともかく、日本の言論空間が倒錯しているのは今に始まったことではないので、そろそろ本題に入る。
この作者は放送作家ということもあって時代の流れに敏感なのだと思う。
今何をすればうけるか、それに自分の書きたい題材はあっているか、構成は、配置は、配役は、そういった計算がなされた上での発表ではなかろうか。
特に日本では無駄に物議をかもす戦争を題材としたものだから、無神経に作りたいから作って発表したとは思えない。
技術的な面に軽く触れると、幸せの青い鳥方式を採用し、最終的には元に場所に戻って、しかも現在と過去が同時に進行し物語が収斂していく、そこで大きなカタルシスが生まれる仕組みになっている。
そしてエピローグに宮部久蔵がどんな最後を迎えたのか、読者が知りたかったエピソードを書くことで、決しておまけではないが嬉しいおまけ感を読者に与えて満足感を獲得している。
さらに、この物語にフィットしたインタビュー方式を過去編に採用することで、壬生義士伝に見られる長い一人語りの違和感をなくし主観的に語らせることで、より物語への没入感を演出している。
壬生義士伝の方式のパクリだと揶揄するアマゾンレビューがあったが、壬生義士伝より方式として洗練されてるのは火を見るより明らかだ。
技術的に見ても良くできている作品である。
この物語は、戦後の断絶を繋ぐ、これがテーマと私は読み取っている。
作家からすればメインテーマ以外は割と読者の深読みだったりする場合があったりする。だが、このテーマは明確ではなかろうか。
主人公の佐伯健太郎は多少の境遇の違いはあれど、どこにでもいるノンポリの日本の若者といっていいだろう。
かつては自信に満ちていた主人公だが、何度も挫折を味わい自信喪失し、無気力になっていた。どことなく敗戦やバブル崩壊を経て、なかなか浮上できず停滞し続けるデフレ不況下にある今の日本を重ねられはしないだろうか?
そこに主人公の姉、慶子の依頼を受けルーツを知り、本当の祖父の実像を、現在の祖父との繋がりを知り、今と過去を繋ぐことで気力、自信を取り戻していく。
これは主人公を日本人に置き換えると、歴史を知り、ルーツを知り、日本人がなぜ日本人であるかを知ることで、日本人が日本人である誇りを取り戻そうというメッセージが込められていると私は読み取った。
ここに昨今のグローバリズムによる人間の平準化に対するアンチテーゼを見出すのはいささか考えすぎであろうか?
日本国民、日本人、国を考えることはどこまでいってもローカルなものであるからだ。そしてローカルを否定、無視して世界を見ることは根無し草を生み出すだけだろう。
祖父の宮部久蔵も、表面上はまるで現代の日本人のような態度をとっていた。勇気のあるなしは物語を読めばわかることなのでここでは触れない。
このままでいけば生き残れたであろう。だが、最後の最後で戦前の日本人にある価値観をもった行動をした。しかしこれはただの自己犠牲ではなく仲間を生かすことでまた己の肉体ではなく精神、魂を生かすことでもあった。
これこそが今の日本人と戦前の日本人である宮部久蔵とを隔てる明確な境界線で、それを表すことで戦後の日本人は何を忘れ何を失ったのか強烈に意識をさせられる。
ここに注目しないと物語の意味を正確に受け取れないのではないかともう。(ただし現代の日本人も決して捨てたものではない。詳しくは「十三秒後のベイル・アウト」を検索)
世代のつながり、祖先から連綿と受け継ぐもの、それがあるからこそ自分がより強い土台を持った自分でいられる。
もちろんこれは依存ではない。そこには次代に伝えるという責任も発生する。
この物語で主人公は受け取った状態だが、やがて家庭を持ち、子をなし、次代へ伝える役割を担っていくのだろう。
それがこの物語が物語の枠を超えて伝わっていくものではないだろうか。物語の枠を超えるメッセージ。これこそが良い物語が持つ機能なのだ。
以上が感想だが、次からは直接関係ない(だがまったく無関係ではない)のでここで読み終わっていただいてもかまわない。自分への戒めも込めているので、読む方はおおらかな気持ちで読んでいただければ幸いである。
この作品もそうだが、戦争ものほど事実は小説より奇なりなものはないと私は実感しているので、さすがに滂沱の涙ということにはならなかった。
だからといって物語の役割を否定するものではないし、素晴らしい作品であることに論を待たない。
物語は事実と違い伝えたいことを脚色、演出することによってより伝えやすくする機能がある。人間は物語によって理解を増すことは科学的にも証明されている。
ただし、脚色演出するということは、事実を基にした作品であっても資料としての価値は低いのは否めず、よく見られる光景ではあるが、資料として小説などの物語を用いるのはいただけない。
これだけ聞くと、何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。しかし、意外と多いのだ。
この小説は架空の人物を扱っているのでその心配は少ないとは思うが、実在の人物を扱っている場合、知識人レベルですら往々にしてそれが起こるから困ったものだ。(実際に名作と名高い小説でも資料的間違いが場合によっては根幹レベルで結構ある)
このときばかりは本を読んでても考え方が駄目なんだろうなと慨嘆せざるを得なくなる。ましてや下町の常識人のほうがはるかに知性的であるのを見ると、知性とはなんだろうと考え込んでしまう。(オルテガが言う大衆化とはこのことだろう)
本を生かすも殺すも考え方なのだと自戒する。
そもそも、事実を追求する歴史書と、作品性、もっと言うと面白さを追及する小説などの物語の役割、考え方はまったく異なる。
なので、これをきっかけに調べるのは良いが、この小説に限らず歴史物の作品を事実関係を調べもせず資料として語るのは作品性を歪めてしまうのでやめていただきたいと切に願う。根本的に考え方を間違っている。(ただし小説にも独自取材はあるし読み方さえ間違わなければ資料性を完全に否定するものではない)
この小説では、手紙は検閲されるから本当のことが書けないとしている。
しかし、実際の特攻隊だった人の話では、確かに基地から手紙を出せば検閲されたが、基地の外に手紙を持っていって通常の郵便に出せば検閲されないというのは普通に知られていたそうだ。
そもそも兵隊の日記を禁止しないザルな情報統制の日本軍が徹底的に検閲できてると考えるほうがおかしい。
他にもいろいろあるが、そのような人から見れば細かいツッコミをしたくなる人の気持ちもわからないでもない。
戦史を詳しく調べている人にとっては大きな違和感なのだろう。シリアスがギャグに見えるくらいの差異があるかもしれない。場合によっては白けてしまうかもしれない。
だが、そのような人もおおらかな心で物語の語らんとしているものを見ていただきたいと思う。それこそが物語の持つ意義なのだから。
了
投稿者 uchdk 日時 2014年2月28日
「永遠のゼロ」を読んで
先に映画を見てから本書を読みましたが、映画では表現しきれなかったところが本書には多々有り、読んで一層理解が深まった気がしました。
飛行隊長が特効に志願する者を呼びかけたときに、宮部が受けなかった場面がありますが、その当時の状況を考えるとすごいことだと思いました。
今の時代でも周りの環境などにより人は流されやすいですが、「必ず生きて帰る」という決意を貫けたのは、家族が待っていることが大きいと思いました。
それでも最後には宮部は特攻に行ってしまいますが、これは自分より若いの教え子達が先に旅立つのを人事として受け流しきれなかったのでは無いかと思います。
現代は自分さえ良ければ良いという人が多いという記載も本書にありましたが、そのような人生は結局寂しいものになるのかと思います。人は人との絆により生き、そのおかげで強くもなり弱くもなるのかなと感じました。ありがとうございました。
投稿者 fingerxfrog 日時 2014年2月28日
2014年2月課題図書【永遠の0】を読んで。
覚悟という言葉があります。
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。
2 仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。
3 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。
どう想像しても、あらかじめ死ぬことがわかっていて己を納得させる覚悟とは、私たちには到底想像できない事です。
特攻任務に就いた兵士はおおむね10代後半から20代半ば。最も青春を謳歌すべき年代に、捨て駒として徹底的に利用された無念さは筆舌に尽くしがたいですし、いま私たちが考えられるのは、今を何不自由なく過ごしている事への心からの感謝に違いありません。
あまりにも非合理な特攻は、大本営はそれを合理的な戦略として考えていたのでしょうか。
日清戦争の時代からの成功体験を引きずり、旧態依然とした精神論的言動を合理的とみなしていたのは間違いないでしょ
う。しかしそれが全くの非合理であったのは、もしかしたらば真珠湾を攻撃後の、ミッドウェー戦やガダルカナル、インパール戦が起きる前に覚悟していた人も間違いなくいたはず。
数多の日本軍組織についての書籍が出ているようですので、より深堀してみたいと思っています。それは現代の会社組織においても今だに通じる部分もあるでしょう。自分が職場内での立ち位置や上司との関係性をより俯瞰できると思いました。
そしてカミカゼだけが特攻ではない、回天や挺進爆雷艇、ひいてはガダルカナル島の白兵突撃戦術でも多くの若い命が失われていたのです。靖国神社内の遊就館には、回天に乗り込む直前に録音された兵士の肉声が残っています。涙なしには聴く事ができませんでした。再読に耐える良書のご紹介、ありがとうございました。
投稿者 ken2 日時 2014年2月28日
「永遠の0」を読んで
私は戦争ものや戦争に関することを注意深くさけてきた。
見えていても見ていないがごとく、聞こえていても聞こえていないがごとく、さけてきた。
それは、つらいこと、悲惨なことから目を背けたい、直視できないほどのことがたくさんあるのが直感的にわかるから。
しかし、戦争を経験している方々が少なくなってきている昨今、もう避けて通ることはできないと感じた。
我々がきちんと知って若い世代にも伝えていかなければ。
実際、読んでみるとぐいぐいと引き込まれ、自分の予想よりもあっという間に読んでしまった。
一番印象に残ったことは、人(兵隊)を大事にしていたか、軍艦、戦闘機などの装備を大事にしていたかの思想の違いだけで決着はついていたんだなと感じました。
モノ不足のなか、欧米に追いつけ追い越せでものすごく進歩発展してきたのはすごいことですが、こと戦争、特に戦術でなく中長期的な戦略に関しては、何を大事にするかという根本思想が違っていたのは残念に思いました。
タイトルについて
ゼロはもちろん、ゼロ戦をさします。
ごく短い一時期、太平洋の大空を制圧していた輝かしいゼロ戦闘機。
その技術力と当時無敵だったパイロット達への郷愁。
ですが、著者はそれ以上に強力な反戦メッセージをタイトルに込めたのではないでしょうか。
第二次大戦後、日本は戦争をしないと誓った。
憲法にも謳われている。
それにより戦後、戦争で命を落とした者はゼロ、それが永遠に続きますように!という強烈なメッセージ。
願わくば日本だけでなく、世界中の戦死者が「永遠のゼロ」になるように、日本がその規範となるように。
それこそが、著者の願いであり、多くの日本人の心持ちではないでしょうか。
「永遠のゼロ」を続けていくことが、幸せな時代に生を受けている幸せな我々ができるささやかなことではないでしょうか。
投稿者 jawakuma 日時 2014年3月1日
いや~男泣きさせていただきました。良い本を紹介いただきありがとうございました。
時代背景や戦闘描写もそうですが、物語の伏線の張り方がすばらしいかったです。
まさか自分の祖父(だと思っていた人が)が宮部久蔵と入れ替わりで助かったということがわかるシーンは驚愕でした。
戦争に関する知識が乏しかった私ですが、司令本部の無責任さや、無謀な作戦、新聞社の世論煽りなどがよく理解できました。
自爆テロの実行犯と特攻のパイロットを同質扱いする件も、読者に考えさせて違和感をもたせ、
最終的には主人公の姉と同じく、別物だと納得させるようなまとめとなっている。
私の祖父も戦争に従軍しました。シベリアに強制労働へ行った方のお話しを2人からうかがう機会がありましたが、
彼らはわざとそういう話ししかしなかったのかもしれませんが、ロシアの娘さんが立小便をしていたなどの
楽観的な話しが多かったです。(笑)
生きて帰るにはそういうポジティブな思考が大切だったのかもしれません。
ありがとうございました。
投稿者 tadanobuueno 日時 2014年3月1日
永遠のゼロを読んで
本を読んでまず感じたのは、今の日本は悪い意味でこの時代から変われていないこと。
軍指導部の問題点は現在も官僚組織に言われていることと共通点が多い。
時代の流れで巨大化、狭い世界での出世のみを追いかけ、減点主義のため失敗を極度に恐れ、現場の兵隊の命を軽視する姿勢は血税を無駄つかいする姿勢に重なる。
軍部意外の我々国民もメディアの言っている事を鵜呑みにしていないか、作られた場の雰囲気に流されていないか、政治への無関心を決め込んで誤った方向へ社会が進む事を黙認していないか等、変わっていない部分が多いことに気付く。
この状況を変えていくのに必要な事は何か?
本の中であふれている、想いと、愛なのかなと感じた。
対象は様々、両親、家族、愛する人、故郷、自然等々。
難しく考えず、自分の近くにいる人を、近くにあるものを想い、愛すことでいいのかなと感じた。
戦争経験を持つ方でその経験を語る方が非常に少ないの聞く側のほとんどが戦争という言葉を聞くだけで思考停止になっていた聞く側の問題だと感じていた。
この本がベストセラーになったということは、言葉だけの平和を求めることから世の中が変わって、自分達の未来の為に戦争を冷静に振り返り、今の自分達に必要になることを考える素地が出来てきているのでは、と過剰に期待をしてみた。
少なくとも自分はそうしてみたいと想いました。
今回も良書との出会いをありがとうございました。
以上
投稿者 andoman 日時 2014年3月1日
4分オーバーです…。
「永遠の0」を読んで
今月の課題図書「永遠の0」を読んで、様々な発見と新しい価値観を得ることが出来ました。
主人公の宮部を通して、作者が現代人に伝えたいことが非常に密度が高く、それらはとても一つに纏める事は困難な為、特に心に突き刺さったフレーズやシーンをピックアップして、感想や考えを述べて行きたいと思います。
●「特攻隊員は特殊な人たちだったのでしょうか」
学生時代に特攻隊員の遺書を纏めた本を読んだ事があり、その中では「天皇陛下万歳!」「御国の為に命を捧げます!」といった文章が必ず含まれており、当時今より浅はかで無知な学生だった私はテロリストのそれとは思ってはいませんでしたが、國の「洗脳教育」による、マインドコントロールの被害者と受け取っていました。
しかし、この作品を通して特攻隊の背景や登場人物の振り返りの描写を通じて、胸に突き刺さる思いと共に、それが間違いであることに、気づく事になりました。
彼らは正常な精神と考えで、自らの運命を決める事となってしまった、普通の人達でした。
学徒動員により、最初から消耗品と割り切られてしまっていた学生達。
十死零生を知りつつ、部下の為、無言の抗議の為に飛び立った指揮官達。
橘玲の「日本人」で触れていた、「空気を読み、声が大きい人間に従ってしまう」とされる日本人の民族性が故に、特攻を選んでしまった人達。
時代背景による「特殊な状況」にいたとしても、「特殊な人達」とは全く別ものでした。
●「では、何人くらいの敵の命となら、交換してもいい?」
非常に鋭い突っ込みです。
自分の本心で言ってる事では無いという事を見透し、命の重さを理解しているからこそ、出て来た言葉だと思います。
軽々しく自分の命を捨てるといった言葉を吐くと、その通りの行動をとってしまう結果に繋がってしまう事を知っているからこそ、この言葉に反応したのではないかと考察します。
命の価値は数でも質でも無い。
君だけの宝物なのだ。
そういったメッセージを感じたフレーズです。
●「だから、とにかく生き延びることを第一に考えろ」
君は一人ではない。
君を愛し、見ている人が必ずいるのだ!
と強く訴えたセリフで、宮部達の絶望的な状況を、読者の生きる背景に照らし合わせて、読者への生きる活力を湧き起こさせる、強くも優しい想いが伝わって来ました。
このフレーズで、力と勇気を得た人が、きっといるのではないでしょうか…。
●運動会
子供の運動会を見て、平和と戦争のギャップを思い起こすシーンですが、戦争さえ無ければ、多くの人が幸せを共有し、暖かい日々を送れるという事をダイレクトに表現してくれています。
これには私もグッと込み上げるものがあり、ストレートだからこそ、より重く突き刺さるエピソードでした。
戦争を行うという事は、こういった幸せを放棄するという事なんだと改めて気付かせてもらえました。
●「そう、ところが、自分が前線の指揮官になっていて、自分が死ぬ可能性がある時は、逆にものすごく弱気になる。」
●「日本海軍の高級士官たちの責任の取り方だよ。」
これは仕事でもよく見る光景です。
部下には無茶苦茶な命令をする人物に限って、自分事になった途端、お茶を濁したり妥協案を提示する。
最悪なのは「責任は俺がをとる」と言いつつそれを部下に丸投げし、期待する成果が得られず失敗した場合にその失敗を部下のせいにする…。
「責任をとる」という言葉を「更に上の上司から怒られるのを受け持つ」と勘違いしているのでは無いかと思います。
戦争という、緊張した時代の時にもそういった輩が存在し、その様な輩の為に命を落とす人達の切なさ、無念さと言った訴えが伝わって来ます…。
この一節を読んで、自身を律すると共に、上司に対する見方を改める人が多くいたのではないかと考えます。
●桜花
梅花、剣、神龍、桜弾、夕号、回天、海龍…。
これらの特攻兵器を考えた人物は、人とは言えないと思う。
しかし、彼等の背景を知らぬことには何とも言えない、複雑な所ではあります…。
●「玉音放送を聞いて、俺は地面に突っ伏して泣いた。」
小学生の頃、夏の戦争ドラマで、ラジオを前に同じように泣き崩れる兵隊のシーンを見て、「戦争が終わったんだからもっと喜べばいいのに…。そんなに天皇陛下が大事なのかなぁ」と考えた事を思い出しました。
昔の事とは言え、お恥ずかしい…。
確かに、中にはそう言った人はいたかもしれません…。
しかし、多くの兵隊は、戦争に負けると言う事は、これまで闘って来た努力が砕け散ったことへの焦燥感や、勝利を信じて散って行った戦友への想い…。
私が想像出来る次元をはるかに超えたレベルの感情と想いで、兵隊は涙を流していたのだろうと思い、このシーンによって、過去の自分の間違った考えを正すことが出来、今回気付くことが出来て良かったと、些か胸を撫で下ろしました…。
●「あらん限りの苦しみと葛藤を経てたどり着いた心境だった。」
この一言に尽きます。
特攻隊員、予備隊員の多くの方々が、これらを考え乗り越えたのでしょう。。。
明日、命は無い…。
逃げ出したい!
でも、逃げたら家族や親戚が逆賊として扱われ、辛い思いをしなければならなくなる…。
メディアの思想や情報操作によって、家族や親戚を人質に取られた様な状況となり、自身の事だけではなく、家族や親戚への配慮をしなければならない事もあったでしょう。
すべての状況において追い込まれ、悩み苦しみ、それを超える事で何かを悟るに至った情景が集約された台詞で、恐らくこの状態になった数々の特攻隊員の纏う空気が異様で「特攻隊員=生き神」といった表現となったのでは無いかと考察します。
以上が、心に突き刺さった台詞やシーンですが、近年の近隣諸国からの挑発的な行動や、軍備増強の流れに、「ちょっと待って!」と一石を投じる結果に繋がる作品だったのでは無いかと思います。
多くの日本人が平和を望み、今一度、戦争の残酷さを再認識したいという集合的無意識による結果、それに呼応するかの如く、当作品の反響が非常に高かったのではないかと考えています。
今月も素晴らしい課題図書をありがとうございました。
投稿者 harusan 日時 2014年3月1日
「永遠の0」
5分オーバーでした。
この本を読んで、あのころの戦争の様子がありありとわかるようで
すばらしいフィクションでした。
そして本書から学んだことは
「過去から学び、それを独自の考えを持ち、伝えていくこと」
ことではないかと思います。
そもそも私は祖父や祖母が早くから居なく、それこそ祖父は戦死していて、
父母は終戦生まれなので、戦争当時の苦労や心情を聞かないで育ってきたのだが、
もしも、そうした経験や肌身で感じたことの言い伝えを聞いていれば
きっと私自身にを大きく影響があったことであろう。
それは、生きていくことにもっと賓欲であった当時の人たちは、
戦争を通じて、自分たちはもっとこんなことをしたいという世界観を
強く思っていたに違いないし、
反面、現代を生きる私は、精一杯と言いながらも、
まだまだ余力を残して過ごしている甘えがあるからです。
なぜなら何もしなくても明日は来るからと思っているからだ。
けれども祖父、祖母が望んでいた今の時代を憂いていることに、
改めて先祖に恥ずかしさを感じます。
かといって昔のような時代が決して良いわけでもなく、
その時代の振返りと反省点をもっと理解しなければいけない。
その歴史を知らないと「生かされている」ことに感謝できず、現在の世界に喜べないからだ。
そして最近親になった私は、生身の話を聞かされなかった子供時代にさせないように、
ほんの70年前にあったことを、偏りの無い歴史として教えられるように
学ばないといけない必要があります。
それは、先祖が望んでいた平和な日本で生かしてもらっている私の役目だと感じるからです。
最後に本書を読みながら、祖父は私が生まれていることを想像していただろうかと思うと、
戦争の残酷さと、親になってみて見たことの無い祖父の想いと、
繋がっていく未来を感じたきっかけになりました
投稿者 chaccha64 日時 2014年3月1日
※すみません、1時間以上オーバーですが、書かせていただきます。
「永遠の0」を読んで
「感動」とういう一言、何度も涙が出て、嗚咽しながら、先に進むのが大変だったということが第一でした。
というのは表面だけで、著者は色々なメッセージを、色々考え、その上で何度も考えろというメッセージを読者に、いや、今の日本人に対して語りかけている。
その中で、宮部久蔵は、なぜ特攻で死んでいったのか? なぜ、妻、マツノとの約束を破ってしまったのか? について考えた。
いや、自分は約束を破ったとは考えたくない。彼は約束を守った。彼が言った「生まれ変わってでも戻ってくる」。その通り、彼は戻って来たのだ。
やくざの囲い物となったマツノを助けた景浦介山(しかありえない)、そして、後にマツノ、清子親子が路頭に迷ったときに助け、家族となる大石賢一郎が、彼その人だ。そして、孫の佐伯健太郎、慶子を本当の人生の意義、やるべきこ、幸せを考えることへ導いた、祖父の知る、そしてインタビューに答えた戦友たち。宮部久蔵によって、生まれ変わりとして、彼の家族を守るために戻って来たと思いたい。いや、そうなんだ。
そして、今まで不本意にも散って言った戦友への想いへ報いるためにも、自分自身は特攻という形で想いを果たしたのだ。相反する想いを達成することができる。人間にはそういうことができるに違いない。
ここに書かれている物語は事実ではないが、真実だと思う。本当の作家、物語というものには神が宿り、神によって真実の物語になる。
そして、今の日本人に対して、70年前の日本人が、家族に対して、そして日本というすばらしい国家対して思っていた想いをもう一度考えてほしいと、著者は投げかけている。少なくとも、このメッセージについてはいつも考えて行きたいと思う。
投稿者 whockey51 日時 2014年3月1日
過去があるから今がありそして未来がある。
戦争ものとなると、自虐的な歴史観を植え付けられている人がほとんどのこの日本において、戦争とは戦うことではなくて生き残ることだと教えてくれる。
良く知られている戦いや良く知られている将軍でもなく、一人ひとりがあの場にいたということを紐解いていかなければ、戦争の言葉の意味を真に理解できることは無いだろう。
常に物事は1つ1つ、1人1人の集まりである事を教えてくれた。
投稿者 kawa5emon 日時 2014年3月1日
日本時間の締切りには間に合いませんでしたが、数少ないアウトプット機会なので投稿します。
「永遠の0」
再読。初読及び映画も見た上での2回目です。
今回は目的をもって読み始めました。
・作者が本書を通して世に伝えたい、又は問いたいことは何か?
本書を素直に読めば、当時の日本人がいかに日々、そして一刻一刻を一生懸命に生きていたかを受け取れると思う。
それを一番究極の姿で体現していたのが、前線で戦っていた兵士であり、更に秒単位で命のやりとりがある戦闘機乗りである。
その飛行機乗りの中でも、一見花形と思われている零戦の搭乗員、また一時的ではあれ、その突出したパフォーマンス故に、
大きな責任を負わされた零戦の搭乗員をストーリーの軸とすることで、より一層、「今その時を精一杯生きることの意義」をこれでもかこれでもかと読者に問う。
特にダラダラとした日常と見受けれられる現代日本において、その甘い環境に認識が無いことに対し警笛を鳴らしている。
更には、「生きるということに対しあるべき態度」を読者に伝えたいのではないかと考えた。
いつの時代でもあるような他人からの偏見、一方的な思い込みに対し、自分の軸をしっかりと持って、見事な崇高な人間力で、またその接した人達を傷つけることなく、思慮が浅いということを明らかにしていく。
それは「何も言えませんでした」、「自分を恥じました」、「後々になってわかりました」、「あの言葉のお蔭で今があります」等の言葉で強調し、
実力は無いのに威張り散らす上官とは全く逆の、実力十分で階級や年齢に関係なく丁寧な言葉を使う宮部久蔵を通じ、
「生きるということに対し、人間としてこのような態度であるべき」との姿を示している。
次に、「自律と自立」を伝えたいのではないかと考えた。
一番グサッと来たのは、「今の会社や組織内に於いても、それほどの人が「NO」と言えるのか?」との一文である。
本書では何度も心臓が軋む感覚を味わうが、この一文はとても重い。自分をしっかり持ち、周囲の空気に流されない勇気。
自分で判断する重要性は、特攻要員経験者と新聞社の自称ジャーナリストとの口論が正にその点に焦点を当てていると思う。
また、「あの戦争を各々個人がが再度考えてほしい」というメッセージは外せない。
宮部久蔵と接触があった人達に会っていくストーリー展開だが、ほとんどの話し手が、「これは戦後後々に知ったことだが」と前置きし、
戦局は一般に学校の歴史の授業で教えられたこととは違うとの解説が話し手を通し事細かになされている。
これは今も大手メディアが使う論法に対し、咀嚼なくそのまま飲み込んではいけないとの警笛を鳴らしていると思う。
本当に搭乗員は特攻を自ら志願したのか?何故海軍にわざわざ入隊しなければならなかったのか?等、
まず現代感覚からは想像できない背景があることを指摘することで一般に流布される情報を疑う必要性を発信している。
最後に、これは断言の自信はありませんが本書を通して、「現実逃避」という言葉が浮かんだ。
与えられた枠の中だけでの任務を全うしようとし過ぎるが故の現実逃避。木(局所)ばかりを見て、森(全体)を見ない現実逃避。
それを思いついたのは、本書の一人の搭乗員の言葉に、特攻志願後、宮部の言葉に対して「自分自身の姿を見ることへの恐怖」があったから。
「特攻を拒否したいのは、ほとんどの搭乗員たちの心の底にある真実の思い」。しかしながら誰もそれを止められなかった。
立場、状況、場所等は違えど、誰もが実際に起こっていることを見て見ぬふりをして、現実を認めようとしない。
戦場の上官の度重なる的を得ない作戦もそうだが、内地も同様。搭乗員に対する一時帰省時の熱烈な応援と、戦後の真反対の態度。
そしてそれを唯一、是としない宮部久蔵が最後に亡くなってしまうストーリーにすることで、実は今もその時とほとんど変わらない現実逃避が蔓延している。
全くその時の反省が今に生きていない。このままでこの国はいいのか?と問いたいのではないかと考えた。
この論の延長に反戦への思いがあるのでは?と思索したが、まだ表現できる答えにまでたどり着かず。
時間をおいて、3回目再読の宿題にします。 以上
投稿者 koro 日時 2014年3月3日
いつも期限すぎてからの投稿ですが、今回は、以前にメルマガで紹介された時に読んでいた事もあり、油断していたら、失念してしまい、コメントを残すのが今日になってしまいました。
戦争をテーマに扱った作品に対して、コメントを残すのは未だに不得手なようです。