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第93回目(2019年1月)の課題本


1月課題図書

 

魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅


信じる信じないは別にして(ということは、「信じる、信じない」をテーマに書い

たらダメですよということですからね)、何が書かれているのかを理解して、その集合の

範囲内で、あなたが受け取ったモノ、思考したことを書いて下さい。

前世なんてあるわけが無いと思います、なぜならば・・・的な投稿は全く的外れです。前

世は絶対にあるのです、そして私の前世は○○でなぜかというと・・・的な投稿も同様に

完全に的外れです。

著者は前世があると考えていて、それがあると気付いた切っ掛けを書いていて、それが分

かると何が起こるのかを書いているんです。これがあなたが論じるべき集合Aですから。

まずはこの集合の内側で何を考えた、感じた、気付いたのかをまとめるのです。

 【しょ~おんコメント】

1月優秀賞

 

今月はみなさんそれなりに、日本語に注意されたようで、意味不明でスキップするような

投稿がガクッと減りました。そうなるとお次は何を書いたかというコンテンツの勝負になる

んですね。

 

そうやって全員分を丹念に読みまして、一次審査を突破したのが、masa3843さん、

LifeCanBeRichさん、diegoさん、saori85さんの4名で、ここから優秀賞を決めようともう

一度読み返したところ、なんとsaori85さんは締め切り後の投稿であえなく脱落となりま

した。この方、1月中の投稿だった優秀賞を差し上げたくなるくらい、ちゃんとした投稿

だったのですが期限は期限なので致し方ありません。

 

ということで、今月はmasa3843さんに差し上げることにしました。この方は確認したとこ

ろ、11月から3ヶ月連続して一次審査を突破していたんですね。これを含め、過去には合

計で6回も一次審査を突破していたのですが、優秀賞の受賞は今回が初めてです。それだ

け毎月クオリティーの高い投稿をしているということで、陰の実力者だったんですね。調

べるまで気付きませんでしたが。ということで、masa3843さん、おめでとうございます。

 

【頂いたコメント】

投稿者 Mukagogohan 日時 2019年1月26日


縁とか霊的な繋がりといった話に対してあまり真剣に考えたことがなかったのですが、先日同じく良書リストにある「ホログラフィック・ユニバース」を読んで色々と納得し、次に読もうかなと思っていた本書が課題図書になったので、いいタイミングだと思って読んでいました。
不思議な生まれ変わりのエピソードがたくさん続いて途中から眩暈を覚えるほどでしたが、各章のおわりにある著者の一言には重いものがあり、とても一度読んだだけでは、その意味するところをしっかり理解するのは難しく、また再び何度も読まないといけないと感じています。

その中で、今の自分にとって特に心に残ったのは、カウンセリングの中で過去世を体験した被験者に対して著者が聞く質問、「あなたはこの人生で何を学びましたか」という言葉です。

人生は学びの場であって、何が起きたかではなく、そこから何を学んだか、ということ。魂の成長などということを今まで考えた事はほぼ皆無でしたが、自分の人生を客観的にとらえて人生の課題や成長を意識してみると、普段の生活の見方が変わり、とても新鮮に感じます。

以前なら不快なイベントが起きると、怒るか自分を責めて落ち込むかのどちらかだけで、そこから学び取ることはあってもポジティブな踏み台にしていくというところまで持っていくことができませんでした。しかし、本書で読む色々な人の様々な過去世のエピソードに触れるにつれ、自分の日々の生活の些細なことでも、これは魂の成長の一過程なのだ、ととらえ直す気持ちになりました。過去に起こったことに対する感情を持ち越すのでなく、得たものに意識を集中させることで人生を前向きにに進めていけるように感じています。

実は、詳細は省きますが、この本を読んでいる途中で不思議な出会いがあり、この数週間でいろいろと劇的な事が起こったのですが、この本を読む以前の自分なら確実に同じ失敗をして落ち込んでいただろうと思う事も、今回はポジティブに学び取る思考方法のおかげで、様々な自分の課題に気づくことができています。
具体的には、愛情とか誠実さとか、自分に自信を持つこと、行動を起こす勇気、しっかりと会話すること、といったことをこの最近の出来事で学びましたが、今回のことをきっかけに、今後どう行動していけばこの課題や力を身につけることができるか、そういったことまで考えが及ぶようになりました。主体的に自分の人生を切り開いていく、ということはもしかしたらこういう事なのかな、と感じています。

それともうひとつ、本書を読んでいて気付いたことは、何か全否定したいような気持になるものほど、人生のツボなのではないかということです。
正直に言うと、輪廻転生とかタイトルの「魂の伴侶」とか、こういう言葉は、私にはちょっと素直に受け取れないところがあったのです。でも、全否定したくなるようなことほど、案外、自分にとっての真実なのではないかと読んでいる途中に思うようになりました。

だれでも、自分の非(特に自分でもわかっている非)を指摘されると、夢中になって否定するところがあると思いますが、それと同じなのではないかと感じています。つまり、否定する力が大きい程、それは自分にとって特に大切な真実なのではないかと。そう気づいてから、否定したいと思う事が出てくるたびに、素直に自分の心に問いかけてみると、本当は自分もそれを無意識のうちに信じていることに気づき、それなら素直に信じてみればいいという気持ちになっています。素直に受け入れないと、変にこじれてしまう。そんな無駄な事をやっているのが馬鹿らしくなりました。

そもそも、この本をこのタイミングで読んだのも何かの縁なのだろうと思うし、素直に読んでみると、今まで得ることができなかったことを得れたように思います。これを良いきっかけにして、これからの様々な出来事を乗り越えていきたいと思います。

投稿者 keikon 日時 2019年1月27日


『魂の伴侶』を読んで

前世や過去世、生まれ変わりなどの事柄は、スピリチュアルや宗教の方面からの知識として知っていた。
しかし、より現実的で実践的な、精神科医が書いた著書ということで、興味深く読んだ。
読み始めて、登場人物の描写や話の展開に引き込まれ、この話が映画になったらどんなだろう?と映像を思い浮かべながら、小説や脚本を読んでいるような気持ちになった。
美形の男女が登場するドラマチックな内容ではあるけれども、それが実際に起こったことであることが、本当に驚きだった。
また同時に、今まで見聞きしてきたことが、線でつながるような、知識を強化するような内容でもあった。人の一生は、一人の人が生まれて死ぬサイクルではあるが、もっと高い視点で眺めると、宇宙の営みのほんの一部であって、たまたま賜った魂を持って地上に現れ、何かを経験し繋げ、また宇宙(?)に戻って行く・・・という考えまたは信仰。このようなことが、実際に起こっていると実証していた。

自分に置き換えてみたときに、過去世での心残りが今の人生に影響しているかもしれないと思うと、目の前にあらわれるひとつひとつの経験や挑戦を大切にしなければいけないと思う。また、自分が過去世から未来への中継役かもしれない、身近な人の中にソウルメイトがいるかもしれない、自分が関わる人々にもそれぞれの過去世があり、宇宙のめぐりあわせによって現世で関わっているのではなどとと考えると、世界の見え方が変わってくる。通りすがりの人に親近感を覚えてしまったり、気に障ることを言う人がいてもそれほど気にならなくなったりするかもしれない。

目の前で起こっていることは長大なサイクルの中のほんの一部・一瞬であると気づいたとき、自分はなんと小さな存在か、同時にそれに気づいていることは一段高い位置に存在しているとも言えるのではないかと複雑な気持ちになった。

そのような見方をしてみると、一回の人生の中で必ずしもハッピーエンドにならなくとも、続きは次回に持ち越すことができると思えば、あせらず目の前の現実を楽しんで過ごしていくだけで良いのだ。
自分の過去世がどんなふうだったのか、具体的なことは知らなくとも、受け継いだ以上、精一杯に生き、次の生命へつなげよう、それだけで生きる意味があったのだ。
そしてこの世のどこかにソウルメイトがいるかもしれない、すでに出会っているかもしれないなどと考えながら、壮大なドラマの、自分もキャストの一人であると時々思い出しながら暮らすのも楽しい。
この本がもし映画化されたら・・・ぜひ見てみたいし、ペドロとエリザベスのキャスティングがとても気になる。

投稿者 BruceLee 日時 2019年1月29日


コント「前世で恋人だった二人」 by サンドイッチマン

一人の女性(伊達=以下D)がカフェでコーヒーを飲んでいる。そこに一人の男性(富澤=T)が近寄り女性をジロジロ見る。それに気付き、不快そうに男性を見返す女性。

D「あの・・・何ですか?人のことジロジロ見て」
T「君・・・だよね?そうだよ、エリザベスだよね!」
D「え、何言ってんの?誰、エリザベスって?私外人じゃないし」
T「絶対エリザベスだよ。感激だな~また会えるなんて。僕だよ、僕、ぺドロだよ」
D「いやいやいやいや、だから違うって。エリザベスじゃないわよ。何コレ?新手のナンパ?」
T「ちょっと何言ってるか分かんないんすけど」
D「オメーだろ!訳分かんない事言ってんのは!」
T「ははあ。さては前世の記憶無くしちゃったんだね」
D「はぁ?」
T「じゃ覚えてないのは仕方ない。ちょっと説明させて貰うね」

と女性のテーブルに座る男性。

D「コラコラコラ!ちょっと待ってよ。なに自然な流れみたいに人のテーブル座ってんの?」
T「いや、だから説明するから。ビックリするかもしれないけど僕たち二人にとって大事な話だから。あ、店員さんコーヒー1つ追加ね。(女性に向かい)ご馳走になりま~す」
D「ふざけないでよ!赤の他人のあんたに何で私がご馳走しなきゃいけないの?」
T「だから、赤の他人じゃないんだって。実はね、僕たち前世で恋人だったんだよ」
D「(小声で)うわ、コイツまじでヤバい奴じゃん・・・ここは毅然としなきゃダメだわ。(男性に向かい)あの、私前世とかそういうの信じないんで」
T「信じる、信じないじゃないんだって。現にこうして再会したんだから。エリザベス、会えて嬉しいよ」
D「うわ、マジ気持ち悪い」
T「僕たちはね、過去何千回、何万回も出会っている、言ってみればソウルメイトなんだ。今回もこうして出会えたしやっぱり愛に偶然はないんだな~」
D「なに訳分かんない事言ってんの?」
T「前回はね、僕たちアメリカで出会ったんだ。君の名前はエリザベス。僕はペドロ。いや~この出会いもドラマチックだったな~」
D「何がペドロよ。ヘドロみたいな顔して。マジ分かんないんですけど。って言うかホントにあなた誰?」
T「いや、だから誰でもないんだよ」
D「は?何言ってんの」
T「僕たちは過去何度も出会っただろ?その時々で違う人格、違う人生がある。時には人間じゃない時もあったしね」
D「え、人間じゃない時もあったの?」
T「そうだよ。動物だったり虫だったり。ブタの時は今の君の体型そのまんまだったよ。プププッ(笑)」
D「プププじゃねーよ。人の体型でウケてんじゃねーよ。って言うかアンタに言われたくないわよ。似たような体型しやがって」
T「とにかく色んな過去世があって更にまた別の時代に生まれるんだ。魂は一つだけど魂が入る器が異なるわけ。だから自分にレッテル貼っちゃいけないし、言い換えれば僕たちは誰にでもなれるんだ」
D「なに哲学っぽく語ってんの?」
T「だから今から自分が何者か一緒に学んで行こうよ。あ、そうだ。いないとは思うけど、今彼氏いないよね?」
D「ナニ?その決めつけの質問?」
T「じゃ、いるの?」
D「いないわよ!アーあったま来るわね~。今たまたまいないのよ」
T「でしょ?じゃ人生傷付く事も多いっしょ。その傷付いた人生いやそうよ」
D「勝手に傷付いてるとか決めないでくれる?って言うかそもそも私あなたを知らないし」
T「知らないからこそ、これからお互いを理解し合う事に意義があるんじゃないか。前世でもそうだったからきっとうまく行くよ。エリザベスの時は特に魅力的だったよ」
D「そ、そうなの?私そんな魅力的だったの?」
T「そうだよ。だから今の君も素敵である事、僕は知ってるよ」
D「(小声で)やば、そう言われるとそれもアリかもって思ってきちゃったわ。どうしよ」
T「大丈夫、僕は過去の君を知ってるんだから。」
D「う・・・ナンか上手く騙されてるような」
T「騙すなんて酷いな~僕は君と再会できてこんなに嬉しいのに(泣)」
D「あら、ごめんなさい。私が悪かったわ。ところであなたはどんなお仕事してるの?」
T「僕?僕はアメリカ軍関係の仕事をしててね。普段は紛争地域に駐留しているんだけど、今は一時帰国中なんだ。でも、常に死と隣り合わせの生活に嫌気が指してね」
D「それは大変ね」
T「で、軍を辞めたいと思ってるんだけど、辞めるにも費用が掛かるんだよ」
D「・・・ん?この流れ、何か聞いた事あるような」
T「で、お願いなんだけど、前世で恋人だったよしみで、その費用を立て替えてくれない?」
D「はぁ?何言ってんの?それ今ニュースになってる詐欺じゃない!」
T「いや、違う違う、ホントの話だって。信じてくれよ」
D「誰が信じるか!危うく変なトランスに入る所だったわ」
T「エリザベス~」
D「もういいわ!」



P.S.『前世ロマンス詐欺』にはくれぐれも気を付けましょう!

投稿者 ktera1123 日時 2019年1月30日


初めてしょうおんさんの基本編を受講する前の2011年6月に依頼して送付頂いた「(旧)良書リスト(怪しい系)」にあり、その後に2011年11月に受講した大阪での基本編の前振りで、良書リストの話をされていたこともあり、当時のリストの中にあった本で入手可能な本は大体入手してある程度は読了していたので、少なくとも1回は読んでいるはずなのですが、改めて読み直してみたら残念ながら内容を全然おぼえていない。正月休み中に1回読んでみましたが、何を感想に書くべきかまとまらないのでワイズ博士の書かれた本を何冊か入手して周辺情報を含めて深掘りして考えてみることにしました。
そのような悶々としていることがどこで通じたのかわかりませんが、Facebook上の課題図書倶楽部に、花さんを通じてしょうおんさんからのヒントがあり、論議する上で必要になる論点をメモにとりながら読み直してみると、「瞑想(黙想)P187」、「医者であって神の如き存在ではない P190」、「手からエネルギーが出る、神々を引き出す P221」、「否定、直視しない P235」、「神秘的な出来事 P263」としょうおんさんのセミナーやメルマガに通じるものが多々あり、課題図書になってから「引き寄せの法則」で起こった共時性的(シンクロニシティ)なことを改めて考え直してみると、日々如何に気が付かない、心理的にごまかされていることに気づけただけでも、複数回読み直す機会「運命はしつこく警告を発して見る必要があるものを見させてくれる。P236」を頂けたことは幸せに感じています。
「私達はこの地上に、霊的存在として学び、成長してもっと愛と思いやりを深め、人生の
バランスと調和を達成し、心の平和をいつも感じるようになるために生まれてきました。」この言葉が私達が今生この地球上に生まれてきた最大の理由なのではないでしょうか。人生にいろいろな波乱万丈な出来事がおこるのは、今生で経験する必要があることなのではないかと、自分の過去を振り返ってみると腑に落ちるところがあります。

とはいうものの、最近の状況を振り返ってみても、しょうおんさんの課題図書発表時のコメントをみても、過去生でも縁のあるソウルメイトと結婚する機会があるのではと、現在も独身の身としては思えるのですが、機会に恵まれないのはいかがなものかと疑問に思っていたのですが、そのことについては本文中に、「時には、ソウルメイト同士が肉体を持っている間、結婚はしないと決めている場合もある。彼らは出会い、合意している学びが終わるまで一緒に過ごし、それから別れて先へ進むように計画してくるのだ。彼らの今生全体を通じてのテーマや学びの計画は、それぞれ違っており、この人生の間ずっと一緒に過ごすことは望まず、あるいは、その必要もないのだ。これは悲劇ではなく、単に学びの問題にすぎない。ソウルメイトは永遠に一緒であるが、時には別々の教室で学ぶことも必要なのだ。(P252)」とありました。また、その後にも霊的能力が一致していない場合は、一方的な関係になりやすいとも書かれていました。そのことも合わせて考えてみると、今はまだソウルメイト同士で霊的な関係が釣り合うようにするための成長が必要な段階なのかもしれません。そのためにも「今しかない、今を生きる、今を大切に。(鎌倉の葛原岡神社に毎年の正月に掲げてある言葉)」にして行く必要があるのでしょう。

日々、オンラインのSNSやオフ会(ただの飲み会のはずなのですが)読書会や勉強会、セミナーを通じての状況で自分の神性と霊的本質の成長や気付きおよび体験(実際にやってみるのが一番大事)を一緒に深めることができる、しょうおんさんおよび塾生のみなさんを通じて知り合うことのできた人もまた「魂の家族(『前世からのメッセージ』P162)なのではないでしょうか。同じ霊的な価値観がありお互いに助けあいながら、「智の道」に象徴される良き方向へ成長していけることはお互いに幸せなことなのではないでしょうか。そのような仲間と、また知り合う機会を作って頂けたしょうおんさんと素晴らしい仲間に乾杯。

追伸
Facebook上の「課題図書倶楽部」のみなさん、YSSで対面およびオンラインで本の感想および気づきを共有することの出来たYSS有志のみなさん、読書期間中及び提出締切までにいろいろな共時性(シンクロニシティ)を与えてくれたみなさん、見る必要のあるものを見させてくれる機会に気づくきっかけを頂きありがとうございました。

投稿者 mmnn 日時 2019年1月30日


この本のメインテーマは、
前世から脈々と続く、魂の不思議な縁に
関してであろう。

そこには人智を超えた力が働くようである。

幾多の困難を乗り越えて、
前世で結ばれなかったパートナーと
現世でやっと結ばれる。

だが、めでたく結ばれてゴールという訳ではない。
これは魂にとってはひとつのイベントに過ぎない。

魂は、前世から現世、そして来世に至るまで
自らに課した課題をクリアすることを繰り返しつつ、
成長していく。

パートナーと結ばれるのも、
課題をクリアし、成長する上での
一出来事にすぎないのかもしれない。

パートナーと結ばれるのがゴールではなく、
一通過点に過ぎないと思われる。

パートナーとの巡り合いを含め、人生の出来事から
様々な学びを得ることができる。

その学びの過程で手助けをしてくれる、人智を超えた
不思議な存在が、様々なことを気付かせてくれた。

『最初の人生で犯した罪は重要ではない。
罪悪感を感じたり、思い悩むのではなく、
過去から学ぶのだ。』


『予期しているものを得る場合もあるが、
それは真実でないこともある』


『すべての体験は、同時にすべての魂が体験している』


『自分の成長過程で他人の怒りを恐れてはいけない。
怒りは不安の表現に過ぎない。』


『怒りを貯めないで解放することを学ぶ。手放さないと
いけない。』

著者は、催眠療法によって思い出した患者が語った過去話が、
偶然、別々の患者同志なのに一致している点に気が付いた。

この患者同士は、今生では全く接点もなかった。

にも関わらず、偶然か、何か人智を超える力が働いたのかは
分からないが、めでたく結ばれる結果となった。

この経験を基に、著者は、前世があると考えた上で
前世から続く魂について説明している。

魂は経験を積み重ねることにより成長していくものである。

前世で果たせなかった課題をクリアするために
この世で肉体に生を受けたのだ。

魂は成長するために、自らに課題を与えて
それに相応しい肉体を選んで生まれ変わる。

そして、この課題を解決するのに、時間切れはないようである。
課題を克服するまで何度もやり直しが効く。
というより、むしろ、課題をクリアするまで
同じことを繰り返しているのかも知れない。

であれば、過去の経験はしっかり受け止めて
現在の意味を考えて、課題をクリアすべく
将来につなげていきたいものだ。

人生の出来事には全て意味がある。

人智を超えた何かの力が働いて起こる出来事もあれば
自分の行いが招いた結果の出来事もあろう。

これら全ての出来事は経験を積むための材料になる。

課題をクリアするのに必要な経験を積み重ねていく。

めでたく課題クリアとなれば、次のステージへと進み
新たな課題に挑むことになる。

これの繰り返しが人生ではないだろうか。

課題はクリアするまで何度も目の前に現れる。

問題を後伸ばしにしていると、解決するどころか
むしろもっと大きな問題となって、結局、再び向き合わないと
いけなくなることがある。

人生全ては自己責任なのであるから、
目の前に現れた問題、課題はごまかさずに
向き合わないといけない。

しっかり向き合ってクリアできれば
次の課題に挑戦することとなる。

しかし、仮に今回クリアできなかったとしても
悲観することはない。

クリアできないのは、時機がまだなだけである。

課題意識を持っていれば、時機が来た時にきちんと対応すれば
次回はクリアできるであろう。

まあ、それは現世でなく、来世なのかもしれないが。

このように考えると、不思議と将来の不安が薄れる気がする。

セミナーやメルマガで教わった中で
私にとってピカイチの価値観を改めて思い出した。

「人生に困ったことは起こらない」

人生の課題を克服するために、
何かしらの出来事が発生する。

時として、困難に思えることもあり、
途方にくれてしまうこともあるだろう。

一見、困ったことのように見える出来事は
実は別に困るようなことではない。

むしろ、自分の成長にとって必要だからこそ
現れた、一見困難に見える出来事なのかも知れない。

自分の将来、または現世で解決し得ないので
あれば来世へ持ち越されるだけでである。

でも、取り組むのに恐れをなしてはいけない。
不安を開放してあげないといけない、と著者は述べている。

つまり、手放せば、問題と思われる出来事も解決する
のではないだろうか、と気がついた。

あまり考えたくはないが、
パートナーや親しい人との別れは辛いものだと思う。

しかし、現世でいい関係を築けてさえいれば、
また来世でも、運が良ければ現世で別のヒトととしての
つながりを通して縁を持つことができるようだ。

そして、今、自分の身に起きている出来事も
乗り越えることに何かしらの意味があるはずだ。

そう再認識すると勇気が湧いてくる。

これは個人的な話であるが、数年前から続く、
今抱えている問題は必ず解決できる、
そのような態度で望んでいる。

多少の困難は伴うだろうけれども。

乗り越えた時に初めて
分かることもあるのかも知れない。

だから、困難な出来事から逃げずに、正々堂々と向き合おう。
改めて思った。

自分の人生の課題をきちんとクリアして、
その意味を理解することにより成長していきたい。

投稿者 toshi121 日時 2019年1月30日


「魂の伴侶-ソウルメイト」を読んで

 これまでも前世や生まれ変わり、輪廻転生の話を耳にしたことはあるが、完全に嘘だとは思わないものの、信じられるものとも思えず、そうしたことを信じる人もいるのだろうという程度の認識しかなかった。
 今回、本書を読んで、輪廻転生は間違いなく存在するものであるという確信を持った。精神科医である著者が、多くの患者に過去生退行セラピー(前世療法)を行い、その具体的な事例が紹介されているが、そのリアルな内容に驚くとともに真実を感じた。

それにしても、本書の標題でもあるソウルメイトの存在は、本当に尊いものだと感じる。「はじめに」にある「ソウルメイトとは愛によって永遠に結ばれている人たちのことで、彼らはいくつもの人生で何回もの出会いをくり返しているのです」を読んだ際には、全くもってなんのことなのだろうかという感じだった。読了後はソウルメイトについて何度も考え、思い巡らせるようになった。

このように輪廻転生を信じられるようになってみると、二つの思いが強くなった。一つは、自分の前世は誰でどのようなものだったのか、自分のソウルメイトは誰なのか、そしてどうしたらそれらを知ることができるだろうかという思いだ。それらを知ったからといってどうなるのかと感じる面もあるが、また単なる好奇心でしかなのかもしれないが、やはり知りたいと思う。ただ、もしソウルメイトが、今の家族ではなかったらという恐れも感じる。訳者あとがきに、「日本でも前世療法を受けることが次第に容易になってきました」とある。実際にセラピストの治療を受けたいとまでは思わないものの、前世を知りたい気持ちは尽きない。

もう一つの思いは、今の人生は何度も生まれ変わる中のたった一つでしかないのであれば、またソウルメイトと繰り返しで出会えるのであれば、日々の些事に悩んだりすることはあまり意味がないと感じたことである。輪廻転生のことを考えると、気が楽になると感じている。

投稿者 Terucchi 日時 2019年1月30日


「魂の伴侶 ソウルメイト 」を読んで
私は生まれ変わりの輪廻転生、因果応報については、生まれた時から仏教が生活の一部だったこともあり、何の疑問もなく、肉体は死んでも魂は過去・現世・来世につながっていく、そういうものだと思っていました。ただ、この「魂の伴侶」および作者の前作「前世療法1、2」を通して読んでみて、きちんとした検証データもあることから、確信を持つことができました。そして深く考えさせられ、また疑問も持ちました。
まず、疑問からいくと、私たちは過去の因果で生きてきたのであれば、なぜその記憶を忘れてしまっているのか?前世療法では、過去世を知ることにより自分のトラウマを解消できるということであれば、なぜ人は生まれて来た時に忘れてしまうのか?忘れて来る意味は何かあるのか?もしかすると、覚えていてはダメなのではないか?これに対する自分なりの答え(仮説)をこの感想文で書きたかったのですが、上手く纏まらずタイムリミットで、今後も考えて行きたいと思います。また、考えるに当り、他の人の感想文も参考にさせて頂けるのはありがたいと思います。
次に、私にとって深く考えさせられ、今後に活かして行くことです。私が生まれて来たこの人生は自分で選んだものであり、そして課題も自分で選んだもの。私自身、日々の生活で壁に当たった時に、恥ずかしながら必ずしも前向きに捉えていないのが本音です(そのため、自分を変えたいと思って、しょ〜おん先生のメルマガを読み、セミナーに参加した次第)。自分で選んだ道とはいえ、本当なのかと思ってしまい、嘆くことも多いです。私にとっての壁はいつも同じ状況が多く、調子に乗っていい気になっていると、ケアレスミスから急に落とされたり、結果も裏切られたり。実はこれも何か気付かせてくれたりしていることだったり、前世からの宿題なのでしょうね。今の私の状況ですが、家庭では妻と上手くいっておらず、子供も不登校になっていて、とても良い状況とは言えません。しかし、それらも自分が招いたこと=「自責」であり、何か意味のあることなのでしょう。妻も子供もおそらくソウルメイトであり、同じくこの状況を魂の学びの場として、生まれ来たのでしょう。今これが前世からの継続されている課題なのでしょうね。そして、この課題について取り組んで行かなければならないと覚悟しています。そんな中、この本を読んで気付かせて頂いた一番良かったこととして、この苦しみに対して取り組んでいることを見守ってくれているマスターがいるのですよね。今まで自分一人孤独で戦かわなければならないと思っていたのですが、見守るマスターや一緒に学ぶソウルメイトの存在が自分の人生に灯火を与えてくれているように思えます。課題に取り組むのは必ずしも自分一人ではないこと。今後、自分の運命を悲嘆せず、投げやりにせず、この自分の人生からその意味を学んで行くこと誓いたいと思います。「神はその人が越えられることができる試練しか与えない」という言葉を聞いたことがあります。私は自分が自分で選んだ人生でどれだけ学ぶことができるか、それを自分の魂のレベルを上げることにつなげていきたいです。
以上、自分に対してどう活かすかということが、個人的な決意を書くことになってしまい、感想から少しズレてしまったかも知れませんが、御容赦願います。また、この魂のレベルを上げるための一つ道標が智の道でもあると思って取り組んで行きたいと思います。
しょ〜おん先生、この本に出会わせて頂きありがとうございました。

投稿者 kuyopyon 日時 2019年1月30日


この本をはじめに読んだのは2016年10月、もちろん、しょーおん先生のリストからだった。その際はあまり興味なくスルーしていた本だったが、今回じっくりと読み直して、1つの言葉が響いた。やはり、2016年から毎年良書リストを読み続け、様々な怪しい系の本を読むうちに本書の言っていることもすーっと入ってくる素地ができていたのかもしれない。

他の様々な怪しい系の本でも「自分を愛すること」の重要性は何度も読んでいて、理解していたが、この本でのメインテーマはこれだと気づいた。と、いうより、何回も「愛が大事」だと書かれているので、気づいてあたりまえではあるのだが、、、自分を愛しつづけることで自分だけでなく周りも幸せになるということを、本書では、被験者の上位のスピリットからの言葉として真実味を持たせて書かれていた。

また、本書ではソウルメイト同士は、自分たちの修行のために新たに人生を歩む際にそれぞれ別の修行をすることを選択し、人生の中で出会わないと決めることもあるという例も紹介されており、人生って長いのによくそんなことするなと感心させられるが、実際、何10回も生まれ変わるならそれもありなのかと気づかされ、自分が唯一だと思っていると考えつかないことだと理解した。と、いいつつも、本書のメインイベントである第22章において、別れ離れとなったと思われた2人は実はすでに人生を歩む前に出会うことを約束されていたことが読んでわかり、とても感動的であった。普通そうだよね、会わないなんてないよねと納得しながら読み進めた。

さて、私が本書で読み取れなかったことは、ソウルメイトは誰にも必ず存在するのか?ソウルメイトを持たずに何度も修行をする魂はあるのか?ソウルメイトは何人いるのか?といった点であるが、それはともあれ、自分のソウルメイトが現在の人生でだれなのか?とても興味がわいた。

そして、ワイス博士について調べようかと思いながら、読み進めていたが、最後に、あとがきを読んで著者よりもまずは日本人である訳者がとてもに気になったため、訳者の山川夫妻のWEBサイトに行き彼らのメルマガを少し読んだ。このご夫婦、スピリテュアルなことに目覚め、関連の本を多く訳すことを手掛けておられ、また、ご自身でもいろいろと講演をされていることがわかった。しかも、彼らのお住まいが町田であり、自分の行動範囲とかなり一致するので、メルマガを登録し、いづれ、お話を伺いに行きたいと思う。この本を読むことにより、魂について少しは理解でき、また、今後もっと勉強したくなったこと、紹介いただき、今回課題図書に選んでいただいたしょーおん先生に感謝します。この山川ご夫婦のメルマガとWEBに接し、佐藤しょーおん先生夫妻もまた同じように人生を歩まれているように僭越ながら思えた。自分は、人を導く立場からは程遠いのだが、探求心は人並みにあるので、まずは訳者が一番すすめている、「魂の療法」を読み、そしてすべて読みつくすことを今年の課題としようと決めた。まずは、ワイス博士の思いである「愛」の本質を読み解き、輪廻転生をくり返しながら、愛を学び、光へと向かって行くためにもっと魂のしくみについて知り、自分を愛し、周りの人をも愛していきたいと誓う。

投稿者 tajihiro 日時 2019年1月31日


今月の課題図書『魂の伴侶―ソウルメイト 傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅』を読んで、2つの収穫があった。

その前に、この本で、著者は、我々に何を伝えたかったのを先に明確にしたい。それは、本をめくってすぐのページの

『愛に偶然はないことを、私に教えてくれたエリザベスとペドロに本書を捧げる』

という一文に集約されているのではないかと思われる。著者はそれまで「前世療法」を通じ、多くの患者と向き合い、治療を行ってきたが、著者の元へ訪れるまで一度も面識のなかった今回の生まれも育ちも違うエリザベスとペドロの2人が、実はソウルメイトだったことは、初のケースだったからだ。著者はセラピーを通じ、もしやと思い、2人に対しさりげないコンタクトを試みた。その時は大して進展はなかったが、その後、時を変え、偶然の再会により、2人は結ばれることになった。そして、著者は2人から便りをもらい、結婚しメキシコで幸せに暮らしている旨の連絡があったという。

既に結ばれているソウルメイトを見つけることは容易にできても、これまで接点もなかった2人が実はソウルメイトだったということを見つけることは、同一の医者の下で前世療法を経ないと絶対にありえないことだからだ。

--エリザベスのケース、ここから--
『彼女は自分の父親を思い出した。彼の名前はエリといって、陶工として自分の家で仕事をしていた。井戸から汲んできた水を使って、彼は粘土から鉢やつぼなどの様々な容器を家族と村の人々のため、さらにはエルサレムの町で売るために作っていた。』『彼女の名前はミリアムといい、この激しい変化の時代に幸せな少女時代を送っていた。』『軍人たちは、まず、エリの両足首をロープでしばり、馬に乗った軍人が、彼を馬のうしろに引きずって走った。』『「お父さん、とても愛しているわ」光を失いつつある彼の眼を悲しげにのぞきこみながら、彼女はやさしく彼にささやいた「いつまでも愛しています」彼の目が彼女をじっと見た。そして、わかったよ、とまばたきして彼は永遠に目を閉じたのだった。夕日がその日の終わりを告げるまで、彼女は父の体をゆすり続けていた。』(P95~P98)
--ここまで--

--ペドロのケース、ここから--
『私は地面に横たわっています。ひどくけがをしています。……近くに兵士がいます。彼らは私を地面や岩の上を引きずっていきました。……私は死にかけています」彼はあえいでいた。「私は頭とわき腹にひどい傷を負っています」かすれるような声でつぶやいた。』『その男の娘が泣き叫びながら彼のそばにやってきた。そして、その男の頭をそっと自分のひざの上に抱き上げた。彼女は一定のリズムで体を前後にゆらしていた。男は自分の傷ついた体から、命が離れてゆくのを感じていた。』『体のどこか奥のほうから、かすかなあえぎ声が聞こえた。「愛しているわ、お父さん」。彼は娘がやさしく言うのを聞いた。』(P118)
「エリ」と私は大声で言った。「あなたの名前はエリですか?」「えっ、どうして知っているのですか?」彼は大昔の深みの中から答えた。「そう、それが私の名前です。エウリと私を呼ぶ人もいます。エリと呼ぶ人もいます……どうして知っているのですか?あなたもそこにいたのですか?」(P225)
--ここまで--

ペドロを父「エリ」エリザベスを娘「ミリアム」とすれば、これはもう、過去生におけるソウルメイトの関係であると言えるのではないだろうか?

著者の伝えたかった「ソウルメイト」という考え方を上記の実例が如実に示してくれたと言える。だから『愛に偶然はないことを、私に教えてくれたエリザベスとペドロに本書を捧げる』という最大の謝意を冒頭で述べたと思われる。

さて、最初の私の2つの収穫を述べたいと思う。

1つは、著者が主張するソウルメイトという考え方が存在し、理解できたこと、もう1つは、将来について必要以上に心配しすぎることはない、ということだ。

まず最初の1つ目についてであるが、私は、この本を手に取るまでは、ソウルメイトという考え方自体を知らなかったし、そもそも、前世の私がどうだったのかどうか、ということに興味もなかった。知る由がなかったからだ。

しかし、この本を読んで、ソウルメイトという考え方を知ることができ、併せて、地球上のどこかで、もしかしたら、まだ、会ったことのない、もしくは、もう既に会ったことのあるソウルメイトの存在に想いを寄せることができた。今までの私は「食わず嫌い」ならず「会わず嫌い」の性格を持っていたが、そういう性格はあまり得策でないことが分かった、これを機に、もっともっといろんな人に会っていきたいと思う。

残りの1つであるが『三回目の診察のために、私のオフィス入ってきた時、エリザベスは以前よりも元気そうに見えた。そして、目は前よりも輝いていた』(P74)とある。本著の前世療法を通じ『死んでも生まれ変わること、死はすべての終りを意味するものではない』(P74~P75)ことを理解できたからだ。前世療法の是非を問うつもりはない。私は、心のどこかで、少しでも長く生きるために健康でないといけない、とか、運動をしないといけない、どこか怯えている自分がいたのも事実だ。また「あなたの心が現実を作る」という言葉があるが、実は、必要以上の心配が、無意味であることも理解できた。これからは、折角受けた生を、もっと貪欲に、もっと、ポジティブに生きようと思う。

この本に出会えたことに感謝します。

投稿者 akiko3 日時 2019年1月31日


辛い人生も魂が肉体を離れると直前までの流血ものの苦しみ、痛みさえも消え、平穏に包まれるとわかり、心が安堵した。
不憫に思っていたが、目に見える現実よりも見えない感情の部分に、より深い悲しみが刻まれ、魂に傷が残っているのかもと思った。魂に傷が残るってどんな、どれほどのことなんだろうか?傷が残らないように死がもたらされるのかもしれない。

『どんなにひどい人生を過ごしたとしても、魂がいかに進化・変化してゆくかが大切』とあり、若い頃よりは目先の感情に振り回されなくなったけど、未体験のことがこれからも起こりうるから大丈夫かな?と思っていたが、この一文を心に刻み、体験しつつ、俯瞰していこうと思う。

『地獄の中にいてもみんな幻、愛だけが真実、幻想の陰に隠れて見えてなかった』も視野を広げてくれた。もっと早く学んでいれば、違う選択をしたかも…と後悔しかけたが、今後の基準値の上書きにしたら、過去は手放し今を生きよう。自己啓発本にもよく“今”を生きる大切さが説かれているが、著者の方々も人生から学びえた教訓なんだ、人生から学んで愛をもって行動している一例だと感心した。

よりよく生きることは、自分の為、今世を無駄にしない為とは思っていたが、本物の生き方をしないとカルマを残してしまうと気付かされ背筋が伸びた。
また再生する場合、自分が残した“世”である可能性は考えたことがなかった。まだ自分のことどまりの思考で、よりよい社会を作る大切さ、愛ある世界を子孫に残そうをする発想がなかったと反省した。

価値観も胆略的に良い悪いに左右されるところがあって、『全て体験、同時に全ての魂が体験』というP102からの中間世からのメッセージは何度か読み直したが、まだ腑に落ちてはいない。“知恵が非常に不足している”ということは確かだと思った。どうしたら腑に落ちるのかと考えてみたが、『愛があれば理解できる、耐えられる』とあったので、何かあっても現象に囚われず、自分の中から湧き出る愛を探すようにしよう、エネルギーを絶やさないようにしようと思っている。

大いなる存在からのメッセージを感じ、自分の人生が必然であり、学びであり、そこに愛があったことを実感し、幸せな感情が芽生えてきた。
委ねていれば導かれる、悪しきを思わなければ、心を研ぎ澄ませておけばインスピレーションを受け取れる。その為に、瞑想など心を整える時間が大切だなと思い、秋頃から呼吸法をサボっていて、あまりにザワザワする時にはちょっと座って深呼吸すると応急処置的だったことの重大さに気づかされた。

目の前にある確実にできることをちゃんとやっていこうと再決意します。ありがとうございました。

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投稿者 masa3843 日時 2019年1月31日


前世や輪廻転生といった科学では説明できない事象について、
私は何となく
「あるんだろうなぁ」
程度の認識しかありませんでした。
しかし本書を読んで、エリザペスとペドロの運命的で美しい物語に触れたとき、
素直に前世やソウルメイトについて信じたい気持ちになりました。
本書は、前世や輪廻転生、魂の存在について、
読者に対して感情的に訴えかける良書だと思いました。

本書の中で私が印象に残ったのは、
『肉体が死んだあとの生活があるかもしれない
肉体を抜け出たあとも意識があるかもしれない
ということに「心を開く」と、
それだけで人々は神秘的な体験を持ち始める』
と説明しているところです。

これはつまり、
前世や魂といった目に見えないものの存在に「心を開く」ことが、
神秘的な体験をするための十分条件である、
ということです。

必要条件ではなく、十分条件として説明しているところがポイントだと感じました。

著者自身は、キャサリンという若い女性患者との体験で人生が変わり、
それまでのものの見方で世の中を見ることができなくなった、
と説明しています。

ということは、
 〇心が開かれた状態→神秘体験
はいかなる場合でも真ですが、
 ・神秘体験→心が開かれた状態
については、真ではない場合もある、と考えました。
なぜなら、神秘体験を神秘体験と捉えずにスルーしてしまう場合や、
超常現象に懐疑的で偶然やトリックを疑う人もいると思われるからです。

そうすると、
 〇心が開かれた状態⊂神秘体験
  ※「心が開かれた状態」は「神秘体験」の真部分集合であり、十分条件
と言えるのではないでしょうか。

ということは、「心を開く」ことができれば、
必ず神秘的な体験をすることができることになります。

それでは、「心を開く」ということは、どういうことなのでしょうか。

本書の中では、心の開き方について説明しているところはありませんでしたが、
私見では、
「当該事象の存在を当然のこととして分かっている」
状態のことなのではないか、と考えました。

知識として知っているだけではなく、
盲目的に信じているというわけでもない。
ただ、「分かっている」。

この境地にまで至ることができれば、
前世やソウルメイトの存在を直感的に感じることが可能になるのではないでしょうか。

この原則は、様々な成功法則にも当てはまるように思います。

例えば、
 〇手帳に実現したいことを書くことで、願い事が叶う
 〇人のためにお金を使うことで、金運が上がる
 〇嫌いな人の幸せを願うことで、人間関係が良好になる
といった人生の成功法則があります。

どの法則も、科学的に証明されたものではありません。
しかし、全て真実だと思います。

ただ、誰にでも当てはまる法則ではありません。
主体者である自分がその成功法則を「当然のことであると分かっている」ことが、
その成功法則を体現できる確率を飛躍的に高めるはずです。
(「主体者が当然のものとして分かっている」⊂「成功法則が成り立つ」)

その存在を「当然のものとして分かっている」状態に至れば、
本書で触れられているソウルメイトについても
出会った瞬間には直感的に分かるようになるのだと思います。

本書の「はじめに」の中では、
私たちは必ずソウルメイトに出会うようになっているが、
出会ってからどのようにするかを決めるのは、
私たちの自由意志の範疇に属することだ、
と説明されています。

私たちは、人生の中で必ずソウルメイトに出会いますが、
その後の行動は私たち自身に任されているというのです。

これはとても怖いことだと感じました。

なぜなら、「心を開いた」状態でなければ、
ソウルメイトに気付くことさえ許されず、
本書の表現を借りれば、
信じられないほどの孤独とさみしさを味わわなければならないからです。

私も含めて、
前世や輪廻、また成功法則といった目に見えない事象に対して、
人は大なり小なり懐疑の念を持っているものです。

科学原理主義の現代を生きている我々にとっては、
ある意味やむを得ないことでしょう。

ですが、こうした疑いの念を持つことで、
奇跡的で感動的な体験を逃してしまったり、
成功や幸福から遠ざかってしまったりすることがあるとすれば、
こんなにもったいないことはありません。

『あらゆる組織は狭量であるように見える。
自分の思い込みや信念に絶対に疑問を持たない人もまた、同じように狭い心の持主である。
彼らの心が、思い込みや古い観念によって盲目的になっている時、
新しいものを見ても、新しい知識が入ってきたとしても、
どうしてそれを理解することができるだろうか?』
(本書 P172)

目に見えない事象や事柄の存在を新しい知識として得た場合に、
「他人に説明できるほどに解明する」
ことまではできなくても、
「存在を当然のものとして受け入れる」
ことまではできるよう、
広い心を持ち続けたいと強く思いました。

今月もすばらしい本をご紹介いただき、ありがとうございました。

投稿者 saab900s 日時 2019年1月31日


この本を読だ後、ますます目の前で起こっている出来事が現実なのか、自分が想像したものなのか、はたまた運命として定められたものなのか、
もやもやしてきました。

なぜもやもやししたのかというと、量子の世界を知ることによって、意思によって自分の世界を自分で作り上げていることがわかりました。また、西洋占星術を知ることによって、誕生した日に天空に輝いていた星座の影響を大きく受け、その人の性格やその人の人生の課題などがわかるということもわかりました。

そして、今回はタマシイのレベルでみると、なんども同じキャスティングで人生を一緒に歩んでいるということもわかりました。

量子の世界や、西洋占星術、魂の世界のような大いなるものの前には、私自身の存在はハナクソ以下であることも知っています。

おおいなる現象のそれぞれの関係性を頭の中ですっきりと整理することができなかったため、もやもやしたのだと思います。

現時点で私の知識ではこのもやもやを取り除くことができないので、このもやもやした状況を受け入れてみようと思います。

私の人生をゲームとたとえた時、そしてこの世界が私のタマシイの修練場であるのであれば、どこかにラスボス(いや、できればピーチ姫がいいなぁ)がいると思いますし、ゴールへ向かう途中には、いろいろな細かな敵や小さな冒険もあるでしょう。

…とすると、私の人生って宇宙規模の双六、いや、大きめなリアル人生ゲーム、リアルモノポリーの上に乗っているだけなのでしょう。

しかも、このリアル人生ゲームのキャスティングは同じである可能性が高いとは、何度コンテニューしたのでしょう笑

上記のことをざっくりまとめて考え、私の人生をリアル人生ゲームとして考えてみたところ、本当のゴールってキャストみんなでワイワイやってたほうが楽しいのかなと思いました。

なぜなら、キャスティングが同じでれば、このゲームが終わったとしても違うゲームで同じキャスティングになるのであれば無暗に対立する必要もないですし、現時点で対立していたとしても、前回のゲームでもおなじキャストだとしたら少し親近感が湧いてきます。


しかも、こじれた関係であればあるほど自分のタマシイの課題かもしれませんし、現世の変なプライドだけでこじれているとすれば
なんとももったいないような気がしてなりません。

こういったことを考えると、日ごろの問題がとても矮小化され、おおらかな心持になれました。


来月、花さんの西洋占星術セミナーを受講しますので、そこで自分自身の性質を知りながら、タマシイが満足しつつ、周りキャストの幸せに貢献できるのであれば、リアル人生ゲームのプレイヤーとしては面目躍如といったところでしょうか。


これからは、袖触れ合うのも多少の縁を大切に、何かしら周囲の役に立てるような価値判断基準、行動基準に調整していきます。


困ったとき、迷ったとき、つらい時はこのリアル人生ゲームのことを思い出し、レイヤーをあげて俯瞰することで冷静さを取り戻し、

自分だけじゃなく、周りの幸せになるように取り組んでいきます。

そして、嬉しい、楽しい、幸せを感じた時は、周りがより幸せになるように取り組んでいきます。

投稿者 tomooku 日時 2019年1月31日


ソウルメイトを読んで

この本を読んで1番感銘を受けた部分は『「許しということはとても大切です」と彼は私に語った。「私たちは、他人を責めますが、同じことを自分もまたやっているのです……私たちは人を許さなければなりません」彼の転生は、このメッセージを描き出していた。』という部分でした。

しょうおん先生の良書リストでの本書の紹介文では「身内なのにどうしても拒否反応があるそんな人間関係には理由があったのです」と書いてありましたが、わたしにも拒否反応を持ってしまう身内がいました。

わたしより年上ですが、自分は言いたいことを好き勝手に言うのに自分は他人から大切にしてもらいたい、年上なのだから大切にされて当然だという思考を持っている人です。

以前課題図書で読んだ「アーミッシュの赦し」という本の中で『赦し』は犠牲者が、復習権を放棄する。『和解』とは被害者と加害者の関係を修復、ないし、関係を新たに創造することをいう。和解が最終目標で赦しは和解へ向かう課程の重要なステップとされていると書いてあり、ゆるすということは段階があり必ずしも相手にポジティブな感情を抱いていなくてもいいのだ、復讐することをやめることもゆるすに含まれるのだと思い心が穏やかになった経験がありました。

 ソウルメイトを読んだ後ではまたさらに考えが変わりました。自分が許せない、なんでそんなことを言うのだろう、信じられないと思っていたことをもしかしたら自分も過去生でしていたのかもしれないと思うことができるようになりました。自分も同じことをしていたのだとしたら、もう許せないなどと思うことは出来なくなりました。(まだ感情の波はたちますが…。)
 また、年長者なのにそんなことをするのはやめてほしい。もう少し成長して大人の考えを持ってほしいと相手に対し思っていたのが拒否感の原因となっていたのかもしれないとの考えに至り、今世では目覚めないのか…学ばないと決めたのか…と思うことによって相手に成長を期待することが間違っているのではないかと思うようになりました。

 拒否感を抱いてしまう家族に関して、もう少し知りたいと思い著者の他の本も読んでみました。「前世療法2」の家族関係をいやすという章では『私たちは家族を通して、様々なことを学びます。愛を表現すること、愛を受けとること、人を許すこと、助けること、人に奉仕すること等です。』とありいくつかの事例が書いてありました。

 一つの例として現世で亡くなった父親との間に問題があった女性が退行催眠の中に父親から「私のことを弟だと思ってください」と言われる場面では『父親のことを自分と同等な弟だと思えたとたん、ベッティーは父親の長所も短所もずっとはっきりと、しかも楽な気持ちで見ることができるようになりました。やっと彼女は父親を理解し、許し、ありのままの彼を認めることができたのです』とも書いてありました。

 この2冊の本を読むまでは、ソウルメイトは自分の魂の片割れで出会うことにより自分が満たされる、幸せを感じる、そして相手もおなじような思いを抱く存在なのだと考えていました。しかし、自分が恐怖や怒り、不満を持ってしまう存在もソウルメイトであり学びを得られる存在なのだと知ることができました。

 今までその人に対し拒否感があるにもかかわらず、身内という存在のため離れることができない。しかし、自分の運を良くしたり、潜在意識から嫌われないために嫌いな人や許せない人がいるということは良くない状況であるというジレンマを抱えていました。

 できる範囲で距離をとったり、間に人を介すようにし、時々接触しては若干のイライラやまったくもう…という感情を抱いていましたが、自分も過去同じことをしたのかもしれない、この人を許すことが今世の私の学びかもしれないと思うことで拒否感が以前より少なくなったように思います。

 あとは日常生活の中で言動が気になってしまう子どももいるので、こちらに関しても過去生でどんな関係で何を学んだのかと思いを馳せながら今世の学びに結びつけ、良い関係を築いていけたらと思います。

 今月も学びの機会をいただきましてありがとうございました。

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2019年1月31日


 初めて『魂の伴侶』を読んだのは2年前になる。まるで恋愛小説のような実話が美しく、ため息が出てしまった。しかし「読書からの学びを人生で適用する」という視点に欠け、「良い本だった」という感想しか持たずに終わっていた。

 今回は感想文を書くため、原書“Only Love is Real”をアメリカのアマゾンで取り寄せて読んだ。すると、塾生の友人に「あれ?和訳と原書はタイトルが違いますね」と指摘された。
 和訳された本や映画が、原題と違うタイトルになっていることは良くあるので、自分は別段気にしなかったのだが、友人の指摘で初めて、この原題に深い意味があると気付いた。

 “Only Love is Real”というセンテンスは、本文中に一度だけ登場する。
第7章でワイス教授は、あるカソリック教徒の弁護士の治療をしている。その患者は、過去の人生を思い出した後、地獄のような場所で火と悪魔たちに取り囲まれている自分を発見する。以下、引用する。

★引用(『魂の伴侶』87ページ)
…霊的な人物が現れて、彼の方に近づいた。彼はその人物がイエスだと気が付いた。
「これはみんな幻だということが分かりませんか?」とイエスは彼に言った。
“Only love is real.”(愛だけが真実です。)
すると、火も悪魔もすぐに消えてしまった。そして美しい光が現れてあたりを照らした。
(引用ここまで)

 患者の夢で、イエス・キリストが叫んだ言葉「愛だけが真実です」が、この本のタイトルなのである。
 ここで、ある矛盾を感じた読者は、私だけではないだろう。
 キリスト教の考え方では「人は死んだら天国へ行く」と教えており、聖書に輪廻転生の概念は全く出てこない。輪廻転生を前提とした『魂の伴侶』の中で、患者の夢にキリストが出てくるというのは、おかしくないだろうか。

 そう考えてようやくく、本書のテーマは「愛」であることに気付いた。
この本は「人は死んだらどうなるか?」について議論したいわけではない。「前世」や「輪廻転生」は、二次的なテーマに過ぎない。むしろ「輪廻転生や前世・来世があるとしたら、私達は今、どうしたら愛に満ちた生き方ができるか?」を問いかけているのである。


 今回、二回目に本書を読んで、強烈に思い出したことがある。
 私は数年前、あるボランティア活動中にOさん(50代女性)に出会った。Oさんは数年前に娘さんを交通事故で亡くされており、そのボランティアをしたことで、悲しみから救われたと話していた。
 ある時、信じられない事実が判明した。Oさんのお嬢さんが亡くなった日は、私の誕生日だったのだ。
数年前、私の誕生日にOさんが下さったメールを、今でも忘れられない。

「××月××日が、●●さん(私の名前)の誕生日で、本当に良かった。
××月××日は、自分の人生で一番悲しい日だと思っていました。
でも、そうじゃなかったんですね。全ては繋がっていますね。
●●さん、生まれてきてくれて、本当にありがとう。」

 先日、新春セミナーで数秘術を教えていただいた。人の生年月日に込められた深い意味に、思いを馳せずにいられなかった。

 Oさんのお嬢さんが亡くなったことを知ってから、私は神に怒りを感じてきた。
神はなぜOさんから娘さんを奪ったのか。何も悪いことをしていない娘さんが、なぜ20代の若さで亡くならなければならなかったのか。
 それだけではない。なぜこの世界から、悲しいこと…戦争や犯罪が消えないのか。神が存在するなら、この世には理不尽なことが多すぎると、怒りを感じてきた。

 しかし、本書 “Only Love is Real”を読み、Oさんと娘さんはソウルメイトであり、今回の人生で果たせなかった使命を成し遂げるため、次の人生で再び出会うだろうと希望を持つことができた。
 Oさんの生き方を見て、人は愛により、悲しみを自力で癒す力を持つことを知った。
完璧には同意できないが、全てのマイナスのイベントは、学びと成長の機会だと、今はエポケーしたいと思う。
responsibility(責任)という言葉があるが、人は誰もがresponse(答えを出す)するability(能力)を持ち、成長しながら生きていく責任(responsibility)があるのではと、おぼろげに感じた。
一度目に日本語で『魂の伴侶』を読んだ時は得られなかったことに、二度目の読書で気付いた。良い本は何度も繰り返し読む必要があると感じた。

 私達はなぜ生まれ変わるのだろうか。「自分の使命を全うするため」というのが、ワイス教授の答えである。
 しかし私はもう一つ目的があると思う。「愛するソウルメイトに出会うため」である。
愛する人にもう一度出会いたくて、私達は何度も生まれ変わるのだろう。
 スターウォーズの世界がフォースで満ちているのと同様、私達の生きる世界は愛で満ちており、愛が全てを動かすエネルギーになっているのだと、当たり前のことに気付かされた。

 「愛だけが真実」とすると、偽物(illusion)は何か。
それは地獄の光景-「恐怖、不安、悲しみ、それが生む怒りと暴力」(和書P.113)である。エゴに動かされず、愛を持った生き方をするために、自分が常に愛されている存在だ(和書P.105)ということを覚えておきたい。

 Oさんは、娘さんを理不尽な事故で奪われ傷つきながらも、私に愛の言葉を贈ってくれた。
Oさんとの出会いは、人知を超えた存在(神)の計画であり、私はOさんから愛を持った生き方を学んだ。この教訓を与えてくれたのは本書であり、感想文執筆の課題を下さったしょうおん先生にはもちろん、
共に本について意見を交換し、一緒に成長する機会を分かちあってくれた塾生の友人達との出会いに感謝する。

投稿者 wasyoi 日時 2019年1月31日


#魂の伴侶 を読んで

この本は、前世の記憶を取り持つ患者と接するうちに、誰にでも生まれ変わるたびに巡り合う魂の伴侶(ソウルメイト)がいることを知ります。そしてそれぞれに治療を受ける男女が実は魂の伴侶だったことに博士が気付くのですね。
この本を読んで、人生で人がやるべきこというのは【今を生きる。そして学び続ける。】なのだろうなと感じます。改めて学ぶことがいかに大切なことか、この本を読んでより理解が深まったように思います。

今回私が学んだところは、

p49『 私たちの恐怖の多くは、未来ではなく、過去にその原因がある。私たちが最も恐れている物事の大部分は、すでに子供時代か、または過去生で起こったことなのだ。しかし、私たちはそのことをすっかり忘れているか、ほんのかすかにしか覚えていないために、それと同じひどいことがこれから先、現実化するのではないかと恐れるのである。』
今ではなく過去のことに私たちは恐れおののいている…と言われると、そうだと思い理解出来ました。無意識に考えていることでマイナスな思考に陥りやすいので、気を付けて行動します。


p61『 流産や中絶したあと、同じ魂が同じ両親のもとに、次の赤ちゃんとして戻ってきたという例がいくつもあります。』
こういう事例がある事でとても安心出来ます。流産や中絶をもしも後悔する人がいたら、この本を読んでみるととても良いではと思います。


p65『今という時に完全に心を向けていないならば、周りを見回してみると、もうそれはどこかへ行ってしまっているのだ。人生の感触、香り、繊細さ、美などをすべて見過ごしてしまう。人生はただ、あなたの目の前をあっという間に通りすぎてしまうだろう。』
私は日頃、自転車通勤をしています。たまに歩いて通勤すると普段目がいかない道端の綺麗な草花に目がいきます。先を先をと考えていると、とても大切なことを見落としがちになる、この箇所を読んで強く思うようになりました。一日の中で少しは立ち止まり、「今」に目を向けられるよう、習慣づけたいと思います。


p98『 私たちの体と魂は、自動車とそれを運転する人の関係に似ている。あなたは運転する人であって、車ではない、ということを忘れてはならない。自分が車だと思ってはならないのだ。100歳以上までも命を何とか長引かせようという今日の風潮は、間違っていると言わざるを得ない。』
先月の「ホモ・デウス」で出ていましたが、人は今後も命を何とか長引かせよう、さらに進化?しようとしています。しかしそれに執着することは意味がない、と。なぜなら長く生きることに執着し、今を生きていない、今を学んでいないから、という事になるのではと思います。それよりも学ぶことに注力していきたいと思います。


p112『 時間は幻想です。三次元の世界においてさえ、未来とは確率のシステムにすぎません。先のことをどうしてそんなに心配するのですか?』
これはとてもドキッとする内容でした。
時間は幻想。
言葉では認識していても、実際に理解できているかどうか…
人間は、過去を恐れ、未来を恐れるように、なるべく「今」に目を向けさせないように何者かに仕向けられているのではないか?と思ってしまいます。


p112『 過去のことを思い出し、そのあと、忘れなさい。手放してやるのです。このことは、子供時代のトラウマにしても、過去生における悲劇的な体験にしても同じことです。』
手放してやる前に、まずはしっかりと握りしめることが大切なのだろうと思います。
トラウマや悲劇的な体験をしっかりと認識し(そのために治療を受けたりし)、そのあと手放す、というふうに認識しました。これは個人体験ですが、同じように認識して行動してみたことがあり、その時はとてもうまくいったように思っています。


p230 『神は一つです。「それはすべて一つのバイブレーションであり、一つのエネルギーです。ただバイブレーションの速さが違うだけです。ですから、神と人と岩は、水蒸気と水と氷と同じ関係にあります。すべてのもの、すべてのありとあらゆるものは、一つのものからできています。愛は障害を打ちこわして、一つのもの、調和を作り出します。障害を作り出して、分離と違いを作り回しているのは無知です。あなたはこうしたことを、彼らに教えなければなりません。」』
「水蒸気と水と小売りの例え」がとてもわかりやすい例えでしたので、一番印象に残っています。
現在の仕事の中でも、人と人がするものなにで障害は当然あるものだと昔は思っていました。しかし今は、メルマガを読んで行動するようにし、職場では内言で「皆に幸あれ」と毎日言っています。自分からそういう気持ちで周りに接すると、自然とフロアの雰囲気が良くなったような感触があります。ありがとうございます。


p259『 重要な決心をする時、特にソウルメイトのように、運命が与えてくれる贈り物について決める時は、自分の心の声と、自分の直感の言うことを聞きなさい。運命はあなたの足元に、直接にその贈り物を置いてくれる。そのあと、それをどうするか決めるのはあなたなのだ。』
 ここもとても示唆に富んだ内容だと思います。自分が選ぶものが良いのかどうかは、直感の言うことを聞くことが大切なので、そのために感覚を磨く必要があります。以前から出ておりますが、これからも「真・善・美」を感じる心を磨き、自分の直感をしっかりと受け止められるよう日々生きていきたいと思います。


想像以上に良い本だったので、周りの人にもおすすめしております。周りにこういう本を抵抗なく受け入れられる環境が出来てきつつあることも、とても良い傾向だなと感じております。
今回も良い本をご紹介くださりありがとうございます。

投稿者 shinwa511 日時 2019年1月31日


今回の課題図書「魂の伴侶-ソウルメイト-傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅」では、誰にでも生まれ変わるたびにめぐり会う、かけがえのない魂の伴侶(ソウルメイト)が存在することについて書かれています。

本書を読む前までは魂の伴侶を見つけるという、すばらしい運命の出会いのことを書いているのだと思いましたが、その人の前世での行動や、繰り返し関係を築いている間柄は決して素晴らしいことだけを言っているのでは、無かったと考えます。

博士が前世の実在を信じるようになったのは、前世療法という治療法を発見したからです。
退行催眠によって患者の精神的なトラウマの要因となった時代へ遡ることで原因を突き止め、患者自身も自身の持つトラウマの原因を認識することによって、治療していく方法です。

前世療法は、薬物やアルコール中毒、人間関係など、繰り返し生じる破滅的な行動パターンを認識し、止めるための手段として用いられます。前世に行動していたことが現在でも生じる、クセやトラウマ、困難な人間関係を思い出す要因になっていると、多くの患者と接する内に博士は気づいたのです。

博士はこの恐怖の原因について、『私達の恐怖の多くは、未来ではなく、過去にその原因がある。』と書いています。さらになぜ、同じことを繰り返すのかにもついても、『私たちが最も恐れているものごとの大部分は、すでに子供時代か、または過去生で起こったことなのだ。しかし、私たちはそのことをすっかり忘れているか、ほんのかすかにしか覚えていないために、それと同じひどいことがこれから先、現実化するのではないかと恐れるのである。』と書いています。

例えば過去の世界でお互いに殺し合っていた間柄の人達が、今の世界でカップルや夫婦になって、喧嘩や仲違いを繰り返すということもあります。お互いに嫌い合っているはずなのに、過去の関係で魂が繋がっているために、同じことを繰り返すという悪循環に陥ってしまうこともあります。

しかし、前世でそのような関係があったとしても、起きたことばかりに気が囚われるべきではありません。

『過去はすでに終わっている。そこから学ぶことを学び、手放せばいいのだ。未来はまだここにない。未来に対する計画を立てるのはよい。でもそのことを心配して時間をむだにしてはいけない。心配は必要ないことなのだ。すでに起ってしまったことを気に病むのをやめ、起こらないかもしれないことを心配するのを止めた時、あなたは今という瞬間にいることができるのだ。その時、あなたは人生の喜びを十分に体験し始めるだろう。』

本書を読んだことで、私もすばらしいソウルメイトと出会いたいと思う人が多くいるかもしれませんが、未来にばかり目が行き過ぎてしまい、今、目の前の人達との関係を大切にしないというのも、してはいけません。

なぜなら、過去から積み重ねてきた人や今出会っている人たちとの出会いが、今の自分を作っているのであり、彼らとの関係なくして自身の成長はありません。今の自分自身を見つめてみれば過去に出会って来た人達や、今の日常で出会っている人達のおかげで、今の自分が存在しています。

本書を読んで、今の自分の状況がどれだけ貴重なものかを認識し、将来へ希望を持って生きて欲しいという思いを感じました。博士が行っている前世療法でソウルメイトとの出会いがあった人達もいれば、不遇な前世を知って自身に悲観し絶望した人達もいたはずです。それでも、博士はこう書いています。

『今日の今、あなたの幸福を見つけてほしいと思う。皮肉なことに、瞬間瞬間を健康的に幸せに生きていれば、おそらくあなたはもっと長生きできるだろう。』たとえ前世に不幸があったとしても、それを乗り越え今を大切に、将来を悲観することなく生きていくようにします。

投稿者 nxxxxo1985 日時 2019年1月31日


魂の伴侶の感想

私は34年間の日々の暮らしの中で、魂や前世・来世のことなど何も考えずに生きてきました。
この本を読んで亡くなった父親について深く考えるようになりました。

著書で『人間はこの三次元の世界にいつやって来て、いつそこを離れるのか自分で選ぶのだ』という箇所がありましたが、
私の父親は2年前に末期の肺がんのため他界しました。
そしてその10日後、私の娘が生まれました。
私自身は、父親に娘(孫)を逢わせることができずとても残念で悔しくて仕方がありませんでした。
父親の魂はなぜあと数日を待たずに旅だったのか、そこに何の理由があるのかふと疑問に感じました。

普段の生活で健康的な生き方(禁煙や定期検診)を怠ったことが生きたいのに生きられなかった父親の今世での魂が選んだ道なのかなと漠然と解釈しました。

過去の自分の思考・行動(原因)の積み重ねが今の自分(結果)となり、今の自分の思考・行動(原因)の積み重ねが未来の自分(結果)になる。
この「今」の繰り返しで、過去世・現世・来世も繋がっていく。

「今」をどう生きるかにより、過去も未来も決まる。
私の課題は、自分の嫌なことを後回しにし結局行わないということです。
特に自分の考えを、文章にして簡潔にまとめること・相手に言葉で伝えることが下手です。
この苦手意識も過去世からの影響があるということが今回わかりました。

これから毎月の課題図書の感想や、日々上司への読書感想の報告を挑戦し
過去世からの自分の魂の成長を遂げていきたいと感じました。

バットエンドな人生の終わり方でも、魂からしてみたら一瞬。
今回の人生を面白く過ごせすようにしたいと思います。

投稿者 kawa5emon 日時 2019年1月31日


書評 魂の伴侶 ブライアン・L・ワイス 著

久々の再読。ドイツ駐在時に手にし、本書及び「生きがいの創造 飯田史彦著」に
どれだけ救われたことか。本書評では、その当時に救われた理由及び、
今回の再読で新たに得た視点を加え、書評を展開したい。


まずは当時救われた経験から。ドイツ赴任時、駐在員として初進出、また家族帯同で、
全く経験の無い各種ルールで、公私共に天手古舞いであった。正にお先真っ暗。
今回の再読でも再認識、またその考えは強化されたが、本書を通し、
自分という存在自体を客観視できるようになるのでは?という点が最初の気付きである。

前世療法で起こるのは、現世の自分(意識、主観)から一旦抜け出すことである。
抜け出すと何が起こるか?それは現世の自分を客観的に冷静に見られるいう点である。
つまり、自分を別の視点から見ているもう一人の自分が生まれるということである。

自身は一度だけ、ドイツでヒプノセラピーによる退行療法を受けたことがある。
その結果及びその感覚は自意識が無くなった訳でもなく、成否判別しかねたが、
自覚ある自分から一旦抜け出し、自分の客観視という感覚がこの思考に一助あることは
先に言及しておきたいと思う。


魂は死なない、輪廻転生する、この世では魂の鍛錬のために生を受けると仮定すると、
現世で取り組んでいる課題、苦しんでいる問題等は、魂が成長するための機会なのだと
捉えることが出来る。そう捉えた時、目下の問題は悩み、苦しむ対象では無く、
来るべくして来た課題、問題であり、それらを解決、克服、超えない理由は無くなる。
この技(思考回路)を持てた時、不思議と目下の課題、問題の垣根は低くなり、
課題、問題を過大評価すること無しに、以前より淡々と処理できるようになる。

隣人が、自身にはささいな課題、問題で躓いている場面を、目にした経験は無いだろうか?
そうこの技を使うと、自分を他人として捉えることが出来、自爆が激減する。笑。


この思考を得、試す気になったのが以下の件であった。第1版第18刷、第九章p111より。
「あなたは現実と幻想をとりちがえています。~中略~。すると真実が見えてくるのです。」

つまりドイツ駐在時に救われたと言及したのは、当時直面した公私共の課題、問題は、
何故自分だけなのか?ここに来た意味は?誰もこの苦悩を解ってくれない等の思考に陥らずに、
ロボットを操縦するかの如く、各種問題に対し自分を制御できるようになったからである。
そして全ての問題に、必ずしもすぐに対処する必要は無いことも学ぶことが出来た。


次に今回得た視点である。それは、現世での特に関係が近い人々を、
別の続柄に置き換えてみるというアイデアである。これが結構面白い。
つまり、妻を自分の母親に置き換えてみたり、姉又は妹に置き換えてみたり。
将又、子供を自分の父、母、もしくは兄弟に置き換えてみたり。
もちろん現世の両親を色々と置き換えてみても面白い。性別、親等替えで選択は多数。
これをすることで、新たな気付き、悪質な人間関係を良質な人間関係に変えるヒントが
得られるのではないか?思考だけでは意味がない。少しだが、妻と長男で試してみた。

その前提として、自分の立ち位置、今までの自分の振る舞いを説明する必要があろう。
一家(核家族)の長(父)であり、また両実家及び親戚に対しては長男(田舎出)の位置。
九州出身からか、周辺へは九州男児(一方的な思い込みだが)っぽく振る舞ってきた。
結婚生活も10年以上、子供も三人の男子を授かり、成長するにつれ皆反応も変化する。
ここ最近どうも、親父ははみ出し気味である。何かがズレている。苦笑。
そこで日々の応対態度を、このアイデアで変えてみた。


妻編。上から目線ではなく、対等、又は時には下から相手する(九州男児イメージの逆)。
もちろん話題や内容により、いくつかの角度も必要なのだが、上記基本路線の対応で、
会話数が増え、また会話自体が長く続くようになった。これは継続しない手は無い。

次に長男編。中学一年でかなり反抗期が進行中。上から目線だと完全無視を貫く。
そこで対等路線を選択。ネタは、一緒に英文を暗記しようというもの。
4~5語から成る英文約20文を一時間で暗記、テストする。長男も学校でテストが有る。
日々の仕事でもっと長い英文に振れている自分には、ほとんど負荷にならないが、
その暗記スピードに驚いたらしい(実際やるとわかるが、ただの暗記で単に音の反復)。

また現在進行中のサッカーアジアカップ、リアルタイム応援も相まって、
何とも無い一言、二言から、訳のわからない逆切れ反応が通常だった日常から、
逆切れ反応が格段に減り、通常の会話が成立するようになった。笑。


これらの例は一見すると、本書を通した現世での処世術と捉えられるかもしれないが、
自身はそうは思わない。本書エピローグの最後の一文を体現している積りである。
「自由に流れさせてやった時、愛はあらゆる障害を克服するのだから。」


今回は再読の良さを再認識できました。選書に感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者 sunao929 日時 2019年1月31日


「魂の伴侶」を読んで

1.今生は修行の場
今生は、修行の場である。
我々は、課題を克服するために人生を生きている。
輪廻転生を通じて、性別・宗教・人種・国籍の違い、大金持ちの人と極貧の人、病気な人と健康な人、いろいろな立場の人生を生き、いろいろな体験から学ぶことになる。
人生で大切なことは学ぶことで、その体験の良し悪しは関係ない。
自分自身が認識している課題の中でも「罪悪感と怒りを解きほぐす」ということを特に注意する必要がある。
満員電車やエレベーターでぶつかられたりするといった些細なことで怒りの感情が立ち上がり、不機嫌な気持ちをまき散らしてしまう。また、やってしまったと罪悪感を抱くような悪循環を止めたい。
トルストイ曰く、『今世でも前世で直面した様々な問題に直面する。それらを解決しない限り、そこから先へは進めない。』
これは、解決しないといけない問題なのだと思い、日々、目の前に起こる出来事、課題、ハードルから目を背けずに、逃げないようにする。

2.「今」を生き切る。
ベトナムの僧侶ティク・ナット・ハンの教えで、一服のお茶の楽しみ方を通じて、「今」という時に目覚めなさいということで、『既に起こってしまったことを気に病むのをやめ、起こるかもしれないことを心配することをやめたとき、「今」という瞬間にいることができる。人生の喜びを十分に体験し始める。』
「今」この瞬間を十分楽しみ人生の喜びを体験することで、周りの人を和ませるようにしたい。
まずは、身近な人を大切にする。穏やかな気持ちをもって、家族を和ませるように心がける。
恐らくソウルメートでこれまでも、近い存在であったはずだろう。
中学3年になる娘は、これまで皆勤で登校を続けており、続けることの大切さを身をもって教えてくれている。
未熟な魂が足を引っ張ることもあるようなので、自分の内面と向き合い、欠点と直面する勇気をもって、魂を磨き上げ高める努力をしていく。
また、日々出会う人たちも、大きな樹の同じ小枝に生え並ぶ葉のような関係で、地球に75億人が存在する中での貴重な出会いであることを認識する。
最近、会社の講演会「ハラスメントをなくして職場の雰囲気を良くする」というものに参加し、『自分自身が幸福感を感じながら、大切な人を大切にする。相手を喜ばせるように心がけよう。』というものがあり、「智の道」を想起させるものがあった。
体調不良の時に不機嫌になるのもしょうがないと思っていたが、不機嫌な人と一緒には居たくないのは誰もが思うことで、伝染しやすいインフルエンザの菌をまき散らすのではなく、「笑顔菌」を振りまいて周りに良い影響を与える人間になりたい。

3.「愛」が必要だ。
「暴力は非常に奥深い無知である。」(P91)という一節に引き付けられた。
怒りと怒りにしがみつく愚かさを学ぶことが大切。
許しを他人と自分に与えられるようになって、如何に忍耐強く寛容になれるかも今生の課題である。
生まれ変わって、相手にしていると思っていた行為が、巡り巡って自分自身を傷つけていることがあるかもしれない。相手の立場に立って行動を考えることで、学びを得ることもあるので、言葉の暴力を含めて、気を付けていこうと思う。
最近、我が子を殺める痛ましい事件もあり、非常に考えさせられたところ。
『あなたは常に愛され、守られている。決して一人きりではない。あなたは光と知恵と愛の存在である。』(P105)との一節には、何か温かいものに包まれているような感覚を覚えた。
これまで、今生で生きてこられたのも、大いなるものに愛され、守られてきたからこそである。
自分さえよければという意識が多分にあったと思うので、今生きていることに感謝しつつ、これから、新しい世代(実は自分自身が転生する世代かもしれない)のために、自分にできることは何かないのか、もっと人のため、社会のためにできることがあるのではないか。日々これらのことを意識しながら行動していく。
『大切なのは、他の人々を助けるために愛をもって手を差し伸べる行為自体であり、その結果ではない。』
(P215)
勇気を出して、実際の行動につなげていきたい。

今月も良書を紹介していただきありがとうございました。

投稿者 sakurou 日時 2019年1月31日


本書を読む前にも輪廻転生はあり得ると思っていたし、読み進めていくと、一見ペドロとエリザベスのラブストーリーのように思えたが、いざ感想文を書き始めると深淵なテーマである「愛とは?」「神とは?」という深い疑問の世界にずっぽり嵌ってしまうぐらい深い一冊だった。

今回、私が思った一番深く印象に残った一説はエピローグにある「私(=ワイス氏)がいなくても二人は運命により出会っていた」というところだ。ということは、今自分の眼の前で起こっていることは偶然ではなく、大きな何か(≒神)に導かれた結果としての必然なのかもしれない。今回、特にそう思ったのは、本書を買ってすぐ、たまたま人のつながりからの全くの偶然で 本書の翻訳者である山川紘矢さん、亜希子さん夫妻のセミナーに参加することができたからだ。セミナー終了後、私が「今回偶然このセミナーを知り参加できたんです」というと山川紘矢さんは「いや、これは偶然ではなく、必然なんです」と答えてくださった。その時はあまり深く考えなかったが、感想文を書くに当たり、紘矢氏の言いたかったことをが分かった。今回のセミナーに参加すること一つ取っても、ある方に本書を紹介して、その方がセミナーを紹介してくれて、それに興味を持って、その日のスケジュールの都合がついて参加できたから、この会話ができ、また、感想文執筆を通じて、偶然と必然、ひいては運命について深く考えるようになったのである。こう考えると世の中の繋がりというか、世の中の仕組みはとても興味深く素晴らしいと実感する。

また、本書ではなくセミナーの話になってしまうが、そのセミナーの中で私が強く印象付けられたのは、山川紘矢さんが語った、「私達は魂の入れ物に過ぎず、たまたま現世を演じている役者なのだ」という点だ。私達は日々様々な悩みを抱えて生きているが、もし、自分は世の中、ひいては宇宙の中でのちっぽけな存在に過ぎず、目の前の悩みは神様から与えられたクイズで、クイズの回答者席で解いているに過ぎないとしたら?と思うと、悩みが小さくなったり見方が変わるように思う。見方が変われば他の対処法を調べるなど、対処法も変わるだろうし、自ずと悩みが解決の方向に行くだろう。

さて本書の内容に戻ると、277ページにあり、山川さんのセミナーでも出ていたのだが「私たちは神であり超能力者」という一節。初めは若干抵抗というか疑問に思っていたが、日々の生活を振り返ると実は結構そういうシチュエーションがあることに気付く。

(しょ~おん塾生あるあるだが、)私は混んでいる電車でも前の人が立って座れることがよくあるのだが、これも一つの超能力なのかもしれない。(いつも座れない人は必ずいるはず)。その時は必ず心の中で感謝しながら座らせていただくのだが、そういう小さな感謝が自分を見てくれている存在(≒神様)に届いて、また今度電車に乗ったときに席を空けてくれていると思うと合点がいく。「私は神」「私は超能力者」と
信じて行動するから起こるし、頭ごなしに否定すると起こらない、ということなのだろう。

また、111ページから112ページにある『あなたは現実と幻想をとりちがえています。現実とはあなたが不死の存在であること。(略)幻想とは、あたなたが一時的に住んでいる三次元の世界です。これを逆にとらえているとあたなは苦しなければいけません。』、及び、『時間など実はありません。(略)。今という時を体験していない時、過去にとわられ、未来のことを心配している時、あなたは自分自身に、大きなの心の痛みと悲しみをもたらししてしまうのです。時間は幻想です。』という記述が心に深く残った。前者は直感的に理解出来ないし、後者は当たり前すぎてつい読み飛ばしてしまう。本書は過去、現在、未来へ続く輪廻転生のストーリである。前世療法は前世でのイベントを掘り起こし、現在の心的障害を取り除くセラピーであり、過去と深く関わっている。また、現世から来世にどう続くかは誰にも分からない(神は知っているかも知れないが)。それでもなお今にこだわる必要があるのはなぜか?当たり前かもしれないが過去と未来があるからこそ現在があると言える一方、過去と未来にとらわれすぎてもいけない。その点で前者の記述はまさに前述した山川紘矢さんがセミナーで話していた「現世を演じているに過ぎない」ということだし、後者は現世を演じている今の一瞬一瞬にフォーカスして生きることが重要ということではないか。

以上、感想を述べた。これからも輪廻転生の中でのたまたま現世の入れ物として、人や情報との繋がりを大切にしつつ、日々の楽しみにフォーカスして生きていきたい。

投稿者 audreym0304 日時 2019年1月31日


 この本を読むたびに不思議に思うことがある。
それは、

わたしはいったい誰なのか

ということだ。
この地球に生まれ、大地に立って、生きているのは肉体があってこそだし、深淵なる脳も肉体の一部として形成される。この複雑な機能を伴う肉体はどんなに持っても100年ちょっとが限界になる。
 その肉体はこの地球上に存在するために、霊魂は波動エネルギーが低くなることで濃い肉体レベルに変化するようだが、この魂はどうやらら数千年単位での存在は可能なようだ。
 今の私には記憶はないけれど、今のこの肉体になる前には別の肉体で別の時代、別の場所でどんな形であれ別の生を全うしているのだろう。
 魂の旅路は一体いつから始まり、今まで経験してきたいくつもの人生で一体何を学び、今は旅路全体のどの地点にいて、あとどのくらいで終わって、いくつもの肉体に変化してきた魂である私は最終的にはどんな姿になるのだろうか。この広い宇宙と一体になることができるのだろうか?旅路の終了は、いわゆる仏教でいう解脱ともいえるものなのだろうか?
 
 過去世や生まれ変わりに関して知りたいことは山ほどあり、興味は尽きない。
そのなかの一つに本書のタイトルでもある魂の伴侶は誰にでもいるのだろうか。
いくつかの人生でも親子や夫婦といった関係でいた二人の男女が本書では診療に来なければ面識もなかったことが書かれているが、本書の二人の男女の魂が長年出会えずにいたのは著者を通して、この世界のことわりをしかるべき人に伝えるためなんじゃないかと考えてしまう。
 全ての魂に伴侶ともいえる魂が必ずあるのだろうか。
伴侶と言ったって、必ずしも男女の姿で出会うとは限らないだろうし、そもそも毎回この世界で結婚できる間柄で生まれいでるとは思えない。
 この魂の伴侶というのは「縁」と言うことができるのではないだろうか。縁にも良縁、悪縁、腐れ縁とあるように魂にも惹かれあったり、反発したり、「またか」とうんざりするくらいの間柄もあるのだろうから。
 目に見えない魂レベルの濃いつながりのようなものを感じて名前を付けた昔の人々はなんと感性と感覚の豊かな人たちだったのだろう。 
そして、魂が今回の人生で学ぶべきことを知るために占星術等の方法も見つけ出したに違いない。

 本書に出てきた人々と同じようにきっと私にも前世と呼ばれる別の私の姿があったのだろうか。
それを知りたくなるのも人の性だ。
 同じ著者の別の著書に自分でできる方法があったので、やってみたらいくつかのイメージが浮かんだ。
 それらは今の私とは全く似つかない姿をしていたし、全く異なる生活をスタイルを持っていた。それぞれの人物から沸き上がってきた強い意志はとうてい今の私では持つことはないだろうと思われるものだった。
 それぞれの強い意志に正直言って戸惑ったし、自分が誰なのかわからなくなって怖いと思った。
 すごく不思議な感覚だった。それぞれ別個の人物だったし、今の自分には到底考えられない生活をしていたし、伴侶と言える人の姿は見えなかったにもかかわらず、

この人生、わたしは幸せだった

とそれぞれの人物のイメージから強烈に感じたのだ。
このイメージのなかの人たちが本当に私の別の人生の姿だったかはわからない。わからないけれど、「幸せだった」と強烈に感じたということはきっと彼らはそれぞれの人生をいいことも悪いこともあったけれど、悔いのないようにちゃんと生きたのだろうし、その人生での学びをちゃんと魂が得ることができたのだろう。

 ふと思ったのは、私のこの肉体もいずれ動かなくなって、この世から魂が離れるということだ。離れた魂はまた別の人間になるのかもしれない。今の人生は、新しい人生には前世となって、新しい私が今の私を前世として知りたがるということは十分あり得る。
 今の私がイメージを見た人たちは、悔いがないようにちゃんと生きて「幸せだった」と感じているにもかかわらず、今のこの人生を振り返ったとき、後悔だらけやなんかよくわからないけど、ちゃらんぽらんに生き、さらには「不幸な人生だった」と思ったとしたら、なんと情けないことだろう。
 魂の長い旅路と比べたら100年程度の肉体での人生はほんの一瞬の出来事だけど、

過去世には生まれ変わった後にも恥じないように学び、人生最後に振り返って「幸せだった」と言える人生

をちゃんと考えながら生きていきたいと思う。
今の自分がこの時代で学ぶことも必ずあって、何を学ぶのか、どうやって生きていくのかを考えながらこの世に生を受けることを選んだとしたら、その課題をちゃんと達成することこそなによりも重要なことなんだと思う。
 きっと中には、この人生で出会ういくつかの魂と共にあることでないと達成できない課題もあるだろう。
 私はいったい誰なのか、私の魂の伴侶はいったい誰なのか、わからないままこの人生を終えるかもしれないけれど、この人生の終わりには「幸せだった」と言えるよう、魂の長い旅路の果てにはちゃんと自分自身になれるようにこの人生を全うし、次の人生での学びにつなげたいと思う。

投稿者 2345678 日時 2019年1月31日


魂の伴侶を読んで

 本書111ページの所に来て、般若心経の世界を感じました。不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 すべて実体がないと言う境地でエゴを超越し愛に満ち溢れている自分を発見する。

この世に生を受けるという事は、前世で何度も一緒に生きていた縁あるソウルグループとともに生まれてきた。
過去の多々の人生劇場での役割が、夫婦、親子、兄弟、親戚、友達、仕事仲間、競争相手、殺めた相手等様々。本書では夫婦関係が過去の何度かの人生では逆の立場であったりする。

日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、いわば運命。偶然ではない。ではそこで何をなすか?お互いその人生で学べなかったことを体験、学び成長するために今回の人生で役を変えて生まれてきたのではないか?

自分に与えられた人生を自分なりに完成させるか、させないかという大事な事が自由意志として与えられている。

運命だからと言ってなんの努力もなしで良いとはならない。努力したら必ず成功するとは限らない、しかし成功するには必ず努力がいる。

自分に与えれた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くために、愛によって永遠に結ばれているソウルメイトに出会うと感じました。

投稿者 jawakuma 日時 2019年1月31日


魂の伴侶 ソウルメイト を読んで
同じく良書リストにあった、『前世療法』は以前に読んだことがあり、ソウルメイトという言葉も聞いたことがありました。そんな奇跡の軌跡が、米国の有名医院の精神科部長まで勤められたワイス博士によって書かれたことが意義深く感じられました。

●過去世で見つけた魂の伴侶(はじめに)
本書はワイス博士の前著、『前世療法』『前世療法2』に登場するエピソードとは異なり、メインの登場人物であるエリザベスとペドロはワイス博士のセッションを受ける前はお互いの事を知りませんでした。夫婦やカップルなどの知り合いで誘い合ってこのセッションを受け同じ前世体験を共有するケースは多く紹介されていましたが、それとは逆に過去世を共に過ごした人と今生で巡り合うケースは他にはありません。疑う訳ではないですが出会ったことがない人が同じ過去生での経験の口裏をあわせられるはずもなく、前著も含めて真実の物語であることが改めて納得できました。ワイス博士の催眠退行療法が出会いのきっかけになった点と、数千年という時を超え地球全体を舞台に繰り広げられる点も相まって、リアルに起こった“奇跡のドラマ”というに相応しい内容でした!

●誰にでも過去世はある、そして仏教との共通点(裏表紙)
本書の裏表紙にも書かれていましたが、誰にでも生まれ変わるたびにめぐりあう魂の伴侶がいるそうです。そう本書に登場する人物だけでなく、私たち誰にでも。私も今生で結びつきを持っている人たちと過去世で縁があり、今生でお互いにミッションを与えられ再会していることもあるということです。正に“袖振り合うも多生の縁”そのものですね。この諺を調べた所、仏教的な教義(輪廻転生)が基となってできた言葉であり、類義語には“袖の振り合わせも五百生の機縁”と過去世を何回も繰り返す本書の例により近い表現も見つかりました。キリスト教徒であろう現代の米国のワイス博士の催眠退行療法の結果と、何千年も前のインドで釈迦尊が説いていた輪廻転生の教えが似通っている点も興味深かったです。それ以外にも本書で登場した地獄についても仏教にある世界観です。野望、暴力、策略にとりつかれたカトリックの弁護士がセッション中に地獄を体験していました。今生の生き方次第では死後に魂の安らぐマスター達の空間に行くのか、地獄に行くのかが分かれてくるということなのです。やはり因果応報なんですよね。今生での過ごし方が来世にも影響を及ぼしていくことも本書を読むことでよく理解できました。今生も真人間として家族や友人、社会と自分のためになることを行いながら、智の道に沿って生きていこうと改めて考えさせられました。

●すべては愛、光、エネルギー(P105からP118までのマスターの言葉)
この部分を読み返すとチャクラがボワーッと開き、魂が洗われるように感じました。かいつまんでメッセージを記載すると、
・すべては愛、光、エネルギーである。霊魂に限界はない。
・時間は幻想。過去や未来への囚われが病気や苦痛を生む。
・あなたは頭脳でも意識でもない、あなたは光と知恵と愛の存在である。
・エゴは幻想を作り真実をかくす。現実と幻想をとりちがえている。
・自分の思い込み、古い考え方を解きほぐし、愛のために直観的な知恵を使う。
・違いではなく一体性を見る。
・思考をやめ瞑想を行い真我と出会う。あなたの中の神を見る。 
いまここで読み返し記載していて気付いたのですが、これってすごく般若心経の教えに似ていますね。ここでもまた仏教との共通性が見つけられたので驚きました。

●夢の大きな働き、夢を見よう(P173)
催眠退行療法を身近で受けられればいいですが、ちょっと検索しただけだとなかなか本格的なものは無さそうに感じました。ワイス博士のセッションを受ける機会もあるようなのでそれを待つのもよさそうですが、自らメッセージを受け取れるようになるためには“瞑想”ともう一つは“夢”に注力するということになると思います。夢では過去世の記憶の断片が見えたり、霊的なもの予知的なものも含まれていることがあるそうです。普段の自我や認識の壁がゆるむために体験できるこれらの夢が人生を変えてくれるかもしれません。枕元に筆記具を置き、夢のメモ書きを再開したいと思います。

●人類は大樹、家族や縁がある方は同じ小枝の近くの葉(P207)
ここの記述も印象的でソウルメイトの概念をわかりやすく表現したものでした。どの葉っぱともあなたはつながっていて経験を共有することができる。そして同じ枝についている近くの葉っぱが、お互いのソウルメイトだということです。非常にわかりやすいですね。そして交流の深さは時間の長さではなく、魂がどれだけ学んだかのレッスンの量ではかられるのです。今日も今生のカルマの解放に向け精進して生きたいと思いました。

●ソウルメイトとの出会い(P251~)
本書を読むと誰しも自分のソウルメイトに出会いたいと思いますよね。しかしそこに心を煩わしてはいけないそうです。一生にあと1回か2回しかない神の恩寵というべき出会いはお互いの目覚めのレベルによって結果が変わってくるそうです。その出会いに備えて瞑想や夢で真我と向き合い内なる自分との交流を深めておくことが必要だと思いました。その結果、今関わりのある人の中にソウルメイトが見つかることもあるわけです。ということで塾生のみなさん、知識をアップデートして日々の瞑想に励みましょう。魂を震わす出会いがあらんことを祈り。

今月も良書をありがとうございました!

投稿者 AKIRASATOU 日時 2019年1月31日


今のあなたにとって大事なものは何ですか?と、聞かれたら何と答えるだろうか。
車、家、時計といったお気に入りのモノであったり、家族、健康、仕事、友人などの物質以外のモノかもしれない。ただ、出てくる答えが目に見えるモノばかりの人、目に見えるモノを優先し生きている人は、今生で大変な思いをしているだろう。
そう考える理由は本書P13『これは、運命と希望の物語です。そしてごく普通にどこにでも起こっている物語でもあります。今日もまた私たちの目に見えない存在が私たちを見守っていることでしょう』という部分にある。魂の伴侶に出会うことは実は難しいことではなく、ごく普通にどこにでも起こっていることであるはずなのに、現実には全ての人が今生で魂の伴侶に出会えているわけではない。目に見えない存在が私たちを見守ってくれているのだから、私たちは魂の伴侶に出会えるはずである。それなのに出会えていないというのはどういうことか。それは出会えていない人たちは目に見えない存在に守ってもらえていない、つまり目に見えない存在を蔑ろにしている、もしくは目に見えない存在に嫌われているという事ではないだろうか。
例えば、神様を大事にしていない(年に一度しかお参りにいかない)人と、毎月一度神様にお礼を伝えに行く人がいたら、後者の方が神様のえこひいきを受けられる可能性が高いのと同じように、目に見えない存在に対いて敬意を払っている人と、そうではない人が居たら、後者は目に見えない存在からの恩恵を受けられる可能性は低いだろう。
目に見えない存在の力を借りて魂の伴侶に出会うためには、上述の例のように自己中心的にならず、目に見えない存在を受け入れる事(出来るのであれば敬意を払う等)が最低限の条件になるだろう。
本書を読んで、しょ~おんさんのセミナーにて「この世の中には見えている世界と見えていない世界のどちらが多い?またそのどちらが我々の人生に大きく影響を与えている?」という趣旨のことを問われた事を思い出した。
目に見えるモノばかりを追いかけていると、本来出会うはずだった人に出会えなかったり、目の前にあったチャンスに気づけなかったり、逃してしまったりするのだろう。
魂の伴侶にはすでに出会っているので、伴侶と大事な子供たち、自分に接してくれる人たちに少しでもプラスの影響を与えられるようになりたい。そのためには、目に見えない存在が発する電波に気付けるよう、呼吸法などの身体訓練を続けることで感覚を養っていこうと思います。

投稿者 str 日時 2019年1月31日


魂の伴侶~ソウルメイト~

自分の魂にはどんな記憶が眠っているのだろうか?
私は自らの過去生を体験した事がなく、前世がどのようなものだったのかも知らない。夢は当然のように見るし、既視感も幾度となく感じた事はあるが、今世の自分がベースになったものばかりだ。「見てみたいけれど、見たくはない」怖さもある。そう思ってしまうのは、私の魂がまだ絶望を感じ、悲鳴を上げていないからなのかもしれない。

本書では、今世で身に降りかかる辛い体験を前世とリンクさせ、それらの原因や関係性のある過去を知り・学ぶことで人生をより良い方向へ軌道修正させる。彼らは今回の人生で、意図的に魂の進化や変化を求めざるを得ない程に苦悩していたのだろう。当然、私にだって悩みや嫌なことが無い訳ではないが、エリザベスやペドロのそれと比較すれば些細なものだ。私の前世とソウルメイト達が魂を変化させ、穏やかな状態で今世の私に廻してくれたのかもしれない。

『魂のつながりを、何千何万という葉をつけた大きな木として考える』

この言葉がとても印象的であり“繋がり“というものをイメージし易いものに変えてくれた。”前世”と聞いてこれまでイメージしていたのは一つ前の人生。“ソウルメイト”は最も大切な人物だった。当然だがそんなちっぽけなスケールではないのだ。私の魂にも幾度もの人生が在り、親・兄弟・親友・恋人を始めとした幾人ものソウルメイトが居て、彼らにもまた幾度もの人生が在る。嬉しい事に私は家族間や人間関係に於いて、トラブルを抱えた記憶が殆ど無い。あくまで脳の記憶の中ではなので、前世ではもしかしたらあったのかもしれないが、永い旅の中で魂を進化させてくれた事と、今世でも多くのソウルメイト達に囲まれて過ごせているものだと信じたい。親しい人や、理由は判らないけれど好感が持てる人。この先に出会って親しくなるかもしれない人。前世では一体どんな繋がりや間柄だったのだろう。

人の魂は人にしか宿らない?
“前世占い”といったものや、霊能者を名乗る人物が「あなたの前世は○○です」と決めつけ、人以外の前世(例えば虫だったり)を指摘しているのを見かけた事があった。大半はデタラメに決まっているのだろうが、本書を読むにあたり少々気にはなった。しかし、ワイス博士と患者との間で起こるやり取りを見ると、やはり“人の魂は人にのみ宿る”のではないかなと感じた。何よりワイス博士は前世の“決めつけ”どころか患者の前世がどのようなものかを始めの段階では“知らない”のだ。対話やメッセージの中からその人の前世を知っていく。魂の記憶はその魂にしか宿っておらず、教えてもらう事は出来ても他者が知っている筈もないのだろう。

偶然の見方を変化させる
私の感想として、本書は「魂に宿る記憶の旅と救済からの壮大なラブストーリー」だった。“一目惚れ“とか”運命の出会い“といったロマンチックな出来事のカラクリは偶然ではなく『魂の再会』として必然的に訪れるもの。確かに遠い異国の相手と恋におち、幸せに暮らしている人も大勢いる。ソウルメイト同士の再会という当たり前の出来事だっただけかもしれない。私はというと現在も独身真っ只中。周囲からは多少なり心配の声を頂く。申し訳なく思う反面、当の本人はそれほど悲観していない。「私の魂は運命の出会いが起こる事を知っている・・?だから悲観的にならずにいられるのでは!?」という都合の良い解釈が飛び出るのも問題ではある。偶然なんてものはなく運命だったとして、せっかく魂が反応しているのに頭でブレーキを掛けてしまっては魂に変化は起こらないどころか、魂が悪い方向に向かってしまうだろう。”偶然“を感じたら「違うだろ!運命だ」と思って素直に従っていくべきなのだろう。

良い予感も嫌な予感も、強ければ強い程よく当たるもの。前世で類似した体験があるからなのだろう。説明出来ない“直感”と呼ばれるものはきっと魂の記憶であり、今世では未体験であっても、「前世では体験済みだから知ってるよ」というメッセージ。過去生体験のない自分が一瞬でも魂の記憶に触れる事が出来るチャンスかもしれない。大事な決断や危機的状況の回避には経験者からの応援や警告として有り難く受け取ろう。また、今回の人生で得る体験を来世へ良い方向に繋いでいけたらと思う。

投稿者 sujiemon 日時 2019年1月31日


何千年という時をかけ、過去生において何度も生き別れや死別を繰り返していた2つの魂(男女)が、
運命に導かれるように出会い、そして結ばれていく、、、
この愛の物語を軸に、幾つもの魂たちが、自らが辿ってきた長い歴史の中を旅する模様を
映画を観るように、とても楽しみながら読むことができました。

■「魂」について考える

この物語の中で出てくる「魂」について、
私はそもそも、今まであまり真剣に考えたことはありませんでした。

この「魂」について、本書では自動車を例に、自動車を運転している人のようなもの
と書いてありました。
今まで、そういう視点で自分の魂のことを考えたことがなかったので、これはすごく新鮮な視点でした。

たとえば、自分の体の健康問題について、
身体の健康に何か問題があった場合、それは本体性能の問題であり、私という精神の問題ではない
と考えてみると、すごく楽になる気がします。
ただ責任逃れのような気もしますが、魂という切り口で考えると、
先天的な健康面の問題は、決して私の落ち度ではないんだという発見があります。

身体を、一時的な魂の乗り物だと考えると、本体性能の差を他の豪華絢爛な乗り物と比べることも、
あまり価値がないことだよな?など、そういった考え方にも役立てれると思います。

そうした魂の世界観を知ることにより、心の安定や何かしらの気づきが得られるのであれば、
それはきっと、周囲の人にも教えてあげられるコツのようなものがあり、
同じ悩みで困っている人を、囚われた状態から解放したりもできるかもしれない

本書にも書いてあった以下:
「私たちの使命は学ぶことであり、知恵によって、私たちは神に近づき、そして、そのあと、
 私たちは休息できます。それから他の人々を教え助けるために戻ってくるのです。」

この文面からも、心をオープンに保つこと、そして、そういった心の土壌にこそ、
知恵は培われるのではなかろうかと強く感じました。

オープンな心の状態で、知恵を蓄える、
これは、本書の最後にも記載があった「魂の霊的な成長」が指す意味なのかもしれない
と思いました。

もし、私たちが魂として体験した世界をただ忘れているだけなら、
そのことをただ思い出すことによって、私たちは神に近づけると考えることもできるわけで、
そう考えることができれば、神はとても身近な存在だいうことを知りえる。

きっと、魂の霊的な成長とはそういう意味で、精神的な成長や成熟といったことと同じもの
ではないだろうか?
と私なりに理解しました。

■不思議な現象

歳を重ねるごとに、だんだんと人と人との繋がりに「不思議な縁」というものを感じる
ようになってきています。

ただ、今の私にとっての縁を感じる出会いというのは、
その瞬間での気づきではなくて、しばらく時間が経過した後になって考えた時、
あの出会いはどうみても何か運命的な出来事だったとしか考えられない
というような出会いです。

その縁という繋がりが、実は前世からの魂同士の繋がりが元にあって、
今生でたまたまお互いが出会い、再び惹かれるように関係を築いているだけかもしれない
と考えながら読むと、「不思議な縁」の存在をさらに強く感じずにはいられませんでした。

また著者であるワイス博士には時折、どこからともなく神の声のような教えが聞こえるようなのですが、
これは、私たちがたまに覚える閃きのようなものと同じなんじゃないか?と思えました。

普段、ある事象について、興味というアンテナを全く立てていない状態の時には、
アイデアというご褒美は絶対に降りてこないのと同じように、
魂の世界についても、きっと似たような瞬間的な閃きがあるのでは?と感じました。

研ぎ澄まされた感覚であるかどうか、
そういう状態に自分を追い込んでいるかどうか、
何も考えず、ただなんとなく生きていると絶対に聞こえてこないような声、
不思議な現象のように見えるのだけれども、
実はただ、感覚が洗練されているか否かだけなのでは?という気さえしてきます。

さらに本作中にもあった、ペドロとエリザベスの運命的な出会い以降、
ワイス博士や他の患者さんにも神秘的な出来事が伝染していくところは、
非常に印象に残りました。

実際は、ただ偶然が重なっただけかも知れませんが、
自分には、この現象がただの偶然の出来事とは思えませんでした。

同じ出来事なのに、その人の感じ方の違いが現象の違いとなって現れ、
そしてそれが次々に周囲の人にも影響を及ぼしていく、
これが一体なぜなのかは分りませんが、そこにも、魂といった切り口で、
不思議な現象が起こしてる何かがあるのではないか?
と思えずにはいられませんでした。

■前世療法

今回、退行治療なるアプローチを初めて知ったのですが、
魂という視点によるこの前世療法に、今の時代に非常に適した、
心の治療とい面での大きな可能性を感じました。

今の時代、人の悩みの大部分に、人と人との関係性から生じた問題が横たわっているわけなので、
人間関係をこじらせる原因でもある個人の頭の中の考え方のクセのようなものが、
もし、こういったアプローチで改善していくならば、すごく画期的なことじゃないか?
と感じます。

考え方のクセは、どこからやってきて、一体何が原因なのか?
催眠術をかけられ、前世の出来事をペラペラ喋り、この事実関係を明らかにしていくことで、
どうすることもできないと諦めていた悩みへの対処療法が見つかるのであれば、
今世の自分の不安や恐怖にとって、非常に画期的な対処療法なのでは?と感じました。

今度機会を作り、この退行治療なるものを自分も受けてみたいと思います。
そしてもし、期待するような気づきが得られたなら、
「魂の霊的な成長」の効果として、同じ悩みを持っている身近な人へ薦めてみようと思います。

そんなことを考え、ワクワクする自分でいれたら、
きっといつか自分のソウルメイトにも出会る気がしてきて、幸せな気持ちになりました。

投稿者 charonao 日時 2019年1月31日


私たちの人生は現世で完結するわけではない。自分の魂が現世では自分のこの体を選んで過ごしているだけで、前世があり、そして来世へと自分の人生は続いていく。

もしそうであれば、今日、明日という短いスパンで物事を思い煩う事よりも、この現世で自分が為すべき事は一体何だろうか、という大きな視点で物事を考える事が重要であると思いました。

現世で為すべき事は一体何か。何だか壮大なテーマになってしまったように感じますが、具体的にはどのようにして、その問いに対しての答えを探し出すことができるのでしょうか。

その手がかりを与えてくれた文章として、P49に『私達が最も恐れているものごとの大部分は、自分の子供時代、もしくは前世で起こった事であり、すでに忘れていることから、また同じことが起こるのではないかと、漠然とした記憶が自分を苦しめているのだ。』と書かれています。
この文章を読んだ時、まずは自分の子供時代を客観視してみようと考えました。

確かに子供時代に傷ついた経験はトラウマとなって、多くの人の人生に影響を及ぼし続けます。
過去の失敗と同様の事が起こるのではないかと、意識するしないに関わらず、大事な局面では手が震えてきたり、心臓がバクバクなったりします。

そして失敗すると、思っていたとおり失敗した、やっぱりダメだったと落ち込んで終わるといった事を繰り返すことが多いのではないかと感じます。

しかし、ただ落ち込んで終わるのではなく、現在の自分の身に起こっている失敗のパターンを正しく認識し、解消していく事が大事であり、それが自分の成長につながっていくのだと気づかされました。

まずは今の自分の人生を振り返り、その失敗から学べる事は学んでいき、成長する事がこの現世での為すべき事に繋がるのではないだろうかと考えました。

また、このように考えたことで、ふと思った事があります。前世療法がなぜ効果がある理由についてなのですが、前世では第2次世界大戦で原子爆弾を開発していたチームの一員だった人物が、現世では人の命を助ける為、レントゲン技師として働いている話がありました。

この話は実際に前世から学ぶことができた例ですが、この話を読んだときに、もし前世、現世、来世があるとして、それぞれにおいての自分の魂はいつの世も変わらず、体という入れ物だけが変わるだけと考えると、例えば現世においての子供時代という短い期間だけではなく、現世そのものを客観視できるのではないかと気づきました。

要するに、前世療法がなぜ過去のトラウマの解消に効果があるかというと、第三者目線で自身の前世や現世を見ることができる為、他人の人生を見ているかのように、過去の悲痛な出来事を客観視する事ができ、トラウマも解消されていくのではないかと思いました。

続いて、現世で為すべきこととしては、本のタイトルにもあるように、ソウルメイトに出会いたいと思うのもあります。ただもしかしたら既に出会っているかもしれません。
誰からも答えをもらう事はできないので、出会ったかどうかは自分の直観に頼るしかないと思っています。

直観を鍛えるため、瞑想をし、自分の心の声を聞くことで、ソウルメイトとの出会いはもちろん、現世で自分が為すべきことについて、見つける事が出来るのではないかと思っています。

そしてもし本当に前世があるとしたら、来世に向けて魂の成長をする為、是非自分の前世を知りたいという気持ちになりました。その為の手がかりとして、夢を見ることで前世を見つけ出す事ができればと思います。

不思議なことに、この本を読んでから以前より頻繁に夢を見るようになりました。しかし目覚めたときには断片的にしか覚えていないので、とりあえず断片だけでもノートに記録します。
この断片からいつしか共通点を見つけることができ、自分の前世の手がかりを掴むことができれば面白いなと楽しんでいます。

最後に前世、現世、来世と人生が続いて行くことについて改めて考えてみると、
大切が人が亡くなるのはとても悲しいことですが、来世でも再会できると考えることで、死に対しての恐れがいくらか和らぐのを感じます。

約10年前に祖母が亡くなりました。その翌年、私のいとこが祖母の誕生日と同じ日に、女の子を出産しました。その時に私の母が「きっとおばあちゃんの生まれ変わりだ。」そう言って喜んでいたのを、今でも覚えています。

亡くなった人を思い続けて、悲しみを引きずったまま生きていくより、来世でも必ず会えると思う事。それによって救われる人は多くいると考えます。
大好きな人が亡くなったとしても、来世でまた出会うことができる。そう期待させてくれるだけでも、私にとってこの本を読んだ価値があると思っています。

投稿者 LifeCanBeRich 日時 2019年1月31日


 私が本書を一文で表すとすれば、日々の生き方を正してくれる本だろうか。3年前に初めて本書を読んだ時は、この様な受け取り方にはならず、ただ輪廻転生の概念を鵜呑みにし、死に対して楽観的になり、さらに自身の過去生を知れるのではと瞑想や夢日記を2,3か月実践したに過ぎなかった。
 しかし、今回の再読は、これまで私が真剣に考えることが殆ど無かった“死”について深く考える機会となった。なぜ人は死が宿命づけられているのか?死はなぜあるのか?死の意味とは何か?を掘り下げることで得た新たな考えは、今後の日々の生き方を変えるものである。


 今回の読書で私の死生観は大きく変わった。
 まず考えてみたのが、輪廻転生の概念の大前提である人の肉体には死という終わりがあるが、人の魂には死という終わりが無いという点についてである。
 本書には、人の魂に死がないのは、人が生まれ変わりを繰り返し、その輪廻の中で学び続けて霊性を上げることで神のような存在になるためと説明されている。私は、この考え方を否定するつもりは毛頭なく、むしろ、この現世で学びを重ね、また善行を積むことで、来世がより良いものになると考える生き方が、そうではない生き方よりも人生を豊かにするものだと思っているし、より多くの人がこの考え方を持てばこの世の平和や調和がより広がるのだと信じてもいる。ただ、私の内部に立ち上がったのは、

 “なぜ肉体には死が必要なのか?肉体にも魂と同じ永遠の若さと命を与え、学び成長すればよいのではないか?”

という突拍子もない疑問であった。


 これまでの人生の中で、私は死を不幸な出来事でしかないと一方的に思い込んできた。死は、人の人生を終わらせ、また周囲の人との別れを生み、死に逝く側にも残される側にも悲しみを与えるのだから不幸な出来事に違いない。
 ただ、よく1つの物事は相互に矛盾・対立する二つの要素を含んでいるとも言われる。例えば、『冬来たりなば春遠からじ』という故事は、寒く厳しい冬が来たということは、暖かい春が目の前まで来ているという物事の持つ2面性を説明したものである。この様に、物事の持つ二面性について考えると、

 “死にも不幸という側面とは別の側面を持っているのではないか?”

と思えてきたのだ。


 死は人を悲しい気持ちにさせる。
 私の場合、その死が身近なものであろうと、そうではないTVニュース中の死のような遠いものであろうと、程度の差こそあるが胸が締め付けられ悲しい気持ちにさせられる。時に死は悲しみによってペドロやエリザベスのように人を精神科医が必要になるほどに人を絶望の淵まで追いやる。
 では、この死による悲しい気持ちとは一体どこから、何から生まれるのだろうか?私は、悲しみとは人が根源的に持つ愛情から生まれるものだと思う。言い換えれば、人は愛情を持っているからこそ悲しみを感じ、そして、その悲しみが人を優しくするのだと思っている。結婚前は横柄な態度で有名だった某歌舞伎役者が、愛する妻との死別を機に、別人のようになったのが一つの例だろう。本書の言葉を借りれば、彼は妻の死という悲しみを経験したことで魂が成長したと言えるだろう。

 “人は悲しみの分だけ優しくなれる”

 私は、これが死の持つ不幸という側面とは別のもう1つの側面なのだと思う。そして、なぜ人の肉体は永遠ではなく、死がなくてはいけないかの理由も、死が人にとって最も重要な愛情を認識させ、そして人を優しくさせる機会となり得るからだとも思うようになった。

 ただ、死という悲しみがいつも人を優しくさせるとは限らないのも事実である。時には、怒りや憎しみを生む場合もある。その典型的な例が、無差別的な殺人で親愛する人を奪われた場合だろう。殺人事件の公判後の記者会見で被害者側の親族が口にする被告の極刑を求める言葉には怒りや憎しみが溢れている。
しかし、もしも被害者家族が輪廻転生の概念やソウルメイトとの再会など本書に書かれている内容を知り、信じることが出来れば…。もしそうなれば、この世の中から怒りや憎悪が減り、もっと多くの人が生きやすい世の中になるに違いない。

 最後に、私自身について。

 「一番重要な学びは、最も困難な時期に与えられる」(P.153)

 おそらく、この世で一番重要な学びの場は親愛する人を失くした時に訪れるのだろう。その意味で言えば、今まで両親や一緒に暮らした家族を失くした事が一度も経験したことのない私は、未だこの人生で一番重要な学びを体験していないと言える。ただ、本書を読み輪廻転生の概念を深く理解した今は、たとえ、その場面を想像しても以前より心に落ち着きを感じることができる。 
また、本書で学んだコトは決して死や悲しみに対してだけではなく、日々の生き方についての学びでもあった。


 今回、本書を通して私自身の3年前と現在の感じ方、考え方、振る舞い方を比べて見ると、私の魂も幾分は成長しているのかなと感じ、思えたのが何より嬉しい。

いつもありがとうございます。

~終わり~

投稿者 ws0103 日時 2019年1月31日


〇この本を読んで感じた点を以下のとおり記載したい。

⑴輪廻転生という考えについて
 この本全体を通じて語られる輪廻転生やソウルメイトという考え方は、仏教が広く浸透している日本でさえ100%の確信をもって受け入れられている事実ではないと思う。なぜなら、科学的なアプローチで証明されていないからである。この点については、万人が納得するような科学的なデータで証明することはおそらく今後もないだろうし、また、たとえ、科学的アプローチで証明された時でも決して世間は認めることはないだろうと思う。
しかしながら、その存在証明ができないからといって、それが存在しない事の証明にはならないと思う。信じる、信じないは個人の自由であるが、信じた方が、どれだけ人生を有意義に過ごせるか分からないと思う。まず「エポケー」してそうした状況は事実として存在するのだと受け入れることが重要なのだろうと感じた。

⑵読了後の行動について
 自分は過去に身近で大切だった人を若くして亡くしたことがある。この時には、辛いという感情のほかに、その人が生前だった時に、なぜもっと優しくできなかったのか、もっとこうすることができたのではとひどく後悔したことがあった。いくら後悔してもこの世ではもはや会うことができないと思った時にこの世が真っ暗になるような愕然とした気分になったものである。そうした時に、読書リストにもある「生きがいの創造」という本に出会い、人は何度も生死を繰り返し成長するためにこの世に生まれているということを、実例なども通じて身近に感じることによって、どれだけ救われたのか分からなかったことがある。
こうした考えは、この本で言及されるソウルメイトとも相通ずる考えではないかと思う。ソウルメイトという言葉のとおり、前世に自分に関係する人が自分の身近にいると想像するだけで、人との接し方が一変すると思う。今後の行動としては、月並みではあるが、これまで以上に、自分が大切と感じる身近な人との対話を増やしていこうと改めて決意した。

⑶最後に
自分の過去の読書の興味を振り返ると、メルマガを通じて紹介してもらわない限り、この本とは決して出会うことはなかったと思う。素晴らしい本との出会いを作っていただき、心から御礼申し上げます。

投稿者 120Miracle 日時 2019年1月31日


輪廻転生というのは日本人であれば生活の中で耳にする機会があり、割と馴染みのあるものだが、欧米人が全く同じ概念について話していることが面白い。

むしろそこに輪廻転生というものの真実味を感じ取ることができる。


この本はノンフィクションでありながら、今生でまだ出会っていない二人のロマンティックなストーリーをメインに、退行催眠による心理療法中に得られた患者の発言に基づく知見を織り交ぜながら進んでいくユニークな構成をしている。

小説として読むべきなのか科学書として読むべきなのか初めは戸惑うが、慣れてくると適度な織り交ざり方が飽きずに読み進めるのを助けてくれる。

ストーリーを楽しみつつも、心理療法に対する知的好奇心を満たしてくれる、そんな一冊である。


著者の話は、彼の元にやってきた患者たちが退行催眠中に話した内容であるが、そこに科学や仏教で真理とされたものと同じことが話されているのが興味深い。


例えば106ページ。ここでは霊魂の波動エネルギー密度とと我々のいる三次元世界との関係、波動エネルギーの速さと時間の関係について言及している。本の中では霊魂に限定されているが、前者は波動と物質の関係を紐解いた量子論、後者は相対性理論に説明されている内容に通ずるものがあるのではないか。もう一段深く論じたいところであるが、現時点の私の知識と理解度では共通項を具体的に詳述しきれないため、今後の宿題としたい。


こういった部分に知的興奮していると、様々な疑問が湧き、深堀りしたい気持ちになってくる。


なぜ過去生における重大な事件を思い出すだけで、今生の心や身体が癒えるのか?自己にこの視点を当てはめてみると、自分には過去生に影響された精神的あるいは身体的弊害はないのか?自分のソウルメイトはどこにいるのか?もう出会ってるのか?仲の良い友人の中にいるのか?全員なのか?向こうは気付いているのか?等々。


知的を好奇心を刺激し、こうした疑問を次々に想起させる本書は実に良書と呼ぶに足るものである。


また本書は終盤において、非常に重要なメッセージを伝えている。

それは霊魂のレベルと超能力を使えることに相関がない(あるいは弱い)という点である。


特にこの場においてマジョリティとなるしょ〜おん塾生は、一般人には使えない技を使える。世間的にはこれを超能力と呼んで差し支えないだろう。本書においてはこれを使えることと、霊魂のレベルか高いことはイコールではないと言っている。ましてや、霊魂のレベルが十分に高くないとソウルメイトを認知できない可能性さえ示唆している。


この点は非常に興味深い。我々は超能力と呼ぶべき技の研鑽に日々努力しているが、それだけでは足りないのだ。真に幸せに生きようと思ったときに、その一つになり得るソウルメイトとの出会いは、超能力の研鑽では担保されないということだ。


だとしたら何を学ぶべきなのか?霊魂のレベルを上げるにはどうしたら良いのか?そもそも霊魂のレベルを上げるとはどういうことか?本書にその点は説明されていない。


だがこれは非常に重要な点であり、これが本書における読者、特にしょ〜おん塾生に向けた最大の問題提起と考えられる。この点は大いに議論し、定義し、試行錯誤する価値のある課題である。そのためのコミュニティないしはプラットフォームを形成し、オープンに議論する、そんな体制が構築できると、塾生全体並びにそこから波及する人々により影響を与え、結果として社会に対してある一定の貢献ができるのではないか。

投稿者 gizumo 日時 2019年1月31日


「魂の伴侶」を読んで

 今現在、“伴侶”や“ソウルメイト”を見つけられていない?!自分には気分の落ち込みがちとなる重いタイトルの課題本でした。読み始めるとどんどんひきつけられる内容と、やはり西洋の「宗教」のバックボーンが色濃く影響される世界の話として興味が持てました。

 いわゆる「輪廻転生」で、必ず巡りあうべきして巡りあえる“ソウルメイト”の存在は、その昔の若かりし頃、興味本位でいった占いの人に教えてもらった記憶が・・・。
「時々、タイミングがずれることがあるんだよね・・・」という話に、「そんなもんなんだ~」と…。同じメンバーで役割が変わって巡り合うのがどこか劇団でやっている舞台のようで面白いなと、今回はさらに感想を持った。

 「輪廻転生」が語られているが「今という瞬間にいることで人生の喜びを十分に体験する」と述べられており、矛盾するような、でも過去を悔やみ、未来を思い悩んでも何もならないのもその通りだと改めて理解できた。どちらかというと、きちんと片づけながら、決着をつけながら先に進まないといけないという固い考えを持ちがちな自分は、現在のところそれすらもできずに結局は投げ出してまたそのことに落ち込んでをぐるぐるしている最中です。大切な“今”を堪能せず、どんどん無駄に過ごしていることを反省させられました。どこかで出会っているだろう“ソウルメイト”と過ごすべき大切な今である。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られること必須である。
 
これからは、瞑想に励み日々、豊かに暮らすことを2019年の目標に加えたいと思った次第です。

投稿者 H.J 日時 2019年1月31日


ソウルメイト。
輪廻転生。
生まれ変わり。

この辺を軸に書くと、今の私の知識量では、どうしても自分語りになってしまう。
なので、それは日記帳にでも書こう。

今回、私はワイス博士を軸に感想を述べる。

まず、「ん?」と思ったのが、アマゾンの商品説明を読んだ時だ。
「精神科医」、「ワイス”博士”」と言った科学的なワードと
「魂の伴侶」、「生まれ変わり」、「前世療法」と言った非科学的なワードが真逆の立ち位置だと感じた。
一見、交わる事のなさそうな2つの道が、私の興味を惹いた。

なぜなら、私もしょ~おん先生との出会いが無ければ、無縁だったであろう道、非科学的な道にどう辿りついたのか。
とても気になった。

この疑問の答えは、第3章でワイス博士が答えてくれてるわけだが、
中でも33ページに書いてある『急激にやってきた非常に感情的なものであり、もう一つは徐々に学んでいった理性的なものであった。』という言葉が頭に残った。
これって右脳と左脳だよね。と。
感情的なもの→右脳
理性的なもの→左脳
これもまた真逆のワードだ。

この言葉に基づいて考えれば、急激にやってきた非常に感情的なもの、つまり右脳的な感情を、徐々にアップデートした左脳でコントロールしたことで、ワイス博士のその後のキャリアの扉を開いた様に感じる。
(もちろん、キャサリンというキーパーソンと出会ったからこそ、扉の前に立てたことは忘れていない。)
この事から学んだ事は、私達の日常生活でも感情的なものをコントロールするには、左脳を活用すべきであり、左脳をアップデートしていく事が求められるよね。
同時に右脳のアップグレードも必要だ。
ということだ。

さて、ここから本題に入ると、ワイス博士は智の道であると感じた。
ワイス博士本人は、エリザベスとペトロを幸せにしたわけではないと、あとがきで述べてるが、
エリザベスとペドロの今生での出会いのきっかけを作ったのもワイス博士であることは事実だ。
この一件の後もセラピーやセミナーを通して、たくさんの人の幸せのきっかけを作っている。
さらには、本書を読んだことでソウルメイトの存在を信じ、見事にソウルメイトに出会えた人もいるかもしれない。

ここで大切なのは、ワイス博士は患者たちに直接的な指示ではなく、治療や診断によって、間接的に“きっかけを作ってる”ということだ。
なぜなら、直接的な指示を続けると『多くの人々は私に頼りきりになっていた。(P188)』の言葉通り、患者たちはワイス博士に依存してしまう可能性があるからだ。
その果ては、190ページから191ページに書いてあるように、人々を助ける時の喜びを失い、自分の不幸とエゴに捕らえられてしまう。
そこには、ワイス博士自身の幸せはない。
患者にとっても本当の幸せと言えるのか?
ワイス博士に依存して幸せになっていた場合、万が一、ワイス博士がいなくなったらどうなるのか?
そう考えると、とても智の道とは言えない。
だから、私はワイス博士が間接的なきっかけを作っていることが智の道に通じてると感じた。
あくまで幸せを掴むのは患者自身であるからだ。
さらに言えば、マスターの言葉を実践するように、人々に体験を教え、人々を助けてるだけなのである。
自らの体験を伝え、愛をもって手を差し伸べ、思いやりをもって手を差し出し、愛することとお互いに助け合うことを教えてるのだ。
マスターの言葉を借りれば、
『すべての体験は同時にすべての魂が体験しています。(P107)』
であり、この言葉を言い換えれば、
「あなたは私、私はあなた」
なのである。
だとすれば、患者の幸せはワイス博士の幸せでもあるだろう。
そして、縁があった人々を助けることは至極当然のことなのだろう。
何よりもマスターから与えられた仕事を実践できることを幸せに感じてることだろう。

また、事実を基に言えば、
ワイス博士は患者に対して、先生と表現しており、
『彼らは常に、自分たちの物語と体験、そして知識と霊的理解という贈り物を私にもたらしてくれた。(P271)』と書かれてる様に、患者と相互利益の関係を保てている。
この関係性こそが、智の道だと感じた。

投稿者 kenhon 日時 2019年1月31日


ソウルメイト 魂の伴侶を読んで

この本は、著者のセラピストとしての体験を記述した本である。
著者によれば、人は輪廻転生を繰り返し、その中でソウルメイトとよばれる運命の人と巡り会い、互いに深い関係を持つようになっているということである。
人はソウルメイトと出会い、共に時間を過ごすことでお互いの魂の充実を得ることができるようである。

では、人がソウルメイトと出会うためにはどのようにすればよいのか。
著者によれば、運命がそのソウルメイトとの出会いの機会をつくってくれるということであるが、せっかく点が与えてくれた機会をモノにできるかどうかが重要だと考える。
この本を読んで、その機会を逃さないためには、自分の直感を信じ、運命に身をゆだねることが大事だと理解した。

しょ~おんセミナーでは、呼吸法を基礎として、いろいろな「修行」を積むことで、この運命からの贈り物を受け取ることができる「感性」を磨くようにとアドバイスを受けることが多い。
私自身はセミナーを受け出して1年ほどであるが、呼吸法を続けるようになって、なんとなく直感が鋭くなっている実感がある。

その直感によれば、私のソウルメイトは、今の妻であり、子供達であるという気がしている。今度、妻と共に前世療法を受けに行ってみて確認して見たいが、少し不安でもある。

この本では、エリザベスとペドロは、著者の診療所で出会い、最終的に運命の出会いとなって結婚するのであるが、本人達はお互いを「ソウルメイト」として認識しているのであろうか。

この本では、お互いに運命を感じて付き合いをはじめることになったが、その後はどのように感じているのであろうか。できることなら話を聞いてみたいものである。

お互いがソウルメイトであることは、やはり前世療法を受けないと、はっきりとはわからないのであろうか。その他に簡単にわかる方法があれば、知りたいものである。

ところで、私自身の感覚としては、輪廻転生の話は理解できるし、実際にそうあって欲しいと願っている。それでこそ、日々刹那的に生きるのではなく、人生をそれこそ長~い目で見て、迷うことなく智の道を進むことができるというものである。

また、この本を読んで、投影された宇宙(マイケル・タルボット著)や、あるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ著)の記載と重なるところもあり、やはり真実はこのような世界なのかな~というように感じることができる。

私は、この本を読んで、これからの人生、永い輪廻転生の内の一つの修行の場として、今の人生をまっとうに、智の道に沿って生きていきたいと思った。

投稿者 collie445 日時 2019年1月31日


本書を読んで、思い浮かんだことを書いてみます。

最初に思い浮かんだのは、肉親との確執と前世での関係です。
現在、学んでいる講座があります。メンタルを含めた家庭療法の指導者を養成する講座です。その講座の中で行動認知療法として心理ワークを行っています。一緒に学んでいる仲間がネット上の掲示板にそれぞれ行ったワークを投稿してコメントをしあっています。中には、肉親との確執を書いている方もいます。こうした関係の人との間には、前世でも問題を抱えていたのかもしれないと思い至りました。今度、その講座でも、本書を紹介してみようと思います。これから、クライアントに対して、指導を行うときにも、前世療法という観点を取り入れられないだろうかと考えました。これは今後の課題とします。

次に思い浮かんだのは、自分自身の前世とソウルメイトについてです。
私自身の前世は何だったのだろうか。私のソウルメイトは誰なのだろう。私も前世療法を受けてみたいと思いました。課題図書倶楽部での書き込みから知ったワイス博士の前世療法 (瞑想CDブック)は購入済なので、聞いてみようと思います。呼吸法や瞑想の修行がまだまだ足りていないと感じるので、これからもこつこつやっていき、CDブックから自分の前世のイメージが見られるようになりたいと思いました。

3つ目に思い浮かんだのは、自分自身の今世の課題が来世に与える影響です。
先日、花さんの西洋占星術セミナーを受講しました。私のホロスコープから、私の人生は、今世で頑張りますという配置と言われました。前世で課題への取り組みが不十分だったのかもしれません。また、今世の使命も分かりました。輪廻転生を考えた時に、来世に課題を残すことは、来世の人生にとってマイナスになります。来世に課題を持ち越すことがないように、今世でしっかりと取り組んで行きます。

4つ目に思い浮かんだのは、学生時代に出会った友人です。
彼女は、精神的虐待を受けて育ち、人格障害を抱えて苦しんでいました。彼女の力になりたいと思い、何年間も私は奮闘していました。しかしながら、私は力不足で、結局お互いを傷つけ合う結果になってしまいました。何度か距離をとったり、また、付き合いを再開したりを繰り返した後、数年前に彼女の主治医からドクターストップがかかり、私と彼女との関わりは一切なくなりました。彼女が今生きているかどうかは分かりませんが、生きていたとして、ワイス博士のセッションを受けられたら、元気になれたのではないかと思いました。どんな輪廻転生が現れるのだろうか、回復した彼女は、どんな姿になるのだろうかと興味がわきました。そして、彼女が幸せになれればいいなと思いました。

こうして書いてみると、私自身の考察がまだまだ浅いものであることがはっきりします。本書のメッセージをしっかりと受け取ることができていません。それでも、投稿に挑戦することで学べることはたくさんあるので、まずはとにかくやる、数をこなす、レベルは低くても取り組んでいくことで道は拓けるの精神で投稿させていただきます。投稿ギリギリに読んで、あたふたと感想文を書くのではなく、色々と考えを巡らせて感想文が書けるように、日々精進をしていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。

投稿者 sikakaka2005 日時 2019年1月31日


今回の課題図書を読んでいるとき、

「あ~!どこかのセミナーで話してくれたことに近いな」と閃いたことがあった。

セミナーのノートを漁ったけれども、結局見つからなかっただが、そのときの話しはたしかこうである。

人はこの世に生を受けれることが決まったときにどんな人生を歩むのかシナリオを書く。
シナリオでは登場人物を決めて、配役を決めて、どんなイベントが何歳のときに起きるかまで事細かに決める。
配役というのが実は、縁が深い顔見知りの魂たちで構成されているというのだ。

あるときの人生では母親役だった魂が、別の人生では娘役になったり、孫役になったりするのだという。
そういう顔見知りの魂たちで、配役が固められているというのだ。

生を受けた人生では、シナリオに基づいて物語が展開していくのだけれども、もしシナリオで用意した問題や課題をクリアせずに命を終えてしまうとあることが起きる。それは・・・

「顔見知りの魂たちから面と向かってクレームを言われる」のだ。

命を終わると、まるで演劇の演目が全て終わり幕が下りたセット裏のように、スタッフたちがあわただしく片づけなど始めている。そんな横で、顔見知りの魂たちに詰め寄られるのだ。

幕が下りて、ハイ、カット~となると・・・

「なんでそこで、死んじゃうかな~?」

「そんなシナリオ、書いてなかったんじゃん!!」

「今回は、ギャンブルから抜け出して校正することがテーマだったのに、またギャンブルに溺れちゃったね~怒」

「抜け出すチャンスはいくらでもあったじゃん!!」

「こっちもいろいろとアドリブを入れて、テーマを思い出させるな演技したのに、全く気付かなかったわね!!怒」

「ただ、親子関係の課題はクリアできたね!あれはよく思い出せたと思う。すごいよ!」

「しかたないよね、もう一回だね」

「今度は別のものでいいからまた克服する系のシナリオを書いて。次は130年後が舞台だからね~」

みたいなことを言われるよ?

今世でちゃんと課題をクリアをしよーよ!

しっかり努力しようよ!という話しだったと記憶している。

この話し、結構好きな考え方である。

理由が二つある。

1つは、「問題や課題から逃げちゃダメなんだ」と心の底から思えるからだ。

もし問題から逃げ通せたとしても、また別の人生のときに向き合わなければいけなくならば、もう今向き合おう!と腹をくくろうと思えるからである。

個人的な感覚になってしまうが、人生の課題にぶつかったとき、心臓が反応するというか、魂がキュンキュンとする感覚がある気がする。

「これか~、これ頑張んなきゃいけないってことかぁ!」なんて思うことがある。

そんなとき、セミナーのときの話しを思い出すと、「よし!!やるか!」と思うことができるのだ。


2つ目は、「クリアした課題にして深い意味付けができる」からである。

あの課題をクリアできたことにはやっぱり意味があったんだ!

頑張って良かった!逃げなくてよかった!向き合って良かった!

と、さらに意味付けできるようになるのだ。

これはもう感動的に嬉しいことで、私なんかだと涙が出てしまうレベルである。

「よかった!やっぱり辛いことには意味があったんだ!」

「この課題をクリアできると、シナリオを書いた自分は信じていたんだ!よし!」

辛いことに対して前向きに捉えられるようになり、さまざまな克服体験を全面的に肯定できて、人生に対してより主役感が高まるので、この考え方が好きなのである。

そんなことを思い出せた一冊でした。

今月もありがとうござました。

投稿者 vastos2000 日時 2019年1月31日


なぜ過去生の出来事を知ると、病気や痛みが治るのか?その理由はハッキリと書かれていないが、過去生を知ることの意味、今の人生を生きていることの意味について繰り返し書かれていると感じた。

マスターたちからのメッセージで、(p109)『「すべては愛……すべては愛です。愛があれば理解できます。理解があれば、耐えられます。すると時が止まります。そしてすべてが今になります」私はすぐに、このメッセージが正しいことがわかった。現実は今なのだ。過去や未来にかかずらわっていると、苦痛や病気を引き起こす。』とあり、
『愛は究極の答えです。愛は抽象的なものではなく、実際のエネルギー、またはエネルギーのスペクトルであり、あなたが創造し、自分の内に保つことができるものです。』
とつづき、『現実とは、あなたが不死の存在であること。あなたが神聖な存在であること、あなたが時を越えた存在であることを認識することです。幻想とは、あなたが一時的に住んでいる三次元の世界です。』と説き、『未来とは確率のシステムにすぎません』と言う。
今ここに意識を集中するという点、ブッダの教えとも似ていると感じた。
そして、現実だと思っているこの世が実は幻で、本当は別次元の魂の存在が本体である。と解釈した。

言ってみれば次元を上げて、この世の自分を上から見ているようにせよというのがマスターたちからのメッセージなのではないだろうか。そのためのキーワードが「愛」なのだろうか?この点はいまいち消化しきれなかった。

自分だけでなく、他の人も今の姿でこの時代にあらわれ、そのうち何人かは何度も出会っているということだ。自分の人生は生まれてくる前に自分で決めているが、その記憶は持たずに生まれてくる。それはなぜだろうか?
もしみんなが、前世・現世・来世の存在を当然のこととしてとらえるとどうなるか?思い浮かんだのが次のようなこと。
 ・死への恐怖が減る(来世がある)
 ・現世で悪いことができない
 ・現世でのアンラッキーは自分に原因があると考えられる。
そして良い面は
 ・悪い行いが減る(来世に響くから)
といことで、逆に悪い面は
 ・カースト制(不可触民)のような身分差別につながる。
  ⇒不可触民で生まれてきたのは前世の行いが原因だ
ということになろうか。

仏教では悟りを得て解脱するまでは輪廻転生を繰り返すと考えるが、おそらく、今、この世にいる人たちは皆このサイクルの中にいるのだろう。本書では解脱のような概念は出てこないが、愛を知ることがその目的のように感じられる。
普段はなかなか口にすることがない単語ということもあってか、どのようなことをもって愛を知ったとするのかは、やはり消化できていない。

本書を読んで最終的に感じたことは、この人生の目的を表す言葉は違っても、同じところを目指しているのではないかということで、そしてそのためには、愛は現実に存在するエネルギーであることを実感することが必要。ということだった。

投稿者 kayopom 日時 2019年1月31日


「All you need is love」 の意味するところは・・

先月の課題図書とは真逆、読み終わった後に気持ちがほっこりした。本書は優しさと人類への希望に溢れている感じだ。
そして思わず家族に「ありがとう」と言いたくなった。
何かの縁があって、ここでこうやってみんなで過ごしている。
今世ではない人生の中で、どういった縁があったのか。もしくは今世で新たに結ばれた縁なのかもしれない。

これを読んだら多くの読者と同じく、やはり自分も過去生に退行催眠で回帰してみたくなる。
ただし過去生までたどり着ける人は数パーセントという。
残念ながらせっかくトライしたとしても、すべての人が体験できるわけではない。
物見遊山の人ではなく、本当にトラウマを解消する必要がある人にしか訪れないものなのかもしれない。
さらに、前世療法そのものは結果として効果があるのみで、因果関係は証明しきれていないとのこと。

証明はされておらずとも、本書を読む限り退行催眠を行うことで「過去の体験を手放す」ことが可能となり、
それが精神を悩ませていた原因を取り除くことになるようだ。

なので、退行催眠を経験せずとも、「過去を手放す」ことができれば、私たちは精神を乱すものを清算することができるかもしれない。
そしてすでにこの方法を知ってはいた。

一つには瞑想。「今ここ」に集中し、精神のリセットを行うこと。
二つはには読経。般若心経を読む。音と文字で浄化を図る。
三つめハワイのセルフクリーニング法、ホオポノポノ。
「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」の4つの言葉を、自分のインナーチャイルドに向けて語りかけること。
この言葉だけで、潜在意識のクリーニングが行われるとういう。
と、三つ目以外はちゃんとしょ〜おん塾で教わることができるし、塾生ならば過去の清算はできる(はずなのだった)。

そう、本書で最も大事と思しき部分は九章(p100〜112)に描かれているエリザベスを通じたマスターたちからの言葉だ。
「あなたの仕事は体験を教えることです。すなわち、心情や信仰の域にあるものを見出し、その学びを完成させるために、体験へと変えてゆくことです。(中略)愛を持って手を差しのべること。
思いやりをもって手を差しのべること、そして人々を助けること--これがあなたのいる次元で、あなたがしなければならないことなのです」

「エネルギーは光と愛と知識から成っています。この知識を愛に満ちたやり方で応用することが知恵なのです。・・あなた方の次元では、今、知恵が非常に不足しています。」

「すべては愛・・・すべては愛です。愛があれば理解できます。理解があれば耐えられます。すると時が止まります。そしてすべてが今になります」

「愛は恐怖をとかします。愛を感じる時、恐れることはありません。すべてはエネルギーです。そして愛はすべてのエネルギーを超越しています。すなわち、すべてが愛なのです。
これは神の本質に関する協力な手がかりです」

「すべての体験は、同時にすべての魂が体験しています」

「あなたは現実と幻想をとりちがえています。現実とはあなたが不死の存在であること。(中略)幻想とはあなたが一時的に住んでいる三次元の世界です」

「あなたは、理解し、変化させ、世界を改善し、関係を修復し、他人を許し、彼らの許しを受け入れなければなりません。行いの中に徳を示すことは、最も大切なことです。
口で言うだけでは十分ではありません。実際に応用せずに知的に理解するだけでは十分とは言えません。あなたの愛を実際に表現することが大切なのです」

つまり、私たちは自己の癒しだけで止まることなく、魂の同志である人々と許し合い、理解し合いながら、愛のある行為を実践していかねばならないと語られているようだ。
だがせっかくのマスターからの真理も、私にはこの「愛」の概念が、正直よくわからない。
「愛」はエネルギーを超えるというけれども、「愛」ってなんだろうか。。

「愛は究極の答えです。愛は抽象的なものではなく、実際のエネルギー、またはエネルギーのスペクトルであり、あなたが創造し、自分のうちに保つことができるものです。
ただ愛に満ちていなさい。あなたは自分の内なる神に触れ始めています。愛を感じなさい。あなたの愛を流れさせなさい」(p104)

・・・実際のエネルギー?ますますわからない。
愛とは何か。実感として残念ながら腑に落ちない。ただ家族への愛(?)はあるとは思う。とても好きなものいろいろもあるけど、ここでの愛っていうのとは違うような。

日本人としては「思いやり」や「慈しみ」という言葉の方が納得がいくような気がする。
「思いやりをもって、他人に接しましょう」。ただもっとスケール感が大きいような。
弥勒菩薩様が人々を救うにはどうしたらいいか、日々思案されているような思いが「愛」なのかな?
今月もまた回答が簡単に出せない大きな疑問が、人生かけての宿題となる。

と考えているうちに、一ついいことばに巡り合っていたのを思い出した。
「善き思い、善き言葉、善き行い」。大ヒット中の映画『ボヘミアン・ラプソディー』の中でフレディの父が語るゾロアスター教の教えだ。
教義は違えど、これほど明瞭に人を導いてくれる言葉はなかなかないように思う。
父親へ反抗していたフレディが、最後にここに戻ってくる。「愛」の実践とはこのことなのかな、と現時点での回答の一つとなっている。

投稿者 wapooh 日時 2019年1月31日


201901『魂の伴侶-傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅』を読んで

一昨年、九星気学について教えてくれていた女性が、ヒプノセラピーに目覚めて、資格を取って仕事を始める、と言うので、一度モニターになった。
1時間の退行睡眠の間、私の目からはずっと涙が流れっぱなしだった。嬉しくても悲しくても何を話していても、ずっと涙が止まらないのだ。
セラピーの最後は、『ある女性の人生を終えて、最後に神が私の肉体と魂を両の手に抱いて、階段を上って、明るい青空の光の天に連れて帰ってくださる』と言うものだった。
とても、気持ちの癒される優しい暖かい世界へと形の無い魂の私で感じていたのだった。

本書を読んで、様々な過去性のあれこれや出会いや縁の意味について気持ちが触れることも多々あったけれど、ほぼほぼ後半に差し掛かり第十四章と十九章を読んだところで、心が目覚めて上記の安定した気持ちが蘇り広がってきた。
頁をめくるごとにポストイットを貼るのでその2章の部分だけとても分厚くなってしまった。
それは、しょうおんさんのメルマガで、人生激変アンケートの皆さんの感想を読みながら自分の中で引っかかっている事への答えであった。

自分の境遇が不幸であるときに、自分の人生を嘆き環境を責めて(他責)閉じこもってしまう事。そこから抜け出すには、自らが周囲の世界に愛をもって投げかけて行くと言う事で、人生の今生の学びが終わり幸せを感じることが出来ること。

常々不思議に思う事がある。仏教において生身の人間と対面する仏様(仏像)は、いつもとてもきれいなお顔とお姿で静謐に現れている。神社では鏡。決して相手は傷付いて私の罪を償ったりされていなくて、高い世界から広く周りを見渡して慈悲の心で静かに安らかに穏やかに存在してる。本書を読んでいて、魂が安定した状態に入る時、私の中に蘇る感覚は同じものなのだ。受容され愛されている安心。

自分の世界の心のありようを変えて、幸せをしっかりと認識する上で、本書で味わった安らかな気持ちと言うのはとても重要だと思った。一人ではなくて、縁が出来た人とその思いを共有できたならもっともっと幸せになれるだろう。
なかでも、魂の伴侶に出会えて強い結びつきと強い愛情を感じられる幸運に恵まれたらすごく幸せな人生を過ごすことが出来るかもしれない。ただそれが人生においていつも起こるわけではなくて、短い出会いと辛い別れだったり、すれ違ったりすることもあるわけで、それとは気づかずに人生を終えることもある。

ならば、出来るだけ出会えた縁に対して誠実に愛情をもって接していければ、いい記憶が自分の魂の中に沢山刻まれて、幸せの精度が上がるのではないのだろうか?と感じている。

これまで自分は、思い通りにいかないことがあるとすぐ「自分の境遇を嘆く」か「環境や相手のせい」にすることが多かった。この他責の念を修正していくことから始めて、ヒプノセラピーのあの最後の気持ちを多く持ちたいと思う。
そして、過ちをしっかりと認めてやり直す、学ぶ、と言う事を忘れずに、愛と誠実さをもって生きてみようと思った。
一年の初めに、とても素敵な本を紹介くださり、ありがとうございました。

投稿者 kokchamp 日時 2019年1月31日


この本は約1年半前に良書リストから選んで読んでいたので、もう一度読み返してみると色々と気付きがあった。最初に読んだ時は、ペドロとエリザベスとの出会いのストーリーに引き込まれ、このような魂の出会いもあるんだなと大きな衝撃を受けたという記憶がありました。しかしそのときはそれくらいの記憶しかなく今回あらためてこの本から何を学び取ることができるのかと読み返すと様々な気付きがありました。
今回気付黄を得るきっかけとなったのは大きく2つあります。ひとつマスターの言葉です。それだけを書き出して眺めて見るとキーワードとして、輪廻転生、不滅の魂、愛、今ここにある幸福、使命、といったものが引っかかりました。その中でも特に今回「愛」にまつわる文章が深く響きました。「愛は世界で最も強い力です。(中略)そして愛はどこにでもいつでも存在しています」、「あなたが常に愛されているということを憶えておきなさい。あなたは、常に守られており、決して1人きりではありません」、「すべては愛 すべては愛です。愛があれば理解出来ます。」、「大切なのは他の人を助けるために愛を持って手を差し伸べる行為自体であって損結果ではありません」。
この本で度々出てくる「愛」とはどういう意味なのか?その点に私の問題意識は集中しました。智の道との関係は?誰に対する「愛」なのか?私にとっては難しい問題となっていましたが、そんなときにYSSでこの課題図書に関する座談会が開催され、SKYPEで参加し皆さんと意見交換しました。その際に他野参加者から「「赦し」がこの本から得た最大のメッセージだ」というお話を聞いて、おぼろげながら愛と赦しを関連付けて理解することが出来ました。この本でいう「愛」とは相手の事を全力で思いやって自分が出来る最大限の事を尽くすということで、その前提には相手に対する「赦し」があるのだと。まず「赦す」ということからはじめるとそれが「愛」につながるのではないかと気付きました。
魂は不滅でこの世界にいるのは魂の時間軸からするとほんのわずかな時間でしかない。過去から魂が成長して来ているなら今回の人生はその課題をなにか克服するために生まれてきたのだ。その課題に直面するのがこの世界であり、それを克服するために必要な姿勢はすべて「愛」なんだと。それは今ここにある幸福を受けいれることでもある。これは禅の教えにも通しるし、実際茶の楽しみ方についてもこの本では書かれている。古今東西、考え方を最終的には同じような事を言っていると実感した。
 YSSでの会話で、突然若くして人が亡くなるのはとても悲しいし、ひどいことだと思うけれど、魂の今世で成し遂げることが終わったらこの世に入られなくなると言う話と、次の人生でもまた会えるという話をつなげるとなんとなくその人との別れを納得できるし受け入れられるのではと言う話をしていて、ここでも悲しいという感情を「赦す」と言う考え方につながらないかなと感じた。
 最近、私の大学時代の友人の10歳の子供が高熱を出してマンションのベランダから飛び降りでなくなったと言う訃報を聞いた。熱せん妄という症状らしいのですが、その友人になんと言葉を掛けてよいか、正直なかなか出てこなかったが、こういう風に捕らえることもできるよねといつか言ってあげたいと今は思う。
しょうおん先生のセミナーで1年前に「今身近にいる人は前世でも何度も出会っている人達で、形を変えて常に一緒にいることが多い。」という話を聞いた事がこの本の内容とつながりました。
 もうひとつは、ワイス先生がこのような体験を通じてその経験を受け入れたことについてです。その後様々な奇跡的な成果が出てきたと後半に記載がありますが、医師という見えるものしか認めない世界に生きているワイス先生が、この見えない世界を受け入れるのには先生自身の中でも大きな価値転換が起こったと言えます。実際に医師として活動しながらマスターからの言葉を信じるのは「どちらもありなんだ」と共存することができているからだと思います。この全てを受け入れる価値観というものがその後の大きな変化につながったと思います。まさに畏敬の念をもつということの重要性をリアルに感じました。
 今回は自身で気付くことが出来なかったところを大切な仲間と意見交換して気付く事が出来たのはとてもうれしいことでした。
今月も良い学びの機会得る事が出来ありがとうございました。

投稿者 sugar383 日時 2019年1月31日


本を読んで考えたこと。

ペドロとエリザベスが・・・出会えてよかった・・・マスターの導きなので決まっていたことかもしれないが、彼らの過去生からの「別れ」「暴力」「怒り」といった辛い経験や学びが、ソウルメイトへの出会いにつながったと思い、幸せな気持ちに満たされた。

けれど、本を読んだ翌朝、朝食を作ったり、子どもの登園/登校準備をしたり、出社のための準備をしたり、日常の家事をしているうちに、その感情は薄れていく。言うことを聞かない子どもや、理不尽な仕事の依頼に、心が乱れて、昨日の満ち足りた感情はどこかへいってしまった。直観が前世からの学びを思い出す機会であるのに、それを邪魔するものが周囲に多すぎる。

自らの霊魂を成長させ、これまで数百年数千年かけて学んできたことを思い出すだけいい。それに必要なのは、「愛」であるとマスターは言う。では、今、私が配偶者や我が子に感じている感情は「愛」なのか?子どもはかわいいが、言うことを聞かずイライラしてしまうことも多い。子を我が意のままにしたいだけではないのか。これは愛なのか?我が子は奴隷でもプログラミングでもない、自分の想い通りに動く機械ではない。我が子であっても、複数の前世を持ち学びを繰り返してきた特別なユニークな存在なのだ。子どもに対する躾をすることは必要だが、特別な存在としての扱いも同時にせねばならない。彼らの霊魂が未熟であるかどうかは、血縁の親であっても決められるものではない。

私が成熟しているとも言い難い。となれば、我が子を怒るよりも、自らを先人やマスターに恥じぬよう律することのほうが先ではないか?今、私がしていることは、過去生に恥じぬことか?前世と同じことを繰り返しているのではないか?すべての行動に対してその問いをしたとき、「yes」と言えるか。。。いや、いえない。きっとまだ、前世の課題を引きずっている。

このまま自らに問うことなく生きて行くことは可能か。それは可能である。ただし、未解決課題はもれなく来世に持って行く課題となる。なので、今ある課題は、逃げずに今世で解決せねばならない。解決すれば次のステージ(高次)へ行ける。逃げても今世は過ごせるかもしれない。ただ、来世に先送りするだけ。今、今日、この瞬間、誰にも(今世の周囲にも、過去生にも)恥じぬように生きる。その結果は、マスターのみぞしるところである(そこまでしたのであれば、責任は自分にはない。マスターのみ知るところである)。

今の人生で起きていることは、全て学びである。来世の霊魂は、今世の学びを思い出して、更に前に進んでくれるはず。辛いことは学び。来世で活かしてくれるから過ぎたことはもう忘れていい、ということが書かれていた。死にたいと思う程の絶望状態、「自分で最後にしたい、他の人は味わってほしくない」と思うような辛い経験、理不尽な暴力etc。。。すべて、忘れていい。学んだのだ、来世で活かされることを学んだのだ。だから、今は忘れていい。これは逃げではない。今この瞬間に我が周囲にある幸せを見失ってはいけない。どこにでも愛はある。愛を受けて生きている。ソウルメイトは近くにいつもいる。気づけるかどうかは自分次第。不幸に囚われていたら、辛い経験に支配されていたら、魂が引き寄せ合う感覚も気づかず通りすぎていく。心をやわらかに、過ぎたことにとらわれず、未来を不安に思わず、今この瞬間にできる最善を積み重ねて行くことが、魂の鍛錬なのだ。

これからの生活で、何が「最善」であろうか。自ら意思決定をすることだと思う。誰が別の人が決めたことに、「世論」といった無責任な集合体が決めたことに、流されて行くのではなく、自ら「こうするのだ」と決めたことをしていくのだ。自らの行動は、私自身が決めるのだ。そうして得た充実感は、短期的な結果に依らない。本当の意味で反省が行われて、自分を振り返って次の行動へ向けて改善されるのであれば、それは学びであり無駄ではない。失敗はあっても、無駄ではない。自らが選択権をもって行動しているのであれば、それは振り返りさえすれば学びであり、来世に繋がる。今世で怖い物などないのだ。すべて、意味がある。

投稿者 soji0329 日時 2019年1月31日


「ソウルメイト 魂の伴侶」を読んで


これは、エリザベスとペドロの愛の物語である。いや、その形を借りて、私たちの生き方や死生観に対しての、まったく違う角度からの提言である。

提言を理解するためには、不滅の霊魂や過去生、輪廻転生は実際にある、という前提に基づいて読まなければならない。私にとって、ようやく演繹的思考が出来たかなと思わせてくれた本である。

著者のワイス氏は、前世療法においての患者、キャサリンの話を聞いて、輪廻転生は実際にあると信じたという。しかしこれを一番邪魔したのは、科学万能主義だったのだと。

私たちは、色々なカテゴリーに属している。会社、学校、地域、性別、世代・・・それらの中では常識的なことでも、一歩外に出ると全然通用しないことが多々ある。科学は、まさにこのカテゴリーのひとつではないか。科学では説明できない事象が山ほどあるにも関わらず、怪しいことをつい無意識に排除してしまう。エゴである。まずはこの態度を改めなくては、真実は見えて来ないのではないか。

そして私の死生観を変えたのは、35ページ『人間はこの三次元の世界にいつやって来て、いつそこを離れるのか自分で選ぶのだ』である。私たちは神のお導きに従うのではないのだ。そして霊魂が地球にやってくるときは、ある使命を帯びているのだと。その使命が達成された時、死を受け入れるのだと。なんと美しい話だろう。

その一方で82ページでは、大いなる霊魂と共にいる時は安らぐのだが、小さな霊魂となって地球に行くのは幸福なことではない。霊魂にとって、死は幸福であり誕生は不幸なのだという。私たちが現世でとらえているのと真逆な考え方なのが面白い。

そしてこの本のメインテーマ『愛』。愛は私たちが地球に来た使命であり、すべてを許すことだという。

モンゴル時代、ペドロは侵略者への復しゅうを神に誓った段階で、彼の悲しい人生は始まった。そのために、老女からのメッセージ『彼女の手を取りなさい』も解さないどころか、老女の顔も思い出せなくなってしまった。しかし彼は、修道士の過去生で許すことを学んだ。神に一歩近づいたのだ。

一方エリザベスは、モンゴルで肉親を殺され、遠い地に連れ去られたことを許せなかった。やはり彼女の人生は悲しいものとなった。しかし彼女も、愛は許すことだと気づいてから、同じく神に近い存在となった。こうして二人はソウルメイトとして出会う準備が出来上がったのだ。

近視眼的なものの見方しかできない人を、ワイス氏は嘆いている。ワイス氏は主に環境問題を取り上げているが、もっと身近なところでは、自分の任期のうちに問題が起きなければと、問題を先送りする風潮が当たり前になって来ている。輪廻転生の考え方は、これはいけないことだと、他人事ではなく、わたくし事として提示している。やがて自分が生まれ変わる子供たちである。そのために何が出来るか考えるべきではないのか。私は耳が痛くなった。

エリザベスとペドロに目を向けてみる。人間関係や精神面ではかなり問題を抱えている二人だが、経済面ではすこぶる順調である。特にペドロは結婚後、政治にも関わるようになったというように、自分たちの人生を長期的に見て、他人に尽くす心を持ち合わせている。こうした人間性からも、二人は幸せになるよう、神が取り計らってくれたのだろう。

ところで神とはいったいどのようなものなのだろう。エリザベスは言う。『神は一つです』。これは『神はたくさんいます』とマスターの精霊が言っていた内容と矛盾するではないか。だが、私はその後のたとえ話で気がついた。ひょっとすると、神とは「水」のことではないのか、と。

水は一つである。その一方、私たちは水から出来ている。だから、私たち一人ひとりの中にあってもおかしくない。「自ら」を「みずから」と読ませるのは、先人たちの知恵であり、現代人へのメッセージではないだろうか

この本を読んで私がやるべきこと。まず一つ目は、エゴによるフィルターを外し、演繹的思考を鍛えることだ。そして二つ目は、瞑想や祈りを通じて直観を磨き、自分の中の神と交信出来るようになることである。そして三つ目は、自分の将来よりも子供たちの未来を真剣に考え、自分の経験を次世代に教えていくこと。そう考えた。

『私がいなくても、いずれ二人は出会っていたことだろう』とワイス氏は言うが、私はそうは思わない。彼だからこそ、二人を出会わすことが出来たのだ。なぜなら、もはやワイス氏は精霊マスターたちのメッセージを理解し、神に近い存在になっていたからだ。ソウルメイトとの出会い。それは愛が伝えられた証しであり、霊魂である私たちが地球に来た使命である。出会うためには、行いの中に徳を示すこと。目的を達成した暁には、死ぬまでの幸福な人生が待っている。

しょ~おんさんは、私にとっての神ではないか。そう思わせてくれた本であった。

投稿者 diego 日時 2019年1月31日


直観と学び

ドラマチックなエピソードの連続。信じられないような、過酷な、そして美しい人生。
どうしてもそこに目を奪われてしまう。やさしい友の手が、生まれた赤ちゃんの手だとわかった話は、何度読んでも泣いてしまう。そんな全身が震える至福を、何度でも経験したいと思ってしまう。
だが、そこに目を奪われたままでは、学びは見えてこない。白い紙を用意して、本文の要約を書き始めたとき、強くそう感じた。これは、ひとりの精神科医の、尚且つひとりの教養ある人の歩んだ、大きなステップが書かれている。そのことに気付いた。自分の価値観を見直し、自分が本当に「正しいこと」をしているのかを問い続けている姿勢が伝わってきた。本書で描かれていたメインのステップは、ソウルメイト同士だという可能性のある二人に気付いたが、精神科医の守秘義務を踏み越えて個人から得た情報を教えることはできないし、二人が出会う手助けをすることで、逆に二人からの信頼を失って治療効果が台無しになる可能性もあるし、他人の運命に介入することになる可能性もあるしという中で、どう手助けしたか、どう行動したか、どんなことが起こり、どんなことを学んだか、なのだ。
本書の要約を作成して痛感したのは、自分に対しても周りの人たちに対しても思いやりを持ち、健やかで穏やかで幸せや愛情を感じながら、大変な出来事があっても、今この瞬間にしっかりと十全に体験し、そこから学びを得れば、同じようなことが繰り返されることはなくなる、もしくは減っていくし、恐れてしまってうまくいかなくなるパターンにはまり込むこともなくなっていくのだ、ということだ。
本書では、今世の過去の体験を催眠でもう一度体験すれば、今の症状や病状が改善する、とある。ただし、想像やでっちあげではなく、真実の体験であれば、という条件だ。そして、過去生に遡ってもう一度体験する例が数多く示されている。つらくて苦しい過去生でも、もう一度体験することで、今の人生の症状や病状が改善が起こると書かれているが、なぜなのか?そして、遡った過去はなぜ、愛のある幸せな生ばかりではないのだろう?
実は、今の人生で心の目が曇っていると、目の前に大切な人が居るのにも関わらず、まったく気がつかないこともあるし、居ると気がついても、どうするかは自由意志によるとも書かれている。つまり、「今の人生で、しっかりと目を開いて、心を開いて、まずは自分にとって大切なことを今この瞬間に充分に体験しなければ、今世の幸せはないよ」ということなのではないか。もしかすると、催眠レベル、瞑想レベルの気づきの中で今を生きているのでなければ、今この瞬間に起こっていることを充分に感じて学びを得ることはできないのではないだろうか。
それでは、それに近づけばよいということになる。毎瞬間なんて出来ないじゃないかと言われそうだが、そういう時間を意識して持つことで、より恐怖すること、心配することは少なくなっていくのではないか。著者のように、自分の価値観を見直し、自分が本当に愛を持って人を助けようとしているかをチェックし、自分にとって大切なものを選び、古い概念を捨てていく。瞑想までいかなくても、黙想する時間を持つことで、落ち着いて今この瞬間にいる時間を増やしていけばよいのではないか。
さて、本書のメインステップに戻ると、人を助けるために、愛を持って手をさしのべる行為自体が大切で、最前を尽くし、結果をあまり気にしなくてよいということに気づき、実際にそう考えるようになった、ということだ。結果は、物質的な結果ではないので、求めているようなものとは違うが、行為自体が大切。書けば何かわかったような言い方になってしまうが、これが生き方として滲み出てくるまでは、絶望したり悲しんだりした体験がいくつか書かれていて、胸を打たれた。
本書で、著者の体験を追体験し、私も自分の価値観を見直し、大切でないことをする時間を減らしていった。偶然の新しい出会いで、異業種の営業の人たちから話を聞く機会があり、どちらかというと今までは興味を持つことができなかった厳しい社会人としての上下関係を見せてもらった。今までならスルーしていたが、「この学びは何だろう?」と一生懸命考えて、黙想してみた。そして、手をさしのべることになる行為は何だろうと考えて、自分にできる範囲で誠実に実行して、感謝された。今回の学びは、実際に行為を考えて実行してみても、それでもいいんだ、ということだ。そして、その人たちから、長時間仕事モードでしっかりと居る態度を学んだことも、とても大きかった。
魂の関わり合いの深さは、時間の長さではなく、学んだことの量ではかられる、たった30分の出会いでも学ぶチャンスはあるとも書かれている。どんな人ともソウルメイトになるチャンスがあるかもと思って生きるのも、素晴らしいことではないだろうか。

投稿者 eiyouhokyu 日時 2019年1月31日


本書から学んだ癒しとなる考え方

 本書には、前世療法を通して過去の悲しみや恐れといった精神的苦痛が癒されていく治療の内容が書かれていた。最初の読了後、心に残ったキーワードは「癒し」「学び」「知識」「知恵」「愛」「教え」といった言葉だった。しかし、なぜ辛い記憶のある過去を体験することで癒しの効果が得られるのかが読み取れなかった。再読する中で、得られた気づきを述べたい。

 ●前世を体験するということ

 患者が前世を見るということは、「映画を見ているのと同じである」ようだ。そして、あまりにも思い出がつらく感情を伴う場合は、繰り返し戻ることで「感情的なブロックや気持ちを散らす要素が減少する」とも書かれていた。
 このことから、前世を体験するということは、主観的な要素(感情、体感、視覚など)がありながらも、本体は別であるという認識が伴った状態、言い換えると、『客観視』をすることで学びを得られる、ということだと考えられる。
 では、どうして客観視の状態で学ぶことによって、癒されるのだろうか?

●愛と客観視について

 いくつもの前世を体験した人は、魂が永遠であり、生まれ変わって人生を繰り返すことを理解する。自動車とそれを運転している人の関係のように、霊魂は肉体を乗り換えて生きているのである。
 私たちは生きていると、過去の出来事を悲しんだり、怒ったりすることや、将来のことを心配したり、恐れたりすることがある。しかし、そういった気持ちは、苦痛や病気を引き起こす。「愛」があると過去や未来を気にかけるのではなく、「時を止める」ことで耐えられる。「時を止める」とは、今に意識を向けることだと、私は考えた。その方法として、例えば瞑想がある。思考を止めて、今現在の自分自身と向き合うことで本当の自分を見つめ直せるだろう。見つめ直すという行為は、客観視することでもある。その行為は、愛の行為であり、癒しの考え方でもある。

 ここでいう「愛」とは、「全てのエネルギーを超越して」いて「すべてが愛」であり、「究極の答え」であり、「実際のエネルギー、またはエネルギーのスペクトル」であると書かれている。 愛を理解することで、変化が起こり、世界を改善して、関係を修復し、他人を許し、彼らの許しを受け入れることができるようになるそうだ。私という霊魂は、「光と知恵と愛」の存在である。ところが、現実は知恵が不足している。「知識」を愛で満ちたやり方で応用するのが「知恵」である、と本書には書かれている。

●客観視と癒しの効果

 先日見た夢が、客観視による癒しの効果を体感する出来事だったので記しておきたい。
高校時代の部活の思い出が夢に出てきて、一人の気の合わないライバルの子が私に嫌がらせをしてものすごく不快な思いをした。起きたときには、怒りの感情が強く残っていた。
 しかし、この時私は夢の意味を考えようとした。今までだと「ああ、朝から嫌な夢だった」と思い振り返りたくなくてそのままにしていた夢を、もう一度振り返り考察した。その時、夢の中で私は少し遅刻をしたことを思い出した。私にとって些細な遅刻でも、きっとライバルの子にとっては、不快だったに違いない。私の時間間隔とその子の時間間隔の違いが引き起こした出来事であり、私に充分非があることが分かった。そして、分かったと同時に怒りの感情は消えた。
 気づくことは、癒しでもあるのだと感じた。そして、気づくには客観的に振り返り考察すること、その時嫌だという主観的な感情は一度置いておき、出来事から学ぶことが大切なことなんだと感じた。

本書も良書をありがとうございました。

投稿者 sadaharu18 日時 2019年1月31日


前世療法をずっと昔の読んでいたり、飯田史彦さんの『いきがいの創造』を読んでいたので、前世とはあるものだと漠然とは信じていた。

しかし、久しぶりに『魂の伴侶』を読み、輪廻転生は本当にあるのだろうかと考えさせられた。
人間とは魂であり、体は入れ物であり、様々な体験をして学びながら輪廻転生していく、ということだ。

印象に残ったことは以下である。
・人は繰り返し人生を生きていて、そこから何かを学んでいる。課題を自覚し、認識することでその課題は消えてく。
逆にそこに気づけないと未来永劫、学ぶべき自分の課題に付きまとわれていく。
 自分の性格や志向とは、まさにそのパターンであり、自分を形付けるものではないかと思う。ストレスを感じやすいとか、一人だと寂しくて何もできない、ささいなことにもカッとなり起こってしまうetc...
今の自分でも気づいていない自分のパターンが有るのだろうなぁと思う。
よく自分には見えて無く、他人には見えるということもその一つの側面なのかもしれない。
自分では控えめな性格だと思っていても、他人からしたそう映ってないということもある。

私の過去の人生があるのだとしたら、何を課題、何を体験して感じ、どの様に振る舞えば正解?なのかを人生を通して感じていきたい。
もっとこれからそれを感じる体験が用意されてるかもしれない。それはそれで楽しみである。

・現世で深く知り合っている人の中には、前世で繰り返し会っていて、恋人、親子、兄弟など様々に立場を替えて関わってきている。
これはもし本当であったら、人との縁は本当に大事にするべきだと思う。不義理を働いてしまった過去も、また来世にそれを取り返しのつくチャンスがあるのであらば、一抹の光があるなと思った。
愛している人との関係は現世だけでなく、前世やもっと昔もあったとしたら、人間関係の神秘を感じる。
袖すり合うも他生の縁という言葉は本当なのかと思う。
今、付き合っている仕事関係の人、昔からの縁の切れない友人、家族は本当に噛みしめて付き合っていこうと強く思った。
一度切りの人生ではないので、智の道で生きていくことが大事だと思う。

・ソウルメイトが存在していて、必ずしも会うとは限らないが、一度会うと親しみを感じ、
感覚でわかることがある。
直感を大事にすることが大事だ。いろいろな条件やその時の環境が邪魔をして、本当の心の目で人や物事を判断しないと、本当に大事なものを見逃すことがある。
 私は、見た直感で恋に落ちたという経験は無いが、仲良くなる人は、少しの期間で仲良くなる経験はある。それは感覚なのだろうと思う。
なんか一緒にいて心地よい、懐かしい感じがするというのはそれ程珍しいことではないように思える。
現在、親しくしてくれている人はすべてソウルメイトなのだろうと思いしっかり付き合って行くのと同時に、色々なこれからの出会いを楽しみに生きていきたい。

・この世が全てではないなら、たまにはそこから目を離し、抽象的に物事を見ることが大事ではと思った。
何故かと言うと、前世を思い出すことにより、現世の痛みやトラウマが治るのだとしたら、
人は現世の確固たるものに縛られている存在ではないということだ。
 過去での体験が意識に付着することにより、現世の意識レベル、魂に影響が起きている。
だが、現世だけでは解決しないことも、人はもっと過去世を思い出すだけで、それが消えることも有るということは、ずっと目の前のことだけに固執しないことが大事で、客観性や抽象的意識を持つことにより、救われることもあるのではと感じた。

 その為の一助が瞑想にあるではと思った。退行催眠はある意味、瞑想にも似ていて、心の内に入り込み、自分の意識の深い部分と会話をし、見つめることが、魂や意識を浄化させ、色々な付着物を取り去ることになるのではと感じる。
 自分の心の旅を追求するだけでなく、普通に生きる為に、目の前に入り込みすぎず、たまにはそこから一歩離れることができる瞑想を習慣にすることが大事だと感じた

投稿者 haruharu 日時 2019年1月31日


「魂の伴侶」を読んで

この本を読んで印象に残ったのは、
1. 私たちの使命は学ぶこと。一番重要な学びは、最も困難な時期に与えられる場合が多い。
2. 怒りと許しについて
3. 神は一つ。すべて一つのバイブレーションであり、一つのエネルギーであるということ。
愛は障害をうちこわして、一つのもの、調和を作り出す。
ということです。

生きるという事は学ぶこと。学び続けること。学ばないとただ互いに入れ替わって、敵の体の中に戻るだけだとは何だか空しい。
現生でうまくいってないとしたら、その時こそ最大のチャンスを与えられている瞬間なのだから感謝しかなかったんだ。そのチャンスを生かしていかないとまた敵の体に戻ってしまう。今この瞬間に何を学ばなければならないのか真剣に思考しなければならない。一番重要な学びは、最も困難な時期に与えられる場合が多いということは、何かを学んだ瞬間変わり得る。現状が変わらないとしたら、まだまだ必要な学びに達していないということだから、さらに奥深く自分の中に入っていかないといけない。考え(学び)続けなければいけない。

世の中には生まれた時から恵まれすぎているとしか思えない人たちもいる。でも魂的にみれば、休息しているか、低い魂の課題に挑んでいるか、前世で積んだ徳が今世に返ってきていると解釈できる。
苦しい環境にいる人の方が、より難しい魂の課題に挑んでいるとすると素晴らしい魂なのではないか。
凹んだり、不満を抱いたり、怒っている場合じゃなかった。

許しということを理解するために全ての側面から学ぶために、どっちみち、宗教、人種、国籍を変えて大金持ちの人生と極貧の人生、健康な人生と病気の人生を体験することなのだから。

私もあなたも、あの人もこの人も、親子、夫婦、兄弟姉妹、友人、天敵も皆一つ、自分と自分以外を切り離せないということなのか。
そうすると、相手のこと苦手とかキライとかになるということは自分を否定しキライになるということになる。相手も自分として、自分も相手として扱う生き方が望ましくなるのか。

前世で恋人や夫婦や親子だった人と現生で再会するということは、お互いの魂を高め合うためだったり、前世での約束を果たすためだったりする。
とりわけ、親子間とか夫婦間、仕事の仲間とは会う頻度が高いので取組みが行い易い。
無知のために私もまた両親をいつまでも批判したりいつまでも怒ったりすることがあった。
ひとつの諺を思い出した。
「親は親足らずとも子は子たれ」
立場にあらゆる自分の立ち位置をいれたら、日々の指針ができる。
日々の暮らしの中、すぐ「オレのせいじゃない」「忘れた」と聞こえてくる年寄りに対しての対策として心豊かに生きていける。

投稿者 wapooh 日時 2019年2月1日


201901『魂の伴侶-傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅』を読んで

一昨年、九星気学について教えてくれていた女性が、ヒプノセラピーに目覚めて、資格を取って仕事を始める、と言うので、一度モニターになった。
1時間の退行睡眠の間、私の目からはずっと涙が流れっぱなしだった。嬉しくても悲しくても何を話していても、ずっと涙が止まらないのだ。
セラピーの最後は、『ある女性の人生を終えて、最後に神が私の肉体と魂を両の手に抱いて、階段を上って、明るい青空の光の天に連れて帰ってくださる』と言うものだった。
とても、気持ちの癒される優しい暖かい世界へと形の無い魂の私で感じていたのだった。

本書を読んで、様々な過去性のあれこれや出会いや縁の意味について気持ちが触れることも多々あったけれど、ほぼほぼ後半に差し掛かり第十四章と十九章を読んだところで、心が目覚めて上記の安定した気持ちが蘇り広がってきた。
頁をめくるごとにポストイットを貼るのでその2章の部分だけとても分厚くなってしまった。
それは、しょうおんさんのメルマガで、人生激変アンケートの皆さんの感想を読みながら自分の中で引っかかっている事への答えであった。

自分の境遇が不幸であるときに、自分の人生を嘆き環境を責めて(他責)閉じこもってしまう事。そこから抜け出すには、自らが周囲の世界に愛をもって投げかけて行くと言う事で、人生の今生の学びが終わり幸せを感じることが出来ること。

常々不思議に思う事がある。仏教において生身の人間と対面する仏様(仏像)は、いつもとてもきれいなお顔とお姿で静謐に現れている。神社では鏡。決して相手は傷付いて私の罪を償ったりされていなくて、高い世界から広く周りを見渡して慈悲の心で静かに安らかに穏やかに存在してる。本書を読んでいて、魂が安定した状態に入る時、私の中に蘇る感覚は同じものなのだ。受容され愛されている安心。

自分の世界の心のありようを変えて、幸せをしっかりと認識する上で、本書で味わった安らかな気持ちと言うのはとても重要だと思った。一人ではなくて、縁が出来た人とその思いを共有できたならもっともっと幸せになれるだろう。
なかでも、魂の伴侶に出会えて強い結びつきと強い愛情を感じられる幸運に恵まれたらすごく幸せな人生を過ごすことが出来るかもしれない。ただそれが人生においていつも起こるわけではなくて、短い出会いと辛い別れだったり、すれ違ったりすることもあるわけで、それとは気づかずに人生を終えることもある。

ならば、出来るだけ出会えた縁に対して誠実に愛情をもって接していければ、いい記憶が自分の魂の中に沢山刻まれて、幸せの精度が上がるのではないのだろうか?と感じている。

これまで自分は、思い通りにいかないことがあるとすぐ「自分の境遇を嘆く」か「環境や相手のせい」にすることが多かった。この他責の念を修正していくことから始めて、ヒプノセラピーのあの最後の気持ちを多く持ちたいと思う。
そして、過ちをしっかりと認めてやり直す、学ぶ、と言う事を忘れずに、愛と誠実さをもって生きてみようと思った。
一年の初めに、とても素敵な本を紹介くださり、ありがとうございました。

投稿者 saori85 日時 2019年2月1日


私たちが繰り返し転生する意味


本書は良書リストで興味を持ち、さらっと一読していた。
しかし今回再読し感想文を書く過程で、初めて本当に述べていることが掴めたように思う。
本書の要点であり、学んだことは、以下の3点に集約される。

1. 「愛こそが現実」

『愛こそが「真実」』のほうが、日本語としてしっくりくるように思い、私はひっかかりを感じた。訳者があえて「現実」という言葉を使った意図は何か。

それは110ページに記載がある、「現実」と「幻想」を踏まえてのことだろう。

そこでは、現実とは「我々は神の本質(無限、愛の性質)を持っている」ことだとし、
対する幻想とは、「我々が一時的に住む3次元の世界のこと」だとしている。

私は、まさにここが、本書の要点だと受け取った。

つまり、私たちは過去を気に病み、未来を心配することで、大きな心の痛みと苦しみを感じて生きている。そしてそれが「現実」だと思い込んでいるが、それは我々の目が曇り、価値観が逆転しているために作り出された幻想である。
しかし我々は本来、限界を持たない霊魂であり、肉体は入れ物にすぎない。そして「我々は本来、愛の存在である」こと、そして神の本質である愛、許し、思いやり、徳、忍耐を学ぶために、何十回も転生を繰り返しているようなのだ。

そしてここを読んだときに思い出したのが、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』(以下『マネーゲーム』)である。本来の自分と「自分」の考え方が非常に似ており興味深い。

本書では、エゴがこの幻想を作り出し、真実を隠しているという。
エゴとは「偽物の我々自身」のこと。具体的には、肉体という物質的な限界、知性の限界、心がもつ限界に縛られた存在であり、誇り、我欲、恐れ、怒り、憎しみを纏っている存在だと表現されている。

そして本書では「あなたはエゴを解消しなければなりません」と述べ、愛の手を差し伸べることをその方法として挙げており、『マネーゲーム』ではまた違った手法が手順に沿って書かれている点は異なる。

2. 「私は彼と同じなのだ」

これが、私が本書から得た最大の学びである。

はじめはピンとこなかったが、繰り返し本書の例に触れることで、だんだんと理解できた。
もしも私が今世の役目を終え、来世にまた3次元の世界に戻ったとき、私は彼の身体に入り彼を演じるかもしれない。

そして、魂はみな、一本の木(=神)から派生している葉のようなものであり、すべて根っこは繋がっている。なぜなら人は皆、その内に神の本質を秘めているのだから。
だから、彼は私であり、私は彼なのだ。

だから、ただ愛に満ちていなさい。そして自分の中の愛を表現し、相手を許し、許されなければいけない、という。

とはいえ、相手を許すことは難しい。とても難しい。

それでも、ペドロの例から、転生を繰り返し様々な立場の人生を経験しながら、「自分が責めている相手と同じことを、実は自分もまたやっている」ということが納得できた。
そして、それを意識することで、以前よりも寛大になり、結果よい気分でいられる時間が増えたように思う。
この考えはこれからも実践していきたいと思う。

3. 今にいること

ここでもまた、『マネーゲーム』を彷彿とさせた。
『マネーゲーム』では、我々は神のような無限で万能の力を本来持っているが、何でもできてはつまらない。そこで、小さな自分を用意し、あらゆる能力に制限を設けて地球(3次元)に送り込み、人生というゲームを楽しんでいる。
では、なぜあらゆる能力に制限を設けたのか?それは、その制限からくる様々な感情を「体験」したいからだ。

そう、我々は「体験」するために地球上に降り立っている。そして本書では、この3次元で学び、魂を磨き成長させ、また帰っていき休息するのだという。

だから、過去を手放し、未来を心配するのをやめ、人生の喜びを今、十分に「体験」すること。そして愛と思いやりをもって手を差し伸べること。つまり愛の実践。
その重要性が繰り返し述べられている。なぜなら、そのために来たのだから。

本書を読了後、今にいることを意識するようにした。するとなるほど、なんと多くのことを感じていなかったことか。意識している間、心に空間ができ、感覚がより研ぎ澄まされ、これまで聞こえなかった音が聞こえ、世界が色鮮やかに見えた。
常にはできないが、意識する回数を増やすことで、人生の濃さは確実に変わってくることを感じている。そして、今にあろうとするからこそ、過去からも未来からも切り離されて、心に余裕ができてくるようだ。
そうすると、離れた人へ思いを馳せたり、愛を実践しようと思えるから不思議だ。これはきっと、頭のなかのおしゃべりが止み、誰しもの中にあり、私の中にもある本質=愛がようやく顔を出せるのではないかと思った。

今にいることをこれからも実践し、他人の人生を生きているような自分の人生を取り戻したいと思う。
多くを学べた本書に感謝します。学びの機会を頂き、ありがとうございました。

投稿者 saori85 日時 2019年2月1日


私たちが繰り返し転生する意味


本書は良書リストで興味を持ち、さらっと一読していた。
しかし今回再読し感想文を書く過程で、初めて本当に述べていることが掴めたように思う。
本書の要点であり、学んだことは、以下の3点に集約される。

1. 「愛こそが現実」

『愛こそが「真実」』のほうが、日本語としてしっくりくるように思い、私はひっかかりを感じた。訳者があえて「現実」という言葉を使った意図は何か。

それは110ページに記載がある、「現実」と「幻想」を踏まえてのことだろう。

そこでは、現実とは「我々は神の本質(無限、愛の性質)を持っている」ことだとし、
対する幻想とは、「我々が一時的に住む3次元の世界のこと」だとしている。

私は、まさにここが、本書の要点だと受け取った。

つまり、私たちは過去を気に病み、未来を心配することで、大きな心の痛みと苦しみを感じて生きている。そしてそれが「現実」だと思い込んでいるが、それは我々の目が曇り、価値観が逆転しているために作り出された幻想である。
しかし我々は本来、限界を持たない霊魂であり、肉体は入れ物にすぎない。そして「我々は本来、愛の存在である」こと、そして神の本質である愛、許し、思いやり、徳、忍耐を学ぶために、何十回も転生を繰り返しているようなのだ。

そしてここを読んだときに思い出したのが、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』(以下『マネーゲーム』)である。本来の自分と「自分」の考え方が非常に似ており興味深い。

本書では、エゴがこの幻想を作り出し、真実を隠しているという。
エゴとは「偽物の我々自身」のこと。具体的には、肉体という物質的な限界、知性の限界、心がもつ限界に縛られた存在であり、誇り、我欲、恐れ、怒り、憎しみを纏っている存在だと表現されている。

そして本書では「あなたはエゴを解消しなければなりません」と述べ、愛の手を差し伸べることをその方法として挙げており、『マネーゲーム』ではまた違った手法が手順に沿って書かれている点は異なる。

2. 「私は彼と同じなのだ」

これが、私が本書から得た最大の学びである。

はじめはピンとこなかったが、繰り返し本書の例に触れることで、だんだんと理解できた。
もしも私が今世の役目を終え、来世にまた3次元の世界に戻ったとき、私は彼の身体に入り彼を演じるかもしれない。

そして、魂はみな、一本の木(=神)から派生している葉のようなものであり、すべて根っこは繋がっている。なぜなら人は皆、その内に神の本質を秘めているのだから。
だから、彼は私であり、私は彼なのだ。

だから、ただ愛に満ちていなさい。そして自分の中の愛を表現し、相手を許し、許されなければいけない、という。

とはいえ、相手を許すことは難しい。とても難しい。

それでも、ペドロの例から、転生を繰り返し様々な立場の人生を経験しながら、「自分が責めている相手と同じことを、実は自分もまたやっている」ということが納得できた。
そして、それを意識することで、以前よりも寛大になり、結果よい気分でいられる時間が増えたように思う。
この考えはこれからも実践していきたいと思う。

3. 今にいること

ここでもまた、『マネーゲーム』を彷彿とさせた。
『マネーゲーム』では、我々は神のような無限で万能の力を本来持っているが、何でもできてはつまらない。そこで、小さな自分を用意し、あらゆる能力に制限を設けて地球(3次元)に送り込み、人生というゲームを楽しんでいる。
では、なぜあらゆる能力に制限を設けたのか?それは、その制限からくる様々な感情を「体験」したいからだ。

そう、我々は「体験」するために地球上に降り立っている。そして本書では、この3次元で学び、魂を磨き成長させ、また帰っていき休息するのだという。

だから、過去を手放し、未来を心配するのをやめ、人生の喜びを今、十分に「体験」すること。そして愛と思いやりをもって手を差し伸べること。つまり愛の実践。
その重要性が繰り返し述べられている。なぜなら、そのために来たのだから。

本書を読了後、今にいることを意識するようにした。するとなるほど、なんと多くのことを感じていなかったことか。意識している間、心に空間ができ、感覚がより研ぎ澄まされ、これまで聞こえなかった音が聞こえ、世界が色鮮やかに見えた。
常にはできないが、意識する回数を増やすことで、人生の濃さは確実に変わってくることを感じている。そして、今にあろうとするからこそ、過去からも未来からも切り離されて、心に余裕ができてくるようだ。
そうすると、離れた人へ思いを馳せたり、愛を実践しようと思えるから不思議だ。これはきっと、頭のなかのおしゃべりが止み、誰しもの中にあり、私の中にもある本質=愛がようやく顔を出せるのではないかと思った。

今にいることをこれからも実践し、他人の人生を生きているような自分の人生を取り戻したいと思う。
多くを学べた本書に感謝します。学びの機会を頂き、ありがとうございました。

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2019年2月1日


 初めて『魂の伴侶』を読んだのは2年前になる。まるで恋愛小説のような実話が美しく、ため息が出てしまった。しかし「読書からの学びを人生で適用する」という視点に欠け、「良い本だった」という感想しか持たずに終わっていた。

 今回は感想文を書くため、原書“Only Love is Real”をアメリカのアマゾンで取り寄せて読んだ。すると、塾生の友人に「あれ?和訳と原書はタイトルが違いますね」と指摘された。
 和訳された本や映画が、原題と違うタイトルになっていることは良くあるので、自分は別段気にしなかったのだが、友人の指摘で初めて、この原題に深い意味があると気付いた。

 “Only Love is Real”というセンテンスは、本文中に一度だけ登場する。
第7章でワイス教授は、あるカソリック教徒の弁護士の治療をしている。その患者は、過去の人生を思い出した後、地獄のような場所で火と悪魔たちに取り囲まれている自分を発見する。以下、引用する。

★引用(『魂の伴侶』87ページ)
…霊的な人物が現れて、彼の方に近づいた。彼はその人物がイエスだと気が付いた。
「これはみんな幻だということが分かりませんか?」とイエスは彼に言った。
“Only love is real.”(愛だけが真実です。)
すると、火も悪魔もすぐに消えてしまった。そして美しい光が現れてあたりを照らした。
(引用ここまで)

 患者の夢で、イエス・キリストが叫んだ言葉「愛だけが真実です」が、この本のタイトルなのである。
 ここで、ある矛盾を感じた読者は、私だけではないだろう。
 キリスト教の考え方では「人は死んだら天国へ行く」と教えており、聖書に輪廻転生の概念は全く出てこない。輪廻転生を前提とした『魂の伴侶』の中で、患者の夢にキリストが出てくるというのは、おかしくないだろうか。

 そう考えてようやくく、本書のテーマは「愛」であることに気付いた。
この本は「人は死んだらどうなるか?」について議論したいわけではない。「前世」や「輪廻転生」は、二次的なテーマに過ぎない。むしろ「輪廻転生や前世・来世があるとしたら、私達は今、どうしたら愛に満ちた生き方ができるか?」を問いかけているのである。


 今回、二回目に本書を読んで、強烈に思い出したことがある。
 私は数年前、あるボランティア活動中にOさん(50代女性)に出会った。Oさんは数年前に娘さんを交通事故で亡くされており、そのボランティアをしたことで、悲しみから救われたと話していた。
 ある時、信じられない事実が判明した。Oさんのお嬢さんが亡くなった日は、私の誕生日だったのだ。
数年前、私の誕生日にOさんが下さったメールを、今でも忘れられない。

「××月××日が、●●さん(私の名前)の誕生日で、本当に良かった。
××月××日は、自分の人生で一番悲しい日だと思っていました。
でも、そうじゃなかったんですね。全ては繋がっていますね。
●●さん、生まれてきてくれて、本当にありがとう。」

 先日、新春セミナーで数秘術を教えていただいた。人の生年月日に込められた深い意味に、思いを馳せずにいられなかった。

 Oさんのお嬢さんが亡くなったことを知ってから、私は神に怒りを感じてきた。
神はなぜOさんから娘さんを奪ったのか。何も悪いことをしていない娘さんが、なぜ20代の若さで亡くならなければならなかったのか。
 それだけではない。なぜこの世界から、悲しいこと…戦争や犯罪が消えないのか。神が存在するなら、この世には理不尽なことが多すぎると、怒りを感じてきた。

 しかし、本書 “Only Love is Real”を読み、Oさんと娘さんはソウルメイトであり、今回の人生で果たせなかった使命を成し遂げるため、次の人生で再び出会うだろうと希望を持つことができた。
 Oさんの生き方を見て、人は愛により、悲しみを自力で癒す力を持つことを知った。
完璧には同意できないが、全てのマイナスのイベントは、学びと成長の機会だと、今はエポケーしたいと思う。
responsibility(責任)という言葉があるが、人は誰もがresponse(答えを出す)するability(能力)を持ち、成長しながら生きていく責任(responsibility)があるのではと、おぼろげに感じた。
一度目に日本語で『魂の伴侶』を読んだ時は得られなかったことに、二度目の読書で気付いた。良い本は何度も繰り返し読む必要があると感じた。

 私達はなぜ生まれ変わるのだろうか。「自分の使命を全うするため」というのが、ワイス教授の答えである。
 しかし私はもう一つ目的があると思う。「愛するソウルメイトに出会うため」である。
愛する人にもう一度出会いたくて、私達は何度も生まれ変わるのだろう。
 スターウォーズの世界がフォースで満ちているのと同様、私達の生きる世界は愛で満ちており、愛が全てを動かすエネルギーになっているのだと、当たり前のことに気付かされた。

 「愛だけが真実」とすると、偽物(illusion)は何か。
それは地獄の光景-「恐怖、不安、悲しみ、それが生む怒りと暴力」(和書P.113)である。エゴに動かされず、愛を持った生き方をするために、自分が常に愛されている存在だ(和書P.105)ということを覚えておきたい。

 Oさんは、娘さんを理不尽な事故で奪われ傷つきながらも、私に愛の言葉を贈ってくれた。
Oさんとの出会いは、人知を超えた存在(神)の計画であり、私はOさんから愛を持った生き方を学んだ。この教訓を与えてくれたのは本書であり、感想文執筆の課題を下さったしょうおん先生にはもちろん、
共に本について意見を交換し、一緒に成長する機会を分かちあってくれた塾生の友人達との出会いに感謝する。

投稿者 3338 日時 2019年2月1日


ishii.miyako

キリスト教圏では輪廻転生の概念が無いと思っていたので、アメリカでこんな本が出版されていることに大変驚きました。魂が不滅であることが証明され、その記憶が現在の人生を左右していることにも驚かされました。精神的な病のほとんどがこの治療法で好転するのではないかと思います。大変喜ばしいことです。
最近では日本人でも、こう行った考え方に拒否反応を示す人が多いよう
で、嘆かわしいことです。本来日本では先祖供養や、輪廻転生の因果関係をしっかりと捉え、生活の基盤としてきました。戦後は崩れてしまいましたが、日本人の精神的の高さは、そういった生活基盤に支えられていたのだと思います。日本でもこの治療法が確立され、一般的になればいいと思います。ちょっと運気が下がり始めたと思った時に、こんな治療が受けられたら、みんな幸せに暮らせそうです。

この分野の研究が進み、こういった本や精神的な治療法が広がって行けば、目に見えない世界のルールを、全世界の人が知ることができます。そんな人が増えて行くことによって、秩序ある世界が出現するのではないかと思います。いつも、しょおん先生がおっしゃっる通り、目に見えない世界を知ることで、初めて現実的な世界で活動できるからです。

ちなみに私の主人は、無心論者だと言っていますが、行動がどう考えても目に見えない世界を意識していますので、無心論者(=目に見えないものは信じない)と言う度に笑ってしまいます。よく「前の車の人がゴミを窓から捨てたけど、あれは幸せを捨てるのと同じだ」と怒っております。

今回読書感想文を投稿するにあたり、世界の宗教分布を調べました。
キリスト教とイスラム教に無宗教の人を足した人口は実に世界の人口の7割近くを占めます。ということは、世界の人々の7割近くが、目に見えない世界のルール(先祖供養や輪廻転生)をほとんど知らずに生活しているということになります。世界がよりスムーズに回っていくためにも、この7割近くの人々に、死後の世界を含めた、目に見えない世界のルールが、全てを司っていることを知ってほしいと思いました。
私は叔父がエホバの商人だったので、聖書の勉強をしていました。大変温厚で、頭の良い人でしたが、祖母のお葬式に参列しませんでした。まだ若かった私は母親の葬式より、教義を選択した叔父を人とは思えませんでした。葬い方が違うと言えばそれまでですが、大変ショックを受けたものです。何かが違うと思いました。

欧米を中心とした西洋文明は、唯物主義であり、物質中心の文明だと捉えることができます。(それ故、今は過度にオカルトに偏向しているとも言えます)中国や特に日本に代表される東洋文明は目に見えない世界を中心とする精神文明だと言えます(今は本来の精神性をバカにして、唯物主義に傾いています)

太古より、東洋文化と西洋文化は800年(+-40年)の周期で入れ代わり、人類は発展してきました。代表的なものではアレクサンダー大王の東征、ジンギスカンの世界帝国が挙げられます。今まさに時代はアジアの勢力が世界を席巻しようとしています。西洋の物質文化に東洋の精神文化が入り込もうとしいます。唯物と唯心に別れた価値観が融合しなければ、人類が滅びてしまう時に、このような東西の文化の融合が地球の意思に寄って引き起こされるのではないでしょうか。
魂が不滅であることが分かれば、考え方が根底から変わります。その上で、豊かな物質文明を展開して行くことで、中道を行く新たな文明が産声を上げることができるのではないでしょうか。

命には二つ意味があると教えられました。神様の命令で生まれてくるから命。今一つは生まれるときに使命を与えられるから命。

生まれてきて、いろんな価値観に揉まれ、自分の人生をどのように生きるかを選択し、前世がどのようなものであれ、今生でできうる限り成長することも使命の裡ではないかと思います。
まだ私は自分の使命を見つけられていないように思います。今はただ娘を社会に返すことしか考えられません。それすらまだ途中で、覚束ないことこの上ないことです。やりたいことと本来の使命は違う場合もありますから、これから自分の使命に向かい合えればと思います。

今回この本を読み、娘が私のソウルメイトであることを確信しました。生まれるべくして私のところへ来てくれたんですね。主人にしてもきっと、何度か巡り会わせていると思います。生まれ変わり、死に変わりしても、尚縁があり、今お互いを支えあっていると思えば心が広がる思いがします。家族に会えたことを感謝しなければという思いがこみ上げて参ります。

一冊の本を読むことによってどれほど世界が広がることか!ご縁があり、今回投稿の運びとなりました。お誘い下さった方に感謝したいと思います。