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第126回目(2021年10月)の課題本


10月課題図書

 

美味礼讃

 

日本のフランス料理界がどのような発展を遂げたのかを、料理を教える世界から覗

いて見た面白い小説(半分は実話)です。今やミシュランの星付きレストランが世界最多

となった東京で、ほんの50年前にはフランス料理がどんなモノなのかを、ほとんどの料理

人が知らなかったということが驚きで、そこからここまでの紆余曲折を丁寧に描いていま

す。この著者の語り口は、吉村昭氏に似ていて私は好きです。

 

 【しょ~おんコメント】

10月優秀賞

 

今月からは投稿者による推薦を募って、それを以て一次選考突破にすることにしました。

その結果、以下の方が一次選考突破となりました。

 

sarusuberi49さんが1

msykmtさんが1

gogowestさんが1

LifeCanBeRichさんが2

BruceLeeさんが3

masa3843さんが4

 

 

を獲得しました。で、この方々の投稿を読み込みまして、今月はmasa3843さんに差し上げ

ることにしました。



【頂いたコメント】

投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、良い物に触れて本質を知る事の大切さを、改めて感じました。

当時、調理学校の娘さんと結婚したばかりの静雄氏は、調理学校で行う料理には、あまり興味が持てませんでした。

しかし、調理師法の施行を知ると、料理学校がお金持ちの奥様方が半分暇つぶしに通う場所ではなく、どうすれば本物の料理人を育てる場所にする事が出来るのか、と疑問を持ちました。

ここから、静雄氏が本物の料理人を育てる料理学校にする為の、食の追及が始まります。

実際に、料理学校にフランス料理の料理人を招いても、フランス語の文献と料理人たちの料理には大きな乖離があり、上手くいきませんでした。

そこで、静雄氏は本当のフランス料理を勉強するために、アメリカやフランスへと渡ります。当時の日本では、そこまでして本物のフランス料理を知ろうという日本人はいませんでした。

そのような、静雄氏の行動力が多くの料理人の育成という成果を生み出し、フランス料理界の重鎮たちとも太く長い縁を作っていきます。

なぜ、静雄氏は本物のフランス料理に触れる必要があったのか。それは本物の料理から学ばなければ、本物の料理は出来ないと理解していたからです。

ブリア・サヴァランが書いた「美味礼讃」には、ガストロノミーという言葉がよく出てきます。日本語に訳すと、食事や料理と、文化の関係を考察するという意味になりますが、その根底には”食は芸術文化である”という信念があります。これは北大路魯山人が持つ、食に対する美意識と共通している事です。

北大路魯山人は著書「味を知るもの鮮し(すくなし)」の中で、”美食を要求しているものは、口であるように思っているけれども、実は肉体の全部が連合して要求しているらしい。どうもそう考えられる。心というものも、その中の一員であって、常によろこびを理想としている。”と書いています。

絵画や彫刻の作品を目で見て、美しさの喜びを感じるように、食べ物を食べておいしいと感じる喜びを、同じ理想としているのです。その為に、おいしい料理を提供する魯山人や、静雄氏も美食の徹底的な追及を実践しています。

また、北大路魯山人は同書の中で、”人、飲食せざるなし、而して味を知るもの鮮し”と書いています。食べ物の味が美味しいかどうかが分からないという事は、名誉でも不名誉でも無く、生まれつきの感覚であり、背が高い低いということと同じで、別に恥ずかしい事でも何でもありません。ただし、そういう人は美味しい食事を作ろうとか、新しい料理を覚えようとするには不向きです。

料理人とは味を追求し、決して偽物は食べず、本物の料理に触れて食べる事で、今の先があるのです。

自分の嗜好や趣味ではなく、本気で食することを繰り返してこそ、真から得心がいくのが料理というものであり、それを静雄氏は追及していたのです。

本物に触れるという事は、良い物かどうかを見極める研鑽になります。パソコンやスマートフォンで検索すれば、情報は集まってきますが、それらはすべて二次的な情報であり、実際に自分が本物に触れて、理解しているとは言えません。

本物に触れてみる事で、その物をより確かに知る事が出来、新しい発見や気づきが生まれるのです。これからは、良い物に実際に触れられる場所へ行って見てみる事を実践していくようにします。
 
投稿者 BruceLee 日時 
「希少性について考える」

料理の世界とは無縁な私だからか、本書で「え、そうだったの?」と少し驚いてしまった一文は以下である。

「日本では料理人が自分の料理を人に教えるという習慣がないものですから。伝統的にみんな隠すんです」

この「隠す=人に教えない」という習慣だが、読み進めるにつれ「そりゃそうかも知れないな」と合点がいった。何故なら他の人が出来ない事が出来てこそ価値がある、差別化が出来る、優位性を持てる、というのがビジネスの要諦だからだ。起業、開業する場合に強みになるのはこの希少性だろう。まして料理人という、一匹狼として生き抜いていかねばならない人間にとって、他の料理人が容易に提供できないフランス料理を作れるというのは当時として差別化を具体化できる優位性だったのではなかろうか。それを安易に他の料理人に教えてしまうという行為は、ライバルが増えるだけでなく、自分の希少性をも下げてしまう恐れもあるのだ。

但し、それが本物のフランス料理であれば、だ。本書ではそうでなかったことも描かれているが、当時としては本当のフランス料理が何かを熟知している人自体が少なかっただろうから状況としては同じだろう。

私も「料理は盗んで覚える」という言葉を聞いたことがある。料理人として一人前になるには何処かの店に弟子入りして修行し、先輩料理人は懇切丁寧には教えてくれないから(=隠すから)、見て盗んで自分のものにする、というやつだ。どんな料理でも日本においてはそれが主流だったのだろう。
が、そこに本書の主人公、辻静雄が登場する。彼は言う。

「だから日本の料理人は昔からつくり方を隠してきたんだよ。教えたら誰にでも同じものができてしまうから。しかし、うちの学校ではそういうことは許さんからな」

それまでのアプローチとは真逆のオープンな姿勢。料理人でもない彼がこんなことを進めれば自分の存在を脅かす動きでもあるから、それ以前に存在していた先行する料理学校も含め、当時の料理人からは相当反発があったと想像する。が、その中でも結果的に辻の料理専門学校は成功する。その要因はなんだろう?私が考えるに以下である。

1) 現地に飛び、自分の足で数多くのレストランを回り、自分の舌で味わう => 実体験により本物を知る
2) その過程で直の人的交流をし、一流のフランス料理人ともコネが出来、他の料理学校では提供出来無い授業内容で差別化=強みが生まれた => 高付加価値により高額な入学金でも本物に人は集まる
3) 高校時代の音楽に対する姿勢に発し、生徒だけを相手にしてきた料理人、辻徳一と灘萬料理長/近藤雄吉のスキルの差で真髄を学ぶ=>常なる探求姿勢

つまりこれら要因も実は他校にはマネの出来ないという意味では希少性なのだ。学んだことを人に教えないという小さなスケールの希少性ではなく、学んだこと、それも本物を広く人に教えられるという大きなスケールの希少性なのだ。他にマネできなければ、それはつまり希少性なのだから。

何故それが辻に出来たかと言えば、そもそも料理学校を経営する義父がおり海外に飛んで学ぶ資金に恵まれていたという幸運もあっただろうが、そもそも新聞社を止めて料理学校を引き継ごうという決断をしなければこの環境も彼にとっては何の強みでもなかったことを思いめぐらせば、これもまた運命とも言えるのではないか。

一方、常に辻を悩ますのが以前の同僚から言われた「ラーメン屋のおやじのほうがよっぽど立派さ」という一言に発する、「この料理は必要か?」という点。これに対する回答は山岡の以下問い掛けが物語っていると思う。

「じゃあ、世の中には生活に必要なものだけあればいいんですか。そんなことをいったら、文学も音楽も絵も、みんないらなくなってしまうじゃないですか。われわれは何に楽しみを見出すんです?」

そう、本書にもあるが本物の料理とは芸術なのだろう。生きていくには食べていく必要があるが、その目的のためだけならフランス料理は不要かもしれない。だが人生の質を高めるには必要な要素なのではなかろうか?そして他の芸術がそうであるのように万人にそれが必要な訳ではない。絵画、音楽、文学等々の中でも「私はこれを愛でる」という領域や作品が個人個人にあるように、フランス料理も各個人の嗜好により愛でられるものなかも知れない。つまり、分かる人には分かるし、分からない人には分からない。

その環境下で本物の創作と提供が可能な料理人と、たとえ高額な金額を払ってもその品質を味わい、堪能したい顧客という、お互いの価値を理解し合える者たちの関係性の中で繰り広げられる芸術であり、これ自体もまた希少性なのではなかろうか。
 
投稿者 gogowest 日時 
辻静雄氏が料理の世界を追求するうちに、人の縁がつながり、ネットワークとなり、日本に
縁により運が開けていく話はとても興味深いです。開運する人の典型的なストーリーです。
描かれるフランス料理や日本料理の様子はとても興味を惹かれるものがあります。

今回は、人の縁による活動の広がりについてよりも、料理そのものに焦点を当てて考えてみました。

物を食べるのに料理をする生き物は人間だけです。
ミツバチが花の蜜を加工して蜂蜜にするとか、食物を保存して、自然に起きる変化を待ってから食べる生物がいます。しかし、これはその生物が、長年月にわたって取得した自動的行動なので、料理と異なります。そういうことで料理は人間だけがおこなう行為といっていいと思います。

視覚、聴覚、味覚、臭覚といった外的な刺激を受け取る機能は、第一に生存のためにあるのは、あきらかです。
しかし、人間に限っては、五官は人間の内面に形成される存在、精神作用に強く結びついています。言葉、言語は聴覚がなければ成立しないし、人間的文化は言葉で伝えられる部分が大きいです。さらに聴覚に関しては、人間は音楽を作り出して、それを楽しみます。
視覚は、何か意味のある記号を作り出して、文字となり、絵画、彫刻などの表現を生み出しています。嗅覚は香道のようなものがどの文明でもあります。また料理を楽しむときの重要な要素です。味覚は今回のテーマである料理があります。

感覚器官で感受することで、その刺激から、精神の内面にあるものを作り上げて、育てていく。そういったところが人間にはあります。特に味覚にかかわるものが料理ということです。

料理の本質は食欲を満たす以上に、人と食べる喜びを共有することにあるとおもいます。
この本の最初にあるワイン知識を自慢したい人が参加したディナーパーティのエピソードは、それが裏返った例になっています。本来、食事は集う人が楽しめるようにするものです。
料理の本質は、食べる人がより食べやすく、楽しめるように手を加えるという行為です。

味覚は教育によって磨かれていきます。生まれつきではないところが注目すべきところと思います。

この本の中では、辻静雄氏はフランスを訪れた最初のころは、ワインの味がまだわからなかったのですが、20年後にはワインの味は時間で変化が起きていることを自分で気が付くようになっていることからわかります。
同様のことは、ワイン以外にも、お茶の味やみそ汁の味を味わえるかどうかということも関係しているように感じます。
以前、イギリス人と日本人を含んだグループで、食事を自炊して一週間ぐらい合宿形式の勉強会をしていたときに体験したことですが、和食にとても理解のあるイギリス人でしたが、そのとき、出してはいけない料理があって、それは生魚とみそ汁でした。さらに緑茶もだめで、いつもコーヒーだったことを思い出しました。
食べなれていないと、別の文化の特徴的な食物の味わいは理解できないものだとおもいます。

味覚と文化は結びつきがあります。文化によって、味覚の色合いが異なります。それぞれの民族の感性の総体と食材のちがい、風土の違いによって、その民族の料理の文化ができるのかもしれません。

国の文化による味覚の違いのうえに、さらに感性はひとそれぞれです。感受性と感性はことなります。人間の内面で、育つ精神性、それのあらわれが「感性」という言葉で、くくれるのではないかと思います。感性は適切な刺激となる教育が必要です。自分の内面から育つもので外部から付け加えられないものですが、教育によって伸びていくものです。
味覚の確かさと感性には結びつきがあります。

あまり食事の楽しみを重視しない社会があります。それは軍隊です。
日本での戦前の軍隊での生活ではあえて食事を味わうことをさせていないです。用意する手間と時間の問題もありますが、手の込んだ味わう料理ではなくて、簡単なもので、食事時間も極めて短いです。
感性豊かでは、戦闘的な行為に不向きです。機関銃を向けている先を思いやる心を持つ人ではなくて、機械的動作で、兵器を扱うようでなければ、戦闘行為にならないので、必要な栄養成分だけ摂取する献立と短時間の食事時間だけあたえられていたようです。

感性の発達には、五感でとらえた情報をさらに高次のものに内面からとらえて味わうという行為がベースにあります。甘味だけでなく、苦味も酸味も味わうということです。
そういった内面に育まれた感性は、人間の精神性と強く結びついています。多くの味わいをすることで、感性の幅が広がるということになります。

料理の完成形は先人が作り上げた味を知らなければ、そこにたどりつけないもののようです。本書の175ページにチェンバレンのことばとして、出てきます。
さらにその先に進むには、創造する精神が必要で、その時に高度に発達した感性が生きてくるのだと思います。
日常的に出会う料理、文学、音楽など、内面を高めるものを大切にしていきたいです。
 
投稿者 akiko3 日時 
一流を目指したのではなく本物を目指したら。。。

辻静雄氏は日本のフランス料理が本物ではないことに気づき、本物とは?を追い求め、人生をかけて日本にフランス料理を紹介した人だ。その過程は奇跡の連続でワクワクしたが、なぜそんなに本物にこだわるのかと不思議だった。

・新聞社時代に上司の水増し請求を嫌い、タクシーを使わなかった。
・面接でのちの片腕となる山岡の”律義さ”を気に入り、採用した。
・銀行が約束を反故にしても、自分の非として廃業を覚悟、周りに迷惑をかけないことを第一に考えた。
これらのことから、氏の”清さ”ゆえ、偽物を本物と扱いたくなかった部分もあるのでは?と思った。

また、氏には強い知的好奇心があり、かつて音楽で同級生を負かしたこともあったが、ひけらかす為ではなく、ただ自己満足でのめり込んだ結果だった。
それから、半年で鯛を5000枚さばいた時には、できないことができるようになる楽しさは自覚したが、それまでどちらかといえば主体性なく生きてきていたが、”何か創造的なこと””自分の手で何かを作り出すことをしたい”という思いに気づいた。

人生面白いもので、主体性を持つと応援を受けやすくなると、自分でも実感しているが、氏がフランス旅行に行きたいが、単なる個人的欲求でしかない、こんな先の見えないことをしてもいいのかと義父の徳一に打ち明けると、
「お金はかかっても仕方ない。いつも有効に使われるとは限らない」といい、支援をしてくれた。
さらに、山岡には「日本に初の試み、どんなことでも最初にそれをする人間必ず何か発見あり」と背中を押してもらえた。このセリフには、過去の課題本で読んだ誰も成しえてないことを成し遂げた成功者達も思い起こされ、人生で新たな一歩を踏み出そうとする時、成功・失敗の2択ではなく、“何か発見がある”と勇気づけられている。

こうして、氏の本物探求の旅は人脈や幸運も重なり、素晴らしい結果を生み出していったのだが、あるディナーパーティーで元同僚から「やっていることに価値がない」と暴言を吐かれる。
でも、氏は正当化もせず、相手を見下すこともせず、本物にはそれ相当のお金がかかる、そこに価値を感じるか?

”自分たちの料理は無用”と言い切り、そうじゃないふりしてうぬぼれることに意味はないと言った。
自分の人生かけてやっていることは無用でも、うぬぼれて生きるとそれこそ意味がない人生になると言える、偽らないことは氏の軸であり、それは返せば、”本物”を求めることだった。


ストーリーの時代背景を感じながら、自分はしみじみ豊かな時代に生きているのだなと感謝した。
これまでの貧しい時代には食べる為に必死だったり、争いの世では生きるか死ぬかだっただろう。
でも、今は衣食住に恵まれているから、自分の存在価値とは?なんぞに悩みながら、生きることができるのだろうと思ったのだ。

しかし、読後、考えをまとめていたらちょっととらえ方が変わった。
本当の価値なんてその場でわかることの方が少ないのかもしれないと思い、徳一氏の言っていた「いつもお金が有効に使われるとは限らない」と似たようなものに思えてきた。時間がたたないと見えてこないものがあるのではなかろうか?
ふと、宮沢賢治だって童話作家として認められたのは没後だったし、本人も死の数年前から童話を夢中で書いたが届けたい人がいて、書きたいものが自分の中から膨らんできて、そして、それまでの過去の右往左往もダメな自分も否定し偽ることなく受け止め、無我夢中で自分の今を生きた結果、残ったのがあれだけの素晴らしい作品なのだ。

辻静雄氏の場合、氏がフランス旅行で料理を学ぼうとしたことで、フランス人シェフに来日してもらい、日本人が本物を学ぶ新たな一歩につながった。そして、今では日本の旨味、だしを習いにフランス人シェフが来日する双方向の学びになっているのだ。氏が歩み続け、かけ橋となってくれたからだが、最初の一歩は、ただ、自分の知りたいという自己満足の為だったのだ。
いつも有効にお金を使わなくてもいい、価値あることをしなくてもいい、自分の生きたいように生きたらいい。
氏は本物を求めたら一流になったが、一流を目指したわけではなかったのだ。
ただ、自分の人生を偽ることなく、誠意ある態度で(だから誠意ある人達に応援されて)生ききったからなのだ。

では、自分にとっての本物とは?
若い頃は迷いや人をうらやんだり、右往左往してきたが、折り返し中の今は、自分の性格、環境、得意や好きなことを活かして、自分の人生を生きることだと考えている。
何者かになろうとせず、自分の存在価値にこだわらず、比べず、自分の価値観を大切に、今に集中して生きる。

そして、自分がそんな風に生きられる豊かな時代を選んで、生まれてきたことを強く感じたのだ。
そうして、生ききった時が寿命なのではないか?と、今年、母の急逝を体験し、実感していることでもある。
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
私が『美味礼讃』から学んだことのうち、三点を書きたいと思う。

第一に、真の教育者としての姿勢である。主人公の辻静雄は「自分の持つ料理の知識や技能を、一つ残らず全て後世に伝えること」を、人生の使命にしていたように思う。本を読んで、彼の確固たる使命感が自分にも乗り移るように感じた。

確かに、本書を読む以前の私にも「自分の持つものを一つ残らず生徒に教える教師は、素晴らしい」という思いはあった。ところが『美味礼讃』の登場人物の1人、小宮哲夫のエピソードを読んで、これまでの自分の認識は生ぬるかったと感じた。「自分の持つ財産を一つ残らず生徒に教える」ことは、ただの「理想や目指すべき姿」ではなく、「義務であり使命」なのだ、と。逆に「自分の持つ財産を誰にも還元せず独占し、他者を見下す」生き方は、単に「望ましくない」だけでなく「罪」だと。

小宮哲夫は、専門学校側の取り計らいによりフランスで料理修行ができたにもかかわらず、フランスで学んだ料理の技能を、初めは1人で独占しようとした。確かに、競争社会の中で優位に立とうとするなら、そうしたい気持ちも分からないではない。だが、小宮哲夫の学びを具体的に本に書いて出版し、多くの人達がその本を読むことで小宮哲夫は著名になって印税を得ることができ、本の読者もまた豊かな学びを得ることができて、Win-Winの状況が生まれた。知識は人に分け与えることで、自分も他者も豊かにできることを、改めて学んだ。

それにもかかわらず、小宮哲夫はその学びを生かさず、世話になった専門学校に恩を仇で返すように、自分のレストランをこっそり開店した結果、破滅した。小宮哲夫がテレビで脚光を浴びる有名な料理人となったのは、学校からの応援と教育、そして運があったからなのに、彼は「自分の才能と努力だけでここまで成功した。だから自分1人で今後も成功できる」と、愚かにも勘違いしたのである。

人はたった1人で生きていくことはできない。今ここに自分が生きていることは、自分が誰かから愛され、世話され、大切にされ、応援されてきた証拠である。だからこそ、自分の持つ才能を最大限に有効活用して、社会に還元する生き方をしたい、そして、しなければならないと改めて感じた。

小宮哲夫と対象的に、主人公の辻静雄は、アメリカやフランスで次々と素晴らしい人達に出会った時、その自分の幸運を自覚し噛み締めながら、常に感謝の念を持ち続けた。彼らは辻に惜しみなく料理の知識と技能を与え、彼の料理学校の成功を応援し続けた。マダム・ポワンは「たとえ人に技術を教えても、一人ひとり受け取り方は異なる」の信念のもと、息子を愛するように辻を手塩にかけて育て、レストランのコックたちを教育し続けた。彼女もまた、愛と知恵を人に分け与え続けた結果、多くのお客さんをおいしい食事で幸せにし、自分自身も人に愛される人生を送った。辻調理師専門学校が成功したのは、辻静雄の本人の努力ももちろんあるが、幸運や素晴らしい人達との出会いのお蔭も、また大きい。

多くの人に支えられて今の自分があるのだから、辻自身が「自分の見てきたもの、学んできたものの全てを、生徒達に伝える」と固い決意を抱いたのは当然の流れであり、教師としての義務であるとも思う。同時に、その「当たり前」のことを出来ない人が多い(山の手調理師学院の金丸浩三郎のように、ライバルを攻撃して蹴落とすことに精を出し、本来の教育力を改善する努力をしない者もいる)からこそ、辻静雄が調理師専門学校界で抜きん出て成功したのだと思う。


第二の学びは、知識や技能をアップデートする大切さである。『7つの習慣』に「木を切る仕事が忙しくて、斧を研ぐ暇がないのです!」と嘆く、木こりの寓話が出てくる。同様のことは、あらゆるビジネスの世界で起こっている。コックは最たる例で、彼らは日常の仕事が忙しすぎて、他の店で食事を楽しみ、自己研鑽する暇など無いに等しい。そこに気づいた辻は校長として、自分の学校の教職員達に研修旅行をさせ、他の店の料理の味を学ばせた。これは経営者として素晴らしい気付きだと思った。

時代は目まぐるしく移り変わり、流行の料理が次から次へと出てくる。料理人もまた、自分の腕を過信して驕り高ぶることなく、スピーディーな時代の変化に対応して知識をアップデートし、学び続ける必要がある。これは自分にも大いに言えることで、スティーブ・ジョブズが “Keep moving, don’t settle.”と有名なスピーチで言ったように、死ぬまで勉強し進化し続けようと決意を新たにした。


最後に、芸術の重要性である。辻静雄が、新聞記者時代の同僚を招いて食事会をした時、「おれは150円のラーメンで結構なんだよ。フカヒレだの海燕の巣なんか食わなくたって困りはしないんだ」と、妬みの怒りをぶつけてきた男がいた。確かに、生きていくだけのためなら、高級フランス料理など必要ない。栄養が摂れるなら、どんな食事でも構わないはずだ。

だが「ただお腹がいっぱいになれば良い」食事に多大な下準備をし、味・見た目・香りを芸術の粋まで高めたものが、高級料理の素晴らしいところだと思う。高級レストランで食べる食事は、人と一緒に食事する時間を豊かにしてくれ、夢、そして思い出を与えてくれる。その芸術に、辻静雄は全人生を注いだ。自分自身も、自分の仕事を芸術の域まで高め、誇りを持って魂を注ぎ込みたいと思った。
 
投稿者 mkse22 日時 
美味礼讃を読んで

『いずれにせよ、彼が静雄に見返りを与えることなど不可能だったのだ。』(Kindle の位置No.5926-5927)

小宮哲夫の退職に対する辻静雄の気持ちを表現したものだが、忘れることができない一文だ。
なぜなら、私も小宮哲夫と同じ立場だからだ。
私にも多大な恩を感じながらも見返りを与えることができない人がいる。それは私の両親である。
この一文は私に対する両親の気持ちと同じではないかと思ってしまい、
さらっと読み流すことができなかった。

辻静雄は自分の学校の生徒や教員に対して大金と時間と手間を際限なくかけてやっていた。
フランスや香港への海外研修や食べ歩き旅行など、その時必要なことだったとはいえ、
相当な費用がかかることを行ってきた。しかし、小宮哲夫のように、
必要な技術と知識を習得したら彼を裏切る形で去るものも多数いた。

私は研究者になるため大学院まで進み、29歳まで学生だった。
学生の間は、(奨学金を借りていたとはいえ)親からも金銭的援助をしてもらっていた。
しかし、結局、研究者として芽が出なかったため、大学院を退学し一般企業に就職した。
正社員として就職したことにより、一人で生活していくためには
十分なお金を稼ぐことができ、奨学金の返済は進んでいるが、
親への返済はまだできていない。(なお、両親からお金を返せとは言われているわけではない)

ただし、小宮哲夫たちと私では違う点がある。
まずは受け取った金額だ。小宮たちが受け取った金額はほぼ返済が不可能な状況なのに対して、
私が親から出してもらった金額は、大金だが返済ができないほどではない。
奨学金の返済が完了したら、そこから返すことも可能なわけだ。
もうひとつは裏切り方だ。
彼らは退職という選択をすることを通じて自らの意思で辻静雄に裏切ったのに対して、
私は研究者になれず期待に背いた意味でやむなく両親を裏切ってしまった。

小宮哲夫の裏切りをきっかけに、辻静雄は心の底では他人からの見返りを期待したこと、
さらにその見返りを得ることができないことに気づいた。
そのことに気づいた彼は、他人に期待しなくなり、さらには自分の体にも期待しなくなる。
そして、すべてのことを受け入れるようになり、最終的に次のような結論に至る。

『結局、人間にできることは、自分がやってきたことに満足することだけなのだ』(Kindle の位置No.5927-5928)

もし、私の両親も辻静雄と同じ結論に達していた場合、私は彼らにどう接すればよいのだろうか。
少なくとも、私からは「私への金銭的援助はあなた達(両親)がしたかったことであり、
その結果はどうであれ、それを受け入れてね。」とは言えない。

ここでよく考えると、私が両親から与えられたものはお金だけではない。
もっと大きなものが与えられている。それは私の命だ。
これは同レベルのものを返しようのない巨大な贈り物である。このことはすべての人にも当てはまる。

この世で生きている人は、もれなく親から命という返すことができないほどの巨大なものを与えられている。だれもが小宮哲夫のように、十分な見返りを与えることができない立場にいるわけだ。
ただ、お金とは異なり、命は親から子へ子供へ強制的に与えられたものだ。

そうすると、親は子供に対して、「この世に生んでやったのだから、その恩を返せ」と要求することが可能なわけだが、子供からは「生んでくれと頼んだわけではない」と反論されるかもしれない。
特に、社会や学校が合わず、生きることに苦しんでいる子は、生んでくれたことに対して感謝すらしてないかもしれない。
この子供の反論には親は再反論しにくいだろうし、こういうやり取りが続くと親子関係がおかしくなるかもしれない。

このように、見返りをすることが不可能なものを与えた場合、与えた側は、自身の行動が自己の満足を満たすためであることを理解し、見返りを要求しないことが重要だ。それでは受け取った側はどうすればよいか。受け取った側は、与えた側に対して、まずは感謝をして日々を生きてするだけでよいのではないか。というかそれ以外のことはやってもあまり意味がないだろう。
なぜなら、出来る限り見返りをするでもよいのだが、受けとったものとその見返りの差が大きすぎるため
差が埋まることはなく、結局、ただの自己満足になってしまうような気がするからだ。

与えるものと受け取るものの価値の差が大きすぎる場合、交換が成立せず、ただの贈与になってしまう。
そして、この贈与が、(辻静雄が日本のフランス料理界の発展に多大な貢献をしたように)
文化水準の向上に必要なことだということが理解できた。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
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投稿者 masa3843 日時 
久しぶりに、貪るように小説を読んだ。本書の魅力は、痛快な辻静雄の成功譚の中に、主人公の心理と様々な料理の丁寧な描写がある点だ。その痛快さと臨場感に、私は没入した。私は、本書を読み進める中で、冒頭の第1部で静雄の妻明子が感じた疑問と全く同じことを思った。それは、客観的に見れば大きな成功を収めているはずの静雄が、現状に満足しない理由は何なのだろうか、というものだ。第1部の最後で、静雄が感じている無力感の正体は何なのか。彼が、自分は成功したと微塵も思えない理由は何なのか。本稿では、私が本書を読んで感じた、静雄の無力感の正体についてまとめてみたい。

最初に、私が静雄の無力感の原因ではないかと疑ったのは、新聞記者を辞める時の上司の発言である。
『しかし、もし将来きみが成功して学校が大きなってもやな、誰もきみの力やなんていわへんぞ。みんな奥さんの実家の財産のせいやというにきまっとる。』
静雄は、自身の成功が妻の財産のお陰だと思われることが我慢ならなかったのであろうか。そうではないだろう。なぜなら、静雄が周囲からどう思われているかを気にするような描写は、本書の中では見当たらないからだ。義父の辻徳一から500万円を援助してもらってフランス料理の勉強をしに行く際も、周囲からどう思われるかを気にするようなことは一切ない。静雄が感じていたのは、500万円という大金を無駄にしてしまうかもしれないという不安感だけだ。

次に私が疑ったのは、新聞記者時代の友人5人を招いたディナーパーティーの席での、読売社会部記者の発言だ。
『これだけはいっておく。こんな料理は無用のものだ。誰も食べられやしないんだからな。おまえは何の役にも立たないことをやっているんだよ。ラーメン屋のおやじのほうがよっぽど立派さ。』
静雄は、自身の事業が社会的に無意味なものではないかと嘆き、無力感を感じていたのであろうか。このシチュエーションは、第1部のディナーとも重なる部分がある。すなわち、最高級の料理を低俗な人間に食べさせることの虚しさである。しかし、これも静雄の無力感とは関係ないだろう。なぜなら、第5部のディナー後、部下の山岡との会話の中で、自分達の作る高級料理の無用さを笑顔で認めているからだ。むしろ、最高の料理を作ることにうぬぼれてはならないと諫めており、静雄が自身の事業を卑下しているわけではないと考えられる。

では、静雄が感じた無力感の正体は何なのか。私は、その正体を解くヒントが、第6部で静雄が感じた幸福感にあると思う。具体的には、サミュエル・チェンバレンからの依頼を受けて、ニューヨーク・タイムズの料理部長に日本料理を紹介する場面である。静雄は、チェンバレンからの手紙を読んで、これまで受けてきたチェンバレンからの恩に報いることができることに、強い幸福感を覚えている。静雄は、自身の事業を成功させる過程で、多くの人達から多大な恩を受けてきた。義父の徳一から始まり、フィッシャー夫人、チェンバレン、マダム・ポワンそしてボキューズなどだ。フランス料理を勉強するため、そして本物のフランス料理を日本に持ち込むために、多くの人から限りない恩を受けてきた。徳一の死に際しては、『彼に受けた恩に報いる機会が永遠に失われてしまった』と嘆き、マダム・ポワンに訪日を打診して断られた時も、マダムの恩に報いる方法がないことに苛立ちさえ感じているようだった。事業の成功だけでは、恩人たちに報いることができていないと感じた静雄は、深い無力感を感じ続けていたのだと思う。

それでは、静雄は最終的にこの無力感から脱却することができたのであろうか。私は、第7部で静雄が長年感じてきた無力感から解放されたのだと思う。具体的には、小室哲夫の裏切りに深く傷付いた静雄が、
『結局、人間にできることは、自分がやってきたことに満足するだけなのだ』
と悟った時だ。静雄は、自分のやってきたことを素直に認め、自分がそうすべきだと信じてやってきたことの過程で生じた結果を全て受け入れた。その結果、恩返しの義務感から解放されたのではないだろうか。本人は意識していなかったであろうが、静雄は恩返しを義務感のように捉えていたのである。小宮の裏切りを通じて、自身が学校の生徒達に与えていた恩に見返りを求めていたわけではないことに気付いた静雄は、恩返しへの執着を断ち切ることができたのだと思う。

本書は、マダム・ポワンのためにパーティーを開催する計画について、静雄が明子や山岡と話すシーンで終わる。恩返しから解放された静雄は、初めて大好きなマダムを喜ばせることだけ純粋に考えることができたのだと思う。このシーンの3人の笑顔を想像し、事業の成功だけでは得られない3人の幸福感に共感して、私は満ち足りた気持ちになった。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“裏方役に目を向ける”

本書は、本場のフランス料理とは何か、また、それを日本にもたらした辻静雄とは何者かを描いた物語である。フランス料理に無知であった私は、想像を絶する贅沢な食材と芸術とも言える卓越した調理技術から作り出される数々の料理に驚愕した。また、辻静雄にも無知であった私は、周囲の人を惹きつける彼の直向きな人柄と才能、情熱で築き上げた偉業の大きさに魂消るばかりであった。ただ、本書で私が注目したのは、裏方役の存在である。主役が居れば、そこに裏方役がいる。ここでの裏方役とは、フランス料理において料理とそれを作るシェフが主役であるならば、それらを引き立てる役割を担う者たちのことである。また、本場のフランス料理を日本にもたらし、自身の調理師専門学校を日本一にするという偉業を成し遂げた辻静雄が本書の主役であるならば、彼を支える役割を担った者たちが裏方役である。華々しく、鮮やかな役回りを演じる主役に対して、あまり脚光を浴びることのない裏方役。今月は、その裏方役の存在に目を向けることをテーマにし、考察を深める。

まず、フランス料理における裏方役について述べる。フランス料理の主役が数千種類もある料理と、その作り手のシェフであるとすれば、裏方役はメートル・ドテールやソムリエが属するサービス部門になるだろう。なぜならば、メートル・ドテールの一度来たお客の座った場所や頼んだメニューを思い出す記憶力、お客が注文した料理に適したワインを薦めるソムリエの知識は、お客により楽しい時間、より美味しく料理を味わってもらうために欠かせない存在であるからだ。ただ、本書において私がフランス料理の裏方役の仕事で最も印象に残ったのは、「サービスの男たちも休んでいる暇はなかった。彼らは朝から5人がかりでグラスと食器と銀器をピカピカに磨き上げたところだった。」(P.28)というメートル・ドテールやソムリエとは違い、お客の前に立つことのない更なる裏方役の存在について書かれた場面だ。本書を読み、メートル・ドテールやソムリエの存在や役割に関する知識を得たことで、確かに私の世界は広がった。このことは、今度私がフランス料理店に行く機会があった際、料理をより美味しく感じさせ、より楽しい時間にしてくれるのは間違いないだろう。ただ、その時にテーブル上に並ぶピカピカに光る食器やグラスに意識を向けて、更なる裏方役の存在に目を向け、感謝することは、より美味しい料理、より楽しい時間を味わうと同時に、より豊かな人間性を育てることになるのではないだろうか。

次に本書、辻静雄物語における裏方役の見つけ方に付いて述べる。本書において、主役である辻静雄を支えた裏方役は誰か?例えば、伴侶として傍で支え続けた辻明子、学校の経営を一手に引き受けた山岡亨、本場のフランス料理とは何かを伝授したM・ポワンやP・ポキューズは疑いのないところだろう。主役が居れば、そこに裏方役がいる。辻静雄が、そのことを承知していること、だからこそ彼らに対して大きな感謝の念を持っていることは、本書からしみじみと伝わって来る。ただ、私がここで問いたいのは、小宮哲夫はどうなのか?ということだ。小宮哲夫は、辻静雄に最も長く目をかけて貰ったにもかかわらず、嘘をつく形で学校を去り、事業を始めるものの失敗するという裏切り者の典型的な結末を迎える。ただ、結果はどうであれ彼も辻静雄を支えた重要な裏方役の1人だったと私は思うのだ。なぜならば、フランス修行からの帰国後、彼は長い間教授として多くの生徒を育てただろうし、テレビ番組に長年出演したことは学校の大きな宣伝になり事業拡大に大きく貢献していたと思うからだ。ここで私が小宮哲夫に言及するのは、本書の中で私が唯一腑に落ちなかった箇所が、彼が事業に失敗し、失踪したことを耳にした時に辻静雄が彼に対して「かわいそうなやつだと思っただけだった。」(P.490)という場面だったからだ。結末がどうであれ、小宮哲夫も裏方役として支えてくれた時もあったのだと思えれば、辻静雄は感謝の念を持つことができ、それが彼をより大きな人間にしたのではないだろうか(結果として最後に仲違いをすると、そこまでの過程全てが悪い印象に染まりがちなのが、普通の人間心理なのかもしれないが…)。

最後に、裏方の存在に目を向けることを今回のテーマに選んだ理由について述べる。私がこのテーマを選んだ理由は、人生において謙虚になることの重要性を確認するためだ。誰の人生であろうと、人生の主役はその人である。無論、私の人生の主役は私自身である。そして、主役が居れば、それを支えてくれる裏方役がいることも私は心得ている。がしかし、私の視点は、時として自身の立場や思想、信念に偏りがちになる。そして、その偏りは、時に思い上がり、謙虚さを失うことに繋がるのだ。実は、そのことについて深く考えさせられたのが、先月の課題図書「実力も運のうち」の著者の主張、“才能を持った者、成果を出した者は、常にもっと謙虚になるべきだ!”である。本書の主役である辻静雄は、類まれな情熱と才能を持ち、また類まれな結果を残した者だということに疑いの余地はない。勿論、辻静雄が謙虚さの無い人間だとは毛頭思っていないし、彼の人間性や情熱、成し得た偉業に焦点を当てることから得るものは大きいだろう。ただ今回、あえて上述したように、食器磨きのような目に留まらない裏方役の存在や、一見裏切り役で終わってしまいそうな小宮哲夫に目を向けることは、私を謙虚にさせてくれるのだ。例えば、いつも何気なく歩いている道端にゴミが落ちていないこと、いつも何気なく使っている駅の手洗いがキレイなことなどに、今後はそれらの背景にいる目に留まらない誰かに有難みを感じるようになると思うのだ。また、たとえ最後は仲を違え私から離れていく人たちが今後いようとも、彼らが私を支えてくれた時を思い出し、感謝することができるようになると思うのだ(かなり難しいだろうけど…)。よって今回、裏方役の存在に目を向けたことは、私にとって大きな学びとなったのである。

~終わり~
投稿者 tarohei 日時 
 本物のフランス料理を日本で初めて広めた辻静雄という人物がいかにフランス料理の道を究めていったかを綴った伝記小説である。ここでは本質を究めることに観点に絞って本書から学んだことを中心に感想を述べいく。

○ニ種類の人間がいること、本質を究めるということ
 本書では、ブリア・サヴァランの言葉(著書)を引用して、『フランス人は、ほかの民族よりも、ただおなかがすいたから食べるという人間と、味をよく嚙みしめて楽しんで食べるという人間を厳重に区別することに、非常な熱意を燃やしている民族である。』といい、『つまり、世の中には食べるということに関して二種類の人間がいる』、『料理の水準というのは、味をよく噛みしめて楽しんで食べる人のためにつくられる料理によってつねにリードされ、保たれてきた』といっている。
 これは、本書を読んで全体的な印象として感じたことでもあるのだが、世の中には本質を究めようとする人間とそうでない二種類の人間がいる言い換えることができると思った。つまり、フランス人が二種類に分類した、味をよく噛みしめて楽しむ人間は、物事の本質を究めようとし、飽くなき探求心、謙虚な気持ちを持った人間のことを指し、もう一方のおなかがすいたから食べるという人間は、言わば己の本能のまま、我欲のまま、傲慢に振る舞う人間であることに他ならないと思うのである。
 例えば、アメリカの料理研究家メリー・フィッシャーやサミュエル・チェンバレン、プランスの三ツ星レストランの恩人、マダム・ポワン、ポール・ボキューズ、マックス・レモン、ジャン・トロワグロ、近藤雄吉、田辺俊夫、小野正吉たちは正に本質を究めるタイプの人間であろう。一方、それと対比的に描かれている同級生で終生のライバルである金丸浩三郎や役人の町田修一や原野健や大学教授の鈴木忠夫たちは、物事の本質を究めようとせず傲慢で虚栄心や権力欲の塊のようなもう一方のタイプである。村田耕一や最後に辻静雄を裏切ることになる小宮哲夫もその部類に属するであろう。
 辻静雄を例に取ると、言うまでもなく本質を究めるタイプであり、まずは本物を知らなければならないという徹底した探究心を持っていたからこそ、フランス料理を究めることができたのだと思う。だからこそ、本物のフランス料理の味を知るためにどうすればよいかと考えた時、本番フランスへの食べ歩き旅行を実行したのであろう。
何かを身につけるためには、本物を知らなくてはならないし、徹底して物事を追求しなくてはならないということを学んだ。

○なぜ辻静雄は成功できたのか、本質を究める飽くなき探求心
 辻静雄は本物のフランス料理を知りたいと思い、アメリカ・フランスへの食べ歩き旅行を実行する。アメリカでは、料理研究家のメリー・フィッシャー、サミュエル・チェンバレンなどフランス料理界のガストロノミーに合い、料理雑誌編集者のジョン・ベインブリッジやフランスの三ツ星レストランピラミッドを紹介される。フランスではそのピラミッドのオーナーであるマダム・ポワンやMOF受賞者のポール・ボキューズたち多くの料理人から指導を受け、本物の味を覚えるためフランス料理三昧、費用の請求もなく、一切の謝礼も見返りも求めない、至れり尽くせり状態。
 しかし、果たして、事前に手紙でやり取りしたり、紹介状があるとは言え、それだけで見知らぬ外国人に対してそこまで親切丁寧に対応してくれるだろうか。彼ら彼女らが温かく迎えてくれたのは単に彼らがフランス料理をもっと広めたいとか、はるばる極東から来た外国人をもてなしたいとかではないはず。やはり辻静雄本人の本質を究めたいという飽くなき探求心が彼らに伝わったからではなかろうか。
 このことは、例えばフランス料理の研究家や料理人の著作を原語でちゃんと読みこなそうとするとか、学生時代にはクラシック音楽に熱中し、辻静雄の徹底した探求心により造詣を深め、ライバルの金丸浩三郎も尻尾を巻くほどになったというエピソードからも覗える。何かに興味を持つと徹底的に究めないではいられない性格なのであろう。そして、自分自身のフランス料理に対する思いを熱く語ったのだと思う。
 辻静雄の思いに共感したからこそ三ツ星レストランのオーナーやコックたちがこぞって惜しみもなく協力してくれたのだと思う。辻静雄には何か人を引き付ける魅力があったに違いない。本文中にはそういった描写はないのでが、辻静雄が熱く思いを語り、こいつ大したやつだな、ちょいといろいろ教えてやろう、という情景が行間からひしひしと伝わってきたのである。自分の思いを熱く語り、周囲に伝えていくことの大事さを学んだ。

○最後に
 本書は一つのことを究めた辻静雄の半生を描いた伝記小説であるが、料理小説としても読み応えがある。どんな材料でどういう調理法かということが具体的に書かれている。それでいて味については歯ごたえとか香りなどの記述ぐらいでほとんど書かれていない。だからこそ、実際にどんな味がするのか、材料と調理法から思い描くしかなく想像力を掻き立てられ、涎がでる。本書を読み終わって、無性に本物のフランス料理が食べたくなったのは言うまでもなかった。
 
投稿者 Terucchi 日時 
本物のフランス料理を追求する姿勢。

「舌先に一瞬の美を感じる」
この本を読んで、この言葉がふと浮かんだ。私はちょうどバブル期の学生時代にホテルのフランス料理のレストランで、ウエイターとして働いていた時のことを思い出した。そのレストランでは、シニアソムリエ(ソムリエの上級)の資格を持っていた人がいた。当時、シニアソムリエは県内でも数人しかいない存在であったが、その彼がお客様に対して、ワインを出す時の言葉を思い出した。「真夜中の森の中の湖で、月に照らされた水面に一滴のワインが落ちて、波紋が広がる感覚を感じてください。」であった。当時は、何という表現なのだろう、と思ったのと同時に、まさにそう感じさせるものであった。なぜなら、味わうということに対して、繊細でなければ感じとれない領域なのだからだ。今回、この本を読んで、その味を想像するに当たり、その感覚が何度も頭の中に出て来た。そして、その味がワインだけでなく、料理とも一体となり、更にコース全体としてハーモニーを奏でる。何と奥深いものなのか、と考えさせられた。今回、この本を読むことによって、当時のことが思い出されただけでなく、ちょうどフランス料理が広がって行く際の、その提供する側の思いがよくわかった。

私がこの本で最も印象に残った言葉は、辻静雄の『おれは食べるという楽しみを奪われてしまった人間なのだ』(p457)の言葉である。プロであれば、当然のことかも知れない。なぜなら、プロの次元は、食べることを素直に美味しいと思う客と同じ次元であってはならないからだ。すなわち、お客よりも更に上の次元であるべきなのだ。マダム・ポワンの言葉では『料理をつくる人間のつとめは、お客さんにささやかなうれしい驚きをさしあげること』(p36)、すなわち、お客様を喜ばせなければならないからだ。そのためには、プロは楽しみの延長で考えてはいけないのである。食べることが好きで楽しいから、プロになりたいという人は多い。しかし、プロになれば、楽しいと思うことを捨てる覚悟が必要かも知れない。好き嫌いについても、普通の好きだ嫌いではなく、生活の一部となって、好きなのか嫌いなのかも超越した状態でなければならないのでろう。

では、なぜ楽しいという気持ちがなくても、続けることができるのか?を考えてみた。その一つの答えとして、使命感がそうさせるのだと私は考える。なぜなら、使命感とは、楽しいか、楽しくないかの次元が昇華されたものであるからだ。本の中のポール・ボキューズの言葉では『私はきみの国にフランス料理を普及しに行くんだ』(p352)、『未知の国へ神の教えを広めに行くキリスト教の修道僧の気分だという気分』(p360)というのが、それに当たると私は考えるのだ。人にとって、自分のためにだけ生きて芸を磨くのは限界があると考える。それが誰かのため、みんなのために、と次元を上げて考えることによって、自分の限界を超えた何かによって、芸が深まって行くのだと考える。更に、それには感謝の念があり、それを伝えていかなければならない使命にもなるのだと考えるのだ。なぜなら、ボキューズやマダム・ポワンにとっては、フェルナン・ポワンがいたから、自分たちが成長でき、それに対して感謝していると考えるからだ。だから、それを今度は伝える側として、伝えなければならないという使命感が出るのだと考える。孔子の言葉で、『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)という言葉がある。しかし、私はこの本の中で考えると、「楽しむ者はこれを使命を持った人に如かず=使命を持った人には勝てない」なのだと私は考えるのである。だから、使命感によって裏付けされたものがあるからこそ、辻静雄にとっては、楽しみを奪われてもやり切ることにつながって行ったのだと考えるのである。そして、使命を持った者から伝えられた者は、今度は次の者に伝えられて行く使命が宿って行くのではないかと考える。辻静雄から伝わったフランス料理は、今後もこの日本で引き継がれていくと感じるのは、言い過ぎではないであろうで。

ところで、余談ではあるが、私がフランス料理のレストランで働いていた時、20万、30万の高額なワインを飲んだお客様はそのワインの全部を飲まず、4分の1ほど残して帰っていった。理由は、店側のみんなに対して、その貴重な味を体験してもらうための、店側に対するプレゼントなのであった。何と良い気遣いの習慣であるのかと感じたものであった。また、レストランでは食べ終わったお客様から引き下げた皿に余ったソースに対して、指を付けて舐めて味を確認する行為は、行儀の悪いマナーではなく、むしろ必要とされる習慣であった。これら習慣も、良い意味で引き継がれていくことなのだろうと感じた次第である。
 
投稿者 str 日時 
美味礼讃

辻静雄氏の存在がなかったとしたら、本物のフランス調理が日本に伝わるのがどれほど遅れたのだろうか。少なくとも十数年はフレンチ“風“なものが正しい認識として浸透していたのではないかと思える。

本物の料理とは、空腹を満たすこと、栄養を摂取することとは目的が異なり、まさに芸術と呼ぶべきもの。それをいかに味わい、愉しみ、堪能させられるかが普段の食事との大きな違いなのだろう。もっとも、そういった料理に触れることで見栄やステータスだけを気に掛け、芸術性を理解していない人も中には居るだろうが。貧乏舌の自分などはきっとその類だろう。ジャンクフードであっても美味しいと感じるし、空腹時などは大抵のものがそれに該当する。それは料理に対して芸術的な要素を感じようとしたことがないから。なにより、そういった料理に触れた体験がないからだろう。

辻静雄氏は本物を伝えるため現地に赴き、自身の目で、舌で体験をしてきた。“美味しいものを沢山食べ過ぎた”という、羨ましくも感じ取れる表現ではあるが、実際のところは身体に多大なる負担を掛け、まさに命を賭けた芸術家であるといえよう。

百聞は一見に如かず。何事も自ら体験してみなければモノの良し悪しは分からない。いつか私自身が“本物“とされる料理を食す機会があったとして、そこに芸術性を感じ取れるのか、無頓着に唯の食事として終わってしまうのかも、その時になるまで分からないのだろう。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
美味礼賛

本書は辻調こと辻調理師専門学校を設立した辻静雄の半生を通して、日本に本物のフランス料理が広まっていく様子を記した伝記小説である。
一介の新聞記者だった辻静雄が、妻・明子と出会い、結婚時は学校を継がないという約束だったにもかかわらず、義父が経営する料理学校を継ぎ、何かしなくてはならないという気持ちから始まったのが、調理師専門学校の設立だった。それから本物のフランス料理を知るために奮闘する静雄に対し、出会う多くの人が手や、持っている情報や、技術を差し伸べ、成功の後押しをしてくれる。静雄と関わる人達との関係が心温まるストーリーとして紡がれている、とても幸せな読後感を味わえる一冊だった。
(お酒を飲めずワインの味など全く分からなかった静雄が、マダムポワンの手ほどきを受け、フランス料理を学び20年経ってワインの味がわかるようになったシーンは、隣にいた山岡以上に私の目に涙が浮かんでしまったと思う。本書の中で一番印象的なシーンだった。)

本書の中で私が学んだことは、人に報いる何かを持ち、それを他人に与えることで、次の幸せを手に入れることが出来るという事だ。
マダムポワンやフィッシャー夫人やチェンバレン夫妻を始め、多くの人が自分の持っているものを静雄に与えてくれた。特にマダムポワンを始めフランスの方々は食事代だけでなく宿泊代も受け取らないなど普通では考えられないような支援をしている。その結果、静雄が日本に帰ってきてからの静雄ならびに学校の成長・成功に繋がっている。それが更なるより良い関係に繋がり、幸せの輪がどんどん広がっていく。
義父の徳一も調理師学校の設立やフランス料理を学ぶための援助をした。学校設立も渡仏も、どちらもかなりのお金がかかっていたが、結果的には何倍にもなって返ってきた。
永井も奥村組からの相談だったとはいえ、校舎の建替え資金に困っていた静雄に融資をしたことで、その後辻調理師専門学校が銀行にとっての重要な取引先になっただけでなく、静雄から何度も声をかけてもらい一緒に食事を楽しむ間柄となった。永井の妻も、静雄のところへ招待されるのをとても喜んでいた。
一方で、村田のように「あんたがシェフを目指すつもりなら教えられない」と言い、学校に来る生徒に対してもある程度までで全部は教えないと言う人物や、小宮のようにせっかく学校が雇ってくれて目をかけてくれたのに、得た知識や技術をひけらかすだけで他人に与えることの出来ない人物は、人に報いる何かを持っていたにも関わらず、他人に与えらえなかったがために残念な最期を迎えている。

この自分の持っているものを他人に与えている例を現代に置き換えてみるとどうなるのか。
YouTubeを見れば鮮度の良い魚の見分け方を教える魚屋や、野菜の見分け方を教える八百屋、チーズケーキのレシピや作る際のポイントを教えているMR.Cheesecakeなど、自分が持っている知識や技術を公開している人は沢山いる。再生回数が多かったり、多くの人高評価もしくはポジティブなコメントを残していたりすると、より多くの仕事が来たり、活躍の場が与えられたりしている。
自分の仕事に置き換えても、自分が知っていることを後輩に教え、それにより上手くいってくれた時は、自分が上手くできた時と同じくらい嬉しかったりする。こういったことは幸せの一つだと言えるだろう。

 ここまで述べたことを踏まえ、自分がこの先より幸せになるためにどうすべきかというと、一つは自分の仕事のレベルをもっと高めて、次の世代が自分よりも早く成長・成功するように支援することだ。自分の仕事の質を高めるためにも、持っている知識や技術を伝えることを意識的に取り組むことが、結果的に自分に還ってくるのだろうと改めて感じた。
もう一つは自分の趣味でやっていることのレベルをもっと高め、他人に与えられるような何かを持つようにしたい。趣味でやっていること、例えばフットサルやコーヒーの焙煎、薪ストーブに関連した知識や技術など人からお金を頂けるようなレベルではないので、お金を貰えるようなレベルまで高められれば、他人に与えた時に喜んでもらえるだろうし、それにより新たな繋がりや予想外の展開が生まれ、次の幸せに繋がっていくのではないだろうかと思う。
このように考えると「10年後に後悔しない生き方セミナー」で既に教わったこと本書の内容が実はとても繋がっていたのだなというのが本書を読んでの学びです。
 
投稿者 msykmt 日時 
"居つかない"

「居つかない」。このことばは、その名のとおり、居つくという動詞の否定形である。では、居つくとはどういう意味かというと、主に武道で使われることばで、足がその場に止まってしまったがゆえに動けない状態を意味する。その反対に「居つかない」というのはどういう状態かというと、いまこの瞬間からどの方向にでも自由に動ける状態を意味する。なぜこのようなことを説明しているのかというと、本書を読んだ後に、私の心に浮かんできた印象、あるいは感想を一言であらわすことばのうちで、もっともふさわしいものが、この「居つかない」だったからだ。したがって、本稿では、この「居つかない」ということばが、なぜ私の印象に浮かんだのか、をふりかえってみたい。

第一に感じたことは、本書の主人公である辻静雄のキャリアのありかたが「居つかない」を体現しているという点だ。そもそも、彼の人生そのものが「居つかない」を体現していると言っても過言ではないものの、そのなかでも、とりわけキャリアチェンジを決断する場面で「居つかない」態度というか、そういう力を発揮する。どういうことかというと、本書で彼の妻がいうように、彼はそういう場面で簡単に捨て身になれるところがあるのだ。たとえば、彼が最初に就職した新聞社の記者から、料理学校へ仕事をかえるときにも、その力を発揮している。このとき、彼は料理学校の仕事には、なにも魅力を感じていなかったものの、義父である辻徳一の意向、それは徳一の子である明子とその子どもに財産を受け継がせたいという意向をくんだものであったのだ。また、その時代における調理師法の施行開始という風向きをよみ、素人向けの料理学校の仕事から、調理師向けの学校の仕事に軸足を移していく様も見事に「居つかない」様をみせてくれる。

このように、辻静雄は、自分のやりたいことにこだわらず、周囲の状況、いうなれば、そのときどきの風向きに逆らわずに、柳に風といった風情で、そのときどきの風が吹いた方向へしなやかにキャリアの軸足を移していく。そして、その結果、あたかもその追い風を受けて運ばれたかのように、彼はかつて、だれもやったことがない本物のフランス料理を日本に持ち込むという偉業をなしとげたのだ。かたや、それと対照的なのが、辻静雄の一番弟子でありながら、辻静雄に対して裏切りで報いた小宮哲夫、そして辻静雄の同級生でありながら、逆恨みにより調理師学校協会幹部の立場から辻静雄の足をひっぱりつづけた金丸浩三郎だ。彼らのふたりとも、辻静雄とは対照的に、そのときどきの風向きに逆らって、自我を押し通しつづけた。つまり、居ついてしまったのだ。それがゆえに、ふたりとも最終的には衰退していった。このことから、キャリアにおいて「居つかない」ことが、自身が成長するため、あるいは、衰退しないために、いかに重要であるのか、という気づきを私は得た。

第二に感じたことは、辻静雄は後進の育成においても、彼らが「居つかない」よう配慮をしていたという点だ。どういうことかというと、本書の冒頭の場面にも出てくる豪華なディナー・パーティーを辻静雄が開く目的は、学校の教員の腕が「居つかない」ようにするためのものだった。なぜかというと、その教員たちの相手にするのが、生徒だけであっては、辻徳一のつくる料理のように、居ついてしまうからだ。だから、辻静雄はパーティーを開くことにより、教員のつくる料理が客の舌によって試される場面を意図的につくりだす。そして、辻静雄が教員たちの料理の最終のできあがりの味を判定する。そのことによって、学校の財産である教員の腕が「居つかない」ようにしているのだ。また、辻静雄は彼の息子と娘に、海外で教育を受けさせている。これも、彼らがうまれた島国で狭い見識のままでいてしまっては、居ついてしまうから、「居つかない」ように、そのように教育を受けさせているのだとくみとれる。このことから、後進の育成においては「居つかない」ようにさせることが、後進が成長するため、あるいは、衰退しないために、いかに重要であるのか、という気づきを私は得た。

以上のことより、「居つかない」という一言に、本書に対する私の感想が集約される。このことばが、これからの私のキャリアに、そして、私が私の周囲の人たちに与える影響に、よい効果をもたらすと期待している。なぜならば、「居つかない」ことが、成長するため、あるいは、衰退しないために、重要であることを私は本書から学んだからである。
 
投稿者 sarusuberi49 日時 
【人生の味をよく噛み締めて生きる側の人間を目指し精進したい】

私が本書で最も感銘を受けたのは、辻静雄と明子に対してフィッシャー夫人が言った「世の中には二種類の人間がいて、二種類の料理がある」という台詞である。この「味をよく噛み締めて楽しんで食べる側」と、「空腹を満たすために食べる側」とについては、「世界をリードし、新しいものを創造し続ける側」と、「彼らの後ろをついていき、エンタメとしての喜びを提供される側」とも言い換えられる。前者の側は、人一倍の苦労を重ね莫大な費用と長い時間と忍耐心を伴って学び続けなければならず、そのためなら体を壊し寿命を縮めることすら厭わない覚悟も必要である。しかも真に道を極めたが最後、それを心から楽しむことはできなくなってしまう。それに対して後者の側は、料理を美味しく味わい空腹を満たす喜びを感じ、ひとときの慰みを得る事ができる。真の本物を求めるような高望みをせず普通の幸せを望むのなら、そこそこのクオリティでも十分なのである。一体どちらの側が幸福なのだろうか。一般的には後者である。しかしこれを料理の話ではなく人生の話に置き換えると、状況は一変する。前者の側にこそ、悔い無き人生に必須の生き甲斐の存在が感じられるからである。辻静雄の人生を紐解いて考えると、彼は料理の味を噛みしめることに人生を捧げるため、自身の人生をも深く噛み締めて味わい尽くすこととなったと言える。よって私は本論で、辻静雄の「人生の味をよく噛みしめる」生き様から学んだ点について述べてゆきたい。

本書によれば、大学卒業後新聞社に勤務し、安定したサラリーマン生活を約束されていた辻静雄が、結婚後思いがけず義父の経営していた料理学校を継ぐことになったのは、本人の望みというよりは成り行きであった。しかし、高校生の頃クラシック音楽にのめり込むなど本来求道的な性質が強く、タクシー代を水増し請求して懐を肥やすような新聞社のせこい上司にうんざりしていた辻静雄は、ひとたび経営者としての運命を受け入れると、「本物を知る料理人を育て、日本に本物のフランス料理を根付かせる」ことを自分の使命とし、料理学校の運営に邁進してゆく。私はこの「本物志向」の姿勢こそ、料理人やガストロミーを目指していない私のような一般人が、本書から学ぶべきものであると考える。なぜならば、本物を理解するために本物の人間性を磨こうとする生き様こそが、「人生の味をよく噛み締めて生きる」ことに他ならないと考えるからである。

本書の例を挙げれば、ひとたび覚悟を決めた辻静雄は、まだ何者でもないうちから行く先々で驚くべき歓待を受けることとなる。初渡米の際は料理もワインも食器についてさえも全く分かっていなかった彼が、そこから命を削るような貪欲さで学び続け、やがてフランスの三つ星シェフ達も舌を巻くような圧倒的な知識を吸収していったことには頭が下がる。本書には、辻静雄の未知の領域への深い探究心、フランス料理の世界を真摯に学び尽くそうとする情熱、そしてフランス料理への愛情と畏敬の念が、海外の一流シェフやガストロノミー達の心を動かし、奇跡のような友情を育んでいったエピソードが紹介されている。おそらく、本物を知るために本物の人間であろうとする辻静雄の人間的魅力に、志を同じくする人々は惹きつけられ応援せずにはいられなかったのであろう。全くの無名だった辻静雄が、それまで日本のフランス料理の権威とされた人々を瞬く間にゴボウ抜きして日本での第一人者に躍り出た後も、彼は他人との勝ち負けなど眼中になくひたすら本物の探求に人生を捧げた。これは、おそらく本書の中のポール・ボキューズやジャン・トロワグロなどの名だたる天才シェフたちも同じであり、だからこそ美しい友情が長く続いたのだと考える。

本書では辻静雄が、自分はサポートを得るばかりで何も恩返しできていないと嘆くシーンがあったが私はそうは思わない。辻静雄の本物を探求する努力は料理に付随する文明の探求にまでおよび、フランスから文化普及の貢献を認められ表彰されるまでになっているし、今やフランス料理が日本料理からインスピレーションを得て進化していることも、辻静雄の貢献と無関係とは思われないからである。辻静雄の歩む道が「人生の味をよく噛み締めて生きる側」であり、料理以外の分野に対しても本物志向だったからこそ、同じような求道者との縁が深まって、新聞社のサラリーマンからは想像もつかないほどの、豊かで彩り鮮やかな人生になったと考える。

以上のことから私も本物に近づく努力を続けたい。辻静雄自身、日本料理についての知識不足を自覚するやいなや吉兆に通いつめるなど、本物のガストロノミーとして足りない部分を貪欲に学び続けることを生涯怠らなかった。そうであればなおのこと、年齢や立場を言い訳にせず「人生の味を噛み締めて生きる側」を目指し毎日を丁寧に過ごしたい。本書で示された通り、本物の人間性を磨くことが良い運やご縁を引き寄せる糧となってゆくからである。
 
投稿者 daniel3 日時 
 本書では辻静雄という新聞記者であった男が、日本を代表する調理師学校を築き、日本に本場のフランス料理を広めていく半生が描かれています。当初は主婦相手の調理学校の仕事に興味が持てず、タイのさばきだけが上手くなる退屈な過ごしていました。しかし、本場のフランス料理を紹介する本に出会い興味を惹かれ、ちょうど調理師学校制度が日本に設立される時代の流れに乗り、大きく飛躍していきます。辻静雄が、同時代の多くの調理師学校経営者とは異なり、大きく成功できた要素はいくつかあると思いますが、その中で特に大きな要因となったのが「未知のものへの好奇心」であったと思います。

 一読した時には上記の点には思い至らず、彼の人生はなんて人との出会いに恵まれているのだろうという印象が残りました。まず料理学校経営者の辻徳一に出会い、その娘と結婚します。その後大金がかかるフランスでの料理研究の旅が何の成果も生まないことを覚悟で支援してくれることになります。フランスに着くまでにもフィッシャー夫人やチェンバレンさんとの出会いがあり、フランスではマダム・ポワンに毎日最高の食事と宿を提供してもらうという経験をしています。もちろん、辻静雄を経営面から支えてくれる山岡亨の存在も大きかったと思います。こうした人々との出会いが彼の成功の重要な要素であったことは確かではあると思います。しかし、なぜこれらの人々が辻静雄をここまで支援したのでしょうか?

 その理由として辻静雄が幸運であると同時に、これらの人と出会い、そのお眼鏡にかなう準備された心を持っていたことにあると思います。その準備された心が、冒頭であげた「未知のものへの好奇心」であると思います。それを裏付けるエピソードとして、高校時代にクラシック音楽を聞き込み、やがてライバルの金丸浩三郎を打ち負かしてしまうほどハマってしまった経験です。また、大学時代にエッセンというレストランで毎回違うメニューを頼む行動により、メニューにない料理を店主に提供させたというところからも読み取れます。何か未知のものに出会い、追求していく人を、他の人は応援したくなるのだと思います。自分の例に置き換えてみても、部下が仕事をほどほどのところで仕上げる場合と、もっと向上したいという熱意を持っている場合とでは、成長させたいという気持ちに差が出てくるのは、人間であれば当然だと思います。

 話は少し変わりますが、辻静雄が料理という世界に触れた時の好奇心に近い体験が、最近の私にもありました。それは、妻が昨年からファッション関連の学校に通い始め、副業をしたいという状況になったことから始まります。当初はただ妻の頑張りを応援するだけでしたが、今年のS塾トップ3%クラブへの参加がきっかけとなって、SNSでの情報発信を手伝うことになりました。情報発信を行うからには、その世界の知識について、多少なりとも知っておく必要があります。ファッション、特に女性向けの情報など、ほぼ関心のなかった私に取って、インフルエンサーのSNS分析や女性雑誌を眺めることなど、強烈な違和感を持ちながらのスタートでした。最初はスカートの丈にしても、「スカートの丈とスピーチは短い方が良い」といった結婚式の定番スピーチネタくらいしか思い当たらなかった人間だったのが、マキシ丈やミモレ丈の違いを知り、女性がこんなにも色々なことを気にしているのだと気づいたことは、第三の目が見開かれた経験でした。そうして、未知の世界の小さな差異を知るほどに興味が湧いてきました。そして世界には、まだまだ色々なビジネスの種があるのだと思うようになりました。

 上記の例を出したのは、料理もファッションも生きていくために最低限必要な要素が満たされていれば、それに満足する人がいるという類似性に気付いたからです。しかしそこに小さな差異を見出し、楽しむ人間がいることもまた事実です。特に、最低限の欲望が満たされ、個人の趣向が細分化されていくこれからの社会にとって、未知の世界に好奇心をもって取り組んでいく姿勢は、これからの私たちの生き方にさらに重要になってくると、本書を読んで確信が深くなりました。自分の心、物の見方で結果も変わってくるのかと思った読書でした。
 
投稿者 vastos2000 日時 
本書は辻調グループを創設した辻静雄の半生をフィクションの形をとって描いた一冊。辻静雄の名前や辻調理師専門学校の名前は聞いたことがあった。数年前にそこそこ売れた本『英国一家、日本を食べる』の著者のマイケル・ブース氏も辻の書いた『Japanese Cooking : A Simple Art』を参考に日本料理のルポを書いている。
辻静雄は本になるほどの人物であるから、当然抜きん出た部分があり、運にも恵まれていたのだが、なぜ名を残すことができたのか、そして氏が創設した辻調理師専門学校をはじめとする辻調グループが、「東の服部栄養専門学校・西の辻調理師専門学校」と呼ばれる2大調理師学校の一角を占めるようになったのかが描かれているが、今回は印象に残った点を3点取り上げることにした。


【いい学校とは】
開校二年目の入学者数が減り、辻静雄と山岡亨はいい学校(魅力的な学校)とはどんな学校かを考えるが、そのために実行した戦術は義兄から聞いた「生徒が休んだら家庭に連絡をすることを欠かさない」ことだけで、戦略として本物の西洋料理を教える学校を目指した。それは全国の高校や高校生にも伝わり、「どうせ勉強するなら、本物の料理を勉強したいと思ったんです」(p405)という入学者が集まるようになった。私は学校法人で働いているので本当にこれが重要だと思う。
ハッキリとした目的意識を持っていない生徒はアクセスの良さや設備の新しさや清潔さ、学校パンフレットから受ける印象などで受験校を決めてしまうが、目的意識をしっかり持っていれば学ぶ内容に目が行く。私はその好例が秋田の国際教養大学や金沢工業大学だと思っているが、私が働く学校では学びの本質的な部分の向上ができているとは言いがたい状況だ。専門学校であれば「即戦力の養成」がもとめられ、大学でも資格取得を目指す学部であれば当然に資格取得や専門職への就職が求められるが、ここで結果が残せていない。昨年から予算配分に関わる部署に配属となり、なんとか学校をよくしたいと思っている時に本書を読み、あらためて魅力的な学校とはどんな学校であるかを考えさせられた。入学者が求めていることは入学者アンケートなどを通じて概ね把握しているので、それに応えられなければ退場するしか無いと、あらためて思わされた。


【なぜ辻静雄は良縁や幸運に出会えたのか】
マダム・ポワンをはじめとして、辻静雄は多くの者から大きな恩を受ける。大部分が史実に基づいていると思うが信じられないくらいの親切な対応を受ける。
私は、この要因は辻静雄が行動したことだと考える。M・F・K・フィッシャーが辻夫妻を迎える場面で『アメリカのファンでさえ、お会いしたいといってじっさいに会いにきた人間は何人もいなかったのだ』、『ただ話をするだけのために太平洋を越えてやってくる人間がいるなんで、彼女にはおどろくべきことだった』(p155)とある。
義父に多額の金を用意してもらい、本場フランスへ料理を食べに行くという行動力がフィッシャーやチェンバレンの心を動かし、それがマダム・ポワンやポキューズへと波及しいったのではないだろうか。

【恩人達に報いること】
最初のフランスへの渡航費用をだしてくれた義父の辻徳一を始め、フィッシャー、チェンバレン、マダム・ポワン、ポキューズ達から受けた親切に報いたいと思ったが、何も返せるものがなく、辛い思いをしたことが、学校を成功させると言うことのモチベーションになっている。本書ではよく金丸の山の手調理師学院が対比的に描かれる場面があるが、両者は出発点から異なる。山の手調理師学院は金丸自身の成功欲が原動力になっているように感じられたが、それに対し、辻調理師学校は生徒のために良い学校になろうというのはもちろん、恩人達に報いることが原動力になっている(p242)。いわば、「自分のため」と「ひとのため」の二つのエンジンがあるような状態だ。


【この本から得たこと】
特別な才能がなくても、大量の情熱と努力を投下すれば成功できる分野はあるということが再確認できた。そして自分のことに当てはめてみると、実にぬるい人生を送っていると痛感させられた。すくなくともあと1年は今の仕事を頑張ると決めたのは3ヶ月ほど前だったが、悩むばかりで勉強量(行動量)が足りていない。以前の学生募集の部署にいたときは身銭を切って勉強することに大した躊躇はなかったのに、いまはカネと時間を惜しむ自分がいる。これでは他の部署に異動になったり、転職したりした時も組織に貢献できるという自信を持つことができない。
辻静雄はたまたま結婚相手の親が料理学校をやっていたのであって、自ら望んで調理師学校の世界に飛び込んだ訳では無い。それでも覚悟を決めて健康を害するほど料理を食べ、いい学校を作っていった。私自身もいつまでもグズグズしていないで運命を受け入れる覚悟を固める必要があり、以前のように情熱などのリソースを投下すれば(規模は違えど)辻静雄のように、成果を得られると思えた。


【余談】
本書においても山の手調理師学院との対比で辻調理師学校の学費の高さが書かれているが、現在でも調理師専門学校の中では高額な部類に属する。静岡の調理師専門学校の学費は2年制で260万円程度だが、辻調理師専門学校は400万円弱を必要とする。それでも生徒が集まるのは、それだけのリターンを得られると考えられている、つまり魅力的な学校であるのだろう。
 
投稿者 3338 日時 
この本は日本の高度成長時代に、フランス料理と文化を広めたフランス料理の研究家の物語。絵に描いたように「行動すれば次の現実」を地で行く男の興味深い人生が描かれていた。

辻氏はガストロノームとして、非常に優れた味覚と感覚を持っていた。それを支えたのが彼の教養と非常に優れた五感であると考える。p76〜77に中学三年生からクラシックを聞き始め「なかでもベートーヴェンとバッハは〜中略〜演奏者によるそれぞれの微妙な音の違いまで理解できるほどになった」と言う記述がある。辻氏が楽器を嗜んでいるわけでもないのに、中学三年生から高校生までの2〜3年で、これらの音の違いを聞き分けられるようになったということが、どれほど研ぎ澄まされた感覚を持っているかを説明することは難しい。

なぜならば、私は小学生からピアノを弾き、クラシック音楽が好きで、一時期はそれなりにコンサートに通っているにも関わらず、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団とウィーンフィルのベートーヴェンの5番は、聞き分けがつかないからだ。曲によっては分かりやすいものもあるが、本書を読んで感じる辻氏の感覚の鋭さには、人間離れしたものを感じる。

これを成功体験と呼ぶなら、辻氏はかなり深い成功体験のフレームワークを持っていたことになる。資格試験などの基準が明確なものではなく、基準が感覚と言える成功体験を持っていたからこそ、その後の成功があったのではないかと思えた。


ところで、辻氏が最初のフランス行きを終えた頃、高度成長期に入った日本は、フランス文化とフランス料理を受け入れて行く土壌があった。人々は将来に夢を持ち、より豊かになるために働くことを良しとした。石炭から石油へとエネルギー革命を経て、世界に類を見ない経済成長を遂げる。

そして、所得の向上は家事の電化など豊かな生活をもたらし、その中で各家族化と共に、クリスマスや誕生日のお祝いなどの行事が一般的に行われるようになって行く。西洋料理からフランス料理へと人々の認識は変わり、これが外食の文化と結びついて行く。

本来のフランス料理はルイ14生の宮廷で確立され、「オートキュイジーヌ」と呼ばれていた。古い食材をある程度美味しく食べるために工夫された料理法で、バターやクリームを多用し、風味を整えるために香辛料や香草類も多用した。そして、現在のフランス料理のベースは、「ヌーベルキュイジーヌ」であり、その確立に大きな影響を与えたのは日本料理だった。これはバターやクリームを多用したフランス料理から、健康を意識した素材を生かすスタイルへの転換を遂げ、魅せる盛り付けは当に和食の手法を取り入れている。

その後、新鮮な素材を生かす手法とバターや伝統的なソースの重要性が再確認され、オートキュイジーヌの伝統を土台とした「キュイジーヌ・モデルヌ」というスタイルが現代のフランス料理の主流となっている。
和食は「引き算の料理」と呼ばれ、素材やソースを何層にも重ねていく「足し算の料理」であるフランス料理に多大な影響を与えた。それまでフランス人が知り得なかった、昆布と鰹節で取った出汁・醤油・わさび・柚子・山椒などの食材や和食ならではの演出や食器の使い方と出会ったとき、フランス料理は大きく進歩した。


本書を読み進めて行くと、辻氏はいつも幸運に恵まれる。アメリカからフランスへ、不安に思いつつ、躊躇しながらもどんどん進んで行く。感情に振り回されることなく、淡々と進んで行く姿は憧れさえ感じる。進んで行くに従って、いくらお金を積んでも、動かないような人々が辻氏のために奔走する。なぜ彼らは異邦人である辻氏を、ここまで愛するのだろうか?

例えば、p155で「ただ話をするだけのために太平洋を越えてやってくる人間がいるなんて、彼女には驚くべきことだった」とフィッシャー氏は語っている。そしてチェンバレン氏とフィッシャー氏の交友関係に思いを巡らす辻氏。この二人のガストロノームの目に、辻氏は語るに足る人物であると映ったのが文脈から感じられた。辻氏に会うことでその為人を感じ、辻氏が何を為したいのか、この二人は感じ取っていたように思う。

マダム・ポワンのピラミッドで、p193に「この間、マダム・ポワンは〜中略〜ボーイのこういう見事な動きを見たのは初めてだった」とあるが、辻氏は見るべきところをしっかり抑えている。こういった文化を日本に持ち帰りたいと願う辻氏の在り方がマダム・ポワンの信頼を得ることになり、それがボキューズの信頼を得ることにもつながって行く。
 
フランス料理とフランス文化の本質を捉え、それに魅了され、日本に紹介したいと願う辻氏の在り方が、彼らの自尊心をくすぐったようだ。本書をには無いが、辻氏は彼らの料理を相応しい言葉で美味しいと言った筈だ。その後の彼らの友好な関係を見ればそれは想像にかたくない。私には、辻氏は教養の深さと天性の優れた五感を駆使して、全身全霊で彼らに相対し、その結果、彼らにガストロノームとして認められたとしか考えられなかった。
 
運が良くなるにも人に認められるのも、やはり五感を磨かねばと考えさせられた作品だった。もっとお琴のお稽古に時間を割かねばと思いつつ、なかなか時間の取れない私は、やはりなかなか凡人の域を抜け出せないでいる。せめて先生を早く見つけて、師事しなければと自分のお尻を叩くことにしよう。