第100回目(2019年8月)の課題本
8月課題図書
知られざる皇室外交
例年8月は戦争関連の書籍を選ぶんですが、それなのになぜこの本が?というと、
上皇陛下こそが先の大戦によって人生の進路を大きくねじ曲げられた人だからです。
現人神といわれた昭和天皇の子供として、戦争加害者という受け止められ方をされながら、
父親の名代として世界中で慰霊の旅をすることを、生涯の事業と位置づけた人なんですよ
ね。
戦争加害者の直系子孫という重い十字架を、上皇陛下は真正面から受け止め、この逆境を
赤誠で乗り越え、今や世界で最も尊敬される君主になったわけです。これを陰で支えた上
皇后もまた人間離れした徳と知性がありまして、この本を読むとこの二人三脚は人類に於
ける夫婦像の理想型なんじゃないかと感じるんです。
ということで、戦争関連の番外編としてお楽しみください。Happy Reading!
【しょ~おんコメント】
7月優秀賞
一次審査を突破したのが、tsubaki.yuki1229さん、gogowestさん、
BruceLeeさん、tajihiroさんの4名です。この方々は、今月は本書を読んで自分なりにあ
れこれ考えて、その考えたことがそれなりにピントが合っていた方々です。で、この4名
の投稿を読み直したところ、tajihiroさんは締め切り後の投稿だったため除外し(期限内
の投稿だったら・・・惜しかったですね)、最終的にtsubaki.yuki1229さんに差し上げる
ことにしました。
【頂いたコメント】
投稿者 ghc01447 日時 2019年8月13日
5回目の投稿になります。よろしくお願い致します。
「知られざる皇室外交」を読んで
・天皇の国事行為なので、外交の言葉が適切でないのは著者もこの本の中で書いておりますが、それでもあえて外交の言葉を使い、この本を上梓した意味は読者として深く受け止めないといけない…と読了して理解出来ました。
・世界的には、まだまだ第二次世界大戦での戦争責任や贖罪を求める国や人民は多いのですね。これは日本人の一人として、忘れてはいけませんね。そして、その重い責任を天皇陛下と美智子皇后はこの本で言う外交で各国の関係改善に一つ一つ丁寧に努めている事が伝わり、改めて敬愛の念を抱かずにはおれません。
本来、仮に昭和天皇に戦争責任があったとしても、その子にあたる明仁天皇に責任は及ばないのですが、自分の責任だと思って、その外交として務めているお姿に相反して、責任転嫁ばかりするどこかの政治家や官僚や公務員などはその厚顔無恥を猛省して欲しい所です。
しょーおん先生のセミナーで教えていただいた「責任は自分にある」の考え方の大切さを再確認したと思います。
・そして、戦争は絶対にいけませんね。日本の一国民の私としては、この天皇陛下のご努力と戦争反対の意思を継続しつつ、後世・次世代に伝えて行く責務があると再認識しました。簡単に「戦争してしまえ」などと言ってしまう人には、その恐ろしさを知ってもらうべく、行動すべきだと思いました。
・そんな各国との関係性を深める上での晩餐会や午餐会の大切さも知る事が出来ました。皇室と比べるのも恐れ多い事ながら、自分自身に置き換えてみますと、真に仲の良い者とは確かに食事を共にする事がありますが、そのメンバーがこの数年間は固定化してしまっている感があります。自分の将来の為にも食事を共に出来るメンバーを増やす必要がある事を考えさせられました。
・ドンペリニヨンがこの様な晩餐会等でも出されるのは、やはり本物の一級品なのですね…一度は自分のお金で飲んでみたいと思いました…笑 一流を知る(知っておく)必要がありますね。
・料理等のおもてなしも大切ですが、相手の心に突き刺さるスピーチや所作も大切であり、それが出来るようになる為には、相手の気持ち・立場・過去・歴史的背景などを十分に知る事が大前提であり、必要最低限の礼儀でもあるのだと知り得たと思います。自分のビジネスや人脈構築にも活かして行きたいと思います。
・国賓と公賓の違いやその儀礼・マナーの違いも分かっておらず、恥ずかしい限りでしたが、勉強になりました。また、これらの行事をこなす外交官や宮内庁職員や警備の人々などの失敗の許されない仕事の大変さも知りました。私自身も仕事に対する考え方をもっとシビアにして、甘ったれた考えを捨てて職務を遂行すべきであると肝に銘じました。
・美智子皇后のお力添えもご立派すぎて平伏するのみです。ご苦労も多いと思います。それを感じさせないお姿も神々しく感じます。私ごときが遠く及びませんが、陰で努力し、苦労を見せず、不平不満を口に出さない強い人間になりたい、近づきたいと、勇気と希望をいただいた気がします。
・短歌をたくさん詠まれているのも知らず、驚きでした。その内容・句も不勉強の私ですら美しさや物悲しさを感じますね。そして日本語の持つ深みや味わいも感じられました。私自身、日々、忙しく働いているつもりでしたが、天皇陛下の激務に比べたら遊んでいるにも等しい状態で四季の移り変わりや森羅万象に無関心になっている自分が恥ずかしい限りです。会社の歯車になっている機械人間ではなく、もっと心ある人間に戻らならければ…
・本の中にあった『慰霊の非対称性』と『靖国神社』の説明は、日本の中に居る日本人にとっては盲点であり、課題・問題かもしれませんね。簡単に解決できる問題ではないですし、何より私自身が靖国神社の事を何も解っていない事が浮き彫りになりました。新たな勉強課題が増えました。
・このような世界に誇れる最高君主であり万世一系の天皇制が残っている唯一の国家を守って行くのが自分やこの国の民の役割なのだろうと、右寄りの人も左寄りの人も政治的背景も関係なく、敬って、奉って、誇って、生きて行きたいと思います。
・私は8月は日本の厄月だと思っています。だからお盆なのでしょうが…この8月の課題図書に戦争や近代日本史や皇室の事を考えさせていただける書籍をご選択いただくしょーおん先生にも重ねて感謝申し上げます。
ありがとうございました。
投稿者 427 日時 2019年8月26日
今回この「知られざる皇室外交」を読んで得た気付きとしては、まずは、政治、外交といった「世俗の論理」ともいえることを徹底的に排し、昔からの伝統を継承、墨守してきた「皇室外交」の存在を上げたいと思います。『誰に対しても公平・平等に、最高のもてなしをする』との基本的な考え方、とりわけその証左として『赤ワインには必ず最高級のものを出している』ということ。赤ワインは、主菜として饗され、香りのきつい食材を使う事の多い、皇室のフランス料理において、その食材の旨味を上手に引き立たせるためのスパイスとよく合うとされていることからも伺い知れます。
第2に、上皇陛下のこれまで歩まれて来られた人生になります。終戦後わずか8年の1953年に、英国女王の戴冠式に参列するためにアメリカ、カナダを経由してイギリスを訪問された時のご経験は、多感な年齢でもある19歳の、当時の皇太子殿下の中に期するものを萌芽させたと予想されます。
第3にオランダ、イギリス、フランスをはじめとした国際関係において、自身ほとんど知らなかったその成果を上げたいと思います。仏ミッテラン大統領との皇室二代にわたる友好関係と日本の国連常任理事国入りを支持したこと、オランダ及びイギリスでは太平洋戦争で生じた怨讐がつい20年ほど前まで続いており、「皇室外交」のお陰で融和の方向に大きく舵が切られたこと、またオランダでは過去の植民地支配に対するインドネシア国への謝罪へと結びついたことなどです。
何故、政治や外交を排した「皇室外交」が生まれることができたのか。「カウンター・バランス」の仕組みと、途中の紆余曲折、中断があったものの、現在まで800年という長い歴史により熟成された結果に由来すると推測されます。デジタル大辞泉によれば、「カウンター・バランス」とは、「(相殺したり不足を補ったりして)釣り合いを取ること。また、そのための力。均衡勢力。」とあります。つまり1つの勢力(この場合は政府や政体などを指しますが)では抑止力が働かず、暴走したときにこれを止める術はありません。その例として、かつてのローマ帝国やヒトラー政権など枚挙にいとまがありません。ところが日本のように、天皇制と幕府というように力を持った2つの勢力が存在することでお互いを牽制しあう結果になり、長期的には安定した組織・国家運営が可能となったと推測されます。
また日本の場合、鎌倉幕府の開幕後、この天皇制=幕府という「カウンター・バランス」が生成・維持されてきましたが、それまでは皇室にのみ存在していた国家を統治する権力が幕府へと移譲され、勅許という政治的には形式的な一種の承認・追認機能が皇室に残され、「君臨すれども統治せず」の状態が800年の長きにわたって熟成され、それが「皇室は政治にかかわらない」という伝統的基本方針になっていったのではないかと考えました。
こう考えていくと、皇室も会社や政府と同じ「器」のようなものと考えられ、したがって皇室も、その組織の長である天皇がいることで成り立つ組織体であることには違いありません。
そして皇室という「器」の「中身」たる上皇陛下は、『~生まれながらにして重荷を担い~他社が下した決断の重みを背負ってこられねば』ならず、その置かれた環境たるや、およそ凡人の想像すらできない、尋常ならざる「覚悟」と「信念」をお持ちになる事となり、結果、磨かれた人格故に世界各国の人々より心からの尊敬を大いに集めるに至ったのだと思います。
「世俗の論理」から超絶された「器」としての皇室、総合的な人間力として破格のものを有しておられた上皇陛下、そして政府、民間における不断の政治的、経済的、文化的活動、これらが「三位一体」となったことにより、戦後の諸外国との関係改善が成し得たのだと考えずにはいられません。これらのうち、どれが欠けても成果を上げることはできなかったでしょう。
しかしながら、この3つの要素が殊更に自己を主張せず、むしろ補完し合い、調和し合ったことで、これらが持つ本来の次元を超えて、正にアウフヘーベンすることで別の次元からの解決が成されたのではないかと自身の中では結論付けました。
我が身を顧みて、もし今回の図式を知り得なければ、合理性の名の下に天皇制を否定し続けていたでしょうし、それが一時的な効果をもたらしたかもしれませんが、結果的には自分の首を絞めていたことは予測するにしくはありません。
自身の更なる成長に向けて、倦まず弛まず自戒の意味を込めて、思い浮かんだ言葉を胸に刻んでおきたいと思います。
「無知は合理を生み、以て革新という名の破壊をもたらす。智は一にあらず二にあらず、道に通じて三を生じ、以て萬物を生ずるに至る」。
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2019年8月28日
※初めに、この感想文では、現上皇を明仁陛下、現上皇后を美智子陛下、お二人を両陛下とお呼びする
明仁陛下と美智子陛下のお二人のことは、以前から尊敬している。ただ、課題図書を読む前の自分が注目していたのは、両陛下が日本の震災被災地やハンセン病療養施設を訪れ、人々に思いやりの言葉をかける「国内でのお姿」であった。ところが課題図書を読み、自分の常識を覆された。
私は学習塾で中学生に社会を教えており、公民の授業で「天皇は日本国の象徴で、実質的な政治的権力は持たない」と当然のように教えている。自分も学生時代にそう教わったし、私の生徒達も文字通りにそれを信じている。
だが本書を読み、「平成時代、外交に真の意味で貢献してきたのは、首相よりも明仁陛下と美智子陛下では?」という大変な事実に気付いた。
なぜ「では?」と疑問形なのかというと、確たる証拠や数字的データもなく、両陛下のお人柄という目に見えないものから類推しているに過ぎないからだ。オランダやイギリスは、戦時中の捕虜問題で反日感情を抱いていたにもかかわらず、多くの国民の態度が親日に変わったのは、両陛下が現地の人々と交流し、慰霊塔で黙とうし、心を込めてスピーチする姿に人々が胸をうたれたからだと思う。
人の心は論理でなく、感動で揺さぶられなければ動かない。両陛下の気品、思いやりに満ちた笑顔、礼儀正しさ、腰の低さ、教養の深さ。こういった人間力、風格といったものは、目には見えず数字で測れない。だが、これこそが人を魅了し、いずれは歴史を突き動かす。両陛下は政治経済の力では成し遂げられない、目に見えぬ人間力により、外交に力を尽くされたのである。
両陛下の高い人格を作ってきたものは何か。自分なりに分析した二点を挙げたいと思う。
第一に、他者の痛みに寄り添うことである。明仁陛下は慰霊のためサイパンを訪れた際、戦争で亡くなった日本人のみならず、アメリカ兵や島民も含め「犠牲になった全ての人々を追悼し世界の平和を祈りたい」とスピーチされた。頭を垂れ黙とうする姿には、世界の人々の平和を誠実に祈る姿勢が感じられる。
喜ぶ者と共に喜ぶのは易しいが、悲しむ者と共に悲しむのは相当の覚悟を必要とする。上辺だけ悲しむふりをしても、逆に反感を買うのは目に見えている。両陛下がこれほど国内外の人々の痛みに誠実に寄り添えるのはなぜか。そのヒントは、美智子陛下が1998年に、国際児童図書評議会(IMMY)の世界大会で行ったビデオ基調講演「橋をかける」にあった。(本書293ページで言及)
美智子陛下はこの講演で、子供の頃に読んだ本の思い出をお話しされた。子供時代に読んだ本とは、普通、きらきらした楽しい思い出がいっぱい詰まっているものだと思う。ところが彼女は「本が与えてくれる喜び」でなく、「悲しみ」をまず第一にお話しされた。ここに美智子陛下の賢さが感じられ、重要な意味があると考える。
美智子陛下が子供の頃は、まだ大戦中だった。慣れない疎開先で必死に生きる中、なかなか本が手に入らず、本に飢えていた。それでも時々お父様が買ってきてくれる本を、貪るように読んでいた。講演で美智子陛下が伝えているのは「子供の頃に悲しい物語を読むと、想像力が育ち、大人になって悲しい出来事に出会った時に、くじけることなく立ち上がれる」というメッセージに他ならない。陛下は悲しみを自分の糧にされ、皇后となってからは、国内外の悲しむ人々に微笑みかけ、励ましを与える尊い仕事に尽くされた。
つらい思いをしたからこそ、思いやりを持つことができる。この指摘を明仁陛下御自身もしておられる。「ミクロネシア地域の人々が親日的な理由は、統治者が会津藩出身の松江春次だったから。敗者の立場を経験した松江は、地元民に思いやりがあったのでは」と、明仁陛下御自身が指摘したという。(本書229ページ) 歴史の緻密な知識はもちろん、他者の痛みへの敏感さと思いやりがなければ、この洞察はできないだろう。
第二に、両陛下は、自分の立ち位置・人生の使命を理解し、実行されている。敗戦当時、明仁陛下は12歳。「戦争を起こしたのは自分の責任ではないのに、なぜ海外に謝罪に行かなければならないのか?」と思ったことも、人間ならば一度か二度はあるだろう。しかし、両陛下は海外で自ら現地の人々に声をかけ、人々に挨拶をするため防弾車でなく徐行する普通車を選んだ。与えられた「天皇・皇后」の身分に流され踊らされることなく、確固たる意志で、自ら日本のために成すべきことをする。その姿勢は、明仁陛下が約200年ぶりに生前退位を決意し、国民に自らテレビ演説したことにも表れている。責任感があるからこその行動である。
本書では、日本の学校教育やメディアで伝えられない歴史も書かれている。日本が英米やオランダ人兵士を捕虜にし、オランダ人女性を慰安婦としていた歴史は、教科書には書かれておらず、問題だと感じる。
一方、晩さん会でどの国に対しても最高級のワインを出す皇室の姿勢を、日本人として誇りに思った。また、皇太子時代の明仁陛下が訪英した際、チャーチル首相が明仁陛下を励ますスピーチをしたことで、イギリスの反日ムードが親日に逆転したという事実にも驚愕した。
私はこの本を読み、明仁・美智子両陛下から、悲しむ人々に寄り添うことの大切さを学んだ。人と悲しみを共有することで自分も辛くなるが、勇気を出して励ます人格でありたい。
そのためには、明仁陛下の観察力の細かさ(198ページ)を自分も真似したいと思う。また、チャーチル首相のように、弱い立場にいる人達をかばい、スピーチの力で守ることで、正義を実行できる人柄でもありたいと思った。
投稿者 akiko3 日時 2019年8月30日
外国人にとって天皇とは「戦争責任を果たさずに地位にとどまり続けた君主」のイメージがあり、反日感情の強さの背景を知り、過去の過ちをどう表現し、どう謝罪するかの難しさに気づかされた。
そんな難しい問題に対し、自ら進んで学び、誠実に向き合い行動し続けている皇室という立場の方達の精神性の高さを知り、別世界と感じる高貴さを築いている背景に想像を超える努力を知った。
明仁皇太子として欧米訪問時に「戦争は日本人にとって何だったのか?」「なぜ父は止められなかったのか?」と考え、『自分の使命はどうあるべきか』として民主主義の理想を率先して示そうとされた。
生まれた時から背負っているものゆえ、そのように育てられるから身につくものと安易に考えていたが、何からどう学び取るかは人間的要素も大いに関係する。
戦争でこじれた関係を生涯かけて立て直そうとされる姿に、純粋に心惹かれお守りすると決意した“テニスコートの恋”にも、より深い愛情を感じた。(上皇上皇后陛下の雰囲気が仲睦まじいことを感じていたが、一般人にはわからない重みを背負い戦う“同志”的なとても強い絆があり、築かれているものなのだと強く感じた)
オランダのベアトリックス女王も、お立場を共感し志を同じくする数少ない人だろう。『国や国民に対する責任』を背負い、国同士の友好の為に、『良きことのためにどうしたらいいか?』を自ら学び、考え、行動する。
晩餐会でのスピーチの深さにも今回気づき、数年後の微妙な表現にも年月をかけ、外交や関係者の草の根外交も含め、対話・行動の蓄積が表現の変化に現れ、そういう国民の活動に対し両陛下が折に触れ“お言葉を直接かける”場も大切にされていることに改めて尊敬の念を抱いた。
故エルピディオ・キリノ大統領が108人の日本人戦犯に特赦令をだし、帰国を赦し、3年後に日比国交正常化につながった背景には、キリノ大統領が“日本とフィリピンが1つになること”を夢みたから、その思いを汲みとり感謝する陛下、その意志を受け継いでいる孫達。上に立つものの判断の影響力・重さを痛感した。
皇室は政治に関わらないが、“皇室外交”と表現しうる皇室としての諸外国との交流や、国内でも被災地へのお見舞いなど、常に国の為、国民の為、未来の為に生きているお姿は、諸外国のイメージする君主とは程遠い存在である。使命を生きている。
沖縄訪問時のお言葉を我がことに当てはめ、戦争を人類普遍の平和希求の願いに昇華させ、未来を築きあげていく。平和に成ろうと努力した時代が終わり、令和という新しい時代に入ったことも意味深く感じ、令和がどういう時代になるか、するかが自分にも関係している自覚が湧いてきた。
『戦争体験者なきあと、残された未体験者のとるべき行動は?』
戦争による犠牲の深さ・多さは、想像を絶する。本当に一時の行為や言葉であがなえるものではないと思う。
上皇上皇后両陛下のように、過去の犠牲を忘れることなく、深く内省し、地に心をよせ続けた上で、日々を生きていく。よき思いや行動を上書きし続け、時間をかけて癒す必要がある。
その為にも、草の根外交的に来日される方達に対し、おもてなしの重要さを思った。コミュニケーション力を磨き、人の喜びの為に使おう。外国人のみならず、生きているもの同士、助け合える人になる。そう考えたらいろいろなことに一生懸命取り組まないと、もっともっと努力が必要なことに気づきカツが入った。
最後に、上に立つ立派な人達は、しっかり哲学だったり、信仰や何のために生きているのか?を問い続けていたり、なんらかのぶれない判断基準があるように思う。選択時には、○○ならどうするだろう?という自分なりの問いかけをし、行動に移そう。
投稿者 shinwa511 日時 2019年8月30日
15年以上前の話ですが、中学生のとき日本史の先生が授業の時間に「現代の日本に天皇は本当に必要なのかな。」という話を仰っていました。
そのとき自分は、「国民の象徴であり、政治には口出しをしない」ということや、たまにニュースで海外への視察や、日本を訪れた国賓に対して晩餐会を行っていることは知っていましたが、具体的にどのような仕事をしているのかは知りませんでした。
本書を読んで、天皇がどれだけ外国との皇室外交に心を配っていたかが良く分かりました。象徴として本当に、国と国民のために尽くしてこられたのでしょう。公務に差し支える衰えを感じ、退位の意向をお示しになられるのも分かる気がします。公務のことを第一に考えてこられたのだと思います。
日本と海外にとって、皇室外交はなくてはならない存在なのです。それは本書でも解説されています。
「“皇室は日本にとって最高の外交資産”というのは外交に携わる者が異口同音に言うことである。日本の首相が何度訪問しても成し得ない和解や友好関係の強化を、両陛下が訪問することで可能にした例は少なくない。
なかでも日本の皇室は世界でも稀な、長い一貫した系統を保持しており、これに匹敵するのはバチカンのローマ法王ぐらいだ。これによって皇室は多くの国の敬意を集め、国際社会における皇室の尊厳と権威をより厚いものにしている。」(178ページ)
あるいは、海外にとっても両陛下を元首として政治的脈絡の中で迎えます。国の最高位の人物を招くことは、親日をアピールするのに最も適した政治利用になるのです。日本では“皇室は政治とは関わらない”という立場を一貫していますが、海外の皇室に対する意味合いは違います。
明仁天皇がフランスのミッテランス大統領を訪れた晩餐会スピーチの際、「日本の国連常任理事国入りを支持します。」と言ったことも、日本の最高権威者に対し、フランスの立場を鮮明に表明することは当然である、というアピールも諸外国と日本が天皇を見る目が違っていることを証明しています。ちなみに、
そして、諸外国の元首や国王は、天皇が来訪する際には国賓としてもてなしをし、逆に日本を訪れる際には、最高級のもてなしで迎えて懇親を深めていきます。
また、オランダ王室と天皇の長い交流で、親交を深めたことで実現できたのです。国家元首や大統領は、任期が来れば交代しますが、天皇や国王はそうではありません。家族ぐるみで何年も何十年も付き合える皇室の活動は必要なのだと感じました。
災害が起きた際の天皇皇后両陛下の被災地訪問など、人々の心の拠りどころになるため、何十年も家族ぐるみで国民と付き合ってきたから、できているのかもしれません。
「皇室は必要なのか?」と疑問に思うことは、よく知らないから出てくる言葉だと思います。
自分で調べてみる、知ってみるということを続けることが必要なのだと、本書を読んで考えました。
投稿者 sikakaka2005 日時 2019年8月31日
小学生のころ、「天皇って、いい職業だな」と思っていた。
まず、会社に行かず、通勤もない。しかも国からお金がもらって生活している。
住んでいるところは、東京のど真ん中。信じられないくらい大きな家だ。
世話をしてくれる人もいて、海外旅行に行き放題。有名人といつも楽しく食事をしている。
どんだけ優遇されているの?と思っていた。
それと同時に、天皇は必要なの?とも思っていた。
というのも、象徴しての存在は必要なのか?と子ども心に思っていた。
そのあたりの疑問は分かった気がする。
本書をきっかけに、天皇は相当大変な役割があり、これまで務め上げてきたことを知ったからである。
まず、皇太子のころに、エリザベス女王に会いに行くエピソードは胸が痛い。
イギリスの国民に、反日感情があるなかで、行って、ものを投げられたりした。自分だったらとても行けない。
仕事でトラブルを起こして、お客さんに謝りに行くだけで、胃が痛くなる。それを、歓迎されていない国で、その国民からネガティブな感情をぶつけられたら、分かっていても、とてもとても私ならムリだろう。しかもそれは、自分がしたことではなく、自分の父親の時代に起こしてしまったことが原因だとしたら、どう感情を処理していいかさらに悩む。
戦争をすることがいかに不幸を招くかを強く感じられた人のひとりではないだろうか。
被災地訪問もすごい。
仕事柄、人を束ねて、指示を出して、チームをゴールに向かわせることがある。
チームの士気を上げるのに苦労するときがある。それでも相手は普通の人たちである。
それが被災地となったら、話は異次元レベルで別である。
被災地に天皇が来たらみな喜ぶ。その期待に応えてひとりひとり話をするのは、よほどのエネルギーが必要だろう。
普通の人はきっとできない。
それに、訪問している回数が異常である。
恥かしながら、私はこれまで被災地にボランティア活動など訪問したことはない。行っていない。恥ずかしくなった。
それを公務として、笑顔でこなしていたとすると、人として尊敬する。
加えて、象徴としての務めは果たしていると国民から認知されているのがすごい。
日本国憲法に記されている、「国民統合の象徴」とはとても曖昧である。
象徴とは何か?簡単には答えはでない。
もし仕事で上司から、「象徴としての務めを果たしてくれ」と指示されても、「何、象徴って?具体的に教えて!」と思う。なのに、そんな抽象的な責務を考えて果たしてきたから、「平成流」と国民に認知さて、支持を得ている。
そのことがすごい。国民からは、象徴としての務めを果たされていると思われているのである。
激戦地に慰霊に行かれたのもすごいことである。
どこかのエピソードで読んだが、自らの意思で行くようにしたそうである。
行きたいと言われたのは、もしかすると、自分の父親の時代に起きてしまった戦争が影響しているのかもしれない。
加えて、国民の我々に、歴史をしっかりと知るように促しているようにも思うのだ。
国内にいて、近代の戦争のことを思い出すと、被害者の目線が強くなってしまわないだろうか?
原爆ドーム、ひめゆりの塔などで、国内にあるのは、どれも戦争の被害を示すものだからである。
しかし、当然、日本軍は加害者でもあった。それを象徴するものはたいがい国外にある。
サイパン、パラオ、フィリピン、韓国などある。そのせいで、加害者であったことが抜け落ちやすいように思う。
それを思い出すように、天皇が現地に行って、加害者としての面を思い出せてくれたように思うのだ。
天皇には、とても大変な役割を持っていて、普通の人ではとても耐えられないことをしてきた人だと良く分かった。
加えて、天皇制がある理由についてもなんとなく分かった気がする。
それは、天皇がいると、日本はいざというときにまとまることができるからかもしれないと思う。
被災地訪問をみて、ビデオで呼びかけられたときのことを見てそう思ったのだ。
天皇を知る上では、まず歴史をしっかりと勉強しなければいけないと改めて思った。
今月も考えさせられる本を紹介いただきありがとうございました。
投稿者 3338 日時 2019年8月31日
@azisai03
自分の国の皇室なのに今まで、あまり興味を持ったなかったことを反省しました。これを機会に皇室の在り方にもっと関心を持って情報収集したいと思います。
外交儀礼が等しく賓客をもてなすルールであるとしても、A国がB国より政治的に重要な場合は、差がついてしまう例が数多あるようです。それがむしろ本当のあり方の様に捉えられていますが、日本の皇室はその上を行く「誰に対しても最高のもてなしをする」というルールを持っていることを今まで知りませんでした。
非常に際立った立派な理念ではありますが、これを国際社会で貫いて来た日本皇室は稀有な存在であると言えます。
何を礎として、この様な理念を貫いて来られたのかを考えたいと思いました。
昭和天皇と上皇様の外交儀礼に対する姿勢は、高い教養と品格、または思いやりに満ちていると思います。
皇室が外交を展開することは無いと宮内庁は毎度言っております。
海外の賓客は、やはり両陛下のあり方を通して日本を知ることになりますから、非常に重要な役割を果たされています。
それを支えているのが両陛下の教養と品格であると思うと気が遠くなりました。
どれほどの教養を身につけたら、そうなれるか考えれば、あらゆる分野の知識と情勢を知らなければ対応できないと思います。
今回ミッテラン大統領との経緯を読むにつけ、高い教養と品格がなければこの経緯は無かったのではと思いました。
p58の宮中晩餐会のあり方や女性皇族とのやり取りを通じて、大統領は日本の精神を深く理解したと思われます。
また、この訪日中に開かれた大統領のリターンバンケットに、あり得ないと言われた昭和天皇がなぜご来席されたのか?そしてなぜサクランボの実る頃"を歌われたのか?
ミッテラン大統領は、正しく昭和天皇の心の内を理解していたのだと思います。昭和天皇の"サクランボの実る頃"にまつわるフランス観が大統領には理解できたのだと思います。
その後、それが巡り巡って昭和天皇の大葬の礼へのフランス大統領の出席につながります。
この時リアルタイムでニュースを見ていましたが、フランス大統領が来るのが当たり前だと思っていました。
この本を読むまで、昭和天皇の大葬の礼に出席することが、戦火交えた国々では国民の感情を、それほどまでに逆なですることになるのを知りませんでした。
戦争が終わって45年近く経ち、世代も変わり、もうそんなことにこだわっているとは思ってもいませんでした。
話は飛びますが、p293で言及されている美智子様の「橋をかける」という本を前に読んでいたのですが、すっかり忘れていて、今回椿由紀さんにご紹介いただいて、そういえばとやっと思い出しました。
実は読んだ本の題名をほとんど覚えていないんです。これも反省しております。
その後の経緯も含めて、心の架け橋という観点で見てみると、両陛下の架け橋を受け取るということは、同じレベルの土台がないとしっかりと受け取ることができないのでは気がつきました。
いろんな方々が日本を訪れますが、誰に対しても両陛下は同じく橋を架けようとなさるのだと思います。それをどのレベルで受け取るかはその方次第。
そしてその橋を架けるためにはたくさんの本を読む事が必要なのだと、やっと理解したように思いました。
なぜ自分は本読みたいのか?
面白いから、知識が増えるから。
それではなんの役にも立ちません。
たくさんの人に心の橋をかけるために、本を読まなければ、本を読む意味はなかったんです。
自分の世界を広げるために、心の橋を渡すなら、今の私は本をどれほど読んでも足りないことが分かりました。
本を読んでも語る人がいないと不満に思う前に、本を読む意味が分かっていませんでした。
この本は両陛下が世界の人々の心に橋をかけることで、日本の平和を支え、
それは世界の平和にも貢献し、お二人の教養と品格の高いことを知らしめました。
これからでも遅くないと思いましたので、何よりも読書を優先させ、人の心に橋をかけることで、自分の世界を広げ、何かの役立ちたいと思います。
最後に、国母として誠実にその役割を果たされた美智子様には、心からお疲れ様と申し上げたく思います。
お好きなピアノを弾く時間が増えるといいですね。
そのあり方を遅ればせながら自分のものにしたいと思います。
投稿者 mkse22 日時 2019年8月31日
「知られざる皇室外交」を読んで
「皇室は政治には関与しない」よくニュースなどで言われることです。
しかし、現実には本書でも指摘されているように政治や外交に関与しています。
特に諸外国からは皇室を通して日本を理解するといっても過言ではないでしょう。
私も例えばアメリカ在住経験や知り合いにアメリカ人がいないため、どうしても新聞などで
話題となる人物(例えばトランプ大統領)を通してアメリカ人をイメージしてしまいます
それと同じなのでしょう。
皇室といえば、過去の戦争責任に関する議論がどうしても付き纏います。
毎年8月になると日本の過去の戦争責任に関するニュースが多くなり、
その中で皇室は外すことができません。
現在の天皇は先の大戦時に在位していた昭和天皇ではなくその孫にある
今上天皇ですが、来年以降も皇室と戦争責任に関するニュースは
なくなることはないでしょう。
本書を読んで、最も印象に残っているのは、平成天皇・今上天皇が自らの境遇から
逃げずにすべての責任を引き受けようとする姿勢です。
その姿勢からは清らかさのようなものを感じました。
先の大戦は昭和天皇の名のもと始めたものではあり、少なくとも平成天皇には直接の戦争責任はありません。(昭和天皇自身の戦争責任の有無についても議論があります)
現在の法律でも親の犯罪で子が裁かれることはありません。
戦争責任と犯罪はその性質が異なりますが、戦争責任者の子供として見られることによる不利益も
本来はあってはならないものです。
しかし、現実には特に諸外国からは戦争責任者の子孫としての扱いを受けることがあります。
そのような状況で、なぜすべてを受け入れようとするのか。
その理由は、他人は変わらない。だから自分が変わるしかないという考えからだと
思います。置かれている環境を直視し、そこから何かを学び、それをもとに自らを変えていく。
その1つとして、「誰に対しても最高のものを」ルールや慰霊の旅などにあらわれているのでしょう。
もし、自分が平成天皇の立場に立った場合、同じことが出来るのだろうか自問自答しましたが
とてもできそうにありません。
生まれ持った出自による大きな責任からは逃れることが出来ないうえに、だれもが知っている有名人で
さらには諸外国にもその名が知れ渡っている。どこかに逃げたくなっても、
どこにも逃げ場がありません。常に誰かから行動が見られている、いわば監視されている状況です。
私であれば、自らの境遇を文句を言ったり呪ったりすることもあるかもしれません。
その点から、皇室の方々をそれぞれ一人の人間として見た場合、その人間としての器の大きさや覚悟の凄さに尊敬の念しかありません。
そして、すべてを受け入れることができたから、その置かれている環境を変化させることができたのだろうとも思いました。もし、すべてを受け入れることが出来なければ、その受け入れられなかったところは、自分の責任ではない(=他人の責任)と考えます。他人は変えることができないため、
何をしても置かれている状況は変わりません。
目の前のすべての状況を受け入れ、すべては自分の責任であると考えることからこそ、
その状況から学び、そし学んだことを生かして自らを変化させることで、それが他人の心をうち
その人を変えるのでしょう。
何かを他人のせいにすることは簡単です。しかし、それでは自分が変わりません。
皇室の方々は一般の日本人とは比較にならないほど厳しい環境/境遇に置かれており、
そこから逃げることなくすべてを受け入れているからこそ、皇室外交は日本外交の
最大の資産といえるほどの他人への大きな影響力を持つようになったのでしょう。
皇室外交という自分にとって普段あまり読むことがない分野の本でしたが、この本を通じて
新たな気づきがありました。この本を読むきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。
投稿者 masa3843 日時 2019年8月31日
本書の読了後、私は上皇・上皇后両陛下の果たしてきた役割の偉大さに
強く衝撃を受けました。
これまでは、生前退位や女性天皇・女系天皇に関する議論など、
皇室の問題をどこか他人事のように感じていました。
本書を読んだことで、皇室が日本国にもたらしてきた計り知れない価値を知り、
自分と無関係という認識が大きな間違いであったことに気付かされました。
皇室は日本にとって最高の外交資産。
これは、外交に携わる者が皆口を揃えることだといいます。
本書では、両陛下が諸外国のマイナス感情を和らげたという例が数多く挙げられており、
ポテンシャルだけでなく、実際にも日本国に大きな利益をもたらしてきたことが分かります。
それでは、日本の皇室が「最高の外交資産」である要因は何なのでしょうか。
まず言えるのは、世界でも屈指の長さを誇り、「万世一系」と称される一貫した皇統です。
本書を読むまで調べたこともありませんでしたが、日本の皇族は世界最長と言われており、
しかも父系を辿れば必ず歴代天皇に行きつくという一貫性を有しています。
世界でこれに匹敵する歴史を持つのはバチカンのローマ法王ぐらいであるため、
日本の皇室は多くの国から敬意を集め、国際社会における尊厳と権威を強固なものにしています。
その尊厳と権威により、天皇の訪問は迎える側にとって
自国の立場を国際社会で高めることに繋がります。
伝統ある日本の天皇陛下が訪問するという事実だけで、
国としての国際的な価値が向上するというのです。
しかし、皇室の歴史と伝統だけで、これまでの外交上の成果を生み出してきたわけではありません。
本書の「はじめに」の中でも触れられていますが、
むしろ上皇・上皇后両陛下の人間力によるところが大きいのです。
では、なぜ両陛下はここまで人間力の高いふるまいができるのでしょうか。
なぜ、戦争被害者を中心とした厳しい対日感情を融和することができたのでしょうか。
まず前提となるのは、上皇陛下の置かれた特殊な環境です。
上皇陛下は、歴史ある皇位の正統継承者という立場であった第2次世界大戦前から、
敗戦によって突如戦犯の息子という立場に追いやられることになりました。
そのような中、当時皇太子であった19歳の1953年に、エリザベス女王の戴冠式に出席し、
合わせて半年以上にわたって欧米14ヵ国を訪問。
本書の中では、この時に直接その遺恨をぶつけられることはなかったものの、
訪問した国々の日本に対する厳しい見方を肌で感じ、様々なことを考えるきっかけになった、
と書かれています。
『日本にプラスになることなら何でもするというお気持ち』になられた若かりし頃の上皇陛下ですが、
戦後、日本国憲法によって天皇は「象徴」と規定され、
国政に直接関与する機能を持ちません。
政治に関わることができない天皇の立場からは、
「責任を痛感する」「深く反省する」
といった政治、外交上の用語を使うことさえできないのです。
このような強い制約がある中で、
日本国のために両陛下がご自身でできることを考えた結果が、
●戦後民主主義の理想的なあり方を体現すること
だったのではないでしょうか。
具体的には、
・慰霊への真摯な取り組み
・自然災害の被災地等で上皇后とともに被災者と同じ目線で向きあうこと
・国内・国外問わず極力人びととのふれ合いを大事にすること
などです。
ご自身の使命を痛感した敗戦後の外遊と、象徴天皇としての制約。
この2つが、上皇陛下と上皇后陛下による、
二人三脚の人柄外交を作り上げたのではないでしょうか。
本書の中で、私が特に印象に残っている表現があります。
それは、フランスのオランド大統領のパートナーであるヴァレリーさんが、
その著書の中で記している
『魂を奪われるような最高の記憶』
という表現です。
ヴァレリーさんにとって、両陛下と触れ合った宮中晩餐会が
至高の時間であったことが窺えます。
ヴァレリーさんに『魂を奪われる』程の感動を与えたものこそ、
●長く引き継がれてきた皇室の伝統の重み
●両陛下の人間力
の掛け算による、尊き何かだと思うのです。
人間としての理想を体現すべく努める。
コミュニケーションを取る相手と同じ目線に立って、真摯に向き合う。
こうしたことは、言うなれば人間として当たり前のことです。
皇族のみが目指すべき理想像というわけではありませんし、
一般庶民だから目指さなくてもよいものでもありません。
しかしながら、両陛下は戦後こうした理想像を目指さなければならない状況に直面し、
ご自身で考え、そう「ある」ことを強く決意したのではないでしょうか。
強い思いが素晴らしい人間性を作り上げるのであれば、
私のような一般人でも、真似できる部分はあるのかもしれません。
そのような出過ぎたことを考えさせられた良書でした。
今月も素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございました。
投稿者 LifeCanBeRich 日時 2019年8月31日
著者が本書に込めた最大の思いは、先の大戦後の日本において皇室の果たしてきた役割や事の意味の大きさを国民はもっと知るべきだということだろう。確かに本書を読むと、外交において政治や経済では成し得ないこと、例えば先の大戦で戦火を交えた諸国の対日感情の緩和などで皇室、特に上皇両陛下が大きな役割を果たしたきたことが分かる。
これまでの私は恥ずかしながら上皇両陛下が諸外国を訪問する姿、慰霊巡りをする姿を幾度と目にしたことはあったけれども、その事の意味を深く考えることはなかった。しかし、本書を読むとで上皇両陛下の先の大戦への深い思いと自らの役割に対する強い意思があることを知ることができた。
今月は、先の大戦を考え、また本書を通して知ることが出来た上皇陛下の信念、思想、振る舞いから伝わって来たメッセージについて書く。
先の大戦について私が知っているのは、ほんの断片なのだ。
課題図書に取り組む以前の私は先の大戦について本を読むことも、TVや映画を観ることも、資料館に足を運ぶことも殆ど無かった。その理由を考えると、悲惨な過去に対峙することで自らが陰鬱な気分になることを意識的、無意識的に避けていたのだと思う。ただ、近年は8月の課題図書を含め、読むこと、観ること、調べること、足を運ぶことで先の大戦に関する知識を得てきた。
本書の中で、日本の外国人捕虜収容所の死亡率が異常に高いこと、上皇陛下がペリリュー島を訪れたことが描かれた箇所では、こちらが吐き気を催すような虐待シーン、洞窟に籠って戦闘する極限状態の兵士達の姿がありありと頭の中に浮んできたのは、以前の無知な私ではあり得なかった事だろう。
しかし、これらの私が得た先の大戦に関する知識は、ほんの極僅かなものだと本書を読んで分かった。例えば、オランダ人やイギリス人が先の大戦で強制的に収容、労働させられ、結果として万を超える数の死者や大きなトラウマを抱えた人たちを生み出した事実、そして戦後両国民の対日感情がいかなるものかなど全く知らなかった…。
先の大戦について知るべき事は、まだまだ沢山ある。そして、その中で私が最も知るべき事は何かが見えたのは上皇陛下の人生について考えた時だ。
加害者の子孫として生きるということ。
日本人戦没者310万人、その他にも膨大な数の交戦国や戦地国の人々が犠牲となった先の大戦の最高責任者の子孫として生まれるってどういうことなのか、これほど重い宿命って他にあるのだろうか、その心境とはどのようなものなのか、そしてどのように先の戦争と向き合い自らの生きる道を見出したのか、と上皇陛下の境遇や心境を悶々と考えていた。すると、突然と私自身の境遇に関するある疑問が頭に浮かんだ。それは、先の大戦における祖父のことである。
親から聞いているのは、祖父は徴兵されて中国に行き、終戦後に帰還したという事だけである。今まで考えてみたことも、想像してみたことも無かったけれど、兵士だった祖父は中国でどのような経験をしてきたのだろうか…。
人が人でなくなる戦争。現地で祖父は人を殺めているかもしれないし、略奪をしているかもしれない。一般の国民は軍部や政府が起こした戦争の被害者であるという見方もある。しかし、戦地で犠牲となった現地の人から見れば日本人は加害者に違いないのだと思う。この事は、本書の中でのオランダ、イギリス、インドネシアなどにおいての日本に対する国民感情を見れば明らかであろう。程度の差こそあれ、加害者の子孫であるというのは、現代日本人が背負わなければならない宿命なのではないだろうか。そして、その宿命のもとで先の大戦と向き合う日本人としての生きるべき姿を体現しているのが上皇陛下なのだと思えてならない。
戦争責任者の子息という重い宿命を背負いながらも、今では世界から敬意を持たれる上皇陛下の人格はどのように形成されたのか。
本書を読むと皇太子時代の欧米14ヵ国の歴訪で見聞し、思い感じた経験は大きな素養になっていると推測できる。特に、まだ強制収容所があったカナダの地で先の大戦で辛く苦しい思いを強いられた現地の日本人と直に対面した経験は、後の上皇陛下の信念や思想に大きく影響しているのだろう。そして、これは私のさらなる推論になるが、上皇陛下はこの1953年の欧米歴訪の前に父である昭和天皇から先の大戦についての思いや戦時中に国民の目線に立てなかった悔みを伝え聞いているのかもしれない。
つい先日、田島道治初代宮内庁長官と昭和天皇の会話記録である『拝謁記』が見つかり、その中に昭和天皇が1952年のサンフランシスコ平和条約発効後の式典で先の大戦に対する反省の表明を希望していたことがニュースになった。昭和天皇は、自らが反省を示し、さらに政府や国民が共に反省するという意思だったという。
それらを踏まえて上皇陛下の信念、思想、振る舞いを再考してみると、陛下の平和への思いや人々との触れ合い方は、父である昭和天皇の悔恨や反省を大きく受け継いでいるように思われるのである。
先の大戦と真正面から向き合うために、今後まず私がするべき事は何か。
それは、親から先の大戦の話を聞くことだと思っている。今までに親と戦争の話をしたことは殆ど無い。私も親となった今、子どもと戦争の話をすることの億劫さが分からないわけではない。すでに亡くなった祖父が自らの戦争体験を親に伝えているかは分からない。それでも親自身が体験した戦時中のことは訊いておくべきだと思うようになった。そして、将来どこかで私は自身の子どもに親から伝えてもらった話を含め、私の知る限り先の大戦について真剣に伝えなくてはいけないのだろう。
日本人として先の大戦を風化させることなく後世に伝えていく。それが、本書を読むことで上皇陛下の信念、思想、振る舞いを知り、そして私なりに解釈した陛下からのメッセージである。
~終わり~
投稿者 gogowest 日時 2019年8月31日
「知られざる皇室外交」を読んで
本書を読んで、政治に直接関与することがないはずの天皇陛下が、とても重要な実質上の外交を行っていることを知りました。
さらに、それが、諸外国との外交で、政治的な駆け引きを超えた信頼関係をつくっていることには驚きました。
天皇は、政治家と違い、基本的に終身その地位にいるために、時間を積み重ねた付き合いができて、信頼関係の連続性がもてます。さらにその関係は1代で終わるのではなく、次世代にも引き継いでいくことで、積み重ねができるということが、政治的な外交とは大きく異なる点だと思います。政治家は落選することもあり、任期が終われば過去の人になってしまうので、連続性が必ずしも担保されないです。
天皇の制度があるために外交に歴史的なつながりができ、そのためにより長期的な視点と、俯瞰的に国家を見ることができているのでしょう。
上皇陛下が皇太子時代にイギリスを訪れた際に「国の基本は地方の豊かさです。」と述べたところにも、あらわれているとおもいます。かなりこの言葉は、本質をついているように感じます。
特に上皇陛下は、現在の日本国憲法がさだめる「象徴」としての天皇の務めを、皇太子時代から、どうあるべきなのかということを模索されてきているのだと思います。
その「象徴」という抽象的な概念を体現しなければならない立場から、一つ次元の異なった生き方につながっていっているのでしょう。
この本に書かれている、上皇陛下、上皇后陛下の行動や立ち振る舞いには、皇室ならではの「ノーブレス・オブリージュ」があると思います。
なぜ、そのような「ノーブレス・オブリージュ」がそなわったのでしょうか。
上皇陛下は日本という国全体の「象徴」という立場に立つことが定められ、その立場に見合う思考と行動を自らに課しているのだと思います。そしてその立場は、国全体を含んだ視野に立つことが求められています。
さらに、昭和天皇、上皇陛下は若い時に外国を実際に訪れて、身に染みて、外国のこと、外国に住む日本人のことを知っています。皇室という限られた世界だけでなく、より広い視野から、現実の世界のありようを体感しています。
そのために歴史観は一般人や学者よりも、一段高いところから見る視点を持っています。
その例が、太平洋戦争が満州事変からスタートしているという時代認識を上皇陛下が持っているところにも表れていると思います。また「国の基本は地方の豊かさです。」という認識があるところにも、それが表されていると思います。
そういった高い視点が、身を律すること、そして人格の陶冶に結び付き、より高い規範を自らに課すことになっているのだと推定します。そういった人格からでてくる赤誠が、人の心を打つのだと思います。
ミッテラン大統領との信頼関係、ヴァレリーさんとの逸話など、本書で紹介されている多くの話が、それを示しています。
賓客に最高のもてなしをするという皇室の基本的な考え方は、より高い規範で生きている陛下のポリシーと呼応しているともいえるでしょう。
本書から、私たちはなにを学べるのでしょうか。
皇室の人が模索しながらも、身に付けている「ノーブレス・オブリージュ」とは次元が異なりますが、個人でも自分の思い入れのある分野、今、自分がいる場で「ノーブレス・オブリージュ」は持つべきだと思います。
例えば、将棋界を背負う気概がある人は、若手のころから、それに見合った行動と気持ちをもっていることが知られています。
より広い視野から見るように努め、その位置から、より高い規範を自分自身にもとめることになり、それがさらなる次の次元への成長につながるのだと思います。
小手先のテクニックやノウハウの集積では得られない、内面的な自己を涵養すること、そういった生き方をする人はそのひとなりの「ノーブレス・オブリージュ」を体現できるのではないでしょうか。
今はそういう精神を軽視する風潮があるとおもいますが、公義に殉ずる心構え、気概があってこそ、生き方に重みが出るのだと思っています。
投稿者 BruceLee 日時 2019年8月31日
本書のタイトルは実に面白い。
「知られざる」とは、本書を読まなければ我々一般人は知らないであろう皇室活動の事実が述べられている点。半面、本書で何度も触れられるが皇室の公務は「外交」ではないのだが、それでも結果的に外交的位置付けとなっている経緯等が述べられている点からだ。
恥ずかしながら、イギリスや、特にオランダの人々の中に、先の大戦が原因で日本に対し憎しみを持つ人がいるとの認識は自分には無かった。自分は約20年前から海外(特に欧州)ビジネスに携わり、欧州の人々と仕事をしてきた。が、そんな話をした事も聞いた事も無かった。勿論、ビジネス上の付き合いでもあるし、彼らが人間的に大人で、敢えて口に出さなかっただけかもしれないし、或いは自分が接した人々は日本に恨みを持つ人とは異なる人だったのかもしれない。何れにせよ、ここで我々は1つの事実を知る事が出来る。戦争責任に限らず、「自分が直接その体験をしなくとも、その問題が存在しない訳ではない」のだ。
イギリスやオランダの戦争被害者は日本を憎んでいた。ではここで彼らの立場になって考えてみたい。戦争が終わり日本は敗戦国となった。東京裁判で戦争責任があると判断された人々は罰を与えられた。これは欧米の感覚からすれば当然の事だろう。が、その国のトップ(と外国の人には映るであろう)昭和天皇は彼らからすれば無罪放免となった。そりゃ憎しみは収まらないだろう。恐らくそうなる事は当時でも想像できたと思うが、昭和天皇の責任は問わず、それよりもその後の日本(或いは米国を中心とした世界)にとって、象徴として存在し続けた方が良いと判断したマッカーサーの英断は個人的にはここで忘れてはならないと思う。
しかし、それは戦争被害者からすれば面白くない。彼らの視点からすれば一番の責任者が罰せられなかったのだから。が故に、その諸国に対する日本国のインターフェースとして活動してこられたのが昭和時代の皇太子、つまり平成天皇だった。考えてみると人間が、「ある国が好き/嫌い、イメージが良い/悪い」はどこから生じるものだろうか?マスコミ情報を鵜呑みにする愚を除けば、それはその国の人と接した際の体験ではなかろうか。特に各国のトップレベルの要人が我々一般人と接する機会は少ないから、それは日本国の要人という事になる。その意味では自分的には次の一文が多くを物語っていると思う。
「訪日した外国の首脳が日本を理解するとき、皇室を通じて日本人や日本という国の像を自分の内に結ぶことを、私たち日本人はもっと知っていい。特に体制の変転で中断したり、再興した欧州の王室と異なり、皇室は世界でも稀有の長い伝統を持つ。皇室が日本人の精神を評していると外国の首脳が見るのは当然のことでもある」
例えば日本人が外国に行く際、どの国に行くにも日本のパスポートを持っていれば殆どの国でビザは不要だ。これは何故だろう?それは日本国、日本人が信用されているからだろうが、では何故信用されているのだろうか?戦後、経済大国となったという要素もあるだろう。が、本書を読むと各国との付き合い方、配慮の仕方含め、皇室がこれまで日本国のインターフェースとして各国の要人と接してきてくれた経緯もその要因の一つではないかと思うのだ。
というのも、本書のタイトルの「外交」だが、本来外交というのは少しでも自国が有利になる事を大前提として、国と国とがその威信を掛けて交渉する生臭い駆け引きで時に騙し合い、とさえ言われる類のものだ。良い/悪いは別にして、個人的にはそれをどストレートにやってるのがトランプ大統領で、「○○をしてあげる代わりに○○をしてくれ」というのが常なる姿勢で、常にトレードオフなのだ。つまりビジネスと同じなのだ。
通常、それは日本の政治・経済のトップである安倍首相の仕事の一つだろうが、日本には首相とは別の皇室のインターフェースがあり、その外交の目的は駆け引きや交渉では無く、本書から感じるのは、そこにあるのは「誠意」だ。その意味では、日本に皇室が無かったら今のような日本になっていなかったかもしれない。そう考えると、今の日本は対外的に皇室と政府がうまく役割分担できているとも言えるのではなかろうか。故に相手国も皇室との「駆け引きのない外交」であるが故にそれが積み重なり、今日の信用が構築されたのではなかろうか?その誠意には多分、これだけやったのだからもう充分でしょ、的到達点は無いと想像する。
だとしたら皇室的観点で言えば、戦争、戦後処理はまだ終わってないのかも知れない。
以上
投稿者 ktera1123 日時 2019年8月31日
・天皇陛下との出会い
普段はテレビ等の報道でしか接する機会のなかった私。当時から正月の一般参賀は行われていたので行く気になれば行けたかもしれないが、1回も行ったことがなかった。そのような状況の中で、高校の修学旅行で行った北海道。2日目の函館市内の元町地区へ行ったら何故か警備が厳重で、周囲の人に聞いて見ていると「天皇皇后両陛下」が「函館公会堂」に来られるので午前中は入場できないとのこと。当時の記憶では「函館公会堂」を見学に行ったはずなので、偶然かち合ったので残念だったのは確かだったのですが、(当時はネットがなかった上、高校生の修学旅行でニュース番組を見るようなことはなかった)何故か一緒に行動していた班の大多数が天皇皇后両陛下を見てみたいということになり、車列が来るのを待つことに。予定通り車列が来て天皇皇后両陛下を見ることが出来、当初の予定通りの行動とはならなかったのに何故か満足感を感じ、両陛下には、何故か惹かれるオーラのようなものがあるのかなと感じた16歳の私でした。
時は流れて、令和になった5月8日(水)、毎週開催の定例会議のため永田町駅を降りて4番出口を出ようとしたところ、警備の警察官が。目的地へ向かう道中も警備の警察官がいて、路上駐車しないよう指示している。目的地の前には、会議の参加者が。話をしてみると「天皇陛下」が通るとのこと。会議開始時間に余裕があるので待っていようかとも考えたのですが、警備の警察官に通過時間を確認すると、午前9時50分頃とのこと。流石に会議に出ないわけには行かないので車列を確認することはしなかったのですが、何故か惹かれるオーラのようなものは、代替わりしても引き継がれているのは流石と感じました。
本書にも「究極のところ皇室外交は天皇、皇后の両陛下の人間力に負っていると言っていいだろう。(P4)」と書かれているが、上記のエピソードの前を通ると知らされただけでも何故か惹かれるところは、両陛下の人間力から醸し出されるものかもしれない。
話は飛びますが、本書を8月上旬に1回読んでとある月刊誌の最新号を読んでいたら、「上皇后美智子さまと読書」という記事が。本書のP293で言及されている「橋をかける」の出版に携わった編集者が「読書尚友(読書を通して古の聖賢を師とするという意味)」の特集の記事の中でしたが、ご幼少期からの豊富な読書体験が上皇后様の人柄の礎になっていることを窺うことがわかり、多忙なご公務のなか様々な本に親しんでおられることも人間力の素晴らしさにつながっていることを知り、読書の大切を知ることができありがとうございました。
何故、本を読むのか。
「読書は人生の全てが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは複雑さに耐えて生きて行かなければならないということを。人と人の関係においても、国と国との関係においても。(『橋をかける』より)」
読書って本当によいものですね。
よい本に出会える機会をいただきありがとうございました。
投稿者 str 日時 2019年8月31日
知られざる皇室外交
皇室の公務の一つである“外交”に焦点を当てて詳細に書かれているが、そもそも外交がどのようなものなのか、全く知らなかったのだと思い知らされた。「各国との友好関係の維持や改善に努められているのだろう」程度の認識だったが、同時に「もうご高齢だし、皇室のサポートもあるのだから両陛下に拘らず別の人でも良いのでは?」とも思っていた。
結局、時代は令和へと変わり両陛下は退位されたわけだが、本書を読み両陛下だから出来たことであり、両陛下にしか出来なかったであろうことなのだと痛感した。仮に別の人が天皇を務めていたとしたら、外交というものにこれ程まで熱心に尽力する事は出来なかったと思う。被災地を訪問されたり、国内でお言葉を述べられている映像は幾度と目にしたが、それらとはまた異なる。まさにタイトルの通り『知られざる』部分と言えるだろう。
自身が当事者ではないにも関わらず、戦争加害者と批判を受けながら尚信念を曲げずにこられたのも『だれに対しても公平・平等で接する』というポリシーが根底にあるからなのだろう。それは自らを批判している人々も例外なく、彼らは当事者がいないのなら誰かにその責任を背負わせ、やり場のない怒りの矛先を向ける相手が欲しいだけなのかもしれない。両陛下もそれを分かった上で分け隔てなく相手に厚意を持って接し、相手のことも痛み、戦争によって生まれた怨恨は残された後世にまで影響を与える事を、それこそ自身の体験から身を以て知っているからこそ受け入れ、二度と起きることのないよう平和を訴えられているのではないだろうか。
『日本にプラスになることならなんでもする』という意志からも伺えるように、各国との外交も巡り巡って必ず良い方向に向かうだろう。公務だから仕方なく行っているのではなく、それを自らの使命として全うするという強い覚悟を感じ取ることができた。
“国民の象徴“という存在として知ってはいたものの、どのような事をされているのか正直全く知らなかった。天皇・皇后という立場の計り知れない重さと、両陛下の教養や人格の素晴らしさを今更ながら知ることができ、私の中にあった『皇室』の見え方を大きく変えてくれた一冊だった。
投稿者 tomooku 日時 2019年8月31日
皇室外交を読んで
私はこの本を読んで、自分の歴史の勉強不足を痛感した。
戦争前後の国同士の歴史や関係性などの知識がもう少しあれば、この本に書かれていた皇室が行ってきた外交の意味が更に理解できたのではないかと思う。
今まで社会科の授業で聞いた天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」という言葉は聞いたことがあったが、特にそれ以上の関心も感情もなかった。
しかし、この本を読んで天皇や皇室の方々が日本という国や日本人のために日々公務をなさっていることを知り、日本の歴史や世界との関係性、日本人とはどんな民族なのかということに興味をもった。
本の中で学んだ点をいくつか整理したいと思う。
戦争で日本から被害を受けた国の方々は反日感情をもっている。そこに戦争加害者である昭和天皇の息子が訪問し、相手の国を尊重し、誠意をもって慰霊をすること、過去の過ちを振り返るお言葉を残すことでその国の国民の感情を緩ませることができることを知った。天皇自身の人柄や覚悟によるものであると思うが、首相にはできない尊いことである。
今後戦争をおこさないことや戦争でこじれた国々関係の修復をライフワークとし、人生の時間をそこに費やしていた。自分の父親が戦争加害者であることを受け止め、自分の置かれた環境を嘆くことなく、投げることもなく、今自分ができる最高のことをおこなうという姿勢は感動するし、見習いたい。
美智子様の深い教養と人間性の高さも知ることができた。
「美智子妃が抜群の記憶力をもっていることは知られている。前に会った人のことは細部に至るまで覚えていて、再び会ったときにそのことに触れ、すっかり忘れていた当人を驚かせる」という部分では、記憶しているということで相手に対する敬意や親しみを表現することができること、自分にも出来そうな良好な関係を保つためのヒントを得ることができた。
仕事でも前回会ったときのことを覚えていることで、相手は自分によい感情を抱くのではないかと思い、積極的に前回会ったときの話題をするよう心がけていた。それは間違っていなかったのだと感じ、嬉しかった。
また本に書かれていたように、記憶しているということだけでなく、相手に興味を持って事前にその方が力を注いでいることを調べることも関係性を良くすることとなり、相手を喜こばせる方法だということも学んだ。
対する人間や規模は違うが、これは個人でも使える方法だと思う。
『いずれにせよ皇室は「だれに対しても公平・平等に、最高のもてなしをする」という本来的に日本人が備えていたもてなしの精神を体現し、戦後、より明確にしていったと言うことができるだろう』という部分では日本人のルーツについて興味を持った。
自分は何者か?ということを考え、自分の軸というか行動の指針を持っていることは日々の行いや精神の安定に意味があるような気がする。改めて、歴史の勉強の意味を感じた。
様々な活動や国賓を迎えることにより、人間としての格が高く、徳の高い天皇皇后両陛下が外国の方々に日本人はこういう人たちなのだと認識されているのだから、日本国民である自分も高い人間性を持ち、教養を身につけ、両陛下が外国にみせた日本人となれるよう個人でも努力していきたいと思った。
今月も考える気かっけとなる良書を教えていただきありがとうございました。
投稿者 jawakuma 日時 2019年8月31日
知られざる皇室外交を読んで
国民の象徴として数々の公式行事に参加されている皇室の方々ですが、本書を読むまではその重要な存在の意義や、外交上持つ特別な意味合いが理解できていませんでした。その原因のもとをたどれば、各メディアの取り上げ方が人柄主義に偏り過ぎていたエリザベス女王の戴冠式に訪問した皇太子様の頃から方針としては変わっておらず、国際社会での日本のとらえられ方、各国の反対運動の展望等の情報を私が把握できていなかったためだと理解できました。オランダや英国に反日感情があるということも先の大戦の捕虜等の話も課題図書を通じて何度も読んでいながら、思い至らなかった自分の洞察の甘さに猛省しました。
それに引き換え、19歳の多感な時期に日本に対する複雑な思いが渦巻く各国を現地の方々と交流しながら廻られた上皇陛下は、魂の底から自分の運命を見定める旅となったのだろうと思います。日本のために散っていった方たちの慰霊、世界の戦争犠牲者への慰霊、平和への祈り。上皇陛下ほどそこを深く考えられた方はいないだろうと本書を読み気づかされました。上皇陛下はその一生を通じてその姿勢を貫くことをその旅の中で決められたのだと思われます。またその伴侶でいらっしゃる美智子上皇后陛下はもともと民間人でありながら、国賓という第一級の要人の方々と魂の交流を行われ本当に凄い方なのだと改めて尊敬させられました。
憧れの宮中晩餐会ですが、食事の内容もさることながらワインリストが凄いですね。そして仕入れ都合上の例外こそあれ、どこの国の賓客でも最高級のフランスワインでおもてなしをするという日本の皇室・宮内庁の姿勢はあっぱれな志だと思いました。
日本国民から見た天皇像は人柄寄りで‟象徴“に徹した形であるわけですが、海外首脳が日本を訪れる際に接する皇室を通して日本人、日本の国の像をその内に理解しているという、言われてみれば至極当然のことなのですが、その存在の大きさについても本書で初めて気づかされました。神話の時代から綿々と繋がれてきた天皇家の歴史が外交上これだけメリットになっているということをもっと日本人は知るべきであり、その観点からも皇室という存在のあり方を考えるべきなのだと思いました。
日常の生活レベルでは上記のような観点、洞察に思いが及ばず、仕事や生活に流され切っている自分を再認識しました。読書を通じて新たな観点を増やし、情報をつなげる能力、問いを立てる能力、概念化具体化できる能力を身につけていくべく、再読、振り返り、思考の時間を取っていきたいと思います。
今月も良書をありがとうございました。
投稿者 nxxxxo1985 日時 2019年8月31日
「知られざる皇室外交」を読んで
著書を読むまで私の中の天皇や皇室の印象として、
東京の一等地でタダ飯食って、ノウノウと過ごし、
日本各地でイベントがあれば車の中から手を振って、
災害が起きれば被災地に向かい被災者に労いの言葉を伝え、
八月には慰霊祭で黙とうをし、軽井沢で散策するくらいのイメージでした。
何が日本の象徴なのか?34年間生きてきて、
天皇の役割について深く考えていないことにまず気付きました。
著書を通して、
戦争加害者の息子としての重い宿命を背負い、
19歳の若さで世界を歴訪「新生日本における自分の使命を自覚する旅」を行ったこと。
反日感情のある国とも和解に向けた外交を持ったこと。
日本国のみならず、世界中の戦争犠牲者に対して慰霊の旅を長年続けてこられたこと。
また海外の国賓との友好を築きあげたこと。
陛下の「日本のプラスになることは何でもする」という行動の結果が今日の日本を取り巻く環境に結びついたものだと知りました。
この本を読んで、私の今後に活かしていくことは何なのかを考えましたが
ありきたりでありますが、自分の周りの人に親切にすること。
そこから私の場合ははじめていきたいと感じました。
以上
投稿者 H.J 日時 2019年8月31日
産まれながらに天皇となることが決まった人生、一体どんな人生なのだろうか。
公の場に出れば、一挙一動が注目される。
外国から見れば、戦争責任者の息子として見られる。
日本の象徴として、1つ間違えれば日本人1億3千万人の人生を左右しかねない。
こう考えただけでも、私の想像も出来ない世界だ。
本書で語られてることさえも、一部にしか過ぎないだろう。
さて、本書を語る上で2つのワードが私の中に引っかかった。
”人間力”
”戦後民主主義の理想的なあり方”
だ。
1.”人間力”について
皇室という日本の歴史を支えてきた日本独自の制度。
時には日本人の拠り所となり、時には日本という国を外国と共存するための架け橋になる。
この制度の中心を担うということは、日本のことだけを考えれば良いというわけにはいかなそうだ。
過去の課題図書にもなった石原明氏の「すべてが見えてくる飛躍の法則」の言葉を借りれば、”人称”をあげて考える必要があるだろう。
上記書籍の中でいえば、”八人称”。
世界を代表するリーダーが50年~100年以上の時間軸で思考をするレベル以上が求められるわけだが、本書を読むと正にその通りの思考・実行している。
英国の様に戦前からの付き合いがあり、皇室と王室の間につながりがあったことも勿論あるとは思うが、
国という垣根を越えて、全人類のことを考えてる事がおことばや振る舞いに感じられるからこそ、訪問先でも受け入れられていた様に思える。
そして、その結果、数十年経った現代の日本は国際社会でも認められている。
仮にこの外交が失敗していたらと思うとゾッとする。
そう考えると、[はじめに]で「両陛下の人間力(P4)」というワードが出てくるが、本書で使われる抽象的な表現である「人間力」は人称の高さとも受け取れる。
そういった視点で見ていくと、天皇陛下(現上皇陛下)はもちろん、皇后陛下(現上皇后さま)の人称の高さに驚愕するばかりだ。
2.”戦後民主主義の理想的なあり方”
すごく前向きなワードである。
と同時に勇気をもらえたワードである。
P242~P243に書かれている様に、『歴史を都合よく解釈することへの戒め』これこそが民主主義の理想を示していると思う。
どこかの国の様に歴史を都合よく書き換えることは、情報閉鎖社会であれば出来たはずだ。
ただ、それは事実を都合よく解釈しているだけで、根本的解決にはならない。
起こってしまったことを事実として受け止めてるからこそ、前を向けるのだろう。
事実を受け止めないと、「あの戦争は間違いだった!」「ああじゃなくて、こうすればよかった!」などの不毛な論争や思考で時間を使ってしまい、停滞してしまうからだ。
アレクサンダー国王のおことばを借りると、互いに背負ってきた苦痛を認識すること。
歴史を都合よく解釈するということは、一方的な解釈だ。
その都合よい解釈が相手側の事実と異なっていれば、その2つは共存できないだろう。
共存できない世界に民主主義は成り立たない。
『この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大事なことだと思います。(P243)』
このおことばを著者の考えを借りた上で、私なりに解釈すると、
戦前軍国主義の招いた結果を繰り返さないこと、そのためには国民ひとりひとりが事実と向き合って、日本の未来を考えて作っていくこと。
つまり、日本という国を国民ひとりひとりの力で発展させること。
それが戦後民主主義の理想的なあり方だと受け取った。
日本の象徴である天皇陛下は国民の道筋を示すことはできるが、ひとりひとりの生活を保障できるわけではない。(もちろん政府も)
結局、ひとりひとりが考えて行動することが大切だと改めて感じた。
投稿者 vastos2000 日時 2019年8月31日
本書を読み、関連書籍などを読み、上皇陛下、上皇后さまの生き様に深く考えさせられた。これほどまでに「私」よりも「公」を優先させている人間が存在しているということに衝撃を受けた。これは成立しないと教わった、「善の道」なのではないか?
天皇という制度や天皇陛下個人に対して良い感情を持っている者も、特になんとも思っていない者も、悪感情を持っている者もひっくるめて、日本と日本国民のために祈ってくれている存在がいるということはどれだけ大変なことなのだろうか。想像がつかない。
今上天皇陛下については、(即位大礼の儀がすんでいないということがあるかもしれないが)まだ強烈に「公」を意識させられるお姿を拝見したことはないが、私の生きた時代の、昭和天皇、上皇陛下はまさに二千年の伝統が生む「公の化身」だったのでは無いか。
上皇陛下・上皇后さまにおいては、数々の祭祀や植樹祭、国体など、かなりのハードスケジュールであったと思うが、外国からの来賓を迎える際は、相手国のことをしっかりと調べた上で臨んでいたというからもう、人間業を超えているのではないか。
このような尋常ではない人間力があるから、オランダ、イギリスをはじめとする(多くの)諸外国との関係がうまくいき、太平洋戦争以降、戦争に起こすこと無く、巻き込まれること無く過ごせていたという意見には全く同意する。
この、天皇陛下・皇室というカードは、建前は別として、かなり強力なものであると納得できた。
個人的には、以前から、皇室や天皇陛下に対しては好意的な感情を持っていたが、今回の課題図書をはじめとする関連書籍を読み、昭和天皇や上皇、皇室に対して尊敬と敬愛の念が増したように感じる。特に上皇陛下の慰霊への取り組みや、被災地への訪問、昭和天皇の昭和三年荒天下の分列式のエピソードを知り、背筋に一本線が通ったような感覚を覚えた。
今回の課題図書の書名の通り、皇室外交のことはほとんど知らなかったが、その前段階の、オランダやイギリスの捕虜のことは知らなかった。
個人の単位で見れば立派な軍人も存在していただろうが、国家、組織としてはどうだったか。オランダやイギリスからは、日本は悪い国とみられていたのであろう。恥ずかしながらそのような時代があったことは全く知らなかった。
そしてもう一つ、本書を読んであげたいことはワイン。やたらと食事とワインについて紙幅が割かれているが、アルコール飲料の中でもやはりワインは特別なのだなと思った。昨年は『世界のビジネスエリートが身につける教養としてのワイン』という本も出版されたが、同じようなタイトルで、ビールやウィスキーについての本は寡聞にして聞いたことがない。少々キリスト教の影響が強いのではないかという気もするが、世界的にはやはりワインなのだろう。(個人的には祝いの席には「開運」や「七福神」といった縁起の良い名前の日本酒が合うと考えている)
こちらについても(禁酒期間であるにも関わらず)いくつか関連書籍を読み、ワインを飲みたくなってしまった。
投稿者 soji0329 日時 2019年8月31日
「知られざる皇室外交」を読んで
『皇室外交は、日本で見るのと外国で見るのとでは、その見え方に大きなズレがある』
正直なところ、私は日本での皇室外交にほとんど興味が無かった。首相官邸での会談による政治外交が主目的であり、誤解を恐れずに言うならば、皇室を交えた晩餐会は、添え物程度の位置付けでしかなかろうと考えていた。言わばご苦労さん会に皇室も顔を出した。その程度であろうと。
本書を読んで、外国は皇室を通じて日本という国体を判断するのだということに大変驚いた。その一方で、日本政府は皇室を決して政治利用しない、ということにかなり神経質になっていることも実感した。添え物程度の位置付けとして報道することは、むしろ政府の狙いだった、といえるのではないか。
アメリカ、オバマ元大統領のエピソード。安倍総理との仕事一辺倒な会談。一方で、天皇皇后両陛下への丁寧な応対ぶり。この姿に、外国の皇室に対する見方。私たちとは違う見方を理解するべきだったのだ。
現在、軍部の暴走を止められなかったと、日本国民は誰一人として昭和天皇を責める者はいないだろう。しかし外国はそうは見ていない。敵国であった米英に中国、オランダ、ロシア。さらに日本軍に蹂躙されたアジアなどの諸外国は、責任のすべてを昭和天皇に見ていたのだ。それを考えるだけでも胸が締め付けられる思いがする。
戦争の贖罪は、現在の上皇、明仁様と、上皇后、美智子様に引き継がれた。いや、日本皇室全体に課せられたと言っても過言ではあるまい。皇室の一人の女性がシラク元フランス大統領に発した『それでは終生、かごの鳥でいなければならない私はどうしたらいいのでしょう?』の言葉には、決して下ろすことの出来ない重い荷物を背負わされた悲しみが、秘められている気がしてならない。
しかしである。上皇、明仁様と上皇后、美智子様は、その運命を前向きに受け止められた。私は本書を読んでこう感じた。平和に対する思いと深い慈しみを、日本国民だけでなく、世界の全ての人々に対して、平等に投げかけること。それを生涯の目的として、二人三脚で進められてきたのだ。イギリスやオランダ王室との交流を通じ、国民の多くが抱いていた反日感情を少しずつ解きほぐしていったのは、明るい未来を願われる皇室外交のおかげであった。
本書では、宮中晩餐会で国賓に振舞われる料理とワインのメニューが詳細に紹介されている。残念ながら私はこれらを見ても、盛り付けや味すらもイメージできない。そのような中で感じられるのは、味覚や嗅覚をベースにし、そこに音楽や絵画、庭園などの芸術要素を加えることが、おもてなしの一つの形だということだ。その基盤の上に、皇室の皆さまは日本の精神を体現して賓客と接する。時折ニュースで晩餐会の様子が伝えられることがあるが、歓談されるにこやかな様子はまさに平和そのものである。日本国民全員が持つ世界平和への願いを象徴しているかのようだ。
本書で紹介された美智子妃殿下時代のエピソード。ヴァレリーさんへの頬ずりの話や、ヤマバトの詩を盛り込んだ祝辞の話は、美智子様の人間的な魅力のひとつだろうが、これが日本のたたずまい、国柄や国の形まで、思いを馳せさせる一助になるとの説明に、本当に気苦労の多いお立場だろうことを痛感する。
知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在さず
この歌にもあるように、ご自分の立ち振る舞いが、いかに多くの人々に影響を与えているか。責任の重さをぐっと噛みしめてらっしゃるのがよく分かる。
さらにサイパン、パラオ、フィリピンの慰霊の旅における現地の方々への接し方を読むと、涙が出る思いがする。幸せにも私は、戦争を知らない世代として生まれて来た。こうして平和な世の中をつくり上げてくれた先人の皆さまへは、本当に感謝しなくてはならない。そう思う。
本書を読んで、今後自分が出来ることは何だろうか。あらためて考えたこと。それは、日本の良さ、日本精神の良さを見つめ直す、ということだ。日本人の美徳とされてきた、立ち振る舞いをあらためて自分も心がけ、実践していきたい。
いよいよ来年は東京オリンピックが開催される年である。今以上に多くの方々が全世界から日本に訪れるだろう。歴史的観光地や料理はもちろん、日本の伝統的な文化に対して多くの期待を抱いているはずだ。当然、日本人の持つ精神もまた関心の的であるに違いない。戦争という悲しい歴史から私たちが何を学び、これからの平和のために一人一人が何をどうして行くべきなのか。本書で取り上げられた上皇、上皇后のお話を参考にしながら、海外のお客様に対するもてなし方もまた考えていく必要性を感じた次第である。
私の判断では決して購入しないであろう本書をご紹介いただきありがとうございました。読んでいて、途中で本当に涙が出て来ました。
投稿者 eiyouhokyu 日時 2019年8月31日
知られざる皇室外交を読んで
皇室について、私は自分の住む世界とかけ離れた方々であるという認識しかもっていなかった。どういった活動をしているのかさえ知ろうともせず、行事のニュースをテレビや新聞で見て、せいぜい出来事を把握するくらいだった。
本書を読んで、日本に住み暮らしていながら、皇室の在り方や、対外的に果たした役割やお心構えなどに思いを巡らしたことがない自分を恥ずかしく思った。政治や経済の視点ではなく、皇室という日本独自の伝統ある格式の方々の海外交流を知って、驚きと感謝の気持ちが立ち上がった。食べるもの、着るもの、話すお言葉と内容すべてにおいて、気を張り巡らされて、熟慮して、選ばれ、行動をされている。相手を思うお気持ちがあってできる最大限の配慮、今現在だけでなく相手の(相手の国民も含む)過去も未来も気を配るということを実践されていて、それが振る舞いに表れており、日本国民代表として体現してきた明仁上皇陛下と美智子上皇后陛下の精神的な美しさを感じた。
昭和天皇の時代、日本は第二次世界大戦で対外的においても、国内においても、多くのものを失った。人命だけでなく、築き上げてきた信頼関係も。明仁上皇陛下は皇太子時代に、外国で戦後を生きる在留日本人や、戦時中の傷を今尚抱える捕虜や虐待経験者の方たちの反日感情を直接見て、体感された。その後の諸外国への訪問は、自分が直接関わった戦争ではないにも関わらず、慰問・慰霊を使命とされている様子を知り、そのような生き方を選んで、海外との信頼関係回復に努めていらっしゃる姿には、感謝の気持ちしかない。
本書から学んだことは、自分の生活レベルに落とすと本書の趣旨とずれてしまうが、読書感想として記しておく。
1.言葉に最大限配慮する
相手に伝えたいことがあるとき、たくさん話そうとしてしまうが、本当に相手に伝わるかどうかは、態度が大事であると思った。ピーチクパーチクまくしたてる会話ではなく、相手を思いやりながら言葉を一つ一つ選んでする会話の方が、相手の心に響く。こう言えば喜ぶかなと邪推してついついおちゃらけてしまうので、真摯な会話や相手を気遣う言葉がさっと言えるようになりたいと思った。
2.相手の状況をできる限り考える
相手の置かれている状況や、国内での意見、日本と海外の過去の歴史と今後の展望など個人や組織、国家に及ぶまで関係性や状況を把握することで、適切な気を配ることができる。私がよくやりがちなのは、少ない情報でこうだろうと判断し、行動してしまうことがあるが、把握するための情報は多く、新しい方がいい。
3.自己のアピールはしない
私こんなにやってます、というパフォーマンスは政治の世界ではあるが、皇室の方々はしていない。日本国民を代表した振る舞いに派手さはなく、ただ向き合ってこなしていく様子に美しさを感じた。
明仁上皇陛下と美智子上皇后陛下の振る舞いの話を読むと、リーマントラベラーの東松さんが思い出された。東松さんは、旅行に行った写真をやみくもにSNSにあげずに適量を意識している。自分は休みを使って旅行しているが、行きたくても行けない人もいるから自慢にならないよう配慮しているそうだ。
外交においても、戦勝国と敗戦国、占領側と植民側と双方に立場が異なる。国々で状況が異なるが、日本は謝罪をしているということをアピールするのではなく、行動を続けていく姿に、人々が心動かされていくのだと感じた。
今月も良書をありがとうございました。
投稿者 saab900s 日時 2019年8月31日
天皇皇后両陛下が、国と国の関係性を訪れた国民の感情に訴えかけてバランスを整えるという作用をもたらすことができる方であるということに驚きました。
その作用を生むことができるということは、とても高貴な立ち位置であり、一朝一夕にその立ち位置に達することはできません。
日本国の歴史を見ても皇紀2679年と、世界で唯一にして最長の歴史を持っており、しかも白人ではなく黄色人種であることも世界のバランスを考えた上でも重要な要素となっていると考えます。
そのような方がおられる国の一員であることに誇りを覚え、小さいながらも身近な人とのバランスを整える立ち位置でありたいと思いました。
その為には、抽象的な智の道を追い求め、行動を重ねることになると考え、積み重ねて参ります。
投稿者 kawa5emon 日時 2019年8月31日
書評 知られざる皇室外交 西川 恵 著
皇室外交という捉え方、またその役割を客観的に学べたのは本書のお蔭である。
逆に言えば、皇室をいうシステムを持ち、その恩恵を少なからず受けている日本国民として、
その知識、理解が無かったことに大きな反省と恥ずかしさを感じずにはいられない。
正直なところ、昭和天皇時代の敗戦から後の皇室の歴史につき、特に平成天皇の代に於いて、
その活動へ興味を示すこともほぼ無く、思考停止状態のままであった。
天皇制自体やその役割につき、日本国内では色々な論調、議論があるが、
自分の触れていたそれらは、全く次元の低い、無責任な内容であったことを深く内省した。
本書を通じ、平成天皇及び皇后の両陛下が実際に成されたこと、その生き様に、
これ以上無い畏敬と感謝の念を抱くと同時に、日本の国際社会に於ける立ち位置の発展に、
明らかに寄与され、官民一体以上の皇官民一体とも言えそうな役割を担われた点が恐れ多い。
この理解はもちろん、自身が日本国民であるという点は外せない。
正に文字の通り、両陛下の生き様、更には存在自体が他に類を見ない点で有難い。
唯一無二である十字架の重さ、国際社会の目、国内での立場の微妙さ、海外への影響力等々、
これらすべてを踏まえて、ご自身の人生の在り方について誰よりも熟考されたに違いない。
それらを踏まえた本書で紹介の言動は、平和な国際社会の創り方とその中での日本国、
日本人の在り方の一例を具体的に示された点で非常に感慨深く、多くの学びを得た。
多くの国々が、まだまだ政治・経済レベルの生存競争、取捨選択、交渉等で右往左往する中、
その領域を超えた思想、哲学レベルにて現実世界を歩む具体的な姿を示されたことは、
国際平和の実現から一個人としての日々の過ごし方まで、非常に多くの示唆に富んでおり、
自身の今後の方向性や考え方などに有益な糧となった。
特に自身にとって興味深かった点は以下の2点。
身分や立場の違いにかかわらず、だれに対しても公平・平等で接する、もてなしの形、態度。
相手の事情を理解し、受け入れ、より良い社会、平和な世界を共に実現しようと、
自ら積極的に外遊、そして民間レベルとの直接接触を求め、実践された点。
自身はある時から、世界平和及び国際平和のためには政治的解決よりも、
世界レベルで色々な人々が、国境、人種、宗教や言語等の違いを超えて直接的に関係性を持ち、
その関係性の糸が太くなればなる程、また糸自体の本数が増えれば増える程、
関係悪化や強いては戦争突入等への強力な防護壁になるのでは?と仮説を持つようになった。
現にそれは、医療援助や途上国開発援助、各種災害への国境を越えた援助などで交流が生まれ、
さらに感謝の声や何らかのお礼返しなどによってより一層の相互理解と交流が進んだ結果、
明らかに良好な関係が構築された多数の例がある。
この形の醸成と継続、つまりお互いの理解と尊重、そして実際の交流及び数の本数こそが、
世界平和及び国際平和への一番の近道ではないか?と思う仮説である。
そして本書により、平成天皇及び皇后の両陛下が前述の2点を軸に、自身の仮説で言う前段部分、
お互いの理解と尊重、そして交流への切っ掛け作りを体現していることを知った。
世界でも稀な立ち位置であり、屈指の伝統、格式と歴史を持つ家系の国家元首がである。
自身の仮説がどうこうではなく、その理想形を体現、実行されている点に驚いた。
相手がこちらを受け入れるかは相手次第である。そういう意味で、ご自身自ら直接接触を求め、
本書中の「日本の皇室を外国人に考えさせ、皇室が象徴する日本のたたずまい、国柄、
国の形というものに思いを馳せるきっかけ」作りをし、日本人を外国人にイメージさせようと
積極的にされた点は、日本人として知っておかなければならない点であろう。
またそれを理解した上で、日本人として恥ずかしくない言動でもって日々振る舞うことが、
平成天皇及び皇后の両陛下へのこれまでの生き様に対して感謝を示し、
そして日本国民としての自分なりの感謝の返礼ではないか?と思い至ることが出来た。
そしてそれこそが、「皇室を日本にとって最高の外交資産」にする最良の方法であろう。
今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
投稿者 gizumo 日時 2019年9月1日
「知られざる皇室外交」
今年の5月に平成が終わり令和となった。思えば、昭和、平成、令和と3代を生きていることとなる。子供のころはずっと昭和が続くものと思っていた。その令和が始まるころ、「平成は唯一戦争がなかった」と聞いて「そういわれればそうかも・・・」と感慨深かった。もちろん第二次大戦時は生まれて居なかったが、父の兄弟は戦艦大和沈没の時と思われる黒煙をみたといい、母親は福岡大空襲を体験し、竹やりでB29を倒すと教えられたそうである。また、母方の祖父は出征し南方の島より無事帰還するも体調が戻らず亡くなったと聞いている。微妙に戦争の体験者と近いところにいながら戦争については積極的には学ばず、その後の平和を謳歌していただけの感が強い。そんな自分でさえ、「戦争がなかった時代」だと言われるとその尊さが身に染みて感じられる。
本書を読んで、それは上皇、上皇后のお人柄と強い想いによって実現された事も多いのではと感じられ深く感動した。思えば決して平坦ではない皇太子時代を過ごされ昭和天皇の崩御により即位、平成の時代も昭和の影は色濃かったと思われます。時に、「税金の無駄遣い!?」などと感じていた外交も、“皇室”外交という特別な政治、経済ほかの活動であることを知ることができ、ますます時事の事柄に注意を向け、興味を持っておく必要性を感じさせたられた。
今後、なぜこの外交が行われているのか考えながらニュースと接するのもまた興味深い有意義な活動になると考えられます。お二人の人柄や物事に接する姿勢は各人が少しでも身につけられたら世の中は変化すると思われ、まずは自分からと思った次第です。
投稿者 tajihiro 日時 2019年9月1日
「知られざる皇室外交」を読んで
西川恵著の「知られざる皇室外交」について、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。
まず、本書で著者が一番言いたいことは、『疑いなく皇室は日本外交にとって最大の資産』(P4)であり『日本の首相が何度訪問しても不可能だったことを、天皇が訪れることによって成し得たことは少なくない』(P4)という事実を知ってほしい、であると考えます。
上記を踏まえ、以下の2点について新たな学びを得ました。
1. オランダでは『オランダ人引き揚げ者の鬱屈した感情』(P95)が戦後しばらくあったこと
2. 『東日本大震災への対応が最も冷静だったのが英国大使館だった』(P173~P174)
1. 『オランダでは『オランダ人引き揚げ者の鬱屈した感情』(P95)が戦後しばらくあったこと
本書を読むまでに私が持っていたオランダのイメージですが、オランダは日本にとって極めて良好な友好国の一つであるというものでした。というのも、日本のようなEUに加盟しない国の者がヨーロッパで働く場合、様々な労働許可の手続きが必要となるところを、オランダの場合、2014年12月に「1912年に締結された日蘭通商航海条約を根拠に、日本国籍を持つ者には「自由に労働が可能な居住許可」を交付したことから、日本国籍の持ち主は、オランダにおいて住民登録と、銀行口座を開設しさえすれば、労働許可を申請しなくても働くことが可能ということを聞いたことがあったからです。(なお、2017年1月1日以降に再び変更され、2019年現在では労働許可が必要とされています。)
私はそういうイメージをオランダに対して持っていたため、第二次大戦直後の、特にインドネシアからのオランダ人引き揚げ者を中心とするオランダの反日感情が存在していたという事実を知ったときは非常に驚きを覚えました。
しかし、1995年以降はオランダ国民による反日感情も和らぎました。それは、村山首相(当時)により「平和友好交流計画」が作られ、アジア女性基金による償い事業などが実施されたからです(村山談話)。そして、反日感情を和らげる決定的な出来事が、2000年の日蘭交流400周年記念であり、そこに天皇陛下の訪問が実現し、献花と黙祷の様子がメディアで放映されました。
雪解けに至るまで半世紀以上かかりましたが、大戦直後、極めて最悪な状態から、一時は、労働許可を申請しなくても働くことができるくらいまでに、友好を深めることができたのはなぜか?隣国の中国と韓国とは相変わらずの状態にも関わらず、緯度的には日本の真裏に相当する遠国オランダで、奇跡的ともいえる雪解けを果たせたのはなぜか?
それは、この著書にあるように、長きにわたって、天皇家とオランダ国王家、そして関係者による地道な地ならしがあったことは疑いようもなく、天皇家とオランダ国王家両家が持つ「徳」の高さが成し得たのではないでしょうか。ちなみに天皇陛下における黙祷は1分という長きにわたるものであり、そのときの身じろぎひとつないその御姿に、ベアトリクス女王は涙し、オランダ国民に対し、言葉に言い表せぬような深い感情を与えたと言います。オランダの国章に「Je maintiendrai(我、守り続けん)」という言葉が刻まれておりますが、その言葉通り、天皇陛下のあの1分という長きにわたる黙祷から、心が通じ合える何かをオランダ国民が感じたからではないでしょうか。
2. 『東日本大震災への対応が最も冷静だったのが英国大使館だった』(P173~P174)
東日本大震災救援の際に世界で最も多大に救援活動をしてくださった国はどこかと問われたら、アメリカと即答できると思いますが(地震発生翌日に「トモダチ作戦」を表明)、では、いち早く支援表明した国はどこかと問われたら、う~んと考え込んでいたでしょう。
今回、本書を読んで、イギリスが世界でいち早く支援表明をしてくださったこと、さらには、最も冷静な対応をしていたのが、イギリス大使館であったことをはじめて知ることができました。その中で、最も感銘を受けたのは、ただ支援するだけでなく、在日英国人のために、HP上で、福島第一原発について、自国の物理学者等の見解などを掲載し、事態の鎮静化に尽くしてくれたことです。だらしない日本のマスコミを一切鵜呑みにせず、正しく行動してくださったのは、ありがたい限りだと思います。
では、なぜ、そのイギリスがいち早く支援表明をしたのか?
私が本書を読んで感じたのは、普段からの皇室外交があったからであり、さらには「長い歴史と伝統の蓄積」と「それに立脚した先の天皇皇后両陛下を中心とした皇族の人間力」があったからではないかと推測します。
こういう逸話があります。長年、サウジアラビア駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルターンは帰国後、2005年10月に国家安全保障会議事務局長という重職につきました。面会が極めて難しく気難しいことで知られた方にも関わらず、当時の中村滋・駐サウジ大使は2度私邸で会うことが叶い、イランとの水面下の交渉などの重要情報を得たといいます。その際、バンダル・ビン・スルターンが発したのは「通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。なぜなら日本の皇室を尊敬しているからだ。」と述べたといいます。どこの国でも、日本の皇室は一目置かれ、かつ、そこには尊厳の念があるのでは、と思われます。
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「日本人は、なぜ海外で尊敬されるのか?」よくこういう議論がされます。日本のアニメが世界中で有名だからであったり、日本人は親切だからであったり、様々な理由が述べられておりますが、もっと根幹まで突き詰めると行きつくところは、戦後の天皇陛下、皇室の立ち居ふるまいであり、その立ち居ふるまいの源泉は、先の世界大戦で亡くなられた多くの犠牲者に対する畏敬の念に行き着くのではないかと思います。
私は、日本人として生まれたことを幸運に思い、そして日本人であることに誇りに思いたいと思います。同時に、自由に海外旅行や海外留学、海外ビジネスができるのは、この「皇室外交」の存在を、深く知っておくことの重要性を、本書を通じて知ることができました。
以上、課題図書の私なりの考察を終わります。今回も非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
投稿者 wapooh 日時 2019年9月1日
201908『知られざる皇室外交』を読んで
令和元年の8月が終わる。平成の30年間が終わり令和へ。5月の時代の移り変わりはとても穏やかで優しかった。雨が降り晴れ間が現れて、新緑の緑の柔らかさの中にあった一日だった。車の中でラジオパーソナリティの方が、『こんな平和で晴れやかな気持ちと状況でスムーズな御代の移り変わりを経験できる日本国民は幸せだ』と言うようなコメントをしていたのを聞いた気持ちを今も覚えている。
『知られざる皇室外交』を読みながら、ふと思い出した。
しょうおんさんが選ぶ8月の課題図書だから、戦争について思いを馳せる時間をじっくりと持つ一冊に違いないはずだ、と頁を繰りながら探っていたのだが、読めば読むほど、上皇上皇后陛下のお人柄、人間力と覚悟と日本国の象徴天皇の存在の広さと深さ、詠まれた歌のことばと御心の美しさに浸ってしまって、何度も手が止まり柔らかい空気に飲み込まれて何も出来なくなりぼうっとしてしまった。
と同時に、戦争の悲惨さや戦後も続く収容所の残酷さのトラウマ、各国が敵対国に対して抱いた思いを国を取りまとめる人々が、「戦後の世界をよくするために」、感情を超えて『プラグマティックに』『将来へのまなざしが、過去によって曇らされてはならない』と言う思想と覚悟の下に、戦争について認識し、相手の気持ちを思い、幸せな方向へ行動を積み重ねてきたからこそ、今の平和な世の中で私はこうして生きていられることを実感した。特に第3章と5章のオランダとイギリスの皇室と日本の皇室が時代によって取られてきたありかたの記述に体温を感じながら学ぶものがあった。
戦争から平和への反省と復興以外に、トップの日本に対する感情や対応、経済や文化の面で日本を良くするために天皇・皇室が後押ししている事実が第1,2,4章に紹介されており読んでいて胸が熱くなってくる。
「どんな気持ちで生きるのか?」「長い目で見て、これまで平和を享受した我々がさらに世の中が幸せに暮らせるよう思考し行動し生きる。本書で紹介される天皇両陛下が皇室外交で示された行動や言葉、生き方に学ぶものがあるのでは」ただの市井の一人で細やかなものだけれど、歴史や戦争やその後の反省や歩みを知り、複眼的に世界を正しく認識し、志を持ち生きて行くこと、優しさや幸せを持ち合わせる事を死ぬまで継続する事が大切なのだ、と謙虚に思えた。
本書のはじめにから。『皇室(外交)は日本のメディアを通じて我々が知るのと、外国から見るのとでは大きなズレがある』のだという。『日本では両陛下の外国訪問や外国の賓客を迎えた宮中晩餐会に関する記事は社会面に掲載されるが、外国では政治面で扱われる』、『外国の首脳が日本と理解する時、皇室を通して日本人や日本と言う国の像を自分の中に結ぶこと、私たち日本人はもっと知っていい』。
日本の皇室は2000年以上続く世界で最も長く続く国の元首であり、伝統や文化の継承の面で世界から敬意を払われる存在でもある。首相(政治)のように一時的な立場ではない。ミッテラン大統領と女性皇族との会話がずっと記憶に残った。『それでは終生かごの鳥でいなければならない私はどうしたらよいでしょう』。現代なら女性皇族は民間に嫁げば皇族から離れることもある。では、天皇はどんな気持ちになるだろう、と思う時、本書で書かれた平成天皇陛下の覚悟と美智子皇后の寄り添う覚悟はいかばかりか。平成天皇陛下と美智子皇后さまが向き合われて実践されてきた外交。昭和天皇代行の訪問から、戦後の黙とうと遙拝の慰問の旅、詠まれる歌の眼差しに感じいる。
日本の歴史や他国との関係、訪日する国賓の国の歴史、国賓個人の立場、時に日本国民(被災者や歴史の犠牲となった人々や貢献者)に対して。「専門家や知見者や経験者や文献から情報を得て知ることをなさり、その上で話を聞いて、心に寄り添って、温かい言葉を投げかける」関係性を結んでいく。天皇や皇室を支え、育み、伝えてきた先人の努力に感謝の念が沸く。読めば読むほどに、晩餐会や午餐会での天皇や女王、国王、首脳の演説が、ただの挨拶ではなくてその後の歴史を築き上げてきたかを読者は理解する。
「おもてなし」。最近再び話題のこの言葉。『いずれにせよ皇室は、「誰に対しても公平・平等に、最高のもてなしをする」と言う本来的に日本人が備えていたもてなしの精神を体現し、戦後より明確にしていった』との記述はそんな軽いものでもない。言葉以上の佇まいで伝えてこられた両陛下のお姿から学ぼう。しょうおん塾でようやく、長き目線と行動の大切さを学びつつある自分としては、しっかりしなくてはと気が引き締まった。
まず「知らないで済まされている多くの事」やそれをスルーしている自分、日々の甘えた行動、この平和な世の中のありがたみを当たり前としてしまっている自分の日常を見直そう。
本書を読んで本棚の「卑怯者の島」「unbroken」「夜と霧」に目を通した。特にUnbrokenについては、今は平和記念館となっている地元の捕虜収容所がある。去年の読書をきっかけに訪問しその後も様々な県の施設で史実の記録が目に留まるようになり戦争の残酷さと二度と起こしたくない思いを強くした。
この読書をきっかけにこれからは新たな目で皇室や外交について目を向けて行き、日常の生活を良くしていきたい。今月も良書の紹介と考える時間を有難うございました。