投稿者 kawa5emon 日時 2019年12月31日
書評 失踪日記 吾妻ひでお 著
常習性の怖さと突出した実体験はコンテンツに成り得る。この2点が今回の読感である。
自身も飲酒が日々の生活の中での一つの楽しみである。これからも付き合う筈だ。
しかし本書に描かれる飲酒とのお付合い物語は決して模倣したい類ではない。笑。
その点で、飲酒との付き合い方を間違えると、このような日々が待っているという意味で、
その体験を模擬体験出来た点は、著者が本書を出版された点に素直に感謝したい。
本書では随所に酒が登場するが、最初の一手に親近感そして嫌悪感を感じずにはいられなかった。
酒はあくまでも自身へのスモールギフトとするのが正しい距離感の取り方と感じた。
起床後すぐの飲酒はやはりいけない。なぜなら自身も経験があり、まず一日が台無しになる。笑。
著者は仕事が無い場面で、すぐにタバコと酒に手を出した。ほぼ無意識の状態で。
この無意識の状態で手を出す行為が、常習性に繋がり、逃げられなくなる原因だと再認識した。
後々の治療や入院などで治るレベルではない。なぜなら身体にとってそれが日常、常識だからだ。
実際、アルコール依存症は不治の病とある。決してお付き合いしたくない病である。
身体がその状態を日常と捉えてしまうと、意識だ無意識だの判断領域では無くなる。
それが常習性であり、一番怖い状態だと再認識した。悪い意味で、継続の結果である。
これを更に掘り下げると、思考で行動を変えられない領域が出来てしまうことが怖い。
理屈上、脱飲酒に向け行動は変えられるだろうが、時間が掛かる。
そのような状態に自分を置きたいか?の思考訓練が出来た点で、本書には更に感謝である。
次に突出した実体験はコンテンツに成り得るについて。
自身は前述で悪習の常習性の怖さを記述したが、それでも止められない場合はどうするのか?
結論から言えば、もう諦めるのも一手だと考える。つまりその悪習と一生付き合うのである。
止めるのが出来ないならば、距離感を変える手段を考えたらどうだろうか?の思考変化である。
ダメだダメだは自己否定に繋がり、その先は自己嫌悪。またその先は社会性の喪失に繋がると考える。
社会性の喪失とは、現実社会で生きられない状態を指す。自分の周辺全てが自己否定の理由となり、
最悪の場合、自己正当化のために周囲に危害を及ぼすパターンも発生する。その先は塀の向こう?
本書を通じてのもう一つの学びは、一般的には悪習と言われる物事から逃げられない場合、
それを逆にネタにして情報発信し、社会との付き合いを始めるという点である。
本書冒頭に、「人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して…」とある通り。
本書のどの部分に共感できるかは読者次第だが(笑)、易きに流れるパターンは共感を生む。
人間生活のあらゆる場面で、他人とのコミュニケーションに大切なのが共感で、
共感が生まれることで、そのネタ、そのキャラクターが認められ、社会性が与えられる。
自虐ネタによる社会貢献と表現できるだろうか。自身を客観視して面白、可笑しくネタ化してしまう。
本書にはあるあるネタが豊富であり、帯には福音の書とまで賛辞が送られている。
自身には忌むべき内容でも、それを一旦認め、受入れ、角度を変えて情報発信することで、
他人には学びになることもある。自身が前述した学びもそのプロセスで生まれた。
著者は自分を客観視(ネタ化)することが出来た。いや周囲がその理解を助けたかもしれない。
一般的に悪習と言われる物事や他人と比較して突出して違う特徴がある場合、それを自分の中の
小さな箱の中でクヨクヨ悩んでいないで、寧ろ認め、他人事にように情報発信出来れば、
思いの外、他人に貢献できるかもしれない。本書表紙裏で、著者が断酒会で小咄にしたように。
こう考えると、経験する実体験も中途半端では面白くないなと考えてしまう。
どうせなら、ネタになるような突出した体験、経験をして、共感のネタ作りをしてみたくなる。
本書のような経験はお断りだが、突出しているという意味で、痛い失敗体験(笑)など歓迎である。
一読目は嫌悪感が大半であったが、何度か読み返すうち、自身の痛い経験、体験をネタ化する意義、
方法を学べた。そしてここでS塾で学んだ幸せの極意、
「どんな苦境にあっても、その状況を笑い飛ばせるか?」を思い出した。
来年は新しい環境に身を置く。成功だ失敗だと目先の利益に囚われず、何事も経験と、
大局観を持って日々を過ごしたいと思う。
今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。また本年もありがとうございました。
来年も課題図書投稿致します。最後までお読みいただき、ありがとうございました。