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第104回目(2019年12月)の課題本


12月課題図書

 

失踪日記


実は昨日久しぶりに再読したのですが、じんわりと胸に届いてくる作品でした。この本、

マンガでテーマが失踪とかアル中体験ですから、どう受け止めるかが問題になるんですよ

ね。ですから、過去一番書くことの軸がばらける本だと思います。どこにフォーカスする

かで、全く違ったものが見えてきますから。

 

この本を理屈で解釈したら、感想文は何も書けないと思います。そんな場合には繰り返し

読み直してみてください。マンガですから1時間もあれば再読できますから。そうしたら

あなたの心に届いてきた何かを感じられるはずです。ま、それを言語化するのが一苦労な

んですけどね。

 【しょ~おんコメント】

12月優秀賞

 

先月は、誰でもサクッと読めるマンガにしたんですが、読んだ後に感じたこと、考えたこ

とを言語化するのに苦労した人が大勢いたようですね。あれは人生で一度でもあのような

ダークサイドに落ちたか、落ちかかった人には、こんなに書きやすい題材は無いだろうっ

てくらい、湧き出てくるモノがあるはずなんですが、みなさん健全に生きてらっしゃっる

んですかね。

 

いつものように一次審査を突破した人をお知らせすると、gogowestさん、soji0329さん、

masa3843さんの3名で、今月はsoji0329さんに差し上げます。おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 kd1036 日時 
 冒頭に「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています。」とあるとおり、本当に辛い部分は省いて楽しく感じられるように描かれてはいる、という前提で読んだとしても、色々と考えさせられる作品でした。

私が読みながら頭に浮かんでいた主な点は以下の3点です。
・何故そのようにするのか?(失踪したり、アル中になったり)
・幸せとは何だろう?
・どういう状況でも、思いの外人はたくましく生きていけるんだな

 読み始めて、前半の失踪・ホームレスの部分は、「うわっ!、凄い楽しそう!」と感じ、アル中の部分では、一転、「苦しそうだな~」、と感じたのが、率直な感想です。
 失踪した理由は、単純には仕事に追われていたから、と言えるかもしれません。それにしても、普通ここまではしないよな~、と思います。ただし失踪している間の描写は凄く楽しそうです。自分自身ですら客観的に捉えて、楽しんでいる感を受けます。
 では、何故その後アル中になり入院するまでになってしまったのか?という点について考えた事を記述してみます。
 表紙の裏に書かれているインタビューで、「理想の生活は?」と聞かれ、吾妻先生は、「毎日酒を飲んで寝て、テレビを観たり本を読んだりしながらブラブラしたいですね。」と書いています。
 これには、私個人としては、大いに魅力を感じます。それはさておき、理想がそこにあると職業人としての漫画家は、吾妻先生にとっては非常に息苦しいものだったのではないかと推察されます。
 ある意味、失踪中の生活は前記の理想を叶えているとも言えます。
 ただし、それは仮初の現実で、本来の漫画家吾妻ひでおから逃避しているだけだったのではないでしょうか。その事を吾妻先生も理解していて、いつかは終わる貴重な時間を目一杯楽しんでいたのだろうと、私は想像しました。
 現実としては漫画家としての生活から逃れる事は出来ません。そして2回は失踪しましたが、度々失踪する事は現実的に無理で、日々の苦しさを紛らわすためのアルコールに頼り、いつしか自分の意志ではコントロールできない状態にまで行き着いてしまったのだろう。以上が、何故そのようにするのか?と頭に浮かんだ事に対して私が想像した事です。

 次に、幸せとは何だろう?と考えた部分について書いていきます。
 吾妻先生は、漫画家で生活上はお金に困る事のないような印象を受けます。(失踪して現金がなかったり入院で自由にお金を使えない状況は別として)
 吾妻先生は、漫画家として継続した制作依頼のあるしっかりしたポジションを持っています。しかし制作ペースがタイトで時間的・精神的に厳しい仕事ではあったようです。私は漫画家という職業はそういうものなのだろうな、というイメージを持っています。
 漫画家というのは、私のイメージでは、職業にしたい人がたくさんいて、その中の一握りがデビューのチャンスを掴んで世に出ていく、といったものです。誰でもなれる職業ではなく、なりたくてもなれない人が大勢いると思います。吾妻先生は、作中では仕事をあまり楽しそうにしていない感じです。本当に作りたい作品と出版社の意向が合致しないという事もあるのでしょうが、漫画家という仕事が好きではないような印象を受けます。
 ガスの会社にいる時に、社内の募集に4コマ漫画を投稿して採用されたりもしているので、漫画を描く事自体は好きなのだろうと感じます。
 吾妻先生の仕事との関わり方は、「何を贅沢言ってるんだ!」とほぼ全方位から非難が飛んできそうです。ただし、多くの人気作家は多かれ少なかれ同じような状況を抱えていると思います、昔少年ジ〇ンプや少年マ〇ガジンを毎週買っていた頃、人気のある作家さんほど度々休載する週があった事を思い出します。
 世間的に見たら、非常に恵まれている状況でも、本人の解釈次第で良くも悪くもなるのでしょう。私個人としては、吾妻先生に「タイトできついけど好きな漫画を描けて幸せだな~」という思考がもう少しあれば、もっとラクに生きられたのではないかなという印象を持ちました。
 もしくは、真面目過ぎの反動という面もありそうです。失踪という極端な手段を取らず、日々をもっと脱力してても良かったのかもしれません。こちらは全くの私見ですが。

 ご本人について考える事も多々ありますが、家族や周りの人はどうなんだろうか?、という部分が気になりました。
 気になったので、アル中病棟の失踪日記2も読んでみましたが、どうしても入院患者の視点からになりますので、家族の感情の記載はほとんどなかったです。
 単純に想像すると、家族にアル中がいて不幸だ!、となるとは思います。
 失踪日記2では、同僚の入院患者の多くが離婚するなどの人に見放される状況になっています。
 吾妻先生の奥さんに関しては、家族から見放されているような感じはしません。失踪していなくなったり、アル中になって施設で無理を言ったりと、この部分だけを切り取るとかなり酷いですが、家族はそれでもOKだったのだろう、と思う事にしました。リアリズムを排除しているので、本当はとても悲惨な状況だったのかもしれませんが。

 最後に、本作を読んで、どんな状況でも生きていけるもんなんだな、と感じた部分について書きます。
 ホームレスの部分は、面白おかしく描写されていますが、実際はかなり過酷なはずです。ただ、割り切ってしまえば何とかなるものなのだな、とも思いました。スーパーを見つけてからは持ち帰ったものを消費しきれない時もあるほど、という部分は笑えるような笑えないような気持ちになりました。
 アル中で入院している部分では、入院患者の皆様の入院の原資はどこから出てるのかな?、と考えさせられました。単純にお金に余裕のある人もいるだろうし、生活保護を受けている人もいるのでしょうが、3か月とかの期間を入院して治療する人が、これほどいるというのは驚きでありました。
 日本は同調圧力の強い部類に入る国だと思います。こうじゃなければいけない、~であるべき、という事に常にさらされます。しかし、そんな事は気にしなくてもいいのかもしれません。法律違反にならない・人様や社会に迷惑をかけない、といった最低限の事をしていれば、自分自身でどんな選択も自由に出来るのだと、本書を読んで再認識しました。私はアルコールが大好きで仕事のストレスもかなり大きいと思いますので、よく気を付けるようにします。ホームレスをやってみたいとは思いませんが、疑似体験できたことは本作を手に取って大きな収穫となりました。世界には自分の知らない事がたくさんある、それを知る事が人生をより豊かにしてくれる、そんな気分にさせてもらった一冊でした。 

 吾妻ひでお先生のご冥福を心よりお祈りいたします。作品に触れる機会を与えてくださり、ありがとうございました。
投稿者 yosida5508 日時 
小学生のころから30歳ころまでわりと本を読んだ。SFと言われる分野が多かった。活字だけでなく映像もマンガも。で、吾妻ひでおである。好きな、いやいや大好きな作家である。チャンピオンの連載はあまり見ていない。SFマガジンや奇想天外は好きで見ていた。このころからのファンである。なんといっても女の子がかわいい、そしてエロい。絵もうまい。小ネタがいい。SFの裏話や暴露話なんかも描いてある。話は破たんして訳が分からなくてもSFだと思えば許される。何度でも読めるのはやっぱり絵がいいからだろうか。
さて、感想文である。好きな作家だし、マンガだし、よしいいぞと思って向かったが、あれっ難しい。なんでだろう、想像力が働かない。本を読んでいる時には、あちこちに思いが飛んで、いろんな感情や考えが立ちあがってくる。いわゆる文章の余白に想いを巡らすというやつか。ところが吾妻ひでおのマンガは、おっ、ふんふん、うわぁ、あれっ、ひでぇなぁとまあ、感嘆符は出てくるがその先の感想が出てこない。絵、しかもシンプルな絵が的確な情報を必要なだけ提供してくれているので、次のコマ、次の情報へと目が流れていく。やっぱりこの人はマンガがうまいなぁ。って感心している場合じゃない。
最初に思ったこと。この人の、この人生は知らなかった。それで半分消えてたんだ。んでも、あの状態からよくこんな話を書けたもんだなぁ。
次に思ったこと。あっ東京(から南の都会)は失踪しても生きていけるんだ!冬に公園で寝てても死なないんだ。食い物はいっぱいあるし、酒もあるし、人は無関心だし。何かへましたら失踪すれば楽でいいじゃん。自分一人だったら絶対に生きていける。問題はどうやって東京までたどり着くかだな。
三つ目。普通に土方?労務者?肉体労働者?はたまたブルーカラーと恰好つけるか。なんだ頭脳労働だけかと思いきや、やればできるじゃないか。最初は言われたことだけ、できないなりにコツコツと。汗を流して飯を食って雨露しのげて布団があれば、これはこれで幸せじゃないか。今の日本、なかなか死ねないし、年取ったって何とかなるべ。それでも、あるいはそれだからこそ回りにいる人間の質に左右される人生。少ない稼ぎ、ささやかな幸せの中から搾取され、彼の場合はその意味を知っているのにそのまま流され続ける。それが、職場のグループが変わったがために、教育を受け(これも流された結果だけど)仕事が面白くなったというのに、また逃げた。今度は人間関係から逃げた。「そんな腹立ったんだったらなぐっちゃえばいいのにアズマさん」。うん、私だったら殴ってる。いや秋田県人はどこまでも我慢だな、せめて逃げる甲斐性が有ればいいのに。「とりあえず明日休みます」。これは世界を救う言葉。かもしれない。
人の悩みは、結局、金と人間関係と病気だと教わった。アイディアの問題(金)から失踪し、人間関係から職場を辞め、そしてすべてから逃げるために酒に逃げ、病気に転落する。まっ誰が悪いわけでもなく自分が悪いだけなんだが、この絵を見ているとそんな暗い悲壮感が感じられない。やっぱりすごい。
で、四つ目。正直、触れたくない、目を逸らしたい、こんな暗い話題は避けて通ろう。秋田県人は酒飲みだ、酒になんか飲まれないぞ。こんな現実には目をそむけて生きていくんだ。というわけで、同級生の精神科医に聞いてみた。いきなり聞かれてデータもない、あくまでも印象の上と断ったうえで、まず、そのアル中をどこで定義するか、内科的なものか、精神科まで来た患者のことか、確かに断酒会をしている病院はほとんどなくなった、精神科にアルコール依存症として来る患者も減った、酒を飲んでも大概は肝臓で引っかかってそこで薬を処方される、そこから24時間酒飲んでるやつは気違いだ、酒癖の悪い奴は大勢いるが回りが酒を隠す、迷惑かけたら警察へ、それでだめなら薬でおとなしくさせる、、、、まっ今度酒でも飲みながらゆっくり話そうか。
作者も、手塚賞のインタビューで「実際にホームレス生活をしている時はすごく厳しかったが、時間をおいて思い出してみると、なんか間抜けというか笑える。結局はホームレスも日常になっていくんだなと。『アル中』だってそれがいつもの生活になる。」ホームレスも日常!アル中も日常!!マンガの中の奥さんは淡々と作者を無視しているが、そんなものではないはずで、それでも添い遂げたということは、とんでもない苦労があっただろう。クリエイターとしての奥さん目線の話があったら、面白そう、いやいやよほど悲惨な物語が出来そうである。
テレビの中にはアル中のニュースはなく、賑しているのは、芸能人の麻薬中毒や覚せい剤密輸のニュースである。どちらがという事ではないが、依存症になるスピードや体験年齢を考えるだに空恐ろしい。
さて、楡家の人々は挫折したままだから今度読んでみようかな。
 
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
1.「夜を歩く」及び「街を歩く」の章

 吾妻さんがホームレスになった経緯は、中高生が不登校になる経緯と少し似ていると思う。
 貧困や無職が原因で、やむを得ずホームレスになった人と違い、吾妻さんは自らの意思でホームレス生活を選んでいる。中高生が学校の厳しい受験戦争や人間関係に疲れ、学校から足が遠のき、当てもなく街をブラブラさまよう現象に近いと思う。
 もし吾妻さんが仕事のプレッシャーを我慢し、あのまま漫画執筆を続けていたら?もし中高生が、苦しみを押し殺して学校に通い続けていたら?結果はおそらく、両者とも精神病になるのでは、と思う。そのため、吾妻さんが仕事のストレスから逃げてホームレスになったのは、正しい選択であり、人は時として苦しみから逃げる勇気も必要だと思う。吾妻さんが人間らしい感覚を取り戻すために、ホームレス期間は必要だったとも思う。
 人気漫画家の吾妻さんは、複数の仕事を一度に抱え、編集者に「売れるためにこういう漫画を描け」と細かく注文をつけられ、時には「おまえの漫画は面白くない」と非難され、大きな精神的重圧を抱えていた。本当は好きで職業にした「漫画を描くこと」が「仕事としての義務=苦痛」になってしまった。編集者におびえ締め切りに追われ、主体的に漫画で自己表現することが出来なくなっていた。
 ところがホームレスになると、朝起きる時間に始まって、食べ物を集めに行くルートや方法、調理法、寝る場所決めに至るまで、何から何まで他人に指図されず、自分で一から決められる。この生活の方が吾妻さんは楽しそうで、人間らしく生きている感じがする。(だからといって、自分は彼のようなホームレス生活をやりたいと思わないが…。)
 意外だったのは、彼がホームレス生活中「このまま孤独死したら、どうしよう?」という恐怖を抱えていなかったことだ。ずっと一人で過ごしていたので「自分の中にもう一人の自分を作り、心の中で会話を楽しむようになった」の記述はあったが、「寂しい」という感情はなかったようだ。むしろ、自分にじっくり向き合う時間が、ボロボロになった彼の心を癒しているように見える。特に、50ページの「目覚めたら一面の銀世界」というコマは、シンプルに感動を覚えた。普通に生きている人なら、こんな状況は体験できないだろう。まるで野生のキツネのような目線で、美しい景色と静けさを味わった。漫画家として多忙だった頃の吾妻さんは、四季の美しさを味わう暇などなかったはずだ。ホームレス生活中の吾妻さんの姿は、「孤独」でなく「孤高」に近いと思う。

 その後、彼は「しばらくホームレスをしていたら働きたくなった」という。この「働きたい」願望は、外から強制されずとも自分の心の奥底から沸き起こってきたリアルな思いである。「有名な漫画家」としてでなく、無名の自分になって配管工として就職したことは、彼の新鮮な喜びとなる。「社内報に漫画を描いて送ったが、誰にもプロの漫画家だと気づかれない」という驚異のエピソードには笑ったが、吾妻さん自身は、締め切りや編集の注文に追われず、のびのびと漫画が描けて楽しそうだ。幸福とは、他者にコントロールされず、自分の湧き上がる思いに従って生きることかもしれない。

2.「アル中病棟」の章について

 私が初めて「AA会」の名を知ったのは教会の日曜礼拝である。アメリカ人牧師の話によると、アメリカでは、教会は「品行方正な人が行く所」となってしまった。しかし本来の教会の役目は、AA会のアルコール依存症患者を始めとした「問題を抱えた人々」を救うことであり、クリスチャンはAA会に出向いて助けの手を差し伸べるべきで、叱責・非難するなんて以ての外だ、という話だった。
 AA会はキリスト教者が創設した組織なので、日本で活動しているのか、以前から疑問に思っていたが、今回『失踪日記』で、AA会が日本で活動していることを初めて知った。(キリスト教文化のない日本で「神よ、お与えください」の有名な祈りを患者に唱えさせることに意味があるのか、疑問だが。)
 昨今、麻薬中毒で逮捕される芸能人が後を絶たない。彼らのニュースを耳にする度に「バカだねぇ」と呆れていたが、自分と別世界のこととして片づけず、きちんとした知識を得るという意味でこの本は勉強になった。
 AA会は「医者からの治療と助け」だけでなく、「患者同士の交流、励まし合い」に重きを置いている組織のようだ。吾妻さん目線の漫画も、医者や看護師よりも、患者の描写の方が克明で面白い。中毒の克服のためには、医者の助けというより、同じ中毒者の友人と共に支え合って頑張ることが、自分を変える大きな力となるのだろう。
 アルコール依存症の予防としては、全ての人が本書を読み、アルコール依存症の恐ろしさを疑似体験すべきだと思う。吾妻さんの漫画『アル中病棟』を実写ドラマ化すれば、視聴者はもちろん、患者役を演じる芸能人達は特に、アルコール依存症の恐ろしさをしっかり学べるだろう。

3.本書の構成の意味

 この漫画の題名は『失踪日記』なので、吾妻さんのホームレス(及び配管工)の章だけ収録しても良かったはずだ。「アル中病棟」の話は続編の『アル中病棟(失踪日記2)』に収録しても、内容的におかしくない。なぜ両章を同じ本に収めたのか。
 それは、ホームレス体験記もアル中闘病記も、吾妻さんが苦しみを抱えつつ勇敢に「もがいた」姿を描いたからだと思う。人生のどん底でもがく苦しみを描きながら(私はつらくて、何度も読むのを止めたくなった)、かわいい絵と軽快なノリで、本書は底抜けに明るい。辛い中にも、くすっと笑わせるユーモアにあふれ、吾妻さんの観察眼と冷静な目にハッとさせられる。彼の魂の叫びが、1冊を通してジワジワと伝わってきた。吾妻ひでおさんのご冥福をお祈りする。
 
投稿者 str 日時 
『失踪日記』

実際のところは理解しがたい苦悩があり、直視できないような凄惨な光景だったことだろう。けれど、コミカルな絵柄とユーモア満載で描くことでエンタメ性を感じさせる。“漫画家”という職業の本質を見せてくれる様はまさにプロフェッショナルだ。

・なぜ『失踪』『アル中』に至ったのか
本書では“泥酔首吊り自殺”の敢行 ⇒ “寝落ち・失敗”から失踪生活がスタートするので、本当はここで話が終わっていた可能性もある。ではなぜもう一度自死を試みなかったのか?なぜ一旦落ち着いて家に帰らず、そのまま失踪状態を続けたのだろうか?

「本当は死ぬつもりはなかった」「社会の喧騒から離れ、一人きりになりたかった」そういった思いが吾妻さんの中にあったかどうかは分からないが、少なくとも“救い”はあったのだと思う。それは「嫌なこと、辛いことから逃げただけだ」と捉える人もいるだろう。だけど、そこで逃げることができたから、吾妻さんは一旦別の生き方を見つけることができたのではないだろうか。

「自分の好きな作品を描きたい」
吾妻さんにはそういった思いがあったのだと思うが、多忙や重圧などによって、“好きなハズの仕事”からも逃げたくなってしまったのだろう。それまで築いてきたモノを手放し、自暴自棄になりつつも、最終的には復帰されるに至ったのには、やはり吾妻さんの人間性によるものだろう。確かに様々なところで周囲に迷惑を掛けてしまったかもしれないが、直接他社を陥れたり、危害を加えるようなことを一切していないからだ。本当に自暴自棄になった人間というのは何をしでかすか分からない、さぞ恐ろしいものだと思う。逆に言えば、周囲に鬱憤や欲望をぶちまけられるような人間ではなく、吾妻さんのようなタイプの方が心を病みやすく、鬱になりやすいというのは現代社会に於いて一種の欠陥にも感じる。

・依存症の恐ろしさ
私自身、お酒は好きな方だし『アルコール依存症』や『アルコール中毒』という言葉は当然知っている。しかし『薬物』とは違ってあまりにも身近なモノ過ぎるし、法的に“ヤク中“は違法だとしても”アル中“は自己責任であり、別に違法という訳ではないと思うのでそれほど意識したことはなかった。前兆や詳しい症状など、それでも本書では相当マイルドに描いてくれていたのだろうが、依存症はどのよう形であれ恐ろしいものだと思った。
薬物には一切興味はないが、アルコールとは縁を切りたくないので、くれぐれも気を付けよう。

吾妻さんは2017年に食道癌を患い、残念ながら今年の10月に逝去されたとのこと。しかし自ら命を絶つことはせず、アルコール中毒も克服されている。想像を絶する困難や苦悩を乗り越え、ご自身の生涯を全うされたのだと思う。

「オレのようになるなよ」なのか「自ら死ぬくらいなら、こんな選択肢もあるよ」なのか。

その時々の心理状態によって、読んだ際に受け取れる印象やメッセージがガラッと変わりそうな一冊だった。

吾妻ひでお先生のご冥福をお祈りいたします。
 
投稿者 akiko3 日時 
  著者は知らなかったし、著書だけではよくわからないこともあり、他の本も読んでみた。責任をほっぽり投げ失踪したり、アル中になるような人が書いたものが賞をとるなんて不思議だった。

失踪に至った精神的な背景(ギャグ漫画家でネタ切れ、ウケなかったらという不安、締切のプレッシャー、書きたくもない作品を書くことや仕事量の多さなどのストレス)を知ると、あのままアルコール漬けでも病死になっただろうけど…、あの現実から逃げたから命が守れたし、賞に値する作品にも昇華させているので“起こることは天の采配”と思った。

アルコールは追い詰められた生活の“一時の”気晴らしだったのだろうが、ゆでカエル状態のごとくアル中になっていて怖い。
失踪したことで酒が飲めず、健康的な生活になり、小さなことに喜びを感じ現実をポジティブに受け取る訓練になったのか?と思ったが、ギャグ漫画家だからこそ客観的に面白くとらえられたのだろうなと思い直した。
己の才の無さに絶望し逃げたのに、己の才に助けられ生き延び、辛い現実も漫画として成立させる才を再び発揮する。与えられた才をうまく発揮するのは難しいことだ。

家族はどう思っているのか疑問だったが、インタビューで娘は“かっこいい父”と答えていた。奥さんも漫画を描いていた人なので書き続ける苦しさとかストレスを理解していたからいろいろ大変でも離婚しなかったのだろう。

独創的な作品が書けず休養に入ったが、マイノリティーである失踪生活が人の知らない世界でありストーリーになることに気づき(ギャグ漫画家の観察眼のなせる業か世の中不思議ちゃんが増えているのか、いろんな人が出てくる。嫌な人も悪人にはせずちょっと癖のある人物に描き、人を見下したりせず読みやすかった)、のちの復活につなげ、やはり才のある漫画家なのだなと感心した。(本人は相変わらず、漫画家は苦しい仕事だ、書きたくないとインタビューでぼやいていた。)

アル中生活の話では、依存症とはどういう病気か、その周りにいる人達に示唆に富む内容になっている。脳がやられている依存症の人達の思考がわかると、一方的に“ダメ”というだけでは何の解決にもならないことがわかる。昨今の虐待やいじめもその行為に依存しているようだ。酒から距離をおくように、親子でも距離をとることが命を守ることになっていただろう。
またパイロットの飛行前の飲酒検査でひっかかるニュースが数件続き、エリートなのになぜ?と思ったが、人生になんの希望もない人は飲むしかなくアル中から抜けられないとあったので、ストレスとか体調不良や不眠とか飲まずにはいられない背景があるのかもと思い、罰や新たな規則以外にもサポート体制も構築しているのかと心配になった。
著者は、漫画家として生活が成立してても、精神的な辛さから逃れられなかったが、肉体労働をしている間は変なことを考えないので楽だったと話していた。


最後に、なんだかアル中病棟を読んでいたら、負に引っ張られそうな感じになっていたところ、フランスのアニメ映画監督ミッシェル・オスロ氏のインタビュー記事を読んだ。「幼少期にギニアで暮らし、太陽は輝き、男女上半身裸、子供全裸、屈託ない様子に“生きることは喜び”を感じた」とあり、失踪中の著者は、自然生活中は本能が刺激され、生命力が増していたのではないか?(サバイバルしたことないし、日常生活で自分は本能をどれほど発揮しているかわからないが)
この映画監督は、「仕事を通して仕事を愛し、納得のいく仕事をすることが幸せ、これからも人々に何かを届けたい」とも答えていた。
無から有を生み出すことは苦しいだろうが、「自分にできることをしたい、人に喜んでもらいたい」という言葉は、強い生命力からでていると考えた。生命力を刺激する為にサバイバルする方が、自分にはハードルが高いので、自分を見つめ、人の喜びのためにできることを見つけることで生命力を高めていこう。そして、やっぱり自分には才がないと落ち込むことやダメだと思うこともあるだろうが、著者の著書は”やり直せる”とも伝えてくれている。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで漫画という仕事を続けるためには、著者にとって失踪は必要な行為だったのだと思います。

最初の夜を歩くで、著者は仕事を放り出して行方をくらませて、山で首吊り自殺を図りますが失敗します。その後野外での生活を始めていきます。野外での生活は、夜になると山から町へ降りてきてゴミ箱を漁り、ホームレスの食べ物を盗んだりして生活をしています。

ここで重要だと思ったのは、夜は町に降りてきて、昼間は山の中で生活をして、人の生活の中で生きているということです。著者自身は、自分の周囲にあった仕事が嫌で失踪したのであって、すべての人が嫌いになったという事が失踪の理由ではないということです。
まったく人間嫌いになったのなら、もっと山の中で生活をし、人との交流をもっと避ける生活をしているはずです。

最後は警察に保護されて失踪は終わりますが、著者自身はコミュニケーションができないというような状態は、本書では見られません。野外生活で人との会話を楽しみ、感情を示すことが出来ているのです。警察に保護された後は、取材旅行に出ていたという理由が著者自身の中であったからか、漫画家として復帰しています。

もし、警察に保護されなければ、このままずっと同じ生活を続けていたでしょう。大変な野外生活の中でも食べ物だけではなく、嗜好品の酒やタバコもゴミの中から漁って探し出す楽しみを、見つけることができたからです。それがあればずっと同じ生活でも、続けていたと考えます。

次の町を歩くでもホームレスとして生活を続けて、日本ガスの配管工として働きますが、家に帰った半年間後も、先輩社員のいびりを理由に退職し、「ほかにやることが無かったため」という理由で漫画家に復帰しています。配管工で働いている間も、本社の社内報に「ガス屋のガス公」という漫画を書いて投稿しています。失踪して別の仕事をしても、漫画家という仕事を続けているのです。

最後のアル中病棟では、著者自身が発症したアルコール依存症の恐ろしさを伝えています。最後に入院してひと月経った著者が「あと2ヶ月かァ…」と嘆息するシーンで終わります。この入院が終われば、また漫画の仕事が始まるでしょう。漫画の仕事からの失踪と考えれば、確かに失踪の日記です。

本書で著者は失踪をしていますが、失踪は自分を取り巻いている周囲の生活からの息抜きだと思います。著者は失踪をしますが世捨て人にはならず、最期にはもとの自分の生活へと帰っていきます。自分に出来ることは漫画を描く生活を続けることだと理解しているからです。頭では理解していても、自分の中では、いつもの生活から抜け出して、別の生活を続けたいという願望があるのではないでしょうか。

そうでなければ、夜を歩くの中で警察に保護されたときに、警察に訥々と説かれた注意に従い、以降の失踪は無かったはずです。失踪は著者にとって何度でも続けたいと思える、自殺以上に心地良いと思える日常から逃避の行為だったのではないのでしょうか。

自分も一人で近所の山に登ったりしますが、いつもの生活や仕事では体験できない歩きにくい道や、風に揺れる枝葉の音、標高が高いところの冷えた空気など自分以外の人がいない、静かな空間を黙々と歩いていく感覚は、音や人の気配が溢れた生活では、なかなか味わえない貴重な体験です。

日常の生活では消して味わえない世界が、自分自身を形成していくのに必要不可欠なものであると感じましたし、これからも自分のいつもの生活とは関係ない、意外なものに挑戦していきたいと本書を読んで思いました。
 
投稿者 shinada 日時 
 やるべきことから逃げ続けるとどうなるのかを見せてくれる。マンガという見せ方でリアリズムなく面白おかしく描いているが、実際の生活を想像すると寒気がしてくる。「落ちるところまで落ちると、こんな生活が待っています。」ということを教えてくれているように感じた。
 
 転職時、一定期間会社に属さない期間ができている時でさえ、自分が「働いていない」「無職」であるというレッテルが貼られてしまうことで、自尊心が削られることがあったことを思い出した。外出を避けてしまったり・毎日昼間に家にいることに罪悪感を覚えてしまい、気持ち悪い思いをしてしまうことがあった。無職=恥ずかしい自分を誰かに見られたくない、という思いがあったのだと思う。このマンガでも主人公が活動する時間が世の中が動いていない「夜」なことも、やはり人の目が気になってしまうからだと感じた。
 
 しかし、この主人公は、次第にその生活に引け目を感じなくなっていっている。夜間に車のライトを当てられようが堂々としている姿が描かれている。後ろめたさがなくなると、どこまでも突き進んでいってしまうことを感じた。ゴミ箱を漁る・落ちている食べ物を拾うなんてことは、普通の神経ではできるものではないと考えているが、生理的な欲求が満たされなくなると社会性は吹き飛んでしまうものなのだと感じた。後ろめたさを感じることや後ろ髪をひかれる感覚って大切なんだなと気づくと共に、その感覚を大切にしなければなと感じた。

 なぜ落ちるところまで落ちてしまうのか。この主人公が転がり落ちてしまう時は、仕事でミスをしてしまい、そこから逃げ出すところから始まっている。一度逃げ出すと、色々なところから逃げる必要性が出てくる。一つの仕事から逃げたせいで、他の仕事からも逃げ、家族に合わせる顔がないから家からも逃げる。社会的にも恥ずかしいから昼間から逃げる。一つの目の前の事から逃げてしまうと、時間が経つにつれ問題は大きくなりそこに立ち向かうには大きな勇気が必要になる。やはり、すぐに対処する事で大怪我にさせず済ませることが大切なことだと改めて感じた。つい重たいことは先送りにしてしまいたくなる。そして自分でも逃げ出してしまったら、この作品のような生活が待っていることを心に留めておきたい。
 
 最後に、実体験を漫画というコンテンツにしているということは、最近のネットの世界でも見られている。noteやツイッターで自分の実体験をコンテンツにして自分のブランドを確立している人をみる。筆者は、漫画家・路上生活・肉体労働・アル中・強制入院という凄まじいかけ算をしている(全くの予期せずであろうが)。一つ一つの値が大きく、突き抜けていて100万人に1人なんていう存在を超えている。かつ、路上生活や強制入院という状態から、この漫画を描き上げている。自分の人生を物語として、そこから多くの人に希望や示唆を与えられることは素晴らしいなと感じた。私も、いずれ人生で学んだことを発信できるような人生を送りたい。
 
投稿者 sikakaka2005 日時 
本書を読んで、これから生きていくヒントになった所を2つお伝えしたい。

1つ目はまず、「一線を越えない」ことである。

マンガ家にとって原稿をなくすことは死を意味するほどのことなのだろう。それほど人生の終わりを感じて自暴自棄になり、人生どうでもいいと思ってホームレスを始めた著者。でも著者はとても感覚に優れていたように思う。それは犯罪者にはならない(一線を越えない)感覚である。アル中やうつ病など精神疾患にはなった。でも犯罪者(乞食罪って)にはならなかったところがすごい。誘惑にかられることもあった。手持ちのお金などなく、ゴミ箱を漁り食料を探しているときに、酔いつぶれて道端に眠り込んでいたサラリーマンを見つけた。ポケットには財布が入っていた。財布から現金を抜き取っても、サラリーマンは記憶なく、盗った金で酒や美味しい物が飲み食いできる。盗るか?と一瞬悩んだ。でも結局取らならなかった。ここがすごいと思う。自暴自棄になり、死のうとして死にきれない人ならば、犯罪くらいどうってことないと思うものであると思う。最近ニュースになったことでも、人生に絶望して見ず知らずの人を殺して自分も死ぬなんてことがあった。でも著者は思いとどまれた。そこが漫画家として復帰できた理由のひとつであると思う。

他にもある。著者は、配管工になってから、先輩や知り合いに余計なものを買わされてお金をふんだくられたこともあった。まだそれほどお金を持っていないときだったろうに、なんなら同じように入ったばかりの人を貶めて同じ目にあわせて自分も稼ごうと考えても仕方ないように思う。でも、著者はそんなことには全く興味をしめさず、新しい仕事を覚えるのが楽しいと言って、仕事にのめり込み、騙した人のことを恨むようなことはしなかった。人としてすばらしい。

それにしても著者の周りに登場してきたキャラクターたちは、どれも濃かった。そしてみな、他人からどう思われるとか、人に迷惑がかかっているとかを全く気にせずに生きている人たちだった。まさに、主観のなかに生きていると言える。反対に著者は辛いことや哀しいことが起きても(死のうとはした)、どのように他人から見られて、どこまでのことをすると他人に迷惑がかかるかを分かっていった、死に切れなかったとしても。人としての基準みたいなものを持っていたから、ホームレスになっても、新しい仕事で酷い同僚や先輩たちがいても、これまでと変わらず、同じ調子で生き延びられたように思う。

つまりそれは、本書のなかの言葉を借りるなら、著者は「プライドを持っていた」と思う。
プライドとは、人(もうひとりの自分)に見られている感覚を意識することだと思う。
なにか悪いと思うことや犯罪に手を染めそうになったときに、背中がザワザワする感じ、誰かから見られている感じ、なんとなくマズいと思う感じがでてきたらそれに従えることだと思う。私も小学生のころに経験したことがあるのが、それは、書道教室の半紙を買うお金を水増して親に言えば、おこずかいが増えると思った。それを実行しようとしたとき、なにか背中に視線やザワザワを感じて止めた。誰しもそれに近い経験や感覚はあるのではないだろうか。

著者はそれを感じる感覚があり、感覚に従ったから、また元の生活に戻れたのだと思う。
地獄一丁目まで行って、戻ってこれる人と、戻って来れない人の差は、そこにあると思った。
これからもまだまだ呼吸法は続けてようと思う。


2つ目は、アル中恐い。
アル中になるとうつ病などの精神疾患だけでなく、幻覚が見えたりして、死にたくなったり、震えが止まらなくなったり、結果病院送りになったらベットに縛り付けられて人として扱われないことを知ってとてもショックを受けた。アル中の恐さがよく分かった。お金を恐さを知るなら、「ナニワ金融道」や「闇金ウシジマくん」を読めばいい。アル中ならば本書だろう。

本人はアル中になるほど、仕事でプレッシャーを感じ、精神的に追い詰められて、アルコールにおぼれてしまったのだろうが、アル中になったらなったで、苦しかったり、逃げ出したくなったり、恥ずかしかったり、死になくなったりするならば、お酒に逃げても何も解決していない。

そういう人たちを客観的に見ると、自業自得、忍耐力が足りない、目先の利益に走る人と思う。たしかに今は私はアル中ではないから、そういった人たちのことを結構下に見てしまっているが、はたしてこれからあと40年ちかく働き生きていくなかで、絶対にアル中にならないと言えるか?著者のようにキツイ状況になってもならないかと言われると絶対とは言えない。ならば、対策をとるべきだろう。

本のなかに出てきた著書の行動を見ると、アル中になったら、自分でどうにかするのは無理だと思った。ならば頼るべきは家族や身近にいる人であろう。著者も奥さんが異変に気付いて強制的に病院に送ったから良かったのだろう。頼れるのは自分ではなく家族である。もちろん、もっと手前で、手はたくさん打つけれども、それでもダメだった場合は家族にお願いするしかない。もしそんな状況になったと仮定して、奥さんと話し合って置こうと思った。まさに保険をかけておこうと思う。こういうときに、家族の大切さは改めて感じた。

今月も有意義で見に詰まる本を紹介していただきありがとうございます。
 
投稿者 gogowest 日時 
「失踪日記」を読んで

とても楽しんで読める面白いマンガでした。しかも全部、実話であるところがすごい。ユーモラスに描いているけど、自殺未遂もしているし、凍死の直前までいっているので、実際はかなり悲惨な体験をしています。そういった体験を、自分の感情はいれないで客観視してマンガとして表現しています。悲惨な体験でさえも、漫画家の手にかかると、こんな作品になってしまうところがさすがです。漫画家ならではのことだと思いますが、登場する人の描写は、特徴をよくとらえて面白く表現されています。

昭和のころに聞いた話ですが、人生で非常に厳しい状況、例えば、個人で3~5億円程度の借金を一人で背負うことになっても、大変ではあっても、逃げないで立ち向かって生きていけば、意外に飢え死にすることも一家心中することもなく、生活に必要な最低限のものは手に入り、何とか生きていけるという話を実体験として、複数の人が言っていました。
この著者の場合は、上の話とちがって、仕事のプレッシャーからすべてを放棄して、にげていってしまっています。
仕事の重圧から逃げてしまうという行為自体はここでは問題にしませんが、すべてをすてて失踪した後は、生きることもあきらめたようで、死のうとしています。たぶん、失踪直後のころは、何回も死のうとしているのではないかと思います。悲惨だからカットされているのでしょう。その後、流れに身をゆだねていき、ホームレス生活に慣れてくると、意外になんとか生活していくことができています。ホームレス生活でも、食料調達範囲を拡げて、いいお弁当を入手できるところを開拓していくということを自然に行っています。

人生の難題に立ち向かうにしても、逃げるにしても、生きる気にさえなれば、生きる道は残されているのだなと感じました。意外に人間は守られているし、生きるために知恵を働かして、自分で何とかしていくものなのだと感じます。そして、生きようとしさえすれば、その人に見合ったコミュニティに導かれていって、そのコミュニティのルールが守れるのであれば、そこで、最低限の保障が自然になされていくものなのかもしれません。

「サードドア」で社会的に上の階級には、その階級に見合ったコミュニティがあるということがよくわかりましたが、この本の著者が入っていった世界は、社会的にとても下層のレベルですが、そこにもそのレベルに見合ったコミュニティがあって、その世界のルールと人間関係があるということがよくわかります。その世界内でのもたれあいのような関係です。親切にしてくれたあとには、小口のお金をたびたび無心されています。それでも一人で冬に野宿して凍死しかかっているよりは、そういったコミュニティに加わることは助けになっています。身元不明でも仕事に付けたりして、意外に世間は懐がひろくて、受け入れてくれる余地があるのが、救いです。

一応居場所があって、食べるものに困らなくなれば、することがないというのは人間の本性からして、耐えられないものだとおもいます。意外なことに、著者は配管工になるという選択をします。漫画家がサラリーマンの働き方をしてみようとするということが、意外です。この人は型にはまった行動を要求されたり、人に使われたりすることは、たぶんいやがるアーティスト的感性の人だと推定するのですが、意外にも配管工の境遇に順応して、かなり問題な先輩とも結構うまくやっていっています。人間は意外に柔軟なところがあるものです。
人は社会の中で自分の存在意義を何らかの形で確認しているということなのだと思います。

「アル中病棟」の話は、アル中の治療中という共通項で形成された目的別のコミュニティに参加をしていくことになります。入院している人々の所属する社会的な立場は様々です。
いろいろな特徴のある人が出てきます。マンガの中では描かれませんが、それぞれの入院患者さんには、それぞれの人生の積み重ねとストーリーがあって、そしていま、互いに病棟で出会っているわけです。アル中になる理由は人さまざまなのでしょうが、病棟での振る舞いがその人の人としてもありようを暗示していて興味深いです。

吾妻先生は、ご自身の実体験として、ホームレスとアル中という特殊な経験をされています。
しかし、良い経験と思えるものであれ、悪い経験と思えるものであれ、人生の最後には、自分の人生は全肯定すべきであると思います。どんな選択による人生であれ、それがその人の人生だったのだから、他人の評価など関係ありません。一般的な見方では生き方がうまい下手があるでしょうが、それも含んだうえで、いい悪いなんて主観なのだから、自分の人生に意味を与えるのは、自分自身です。

吾妻先生のご冥福をお祈りします。
 
投稿者 ktera1123 日時 
「失踪日記」

ざっと、読んでみて。

全部実話(笑)なので、いくら本人が「リアルで描くと、辛いし、暗くなるので、人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いている(P2)」はずなのですが、夜を歩く(失踪篇)とアル中病棟(アル中篇)は、読んでいて(劇画なので眺めるかな?)辛いところがあるのは否めないところでした。街を歩く(配管工篇)は、今の仕事で本体(某ガス)及び工事会社(本体系列会社及び一般発注の工事会社)と関わる機会があり、現場仕事は諸先輩方から聞いた過去(30年位前かな)の状況から想像で推察する限りは本書に描かれているのはほぼ実態を表していると思えるので、まあそんなもんでしょうと気楽に流せるところはホッと一息つけた感はある。

なぜ、夜を歩く(失踪篇)とアル中病棟(アル中篇)は読んでいて辛いのか。

なんで辛いのかなと思っていて再読して時系列で整理すると、最初は「読者のことなんか全然考えず好きなことをやっていた。(P128)」が、徐々に「プロの漫画家として自分の好きな作品を描くなんてことは出来ないと未来に絶望していてただ生活のために仕事をしていた。(p132)」状態になったが、「情熱を取り戻せたのは『好きなことをやっていないやつの顔はゆがんでいる』(P142)」「同人誌をコミケ1979で売る(11回大田区産業会館、移転後は京急蒲田の大田区産業プラザPio)(P142)と、漫画を描くことへの原点に戻ったことにより情熱をとりもどしたが、「気がつくと原稿を落としたり、うつと不安に襲われたり、失踪したり家へ帰ってまた失踪したり、配管工をしたり、アル中になったりするのである(P142)」と破滅に追い込まれている。
自分を省みてみると、前職は好きなことのうちの1つを仕事にしたはずだったのですが、色々な制約があり生活のための仕事となったが、いろいろ挑戦する機会があり原点に戻り情熱を取り戻すきっかけはあったが、気がつくと色々あり、失踪はしなかったけど不安に襲われて夜よく寝れなくなったりしたので、好きなことの内容が違うだけで自分の人生とほぼ変わりないのが原因なのかもって思ったりもした。そう考えてみると、読んでいて辛くない人は、「人は人、自分は自分と」割り切れる人か、人生で辛い経験のないある意味「幸せ」な人、読んでいて辛いのは、感受性が豊かで影響力を受けやすい人か、人生で同様な経験をしたある意味「経験を積んだ」人なのではないでしょうか。もしくは、仕事上で成し遂げたことが何ら頭の形で後世に残り、後から人にいろいろ言われる人なのではないでしょうか。
SEKAI NO OWARI のサザンカの歌詞に「思い出して、つまづいたら、いつだって物語の主人公は笑われる方だ、人を笑うほうじゃない」とありますが、人生という物語の主人公を歩んでいる人は、いろいろ人に言えないつらい経験はあるのですが、辛い経験を生かして立ち上がってきたから人生という物語は続くのでしょう。昔の辛かった経験を笑って話せる(描ける)ようになれば、「過去は過去、今は今」と割り切れるのですが、なかなか難しいのでしょう。

本書を通じて自分を省みることもできました。このような機会を与えてくれたことに感謝します。今している仕事はどちらかというと、現場仕事のない街を歩く(配管工篇)に近いところがあるので精神的に楽なところはあるのかもしれません。ものがのこるのは、産みの苦しみ、作ったあとの苦しみがあり、辛いことがあったことは否めません。

追伸 P154のバスとP158の踏切の看板を含む電車は見る人が見ればどこなのかわかるよね。入院した病院が三鷹のH病院(ネットで調べたら盛業中だった)から、まああの辺りなんだろうね。
 
投稿者 harmony0328 日時 
 本作は冒頭で「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています。」と書かれている。単純にリアリズムは排除されているという思い込みで読んでいると、ストーリー全体ではリアリズムしかを感じられなく不思議な感覚になった。計算された緻密な描写がそう感じさせるのだろう。

 第一に、最初のホームレス体験は西武線で山の方に行った(P.197)ということだが、私もその近辺に住んでいるので、その描写には違和感がない。山の中で雪が降ってこごえたり、鳥のさえずりを聞いたりして、ホームレス生活する描写が秀逸である。特に大根の皮を薄く切ったり、厚く切ったりして味を変えて食べるシーンは本当に細かい描写で不謹慎にも笑ってしまった。自然の中で五感が鍛えられたことで、直観力が磨かれ、お金を拾ったり、食べ物のありかを見つけることができて運が良くなったのだろうと思った。

 第二に、ガス工事の描写も細かい。私は過去、ガス管も販売している会社に勤めており、現場の勝手が分かるので親近感がわくシーンでこれまた不謹慎に笑ってしまった。
著者は漫画の業界に身をおいており、そこでも色々な人がいると思っていただろうが、そこを離れた世界は別の種類の色々な人がいることを感じたと思う。私も勤めていた会社を辞めて、他の職種の仕事をやりだした時に体験したことなのでそう思った。
直接漫画では触れられていないが、親会社の社員と孫会社の非正規雇用者との格差も伺え、人の世の理不尽さも浮き彫りにされていると思った。

 第三にアル中治療病棟のシーンも緻密に描かれている。
私の身内や周りの人にも若い時の過度の飲酒が原因で年を取ってから重い病気になる人が少なくないので、課題図書と一緒に「依存症のすべて」廣中直行(医学博士)著も読んだ。その本で説明されている依存症の治療方法のポイントが本作で網羅されていて舌を巻いた。著者はこの体験を読者に追体験してもらい、アル中予防として読んでもらいたかったのではないか。

 上記のように緻密な描写から著者の繊細な性格が伺える。その性格も失踪に繋がるストレスを大きくした原因だと思う。次になぜ著者が失踪したのかもう少し深く考察してみる。

 「常に新しいギャグを考えようとするとだんだん精神が病んでくる。」(表紙裏)と書かれているので、才能のある人気漫画家として悩みも大きかったのだろう。
その上、自分が書きたい漫画と出版者が求める漫画が違い、理想と現実の間で不本意な漫画を書きつつ締め切りに追いつめられたことも原因の一つだろう。

 著者が結婚した昭和70年代は現在よりも結婚する人が多かったので、結婚して当たり前という感覚を持っていて結婚したのではなかろうか。
厚生労働省の研究機関にである国立社会保障・人口問題研究所の公表によると男性の生涯(50歳時)未婚率は1970年には1.7%だったのが、2015年には23.3%に上昇している。著者が20代で今の時代に生きていたら、結婚してなかったのではと思う。

 著者は他人に縛られず、自分のやりたいように自由に生きたいタイプだと思うので自分を縛るものからの逃避だったのだろうと思う。以上が私の考える著者が失踪した原因である。

 一般的に、人の一生は良い事の後には悪い事が来て、また良い事が来るという様に山と谷が繰り返される航路になっていることが多いと思う。著者は20代で人気漫画家として大成功し高い山を登った分、谷も深かったように思う。その谷の期間も終われば、その体験を書いた本作で数々の賞を得て山を登っている。
本作を読むことにより、ホームレス、アル中を簡単に追体験できるので、人生のリスク予防に役立つ。
そういう意味では一見ネガティブに捉えられがちな失踪体験も貴重な体験とも言える。
著者の一生は彼だから送れた彼らしい有意義な人生だったと思う。

 吾妻ひでお先生のご冥福をお祈り致します。
 
投稿者 kawa5emon 日時 
書評 失踪日記 吾妻ひでお 著

常習性の怖さと突出した実体験はコンテンツに成り得る。この2点が今回の読感である。

自身も飲酒が日々の生活の中での一つの楽しみである。これからも付き合う筈だ。
しかし本書に描かれる飲酒とのお付合い物語は決して模倣したい類ではない。笑。
その点で、飲酒との付き合い方を間違えると、このような日々が待っているという意味で、
その体験を模擬体験出来た点は、著者が本書を出版された点に素直に感謝したい。

本書では随所に酒が登場するが、最初の一手に親近感そして嫌悪感を感じずにはいられなかった。
酒はあくまでも自身へのスモールギフトとするのが正しい距離感の取り方と感じた。
起床後すぐの飲酒はやはりいけない。なぜなら自身も経験があり、まず一日が台無しになる。笑。

著者は仕事が無い場面で、すぐにタバコと酒に手を出した。ほぼ無意識の状態で。
この無意識の状態で手を出す行為が、常習性に繋がり、逃げられなくなる原因だと再認識した。
後々の治療や入院などで治るレベルではない。なぜなら身体にとってそれが日常、常識だからだ。
実際、アルコール依存症は不治の病とある。決してお付き合いしたくない病である。
身体がその状態を日常と捉えてしまうと、意識だ無意識だの判断領域では無くなる。
それが常習性であり、一番怖い状態だと再認識した。悪い意味で、継続の結果である。

これを更に掘り下げると、思考で行動を変えられない領域が出来てしまうことが怖い。
理屈上、脱飲酒に向け行動は変えられるだろうが、時間が掛かる。
そのような状態に自分を置きたいか?の思考訓練が出来た点で、本書には更に感謝である。


次に突出した実体験はコンテンツに成り得るについて。
自身は前述で悪習の常習性の怖さを記述したが、それでも止められない場合はどうするのか?
結論から言えば、もう諦めるのも一手だと考える。つまりその悪習と一生付き合うのである。
止めるのが出来ないならば、距離感を変える手段を考えたらどうだろうか?の思考変化である。

ダメだダメだは自己否定に繋がり、その先は自己嫌悪。またその先は社会性の喪失に繋がると考える。
社会性の喪失とは、現実社会で生きられない状態を指す。自分の周辺全てが自己否定の理由となり、
最悪の場合、自己正当化のために周囲に危害を及ぼすパターンも発生する。その先は塀の向こう?

本書を通じてのもう一つの学びは、一般的には悪習と言われる物事から逃げられない場合、
それを逆にネタにして情報発信し、社会との付き合いを始めるという点である。
本書冒頭に、「人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して…」とある通り。

本書のどの部分に共感できるかは読者次第だが(笑)、易きに流れるパターンは共感を生む。
人間生活のあらゆる場面で、他人とのコミュニケーションに大切なのが共感で、
共感が生まれることで、そのネタ、そのキャラクターが認められ、社会性が与えられる。
自虐ネタによる社会貢献と表現できるだろうか。自身を客観視して面白、可笑しくネタ化してしまう。

本書にはあるあるネタが豊富であり、帯には福音の書とまで賛辞が送られている。
自身には忌むべき内容でも、それを一旦認め、受入れ、角度を変えて情報発信することで、
他人には学びになることもある。自身が前述した学びもそのプロセスで生まれた。

著者は自分を客観視(ネタ化)することが出来た。いや周囲がその理解を助けたかもしれない。
一般的に悪習と言われる物事や他人と比較して突出して違う特徴がある場合、それを自分の中の
小さな箱の中でクヨクヨ悩んでいないで、寧ろ認め、他人事にように情報発信出来れば、
思いの外、他人に貢献できるかもしれない。本書表紙裏で、著者が断酒会で小咄にしたように。

こう考えると、経験する実体験も中途半端では面白くないなと考えてしまう。
どうせなら、ネタになるような突出した体験、経験をして、共感のネタ作りをしてみたくなる。
本書のような経験はお断りだが、突出しているという意味で、痛い失敗体験(笑)など歓迎である。

一読目は嫌悪感が大半であったが、何度か読み返すうち、自身の痛い経験、体験をネタ化する意義、
方法を学べた。そしてここでS塾で学んだ幸せの極意、
「どんな苦境にあっても、その状況を笑い飛ばせるか?」を思い出した。


来年は新しい環境に身を置く。成功だ失敗だと目先の利益に囚われず、何事も経験と、
大局観を持って日々を過ごしたいと思う。

今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。また本年もありがとうございました。
来年も課題図書投稿致します。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
投稿者 mkse22 日時 
「サードドア」を読んで

本書は、自分の置かれている状況に不満をもっている人に対して、叱咤激励メッセージを送るために
書かれたものだ。ただし、単に応援しているだけでなく、言い訳を許さない厳しさも含んでいる。

読み終わった後に真っ先に感じたことです。

当初、著者はサードドアの見つけ方、開け方を知りたいという気持ちから
インタビューを開始しました。

ファーストドアには、その前に長い行列がある。
セカンドドアには、並ぶために親がお金持ちであるといった
自分ではどうすることもできない条件を満たす必要がある。
2つのドアを開けることは容易ではないからこそ、サードドアを見つけて開けたい。
その方法を知りたい。

しかし、多くの人へのインタビューを通じて、その考え方が変化しました。

自分が成長し続けて、可能性を追い求めていけば、自分らしい人生を歩むことができる。
やり方は関係ない。サードドアだけでなく、ファーストドアだろうが、セカンドドアだろうが、
こじ開けることができる。ただ、そのためには、小さな決断を積み重ねが必要である。

「自分で決断して行動すれば、人生を変えることができる」と。

著者のこの考え方は、日々の生活にも緊張感をもった生き方を要求します。
なぜなら、日々の生活も小さな決断を繰り返しであり、それらが将来の自分の人生を
決めているからです。

日常生活では決断なんかしていない、他人の意見に従っているだけだと言う人も
いるかもしれません。しかし、自分では決断しない/他人に従うことを
決断しているのであり、これも決断の一つです。決断済みなのです。

決断して行動した結果、日々の生活が平凡であったとしても、それが自分らしい生き方と
合致しているのであれば、自分らしく生きることが出来ているため、不満は生じません。

自分の状況に不満を持っているのであれば、これまでの決断の内容に問題があることを
意味しています。状況を変化させるためには、今までとは異なる基準で決断をする必要があります。
それが、自分の意に沿わない内容だったとしてもです。

もし、これまでの決断の基準が、自分の好きなことであれば実施するというものであったとしたら、
今後は嫌なことや苦手なことでも行うという決断をする必要があるのかもしれません。
ポール・アレンがMITS社に苦手な電話をしてソフトウェアの売り込みをしたように。

自分で決断した結果、失敗と言わざるを得ない状況に陥るかもしれません。
決断したことに後悔するかもしれません。しかし、失敗から学びとればよいわけです。
『失敗は最大の贈り物である』(P417)とあるように。
もし、学び取ることをせずに、そこか逃げたり去ったりしたとしても
それも自分で決断して行動した結果です。それは、その後の人生に反映されます。

さらに、成長できないのは平凡な生活で変化がないからといった言い訳が通用しません。
平凡な生活は、自分の決断を積み重ねた結果であり、それに不満があるのであれば
決断の内容を変えるべきなのです。たとえ、その結果失敗したとしても、
失敗は自分の成長に役に立ちます。

以上を纏めると、次のようになるのではないでしょうか。

日々の何気ない生活での小さな決断と行動の積み重ねが自分の将来の可能性を決定している。
もし、自分の人生がつまらないとか退屈だと感じているのであれば、
それは、過去の決断の基準に問題がある。
自分の運が悪いからではない。才能がないからでもない。環境が悪いからでもない。
自分で自分の人生をつまらなくしているのである。
そうなるように自分で決断しているのである。
つまり、自分の人生がつまらない/退屈なのは自己責任である。
だから、人生を変えたければ、まずは行動しろよ。

ここで、次のフレーズを思い出しました。
 「人生に無駄なものなんてない」
単なる綺麗ごとと指摘する人もいるかもしれませんが、
これを以下のように読み替えたらどうでしょうか。
「人生のなかで起きたことは自分が決断して行動した結果である。
 それから学べることが必ずあるので、無駄なことはひとつもない」
私は腑に落ちた感じがしました。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 kawa5emon 日時 
書評 失踪日記 吾妻ひでお 著

常習性の怖さと突出した実体験はコンテンツに成り得る。この2点が今回の読感である。

自身も飲酒が日々の生活の中での一つの楽しみである。これからも付き合う筈だ。
しかし本書に描かれる飲酒とのお付合い物語は決して模倣したい類ではない。笑。
その点で、飲酒との付き合い方を間違えると、このような日々が待っているという意味で、
その体験を模擬体験出来た点は、著者が本書を出版された点に素直に感謝したい。

本書では随所に酒が登場するが、最初の一手に親近感そして嫌悪感を感じずにはいられなかった。
酒はあくまでも自身へのスモールギフトとするのが正しい距離感の取り方と感じた。
起床後すぐの飲酒はやはりいけない。なぜなら自身も経験があり、まず一日が台無しになる。笑。

著者は仕事が無い場面で、すぐにタバコと酒に手を出した。ほぼ無意識の状態で。
この無意識の状態で手を出す行為が、常習性に繋がり、逃げられなくなる原因だと再認識した。
後々の治療や入院などで治るレベルではない。なぜなら身体にとってそれが日常、常識だからだ。
実際、アルコール依存症は不治の病とある。決してお付き合いしたくない病である。
身体がその状態を日常と捉えてしまうと、意識だ無意識だの判断領域では無くなる。
それが常習性であり、一番怖い状態だと再認識した。悪い意味で、継続の結果である。

これを更に掘り下げると、思考で行動を変えられない領域が出来てしまうことが怖い。
理屈上、脱飲酒に向け行動は変えられるだろうが、時間が掛かる。
そのような状態に自分を置きたいか?の思考訓練が出来た点で、本書には更に感謝である。


次に突出した実体験はコンテンツに成り得るについて。
自身は前述で悪習の常習性の怖さを記述したが、それでも止められない場合はどうするのか?
結論から言えば、もう諦めるのも一手だと考える。つまりその悪習と一生付き合うのである。
止めるのが出来ないならば、距離感を変える手段を考えたらどうだろうか?の思考変化である。

ダメだダメだは自己否定に繋がり、その先は自己嫌悪。またその先は社会性の喪失に繋がると考える。
社会性の喪失とは、現実社会で生きられない状態を指す。自分の周辺全てが自己否定の理由となり、
最悪の場合、自己正当化のために周囲に危害を及ぼすパターンも発生する。その先は塀の向こう?

本書を通じてのもう一つの学びは、一般的には悪習と言われる物事から逃げられない場合、
それを逆にネタにして情報発信し、社会との付き合いを始めるという点である。
本書冒頭に、「人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して…」とある通り。

本書のどの部分に共感できるかは読者次第だが(笑)、易きに流れるパターンは共感を生む。
人間生活のあらゆる場面で、他人とのコミュニケーションに大切なのが共感で、
共感が生まれることで、そのネタ、そのキャラクターが認められ、社会性が与えられる。
自虐ネタによる社会貢献と表現できるだろうか。自身を客観視して面白、可笑しくネタ化してしまう。

本書にはあるあるネタが豊富であり、帯には福音の書とまで賛辞が送られている。
自身には忌むべき内容でも、それを一旦認め、受入れ、角度を変えて情報発信することで、
他人には学びになることもある。自身が前述した学びもそのプロセスで生まれた。

著者は自分を客観視(ネタ化)することが出来た。いや周囲がその理解を助けたかもしれない。
一般的に悪習と言われる物事や他人と比較して突出して違う特徴がある場合、それを自分の中の
小さな箱の中でクヨクヨ悩んでいないで、寧ろ認め、他人事にように情報発信出来れば、
思いの外、他人に貢献できるかもしれない。本書表紙裏で、著者が断酒会で小咄にしたように。

こう考えると、経験する実体験も中途半端では面白くないなと考えてしまう。
どうせなら、ネタになるような突出した体験、経験をして、共感のネタ作りをしてみたくなる。
本書のような経験はお断りだが、突出しているという意味で、痛い失敗体験(笑)など歓迎である。

一読目は嫌悪感が大半であったが、何度か読み返すうち、自身の痛い経験、体験をネタ化する意義、
方法を学べた。そしてここでS塾で学んだ幸せの極意、
「どんな苦境にあっても、その状況を笑い飛ばせるか?」を思い出した。


来年は新しい環境に身を置く。成功だ失敗だと目先の利益に囚われず、何事も経験と、
大局観を持って日々を過ごしたいと思う。

今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。また本年もありがとうございました。
来年も課題図書投稿致します。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
投稿者 tajihiro 日時 
「失踪日記」を読んで

 吾妻ひでお著の「失踪日記」について、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。まず、本書が、読者に投げかけたいテーマは何?を一言で述べるならば「あなたにとっての世界との関わりは?世間との繋がりは何ですか?」ではないかと考えます。

 私が、最初、本書を読み終えたときの感想はズバリ、「自分が酒に溺れるなんてことはないし、う~ん、特になし。」でした。しかし、それでは課題図書として提出できませんので、どういう切り口で攻めればよいか、自分なりに何回も読み直して考えてみました。何度も読み直し考え抜いた結果、「自身が社会と隔絶していた時期がないかを洗い出し、著者の失踪期間と私自身が世間と隔絶していた期間を比較し、そことの共通点を見出して、何かしらの結論を出す」という切り口で攻めることにしました。

 私の一般社会と隔絶していた時期ですが、私には、人生で一度だけありまして、それは、20歳の時の1年間です。大学受験に失敗、一浪後、いくつか受かり、最終的に横須賀にある某大学を選択するも、そこの校風が自身と全く合わず、5日で退学、父親の逆鱗に触れ、実家・鹿児島を離れ、友人も含め一切の身寄りのない名古屋へ単身で引越し、アルバイトをしながら、平日はフリー雀荘に入り浸り、週末は、JRAのWINSで競馬三昧という自堕落な生活を送っていました。

 こうなってしまった原因を一言でいうなれば、自身の努力不足でしかないのですが、その一方で、周りの友人は、楽しい大学のキャンパスライフを送っているわけで、自分はただ一人、二浪生というか人生放棄状態で、あせりを感じながらも、徒然なるままに漠然と生活し、そのうち、昼夜が逆転し、お金もないので、コンビニ夜勤でアルバイト、アルバイト先でもらった賞味期限の切れたお弁当で食いつなぎ、みたいな、典型的なダメ人間まっしぐら人生を突き進んでいました。昼間は寝て、アルバイト代をゲットしたら、フリー雀荘かWINSへレツゴー、というわけです。著者はアル中でしたが、私の場合は、ギャンブル中毒だったとも言えます。お金が尽きると寝るかコンビニの賞味期限の切れたお弁当を食べるぐらいしかなく、そうこうしているうちに1年間で20キロも太るという最悪の人生を送っていました。

 このときの私の心境はというと、麻雀や競馬で、数十万単位で勝った負けたで一喜一憂することはあったにせよ、「自分の人生そのものは全く前進していない」でした。つまり、鉄火場のような一般社会との繋がりが薄い生活では、人生の時計の針を1秒たりとも進めることができず、あせりしかなく、しんどいということでした。おそらく著者も、「失踪日記」で、自らを主人公として、自虐ネタ的に、失踪期間、アル中期間を公開していますが、この期間中は、実際のところ、プレッシャーで押しつぶされそうだった売れっ子漫画家であったときとは、別の苦しみがあったのではないのでしょうか。

 ちなみに、私が20歳の時、世間はどうだったかというと、時は1996年であり、windows95が前年に発売、インターネットが始まったばかりの時期であり、当然、SNSの類はなく、誰かとしゃべることがあるとすれば、夜、コンビニに来るお客さんとの会話だけでした。

 そんな私が、一般社会に戻れるきっかけをつかむことができたのは、私の行きつけのフリー雀荘のオーナーの一言でした。その日は成人式の1週間前でした。雀卓では、自身の成人式の頃の話題になったのですが、自分より先に大学を受かった連中といっしょに成人式を迎えるのは、私の場合、自分のプライドから恥ずかしくて、成人式当日は鹿児島に帰郷せずに、当然、雀荘に入り浸り予定の旨を同卓者に告げると、フリー雀荘のオーナーから「お前は、どこかの大学に受かるくらいの学(がく)を持っているのだから、二流でも三流でもいいから大学だけは行っとけ!麻雀や競馬は大学に入ってからでも好きなだけできる」と。

 たまたま、センター試験の申込だけは済ませていたので、1週間足らずですが、本気で勉強しました。過去2回、センター試験では、緊張から全くいい結果が出なかったのですが、この年は、結果が出なくて当たり前という、気持ちを楽にして受けたことが功を奏したからか、自分でもびっくりするぐらい良い点が取れ、勢いに乗って二次試験の勉強もしっかり行い、奇跡的に、名古屋の某大学に受かることができ、「社会復帰」を果たすことができました。

 大学入学後の私は、かつての自身のフリー雀荘での経験が、同じ大学の他の学生からは新鮮に映ったようで、また、大学在学中に某麻雀大会で優勝、学生チャンプに輝き、キャンパス内で一躍、時の人になったことも相まって、周りから麻雀やそれ以外のことで積極的に誘われるようになり、それなりにキャンパスライフを送ることができました。

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 ここで、改めて、自身の悪夢のような20歳と21歳以降の大学生時代を比較、また、著者の「失踪期間中の生活」とを比較、振り返ってみます。

 まず、共通点はというと、著者は2度の失踪とアル中、私はギャンブル中毒という、自堕落な生活を送った経験があること、さらに両者がその経験から得たことは、「生きること」とは、「誰にも見向きもされず、ひっそりと過ごすこと」でなく、「人と人との関わりであり、社会から影響を受け、社会に影響を与えること」ではないかと考えます。

 私は、麻雀を通して、自身の価値を認めてもらい、周りから必要とされていることを実感できると、さらには、麻雀以外でも、もっと頑張ってみたいという意志というかやる気みたいのものが出てきました。著者は自身の「失踪期間中の生活」を、自虐ネタとして第三者的、客観的に「失踪日記」として著しましたが、著者が売れっ子漫画家として人生で満足できたかどうかは、さておき、社会と関わらない生活と、社会と関わることができる生活とでは、雲泥の差なんだよ、ということを知ってもらいたかったのでは(P127~P144を読んで判断)、と、私なりの結論をだしました。

 今月も有意義な本をご紹介いただき感謝すると同時に、著者のご冥福をお祈りいたします。
 
 
medal1-icon.gif
 
投稿者 soji0329 日時 
「失踪日記」を読んで


私がこの漫画に対して感じたポイントを3つ挙げる。

一つ目は、作者の自己矛盾である。仕事をしたくない病と二日酔いから最初の失踪が始まる。この時は現実や原生からの逃避、まさに死ぬことを求めていたのだ。が、自死の失敗後の逞しさ。まずは雑木林の中で野性の大根やキャベツ(明確な畑泥棒なのだが)を採取し、さらに街中でのゴミ漁り。食料や酒を確保し(これも一部盗んでだが)、漫画家7つ道具を駆使して調理し、拾った毛布で暖を取り、行った真冬の野外生活。食べ物に頓着しない性格は、幼少時、不仲な義母との生活の中で形成されたのであろうか。しかし普通の生活以上に生き生きとした生活ぶりは一体なんなのだろう。

さらに2度目の失踪では、柳井氏との確執があるのだが、そこで作者にはプライドがあって当初気にならなかったと言っている。確かに酔っぱらいの財布を抜き取ったり、自転車を盗んだりする行為は忌み嫌っている。犯罪者にはならないぞ、との矜持は感じられる。が、出版社や編集者と仕事上でバトルを繰り広げ、自分のキャパを超えた結果の職務放棄に、プライドいう言葉はもっとも似あわないではないか。典型的なブラックの漫画業界の中で、十分戦っていくべきだったと思うのだ。

漫画家という職業を捨てた一方、ガスの配管工に対しては、仕事の魅力を見出すまでになっている。早起きし、肉体的にきつい仕事も放棄せず、真面目に教育を受けるまでの変わりよう。おまけにわざわざタッチを変え、本性を隠してまで「ガス屋のガス公」を執筆しているのは、私にとって大きな矛盾に見えるのだ。しかしながら、このように生きる環境を大きく変えることで、矛盾点は整理できることを教えてくれている。ただし、もしガスの配管工を続けていたら、この失踪日記は生まれなかったが。

そして、アシスタントでもある奥様とのこと。漫画では描かれていないが、お子様もいるという。24歳で結婚し、仲良さそうに働いている様子の中に、家族を捨てる動機は私には見当たらない。

この自己矛盾については、アル中病棟の仲間たちにも共通している。家族があるにも関わらず、酔いに逃げてしまう心の弱さから、離婚を言い渡され、家庭を崩壊させていく。患者は一人一人違った事情を持っているだろう。しかし自己矛盾から逃げても決していい結果は得られないと、この漫画は教えている。

ポイントの二つ目は、酒とたばこについてだ。作者は漫画の冒頭から酒を求め、くわえたばこをトレードマークにしている。失踪中も、まずはシケモク集めをかかせない。酒やたばこは緊張をやわらげ、頭をリラックスさせるから、漫画家をはじめとしたクリエーターには重宝されているアイテムなのはよく分かる。しかし適量を適時にたしなんでの話である。

作者にとって酒は、子供自体から持っていた神経性十二指腸潰瘍を治めるための薬だったという。失踪にいたる原因となった自分の周りに現れる魑魅魍魎たち。当初虫や小動物、果てはウナギのような形をしていたが、ついには159ページにあるような人間の姿になってしまった。恐ろしい。とても恐ろしい絵だ。当時の作者の気持ちがよく分かる。酒を敵に回すことの怖さを漫画にした、このメッセージ性は非常に大きい。

ポイントの3つ目は画力である。主人公である作者は3頭身。小太りでコロッとしている。一方、女性はほっそりとしながらも手足はふっくらとグラマラス。まさにロリコン漫画を牽引した代表的なタッチだと、あらためて思うのだ。起きたら雪景色の50ページ目のカットや、街並みの中に登場する車や白バイ。直線を使いながら冷たくならない画質は、シリアスな内容を程よく緩和してくれている。2回目の失踪やアル中病棟での登場人物。みなそれぞれの特徴を活かし、描き分けているのが素晴らしい。170ページにある「ウソつきナース(美人だけど)」はまさに作者お得意の女性像。読んでいて癒されるのだ。

私は思う。この漫画は自死した太宰や芥川に匹敵するのではないかと。彼らに画力を加えたのがまさにこの失踪日記なのだ。おまけに作者は太宰たちと異なり、地獄を覗いて現世まで戻って来てくれた。体験をウソ偽りなく描いているから、抜群のオリジナリティを発揮しているのだ。

漫画までは困難だが、誰もが自分の人生をこのように俯瞰して見ることが出来る。俯瞰して見ることの大切さを教えてくれている。ピンチにある時でさえ、細かに身の回りを観察することが大事なのだ。ピンチを克服してチャンスに変え、さらに飛躍出来た。その理由はなんだったのか。物語にすることは、自分の人生を後世に伝えるための財産化とも言えるだろう。

失踪して出会った人たち、出会った光景、出会った様々なエピソード。惜しくも先日他界された作者が得た経験則を凝縮したこの漫画。明日への活力にしてくれと、エールをもらった気がしてならない。
 
投稿者 3939 日時 
「失踪日記」を読んで自分が考えたことを2点について言及していく。

まず一つ目に、悩みや苦しみから逃げるために“お酒”以外はなかったのか。

大好きな漫画で収入を得ることができるようになり、大きな仕事や賞を貰えるようになるぐらい漫画の評価は高く生活も安定していた時もあったにも関わらず、仕事や社会から信用を失うほど、お酒を飲んだということだ。

著者は漫画好きで漫画家として売れたい、そして売れたお金で生計を立てたいという思いが、次第に現実になると引き換えに原稿締切や売れるネタを猛烈に要求され、結果このプレッシャーを紛らわすためにお酒を飲むことになっていき、お酒のせいで、家族や仕事関係に迷惑をかけ、信用をなくしていく。

しかし、今日こそは飲まないと決めた日も大いにあったと思う。だが事あるごとにお酒を飲んでしまう。なぜか❓日々の悩みや不安を和らげる術がお酒を飲むしか無かったのではなかろうか。
もし自分なら、自分にとって逃げだしたくなるほどの状況に陥ったしまった場合ならどうするか。もちろん、著者と同様にお酒は飲む。しかしそれ以外に友人・知人や尊敬できる人への相談、そして本や書物にヒントを求めることだってできたのでないか。様々な逆境や苦境を乗り越えた類のものは本屋に行けばいくらでも出会えるのだから。今ならインターネットやSNSなんかでも良い。

2つ目に自分をコントールできるように工夫する

お酒は美味しいし、ご飯をさらに美味しくしてくれる魔法の飲み物であり、自分も毎日飲んでいるぐらいだが、ある閾値を超えると、自らも知らぬ間にお酒に蝕まれ、日常生活が不安定となり、仕事や家庭が支障をきたし、社会生活を送ることができなくなる側面がある。もちろん、入院しても社会復帰することは可能だが容易ではない。その代償はとても大きいことは、本書の入院生活編で簡単に疑似体験することができる。
自分なら具体的にどのようにして上記のような状態を防ぎながらお酒を楽しむ生活をするのか。おそらく酒量をコントールしかなく、自分で決めた酒量や禁酒日といったマイルールに従い行動するしかない。また行動できる環境やルールを少しずつ変える工夫も有効だと考える。本書に重要なことは自分をコントロールできるように工夫することだと気づかれされた。

しかし本書では、“お酒”が様々なステージへと足を踏み入れるきっかけとなり、そこで出会った人々や起こった出来事は、著者の冷静で客観的な視点に漫画家としての描画やワードセンスと融合してとてもユーモラスで心温まる内容に仕上がっている事実も合わせて触れておきたい。

また、いつもこのような機会をくださりありがとうございました。
 
投稿者 mkse22 日時 
「失踪日記」を読んで


本書は、漫画家の吾妻ひでおの実体験をもとに書かれたものだ。
「人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描く」(P5)と書かれている通りで、ホームレス時の体験談はおもしろく読めた。印象に残っているのは、家に屋根があることのありがたさ、ビックリマンチョコのおいしさの再発見だ。
私は小学生時代に無人島でキャンプをしたことがある。夜テントで眠っていたら、少し雨が降ってきた。同時に気温も下がった感じで、少し寒さを感じたことを覚えている。幸いにも雨漏りはしなかったが、屋根がある場所で寝ることがどれほど安心できるのかをしみじみと感じたものだ。
ビックリマンチョコも小学生時代に流行っており、チョコよりシール目的で買っていた私としては、とても共感できるエピソードだ。
当時は気づかなかったが、流行が過ぎたあとに改めて食べたら、意外とおいしいとおもったからだ。
(まあ、本書での「おいしい」の意味とずれているとは思うが)
以上が、最初に読んだ時の感想だが、あわせて、何とも言葉に表現し辛い感情が自分の中に残った。
なんというかほとんどの登場人物が、自分のこともしくは特定の何かしか考えていないようにみえるのだ。

「人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描く」(P5)ことを目的としているため、マンガに描くことが可能なレベルの奇妙な人たちのエピソードをまとめたからと考えたが、読み直すと、また印象が変わった。

自分のことしか考えていないではなく、考えられなくなっているというべきなのだろうか。
例えば、酒や自分の利益そして人を陥れることにしか興味がなく、周りが全く見えていないため
自分以外の考えを知る機会がなく不利益にも気づいていない。
だから、自分を変えようとするきっかけはない。そのままでよいと思っているかのようだ。

不利益があると気が付いても変わることが出来ない。それに縛られており、取り払おうとしても出来ずいつまでもそれに振り回されてしまう。いわば、酒や女に脊髄反射してしまう状況だ。

本書では、吾妻ひでおが仕事のストレスの発散や飲酒への憧れのために、もともと飲めなかったアルコールを飲み始めたのが依存症のきっかけのように書かれている。

ということは、このようなことは他人事ではなく自分たちにも発生しうることだ。
吾妻ひでおはアルコールに依存したが、別に依存先はアルコールだけに限らない。
ギャンブルや性なども依存対象となりうるだろう。依存という極端な言い方をしなくても
日々の習慣もそれらに含まれるかもしれない。
要は、それらを自らの意思で止めたくてもやめることが出来ず、社会生活を送ることが困難な状況にまでなることが問題だからだ。

ここで視点を変えると、登場人物は視野が狭すぎると言える。行動や考えが単純化しすぎた状況ともいえる。自分の利益や依存対象のみがその中心になっているからだ。
どうすればここまで視野が狭くなるのかが私には理解できない点があるが、
それはまだ私が何かの依存症になっていないからだろうと思う。

皮肉なのは、依存すればするほど、依存対象と縁を切る必要な状況になるということだ。
吾妻ひでおもアルコール依存症の回復への手段は断酒であると書いている。

追い求めれば追い求めるほど、それは逃げていく。

なにかを求めることはよいが、それが度を過ぎると、対象に自分の人生を支配されてしまう。
さらに、類は友を呼ぶではないが、同レベルの人間が集まってしまい、さらに状況の悪化を
加速させてしまう。追い求め対象が自分の利益であれば、それは、結果として、他人の陥れあうことに繋がり、最終的にはそのコミュニティは崩壊してしまうだろう。
まさに負の連鎖である。

本書を再読してこのように感じた。

本書を読んで、視野を広げることの大切さを改めて確認した。
視野を広げることが依存症を防ぐことが出来るのかは正直判断できない。
それほど有効な手ではないかもしれない。しかし、依存症がこれだけの回復し辛い病気であれば、
少しでも回避できるように努力したいと思う。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 H.J 日時 
突然の失踪、突然の配管工生活、失踪前の漫画家としての苦悩時代、アル中になって入院。
このワードだけでも分かる様に、とても濃い内容の一冊だった。
この手の漫画は、通常は少しでも話を盛るものだと思っていたが、逆に排除してこの濃さはスゴいの一言だ。
同時に漫画で良かったとも思う。
本書の内容をすべて文字で伝えられたら、とてもじゃないが読むのが耐えられなかっただろう。
経験者の生の声はやっぱり重みが違う。
この内容の壮絶さをギャグで面白おかしく伝えられるのは、プロの漫画家だからというより、196ページで作者が語っている様に「第三者視点」で描いているからだろう。

完全に私見で語ると、普通こんな経験している人は社会復帰も出来ずにそのままドロップアウトしていくイメージだった。
ただ、作者は経験を漫画という形で伝えることで、経験を仕事に変え、数々の賞まで受賞している。
人にはない経験が出来たことは大きな財産になる様に思う。
その経験をどんな形でどのように伝えるかの部分に普通の人は頭を使うのだろうが、漫画家である作者の場合は自然体に描いた結果で伝えられてるのだから、これがまたスゴい。
濃厚な内容をこの一冊にここまでまとめられている結果を見ても、本書が様々な賞を受賞していることが納得できる。
起承転結がハッキリしてるのはもちろん、一見重いテーマである失踪やアル中入院生活を作者ならではの世界観で表現しており、その世界に引き込まれる不思議な魅力がある。
さらには普通の人では経験できない(したくない)世界の疑似体験の場を与えてくれる。
もし、アル中予備軍の人に本書を読ませれば、踏み止まるかもしれない。
そう考えると、漫画というコンテンツに可能性を感じざるを得ない。
描きたいことや、伝えたいことを漫画として描いて伝えれば、困っている人を助けることが出来るなんて、とても素敵だ。
しかし、皮肉にもプロの漫画家になると「売り上げ」や「人気」に左右され、その可能性が潰されることも多いのだろう。
”描きたいものを描きたい漫画家”と”売り上げを上げたい編集者”。
そのジレンマに陥ったとき、よっぽどの売れっ子漫画家でない限り、編集者の意見が勝つだろう。
漫画家にとっては夢でも、編集者にとっては仕事でしかない。
仕事である以上、売り上げを求めるのは当然である。
それなら、自分の描きたいことを描きたいのであれば、自費出版でもすればいいのではないか。
などの考えが過ぎるが、漫画家としての夢を取るか、生活を取るかの2択になってしまうのは、とても残念なシステムである。

作者自身、本書で描いている様に漫画家の苦悩というのは、私の様な一般的な社会人には到底理解出来ない領域の苦悩だろう。
本書の漫画家時代の話を読むだけで、当時の漫画業界の闇が垣間見える。(今の漫画業界も同じかもしれないが・・・)
仕事量の多さ、描きたいことを描けない現実など、漫画界ならではの苦悩が描かれている。
漫画を描くという好きだったことが仕事になり、売り上げのために自分の描きたいことではないことを描き、生活のためには漫画を描くしかないという負のスパイラルに陥る。
うつ病とは言え、すべてを投げ出して、自殺を考えるほど苦しいという状態が何よりもその辛さや過酷さを現わしている様に思える。
社会人なら転職などの道が残されているが、漫画家は中々そうはいかないのだろう。
描きたいものを描けないというのが、漫画家共通の悩みであれば、どこの出版社に行っても同じ悩みに悩まされるからだ。

そう考えると、失踪という経験をしたことを経て、ある程度描きたいことを描き(P127を見る限り、自分の意思でアル中編などを描こうとしている)、賞まで受賞出来た作者はスゴいと同時に幸せなことだとも思える。

その一方で、作者の家族である奥さんやお子さん達はどうだったのだろうとも思う。
奥さんに至っては、ある日突然失踪したり、いつの間にか配管工になったり、アル中になったりする旦那を離婚せずに支え続けるなんて、口で言うほど容易くない。
そりゃ家を改築して怒りを表現したくもなるだろう。
逆に奥さん視点の漫画を見てみたい。
お子さん達は、父としての作者をどう見たのだろうか?
本書を読んだだけの情報で語るのはとても恐縮だが、普通だったら”ロクでもない親父”と見てしまうだろう。
だが、ネットで検索すると作者のアシスタントをやっていたという説もあった。
この説が真実だとしたら、奥さんの育て方が相当良かったのか、本書で見せていない父親の部分がとても素晴らしいのか、はたまた他の理由があるのか。
いずれにしても、この様な自由奔放な人生を歩んできた作者を家族に持ちながらも、支えあい続けた家族もまた素晴らしい。
ぜひ別の機会で家族の視点の話を聞きたいと思った。
 
投稿者 wapooh 日時 
201912 『失踪日記』を読んで

『マンガですので1時間もあれば読めるでしょう』
しょ~おんさんはこう書いておられたが、読み始めすぐから気分が悪くなり、初日は第一章を読んで本を閉じた。

① 食べる事と自分を低く見積もらない/ 夜を歩くより
読みながら気分が悪くなった第一の原因は、吾妻氏が失踪中に摂取する「食事」だった。主人公が日を追う毎に悲惨な食事を読み続けるうちに、自分の持ちうる実体験の中の嫌な味覚や風味を引っ張り出して想像し追体験することに耐えられなくなった。体の中と外に蕁麻疹が浮き出てくるような痛痒い吐きそうな気分。なぜか漫画の吾妻氏は楽しんでいて余計にきつい。
人間一線を超えるとどこまでも落ちて行くのに、順応しすぎて気付かない。その姿を見続けるキツさ。
では、その感覚をどのように軽減したのか?と言えば、切り離したのだ。「自分は読了後にどうやって感想文にしたいだろうか?」と悩むうちに、自分と本書を切り離すことができて心身を消耗しなくなった。さらに戦時中の祖父を思い出し、「虫や雑草だけではなく腐敗した死体が浸み込んだ生米を食い繋ぎ命を繋いだことを考えれば多少腐りかけた食事も許容出来るかもしれない。人間は順応し生存する。極論、吾妻氏の食事も生命に別条は与えないから大丈夫。」そう思ったら温かい目で漫画を読めるようになった。
 その上で、なお思った。『人間多少の事では死なないから、生死を切り札に生きていてはダメ。本書も今も豊かな時代。今にあって人はもっと高い尊厳をもって線引きが出来るのだから享受したほうが幸せなのでは?美味しくないの一線を低く低くして自分も低くしない。
』と。 
「切り離す」。事実と解釈を切り離すことは不幸な状況から脱する知恵と学んだが、それも麻痺しすぎて他人事になり過ぎると一線を越えやすくなるのではないだろうか。吾妻氏のは自分の経験を職業(漫画)のリソースとしてしまうほどに切り離して客観視しすぎると命を削っている。優れた漫画家は、多くの人が共感するようなモノではない事実を映像化し言語化する能力に長けているのだろうが、氏の仕事には辛い面を感じずにはいられない。
ただ、吾妻氏にも住環境では、一線を感じた。それは『テントを張ったりとか目立つことはしたくない。そこまで開き直る根性がない。』という記述。漫画家として失踪中(もしくは取材中)で、ホームレスとして生きるつもりはない。だから、『漫画家としての7つ道具』は持ち歩いたのではないか(他用に多用されているが)。P104には漫画家を超えて『芸術家としてのプライド』を抱かれていたことが記されている。

② 世界を自分だけで閉じないこと/ 街を歩く
第2回目の失踪生活中には配管工時代と漫画家時代が描かれている。第1章でも見られるように、吾妻氏は漫画家としての才能もさることながら、人間としてのスキルもとても高い。①の食・住の創意工夫や根底の知識を見れば明白だ。配管工時代を読めば職場では仕事のできる人材だったろう、安全靴紐を結ぶという些細な作業でさえ楽しみを見つけられる、内管工事士や撤去責任者その他配管工についての概要を簡略に(読者の理解レベルを勘案して加減できる程に)図示・説明できるスキル等が見られる。
しかし、一人の人間として有能でも、一人で背負い過ぎてもしくは抱えすぎて、他者や社会と通じそびれたのではないか?と思う。人間は弱い。
印象的だったのは、P128-129。手塚治虫氏とのネームについてのやり取り。手塚氏は『ネームをしょっちゅう直される』と書いている。漫画界を代表する手塚氏は一人で仕事をしていない。それが長く大きく仕事をするコツなのではないか?
本書のカバーに裏の対談で『自己模倣をやっていることに気が付くと限りなく落ち込んでくる』常に新しいものを考えると書けなくなり、まじめすぎると追い込まれる。』とあった。例えば、担当編集者(他者視点)を頼る方法はなかったか?自分から逃げる前に。
失踪=家族からも逃げている。もし他者と繋がりをもち相談できたら、違ったのではないか?
③ 酒、薬/アル中病棟
3回目の失踪はアル中だ。酒に逃げた結果、戻れなくなってしまう。『海外では酒は酒ではなく、薬(ドラック)と言う認識が強い。いいヤツやけど危険なヤツ。相手にした絶対にこっちが負ける。アル中は不可逆な病』。別の女性漫画家のアル中コミックにあった言葉。逃げた先のドラックの怖さを学んだ。
④ 最後に
家族の存在は尊い。吾妻氏は最後まで家族に切り離されなかった。
また、救いとしての信仰はありなのではないか。人間がダメなら神と繋がる。他者視点を意識することで、人は時に踏みとどまれたり、頑張れたりする拠り処を得るのではないか?サードドアやアルケミストにあるおまじないやお天道様が見ている(アフターデジタルの中国のAI)のように。

話が飛ぶが、2019年の1月の課題図書から始まり今年の自分にとっての課題本の伏線は『認知/認識の歪みに気づく』だった気がする。1月の図書を読んでから自分の持つ世の中への認知の歪みに気付くこと=言語化して認識する事に気付いて取組み続けたように感じている。ちなみに2018年は「幸せについて」だった。『幸せはスキル。簡単な事』のはずがすぐ会得できなかったのだが、原因は認知のずれなのでは?と問い続けた1年だった。
自分と外の世界を意識する、前向きに暖かくポジティブに。つまり、自分も他者も○の世界。逃げ方にもスキルがある。本書で感じたことを忘れず、幸せな逃げ方を模索して2020年を笑顔で生きて行きたいな、と思った。
本年も人生を深める様々な視座の扉を開く図書をご紹介くださり有難うございまいました。また投稿により自分には無い視点や気づき考え方や見方、喜びを読書感想文を通じて教えて下さる塾生の皆様有難うございます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
投稿者 wapooh 日時 
201912 『失踪日記』を読んで

『マンガですので1時間もあれば読めるでしょう』
しょ~おんさんはこう書いておられたが、読み始めすぐから気分が悪くなり、初日は第一章を読んで本を閉じた。

① 食べる事と自分を低く見積もらない/ 夜を歩くより
読みながら気分が悪くなった第一の原因は、吾妻氏が失踪中に摂取する「食事」だった。主人公が日を追う毎に悲惨な食事を読み続けるうちに、自分の持ちうる実体験の中の嫌な味覚や風味を引っ張り出して想像し追体験することに耐えられなくなった。体の中と外に蕁麻疹が浮き出てくるような痛痒い吐きそうな気分。なぜか漫画の吾妻氏は楽しんでいて余計にきつい。
人間一線を超えるとどこまでも落ちて行くのに、順応しすぎて気付かない。その姿を見続けるキツさ。
では、その感覚をどのように軽減したのか?と言えば、切り離したのだ。「自分は読了後にどうやって感想文にしたいだろうか?」と悩むうちに、自分と本書を切り離すことができて心身を消耗しなくなった。さらに戦時中の祖父を思い出し、「虫や雑草だけではなく腐敗した死体が浸み込んだ生米を食い繋ぎ命を繋いだことを考えれば多少腐りかけた食事も許容出来るかもしれない。人間は順応し生存する。極論、吾妻氏の食事も生命に別条は与えないから大丈夫。」そう思ったら温かい目で漫画を読めるようになった。
 その上で、なお思った。『人間多少の事では死なないから、生死を切り札に生きていてはダメ。本書も今も豊かな時代。今にあって人はもっと高い尊厳をもって線引きが出来るのだから享受したほうが幸せなのでは?美味しくないの一線を低く低くして自分も低くしない。
』と。 
「切り離す」。事実と解釈を切り離すことは不幸な状況から脱する知恵と学んだが、それも麻痺しすぎて他人事になり過ぎると一線を越えやすくなるのではないだろうか。吾妻氏のは自分の経験を職業(漫画)のリソースとしてしまうほどに切り離して客観視しすぎると命を削っている。優れた漫画家は、多くの人が共感するようなモノではない事実を映像化し言語化する能力に長けているのだろうが、氏の仕事には辛い面を感じずにはいられない。
ただ、吾妻氏にも住環境では、一線を感じた。それは『テントを張ったりとか目立つことはしたくない。そこまで開き直る根性がない。』という記述。漫画家として失踪中(もしくは取材中)で、ホームレスとして生きるつもりはない。だから、『漫画家としての7つ道具』は持ち歩いたのではないか(他用に多用されているが)。P104には漫画家を超えて『芸術家としてのプライド』を抱かれていたことが記されている。

② 世界を自分だけで閉じないこと/ 街を歩く
第2回目の失踪生活中には配管工時代と漫画家時代が描かれている。第1章でも見られるように、吾妻氏は漫画家としての才能もさることながら、人間としてのスキルもとても高い。①の食・住の創意工夫や根底の知識を見れば明白だ。配管工時代を読めば職場では仕事のできる人材だったろう、安全靴紐を結ぶという些細な作業でさえ楽しみを見つけられる、内管工事士や撤去責任者その他配管工についての概要を簡略に(読者の理解レベルを勘案して加減できる程に)図示・説明できるスキル等が見られる。
しかし、一人の人間として有能でも、一人で背負い過ぎてもしくは抱えすぎて、他者や社会と通じそびれたのではないか?と思う。人間は弱い。
印象的だったのは、P128-129。手塚治虫氏とのネームについてのやり取り。手塚氏は『ネームをしょっちゅう直される』と書いている。漫画界を代表する手塚氏は一人で仕事をしていない。それが長く大きく仕事をするコツなのではないか?
本書のカバーに裏の対談で『自己模倣をやっていることに気が付くと限りなく落ち込んでくる』常に新しいものを考えると書けなくなり、まじめすぎると追い込まれる。』とあった。例えば、担当編集者(他者視点)を頼る方法はなかったか?自分から逃げる前に。
失踪=家族からも逃げている。もし他者と繋がりをもち相談できたら、違ったのではないか?
③ 酒、薬/アル中病棟
3回目の失踪はアル中だ。酒に逃げた結果、戻れなくなってしまう。『海外では酒は酒ではなく、薬(ドラック)と言う認識が強い。いいヤツやけど危険なヤツ。相手にした絶対にこっちが負ける。アル中は不可逆な病』。別の女性漫画家のアル中コミックにあった言葉。逃げた先のドラックの怖さを学んだ。
④ 最後に
家族の存在は尊い。吾妻氏は最後まで家族に切り離されなかった。
また、救いとしての信仰はありなのではないか。人間がダメなら神と繋がる。他者視点を意識することで、人は時に踏みとどまれたり、頑張れたりする拠り処を得るのではないか?サードドアやアルケミストにあるおまじないやお天道様が見ている(アフターデジタルの中国のAI)のように。

話が飛ぶが、2019年の1月の課題図書から始まり今年の自分にとっての課題本の伏線は『認知/認識の歪みに気づく』だった気がする。1月の図書を読んでから自分の持つ世の中への認知の歪みに気付くこと=言語化して認識する事に気付いて取組み続けたように感じている。ちなみに2018年は「幸せについて」だった。『幸せはスキル。簡単な事』のはずがすぐ会得できなかったのだが、原因は認知のずれなのでは?と問い続けた1年だった。
自分と外の世界を意識する、前向きに暖かくポジティブに。つまり、自分も他者も○の世界。逃げ方にもスキルがある。本書で感じたことを忘れず、幸せな逃げ方を模索して2020年を笑顔で生きて行きたいな、と思った。
本年も人生を深める様々な視座の扉を開く図書をご紹介くださり有難うございまいました。また投稿により自分には無い視点や気づき考え方や見方、喜びを読書感想文を通じて教えて下さる塾生の皆様有難うございます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
投稿者 gizumo 日時 
「失踪日記 吾妻ひでお著」を読んで

 ちょうどNHKで「ゲゲゲの女房」再放送を楽しんでいた12月でしたが、漫画家の苦悩はタイプは違っていても想像以上のものなのだなと。どの仕事でもやはり隠れた部分は大きく存在しその仕事への取り組みと比例するのかもしれないと感じた。
 そお言ったプレッシャーと恐怖の精神的な隙間に入り込むのが“アルコール”などの依存症なのだろう。本人の人間性が弱いのだろうと安易に今までは考えていた部分も在るが、では自分は人間的に強いのか?負けないのか?と言われると疑問が残る。むしろ仕事への取り組み姿勢や関心が弱いのでは?と思った。こんなに何かに打ち込んだことは少ないよなぁ…と。そうなるまで追い込むのが正解ではなく、また今までの自分の行動に反省はしても後悔はしてないが、やはりどうしてもそお言った道をたどってしまう人々が後をたたないのだろう。
 特に現代社会の中で、他人との関わりが薄くなり、また多様性も多いなか、とかく自分の価値観を押し付ける他人が多く生きづらさを感じる。多様性は多様性と認めながらも絶対の正解を要求するのである。世の中は“白”と“黒”しか認めようとしないのである。“グレー”は間違いなく存在するのである。
 これからは自分がそうならず多様性と広く他を受け入れる気持ちをもって生きていきたいと思った次第です。受け入れられないにしろ、理解をする努力はしても無駄でないと思う。だって自分ひとりで経験できることには限界があるから…他人の考え思いを知ることは多いに役立つに決まってますから?!
 
投稿者 rarara 日時 
★吾妻さんは常に動いてる!

『 O塚さん 人生捨ててるなぁー 』
これは、アル中病棟でのセリフ。
吾妻さんは人生を捨てていない。
無気力、もしくは投げやりな状態ではなかった。

この漫画が、仕事したくない病から、休養期間に入って、鬱と不安と妄想で自殺をするところから始まっているから、てっきり、無気力になっていく人かと思っていた。

見方を変えれば、吾妻さんには行動力がある。
私も、朝、このまま出勤しなかったらどうなるだろう。と、考えたことはあるけれども、その先には、面倒で最悪な事態しか浮かばないので、何事もなかったように、なんとか重い腰をおこして、とりあえず、頭の中を空にして出勤の支度をする。
また、辛い出来事があっても、突然、休養期間に入ったり、突然、配管工をやめたり、まして、自殺する「勇気」はない。

頭の中を空にすれば、大概の事はやり過ごせる。それがいいかどうかは別だが。

しかし、吾妻さんの失踪する前の仕事は、頭の中からあれこれ引き出す漫画家という仕事。
頭の中を空にするには、お酒の力を借りるしかなかったのだろうか。

人と関わることに疲れて、ホームレスになって、しばらくしてそれも飽きて、配管工に。
『肉体労働っていいよね。よく眠れるから』
と言ってたら、ちょっと描きたくなって。
本能のままに動いて場面が変わっていく。

休日もないような売れっ子の有名人が、思考停止した為に仕事をゆるいペースにしたり、海外留学するのに似てるかもしれない。

吾妻さんは、こんなに極端な場面展開ではなく、少しずつフェイドアウトしたり、どこか温泉街にでも行く選択肢はなかったのだろうか?
でも、そこが吾妻さんの性分なのかもしれない。白か黒。微妙な調整は面倒くさい。
でも、仕事をゼロにしてはいけなかったと思う。苦しくない程度に細々と続けていれば、と。
しかし、それでは失踪日記はうまれていないけれど。

しゃれにならない部分は描いてないとのことだが、ホームレスの時でも、生タマゴと天ぷら油を混ぜてマヨネーズを作って、めじろと共に優雅な気分で過ごしている。

なんといっても、吾妻さんは、常に動いてる。
この漫画の吾妻さんは、ほとんど歩いたり走ってる。ポケットに手をつっこんで、冷静でひょいひょいと動いたり、かわしたり。
片目にしか目の縁取りがないから余計に、クールで客観的視点を感じさせる。

そして、家族やファンに恵まれる。

どの場面でも、あづまひでおだった。
失踪、配管工、漫画、アル中、どの場面でも。
吾妻さんは、頭で考えていない。心と身体が感じたことを中心に動いている。そこに、凄さがあるのかもしれない。

★吾妻さんは何モノかに守られている!

『Xさんはその後も私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人だ。』
『このへんから私はがぜん波に乗る』

何かが、味方している。
どんな人柄で、どんな行動をしているのだろう。
まず、どんな時も品がいい。
休養すると時も、『一社だけ休むのも悪い』、ホームレスになっても、『ホームレスの人の食い物をかっぱらう。コレは人間としてはやってはいけない』配管工辞めた後も、テレビ等のローンのお金をしばらく郵送してたり。
暮らしの状況が、落ちていってる時でも、人としては落ちていない。
職業に貴賤はないと思っているから、仕事をするとなったら、きちんとする。
P107 で新しい仕事についた時にも、『やりますやります』と、前のめりなところ。
そして、辛い時には漫画を描くというプライドがあることを思い出す。思い出すというより、常に心にある。
作品のストーカーに対しても『気にしないもんね』と。心の切り替えがうまい。
そして、そういえば、吾妻さんって、喧嘩してない。喧嘩になってもおかしくない環境にいるのに。
『電話で喧嘩はする。電話だと肉体的被害にあわないから』と言っているが。本当のところどう思っていたのだろう。本音で話し合いすぎて、良いことはない。
配管工を辞めるときも、愚痴を言いすぎた事を後悔したのがきっかけだ。

幸せになろう、なりたいと、アレコレ意識して動いてるんじゃなく、ただ、心と身体が感じた通りに動いていたら、何かいい方に流れていってる。

こういう人には、無条件に嫉妬してしまう。
美化しすぎだろうか。

手塚先生の穴埋めはなんとなくうれしかったり、らもさんを心配したり。
温かい人だ。
 
投稿者 tadanobuueno 日時 
本を読んで感じたことを以下の2点でまとめました。

1.『永遠のパターン』をどう得ていくのか
2.客観視と身体への視点

1.『永遠のパターン』をどう得ていくのか
作者は漫画業界という編集者・読者の冷徹な評価により、すぐに自分の仕事の継続・打ち切りが決まる世界で、主に1人で新たな作品(ギャグ)を生み出し続けようとしてきた。そして、締め切りが決まった中で、結果を出しつつ、このプレッシャーに対峙し続けたことから精神が滅入ってしまい、鬱、自殺未遂、路上生活、アル中を経験することとなった。

ブックカバー裏にある裏失踪日記の中で、常に新しいギャグを考え続けるパターンは精神的に追い詰められてくるが、『永遠のパターン』を持っている人は強いことが触れられていた。確かに絶えず新たなものを作らずに済むこのパターンを持っていればよいが、同じことを繰り返すことがマンネリではなく、心地よいと受け取られるには何が必要なのか?

私自身は読者と共有できる、読者が安心できる価値観を持つことだと思っている。
ドラマ・漫画等言えば、
・水戸黄門の勧善懲悪、
・サザエさんの昭和的な考え(家長制)
・こち亀の両津さんの仕事と趣味への情熱へのギャップ、更に時代の先端を知るマニアックさ等々

『永遠のパターン』に作者も辿り着くことができたのではないか?
作者は『吾妻ひでお〈総特集〉---美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪(2012年)』が出版されているように、業界ではSF・美少女(ロリコン)で知られている。今回の課題図書の中で、作者がSFを描くことができるようになったことで作者が満足していく様子、  P142で山下洋輔氏の『好きなことをやってない奴の顔はゆがんでる』との言葉と同人誌に素人の方が好きなことを描いていることで漫画への情熱を取り戻しつつあったたとの記載があった。 その後、作者が立ち上げた同人誌シベールはロリコンブームのきっかけを作ったとされている(それまではリアル劇画がエロの主流 ByWiki)。正に好きな世界で作者の地位は確立されてきていたのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E5%90%8C%E4%BA%BA%E8%AA%8C) 

ただ、現実にはP144にもあるようにシベール発行以降、著者の人気は再び回復し、上記Wikiによるとシベール創刊メンバーの仕事が忙しくなった為、わずか2年で廃刊となったとのこと。元の漫画ギャグの道に戻るのではなく、足元の売上を追うことなく、同人誌の世界、そこから拡大してきたロリコンブームに乗ることができていれば、もう少し作者の精神衛生上良い結果があったのではないかと感じずにはいられなかった。身を削らない、精神を保つ為には、面白いという評価(結果)だけではなく、生み出す側が好きであることが大切であり、これなくては継続して結果を出せないこともこの本は教えてくれている。 

2.客観視と身体への意識
作者は、鬱になり、自殺未遂、路上生活をして、アル中等の一線を越えても、死という最後の線までは越えなかったのはこの客観視の力ではないか。その客観視をもたらしたのは、あり余るほどにあった自由な・暇な時間、極限状態にいたことが自分への内省、身体への注意を向けさせてきたんじゃないのか。それがあったからこそ、お金をひろう等の嗅覚・身体感覚が身についたのではないか。そして、自分に身に付いた嗅覚・身体感覚を通して感じた、どうにか生きていけるという気持ちから客観視が生まれたのではないか。呼吸法により自分の身体に負荷をかけて、身体で何かを感じることができたことで、自分の日常をより落ち着いた目で見られるようになる感覚と似ているんじゃないか。

今回、この本のAmazonレビューを読んでみて印象に残ったコメントがあった。
・作者がここまでいろんな経験をしても生きていられた。だから『人生どうにかなる』という声。
・アルコール依存の経験のある方(又はそこに近い方たち)がこの本の内容が非常に良く分かる、アルコール依存の方、又は危険性のある方に見せると良い。

この作品を読んで、著者はなぜこれを書いたんだろう?を考えた。
ご本人は自分をネタにした方が面白いと言っているが、鬱、自殺未遂、路上生活、アル中、のフルコースで一般の人間がほとんど触れることのない世界を経験して、それ以上先の死の線は越えず、思いとどまり、生還した。自分を客観視して作品にすることで、より多くの人にこの怖さを、その中に足を踏み入れてしまっても戻ってくることができること、困った時に客観視することを、伝えたかったんじゃないか。レビューを見てその気持ちは伝わっていることを感じた。

自分自身、今回の課題図書を通して、過去にあったことを客観視して振り返ることは、問題点を冷静に洗い出し、問題解決の本質を探る為に必要なデータとなることが改めて分かりました。 失敗を個人の問題だけにすることなく、仕組みの改良につなげ、個人が好きなことに基づいた『永遠のパターン』を生み出し、活かされるような仕組みをつくっていこうと思います。

本年も全ての課題図書を読むも、言葉にする際の苦痛に耐えられず、投稿に及ばないケースがありました。自分では選ばない本に出会い、苦悶の中で思考したプロセス、生み出した言葉は、不完全ながらも自分の身になったと思います。貴重な出会いと思考の場を戴き、本当にありがとうございます。来年も引き続き格闘を続けてしていきます。

以上
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、 漫画家である著者が、 創作活動である仕事から文字通り逃げ出した時の記録をまとめたノンフィクションです。
前半のホームレス生活と後半のアル中生活、双方の壮絶な内容は、私の想像を遥かに超えるもので、私自身の人生において経験はもちろん、見聞きしたことさえない異次元の世界でした。

読了後、最初に考えたことは、このような異次元の生活を送らざるを得ない状況にまで著者を追い込んだものは何だったのか、ということです。
ホームレスの生活は、不衛生で食事も満足に取れず、快適な生活とは程遠いものです。
漫画家としてある程度の収入があり、妻子もあった著者にとっては、今までの生活とのギャップは相当なものであったはずです。

経済的にはある程度恵まれていた状況の中で、このような生活に逃げこまざるを得ないほど、著者は精神的に辛い状況にあったのだと感じました。

時はバブル絶頂の1989年。
社会全体の雰囲気は上向きで、多くの日本人は未来が明るいと思っていた時代です。

とすれば、著者を追い込んだものは社会全体というよりも、漫画家という特殊な職業ではないかと考えました。

まず私が注目したのは、130ページの
『当時は編集の言うとおり書くなんて死んでも嫌だった』
という説明です。

この説明から逆説的に、自身の思いや希望を殺して、担当編集者の言う通りに書かざるを得ない状況が常態化していたのではないかと想像されます。

次に132ページ。
『実際この頃はプロの漫画家として
自分の好きな作品を書くなんてことは
できないと未来に絶望していて
ただ生活のために仕事をしていた』
と書かれています。

漫画というのは広義には芸術作品であり、こう書けば売れるという正解はありません。
そのため、作品を生み出し続けるためには、自身の創作意欲が何より重要になるはずです。

しかしながら、厳しい締め切りに追われて毎週作品を生み出し続ける過程では、担当する編集者の言うことを聞き、自身の気持ちを抑え続けなければならなかったのだと思います。

極めつけは140ページ。
『何度もやめさせてくれと
言ってた時は
もう少しと説得され
終わる時は急に終わる』
冷静に考えれば、こんな理不尽な仕事のあり方は、相当にブラックと言わざるを得ません。

正解がなく自分の責任で仕事をしなければならないにも関わらず、自分のやりたいことはできない。
仕事量も多く、〆切も次々迫る。
さらには、やめたい時にやめることもできない。
かと思えば、突然に打ち切られることもある。

このような状況に追い込まれてしまえば、全ての仕事を放り出して現実逃避したくなるのは、分かるような気がします。

こうして逃げ込んだ先にあったアル中生活。
このアル中生活における袋小路は、 私をさらに絶望的な気持ちにさせました。

最も印象的だったのは、159ページ。
『幻覚が出ないようにするには酒を切らさないこと』
『かといって翌日二日酔いでゲロゲロになるほど飲みすぎてはいけない』
『でもある程度飲まないと眠れない。この分量の配分が難しい』

こんな前後左右どこにも逃げ道がないような生活に、私は1日だって耐えられる気がしません。
死を選ぶしかないように思えます。

結果的に、著者はアル中病棟での入院生活を経て断酒に成功しますが、 著者をここまで追い込んでしまった漫画家という職業に、怒りを通り越して呆れてしまいました。

ただ、このように仕事において自身の主体性が失われ、組織の論理でのみ仕事を進めざるを得ないような状況は、一般のサラリーマンにもあり得ることなのかもしれません。

ここまでの酷い状況にならなくても、 これに近い状況になってしまうようなことを想定し、著者のような悲惨な逃げ方ではない、ソフトな逃げ方を考えておくべきではないかと感じました。
それは、会社や組織の論理で生きず、自分軸での生き方を持っておくことに他なりません。

今の社会は、どんどん生きづらくなっていると感じます。
自由に生きてもいいと言われる一方、あるべき規範にはめこまれて見知らぬ人から批判にさらされることも多々あります。

社会的に、また経済的に成功することは重要ですが、それ以上に自分自身が満足する生き方が重要であるはずです。
成功という他人軸の規範にとらわれすぎることなく、自分の気持ちやありたい方向性を大事にする生き方を、模索し続けたいと強く感じました。

今月も素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
 本書「失踪日記」は、著者自身のホームレス体験、ガテン系の労働現場と人間関係、アルコール依存症の実体験記からなる3部構成になっている。失踪とは、“行方をくらますこと。または、行方が知れないこと”であり、前の2部の「夜を歩く」と「街を歩く」は文字通り著者が周囲の人たちの前から行方をくらますという物理的な失踪を描いている。そして3部目の「アル中病棟」は、アルコールの過度の摂取により著者自身が著者自身を見失ってしまうという精神的な失踪という意味を込めているのだと思う。私的な解釈では、この後者の精神的な失踪とは、現実検討が出来ない状況に陥ることであり、アルコール依存症に限らず、薬物依存症、または統合失調症や重度の躁鬱病の疾患もこれに含まれる。そして、この状況に陥ることは誰にでも起こりえるのではないかと本書を読んで考えるようになった。

 自殺を考える程に追い込まれた時とは、どのような精神状態なのだろうか?本書は、著者が仕事に追われる苦しみから自殺願望を持ち、仕事を投げ出し、家を飛び出す場面から始まる。この時点で著者と私自身の境遇で共通するのは、仕事を持ち、お金を稼ぎ、そして家族を養っているという点だ。結果的に自殺は未遂に終わるものの、そのままホームレス生活を始めてしまう著者に対して当初私は彼の人格、人間性に大きな違和感を持った。同じく仕事を持つ者として、同じく家族を養う者として、これらの社会的責任を放棄して行方をくらますことは信じ難い行為であり、現時点の私では、到底取り得られない選択であり、著者に対して情けなさや怒りを覚えたくらいであった。
 しかし、当時の状況を著者の立場から見てみると、それらとは全く違った情景が浮かび上がり、哀れみや空しさのような感情に襲われたのである。そのキッカケになったのが、表紙裏に書かれる「裏失踪日記」に出てくる自己模倣という言葉である。

 自分自身を責めるような考え方は、精神的に非常に負の影響を与える行為である。自己模倣とは、“かつての自分自身を指針にして真似るようなあり方、創作活動において過去に生み出した創作物と同じ手法や理念に基づいて新作を生み出すようなあり方”であり、著者は「物描きはみんなそうだと思うんですけど、自己模倣をやっていることに気がつくと限りなく落ち込んでくる」(表紙裏)と語っている。ちょうど本書の中で「同じネタをまったく気づかずに使っていた」(P.138)という場面が自己模倣をしてしまった著者だ。
 この自身を責める感覚は、物描きでもなく、創作家でもない私が心の底から共感することは難しい。だが、個性を確立している、または常に新しいモノを生み出そうというタイプの芸術家にとっては精神的に非常に辛い感覚のようである。自己模倣ではないにしろ、私もやるべきことをやらずにいる時などは自分自身を責めることはある。ただ、楽観的な性格の私とは違い、著者のような「マジメすぎると追い込まれる」(表紙裏)タイプの性格の人たちは、理想の自己像と現実のギャップに悩むあまり、自身を責めることで精神的な負担を自ら重くしてしまっているのかもしれない。

 著者を精神的に追い詰めたのは、なにも著者自身の性格や考え方だけではないはずだ。著者を取り囲む人たち、取り分け担当編集者たちの言動は多分に著者を精神的に追い詰めたと思うのだ。想像してみよう、もしも自分が寝る時間を削り、自分自身から搾り出すように書き上げた原稿を心無い言葉で罵倒されたり、勝手に修正されたりしたらどのような心境になるであろうかと。ましてや、この他者からの自己否定のような行為が幾年にも渡り続いたらどうであろうかと。私が著者の立場になることで心理状況に痛く同情したのはここである。本書では、コミカルなタッチで描かれているために著者の心の痛みは伝わり難いかもしれない。ただ、著者の立場になって状況を想像してみると、自殺願望を抱いたり、仕事や家族を捨ててホームレスになったりした著者の言動に頷ける部分が少なからず出てくる。そして、自己模倣から来る自責と担当編集者たちからの精神的追い込みから来る著者の苦しみの大きさは、ホームレスになり寒さで一週間も寝れずに死にそうな思いをしたにもかかわらず、それでも仕事に復帰することも家に帰ることも選ばなかった著者の行動に現れているのではないか。

 では、著者を精神的に追い込んでしまった担当編集者たちの言動が批難されるべき対象なのであろうか?現時点で、私はこの問いへの明確な答えを持っていない。何故なら、冒頭で述べたとおり、著者のように追い込まれ最後は精神的に自分自身を見失うことは、現代の日本社会では誰にでも起こりえるのではないか、また、その原因は個人の考え方や振る舞い、あるいは人と人との関係の在り方というよりも、もっと大きな枠組みである世の中の仕組みや社会構造に起因するのではないかと薄っすら思えるからである。そして、ここに私はとてつもないほどの無力さ、空虚さを感じるのである。
 ただ、明確に言えるのは、著者が自らを責めるように私が私自身を追い込むことで自分自身を見失うという可能性はある、また担当編集者たちが著者にしたように私が周囲の人を精神的に追い込んだりする可能性もまたあるということだ。

 これらの状況を事前に防ぐにはどうすればよいのだろうか。残念だが、この問いに対する明確な答えも私は持っていない。ただ、現時点で出来得ることは、自分自身に寛容になること、と同時に他人にも寛容になること、もう1つ加えるならば、著者が本書の冒頭で述べるように「人生をポジティブに見つめる」(P.5)ことなのではないだろうか。


~終わり~
投稿者 hira1223 日時 
この本は、色々な事から逃げて逃げて行きつくところは、こうなるんだ。
ということをコミカルな絵で描かれていました。
私も7年前にリストラにあったことがあり、自分は不要な人間なんだと塞ぎこんだ時期がありました。
「自分を必要としてくれる場所はどこにあるのか?」
「ボランティアをしようか、自分の事を誰も知らない外国に逃げようか」世間から逃げることばかり考えていた。
自分には家族があったので、自殺しようとか、路上生活をしようとかの選択はなかったが家族がなかったらどうなっていたかはわからない。
今も、家族のために一生懸命頑張れていると思うと、家族を持つことの責任感はすごい力を出すことが出来るんだとあらためて思いました。
マンガなので、9才の息子も興味を持って読んでいます。
この本を読んでどんな事を思ったんだろうか?
聞いてみたが
「よくわかんない」との答えだったが、もう少し大きくなったら、また聞いてみたい。
息子と本を通じて会話が出来る日がくるとは思っていませんでした。ありがとうございました。
 
投稿者 nagae 日時 
失踪日記

失踪日記を読むことにより、感じたことは、世の中で仕事をしているサラリーマンが突然出社しなくなるケースと同じで、自分にも可能性があるのではないかという不安を覚えました。そのため、失踪した人の傾向を分析し、同じような人生を歩まないようにするためには、どうしたらいいかを考えてみました。

まず、漫画からは失踪した人の傾向として、ビールが飲みたい、タバコを吸いたい、美味しいご飯が食べたい、眠りたいなどの生理的な欲求はあるものの、その欲求を直接叶える、ビールやタバコやご飯を探す、毛布を探すという行動を取るのみで、長期的、計画的に欲求を叶えるために、漫画家に復帰するや住み込みのバイトをするといった行動をとっていないように感じられる。

なぜ取らなかったのであろうか?当然、眠れないほどの凍える生活を送っていたのであれば、前の住環境の良さを取り戻したいと考えているに違いないのに家に戻らず、漫画家に復帰しなかったのは、「頭から何やら湧いてきた」という記載のように現実に引き戻される恐怖とかではなく、人間には如何ともし難いことが突然起きる可能性があるので、防ぐことは厳しいのだろうか?頭にGPSを埋め込んで、追跡してもらえば、失踪は防げるが、根本的な解決策にはなっていない。

別の角度から考えてみると、欲求を叶える行動が受動的な印象があり、能動的に物事を考えて行動ができないように感じ取られた。これにより、突発的な行動を取ることに至る可能性が高くなっているように感じる。人間は目標に向かって仕事をやっている際は、途中で、挫折したりしても、続けることができるが、ただ何となく仕事をしている人は、仕事の負荷が高くなると、突然来なくなる人がいる。
そのため、能動的に自分がどうしたいかを自分と対話をして、目標を設定し、行動することで、失踪するような人生を歩まず、自分の希望する人生を歩むことができるのではないかと考える。

また、仕事を捨てて、路上に迷ったとしても、自分の身一つであれば、日本に限ったことかもしれませんが、どうにかやっていけることがびっくりしました。個人的には、キャンプの様に2、3日であれば、野宿も耐えられるが、半年以上とか、とてもじゃないが、やりたくない。ご飯探し以外の時間が暇で、街を一日歩いて、ボーとするなんて生産性がないことに時間を費やすなんて、とても信じられない。
自分が幸せになりたいし、周りの人にも幸せになってほしいので、自分がやりたいことや幸せになるためのことに時間を使いたい。あまりに視点が違いすぎて、なんでそんな生活をしたのかの動機について全然想定ができない。

実際にホームレスの方も平成28年に行われたホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)の結果によると、東京都23区で暮らすホームレスの数は1,397人。同調査によると、日本全体でみると5,534人おり、全人口1億2000万人ですと、0.005%程度と少ないながらも、5千人もこんな生活を出来るほど捨てられている食糧がゴミとして捨てられているという視点で見ると凄いなと思います。

この5千人を仕事復帰させることができれば、すごい生産性があがるのではないかと思うのですが、その場合の課題は一人一人のやる気がなくて、すぐリタイアしてしまうことなのだろうか?仕事量を減らして、負荷を下げれば、リタイア率は下がるのだろうか?また、ビールや喫煙を制限できる様な家や宿を整備すれば、リタイア率が下がるのでしょうか?

ハローワークでは、毎日仕事を提供することが難しいと思うので、アルミ缶回収などといったその日暮らしの仕事ではなく、NPO法人Homedoorの様な自立支援を促す様な仕事を作って提供していくことが重要ではないかと考える。ただ、その自立を支援する仕事を生み出すことがとても難しいので、それを考えることができる思考力を鍛えることが重要であると感じました。

今年も今日で最後ですが、今年も誠にありがとうございました。
皆様にとって、来年が良い年であります様に。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
失踪日記 吾妻ひでお著 

私も以前仕事のプレッシャーが耐えられなくなり、休職したことがある。そのため最初の数ページを読んで著者が仕事から逃げたくなった気持ちは理解出来たし、自分のことを思い出した。
ただ、そこから読み進めていきホームレス同然の生活やゴミを漁って食べるシーンについては、著者が楽しんでやっている事が受け入れ難く、とてもじゃないが自分にはできないと思った。
イントロダクションに最初の失踪の経緯が書いてあるが自分の限界を超えて仕事をしてしまうと正常な判断ができなくなり、今の現実から逃避するために命を絶つことを選択してしまうのだろう。
物事に対して「こうでなければいけない」「あーでなければいけない」と言う決め事やルールを細かく作り、それに自分が縛られ、自分の首を絞めてしまう。真面目であればあるほどその縛りはどんどん自分を蝕んでしまうのだろう。真面目だからこそ締め切りのプレッシャーや、新しいアイデアが出ないことに対するプレッシャーを感じ、自分で自分を追い込んでしまい仕事が辛くなってしまったのではないだろうか。失踪するなんて不真面目な人がする事というイメージがあったが、そんなことはなく私のただの思い込みだった。

本書を読んで気付いたのは現実をどのように切り取って見る(理解する)のかによって、受け取る影響が全く変わるという事。
きれいになりたい、可愛くなりたいと思って整形をしても満たされない人がいたり、足りないもの足りないことにフォーカスしているといつまでたっても足りない部分が気になってしまうという事があるように、著者も自分の限界を超えた量の仕事を受けてしまったり、自分の描きたい漫画を否定され編集者の手直しをさせられる事で、本当ははこんな漫画を描きたいんじゃないと言う気持ちやマイナスの部分にフォーカスしてしまった結果、鬱と不安と妄想に襲われて死にたくなってしまったのだろう。
普通の人から考えたら間違ってもやりたく無い(お金もらっても経験したく無い)ようなホームレス生活も著者にとっては【煩悩がオレを突き動かしてるわけね】【ゴミ袋あさるのなんか平気だもんね】【車のライトで照らされても気にしないもん】(p20〜21)と自分の状況を嘆いたり、悲しんだりする事はなく、【食前酒を飲みながら日の出を待つこの時間がちょっと楽しみ】と思ったり(p37)腐って発酵した林檎が熱を持っているのを実感し【微生物ってすごいなぁ】と感じたり(p40)ホームレス生活を楽しんでいて、状況や出来事の良い面にフォーカスし日々暮らしていた事が、死にたくなるほど鬱と不安と妄想に襲われていた人間が薬なんか飲まなくても回復できた理由なのだろうと感じた。
本書を読み【病は気から】と言うのはまさしくその通りだなと思った。何事も自分の感じ方、考え方次第であり、自分も今後の人生において辛い出来事や状況に遭遇したとしても、良い面を見る事で乗り越えられるだろうなと思った。

自分の本業である漫画を描くことに対しては、編集者からの批判や理想と現実のギャップに心を痛めたり、新しい作品が書けなかったりアイデアが出てこないと自己嫌悪に陥りマイナスの沼にハマっていくのだが、配管工の肉体労働に関しては編集者以上にタチが悪そうに見える柳井という同僚からどなられたりイヤミを言われても【自分にはプライドがあったから気にならなかった】と意に介していないように見える(p104)配管工としての仕事は足掛け程度で責任を感じることもなかったから心を痛める事はなかったというのであれば、心を病むかどうかは気の持ちようと責任感の感じ方(捉え方)によると言えるのだろう。どのような仕事をするとしても、全力で自分の出来る限りの仕事をするのは当然だけれど、メンタルヘルス対策としては責任感を感じすぎない、第三者的な視点を持っておくことが良いのだと感じた。
 
投稿者 3338 日時 
今回の本は、掴み所がないと思いつつ読んでいましたが、気になる場面が二ヶ所ありました。
一つ目は義母が来てからダイエットさせられたことを回想する場面。
今一つは、中学生の時から神経性十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していたことに言及する場面。
吾妻氏の人生を語る上でのキーワードですが、この二つの事実が愛着障害であることを示しています。
 

読んでいるうちに、太宰治氏のことが思い浮かびました。心のあり方が、なんとなく似ているように思われたのは、私だけでしょうか。


相手との距離感をキチンと掴むことができず、良好な人間関係を築くことができない。歪んだ人間関係に心を病んで、そこから逃げ出すことを繰り返しています。


神経性十二指腸潰瘍が治ったのは、確かにお酒のお陰には違いないのですが、お酒に依存することで、精神的に楽になり、十二指腸潰瘍という症状が出なくなっただけです。

なぜ吾妻氏はお酒に依存しなければ、自分を保てなかったのか。

それには原因がもう一つあり、本来描きたかった作品とは違う作品を書くことを余儀なくされたためです。家族もあり、売れているために、ファンを裏切ることができなかったこともあるのでしょうか。やめた方もやめることができず、お酒に依存するしかなかったのだと察します。

「ふたりと5人」はリアルで読んでいました。

絵が好きで、内容も不思議と惹かれるものがあり、今回この本を読んでその頃の事情を知り、本来吾妻氏が描きたかった世界をこの絵柄で読むことができなかったのは、非常に残念だと思いました。

その後の失踪中に、全く別の仕事をする吾妻氏の見るにつけ、全く別の人生をやり直したかったのだと感じました。

この事実を読んで、人は本当に望むことを引き寄せるのだと、改めて実感しました。

いろいろと思うことがありましたが、この本を読んで、やはり娘との関係を考えされました。 
娘の状況や考え方が理解できなかったのですが、それは私が理解できないと思っていたからでした。最近娘はなぜこういった行動を取るのかを、話してくれるようになりました。なぜ私を怒らせるのか、なぜ私の手を煩わせるのか。
 
私は今大変心穏やかに生活しています。
それが娘に影響しているのだと思うのです。全ては自分の問題でした。

ずっと娘にどう接したら一番いいのか悩んできましたが、一旦全てを受け入れればいいだけでした。
 
人は一歩間違えば、心を引き裂かれながら生きて行くことになります。ほとんどの人がそんな人生を送っています。自分もそんな人生は嫌ですし、娘にもそんな人生を歩ませたくありません。
そのためにはどうすれば良いか、いつも教えていただいています。
もっと深く理解したいと思います。

石井みやこ
 
投稿者 vastos2000 日時 
 私が本書を読んで最も心に残ったことは、吾妻氏が漫画家の仕事よりも失踪生活を選んだことです。私自身、過去には毎晩ワインや人を一瓶開けることも度々あるくらい飲んでいたので、アル中のパートも気になりましたが、今は自宅で飲むことは無くなったので、今回は仕事のことを取り上げます。

 途中で食料調達のめどがたったとは言え、屋根と壁の無い厳しい生活であることは変わりなく、それだけの思いをしても漫画家としての生活に戻りたくなかったというのは、相当プレッシャーを感じていたのだろうと思いました。
少年ジャンプで『ゴッドサイダー』などを連載していた巻来功士氏も連載の裏側を(集英社以外の出版社から)漫画の作品にしていましたが、週刊誌で連載を続けるというのは、非常に大変なことなのだろうと感じました。

私も前職は営業職だったので毎月数字を出すことを求められており、当時は非常にプレッシャーを感じていました。私の場合は月次でしたが、これが週次となると相当きついというのはわかります。私の場合、しょせんは一社員だったので、「いざとなれば辞めれば良いか」と考えており、メンタルをやられる前に仕事を変え、吾妻氏のようにアル中にならずにすみました。
現職においても、「課員の減員+うつ病による休職者発生」を経験し、単純に労働時間だけみれば過労死レベルで働いた時期が何ヶ月かありましたが、自分で自分の仕事を選べたことと、結果に対するインパクトが小さいことは思い切って切り捨てることができるようになり、しのぐことができました。
しかし、漫画家のような個人事業主や経営者となると、そう簡単に仕事を投げ出したり、転職したりという訳にはいかないので、吾妻氏のような選択をしてしまうこともあるのかと感じます。
著者は割と出版社からの失礼、無理な依頼にも応じているところがあるので、普段は人間関係に波風を立たせなくない人のように思いました。だからこそ、臨界点に達したところで極端な行動に出たのでしょう。
そして犯罪等(多少の窃盗はしていたようですが)の他者に危害を及ぼすような行為に走らず、ただ、人知れず過ごしたり、肉体労働を行ったりと言う点は、著者がのちに自身の経験を作品に昇華できた要因ではないでしょうか。

国内では働き方改革が始められましたが、そのような動きが出るのもいわゆるブラック企業や過労死が無くならないからでしょう。自分の人生が主で仕事は従のはずですが、主従が逆転しまうことはそう簡単に無くならないと思います。職業観が日本と西洋では異なるので、西洋の仕組みを日本に導入してもうまく行かないでしょう。(もっともアメリカのベンチャーはめちゃくちゃハードワークするようですが)
では、吾妻氏の場合、どうすれば良かったのかを考えると難しいのですが、当時は大手出版社のプラットフォームに乗せて作品を発表しなければ、職業としてやっていくのは難しい時代だったので、時代が悪かったのかもしれません。
今であれば、Webを利用して他のやりかたもあるはずですが、おそらく当時は出版社(担当編集者)の意に沿った作品に仕上げる必要があったのでしょう。性格的に難しかったのかもしれませんが、仕事を選んで「生活のための仕事」と「自分が書きたい作品」を両方描くのが良かったのかもしれません。
もし私がその技量があり、その立場に立ったときにそれができるかどうかはわかりませんが、やはりどこかで息を止めてやりきる時期が必要になるのでしょう。ただ、終わりの時期を決めないときっと、壊れてしまうと思います。

私自身は急な異動の辞令を受けたタイミングであり、本作からは仕事との関わりが一番気になり、このような内容としました。
 
投稿者 collie445 日時 
作者の吾妻ひでおさん、私は初めて知りました。

この作品を通じて、
感じたことを書かせていただきます。


★客観視の重要性

ウツ、自殺未遂、失踪、ホームレス生活、
アルコール中毒と壮絶な人生は、
そのまま描くと暗くて重いものになります。

しかし、この作品は、違いました。

『この漫画は人生をポジティブに見つめ、
なるべくリアリズムを排除して描いています。』
(005ページ)

とあるように、笑いの要素を取り入れながら、
ギャグ漫画として描かれています。

これは、自分の状況を、もう一人の自分が
天から見ているように客観視しているから、
できたのではないかと思いました。

『関節の筋肉が収縮してものすごく痛い
凍死寸前の兆候である』(008ページ)

とか悲惨な状況なのに、作者の絵のタッチだと、
なんだか笑える状況に感じてしまうんですよね。

しょ~おん先生のメルマガでも
つらい状況にいる自分を俯瞰することで、
つらい状況にどっぷり飲み込まれないで
解決策を見つけるとか読んだ気がします。

未来に、過去の辛い体験を振り返って、
あの辛い体験がるから、今の幸せな自分がいる
と思えるようになるぞ!と考えると学びました。

作者も、様々な状況でこれはネタにできるなと、
もう一人の自分の視点で見ていたのだと思います。

特に巻末対談や裏失踪日記から
無意識に人生をネタにするという視点を
感じました。


★断食・少食で能力が高まる

ホームレス生活では、捨てられたものを漁って、
食べ物を手に入れて食べていました。

その生活は、断食・少食とつながるように感じます。

困った状況での天からの助けとも思える出来事。

毛布を手に入れたり、食べ物を手に入れたり、
お金を拾ったり、配管工になれたり。

これは、
食べ過ぎで鈍った能力・感覚が向上したからかも
と感じました。


★人間のたくましさ

ホームレス生活でお金がない、あまり食べられない、
苦しいことから逃げた、そんな状況でも
人間ってなんとか生きていけるんだ。

なんとかなるさ。

そんな勇気をもらえました。

女の私にはホームレス生活はハードルが高いですが、
どんな状況でも生きていける方法は見つかると
思えました。


★うつ病の回復

うつ病の回復には、まず休養です。

次の段階で体を動かすこともでしょうか。

精神科にいくと、抗うつ薬が処方されますが、
副作用も色々あります。

情緒不安定、虚無感、自殺念慮(死にたい気持ち)の
増加など、自殺を防ぐのに薬飲むのに、
死にたい気持ちが増えるとか、本末転倒です。

その点、作者は、ホームレス生活で、
薬は飲んでいないしょう。

ストレスの元だった仕事から離れて、
時間にも縛られない自由な生活が休養になった。

食べ物を手に入れるためのパトロールで
適度に体を動かす。

休養が十分取れると活動したくなってきます。

『ホームレスは閑だ。みんな働いている。
オレもちょっと働きたい。』(086ページ)

配管工時代の力仕事も
社会復帰へのよいリハビリだったと思います。

『くそっ。こんなことやってるけど、
本当はオレ芸術家だぞ!ホームレスやってると
働きたくなる。
肉体労働やってると芸術がしたくなる。』(105ページ)

そして、描きたくなって、社内報の漫画に投稿。

これもある種リハビリです。
だんだんと回復していったのですね。


★家族の協力

ハチャメチャな行動をとる作者。
家族はどんな気持ちだったのでしょうか。

奥様は作者のアシスタントをされていたそうなので、
作者の作品を大切に思っていたでしょうし、
作者のことを本気で心配していただろうと思います。

うつ病の回復には、ありのままを認めるのが大事です。

『失踪する時って、奥さんに断ったりされたんですか?
いや、黙って出て行った(笑)。すごく怒られましたね。
似たような人相の死体が出たとかで、心配したって。』
(裏失踪日記)

奥様は怒ってはいるのですが、とても心配していて、
元気になることを願っていたでしょう。

二度の失踪、アルコール依存症入院でも
奥様が別れなかったのは、
作者にとって大きな力となったことでしょう。


★アルコール依存症の治療

アルコール依存症の治療について、
これまで知る機会はありませんでした。

しょ~おん先生のメルマガでレメディのことが
取り上げられていましたが、
アルコール依存症の治療にもレメディはよさそう。

また、カッピングを活用はできないだろうか、
これはちょっと調べてみようと思います。


★体験を作品へ昇華させる

本書と続編の失踪日記2 アル中病棟、逃亡日記の
アマゾンレビューにざっと目を通しました。

本書は、作者の体験談ですが、
漫画作品とするにあたって、どう描くかが
作者の腕の見せどころなのですね。

逃亡日記は本書の解説本的な書籍で、
本書で描かれなかったしんどい部分、
舞台裏の笑えない話があるとのこと。

合わせて読むと、
体験を作品へ昇華させる手法を知ることができそうだと
興味がわきました。


作者のご冥福をお祈りします。
 
投稿者 aalaykum2016 日時 
「失踪日記」を読んで。

今後の人生に生かせることを3つ考えさせられました。

・プロフェッショナルを目指し真剣に取り組む
・日本はとても豊か
・何事も早めに手を打たないと手遅れになってしまう

・プロフェッショナルを目指し真剣に取り組む
漫画家・失踪中・ガスの配管工といずれも真剣に取り組んでプロを目指すという意味で真剣に取り組む経験が必要だと思いました。ジャンルは問わず一心に取り組んだことは後々の人生に何らかの形でプラスになって現れるものだなと思いました。何事も一度身につけた知識や技量は多少色あせたとしても糧となって自身の体に染みついているものだ。ということは、どんな分野であれ、寝る間も惜しんで取り組む経験が人生のなかにあると、今後どのような形でそのことが活かされる場面に遭遇するかわからないので、一度興味を持って勉強したことや取り組んだことは裏切らないものだ。失踪中の時も真剣にというか生きるために知恵と工夫を凝らし、漫画家での7つ道具を駆使して生きながらえているところなど過去の経験が違う形で実を結んだということであり、ガス会社での漫画の投稿という場面も漫画家としての最たる部分であると思われます。自身の失踪をネタにしてこの「失踪日記」を世に送り出すということこそアーティストとしてのプロフェッショナルな部分だと感じています。

・日本はとても豊か
筆者のようにすべての仕事を投げ出して失踪したとしても、誰かが救いの手を差し伸べてやり直すことができる環境が日本にはある。失踪中に筆者が仕事したいなと思ったことが始まりではありますが、仕事を紹介してくれたり、一時的に寝泊まりをさせてくれるなど、他人にはなかなかできないことを提供できる日本人の資質は、改めて日本という国を誇れると思い直しました。この本の上森さんは下心もあったかと思いますが・・・
著者の失踪中にあるように飲食店などが残飯を廃棄するというだけで、戦後の日本から比べて日本は食に恵まれていると思わざるを得ません。日本に生まれたこと自体が恵まれた境遇なのだということです。失踪中のエピソード等は『俺のようにはなるな』というメッセージも送りつつ、逆に言うと、たとえ失敗して家を失ったとしても、今の日本では何とかなるということ。著者のような生活にはなりたくないという反面教師としての部分が大半だと思いますが、どのような状況下に置かれても今の日本の環境であれば、『為せば成る』というか『為せば成ってしまう』ということだと思いました。

・何事も早めに手を打たないと手遅れになってしまう
上記2つと違い3つ目はベクトルの方向が真逆である。筆者はアルコール依存症となり、アル中病棟のことを描写していますが、他の依存症にも当てはまることだと思われます。依存症以外にも変形性膝関節症に代表されるような退行変性疾患にも共通しているように思われます。私も仕事柄、筋・骨格系の疾患の患者さんと多く接していますが、もっと早く対処しておけば、ここまでに至るまでいくらでもやりようがあったのになと思うことが多々あります。依存症は様々で、薬物、ギャンブル、糖質、タバコ等の形態に限らず行きつくところまで行ってしまう前に早めに手を打つことで被害は最小限に抑えられる。しかしほとんどの場合、依存という状況を客観的に判断できない状態に陥ってしまい、依存症の最終形態まで進んでしまうというのがほとんどだと思います。著者はアルコール依存としては比較的軽度なのか、入院中のエピソードを事細かく覚えており、作品になるほどまでに描写されています。筆者のさらに進んだ状態がアル中病棟の他の患者さんであり、顛末が『失踪日記2』なのではないかと思います。

今回の課題図書を通して、上記3つを教訓として、
①何事もやるからには真剣に行いプロを目指す。
②失敗をしたとしても何とかなるという気持ちを持ちつつ色々なことにチャレンジする。失敗しないに越したことはないですが。
③依存症になる前に手を打つ。私の場合は、喫煙をやめるに当てはまります。

吾妻ひでおさんのご冥福をお祈りいたします。

課題図書の紹介をありがとうございました。
 
投稿者 yrishida41 日時 
 いつも読んでいるビジネス書・自己啓発書とは違う・・・まあ、漫画であり、題名も“失踪”ということから違うのは当然なのかもしれないが、でもどうしても、良く読む自己啓発書類と比べてしまう、変な違和感を強く感じた。
 全部実話であり、文化庁メディア芸術祭大賞や手塚治虫 文化賞マンガ対象など数々の
受賞、30万部突破しているという先入観がそうさせているのか? 
勉強不足を露呈しますが、私は今まで、吾妻ひでお氏を知らなかった。でも逆に言えば
すごい漫画家だということを知らないので、先入観なしに読めたのではないだろうか?
この本を読んで感じたことを結論から言うと、
 ・人間は弱い者である
 ・辛かったら逃げても良いんだよ
 ・いざとなれば、意外と生きていけるものなんだ
 ・でもやっぱりツケは回ってくるもんだ
 ・そのような人間の多様性を受け入れることは出来ないのか?
ということだが、まだ違和感は残り、頭の中で言葉に変換し損ねているような気がする。
 この本に登場する人たちは、世間一般的に言うと、いわゆる“変な人”たちである。
主役はもちろん著者だが、どう考えてもメンタルが “弱い人” である。と初めは思ったが実は、“飽き性”なだけではないかと読み返した時に考え直した。 
漫画家としてさほど苦労せずに仕事が舞い込むレベルであるにもかかわらず、仕事が詰まってくるとそこから逃げ出す。 路上生活者になるが、結構その生活を楽しんでいる。
生々しいことは敢えて避けて書いているという断り書きがあるので、簡単には言えないのかも知れないが、吾妻氏のマンガタッチからは、当人が悲惨だと思っているようには伝わってこない。 ゴミをあさったり、糸がひきかけたお弁当を食べたり、天ぷら油、シケモクなどなど、自分に当てはめて想像すると、とてもとても耐えられるものではない。1日お風呂
に入れないだけでも気持ちが悪くてめげてしまうのに何週間?も恐ろしい話である。
さらに、人と話をするという機会が確実に減る。1日誰とも一言も話さないという状況は日当が出てもお断りするだろう。 吾妻氏は、あまり話をするのが好きではないとのことだが、
もう一人の自分を作って会話をするという記述からも、やはり会話がないというのは相当キツイことなのだと思う。
そうなるのが嫌だから、そうなることが予想がつくから、簡単に逃げることができない。
『ケーキの切れない非行少年』で記述されていたように、先の事を予測することが出来ないのか? 境界知能の問題なのか? しかし吾妻氏は漫画家でありストーリーも組み立てる
能力に長けている人であるので、先の事を予測できないわけがない。 
ということは、路上生活者として何とかなる・生きていけることが吾妻氏には予想が出来ていたのではないかと考えてしまう。 
『僕はお金を使わずに生きることにした』のように現代の便利な生活のニッチ、例えばコンビニ弁当賞味期限切れは確実に廃棄される、料亭には必ず残飯がゴミとして出てくる、などを突けば食べ物が手に入る。 お金も自動販売機のおつりの所や、道端をよく見て探せば、結構落ちている。1万円札まで落ちている。 
つまり、働かなくても意外と生きていけるものであるんだということになる。
ただし、毎朝食べ物・飲み物・雑誌・毛布・お金などなどを探しに行くことは必要になる。
この行動を見ていると、今、我々しょうおん塾生が学んでいることと同じではないか、ということに気づく。 目標決める・行動に移す・お金は落ちていて当然・結果を淡々と受け入れる。吾妻氏は、元々悟っていたのではないかと思ってしまう。 
 『飽き性』は、体重が増えるほど快適な路上生活であるにもかかわらず、仕事がしたく
なってきた、という方向にも持っていってしまう。 働きたいな、と思ったら、配管工
の仕事にスカウトされる。 これは完全に引き寄せでしょう、と思わず本を読みながらつぶやいてしまう。 
 配管工の仕事では、特徴のあるクセのある様々な人達が登場する。 吾妻氏は、コミュ症のようであるが、結構このクセのある人たちとも上手くやっていっている。 
配管工の仕事自体も自分できっちり覚えて、仕事が面白いという所まで持っていっている。
 しかし、最後はツケが回ってくる。アルコール中毒である。怖いのはいつのまにか依存症になっていることである。朝から晩まで何かにつけ酒を飲む著者の描写は、軽い漫画タッチ
といえども背筋が凍るような恐ろしい感覚を受けた。本人は病院行こうとか、手が震えている時点で思わないのだろうか? また家族は何も言わないのか? 編集者たちは、
間違いなく気づいているはずだが、なぜ何も言わないのか? 言うのは締め切りの原稿を
回収することだけ。ビジネスの事しか頭にない連中。ここに著者が現代社会に対する思いを伝えたかったのではないかと感じた。 
 精神病院では、配管工を上回るさらに様々な人間が登場する。 それぞれの背景、人間の多様性が描写されている。これが現実であり、自己責任として、この現実から目を背けるのか、それともゆくゆくは自分たちに巡ってくるものとして、彼らに手を差し伸べるのか、
人間の多様性を受け入れるのかどうか、著者は問いを発していると思った。