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第99回目(2019年7月)の課題本


7月課題図書

 

アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る


ネットが浸透して、リアルが衰退したと言われたのは約10年くらい前なんですが、時代は

そこからネットとリアルが融合して来たんですね。アマゾンがリアル店舗を持っている会

社をやたらと買収したり、Amazon Goをやっているのは、ネットとリアルの融合なんです。

 

ところが時代はさらに進化して、OMO(Online Merged Offline.)というオン(ネット)と

オフ(リアル)の垣根が完全に無くなって、より利便性の高い方を顧客が好きなように選

べる世界が中国では実現しつつあります。

 

このようなネットに繋がり続ける世界がどういうものなのかを、中国の実例を使って解説して

いるのがこの本なのですが、これをリアルで目の当たりにすると価値観が引っ繰り返りま

す。日本の来たるべき未来像がここには描かれているわけで、これを読んでどう考え、ど

んな準備をするかで、その人の未来は大きく変わると思いますよ。

 【しょ~おんコメント】

7月優秀賞

 

世界の近未来の姿が実は中国で実現していた衝撃をどれくらいの方が感じ取ってくれたのでしょう。

今月も要約ばかりの人が多かったのですが、そこで自己の思考を言葉にしていた、sikakaka2005さん、

masa3843さん、vastos2000さんの3名が一次審査を突破しました。そして優秀賞は、

sikakaka2005さんに差し上げることにしました。

 

【頂いたコメント】

投稿者 ghc01447 日時 2019年7月15日


4回目の投稿になります。よろしくお願い致します。

「アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る」を読んで

中国のデジタル社会の進歩の度合いが激しく、日本が大きく後れを取っている事を否応なく知らされた内容でした。
具体的には、レンタル自転車の成功例が載っていましたが、日本ではこの事業に失敗した
AI技術が日本より進んでいる事は聞き及んでいましたが、そのAIの活用方法も日本の実用化よりもさらに進化・発展しているのは驚異的であり、危機感すら覚えます。
「アフターデジタル」と言う分かりやすい造語で読者に対して受け入れやすい文書を用意しつつ、徐々に深い内容と今後の日本での活用・発展方法なども記載されていて、書物としての完成度も高いと思いました。

現在の日本では商品等を購入した会員情報の購買履歴を蓄積し、その情報を活かして次なる購買につなげる等の活用はしていると思いますが、行動データと言う会員自身の動きの予想やその情報を広く横展開する方法が全く出来ていない事が分かり、顧客情報を活かし切れていない、および、新たな切り口の情報収集が必然だと知る事が出来たのは将来につながるものになると思いました。
具体的には日本ではTSUTAYAのTカードが有名かつ最も普及していますが、このカードの会員の購買履歴の情報は取得していても、行動データは取得していないと思います。よって、最近ではTカードの導入を辞める企業も出て来ています。このままではTカードは過去の物となってしまうでしょう。現状維持で発展しないものは世の中から淘汰されて行く…現実の厳しさも実例として感じますし、自分自身に置き換えても現状維持のままでは時代に置いて行かれる怖さを知る事が出来ました。

また、「信用スコア」と言うのも導入されていて、見事に中国の社会では根付いているみたいで、マナー等が悪いのが中国人だと言う悪いイメージは今でもありますが、このシステムで一気に改善しているのは、素晴らしい成果になっていると思います。
ある意味、ITに振り回されているのかもしれませんが、社会が良い方向に進んでいるのであれば、成功と言えるでしょう。
この点でも日本は遅れていますが、それ故に発展性・将来性はあると思います。しかし個人情報保護にうるさい人や人権等を問題にする人も日本では多く居るでしょう。中国と全く同じ展開は出来ないかもしれませんが、日本の風土や慣習に適した発展方法はあると思います。著書にもあるマイナス面ばかりを強調せずにプラス面を伸ばす事でのビジネスチャンスを見つけて、日本の未来に明るさを持ちたいと痛切に感じます。

そして、デジタルが発展するとアナログな人と人のつながりは減ったり簡素化されるのではないかと考えるのは短絡的すぎるのもこの本から理解出来ました。
確かにSNSやツイッター等で人と人のつながりは逆に広がっているとすら言えますし、実店舗でも本来の接客はお客さんにより良いサービスを提供する事であって、単にレジで精算する事ではないのは言われてみれば当たり前なのでしょうが、今はその当たり前が出来てないので、その当たり前が出来る事が接客業で生き残る一つの解決案になっているのを知り、これは商売の原点でもあるはずなので、仕事の姿勢を見直す、考え直す為にも良い教えを得たと思います。

UX=ユーザエクスペリエンスの5段階発展の図と説明は、正直言いまして、私は第2段階でもすでに理解に難を示すレベルであり、それ以降はまだまだ理解するには程遠い状態です。これはこの本を再読しつつ、世の実例や更なる情報収集をする事によって、もっと理解が進むようにしなければいけない課題だと思いました。そして、このUXを完全に理解できるようになれば、私自身の次の時代へ対応する下準備は出来ると思います。勉強を続けたいと思います。

そして、これらの情報を実際にビジネスで成功させているアリババ社の存在感、将来性は怖さすら感じます。米国のGAFAは知らない人はいないでしょうが、中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)も知っておかないといけないでしょうね。アメリカかぶれなっている自分ですが、中国にも視野を広く持つ必要性を感じました。
日本企業も大手企業は世界規模で展開していますが、中小企業でも書籍にある「アフターデジタル」「OMO」を活かせばビジネスチャンスは大いにあると思います。ガラパゴスな日本だけで留まっていてはいけませんね。

最後に、斜陽を感じる日本国ではありますが、まだまだ成長する余地が大いにある事を知れたのは嬉しい限りです。私も発展に貢献できる人物・人材になりたいと言う将来への希望も湧きました。やはり夢や目標のある人生は面白いです。
私は人生の折り返し地点を完全に過ぎている年齢ですが、将来に希望が持てるのは幸せです。本当に毎回、良い書籍を紹介していただきまして、深く感謝申し上げます。

投稿者 toshi121 日時 2019年7月27日


「アフターデジタル」を読んで

 課題図書に取り組むようになって1年半ほどになるが、今月の課題図書ほど、現在の自らの経歴・業務と関係が深いものはなかった。一貫して保険会社グループのIT関連業務に従事し、7年間中国に駐在し、2年前に帰国してからも、時々中国に行く機会がある自分にとって、知っていること、漠然と感じていることが鋭く分析、指摘されていて、大いに勉強になるとともに、考えさせられる点が多かった。

 特に中国駐在中に、病院事情の悪さに辟易することが多かった身にとって、平安保険の「平安好医生(グッドドクター)」の機能・サービスの魅力を強く感じるともに、ユーザー数が2憶人を超えるという驚異的な数であることを、さもありなんとも感じた。

 昨今日本でも一部報道されているが、中国のデジタル化の進展は目を見張るものがある。
もちろんすべてがバラ色である訳ではなく、様々な問題があるものの、携帯電話によって全ての生活が変わっていく様は壮観であるとともに、中国の勢い、スピードには圧倒される。翻って日本の状況を見ると、安定して落ち着きを感じるものであるものの、スピード感がなく、閉塞感が漂う様は、息苦しさとともに一抹の寂しさを感じるものである。

 日中で大きな差がついた最大の理由は、本書に記載のある国としての制度の違いにあると考える。中国は「やってはいけないことを決める制度」に支えられてデジタル化が大きく発展したのに対して、日本は「やっていいことを決める制度」に基づき、新たな発展に時間がかかっているという差は大きい。もちろん、中国の制度にも様々な問題はあるが、変化のスピードが早い昨今において、中国の制度の方が発展には適していることは否めない。

 とは言っても、国としての制度は長い歴史に培われたものであり、簡単に変えることはできないものである。制度の改善へ向けた働きかけをしつつも、現行制度の元でいかにして発展に取り組んでいくかを考えていくことが必要である。本書において、「日本には様々な強み、良さ、ユニークネスがあり、それを活かして生き残るには、視点をアフターデジタルに変換することが一番」とあるのが、一つの解になりえると感じた。

 「アフターデジタル」の説明として、「デジタルで絶えず接点があり、たまにデジタルを活用したリアル(店や人)にも来てくれる」というものであり、「オフラインとオンラインの主従関係が逆転した世界」とある。この視点の転換は、既存の発想を根底から覆すものであり、特に保守的な日本企業においては容易なものではないと考える。ただ、こうした転換を行わなければ、今後の発展、未来はないと強く感じている。

 ここでの最大のポイントは、「いかにしてデジタルで絶えず接点を持つか」であると考える。これが可能となることが、「アフターデジタル」のスタートラインであり、これを実現するために、「バリュージャーニー型ビジネス=行動データ×エクスペリエンス」を考えるというのは、非常に貴重な示唆であると感じた。
 
 本書に大いに刺激を受け、7月6日土曜日に開催されたビービット社の「AFTER DEGITAL CAMP-アフターデジタル入門編」に参加申し込みをし、著者の藤井氏の講演を聞く機会を得た。約2時間の講演であったが、本書で紹介されていない内容も含めて語る藤井氏の熱弁に、更なる刺激を受けた。

 今後、日本の良さを活かしつつ、いかにして発展を目指していくかについて思考するともに、自らがいかに貢献していくかを模索していきたい。

今月は特に役立つ一冊を読む機会を与えていただき、誠にありがとうございました。

投稿者 tajihiro 日時 2019年7月28日


「アフターデジタル」を読んで

 藤井保史/尾原和啓著の「アフターデジタル」について、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。
 まず、この著書で一番意識しないといけないことは、「アフターデジタルの時代で、日本が生き残るためにはどうすればよいか」であると考えます。
 そして、著者が一番言いたいことは、『日本が世界に追いつき追い越していくには、データ×エクスペリエンスの切り口で考え、新たな視野を獲得することが大事』(P4)であり、そして、中国の得意とするデータの即時性に、中国にない、『日本らしい「人の手厚い個別対応や心遣い」を補う』(P191)ことで、『「世界最高の良い体験」を提供する』(P191)ことが、これからの日本が生き残るための唯一の道である、と私は考えます。

上記を踏まえ、以下の2点について新たな学びを得ました。

1. 『信用スコアが浸透してから中国のマナーが格段に上がった』(P26)
2. 『無人レジ自体には大した価値はない』(P122)

1. 『信用スコアが浸透してから中国のマナーが格段に上がった』(P26)
 我々が抱えてきたこれまでの中国のイメージはというと、食品関係で例を挙げるならば「安徽省偽粉ミルク」(2004年)や「中国製冷凍餃子事件」(2008年)、事故隠避関係で例を挙げるならば「温州市鉄道衝突脱線事故」(2011年)のイメージが多分にあると思います。また、中国において、電子決済が浸透する前は、偽札が横行していたこともあり、仮に中国の技術が上がったとしても、グローバルは中国を信用しない、よって、一流国には当面なれない、という思い込みがあったと思います。事実、私もこの本を読むまでは、そう思っておりました。
 しかし、この著書によると、現在の中国は、例えば、2015年に始まった「ジーマ・クレジット(芝麻信用)」と呼ばれるサービスがあって、そのサービスは高級ブランド店舗から一般の個人商店、屋台など、すべての売店において、一般の買い物代金、タクシー代、公共料金、税金、あらゆる支払いがアプリから支払いが可能というサービスがあることが書かれております。全部の売店で、全部の支払いができること自体も驚きですが、さらに凄いのは、そこから集まる膨大なデータを元に、AIでデータ分析をして、ユーザーの「信用スコア」を算出するというシステムを保持している点です。さらに、このサービスの驚くべきは、利用者、ユーザーという側面から見た場合、出身大学や職業などの属性を事前に入力し、支払をしっかり行うことで、自らの「信用スコア」をせっせとあげることができ、地方出身だろうが、貧乏出身だろうが、何だろうが、努力することにより、より良い恩恵を受けることが可能であること、また、企業という側面から見た場合、就職試験や物件を賃貸させるかどうかの審査、さらには婚活マッチングや与信審査の際に、その「信用スコア」をダイレクトに活用するために、その「信用スコア」が低い、いわゆる、素行の悪い属性の人には、最初からフィルタリングにより除外してしまう点です。よって、中国人は、自らの価値を上げ、そして「信用スコア」を上げるために「善行を積む」という考え方をもとに、プラスのスパイラルが働き、結果、マナーが上がる、という仕組みを、中国の一民間企業が、作ってしまったという点です。
 中国人全体のマナーが上がれば、国全体のポテンシャルはもともと高いわけだから、よって、世界から見た信用力が上がった中国は、日本、ヨーロッパなどの先進国は元より、アメリカさえもあっという間に抜き去り、世界を席巻する日も遠からずやってくるわけです。10年ちょっと前まで、「中国製=粗悪品」と言っていたのも、もう昔の話であり、マナーさえも日本と対等、もしくは抜かされるかもしれない日が、すぐそこに来ているとすれば、日本という国が、技術は元より、人間力においても中国にかなわなくなる日が、いよいよ近くなってしまうかと思うと、背筋がぞっとするものを感じました。

2. 『無人レジ自体には大した価値はない』(P122)
 最初、これを読んだ瞬間に思ったことは、「はぁ?どういうこと?」でした。私に限らず、たいていの人はそう思うはずでしょう。しかし、読み進めていくとこのフレーズの真意が見えてきます。
P85にJian24.com側の回答で、このように書いてあります。『重要なポイントは、(中略)取得した行動データを(中略)全部デジタルデータとして扱えるようになって、初めて意味のある取り組みになるのです。(中略)店舗の中を見回っている行動を解析するわけです。』
 椅子からひっくり返りそうになりました。我々は、O2Oのように、オンラインとオフラインを分けて考え、オンラインのデジタルからオフラインの店舗等へとユーザーアクションを繋げて考えがちであり、もしくは、業務効率化とか人件費削減といった観点で「無人レジ」の有効性を考えがちですが、そもそも、Jian24.comの場合、出発点から我々一般の日本人の考え方と違うわけで、OMOという、オンライン/オフラインの垣根にこだわらず、あくまでUX(User Experience、ユーザー体験)を主軸として考え、あらゆるユーザー⾏動をデータ化して集約し、ユーザー体験を高め、マーケティングを⾏っていくことが肝にあるわけですから、「行動データを解析し、それをOMOとして活かしていく」という回答になるわけです。
https://00m.in/Iu28x 
 上記URLにあるように、本格的な実用化は、まだ先の話なのかもしれませんが、いずれ、こちらも中国が真の意味での世界の一翼になる日も近いかもしれません。

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 著者の願いが、前書きに『日本のビジネスパーソンに警鐘を鳴らすだけでなく(中略)どこに立脚し、どのような視野を持つべきなのか』(P6)『学び・真似びの得意な日本が再びグローバルをけん引して活躍する日がいち早く到来することを、切に願っています。』(P7)と述べていることから、最後に、日本が、どういう立ち位置を目指すべきなのかを、まとめとして書きたいと思います。

 最初のポイントになりそうなところは2つあるとみます。1つ目は、日本という国が、『何か意味のないことに異常な情熱を傾けユニークな文化を発明してしまう』(P140)国であるということであり、もう一つは『温かさや絆』(P140)を持つ国であるということであり、これらをまとめると『日本人や日本の企業には、独特の温かさみたいなもの』(P140)を持っている国というのが、ポイントになってくるのではないかと思います。
 著者はこうも述べております。『思いやる、もったいない、せっかくの機会といった、英語に訳しにくい日本的言葉ならではの「対面での心遣いの品質はどう考えても日本のほうが高い」』(P191)と。
 ゆえに、この本の著者は、これからのエクスペリエンス型競争社会においては、エクスペリエンス×行動データであることから、中国の得意なエクスペリアンスが『利便性、インセンティブ』(P190)ならば、日本が対抗すべきエクスペリエンスは『人の手厚い個別対応や心遣い』(P190)であり、中国の得意とする「利便性、インセンティブ」に、日本が、本来、得意とする「人の手厚い個別対応や心遣い」で補完することが、今後、アフターデジタル時代において、日本が生き残るための道になると願っていると思われます。

 以上、課題図書の私なりの考察を終わります。今回も非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。

投稿者 str 日時 2019年7月30日


アフターデジタル“オフラインのない時代に生き残る”

“歴史的“や“古風“といったイメージが強かった中国も、瞬く間に”デジタル先進国“とまで呼ばれるようになっている。私が中国を訪れたのは昨年の5月が最後だが、確かに現地のコーディネーターも、支払いの殆どをスマホ決済で済ませていたのを覚えている。こう言ってはなんだが「さすがにココは無理でしょ?」といった見た目のお店でも案外使えていた事にも驚いた。

『金融資本主義からデータ資本主義へ』
目先の利益を追求する時代から、無数のデータによる分析とビジネスモデルの構築を行う時代へと移り変わっている。そういった面では、広大な国土と多くの人口を保有する中国にとってはうってつけのシステムなのかもしれない。驚異的な速さで普及してしまえば、その中で生活していく為には自らも取り入れていくしかない。自分たちの生活が取り残されないため、まさしく生き残るための発展とも言えるのではないだろうか。

顧客データだけでは大した意味を持たない
『行動データ』というリアルタイムで変動するデータ、利用者の趣味嗜好等を読み取れる生きたデータでなければ意味がない。無料でサービス提供したところで、利用されなければオフライン状態と何ら変わらず、データに基づいた次の一手が打てなくなる。成功しているオンラインサービスの多くは利用者が支払ってくれる動くデータ・最新のデータにこそ価値がある事を良く分かっており、更なる獲得に向けた利便性を提供してくれるのだろう。

「この商品をチェックした人はこんな商品を買っています」

こういった一文はどのネットショップでも当たり前のように出て来る。初見の時は監視されているような感じがして少々怖かった記憶もある。これが今では検索をかけてヒットしたモノ以上に、自分の求めるモノに近かったりするので中々の曲者だ。一度でも行動データを入手出来て初めて広げていく事ができる。最早データは身内や友人よりも、趣味嗜好を含めて自分の事を良く知っている。

慎重であり過ぎることの弊害
情報そのものは鮮度が命であり、そういった点ではネットやSNSでの情報に勝るツールは今のところ無いだろう。ニュースにしても内容を精査し、報道の準備をした上で言葉を選びながら発言しなければならない。新聞も記事にし、印刷する時間が掛かる。そうしている間にネット上では入力し、記事をアップするだけで済んでしまう。リアルタイムでその場に居る人からの情報発信まである。ここ最近は日本でも〇〇ペイといったスマホ決済が多く登場してきているが、「試験的運用」や「一部店舗ではご利用できません」という慎重に慎重を重ねた結果、オンラインの普及を遅くしているのでないかとも思う。

便利=善 不便=悪なのか 
本書の冒頭にもあった『賽銭箱がなくなって、代わりにQRコードが貼られている』という状態はなんだか寂しくも感じてしまう。身体やその場所でしか味わえない感覚・感動のようなものはオンライン上で提供する事は難しいのではないだろうか。PCやタブレット上で視聴出来れば十分だという人もいれば、何が何でも映画館で観賞したい人もいるだろう。デジタルでも満足できる事もあれば、リアルでなければ意味がない事もある。それはそれで良いと思う。『OMO』時代の到来は、最新のモノが古き良き文化まで潰していく訳ではなく、本人たちの選択に他ならない。“利便性“と“不便だけれど意味がある“のどちらも、使い分けや組み合わせによって選択していけるようになるのだろう。利便性や時短にばかり気を取られる人生ではなく、時には敢えてそうではないものも選択し、触れていける余裕も持ち合わせていきたいと感じた。

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2019年7月30日


 本書『アフターデジタル』を読み、中国生まれのレンタル自転車やコーヒー・デリバリーサービスなどの事例を読んで「お隣の国はSF国家ですごい!」とワクワクしたが、
さて自分の国も将来、中国のような「アフターデジタル社会」を目指しているのか?と考えた時、とんでもないことに気付いた。

 今の日本は「外の世界と繋がりたい」と、本気で望んでいないのではないか。

 アフターデジタル社会の存在意義は、全国民・全世界をネットでつないで情報を共有し、より良い生活を目指して努力を続けることにある。
 ところが私が見る限り、多くの日本人は
「自分と身の回りさえ幸せなら、外の世界と繋がらなくて良い」
という思考で生きているように思う。(個々人ではもちろん異なるが、一般的にそういう考え方の人が顕著だという意味だ。)
 その根拠として、以下の三点を挙げる。

 第一に、日本ではキャッシュレス決済がいまだにが進んでいない。(本書14ページでも指摘)
街を歩けばどこにでもATMがあることからも、それは明らかだ。また、スマホ決済方法は少しずつ導入されつつあるが、複数のアプリが乱立し、●●ペイや××ペイなど状況によって使い分けなければならず、消費者にとっては使いにくいことこの上ない。

 これは、海外ではとうの昔に使用されなくなったファックスを、日本人だけがいまだに通信機器として頻繁に使っていることとも大きく関係していると考える。
 ファックスで書類を送る作業は非常に面倒で、メールの方が遥かに楽で速いし記録も残せる。
にもかかわらず、ATMやファックスのような前時代のものを、日本社会に生き永らえさせているものは何か?

 それは、過去(バブルの頃)の成功体験にすがる以外に生きていく道のない、既得権益を持つ人々であろう。彼らは「自分の会社と自分の身の回りさえ良ければ良い」と狭い部分だけで思考し、国全体の利益を考えられないのではないか。

 第二に(本書の内容からやや外れるが)、海外留学する日本人の若者が年々減っているという。この国では映画や文学も全て日本語に翻訳されている。ゆえに、自分で外国語を勉強して、外国から情報を取ってくる必要がない。

 自分にはスイス人とインドネシア人の友人がいる。読書好きな彼らが、いつも貪るように読んでいる本は、常に英語で書かれている。「なぜ自分の母語で本を読まないの?」と聞くと、彼らの国には、スイスドイツ語やインドネシア語に翻訳された文学が皆無だという。何か貴重な情報にアクセスしたいと思ったら、英語を媒体とするしかない。だから必死に英語を勉強するのだ、と。

 そんな彼らと比べると、日本ではあらゆる情報が、一部の優秀な語学のエキスパートによって日本語に翻訳されて入ってくる。そんな国に生まれた自分はある意味恵まれているが、これは「日本国内に生きていれば、外国語ができなくとも困ることはない」ことを意味し、結果的に外の世界と繋がりたいと思わなくなる。
 「日本人は英語ができない」と一般的によく言われるが、実は「英語ができなくても困らないから、勉強する気がない」が本当の所ではないかと思う。


 第三に、本書を読むと、中国のアフターデジタル社会が、より良いサービスを顧客に提供するためデジタル技術を役立てており、人の繋がりを大切にしているのに対し、日本的なビジネスは、「最新技術導入=コスト削減」の視点で思考が停止しており、労働者や顧客を経営戦略の中の歯車かコマ程度にしか考えていないのでは?という印象を持つ。

 例えば122ページで、中国の無人レジの成功事例が報告されていた。日本人のビジネスマンは「機械化により人件費の削減になりますね」と考える傾向が強いように思う。労働者を感情のないコマのようにしか考えられないから、「より安い人件費」を求めて発展途上国に下請け工場を作るという発想になるのだろう。
 しかし、中国のコンビニが無人レジを導入したのは、コスト削減が最大の目的ではない。決済の手間を機械に請け負わせることで、店員と客の真の会話の時間を増やし、より人間的で温かい店づくりをするのが最終目的地となっている。
 人を人と思わず、金儲けの道具としてしか見られない者がトップに立つから、ブラック企業や過労死が存在するのだろう。機械技術が常に人間性を奪うのではない。使う人間の志により、機械技術は人間性回復に大いに役立つこともできると、中国での無人レジの成功事例で分かる。

 こうして考えると、日本人の多くが「中国のデジタル化が進んでいるから、追い付かなければ!」という焦燥感は持っているものの、根本的な所では「アフターデジタル社会」の実現に積極的でないように思える。

 ただ、私はそれに悲観的になっているわけではない。
 まず、現状分析の結果、この結論にたどり着いただけでも、自分にとっては大きな進歩であり有益だった。問題点をはっきりさせなければ、自分がどこに対して動けばよいか、そもそも見えてこないのだから。

 中国や香港の友人の話を聞くと、日本は変化が遅くてゆったりしており、レトロで温かみがある。それが日本の良い所だと彼らは口をそろえて言う。中国のように劇的でなくとも、少しずつデジタル社会へと移行していけば良いだろう。

 塾講師の自分は、ささやかではあるが、Lineやメール機能を使って、塾の生徒や保護者とコミュニケーションをとる、お互いの英語スピーチ・朗読のビデオを撮って送り合う、作文添削指導をするなど、仕事の中でデジタル技術の恩恵を、今年になってますます享受するようになった。

 テクノロジーの奴隷になるのでなく、人間的な温かみにあふれる幸福な生活の実現のために、テクノロジーを使いこなす知性と倫理観を身に着けたい。というありきたりな結論になるが、本書から学びつつ、現状維持に甘んじず、自らの仕事や生きる姿勢のバージョンアップに努めたいと、これほど本を読んだ後で痛切に感じたことはない。

 刺激的な良書を課題に選んでいただき、ありがとうございました。

投稿者 BruceLee 日時 2019年7月31日


本書の副題に「オフラインのない時代に生き残る」とある。
誰が生き残るのだろうか?そして誰が生き残らないのだろうか?

個人的な話だが、最近私はセカンドカーを購入した。これまで車に大きな興味はなく動けば良い派だったので若い頃のアウトドア時代はRVR、子供が生まれイベントが多くなった時代はセレナ、そして子供が中学・高校に入ると週末の買い物用途メインとなったのでN-BOXと、その時々の状況で変えた。つまり私にとって車は移動の道具でしかなかった。

が、最近心境の変化があり「駆け抜ける喜び」を体感したいと思ったのだ(笑)

そこで購入に至ったのだが、車の購入を決めた後に任意保険を検討したり、駐車場のゲートを電動にしてみたいと検討したり、不随してやる事が出てきた。そこでふと思ったのだ。何故自分はこれらの行動を別々にやっているのか、と。任意保険や電動ゲートを調べたり比較したりはネットがあればできる。が、それらは車の買い手には不随するもので、売り手は自動的に提供出来、買い手にとっても有益な情報なのに。

それを別々に私がやっている。「こんな時代だというのに。。。」と感じたのだが、その「時代」は本書副題の「時代」と近いのではないか?個人的な感覚では、本書の「デジタル」とは「自分で調べたいと思えば調べられる」時代ではないか。「アフターデジタル」とは自分で調べる以前に有益な情報が付随して提供される時代ではないか?2者つの立場で述べてみたい。

1) 売り手視点
本書がメインで述べているのは売り手(企業)である。私もビジネスパーソンとして、今後売り手が如何にデータを活用し、次のサービスを考えていく工夫が必要か考えさせられた。個人情報の保護があるので存分に注意を払う必要はあるが、私の実体験のように買い手としては「自動的に入ってきたら有難い」という情報もある。人間の欲求は行動で露わになるから、何かを買った、何処へ行った、等の情報データを基に「これは顧客のどんな状況、心理があるのか?」を分析し、顧客が自身で「欲しい」と気付く前に「これがお勧めです」と情報を提供可能なのではないか?それを基に「顧客体験(UX)」を提供出来るのがプラットフォーマーであり、それが出来なければ企業は生き残れない、のではなかろうか?

また本書で唸ってしまったのは中国企業のKPIだ。日本企業だと「あなたはこのサービスを友人に勧めたいですか」等の実に曖昧なアンケートがあるが、中国企業のKPIは明確な数字で感情は無い。故に事実が得られる。こういう情報の取得方法も見習うべき点であった。今後は商品は接点とあるが、例えばトヨタや日産がプラットフォーマーとなり、購入された車から顧客の状況を想定しサービスを広げる事は出来る気がする。断定はできないが、恐らく独身者はセレナは買わないだろうから。

2) 買い手視点
「情報発信をしない人に情報は入って来ない」というのは今では周知の真実だろう。自分の購買、行動記録を一定の範囲で公開するのは情報発信とイコールではないか?勿論、自らSNSで公開するのではなく、企業に情報の横展開を許諾する方法で。

我々日本人は情報公開のリスクに身構えてしまう傾向があるが、その良い面に目を向ければ、自身も気付かない情報が入ってきて新たな視点や発想を得られるかもしれない。結果、人生が更に良い方向に進むかもしれない。逆に情報公開を拒み続けると変化もない、つまり人間が固定されてしまうかもしれない。これが次の時代に生き残れない買い手ではないか?

最近各企業が「~ペイ」と電子決済サービスを盛んに進めているが、個人的には未だに現金派が圧倒的だと思う。個人的には電子決済はポイントは貯まるし、財布は軽くなるし、決済時間の短縮になりメリットしか感じないのだが、若い人でも現金派は結構目にするのだが、何故彼らは現金を遣い続けるのか?彼らは「そんなの勝手でしょ」と言うだろうが、合計金額を告げられてから財布の小銭をまさぐっている間、店員さんや次の顧客を待たせてますから。結果的に店の商機を奪ってますから(笑)

カードや電子マネーを使えば時間短縮となり、それは多くの人がETCで体験している筈だ。現在、高速代を現金で支払う人は少数だと思うが、何故コンビニでは現金なのか?電子マネーを利用しない=現代のサービスに付いていけない、というのは今の我々からするとスマホを使えない世代と同じで、それはつまり自分もある時代になったら環境に取り残される恐れがあるという事ではないか。生き残りを問われてるのは売り手だけでなく、個人としての我々買い手も同じだと感じた。中国が凄いから見習え、ではなく、新しい環境に自分を合わせられるか、のような気がするのだ。

以上

投稿者 shinwa511 日時 2019年7月31日


本書を読んで消費者と販売店、人と人との信頼関係がより一層、重要視されていくということに気づかされました。

本書を読むまでは、日本の大手コンビニ会社では、今後のアルバイト人員確保の難しさや、一部のフランチャイズ契約した店舗オーナーのための人件費削減のため、営業時間の短縮や無人コンビニの導入などを考えており、その解決のために無人コンビニの導入が日本でもされていくと考えていました。

しかし、実際に無人コンビニを導入している中国のJian24の方は、「お店やレジが無人であること自体には大して意味があるわけではなく、オンラインの店舗がリアルに置かれたとイメージしてください。」と日本へ無人コンビニの導入を考えている会社の担当者は言われました。

自分がイメージしている無人コンビニの目的が、コストカットを目標にして取り組んでいないということに驚きました。

そして、無人化をした店舗のスタッフは、お客様に挨拶をしたり、お客さんの欲しい商品を探したり、ホットミールを作ったり、お客様とのコミュニケーションや、きめ細やかなサービスを提供しています。

さらにJian24では、「取得した行動データを顧客ごとにつなげて活用できるか」ということが重要なポイントあるとも言っています。「一部の店舗だけで始めても意味がなく、すべての会員データ・すべての店舗の在庫データ・店舗等との連携など、全部デジタルデータとして扱えるようになって初めて意味のある取り組みになるのです。」と最後に「今そのような状態にありますか?」と日本人担当者に向けて問いを投げかけています。

その問いには、「現状の日本では、そのような状態にはありません。」としか答えられないでしょう。

中国では販売店に訪れる多くの顧客からデータを取りそれを活用しながら、無人のレジを導入することで顧客への接客サービスを、スタッフがより密接に対応できるようになるという形を目指しています。

人手不足による日本の問題については、日本に留学している外国人を取り入れながら、日本の接客ノウハウを教え、サービス向上の指導を行っていくようになるのだと思います。現在、コンビニで働く外国人は多く見かけますし、今後も、接客など日本で働く外国人は増えていくでしょう。

そういった外国人にも、今までの製品を販売して終わりというだけではなく、購入したユーザーの生活の中で、継続的に「持っていて役に立つ」という価値を提供できるかが重要になってきます。そして、「この人が居るから安心できる。」というように、人と人との信頼関係が重要になってきます。それは商品サービスを利用する消費者にも同じことが言えます。

店舗の商品やサービスについて消費者が評価をしているなら、その評価の情報を見ている他の人達に、影響を与えるような意見を書く消費者が存在すれば、販売店や企業は特にそういう人達を重要視するはずです。

そういう個人の評価を店舗側が新商品やサービスに反映しています。店舗側を評価しているようで、実はそれを評価する消費者も店舗側に評価されているのです。そうして消費者と店舗との信頼関係は築かれていきます。

今後は個人の情報をより収集していきたいと思う販売店側と、自分のために合った情報やサービスを利用したいと思う消費者側との信頼関係の構築が大切になってきます。

普段何気なく購入した商品やサービスに対しての評価は、個人の意見を反映したものになり、それができるのも、まずは信頼関係が築かれてからになっていくのです。信頼関係がなければ、有益なものは何も生まれなくなってしまいます。

今後、信頼度を基にした個人に対する評価が、様々な所で活用されていくと感じた本でした。

投稿者 jawakuma 日時 2019年7月31日


アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る を読んで

オフラインがデジタル世界に包含された世界。「デジタルに住んでいる」ともいうべきもので、まだ日本ではあまり認識されていません。

すべてがオンライン環境下にある世界。すべてが明け透けになった世界といえるかもしれませんね。本書でもユートピアかディストピアかと書かれているとおり、良い悪いという論議はありますが、データが収集されていくことがベースとして中国をはじめデジタル先進国では捉えられているのですね。日本ではまだその議論が持ち上がっていないのでその差は歴然です。いつの間にここまでの差がついてしまったのでしょうか。日本の中にいるとどうしてもまだまだ世界経済の先端にいる気がしてしまいますが、こういった海外事例に触れると冷や水を浴びさせられたように一気に目がさめますね。

●ドラクエのレベル上げ
そんなすべてがガラス張りになったような世界では、ちょっと息が詰まって生きづらいかもなぁと感じたのですが、そのわかりやすさが好都合を生むことももちろんあるわけです。本書でも例示されていましたが、タクシー配車サービスのディディでは運転品質の基準がそのアプリ内で明示されているため、従来の日本企業の評価のように“なぜあいつが俺より評価されているのかよくわからない”というような評価の不透明さは起こりえなくなります。まさに筆者のいうドラクエのレベル上げです。“スライム倒して経験値2ゲット”のように運転品質が可視化され蓄積していくのですから、ドライバーの納得度はとても高いはずです。都内で最近よく見かけるウーバーイーツの配達員がなぜ続けられるのか全く理解できなかったのですが、その仕組と心境の一端が垣間見えた気がします。

●フーマーの躍進、スタバをも追い込んだラッキンコーヒー
フーマー。アリババ運営のスーパーですがとんでもないですね、このお店。まさにオンラインとオフラインの融合なのですが、3km圏内は30分以内に配送!
それは物件の価格も高騰しますよね。しかし何より凄いのは、国民の半分の購買データを握り、そもそも店を出す時点で、ほぼ勝算があるとわかっているところです。プラットフォーマーであるアリババの強さそのものというところですね。アリババが凄いのはまぁ予想はついていたのですが、度肝を抜かれたのはデリバリーが起こしたマイクロビジネスの乱立、ラッキンコーヒーの事例です。これこそまさにアフターデジタル時代の飲食の在り方を指示していると思います。顧客は店舗で注文しても、デリバリーで注文しても、通勤途中で受け取ってもなんでもOK。自分の好きな受け取り方で構わないのです。しかも決済はスマホ上で済ましてしまうので、顧客の意識としては気のいい兄ちゃんに今日もコーヒーをもらいにいく、となってしまうわけです。もはや商取引を凌駕してますよね。これが本当のキャッシュレスの世界観なのではないでしょうか。

●セグメント分けペルソナ設定の壁
従来はバリューチェーンという商品軸で顧客接点をとらえてきましたが、これからはすべての接点をデジタル上で記録し、企業が顧客と寄り添っていく新しいバリュージャーニーモデルが浸透していくことになります。昭和時代のマスプロモーション型の大量生産大量消費のような全て一括りではありませんが、現在は性別や居住エリア、年代別でのセグメント分類でコミュニケーションを図っている日本企業がほとんどではないでしょうか?この顧客分類の仕方だと、泣いた赤ちゃんを前に困って検索しているのは、その子のママという囚われから逃れられなくなってしまうでしょう。実際には孫を預かっている祖父や新米のベビーシッターなどの対象像ももちろんあるわけで、行動データを繋げていくことで顧客のシーズ・ニーズを拾い上げていくことができるようになります。


●OMOに通底する“とにかくユーザー起点の思考法”
チャネルの自由な行き来、ユーザーがECで買おうが近くのコンビニで買おうがそれはそのタイミングでより便利な買い物の方法を選んでいるだけ。これは言われてみれば当たりまえですが、日本ではやれリアル店舗の売り上げがいくらで、ネットの売り上げがいくらだなんていいながら喧喧囂囂と会議の場で話し合われていたりします。それよりも店舗での購買情報もデータ化して顧客管理DBに記録を残していく方がより重要になるわけです。それを継続して行い意味のあるデータにするためにも、UXとプロダクトには拘りを持たなければなりません。得られたデータは企業のためではなく顧客のより良い体験のために返していく。バリュージャーニーを意識しこれを高速に回転させていくことがアフターデジタルの世界では求められてくるわけです。

アフターデジタルの世界。正直今までのビジネススタイルに固執しているとどんな大きな企業でも一気に転覆させられてしまう危機が訪れることになるでしょう。うちの会社もこのままじゃ不味い状況です。くまもんで町興しをした「くまもとサプライズ」のようなストーリーや共感を生むコミュニティ作りを参考にしながら新しいビジネスの在り方を会社も個人の事業としても模索していかなければなりません。

今月も良書をありがとうございました!

投稿者 audreym0304 日時 2019年7月31日


アフターデジタルの社会は全てを監視される社会で、ユートピアならぬディストピア的な社会を思い描いてしまう。
しかし、本書を読むと監視される社会であっても、人間が使い方、考え方を変えることでいかようにも有益なものに変えていけるのかもしれない。

 アフターデジタルの社会は何となく暗く悲惨な社会と思いがちだが、本書全体を通して心に残ったのは、

天に積んだ徳が可視化する社会

にすることができるということだ。
「天に徳を積む」とはよく成功者が言うことで、自分の利益だけを追い求めず、人知れず善行に励んだ結果が、大きな成果となってやがて自分の元に返ってくることだが、アフターデジタルの社会ではこれが可視化してしまう。可視化したことで、ほかの人にも自分がどれだけ徳を積んでいるか、善行に励んでいるかがわかって、ほかの人からも良い人間としての扱いを受けることができる。
小さな現世利益をしょっちゅう手にすることができる状態にあるようになるのだろう。
これは実際には「天に徳を積む」とは違うだろうけど、時間を経て大きな成果が返ってくるよりも、日々の生活の中で小さなラッキーとしてたくさん見返りを受け取れることのほうが、人間としては善行まではいかなくても、

良い人になろう
人に親切にしよう

という意識が生まれやすくなるのだろう。
たとえ見返りが目的だとしても、良い人になるという意識を持つことは決して悪いことではないし、

相手が幸せ、私も幸せ

となれば、まさしく善の道であるのだから、多くの人が幸せになれる道が可視化されて、社会の幸せにつながるのだから、歓迎されることなのだと思う。
むしろ、善の道に気づかず、悪の道に踏み込んで、「これだけ良いことをしているんだから、もっと大きな見返りをもらえるべきだ」という肥大化した意識が生まれた時、アフターデジタル社会がどのように人間をコントロールしていくのかに興味がある。


アフターデジタル社会が個人にもたらす意識の変革はもちろんのこと、企業に与える影響も大きいと考える。それは人の行動パターンやアルゴリズムを分析することで、企業内における開発、製造、在庫の清算といった部分のムリやムダを多く削減することができると思うからだ。結果、消費者が欲しい旬のものを適正な価格で売って利益を上げることは、企業にとっても消費者にとってもWIN-WINな結果をもたらすことになると思う。
本書では大都市での企業と消費者の消費行動や考え方の変化を筆者の実体験をもって紹介しているが、消費行動のパターンやアルゴリズム分析は都市の郊外や田舎、農村に行ってしまった場合にうまく活用ができるものなんだろうか。

また、本書ではアフターデジタル社会でも人間の仕事はなくならないと考えていると思う。人が人とかかわる部分、この部分はどうしても人間が担わなくてはならないと思う。人間関係があることにより、人は消費をはじめとした何かしらの行動をとるのだから。しかし、すべての人が人とのコミュニケーションを円滑に出来るわけではなく、むしろ苦手で人と関わらずに活躍している人もいる。最近は多様性やダイバーシティという言葉も社会に浸透しつつあるのだからこういうタイプの人にも引き続き活躍の場があってほしいと思う。今よりも、会社に所属するしないをとわず、どうやって個人の特性や能力を生かした働き方や収入源を見つけるかを問われる社会になるのかもしれないと思う。
 個人情報の取り扱いなど課題は国や地域に合わせてたくさん出てくるだろうが、あらゆるタイプの人間がそれぞれの特徴を生かして活躍できる社会、自分の幸せと同時にほかの人の幸せも考えることのできる社会、それができる可能性をもっているのがアフターデジタルの社会なのだとおもう。

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投稿者 sikakaka2005 日時 2019年7月31日


本書を読んで最も意識したのは、
「アフターデジタルな世界で、我々個人はどうすれば幸せに生きられるのか?」という事である。

全ての行動が数値化され、決済のほとんどはスマホで済むようになり、信用スコアで評価され、たくさんの監視カメラがある社会で、我々はどうすれば幸せに生きれるのか?

日本でも10年後か、20年後か、もっと早くそんな社会が訪れるか、いつになるか想像がつかない。しかし、エストニアやスウェーデンなど世界の潮流を見みれば、日本がアフターデジタルな世界に近づくことは避けられないと思う。
ならば、来たる社会に備えて、私たちの行動や思考を変える必要があると思う。
その日に向けて、どんな行動や思考をすればよいか、自分の意見をまとめておきたいと思う。

結論に入る前に、そもそもアフターデジタルな世界は人を幸せにするのか不幸にするのか?を考えておく。
私は、幸福になると思っている。

理由は2つある。

1つは、アフターデジタルな世界は人の人生をゲーム感覚に変えるからだ。

本書に登場した、タクシー配車サービス「ディディ」の事例がそうで、タクシーの評価は、車内がきれいかとか、接客がどうかとういうことではなく、「安心して素早く目的に行けること」であり、そこに直接かかわるデータを取得して、評価に反映させる仕組みを作っている。ドライバーは何をどうすれば点数が上がるか分かっているので、評価を高めるためにコツコツ善行を積むようになる。これにより、ドライバーも顧客も嬉しい。そして、ドライバーの視点でタクシーの仕事は、まさにリアルRPGをしている感覚に近くなると思うのだ。

男子ならば一度はハマったことのあるRPG。なぜハマるのかと言えば、それは敵を倒した分だけ、お金と経験値が貯まり強くなることが確定している点であろう。努力に比例して、強くなれる世界観がある。

AIやセンサー技術がされに進化をすれば、タクシーだけでなく別の仕事に、応用することが可能であると思う。ホワイトカラーと言われている仕事でも、評価軸を定めに、評価軸に応じたデータが取得できるようになれば、他の仕事でも十分実現可能だと思う

加えて、中国ですでに浸透しているジーマ・クレジットのサービスでは、「データを提供すると点数が上がってメリットがもらえるゲーム(P24)」であり、よほどの悪さをしない限り、減点はなく、善行を積むと評価してもらえる。このサービスのユーザはそういった思考に変わっているというのだ。まさにRPGそのものだと思う。

仕事や生活での感覚が変化していくことで人生そのものがRPGになり、人生をより楽しめるのではないかと思う。

2つ目は、アフターデジタルな世界は犯罪が減る点だ。

日本人のなかには、すべての行動がデジタル化されて、データを悪用されたら大変なことであるからやめるべきだという意見の人がいる。たしかにそういう面もあるが、すでに今の日本は、監視社会に足を突っ込んでいる。
たとえば、監視カメラ。最近のニュースに出てくる犯人の映像は、たいがい監視カメラで撮影されている。高齢者の暴走車、警察署から脱走者、放火犯などがそうである。

すでに監視カメラを始めとする監視社会にいて、居心地の悪さを感じるだろうか?もし感じているならば、その人は心にやましいことがあるのだろう。一般人にとっては何の害もないと思う。むしろ、監視カメラのおかげで、事故が詳細に解析できたり、犯罪の防止や犯人逮捕に役立ったりしている。つまり、監視社会は、我々一般人には住みやすい社会なのだ。

加えて、電子決済が浸透していけば、アングラのお金は減っていく。アングラのお金で問題なのは、課税されていないことである。デジタル化により、脱税やマネーロンダリングが厳しくなるので、お金に関する犯罪が減る。それにより、さらに住みやすい社会になるのだ。

このように、デジタル化が進めば、人生はRPGのように楽しくなり、犯罪が減り、適切なサービスが増えて、スマートシティーのような街も増えて、我々一般人には良い事が増えていく社会になると思う。

なので、急に結論になるが、幸せに生きる思考としては、アフターデジタルなサービスを、受け入れていくことだろう。無駄な抵抗はせずに、時代に流れに乗れるだけでまずはいいのだ。

そして、幸せに生きる行動としては、アフターデジタルな社会変革の担い手になってしまうことだと思う。そういった社会になることがかなりの確率で予測されるのであれば、そんな変革が起きるのを、ユーザ視点で眺めているのはもったいないと思う。せっかくならば、社会をデザインする側にたった方が、面白い仕事ができて、楽しい人生を送れると思ったりするのだ。そういった社会を実現するのに貢献できる会社へもぐりこむことを考えていることが、幸せになる一つの手だと思う。

最後に。さっそくPayPayをダウンロードして、コンビニ支払いはもっぱらPayPayを使うようになった。とても便利だ。ユーザが増えていき、対応するサービスも広がっていくことを願う。

今月も読み応えある本を紹介いただきありがとうございました。

投稿者 masa3843 日時 2019年7月31日


本書を読んでまず感じたのは、自分自身の中国に対する誤った先入観です。
私は、中国に対して一時期マスコミで報道されていた「爆買い」のイメージが強く、
マナーが悪いという勝手な思い込みをしていました。
偏った報道を鵜呑みにしていた自分を深く反省するとともに、
ここまで進化している中国を内心で下に見ていたことに、
心から恥ずかしくなりました。

本書を読んで驚かされたのは、
個人情報や個人の行動データが集約されることで、
「良き社会」が実現されているという中国社会の実態です。

「ジーマ・クレジット」によって企業のリスクや人件費が削減されているという
ビジネス上のメリットは何となく理解できるものでしたが、
「善行を積むと評価してもらえる」システムが構築されたことで、
中国がおもてなし社会化しているという変化は、
私のデータ活用のイメージを根本的に変えるものでした。

特に秀逸だと感じたのは、良いことをし続けるとメリットが返ってくる
加点方式により制度設計されている点。
これにより、社会全体のインセンティブシステムが機能し、
社会変革が進んでいるのであれば、
個人が積極的に行動データを提供する必然性が生じます。

ここで疑問に思ったのは、なぜ日本人は個人情報を開示することや国に管理されることを忌避するのか、ということです。

例えば、街中に監視カメラが設置され、個人の顔が常に録画されていて、
その顔データと個人情報を紐づけて管理されているとしたらどうでしょう。
私自身もそうですが、多くの日本人は不愉快な思いをするはずです。
仮に、この監視カメラの存在によって犯罪件数が大幅に減少する、
という説明を受けても、日本の多くの人が反対するのではないでしょうか。

個人情報を開示することへの抵抗感の正体は何なのか。
そのヒントは、本書の3章「GDPR vs 中国データ共産主義」の中で触れられています。

「国民はデータを提供し、国が一括管理をして国民のために使う」という考え方が当たり前になっている中央主権の中国。
技術的な進歩によりデータが流動化することで、データが悪用されて個人の権利が侵害されることを懸念する個人主義の欧州。

日本は限りなく後者に近いうえに、リスクを過度に恐れる価値観が強いため、
データを管理されることへの抵抗感が強いのでは、と考えました。


本書の後半では、アフターデジタル時代のビジネス原理として、
 〇高頻度設定による行動データとエクスペリエンス品質のループを循環させる
 〇最適なタイミングで、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーション形態で提供する
ことの重要性について説明されています。

ただこれは、属性データだけではなく行動データも含めた、
顧客の購買習慣を全面的にデータ取得できていることが大前提となります。

そうであるならば、リスクを過度に恐れる保守的な国民性は、
アフターデジタルにおいては致命傷になりかねません。

こういったディスアドバンテージがある日本において、
社会全体でデータ活用を進めていくためにはどうすればよいのでしょうか。

私は、前半で触れた社会全体におけるインセンティブシステムの構築が
鍵を握るように思います。

例えば、一向に活用が進まないマイナンバー制度ですが、
総務省HPには、
「行政を効率化し、国民の利便性を高め、公平・公正な社会を実現する社会基盤」
と定義されています。

ところが実際には、行政側の都合ばかりが優先され、個人や企業にメリットがある仕組みとは
到底思えません。

個人や企業のインセンティブ設計をしっかりと行い、
個人の属性情報とサービスの購買情報が結びつき、
さらにそれらの情報が経済エコシステムとして社会全体に共有されるようになった時、
日本もOMOを実践できる基盤が初めて整うのではないでしょうか。

社会の中で、データ活用のメリットを感じることができるようになり、
データを公的資源として捉えて街や社会を設計・改善できるようになれば、
日本にも中国のような大きい社会変化が訪れるのかもしれません。


それでは、今私たちが来るべき日本のアフターデジタルに向けて、
個人としてできることは何なのでしょうか。

私は、新しいサービスや商品をリスクや失敗を恐れず使ってみる、
ということだと思いました。

意識して新しいOMO型サービスのイノベーターやアーリーアダプターになることで、
高頻度接点によるエクスペリエンス改善ループの当事者になることができ、
受益者としてこのループの中に入れることができれば、
他のマジョリティとの経験値の差は圧倒的に開くことになるでしょう。

まずは、興味を持っていながら使ったことがないUber EatsやAirbnbを使ってみたいと思います。


今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。

投稿者 nxxxxo1985 日時 2019年7月31日


「アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る」を読んで

まずはじめに著書で中国の発展していった経緯が簡潔に書かれていてとてもわかりやすかった。
特に中国と日本の制度面「やってはいけないことを決める制度」と「やっていいことを決める制度」の違いで大きな発展の差がついたことが悔やまれる。
今後の日本の規制緩和がどのように変化していくのか期待をしたいところだ。

私自身、今年の4月に仕事で中国に行ったが、どこでもアリペイのQRコード決済をしており逆に紙幣を使えるのか不安になったことを覚えている。
飲食店ではテーブルに貼り付けられたQRコードを読み取り、食事のオーダー・支払いがなされていたが、隣のテーブルにいた老夫婦もスマートフォンの操作に悪戦苦闘しなが時代の潮流に取り残されないよう必死にくらいついている姿が印象的だった。

これから日本や世界の進むべき方向性として、オフラインのない世の中になっていくことだが
長野の片田舎で生活をしているものとしては実感が持てないのが現状だ。
職場でもようやく勤怠システムをアナログのタイムカードからクラウドサービスへ乗り換えようとしているところだ。

これから来るアフターデジタル社会に取り残されないように今、私自身何から手をつけていいのか漠然とした不安を覚えたのが率直な感想だ。

「お客様に寄り添う」ことがアフターデジタルの世界でも、今までの世の中でも必要されてきたことです。

私は今できるお客様の声に耳を傾けて、精一杯自分のできるところからチャレンジし少しでもお客様に喜ばれることをアナログながらやり続けたいと思う。

また、デジタルの最大の弱点の電気について考察がなかった。
いくらスマートフォンのアプリで信用スコアを獲得しても、ネットで欲しいものが買える世の中になったとしても災害が起きて電気が通じなければ身も蓋もない。
長野の片田舎で地域の農家のコミュニティを生かし、最低限自分自身の大切な家族を守れる環境作りが今の私にはあっている。

利便よりも、まずは人として生きる力を身につけることが大切だと感じた一冊でした。

投稿者 Mukagogohan 日時 2019年7月31日


「すべてのもののインターネット化」「オフラインがなくなる世界」という言葉は最近よく聞くけれど、具体的にどんな世の中になるのか、あまりイメージできていなかった。せいぜい、もっと便利に快適になるんだろう、くらいにしか考えていなかったが、この本を読んで、心底、今、将来をしっかり考えておかないと、確実に自分は生き残れないかも、いよいよ底辺になるのかもしれないと感じた。
データを読み解くとか分析するとか、そういうことは恐らくできて当たり前で、もっと人間そのものに対する理解や想像力が必要になるだろうし、自分自身が主体的に創造的な体験を創っていけるくらいにならないとダメなんじゃないかと感じている。
沢山の人から様々なデータ(顧客データだけでなく行動データも)を集められるようになった。このデータを分析する事で、企業サービスをもっと改善していくことは当然の流れだと思う。ただ、AIの進歩、効率化、最適化のアルゴリズムはいつかどこかの時点で、どこもそこそこのレベルに達してしまい、似たり寄ったりになるような気がする。今のところまだ既存のサービスをよりパワーアップさせていく位置付けのUXグロースハックの部分も、うまくループを回していくことは簡単ではないようだが、効率化や最適化の部分だけなら、きっと同じような解決方法に到達するように思う。ただ、ユーザーに新しい価値体験を提供していくのは、人間と同じ感情をもつには至っていないAIには簡単ではないだろう。もちろん人間でも情動や体験が豊かで、創造的な発想ができなければ難しいだろう。人間をもっと深く知っていく努力が必要だと感じている。
ところで、この本を読んでいて、個々人の属性データだけでなく、行動データまで収集して活用されていく社会になって、恐らく遅かれ早かれそれが当たり前の感覚になる日が来るのだろうと漠然と感じたが、私にはそういった社会が管理社会になることよりも、凄まじい格差が生まれる社会になるだろうという事に対して、より強い危機を感じている。
なぜなら、UXイノベーションやらグロースハックやらでユーザーにより素晴らしい価値体験が提供されること自体が、価値体験を企画していく人間に自分の人生の行動や指向を作ってもらっているように見えるからだ。1日に歩いた歩数に応じてポイントが溜まったり保険料が安くなったりする事をきっかけにスマホで歩数計測するようになり、そのついでに歩いた場所の記録なんかも行動ログとしてとられて、それがさらに別のサービスを作るネタにされて・・・と痒いところに手が届くような快適で便利なものを提供されているうちに、誰かが作った便利な生活に誘導されて行ってしまう。多くの人はそれで満足かもしれないし、誘導されているとは意識しないかもしれないが、その波に乗りすぎると他の人とさほど変わらない凄く平凡な生活しかできなくなるのかもしれない。
でも、新しいものを企画する人は平凡なはずはないし、そういう人はごく少数で、かつ機械では置き換えられない仕事をすることになるので、俄然、社会的なステータスも違ってくるのではないかと思う。そういう意味で、これからの「全てがオンライン」な社会では、ますます格差は広がりそうな気がしている。
人間がデータなら、大量にあるデータの一片でしか存在価値がない人と、データを動かすビジョンが持てる人と二極化するのだろう。そうなったら自分はどうやって一片のデータから抜け出せるだろうか。

投稿者 tomooku 日時 2019年7月31日


アフターデジタル オフラインのない時代に生き残るを読んで

普段デジタルに関しては、ただ受け身で使っていることが多く、アナログに比べて便利だなあという印象しかなかったが、本著を読んでデジタルについて改めて考える機会を得た。学んだことを消費者目線と企業側からの目線でまとめてみようと思う。

まずは消費者目線で学び、行動を変化させたこと。

 私は本著を読む前は、〇〇ペイなどで決済をすると自分の年齢、性別などの個人情報と、いつどこで何を買ったのかというデータが企業側に知られてしまうのが、プライバシーの侵害をされるようで嫌だと感じていた。
 
 しかし、日本ではまだ追いついていないところがあるものの、得られたデータを分析し、顧客のニーズを掴み、より良いサービスに活かすというサイクルが回るのだということを知り、今までほどの嫌悪感はなくなり、どうぞデータを活用してくださいという考えを持てるようになった。

 さらに今後OMOという概念が日本でも浸透し、中国のような現金を使わない世界、オンラインがオフラインを飲み込むような世界になっていくのであれば、個人情報の漏洩を心配してオフラインでの取引にこだわるよりも、現在企業側が提供しているサービスを利用し、割引などのメリットを享受したいと思うようになり、QRコード決済も使うようになった。
 
次に企業目線で考えたこと

 現在の中国を参考にOMOの視点に立って考えることがどういうことなのか具体的に例を挙げながらわかりやすく書いてあった。

 日本はまだOMOの視点に立ちビジネスを考える状況からは程遠いが、その視点さえ持てれば、日本独特のアニメ・オタク文化や人の温かみなどの強みを活かして世界と戦っていけるとも書いてあり、まだ日本の未来も良くなる可能性があると感じた。

  自分の仕事に当てはめて考えてみると、接客業のため主にハイタッチで顧客に接している。会社の規模が小さく、オンラインでの顧客との接点もないためアフターデジタルの視点からは少しずれてしまうが、オフラインで直接顧客と接するハイタッチだから出来ること、すべきことは何かということだった。

 テックタッチがなく、ハイタッチのみの積み重ねでデータ×エクスペリエンスを回して行かなくてはならない。
 今までも顧客の求めていることに応えること、居心地のよい場所にすることなどは考えていたが、
顧客の信頼と感動を得ることがハイタッチでの目的であるならば、それだけでは足りず、顧客のニーズを言葉だけに頼らず把握し、相手の思う120%でサービスを提供し、自分が行ったサービスを受けた顧客がどのような反応だったかを分析し、次のハイタッチに向けた計画を立てていく必要があると感じた。

 ユーザーエクスペリエンスの満足度を向上させるために、以前の課題図書である“世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?”で学んだ「現代の消費は承認欲求を満たすことに向かっている」ことも合わせて心がけていきたい。

 今月も気づきと学びの多い本を紹介していただき、ありがとうございました。

投稿者 AKIRASATOU 日時 2019年7月31日


本書を読んで最初に思ったのは「中国スゲェー!!で、日本めっちゃ遅れてる・・・。」という感想だった。
全部を読んで感じたことを以下に記載します。
1.智の道となる行動は仕組み化出来る。

私はセミナーで学ぶまで智の道となる行動を意識して行う事は無かったように思う。智の道となる行動は純粋な子供や人間性の高い人が自然に行ったり、塾生の様に智の道が何たるかを知った人だからこそ出来るものであって、ある程度の年齢を過ぎると善い行いだと理屈としてはわかっていても自分を優先してしまってなかなか出来ないものだと思っていたし、理論・理屈として智の道が何たるかを説明したところで、本人が価値を理解しなければ行動には繋がらないと思っていた。そのため、日本人でさえそう簡単に行動が変革することは無いと思ってるが、、ジーマクレジットの様に信用スコアを用いる事で、日本人よりもマナーが悪い中国人の行動を変容させる事が出来るという事にとても驚いた。(全ての中国人に当てはまるわけではないが、中国人は全体的に自己中心的でマナーが悪いというイメージを持っていただけに驚きは大きかった)

ジーマクレジットのような仕組みが普及したのは中国人が世界一合理的な思考を持った国民だ(とPodcastにて石原先生が仰っていた)という理由もあるとは思うが、上手に導入すれば世界中で智の道なる行動をとる人が増え、過ごしやすい世界になると思った。

荷物を持ってもらった、道案内をしてもらった、困っているときに助けてくれた、そういう善い行いをした人に対して、してもらった人がお礼の意味で信用ポイントをあげる事が出来て、溜まった信用ポイントを使って自分や他人にとってプラスになるような事が出来る、そういう仕組みは日本でも導入されたら良いなと思う。

また、アフターデジタルの世界観が日本で広がる事で、今は敬遠されているコンビニの店員などの仕事に人が集まるようになるのではないだろうかとも感じた。

今コンビニのバイトに人が集まらないのは、コンビニでのバイトが費用対効果的に割りに合わないというだけで無く、やりがいを感じないからではないだろうか。レジが遅い、言葉遣いや態度が悪いなどで土下座させられたり、理不尽に怒られたりする。そんな仕事に魅力を感じる人は残念ながら居ないだろう。

しかし、日本でアフターデジタルの世界観が広がる事で決済だけで無く様々な作業が機械化されると、フーマーのように店員はお客様の役に立つ為の仕事に注力出来る時間が増える。顧客の行動データが集まっていればお客様の次の行動が予測し易くなり、蓄積された行動データ+日本人的なおもてなし・人による手厚い個別対応を行う機会が増え、コンビニの店員の仕事がやり甲斐のある仕事にグレードアップするのではないだろうかと感じた。働き手がお客様に価値を提供するというのは至極当たり前の事だが、テクノロジーの進化が働き手とお客様がWIN-WINになる手助けをしてくれ、働き手が能動的に行動する可能性を高めてくれると考えると、未来がとても楽しみに感じる。



2.ビジネスは川下では無く川上を取らなければならない。

例えば居酒屋を経営していたとする。一般家庭が使うスーパーで商品を仕入れてたら食材の質は一般家庭と変わらない。一般家庭には出回らない卸売市場で買うのはライバル店と変わらない。差を出そうと思ったら生産者から直接買うのが一番良いだろう。

中国ではラッキンコーヒーがスタバからコーヒーの売上シェアを奪っているようだが、これはテクノロジーを駆使した利便性の追求による勝利というだけで無く、より源流に近い顧客ニーズを把握し応えようとしたかという点に勝因があると思った。

スタバは第三の場所としてコーヒーを愉しむという価値を提供する事に重きを置いていたが、時代・ニーズが変化し顧客はより便利に、手軽にコーヒーを飲めるという点に価値を求めるようになったのだと思う。

デジタルの普及により、日常生活がドンドン楽に、便利な方向に進んでいる。それによって多くのサブスクリプションが生まれ、(ネットフリックスやSpotifyなどの動画・音楽の配信、ビジネススーツや洋服の定期配送など)映画館に行く人やCDを買う人、服を買う人が減っている。

映画を上映する、音楽をCDという形式にして流通させる事が価値だと思い取り組んできた企業やサービスは、「わざわざ出掛けなくても映画を見たい」「CDを買ってパソコンに音楽を取り込まなくても音楽が流れてくれたらいいのに」「自分の趣味に合う服を送ってくれる人が居たらいいのに」等の人間の欲求を紐解いていき、本質的な価値を提供する企業が現れるとあっという間に駆逐されてしまう。自分が駆逐される側にならない為には、顧客が何に価値を感じお金という対価を払うのか、という点を深堀し、川の源流に近い本質的な価値を見出さなければならないと改めて感じた。


以上

投稿者 3338 日時 2019年7月31日


@azisai03

アフターデジタルの観念の理解するところから始まるのですが、それはまさにデジタルの中に住んでいるの一言に尽きます。たくさんの目が周りにある生活ではないかと思いました。
天がいつでも自分を見ていると思えば、気にならないような気がします。
監視ではなく、個人が常にデータとして認識される社会ということです。
そして、そのデータは社会のアップデートのために使われるのが前提となります。
ですから、日本の場合は難しいものがありますが、価値観を同じくする新しいコミニュティを作ることで、構築されていくのではないかと思いました。その上で、データを水や電気と同じようにインフラ整備の中で活用していくことでしかできないのではないかと思います。

中国の例を読み進んで行くと、ここには国や地域という概念が必要無いようです。あらゆる社会経済を包括したコミニュティの中で、より自分に合った生活をする。そのために個人のデータであっても、国に預けて運用していく姿勢が見られます。
またたくさんの目があることで、中国人の民度が上がり、国際的な評価も高まりました。
中国という国が、いち早くアフターデジタルのあり方を自国で展開した結果、思わぬところで嬉しいご褒美を得たようです。
中国のビジネスのあり方が、自社の発展のためとはいえ、個人に寄り添ったサービスを徹底したところに、リターンが大きかったようです。

今これほど成功している中国が、日本から学ぶことはあるのでしょうか?
日本人の素晴らしさは、どこまでも物事を深掘りできるということだと思います。真面目にどこまでも深掘りして、それに価値を見出します。
一見くだらないことにでも、価値をつけることができます。
そしてやはり暖かさ!先進国なのに暖かいのは、思いやりの心が根底に流れているからだと思うのは私だけでしょうか。

中国から学び、これからはOMOに日本人が切り替えていかなければなりませんが、ここで思い浮かんだのは商家の御用聞きです。
社会の在り方違うので、中国の例はあまり参考にならないように思います。
これが本来の日本人の商売の仕方ではないでしょうか?物やサービスを介して、信頼を築き、日々のやり取りを続けることで、商売につなげて行く。または大家とと店子の関係のように、信頼関係を築くことで町全体が、円滑に回って行く。信頼関係からくる意見や要望を常に取り込み、それをすぐに改善して回して行く。この形が日本全体に広がることが日本独自のOMO社会を形作って行くのではないかと思いました。

ただの物を作って売るということではなく、物を介して信頼関係を作っていくのですから、品質の良い物作りのノウハウはやはり大切な要因になってきます。元々物作りが得意な日本人が、それを信頼関係を築くツールだと認識できれば、そこでたくさんのデータを集めることができます。
そのデータをすぐに取り込むことで、
エコシステムを構築し、顧客により良いサービスを提供し、想像を超えた製品やサービスにつなげて行くことができると思います。

ただここでリッツ・カールトンの例にあるように、お客が望む以上の感動を与えるには、かなりきめ細やかな行き届いた対応が必要です。
これは日本人が得意とするところなのですが、連続した対応ができないのは何故でしょうか?
それはやはり点として顧客やサービスを捉えているからです。何度も本書で出てくるように、線で全てとらえ、その線がどこへ向かって行くのかを意識していなかければなりません。

最後にこの考え方を自分でも活用していきたいと思いますが、どのように日常生活に落とし込むか課題したいと思います。

投稿者 gogowest 日時 2019年7月31日


『アフターデジタル』を読んで

この本に書かれている最近の中国のデジタル環境の先進性には驚きました。
スーパーマーケットのフーマーの事例、平安保険グループの事例など、こんなによく考えられたビジネスモデルが中国ですでに実現していることは意外でした。
中国は、単に他国のビジネスのコピーをしているだけという思い込みが強かったので、いままで、気が付きませんでした。
これを知ってからは、社内的には、最近の中国の先進の動きを紹介できる機会には話をするようにしています。

日本の古い体質の企業では、経産省のDXレポートにある2025年の崖についての認識はあっても、近未来のビジョンがないために、成長戦略、そして、次世代のビジネスモデルに必要なデジタル環境が明確に描けていないように見えます。最近行われるDXに関する日本の某メーカーのフォーラム、セミナーの案内を見ていても、対処療法的な方法を提示しているように見えます。明確な未来のビジョンが感じられません。

レガシーシステムの入れ替えということ以上に、DXは社会インフラ、そしてビジネスの基盤そのものがデジタル起点に変容するということが本書で指摘されています。本当に大きな変化の時に来たということです。

OMOとはビジネスの基盤が変わることであるので、企業は既存のビジネスを取捨選択し、会社のありようから見直しし、変わらないといけないところにまできているということです。しかし、DXのための決まった手順、手法があるのではなくて、次のビジネスのビジョンさえあれば、そのビジョンに沿って、今あるどの事業をやめて、新しく何をするのかが必然的に決まるものだと思います。それを認識するために、中国の新しいOMOの流れの事実を知ることは、日本の企業にとって、今後の進む道を決めるのに非常に参考になると思います。

ここで注目すべきだと思うのは、OMOはとにかくユーザ起点の思考法であるということです。
自社製品、自社の都合を押し付けてはいけないということですが、すぐにその思考法に変われるわけではないので、この場合は外部からのショックによって、目を覚ますということが、必要になります。つまり最先端の現場を視察するということです。

日本の食品スーパーならば、いまはフ―マーを視察するのが一番の刺激になるはずです。しかし、私が勤務する会社と取引がある複数の食品スーパーの海外視察先が、中国ではなくて、ベネチアなどの欧米の都市とかなので、日本の食品スーパーはとても危機感のない、のどかな現状です。(視察といっても事実上慰安旅行なのです。)

日本の企業でも顧客の行動データを集めようとする動きはあります。私が今年、ある企業のシステム部長から直接聞いた計画があります。日本の小売業で店舗1000店を持っている会社なのですが、店舗の中のお客様の行動分析をできるIoT機器を導入したいという話がありました。IoT機器を用いて、棚前での行動分析を自動で行って、本部に全店舗のデータを集信するという仕組みです。これにより、店舗レイアウトの最適化、そしてさらには生産計画、販売計画の最適化をするという計画です。
私の会社で、この計画について社内的にあげてみたのですが、既存のプロダクトアウトの意識が強くて、さらに、この話の先にあるものが会社には見えていなくて、具体的な提案まではいきませんでした。これは残念な結果に終わっていますが、停滞している日本でも掘り起こせていないビジネスの芽がまだまだあるはずなのです。日本の企業の元気のなさのせいで、逃している機会が多くあるのだと思います。

今までのようなプロダクトアウトの考え方だと、最下層のビジネスの視点しか持てません。
視点の高さがその企業が成し遂げるビジネスの範囲を決めているといえるとおもいます。
たとえば、QR決済は日本にも急速にひろがりつつあります。乱立しているといっていいでしょう。しかし古い感覚の決済業者は、最下層の視点のまま、手数料ビジネスの感覚でビジネスしています。一方、中国のアリババのようにビッグデータをもとにしたより大きなスコープでのビジネスを考えています。そのためQR決済のところの考え方は、日本とは全く異なります。

フーマーや平安保険グループの事例も、オンラインもオフラインも両方含めて、いくつもの要素を効果的に組み合わせることで成り立っており、そのコーディネート力、構成力が力の源泉であると思います。つまりここには、創造力がものをいうところであるということです。

エコシステムを作り上げるためには、一段上の次元からの発想が必要になります。
単なる今までのようなプロダクトアウトの考え方だと、『UXの5段階』の内の0段階でしかないです。それを超えてエコシステムになるように各要素を有機的に結び付けるには次元を一つ上から発想することが必要です。上位の次元からしか、各相反する要素は結びつかないからです。

以前の課題図書でも繰り返し出てきていた重要なキーワードの「コミュニティ」が本書でも出てきました。
いままではデジタル的に進化すると、合理性が極端に重視されて、とても冷たい無機質な世の中になるかもしれないと漠然と思っていました。しかし合理化、最適化したうえで、人間にしかできない接客、コミュニケーションを重視する方向に力をいれることを知って、とても安心しました。適切なコミュニケーションは幸福感を高めますからね。

人々のあらゆる行動データを収集することでオーウェルの「一九八四年」みたいな管理社会になる負の面を思ってしまいがちですが、次の技術革新を生み出したうえで、より良い人間関係を維持できる社会の基盤としてのOMOならば、意外にいい社会になり、生きる意味を満たせるコミュニティの形成とも両立できそうに思いました。

今回も良書をありがとうございました。

投稿者 winered0000 日時 2019年7月31日


さて、もっとみじかなところに落とし込んで、今自分ができることといえば、相手の望むことを考えながら行動することだ。目の前にいる家族・友人など近しい人たち、仕事上でのステークホルダー・顧客それぞれが何を望んでいるか。自分のしたいこともあるので、全て叶えることはできないがwin-winの案を考えていくことはできる。日頃よりマーケティングを意識して行動することが必要だと認識した。Win-winの案を実現するのに必要な手段としてITがあるならITを使えばいいのだ。日頃からマーケティングの思考を意識して行動することを心がけたい。実践しようと決めた。

投稿者 soji0329 日時 2019年7月31日


「アフターデジタル」を読んで

「トランスフォーメーション」。この言葉を私は単純に、アナログからデジタルへ移行して行く中で、新たなビジネスチャンスを見つけ出すこと。そんな程度の理解しか出来ていなかった。

中国の情勢はある程度は聞いていた。だが本書を読んで、これほど緻密にデジタルトランスフォーメーションの方法論を考え、構築、実行していたとは思わなかった。

IT、という言葉は、商品やサービスの供給者の論理であると思う。本書の中で紹介されているアリババ・グループやディディ、平安保険グループの事例は、この論理を否定している。つまり「とにかくユーザー起点の思考法」である。デジタルにアナログ、オンラインにオフラインといった概念から脱却しないと、デジタルトランスフォーメーションの方法論は理解出来ないと言う。中国に視察に行った日本企業。ビフォアデジタルからの脱却をなしえない質問者の何と的外れなことか。しかし私も、恐らく同じように質問し、信じられないと目を丸くすることだろう。

ジーマ・クレジット。信用スコアについては確かに負の面が多い印象がある。自覚しないうちに人間性まで判断されるような恐ろしさを感じる。が、中国では「善行を積むと評価してもらえる」と考えられているのだとか。これはまさにモラル教育を可能にした、宗教の新しい形と言えるのではないか。古代より日本は中国から多くの物が伝わった。思想や宗教もしかりである。ただこの信用スコア。ジーマ・クレジットは加点主義だという。一方日本は減点主義。人の信用評価がいよいよ不可欠なものとなり、モラル教育が最重要課題となってきた日本では、どのような形で信用スコアが導入されるだろうか。

モノからコト。そしてコトから顧客体験、UXへ。データのあり方が、属性から状況志向になっているという中国。「UXの5段階」という方法論は一見、とても難解に思える。しかし「とにかくユーザー起点の思考法」に基づき、いかにユーザーの行動データを収集し、良質なエクスペリエンスを継続的に提供するか。そのシステム作りだと考えると、おぼろげながら言わんとするところが見えてくる。ただ思うのは、現在の日本ではおよそ不可能ではないかということだ。セブンペイの事件にもあるように、行動データを収集する決済のプラットフォーム構築さえ、一筋縄ではいかないではないか。

しかしながら日本は、2020年の東京五輪をきっかけに、大きな変革を求められるだろう。海外から来る多くの観戦客が、従来の決済システムやタクシー、レンタサイクルの利用システムに対し、不満をぶちまけるに違いないからだ。そしてあらためて、日本は世界においてIT後進国となった現実を見せつけられるのだ。一方、2019年10月の増税で、消費の顕著な落込みは必然的である。日本企業にとっては、利用者、顧客の囲い込みが熾烈を極めるだろう。インフラの変革をなしえて、良質なサービスをいかに提供できるか。そのためのトランスフォーメーションなのだが、ビフォアの概念を脱却し、アフターデジタルを理解した上でのサービスが構築できるか。まさに正念場である。

それを意識してか、本書では日本式のビジネス変革が紹介されている。この中で、従来型のバリューチェーンをものの見事に否定していることに驚かされた。顧客の行動データを取れない製品は意味がないと。そしてグロースチームの活動の一つ、UXグロースハックで収集された行動データはモーメント分析が重要であると。この分析についてだが、私はその分野におけるインフルエンサーを捕まえて、協業ないしアウトソーシングした方が効率的と考える。

自分の例をあげてみる。現在私はとあるビジネス月刊誌の読書会に参加している。月に一回読者が集まり、編集者と意見を交換する場である。読者をコーディネートするのは出版社の人間ではない。あくまでも月刊誌の一ファンである。会の参加者は固定ではないが、都度アドレスを交換し、SNSで繋がっている。編集者から直接ネタとなる意見を求められたりもする。一種のモニターである。私は毎月欠かさず購読している。関心のないテーマの号でも、である。自分の意見がそのまま記事にとりあげられることもあり、この出版社へは単なる購読者以上の思いを抱いている。ひいき筋からでなく、コーディネーターを経由して多様な読者と寄り添おうとする姿勢に好感が持てるのだ。

今後私は、これだ、と思えた企業には進んで行動データを提供し、モーメント分析の手伝いを積極的に協力していこうと考える。結果、信用スコアも上がるのでは、との下心もあってのことだが。

大きな変革には、様々なトラブルもあるだろう。しかし今のままでは、日本の閉塞感を打ち破ることはできない。本書を読んで私もアフターデジタルを正しく理解し、企業の一員として、そして利用者、消費者として善行を積み、明るい未来作りに貢献していきたいと、考える次第である。

投稿者 winered0000 日時 2019年7月31日


アフターデジタルを読んで

1、中国の企業は変革していた
真似ばかりして自分では0から新しい商品を作らないで儲けている企業ばかりの国、という中国への偏見が取っ払われた。一朝一夕には成し遂げられない事実が書かれているので、偏見を植え付けるのもマスメディアによる意図的な情報操作だったかもしれない。
「おもてなし」や「他人に親切にする」というのは日本のお家芸だと思っていたが、まさか中国のモノマネ企業(今までのイメージなので、失礼!)が完璧なマーケティングを行い、きめ細やかな活動をしているのは驚いた。

2、大企業でも変革ができる
平安保険の事例では大企業でも企業イメージを大きく変えることができることを意味している。保険会社のスマホのアプリなんて、わざわざダウンロードして入れるなんて普通はやらない。よほど使えるアプリ以外の企業のアプリのダウンロード数は恐ろしいほど少ない。
ごく少数の人は興味を持って入れるだろうが、大多数の人はわざわざ何ができるアプリか調べてインストールしてまで使うことはない。
それを営業員が対面で時間をかけてアプリの便利さを説明することで、入れてもらうのである。普通こんなことやるだろうか。
営業員の時間をアプリの普及のために使うなど、売り上げが落ちてしまうかもしれないではないかと思うのが一般的な考え方だ。もちろんインストールしてからのフォローによって企業イメージが上がるのだが、おそらくマーケティングを緻密に行い、カスタマージャーニーマップで、顧客に発生するイベントと営業員の対応、そこから得られる顧客満足度を描いていたからこそできたのだと思う。

2、変革に必要なのは偶然ではない
戦略が的確だったのは元より、ここで別の視点から注目したいのは、この平安保険のアプリで取得しているデータなどひねりを効かせたものではなく他愛もないものだということだ(著書で読む限りでは)。病院を予約するアプリで「利用者が病院を予約した」というデータなど、アプリから取得できるデータとして当たり前のものであり、何にも考えなくても思いつく。それだけでも顧客の満足するサービスを生み出してしまった。
一方で、日本ではデータを活用して何かをしようとすると、目的を定めずにデータ取得をするケースが多く、データを集めることが目的になっていることが多い。データを集めて上等な計算式に放り込むと、思いもつかなかった結果が出てくることに期待しすぎている(だから失敗するのだろう)。本書に登場する企業では、まず目的を定めてからどのデータを取得すれば良いかを決めている。目的を持っているから無駄がない。集めたデータの取り扱いも滞りなく進められる。Jian24の事例においても、人の行動データを取得するためにコンビニ業をやったというのは目的意識を持って欲しいデータを集める事例の最たるものであろう。既存のコンビニと提携してやらないあたりが発想がずば抜けてはいるが。

3、日本は追いつけるのか
日本は中国のようにOMOを実現できるだろうか。それはわからないが、そもそも中国対日本を語りたいわけではなく、どっちの国家が優れているのかを競うことをしたいわけでもない。中国でできたことが日本でも同じようにできるかというと、当然文化も違うので同じようにはできないだろう。しかし、中国よりも(どの国よりもといったほうがより当てはまる)人のためになるサービスを提供し、圧倒的な売上高を上げる企業が日本にあるべきだ、という感情が本書を読んでいる間に出てきた。

そのためには何の準備をするかは答えなど簡単には見つからないが、少なくとも本書で登場する企業は顧客のニーズを的確に把握しようとして、それを満たすために改善しているのである。ソニーのウォークマンのように、マーケティングを無視して、「作りたいものを作れば人に必要とされるはずだ」、という方法は見向きもされない場合のリスクが高い。日本のメーカーの衰退が言われているが、高性能多機能ばかりを求めて、顧客の目線を持たなかったことが大きな要因ではないか。今こそ、顧客に寄り添った考え方でビジネスを考えるべきだと思う。
3、個人としてできること
さて、もっとみじかなところに落とし込んで、今自分ができることといえば、相手の望むことを考えながら行動することだ。目の前にいる家族・友人など近しい人たち、仕事上でのステークホルダー・顧客それぞれが何を望んでいるか。自分のしたいこともあるので、全て叶えることはできないがwin-winの案を考えていくことはできる。日頃よりマーケティングを意識して行動することが必要だと認識した。Win-winの案を実現するのに必要な手段としてITがあるならITを使えばいいのだ。日頃からマーケティングの思考を意識して行動することを心がけたい。実践しようと決めた。

以上

投稿者 ktera1123 日時 2019年7月31日


「アフターデジタル」を読んで、今の日本の状況を考えると、今の状態だと残念ながら10年後は淘汰される企業がほとんどなのかもしれません。個人個人の担当者レベルではすばらしいなと思える人もいますが、企業内でも企業間でも過度の競争社会になっている現状を変えないとだめなのかもしれませんが、「自社、自部門だけで顧客(データ)を囲い込んでもどうにもならない」(P108)を実現するのは難しそうなのが現状なのではないでしょうか。もし実現した場合はステークホルダーがWinWinの関係になるので、大岡裁きの「3方1両損」の考えや、近江商人の「売り手良し、買い手よし、世間よし」とあるように、はるか昔、江戸時代からの伝統でもありますので、考え方が原点回帰、1周回ってもとに戻ることを今一度振り返ってみるのも手かもしれません。いっそ配達担当と御用聞きを一緒にした昔の酒屋さんの形態(いまもアニメのさざえさんの三河屋のサブちゃんは健在なのだろうか)、に戻るのも一つの手かもしれません。
 令和の時代にそこまでもどるのは時代錯誤かもしれませんが、必要ある人に必要な情報が届く、そのためのツールとしてデジタルを活用せざるを得ないのが現状なようです。
 5年位前にTwitterの情報をネット上から取得してデータ化する方法が紹介されており、道路開通情報をTwitterにアップされていた方がいて、その情報を活用するのに使用したことを社内でシェアしたら、位置情報付きの情報をもとに「場所」+「食べ物」で情報を収集してこの人は食べ終わったあとに情報を発信していると解析した人がいて、とりとめのない情報がどこでなにの役に立つのかを実感したことを思い出しました。その後、どのようにその情報取得手段を活用しているかは定かではありませんが、当時の経営者の考え方が日本の経営者層の考え方を代表しているのかはわかりませんが、結局最後は「マネタイズ」しか興味がなさそうなのが現状でした。
 データを取得するわけでもなく、プラットフォーム企業でもないので、現状では本に書かれていることを仕事に直結させるのはなかなか難しいのは現状です。考え方やエッセンスを取り入れることは可能かもしれませんが、このままでは、ある日本の電気メーカーのように、特定の分野でこつこつやっていくことになるのでしょうか。
 仕事以外で個人の部分では、日本人として得意であるとされている、おふざけ、お遊び、意味のないことに情熱を上げてユニークな文化、文明を作り上げている世界の中の一人としては、より一層、個人の趣味の中でとんがっていければこの先、おもしろい世界が広がっていくことがあるのではないでしょうか。
 自分がやりたいことや、実現したいこと、自分なりにこだわりのあることがない限りは、デジタルの海で遭難するだけなのではないでしょうか。人生を生きていく上で流されないように色々なチャンネルを通じて働きかけを頂いていますが、必要な情報を必要なタイミングで適切なものを発信しなければ、ゴミ箱直行かスパムメール扱い、あるいは迷惑メールになってしまう。そのあたりを理解して色々考えた上で行動していかなければと思っています。

投稿者 kawa5emon 日時 2019年7月31日


書評 アフターデジタル 藤井保文、尾原和啓 著

本書を通じ、中国の急速な経済発展を支える仕組みの一つを垣間見ることが出来ました。
OMO概念が軸になって、国を支える3要素、個人、企業、国が一体となったんですね。
国際間経済競争に於いても、中国は先端国(先進国より更に先)だなと認識出来ました。

また、あの性悪説で有名な中国人の素行が良くなってきているとの点が、
滑稽ながらも非常に感慨深く、隣国日本は逆に笑っていられないと兜の緒が締まりました。
全体を通じ、人間にとっての評価システムって本当に重要だと改めて考えさせられました。


さて以降は本書の主旨、OMO概念が前提のビジネス構築思考法を軸に論を展開します。
切り口視点は2つです。一つは買い手(ユーザー)視点、次に売り手(供給者)視点です。
そして最後に本書で得た学びによる次の行動ステップです。


まずは、買い手視点から。
結論は、遂にほしいモノが、ほしい時に、ほしい場所で手に入る時代になりそう!です。
本書第4章でも解説がありますが、日本では今でもメーカー主導の供給体制です。
OMO概念で中国先進企業が提供するような顧客志向のモノ、サービスはマイナーです。

ジョブ理論のミルクシェイク事例のように、提供側の都合で提供されています。
その成れの果ての社会問題一例が、ゴミの大量発生と、無駄な廃棄処理だと思います。
提供側の売り上げ至上主義により、売れれば良しの構図で買い手が相変わらず蔑ろです。

このような供給者のモノ、サービスは出来るだけ買いたくないのですが、
残念ながら代替手段が少なすぎます。健全なエコシステムを前提とした、
需要者と供給者をマッチングするモティベーションが足りていないと考えます。
しかも一個人でこの状況はほぼ打破できません。

この点に於いて、OMO概念での中国先進企業の事例は非常に好ましい状態だと思います。
実際はわかりませんが、フーマーの在庫管理事例に於ける売れ残りが殆ど無いとの状況は、
それだけでも買い手として応援したくなる事例でした。

そういう意味で、買う、使うという行動は、そのシステムを支え、応援することを意味し、
買い手としての責任感、重要性を再認識し、好循環ループ生成の仕組み化に感慨を覚えました。
しかもそれは、より良い社会形成参加への実感も得られ、更なる好循環に繋がると思います。


次に、売り手視点です。
サラリーマンで常に営業活動に従事してきましたが、やっと顧客に寄り添えると感じました。
営業として、また顧客、市場ニーズを生産側に伝える役割として国内外で活動する中で、
往々にして供給側論理による製品開発、押し付け売りを目にし、未だにそれは続いています。

出来る営業マンの個人信条として、「ドリルを売るな、穴を売れ」と表現されるように、
「価値は使い方に表れる」を念頭に活動してきましたが、生産側には中々伝わらない概念で、
顧客に接しているのに顧客志向になりきれない悔しさが常にありました。

OMO概念でようやく、その価値が見える化され、関係者に伝わる!と非常に嬉しく感じました。
本書解説の通り、属性データではなく、状況データでその価値がマッチング出来、
OMO型ビジネスならば提供すべき価値の創出は以前に比べ各段に楽になると想像します。


最後に自身の次なるステップです。
海外駐在から本帰国して2年7ヶ月が経過した中で、日本の将来はまだまだ暗いと感じます。
海外での経験を活かし、本書でのヒント提示も参考に、未来の日本に何らかの貢献をしたい。

本社勤務にて、Eラーニングや世界の全拠点を繋いだオンラインストレージ導入など、
本書のスモールステップ及びスモールPDCAのボトムアップ型活動奨励には勇気を得ましたが、
まだまだOMO型には程遠く、特に日系企業としての発信コンテンツなどに迷いがあります。

その発信コンテンツ及び共感の場形成例として自身が深堀りしたいのは、
本書にあるIPの定義再認識と過去の海外派生事例の検証、また共感の場形成としては、
くまモンの事例やその他のコミュニティ形成過程を色々な角度から検証しようと思います。

日本発のコンテンツや取り組みは、比較的容易に海外に飛び火する気がします。
その要因として、日本に居るだけでは知覚できないが、海外では特異とされている、
宗教観や価値観、生活感などにヒントがあるような気がしてなりません。
八百万の神や異文化受容性、島国の論理など、くまモンコミュニティからは、
郷土愛や地元愛、地元自慢など、本書でも登場する温かさや絆などもキーワードです。

それらはこれからの研究課題ですが、遠くない未来に実現するであろうOMO型社会に備え、
また、コツコツで真面目さが評価される社会の到来に多いに期待して書評を〆ます。


今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者 LifeCanBeRich 日時 2019年7月31日


 私がインターネットの存在を初めて知ったのは、20年ほど前に米国に留学した時だ。米国にいながらも日本語で日本の新聞を読めるという便利さに途轍もなく驚いたことを今も鮮明に覚えている。あの当時、インターネットを使う時間、つまりオンラインの状態でいたのは1日のうち30分くらいだったと思う。そして今、スマホやPCでオンライン状態でいる時間は一体どれくらいなのだろう。知りたいことがあれば検索エンジンで、行きたい場所があればマップで、さらには留学当時の友人と顔が見たければスカイプでと、この20年間でテクノロジーは人間をどれほどオンライン化したのだろう。そして、この過去と現在の延長線上にある未来にはどんな世界が待っているのだろうか。
 その一部を具体的に教えてくれるのが本書である。中国、エストニア、スウェーデンで起きていることが、日本でそのまま起こることはないという議論もあるだろう。しかし、本質はそこには無い。本質は、OMOを可能にしたインターネット、スマートフォン、スキャナー、AI、ロボット、そして今後更なる進化を遂げるテクノロジーが間違いなく人間社会に次々と変化を起こし続けて行くことに対してどのように準備し、行動をするかだと思っている。
 では、今後オンライン化を中心としたテクノジーはどのような人間社会を到来させるのだろうか?本書を読んで私が思ったのは、“真っ当な人や企業がより恩恵を受ける社会”の到来である。ここでの“真っ当とは、“自分本位に陥ることなく他者や社会に貢献する”という意味である。


 真っ当な人がより恩恵を受ける社会が到来する。本書の中で印象的だったのが、「中国人のマナーが良くなった」とある箇所だ。確かに、私が初めて中国に行った10年前は、街の歩道にはそこら中ゴミが散らかっていたのを覚えている。それが1年前に中国に行った時には、その同じ街の歩道にゴミは散らかっていなかった。この他にも、交通マナーや飲食店の接客態度も改善している印象を受けた。
 この背景には、本書に書かれる監視カメラの設置や信用スコアの浸透があるのだろう。今まで視られることのなかった人間の行動がデータとして可視化され、またオンライン化されたことで中国人の行動が変わった結果に違いない。まさに、デジタル化、オンライン化というテクノロジーは「善行を積むと評価してもらえる」という真っ当な人がより恩恵を受ける社会を実現化しようとしているのだ。

 真っ当でない人を社会から減らす。上記の中国で起きている事象を言い換えると、“テクノロジーには人間の行動を正すという教育機能がある”とも言えると思う。そして、そのテクノロジーの教育機能は日本でも発揮されている。
 最も分かりやすいのがTwitterの動画投稿だ。例えば、路上のあおり運転、上司による部下へのパワハラ、学生間でのイジメなどの現場は、今ではスマートフォンで録画された動画が投稿されている。この加害者側の車体ナンバーや顔がオンライン上で晒される動画投稿が生み出す社会悪に対する抑止力は大きいと思う。データ化、オンライン化が進むことで、以前は視られることのなかった現場の様子が周知されることで、他者や社会に不快、迷惑、害を与える真っ当でない人は間違いなく減少する。

 真っ当な企業が恩恵を受ける社会が到来する。本書によれば、OMOが到来した社会においての企業間の競争原理の根幹は、「『エクスペリエンスx行動データ』を重視し、長期的かつ徹底した顧客志向」だという。これは、本書の中で平安保険グループの企業活動を見れば明らかで、豊富なデータを基に如何に顧客とのWin-Winの関係を長期的に構築するかを考えることが鍵となる。自社本位に陥らず、顧客視点で自社を見て、同時により高い視座から社会における自社の役割や意味を俯瞰して考える。これが、OMOが到来した社会において企業が取るべき行動であり、その行動が取れない企業は危機に陥ることになるだろう。例えば、先日起きたかんぽ生命による不正保険販売などだ。短期的な利益を自己本位的に追及した行動をとる企業はOMOの時代では恩恵を受けることは出来ないのである。

 真っ当であることが求められる社会が到来する。社会という環境が変化すれば、おのずとその環境の中で生きる人に求められる行動も変化する。では、一個人として私はどのように考えて、どのような行動を起こして行けば良いのだろうか。その答えを得たのが、先日のジョイントセミナーに参加した時だ。
 まず、セミナーを振り返って驚くのが、東松さんが本書にあるOMO時代に必要とされるマーケティングであるテックタッチを毎日発信するSNSで、ロータッチをトークイベントの定期的な開催で、ハイタッチをファンの人たちとの旅行ツアーで実践しているところである。これらのファンとの長期的な関係作りは、状況志向を基に緻密に設計されている。そして何よりも、東松さんから感じられたのは、Win-Winの思想が全ての彼の考え方や振る舞いの根底にあるということである。
 私が東松さんをまず真似るべくことは、まずは相手の視点から自分を見る、または第三者の視点から自らの立ち位置を俯瞰するといった根底の部分である。相手にとってプラスであり、かつ自分にとってもプラスになる行動をとことん考え抜き、実践し続ける。それは、“自分本位に陥ることなく他者や社会に貢献する”ことに繋がるはずだ。これが、自分が真っ当な人間になるために取るべき初めの一歩なのだと思っている。

 今月も多大な学びの機会を頂きありがとうございました。


~終わり~

投稿者 188choco 日時 2019年7月31日


アフターデジタルの世界と聞いて、果たしてどんな世界のことなのか、それが日本人がとらえるデジタル化の世界とどう違うのか、想像することが容易でなかった。デジタル化と聞いて、AIやIoTという言葉がすぐに思い付くが、これらは人の仕事を奪うことに注目される議論が多い。しかしこの本では、デジタルの取り入れ方を全方位(アフターデジタル化)にすることで、今の世の中よりも、よくなるという見通しが持てた。

●アフターデジタルとは?
1. アフターデジタル化した社会とは、すべてがオンライン化された社会のこと。オフラインもその一部となる。これまではオフラインの一部にオンラインが存在していたが、オフラインがオンラインの一部となること。(オフラインがオンラインに飲み込まれる、包括される。OMO化。)
2. OMO化により、すべての行動データが集約、解析される。そして次のインターフェース(接点)に活用される。これらの行動データは資源となる。
3. 行動データ取得と新たなユーザーインターフェースへのフィードバックというサイクルを高速でまわす企業がOMO化した企業として生き残れる鍵となる。企業視点からの脱却、顧客視点への完全移行となり、これまでの商品やサービスを通した一点集中型のビジネスから、多点の寄り添い型ビジネスへとなる。
4. ユーザーインターフェースは、ユーザーからの視点を中心とし、オンラインとオフラインは問われず、ふたつの境界がなくなる。オンライン、オフラインのそれぞれが得意とする方法で、顧客を惹き付ける。オンラインではマッチング度が高く、コミュニケーションハードルは低い。オフラインでは、ユーザーが実体験できる唯一の接点であるため、ここに体験型、感動型のエンターテイメント性を持たせることに注力する。ここでのユーザーの経験はSNSなどオンラインへフィードバックされる。
概要を纏めたが、アフターデジタル化により、人手は単純に不要となっていくのではなく、必要なところに配置転換されることが、予想外であるとともに、魅力的な点とも感じた。すべてがオンラインに飲み込まれるのではなく、オフラインとも適度な調和があり、両者のいいとこ取りとなっている。

●アフターデジタルへの思考転換
日本人の多くは、ビフォーデジタルの世界しか経験していないため、その枠組みの中で物事を捉えようとする。このためアフターデジタルというものの理解に時間がかかると思われる。アフターデジタル化した社会がもたらすメリットの把握が容易でないと思われる。アフターデジタル化には、「すべてを変えてデジタル化する」という意識が必須である。これがアフターデジタル化した社会において、地盤となっていると思われる。

●日本はOMOに最適な国?
筆者は日本こそアフターデジタル化を推進していくべきではないかと提言している。OMO化した中国企業の担当者のアドバイスに、「日本人が温かみのある国である」ということがのべられている。そしてその温かみを自国の中に取り込みたいとまで思われている。OMO化の到達度で言えば、圧倒的に日本に差をつけている中国。OMOにより、社会も良くなり、民度も上がってきている。その中国がまだコピーしきれない部分をすでに日本は持っていることは日本の可能性を感じさせられた。日本の中にいると、当たり前になってしまって気づきにくいことではあるが、このポイントは、今後日本がOMO化していくときに忘れてはいけない点であろう。

また、日本のこれからの若手世代は、比較的デジタル化への親近感が強い。コミュニケーションをとる手段もオンラインの割合が高く、この分野への柔軟性は高いと思われる。

●日本がOMOを取り入れるべき点
これまでのOMOの特徴と日本の状況から、自分なりにOMOを採用する利点を考えた。
・高齢化社会に直面する。生産性は求められるが、労働人口は減少する。オンラインで労力を省ける部分は省きつつ、寄り添い型で人を通したウェットな関係を維持できる
・事故や犯罪の抑制。事故の原因分析や犯罪の捜査に時間を要してきた。だが今後、行動データの蓄積により、事故や犯罪の未然防止ができる。
・東京オリンピック以降の経済の起爆剤。歴史的にオリンピック後は目標を見失い、景気も悪くなる。継続した取り組みが必要なアフターデジタル化が新たな目標となると考える。
・正直者が馬鹿を見ない社会。日本人の中には目立たなくとも真面目な人が多い。そういう人たちを正当に評価できるシステムと考える。
・人の趣味や思考が一極集中から、多種分散型となってきている。分散した人の嗜好に追従するマイクロビジネスでも大企業と渡り合える環境をつくる。

以上。
全体的に先月の課題図書と親和性の高い今月の図書だと思いました。

投稿者 akiko3 日時 2019年7月31日


あえて、オフラインの時間を作っている自分とは関係ない世界かと思っていたが、選択したつもりでも実はオンラインの世界に包含されている、お釈迦様の手の平の上なのですね…。“空”の世界なのかも。
  『変化の時代』と聞いても今ひとつピンとこなかったが、価値観から変わる世界、変えないと生き残れない世界、はたしてちゃんとコンパスを使って進めるのだろうか?

  リアルとデジタルが横並びでなく、デジタルの中にリアルがある、デザイン、ビジネス、テクノロジーが個々にあるのではなく、重なり合っているところ、3つを包むものの中にある1つ=新しい世界・しくみが生まれる世界。個人の価値観だけでなく、個人で完結できることではなくどこかで誰かと関わって繋がっている、会社、業界、国単位でどうしたいのか?ちゃんと考えてデザインしないと(といっても自分にはできないけど)。

大企業が終身雇用の保証をしなくなったが、産業構造も変わる未来予想図を見ると、個人でどうサバイバルするか、どう生きたいのか?をちゃんと持っていることが大切。“孤独”にならず、どこに属したいか、どういうネットワークを持っているかがセーフティーネットになるのかもしれないと思った。
  
  地域や学校や会社というコミュニティーが社会的に可視化できる目安だったが、家族、親せき、友達、近所付き合いも希薄になり、会社勤めでなかったりすると、どんな個人か他人は評価しずらい、その不安をコンピューターに弾き出し『信用』を与える、信用を見たい側なら安心・便利な仕組みだけど、見られる側となると不快感も出てくる。
  個人レベルでちゃんと『関係性』を作っておくことや安心できるコミュニティーをいくつも持っていることを大切にしたい。 “遠くの親せきより近くの他人”って言葉があるが、“広く浅い社会より近くて深い関係性”を作っていこう。

  バブリーな頃の上昇志向とは明らかに違う。生活の根底からひっくり返される自然災害が、若者の価値観を塗り替えたのか?戦後、家族、社会、国の為に自分にできることをして発展に寄与した偉人達に近い印象を受けた。知恵とITという時代のツールを上手く使っている。ネットに対し、自由や自分らしくあるためのツールとして可能性を見て使い方を研究している姿に感心した。
  どんな世界でも突き抜けている人達って、得た知識・機能や知恵を使ってどれだけ人や自分を便利に幸せにできるか、Win-Winをデザインしていることに感心した。 
社会システムの変換期、成功の評価も変わってきて、人生の“幸せ”“生きがい”について考えるきっかけも増えている。24時間どう過ごすか。時間の単位も変わりつつあるけど…。ちまたの1泊3日旅とか(苦笑)
  
  かつては狩猟、農業、工業、時代時代に道具を使い、よりよい生活をしてきた人類、その過程で生み出されたお金も、社会のしくみを回すツール。ITも社会のしくみを回すツール。お金と同じようにその本質をわからないまま使われるのか、ちゃんと本質をとらえて使えるのか?
  
  
  最近、お金や本も“エネルギー”だと感じることが増えた。尾原さんの声を聞いた後は、文章を目で読む時の受け取る印象が変わった。動画を見た後はよりエネルギーを感じた。本人にリアルにお会いしたらもっと感じるエネルギーは濃くなるだろう。
(この方、日本在住ではないようで、アフターデジタルの時代ならではの行動・交友範囲、世界在住といったスケール!)

  しょうおん塾生としてはすっかり“テックタッチ”レベル。基本の呼吸法も(また)いつからかしなくなっていた。先日のメルマガで“無を感じる”ことが第一歩と読み、はっとした。よりよいコミュニティーを作って、個々に成長し発展していこうとしているのだろうが、個人でできることをしていなかったらダメじゃね?!エネルギーも見えないからスルーしていられるけど、可視化できるものだったら愕然とするだろう。
  個人で出来ることもコツコツと。これ自分の「信用」に確実に影響するんだった!

投稿者 gizumo 日時 2019年7月31日


「アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る」を読んで

 現在の会社で中国製品の取り扱いが多く、直接ではないもののやり取りが頻繁にされています。残念ながら、製品の出来栄えややり取り等は昔ながらのもので、「チャイニーズクオリティだからね・・・」といったあきらめのセリフが良く言われています。一方で、日本の超優良企業が企画のみを日本でやり、製造指示は日本から出すものの全ての生産は中国でやっているという製品が世界で優秀な評価を得ていて、比較はできないもののどちらが本当なんだろうと疑問を感じていました。
確かに、あれだけの国土と人間がいる国でいわゆる“バラツキ”がある事は理解できるが、本書に述べられる「デジタルが浸透したすごい世界」は想像以上の現実味の感じられない空想世界のようである。これが“中国”でなければ少しは信じられるかもしれないが・・・。
しかしながら、それが恵まれた力のあった時代の日本を引きずっており、現状を認識せずアップデート出来ていない自分自身の問題だと気づかされました。

もっとも興味深かったのは、「個人データ」の取り扱いに関する考え方の違いです。仕事柄、個人データを扱う事もあり、一部の人が極端に神経質に保守したがるのをどこか疑問に思いつつも、自分自身もできるだけプライベートには触れられたくないと感じていた。一方、「国民はデータを提供し、国が一括管理をして国民のために使う」と中国では考えられているという全く反対の考えに、なるほどと感心しきりでした。国民の基本ベースの水準が高めでバラツキの少ない日本だからそうなる部分はあるだろうが、データはださないが改善や進化は要求する、といった現代人のおごりの様なものに気づかされた。   
 また、最近話題の「キャッシュレス化」。いろいろメリットも多く、来年の東京オリンピックも契機となって今後は確実に普及、浸透すると思われ、その先進地域として中国がよく語られるのを目にします。しかしその先にさらに進化した「人間的な個別対応」が求められている段階にあることは、想像のはるか先をいくものであった。

 経営戦略やマーケティングについては、そこそこ勉強したつもりではありましたが、全く不足していました。実践不足は仕方がないものの、正直勉強を休んでいた間にものすごいスピードで進んでいました。さらに、IT部門?!特有の専門用語にカタカナが多く、うろ覚えや知らない用語も多く不勉強を猛反省いたしました。本書を熟読して理解を・・・、などとしているうちにまた、あっという間にどんどん進んでいくのでしょう。自分自身の気合?を入れなおすためにも貴重な体験となる課題本でした。ありがとうございました。

投稿者 vastos2000 日時 2019年7月31日


今回の課題図書を読んで考えたことを3つの立場からまとめた。その3つとは、
1.企業人としての立場、2.一人のビジネスパーソンの立場、3.親の立場。

企業として
中国からの観光客の呼び込みを主な目的にして、都会では電子マネーに対応している店舗が増えている。今後も電子マネー決済を導入する店舗は増えるだろう。直近ではセブンイレブンとファミリーマートが始めた。しばらくは乱立状態が続くだろうが、最終的には数社に収れんされるだろうと思っている。その時に小売りをしている企業は対応が迫られるだろう。おそらく今のクレジットカード使用可能店舗数までには増える(導入コストを考えるとカード以上か)と考える。
電子マネーの普及によって、売る側も買う側も履歴の管理が容易になる。特に企業(売る)側は、顧客の嗜好や傾向がつかみやすくなり、適切な提案をする材料・機会が増えるので、その機会を逃さない企業が勝つだろう。
また、ビッグデータについては、的確に導入、対応しないと生き残れなくなる。よりマーケティングを磨かないと、顧客をリアルにせよ、オンラインにせよ、自社まで連れてくることができなくなる。
逆にそのような不特定多数との競争とは違うセグメント(富裕層向けの高級店など)で勝負する店などは(味やこだわりのポイントがある一定層に受ければ)とがったやり方で生き残る例も出てくるだろうが、どちらを選択するかはその企業の経営陣の判断によるのだろう。

ただ、日本の行動規範はホワイトリスト型であるのに対し、中国はブラックリスト型であると感じた。国民の思考パターンがそうなるような教育制度なので、これは簡単に変わらない。国民からデータを集めてそれを良いように生かせば今の生活はより便利になるが、あまりに先を行きすぎると顧客がついてこないので、半歩先を行くイメージくらいがよいか。
自律運転の自動車が増えることや、各人が持っているスマホのGPSデータを生かせば信号機の制御や渋滞情報の精度向上(GoogleMapはすでに活用しているが)など、メリットも多いはずであるが、どうも日本ではプライバシーがなくなるだとか、監視社会になるだとか、ネガティブな面にばかり注目されてなかなか新しいことが普及しない。


一人のビジネスパーソンとして
なかなか新技術や概念が普及しないとはいっても、やはり便利なものは受け入れられていくし、いったん導入されてしまえば冷めやすい日本人のこと、あっという間に対応するにちがいない。いわば、一度錨を降ろせばそこが基準点となる。そんな社会の中で10年後、20年後にも活躍するにはどうすれば良いか。今できることはなにか?
まずは電子マネーを使ってみようと思い、楽天ペイを導入した(ローソンでもファミマでも使えるし)。まだWAONやnanacoの方が便利だと感じる程度しか使用していないが、徐々になれるだろう。
新しいものをウォッチするとともに、知識の仕入れも欠かせない。知識という“点”が増えれば増えるほど、他の“点”と結びつく可能性が高まる。行ってみればn角形の対角線の数が増えるようなものだ。対角線の数を求める公式は「n・(n-3)/2」なので、4角形だと2本しかないのに、5角形になると5本、6角形だと9本と増えていくようなもの。
だからこそ、自分がすでに持っている知識を生かすためにも新しい知識を仕入れることが大事になってくる。今後もアウトプットとインプットは必要になる。個人的には先月、今月と時間外労働が100時間を超える中でも、課題図書が呼び水となり、関連すると思う本を5冊程度は読んでいる。(読書メモをまだブログにアップしていないが)
アフターデジタルを読んだ後に、あらためて『LIFESHIFT』や『ホモ・デウス』を読むとまた新たな発見、というよりも20世紀までの考えや学習の仕方、ライフステージは通用しなくなると感じる。そして奇しくもハラリ氏は「狩猟民族に学べ」と言っている(自分自身を環境に適応させるという意味で)。ここでも『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』につながり、課題図書を読み返すだけでも再発見が期待できる。


親として
子ども達が社会にでるためにどんな備えが必要か?
 まずは考えたことを正しい日本語(母語)で表現できるようになることが大事だ。なぜなら自動翻訳が正しくなされるように。おそらく機械の翻訳の精度はこれから指数的に精度が上がっていく。文例の収集力が挙がっていくからだ。蓄積した文例が増えれば、新しい文とつながる確率も上がっている。読書量が増えると、「読んだことがあるアレとつながる」ことが増えるのと同様だろう。そういった意味で、英語は読み書きができればよろしい。第二外国語としての英語話者の英語はどのみち方言や訛りが強い。それよりはWebやYoutube(字幕機能がある)から効率的に情報収集するにはリーディング能力だ。
 そして学校の勉強については、中学までの学習範囲はしっかりやるべきだ。プログラミングも個々の言語はどうでもよいが、考え方(アルゴリズム)と試行錯誤の体験は大事。そもそも調べる対象やキーワードを知らないことには検索ができない。細かいことは都度調べればよい。大枠とポイントなる用語を知っておけば良い。どうせ記憶力と計算スピードは機械に敵わないのだから。
そして勉強とならんで大切なお金について。過去の課題図書(『ぼくはお金を使わずに生きることにした』、『革命のファンファーレ』、『サラリーマン2.0 週末だけで世界一周』あたり)で学んだように、お金と価値の結びつきをよく考えなければならない。原価25円程度の一万円札でななぜ一万円分の買い物ができるのか?クレジットカードは磁気情報が書き込まれただけのプラスチックであるのに、なぜそれで商品が買えるのか?
子どもにこれらのことを伝えるにあたって、言うことは「お金の正体は信頼である」ということだ。兌換紙幣ではない福沢諭吉が書かれたお札が一万円分の価値を持つのは、日本という国がその価値を保証しているからだ。日本の権威(権力)が及ばない場所ではただの紙になってしまう。お札や硬貨はお金の本質ではない。今後日本でもモノとしてのお金を手にする機会は減っていく。ただし、カードや電子マネーは「お金を払わなくて良い」のではなく、「後で払う事を約束する」ものであるのを忘れてはいけない。

中国の進化にも驚かされてた一冊だったが、それ以上に考えさせられることが多い一冊だった。

投稿者 collie445 日時 2019年8月1日


最近、しょ~おん先生がツイッターやメールマガジンで書かれていた中国の現在の姿は、私にとって衝撃的でした。これまで私が抱いていた中国のイメージと全く異なるものだったからです。米中覇権戦争や、国家ライフサイクルから考え、中国の経済的繁栄は終わりつつあると思っていたのです。また、中国人はマナーが悪いと思い込んでいました。しかし、しょ~おん先生が視察した中国の様子や、本書の記述から、オンラインとオフラインが融合し、遥かに進んだビジネスモデルと、信用情報のスコア化によりマナーがよくなった中国の様子を知ることができました。

中国は反日統一共同戦線戦略など戦略に長けた国と聞いています。本書で取り上げられた「平安保険グループ」やフーマ-などを手掛けるアリババの取り組みも戦略的に取り組んでいて驚愕しました。

一方、我が国日本はどうでしよう。最近、母に頼まれて、とあるデパートのオンラインストアで、お中元をネット注文しました。毎年毎年そのデパートのリアル店舗で、お中元とお歳暮を同じ方に送っています。しかし、オンラインストアとリアル店舗で、データは共有されていないため、住所などのデータを入れ直さなければなりませんでした。

ユニクロは、オンラインストアとリアル店舗のデータが共有されていて、ユニクロアプリから両方の購入履歴を確認することができます。最近、店舗に行ってびっくりしたのは、セルフレジになっていたことです。しかも、商品が入ったカゴをレジの横に置くだけで、全ての商品が入力され、驚きました。どういう仕組みが調べたところ、ICタグが使われているとのことでした。

中国では更に進んで、カメラで撮影しているだけとのこと。そして、機械にできるところは任せて、人と人とのコミュニケーションには、人を配置しておもてなしを行う。

細やかな対応は日本が得意と言われます。データを上手く活用して、細やかなコミュニケーションで、タイムリーな提案ができる仕組みを作りたいと思います。先日読んだとあるメールマガジンでは、美容院のアフターフォローメールの事例を見ました。季節などを考慮した場合分けをしたステップメールで、顧客との接点を保ちつつ、ケアが必要なタイミングで期間限定クーポンを配布するなどの取り組みが紹介されていました。

おふざけと人の温かみという日本人の強みを活かしつつ、ビジネスに取り入れていきたいと思います。

これからもデジタルが人の良さを引き出し、コツコツが認められる社会になっていくための冒険を皆さんとご一緒できたらうれしいです。(P.197)

最後に、全世界でこうした取り組みが行われ、戦争がない世の中が実現したらいいなと思いました。

投稿者 H.J 日時 2019年8月1日


”当事者意識”

この言葉が本書を読み解くうえで一つのワードになると感じた。

まず、中国がキャッシュレス化し、アフターデジタルに移行できたきっかけは、本書で言われてる様に共産党社会による政治的な一因はあるだろうが、何よりも当事者意識だと感じた。
中国におけるキャッシュレス化は、中国に住む人々の暮らしを効率化したことは間違いないだろう。
たとえば、キャッシュレス化以前は、公共料金などの支払いのために1時間以上も待っていたらしいが、今ではスマホ1台で送金ができるため、数十秒で支払える。
こういった時間の問題や中国内で偽札が出回っていた背景から、利用者はお金に対して不満を持っていたのではないかと考えられる。
だとすれば、キャッシュレス化の波が押し寄せられた際に、皆が当事者意識を持って浸透していったことが想像できる。
資本主義の世界でお金を信用できなければ、生きていくことも困難だろうし、支払いにかける時間をもっと有効に使えるはずと考えるのが自然だ。
そんな不安をデジタルによって解決できるのであれば、自らの意思でその救いの手を掴むだろう。

そう考えると日本は現金の信用もあるし、緊急性を感じていない人が殆どなのではないか。
キャッシュレス化という部分だけで見てみると、スマホ決済戦国時代などとマスコミが囃し立ててるが、結局は期間限定のポイント還元で各社が宣伝しているだけである。
そのため、そのイベント期間だけ一時的な利用をして、あとは現金払いに戻る。というパターンも私の周りでは珍しくない。
そもそも、チェーン店以外の店舗ではスマホ決済を導入してないところや導入してもすぐにやめてしまう店舗が多い。
不正使用などの問題により、信用を失ってしまう事態も起こしている。

緊急性がないことに加え、こういった浸透に時間のかかる国内を見ると、
本書でも紹介されている悪例や行動データへの偏見なども手伝い、利用者側もさることながら企業側にもアフターデジタルへの当事者意識を感じない。

とはいえ、日本でも私の知らないところで徐々にアフターデジタル化は進んでいるだろう。
かつて、連絡手段が電話からメール、メールからLINEに移行した様に気づいたら変わってるなんてことになってるだろう。
その時に、取り残されない様に当事者意識を持ってデジタルの知識を学び、適応していく必要がある。

当事者意識を持って取り組むといえば、p174から始まる「日本企業が変わるには」で説明されている部分も大切な部分だと思った。
同じイメージを共有して実行するラインを作る。ことが大切な要素として書かれているが、これは変革ラインの人々がそれぞれ当事者意識を持たねば始まらない話である。

当事者意識は現状の物事を理解して、初めて持てる意識だからだ。

本書を読んでいてふと思ったのだが、アフターデジタルに移行している世の中の一方で高齢者 などのデジタル化に対応できなかった人たちはいるのだろうか?
いるとしたら、どうなっているのだろうか?
そして、そのデジタル難民を助けるサービス等はあるのだろうか?
アフターデジタルの世界では、そういった人々を助けるサービスも一つの道なのかもしれない。

投稿者 wapooh 日時 2019年8月1日


201907『アフターデジタル -オフラインの無い時代に生き残る-』を読んで
 ■お天道様は見ているが現実のものとなる
第一章を読み始めた頃の自分の中に浮かんできた感想はこの一言に尽きた。
日本はビフォアデジタルの社会にいるので、先を行く中国のアフターデジタル社会を想像するのには世界と言う枠を一つ別の次元で構築して読み進めなくては理解できない。『アフターデジタル=すべてがオンラインになれるわけでもなく、オフラインだけでもなく、両者が溶け合った世界』で、(市場経済と言う切り口で見れば?)『最終的には店舗売り上げが4割の世界』と言う事だ。4割が実態を伴うリアルでやり取りされ、残り6割はデータインフラの下にやり取りがなされる世界。
「デジタルが付加価値ではなく基盤」を常に意識して読み進める必要があった。
その中でとても刺さった一語句がある⇒『包括的に生活を支援するエコシステム』。その次が『有機的なつながり』
第一章の社会システムは市場活動・経済主導で形成されていると言う事だろうか。データインフラは人間活動で起こりうる予測と実際に収集された顧客データやアプリで誘導する会員データ、およびそこから導かれる法則(決定木の集積)をもとに中国(アリババ他)が構築してきたシステム。
これまでの課題図書から、私は「ビックデータの時代に入り、膨大で様々な人間活動がデータ化され蓄積され解析され利用可能な社会になった、人間活動は国や人種宗教に限られることなく大よそ似た傾向がある。喜怒哀楽や損得勘定、行動の起源となる感情には共通するものがある。その結果、『現代は幸せさえ科学的に解析されて、幸せな生き方の方法論が提示されている』じゃないか」と学んだ。データを用いることで本書に紹介されている図式の法則を見出して先回りし人々の行動を誘導する(こに人々の生活の利益と需要と市場と正気を見出す)、社会も市場も顧客(人間)が相互に有機的に『良いように』働きかける行動を促し、個々人の信用と行動を結び付けてさらに『行動=貨幣価値』に還元できるようなシステムにする。
「富や豊かさの指標と考えているお金=ゲームのポイント。労働だけではなく行動も同等に扱われて加算されて、生き方の可能性が広がる仕組み」と思っていたら、本文に「RPG」の例示が出てきて同意した。
ポイントと言う観点では生まれながらに環境によってポイントに既に差が生じるだろうし、本書の中の『アルゴリズムフェアネス』の懸念も納得できる今後の課題だ。
中国ですでに構築されているデータ収集方法や活用事例=プラットフォームを拡大して日本や世界にも適用すれば、中国はアフターデジタルの世界の覇権を握れるのだろうか。北欧や、GAFA既存の先行するプラットフォームはある。いつ世界中がOMOに溶け込んでもおかしくないが独占する企業・国はどこなのか、自分には想像できない。
まずは日本。日本でプラットフォームの形成は困難なのか?浅薄すぎるが、人々の生活を包括的に配慮したネットワーク市場なら、財閥ビジネスはそれにあたったのではないか?日本には、衣食住。建築車重および化学工業等のハードから御用聞きや保険、消費としての文化娯楽のソフトまで補完され揃っている。私達は一つのまとまった社会の中で生きてきていないか?世界の中でも様々な可能性を享受できているのであろう我々のこれまでを垣根を外して、履歴・データ集出来れば、多様性のある幅の広い基盤が出来そうにも感じられる。
デジタルから求まる世界は、データを収集して解析するわけなので現存した中から生まれる。イノベーションは未来のデータをもとに起こり次第に現実に普及して(=データが更新)行くのだから、デジタルが人を導く社会になっても、思考停止してはならない。人間自身が主導権を握ると決めて生きなくては、幸せを享受できないのではないか。第3-4章で畳みかけるように、これから日本人がどのように生きて行けばよいのかの提案を読みながら思った。私には子供はいないが、もし子供がいてこれからの未来を生き抜くために語り掛け身に付けられるように育てたい「物事の道徳的な善し悪しの分別、他者を思いやる気持ちや配慮、共有できる優しさや温かさと喜び、それらを表現できる言語化能力=読書と文章力の大切さ」を教えたい、と思った。
ネットでデジタル化社会を議論している識者から、『東洋思想と西洋思想』と言う文字を目にする機会が頻繁にある。『Wettability=湿式』これはアジア特に日本において感じる事だし、私がかかわる製剤技術の世界でも培われてきたもの。軟水に恵まれており、米・麦・汁などの水気・湿気に満ちた文化。対して、欧米(西洋)は『Dryness=乾式』の社会だ。環境的に水がない。デジタルにおいて人間が主導であるために湿気が機能する。そう思ったら、パン・スープ食よりも米・味噌汁を主体に食事をするようになった。
本書を読み、過去の課題図書で吸収したで様々な事例をしょうおんさんから紹介いただき吸収した種々の情報がつながりを持ち脳が刺激を受けて楽しい半面、いつもながら、最終日に読み終えることになってしまい、膨大な情報が一気に詰め込まれて、感想文をまとめるようと頭の中を整理しようにも整理がつかないまま窓の外は白んでいる。『日を置いて何度も読み返し、思考を練りなさい』と言うしょうおんさんの講評の言葉が毎度身に沁みる月初。アウトプットすることで脳内にビットを立て続けることだけは続けたい。今月も良書を有難うございました。