投稿者 mkse22 日時 2021年2月28日
「ヒトの目、驚異の進化」を読んで
本書は視覚について進化の観点からの研究結果を一般読者にもわかるように書かれたものだ。
著者は進化理論神経科学者で、生物の能力は環境に適合するように変化していることを前提に
視覚の研究を行っている。
視覚には超人的な能力があり、具体的には色覚、両眼視、動体視力、物体認識には、
それぞれテレパシー、投資、未来予見、霊読能力があるという結論を導き出している。
本書の魅力は以下の2点にあると思う。
・科学と超能力の結びつき
科学的な分析により視覚には超能力があるという結論を導き出しており、
この結論に私は驚いた。同時に科学と非科学の境界線は
揺れ動いていると感じた。
ただ、本書の超能力は世間がイメージする超能力と同じではない。
未来予見能力では0.1秒先までしか予見できない。
超能力といっても意外としょぼいのだ。これを知ったとき正直がっかりした。
ただ、このイメージの差は世間の超能力のイメージが雑すぎることに起因するかもしれない。
もし、世間のイメージ通りの超能力をもってしまうと、
一般社会では生き辛くなってしまう可能性があるのだ。
例えば、怪力すぎたら、ちょっとした動作で他人を簡単に傷つけてしまうなどだ。
本書では超能力のメリット・デメリットについての記載があり、とても興味深い内容だ。
・研究の追体験
本書では一流の研究者の研究の進め方を追体験できる。
一般書のため、学問的な厳密さは犠牲になっているだろうが、
前提から仮説を立ててデータから検証する流れは
読者に伝わるようにわかりやすく記載されているように感じた。
特に両眼視のメリットを見つけるためにテレビゲームを利用した理由である
一つ目怪物的性質には驚いた。
なぜなら、私は昔テレビゲームにはまっていた時期があり、
そのときにある種のゲームのやりにくさを感じていたが、
そのやりにくさが本書でいう一つ目怪物的性質にあったことがわかったからだ。
本書のいう進化の観点からの分析の特徴は分析対象の存在の肯定にあると思う。
分析対象の能力は、自然環境の中で人間が生存していくために最適化されたものとして考え、
その能力がどのように必要があるのかを仮説を立てながら調べるのだ。
進化の過程で取得した能力には不要なものはないというわけだ。
良い例は錯視だ。錯視自体は昔から知られていたが、実際にどのように役にたつのかは
私にはわからなかった。本書を読むまでは不要な能力と考えていた。
しかし、進化の観点からは錯覚は未来予見のために必要な能力という説明が可能となる。
分析対象が不要な能力と判断する根拠がみつからない限り、見落としの可能性があるため、
まずは必要なものと考えたほうが安全だろう。
この進化の観点からの分析は別の対象にも応用可能だ
例えば、分析対象を社会的な慣習、適応対象を社会とし、
社会的な慣習の例として官僚の天下りについて考えてみよう。
なぜ天下りはなくならないのだろうか。
まず官僚の天下りが社会の中で官僚が生活していくために必要な慣習と見做す。
そして官僚の能力が役所でのみ通用するものと仮定して分析してみよう。
事務次官などトップになることができるのは一握りだ。
それ以外の官僚はある年齢から定年まで地位は変わらない。
ただ、組織の新陳代謝の面からそれ以外の官僚には去ってもらう必要がある。
もし、官僚の能力が一般企業でも通じるものであれば、相応の地位を約束してくれる企業に転職すればよい。
しかし、そうでない場合、現在の地位にしがみついてしまい、組織の新陳代謝が進まない。
さらに事務次官になれない場合のデメリットが大きすぎるため、出世競争が苛烈化してしまい、
健全な競争を阻害してしまう可能性がある。
事務次官などトップの官僚には高い能力が求められるため、官僚同士を切磋琢磨させる意味でも
出世競争は必要だ。
ただ、事務次官などトップの役職には就けなかった役人にも、健全な出世競争に対する努力と見合う相応のメリットが必要だ。
以上より、天下りがなくならない理由は
「官僚の能力が役所でのみ通用するもので健全な出世競争を促すために、努力と見合う相応のメリットが必要だから」
である。
進化の観点からの分析は、分析対象の現在の状態を肯定し、それを正当化する説明を見つけ出すやり方だ。
自分の意見と合わないものについては感情的に否定する傾向がある人にとっては有益な考えかもしれない。
今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。