投稿者 H.J 日時 2020年3月31日
時は明治。
武士の時代が終わり、国が近代化を目指している中、武家の教育を受けて育った杉本鉞子さんが本書の主人公。
その教育の始まりは6歳の頃。当時女の子としては異例である漢籍を学び、習字では運筆を辛抱強く練習することを通して、心を制御することを学んだという。
そんな男の子のような教育を受けながらも裁縫やお茶などの家事向けのことも学んだ。
武士である父の死後に戻ってきた兄の勧めで縁談が決まり、アメリカに嫁ぐことになる。
渡米までの間、花嫁修業と英語の勉強をするために東京に上京。
東京で入学した宣教師の経営する学校で、今までと正反対の価値観に触れ、自由の精神が芽生える。
その後、これまで尼になるために育てられてきた鉞子さんが、自分の意思でキリスト教入信の道を選択する。
私は、この学校生活に於ける価値観の変化というのが、その後の鉞子さんの人生を大きく導いた様に思えるのだ。
一例をあげるのであれば、今より90年以上前にアメリカで発行された本書が現地の人々に認められて、世界7か国で翻訳され、日本では今も残る名書になっている。
まず、日本古風の価値観しか持ち合わせてなければ、現地の人々の共感を得ることは難しいだろうし、90年以上も語り継がれる名書になるとは考え難い。
たとえば、外国人が日本で本を書いたとして、それが母国の価値観で書かれてる本であったのならば、物珍しさはあるが90年以上も語り継がれる様な本にならないだろう。
本書が名書と言われる背景には、著者である鉞子さんに日本文化の幅広い教養があることはもちろんだが、西洋に対する理解とリスペクトがあったうえで、日本との対比が描かれているからであると感じた。
その対比についても、日本(東洋)の教育と西洋の教育の両方を経験した人ならではの視点だからこそ、読む人を惹きつける。
この時代の人で、武士の娘という肩書を持ち、男女両性の教育を受け、仏教とキリスト教、東洋と西洋の文化を両方とも学んで触れた経験がある人が他にいるのだろうか。
私は知らない。
机上の空論ではなく、実体験で書かれていることが、本書に惹かれる一因である様に思える。
また、当時の日本の様子をここまで具体的に書き記されていることにも驚いた。
本書は100年以上経った現代の日本人でも知らないことが多々書き記されている。
(たとえば、子ども時代のほんの少し体傾けただけでお稽古中断など)
以上のことからも、本書は日本という国を知るためのバイブルとしての側面を持っていると言えるだろう。
価値観の話に戻すと、日本古風の規律を重んじる教育によって作り上げられた土台を正反対の自由な価値観に触れたことで、価値観がアップデートされている。
ここで大事なのは、価値観の反転ではなく、価値観のアップデートだということ。
鉞子さんは決して、幼少期に作り上げた土台を壊しているわけではない。
このことは『旧きものと新しきものとを適わせてゆこうとする私の努力は唯むなしく挫かれ、どちらか一方をたて、他方を捨てる様な結果に終るのが時折の落胆でありました。(p320)』という言葉だったり、本書で日本古風の価値観について度々触れてることからも読み取れる。
同時に、私はこの価値観のアップデートに既視感を感じた。
そう、先生のセミナーの基本編だ。
科学原理主義の価値観を怪しい系の価値観に触れることで価値観をアップデートしている。
これが、価値観の反転であれば、ただのヤバい奴になってしまう。
そして、この価値観のアップデートの先には”自由”があると思った。
なぜなら、一つの価値観のみでは、自由に限度があるからだ。
たとえば、科学原理主義の価値観のままでは、科学で証明できることだけを信じて行動する。
科学の枠の中でしか物事を考えないということだ。
そこに怪しい系という価値観があればどうだろう?
科学で証明できない楽しい自由がたくさんある。
鳥かごに入った鳥が飛ぶ範囲に限度がある様に、一方の価値観というかごに入ったままでは自由に限度があるのだ。
この自由というものに対して、鉞子さんは以下の様に書き記している。
『真の自由は、行動や言動や思想の自由を遥かにこえて発展しようとする精神的な力にあるのだということが判りました(P173)』
時代に囚われない本質的な言葉である様に感じる。
どんな状況下においても、発展しようとする人を捉えることはできない。
つまり、「発展しようとする精神的な力こそ、誰の影響も受けない自分だけの自由なのだ。」と受け取れる。
それは、男尊女卑の名残が残る本書の時代でも、現代でも不変である。
発展しようとしない人は今までの価値観に従い、発展しようとする人は価値観を柔軟にアップデートする。
それは先述の通り、価値観を広げないと自由に限度があることを知っているからかもしれない。
そう考えると、自由というのは与えられるものでなく、自ら掴みにいくものなのだ。
今の世の中では、国民が力を合わせなければならない状況下においても、コロナウイルスによる外出自粛の要請ぐらいで自由が奪われるとか幼稚な反論が出る始末。
もし、そんな人が私の目の前に現れたら、真の自由の定義と共に本書をプレゼントしようかな。