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第21回目(2013年1月)の課題本

1月の課題図書は、日本将棋連盟元会長の米長邦雄氏の逝去を悼み、

運を育てる─肝心なのは負けたあと

 

運を育てる─肝心なのは負けたあと

 

とします。

サラッと読めるからと言って流し読みをしちゃいけません。

私が怪しい系の勉強をするきっかけになった本と言ってもおかしく無い名著で、
これを読んでから人生の運気が変わって来たのですよ。
運とは実は本人のこころでいかようにも変化させることが出来る(つまり、いま
あなたが不運なのはあなたのこころに原因があるという事です)という思想と、
幸運を掴むための方法論を見つけたのは、運とは縁の無い勝負師であったところ
がスゴいと思います。

【しょ~おんコメント】

1月の課題本の優秀賞を発表します。


今月は、過去最多の38名の方にカキコしてもらいました。

ここのところ毎月数が増えていて、投稿を全部読むのも結構大変だったりします。


今回の本は、みなさんエッセンスを捉えやすかったようで、突飛なコメントもなく(だからこそ)選ぶのが大変でした。


そういう場合にはエイヤで選ぶようにしているのですが、今月は、「6339861」さんに差し上げる事にしました。


いつも言うように、課題図書はきっかけ作りに過ぎず、ここから読書の幅を広げて欲しいという事。この方は3冊読んでから投稿してくれたと言うところがポイント。もう一つが、実際の生活に活かすという事。本を読んで終わりじゃ人生は変わらないのです。この方、読んだ後に早速実践したようです。


投稿で差がつかない時にはこういう選び方もするって事で、これまたいつものパターンでした。

【頂いたコメント】

 

投稿者 mmnn 日時
私にとって、「夜と霧」に次ぐ良書だった。

現在、私はある資格試験合格を目指し、
もう何年も勉強を続けている。

しょ~おんさんのセミナーで運の大事さに気づき、
私にもいつか勝利の女神が微笑んでくれたら
と思っている。

しかし、試験合格だけが勝利ではない、
むしろ勝利ではないのかもしれない。
とこの本を読んで思った。

この本のタイトルの通り、
「運を育てる-肝心なのは負けたあと」
まさしく、結果を出せていない今が
大事なことに改めて気付かされた。

合格するためには、勉強をしなければならない。
結果が出せていないのは、勉強時間が足りないからだ。
だから、他のことを犠牲にして勉強時間を
作り出さないといけない。

もう何年も、ずっとこう信じて勉強をしてきた。

その過程で、犠牲にしてきたこと、
さぼってきたこと、多々あったであろう。

これが、女神が微笑んでくれなかった
理由ではないだろうか。

何事にも全力を注ぐ、義理人情をないがしろに
してはいけない、このような些細なことでも
怠ると女神はそっぽを向いてしまうのだ。

本書を読み終わって、慌てて、出し漏れていた
年賀状を出すために、郵便局に年賀状を買いに行き、
印刷して、ポストに投函した。もちろんその日のうちに。

話は変わるが、本書の冒頭にも書かれているように、
謙虚さと笑いが運の基本らしい。

謙虚さというのは女神が好みそうでよく分かるが、
笑いというのは意外だった。

しかし、私の好きなお笑い芸人ダウンタウンの
松本人志さんは自書「遺書」の中でこう述べている。

幼い頃、勉強も運動もできない自分が
人を笑わせることで認められた時、
「笑いって武器になるんやなあ」と思った・・・

自分の人生を思い返しても、高校までの
暗い自分より、大学から明るくなった自分の方が
幸せで楽しかった。これは、お笑いの力が
あったのだろう。関西から関東に出てきた
社会人時代、初めての職場で仕事をするうえで
笑いが確かに武器になったのも思い出せる。

勉強ばかりして、笑いが全くなかった時期がある。

今は、勉強時間をある程度考えて、家族との時間も
大事にしている。だから、最近は笑いも多く、幸せなんだ。

今年の目標は、何事にも全力投球、謙虚さ、笑い、
この3つにしよう。

家族との時間、仕事、勉強、そして副業、
すべてに全力投球だ。試験合格だけが勝利ではないが、
いつか勝つと私はずっと思っている。そう信じて
勉強し続ける、受験し続けるその過程を
女神は見ているのであろう。

一昨日、試験勉強を続けてきたことについて
妻と話す機会があった。結果の出せていない
今までの勉強は無駄じゃないかと言った私に、
妻は優しい言葉をかけてくれた。

私がずっと勉強し続けてきた姿は無駄じゃないよ。
その証拠に、娘はそんな私を見ているから、
遊びやスポーツに忙しい中でも、集中して
勉強するくせはついているでしょう。
親が勉強する姿を見せるのはいいことだよ、と。

結果が全てだけど、結果だけじゃない。
やっぱり過程も大事なんだ。
(過程も大事、家庭も大事!)

だから、これからも焦らず、腐らず、コツコツと
試験勉強を続けていこう。

いつか女神が振り向いてくれる日のために。

しょ~おんさん、良書のご紹介ありがとうございました。

 

投稿者 ntotheg8 日時

米長 邦雄さんというと、園遊会で今上天皇にたしなめられたウッカリした人というイメージでしたが、
この本を読んですごい人だったことがわかりまして、自分の浅はかさを反省した次第です。
子育ての話、歴史の話、政治の話どれをとっても秀逸ですね。
勝利の女神に嫌われると失敗するというのがよくわかりました。
クラスで特に努力もしてないように見えていい結果を出していた人っていうのは、
勝利の女神に好かれることをしてたんですね。
自分も過去を振り返ってみると、うまく行ったときは、勝利の女神に好かれることをしてましたし、
逆にうまくいっていないときは、嫌われることをしていたことに気づきました。
とりあえず、うちの山の神から味方につけて行かないといけないですね。
今回も、本当に良い本をありがとうございました。

 

投稿者 Bizuayeu 日時

僕は将棋は指せませんが、勝負師の哲学は
サラリーマンも知っておくべきだと思います。
弱肉強食の理から人間だけが逃れられるはずは
無いのだから、勝ち方を知らない=死です。

ではどのように勝てば良いのか?
僕が米長永世棋聖の著書から感銘を受けたのは、
以下の五つの考えでした。
 ・弱い者ほど結論を先に出したがる
 ・最善手を見つけるより、悪手を指さない方が大切
 ・攻めるときは平凡に、守るときは凌いで咎める
 ・ある程度から先は勝負観の優劣で決まる
 ・勝利の女神に好かれる人生を送る

ビジネスにおいてスピードは非常に大切です。
しかし、それが思考を放棄することの免罪符に
なるわけではありません。迷いながらも決断し、
走りながら考え、局面を整えていく必要があります。
仮説を磨き、結果が見えたときにこそ結論が出せるわけで、
その前に結論を出してしまうのは怠慢でしかありません。

そして、走りながら考えるときに大事なのは、
最善手を見つけることよりも悪手を指さないことです。
状況を悪化させる一手さえ打たなければ、
そこから得られる情報が次の一手を助けます。
ただし、手を打ち続けるための気力と体力が
備わっていないと、消耗して負けてしまいます。

だからこそ、凌ぐ力を持った人間が強いとも言えます。
守勢に回ったとしても相手のミスを根気強く伺い、
そこを突いて形勢を引っ繰り返すという作戦を
採ることが出来るからです。攻めの環境にあるときは
平凡であることが最大の効果を発揮するので、
強くない人間でも勝ちを拾えることがありますが、
守りの環境で勝つには実力が不可欠です。

さて、今まではHowのレベルの話でしたが、
勝負勘の優劣や勝利の女神の話は
WhatやWhyのレベルの話になります。

勝負とは何なのか、何故勝つ必要があるのか、
それを自分のものにしていなければ、
いくら技術があっても人間に迫力が出ません。
迫力の無い人間に他人を動かすことは出来ず、
他人を動かすことの出来ない人間が
大きな仕事を成し遂げることは出来ないでしょう。
優れた観を持ってこそ、一流なのだと思います。

この考えを突き詰めると、人生も観次第という
結論に辿り着きます。勝利の女神に好かれようと
勝負と謙虚と笑いを大切にした師の人生が、
棋界を越えて多くの人に感銘を与えたことは、
その証明に他なりません。ご冥福をお祈り致します。

 

投稿者 minoru 日時

「運を育てる」を読んで


人生を歩む中で、人間の能力を超えた不思議な力を感じることがある。
そのような不思議な力を人々は「運」と呼ぶのではないか?

私は、何かを成し遂げるには「努力×才能×運」の3つが重要であると考えている。

3つの要素を示すのに「×」を用いたように、それぞれは掛け算であるので
もちろん「努力」や「才能」が「0(ゼロ)」であれば
何も成し遂げることはできないだろう。

しかし、やはり「運」がもっとも大きな比重を占めている気がする。

では、最も重要な「運」をよくするにはどうしたらよいのか?

この本では、将棋という勝負師の世界で生きる著者が考える
勝利の女神に振り向いてもらう方法が随所に散りばめられている。


まず「笑い」「謙虚さ」「信念」この3つがキーワードではないか。

勝利の女神は正しいか否かよりも、
「笑い・謙虚さ・信念」があるかどうかを重視しているという。

「笑う門には福きたる」という言葉は、まさに真実を表しているのだろう。
「笑い」が多い環境では、人々の心がほぐれる。
そして心がほぐれることで、本来の力を発揮することができる。

周りの人を「笑顔」に出来る人は、幸せな気持ちを拡げることができる人。
そんな人には、勝利の女神もご褒美をあげたくなるのだろう。

ではどのように「笑い」を提供するか。
それには、「心構え」と「準備」が必要だと思う。

よく欧米人は、アイスブレイクにジョークを利用する。
このように「笑い」で場を和まずことを意識して、
準備していたジョークを利用することで仲良くなることも一つの方法だろう。

私も「ジョーク」や「すべらない話」のようなネタを準備したいと思いました。


さらに著者は「謙虚さ」と「信念」を矛盾させずに
自分の中に兼ね備えることが重要だと述べる。

私は、まず先に自分の「信念」を持ちつつ、
周りの意見を受け止められる「謙虚さ」が必要なのだと思う。

受け入れる必要はないが、受け止めたことを真摯に示す。

この「謙虚さ」があればこそ、周りの人との関係がスムーズになり
自分の信念を認めてくれる味方が増えたり、
少なくとも敵を増やさないことにつながるのだと思う。


このように「運」が重要だと考える私が、初め腑に落ちなかったのが、
『勝負や商売において最も重要なのは「鈍」である』という部分だ。

単純に「運・鈍・根」を調べると
「鈍」は「鈍いくらい愚直に」などと説明されているが、
著者の述べる「鈍」のニュアンスは少し違う感じがする。

文の中では
『人間の脳は、爬虫類の脳(脳幹)、哺乳類の脳(旧皮質)、人間の脳(新皮質)
の三層構造になっている。』や『深沈厚重、磊落豪雄、聡明才弁』など、
いくつかのエピソードでそのニュアンスを伝えているが、
私の中でいまいち腑に落ちない感が残る。

「深沈厚重」の意味としては
「どっしりとして重みがあり、落ち着いていて動じないこと。 
寛容でいてかつ、威容も持ち合わせている様。」のように説明されている。

今の時点での私の感覚では、『多くの情報に惑わされるのではなく、
「自分の信念」や「感覚(動物的カン・体が発する危険信号)」によって判断する事』
ではないかと感じました。

この「鈍」を正しく理解し、体得することは今後のテーマの一つにしたいと思います。

 

投稿者 akiko3 日時

「運を育てる」を読んで

“運も実力のうち“
とあるラジオの対談番組で、翻訳者が言われていた。いざチャンスが来た時に、「やります!」と即答できるかどうかは、それまでに、どれだけ努力していたかに左右されるからだ。どうしよう…自分にできるか…と躊躇っていたら、チャンスの神様は通り過ぎてしまう。
最近、何度か公民館の自習室に勉強をしに行った。受験前の高校生であろうか、寸暇を惜しみ真剣に問題集に取り組むピリピリとした緊張感が、いい刺激になったからだ。(姐さん、場違いでっせ、と彼らにとっては迷惑だったかもしれないが…)もし、私が神様だったら、とふと考えた。こんなに必死に勉強している彼らは、正直、甲乙つけがたい。けど、ちょっとした場面での、他者への思いやりや謙虚さ、礼儀正しい物腰を垣間見た時、受かるといいねってついえこひいきが入った。ああ、これが神様目線なんだろうなと思った。(決して好みで判断はしていない。)
わが身を振り返っても、絶対、実力では入学できない大学に入れた。自分の人生、下駄履き人生だと後ろめたくも思っていた。でも、当時は、全然、意識していなかったが、なぜか、あの頃は一旦通りすぎた後でも、やっぱりと引き返してゴミを拾ってゴミ箱に入れたり、なんか誰も見ていなくても、自分の心に対して、正直であろうと素直に行動していた記憶がある。ゴミ拾いという些細な行為でも、いわゆる隠徳を積むということのご褒美だったのかなと今にして思う。後ろめたく思わなくていいのか♪(しかし、下駄は下駄分、入ってから苦労した…。)

高校生は、まだ素直だし、無欲で、ここぞという時、クリアーできればいいかもしれないが、社会にでてからは、大小さまざまな勝負の連続である。計算高く、全勝を目指し、自己啓発し、賢くなろうとしていたが、物がわかりすぎるのもよくないとは、盲点であった。感性研ぎ澄ませ、チャンス到来を確実に物にできるよう、鋭く、鋭くと思っていたのに、鈍感であれとは、どうやったら鈍感になれるのか?

本の中で羽生善治竜王の“目がきれい“とあった。
目がきれいというのは、見えない世界を探求し始めた頃から意識したことだった。(過去形ということは、最近、意識していなかったことに気づかされ、反省…)心がきれいであれば、心の窓である目に表れる。よけいな自我を出さず、利他の心で生きれば、見えない世界の応援が入りやすくなる。思ったことの叶うスピードが速くなる。そんな風に聞いた。自我がでるから余計なことをしたり、判断を誤ったりする。無になって委ねて動かされるのが極意。(決して、まな板の魚のようにひっくり返って何もしないという事ではない、物事を成し遂げる過程の努力はもちろん必要。)
思いっきり忘れてるし、意識していないと流されてしまう現実。何度も何度も、本や日常での現象や出来事で立ち止まり、刷り込んで、刷り込んで、自分の中にしっかり落とし込まないといけないと改めて思った。

良書リストを全部読まれた方は、人生の大逆転や大勝利をされているそうだが、課題図書に取り組むだけでも、内容がかぶっていることに気づく。
例えば、米長名人も悩んだ時、“自分が○○だったらどう考えるか”とシュミレーションしてみたり、(おおっ、あの軽~い感じでさらっと書かれていた自己啓発本にあったぞ、いや、人称のあっちの先生のでもあるか!)と、オリエンテーションで答えを見つけたような楽しさを味わった。
将棋の腕を磨く上で身につけた能力が、家庭内の悩み解決にサクッと使えたり、これってあの開発者の水平展開ってことよね~とか。
何かを極めることは、決して狭い穴の奥へ奥へと小さく入り込むことではなく、進めば進むほど、間口が広く深くなっていくことなのだとの思いを強くした。真理は不変なのだ。だから、良書リストを読破したら、その過程で自分の中のOSは、変わらざるをえないだろう。

さて、これからの人生で、何を極めていこうとしているのか?将棋の世界で生きていく!といった確固とした、この世界と言えるものはないが、とりあえず、今週末はとある面接がある。心静かに面接に意識を合わせてみよう。何か具体的な指令が閃くかもしれない。会場にも早めにいって場に馴染んでおこう。ここんとこ、かなり意識して品行方正、迅速、誠実をモットーにしておりま-す。
それに、“負けた後、どうするか”この言葉があれば、これからの生き方は、俄然有意義なものにしかならない。

未来を予知することができずとも、何もわからなくても、良心に基づいて努力すれば大丈夫な気がしてきた。ある意味、ぽけ~っとして、ただ目の前に現われることを誠実にこなしていればいいのかもしれない。人生はシンプルだ。

有り難き、人生の数々に、心からありがとうございます。

 

投稿者 omieakanat 日時

運を育てる─肝心なのは負けたあと の感想


私は恥ずかしながら、将棋は打ったことがありません。
よって、この将棋の世界も、米長さんの名前も全く
知りませんでした。しかし、さすがどの世界でも
超一流人の話は面白い。それは米長さんの立場
でないと見えないことが感じられるからだと思います。

米長さんの性格とか人柄もあると思うのですが、
シリアスな将棋の世界を、ユーモラスで多様な表現で
書かれていて読み物としてすごく面白かったです。

早々と他の本も読みたくなって、関連本も購入して
しまいました。


それにしても運というのは捉えどころが無い
ものですね。ほんとに風のようなもの。

今までは順風だけが良いように思えましたが、
逆風も、無風も立ち位置が変われば順風(幸運)
だということでハッと自分の考え方と結びつきました。

私は、以前より「人生は川を流れる葉っぱのようなもの」
だと考えて生きています。

川に落ちて流される葉っぱには、順調に流されて
海まで辿り着くものもあれば、側溝に詰まって
腐って終わる葉っぱもあるという考え方です。

流されている時、葉っぱは川の力に抵抗できず、
運命に身をまかせています。

しかし、結局海まで辿りつこうが、川の側溝に
嵌ろうが、葉っぱにとっては良い悪いはありません。

つまり、外部環境が葉っぱに与える影響というのは
コントロール出来ないものであり、無価値(何も無かった
事と一緒)なのではないかと。

これに気付いた時、人間も同じだと気付きました。

人間でいうと順風満帆に長寿で名を残す人物もいれば、
罪を裁かれて終わる人物もいます。これは本質的には、
元々の外部環境もあってそういう結果になったという
だけであり、結果から善悪は判断できないのではないか
と思うようになりました。

だとすれば重要な部分は生きざまです。

人間にできて、葉っぱに出来ないことは努力です。

「外部環境」や「他人の目」は無価値なのだから
(コントロールできないのだから)、コツコツ
努力をつづけて、スキルを身につけ、自分が
設定した場所へ辿りつければいいじゃないかと
思うようになり、今日、自己啓発オタクになって
おります(笑)。


私は今回、この本を3回読みました。
2回目までは、勝利の女神にばかり目が行っておりました。
日々の生活、仕事上で運気、相手の気を読まなければ勝負
には勝てないんだなと、勝利の女神に嫌われてしまうこと
の恐ろしさが身にしみました。

しかし、3回目に読んだ時、巻末の大橋巨泉さんの「運に
頼って努力しないのは最低だ」という言葉を見て、
「これはどちらも大事だぞ」と、夢から覚めた気がしました。

努力は物質的なものなので、日々続ける。見える化ができる。
一方運は目に見えにくいもの。であれば、これも見える化して
しまえばいいと思い、自分が考える幸運を、言葉へ落とし込んで、
毎日読み上げることを日課としております。

今回も、大変な良書をを紹介して頂きありがとうございました。

 

投稿者 spicy 日時

将棋にはまったく縁の無い素人です。
将棋とチェス(を一緒にするとお叱りを受けそうですが)の世界は、頭脳勝負の世界であって、
運は関係無いと思っておりました。
この本を読んで、勝負には須らく運が関係しており、
勝負師であれば、運をよくすることを本業の勉強と同じかそれ以上に努力しているのだと知って衝撃を受けました。
興味深いところが2つありました。
ひとつは笑いと運についての所。
笑いの法則というか手法にはいろいろありますが、よくあるのが、現象を客観視して、うまいこと言って人を笑わせるたり、その場の人をイジって笑いを取るなどです。
私はイジられるのが苦手(得意な人も珍しい)なのですが、お笑い好きな友人に「
イジられる時こそ美味しい」と教えられたのを思い出しました。
そういう時は突っ込みを入れた人が注目を浴びているので、笑いをとってるように思えますが、
イジられている側が笑いを生み出していると理解しているのがお笑い通なんだそうです。
素人が、日常生活(笑いでお金をもらえるわけでもない状態)で、
その事に気づき、笑いを増幅させるようなリアクションがとれるようになるには、
かなりの度量の広さが必要になってきます。
運の女神のチェックポイントの一つなんだろうと思います。
状況を客観視し、自分を貶めることなく、笑いを増幅させて、相手も自分も楽しめる場を作れるようなような返し言葉を日々用意したいと思います。
もう一つは消化試合も全力で、という所です。
これには頭が下がります。
勝利の女神は結果より過程に興味をもつということを忘れずに、日々精進していこうと改めて自分に言い聞かせました。

 

投稿者 takizawametal 日時

米長邦雄先生の亡き今「運を育てる」を読んで



「運を育てる」は既読本だったのですが、今回改めて
速読編の翌日に速読で再読させてもらいました。

再読してよかったのは、一度目では読めていなかった
部分に改めて気づけた事です。

それは一度目に読んだ時には、セミナーでエポケーの
説明で引き合いに出された、七章の伊藤能さんの話が
とにかく読みたくて読みたくて、ほかの重要な部分を
なおざりにしていました。

特にそれを感じたのが、三章の諸葛孔明と司馬仲達の
話で、こんなに良い教訓を読み飛ばして、記憶の彼方に
追いやっていたのかと自分を叱り飛ばしました。

勝ったからといって、驕ってはいけない。
うまくいった勝ちからも、うまくいかなかった負けからも
(作中では左遷からも)学んで最後に笑えるように今後
の人生に活かす。

これは、しょうおんさんが度々様々な所で言っている

「うまくいった時に「ラッキー」で済まさずに、うまく
いった時こそ、そのプロセスが合っていて再現性がある
のか検証せよ。」

という事そのものだなと思い、ここ最近、親会社の顧客
から次々に仕事の依頼をいただき、ただ単純に

「以前からの根回しが実った!」

と喜ぶだけだった自分への強烈な戒めとなりました。

早速自分一人でだが、この受注ラッシュを、なるべく
多面的な目で検証したところ、2つの要素がうまく絡んで
受注できた事が発見できた。

週明けに会社で、営業部全員で会議を持ちたい。


他にも、勝利の女神を振り向かせるポイントも認識できた。

・進むにしろ引くにしろ、必ず感謝の言葉を入れる。

・平社員の時から社長のような発想をする。
(これはまた、以前の課題図書の「人称」とリンクする!)

・後輩でも教えを受ける時は「先生」と呼ぶ。

・自分は絶対に正しい!だから意見を帰る必要はない!
というのはよくない。

・女神に好かれるように、好かれるようにと、日々を過ごす。


これだけの魂のごちそうを受け取ることができた。

受け取ったからには、心に留めて生きていきたいと思う。

最後になりましたが、米長先生が四六版のまえがきで
書かれていた締めの一文で、

「あと20年経ち、70歳になるまで勝負の深遠さを
研究したならば、この世で女神が最も愛した人物は
【お釈迦さん】だと、確信しそうな予感がしてなりません。」

という一文を読んで、先生が70歳になる半年前に
亡くなってしまわれたのが、悔やまれるような、
いや、でもきっと先生のことだから、半年前にもう悟って
逝かれたのでは?

という思いにかられ胸が熱くなりました。

 

投稿者 nakajirou 日時

この本を読んだ後に普段私がやっている訓練の事が思いかえしてみました。恐らく傍から見ると何をやっているか疑いたくなるようなこともやっているでしょうし、目に見えて成果の出ている部分もありますが、雲をつかむような部分もあり果たして、今やっている事に疑問を感じる時期がなかったわけではありません。ただ今回この本を読み、その考えは正しくないと思うようになりました。

私は中学生の頃はかなり将棋に嵌っていた時期がありましたので、米長邦雄氏の事は昔から知っていました。その当時から非常に突出した才能がある事は有名でした。

そういった背景がありましたので、将棋の名人になるような第一級の実力を持つ方が何故「運」をよくする話しを真剣にする(しかも本まで出す)のだろうと思ったのですが、本書で米長氏が「研究を重ねても、将棋には勝ててい」断言されたことには衝撃を受けました。

努力をしていない人からそのような事を言われても負け惜しみにしか思えませんが、本書でも語られているように自分の弟子にさえ頭を下げて最新の将棋を研究をしている米長氏が、相手も同じように必死に研究をしているタイトル戦で、勝敗を分けるのは実力以外の要素「運」だと結論づけられているのです。

将棋の世界の第一人者が、努力した結果実力を鍛えるだけでなく、運をよくする要素を無視してはいけないとの結論を出されたのに私のような凡人が運をよくする努力に意味があるなかどうか疑いを向けるのは、自分でもおかしく思えました。

目に見えるような結果が出ていない事も、本書で書かれている惜福の心を以て見れば少ないとはいえ結果が出ている事は運がよいと思わなくてはなりませんし、勝利の女神が結果より過程を大事にするのであれば結果が出ていない時期にもじっと耐える事も必要だと思えるようになりました。

同じ事も違う人から言われると違った解釈が出来る事は知っていましたが、私にとって今回の本はものの見事に当て嵌まった感がありました。米長氏が亡くなられた事は大変残念ですが、今回の課題図書を期にこれまで同様の努力を継続する思いを強くする事が出来ました事は改めて感謝したいと思います。

追伸:米長氏が名人になった年に、将棋界の天才羽生善治氏が名人挑戦の資格を持つA級八段に昇級。昇級初年度で名人挑戦権を獲得し、その勢いのままに米長名人を破り名人位を獲得しました。その後の羽生時代を考えますと、米長氏の名人獲得は本当の意味でラストチャンスともいえる時期であり、最終的には勝利の女神に好かれる事に成功したのだなと感じています。

 

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投稿者 6339861 日時

1.運を育てる
2.人間における勝負の研究
3.不運のすすめ

の3冊を読みました。

普段から努力することはもちろん、
女神に嫌われないよう意識することで
運を引き寄せられることを学びました。

まだ、自分が思う結果が得られていないことについて、
直接の努力以外にも原因があることに気づきました。

米長さんは、女神に好かれるためには、
謙虚と笑いが必要だと教えてくれます。

普段の会社員生活では、上司・先輩・同僚・お客様・後輩・・
と色々な方と接します。

このような生活の中で、謙虚と笑いを意識するようになりました。

会議では、謙虚な気持ちでみんなの意見を聴き
自分の発言のときはニコニコしながら、少しでも
笑いを意識して発言すると、狙った落としどころに
うまく着地できるようになりつつあります。

会社生活では、クレームなど自分に不運と
思われることもよくあります。
しかし、不運と思えるところでじっとガマンしていると、
相手も許しくれたり、相手がミスをしたり、
また勝手に自分に有利になることが、実体験で
分かるようになりました。

本にも書いてあるように、自分にとって不運だなと
短期的に思っても、それが本当に不運なのかは、分かりません。
考えようによっては幸運なのかもしれません。
そう思うと、少々の問題もたいして気にならなくなってきました。
謙虚さをもって、対処していればいずれ物事は好転してくることに
気づくようになってきました。

私は営業職なので、社内・社外からいろいろなクレームを
受けますが、こういうときこそチャンスなんですね。
じっとガマンして、次の波が来るのを待つと、
結果いいことが起こります。

具体的には、受注という結果です。

ガマンできずに、戦ってしまうと、
ますます泥沼の戦いになってしまい、こちらも
相手もとても不快な思いをしてしまいます。


会社でいつも不運を愚痴ったり、
嘆いたりしている人を見ると
これでは女神に好かれることは
ないなと思うようになりました。

女神が見ていると思うと、手を抜けないし、
悪いことなんか絶対にできなくなりました。

今後、私は、家庭の空気を丸くすることに、
取り組みたいと思っています。

実は、妻と険悪な雰囲気になったり
子供が勉強しなくて、言い争いになることが
けっこうあります。

こんな状況でも、仕事だけはきちんとやるぞ!とか
結果は出すぞと意気込んでもダメなんですね。

米長さんから、ヒントをいただきました。

まずは妻との接し方から、変えてみようと
考えています。

そして、それが自分にどのような好影響を与えるか、
どんな結果が出るのかが、とても楽しみです。

 

投稿者 take0125 日時

そもそも 「運」って何だろうか?『運を育てる』まえに、「運」そのものを
理解しなければ、育てることも出来ないのでと、ふと気になった。

・もともとの語源は何か?
・「運」という概念はいつから使われ始めたのか?
・どこで「運」はうまれるのか?・・・・・

いくつもの疑問が頭に浮かぶ。

Googleなどで「運」について検索しても、思うような答えは得られない・・・
そんな時に積読状態となっていた本のなかから、気になる本を見つけた。
その本とは松永修岳さんの『運の管理学』であった。そこには、「運」とは、
「情報を持った不可視のエネルギー」であると書かれてあったのだが、
その一行を見た瞬間、これは量子力学に通じているのではないか、または
形態形成場のことをいっているのではと、感じ得ざる負えなかった。

そして、そのエネルギー体にリンクすることで、「運」というエネルギーを
呼び込むことができるのではないだろうか。ただし、エネルギーを享受する
ときには、日ごろからの心構え、行動、習慣や考え方などに左右され、幸運の
エネルギーもあれば、不運なエネルギーもあり、人はそれぞれのエネルギーを
知らず知らずのうちに享受しているのかもしれませんね。

今回の課題本がいままで読んできた他の良書リストの本に繋がっていることを
考えると、読書って、つくづく深いなあ~と感じるばかりなのでした。

 
投稿者 eten 日時

最初の中学生のお子さんの話で、すぐに本書に引き込まれてしまいました。

本書は、「勝利」の女神に好かれる方法が書かれています。
勝利の女神に好かれるには、謙虚であること(自分が絶対に正しいと思わない)、
笑いがあること、の二点に加え、女神は結果でなく過程に興味をもっている、
ということ忘れずに行動することと述べています。

今まで運について考えたことがなく、「運を育てる」という考えがなかったので、
この本を読んで運を育てるために私ができることを考えるようになりました。
現在、セミナーに参加して学んだことを最低一つやり続ける、
笑顔を意識するをやっていますが、女神が好きなことはなにかを意識して
日々を過ごしていきたいと思います。

最後に、筆者にとっての女神は奥さんなのだろうと感じました。

 

投稿者 sugar383 日時

読み終わって、心に残った点は3つ。

①第一章P31の「100点を取るために一所懸命、これ以上できんというくらい努力することで、実はそのことが一番大事なんだ。その結果、勝ったか負けたか、何点だったかなんて、人生に最も大きな影響を与える運気には何の関係もないんだよ」

②第二章P47の「しかし、問題はここからである。勝利の女神はどちらを好むのか、という問題だ。竜王戦においては、残念な結果になったが、翌年、B級二組の順位戦を戦った森下六段は、九勝一敗の好成績でB級一組へ昇級を決めた。」

③第五章P93の「素直とプライドは、謙虚と信念と言い換えてよい。謙虚であって信念がある。プライド、信念がないという人は、将棋に限らず何をやってもダメで、常にその他大勢として状況に流されていく。」

①は、細部までやりきる覚悟。②は、いつ本当の成果となるのかわからない。③は、慢心すればその先の成長はない、とそれぞれ言い換えられると考える。

今の自分にそれぞれを当てはめてみる。
①もうやることがないと言い切れるくらい、やりきった仕事があったか?と自分に問うても、自信を持って答えられるものがない。
②今目の前の勝負を楽に勝とうとしていないか?目先の勝ちを楽に取ろうとしていないか?と思い返せば、明らかに簡単な勝ちを求めている。
③小さな勝ちに満足し、慢心していないか?他人の声を聞く姿勢を持っているか?と振り返ってみれば、これもNOである。少し他人の評価され、それに満足しようとしている。

今の自分に女神は振り向かない。好かれる要素がない。この本を読み終わって感じたのは「いかに自分が適当に勝負してきたか」ということ。心に残る三点は、それに気づかせてくれた。今後の日常生活に是が非でも取り入れていくことにする。 

 
投稿者 zen1 日時

米長先生は勝利の女神と表記してますが私はあえて神様と言い換えて。

個人的にはこの米長先生大好き。
愛人観にしても、「国家を謳わせる事です」にしても。
勝負勘(観)にしても。

私は自惚れだと批判されても、まったくもってわかってないと
御叱りをうけても、あえて言わせてもらうと。

「強運の持ち主」です。

もともとは本当に運がなく(ないと思っていた)
世の中すべては私の敵で神様さえも、死んだら殴りに行こうと
おもってたほど、運のなさを悲観していました。

でも、ある時、ふとしたきっかけで「神様と和解」しました。
※和解と言う表現が適切かどうかはおいといて。

そのあたりから、急激に人生が好転してきているのは
間違いありません。

この本には(というより米長先生の書籍には)
神様に好かれる(嫌われない)方法がふんだんに書いてあります。

こうすると、神様これ嫌いちゃう?という感じで判断していくと、
そう間違えません。(あくまでそう思いますということで)

神様は本当に人間の物差しで判断しているわけではない。
人に何々をしてはならないとか
こうするべきとか
こうあるべきだとか
これが正しいとか
誤解を恐れずに言えば(むしろ恐れて)人を殺してはいけないというのは
あくまで人間のルール。

今日は頭が痛いので明日でいいやというのも人間のルール。

本当に神様はそういうところで判断していないと感じます。

人間の物差しでの「ねばならない」「これが正しい」を嫌う。
ねばならない。ねばならないと言って
角張ってたら何かにつかえるけど、丸く(笑い)だとスムーズに進む。
そういうことかと。

あなたという人間があなたという人間を人生を
楽しんでいるか?これ重要。

アメリカ(というか一神教的なと思いながら読んでいましたが)
を神様嫌うと言うのも納得。
個人的に(あくまで個人的に)神様は日本的なもの好きだと思う。
(相当長い目で歴史を見てもらわないといけませんが)

私達の見ている色でさえ、同じ黄色でも人によっては違う様に、
千差万別、色々ありますものね。

話はそれますが、
数か月前の課題に「生きがいの創造」ってのがありました。
そこの一文(記憶が書き換えられているかもしれませんが)

「神様の存在を信じているからこそ
神様を当てにせず、自分の力で生きていく。」

みたいなこと書いてあったような気がしますが、
これってすばらしい。すげえぇぇ。

 

投稿者 yokoyayayuki 日時

今月の課題図書を読んで、自分に足りないと思ったところは以下です。

・笑い/謙虚さがあるか
・爬虫類/哺乳類/人間の脳のうち哺乳類の部分のリラックス/満足
・「鈍」「深沈厚重」の理解


最後の「鈍」「深沈厚重」はピンとこないのですが
体現している知り合いを何人か思い出しました。


彼らは漏れなく人生でひっそりと大成功していて、
私は彼らの共通点は「(勝利への)不動の確信」だと思っていました。
これが本書で言う「鈍」「深沈厚重」と同じなのかもしれません。

彼らは

・成功を全くひけびらかさない
・いつもくだらない話で爆笑している
・よく眠る
・美しいもの、美味しいものが大好きで、出会うと大喜び 
を共通して行っていました。



同著者の別著「人間における勝負の研究」では

「勝たせるムードを作る」という部分がありますが
上記のような普段の行動が、
まさにそんな「勝利の女王の寵愛」を受ける「勝利ムード」を作り出すのでしょう。

仕事、家庭では締め切りに追われたり、病人が出たり
ネガティブなことも一杯起こりますが、
上記の成功者の習慣を積極的に取り入れて、私も「勝利の女王の寵愛」を
受けていきたいと思いました。

 

投稿者 lupinthethird0710 日時

この本には運を味方にするというか、運自ら味方をしにきてくれる方法がたくさん書かれていました。

私がその中で一番印象強く感じたのは、今更ですが物事に対する姿勢です。やはり懸命に取り組む姿は誰が見ても美しいものです。

自分の周りを見渡してみても、そうゆう人はどこか輝きがかいま見られます。

女神さまじゃなくても、美しさだったり輝きは単純にいいものですから皆が好きです。

そのみんなのプラスのエネルギーが集まっている場所はやはり賑やかなので、女神さまも気になって様子を見に来られるのだと思います。

人生ずっとだと大変そうなので、私としてはそういう認識(女神さま)を波ある人生において、特に調子の出ない場合に意識して人生を歩んで行こうと思いました。

 

投稿者 gizumo 日時

「運を育てる 肝心なのは負けたあと」を読んで

将棋はまったくわからない、知らない自分にとって米長さんは「セミナーで
聞く豪快な逸話をもった人」程度の知識しかありませんでした。

将棋へのイメージもあまり良いものではなく知人が「知的ゲーム」だと力説
していたのが全く理解できないほどでした。

厳しい勝負の世界のトップで広く世界・世間が見えている貴重な人であった
ことがうかがえる内容でした。
それはまた、将棋の魅力とともにキャラクターから幅広い人脈を広げておられ、
物事の本質に目を向け、広い見識を持たれてたからであり、なによりご本人が
「まっすぐ、素直」で居られたからだと感じました。

真剣勝負でのエピソードなのにとっても“人間くささ”を感じられるのは
「運」を大切にされているからだと思いました。

自分は、「運」を得て実力を付け実行すると理解して、しゃかりきにまず
「運」を手に入れようと行動していましたが、実は実力をつけ「運」を
手に入れ実行する、しかも「運」はスパイス程度でご褒美のようなもの
だと気がついた本です。

最後まで「運を“育てる”」という事がもやもやとしていたのですが、
「勝利の女神」に気に入ってもらえる、振り返ってもらう、微笑んでもらう
には「実力」を得ることに努力する姿勢・取り組みを見られているのだと。
さらには「運」は誰でも持っているもので文字どおり“育てて”行くものだと
気付きがありました。

勝負の世界、プロの世界は奥深く興味がつきないと改めて感じました。

米長名人のような方とお付き合いできるように人間修行を続けてまいります。

 

投稿者 sumio 日時

「運を育てる ─ 肝心なのは負けたあと ー」米長邦雄著 感想文

源義経そして諸葛孔明と司馬仲達のエピソードの解釈は、目から鱗でした。

一番のお得意先、自らの存在理由たる平家を潰すことが最終的には
身の破滅に繋がるとは、うかつにも想像さえできなかった源義経。

世の中の仕組みがよくわかっており、自分が生き残っていく方策を
自分の経験則に照らし熟考し、実行した司馬仲達とその一族。

攻めるべきところ、守るべきところをはっきりと区別できない人間は身を滅ぼす。

長期的に見て何が最善か、自分の幸せにとって何が大切なのか洞察できなければ、
白星の積み重ねが裏目に出てしまうことも多いのである。

特に心して読ませてもらいました。

「運・鈍・根」の「鈍」の部分にも通ずるのかなと思いました。

「運は育てるもの」は新発見です。
勝負の世界で勝因が”女神に好かれたこと”に尽きる、とは。

「成功の方程式」=「能力」×「熱意」×「考え方」を支持しております。
ビジネスでも他の世界でもこの要因が決め手と思います。

”女神に好かれたこと”も広い意味で「能力」の中に入ると思いますが、
そのことに思いが及びませんでした。

そして今は勝利の女神を意識するようになりました。
具体的には、いままで以上に配慮して女性に接するようになりました。

依頼されたり、課題が生じたときは、試されているのだ、チャンスと思い、
自己都合は脇に置いて、優先順位を上げ取り組んでます。

言葉は感謝と励ましを主にし、話はきちんと最後まで聴くように。

女性と女神を混同してんじゃないの、と思われるかもしれませんね。

「人生も女性も一生あなたを試し続けます」と言われたことがあります。
その通りだと改めて思います。

メルマガで教えていただき「行動に負の意味付けをしない」ようにしていますが、
あの時のあんなことがあんなふうに影響してたのかと今頃になって気付きました。

せっかくの女神様からの御厚意の数々。
もったいないことしてました。

女神様の慈しみと御厚意は、これからは素直に受けます。

『失敗しても、挫折しても、”どうしたら女神に好かれるのか”と
念じつつ努力さえしたならば、必ずや勝利の美酒に酔いしれることができる。
この一点を強調しておきたいのです。』

米長氏から我々への応援メッセージ、しかと受けとめました。

 

投稿者 sakai 日時

本の冒頭での、息子さんの教育の件は、
実に見事な作戦でした。
同じ年頃の息子を持つ親として、
よくあのように子どもと接することができるなと、
感心しました。

指導法もさることながら、お息子さんの友達にまで
自分のことをあそこまでさらけ出すとは驚きました。
私は考えられません。
P28「・・・おじさんは続けて2回と言う事もあったけどな?」の
部分です。
自分をさらけだしたことで、子供たちの心をつかみ、
やる気を引き出させたのだと思います。
お子さんのことを真剣に考えたからこそ、
出来たのでしょう。

また、米長さんは、指運ならぬ「口運」も備わっていたのではないでしょうか。
普段の会話でなんとなく出る言葉も、
自然とその場で最善手?が出るような気がします。

どのようにすると、幸運の女神に好かれ、
自己実現出来るようになるのかと考えてみました。
「いかなる時も、ご先祖様をはじめ、周りの人や
自分以外のすべての物を大事にして、
一生懸命物事に取り組むことで、運が付いてくる。」
と言う事なのだと感じました。

物事を真剣に考え、手を抜かずに取り組むからこそ、
幸運の女神に愛され、名人になられたと思います。
私も幸運の女神に愛してもらえるように、
思考・行動を見直して行きたいと強く感じました。

 
投稿者 Junichi 日時

人生で究極的に大切な場面では、実力云々ではなく「勝利の女神に好かれること」が勝敗を分ける。
この本の書き出しに書いてあることである。

以前の私であれば、理解出来ない概念であったが、
原田隆史氏の本を始め数々の課題図書を読むようになってからは全く違和感なく入ってきた。

そして、年始の箱根駅伝。
日本体育大学の昨年シード落ちからの総合優勝を見て、正に我が意を得たりと笑った。
数十年以上シード校だった日体大は、練習よりむしろ日常の規律を徹底的に見直したのだった。
彼らは、皆がきちんと朝早く起き、全員揃って食事をとり、雑用も手を抜かず一日一日やるべきことを徹底的にやりきった。
そして、勝利の女神を微笑ましたのである。
実力で勝る他校を圧倒した。

私も、会社での年始会議での今年の目標の発表時に”凡事徹底”をあげた。
ついつい結果を求め、大きい仕事、目立つ仕事にばかり力を入れてしまっていたが、
米長先生の「目の前の消化試合への臨み方にこそ運の分かれ道になる」を意識して、
日々出し惜しみなく誠実に生きていきたい。

昨年しょうおん先生から毎日の家事手伝いの重要性を教えて頂き実践して数か月が経つ。
心が強くなっている実感もあるが、妻の機嫌がとても良い。

著者も、運に最も影響するのは「妻の精神状態」と言っていて、
しょうおん先生の教えの奥深さを感じた(笑)

 
投稿者 mol 日時

前書きから目次の時点で唸らされた。
こんな本も珍しい。

読み進めるうちに、タイトルである勝負の研究は確かにその通りだが、それよりも生き方の研究であると思い至った。本もそのように構成されている。
勝負を通じて生き方を見つめる、生き方を通じて勝負を見つめる。両方のアプローチをしている。これも米長邦雄氏の言うバランスなのだろう。

思えば、良い手ばかり考えて悪手を避けることを疎かにしてた。発想もなかった。そんな自分を戒めてくれる優しさに満ちている。厳しい勝負の世界に身を置いているからこその優しさだろう。

好きなことを仕事とする時代が来る。
好きなことを仕事にして酸いも甘いも経験した米長氏だからこその言葉だろう。この言葉をどう受け取るかに私のビットは反応した。
感情がポジティブに向かうような仕事をしようと解釈した。曲解かもしれないが、とりあえずそう解釈すると、今まで楽しみながらした仕事は例外なく成果が上がっていた事に気付く。しかも通常では考えられないようなレベルの成果だった。もちろん楽をするという意味ではないのは強調しておきたい。
話はそれるが、日本の労働の最大の問題は、仕事はつまらないものという思い込みがあるのではないかと常々考えている。その思い込みさえ無くせば仕事は強弱はあるにしろ概ね楽しいものであると、成果は上がると自分の中で結論づけている。
話は戻り、仕事を楽しめば楽しむほど好きになるし好きになれば楽しくなる。既に好きなことがあるならば、それに打ち込めばいい、と言うことだろうか。
これはまだ考える余地があると思う。自分の中で大きなテーマができた。

この本自体が著者の言うところの貸しを作る行為であると思う。いや、そう断言しよう。
そのように考えると、読んだ時点で私は著者に大きな借りができてしまったと言うことになる。
借りっぱなしでは収まりが悪いので、貸しを作る生き方をしよう。
そのためにまずこの借りはアウトプットでしか返えせない。そうしていくことで、さらに貸しを作る生き方に変えていきたい。
与えよ、されば与えられん。さわやかに勝利するために。

最後に、米長邦雄氏のご冥福をお祈りいたします。

 

投稿者 nagi1123 日時

『運を育てる ~肝心なのは負けたあと~』

昨年の12月18日に69歳で亡くなられた米長邦雄さんは、亡くなる2週間前まで病床からウイットに富んだ笑いのTweetを送り続けていました。
最期まで謙虚さと笑いにあふれていた米長さんのご冥福をお祈り申し上げます。

さて、何度読み返したかわからないこの良書、最初に気にかかったのは、表題の「運を育てる」に対し、副題が「肝心なのは負けたあと」という構成になっていることでした。

「人生にとっていちばん大切なのは、失敗や挫折の後で、どのような努力をするかにある」という一文が印象に残りました。
「運」が良くなれば「成功」するのに、なぜ「失敗」のあとの姿勢にフォーカスするのか。

そして「運の育て方」と、「大事なのは負けた後、どのように努力をするのか」が矛盾なくリンクするためには、『運』のとらえ方、定義づけから考え方を再構築する必要があることに気付かされました。

すなわち、著者の定義では「運」というものは、例えば「何かわからないが宝くじに当たった」という結果論ではなく、オイゲン・ヘリゲル著「日本の弓術」にあるような「中るべくして中てる」というこころの在り方にフォーカスしているのではないかということです。

そこで、本書で述べられている「勝利の女神」、私はこれを「潜在意識」に置き換えて考えてみました。

著者が、「運」を味方につけるために、一見、非合理的な、短期的な利を是としない実直な姿勢は、「潜在意識とともにある自分にウソをつかない生き方」なのだと思います。

「お天道様が見てる」といって自分を律するように、潜在意識を裏切らない生き方、常に「潜在意識」を意識することが、すなわち「運を育てる」ことに繋がるのではないかと。

あらためて自分の行動を振り返ると、他人が見ていなければ赤信号を平気で渡っていたし、他人が居たら居たで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とか考えていました・・・

これは行動としては些細なことですが、「運」を育てる視点からみると致命的な習慣であることを当時は理解していませんでした。
すなわち、この潜在意識を無視した行動習慣の積み重ねが、潜在意識との関係性を希薄にし、「運」に見放される結果に繋がるのだと。

初めてしょうおんさんのセミナーを受けてからの約半年間は、セミナーで授けられた「運が良くなる」秘術もサボってばかりいました。1日くらいサボっても、ちょっと皆より遅れるだけで、そのうち穴埋めできるだろうとか考えていたと思います。
それでも「当たる」方の『運』はめちゃくちゃ良くなりまくったトコがしょうおんセミナーの物凄いところなのですが、「中てる」方の『運』が向上していない原因に、本書を読んで気付きました。

「潜在意識」との対話にフォーカスし、自分を律するようになったきっかけは本書でした。
それから1年以上を経た今では「中てる」方の『運』が確実に育ってきていると実感して
います。
その「実感」を言葉として表現すると「根拠のない自信」と言えるかもしれません。

最近の私は、仕事でも何でも「根拠のない自信」に満ちています。
何故上手くいくと思うのか? と問われても、「だってそうなってるんだもん」としか答えようがありません(笑)

そして本書で最も重要なキーワードと思われる「笑い」と「謙虚さ」、これは前々回の課題図書である「ココロの教科書」で、まさに「潜在意識」と仲良くなるためのコツに一致しています。

今、私は仕事を通して実現したい夢があり、信念をもって打ち込んでいます。仕事の方針について「笑い」を交えて明るい未来のイメージを周囲に投げかけ、自分が絶対に正しいと思わず「謙虚」な姿勢で人の意見に耳を傾けるよう心掛けています。
それが功を奏したのか、私の事業提案が何故か新事業企画プロジェクトで取り上げられ、ずっと夢見ていた研究テーマに近付きつつあります。

「中る」ように努力して「中る」べくして「中てた」初めての体験です。
そして、このプロジェクトを成功させる「根拠のない自信」があります。

もちろん、たとえ敗北した結果になろうとも、勝利を求めて全力投球したという過程は私を大きく成長させるでしょう。
そして肝心なのは負けたあと。
「効果を求めず淡々と」努力を続けて「根拠のない自信」を「確信」まで育て上げ、「奇跡」に繋げたいと思います!

課題図書のコメントを書いただけなのに、俄然やる気が湧き上がってきました。
本当にありがとうございます!

 

投稿者 BruceLee 日時

『運は育てるものなのです』

本書の全ては、そのタイトルに集約されていると思う。

「運を育てる」

はぁ? 運が良いとか悪いとかはよく聞くけど、「育てる」って???
と、思いながらページをめくると初っ端から将棋とは全く関係無い愉快な話が満載。
米長さんは非常にユーモアのセンスがあり、将棋とは縁遠い自分でも大笑いしながら
楽しんで読めた。だが所々に重要なポイントが書かれている。感じた事を整理してみたい。

1)「運」とは何か?
例えば、ある日気まぐれに宝くじを買ったら1億円が中ったとか、飛行機で事故に遭ったが
一人だけ生き残ったとか、そんな時に「運が良かった」と言うだろうか?と考えると、
個人的にはあまり適した表現でない感じがする。それらあまりにスケールが大きく、どちらか
と言えば奇跡(ミラクル)が近いような気がするのだ。では運とは何か、について本書を
ベースに私が感じるのは、「科学では説明出来無い、より身近で日常的な自分でコントロール
可能なパワー」となろうか。運が良い/悪いというのは、自分が関与出来ず一方的に与えられる
もの、という受け止め方だ。だが本書では「育てる」、つまり与えられるものでは無く、我々が
コントロール出来るものだと言っている。まずこの前提の違いにショックを受けた。

2)「育てる」とはどういうことか?
「運を育てる」の「育てる」、それは「植物を育てる」に近いのではないか。植物が育つは
一朝一夕には行かない。種を植え、毎日コツコツ水をやり、太陽光を浴びせ、土の恩恵も必要だ。
一方、昨日と今日で激的な変化がある訳でもない。しかし、日々の継続があれば芽は出て花は咲く
のだ。運を育てるとはそういう事なのではないかと思う。但し、これはあくまで運の話であり、
大前提として自分で出来る努力は限界までやっておく事が必須である。何故ならそれは敵もやって
いる筈だから。それをせず運だけに頼るのは単なる神頼みだ。あくまで運は自分の全てを出し
切った者にのみに訪れるものと心構えるべきなのだろう。

3)どうすれば運が育つのか?
宝くじや飛行機事故のスケールが大きいとすれば、運はより身近でスケールの小さいものだ。
ただ、その小さな違い、僅差が結果を分けてしまうのが勝負の世界。勝利に大きな差は必要なく、
ホンの少しリードすれば勝ちとなるのだ。米長さんは勝負師だから「勝利の女神が微笑む」という
言い方をされてる。女神を大笑いさせる必要はないのだ。ポイントは何なのだろう?面白いのは
それが将棋や勝負そのものの外にある所。米長さんという遅咲きの勝負師だからこそ遭遇出来た
常識を超越した法則なのであろう。その幾つかが本書には書かれているが、個人的に最も印象に
残ったのは

「勝利の女神は、正しいか否かよりも、笑いがあるか、謙虚であるかどうかを重視している」

という一文。これ何を言ってるかというと、それらがある事により生じる「良い空気」を
言っていると思うのだ。良い空気とは、言ってみれば植物における土のような存在で、その場が
ある前提で植物(運)が育つのだと私は考える。では勝負師ではない我々一般人が運を育てるには
どうしたら良いのだろうか?ヒントは米長さん自身が愉快な方で、周囲の人から可愛いと思われ、
愛されたであろう事。そんな人が更に運を求めたから女神は微笑んでくれたのではないか?
つまり、我々が大切にすべきは、どこか遠くの見えない存在の前に、まずは身近な存在、
家族や友人、職場の仲間やお客様から愛される事ではないか、と思うのだ。では身近な人たちに
愛されるには?私自身が意識してるのは、自分が、

「またこの人に会いたい、またこいつと一緒に仕事がしたい」

と思って貰える人間であるかどうか、である。簡単な事ではない。自分自身、周囲を見回して
「またこの人と仕事がしたい」と思う人は多くないからだ。でも確かにそんな人は存在する。
そのような人は常に私の言い分を聞いてくれる訳でも、私に優しい人という訳でもない。
時に怒られ、断られ、激しい議論もするが、どこか魅力があり、学べる人、話していて
心地良い人である。そういう人との酒は何故か美味いのだ。そんな「良い空気」の中にこそ
運が育つのではなかろうか。今現在、私はそのような人間にはなれているとは思わない。
だがそうなれるよう日々自ら意識して生活する事で、ここぞという時には女神に微笑んで
貰える人間になりたい。

私はそう思うのだ。

 

投稿者 sishida 日時

運を育てる─肝心なのは負けたあと を読んで

自身の感覚を研ぎすまし、全精力を投入して将棋を指す。
話には聞いていたものの、将棋の世界がこれほどハードでシビアだとは恥ずかしながら認識できておりませんでした。
特にタイトル戦では相当ハイレベルな戦いで実力が拮抗しているからこそ、ほんのちょっとの差が勝負を左右するのでしょう。
米長さんがこれほど運にこだわったのもうなずけます。

本著は名人戦に6回負け、その後起き上がってきた結果得た信条というか人生観で、徹底的に潜在意識と仲良しになる方法だと理解しました。

ただひとつ「惜福」の考えと「眼前の一局」が相対する理論のように感じ、腑に落ちませんでした。

どちらを目指すべき姿勢なのか・・・

何日か思い悩み、何度か読み返すうちにぼんやりと答えが見えて来ました。

「鈍」「深沈厚重」

これは、直感や動物的カンにあたるもので、学ぶより捨てる、すなわち「一所懸命に学んでどんどん捨てないと進歩がない」のだと述べられていました。
当時の森下六段が消化試合で放った新手、司馬仲達の勝つでもない負けるでもない態度が、実は根っこの所では同じ事を言っていることに気が付き、

な~るほど!

と膝を打ちました。

もっとよくみてみると、范蠡の「勝ったあとが問題」と本著の「肝心なのは負けたあと」というのも同様で、それが冒頭の「負けても笑える幸せ、勝っても不幸になる人生がある」という言葉に現れていると感じました。

米長さんは負けても常に笑っていたから、幸せな人生を歩まれていたのではないかと思わずにはいられません。
ご冥福をお祈りします。

 

投稿者 cefca 日時

 『運を育てる 肝心なのは負けたあと』

私が一番印象に残ったのは最後著者が競馬の買わずに女房の忠告に従い家に帰って、結局女房の忠告が正しかったところです。勝利の女神というのは身近にいるものなんだな感じた。確かに、私も思い当たる節がある。それは、私の母への態度の違いによって身の回りに幸せな事の起こる頻度が違ってくる事です。母との関係が良くない時、学校では陰口を叩かれたり嫌な思いをさせられることがある。その日は気分が落ち込んで家に帰ることになる。逆に母との関係が良い時には不思議と友達とも楽しいおしゃべりをして気分がウキウキして家に帰る事になる。私の憶測だが、母の心の状態が私の現実に影響を与えていると思う。私の身近にいる女神は母であった。

2つ目に私が印象深かったのは『学ぶより捨てろ』ということだ。これはどういう意味だろう? 私の考えでは思い切って捨ててしまった方が逆に多くのものが入って来るという意味であろう。私の経験でも思い当たる節がある。本をBookoffで売った時だ。もう読みそうにないけど、いつか読むだろうと思う本がたくさんあった。迷ったりはしたが最終的には思い切って読みそうにない本はすべて売った。するとどうだろう気持ちが軽くなったのである。読もうかなどうしようかなと考える無駄なエネルギーが節約出来た感じである。その後は不思議と読書にも打ち込めるようになった。少なくとも読もうかなと迷う本がたくさんある状態よりはいい学びが出来た。私の言葉でまとめると『捨てる事は集中することである。』。かっこつけて言ってみたがそういう事である。

いつか私も母を良い意味で捨てる時がくるかも!?

 

投稿者 rieserie 日時

最も大切なことは、何度負けても負けた後に起き上がって努力をすることであり、その姿勢があるなら何歳になっても希望はあるということを学びました。

勝ったか負けたかが問題ではなく、勝った後であれ、負けた後であれ、今どこに向かってどれだけ真摯に取り組んでいるかが肝心ということ。特に負けた後にどうしてそうなったかを謙虚に受け止める姿勢に女神は微笑むということを学びました。運命の女神は過去に根をもたず、悔い改める者に寛大だからです。ありがたいことだと思います。負け続けてそれに馴れてしまうとそれが当たり前になってしまうし、ましてや負けを前提に時間を過ごしてはいけない、逆に優勢でもそれに胡座をかいてはいけない、運命の女神はフル回転の努力をしているところに微笑むということ。大切なのは今、全力投球するかしないか、どんな心構えか、つまりどれだけ自分の能力を信じて活かそうとするか、そのためにどれだけ学ぼうとするかだと思いました。

そのときに絶対に忘れてはいけないこととして学んだことが2つあります。それは、自分がすべて正しいとは思わないことと、一生懸命身につけた知識や経験を捨てられる自分になるということです。

自分がすべて正しいとは思わないこと。これは、そうなっているときにはそう気がつかない点が私の課題だと思いました。平時はいくらでも言えます。「自分がすべて正しいとは思っていないし、そうならないようにします。」と。でも、何かうまくいかなかった時のことを思い返すと、要するに自分がすべて正しいと思ってしまっていました。この感想文を昨日書き始めたのですが、書いている途中の今日の昼にもある失敗をして、ふと気がつくと原因は自分が正しいと思い込んでしまっていたことでした。自分がすべて正しいと思わないことが大事と学んだ矢先のことですかショックです。それで、どうしてそうなったのかを考えると、そのとき気持ちに余裕がなかったことが原因でした。押してだめなら一歩ひいてみるといいますが、深呼吸するなり、自分を一歩後ろから眺める余裕が必要だなと思います。

それから捨てられるということ。一生懸命学んだことを捨てるのもなかなか難しいように思いますが、集約すると次の3点であるように思いました。
①それで全部を知ったわけではないという謙虚さを忘れてはいけないということ。鑑真は目が見えなくなったから見えるようになったという。
②その得た知識ですべてをくくらない、くくってしまったらその先の新しい発想とかイノベーションは起こらないよということ。だからこの前教わった発想力のトレーニングは大事。
③それから一生懸命学んだからそれ相応のリターンがあって当然という態度は女神に嫌われるよということ。人事を尽くして天命を待つということにもつながっていると思いました。

 最後に、米長さんが自分よりも若い人からどんどん学ぼうとした姿勢は素敵だと思いました。年をとればとるほど、その姿勢が人生に豊かさと彩りを増すものと思います。まさに、いくら年をとってもわからないことばかり、いろいろな経験をして知識を積んでもなにもかも知っているわけではないという謙虚さ、それまで学んだことを捨てて新しいことを学ぼうという姿勢と好奇心が大事だという話につながると思います。すなわち、自分がすべて正しいとは思わない、それまでの知識を捨てる、「今」どれだけ真摯に取り組むかが大事、ということにつながります。

 そしてそれらすべての中に「笑い」があるということが運命の女神に好かれるために必要なこととあります。私は笑いというのはゆとりのあるところにうまれるものだと思います。一生懸命努力して捨てる、真剣にやりつつ笑いがある、このバランス感覚が人生において大事なのだということを学びました。

 
投稿者 wapooh 日時

『運を育てる -肝心なのは負けたあと- /米長 邦雄』を読んで・・・

本書に関連して(?)以下の本を読みました. 
①「人間における勝負の研究 –さわやかに勝ちたい人へ-/ 米長邦雄」
②「勉強の仕方/ 米長邦雄・羽生善治」
③④「決断力」「直観力」/羽生善治
(感想)
『本気で生きてるか?』ページを繰る度に,頭に浮かぶこの一言.過去,手を抜いたまたは逃げてきた自分の姿が浮かんで,頭頂部がピリピリする.しかし『女神は七度微笑む』らしいから,もう一度やり直すチャンスはあるかもしれない.
 私は知った.女神様は最後に微笑むが,結果を見るのではなく、そこまでの道のり全てを見ているのだ.だから一から出直したら,最後まであきらめず手を抜かず本気でやってみる.そうして,最後に女神様と一緒に笑うのだ,と決める.微笑を求める前にニーっと笑うのもいいかもしれない,すがすがしく努力をしつくすのだ...一番の感想はこれだけ.
が,それでは自分のためにならないので,続けてみようと思う.

この本は,著者が7度目の挑戦で史上最年長の50歳で名人になったお話なのだ.私は思う.『なぜ女神は,微笑んだのか?なぜ女神は,そのときまで待ったのか(=米長先生はなぜ,そんなに遅くまで名人になれなかったのか?)』よほど女神様がすねていたのか...
私はヒントが欲しかった.遅くても結果が出せる秘訣を.(同時に,有名人の羽生さんは?若くして名人になる人と著者との差は何か?探ればあるんじゃないかと思って,②③④を読んだのだった)
理由は2つ.一つは自分が40だから.しょうおんさんのメルマガに時々『あなたが40だったらやばい』という言葉を見つける度,一つの研究世界を成し遂げられた気のしない自分の胸が冷や汗をかくのだ.もう一つは,初めて査定する(はずだった)部下を二人受け持ったのだけれど,一人がとても優秀で速い仕事をする子だった,40を迎えて息切れ気味の体には日々プレッシャーでしかなく,その苦しさは日々増すばかりだから.

結局,五冊を読んでみて中心になるのは本書だった.なぜなら,この本は米長氏が女神様に認められた名人戦でのお話であり,その一年後に羽生さんが米長氏と対局し名人となる.この戦局の中,米長氏が『自分が名人をとった意味を知った』という帯が③に付いている.『追い詰められたところでの勝利を経てこそ人は大きく飛躍できる,それを米長氏に学んだ』,と羽生さんが後述していた(③)。羽生さんの著作のあちこちに,米長氏のキーワードや,エピソード,世界観が見つかる.全てがリンクしているのだ.二人の名人は勝利の女神様だけではなくて,将棋の王将に認められ微笑まれた存在なのだと思う.結局,羽生さんは,若くして自分の将棋を確立しつつ,先達のエキスも早くから素直に吸収できた人なのだ,.その上で謙虚さを忘れず,先輩を敬い,意見にも素直に耳を傾け,時には正面から伍して,トップとしての意識から行動する(これって,社長の目線で,だ).これまでのしょうおん塾の教えと殆ど違わないことを地道にやっている.自分ひとりの戦いの中で.
また,米長氏の著作にあって羽生さんの本に無いもの,それは『色』『人付き合い』『仏教によるたとえ話』といったところが目立つ.これが、『愛嬌?』。。逆に,米長氏になくて羽生さんの本にあるもの...それは将棋そのものの歴史の紹介,将棋の魅力など少し無機質な世界.
正直に言うと短期間に一気に複数冊の本を読んでみたら,自分の処理能力が追いつかず,何度も感想文を書き直している.とてもまとまりそうにない.
本書の感想文に戻る.
40の私にいい言葉があった.『菜の花は董が立ってから花が咲く』.世界に一つだけの花よろしく,花の時期はそれぞれ..雪国に来て知った.菜の花(の仲間全般)を冬から春にかけて長い間緑として食している.特に話題になるのは2月から.こちらでは冬本番東京では春が芽吹き始めるころだ.特にぽつぽつとつき始めた小さなつぼみの花芽をありがたく食す.花芽は咲くエネルギーを持っているのでそれを摂取することで,人間も春の芽吹きの時期に順応して動ける力がつく...地味だけれど,目も実もある花が遅く咲く.
『惜福』いまいちピンとは着ていないが,先月の課題図書の鹿の戒めを思い出す.欲望のままに全てを食べつくすと,来春は自分の命がない.勝つことだけにこだわると,将来勝てなくなる.米長氏も羽生さんも,途中から勝つだけではなく,歴史に残る棋譜にこだわりを見せる.定跡にない新しい棋譜.名人なら将棋の未来を実らせなければならないということだろうか。
例えば若手と共に研究をする.「自分の経験は過去のもので,今の将棋を学ぶ必要がある」と米長氏は飛び込んだけれど,若者に教えを受けつつ,自分の経験を伝えて教えていたのではないかとふと思った.彼らの前に自分の全てを投げ打ってみる.羽生さんは、あえて新しい手を打って定跡から離れて混沌とした世界へ引き込む挑戦をしてみる。。
かつての私の上司の言葉を思い出した.(驚いたことに③のなかにも...)
 『捨ててこそ,浮かぶ瀬もあれ』
解釈はいくつかある.捨て身でがんばれば得られる成果がある,というものと,自分が捨て身になって何かが浮かばれるなら犠牲になってもいいというもの.
後進のために自分の経験を投じてみる.後進がさらにその研究分野を飛躍させてくれると見込めば...と解釈した.ある意味『馬鹿になる』プライドを捨てて.
ただ,飛び越えてもらうにはそれなりの土台にならないと,次に踏みつけられるだけで,飛躍力を与えられない.自分も咲かねば面白くない。。
先日,しょうおんさんがセミナーでおっしゃった言葉がさらに私の心に響いた.『成功場』。第一人者が苦労してできるようになったことを,次の人に教えると,もうその場は成功が前提だから,短時間でことができるようになっている.
後輩の仕事が今速いのは,もちろん本人の力もあるが,上記の事情もあるからなのでは?と,自分の仕事を引き継いでいる現状を見て感じたのだった.だがしかし、将来は、優秀な彼のころだからきっと,さらに豊かな世界を気づいてくれるだろうし,私もまた彼から学ぶことで,自分を磨こう,下手なプライドは捨てようと,気分が楽になった.今後、さらに人員が増えれば彼が彼らになって続いていくのだ。。。一人にこだわっていても仕方がないし、私はもっと視線を上に上げなくてはならない。
  
最後に,ひとつ.勝利の神様はやはり女性だったなと思う.私が米長氏の①を読んだとき,『ガールハント』のエピソードに引っかかるものがあった.女性は選ばれた喜びも選ばれなかった切なさも両方の気持ちに共感して,同時に笑って泣けるのだ.あの本のエピソードを見て女神様は相当へそを曲げたに違いない.けれど,本書の米長氏の写真を見て納得した.色から解脱したかのようなお顔つき.だから女神はほだされた.そんなことができるのは懐の深い女じゃなければできそうもない.(マドンナたちのララバイが流れてしまった.)

どうにもまとまらない感想文になりましたが,自分の迷いは幾分吹っ切れました.これからはもっと読み手に苦痛を与えないアウトプットができるように心がけていきたいと思います.今回も有難うございました

 
投稿者 takuro2411 日時

この世で、自己の内的世界以外に思い通りにコントロールすることができるものがあることを教えてもらった。


それは、『幸運の女神様』の心は自分次第で引き寄せることができ、
掴むことができるということ。


そのために、まず嫌われないようにすることが重要であると感じた。


嫌われないための一番大事なことは、『謙虚』、『素直』であること。
この心をなくしてしまうと、自己を過信し、感謝の心を無くし、
傲慢になり、周りの空気、情況が読み取れなくなる。


また、『謙虚』、『素直』な心をなくしてしまうということは、
心に余裕がない状態なのだと思う。余裕がないから、
自分の考えに固持し、他人の意見を受け止めようとすることができなくなり、
過っていたとしても、すぐに修正ができなくなってしまう。
そうなると幸運の女神様は機嫌をそこね、完全にそっぽを向いてしまうのだと感じた。


逆に幸運の女神様が好むものは『笑い』と
目標に向かって努力している『過程』であると感じた。


『笑い』とは、笑う門には福来るではないが、笑いが満ちている場、
空気、情況というのは、幸運の女神様と同じ波動が存在するので、
同じ波動であれば、幸運の女神様が好むのも当然であると感じた。


『過程』については、自分が持っている能力をフル回転させ、
努力する姿勢というのは、幸運の女神様だけでなく、
その人の周りにいる人もやはり応援したくなると思う。
そのような情況になれば、幸運の女神様だけでなく、
周囲の人からもエネルギーがもらえるので、結果につながるのではないかと感じた。


最後に、対局場に余計な雑念を持ち込ませない計らいや
升田先生のように情況を一変させてしまう一喝など、
棋士という方々のプロ意識の高さや粋な気質に敬意を感じた。


ありがとうございました。

 
投稿者 MRiver 日時

「私って不幸な人生を歩んでるなあ。」
運が悪いを通り越して「不幸」という文字がちらつくような半生だった。受験や就職での失敗、身近な人の死や金銭トラブル、自身の健康上の問題...でもめげずに、決して投げ出さず、周囲には迷惑をかけまいと、人一倍努力した方だ。なのに結果は酷いものだった。
なぜうまくいかなかったのか、その答えがこの本に書かれていた。

まず、子供の頃から素直ではなかった。欲しいものが欲しいと言えない。助けが欲しくても「助けてください」と言えない。つまらないプライドが邪魔をする。
「上手くいかないのは、偏に自分の努力が足りないからだ。」と視野狭窄になっていると、人から受けた恩にも気づけない。
努力しても結果が出ないので気持ちに余裕がない。
笑い?ユーモアのセンスなど皆無だ。

我ながら女神に嫌われるのも頷ける。
『努力「さえ」すれば報われるはずだ』という長年の信念は見事に打ち砕かれてしまった。

一縷の望みは「女神は改心すれば振り向いてくれる」という一文である。

そうだとしたら、不運な出来事は「罰」ではなくて、
「あなたの生き方は間違ってますよ」というメッセージなのだろう。
こう考えれば、女神から完全に見捨てられている人なんていないのだ。
神様が見捨てていないのに、「不幸だ」と自分から人生を諦めていれば、
一生好きなってはもらえない。

運を語る文面から伝わってくる著者の人柄は「風通しの良さ」だった。
心が閉じたままでは運もご先祖様とのコミュニケーションも「場」を味方にすることも望めないのだろう。

一晩で自身の生き方が変わる筈もないが、運を向上させる上で大切なことを自分の中にしっかり刻むことができた。これから自分の人生がどうなるっていくのか、少し楽しみになってきた。

 

投稿者 ichi 日時

『運を育てる 肝心なのは負けたあと』

よくスポーツニュースで、「勝利の女神が微笑んだのは~」という言葉をよく聞きます。

この本には、その女神を如何に振り向かせるか、如何に大事かが書かれている。

一番興味深いくだりは、それには笑いと謙虚が必要なことだという。

私の先輩に客との打ち合せに行くときには
必ず1回は笑わせろ、という人がいる。
彼は本は読まないらしいが、そういった本質的に
大事なことを既に熟知しているのだろうか、とこの本を読んで感じた。

そしてこの本では味方につけるには結果ではなく、過程が大事だという。

息子さんが最初の女性であるブスの先生に勝利する為、運を味方に付ける為
テストで100点を目指して、結果としては取れなかったが勝利したとある。

しょ~おん先生も、セミナーで言っておられた。
目標目指して頑張る。
結果として自分が望むものが手に入らなかったとしても、
何かが変わる。過程が大事なんだと。

私は、今ある目標目指して他のことを結構犠牲にして
試験勉強に取り組んでいる。

先日第一段階が終了した。結果はまだ出ていないのだが
手応えを感じているし、やるだけのことをやったので自分に自信がついたと感じている。

なので次の段階を目指して勉強を継続できている。
毎日してないと、逆に気持ちが悪くなった。
38年生きてきて気持ち悪いなんて、初めての体験だった。

今まさに勝利の女神を味方に身に付けることができるか、
38歳にして始めてのチャレンジである。

この本は私にとってタイミングが良すぎる。

これも運がよいのだと日々感じている。

 

投稿者 kakki 日時

プロの世界でも将棋の世界は、特に厳しい。
その中で、名人になれた米長氏が運について
真剣に研究されている非常に貴重な著書だと感じました。

実は、女神様というのは周囲の方々から支援・応援
されている人にしか来ないものではないかと思いました。
家族や友人、恩師やライバル、そのほか当人を
取り巻く方々の暖かい思いやりのようなものが、
集まった集合体ではないかと感じました。

周りの協力を得るためには、素直さや努力が必要で
まさにしょ~おんさんのメルマガにあったように、
まずは出る杭になること。

そして、周りに助けてもらうこと。
この助けというのが女神様の正体ではないかと
思った次第です。

私も、まず出る杭になるすべく日々努力を積み重ねて
いくと宣言します。
そして、女神様が現れて振り向いてもらえるくらいの
愛嬌を身に付けていきます。

今月も素晴らしい良書を紹介頂き、ありがとうございました。

 

投稿者 omizug 日時

「運を育てる」を読んで

自分は、今まであまり女神に好かれなかったことはなかった。
そんな自分にも一度女神が振り向いてくれたことを思い出した。
それは、あるスポーツをやっていた時、テクニックに夢中になり、筋力は増えているにも関わらず、動きにキレがなくなり、よいパフォーマンスが出来なくなっていた時があった。どんなに一生懸命練習しても成果が表れない日々が続き、何が原因なのかもわからず、ただ焦る毎日だった。
その後、ただひたすらトレーニングを続けた。結果、無意識でも体がしなやかに動くようになり、満足いく結果を残すことができた。
あれは、女神が自分の努力を認めてくれたのだと思った。

翻って、今の自分は女神に好かれているのだろうか。
この本を読んで、女神の存在を常に意識するようになり、自分の行動を客観的に見るようにはなった。
毎日の生活としては、電車通勤時にすれ違う人々に以前よりも関心を持つようになった。そして、困っている人がいたら、お手伝いできないかと声をかけるようになった。そうすうことで朝も余裕のある時間に出勤する日が増え、朝余裕があると気持ちがよく、お手伝い出来た日は特に気分がよい。スタートがよいと会社でも気持ち良く仕事を始めることが出来ている。そして、そんな自分を認めてあげられるようになった。

まだまだ至らない点も沢山あるが、女神がそばにいること、自分自身の心の中に女神がいると感じ、女神に恥じない生活を過ごしていこうと思った。

 

投稿者 morgensonne 日時

~「運を育てる」を読んで~


この本を読んで、運を育てる、家の運気を良くするには何をしたらいいのかを
考えてきました。

まず、家にいるとき、いないときに関わらず、家族の様子、家の雰囲気を
気にかけるようにしています。家族と一緒にいるときは、ちょっとしたことでも
言葉にして、家族の会話を作るように心がけています。

なんとなく最近は自分の感情が穏やかになってきたように感じています。

そして、幸運の女神、勝利の女神に好かれ、運気を逃さないように
今まで以上に気を抜かずに、日々の訓練を積み重ねて、心を強く
していきたいと思います。

この本にも、しょ~おんさんのメルマガでもあったように、
女神にお願いせず、運を自分からは望まず、謙虚に、素直な心で現実を捉え、
自分に自信とプライドを持って、未来に向かっていきたいと感じています。

ありがとうございました。

 
投稿者 whockey51 日時

運が目に見えないからと言って、ないがしろにしていないか。

それを自問自答してみた。

例えば、日常の景色を我々は見ることが出来ているが、
目が見えない方はその風景を見ることが出来ない。

つまり、見えなくても、存在があることはわかるわけだ。

ただそれに、目を向けられるかられないかにつきる。

ヘレンケラーが目が見える人に、日常でどんな景色を見ていますか?

と質問をしたときに、質問をされた人は「別に」と答えたそうだ。

見えていても、それを見ようとしないと見ていないことと同じだといえる。

運が見えないのではなく、運を見ようとしないから見ることが出来ない。

そう解釈することが可能ではないか。

だとするなら、運に目を向け関心を注ぐ必要がある。

愛の反対が無関心であるように、

運に関して無関心だと、

運は振り向いてくれない。

運を認識して、振り向かせるために、

普段の努力を重ねる必要があると私は思う。

 
投稿者 mikkun0710 日時

課題図書を読み終えて

 ただ実力だけがモノを言う将棋という勝負事の世界において、本分である将棋の研究もさることながら「運を味方につける」ための行動や行為を追及し重んじた氏の姿勢は、より良く生きていくうえでの道を示していただけたし、たくさんの急所を改めて気づくところとなった。
 幸運の女神は「謙虚」と「笑い」と言い切る筆者、さて自分にその二つの要素は?とふと振り返った。出来ていない自分が居たし、これからどんな状況下でも自分にそれができるかはわからない。素直になれず、心にもゆとりが持てず我を張ったり顔をしかめることになるかもしれないが、どんなことがそこにあっても笑って許し、受け入れるという寛容さを育てていくこと、そう努めていくことが大事な一歩であるのだと反省した。
 また、氏の運に全てを頼ろうとするのではなく、たとえば眼前のどんな一局にも全てを傾け勝ちを取りに行くという心構え、そのためには最大限の研究努力を惜しまないという態度が女神に好かれる大きな要素の一つだと感じた。たとえば、やるだけやった、ここまでやったんだからあとは何とかなるだろう位の気概で取り組んだ過去の大仕事をいくつか思い出した。そういう時ほど、何とかなっていて結果的にいい方向に転んだり、たとえ望んでいなかった良くない事態に最初陥っても周囲の助けで何とかなってきたことがほとんどだ。なんだかんだ並べても、「全力を出して頑張る」「努力する」「やり抜く」という姿勢が運をつかむ上での大事な点なのだろうと思うし、こんなときこそ「運が良かったからこその結果だったんだ!」という感謝の思いを忘れてはいけないような気がする。
 最後に身近な女神であるカミさんへ素直であり続け、笑いを絶やさぬようにしたい。まずは身近に居る女神を強力な味方にしないと話が始まらないような心持ちである。

 
投稿者 koro 日時

勝ちすぎてはいけない、
その先を見据え、「福」を長く感じる「惜福」という考え方。

運、性根、聡明、快活よりも重要な
「鈍」と「深沈厚重」とは一体何なのか。
今の自分にはまだ腹に落とし込めませんでした。

 

投稿者 tokudaisan 日時
女神に好かれるためには、自分が周りの人を好きになる必要がある。
周りの人を好きになるためには、自分のことを好きになる必要がある。
これが、この本を読んでまず感じたことであった。

私の好きな言葉の1つに『実るほど 頭を垂れる 稲穂かな』という言葉がある。
実力がある人ほど謙虚に、素直な気持ちを持って相手と接している。

勤務先にも尊敬している人がいる。その人は、周りから一目置かれている存在であるが、
昨日の自分に負けないようにと見えないところで日々の鍛錬に勤しんでいる。
そして、周囲の人々が幸せになるためには自分には何ができるかということを常に考え、実行している。

その人は一流企業に転職が決まった。
それは、自分が好きであり、周囲も好きであるからこそ、女神に好かれたのだと思う。

私もまずは自分のことを好きになる努力をしよう。
この本を読んで、改めてそう思った。
 
投稿者 yamag 日時

「自分の思いを実現する好ましい状態」を人は幸せと言ったり、成功というのかもしれません。
このような状態を、誰しも求めます。
そして、その「自分の思いを実現する好ましい状態をつくる」要素の中で、
特に、運と努力は対照的に扱われます。

運が、その因果関係に極めて不確実さがあり、確率論で語られることが多いのに対し、
努力は、その因果関係に幾らかの確実性をみてとることができるためだと思います。

だから、元来、運は偶然の産物であり、その因果関係や扱い方は証明されていないため、
その運を”育てる”なんていうタイトルは、論理思考の強い人には眉唾ものでしょう。。

そして、運を運命論として、決定事項とする人は思考の立ち位置は違いますが、また受け入れがたいと思います。

ただ、私自身は、
この運とは、帆船を例にすれば、帆に受ける風のようなものであり、
それは、見えないが、方向性をもったエネルギーと、気象条件などの情報を教えてくれるものだと考え、
うまく活かせば、自分の望む方向に向かう助けになり、現状を変えるきっかけをくれるものだと考えています。

そして、いくつかの考え方に出会い、
「成功=実力×戦略×他者から応援×運」という方程式の正しさ、有用性を感じている人間です。

見えなくても、理解できなくても、
もし方法があるなら、テレビのリモコンと同じ様に、原理はともかく、使ってみればいいと思うのです。


などと少し語ってみましたが、
実は一番好きな考え方は、長谷部誠選手の著書「心を整える」に記されていた一文、


 アルゼンチンのことわざ 「運は口説く」。

 スペイン語で「運」は女性名詞だから、
 アルゼンチンの人は「運を女性のように口説きなさい」というそうです。

 何も努力せずに振り向いてくれる女性なんていない。
 それと同じで、運も、こちらが必死に口説こうとしないと振り向いてくれないもの。
 という意味らしい。


このニュアンスは、素敵です。
"口説く"、そこに結果を求めて、頑張りつづける男の姿勢があるように思います。
この感覚で、運をつかめたらと考えている私に、この本との出会いは運命といえました。
まさに10代の時に手に入れた恋愛のハウツー本のようだなどと表現していいかわかりませんが、
そのぐらいの衝撃があります。

最初に論じた、論理思考ガチガチの人間も、運命論者も、恋したことがあるなら、
人生観を広げるためにも、まずは本書を読むべきだと思います。

本書は、まず著者の米長先生がとても魅力的なこと、ここにやられてしまいます。
一言で言えば、尋常じゃなく、かっこいい。
記されている内容を体現したように、笑いがあって、知性があって、なにより器がでかいのに、この謙虚さ。
この人のためなら、と思える人間力があります。
こんな風に生きられたら、方程式の"他人からの応援"も満たしてしまうでしょう。
この価値観を学ぶだけでも、意味があります。

そんな人が書く本です。

一手目に、”第1章 生涯の女運を賭けた勝負”。
子供に、真剣に女性の話をできる、そして、それがかっこつけず面白いのだから、
その悪ガキの中に、自分がいなかったことに悔しい気持ちまでわいてしまう始末、
ここで大体の読者は心をストーリーとして鷲掴みにされるのではないでしょうか。

そして、内容は、
将棋指しとして積み上げてきた勝負観が、人生観まで昇華され、人が幸せに生きる知恵が満載。
この本の内容自体、今まで課題図書になってきた先生方の考え(人称思考などなど)と通じるモノがあり、
どんなルートから登っても、極めれば、同じ頂上に通じているようです。
一流は一流を知るとはこのことで、全編に感想は尽きません。

信念、謙虚、深沈厚重など、それぞれに、
気概や学ぶ態度、意見の違う人への姿勢、節度、または感覚を磨き危機回避することの重要性などを大いに説いています。

ただ、その中で、私はまえがきに目がとまりました。
「勝利の女神は、謙虚と笑いを好みます」
また「この世で女神が最も愛した人物は【お釈迦さん】だと、確信しそうな予感がしてなりません」の部分です。
前文はわかりやすい気がしてしまいますが、後文は何故だろうと惹きつけられてしまいます。

謙虚という部分は、一番わかりやすいです。
新しいことを素直に学ぶためには、自分の価値観や知識を越えたものも一度受け入れなければならない。
その後にしか、○や×はつけられないはずです。
そして、周りの意見を受けとめ、関係をスムーズにするという方向からも、重要性は理解できます。

ただ、笑いについては、
米長先生の武勇伝や例え話だと、高度なユーモアや知性が必要にも感じてしまい、
話術に自信のない人間には、少々難しさを感じてしまいます。。
まして、昨今見慣れたお笑いのような、いじる、いじられるなどということを指してはいないと思います。。

人を惹きつけられる話力があれば最高ですが、皆がそうはいかないでしょう。
それで困って、”第7章 奇跡の起こし方”に注目すると、核心の部分は、実はそう難しくないのでは、と思いました。
伊藤先生が、笑いを身につけ、明るさを手に入れ、運気が変わったのなら、まずはそこからで十分なのではないでしょうか。

考えるに、これを続けていくうちに、周囲の人の心を開き、関係性がよくなってきて、
自分の湿った心も乾いて、やる気が燃えてくるのでないでしょうか。
別の著作で、空気が丸いと例えていますが、まさしくそれだと感じます。

そのために、自分にできることは、いつも笑顔で、やる気を持続すること。
これを文字通り、どんなときも続けること。
なれないうちは難しいかもしれませんが、そのうちに環境が変わってくると思います。

まずは笑顔で明るくしていると自分の心が明るく変わってきます。
物事に左右されない好転反応で、捉えられるようになるのでしょう。
そして、ますます明るくなるという循環です。

運気とは、気を運ぶと書きますが、
そして、裏表なく、明るく、元気な人に対して、普通の人なら、心を開き、気を許し、
一対一では合気、周囲からなら人気が生まれてきます。
これが運と言っていいのかはわかりませんが、自分にとって追い風となる流れと言うならば、
もしかしたら、方程式で"他人からの応援"としていたものも、"運"なのかもしれません。
だとすると、自分以外のものを味方につける術を女神の好みに例えて、教えていただいているのでしょうか。

笑いと謙虚というのは、まずは周囲の人に対して注目した取り組みも含むのかもしれません。
方法は、とても簡単で、実践的です。それを継続できるかは別として。

そして、最も愛した人物は【お釈迦さん】のくだりですが、
"第6章 女神の好きな国・嫌いな国"から「憎しみは憎しみによって止まらない。愛によって止まる。」
という一文を賞賛している部分に、核心があるように思います。

これが仏教の言葉であり、仏心であるならば、お釈迦様はその開祖です。
恨まず、ねたまず、愛のある行動を実践している方でした。
そんな人が勝利の女神の一番の好みだと推測しているのでしょう。

先生は、日本は、その恨みを抱かないことができる国と書いています。
また「日本人」のまえがきにあったように、日本の被災者は世界を感動させたというくだりが思い浮かびます。
この際に、世界を感動させたのは、お互いを思う、まさに愛のある行動だったと思います。
そう考えると、勝利の女神に愛される素養を、既に私たち、日本人は持っていることになります。

そして、今がどうであれ、行動を改めたら、見直してくれ、惚れてくれる女神様がいらっしゃる。
女神様の充分な攻略法がある上に、それを実践する才能があると言ってもらえています。

もしかしたら、最後まで米長先生の一流の戦略によって、日本人が奮起するように、
仕組まれているのだろうかとも思いますが、うれしさにかわりはありません。

まずは、身近に実践できること、どんなときも笑顔を絶やさないでいることから始めたいと思います。
そして、徐々にステップアップし、米長先生のような人を惹きつける人間性を少しづつ、
身につけていくことを目標にしたいと思います。

よい本との出会い、ありがとうございました。