第25回目(2014年3月)の課題本
3月の課題図書は・・
ヤバい社会学
『ヤバい○○』というシリーズは同じ著者が書いているわけじゃないんですが
どれも面白いんですよ。そしてこの本は、大学院生がシカゴのギャングに溶け
込んでリーダーと仲良くなっちゃうんです。そしていわゆるアメリカの下層社
会の人たちの生活ぶりを学術的な視点から追いかけたルポに仕上げたんですが、
彼ら下層社会に追いやられた人たちの生い立ちやら苦悩、それをどうにかしよ
うともがく同じく下層社会出身の警察官たちとの交流を、迫真の筆致で描き切
っています。
もうほとんど民俗学と言っても良いくらいの深い洞察が込められていて、色々
な事を考えさせてくれます。アメリカの知の力ってこういう学者によってリー
ドされている事がよく分かります。NPO団体が書きそうなお涙頂戴ではないレ
ポートを堪能して欲しいと思います。
【しょ~おんコメント】
3月優秀賞
今月は切れ味鋭いコメントが少なくて選ぶのに
苦労しました。あの本を読んだ人に考えて欲しいのは、JTを筆頭としたあのギ
ャングたちはあれは悪人なのか?という事。悪とは何か?同時に善とは何か?
あそこには不正を働く警察官が出て来ますが、彼は悪人なのか?善人なのか?
タイトルに「社会学」という訳が付いていますが、あの本を社会学という見地
から見たら何が分かるのか?ああいう境遇の人たちがいつまで経っても減らな
いのはなぜなのか?というヒントもたくさん出ていたと思います。
そういう切り口で盛り上がったら面白いなあと思っていたんですが、ビミョー
に不発でした。その中で、他の人と違う切り口で書いてくれた、NobuhiroIida5
さん、BruceLeeさん、andomanさんが最後まで残り、抽選の結果 andomanさん
差し上げる事にしました。
【頂いたコメント】
投稿者 NobuhiroIida5 日時 2014年3月14日
「ヤバい社会学」
この本を読み続けていくと、いつしか自分もロバートテイラーホームズ(団地)の一員になったような気持ちで物語が進んでいっているのにふと気付きます。いつの間にか自分の目の上にはJT(その界隈を取り仕切っているギャングのリーダー)とベイリーさん(地区自治会会長)が存在し、遠い先のことを考えるよりも、今日、明日をこのコミュニティで生き抜いていく為には何を優先すべきか、何が善い(好ましい)ことなのかを考えるようになっているのです。
閉鎖されたコミュニティに長いこと身を置く、もしくは置かざるを得ない状態が長く続くと、「善い(好ましい)」ことが「正しい(公正)」ことよりも優先されるようになってきてしまうのかもしれません。コミュニティの人たちがその事実に気付いていようがいまいが、そう考えないと彼らはこのコミュニティでは「幸せ」になれないのです。
ここで彼らの「幸せ」「幸福感」の定義について考えてみると、住む部屋があること、子供に与える食べ物があること、湖から吹付ける冷たい風を防ぐドアがあること、テレビがあること、冷蔵庫があること、お金があること、のように、「◯◯があること」で考えています。しかし結局「◯◯があること」の先には本当の幸福などないのです。欲しかったものが1つ手に入ると、次に欲しいものを手に入れる為に欲張りになっていく、今あるものを守ろうと必死にすがりつくようになる、JTやベイリーさんは、手下や団地住人たちのその幸福感をうまく操り、少しずつ彼らに与えることで、コミュニティでの自分の地位を強固にしていったのだと思います。そして住人たちは、自分たちの住む団地のロビーや階段でクラック(薬物)の売買が行われていること、この土地では全く警察があてにならないこと、時折ギャング間の抗争で我が子が流れ弾を被弾し命を落とすかもしれない不安を抱えながら、しかし自分たちの「幸せ」の為にはいた仕方ないこととして目を瞑るのです。
この「幸せ」の定義が「◯◯があること」ではなく、「◯◯がないこと」であったら、つまり迷いがない、不安がない、つらくない、怒っていない、のように。このように迷いや不安がない心の安らぎの状態に至ることを、般若心経では「波羅蜜多(はらみった)」と呼んでいます。団地の住人たちの幸福感がこれに従うものであったならば、JTやベイリーさんのやり方では思うようにコミュニティを構築出来なかったのだろうと思います。
この本から学ぶことは沢山ありましたが、私が思うことは「◯◯があること」を幸せの定義に据えると、自分にとって「善い」ことが本来の「正義」より優先される状態に陥るということ、そしてそこに「悪」や「不条理」が付け入る隙を与え、その状態でコミュニティが成り立ってしまうと、もうどうにもならなくなってしまうことです。「◯◯がないこと」を幸せの定義に据えて、常に「正しい(公正)」ことの為に物事を考える人間でありたいと思いました。
投稿者 jorryjorry55 日時 2014年3月22日
「ヤバい社会学」を読んで
社会学がピンとこなかったので、調べたところ、「社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問」との事。それでもまだピンとこない。とにかく読み進めようと、読み始めたところ、のっけから著者大ピンチ。どんどん引き込まれてしまい、読みやめ時がなかなかつかめず苦労しました。
この著者に対する印象は、大学から行くなと言われている場所に行く勇気というか行動力には羨ましく思った。しかも、怖い目を見たにもかかわらず、懲りずに通い続け、ついにはそこのリーダーと仲良くなるだけでなく、一日だけとはいえギャングリーダーにまでなってしまった。元々著者の社会学のあり方に疑問を思ったからこその行動ではあるが、私が同じ立場に立った場合、そのまっただ中に飛び込む事が出来るだろうか。そんな事を感じながら読んだ次第です。
結局社会学そのものについてはピンと来ていないままですが、何でも机上では駄目で実地で経験しないといけないのだな、というのは理解しました。
ありがとうございます。
投稿者 6339861 日時 2014年3月26日
本書を読んで、自分が若いころ、ディスコやクラブに憧れていた時代を思い出した。
自分の全く知らない世界。でもとても興味のある世界。
どうすれば、そこへ行けるのか、どこにいる人とどのように仲良くなればよいのか分からなかった。
クラブでバイトをしていたある時、本書の筆者とJTのような出会いが訪れた。
彼にクラブへ誘ってもらい、ダンスも教えてもらった。
まだ、クラブという言葉が使われ始めたころだった。
ストリートダンスも不良のやるイメージだったころだ。
クラブは雑居ビルの地下などにあった。
地下に降りていくと、Hiphopのビートが風にのって伝わってくる。
心臓の鼓動が早まり、血がゾワゾワと騒いでいるようだった。
中にはどんな人がいるんだろう?
当時のクラブはホントに小箱で、経営者と知り合いのダンサーたち数人が踊っていた。
ブラックライトとミラーボールに照らされて、みんなキラキラ輝いていた。
本当に輝いていた!
2000円もあれば朝まで踊ることができた。
始めは、踊ることもできず見ているだけだった。
こんな世界があるんだと感動した。
女の子はみんなかわいかった。
かわいい女の子にモテるダンサーのみんながうらやましかった。
クラブの中にはタバコに交じってマリファナのにおいが充満していた。
タバコも吸わない僕はそこで初めてマリファナのにおいを覚えた。
みんなキマってる。(マリファナでハイテンションになっていること)
何でもないことで、ゲラゲラ笑っている。
クラブの外には怪しいインド人みたいな人がたくさんいる。
草(マリファナ)の売人だ。
ビニールに入った草を売買している現場も見た。
ときにはケンカも始まる。
グラスを割って威嚇している。映画のシーンのようだ。
クラブは男女の出会いの場だ。
男も女もめいっぱいおしゃれしてやってくる。
お持ち帰りも頻繁だ。
自分にはまるで、テレビや映画の世界だ。
彼からの紹介で、人脈が少しずつ広がった。
みんな若くて強烈な個性を持っている。平日は働いて週末はクラブを思い切り楽しんでいた。
でも僕は、ちょうど本書の筆者のようにちょっと外側の人間のような感覚だった。
危ないことが起こったらどうしよう。警察ざたになったらどうなるんだろう。頭の片隅でそんなことも考えていた。
本書のようなギャングの世界ではないけれど、自分の知らない世界にあこがれて、何もかもが興味深くて楽しかったあの頃を思い出した。
僕にとってのヤバイ社会学。20代の経験でした。
投稿者 koro 日時 2014年3月28日
ギャングのリーダー格だけでなく、自治会長までも、
コミュニティの秩序を保つという名目のもと、
自分より権力の低いものに対して、搾取している。
違いといえば、薬を売っているか、いないかくらい。
腹癒せの為の、最高権力者である警察の搾取よりかはいくらかいいのかもしれない。
いや、しかしその押収された資産自体が違法な売上からきたものなわけで。。。
と、考えると何が善くて、何が悪いのか分からなくなってしまう。
白人から黒人に姿を変えて実地調査を行った、
”私のように暗い夜”の著者J.H.グリフィンほどでは無いにしろ、
中流家庭で育った著者が、犯罪が横行する貧困層のギャングに交じって
実地調査を行うには、自分に火の粉が降りかからないように構えたり、
犯行を目にしつつ黙殺するなど、苦労が堪えなかったと思う。
投稿者 dukka23 日時 2014年3月29日
「ヤバイ社会学」というタイトルは皮肉を込めて?でしょうか?
これはいわゆる「社会学」では全然なく、
非常に貴重な「実体験」を綴った本です。
しかし著者のスディールはこの実体験に対して、大学で教わっている社会学はあまりに無力で、
分析方法とか、理論とか、対応策のセオリーとかが全く歯がたたないと感じます。
例えば社会学的にはスラムといえば”お金”とは縁遠いと思われがちですが、
そのスラムでも、実態に則したしっかりとした経済(お金の流れ)システムは確立されている。
しかも、やはり一極集中するような表の社会の金融システムと良く似通っている形でです。
もうそれが分かった時点で、社会学としての限界を感じ、
「では真実は何なのか」を追求するようになります。
スディールが懇意にしてもらったギャングリーダーJT。
彼がやっていることはビジネスのマネジメントそのもの。
(頭の悪い)部下達のモチベーションをどうやって上げて
組織として結果を残すか。そして上層部に認めてもらい自分も上に上がっていくか。
そして部下たちも上司を値踏みしながら、ダメだと思うときには
別のギャングに”転職”するような決断も冷酷におこなわれます。
このように、人を信頼したり、見切ったり、
結局は「個人」として生きてゆかねばならない現実であったり、
それでも「組織」として結束した力は1+1=3以上になるということは、
「人間の本能」
にも近いのではと思いました。
放っておくと人間は社会を成立させるために、
改善を重ねるとある一つの形態に行き着く、ということなのでしょうか。
結局、エリートサラリーマンでも個人商店の八百屋さんでも、
黒人貧民街のギャングでも、
人間の社会のすべての問題は同じスキルに行き着くんですね。
その「人間の本能」に気づいて、
でもそれを理性的にコントロールするスキルである、
・お金のスキル(計数管理や、売上達成のスキル)
・コミュニケーションスキル(どう問題を捌くか、どう組織のやる気を出すか)
を身に付けることが、支配者階層になる第一歩なんだなと再認識しました。
それにしてもスディールからは良い雰囲気が醸しだされていたんでしょう。
普通ならボコボコに殴られて帰ってきたであろう状況で、
「あなたに興味を持っていますよ」
「しかもその興味は純粋なもので、邪心はありませんよ」
という、雰囲気を存分に出していたから、
あそこまでギャングに溶け込めたんだと思います。
(チンピラではなく、ボスレベルの人間だけですが)ギャングに限らず、
死や危険と隣り合わせの人間、そのあたりの嗅覚に優れているので、
JTもスディールの純粋さに、敵とは見なさなかったんでしょうか。
文面からもにじみ出てくる、清々しいほどのスディールの思いは
願望実現に対しての模範レベルと感じました。
投稿者 gizumo 日時 2014年3月30日
「ヤバい社会学」を読んで
読んでみて、まずこれが“事実”なのがすごいと驚いた。
何もかもがハチャメチャに感じられる。
団地の環境が維持されていないこと、警察や救急車が稼働しない世界、警察やギャングの癒着、ドラッグの蔓延・・。
あれほど、自由と平等、チャンスに恵まれたなどと思われる国で現実に起こっていることである。
思い込みに過ぎないとはいえ、今までの印象を大きく変えられたのがショックだった。
また、多くが環境からの脱出にもがき苦しみながらも、厚い壁に阻まれ夢破れているさまはリアリティにあふれ胸が痛い。
ギャングの組織におけるリーダーシップも興味深く、どの世界でも共通なのがわかる。
学歴や年齢でなく、先を見据え、全体を見た上での判断が重要なのは自分にはいかせると感じた。
読むにあたって今一つ「社会学」というものが何かわからなかった。
調べると、「社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。(Wikipedia)」とあった。
原因に関するメカニズムを解明するために、団地で長年にわたり詳細な聞き取り及び体験による生々しさは、まさに「事件は現場で起きている」といったことか・・・。
夢見ることや環境からの脱出は簡単ではないという現実に、自分が動くことを躊躇させれらる感もあるがそれでも自分は進まなくてはと、強く決意した。
余談にはなるが、ギャングでも母親は絶対であり、一種“マザコン”とも言える状況であるが、これがこの国での女性の力強さの原因なのではとも思った。
投稿者 ntotheg8 日時 2014年3月30日
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「ヤバイ社会学」を読んで。
この本を読んだ感想としては、
ギャングの世界はカタギの世界の縮図なのだなぁということでした。
実際、ギャングの組織の構成がマクドナルドと似ているという話を聞いて
妙に納得した部分がありました。
警察がギャングの上前をはねているという件はさすがにショッキングでしたが、
そもそも役所は、手を変えしなを変え民間企業や個人の上前をはねていますから、
それが顕著な形で出ていると思えば納得できなくもない範囲ではないのでしょうか。
ただ、底辺の売人は一番危なくて汚いことをさせられているのに
思ったほど報酬をもらえていない状況で、
せっかくどん底の生活から這い上がろうと頑張っているんだけど、
なかなか抜け出せないというのは腑に落ちないところではありました。
これは、ギャングに限らず、日本でもブラック企業と言われる所では、
同じことが言えると思いますが、自分なりに考えて見たところでは、
やっぱり人と同じことをやってるだけではダメで、
何かしらリスクを負って新しいことをやれるかどうかという
ところになってくるんじゃないかと思いました。
実際、頭の回転が速く、与えられた仕事もテキパキこなすのに
次のステップに進めない人を見ていると、
人の様子を見てから、身の振り方を決めようとして、
チャンスをのがしているように見えます。
新しいことは失敗する割合が高いというのはありますけど、
いま目の前に壁があって乗り越えない状況にあるのであれば、
それを外的な要因のせいにだけにするのではなく
何かしら新しいことをしてみなければいけないなぁと思いました。
投稿者 morgensonne 日時 2014年3月30日
『ヤバい社会学』を読んで
格差社会のアメリカを現場目線で書かれた本で、
映画やドキュメンタリーの潜入シリーズを見ているように感じました。
著者の危険を犯しても何回も団地に足を運ぶという徹底した現場主義は、
彼の好奇心のたまものであると感じました。
その熱心さゆえにJTを始めとしたギャングたちも協力的で
あったのではないかと思います。
そして“一日リーダー”という体験もやってしまうところは、
現場を見るだけでなく、自らも実体験するという、
ビジネスの世界では理想的な取り組み姿勢でもあるのではないでしょうか。
やはり、何事もその事に興味を持って、探究心を持つということが、
行動の原点にもなると感じました。
そして、ギャングのリーダーであるJTが日常的に行っている仕事は、
マネジメントそのものであると思いました。
全く世界は異なりますが、ビジネスマンが日々行っている事と変わらないことで
あると感じました。
但し、判断を間違えれば、命の危険に直結するという面で、
JTのほうが相当シビアであることは間違いないでしょう。
そういう意味でも、彼らにはちょっとした変化に気付いたり、
先を読むカンも必要なのだろうと思いました。
本とはあまり関係はありませんが、今後もしょ~おんさんの訓練を
さらに継続していこうとの思いを新たにしました。
ありがとうございました。
投稿者 lupinthethird0710 日時 2014年3月31日
本当に様々な内容が描かれている本でした。その中で一番強く感じたのは生き残りを懸けた弱肉強食の世界でした。
色々な人間が複雑に絡みあって如何に自分が有利になるかを考えて生きています。
しかし、このような姿が本来の人間の姿なのではないかと思いました。あのコミュニティは下層の人々が一般社会から隔離された状態であるのですが
隔離されているからこそ本来の人間の習性である集団生活が必要不可欠になります。そして現在の社会はというと個人個人がばらばらになっています。
中流社会で個人個人がばらばらなのと下層社会でコミュニティに属して生きるのではどちらが生きやすいかを考えてみると
やはり後者のほうに思います。これからの時代、個人のバラバラが加速するなか、どう生きて行くかを自分に決断を迫られた気がしました。
投稿者 iristome 日時 2014年3月31日
「ヤバい社会学」を読んで。
<題:スディールは試されていた!?~JTの想い~>
この本を読み進めていて不思議に思うことがあった。
著者がこの本を書き上げ、今も尚研究をしていること=悪の道に引きずり込まれる事がなかったことが、だ。
確かに「ギャングと距離を置く時は慎重に動かなければ」とは書いてあった。
しかし
①ロバートテイラーの住民と身近で接し&住民と同じ目線で調査し
②ヤクの売買を直接見たり、色んな犯罪を目の当たりにしても、自らが薬に溺れる事なく、また喰われることもなく
③調査を終えようとした頃に徐々に距離を置くことに成功した。
これって誰もができることなのか?
そう疑問に思った。
ギャングや利己的な組織は世間知らずな人・利用できそうな人を喰いものにするイメージがあったから。
そしてそういう人って利用できそうな人を自分の世界に引きずり込むイメージもあった。
それでは自分なりにその疑問を紐解いていこう。
◆まず、一つ目。
JTのスディールに対する最初の対応。
スディールが最初に軟禁された時、JTはスディールに対して何もしなかった。
これは、スディールがどこかの坊ちゃんに見えたとか、ひ弱そうとかそんなんじゃなく、
“部下がどのようにスディールを対処するか見ていた”からだ。
JTはスディールなんか最初どうでもよかったに違いない。
ただ、そのどうでもいいスディールに対して部下がどういう行為を取るか見る事で、
大人数の中に埋もれている、センスのあるヤツがいるかみていたんじゃないだろうか。
◆次に、二つ目。
ベイリーさんのスディールに対する最初の対応もJTと同じだ。
スディールなんかどうでもいい。
なんなら五月蠅いハエくらいに思っていたんじゃなかろうか。
ちょっと視界に入るハエ。まぁ、今は私が退治するまでもないから放っておくからね、と。
ただし悪さしたら即退治してやる。ってところかな。
JTとベイリーさんに共通していえる事は
“いつも「使えるヤツ」に対して敏感”だということ。
だからよくも知らない奴への最初の対応はとりあえず泳がす。
『こいつは何かしらの使い道があるんじゃないか?』って泳がして様子を見るんだ。
他の住民もしばらく様子見する。
ただJTやベイリーさんと違うのは『JTやベイリーさんのスパイじゃないのか?』というところ。
しばらく泳がせてみて、
『こいつ(スディール)は研究機関とも繋がっているし、使い方によっては自分のプラスになりそうだな。』
とJTは判断した。
勿論そこにはスディール自身の人柄の良さも大いにあったと思う。
そして自分(JT)の傍に置くことを選択したのだ。
しかし、裏切られてはたまったもんじゃない。
だから『お前は誰のツレなのかはっきりしろ。』と何度も何度も
スディール自身に選択させたんじゃないだろうか。
“お前は自分でオレを選ぶんだ” と言わんばかりに。
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そして所々に「お前(スディール)はオレ(JT)についておけば安全だぞ。」と思わせるような場面もある。
こうやって自分に依存させて、反逆しないようにコントロールしているんじゃないだろうか。
(反逆する恐れのある対象は、スディールに限らずギャング仲間やロバートテイラーの住民もだ。)
人の上に立ってコントロールする側は良いおもいもできる。
なんせ自分のしたいようにすればいいのだから。
自分にとって不利なことなら押しのけれる。
しかし、自分にとって都合のいいことばかりしてるからどこかで恨みを買う。(これが悪の道ってやつだ。)
だから自分の立場と取って代わろうと思う存在がいる、と思うことが怖いのだ。
・「こいつは信頼できるやつなのか!?」とJTはいつも疑心暗鬼だったんじゃないだろうか。
・いつも心のどこかでスディールを試しながらも警戒していたんじゃないだろうか。
そう想像すると、気持ち穏やかに眠りにつける日なんてJTにはなかったんじゃないのかな。
時にはお酒の力を借りて無理やり自分を正当化しないとやっていけない時もあったんじゃないのかな。
そう考えると、スディールがギャングから離れて一番安心しているのはJTなのかもしれない。
「試しているスディール」から「本当の友人スディール」に変われたのだから。
投稿者 takeda 日時 2014年3月31日
『ヤバい社会学』を読んで
初めはとても読みづらいかな、と思っていたのですが、後半になるに連れ、とても面白く読まさせて頂きました。
コミュニティの中で、ほとんど1.お金、2.問題解決能力で上下関係がはっきり決まってしまうが、お金が1番にきている時点で、お金がなくなった時は、自己防衛に走り、次第に問題解決能力もなくなり、信頼が失われ、付随する権力もなくなり、他の大多数と同じになってしまう。
しかし、問題解決能力が1番にきている人は、お金をほとんど使わずに周りの人を、可能性は低いかもしれないがよい方向・コミュニティから自立できるように、手助けできると思います。
この本に、もう少し突っ込んで欲しかったことは、作者がその経験からどんな政策が効果的か、より良くなるには?との思いがあまり書かれていなかったことだ。それが、社会学なのかもしれないが、
投稿者 akiko3 日時 2014年3月31日
「ヤバい社会学」を読んで
「環境が人を育てる」としみじみ思う。お誕生日会をしてもらって喜んでいる子供でも、成長して自分の将来に希望が見いだせなければ、確実により多く得られるクラック売人という選択肢を選ぶのだろう。自分の家に来た人を世話するという助け合いの精神もあるようだったが、助け合わないと生きていけないという価値観、とはいっても、疑心暗鬼で互いに自分の敵味方で判断している部分も多いようだった。
先日、親戚に不幸があって葬儀に参列した時、めったに会わない親戚との懐かしい再会に会話が弾んだり、初めて顔を合わす親戚に対してもなんか似たような風貌だったり、顔見知りの叔母が気安く話しているのを見ると初対面でも安心というか、背景が似ているような不思議な親近感だなぁと思いながら、伯父叔母従妹達を見ていた。
貧困者とギャングの微妙なバランスの中でロバート・テイラーの日常が成り立っているが、何かあったら(警察や社会は当てにできないから)自分達でなんとかする!という目を見張る団結力と、日本の親戚づきあい(慶弔や入学卒業、地震などあれば、声をかけあう、気遣うという一方で、互いを比べ、ライバル心を抱いたり、問題も起こったり…)の繋がりが似ているように思った。それに、似たような社会的背景をもった住人同士の繋がりって、昭和の日本の社宅生活と似ていて、スディールほど違和感を抱かなかったんだけど…。
ふと思い出した。
砂漠で暮らす文化圏の人にとっては、“兎と亀”の亀はけしからんやつらしい。砂漠ではお互いに助け合わないと生きていけないから、寝ている兎を起こさずに行ってしまう亀はなんて冷たい!という価値観らしい。
結局、ロバート・テイラーの上層部にあたるJTやベイリーさんは、ポジションに付随する力を利用してサバイバルしていたが、自分の力を信じ、自分でなんとかしていたドロシーさんは、どうしてあの環境でも強く依存せずにサバイバルできたのか、でも息子はギャングなんだよね?こういう“?”をスディールは沢山抱えて、ロバート・テイラーの奥へ奥へと入ってしまったのだろう。こういう何もなさそうなところに、当たり前に悪の部分が隠しようもなく現れるところが、貧困ゆえの悪循環の部分なのだろう。
以前、米国のTVドキュメンタリーで、10代の不良男女を刑務所ツアーに連れて行き、その現実を見せ、更生させる取組みが紹介されていた。最初は粋がっていた子も、檻から奇声を浴びせられ、表情が消えていく。それから別室に移動して、終身刑の受刑者2人(子供達を更生させたい気持ちの人達だが)が乱暴な言葉で凄みながら、自分が片目を失くした訳とか、ここに入るに至る犯罪を論ったり、お前なんかここに入ったら玩具だなとか、ムショの現実を突きつける。数人は完全に泣き出さんばかりにビビッていた。番組の終わりに、半分以上は更生したと結ばれていたが、2,3人は受刑中の写真がでていた。刑務所の地獄を垣間見ていても、避けられない現実があったのだろう…。
非常に重い現実だ。混沌とした状況は、目先の利益優先になりがちで、できた悪循環から抜け出すのは難しい。
つい先ごろ紹介されたYoutubeで、東北の除染作業員の実態を観た。裏社会が新たな資金源に浮浪者を集めて作業させ、使い捨て状態で、裏とその接点である表の一部の人達だけが潤っている事実に驚いた。課題本のおかげで、帝国化する企業の“効率化”というずるさなど、免疫をつけてはいるが…。ロバート・テイラーの中でさえ、平等ではなく、だれかが他人より優先されたり、我慢しないといけなかったりする。そのバランスをどう保つか。どこかで納得、いや往々にして妥協だろうが、折り合いをつけるか。
家族、会社、地域…属する集団の中で自分の立ち位置、役割が決まる。自分が選ぶのだ。JTは将来の利益より今手に入れることを選べと言ったが、利益以外に心が喜ぶこと、楽しめることを選べる人でありたいと思った。決して、目先の利益だけで選択を誤らないようにしよう。
だけど、なんでギャングは広島弁なんじゃ?!
投稿者 ktera1123 日時 2014年3月31日
「やばい社会学」を読んで
社会学ほど人と接する必要はないけれど、仕事で現地調査にいくこともある。(部署移動もあり5、6年前に行ったのが最後になっている)
某所で現地調査した際に、発注先の担当者から「まあ、昼間は大丈夫だから、平日の昼間は何かトラブルがあったとしても対応できるから。」と指示があったことを思い出した。
当時は調査にあたっての正当な根拠もありバックアップもあったし、日本国内では原則として銃を所有していないはずだけど、国外の場合相手のみが所有している可能性がある場合はトラブルが発生した場合に命はないものと考えなければならないこともある。(某国では警備員(守衛)でも武装していた。)
海外ツアーでロスアンジェルス行った際に日本人街にあるホテルに宿泊したが何番街から南には行くなと警告があった。普通警告があれば従うところへあえて行って見るそれが「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし誰も書かないことを書く。」と高野さんがモットーとしていたところへつながっているのもあるかもしれない。
現地へ行き、現地の空気を吸い、現地の食べ物を食べ、現地スーパー、モールで買い物をする。国内でも海外でも地元密着のスーパー、コンビニ等ではそこでしか手に入らないものがあるし、ビックマック指数ほどでもないけど現地の相場が飲料等でわかることもある。
机上の空論ではなく現地を体験すること。それが大切なことを本を通じて再理解しました。
以上
投稿者 AKIRASATOU 日時 2014年3月31日
【ヤバい社会学】を読んで p
この本を読んで学んだ事は、ある程度の人が集まって構成された社会は、大体どこも同じようなパワーバランスが出来上がるという事です。ピラミッドの一番上には権力を振りかざし自分の都合の良いように行動する事が出来るリーダーがいて、対抗勢力や言う事を聞かざるを得ない人が存在する。学校や会社だけでなく、日本や中国、アメリカという国単位でみても行きつくところは同じだ。一番上には権力(力)を持った人間や組織があり、その対抗勢力があり、最下層には生きていくために言う事を聞かざるを得ない者がいる。
我々ビジネスマンも一番上には社長が居て、その下にその座を狙う者が居て最下層には指示・命令をきちんと実行せざるを得ない平社員が居る。(もちろん最下層に行きつくまでに沢山の人間がいるのだが。)社長の下に役員が居て、その下に部長が、そして課長が、最後に平社員が。と、言ったところだろうか。社長以外の人間は上の意向に添うように動かなくてはいけないし、(上に立つ者の考え方によっては)成果が出たとしても自分勝手な行動が許されなかったりする。社会はそういう風に出来ていると改めて感じた。
これを踏まえて私はサラリーマンとして上手く世渡りをする・自分の意見ややりたい事を通すには自分の立ち位置を認識し、戦える武器があるのか?武器が無い場合は誰かの武器を借りれるのか?と言った事を考えた上でCノートの様な無謀な玉砕では無く、ベイリーさんの様にJTと交渉が出来るような戦い方を身につける必要があると感じました。
投稿者 lapis 日時 2014年3月31日
「やばい社会学」を読んで
本書のキーワードは依存と詐取である。
ギャングと一般市民のグループがあり
両者は依存しているが、一方で詐取もされている。
ギャングのグループ内でも幹部と部下で依存と詐取が起きているし、
一般住人の中でもリーダーとそうでない人で依存と詐取が起きる。
団地から抜け出せるチャンスを掴んでも
依存する周囲によってチャンスを潰されて上手くいかない。
大学を卒業して負のスパイラルから抜け出せても
結局、団地に戻ってきてしまう。
スディールにとってはなんでもないことが
団地に住む人にとっては恐ろしく大変なことに思う。
詐取されることに不満を持ちつつも
周囲が同じような境遇であることの安心感があり
依存することから抜け出すことができずにいる。
人は習慣に流されることが
ひしひしと伝わってくる。
ロバート・テイラーは解体されて
強制的にコミュニティは壊された。
どん底の生活から抜け出せた人や
また、同じ環境へ戻っていく人など様々であるが
その人たちの10年後、20年後がどうなっているのか
とても気になる。
投稿者 magurock 日時 2014年3月31日
「ヤバい社会学」を読んで
その内容と雰囲気ぴったりな訳文が面白く、ぐいぐい読めた。
ギャング世界が、彼らなりのルールで秩序だっていることに、まず驚く。
そして当然のことなのだが、そこに住まう人は様々で、教養のある人もいれば廃人もいる。
結局そこは我々の社会と同じなのだ。
いや、思いやりや団結力は、彼らの世界のほうが幾分多いかも知れない。
ギャングの世界に何年も潜伏する著者の行動力、勇気、そして人懐っこさと人との距離のとり方のうまさに唸った。
溶け込んだと言っても最後まで仲間ではない。
もちろん、著者の目的がヤクと暴力にまみれたギャングになることではないから当然なのだが。
何年経っても、JTのお客さん扱いで、そこにJTと著者の理性や律し方みたいなものを感じた。
この感覚さえ持っていれば、どんな人や集団ともうまくやっていけそうだな、と処世術を学んだ思いだ。
それが一番の収穫かも知れない。
投稿者 BruceLee 日時 2014年3月31日
そもそも「ヤバい経済学」という本の中で本書の活動が有名になったが故、
本書の邦題は「ヤバい社会学」となっているが、この邦題ではポイントが
失われてしまう気がする。本書は「社会学書」ではなく、その面白さは
「ルポ」にある。一般人が足を踏み入れない危険な現場に単独で踏み込み、
現場での特異な体験を文章で伝える活動。。。
あら???
この活動って、最近この界隈で話題になった某ノンフィクション作家と
似てないか?(笑) あの「誰も行かないところへ行き、誰もやらないこと
をして、それを面白おかしく書く」人である。本書の著者はアメリカ最悪の
ゲットーである団地に飛び込み、無謀な探検をやらかしたが、ノンフィク
ション作家も世界の辺境へ飛び込む。対象が幻獣かギャングか、また面白
おかしく書くかシリアスに実情を書くかの違いはあれど、乗り込んで行く先
は共にジャングル。その意味では本書の著者もある意味冒険家であり、
「これがやりたい!」という欲求の塊のような人なのだろう。でなければ
危険極まりないゲットーに乗り込めない。。。とこの辺で「つかみはOK!」
と勝手に解釈し、「この邦題では本書のポイントが失われてしまう」点に
ついて書いてみたい。何故そう思うのかと言えば、私は本書の最大のテーマ
は「リーダーの資質」だと感じたからである。だから原題も
「Gang Leader for A Day」なのだ、と。どういう事か?
ゲットーという危険な無法地帯の中で暮らす人ヤク中、売人、売春婦を含む
普通の世界では生きられない人たちがいる。そして人が複数集まれば、必ず
集団であるコミュニティの形成が必要となり、その世界の秩序と維持のため
に、その世界のルールや問題発生時に指導する人が必要になる。また、問題
はそのコミュニティの中だけに留まらず、時に外側の人間とのいざこざ、
他の不良グループや悪徳警官等ともやり合う必要もある。それを全て託される
のがリーダーだ。
リーダーなら一般社会、通常の会社や集団組織にもいるが、ここで大きく違う
のは「通常」のルールや価値観が通じない事だ。本書では様々な人の言動が
描かれるがそこで見えてくるのが「通常」とは異なる世界。著者は当初その
世界に驚愕する。しかし次第に「何が重要で何が重要でないか」を人々の行動や
態度から学んでいく。これらの事は教科書にも書いてないし、講義で教わる事
でもない。日常の中で、肌で感じながら掴み取るものなのだ。それが出来る人間
である事、それが「リーダーの資質」である。それのない人間がリーダーに
なると、このコミュニティーは形を成さず、すぐ潰れるであろう事は、この
コミュニティに日々何が起こってるかを読まされる我々は直ぐに気付くはずである。
そして著者は1日だけのリーダーを任されるがここでは要するにJTに試されていた
のだ。何を?
「リーダーとして適切な判断が出来るかどうか?」
をだ。結局、リーダーの最も大切な仕事はどこの世界でも同じなのだ。いや通常の
会社のリーダーであれば、仕事での決断ミスは時にフォローが可能であったり、
後日のリベンジにより修復可能な場合もあろう。しかしここではそれが通用せず、
判断の一つ一つがコミュニティ全体の命運を分ける恐れがある。それは戦争中の
軍隊のリーダーと同等の重責、ほんの僅かのミスでも人々の命を晒す危険に似た
ものかも知れない。だからリーダーは思い悩み、孤独である。そしてだからこそ、
そんなリーダーの心情を理解してくれる人に信頼感を持つ。だからJTは著者を
信頼したのだろうと私は思う。次のJTの一言に、このコミュニティでの生活の
厳しさがにじみ出ている。
「違うな。そういう風に考えるもんじゃないんだよ。このゲームじゃいつでも
確実に賭けるんだ。何にも予測なんかできない」
では、これは通常の会社組織等でも通用すると思うのだが、「リーダーとして
適切な判断が出来る」ような判断基準を身に付けるにはどうしたら良いのだろうか?
「何が重要で何が重要でないか」を肌で感じる感覚を身につけるにはどうしたいいか?
残念ながら私はその回答を持ち合わせていない。感覚を持ってない人が感覚を持てる
ようになるには?なんてそんなのが分かっていたら本を書いてる(笑)。
が、本書で感じた事はある。それは「緊張感」だ。何といってもギャングの世界!
例えば明日からヤクザの組織で仕事してね、となったら緊張の連続で身に付く事、
肌感覚が全く違うのではないか?そうであるならば、たとえサラリーマンでも、
自ら工夫して「緊張感」を高め、決して「慣れ」のない日々を継続しさえすれば、
実は出世なんてとても簡単で、となかなかそう上手く行かないからこそ人間、
だったりするのだよなぁ。。。
投稿者 chaccha64 日時 2014年3月31日
「ヤバイ社会学」を読んで
この本は、社会学を専攻する大学院生が、シカゴのスラム街へ突入取材したルポルタージュである。
最初は、社会学の主流の統計調査に疑問を持ち、実際に現地へ行って、生の感触を確かめに行く。運よく(?)、ギャングのリーダに気に入られて、スラム街、ロバート・テイラー・ホームズの人々の生活を観察していく。
著者は、何が悪いのか、どうしたらよいかということは語らずに、淡々と彼が見たものを語っていく。そのため、かえって重みがましている。
ギャングは、ロバート・テイラーの住民、そこへ来る人々へヤクを売って儲ける。また、売春婦、ポン引き、コンビニの店主、ホームレスからも税金(ギャングが勝手に決めた)を取る。その代わり、違法(彼らの法律で)な搾取者へは懲罰を与え、彼らを別のギャングから守っている。その上、ギャング主催のバーベキューとかの、福祉も行っている。また、スラム街の治安維持に行っている。
ギャングは、自治会長のベイリーさんにこき使われることもある。そのベイリーさんは、住民から賄賂をもらっているし、CHAにも賄賂を要求する。
そうかと思うと、警官がポン引き、売春婦のケツもちをしているし、ギャングのパーティでは強盗をしている。
彼らの関係は、シノギをする人、される人の関係である。しかし、これは一時的なもので、ある時は逆転する。
ここでは、スラムの政治が行われていて、事業(ギャングの事業だけでなく、警官、自治会、ホームレス、住民等の)が行われている。国、地方自治体と同じである。現代の国、政府との違いは、民主的な手続きで、代表を選挙しないこと、法律を制定しないこと、裁判をしないこである。
しかし、民主的でないというだけで、不幸せかどうかはわからない。この本を読むまでは、スラムは悲惨以外ないと思っていたが、そんなにいいところではないが、この本に出てくる人々は精一杯生きているような気がする。
昔の封建時代には民主的なものはなかったが、それだけで昔の人を不幸だと言えないのとおなじではないだろうか。
とは言っても、どこの場所でも、いつの時代も弱いものが割を食う。
クリントン政権の政策により、安易な改善策が採られて、ロバート・テイラー・ホームズは取り壊される。著者も最後の方はニューヨークへの転勤等で調査できていないようだが、そこに住んでいた人々はばらばらになり、多くの人はもっと悪い状況になったと思われる。
そんな中で、自治会長への賄賂を拒否して、独自の方法で「いっっしょにいようよギャング」の活動をしたドロシー・パティの話は、完全な成功ではなかったが、一服の清涼剤でした。
投稿者 whockey51 日時 2014年3月31日
どんなに素晴らしい才能を持っていようが、環境によって人は左右されてしまうといえる。
スラム街に生まれてしまうと、高確率でそのまま人生を這い出ることが出来ないまま溺れて行ってしまう可能性が高い。
つまり、いまこの時代の日本に生まれているのは、絶対的に幸せになる確率が高い事になる。この環境で厳しいと嘆いているなら、どこに言っても幸せにはなれないだろう。
投稿者 ken2 日時 2014年3月31日
『ヤバい社会学』を読んで
日々、命を張って生きている人の話は迫力がある、凄みがある。
著者が長期間取材をしていた(というか、つるんでた)ギャングリーダーのJTのことだ。
JTはギャングの中でいわば中間管理職だ。
たくさんの部下をかかえ、日々起こる問題に適切に(!?)対処し、ボスからいかに取り立ててもらうか腐心している。
そのJTとの出会いは偶然だったが、著者のスディールは信頼関係を築いていく。
全編を通してJTから受ける印象は「オレってすごいだろ」「オレはもっと認められてもいいはずだ」
「日々勃発する大変な状況をマネージメントしてがんばってるオレをほめてくれ!」という心の叫びのようなものを感じる。
その願望をかなえてくれそうだとピッタリはまったのが著者だったのではないか。
だから、JTはスディールをそこまで受け入れたのではないか。
ご存知の通り、マズローによると
人間の欲求は以下の5段階とされている
1.生理的欲求
2.安全の欲求
3.所属と愛の欲求
4.承認(尊重)の欲求
5.自己実現の欲求
JTは、1~3までは自分でマネージメントしていた
そして、ギャング内での地位も徐々にあがり、5.も満たしつつあったと思う。
唯一、4.が一番得にくい欲求だったのではと推測する。
裏社会である程度認められても、本当は一般の人から認めてもらいたかったのでは、と。
このルポルタージュからは、普通は知りえないアメリカが垣間見えたがこの世界に生きていたら自分ならどうするだろうか。
想像するだにおそろしいが、その狭い世界から絶対抜け出そうとあらゆる努力をすると思う。
読書することでそんな疑似体験をした今、先日のジョイントセミナーでも語られた「生活のため ≠ 生きる」の「生きる」を求めて「熱望するもの」を求めて踏み出そうと思う。
今月もありがとうございました!
投稿者 fingerxfrog 日時 2014年3月31日
2014年3月課題図書【ヤバい社会学】を読んで
スディールとJTの関係性と周りへの影響って何だったんだろうと、そんなことを本書を読んで考えました。
スディールは社会学の研究として、都会の貧困層の調査を身をもって体験したのですが、JTはなぜスディールを受け入れたのでしょうか。そこには少なからず承認欲求があったのではなかと思います。
JTの詳しい生い立ちは分からないですが、彼が大学卒業後にギャングで生きてゆく事を選択し
たのち、スディールに出会い、別の人生があった筈の自分を投影していたのだと思うのです。
スディールが行った調査は、次第に人の役に立つ為の行動をとったのですが、時にはR・T・ホームズの人間関係のバランスを崩してしまった事もありました。公共機関が見向きもしない貧困かつ犯罪多発地域であっても、人がいて生活があれば自分が何とかしなきゃいけない。それでもなんだって思い通りってわけには行かないから助け合う。そこにコミュニティが成立しつまりそこで、パワーバランス
が発生してしまうのでしょう。
お互いに助け合い生活してゆこうとする反面、何とか現在の生活から抜け出したい、いや到底抜け出せないからこのままでいいのだと、結局コミュニティ間で承認欲求がないまま自己実現を求めようとしてしまうジレンマがあるのだと思います。
こういった状況で、ココロの持ち方次第で環境に影響を与え、幸福になれることはあるのでしょうか?
それがJTとスディールがそれぞれ目指そうとした事の様な気がするのです。かれらは対極のやり方、JTはドラッグギャングの企業組織かつ独立自警団となり、R・T・ホームズそして家族を守るために、正直に生きています。かたやスディールは調査結果を公に作品として仕上げ、JTを軸にした黒人貧困社会つまり、貧困=犯罪と短絡的になりがちな部分の、R・T・ホームズの住人のリアルを標榜し続けるの
でしょう。
それによって彼らお互いが、つまりR・T・ホームズが、どうにか最後でカタルシスにならずに済んだような気がしてなりません。
投稿者 andoman 日時 2014年3月31日
「ヤバイ社会学」を読んで
この作品の主人公、スディールは実にユニークだ。
それまでの社会学は対象者にアンケートを行い、そこから統計を行うのが定石なのに対して、公園にいた老人(チャーリー)の一言でギャングの巣窟に潜入してしまうなんて…。
自己防衛本能が機能する"良識ある一般人"なら、まずそんな事はしないだろう。
日本なら、ヤクザや指定暴力団の下部組織に潜入するようなものだ。
しかし、彼は違った。
自己防衛本能よりも好奇心が勝ってしまったのだ。
(いざ潜入する際には、流石に恐怖を感じていたようだが…。)
そして、スディールは同時に幸運の持ち主でもあった。
潜入し、すぐにブラックキングスのリーダー、JTと出逢えた事。
そのJTがスディールの言葉に耳を傾け、それが彼の欲を刺激したものであったこと。
この幸運が無ければ、何度通おうがロバート・テイラーから、ひょい。とつまみ出されていただろう。
もし、そうなっていたら、スディールの人生は今とは大きく変わっていたかも知れないし、今こうして地球の反対側の日本でシカゴのギャングの事業や、スディールの調査に関する感想文を書いてる私達もいないわけだ。
こう考えると、スディールも凄いが彼にアドバイスをしたワシントンパークの老人達は、この世の中に些細ながらも大きな貢献をしたと言えるのかも知れない…。
さて、スディールの長年に渡る調査結果である本書から学んだこと。
私達が映画で見るギャングはドンパチが好きで、略奪と暴力に溺れ、不要な人間はすぐに始末してしまう。という残酷な人物が多く、そういった輩かと思っていた。
しかし、実際にはそのような事は滅多に無く、ギャングはドンパチするよりも、平和的に事業を行って行こうと考え、自分の事業を如何に効率良く稼ぐかを重要視していた。
BKが銃による襲撃をされた時、相手を突き止めるも全面戦争は行わず、拳(?)でケリを付け、舐められない最低限度の落とし所をキッチリ付け、それ以上は大きくしない。
もし、報復から殺人を犯してしまえば、血みどろの抗争に発展することは十分理解していたのだろう。
その辺りは理性が働いているものと思う。
(もしJTがリーダーで無かったら、どうなっていたかは些か興味がある。)
また、ロバート・テイラーにはBKの他にも権力者がおり、暴力だけでは支配できない点も面白い。
自治会長のベイリーさんや、牧師さんだ。
表向きは皆の助けになりつつも、チャッカリしてる方達だ。
彼らの行いは、トラブルが日常茶飯事の状態では仕方が無いのかな。と…。
彼等とBKの関係を見てると、ウイルスや細菌の関係みたいだ。
(※彼等を卑下する意味では全くありません)
ロバート・テイラーという建物を宿主として、その中で繰り広げられる共存関係。
JTという強力なウイルスによって、以前存在していた女性のコミュニティは破壊されつつも、ベイリーさんが強力な抗体となり、JT率いるBKウイルスを牽制し、時には駆逐する。
その他の住民はこの2つの勢力の間で生活を営み、住民がいなくなるとシノギが取れないからBKウイルス達もそう簡単には無謀な事は出来ない。
他所から来たウイルスにはBKウイルスが目を光らせ、悪いウイルスであれば撃退する…。
一見、これからも上手く続くとされていたこのコミュニティも、最期はより強力な「国家権力」という名の強力なワクチンで、呆気なく宿主ごと破壊されてしまった…。
どの様な世界にも、そこに生物によるコミュニティが生じれば、この様な関係が生まれる。
もしこのコミュニティが平和を愛し、お互いの幸せの為に協力し合える、智の道に則ったコミュニティであれば、国に目を付けられず、このような結果にはならなかったのではないか?と思う。
(もしその様なコミュニティであれば、スディールの調査は入らなかっただろうが…)
最後に、スディールにアドバイスした、「運命の老人」であるチャーリー達のその後が些か気になっている…。
今月も素晴らしい課題図書をありがとうございました。
投稿者 tractoronly 日時 2014年4月1日
ヤバい社会学を読んで
社会学ということでその点について考えてみたいと思います。
貧困について「アフリカ系アメリカ人はネクタイ締めて仕事に行く。ニガーは仕事なんかもらえない」というくだりやロバート・テイラーの何人かの住人は職に就いてもすぐ戻ってきてしまう。このコミュニティのなかで育った人間と、そうでない人間を分断する何かがあるのでしょう。
その何かとは、内部同士のつながり、つまりコミュニティ内の結びつきの強さがそうさせているのではないかと考えます。
それが強いと今度は外部との接点の少なくなる方向に力が働き、貧困層について回るダークな面(薬物、売春、暴力等)が強調され、自警団が結成され(内部の力が強まり)、さらに外部との接点が弱まるというスパイラルのように見えます。
日本でこのような排他的なコミュニティがあるかと考えてみると、程度は全く違いますが、低賃金で人を働かせ、上部が搾取するいわゆるブラック企業がそれにあたるのかなと思いました。
幸いにもこちらの場合は昨今のネットによる情報のリーク等で改善される傾向にあるのかもしれません。
投稿者 fingerxfrog 日時 2014年4月1日
2014年3月課題図書【ヤバい社会学】を読んで
スディールとJTの関係性と周りへの影響って何だったんだろうと、そんなことを本書を読んで考えました。
スディールは社会学の研究として、都会の貧困層の調査を身をもって体験したのですが、JTはなぜスディールを受け入れたのでしょうか。そこには少なからず承認欲求があったのではなかと思います。
JTの詳しい生い立ちは分からないですが、彼が大学卒業後にギャングで生きてゆく事を選択し
たのち、スディールに出会い、別の人生があった筈の自分を投影していたのだと思うのです。
スディールが行った調査は、次第に人の役に立つ為の行動をとったのですが、時にはR・T・ホームズの人間関係のバランスを崩してしまった事もありました。公共機関が見向きもしない貧困かつ犯罪多発地域であっても、人がいて生活があれば自分が何とかしなきゃいけない。それでもなんだって思い通りってわけには行かないから助け合う。そこにコミュニティが成立しつまりそこで、パワーバランス
が発生してしまうのでしょう。
お互いに助け合い生活してゆこうとする反面、何とか現在の生活から抜け出したい、いや到底抜け出せないからこのままでいいのだと、結局コミュニティ間で承認欲求がないまま自己実現を求めようとしてしまうジレンマがあるのだと思います。
こういった状況で、ココロの持ち方次第で環境に影響を与え、幸福になれることはあるのでしょうか?
それがJTとスディールがそれぞれ目指そうとした事の様な気がするのです。かれらは対極のやり方、JTはドラッグギャングの企業組織かつ独立自警団となり、R・T・ホームズそして家族を守るために、正直に生きています。かたやスディールは調査結果を公に作品として仕上げ、JTを軸にした黒人貧困社会つまり、貧困=犯罪と短絡的になりがちな部分の、R・T・ホームズの住人のリアルを標榜し続けるの
でしょう。
それによって彼らお互いが、つまりR・T・ホームズが、どうにか最後でカタルシスにならずに済んだような気がしてなりません。
投稿者 uchdk 日時 2014年4月1日
「ヤバい社会学」を読んで
いろいろなものの裏側が本書では書かれているが、それが興味深いのは我々一般人(または専門家)でも知らない事実が書かれているからなのかと思いました。
特に完璧な子育ての章で、子供の名前がウイナー・ルーザーでも将来の行方が全く逆になっていたことは驚きであった。どうしてそのような結果になったかまでは言及されていなかったが、完璧な子育ての方法というのは無く、「子育てしてあげる」のではなく親自身が努力し成長し続けることが必要なのかと思いました。
確かに実体験でも、口だけ指示されるよりも、やってみせられた方が教えられる方もやる気になることからも納得がいきました。
期限間にあわず、簡単ですが投稿いたします。ありがとうございました。
投稿者 kd1036 日時 2014年4月2日
この本は、紹介にあったとおり途中で手を止める事の出来ない本でした。
それは何故なのか?と考えると
・社会学に類する内容だが言葉が平易で読みやすい
・登場する人物が、実に人間味にあふれていて(名前は変えてあるにしろ実在の人物の行動を描いているので当然なのだが)臨場感がある
・人間の感情が、直接的あるいは間接的にむき出しで生々しく描かれている
といった所だろうか。
なんとなく先は読めているのだけれど、どんどん引き込まれていってしまった。
社会学部を卒業はしたけれど、学生時代は遊びほうけてしまった自分は、今はあの時あんなに色々学べる機会があったのかと考えながら、すでに身に着けているはずの知識を含め学びの日々です。
本書を読むときの視点として、自分のポジションは、著者を一歩引いた場所から眺めている場所に固定されていました。
序盤ですぐにその事に気づき、他の視点から見れないものかと意識しましたが、それは出来ませんでした。
何故出来ないかというと、自分のいる視点から以外のポジションからどのように見えているのか、なんとなく分かる気はするのですが、自分にとってリアリティのあるものでは無いからでしょうか。
ギャングに単独で取材に行ったこともなければ、小便の臭気の立ち込める場所で救急車を呼んでも無駄だなんて生活もした事もない、まして自分より金を持ってるギャングから金品を奪うなんて。ただ、想像は出来るんです。多分こんなかな~程度には。それはあくまで想像で現実ではないです。著者がバスケットの審判をした後、襲われそうになって一歩たりとも足が動かなかったなんて、分かる気がするけど、ホントに分かる気がするだけなんです。
何が言いたいかと言いますと、分かった風な口を聞いちゃ駄目だって事です。自分にも、何にも分からないくせに何を何を偉そうに!!、なんて感じることは多々あります。アメリカ社会の下層階級に対する向上心のない集団だとカテゴライズするその他の階層や、下層階級の何かをやろうとしても全ての道は閉ざされているという認識と現実は、私のように黒い夜にも描かれていました。じゃあどうするの?って著者は考えたのでしょう。
著者が本当に凄いなと思うのは、あくまでも社会学者としてその世界に深く入り込んでいる事です。膨大なデータを集めた統計から議論を始めるよりも実際に体験して議論を組み立てるという著者の嗜好は、自分もそっち寄りです。ただどちらが良い悪いという事はないというのは当たり前ですが。
長い期間、コミュニティと打ち解けてはいるけど別の世界の人間として深く関わっているのは相当に困難な事なはずです。一歩引いた視点から読み進めていると、それはアウトだったんじゃないの?と感じる場面も多々あります。その中で、わからない事を聞く、聞き取りやレポートをまとめる中で何も分かっていなかった事を認識するといった事を貫き通した所が、朱に交わらない社会学者として感嘆させられました。こいつはこういう事を知りたがってるんだけど、こういう事がわかってないんだよな~、調査対象に分からせる所もそうです。
本書を読んでいて、一つ思ったのが、コミュニティの人達は思考の限界にとらわれているんじゃないのかな?という事です。それこそ分かったような事を言うんじゃない!!ってなりそうですが(笑)
ここではそうなんだから、しょうがない。それは、生まれた時から色々なトライもしてきてその度にへし折られて、何をしても無駄なんだと分からされた結果なのかもしれないし、本当に出口はどこにもない迷路なのかもしれませんが。ただ仕方ない・しょうがないと自分の中で決めた時点でそれが現実になってしまいます。
自分の世界を作っているのは自分だとしても、人間は環境により作られていくものなので、難しいのかもしれません。一つ言えるのは、コミュニティの人達の生活が、しょうがないとか仕方ないで片付けられていいものではないという事は分かるという事です。
話は変わりますが、人間は自己顕示欲と言うようなものと切っても切り離せないものなのだな~と思います。JTについては著者もハッキリ書いていますが、それ以外の人達も、そこかしこにそういたものが見えます。これが著者が深く入り込めた要因の一つだというのも頷けます。自分をよく見せたい・認めてもらいたい・肯定してもらいたいという感情は重要でもありますが、固執してしまうとあまり良い代物ではないのではないでしょうか。小さな自己顕示欲のために、大きなものを視野にとらえられない事が無いようありたいものです。