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第11回目(2012年3月)の課題本

 

 関東大震災

 

今月11日は、東日本大震災から1年です。
去年我々が経験したモノを風化させないよう、この本を課題図書にしました。
『三陸海岸大津波』という同じ吉村昭氏の著書も捨てがたかったんですが、震
災は津波だけではなかったわけで、さらにはこういう時の群集心理についても
知識を持ってもらいたいという理由もあってこちらにします。

人間というのは非常時には、常識では理解出来ない事をやってしまうという事
も知っておいた方が良いと思います。
集団がパニックになるとこんなに怖いんですね。

 


【しょ~おんコメント】

3月の課題図書優秀賞の発表です。

今月はいつもよりもレベルが高く、悩みに悩みました。

毎月書き込みをして下さっている方の文章力がアップしているのが感じられ、
本当に甲乙つけがたい状態だったんですが、今月はいつものように独断で、

『akiko3』さんに差し上げる事にしました。

この方も2回目の受賞ですかね。

この方も毎月書いて下さるんですが、今月の投稿はレベルが違いますね。
やっぱり毎月書いているとスキルが上がってくるんですかねぇ。
もうほとんど小説を読んでいるような感じで、身体に入ってきました。

この方以外にも、毎月書いて下さっている方は着実に文章力が上がっていて、
最後までどなたにしようかと悩みました。

 

 


頂いたコメント】

 

 

投稿者 nakajirou 日時
私の生まれた頃に「菊池寛」賞を重賞した作品だったのですね。私は阪神大震災を経験したのですが、この本を読んで犠牲者20万人の関東大震災の被災のレベルが阪神大震災と比較しても桁外れであったことが実感されました。

この本を読んでの感想をまとめると以下のようになります

①首都直下型地震はほぼ確実に起きると思われる
②情報が収集出来ないことが一番の問題。朝鮮人虐殺の要因も情報が錯綜したこと
③首都直下型地震で怖いのは昨年の地震のような津波ではなく火事
④火事場泥棒ならぬ地震泥棒も残念ながら必ず起こる。そうした事態が起こるのは止む得ないと受け入れるべき

①関東大震災の前にも明治東京地震という震度6クラスの直下型の地震はあったようです。ただこの地震は被害レベルは関東大震災と比べ軽微であったようです。近頃話題になった直下型地震もこのレベルでありましたら大打撃とはならないと思いますが、それでも地盤の弱い下町では過去の歴史を見ても被害が大きいようですので油断はならないと思いました。

②関東大震災での一番の問題は当時の庶民が情報を得る手段は新聞しかなかったのですが、その新聞が発行出来ない、発行出来てもデマ情報等を掲載してしまい、正確な情報を知る手段が失われたことにあると思いました。朝鮮人虐殺も一部の人がデマ情報に疑心暗鬼になり自衛行動が過剰になったことが要因と思えました。

情報収集といえば、昨年の震災の際にもワンセグやTwitter等を活用出来た人とそうでない人では「帰宅難民」事件の際に休息場所や交通機関の再開情報を獲得する手段がかなり違ったと聞いております。そうした事を考慮しますとある程度スマートフォン等で情報武装をする必要はあるのかなと思いました。最も昨今のスマホはバッテリーを喰いますのでバッテリー対策は必要かと思いますが・・・

③昨今テレビでも放映されていましたが首都直下型地震で最も恐ろしい被害をもたらすのは火事だということが痛感しました。関東大震災において火事の被害を広げたのが、被災者が持ちだそうとした荷物であったことは皮肉に思えました。しかも江戸時代には法で大八車による荷物の持ち出しは禁じられていたのに、それが大正時代になって生かされていなかったのですからなおさらのことです。今のご時世で大八車を持ちだす人はいないと思いますが、避難の際に車などで逃げようとする人はいるでしょうから注意しないといけません。いづれにせよ都市で恐れるべきは昨年の地震のような津波でなく火事なのだと思いました。

④本書の中でも亡くなった方の遺体から金品を盗もうとする人がいるとの記載がありました。昨年の東北地方でも残念ながら避難地域の民家や商店から盗みをする人がいた話はニュースでもありましたが、いつの時代においてもこの手の人が世の中から絶えないようです。悲しい事ではありますが受け入れるしかないのだなと思いました。

本書を読んで私の方で考えた対応策として以下の二点に取り組もうと思います

・携帯のスマートフォンへの買い替え。非常時のバッテリー対策を含めて対応に備える
・仕事中など家族が離れ離れの状況で被災した際にどのような対応を取るか家族と相談する

平凡な事ではありますが出来ることからやっていくようにします。

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投稿者 take0125 日時
関東大震災を読んで、震災が及ぼす物理的な破壊に衝撃を覚えたことは勿論のこと、
人間として死に直面するような事態に陥った場合には、理性や道徳、倫理観など
風が吹けば塵のように軽く飛んでいってしまうことに、ものすごく悲しみと恐怖
を抱きました。

また自分自身、同じ状況下に置かれた場合には、多くの人が間違ったような
群集心理に陥ってしまうのではないかと考えさせられました。

そこで「関東大震災」を読み終えてから、私は改めて2冊の本を読み直しました。

一つは「夜と霧 (V・E・フランクル:著)」です。
これはしょうおんさんの良書リストにもある本ですが、被収容者であった著者が
どのような心持ちでナチスの収容所で生き残ったかが記された本です。人間の
心理面を理解する上で、とても参考になりました。

例えば、関東大震災後に起きた流言や軍人による社会主義者に対する殺害について
も、人は非常時においては非倫理的な行動に走ってしまうということを頭の隅に
入れておかなければならないと同時に、緊急時においても冷静にかつ論理的に
考えることができる思考能力を平素より訓練しておかないといけないのではと
思いました。

もう一冊は「パイロットが空から学んだ危機管理術 (坂井 優基:著)」です。
この本は業務の都合上、私が社内で起きたヒューマンエラーや人身事故に対して
勉強する上で購入した本なのですが、この本では、「安全」を保つために
中間管理職やトップマネジメントがどのように考えて、どのように行動しなければいけ
ないかを述べられており、また現場レベルでの具体的な安全の話など、実践的な
リスクマネジメントが解説された内容となっています。今後、起こるかもしれ
ない大地震に備える上での「予防対策」、また発生した後での「発生対策」に
ついて想定するのにとても役に立つのではないかと思い、改めて手にとりました。

余談ですが、わたしは過去、海上自衛隊の1日体験セミナーを経験したことが
あるのですが、そこで経験した中でとても印象に残っているのが、「清掃(整理整頓)」です。
自衛隊では清掃を徹底的に行います。背の届かないロッカーの上の埃などは
勿論のこと、水道の蛇口に付着したわずかな水滴でさえも隈なく拭き取ります。
これは単なる整理整頓を旨としたわけではなく、異常発生初期時における
小さな「エラー」を察知するためだと教わりました。(間違った解釈であればスミマセン・・)

ハインリッヒの法則にもあるように1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
その背景には300の異常が存在するとよばれているのですが、自衛隊の場合には、
その300のうちの一つひとつを敏感に察知しなければ、自分だけではなく、数多くの
仲間の生死に関わってしまうからなのではないかと思います。

最後に私は、緊急・異常時においても自らの理性を保ち続けられる心構えを持ち、なおかつ
危機管理能力というスキル的な面も備えておくことで、地震が起きた時の犠牲を必要最低
限に抑えることができるのではないかと思います。悲しいことですが、東日本大震災に
おいても流言や差別的な行動、●京電力の経営層による対応など、過去の失敗を
生かしてきれていないことが起こりましたが、再び今回のような悲しいことが繰り返さ
れないように人間は少しずつでも歴史に学ばなければならないのだと思った次第です。

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投稿者 koro 日時
地震の揺れによる建築物倒壊や、津波による自然からの被害よりも、
人々が携行する荷物や、町の構造によって広まった火災等、
人災的なものによる被害が大きかった事が印象的でした。

「朝鮮人や社会主義者が蜂起する」という流言によって
引き起こされた数々の殺害事件など読んで、
昨年の震災時にも「放射能の雨が降る」といったような
風説が流布されていた事を思い出し、
不安に駆られた集団の行動は情報化社会に於いても
変わらないんだと思いました。

関東大震災という単語は知っていましたが、
近代以降の日本で10万人以上の被害者を出した災害があったという事は、
恥ずかしながら、この本を読むまで知りませんでした。

また、関東大震災での被害データが米軍によって
東京大空襲へ利用されていたとは、、、

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投稿者 yokoyayayuki 日時
今月の課題図書を読んで

読んで思ったことは、
・災害に備えなおさなくてはいけない
・見たくはないものを見る時のための心構えをしなくてはいけない
の2点です。

前者については、必要なものを買い揃え、揺れに備えて不要なものを処分し、家を整理しました。
家族と連絡が取れない際の約束事も決めました。

後者については、「毎日を精一杯楽しむ」という結論に至りました。
そして人間も自然の一部であることを認識できるようになれればと思います。
災害の時に物に執着して火災に巻き込まれるようなことがないように。

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medal1-icon.gif投稿者 akiko3 日時
「関東大震災」を読んで

とある休日、デパートの6階で友達と買い物中に大きな揺れを感じた。不安定に大きく揺れ続けるので、とっさに陳列棚をもち、おろおろと姿勢を低くし、揺れが止まるのを待った。揺れが収まったら、すぐに店員が非常階段へとお客を誘導し始めた。その人の流れについていった。「怖かったねー」とだれともなく言いながら、そう言葉に出すことでもう大丈夫なんだと言い聞かせたかったのだ。皆、整然とおとなしく出口へと続いた。外にでても心はざわざわしていた。どこかほっと一息つけるところへ行きたかった。どちらともなく「公園に行く?」と。黙って二人は近くの公園まで歩き、花壇脇に座るとしばらく黙って座っていた。ぽつぽつと人が集まっていた。鳥がさえずり、平和な静けさがそこにはあった。しばらく座った後、帰ろうかとそれぞれ家に帰った。
夜中に地震があった時は、どこに逃げたらいいかもわからないし、どうせ一人だからここに留まるしかないかと、揺れが止まることをひたすら祈りつつ、希望的観測で大丈夫、大丈夫と言い聞かせていただけだった。しばらくは、ちょっとした揺れにもどきっとしたが、どこかで大丈夫と思っていた。実際には、どうしていいかわからないし、思考停止にしておき、都合よく無視していたのだ。
小学校2年生の時、母に連れられ、原爆資料館に行った。皮膚が焼け爛れた蝋人形が怖かった。変な匂いさえも感じられ、気分が悪くなり、早くここから出たいと出口へと急いだ。外にでて、階下に広がる緑の芝生を見、広い青空を見、きれいな世界、きれいな世界と自分に言い聞かせるようにして、こみ上げてくる吐き気をかろうじて抑えた。その日の夕食はまだ気分が悪くて食べられなかった。
インドの空港トイレに行った時、足の踏み場もない糞尿の床に、生理現象も引っ込んだ。町では露天商が連なり、脇の路肩には吹き溜まりのようにゴミの山があった。照りつける暑さの中、露天の食べものとゴミと排気ガスの匂いがこもった熱風で息苦しかった。ガンジス川につながる川の対岸では、家族らに見守られながら死体が焼かれていた。
野外イベントの簡易トイレには、人の列ができていた。子供がその列の中、がまんが出来ないと母親に訴えていた。トイレットペーパーがないよとの声が聞こえてきた。バックの中からティッシュを出し、前後の人と分け合う。
寮生活中、火事があった。入浴中だったので、非常ベルがなっても誤報だろうと思った。その後に続いた館内放送に、本当なの?!と慌てて脱衣場に行き、服を着て外にでた。火元の部屋一室は燃えたが、延焼は免れ、火は消し止められた。消火にあたったのだろう、事務所にいた数人の女性達の顔は煤で真っ黒だった。
JRのダイヤが乱れ、人がホームに溢れている中、駅員に詰め寄る人々、次に出るのはどのホームからか、聞き耳をたて、人の流れに遅れまいとついていく。遅刻しないようなんとか乗ろうと乗車口の隙間を求めて歩き、ぎゅうぎゅうの人ごみの中に入り込む。
旅した見知らぬ土地で何時間も足が棒になるくらい、ひざが痛くなるまでただたださまよい歩いたことがある。

関東大震災を読みながら、フラッシュバックのように思い出した。私が経験したことはほんの一瞬のことであり、一時的なもので、人体に影響のないことだった。だから、まるで地獄絵巻のような関東大震災の描写に、固唾を呑み、眉間にしわをよせ、読んだ。今までの自分の経験をこえた非常時に、どこまで冷静に、根気強く、行動し続けることができるのか?自問しながら読んだ。体1つでも、一人でも生きていけるのか?…答えはでない。せめて、今の便利さに慣れないようにしようと思う。自分でできることを増やし、人に依存しないでいようと思う。
そして、天災は一瞬で避けられないことだが、それに対する備えがなければ、延々と悪夢は続くということに恐怖を覚えた。そして、今も混乱の中、先の見えない不安の中で生きている東北の方々、突然に生活の場を奪われた福島の方々を思うと言葉にならない。一時的に寄付をしただけで、関わり続けず、こうして普通に暮らしていることを心苦しくも思う。

一方で、天災の脅威にもまし、恐怖を覚え、嘆かわしかったのが、流言による朝鮮人狩りだった。普通の人達が集団になり、凶器をもち、暴徒となす。時代の軋轢が、混乱に入り混じり、表層化し、正当化される恐ろしさ。官民こぞってそんな混乱に陥る不思議。何が正しいのか?集団に対する個人の力は弱いのか?どうすることもできないのか?自分の経験を超える混乱に放り込まれたら、自分は被害者にも加害者にもなりうるのか?

小学校高学年の頃だったか、いつもなら抜け出してでも遊びに行くのに、口さけ女が怖くて、外に出られないことがあった。怖いからそろばん休むと母に訴えた。「そんな人がいたら、警察が捕まえるよ」と母は諭したが、「だって、すっごく足が速くて警察が捕まえられなかったんだって。駅前にでたんだって。絶対に外にでん」と真顔で反論した。母は呆れていたが、そろばんは休ませてくれた。そばで話を聞いていた弟も怖がり、窓辺で二人並んで、だって怖いもんねって同調しあっていた。私の頭の中には、はっきりと大きなマスクをした女の顔が、マスクをとると不気味に笑う大きな口の恐ろしい女の顔が浮かんでいた。

流言は、冷静であれば信じがたいことなのだ。信じがたいことなのに、すっかり信じてしまう愚かさ。どうすればいいのだろう。情報に頼らず、人に頼らず、自給自足できれば生きていけるのか?それも無理な気がする。結局、恐怖は自分の中から出てくるものだし…。
情報が寸断された関東大震災では流言が広まった。技術の進歩により、簡単に世界中の情報さえも得られる昨今だが、人づての情報もなくならない。正直、何が正しいのか情報はあっても判断しかねることも多い。疑わしきは罰せずをとるか、疑わしきには近づかずをとるか?取捨選択をし、行動を決め、結果を受け取るのは自分と言い聞かせるしかない。
自分の人生の責任は自分で負う。できるのかな?するしかないか…。なんとなく不安が残る読後であるが、自然災害は避けられないが、その後に起こりうる人災があることを知り、それを避ける心構え、知恵の大切さが学べた。
今回も、貴重な読書体験になりましたこと、感謝申し上げます。

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投稿者 sumio 日時
吉村昭氏による「関東大震災」を読んで考えたこと。

吉村昭氏がこの本を書いた意味はなんだろうか?
東日本大震災から1年。この本の、今、この時代における、意味はなんだろうか?
本書を読みながら、自問していました。

防火訓練、防災訓練はなぜやるのか。
それは、頭でわかっても、いざという時に体が言うことを聞かないので。
体に覚えさせるために定期的に繰り返し、しつこく、しつこく行うことが大事です、
と先日、お話聞きました。

皆さまに一つご提案があります。
本書をまず義務教育課程のテキストにすることを提唱させて下さい。
目的:我々日本人が、間違いを繰り返さずに未来を生きていくこと。
手段:吉村昭著「関東大震災」を義務教育課程のテキストにすること。
年齢に応じて、教え方、表現方法を工夫して、繰り返し、読むこと。
前提:どうすれば可能か、実現可能性を追求する取り組み姿勢であること。
可能性を否定する思考は、排除。
(例、あれはダメ、これはダメでしょ、なんて言わないでね。)

たとえば、灘校国語教師の橋本武氏が、中学校3年間で1冊だけ、
中勘助「銀の匙」を使って教え、効果を上げたようなイメージです。
そんな感じで国民が本書を活用し、効果を上げることができたら、
いいなぁと思います。

科目名は、「国語」なのか「社会」なのか、あるいは新科目「防災」なのか
問いません。小学校の高学年くらいから、本書を使って、読む。読む。読む。
授業の教え方は、それぞれの教育機関の腕の見せどころ。
メソッドは事情に応じて、工夫し、バラエティがあって大いに結構。
(テキストも簡易版、小学生向きetc.いろいろあってよいでしょう。)

得られる学び、効果は、絶大。
思いつくままに
・正しい避難方法、心得
・人間の行動科学
・流言卑語に惑わされないこと
・平静であること
・本性
・エゴイズム
・群衆心理
・集合意識
・犯罪予防
・協働
・助け合い
・状況判断
・コンティンジェンシープラン
・人として正しい行動
・道徳
・サバイバル
・時代の空気を知ること
・歴史とその背景を知ること 等々

義務教育に限る必要はありません。公立、私立を問わず、高校でも大学でも
大いに展開すればよろしいと思います。私塾でもオーケーです。
教育課程に取り込むのは、「思考の防災訓練」の意味合いがあります。

関東大震災で起こってしまったこと。
事実は事実として、受け止めます。
当時の社会情勢、研究者の使命、植民地支配に対する日本人の後ろめたさ、
公的機関の機能、被害増大に荷担したマスコミ報道、平静でいられない性弱な人間。
繰り返し、繰り返し、問い返す必要があると思いました。

奇跡的に火災を守った神田和泉町のエピソード、印象的でした。
また、家財道具や着物が、延焼の手段になってしまったこと。
大八車が逃げ場を奪う凶器と化すこと。朝鮮人虐殺という、日本人の過ち。
怖いと思ったのは、やはり、火事、自警団の狂気、流言卑語と
それに動かされる我々人間。

過去からの警鐘、警告、教訓を忘れ去られないようにするためは、
仕組み化するのが一番と考えます。
今この時期こそ、日本国民全体の取り組みにしたいです。
この分野にお詳しい方のお知恵を拝借したいです。

ありがとうございました。

 

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投稿者 nagi1123 日時
この本から学んだことは
・思考を停止して盲目的に周りの状況に流されず、自分自身で状況を判断し、責任をもって行動に繋げることが重要ということです。

・そのためには正しい情報を取捨選択できる心の感度を高めるため、物事の本質を考える姿勢が大事であると思います。


【起】関東大震災における人々の心理状態

関東大震災では、情報が無いことが人々をパニックへ陥れて死地へ追い込み、間違った流言による情報が狂気の社会事件勃発へと発展させました。

地震で圧死した人よりもその後の火災で焼死、または火から逃れようとして水死した人の方が圧倒的に多いということからも、当時の混乱は相当なものだったのでしょう。
また、広範囲におよぶ火災延焼は、人々が持ちだした家財道具に引火し、強風に煽られたことが主原因であることから、火が目前に迫るまで目先の問題(自分の財産を守る)にしか思考が向かず、気がついたら逃げ場を失っていた状況と考えられます。

もちろん当時の日本は今のように情報網が発達しておらず、水道管などの消化設備のインフラも耐震性が貧弱でした。現代に比べて様々なモノが「ない」ことが大災害に繋がったという側面もあると思います。

生き残った人々も、情報が閉ざされた中で正気と理性を失い、流言に惑わされて朝鮮人虐殺などの事件を巻き起こしていきました。
それにしても、災害直後で精神に異常をきたしていたとはいえ、多くの人が思い込みだけで朝鮮人を撲殺するとは、なんと日本人の気質が剛健な時代だったのでしょう。

団塊世代の方々は学生運動などで当時の面影を僅かに引き継いでいるのかもしれませんが、今の若者世代であれば強大なストレスに直面した時、キレて自分で考えるのをやめて全てを投げ出したり、内に篭ってうつ病になってしまう人も多いかと思われます。
少なくとも、自分の手を汚してまで行動に移そうとする人は少数派でしょう。


【承】3.11東日本大震災との対比

現代は、日本人の気質も穏やかで、情報網も発達して情報が溢れ、街のインフラも整い、戦前とは比べものにならないほどモノが「ある」状況に置かれています。
東日本大震災においても、(一瞬のうちに大津波にのまれてしまった被災者以外は)比較的整然と行動し、(外国では暴動が起こりかねないような)災害後の貧窮した環境の中で、人々は秩序を保ち続けていました。
震災後の物資難の時に互いに助けあい、自分たちも苦しいのに救援物資を「もっと困っている人たちへ」とリレーする東北の人々の気質に心から感銘を受け、日本人としての誇りを持ったのを覚えています。
逆に、マスコミの報道で美談としての側面でしか震災後の復興を見てこなかった私にとって、この「関東大震災」に書かれた陰惨な日本人の振る舞いは衝撃的でした。

余談ですが、私自身は3.11当日、東京の郊外にある会社で勤務中でした。交通機関は機能していなかったため皆徒歩で帰宅していきましたが、私は同僚4人組で行きつけの居酒屋に吸い込まれました。その店でテレビを観ていたのですが、津波があって、死者100人位?という報道で、深刻なイメージはありませんでした。
私は急速に落ち着きを取り戻し、ちょうど4人組だったのでそのまま雀荘へ繰り出しました。半荘2回やって2回とも私がトップ。あまつさえ四暗刻をツモって午前2時にSNSで「わーい四暗刻あがった~!わ~い やったあ!」とツイート。すかさず全国の人達から「この日本が大変なときに何やってんだ!」と窘められました。
そのくらい、緊張感がなかったのです。


【転】戦前の人々と現在の人々との違い

3.11で日本人が整然と行動できた要因は、情報が正しく伝達した効果なのでしょうか?
自分たちの気付かないうちに、温厚にもしくは無気力になるよう誘導されているのではないか。何か見えない思惑によって、牙を抜かれるようにコントロールされているのではないか・・・。

戦前の人々は、大震災によって大半の人が精神異常をきたしていたとはいえ、武装した自警団を結成して 殺戮を行いました。自分の信念のもとに他人を殺めたのです。
それはもちろん許される行為ではありませんが、現在の人にそのような気概があり、そのような行動がとれるでしょうか?

3.11の時にもし「朝鮮人が暴動を起こした」とか「機に乗じてロシアが侵略してきた」などとデマが広がっていたと仮定しても、恐らく暴動は起こらなかったと思います。
なぜなら、今の日本人は「自分で何とかしよう」と思うよりも先に「警察が何とかしてくれるだろう」「政府が何とかしてくれるだろう」「自衛隊が・・・(以下略)」と考えてしまうと思うからです。

事実、福島原発の事故はそれに匹敵する事象だったと思います。
外国人たちがパニックを起こして国外へ退避する中、福島の人々は政府発表を信じ切っていつまでも汚染された地区に留まり続けました。
もちろん、一時的に身を寄せている外国人と、先祖代々その土地で暮らしてきた日本人では土地への愛着は異なるでしょう。
しかし、明らかに原発が深刻な事態に陥っていたにもかかわらず、政府の発表は「直ちに危険なレベルではない」と刷り込み、インターネットなどの情報はデマだから信じるなというキャンペーンをマスコミが張っていました。
ある意味これが功を奏し、世界中が驚くほど日本人は沈静状態を保っていました。日本でなければ、あるいは戦前の日本であったなら東◯電力は粛清されていてもおかしくない状況と思います。

沈静化を保てたのは良いことですが、判断を他人に委ねたのは正しい行動といえるのでしょうか?


【結】これからどう考え、行動すべきか

「関東大震災」を読んで心に残った2つのエピソードがあります。

一つは、火災延焼の最大の原因が避難者の持つ荷物であるといち早く気付いた巡査部長が、避難民に殴打されながらも荷物を捨てさせて多くの人命を救ったこと。
もう一つは、和泉町、佐久間町の住民たちが、この土地は絶対に焼けないという信念を持って消火活動にあたり、四方を完全に火に囲まれた中で見事に防火に成功した事例です。

前者は、人々がパニックを起こす中ひとり冷静に物事の本質(この場合は火災延焼の原因)に気付き、行動につなげた事例であり、
後者は、歴史から学んだことが人々の信念となり、最後まで希望を持ち続けて冷静な判断と行動につながった事例と考えられます。

思考を停止して主導者に盲目的に従うことは本人にとっては楽ですが、知らぬ間に取り返しのつかない事態に陥ってしまう危険性があります。
震災後の異常な精神状態が引き起こした、自警団の結成と朝鮮人虐殺のように。

原発も、事故を起こすまでは誰も関心を持ちませんでした。昔から反原発を唱えていた人たちは、過激派集団とかSF妄想家というレッテルを貼られていたのです。
そして現在のような事態を経験しておいてさえ、不思議なことに世界中で最も原発を擁護しているのは日本人なのです。
それは、政府やマスコミが一部の利権者のために意図的に操作した情報操作に盲目的に従っていると言ったら言い過ぎでしょうか?
逆に、狂信的な反原発論者に盲目的に従って、衝動的な行動をおこすのも問題です。

結論として、我々一人一人が自発的に情報の選択眼を鍛え、自分自身で物事の本質を考えぬく姿勢が大事だと痛感しました。

情報を正しく取り入れる手法としては、「関東大震災」のような良本から歴史を学んでおくことが下地作りとして効果的と感じました。
そしてこの本の作者である吉村昭氏の情報収集→情報発信の妙はとても優れたお手本であると思います。

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投稿者 takuro2411 日時
本書を読んで東日本大震災は、地震、津波、そして原発により被害が拡大して
いったのに対し、関東大震災は、地震、火災、そして人々の昏乱による動乱が被害を
拡大、悪化させていったのだと思いました。
特に災害時人間は、パニックに陥ると自分以外の者に対して配慮する余裕は皆無となり、
他人を傷つけ、死に追いやっても自分だけは生きたいと考え行動してしまう生き物なのだと
思い知らされました。さらに、集団でその状況になると、群集心理となり手がつけられない
混乱となり、終息するまでに多くの犠牲を払うことになる。本書はそのあたり状況を鮮明に
著述しており、読んでいて戦慄を覚えました。
その昏乱は震災後も続き、治安悪化を招き、死者の金品掠奪、そして流言による朝鮮人に
対するリンチ殺人まで発展してきました。さらには、同じ日本人もその対象になってしまった
状況を考えると、関東大震災は人心の乱れや群集心理によって、被害をより深刻な状況に
させてしまったと思いました。
東日本大震災では、我々が目にしていないだけかもしれないが、そこまで人々の昏乱は
なかったのではないかと思いました。それは、被災状況、時代背景、地域性、人口など
いろいろな要因があると思いますが、今回世界中から称賛された日本人の崇高な民族性は、
関東大震災時には存在していなかったのかなと思いました。民族性を凌駕するほどの昏乱が
蔓延していたのではないかと思いました。
一方で、そのような災害に見舞われても、そこから立ち直り復興発展してきたことを
考えると、日本人てすごいな~って思いました。
最後に、今日多くの人や物が過密している首都圏で再び大震災が起きた場合、
人々は昏乱せず、冷静に訓練通り行動できるのだろうか。自分がもしその状況に
居合わせたらどうするのか、また、家族をどうやって守るのかなど考えさせられました。
ありがとうございます。

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投稿者 whockey51 日時
関東大震災を読んで

2011年3月11日から、もう1年以上が過ぎようとしています。
一向に進まない復興をしり目に、増税案という被災者をさらに苦し
める法案が国会を通ろうとしている。

過去から学ぶすべを持つ私達が、なぜ過去を学ばなく、同じ過ちを
繰り返してしまうのだろうか。

そのヒントが本書には書かれている。

考察ポイントを考えてみたい。

1、当時の被災地の写真には、多くの荷物を背負った人の姿が数多く見えた点。

2、家財により、人々が逃げ場を失った点。

3、人々は地震後に多数の死者を見て、一種の錯乱状態にあったこと。

4、そうした中、確実な情報を得る道が完全に断たれていたこと。

5、死への恐怖と、激しい飢餓に脅えていたこと。

6、他人の口にする話にのみ情報が限られていたこと。

上記の6点が震災における心理を考える上で、必要な点になるといえる。

まずは財産を持ち出そうとするのは、人の心理として、
当たり前にあるといえることだ。東北の震災でも、家に
あった財産を持ちだそうとして、亡くなられたかがいる
と聞いた。

手には指輪をはめ、ポケットには多額の現金が入った状態で
発見された方もいたようだ。自分の財産を持ち出すのは、極
限の状態ではそちらに目を奪われるのも仕方がない。

それにより考察ポイントの2でもあるように、逃げ場を失っ
てしまったといえる。

先の大震災では津波により、関東大震災では火災によりそう
いった状況を状況を招いてしまっている。

そして、そういった死者を多数見ていると、人の心理状況は
平常時では考えられない力を出す。

それが火事場の馬鹿力と呼ばれる由縁ではないだろうか。

スポーツ選手でも、オリンピックなどで平常心を保つことは
難しいのに、何も訓練していない人々が冷静に行動を取れな
くなるのは当たり前だと考えれる。

そういった状況下、判断力が鈍っている時に、交錯した不確
かな情報しか入らない中で、少ない情報からこの状況を判断
しようとしてしまい、誤った決断をしてしまった人も多くい
るのではないかと考えれる。

生きることへの執念は誰しもが強く持っている。


限られた情報と、恐怖が人の思考を平時では考えられないこ
とを生み出してしまう。

今後、関東圏での地震も懸念されているが、地震や火災、津
波と同じくらい、人々の行動も危険になる可能性がある。

過去から学べるのは、起こったことにどう対処していったか
だけではなく、どういう心理が働き、どう行動していったか
ではないだろうか。

心の状態が行動を生み、それが結果という事象として残って
いるに過ぎないと考える。

過去を調べて対策を練る時には、結果だけを追い求めるので
はなく、どうしてその行動に繋がっていったのかを捉えるこ
とが大事だとこの本から学ぶことが出来た。

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投稿者 wapooh 日時
本書を読み終えて、大地震のすさまじさとその後に起こる二次災害の悲惨さ、
人々の命を奪う過程のむごさ、心身の痛さ、精神衛生面で混乱した避難非難状況の
中で引き起こる人間の集合不安心理に巻き込まれた中に身をおくときの
張り詰めた恐怖、狂気・・・ページをめくるごとに過酷過ぎて、
体力気力が相当消耗されました。
と同時に、このことを暖かい部屋でいすの上に座ったり、移動の飛行機、電車の中
妨げられもせず、じっくり本を読んでいる自分の状況が以下に恵まれているかと思いました。
その一方で、まだまだ寒い仮設住宅の中で苦しんでおられる被災地の方がいらっしゃいます。
去年の秋に、祖父母のお墓参りをかねて仙台に行きました。
被害の少ない地域にあるのですが、遠い親戚のうちに少しだけよって話をして帰ってきました。
当時TVでは報道されなかった、死体の指や体から金目のものを切り取っていくような事実が
あったのだと、聞いたときは驚きましたが、本書を読むとそれ以上のことが
沢山起こっているのだと理解し、今年もまたわずかながら募金をはじめできることを
続けていこうと思います。

しかしながら、本書の中で今の自分に一番印象に残ったのは、東京がほとんど大火災に見舞われる中で
奇跡的に消失から町を守ることが出来た2つの町のエピソードでした。
彼らには「江戸時代の大火にも難を免れた」という誇りがあり、
その意識のもとに連日の終夜を通しての消火作業のもとに、町と住民を守りきった、と言うものです。
セルフイメージ、という単純な表現ですますのも強引なのですが、
普段から自分への意識を大切に持っておくことで、人は人生を守れるのだな、と思いました。
また、それは一人の力では足りず、この場合は町全体の意識がそうであったこと。
一人一人がそのように意識を持っていられたことで救われたのかと。

自分と他人と。どちらも○。セミナーでもらった言葉は
そのときそのときを捕らえた言葉ではなく、全体を見通しての言葉なのではないかと。

どのような状況にあっても、乗り越えるためには、踊らされず見失わない
平静からの心がけが大切だと、日々感じている以上に思い、
呼吸法の訓練やそのときの心の平静を保つことが重要に感じました。
いつもよりも気持ちをこめて訓練だけではなく仕事の作業一つ一つにも心をこめてするようになりました。

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投稿者 BruceLee 日時
東日本大震災の際、「海外は日本人の冷静な対応を称賛」とニュースで度々耳にした。
「昔から日本人は精神レベルが高い民族なのだよ。暴動や略奪が起こる諸外国とは違うのだよ~」
と思っていた。

トンデモない誤りだった。

この本により、僅か90年前の関東大震災後は、まさに阿鼻叫喚の大地獄絵図だったと知った。日本史の教科書で火災、混乱、朝鮮人に対する流言ぐらいは知っていたが、理解のレベルが違っていた。地震と余震への恐怖、火災への恐怖、混乱に乗じた犯罪の恐怖、そして暗黒の恐怖。至る所に膨大な焼死体、溺死体、圧死体が横たわり、民衆は一種の錯乱状態。また当時の歴史的背景の後ろめたさも手伝い、社会主義者や、特に朝鮮人への流言が起こり、その流言が一人歩きし、群集心理も手伝って異常な様相を呈した無秩序の中で始まった殺戮の数々。混乱の中、当時の新聞社も不確定情報を事実のように書き、不安を煽られた群衆が更に凶暴化、また政府もその制圧文を発した事から、ありもしない情報を事実と解釈され、自動的に混乱が進展する悪循環。その混乱に乗じ、人間の暗部が一気に表面化し、人間の「業」が露出された「業災」とでも言うべき状況。軽くR20指定となりそうな人間の醜い描写のオンパレードとそのおぞましさにショックを受けた。同じ日本人として嫌悪感と羞恥心そして戦慄を覚え・・・呆れた。これが本当に先人たちの姿なのか?

正直、受け入れ難い気持ちもあり居ても立ってもいられなくなった。そして思わず横網町公園を訪ねてしまった。ここは関東大震災後の火災で38,000人の犠牲者を出した陸軍本所被服廠跡地惨事の跡地で、東京都慰霊堂や東京都復興記念館がある。関東大震災を現実の物と認識せざるを得ない数々の物証が展示されていた。Wikipediaに掲載されている情報も直接目にする事で肌で伝わってくる。流言への注意書き、地方へ避難しようと機関車の上に溢れる人々、死体の山、そして地震後の火災で焼け爛れた品々。現物を目の前にする事で想像力が掻き立てられた。自分がこの渦中にあったら、どうするであろう?

東日本大震災後の自身を振り返る。あの時も非日常を体験していたのだ(実は殆ど忘れてたのだが)。
・拙宅は計画停電区域内で二夜ほど経験した。
・駅からの帰途上は真っ暗闇の街中を歩いた。光は車のライトのみ。
・車のない道は若い女性は危険だろう、と思った。
・帰宅して寒い中で毛布を被り家族寄り添い携帯ラジオで時間を過ごした。
・普段100円と少しで買えたペットボトルの水が買えなかった。買えても高価で1家族1箱の限定
・カップラーメン然りで店に無かった。スーパーの空いた棚が印象に残っている
・テレビであの「ディンディン、ディンディン」という不快な地震速報が鳴る度に緊張し身構えた。
・総じて妻も子供も神経が尖っていた。

しかし、家族は全員無事で、住む家と食べ物はあり、風呂にも入れた。でもそれが無かったら?全て、いや一部でも失い絶望の状態だったら?そしてその状態が数カ月続いて先が見えない状態だったら?心理的にどうなるか自分でも想像つかない。少し条件が異なっただけで自暴自棄にならなかったと断言出来るだろうか?自分が呆れた先人たちと同じ行動を取らないと自信持って言えるだろうか?そう考えると、改めて姿勢を正してしまう事実がある。フクシマでは多くを失った人たちが大勢いる事、そして今でも厳しい生活環境を強いられてる人たちがいる事、それでも人々は耐えて新たな一歩を踏み出しているという事だ。

この本から学べるのは、

1)日本は地震とは縁の切れない島国である事。未曾有の大地震はいつどこで起こり得る事。
2)ひと度それが起きれば人間など弱いものであり、簡単にその業が露呈される事
3)その結果、社会規範など吹っ飛ぶ可能性がある事。

である。

上記が明瞭であれば、今も続く原発議論に対し現代人が取るべき姿勢は小学生でも分かる筈だ。未曾有の大地震に対し、想定外のリスクに耐えられない科学技術は使っちゃイケナイって事だ。仮に百歩譲ってそのリスクを現代人で収束出来るのならまだ良い。同時代人がその利便性を享受するのだから、その副作用も同時代人が甘受すると。が、そのツケを我々の子孫に残すのは余りにも無責任である。自分が感じたように、未来の子孫達も言うのではないか。

「あ~あ、先人達は東日本大震災で学べなかったのね。呆れるね」

そうならないために、我々に出来る事が数多ある。その中で最も簡単な事、それは自分の選挙区の政治家がどう考え、どう発言するかを注視する事。そして次回の選挙に行く事だ。

1年経った今だから、忘れかけている自戒を込めてこの本を読む事が出来た。関東大震災そして東日本大震災で亡くなった方へ改めて哀悼の意を捧げたい。

 

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投稿者 genki0506 日時
『関東大震災』には、被災後の人々の動きが、詳細に鮮明に書かれており、震災の恐ろしさを改めて感じることができた。と同時に、今回の「東日本大震災」時における、、テレビ情報のあいまいさ、不確定さ、いい加減さを知る事ができた。どんな点がいい加減なのか、
1、映像
あれだけの規模の災害で、死者数もかなり出たにもかかわらず、映像には一度として、死体は映らなかった、かなりの不自然さを感じる。
2、情報
「放射線」と「放射能」を一緒の物として扱っていた。1マイクロシーベルト、1ミリシーベルトが人体にどれほど影響を与えるのか、説明もなく恐怖心だけを植え付けようとしていた。放射線によるがんの発生率は、タバコのそれに比べ、格段に低いことや身の回りにある放射性物質の説明などをせず、正しい情報を流していなかった。
『関東大震災』から分かるように、映像だけで伝わることはほんの一部にすぎない。そこには映らない、映せない。現状がある。それが分かっただけで、この本を読んだ価値がある。

 

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投稿者 sishida 日時
「関東大震災」所感

まず始めに関東大震災、並びに東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

この本を読み進めていると、大地が波打ち、風で人や家財が舞い、焼けトタンで人の首が飛ぶなど、作り話のようなことばかり、また焼失した面積、亡くなった人の数も桁違いで、こんなことが本当にあったのか!?と半信半疑な自分を戒めながら当時の状況を正確に理解するように努めました。まさに想像を絶することが発生したのだと推測します。
また、自警団をはじめとする暴徒についてはどの様な状況でも礼儀正しい日本人のイメージが私の中で崩れ、そのようなものはごく最近に成立したのだと痛感させられました(戦後教育で牙を抜かれたというのが正しい理解なのでしょうか?…)
リスクを過剰なまでに拡大解釈するような状況とはいえ、自警団や軍などでも普段から疎ましく思っている存在(朝鮮人、社会主義者)を混乱に乗じて排除する動きは、とても日本人の仕業とは思えず、恥ずかしい気持ちになりました。

上記をふまえ、私が思いを巡らせたことは混乱の状況でどのように自分を保ち、いかに正しい行動をとれるかということでした。
当たり前かもしれませんが、まずは信頼できる情報源を確保することにつきると思います。幸い、現代ではインターネットや、スマートフォンなど便利な道具があるのでそれらを活用することになりますが、逆に注意するべき点として、デマも含めて情報過多による混乱が発生しかねないのは認識しておくべきかと考えます。
また、情報源が断たれた場合にでも普段から知識を仕入れ、認識の範囲を広げるとともに智慧として自分自身に落とし込み判断力を養っておく。こうすることで次の行動に活かすことができるのではないかと考えます。

現代においてもそうですが、組織や個人の論理が優先されやすいため、確固たる自分を確立し、緊急時はもちろん普段からの生活においてもどのように行動していくかという良い予行演習をさせてもらいました。
ありがとうございました。

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投稿者 fortymono1 日時
人心の混乱


なんの理由もなく起こった震災に
なんらかの理由をつけたくて
流言が広がっていったのではないか
という集団心理を感じた。


そこには、論理的な理由は一切ない。


「こんな理不尽な思いをしたのには、
きっと何か理由があるはずだ。」


そんな理由をつけたいがために、
自分を納得させたいがために、


流言を広め
いるはずのない「敵」をつくり


それを討つことによって


仇討を完了させ、


自分を納得させようとする。


そうでもしなければ、
自分を保つことはできない
という人間が持っている弱さを感じた。


その弱さを
潜在的に持っていることを
知ることから
私たちは智慧をつけ

未来を切り開いていくのかもしれないという
感想をもった。

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投稿者 TBJ 日時
「関東大震災」を読んで

私は20代の頃に阪神淡路大震災で初めて地震の怖さを知ったのですが、昨年の東日本大震災を
見て、自然災害の恐ろしさを改めて感じました。
そして今回、関東大震災を読んでまた違うレベルの恐怖を感じました。

大地震では、建物倒壊による圧死、大火災による焼死、津波等による溺死などによって、瞬間
的に多くの犠牲者がでますが、関東大震災の大火災による死者数と被服廠跡での4万人近い焼死
体の山など、その悲惨な光景は私の生きてきた中での人生観ではなかなか想像出来ませんでした。

しかし、一番の驚きは群集心理でした。
もちろん今の時代のように平和主義ではなく、国の教育方針も違うことから、同じ日本人でも
考え方も大きく違ったのでしょうが、流言によって当たり前のように殺人が行われていたこと
が驚きでした。法治国家において、当たり前のように殺人が起こる日常は現実とは思えません
でした。確かに国際的な政治的背景があったにしても、殺された人数は半端な数ではありません。
殺人だけでなく、盗みや恐喝、婦女売買など、大震災の影響があったとしても人はそのように
変わることがあるのかと疑いたくなる内容がたくさん書かれていました。

流言に関しては、現代と違って情報を共有できる手段がなかったことが原因のようにも思われ
ますが、仮に今のようにITが発達していても、その時代であれば同じような情報が流れていた
だろうし、同じように犯罪も多数行われていたのだと思います。
それは、国の教育によって思考がそちらに向かったでしょうし、群集心理も手伝って一つの犯
罪に続くように犯罪が起こったように思います。

そのような多くの犯罪に驚きましたが、それと同時に地震後の様々な対応の迅速さにも驚きま
した。十万人を超える死者、インフラの崩壊などがありながら、その死体処理の迅速さ、糞尿
や塵芥などの処理への対応など、行政の対応はすばらしいと思いました。
今回の東日本大震災とは被害の範囲や状況も違いますが、現代ほど文明の利器がそろっていな
い中での対応は、現在の行政も見習うべき点はたくさんあると思いました。

先日のニュースで、3年以内に首都圏に直下型地震が起こる可能性を報道していましたが、仮に
地震が発生した場合、同じような状況にならないように、一つの知識としてこの本に書かれて
いることを国民は知っておくべきだと思いました。

 

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投稿者 rieserie 日時
関東大震災に乗じて発生した大恐慌である流言や混乱の事実を知ることによって、そのような非常事態に”果たしてどのように心をコントロールしたらよいのか”ということを考えてみようと思った。結果、今の私には、吉村昭氏の描く「第二の悲劇」の事実を”実際に起こったこと”として受け止めることで精一杯というのが正直なところである。そのくらい恐ろしく信じ難い出来事の数々が明らかにされており、客観的にみれば日本史上の汚点というのも全く否めない。特に衝撃的だったのは被災地域以外においても、朝鮮人の疑いをもたれた日本人が(日本人だということがわかったうえで)殺されたというくだりである。朝鮮人だから、日本人だから、ということ以前に、関東大震災の悲劇はそのように派生していったということに愕然とした。
こうしたことが起こった背景として、関東大震災が発生した時代が、社会主義運動や労働運動が盛んになりつつあった時代であったり、日本による朝鮮の統治のために朝鮮人による反日感情がおこっていた時代であったこと、それでも朝鮮人労働者が日本内地へ流入していた時代でもあったということがある。そのため、このときがたまたま異常事態であったという理解へいきつきたい自分も否めず、このときの群集心理を現代に展開する、同じ人間として自分であったらという展開する、という読み進め方がとても困難であった。
しかしながら、情報の正確さというものを判断するとき、現代であればテレビや新聞といった情報があげられるが、果たしてそれはそれで正しいのかというと、そうではないというのも往々にしてある現代である。一概に時代背景だけで特殊なものとして、そして過去のものとして、葬り去ってはいけないと思った。そこでまず私にできることは事実として事実を受け止めることだという認識で本書を読みとおした。そのこと自体が今の自分にとっては貴重な経験だったと思える。

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