投稿者 wapooh 日時 2022年7月31日
202207月【考える脚/荻田泰永】を読んで
「あー、読んでいて楽しい本にまた会えた!」30ページくらい読んだところで、体のあちこちが喜びでフツフツとしてしまった。まるで、美味しいコース料理を頂いているような気分だ。読んだことで満足できる、一冊。
産毛まで逆立って、開いた毛穴に張りが突き刺すような恐怖というかヒリヒリした感覚を覚えながら、ずっとこの本を読んだ。
寒い中で、自然の美しさや野生動物の血生臭や体温の温かさ、同じ生き物して退治しながら命と命で会話する場面(ホッキョクグマや北極オオカミ)、冒険家を温かく迎えてくれる現地の人々と、彼らの住まいの中の温かさや人柄というか会話の中の温かさ、それは同じく冒険家の星野道夫氏のエッセイを読んだ時に味わったかのような感覚。
極限の状態から生還した人々の、研ぎ澄まされている完成からの表現は、彼らが置かれた状況から五感でかぎ取るとても些細な微細な信号を受け取っている様な所があって、読んでいる自分にとってはとてもとても精細な解像度の高い画像の世界に張ったような感覚になってしまう。彼らの表現力にゾクゾクしてきて、それは優れた指揮者と音楽家と演奏家によるコンサートの中に身を置いたような、またとても繊細ですきがないほどおいしいコース料理を味わえたかのような、体感覚が残るものなのだ。
本書で味わったそれは「硫黄島からの手紙」や「夜と霧」に近いものであったかもしれない。
とにかく、本書を読んで感じたのは「あーいい読書の時間だった。いい味わいのある一冊を紹介していただけた」という幸福感だった。文字通り、Happy readingだった。
ただ、『考える脚』は、課題図書であって、良書ではない。ここから学び日常に落とし込む知恵をくみ取る妙味が隠されている、と思う。それは何だろうか?
『考える』脚なのだ。
本書を読みながら、見えない北極を荻田氏と共に歩き進めた気持ちなった。散歩歩いて二歩下がる、四歩下がるような日々。あと少しのゴールを前に数日逡巡し、退く決断をして、また12年の時間をかけて挑戦をして目的を果たして、次は北極と南極を行き来する日々。
現在の著者には、荻田さん自身が冒険家の世界を踏み出す扉を開いてくれた大場満郎氏の姿が重なった。同じように日々何かに迷い悶えている若者のマグマに火を灯し、その人の命の限りを燃やしてくれるような稀有な存在。自分も50のサラリーマンになり、会社では第一線よりも、後方で若者の応援や相談の機会が増えることで、自分の役割が変化してきて、「何を喜びとするか。やりがいと感じるか。」が変化するようになり、理解出来る気持ちになった。
以前、冒険家の鈴木真鈴さんの著書を読んだ時に振ってきた感想を思い出した。「もしも、われわれ人間の体が天からの借り物(乗り物)で、命を全うして天に召されて神様が目の前に現れたなら、真鈴さんに向かって、神様は『やぁ、君の体随分と使いこなしてくれたね。どうだった?楽しかった・話を聞かせて』というだろう。」がまた蘇ってきた。
死と隣り合わせの世界に挑み続ける冒険家たちの衝動を宿してこの世に生を受けて、それを全うしたくなる人間がいるとして、荻田さんや大場さんの様にその使命を果たして極限の世界で生きる命を同じ経験を通して、それまでの知恵を授けて、さらに発展して冒険の世界を進化させて果たしていく冒険の世界を継いでいく若者に次いで、その若者も又冒険世界を進化・進歩させていくために、必要な命=荻田さんなのだろうな。
荻田さんが、大場さんに出会えたことは幸せだったろうと感じた。それは「凍傷で身を削りながらも、4度目の挑戦で成功した人」だからではないか?と、その一文を読んで感じた。
一発成功ではなく、3度目の失敗や撤退が織り込まれた冒険をまず知れたと言う事だから。
『優れた冒険(家)は、ゴールにたどり着くことよりも、死を前に引き返すことができる人間だ』と新入社員のころ酒宴で聴かされたことがある。
『引き返すこと』=リスクをリスクとして冷静に受け止めることができる、と言う事だというのは理解したが、本書を読んでさらに理解したのは、これまで経験した「死、リスクを恐怖として体に刻み忘れない」と言う事だ。
荻田氏は、自身が経験したリスクをPTSDのレベルで覚えておられる。大火傷を負って救出された冒険や、一度目の中断や、北極海に落ちて全身濡れてしまった恐怖数々のこと。
私は読んでいて恐怖でページを閉じたくなったことが何度もあった。『まてまて、荻田氏は今生きている。つまりこの恐怖の場面から生還しているんだ』と思い直して最後までたどり着いた。全身を断念し救助を待つ間、自分の冒険の失敗や次への対策について、振り返りノートに書き続けたと記載もあった。そして、そのリスクに対して、二度目はないと決めて、次の挑戦の際は徹底して備えをする。冒険の間は日々同じ食事をして体の変化と食事の吸収排せつの変化をとらえ、微差を逃さず、精緻に感じ続ける。「凍傷する理由が分からない.凍傷に至る理由と対策をすれば凍傷にはならない」とさえ書かれている。まさに、『負けに不思議の負けなし』なのである。荻田氏のリスクに対する論理的な記述がとても気持ちよかった。
「命を生き切る。解の無い極限の世界で、成し遂げるか命を持ち帰り次の成功につなぐ」本気で生きること。成功を雄弁に語らずとも、その姿勢や行動を示すことで仲間も得られる。その縁を暖かいものとして有難く語ることで、誰から荻田氏の冒険を応援し成功を喜ぶこととなり、自分と誰かの〇=智の道が開けている。
この一冊は本当に荻田氏が北極で味わう自作のチョコレートのようなものだ。同じチョコレートでも、栄養カロリーが半端ない。
同じ極限でも、海の北極では効かない音楽を、陸の南極で聴く。最後まで、リスクについて教えられた。
素晴らしい一冊を有難うございました。