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第8回目(2011年12月)の課題本

 

木の教え

 

ヨーロッパは石の文化といわれるのに対して、日本は木の文化です。

戦後鉄筋コンクリートによる建築が広まりましたが、一般住宅ではいまだに木が主流 の材料です。

その木について、日本人は1000年以上前からものすごい知識を持っていたのです。

釘を1本も使わず1000年の風雪に耐えられる建築物を造れるのは、日本人がどの民族よりも木を愛し、木の事を知っていたからでしょう。

文化って具体的にどういう事を言うのだろうか?という疑問を持つ人はこの本を読んで欲しいですね。

そう、木を知るということは日本の文化を知るということなのです。

 

【しょ~おんコメント】

12月の優秀賞は、「sumio」さんに差し上げる事にしました。

こういう本って、「あ~面白かった」で終わりになる事が多いんですが、この方はそれをどうにかして
日常のビジネスシーンに活かそうという気持ちで読んでいるんですね。

知識は行動になって初めて意味があるのです。

 


頂いたコメント】

 

投稿者 nakajirou 日時

現在のような便利な道具が存在しない状況で、昔の人は最大限の工夫を凝らし今あるものを利用していたのが良く分かりました。

本書で、最もいい畑の土の作り方が書いており、その手法が里山のその辺りにタダで落ちている落ち葉を利用することだと書かれていた点に私は一番驚きを感じました。

タダで手に入る落ち葉をから作れる有機肥料を使わず、お金を出してまで化学肥料を買う理由が何かを考えますと、やはり手間と時間を軽減することなのでしょう。ただ、その結果が化学肥料を使いすぎて土が痩せてしまうことでは、確かに本末転倒といえるでしょう。

本書ではないのですが、同じ作者が漁師のことを書いた「にっぽんの漁師」の本で、昔は売りさばくのに困るくらい魚が取れたが今は取れなくなったとの記述が よくみられました。気候変動等の要因も多少はありますが、最大の理由は、お金になるから魚を取りすぎたのがまずかったとのことのようです。

無駄や効率という考えは上記のように結構短期的な視点で見ており、長期的な目で考えれば実は利益は少ないとのことはよくあると思います。世の中が人工の物 質に溢れ、自然を利用した物質から離れていく一方の流れにある中では、一歩退き違った考え方を持つ必要があるのではないかと本書を読んで思うようになりました。

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投稿者 whockey51 日時

□学ぶことの基本は驚きです。

□驚きは新しい知識につながるのです。

このまえがきにかいてあることが、
木の教えから学んだことで、
一番にあげられることになります。

日常生活を送っていると、驚きという
キーワードをもとにした出来ごとに、
遭遇するチャンスを気づかずに過ごして
しまいがちになります。

それは自分のフィルターが驚きなんて
日常的に起こらないのではないかと、
勝手に判断してしまっていたからだといえる。

現代の社会は便利になりすぎて、
何も自分で起こさなくても、
勝手に事が過ぎ去っていくように
なってしまっているのではないかと思う。

□「効率優先」の現代技術には、置き忘れてきたものがあるのです。

とあるが、まさしく真を捉えているのではないか。

100年前に、路面電車が走るようになり
近代化の恩恵を受けるようになってきた。

水も自分で確保しなくてもいい。
食べ物も自分で作らなくていい。
服も自分で縫わなくていい。

などと、自分でやらなくてはいけないことが
徐々に薄れてきたんではないかと推測できる。

□いったん伐り払われた森はなかなか自分の力では再生できません。

つまり、私たちは豊かになっているという
見せかけの物を見ているだけにすぎないの
かもしれません。

人間の幸福を目指して行っていることが
実は人間を不幸にしている。
そんなことになっているのではないか。

震災による原発もまさにそうであり、
電気で安定的な生活したい。

という人間の幸福を得るために必要なことが、
放射能という不幸をもたらしている。

そういう結果を招いてしまっているのである。

□木を買わず山を買え

にあるように、大きな視点をもってして
日々の生活を送っていく必要がある。

便利だから、安いからといった選択肢をしていると
人生おいて大切な日々の驚きを忘れ去ってしまうの
ではないだろうか。

だからこそ、日々の生活から驚きを得る。
ということを2012年の目標に定めて、
行動をしていこうと決心した。

ありがとうございます。

□=引用部分です。

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投稿者 akiko3 日時

「木の教え」を読んで

この本を読みながら思い浮かんだのが、20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮のこと。最初に聞いた時は、わざわざ壊すなんて…労力や資源がもったいない と単純に思った。が、それは、文化の継承のみならず、そのことで次世代に知恵や技術が教え受け継がれ、20年に一度というその時までに次の資源を育て、調 達することから経済の活性化にもなる。全てが繋がり循環するとてもシンプルで深く、豊かな知恵であった。
社会人になり、改善&効率を意識した仕事を求められ、変化を厭わず早く効率的に無駄を省き、利益を上げる。いや、仕事に限らず、成長の過程から手っ取り早く自分が得することを求めていたことを思い出し、反省…
先人達が求めていたことは、“効率”ではなく“知恵から益”はでないかということ。それは日本という限られた資源しかない状況で、あるものを活かすしかな い、ないものを作りだすしかない、無から有への挑戦だった。その為、そのものの性質を知り、知恵を絞った。例えば、木の節という欠点と思える部分の中に他 にない強度を見出し活かしている。屋根の軒先を支える垂木は、傷むという前提で押し出して使う工夫を見つけ出している。今さえよければいいという考えから はでない知恵である。今、なくて困っている。今さえなんとかなればという狭いものの見方ではないのだ。目から鱗のような思いを抱き、なんだか現代に染まっ ている自分の発想源が悲しくなった。3年先、5年先、次世代、そんな自分以外の人の事を考えて生きていない自分にため息…
先人達の視点の広さに感心したが、先人達がその視点の先に見ていた自然にはもっと偉大な思いを抱いた。ヤマブドウは大きな木にからみついて上までのぼる。 そのつるを切ったり樹皮をはがすとヤマブドウは枯れるが、からみつかれていた木は順調に伸びる。ヤマブドウの実を狙う鳥や獣は困るが、山の木を育てる人に は利益がある。自然は共存共栄の仕組みを持っている。だれかが特別に得をすることのないバランスを保とうとしている。大好きな星野道夫さんの「ナヌークの 贈りもの」にも同じようなことが書いてある。人間も自然の一部として、循環の中にあることを教えてくれる。人間だけが特別ではなく、人間だけの為に自然が 存在しているのではない。自然という把握しきれないくらい広く深く大きな存在に対し、瞬き一回のような人間の寿命で判断してはいけない。
そんなちっぽけな人間だからこそ、自然に対し謙虚であり、知恵を絞り、共存共栄してきた先人達。彼らの教えを学び、長い視点で物事を見て、文化として受け継いでいくことがこれからの生き方ではないかと思う。
もう2011年の天災、人災で人間の非力さを見せ付けられた。今まで、効率主義で、合理的に結果を重視してきたことが、多くの不幸につながっている。 2012年からは、現実を見て、意識的に先人達のような自然観や生きる観点をもちたい。そして、何より循環を意識し、自分だけの益でなく、他にとっても益 となるような選択ができるようになりたい。
全てが繋がっている。ますますその感が強まりました。
今回もいい本に巡りあるきっかけをありがとうございました。

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投稿者 wapooh 日時

◆本書を読みながら、akiko3とおなじ伊勢の式年遷宮について思っていました。
一昨日通勤途上の車の中でラジオから日本の神社に着いて本を出された方
(上大岡トメさん)のインタビューから、伊勢神宮のお話と遷宮のお話を聞けたのです。
20年に一度遷宮がなされるのですが、遷宮、とは建て替えという意味です。
20年に一度、これは技術の伝承という意味でも重要。宮大工は長い人で3度の遷宮を
経験できる。一度目は初、二度目は経験をつんで指導者として、三度目は監修者として・・・
そうしてこの文化を途絶えないようにしてきたのだとかお話されていました。
伊勢神宮で生じた古材は、鉋をかけてその他の系列の神社に譲られリユースされるそうです。
そうして、精神や技術が伝えられていく、「しくみ」を淡々と日本人はやってきたのです
すごいですね、というお話でした。
楽しい偶然でした。

◆「木の教えを読んで」
日本は「木の文化」と言われますが、私のイメージは恵まれた森林資源、木造建築物、生活用具(家具
や食器)等、見えて触れて「木だ」と認識できるものばかりでした。せいぜいが、木の繊維は、紙(和紙)、建具や衣類にも使用している位です。
「適材適所」も以前に本書で紹介されている西岡常一棟梁(「木に学べ」)を読んで、材木は
生育場所、木裏木表等「木の癖を把握して、木を組んで」建物を建てる。程度でした。
本書を読んで、自分の知識はほんの一部分であったと気づきました。
一つの建物を見ても、柱、屋根、垂木・・・等、強度、耐久性、見た目の美しさに応じて、
複数の樹種を使い分け、さらに一本一本の癖を見極め、使う箇所により、伐り方、裂き方、
加工を変えて、一本の丸太にも心材と赤身を見分け・・・、一言「木の癖」と言いながら
さまざまな性質を見た上で、使っていく。
しょうおんさんのメルマガに「観る力」と紹介されるそのままだと感じ、昔の日本の暮らしの中には
どれほど豊かな視点があったのかと気づかされます。
接着剤と使わなくても崩れない、水も漏れない舟の工夫、普段は嫌われてしまう「あて」の活用、
伐根とて「こけら」に変わったり、更新の材料にすらなる、今ある自然の恵みを余すところなく使い
切り、「千年生きた木は、千年持つようにする」と言ってまた活かし切る、と言う精神は、
その一時限りの効率重視の現在の工業的な見方とは異なると言われると、確かにそういう部分もあると
感じさせられます。

本書ですごいと思うのは、前述したように、木の文化が木材にとどまらないところです。
いかに私たちの暮らしに活用されてきたのか。挙げるときりがありません。
例えば「漆」。日本には「漆掻き職人」がいたそうです。
木の皮を傷つけて、樹液を採取するのですが、その一回の採取量は一本でほんの1~2g。
4日休ませ5日ごとに、6~10月まで百本近い木を巡って一年分を回収する。
漆の種子から蠟を得る場合とそうでない場合では掻き方(木の生かし方)も変えていく。
例えば「ヤマブドウ」の樹皮。かごを編んだりするそうですが、最高のものを得るには
「木が動く」梅雨時の本の10日程。田んぼ仕事の合間の雨のその時期を狙いつつ、
他の日々の作業もしている。
自然の営みに沿いつつ、自主的な生き方。その章を読みながら、書いてあるような暮らしを
していたこの国の人々を思う。それが普通だった頃の人々の暮らし。
毎年毎年繰り返される仕事。自然相手だけに同じではないけれど、仕事の工夫によって
より良いものを見極めてつくる喜び。
「淡々と」繰り返し生きていたのだなぁと思うと、「淡々と」と言う言葉にリズムが出来て
体に響く気がして、今やっている自分の呼吸法の練習やあれこれの「淡々と」に
びびっと来た気がしました。

本書の視点は木と木を切り出して得る恩恵から、今生きている木(=森、山林)と
その恩恵へと移り、落ち葉の農産物への恵み、張った根の治山・治水と水産物への
影響についても紹介されています。
一冊の小さな文庫本なのに、なんと広大な世界観だろうと思わせる一冊でした。

現代は、『どれも同じ』といっては機械的に木を切り寸法を揃えたり、安くて腐らず
便利と言ってプラスチック製品を重用します。
本書に書かれている暮らしが不便だと思うのは、自分の感性を閉じていることにもなるのですが、
ではどのように活かすのかと言うところまでは自分では、考えが及びませんでした。
他の方の感想を読みながら、学ばせていただいています。

◆読書の楽しみ(蛇足)
『良書リスト』をダウンロードしてまだ十数冊しか読めていませんが、
本書を読んでまた一つ楽しい時間を経験しました。
本と本が繋がる、自分の中のシナプスが繋がって回路になるような感覚を味わえたことです。
本書は10月の課題本「梅干と日本刀」の日本人がこれまで継いで来た暮らしの知恵の豊かな背景
にも繋がるエピソードがありますし、落ち葉が肥料となり発酵した土の温かさ、ふかふかさは
「奇跡のりんご」の木村さんが失意の果てに倒れこんだ山のどんぐりの木の根元の、
今のりんごのヒントとなる土作りのそれと繋がっていたりします。
今日のメルマガでは情報を溜め込んでいるだけではまだまた、とのことなので、
その先があると思いますが、リスト以前の自分には感じられなかった、楽しみ、幸せー感でした。

今月もいい時間が持てました。有難うございました。
また、先月はamazonポイントを有難うございました。早速、リストから何冊か購入させていただきました。この冬休みにゆっくり読もうと思っています。

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投稿者 yokoyayayuki 日時

「木の教え」を読んで。
日本人の知恵の深さを再確認することができるすばらしい本でした。
しかし、読み終わって少し懸念したのが、「日本の伝統的な文化は素晴らしいのに、効率を求める現代の生産方法に押しのけられて残念だ」で終わってしまうことです。

本を閉じて冷静に考えてみると、「良いか、悪いか」よりも、現代の日本人はとても損しているのでは、と思い始めました。
なぜなら木と共に生きることで感じることのできる、木にまつわる二つの歴史を感じるチャンスを逃しているからです。
二つの歴史とは
・木そのものが生きてきた歴史
・日本人が貯えてきた木の知識の歴史
です。
さりげなく木の家の戸を開けたとき、木の壁のぬくもりを感じたときなど、生活の小さな瞬間にそんな歴史を感じられる生活ほど、贅沢で豊かなものは無いと思いました。

一方で現代の生活で知ってしまった便利さもあります。木造の家の冬の寒さはこたえますが、床暖房はその不便さを解消してくれます。

安直な結論かもしれませんが、肩の力を抜いて、現代の生活に日本人の知恵を再び融合させるべきだと思いました。

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投稿者 sishida 日時

この本を読むまでの私の認識は「日本は資源に乏しい国」でした。
産油国などと比べれば確かにそうなのですが、認識が甘かったことを恥ずかしく思ったと同時に、これほど身近な木というものを活かし、愛し、敬意を払っていたのかと誇らしい思いが沸き上がり、また「日本はこんなに資源があったんだ!」とうれしくなりました。

話の本題である宮大工の職人さんの考えについては驚きの連続で、一般的な大工さんとは異なる職業なのだということを痛感しました。
特に「堂塔の建立には木を買わず山を買え」というのは職人さん達がどのような考えで建築に携わっているのかを表す最たるもので、例えば神社のご神体が山そ のものの場合などにはその思想が最も具現化されるものではないかと考えると、とても崇高な仕事でそれに見合う精神性が必要なのも納得しました。

ただ、本著でたびたび触れられているように、世の中が効率優先で「安いから」「簡単だから」といった目先のことばかりにとらわれ、私を含めた現代人が便利 なものを追い求め、使い捨てをし、物や人を見る目を失った貧しい考えの人が増えているのは資本主義の負の面なんだと思います。
この本は宮大工のように全体をとらえ、百年、千年スパンの視点を持って、日本人が置き忘れてきたものを取り戻さないとしっぺ返しがくるぞと、警鐘を鳴らしているのではないかと受け取りました。

最後に、先日ある古武術の先生が「現代はこの何百年間の間で初めて伝承が途絶えた時代」とおっしゃっていたのを目にしましたが、それはこのまま本著の内容 にも言えると思います。口伝で伝えられるべき教えを一般に公開してくださった西岡棟梁に感謝と敬意を表すとともに、願わくば1000年の後にも誰かの手に よってこのすばらしい伝承を引き継いでいって欲しいと強く感じました。

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投稿者 hira1223 日時

家は木でできているけど、近所で家が建つときに、近くで木が切られることはない。
家を建てるときに使う木は、外国の木ばかり。
では、日本の木ってなんのためにあるんだろう??
日本の木って二酸化炭素を減らすためだけにあるんだろうか?
そんなことを考えていた私に、木の使い方、利用の仕方を教えてくれる一冊でした。

家のことに関しては、高校が建築科だったので、大まかな知識をもっていたが、家の寿命が約30年のものもあれば、50年以上持つものもあり、どうしてそこまで家の寿命が変わるのかはずーっとわからずに疑問でした。
木は生きていて呼吸をしているってことはよく聞きますが、それプラス癖があることについては知りませんでした。 

癖って、現代社会では短所でしかなく、物でも人でも、癖があるものは嫌われてしまう。
癖がないほうが扱いやすいから。
しかし、癖を生かすことができれば、それは強みとなって現れる。癖を利用した家は、癖がない家に比べて長持ちする。

癖を短所ととらえるのではなく長所と考え扱うことができれば、世の中に無駄ってものはないのではないかと思います。
学校では教えてくれない部分が多かったので、建築を勉強しているときに読みたかったです。

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medal1-icon.gif投稿者 sumio 日時

「木の教え」レビュー

「効率」と「成長」を追求してきて、ニッチもサッチも
行かなくなった現代において、「調和」と「共生」の方へ
もう一度、価値観を見直しましょうよ。
この本は、天災、人災に翻弄されている今の日本の我々に
示唆に富むメッセージを伝えてくれています。

著者、塩野米松氏の文章はリアルで臨場感があります。
聞き書きの妙。引き込まれました。

三上修氏によるイラストもわかりやすく、
イメージを描くよい手助けになっています。

そして、宮大工、船大工はじめ著者に取材された方々には最敬礼。
日本人として、素敵な先輩方がいらしたことに感謝、感動、感激しました。

この本は、著者、イラスト担当者、取材された方々の共同作業。
しかも、傑作です。

「木だとしたら、自分はどんな木に育ってきたのだろうか?」
「日表は何%?」「日裏は何%?」「癖は?」。読みながら何度も自問しました。

木も人間も同じです。生きものです。
木とのついあい方は、管理者、経営者、リーダーに有益な視点を教えてくれます。
「木は生育のままに使え」→「人は生育のままに使え」
「木を組むには癖で組め」→「チームを組むには癖で組め」
「寸法で組まず癖で組め」。”癖=聖なる性質”とは素敵なとらえ方です。
木が「暴れる」なんて楽しいじゃないですか。

法隆寺が千三百年維持できていること、そして、二百年ごとに解体修理すること。
時間の重み、伝統、ダイナミックさに気が遠くなりそうです。
長いスパンで物事を考えるスケールの大きさ、仕事に対するプライドに
頭が下がります。

癖を悪いものとして排除するのではなく、長所としてじょうずに生かして
使えるようになることに共感しました。

時代を超えて木と向き合ってきた先人の発想、観察、工夫、そして知恵に
感動しました。

素敵な本ありがとうございました。

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投稿者 koro 日時

短期的には効率的な事が、長期的には非効率的な事となってしまう。

宮大工達が残してきた口伝「木を生育のまま生かす」や「木の癖を利用して組む」等の知恵が、効率第一主義により、失われつつあるというのは本当に残念な事だと思います。

今後、古い木造建築物へ行く際には、何故この場所にこの木が使われているか等、今まで知識が無かった為に気付いていなかった細かな工夫にも、目を凝らしてみます。

木の育成方法、活用方法を知れば知るほど、まえがきにあった、「木と人が似ている」というのがすごく納得できます。

「親」という漢字の成り立ちを「立木の横から子供を見守る」と教わった記憶がありましたが、本書で「立木を子供に見せ、木の育ち方や、木が何を教えてくれるかを話すのが、親」というのを読んで、なるほど後者の方がしっくりくるのかもしれないと思いました。

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投稿者 takizawametal 日時

木の教えを読んで

この本の中で、素晴らしい伝統の技や先人の知恵を紹介しながら
作者が手を変え品を変え、一貫して言いたかった事は
個性を殺すのではなく、個性を個性のまま生かしきる事で
画一な物(者)を使うよりいい結果が出るし、日本人は
かつてその事を皆が知っていた、というだったんじゃないかと
強く感じました。

それは、自然の理に逆らう事なく、畏敬を尊敬をもって
寄り添う事で木の2つの命を生かしきる。
人間の勝手を押しつけず、自然に合わせる。
ここに、これからの時代のキーワードが隠されているような
気がしてなりませんでした。

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投稿者 mayumayu 日時

「木の教え」を読んで

幼い頃、夜中目を覚ますのがとても怖かったんです。
日によって違ったのですが、ミシッという音や、ギシッという音が
聞こえてきて、必死に布団を被ってお祈りをしていました。
たまたま親しいお姉さんにお話したら、
「それは、家鳴りといって家の呼吸する音だから、怖くないのよ」
と言われて、目から鱗でした。
「家も生きているんだ」と思いました。


「木の教え」を読んでいて昔のことがよく思い出されました。
「家の柱は必ず生えてたままに使われているのよ」
と、教えてくれたのは誰だったか。
山に遊びに行くと、切られた木が置いてある場所があって、
水に浸かってる木もあったのは何故だったか。
本を読んでいて、そういうことだったんだなあと思いました。
西岡棟梁が口伝を公開されたことは、寂しいことだなとも思いましたが、
ありがたいことだなとも思いました。


それにしても古代の日本人の技術は素晴らしいと思います。
木のいのちを十分に使うために、木の癖をみて使い、焼いたり茹でたり、
最大限にその良さを引き出して使用し、解体した後のことも考えてあります。
木を絶やさないようにも木を伐るときも、きちんと考えられていました。
大工の方は、自分たちが仕事をしやすいようにするのではなく、
木のいいように仕事をしてこられたんでしょう。
現代の自分たちが仕事をしやすいようにという考え方ではできないことだと思います。

「木の教え」というシンプルなタイトルの中に含まれる内容は濃く、
本文も分かりやすく、とても奥の深い物でした。
何回読み返しても、少しの哀しさと、古代の日本人の素晴らしさを思います。
では、自分はどうしたらいいんだろう?

それは課題で、取りあえず年明けに法隆寺と、
京都で見つけた垂木の残してある部分を確認しに行こうかと思っています。

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投稿者 19750311 日時

初めてコメントを残させて頂きますが、いざ感想文を書こうとPCへ向かうと
浮かんでくる事は本の内容の要約ばかりで、いかに能動的に読めていないかを痛感し
私が一番感じた事は何だったのかと言う視点から再度飛ばし読みをしました。

そして、いくつかピックアップした感想から最後に残ったのは、次の事でした。
「行き過ぎた短期的で利己的な利益ばかりを追求する様な効率性を重んじる
現代の考え方を再考する時期に来ているのではないか?」

上記に至る過程で強く浮かんだ事は、次の2点でした。
① コントロール不可能に陥った原発事故
② マニュアルなどに頼り、効率性や短期的な利益を重んじた現代の労働環境

①については、儲かるから、安定した電力を得られるから、私達の豊かな生活には必要などの安易な考えを優先し、
今回の事故の様な最悪のケースを想定せずに、とても恐ろしい使用済み燃料の100%安全な処理方法がないにも関わらず、
施設を数十基も作り、ここまで来ている現状です。

それとは反対に、現代よりも物質的には貧しかった1,300年以上前の時代から、宮大工の口伝としてある様に
自然と共に永続的に共存する為、経験から学んだ知恵が技術と共に言い伝えられて来ている事実があります。

この事は、原発からの恩恵は今生きている人間が享受するが、危険性が残る事はこれから生まれて来る
未来の子孫へ残してしまうという、本来人間の種子(命)を残して行く知恵を残すべき我々と真逆の事実であり
現代の人々は古くから言い伝えられて来たこういった文化に触れ、多くを学ぶべきでしょう。

②については、誰が業務を担当しても金太郎飴の様に同じアウトプットを求め、大変作り込まれたマニュアルを
利用する事がありますが、本質を理解している人は少なくマニュアルから外れる事があると
対処出来なくなったりするケースに出くわします。

こういったケースでは、既にベストではない古い知識の見直しも適時行われる事もないでしょうし、
木の癖の組み合わせと同じ様に、それぞれの個性の組み合わせによる良い化学反応も起きる事は
ないと思います。

最後に、人間の存在はとても小さく、人間と比べると長い歴史を持つ大きな自然の中で
生かされているという事を忘れずに、自然の調和を乱さずに自然の一部として
自然から色々な知恵を学びながら生活していければ、充実した人生となるのではないでしょうか。

こういった機会がなければ、すぐには手に取る事がないと思われる本でしたが
大変興味深い本で楽しく読ませて頂き、ありがとうございます。

次回からはコメントを書き慣れた方々を参考にしながら、読書のレベルを上げると共に
こちらでアウトプットの力も付けたいと思います。

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投稿者 yamag 日時

「木の教え」をよんで。

私は仕事柄、家に関わることがよくあります。
本書を読み、その経験を踏まえて、今の日本住宅の大部分が、大量生産・大量消費であることを
改めて感じると共に、自分も、その考え方に染まっていたことに気がつきました。

最近の新築建築の主流は、分割分譲による建て売りです。
2、30年たった家が壊され、そこを数区画に分割し、同規格のパーツとして加工された木材が、
プラモデルの様に現場で組み立てられていき、それを設計図通りにくみ上げ、2ヶ月程で完成します。
できあがった家は、建て売りでも、自家発注でも大きな差はなく、見分けのつかないものが出来上がります。
そこあるのは、素材をいかす、よりよいものを造り出すという想いでできた家ではない、ただの作業の結果に思えます。

今の建築の多くは、子供の頃に自分の家ができていく課程で経験した、大工さんが腕をふるい、
どんなスゴイものができるだろうとわくわくしながら待っていた、あの気持ちには、ほど遠く感じます。
そして、作り手、受け手と話をしても、また、そういった住宅が売れていく事実を考えても、
”安く、平均程度のものが出来上がれば、それで十分”と言う考えがある様にも感じます。
「安いから」「簡単だから」といった目先のことばかりにとらわれた効率主義は、合理的ですが、
大切なものをおいてきてしまったような寂しさを感じます。

家という生活の基本になる場所、そして、木という日本人にとって最も身近な素材がないがしろにされていることに危うさを感じます。
そのないがしろは、巡り巡って、自分たちにも向かう様な気がするからです。 

逆に、口伝の一つである「木は生育のままに使え」、「木を組むには癖で組め」という言葉には、
その結果、できうる最高のものを造るという、”あるものを活かしきる”という愛があると感じます。
それ以外の一つ一つの口伝も、木の教えを通して、人生にも通じる温かいものでした。

十月の課題図書であった「梅干しと日本刀」に続き、日本の文化の素晴らしさを感じる本でした。
二冊の知識が補完し合い、より深く腑に落ちたように思えます。
課題図書としていただき、この本との出会えたことに感謝します。

PC環境の不具合で、投稿が年明けになってしまいました。
時間切れですが、投稿だけでもできればと思い、書き込ませていただきました。
よろしくお願いします。

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投稿者 tokutokusan 日時

本書を読みながら、小学校の時に夏休みの課題で木の貯金箱を作ったが、どうして鋸に2種類の歯が付いているのかすら分からず、ただ切り易い方で木を切断していたことを思い出しました。

特に印象深かったのが、「親」という字についてです。

小学校で習った字であり、大方読み書きできるかと思いますが、その意味(成り立ち?)について深く考えたことがある人はいないのではないでしょうか。
私は一児の親であるため注目してしまったかも知れませんが、子供がある程度成長したら、近くにある山に行って立っている木を見せたいと強く感じました。そして、ただ立っているだけではない、木も自ら生きているということを教えてあげたいと思いました。

その他に全体を通して感じたことを簡単ではありますが以下に記載いたします。

今は利益を追い求め、効率化を図るために必要以上の木を切り倒したり、堆肥についても人工的に作ったりしているということですが、一時的な観点から見れば それで良いかも知れません。あと数年、数十年経った時に「山も痩せて田んぼ(畑)も痩せる」という状態になるのではないか、不安です。

農業が盛んだった昔にあって、今の輸入に頼らざるを得なくなってしまった日本にはないもの…もう一度一人ひとりが考え、行動に移す必要があるのではないでしょうか。

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