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第121回目(2021年5月)の課題本


5月課題図書

 

NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX

 

日本でもネットフリックスに加入している人がたくさんいると思いますが、この会社はた

ぶん世界で最も革新的な人事制度を持つ会社なんじゃありませんかね。とにかくルール、

制度、そういうものがほとんどなくて、社員が自由に成果を出すことだけを、お客さんの

ためになることだけを考えて、仕事をしている会社です。

 

それじゃマネジメントはどうなるの?と思うわけですが、そのあたりの秘密がこの本には

書かれています。それもまた面白いんですけど、この本のスゴいところは、共著者がエリ

ン・メイヤーだということです。え?それだれ?という人はこの本を思い出して下さい。

 

 

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

 

この本は2015年の12月に課題図書にしていまして、読書会までやった名著です。この本の

著者がエリン・メイヤーさんなんですね。この人がネットフリックスのCEOである、リー

ド・ヘイスティングス氏にインタビューをする形式で書かれたのが本書です。

 

ですから本書の後半は、多国籍企業として異文化がぶつかり合うという状況に、この会社

がどう対峙しているのかという話にもなるんですね。このあたりについては、『異文化理

解力』を読んだ人は、頷けるところが多いはずなので、もう一度この本を読み直すのも良

いかも知れませんね。

 

 

 【しょ~おんコメント】

5月優秀賞

 

今月はみなさん日本語としてはだいぶ熟れてきたというか、大きなエラーがあって読みに

くいという人が少なくなりました。しかしコンテンツとしては、みなさん似たり寄ったり

になっていて、これだと選ばれにくいんですよ。同じような話、切り口で書く人が複数い

たら、別の切り口で書いた人が眼に止まるわけで。

 

ということで、一次審査を突破したのは、BruceLeeさん、msykmtさん、LifeCanBeRichさ

んの3名で、その中からmsykmtさんを優秀賞にしました。おめでとうございます。

 

【頂いたコメント】

投稿者 BruceLee 日時 
既存の会社組織とは元々軍隊の模倣と聞いた事がある。軍隊の仕事は人命に関わるため、明確なルールがあり上官命令が絶対!という形式が適しているのだろう。また本書にもあるが「ノールール」が適さない仕事もあり、それも人命に関わる仕事だ。昔、確かしょうおんさんのセミナーで聞いた記憶があるが、人命に関わる仕事には制服があるそうな。

医者、自衛隊員、警察官、航空機パイロットや電車の乗組員等々。確かにこれら人命に関わる仕事には制服がある。という事はザックリ「制服のある仕事にノールールは適していない」と言えるかも。一方、制服の無いその他の仕事、特にクリエイティブ系の発想が重要な仕事には「ノールール」は適しているのだろう。そう考えたのには理由がある。実は私が本書で最も驚いたのは「ノールール」の会社という事ではなく、この会社の元々の事業がDVD郵送レンタルだった事だ。

一体、そんな会社がどうやって現在のような会社になり得たの?

が大きな疑問だった。ストリーミングや映像作品制作も始め、今や多くのTVやブルーレイのリモコンにも専用ボタンを搭載させる力を持つ会社になり得たのか?その詳細は書かれてないが、DVD郵送レンタルの会社が今のネットフリックスに姿を変えた事こそ「ノールール」威力のエビデンスではなかろうか?それは今の仕事の枠に捉われる事無く、全く別の新しい事をやっても良いのだ!という事で、それを実現するために全社員が持つのは、

会社のためになるなら、コレやってもいんじゃね?

というマインドだろう。そう考えると「DVDレンタル事業=顧客に映像を楽しむ豊かな時間を提供する事業」という置き換えが出来れば、物理的にDVDを送る時間やDVD破損のリスクを省くストリーミングの方がいんじゃね?という発想もアリ。また自分たちでもっと面白いコンテンツを買い付けたり、制作しちゃっえばいんじゃね?もアリ。そのために社内に適した人材がいなければハリウッドで映画監督やプロデューサーを引き抜いちゃってもいんじゃね?もアリ。つまり何でもアリ!で、逆に言えば、会社のためになるなら「やってはいけない事」などない。この会社のトップが本当の意味で提唱する「ノールール」とは、実はそういう意味ではなかろうか?

一方、「ノールール」でない一般企業は基本的に性悪説だ。人間はズルをする、悪さをする。だから殆どの会社に就業規則が有り、社員を統制しようとする。一方、ネットフリックスが社員に求めるのは仕事への能動的姿勢だ。故に人を見て「違うな」と思ったら、会社のためになる限り「率直な意見を言う責任」があり、互いをより良くするためのフィードバック制度もあるのだ。

ただ、これを日系企業で同じ事が出来るか?と考えると課題もある。アメリカのように直ぐに解雇が出来ない点だ。が、フィードバック制度や「何時間働いたかではなく、何を達成したかだ」等の考え方はトップが提唱すれば出来る。但し大きなカルチャー変化が必要だろうし、最初は相当ギクシャクするだろうが、何れにせよトップ次第だろう。一方、私自身強く共感したのは「ネットフリックスはプロスポーツチーム」という点だ。そして魅力と感じたのが「ポジションの数は固定されていない」点だ。そう、会社のため、発言、行動した結果、実際に会社が成長すれば、自分自身の仕事も自由に維持・拡大出来るのだ。

またこの会社では異文化理解が上手く出来ているが、そこにあるのは恐らく「他者と自分は違う」という根本ではないか?最初からその人との違い、カルチャーの違いがある前提で、それでも仕事を
進めるために相手を理解するというカルチャーなのだと思う。その大元のトップの経験(タイルの話)にはちょっと衝撃を受けたが、その実体験を自社で実現するこのトップは人間的にも魅力ある人物なのだろうと思う。そんなトップが率いるネットフリックスの今後は安泰か?と言えばそんな事はない。丁度先週こんなニュースがあった。

「Amazon.com、映画会社MGMを85億ドルで買収 プライムビデオ強化へ」

つまり、より魅力的なコンテンツ取得による、サブスク顧客の熾烈な争奪戦は延々続くのだ。勿論、顧客は何も1社に絞る必要は無く金銭的余裕があれば複数社と契約しても良い訳だが、確実なのは、

顧客がコンテンツを見る時間は限られている

という点だ。故に今後更に重要になるのは良質のコンテンツを用意する事は勿論、「顧客がそのコンテンツを見たくなる仕掛け」かもしれない。顧客が「見たい」と思わなければ見られる事は無いのだから。さあ各社は今後どう戦うのだろう?何れにせよ皆、真剣勝負だからコンテンツの質は上がり顧客が良質なコンテンツを楽しむ機会は増えるだろう。

是非、どこかの国の牛丼戦争のような低価格競争に陥る事無く顧客の豊かな時間のために各社は上品に戦って欲しい。
投稿者 whockey51 日時 
ネットフリックスのサービス名を聞くようになったのは、2018年くらいだったと記憶しております。10年前からツタヤで借りていたDVD郵送レンタルから、Amazonプライムにかわり、いまはネットフリックスへとサービス利用形態が自分の中では変わって来ている。

その根拠となる部分は何になるのか。が、非常に気になった。本書を読む前に、ネットフリックスは人の扱い方、組織体系で上手くいった企業なのか?を自分の中の仮説としておき、読み進めてみました。


人の部分について
最高の同僚と定義して、適する人を採用する方法を行っている。(重要な仕事を山ほどこなす。
クリエイティビティと情熱をもった人材など。)反対に、怠け者、成果を挙げられないもの
悲観論者は全員のパフォーマンスを下げるとして避けている。採用しても解雇できるアメリカの法律をもとにすると、この手法は最適な回答になることは明白だ。

しかし、日本の解雇規制が強い法律を元に会社で採用するとなると、カルチャーマッチよりも、マイナス点はないかに主眼が置かれてしまっている気がする。
制度悪用で解雇すると銘打っているが、それができない日本の会社では、どの様に運用すればいいのかを検討すると、日本だと出来て左遷するだけになってしまう。

それはそれで、運用方法としてはありかもしれない。ただ、管理しなくていけなくなってしまうので、社員の好ましくない行動を正す管理が必要になくなる。というネットフリックスの指針には
沿う形とはいかなくなってしまう。。

日本企業でこの仕組を取り入れる際に最大のハードルとなっている。

ではどうするか、ネットフリックスのように社員にコーチングを与えるなど、ネットフリックスの優秀な社員といえど、教育に投資をしている。

出来ない社員に仕事を与えるより、教育を投資して改善させた方が、良いという判断もできる。
そうすると出来ない社員に対して、コストをかけないといけないのが、日本の会社がスピード感を失う原型なのかもしれない点も、ここから読み取れる気がする。

結果として、出来ない社員が残ってしまうのが日本の会社なのかもしれない。

もう1点、環境について
目を向けてみると、何でも話せる組織体系が理想とするなら、それをどのように実行できるのか。もし、全社員の給与を明確にした場合、日本の会社は上手くいくのか?こういった疑問が浮かんでくる。他社の給与を気にしてしまう結果となり、足を引っ張られることになりそうな雰囲気も出てきそう。

プラスして、ネットフリックスの原則で「上司を喜ばせようと思うな」。これは部下の顧客視点では、上司も顧客に当たると考えると、そこは考慮しなくてもいいのかという疑問が浮かんだ。
お客さんを喜ばせることが、結果として上司も喜ぶのは間違いない。そこを飛ばして設定することができるのか。

こういったビジネス本の表に出てくる内容を聞くと、すごいなとなる。
けれど、実際中にいた人に話しを聞くと、いや実はねというケースもあるので、一次情報にも当たる必要があると感じている。

日本の会社でやるには何が必要か?

文化から変える必要があるのなら旧態なる日本企業には取り入れることは出来ないだろう。
スタートアップなど、会社の文化を作り上げている段階の企業ならこの考えを取り入れないといけないのだろう。
 
投稿者 keiji0707 日時 
Ruku0528

スターには最高水準の報酬を支払い、スター以外には即座に十分な退職金を払う。ネットフリックスが掲げるフレーズは、とても刺激的だ。確かに、ネットフリックスが時代の寵児として、次々とイノベーションを生み出し続ける企業であることは事実である。そこで働く人たちは互いに能力密度を高め、360度評価を行い、更なるキャリアアップを目指している。その貪欲な企業風土を心地よいと感じる人はいるだろう。チャレンジ精神のある、上昇志向にある人にとって働く職場として、ネットフリックスは理想的な企業に写るだろう。しかし、社員個々人に能力密度を高めあい、ベストな能力を発揮できなくなると、肩たたきにあう職場環境は、日本の企業風土には馴染まないのではないか。なぜなら、雇用の安定を求めがちな多くの日本人には、最高レベルの企業において競争に勝ち続けるネットフリックスの考え方は不向きだからだ。そして、企業に家族的な帰属意識が強い日本において、会社の目的が効率性とスピードであるネットフリックス的思想は合わないと考えるからだ。

では、ネットフリックスの企業風土から学べること、実践できることはあるだろうか。3点取り上げる。まず1つ目は、コンテキスト(条件)によるマネジメントである。ネットフリックスの強みとして、社員自らが判断して、それに対して責任を負うという社風がある。例えば、契約金額が数億円に上るとしても、その契約の決裁権者は上席者ではなく、その社員が判断を下す。小型案件ならともかく、大型案件をも社員個人の手に委ねる企業は他にはないのではないか。小型案件でさえ、複数の上席者の決裁を取らないと事業を進められない日本企業とは大きな違いだ。当然だが、大きな契約に臨む社員は、その契約を自分ごととして真剣に取り組むことになる。その責任を他人に委ねることができない。この自分ごととして取り組む姿勢がネットフリックスの強みであり、成功の秘訣なのではないだろうか。イノベーションを生み出すためには、トップダウンによるコントロールよりコンテキストによるマネジメントが適切だと考える。

次に、ネットフリックスから学べる2つ目として、フィードバックの取り組みである。フィードバックは思考の偏りがあると気付きを与える有効な手段である。そして、気付きは今後の仕事の取り組み方に幅と深みをもたらし、個人のキャリアップにつながるものである。さらに、個人のキャリアップは企業の利益と成長につながるため、積極的に取り入れるべきだと考える。ただし、ネットフリックスが実践するフィードバックは、日本人には直接的であり、やや攻撃的(刺激的)過ぎる。よって、日本流にアレンジする方が良い。日本では相手の意見を指摘するとき、あるいは批判するときは間接的な表現を使うことが望ましい。そして、直接的なフィードバックは相手を不用意に傷付け、場合によっては人格を否定していると受け止められてしまう。そのため、ネガティブな情報は言葉の行間ににじませ、相手にそれとなく気付かせることが肝要である。

そして、ネットフリックスから学べる3つ目として、情報はオープンに共有である。ネットフリックス曰く、社員を大人として扱い、きちんとした情報に基づいて意思決定できる情報を提供することが企業としての役割だとしている。ところが、日本企業が不得意とすることに、情報はオープンに共有することが挙げられるだろう。なにせ、日本人は情報を秘匿することに長けている。過去に起こった老舗企業による偽装工作や大企業による不祥事は、情報を秘匿にしようとする日本人特有の文化によるところが大きい。だが、情報化社会において情報を秘匿することはもはや難しい。情報はすぐにネットや口コミを通じて漏れるし、隠ぺいした事実が明るみに出れば、その後の企業イメージは大きく傷つき、信頼回復に要する時間は計り知れない。そのため、情報化社会において、情報はオープンに共有することは必須であると考える。この情報の公開の必要性は、組織内の場合においても同様である。当然、組織内の上席者になればなるほど、手に入る情報は高度化する。その情報をどの程度、どのタイミングで公開すべきかは悩むところだ。公開しないことが組織のためとする風土も依然としてある。だが、色々な噂や憶測が社内で飛び交い、社員同士が疑心暗鬼になる姿はとても健全とは言えない。無用な不安を仰ぐべきではない。また、事実を捻じ曲げることは、部下からの信頼を失う大きな要因となる。そのため、状況を大きく見せず、事実を淡々と説明することで社員は誠実だと判断し信頼を得ることにつながるのではないか。また、情報の共有化は社員の考える力の育成と組織の連帯感を生み出す。正確な情報を提供し、それに対して、どう考え、どう行動するか、社員個々人に判断させることで考える力の向上につながる。そして、情報の共有化は組織内の連帯感をもたらし、企業への帰属意識が芽生えさせると考える。
 
投稿者 mkse22 日時 
「NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX 」を読んで

本書を読んで思い出したのが、HIUだ。
HIUは堀江氏による会員制オンラインサロンで
同サロンではメンバーが主体で行動することが求められる。
ここでは堀江氏が教えたり与えたりすることはなく、彼自身も
HIUのメンバーの1人と考えてほしいとサロンの説明に
記載されているほどだ。

なぜ、HIUを思い出したのか。
HIUもNETFLIXと同じく自由と責任に特徴のある組織と考えたからだ。

ここで2つの組織を比較してみたい。

まず自由の観点から比較する。
NETFLIXでは休暇規定や意思決定にかかわる承認プロセスがない。
各社員が通常の会社では上司承認が必要な事柄についても決定することができる。
HIUもサロンメンバーは行動することが求められるだけで、
行動内容に制約はないので、自由と見做すことができる。
自由すぎてメンバーの中には具体的な行動指示がないため、
何もせずに会費だけを払い続けている人もいるらしい。

次に責任の観点から比較する。
NETFLIXでは各社員が自分の行動がNETFLIXのためになるかどうかを基準に行動し、
その結果については最悪クビという形で責任を取る必要がある。
HIUでは行動するひとには得るものがあるかもしれないが、
行動しない人には何も得るものが全くない。むしろ、毎月の会費分だけ損をしている。
したがって、こちらも自身の行動によっておかれる境遇が変わるという意味で
責任を取る仕組みがあるといえるだろう。

しかし、両者には大きな違いがある。
HIUにはお金を払う必要があり、NETFLIXには不要な点だ。
HIUはメンバーとして継続参加するためには毎月1万円払う必要がある。

当初、私はこのHIUのようなお金を払って働くことが理解できなかった。
仕事はお金を得るためにすることだと考えていたからだ。

本書を読んだあとにたまたま見たホリエモンチャンネルの動画で
堀江氏が会費の意図を説明していた。
堀江氏いわく、HIUの会費は1万円フィルターと呼んでいるもので
月々1万払える余裕のある人はそれなりに優秀な人物に違いないと
という考えのもとに設定したものだそうだ。

ここで気づいた。堀江氏もNETFLIXと同じように能力密度が高い場所を
つくろうとしており、会費は優秀な人材と判断するために基準だったわけだ。

ここまででNETFLIXもHIUも優秀な人材を集めようとしている点では同じと理解できたが、
疑問は残ったままだ。その集め方は真逆だからだ。NETFLIXは個人レベルの最高報酬であり、HIUは会費だ。
しかしどちらも成立している。なぜ、成立するのだろうか。

本書にあるように、優秀な人材が求めているのは、能力密度が高い会社だ。
おそらくは、私が考えていた以上に、優秀な人材は能力密度が高い場所で働くことに価値を
見出しているのだろう。

もちろん、お金に重きを置いていないわけではない。これも重要な要素だからだ。
能力密度が同じで、さらに、NETFLIXのような個人における最高水準の報酬を提供されるなら、
優秀な人材はその会社を選ぶだろう。

しかし、お金より能力密度を優先する場合がある。
HIUのように会費分はマイナスかもしれないが、能力密度の高い場所に身をおけるなら
今後の自身のビジネス展開の成功率あがる可能性を考慮すると全体としてプラスだと
考えることができるからだ。
対HIUでは収支はマイナスでも、HIUを通じて得た経験・人脈により自分のビジネスが
プラスになり、全体としてプラスなら問題なしというわけだ。
もちろん、HIUに関しては楽しいから参加しているという人がいることも否定しない。

ただ、優秀な人材が求めているのは、能力密度の高い場所だけではないような気がした。
同番組で堀江氏が次のようなコメントをしたからだ。
「組織としてベクトルが同じ人が集まったほうがよいのでは」と。
堀江氏は組織の観点から上記コメントを述べたが、これは優秀な人材の観点からも
同じことがいえると思った。なぜなら、能力密度の高い場所でかつ同じ方向性を目指す仲間がいれば、
優秀な人材はより能力を発揮可能だと思ったからだ。

このとき、コンテキストによるリーダシップのことを思い出した。
コンテキストによるリーダシップでは、上司から可能な限りの情報と会社の戦略に合致するための条件が提示され、
部下はその条件を満たす範囲で、自由な意思決定決定ができる。

本書を読んだとき、コンテキストによるリーダシップの目的は
社員の自由度を増やし意思決定能力を鍛えることにあると思っていたが、
それだけではなく、上司と社員が目指すべき方向の認識合わせを行うことを通じて
同じ方向性を目指すことができない社員をあぶり出すこともできるとおもってしまった。
コンテキストによるリーダシップは、ベクトルが同じ社員で選別するための手段となるわけだ。

本書を通じて、NETFLIXとHIUをより深く理解できたことは収穫だった。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、仕事を自分の責任で思うように進め、成果を上げる事が出来れば、とてもやりがいを持つことが出来る、と改めて思いました。

NETFLIXのNo Rulesというカルチャーは、3つの取り組みを徹底して実施する事で、会社のカルチャーとなる繊細なものであって、一部だけを中途半端に取り入れても、全く機能しない無駄なカルチャーになってしまいます。

NETFLIXでは、自社のカルチャーを曖昧なものにしない為にも、徹頭徹尾、躊躇なく下記3つの取り組みを実施しています。

①能力密度を高める
最高の職場を作るためには、最高の同僚を集めること。NETFLIXは徹底しています。
上司にあたる社員には、常に下記のようなKeeper Testを行うようにしています。

「チームのメンバーが明日退社すると言ってきたら、あなたは慰留するだろうか。それとも少しほっとした気分で退社を受け入れるだろうか。後者ならば、いますぐ退職金を与え、本気で慰留するようなスタープレーヤーを探そう。(291ページ)」

最高の職場を作るためには、一緒に仕事をする最高の同僚を集めることが必要になります。その為にNETFLIXは、「誰をバスに乗せるか、誰をバスから降ろすか」という事を、徹底して追求しているのです。

②率直さを高める
さらにNETFLIXでは、上司や部下、役員など立場に関係なく、お互いにフィードバックを行う文化が作られています。

かつて、創設者のリードが会議で意見を求めた際、会議に参加していた人達の中には、これは絶対失敗する、と思っているのに意見を言わない人や、上手くいかない気がするけれど、これまでのリードの判断は間違っていないから、きっと今度も上手くいくのだろう、と考えて反対する意見を言わない人がいました。

後に会議の参加者から、自由で素直な意見が出なかったことを悔やんだリードは、徹底して、立場に関係なく自由で率直に何でも意見を言える風潮を、重要視していきます。

そして、同僚とは異なる意見がある時や、役立ちそうなフィードバックがある時に、意見を口に出さないことは、会社への背信行為とみなされるまでに、会社全体で取り組むべき問題として徹底されたのです。

③コントロールを減らす
また、NETFLIXでは休暇や経費などの規定は一切なく、仕事できちんと成果を出してさえいれば、誰でも率先して休みを取ることができる文化が作られているのです。

完全なる実力主義の会社ですが、それを承知の上で働いているのだから、仕事で成果を出し続けていれば、自分で販売のプランを立てて実施しても問題はありません。

このような独自に物事を考えて、実行できる優秀な人材を採用しているのであれば、わざわざ人材を管理する人やルールなどを作らなくても、各々が自発的に高いパフォーマンスを発揮してくれます。

仕事に対する能力の高い人達が、会社の利益の為により良いアイデアを考え、それを実施して、今よりももっと会社をより良くしていく、という雰囲気が出来れば、自分で会社を引っ張っていくのだ、という気概も生まれていきます。

問題は、上記3つの取り組みを躊躇なく徹底して実施し、それに対応できるだけの優秀な人材を発見できるかに掛かっています。新たに採用される人達だけではなく、会社にいる自分自身も、その会社で働くのに相応しい人材なのかを、会社側からは常に見られているのです。

本書のように徹底した、取り組みを行う意志を自分の中に持ち続け、会社の為に自分は何ができるのかを考えて行動していくようにします。
 
投稿者 daniel3 日時 
 本書では、動画配信サービス企業としてグローバルに成長を続けているNETFLIXの企業文化の秘密を大胆にも公開しています。実際に「こんなに企業秘密を公開して大丈夫なの?」と心配になる部分もありますが、NETFLIXとしてはこの企業文化は一朝一夕にマネできるものではないと考えているのかもしれません。本書の中で「自由と責任」と表現される企業文化は、「ティール組織」の実現の一例だと随所で思いました。ただ、共同創業者のリード・ヘイスティングス自身は最初から狙って実現できたわけではないようです。以前経営していたピュア・ソフトウェアでは企業文化に悩み、NETFLIX創業後も大規模なレイオフを実施せざるを得ない状況となりました。ところが、非常に苦しい思いでレイオフを実施したところ、とびきり優秀な社員のみが残ったことで能力密度が高まり、企業文化の重要性を実感しました。プロスポーツチームのような高い意識をもった人が集まり、自らの仕事の成果にコミットすることで、最高の仕事を実現できることを知った後は、如何にこの企業文化を維持できるかを模索し続けたようです。

 現代はVUCAなどと呼ばれ、時代の変化が激しく先を見通せない時代に突入しています。そのような状況においては、先見性のある経営者と言えども、自らの手腕だけでは時代の変化に対応しきれなくなりつつあります。実際NETFLIXでも過去に、リード主体で「クイックスター」というDVDレンタル部門を独立させた事業が大失敗し、顧客離れが続いた時期があったようです。一方で最近のNETFLIXでは、ある分野で才能あふれる個人が責任をもって迅速に決断を下していくことで、時代の変化に対応した最善の手を打つことができるようになっているようです。どういった企業文化を備えているかということが、経営者の手腕以上に重要な時代になりつつあるのかもしれません。

 優秀な人材を確保しつづけるNETFLIXの文化は、アメリカ企業だからこそ実現できると思う方もいたかもしれません。特に解雇規制の厳しい日本においては適用しづらい面があるのではないかと、私も考えました。しかし、時代は確実に変わりつつあります。トヨタ自動車でさえ終身雇用制の崩壊を宣言する時代ですし、つい先日のパナソニックの割増退職金4,000万円の発表は、組織の新陳代謝を促し、能力密度を高める方針へ大企業が舵をきった象徴的な出来事だと思いました。そんな時代の変化を感じる中で、今までの経営スタイルで突き進んでいく日本企業や、定年退職まで何とかすがりつこうと人々の姿は、航空機戦が主流になりつつあるのに、戦艦大和で玉砕へと突き進んだ日本軍の姿に重なります。過去の日本の栄光を忘れられずに生きる私たちの姿は、後々の世代の人たちからは、同様に時代の変化を見誤った事例となるのかもしれません。

 もちろん、これまでと違うルールの世界に飛び込むことは、とてつもない恐怖心があります。私自身もこれからの時代の変化に適応していけるだろうかと日々考えています。厳しい面だけが強調されるニュースが報道されていますが、そこには希望もあると思います。実際本書の中でも、NETFLIXに入ったばかりの社員は、様々な文化の違いにビクビクしながらNETFLIX文化に適応していきました。例えば、冷や汗が出るような高額な契約を、自分の名前で結んだりするようになりました。それが大ヒットを飛ばし、様々な賞を受賞することになった時の達成感は、普通の会社員ではなかなか味わえないものがあると思います。これからの世の中では、企業に属すか属さないかの選択もあるかと思いますが、プロスポーツの選手の意識をもって成果にコミットする姿勢で取り組めば、最高に人生を楽しめる世の中になるのかもしれないと思った読書でした。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、全世界で2億人という圧倒的な会員数を誇るNETFLIXの「自由と責任」という組織文化について、様々な事例とともに解説した本である。私は、自分自身が日本の硬直的な組織で働いており、日本的な組織文化とのギャップに衝撃を覚えた。本稿では、NETFLIXの組織文化と日本的な組織文化を比較し、その違いを明らかにすることで、これからの社会で日本の組織が変わっていくためのヒントを考えてみたい。

まず1点目の違いは、働くうえでのルールの存在である。NETFLIXでは、旅費や休暇に関する規程が存在しない。基本ルールとして、「組織の利益を最優先に」「組織のお金を自分のお金のように使う」ことなどが決められているだけで、あとは働く人が自身の判断で経費や休暇を使う。マネージャーはメンバーをマネジメントするにあたり、チームにとって望ましい行動をコンテキストとして抽象的に規定しているに過ぎない。チームメンバーは、この設定されたコンテキストを各々が解釈し、行動するのである。一方、私の働いている組織では、休暇は目的に合わせて細分化されており、それぞれ取得可能な日数が定められている。経費の使い方はもちろん、出張時の経路の選び方まで細かく規定されている。出張経費の請求にあたっては、事前に出納部門で細かいチェックが入り、10円単位でより安価な経路を選択することが求められるのだ。

2点目は、働いている人の賃金体系である。NETFLIXでは、社員に業界最高水準の給与を支払う。当然、年齢や社歴は全く関係ない。最高水準の給与を支払う際の基準にするため、ヘッドハントを受けることも許される。つまり、NETFLIXで受け取っている給与が相場の上限に達しているか、ライバル企業の提示額で確認することが認められているのだ。一方、日本的な組織では年功序列による賃金体系を採用している。人事評価の中で成果主義を標榜する組織も多いが、それは一定の年齢に達し一定の在籍年数を経ていることが前提条件になっているのだ。私の働いている組織では、特定の職位へ昇任するために、何歳以上で現在の職位を何年経験している必要があるか、明確に定められている。この基準を満たさない限りは、卓越した能力を持ち、圧倒的な成果を挙げていたとしても、昇任することはない。ましてや、市場でどれほど価値のある人材なのかという点が考慮されることなど、あり得ないのだ。

3点目は、フィードバックのあり方である。NETFLIXでは、部下に対しても上司に対しても、成長のために率直なフィードバックをすることが求められる。「相手に面と向かって言えることしか口にしない」という標語が、実践されているのである。フィードバックは「いつでも、どこでも」行うことが推奨され、360度評価やライブ360といった定期的にフィードバックを与えあう機会まで存在する。一方、日本的な組織では、上司が部下を表面的に評価するだけだ。部下の成長を促すために、率直で前向きなフィードバックができているかといえば、疑問が残る。私の働いている組織では、半年に1度人事評価の振り返りを上司と行うことになっているが、私自身は成長を促すようなフィードバックをされたことはない。日々の仕事の中で、感情的にミスを指摘されたことはあるが、今後伸ばしていくべき能力といったことが話題にのぼったことはない。私自身も、上司はもちろん、後輩に対して成長を促すような率直なフィードバックをしたことがあるかと問われれば、答えに窮してしまうのが実状だ。

では、NETFLIXと日本的な組織で、ここまで多くの違いが生まれるのはなぜなのか。NETFLIXでは、自由闊達な組織文化が、責任ある行動を生み、圧倒的な成果を生み出している。本書の中でもそういった記述は数多くあり、例えばP91では、休暇日数を無制限にすることが社員への信頼を伝える手段になっており、社員の責任ある行動を促す効果があると説明されている。日本的な組織の問題点は、ちょうどこの因果関係の対偶にあるのではないだろうか。すなわち、NETFLIXでは、自由な組織文化の醸成によって、社員の責任ある行動を生み出すことができた。一方、日本的な組織では、社員が責任ある行動を回避しようとすることで、硬直的な文化が生まれてしまっているのである。例えば、自身の責任で適切に休暇を取ることができないから、詳細な休暇規則が必要になる。例えば、高額な給与に見合うだけの成果をあげる責任を負いたくないから、年齢や在籍年数に応じて給与を決めざるを得なくなる。例えば、適切なフィードバックで同僚や部下を成長させる責務を果たすことができないから、表面的なコミュニケーションをとることしかできなくなる。つまり、日本的な組織が自由闊達な文化を創るためには、その組織で働くメンバー1人ひとりが、個人で責任を背負う覚悟が必要だと言えるのではないだろうか。組織やトップに原因を押し付けるのではなく、自分自身の行動と意識から変革する必要があるのだ。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
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投稿者 msykmt 日時 
格差拡大に備える

本書は、インターネット・バブル崩壊という逆境をきっかけに、ネットフリックスがどのように急成長をとげたのか、その過程と成功要因を分析したものである。私は、このネットフリックスの成功譚を知ることによって、富めるものと貧しきものとの格差拡大がいちだんと加速する未来を予感した。本稿では、なぜそのように感じるにいたったかを順を追って述べる。

ネットフリックスは、インターネット・バブルがはじけたことにより、優秀ではない、凡庸なメンバーをレイオフした結果、劇的な生産性向上をとげた(ここでの優秀であるとは、パフォーマンスと人間性のどちらも高い状態を意味するのに対して、凡庸であるとは、どちらも低い、あるいはどちらか一方が低い状態を意味する)。そのことをきっかけに、ネットフリックスは、規模も業績も拡大の一途をとげた。ここでのレイオフでは、全社員数のうち、凡庸なメンバーに該当する三分の一が解雇されたのもかかわらず、数週間後には社内の空気が、アイデアに満ちあふれるようなものに変わったという。このことは私にとって新しい発見だった。なぜならば、優秀なメンバーをそろえても、やがてその集団のうち、2割はよく働く一方で、6割は普通に働き、2割は怠けるという、いわゆる「働きアリの法則」が必ず働くものであると私は思い込んでいたものの、必ずしもそうではないことがわかったからだ。また、石垣は、大きい石のあいだに小さい石を組み合わせることによって強度が増すように、人の集団も玉石混淆であったほうが強くなると確信していたものの、それも単なる思い込みであったことに気がついた。

このことから、玉石混淆な組織よりも、少ない優秀なメンバーで構成される組織のほうが生産性高くなるということがわかる。なぜ生産性が高くなるかというと、優秀なメンバーが凡庸なメンバーのレベルにあわせることによって生じる生産性低下と、それによる優秀なメンバーの就業意欲低下が生じなくなるからだ。私もチームマネジメントの立場で似たような経験をした。たとえば、凡庸なメンバーが同じ過ちを繰り返すため、その都度、再発防止のためのチェックリストを作成した上で、そのチェック手順を実施するよう全メンバーに対してルール化していた。しかし、そのような過ちをしない優秀なメンバーにとっては意欲低下をまねくだけの結果になっていた。しかし、先に述べたように玉石混淆な組織だからこそ強いのだと私は信じていたため、ルール化によるそのような弊害は必要悪だと思っていたのだ。さらにいうと、凡庸なメンバーを所与の資源として、それをいかに有効活用するか、つまり、いかに彼らにもできる仕事を割り当てていくか、が私の仕事であるとさえ思っていたのだ。ところが、水は低きに流れるように、凡庸なメンバーの悪しき特徴が優秀なメンバーにも伝染するといった研究結果を本書でみるにつけ、私の考えをあらためる必要があると感じた。つまり、私の仕事は、本書にあるように、優秀なメンバーで構成される職場環境をつくることなのだ、と。

次に、先に述べたように、少ない優秀なメンバーで構成される組織のほうが生産性が高いのであれば、多くの凡庸な人たちは働き口がなくなっていくだろうと考えるにいった。たとえば、本書にあった「ロックスターの原則」の研究によれば、ソフトウェア業界において、凡庸な人と優秀な人との生産性の差は数十倍になるという。また、ビル・ゲイツに言わせれば、その差は一万倍にもなるという。もちろん、業界や職種によって程度の差はあろうものの、著者は現業系職種であっても二、三倍の差はあると見立てている。よって、多くの凡庸な人たちにそこそこの報酬を払うよりも、少ない優秀な人たちにとびきりよい報酬を払うほうが、歩留まりが高いと経営者が判断するのは自然なことであると考えるにいたったのだ。

したがって、凡庸な人たちは富を得る機会を失う一方で、優秀な人たちが富を寡占することによって、ただでさえ拡大傾向にある貧富の差が、ますます加速する未来を私は予感したのだ。よって、これからは、優秀な人のポジションに身を置くことが、貧しい未来を回避することにつながると思った。

一方で、どの業界においても、そのような考えかた、すなわち優秀な人だけが職にありつき富を得る、が真であるとは限らないとする見方もあるだろう。たとえば、本書でも言及されている、エクソンモービルのようにセーフティ・クリティカルな業界においては、優秀さの発揮を要する機会は少ない。むしろ、所与のルールに従い、所与の手順を淡々と実行できるという、いままでの文脈とは少し違った意味での凡庸さが必要とされる。しかし、そのようなルールと手順の適用がふさわしい仕事は、やがて、それこそ優秀な人たちが開発するAIやロボットに代替されるだろう。むしろ、AIやロボットだからこそ、不眠不休で、文字通り機械的に、セーフティに仕事を遂行してくれるだろう。よって、そのような働き口は徐々に減っていくのではないだろうか。たとえば、自動運転の普及によって、タクシードライバーの仕事がやがてなくなる未来が待ち受けているように。だから、どの業界にあっても、優秀な人のポジションに身を置くことが、むしろセーフティであると考えるのだ。
 
投稿者 M.takahashi 日時 
ネットフリックス文化から何を学ぶべきか

 社会が急速に変化する現代、創造性や柔軟性を高めることは多くの業界において喫緊の課題となり得、本書で述べられているネットフリックスの「自由と責任の文化」を取り入れることには多くの理があるように思われる。
 しかし、多くの企業ではその文化を真似しようにも、土台である能力密度を高める段階で実現困難であろう。本稿では通常の企業が「自由と責任の文化」から何を学び部分的にでも活かすことができるのかを考えていきたい。

 ネットフリックスが掲げる主要原則の一つ、「コンテキストによるリーダーシップ」には多くの前提があり、中でも最も重要な要件は社員の能力密度であろう。社員には、プログラミング
などの役割に応じた専門的な能力はもちろん、「コンテクストを正確に理解する力」も求めれ、後者はどのような職種であっても必須となるだろう。
 ネットフリックス社員の「自由と責任」の範囲はコンテキストを満たす限り非常に多岐にわたり、コンテキストの十分な理解力が自由の前提となるのは当然だ。一般企業では上司が決定して部下に指示を与えるが、ネットフリックスでは上司はコンテキストを与えて決定は部下が下すため、当然両者の関係性には大きな差異がある。
 ネットフリックスにおける上司と部下の関係は、シェフに料理を依頼する例で示されているように、顧客とビジネスの関係に近い。建築士、美容師、スタイリストなどと同様、顧客ごとに異なる多種多様な要望を理解し、それを満たすための創造性や柔軟性が部下には求められる。それぞれにコンテキストを明確に設定する責任、設定されたコンテキストを正確に理解(確認)する責任がある。そうしてコンテキストを共有し、深いレベルで理解を合致させ、初めて実務能力が存分に発揮されて最大限の結果が得られる土壌ができる。ネットフリックスの能力密度、フィードバックシステムを考えれば、コンテキストは双方で乖離しにくいだろう。逆に言えば、コンテキストの正確な共有はそれだけ困難とも言え、判断を正確にできない部下に大きな自由を与えれば大損失をもたらすかもしれない。
 このため、どちらの方法が適するかには能力密度によるのだが、ネットフリックスのようにルールによるコントロールを手放せる企業はほとんどないだろう。能力密度などの土台なしに、ルール撤廃という最終段階だけを真似てもカオスに終わるためだ。しかし、コンテキストを明確にするという点は、ルールによるコントロールを主軸とする場合でも非常に有益だと考えられる。以下、一般的な日本企業を想定して、コンテキスト設定について考えたい。
 
 多くの場合、ルールやマニュアルで全ての事態を事前に想定しておくことは不可能であり、現場での判断が必要となる場面は大なり小なり出てくる。能力密度にばらつきがあれば、柔軟に対応できず、役所のような紋切り型な対応をして損失を発生させる社員もいる。能力密度は社員に与えられる自由度を制限する主要因だが、能力密度がいくら低くとも、ロボットのように決められた作業だけをすれば良い一部の仕事を除けば、社員に一定の裁量は与えざるを得ないのが現実だ(もちろん、ネットフリックス社員と比べれば比較にならないほど小さい裁量ではあるが)。

 このように、ルールによるコントロールにも限界がある以上、コンテキストを設定することによって判断する際の指針・基準となるガイドラインを与えることが必要となるだろう。もちろん、現場で判断をするということは少なからず思考力を要し、社員にも訓練が必要となるだろうが、コンテキストを設定する上司の役割がより重要な鍵となると思われる。

 ネットフリックスやアメリカなどのローコンテキスト文化では、「聞き手が理解できないのは話し手の責任」という共通認識がある。一方、ハイコンテキスト文化の最右翼たる日本では、無意識レベルで聞き手に行間を読むことを求め、意思疎通の齟齬を聞き手の責任としたり、齟齬に気づくことすらなく相手の能力を過小評価しているように思われる。本書中に「部下が何かバカげたことをしたら、部下を責めてはいけない。自分の設定したコンテキストのどこがまずかったのか、考えてみよう」とあり、日本人上司には特に注意すべき言葉だろう。

 上司のコンテキスト設定に瑕疵があっても、要領の良い部下なら上司の意図を汲み取って成果を出すかもしれないが、それを基準にしてそうでない部下を責めるのはお門違いである。コンテキストレベルは低い方に合わせるべきであり、同文化内であっても相手の能力に応じたコンテキストを与えるべきだろう。日本人はコンテキストをぼかすことが自然となっており、上司はその点に注意してコンテキストを明確化する必要があるだろう。

 日本で好まれる、与えられたコンテキスト以上のものを読み取ることができる「空気が読める」人間はどんな文化でも好まれるだろうが、コンテキストを明確に設定できないと海外では「指導力のない上司」と思われるかもしれない。グローバリゼーションの加速を考えても、「空気を読む文化」はほどほどにして、少なくともビジネスの場では、日本人もローコンテキストな方向へ歩むことが必要と思われる。
 
投稿者 akiko3 日時 
ネットフリックス=トップクラスのグローバル企業だと思っていたが、DVDレンタルという衰退事業から舵を切り替え、多角化し、現在のグローバル企業として進化・変容し続けていることに関心しっぱなしだった。
そして、この成功と成長に大きく寄与しているのは、トップであるリード・ヘイスティングスだと思った。
彼の向上心、柔軟性、謙虚さ、教師時代の異文化に適合できた経験値は、ネットフリックスの様々な事象から何かを常に学びとり、変化し、成長している文化に通じると思った。

リードや他の首脳陣はネットフリックスの脳であり、社員は細胞。高い能力とプロとしての向上心に加え、柔軟に進化することが求められる。
脳は、細胞が活性化しベストな判断やイノベーションが生み出せるよう自由な環境を与え、血液のように『ノールール』というルールを滞りなく循環させ続ける。
そして、体内の60%を占める水はお金。自由の先には責任があり、成果を出せなければ切られる。だって水分がなくなれば生きていけないから。
そんな自由だがシビアな中で、お客様に選ばれる商品やサービスを生み出せたのは、常に判断基準の”お客様の為か”というネットフリックスのハートを細胞に意識させたからだ。
また、細胞同士がよりよいパフォーマンスを発揮できるようフィードバック制度を上司も部下もフラットに行い、FBは”相手の為か”という基準で、よき刺激となるように行っていたからだ。

このフィードバック制度は、言うは易し行うは難し。いびつな形にならずに定着・継続する為に、リード達、マネジメント自ら率先し休んだり、失敗やフィードバックをオープンにしたり、社員をコントロールするのではなく、コンテキストを伝える。1つ1つネットフリックス文化に照らし、示し、根付かせていく。ローマは一日にして成らずだ。
そのうえ、ネットフリックスは世界展開していく中で、ネットフリックス文化を異文化にも適合させていかなければならなかった。
アメリカ人の感覚では悪気はなくても摩擦が起こる日常を、丁寧に率直にコミュニケーションし、違いを理解し、適合しようと個々が努力する。
こういう柔軟さや誠実さは、リードが教師時代に異文化を体験し、いい悪い、優劣ではなく、そこに”違いがあるだけ”、多様性を認めることが大切という思いがあったからだと思う。
だから、ネットフリックス文化を多様性に適合させるのに、エリン・メイヤー女史の「異文化理解力」に感銘をうけたのだろう。(以前、課題本で読んだ時よりは確実にこの本の価値が再認識できた)

最後に、これからさらに社会が変化する中で、ネットフリックスはどのように生き延びていくのか予測はできないが、自分のよりよい人生の為に、脳みそ、ハート、細胞、水分をどう使って、生かしていくかを考えてみた。
・ 能力密度を高める為のInputとOutput
・ 細胞を活性化する呼吸法(←これは他人に見えない概念的パターンに気づける=微差がわかってクリエイティブ性にも貢献しそうだ)
・ ハートには智の道
・ 水分は多くても少なくてもダメで循環させる(梅雨時期、水毒で体調崩す人が多いように、水分も”むくみ”だとNG)
そして、変化を恐れず生きていこうと思う。

これはリードの爪の垢を煎じて飲むのと同等の効果だろうか?
 
投稿者 str 日時 
NO RULES

NETFLIXの存在、どの様なコンテンツを提供している企業なのかは知っていたが、私が知った頃には既にその業界では大手と言われるほどの存在感だったと思う。本書はそんなNETFLIXの内情がどのようなものなのかが記されている。

大多数の企業に設けられているであろう規定の撤廃。上司、経営陣にまで会社の利益となるであろうことを指摘しないのは“会社にとっての背信行為”とも捉えられるほど社員一人一人の意思を尊重している。基本的にトップダウンの傾向が強い、会社という組織が苦手な人には魅力的なのではないだろうか。勿論、ある日突然社員に“自由“だけを与えたとなれば大変なことになるだろう。そういった意味ではNETFLIXの手法は実に上手い。”自由“と共に”責任“も与えているからだ。休暇を取るのも自由だが、それで業務に遅れや支障が出たとしても自己責任ではある。上司の承認を得ずとも、経費を自己判断で扱える権限という自由を手に入れても、上司に胸を張って報告できる使用方法だったのか。費用に見合うだけの成果は得られたのか。という責任も同時に持つことになる。それらの自由と責任を抱え、対応できる能力がある人材を見極めてきたからこそ成り立っているものだと思う。

通常十日掛かる仕事を一日で片付けられるのなら、極端に言えば残りの九日は休暇を取ってもいい訳だし、十人で一日がかりの作業を一人でこなせるのであれば、残りの九人を解雇し、その分の報酬を一人に与えてやればいい。個々の高い能力の見極めと『上司ではなく会社にとって最善の行動を』という意思の下、それらが見事にハマった結果がNETFLIXの急成長に繋がったのだろう。

もっとも、そのスタイルが全ての業種に当てはまるとも限らないし、厳しく定められた規定の中で大成功を収めている企業の方が未だ圧倒的に多いことだろう。なにより、縦社会よりも横への繋がりを求め、自由を欲しているけれど「責を負うくらいなら規定の範囲内でそれに従う」という“ルールがあるお陰で守られている“と考える人も一定数はいるはずだ。文化や制度、考え方の違いもあり日本に浸透するのには様々な課題がありそうだが、将来的にどうなっていくのだろうか。

“自由”と言われれば聞こえは良いけれど、自分で考え判断し、行動する。それら全ての権限を与えられるということ。決してお気楽なものではない。自由であることの意味を色々と考えさせられた。
 
投稿者 tarohei 日時 
 本書では、NETFLIXには普通の企業では当たり前とさせる承認ルール、経費規定、休暇規定などがないという。そして、NETFLIXが重要視しているテーマの一つとして自由と責任の両立というのがあり、それを強化する取り組みとして、能力密度を高める、率直さを高める、コントロールを減らす必要があるという。このような様々な取り組みを行っているNETFLIXだが、その中で根幹となる企業文化が「能力密度」と「自由と責任」であると考えた。

 NETFLIXではレイオフを断行した結果、会社全体の能力の総量は減ったが、一人当たりの能力密度は高まったという。しかもレイオフ後は職場の雰囲気が劇的に改善したのである。しかし、果たして優秀な人材だけを残してレイオフして、会社を立て直すことができるのであろうか。一般にはレイオフを断行すれば優秀な人材は辞めてしまいボンクラ社員だけが生き残るという結果になりかねない。NETFLIXはどうやって能力密度の高い優秀な人材を残すことができたのであろうか。
 会社自体に魅力がなければ優秀な人材は残らないし、応募もしてこない。どうやって会社に魅力をつけるか、業績を良くできるかというと優秀な人材を揃えるのがよい。どうやれば優秀な人材を揃えられるかと言えば高額な報酬を与えるのがよい。高額な報酬を与えるには会社の業績が良くなくては実現できない、といった堂々巡りのループに陥ってしまう。
 では、NETFLIXではどうしたか。本書を読んで、NETFLIXは誰を残して誰を切るかを徹底的にこだわったと理解した。
『チームのメンバーが明日退社すると言ってきたら、あなたは慰留するだろうか。それとも少しほっとした気分で退社を受け入れるだろうか。後者ならば、いますぐ退職金を与え、本気で慰留するようなスタープレーヤーを探そう』ということからも覗える。
 しかしこれだけで本当に能力密度の高い集団になれるのであろうか。そもそも能力密度の高い集団だからこそ慰留すべき人物か引導を渡すべき人物かどうか正しく判断できるし、自然淘汰で優秀な人材だけが生き残れる企業文化を作れるものである。ボンクラ社員なら本当に慰留すべき人物に引導を渡す結果になりかねない。
 そして更に思ったことが、能力密度の高い集団だからこそノールールでも問題なく結果を残せるのではなかろうかということのである。ボンクラ社員の集団にノールールを適用したら、たちまち破綻するのは目に見えている。それともボンクラ社員でもノールールを適用すれば自主的に仕事をするようになるのであろうか・・・(そんなことはあるまい)
 というようなニワトリが先かタマゴが先かの議論がぐるぐると頭の中を駆け回り、素直には納得できずフラストレーションが溜まるのであった。

 次に「自由と責任」について考えたこと。NETFLIXでは大きい決裁権、経費の自由裁量、無制限の有給休暇など自由度の多さと責任追及の徹底がなされているという。自由と責任と言えば、自由には責任が伴う、と思われがちである。しかしそう単純なものではないと考える。大きな成果を出すためには自由度を高くしてルールを最小限にする、とは言え成果を出すためなら何をしても良いわけではなく組織にとって役立つ事はなんでも実施すべ
きという責任を負う、自由と責任とはそういうことなのであろう。
つまり、自由は"やっていいこと"についての考え方であり、成果を上げるための自由裁量のことで、責任は"すべきこと”についての考え方を示しており当事者意識の強さを意味するものだと思えた。
 例えば、自分が所属する組織では、自分の裁量の範囲内で仕事を進められるのであればいちいち上司に報告しなくても自分の判断で意思決定してもよく、上司が業務指示を出さなくても各自が自分の担当分野の仕事だと認識すれば自主的に積極的に業務に取り組んだりしている
 米国では業務規定書のように細かく業務範囲が決められていて、自分の担当業務以外は行わないという風土があると聞く。NETFLIXではそういう弊害を避けるため、創造的な仕事をしてもらうため、能力密度を高めるため、自由度の高さと当事者意識を持ってもらうため、企業文化を構築してきたのであろう。

 以上ように、「能力密度」と「自由と責任」にスポットを当ててて感想を述べてきた。能力密度の高い集団であれば細かいルールや管理をしなくても自由と責任を適切にコントロールすることで成果が出せることは理解できた。
問題はいかに能力密度の高い集団を形成できるか維持できるかである。高額な報酬(これは給与だけでなく、精神的な報酬という意味も含めて)があれば実現できるのか、仕事のやりがいや企業の魅力・ブランド力があればよいのか、他にも要因はあるのか、はたまたこれらの組み合わせなのか、を考えさせられ一冊となった。
投稿者 3338 日時 
引き止めたく無い社員は辞めさせる

 これは一体何を意味しているのか?ということに引っかかった。逆は引き止めたくなる社員は辞めさせない。待遇は引き止めたい社員は辞めさせない。ということは、社員が常に会社側に引き留められるような働き方をすることができれば、どんどん会社で優遇されるということになる。社員の側から見れば、どうやって自分を戦略的に会社に対してマーケティングするかを考えることが必要になる。つまり、自分のプロジェクトを戦略に進めることが、結果的に会社に対するマーケティングにもつながるという二重の意味を持ってくる。

そのために必要なことは、まずNETFLIXのコンテキストの在り方を徹底的に理解し、最大限に活用すること。

イカロスの場合

イカロスの獲得はこれまでに無いほどに高額な投資を要求された。破格の価格を投入するかで悩む社員に対して、上司が部下の背中を押す形でアダムは、破格の資金投入に踏み切りる。この映画の内容はあまりにも衝撃的で、これほどのノンフィクションにはお目にかかれないという、部下の目を信じた上司が彼の背中を押す。
 例え、この賭けに失敗したとしてもそこから、次のステップに進むための、何かを部下が得られると上司が信じたが故のGOサインだった。結果は見ての通り、アダムもテッドもNETFLIXに欠かせない社員であることを証明してみせた。最終的に莫大な投資がそれ以上の利益を生むこととなった。


マイティー・リトル・ビームの冒険の場合

イカロスよりもハードルは高いにも関わらず、数々のコンテキストをクリアして、アラム=マコウビヤンはこの作品を大ヒットに導くことに成功した。それ故に彼は、NETFLIXに対して自分自身を高額でプロディースすることに成功したし、また、到底越えられないと思われた3つのハードル(インドのアニメの質、未就学児向け、価格面)をもクリアした。

「この番組を買って損したら、そこから何を学べるだろう」アラムの最終判断は、見事に彼の上司たちのコンテキストを体現していた。このプロジェクトの成功により、NETFLIXは海外でも次々と成功を重ねていく。

ほとんどの会社が社員をコントールすることで成り立っているにも関わらず、NET FLIXはコントロールすることを放棄し、より高次元のコンテキストを提示することで会社を発展させて来た。コンテキストのリーダーシップの難しさは、本書にも語られている。
完全に諸条件の認識を一致させるところから始まり、その条件をクリアする基準をも一致させなければ、誤った判断を選択する可能性が高まる。逆に言えば、これができるほどの優秀な人材だけが、この会社に留まることができる。

NO RULES
この表題は何を意味するのか?
それは一見ルールが無いように目える、しかし、本当に何も存在しないのだろうか?
本当はそこには目に見えないルールが存在していた。

本書のp316に「ただ新しい社員がチームに加わったら、彼らが会社の流儀に適応できるように支援する必要がある」とあるが、その一つがキーパーテストと呼ばれる適正テストである。そのポジションに相応しくない人材は、そのポジションに留まることができない。新入社員は普段からNETFLIXにおける流儀に沿うことで、そこに何かを感じて行く。そして自分で考えて、NETFLIXに相応しいやり方を身につけて行く。

そのチームの中で、自分に望まれている役割りは何かを感じ、そのための最適な行動を取らなければ、高収入どころかそのポジションには留まることはできない。そのポジションに相応しいコンテキストを提示するためには、どうしたらいいのかを常に考え、情報を集め行動し、その役割を果たして始めてそのポジションに留まることができる。チームの中の自分の役割りの最適解を感じ取り、その役割りを果たすのがたった一つのルールに他ならない。コントロールのような言語化できるルールは誰にでも理解できる(それも理解できない人も多いが)。この目に見えないルールは、問を立てて最適解を模索する人間だけに、見えるルールとも言える。そしてその過程もまた、会社への自分自身のマーケティングとなる。

多分、明治時代の日本人は、無意識でこの見えないルールに従って、あらゆる事柄を始末していたのではないかと思われた。
投稿者 Terucchi 日時 
私がこの本を読んだ感想は、

NETFLIXは優秀な人材によって、究極のPDCAサイクルを実践している会社

だと考える。私は会社で改善の業務を担当していて、改善用語であるPDCAサイクルの進め方で考えるとNETFLIXがこのサイクルで上手く回しており、理解するにおいて腑に落ちたため、そのPDCAサイクルのしくみで例えて感想を説明したい。私は転職を経験しており、転職前も転職後もメーカーに勤めているのだが、どちらの会社でもPDCAが一般的であり、日本のメーカーにおいてはこの考え方が広く一般的であると考えて、知っている人も多い前提で、敢えて取り上げたい。ところで、そもそもPDCAを説明すると、PLAN(計画)、DO(実行)、CHECK(評価)、ACTION(改善)の略であり、特徴としては、PLANを立てDOで結果が出た後、CHECKによってその結果の良否を評価し、悪い部分をACTIONによって改善を行い、そして次のPLANにつなげて、また同じサイクルを回しながらどんどん良くしていく手法である。アメリカの統計学者であるデミングが工場の生産性を上げるために提唱した品質管理及び改善手法である。日本ではトヨタ自動車含めた主にメーカーなどがこの手法を採用している。以下にNETFLIXでのやり方と日本のPDCAサイクルの対比によって、考えを述べたい。

まず、PDCAサイクルにおけるPLAN(計画)からDO(実行)について述べる。業務においては、最初にPLANを立て、その後にDOとなる。NETFLIXではPLANからDOが圧倒的に早い。なぜなら、NETFLIXではマネージャーや上司でなく、担当者に裁量が与えられているため、担当者が計画を立てた後、直ぐに実行できるのだ。NETFLIXでは上司に説明しなくても、担当者次第で実行することができる。これではPLANからDOに移るに当たって、日本の会社と比較して、NETFLIXでは明らかに早い。日本のしくみでは上司に伺っている間に、市場の時流に乗り遅れることであるであろう。

次に、CHECK(評価)からACTION(改善)について、考えてみる。PDCAサイクルにおいては、このCHECKから次のACTIONにつながる部分が最も重要な位置付けである。この著書の場合で言うフィードバックがこれに該当する。PLANからDOで結果が出た後、そこで終わりにせず、CHECK、ACTIONと続けることができるかどうかが改善のキーとなる。日本の製造業は、PLANからDOでの結果において、もしダメな結果が出た場合、CHECKを怠らず、次の改善のACTIONにつなげるのが優れていると言われる。所謂、改善の文化である。例え、最初は高い不良率だったとしても、何度もPDCAサイクルを回すことによって、不良率が下がっている。これが日本製品、所謂メイドインジャパンの強さであり、信頼される所以である。しかし、日本はこのスピードが遅く、特にイノベーションなどの新しい業務などにはなかなか適用されておらず、難しいとされている。しかし、NETFLIXではイノベーションにおいても上手くフィードバックしている。お互いにCHECKとして意見を言い合いながら、ACTIONにつなげている。そのため、PDCAサイクルが回り、どんどん改善につながっている。また、NETFLIXでは、失敗してもみんなに話すことによって、その失敗を共有している。これが、先のDOの結果が悪くても、CHECKで情報共有し、次のACTIONでリカバリーにつながっている。これはNETFLIXが上手くPDCAサイクルを回していることである。むしろ、日本の会社以上に上手くPDCAサイクルを回していると考える。

ここで、PDCAサイクルの良い点は、最初から上手くはいく訳がないということが前提であることである。NETFLIXにおいても、同様に考えていると考える。例えば、最初から絶対に上手くいく方法をじっくり考えてから一歩を踏み出す方法がある。しかし、むしろ早く実行して、早く悪いところを出して、早く悪いところを直して、改善して、最初よりもよくすることである。すなわち、早く行動して、膿出しを行えば、早く次の改善に進むことができる、すなわち、行動すれば次の現実の問題に早く辿り着いて、次の行動をすることを実現していると考える。日本の企業においても、PDCAサイクルを実施してはいるが、このサイクルがとても早いとは言えず、むしろNETFLIXの方が明らかに早いサイクルで回しており、日本企業はPDCAサイクルを進める上で、NETFLIXのやり方から様々なことが参考にできると私は考える。なぜなら、私はNETFLIXこそ究極的にPDCAサイクルを実施していると考えるのだ。

以上、NETFLIXのやり方を日本でのPDCAサイクルと関連させて考えてみて、NETFLIXが究極のPDCAを実施していると考える。
 
投稿者 ZVL03103T 日時 
NO RULESを読んで

この本には、NETFLIX社のカルチャーが描かれている。そのカルチャーはとても個性的なもので、一般的な日本企業ではまず見られないものだ。能力密度を高める、率直さを高める、コントロールを減らす。その3つのステップを3サイクル繰り返すことで他の会社が太刀打ちできないようなスピード感とイノベーションが生まれると著者は述べている。現在の成功を見れば、そのカルチャーが成功をもたらしたことがわかる。しかし最初からうまくいったわけではない。うまくいくまでにどのような失敗や試行錯誤があったのか、そこから何を学んでどう改善したのかについても述べられているため成功までの過程がわかる。またNETFLIXの社員の具体的な事例が書かれているためより親近感がわく。
 この本を読んで自分の仕事にもぜひ取り入れたいと感じたことが3点ある。1点目はフィードバックの大切さ、2点目は透明性の重要性、3点目は適用させることの必要性である。

1)フィードバックについて
私が働いている会社は典型的な日本企業で、フィードバックについては上司から部下への一方的なフィートバックと、部長などごく一部の上司への匿名によるフィードバックを行うのみであまりなじみのない行為だった。それにフィードバックをあまり受けたことがないのでもし自分が否定的なフィードバックを受けたらと考えると怖かった。しかし上司や同僚ともっと正直にお互い思っていることを言い合えたらもっと良い関係になれるのではと思う出来事もたくさんあるし、この本を読んでその絶大な効果がわかるとぜひ実行したいと感じた。「リーダーは頻繁にフィードバックを求め、受け取った時には「帰属のシグナル」を返す。」それはリーダーでなくても自分でもできそうである。いきなり正直なフィードバックをするのは勇気がいるし、慣れないうちはへこんでしまうことも多いと思うが、まずは自分のチーム内だけでも試してみたいと思った。
【アクションプラン】
・今後はチームメンバー全員に向けて1週間を振り返りチーム全体としてのフィードバックのメールを送る。
・メンバー1人1人に注目し、それぞれの良かったこと、良くなかったこと(課題)を伝える。
・自分へのフィードバックも頻繁に依頼する
・フィードバックを受け取ったら必ず感謝して改善の努力をする

2)透明性について
透明性が大切である、ということは仕事をしていても何度も耳にすることである。しかし実際のところ一部の人しか知らないことがあったりするし、役職による情報量の差は常に感じる。それに失敗はなるべく知られたくないと感じている人が多いからか、手順書への反映はされても失敗の記録は残っていないものが多い。それは自分でも気づかないうちに若手社員や社外メンバーなどに言葉以外でもよく思われたいという気持ちから過去の失敗も他人事として伝えてしまったりする。そうすることが良いとわかっていてなかなか出来ていないことだと振り返った。「社内の象徴的なメッセージに注意を払う」「自らの有能さを証明した経営者が自らの失敗を包み隠さず素直に語り、他のリーダーにもそれを促せば組織全体の信頼感や善意が高まりイノベーションが活発になるだろう」。まさにその通りだと思う。

【アクションプラン】
・今後は失敗、不具合を一覧にして管理する。
・過去の自分の失敗についても隠さず伝え、そこから得たものも伝える。
・失敗をしても決して責めないのできちんと報告するように何度も伝える。
・まず自分を振り返り、言動が一致していることを常に意識する。

3)適応させることの必要性
この本に記載されていることは、どれもスピード感とイノベーションのためには大切なことだと理解した。しかし、そのどれもが今までの自分とかけ離れており、正直なフィードバックなどは特にかなりの勇気を出さないとかなえられないと思われた。必要だと思うが、かなり遠い道のりになるなと感じながら読みすすめていたら、その理由がわかるグラフや図が10章に描かれていた。NETFLIXのカルチャーと日本の文化的背景は見事に対照的なことが分かった。日本人なら同じように感じる人が多いと思うと安心できると同時に、日本人社員が私たちと同じ文化的背景からNETFLIXのカルチャーでよい点を取り入れていった過程を知ると、自分にも無理ではない、変わることができると希望が持てた。特に「直接的なフィードバックがやりにくく、一般的ではない文化圏」では「正式な場を設け、フィードバックを議題に含め、準備のための指示や明確な手順を示せば、有益なフィードバックをうまく引き出すことができる」というところについては、まさにその通りと思った。
【アクションプラン】
・自分のチームについて、理想と現実のギャップを指標ごとにグラフにしてみる。
・ギャップを埋めるためにどのようにすればよいか、皆に意見を求める。
・フィードバックの仕方、受け方を工夫する。

この本を読まなければこのようなカルチャーが存在するとも知らずに、日本の慣習を当たり前と思って仕事をしていたと思う。これからも読書することで様々な知識を得て、それを自分の仕事や生活に取り入れていくことの大切さを強く感じた。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“思考の中心に自身を置かない”


本書を読んで私が心底驚いたのは、リード・ヘイスティング氏が自身のキャリアにおける成功の証となる名声や地位にあまり固執していないことである。言い換えれば、彼は自分自身をエゴから切り離しているという非常に高い意識レベルにあると思うのだ。ここでのエゴとは、キャリアにおいて出世、成功、富などを得たいという欲望や願望を追い求めることである。巨大企業のトップは強烈なエゴに突き動かされることで、その業績をうなぎ登りにしているのだと私は思っていた。たとえ巨大企業ではなくても、多くの企業トップは周囲を支配したい、自分を好ましく見せたいというエゴを持っている傾向が強いと私は考えていた。現に零細企業ではあるがトップを務める私自身にそれらのエゴが無いかと言えば嘘になる。が、ヘイスティングス氏はそうではない。では、彼のいるエゴを手放した高い意識状態とはどのようなものなのか?その特徴は何か?そのことを本書でつぶさに検証してみると、彼が自らの思考の中心に自身を置いていないことに私は気づいた。ここで述べる思考の中心に自身を置いていないとは、状況や物事の進行を自身の損得などの願望や欲望を中心に考えるのではなく、その他のもの、例えばネットフリックスという組織や社員、顧客、社会のあるべき姿を中心に考えることである。

では、ヘイスティングス氏が思考の中心に自身を置いていない、つまりエゴから自身を切り離している例を本書から2つ挙げてみる。まず、1つめは彼が自身の名声にこだわらない点である。私が本書を読んでいてある種の異様さ(良い意味で)を感じたのが、ヘイスティングス氏の発言の主語の選択である。なぜならば、普通は『私』という主語を使いそうな場面で、彼は『ネットフリックス』を主語にしている場面が多々あるのだ。例えば、本書の「はじめに」の部分では、「本書では章を追うごとに…(中略)。それはネットフリックスが発見した順番になっている」(P.26)、またクイックスターの大失敗の時も「この屈辱的経験によって、ネットフリックスは重要な教訓を学んだ」(P.243)とある。これまで私は、成功や偉業を収めた様々な企業トップの自叙伝やインタビュー記事を読んできたが、上述したような場面では殆ど、『私』が主語となっているのだ。これは、『私』を主語にする方が、聞き手、読み手に対してより自身のアピールとなり、そして、より自身の名声へと繋がることを無意識的に承知し、実践しているからではなかろうか。例えば、ソフトバンクの孫正義氏のケースを挙げると、先の2020年度決算説明会の中で、純利益が日本企業として過去最高の約5兆円となった旨を報告する場面で、「5兆円や6兆円では満足する男ではない。10兆円でもまったく満足しません。これが僕の1番重要な想いだと思います」と彼は発言している。孫氏は異論の余地がないほどに偉大な成功を収めている企業トップだ。ただ、この発言から彼がエゴを手放せていない、つまり未だに彼の思考の中心に彼自身を無意識的に置いていると言えると思うのだ。ここで、たかが主語の選択など些細なことだと思うかもしれない。ただ、もしも上記の孫氏の発言の中の『男』や『僕』というところに『ソフトバンク』を当て嵌めてみると、どう感じるだろうか。ある種の共感を持たれるのではなかろうか。

そして、エゴから自身の切り離しが窺える2つめの例が、ヘイスティングス氏の地位にこだわらない点だ。例えば、「私より有能と思えるCEOがいれば、いつでも交代させてほしい」(P.292)という発言から、ここでも彼は思考の中心に自身を置かずに、ネットフリックスという組織を中心に持ってきていることが分かる。この自らの地位やポジションを自身の損得を抜きに考えるということは、非常に難しいことである。現に、私が当社の将来ためを思い、外部から自身の代わりとなるトップを招聘するなどと考えたことは今までに一度もない…。ただ、ここで私のような零細企業トップとヘイスティングス氏を比べたところで意味がないという反論があるかもしれない。そこで今一度、ソフトバンクのトップである孫氏のエピソードを紹介する。それは数年前にあった孫氏の後継者騒動である。その騒動とは、孫氏が60歳をもってトップから退き、後継者のニケシュ氏へバトンを渡すということを土壇場で引っ繰り返したことだ。その時の孫氏は、「もうちょっと社長を続けていたいという欲が出てきた」と発言し、最低でもあと5~10年はトップで居続ける意向を示したのだ。ニケシュ氏が、実際に孫氏より有能であったかは定かでは無い。が、60億円とも言われた年間報酬を提示してグーグルから孫氏自らが引き抜いてきたことを考えれば、ニケシュ氏の能力の高さ、そして彼がトップになることがよりソフトバンクのためになった可能性は十分にあったと思うのだ。私は孫氏を悪く言って貶めようとしているのでは決してない。私がここで述べたいのは、組織の発展のために、トップの地位から自ら退くのが如何に難しいかということである。

上述した2つの例の他にも、ヘイスティングス氏の思考の中心に置かれるのが組織や社員、顧客、そして社会だと分かる場面が本書には幾つもある。そもそも彼が本書を出版した理由を考えてみると、それは社会のためではないかと思うのだ。そのことは、「みなさんの組織ならではの『自由と責任』のカルチャーを醸成するにはどうすればよいのか、一緒に考えてみよう」(P.26)からも窺える。ネットフリックスのようなクリエイティブでイノベーションを起こす組織が社会に増えれば、たとえそれが競合他社でも、この世の中が良い方向へ進んで行けばそれで良いのだと彼は考えているのではないだろうか。そんなヘイスティングス氏を私は心の底から尊敬するのである。本書を読み終え、感想文を書き上げて、今私が思うのは、エゴから自身を切り離すために、まずは思考の中心に自身を置かないことを心がける、それを始めの一歩にするということである。


~終わり~
投稿者 sarusuberi49 日時 
【優秀な人材に選ばれ続けるために、会社は自ら変わり続けなくてはならない】

本書は、無期限休暇制度、直接的で率直なパフォーマンス評価、自分がポジションにふさわしいかを問う「キーパー・テスト」など、型破りな人事方針で有名なネットフリックスの企業文化を、組織行動学者とともに紐解いている。ネットフリックスにあるのは、同じ楽譜を元に全員が1人の指揮者のもとで調和を奏でるオーケストラではなく、一流アーティストたちが即興でセッションし、一瞬の粋をクリエイトするジャズセッションのようにスピーディーでエキサイティングな職場である。本書には、そんな緊張感の中、圧倒的なパフォーマンスで成果を出し続ける従業員達が多数登場する。私は、このネットフリックスの人事制度の成功要因についてさらに掘り下げて考えてみたい。

私はネットフリックスの話題作りのように見える改革にも、その裏には経営幹部たちが知恵をしぼって考え抜いた、「自由と責任」のカルチャーが表現されていると考える。急激な成長と拡大の中、ネットフリックスは次々に直面する課題と真摯に向き合い、その都度大胆な改革を進めてきた。しかし、出張旅費と経費の承認プロセスの全廃、休暇規定の撤廃、権限の分散などの改革にはリスクも伴う。実際、制度を悪用して私用の旅行を経費につけたり、経理の最繁忙期に休暇を取ったりする従業員が現れたことも本書には書かれている。しかし、CEOのリード・ヘイスティングスは制度を廃止するのではなく、制度を悪用した従業員の方を解雇してまでも、従業員の自由を守る道を選択した。私はこれをリードの誠意であると考える。彼は、才能ある人物を誠意で引きつけ、従業員の自由を守ろうとしたように感じられる。そのようなリードの趣旨に共感する優秀な人材を集めているからこそ、従業員も高い成果を出して応えたくなるのではないだろうか。従業員を信じる会社もまた、従業員への信頼の証とも言うべき自由と裁量を惜しげもなく与えている。私には、ネットフリックスの躍進の秘密が、この徹底した人材ファーストにあると思われる。

自分自身の仕事を振り返れば、私はちょうど今、新卒採用選考中であるが、大学生の志望動機が時代とともに変動している現実を目の当たりにしている。私の知る限りではあるが、最近の大学生は、実家から通える範囲内で勤務地を選ぶ傾向が強く、仕事内容や賃金額よりも、職場の雰囲気や労働時間への関心が高い。会社説明会では、「勤務開始時間よりも前に出社する必要があるか?」「残業なしで定時で帰れるか?」「男性の育児休暇取得実績があるか?」「有休の平均消化率は年に何日か?」「もしコロナワクチンを打つことになったら特別休暇が付与されるか?」などの質問が散見される。彼らはこのような質問をすることで、ブラック職場でないか?自由にモノが言える雰囲気か?を見極めようとしているのである。彼らの世代には「ひとたび社会人になったなら、たとえ嫌なことでも我慢して続けなくてはならない」という縛りが少ない。なぜそう思うのかと言えば、入社後に職場の雰囲気が期待と違っていた場合、さっさと見切りをつけて転職してしまう例が散見されるからである。例えばある若手社員は入社2年目で退職したが、その理由が「いつも年長者に気を使わなくてはならず息が詰まる。」というものであった。また、入社1年目で退職した別の若手社員の退職理由は「実家暮らしなので賃金が低くても構わないから趣味のアニメを仕事にしたい」というものであった。

今やこのような若者たちを賃金や福利厚生でつなぎとめることは年々難化しつつある。そんな彼らを会社にとどめ、前向きに仕事に打ち込んでもらう方法を模索していた私は、ネットフリックスの飽くなきチャレンジとイノベーションの軌跡を知って気持ちが奮い立った。もちろんネトフリックスの柔軟性とは比較にならないが、今の職場にも多いに工夫の余地が残されているからである。折しも当社では、来月から管理職向けの人事評価研修をスタートすることとしたばかりである。たったこれだけのことですら、関係者にとっては痛みを伴う改革であり、必ずしも良い成果になるとは限らない。しかし、たとえ期待通りの成果が得られなかったとしても、ネットフリックスに倣って何を学べたかを振り返り、小さなことからでも挑戦を続けてゆきたい。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
NO RULES-世界一「自由」な会社 ネットフリックス-を読んで 

本書は、ネットフリックスが「能力密度」「率直さ」という二つの要素を高めることを土台にし、コントロールを撤廃することで「自由と責任」という文化を醸成し、一流の社員を引き寄せ世界で勝ち続けるための企業へと成長していく過程について、様々な事例を元に紹介している一冊である。
日本的な階層主義の強い企業で務めている私にとっては信じられないような事例が多々あり、「ウチの会社もこうだったらいいのになぁ」と思う箇所がいくつもあった。条件に沿っていれば休みが自由にとれることや、経費の使用時や、新たな取り組みを始める際に上司の承認を取らなくても良いことはとても魅力的に感じた。
私が本書を読み最も重要であると感じた「多少失敗しても諦めずに行動を続けることの重要性」について掘り下げて考えたい。

 なぜネットフリックスが世界中の人に受け入れられ、成功することが出来たのか。それは上述した「能力密度」と「素直さ」という二つの要素を高めることが大事だという事に気づいたから、という要因もあると思うが、それ以上に自分たちが大事だと思った「能力密度」と「素直さ」という二つの要素を高めることをブレずに取り組み続けたことが非常に重要だったのではないかと思う。

行動すれば次の現実と言われているように、次の現実を迎えるためにはまずは行動しなければならないのだが、凡人にはその行動ができない。やれば成功するとわかっているにも関わらずやれない。例えば「呼吸法3年(1000日)継続したら人生変わる」と言う情報と共に、人生変わった人の体験談を聞いているにも関わらず途中で挫折した経験のある私のような人や、何十万も払って某Fさんのセミナーへ参加し「人生を変える極意はアウトプットすること、メルマガやったらいいよ」と、その道で成功した人に言われてもやらない人や途中でやめてしまった人は沢山いるだろう。
人と組織を同列に語るのは多少無理があるかもしれないが、組織でも一度やると決めたことが中途半端に終わってしまうというのはよくあることだろう。

しかしネットフリックスでは自分たちで見つけた成功のカギを達成するために、失敗を重ねながらも行動を続けた。同僚を面と向かって傷つけておいて率直に意見を言っただけだと嘯く者や、休暇の自由化により忙しい時期に複数のチームメンバーが休暇を取ってしまい部門全体が大混乱に陥った例などの失敗事例もいくつか出てくる。そういったマイナスな事例が起こると、自分たちの考えが間違っていたんじゃないかと思い疑心暗鬼になってしまい、取り組みをやめたり、フェードアウトしてしまったりすることもあるだろう。
P137に『私たちが意識的に抗わなければ、ネットフリックスもピュアソフトウェアと同じ道を辿ることになる』という記述があるが、ここに至るまでは「能力密度」と「素直さ」を高めるという事が大事だとは気づきながらも、半信半疑な所もあったのではないかと感じた。
成功した今だからこそ、能力密度を高めることを最優先目標に据えて良かったと言えるのだろうけれど、取り組んでいる過程では(特に第3章まで)本当にこれで良いのか?という疑問や、能力密度を高めることが本当に正しいのだろうか?と迷うこともあったのではないだろうか。

どのようにしたら優秀な社員を集められるのかを考え、様々な施策を打ち出したことや考えつくことも勿論素晴らしいと思う。だが、それ以上に世の中にはやったら確実に上手くいくとわかっていても出来ない人がいる中で、失敗しても諦めずに試行錯誤を繰り返し、成果が出るまでやり続けたことがネットフリックスの成功の理由ではないかと感じた。

では、行動すれば常に上手くいくのかというと、勿論そうではないだろう。プロ野球の選手になりたいからと言って学校に行かずに素振りを続けてもプロになれるとは限らないし、東大に入るために毎日20時間勉強しても必ず合格するとは言えない。そういう意味では行動することが成功に繋がっているわけではない。以前経営していたピュアソフトウェアでは最終的に凡庸な人ばかり残ってしまったため、ネットフリックスでは柔軟性や自由なイノベーションを重視することを考えて取組んだ。やみくもな行動が良いわけではなく、目的をはっきりさせ、そのためには何が必要か考えた上で行動することが大事だが、その前提がしっかりしていれば、多少失敗しても行動を続けることにより大きな成功を収めることが出来るのだと感じた。
 
投稿者 vastos2000 日時 
ネットフリックスは2021年4月時点で時価総額が世界で39位とのこと(https://www.180.co.jp/world_etf_adr/adr/ranking.htm)。日本企業の最高位は相変わらずトヨタ自動車で48位。50以内の企業の多くがGAFAMをはじめとするアメリカ企業で、テンセントやアリババなどの中国の企業がいくつかランクインしている程度。企業分野ではアメリカの1強状態と言える。
上位にランクインしているアメリカ企業は、本社はアメリカだけど、事業は世界規模で展開している企業が多い。おそらくはアメリカ国内に留まらず、世界中の優秀な人材が働いているのだろう。
ネットフリックスも世界展開をしていて、日本でもその名は目にする。自宅のテレビのリモコンにもyoutubeやhuluに加え、Netflixのボタンがついている。

ネットフリックスは4つの変革を経て、いまやプラットフォーマーでありコンテンツホルダーでもあるから強いわけだ。
総務省の調べでは、すでに若者はテレビよりもネットのほうが利用時間が長くなっている。となると、今後はテレビよりもネットのほうが市場としての魅力が上がってくるだろう。
ネット上で番組を提供するプラットフォームを持ち、自社で番組製作もできるので、自前のコンテンツを全話一挙公開も可能となっている。

ネットの拡大、普及とともに、人材確保も大きな課題になっているのではないだろうか。世界規模で見れば、まだまだスマホやPC・タブレットの台数は増えると思われる。そのような状況下、想像するに、アマゾンプライムやディズニーと人材獲得合戦なっているのではなかろうか。
エンターテイメント業界では平均的な人材と優秀な人材の差が激しい。一発当てれば売り上げが青天井の商品であれば、簡単にその差が10倍、100倍と開いていく。優秀な人材にとってこれは魅力的な分野と思われるので、映像作品の主戦場が今後ネットにも広がっていくとすると、優秀な人材がネット業界に集まってくる流れはしばらくは止まらないだろう。
平均的な人材と優秀な人材の差が開きやすい業界と反対に、人の手による定型的な仕事であると、そう簡単に10倍の差はつかない。現代は製造業の現場もオートメーション化が進んでいるとは言え、まだまだ製造業に従事している人口は多い。では、製造業のラインの仕事で、ベテラン社員と新人社員で5倍、10倍の差がつくだろうか?
おそらくはそこまでの差はつかないだろう。工員の作業スピードの差が激しいほど仕掛品が積み上がっていき、全体の最適化にもならないので、そのような仕組みになっていないはずだ。(そんな仕組みが残っている工場は生き残っていないだろう)つまりは優秀な社員が実力を発揮しづらいのではないだろうか。
そのあたりの要因も、おそらく時価総額のランキングに影響を及ぼしている。上位50社に製造業は少ない。優秀な人事は製造業を選ばなくなっているのではないだろうか。

ネットフリックスはDVDの宅配レンタルから始まり、映像コンテンツのネット配信を手がけている企業だが、その業界の特性からか、柔軟な発想やイノベーションが求められている。
本書は休暇申請や経費申請のルールの撤廃にフォーカスしたタイトルがつけられているが、ネットフリックスの強みは人材確保へのこだわりと、そうして獲得した人材が能力を発揮できる環境を整えるため、また会社にとって良いと思うことを思い切って実行するリーダーシップ、検証を怠らないPDCAの結果、今の姿になったのだと思う。
休暇申請や経費申請を撤廃したのも、率直さを高めたのも、Netflixを発展させる(売り上げをアップする)ためという目的に沿ったモノであって、規制を撤廃することが目的ではない。能力密度を高めたことは、ネットバブル崩壊のあおりをうけてのものだったので、やむを得ず行った部分があるが、その後の二つの大きな変革は従業員の能力をより高め、それをサービス向上、売り上げアップにつなげるものだった。

私自身の経験からも、(管理する側には必要と思われても)現場の社員からは無駄が多いと思われる制度は無いほうが質の良い仕事ができると感じる。転職する前の会社では、営業先に提出するプレゼンシートであっても、カラー印刷をする場合は1枚から「カラー印刷使用簿」への記入が義務づけられていた。これは毎月本社へ提出していた。
社内文書でバンバンカラー印刷するのは経費の無駄遣いだと思うが、見込み客へ提出する商品の使用場面のイメージ写真やグラフはカラーのほうがわかりやすいはずで、それをいちいち何枚カラーを使ったのだと報告するのは、印刷費よりも人件費の無駄遣いだと思っていたが、トータルで見ると果たしてどちらのほうが会社にとって良かったのだろう?

少なくとも、エンターテイメントやIT業界では今後しばらく日本企業は苦戦を強いられるだろう。すでにヴァージングループやリンクトインも細々とした規制や休暇規定を撤廃したと聞く。若い優秀な人材はこういった点を魅力に感じるだろうから、そうしたやりかたで動いている外資系企業に行ってしまうだろう。
では今後、一労働者としての立場でできる対策は何があるだろう?
一つは当然のことながら、仕事の能力を高めること。もう一つは転職、転社を厭わない柔軟な姿勢だろう。姿勢については考え方の問題なので、必要な知識を仕入れることでクリアできるだろう。
能力については、残された限りある時間の中で磨いていかなければならないので戦略が必要になってくる。今の自分の能力と、労働市場で求められる能力を見極めて継続的に鍛えて行く必要がありそうだ。
私自身の短期的な戦略としては、現時点で平均的な社会人よりはできるであろうIT分野の知識を磨き、プラスしてマーケティング能力も鍛えていき、3年後に転職しようと思えばすぐにできる実力を身につけることを目標としたい。そのころはきっとNetflixのような人事制度の会社も増えているだろう。その時になって慌てないようにしたい。
 
投稿者 kentaroh 日時 
本書を読めば、「だれをバスに乗せるか」という「組織が先か」、「戦略が先か」という会社経営の本質的な問いに対する答えが分かるだろう。もちろん、会社経営に一般解は無いのでNETFLIXが導き出した個別解としての正解だ。

ちなみに、「だれをバスに乗せるか」は、使い古された格言ではあるが、私はジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー2」にて初めて目にした。正確には、「だれをバスに乗せるか。最初に人を選び、その後に目標を選ぶ。」である。

AmazonやGOOGLEのように戦略ありきで会社を成長させるケースの方が一般的に認知されていると思うし、個人的にも戦略起点で経営を推進していく話の方が違和感がない。
一方、世界一「自由」な会社こと、NETFLIXのように組織(人材)ありきで、会社を成長させたことがレアケース過ぎて、世間は驚いたし、本書が話題になっている所以であろう。

NETFLIXは人材の品質を究極まで高めることで、会社を持続的に最大限まで成長させ、高収益企業となった訳だが、この組織ありきの仕組みが何故生まれたのかと言えば、競合に勝ち、外部環境の変化に対応し、成果を出し続ける為に創業者のリードが考えたものだと思う。

読者視点として、経営者の立場で本書を読めば凄い学びになるし、自社に取り入れるにはどうすればといいのかとマネをしたくなるだろう。まともな経営者なら、NETFLIXの会社経営のやり方に反対の人はいないのではとすら感じた。(凄い儲かりますからね・・)

一方、従業員の立場で読めば、最高の環境でもあるし、最悪の環境にもなると感じてしまった。本書の中でNETFLIXは一流のプロスポーツチームに例えられているが、一流のプロとしての責務と求められるアウトプット(成果)を出し続けられるビジネスパーソンはそうそういないだろうし、自身がその立場で仕事をするとなるとこれはしんどいぞと率直に感じてしまったのが、最悪の環境にもなるなと感じてしまった理由だ。

もちろん、年収何千万という高い報酬が約束されているわけだから、ある意味で最高の環境ではある。しかし、そのプレッシャー下の中でずっとは働ける環境ではないだろうから、何年間と期間を自分で決め手、割り切って馬車馬のように働く覚悟であれば最高の環境であろう。

当然、ダイナミックな仕事ができるだろうし、刺激的な仲間もいるだろうし、ワクワクドキドキをサラリーマンとして感じることができる会社なのだと本当に思う。
ただ、日本の会社に慣れてしまった自分、そして30代後半に入ってしまった自分としては、この働き方は厳しいなと思ってしまった。

若くて、自分に自信があるビジネスパーソンは是非、NETFLIXの門戸を叩いてもらいたい。

結びとしては、今は時流にのっているし、儲かっているNETFLIXだからこそ、レベルの高い人材が集められているが、ひとたび、逆境に陥ったときに同じ水準の人材が集められるのかについては一抹の疑問が残る。
組織(人材)ありきで、会社経営が成り立っているからこそ、質の高い人材が集められなくなった時のリードの次の一手を楽しみにしたいと思う。
 
投稿者 kentaroh 日時 
本書を読めば、「だれをバスに乗せるか」という「組織が先か」、「戦略が先か」という会社経営の本質的な問いに対する答えが分かるだろう。もちろん、会社経営に一般解は無いのでNETFLIXが導き出した個別解としての正解だ。

ちなみに、「だれをバスに乗せるか」は、使い古された格言ではあるが、私はジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー2」にて初めて目にした。正確には、「だれをバスに乗せるか。最初に人を選び、その後に目標を選ぶ。」である。

AmazonやGOOGLEのように戦略ありきで会社を成長させるケースの方が一般的に認知されていると思うし、個人的にも戦略起点で経営を推進していく話の方が違和感がない。
一方、世界一「自由」な会社こと、NETFLIXのように組織(人材)ありきで、会社を成長させたことがレアケース過ぎて、世間は驚いたし、本書が話題になっている所以であろう。

NETFLIXは人材の品質を究極まで高めることで、会社を持続的に最大限まで成長させ、高収益企業となった訳だが、この組織ありきの仕組みが何故生まれたのかと言えば、競合に勝ち、外部環境の変化に対応し、成果を出し続ける為に創業者のリードが考えたものだと思う。

読者視点として、経営者の立場で本書を読めば凄い学びになるし、自社に取り入れるにはどうすればといいのかとマネをしたくなるだろう。まともな経営者なら、NETFLIXの会社経営のやり方に反対の人はいないのではとすら感じた。(凄い儲かりますからね・・)

一方、従業員の立場で読めば、最高の環境でもあるし、最悪の環境にもなると感じてしまった。本書の中でNETFLIXは一流のプロスポーツチームに例えられているが、一流のプロとしての責務と求められるアウトプット(成果)を出し続けられるビジネスパーソンはそうそういないだろうし、自身がその立場で仕事をするとなるとこれはしんどいぞと率直に感じてしまったのが、最悪の環境にもなるなと感じてしまった理由だ。

もちろん、年収何千万という高い報酬が約束されているわけだから、ある意味で最高の環境ではある。しかし、そのプレッシャー下の中でずっとは働ける環境ではないだろうから、何年間と期間を自分で決め手、割り切って馬車馬のように働く覚悟であれば最高の環境であろう。

当然、ダイナミックな仕事ができるだろうし、刺激的な仲間もいるだろうし、ワクワクドキドキをサラリーマンとして感じることができる会社なのだと本当に思う。
ただ、日本の会社に慣れてしまった自分、そして30代後半に入ってしまった自分としては、この働き方は厳しいなと思ってしまった。

若くて、自分に自信があるビジネスパーソンは是非、NETFLIXの門戸を叩いてもらいたい。

結びとしては、今は時流にのっているし、儲かっているNETFLIXだからこそ、レベルの高い人材が集められているが、ひとたび、逆境に陥ったときに同じ水準の人材が集められるのかについては一抹の疑問が残る。
組織(人材)ありきで、会社経営が成り立っているからこそ、質の高い人材が集められなくなった時のリードの次の一手を楽しみにしたいと思う。