第75回目(2017年7月)の課題本
7月課題図書
自分を超え続ける―――熱意と行動力があれば、叶わない夢はない
サラッと読めて、ズバッと刺さる本です。世間では将棋の藤井四段(あと数ヶ月で昇段と
いう感じで、すでに実力的には八段と呼んでも良いくらいですが)の活躍や、卓球の張本
選手の活躍などで十代が大躍進という感じなんですけど、ここにもう一人世界の歴史に名
前を刻んだ十代がいるんです。
なんと19歳で世界七大陸最高峰を制覇し、ついでに北極点と南極点も制覇しちゃった女性
がいるんですよ。名前だけみたら明らかにキラキラネームなんですけど、やってることも
キラキラしています。目標達成と願望実現がセットになった時に奇跡は起こるんですけど、
まさにそれです。
いつまでもグダグダしているオトナが読んだら自分のヘタレ具合に凹むどころか、ショッ
クのあまりウツになっちゃうんじゃないか?ってくらい飛び抜けています。
激しくオススメしますが、サラッと読めてしまうので、すぐにペンとノー
トを用意して再読してください。一度読んで終わりにしちゃダメですよ。
【しょ~おんコメント】
7月優秀賞
まずは先月の課題図書の優秀賞を発表しましょう。今月は分かりやすい本だったため、
みなさんそこそこ書けた上に、同じような視点にならないよう苦労した痕が良く感じられました。
その結果、我田引水的な解釈や、本文と無関係な事象を披露する方がいたように思います。
書かれている事と違う解釈はアリなんですが、それならその理由を述べてもらわないと伝わりません。
今回一次審査を通過したのが、snowdropさん、chaccha64さん、strさん、BruceLeeさん、
wapoohさんの5名で、優秀賞はwapoohさんに差し上げることにしました。
おめでとうございます。
【頂いたコメント】
投稿者 akiko3 日時 2017年7月28日
「自分を超え続ける」を読んで
すごいな~人種違うわぁ、素地が違うと思い、“熱意+行動力=叶わない夢はない”って言われても、それらを抱くことやましてや継続することが難しいと素直に頷けなかった。また、どうしてそんなに“自分になる”ってことにこだわるのかと不思議だった。恩師からも50代になって考えるようなことに、10代ですごいねって感心されていたが…。
次々に目標を達成し、次はセーリングとか。でも、新しいことにチャレンジし続けることが自分の存在意義のようなので、パパさんじゃないけど、やり遂げるだろうなと思うし、何をやってもこなせるだろうと思う。
“気力”の鍛え方には感心し、経験を求め、新しいことに挑戦する気持ちは大切にしないと思った。また、「ライバルは人ではなく自分」と、視野は世界に広がっているのに、見つめるべくは自分と内に内に向かっていて、どうしたらこんな思考、心の動かし方になるのかと興味を抱いて読み進めた。
家族が1つ屋根の下、バラバラで暮らし、そして、一人で暮らすことになった話を読み、“悩む力”か~とそれまでにキラキラした印象を抱いていたので意外でもあり、腑に落ちるところもあった。以前、「悩む力」という本を書かれた姜尚中さんのインタビューを聞いたことがあり、かなり悩んで絶望し、もがいてそれが今の自分を築いている、人生の不思議さ、出会いの話だった。マリンちゃんにとっては、あんなに大変な壁のような雪山の方が、現実の越えられない壁より、自分を自由に進められたということか?
また、素晴らしいなと感心する人達の日常は、濃く、無駄がないと思った。生に対し(背中合わせの死も意識していて)今!生きていることに対する感謝の度合いが違う。ぬるい自分を反省するのみ。(家族が体調を壊した時は、いつか終わりがくる命、労わらないとと思ったのに、元気な日常になってくるとこれくらい自分でやればって突き放す思いが当たり前になっているし…)どうしたら、この心をよい状態で維持できるのだろうか?
苦しい中、どうして登るのだろう?他の人達みたいに楽な日常もあるのに、心がゆれ、自分との対話をする中で、やり遂げた自分に出会えた。マリンちゃんも揺れて葛藤しながらの一歩の積み重ねなのだ。
『よりよい自分になり、よりよい人生にすることは、生まれてきた自分の責任』と日常で折に触れないとすぐぶれる。自分を見つめ、日々に感謝、良書や頑張っている人達の世界観・基準値に継続して触れ、自分を底上げしていこうと思いました。ありがとうございました。
投稿者 hiroto77 日時 2017年7月28日
『自分を超え続ける』を読んで抱いた感情とその根拠
〇抱いた感情「尊敬」
19歳で世界七大陸最高峰を制覇し、北極点、南極点到達も成功。
これは、売名行為だと批判する人、なにかと価値をさげすむ人も、黙らせるだけのインパクトと難易度があります。
インターナショナルな環境で培われた語学力、国際感覚、若く、美しい「満開の笑顔」も、尊敬を感じる点でした。
両親の不仲と離婚という多感な時期の辛い経験も、糧にし、前に進もうという姿勢は、清々しく立派だと感じます。
さらに、成功者の哲学を吸収し、多くの人にとって困難な「夢」の具現化に、その実行力をもって成功している点も、尊敬します。
日に数冊の読書習慣から培われたものを、現実化していくのは「天性」の素養も必要で、この著者の現在までの実績とメッセージから「天性」を備えた女性であり、日本の社会全体、世界における「女性の在り方」に影響を及ぼす存在に成長する人物だと認識し、尊敬を感じました。
〇「尊敬」の根拠
通常は達成できない偉業を20歳で達成している点はもちろんですが、その動機として「自分を目指す、自分を超える」という感覚は、私が尊敬を抱いた、明確な根拠となっています。
神に対する想い、無神論者と自覚しながらも、見えざる力に対する畏怖を抱いている点、
さらに「プロの山岳家になるのではなく、立派なお母さんになるまでの成長」だと決断している点も、卓越したセンスの良さと自意識力ともいうべき「成功の源泉」をもった女性であり、尊敬を感じた根拠です。
〇抱いた感情「嫉妬」
この女性が20歳で達成した偉業は、自分には到底できません。
彼女がトレーニングとして登る日本の山々ですら、頂上に到達することは、ままなりません。山頂の素晴らしい景色も、それに至るプロセスも、私には異世界の出来事です。
自分が20歳だった頃を思い出すと、あまりに違いすぎます。
当時の自分には、外国人の友達どころか、海外に行く機会すらありませんでした。
楽器を学ぶことも、世界中の見たことのない景色を見ることも、支えてくれる仲間も、コミュニケーションがとれる多言語力も、どれひとつ、ありませんでした。
あらゆる点で、彼女が20歳で至った境地、残した痕跡に、自分の生きた40年は敵わないのです。
〇「嫉妬」の根拠
この著者は、私がどこかで望んでいたものを現実化し、圧倒的な実力を示しながら、先に進んでいる、この事実が、嫉妬の根拠です。
20歳の頃の私にないもの、もう取り戻せないものを、これでもかと、この本により見せつけてきます。
若さ、体力、行動力、美貌、学歴、カリスマ性、スポンサーといった表面、それを支える、学び、思考、経験、意欲、メソッド、といった裏面、どちらの要素も嫉妬の根拠です。
冒頭のページを飾る写真には、美しい山の景色と達成感に満ちた笑顔が満ちています。
これと自分の「青春」を見比べたとき、抑えがたい感情が、嫉妬でした。
〇抱いた感情「心配」
この感情の対象は、2つです。
一つは、読者である自分に対するもの、もう一つは、著者に対するものです。
自分に対するものは、シンプルです。
彼女の行動、履歴、思考に触れ、自分の経験や仕事、努力なんて、たいしたことはなく、偉そうなフリをしているが、彼女のような「存在」の前では、矮小な実績、矮小な思考しか持ち合わせていないのではないかという「自信喪失」から生じる「心配」です。
著者に対するものは、複雑です。
若くして、ここまでの偉業を達成し、さらに違う挑戦に挑む。このループが行き着く先が見えないことに対しての「心配」、男性の暴力、周囲の嫉妬を抱く人々からの攻撃に対する「心配」、冒険の怖さ、危険度への「心配」です。
〇「心配」の根拠
自分に対する「心配」の根拠は「嫉妬」の根拠と同一なので、割愛します。
著者に対する「心配」の根拠について、最初に浮かんだのが「佳人薄命」の法則です。
具体例を上げるとキリがないのですが、すぐ思いつくところでは、吉田松陰(29歳)、坂本龍馬(31歳)、作家では、太宰治(38歳)、宮沢賢治(37歳)、芥川龍之介(35歳)、画家だと岸田劉生(38歳)、冒険家では植村直已(43歳)。
もちろん、「若くして亡くなったから、歴史に残った」事例も幾多あり、この著者がその「領域」に至るのかは分かりません。
しかし、歴史が示しているその危険性、「選ばれたかのように思える人物」に対する法則が心配の根拠だと気づきました。
次に根拠として確認したのは「代償」です。
冒険と挑戦の裏側には「代償」が必ず存在し、それは、その難易度に比例します。
周囲の期待と自分の熱意が「もっと、もっと」の冒険を求めるとき、その代償を差し出すこと、それが「お母さんになる」という目標に対して即しているのか?この疑問が「心配」の根拠です。
以上が、この本に対する感情とその根拠を考察した結果となります。
これにより、今後、この著者がどうなっていくのかを観察することは、この本を読んだ私にとって、貴重な学びを得る機会となります。
彼女が素敵なお母さんになるという目標を達成するのか、見守りたいと思います。
【了】
投稿者 H.J 日時 2017年7月28日
自分を超え続ける
本書は色々な意味で衝撃的だった。
今の私にないものを南谷さんは若干19歳で持っている。
しかし、持っていないものを手に入れるヒントを本書に散りばめてくれている。
私はそこを読み解いていこうと思った。
私は、大きく分けて3点が南谷さんの願望実現に必要不可欠なものだ思った。
1.自分にないものを埋めようとする。【動機(欲求/目的)】
2.願望実現のためのスタートからゴールまでの具体的なプランを描き、それを実現するために行動する。【計画/実行】
3.描いたプランを上手く効率的に実現するための努力を怠らない。【勉強/成長】
【動機(欲求/目的)】
「南谷真鈴という人間になる」この言葉の意味は「本当の自分になる。=理想の自分になる。」ことであり、
その根源には「満たされない欲求」があるのだと思った。
つまり、理想の自分になる事=今足りないものを満たすという事なのだ。
そもそも「やりたい!」「こうなりたい!」等の目標や目的は、今の自分にないものを満たしたいという欲求から来るものだと思う。
もっと大きな枠で語ると人類の歴史も「欲求」から発展している。
生きるための衣食住に始まり、生活を豊かにするための欲求を満たす電気や車などの文明、さらには離れた人とのコミュニケーション手段を満たすために電話やインターネット等の文明も発展した。
さらにはビジネスも同じだ。誰かの「満たされない欲求」を解消するために色々なサービスや事業が世の中に溢れている。
欲求こそが文明を発展させ続けてきた。
そう考えると人々は今までにないものを求め続けていると言える。
しかし、ここで一つ疑問が湧いた。
「南谷さんの満たされない欲求とは何だろう?」
そういう視点で2度目を読んだら答えが出た。
第2章でも書かれているが「自分という存在を認めてもらい、自分でも認めること」と推測する。
推測理由は3つある。
・幼少期からの家庭環境。
南谷さんは父親の仕事の影響で世界を転々としてきている。仲が深まったところで引っ越しをしたり、幼少期の大半の友人関係も広く浅かったのではないか。
・自分の存在を一番近くで認めてくれるはずの母との対立。自分のやりたい気持ち(範囲)と母の欲求がすれ違い、溝を大きくした。
きっと、南谷さんは「母の欲求を満たした自分」を認めてもらいたい訳ではなく、「南谷真鈴」を認めて欲しかったのだろう。
・「あなたならもっとできる」という褒め言葉。この推測に至った最大の理由だ。
南谷さんはこの言葉に対して「嬉しい」と述べており、南谷さんにとって自分の存在を認めてもらった証なのだ。
自分という存在を認めて欲しいという欲求が無意識化にあり、その願望実現のためのツールが冒険だったのではないか。
エベレストに登れば、エベレストに登ったという事実が自分の存在を広め、認知される。
エピローグで語っている様に、冒険を通じて、たくさんの人に支えられ、自分の存在を自分でも認めている。
だが、その欲求は終わらない。さらに上の理想(欲求)が、原動力となり自分を超え続けることに繋がるのだろう。
一つ超えて、また一つ越える。その積み重ねが気付けば大きな実績になっている。
そう考えると冒険と似ている。まさに終わりなき旅だ。
【計画/実行】
願望実現するための具体的なプランを立てること。これが無いと願望までもがボヤけてしまう。
具体的なプランを描くということはイメージをしなければ出来ない。
そのイメージを何度も繰り返し、自分の理想に近いプランを描く。
例えば、どんな危険があるかも想像のつかない道を進めば、命を落とす危険性は当然大きくなる。
予め行き先の情報をインプットし、最も確実で安全かつ効率的なルートを探し、実行する。
どんな場面でも計画が8割以上を占めてると言っても過言ではない。
一見当たり前の様で、多くの人がやらないことをやる。
ここが一般人と成功者を分ける一線ではないかと思った。
【努力/成長】
何よりも自分を磨き続けること。
後悔をしないためにも、日々の努力は必要だ。
時には、理想に近づくために苦しい思いをしながら踏ん張る。
またある時には、理想の自分に近づいている自分を褒めてあげる。
今の状況のバランスを取りながら、自分でアメとムチを使い分ける事が努力/成長のカギとなるのかな。
では、私が私を超え続けるためには何をすべきなのか。
まず自分に足りないものは何なのか考える。
次に足りないものを手に入れるために具体的なイメージをプラン化し、実行する。
そして、何よりも継続こそが大切だ。
仮に10代の頃に本書を読んでも「こんな人がいるんだ!すごいな!」という単直な感想で、ここまで感情を動かされなかっただろう。
こんな感想に至ったのは、私自身、日々積み重ねてるものがある事の証明だ。
投稿者 audreym0304 日時 2017年7月29日
感想―自分を超え続ける
熱意と行動力があれば叶わない夢はない
この本で一番印象に残ったのは、『わたしが「南谷真鈴」になるためにはエベレストはどうしてもかかせないものだった』という部分だ。そして、冒険を始める前は「南谷真鈴」ではなく、今、なりかけていると。この部分が深く印象に残ったのは、私は今まで私であることや私自身になることを深く意識していなかったからだし、仮に意識したとしても何かを乗り越えた先に私自身になるというのではなく、新しい自分を見ることができると考えていたからだ。
真鈴さんのバイタリティは目を見張るものがある。何よりもこのバイタリティはお父さん譲りなのだろう。子供を縛らない、制限をかけないというのはすごくありがたいことなのかもしれないが、子供や妻に愛情が薄い人に写ってしまうところもある。でも、そのおかげで19歳日本人最年少で世界七大陸最高峰を制覇をするための資金集めも含めて真鈴さんが成し遂げられたのはお父さんの教育のたまものだろう。真鈴さんは普段からお父さんが自分で考えて動いて、成果を出すという姿をそれが当たり前と思えるように見ていたんじゃないだろうか。そうでなければ、いくら真鈴さんがバイタリティにあふれ、自分の強みや魅力をアピールしようとも、いずれかの段階で力尽きてしまうことだって考えられる。
シェルパに寝込みを襲われそうになったという話もあるが、その後のチームメンバーの真鈴さんへの対応や発言だけを考えても真鈴さんを仲間や一人の人間ではなく、小さなお嬢ちゃんくらいにしか思われてないということがわかるし、同じことが起こらないとも限らないわけだから一旦諦めるということだって選択肢になったはずだ。それでも、この出来事を飲み込んで自らのエネルギーに変えて、沢山の人が脱落していく中で、エベレスト登頂を果たすことができたわけだ。
登山と出会ったこともエベレストに登って南谷真鈴になろうとしたことも簡単にいえば運命なんだろう。真鈴さんはこの世に生まれてくる前に神様にどうやれば自分になれるのかを教えてもらったことを覚えていたんじゃないかとさえ思ってしまう。
人はいつから自分というものを意識するのだろうか。一般的に物心がつくのは3歳ころからだという。真鈴さんは子供の頃から数えきれないほどの習い事をしていたそうだから、そのなかでどれも器用にこなすけれども、特に「これが好き!」と言えて、それをしている自分が何よりも好きだといえるものがなかったように感じる。
自分の子供のころを思い出しても「これがしている自分が好き」と言えるものがあったかどうかはわからない。だが、それは多くの人が同じだと思う。成長する過程で様々な経験をして、その中から一つ私たちは自分であるための何か、もしくは自分になるための何かを選んでいくのだろう。人は遅かれ早かれなにか自分であり、自分を超え続けられるものに出会えるのだろう。
今後、真鈴さんは大学を卒業して、社会に出て、家庭をもって、子供をもって・・・という人生を自分が思った通りに歩むのかもしれない。子供を持った時に本書でも出てくる子供がやりたくないのに登山をさせるようなそんな親にならないでほしいと願う。なぜなら、人は自分ができたことは誰にでも当然できることだと思い込みやすいからだ。今までは自分と登山とに向き合ってきた真鈴さんだが、登山でだって多く見ている他人のダメでしょうがない部分を切り捨てるのではなく受け入れて一緒に歩いていくということも今後は必要になるんだろう。
登山は自分と向き合い、自問自答しながら一歩一歩ゆっくりと歩を進める、まるで人の生き方と同じなんだと思う。とくに、高地に行く前準備で体を環境にならすため同じ場所を何度も何日もかけて行ったり来たりすることは人生における一大イベントの前に状況が好転せず同じようなところを行ったり来たり、同じ思考をぐるぐると巡らせるあの感覚のようなものなのかもしれない。焦って先に進めば命を落とさないまでも失敗してしまうかもしれないし、諦めてしまえばその先にある人生のエベレスト登頂、そして、自分に出会うというイベントには会えないのだ。この先の人生で停滞して物事がうまくいかないときは焦らずにその時に自分のなすべきことと向かい合うようにしようと思う。
「自分を超え続ける」これは、誰でもない自分との約束であり、そして、生まれるまえに神様が見せてくれた世界に行くための手段なのかもしれない。
最後に、まだ子供はいないが、子供ができたとき、子供が自ら考え学んで行動できるように真鈴さんのお父さんのような一貫した態度を持てるようにしたいと思う。離婚しない程度に、ですが。
投稿者 vastos2000 日時 2017年7月30日
自分を超え続ける
今回の課題図書は確かにサラっと読めるが、何を受け取るかが難しい。
著者は自分がやりたいことをやってるうちにすごい事を成し遂げたタイプ。
今まで私がよく読んできた評伝等は、放り込まれた環境の中で工夫や努力で成功した人物のものが多く、今回の課題図書のようなタイプはスポーツ選手をテーマにしたものぐらいしか読んでこなかった。そして、なぜこのタイプの評伝などをあまり読んでこなかったかと言えば、「自分はこの人のように好きなもの、夢中になれるものを見つけることができていないなぁ」と考えてしまうからだ。
今回は良い機会なので、新しい学びを得たい。
そこで、著者の意向通りに本書を自分を磨くツールにすることにした。
その視点から私に響いたポイントを抜き書きすると、次の5点になった。
1,プランを立て、タイミングを見極め、自分の強みをしっかり考えれば、新しいことに挑戦できる。
2,やりたいことをリスト化すれば、今やるべきことが見えてくる。
3,必要なのは、ここ一番の「やるぞ!」という気力。何があってもあきらめない理由は自分の中にしかない。
4,何をやるにしても、体はとても大切なものだから、自分で手入れして作りあげていきたい
5,自分が本当に何をやりたいかは、色々やってみないとわからない
と、今まで読んだ本の中でも同じような事が書かれているが、実行に移せてないのは、目標が明確にはなっていない事と仕組み化がうまくできていないせいだろうと自己分析した。
まずは1,2,5のためにやりたいことを書き出した。これを足がかりに新しいことをやってみようと思ったが、行きたい場所は二つだけ、やりたいこともよ~く考えて六つだけ。目の前のことばかりみて過ごしていることを実感した。
ただ、子どもと遊べる時間はあと4,5年しか残されていないことを再確認できた。
3の気力の大切さはよく感じている。毎日呼吸法の訓練を行っているが、時には気分が乗らない日もある。しかし、3年続けた時に何が起きるのか知りたくてガンバリが効いている。
最近は「ここ一番」という機会が中々訪れないが、その時のために気力の最高出力を高めておきたい。
4についてはたった今、病院のお世話になっている最中なのでしみじみと感じている。特に不摂生をしたわけではないが、セルフケアが足りなかったか。
健康診断で診るような数字は全く問題ないが、それ以外の部位でトラブル発生。幸い大したことはないので2週間もすれば日常生活に復帰予定。
たまに自分が書いた感想文を読み返すが、この感想文を後で振り返った時に、「中々できてるじゃん」となるように良い仕組みを考えたい。
以上が自分のための読書。ひとりの父親として読むと、こんなにすごい子が育つヒントがある。
著者の父親のように海外勤務となることはないが、子どもがやりたいことをやれる環境を用意することはできる。逆に、子どもが反発を覚えるような、強制や過剰な期待は慎みたい。
何より大切だと感じたのは、子どもが夢や希望を話した時に否定せずに信じることだ。
著者の父親くらい子どもを突き放し、信じるには、相当の覚悟と元々の性格が必要だろうと思う。
自分の子どもを信じられるための根拠を得られるよう、「これだけやった」と思える教育を行いたい。予算無制限とはいかないが、基本的に子どもが読みたい本は買い与えるようにしている。この本の著者も小さい時に多くのジャンルの本を読んでいるので、私の子どももそうなるように、本を読む親の姿を見せ続けている。
投稿者 whockey51 日時 2017年7月30日
なぜ南谷さんは応援されるのか。
例えば、読書会に参加するといって、誰かに応援される人とそうでない人に別れるとする。
その違いが何かを見つけることから、自分の立ち位置と彼女の立ち位置を見分け、
今後の参考になるんではないかと考えた。
1、まず、自分で出来ることはいくつ試したのか。
ここで、多分90%以上の人が他の人が応援したくなる努力をしていないと思われる。RIZAP(ライザップ)の社長瀬戸氏は高校卒業後、フリーターをしていた。そこから、当時交際していた彼女に振られ、振られた相手が大学生だった事から一念発起し、明治大学に合格した。そのスケジュールが、10月に予備校に入学、3日徹夜、3日後3時間睡眠。それを繰り返し、3ヶ月後に偏差値を20以上上げて合格している。これだけの努力をしていると、誰もが応援したくなる。(ちなみに、高校の時、偏差値は40くらいとのこと。)
自分の努力とは、他人が聞いて引くくらい行うのが、必要かと思う。それすら、出来ていない。自分の立ち位置をまずは見ることから始めることが必要だといえる。
2、何がしたいのか
自分の努力が足りた後に、応援したときに見返りがあるかどうかで、人は動くと思う。ユニクロがスポンサーになっているのも、南谷さんの努力が足りており、
応援することにより、ユニクロの社会的に位置があがるからこそ、スポンサーとして応援しているといえる。
ユニクロのビジョンとして、「世界を良い方向に変えていくために。ファーストリテイリンググループは、全ての事業活動において、チャレンジを続けています。」とある。
つまり、南谷さんのやりたいチャレンジと、ユニクロが行っているチャレンジの方向性が合致したからこそ、応援してもらえたと考える。
3、経験値をどう伝えるか
経験したことを自分自身だけで終わらせた場合、それは満足できることだとしても、何か物足りないことになってしまうと考える。経験したことを伝えることにより、もっと高みを目指すきっかけとなり、より発展できることになるといえる。100m10秒を切る日本人がもしかしたら、すでにどこかにいるかもしれない。しかし、それを発表しないことには、進化をさまたげてしまっていることになりかねない。
まずは、自分は何だったらできるのか。エベレスト登山という高い目標よりも。今日この場で出来ることは何か。と考え、久しぶりに感想文を書き上げてみました(笑)
そして、応援される人になるべく、今日も何だったら出来るかを追求したい。
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2017年7月31日
『自分を超え続ける』を読んで
1.ピアノでなく、山登りで成功した理由
世界最年少で七大陸最高峰を制覇し、今や時の人となっている南谷真鈴さんは、一般的に見て、
羨ましいほど恵まれた少女時代を送っている。
裕福な家庭に生まれ、望む習い事は何でもやらせてもらえた。ピアノ・マリンバ・ドラム・絵・テディベア作り・陶芸・乗馬などの教室に通い、努力を惜しまないため、上達も早かった。
また、海外のインターナショナルスクールに通い、英語が堪能で成績も良かったようだ。
多くの才能があった彼女には、山登りでなく、打ち込むものなら、他の選択肢もあったはずである。
ところが、彼女が選び頂点を極めたのは、上記のどれでもなく、山登りだった。
プロを目指せるほどピアノも上手だったのに、ピアノは途中で苦しくなってやめたのは、なぜか。
真鈴さんにとっての、ピアノと山登りの最大の違いは何か。
それは本人も分析しているように
●自分の意志と力でやることが絶対的な自分の強み(P.96)
●誰かに全面的に助けてもらったら、本当にほしい自由は手に入らない(P.97)
・・・この真実に気づいていたことである。
私は愕然とした。これは「どんなに才能やお金や家族に恵まれていても、本当の意味では幸せにはなれない。自己実現こそ真の幸福」だと、表しているようなものではないか。
2.与えられて選ぶのでなく、自分の足で踏み出す
ここで、自分の学生時代を久しぶりに思い出した。私のクラスには、
「両親が提案してくれ、お金を出してくれたから、夏休みに2週間アメリカにホームステイするの」と自慢する女子生徒達と、「キャーうらやましい~」とそれを囲むギャラリーのようなグループがいた。
一方、経済的な理由で留学ができないため、毎日図書館に通って洋書を読み、語学試験の猛勉強をしていたグループもいた。(自分はこちらに所属)
興味深いことに、社会人になって英語を使ってバリバリ仕事をしているのは全員後者で、前者のグループは同窓会で「英語なんて忘れちゃった。今は海外に行く機会もない」などと言っている。
私は、前者グループのような生き方を非常に危険だと思う。
彼女達は「機会を与えられて、何となく海外に行ったら楽しかった」と言うが、
夢も目標もないどころか、自分の頭で考えて発言しているようにすら見えない。
周りの出来事に支配され流されて生きているのだろう。
ご両親は子供の幸せを考え、最高の経験を贈ってあげたのだろうが、それは彼らから「自分でゼロから生み出した」という誇りと達成感を奪うのに一役買っているにすぎない。
「親に何でも与えてもらえる環境=幸せ」とは限らないと、改めて学んだ。
私達(自分を含む)は失敗も成功も「環境」のせいにしがちである。
真鈴さんのケースでいうと、彼女は俗に言う「海外帰国子女」であり、語学や異文化コミュニケーションの能力で恵まれている分、引越し続きで友達もなかなかできず、日本の文化や常識を知らないので日本生活で苦労することも多い。
(ちなみに英語には「帰国子女」に該当する言葉は存在しない。概念自体ない。この言葉を使用すると、自分の世界観を狭めそうなので、気をつけている。)
また、思春期にご両親が離婚し、心を深く痛めただろうとお察しする。
しかし彼女を見る限り、自分の育ちの環境に支配されるのでなく、自分で人生を主体的にプロデュースしていることが感じられ、尊敬を覚える。
「自分の人生を1行で言い表しなさい」とインタビューされた場合、
彼女は「父の仕事の都合で、海外で育ちました」などと、与えられた状況を言うのでなく、
「自分で計画して七大陸最高峰を登りました」と言うのだろう。
自分の殻を割り、本書のタイトル通り「自分を超え続ける」ことを実践する、その真鈴さんの姿勢に成功者の秘訣と、数々のスポンサーに活動を理解され、支援される秘訣があると確信した。
どんなに努力しても変えられない環境と、自分の意志で変えられる環境がある。
変えられない環境にがんじがらめになり、「できませんでした」と言い訳をする生き方は愚かであり、自分の可能性を狭めるだけだ。真鈴さんより20年近く長生きしている自分は、主体性を持ち、常に新しいことに挑戦しようと心を新たにした。
3.今後の真鈴さんへの期待
私が教えている学習塾で、真鈴さんを授業で紹介した所、彼女は子供達にカリスマ的な人気となっている。「こんなかっこいい大人になりたい!」「すごいな!尊敬します!」・・・子供達にそんな風に憧れられる大人が、自分の国にいるとは、素晴らしい。
そこで教師の私は、願わくば真鈴さんに、世界の子供達を救うアイコンになってほしいと思っている。
10代の真鈴さんのように、思春期に悩みを抱えている子供達の指標となってほしい。「将来は一度、国連で働くことも夢」と言っている真鈴さん。すでに世界の貧困や紛争問題に興味を持ち、自分に出来ることを考えているかもしれないが。
私達誰もが、他者の役に立てる存在であり、当然、真鈴さんにしか救えない人が世界にいるはずだ。たくさん努力して成功をおさめた彼女だからこそ、次は他者を幸せにしてほしい。自分も真鈴さんとの出会いで自分を改善し、周りの人の幸せに貢献したい。
素晴らしい本をお薦めいただき、ありがとうございました。
投稿者 tom 日時 2017年7月31日
『自分を超え続ける』を読んで
もちろん最初は単純に著者はエベレストに登ってすごい!と思いましたが、
再度、自分自身と照らしあわせ、違いが明確になりました。
とかく自分が忘れがちなことが繰り返しかかれていてはっとします。
『悪いことも含めすべてが自分を作っている。』
『役に立とうが立つまいがすべての経験が自分を作ってくれる』
この部分を忘れがちなので自分は人のせいにしがちになるのだと反省しました。
そしてそこまで大きく書かれていませんが、
栄養とサプリメントに関して体調によって自分で足りないものがわかるほど調べていたようです。
人生の目標達成の半分は体調を整えられるかどうかにもかかってくると思いますので、
現在もきをつけている部分ですが、是非取り入れようと思います。
そんな彼女は神様を信じていないと書いていますが、それは一般的な宗教という意味であって、
毎日の自己鍛錬、目標の立て方などを見ていると神様や運と呼ばれるものがが味方になってくれる
のは当然の結果と言えると思います。自分で言うとどれも足りてません。
他人とのかかわりにおいても、最終的にはたくさんの人に支えられていて一緒に高めあうことが
できると書かれています。
たくさんの人の中にはつらく当たる人、いじめたり攻撃してきた人も含まれます。
この点も自分は忘れがちな考え方だと思いました。
最後まで読んで、
自己分析、現状認識、目標設定、実行力、人との関わり方どれも非常に参考になりました。
最も足りてないのは初期設定としての自分分析と自分の努力です。
次に足りてないのは悪い人悪い出来事も自分自身を作っていることの実感です。
読んでいて自分の反省するポイントしか見つからなくてがっかりでしたが、是非、再度本を読みながら、自己分析をじっくりして自分の強みもみつけたいと思います。
そして今後の自分の目標に応用します。
投稿者 snowdrop 日時 2017年7月31日
自分は今まで生きていた中で彼女のように強い情熱を燃やし、自分の意思で決めたことをやり遂げられたことはあっただろうか。
彼女の本を読んで彼女の行動力の高さや意思の強さをまじまじと感じるとともに、彼女も壁にぶちあたりくじけそうな時が何度もあったことから自分とは全く別次元の人なのではなく、同じ1人の人間であるという親近感も感じられました。そして一人の人がもつ情熱が本当にそんなことできるの?と思えることでも実現した。その情熱への尊敬の念はもちろん、彼女の冒険記を読み彼女のような人になりたいという憧れを抱きました。
私は社会人に出て会社勤めをした後に仕事を辞め留学をしました。そして留学中に彼女と同じように感じたことがあります。
それは『世界を見るというのは外側を広げることではなく、自分の内側を広げること』
この文を読んだ時に自分を同じように感じている人がいる。それがとても嬉しくもっと彼女の感じたこと、考えていることが知りたくなりました。英語も最低限の挨拶しか出来ずアメリカへ渡った私はコミュニケーションや文化の違いに壁を感じ、上手くいかないもどかしさから涙を流す日も少なくはありませんでした。しかしその期間が自分の内面やバックグラウンドを見つめ直す良いきっかけになったのも事実です。自分から周りに話しかけたり行動範囲を広げたりすることによって、パンが時間をかけて発酵しどんどん膨らんでいくように今までよりおおきくなり留学前後では自分の内面が変化したことを感じました。そしてそれは今でも少しずつですが変化は続いています。以前は変化に対して漠然と恐怖感や背徳感がありましたが今では変わっていきたいと思いますし、変わることを楽しみに感じています。
『障害があってできないと思っているなら、自分の情熱が足りないだけ』
この一文にはとても耳が痛くはずかしい思いでつい下を向いてしまいました。私はどうしても自分に甘くなってしまう事があり、また後でいいかな。このくらいでいいかな。と、全力でやりきったと思えるほど情熱を傾けていないのにもかかわらず、結局結果がついてこなくてがっかりしたり、後悔してしまったり、言い訳したりしてしまうことがあります。あれもこれもやりたいと思うのですが、気持ちが長続きせず自分の気持ちの弱さが無自覚に障害になっていたのだと冷静に考えればわかることです。常にフルスロットルでというのは難しいですが、まずは小さなことからやりきる習慣を身につけ習慣化していきたいです。
『心から笑って心から泣く』
言葉だけ見ると簡単に見えてしまうけれど、年を重ねるごとに感情の動きが鈍くなってしまっている今の私にはまだ自然とできることではありません。自分の感度を上げていくためにできること。今この本を読み終わってまずやりたいと思ったことは富士山に登ること。そして山頂でご来光を見る!
ずっと富士山には”いつか”登りたいと思っていました。
でも”いつか”ではなく”いま”。
現在すでに山好きの友人に連絡をし8月末〜9月にかけてスケジュールを調整中です。
いまの私に足りないことは自分を信頼し自信を持つことです。
今まで年始にやりたいことリスト作りは行っていましたが、タイミングまで具体的に考えることはしていませんでした。この自分で立てたプランを一つ一つ実行すること。まずは小さな一歩かもしれませんが、このサイクルを続けていくことで自分がなりたい自分に近づいていけるのではないかと感じています。
「読書感想文を書いて投稿する」
実は年始のやりたいことリストに入っていました。ただなんだかんだと理由をつけて提出出来ていませんでした。
今回南谷真鈴さんの本を読み、いつかではなく”いま”やること。
小さくても自分が立てたプランを自分で達成する。そのきっかけを作ってくれたことにとても感謝しています。今はまだ自信を持ってやり遂げられたと言えることはありませんが、今年中にはまず一つ、小さくてもこれだけはやりきったと自信を持って言えることを作ります。
そして彼女のこれからの活躍をチェックし応援していきたいと考えています。
投稿者 satoyuji 日時 2017年7月31日
非凡な経歴である。それもまだ20歳ぐらいの人がやり遂げてているのだから、自分が恥ずかしくなる。どうして筆者はたった20年ほどの時間で、これだけのことができたのか。それはタイトルを読めばわかる。『自分を超え続ける』。つまり今の自分よりも進歩しようという生き方の結果として、様々なことを達成したのだ。しかし分かっていてもなかなか出来ないのが普通の人である。何かを成し遂げるには今の自分よりも優れた自分になればいい。そんなことは言われなくてもわかってると考えがちである。そして自分にはできないと思うから、このての本を読むと良い話だったと終わらせてしまう。自分を越え続けることはなかなかできることではない。そこで筆者はその為に大切なことを二つ書いてくれている。それは「熱意」と「行動力」である。サブタイトルは「熱意と行動力があれば、叶わない夢はない」とある。つまり何かを実現したいのなら今の自分を超え続けるばいい。そのための助けとなるのが「熱意」と「行動力」である。「熱意」とはできると信じることである。「行動力」とは、どんな些細なことでもいいからできることからやり始め行動をし続けることである。
一冊の本から一つでも学ぶことがあったら、その本を読んだ価値があるとする。そう考えれば、この本はタイトルを選んだ時点で読んだ価値のある本となる。自らの価値観·生き方を変えることが読書の意義であるとするならば、タイトルを読んだ時点で行動し始め、中身は読む必要はないかもしれない。読んでしまうと著者と自分の境遇の違いなどから、言い訳を作り出し以前の自分と変わらないままになってしまうかもしれない。さっさと行動した方が良い。もし自分に何かやりたい事があるのなら、できるだけ早く行動に移した方がいい。だが誰もがやりたいことがあるとは限らない。そして筆者もまた最終的にやりたいこととして山に登っているわけではない。それは前書きにも書かれている。そして本書の英語のタイトルにもはっきりと書かれている。『A journey without Boundaries Realize Your Dreams with Enthusiasm and Action』。境界のない旅-熱意と行動で夢に気付く。直訳すればそんなタイトルだ。筆者もまた自分の人生の「途中」であり、輝かしく見える経歴は人生という旅の「途中」の出来事に過ぎない。ではどうして著者はこれだけのことができているのか。私との違いはどこにあるのか。その違いは三つのキーワードで表すことができる。「途中」·「大きく考える」·「サラッ」である。
10km 走ろうとして走る10km と、フルマラソンの時に走る10km は全然違う。前者は10キロ走ることを最終目標にしていて、最終的に10キロ走れれば良いと考えている。後者はもっと大きな目標の「途中」として、10キロは通過点の「途中」に過ぎない。どちらの方が楽に10キロ走れるかは、考えるまでもないことだろう。何かをやり遂げようとする時、目の前のことに集中することは必要条件である。しかしそれだけを見ている視野では、意外と時間がかかったり、先延ばしにしてしまいやり遂げられなかったりすることもある。だから目の前のことをこれからやることの「途中」と考えられれば、意外と簡単にやり遂げることができる。但し、今していることが自分のしていることの途中と考えるには、その先の目的地が必要である。そこで「大きく考える」ことが大切になってくる。その時最終目的地が明確に定まっている必要はない。むしろそれを探す旅こそが目的と考えても良い。実際に筆者は「最終的に何がしたい」とは書いていない。ただ人生を全体から「大きく考え」、今できることに取り組んでいる。
二つ目のキーワードは「大きく考える」である。実現したいことを簡単にやり遂げるには、目の前のことはこれからやることの「途中」であると考えればよい。そしてそれが「途中」であると考えるには、「大きく考える」ことが必要である。今していることが全体の中でどの部分なのか。自分の人生の中でどこにあたるのか。仕事のどの部分なのか。会社の中でどういう常務に当たるのか。「途中」という部分の全体を考え、想像し、作り出すことで目の前にある障害も小さく見えるようになる。困難に見えることも乗り越えられる力が自然と湧いてくる。
「大きく考える」ことで今していることがさっさとやるべき「途中」となる。そうすることで筆者は他の人よりも多くのことに挑戦し、他の人ができないことをやり遂げてきた。しかしやり遂げたことに執着することはなく、「サラッ」としている。今は道の「途中」だと、「大きく考え」ているからこそ過去に拘っていない。山で崖から落ちたり、レイプされそうになったりした話も「サラッ」と書かれているだけである。出来事を無視するのではなく、しっかりと起きたことを見つめながらも、過ぎ去った事を気にしない。三つ目のキーワードである「サラッ」とした態度で、目の前のことに全力で取り組むことを可能にしている。
以上の様に、筆者は今やっていることを未来への「途中」であると「大きく考える」ことで、目の前のことをより容易にできるようにしている。そして、何事にも拘らない「サラッ」とした態度が、目の前のことに100%以上の力で打ち込むことを可能にしている。
私自身が自分を超え続けるために、「途中」·「大きく考える」·「サラッ」という態度に習っていきたい。そのために大切なのは、できないという境界を定めずに「大きく考える」為の知識であり知性であることに、ここまで書いてきて気づいた。よく学び、熱意と行動量を以て私という生き方を常に越え続けていきたい。
投稿者 yashu50 日時 2017年7月31日
-自分を超え続ける- を読んで
素直に応援したくなった。10代にして冒険家グランドスラム達成、しかもそれが純粋なる自分の意思でやり遂げた所に凄味を感じる。さらには人生設計の中にこの計画を組み込み、山だけでは飽き足らず海にまで出ようと言うのだからもう顎が外れた。これこそが正しい「自分探しの旅」なのかもしれない。彼女よりも歳はうえだが果して彼女よりも大人なのであろうか心配だ。
彼女の様に自分の歩む道を自らが決める事、多くの人が出来ていない事ではないかと思う。私もその一人だ。最近ようやく独り立ちできつつあるかと思うがそれまでは間違いなく流されて生きてきた。何の実力もない私には会社の与えられたポジションで頑張る事が最善手と思っていた、それが流される事だという事に気付かずに。でも今は少しだけ意味合いが変わってきたかな。流されて結構、それで修業し力を付ければいいと。ほんでその余力で未来志向のアクションを。そんな訳で何の教養もない私は本を読み、アウトプットし、人生設計を再構築しようと。まだまだ道半ばですが人生をさらに好転させるため、日々精進です。
今月も良書との出会いを頂きありがとうございました。
投稿者 shinwa511 日時 2017年7月31日
何かを始める時まず自分自身を見つめ、自分を見つけることから始めます。その時、自身の根底にあるのは、自分は何を一番打ち込めるのかという疑問です。
この本の彼女自身、幼少の頃から多くの国を巡り様々な人や文化に触れる中で、自分は何者なのか、自分とは誰なのかという疑問が出てきます。
人は自分の身の回りにあるものでしか世界を認識できません。どんなに精巧な地図や映像があったとしても自分がどこそこの此処にいるという事実を知っていても、知識にしかなりません。世界とは肌で感じ取れる範囲でしかないからです。知識として得ただけのものは、実感することはできません。実際にその場所に行くという経験を自分自身でしない限りは、本物にはなれないのです。
何も持たない、誰でもない自分自身と出会える場所が彼女にとっては山でした。体力、精神力、自分が持つすべての力を出し切って何も身につけない、何物にも縛られない本当の自分自身になるために自分の全力を出し切り続けます。
彼女は幼少の頃にあった登山の記憶から、山の頂に立つことで自分は本当の自分自身になれる、と信じて長期の計画を立て、世界最高峰の山へと挑んで行きます。
たとえ様々な困難が目標到達までにあったとしても、困難を一つ一つクリアして、目標に向かって行く持久力と根気、忍耐が人には潜在的に潜んでいます。しかし、心身共に事前の準備が十分でないと、本番の登山をする際に諦めや挫折へと気持ちが変ってしまいます。
また、登山している間の行動は自己責任、自己判断であり、肉体だけではなく精神力も鍛えなければいけません。自分自身を鍛えるトレーニングを、毎日の習慣へと変えなければいけません。登山する場所には、圧倒的な自然環境以外に何も無いのです。いつでも物が溢れている、すぐに他の処に逃げ出せる、日常の世界とはまったく別の場所です。
登山で生きることを諦めるのは、死ぬことに繋がります。死と隣り合わせであることを忘れない。たとえ絶望的な状況に自分自身が置かれても、生きることに貪欲で決して諦めない。ひとつの目標が達成されると次の目標へ、それを達成すると、また次の目標へと目標を見つけ、それに向かって計画し行動し続けて行きます。
もうひとつ大切なことは、自分に協力してくれる人達を大切にし、感謝の気持ちを持つことです。同じ登山グループの多国籍の人々と積極的に友達になるチャンスを掴み、仲間を増やして行くというのも自身の見識を豊かにしてくれます。また、自身で得た知識や経験を他の人のために伝えていく。他の人達への感謝の行動であり、他の人へと託していく。
教えられ、教わっていく流れの循環が出来ます。
この本のタイトルにある「自分を超え続ける」とは、自身が一番打ち込めることには自分の限界を何度でも超えて行けると書いています。自身の限界を超えればできないことはない。時には臆病になることはありますが、躊躇し立ち止まっても、また進み続けることが出来ます。
そして、様々なものに対して、好奇心と興味を持って接することで、自分自身のチャンスを広げることが出来ます。自分自身を新しく作り続けていく、変わる前の自分は何者でもなく何にでも成れるとこの本を読んで勇気をもらいました。
生きることは選び続け変わっていくことです。今をより良くするために考えることを止めなければ、より良い方へと自分だけではなく他の人たちも巻き込んで、変えて行くことが出来る、とこの本は教えてくれました。
投稿者 magurock 日時 2017年7月31日
なんて心の強い女性なのだろう!読んでいてワクワクし、同時に、自分にこの若者に勝てる要素がひとつでもあるのだろうか、と考えてしまった。
大きな目標を持って、いつまでに何が必要か、そのために今何をすべきか、ということをしっかり分析し、着実に進めていく南谷真鈴さ
ん。恵まれた生い立ちや環境があったとはいえ、ここまで成し遂げられる人は少ないのではないだろうか。
与えられた環境に満足して、そのまま恩恵に浸って生きる人もいる中で、自分自身で生きていく力をつけなくてはいけない、と冒険を始
める自立心がすばらしい。嵐に見舞われて登頂を断念したデナリに再チャレンジしたときの、自分の心との闘いが、特に感動的だった。
ただ、真鈴さんはあまりにもまっすぐで正直で、この本を読んで傷つく人も多いのではないか、と思ってしまった。エベレストに登らされている少年少女、一緒に登頂を目指したチームメイト、一緒にお菓子を焼いていた友人、そして母親。
エピローグには、「両親にも感謝しています」とあるものの、その後に書かれているのは父親への感謝と愛情の言葉で、母親には触れら
れていない。
この母子の葛藤がどんなものかは、他人にはうかがい知ることはできないが、この本によって溝が決定的にならないことを祈るばかりだ
投稿者 diego 日時 2017年7月31日
私にとって情熱とは
誰もが喝采を送りたくなる達成。
一体、どんな人なんだろう?本のカバーの色の力強さを感じながら
写真に登場する極限の風景と、自然体の笑顔に驚きながら
ページを繰り、感じ、考えました。
この三週間、傍らにこの本を置いて過ごしてきました。
著者には、さぞかし、濃密な日々があったことでしょう。
たくさんの出会いと体験を積み重ねて、更に加速度的に、吸収する能力が
向上してきたことでしょう。
それよりも何よりも。
情熱を強くしっかりと育ててきたことでしょう。
そうです。本書で一番感銘を受けたのは
「情熱は、育てることができる!」でした。
目標があれば、意志や意欲があれば、様々な出会いが引き寄せられ、
たくさんの情報に出合い、それらがリンクし、どんどん達成へとつながる。
私自身は、幸せな中で、反発しながらもぬくぬくと育ちました。あまり大きな夢を見ることがなく、目標は、周りや環境、時代に文句を言いながらも、おおまかにはそれを受け入れて、修正するような目標ばかりでした。
ゴハンを食べれば幸せ、
ゆっくり眠れば幸せで健康、
のんびりと家族と過ごすのも大好き、
のんびりしていて、しようと思っている課題も半分しかこなせない感じがしつつも、
少し無理をすれば出来る範囲内での目標を立てていました。
生きていても割と幸せ、本を読んでは幸せ、周囲とも何とか協調してきました。
思い出せば、これはこれですごく幸せですが、
私の持っていた目標は、何かをあきらめるところから始まる、消極的なことが多かったように感じられるのです。
学校や会社で与えられた目標をこなし、それはそれで楽しいし、やりがいもあるし、役に立ててうれしいという幸せも感じています。それはそれでとても幸せなのですが-。
本書は衝撃的でした。情熱は、こんなふうに育つんだ!
まずは出会い、好奇心、やってみる、そこから吸収し、更に
それぞれの体験や知識が相互にリンクしていき、自分の中にネットワークが生まれる。
それがどんどん濃密になった中に
「これがやりたい!」という強い情熱が生じる。
強い情熱が続くからこそ、可能性でしかなかった自分になる日が来るし、
また、それすらも、どんどんと更新されていく。
常に積み上げられ、更新されていく。
始めは小さい意欲も、こうすれば、大きな情熱になるんだ!
ここ二十年程は、社会で生きていくこと、人との協調を無意識のうちに優先させてきましたが、本書を近くに置いているだけで、できないと思ってあきらめてきたことを
本当に少しもできないままで終わってもいいの?という思いが少しずつ出てきました。
今、趣味で楽器を演奏しています。本当はジャズがやりたいのですが、
現在のバンドのメンバーの音楽の嗜好が異なり、ボサノバ調の曲が増えています。
その中で、ボサノバの演奏ができない、うまくいっていないと感じることがあります。
曲調自体が好きではないと、良さがわからないと文句を言っていたりしたこともありますが、自分がやりたいジャズのことを考えたら、ボサノバとジャズには近しいものもあり、ジャズにとってはボサノバも非常に重要な音楽だと理解できます。
そこで、本当に素晴らしいボサノバに出合っていないのではないかと思いつき
ボサノバについて調べ、古い曲を聴いてみると、感銘も受けますし
日本やヨーロッパに存在するボサノバの音色の曲との違いも感じて面白いと思ったり
実際に弾いてみたり、音楽を知ろう、感じようとする時間がどんどん増えていっていますし、その範囲も広がっています。
そうなると、他の曲も、新しい気持ちで聞き直し、次回は違うフレーズを試してみよう、
最近出会った、すごいジャズミュージシャンの演奏も「できない」と決めるのではなく、何年かかってもいいから、今すぐ取り掛かろう!
そう思うだけで、あらゆるものが、自分自身が、そのために生きているのだ、と、まっすぐに感じる。
ああ、情熱を育てるのは「今」なんだ。
今すぐ、やってみたいことをやること、そして、いつか必ず、それをやり遂げて、自分を超え続けること。
どんなに無理でも、やってみようと思います。
本書に触れると共に沸き上がった情熱のため、不可解なほどの焦燥感を抱くほどでした。
でも、情熱の発端はただ、「やってみたい!やりたい!」だけであり
理由を考えても、それはすべて後付けでしかなく、うまく説明できない状態です。
ですが、それでは周囲の理解が得られませんので、これからも本書を脇に置いて、みんなから理解を得るための指針にしたいと思います。
三週間で、気づくことも加速度的に増えているし、与えられる機会や偶然も多く、確実に早くなってきています。
こうなると、時間がいくらあっても足りない感じがします。早く帰って、楽器に触れたい!
情熱を確実に育てつつ、今を高めていこうと思います。
ここまで来るには、楽しいことばかりではありませんでしたが、
本当に、本当にありがとうございました。
投稿者 chaccha64 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける」を読んで
日本人最年少で世界七大陸最高峰を制覇。その行動力、努力、発想がすごい。そして、計画性も。
17歳でエベレストに登ると決め、それから約3年で夢を実現している。普通だと費用のこともありもっと長期に考えると思う。それを、出産、子育て、体力を考えて、18~19歳しかないという答えになる。その答えから、「日本人最年少」をキャッチフレーズにスポンサーを自分だけで探すという逆転の発想。(自分には思いつかないだけですが)
そして、人生に合わせた「やりたいことリスト」を作成。大きなプランをブレークダウンした「小さな実行プラン」の作成。その小さなプランに対して、どのようにするかの調査し、戦略を考え、そして実行する。それだけではなく、高校生としての生活、勉強、受験勉強、その上家事までもやっている。時間配分をして、メリハリをつけて。手を抜くことなく継続している。
頭が下がります。自分が高校生のころ、こんなことができていたか? もちろんできていなかった。というか、そんな夢のことなど考えてもいなかった。受験勉強はしたが、著者のようになどできていなかった。情けない。
この著者はとても頭の言い方です。行動しながら考えていくタイプではなく、目標を決め、それを小さな目標にし、細かく分析し、考え、行動計画を作り、実行していく。まさにビジネスです。
著者はどうしてこんなことができるのか? この若さでこのような考え方ができるのか?
一つは、なんにでも興味を示すこと、そして実際に行動に移しやってみること。そして何より「自分はできる」と信じることだと思います。
10歳の科学のテストで悪い点を取った時に科学の先生から「あなたなら、もっとできるのに」と言われたことで発奮し、次のテストでよい点を取る。そして、勉強に興味を持ち、読書に興味を持ち、あらゆるジャンルの本を1日3冊の勢いで読破する。そこでロジカルに考えることを学び、自分はできると信じることができるようになったのだと思います。
「自分はできる」と信じることで夢を実現でき、世界は広がっていきます。著者の年齢のころは情けない人生を送っていましたが、著者が言うように「世の中は可能性にあふれている」。まずは、小さなできることから始めようと思います。その前に実行できるプランを考え、継続し、それを増やしていくところから始めないと。
投稿者 J.Sokudoku 日時 2017年7月31日
異次元の世界に生きる人という表現がピッタリな著者南谷真鈴さんには、本書の題名と副題のとおり、「熱意」と「行動力」で「自分を超え続ける」ことで夢を叶え、成功や失敗をとおして自分を成長させる色々な方法や秘訣を教えてもらった。それらの方法や秘訣、または本書のストーリーの中の幾つかは、他の成功本や自己啓発本等に見られる普遍的な要素だと思った。
では、
“本書の特異性は何だろうか?”
と考えた時、私の興味を最も惹きつけたのは、著者の父親の存在であった。なぜならば、この著者の父親の人生観と教育方針があったからこそ、このとてつもなく大きな可能性を秘めた現在の南谷真鈴さんの存在があると思えてならないからである。
まず、本書を読みつくづく思ったのが、一人の人間が幼少時より人生を形成していく中での親の役割の重要性の高さだ。
“子供は放っておいても勝手に育つ”
というフレーズを耳にしたことはあるが、これには
“適切な環境を用意すれば”
という前提条件が付くのだろうと本書を読み思った。
著者が、生まれながらにして多くの才能と能力を持ち合わせていたことは明らかだ。こんなにも勉学もとよりスポーツさらには芸術にと各方面で才能と能力を開花させている人には滅多にお目にかかれない。ただ、この著者の生得的才能と能力を大きく開花できたのは、幼いころから両親が娘の意思を尊重し出来る限りその才能と能力を伸ばす環境を用意してあげたことが大きく影響しているのだろう。彼女の意思に沿って、多くの習い事をさせたことや体験を積ませたことは、感受性を養い、更なる好奇心を芽生えさせ、また習い事や体験からの成果が彼女の自信や自尊心を育てたと思えてならない。言葉を変えて言えば、この両親の教育方針次第では、著者の才能と能力は潰されてしまった可能性があったように思う。
ところで、本書を読んで著者の父親の考え方や行動に興味を惹かれた人は少なくないと思う。私もその一人である。そこで私は、著者の父親の教育方針である、
“娘が興味を示すことに理解を示し、環境を用意し、応援し、自立を促すこと”
について考えみた。すると次第に、その教育方針の背後に所謂エポケー的な
“自分の価値観で判断することをせずに、一旦物事を進めてみる”
や
“分からないことは、自分の目で確かめてみる”
といったこの方の人生観や信念があるのではないかと思うようになった。
例えば、著者が幼少時から現在に至るまで持ち前の好奇心で興味の対象(例えば、騎手になることやエベレスト登頂など)を見つけてきた時も、この人は自分の価値観は一先ず置いておいて、娘に自分で確認して来るように背中を押し続けてくれたのだと思う。
また、著者の持つ強い冒険心や好奇心は、この父親から受け継がれたものだとも思う。本書によると、著者の父親は大学時代にアフガニスタンを旅している。この方の大学時代(18~22歳頃)とは、著者が生まれた1996年の時、仮に25歳前後だと仮定すると1990年前後になる。この時期は、アフガン紛争終結の前後にあたる。普通は、旅先としては避ける国の1つではないだろうか。
ただ、ここでも一般的な価値観(危険性)よりも、この方の冒険心と好奇心が勝り、自分の目で確かめることを選び、旅に出た。こういう経験も、この方の人生観や教育方針に大きく影響しているのではないだろうか。そして、おそらく大学卒業後も仕事において、常に新しい道やチャレンジングな道を選び全力投球をし続けてきた、ある意味
“新しい自分になり続ける”
ことを実践して来た方なのではないだろうか。その父親の背中を見て育ったことが、著者が自己の可能性を追い求め、常に
「自分を超え続ける」
ことを自らに課すようになった大きな一つの要素ではないだろうか。
一方、著者の母親の性格は、二人のような、“新しい自分になり続ける”というタイプではない。どちらかと言うと保守的な性格なのではないだろうか。
そんな母親を著者はどう思っていたのだろうか。外国暮らしの際、家の中にこもりがちな母親を見てどう思っていたのだろうか。英語や中国を覚えて現状を変えようとしない母親を見てどう思っていたのだろうか。もしかしたら、この当時から無意識的に母親の人生の在り方を否定、拒絶する気持ちが芽生えていたのかもしれない。
そして、その潜在的な気持ちが表立ったのが、13歳前後という思春期の最中に、その母親に自分の将来の方向性を決められそうになった矢先に、自らで香港のブリティッシュ・スクール行きを決めた時ではないだろうか。
しかし、私は著者の母親が親として著者のピアノの才能を伸ばそうとした行動が間違っていたとは思えない。一般的には、親が子供の才能や能力を見抜き、それらを伸ばすように働きかけるのが普通だと思うからだ。私でも同じことをするかもしれない。
ただ、著者の場合は、彼女の自主性や独立心という性格面、また持っている才能と能力がその一般的枠内に収まらない程に桁違いだったのだと思う。
最後に、南谷真鈴さんへの今後の期待を書いてみる。マズローの自己実現理論を当てはめてみると、既に自己実現の欲求を満たし、現在は自己超越の領域へ足を踏み入れている感のする南谷真鈴さん。視線の先も自己から他者へ、視界の範囲もさらなる広がりを見せているようだ。現に本書の中でも、「七大陸最高峰制覇」は自分への証明、そして「世界一周セイリングプロジェクト」は他者へのメッセージと書いてある。
ただ、私の勝手な彼女への期待は、
“カリスマ・子沢山ママ”
になってもらうことだ。そして、結果として日本にベビーブームを再び起こし少子化問題解決の一役を担ってもらいたい。
“子供を沢山持つことは、幸せなコトだ、素敵なコトだ”
という全般の空気を、ブームを著者ならば日本に作れるのではないだろうか。
南谷真鈴さんは、そんな常識を逸脱した期待をしても、もしかしたら応えてくれるかもしれないと思わせるぐらい異次元の世界に生きる人なのである。
~終わり~
投稿者 haruharu 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける」を読んで
お父様から、『これは真鈴自身のプロジェクトだ。資金サポートもないし、自分の力で完遂するように』とのお言葉をいただいた時から、著者のエベレストに対して絶対行く!!という夢がスタートしたわけだが、と同時に夢までのプロセスは、著者の今までの経験や知識・教えを駆使しながら南谷真鈴をどう経営管理・育成してプロジェクトを完遂するのかがスタートした。もう一人の自分が自分をプロデュースしていくかのように。
登山という市場に於いて客観的に見た自分の価値、人生(最低でも子供を4人産んで育てる)という市場に於いて逆算して今何をすべきかの視点、計画と実行、資金調達。借金ではなく出資してもらうようお金を引っ張ってくること。日々の業務(トレーニング)をきっちりこなしていくこと。しかも幾つかの山を登りながら自分のパフォーマンスの良し悪しを検証しながらいくあたり、まるで会社のPDCAサイクルを個で回しながら日々是精進といったところだと思います。
問題や危機が訪れたら全力でぶつかる。
それは、日々の業務(トレーニング)をちゃんとやっているかこそ発揮出来た。
パートナーも重要な存在になってくるが、パートナーとして信用できなければ、切らなければならない時もある。その上、風評被害を受けて孤独になったとしてもめげずに前に進むような何があってもあきらめないという執念深さ。
著者の運がいいなと思ったのは、エベレストに登頂する際のチームマネージャーとの巡り合わせです。プロフェッショナルな考えや判断のできる方で時期を見計らって登頂した。
知識がなければ確実かつ安全に目的を達せなかったのではと思い、これだけは思い通りにならないし、これもまた絶対やるぞという強い意志との引き合わせなのだろうと思いましたが、それだけではない何か。
例え、著者がお父様に報告連絡相談なしに我が道を行くような行動を取ってたならここまでの成果や引き合わせはなかったのではなかろうか。
チームマネージャーのような司令塔的な役割を担ってる者、部下や子など一人でも人の上に立った場合、上位者の判断の下で生きていく。道案内を間違えたら命取りになってしまうような恐さもあるわけだが、またこちらも日々是精進也でサポートの幅が全然違ってくる面白さもある。
また、パートナーや二番手の役割を担ったとき、上位者に最大の価値が出るよう努めているのかこちらもまた考えさせられるし日々是精進である。
著者を通して、ある時点まではキツクて苦しいが、ある時点を越えた途端雲の上でも歩いてるような軽やかな感覚で目標を達成している。その感覚には私がたどり着いてない、いやスケールの違いはあればこそ昔どこかで感じた感覚だ。そこまではだまってやればいいだけなのかもしれない。
投稿者 kokchamp 日時 2017年7月31日
願望実現のリアルな実践法とその創り方
この本の①願望実現のリアルな実践法と②南谷真鈴の父親、③この冒険によって得たものに着目した。
① 願望実現のリアルな実践法
実現できた理由として
1. 自己肯定感を持つ 著者は幼少のころから多くの習い事に触れ、やりたいことが十分できる環境で育っている。何ごとにもチャレンジできる、やりたいことにはチャレンジできるということは常に自分の要望が認められているということでもあり、自己肯定感が損なわれずに大きくなっている。父は常に「私なら大丈夫だという妙な自信があるのだ」ということを言っており、その表れとして自分からは見送りに行かないほど子供の挑戦の成功に自身を持っている。このことも著者の自己肯定感を高めている要因と考えられる。そんな彼女は自分ことを「私はエネルギーがあふれていて、好奇心がいっぱいなのです。」と自己分析しあるがままの自分を受け入れている。そして「この世は可能性にあふれている。」、「自分を信じることができれば夢は実現する」と言っている。
2. 自問自答-悩み答えを求めることが目標達成への強い動機付けへ 著者は2つの大きな悩みを抱え、自問自答することで自己を確立し成長している。ひとつは中国での幼少期の歴史教育から国籍について最初の自問自答である。この自問自答は日本に帰国後、「自分を何人か意識させるのではなく、世界に生きる個人として認識」することで解決できた。次に今回の挑戦につながる香港での家族崩壊からの自分とは何者かという自問自答である。「今よりたくさんの自問自答が必要であった。」との記載からも、この時期はかなり大きな悩みを抱えていたのではないかと推測される。カウンセリングや哲学を経て山に出会い、「山にいれば自分と向き合える」と感じた。
3. 目標設定 願望実現には目標設定が重要だということはよく言われることであり、既知のことであるが、設定した目標を達成するまでの過程において苦しい場面でも達成後の気分をありありとイメージでき「最高にいい気持ちになること」がわかっているので、そのことを思えば「すべては苦であって苦ではない」と言い切れるところがリアルな実践法である。トレーニングの苦しさについての記載でも、「その行為自体を『楽しい!』とはなかなか思えません。それでも苦しさの『その先』があると思えば、何度でもチャレンジ出来ますし、楽しくすらなってきます。」とあり、その先に想いを馳せる思考が出来上がっているのである。この点は大いに見習うべきポイントです。
4. 想いが人を動かすー夢に共感 今回のプロジェクトは資金無しからのスタートだったものの、最終的には様々な人との出会いがあり支援の輪が広がっていった。まさに正面突破でありその勇気は特筆に価するものの、彼女の成し遂げたいという想いがいろんなひとに熱量として伝わったからだと思う。やはり熱量は相手に伝達するんだなんと感じた。
② 南谷真鈴の父親について
彼女はどのようにして今のようになったのか、子を持つ父親として父親の言動に注目してしまう。
1. 子供を認める 前項でも記載したが、自分の娘への絶対的な信頼感がある。最初にプロジェクトの相談をしたときの一言目は、「その熱意は認める。」と娘のアイデアをまずは認め、否定しなかった。また、香港の高校を卒業しアメリカの大学に行こうとしたものの、様々な事情で余裕が無くなったときには、「一歩下がって落ち着こうか」と声をかけました。無理だとは言わずいったん立ち止まる。いずれにしても娘を認め信頼していることが想像できる。
2. 切り分ける プロジェクトの相談をした際に、その熱意を認めたものの、「これは真鈴自信のプロジェクトだ。資金サポートもしないし、自分の力で完遂するように」と一切の支援をしないことを明言した。このような態度は父性の発揮である。アドラー心理学の「嫌われる勇気」にあったことであるが、この姿勢を最後まで崩さず応援してきた。
③ この冒険で彼女が得たもの
この冒険を通じて、彼女は心の多様性・柔軟性を手に入れたと思う。「山を通して私の心はけっこう『厚み』を増した。」と言っており、冒頭ではこうも言っている。「根っこが多ければ多いほど、木は倒れないし幹も太くなる」
自問自答を山を通じて繰り返し、目標を達成するプロセスの中で彼女の心にいろんな自分がいることを認められるようになったのではないかと感じた。心の厚みをますことでより一層成長できるのではないかと思う。
投稿者 gizumo 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける」を読んで
まず、どんだけ強い人なんだと。
若いきれいな女の子で、ちやほや甘やかされているんだろうと、しかもお金持ちの子らしい…やや偏見をもちつつ読み始め正直気は進まなかった。
自分の子供の頃は冒険家の植村直樹さんが活躍中の時代で子供向け雑誌にも掲載があり、とりあえず全部記事を読む習性だったため読みながら、「ふぅん」「犬がかわいそう」位の感想しかもたなかった。冒険など自分と関係い世界だと感じて過ごしていた。しかし、植村さんが不明になられたされたニュースは、知ってるおじさんがいなくなったようで小さい心を痛めたものです。
登山の困難さがリアルで同性として大変だろうなぁ…と、しかし、"死"にたいする感覚が冷静な点や、無宗教なのに神に祈ってしまった点などは、しっかりと彼女は「冒険家」である。「なぜそこまでして山に登るのか?」「そこに山があるから」しかないのだろう。山に魅せられたんだろうが、それにしても1人でやれることも少なく海外のメンバーとの連携など、人としての資質も特別なものが求められ、それをに対応している素晴らしい人材でもある。
自分を越える、目標を追い続ける姿は年齢も性別も越えて輝いており、見事なものだ。こんな優秀でグローバルな人材が育ちつつある日本はまだまだ捨てたものではないと。彼女の何にでも興味を持ちまず取り組んでみる姿勢は、間違いなく自分に欠けている点だろう。自分はなぜそうできないのか…?さらに徹底してやりきる点や、計画性なども同じように見習いたい。ここで「今さら…」などと考えていてはせっかくの機会を自分で潰すようなもの。気づいていながらもどこか見ぬふりをしていた自分が立ち止まり、目標はなんなのか、どう生きたいのかなど改めて自分に厳しく問い直す貴重なきっかけとなった。
彼女の今後を応援していきたと思った。
投稿者 ktera1123 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける」
「計画を立てるには、ゴールをイメージしてから始めると立てやすい。」とあるセミナーでの講師の言葉でした。
ある意味人生のゴールとも言える死。死と対峙することにより今生きていることは素晴らしい。そんなことを教えてくれた知人の看護師さんがいます。言葉として聞いただけですが、日々死と対峙している人の言葉は違いました。南谷さんは実際に死と向き合って「死んでしまったら何もできない。生きてさえいれば可能性にあふれている。」を実感して生きているとは素晴らしい、生きていればなにかができる、生きている間にできることはしよう、そんな前向きな気持ちにさせてもらえました。
自分が山に行くのは専ら「高尾山」ですが、1回「富士山」に登って山頂のお鉢めぐりをしたこともあります。黙々と山道を歩くのは、自己との対峙の貴重な瞬間なんだなとふと振り返って思えて来ました。エベレストの登るのも人生、高尾山に登るのも人生。山に登るのも、人生を送るのも自分のできる範囲で無理なくほどほどに自分自身と対峙して、これからの人生を過ごせればと思いました。
おまけ
南谷さんの出演していたテレビ番組で司会者より、「射手座だもんね。」←同じ射手座としてなんとなくわかる。
投稿者 akirancho0923 日時 2017年7月31日
『自分を超え続ける』を読んで
本書を読んでもらうにあたって、内容が偉業だけに
とてもインパクトのあるタイトルをつけたかったのだろうなぁと
想像しましたが、当のご本人が伝えたかったメッセージは
いたってシンプルな、「好きなことして突き抜けようよ!」
だったのではないしょうか。
まずは自分が興味を持てることから
なんでも取り組んでみて、経験してみて
自分が好きなことが何か探す必要があると。
面白いものが見つかったら、とことんのめりこんで、
私なんかでもこんなことできちゃったんだよ?
と、おっしゃってる気がしました。
いや~こんな可愛いくて前向きに笑顔で頑張ってる女性見たら
そりゃ応援したくなりますよね!笑
私自身当事者として、40代だけどまだまだこれから!
と本書を読んで元気を頂きましたが、
応援する方が性に合ってるかも、とも感じました。
そう、とことん応援するっていう。
私は地元のソフトボールチームをサポートする
コニュニティーに属していて、週末応援活動を
しているわけですが、四六時中できることはないかなぁと
考えているので応援することにハマっているようです。
ハマって、夢中になって、応援されて、応援して。
その連鎖が自分自身を豊かにしていくんだろうなぁ、と
日焼けした自分の肌を見ながら感じます。
本書の出てくる山焼け?した南谷さんもきっとそうなんじゃ
ないでしょうか。
投稿者 sakurou 日時 2017年7月31日
~「自分を超え続ける」を読んで~
読み始めると、特にエベレストのあたりはグイグイ読めてしまい、あっという間に完読してしまった。日本人最年少でエベレスト登頂というところがハイライトされがちな彼女だが、本書を読んでみると、「生きるとは」「自分とは」「やりたいことは何か?」等、のほほんと生活しているとなおざりになりがちなことを改めて気付くと共に、生きていることのありがたみを感じずにはいられない。「夜と霧」が自分の意志とは無関係に殺されるというところから生きる意味を気づかせてくれるが、本書は自分の意志で登った山で命を落としかけたり、落とした人を見ることで、精一杯生きることの重要性を気付かせてくれる。違った本だが、共通するものを感じた。
今回、「私らしさ」「自分らしさ」という切り口で書いてみたい。
1.エベレストの登ることで「私」になる
まず印象的なのが冒頭から何度か見かける「私が私になるためにエベレストが必要だった」という表現だ。自分の目標を立てるところは普通の人でもできるが、「自分が自分になる」というところで普通の人とは違う。確かに日本人最年少を狙うとは言え、目標達成のためにそこまで思う人は普通いない。確かに幼少から世界中の様々な場所を転々としたこと、もしかしたら両親の離婚などからもしかしたら自分のアイデンティティが未確立と感じていたのかもしれない、そんな彼女にとって山は自分らしく生きられる場所だったし、また彼女にとって憧れのエベレストに登るということは「親の力も借りずに、自らスポンサーを探して目標達成する」ことが独り立ちする証でも有り、それが「南谷真鈴」という人になるということなのだと思う。
よくよく考えると、「自分とは何者か」「自分を表すキーワード」「何が無くなったら自分ではなくなるのか」ということはあまり考えないと思う。ただ、ここから目標設定をすると表層的なものではなく、深い目標、強い目標につながるのでではないか。改めて目標設定を考え直してみたい。
2.自分がやりたいことをやる
「やりたいことをやる」。よく言われがちだが、彼女は100%やりたいことをやっている。やらなければいけないこともあるが、それは達成したい目標、やりたいことのためにやっていることであって、決して義務でやっているわけではない。これは両親から強制されたことがないということとも関係している。最近思うのだが、自分は「やるべきこと」と「やらなければいけないこと」を混同して生きている。
もちろん、家族のため、仕事のためなど様々な理由でやらざるを得ないことがあるのは確かだが、そういうのを積み重ねると自分が苦しくなる。
やることが本当にやりたいことなのか、やりたくないがやらなければいけないことなのか、その比率を考えて、やらざるを得ないことをどうすれば改善できるか意識して暮らしていくと、自分のメンタルヘルスにも良い影響があるのかもしれない。本書はその辺のメンタルヘルス本より良書だと思う。
3.正しい努力
一番身につまされたのは202ページにある5位の人が1位の人との比較で「自分の能力ではなく努力について考えること」という一節である。彼女に言われたのではぐうの音も出ない。印象的だったのは1位の人を真似するのではなく、自分の強みを伸ばす努力を、1位の人よりもするという点だ。確かに彼女は他の最年少記録者のように登山家として恵まれた環境にあるわけではない。登山テクニックも様々な登山を通じて獲得してきた、まさに努力の人、しかも幼少の頃からピアノやバレーボールなど様々な経験を積んでいる。彼女はそれら全てが役立っているという。それらがエベレスト登頂に結実し、彼女は「南谷真鈴」になれた。
私も立てた目標達成に向けて努力をしているが、自分の強みを活かしているのか、改めて考えたい。
以上、本書の感想を述べた。課題図書に取り上げられるだけあり、サラッと読めるが深い本だった。頑張りたい時のカンフル剤に、心が折れそうになった時の慰めに再読するとより深く心に刻まれるように思う。
今月も良書を紹介いただき、ありがとうございました。
投稿者 str 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける」
自分より一回りも年下の彼女にこれほど器の違いを見せつけられるとは。以前テレビの番組で南谷さんを拝見した事はあったが、その時は「若いのに大したもんだなぁ」程度にしか思っていなかった。最近では将棋の藤井四段をはじめ、多くの分野で若手の活躍が目立っており近年ではそれほど珍しくもない。まあそこは所詮テレビ。こうして書籍で知るのとでは当たり前だが情報量がまるで違う。
最も印象的だったのは“次”を待たない彼女の考え方と行動力だ。生きていれば次にまたチャンスは来る。失敗しても次に活かせば良い。そうしてじっくり構えた上で“次“を待つ人が多いと思う。だが彼女は達成したいことの更に先まで見据えた上で”次はない“という判断をしている。膨大な資金に加えサポートもないとなれば、普通はそこで諦めてしまいそうなものだが、年齢に伴う資金力というハンデを逆手に取った。一見すれば唯の話題作りと誤解されそうなことではあるが、使える武器は何でも使うといった貪欲さは見ていて清々しいものだ。自分が彼女の年齢の頃に人生のプランなど立てた覚えがない。「まだ学生だし」「まだ10代だし」「まだまだ20代だし」・・・次へ次へのオンパレード。次のチャンスを待つという行為自体が間違っているとは思わないが、準備と計画あればこそ。無策のまま待ち続け、貴重な時期を過ごしてきたことは勿体ないと思う。
本書では『山』について多く語られているが、南谷さんはピアノをはじめ多くの習い事を経験し、非常に多才な人物である事が分かる。彼女の器量ならば別の分野でも秀でた結果を残すことが出来ただろう。けれど彼女は世間に評価されることより『本当の自分』を見つけるため。山も『目標ではない』と語っている。きっとこの人にはゴールというものはないのだろう。やりたいことをやってみる。やり遂げる。命の危険を伴う場所であったとしても「やってみたい」と思えば決断する。というより、やり遂げることが出来るようにそこまでの努力を惜しまない。行動力は本番ではなく、本番に向けての準備・訓練に対して最初の一歩を即座に踏み出せるかどうかで決まる。そしてそこから決して諦めない気力が彼女の持つ強さ。『何をやりたいのかは、いろいろやってみないと分からない』と語る彼女は、これからもこのスタンスは崩さずに駆け抜けてゆくのだろう。今後どんなことをやって見せてくれるのか楽しみだ。
『すべてが「必要な経験」になる』
失敗も恥ずかしい過去も、すべて含めて今の自分が存在する。そうして出来た今の自分が嫌いか?と聞かれれば好きだと答えるだろう。これから先の人生も南谷さんと比較すれば些細な事であっても、新しいイベントは必ず起こる。“やりたいこと”も出て来るだろう。まだまだ自分にとって人生は長い。僅かな経験値でも拾い集め、徐々にでもレベルアップを重ねていきたい。
投稿者 kawa5emon 日時 2017年7月31日
書評 自分を超え続ける 南谷真鈴 著
2017年時点、末恐ろしい21歳である。
願望実現、目標達成、確かにこれらに必要な要素解説は、本書に全てある。
また某S塾で学ぶ、人生を幸せにするために人生で意識すべき3点、
お金、健康、人間関係、これらへの考え方、対処方法も具体例がある。
その意味に於いて、本書は非常に完成度が高い。もう自身の教科書である。
そして何よりも本書を経て特筆したいのは、自分との付き合い方である。
人として生を受け、この世をどう生きるべきか?心から素直に、
笑い、泣き、悲しみ、怒り、時には自我から離れ自分を客観的に見る。
自分の人生を形作るモノ、全ては自分次第なんですね。
背筋がジ~ン、ゾクッ、ゾクッとするのを何度感じたことか。。。
彼女が達成した結果を先に目にすると、スゴイ!がほとんどの感想で、
その感嘆のみで終わってしまいがちであるが、その道程を辿ってみると、
達成の裏側にはその結果以上の深い、深~いストーリーがあった。
自分を磨くとはこういうことなんですね。非常に自分を大切にしている。
今の自分は全くその域に居ない。。。
体力より気力、飽くなき好奇心、まずやってみる。行動が全て。
どこかで聞いた私自身が好きな名言、行動すれば次の現実、
辛い今日を支えるのは、昨日まで頑張ってきた自分。
目の前のことに無心になる。などなど、
著者が経験した内容のどこをどう取っても、学ぶべき内容ばかり。。。
ウダウダせず、グダグダ言わず、他人のせいにせず、まずやる!
自分が決めた目標、日課、今この時を精一杯楽しんで、正直に生き切る!!
そして少し疲れた時には、著者のサプリメントではないけど、
本書に戻ってこようと思います。心の良薬です。
今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
投稿者 BruceLee 日時 2017年7月31日
「熱意と行動力があれば、叶わない夢はないってのは、夢が叶ってないのはアンタの熱意と行動力が足りてないってことだから」(あの日の花さんふう)
この本読んで「海外で育って英語も話せて、家が金持ちで習い事たくさんやって、この人恵まれてますよね」て思ったアンタに言いたい。
テメー、ふざけんじゃねーよ!
そもそもソコが違うんだよ。何故、最初にソコに目が行くかね?それはマリンちゃんが書いてるようにアンタが、
・「自分のできない部分」ばかり気にする
・自分以外の「できる人」ばかりを気にする
人間だって証拠なんだよ。考えてみなよ。海外で育ってストレス感じで逆に英語が嫌いになったり、人間関係が不得手になっちゃうケースもあるよね?習い事のピアノで家族関係がこじれ、両親は離婚しちゃうよね?つまりさ、アンタが「羨ましい」と思ったことだって、マイナスに取ろうと思えば取れるんだよ。もっと言えば、もしアンタがマリンちゃんの境遇にいたらエベレスト目指すか?人の羨ましい点だけ見てるアンタは目指すか?
目指さねーだろ?
本書には何度も「私が私になる」、「本当の自分」って出てくるよね。これはつまりその時点では自分は本当の自分じゃない、自分に納得が行ってない、自分を認めてないというマリンちゃん自身の声だよ。つまり、マリンちゃんは自分にとっても厳しいの。だから言ってる。「自分の能力ではなく努力について考えること」が大事って。境遇なんて関係なくて「自分とどう向き合うか?」なんだよ。だって生まれ育った環境は人それぞれ違うでしょ。金持ちは全員幸せか?貧乏人は全員不幸か?周囲見てみなよ。違うだろーが。他人と自分を比べて「自分に無いもの」に注目してるなんつーのは「やりたいこと」を諦める口実探しなんだよ!
本当に「やりたいこと」があるんならどんな試練も苦にならないんだよ。不思議だと思わない?マリンちゃんはエベレストを目指すけど家族の経済的援助じゃ一切ない。だから彼女はスポンサー集めを始めるけど日本人が好む一般的なサクセスストーリー的に言えば、ここでの苦労に最大のスポットライトが当たる筈じゃない?メールや手紙何百通も送りましたが全然レスなく落ち込みました、スポンサー集めの活動中こんな酷いこと言われました、こんな嫌な思いして心が折れました、とか。マリンちゃん、そんなこと殆んど書いてない。実際はあったと思うんだよ、そういう嫌なことが一杯。でも彼女が書いてるのは、スポンサー集めのマイナス面より、プラス面。寄付してくれるおばあさん、偶然出会った博報堂の人、まるで「やりたいこと」がデカいと苦が苦でなくなる、みたいに見てるものが大きいと瑣末な点が気になくなる、っていうか気にする暇は勿体無いくらいになっちゃうんじゃない?山に登ってからも彼女は周囲の人とか環境とかのせいにせず常にあるのは「不安になる自分」。でも彼女、全然諦めてないよね。彼女の限界ってどこよ?つまりさ、限界ってのは自分が「諦めた時点」を言うのであって、つまり「限界は自分が作ってる」ってメッセージに思えるんだよ。
あと、彼女が優れてるのはプランニング能力だね。「やりたいことリスト」を、自分の人生の時間に当てはめて、全体の工程を考えてやりたいことが完遂した未来の点をお尻として今日まで遡って、さて今日から何が出来る?と臨んでる。子供を産み母親となり育てたい、社会人になったら集中して働きたい、などやりたいことがてんこ盛り山な彼女は結論付けた。「だから山に登るのは今なのだ」と。この「やりたい」がやっぱ全ての動機なんじゃない?
でもこう反論したい人もいるのかね?「彼女はやりたいことしかやってませんよね?会社員はやりたくないこともやらなくちゃいけないんですよ」
オメー、グーでパンチされてーか?
何で最初にソコにスポットライト当てんだよ?確かにマリンちゃんは個人主義者だよ。それはアンタの目で見ると、「やりたいこと」しかやらない=「やりたくないこと」はやらない=「我が儘」って映るのかね。だったらさ、もっと大きく捉える事は出来ない?例えば「やりたくないこと」もやってるアンタは「やりたいこと」しかやってない彼女より、人間が何倍も大きいんだって。そこに自信あんならそう大声で言えってーの!だって、そしたらアンタの「やりたいこと」に彼女レベルの熱意と行動力が加われば大概のことは出来ちゃうってことなんじゃねーの?グタグタ言ってねえでドンドン興味持ったことからやってみろっつーの!本書にあるよね。
「最終的に、自分が何をやりたいのかは、いろいろやってみないとわからない」
ね?良い一言だよね。良い一冊だよね。あー良い本に巡り合えると気分良くなっちゃうからもう一杯いっちゃおう。オネーさん、赤ワインおかわり!
以上
ここで一句。「うけつけの せいそなかんじのごふじんも さけがはいると べらんめえ」
投稿者 wapooh 日時 2017年7月31日
201707【自分を超え続ける】を読んで
自分を「超え」+「続ける」。
このタイトルには2つの行動(動詞)が含まれていて、そこから本書を振り返ろうと思う。
◆超える
自分を「超える」と一口に言っても、幾つかの解釈がある。『自分がそれまで『できる』と思っていた限度を「超える」』例えば、化学のテストのエピソード。70点という結果に先生が言う、『あなたならもっとできるのに』。彼女はその一言で、次のテストで98点を取った。ピアノの曲が弾けるようになる、グランドスラムを制覇する、今の自分では到達が想定できない目標に対して目指していく。現状を「超える」。better and better
他方、『今の自分は知らなかった世界を知り、枠を「超える」』。エベレスト登頂を目指す中で、「seven summits」を知り、「冒険家グランドスラム」を知ることで、自分の枠や世界を「超える」広げていく。成長すること、挑戦すること、more and more。
また、いつものことだが、この一文と思いつつ『not Aの世界を信じるか』と言う初級編のメッセージが脳裏に浮かぶ。今回は、無知の知。知らないことを知るために、情報を得る。人から、読書から。著者は語学も堪能であるが幅広く多様な国籍年齢層出身背景の人々と出会っているがその一人一人としっかりと出会いコミュニケーションをとり相手を理解し、生死が表裏一体の過酷な探検の時間を共にするのに十分な知識と情報を備えている。また、人間学だけではなく登山の知識、気象状況、探検技術、栄養学、体力養成のためのトレーニング、多様な側面において知っているのだ。彼女もまた人に学び本から学びを得て実練習を重ねて、実践に活かしている。
◆続ける
「続ける」ためのスキル。彼女の中の目標の視点が自分のそれとは違う。例えば「エベレスト登頂」「セブンサミッツ制覇」「探検家グランドスラム」そのどれもが、一般人の『目標そのもの』になりうるイベントではあるが、彼女の中では通過点でしかない。制覇することを楽しむのは、しょうおんさんの教えにもある続けるための必須事項ではあるが、楽しみ続けられるのは、もっと抽象度の高いロングスパンの大きな目標を抱いていてその中の通過点として、上記のイベントが設定されている。では、その大きな目標とは何か、と本書を見返すと、「冒険を達成することにより『南谷真鈴、と言う人間になる』ホップステップのホ」とある。自分でプランニングして、自分を信じてやり遂げる事、そんな成長途上の自分を応援し支え、味方となってくれる人々がいることの喜びと尊さを実感し、弱さも強さも認めて、人として強さで繋がり磨き上げ自分の存在価値を知る』こと、心から笑って心から泣いて、自分の人生を生きることがゴール。
すべての経験が「自分事」本当の意味での「自己責任」として処理されていく。死を意識した阿弥陀岳での遭難でも「自分の責任の甘さに悔しさを覚える」彼女の厳しさは「自分事」として物事をとらえているからだと思い知らされる。
世界を広くするには自分の内側の世界を大きくすること、とあるが、彼女の鍛錬を通して「こころを広く強く持つこと」のためには自分も他人も認め受容し、時にノーと言って自分を大事にすることが出来る強さ。ついつい周りの環境のせいにしたり、他人と比較で埋もれたりする自分の姿を顧みさせられる。「続ける」ためのもう一つは習慣化。カノジョの日課も冒険の準備もまた綿密にプランされている記述が多い。
もう一冊の彼女の著書から、真鈴さんの3つのミッションを知った。彼女の夢は3つで、一つは家族形成、子供を養子を含めて15人くらい持つのが夢とのこと(スケールが違う)。2つ目がキャリアの追及で「Factory farming」科学技術による農業(冒険家と言うアナログから工場農業と言うデジタルへ、振れ幅の大きさが違う)、3つ目は世界の格差を認識する情報発信をすること(先進国の恵まれた自分の世界に甘んじることなく、貧困や内戦・紛争による過酷な状況で日常を過ごす命の存在を知ること)とのこと。
やはり、凡人の視点を超えて時間軸を「超えて」、生き挑戦し成長し「続ける」南谷真鈴さん。本書に収められている写真を見ていると、彼女の笑顔や周りの人々の温かい笑顔や最高峰の厳しさを超えた先の自然の美しさに胸が打たれる。
以前の課題図書にもあったが、心が折れそうになったとき救われるのは『音楽』『芸術』。彼女もまた『世界一標高の高いギャラリー』を有する芸術家ミゲル・ドーラ氏との交流で弱さから立ち直っていくのだが、理屈では癒えない痛みや傷はこうした、美しく心を震わせる感性=芸術が助けてくれるのだ、と言う事を再認識した次第である。
しょうおんさんの言う通り、本書には様々な切り口があって、読み返すたびに様々なエピソードが心を震わせて、曲がり角のサラリーマンの心身に語り掛けてくれる。
こんな風に自分の人生をフルスロットルでフルキャパで、若い体力のあるうちから走り抜けることができるなら。もう終わりではなく、これまでの自分の世界を「超えた」可能性を本書によって教えられたのだから、今からの自分はどうありたいのか。よく考えることだ。
いつか彼女が、天に召されて、神様の前に立ったなら、神様は笑ってこう言うかもしれない。『やぁ、お疲れ様。いやぁ、今生の君の体(乗り物)と、君の心(魂)だけれど、隅々まで随分と使いこなしてきたね。存分に味わってきたんじゃないかな(笑)楽しかった?』
彼女のような神業はさておき、自分の人生残りを考えてみて、どうだろう。もっと使って磨いてもいいんじゃないだろうか。笑顔で楽しんで、前向きに。どんなに深い悲しみも恐怖も切り替えて、立ち上がって前を向けるように。やはり優しさ強さ美しさは人生において素敵なものだと思わせてくれる一冊だった。今月も良書を紹介くださってありがとうございました。
投稿者 saab900s 日時 2017年7月31日
平成29年7月度 課題図書/「自分を超え続ける─熱意と行動力があれば、叶わない夢はない」を読んで
確かにただ単に額面通りの感想文では評価が上がらないのは自明の理だろう。それを抜け出すのは抽象化と具体化であると教えて頂き、「なるほど♪」と膝を打ったは良いものの、感想文に着手すると早速暗礁に乗り上げた。ここで「わかる」と「できる」の途方の無い差を突き付けられた。
私が抽象化し、煮詰めたところ「教育」が残ったのでそこから組み立てていきたい。抽象化の過程で私が感じたのは、著者のあふれんばかりの熱意とはキレイに表現したもの、角度を変えると自分の欲望や願望をあたりかまわず投げつけた図々しさ、強引さ、図太さとも言い換えられないだろうか。まさに「嫌われる勇気」を他人より多く持ち合わせていただけなのだ。さて、ここで”他人より多く”という表現をつかったのだが、その対象は我々日本人である。しかも、戦後教育を受けてきた日本人と定義したい。なぜ、戦後教育の日本人と定義するか?というと、GHQによる3S政策、WGIPによる日本人の骨抜き計画、いわゆる戦後教育が周到に行われたために自国と自分に対する肯定的な印象を持ち合わせない傾向が強いからだ。一方著者は、自分のコンパスにのみ信頼を置くように、楽器も芸術も体操もやりたいことはやる主義を貫いてきたようにある。自分の内なる声に素直で、忠実なのは成功体験を積みやすく障害があったとしても工夫して乗り越えていく問題解決力と度胸も比例して上がっていくのだ。
教育とは面白いもので、古いものでも良い物は淘汰されずに現代にまで語り継がれている。代表的なものは孔子の記した論語を例にとってみよう。約2,000年前に記されたものだが未だに読み継がれているものであり、解釈の方法により未だに現代の生活にも通じるものがある。日本の教育において無くなってしまった寺子屋は、自分が習いたい事柄を選択して好きなだけ勉強することができた。もちろん義務ではないため自主性が重んじられとことんまで追求することができた。しかも、私塾という形態が大多数をしめた。これは江戸時代に安定した世を背景に幅広く広がりを見せ、自主性を重んじる寺子屋は多くの偉人を輩出するに至った。
現代の教育は予定調和が根幹になっている。ここまで覚えたら○点、そうすれば●大学に入られ、◇企業へ就職できる可能性が高いなどと、ほとんどの人生が大きなレールにのっており自分で考えなくても周囲がやっているから、と自分自身で同調を圧力として捉えて結果的に人間がコモディティ化していっている。しかも、これまで安泰とされてきた企業も時代の流れに翻弄され、一流と呼ばれてきた会社も倒産の憂き目にあっている。つまり、自分で自分の内なる声に耳を傾けそしてそれを実現するにはどうすればよいかを考える必要がある。例えばバスに乗っていた状態で自分が降りたい場所で「降車ボタン」を押し意思表示をするとバスが止まり降車することができる。構図は同じで、著者は自分の降りたい場所で降りると異所表示をしているだけなのである。問題になった電通の鬼十訓にも似たようなフレーズがあるので紹介する。『⑥ 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる』これはまさに著者の行動と同じ構図である。
これからの教育は、○さえすれば良い、というポジティブルールではなく、●さえしなければオールOK!というネガティブルールを基に、自分で考えることを練習する必要があると考える。実際に2020年からは大学入試内容もこれまでの暗記重視偏重型から変容し、自ら問題点を提起しその解決策を考えるという形に変わるのだ。そして、出題された問には正答がなく、回答者の考え方、答えを導くまでのプロセスを評価されるという人間力を問われるようになるのだ。
何かを実現したかったら、声を出し、降車ボタンを押すのだ。それを躊躇うのなら、それほど熱い情熱を持ち合わせていないことになる。その熱い情熱に気づくまで様々な体験をとおして心と身体が喜ぶ何かを見つけ出さなければならないのだ。
教育は自らの積極性が自ずと頭を擡げる何かを探すことを手伝うことであり、上から知識を押し付けることではないだろう。そして、戦後教育に染まった我々は括目し幅広い知識を獲得しつつそれに根差した体験を積み重ねることによって、次世代に価値観を残していかなければならないと考える。教える為には教える本人が多くの失敗をし、身体でその苦痛を感じなければ、内容に深みが出てこない。失敗からこそ学ぶべきことはたくさんあるのだ。では、有益な失敗はどのように積み重ねるのか?それは何かしら行動を起こすことにある。行動あるところに必ず反省すべき小さな失敗がある。それを集めるだけでも大きな学びになるだろう。
さあ、恐れずにチャレンジし、失敗は飲み会のネタとし、実りある人生を歩んでいこう。
投稿者 jawakuma 日時 2017年7月31日
えー今月はなになに最年少でエベレストした20歳の娘の本ということで、ごんぶとな山女が主人公だろうと思いつつ手にとってみました。
まず冒頭の写真を見て、、マジですか⁉︎こんな可愛い感じの19歳ギャルがエベレスト登頂果たしたの…汗 まさにUNIQLOの柳井会長と同じ心境だったわけです。そしてエベレストだけでなく七大陸最高峰、それに加えて北極点、南極点も制覇する「探検家グランドスラム」の達成を目指しているとのこと。恥ずかしながら本著を通してそんな化け物じみた称号があることをはじめて知ったわけですが、ちょっとググってみると、やはり、さすが、今年の4月に到達されてましたね、北極点。その偉業もあってメディアの露出もかなりあるそうですが、あまりテレビを見ないもので、はじめて知ったマリンちゃん熱意と行動力にに胸ぐらを捕まれ、おっさんながらあっさりファンになってしまいました(笑)
早稲田大学に在籍してますが課題図書著者が複数名所属した探検部には入っていないのでしょうか。新入りでも完全に別規格になりそうなので入らないのかもしれませんね。
そんな規格外彼女ですが、意外なことに登山初体験は香港在住時代の課外活動で、観光スポットで有名なヴィクトリアピークを登ったことだったそうです。私も過去何回か来訪したことがありマリンちゃんに畏れ多くも親近感がわいたのですがもちろん私は登山ではなく、箱根の山を彷彿させる急傾斜でワーキャー楽しむ登山電車で登りました。ハイキングがてら駅からの散策路で山頂に向かってみたのですが辺りの風景は本当に近代都市とそれに迫り来る自然の力強さが感じられるものでした。
マリンちゃんの凄いところは何しろその行動力の早さと思い切りの良さです。あとは若さからくるのかすさまじい勢いがあります。これは日本育ちでは男子にさえも見ることができないインターナショナルな環境が関係しているのかもしれません。まずはやりたいことと人生設計をして、足りない物や金は周りに広くアピールしてどんどん応援団を増やしていく。でも自分探しでエベレスト登頂しちゃうとは、なんてどデカイ人間なんでしょう!複数の国を移住しながら昭和文化に影響されたからか、昨今では稀に見る枠のデカさと、成し遂げるド根性を身につけられたのだと思います。
やると決めてからの行動力の早さと、目標の達成に向けた卓越した自己マネジメント能力。そして最後まで諦めない気持ちの強さ。人間はフィジカルだけでなく、メンタルの方が此処一番では威力を発揮するのです。これらのことはエベレストには登らなくとも自分の目標達成にも応用できることなので上手く吸収して邁進していきたいと思います。
現代の探検家の果敢な挑戦という非日常を知ることができ価値観の幅が広がりました。そして子供にはやりたいことがあったらトコトン、最後までのめり込ませてやりたいと思います。
今月も良書をご紹介頂きありがとうございました!
投稿者 truthharp1208 日時 2017年7月31日
「自分を超え続ける ー熱意と行動力があれば、叶わない夢はないー」を読み終えて。
19歳、日本人最年少で世界七大陸最高峰を制覇した南谷真鈴さんから学び、行動に移せることは何か。自分の反省と今後どう立て直すかを考えながら気づいたことは以下の2つ。
1.明確なプランを立てる
南谷さんがエベレスト登頂のためにプランを立てたのは17歳の時。いつか登頂出来ればいいな、という曖昧な願望ではなく、社会での役割、結婚や出産、子育てといった未来を見据えた上で大学入学の前後で登頂するのがベストと結論を出した。
エベレスト登頂にあたり、筋トレに加えて、数々の山に登頂しながらのトレーニングも必要となる。併せてお金もかかるため、スポンサー探しも行った。
自分が今の南谷さんの年齢の時はどうだったか振り返ると、自己成長よりも、ファッションや遊びなど、目先の楽しみにだけ目が向いていて、若い頃の苦労なんて買ってする気などまるで無く、心臓を針で刺されたくらい心に痛みが走った。
まずはやることリストを作ろう。
2.困難にぶつかった時、どう向き合うか
エベレスト登頂の時に限らず、南谷さんは数々の困難に見舞われている。言葉の問題、男性登山者が多数を占める中での
人間関係の構築の難しさ、デナリでの大嵐や阿弥陀岳での遭難など。
そんな中でも彼女は、「絶対やりとげる」という強い信念に支えられていたから、乗り越えられたのであろう。
私にとっては毎月の感想文投稿が自分を超えるための修行ではあるが、感想文の仕上がりはともかくとして、おかげ様で読書の幅と脳みその領域は少し拡がったと感じている。
今月も良書をご紹介頂き、ありがとうございました。
投稿者 kakki 日時 2017年7月31日
自分を超え続ける
著者は「計算高いオタク」ではないだろうか。
ピアノでも馬術でも水泳でも、それなりに実績を
残してきた著者が山を選んだのは、将来を見据えた
選択だったのではないだろうか。
日本人最年少で、エベレスト登頂という実績は
この先の人生で、大きな肩書きになる。
ブルーオーシャンを見極めていたのかは分からないが、
恐らく誰もやったことのない事を達成することで
自分の価値、ブランディング力が上がると考えた
のかもしれない。
著者は、世界的に見ても圧倒的にパワフルな女性だと思う。
登山という死と隣り合わせの世界で、一人10代で挑戦していく事は、
今の日本で生まれ育った若者にはなかなか出来ないのではないだろうか。
大学でも、大多数の女子大生から近寄りがたいと思われていると
コメントがあったが、一般的な大学生では理解できない価値観を
持っている。
また『山は目標ではありません』の一言に、度肝を抜かれた。
著者の目標は、もっともっと先にあると。
そして、それを探す旅をし続けているのだと解釈した。
エベレストに登るという目標から、さらに世界七大陸最高峰
制覇を目標とし、次は探検家グランドスラム。
2017年4月には、世界最年少で探検家グランドスラムを
達成されていた。
さらに次はセーリングで世界を回るという、とんでもない行動力と
とてつもなく大きな目標を掲げている。
著者からしてみれば、セーリングも自分になるためのツールに過ぎない
のだろう。
それは、自分のブランディング力にさらに磨きをかけられるという
おまけも付いてくるので、著者にとっては一石二鳥のツールなのであろう。
『英国エディンバラ公国際アワード』に参加し、
2014年にゴールド賞を受賞されているのにも納得した。
著者の父親は、放任主義で子供のやる事には
口出ししないが、支援もしない。
ただ愛情は注いでいたのだろうと想像できた。
父親のスタンスは、私も子育てに取り入れてみようと考えている。
強制はしない、好きなことはとことんやらせる、でも支援はしない。
出来るか解らないが、子供が14歳になったら『英国エディンバラ
公国際アワード』に参加させてみたい。
投稿者 lazurite8lazward 日時 2017年8月1日
本にはそれぞれパワーがあることを思い出させてくれる書籍
19歳で執筆したとは思えないほど迫力ある内容。一見チープなwordingとして捉えられそうな表現すら、しっかりと自分の言葉として使っている点が彼女の冒険のリアリティーさを上げている。一方で、娘を持つ父親としては、まずは父親目線が先行してしまう。
彼女がお父さんに冒険を相談し、お父さんが『思うようにやりなさい、但し自分の力で』というくだり、娘の意思を尊重してあげたいけれども心配故、援助をしないことでなんとか危険な方向に進まないで欲しいという思いがある一方で、本当は娘に援助もしてサポートしてあげたいという葛藤があるようにも受け取れる。実際のところどのような心境なのかわからないが、自分が同じシチュエーションであったら、子供の意思を否定はしたくないけれども冒険を止めてしまうような気がする。著者はそんなお父さん、お母さんの心境も慮ってはいるが、両親の本当の心境をわかっていないように感じる。親の心子知らずなので当たり前なのだが、著者が望んでいるようにこの先子供を持つことができた暁には、お父さんの偉大さ、お母さんの思いにきっと気付くのであろう。そんな彼女の未来も想像しながら読めるこの書籍は、時間的に奥行きが深い。
自分がやりたいと思う事に突進する、人からやりなさいと言われたことはやる気が出ない。確かにそのとおりだと思う。最終的には自分がやりたいと思うことに人生をシフトして幸せに生活するということは重要だけれども、実際の生活ではやりなさいと言われたことを実行しなければならない環境もある。従って、やりなさいと言われてモチベーションが上がらない環境でも楽しむ方法を見つける、そこで最高の結果を出してみるという技術も必要。例えば、会社の仕事で言えばコピーをとる、お茶を入れる、コーヒーを入れるという所謂雑用でもパフォーマンスの差は十分でる。コピー一つでもホチキスの位置をどこにするか、両面コピーにするか片面コピーにするか、ホチキス止めではなくあえてクリップ止めにするか(ばらして使うことを想定して)などがある。お茶でもコーヒーでも、そこにある機材と素材で1番美味しく入れる方法を探求するのも、面白いし自分のためになる。
一方で、大巧を成す者は衆に謀らずを貫く彼女の姿勢から学ばなければならないものは多々ある。非常に重要な視点は次の3点と思料。
1.
やると決めたらすぐに動くという彼女の姿勢。会ったその日にうちにお礼状を書いてその日のうちに速達で送るスピード感。早いものには需要があると同時に(自身の経験的に)運を引き寄せているように思う。
2.
物凄い傾斜で滑落しても心のそこでは大丈夫だと思える自信。日々自分を磨き自分と向き合っているからこそ実感できる、守られているという感覚。成功も問題も課題も自分の内面を磨き上げることで達成できるということをこの年齢で感覚的に掴んでしまっている。日々自分を磨いて感度を高めているからこそ、なんとなく危険を察知できたり、大いなるものに守られている感覚を感じ取ることができるのだろうと思う。つまり、誰しも日々の鍛錬で自分を磨いておくことが重要だということがわかる。
3.
メンタル面をだけでなく、フィジカル面も妥協せず、自分の体を徹底して造りこむ姿勢。自分の体を最高の状態にもっていったり、良い状態で維持することは想像以上に難しい。一般的によしとされていることが必ずしも自分に合うわけではなく、試行錯誤しながら自分の食事やトレーニングなどを組み立てなければならない。ヴィーガン生活をするなど、既存の枠組みに捉われないチャレンジは成功をつかむ第1歩であることを教えてくれている。
最後に、彼女の両親との関係を踏まえると、年齢を経ても新しい価値観を受け入れる鍛錬を親(もしくは大人)は続けていかなければならない事がわかる。そうしなければ、彼女のような若く新しいもしくは個性豊かな才能を受け止められない。人生日々是鍛錬であることを改めて認識。