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第140回目(2022年12月)の課題本


12月課題図書

 

全裸監督: ―村西とおる伝―

 

ノンフィクションの評伝として、読みながらこんなにワクワクさせられる本もそれ

ほどないでしょう。とにかく、退屈ということから最も遠い生き方をしているのが村西と

おるという男なんですね。私には全く真似ができませんし、真似するつもりもないのです

が、このようなアクの強い男がバブルの頃の日本には存在したのだと知ることは有益だと

思いますよ。


 【しょ~おんコメント】

12月推薦者

 

12月の課題図書の投稿結果を発表すると(といっても推薦人はたったの8人しかい

なかったんですけどね)、Cocona1さんが3票、Terucchiさんが2票、masa3843さん、msykmtさん、

daniel3さんが各1票となり、ここまでの累計ポイントは、

 

Cocona1さんが6ptsLifeCanBeRichさんとmasa3843さんとTerucchiさんが4ptsdaniel3

さんが3ptsmsykmtさん、Mkseさん、1992さんとH.Jさんが1ptsとなりました。

 

【頂いたコメント】

投稿者 kenzo2020 日時 
本当にアクの強い人。ごくたまに周りにいる。こういう方。はちゃめちゃで、そばにいる分には楽しいのだが、近寄りすぎると火傷してしまう。何かをやり遂げるという力がとても強い。熱い情熱を持っている。0から1を作れる人。憧れるが、真似はできない。相手の言うことを聞かず、自分の都合良くねじ曲げてしまうという点でスティーブジョブズに似ている。
特徴的なのは巧みな話術。しかし、はじめから得意だったわけではない。自分なりに考えて、磨き上げたものだ。営業で顧客の希望を創造するという点ではドラッカーに似ている。
また、映画の監督では、ど素人からはじめたのだが、周りから笑われるぐらい下手であった。しかし、絶対に見返してやるんだという、逆境をバネにする不屈の精神でのぞんだ。どんな人なのか知らなかったのでYOUTUBEで調べて動画を見てみたが、いたって普通のおじさんのように見えた。その仮面の下には、マグマのように熱い情熱が隠されているのだろうとこの本から察した。
自分を売った仲間を、その状況ならば致し方ないと、相手を素直に赦す面もある。とても大きな度量を持った人。
当時はゆるい時代で、今となっては細かなことを気にして息苦しい時代となったが、熱い情熱をもって、ダイナミックな人生にしていきたい。ナイスな本でした。
投稿者 buttercup1 日時 
村西監督の成功の要因は、強運の持ち主であること、情熱的であること、そして「人たらし」といわれる対人魅力があることだと思う。

村西監督の人生では、人の出会いや偶然が良い方向への転換のきっかけになったと思う。しかし、運をつかむためには日ごろから準備ができていなければならない。村西監督は、今どのような需要があってどのようなものが求められているか常にアンテナを張っていた。村西監督が友達からビデオゲームを買わないかと誘われたとき、日本はビデオゲームのブームであった。彼はビデオゲームは米軍基地でニーズがあると感知し、大量にビデオゲームを米軍基地に設置する交渉をすることでビジネスを軌道に乗せることができた。また、ビニ本で儲けるきっかけは、ふらりと立ち寄ったアダルトショップでこの業界がこれから売れると予測したことだった。彼はその後販売経路を調査し、北海道にチャンスがあると発見した。運は偶然や出会いによってもたらせられるが、その運をつかめるかどうかはその後の行動にかかっていると思う。

村西監督の情熱は様々な形で表れていると思う。彼の話術は営業をしていた頃に磨かれたというが、うわべっつらのテクニックだけでは人を説得できないと思う。のちにAV女優をスカウトするときに説得できたのは村西監督の情熱があったからだという記述があるが、村西監督の情熱は周りを巻き込むほどの威力があるとよくわかる。また、仕事に対する情熱は異常ともいえるほどで、周りの人間にも不眠不休を強いていく。監督になったばかりの時は専門用語もわからずバカにされていたが、多量の仕事をこなすうちに雑誌でも絶賛されるほどになった。これは、傍から見れば努力しているように見えるが、本人にとっては情熱を感じるものに打ち込んでいるだけという感覚なのかもしれない。しかし情熱があるから上達も早いと思う。

最後に、村西監督は窮地に立たされてもなんとか立ち直ることができるのは、彼の魅力によるものだと思う。彼は暴力的な面はあるが、人情深いところもある。人生のどん底に落ちた人を放っておけず再生の機会を与えたり、貸したお金がかえってこなくても追及することは一切しない。自分が苦労した分、同じ境地に陥った人を助けたいという気持ちになるのかもしれない。このように村西監督には無茶苦茶な面があるが憎めないという人格を形成しているのかもしれない。実際何度も逮捕されておきながら実刑を免れているのは、検察側のトップの心をつかんでいるからだし、それは彼の人間的魅力によると思う。

成功するためには実力も大切だが、それ以上に大切な要因があるとこの本は教えてくれたように思う。
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“後悔しない生き方の秘訣” 

村西とおるは後悔など残さずに人生を終えるのだろう、笑って人生を終えるのだろう、と私は本書を読んで思った。前科七犯で借金五十億円を背負った男が笑って人生を終える?と思う人もいるかもしれないが、おそらくそうなるだろう。なぜなら、彼はここまでの人生の中で、やりたい!やるべきだ!と思ったことは必ず実行し、今後もそう生きて行くだろうからだ。特に、私が村西とおるの人生の中で瞠目したのは、事業で頂点に登りつめ、贅沢を極めるまで成しえた彼のビジネス・センスや嗅覚ではなく、むしろ会社が倒産し、巨額の借金を背負うというドン底に落ちた後に発揮される村西イズムとも言える、独特の姿勢や態度、思想である。例えば、彼は五十億円という借金を背負い、身の危険に及ぶ厳しい取り立てを受けようとも自己破産や子どもを稼ぎのネタにする選択を断固拒否する。本書を読み始めた当初、これら村西とおるの態度が私には不可解に映った。私であれば、なりふり構わず借金地獄から逃げることを最優先とするだろうから。しかし、何度か本書を読み返しているうちに、この村西イズムとも言える彼の姿勢や態度、思想の中にこそ、後悔しない生き方の秘訣があるのかもしれないと思えてきたのである。

まず、後悔しない生き方とは、どのような人生かについて考える。死を前にすると、人は自分の人生を振り返るのが自然なのだろう。人生の喜怒哀楽を思い出し、その中で、「我が人生に悔いなし」と本音で言い切れるならば、それは最上の人生だ。ただ、「○○をやっとけば良かったなぁ」とか、「○○の失敗がなかったらなぁ」と悔いを残す人もいるだろう。前者のやっとけば良かった類の後悔は、その当時に世間の常識や周囲の基準に流されて、自分の気持ちに素直になれなかったことで、例えば、独立起業や田舎への移住を周囲の反対で諦めたなどが当て嵌まると思う。また、後者の過去の失敗をひきずる類の後悔は、失敗を失敗で終わらせてしまうことで、例えば、受験や就職の失敗で人生が狂ってしまったなと思い込み、その失敗を人生や成功の糧にできなかったなどが当て嵌まると思う。ではこの点について、本書主人公・村西とおるの場合はどうか?本書を通読すれば明々白々たるところで、彼は高校卒業後の上京から今日に至るまで、やりたい!と思ったこと、やるべきだ!と思ったことは、全て実行している。そして、この村西イズムの真骨頂は、会社が倒産して借金五十億円のドン底に落ちようともなにも変わらないのだ。“人生を諦めちゃいけないってのは、おれ自身のモチーフなんだよ。諦める所以がなにひとつない。”(P.576) ここまで言い切る村西とおるに、憧憬の念を抱いたのは私だけだろうか。

では、諦めを知らない村西イズムの要諦は何なのか?結論から言えば、村西イズムの要諦は、確固たる自分軸を持って物事を捉えるところだと私は考える。ここでの自分軸を持つとは、自身の内なる基準で判断するという意味で、たとえ世間や周囲の当たり前とは違っていようと自身の判断基準を優先できるということだ。例えば、五十億円の借金を処理するために銀行は自己破産を勧めるが、彼は断固拒否する。これは、本書にもあるようにそのような前例がないことからも、村西とおるが一般人の当たり前の外で悠然と判断を下していることが分かる。また、一般的には悪い話ではなさそうな子どもの教育に関するビジネスオファーは、彼のプライドが全て一蹴する。 “物事の客観的な考え方ってのは、この世に一つもないと思っているわけ。全て主観ですよ。どう考えようなんて、おれ次第”(P.67)これが、私が思うところの村西イズムの要諦の確固たる自分軸であり、たとえ、周囲が疑問を持とうとも彼が良いと思ったら、良いものになるのだ。そんな村西とおるにかかれば、借金五十億円は、五十億円“も”ではなく、五十億円“くらい”と軽くなってしまうのだろうし、また会社が倒産して借金を背負ったことさえも失敗だと捉えていないのだろう。このように確固たる自分軸で物事を捉えることで、彼には、「○○をやっとけば良かったなぁ」とか、「○○の失敗がなかったらなぁ」という思いに至ることがない。要するに、村西イズムの中に「後悔」という文字などないのだ。

最後に、確固たる自分軸の作り方を考える。繰り返しになるが、自分軸を持つとは、世間や周囲の当たり前とは違っていようとも自身の判断基準、言い換えれば自身の当たり前を優先できることだ。では、「世間や周囲の当たり前」と「村西とおるの当たり前」の根本的な違いは何か?それは、死というものを真剣に意識して生きているかどうかではないかと私は考える。本書によれば、村西とおるが死を真剣に意識したのは、中学二年生の時だ。そして、この事がきっかけで人生は一度きりなのだということを自覚し、後に親の反対を押し切って上京するという重大決意をしている。そして、今でも彼が死と真剣に向き合っていることは、“自分がその『死』というものを受け入れる存在なんだということを納得したときに、目一杯生きる意味、生きる喜びを確認して死んでいこうと思えるんだ。”(P.681) から分かるだろう。翻って、死というものを真剣に意識し、向き合って生きている人たちは世間にどれほどいるだろうか。少なくとも、私は村西とおるのような真剣さを持って死に対峙したことはない。そして、この彼の死に対する意識、死生観こそが確固たる自分軸の根底にあるのではと私は思うのだ。つまり、目一杯生きて、生きる喜びを日々確認することこそが、確固たる自分軸を作り上げる過程であり、延いては後悔しない生き方の秘訣になると思うのだ。


~終わり~
投稿者 Cocona1 日時 
村西とおる氏は「信じさせること」の天才だ。これが、私が本書を読んで一番感じたことである。彼が発する言葉はエネルギーを持っており、とりわけ彼の言う「大丈夫」は強い。この強い「大丈夫」を受け、多くの女性が彼を信じ、彼の作品への出演を決めていった。そんな場面が、本書では何度も登場する。私も彼に説得されたら、出演を決心するかもしれない。そんな気持ちにすらなったものだ。

私は読了後、「私も村西とおるになりたい」と思った。もちろん、彼のような波乱万丈な人生を送りたいわけではない。私は、彼の持つ「信じさせる力」を身に着けたいのだ。なぜならそれは、人を相手にするどんなビジネスにも、欠かせない能力だからだ。

村西氏の仕事に限らず、相手に自分のことを「信じてみよう」と思わせることは、ビジネスにおいて大事である。「あなたを信じます」と言わせるところから、ビジネスが始まると言っても過言ではない。なぜなら、ビジネスの始まりは互いに相手のことが分からず、信じていいのか、探り合いだからだ。「信じさせる力」が足りない場合、自分を信じてもらう裏付けとして、エビデンスやプレゼン資料が必要になるのだ。

では、村西氏の「信じさせる力」のもとになっているのは何なのか。本書によるとそれは、「応酬話法」と「笑顔」である。さらに「応酬話法」で大事なポイントとして、「相手を理解する能力」と「説得する情熱」が書かれていたので、ここからはまず、この2点について掘り下げていきたい。

最初は、「相手を理解する能力」である。私は、村西氏の「相手を理解する能力」を言い換えると、「共感力」だと考えた。ここで言う「共感力」とは、相手が一番言ってほしい言葉を見つけて、言ってあげる能力のことである。教材を売るときも、女優を出演に口説くときも、村西氏は相手の不安を先回りして、解決策を提示している。その、不安に寄り添う力こそが「共感力」である。言われる側からすると、自分の不安を見事に汲み取って、ケアしてくれる彼の言葉は、安心につながったのだろう。

さらにもう一つ大事な、「説得する情熱」について。著者はP818にて、多くの女性たちが彼の作品に出演した根幹的な理由として「情熱」を挙げている。確かに村西氏の情熱はすさまじい。P337では、「情熱を込めて道を説く男に根負けした」とも書かれているが、彼の情熱的な説得を読むと、出演女優たちが「信じてみよう」と心動かされた様子に共感できる。

このように、村西氏の説得力の中心である「応酬話法」は、「共感力」と「情熱」で成り立っている。そしてこの2つがそろうことで、彼の言葉は聞く者の「不安」を「安心」に変え、説得に応じさせているのだと分かった。

さて、本書によると、「応酬話法」とセットで大切なのが、「笑顔」だという。本書では、村西氏が笑顔を大事にしていたエピソードがいくつも書かれている。自身の笑顔。弁護士の笑顔。出演女優の笑顔。

しかし私は日ごろから、日本人の男性は笑顔が苦手だと感じている。一方、外国人の男性の場合、エレベーターで一緒になったり、道を譲りあったりする一瞬でも、魅力的な笑顔を見せる人によく出会う。私は、日本人男性が笑顔を苦手とするのは、かつて日本で「寡黙な男性」が評価されたことが理由だと考える。特に本書に書かれている時代は、笑顔の男性は今よりももっと少なかっただろう。なぜなら、今よりもさらに「静かに強い男性像」が求められていたと想像できるからだ。そんな当時の日本において、村西氏の笑顔は珍しく、それゆえに強力な武器になり得たのだと思う。

私は、男性に限らず時代によらず、笑顔は大事だと考える。というのも、笑顔には人を安心させる力があるからだ。同じような相手なら、笑顔の人と時間を共にしたい。誰もがそう思うことだろう。私も、笑顔の大切さはよく分かっているつもりだったが、心に余裕がなくなると忘れがちである。しかも、今は人前でマスクをしていることが圧倒的に多く、笑顔を表現しにくくなっている。今こそ笑顔を大切にしなければと再確認した。

ここまで書いてきて私は、「応酬話法」の「共感力」と「情熱」、そして「笑顔」。これらがすべて、聞く人の「安心」につながっていることに気がついた。相手に全力で「安心」を与えることこそが、村西氏の「信じさせる力」なのだと、私なりに結論づけた。安心をいっぱい込めているから、彼の発する「大丈夫」は強いのだろう。

冒頭にも書いたように、村西流の「信じさせる力」は、あらゆるビジネスに必須である。しかし、私はビジネスで付き合う相手に「この人なら大丈夫」と思ってもらえているだろうか。安心を与えられているだろうか。「共感力」「情熱」「笑顔」。来年はこの3つを心がけ、「信じさせる力」を身に着けたい。そう意識することで、自分の仕事において私も、村西とおるになれるかもしれない。
 
投稿者 daniel3 日時 
人生で大切なことはすべて「村西とおる」から学んだ。

こんなタイトルで本書の感想文を書いてみようと思うが、決してあやしい内容ではない(笑)。私が村西とおるから学んだ人生で大切なことは、「人生の終わりを意識すること」である。本書はAVの『元』帝王である、村西とおるの半生についてのドキュメンタリーである。前科7犯、借金50億、米国司法当局から懲役370年の求刑など、この内の一つでも自分に起こったら、大抵の人間は人生を諦めるかもしれない。しかし、村西とおるは生きることへの執着を手放さなかった。その理由が「人生の終わりを意識すること」にあると思う。次の段落で詳しく説明する。

村西とおるが「人生の終わり」を意識せざるを得なくなった出来事は、本書の随所で読み取れる。ある時は、5千万円を借りている男から、「金はいらないからこのダムから飛び降りてくれ」と言われた。またある時は、人生に絶望を感じて車を運転する気力を失い、そのままアクセルを全開にして死んでしまおうかと思うこともあった。しかし、そうした死地を間一髪でくぐり抜け、のちにインタビューを受けた際には次のように述べている。「なぜ女を美しいと思うかというと、死ぬから。死がなければ何も感動もしないし、何も思わないよ。死があってこそ、性のたぎりがある。その究極がエロスだろうと、ね。だから生きるんだよ。永遠なんてくそ食らえだよ、どう?ナイスだろ(P.681)」ゲーテの「光が強ければ影もまた濃い。」という言葉を思い出させる言葉だ。死という終わりがあるからこそ、対極にある生が輝き、性もまた際立つということだろうか。死と言う影をリアルに感じた時、これまでの人生のありがたさを改めて感じたのではないだろうか。それは後のインタビューで「振り返ってみるとラッキーな人生だったよ。人に恵まれ、運に恵まれ。命ここまで長らえることができて感謝の言葉しかないよ。(P.680)」と語っていることからも読み取れる。村西とおるは、自身の波乱万丈の人生を生き抜くことで、歴史上の偉人と同じ境地に到達したのかもしれない。

「人生の終わりを意識すること」について別の角度からも説明する。自己啓発書の世界的ベストセラーである「7つの習慣」の中で、終わりから考えることの重要性が次のように述べられている。「もし、はしごをかけ違えていれば、一段ずつ昇るごとに間違った場所に早く辿り着くだけである。」最終的にどこに向かいたいのかわからない状態でガムシャラに進むだけでは、誤った場所に早く到達するだけだ、という意味の言葉である。ダイヤモンド映像が事実上倒産する以前の村西とおるは、まさしくガムシャラに突き進んでいた。それは、幼少期の貧困から這い上がるためであっただろうし、日本がバブルへと突き進む波に飲み込まれていたからでもあったと思う。しかし、バブルが弾け、村西とおるは個人として50億もの借金を背負ってしまった。自己破産する選択肢もあったが、村西とおるは途方もない借金を返し続けた。ある時は蕎麦屋のサンドイッチマンとして、ある時は売れそうもないタオルを売り歩いた。ホームレスに間違われることもあった。ある時は血の涙を流しながら8,000万円を借りた。日本一のセールスマンや、年商100億の会社の経営者を経験した者にとっては、屈辱の日々であったであろう。それでも人間をやめることはなかった。なぜなのか。その理由が、「人生の終わりを意識すること」にあり、死の影によって浮かび上がる生の尊さにあると思う。結果的に20年以上も人生のどん底で生きることになってしまったが、一緒についてきてくれる妻と、息子の成長のかけがえのなさに気付くことができた。猛烈な忙しさでも、自分を信じてついてきてくれるダイヤモンド映像時代の仲間がいた。「僕がいまあるのはね、村西監督のおかげなんだよ」という言葉で、死地から救ってくれたイエローキャブ野田社長がいた。人生のどん底を知るAV界の『元』帝王だからこそ、彼の人生には常人では到達することができない深みが生まれていると思う。

以上、村西とおるという男の半生から考えたことを述べてきて、「人生の終わりを意識すること」の大切さを認識した。最後に「7つの習慣」には、人生の目的を改めて考えるために、自身の葬式で参列者に述べてほしい言葉を考えるというワークがある。村西とおるがこのワークに取り組んだことがあるかはわからないが、その言葉は決まっているはずだ。

「あなたの人生、ナイスですね」

これ以外にはないと思う。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、自分の人生を生きる事から、逃げ出さない大切さを改めて感じました。

本書の主人公村西とおるがオーナーを務めていた、ダイヤモンド映像は1992年に負債額50億円を超えました。銀行やノンバンク、闇金からも金を借りるまでに落ちぶれてしまいました。

それでも、彼が自己破産をしなかった理由は、逃げたくはない、諦めたくはないという一心だったのではないかと考えます。

人は周囲の人達と関わりを持ち、その人達と長く密接に交流する事で信頼が生まれます。もしも、自己破産をして借金の支払いを免除してもらえても、周囲の人達から得ていた信頼を失ってしまう事になるというのも理由の一つと考えます。

自分がどういう人間なのかを決めるのは自分ではなく、他人であるという事を知っているのであれば、自分と関わっている人達に、迷惑や不安感を抱かせないようにしたいと思うものです。

彼自身も、出会って来た人達から恩を受けて来た経験があり、恩を与えてくれた人を忘れず、恩に報いるということを続けています。ホスト時代の上司を、ダイヤモンド映像の代表取締役にしたり、失業しているという裏本時代の仲間を営業職に雇入れたり、ビサが切れて不法滞在していたブラジル人女性に帰国費用を与えたりしています。

そして、多くの他人と関わってきたからこそ、村西さんの仕事はすごい、と自分を知る周囲の人達から評価されることによってはじめて、自分という人間はここがすごいのか、と自分が自分を知ることが出来るのです。他人が自分を規定してくれるからこそ、他人へ迷惑をかけないように努力するのです。

だからこそ諦めず、自分が生きる限りはまだまだ、挑戦し続けていかなければいけない事を知っているから、村西とおるは諦めないのだと思います。もしも、彼が諦めたと言うのは、死ぬときかも知れません。

また、村西とおるが言っている、「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! おれがいる。」という言葉にも、彼が自分の人生に対して、如何にしぶとく生きることを諦めようとしないかを物語っています。

懲役370年を求刑されても、前科7犯になってしまっても、それをネガティブに捉えるのではなく、普通の人が体験したことが無い経験を出来たとポジティブに捉え、その経験を多くの人達に知ってもらいたくて、本書に自伝を書かれるのを許諾したのかも知れません。

自分も含めて村西とおるの生きてきた人生を知らない、今の若い人達が、仕事や私生活で失敗したときに、彼の歩んできた人生を知れば、自分達が経験した失敗や挫折と比較しても、まだまだ頑張れると思えるからです。

彼のように、たとえ世間から常識知らず、恥知らずと罵られても、自分が生きていく限り、自分の道を通して生きていくという事は、結果として自分の人生になります。

もしも、他人が求める自分の人生を歩まなかったとしたら、自分が死んだ後、自身への他人の評価は決して高いものでは無く、むしろ自分勝手で悪い奴だった、という一言の評価で終わってしまいます。

自分が彼のような全く同じ人生を歩めないとしても、この先の自分の人生から逃げ出さずに、彼と同じくらいに周囲の人達に恩を受けたら返す、自分を規定してくれる他人を気に掛ける、という気遣いの心を忘れないようにしたい、と本書を読んで考えさせられました。
 
投稿者 Terucchi 日時 
“人生を生き切る”

なぜここまで自分の人生を生き切ることができるのか。富と名誉を手にした成功から、一転、50億の借金となってしまい、天国と地獄の両方を経験している。普通の人であれば、50億の借金となれば、自己破産した方が楽である。しかし、村西とおるの美学は違う。この本を読んでいると、他人事のはずであるが、非常に辛く切ない気持ちになった。と同時に、したたかさを感じた。このように思ってしまうのは自分が凡人だからかなのか。私は村西とおるについて、この切なさとしたたかさの両面から書いてみたい。

まず、切なさについて考えてみる。p586にあるが、『日本で最も荒っぽく金をばらまいていた男がいま、もっとも金に苦労している』とある。絶頂からの転落は、例えると、ジェットコースター、天国から地獄、栄枯盛衰、アリとキリギリスなどを思い出す。良かった時があった反面、それと対比して辛さは倍増してしまうと感じてしまう。とても悲惨な状況を苦しんでいるようにも思えるが、もし村西とおる本人に同情すると、本人の口からは同情は不要だと言っている。なぜなら、ジェットコースターのようであるが、人よりも十分満足な人生を味わっているからだ。おそらく、この人間にとっては凡人のありふれた生活の方が暇であり我慢できないのだ。キリスト教では「神は乗り越えられない試練を与えない」という言葉があるが、普通に見て、あまりにも大きな試練を与えている。普通の人間であれば、50億の借金となって、借金取りから催促されるような人生を耐えられるだろうか。もし私が同じ状況であれば、率直に言って、無理だとしか思えず、早々と自己破産してしまうであろう。自分が巻いた種とはいえ、またアリとキリギリスのように、良かった時に不遇になることを考えなかったことは自業自得だ、と言い切ってしまう捉え方もあるだろうが、それではあまりにも切な過ぎると思えるのだ。

次に、したたかさについて書いてみる。そんな借金の中でも、村西とおるは「したたか」に生きているのだ。それはp554の高利貸しの会長が人間の裏を観察しながら、貸したり貸さなかったりを決めていることに対する行動である。エレベーターの中でも見られていると想定して、芸をしているのである。本当の窮地にエレベーターにマイクがあるのかどうかもわからず、そういうことができるものなのか。ところで、「したたか」の言葉をネットで調べてみた。すると、「ずる賢い」「しぶとい」などの意味があり、正しく当てはまると感じた。そもそも、百科事典の営業の経験も「したたか」があったからであろう。ただ賢いだけではダメ、ズルいのはダメ、しかし、ズル賢くなければならないのだ。そして、しぶとくなければならないということであろう。たぶん、今の令和や平成の賢い人間を指す言葉ではないだろう。昭和時代の賢いとはこのような「したたか」な人間を指すのであろうということを思い出してしまったのだ。究極のどん底から這い上がるにはこの「したたかさ」が大切だということに気付かされたのだ。

ところで、村西とおるにとって、自分が生きてきた人生に後悔はないのだろうか?おそらく、後悔はあるだろう。しかし、その後悔は私たちが思うものとは違うはずである。なぜなら、本人にとってやり過ぎたという後悔はなく、むしろ、やり残したことばかりの後悔だからだ。言い換えると、あれもやりたかった、これもやりたかったという後悔だろうだからだ。そして、そう思うのであればこそ、今も精力的に動いているのだ。やり残していることがあるからこそ、生きるのだ。満足してしまっては生きている理由がないのである。いつ満足するのだろうか。村西とおるは2013年に50億を完済してもまだまだ飽くなきチャレンジしている。恐るべし、である。

最後に、この本から学び、自分にできることを考えてみた。もちろん同じ人生の境遇で同じことをできる自信はない。そんな中で、本の帯に書かれた『人生、死んでしまいたいときには下を見ろ!おれがいる』である。私自身、今仕事において、自分にとっては手に余る大きな責任を持って、客先のトラブルの対応をしている。正直、逃げたい気持ちがないとは言えば嘘であるが、何とか乗り越えたいと本音で思っている。そんな状況で、この本に比べれば、私の仕事なんて、紳士的であり、大したことではないのではと思えてしまう。もちろん、自分にとっては大変であるが、村西とおるの状況に比べれば、まだマシだ、大したことではない、と思えたのは、実は自分の心に少し余裕ができたと感じたのである。そして、何より大切なのは自分にとって与えられた人生を生き切ることなのではないか、である。人それぞれ生きる意味や大変さは違うが、人それぞれの人生を自分らしく生き切ることが大切だと思う次第である。自分も自分らしく生き切っているだろうか。そう問いながら、今後の人生を生きていきたい。
投稿者 mkse22 日時 
「全裸監督」を読んで

本書は、AVの帝王と呼ばれる村西とおるのこれまでの人生について書かれた本である。

本書をよむまで私は彼のことをよく知らなかった。村西とおるが世間を騒がせていた時期(主に1990年代)というのは、私が中学や高校に通っていた時期である。当時、私は週刊誌やワイドショーに興味がなく、さらにはインターネットも現在のように普及しているわけではないため、彼のことを知るきっかけはほぼなかったからだ。
ただ、「ナイスですね」というフレーズは知っていたので、どこかで彼の口調を真似た芸人かなにかを見たことはあったのだろう。

本書を通じて、初めて村西とおるの生きざまを知ったわけだが、終始、私は彼に圧倒されっぱなしであった。彼は並外れた情熱をもっており、一旦物事をはじめるとどこまでもやり続ける男だった。

『ただ、世の中を変える力を秘めている男だからこそ、言いたいこともある。村西は〝やり続ける〟男である。自らがプレイヤーという点でもそうだが、まるで恐れを知らないような彼の生き方を見ていても、そこにはいつも頂点をめざして闘い続ける男の姿がある。』(p.634)

この情熱はどこから生まれているのだろうか。彼の情熱の源泉、それは「自身の死」にある。

村西とおる自身、ずっと死と永遠について悩み続けており、最終的に永遠に続くものはないことを受け入れることができた。それは自身の死は不可避であることを受け入れたことも意味している。自身の死を受け入れたからこそ、その有限の生を目一杯楽しもうとしているわけだ。

『自分がその〝死〟というものを受け入れる存在なんだということを納得したときに、目一杯生きる意味、生きる喜びを確認して死んでいこうと思えるんだ。』(p.676)
『死がなければ何も感動もしないし、何も思わないよ。』(p.676)

この有限の生を目一杯楽しもうとする気持ちが情熱となってあらわれる。
そして、その有限の生の中で最上級の楽しみがエロスというわけだ。

彼の余りある情熱は応酬話法のなかでも利用されている。

『村西とおるの応酬話法の神髄は、テクニック的に言葉を繰り出すのではなく、自分が話すことは相手のためになるという確信を、情熱をもって語ることである。かくして全存在を賭けた言葉はおのずから繰り出してくる。」(p.68)

これは、彼が相手を説得する際には、自分の利益だけでなく相手の利益も考えたうえで、情熱をもっておこなっていたことを意味している。ただ、その与える利益が、通常をはるかに超えていたわけだ。
下記はその一例である。

『専属女優たちに高級ブティックで一晩五千万買ってるんだから。四谷の制作室があったあのマンションの下のブティックですよ。松坂季実子の一点物ドレスなんか五、六百万するのよ。黒木香にだって何千万も衣装買ったし。』(p488)

村西とおるは、死を受け入れることで、生に対する余りある情熱と、さらには相手に過剰なまでに報いたいという気持ちを持つようになったわけだ。

彼のこの生き方は、私に次のような疑問を抱かせるきっかけとなった。

私は「死を受け入れる」ことの意味を本当に理解しているのだろうか。
今の生活が永遠に続くとどこかで思っているのではないかと。

私がサラリーマンだからかもしれないが、日々の生活がどうしてもルーチンワークとなりがちだ。そして、この生活がずっと続くとどこかで思っている。

物事には必ず終わりが来る。私はすでに40代で定年や老後が見え始めた年齢だ。終活ではないが、自分の終わりについて本格的に考える必要のある時期である。

もちろん、頭では死については理解しているつもりだ。永遠に生き続けることはありえない。ただ、自分の死が徐々に迫っているという実感がわかないのである。人生100年と考えたら、まだ半分にも到達していないしと考える自分がどこかにいる。

やはり私は死をどこか自分とは関係のない話と考えているのだろう。もしくは、無意識のうちに、死を無視しようとしているのだろう。だから、死を直視できない自分がいる。

死を受け入れることが今後の私の人生において必要なことであると感じた。

ただ、どのように死を受け入れればよいか正直わからない。
さらに、世の中には、死を直視することを妨げるものはいくらでもある。
よい例は仕事だろう。
生活のために仕事をする必要がある。これは事実だが、仕事を言い訳に、死を直視しないようにしている自分がいる。仕事に没頭していれば、死のことを考えなくてよいからだ。

しかし、死を無視したままでは村西とおるのように、自分の人生に情熱をもつことができない。

自分の人生を輝かせるために死を受け入れる。
なんとなく矛盾しているように感じるが、このことが必要なのだろう。

興味深い本を紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 str 日時 
全裸監督 村西とおる伝

私自身、世代が異なるため“村西とおる監督作品”に触れることはなかったが、近年のドラマ化が話題になったこともあり、名前は聞いたことがあった。本書を読んだことで、まるでフィクションのような半生を歩み、如何にエネルギッシュな人物であったかを知ることが出来た。日本のアダルト業界の形を築き上げた第一人者と言っても間違いではないだろう。とはいえ業種が業種なだけに、まさか学校の授業で偉人として紹介されるなんてことはこれから先もないのだろう。特に現代ではフェミニストからの批判やメディアの厳しい表現規制もある。加えて多額の借金に前科。たしかに“善人”だとか“偉人”といった表現からはかけ離れているものの、億万長者からどん底に落ちても諦めず、這い上がる姿勢や力強さには不思議な魅力がある。

幾度逮捕されようが、50億円の借金を抱えようが、それ以上に成功を収めてきた実業家であることは紛れもない事実である。村西氏自身、得意とする応酬話法を軸に、『自分自身の成功体験を確立するまでに汗水垂らして頑張り、情熱を不動のものにする』と語っている。“失敗から学ぶことは多い”とはよく言われるが、“失敗は固定観念を打ち破る”としてそのまま活かし、突き抜けていく。方法を変えるとか改善点を見つけるだけでは、質の良くなった似たようなモノになってしまうかもしれないが、失敗をヨシとして正解ルートにもっていくことが新しいモノを生み出し、成功に繋がるのだろう。

『情熱』を糧とし、まさしく波乱万丈な半生を突き進んできた村西氏。はじめの内は「この人ちょっと生き急ぎ過ぎでは?」という印象を受けてしまったが、人は誰でもいつか死を迎えるもの。終わりがあることを理解し、受け入れているからこそ今を精一杯、楽しく生き抜こうとしているだけなのかもしれない。人生の内で大きな失敗をしても、どん底に落ちたとしても再起はきっとできる。「なんとかなる」というより「なんとかできる」ということ。実際、私が生まれた年のころには既に業界で名を馳せていた人物が、晩年になり書籍やドラマ化という形であれ、また表舞台に舞い戻ってきていることに唯々驚く。自分は別に名を残したいとは思わないし、死に際が幸か不幸かは分からないが、後悔だけはしない生き方を考えていこうと思う。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、AVの帝王と呼ばれた伝説の監督、村西とおるについて記したノンフィクションである。ノンフィクションとは思えないほど現実味のないエピソードの数々に、私は何度も言葉を失った。目次に並べられた数字を見直すだけでも、村西とおるの壮絶な人生を垣間見ることができる。村西とおるという人間を一言で表すなら、「狂気」という言葉が相応しい。ビニ本の小売店展開を進め、逮捕された後はAV制作に加えて自ら監督や男優を務めるなど、法律すれすれのアウトローを突き進む。私のような一般人からすれば、遠い異世界の話だ。ただ、何度となく地獄を見た村西とおるの半生を体験できたことで、私は自分の身に降りかかるピンチなど大したことではないと心底思うことができた。本稿では、「狂気」の人生を歩んできた村西とおるの逆境と、氏の逆境への立ち向かい方について掘り下げてみたい。

本書で語られる村西とおるの逆境、その1はビニ本販売の北大神田書店で大成功を収めながら、逮捕によってグループ解散に追い込まれた時だ。一文無しになった村西とおるは、再起をかけてAV制作に乗り出す。ところが、エロのことには精通していても、映像のことは全く分からない村西は、現場で孤立してしまう。完成した作品も、評価されない日々が続く。ここで村西は、腐らずに「量が質を下支えする」という信念のもと、平均制作本数が月に1~2作品という時代に、毎月10作品以上の制作を続ける。このように「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」路線を継続した結果、ビデオ制作に対するセンスが磨かれることになり、視聴者が求める映像づくりのコツを習得したのだった。この後、村西は少しずつヒット作に恵まれるようになり、評論家からの評価も上昇、会社も飛躍的に売上げを伸ばすことになった。

村西とおるの逆境その2は、ハワイでの現行犯逮捕と懲役370年という求刑だ。最初は旅券法違反による逮捕に加えて、マン・アクト法による撮影クルー15人への責任も累積されて370年という超重刑に問われたのである。日本に帰ることも許されず、日本領事館も力になってくれない。村西は、この時のことを人生において一番辛かったとコメントしている。この絶望的な状況で、村西を支えたものは何だったのか。本書の中では、信念を持つことの重要性が語られている。つまり、「自分は絶対に無罪だ」「絶対に日本に帰るんだ」という強い気持ちを持ち続けて、裁判闘争に挑んだのだ。異国で孤立無援、言葉も通じない中一人きりでアメリカ司法当局と闘うことになった村西は、恐らく幾度も諦めて罪を認めたい気持ちになったに違いない。そのような中で、罪を認めない姿勢を貫き通して司法取引に持ち込み、罰金2千万以上を支払うことで日本に帰国することに成功したのだ。

最後の逆境は、ダイヤモンド映像の社長や社員達の裏切りによって会社が倒産しかけた時だ。村西とおるは、個人で50億もの借金を背負い、借金取りに追われることになる。表社会の金融機関からも裏社会の闇金業者からも金を借りたことで、命の危険に晒される日々。こうした借金返済の苦労とストレスが身体を蝕み、心身ともに限界を迎えたことで、村西は放心状態になり、全てを放り出して自らの命を絶とうとまで思いつめることになった。この時村西の命を救ったのは、ラジオから流れてきたイエローキャブの野田社長の声だった。野田は、ラジオで「今の自分があるのは村西とおるのおかけだ」と発言、この言葉を聞いた村西は、もう一度やってみるかと息を吹き返すのである。この幸運は、ただの運ではないと私は思う。村西とおるは、部下遣いの荒い上司ではあったが、面倒見が良く、窮地の人間を放っておくことができない性格でもあった。こうした面倒見の良さが、土壇場で村西の命を救ったのである。

本書を読みながら、村西とおるを「狂人」と断じて線を引くことは容易い。AV制作という共感しづらいジャンルであるため、村西の行動の数々を自分の身に置き換えて自分事として捉えるのは難しいだろう。しかし、一歩引いて村西を事業家として捉えれば、1つ目の逆境は自身のキャリアを活用しつつ、時代の求めるものを読んで新規事業に進出し、苦手な知識・スキルを情熱と行動量で補ったと捉えることができる。2つ目の逆境も、AV撮影によって米司法当局から訴えられているため、同情することは難しいものの、最上位の目標を定め強い信念を持って闘い続ける姿は、敬意を払うべきリーダーの姿勢だ。そして最後の逆境も、放漫経営による借金であるため自業自得と思えなくもないが、最終的には関わる人に対する面倒見の良さが、回りまわって自身の命を救ったのである。圧倒的な行動量と強い信念、そして人を大事にする姿勢。どれも事業家として、そして成果を出すビジネスパーソンとして欠かせない特質だ。村西とおるという人物を、改めて余計な色眼鏡を外して俯瞰的に捉え直すことで、普遍的な成功者の資質を取り出すことができ、とても有益な読書時間となった。
 
投稿者 H.J 日時 
前科7犯、借金50億円、撮影現場では現在で言うところのパワハラを超え部下に暴行を働くAVの帝王。
幾度も逮捕されても、国は違えば罪にならないという理由を添えて「罪の意識はない」と断言する。
裁判となっても実刑を免れてきたわけだが、そのタネ明かしは賄賂(に限りなく近い行為)である。
こういった面からも無法者な一面を持つ人物とも言える村西とおること草野博美氏。
裁判中にAV監督デビューしたり、個人的な復讐のために真珠湾上空で破廉恥な行為+復讐を完結させる落とし物をしたりなど、破天荒なエピソードも目立つ一方で、
英語教材セールス売上げ日本一位を樹立したり、無一文時代に息子を最難関小学校に合格させたりなど、純粋に尊敬できるエピソードも両立する。
読書中も読了後もエピソードほどネガティブな感情が湧かない不思議な人物である。
これについては著者の本橋氏の表現方法が上手い事はもちろん、草野氏の生い立ちから転落人生までによる同情もあるかもしれない。
ただ、それだけではなく、本書中でインタビューへの受け答えを見る限り、草野氏のポジティブさも大きく影響があると思う。
逮捕されても、借金して血の涙を流すほどの極限のストレスのエピソードを語る時も”過去の話だから”という理由以上にポジティブさを感じさせる。
笑い話に昇華しているところもそう思わせる理由かもしれない。

そのポジティブさとは別に、性という本能的な部分を仕事にしたり、後先考えずに個人的な復讐を実行したり、「ナイスですね」などの直感的な言葉選びのセンスから右脳的な感覚に優れた人かと思いがちだが、左脳的な使い方にも優れている様に感じる。
応酬話法における切り返しの引き出しの多さや的確さだったり、それを可能にする日頃からの訓練(日常のイメージトレーニングP88)で言語化能力に長けていることはもちろんのこと、
貯めてきた知識を利用してピンチを乗り越える姿などからそう感じた。
例えば、裁判になった時に実刑を免れたエピソードとして、検察の大物人物にチケットを譲り関係を保つことで自分の優位に進めたというものがある。
草野氏がAV監督だと知って近づいた検察の大物人物。当然、芸能関係筋から手に入れられると思ったのだろう。
しかし、手に入れたチケットは芸能関係筋から入手したものではなく、ダフ屋から購入したものである。
日頃からの関係性を築いたことでピンチを脱したというエピソードだ。
AVの帝王という権威が有利に働いたエピソードである様にも思えるが、それはきっかけでしかない。
その裏にある日本における公訴権の知識を持ち、弁護士よりも検察官の重要ポジションに座る人物への根回しという保険が利いているのだ。
これは右脳による直感やイメージによる行動というよりも、左脳による論理的な行動である。
何よりもエピソードを回想するときに理由を付けているところから、左脳的な使い方に長けているように感じた。

冷静に見てみるとポジティブで意外にも左脳的な使い方に長けている印象を持ちつつも、やはり破天荒なエピソードから脱却できない部分もある。
諦めるという選択肢がなく、自分の信じる道を突き進む。
その中で出会った人を巻き込んで振り回して生きていく。
ということが本書からも伝わってくるが、現在の奥さんとの子供が生まれてから父親としての草野氏の心境の変化にも注目したい。
もちろん、最初の奥さんとの間に出来た子供の時は若さもあり、自分の道を一直線に進んでおり、現在の奥さんとの子供の時は年齢的にも40代で借金を抱えている状況と大分異なる。
ただ、それを差し引いても、現在の奥さんとの子供には、立ち食いそば屋やタオル屋などを始めたりアンダーグラウンドな仕事への背徳感が垣間見られる。
更には、借金で苦しいはずなのに息子で銭を稼がないという信念のもとで仕事を断り続けたエピソードにも、視点を変えるとAVの帝王と息子をつなぎ合わせたくないという気持ちもあるのではないかと推測できる。
やりたいことをやり続けて、家族よりも仕事を優先し、時には巨万の富を築き、物価も今ほど高くない時代に毎日ランチに5千円をかけるなどの豪遊し続けた稀有な人生。
その人生の中で、金を失い、部下を失い、命すら失いかけた中で、大切な家族が傍にいるという多くの人が手に入れる幸せを手に入れた。
その幸せだけは手放さないという草野氏の心境の変化を感じた。
 
投稿者 msykmt 日時 
"言葉の力"

自分の理想を実現する。その理想を実現するために、他者を動かす。その他者を動かすために、自分の理想を言葉で描く。その理想を言葉で描く力、つまり言語化能力が、村西の最大の武器なのだ。本稿では、本書のどこからそのように感じたのか、具体例を三つあげることによって説明する。

まずは、営業トークの手法である、村西の応酬話法だ。たとえば、「商品の値段が高い」という相手には、環境的な比較を用いることよって説き伏せる。また、「いますぐ決められない」という相手には、その状況が一回性のものであることを理由に説き伏せる。つまり、その値段やその時間、タイミングは変えようのない事実であるのだけれども、相手の考え方は多様であるため、いかようにも変えられる、という真実を村西は徹底的に活用しているのだ。このように、自らの理想を実現する理由や意味、すなわち、なぜそれをする必要があるのか、あるいは、なぜそうあることが美しいことなのか、を徹底的に言語化することによって、相手の行動を自分の理想へ誘導するのが容易になるのだ、ということを理解した。

つぎに、村西が言語化の訓練を日常生活で習慣化していた、ことだ。どういうことかというと、たとえ目の前にお客がいなくとも、日常で目についたものを、いかにお客にとってそれが必要であるものなのか、その理由を言語化することによって、シミュレーションするのだ。たとえば、目についた自販機やら、飲料やら、車やらを対象に。さらにそのシミュレーションは、お客に売りつけるための商品にとどまらず、横断歩道を渡らぬ相手に、横断歩道をいかに渡らせるか、といった、いかに相手に法令を遵守させるのか、という理由の言語化にまで敷衍する。このように、いかに相手に動いてもらうのか、その理由を言語化する訓練を常日頃行うことが、言語化能力をピカピカに磨くのには必要なのだと理解した。

さいごに、ろくでなし子がわいせつ物頒布等の罪で逮捕されたときに出された、村西のコメントだ。これは大きな反響を呼んだ、とある。このコメントに書いてある内容は、いわゆる昔よくきいた「わいせつなモノなどない。わいせつな心があるだけだ」という趣旨のものだ。しかし、それを説明する言葉の分量に感嘆する。おそらく、このコメントはインタビューの書き起こしなのだろう。だから、実際はもっと多くの言葉で語られたものをまとめたものなのであろう。それにもかかわらず、日本国内での見解の相違や、他国との比較を用いた説明には、文庫本6ページ分の言葉が用いられている。このように、相手に自分の意図を伝えるには、なぜ自分がそのように考えるのか、その理由をそれ相応の言葉の分量で説明することが必要なのだと理解した。

以上により、自分の理想を実現するために、言語化能力が必要であること。その能力を磨くためには、常日頃から言語化の量稽古が必要であることを理解した。だから、自分の理想を実現するためには、村西が少年時代からそうしているように、古典をはじめとする読書によるインプットと、常日頃から言語化の量稽古によるアウトプットの両面を続ける必要があると考えた。
 
投稿者 vastos2000 日時 
村西とおる監督はスティーブ・ジョブスやリクルートの江副浩正さんに似ている。自分が行だと決めた道を突き進むパワーや浮き沈みの激しさが。そんな村西監督が令和の日本で存命で、週刊誌に連載を持っているということに感心した。実際に今生きている人間の話であるということにリアリティを感じるとともに、今の10代の若者には元号が二つ前の時代の話はピンとこないだろうなぁとも感じた。

第2章で主に書かれていが、村西監督はエロの一大コングロマリットを築き上げる前は百科事典・英会話教材のセールスマンをやっていた。この部分が面白かった(マネはできそうにないが)。
私もかつては個人宅を相手の飛び込み営業をやっていたのだが、なかなか自分の売る商品に自信を持てずにいた。正確には、取り扱っている商品にマッチしない人に対しても売り込まなければならないことに心苦しさを感じていた。どのように考えれば村西監督のように、『自分が話すことは相手のためになるという確信を、情熱をもってかたること』ができるのだろうか。レベルが違うのだが、私も新卒で入った会社では応酬話法のロールプレイングをやったものだが、まだプロ根性が身についておらず、応酬話法はへりくつであると感じたものだった。現在は営業職ではなく、むしろ買う側の業務が増えたが、取引先に一人だけ、「ザ・昭和の営業マン」といったタイプの人がいて、猛烈な営業を受けるが、のらりくらりと営業攻勢を受け流しつつ感心する。
私自身が営業自体に数多く「断られる」経験をしているので、逆の立場になったときに断ることが(平均よりは)できるだと思う。今の仕事についてからコンペの結果、落選となった取引先に連絡する時や、子どもの習い事をやめると告げに行った際に、その事を感じた。
だが、日本には多くの「Noと言えない人」がおり、それらの人が村西監督のような情熱をぶつけられると断り切れず、その気になってしまうのだろう。

19章には現在のAV事情も書かれているが、今は希望者が多く、プロダクション側が断っているという。その事に驚くとともに、村西監督のような口説き(説得)の技術が生かされる場が狭くなってきていると感じた。SNSをはじめ、ネットで集客し、販売(契約)から決済までオンラインで完結してしまう現在では、対面での営業力よりも、セールスライティングの能力とマーケティングの能力を併せ持った人のほうが稼ぎやすくなっているではないだろうか。また、ネットを介したコミュニケーションが増えているいまの日本では、村西監督のような破滅的で情熱的な人間は生まれづらくなってきているのだろう。なぜなら情熱をぶつける対面でのコミュニケーションの場が減ってきているから。そして、少子化と人口減少で、昭和後期から平成初期にくらべると、何事につけ競争が緩くなってきているから。よく言えば洗練されてきているけど、同時に過剰なエネルギーをぶつける場もなくなってきているように感じる。

どのみち、私は村西監督のような生き方はマネできないし、うらやましくもない。中流家庭に生まれ、私立大学にも行かせもらった。新卒で入った会社はなかなかブラックだったが、そこで鍛えられたので、その後のキツい時期も乗り越えられた。それらを考えるとおそらくは村西監督よりも恵まれていたと言える。しかし、だからこそ、大勝負に出る必要性も感じずにここまで生きてきたのだと思う。
他の人物の評伝などでも共通することだが、人間、本気になればかなりの無理が利く。村西監督も今の奥さんと結婚するまではほとんど休み無く働いてきたし、50億の借金を背負っても自殺もせず、殺されもせずに生きている。まさに『人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! おれがいる。』がぴったりとくる人物だ。
 
投稿者 winered0000 日時 
全裸監督を読んで

村西とおる氏の人生は人も羨む経済的な成功の山と、人から蔑まされる犯罪と絶対に背負いたくない借金の谷があり、そして親として溺愛する子供との平穏な平野もある。
波乱万丈というのにふさわしい人生だと感じた。その人生から何を得られ、自分の人生にプラスになることがあるのか。

自分のことになるが、血統書もない、平凡な学歴であるため、雑草魂でがむしゃらに生きる、というのがモットーだ。村西とおる氏の生き方は参考にしたいところと、参考にしてはいけないところがある。良いも悪いもあるならば、どんな目的を持って生きてきたのか深堀りすることは、自分の人生において有益になるということでもある。せっかく読んだ700ページの本だ。村西氏と自分の比較をして、取り入れられるところは取り入れて行きたいと思う。

一般的に人が働く目的として最もよくあることとして、統計などは確認していないがお金を稼いで経済的に豊かになることではないだろうか。村西とおる氏も『ひと山もふた山も当ててやろうという上昇志向が渦巻いていた』(P44)ということから、経済的成功を目的にしていたのだとうかがえる。では、同じ目的をもった人が成功するかというとそうではない。やはり統計はとっていないが、むしろ経済的に豊かになることができていない人が大多数ということは、なにか他のものがあるのだと思われる。

ヒントになるものは少年時代のエピソードである、牛乳配達の件だ。牛乳の変色に気づいていながら近所のおばさん配達し、翌朝におばさんが出てこなかった。自分が気づいていたのに起こってしまったのは自分の責任として感じたというのだ。
その後の仕事の姿勢について、やるなら自分の思ったことをを全力でやる、ような本書に書かれたエピソードが多い。自らがやりたいことを自ら実践する姿勢としては、AVに自ら出演してまでやりたいことを叶えようとするあたりから察するに、徹底していると言えるだろう。
仕事でも、調整などの上流工程で口だけで手を動かさない人は多いが、口さえも動かせないほど自分の意見を持たない人が多く、スピード感がないと感じることがあるが、そこは村西氏は飛び抜けている。自分でやらずに人にやらせることで組織としての生産性を上げることが正しい組織であると言われることが多いが、それは単純作業や機械的な作業においての話で、感情が入る仕事や人のもつ能力によって成果が1にも100にもなったりする仕事ついては特定の人がやらないと思った結果が出ない。

信じられないほどの借金を作ってしまうことや逮捕されてしまうことから、リスクに関してはコントロールできていないようではあるが、自分の思ったことのために全力を尽くす姿勢については取り入れていきたい。今までも全力を尽くしていたつもりであるが、自分の中の基準を上げることはできるはずだ。

以上
投稿者 1992 日時 

原作の全裸監督を読むよりも前に、Netflixで全裸監督を視聴していました。感想は、豪快で、熱い性格を持つ人間だと感じていました。傍から見ていると飽きることはなく、行動力の凄さにこちらが心配になる程興奮させる人でもありました。しかしながら、彼の起こすムーブメントに巻き込まれるとこちらが火傷をしそうで、知り合いという関係ですら、持ちたくもないというのも実直な意見でした。

原作を読み、彼の漢気や面倒見の良さに好感をもちました。そして、彼の生き様は禍福は糾える縄の如しを体現したようでもあるように感じました。ハワイでの逮捕や未成年を撮影に使用した容疑での逮捕されるが、メディアが彼を取り上げることで、彼の認知アップに貢献しています。そして、認知が上がることで、作品の売上が増えるという流れがありました。加えて、Netflixによる映像化により現代でまたフューチャーされました。彼の汚名が勲章になり、キャッチコピーと化している点からも尋常ならざるパワーを感じます。
平成生まれの私は実際彼の存在を知りませんが、Netflixの全裸監督を見てから知ったという方も平成生まれには多いのではないでしょうか。

不運や不幸を幸運にするにはどうしたらいいのか?これを全裸監督を読み学んだことの一つです。運の要素も、たぶんにあると思いますが、成功するまで行動すること。決して諦めないことが肝心です。と言ったり書いたりすることは簡単です。彼の生き様を感じ、刺激され行動し始めることは誰でもあります。止まりたくなったら、村西とおるの名言である「死にたくなったら、下をみろ。俺がいる」を思い出し、踏みとどまり行動します。