投稿者 gogowest 日時 2021年12月25日
本書は阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店などを作った小林一三氏が各種の事業を、どのような理念のもとに成し遂げていったのかが描かれています。小林氏が、その時々に廻ってくるチャンスと運の流れを利用し、苦難が起きても逆転して、事業をなしとげ、社会に貢献していく展開にとても引きこまれる内容です。
ビジネス的観点で、小林一三氏の業績を考えることは、多くの人がすると思いますので、今回は、易と九星術(「九星気学」ではありません。)、そして西洋占星術の観点から気が付いたところを書きます。
私の視点からすると、小林氏の足跡は九星術や占星学適用のいい事例になっているのです。
1. 小林氏と易の卦
小林一三氏の公開されている生年月日から易の卦を出すと「沢山咸」(命宮)になり、感性の豊かさが感じられます。生年月日から出てくる卦はその人の指針となり、開運のポイントを示しています。その個人の本質を示しますから、このことを知ることが、最初の重要なポイントです。
易の「澤山咸」という卦は感じることを意味しています。感じる能力が優れているということが最初にわかります。分析的な知性よりも、アナログ的な感性がすぐれます。ビジョンを描く力があるのもこの感性からです。「咸」が示しているのは「交感」です。相手があってのことです。ここも業績を理解する上でのひとつポイントになるところです。
さらに「沢山咸」という卦は、恋愛や結婚に関連する卦であるため、多情、多感というキーワードが該当します。これは実際、小林氏は、愛人がいるのに、見合い結婚をしたうえで、すぐに愛人のところに行ってしまうという行動に現れています。勤めていた銀行の世界では、小林氏が結婚に関して、一波乱あったことと小説を書いている奇妙な人と見られていたことで、評価されていなかったという負の面もあります。
この人の着眼点は他の人と異なるところがあり、それがこの人をイノベーターとしているのですが、易卦がしめすとおり本質的に感性的なすぐれた能力があり、小説を書くというような創作能力がこの人の力の源になっています。
銀行に勤めていた時期は取り立てて活躍できない、不遇の時期でしたが、銀行の中で働くことで、係数観念、金利の計算などの能力を身に付けます。これとアナログ的な感性とが結びついて、その後の会社経営に生かしています。
2. 運が巡ってきた時になにをして確かなものにしたのか。
小林氏が銀行に勤めている間は、あまりぱっとしない立場だったのですが、阪急電鉄の前身の鉄道会社の実質的な社長になってから、大きく運がひらけてきます。
生まれつきの感性的な能力の上に銀行時代に身に付けた計算能力が付いたことで、自分が描いたビジョンを鉄道事業により実現させていきます。鉄道の事業のなかでこの人の運を後押しすることを行っています。
結果から見ると、九星術的な法則を事業の成功に生かしています。宝塚に鉄道を通すことは運命をひらくうえで重要だったのです。それは小林氏の命宮方位に重要な拠点を作ったことです。九星術の観点からすると、梅田から宝塚は、小林氏の命宮方位です。この人にとって一生をとおして一番重要な命宮方位に位置する宝塚に温泉施設を作り、さらにその後には、歌劇団まで作って、育てたことが、その後の幸運を呼び入れているのです。(歌劇団創設その後の成功は占星術の木星・金星が示す時期と大きくかかわっています。)
新しい事業を作ることはいろいろな波風が立つものですが、波乱がありながらも、ラッキーのほうに、最終的に転がしていける強さは、ビジネス的な意味での手腕もありますが、以上のような九星的な操作も効いていると思います。小林氏のこの方面のブレーンが誰であるのかは不明ですが、結果的にそうなっています。
次に行った事業は梅田から西側に線路を伸ばすことです。これもまた小林一三氏の身宮方位に相当します。事業を展開する中で、命宮、身宮の両方の方位をつかっていることになります。開運装置が設定されたことになります。
九星術の大運(運の波の長いサイクル)で命宮に六白が巡る期間(これは社長運を示す)に実質的な社長の立場になります。
その次の大運は特に強い時期(命宮に強い星が回座)に、箕面有馬電機軌道の開通と宝塚歌劇団を作っています。つまり強い大運の時期に、その後の事業のために重要な基礎を作っています。
女子唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を正式に発足する前年(1913年)に、準備と訓練に九カ月がスタートするのですが、この年は、小林一三氏の命宮の位置に九星術の七赤金星という星が巡ってきていました。七赤金星は八卦の「兌」であり、これは「少女」、「口に関すること(歌はその一つ)」、「人を楽しませること」という象意を持っています。女子唱歌隊のなかに、この要素がすべて備わっています。このように九星の象意を生かした事業ができています。
以上みたように、その時々のテーマに対して、しっかり対応したことができています。
ビジネス的な才覚も備えながら、九星術が示す大運、さらに単年の九星の巡りもうまくいかしているところが興味深いです。
運がいい人というのは、見えない世界の波にもうまく乗れているということです。
3.危機への対処を適切にすること。
事業には困難がつきものですが、小林氏の困難への対処の仕方も適切な物があります。
特に特徴的な場面として北浜銀行の取り付け騒ぎとその後の出来事があります。
とてもこれは困難な時期ですが、この事件への対応がこの人のその後の幸運を結局、決定づけています。
北浜銀行の取り付け騒ぎのときは、小林氏はこの月、「水天需」の卦が来ています。小林氏のまわりの状況には「天水訟」が来ています。「訟」は行き違いがあることを示し、卦が示す通りの訴訟が岩下氏に起こります。このことはまた小林氏にも塁が及びます。
しかし、易の「水天需」がきている小林氏はこの困難に耐えて、次につながることを行っています。北浜銀行が所有する箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の株を買い取っています。このことが小林氏の会社の基盤を確かなものにしています。
当初の岩下氏の思惑ではいずれ箕面有馬電気軌道は、阪神電鉄に吸収する腹積もりであったのですが、この時、株を小林氏が買うことで、将来的な吸収を阻止することが結果的にできました。
「水天需」はその時は物事が進展しなくても、堅忍持久して時を待ち、後でよいことになる卦です。それがこのとき小林氏の状況を示していました。
4.運をなぜ呼び込めて、成果を出しているのか。
これは以下の三点があると思います。
(1) サイクルのテーマに則った適切な行動をしていること。
易経に「吉凶悔吝は、動に生ずる者なり」とあります。これは方位のことではなくて、吉凶はすべて、その人の行動、立ち振る舞いにより生まれてくるということです。
小林氏は九星術、易、西洋占星術が示す象意に則った行動ができています。特に西洋占星術が示している、その人生周期・大運ごとの人生テーマに沿った行動が見事にできています。占星術の大運は発達のプロセスを表しています。そのサイクルのなかで、公的な利益に生きるべきサイクルが来たら、その通りの状況がおこり、その要請にこたえています。田園都市の開発にかかわったことと、そののち東京電燈取締役就任はそれぞれまさにあたらしいサイクルのスタートの年です。
こういった変化を受け入れる柔軟さが小林氏にはあります。これができない経営者が、社会的に失脚していくケースが多いのと対照的です。柔軟さというのはとても易的な生き方です。
人生サイクルは、単年サイクルではなく、より大きなサイクルで見ることになります。種をまいたら、一定のプロセスを経て、花や実になります。そういったサイクルに合致しています。
(2)描いているビジョンがその時代の要請にこたえていること。
都市化の進展・中産階級の増加をみこして、見合った文化を作りあげる基盤となる電鉄、宅地開発をしています。この事業のなかに郊外文化の発展というビジョンを描いています。東宝は多くの人々に手ごろな価格で、娯楽を提供する視点から事業を行っています。
これは占星術の観点では、小林氏のホロスコープで惑星のパターンの一つ、プロジェクション型がきれいに形成されていることと呼応します。この惑星パターンのまわりの惑星がこのパターンに力を与えています。ビジョンが思いとプランの実現すること、思考の力のパターンです。
(3)危機の時にも、逆転できる布石を打っている。
北浜銀行の取り付け騒ぎに端を発した危機の時にも、上記のように易の卦の意味を生かして、次のために必要なことをしています。小林氏の物事への洞察力がこれを引き起こしているのですが、それは易の卦と符合しています。これは結果的に易の思想を活用できていること。易は変化という面がありますので、易の体系のなかに逆転法則があります。
以上の三点が言えると思います。
5.一つの成功から次の成功に繋げていく
小林氏のホロスコープのなかの金星(若い女性)、月(女性)、木星(幸運)の三つの惑星が宝塚歌劇の創設とその後の成功を示しています。
女子唱歌隊という40歳代のはじめにまいた種が、54歳の時点でモン・パリの成功につながっています。
宝塚歌劇の前身、「女子歌唱隊」を立ち上げた時期の小林氏のホロスコープと、その後の宝塚歌劇の「モン・パリ」の大ブレークの時期の小林氏のホロスコープの示すものは呼応しています。
とくに「モン・パリ」の大ブレークの時期、54歳は、大吉の木星が直接コンタクトをしています。そのため興行は大成功になりました。
創設からその後の成功にいたるプロセスは小林氏のホロスコープ上の構造のなかで一つにつながっています。ホロスコープのなかの一つの構造が現象的に投影されているのです。
ホロスコープの構造は、プロセスとして分析できるものです。単発のトランシットだけ見ていては見えなくなるものがあります。
以上、九星術や占星術を適用した分析は、長くなりましたので、ここで止めます。
大きな視点でいうと、小林氏はホロスコープ的に「活動的知性」が大きなファクターとなっています。まさにそれを具現化した人生であったとおもいます。
(九星術、易、西洋占星術に関する用語が出てきますが、説明は最小限にしています。ご興味のある人は専門書にあたってください。書いている易卦、ホロスコープは今回の論考では、事象が起きた時の時間からすべて出していますので、だれでも検証が可能です。)