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第33回目(2014年1月)の課題本

 

1月課題図書


田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」


です。現代の資本主義社会でこういう会社が生き残っている事をどう考えるべ

きなのか、みなさんの会社とどこがどう違うのかという観点で考えて下さいね。

あらかじめ言っておきますが、『羨ましいと思いました』とか、『ステキな会

社だと思いました』なんて感想じゃ優秀賞はゲット出来ませんぜ。

 

【しょ~おんコメント】

1月の優秀賞

 

今月は38名の方(ダブりを削除し、期限後の方を抜いた正味人数)に書いて頂
きました。ここのところ、これくらいの人数で固定化されて来たようですね。

さすがに先月、「みんなと同じじゃ優秀賞はムリよ」とハッパをかけたせいか、
今月はみなさんすこぶる面白く、


  ● おおお、こういう読み方もあるのか、こりゃ面白い


と頷く文章がたくさんありました。

アップしていない人も、した人も読んだ方が良いですよ。
スゴく勉強になりますから。

っていうか、これを読んだら、この本を読まなくてもどういう本なのか分かっ
ちゃうはずですから。


って事で、こういう月は、選ぶ方は大変だと言う事ですね。

で、あれこれ読み直して3名の方を選び出しました。

t1100967
6339861
andoman

このお三方から誰にしようかと再度読み直し、すべてにバランスが取れていた
『t1100967』さんに差し上げる事にしました。

 

 

【頂いたコメント】

投稿者 sakigake 日時

 筆者はマルクスの資本論を全巻読んだみたいだ。私は大学では経済学科だったが、恥ずかしながらマルクス資本論の要約本を読んだだけで資本論全巻を読んでいない。まず、そのことを恥じた。今の学生は果たして資本論の要約本すら読んでいるのか疑問に思う。
 
 筆者の言う地産地消を前提にした正当な対価で小麦などの原材料を購入し、従業員に正当の賃金を支払う、そしてコストに見合った正当な価格でパンを販売し、余計な利潤(損益分岐点で抑える)を求めない「腐る経済」を岡山の一地域で実践していこうという志にはとても共感が持てる。確かにそこにはマルクスの言う資本主義における資本家が労働者から「搾取」するものは一切ない。
 
 しかし、それは理想論に近いように感じる。資本主義では大きな資本力を持った企業が市場を抑える、そして価格決定力も持つ。アメリカではモンサント社が作為的に収穫量を伸ばせる遺伝子操作の種をもとにした小麦などが作られて、それを原料にしたパンなどの食品がスーパーに安く出回っている。また、抗生剤漬けにされた牛、豚、鶏の肉がキレイに包装されてそれもスーパーに安く出回る。
薬品漬けにされた乳牛から採れた安い牛乳もそうだ。それらの商品がウォールマートという巨大な流通小売業によって、アメリカ各地のスーパーに並ぶ。そういった危険な食品を年々増加しているフードスタンプ受給者が何も疑問を持たずに購入していく。彼らは安いと言って喜ぶ。一部の富裕層のみが有機、自然栽培された食品にありつくことができる。

 方や日本はどうか?アメリカよりもひどくはないが、1996年を境に家計所得が減っている現状では、いくらデフレといえども購買力は落ちており、スーパーのチラシを見て特売品を買う。1円でも安い日用品を買うというのが消費者の一般的な行動だと思う。
本の中でも書いてあったが、大手メーカーが作った100円のパンとタルマーリーが作った400円が同じ陳列棚にのっていたら、100円のパンを買う人のほうが多いと思う。例え、タルマーリーのパンが天然麹菌から作られた付加価値の高いパンだということを宣伝文句としてそこにでかでかと表示していても、それを理解して購入するのは一部のお金の余裕がある人に限られるだろう。またはリピーターだ。それが現実だと思う。
 
 金属加工の世界では昔は職人しかできなかったことが今はロボットで再現される。この前テレビで放映されていたが、書道家の武田双雲先生の文字を筆圧、文字と文字との間、呼吸の間、全てをコピーしてそっくりの文字を書くロボットまで紹介されていて驚いた。グーグルは自動運転の車を開発している。人間の飽くなき技術革新への欲望は衰えることはない。

 グローバリゼーションは否応なしに二極化を促進させる。機械によって置き換えることのできない創造性のあるスキルを持つ人間は使用側に立ちますます富み、機械と代替できる者達または単純労働者はマルクスに言うとおりに、大資本から低賃金で長時間労働を強いられ搾取されるだけ搾取される。トヨタを始め製造業では「カイゼン」の名のもとに、ぎりぎりまでコストを削減させるために日夜、現場作業員は智慧を絞らせ生産効率向上のため長時間労働を強いさせる。
今、進められているTPPはアメリカの食品基準等を導入させようとアメリカの国際大資本が虎視眈々と市場拡大、利益拡大を狙って手ぐすね引いている。

 しかし、その波から逃れる術はこの本に提示されている。日本の四季から生み出されるものを使い、「~道」を探求する「職人」だ。しかし、職人になるにしても自前で小さな生産設備も持つことが必要となる。生産設備を持たない者たちは否応なしに資本家から搾取される労働者に成り下がるしかないのだ。

 私はもっと日本の古来からある伝統工芸品を広く世界にアピールし、輸出を増やすべきだと考えていた。「和食」が世界遺産に登録されたが、食だけでなく日本の伝統工芸品を求めている外国人は多いと思う。イタリア、フランスなどは伝統工芸品をブランドとして世界に認知させている。ならば、日本も伝統工芸品をブランド化して、輸出を増やして需要を増やせば、伝統工芸に携わっている方たちの生活は成り立ち、後継者になりたいという若者も増えるのではないかと思う。
外国でチップを渡すときにお年玉袋に入れてチップを渡すと大変喜ばれるという。日本の着物が欧米の家で絵画と同じように壁に展示してある家も多いと聞く。おみやげで折り紙を渡すと大変喜ばれる。

 需要が生まれれば供給が必要になる。日本各地の伝統工芸に需要が生まれれば担い手が増えていくと思われる。そこで日本古来からの智慧による産物が陽の目を見れば、それに対する認知度も上がっていき、地域活性化につながっていく。
10年ぶりに日本の実家で正月を迎えた知人が地方の衰退ぶりに驚き嘆いていた。
少子高齢化の進む日本では地方の衰退は緊喫の課題だ。外部から○○コンサルタントを呼んでも解決しない。一過性のイベントも意味がない。やはり、そこの地域に根付く人たちが智慧を絞り考え打開していくしかない。その一つの方策として、この本が提唱する「腐る経済」は非常に意義あることと思われる。しかし、一定の環境と人材がいなければそれも実現しない。
そういった環境作りと人材の育成にもっと投資があるべきだと思う。

 それには、まずは日本の農業を改革していかなくてはならない。
補助金漬けにするのはやめて、担い手づくりに本腰をいれる。
大学の農学部だけでなく、中学、高校生から泊まり込みで農業体験をさせるべきだ。
そして今の日本の農業の実態を実作業を通して認識させる。
学校に戻ったら、現状分析と課題をあげてそれに対する解決策を討議する。
それとともに食のあり方も考える。
上記の授業、実習は必須科目として増やす。
今の農協の運営にもメスを入れるべきだ。下手に金融業に手を出さず、農林中央金庫で預かっている巨大資金をどう利回りの良い投資案件に投資して運用するかというマネーゲームはやめて、日本の農産物のブランド化による輸出増、担い手づくりに資金を投じるべきだ。
また、同時に農業への参入障壁もなくす。耕作放棄地の集約、地目変更も容易にする。
民間企業の参入を促し、地産地消はもとより、できるだけ日本各地で採れた農作物を原料とする食品加工品の生産増大を促す。その中でその産地に合った正当な価格付けを保証する流通システムを作り上げる。
上記のことは以前から討議されているが、いっこうに改善される気配がない。
しかし、改善されれば日本の農業は活性化し、担い手も育っていく。
そういった過程のなかで、筆者が唱える「腐る経済」も日本各地方で経済圏として生成されていくのではないかと思う。

投稿者 NobuhiroIida5 日時

この本で著者は「経済」を「お金」と定義し、「お金は腐らないもの」としてストーリーを進めています。しかしこの本の一番最後の部分で著者自身が述べているように、私はお金も食物と同様に、良い腐り方(発酵)と悪い腐り方(腐敗)の両方があると思います。
著者が営む田舎のパン屋さんのように、上質な物を原材料に上質な物を創り出し、過度な利潤を出すことなく正当な対価で得たお金は、また次の創作の為に還元されて行く、言わば土に還っていくイメージでしょうか。それに対して、本来必要以上のお金を溜め込んだり、大企業という帝国が圧倒的な力を武器にシステムの末端にいる弱い物たちから巻き上げたお金は、適切に使用(還元)されることなく、いずれ異臭を放ちながら腐敗していき、持ち主の人生をも狂わせていくのでしょう。「悪銭身につかず」、小室哲哉氏や堀江隆文氏が先例でしょうか。
ある村があります。そこでは色々な得意分野を持ち合わせた職人がいて、常に誰か村人の為になる仕事をしています。そこには特にお金という概念がなく、お腹が空けばパン屋で美味しいパンが焼き上がる、家で雨漏りがすれば職人が修理しにきてくれる、そうやって村人皆が自分の能力を土地に還元している、きっと著者はそのような理想郷を「腐る経済」の先に見ているのではないでしょうか。
私もそのような理想郷を夢見て、日々精進していきたいと思います。その為には、常に自分を見失わないこと、大きい物の力を巧く利用しつつも絶対に弱い物いじめをしないこと、そして時には自分の断固たる信念に基づき、積極果敢にチャレンジしていくこと。そうすることで得ることが出来たお金を出来る限り土に還すこと、つまり本当に困っている弱気ものたちに分け与えたり、志を高くもつ同士達に投資すること。
収入の10%を寄付するユダヤ人の精神を目指して、自分も腐る経済の実現に向けて力になれればいいなと思いました。

投稿者 dukka23 日時

この書に書いてある思想と、実行力と、
経済学的な裏付けに関しては関心させられっぱなしで、
すっかりタルマーリーのファンになってしまいました。

ただ、私は利潤を生まないという点だけには納得がいきませんでした。
会社も法律上は一つの人格があるように
一つの生命体と考えられないでしょうか。
それであれば、ある程度の内部留保は必要です。
赤字のときには先行投資もできなくなるような体質の
会社は維持さえもできず、不安定で仕方ないと思います。
相応の内部留保も確保した上で、お金の流れを
従業員にも公開すれば良いだけではないのでしょうか。

それ以外のことに関しては、賛成だらけのことで、
著者の主張に乗ると、資本主義経済は矛盾点や不自然な点はあるものの、
利用者として受けるサービス(全国通販、SNSなど)は
非常に便利であることが多いと思います。
「人間が作ってきたシステムの中では一番マシなのではないだろか」
と著者も書いてある通り、認めるべきだと私も思います。

となると、腐らない経済も必要で、腐る経済も必要。
ベースは資本主義経済で、
何割かは小商いという姿=選択肢がある状態が
理想なのではないでしょうか。

そうなれば、例えばある人が新たに社会に出ていく際
には下記のようになるのではないかと思います。

・まずは社会に出る場合には、まずは資本主義経済に揉まれる。
・そこでビジネスのノウハウや、やり方、資本主義経済の矛盾を徹底的に学ぶ。
・そして、そこで何か一芸、小商いを自分で成り立たせるための技術なり、を身につけた人だけが、自分の理想的な小商いを立ち上げる。

まさに昔の丁稚奉公の制度が参考になると思います。

ただ、これは今でも一部の人はすでにやっていますね。
それでも現代の社会では小商いが減っているということは、
小商いを自分でやろうという独立心の低下や、
そもそもの母数が減っていることが問題なのでしょうか。

それが問題なのであれば、
社会や個々人が持つ既成概念(サラリーマンだけが働く道など)を
取り払って、
小商いの 生き方の価値観を認める方が重要だなと思いました。

そして、社会のシステムに矛盾や疑問を感じるのであれば、
まずは自分から!小商いを体現する、
そしてその輪を広げていくことが、
長期的には今の社会の矛盾点をひっくり返すことになるのでは、
と考えられる書でした。

良い本をありがとうございました。

投稿者 iristome 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで。

読みやすくもしっかりと内容がつまった素晴らしい本だった。

1回目の読書ではいつも通り「うん、うん、そうだね、そうだよね。」とか「なるほど~」と、
いつもながらの内容に共感、感嘆して読み流してしまってた。
おっといけない、これではいつもと同じだ!危ない危ない。と気を取り直して2回目は
「資本主義社会の中でタルマーリーが生き残っていること」、「自分の勤め先と何が違うのか」と
しょ~おんさんの指摘を意識して読むことに。

そもそも、資本主義社会って知ってるようで実はあんまり知らないかも、と思い改めて辞書で調べてみると
「生産手段をもつ資本家が労働者から労働力を商品として買い、その労賃を上回る価値をもつ商品を生産することによって利潤を得る経済体制。」
と書いてある。本書にも書いてあったな。うん。

利潤を得る事に標準を合わせている社会体制のなか、
「利潤を出さない」ということはタルマーリーは資本主義社会の中で皆とは反対方向を向いている。
反対方向を向いてもなお、生き残っていることとは…?

よく「他人とは違うことをする」なんてことを耳にするけど、単純に「他人とは違うこと」をしてれば必ず成功する訳でもない気がする。
生き残るためには「それを求める人がいる。そして継続して求められている。」が必要だ。
タルマーリーは田舎のパン屋さん。
最初は近所の人(しかも田舎だからきっと人が少ない)だけが「それを求める人々」になるはず。
それが徐々に求める人の広がりを見せるということは「商品価値」が高いのだと思う。
「高くてもまた買いたい」と思えるパン。そこがタルマーリーの武器。
ただ、単純に「高い=きっと品がいい=また買おう」とはならないはずだ。私ならならない。
本の中にも出てきた「正当な」価格がどうやらキーになりそうだ。

今の世の中「質は確かに良いものがいいけど、それよりも安い方がいい。」という思考が大方の割合を占めているように思う。
しかし、この裏側には「質の良し悪しを見分けることができない」というのが隠れているんじゃなかろうか。
「良いものか悪いものか実際の所よく分からない。国の基準をクリアしているのであれば悪いということはないだろう。それなら安い方がいいじゃないか♪」といった具合だろうか。
良いものには見合った価格を支払う。
しかし、良いか悪いか分からないから安い方を選ぶ→安い方を選ぶ人が増える→作り手も商品を安くする為に化学調味料など安価なものを材料に選ぶしかなくなる→良いものをつきつめるていくことが難しい環境に置かれる。(時間・労力・金銭的にも)

しかし、タルマーリーは逆を行く。
時間・労力・金銭を掛けて良いものを研究し、作り上げる→商品価値を皆に伝える→求める人たちが判断する→欲しい人が価格が高くとも購入する。

私もこの本を読んで、「是非とも自然栽培のお米から育つ自家製天然酵母菌で作られたパンが食べてみたい!」
と思いHPを見るも「予約が立て込み受付できない」とのこと。悔しい。
それでも受付再開にならないかとちょくちょくHPを確認する。今日もまだ無理だった。
価格の高さは関係ない。食べてみたいのだ。食べてみて、また食べたい!と思えば頻度は別にしてまた買うだろう。

きっと表面的なことしか知らないから安易に安さだけで購入を決断するのではないだろうか。
ちゃんと商品価値を伝えることができれば、人々は自分でキチンと判断し、購入する人達がいるのだと思う。
世界は広い。一般的に金額が高いといわれても、本当の価値を分かる人達には金額は関係ない。価値で選ぶのだから。(私もそっちに入りたい!)
そして最高の作り手は存続していくのだろう。そういう意味ではこのネット社会は「物理的な距離」で情報が届かない、といったことはないから本当に良いものを多くの人達に知ってもらうことができる。

しかし、逆を言えば価値がなければ求める人もなく、存続が難しいのだ。
タルマーリーは価値あるパンを作ることができるから存続しているのではないだろうか。
でも「価値あるパン」ってなんだろう?
きっと一朝一夕には作ることができない、時間も労力も金銭も掛けて作り上げていく。
土台作りに手を抜かず、安易な道に走らずしっかりと作り上げていく。
本当に良いものを作り、届け、それが人と人を繋ぐ輪をつくり循環し、豊かになることを目指して。
きっと食べた人にしか分からない、目に見えない「価値」がそこにはあるんだろうな。…くそう、食べたい。

結論:資本主義社会で見失いがちな、でも本当は大切なこと。
作り手→手間暇かけて丁寧に価値を作り上げること。そしてその価値を伝えること。それが大事。
   購入者→価値を見分ける目をもつこと。そして価値に対して正しくお金を使う事。それが大事。

両方とも言葉にするほど簡単ではない。「言うは易し行うは難し」だ。
ただ、自分でどこに向かうかを決めて一歩ずつ前へ前へ進み続ければ、気が付けば景色が変わっているのではなかろうか。
ん?最後の一行は「放っておいても明日は来る」と同じこと言ってる。
やっぱりそういう事なんだろう、そこには何かがあるんだなぁ。

投稿者 jorryjorry55 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで。

現在、本田健さんの本を好んで読んでいますが、そこに出てくるライフワークを地でいっているパン屋さんですね。
課題図書の感想文は昨年9月からアップしていますが、よくよく考えてみれば、Apple帝国を除き、全てがライフワークを楽しんでいる人たちの本。皆さんきらきらと輝いている様が文面を通して伝わってきました。

さて、この本の前半を読んでいる最中は衝撃の連続でした。普通に食べているパンって、実は体に良くないの?って事です。普段何気なく食べているパンって食べない方が良いのではないか?と。おいしいと評判のパン屋でお高いパンをたまに喜んで買っていますが、作る過程で作り手の健康を害している事なんてちっとも知りませんでした。今後はスーパーでは安易にパンを買わない方が良いとさえ思ってしまいました。結局帝国企業に多大なる貢献をしているだけなのか、と。とは言っても、近くにはタルマーリーはないし、天然酵母使用と謳っていても、実情は違っているというのを読んでしまうと、じゃあどれを信用したら良いのか、と。自分で一所懸命に探すしかないですね。ただでさて福島原発による放射能の影響がどこまであるのか全くわからない状況では尚更神経質になってしまいます。

そして、この本全体の感想ですが、ライフワークを地で行っている事に対して、羨ましいは羨ましいのですが、何か釈然としない物を感じました。というのも、私は今までサラリーマンとしてしか社会経験がなく、自力で何かをやっていくという事に踏み込めないからというのと、会社組織というものは利益をあげてなんぼ、そこからいかに分け前を頂くか?が当たり前だから。利益を上げないでどうやって生活していけるのか?そもそもマルクスの資本論なんて読んだ事ないし。ここまで考えないと自営業って出来ないのか?ハードル高いな、と。

多数の従業員が会社の目標を達成するために、顧客の笑顔のために、という企業理念を達成するために、朝から晩まで残業や休日出勤も厭わず一歯車となって働いているのが普通の状態ですが、よくよく考えてみれば、それが楽しい人は良いでしょうが、マルクスの資本論通り、搾取されているだけ。労働力を提供する代わりにその分の給料をもらって喜んでいる自分が非常にむなしくなった。経営者の給料と自分の給料を見比べて、なんでこんなに違うんだよと。責任の度合いが全然違うからしょうがないと自分を納得させてはいるが、株の配当金をもうちょっと減らして従業員に分配しても良いのでは?とも思うし。CSの前にESが先だろう、従業員を満足させられない会社が顧客満足なんてさせられるか!と。とはいえ、それでも会社というのは回っていくし、それが当たり前。その価値観を根底から覆されました。それが嫌ならば自分で自分なりの腐る経済を見つければ良いだけの話。非常に勉強になった本でした。

ありがとうございます。

投稿者 senumishima 日時

「ちいさくてもいいから本当のことをやりたい。」
「働くほどに周りが豊かになっていく仕事。」
社会へ出る前、自分も一度は考えたことはあるものの。
目の前の仕事に追われ、誰のためか何のためかも考えるヒマもないくらいにただただ働いてきた。

利潤を最優先で考えるのが当たり前の資本主義社会の中で、それを実行へと移し
ビジネスとして成り立たせることができるのはなぜか。

自分本位で物事を進めようとはせず、菌の声に耳を傾ける。
自社本位で物事を進めようとはせず、お客様の声に耳を傾ける。
「菌」を「お客様」へと変えるだけで、ビジネス本にでも書いてありそうなことにあてはまりそうだ。

資本主義社会の枠は、自然の法則というさらに大きな枠に囲われている。
腐らない経済の資本主義は、不自然なところが多い。不正により潰れていく会社も多々ある。
腐る経済の自然な循環は、大きな枠に則ったものであると思う。

「場」をつくることができれば、どんな仕事にしろその場に相応しいものが
自然に降りてくるのではないかと思う。
「宮大工とパン作りは似ている」という本文の通り、
入口(仕事)は違っても、1つのことをとことん掘り下げていけば辿り着くところは同じなのかもしれない。

あとは、自分がそこまで入り込めるものかどうか。
つまり心が納得するものかどうか。時間を忘れるほどのめり込むためには、心に素直に耳を傾け好きなことをするのも重要なポイントだと思う。
おじいちゃんが枕元に未だに立たないので、自分の感性を磨くしかない。

さあ、今自分の目の前にある何を掘り下げていこうか。

投稿者 omieakanat 日時

 私は週末になると近所の石窯パン屋に行きますが、お店の中はいつも穏やか
な雰囲気なので、パンが発酵や仕込みの工程にこれほど奥深い知恵と情熱が入
った食べ物だとは思いませんでした。なるほど、パンを練り上げる職人の気持
ちが入っているから毎週行っちゃうのかと、今までそれに気づかなかった自分
が鈍感で情けないです・・・。次行く時は噛みしめようっと。

特にこのタルマーリーのパンはおいしそぉですね。その上、目に見えない”想
い”が相当強力に込められていそうなので、それだけでも是非味わう価値のあ
る物だと思います。


さて、この本を読んでパンの発酵工程や利潤を追求しない経営のかたち、そし
て人と地域のつながりをとても大切にする渡邉さんの生き方はもう、神の領域
過ぎてお手本になるのかどうか・・・ただ羨望の眼差しを送るばかりです。


その中でも、なんとか自分に吸収出来るのではないか?という点で心に刺さっ
たお話が二つありました。

一つ目は、前半の腐らない経済の部分。

 会社でどんなに売上が右肩上がりでも、ふと「いつまでもこれが続くわけな
いよな?」という気持ちになります。そういう気持ちにならない為にはどうす
るの?という問いに「利潤を追求しなければ良いんス」とアッサリ答えて頂い
てスッキリしました。

毎日仕事をしていても、この資本主義の終わりの無さ感はどうにかならないも
のかと思うばかりです。事業計画は常に売上の拡大を掲げ、その為に買収合併
のニュース。私の勤める会社に於いては今その谷にいるのか、縮小・リストラ
の繰り返しです。部門に於いても達成に対しての評価はホドホド、課せられる
のはさらに次の目標。達成感の無さというか、そんなにがめつくいかなくても
ホドホドで良くないか?と思わずにはいられません。もちろん資本主義では立
ち止まったら即後退ですから、経営側もそうもいかないのでしょうが。順調に
右肩上がりならイケイケですが、それが少しでも鈍ると、こういうモヤモヤに
襲われるわけで、その出口は見えないわけです。その問いに「利潤を追求しな
ければ良いんス」とアッサリ答えて頂いて「出口が見えないのではなく、隠れ
ていたのか」とスッキリしました。資本主義でもこの腐らない経済という考え
方のように目線を変えれば、答えに行きつくことができるのか、という点で心
に刺さりました。


もう一つは自分が会社に提供する労働とは?について。

 賃金は労働の対価だと思っていましたが、それは労働者側から見た話だった
んですね。無知でした。資本家(会社)は、支払う賃金は労働力を再生産させ
るものという考え方をしていたんですね。まるで自分が社長から奴隷のように
思われているようでちょっと傷つきました。。ここだけ読んで、より一層会社
に雇われる(=会社に労働力を売る)サイクルから抜け出したくなりました。

そして抜け出すヒントとなるのが生産手段を持つこと。労働者から資本者に変
わる為に生産手段を持つ。マルクスの時代では個人が製造設備を持つことは難
しかったかもしれませんが、現代ならパソコンやスマホ一台がそれに変わるで
しょう。現物ではなくともデータや情報、もしくは技術そのものを使用価値と
交換価値のある物へ昇華することで商品を創造可能な世の中です。

「個人にも生産手段があるじゃないか!」

このことに気づけたことが一番の収穫でした。


今年一発目から視界が開けた気分です。
ありがとうございました!本年も宜しくお願い致します。

投稿者 kenkomania 日時

著者の実体験を基にした
『食は、添加物によって腐らなくなるが、食物自体の生命力は弱くなり、人体や職に悪影響を及ぼす恐れがある。
無添加などの「本当のこと」を追求することで腐るかもしれないが、食物自体の生命力は弱くならず、良い影響力を持つ。
経済も同じ原理で、経営者が過度に利潤を追求する腐らない経済ではなく「本当のこと」を追求することでハッピーになれるんじゃないか?』
という経済と食に通ずることが大変共感でき、面白かったです。

経済という観点でもマルクスの考え方を非常に分かりやすく、また、
食という観点では、天然酵母とイーストの違いや添加物表示を省略して良い場合など大変勉強になりました。
市販食品の恐さを改めて感じつつも、現代社会においてはそれを避けられないもどかしさもありますが。。

経済における「本当のこと」は利潤を追求しないことだと思いますが、僕のようなサラリーマンにとってはなかなか難しいものです。
ただ、全うに仕事をするというか、正しいと思うことを全力でやりきることがサラリーマンとしての「本当のこと」だと解釈しました。

そう勝手に解釈することで僕の好きな赤木しげるの名言ともつながり、腹に落ちやすいのです。
「俺は…たとえ勝つにしろ 負けるにしろ赤木しげるとして勝ち 負けたいのだ」赤木しげる

ちょっとマニアックですけど…

経済のこと、食のことが勉強になり、さらに明日も頑張って仕事しようという元気がもらえる欲張りな本だと思います。

投稿者 kenkomania 日時

著者の実体験を基にした
『食は、添加物によって腐らなくなるが、食物自体の生命力は弱くなり、人体や職に悪影響を及ぼす恐れがある。
無添加などの「本当のこと」を追求することで腐るかもしれないが、食物自体の生命力は弱くならず、良い影響力を持つ。
経済も同じ原理で、経営者が過度に利潤を追求する腐らない経済ではなく「本当のこと」を追求することでハッピーになれるんじゃないか?』
という経済と食に通ずることが大変共感でき、面白かったです。

経済という観点でもマルクスの考え方を非常に分かりやすく、また、
食という観点では、天然酵母とイーストの違いや添加物表示を省略して良い場合など大変勉強になりました。
市販食品の恐さを改めて感じつつも、現代社会においてはそれを避けられないもどかしさもありますが。。

経済における「本当のこと」は利潤を追求しないことだと思いますが、僕のようなサラリーマンにとってはなかなか難しいものです。
ただ、全うに仕事をするというか、正しいと思うことを全力でやりきることがサラリーマンとしての「本当のこと」だと解釈しました。

そう勝手に解釈することで僕の好きな赤木しげるの名言ともつながり、腹に落ちやすいのです。
「俺は…たとえ勝つにしろ 負けるにしろ赤木しげるとして勝ち 負けたいのだ」赤木しげる

ちょっとマニアックですけど…

経済のこと、食のことが勉強になり、さらに明日も頑張って仕事しようという元気がもらえる欲張りな本だと思います。

投稿者 toshihiga 日時

「無添加」や「自然」というのは私たちの思うように行かない。現代は私たちが自然に対して自然が思うように対応していかないと「腐る」こと自体が難しい世の中になっていると感じた。「ロハス」や「オーガニック」などの耳障りのよい言葉は資本主義の中で売り上げを作る道具なのかもしれない。

私は、サービス業でアルバイトの労務管理をしている関係で、「人」を腐らせるとはどういうことだろう、と思った。物を売ったりしていれば、現実に物が腐ったり劣化しないものを見れば実感としてわかる。サービスという瞬時に消費されるものが腐るとは意味がわからない。
「サービス業自体が資本主義だからある職種」と考えてみたら、今まで受けたクレームでアルバイトが若くない、と言われたことがある。この考え自体が永遠に人が腐らず若いままであってほしいというお客の要望である。だから「人」は腐らない。腐らせられない。これが資本主義ということか。

だとするのであれば、腐る経済の考え方で経営をすることは「自然」であり、本来の人として生き方であり、現代の私たちに人工のものに疲れたときに「やすらぎ」を与える役割がある。サービス業は資本主義の中で「ある種人工的」なやすらぎ・熱中を生み出す役割である。本を読んで、すべてが自然のパンを食べたら心も体もホッとするんだと思った。しかし現代になかなかたどり着けないため、人工的でキラキラ輝く光たちのもとでホッとしたり熱中したりするためにサービス業がある。

自分の現在の仕事を肯定的に見たい気持ちがあるのを含めどちらも必要な仕事であり、役割として「腐る経済」は必要なんだと思った。

投稿者 yukoyuko1221 日時

東日本大震災の後から、私達の生活は変わってしまった。
というか、大震災があったからこそ、原子力発電所があまりにもリスキーなものであることも理解出来たし、なぜ、そんなリスキーな原発が日本中に建てられているのかも、皆、感づいている。
すべては金のため!という資本主義経済のなれの果てが、3.11の悲劇を引き起こしていた。
とは、言い過ぎかもしれないけれども
そんなふうに代わってしまった私たちの未来を生きるには、どうすれば良いか?
「腐る経済」という方法は、今の日本でどう生きていったらよいのか?を提示している。

たとえば、「スタンプ紙幣」という面白いお金がある。
簡単に言うと、使わないと、目減りしていくお金のことで、著者が紹介していた「エンデの遺言」という本にも描かれていたが、たとえば、一か月、その紙幣を使わないと、その紙幣の価値が1%下がるという紙幣があるとしたら、皆、どんどん紙幣を使っていくので、流通量があがり、経済が活性化するというシステム。
これが、「腐らせる経済」という考え方で、紙幣を腐らせる→つまり、食べ物と同じように、一定期間が過ぎると価値が低くなる、ということにしていくと、経済の活性化につながるということだ。また、経営者も利潤をため込まずに、労働者に還元することで、労働者の生活も豊かになるということ。
つまり、お金というものは、みんなで使えば使うほど、全員を豊かにしていくもの。
「金は天下の回りもの」という言葉も昔からあるわけで。
今の社会では、将来に備えて「お金は貯めよう!」という考え方が主流だろう。
もし、私一人だけで、「そうだ!お金を腐らせよう!じゃんじゃん使おう」と使ったら私だけが、貧乏になりそう・・・。

だから、経済を活性化させることは、一人だけでは出来ない。

なので、筆者のように、その思想に賛同する仲間と共に、その地域内で、流通を発展させていく仕組みを作っていければ、お互いに経済的に活性化していく。また、今はネットで世界レベルに流通させる機会もある。その活動がどんどん広がっていけば、もはや一つの地域だけの話ではない。

そういった、これからの生き方の一つのヒントが、書かれている。

また、筆者の生き方も、興味深い。さぞや苦労しらずのエリートかと思いきや、10代~20代は、自分が何を本当にしたいのか、さまよい、その先に見つかった答えが農業だったということ。どん底も経験したからこそ、自分の本当に生きる道が見つかっていった、というところが、私としては感動したのだけれども。

投稿者 akiko3 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

タイトルからイメージした内容とちょっと違っていたが、ダメダメな青年がテーマを見つけて、自分から進んで学んで工夫する自己啓発ものの印象が強かった。アンテナを立てて、目の前の自分の課題に取り組んでいたら、必要な出会いが引き寄せられ、ネットワークが構築され、人が集い、科学反応が起こり、奇跡が次々起こり、よい循環は続く。蓋を開けてみれば、それは先祖と縁あることで、社会の経済システムを超えた、人類の大きなシステムの流れにのっているような、人生って面白いなぁと思った。
でも、著者としては、資本の論理が支配する世界の「外」に出たと思ったら、システムの「ど真ん中」だったショックを糧に、ダメになっていく社会の流れを、経済を変えたいとの思いが強く、それでパンを武器に暮らしと仕事がひとつになった生き方そのものを示したい気持ちが強かったようだ。
暮らしと仕事がひとつというと、羽咋市や上勝村が思い浮かんだ。これこそ、暮らしと仕事、個と地域がひとつになった例だ。あと、マザーハウスのメルマガ通信を読んでいて、その工場で働く人達の喜び、団結、そしてお客様との双方向コミュニケーションを築いている様子。人と仕事に血が通いあって循環している感じ。その始りは、どれもたった一人の仕掛け人がいて、その人の地道な努力で、開発、改善し、ネットワークを広げて販路を築き、継続可能なシステムに作り上げ、仲間と一緒に育てている。人と人が共通の目的をもって集まっている組織だ。一般の会社と一緒だが、ただ、個人の幸せや喜びを目的に頑張っているか、利益を目的に上ばかり見て頑張っているかの違いは大きい。
著者は、まだ人を育てることが課題と書いていたが、人の顔が見える関係で商品を生み出し、それを喜んで買ってくれる人がいたから続けられ、喜んで働いてくれる仲間がいたから続けられたと、店も人も共存共栄(循環)し続けていくことで、「腐る経済」がより本物になり強靭になると思う。これからのますますの発展を祈りつつ、いつかタルマーリーにも行ってみたいな~(と、宇宙に放っておこう)

その著者がこだわった経済だが、経済には疎く、語れない(恥)。しかし、今までの課題本のおかげで、何か大きな仕組みの中で転がされ、その挙句、不幸せに向かうってのは、“まずい”、“自立しなくては”と思っている。
生き方、働き方に幸せは大きく影響する。著者はパンというツールで人が喜ぶことを仕事にした。自分も人が喜び、自分も喜べることを生活の糧にしていけたらと思う。組織の中にいた時は、後工程の人や上司、同僚が喜びや楽(はたをらくにする=はたらく)になることで、それが自分のスキルアップになり、やりがいになり、継続につながるのだと思う。給料やボーナスも期待していたけど、純粋な喜びは、目の前の小さな反応(喜び)だったと思う。(まぁ、最低8時間/日でさえ、フルパワーでない日もありましたけど…ごめんなさ~いっ)
現在は、まだ生活が成り立つ量ではないが、自分に与えられた課題や仕事は、経験を積むチャンス(未来への投資)と思い、そのオーバーアチーブ分が、人の喜びに繋がることを目標に取り組んでいる。非常に右脳的で、単純に貨幣価値に置き換えられない部分もあるが、自分が出そうとするアウトプットが何を生み、何につながるのか、その過程を自分が楽しめているのかが今の基準だ。でも、もっとより数字にシビアに生きないといけないか…とちょっと弱気になっても、つい訓練に熱を入れたり、やることは相変わらず現実的でなく怪し気味(笑)。

最後に、食については、以前から乱れが気になり、お金を出すのがもったいなく感じる商品もある。日々の小さな幸せの食事が、体を作るのだから立派な“投資”だ。だから、100円のパンと400円のパンなら、400円を買う。高くて買えなければ自分で400円目指して手作りする。実際、天然酵母パンが作れるように、本を数冊読み、パン教室も覗いて、自分で実践していたら、巡り巡って楽健寺の天然酵母を分けてもらえて、定期的に種を足し、パンを焼くという楽しみになった。失敗の数々があるからこそ、ちゃんと膨らんだ生地がより愛おしく、幸せを感じる。もしこれが商品なら、工夫して経験値で美味しくできた部分は付加価値だ。少なくとも、自分の購買意欲の基準は、美味しい+自分で作れない、入手困難、シェフの特製、本日のお勧め、取れたて/出来たてとかだから、買う人は買ってくれるはず(笑)。(食は生きる手段だから、安全でおいしい、恵み(旬)は当然)ただ、材料費に自分の労働力をいくら上乗せして価格付けすればいいかがわからない(自信もない)ので、まだ商売人にはなれず、搾取される側だなぁ…。(まぁ、喜んで物々交換が成立すれば御の字です。)

以前、バブルが弾けて、社会全体が疲れている頃、ロハスやスローフードが流行ったが、時間をかけて、ひと手間の過程を楽しむことがブランドになったり、付加価値として品質や価格に反映された。ちゃんといいものを評価する人達がまだまだいるってことだ。(それを利用する輩もいるのが人間界の切磋琢磨するシステムなのか?)
やはり、人間も生き物だから、腐る前にちゃんと自分の「内なる力」に気づいて高めようとする人が増えているからだと楽観する。帝国化されている現実で生きているけれども、それも未来永劫続くか?といったら、滞ったり、自滅しているし、結局は、諸行無常の世なのである。
だからこそ、自分の人生、悔いなく幸せに生きられるように、「内なる力」を高めて、美味しいものを食べて幸せ噛みしめ、活力をつけて、明日も頑張るぞぉってな感じで生きたいものだ。

ありがとうございました。

投稿者 tadanobuueno 日時

著者は今までの経験を通して資本主義への疑問を抱き、資本主義というお金に振り回される腐らない経済ではなく、お金に振り回されない腐る経済に身を置くことを試み、それを実現している。

この本を読んで、過去の課題図書「帝国化する」企業と内容がかなり重なると感じた。
実際、「帝国化~」に書かれていた帝国への対処法の多くを著者は満たしていた。
具体的には、創造性・専門的技能を持つ、勉強の継続、技術修得為の根気を持つ、PCを使う側へ、ネットマ-ケティングの活用、自分のビジネスを作る、仲間をつくる等々。

本書の中で「帝国化〜」と異なり、更に自分が特徴的だと感じたのは以下の2点
・日本にこだわり続けている点
・小商いの重要性を強調している点

特にここ2年で自分が「会社以外の世界を持ち、そこから自分が経験やビジネスによる対価を得て、会社やお金に振り回され難くなりたい」と思い、現在行動している為、小商いに特に興味を持った。

小商いに徹する事で著者は以下の良い循環ができていると感じた。
・継続の為に必要な利益を最低限に抑えられる
・ターゲットを絞れる(価値を正しく理解してくれる人にのみ売れば良い、価格が下がり難い)
・パン以外の分野を学ぶ時間がえられる(創造性を磨き、更に製品価値を上げれる)
チャップリンの「人生は勇気と想像力と少しばかりのお金があれば良い」という言葉。
まさにこの考えに基いてお金に振り回されない生き方を切り開いた人と感じた。

現在自分は、子育てを通してつながり始めた人と地域の活性化、地域の絆の復活を目指し動き始めている。今回の課題図書を読んで、最終的にこの中で更に価値を共有できる人とのコミュニティーをつくり価値を正しく理解してもらえる何か(物・サービス)を小商いができればと考えるようになった。

著書の中に「差別化しようとしてつくったものに大して意味のある違いは生まれない。個性はつくり手が本物を追及する過程ににじみ出るもの」という言葉があった。個性は、本気でやりたいと思うことが基本になければいけないことを改めて感じた。
この言葉に出会った時、知り合いの料理研究家の方のいっていたセルフブランディングに関しての言葉を思い出した。
「自分ができること、過去にやってきたことから考えるのではなく、そこに困っている人、ニーズがあることをやるべき。そしてそれを自分がやることに使命感があり、かつその市場でオンリーワンになれるのかどうか考えるべき」

地域社会はつながりが希薄になり様々な問題を抱えている。だから自分は家族の為に地域を良くしていきたいと思い活動に携わろうと考えた。何ができるかではなくまずは行動してみようと思って動いてきた。まだまだ小さな動きですが、そこからいろんな方と出会い、自分も考え、いろんな動きがでてきている。
今回、この感想文を通じて自分の動きを振り返り、自分が考えている方向に物事は流れていることに気づきました。そこに小商いというゴールができ、更に全体がみえてきた気がします。
今まで同様、あまり難しく考えず、智の道にそって、価値を共有できる人たちとのコミュニティーで困っていることを解決していけばそこから自分の小商いのタネもみえてくる、そう確信してます。

感想というより自己の振り返りとなってしまい申し訳ありません。
3月のセミナー楽しみにしております。

以上

投稿者 BruceLee 日時

個人が「経済を考える」とは「どう生きるかを考える」、つまり哲学なのだなぁ~
と思えた。ところで、この著者の人生を見てると「運命に引き寄せられた幸せ者」
としか思えない。 こだわりを持ち、全て自分の中で整理し、 トコトン納得しないと
動かない/動けない人で、はっきり言って頑固者(だから職人?)。故にフツーの
社会では不器用で、要領が悪く、 世の矛盾と葛藤する苦しい日々。ただ、以下の
ように全ては今に通じる「運命」だったとも言えそう。

●父親との確執とマルクス。まともな職につかずフリーターだったから
 ハンガリーへ行き本物の「食」と出会った。
●ブラック企業で働いたから、職と食について考え、何よりこの会社で将来の
 パートナーと出会い、結ばれて子宝に恵まれた。
●「自分は何になりたいのか?」と煩悶しながら、夢の中の祖父から「パン屋」の啓示を頂いた。
●東日本大震災による不安からパンの質を上げる水と仲間との出会いがある岡山への移住。

その時々では辛かっただろうが、それらが全て今に繋がっている、要するに引き寄せ
ではなかったか。これを幸せと言わず何と言おう?そんな運命に導かれてるからこそ、
この新しい試み=「革命」を遠くから応援したい。但し、この試みはまだ「途上」
であり、今後折り合いをつけねばならない「課題」もあると感じた。厳し過ぎるかも
しれないが以下4点を考えてみた。

課題1:「利益」
「利潤を出さない」とあるが利潤=利益は、どんな綺麗事を言おうが全ての経済活動
に必要であり、赤字会社は存続出来ない。実は著者の葛藤は「利益」自体ではなく
「適正利益」はどこまでか?なのではないか。経営者の「適正給与」を考えてみよう。
それは幾らなら適正で幾らなら不適正なのか?利益を求めないというのは、衣食住の
最低限を満たせば良い、という事?でも実際はそうはいかないだろう。生活するには
医療や冠婚葬祭や勉強、レジャーや趣味や教育にもお金は掛かる。将来子供が
「海外留学したい」 と言い出したら?費用捻出の余地があれば応援したくなるのが
親心では?さて、どこで利益の線を引くべきか?

課題2:「供給」
「地産地消」の「地産」は良いとして「地消」はどうか? 元々は地元勝山の人に食べて
貰いたい、がコンセプトだと思うが、有名店になり地元外からも顧客が来る程のブランド
商品となり、実はあまり値段を気にしない顧客が購入してるのでは?そして勝山の人が
日々食べるパンの値付けが実現出来ているか?材料と製法にこだわっているから多少高く
なるのは仕方ないが、タルマーリが供給するのが高級スイーツではなく「パン」である
限り、やはり最終的には勝山の人々が日々買える値付けの追求が必要ではないか?

課題3:「広告宣伝&インフラ」
主にWEBやSNSを活用しているようだが、そのSNSは広告主という企業に支えられ、
SNS自体も企業である。そこでは営業マンがノルマ達成のため日々顧客に頭を下げ
仕事を取ってくる。また本書も出版社という企業により世に出され、
またオンラインショップでパンを届ける宅配業者も同じ企業だ。そこにはかつての
著者の様に「どうしてこんなに働かされ続けるのか? 」、「なぜ給料が上がらない
のか?」という社員が働いているかも知れない。その経済活動とは距離を置きつつ
インフラは活用する、という姿勢は著者自身納得出来ないのではないか?

課題4:「競争」
どの業界にも競争がある。単純な競争はレッドオーシャンに陥るが、それをブルー
にするのが競争優位性であり、その好例が「俺のイタリアン~」だろう。タルマーリの
競争優位性は「自家製天然酵母と国産小麦のパン」だろうが、同様のパン屋が近隣に
出店したら?極端かも知れないが大手、例えば「セブン&アイ」あたりが同様のパンを
開発し安価に展開したら?えげつないがコンビニや牛丼チェーンはじめ、特に飲食では
日々実施されている。

以上、「店に行った事もパンを食した事もないくせにナニ偉そうに指摘してるわけ?」
と叱られそうな好き勝手な事を述べた。大きなお世話で、既に熟慮され対策も検討され
てる課題かもしれないが、何れにせよこの静かな革命を見守りたい。本書の最後にある
ようにこのモデルが確立されれば次の世代や他の人々へ広がるだろうし、自分の子の
世代にはこういう働き方、生き方が自然な選択肢の一つになっている世の中もいいもの
だと思うのだ。

投稿者 nkatani 日時

現代の資本主義社会でこういう会社が生き残っている事について、
社会のあり方が変化しようとしているのではないかと感じました。
みんなが本当に豊かさを感じられる物を求め始めてきたのではないかと。

そうすると、将来、今回のパン屋さんのように本当に豊かさを感じられる物・事を提供すると小商いの人も増えてくるのではないでしょうか。

小商いの人間がふえると労働者の数は減り、相対的に労働者の賃金は上昇。
また、小商いの商品に売り上げのシェアをとられることによって、売り上げは減少するでしょう。

すると、資本主義の企業は大きく利潤をあげることができなくなり、会社の数が減ったり規模が小さくなると思います。

しかし、人間の中には、自発的に行動する人間だけではなくて、言われたことをやるだけでいたい人間も少なからずいます。
そういった人たちが資本主義の企業に就職することで、企業は駆逐されてしまうわけではなく存在すると思います。

もしかしたら今後、このパン屋さんのような小商いの人がふえてきたら、
小商いと資本主義の企業はそれぞれに規模のバランスを持ちながら共存する社会へと変化するのではないでしょうか。

もしかしたらそんな将来では、
多くの人が本当に豊かな人生をおくっているのかもしれません。

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投稿者 t1100967 日時

すごく面白い本でした。これまでに読んできた(しょうおんさんの勧めにより)本と重なる部分が多く、既知の概念がより深く理解できたような気がします。

最初に浮かんできた感想は以下のような感じです。

・いいなあ。俺も会社辞めて小商いしたいなあ
・サラリーマンは搾取されているのか。ムカつくなあ。
・パンは実は危ないのか。
・この間の課題本と重なる点が多いなあ。
・「フラット化する世界」とか、橘玲の主張ともかぶる部分が多いな。
・やっぱり田舎に住んで、野菜作って暮らしたいなあ。
・昔の人の知恵ってなんでこんなに正しいんだろうか。
・パン作りって奥が深いなあ。菌の世界は面白い。
・はあ、とりあえず会社作って、節税からはじめようかなー。

そんな感じのとりとめのない感想が浮かんできましたが、このままだと優秀賞がもらえないので、少し考えてみました。


問い:現代の資本主義社会でこういう会社が生き残っている事をどう考えるべきなのか
答え:
生き残っているとは?→倒産していないということ=赤字では無いということ=利益は出ている。
すなわち、利潤を全くゼロには出来ていない。つまり、この著者の言いたいことは、「利益の増大を目指さない経営が良い」ということでしょうか。

ドラッカーさんも、確か企業の目的は、「新しい顧客を創造すること」であり、「利益は後からついてくる。適正な経営をしているかどうかの指標が利益である」というようなことを仰っており、「利益の最大化を目指すことでは無い」と言っていたので、これに当てはまるかなと思いました。

僕もつねづね、会社は利益を出さなくても良いと考えています。株価が上がる必要は無いし、経済全体が拡大する必要も無いと思っています。今地球に存在しているものを、いかに効率的に使うか?という視点でみんなが物事を考えられるようになれば、これ以上環境が破壊されることは無いでしょう。

この会社が生き残れている、すなわち利益を出せているのは、一つは商品に競争力があるから、そしてもう一つはインターネットやSNSというインフラが格安で使えるから、かと思います。

「フラット化する世界」でも指摘されていたような、IT革命の恩恵によって、この会社は存続出来ているのだと思います。

じゃあ、それを受けて自分はどうするのか?と考えますと、やはり、自分も独自のメディアとビジネスを持ち、「小商い」=「フリーエージェント」として生きていくのが、これからの時代の最善手なのだろうと思います。

そして、その際に何をするのか?のヒントもこの本にありました。

p204:「差別化」しようとしてつくったものに、大して意味のある違いなんて生まれないと思う。「個性」というのは、つくろうとしてつくれるものではない。つくり手が本物を追求する過程で、もともとの人間性の違いが、技術や感性の違い、発想力の違いになってあらわれて、他とどうしようもなく違う部分がにじみ出て、その必然の結果として生み出されてくるものだ。

これは非常に深いと思いました。個性は狙って作れるものではないという。なので、本当に自分が心の底からやりたいと思えるものを、ただひたすら追求することが、こういった世界で生きていくために必要なことなのだと理解しました。

とは言え、おじいさんが夢枕に立って「パンをやれ」と言ってきたというエピソードからは何も取り入れるべきものは無く(先祖を大事にしましょうということでしょうか?)今のところは自分が打ち込むべき対象を見つけるために、ひたすらいろいろと試してみようという感じでしょうか。


問い:みなさんの会社とどこがどう違うのか
答え:従業員の幸せ度が違うのと、こだわるポイントが違います。
前者は、読めばわかる通り、サラリーマンとして毎日満員電車と残業と無意味な飲み会にさらされ、心身ともにヘトヘトになっている人々と、著者のイタルさんの幸せ度が雲泥の差です。

こだわるポイントというのは、”お客様第一主義”では無い、というところが違うと思います。

通常の日本企業は、「良いものを作っていれば売れるという時代は終わった。これからはお客様一人ひとりのニーズを大切にし、顧客満足度を最大化することが必要なのだ!」と考えているだろうと思いますが、タルマーリが一番大切にしているのは、”菌”です。

”菌”にこだわるというのは、すなわち「良いもの(パン)を作ることにこだわる」ということです。そう考えると、昔の日本企業に近いのかもしれませんね。

”株式を持ち合うことで、利益について株主から批判されること無く、良いものを低価格で世界中に売りまくった日本企業”と、”利益を追わず、ただひたすら良いパン作りにこだわるタルマーリ”は、実は似ているのではないでしょうか。

そんなことを考えると、私は今の日本企業しか経験していないので、つくづく不幸だなあと。いや、昔を体験していないから、むしろこだわりなく”会社”を捨てられるのかもしれないなあ、と思った次第です。

以上。

投稿者 takizawametal 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで




読了したおりも折、気ままなバイト暮らしをしていた年下の友人か
ら、「子供も出来たし、そろそろ就職したほうがいいですか?」と
いう相談を持ちかけられた。

今はお金を稼ぐ手段が色々あってな、と話すあいだに感銘が後を引
いていたのだろう、「そのまま田舎で田舎を強みにした生き方を見
つけるのも悪くないかもしれんぞ、この本を読んでみろ」と偉そう
に勧めてしまった。

選択肢の一つとして、自分が住んでいる田舎を恥じることなく、そ
の田舎だから成り立つ「小商い」を見つけるのも手じゃないかと思
ったのだ。

自分がサラリーマンゆえの憧憬か、皆おかしいおかしいと思いなが
らも中々日常は変えられるものではないし、全員が全員田舎のパン
屋を目指すのもおかしな話だ。

それでも、自分が生きる世界で「腐る経済」を見つけていこうと思
うと、我が鉄を使った製造業界に残る悪しき習慣、物量によっては
赤字でも受注して、後からの効率改善に賭けるとか、顧客によって
利益率を操作したりする事を見直す機会としたいと思う。

腐らないお金を生み出すことより、これから何代にも渡って堂々と
この仕事を紡いでいける幸せ。


自分一人でやっている商売ではなく、200人からの社員がぶら下
がる仕事の値付けをしなくてはならない、工場の営業マン。

自分の立ち位置とやらなくてはならない仕事をはかりにかけて、取
れるところからはトコトン取る、薄利でも物量がある仕事を無理や
りにでも取る、という営業スタイルを見直し、適正な製品に適正な
工賃と利潤を乗せる、という当たり前のスタイルに戻す。


堂々と公言して自分はそうします!というほどに社内の立場は高く
ないが着々と普通に戻していこう、そう静かに決意させてくれる本
でした。

投稿者 jiji 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

この資本主義社会で「タルマーリー」が注目されているということは、そういう思いや生き方に
目を向ける人たちが多くなったという感じではないのだろうか。。。
昔からそういう人たちは居たはず!
しかし、世の中の流れの中で気づかされる機会が少なかったということではないのだろうか。

私は、「タルマーリー」の考え方にはちょっと共感できるかも?と思いながら読んでいった。

厳選した食材を使い、手間隙かけてしっかりとパンをつくる。
その対価として真っ当な価格をもらう。
職人としての技術の向上を誇りに思って仕事をする。

私たちの仕事は、「お家をつくる」こと。
そこには大手ハウスメーカーや大手の会社とは違った目線がある。

人と人とのつながり
木にこだわったお家(木と語る)
手間隙かけた手仕事
職人の技へのこだわり

そして、一言では表現できない家づくり。
また、
「技」を支える「目」は五感に宿る。とある。
うちの職人たちもカンナで削った材の後を、何度も何度も手で触って確かめる。
向こうが透き通るような鉋屑の山。
見た目の美しさを水平だったり、垂直だったりと五感で仕上げていく。
機械ではできない研ぎ澄まされた職人の技!
そんな現場をいくつも見てきた。その度にたくさんの感動をもらってきた。
そしてそんな職人たちを誇りに思っている。
10年、15年、職人が一人また一人と育っていくのだ。


小商いという言葉を久しぶりに聞いた。
働く人の個性や潜在能力が磨かれていく可能性の高い方法だという。
そう、父の時代からこの「小商い」をやってきたんだと思う。父から受け継いで色々と
変わってきた部分はたくさんあるが、基本的なところは「小商い」に属しているのではないか
とも思う。
田舎で信頼関係を築き、口コミで仕事をさせてもらってきた。とにかく丁寧に、丁寧に。
営業マンが居るわけではなく、従業員一人ひとりの仕事ぶりが次の仕事につながっていく。
そんな会社なのだ。

渡邉さんの小商いは、「利潤」を追求しないという。
しかし、「利潤」を追求しないという渡邉さんの言葉には、ちょっと違和感を覚えたが・・・
だからか何か掴みかけたような、そうでないような妙な感じがずっとあるのかもしれない。

マリさんが、
「お金の流れをスタッフにオープンにすればいいんじゃない?知ってもらえば経営の意識をもって
もらえるかもしれない。」と。
しかしどうなんだろう~?
経営者側が「取り込む必要はない」と思うが、それをどう伝えるかはとても難しいと思う。
損益分岐点の見極めによって大きく左右されるはずだから!

じゃあ、うちはどう考えたらいいのか・・・

今、インフラが整備され規模が小さくても十分やっていける環境が整ってきたという。
インターネットやソーシャルメディアは、情報収集や情報発信も思いのままになるという。
一つの方法として、これをどのように活用していくか。
今、つたないながらにもブログやFBを使い、私の言葉で会社について、スタッフや日々の
様子などを発信している。心をこめて、うちの仕事の仕方、一人一人の思い、知って欲しい
中の中などを積み上げている。専門家が居るわけではなく、ただただ「思い」を綴っている。
タルマーリーのように、それが受け入れられてきたという実感はないが、とにかく発信し続ける事
だと思っている。

田舎の小さな会社は、試行錯誤しながら小商いもやりながら、大きな夢も持ちながら
ちょびっとの利潤も考えながら、人とかかわりながら、
誇りを持って前に前に進んでいくことなんだ!

うちの一番は、「き・もちのいい家づくり」なのだから!

投稿者 bokuno 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで
~奥野 文司郎~

土とマルクスと小商い

私自身、都心郊外に住んでおり
、山道を歩くような旅もせず、
アスファルトに覆われていない道を、長い間見ていません。

この本からは、
土の豊穣と慈しみへの賛辞、
肉眼では見えない菌類が育んでくれる滋養への感謝の思いが、
あちこちから感じられます。

土の道のある場所へ、久々に行きたくなりました。

麹菌は日本にしか居ないとの事。
初めて知りました。
よくぞ日本の地に産まれてくれました。
著者は、それを支配というコントロールではなく、
菌に聞いてみて正解を得る、という態度なんですね。
すごく素直な心持ちをキープするのと、
雑音を排除しなきゃ、難しいんだと想像します。
私にもできるか?

有機物を土に還すための、菌の働きは、
ある立場では発酵で有用、
ある立場では腐敗と弊害という構図は、
一般社会事象でもよく見かけるので、
こんな所でも勉強になります。

マルクスと聞いて、一瞬身構えました。
難しい哲学と理論だった記憶があるからです
私は昔の経済学部(近経、マル経と2大原論があった)出身なんで、
資本論は買って読んだんですが、
当時は、資本家の「搾取」の悲惨な描写が、印象に残ってるだけで、
ほとんど内容は理解できずに忘れてしまいました。

また社会主義(というより共産主義)国の崩壊により、
マルクス敗れたり、と安易に判断していた事もあります。

でもこの本に出てくる理屈(というより自然な流れ)には、
素直に同感します。

途中、小商いを勧めるくだりがありますが、
マルクス主義を具現化すれば、このような形態になるんでしょうね。

私も含めて、大企業=とりあえず安心という図式は、
まだまだ大多数の日本人に固着して、離れてないと思います。

とりあえず、1枚、皮を剥ぐことができました。

ありがとうございました。

投稿者 harusan 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」


読んでいてなんだか「放っておいても明日は来る」という本にも
つながる話なんだなと思いました。
作者は、何者かになれると信じていても、
実は何者にもなれないということに気付き、
だからこそ能動的に、適正がある職種を追い求めて選択した結果、
本当に自分に適した職業に出会ってしまった。
ましてや、都会で安値で客の回転数を上げるビジネスモデルでもなく、
その真逆を行くことを厭わない商売をしていることは、
正直いられる自分のあり方を考えた結果であると思う。
まずこういうモデルは初動がしっかりしているので
客観的にみても魅力が十分にある。


またここで面白いのは、そういう生き方をするためには
どん底でも良しと思うのでもなく、がむしゃらにも突き詰めるだけでなく、
作者は経済の仕組みに疑問を思ってしまったということである。
自分が正直に仕事をして商売を行っても、
それを周りが認知してもらえなければ、単なる自己満足で終わってしまう。
この商売が現在、成功しているのは「天然菌」と言う武器と、
それを経済を見つめる客観的な観点にする作者の思考であり、
たかがパン屋と言うことで終わらせずに、
地域を巻き込んでの経営のあり方には、「利他」という言葉も頭にちらつき、
大いに参考すべきところであり、自立するための手法の一つであると思う。


「腐る経済」というキーワードは、
すごく簡潔に私達があるべき世界を現していて、
商いをしなくてもそれはサラリーマンである私が、
例えば自分のスキルをまだまだ昇華させて、
それを自分のだけのモノとせずに、
他人を巻き込んで会社に、そして顧客にそのスキルを提供することの
サイクルを思い描くだけでも、まだまだ私にはできることがあると気付かされます。
それはスキルを昇華させるために使うお金のありかたにも
共通すると思います。
またこのサイクルを回すためには、
自分のスキルだけではいかんともしがたいのもわかっていて、
反対に、自分の仕事や自分の利益ばかりしか見えてないことは、
いずれ取って変わられる一員になると言うことであり、
たかがサラリーマンでも、経済を回す発想をもたないと
今までの自身の仕事やあり方さえ問われることであるし、
だからこそ目先の利益を追わない、たかがお金に困らないことが重要なのだと思います。


もしサラリーマンから自立するときに、
作者のような生き方の選択肢も大いに魅力であり、
この場所と作者会ってみたいリストに入れておきます。

投稿者 kumanoko 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

若い人たちが、田舎へ移住し、自分の想いを形にしていく・・という流れは、ここ数年、とても身近になってきている。震災以降、その流れは加速して、東京で知り合った個人的な友人が何人も、日本中の各地に小商いを成立させながら暮らしている。私にとっては著者だけが特別ではない。(菌と金、発酵と経済をリンクさせたところがユニークだが、トリッキーな匂いもする)

田舎といっても、SNS等や物流が整った時代、物理的な距離はあっても、寄り添おうと思えば心はいつも近くにある、というのが現代のあり方。また、見知らぬ人でも、価値観が合えば出会いが訪れる。実際、本書に登場する蒜山工藝のお一人は、友人の店の元スタッフであり、友人の紹介でブログを読ませていただいていた。

ほかにも天然酵母、麹、「エンデの遺言」、地域通貨等々、たくさんのフックに引っかかってしまい・・なかなか文章がまとめられなかったので、皆さまの感想を参考にさせていただいた。Lee様の冴えた文章のお陰で、頭の中がすっきり。もう自分が書く必要は無いぐらいなのだが、少しだけ私見を述べさせていただく。

まず地産地消について。「地消」は消費者の選択権であり、生産者は口で言うほどはこだわっていないと思う。地消の「地」は「日本国内」ぐらいの広さで捉えているか、むしろ都会のお金を地方へ取り込み、そのお金を地元産の素材を購入するために使う。お金を8の字形に循環させるイメージである。(著者は「ハブ」という言葉を使っている) 私も郷里に帰らなくてはならない時は、そういうビジネスをやりたいと思っている。

次に利潤について。20代の頃、シュタイナーの云う「経済の友愛」についての勉強会に参加していた。理想的ではあるが、資本主義経済にどっぷり浸かった日常のなかに、その思想をどう活かしていけばよいのか、さっぱり見当がつかなかった。著者は自分で生産手段を持ち、小商いの主となることで、自分の理想を形にしようとしている。私が一番惹かれたのは、この部分である。どこまでが経費で、どこまでが利潤なのかという問題は、関わる人数が増えるに従って線引きが難しくなってくる。なので、大企業には向かないが、個人事業主なら自分で決められる。要は、循環しない死に金をつくらない、ということである。

お金の停滞を防ぐため、「エンデの遺言」では、お金がどんどん目減りしていくシステムを紹介している。地域通貨には利子がつかない。

著者はそこを視野に入れてタイトルを付けていると思うが、私がタイトルをつけるなら、「腐るお金、発酵する経済」にしたいと思う。

個性や能力、良心に基づいて働き、生計を立てることは、労働の喜び、ひいては生きる喜びであろう。それがサラリーマンであろうとも。小商いを営む人々を身近に見る私には、その喜びの裏に苦労も迷いもあることを知っている。ただ言えるのは、苦労も迷いも、不幸ではない。

ひそやかな声に耳を傾けること。

そうすれば、人生は、もっと豊かで滋味あふれたものになるのだと思う。

追伸 
小商いをしなければ良心に基づいた独自の経済活動ができないのか、といえば、全くできない訳ではないと思う。例えば知人の参加している地域通貨「安房マネー」は実際に機能しているようだ。また、ネット上で出会った言葉だが、「お金は投票権」という発想は誰にでも行使できる。手持ちのお金を何に使うか、誰から買うか、何を買うか。私は毎週、友人の焼く天然酵母のパンを買い、友人の農場から野菜を取り寄せている。

投稿者 sf19790706 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで。

地産地消、自然でないものは使わない。
正当な価格で販売する。

とてもいいことだけど、それをするには現在ではかなりコスト
がかかることだと思いました。

自然でないイーストのようなスーパー酵母の活躍によって、安
く大量に同じ品質の工業製品のようなパンが流通することによ
って恩恵を受けている人もたくさんいます。

いいものがあることはわかっていても、買えない人は辛い。

自分でいいものを選択できるだけの豊かさがないと、体に良く
ないと思っていても、添加物たっぷり、農薬たっぷりの食べ物
を摂らなくては生きていけない。

自分はいいものを選択できる人生を選びたい。
そのために今は「腐らない経済」にどっぷり浸かっていても、
早くそこから抜け出せるように、良書を読んでアウトプットを
続けて行きたいと思った。

投稿者 filefish 日時

最初にこの本を手にした感想は「高い・・・」であった。
しかし読み進むにつれ、私が間違った感性を持ってしまっていることを思い知らされた。
本書の内容がためになったから1600円の価値を感じた、というだけではない。自分がいか
に安いモノに慣れてしまったか、安いのはいいことだと思い込んでしまっているか、が
良くわかったからである。

天然酵母にこだわったパン作りと、マルクスの資本論が見事に融合して語られているのが
非常に面白い。そして、それらをつなぐキーワードが「腐る」である。
自然界の循環システムである「腐る」「発酵する」ことを人為的に止めること、
おカネの循環の過程で、搾取したり投機で殖やそうとすること、どちらも「資本家の都合」
で一般市民が被害を被っていることになる。

著者が提案する「腐る経済」とは、おカネが世の中を正しく循環することである。
作為的な操作でおカネが殖えることも、搾取されて資本家の元に殖やされることもない。
理想的で、そして難しいことだ。そして、著者のレベルで実現するには、やはり田舎の
小さなコミュニティでないと難しいかもしれない。
だからといって諦めて良いことではない。「腐らない経済」の中の出来事は、いずれ自分
に廻ってくることがよくわかるからである。

他にも、食品業界の「偽装」(当事者たちは、ちょっとズルをしてる程度に思ってるの
だろうが)にも触れられていて、「やっぱりそうか」とがっかりした。どれもうすうす
感づいてはいたものの、便利さや低価格のため目をつむっていたものである。

本物、正しいものが欲しければ、正しい対価を喜んで払うべきである。
そうでないと、いずれは「本物」が手に入らなくなってしまうだろう。

最後に、著者が作られている天然酵母パンをいつか食べてみたいと思っている。
実家の近くにも似たような「天然酵母パン」のお店があり、やはり価格も同じくらいだった
のだが、残念なことに味はイマイチだったので。
(3種類ほど食べたが、どれも固くて酸っぱかったため、今まで「天然酵母」のイメージが
あまり良くなかったので・・・。)

投稿者 ktera1123 日時

「田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」」を読んで

問.みなさんの会社とどこがどう違うのか。
答.職住近接(一致)ではない。

今年度(昨年4月)に部署移動があり上司に恵まれて(上司も勤務先に落ち着くまでいろいろな経験をされている)楽しく仕事をしている(嫌い、苦手な仕事は断固却下してくれる)ので仕事的には比較的好きなことをしていることもあるのでけど、巻末に書かれている店頭で娘さんが留守番されているのはちがうなと。
といいつつも、実家が自営業だったこともあり家で仕事をしていたので、娘さんと同様なことは自分自身が体験していたのでその感覚はなんとなく理解できる。
昔、建設会社のCMソングでながれていた忌野清志郎の「パパの歌」の歌詞にもあったように「昼間のパパは男だぜ」をみせてもらえてその点はいい経験になっている。

以上

投稿者 6339861 日時

”いつかは、今いる世界の外に出て、小さくてもほうんとうのことがしたい。
自分が正しいと思えることをして、それを生活の糧にして生きていきたい。
でも、「外」への出口が分からない。
それで僕は会社を辞めたくても辞められずにいたのだった。”


とういう部分にとても共感した。
同じような気持ちを抱えているサラリーマンはきっとたくさんいると思う。


”「パン屋をやろう」そう決めた瞬間、会社でたまりにたまっていたモヤモヤ、
フリータ時代から続くあてどない不安感、世の中への違和感、そうしたものが
みな、僕の身体のなかから抜けていった。”


う~ん、そんな感覚を早く体験してみたいものだ。
自分にもおじいちゃんの啓示があるのだろうか?
そのような体験を得るためには、常に潜在意識の中でアンテナを立てておく必要があるのだろう。


”リーマンショックが多摩地区の経済に影響を与えている
つまり、経済はグローバルにつながっていて自分の市町と遠くはなれた経済事象が
市井の人々の仕事、人生を狂わせていく。”


では、狂わせられないためにはどうすればよいか!
この本にはその答えが書いてある。


著者はいやゆるブラック企業のようなパン屋で過酷な労働を強いられたことを機に
マルクス経済学を勉強するところが面白い。

そして、なぜ、このような過酷な労働をしなければならなかったのかを
「田舎のパン屋のマルクス講義」として分かりやすく解説してくれる。

・商品とは
・給料の正体、給料とはどうやって決まるのか
・なぜ、先進国のほうが給料が高いのか、医者や弁護士の給料が高いのはなぜか、年功序列で給料が上がるのはなぜか
・利潤を生み出す仕組み
・パン屋でひたすら働かされた理由
・技術革新で最後に笑うのは誰か

がすんなりと理解できた。

そして最後に自分の労働力を切り売りしないためには、”自前の生産手段を持てばよい”との結論にいたり、パン屋になった

またそのパン屋では厳選した食材を使い、手間暇かけてしかりしたパンを作る。
その労働に見合った価格をつける。しっかり休むという方針がなぜなのか。

その理由も分かりやすかった。

自然界のすべてのものがいずれ腐って土に還るのに対し、腐らないお金が資本主義のおかしさを作り出している。

我々はこの著者同様、この資本主義の世界でどのようにして生きていけばよいのか真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。
ただ、目の前の作業をこなすだけではなく、一度じっくりと自分の頭で考える必要があるのではないかと気づかされた。

私もずっと、資本主義世界の生き方を探している。
どうもしっくりこないまま、ここまでサラリーマンで生きてきたが、何かが違うといつも感じている。

それは自前の生産手段を持っていないからなんだと思う。

”今の時代は、ひとりひとりが自前の生産手段を取り戻すことが、有効な策になるのではないかと思う。”

というところに深く共感した。

私自身も自前の生産手段を手に入れなければならない。

今はインターネット環境を使えば、生産手段を安価に手に入れられると言われている。

本当だろうか!?

それはインフラ部分であり、中身はじっくり時間をかけて差別的優位性のある何かを自分のものにする必要がある。

著者も手っ取り早く何者かになれっこない。何かに必死に打ち込み、何かを極めようと熱中していると、ひとりひとりがもつ能力や
個性が、「内なる力」が、大きく花開くことになるのだ。

と言っている。

それにしても、人間って願えば得られるもんなんですね。
著者は、パン屋、田舎、天然菌、水も結局すべてそろってしまった。

投稿者 lapis 日時

本書を読むまで
私にはお金が「腐る」という発想がなかった。
経済は成長し続けることを前提とし
お金は「腐ることなく」ぐるぐると世の中を回り続け、
時間が経てば利子が付くことが当たり前だと思っていた。

お金を腐らせるということは、
時間とともに価値を減らしていくということである。

一体どんな考え方なのかと思ったが
本の中で紹介されていた「エンデの遺言」で
シルビオ・ゲゼルが提唱した理論だと知った。

持ち続けていると価値が減ってしまうなら、
なるべく早く使おうとしてため込まなくなる。
お金の循環スピードが上がって景気が良くなる。

これまでの考え方とは真逆で
机上の空論であると言われそうであるが、
第一次世界大戦後にドイツやオーストリアで
ゲゼル理論を取り入れた地域通貨で経済が活性化したそうだ。

その後も、ゲゼルの考えは形を変えて
アメリカやスイスで地域通貨として取り入れられている。

自然の法則にのっとり
お金を腐らせることを考えるなら
地域通貨という多様性を認めることもありだと思う。

タルマーリーの経営方針は
・利益を出さない
・パンの材料はなるべく地元のものを使う

その目的は
高品質のパンを適正な価格で売ることで不当な詐取を防ぐこと、
地元のものを使って地元の農業を守ることである。

この考えは地域通貨と似ている。
地域通貨の目的はコミュニティ内で使われ循環することで
地域の活性化を狙う。
受け取るモノやサービスはお互いが合意した適正な価格で交換される。

バリバリの資本システムの中で
タルマーリーのような店が成立するのは、
地元のものを使ってパンを作っていることがポイントだと思う。
渡邉さんは良いパンを作るために試行錯誤し、結果的に地元のものを使うようになった。
極端な例を出すと、小麦を栽培して渡辺さんに売った人が渡邉さんからパンを買う。
渡辺さんはパンを売ったお金で小麦を買う(以下、繰り返し)。
地域のなかで生産と消費が完結できる。

地域通貨の成功例をみると
お金は広い範囲で流通していることが重要ではなく、
お金の循環スピードが上がることが重要であることが分かる。

本書から
資本主義でもなく、社会主義でもない考え方で
日本が抱える問題を解決できる可能性を感じた。

投稿者 lupinthethird0710 日時

資本主義の欠点がよくわかりました。合理化や便利さも視点を変えてみるとさまざまなデメリットを

生み出すのだと。しかし、私はこの本を読むまでは資本主義が良い事づくめだと思っていました。

資本主義と共産主義の言葉の意味も初めて理解出来ました。生まれた国が日本で物心つく前から

このシステムの中で生きてきたら、完全に洗脳というかこれが普通なのだと思い込んでしまうのでは

ないかと思います。この著者もマルクスの資本論を勉強して価値観が変わり、生きづらさだったり

人生の悩みの原因がこのシステムにあるのが分かり少しは緩和されたのではないでしょうか。

昔と違いグローバリゼーションが浸透し二極化が進んでいる中で人並みの経済的な幸せを手に入れること

が以前より実際に難しくになってきています。しかしなにもこのシステムに飲み込まれて溺れていなくて

もいいわけです。それには、やはり自分で勉強し続けて、自分の頭で考え続けていかなければ

ならないのだと思いました。そして、考え続け行動し続けることで本当に自分が心から打ち込める

ようなモノが見つけられるのでしょう。私も、もうあまり若くないのですが、自分が本当にやりたいこと

というとても難しい問題から目を背けずに頑張って探して残りの人生を楽しみたいと思いました。

投稿者 fingerxfrog 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

本書を読んで、いちサラリーマンとして生きてゆくであろう自分にとって、勇気づけられたと同時に、まだまだ意識と行動を改善する事が必要であると感じました。

課題図書であった松井博氏の書に関連し、これからの時代、ますます労働と収入の二極化が進み、自分の「労働力」を売るだけになってしまうのか、それともそれを回避するために資本主義で言う「交換価値」を高く保つ―つまりスキルを高める勉強等、より一層の努力をするのかという状態になってきています。
かといって己から生産手段を創出するために、いますぐおいそれと副業(副収入)を始めたり、自営で生計を建てる道を考えるかというと、そうではなくまず、自分の普段の生活スタイルから見直す必要があると感じたのです。

つまり金運編で学んだこと、まず自分の収支をしっかりと管理しきれているかということでした。
収入の範囲内で幸せを感じる行動を意識しているか、また必要なおカネを必要なところに必要なだけ正しく使っているのかという事です。
例えば非生産的な会社の飲み会、休日の娯楽等に捻出するのであれば、それこそ積ん読しつつたくさん買って読む、美術館へ足を運ぶ。
ココロの伸びしろを拡げると同時に地域社会やセミナー等へ積極的に参加し、会社以外での人間関係の構築をする事で、つながりを持つ人が変わって拡がってきます。それは交換価値を高めれられる人々との出会いや場が引き寄せられると思いますし、これからはそういった事に費やす時間を捻出し行動してゆく事が、ある意味自分を「発酵」させることなのでしょう。

筆者が最も伝えたいであろう「内なる力」-何かに必死で打ち込み、何かを極めようと熱中し続ける事。倦まず弛まず継続してやり続ける事それは、必ずしもイコール仕事では無いような気がします。「座して半畳、寝て一畳」など欲が無いと指摘されそうですが、塾生として、成果を求めず、一日も欠かさず修行をやり続ける事。それが搾取される側にならない手段の一つではないのかと思っています。

投稿者 takeda 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

タルマーリーさんは、人々がおいしい!と身体と心が感動するものを作っている!というのが、他のパン屋さんとの差別化であり、上手くブランド化されているので、成功したと思いました。これは、筆者だけでなく、奥さんの情報発信能力も高いこともあり、また生き延びるための話も夫婦間でしっかり話し合うことによって、成り立っているのではないかな、と。
家族経営というのは、よく聞かれるのは、なあなあになってしまうことが多々あり、それが赤字経営などに繋がっていくとおもうのですが、最小限?の利益もでているし、休みもとれているし、好きなことをしているし、今の世の中の何となくしたい世界が描かれていました。
一番勇気をもらえたことは、なんといっても、パン屋を目指す前のことも書いてありそこで、30歳手前にもなり、フリーター状態から40歳になって、なんだかすごいパン屋になっちゃった、劇的ビフォーアフターをみている気がして面白いストーリーでした。
スキマ産業かと思いますが、かなり気になってきたので、今年には伺ってみようと思います!!!

投稿者 bluefilm2006 日時

「腐る経済」
今の世の中では、それに向かう人は少ないだろう。
生活が二極化しつつ中間層が減りつつある今の日本、
少しでも楽な生活をする事や、生き残るには目先の利益が優先である。
しかしながら「腐る経済」こそが、これからの世界を生き延びる為、
また差別化を図れる日本人ならではの考えになるのではないだろうか。
伝統、技術、品質、食に対する考え方、
どれを取っても日本人は世界トップレベルの力を備えている。
欲しい物は手に入り、欲しい物がなくなりつつ世の中である。
そして同じ様な物、同じ様な人が当たり前の様に存在する世の中。
いずれか同じ物は頭打ちになり存在自体が不要となる。
目先だけの利益はいつまでも続かない。
今こそ「腐る経済」に学び、新しい世界を切り開く時ではないだろうか。

投稿者 kd1036 日時

著者の姿勢には、多分に勉強させられる面がありました。

・人から与えられるのではなく、自分の頭で創り上げた思想をブレることなくやり続ける点
・状況に逆らわずに、周りからも応援されるようなことを自然とやっていく点

まず、パン屋になったのが、夢でおじいちゃんが言ってたから、って普通やらないですよね(笑)
今となれば良かったと言えると思いますが、始める時は苦労や不安もあっただろうと思います。
発酵に魅せられ、つまずきながらも理想に向かって真っすぐに進んでいく事は、簡単そうだけど、自分に弱い部分があると、妥協してしまったりすると思います。

怪しい系の本ではありませんが、店の場所を見つけて必要な物と人と環境に入っていく所なんかは、何かの力が働いているとしか思えません。

食という事に関しては、現在は色々と言われていることがあります。
本当に体にいいものだけを摂れれば、それに越したことはないのですが、現実問題としては難しいと言わざるを得ないでしょう。
しかし、そこで仕方ないと言ってしまうのが実は一番大きな問題なのかもしれません。
それはそういうもんだから、ではなく、こうありたい・あるべきだという事をしっかり描き、四の五の言わずにそこに向かって進んでいく。
一気に行けるわけではないだろうし、全てを完璧には出来ないかもしれませんが、それでも一歩一歩理想に向かって進んでいくのが人生なのかもしれません。
つくられた仕組みのなかで、それを享受しているだけでは、本当の意味で生きていることにはならないと、言われているような気がしました。

自分はパンが好きではありません。もしかしたら本当に美味しいパンを食べていないだけだからなのかもしれませんが。
そんな自分でも、タルマーリーさんのパンは、普通にたべてみたいなと思いました。
感想文をアップする段階で、商品が届いていればよかったのですが、残念ながらまだ手元には来てません。

資本家であろうと労働者であろうと、人に生かされるのではなく、自分で生きていると実感できるような、生き方・働き方をしなければ。これが正解なんて無いと思いますので、のたうち回りながら進んでいこうと思います。

投稿者 morgensonne 日時

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んで




自然に従うのが、一番人間らしい生き方になり、
幸せになれるというのを本書から感じました。

相性が悪ければ、腐って土にかえる
相性が良ければ、発酵し、良いものを生み出す

これを大きい視点で見ると、様々な活動を地域の中で適量を循環させ、
流れをつくることで、自然で無理のない「経済」、社会に
つながっていくということだと思います。


著者が言うように現代は腐らない経済が普通になっています。
便利さを追求するがために、自然だけでなく、人間にも負荷を
かけています。

それもどこかで限界に達して、元の自然な状態に戻る作用が
働ていくと思います。
それが腐させるということにあたるのでしょう。

バブル崩壊やリーマンショックなどが、一気に腐ったという
状況ではないでしょうか。



では、一個人である自分としてどうしていくのか

この便利な社会から離れるのは難しいかもしれません。

しかし、まずは自分なりに、腐る経済の循環の中に
踏み込むことをしていこうかと思います。


そのためにも、もっと自然のもの、本物に触れて
五感を磨いていきたいと思います。


ありがとうございました。

投稿者 gizumo 日時

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」渡邉格著』を読んで

この本は新聞の書評などで大変気になっていた本でした。実際にAmazon の「欲しいものリスト」に入って居ましたから…。

課題図書になったので大急ぎで繰り上げて読んだのですが、考えていた内容とはちょっと違っていました。

自分自身は大学で経済を学び(まじめではありませんでしたが)、飲食業界に身を置くものとして、「ややこじつけではないかなぁ…」と言う感想も無いではないからです。

しかし、この本を読んだことで二つの気付きがあったと感じております。

ひとつは、知識と知識を漠然と学んでいたことです。
知識を得る行動はしてもバラバラにとらえ、単体として学び、しかも身に付けたことで満足していたと反省しました。(身に付いていたかも怪しい)
例えば、「腐敗」と「発酵」の違いや「賞味期限」の不適切さ、さらには「産地偽装まがい」のことが起こせるような抜け道のある法律内容などは食の現場では基礎的な知識として身に付けて居ました。一方で、個人で健康や安全と言う点でいろいろと気になって調べたりしつつ、食の現場での矛盾には疑問を持たなかったのです。

知識は身に付けるだけでなく、活用•応用出来なくては意味がなく、自分自身今ひとつ学びの手応えがなかったのはこの部分の不足だったのではと思い当たりました。


もうひとつは、大きな流れに飲み込まれて自分なりに考えてみることを放棄していなかったか?と言うことです。
仕事では「お客様のために」、個人では「消費者•利用者」としてただただ目の前に提供されたことを鵜呑みにして有り難がっていました 。競合店がこれのやり方で成功したからうちでもやる、新商品が出たりヒットしていると言うだけで買い求めたり…、そこには理解も共感もさらには疑問もなく採り入れるのみ。

いろいろな事象に対し丁寧に真摯に取り組む姿勢が必要だと改めて痛感しました。
そのような行動が今の自分を造り、何となく目標も希望も明確にならない状況を作っているのではと。
ここ数年「自分の考えを持ちたい」と希望していろいろもがいていましたが、改めて自分のテーマとして取り組んでいきたいと決意しました。


本書に登場する「小商い」には大変興味深く自分がぼんやりとあこがれいたのはこれかもと感じました。
日本には中小企業で世界シェアトップの企業や形状利益率では大企業と並ぶ企業も存在しています。
それらの企業を学ぶのも楽しみですし、自分もそんなプロフェッショナルになれるよう興味のアンテナを拡げ実現に進んで行きます。

投稿者 andoman 日時

「田舎のパン屋が見つけた腐る経済」を読んで

●「場」を用意する
「酵母が働きやすい様に「場」を用意する」という一節があり、この一節で昔の事を思い出しました…。
 過去に複数チーム(4チームで計10名程度)のリーダーを任された時、「どうすれば皆が効率良く働く事が出来、各々の最大スペックを出させられるか?」を悩み考えました。
その結果「働かせる事よりも自ら働きたいと思える環境を用意すれば良いのでは?」という結論に達しました。
内容としては、「1.業務知識以前に仕事のやり方や考え方を教え、自ら成長の手応えを体験させ、仕事に対するモチベーション上げさせる。」「2.メンバー同士のコミュニケーションを円滑にして、(直接は関係が無いけれど微妙に関連している)チーム間の横の繋がりを持たせる。」です。

具体的には、そのチームの業務上で求められる仕事のコツと言うか…。例えばスピードが重視される業務の作業優先度決定で「どれも大事で、どれからやれば…うががg…。」と困っている部下のAくんには、不要なコピー用紙の裏紙に、大きく4マスになるように線を引き、その1マスに今重要とされる業務を1つづつ書いてもらい、計4つピックアップした後、1~4の番号を振らせて優先度を付け、1から順番に進めて行き、全て終わればまたピックアップから始める。(当然、抽出した内容や優先順位のチェックは私も行います。)
などなど、Aくんが自律して業務を行えるレベルになるまで、こういった仕事のやり方に関するアドバイスを継続して行きます。
Aくん本人がそれらのコツを掴んでからは、全く手が掛からなくなるばかりか、業務がスムーズに進む事で自信を付け、短期間でそのチームの中心核にまで成長してしまいました。

次に2についてですが、まずは交流が無いチームのお互いが、どんな人間かを知るために、昼礼を行いその中で順番に1分間スピーチを行います。しかも仕事に関係の無い内容のみをスピーチしてもらいます。
これにより、普段は業務上で接点の無いチームメンバー同士での趣味に関する文化交流が始まります。
日が経つに連れ、職場の雰囲気も良くなり、「よしよし」と思っていたある時、怒涛の如く業務が発生し、火を吹いたチームが出てしまいました。
その時、他のチームメンバーが「今、手空いてるので、手伝いますよ~」と驚きの発言を…。
当初はそういった事までは求めていなかったのですが、結果として予想以上の収穫になってしまいました。

私がした事は、部下達が働きやすいと思われる「場」を用意しただけ。
それだけで、他のチームでは見られない個々の成長と成果を出してしまったのです。
因みに、私がその複数チームのリーダーを任される前の平均残業時間は80h/月。
半年後には10h/月程度まで削減出来てしまいました…。

今回の課題図書に出て来た酵母の話の中で、「自ら発酵しやすい場を用意する事で、菌は勝手に繁殖して美味しいパンが出来る。」
と言った内容がありましたが、「人間も同じなんだなぁ~。」と読みながらニヤリ。としてしまいました。
ある人達にとって良いことをしてあげれば、さらに良い形になって皆に還って来る。
まさに「智の道」。
今回の課題図書では、人間も酵母も同じ地球上に生きる生物で、酵母と人間の間にも「智の道」ってあるんだなぁ~。と気付く事が出来ました。
全ての生き物と「智の道」を共有出来たらきっと素敵でしょうね。
まぁ、Gとはすぐにというのは難しいと思いますが…。

今月も素晴らしい本のご紹介、ありがとうございました。

投稿者 whockey51 日時

人が欲しいものを提供することを目的とするてんは私が働いている企業と変わりないが、それが人工的に生みだされているものと自然的に発生したものなのかで違う気がする。

欲しいものではなく、欲しくなるようなものを私たちは取り扱っている。ただここでは、必要なものだけ、欲しいものだけで成り立っているようだ。

経済が腐ってしまうのは、要らないものを売っているからであり、適材適所で商売をすると、すべてが上手くいくような気がする。

投稿者 ken2 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで

著者は楽しんでいる、それも真剣に、という印象。
伝えたい内容である「菌(パン作り)」と「金(経済)」の不可分な関連性を見事に表現している。
お金の「金」とパン作りに欠かせない発酵する「菌」をかけて「菌の見えざる手」と表現したり、
借菌しない「菌本位制」など遊び心が満載だ。

でも最初から狙ってこの形になったのではない。
様々なドラマがあって今を形成している。
その姿は、10月の課題図書「放っておいても明日は来る」の本で紹介されていた方々と
共通する独自の何かを持っていて、11月の課題図書「企業が帝国化する」で紹介された大企業
の対極に位置する。
9月の課題図書「俺のイタリアン、俺のフレンチ」に共通する部分として、大多数がやっていることと
反対のことをやって競争優位というかコアなファンを創り出している。
そして12月の課題図書「ずる」との関連で言うと、「酵母などの菌」を相手に「ずる」ができない崇高なチャレンジを
しているんだなと感じた。

現代の資本主義社会でこういう会社が生き残っている事をどう考えるべきなのか、
一般的な会社とどこがどう違うのか?

利益追求型の「モア アンド モア」でなく、「菌」の声に耳を傾けながら「ほどほどに」
というミッションを定め、ビジネスモデルを構築したというチャレンジが成功しているということだと思う。

そのミッションは、発酵、循環、(必要以上の)利潤を生まない(・・・これがもっとも難しいと思われる)、そしてパンと人を
育てること。
それは同時に地域通貨という可能性へのチャレンジでもある。

地域通貨はかつてよりヨーロッパや日本でも何度も試みられた壮大な実験であるがいずれもグローバリゼーションの波(当局の圧力?!)に飲まれ、頓挫している。

会社に縛られない生き方、都会に縛られない生き方など将来への可能性という点では地域通貨に関する試みがもっとも大きいと思われる。
そんな革命的ともいえるチャレンジを陰ながら応援しつつ、自分には何ができるかを改めて考える新しい視座ができました。

P.S. 移住された先が岡山というのも「見えざる手」の力が働いたのでしょうね。

投稿者 AKIRASATOU 日時

【田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済】を読んで。

この本を読んで思った事、
物質的・金銭的な幸せを求め続ける一般企業に対して、タルマーリーは精神的な幸せを求めている点が最大の違いだと思った。経済成長を遂げた日本ではすでに物質的な欲望は飽和状態に近く、各人が自分も他人も幸せになるような仕事・働き方を求めているがそのモデルケースが中々無いためタルマーリーの様な会社が世の中を変えるかもしれないと言う事実に心躍り、胸打たれるのではないかと思った。


誰でもより豊かに、より良い暮らしをしたいと思う。
豊かになるとはどういうことか?
よりよい暮らしとはどんな暮らしなのか?
その答えは勿論人によって異なる。
水がない、食べ物がない、明日の仕事が無い。そういう人にとっては水や食料に困る事無く、明日の仕事の心配をする事無く暮らせる事がより豊かな、より良い暮らしになるだろう。
しかし、今の日本では話が違う。
殆どの人が明日の食べ物に困る事無く、暑い日はクーラーで涼み、寒い日はストーブで暖を取る事ができ、衣食住に関わるある程度のものはすでにもちあわせている。

自己の欲望を満たすためにはお金が必要で、お金を得るためには拡大再生産出来るよう企業は利潤を得なければいけない。タルマーリーは規模の拡大を目指していない。自分が思う最高のパンを作ること。原料の生産者とパンの購入者が幸せになるよう適正な値段で小商いを行っている。
小さい会社だからこそ成り立つ仕組みだとも言えるが、大きくなりすぎた経済がどこかで破裂する前に、自ら成長を止めて小さな繋がりを沢山作る事がこれからの日本を幸せに導く仕組みなのかもしれないと思いました。

投稿者 uchdk 日時

本書を読んで、自分自身が資本主義経済でどのように働いていくのかということを考えさせられた。
 今なぜ働いているかというとお金を稼ぐためというのが大半を占めている。そのためにはいかに利潤を出すかが重要で、本書のパン業界でいうところの「天然酵母」と名乗れる基準や、表示しなくていい添加物だけなら「無添加」と名乗れるような「ずる」と同様なことを無意識にしてきたかもしれない。まさに腐らないおかねに振り回されている状態である。
 この作者のお店は、利潤を出さないのではなく、利潤が出ても誰からも搾取しないように、必要なところにバランスよく正しく分配しているのかと思う。その代わり、損益分岐点を下回るときは平等に給与を減らすのだろうか?これは、日系企業や公務員より外資系・ベンチャー企業に近いのかもしれないが、資本家が不当に搾取していないところが異なるところということか。
 また、このお店の他と違うところは引き算で潜在能力を引き出してより良いパンを生み出しているところかと思う。私自身はパン業界ではないが製造業に携わり、基本的には足し算で足りないところを継ぎ足すのが常である。引き算が有効と思われてもできないのは、失敗したときのリスク(言い訳)ができないのと、足し算の方が何かしている感が出て体裁がいいからだと思う。この引き算をする勇気を身につけたいと思った。
 いずれにしても現時点、この会社が生き残っているのは、田舎という自然環境が整い、そして土地代が安いところで、普通のパン屋が作ることの出来ない本物の天然のパンを作っていることが、他との差別化ができているからではないかと思う。しかし郊外の大型ショッピングモールが街の商店街をつぶしたように、もし近くに自然環境を壊さず天然のパンを生み出せる技術を持つ大規模農場ができると、価格も安いので生き残りは厳しくなっていく。その時は別の差別化を図り、やはり競争が生まれるだろう。バランスよく正当に戦える経済市場を国が治めればいいが、それができれば社会主義国家もつぶれなかったかもしれない。
 このように書くと本書のパン屋の営みを否定しているようだが、そんなことはなくこのパンに非常に惹かれぜひ食べてみたいと思っている。ただ今まで資本主義の世界にどっぷりつかって生きてきて、マルクスなんて名前くらいしか知らなかったので、今頃やさしい経済学の本など読みあさっている状態で整理がついていません。
 今後もこのパン屋の行く先に注目し、また自分自身がどのように生きていくかを考えるよう見聞を広げ行動に移していきたいです。とりとめの無い文章になり、すいません。ありがとうございました。

投稿者 magurock 日時

今日も専務が朝礼で怒鳴っていた。
大手企業に卸した商品に、許容量を超える割合の不良品が見つかったとのこと。
「もっと早い段階で俺に報告していれば食い止めることができたのに!」ってうそうそ。
早くに発覚していても小細工するだけでしょう?
ひよわに作った商品に、火のついた導火線を少しでも長くするかのように補強を加えるだけですよね。

安さを追求すると、材料も労働者の職場環境も悪化させる。
この本にあった通りだ。
でも安くしないと売れないのも事実。
消費者自身が心から安全を求め、そのためのお金を惜しまないようにしないと何も変わらない。
簡単に言ってはみるものの、どうしたら良いのか。

自分は営業担当ではないが、取引先をひとつ持たされている。
ブラック企業と囁かれるうちの会社は人の入れ替わりが激しく、人材不足のようだ。
引き受ける際に「一定期間やりたいようにやらせてみてください」と頼んだ。
本部長はあっさりOKを出した。
営業素人に託すくらいなので、会社にとってたいした取引先ではないのだろう。

顧客のニーズを探り、これまでのデータから売れ筋と死に筋を読む。
今までは全社発注の残り物を押し付けられていたようだ。
粗利を確保しながら商品を提案し、難アリの商品は「難」を余すところなく説明し、納得を得る。
売り場で商品の長所を視覚に訴えられるポップを作る…などなど。
しばらくすると、顧客からも信頼されるようになり、売り上げも伸びてきた。
顧客も喜び、上司にも褒められ、工夫した甲斐があったと思いながらも、どうにも違和感を抱いてしまう。
「これって成功なの?」
自分が商談に持って行かなかった在庫は、量販チームに流れ、その残りは最終的に直販チームに行き、催事などで後で文句を言えない通りすがりの客に安く売りさばかれる。
顧客と自分は○。でも会社全体を見ると、自分は在庫処理をパスしていいとこ取りをしたようにも思える。
そんな会社が悪い、でいいの?
システムそのものを変える必要があるのではないか?

同時期に読んだ本に、
「物はいずれ劣化するのに、物品交換券にすぎないはずのお金は、腐らないし持ち運びに便利だし、保存がきくどころか保存しておくと金利がついて増えるという、万能なものになってしまった。
だから不況になるとみんな溜め込み、通貨が行き渡らずますます不況に陥っていく。」
とあった。
その本には、お金を保存がきかず金利もつかず、年を経ると減っている物品交換券にチェンジしてはどうかとあり(必要最低限のものを無料で提供できる社会システムが確立しているという前提つきだが)、
「お金が減るなんて!」と少し抵抗を感じたのだが、本書を読んでなんだか納得できた気がする。
確かに『お金』は今バーチャルになりすぎていて、マネーゲームが不況の原因にもなる現代、『お金』を本来の物品交換券に戻すべく、社会システムを大きく変える必要が出てきているのではないだろうか。

だからどうしたらいい?
答えはすぐには出ない。
これからじっくり考えていかなければ。
独自の考えで歩き出した著者にエールを送りながら。

投稿者 jawakuma 日時

我が家には嫁の気分で稼働するパン焼き器がある。昨年9月の引っ越し後は未だ稼働していない。。焼くためのセットは嫁がしているので詳しくは知らなかったのだが、たまに行く買い物でイースト菌を買ってくるよう頼まれることが何回かあった。そういう経緯から恥ずかしながら、パンの材料は小麦粉、バター、イースト菌だとばかり思い込んでいた。そう遠くない将来、我が家のホームベーカリーがウンウン唸るときは、ぜひ天然酵母で発酵させてみることにする。

さて、田舎のパン屋のマルクス考察。これには一労働者として非常に考えさせられた。
自分がサラリーマンとして企業に勤め日々業務に励むということも、資本家の利潤を確実に増やすことにつながる行為なのだと改めて認識させられた。
技術革新が労働の単純化を推し進め、最終的には給与の下落を招き、資本家の利潤を増やすところなどは、正に二極化が進む現代の帝国企業がもたらす現状を的確に指し示している。
「労働者は機械の単なる付属物となり、こういう付属物として、ただもっとも単純な、もっとも単調な、もっともたやすく習得できるこつを要求されるだけである。」『共産党宣言』
マルクスは資本主義の行く末を的確に見抜いていたのだ。

そして、牛丼やハンバーガーの値段が下がることは、短絡的に喜べないことなのだということにも気づかされた。
労働者の給料は、その労働力という商品の維持が可能な額として支払われるため、食べ物の下落は労働力商品の価値の下落=給料の下落につながるというのだ。
「産業の利益は、穀物およびすべての食糧品ができるだけ安いことを要求する。というのは、それらを高くするものが何であろうと、それは、労働をも高くするに違いないからである。(略)食糧品の価格は、労働の価格に影響の与えるに違いない。生活必需品の価格が安くなれば、労働の価格は、つねに引き下げられるであろう」『資本論』第一巻第4篇第10章
職を安くするために、食を安くする
これがマルクスが解き明かした資本主義の構造だ。
その悪循環から抜け出すために著者がおこなったのは、アンダーセラーズ型の利益追求型の“ブッチャー”パン屋(つまりは我々の多くが勤める企業)とは真逆のやり方だ。
厳選した食材を使い、手間暇をかけて、しっかりとパンをつくる。そしてその対価として真っ当な価格をつける。職人の技術を活かしたパンをつくり続けられるように、しっかりと休む。
この実践が、タルマリーの珍しいビジネスモデルの確立へとつながっている。

また、著者が資本論を読んだことで、“自ら生産手段を持たない”(労働者の定義)修業時代から自分が店主になることの意味がよりクリアになっている。
労働力を切り売りすることを避けようと思ったら自前の生産手段を持てばいいということだ。
気づいた著者は技術を身に付け、生産手段の機械を買った。さらにできる限り近隣の農家から原材料を仕入れることで、市場に左右されず原材料を入手する手立てを実践している。
これが資本主義のシステムの外に出る取り組みということだ。

パン屋という業種はさておき、この「労働者」から「資本家」への転身は私も目標にしているところだ。
そのために手に入れるべき“生産手段”もPCやネットワークの普及でハードルはかなり下がっているように思う。

もう一つ著者が大切な仕組みを紹介しているのが、お金の魔法だ。
添加物や農薬は時間とともに変化することを拒み、自然の摂理に反して腐らない食べ物を生み出していく。
腐らない食べ物が食の値段を下げ、職をも安くする。
お金は時間が経っても永遠に腐らない。むしろ増えていく性質さえある。
銀行の金融機能、信用創造と利子でお金は殖える。お金は無限に増殖する。
これは資本主義が世界中にかけている魔法だ。
否定的な意見を連ねてはいるものの、その仕組みの理解が著者の成功に一役買っている気もする。

お金は未来への投票権という言葉もあったように、自分の信頼のおけるものをよくよく考えて感謝の気持ちをもってお金を使うことを心がけたい。

著者が比較にあげていた、以下の比較、「イーストと天然酵母」、「有機栽培と自然栽培」、これはぬるま湯と厳しい環境ということにも当てはまる。
私も厳しい環境に身をおかれたときは、内なる力を鍛える場だと思い、“培養のイースト菌”ではなく“天然酵母”を目指し努力を継続していきたい。

投稿者 gizumo 日時

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」渡邉格著』を読んで

この本は新聞の書評などで大変気になっていた本でした。実際にAmazon の「欲しいものリスト」に入って居ましたから…。

課題図書になったので大急ぎで繰り上げて読んだのですが、考えていた内容とはちょっと違っていました。

自分自身は大学で経済を学び(まじめではありませんでしたが)、飲食業界に身を置くものとして、「ややこじつけではないかなぁ…」と言う感想も無いではないからです。

しかし、この本を読んだことで二つの気付きがあったと感じております。

ひとつは、知識と知識を漠然と学んでいたことです。
知識を得る行動はしてもバラバラにとらえ、単体として学び、しかも身に付けたことで満足していたと反省しました。(身に付いていたかも怪しい)
例えば、「腐敗」と「発酵」の違いや「賞味期限」の不適切さ、さらには「産地偽装まがい」のことが起こせるような抜け道のある法律内容などは食の現場では基礎的な知識として身に付けて居ました。一方で、個人で健康や安全と言う点でいろいろと気になって調べたりしつつ、食の現場での矛盾には疑問を持たなかったのです。

知識は身に付けるだけでなく、活用•応用出来なくては意味がなく、自分自身今ひとつ学びの手応えがなかったのはこの部分の不足だったのではと思い当たりました。


もうひとつは、大きな流れに飲み込まれて自分なりに考えてみることを放棄していなかったか?と言うことです。
仕事では「お客様のために」、個人では「消費者•利用者」としてただただ目の前に提供されたことを鵜呑みにして有り難がっていました 。競合店がこれのやり方で成功したからうちでもやる、新商品が出たりヒットしていると言うだけで買い求めたり…、そこには理解も共感もさらには疑問もなく採り入れるのみ。

いろいろな事象に対し丁寧に真摯に取り組む姿勢が必要だと改めて痛感しました。
そのような行動が今の自分を造り、何となく目標も希望も明確にならない状況を作っているのではと。
ここ数年「自分の考えを持ちたい」と希望していろいろもがいていましたが、改めて自分のテーマとして取り組んでいきたいと決意しました。


本書に登場する「小商い」には大変興味深く自分がぼんやりとあこがれいたのはこれかもと感じました。
日本には中小企業で世界シェアトップの企業や形状利益率では大企業と並ぶ企業も存在しています。
それらの企業を学ぶのも楽しみですし、自分もそんなプロフェッショナルになれるよう興味のアンテナを拡げ実現に進んで行きます。

投稿者 uchdk 日時

本書を読んで、自分自身が資本主義経済でどのように働いていくのかということを考えさせられた。
 今なぜ働いているかというとお金を稼ぐためというのが大半を占めている。そのためにはいかに利潤を出すかが重要で、本書のパン業界でいうところの「天然酵母」と名乗れる基準や、表示しなくていい添加物だけなら「無添加」と名乗れるような「ずる」と同様なことを無意識にしてきたかもしれない。まさに腐らないおかねに振り回されている状態である。
 この作者のお店は、利潤を出さないのではなく、利潤が出ても誰からも搾取しないように、必要なところにバランスよく正しく分配しているのかと思う。その代わり、損益分岐点を下回るときは平等に給与を減らすのだろうか?これは、日系企業や公務員より外資系・ベンチャー企業に近いのかもしれないが、資本家が不当に搾取していないところが異なるところということか。
 また、このお店の他と違うところは引き算で潜在能力を引き出してより良いパンを生み出しているところかと思う。私自身はパン業界ではないが製造業に携わり、基本的には足し算で足りないところを継ぎ足すのが常である。引き算が有効と思われてもできないのは、失敗したときのリスク(言い訳)ができないのと、足し算の方が何かしている感が出て体裁がいいからだと思う。この引き算をする勇気を身につけたいと思った。
 いずれにしても現時点、この会社が生き残っているのは、田舎という自然環境が整い、そして土地代が安いところで、普通のパン屋が作ることの出来ない本物の天然のパンを作っていることが、他との差別化ができているからではないかと思う。しかし郊外の大型ショッピングモールが街の商店街をつぶしたように、もし近くに自然環境を壊さず天然のパンを生み出せる技術を持つ大規模農場ができると、価格も安いので生き残りは厳しくなっていく。その時は別の差別化を図り、やはり競争が生まれるだろう。バランスよく正当に戦える経済市場を国が治めればいいが、それができれば社会主義国家もつぶれなかったかもしれない。
 このように書くと本書のパン屋の営みを否定しているようだが、そんなことはなくこのパンに非常に惹かれぜひ食べてみたいと思っている。ただ今まで資本主義の世界にどっぷりつかって生きてきて、マルクスなんて名前くらいしか知らなかったので、今頃やさしい経済学の本など読みあさっている状態で整理がついていません。
 今後もこのパン屋の行く先に注目し、また自分自身がどのように生きていくかを考えるよう見聞を広げ行動に移していきたいです。とりとめの無い文章になり、すいません。ありがとうございました。

投稿者 tractoronly 日時

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 を読んで

従来の師弟関係のような仕組みで成り立っていたものが現代の資本主義によってお金や効率の尺度でしか顧みられなくなり、失われるか劣化していったものが多々あるように感じる。
伝統工芸職人の後継者不足や、学校のサラリーマン先生の増加などはここに原因があると思う。

私がここで考えたいのは師弟関係と言われる仕組みと、いわゆるブラック企業(=行き過ぎた資本主義の資本家)の差は何か?ということでした。
表面的には長時間こき使われ、内容的には人格を否定されるぐらいこき下ろされ、どちらも同じような扱われ方をしていますが...
その違いを私なりにまとめてみました。

1)信念や心の有無
師匠や先生と呼ばれる人には心がこもった指導をし、資本家は人の使い捨てをする。

2)セーフティーネット
これは著書も試みようとしているところだと思いますが、師匠は住み込みなどで弟子の生活を担保してやる。そのことで安心して働ける「場」を整える。逆に資本主義の世界では生活手段は自己責任。

3)手に職、一生涯の技を身につけさせる
師匠は独り立ち出来るまで面倒を見る。資本主義の世界ではスキルが表面的・部分的なため身についても体系的なものではない


これを読んで殆どの方が師弟関係は親子関係に酷似していると感じると思いますが、
資本主義社会に生きる人が自分の子供に「お前なんかいくらでも変わりはいる」とか、逆にブラック企業の経営者がバイトに対して「まだまだ自立できるには○○が足りない」と言うようになるんでしょうか?
私はそうはならない、そうなってほしくはないと思います。

自分なりにできること、生産手段は持たない私ですが、経済の最小単位「家族」の基本構成は守っていきたいと思いました。

ありがとうございました。

投稿者 AKIRASATOU 日時

【田舎のパン屋が見つけた「腐る」経済】を読んで。

この本を読んで思った事、
物質的・金銭的な幸せを求め続ける一般企業に対して、タルマーリーは精神的な幸せを求めている点が最大の違いだと思った。経済成長を遂げた日本ではすでに物質的な欲望は飽和状態に近く、各人が自分も他人も幸せになるような仕事・働き方を求めているがそのモデルケースが中々無いためタルマーリーの様な会社が世の中を変えるかもしれないと言う事実に心躍り、胸打たれるのではないかと思った。


誰でもより豊かに、より良い暮らしをしたいと思う。
豊かになるとはどういうことか?
よりよい暮らしとはどんな暮らしなのか?
その答えは勿論人によって異なる。
水がない、食べ物がない、明日の仕事が無い。そういう人にとっては水や食料に困る事無く、明日の仕事の心配をする事無く暮らせる事がより豊かな、より良い暮らしになるだろう。
しかし、今の日本では話が違う。
殆どの人が明日の食べ物に困る事無く、暑い日はクーラーで涼み、寒い日はストーブで暖を取る事ができ、衣食住に関わるある程度のものはすでにもちあわせている。

自己の欲望を満たすためにはお金が必要で、お金を得るためには拡大再生産出来るよう企業は利潤を得なければいけない。タルマーリーは規模の拡大を目指していない。自分が思う最高のパンを作ること。原料の生産者とパンの購入者が幸せになるよう適正な値段で小商いを行っている。
小さい会社だからこそ成り立つ仕組みだとも言えるが、大きくなりすぎた経済がどこかで破裂する前に、自ら成長を止めて小さな繋がりを沢山作る事がこれからの日本を幸せに導く仕組みなのかもしれないと思いました。

投稿者 YOSHIKAWA 日時

妥当な時間と対価をもらいながら、必ずしも拡大再生産を求めない経営に注目が集まっている。
規模が小さいながらも高い技術力で圧倒的なシェアを誇る中小企業の例は、「日本の小さな大企業」の中で紹介されている。
また、植物としての本来の生命力を引き出して生産効率は必ずしも上がらないが高品質な野菜を生産する例は、「ほんとの野菜は緑が薄い」の中で紹介されている。

そもそも「パンを作る」「技術を提供する」「野菜を育てる」ってどういうことかという原点を追求して、それぞれに「ちょうどいい塩梅」を見出すことで持続可能な商売を展開している。

それは、労働の役割を細分化・単純化・専門化して規模の拡大を可能にしていく従来の商売のあり方に対するアンチテーゼと見ることもできる。

しかし、従来の商売によって得られてきた成果をないがしろにすることはできない。

潤沢なエネルギーと、大規模な製造・販売方法によって、労働負荷は減り、摂取できるカロリーは増え、寒暖差に悩まされることも少なくなった。

情報・通信基盤が安価に提供されることで、情報獲得のためにかかる費用は小さくなり、物流の効率化も実現した。

中小規模の特徴を持ったビジネスの勃興は社会の豊かさを増やすためには大歓迎であるけれども、社会基盤を支えている大規模ビジネスが役割を終えたわけではない。

この本で紹介されている「美味しくて高価なパン」もまた、そのエッセンスを取り出して大規模な供給者のメカニズムの一部に取り込まれていくと予想する。

多数の消費者がお手軽にハッピーになるには大規模供給者のメカニズムが必要だから。イノベーションはこんな形で広がっていき、社会にインパクトを与える。

中小規模ビジネスが勃興期の幸せな仕事ぶりを続けていくには、本質的にとんがってるところ、大量生産できないところをどう持ち続けられるかがキーになる。

そういった中小規模ビジネスを生み続けるために何が必要か、そのためのインフラをつかむことで、大規模ビジネスは引き続き持続していくのだろうと思う。

投稿者 chaccha64 日時

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を読んで

著者は、マルクスを読み、都会のパン屋、まちのパン屋で働いて、現在の経済の矛盾、多くの商売の矛盾を体験して、お金が支配する「腐る経済」でなく、「腐らない経済」を目指して、田舎でパン屋をされています。
ここにたどり着くまで、サラリーマンをしたり、パン屋で修行したり(パン作りには直接役立たなかったのも有ったようですが、腐る経済を発見するのには役立っていると思います。ここがおもしろいところなのでしょうね)、パン作りの研究(天然菌)に苦労したりもしていますが、最後は夢に向かって、目指す夢を見つけて、楽しんで、田舎でパン屋をやっていると感じます。これは、「放っておいても明日は来る」の方達と通じるものがあります。

腐らないお金を目指すのではなく、ものを腐らせる菌を目指して、パン作りをしています。お金で物の価値を量る「腐らない経済」でなく、ものをそのものの価値で評価する「腐る経済」を目指されていると理解しました。パンの品質にはこだわりがあると感じます。

著者がおっしゃっている腐る経済の4つの柱、「発酵」、「循環」、「利潤を生まない」、「パンと人を育てる」があります。最後の2つがパン以外にも当てはまる腐る経済の柱ではないかと思います。
商売を続けるためにも商売である以上、そして生活していくために利潤は必要ですが、必要以上の利潤を求めないというものであり、必要以上の利潤の代わりに商品の品質を上げることに、そしてそこで働く人を育てること、商品を作るための技術の伝授、生活の質の向上を目指すことを言っていると思います。
パンという、本当に腐る商品だけでなく、腐らない商品にも当てはまるのではないでしょうか。自分の会社は、コンピュータのカスタムソフトウエアをユーザに提供することを商品としていますが、腐らない経済に合ったものを提供しているのか疑問があります。予算、納期があるので仕方がない側面もありますが、胸を張って十分な品質のものを提供しているのかと言われると困ってしまいます。また、経営サイドからは利益についてうるさく言われるので、部下にはサービス残業をさせたり、派遣社員のコストを削ったりと逆のことをやっていると感じています。協業他社も同じことをやっているので、ある面仕方がないのかなと思っていました。
しかし、400円のパンが売れるのです。営業日が週4日、1年に1ヶ月の長期休暇でも成り立つのです。発想の転換をし、売り方を変えれば新しい展開がある、商売があると感じました。今後は、こちらの発想も考えて行きたいと思います。

投稿者 shima 日時

つくづくどうしてこのような生き方を自分は選べないのだろうかと思ってしまう。
37歳になった自分が今からどのような挑戦ができるのだろう。。とヒクツになってしまう。

腐敗も発酵も要は腐っていること。ただそれが人の都合にとっていいか悪いか。
経済はもともと経世済民。本当に人のためになれば発酵した経済となるか。

そのようなことをふと考えてしまった。


さて自分の今勤めている会社とどう違うのだろう。

利益を求めいている、ということである。
なぜ求めるのか。理由の一つとして、帝国を目指しているのだろう。
豊かさの定義の中の一つに、選択肢が多いことが挙げられる。
人々の暮らしを豊かにするために…とわが社は謳っているが
競合を倒して、帝国化してしまったら、人々から選択肢を奪う。
ならば今わが社持っているモノや技術を他社に活かしてもらうことも
いつかは戦略のひとつに入れてもいいし、どのようにすればできるかを
自分が考え、提案・実践してみたい。

あとは、本当に人々の生活が豊かになる商品を自分もつくってみたい。

以上です。ありがとうございました。

投稿者 kikukikuyuyu 日時

読後所感

先ず、一読して心に残った事は、“効果を求めず淡々と続ける”という行為の偉大さでした。次いで、如何に我々が現代社会の「システム」に組み入れられ、それを意識する事なく生かされているかという事(きっと塾生の皆様は、多かれ少なかれ意識されてると拝察しますが)でした。
そこで著者はマルクスの思想と理論に向き合う訳ですが、実際の行動であれ思考の域であれ、一度は「外」から今のこの「システム」なり「場」を見つめ直す事は、本質を見ようとする際には必要なのだと思わされました(その為の日々の読書であったり、セミナーへの参加という行動をとっている訳なのですが)。
また、「本物或いは一流の波動」に触れるという事がどの様な影響力を及ぼすのかが、ハンガリーでの経験や2軒目の修行先で出会った東川司氏の許での修行の経験、独立以降の千葉や勝山での共に「本物」を目指し「小商い」を頑張る職人達との係わり合いに表れていて、「私も塾生の皆様と共振しながら成長しよう!」という気持ちを新たにさせて頂けました。

題名にもなっている経済(或いはおカネ)についてですが、私は「経済」とは、本来「経世済民(世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」事を指すと考えており、国民や民族の思想・文化や価値観や生活習慣、労働習慣等々、有形無形の様々な活動の実体そのものであり、また指標ではないかと思っております。そんな見地から、決して資本主義が権力と資本家の癒着を約束するものでもなく(民主主義国家ではよく問題になりますが、問題視されるだけマシでは?)、アメリカは「自由な競争に勝ち残ったものが正しい」という価値観を持つ人達の集まりですし、日本における個人事業主の恐ろしいまでの減少ぶりには社会の大衆化(オルテガ的な意味合いで)やプレトン・ウッズ体制の崩壊に始まる金融グローバル化、更にアメリカの干渉による規制緩和・構造改革という複合的な要因があった訳で、資本主義の構造的な欠陥(デフレとインフレも、要は需要と供給のグローバルインバランスの問題ですし…)とは言えないと思います。
しかしながら、自らの生き方を投資して日々汗を流し、消費者へ付加価値の高い本物を提供する事で正当に「所得(敢えて利潤とは呼ばない)」を得てタルマーリーを続けられている著者から、これからはマス・プロダクツの時代から『本物志向』の時代への変化の可能性と、自らの信じた道をなし得る努力を淡々と継続してゆくという姿勢を教示された様に思い、大いに共感し、また勇気付られました。
今月も楽しみながら勉強になる一冊を選んで下さいまして、ありがとうございました。
タルマーリーさんの益々の発酵と、良質な熟成を祈念して。

投稿者 FUKUMONKUMAMON 日時

今月の課題図書、腐る経済を読んで思ったことを書かせてもらいます。

まず、本を通して感じた事ですが、やはり自分のやりたい事や夢に向かって、
ひとつの芯を持ち、妥協や挫折せず、ただひたむきに、時間を大切にし、励んで行く
事で
やりたいことや夢というのは実現するものだと改めて感じさせられました。

また、小さなものから大きなもの、さまざまな分岐点において、「挑戦」することの
大切さも考えさせられました。

資本主義社会で、このような考え方の会社や、人が増え、今の日本や世界がこのまま
ではおかしくなって行く…
と気づき、実行する人が増えてくれば今後の日本や世界は変わっていくものではない
かと思いました。
少人数からのスタートになるとは思いますが、1人が5人、10人、100人…となって行
くことにより、考え方は変わっていくものだと思います。
これは私の会社でも同じことが言えると思います。
目先のことだけを考えて、五省に反して対応する人がいる中、そうした考え方を変え
て行くきっかけとなる人になりたいと思いました。

利潤だけを求め、社会(会社)のあり方、品質や安全を二の次にし、
また個人の自己勝手に物事を進めていく面がある私の会社(上司の方々)と違い、
しっかりとした方向性がありそれに対してみんなで一丸となり、取り組んで行くとい
うところが違うなぁと思いました。

投稿者 wapooh 日時

01401課題図書 【田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」を読んで】

まずは、本題のパンから。パンってなんだろう?
パン=小麦やライ麦と酵母と水と塩を混ぜて発酵させて焼いたもの。
発酵をつかさどる菌を商業的に入手可能な、イーストでも「天然酵母」でもなく、自然からおこして、選別して、パンを作る。世界初の日本酒の酒種によるパン。自らの体の反応を通して、『悪寒がしない』『いやな汗をかかない』『舌に痺れを感じない』…菌との原始的な対話の末に見いだされた菌。読んでいてこちらもぞくぞくする。よくもここまでと思いつつ、「案外人間って丈夫やねんなぁ」なんて無責任なことを感じたりした。私の周りにもレーズン、トマト、小麦、いろんなものを発酵させてパンを焼く友人がいたりお店があったりする。ずっしり、もっちり、噛み締める程に複雑で滋味を感じるそれらのパンは穀物本来の食べる楽しさを味わわせてくれるし生きる力を得ているような気持ちをちょっぴり実感させてくれる。時間を手間を思うから、多少高くてもケーキ一つを買うと思って購入する。こんな日は、コーヒーもちゃんと丁寧に入れて心もよい時間が流れるものだ。いつか岡山に行ってこの和パンを食べてみたい。
しかしパン屋の重労働はどれ程大変だろう。著者の壮絶な努力と支える家族の愛情と、同じように志を持った意志の強い人々の集まる自然にあふれた生業と暮らし、自分がしっかりあって人生が回っていて。「自分の良いと信じるものをとことんまで実現できるまであきらめない、本気で生きよう」信じる者が、他の人々の毎日を体を作っていくなんて仕事も素敵だなと思う。この人のパンを食べて生きて、その代わりにお金を払って応援して、自分なりにその循環の中に身を置けるってどんなだろう。
金運編を受けてから、日々小銭を拾いながら「幸せのお金の流れにのる」、ってことに意識が向いていて、まだ整理のつかない毎日で感じながら本書を読みながら考えてしまった。

次に、食べ物に関して「腐る」と言う単語を見ると複雑な思いになってしまう。
スーパーで安価に流通している製品の多くが、開封後も冷蔵庫で保存をすれば数日~数カ月は『腐らない』安定な品質を保っているのを受け入れているのは我々ではないか?製造工場から店舗の棚に沈れるされ、私/貴方が手にするまで商品の味・品質はある程度保証されているのはビジネスもあるが消費者の為でもあるのではないか。
今現在、これだけの人口がいても食料や物が満たされている時代。「腐らない」性質は、世の中を物質的に豊かにしてきた一つの技術でもあったのではなかったか。
では、なぜ今それが、本書にあるように「悪」なのか?
豊かになったのだ。と思う。便利になったのだ、とも思う。
技術によって、量をこなせる時代。人類がこれまで定義していたパンだけがパンで無くなる様に、ビールだが発泡酒になるように、本物の食材が本物っぽい食事になるように、解釈を広げて生産性良く効率よく、質を犠牲にしたとしても量を捌けるように。
労働は人がするものだったのに、機械やコンピューターがしてしまうように。
単純に、だからダメ、ではなくて時代の価値観・前提が変化したのだ。
地方での地域経済とはいえ、地方にいながらにして情報にほぼ取り残されることもなく、物質的にも経済産業的もこの豊かさを享受できるのは、例えばITによる仕組みの下支えがあるからなのではないかと、「フラット化する世界」を読みながらぼうと感じている。そのIT技術を生み出しているのは資本主義市場。世界規模での労働の階層化が広がっている。
著者の生活は、時代に逆行しているように見えて、その実、時代を有効に活用しないと成り立たない。高い価格設定のパンを選んでくれる宣伝媒体はSNSであるわけで、自分の葛藤と思想、製品の良さをアウトプットすることにより、パンに付加価値がつけられている。誰でもが何かを発信し、参加可能な世界のなせる業。アウトプットって、ただ段に会社のレポートを上手く作成したり、日々の暮らしのアクセントになるだけではなく、可能性を広げる手段であるのだな、と感想文を書きながら思ったが、今サラリーマンをしている間はまずは、上記を充実させるのに必死だ。
本論に戻ると、私たちは少しずつ気が付いて、広く見て、自分なりの選択ができるし、認識もせず知りもせずいると流されてしまう。何に?上記の便利な産業のルールに組み込まれた世の中に。
著者がいう。『「職(労働力)を安くするために、「食」(商品)を安くする―。それが、マルクスが解き明かした資本主義の構造なのだ」。マルクスを読んだことがないのだから、著者の切り取った言葉をそのまま解釈するしかないのだけれど、「職」も「食」も安くすることに甘んじすぎると、いつか自分(の意識)も安くなるのではないか。
全部本物(何を以て本物かすら不明だが)で全部高い買い物がいいとは思わないし、自分の収入では不可能だけれど、時々意識して購入することはできる。たとえばマザーハウスのカバンの様に。ビールを選ぶように。そして、その時に出せるお金を持っているということ、その為には自分の働き方はどの位置にありたいのかを考えれば、自分の幸せを最低限見失わずにいられる気がする。努力は必要だ。
1月の新セミナーには参加できなかったけれど、しばらくは毎朝のメルマガや呼吸、課題図書、良書リストの本を読みつづけ、他の方の感想文を読みながら自分の知らない世界からの切り口を知り(そこから発展は今のところ出来ていないけれど)、当然日々の務めをしっかりして、その機会を待とうと思います。一冊一冊ではなく、数冊が繋がりを持ち世界を感じられる深い時間が流れていて、このコーナーの滋味を感じます、今月も有難うございました。 

投稿者 koro 日時

利潤を追い求め、技術革新を続けた果てに見る世界とはどんなものか?
製造や販売等、それまで人が労働として行っていた事の全てが自動化され、
もはや人が労働をする必要のない世界。
それは、さながら星新一が描くような、おかしくも、どこか虚しさを感じてしまう世界なのではないだろうか。
人類はそうなった時にようやく、支配欲や所有欲の呪縛から解放されるのかもしれない。

この本を読んで、資本主義(腐らない経済)の本質とは、
未来や他人から"借りる"事にあるのではないかと思った。
お金を借りたり、設備を借りたり。

製造業では、設備が無い為に「労働力」を売っているが、
最近のIT企業では、アイデアが無い為に「労働力」を売っている。
そのような自社開発を行わず、請負や派遣等のアウトソーシング業務中心の企業が多いように思う。
考える必要のない手順化された作業を行い、品質にばらつきのない仕事をこなしていく様子は、
渡邊さんが最初に入ったパン屋の様子とかぶる。

昨今の冷凍食品汚染問題も
こうした資本主義に根差した経営方針が生んだ"腐敗"なのではないだろうか。

資本主義を支える金融業は、
宗教上の理由により、安住の地を持つ事ができなかったユダヤ人が、生き抜く為に創り出したシステムなのだと思う。
そのシステムを、国土を持つ大和民族に適用させる事自体に無理があるのではないだろうか。

■腐る経済社会を妄想してみる
・消費を促す為に、消費への課税をやめて、貯蓄に対して課税。
・"借りる"事から脱却する為に、ローンや投資等の金融業を廃止。
 銀行は預金管理にかかる手数料のみ(実質の貯蓄税)で運営。
・内なるエネルギーを育む為に、相続税100%にし、子孫に引き継げるのは知識や経験のみ。
・そして国外からの干渉を避ける為に、鎖国経済を構築する。

しつこいぐらいに"菌"と"金"を掛けた言葉を出してくるあたりに、
渡邊さんの"菌"に対する愛着と、"金"に対する思いを感じた。

投稿者 emily 日時

初めて感想を投稿させていただきます。

本を読み始めたところでは、この筆者のことを「放っておいても明日は来る」に出てくる方々と同じように、自分の道を自分の力で進んでいく方だな、と感じました。
さらに本を読み進めていくとパン屋を開業するいきさつや看板商品のパンを開発する過程など筆者が歩んできた道のりが詳しく書かれていますが、ひとつひとつのことにひたむきに取り組む姿が印象的でした。衝撃的だったのはパンに適した麹菌を見つけるために、それを食べて選別する場面です。食べたら死んでしまうかもしれないのに、まさに命がけ。「努力」とか「ものごと突き詰める」とはこういうことだ!と突きつけられたようでした。本の中で、筆者はこう書いています。「手っ取り早く何者になろうとしたってなれっこない。何かに必死で打ちこみ、何かを究めようと熱中していると、ひとりひとりがもつ能力や個性が、「内なる力」が、大きく花開くことになるのだ。」

この努力を目の当たりにして、自分はそこまでの努力をしているのか?もっとやるべきことがあるのでは?そう問われた気がしました。これを自問自答しながら行動を積み重ねるように思考を変えたいと思います。そんな行動の積み重ねの先に物事を突き詰める、ひいては自分の道を生きるということがあるのだと、改めて認識させられた本でした。