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第43回目(2014年11月)の課題本


11月課題図書

 

寄生虫なき病


病気と寄生虫の関係って一般にはネガティブなものだと受け止められています。つまり、

寄生虫が原因で病気になってしまうと。ところがこれが反対で、寄生虫が身の回りに

いる事で病気になる事を防いでくれているとしたら驚きませんか?

本書ではそんなバカな!と思えるような事実がたくさん紹介されていて、読み進めると

病気に対する概念がガラッと変わるはずです。そんな驚きの体験を味わって下さい。

 【しょ~おんコメント】


11月優秀賞

今回は難しめの本をチョイスしたためか、いつもよりも投稿者が少ない月となり

ました。だからといって選考が楽というわけもなく、こういう時にも書いてくれ

る人というのはかなりレベルが高いので、むしろ誰をい選ぶのかが難しかったり

します。


今回は多くの方が鋭い論評、ネタ、経験を書いていて平均値という意味では過去

最も面白かったと思います。特に印象に残ったのは、munetakuさん、dukka23さ

ん、(いつもの)BruceLeeさんとsakurouさんでした。ちなみにこの4名、みなさ

ん過去に受賞歴があります。再度じっくりと読み直して、最もバランスが取れて

いると感じたsakurouさんに差し上げる事にしました。おめでとうございます。

 

【頂いたコメント】

 

投稿者 munetaku 日時 2014年11月26日


○赤の女王仮説
「全力で競争して均衡状態を保つ」というのは面白い。
常に外部からの刺激を受けてそれに対抗すべく変化する。
傍目からは停滞しているように見えるが、内部では全力で成長して進化していく。
これは人間社会や個人の成長にも当てはまる話と言える。
刺激を失ってしまうとあっという間に退化したり、自己免疫不全になってしまう。
それでいて、相手を刺激しすぎず、お互いの利害が一致する具合を調整しながらというのも
人間社会のようでまた面白い。

○多様性とバランス
人間の腸内に多様性が必要という主張に腹の底から納得した。
というのも、無農薬でリンゴを育てた「奇跡のリンゴ」のことを思い出したからである。
自然農で作物を育てる場合に重要なのはあるがままの多様性を持った自然環境であり、
現在の農業のように雑草や虫を駆逐すると野菜本来の生命力が失われてしまう。
おいしい野菜には虫がつくというが、本来の自然の中で育った作物は生命力が強く虫がよりつかない、
という話を聞いたことがある。
人間の腸内環境もあるがままの自然の姿であれば、寄生虫に打ち克つ強さがあるし、
バランスが正常であれば免疫不全も起こりえないのだろう。

もう一つ想起された本に「腐る経済」がある。
この本の中では、天然酵母を使ってパンを発酵させようと試行錯誤している。
素材中に人工物があると発酵に失敗してパン生地が腐ってしまうのだが、
だからといってパンを腐らせる菌を悪者扱いするのではなく、人工物が入った生地は
食べてはいけない危険なものなので土に帰してくれているのだ、という記述が印象的であった。
自然界に不要なものはなく、全ては多様性と循環で成り立っている。
これは人間でも同様で、寄生虫を悪いものだと決めつけてしまったところに誤りがあったのだろう。
一見、悪者に見えても広い視野で見れば必要不可欠な要素の一つであると言える。

○目に見えない世界を感じる
本書でオオカミを国立公園に放したところ自然環境が復活したという例にあるように、
全ての生物は多様性の中で共生し、食物連鎖のピラミッドを構成している。
しかし人類はそのピラミッドを破壊し、共生の世界から外れた存在になっている。
病気の治療にもそれは現れている。抗生物質によって体内の微生物を殺す治療法は
共生とは正反対の考え方である。
人類は勝手な判断で寄生虫を悪いものと決めつけてしまった。
しかし、科学で解明できることなんて多寡が知れている。
この世界には人智の及ばない領域の方が遥かに大きいことを自覚すべきだろう。
人類は微生物の世界でさえ科学的には解明できずコントロール不能なのに
地球上のあらゆるものをコントロールしようとしている。
原子力はその最たるもので、原発事故はまるで敵を失った人類が自己免疫不全に陥ったかのように思える。

私は本書中の地球は微生物を中心に回っている、という部分を読んで
目に見えない微生物が自分の健康を保っていると思うと、
微生物を含む自然世界の奥深さに畏敬の念をおぼえて謙虚な気持ちになった。
非科学的だと寄生虫の力を信じないのに神様は信じることに矛盾を感じる。
この世に存在しない神様を信じる前に身の回りに確かに存在する寄生虫や微生物に
もっと目を向けるべきではないだろうか。
個人的には国民全員が自給自足して農業をすることで、自然に触れて癒やされると共に
自然という共生の世界をもっと知ったら良いのにと思う。
自然を知れば知るほど謙虚な気持ちになるし、目に見えないものを感じる力、
直感を養い、感覚を研ぎ澄ますことにつながる。
昔の人は物言わない作物や家畜を育てるために、感覚を研ぎ澄まして
彼らの状態を感じ取っていた。日々そのような訓練をしていれば、
自然と直感力は養われ、自分の感覚で物事の良し悪しを判断することが
出来ていたと思う。
現代人が失ってしまった感覚力をもう一度取り戻すときなのかもしれない。

投稿者 jorryjorry55 日時 2014年11月27日


家族で私だけが慢性アレルギー性鼻炎と喘息を持っています。
物心ついた時から自覚しているので、今では当たり前となりましたが、喘息がまだひどい時はなぜ私だけなのか?とよく親に文句を言っていたそうです。
上に姉がいるので、本の通りだとすれば、確率的に言えば私ではなく、姉に出ていなくてはおかしいのですが、あくまでも確立論なのでしょうがないですね。

小学生の時が喘息が一番ひどく、今私が住んでいる家はもともとは祖父母の家でした。
毎年夏休みと冬休みに遊びに行っていましたが、毎回夜は喘息が出てしまい、満足に寝られない状態でした。この場所以外では、少年野球チームの夏合宿で一度出ました。それ以外の林間学校、臨海学校、修学旅行等では不思議なことに一切出ませんでした。おかげさまで、それぞれの行事は楽しむことができたので良かったです。
その後は落ち着いて、寒い時に急に走ったり、何か特別な事が無ければ喘息は出なかったのですが、大学に入ってから一度だけ喘息で大変な目にあったことがあります。
当時大学の近くの学生用アパートに一人暮らしをしていましたが、夏休みはほとんど実家で過ごしていて、夏休み明けにアパートに戻ったところ、いきなり発症。二週間くらい苦しんでいました。時期が非常に悪く、テスト期間中だったため、非常に苦労したのを覚えています。
その後は慣れたのか何なのかわかりませんが、アパートでも実家でも出ることはなく、喘息で苦労したことはありません。

ちなみに、高校生の時にアレルゲンテストをしたところ、ハウスダストにものの見事に反応し、看護師さんが「こんなに反応する人を初めてみた!」と大喜びしていました。当時猫を飼っていましたが、「残酷なようだけど猫は手放しなさい。」とまで言われましたが、結局今に至るまで、何かしらの動物が常にいる環境です。最大で犬1匹、猫7匹、兎2羽。そんな中で子供達も育ちましたが、今の所アレルギーは一切なし。
ただ、この先どうなるかわからないので非常に心配です。
というのも、「企業が「帝国化」する」という本を思い出したのです。我が家は今はそれほどではないですが、ちょっと前までは大のマクドナルド好き。結果的に、抗生物質まみれの牛の肉をたくさん食べていたし、ちょっと体調悪いとすぐに病院に行って薬を処方してもらっていました。また当然のように抗生物質を服用。むしろ喜んで服用していました。また私は頭痛もちのため、何かあると解熱鎮痛剤を頼っています。思わず薬の含有成分を調べてましたが幸い、アセトアミノフェン入りではありませんでしたが、子供の薬にはアセトアミノフェンが思いっきり入っています。また、昨年のがん検診してピロリ菌の感染の有無を調べたところ、陰性でした。その時は素直に喜んだのですが、この本を読んだ限りでは本当にそれで良かったのかどうかわかりません。

いつだったか忘れてしまいましたが、ある時、熱帯地域の人達はアレルギーがないという話を聞きました。上記のようにアレルギー持ちであったため、興味津々でその話題に飛びついたのですが、寄生虫に感染していて、そっちにIgE抗体が反応するからアレルゲンには反応せずアレルギーを発症しないと言う事でした。
かなり魅力的でしたが、寄生虫に感染するのは現実的ではないし、生理的に嫌だなということで願望だけに終わりましたが、その後は喘息は殆ど出ず、アレルギー性鼻炎もいつものことなのでもう慣れっこで殆ど気にならなくなりました。もちろん治ればいうことないですが。

そのおかげかどうかわかりませんが、大学では生物工学専攻。特に遺伝子工学。この本を読んでいる最中に、たまたま京都に行くことがありました。京都には、多因子疾患のゲノム医科学研究をしている大学の後輩がいます。たまたまお互いの時間があり、話をする機会があったのですが、もちろんこの本を紹介しておきました。その後輩も環境要因によって疾患が起こることは理解していますが、遺伝子側からアプローチして解明していきたいと熱く語っていました。
発症する人しない人の違いを見つけるには、環境要因だけではなく、体内のサイトカインネットワークを解明する必要があると思っているので、この後輩にも頑張ってもらいたいです。

抗菌グッズが一時流行りましたが、そのせいで皮膚障害が流行ったと聞きます。病院はまだしも私が勤めている会社が入っているビルのトイレにも消毒用アルコールが普通に置いてあります。
世の中がどんどん清潔になっていくに連れてアレルギーや自己免疫疾患が増えているという現状には非常に驚きました。産業革命が起こった結果、非常に便利になった代わりに自然破壊だけでなく、人体の免疫システムまでも破壊してしまったため、不都合も生じてしまった。リスクベネフィットを考えた際にどちらの方が幸せなのでしょうか。寿命が延びたとしても苦しみながら生きながられるよりも、不便でもアレルギーがない生活の方を選んだ方が幸せなのではないだろうか、とこの本を読み終わってからの率直な感想です。

また私事ですが、臨床も大事だけど、疫学や基礎研究も非常に重要であり、大学時代だけとはいえ、基礎研究に一時携わっていた事に感謝です。その後もずっと続けていたらもっと良かったのは言うまでもありませんが。

ありがとうございます。

投稿者 akiko3 日時 2014年11月27日


「寄生虫なき病」を読んで
  
だめだぁ…
 軟体もの(足がたくさんあるものも)耐えられない。
 カバーをつけて(最初は手の上にあの写真があることを考えただけでムズムズしてた)下痢やかゆみ、不眠などあらゆる苦痛や不便が続き、ガンなどで生命の保証さえなくなったら…(読み終わる頃には)ブタ鞭虫卵製剤を飲むのもありかもと思えた。
が、しかし、読み終わってカバーを外したら、やっぱりだめだぁ…と表表紙を咄嗟に下にした。

言わずもがな、ミミズも絶対ダメだけど、以前、人間も口から肛門まで一本の管だからミミズはご先祖様みたいなもんだと聞いた時は、そんなに忌み嫌うのも躊躇われた。思えば人間も皮一枚下はグロテスク。ぶっちゃけ、体内は汗や尿や便を貯蔵している。考えることは自己中の悪党で、そんなに清らかで美しい存在とも言い難い。(便って、体内にある時は汚いと思わないのに体からでたとたん汚く感じるのはなんでだろう?子供なんか自分が出したものを愛着を持って見たがったりするらしい。便は汚いと瞬間的に思うのに、我が子のおむつ変えは平気でする母親とか、汚いの観念も人それぞれだ)なのに、抗菌、抗菌と清らかな自分達を悪しき菌から遠ざけようとしているのは愚かな行為に思えてくる。昔の転んでけがしたら唾つけとけって(健さんが渋く言う)そんな清さを幻にしてはいけない。(嗚呼、昭和のいい男がまた一人幻に…合掌)

話がそれたが、いろんな病気が出てきては研究治療され、でも、アトピーや心の病など原因も特定できず、治療法も手探りな難病も後を絶たない。生活の質を上げようと日々環境を壊しながら生きている人類の愚かさは言われつつあることだが、健康で普通に暮らせることが奇跡になりつつあるのか?人類も絶滅危惧種になるのか?。
ちなみに、東洋医学の五臓六腑の考えが西洋医学にも浸透していれば、肺の病気の原因が腸では?ということがすぐに結びついたのではないか?相反するものと交われば何か新しい世界が開けるのかも。交わること=多様性、やっぱり大事だ。最近は西洋医学の医者でも漢方など代替医療に興味をもつ人も増えているが、どの世界も玉石混淆なので自分が見極め自己責任で取捨選択すべしだが。(米国の保険では代替医療も対象になるらしい。お金が絡むとシビアにそろばん弾いて、やっぱり人間って欲深い…)

今のところ人類も地球も絶妙なバランスで存在している。多様性とバランス(環境)が大事とは他の課題本にもあった。人間がよりよく生きていく上で大切なこととも一致するのが興味深かった。そして、読んでいると金子みすずさんの「蜂と神さま」の詩が思い出された。
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。

森羅万象、無意味なものは存在していない。人間も動物も植物も微生物も、本来“生きよう”とする本能を持って生まれていることを確信した。すごい仕組みだ。すべてが関わりあって、全体のバランスを保とうとしている。保とうとしているものは誰だろう?全体が無意識の内に保とうとしているのだろうか?それとも作った存在が操作しているのだろうか?
そして、一人ひとりが現実を作り出している。自分の役割を全うし、命を使い切って終わりを迎える。地道なる研究や他の為に仕事をする人、そして、自我をぶつけながら生きる人、いろいろ。何が良いか悪いか、自分で(引き寄せ)決める。無菌マウスの免疫が未発達だったように、人生も問題なく生きていくのは生きる力の未発達になるのかも。

決して軟体ものから目をそらそうとしてではないが、腸の中の小さな世界の話には思えない手ごわい本でした。あと1㎝ずつ余白があってもよかったのに(苦笑)。
最近のメルマガにあったようにどんな情報を入手し、どう活用するかだが、個人的にはやっぱり軟体ものは苦手なので川の瞑想で定期的に清めることにします。
課題本でなければ決して読み終われない本でした。貴重な機会に感謝します。

投稿者 dukka23 日時 2014年11月29日


「昭和30年代ぐらいまでは、
家の中も多少不潔だったし、
子供は虫やらカエルやらを手で捕まえて遊んで、
そのままの手でゴハンを食べても大丈夫だった。

それに比べて最近の子は虫なんか直接手で触ろうとしない。
だから体の免疫も弱くなってすぐに熱を出しよるし、
ちょっとした不潔に耐えられなくなってきた。」

こんな話は聞いたことがあったが、
これを科学的に実験をおこない、
データを集め、そこから実証された結果を
非常に分かりやすくまとめたのがこの本であった。

あとがきにもあるが
何か因子があることに原因を見出す「存在」からのアプローチか、
何かが足りないためにバランス(本書では生態系)が崩れ、
なんらかの原因ができる「不在」からのアプローチか、
という選択肢がある。

20世紀初頭はペニシリンに代表される抗生物質の誕生により
「存在」のアプローチが絶対視された時期でもある。
しかし、その後そのアプローチだけでは絶対に寛解できない
といった現代医学の限界が分かってきた。

それが最近になり、やっと「不在」アプローチに関して、
認識が高まり、それらの客観的データも集まってきた
というところだろうか。


なんと言っても、細菌学者や寄生虫の専門家、専門のジャーナリスト脱帽する。
いくら自らも患っているからといっても、
わざわざ寄生虫を感染させて、その経過を見るなんて。

 

しかし一方で、寄生虫や細菌を完全に英雄視してしまうのも問題かと思う。

かつて、寄生虫や伝染病が駆逐できないものであった時代には
平均寿命も短く、病死も頻繁にあった。

そのような状況を鑑みれば、
感染症が劇的に改善され、平均寿命が伸びたことだけでも
良しとしても良いのでないか。

また、本文に出てくる鉤虫は、寄生の仕方を間違えると、
目の血管や脳にまで達して、失明や死に至るらしい。
そういったリスクも承知した上で、寄生虫治療を行うべきなのだと思う。


しかし今現在アレルギーや、自己免疫疾患に苦しんでいる人は
そんなことも言ってはおれず、藁にもすがる思いであろう。

いち早く、下記の4のようになれば、と思う反面、
「本当にそんなことが可能にな」とも思ってしまう。


1.寄生虫や伝染病があるし、人はよく死ぬ。寿命も短い。

2.寄生虫や伝染病を駆逐したが、アレルギーや自己免疫疾患が増えた。

3.わざと寄生虫や細菌に感染すると、アレルギーや自己免疫疾患が治ることが分かってきた。
( →イマココ)

4.寄生虫や細菌をコントロールしながらの治療法が確立される??

 

研究や治療法の確立は、研究者に任せるとしても
こういった 治療法がニューカマーと台頭してきた時に、
「これは今までの価値観と全然違うが、正しいものか、正しくないものか」
を判断できる知識と柔軟さを持っていなければ、
自分や自分の家族さえも助けられないかもしれない。

投稿者 kd1036 日時 2014年11月29日


そうだったのね、というかなるほどというか、声を大にしてこのような主張をされている方がいる事に感動しました。明らかに、現代病と形容されるような疾患の治療が、本当にそれでいいのだろうか?その症状を消したとしても新たな不具合が出るのではないか?と個人的に感じていました。本文を読みながら、頭には、深海から釣り上げられた深海魚が目を飛び出させている姿が、しきりに浮かんでいました。

ここからは、個人的な体験談であり、感想文にはそぐわないかもしれませんが、書いてみたいと思います。
何かの理論に基づいたものでは無いのですが、抗生物質の摂取は、目標とする症状を抑制する効果はあるが、それ以外の身体の機能に関しては大なり小なり意図しない悪影響があるのではないかと思っています。
私は、花粉症持ちで、いつ頃からなのかは定かではありませんが、ずっと薬は飲まずにやり過ごしていました。4年ほど前だったかと思いますが、そのシーズンは鼻だけでなく目の症状にも悩まされ、結膜炎になってしまったため、薬の処方を受けました。その後は薬を服用していれば症状は発現せずに日常生活も楽なので、12月頃から4か月ほど、抗生物質を服用し続けていました。ただ後から考えると、最後の1ヶ月位は、明らかに症状が出ていたのに無視をしていたなと認識したものです。私はかなり頻繁に飲酒をするほうで、普段と同じように飲んでいても帰ってから嘔吐したり、翌日のアルコールの残り方がキツくなったりしていました。また、毎日どこが悪いという訳ではないけど、何となく怠いようなスッキリしないような気分が続いていました。そしてある朝目覚めると、強烈な怠さとともに、全身に薄らと蕁麻疹のようなものが出来ていました。熱も出ていましたね。一応会社に顔を出して、そこから近所のクリニックに行きましたが、はっきりした原因は分からず、薬を処方され様子見となりました。その日はそのまま帰宅し、翌朝を迎えると、体の怠さは益々酷くなっており、昨日行ったクリニックで紹介状をもらい、大きな病院で精密検査を受けました。
検査の結果分かったことは、何が原因か分からないけど体が何かに反応して異常な炎症反応を起こしている、という事だけでした。色々な疾患を想定してかなり詳しく検査しましたが、重篤な疾患は見当たらず、アレルギー検査の結果でアレルギー反応のある物質に過剰反応している訳でもありませんでした。
ドクターには、抗生物質を継続摂取していたのでそれですかね?なんて聞いてみたりしましたが、それが原因であるという確とした証拠もなければ、そうかもしれませんねとは言わなかったですね。
結局丸一週間ほど寝込んで回復しましたが、原因は花粉症の薬を継続的に服用していたからだと考えています。
その後薬による症状の抑制は控えるようにしています。
そういえば、かれこれ12・3年前にピロリ菌の除去をしております。それ以前の6~7年の間、慢性的な十二指腸潰瘍に悩まされており、ストレスが原因なんてよく言っていたものですが、除去した後は一度も十二指腸潰瘍の症状を感じた事はありません。これは感染した時期が成人してからだった事が大きかったのかなと、読んでいる時に感じました。

さて、本文で書かれている事は、非常に論拠もしっかりしており、信頼に足るものだと思います。
そこで、問題となるのは、バランスではないかと思います。生活の様式や社会・環境の構成は逆に戻すことは難しいものです。今の時点で人工的な生活様式を完全に自然的なものにすることは出来ないのであれば、そこからいいバランスを取っていく事が必要だと感じます。
本文で語られている内容と、現在の医療のスタンダードでは、乖離があるのは否めませんし、対症療法が悪いのかと言ったらそう一元的に考えるものでもないでしょう。日々どのような分野でも進歩をし続けている訳で、医療の分野に関しても、進歩をさせる所・見直す所・新しい技術を導入する所・方向転換する所等色々だと思います。学説に重きを置く分野だと思いますので、現在の医療の形と本文で説いている形との滑らかな融合を図る事もなかなかに難しいでしょう。また大手の製薬会社が、寄生虫などの分野に乗り出すのであればいいのですが、そうでなければ、現在の体系はなかなか変わらないでしょう。医療も食品も資源も生活に係るツールも、方向性はスパーパワーを持っている所の利益がプライオリティとして決められている事は、当然の仕組みですし。
本書で語られている事は、まだ学説として確立されるまでには至っておらず、個人的には諸手を挙げて承認していますが、今後研究が進んでいく事でしょう。その中で、何がどうなっているのかが解明されていけば、寄生虫そのものではなく、その必要な働きをする物質を開発するような方向に向かっていくのかなと思います。
著者が寄生虫業者に苦言を呈しているのは至極真っ当だと思います。読んでいて感じたのは、著者は現代の生活や社会の構成等を全体として捉えていますが、業者は結局のところ寄生虫を抗生物質と同じ使い方で利用しているだけです。対症療法を寄生虫を使って実施しているだけなので、効果のある人ない人が出るのは当然かと思います。論理的に解明されて狙った効果があげられる技術を導入できればそれに越したことはないのでしょうが、実際に困っている人がいて、今ある医療ではどうしようもない、許認可のテーブルにも乗ってはいないが、症状を快方に向かわせることが出来るかもしれないものがある、となればそれを利用しない選択は非常に取りづらいものです。その事は結構な事だと思いますが、根底にその症状の原因は1個ではなく数多の要因が絡み合っているはずなので、その点を疎かにしてはいけないと思います。なので、1個の寄生虫を体内に取り込む事が問題の解決になる訳ではなく、あくまで生活全体の中で乱れているバランスを取る事に意識を向けるたほうがよい、というのが個人的な意見です。ただし、何事もそうだと思いますのが全て完璧になってからリリースでは恩恵に与れたはずの人まで割を食ってしまうかもしれないので、智の道ではないですが、正しい志をもってその分野の進歩を図って欲しいものです。

我々の生活については、個人で意識すべき点が多々ありそうです。はばかりながら「トイレと文化考」という本を少し前に読み、本書と似たような事が書いてありました。いわく、前近代的な時代の生活様式(糞便等も含め生活がほぼ自然循環している)と現代の都市型の生活様式(ほとんどが人工的に処理され糞便は目に見えない所で処理されている)ではどちらが清潔か?というよう事がありましたが、総合的に考えると前者ではないかとなっていました。
昔も今もと言いますか、その時代が一括りではなく、それぞれの時代で最も上の層から最下層まで生活様式は異なっています。スラムの話が本文にもありましたが、スラムは前近代の生活をしている訳ではなく、現代の生活の最下層に位置しています。ですから細菌環境も、自然循環の中の環境ではなく、現代で言う所の清潔な水準を満たせない劣悪な環境(上の層の人間では許容出来ない)にいるのです。ただし社会インフラはそこに区分けがあるものの共通です。なので、論理は筋道立てて雑多なものをごちゃまぜにしないよう留意すべきかと思います。
豚の話がありましたが、自然の中で泥んこ・居室で複数と一緒・個室で抗生剤を投与でどれが一番健康か?、という問いには、瞬時に答えが出ますよね。ですが、今の社会は望むと望まざるに関わらず、一番不健康な様式をとるような構造となっています。免疫疾患の範囲がとても幅広く紹介されていましたが、全て現実的に考える事が大切だと思います。食べる物にしろ、住む場所にしろ、利用するインフラにしろ、オールナチュラルが身体にはいいと分かっても、実際今の社会でそれを具現化するのはほぼ無理でしょう。今の現実・見えていない現実それらのものをきちんと認識できたうえで、どういう選択と行動をするかは、ある意味まさに自己責任ではないのでしょうか。人間がより機械に近づく方向で進化していけば、現在の自己免疫疾患なども無くなっていくようにも思いますが、それにどれだけの年月がかかるのかは抜きにしても、それは馬鹿げた事だと思います。生命体としての人類と都市の機能等数え上げればきりがない位様々な要素の中で生活を営んでいる訳で、全ての繋がりの中でどのような選択をするかは非常に重要であり、後から知らなかったから何とかしてくれは通用しないのだと思います。完璧な選択はあり得ないと思いますが、最悪の選択だけは避けたいですね。

投稿者 BruceLee 日時 2014年11月30日


『貴重な存在』

「Nさんへ、お疲れ様です。惑星Kから以下の注文が入ったので、配達お願いします」
受注担当の女性から、注文品一覧と配達希望日が記載されたメールが届いた。今回も
短納期なので、惑星Kまでの距離を考えると、直ぐにでも出発せねば間に合わない。
俺は直ぐに席を立った。当社の「商品」が売れるのは嬉しいが、ここ数年、俺は地球
と惑星を行ったり来たり、半々の生活が続いているのだ。やれやれ。。。ヒック!

俺はP製薬に勤務し、そこで地球外惑星への配達担当をしている。宇宙開発が進み、
幾つかの惑星に地球人が移住可能となったのは百年程前の事だ。惑星への移住は莫大な
費用が掛かるので、移住可能なのは富裕層に限られている。当時、地球では富裕層と
低所得者の格差が極大化し、それに従い低所得者層による富裕層への犯罪が増え、
居住地域が分けられ始めた。そしてついに富裕層は地球外惑星に移住し始めたのだが、
そこで問題が発生した。惑星に移住した富裕層にそれまで見られなかった「病(やまい)」
が生じたのだ。日々少しづつ体が虚弱化し、惑星に移住した富裕層の平均寿命は50歳と
なってしまったのだ。地球の低所得者層の平均寿命は100歳を超えてるというのに!

俺は商品管理センターで注文書に記載された「商品」を受け取り、ロケット搭乗前の規則
である、クリーンルームでの身体洗浄を終え、会社のロケットに乗り込んだ。そして
「商品」をロケット内のセーフティーボックスに格納する。当社は配達中の品質保証責任
も対外的にアピールしているのだ。そしてロケット発射!昔はロケットを飛ばすのは費用
や技術の面で大変だったらしいが、各メーカの開発が進んだ今では簡単な免許さえ取れば
誰でも操縦可能だ。それに宇宙圏内に入ってしまえば自動運転なので後はのんびりして
いれば良い。ヒック!

当初、惑星の病の原因は不明だったが、後年、それは地球には存在する寄生虫が惑星には
存在しないため、地球人の体に影響を及ぼした結果だと判明した。そこで隆盛したのが
「寄生虫ビジネス」だ。何せ富裕層は金は持ってるが寄生虫は地球にしかいない。
地球ではどこでも採取できる寄生虫が商品となり、それを惑星に届けるだけで、一匹数十万
で売れるボロ儲けの商売となった。最初は様々な輩が乗り出したが、結果的にこのビジネス
を牛耳ったのは製薬会社だった。「寄生虫は薬じゃないだろ!」との声も上がったらしいが、
人体に関する限りどの症状にどの寄生虫が適しているかの研究、そして臨床実験は製薬会社
の管轄である、と主な製薬会社が各国政府に圧力をかけ法的に規制し、結果的に製薬会社が
販売権を独占した。俺はその一社であるP製薬で働いているという訳だ。

それにしても富裕層というのは不思議な人種だ。寄生虫不在が故の病ならば、地球に戻って
くればいいものを。が、一度変えた環境と考え方はなかなか元に戻せないらしい。 地球では
タダ同然の虫でしかない寄生虫を「貴重な存在」と有難がり、大金を支払うなんて、アホで
ある。彼らは分かってないのだ。我々製薬会社は現在もこの分野は研究段階であり、彼らが
その実験台となっている事を。本来地球で生まれた生命は地球で生きるのが神様の思し召し
ってものだろう。科学技術によって 惑星に住めるようになったからって、実際に住んだら
その体にどう影響が出るかなんて、何世代にもまたがる時間が経過してみなければ誰にも
分からない。その実験台になってくれてる上に、自分達でその実験費用を払ってるって事。
分かってないんだろうな~(笑)ヒック!

俺はロケットの中で一人ほくそ笑んだ。とは言え、その富裕層のおかげで当社は儲かり、
俺のボーナスも増える一方なのだから、こちらとしても富裕層さまは「貴重な存在」だ。
そして会社にも感謝である。他社は宇宙宅急便会社に配達を外注しているが、当社は社内に
その機能を持ち、我々を高待遇で雇用してくれているのだから。ヒック!ところで。。。
ここ最近、このしゃっくりが止まらないのだが、何だろう?水を飲んでも全然治まらない
んだよなぁ。ヒック!

【P製薬研究室にて】

「先ほど惑星Kに向かった配送担当Nだが、状態はどうだ?」
「はい、モニターで追ってますが、しゃっくりの頻度が高くなってますね」
「そうか。やはり新種か?」
「でしょうね。現在我々は惑星への完全移住者に関する生態系の影響はある程度掴んで
ますが、惑星と地球にいる状態が半々の人間に関しては未知の段階ですからね。恐らく
このしゃっくりが新しい疾患の兆候なのでしょう。今回もクリーンルームの洗浄剤に
幾つかの寄生虫をすりこんで置いたのですが、別の寄生虫が必要のようですね。
いやしかし、Nのような人間を社員として雇用しておく事で、我々は臨床実験が出来る
のですから。ホント、彼らって『貴重な存在』ですよね」

<終>

投稿者 Innocentius8 日時 2014年11月30日


「最近の子はレトルト食品や抗菌グッズなどで清潔すぎる生活をしてるからアトピーが多いんだって」と何年か前に親が話していたのを思い出しました(どこから親がその話を知ったのかは不明です)。その時は"清潔"である事とアトピーとがどう結びつくのかよく分からなかったのですが、今回この本を読んで「寄生生物」と「免疫」の関係など、複雑な仕組みで人体が成り立っていることがよく理解できました。

その中で私が感じた事は大きく二つあります。

一つは、「自分の意思はどこまで自分のものなのか」ということです。
人の身体の細胞の大部分は、実は自分以外の細胞(寄生虫やら微生物やら)であるというのは正直、衝撃でした。
本書では人体(動物もですが)を"超個体"と呼んでいましたが、数の上からして大多数の「寄生生物」の細胞群のほうが"自分"よりも影響力を持っているんじゃないかとさえ思えてきます。
微生物などは肉眼では見えないものだから、その存在を意識することはあまりないですが、これが腸の中で様々な働きをし、免疫に影響を及ぼし、さらには脳まで影響(自閉症も関係している等など)してくるとなると、少しぞっとします。

一生の間にどんな微生物を取り込むかで人生が変わるかも、というと、ちょっと大げさな気もしますが、そう考えると食べ物や自分の身の回りの環境から取り込む"微生物群"にはもっと注意を払ったほうがよいかなと思いました。
多様でかつバランスよくしていくことが健康だけでなく自分の精神にも影響してくるような気がします。
最近、家にある麹で作った漬物用ぬか床を見た時、今までとは違う思いになりました。

二つ目は、「単純な"善悪二元論"が行き着く先」です。
本書では寄生生物の多様性とバランスが大切だと繰り返されています。
また本書にはピロリ菌やEBV、遺伝病の原因となる遺伝子変異など、一般的に「悪」とみなされているものが、実はそのときどきの状況や環境によっては人体にプラスに働いているという話が出ていました。
ある時点では「悪い」と思われるものでも環境が変われば「良い」ものなのしれない、もしかしたら逆も真なのかもしれない。
自分達が決める善悪なんてしょせん物事の一面に過ぎないということを、改めて感じました。
(その点ではこの著者が最終章で「よい」微生物と「悪い」微生物を取捨選択していく話を展開しているのはちょっと納得できなかったです)

均一化した生態環境では不測の事態に対処する手段が限られ、結果的に種の弱体化につながるというのもただ事ではない話で、単純な"善悪二元論"を超えてもっと多様性を保持してバランスをとるという努力というか価値観が今の世界には必要だろうと思います。

自分にはこれは人体だけの話ではないように感じます。
特定の民族や部族などを迫害・追放することで国が弱体化し崩壊していくという話は歴史上よくありますが、現代もグローバル化・均一化して多様性がなくなっていることを重ね合わせながら読みました。

投稿者 chano_aji 日時 2014年11月30日


<システムのお話>

これはシステムのお話なんだと思う。本書では特に<人間>という<超個体>システムのお話。”An Epidemic of Absence(不在の蔓延)”という原題から分かるように、何か”ある”もの(ウイルスなど)が原因の病気ではなく、”無くなった”ものによる(現代に特有の)病気のお話し。まさに、複数の要因が相互作用して形成された複雑なシステム、人間と環境とか地球の生態系とか、のお話しであって、そのシステムの要素の何かが失われるとそのシステム自身の機能が損なわれてしまう、もしくは新しい状態へ移行するということだろう。

本書を読んでいてもっとも考えさせられたのは、次のような学者の言葉が紹介されているところだ。
「細菌は同乗者ではない。運転席に座っているのは、我々ではなく細菌のほうなのだ」
なんと言うことだろう。例えば我々の自意識は大脳が作り出しているのだろうけど、我々の自意識、人間の脳は、実は人間の体にとって主人公ではないのかもしれない。例えば、未来の宇宙船には人工知能を持ったコンピューターを搭載して、宇宙船を制御しているだろう。そしてそれを作り出した人間たちが搭乗しているだろう。コンピューターの人工知能は自分が宇宙船を支配していると思うかもしれないが、実は人間たちを守るために作られたものだ。それと同じく、人間の脳は、実は<超個体>たる人間システムの住人達<細菌>を守るために発達し、自意識を持ってるのかもしれない、というのだ。

定常システムの話ということを社会システムに大して考えれば、いわゆる保守と革新の話にも通じるかもしれない。人間の社会も、実際には極めて複雑な要素から成り立っていると考えれば、社会の悪い現象の原因を単純に何かの1つの要因のみに帰して取り除けば良いかというと、そうではないだろう。1つの要因を取り除くことで安定していたシステムが崩れることもあるだろう。要素還元法では限界がある、人間の理性なんか大したことはない、基本的には伝統を守るのが一番だ、というのが保守派であろう。そう考えれば、革新という態度は、人間の理性が作り出した社会システムに全てを作り替えなければならない、革命を起こさなければならない、ということになるだろう。しかし、それが本当に安定なシステムなのかは疑わしいかもしれない。何せ、そんな考えなしに長い歴史のもと自然と出来上がったのが今の社会なのだから。現在の社会システムが最安定でなく局所的な極小安定であり、別の最安定システムがあるかもしれないが、そこへの移行を人工的に起こすには壁が高過ぎるだろう。

暴力団を排除すればこの世から暴力がなくなるのか?軍隊があるから戦争が起きるのか?軍隊を無くせば戦争はなくなるのか?それとも不在による新たな問題が起きるのか?我々生命とエコシステムも、社会も、地球も、太陽系も、銀河系も、宇宙全体も、どれもこれも静止した物体ではなく、お互いが相互作用し運動し生きているわけで、それらがその相互作用のもとある程度の定常状態にあるのであれば、そこから何かを取り除くことは大きな変化をもたらすかもしれない。変化がないような日常も、相撲取りががっぷり四つで組み合っているなもので、片方が力を抜けばたちまち土俵の下に転げ落ちてしまうかもしれない。本書を読んでそのようなことをつらつらと考えさせられた。

投稿者 magurock 日時 2014年11月30日


中学一年生のときに、Yくんというあまり自己主張をしない、おとなしくて真面目なクラスメイトがいました。
いつも静かなYくんでしたが、Kくんというヤンチャなクラスメイトに絡まれると、キレて声を荒らげ、反論していました。
YくんとKくんは幼馴染だったで、クラスのみんなが怖がるKくんでも向かっていけるのです。

二年生に上がる頃、Kくんはよその県に転校することになりました。
Kくんのお父さんの事業が失敗し、お母さんの実家に身を寄せるためです。
すでに会社員として働いていたお兄さんだけは、アパート暮らしを始めて東京に残ることになりました。

Kくんがいなくなって、最初のうちは「せいせいした!」と言っていたYくんでしたが、だんだん元気が無くなっていきます。
唯一、思い切りぶつかれる悪友がいなくなったことで、そのパワーの持って行き場がなくなってしまったからでしょうか。

ある日の給食のとき、当番だった女子が、Yくんのおぼんにおかずをこぼしました。
「あ、ごめん」と、その女子はすぐに謝りました。
ですが、Yくんはおぼんを床に投げつけて、「なにやってるんだよ!」とキレ始めました。
まるで、以前Kくんにキレているような言葉遣いです。
先生も驚いて走り寄ってきて、Yくんをなだめ、その場は収まりました。

それからというもの、タガが外れたように、Yくんはだれかれ構わずキレるようになりました。
先生が個人面談をしても、スクールカウンセラーがカウンセリングしても、一時的には治まるのですが、すぐにキレ始めてしまいます。
しかも、反動でもっとひどくなっていくようでした。
みんなはだんだんと腫れ物に触るようにYくんに接するようになっていきます。

そして三年生に上がる頃、引っ越していったKくんが帰ってきました。
転校先の学校に馴染めず、お兄さんのアパートからこの中学に通うことにしたそうです。
Yくんは、遠慮なくぶつかりあえる幼馴染が帰ってきて、みるみる元気になり、ほかの友達にキレることは無くなりました。

二人は成績の差があったので、高校は別々でした。
でもYくんは、もうだれかれ構わずキレることはありませんでした。
Kくんが近くにいる安心感もあるでしょうが、Yくん自身の心が成長したためでもあるようです。

※以上は実話です。
この『寄生虫なき病』を読みながら、Yくんのことが思い出されてなりませんでした。
寄生虫役のKくんゴメン!

アレルギーは、昔はYくんの心のように、成長にしたがって治まっていくことが多かったようですが、最近では成長に伴い悪化するケースや、それまで無かったのに大人になって突然発症するケースが増えているそうです。
やはり寄生虫がいなくなったせいでしょうか!?

投稿者 morgensonne 日時 2014年11月30日


『寄生虫なき病』を読んで

この本は私の今までの考えを180度考え直すきっかけとなるものでした。

どちらかというときれい好きで部屋の中にほこりやごみがあるとすぐに掃除をしないと気がすまないほうです。これは家だけではなく、職場でも5S活動という名目で、まずは掃除をするようにしています。そして整理整頓をしていきます。ほこりを除去するということでそこには菌と共生するというような考えは全くありません。

この本を読んでから、たまたま病院に行く機会が増えました。(自分の病気ではありませんが。)病院内にはいたるところにアルコール消毒液が置かれており、それを使う機会も増えました。これで自分の体の細菌を殺してしまっているのかと感じながらも、どこかできれいになったと安心しているように感じています。

世間を見回すといかに菌を減らすかに取り組んでいます。スーパーに行けば、除菌のコーナーがあり、少しでも咳が出るのなら必ずマスクをするように促したりとか(今の私もそのようにしていますが)、例をあげればいくらでも出てきます。
数年前に私が高熱を出し、インフルエンザと診断されて会社を休んだ時、会社から電話があり、昨日誰と接触しましたか?と聞かれました。高熱で意識が朦朧とする中、答えましたが、それは関わった人たちに消毒してもらうためらしかったです。そして私のデスクも消毒されたらしく、複雑な気持ちとなったのを覚えています。

この本を読んで、人間に寄生虫がある程度必要であることはわかりましたが、かといって積極的に寄生虫、細菌に関わっていきたいという気持ちにはまだなれません。(今のところ、呼吸法のおかげで健康であるため。)

しかし、何十年後かには寄生虫なき、細菌なき病が主流になるのかもしれません。その時には寄生虫や細菌が「薬」として販売されることになるのでしょうか。
今回の課題図書で「きれい好き」を少し改めて、もうちょっとゆるくしても良いのかなと思いました。また、しょ~おんさんに紹介いただく本では、自分が常識と思っていたことを考え直すきっかけとなることがあるとともに、自分の価値観が広がっていくように感じています。

ありがとうございます。

投稿者 ktera1123 日時 2014年11月30日


「寄生虫なき病」を読んで

本に出てきたことで自分に関係ある、あったことをまとめてみる。
幼少のころ、はしか、風疹、水ぼうそうまでは罹病した。おたふく風邪は、予防接種を受けた。ツベルクリン反応で陽性、BCG接種になった。以上から幼少のころにかかる病気は予防接種で回避しているものもあるが大体かかっていることになる。
高校3年の頃から花粉症。最近は少しは症状が緩和されたが温かくなる方向で季節が変動すると鼻水が止まらなくなる。寒くなる方向で風邪をひく方向になる人が多いような気がするが自分自身は問題ない。

国内で食あたりはあるが海外(アメリカ、オーストラリア、中国、香港、マカオ、タイ、インドネシア、フィリピン)へ渡航しても、辛い物の食べ過ぎで、結構きつかったことはあったけど体調が悪化した経験はない。ただし不思議なことに渡航先によって排出物の色が全然違うのは不思議だ。歯磨き、洗顔程度以外はボトルウォーター、ミネラルウォーター、市販飲料を飲んでいたのだけど、食物、飲料の原料水のどこかからか、地のものを取り込んで腸内の微生物が格闘していたのだろうか。1週間も行っていなかったのに逆に国内に帰ってきてから安心感からか帰国時の飛行機の影響か体調が悪化したこともある。
人伝に聞いた話だと全世界チェーンのホテルでも宿泊したツアー客全員が食あたりした国もあると聞いたことがある。

最近、江戸時代末期の開国後の日本について書かれた本(シュリーマン、アンベールの日本旅行記)を読んでいたのだが、日本人は当時から風呂好きで道路等も清掃が行きとどいており清潔好きであるが、刺身等に代表される生魚が原因と思われる病気(皮膚病?)にかかっている人が多くみられるとあった。
当時の日本からは食生活の面で変わった点も多々あるが清潔好きな点は変わらないと思うが、昔に比べれば衛生面で怪しい物を食べなくなったのでそこまで食べ物由来の病気にかかっているひとはいないような気がするが、食べ物そのものに対する拒絶反応をアレルギーという形ででてもいる。以前食あたりしたので忌諱している、なぜか朝は食べてはいけないとか、外食では食べれないとか条件付きの忌諱はある。

昨年あたり何かの流行性の病気で何歳以上の人はかからないとか、かかったとしても症状が軽く済むという話があった。日本の衛生状況が改善したことにより、逆に免疫がなくなっていることもあるという点では本の内容とシンクロしていることを実体験していることになる。はたして進化することはよいことなのだろうか。それとも弊害、悪影響を考えると進化しないほうがいいのだろうか、本を読んでよくわからない悩みが逆に増えたような気がする。

投稿者 ktera1123 日時 2014年11月30日


「寄生虫なき病」を読んで

本に出てきたことで自分に関係ある、あったことをまとめてみる。
幼少のころ、はしか、風疹、水ぼうそうまでは罹病した。おたふく風邪は、予防接種を受けた。ツベルクリン反応で陽性、BCG接種になった。以上から幼少のころにかかる病気は予防接種で回避しているものもあるが大体かかっていることになる。
高校3年の頃から花粉症。最近は少しは症状が緩和されたが温かくなる方向で季節が変動すると鼻水が止まらなくなる。寒くなる方向で風邪をひく方向になる人が多いような気がするが自分自身は問題ない。

国内で食あたりはあるが海外(アメリカ、オーストラリア、中国、香港、マカオ、タイ、インドネシア、フィリピン)へ渡航しても、辛い物の食べ過ぎで、結構きつかったことはあったけど体調が悪化した経験はない。ただし不思議なことに渡航先によって排出物の色が全然違うのは不思議だ。歯磨き、洗顔程度以外はボトルウォーター、ミネラルウォーター、市販飲料を飲んでいたのだけど、食物、飲料の原料水のどこかからか、地のものを取り込んで腸内の微生物が格闘していたのだろうか。1週間も行っていなかったのに逆に国内に帰ってきてから安心感からか帰国時の飛行機の影響か体調が悪化したこともある。
人伝に聞いた話だと全世界チェーンのホテルでも宿泊したツアー客全員が食あたりした国もあると聞いたことがある。

最近、江戸時代末期の開国後の日本について書かれた本(シュリーマン、アンベールの日本旅行記)を読んでいたのだが、日本人は当時から風呂好きで道路等も清掃が行きとどいており清潔好きであるが、刺身等に代表される生魚が原因と思われる病気(皮膚病?)にかかっている人が多くみられるとあった。
当時の日本からは食生活の面で変わった点も多々あるが清潔好きな点は変わらないと思うが、昔に比べれば衛生面で怪しい物を食べなくなったのでそこまで食べ物由来の病気にかかっているひとはいないような気がするが、食べ物そのものに対する拒絶反応をアレルギーという形ででてもいる。以前食あたりしたので忌諱している、なぜか朝は食べてはいけないとか、外食では食べれないとか条件付きの忌諱はある。

昨年あたり何かの流行性の病気で何歳以上の人はかからないとか、かかったとしても症状が軽く済むという話があった。日本の衛生状況が改善したことにより、逆に免疫がなくなっていることもあるという点では本の内容とシンクロしていることを実体験していることになる。はたして進化することはよいことなのだろうか。それとも弊害、悪影響を考えると進化しないほうがいいのだろうか、本を読んでよくわからない悩みが逆に増えたような気がする。

投稿者 whockey51 日時 2014年11月30日


この世の中に不必要なものはない。

単純明快な結論しか出なかった。微生物がアレルギーを防いでいたり、微生物に出会わないと脆弱になってしまうなど、いま世の中にある社会問題と根本が似ている。
例えば、同じような価値観で同じような人とだけコミュニケーションをとるようになってしまっている。住んでる家の隣の人も知らない。ちょっとしたことでも繋がりを持てるといいのに、繋がりを持つことができなくなっている。

何かを防げば防ぐほど人間がどんどん弱くなっていっている気がしてならない。
まして、理由があって生き物は存在している。

必要のない生物はいないといえる。そこに心の平穏をもたらしてくれるような本である気がする。

都会で育った子と、田舎で育った子どもを比べると、後者が身体的にも心理的にも強いといえる点がこの本から明白になったと思う。

投稿者 sumio 日時 2014年11月30日


寄生虫なき病 モイセズ・ベラスケス=マノフ  感想文

シラミの分化、枝分れの検証の時間の単位が万年単位であることに驚きました。
悠久の時間を経て、私たちは進化してきているのですね。
日々の喜怒哀楽など、そうしてみれば、気にしない、気にしない、ほっといてオーケー、かもしれませんね。

著者は、人の生の営み、生きるということを微生物のマイクロの視点で提示してくれています。
ユニークな切り口で生態系の楽しい旅のいざないの書です。

人類の誕生から、旧石器時代、新石器時代、人類の移動、それに伴う影響の記述が面白い。
我々は皆、アフリカで誕生したルーシーの子孫なのですから仲良くしましょう、なんてこと言うつもりはありませんが、
こんな歴史のたどり方あるんだと楽しくなりました。

農耕の始まり、そして家畜の始まりはドラマチック。
イノシシ、ニワトリ、ヒツジ、ウマたちとの出会い。
人間と鳥類と有蹄類とブタのあいだに新たに生まれた密接な関係=寄生虫及び病原体のかつてない交換。
素敵な表現です。

化石などから当時の行動が全部バレバレ。
伝染病の伝播の仕方は興味深く、人間の業、とういうか、ガブッとやっちゃたり、
アコギな所行をするハレンチな野蛮人でもある人類の足跡が明らかになっちゃっています。

気候の変化が、人類の骨格の変化を促したり、人類も環境適応業の生き物であることわかりました。

寄生虫の戦略として「長距離ランナー的アプローチ」と人工爆発で可能になった「電撃戦」。
万年単位の変化として、突然変異がポイント。

ライフスタイルの変化に応じて、「〇〇〇にさらされやすくなると適応するために変異する」。
これこそ生き延びるための戦略。
身体の中でこんな事が行われているなんて凄いと思います。

免疫のジレンマ、スイッチの「オフ」と「オン」
毎日のように核兵器で応戦していると、しまいには身体粉々になってしまいます。
一方には、自分自身を破壊してしまうリスク、もう一方には病原体に破壊されてしまうリスク。
免疫系は、常にこうした相反するリスクとうまく折り合ってきたなんて気付きもしませんでした。

そして、人体は、他生物との協力にかなりの努力を振り向けている一つの国のようなもの。
日々、今このときも体内で生命の各種ネットワークとやりとりして最適化をはかっている甲斐甲斐しい我が身。

「我々は自然から切り離されてしまいました。そして、そのために健康を害しています。」
アレルギー疾患の原因は、我々人類が生命のネットワークに対する無関心、ぞんざいな態度がひきおこしているため。

さらに地球の生態系、そして人体内部の生態系はひとつの大きなネットワーク。
一人で勝手気ままに生きているようでも、万年単位の歴史から、さらに今ある生態系から影響を受け、
他生物とのスリリングなやりとりの中で生かされていること、奇跡のようなあやうい存在でもあることに気付きました。

面白いです。
ありがとうございました。

投稿者 gizumo 日時 2014年11月30日


寄生虫なき病を読んで

アトピーを持って、その他のアレルギー症状も出る自分にとって興味深い本でした。
良かれと思って行った、環境整備や除菌が実は現代の病を生んでいるという皮肉が痛々しい。
そこで頭に浮かんだのは「神様は無駄なものをこの世にお造りにならなかった」、というあるマンガで読んだセリフである。
さらに、人間はそれ自身で一つの宇宙なんだなぁ・・・と思うとともに、この世のあらゆるものに感謝の念がわいてくる。

詳細な比較検討データによる内容で、「寄生虫が必要」だという一見冗談めいた話が本当で、本格的に検討されていることを感じられた。
本文にもあったが、近い将来「遺伝子に応じた寄生虫・細菌の投与」というオプション(?!)が医療でも登場するのかもしれないと想像するとちょっと怖い気もする。

2×××年、すでに世の中に病気は存在しない。人は闇ルートで病気を手に入れる、「これがあこがれの病気ってやつか・・・」。
これも以前マンガで描かれていたシーンだが、人間はもともとこういう世界を望んでいたのだろうか?
生真面目な人類は、生活・環境の向上として努力し、一つずつクリアーして行くと最終的には病のない世界にたどり着くことを忘れてしまっていたのではないか。

病気の発生や環境変化は、「生態系の破壊」というのがこれほど恐ろしく、人間の自己中心的な世界のとらまえかたを警告し「共存」へ方向転換することを示唆していると感謝するべき事かもしれないと考えさせられた。

投稿者 ken2 日時 2014年11月30日


「寄生虫なき病」 を読んで

我々の身体は、1つの精子と1つの卵子が出会い、細胞分裂を繰り返し、大人になるころには細胞数が約60兆個と言われています。
その細胞1つ1つは、顔や手足、皮膚や内臓といった機能に分化してるわけですが、その細胞レベルでは、特に腸内では、常に寄生虫や菌にさらされている。
アレルギー、喘息などの自己免疫疾患や自閉症、ガンなどの疾患が「寄生虫」や「菌」が「入ってきた」ことで引き起こされたのでなく、「いなくなった」ことで引き起こされた可能性があると示唆していることに価値観がひっくり返りました。
腸は第二の脳であると。
その腸内の免疫細胞クンは日々、「寄生虫」や「菌」とせめぎ合って、休まずバランスを取ってくれているんだと思うと「免疫細胞クン、日々日々一瞬一瞬お疲れさま!おかげさまで元気です!」と素直に感謝したくなりました。
本当にそういう意味では人体の仕組みの神秘、生きてるって奇跡だなと感じざるを得ません。
「除菌」や「殺菌」という「引き算」ばかりの発想でなく、「菌と共存」という「足し算」の発想も重要になってくると感じました。
しかし、著者のように自分が実験台になるほどの勇気はありませんが。

今月もありがとうございました!

投稿者 t1100967 日時 2014年11月30日


やはり人間も自然の一部であって、自然から切り離されては生きていけないのだと感じた。

これまでの課題図書で読んできたような、
「全ての生物は一つに繋がっていて、相互に影響しあっている。」
という考え方は、今回の本でもその正しさが証明されたように思った。

人間だけが自然を克服し、制御できると考えるのは本当に愚かであり、
早くそのような思想が改められることを強く願う。

現代という時代は本当に不自然な状況であり、
未来の人が後から振り返って考えた時には、
「なんと愚かな時代だったのだろう」と思われるのだろう。

科学の本当の意味での進歩と、自然を尊重する思想の広まりによって、
本当に人類全体が幸せに生きられるような世界になることを願ってやまない。


本書を読んで特に面白いと思ったのは、
”病気の原因は、何か特定の要因が作用している場合だけではなく、
 体内生態系のバランスが崩れたことが原因である”
というような考え方が示された部分だ。

これは、しょうおんさんが以前に言っていた、
「世の中は因果律の世界と、確率の世界と、カオスの世界の三重構造になっているが、
人間は因果律の世界しか認知できない(しようとしない)」という話と重なると思った。

現代の科学が推し進めてきた、
「Aという病気の原因はBだ」という考えから、
「AとBが多い時に、CとDが少ないと病気になる」というような、
全体のバランスが重要だという考え方へのパラダイムシフトは、
読んでいて脳が揺さぶられた。

がんも、自閉症も、うつ病も、全ては免疫系の暴走であり、
それを引き起こしているのが体内生態系のバランスの崩壊だというのは、
本当に驚いた。


自然界においては、絶対的な悪と言うのは存在せず、
時には悪とみなされる存在が、実は別の面では有益な存在だった、
というのは面白い。

この本を読んでいて、最近話題の「寄生獣」の話がちらちら頭に浮かんだ。
人間を食べるモンスターが出てくるが、彼らは自分の存在に悩む。
人間に寄生し、人間を食べるためだけの存在である自分達は、
いったい何のために生まれてきたのかと。

作中では、人間こそが地球に寄生している有害な生物であり、
”寄生獣”なのだと語られる。それを駆除するための免疫として、
地球が生み出したのがモンスター達であると。

果たして私達人類は地球にとってただ有害なだけの”寄生獣”なのか。
それとも、地球に対して何らかの有益なものを提供している”旧友”なのか。
どちらになるのかは、これからの人類次第なのかもしれない。

投稿者 tractoronly 日時 2014年11月30日


寄生虫なき病 を読んで

花粉症治療薬はできるのか?

この本を読んで感じたのは治療薬である寄生虫入手が、アンダーグラウンドな世界に頼っているがために、後ろめたさ、高額な出費、医療技術としての未熟さを強いられていることでした。

将来的に免疫機能の正常化薬(寄生虫薬?)が市販化され、患者の人が安価に治療を受けられ、再発もしなくなるのか?
いろいろ考えるとすんなり行かない現実があるように思います。

1.メジャーになるまでの道のり
 本著でも触れられている通り、まだまだアングラな要素が強く、生理的に受け入れられない人がいたり、自分の世界でしかものを考えられない医者など、受け入れ体制は提供する側される側でまだまだな感じがします。これは時間をかけて解決していくしかないでしょう。

2.取り戻すのは体内の多様性だけか?
 体内細菌の多様性を取り戻せたとしても日本では寛解の許容量を超えるような大量の花粉がやってきます。その理由は高度成長期に大量に植林されたスギやヒノキで、バランスを取り戻す必要があるのはこちらも同様のようです。せっかく治ってもまたぶり返すことになっては目も当てられません。

3.ビジネスや利権の観点
 アレルギー抑制薬をはじめ、マスクやメガネ、花粉がつきにくい服等、花粉症にまつわるいろんなビジネスがあり、1000億円もの市場になっているそうです。例えば治療薬ができたり、土いじりをするなどの簡単な対処で治るとわかったら、花粉症業界(?)はどうするでしょうか。当然、マスコミや政治家、厚生省などに働きかけ、全力を挙げて阻止しますよね(笑)

と、できない理由ばかり挙げてしまいましたが、個人的にはこの本で述べられた概念が広く知れ渡りさえすれば、業界や役人が動かざるを得ない規模まで患者数は増えていると思うので、それほど悲観的に考えてはいません。
ただ、現在できる対応としては、自然な山々が残っている地域に移住したり、多様な微生物が住んでいるような田んぼや畑の土に触るのが手っ取り早いんでしょうね。

とりとめのない感想になりましたが将来の思考実験をしてみました。

投稿者 sakurou 日時 2014年11月30日


本書を読んで、私がまず思ったのは、免疫機能は人体に非常に重要であるにもかかわらず、免疫機能についてまだ不明な領域がたくさんあり、私達自身も免疫機能について無知なのではないか、ということである。

免疫機能については、リンパ球やらマクロファージやら、何となく知った気になっているが、実はそれほど単純なものでなく、現代医学でも不明な領域がまだまだありそうなことを本書は教えてくれる。

内臓ついてはある程度機能がわかりやすいこともあり、研究が進んでいる。脳についてはやっと現在の脳科学で研究が進んでいるぐらいだと考えている。それと比較して、人体の免疫機能は非常に重要と思われているものの、つい最近、大阪大学で「病は気から」ということが免疫学的に裏付けされた、一言で要約すると交感神経がリンパ球の働きを抑制、つまり「ストレスが免疫力が低下する」という程度であり、まだまだ不明な領域がたくさんあるということだと思う。

本書は、自身も自己免疫疾患にかかっている筆者が8500本(!)もの論文、数十人へのインタビューという膨大な情報を調べ尽くし、自らの治療のためというだけでなく、ジャーナリストとして経験するため寄生虫感染療法をして数ヶ月という長い時間をかけ、胃腸の不快、下痢など様々な症状に苦しみつつも最終的には寛解に向かうという自らの病気の本質を知りたいという執念を感じる、単なるノンフィクションを超え、一種のドキュメンタリーであり。免疫や病の本質に迫る読み応えのある一冊である。

私は本書を読む前、「細菌は不潔」「寄生虫は取り除くべき」「抗生物質の服用は仕方ない」というぐらいにしか思っていなかったが、目からウロコのことばかりであった。

多発性硬化症やアレルギーといった自己免疫疾患に関する内容だけでなく、ガン、うつ病といった最近増加傾向にある病気の因果関係についても不確定ながらも言及されている。

自己免疫疾患に対する治療について重症の腸疾患に対する糞便移植による治療等も興味深かったが、最もショッキングだったのは無菌マウスの実験である。
無菌状態で育てたマウスは免疫力が低いばかりか、心臓、肺、肝臓が萎縮していたというのである。
我々の価値観では、菌が悪さをするなら菌を除去すれば正常になる、と思いがちだが、実験結果はまるで逆で、正常な発達を阻害することが科学的に証明されているのである。
また、興味深かったのは細菌多様性の重要性である。

一見、必要なものだけ残せばよいと思いがちであるが、実は細菌の多様性に対する抗体があらゆるアレルゲンに対する免疫機能を発揮している以上、あらゆる細菌や寄生虫が生体機能の維持に寄与していることを教えてくれる。

エボラ出血熱の対応に見られるようにグローバル化の進展に伴い、地球上の様々な細菌侵入リスクが増加しており、我々の生活に脅威を脅かしている。そう思うと、特に地方におけるいわゆる地産地消の生活が外部からの不要な最近の侵入を抑止し、自らの生活を豊かにしているのかもしれない。

しょーおん先生の断食から一日一食生活、先月読んだ「フードトラップ」から最近、食について考えさせられる。食が腸内環境に影響し、「腸は第二の脳」と呼ばれ、数々の本が出ているが、本書でも同様のことが書いてある。腸内細菌がまさに人を健康にも不健康にもしているのである。

また、ジャンクフードに関する記述について興味深かったのはジャンクフードの脂肪により太るのではなく、ジャンクフードを摂取することで腸内環境の悪化を招き、太りやすい体を形成し、最終的には膵臓の機能低下から糖尿病に至るということである。

そう考えると、改めて気付かされるのは、人体は非常にセンシティブでありながら、体内にいる様々な微生物や細菌の絶妙なバランスにより免疫機能が形成されている、というある意味当たり前の事実である。

人は免疫機能により、外部の最近や微生物を除去したり共生したりしながら、命を永らえている機能が元々備わっているのである。もちろん、抗生物質が悪いわけではない。しかし、抗生物質の濫用が現在のアレルギー、自己免疫疾患、細菌性感染症を招いているとすれば、我々はその現状を反省しなければならない。

また、本書を読んで改めて思うのは西洋医学と東洋医学の違いである。
病原体に作用することを重視した西洋医学とは異なり、東洋医学は陰陽五行説のように体のバランスをとることを重視する。
不健康とはバランスがそれていない状態を意味し、バランスをとるために薬だけではなく、太極拳のように呼吸法から体のバランスを整えるプログラムが太古の昔から形成されている。まさに医食同源であり、ガン、精神疾患が増加している日本では今後見直されるべきだと思う。

もう一つ本書を読んで思ったのは「細菌の多様性」に関する記述である。本書では細菌の多様性が重要であると論じている。この記述でふと思い出したのが、アメリカ等である周囲を壁で囲んだ富裕層向けのコミュニティである。
ある特定の人々がクローズドな空間でコミュニティを形成する。これは確かに外敵から身を守るという意味では有効なのかもしれないが、壁の外の外敵から身を守るという意味では非常に無力であるし、大きな変化の流れに対して脆弱なコミュニティであるように思えてならない。やはり、自分の社会的免疫力を高めるには、様々な階層の人と多様な価値観に触れ、自分の価値観(≒免疫)を形成していく方が、これからの世の中を生きていくには重要だと思う。

人は生きていく以上、病とは無縁でいられない。しかし、本書で試した療法はあくまでも「病を封じる」ものではなく「寄生虫の力を借りて自らの免疫力を高めていく」手段であり、人間にはものすごい免疫力が備わっていることを忘れてはならない。

本書を通じて、今後、免疫学に関する最新動向を把握すると共に、自身の免疫力を信じ、呼吸法等により免疫力を高めていくことで新しい未来を切り開いていけるものと私自身、確信している。

投稿者starstar日時2014年12月1日

寄生虫なき病、を読んで。

①人は動物であることを捨てようとしている。

 人は、文明を発達する過程で、地球という生態系を壊すだけではなく、
人の中の生態系も壊しつつある。それは自然の庇護から離れていって、
動物であることを離れる行為ともいえる。
そのため、自己免疫疾患や、アレルギー疾患を発症させることが増えた。
 このままいくと、脆弱になっていく人に対して、未知の伝染病の大流行、
自己免疫疾患、アレルギー疾患の爆発的な発生などが起きるのではないか
という恐れを感じる。最近のエボラの脅威も、改めてこの本を読んでから
より怖さを感じた。
 人の歴史の中で、乳幼児死亡率の高さは戦争と並んで、人口抑制につな
がっていたのだと思うが、これが飛躍的に上がったことにより、人口爆発
にもつながる怖さも感じる。
 今の我々の生活は、産業革命と衛生革命の延長線上にあり、これによる
メリットを享受しながら、どれだけデメリットをコントロールできるのだ
ろうか。まとめの章にあったように、快適性の中で、寄生虫と微生物のメ
リットを享受する試みが成功してほしいと思う。

②筆者の説得アプローチの凄さ
 この本の主張は「忌み嫌われている寄生虫にも大切な役割がある。」という
もので、常識とは逆の意見を主張し、読者に納得してもらうというものだ。

 そのために、作者は一つの偏った角度ではなく、複数の角度からアプローチ
してくる、反対意見も含めた多くの学説、歴史、人種、大陸、寄生虫の
種類、さらに、自分で寄生虫を入れたり、動物にもアレルギーを起こさせたり
とありとあらゆるアプローチで説明してくれる。

 これは筆者の能力もあるだろうし、自身が自己免疫疾患患者であるという
”MUST KNOW"な状態であることも大きく効いているのだと感じる(MUSTなこと
を取り組むことの大切さも感じた)。

 自分が会社で上役の持論と逆の意見を通そうとした時にどうするかという
視点で見ても大変参考になった。

③ 撲滅という考え方のリスク
 人間が文明をすすめていくうちに、病的なまでの清潔さの追求をしてしまい、
寄生虫、微生物を必要以上に減らしてしまった。
撲滅というのは、悪いこともなくなる代わりに良いこともなくなるという
ことなのではないかと感じた。物事には良い面、悪い面の両面があるので
良い面をなくすことによる影響も発生する。

 なにかをやめるというということは、何かを失うことになる。その後をしっ
かり観察して、修正するという姿勢が必要なのだなと思った。

 私は仕事でパワハラの削減をテーマに活動をしているが、パワハラを絶対悪
だとして、撲滅=0にするというイメージでやると、おそらく部下指導文化
の破壊、その他の今は気づいていないデメリットも発生してしまうだろうと

感じた。