投稿者 mkse22 日時 2020年8月31日
「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍を読んで」を読んで
本書は、欧米の最近の研究をもとに、独ソ戦について新たなる一面を
説明したものだ。
本書の特徴の一つに、アドルフ・ヒトラーの人間化にある。
アドルフ・ヒトラーといえば、20世紀を代表する悪名高き人物だろう。
ユダヤ人の大虐殺であるホロコーストは特に有名だ。
そのヒトラーについて、これまで読んできた本では悪魔のような人物という描き方が多いと感じていた。
本書にもあるように、あまりにも非人道的な行為を行ったせいか、
『ヒトラーを「 悪魔化」する一方、その能力を過小評価する解釈』(位置No.1053-1055)以外の理解を
人々の感情が許さなかったのだろう。
なぜ悪魔化以外の理解を許さなかったのか。それは彼を理解不能な人物と見做す必要があったからだろう。
人は自分と同じ思考の持ち主しか理解できない。
言い換えると、ある人を理解できるとは、その人の考え方が自分と同じであることを意味する。
もし、まったく異なる思考の持ち主を理解可能だとしたら、それはどのようにして理解するのだろうか。
私にはわからない。判断の仕方の同じもの同士だけが、お互いを理解できるとしか言いようがないのではないだろうか。
そして、ヒトラーを理解できるとは、私たちにも彼と同様の思考が可能であることを意味する。
感情論としてそれには耐えられない。だから、なんとかして彼を悪魔化したかったのだろう。
本書では、ヒトラーを悪魔化、つまり異常者として描くのではなく、一人の人間として描いている。
人間としてのヒトラーには、為政者としての苦しみの一面が見えてくる。
例えば、以下のとおり。
『右記の社会的対立などの内政的条件に拘束されたヒトラーが、分裂を回避するために、
その理念に頼れば頼るほど、本来は支配の道具 にすぎなかった人種イデオロギーや「生存圏」論が、
文言通りに受け止められ、ついには現実になった』(Kindle の位置No.1113-1116)
ドイツ内部の対立を回避するために、ヒトラーが打ち立てた社会事情とは直接関係ないイデオロギーが
社会事情と関係がないからこそ、徐々にドイツ国民の思考に浸透していく。直接関係があれば、それに拒否反応を示すものがでてきて浸透しないはずだ。そして、それが逆にヒトラー自身をも縛っていく。
ここで注目すべき点は、ヒトラーとドイツ国民との相互依存関係の構図だ。
ヒトラーがドイツ国民を一方的に洗脳したのではない点だ。
逆にドイツ国民がヒトラーの思考に影響を与えている点に注目すべきと考える。
これは、現在の社会でもよく見られる構図である。
例えば、ベンチャー企業の社長だ。
創業時、社長とその理念のもとに集まってきた社員だけで会社が構成されているときには、共通の理念があるため、一つの方向に向かって進んでいくことが可能かもしれないが、会社が大きくなるにつれて、
必ずしも理念に賛同していない人物が社員として入社してくる。そのことにより、社員の見ている方向にずれが生じ、その結果、社内の対立が生じる。もしくは、何も決定できない状態となってしまう。
そのとき、社長がとりえる手段としては、より大きな理想を掲げて進むのか。または理想を実現するための手段であるはずのお金儲けを目的化するのか。。。。
この権力者と非権力者との間の相互依存関係、特に非権力者から権力者への影響に関する視点は
意外と見落とされがちな点だと考える。
さらに重要な点は、この関係から権力者の意思決定には非権力者にも一定の責任があると解釈可能な点にある。相互依存関係により、権力者の決断には、少なからず非権力者の考えが反映されているからだ。
これは、例えば、社長の決断が愚かだと思ったとしても、その決断の原因は社員にもあることを意味する。
権力をもつほど自分の思いのままにできると考えがちだが、実はそうではない。
想像以上に非権力者に権力がある。逆説的だが、これが本書から学べた最も大きなことである。
なお、私はヒトラーの行ったことに賛同するつもりはないし、ドイツ国民に戦争責任があるとも
主張するつもりはない。あくまでも、ヒトラーとドイツ国民という権力者と非権力者の関係に注目して感じたことを述べただけである。
今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。