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第139回目(2022年11月)の課題本


11月課題図書

 

投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待

 

怪しい系の中級レベルの書籍なんですが、宇宙が映画マトリックスのようにできて

いるのだということが実感できる、超良書です。


 【しょ~おんコメント】

11月推薦者

 

今月は、LifeCanBeRichさん、mkse22さん、daniel3さん、Cocona1さん、

masa3843さんが各1票、Terucchiさんが2票となりました。

 

これにより累計ポイントは、

 

LifeCanBeRichさんが4ptsCocona1さんとmasa3843さんが3pts

Mkseさん、daniel3さん、Terucchiさんが2pts1992さんとH.Jさんが

1ptsとなりました。

 


【頂いたコメント】

投稿者 kenzo2020 日時 
宇宙が一種の巨大な流れるホログラムだということについて、本当にそうなのか、にわかには信じ難いと思い、3冊ぐらいほかの本や、ネットで調べてみたところ、どうも最新の理論ではそう考えられているようだ。ただ、証拠はないようで、今後どんなことが発見されるのか期待している。
また、イメージすることで、運動競技がよいパフォーマンスになったり、自分の人生をよりよくすることができたりするとあり、さらには自分の病気を自ら回復させたりともあり、これもはたしてどうなんだろうか、たまたまなのではと疑いの目で読んでいたが、信じるものは救われるとでもいうことなのか、プラスのイメージを常にもつようにしていきたい。とあるカルタの漫画で、次に読まれる札が浮き出て見えるとあったが、これもイメージの一種なのではないかと思った。
ほかには、自分の状態を人生全体の大きなパターンとの関連の中で見るとあり、小さなことでくよくよしても仕方がないなと、大きな流れの中で見るように、1つのことにとらわれすぎないように考えられるようになってきた。そう、例えサッカーの試合で負けても、また次に勝てばいいさと。
この世界の住人だがこの世界を十分理解できず、いや、住人だからこそ、この世界が理解できないのか、謎が多いが、これからは愛情を持って、知識も大切に人生を生きていきたい。
投稿者 daniel3 日時 
本書では、サイコキネシスや過去透視といった奇跡のような能力がいくつも紹介されています。そして、こうした現象は、宇宙がホログラムであるという理論から説明できるのではないか、と著者は述べています。斬新で突拍子もない理論に思えますが、本書で紹介されている様々な事例を知ることで、この宇宙には科学では説明できないことがまだまだ多くあることに気付かせてくれる本です。そして、宇宙がホログラム、すなわち実態をもたない影絵のようなものである主張は、ギリシアの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」に類似していると思いました。

プラトンは「洞窟の比喩」を用いて、イデア論を説明しました。イデア論とは、「絶対的な真理の世界に、真理である『イデア』が存在し、私たちが普段体験している物事はイデアを鏡映しにした偽物の世界の真理である」という理論です。そして、イデア論を「洞窟の比喩」を用いて、「私たちは暗い洞窟の中にいることに気付かず、洞窟の外からのイデアの光で映し出された影絵を、現実の出来事として見続けている」と説明していました。その様な状況でも、影絵の反対側からイデアの光が差し込んでいることに気付いた人は、洞窟の出口へと近づきますが、それはあまりにも明るいため姿を捉えることができないとのことです。このように本書のホログラム理論とイデア論の類似点としては、私たちが現実と思い込んでいる世界は影絵であり、真の姿を私たちなりに解釈した結果が映し出されているということです。かつて学生の頃に「洞窟の比喩」を授業で学んだ際には、何のことを言っているか全くピンときませんでした。ただ、本書を読むことで、紀元前のギリシアの哲学者が現代科学以上に宇宙の真理に近づいていたのかもしれないと思い、プラトンという哲学者の洞察の鋭さに驚きました。そして、この二つの理論の類似性に気付き、私は2つのことを考えました。

一つ目は、現実という影絵を作り出している思考を整えるべきということです。なぜならば、
この宇宙が私たちの思考が映し出された影絵であるなら、それを良きものにするためには、まずは私たちの考え方を整える必要があるからです。本書の中では、私たちの思考が現実に影響を及ぼす一例として、プラシーボ効果について説明しています。その中でも「熱いストーブの上の雪の玉のように溶けてなくなる腫瘍(P.113)」の章で紹介されていた、ライトというリンパ球のガン患者の事例は驚くべきものがあります。ライトは、ガンの特効薬と言われたクレビゼオンを投与することで、瀕死の状態からたった数日で奇跡のように回復し、飛行機の運転さえできるようになりました。しかし、クレビゼオンはリンパ球のガンに効果がないことが記事になると、ガンが再発します。その後、医師がクレビゼオンの改良薬と偽って偽薬を投与することで、ライトは再度回復します。ただ最終的には、クレビゼオンに効果がないことが判明し、ガンが再発して死亡します。自分の考え方次第で病気から回復することに気付けば、ライトは生き長らえることができたかもしれません。そして、多くの人々もライトほどではないにしろ、ネガティブな思考に囚われ、辛い現実に苦しんでいることが多いと思います。それは、Twitterで今の仕事がつらいとか、インフルエンサーの発言が気にくわないという趣旨のつぶやきが多いことからもわかります。そのため、本書で思考の影響力の大きさを理解し、適切に整えることができれば、現実を変える力を手にできるのではないかと考えました。


二つ目は、、洞窟の外のイデアを見極められるように、幅広い教養と深く考える習慣を身に付けるべきということです。なぜならば、現実が影絵であることを理解して変えられる人だけが、宇宙の真理であるイデアを見極める習慣を手にして、多くの人に良い影響を及ぼすことができるからです。もちろん、プラトンが到達した哲学的なアプローチではなく、量子力学的に宇宙の真理を説明し、多くの人が理解できる日がくるかもしれません。しかし、もしアインシュタイン級の天才が再度現れたとしても、私たちが生きている間にホログラム理論が科学的に証明されることはちょっと想像できません。そのため、イデアを見極められるように、幅広い教養と深く考える習慣を身に付けるべきと考えました。幅広い教養と深く考える習慣を身に付ける手段としては、自分の思考の枠組みを広げてくれる、このハイグレード課題図書に取り組むことが有用と考えました。

以上で述べたように、まずは①思考を整え現実を変えられるようになり、②イデアを見極められるように、幅広い教養と深く考える習慣を身に付けるべきということが、私が本書を読んで考えたことです。
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、投影させるホログラムとは世界とはこういうものであるという形を、一人一人の人間が想像することで、現実にしているという事を改めて考えさせられました。

そもそも心理学と量子力学における、ホログラフィックな性質の発見から話は始まります。脳における記憶の不明瞭な所在や、距離を無視した量子の不思議な振る舞いは、局在性を前提とすると、どうしても説明できなくなったのです。

そこから発展したのが、ホログラフィックな性質とは心理学や量子力学だけでなく、その他の様々な領域の現象にも矛盾なく適用できることが分かって来ました。

もし、この考え方を推し進めると、この宇宙の根底にはホログラフィックな性質があるという、ホログラフィック・ユニヴァースという宇宙観に統合されます。

この宇宙観によると、我々が目で見て手で触れている現実世界は、宇宙の要素をすべて含む「宇宙ホログラム」から、我々の意識が勝手に想像している「世界とはこういうもの」というイメージに沿う側面だけを抽出して投影した、質量を伴う立体映像のようなものということになります。

『イメージというものをホログラフィックにとらえるならば、肉体的機能に対するその絶大な影響力も当然のこととなる。イメージ、行動、そしてそれに伴う生理現象は、同じ現象の一部であり、ひとつのまとまった側面なのである。』(100ページ)

ホログラムが記録されたフィルムには立体映像を投影する性質のほかに、フィルムを分割したその一部からでも、撮影対象の全体像を投影できるという性質があります。

普通、写真を半分に切れば、それは撮影対象が半分だけ写っただけ写真となり、残り半分の情報は失われてしまいます。しかし、ホログラムのフィルムは半分に切っても、その半分から撮影対象の全体像を投影することが出来ます。

投影された映像の解像度は落ちてしまいますが、ホログラムのフィルムを4分の1、8分の1と、どんどん分割していっても同じように、切れ端から、全体像を投影する事が可能なのです。ホログラムに記録された情報には、部分と全体の区別が無く、部分に全体が内包されるという性質があるのです。

つまり、外部に投影されるホログラムとは、我々の意識が勝手に想像している「世界とはこういうもの」というイメージに沿う側面だけを抽出して、投影した質量を伴う立体映像のようなものということになります。

砂の一粒に世界を
そして野の花に天界を見る
手のひらに無窮をつかみ
そして一時間の中に永遠を感ず
(54ページ)

本書で引用されているウィリアム・ブレイクの有名な詩が、ホログラ厶の特異な性質を的確に表現しています。

我々の認識が勝手に想像している「世界とはこういうもの」というイメージは、性別、人種、出身地、生活、気候、風土などによって様々な違いが存在します。個人一人一人が、自分の投影する世界を作り出せることが出来るので、想像を外部に投影して現実にすることも可能なのです。

ものを作るとは、想像することから始まります。便利でより良い社会という目標の為に、一人一人が自分に出来る想像の力で外部に投影させれば、理想の現実が創れるという事になります。

世界とはこういうものだ、こうあるべきだと想像する事を忘れず、自分の想像する世界を作っていくようにします。
投稿者 Cocona1 日時 
本書では、この世界がホログラムであり、現実そのものもみんなが共有する夢であると同時に、向き合い方次第で、自分の思い通りにできるという理論がていねいに解説されています。私は、ホログラム理論をぜひ自分の人生に活かしたいと考えながら本書を読みました。しかし、どこかやはり「違う世界の話」ととらえている自分がいました。

一方、身の回りに目を向けると、本でも漫画でも映画でも、自分の思い通りになる別世界の話であふれています。それは、私も含め人々がそれだけ、自分の人生を思い通りにしたいと願っているからだと考えられます。それなのに、この世界こそがそうだと言われても信じられないのはなぜか。私は初めその理由は、ホログラム理論に信ぴょう性がないからでは、と推測しました。

しかし、本書には、ホログラム理論について、多方面にわたる研究者が実際に支持している説明が多数紹介されています。本書に書かれている事例や研究を読むと、それがまったく信ぴょう性に欠ける主張だとは、思えませんでした。

そこで私は、ホログラム理論を受け入れにくい理由を探して本書を再読しました。まず注目したのは、人々が自分の信念に中毒を起こしている、という記述です。今の世の中は、科学的な理論を信念として人々が中毒を起こしているため、ホログラムな理論に出会っても拒絶してしまうというのです。この主張はかなり説得力があり、自分も科学的な信念に中毒を起こしているのだと、自覚できました。

それでは、今までの科学的な信念から自由になって、新しいホログラムな信念を受け入れるためにはどうしたらいいのか。私は、本書から3つのヒントを見つけました。

まず1つ目は、よく見る情報を変えることです。これは本書内で、人生においてたくさん触れた情報によって信念が作られる記述から拾いました。本書ではその具体例の一つとして、島に「教育」がやってくることで、妖精を見る人が減った話が紹介されています。この例で言う「教育」は、近代的で科学的な知識を学ぶ、私たちになじみのあるものです。島で新しい情報がたくさん入ってきた結果、今までの信念が薄れていったこの事例から、たくさんの情報に触れることで信念を作っていくのが教育なのだと分かります。ならば、新しい信念を受け入れたい場合は、その情報にたくさん触れて自分を教育することで、それが可能になるのではないか、と考えました。

2つ目のヒントは、「時流」を変えることです。「時流」について著者は、科学が「時流に合う」ものを受け入れていると書いています。現代の信念のもとになっている科学も、結局は「みんなが信じているものを信じる」に過ぎないというこの主張は、私にとっては驚きでした。私はこの「時流」とは、言い換えると「コミュニティの信念」だと考えます。なぜなら、自分の信念だけを変えようとしても、それが身の周りの人たちの信念に合わなければ、新しい信念は受け入れられず流されてしまうからです。つまり、信念を変えたければ新しい信念に合わせて、自分が接するコミュニティを変えていく必要があるのだと感じました。

3つ目のヒントは、客観性から参加型への移行です。これは、科学の根本的な見直しの要点として、著者が述べている主張です。しかし、私は個人の科学的な信念の見直しにも有効だと考えます。著者が言うように、これからの科学は、客観的な分析から参加型へと移行することで、ホログラムな世界が容認されていくと想像できます。それを私たち個人にも応用して、ホログラムな世界に参加していくことで、今までの科学的な信念を変えていけると、私は考えました。

本書を通して私は、自分の信念を変えるには、よく見る情報を変える・時流を変える・参加者となる、の3点が大事だと学びました。ここまで書いてきて、私はこの3つを揃えているものに気づきます。それは、本書にもたびたび登場する「宗教」です。なぜなら、宗教は、目に見えない神の存在を信者が信じられるようにこの3つを提供しているからです。キリスト教を例に見てみると、聖書を読むことでたくさんの情報に触れ、教会に通うことでコミュニティの信念を共有し、日常的に神への祈りを口にすることで神の存在を体験できる参加者となっています。この気づきで、まさにこの3点が信念のもとなのだと、さらに深く実感できました。

この3点に注目すると、自分が本書を読んでもホログラム理論をなかなか受け入れられなかったのもうなずけます。私は3点の中でも特に、時流を変える、参加者になる、をこれまで意識したことがありませんでした。これからは、じっとして情報を得るだけでなく、新しいコミュニティや体験を求めて行動することで、新しい信念をどんどん大きくしていきたい。そしてそれが、ホログラム理論を活かした人生につながっていくと信じて、進んでいきたいと思います。
 
投稿者 Terucchi 日時 
異次元の世界を考えてみる

この本を読んでみて、今私たちが現実に生きている世界を三次元世界とすると、それとは別の異次元の世界を感じてしまう。そして、その異次元の世界は離れた別の世界ではなく、三次元のこの世界と関わり合っていることがよくわかる。更にこの本によると、この世の中はホログラフィックに投影されたものだと例を挙げている。そして、私たちが目の前で見ているものは三次元だけのものでなく、異次元の世界と共存したものであることである。それならば、その異次元の存在を理解することが必要であると私は考える。

この本では、ホログラムとして例を出しているが、私はこれをわかりやすく理解するために、影を考えてみる。なぜなら、そう考えてみることで、理解が深まるからだ。影は二次元であるが、三次元の物体が光に当てられて、二次元に投影されている。ここで、例えば縦横高さのある円筒形のものに対して、光を投射してみることを考える。その影は二次元になるが、いろんな方向から投射してみると、ある角度では円の形の影になるが、ある角度では長方形になる。他の角度では、楕円も有れば、その他の形にもなる。もし二次元で見れば、円にも長方形にもなり、全然違うものに見えるものが、一つ上の次元の三次元で考えると実は円筒形なのだ。そう考えると、この三次元の世界は、更に上の次元のものが何らかの光みたいなものに投影されていると考えると、三次元で見えていない形があるということなのではなかろうか。すなわち、この世界を考えるには、異次元の世界の視点に立って考えることが必要であると私は考えるのである。

では、どうしたら異次元のことを考えることができるのだろうか?これを理解するために、私は「なぜの問いの次数を上げる」「感性と言語化を磨く」ことが必要であると考え、それを説明したい。

最初に、「なぜの問いの次数を上げる」を説明する。まず、現状で起きていることが、なぜなのかという疑問を持って問いを立てて考える、ということが初めに必要である。先ほどの円筒形を例にとると、なぜ円に見えるのか、長方形に見えるのか、がそれに当たる。しかし、漠然と疑問に対して考えるのではなく、更に、その際に「なぜの問いの次数を上げる」ことが必要であると考えるのだ。そして、その次数を上げるとは、私は複数の視点から物事を見ることが必要だと考えるのだ。なぜなら、先の光の当て方によって影が様々な形に投影されるように、この世界のものを見る時に、起きているものに対して、その上位視点の様々な視点から投影された考えることが必要なのだ。先の例でいくと、形そのものを見るのではなく、その上位からものを考えることである。具体的な例として、先月の課題図書の「公害原論」を考えてみる。ある一つの方向として、自分から見た視点に光を当ててみると、自分にとっての生活や家族、そのための保身となる。次に、会社の視点で光を当ててみると、会社の利益や存続になる。しかし、他の視点として、社会や自然にとって視点に光を当てて見ることも考えなければならない。このように、様々な視点から光を当てて考えてみると、先の円筒形のように実は何でもない解があるのかも知れないと考えるのだ。もちろん、簡単に答えが出るとは思わないが、上位からの視点で光を当てて考えることが大切だと考える。これが「なぜの問いの次数を上げる」ことだと考えるのだ。

次に、「感性と言語化を磨く」を説明する。この本による異次元とこの三次元と共存しているとすると、それには感性が必要だと考える。なぜなら、この三次元にその異次元の痕跡があるはずであるからだ。例えば、それがホログラフィックである。だから、感性を鍛えることによって、その痕跡を感じることができると考えるのだ。これを鍛えるためには、しょ〜おん先生から習った呼吸法や怪しい系の修行によって、感覚を敏感にすることが必要である。それにより、今まで感じたことのない感覚を養うことが必要である。しかし、それだけでは単なる感じただけである。次に、その感性を言語化することにより、定着させることが必要である。イメージとしては三角形のように感性を育てる。まず、高さ方向の感性の感度を高めるが、それだけでは不安定である。これを、言葉による言語化に置き換えることによって、意識し、その感性を確実にして、定着化して強固にすることが必要である。三角形で例えると、頂点が感性で伸びていくことに対し、底辺と両辺によって三角形を支える土台やつなぐ柱にしていくことが必要である。どちらも必要なものだと考える。また、別の捉え方をすると、感性を敏感にすることで怪しい系とつながりやすくして、言語化によって定着となり、更にその三角形の面積全体を大きくすることによって現実化しやすくなるのではないかと私は考えるのだが、これは言い過ぎではないと思うのである。だから、「感性と言語化を磨く」ことが必要だと考えるのである。

以上、私にとって、今回の本を読むことによって、益々、怪しい世界を感じてしまった。そして、しょ〜おん先生から習った日々の修行の意味のつながりを感じ、益々修行を進めたくなった次第である。今後も修行を深め、知識を深め、私自身の怪しい系の考えを深めていきたいと思います。今回、とても良い本に出会うことができ、紹介して頂いたしょ〜おん先生に感謝致します。
 
投稿者 str2 日時 
投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待

宇宙は途方も無く広く、そのほとんどが未解明のことばかり。そんな宇宙もリアルに映し出されたホログラム映像に過ぎなかったら?という理論を解説してくれる。実際、本書にもある"プラシーボ効果"もそうだし、身近なところでもデジャヴや正夢、虫の知らせのように、科学で解明できない所謂"超常現象"と呼ばれるもの。本来の時間軸から逸れたかのような現象は、過去に投影された映像を現在の自分が追体験しているから感じる違和感なのではないか。とさえ思えてしまう。

現時点でも膨大な広さの宇宙は今でも膨張を続けているらしい。つまり宇宙の外側にまだ空間が存在しているということなのだろう。昔観た「MIB」という映画のラストで、我々のいる宇宙も一つのビー玉に過ぎず、他にも同じようなビー玉(宇宙)が実は何十個もある。といったシーンがあったのを思い出した。今にしてみれば、それも有り得ない話ではないのかもしれないなと思う。そもそも、地球が一年かけて太陽の周りを公転し、その恩恵を受けているシステムが誕生したこと自体、都合が良すぎるのかもしれない。

強い"思い込み"によって変えることができるもの。思い込みに捉われず"疑う"ことで気付けること。両方を意識しながらこの世界を過ごしていきたいと思う。
 
投稿者 tarohei 日時 
 我々の生きている世界・宇宙とはホログラムなのではないか?と考えたのが宇宙ホグラフィック理論である。
 本書を読了して思ったことは、この世は幻想かもしれないというホログラフィック理論の発想はブラックホールの謎の解明に端を発しているのではないかということである。そこでここでは、ホログラフィック理論とブラックホールの関係について考察してみた。

 形や大きさや色、構成している分子や原子の配列など、モノと呼ばれるものはいろんな情報が含まれている。もし仮にそのようなモノの情報がブラックホールに取り込まれたとしたらどうなるか。
 ブラックホールはある一定以上の質量を持つ恒星がその終末期において自らの重力のため一点に凝縮されたものである。そこではその巨大な重力によって、光すらも脱出できなくなり外部から見ると真っ黒な暗黒の領域に見える、そのためブラックホールと呼ばれる。
 宇宙船でブラックホールに近づいていくと、ブラックホールの重力によって引きつけられるが、距離がある程度遠ければロケット噴射して脱出できる。しかし、ある一定の限界ラインを越えてしまうと絶対に脱出できない領域に達してしまう。この宇宙船はおろか光すらも脱出できない領域の一番外側の境界面のことを事象の地平面という。
 この事象の地平面の内側は、光すらも取り込まれて脱出できないので、外側からは観測できず、中がどうなっているかは誰に分からない。ブラックホールの中がどうなっているのか。その答えの有力な学説の一つがホログラフィック理論というのである。

 ブラックホールは一度取り込まれると、そこからは光すらも脱出することができない一方通行の世界となり、一度足を踏み入れたら二度と戻れないところというのは前述の通りである。そして、ブラックホールに取り込まれたモノの情報は、その巨大な重力によって無限小にまで押しつぶされ、消滅してしまうのであろう、と考えるのが自然である。
 ところが、ブラックホールに取り込まれたモノの情報は消えてしまうわけではなく、ブラックホールの外側を取りまく事象の地平面に保存されるという説を唱えた人がいる。つまり、ブラックホールをシャボン玉に例えれば、シャボン玉の内側に入っているモノの情報は外側の虹色に煌めくシャボン玉の球面上に保存されるというものである。素直に考えれば、なんじゃそりゃである。
 さらにこの考え方を推し進めると、ブラックホールの原理からこの現実世界に全てのモノやらコトは、どこか遠くにある二次元平面に書き込まれたデータの投影にすぎないというのである。ますますなんじゃそりゃである。
 更にもっと驚くべきことは、実はこの世界はアナログではなくデジタルだと見なすことができるというのである。計算機は情報を0/1という二進法で記録するが、この世界の全てのモノやらコトも0/1のデータで表現でき、空間領域の外側にある球面上にコーディングされているというのである。この理論は、三次元映像を二次元のフィルムに記録するホログラムに似ていることから、ホログラフィック理論と呼ばれている。

 普段、我々が見ている映画は、フィルムやメディアに記録された情報をスクリーン上に投影したものである。映画そのもの自体は写しだされた映像に過ぎず、実体はあくまでも記録メディアやフィルムの方にある。これと同じことをホログラフィック理論は主張していて、我々の存在自体は何かに投影された映像に過ぎず、実体は宇宙のどこか遠くにある球面上に記録された情報だというのである。
 一方、別の学術方面からの考察もあり、ホログラフィック理論とは別のアプローチでこの世界の本質を突き止めようと導き出された学説が、素粒子物理学による「ひも理論」である。
 実はこのひも理論が到達した結論は、偶然なのか必然の結果なのか分からないがホログラフィック理論が到達した結論と同じだったのである。例えて言うなら、別々の山だと思って登っていた各々の登山パーティが、同じ山の頂上で出会い、実はどちらの登山パーティもスタート地点は違っていても同じ山を目指していたのである。

 ということで、ひも理論の強力な裏付けを受けて、それまで山師のような扱いを受けていたホログラフィック理論は一躍注目の的となったのである。いまや最先端の科学者・研究者たちの多くはホログラフィック理論を支持するようになったのである。
 しかし、実はこの世界は、テーマパークやイベントなどで映し出されるホログラムのようなもの、実態は別のところにある、こんなとんでもない学説をどれだけの人が受け入れるのであろうか。
 16世紀ごろにコペルニクスやガリレオ・ガリレイらが地動説を唱えた時と同じような反応、つまり従来の天動説を支持する人たちや新しい学説地動説を受け入れる人たちの葛藤を、21世紀の現代でテーマは違えど体験できるのでなかろうか。
 そう考えるとなんだかワクワクしてきた。
 ホログラフィック理論、バンザイ。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、量子物理学者のデイヴィッド・ボームと、神経生理学者のカール・プリグラムの二人が提唱したホログラフィック・モデルについて解説した本である。ホログラフィック・モデルの基本的な考え方の解説から始まり、中盤以降では科学の領域外とされてきた超常現象の数々を、ホログラフィック・モデルによって解き明かしていく。私は、本書を通読するのがこれで3回目になるが、その内容をどうしても深く理解することができずにいる。もちろん、文章としての意味は分かる。ホログラフィック・モデルがどういった世界観であるのか、このモデルを使うことで、科学では説明がつかない様々な事象をどのようにして説明することができるのか、ある程度は理解できたつもりだ。しかし、どこか小説のような、絵空事のような感覚が抜けないのである。本稿では、なぜ私が本書を深く理解することができないのか掘り下げたうえで、理解を深めるための方策についても考えてみたい。

まずは、ホログラフィック・モデルとは何なのか、改めて整理をしてみよう。私たちの生きるこの世界の物質や現象は、生物も含めて、ありとあらゆるものは幽霊のごとき映像にすぎず、時間と空間を超越したレベルからの投影である。端的に言うと、このような考え方がホログラフィック・モデルである。特筆すべきは、今私たちが生きている物理的な世界が間違っているわけではない、ということだ。目の前に広がる世界に物質が存在していないわけではない。ただ、現実世界に見えるものの奥には、さらに深い存在の秩序が隠されており、それは計り知れないほど広大で、より根源的なレベルなのである。深いレベルでの現実を内在秩序、私たちが存在しているレベルを外在秩序と呼び、この二つの秩序の間で途切れることのない相互作用が起こっているというのだ。

なぜこのホログラフィック・モデルを、私は深く理解することができないのだろうか。その理由は、自分の生活の中で、ホログラフィック・モデルを自分事として考えることができていないからだと思う。つまり、自身の体験をそうした見方で捉えられていないのだ。今考えてみると、内在秩序のような深遠なるものが存在していると感じた経験は、ないわけではない。例えば、こんなことだ。20年以上前、付き合い始めた当初に妻が描いたイラストが、最近見つかった。そのイラストで描かれていた私は、20年前に描いたにも拘らず、髪型が今の私と同じだったのである。今の私の髪型は長さ数ミリの坊主頭で、付き合っていた20代前半にこんな髪型にしたことは一度たりともなかった。イラストを描いた当時は、なぜ私をそんな髪型で描いたか不思議だと2人で笑っていたが、今になってそのイラストを2人で見て、驚愕した。ところが、このような現象に遭遇した時も、私は「不思議なこともあるもんだ」という程度にしか考えられなかったのである。

ここまで考えて私は、本書第4章の中で紹介されているプラシーボの事例に考えが及んだ。P113で紹介されている心理学者クロッファーとその患者ライトの事例だ。この事例では、ライトがその効果を信じている間は、新薬の効果が強く発現して腫瘍を減退させることに成功する。しかし、薬の効果が疑われる報道がなされた後は、急激に薬効が失われてしまったのである。2回目の投薬の際は、改めて薬の効果に対する信頼度が上がったことで、プラシーボの水を注射したにも拘らず、腫瘍のかたまりが溶け去る劇的な効果が生まれた。こうした事例は、人がどれだけその効果を信じることができるか否かによって、奇跡のようなことを起こすこともあれば、また一切の効果を発現しないこともあることを示している。そうであるならば、まず私は強く信じなければいけない。ホログラフィック・モデルのような考え方で世界が構成されていることを前提に、物事を見るようにしなければならないのだと思う。

まだまだ私は、科学原理主義的な考え方に支配されているのだ。この常識的な考え方を根本的に壊していかない限り、本書の内容を心から理解することは難しいのだろう。では、どうすればこうした常識的な考え方から脱却することができるのであろうか。本書の最終章で著者は、科学を根本的に見直すためのアプローチとして、超常的・霊的現象を認めること、科学的な証拠となるものの定義を広げることの2つを提言している。さらには、2点目のより具体的なアクションとして、証拠を客観性から参加型に移行させることの必要性について触れた。1点目については、問題ないと思う。超常的・霊的現象への抵抗感は、驚くほどなくなった。ビジネス書以外に、本書のようなジャンルの本を読む習慣ができたことが大きい。課題は2点目だろう。多くの本を読んで知識を得た後も、第三者的に納得して終わっていないだろうか。客観的に記載された内容について考えてみることはあっても、実践してみる姿勢に欠けていたように思う。この実践的なアプローチが、自分の生活の中でホログラフィック・モデルを感じるきっかけになると信じている。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“世界観を広げる!”

本書を形容するならば、“希望に満ち溢れている”という表現がうさわしいと私は思う。なぜなら、心から思いを込めれば、その思いは現実化する、それが我々の生きているこの世界、または人生の在り方なのだ、即ち、良いことを心から願えば、この世界や人生は良い方向に進んでいくようになっていると著者は主張しているからだ。私の中で強烈に印象を残した事例を本書から幾つか挙げれば、プラセボ効果による癌の治癒、さらには集中と意志を使った視覚化による思考の物質化などがそうである。これらを筆頭に、心から思い込むことで健康になる、願望が叶うという本書の世界観に、私は感嘆するところしきりであった。世界観とは、世界や人生の在り方に対する各自の見方のことである。そして、私の中の論点は、本書の読者がその世界観をそのまま受け入れて、病気治しをしたり、願望を奇跡的に実現したりすることはできるのだろうかということだ。残念だが、それは容易なことではないと私は考える。たとえ本書が超常現象的な事例を論理的、実証的に蓋然性高く解説していようとも、読者は心のどこかで本書の内容を拒否し、素直に受け入れることが出来ない、または特殊な人(ヨガナンダやサイババ)に起こることであり自身には当てはまらないと思ってしまうのではなかろうか。そこで、今月は本書の世界観を拒否する問題の所在とその解決法について考察する。

まず、本書の世界観を素直に受け入れられた状態になると何が起こるのかというと、簡潔に言えば、“○○が~になる”、とか“○○は~で在る”と心から思えれば、それらの思いが本当に現実化してしまうということだ。例えば、私の場合で言えば、持病であるむち打ち、そして一般的に現代医学では不治とされる緑内障でさえも心の底から治ると思えれば治ってしまう世界に生きるということなのだ。その世界観を持って生きれば、その他にも人間関係やお金に関して困ることもなくなるだろう。あわよくば、サイババのように手のひらから物質を出す、ヨガナンダのように瞬間的に場所を移動するなどの超常現象を起こすことができるようになるかもしれないのだ!ただ、現時点の私を含め、大多数の読者はそうはならないはずだ。なぜならば、各自が持つ既存の世界観が、本書の世界観の受け入れを邪魔するからだ。各自が持つ既存の世界観とは、科学の枠内で証明されることを是とし、その枠外は否とするもので、主に学校教育において刷り込まれてきたものだ。「人生とは○○○だ」の○○○の部分に入るのが、その人の世界観であり、その人の人生はそのとおりに形作られるものだというのは、基本編セミナーで解説されるところである。この○○○の箇所へ“心から思ったことは現実になるもの”と本書の世界観を入れることができるようになるにはどうすれば良いのだろうか。

本書の世界観を素直に受け入れられるようになるためには、私は多くの超常現象に関する知識習得するという段階をまず踏むことが必要に思う。そして、実体験という段階、即ち超常現象を実際に体感するということが次に必要であると考える。この知ること、感じることが、世界観を現代科学の枠外にどんどん広げていく助けになるのである。本書のP.251から例を挙げると、内臓にも精神ないし意識があるようだという事例を知識として習得する、そして、実際に良いメッセージだけを内蔵に送って効果を感じるといった具合だ。もっと具体的に言えば、腹痛が起きた場合には胃腸に慰労のメッセージを送ってみるのだ。もしも、効果が体感できないのであれば、それは未だ既存の世界観の影響で心が超科学的な現象を拒否しているのかもしれない。その場合、S塾生であれば、まずは良書リストにある怪しい系の本を読み漁ることで、超常現象は当たり前という感覚を養うのが良いと思う。もしくは、実体験という段階で躓く場合もあるだろう。それは、そもそも方法が間違っている場合があるからだ。例えば、上述の内臓に良いメッセージを送るという方法も、実はもっと具体的な手順を踏む必要があるのかもしれない。それは、メッセージとともに良いイメージも送り込むといった具合だ。ただ、この点は信頼性、正確性の高い情報源を担保すれば問題はなくなるはずだ。兎にも角にも、最も重要なのは知識習得と実体験を繰り返し積み上げることだ。なぜならば、超常現象に対する既存の世界観から生まれる不信や疑いの壁は強固なものだからだ。

最後に、本書の世界観をそのまま受け入れることができた時に、目の前にはどのような世界が広がっているのかを想像してみる。本稿の冒頭で、私は本書には希望が満ち溢れていると表現した。現代科学の枠の外に世界観を広げることで、家族や会社の人、仲間たちとは円満な関係になり、持病が治り、必要なお金は必要な時に入ってくるという状況になるのだとしたら、希望の書という私の表現もかなり的得たものだろう。それでも、本書や本稿を読んで、“とはいえ、やはり人生には不幸は訪れるものだし、辛いことだって起こるはずだ”と反論する人がいるかもしれない。そのような人に対して、私は“あなたの人生ではその通りだ”と申し上げるしかない。なぜならば、上述したとおり「人生とは○○○だ」の○○○の部分に入る言葉が、その人の人生を形作るものだからだ。ただ今一度、“人生とは心から思ったことは現実になるものだ”という世界が、今この目の前に、今は認識ができないけれども広がっているのだと想像したら、どう感じるだろうか。私の場合は、大きく胸が高鳴るし、その世界を見ようとすることを本気で目指そうと思うのだ。世界観を広げる!これが本書を読んで、私が心から思えたことである。


~終わり~
投稿者 vastos2000 日時 
まだまだ修行が足りない。文章としては理解できるが、その文章が指し示す事柄が理解できない(素直に信じられない)。ニュートン力学から先に進めていないということだろうか。
本書の「はじめに」で『「水の恐怖」さえ克服してしまえば、量子物理学の不可思議で魅惑的な考え方の海で泳ぐのは、思ったよりもずっとやさしく感じられることだろう』とあるが、私はまだ「水の恐怖」を克服できていないようだ。

量子が波の性質と粒子の性質を両方持つということも知識としては持っているけれど、理解はできていない。量子力学を理解できていないので、それに立脚したホログラフィック・ユニバースは理解できない。

本書に書かれていることを私は十分に理解できていないが、それでも何か一つ本書から拾うとしたら、「人は自分が見たいモノを見たいように見る」ということだ。そしてそれらの見たモノから思考を組み立てる。本書でパラマハンサ・ヨガナンダのセリフが引用されている。『集中と意志の力を使った正しい視覚化は、思考を、精神界でのヴィジョンや夢としてだけでなく、物質界での体験として実現させる。』(p.301)
これらのことから私が考えた事は、「自分がありたい姿をイメージ(視覚化)して、それに沿ったモノを見たいと思い、そして見るようにする。そして正しく考えれば現実に反映される。」ということだ。
また、「脳は空想と現実の区別がつかないし、自分が体験したことと、テレビや映画で見たことの区別もつかない。そして、肯定文と否定文の区別もつかない」ということも本で読んで読んだことがある。実感としてはよくわからないのが正直なところだが、きっとそうなんだろう(と思うことにする)。
ホラー映画を見たりすれば、自分が危険な状況に陥っているわけでもないのに心拍数があがり、冷や汗も出てくる。物理的な刺激がなくても、腹が立つことに直面すれば、血圧が上がる。逆に気持ちがリラックスしていれば、体の筋肉も緩むといった具合に、思考や気分が物理的な存在である肉体に影響を及ぼすことは知っているので、瞑想などの思考がガン細胞に影響するというのも十分にあり得る話だと考えることができる。
で、あるならば、自分が望む方向のことを積極的に考えるようにし、映像ではなく文章で考える際は肯定文の形で(例えば、「体に悪いものを食べない」ではなく、「体に良いものを食べる」と)考えるようにする。
仮に自分の体に病気が見つかったとして、そのことを心配ばかりしていればますます病気は進行するだろうが、治ることをイメージし続ければ快方に向かうのだろう。

病気を始め、自分にとってイヤなことや腹が立つことも現実世界では起きる。ただ、それをどう捉えてどう見るか、そしてどう考えるかは自分次第なので、特にネガティナことを目の前にしたときの思考に注意したい。そのことを思考から追い出すのは難しいだろうから、良い面はないか、あるいはどうしたら良い方向に転ずることができるかと考えるようにしたい。
つい先日も他人に対して、腹が立つというかあきれるようなことがあったが、その人の立場になったつもりで考えて「そのような事を言うのも十分あり得るよね」と思った。そしてどうすれば私とその人の双方にとって良い方向に行くかを考えた。が、これといったアイデアはまだ出ていない。現時点で良い方向に持って行けてはいないが、悪い方向に進んでいるわけでもない。相手がどう思っているかはわからないが、少なくとも私は自分が良いと思えるように考え、そのための行動は現実的に行いたい。

本書でも過去世の研究が紹介されていたが、生まれ変わりがあるのであれば、今の人生は今の自分を演じているようなもので、映画や演劇のように役を演じているようなものだ。観客になったつもりで自分の人生を見れば、困難や辛いことがあっても、「そりゃそういったネガティブなイベントがあるからポジティブなイベントが盛り上がるんだよな」考えることができるだろう。そして何より何も起こらないシナリオはつまらない。
今直面している悩みもきっとこの後のポジティブなイベントための伏線であると考え、見るべき所を誤らないようにしたい。見たいモノを見るようにできているのだから。
 
投稿者 mkse22 日時 
「投影された宇宙」を読んで

本書は、ホログラフィック理論とその応用について書かれた本である。

まずホログラフィック理論とはなんだろうか。この理論の特徴は「すべての部分に全体が含まれる」という考え方にある。どんなに小さな破片の中にも、破片になる前の物体のすべての情報が含まれていると考えるわけだ。

この考え方が生まれた背景には、従来の科学では説明できない現象が見つかったことがある。そのひとつが記憶の格納場所に関してである。当初、脳には記憶を格納する場所があると考えられており、そのことを証明するために、様々な訓練を施したネズミの脳の一部を切除して、記憶を格納する場所を見つけ出すための実験が行われた。しかし、その結果として、脳の一部を切除されたネズミが記憶を失うことはなかった。実験の結果は、記憶が脳のどこかに格納されているわけではないことを示唆しており、このことがホログラフィック理論の生まれるきっかけとなった。

ホログラフィック理論に従うと、記憶は特定の部位に存在するのではなく、脳全体に存在することになるため、脳の一部を切除したネズミが記憶を失わないことに対する説明をすることが可能となるわけだ。

もし、ホログラフィック理論が正しいとすると、私の歯から身体を再生することが可能となるのかもしれない。なぜなら、歯には私の身体のすべての情報が含まれており、歯を分析すれば身体の再生に必要な情報を入手できるからだ。このことは、手足を事故で失って困っている人にとっては、希望となる話だ。

このように、最初、ホログラフィック理論には夢があると感じていた。
ところが、本書を読み進めていくうちに、この理論が私たちの常識を根底から揺さぶっていることに気づいた。

なぜなら、「すべての部分に全体が含まれる」という考えの前提には、「物事は分割不可能である」という考えが潜んでいるからだ。この分割不可能性は、私たちの知っている科学を否定する考え方となる。科学の成立条件の一つとして物事の分割可能性があるからだ。同様のことが言語にもいえる。

『現実の分割不可能な本質を言語の概念的な仕切りと混同してしまうのが根本的な無知(無明)であり、禅は私たちをそこから解放しようとすることである。存在についての究極的な答えは、どんな高度なものであったとしても、知的概念や哲学に見出すことは不可能である』(P399)

私たちは物事が分割できることを当然のように考えている。良い例が、「困難は分割せよ」だ。これは、解決の難しい困難な物事については、まず解決可能な単位にまで分割し、それらを1つずつ解決することを通じて、最終的に全体を解決しようとする考え方だ。この考え方には物事は分割できないことは想定されていない。

科学や言語も利用することが当然のように考えている。そもそも科学や言語を利用せずに生活や研究を行うことは、私には想像ができない。科学を利用できないと現在の生活水準を維持することはできないし、言語を使わないと抽象的なことを考えることができなくなる。さらにはそもそも思考するという活動ができなくなる可能性がある。科学や言語なしで社会生活を送ることができるとは思えない。

このように、分割不可能性は、科学や言語に代表される人類が積み上げてきたものに対して、根底から強烈な一撃を与えている。ただ、これは同時に言語や科学が問題を作り出しており、実は問題そのものが存在しない可能性があることも示唆している。言い換えると科学や言語が困難を生み出す源になっているわけだ。

ここでは言語を例に考えてみる。

言葉が問題になるケースは何か。
通常は言葉の使い方を間違えると相手から誤解されてしまうといったことが思いつくのだが、本書の指摘を踏まえると、そもそも言語化する以前に問題があり、私たちは言語化できないことを言語化できると考えている点にこそ問題があるわけだ。

始めに言葉ありき。
これは新約聖書の一文だが、実はここから困難な道がはじまったわけである

言語を使わなければ、社会生活を送ることすら困難となる。しかし、言語を使用しなければそもそも問題が発生しないかもしれない。どちらを選択すべきか、これは本当に難しい選択を迫られていると思った。

興味深い本を紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 1992 日時 
内在秩序→ホログラフ的投影→外在秩序


内在秩序が投影された世界が外在秩序だと本書では記載がある。この投影方法がホログラフィック的な投影である。この特徴が「部分に全体性があり、不可分なものであり非局在性である」

1章から2章は量子力学を用いてこのホログラフィックな世界を解説をしている。量子物力学が人間の感覚とあいまみえない性質もあり、本書を読み進めるがイマイチ腑に落ちない感覚であった。本にある内在秩序や外在秩序、素粒子の非局在性といったワードが雲をつかむようで、課題図書をどうまとめて、どう書こうか悩んだ。
しかし、3章から6章までの具体例や現実世界で起こった事例を読むうちに、ふと思ったことがある。
それが、内在秩序=価値観、潜在意識であり、外在秩序=認識できる物質世界、総体的な人生であり、非局在性=Eg、波動ではないかという仮説である。このように読み替えると本書の理解がとても進んだ。そして、しょ~おんさんのセミナーで語られる怪しい系の話やワザやワークの根幹を説明しているのが、本書だったのだと思いました。基本編で語られている、価値観が人生を形成しているというお話や、心>身体のお話は投影された宇宙をわかりやすく解説してもらっていたのだなと思いました。
6章までに記載のある数々の奇跡や科学で判明できない事象を起こせるようになるためのワークを今まで教えていただいていたと思うので、いままた気を引き締めて瞑想法、呼吸法などをおこなっていきます。強烈な意識があれば遠視も手から灰もだせるのだ。

7章以降の時間と空間のテーマを読み、注目したことはホログラフは過去や空間も越えるらしいということ。また、現在の自らの意識で発生したホログラフだけでなく過去起こった全ての物理現象が生み出したホログラフも同時に内在していること(P275)これには、生まれ変わりの記憶や自身が存在しない過去を体験したなどの具体例が記載されている。
興味深いのは、ホログラフに時制は関係ないという点と集合無意識内で相互に影響しあってホログラフが形成されているということ。私の強いイメージを含んだ願いをもつことで宇宙に影響を及ぼせるだろうし、他人が私の願いを応援してくれればさらに影響力が増す。また、逆に妨害波動もしかり。智の道が正しい背景がホログラフで説明できる。過去のおこないもしっかり影響される。
過去の怪しい系の大家が形成したホログラフにアクセスしその力を使用するのが神様波動だったり、密教のワザだったりするのだろうか?

いままで、おこなってきたEgワークや瞑想などのワークをホログラフ世界があるということを感じながらやってみることで威力が増すような気がする。今後もそれを意識して、修行していきます。
 
投稿者 beautifulseason 日時 
この本を読んで、一番感じたことは、人間の能力の可能性の多様さだった。
奇跡・超能力・超常現象・・・物語やアニメの世界のことと思っていたことが、世界では実際に現実にあったことの事例が、これでもか!!と次々に提示されている。

事例の数々が本当のことだとすると、今まで自分が現実だと思って暮らしていた世界が、いかに狭いものだったのかと思い知らされた。と同時に、これからの未来が、とても楽しみになってきた。

意識をどこに置くかによって、自分が知覚する現実を創造できると考えるとワクワクしてくる。ありきたりの、平凡なそこそこの生活が出来れば良し、と考えているから、そんな現実しか目の前に現れないのだということが、よくわかった。

再度読み返して、深く理解したいと思う。
 
投稿者 H.J 日時 
ホログラムとしての脳や平行宇宙、臨死体験、前世等・・・
一昔前の音楽業界に譬えるなら、怪しい系のベスト盤という言葉が合う一冊。
終始、怪しい系の知識が書かれている。
塾生にはお馴染みのワイス博士やヨガナンダ氏の言葉を用いて根拠として示している部分も、そんなイメージを強めてるのかもしれない。
そんな本書の中で驚いたのは、ホログラフィック・モデルの根拠を科学的なアプローチでも書かれていることだ。
もちろん、量子物理学者であるボーム氏や神経生理学者のプリグラム氏という2人の科学者の結論が基になっているのだから、当然のようにも思える。
しかし、端的に言うと、ホログラフィック・モデルとは、私たちの世界が宇宙の投影の一部である。
つまり、私たちの生きる日常生活が一種の虚像ではないかという説である。
東洋思想で言えば、般若心経で言うところの”空”の思想に近いものを感じる。
この様に普通に考えると科学的根拠とは無縁にも思える。
だからこそ、一見科学と無縁に思えたものを、科学的なアプローチで根拠を示す本書に驚いたのかもしれない。

ただ、もう一歩引いて見ると、私が本書の科学的なアプローチに驚いたことは、科学を客観的な分析だと思い込んでいることから来るものの様にも思える。
なぜならば、ホログラム理論に対する客観的な根拠に対して納得しているからである。
もちろん、臨死体験など実際の体験者の言葉を用いて根拠を示している部分もあるので、全てが全てとは言わない。
ただ、読み手である私もホログラム理論に対しての体験はもちろん、観察した体験すらないので、どこか客観している部分はある。
P414で著者が記述しているように、『何かを観察するときには、観察するというその行為ではなく、観察する体験が重要なのだということがだんだん明らかになるにつれ、科学者のほうも、自分たちを観察者とみなすことは徐々に減っていき、体験者としてみなすようになるだろうと考えられる。』
これは、科学者に対してだけではなく、情報の受け取り手にも言えることだと思う。
体験をした当事者ではなく、そういうこともあるんだという客観的な見方でしかないから驚きの方が勝ったのだろうと自己分析した。
ここから学んだことは、1度目は客観的に読んだ。
次読むときは観察する体験を大事にしながら読みたいと思う。
そうすれば新しい発見がある様に思える。
つまり、自分自身の再読に期待したい。