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第106回目(2020年2月)の課題本


2月課題図書

 

銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む


令和の今では、安田銀行はみずほ銀行に(富士銀行から合併でみずほに)なったわけです

が、当時の安田財閥って、現在では明治安田生命、損保ジャパン、東京海上、安田倉庫、

銀行では四国銀行、大垣共立銀行、肥後銀行なんかがあるわけで、産業界でも日産自動車

も旧安田銀行系列ですし、私の住んでいるあたりだと、中鉄バスも安田系列と今でも影響

が残る企業グループなんですね。

 

それを一代で築いたのが安田善次郎という男でして、これが小林一三に勝るとも劣らない

傑物なんですよ。

 

 そんな人の生涯をここで確認するのも、そしてここから生き方、考え方を学ぶのも、今の

我々に有意義なことだと思うんですよね。

 【しょ~おんコメント】

2月優秀賞

 

今月は分かりやすい話だったためか、みなさん同じような論点でまとめていまして、読ん

でいて正直退屈でした。特に、中盤から後半に掛けて書き込みをした人に言いたいので

すが、自分が書こうと思っていることを、誰かが先に書いていたら、それはかぶっている

ということですから、それじゃ優秀賞になりにくいのですよ。それが常連の方では余計です。

 

今回は一次審査を突破したのが、shinwa511さん、BruceLeeさん、LifeCanBeRichさん、

masa3843さんの4名で、優秀賞はshinwa511さんに差し上げます。おめでとうございます。

 

今回は似たような投稿がたくさんあって、選考に苦慮したのですが、一次審査に落ちた多

くの方が似たような過ちをしていたので指摘しておきます。感想文ですからご自身が感じ

たことを書くのですが、そこで

 

~だからだろう、~であるように思う、~だと思う、~ではないか?

 

のような断定、推論を書くのであれば、その論拠となるところを述べなければならないの

ですよ。なぜ自分はそう考えたのかを書けということです。それを書かず、その断定、推

論を軸に、「であるから~」、「その結果~」、「よって~」と次に展開して持論を述べ

るのは読んでいて不快なんです。なんでそう考えたのかを述べていないのに、それが前提

になって「だから○○なのだ!」って言われても、その前提が間違っているよね(←スゴ

く多いです)とか、論拠薄弱で反対例がいくつも思いつくのに・・・ってことになると、

説得力がゼロになるんですよ。

 

この書き方をする人が毎月多いんです。断定、推論をするのなら、その前後で、「なぜな

らば」という補足、説明文が必要になるんです。それが無いのなら、あなたの勝手な思い

を押しつけただけの感想文になるんですよ。毎月書き込みしているのに、一度も一次審査

すら通過しない人は、ここを振り返って下さい。

【頂いたコメント】

投稿者 akiko3 日時 
「積善の家に必ず余慶あり」
安田善次郎伝を読み、日本という国がいかにして成長していったか、混とんとした中で支え続けた人達がいたことを知った。歴史上の著名人の名前も出てきて、その中でも奴隷として海外に売られたとか、いかに日本人が下に見られていたのかと驚くとともに、それでも生きて帰国するタフさには驚いた。学や富や食がなくとも、体内にある生命の炎のような力強いものが、あの時代の人達は持っていることにうなった。
そして、若かりし頃から高い志を持ち、向上心と勤勉さで経験を積み、思考を重ねていくと、己の生活の為の仕事が、地域の為、国の為、他国の為と比例して大きくなることに改めて感じ入った。
そこつながっているのか!と現在の著名人の系譜を知ると、育ちが違うからと一線を引きそうになったが、安田善次郎氏は下流から這い上がっていった人だし、父の教え“陰徳を積む”を実行し成しえたことなのだ。

パワーのある人は、良いことも悪いことも振れ幅が多い分、柱となるものをちゃんと持っていないと危ない。
氏にすりこまれた陰徳基準で、いつも“皆の益になるか”と考え、銀行員らしく、利子の計算などささーと素早いのも感心するが、その金額が何に変わるか、どう活かせるかまでちゃんと計算している。自分の懐に入ったのち、どう生かすか、懐にとどめる感覚がない。
ちゃんと金に付随する、または金がもたらす価値観を捉えている。やりたいことを叶えるツールとして、まだ形のないモノの動きを見える形で示しているだけ。金に対する距離が違うんだ。
生き金になるように使う。財産ができても、土地を購入し将来の公園にとそこまで考える。どこまで無私の人だ。

仕事を通して、事業再建能力や合併などスキルを高め自信をつけていっているが、『真の公益事業』とはと思考も高めていっている。普通に行き着く考えだろうか?“陰徳を積む”習慣により、様々な財や成功を手にし、謙虚さと感謝を忘れなかったから、自分ができるお返しは何か?を考え、行きついた答えに思えた。
信仰心も厚い方だったので、事業の浮き沈みを味わいながら、その時々に助けられる運にもより信仰心があつくなっていったのだろう。金融業として“大いにまかんために、大いに儲けねば”と言っていたが、自分をいかに使うかという“使命”も意識していたようだ。日本に留まらず清国に対しても、その地の人達にとってよりよくなる為ならとアドバイスもしている。利益の為にだけでなく、自分のできることの出し惜しみをしないのだ。

世での成功の陰に、やっかみもあり、理不尽な批判を受ける中でも自分を律して、自分の内に留めている。
人に理解されないと自分だったらぶれそうになったり、やる気が萎えそうになるが、“自分の才を世に理解させる為ではなく、世の為、人の為、国の為に使う”ことにのみエネルギーを注ぐ。
厚い信仰心と陰徳の積み重ねの賜物。そして『積善の家に必ず余慶あり』とのゆるぎない価値観があるから、批判にとらわれず清く受け流せたのだろう。
安田氏は財を築き、世間にも公園や講堂や石碑など寄付して世に残しているものも多いが、家族に一番残したかったものは『余慶』ではないかと思う。
現在でも安田グループがダントツ業界1位を維持していることを目の当たりにすると、余慶ってすごいなと感心し、陰徳積もうって思った!
いや、まじめに、家や世に残せるものや影響をあたえるものがなければ、陰徳は何も持たずとも、心がけで生み出し続けられる。最近、続けて足腰の悪そうな高齢者に遭遇し、手を差し伸べたが(いずれ通る道という下心が無きにしも非ずだが)、今は小さな1つ1つだが継続し、自分の器とともに進化向上させたい。

最後に、現代人の悩みは、健康、金、人間関係のどれかと言われるが、暗殺者は、病・金欠、孤独から破滅に突っ走っている。昨今の道連れ自殺事件が思い出され、背筋がぞぞっとした。
何不自由なく、悠々自適で人生を満喫していた安田氏が巻き込まれてしまったことは、氏の人生に起こった最大の理不尽さに思えて悔やまれる。これも氏の運命だから仕方ないのか…。
 
投稿者 hikolton 日時 
『安田善次郎は"知る人ぞ知る"人物になってしまっている。』
あとがきにこうあるが、確かに富士銀行、損保ジャパン、明治安田生命や安田講堂などは知っていても安田善次郎という人物の存在は知らなかった。
これだけの大企業の創業者であるのに、パナソニックの松下幸之助や三菱財閥の岩崎弥太郎ほどは有名ではない。
なぜだろうか。副題にもある陰徳によるものなのだろうか。

本書を読むと常に倹約、陰徳をつむことをこころがけて生きていたことがうかがえる。
特に若い時でさえ、生活費は収入の常に十分の八までに留めるなどというのは、自分に当てはめて考えてみるとなかなか真似が難しい。
また、それでいて常に先を見据え、また自分のみならず他者の利益のことも考えて生きている。
銭両替に目を付けたとき、太政官札を引き受けた時、大阪市築港に協力したとき、また東京市の都市計画の話などはスケールが違いすぎてビックリしてしまう。

困ったときにはどこからか助け船が現れたり、後藤新平や浅野総一郎などの素晴らしい人物に出会えたのも、陰徳を積んできたからだろうか。
危機の際にはいつも頼られ、国家を支え続けたともある。これも我欲に縛られず世間によしとするための考え方からではないか。
近江商人の『三方よし』などにも通じるが、安田善次郎が実践していた前たれ商法など昔の承認の考え方は現代でもいや、利益の最大化を目指し
目の前の客よりも声だけは大きい株主の顔色を窺う企業が多い現代だからこそもう一度見つめなおさないといけないのではないかと思う。
商売の基本はあくまでお客さんあってのことなのだからと改めて気付かされた。

徐々に商売の規模も大きくなり、資産も増え、寄付なども国益のためのものが増えていく。
そんななか済生会にたいする寄付問題。『慈善とは隠れてなすべき事なのに』という信念のもと、期待された金額よりも少なかったという理由で、
世間の不興をかうのだからいたたまれない。

『五十、六十ははなたれ小僧 男盛りは八十、九十』

時代を考えれば、常人であればあとは余生を過ごそうかという年代に『男盛りは八十、九十』というのだからという安田善次郎には頭が上がらない。
食事は質素であったりと倹約はしつつも、まだまだ体は元気でいまだに東京の都市計画など未来を見据えている。
はたして自分が七十代になったときにそんな気持ちでいられるのだろうか。疑問ではあるが、そのような気持ちを持てているということは、現状からまだ
改善点があり、向上できると思うからこその言葉であると思う。どの年代だろうとそのような人物になっていたいと思う。

また、このような人物が突然死という死に方をしたのが惜しくてならない。
陰徳を積んでいたからこそ世間に善行が知られず非業の死を遂げ、また陰徳を積んでいたからこその事業の成功があったのだろう。
もし、本人の言う男盛りを超え百まで生きていたら、1923年の関東大震災、1926年の大正から昭和への移り変わりの際にどのような態度をとったのだろうか。
もし、死に方を選べたら資産をどのように使い、どのように自分の興していった事業をまとめて死んでいったのだろうか。
もし、東京市の都市計画が彼の協力によって今の東京都はどのような風景になっていたのだろうか。

八十三歳での死とはいえ、安田善次郎という人物の半生をこのように書籍でまとめられた形で読んでみると道半ばで力尽きた感が否めない。
誇りを持てる後悔のない人生を歩むためにはどう生きればいいのか。
本書を通じて彼の半生を追ってみるとなんら恥じることがない、人生を送っているにも関わらず最期の最期で不遇の死を遂げてしまう。
信念を持ち、自分を律することはとても立派で大事なことだが、ここまでの大人物になると陰徳だけではなく陽徳も必要なのではないのかと思ってしまう。
改めて人生においてバランスは大事なのだと感じた。

一般庶民である自分は心置きなく陰徳を積んでいこう。もし、万が一安田善次郎に比肩するような人物になれた際にはその時に考えよう。
そんな風に思ってしまう読後感だった。
 
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投稿者 shinwa511 日時 
この本を読んで、自分自身で考え行動する事の大切さを改めて感じました。

本書の中で特に印象に残ったのが、安田善次郎さんが自分自身を語った話で、「私にはなんら人に勝れた学問もない。才知もない。技能もないものではあるけれども、ただ克己堅忍の意志力を修養した一点においては、決して人に負けないと信じている。」(p43)

そして、安田善次郎さんの話から、著者は次のように述べています。
「"克己堅忍"という言葉は最近はやらない"根性系精神論"の代表だが、そんな現代人の失ってしまった"意志の力"が、安田善次郎の中には満ち溢れている」(p43)

確かに読み進めていくと、安田善次郎さんの意志の力は、すごいものであると感じます。金融政策に対する強い信念の持ち主であったのは、この意志力が影響していると考えられます。

本書で書かれているような金融政策をして、近代日本の発展に貢献している人なのに、現代では安田善次郎さんについて、自分自身よく知りませんでした。今回本書を読んで、その偉業や思想を始めて知ることができました。

安田善次郎さんは他の財界人と違い、ノーブレスオブリージュであり、当時の成功した実業家が行っていた、寄付活動を好まなかった人です。ノーブレスオブリージュはフランス語で、身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳感を意味しています。

安田善次郎さんも、事業者は常に事業そのものに邁進し、容易に貧困者に対して施しをするものではなく、事業を発展させることを本業とし、それで得た利益を社会活動へ貢献することを第一に考えるべきである、という思想を持っていたのだと思います。

貧困に困る人に金銭だけを与えて、今すぐの救済をするのではなく、その人自身が働いて自立しようとする活動を、永続的にサポートするのが大切である、という事をしたかったのです。

そして貧困者である国民自身も、裕福な人達からの救済ばかりを当てにするのではなく、自分達で自分達自身の生活水準を、より良くしていく為に考えて働きなさい、と安田善次郎さんは言っているような気がします。幼少の頃から意志の力を養う為にも、自身で考える教育が必要なのです。

現在の教育も、詰込み型の教育から考えさせる教育へ変えよう、と政府が動き始めています。今から約150年前に生きていた福沢諭吉も、「一身独立して一国独立する」という言葉を残しています。学問の目的は、まず「一身の独立」にあり、独立できていない人間は他人から侮られ軽んぜられますが、国家も同じなのです。

国民が甘えや卑屈、依存心から脱却し、日本は自分たち自身の国であるという気概を持たない限り、日本は独立した近代国家として諸外国から認められることはない、という思想です。

自身を振り返ってみて、他人にばかり頼り過ぎて、本当に自分自身で考えて、意思決定の行動をしてきたのではないか、と自問自答をする必要があると考えます。自分で意見を持って考えていかないと、すぐに他人の意見に流されてしまうことになってしまいます。

そうならない為にも、自分自身で道を切り開いていけるように、意志力を身につける必要を改めて感じました。他人の所為にせず、自分の責任の下に考えて、行動の決定をしていくようにします。
 
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
1.陰徳を積む

 課題図書『陰徳を積む』を読んで強烈に思い出したのが、7年前に発行されたしょうおん先生のメールマガジン1711号です。その号には江戸時代の蘭学の医者のことが描かれていました。当時は禁止されていた蘭学の医術を彼らが懸命におさめたのは、自分の願望実現や幸福のためではありませんでした。患者を治し、後世の人々に自分の医術を伝えることが、彼らの真の使命であり願いでした。
 安田善次郎の生き方にも同様の哲学を感じます。彼が大富豪となったのは、決して自分や一族の幸福のためではありませんでした。周囲から妬まれ、「けち」と非難され、誤解されたことも多かったようですが、彼は元来「他者からの賞賛を得る」という外発的な要因に左右されなかったようです。日本経済を発展させ、日本国民全体を幸せにするために、我が身を捧げていたことが感じられます。
 「陰徳を積む」は仏教の教えと聞き、出典を調べました。前漢時代の『淮南子』が最初の出典で、日本では鎌倉時代の道元の法話集『正法眼蔵随聞記』に度々出てくる言葉だそうです。聖書にも「善行は人に見せびらかさず、こっそりと行え」(マタイ6章)というほぼ同じ教えがあります。仏教とキリスト教の教えが共通していることも勉強になり、父・善悦の教えを生涯貫いた所に、善次郎の父への尊敬の念、不屈の信念を感じました。

2.日本を変える

 本書で最も印象に残っているのが、善次郎が鳥取県の第八十二国立銀行の救済を決意する場面です。(P.125~128)彼は、幼い女の子を連れた七十過ぎの老婆の必死の嘆願に心を動かされたといいます。
「銀行救済は関係重役や株主を救うためではない。その裏に何万、何十万の預金者と多くの家族があり、彼らを救う。これが銀行を救う真の目的である。」
 この言葉から、彼が「日本の発展」というダイナミックな枠組みで冷徹にビジネスを組み立てられると同時に、一人一人の国民の痛みを想像し、彼らの人生を唯一無二のものとして大切に考えられる人物、ということが分かりました。一見、二つの視点は相反するように見えますが、マクロとミクロ、両方の視点から物事を考えられることが、彼の強みであり魅力とも考えます。
 そんな彼の人柄は、安田銀行の支店や系列銀行が北海道と東北・北陸に多かったことにも表れています。(P.187) これらの地域で、明治に入ってから社会インフラ整備が遅れたのは、戊辰戦争で幕府側だったから、という歴史的な事情も初めて知りました。維新直後、薩長出身者などと比べて肩身の狭い思いをしていたに違いない東北地方の人々に対する、善次郎の温かい眼差し、過去の因習にとらわれず未来の経済発展に期待する明るい心を感じます。
 自分は善次郎のように「自分の仕事で日本を変える」と思って仕事をしているだろうか?…と自問自答しました。普段の私は「自分のささやかな能力では、少数の周囲の人に貢献するだけで十分」と考えがちです。しかし、少しずつ「自分の国に貢献する」という大きな視点で、自分の仕事と生き方を見つめ直したいと感じるようになりました。

3.大磯無残

 本書の中で何とも後味が悪かったのは、善次郎がテロリストに刺されるという悲劇的な最期を迎えている所です。彼の死後に喜んで号外を配るような人もいて、国民の品性の低さに呆れました。
 確かに彼は、善行を人に見せびらかすことがなかったので、「厳格でケチ」という印象を当時の日本人に与えていたのは分かります。それにしても、近代の日本経済にこれほど貢献した人が、なぜ、刺されるほど憎まれたのでしょうか?
 一つの理由として、明治・大正の日本社会で、現在と比べ、貧富の格差が大きかったことが考えられます。イギリスの経済学者リチャード・ウィルキンソンが「貧富の差が大きい国では、国民の平均幸福値が低い」と論文を書いています。これは、「持たざる者」が「持つ者」に対して妬みや恨みを抱くことに起因すると考えられます。令和の現代も貧富の差は大きな問題になっていますが、少なくとも現代は、善次郎のような大銀行家が亡くなって「面白い号外」を配る人はいないでしょうし、いた所で糾弾されるでしょう。
 先日、アカデミー賞受賞作の映画『パラサイト』を見ました。「寄生虫」のタイトルが、皮肉たっぷりに批判しているのは、資本主義社会に生きる両極端の人々だとポン・ジュノ監督は述べています。それは、「金持ち一家に寄生し、彼らから給料をもらわなければ生活できない貧しい一家」。そして、「貧しい労働者に単純労働を依存しなければ、自分では何一つ出来ない無能な金持ち一家」の両者だそうです。
 安田善次郎は大富豪でしたが、映画『パラサイト』の登場人物、金持ちのパク社長のように、貧しい人の労働に寄生していたから刺されたのでしょうか?私にはそう思えませんでした。パク社長は貧しい世界の存在に気付きながらも見て見ぬフリをし、貧しい世界と断絶した生き方をしていました。安田善次郎はむしろ、貧しい生活をせざるを得ない国民にしっかりと温かい目を注ぎ、全国民が近い将来、自分の力で豊かに生きられるように全力を尽くして支えていました。
 2024年から使われる新紙幣の1万円札には、渋沢栄一の写真が印刷される予定です。渋沢栄一も安田善次郎も、国立銀行の設立に尽力した人物でありながら、後者は中学生の歴史の教科書に載っていません。「みずほグループの創始者」の肩書は、ビジネスマンの間では知られていますが、東大の安田講堂の名前が彼から来ていることさえ、私は本書で初めて知りました。大きな功績を残した割に、彼の名前が渋沢氏と比較して知られていないことに驚きます。しかし、善次郎が望んでいた豊かな日本社会は、戦後、見事に実現しました。明治・大正の時代に、日本の経済発展に人生を捧げた銀行家の生涯を学びながら、彼の座右の銘「陰徳を積む」を、自分も思い出しながら行動したいと思います。
 
投稿者 ktera1123 日時 
p268からでてくる浅野総一郎翁に関連する鶴見線に安善駅があり、この駅名の由来が安田善次郎翁の名前が由来になっていたのは以前から存じていたこともあり、以前参加したことのある研究発表会の会場が新宿にある当時の「安田生命ホール」だったこともある。今回、課題図書が安田善次郎翁の伝記なこともあり安善駅か両国の安田庭園に行って何らかのインスピレーションを得ようと思ったりしたこともあったが、たまたま2月に会食した会場のビルが「明治安田生命ビル」だったのももしかしたら主催者がなにか仕込みをしていたのかも知れないが、何らかかの縁が結ばれた結果なのかもしれない。

そんな安田善次郎翁の伝記本である本書の解説に直系の子孫の方が「富を為すためには社会の基本的な道徳を基盤とする事が不可欠であり、事業を永続させるためには極めて重要である。」と書かれているように、道徳の元をどこに求めるかは、安田善次郎翁が仏教(浄土真宗)で、渋沢栄一翁が論語のように、人によって異なるのはその人個人のご先祖さまや交友関係の影響があるのかもしれないが、なにか元になるものに基づき、道徳観を持ってことにあたることが大切なのではないでしょうか。道徳観を持ってことにあたることにより「信用」を得ることができ、「信用」が事業商売の根幹を為すべきもの(P358)になるということが本書で一番伝えたかったことなのではないでしょうか。

以前、人間として生きているのはなぜなのだろうかという話を伺ったことがありました。とある人は「身魂磨き」をするために生きているのであり、そのためには「徳を積む必要がある」と仰られていました。この本の副題には「陰徳を積む」とある。「陰徳」とは人知れず行う善行であり、善行は功利的な考えを持ってなされてはならないとありました。昨今、「悪の道」に落ちず「知の道」を歩む上で、何が自分でできるのだろうかと思い悩んだこともありました。「憎まれっ子世にはばかる」時代なのかもしれませんが、影響力の大きい人物の行動には、何かと尾ひれがついて大げさに報道されるのは今も昔も変わっていないようです。また、尾ひれがついて大げさに報道された結果を鵜呑して行動する人が大多数を占めるのは、残念ながら変わっていないようです。得られた情報に従って行動していいのか、果たしてデマ情報なのかを判断するためにも、また自分の人生を主体のあるものにするためにも、「道徳観」を身につける事が大切であると実感しました。

自分自身は、安田善次郎翁が国家レベルで「自利」を「他利」として支えた「縁の下の力持ち」であったのとは階層が異なりますが、自分も「縁の下の力持ち」として、自己の仕事を勤勉に働くことを通じて社会の役に立っていると実感できるところもあります。私の道徳観の元が特定のなにかではない(多神教の影響?)のですが、いろいろな本や直接あって「縁の下の力持ち」として日々実践されている諸先輩方のお話がなんらかしらの影響を与えていただけているのではないでしょうか。その様な機会を得ることができ幸せに感じているところです。その様な機会を頂きありがとうございました。
 
投稿者 3338 日時 
 陰徳と陽徳というものがあるということを母から教えてもらったのは小学生も低学年のことだった。神様だけが知ってる貯金だとも言っていたような気がする。
 
 まずこの時代の庶民の教養が高く、富山の薬売りが複式簿記や複利計算を使っていたことに驚いた。ごく自然に便利だから使っていたと思われるが、それにはその他の知識も必要であり、それを身につけているのが当たり前の社会で生活していた安田氏は無一文からスタートであっても、今の社会と比べて次元の違い際立つ。

 その上に父親の薫陶を受けて、陰徳を積むということを当たり前のことをとして学んでいる。
誰も理解していなくても、神仏に恥じない行為をするのが陰徳だとすれば、安田氏は己の信念を貫き通した人生を歩んだのだと思う。
どの場面でも自分が信ずる道を貫いた結果が、自分に返ってきたり、他者を喜ばせることになった。
 その安田氏の信念を理解することができなかった人々に「ケチ」と言われようが何と言われようが、意に介することはしない。言い訳なんてみっともないマネは死んでもするものではない。

 安田氏の残した功績は他の富豪といわれる人たちに比べても群を抜いている。それは安田氏が人とは違う次元に属し、人とは違う次元でものごとに関わっていたからで、常に自分の損得ではなく社会に的にどんな役割を果たすかに寄っている。
 
 私は幼い頃から陰徳ということを知っていても、身につくことなく今まで来てしまった。これを機会にこれからは少しでも陰徳ということを身につけてあの世に向かう準備をしたいと思った。

ここで思ったことことは私の陰徳と安田氏の陰徳は全く土俵が違うということだった。
まずここで自分の属している次元と自分にとっての陰徳とは何かを明確しなければならない。
今自分はもう少しで上の次元に手が届くところにいる。
 先生がおっしゃるところの少し余裕が出て来て、寄付をどこにしたらよいかを考えているレベル。
そんな人間の陰徳のレベルを考えてみた。
1.動かせる範囲の金額で寄付をする。
2.些細なことでも感謝する
3.割り勘の時に端数を負担したり、目下の人には負担軽くしたりする
4.・・・
 ここまでは誰もが考えつくことだけれど自分だけしかできない陰徳をどう積んでいくかが本質ではないかと考えた。
例えば、家庭内で負担に思うことを陰徳と見做して行動することがこれに当たるのでは?と考えてみた。

 例に出すと、同居の主人の父は靴を揃えて向きを変えるという文化を持っていない。外から入って来て靴の汚れを落とさずに玄関に入り、揃えるは愚かそのまま歩きながら脱いで框に上がるので、必ず履き物は家の中を向いて框の手前に左足、玄関の真ん中辺りに右足の履物が置かれている。見つける度に今日は歩幅が狭いなとか思いつつ揃える。毎日毎日やっているとバカバカしくなり、なぜこんなことをしなければいけないのかと泣きたくなることもあった。
 一事が万事で拭き上げたばかりの三和土に泥水を撒いてくれる、雑巾掛けをしたばかりの床に鉢植えをひっくり返すなど日常茶飯事で、言わないようにしていてもつい愚痴を言ってしまう自分がいた。
 本当に辛いことをゲーム感覚的に楽しむことができたら、自分の人生は変わるという思いが常にあり、それを楽しむどころか自分を追い詰めている自分が嫌になり自己嫌悪で自分で自分の運気も下げている状態が続いていたと思う。
 (こう書くと主人の父はどんな奴だと思われるが、本当に心根の優しいやんちゃなおじいちゃんです)

 私の状態を見て友人が全てを受け入れるように言ってくれたときも、私は反発した。私のように辛い状況ではないでしょう!と周りの人に言いたかった。 

 その後、3つ掛け持ちしている仕事を必死でこなし、決めたことを続ける内に、不思議なことに経済的にも精神的にも余裕が出て来た。  

 そして、いつのまにか、私は全てをありのままに受け入れている自分に気がついた。
娘が学校を休んだってなんとかなる!
じぃじが散らかしたって片付けりゃいい!
月に一度は美味しい物食べに行くぞ!
後悔なんかするもんか!
バカヤロー!
 
 これは世界観が変わったから。
世界観を変えるレクチャーしてもらったから。 

 生きていく上で流されることなく、学びつつどんどん自分の次元を上げることができる人を偉人と呼ぶなら、安田氏は当に偉人と言える。課題図書が届いて読んでから全部府に落ちた。全ては陰徳ゲームにしてしまおう。

 ずっとこの問題で悩んできたけれどもう悩まない。ただ負担を背負い込むのではなく、積極的にポイントを取りに行くゲームを始めてみる。  

 あの世に行くまでの間に、少しでも自分の属している次元が上がっていることを妄想しながら、毎日ゲームを楽しみたい。

石井 みやこ
 
投稿者 BruceLee 日時 
「世間のねたみ、そしりは恐ろしいものである」

本書の解説で安田善次郎の曾孫である安田弘氏が書いている。正直なところ全体を通して最もインパクトを感じたのはこの一言だった。そして考えてしまった。

「陰徳ってそんなに良い事だろうか?」

陰徳とは何か?につにて改めて考えてみたい。安田善次郎の父親が言い続けたのは「人に褒められようとして善行を施すのではなく、誰にも知られずとも人の為になることを黙々と行ってこそ人格は磨かれていく」という事だ。だが、通常一般人は善行を世間にひけらかしたがるものではなかろうか。「俺はこんなスゴイ事をした」、「私はこんなに人に喜ばれる事をした」等々。因みに陰徳の反対語って何だろう?と調べてみたら陽徳と言うらしい。その意味は「あらわに人に知られる徳行」。だが、そうしたくなるのがフツーだろう。だからフツーの人間ではなく、陰て徳行を行う事で「人格を磨く」事でフツーではない人を目指しなさい、と言うのが父親の教えだったのだろう。確かに陰徳を積めば当人の人格は磨かれる。だが、我々は世間の中で生きている。その世間の中には人格の磨かれてない、ハッキリ言えば低人格の人間もいる。

まして善次郎は銀行家である。銀行家のメインの仕事とは金貸しだ。人に金を貸し、その利子で自行の利益を増やす事。これが良い部分だけにスポットライトが当たっているなら良い。善次郎が数多行った公共インフラへの投資などは正にこれに当たる。その投資があったからこそ人々の生活が向上した。それ自体は素晴らしい事だ。一方、銀行家にとって当然貸した金の回収は絶対なので誰に幾らまでなら貸しても貸し倒れにならないか、の与信判断が重要になる。その結果、希望額の満額を貸せない相手も出るだろう。そして借りた金が返せなくなった相手への取り立てをせねばならない場合もあるだろう。このような悪い部分、いや決して銀行家が悪い訳ではないのだが、悪く見えがちな部分だけにスポットライトを当てると、貸し方のルールが違うだけでシステム的には「闇金ウシジマくん」と同じと言えなくもない。

また貸した相手が「助けて頂き感謝する」場合もあるだろうし、そうでない場合もあるだろう。「金を貸してくれたのは良いが、俺の実際の仕事の事は何も分かってないくせに利子ばかり取りやがって」と逆恨みする輩もいない訳ではないだろう。話は少しそれるが、以前クレジットカードのモバイル決済端末の仕事をしていた事があり、その時共に仕事をしていたクレジット会社の人が「自分が導入したお店には二度と行きたくない」と言っていたのを思い出した。例えば現金決済しかない飲食店にクレジットカードを使えるシステムを導入して貰ったとする。クレジットカードが使えるようになった事で現金を持ち合わせてない顧客も利用出来るようになり、顧客が増えたという見方も出来る。一方、お店はクレジットカード会社に一定の手数料を払わねばならないから、飲食店経営者の中には「クレジットカード会社なんて飲食ビジネスの苦労も知らず自分たちから金を巻き上げる奴らだ」と思う人間もいるらしい。そしてクレジット会社の人間が訪れると必ず言われるのは「手数料を下げろ」でしかないらしい。そりゃ二度と行きたくない気持ちは分るわ~と同感してしまった事を覚えている(笑)

何を言いたいのかと言えば、つまり一つの事には良い見方、悪い見方があるという事だ。そして世間にはその悪い面しか見ない人間もいる。彼らがそう見てしまう理由として善次郎のような陰徳を積んでいる人間の本当の姿を知らないから、だとしたら?その人たちにとって善次郎は「大金持ちのケチな銀行家」と映ったら?実際、善次郎が日本経済発展のためどんなに尽力したか、に関係なく彼は朝日平吾に暗殺されてしまう。そして「金持ちでケチという悪評」のおかげで「大馬鹿者が殺された!面白い号外!」という号外売りもいた。どうしてこんな事になるのか?それは著者も書いている。

「真の姿が世間に伝わらなかったのには理由がある。陰徳の人だったからだ」

もしそうであれば陰徳の人でなかったら、真の姿が世間に伝わり暗殺されなかったのか?それは今となっては分からないが、一つ言える事は善次郎のような陰徳を積む人間は彼と同様に人格を磨いている人間からは理解されるのだろうが、そうでない人間から理解されるのは非常に難しいのかもしれないという事だ。陰徳を積むのは勿論大切な事ではある。ただ陰徳を積み過ぎると、そうでない人間もいる世間からは大きな誤解を受ける恐れがあるのかもしれない。だとしたらどうすれば良い?と考えたのだが、今の自分に明確な解答は無い。「陰徳のチラ見」というのも手かも、と思ったがチラだろうが少しでも見せたら完全な陰徳と言えないし。う~む。。。その意味では今まで考えもしなかった事を考えてしまった1冊であった。
 
投稿者 3338 日時 
 陰徳と陽徳というものがあるということを母から教えてもらったのは小学生も低学年のことだった。神様だけが知ってる貯金だとも言っていたような気がする。
 
 まずこの時代の庶民の教養が高く、富山の薬売りが複式簿記や複利計算を使っていたことに驚いた。ごく自然に便利だから使っていたと思われるが、それにはその他の知識も必要であり、それを身につけているのが当たり前の社会で生活していた安田氏は無一文からスタートであっても、今の社会と比べて次元の違い際立つ。

 その上に父親の薫陶を受けて、陰徳を積むということを当たり前のことをとして学んでいる。
誰も理解していなくても、神仏に恥じない行為をするのが陰徳だとすれば、安田氏は己の信念を貫き通した人生を歩んだのだと思う。
どの場面でも自分が信ずる道を貫いた結果が、自分に返ってきたり、他者を喜ばせることになった。
 その安田氏の信念を理解することができなかった人々に「ケチ」と言われようが何と言われようが、意に介することはしない。言い訳なんてみっともないマネは死んでもするものではない。

 安田氏の残した功績は他の富豪といわれる人たちに比べても群を抜いている。それは安田氏が人とは違う次元に属し、人とは違う次元でものごとに関わっていたからで、常に自分の損得ではなく社会に的にどんな役割を果たすかに寄っている。
 
 私は幼い頃から陰徳ということを知っていても、身につくことなく今まで来てしまった。これを機会にこれからは少しでも陰徳ということを身につけてあの世に向かう準備をしたいと思った。

ここで思ったことことは私の陰徳と安田氏の陰徳は全く土俵が違うということだった。
まずここで自分の属している次元と自分にとっての陰徳とは何かを明確しなければならない。
今自分はもう少しで上の次元に手が届くところにいる。
 先生がおっしゃるところの少し余裕が出て来て、寄付をどこにしたらよいかを考えているレベル。
そんな人間の陰徳のレベルを考えてみた。
1.動かせる範囲の金額で寄付をする。
2.些細なことでも感謝する
3.割り勘の時に端数を負担したり、目下の人には負担軽くしたりする
4.・・・
 ここまでは誰もが考えつくことだけれど自分だけしかできない陰徳をどう積んでいくかが本質ではないかと考えた。
例えば、家庭内で負担に思うことを陰徳と見做して行動することがこれに当たるのでは?と考えてみた。

 例に出すと、同居の主人の父は靴を揃えて向きを変えるという文化を持っていない。外から入って来て靴の汚れを落とさずに玄関に入り、揃えるは愚かそのまま歩きながら脱いで框に上がるので、必ず履き物は家の中を向いて框の手前に左足、玄関の真ん中辺りに右足の履物が置かれている。見つける度に今日は歩幅が狭いなとか思いつつ揃える。毎日毎日やっているとバカバカしくなり、なぜこんなことをしなければいけないのかと泣きたくなることもあった。
 一事が万事で拭き上げたばかりの三和土に泥水を撒いてくれる、雑巾掛けをしたばかりの床に鉢植えをひっくり返すなど日常茶飯事で、言わないようにしていてもつい愚痴を言ってしまう自分がいた。
 本当に辛いことをゲーム感覚的に楽しむことができたら、自分の人生は変わるという思いが常にあり、それを楽しむどころか自分を追い詰めている自分が嫌になり自己嫌悪で自分で自分の運気も下げている状態が続いていたと思う。
 (こう書くと主人の父はどんな奴だと思われるが、本当に心根の優しいやんちゃなおじいちゃんです)

 私の状態を見て友人が全てを受け入れるように言ってくれたときも、私は反発した。私のように辛い状況ではないでしょう!と周りの人に言いたかった。 

 その後、3つ掛け持ちしている仕事を必死でこなし、決めたことを続ける内に、不思議なことに経済的にも精神的にも余裕が出て来た。  

 そして、いつのまにか、私は全てをありのままに受け入れている自分に気がついた。
娘が学校を休んだってなんとかなる!
じぃじが散らかしたって片付けりゃいい!
月に一度は美味しい物食べに行くぞ!
後悔なんかするもんか!
バカヤロー!
 
 これは世界観が変わったから。
世界観を変えるレクチャーしてもらったから。 

 生きていく上で流されることなく、学びつつどんどん自分の次元を上げることができる人を偉人と呼ぶなら、安田氏は当に偉人と言える。課題図書が届いて読んでから全部府に落ちた。全ては陰徳ゲームにしてしまおう。

 ずっとこの問題で悩んできたけれどもう悩まない。ただ負担を背負い込むのではなく、積極的にポイントを取りに行くゲームを始めてみる。  

 あの世に行くまでの間に、少しでも自分の属している次元が上がっていることを妄想しながら、毎日ゲームを楽しみたい。

石井 みやこ
 
投稿者 harmony0328 日時 
 本書を読んで、疑問に思った事は副題が「陰徳を積む」ならば、その教えを守った安田善次郎氏の人生がハッピーエンドになる方が「陰徳を積む」行為の効果について説得力があると思うが、なぜ悲劇的な結末になってしまうのかということであった。あえて予定調和を崩すことで、読者にこの行為の印象を強くして欲しいということなのだろうか。
 
 「陰徳を積む」とは『人に褒められようとして善行を施すのではなく、誰にも知られずとも人のためになることを黙々と行ってこそ人格は磨かれていく。』(P.19)ということだが、自分を第一にするか、他人を第一にするかということが焦点になってくると思う。
 自分を第一にすれば、他人の事を考えることが疎かになり、信用を失うリスクがある。反対に、他人を第一にすれば、自己犠牲に陥るリスクがある。故に、この二つの価値観にはメリット、デメリットがあるということを踏まえて状況に応じ、どちらの価値観を選ぶのかバランス感覚を持つことが必要だと思う。

 安田善次郎氏はあまりにも成功した為、格差社会に対するストレスのはけ口として国民から反感を買っている。陰で善いことをしているのにもかかわらず、表ではまるで悪者のように誤解され、非難されるとは、なんと皮肉なことだろう。
 安田善次郎氏が亡くなった後、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件と続き、やがて太平洋戦争へ突入していく。歴史は繰り返すと言われるが、現代でも格差社会をテーマにした映画が世界各地で上映され、日本では「既得権益を倒せ」というスローガンを掲げる政党が作られる現象に見られる様に、時代背景が1930年代と似ていると思う。
 この感想文を書いている本日、2020年2月27日にコロナウィルス騒ぎで政府が小中学校を3月2日から春休みまで臨時休校とするよう、要請することを決めた旨、マスコミ報道があった。国内各地のイベントがキャンセルされるケースも多い。戦争とまではならないが、非常事態である。
 過去と同じ過ちが繰り返されないように、歴史から学び、「陰徳を積む」精神を忘れず、日本のためにも自分の出来ることをコツコツ行っていきたい。

 次に、印象に残ったことは、安田善次郎氏の成功法則はしょ~おん先生の教えと類似している点があるということだ。私はしょ~おん先生のメルマガを読み、まだ基本編、バージョンアップ編セミナーしか受講していないが、本書を読んでいると、智の道、読書、般若心経、寄付の大切さ等、メルマガ、セミナーで習った事が次々と出てくる。
 しょ~おん先生のホームページの先生についてのサイトを見ると『学歴やコネが無くても年収1000万円になれるスキルを伝授しつつ、運勢を改善させるための方法をセミナーで公開している。』と紹介されている。安田善次郎氏は五年間の塾での学業を終えただけで、12歳ごろから生花の行商をする他、写本の内職など複数の仕事もこなす事から始め、その後、みずほフィナンシャルグループの企業の礎を築くなど、たった一代で巨万の富を得ることになる。しょ~おん先生のセミナー紹介文と安田善次郎氏の経歴に学歴、収入の面で類似点があり、衝撃的である。
 安田善次郎氏の子供時代の家庭教育、学校教育は今の時代より素晴らしかったと羨むぐらいなら、しょ~おん先生の教えを愚直に実践すれば、成功できるのである。実際、優秀な塾生の素晴らしい成果もホームページで紹介されている。環境のせいにはできない。自分次第なのだ。

 最後に、本書を読んで目に見えない力を感じ、考えた事を述べたい。
 私は浅野総一郎氏の築いた会社(P269)に勤務していたことがある。在職中に浅野総一郎氏について教わることはなかったので、この本が課題図書に選ばれなかったら、安田善次郎氏、浅野総一郎氏の事を生涯、全く知らずにいたことだろう。
 安田善次郎氏は常に庶民のため、国家公益のため働きたいという願いを持っていた。浅野総一郎氏が彼と共に始め、完成させた東京湾沿岸部の埋立事業の地に創立された会社で私は1スタッフとして社会インフラ事業に携わり働きながら、貴重な体験ができた。その上、私は社内結婚している。お二人の存在がなければ、私はその会社で働くこともなく、夫とも結婚してなかったと思うと本書とのご縁に感慨深いものがあった。

 本書に名前が出てくる銀行家、企業の経営者のお陰もあり、日本は飛躍的に経済発展ができた。
しかしながら、長年に亘る経済発展は環境破壊の要因にもなっていることは否定できない。これからの時代は次世代の子供たちのためにも、企業も個人も環境問題の解決により重点をおき、「陰徳を積む」精神で活動することが急務だと思う。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、日本を代表するメガバンクの礎を築いた、銀行王・安田善次郎の生涯について記したノンフィクションです。

正直に言って、安田善次郎のことは名前を聞いたことがある程度の認識しかありませんでしたが、本書を読んで、その人間性に強く惹かれました。

安田善次郎の成功要因として特筆すべきは、その克己心です。
自らを強く律して戒め、銀行員として、人間としてあるべき姿を追求して行動していく様は、
現代人に最も欠けている姿勢だと感じました。

善次郎の克己心を象徴するエピソードは数多くありますが、やはり印象的なのはP47で語られている『克己貯金』です。
これは、生活費や小づかいなどの支出を収入の8割に抑えて残りは貯蓄することとし、住宅には支出の1割以上を充てないようにして、月々のやりくりをするというもの。
このような生活を生涯続けたというから、驚きです。
33歳から82歳までの49年間、毎日欠かさず日記を書き続けたというエピソードからも分かるように、善次郎の「克己堅忍」を貫く姿勢は、その継続性に大きな特徴があります。

善次郎は、どのような時も一貫性のある自らの考えを押し通してビジネスを進めていますが、こうした継続性に裏打ちされた自信が、その根本にあるのだと思います。

P302に、善次郎率いる安田銀行は、ライバル銀行と慣れ合うことを嫌い、逆張りすることで一人勝ちする状況を作ってきたというエピソードが語られていますが、こうした周囲に流されない独自の経営判断も、自らの行動と価値観に強い自信を持っていたからこそ、できたことではないでしょうか。


善次郎の人間性を語るうえでもう一つ欠かせないのは、本書の副題にもなっている「陰徳」です。
幼少期から誰も見ていないところで陰徳を積むような行動を取っており、この善次郎の姿勢は善次郎の父・喜悦の教育の賜物であると言えます。

ここで私が疑問に思ったのは、「陰」徳であることの意味です。
つまり、世間一般の人から認められる形で、人が見ている前で善行を行うことをなぜ否定するのか、ということです。

富豪の夫人が貧しい人たちに金品を恵んだという新聞記事に対し、強い嫌悪感を示すP248のエピソードから、善次郎が「慈善とは隠れてすべき事」という強い信念を持っていたことが分かります。

しかしながら、後年善次郎が爵位を得ることができなかったこと、世間一般の人々からケチというイメージを持たれてしまったこと、そして非業の最期を遂げることになってしまったことなどは、善次郎が数々の善行を「隠れて」やってしまっていたことが遠因だとも言えます。

それでは、そのような負の側面がありながらも、なぜ善次郎は「陰」徳にこだわったのでしょうか。
広く世間一般からも認められるような慈善活動では、なぜ駄目だったのでしょうか。

私が注目したのは、父・喜悦の2つの言葉です。

『慈善は陰徳をもって本とすべし、慈善をもって名誉を求むべからず』P100
『奢りをきわめ欲望をほしいままにするのは禽獣の生活と変わるところはない。
限りない欲望を抑えて暮らしてこそ真の楽しみがあるのであり、
これを味わう生活でなければ人間と生れて恥である』P144

父・喜悦の教えに従い、善次郎は欲望に突き動かされることを強く律しています。
ここから、名誉欲や承認欲と結びつきやすい、公の慈善行為を忌み嫌ったのだと感じました。

このことは、善次郎が数多くの文化人を窮状から救ったことからも分かります。
没後に遺族まで含めて面倒を見続けた成島柳北や、一時は時代の寵児となるも晩年は病床に伏した福地桜痴などに対する支援は、その好例です。
見返りを期待して行った善行とは考えにくく、善次郎自身がその人や作品に惚れ込んだことのみをもって、行ったことだと思うのです。


強い克己心と陰徳。
世間的には誤解されてしまいながらも、「千両分限者」にまで上り詰めた善次郎の生き方は、SNSやブログで安易な承認欲求を求め、楽して稼ごうとしてしまう現代人にとっては、見習わなければいけない美徳が詰まっています。

成功者になるために必要なものは、今も昔もそう変わらないのかもしれません。
それでも、時代の移り変わりの中で、表層的な流行り廃りに振り回され、安易な道を模索してしまいそうになる自分自身を、強く戒める良いきっかけになりました。

今月も素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 audreym0304 日時 
 陰徳を積む、天に貸す、天に徳を積む、言い方は様々あれど、成功者と言われる人に共通するのが人知れず善行を行うことだ。本書は「陰徳を積む」と言うことなので、「陰徳」と言う言葉を調べてみた。
 これは淮南子の人間訓に記されている「陰徳あれば必ず陽報あり」という言葉からとられていて、「人知れず良いことを行うものには必ず目に見えてよいことが返ってくる」という意味である。
 安田善次郎という人の人生を見ると「陰徳を積む」という言葉が相応しい。多くの銀行を救済していることを考えると、救済される銀行の経営陣だけでなく、従業員やその家族、預金を預けている顧客やその家族、数にすれば数千、数万はくだらない人々がその人生が狂わないように安田善次郎に陰ながら支えられたことになる。
 安田善次郎は銀行とそこにかかわる人々を救済するという陰徳を大いに積む、その結果として富を増やすという陽報を受けているが、世間の人々は危機が去ると安田善次郎の偉業を忘れ去り、金の亡者とののしり、さらには凶刃に倒れても同情を寄せなかったし、悪意を示すような行為をするものもいるところに、日本人の金持ちに対する考え方が透けて見える。
 なんとなくだが、日本人は「金持ち=悪人」というイメージを持っている人が多いと思う。実際、欲に目がくらんでいると思われる人もいるし、一般庶民のことなど全く知らないだろうと思われる発言をする人もいるから、ある意味正しいのかもしれない。現在でもある金持ちがそのお金を社会のために使おうと私利私欲のために使おうと、一般庶民は批判をするだけだ。それは、一般庶民が一生働いても手に入れられないと考えている額のお金を持っていたり、使えるお金持ちに対する嫉妬なのだろう。しかし、安田善次郎のように智の道を進むもうとする人に対して、下手な嫉妬や批判は悪の道で返す最悪手になるのではないか。
 安田善次郎は善行を人知れず積むことを良しとして、自分の功績を世の中に知らしめることを良しとはしなかったというが、世の中に功績をアピールすれば、一部では歓迎されたかもしれないが、どういう意図を持った情報として人々が耳にするかで余計な邪魔や嫉妬を受けてしまったのではないだろうか。
 安田善次郎という人は経営だけでなく、人間をよく知っていたのだと思う。だからこそ、人知れず支援をする、社会の発展に尽くすという陰徳に励んだのではないだろうか。だから、当時も今もその名前を知る人は少ないのだろうし、多くの人の人生を支えた陰徳の人と言うことはもっと知られていない。それは大多数の人間が安田善次郎をただの金の亡者だと考えてよく知ろうとしなかったからに違いない。

安田善次郎だって初めから倹約家ではあったが、お金持ちだったわけではない。いわゆる一般庶民の出で、奉公先で脱ぎ捨てられた履物をそろえたり、ごみを拾うといった小さな陰徳を積むことから始めたではないか。
人はとにかく、派手なもの、大きなもの、自分の欲求を満たしてくれるものに惹かれ、それらを良しとしてしまうが、私たちはだれしも気づかないだけで陰徳を積む機会に満ちているのだと思う。ただ小さな陰徳を積んでも陽報がやってくる前に過剰な承認欲求や口さがないうわさ話や人を悪く言うことで陰徳を消費してしまうのではないだろうか。
 安田善次郎はめったに怒らず自制心の強い人だったことは「今日一日腹の立つまじきこと、今日一日人の悪しきを言わず、わが善きを言うまじきこと」という言葉からもわかる。安田善次郎が成功者となりえたのは陰徳を積むこともそうだが、強い自制心が陰徳を消費しなかったおかげで陽報に恵まれたのだと思う。陰徳を消費しない強い自制心を真似するのはなかなか困難だが、まずは身の内から出てくる言葉や感情を知り、陰徳を消費しないようにしようと思う。
 
投稿者 gizumo 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」北康利著 を読んで
久しぶりに「偉人伝?!」というものを読んだ気がします。 “偉人”といってもとてつもない“傑物”で今まで知らなかった自分を反省いたしました。 「安田財閥」や「安田善次郎」の名前、「安田講堂」など知ってはいるものの、そんなつながりがあったとは…。 幸いその前知識がないために、彼抜きでは政治・経済が確実に違っていただろう事実と、その後への影響力の大きさを素直に読んで学べました。
やはり安田善次郎氏の素晴らしい点は、タイトルにもある「陰徳」に尽きると思いました。 そのほかの偉人達もまた一般の平凡な人たちでも何かしら「功績」とも言えるものは残し、関わっていると考えられますが、それをあからさまいにせず、シンプルに暮らすところが素晴らしいと感動しました。 「“あれ、俺”詐欺」と言われるような行動をする人を目にして、しらけた気持ちになることも多く、やはり何かしら誇示したい気持ちは人間にはありがちですが、その自分に打ち勝ち、かつそれを継続することの大切さを改めて感じました。
他利を尊重していたようで、自分自身も生活を楽しんでおり、芸事や芸術に造詣が深いことや家族を大切にしたことは私利の充実でもあり、見習うには大きすぎる人物です。
また、日本のダイナミックな時代を舞台としており、以前に読んだ「横浜を作った男」と同様にドラマチックな生き方に歴史的人物も多く登場し一気に読める面白さでした。 学校ではこの時期の歴史をあまり詳しくは学ばずにいたことを一瞬残念に思いましたが、一通りの社会経験のお陰で、政治的・経済的な背景とつながり(からみ?)は理解が進み、楽しめる部分でもありました。
常日頃、善行を積んでシンプルに暮らす生き方で参考になる点は多くあり、少しでも敬意を示すためにも「毎日記録を付ける」という点は、早速実行させて頂いております。 加えて1株ですが「みずほフィナンシャルグループ」の株を購入しました。“お守り”として常日頃の自分を律するきっかけにしようと考えております。
 
投稿者 charonao 日時 
 安田善次郎は、現在のみずほフィナンシャルグループの礎を築いた人物ということで、自分とはあまりにもスケールが違いすぎて、学べることがあるのだろうかと思いましたが、本書を読み終えた時に、かなり多くの学びを得る事ができました。

 まず、安田善次郎のお金の使い方を通して、正しいお金の使い方について考えさせられました。
 
 善次郎が成功し、購入する屋敷のスケールが大きくなるのとともに、嫉妬の声も多くなり、また世間からは「ケチ」と言われるようになっていきます。
 
 しかしそれは、P122『いかに金を”生かして”使うかを追求し始めた』とあるように、善次郎はどこにお金を使うべきかをしっかりと見極めていたからです。

 では実際にどのような場面でお金を使っていたかと言うと、東京で火事があった際、他の実業家と比較しても、多くの寄付を行っています。努力で回避できない天災や戦災の被災者に対して、多くの寄付をしている行動に感動しました。
 
 また善次郎が融資する相手として、地域の産業発展や、それに伴う社会インフラ整備に尽くしている事、合わせて善次郎が”人材”と見込んだ人物には惜しげもなくお金を貸しています。そしてその”人材”を見極めるために、「相手方の身許および信用」を徹底して調べ上げる事までして、投資すべきかを判断しています。

 更に地域の産業発展への投資については、P254『企業の本来の責任は、小さな慈善ではなく社業を通じての大きな社会貢献にある』という事を忠実に実行しています。
 こういった内容から、善次郎は「ケチ」ではなく、社会貢献に繋がるのであれば、惜しむことなく投資していたことがわかります。
 
 一方、趣味の旅行においては、手提げかばん一つで身分を明かさず、また富豪にふさわしくない服装を不体裁とは思わず、驕奢をむしろ恥としたと言っています。自分自身については、最低限の出費で済ませているのです。

 これらの事から、その人がどういう人かを知りたければ、その人のお金の使い方を見る事が一つの方法なのだと思いました。そこで、その人の人格が浮かび上がるのではないかと考えます。
 企業や社長の本質を見極める判断材料として、その企業や社長がどこにお金を使っているのか、という点に着目すると良いのではないかと思いました。

 また、善次郎が自らの引退の際、行員三千余人に克己貯金として、行員の資産形成を促そうとした出来事が面白いと思いました。
 行員からの抗議文で、もらったお金ですぐに簞笥を買ったが、昨日渡したお金は銀行に預けろと言われて、結果、簞笥を売っても元の金額に戻らず、着物を質に売ったという話を読んだときに、お金持ちになる人とならない人の差がこの点だと思いました。

 お金持ちは、先々の事を考えて行動する。貧乏人は目先の利益の事しか考えない、と言う事が明確に出ている出来事だと思います。

 やはり、お金持ちの考えが理解できないと、いつまでも一般の人のままなんだなと実感しました。ある程度の財を成したいのであれば、財のある人の考えを理解する必要があると思いました。

 もう一つ学んだこととしては、克己心の重要性についてです。
 P48『私にはなんら人に勝れた学問もない。才知もない。技能もないものであるけれども、ただ克己堅忍の意志力を修養した一点においては、決して人に負けないと信じている』とあります。
 
 善次郎は老年期以降も、若い頃に決めた収入二割の積立や、日記も休むことなく続けています。些細な事かもしれませんが、それらを日々積み重ねていくと、自分に対しての大きな自信につながっていくのだと考えます。

 また、父親から教えられた「陰徳を積め」という言葉を生涯貫いており、父親からのこの教えも忠実に守り続けています。
 
 自分への約束だけではなく、父親への教えも守り抜くことで、克己堅忍の意志力が身につき、また自分を信じることができるようになり、自分の決断に自信を持てるようになるのだと思います。

 最後に、本書で一番印象に残ったのは、P254『もし仮に善次郎が自分の理屈を貫こうとするならば、自分の考え方に共鳴する同志を作り、世間を啓蒙する必要があった』と著者が述べている箇所です。
 これをしていれば、世間からケチと言われず、百三十銀行本店の再建で一番恩恵を被ったはずの関西地方で、安田批判が激しかったり、晩年に朝日に刺されて亡くなる事はなかったのではないかと思いました。
 
 青年期に千両分限者を目指すため家出した際、家に迎え入れてくれた老人。その後父親に許しを得て江戸に向う際、費用を全額負担してくれた再従兄弟の林など、親戚、他人問わず恩返しをするような、誰よりも恩に報いる性格なのに、世間からは恩を仇で返されるような仕打ちを受けたのは皮肉な事だと思いました。
 
 世間に対し、自分の実績のみを語ることは愚かだと思いますが、自分の行動に対しての考えを伝える事は必要だと考えさせられました。
 
投稿者 str 日時 
銀行王//安田善次郎“陰徳を積む”

政治家ではなくあくまで商人として日本を陰から支えながら、今日に至るまでの日本の金融システムの土台を築き上げた人物の一人であることは間違いないだろう。しかし現在では企業名・グループ名に“安田“という名を冠していなかったり、本書にあるように世間から様々な誤解を受けたまま世を去ってしまったこともあり、一般的な知名度はそれ程ないように感じる。

もっとも、志半ばで凶刃に倒れてしまったとはいえ、善次郎氏のなかには「名を上げる」といった考えはなかったように感じたので、それはそれで本望だったのかもしれない。善次郎氏は常に“陰徳を積む“ことを念頭に置いていたのだから。しかしこの”陰徳を積む“という行為、真似出来るかと言われても自分にはまず無理だろう。一日一善ですら難しいというのに。

人知れず行った善行を一回二回ならともかく、それを積み重ね続けながらも自身の胸の内にしまっておくということ。むしろ銀行というシステムの性質上、信用も売りの一つであるのだから、もっと大々的に“良い人アピール”をしても良かったのではないかとも思うったが、誰にでも平等に善意を向けていては、商売としては成り立たないのだから当然か。

『本当は人一倍情が深いのだが、時には非常であるあることも必要なのだと悟った人間』

著者もこう記しているように、あくまで商売人としての立場をないがしろにせず、権力や成功の見込みがないプロジェクトへの否定など、決して媚びることのない強い意志を持って行動する善次郎氏の印象だけが先行してしまったのだろう。結果的に“ケチな金持ち“というレッテルを貼られたまま、半ば逆恨みのような形で暗殺されてしまうが、善次郎氏が積み重ねてきた”徳”は無駄なものだったのか?

安田善次郎という人生の最後だけ見れば、確かに不幸な終わり方だったかもしれない。しかし富や財産といった点では言うまでもなく、病で床に伏せるどころか身体は健康そのもの。素晴らしい伴侶との出会いや、同志と呼ぶべき人物との繋がりも数多く築いている。それらは善次郎氏が積み上げた“徳“が引き寄せたものに他ならないと思う。

強くブレない信念を持ち、他者を陥れるのではなく自らを高めるべく行動し続けていけば、必ず人生は良い方向に向かう。安田善次郎という偉人を知ることが出来た一冊だった。

しかし時代は大きく変わってきているものの、マスメディアによる偏向報道は当時から何も進歩していないのだな~と感じた。安田善次郎再評価の流れは少しずつ進んでいるらしいが、それでも善次郎氏の没後から時間が経過し過ぎている。本書を読んだ後だからではあるが、もっと早ければ渋沢栄一ではなく、安田善次郎が新紙幣の肖像に描かれていても何ら不思議ではなかったと個人的には思う。
 
投稿者 tajihiro 日時 
北康利の「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで

 北康利の「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。まず、「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」のテーマを一言で申し上げると「視座を高く持つことの重要性」「利潤追求だけでなく社会貢献を行うことの重要性」ではないかと考えます。

 上記を踏まえ、私なりに学んだことを以下に記載します。

1.『銀行を救済するのは関係重役や株主を救うためではない。その裏に何千何十万の預金者があり、且つまたそれには多人数の家族があるので、それを救うのである』(P141)
2.『一個の事業の成功するか失敗するかの根本原因は、一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物の如何によって決することを言明して憚らぬ』(P207)
3.『後藤さん、八億円ではあまりに少ないのではありませんか?』(P313)

1.『銀行を救済するのは関係重役や株主を救うためではない。その裏に何千何十万の預金者があり、且つまたそれには多人数の家族があるので、それを救うのである』(P141)

 まず、「陰徳」の意味を改めて調べてみましょう。広辞苑によると「人に知れないように施す恩徳」とあります。なぜ、人に知れないように施す必要があるのでしょうか?私は思うに、徳を陰ながら積んでいくと、見えない世界において徳がどんどん貯まっていき、ある時、もしくは、あるきっかけで、貯まった徳がお金や人脈、健康や気づき、学びなどに変化し、自身に還ってくるからではなかろうか、と考えます。これは、「私が幸せであるが「ゆえに」あなたも幸せ、あなたが幸せ「だから」私も幸せ」という考え方にも通じるものであり、自分の投げた幸せのブーメランは、人知れず自分の元へ別の形となって戻ってくることを、時の若き善次郎は、感覚として分かっていたからでなかろうかと思われます。

 若き善次郎は、1864年に日本橋人形町で「安田屋」を開店し乾物屋として鰹節などの商いを始めました。接客中に、あるお客様が、遠方から来られた方であることが分かると『それはお近くに立派な店がありますのに、わざわざ遠方までいらして下さりありがとうございました。その代わり品は十分安くいたしますから』(P45)と言って頭を下げ、また、『並べてある品物を、いいものから売っていった』(P46)とも記載があります。このことからも陰徳を積むことの重要性を若き善次郎は認識していた証左になるのではないでしょうか。本田健氏の著書「ユダヤ人の大富豪の教え」で『お客さんが喜んでくれるところをイメージし、現実のように感じられるまでそれをやりなさい』(P125)という一文を改めて思い出しました。
そうこうして青年・善次郎は、銀行家としての道を進んでいくわけですが、そのときも一時の利益に目もくれず、将来を見据え、多くの民が救われる方法は何か、その彼らが皆、幸せになれるのか、そして、その方法が他に迷惑をかけず自身の力だけで何とかなるものなのかをじっくり吟味した上で、できるという判断が下せた場合は、迷わず即断即決する、そういう思考の持ち主だったのではと思われます。そして、この考え方こそ、冒頭の「視座を高く持つ」という考え方につながると考えます。

2.『一個の事業の成功するか失敗するかの根本原因は、一にも人物、二にも人物、その首脳となる人物の如何によって決することを言明して憚らぬ』(P207)

 この一文に私も共感できました。私もかつてバックオフィス全般の責任を担うポジションにいたことがありますが、私が当時思っていたことは、一個人の力には限界があることです。1日は誰にも平等に24時間しか与えられず、だからこそ、その24時間の中で、プレイイングマネージャーとしてあれもこれも独力でやるのは限界があるのは当然で、よって部下に任せなければならない局面が必ずあります。そのときポイントになってくるのが、資金力とか環境とかでなく、人物であるということです。それもただ優秀な部下でなく、自身の理念とビジョンを共有できる優秀な部下です。優秀であっても自分と考えが対立してしまっては、組織としての力は半減してしまいますし、何より、その組織に属する人間もマイナスの気に毒されます。

 では、どうすればこういった対立を防げるか?やはり、その組織の責任者である自身の「人間力」を高めることに尽きると思います。では、どうすれば、その「人間力」を高めることができるのか?これこそが本著に書かれている「陰徳を積む」という概念が重要になってくるのでは、と考えます。人知れずに善い行いをすること、例えば、職場に人知れずに花を飾ることもそうでしょうし、自然な形での差し入れなどもそうでしょう、そういったさりげない徳の積み重ねが、その組織の浮沈を握ってくると思われます。かのウィリアム・アーサー・ウォードは「本当に偉大な教師というのは生徒の心に火を灯す」という名言を残しましたが、部下の心を灯すには、灯す人間の「人間力」が高くないと絶対に実現できないと考えます。

3.『後藤さん、八億円ではあまりに少ないのではありませんか?』

 「陰徳」とは人に知れないように施す恩徳であることは先に述べた通りですが、時に万民を慮って行動するには、チンケな資金では無駄撃ちに終わってしまうこともままあるでしょう。時に善次郎が『ケチ』(P122)と言われながらもそういうことに一切気にしなかったのは、『無造作にばらまくのではなく、いかに金を”生かして”使うかを追求し始めた』(P122)という考え方がベースにあり、後世に残る大事業にお金を還元したかったというのがあるのではと考えます。ジョセフ・マーフィーの著書「眠りながら成功する」で『私はお金を賢明に、建設的に、思慮深く使います』(P149)と述べていますが、まさに、その感覚なのでしょう。

 ちなみに、この著書によると1921年当時の国家予算が16億円とのことなので、この「八億円」という金額がいかに途方もない金額であるかが容易に想像つくかと思います。東京全体が整備されれば、経済も物流も街全体も全てが発展し、そうなれば、新たな産業も生まれる、そして銀行にとっても新たな有望な融資先も出てきて、その融資先企業の事業が上手くいくと、その企業を中心にその企業の従業員やその関係取引先が潤い、街全体の活性化につながり、また、銀行の出番がやってくる、という好循環が生まれ、「私が幸せであるが「ゆえに」あなたも幸せ、あなたが幸せ「だから」私も幸せ」という、正のスパイラルが発生することを理解していたのではないのでしょうか。本田技研のもう一人の創業者である藤沢武夫氏は、自身の著書「経営に終わりはない」で『儲けるならみんなの働きで儲けるんだということを金科玉条にした』(P70)と述べておりますが、まさにその考え方に相通じるものがあると考えます。
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 最後に、本著の善次郎が、なぜ凶刃に倒れてしまったのか?どうすればこれを防ぐことができるのかを自分なりに考察してみたいと思います。

 まず、なぜ凶刃に倒れてしまったのかを考えてみた場合、陰徳に拘りすぎていたからではないか、と私は考えます。陰徳を積むという考え方そのものは素晴らしいと思いますが、心無いマスゴミは、大衆に対してそれを時に妬みの源泉へ誘導します。だからこそ、善次郎は、一言、こういうことに寄付するということを新聞の誌面等を通じて淡々と意思表示をしてもよかったのではないかと思います。次に、どうすれば、本著のような凶刃から逃れることができたのか?単純に屈強なボディガードをつければ問題なかった、という考え方もあるかもしれません。しかし、もっと建設的な考え方があるとすれば、例えば、基金とか財団法人とか、そういうものを通して、寄付であり、社会貢献があっても良かったのではないだろうかと私は考えます。かのビル・ゲイツ氏も「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」を作っておりますし、ロックフェラー氏も「ロックフェラー財団」を設立しております。本田技研の創業者である本田宗一郎・藤沢武夫両氏も『作行会』(上記「経営に終わりはない」P206)を1961年に設立しております。では、私はどうかというと、現在、月収の10%とまではいかず、5%超の寄付しかできておりませんが、将来、自身が更なる成長ができたときに、どういった形で、そして、どういうふるまいをすべきなのかを、本著を通じて改めて深く考えさせられる機会を得ることができました。

 以上、課題図書としての思ったこと、考察したことを終わります。非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 akirancho0923 日時 
比較対象が国家予算、という資産を一代で築いた人物ということで、
どのような『陰徳を積む』エピソードが満載なのか大いに興味を持って本書を読みました。

そして、何故、陰徳を積んだ人物が暗殺という幕切れに至ったのか。、について考えました。

安田善次郎が積んだ陰徳は、もちろん共感できる部分はあったし、
とても真似できないなぁ、という部分がほとんどではあったのですが(笑)
それ以上に、私は正しいのだ、これが私の信ずる陰徳なのだ、という姿勢を
周りに押し付けていたように感じました。

例えば、寄付金一つとっても寄付する金額は相当に多いのですが、
世間や周りの期待にそぐう金額を提供せず(提供できる余裕がありながら)
そして大事なのは、なぜこの金額なのかを、おそらく、私の信ずる陰徳、として説明もしていない。

この辺りのエピソードは、は智の道を歩んでいない部分だと感じたのですが、
自分なりの陰徳も満たされ、周りにとっても幸せになるには、と
考えれたら、『ケチ』などと世間から蔑まれこともなかったのではないでしょうか。

そう、世間を味方につけることも必要な要素だったのではないでしょうか。

かつて田中角栄が生前、「政治家として大事なのは、味方でも敵でもない人をたくさんを作ること」
と言っていたそうですが、
安田善次郎の言動からは、私の信ずる陰徳は正しいのだ、たとえ理解されなくても
という部分が勿体ないと感じました。

この時代は秘書という存在があったのかわからないのですが、
安田善次郎の足りない部分をサポートして鉄道も港湾も早期実現できれば
また少し日本はどう変わっただろうかと考えてしまいました。

世間から抜きん出れば出るほど、注目も集めれば集めるほど、
一挙一動に関して智の道を歩む大切さを学びました。

私自身もマネージャーという組織で取りまとめする立場ですので、
今後も肝に銘じて取り組んでいこうと改めて決意した次第です。

最後に、本書は良書リストにもある「横浜を作った男」並みに面白い内容でした。
ありがとうございました。
 
投稿者 mkse22 日時 
銀行王 安田善次郎を読んで

本書は、一代で巨万の富を築き上げた安田善次郎氏の生涯について書かれた本だ。

この本のなかで陰徳が重要であることが繰り返し指摘されている。
そこで、なぜ陰徳を積むことが重要なのだろうか。少し考えてみたい。

陰徳とは、人知れずに善行をすることだ。
善行とは、例えば寄付行為や道端のごみ掃除そして人助けなどを指すのだろう。

まず、なぜ善行をすることが推奨されるのかを考えたい。
完璧な回答を導きだすことは難しいが、あえて言えば本人の自己満足という答えもあるだろうが、
ここでは社会の安定化のためと言いたい。自分が他人から精神的攻撃もしくは肉体的攻撃を受ける可能性を下げるためと言いたい。

社会には他人を攻撃せずにいられない人がいる。
攻撃には単なる悪口から殺人まで幅は広い。
そのような人は自分の置かれている状況に満足しておらず、他人を攻撃をすることでストレスを発散しているのだろう。
そもそも、自分の現状に満足していれば、他人を攻撃することはまずない。
他人を攻撃することには自分が損をするリスクがあり、現状に満足していれば、そのリスクをとる理由が見当たらないからだ。
例えば、上司の悪口を陰でいっていると、それが本人の耳に入り、自分の出世が遅れるように。
現状に不満があり、ストレス発散というメリットと自分が損をするデメリットを天秤にかけて前者が勝ってしまった結果、他人を攻撃してしまうのだろう。

さらに、家族や財産など失うものがない、俗にいう「無敵の人」であれば、その攻撃は過激化する
攻撃が犯罪行為だとしても本人に失うものがないので、その攻撃にブレーキがかからないからだ。

善行にはそんな人達が置かれている状況を改善する可能性がある。
寄付は貧しい人の生活向上に役立つし、ごみ掃除した場所がきれいになれば、そこを利用する人が
気分がよくなるといった面がある。人助けは言わずもがなである。
もちろん、不満にはいろいろなものがあるため、善行ですべて不満を解消することは困難だろう。
しかし、状況の改善は期待できるのではないだろうか。ストレスも緩和されるうえに、
ストレスが爆発するきっかけを減らすことができるのではないだろうか。
例えば、「公園でイライラした気分で歩いていると、落ちていた空き缶を踏んで転んだ。
それをみてクスっと笑った人に対してつい頭に血が上って殴りかかった」みたいなことが意外とあるのではないだろうか。ここで、空き缶が落ちていなければ、こんなことは起きなかったのかもしれない。

次に、なぜ人知れずなのだろうか。
善行であれば他人にアピールしてもよいのではないだろうか。

まず、アピールすると他人からの見返りを求めているように見えてしまうからだろう。
ここでいう見返りとは、お金といった経済的なものではなく、「あの人は素晴らしい」といった承認欲求といったものも含まれる。本人がどう思っているかにかかわらず、他人からはそのようにみられる可能性がある。見返りを求めていないのであれば、人知れずひっそりとすればよいのである。
善行を「他人のためにすること」と理解している人がいるため、それをアピールすることで、
他人のためにしたことは実は自分のためでもあるという解釈が成り立ってしまう。
善行のアピールは矛盾しているように見えるのだ。
まあ、社会の安定化は自分にもメリットがあるため、善行もアピールも自分のためという解釈が成り立ち、実は矛盾していないのだが。

さらに、否が応でも他人の注目を浴びてしまう。
そうなると、応援してくれる人も出てくる一方で、そうでない人も出てくる。
自分の都合の良いように利用しようとする人も出てくるだろう。普通に生きていれば出会わないような悪人を引き寄せてしまうのである。

ZOZO前澤元社長の一億円お年玉企画が、アピールを伴った善意の良い例だろう。
前澤氏の真意は不明だが、この行動を善意ととらえた人もいれば、自社の宣伝と考えた人はいるだろう。
しばらくの間、前澤氏に関するマスコミの記事をよく見かけたのを覚えている。

このように考えてくると、成功者ほど陰徳を積むことがだんだん困難になるのではないのだろうか。
成功者はすでに有名である場合が多く、その行動はどうしても世間の注目をあびやすい。
さらに成功者の善意はスケールが大きいものが多く、その点でも世間の注目を浴びやすいため、
その行動を快く思わないものが出てきやすい。自分の敵を生み出しやすいのである。

本人は社会のために行ったことが、世間の誤解を招き社会を不安定化させる。
安田善次郎氏の悲劇的な最期と世間の非情さ(号外を出したり犯人を英雄視するなど)を読んだときに
そのように感じました。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 vastos2000 日時 
過去に受講したセミナーや今までの課題図書、良書リストの書籍で見聞きしたことが思い出される点が多く書かれていました。
また、私は自伝や評伝を読む際は、その人物が、「健康/身体的自由」「人間関係」「金銭」の問題やトラブルを如何に乗り越えるかを意識して読むようにしています。
安田善次郎は幼少期の金銭面での困難はありましたが、(殺されるまでは)大病を得たり投獄されることも無く、また盗難の被害はありましたが、ピンチであっただろう場面もさほどピンチと感じさせないような人生でした。
そしてもう一点、「陰徳」を積むことや「先に出すこと」が金運を開く実例を見ることができた点が、読後の大きな収穫でした。
本書を振り返るにあたり、3つの観点でまとめました。

●貯蓄
やはりお金を貯める王道は定額(定率)を半ば自動的/強制的に貯金することだと感じました。『私の財産告白』や『バビロンの大富豪』などにも書かれていましたが、収入の10%程度を貯めていくのが良いようです。
私も7年前から給料天引きで貯蓄していますが、この貯めたお金をどのように使うかも大事なポイントのようです。私はせっかく貯めたお金も時に生命保険料の引き落としなどに使ってしまうので、あらためて使い道を考えようと思いました。(家族のために使っているのですが、それなら最初から保険に使えばよいというコトになります)

現在の貨幣は当然ながら兌換紙幣ではなく、信用を数値化したものですので、ただ貯めて死蔵させるだけでは意味がありません。貯めたお金を何に使うかが問われます。
安田善次郎は成功してからも質素な生活を続けていましたが、自分のために使うのではなく、世のため、人のために使うと巡り巡ってお金が自分のもとに返ってくるようです。

私は3年ほど前から無理のない金額を自動引き落としで寄付するようにしていますが、通帳記帳したものを見る際、その引き落としの行を見ると「俺って良いことしているなぁ」と思います。同じ金額であっても、私よりも価値を感じる人のために使われているはずなので、少なくとも誤った使い方ではないと思っています。

●継続
貯蓄(特に複利がきく場合)でも継続してコツコツ貯めることは大きなインパクトをもたらしますが、やはり「継続は力なり」です。安田善次郎も日記や馬術など、一度はじめたことは継続していました。
私も呼吸法は基礎編を受講して以来継続しています。そしてもう一つ継続しているのは年に100冊以上読むことです。(10年ほど続けています)
仕事に余裕がある年は200冊程度行く年もありますが、忙しくとも100冊は割り込まないよう心がけています。
そのおかげか、最近異動があり、「自分は同僚よりも知識の量が多い」ということに気づきました。
私は対人折衝能力や接客力が高いという訳ではないので、前職の時から、お客さんに有用な情報をもたらすことを心がけて業界や商品に関連する情報を得るようにして、それをお客さんに還元してきました。
新卒3年目~4年目のころは可処分所得の半分くらいを書籍代につぎ込んでいました。(残りの半分は食事とアルコール)
一気に幹となる知識のかたまりを作ったので、あとはその枝葉を随時更新する程度で良いサイクルが回せるようになりました。そしてやはり積み重ねが効いてくるので、新しく学んだこともすでに知っていることと比べたり、追加することでより生きた知識になっていると感じています。

●信用
『革命のファンファーレ』を読んで、信用というエネルギーはお金というエネルギーに変換可能であることを学びました。
安田善次郎も「安田が買うなら何か好材料があるに」と思わせる信用を得るに至りました。これはブランド力のようなものですが、人間は生活を送る上でいちいちすべての判断に意志力を使って選択しているわけではないので、「○○印のものは安心だ」と一度判断されれば、大きな力を得たことになります。きっと安田銀行はそのようなブランド力があったのだろうと思います。そしてそのブランド力を効果的に使って公共事業を進めたりや金融機関の救済をすることで世間に貢献していたのでしょう。一見、損をしたようですが、結局は自分が投資したもの(太政官札など)の価値を自ら上げる形となって利を得ています。
この信用(ブランド力)のついて自分の身に置き換えたとき、まず、身近な人間には「インターネットのことならあいつに聞こう」とか、「あいつが選んだものなら大丈夫だろう」というような信用を築いていきたいと思います。(ネット関係についてはすでに分掌を越えて聞かれるようになっている)

昨年は宝塚に行ったのをきっかけに小林一三、東京に行ったのをきっかけにすしざんまいの木村社長の評伝、自伝を読みましたが、やはり商売やサービスで成功することは小さいときからアタマを使っているし、努力もしているのだなと感じました。(小林一三は裕福な家の生まれなので少し毛色が違うかもしれませんが)
そのおかげで、今の仕事内容に苦しさを感じることもよくありますが、名をなした人達の苦労に比べれば100分1にも満たない苦労だと思え、毎日を乗り切れています。
評伝は成功パターンを学ぶとともに、精神的な限界を広げてくれるものだと思っていますので、今年は一つ、明治から昭和にかけての人物について学ぼうと決めました。
 
投稿者 H.J 日時 
善次郎氏の生きた時代。
明治維新という日本の大きな転換期の中で国内の制度から人々の暮らしが変わり、二度に渡る戦争により世界情勢も変わった。
この時代の中で事業を成功させるってどのぐらい大変なことなのだろうか。
考えても正直想像のつかないスケールの話である。
この時代の創業者は運があればどうにかなるレベルではなく、ずば抜けた頭脳と相当な意志力が必要であるのだろう。
善次郎氏も文久銭投機の失敗や強盗被害等、本書でも触れられる高橋是清元総理に至っては学費や渡航費を着服されたり奴隷として働いたり等、一見心が挫けそうなエピソードを経験して結果を残している。
死ななければ何とかなる。
そんな意気すら感じる。

その時代の中でも圧倒的な資産を残した安田善次郎氏は頭脳と意志力を持っているうえで、商売としての基本、”信用”や”人との繋がりを大切にする”などを徹底していた。
著者の言う様に、善次郎氏は銀行家として、数々の事業や分野に融資や出資を行い、日本社会の繁栄を縁の下の力持ちとして支え続けた。
今の日本があるのも善次郎氏のおかげと言って過言ではないだろう。
融資や出資というものは、未来がどうなるかを色んな視点から見なければならない。
提供する立場上、その事業や計画が失敗に終われば、結果として金をドブに捨てる様なものだからだ。
特に善次郎氏に来る依頼は多額かつ未知の案件が多かった。
そんな案件への出資において、事業計画はもちろん、その責任者の人としての本質を見抜くことは必要不可欠な能力だろう。
そして、交友関係も偉人ばかりであるが、人を見抜く力がずば抜けていたからこそ、そういった人たちを引き寄せた様にも思える。
後に浅野財閥を築く浅野氏に対しても、善次郎氏が見込まなければ、東洋汽船の設立やその後の活躍もなかったかもしれない。
後述するが、少年時代即ち岩次郎時代に両替商になるという夢の裏には家族を幸せにしたいという思いがあったと書かれている。
その家族を幸せにしたいという思いは、積みあげていく内に家族だけではなく、実業家を幸せにし、さらにはその事が起因でインフラが整ったのだから、未来の日本の人々の幸せも作っている。
塵も積もれば山となる。というが、陰徳を積めば山となった。とも言えるだろう。

本書のメインテーマ”陰徳を積む”といえば、父からの教えであることが明かされている。
本書は岩次郎時代から赤く染まった最期まで書かれているが、私が一番驚いたのは岩次郎時代のことだ。
13歳で千両分限者を目指し、15歳で富山の家から出て江戸を目指すことを決心したエピソードだ。
正直、現代の感覚だと「えっ!?」ってなる。
13歳で目標を持つのは違和感がないが、15歳で地元から離れ、チャンスの大きい江戸を目指すという決断。
取捨選択の決断から行動までの速さが尋常じゃない。
家出というワードは、現代の感覚だと相当親に問題があるとかでない限り聞かないエピソードだ。
それが当時の武士の息子によるものだなんて驚いた。
ただ、このエピソードの根源には『自分が豊かになれば、親兄弟を幸せにすることができる(P25)』という思いがある。
巻末の安田弘氏の解説にもある様に、地方の下級武士の家で貧困な中で育った善次郎氏にとって、逆境を乗り越える唯一の手段だと思ったのかもしれない。
現代の様に貧困でも何とか生きていける時代ではない。
貧困=食べていけないという恐怖。
現代より死というものが近かった時代、身分の壁による限界を見越した善次郎氏にとって、13歳の頃に見た両替商の手代の姿は憧れと共に家族が生き残る希望でもあったのだろう。

そして、この頃に見せた取捨選択の決断力が後々の融資や出資の時の基盤や経営の基盤につながっている様に感じる。
「泣いて馬謖を斬る」の章で語れる様に、一度は後継者に指名した善三郎氏を勘当している。
本書の情報を傍から見れば、当然じゃんと思ってしまうが、
家族への想いが強い善次郎氏にとって断腸の思いだっただろう。
事業整理して、銀行中心の金融財閥に戻したことも後の安田財閥の発展のきっかけである。
『得意分野で勝つ(P293)』の言葉通り、得意分野を取ったこと、つまり取捨選択の決断力があってこそ今の安田財閥がある様に思う。

現代の生活では、モノや情報が溢れかえっていて取捨選択に迷ってしまう。
ただ、そんな時代だからこそ、いやどんな時代でも取捨選択の決断力は必要である様に感じた。
 
投稿者 wapooh 日時 
202002『銀行王 安田善次郎-陰徳を積む-』を読んで

何人かの方が触れられることになると思うけれど、自分も東京大学の象徴的な安田講堂が安田善次郎氏の寄付によるものだとは、知らなかった。
 今回、本書を読んだと言える自信が殆ど無い。自分に知識が乏しく、受け皿が小さいことで全く歯が立たない一冊。
 
『陰徳を積む(=誰にも知られずとも人の為になることを黙々と行ってこそ非人格は磨かれていくこと。)』を生涯にわたり実践し続けた安田氏の存在は、本書を読み終えて思うに「日本のお父さん」とも言いたくなった。
富山の安田家に生と受けて、質素倹約を旨としコツコツ働いて金をため資産家となり武士の権利株を買った父の姿を眺めながら、同時に商人の町の富山の土地柄から感性を培っていく。本文に『富山の県民性である“律儀一方”』とあるが、人の行き来も制限されていたころは生まれ育った土地のルールや文化で培った素質が今よりももっと浸み込んでいただろう。越中富山といえば、置き薬による薬売りと北前船。信用と福利に通じる商い、この商人の視座が後の安田氏の勘所の広さの根っこになっているような気がした。
父の教育が『ただ万全と日常を過ごすだけであれば、動物と何ら変わるところはない、規則正しい生活を送りながらそれぞれの天分を尽くし、持って自分と家族との繁栄はっっ店を期することで初めて、万物の霊長としての人間の本文が果たせるのである』『たとえ思わぬ災難に出逢っても他人に迷惑をかけず、独立独歩で処し得るように平生の準備を立てておくことは人間第一の務めである』この教えを厳格に実践しただけでなく、壮大な目標を掲げられている『千両分限者』。夢は描かなければ叶えられない。
描いた次は行動。安田氏の行動は習慣や信念に昇華される位一貫している。安田氏は物事の本質を理解し先々を読むことに長けていて、その栄華に到達するための事前の順序立てと行動指針とルール作りが上手い。本当に聡明な人物なのだと思う。
解説によると、安田氏は生涯早起きで、毎泡お経(般若心経他?)をあげ、墓参りを大切にし、お世話になったり縁のあった人々の命日を大切にし礼を欠かさない毎日を送っている。また、晩年80を過ぎても寒風摩擦を大声で鉄アレイをもって鍛錬したり万歩計を持って歩く。乗馬をたのしみ文化芸術歴史にも造詣が深く何事も熟達し、そしてその世界に対しても支援を惜しまない。継続のその先を教えられた。
本書に戻ると、安田氏の卓逸な経営姿勢は単に商売の繁栄を目指したのではなくて、その一段上の視座で物事の発展成長を常に問う姿勢で大きくなったように感じる、自分にとどまらず業界や国が成長発展するためには?問と答えを複利計算をもって将来を描くという科学的な魔法の杖で算段する。本書に幾度となく出てくる『安田さんの所で、何とかしてください』と言う頼まれごと。国や会社、事業がお金を必要とする際に、信用が金を集めることを本書から学んだ。銀行としての融資と個人的な融資(寄付)、自身のビジネスを傷つけず他者を助ける見極め方は、経営陣がどれほどの苦労を重責を担っているのかを思い知らされる。ただ、発展だけではなく生命保険の思想や共済会、家族に会っては一族の会、安田氏の誠実さ優しさはとても大きくて深いものがある。
安田氏の陰徳や本書に登場する人物の取組みのお陰で我々の現在の世の中や暮らしが恩恵を受けていることが多くあることを学んだ。
こんなにも拘らず、何故か済生会の拠出金額で叙勲の差をつけられたり、吝嗇化と風評されたり、孤独を味わうことがしばしばあり最後には刺殺され心無い号外まで出てしまう。
何故なのか不思議に思い考えていたのだが、安田氏の陰徳とは言え分かる人にはわかってしまうこの業績や信頼を、どちらも誠実に汲み取ることのできないレベルが低い民間の人格のせいでもあるが、時に説明が必要(説明しても理解不能と言う時もあるが)と言う事なのだと思う。
例えば、283-284ページの克己預金のエピソード。行員たちに会社の積立金を取り崩し慰労金として支給しつつもそのまま銀行に預けさせる形+毎月収入の五分ずつを10年間貯金する(今はほぼない社内貯金や財形所筋のようなもの)制度に対する抗議文に関して、説明もなく責めたてなかったこと。
物事を正しく読み取れない、深く思い至り適切に前向きな理解が出来ないという事は、物事の悲劇を生むことは、先日読んだ「ケーキの切れない少年たち」の現代にも通じる気がする。
 しょうおんさんお教えで高める経済的なスキルの先について考えていなかった、楽しく(享楽ではなく)お金を使うには?と言う問いを立てた貴重な一冊であった。が、冒頭に書いた通りで、『読んだ』と言うレベルにはない。読書や見聞を深めて何度も手に取る一冊にしたいし、この中に登場する著書についても読みたいと思う。
今月も自分にとって新たな世界の扉を開く貴重な一冊を紹介くださり、有難うございました。
 
投稿者 jawakuma 日時 
銀行王安田善次郎 ― 陰徳を積む ― を読んで

貧しい下級武士から国家予算の2%の資産力を有するまでに栄達した安田善次郎翁。彼を一流たらしめたキーワードを並べてみると、勤勉、克己、倹約、陰徳があげられる。
勤勉…幼少期から本を好み写本で小遣いを貯め、家族のためにそれを使う
克己…自己に厳しく早起きして黙々と稼業に取り組む
倹約…成功してからもなお質素な生活を続けたことでもわかる倹約さ
これらの3つは世の成功者の伝記や自叙伝にはまま出てくる言葉であるが、彼が父から受け継ぎ常に肝に銘じていたのは 「陰徳」 という言葉だった。これ見よがしの善行を鳥肌が立つほどに嫌う彼は、世間からはそれとはわからない善行、つまり陰徳を積むことを生涯通じて実践していく。

・財を築く 収入の2割を貯蓄する
これはやはり富を築くうえで避けて通れない関門である。収入をすべて使い切っていては蓄財は不可能だからだ。同じく収入の一部を天引きして貯蓄する方法を本多静六も『私の財産告白』の中で説いている。
善次郎翁が勇退する際に社員に与えたボーナスを同じく貯蓄に回すよう伝えた所反発にあったように、一般人にとってなかなかこれが難しいのだ。

・社会のための救済がゆくゆくは自分のために(智の道)
善次郎翁は太政官札にはじまり、国債、戦争国債の手助けなど、国のため社会のために利益を度外視して債権を引き受けたように見えたが、フタを開けてみるとその値はしっかり戻っており利息分で大きく財を増やす場面があった。善次郎翁の先見の明もあるだろうが、これは結果的には智の道につながっていたのだと感じられた。

・仏教にも書かれた教え 陰徳
成功して公人となってからも陰徳にこだわり、表立った善行を回避する姿勢は、彼の身に沁みついた美意識といえるだろう。誰にも知られずに善い行いを繰り返す。仏教の教えからきているだけあり、確かに日本に昔から馴染んだダンディズムを感じるものだ。しかしあまりにもその‟陰徳“にこだわった結果が、大磯での惨劇につながってしまったのかもしれない。

・大正デモクラシー
日清・日露戦争を経ての日本国内の貧富の差は各段に拡大していき、矛盾を感じた大衆が自らの権利を求めて米騒動や大規模デモなどを敢行する。世にいう大正デモクラシーである。そのような世相のなか、善次郎翁は大磯の別荘にて刺殺されてしまったのである。一般大衆には彼の信念である‟陰徳“が伝わらなかったのだろう、陰徳を実行しつつももう少し解りやすい、慈善事業をも行っていればこの結果は避けられたのかもしれないが、それでは善次郎翁ではなくなってしまう。より大きい事業への投資等道半ばであったために残念であったことだろう。

今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 soji0329 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで


結末に驚いた。なんと主人公が殺されるとは。銀行王と言えば、日本銀行を創設した渋沢栄一を思い出す。安田善次郎も渋沢と同時期の人だったという。共に低い身分から、立身出世を果たした二人だ。しかし慈善家と慕われ、爵位を戴いた渋沢に比べ、安田の人生の結末は実に哀れだ。なぜ彼は殺されるに至ったのだろう。その視点で読み進めてみた。

筆者、北康利氏は富士銀行に入行し、みずほ証券を経て作家となっている。現みずほファイナンシャルグループの創立者、安田を再評価しようと、この本では好意的に書いている感がある。しかしその中にあっても、253ページ『筆者は、彼のかたくなな姿勢には賛同しかねる』と、安田の『独りよがり』を痛烈に批判している。まさにこのことが、偉業を成し遂げながらも非業な最期を招いた最大の要因だったのだ。

『陰徳を積む』とは確かに『千両分限者』になるまでは大いに大切なことだ。岩次郎から忠兵衛、そして善次郎と名前を変え、元治元年、26歳で自分の店『安田屋』を持つに至ったころの安田は、『意思の力』によって多くの顧客を掴んだ。盗賊に遭い、財産を失っても、不屈の精神で信用を勝ち取り、成功への道を駆け上がった。

しかしである。明治12年、安田41歳の時に購入した徳川御三卿の田安邸の購入。ここから私は、安田に対する世間の目が変わったように思える。四民平等となってもなお身分制度が厳しかった明治の初め。富山の農民の出にも関わらず、財力にものを言わせての振る舞いを、無礼と見た者は多かっただろう。筆者はその後も善次郎の謙虚さは変わらないと言っているが、それだけでは全然足りない。世のため人のために尽くしているパフォーマンスが必要ではなかったかと思うのだ。実際、寄付は行っていたようである。しかし『陰徳』を標榜するために、安田は『ケチ』と誤解されてしまう。残念でならない。

大銀行家になった安田に銀行再建の話が多く寄せられるようになる。経営が苦しくなった理由は無謀な融資や放漫経営であり、これらは安田と真逆な経営方針のなせる業である。自分たちの甘さゆえの苦境なのにも関わらず、救済された後はその恩を忘れる。百三十銀行もさることながら、日露戦争を経済面で支えた安田に対する、戦後日本の冷たさはあきれるばかりだ。つらい時にはすがるが、一難過ぎると疎んじる。そんな世間を安田は、冷めて見ていたのではないか。しかし世間のねたみ、そねみ、憎しみの大きさを安田は大きく見誤り、護身を怠った。結局これが命取りとなってしまったのだ。

非業の死を遂げた安田に対し『大馬鹿者が殺された!』と号外が出されたのは悲しすぎる。原敬や高橋是清とテロが続き、財界人は安田に批判的な発言をする。そして寄付も面白いように集まったという。安田は、近代日本国家のための人柱にされたと言っても過言ではあるまい。

仮に安田が殺されずにいたらどうなっただろう。少なくても現在の東京の姿は、後藤新平との事業で大きく変わっていたに違いない。さらに現在にも、安田がいてくれたらと、つい考えてしまう。

第二次世界大戦後、銀行は護送船団方式によって、破綻が起きないよう安全策をとられた。結果、日本経済は大きく発展を遂げたものの、平成から令和の世になって、その役割の重さは急速に萎んだ感がある。年金問題しかり、健康保険しかり。安田が現在に生きていたら、それらの財源のため、日本政府はいの一番にすがりに行ったに違いない。

しかし、安田はいない。私たちも政府を頼りにばかりしてはいられない。自分のことは自分で守る。そのためには、安田の生き方に多くを学ぶべきである。

まずは47ページにある『三つの誓い』だ。筆者も三つ目の誓いに注目しているが、私も『長続きしなくては意味がない』には激しく同意する。何事も続けることが不可欠だ。

そして早起きに粗食。酒は控え目で煙草は吸わないと、健康に留意していることが大きい。好奇心旺盛で、人と会い、各所を旅すること。現代のように情報網が発達していない時代にあって、安田のフットワークはぜひ見習うべきだ。

また趣味を持ち、日記などの文章を書き、芸術を解すること。こうしてストレスをためないことが大事である。安田の女性観は、渋沢と真逆で潔癖症と言えるほどだが、家庭を、一族全体を大切にするのは現代でも大いに参考になる。さらに世話になった人への処し方。ケチの悪名を課せられた安田も、恩人への返礼話は尽きない。人と人とのつながりを大事にした安田の考え方には、共感することばかりだ。

最後に、忘れてはいけない重要なことが。それは、自分だけが豊かになってはいけないことである。他人に分け与え、そのことを他人に見せつけるのが大事である。陰徳を積んだ安田にはまったく不本意かもしれない。が、善行のパフォーマンスもまた大切だと、この本を読んで強く考えさせられた。
 
投稿者 andoman 日時 
本書を読み、今月も多くの事を学ぶことが出来ました。
その中でも、以下の3つについてが、読み終えた後も、心に強く残っています。

1.「三つの誓」を支えた背後にあるもの
2.接客の心得
3.陰陽のバランス

1.「三つの誓」を支えた背後にあるもの
 「生活の乱れは身体の乱れ」という言葉がありますが、P.47にある「三つの誓」を守るためには、強い精神力と、その健全な精神状態を保つための身体が必要だったと思います。
 肉体と精神のバランスを保つことの意義は、この場で言わずともですので、割愛します。
 安田氏の強い精神力と身体については、幼少の頃より、食事は「一汁一菜の非常に質素なもの」という教えを生涯守り続けた事が大きな要素だったのでは?と感じています。
 (昔の日本人は、現在では理解不能な力が備わっており、「一汁一菜」によって支えられていたと、数々の記録から伺えます)
 安田氏についても、それを守り続けた事により、健全な身体と、芯の通った強い精神力を得ていた事は、ほぼ間違いないと思っています。
 また、それを教授した父親の存在も大きく、彼が生涯両親や家族を大事にしたのは、多くの兄弟が亡くなる時代の中、大切に育ててくれたことへの感謝と、自身の大切な「三つの誓」を思い立ち、そこに至る「気づき」を得る事が出来たのは、これまでの親の教えがあってこそ。という感謝の想いを持っていたからなのでは無いかと考えています。
 つまり、安田氏の人生を通して貫いたこの「三つの誓」の背後には、本人の思考や努力の他に、両親の教えが奥底に根付いていたのでは無いかと思いました。
 子は、親の教育や見せる背中、そして家庭環境によって、善くも悪くも成長する…。ふわっとですが、それが繋がった様な気がします。

2.「接客の四か条」
 P.51の「接客の四か条」ですが、これは安田氏が従業員のために与えた明確な行動指針でした。
 その内容は、言わずともこれは商人として、お客様に対する教えなのですが、私の場合は扱う商品は「情報」なので、これをアレンジしてみました。
  1)ユーザー、上司、同僚の言うまま、聞かれた「情報」は早くさがして提供してあげる。(スピード)
  2)提供する「情報」は、相手にとって、もっともよい「情報」から取ってあげる。決して悪い「情報」はまぜこまない。(信用性)
  3)提供する「情報」の「伝え方」は、メリット・デメリットを明確にして、相手に誤解が生じない様な形で、細心の注意を払って提供する。(正確性)
  4)から世辞でなく、相手の目を見て、笑顔で心からお礼を言う。(感謝の姿勢)
 ちょっと強引かもしれませんが、これを常日頃から完璧に行動する事が出来れば、あっという間に出世出来てしまうのでは…。と思ってしましました。
 紙に書いて、自席の常に目につく所に貼って、行動がどう変わるか、実験してみます。

3.陰陽のバランス
 普段の努力と、数々の「陰徳」それぞれの積み重ねによって、安田氏は日本の発展を支える偉人の1人にまで成功した事は素晴らしく、とてもよく理解が出来ました。
 しかし、どうも分からないのが、なぜ最期は殺されてしまったのか?という点です。
 徳を積んでいる人のイメージは、自宅で家族に見守られながら、眠るように安らかに息を引き取る。なので、安田氏の場合も、最後はこの流れでおかしく無いのでは?とは思ったのですが…。
 これについては、考えても、考えても結論が出ませんでした。(この辺り、何回も書き直してます ^^;)
 そもそも、自分の死期を感じながら息を引き取る事が幸せなのかどうかも、分かりません。
 ひょっとしたら、安田氏からすると、上記よりも健康なまま突然亡くなる方が本人が良かったのかも知れません。
 こればっかりは、本人のみぞ知る。なのかと…。
 一つだけ言えるとしたが、「陰徳」だけではなく、大衆に見える形での「陽徳」もあれば、また違った最期になったのでは無いかと思います。
 陰陽のバランス、どちらかに偏ってもあまり良い事はありません。
 もし、安田氏の善行がある程度見える形になれば、朝日平吾の様な人物に近寄られなかったのかもしれません…。
 とはいえ、芸人の宮迫の様に、わざわざメディアを引き連れて、被災地のボランティアをする様な事も違いますし、高須医院長の様に、自ら慈善団体への寄付を情報発信するのも微妙ですし…。
 うーん、悩ましいです…。
 これは、今後様々な本を読んで知見を広げて行くことで、どこかで何らかの納得の行く答えに辿り着けたら良いなと思っています。 


 本書を通して、成功者や立派な人間になるためには、普段から自分の弱い心に打ち勝つ、強い心を持たなければならないという事を、安田氏の生き方から学びになりました。
 また、しょ~おんさんがメルマガやセミナーを通して教えてくださる事が、安田氏の人生の中で多く登場しており、我々は素晴らしい教えをいただいているんだな…。と改めて感じました。
 しょ~おんさんの教えによって結果を出している方々は、それらを実践した結果、見えない力の応援をも受け、上手く行っているものと思います。
 だから、学んだ事を実践する人としていない人で、大きな差があるのだと、改めて確認出来ました。
 これまで教わった数々の知識・修行・ワザをもう一度復習し、長続きして実践ができるよう、無茶の無い範囲で続けて行きたいと思います。

 今月も素晴らしい本をありがとうございました。
 
投稿者 gogowest 日時 
「銀行王 安田善次郎 ―陰徳を積む―」を読んで

安田善次郎の金融の世界での実績は本書で初めて知りました。
なぜ、これほどの成果を上げたのか、なにが同時代のほかの人と違うのかを考えてみました。
本書にいろいろな逸話から見えてくる安田善次郎の成功のポイントは、優れた先見性、実行力、勤勉さ、そしてそれを支える高度な金融業界の知識と状況の分析力が備わっていたことだと思います。

先見性について例えば、東京湾の築港や東京-大阪間の高速鉄道計画、東京の一等地を早い時期に買って押さえておくことなど、何歩も先を読んで、あらかじめ手をうってくる善次郎の先見性が見える話が随所に書かれています。
いくつもの場面で、善次郎が事業計画や経営状況の分析をするところがありますが、情実に流されることなく、是々非々で、判断を下しているところが印象的です。
付き合いがあった財界人であっても、忖度した融資などはしないところはやはり筋がとおっています。
こういった能力を基に、実績を積み重ねていくことで、広く社会的に信用がうまれていっています。この信用を大切にしたこと、これが「複利」でさらに利益を生んでいます。

善次郎の若いころの夢は「千両分限者」になることであった、つまり単に金持ちになりたかったということなのに、単に金持ちになるということを超えて、さらに社会的な貢献まで考える人物にまでなっています。なぜこのようにレベルが上がった思考になれたのか。そのことを考えてみると、答えは、すでに善次郎の『身家盛衰循環図系』の中にあるように感じます。
善次郎が書いた『身家盛衰循環図系』のなかにある「喩利」と「喩義」の対比が善次郎の生き方を良く表しています。目先の利益だけを追う「喩利」ではなく、自分や企業が何をするのが、正しい道なのかを追求する「喩義」の道に進んでいることが他との差別化になっています。
一般の並の企業は「喩利」になってしまうために、一時的な繁栄のあとは、衰退にむかってしまうのでしょう。不正が発覚した大企業などは「喩利」の心しか、上層部の人が持っていなかったということにつきるのではないかと思います。「喩義」の道をすすむと業界の「常識」とは真逆の行動に出て、それでも最後には、利益を上げてしまう。
金を得た「富足」の段階の後、「修養」の道で一段上の段階に至るのか、「豪奢」の方向に進んでしまうのかの大きな分かれ道になるということです。
善次郎の後継者でも「豪奢」にぶれてしまうものがでるように、ここは人間性が一番出るところだと思う。


善次郎の世界観のなかにある自分の事業で世を利することで、世の中に貢献するという軸があること、こういった自分の行動原理自体に陰徳が組み込まれている。個々の寄付をしたとかしないとかでは計れない一段深いところの陰徳の体現を善次郎はしていると感じました。

商売であれ、金融であれ、その世界で「修養」するということは、単なるビジネスではなくて、「道」を歩むことであると教えているように思います。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
 本書は、一代で巨万の富を築き上げ、そして日本という国を繁栄に導くために尽力した銀行王・安田善次郎の物語である。貧しい下級武士の家に生まれた少年が日本一の資産家となる。日本社会の発展など考えたこともなかっただろう少年が日本国経済発展の礎を築く。そんな本書を読み終えて私の何が最も変わったかというとお金に対する考え方である。

 “人生においてお金は学びの機会を与えてくれるもの”

善次郎の人生を見ていると、彼はお金から多くのことを学ぶことで自らの人格、思想、意志力、思考力を高め、育てたのだと思えて仕方がない。それら善次郎のお金からの学びの幾つかを下記に挙げながら私自身の学びを説明する。

 善次郎が、お金から学んだ一つ目のことは、人の身分をも覆す力をお金は持っているということである。P.22に書かれるように、善次郎の人生の一大転機は、勘定奉行が城に訪れた両替商を丁重に送り迎えしている光景を見た時である。善次郎が著した『意志の力』によると、その頃、彼は職人で身を立てようと考えていたところ、偶然にもその場面に出くわし商人になることを決めたという。当時、身分の壁は厚く、身分の低い者が、身分の高い役職にある武士に道の途中で出会えば、たとえ雨が降っていようと下駄を脱いで土下座をしなくてはいけない時代だった。人の身分という立場さえも引っ繰り返すことが出来るという力をお金は持っている。同じく『意志の力』に、「金の力の威光にきっぱり志を決めた」とあるように、学問では立身出世が出来ないことを知っていた善次郎にとっては、お金からの学びは、それまで暗闇がかっていた彼の人生に一縷の光を差し、また彼の人生の指針を決定づけた。
 ところで、“威光”とは“人をおそれさせ従わせる力のこと(コトバンク)”であるが、この時すでに善次郎はこの“金の力の威光”が所持していない者にだけではなく、所持している者にも放たれるということを知っていたのだろか。私が明確にこの事に気づくのは本書の後半部分を読んだ時である。

 話を戻すと、善次郎にとってのお金からの大きな学びの機会は、江戸に出た善次郎が住込みの奉公人として働いていた時に再び訪れる。持ち前の心構えと振る舞いで商売に邁進していた善次郎が、功を焦ったことで銅銭の投機に失敗してしまった時のことである。『意志の力』によると、この投機に没頭している間、奉公先を無断で休んでいたために信用を失い店を辞める羽目なったという。善次郎はこの件で痛く反省し、今後は一足飛びの成功を追い求めるのではなく、一歩一歩着実に成功を目指す上で「誠実かつ勤倹力行する」ということを心に誓ったそうである。このことは、善次郎は終生忘れることはなく、それは本書のP.72に「<千里の道も一歩から>と地道な努力こそ若者に一番大切なものである語っている」とあることからも分かる。
 人はついつい楽な道を選んでしまう傾向にある。もちろん、私自身の過去を振り返ってみても、また現在の自身を内省してみても、一足飛びの成功を願ってしまっている自分がいる。ただし、今後は善次郎の言葉に習い「誠実かつ勤倹力行」で着実に成功に向かって行くとする。

 最初に述べたように、私は善次郎がお金から多くの学びの機会を得ることで千両分限者になるという志を成し遂げ、さらには現在の世界第3位の経済規模を誇る日本の土台を作るまでの人物になったと思っている。では、善次郎がお金から学んだ最も重要なことは何か?私は、
 
“お金と意志力の関係”

ではないかと考えている。そして、そのこと端的に表しているのがP.272で説明されている「人間の陥りやすい落とし穴と進むべき道を二字言葉で表し、それをわかりやすく線で結んで子々孫々までの戒めとした『身家盛衰循環図系』」だ。
 善次郎は、自らの人生をこの『身家盛衰循環図系』に投影している。上記の銅銭投機失敗の一件は、この図の中で言えば「困窮」に遭遇した場面であり、善次郎はその後、「発憤」→「勤倹」→「富足」→「修養」→「喩義」→「清娯」→「安楽」とい道を辿って行く。
 この図を見てみると、2つの分岐点がある。「困窮」と「富足」がそれで、「困窮」は「発憤」と「挫折」に分かれ、「富足」は「修養」と「傲奢」に分かれている。では、そこで分水嶺となるものは何かと言えば、それは“意志力の強さ”なのだろう。

 “金の力の威光は、所持していない者にだけではなく、所持している者にも放たれる”

 人の欲望は際限が無いものであり、その欲望を助長するのがお金であると人生を通してお金と向き合うことで善次郎はその事を喝破した。現時点で、もしも私自身が「富足」に達したとして、善次郎の如く「修養」の道に進むと言い切れるほどの意志力を持っているとはとても言い難い。故に、この金の力の威光に屈することのない意志の力を常日頃から鍛える必要がある。それが、私が空前絶後の成功を収めたと言われる安田善次郎からの最大の学びである。

~終わり~
 
投稿者 aalaykum2016 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで。
『父の影響』
善次郎本人も聡明であると思いますが、私は父・善悦も素晴らしい人だと思いました。父・善悦は富山の県民性である「律義一方」を地で行く人であったため善次郎は父の影響を多分に受け育っていくことが後の善次郎の人間形成の礎になっていたのだろうと思います。父善悦は幼少の頃の善次郎にこう言っています「ただ漠然と日常を過ごすだけであれば、動物と何ら変わることはない。規則正しい生活を送りながらそれぞれの天分を尽し、もって自分と家族との繁栄発展を期することではじめて、万物の霊長としての人間の本分が果たせるのである」「たとえ思わぬ災難に出遭っても他人に迷惑をかけず、独立独歩で処し得るように平生の準備を立てておくことは人間第一の務めである」(p19)といった言葉をかけられています。そういわれ続けていたことで善次郎の人間としての行動指針となっていたものと思われます。私は母子家庭で育ったため父の影響をほとんど感じることなく育ったのですが、自分が人の親となったら、良い意味で影響を与えられる父親になろうと思いました。

『目標を掲げる』
幼いころに父から言われた言葉を頑なに守り実践し続けたことで商人としての基本というよりは人間としての基本が幼少より備わっていたと思われます。商人としての目標は、13才の時に大阪商人が丁重に扱われていることを見て「千両分限者」になろうという強い意志を持つというところから人生は大きく変わっていく。13才にしてこのような目標というか大志を抱けるということも商人としての才覚があったのではないかと思われます。まず目標を掲げるということは、今も昔も変わらないということを痛烈に感じました。「第一に望むのは、定めた目的に向かって順序正しく進むことである。すなわち目的に達すべき道程を正しく定め、しかして順序を固く踏んでいくことが何よりの肝要事である」(p77)がまさにそうで人生を成し遂げるための王道だということを改めて考えさせられました。

上記の点と異なり一つだけ気をつけなければならない教訓として挙げるとすれば、その人の信念なり行動指針というものは、その人にだけ通用するということもあるのではないでしょうか。確かに善次郎は自分の行動指針を確立して一代で大成功を収めましたが、逆にそのことが、他者から煙たがれる存在にもなってしまった可能性もあると考えます。事業では国益を考え預金者一人一人の家族のことまで考えて数々の銀行の再建の相談を持ちかけられていますが、善次郎の「克己堅忍」が強いあまり共感を得られない人も多くなってしまった一面もあると思います。他者には他者のやり方もあるという考え方ももう少し持ち合わせていれば、評判や評価も違ったものになったかもしれません。私が言うのもなんですが、やはりバランス感覚も必要な要素であると考えます。国内旅行は数多くいかれていたかもしれませんが海外旅行は一度もなかったと本書からはうかがえます。もし善次郎が海外旅行に行って、日本の習慣や社会通念が通用しない経験を一度でもあったならば、また違う考え方が芽生えて行動指針に加わったかもしれません。

課題図書の紹介をありがとうございました。
 
投稿者 eiyouhokyu 日時 
銀行王 安田善次郎を読んで

明治・大正期においてビジネスで大成功した安田善次郎氏。この本に書かれている内容は、現在のビジネス書や自己啓発の本に書かれている内容と共通する部分がいくつもあった。

例えば、夢を実現するには目標が必要であるとか、稼ぐには稼げる場所に身を置いた方がいいとか、信用はお金につながる、とか。信用については、現在ではTwitterやYOUTUBEのフォロワー数など、信用の数値が可視化できる仕組みになっている。このフォロワー数が多い人はインフルエンサーなどと呼ばれて、影響力のある人となっている。

しかし、安田善次郎氏が現在の現在のインフルエンサーと違うのは、大衆だけでなく、政治や経済の大局に関与して、日本の発展に寄与したという部分だと思う。そして、本人の信条である「陰徳」によって、この寄与は多くは語られていない。知る人ぞ知る事実のため、悲劇的な最期を迎えてしまう。当時にも「無敵の人」のような思考を持っている人がいることを知り、今も昔も人間の本質は大きく変わっていないのだと感じた。

目に見えている成功は、隠れた努力が実を結んだ結果なのだと、本書から学んだ。人の成功は目に見えない努力の結果である。Twitterなどで人を攻撃する人は、他人の努力を想像できず、自分の妬みの感情だけで突っ走ってしまうのだ。では、自分がそうならないためにはどうすればいいか。想像力を鍛え、実績を積み上げ、信用される人になるには、私は何をしたらいいのだろうか。最近の自分の出来事を振り返りながら、気づいたことを下記に書くこととする。

今年に入り、会社の周年事業の一環で、社史の映像を作る担当となった。映像作りは始めてであり、転職して5年の私は会社の成り立ちや歴史に思いをはせたことがなかった。
当時の資料を見ながら、合うBGMを見つけて作りこむ作業が難しい。曲の選定が迷う。どんな音が合うのか。ピアノで静かな感じがいいのか、オーケストラで壮大な感じか、ギターで落ち着いた感じか。この作業をするにあたり、今回の課題図書を読んで感じたことが役に立った。

本の最後に年譜が書かれていたが、これだけ読んで安田善次郎がやったことを理解するのと、本書のように第三者が書いたストーリー仕立てのものを読むのとでは、理解度が違う。物事を理解するには、①安田善次郎本人の主観、②対する相手の考え、③世の中の状況、この3つの視点が必要なのだと分かった。
そうすると、年譜に書かれていることだけが事実なのではなく、その時の本人の気持ちや時代の背景を理解してストーリーを作ることで、音楽がつながってくるのだということが理解できた。見えない部分を理解することで、見えてくる音がある。迷いのない選定ができ、映像イメージが沸いてくる。迷うと言うことは、この視点のどこかが欠けている。③世の中の状況、私の知識の引き出しがないことが一因だ。知識のインプット、読書を頑張りたい。

本書はタイミング良く私の現状に対する課題を教えてくれました。今月も良書に出会えたことを感謝いたします。
 
投稿者 aalaykum2016 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで。
『父の影響』
善次郎本人も聡明であると思いますが、私は父・善悦も素晴らしい人だと思いました。父・善悦は富山の県民性である「律義一方」を地で行く人であったため善次郎は父の影響を多分に受け育っていくことが後の善次郎の人間形成の礎になっていたのだろうと思います。父善悦は幼少の頃の善次郎にこう言っています「ただ漠然と日常を過ごすだけであれば、動物と何ら変わることはない。規則正しい生活を送りながらそれぞれの天分を尽し、もって自分と家族との繁栄発展を期することではじめて、万物の霊長としての人間の本分が果たせるのである」「たとえ思わぬ災難に出遭っても他人に迷惑をかけず、独立独歩で処し得るように平生の準備を立てておくことは人間第一の務めである」(p19)といった言葉をかけられています。そういわれ続けていたことで善次郎の人間としての行動指針となっていたものと思われます。私は母子家庭で育ったため父の影響をほとんど感じることなく育ったのですが、自分が人の親となったら、良い意味で影響を与えられる父親になろうと思いました。

『目標を掲げる』
幼いころに父から言われた言葉を頑なに守り実践し続けたことで商人としての基本というよりは人間としての基本が幼少より備わっていたと思われます。商人としての目標は、13才の時に大阪商人が丁重に扱われていることを見て「千両分限者」になろうという強い意志を持つというところから人生は大きく変わっていく。13才にしてこのような目標というか大志を抱けるということも商人としての才覚があったのではないかと思われます。まず目標を掲げるということは、今も昔も変わらないということを痛烈に感じました。「第一に望むのは、定めた目的に向かって順序正しく進むことである。すなわち目的に達すべき道程を正しく定め、しかして順序を固く踏んでいくことが何よりの肝要事である」(p77)がまさにそうで人生を成し遂げるための王道だということを改めて考えさせられました。

上記の点と異なり一つだけ気をつけなければならない教訓として挙げるとすれば、その人の信念なり行動指針というものは、その人にだけ通用するということもあるのではないでしょうか。確かに善次郎は自分の行動指針を確立して一代で大成功を収めましたが、逆にそのことが、他者から煙たがれる存在にもなってしまった可能性もあると考えます。事業では国益を考え預金者一人一人の家族のことまで考えて数々の銀行の再建の相談を持ちかけられていますが、善次郎の「克己堅忍」が強いあまり共感を得られない人も多くなってしまった一面もあると思います。他者には他者のやり方もあるという考え方ももう少し持ち合わせていれば、評判や評価も違ったものになったかもしれません。私が言うのもなんですが、やはりバランス感覚も必要な要素であると考えます。国内旅行は数多くいかれていたかもしれませんが海外旅行は一度もなかったと本書からはうかがえます。もし善次郎が海外旅行に行って、日本の習慣や社会通念が通用しない経験を一度でもあったならば、また違う考え方が芽生えて行動指針に加わったかもしれません。

課題図書の紹介をありがとうございました。
 
投稿者 nagae 日時 
著者は、現在の銀行のありようは大きな危機が起こると金貸しを渋り、金を借りている企業や社会のために課題解決支援等ができておらず、本来の銀行のあるべき姿ではないため、先人の事例(銀行王の安田善次郎)をもとに、あるべき姿を今一度考え直してみようという問題定義をしていると理解しました。

あるべき姿とは、銀行王の安田善次郎の「自他共栄の精神とともに、社会と企業を支えながら自らは厳しく律して縁の下の力持ちであり続ける(陰徳を積む)ことこそ金融マンの目指すべき道である」で、日々の具体的な意識の持ち方としては、有言実行、お客様目線でお客様が喜ぶ事を最優先に考える、どうしたら社会が良くなるかという夢や理想を持つことが重要であると認識しました。

また、著者は、安田の認知度が低いことを嘆いていると理解しました。
確かにロスチャイルド やロックフェラーなどの家系や財閥は、今でも企業や本などで認知することはありますが、日本の財閥については、三井、三菱、住友の3代財閥は知っておりましたが、今回の本を読むまで安田財閥というのをあまり知らず(私の不勉強で恐縮ですが)、しかも日本の財閥の中で安田財閥が金融で断トツのトップを走っていたということを知りませんでした。この本を読むことで改めて財閥ってすごいんだなと感じたので、財閥の成り立ちやグループを調べてみたいと思いました。また、年譜から安田善次郎が生まれたのが200年前で、200年前が江戸時代で、家系図を見て、自分の家系図を調べてみて、自分の祖先の生い立ちを知るのも面白そうかと存じました。
 
投稿者 soji0329 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで


結末に驚いた。なんと主人公が殺されるとは。銀行王と言えば、日本銀行を創設した渋沢栄一を思い出す。安田善次郎も渋沢と同時期の人だったという。共に低い身分から、立身出世を果たした二人だ。しかし慈善家と慕われ、爵位を戴いた渋沢に比べ、安田の人生の結末は実に哀れだ。なぜ彼は殺されるに至ったのだろう。その視点で読み進めてみた。

筆者、北康利氏は富士銀行に入行し、みずほ証券を経て作家となっている。現みずほファイナンシャルグループの創立者、安田を再評価しようと、この本では好意的に書いている感がある。しかしその中にあっても、253ページ『筆者は、彼のかたくなな姿勢には賛同しかねる』と、安田の『独りよがり』を痛烈に批判している。まさにこのことが、偉業を成し遂げながらも非業な最期を招いた最大の要因だったのだ。

『陰徳を積む』とは確かに『千両分限者』になるまでは大いに大切なことだ。岩次郎から忠兵衛、そして善次郎と名前を変え、元治元年、26歳で自分の店『安田屋』を持つに至ったころの安田は、『意思の力』によって多くの顧客を掴んだ。盗賊に遭い、財産を失っても、不屈の精神で信用を勝ち取り、成功への道を駆け上がった。

しかしである。明治12年、安田41歳の時に購入した徳川御三卿の田安邸の購入。ここから私は、安田に対する世間の目が変わったように思える。四民平等となってもなお身分制度が厳しかった明治の初め。富山の農民の出にも関わらず、財力にものを言わせての振る舞いを、無礼と見た者は多かっただろう。筆者はその後も善次郎の謙虚さは変わらないと言っているが、それだけでは全然足りない。世のため人のために尽くしているパフォーマンスが必要ではなかったかと思うのだ。実際、寄付は行っていたようである。しかし『陰徳』を標榜するために、安田は『ケチ』と誤解されてしまう。残念でならない。

大銀行家になった安田に銀行再建の話が多く寄せられるようになる。経営が苦しくなった理由は無謀な融資や放漫経営であり、これらは安田と真逆な経営方針のなせる業である。自分たちの甘さゆえの苦境なのにも関わらず、救済された後はその恩を忘れる。百三十銀行もさることながら、日露戦争を経済面で支えた安田に対する、戦後日本の冷たさはあきれるばかりだ。つらい時にはすがるが、一難過ぎると疎んじる。そんな世間を安田は、冷めて見ていたのではないか。しかし世間のねたみ、そねみ、憎しみの大きさを安田は大きく見誤り、護身を怠った。結局これが命取りとなってしまったのだ。

非業の死を遂げた安田に対し『大馬鹿者が殺された!』と号外が出されたのは悲しすぎる。原敬や高橋是清とテロが続き、財界人は安田に批判的な発言をする。そして寄付も面白いように集まったという。安田は、近代日本国家のための人柱にされたと言っても過言ではあるまい。

仮に安田が殺されずにいたらどうなっただろう。少なくても現在の東京の姿は、後藤新平との事業で大きく変わっていたに違いない。さらに現在にも、安田がいてくれたらと、つい考えてしまう。

第二次世界大戦後、銀行は護送船団方式によって、破綻が起きないよう安全策をとられた。結果、日本経済は大きく発展を遂げたものの、平成から令和の世になって、その役割の重さは急速に萎んだ感がある。年金問題しかり、健康保険しかり。安田が現在に生きていたら、それらの財源のため、日本政府はいの一番にすがりに行ったに違いない。

しかし、安田はいない。私たちも政府を頼りにばかりしてはいられない。自分のことは自分で守る。そのためには、安田の生き方に多くを学ぶべきである。

まずは47ページにある『三つの誓い』だ。筆者も三つ目の誓いに注目しているが、私も『長続きしなくては意味がない』には激しく同意する。何事も続けることが不可欠だ。

そして早起きに粗食。酒は控え目で煙草は吸わないと、健康に留意していることが大きい。好奇心旺盛で、人と会い、各所を旅すること。現代のように情報網が発達していない時代にあって、安田のフットワークはぜひ見習うべきだ。

また趣味を持ち、日記などの文章を書き、芸術を解すること。こうしてストレスをためないことが大事である。安田の女性観は、渋沢と真逆で潔癖症と言えるほどだが、家庭を、一族全体を大切にするのは現代でも大いに参考になる。さらに世話になった人への処し方。ケチの悪名を課せられた安田も、恩人への返礼話は尽きない。人と人とのつながりを大事にした安田の考え方には、共感することばかりだ。

最後に、忘れてはいけない重要なことが。それは、自分だけが豊かになってはいけないことである。他人に分け与え、そのことを他人に見せつけるのが大事である。陰徳を積んだ安田にはまったく不本意かもしれない。が、善行のパフォーマンスもまた大切だと、この本を読んで強く考えさせられた。
 
投稿者 soji0329 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで


結末に驚いた。なんと主人公が殺されるとは。銀行王と言えば、日本銀行を創設した渋沢栄一を思い出す。安田善次郎も渋沢と同時期の人だったという。共に低い身分から、立身出世を果たした二人だ。しかし慈善家と慕われ、爵位を戴いた渋沢に比べ、安田の人生の結末は実に哀れだ。なぜ彼は殺されるに至ったのだろう。その視点で読み進めてみた。

筆者、北康利氏は富士銀行に入行し、みずほ証券を経て作家となっている。現みずほファイナンシャルグループの創立者、安田を再評価しようと、この本では好意的に書いている感がある。しかしその中にあっても、253ページ『筆者は、彼のかたくなな姿勢には賛同しかねる』と、安田の『独りよがり』を痛烈に批判している。まさにこのことが、偉業を成し遂げながらも非業な最期を招いた最大の要因だったのだ。

『陰徳を積む』とは確かに『千両分限者』になるまでは大いに大切なことだ。岩次郎から忠兵衛、そして善次郎と名前を変え、元治元年、26歳で自分の店『安田屋』を持つに至ったころの安田は、『意思の力』によって多くの顧客を掴んだ。盗賊に遭い、財産を失っても、不屈の精神で信用を勝ち取り、成功への道を駆け上がった。

しかしである。明治12年、安田41歳の時に購入した徳川御三卿の田安邸の購入。ここから私は、安田に対する世間の目が変わったように思える。四民平等となってもなお身分制度が厳しかった明治の初め。富山の農民の出にも関わらず、財力にものを言わせての振る舞いを、無礼と見た者は多かっただろう。筆者はその後も善次郎の謙虚さは変わらないと言っているが、それだけでは全然足りない。世のため人のために尽くしているパフォーマンスが必要ではなかったかと思うのだ。実際、寄付は行っていたようである。しかし『陰徳』を標榜するために、安田は『ケチ』と誤解されてしまう。残念でならない。

大銀行家になった安田に銀行再建の話が多く寄せられるようになる。経営が苦しくなった理由は無謀な融資や放漫経営であり、これらは安田と真逆な経営方針のなせる業である。自分たちの甘さゆえの苦境なのにも関わらず、救済された後はその恩を忘れる。百三十銀行もさることながら、日露戦争を経済面で支えた安田に対する、戦後日本の冷たさはあきれるばかりだ。つらい時にはすがるが、一難過ぎると疎んじる。そんな世間を安田は、冷めて見ていたのではないか。しかし世間のねたみ、そねみ、憎しみの大きさを安田は大きく見誤り、護身を怠った。結局これが命取りとなってしまったのだ。

非業の死を遂げた安田に対し『大馬鹿者が殺された!』と号外が出されたのは悲しすぎる。原敬や高橋是清とテロが続き、財界人は安田に批判的な発言をする。そして寄付も面白いように集まったという。安田は、近代日本国家のための人柱にされたと言っても過言ではあるまい。

仮に安田が殺されずにいたらどうなっただろう。少なくても現在の東京の姿は、後藤新平との事業で大きく変わっていたに違いない。さらに現在にも、安田がいてくれたらと、つい考えてしまう。

第二次世界大戦後、銀行は護送船団方式によって、破綻が起きないよう安全策をとられた。結果、日本経済は大きく発展を遂げたものの、平成から令和の世になって、その役割の重さは急速に萎んだ感がある。年金問題しかり、健康保険しかり。安田が現在に生きていたら、それらの財源のため、日本政府はいの一番にすがりに行ったに違いない。

しかし、安田はいない。私たちも政府を頼りにばかりしてはいられない。自分のことは自分で守る。そのためには、安田の生き方に多くを学ぶべきである。

まずは47ページにある『三つの誓い』だ。筆者も三つ目の誓いに注目しているが、私も『長続きしなくては意味がない』には激しく同意する。何事も続けることが不可欠だ。

そして早起きに粗食。酒は控え目で煙草は吸わないと、健康に留意していることが大きい。好奇心旺盛で、人と会い、各所を旅すること。現代のように情報網が発達していない時代にあって、安田のフットワークはぜひ見習うべきだ。

また趣味を持ち、日記などの文章を書き、芸術を解すること。こうしてストレスをためないことが大事である。安田の女性観は、渋沢と真逆で潔癖症と言えるほどだが、家庭を、一族全体を大切にするのは現代でも大いに参考になる。さらに世話になった人への処し方。ケチの悪名を課せられた安田も、恩人への返礼話は尽きない。人と人とのつながりを大事にした安田の考え方には、共感することばかりだ。

最後に、忘れてはいけない重要なことが。それは、自分だけが豊かになってはいけないことである。他人に分け与え、そのことを他人に見せつけるのが大事である。陰徳を積んだ安田にはまったく不本意かもしれない。が、善行のパフォーマンスもまた大切だと、この本を読んで強く考えさせられた。
 
投稿者 soji0329 日時 
「銀行王 安田善次郎 陰徳を積む」を読んで


結末に驚いた。なんと主人公が殺されるとは。銀行王と言えば、日本銀行を創設した渋沢栄一を思い出す。安田善次郎も渋沢と同時期の人だったという。共に低い身分から、立身出世を果たした二人だ。しかし慈善家と慕われ、爵位を戴いた渋沢に比べ、安田の人生の結末は実に哀れだ。なぜ彼は殺されるに至ったのだろう。その視点で読み進めてみた。

筆者、北康利氏は富士銀行に入行し、みずほ証券を経て作家となっている。現みずほファイナンシャルグループの創立者、安田を再評価しようと、この本では好意的に書いている感がある。しかしその中にあっても、253ページ『筆者は、彼のかたくなな姿勢には賛同しかねる』と、安田の『独りよがり』を痛烈に批判している。まさにこのことが、偉業を成し遂げながらも非業な最期を招いた最大の要因だったのだ。

『陰徳を積む』とは確かに『千両分限者』になるまでは大いに大切なことだ。岩次郎から忠兵衛、そして善次郎と名前を変え、元治元年、26歳で自分の店『安田屋』を持つに至ったころの安田は、『意思の力』によって多くの顧客を掴んだ。盗賊に遭い、財産を失っても、不屈の精神で信用を勝ち取り、成功への道を駆け上がった。

しかしである。明治12年、安田41歳の時に購入した徳川御三卿の田安邸の購入。ここから私は、安田に対する世間の目が変わったように思える。四民平等となってもなお身分制度が厳しかった明治の初め。富山の農民の出にも関わらず、財力にものを言わせての振る舞いを、無礼と見た者は多かっただろう。筆者はその後も善次郎の謙虚さは変わらないと言っているが、それだけでは全然足りない。世のため人のために尽くしているパフォーマンスが必要ではなかったかと思うのだ。実際、寄付は行っていたようである。しかし『陰徳』を標榜するために、安田は『ケチ』と誤解されてしまう。残念でならない。

大銀行家になった安田に銀行再建の話が多く寄せられるようになる。経営が苦しくなった理由は無謀な融資や放漫経営であり、これらは安田と真逆な経営方針のなせる業である。自分たちの甘さゆえの苦境なのにも関わらず、救済された後はその恩を忘れる。百三十銀行もさることながら、日露戦争を経済面で支えた安田に対する、戦後日本の冷たさはあきれるばかりだ。つらい時にはすがるが、一難過ぎると疎んじる。そんな世間を安田は、冷めて見ていたのではないか。しかし世間のねたみ、そねみ、憎しみの大きさを安田は大きく見誤り、護身を怠った。結局これが命取りとなってしまったのだ。

非業の死を遂げた安田に対し『大馬鹿者が殺された!』と号外が出されたのは悲しすぎる。原敬や高橋是清とテロが続き、財界人は安田に批判的な発言をする。そして寄付も面白いように集まったという。安田は、近代日本国家のための人柱にされたと言っても過言ではあるまい。

仮に安田が殺されずにいたらどうなっただろう。少なくても現在の東京の姿は、後藤新平との事業で大きく変わっていたに違いない。さらに現在にも、安田がいてくれたらと、つい考えてしまう。

第二次世界大戦後、銀行は護送船団方式によって、破綻が起きないよう安全策をとられた。結果、日本経済は大きく発展を遂げたものの、平成から令和の世になって、その役割の重さは急速に萎んだ感がある。年金問題しかり、健康保険しかり。安田が現在に生きていたら、それらの財源のため、日本政府はいの一番にすがりに行ったに違いない。

しかし、安田はいない。私たちも政府を頼りにばかりしてはいられない。自分のことは自分で守る。そのためには、安田の生き方に多くを学ぶべきである。

まずは47ページにある『三つの誓い』だ。筆者も三つ目の誓いに注目しているが、私も『長続きしなくては意味がない』には激しく同意する。何事も続けることが不可欠だ。

そして早起きに粗食。酒は控え目で煙草は吸わないと、健康に留意していることが大きい。好奇心旺盛で、人と会い、各所を旅すること。現代のように情報網が発達していない時代にあって、安田のフットワークはぜひ見習うべきだ。

また趣味を持ち、日記などの文章を書き、芸術を解すること。こうしてストレスをためないことが大事である。安田の女性観は、渋沢と真逆で潔癖症と言えるほどだが、家庭を、一族全体を大切にするのは現代でも大いに参考になる。さらに世話になった人への処し方。ケチの悪名を課せられた安田も、恩人への返礼話は尽きない。人と人とのつながりを大事にした安田の考え方には、共感することばかりだ。

最後に、忘れてはいけない重要なことが。それは、自分だけが豊かになってはいけないことである。他人に分け与え、そのことを他人に見せつけるのが大事である。陰徳を積んだ安田にはまったく不本意かもしれない。が、善行のパフォーマンスもまた大切だと、この本を読んで強く考えさせられた。
 
投稿者 winered0000 日時 
陰徳を積む 安田善治郎を読んで

隠徳を積むとはどういうことか。本書によれば「誰にも知られずとも人の為になることを黙々と行ってこそ人格は磨かれて行く」ことだ。
それがどのように良い事なのか、陰徳を積むためにはどうすれば良いのかを考えてみたい。

まず陰徳を積むことの良いことは善次郎氏のような偉業を達成できることに尽きるであろう。氏は幼少時より父親から陰徳を積むように教育されてきた。たまに悪びれなくお寺に文字を書くなどしていたようだが、ここで良い出会いがある。和尚さんに「諸悪莫作、衆善奉行」(P34)を教えられた。安田氏が真面目だったからこそ、これを守ったのだろう。何十年も後になって和尚さんに会いに行くほどなので、大事にしてきた言葉であったにちがいない。ここで重要なのは、この言葉そのものというよりは「教えられたことを素直に聞く」ことだと思う。出会ったばかりの和尚さんの言葉を長年守ることは、生半可な意志ではできない。いいと思ったことは継続して続けられる事こそ成功の秘訣であると思う。
以上より私が読みといた安田氏の成功の秘訣は
1、陰徳を積む
2、教えられたことを素直に聞く
の2点である。

次に、隠匿を積むことの継続方法について考えたい。
安田氏は自分の事業が社会に貢献していることを考えて行動している。例えば事業で社会に貢献しているのに、さらに寄付で貢献することを好まなかった。3人のレンガ職人の話を思い出すエピソードだ。自分のしている仕事が世の中にどう貢献しているかを考えているのではないだろうか。
今、コロナウィルスの対策ということで、休業・公演中止・休園・休校と社会的に影響が出ている。まだウィルスについて未知である中、継続したことが原因で感染が拡大したとなれば責任を問われるので、やむを得ない判断であろう。
そんな中で、民間事業者が中国からの帰国者の為に無償でホテルを隔離施設として提供したり、休校で学習に影響が出ることを心配している生徒と保護者の為にオンライン授業を無料で解放して学習の影響を抑えることを始めた。これらは陰徳ではなく陽徳だ。
いま忘れてはならないのは、今の状況で社会奉仕活動をしても表立ってアピールしない事ができるのだろうか。企業の戦術では無料で利用してもらってから顧客になってもらうことが常套手段になっている。自らが公表しなくてもメディアが公表する場合もあるであろう。企業が宣伝効果を狙うことを悪いとは言わない。行動したことは評価に値するからだ。
自分にできることは、行動した企業に対して、利益を出させてあげることだろうと思っている。ホテルには泊まりに行きたいし、オンライン授業を解放した企業には口コミで広めてあげることで宣伝に協力したい。
微力ながら、何ができるかを考えながら行動したいと思うのは本書を読んで学んだからである。
世の中への影響を考えながら行動することが陰徳を継続する方法であろうと思う。
以上