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第15回目(2012年7月)の課題本

 

6月の課題本は、


 (日本人) かっこ日本人

 

日本人論というテーマで書かれた本はたくさんあるんですが、カバーしている

 

視点の広さがユニークです。

 

目次を読むだけで、どういう展開になるんだろうとワクワクしてくるはずです。

 

ちょっと厚めの本ですが、一気に読めると思います。


 

このパウロ・コエーリョって作家は、両方の世界の秘密を知る数少ない人間だ

と言う事が分かります。

運が良くなったり、勘が良くなったり、直観力が身に付いたりするのは、要す

るにこの二つの世界を自由に往き来できるって事なんだと思います。

そんな能力を身に付けたい人、基本編セミナーに来たけど、もっと先の勉強が

したい人は必読だと思いますよ。


【しょ~おんコメント】

寄せられたコメントは23件。うち期限内にアップされたのが21件でした。

さてその中から7月の優秀賞を誰にするかと査読する事1時間。

どもみなさん、カッコの解釈に悩まれたようですね。
私の解釈では、あれはフッサールの現象学的に、カッコに括って自ら判断しな
いというエポケーを言っているんだと考えたんですけどね・・・

つまり、『オレは日本人だから~』と自らが固定概念として持っている日本人
観を捨て去って世界を見る事で新たな発見があると提唱しているんだと思いま
す。

それはさておき、今回は優秀賞がなかなか決まりませんでした。

一人を選ぶ事で、その受賞者の解釈が私の解釈と一致していると思われるのも
困りますし、受賞者の解釈が正しい解釈なのだと受け取られても困るんですね。

このページは、思考の多様性を読者さん同士で味わってもらう事を目的にして
いますからねぇ。

で、困った時には今日の本文を読んで誤字脱字を修正する、といういつもの逃
げに入った時、

● あら?今日のネタと同じようなところを拾ったコメントがあったなぁ

と気付きました。

というそれだけの理由で、『whockey51』さんに差し上げます。

こういう思想系のコメントって、ニュートラルな落としどころを見つけるのが
難しいって事にようやく気付きました。

頂いたコメント】

 

投稿者 spicy 日時
これまで語られてきた(自分もそうだと思ってきた)日本人論は
西洋との接触によって、西洋との違いを可視化するために作られたものだったということに
驚きを隠せない。

日本人が他人と同じ行動をとることを良しとするのは
農耕民族出身だからだという理論を受け入れてきたわけだが、

私たち現代人で、農業に従事しているわけでもないのに、
農耕民族の価値観があるとは思えないという疑問も常にあった。
考えてみることをしていなかっただけで。

私たちは超個人主義で、
その個人がリア充(リアルが充実している人。有名人)でも無い限り、
ポジティブな評価を集めに走るよりも、
出来るだけ目立たないようにするネガティブゲームに心地よさを感じていると
のだと分かり、腑に落ちた。

3.11が
日本の被災者は世界を感動させ、日本の政治は国民を絶望させた
という一文に要約される
というこのことに共感する。

いいものだけ残して、悪いところは直せばいいと思ったが、
これが表裏一体の物なのだったのだ。
もう新しいものを生み出すしかないじゃないか!

これからの時代に、
日本が世界をリードする、手本になる。
という事を書いている本の読後に、

どこか、占いめいていると感じ、
容易に受け入れがたかったのだが、
歴史の流れと世界との比較の説明をされると
信じられるようになってくる。

そして、そこを目指すためにどんな苦労があるのかと
怖気づいていた気持ちを

行くしかないなら行きましょう!
という気持ちに変えてくれた。

 

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投稿者 ntotheg8 日時
日本人の空気について


冒頭から、原発事故の際に「官邸の中の空気が伝えられたので(原子炉の注水)中断を決めた」
という行のところでかなりショックを受けました。
一般的に、KY(空気読めない)という言葉があるように、「空気を読める」ということは美徳とされていますが、
こういう緊急時の対応まで、その場の空気で決まっていたことを知り恐ろしくなりました。
読み続けるうちに、太平洋戦争なんかもその場の空気で始まっているようでしたし、
かと思えは、戦後のインタビューでは自分は反対だったという人が結構いて、
マッカーサー元帥にこのダメな日本を何とかしてほしいと直訴の手紙を送っていた人が
結構いたということにも、衝撃を隠せませんでした。

話はずれるのですが、この前、被災地にボランティア活動に行ってまいりまして、
仮設住宅の人たちと話すことがあり、いろいろと体験談を伺ってきました。
その中で印象的だったのは、震災直後のみんなが同じ状態のときは、
それがどんなに不幸なことであっても、みんな仲良くやっていけるんだけど、
行方不明だった家族が生きて見つかったり、仮設住宅が希望のところに当選したりして
家族ごとに格差が出てくると、争いが出てくるんだそうです。

いま現在では、「戦争がおこったとして、国のために命を捨てられるか?」という問いについて
「否」と答える人たちの割合が、主要国の中でダントツ1位の状態ですが、
仮に戦争がおこったとした場合、誰かの身内に戦死者が出た瞬間に
この空気を読むという文化の中では、一気にバランスが崩れて、
ほかの人たちも戦争に行くべきだという空気になってしまうこともあり得ない話ではないなあと。

最近の大津市のいじめ問題にしても、
確かに、いじめられた子供が自分の子だったらと考えると、
心穏やかにはいられないですが、
悪人を断罪して、責任者に責任を取ってもらっただけでは、
根本的な原因解決には至っていないので、
結局同じことが再発する可能性は大いにあるかと思います。
本当に問題と考えるならば、感情論にとらわれず、
きちんと()の中に入れて、構造を分析し、
システムを改善していく姿勢が必要だなぁと思いました。

たしかに、自分自身も県民性とか日本人論とか好きで、
ちょいちょい見てしまうんですけど、
大体そういうのは()の内側からの目線の情報が多く、
自分を必要以上に特別視する方向に寄っていたなぁと。

それが顕著に表れる瞬間が、
物事が思うようにいかないときに周りのせいするときですが、
そういうときも、自分をきちんと()に入れて
客観的に見る癖をつけなきゃいけないと気づかせてくれた本でした。
今回も、いい本を紹介していただいてありがとうございました。

 

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投稿者 OTK 日時
無限責任と無責任

 日本では一度過失や不祥事が明るみに出ると責任をどこまでも問われるので(無限責任)、誰も責任を負わなくなった。(無責任)この本から一番衝撃をうけたのは著者のこの主張だ。原発事故、オリンパス問題も納得がいった。最近の大津中学生自殺事件も無限責任で大津市長まで責任を問われている。取り返しのつかない事になってから責任を問うて一体何になるのだ。

失われた10年が気付くと20年を過ぎてしまった。無限責任の章を読んでいる時は日本人であることがイヤになりそうだった。

しかし読み終えて、そう考える事自体間違いだと気付いた。日本人であることが良い悪い幸不幸という事ではない。
日本人の思考の傾向、社会のシステム、民主主義の意味など色々な事を気付かせてくれるとても良い本だった。最後辺りの章は少し私にはわかりにくかった。希望が持てる内容ではあると思う。たくさんの人に読んで欲しいと素直に思う。

 

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投稿者 zen1 日時
長いです。
私はネガティブにこの本の内容を受けてしまいました。
私の頭が弱いだけかもしれませんし、
私の思想が偏っている点もあるかもしれませんが
あらゆる個所で「えー本当に?」と感じてしまいました。
特に最後の「日本人は歴史の最先端にたっているのかもしれない」というのは
私もその様に思っていますが、
「ご利益のない神を信じず、地縁も血縁も捨てて無縁社会に生きている」というのは納得しがたい。
そういう面もありましょうが、すべての人ではないでしょう。
私は神社によく行きますし、人間の脳では理解できない超越した力があると思っています。
そもそも私が(生命)がこの地球上にある時点で超越した力の存在を証明していると思いますし
神を信じない(ここで論じられている神とは一神教におけるGODと同義なのかは定か
ではありませんが)とされる日本人が神社にあんなに行くでしょうか?
私は毎年GWにお伊勢さんに行きますが沢山の人で溢れています。初詣もしかり。
また、地縁も血縁も・・・とありますが、私は週一のペースで父親の墓へ草むしりに行きますし、
世間も盆には帰省ラッシュがあるので一概には無縁社会とは言い切れないのではないかと思います。
そういう人がいるという点で当てはまるかもしれませんが、それはアメリカ人だろうが何人だろうが
そういう人はいるかもしれませんでしょう。
一般参賀も毎年すごい人数ですので、権威もそれほど嫌っているとも思えません。
(陛下に権威を感じていないからという論点は置いといて・・・)
そもそも日本人性なり論というのは地球上、宇宙における我々の個性と同義だと思いますから、日本人もアメリカ人も変わりはないというのは、隣の人をさして同じ人間なのでかわりはない、さらには猫をさして同じ生物なので代わりはないというのと同じだと思います。
それでは日本人の個性、日本人らしさとな何か。
この本では世界でもまれに見る治安の良さに触れていませんし、明治維新や戦後の発展、吉田松陰等の幕末の志士や山鹿素行などの思想といった西洋人に評価される以前の日本人性に触れていません。(触れてたらごめんなさい)
それらも日本人性であり、その個性がもたらした結果でありますし
それ以上に、長い年月を通してあらゆる文化文明を吸収し発展させてきた点と、いち早く西欧の文化を吸収し有色人種に立ち向かって、それまでの白人至上主義の世界の価値観を変えたところに日本人の役割、日本人性があったと思っていますので、一概に一般に言われる日本人論は逆輸入品であるとか創られた物であるとは思えません。
他国では王朝が変わればそれまでの文化は殆ど排除されていますが(見たわけではないので定かではありません)日本は数千年と天皇(皇族)を無為の中心とし(場合によっては権力の中心となり)あらゆる文化思想(仏教、儒教等)を吸収してきました。
これは河合隼雄氏の『神話と日本人の心』によれば無為の中心、中空均衡構造とされるものですが、それは言わば調和ということであると思います。
たしかに、この神話における中空均衡構造は他の多神教にもみられる点であるそうですが、それを神話だけでなく、歴史的に体現してきたところに日本人性というものがあるのはないかと考えます。それは島国であるために多民族に支配されなかった点も大きな要因ではありましょうが。
そもそも排他的な一神教やその流れをくむ自然科学や西洋思想は不毛な砂漠の地が起源で、多神教は自然に恵まれた地域の産物であるならば、日本の風土が他国に比べて四季の色が濃くでる(調和、バランス)島国である点が日本人性というものをつくり上げていると言っていいのではないかと思います。

誰かが「アメリカ人に比較して日本人は個人主義的」「アメリカ人は日本人よりも協調的で他人を信頼する」と検証し「和をもって尊しとなす」が覆されたのが始まりとありましたが、それはそんな人もいるという部分(点)の話であって歴史(線)はそうではないように思います。
人種差別的に世界を搾取しネイティブのアメリカ文化を排除し、日本(だけではなく)に自己都合の要求(政治)を求め今でも色濃くのこる人種差別の国家をさして、協調的で他人を信頼する人種だとは到底思えません。
また、日本人の個性と言われるものは世界の各地で見受けられるとありますが、それを自覚して何を成すのかが問題なのだと思います。(そりゃ人間でも似ている個性の人沢山いますもの)
それは先人の西洋文明をいち早く取り入れて、白人と戦い有色人種を搾取の世界から開放した事も
言わば、日本人らしさ(個性)がもたらした結果ではないでしょうか?
(だから同じ文化圏や農耕民族で似たような文化が世界中にあるのは理解できるが、それらがもたらす結果に違いがある点で日本人性とは特殊であるとはいえないだろうか?)

この本の著者の日本人性や役割ががいまいち何をさしているのか理解できませんでしたが、
(水とか空気とか良くわかりません)
私は森信三先生の言う「人類がその遥かなる未来において、何時かは成就するであろうところの、
東西文化の融合という究竟目標に対して、一つの縮図を提供すること、
少なくともそのために一つの「架橋」になることこそ、われらの民族に課せられた、
おそらくは唯一にして、かつ最大の使命と言うべきであろう」が
世界での我々の役割を言い表していると思っています。
つまりは調和し発展させるところに、医学で言えば(まったく詳しくありませんが)
悪いところは切り落とす(薬で排除する)といった外面的な西洋医学と食べ物や精神といった
内面から治療しようとする東洋医学の融合(調和させ発展させる)を目指すというようなところに
我々日本人の役割があるのではないかと思います。
(農耕民族に進歩はない様な事が書いてありましたが本当かなあ・・・)
というのが読後の感想ですが・・・・
本の内容が多肢にわたって理解できていなかった部分は多々あると思います。すいません。

 

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投稿者 sue 日時
トピックごとにまとめが記載されていて分かりやすい。
トピックの内容も経済的な場面では用語を詳しく解説したり
性別や人間特有なもの等日常的なものが散りばめてありとても読みやすい。
経済書を多く出版されている方ということもあって
統計データを巧みに使用しての分析が説得力を増す。
なかなか面白い本であった。

しかし、本全体を通してみると何を言いたかったのかがぼやけてしまっているようにも思える。
トピック、まとめと構成しているのだから
最後に一番の思いを総まとめにしても良いのではないかと思う。
あとがきに筆者の理想が述べられているが
それでは筆者の思いが薄いように捉えられてしまうのではないだろうか。
読みやすく面白いだけに、少し惜しいようにも思えた。

 

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投稿者 nakajirou 日時
読んで今までの私の持っていた日本人観を大きく揺さぶられた本でした。
一番印象に残ったのは日本人こそアメリカ以上の究極の個人主義である点を書かれていた点です。

アメリカをはじめとした欧米は自分の言いたいことをはっきり述べる個人主義の国、日本人は「和をもって尊しとなす」の国で示されれるような周りとの協調性を重視する国とあると言うのが、私の価値観でしたので「拝啓マッカーサー元帥殿」の章で書かれた日本人が実利主義である点や世界価値観調査で示された日本人がアメリカ人以上に「自分の生き方は自分で決めたい」個人主義の国であった点は正直意外でした。

ただ一方で、究極の個人主義でありながら会社や「イエ」のようなコミュ二ティに属していないと不安を覚えるのが日本人です。もともと矛盾した価値観を抱えながらやってきたのが、表面化したのが今の日本だと思います。

官僚が主導となって経済成長をしている時期に通用したモデルが、時代にあわなくなり破壊寸前になっているのですが、恐らく政治家や公務員もはこのままでの体制ではいけないと思っていても自分達の属するコミュニティを破壊する勇気は湧かないので行ける所まで行ってしまうのでしょう。

戦争の時にように大規模なインフラ破壊が起こる訳ではありませんので、日本そのものが機能不全になる可能性は少ないと思いますが、日本人の心の拠り所のひとつである、金融資産は大きなダメージを受けるので失望につながることは間違いないと思います。

筆者の結論は、日本人は自分達に自信を失いより保守的になるとの考えですが、ごくわずかな日本人の仕組みにおさまらない究極の個人主義者だけが新しいユートピアに行ける可能性があると書かれています。

戦後直後に日本は今のようにサラリーマンの比率が高くなかったといいます。恐らく農家に代表される一次産業が収入が不安定に対して、サラリーマンの方が収入が安定していた「得」であったから大多数の日本人がサラリーマンを選択する流れになったのだと思います。

ただサラリーマンであることのメリットが徐々に薄れ、「得」であることが薄れるのであれば、実利性を重んじる日本人ですのでサラリーマンを辞める事は躊躇しないのでしょう。後はコミュニティの問題ですが、FaceBook等のSNSが発達する事で、今までの会社ベッタリのコミュニティもどんどん多様化していくと私は思います。

日本の今のシステムがなくても、経済的に破綻しない稼ぐ力を持っていること、会社以外にも自分の存在が確認できるコミュニティを持つ事が、究極の個人主義の時代を生き残る力だと思いますので、今後もその実力を付けていきたいとより思うようになりました。

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投稿者 Bizuayeu 日時
国家という大きな仕組みを説明した上で、
日本を徹底的に俯瞰して見つめ直すという本であったように思う。

では、この本の読者に求められていることは何だろうか。
日本人は、日本社会は、世俗の水に漬かっている。
自己責任=有限責任という教義は水底に沈んだままだ。
原発にしろ尖閣にしろ、国家という空虚な淵に投げ捨てられた
案件が浮上した場合、既に負けは確定している。

我々は地縁も血縁も捨て、身軽になって泡沫の繁栄を味わった。
脱ぎ捨てた過去に再び寄り添い、窮屈で停滞した安息に
まどろむのも一つの方向性だろう。更に国家を捨て、
日本人という心地良い物語も捨て、純粋なる水として
時代の荒波に溶け込むのも一つの方向性だろう。

だが私は、願わくば、汗と涙で新しい世界の雛形を編み上げたい。
それは人の領域を超えた所作であったとしても、
幾千万の汗と涙を捧げた先に、神の采配は顕れると信じている。

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投稿者 kakki 日時
日本人は、特別な存在ではない。
本書を読み、そう感じた。
今までは、日本人は伝統的で和を重んじて
人との輪も大切にする。
右に倣えの姿勢で、他人と同じ『普通』という事を求める。
規則を守り、協調性があれば安心して暮らしていける。
というのが、自分の中の日本人像だった。

グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに
対抗できない。
日本人で、日系企業でしか働いた事のない自分には
グローバルスタンダードというものを肌で感じた事はない。
「外資系企業は、能力主義が当たり前」という考えは
グローバル空間のルールを採用していることだと、初めて知った。
能力以外で労働者を差別してはならない。
というのは、能力という評価以外に尺度が存在しないという
理由に納得した。
だから、多くの国で英語を学習する機会があり、
TOEICなどの国際資格が、採用や昇進の尺度になるのだろう。
その意味で、外資系で働きたいと考えるなら
英語を勉強するだけでなく、ビジネススキルを磨き
世界の人々と対等にコミュニケーションがとれる
幅広い教養を身に付ける必要があると感じた。

インターネットが普及し、世界の企業が日本に、日本の企業が世界に
進出するご時世、日本人がどんなに嫌っても、グローバル化の波は
治まらない。
生き伸びるには、徹底的なグローバル化もしくは、
マーケットを小さく絞ったローカルエリアで
誰にも真似出来ない職人技で勝負をする選択に
迫られるのだろう。

よくニュースで流れるデモは、世界が舞台であることが
当たり前だと思っていた。
原発再稼働反対のデモが、毎週金曜日に首相官邸前で行われている。
ここ最近の日本では、珍しく大規模なデモ。
本当に危機感を持った国民は、国家に反発するのだという
現実を目の当たりにした。
「日本人だから、国が決めた事には素直に従う」という事はない。

橋下徹大阪市長や孫正義氏の、ツイートが数十万を超える人々に
支持されるのも、「このままでは国が潰れてしまう。」と感じ
国家改革を強力に推進するリーダーを、国民が望んでいるのではないか。

日本人であることを考えさせられる一冊だった。

 

 

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投稿者 take0125 日時
これほど日本人としての特質をいろいろな側面を持って客観的に
示してくれた本を今まで読んできたことはないような気がしました。

歴史であれば歴史、政治であれば政治、文化であれば文化に特化し、
それぞれの分野からでしか日本人を見てこなかった自分としては、
いろいろな角度から日本人を見ることができ、とても納得感のある
ものでした。
そして、わたしが一番印象に残った箇所が、145頁に書かれた最後の
一文です。


「日本人は有史以来、世間のしがらみに搦めとられながらも、現世
を楽しく生きることがすべてだと考えてきたのだ。」


これは、まさしく原発の稼働に前向きな人達に当てはまるのではない
のだろうかと直感的に感じました。


後先考えず、将来の日本のことも考えず、今の世の中がうまくゆけば
良いと云う考え方は、遠く昔からの日本人の性格なのだろうか。
そして、そのような性格が歴史が繰り返すように誰も責任をとること
のない無責任体制に繋がってしまう要因なのかもしれないと。

現在の政治状況を見渡しても、過去の太平洋戦争に関わる本を読んでも、
そしてまさに自分の勤めている会社の組織体制を見ても、いたるところ
に日本人としての負の面がDNAのように引き継がれているような気がします。

しかし、この体質を客観的に理解しているのと理解していないまま、
日々過ごして生きていくのとでは大きな違いではないだろうか。
そんな気付きを与えてくれる一冊であったと思います。

 

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投稿者 gizumo 日時
「従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!」と帯に書かれており、大きな不安と
期待を胸に読み始めました。

まず、「日本人」を明確にするために「それ以外を明確にすることで日本人を述べる」という手法
に、まさに“目から鱗”でした。
方法論としては、理解していても「なるほど・・・」とおかげさまで腑に落ちた感を経験する事が
できました。

内容は、日本人の深層に「東日本大震災」を経験したからこそ目を向けることができたタイムリー
なものでした。

丁寧に歴史を紐解きながらの解説であり、学生時代の「世界史」の番外編のような楽しみもあり
つつ、近代史~現代史までも網羅しており、知識・理解ともに乏しかった政治に関しても詳細で
「日本人論」よりそちらの部分で「読んでよかった」という感想です。

個人的には、ちょうど勉強している「経済学」とシンクロする部分があり、理解が進むことになり
課題図書になった事に感謝しております。

「日本人が世界でもっとも世俗的な国民だ」というメインとなる論旨は、データとしての事実が
あっても納得できないのは「典型的な日本人かも・・・」と思っております。

対の作品と述べられている『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』を読むことによって、
また、時間をおいて本書を読みなおすことで、理解が進むことを祈りつつ、自分自身の「ユート
ピア」を考えてみるのも有意義ではないかと感じております。

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投稿者 sishida 日時
(日本人)を読んで

日本人をカッコに入れてみよう。
そう冒頭に書かれた本著でしたが、読解力のなさなのか「カッコに入れる」という意味を捉えきれずに読了してしまったため、カッコの意味から捉えた著者の考えを勝手な推測で述べてみたいと思います。

■PART1 LOCAL
人間の本質からみた日本人論・分析が展開されているため、分類・注釈としての「()」、そしてその前に来る言葉は、
「ヒト(日本人)」
が適当ではないかと考えました。

■PART2 GLOBAL&PART3 UTOPIA
世界の状況分析、それらをふまえた上でのユートピアに向かうためのヒントが示され、 数式としての「()」、その式は
「(未来)×(日本人)=     」
だと思います。
この右辺にくるのが誰も見たことのないユートピアなのか、また他の世界なのかは時代を担う我々次第といったところなのでしょう。

今回は自分自身の日本人感の見直しをさせられ、またこれからの将来を考えさせられる本でした。
おそらくカッコの意味を明言しなかったのも著者の意図なのだと思いますが、自身を客観的に捉えられるスキルが身につく本著はとても貴重なものですね。
毎度ながらこのような本を課題図書に取り上げていただいたしょ~おんさんに感謝です。
日本が衰退しないためにも自分自身でできることを頑張って行きたいと思います。

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投稿者 takizawametal 日時
(日本人)を読んで



この本からは、正直あまり明るい感情は抱けず、
ネガティブではないのだが、淡々と現状を認識させられた。

かといって、不快だったかというとそんなことはなく
自分の知らない由来や、民族特有の考え方、エトスが
どこから来るのかを、豊富なデータに基づいた独自の切り口で
読ませてくれて、読後は非常に爽やかだった。

日本人のいい所、悪い所。
欧米人のいい所、悪い所。


興味深かったのは、日本人と欧米人のデフォルト戦略が違う、という箇所。
なるほど、そうかもしれない、とニヤリとさせられた。
特に、欧米人もダレも見ていないと、多い方のペンを取り
日本人も他人の目がなければ、少ないペンを取る。

人間は、相対的な価値観を大切にし、
というより拠り所とし、他人の目、環境をいつも気にしているのだな、
と再認識させられた。

会社というイエにしがみつく、という考え方も
上手い言葉で本質を突いていた。
仕事なんてどうでもいい、家族が一番大切と思いながらも
ニワトリと卵のように、どちらも欠かせない存在の
仕事と家族。

様々な視点から、ニクイ指摘をもらえた本でした。

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投稿者 sekinesan1 日時
久しぶりに日本人論についての本を読みました。


なかなか自分では選ばない本でしたので、新たな
発見というか驚きがありました。


日本人はいい意味でも悪い意味でも特殊だという
見方をよくされます。

しかし、この本で紹介されているように、
もっと客観的にいろいろな角度から分析してみると、
あてはまる部分とそうでない部分があることが
分かります。



東日本大震災以降、日本人とは何かということを
考えさせられたように思います。


良い部分は良い部分として認識すればいいし、
悪い部分は何故そうなるのかを冷静に分析して、
自分なりに改善する方法を考えてみるのも良いと
思います。


世の中がどんどんグローバル化しいく中で、
英語を学だけではなく、たまには日本人の
アイデンティティーについて考えることも
必要だと感じました。

 

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medal1-icon.gif投稿者 whockey51 日時
あなたは何人と聞かれると、日本人です。

と答えられるけれども、

日本人のアイデンティティって何ですか。

と聞かれたら、明確には答えることはできない。


日本人とはと考えたときに、出てくることの答えが「規律正しい」それだけでした。


1年前の大震災ではその規律の正しさが諸外国に評価されていましたが、
それは単なる行動模倣でしかなくて、日本人たるものとは言えるような答えではなかった。


何を考えて、そういう行動を取ったのかが一番大事であると思う。


だが日本では、学校でも社会でも日本人または祖国について教わったりはしない。


祖国や日本人を考えるうえで大事な第二次世界大戦も、
もはや私たち若い人を含めて、過去のものとして考えているような気がしてならない。


過去に多くの日本人が、さらに祖国や地球がさらに良くなるように働いてきてくれていた。

だからこそ、今こうしてよりよい社会環境を享受することができている。

そう考えたら、過去そうして戦っていてくれた人々に敬意を払う必要がある。



「人は確率的な出来事をうまく理解できない」


この時代の日本に生まれた確立を考えれば、私たちは宝くじに当たるよりももっと高い、
いわば天文学的な確率でここ日本にいるわけだ。

ほとんどの人が、読み書きが出来て、食べるものに困ることなく、平穏に毎日を過ごすことが出来ている。



「人は原因と結果が結び付かないとわかったとは思えない」


過去の日本人の努力のお陰で今の日本があるにもかかわらず、
自分ひとりの力で今の生活を手に入れたような顔をしてしまう人もいる。


つまり、目の前にあることだけに注意を注いでしまい、
過去からの伝達により今の状況があることに注意がいかなくなってしまっている。


それは今の社会がそういったものとして、
出来上がってきてしまったことによるものだと言える。



「日本では人間関係は“場”から生まれる。“場”を失ってしまえば、私たちは孤独に戻っていくしかない」


冒頭で述べた、行動規範。規律正しいというのは、
あの状況下では、規律正しく行動することが、
場としての役割を果たしていたと考えられる。


そうしなければ、震災後のあの切羽詰まった状況を個人で切り抜けていくことは難しくなるからだ。


わたしは、日本人は昔から、礼儀正しい人種だったと思う。

ただそれが、現代では人間関係を司る場としての役割にすぎなくなってしまっているのではないかと思う。

だれもが、場さえ無くなれば、とたんに礼儀正しくなくなる可能性がある。

レストランでウェイターはお客様に礼儀正しく接するが、そうでない場での関係は決して礼儀正しいものではなくなる。


そんな希薄さに今の日本は満ちている気がする。


それを取り戻した時、よりよい日本があるのではないだろうか。

それについてのヒントがこの本の中に見つけることができた。

 

 

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投稿者 TBJ 日時
()日本人を読んで

私はこれまであまり人種や国籍などを意識したことがありませんでした。
それは海外にもほとんど行ったことがなく、そもそも外に目を向けることが少なかったからです。
この本を読むことで初めて日本人と日本人以外の方の違いに意識が向きました。

しかし、読み進めているうちに、日本人と日本人以外ということへの意識は薄くなり、人は意図的にカテゴリーをつくり、そのカテゴリーに分類され(もしくは自ら分類して)、その中で生きることを選んでいるのだということを強く感じ、その事ばかりを考えていました。
そのカテゴリーは大小さまざまで、人間、地球人、肌の色、国籍、階級、身分、男女、思想、会社、学校、職業、地域、家族など、いくらでもその分類は可能です。

どのカテゴリーに所属しているかは、動かしがたい事実(人間か否か、肌の色など)のように、客観的に決められているものもありますが、多くは主観的であり、自分がどのカテゴリーに属しているかは個人の“認識”よって都度変わるものだと思います。
例えば、オリンピックやワールドカップなどスポーツの祭典があると、日本人というカテゴリーに属して、日本人として熱を入れて応援していたと思えば、外交における日本の抱えている問題になると知らぬ存ぜぬで日本人というカテゴリーから外れて、別のカテゴリーの中で生活する。
常に自分を自分にとって都合の良い()かっこに入れて、物事を考えている。
そして、その()かっこに所属している複数の人たちとの中での自分の立ち位置を見つけ、自分という存在を作っている。

人間は一人では生きれないので、常にある集団(カテゴリー)に属して生きています。
大昔は限られたカテゴリーしかなかったものが、人間の歴史と共に自分たちにとって都合の良い多くのカテゴリーを作り、そのカテゴリーの増加と共に人間の生き方も多様化してきたのだと思います。
自分にとって都合の良い()かっこを作るというのは、人間の知恵であり、今もその知恵によって
新たな()が作られている。
他人が作った()かっこに入って生きている時期もあれば、自分が作った()の中で生きている時期もある。
()かっこが多くなるほどその関係性は希薄になって生き辛くなっているようにも感じますが、
一人で生きていくのが困難な社会である以上、自分が入れる()かっこを見つけること、作ること、
そしてそこに存在することが大切なのだと思います。
最近のニュースで見るいじめ問題、孤独死などの問題もいずれかの()かっこに属していればおきないことかもしれません。
また、誰かが強い()かっこを作りつながり強くすることで大きな力となり、日本を変えることに繋がるかもしれません。
この()かっこに何を入れるかは自分次第です。人間は()かっこを意図的に作っています。作れます。
意図的に作れるのであれば、自分にとってもプラス、他人にもプラスになる()かっこを作り出せる
人間を目指したいですね。

 

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投稿者 yokoyayayuki 日時
(日本人)を読んで

気張らずに楽しく読めるこの本のスタイルこそ、本の主題なのではと思った。

そもそも外国人と日本人がせっせと作り上げた(日本人)は、
日本人自信にとっては
・ナルシズム
・マスターベーション
に近いものがあると感じた。

気持ちを楽にして、この本にある視点で眺めてみたら
(日本人)の違うものが見えて、(かっこ)がはずれてるのだと思う。

80年代以降すっかり存在感をなくした(日本人)だが、
ツイッターやfacebookで垣根がなくなってきた世界において、
そんな(日本人)から

「いち抜けたーーーっ!!!」とやってみたら
また勢いを取り戻せるかもしれない。

 

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投稿者 akiko3 日時
「(日本人)」を読んで

ふむ、なんと申すべきか…“人は見たいように(物事を)見る”という言葉が浮かんだ。
結局、自分はエヴァンゲリオンもライブドアも国家の品格もアダルトチルドレンも、言葉だけで中身を詳しく知らずに過ごした。社会人になって、世界情勢も教養として知っておくべき社会的な出来事の世界金融危機の仕組みも相次ぐ大手企業の合併や倒産の背景も政権交代も、ネットオークションというちまたの新しい流行にも、結局、知ろうとせずに過ごし、なんの問題もなかった(と思う)。日常生活を波風感じることなく過ごしたい、政治、経済、IT、株、財テクもよくわからないし、自分の関心があることだけ、あとは必要に迫られたら、とりあえず調べてみる。(ちょっと前に、保険の見直しをして、やっぱりちゃんと仕組みを知って賢く選択する必要性を大いに反省とともに知ったが…)

学生時代は、若さゆえもあってか、外国(特にアメリカ)に関心があって、日米文化比較などの本を好んで読んだ。日本人は恥の文化と知っても何かが変わった訳でもなく、相変らず西欧文化が上という憧れを抱いていた。日本人だから、英語も上手く喋れないし、恥ずかしさが先にたち積極的に振舞えないことや、小さな瞳や平坦な顔に劣等感を抱いていた。しかし、アジア人という自覚は薄く、日本人はアジアの中ではいいんだという根拠なき優越感さえ抱いていた。振り返れば、なんともこっぱ恥ずかしい自分勝手なものの見方をしていた。
世の中がどんな仕組みで出来ていて、どういう状況なのか、これからどうなっていくのか、全然、関心がなかったが、今、目の前に起きていることが、自分でどうにかなることの方が少なく、大きな組織と組織が複雑に絡み合っている関係性で出来上がっていることがわかると、ますます思考停止だ。個人ではどうしようもないことなのではないか?

会社勤めの時は、そこに属していれば一定の安心が与えられた。企業努力としての早期退職や出向などもあり、変化を余儀なくされたが、それでも、上手くいかなくなって目の前に起こった更なる変化。国と国との力関係と同様、企業に外資の風が吹き込まれ、風土(その変化は個人的には追い風だったのでよかったが…)が変わった。今更ながら、目の前に起こることは、世界の縮図と納得がいく。ただ、その頃の自分の関心事は、自分とその周りがどうなるかだけだった。人は見たいように見るんだとも納得だ。

今、目にする情報も、結局は発信者の意図があって、物事はコインの表と裏のように、いろいろな結果を含んでいるし、自分が何を採用するか、結局、自分がどうしたいかでも、取捨選択はさまざまな結果をもたらす。
「幸せは自分の心が決める」とは相田みつをさんの言葉だが、その背景にある社会、経済を無視しては、(今まではどうにかなったが)死ぬ時は一人という終点を見据え、あとどれくらい生きていくのかと…考えても出ない答えを考えても仕方がない。
ただ、筆者が語っているように、これから起こるであろう社会的・経済的動乱の中で、国家に依存せず、経済的に自立した自由な個人だけが、ユートピアへと達する道を知るのならば、どうすれば、自立した自由な個人になれるのかに俄然関心がわく。
が、しかし、具体的にどうすればいいか、今ひとつよくわからないので、とりあえず、しょ~おんさんのセミナーに行ってみよう!

最後は宣伝になりましたが、回し者ではありません。課題本でなければ、絶対に手にすることはなかった本でした。しんどかったーけど、少しは脳に違う刺激が与えられたかなと感謝しております。ありがとうございました。

 

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投稿者 takuro2411 日時
『国のために戦う気がなく』、

『日本人としての誇りがなく』、

『権力や権威を嫌がる』、

これが日本人の特徴です。

これらのひとつも該当しない私は、(日本人)ではない。

本書を読んで、冒頭からこんな印象を受けた。

目次を眺めると『エヴァンゲリオン』とか『武士道』とか
個人的にすごい気になるキーワードはたくさんあって期待して読んでみたが、
私の理解力が不足しているため、
これまでに出版されている様々な文献をもとに、広い視点から(日本人)を語っているのだが、
日本人の陰の部分からの視点だけで、非常に一面的な印象を受けた。

しかし、私自身今までそういった観点から日本人を捉えたことがなかったので、
自身の視野を広げることができた。

『マッカーサー宛の手紙』には、本当に日本人が書いた手紙なのかと疑心が生じるほど、
かなり驚かされた。

また、無限責任が無責任社会を生み出したということであるが、
良く理解ができなかったが、仮にそうだとしても、それが、
「天皇を空虚な中心とする・・・」とはなんら関係ないように感じた。

その他、認知構造においては、東洋人と西洋人の違いは、遺伝的ではなく、
環境に依存するという実験結果があり、これは、環境を変えれば、
自分を変えることができるということを再認識することができた。

読後感がすっきりしない本だな~と感じた。

世界中を感動させた震災の被災者たちの行動は紛れもなく日本人の陽の部分であり、
私はその高貴な民族の一人だと誇りに思う。

本書を読み終えても、その誇りが揺らぐことはないと実感した。

最後に、陽があれば陰があるのは当然のことであるから、
(日本人)という存在は認識することは大変重要なことだと理解しました。

ありがとうございます。

 

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投稿者 sumio 日時
「かっこにっぽんじん(日本人)」橘 玲 を読んで。

「これでいいのだ!」
天才バカボンのパパのように思い、嬉しくなりました。
自分の生き方を正当化するのに、都合の良い根拠、理由が満載で嬉しくなりました。

自分が日頃生活する上で感じていた違和感。
それは全然違和感ではなくて、典型的な日本人の感情そのものだったんですね。

バリバリの我利我利亡者で、世界で最も世俗的な民族、それが日本人。
実は損得勘定に支配されていたのだ、我々は。

義理と人情なんて、嘘。
勝手にイメージしていた日本人像が、物の見事に、
思い違い、勘違いであることがわかりました。
強欲で世俗主義全開フルスロットルの集団、それが日本人。

本書は、まさに現在を解釈する「現代日本原論」、「現代社会原論」
、そして「現代世界原論」だ。

ローカル、グローバル、ユートピアの順に人間の本性が解き明かされていきます。
俗説、俗論が打破されていきます。橘玲氏の文章は、説得力があります。
各章まとめ付き、参考文献付き、深掘りして学習するためのガイドが丁寧で親切です。
小気味よい解説と鋭い表現。

たとえばこんな活用方法があります。
1日1章、21日間で21章読了することで、本書のエッセンスが自動的に習得できます。
社会、文化、歴史、民族、世界、日本および日本人を見る目を養うことができます。
21日間続けることで習慣になります。
そんじょそこらの評論家では太刀打ちできないレベルになります。

正しい現状認識スキルを身につける実践トレーニング本もあります。

・「日本の被災者は世界を感動させ、日本の政治は国民を絶望させた。」
・「異なる生殖戦略を持つ男女は”利害関係”が一致しない」
・日本では、下手に目立つとロクなことがない、...迷ったら他人と同じことをしておく、
というのが最適戦略になるだろう。
・その瞬間に、すべての日本人が、誰が日本国の統治者になったのかを理解した。
・日本人の特徴は、①国のために戦う気がなく、②日本人としての誇りがなく、
③権力や権威を嫌う、というものだった。
・もっとも「個人主義的」な生き方をしているのは私たち日本人なのだ。
・日本人は、ご利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。
・日本は本質的に「無縁社会」だった。
・グローバル空間になぜスタンダード(基準)が必要になるのかというと、
それなしにはお互いが殺し合うしかないからだ。
・世界のひとびとが自らの意思で近代の理念を受け入れたのは、それが民族や宗教、
文化を超越する普遍的な価値を実体化したものだったからだ。
・...このきわめて過酷な”無限責任”が、日本を”無責任社会”にしたのだ...。
・統治のない社会には「責任」もない。戦争にせよ原発事故にせよ、
日本ではむかしもいまも、責任を追求しても”空疎な中心”が待ち構えているだけなのだ。
・経済というのは、すこしでもゆたかになりたいと懸命に生きている人々の営為(経済行為)
の集積で、グローバル市場はその欲望を世界の隅々にまでネットワーク化したものだ。
・市場原理とは、かんたんにいえば、「安いものを高く売ってその差額を利益にする」
・近代とは、国家という問題を国家によって解決しようとするその苦闘のこと
かもしれないのだ。
・貨幣の効用が逓減するのに、評判の効用が逓増するのは、評判こそが社会的な動物で
ある人間が求める”ほんとうの価値”だからだ。
・...”大きな物語(革命)”は流行らなくなり、「<私>を変える」という”
小さな物語(自己啓発)”が広まっていく。
・その意味で「近代」は、隠されていた不平等を顕在化させ、それへの絶えざる
異議申し立てのよって既存の権威を解体していく運動のことだ。

しびれました。

今、私たちの目の前で起きている様々な事柄を理解できるようになりました
(気がしました)。

ありがとうございました。

 

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投稿者 yunyunpanda 日時
(日本人)を読んで。

男女や動物としてのデフォルト戦略から、自分は多大なる影響を受けていることを初めて知りました。
自分たちが暗黙の内に刷り込まれていた日本人的な思考というか感覚は、実は戦前と戦後で180度以上の変化があったことにも驚きました。

作者があとがきにて、「そんな私こそが、典型的な日本人だったのだ。」という一文。
これは、この本を読み終わった時に自分が感じたものと一緒でした。

これから、自分自身の生き方を考えるうえで、とても参考になりました。

 

 

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投稿者 mozzy 日時
3.11で被災地に物資の支援を行った。
毎月毎月、一定の金額は支援に使った。
現地に行かない後ろめたさも手伝って、募金箱を見れば少しでも募金した。
原発の問題や、被災地の支援状況、ネガティブなニュースを見ては憂いて過ごした。
水や食料、ガソリンは必要な量だけ調達して、電気はこまめに消した。
少なくとも流されて生きる世間の人々よりも高尚で、固まって生きる平均的な日本人とは違って、
自分の意思で自分の成すべきことをちゃんと決めていた。

はずでした。

どうやら日本人は、どの世界の人々よりも「自分らしく生きたい」と考えながらも、
「損したくない」と、結局は揃って右を向いてしまう、至って世俗的な民族であるらしい。
そして典型的な日本人がここに居ました。
特に自分の何かを犠牲にしている訳でもなく、
気がつけば他人の作り上げた支援システムに乗っかって物資を送り、
原発反対のニュースにウンウンと頷く毎日。
自分がまぎれもなくカッコで括られた、平均的な日本人だと気が付きました。

そんな特別な(日本人)も、例外なく世界の変化についていかなくてはなりません。
資本主義という仕組みが、手近な果実を食べつくして成長の限界を迎え、
増殖するために、よりグローバルな世界の構築を必要としています。
しかし、国家間の利益という障壁に阻まれ、その活動の場は仮想空間に移っていきました。
「自己責任」と「法」を携え、仮想空間のグローバル化は止まりません。
時に「自由」と「平等」で敵対者を制圧し、浸食を続けます。
その内側に、「究極の個人主義」を孕みながら。

著者は、この資本主義のユートピアに、日本という社会では辿り着けないとしながら、
個人としては辿り着くことは可能であると説いています。
国家という枠組みを超えた、仮想空間での「つながり」を持つことで、
ユートピアに住まうことができると。

それでも(日本人)は、他国の文化を上手く取り入れ、自国の文化を作ってきました。
模倣とは違う次元で、構造を見極め、消化し、再生産する。
時にはエッセンスだけ抜き取り、"新しい何か"すら生み出してきました。
いつの日か必ず、ユートピアの文化を、日本の文化とする時が訪れると信じています。
全ての(日本人)が、ユートピアを作りだす可能性を秘めているのではないでしょうか。

ありがとうございました。

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投稿者 koro 日時
今月は締め切りに間に合わなかったけれど、ヒッソリ投稿。

社会、生物、宗教、地理、経済、政治と多くのジャンルについて
興味深い話が満載だった。

政治空間と貨幣空間という概念を読んだ時、
以前、香港へ観光に行っていた知人が話してくれた話を思い出した。

電車の切符の買い方が分からず、駅の切符売り場でオロオロしていた所、
子供を連れた父親が切符の買い方を親切に教えてくれた。
が、無事切符を買い終えた時に、手を差し出されて金銭を要求されたそうな。

日本では見知らぬ人に切符の買い方を教えても金銭を要求される事はない(と個人的には思っている)であろうし、
その香港の男性が特殊だっただけ、なのかもしれないが、
香港は政治空間と貨幣空間の境界がはっきりしているグローバルな空間なのだと感じた。

政治哲学については
リベラル、ネオリベ、リバタリズム、ネオコン、コミュタリズム、功利主義、等
分類が多く、政治学に疎い自分としては理解するのに苦労したが、
自分の主義はおそらくネオリベに近いものなのだろうと思う。

資本主義社会の中で生活出来なくなった生活保護受給者は、
現物支給等で社会主義的な生活を余儀なくされるのは当然の事と思われる。

 

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投稿者 yamag 日時
新鮮な切り口から、様々なことに思考の広がる面白い本だった。

特に、”空気”と”水”の考え方は面白い。

場の”空気”を大切にし、周囲を思いやる「和」という考え方は、
日本人に生来から備わった美点かと思っていたし、今もその考えは
基本的に変わらない。

しかし、数々の検証の中で、日本人の本質は”水”と表現される、
世俗(損得勘定の考え方)の個人主義だというのは、納得できる部分もある。

文化の成り立ちとして、宗教を例に取れば、日本の神様は世界に例をみない
なんでも有りともいえるおおらかで、今を楽しむことを好む方々として、
描かれており、ご利益などという考え方も損得の要素であろう。
もちろん、和に通じる部分もあるが、今を楽しく、得するように生きるという
要素の強いものでもあるように思う。
そして、その発展として、本書では、極楽信仰、密教、即身成仏まで説は続く。

そして、別からの引用だが、
井沢元彦氏の著作の中に、聖徳太子の十七条の憲法の重要な部分は、
第一条と第十七条の和を持って、物事を解決しなさいという部分であり、
そうあって欲しいという願いと必要があったからこそ、定められたとあったこと。

また、武士道というテーマでいえば”葉隠”にも、
その我欲一切を捨て、死身になって、一生懸命に物事に取り組めば、大きな力が生じる
という内容を主体としていること。

世俗的な心は、今を楽しむという、それはそれで大切な素質であり、才能だ。
しかし、その気持ちが行き過ぎてしまうと、農耕社会から発展した「限りある収穫の社会の仕組み」の中では、
ものごとが立ちいかなくなる。

それを、和は制御する知恵であり、集団が最大の幸福を得るための方法を培ってきたのが、
成り立ちだったではないかと思った。

つまり、日本人の中に和という美点は確かにある。
しかし、それは、個人主義や世俗という要素の悪い部分を御するために、後天的に培われた「性悪説 」的なものなのかと思う。

現在の政治や公的な利権の”無自覚な”奪い合いは、その未熟な和の精神の中で、
古き「限りある収穫の社会の仕組み」を搾取し続けている状態である。
現在、公債の乱発や原発の問題が代表的だが、それは未来への搾取、未来へのツケに発展してきた。

だからこそ、著者は今の「限りある収穫の社会の仕組み」に縛られない、
新しく収穫を生み出せる力をもったものが、人を害するような奪い合いのゲームではなく、
自分も、そして人にも循環するほどの幸せ、そして、楽しみを生み出すと期待しているのではないだろうか。

この考えにいたったとき、心に浮かんだのは「我もよし、人もよし、そして、世の中のためにもよし」という
言葉であり、それを実現させるために、自分がパイを奪うのでなく生み出す立場になりたいという気持ちであった。

そのためにも、今以上に、自分が富を生み出す力を育てる鍛錬を継続するとともに、人によしといえる取り組みを
続け、心を培っていこうと思った。

日本人に対しての幻想の部分を見せつけられ、苦い部分もあったが、それ以上に得るものの多い本でした。

この本との出会いに感謝します。
ありがとうございました。

 

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