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第38回目(2014年6月)の課題本

 

6月の課題図書は・・

 

嫌われる勇気───自己啓発の源流「アドラー」の教え


この本、バカ売れ中でちょっと本好きの人ならたいてい読んで

います。そういう本に乗り遅れずついて行くというのも大事ですよ。上司に、


  ● 最近どういう本を読んだの?


と訊かれてポイントが上がるのは今旬で、それでいて学びがある本です。そう

いう意味ではこういう本はド真ん中のストライクで、この本を挙げておけば間

違いはありません。


反対に自分が読み終わったら、こういう本を上司に紹介してあげると株が上が

るかも知れませんね。


内容も平易な割には心理学としてスゴく衝撃的な事を書いています。

とにかくおススメの本です。

 

【しょ~おんコメント】

6月優秀賞

 

一次審査を通過したのは以下の3名です。


『NobuhiroIida5』さん
アドラー心理学と仏教の共通点に気付いたのは良いと思いました。
また先月の課題図書である「ピダハン」との共通点にもちゃんと気付いてくれま
した(他にも何人か気付いてくれたみたいです)

 

次が、もう常連となった『BruceLee』さん。
マネーヘッタチャンだってここまでキレイに書けないだろうってくらいの快作で、
これはみなさん読んだ方が良いと思いますよ。内容をチャンと把握出来ていなけ
れば、こういうストーリーは書けません。さすがですね。

 


最後に、『takizawametal』さん。
この方は書評として7つのポイントに絞ったため分かりやすかったです。たぶん
彼の書評を読めば、この本のエッセンスは受け取れるんじゃないですかね。それ
くらい上手くまとまっています。

 


この3人から誰を選ぼうかとひとしきり思案し、『NobuhiroIida5』さんに差し上
げる事にしました。マネーヘッタチャンネタもスゴく捨てがたかったんですが、
ネタを書いたらもらえると思われるのもどうかと思い、苦渋の決断をしました。


 

【頂いたコメント】

投稿者 uyroa 日時 2014年6月16日


嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えを読んで。

読んだ後に色々と考えていたのですが「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」という事で、自身の子供との関係性をからめて考察していこうと思いました。

○「世界」を変えるのは「わたし」
 事象はただの出来事であり事象に意味を付与しているのは私自身で、付与する意味によって「わたし」の感じる「世界」は、いかようにでも変化する。という解釈ですが、確かに私は過去の事象に意味付けをしており「何があったか」ばかりにフォーカスしていました。今となっては人生の転機となった事象を振り返ると、目的に突っ走りつつ過程自体ものめり込みながら、ただただ行動しているだけでした。結果は気付けば付いてきていました。
 4歳になる息子はイタズラを繰り返し、私達両親から散々怒られているにも関わらず、何日も拗ねたり恨んだりしません。怒られた数分後には「父ちゃん・母ちゃん大好き」とか言い出す始末です。『子供だから当たり前でしょ?』とか言われますが、大人になったら出来なくなるのは【大人とはそういうもの】と定義している風潮に振り回されているだけで「わたし」自信が自分の思う「世界」を構築する事を放棄しているからかもしれません。子供は素直と言われていますが、見習うべきはこの素直さ「今この瞬間を生きる」ところにあるように思えてなりません。

○他者の期待を満たすために生きてはいけない
 息子は「ほら、○○出来た。偉いやろ?」と褒めてくれアピールをします。4歳でひょっとして承認欲求が出ているのか?と考えたのですが、それは私が勝手に感じたイメージでした。【子供は褒めて満たされたいと望んでいるのです】なんて新聞の記事などで読んでそういうイメージを抱いていました。試しに褒めずに放置してみたところ、それでも満たされたように笑顔でした。褒められたいというより達成感の報告を彼なりに表現していただけかもしれません。
 会社では【成果を報告して周りに評価されるような行動をせよ】と言われるわけですが、以前私はそれと”他者の期待”を混同している時期がありました。自分の課題として捉まえていなかったが為に、色々な物事が上手くいかない事が多くありました。

○自己受容、他者信頼、他者貢献
 私は以前自己受容が全くと言っていいほど出来ておらず、自己肯定ばかり行っていました。結果、他者信頼・他者貢献が本中の若者の語るように”偽善”と感じるありさまでした。
 今は息子と横の関係性は構築出来ていないです。ついつい怒って叱ってしまうのは、楽をして縦に見ているからなのだと自省しました。

 息子との関係性も含めて自分に照らしあわせて感想を書いてみました。何というか子供に学ぶ事がこんなにも多いものかと気付かされる本でした。

 また、アドラーの教えは自分の歳の半分を費やさないと自己に浸透しないとの事ですが、達成しないと価値が無いのではなく、これもまた目指している過程・ベクトルそのものが重要だと感じました。こういう永く付き合う考え方の場合は、効果を求めず淡々と継続していこうと思います。

最後に、0歳の次男には支配されっぱなしです。奴は強すぎる…

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投稿者 NobuhiroIida5 日時 2014年6月18日


●『嫌われる勇気(自己啓発の源流「アドラー」の教え)』

この本を購入し、いざ読み始める前にまず目に入ってきたのが、本の帯に書いてある「自由とは他者から嫌われることである」という文でした。また裏側の帯には「なぜ、あなたはいつまでも変われないのか?劣等感を克服できないのか?他人の人生を生きてしまうのか?幸せを実感出来ないのか?」といったことが書かれていました。
本書のタイトルと帯に記載されたこれらの内容から、「なるほど、この本には勇気を出して他人から嫌われるようなことをして、その結果、劣等感を克服し、自分なりの自由な人生を生きて幸せになる、という為のコツのようなものが書かれているんだな。」と想定して、この本を読み始めました。
読んでいくにあたって注意しなければならないと感じたのは、本書のタイトル『嫌われる勇気』の「嫌われる」という言葉にとらわれてしまうことです。
僕にもいまだに嫌いな人が何人かいます。その人は僕から嫌われていることを知っているのか、知らないのか、はたまた勇気を出して僕から嫌われるようなことをしているのか。まずそんなことは無いだろうなって思います。人を嫌う理由もその人によって多種多様だと思うのですが、僕が嫌いな人の特徴は、
・とくかく自分勝手
・何事もいいかげんで中途半端で無責任
・口だけで行動が伴わない
等々。
こういう人達が「自由」を手に入れて「生き生き」と「幸せ」になる反面、その人のまわりで迷惑を被る人がいるのはやるせないです。この本はきっとそんなことの為の本ではないと信じて読み進めました。
案の定、「自由とは他者から嫌われること」の定義として、「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。」「わざわざ嫌われるような生き方をしろとか、悪行を働けといっているのではない。」とあり、だったらもっと誤解の無い別のタイトルにすれば良かったのに・・・と思ったりもしました。
そこで僕なりのこの本のタイトルを『嫌われる勇気』改め『他者の評価をいっさい気にかけない勇気』(こんなタイトルの本はありきたりでパンチ力に欠けて売れないですよね・・・)として考えることにします。

さて、結局のところこの本で追求するのは「いかに自由に生きて、自分なりの幸せを実感するか」です。その結論に至まで哲人と青年の間で色々な会話が交わされるわけですが、僕がとても驚いたのは、ギリシア哲学と地続きにあるアドラー心理学と、釈迦をはじめとする仏教や禅の考え方との共通性です。
例えば「他人を意識せず、他人と比較せず」を意味する「自灯明(じとうみょう)」は釈迦の言葉ですし、「慢」とは「他と比較して心の高ぶる」ことを言いますが、仏教ではこの「慢」を「七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢)」に分けた上で戒めています。もともと誰も存在しない(しなかった)宇宙に自分ひとりがいる状態なら、劣等感や孤独はそもそも存在しません。そのような宇宙をいかに自分の中で作り出すことができるかが大切なのだと思います。
また「莫妄想(妄想する莫れ)」は中国唐代の無業和尚(むごうおしょう)の言葉ですが、簡単に言えば「余計なことは考えない」「なるようになるさ」ということで、これは『新約聖書』にもある「だから、明日のことで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」にも通ずる考え方だと思います。そしてこの考え方が「幸せ」を導く絶好の例として、僕が先月読んだピダハン(アマゾン流域に暮らす少数民族)の生き様がまさにそうで、彼らはまさに今だけを全力で生きる、故に悩まない、悩まないので神を必要としない、ある意味、神を超越している、ということだと思います。

結局のところ『他者の評価をいっさい気にかけない勇気』を身につければ、同時に自分の嫌いな他者の存在も意識しなくなるので、嫌いな人もいなくなり、それによって悩むことも無くなるのだと思います。みんなそれぞれ別々の人間です。以前、『男はつらいよ』で寅さんが「俺とお前は違う人間に決まっているじゃねえか。早え話が、おまえがイモ食ったって、俺のケツから屁が出るか!?」って言ってました。別の人の屁をする必要も無ければ、別の人の屁の臭いに悩まされることもないのだと思います。

さて、ここで終わりにしてしまえば結局のところ本書ならびにアドラー心理学は「単なる自己満足」とも取られかねません。『他者の評価をいっさい気にかけない勇気』を身につけ、自由な生き方を目指す上での道しるべ(「導きの星」)として、最終的に掲げられているのが「他者貢献」の精神です。
なるほど、納得です。僕の周りにも自由気ままに好きなことをして生きている人たちがいますが、その人に対して僕が好感を持てるかどうか、言うなれば「好き」か「嫌い」かは、結局その人が「他者貢献」しているように見えているかどうかだと思います。「他者貢献」していない人の生き様は、単なる「自分勝手」「無責任」、結局、この文章の冒頭で僕が書いた「自分が嫌いな人の特徴」に合致します。全てが繋がりました。
「幸せ」に生きる術は、いたってシンプルでした。

投稿者 superhiroshi70 日時 2014年6月21日


嫌われる勇気

・原因論ではなく、目的論
・共同体感覚
・今にスポットライトを当てる
など、考えさせられる話が書かれていました。

今回、強烈に印象に残っているのは、「今にスポットライトを当てる」部分でした。
私自身、どうしても悔いの残る過去、そしてまだ見ぬ未来に思いをはせることがあります。
特に将来に関しては、「いつか転職して、年収1000万円稼げるようなってやる」と淡い欲望を持ちつつ
しょーおんさんのメルマガを読ませていただいていました。
資格をとったりしてはいるものの、「俺もいつかは、」と思うばかりで実際に転職はしていません。
全力で今を生きているのか、と聞かれると自信をもって「はい」とは言えません。
目的論からすると、
・やれば俺もできる、と思いたい
・選考で落ちまくって、自信を失いたくない
という目的のために転職に踏み切っていないとも考えました。

仕事以外でも、課題はたくさんあります。
しかし、まずは仕事について、
今にスポットライトを当てられるように、誇りを持ってやっていきたいと思いました。
大変だとしても、転職活動を実際にやっていこうという励みになりました。
他の部分についても、良い影響が起こりそうな気がします。

また、しょーおんさんがメルマガの最後に、
「読者のみなさんが、宇宙で一番幸せになる事を、こころよりお祈りいたします。ありがとうございました。」
と添えていらっしゃるのは、共同体感覚の一部なのかな、と思ってしまいました。

まだまだ私は他人に優劣をつけ、勝ち負けにこだわってしまいます。
心から、しょーおんさんのようなメッセージが自然と書けることも目標にします。
これが抵抗なくできたとき、幸せを感じられるのかなとも思いました。

今回初めて投稿します。
実際に文字にして自分の考えをまとめるのは難しいですね。
今後も続けられるようにします。

投稿者 penandmusic 日時 2014年6月22日


「嫌われる勇気」を読んで
 「過去は変えられないのだから、悔やんでも仕方がない。」。これはあるセミナーで講師に言われた言葉だ。過去を悩むことが多かったわたしにとって、この言葉は衝撃的だった。以来、過去を振り返るのは止めた。ただし、それでは進歩がない。だから、過去のことは反省はした。どこが悪かったのか、何が悪かったのかと。そうすれば将来、同じような場面で、同じ失敗はしないからだ。でも、この考え方にも、どこか釈然としないというか、何かが足りないような感覚がずっとしていた。
 アドラーの「嫌われる勇気」を読んで、その足りないものが分かり、衝撃を受けた。足りないものは過去への意味付けだった。いままで「何が悪かったのか」という行動にだけフォーカスしていたわたしには、意識レベルで過去を捉えるという発想がなかった。わたしは変えられない過去を単に切り捨てていただけだった。とは言え、完全に切り捨てもできない。過去はなかったことにもできないのだから。完全に切り捨てできない過去は、澱のように心の底に溜まる。でも意味付けという役割を与えれば、過去を丸ごと受け入れられる。この考えだけでも大いなる前進だった。
 「健全な劣等感」や「主張の正しさと勝ち負けは違う」など、目から鱗が落ちる内容が満載だったが、本の半ばあたり、「課題の分離」から疑問が生じた。「自分の信じる最善の道を選ぶこと。その選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題。」「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。」などの部分だ。これだけでは独善的な意識が浮かぶ。つまり、人が困っていても気にしない、意見を言われても無視する。そうした人間像だ。その後、共同体意識や他者貢献という考え方が出てきたが、これらは課題分離と相容れない考えのように思えた。他者と自分を分離し、お互いに干渉しないのならば、共同体としては成り立たないし、貢献どころか、他者に何かすることもありえないからだ。
 疑問を抱きつつ後半になり、ようやくその疑問が解消した。自分の行動や考えについては、確かに課題分離をすべきだが、問題はその行動の目的=意識だったのだ。つまり、他者貢献の意識を持った行動をすべきだということなのだ。そこでハッとした。これはしょーおん先生に教えていただいた「智の道」を目指すべきということではないか!自分がすることが、自分のためにも他者のためにもなる。それが他者貢献であり、そうした人たちの集まりが、共同体意識が目指す先、アドラーが目指した世界なのではないだろうか。
 「世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ『わたし』によってしか変わりえない。」と本には書かれていたが、この本は確実にわたしを、わたしが見える世界を変えてくれた。意識も行動規範も変えてくれた。もっとも、それを哲人に言えば、「それでも変えたのはあなたです。」と言われるのだろうが。

投稿者 jorryjorry55 日時 2014年6月27日


『嫌われる勇気』を読んで。

久々に何度も読み返しました。1冊の本を何度も読み返したのは会社の昇進試験の課題図書以来かもしれません。
20年位前に『7つの習慣』を、5年位前に『人を動かす』を、そしてつい先月『道は開ける』を読んだのですが、これらが全てアドラーにつながっていたとは驚きました。上記にあげた4冊だけですが、何も考えずに読んでいた本がつながっているとは。読書中、そんな事を思いながら読んでいました。
ただ、『7つの習慣』はWIN-WINしか印象に残っておらず、これは再度読み直す必要があるなと。『人を動かす』は至極当たり前の事が書いてあり、私にとって別に目新しい発見がなかったので、すぐに読み返す必要はないかなと。『道は開ける』は『7つの習慣』を読み終えてから再度読み直そうかなと思いました。

前置きは以上として、『嫌われる勇気』を読み終わって最初に思った事は、それが出来れば苦労しないよ~、でした。目から鱗が何枚も落ちたのも事実ですが。また、もうちょっと前にこのアドラー心理学に出会いたかった、と思いました。
というのも、普段から、「こんなの当たり前ですよね」が口癖の、自分のやる事が全て正しいと思い込んでいる人がいるのですが、この人に一度、「それはあなたにとっては当たり前かもしれないけど、他の人にとっては当たり前ではないからこういった問題が起きるんじゃないの?それを分かるように教えていく事が必要なんじゃないの?」と言い返したところから風当たりがものすごく強くなりました。必要最低限しか口をきかなくなり、挨拶がなくなりました。3人の会議であっても私は完全に無視。私はこの場にいる必要があるのか?と思えるほど、発言しても一切返事無し。途中から発言するのもばからしくなりその場にいるだけの存在に徹していました。
精神的に非常に辛い毎日を送るようになり、常にめまい頭痛倦怠感に悩まされる日々。何やってんの、そんなもの改善出来る技を教えたでしょ、としょうおんさんには言われるかもしれませんが。かなり休みがちになり療養休暇でも取らないと駄目になる…までの状況になったのですが、上司に色々と相談にのってもらい何とか踏みとどまる事が出来ました。それから何がきっかけかは覚えていないのですが、その人の態度があまり気にならなくなり、受け流せるようになりました。それから事態は急展開。何故かその人の態度が軟化して今では普通に話す間柄に。まあ、その人の思い込み思考はむしろ増長しており、自分の気に入らない人に対する悪口はヒートアップしていますが、全く気にならなくなりました。軽く受け流せるようになりました。
そんな状態でこの本を読み、この人に対しては絶対に他者信頼とか他者貢献はできないなと。ただ、この人一人だけなので、つかず離れずの距離を保てば良いのでしょうが、仕事上必ず相手をしなければならない相手なので、前述の「それが出来れば苦労しない」が最初に出てきました。
とはいえ、この本を読む前と比べればより気楽になりましたし、それ以外でも、目的論からすると現在の私の状態が理解出来ました。

しかしながら、自分が納得できないというかまだ受け入れられない事として、目標がなくては、今を充実して生きることは難しいのでは?とも思います。目標がなければ何を目的に今を充実して生きればよいのかがイメージ出来ないのです。仕事にしても目標設定をして、それに向けて頑張るからこそモチベーションが上がるわけで。それについては消化不良でした。過去や未来に縛られているからそう思ってしまうのかな。

それ以外に印象に残っているのは、いかに自分が自分勝手で、さらに言えば自分の常識から外れる人は完全に見下していたな、前述のひとと根本は変わらないなというのに気が付きショックを覚えた事です。

それと関係して、子供に対しては褒めて育てるのが当たり前と思っていたので、それにも衝撃を覚えました。実際に子供に対しては完全に上から目線で接しており、良く嫁さんに怒られていましたが、全部縦の関係で接していたからだと気づく事が出来ました。いいかえると、人によって縦と横の関係を使い分けていた事にも気付く事が出来ました。

まあ、全てを理解するのに自分の生きてきた年数の半分の時間がかかるとのことなので気長に行こうと思った次第です。

ありがとうございます。

投稿者 OTK 日時 2014年6月28日


感想

この本は、私の心にあるあらゆるブロックを外す為の助けになると思った。
失敗の経験から、私は勝手にトラウマというものを作り相手を支配したりするようになってしまったり
恐怖心から、有益な事柄、人間をブロックしている。

アドラーは悩みの根源は、人間関係と言い切っており上手くいかない原因は自身の考え方によるものとしている。
他者や環境のせいではなく自分のせいであるとしている。
人生は、シンプルなもの。自身の選択な結果だとしている。

題の ー嫌われる勇気ーというのは、人生は自分で決めてよい、私の人生を阻害しているのは恐怖心だ、恐怖心に勝つ勇気、
恐怖は私が勝手に作り出しているものだ勇気を持てという訳者からのメッセージだと思う。
結果は全て自身のせいだと受け止めるのは、一見辛そうだが受け止め方は私の自由でもあると考えたら、楽になってきた。
もっと、自分の頭で考えてちゃんと考えて責任を持って生きたいと思う。
本当はこうしたいと自分の意思を明確に生きる方が分かりやすいし自分も周りも幸せだと思った。
本当の事だけ喋ろうと思った。

投稿者 BruceLee 日時 2014年6月28日


「しら勇気姫」

むかしあって、これからも起こるお話。

あるところにヘッテルという「嫌われる勇気」という本を読んで非常に感銘を受け、
「人生はシンプルなんだから、嫌われる勇気があれば何も怖いものなど無いのよ!」
が信条となった、いささか勘違い気味のアラサーポジティブ女子がおりました。

そんな彼女は残業が多く、朝は1分でも長く寝ていたいため、化粧は家でせず通勤
電車の中で済ます事にしました。「車内での化粧はご遠慮ください」という駅のポスター
も目にしてましたが、車内の化粧がイケナイ理由がよく分かりません。
「だって、みんな平気でやってるし、しらーっと勇気を持ってやっちゃえばいいのよ、
しらーっと」と、開き直る始末です。時に他の乗客に睨まれる視線を感じる事や遠くの
囁きが聞こえてくる事もありました。曰く、

「車内で化粧されるとウザイし、臭いんだけど」
「客観的に見て恥ずかしい。よくあんなこと人前で出来るわね~」

それでも嫌われる勇気を持った彼女はひるみません。「車内で化粧をするという私の
選択について、他者がどのような評価を下すのか?これは他者の課題であって私の課題
ではないわ。私は課題の分離が出来てるのよ」と、あくまで強気です。そして「人間の
悩みは、全て対人関係の悩みである」と学んだ彼女は「他者から承認される必要などない」
し、「他者の期待を満たす必要なんてない」、を実践しているつもりでした。そもそも
偶然同じ電車に乗り合わせただけの赤の他人との人間関係なんて、考える方が馬鹿馬鹿しい
と。「自由とは他者から嫌われる事」なのよ、と「一歩先をゆくデキる女」的な自分を誇ら
しく思っていました。

一度、化粧する彼女に怒鳴る男性もいました。しかしそんな時は「この人は私の化粧その
ものを怒ってるのではなく、怒りたいという気持ちが先にあって怒ってるのね」と目的論
で片付けました。怒鳴られた直後はさすがに不快感を拭えませんでしたが、「その過去に
どんな意味付けをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのよ」と、怒鳴りた
かった相手の欲求を叶えてあげた自分は何て素敵な女性なんでしょう!と、何があっても
前向きな性格の持ち主なのでした。

そんなある日。

ヘッテルが大好きな彼氏とデートしてる最中でした。ランチを先に食べ終え、ニヤニヤと
スマホを見ていた彼氏が「コレ笑えね?」と動画を見せて来たのです。すると、そこには
車内で化粧するヘッテルの姿が映っているではありませんか!どうやら、出勤途中の化粧
を隠し撮りされ、YouTubeにアップされてしまったようです。

今まで化粧する自分の姿を客観的に眺めた事などないヘッテルはその自分の間抜け面に
心底ビックリし、羞恥心と同時に怒りがこみ上げてきました。
「きゃ~!なにコレ、ひどくなーい?」

しかし、彼氏はポカンとしています。
「なんで怒ってんの?」
「だって、人の化粧を隠し撮りするなんて許せな~い!」
「まぁ、隠し撮りは良くないけど、公衆の面前でやってる訳だし・・・」
「でも個人が特定されるよね?私だって分かっちゃうじゃない!」
「はぁ?なに、コレお前なの?」

そうです。彼氏はヘッテルのすっぴんを見た事が無かったので、化粧途中の間抜け面の
女が自分の彼女と気付かず笑っていたのでした。つまり、個人が特定されるかはビミョー
な感じになってきました。って、そんな事はこの際もうどうでもよく、ヘッテルに幻滅
した彼氏は彼女の元を去ってしまったのでした。

ヘッテルは失恋で相当凹みました。そして、ある時「嫌われる勇気」を再度手に取り、
何がいけなかったのかしら?とパラパラとページをめくり、前回読んだ時は見落として
いた一文を見つけ衝撃を受けました。

「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです」

思い返してみれば、車内で化粧してた時、彼女は「いま、ここ」を生きてはいません
でした。周囲の乗客など存在していないかの如く振る舞い、そして電車内という公共の
場所をまるで私的空間のように扱っていた自分に気付いたのでした。彼氏にはフラれて
しまったものの、彼女はこの気付きの瞬間から幸せになれた事を確信し、これからも
へこたれず生きていこうと誓ったのでした。

めでたくなしめでたくなし。因果の歴史がまた1ページ・・・。

【解説】
この本のタイトルから、こんなふうに曲解しちゃダメよ。
アドラー心理学は正しく理解してね!

投稿者 Bizuayeu 日時 2014年6月29日


あんなに真面目ではなかったですが、
青年の鬱屈した思いと、相手を論破することで
自身の正しさを証明したいという欲求を見て、
過去の自分を見ているような恥ずかしさがありました。

ただ、まあ、やっぱり論破したとしても
暮らし向きは変わる気配が無いし、
ソ連のインテリゲンチヤが共産党政権の崩壊を
喜んだものの、ロシアになっても元共産党員が
相変わらず政治経済を牛耳っているという記事を読み、
正しさを声高に叫ぶのは無意味だと悟ったのでした。
他人に対してつべこべ言う前に、手を動かそうねと。

さて、哲人と出会った後の青年はどうなるのでしょう。
彼は自分自身に人生の意味を与えられるのか?
彼に思考を重ねてみます。学生時代の居場所となった
図書館で読書に魅かれ、家族と対決してでも
司書という職業を選び、自身の満たされなさの
原因を解明するため哲学に興味を持っていた。
そして哲人との対話の中でアドラー心理学の要諦を学び、
おそらく最初は職場での人間関係を改善するでしょう。

その後は、彼は哲人と対話できるほどに幸運であるので、
何らかの新しい興味関心が引き出される出会いをし、
自身にしっくり来る人生の意味に気付き、
哲人のように人生に没頭できるのかなと思います。

…ああ、なるほど、幸運を最大限に受け取るためにも、
人はシンプルな自分であった方が良いのですね。

投稿者 ktera1123 日時 2014年6月29日
「嫌われる勇気」を読んでと引き寄せの法則の話

気にはしていなかったのですが、根はつながっていたというおはなし。

1.いつかの2次会でのおはなし

むかしむかし、ある会でのこと。次月の課題図書はこれかな?と勧められた本が「あなたを変える七日間の哲学教室」。内容は哲学について「嫌われる勇気」と同様に対談形式で語る内容のおはなし。川崎大師での赤札授与の行列に並んでいたときに読んで読み終わったのだけど、これで感想文を書くのは無理。確かに頭の中の考え方は変わった気がしたのだけど腑におちなかった。この何か頭の中の考え方が変わったのがこの本を読む際になんとなく役に立っているので読んだかいはあったのかもしれない。

めでたしめでたし。

2.会社の研修のおはなし
4月になって、今年は会社全体で宿泊研修で「7つの習慣Outdoor」に行くよと。
7つの習慣は知っているけど「7つの習慣Outdoor」てなによ?と思った人に簡単な説明。
7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー の有名な書籍
Outdoor   清水国明の森と湖の楽園  清水国明が作った河口湖にあるキャンプ場+Outdoor施設
JTB     皆さん御存じの旅行(コーディネート)会社
上記3社の子ラボレーション企画で、1泊2日で7つの習慣の肝となる考え方を座学のみでなく、Outdoor体験を通じて体験する研修プログラム。

研修に行く週に読みはじめたら、22ページに「スティーブン・R・コヴィーの7つの習慣にアドラーの思想に近い内容が語られています」とありました。7つの習慣を先に読むと研修プログラムに新鮮な気持ちで取り組むことができないと感じて後回しにしていたのですが、近い(元となる)内容のものを引き寄せてしまった。

めでたしめでたし

3.6月28日の東京新聞の広告欄
いつものように新聞を開いて最終面から順に読んでいくと3面の下に「嫌われる勇気」の広告が、うーんすごい引き寄せの法則。

広告の感動の声、続々!!の引用とつっこみ
・フロイトとユングは知っていました(高校の倫理の時間?)が、アドラーは知りませんでした。(確かに!)面白すぎて、一気読み。(通勤電車の細切れ時間で読んでいるので2週間位かかりました。)「哲人」と「青年」の世界にどんどん引き込まれ、まるで小説を読んでいるようでした。(「あなたを変える七日間の哲学教室」のデジャブでした。)
・こんな異人がいたとは知らず、衝撃的だった。(確かに!)SNS上や、会社で人の顔色をうかがうことが多いこの現代に、「他者の期待を満たすために、生きてはいけない」(自分で責任を持っていきていくのではないのでしょうか)という言葉が胸に響く。とても100年前の思想とは思えない。(神教も仏教も2000年以上前からある思想では)
・二児の母ですが、「子供は叱ってはいけないし、褒めてもいけない」という言葉にハッとした。(今振り返ってみると、「自分の好きなことをすればよい」とは言われていたけど、これってアドラーの思想?)子育ての悩みを根本から解決してくれると思います。(会社の後輩に「こうしたら幸せなんじゃないの。」と助言はしているけど最終判断は後輩にまかせるのもアドラーの思想?)

この感想の突っ込みだけで感想文を終わりにしようとしてた。
めでたくなし、めでたくなし。

4.6月は上記の会社の研修を含めて怪しいセミナーに4つ行ったのだけどその中のおはなし

全然関係ないと思っていたセミナーに4つ行ったはずなのにキーワード的には
「壁を崩す」、「突破する」、「正論ではだめ」、「価値観」、「ものの見方」、「意識の変容」、「民(個々)の力」...と別に意識はしていなかったのだけど、よく考えてみればこれって全部「アドラーの思想」の内容。うーんすごい引き寄せの法則。

めでたし、めでたし。

さすが「アドラーの思想」以外でもつながっていたこともあったのだけどここでは書けないのでべつの機会に。

以上

投稿者 morgensonne 日時 2014年6月29日


『嫌われる勇気』を読んで


アドラー心理学は自己啓発の原点ということで、興味深く読むことができ、
どちらかというと自分を青年に重ね合わせて読み進めました。

哲人の話している内容は理解できますが、青年と同じように心のどこかでは
完全には理解していない、反発を感じながら読んでいる部分があるように感じました。


本書で出てきたアドラーの言う人生の目標という
 ① 自立すること
 ② 社会と調和して暮らせること
 ③ わたしには能力がある、という意識を持つこと
 ④ 人々はわたしの仲間である、という意識を持つこと
は、現代人、社会人として求められていることそのものであると思います。
チームワークを大事にしながら、自分の個性・特技を持ち、
そしてそれをアピール、発揮することで、仲間に貢献していくというのは、
今の社会で基本的なことになります。

「仕事の本質は他者貢献」というように、人の役に立った時にこそ、
人は幸せを感じ、成長できると思います。

「他者に貢献するのだという導きの星さえ失わなければ迷うことはないし何をしてもいい」
「世界とは他の誰かが変えてくれるものではなくただわたしによってしか変わりえない」
というように幸せは自分自身でしか作ることができないと思います。

まだまだアドラーの教えを理解するには、時間がかかりそうですが、
まずは今を大切にし、自分を受け入れられるようにしていきたいと思います。

その手始めに、転職するわけではありませんが、自分の職務経歴をまとめようとしています。まず自分が何をしてきて、何ができるのかを見つめ直しています。

確かに自分は今いろいろと迷っていますが、勇気と責任を持ってこの本の教えを実践しつつ、
しょ~おんさんの教えを継続して、少しずつその迷いを解決し受け入れて、
幸せに近づき、幸福度の比率をもっと上げていきたいと思います。


ありがとうございました。

投稿者 t1100967 日時 2014年6月29日


まさに衝撃的な本でした。これだけで自己啓発本は事足りると言っても、
過言ではないかもしれません。

本書を二回読んで、二回とも同じところで涙が出てきました。

『人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。
過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、
何か見えたつもりになることです。』

選択肢を多く残すために良い大学に行き、
新卒の切符を使えるのは一度きりだからという理由で大企業に行き、
そして何となく将来は起業でもしたいなあと考えつつ、
実際には何も行動をせず日々悶々としている自分が、
「人生における嘘」をついていることがはっきりと分かりました。

 

本書の前半部分は、おおむね、これまでにしょうおんさんから学んだこと、
ならびに良書リストからの知識と重なる箇所が多かったように思います。

例えば、
・過去の出来事に意味を付与しているのは自分自身である。
・付与した意味は、今すぐに変えることができる。
・すなわち、今すぐに幸せになることも可能である。

・他人は変えられない。
・変えられるのは自分だけ。
・変えられるもののみに意識を集中せよ。

・自分をなかなか変えることが出来ないのは、そのままでいるのが楽だからである。
・変えられない理由をねつ造し、行動しない言い訳にしているに過ぎない
などなど。

「確かにそうだよなあ。それはそうだよなあ」と思いながら読み進めました。

読んでいるうちに、この考え方を突き進めていくと、
やはり”悟りの境地”に至ることが、
最高の幸せなのか?と思ってきました。

「自分と世界が一体である」という考えに至るには、
やはり瞑想などの修業をして、そういった境地に至らなければいけないのかなあと、
そう思って読んでいました。

恐らくその境地に至れれば、それはそれで同じ考えに行きつくのでしょうが、
アドラー心理学の結論は、もう少し実践的でした。

『「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことは無いし、
何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
・・・そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。
過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。』

何か雷に打たれたような感覚でした。


これまでの私の価値観では、本書の青年と同じなのですが、

「何か大きな偉業を成し遂げなければ、生まれてきた意味が無い。
それを成し遂げるためには、自分の心から好きなことを見つけなければならない。
そして、他者が追随出来ないほどに、その行為を突き詰めなければならない」

そんな風に思っていました。

でも、そうでは無いんですね。

人生は全て旅であり、生きることは何かの手段では無く、それ自体が目的であると。
この言葉は本当に重たく、また、逆に人生を軽やかにしてくれるように思います。

好きなことを、好きなようにやればいいじゃんと。
別にそれが大きかろうと、小さかろうと、そんなことはどうでもいいでしょ。
ただ真剣に、嘘をつかずに、やるべきことをやる、
そういう姿勢が幸福に繋がるということなんですね。

またさらに、「他者への貢献」を行動の指針に置くというのも、新しい価値観でした。

世界が全て味方であれば、確かにこれは可能なのでしょう。
ですが私は、残念ながら、まだ”共同体感覚”を身に着けられてはいないようです。

一刻も早く、「他人は味方で、競うべき相手では無い。優劣も勝ち負けも無く、
同じ地平を歩む仲間である」という意識になりたいと思います。

・・・何となくここまで書いても、感じたことを全て言いきれていないような気がします。。。
本書中にもありましたが、アドラー心理学は、理解は出来ても実践が難しいのでしょう。

実際に上記の考え方を生活に取り入れ、ことあるごとに活用し、
そして自分の感覚として捉えられるようになるまでは、
言葉が上滑りするだけですね。。。
今29歳なので、後14~5年はかかるのでしょうが・・・。

その時にまたこの感想を読めたら面白いですね。

ありがとうございました。

投稿者 nkatani 日時 2014年6月30日


「嫌われる勇気」を読んで

実は、以前に本屋でこの本を見かけ、少しだけ気になっていました。
とは言いつつも、「人目を気にせず、やりたいこと(やるべきこと)を貫け」
というような自己啓発系の本なんだろうなぁ。
と思い、少し敬遠気味な部分もありました。

今回の課題図書になり、半ば喜びつつこの本を開けてみると、
心理学の入門に近い位置づけの内容になっており、
予想が外れたなぁ。と思ったのが最初でした。


まず、何にしても、導入から飛ばしてくる青年の発言が強烈でした。
「あなた(哲人)は間違っている。私が正して差し上げましょう」
と言わんばかりの上から目線のから、
グイグイと話の中に引きこまれていくのを感じました。
しかし、後になってから、
「この青年のうがった発言のおかげで理解がより深まった」
ということに気づくようになりました。

内容としては、おもわず「なるほど」とうなづかされる内容が多いですが、
特に印象に残っているのが下の2つでした。

・「人は怒りを捏造する」の目的論の話。
人間は感情によって動かされるのではなく、
目的を果たすために感情を発生するという事なのですが、
目から鱗が落ちるような感覚を覚えました。
感情は自分を操る主ではなく、自分が行動をする後付の理由。
感情に振り回され、悩まないよう、覚えておきたいと思いました。

・「お前の顔を気にしているのはお前だけ」
自分勝手なのは論外ですが、人の評価ばかりを気にしないようと言うことです。
人の目に映る自分にばかり気をかけているということは、
結局、自分の事ばかり気にしているという事です。


感想文の最初にも書いた通り、タイトルだけでは「キャッチーな自己啓発本」に見えますが、
いざ内容を見てみると、とても示唆に富む内容の本でした。

今でも大きな示唆を得る事ができましたが、欲を言うなら、
「誰も評価してくれないから努力しない」
と考え努力を怠ってきた小・中学校時代、
劣等感に縛られ、不必要な事に思い悩んだ高校時代の自分にこの本を読ませてあげることがあれば、
もっと楽に生きる事ができただろうな。と思いました。

投稿者 akiko3 日時 2014年6月30日


「嫌われる勇気」を読んで

 今を生きる。
土曜日の夜、広島前夜祭、そして、バージョンアップ編再受講+二次会。
濃~い時間を過ごしました。普段、夜の繁華街に出ることないのに、午前様。睡眠時間4時間でも、低血圧気味でも朝一番で会場入り!このやる気はどこからでてきてるんだ?!
梅雨の湿気が苦手で、体調不良気味だったのに。カチッとハマれば、頑張って起きないとと思わなくても起きられるを体感。

アドラーは読んだ。哲学者のいわんとすることはわからないでもない。他の本やセミナーでも言われていること。じゃ、その具体的な方法は?技を教えてもらっても、どうやって使ったらいいか、自分の現実に、具体的なあてはめ方がわからない。セミナーも課題本も同じ。Inputは、情報は入れても、その背後にある価値観がわかっていないから、何もできない。変えられない。(ジュースの味とかは変わってもね、現実の自分の変えた方がいい部分を変えられないまま、どう願えばいいかがわからなかった)
だけど、求めれば与えられる。わかりたいな、本当をちゃんと受け取りたいなと思っていたから、与えられた。再受講って深い!!すごくよくわかった。というか、やっと理解できた。(今まで、いろんな例をあげて説明してきていたのに…ってしょうおんさんは呟くでしょうが…。)
しょうおんさんのセミナーは、自己啓発(に怪しい力を+)だから、課題本の内容がまんま、被るのは当然っちゃ当然だ。セミナーの内容を、価値観をInputして欲しいから、そういう価値観が書かれている課題本を与えてくれている。本読んだ方がいいよってことは、読むに限る。だけど、Inputしても価値観までちゃんとくみ取れないこともある。セミナーに参加しても受けとれないことがある。今回は前夜祭がなければ、このOutputも全然違うものになっていた。まさに、本の中の哲学者が、しょうおんさんで、若者が自分で、リアルに本の中の世界が繰り広げられた(ややピイ~ピイ~聞こえてきたようなこないような。いやいや是故空中無色ですよねぇ~)本当にありがたい世界を味わえた。人生面白いな。面白い場を体験できているな。
腑に落ちた訓練は(やった方がお得だし)やるしかないから、わかってからが淡々と大変(日本語変ですが…)だが、“変わる”ことは、“行動する”ことだから、あーやっぱ、10分書き出しをやってから寝よう。
ありがとうございました。

投稿者 dukka23 日時 2014年6月30日


【嫌われる勇気を読んで】

あまり知名度はないがフロイトやユングと並ぶ
世界的な心理学者アドラーの理論を学べました。
しかも古典的な”対話”という形式で書かれているので
議論の情景が頭に浮かびやすく、そして思考のプロセスも順を追って考えやすいため
一気に読み進められてしまいます。

この本を読み進めながら、私の頭を過った感覚は、

①「なぜこんなにも、この青年に共感をしてしまうのか」
②「ビジネスに置き換えたらセオリー通りではないか」

ということでした。

①のこの青年への共感ということに関しては、
かつて、私が通過し、今も悩みや苦しみや
「社会」への不満などを
まるで知っているかのように、描かれています。

そして、この本が評価され売れているということは
その感覚は私だけに留まるものではないのでしょう。

ということは、この青年が思うようなことは、
年齢や、性別や、学歴や、社会的地位や、
境遇や、過去の経験などに関係なく思うことなんでしょうか。

もちろん、その人が置かれた立場によって、
思い、悩むレベルや、フォーカスすることは微妙に異なるのでしょうが、
それでも「人が生きている限り思い悩むこと」に対して、
見事なピラミッド構造で体系立てて解説をするアドラー心理学を
この書の中で「哲学」と呼んでいることもうなずけます。


次に②ビジネスではセオリーではないか、という点です。
①のように感覚的には共感するところは多いものの、
一歩引いて、ビジネスに置き換えると
至極まっとうなことを書いているのではないでしょうか。

例えばある製品のマーケティングを考えた時には、

■なぜ売れなかったか、その原因を突き止めること

は確かに重要ですが、それよりも

●では、どうすれば良いか(目的論)

のほうが絶対的に重要です。
(原因も突き止めず、アクションをするのは論外ですが)

ですが、アドラー心理学以外の心理学が
人を対象にした瞬間に、
原因を突き止めることだけに重きを置かれてしまっている。

そしてなぜか、人の感情として受け入れやすくなっている。
この青年のように新しい概念である目的論を考え出すと
否定的な感情になりやすい。

ビジネスの世界であれば、

・経済環境などの外部環境が変わったので、売上目標に達しませんでした。私のせいじゃないんです。

ということは、言い訳になりません。

どれほど外部環境が変わろうとも、
それに即して自社を、製品を、やり方を変えて行くのが当たり前です。

しかし、心理学では極端に言えば
・外部環境に原因を見つけて
・内部環境を変えることは無いんだよ。仕方ないことだからね。
となってしまいます。

たとえ、そう感じてしまうことが正直な気持ちであっても
人生を変えていくには、周りのことを云々言う前に
まずは自分から変わっていかなければいけないということを
改めて気付かされるものでした。

===

アドラー心理学では、何かを変えるには「自分がカードを握っている」ことに
気付くことからスタートし、

「自分には何ができるか」
「人生の中で逃げずに立ち向かうべきものはなにか」
「自分が他社に貢献できる、と思えることは何か」

を明確にし、認識することで、
自分なりの一歩を踏み出すことを後押ししてくれる
考え方だと理解しています。

そしてこのことは、「幸せ・不幸とは感情である」、
ということにも繋がってくると思います。

他人や環境のせいにして、可能性の中で生きているだけでは
起こることすべてが「不幸せ」に感じられるでしょう。
しかし、アドラー心理学の理論を、心から思い行動に移すことで、
すなわち自分を主役に、主観的に、
さらに社会のためになる「他者への貢献」を目的として、生きることで、
自分の周りで起こる事象はすべて幸せに感じられるのではないでしょうか。


「今日この講義を聞いた瞬間から幸せになれる」
とあるように、
「自分が幸せと感じられる」人生は、自らがつくり上げることができる。
そんな勇気をもらった書でした。

投稿者 kenken 日時 2014年6月30日


嫌われる勇気

この本は、Amazon2014年上半期、
和書/ビジネス、自己啓発部門で第一位に輝きました。

本書を読み終えて真っ先に思ったことはなぜここまで売れ、
Amazonレビューの評価が高いのだろうということ。


アドラー心理学は100年前からあるのにもかかわらず、大体的に陽の目を浴びてきませんでした。考え方が良いのにこのタイミングで脚光を浴び、ベストセラーになったのか疑問に思ったのです。

売れた要因として、時代背景を知ろうと思い、過去のベストセラーを約20年に渡って調べてみました。
(参考:1,トーハン:http://www.tohan.jp/
2、全国出版協会 : http://www.ajpea.or.jp/index.html)


調べてみると過去のビジネス、自己啓発分野のベストセラーは、
できない自分から脱却して「自分を高めよう」系の本が多い印象です。
また、タイトルもポジティブで
「こうなりたいなぁ」を想起させるような
タイトルを多く用いているのが特徴的です。

この背景には、ITの発展が一因と思いました。
発展とともに、技術を覚えることを効率よく吸収し、仕事をどう仕組み化していくか、
が要求されるようになってきたのだと思います。
その要求をこなしていくことが、自分の給料アップにもつながると
考えている人々が多かったのかと思います。
また、給料アップの為に、上司に気に入ってもらうことも必要と捉え
気に入ってもらえる立ち居振る舞いを行ってきたと思います。

その反面、近年はITの発展により情報過多になったことで、
一つの考えに束縛されず、多様な働き方、
考え方を持っていても良いのではないか。
具体的には、仕事ができるようになること、上司に気に入ってもらうことが
本当に良い事なのか、と疑問を持つ人々がでてきたのかもしれません。

この疑問を抱える人々が増え、それでも好かれたいという
誰もがもつ承認欲求に反して、
「嫌われる勇気」というネガティブなタイトルが斬新で興味を引き、
ベストセラーにつながる要因になったのかと思います。

また、本書の内容も心に打つ部分があるので、
Amazonレビューの評価や、口コミも起き、
こちらもベストセラーにつながる要因であったと思います。

その内容面ですが、アドラー心理学を大学時代に知っておきたかったです。

当時、自分の納得が行く大学には行けたものの、
大学に入学したら、偏差値の高さを競い合うために勉強してきていたので
疲れ切っていました。大学の友人と自分を比較してしまい、なぜ友人はできるのに自分はできないのだろうと、「自己受容」が出来なくなっていった時期でした。
体調、気分が良い時は、自分のことを受け入れることができたのですが、すぐれない時は、自己否定ばかり。そして、何日も尾を引いてしまっていました。
自分自身を嫌いになれば嫌いになるほど、周りへの依存度が強くなり、
自分はできないからしょうがないと思い、どんどん自信をなくしていきました。

就職活動をしていた際、そんな自分が嫌だったから、
どうにか脱却したいと思い、いろんな本を読んでヒントを
つかもとうとしていました。
その中で自己啓発書を読むのが効率よく変わるのではと思い、
読むようになりました。

当時はスキル系に焦点を当てたものが多く、
習慣術であったり、時間管理術をこなすといったものが
多く出ていました。

実践しても、あまり成長したことを感じられず。
満足感を得ることがなかったのです。
当然のことながら結果が出るまで時間がかかるのに、
途中からは嫌な気持ちを引っ張りながら積み重ねていたので結果が出ても、
嫌な気持ちの部分が強くて、良い結果が出たとしても、
まだまだだめだなぁという気持ちになってしまっていたのです。

またある本には「相手に感謝しよう」とはあるものの、実践しても、
何か、心の中に罪悪感というか、本心から言ってないなぁというのが
強く感じられ、自己嫌悪になる始末。。

はじめの社会人生活を過ごす中で、
他の人はどう考えているのか、なんで自己嫌悪に陥るのかを疑問に持つようになりました。


転機になったのは3,4年前から手を出していない分野、
心理学系の本を読み、セミナーに通いだしたことです。

ここで学んだ内容を実践することで、最近になって
以前よりもうまくいっている感覚をつかむことができ、
嫌いだった自分を、好きになることができています。
また、素直に感謝の言葉を言えるようになり、
感謝の言葉を素直に受け入れるようになりました。
このようになれたのも、日々の小さなことでもできたら喜び、ネガティブな考えを
受け入れ、自分のことを責めないようにしたのです。
まさに本を読む前から「自己受容」を行っていたのでした。

今の状態になるまでに、なかなかなお金と時間を投資してきたため、
もっと早くに知っておけば、立ち直りが早かったかなぁと思ってしまいます。

しかしながら、この悩みに悩みぬいた生活も良い宝物ですし、やっと、
自分のことを好きになれたからこそ本の内容を吸収できたととらえようと思います。

また、この体験があったからこそ、また、
ベストセラーで話題になっているタイミングだからこそ、
周りで同じように困っている人に、自分の体験を話して本を紹介し、
他者貢献をしていけたらなと思う次第であります。

投稿者 gussan 日時 2014年6月30日


嫌われる勇気  自己啓発の源流「アドラー」の教えを読んで


世の中に引く手あまたある成功法則
・ポジティブ思考
・引き寄せの法則
・思考は現実化する etc…

実行しても(してるつもりになっている?)巧くいかない自分がいて、それは何故だろう…何が巧くいかない原因なのであろう…と自問自答してきた自分に対して、そのことに対する回答が、この本の中にあるような気がした。

この青年の考え方は、まさに今の自分の考え方にそっくりで、本を読みながら、自分自身が青年になって哲人に対して、くってかかっている様な思いで読んでいた。

哲人の言うことについては、頭では理解できるし、納得もしているつもりで読み進めていたが、それでも、自分の人生をシンプルに考えることができていないのはなぜか。

青年は、最終的には、哲人の言う、人生は連続する刹那であり、「いま、ここ」を真剣に生きることが大切であるということを理解し、アドラーの思想を青年なりに理解したようであるが、自分には、まだ、理解ができていない、というより、腑に落ちないままである。
その直前までは、自分と青年を重ね合せて、読み進めてきたが、最後に至って、青年が何故、哲人の言うことを理解できたのかが、自分には納得できないままで、青年の中で、何故、世界はシンプルであり、人生もまた同じであると最終的に思えたのか、その点が分らないまま、本を何度か読み返してみても、未だに腑に落ちないままである。
青年は自分の中にある霧がはれたようであるが、自分自身はまだもやもやとしたままであり、自分は取り残されてしまった気がしている。

哲人と青年の会話は数ヶ月に亘るものであるし、その間に青年が色々と考えた中での結論ということであろうから、この本を読んで、せいぜい半月程度では、まだ、そこまで自分が理解できず、腑に落ちなくても、やむをえないのかもしれないし、アドラー心理学を理解して生き方が変わるようになるまでには、自分の年齢の半分近い時間が必要になるとも書かれていることからすれば、自分の場合には20年以上の時間が必要になることになり、半月程度で理解でき、自分の生き方が変わったというのであれば、ある意味、嘘になるかもしれない。

結局は、アドラー心理学で説かれていることは、自分の顕在意識においては理解できていても、それを自分の潜在意識に落とし込むところまでいっていない、ということであろうと理解した。そうであればこそ、アドラー心理学を理解して生き方を変えるには、自分の年齢の半分ほどの時間が必要になると言うことなのかもしれない。
ただ、今の自分にそんなに悠長なことを言える時間はないし、とにかく潜在意識への落とし込みをやるしかない。

では、自分の潜在意識に落とし込むためにどうすればよいか。
結局は、これから、この本に書かれていた、自分への執着を捨てて他人への関心に切り替え、共同体感覚を持つことや、対人関係を横のものとして捉えること、自己受容、他者信頼、他者貢献等について、自分の日々の生活の中で、実践することを続けていくことしかないのだろうと思う。

青年と同じように、他者からの評価をどうしても気にしてしまうのが、今の自分であり、また、対人関係を縦のものとして、これまで生きてきた自分がいるわけであるから、いきなりそれを変えることは難しいであろうが、他者の自分に対する評価のような自分にはどうにもできないことに思い悩むのではなく、まず、日々の生活において、寝る前に、今日は自分なりに他者に対して貢献できたことがあったかを思い返してみようと思う。
また、対人関係を横のものとしてみるというのは、自分の子供との関わり合いの中で、褒めず叱らず、勇気付けるという関わり合い方を心がけてみようと思う。

まず、そこから始めてみて、改めて、この本に戻ってみて、その上で、自分の中で、どう解釈が変わるのか、自分が少しでも、人生をシンプルに考えることができるようになったのか、たぶん、自分なりに実践してみては本を読み返すことの繰り返しになりそうだと思うし、この本との付き合いは、まだまだ続きそうである。

投稿者 senumishima 日時 2014年6月30日


嫌われる勇気

他人の顔色を全く気にせずに生きている人はほとんどいないのではないかと思います。
少なくとも自分は相手がどう感じるか気になりながら生きてきました。

・他人の望む価値観に合わせずに生きること。=嫌われること。
・他者貢献のために、他者を仲間とみなし、社会と調和して暮らすこと。

自分にとってはこれをきちんと行動に移すことが果たしてどこまでできるか。経験あるのみと思いました。
それには課題の分離をしっかり腹に落とし込む必要があるのですが、
青年が本書で何度か語っていた通り、理屈では理解している。しかしどのようにしていいか解らない。
といったのが今の自分の素直な感想です。

人生のタスクは目標を達成するためにある。つまりダンスを踊るためにあるということだろうか。
いまここにいること自体が重要であり、自分自身で意味づけをすることができる。
悩みのない世界とは、何もない世界であり、ダンスのない世界。
全体を頭に入れながら今後ダンスを踊ってみようと思います。

もしこのことすべてを行動できている仲間たちの世界はどんな国なのだろうと考えます。
かつて日本にもそんな時代があったのか。
それともピダハン達のような原住民族なのかもしれない。

もし人間の細胞の一つ一つが意識を持ち、一人の人間になったならばどうだろう。
彼らはいまここでできることをやっているように思う。
今人生が終わっても後悔はないと感じているのだろうか。
その一つ一つに、すでに自分の中に答えがあるように感じます。
あとはその答えを自分の意識がキャッチできるかどうか。
アマゾンの原住民族と共に生活することは不可能にちかいけれど、
こんなに近くにある細胞なら、いつでも彼らの生き方に耳を澄ましてみることができる。

そして地球。これをひとつのものと考えたとき、自分たちは人間でいう細胞のひとつとして、この場所でできることをやるしかない。
そして宇宙…と、どんどん意識が広がっていくと、だんだん個の感覚がなくなってしまいます。

悩みのタスクのダンスを踊り終わったとき、どうなるのか。
他者貢献で生きた先にはどんな世界なのか、どんなダンスステップを踊れるのか。
青年になって哲人と語りたいことはたくさんあります。
いまここで踊っていけば自然に分かること。と言われそうですが。
次のダンスを知っていれば今のステップをどうしようか考える楽しみもできる気がします。

投稿者 jawakuma 日時 2014年6月30日


【嫌われる勇気を読んで】

この本のタイトル非常に上手い!これは物議を呼ぶ名前の付け方で、売れる本の一つの奥義ともいえる技法である。本著は青年と哲人の対話の手法を取ることで読みやすくアドラー心理学の説明を行っている。青年の持つ悩みも古今東西多くの若者が抱く普遍のテーマを取り上げ、読者は自分に置き換えて読み進めることができる点も工夫されていた。これは売れる訳だ…。


★『トラウマ』の否定 『原因論』ではなく『目的論』
大学時代に社会思想史を学ぶゼミに所属していた際、ユングやフロイトは多少なりとも議論の対象となったが、多くの方たちと同様にアルフレッド・アドラーの名前は本著で初めて知ることになった。心理学のなかでもフロイトの説く『トラウマ』は非常に認知度が高く、心理学の範疇を超えて日常会話でもよく用いられているように感じるが、本著によるとそこにも問題がありそうだ。
なぜならば『トラウマ』の肯定は『原因論』へとつながるからだ。『原因論』は過去に起こった経験が現状に結びついているという極めて論理的な考え方であり、「この状況は過去の○○の所為なのだ」と非常にわかり易い考え方なだけに、『トラウマ』の明確な否定には正直驚きを隠せなかった。しかし、自己実現や悩みの克服という視点で考えるときには、「過去の経験と現在」を「原因と結果」というものの見方をしている限り抜け出せない場面が多々あるということにも思いあたった。『目的論』はそれとは異なり、過去の経験まで含めこれからの目的のためにどのように自己認識するかにフォーカスしたものだ。マーフィーの法則で潜在意識へのすり込みが重要視されているように、どのような目的のために自己というものを認識するかがとても重要であることが本著でも改めてよく理解できた。これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もないのである。

★『課題の分離』、“困るという感情の排除”
本著のタイトルである“嫌われる勇気”の所以ともなる考え方がこの課題の分離だろう。あえて嫌われることを目的とするわけではないが、自分の課題と他者の課題を冷静に線引きし、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。このスタンスはある意味非常な冷徹さを感じながらも極めて明確な指針となりえることがありありと予想できた。この考え方の先には“困るという感情の排除”があるのではないだろうか。しょうおん先生が以前メールマガジンにて説かれていた内容だ。願望実現を阻害する最大の要因となるのが自分のネガティブな感情であり、“困るという感情”は原因論で考え続ける限り途絶えることはなさそうだ。これからの明確な目的(=自己実現)を目指すのであれば、『目的論』の立ち位置をとることになり、“困るという感情”からは解脱できるように感じられた。

★『他者貢献』と“智の道”
旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも「導きの星」が必要になる。その指針となるといわれていたのが『他者貢献』だった。これを目指す限り迷うことは無いし何をしても良いそうだ。これもよく似た価値観を基本編で学んでいる。そうそれは“智の道”である。課題の分離を行い自らの課題は自らの判断のうえ選択を行いつつ、目指すのは『他者貢献』。WIN=WINの関係。自分の幸せが、そのまま他者の幸せになるその基本設計が重要なのだと理解できた。理屈で理解できても実践が難しいのがこの“智の道”である。セミナー後、幾度となく考えを思い巡らせているが、日ごろの業務等に当てはめて考えてみるのだが納得には未だに至っていない。

★『共同体感覚』とは過去未来も含めた宇宙全体
同期は大勢いるが、社長の席はただ1つの法則。会社での考え方はこれにつながりがちである。これを“智の道”、即ち『他者貢献』で考えるにはどうしたらよいのか。そこで出てくるのが『共同体感覚』ではないだろうか?アドラーの説く『共同体感覚』とは人、動物、植物などの生物だけに限らず、鉱物、石などの無生物も含まれるという。そして驚くことに現在だけでなく、過去、未来のすべてをもそこに含んでいるそうなのだ。アドラーの支持者の多くも難を示したそうだが、実はこの部分こそがアドラー心理学の核にあたるような気がしてならない。読み進めながら宇宙の話が出た時点で、しょうおん塾での宇宙の話とリンクし「キタキタキターッ」と鳥肌がたってしまった。なぜ無生物までも含むのか?これはやや飛躍してしまうが波動と光の講義と何か関係がありそうに感じられた。稲盛和夫氏が経営理念に掲げる“「宇宙の意志」と調和する心”というのも関係があるのかもしれない。

★『ライフスタイル』は自ら選んでいる “価値観→行動→人生”
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」そう断言するアドラー心理学は「世界どこまでもシンプルであり、この考え方を理解すればその瞬間に幸せになれる」と説いている。【幸せ】の概念は自ら感じるものである。【世界】という概念も個々それぞれに見え方、捉え方が異なっている。つまり人の数だけ世界は存在し、その集合が世界なのである。ユングやフロイトが説く集合無意識的なところにのみ世界は存在するのかもしれない。自らが感じる幸せ、自らが見る世界であれば、それは『ライフスタイル』=“価値観”をインストールしなおせば瞬く間に変化して見えるということは当然その通りなのであろう。しかも自らの世界(価値観、世界観)が変われば周囲もそれに影響されない訳にはいかず結果として本当に世界が変わっていくのである。この考えを説いているもう一つの形が『般若心経』だろう。もうなんだか全てが繋がってくるなぁ。
『価値観』が変われば、行動が変わる、行動の積み重なり(=刹那の『いま、ここ』を踊り続けるダンス)が人生なので、価値観の持ち方ひとつで人生は簡単に変わるのは紛れもない事実なのであろう。本日の基本編の案内メールにもあったように“幸せの見つけ方とはスキルであり、その能力が付くだけで世界に対する見え方が変わる。”やはりこれももう完全にしょうおん塾の教えと重なってしまっている。

しょうおん先生は密かにアドラー心理学を学んでいたのではないか?と疑いたくなる読了感であった。(笑)


今月もよい本をご紹介いただき、ありがとうございました!

投稿者 magurock 日時 2014年6月30日


『嫌われる勇気』を読んで

この本を初めて読んだとき、目からうろこがポロポロ落ちた。
そうだ、社会で生きていく以上、すべての悩みは「対人関係の悩み」なのだ。
なんてシンプルなんだろう。
ずっと人の目を気にして、自分が作った檻の中で生きてきた私には、アドラー哲学が必要だったのだ。
子どもの頃から「ここにいてもいいんだ」という場所を探してさまよってきた気がする。
でも、それはそういう場所があるわけではなく、すべて自分次第だったのだ。
まるで『青い鳥』だ。
『青い鳥』は悟りのことを書いているのだと感じていたが、それはつまり、本当の幸せということ。
『青い鳥』では、人間が動物や植物をひどい目に合わせていることに気づく場面があるが、これも「『共同体』は、過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通り『すべて』が共同体」というアドラーの教えに共通することである。
本当の幸せは宇宙まるごと幸せになること。
人間も宇宙の一部分なのだから。

アドラーの名前をこの本を読むまで知らなかったのだが、「共同採石場」と言われるだけのことはあって、様々な物語や思想に息づいているようだ。
本書の中で紹介されているもの以外にも、たとえばドクターモルツの「自分の意思で左右できるものは、他人の評価に対する自分の態度だけ」「コントロールできないものにフォーカスしても仕方がない」。
また、勝間和代氏の「有名人になるということは、見知らぬ人たちから批判され攻撃されることを『日常』と考えなければいけない」なども通ずるものがある(これは彼女の経験からの開き直りでもあるのだが)。

『嫌われる勇気』をどんなときでも完全に持ち続けるようになるには、今すぐには難しいかも知れない。
でも、自己受容、他者信頼、他者貢献を心がけて、連続する刹那を真剣に生きていきたいと思う。
旅の途中の出会いを大切に楽しみながら。

投稿者 whockey51 日時 2014年6月30日


人生における目的とはなんぞやと考えた時に目的はなくて、行動の積み重ねが結果を生み出しているだけだと考えた。あくまでも目的であって、そこに至るのが勇気を出してそうなっているだけにすぎない気がする。だから原因をいくら追求しても結果が出てこなく、目的が現れているとするならば、目的を持つことが正しいのでもなく、原因と結果を追求するのでもなく、ひたすら行動の積み重ねだけが今の自分を生み出しているといえる。
本を読んでの目的を考えるのではなく、本を読んでどういった行動を取るかを考えなくては本を読むこともダタの消費になってしまう気がする。

この感想文もただ感想を持って、目的論がわかりましたではなく、わかった上で何をするかに重きをおく事こそ嫌われる勇気の本質だといえる。

自分のやるべきことは自分で決めて、邁進します。

投稿者 takeda 日時 2014年6月30日


『嫌われる勇気』を読んで

投稿最終日をもって、読み切りましたが、アドラー心理学をとても分かりやすく書かれている事に、感銘しました。

自分の中に落とし込むのに、今の年齢の半分をかければ理解できる、という事であれば、オーディオBOOKもある様なので、毎年読み直す予定の本にします、今は27歳なのでだいたい42歳ぐらいになれば理解できるようになっていれば良いな、と思ってしまいますが、そんな未来の事を考えるのではなく、今この瞬間できること、つまり投稿に精一杯の力を注げるように、頑張ります。

 

『われわれは「同じではないけれど対等」』


例えで、子供の扱い方がありますが

大人扱い=一人前の大人 ではなく、子供扱い でもなく、『人間扱い』つまり自分とおなじ一人の人間として、真摯に向かい合う。

『違い』を善悪や優劣と絡めてはいけない。

私には子供がいますが、今までは無意識に、子供扱い かつ 違いを善悪や優劣で決めつけてきました。
しかし、これからは、同じ一人の人間として、私が決めるのではなく、よく観察し、見守りたいと思います。
そのための援助する方法は、私の課題てあり、どうするのか、は子供の課題だとよく分かりました。

今までのやり方・簡単で通例のやり方を変えるのは、最初はむず痒いと思いますが、
徐々に前へ進もうと思います。

投稿者 sakurou 日時 2014年6月30日


「嫌われる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教え」を読んで

この本は「アドラー心理学入門」の著者である岸見一郎氏との対談をベースに、古賀史健氏が、哲人と青

年との対話、議論を通じて青年がアドラー心理学への理解を深めていくというストーリに構成したもので

ある。

私自身「アドラー心理学入門」も読んだが、アドラー心理学は内容がシンプルであるがゆえに日々の実践

に活かしづらかったように思える。

この本は日常生活での常識に囚われて生きる青年の疑念に哲人が応えながら、青年の疑念を晴らし、前向

きさを取り戻す、という構成となっている。

そのため、具体的かつ、実践的な内容が多く含まれ、日常生活に活かせるアドラー心理学が学べるという

意味で非常に有益な本である。

特に、三大心理学者としてフロイト、ユング、アドラーが取り上げられるが、アドラーは他の二人の「現

在は過去に原因がある」とされる「原因論」とは異なり、「現在は過去とは関係なく、未来は変えられる

、」という「目的論」を主張する点で、他の2人とは対照的である。

そのためか、アドラー心理学は自己啓発、特にコーチングの基礎理論として取り上げられることが多い。
ただ、コーチング本はビジネス本に属するためか、テクニックに関する記載が多く、背景となる考え方に

関する記載は少ない。
そういう意味ではこの本はアドラー心理学の基本を知ることができる数少ない本である。

ただ、しょうおんさんのセミナー基本編を受講したが、「世の中は自分の見たようにできている」等、見

事なまでにエッセンスが一致する。

この本を読む前、私も青年のように自分に自信が持てず、悩んでいるところであった。

そんな私を哲人(アドラー)は「全ての悩みは対人関係である」「自分と他人の課題をきちんと分け、他

人の課題を切り捨てよ」「嫌われること、他人の評価を気にせず自分の信念で行動せよ」と背中を押して

くれた。

また、「自己受容(できない自分も含めて受け入れる)、他者信頼(裏切られることを無条件の信頼)、

他者貢献(他者へのコミット)」により、共同体感覚(宇宙や過去も含めた様々なコミュニティを意識す

る感覚)を形成せよ、と諭してくれた。

さらに、極めつけには「いま、ここに強烈なスポットライトを当て、真剣かつ丁寧に生きろ」と一歩を踏

み出す勇気を与えてくれた。

帯の伊坂幸太郎氏のように涙は出なかったが、読後に勇気と爽やかさを与えてくれた。

現在、SNSの普及や成果主義に見られるように、何かと他者との関係や他者からの評価を気にしなければ

いけない世の中になっている。特に以下の様は人には強く薦めたい。

・人間関係に悩むビジネスパーソン

・他人と自分を比べてしまい、劣等感を感じたり自分に自身が持てない人。

・いろいろな悩みを抱え込んでいる人。

・将来に不安を抱えている人。

・全ての若い人。

こういう本がもっと早く出なかったのか、と本当に思う。

現在、私の子供は小学生だが、彼らが中学生になったら必ず読ませたいと思っている。
(親としては、褒めたり叱ったりしない、感謝で自立を促す子育ても非常に興味深かった。)

何かと暗い話題が多い世の中だが、この本が与えてくれる未来は決して暗くはない。

なぜなら、自分の見えている世界は自分の視点で作ったものだから。

この本を読み、自分を信じ、他者貢献という「導きの星」に向けて、一歩一歩確実に進んでいくことが、

しょうおんさんの言う「智の道」に導いでくれるものと確信する。

投稿者 omieakanat 日時 2014年6月30日


販売部数が既に20万部を超えているそうで、日本人に受けやすいタイトルとい
うのもありますが(Noと言えない日本人的に)、こうして読書をして自分以上
に勉強している人が星の数ほどいるんだなぁと思うと新たにやる気が涌いてき
ます。

読み終わったと同時に、ほりえもんがメルマガで「私が40年かけて辿り着いた
結論に既に100年も前に到達していた人がいたなんて!」「私はここまで明瞭
に自分の理論を説明することはできない。」と言っているのを目にして何故か
うれしくなりました(ミーハーか!)。

ほりえもんのイメージというと「合理的で、サバサバとした考え方」が時に冷
たく映るわけですが、この本を読むと何故そういう考え方に達するのかが鮮明
に「なるほどな~」と納得します。

☆ 「成功出来ないのは成功したくないから」

成功出来ない人というのは悪い意味で変化を拒否している人(ホメオスタシス)
だと思うのですが、その事について、この本では「本来は何の因果関係も無い
事情に、重大な因果関係があるかのように自らを説得し納得させてしまってい
る状態」と説明してくれています。

例えば、学歴にコンプレックスがある時、「学歴さえ高ければ成功できるのだ」
と考える人がいます。

しかし、実際には良書リストにもある大根田勝美さんのように学歴が低くても
成功している人もいるわけで、これが学歴と成功には何の因果関係も無いので
すが、自分が成功出来ない材料としている状態です。

そしてこの変わりたくない、という状態から一歩踏み出す為には「なるほど~!
そう考えれば良いのか!という点で目から鱗がポロッ。

アドラーはその視点の取り方が凄いですね。この他にも何度も斜めから切り込
まれたり、裏からえぐられたりしました(笑)。

☆ 劣等感について

劣等感はどんなどんな成功者でも持つものだ、ということに勇気づけられ、短
所ととられがちな劣等感が実は自分の「主観的」な解釈であり”事実ではない
”という事実をつきつけられ、またしてもなるほどな~と思いました。

客観的に見れば自分が主観で考えていた劣等感も相手にとっては使いようがあ
る長所かもしれず、よってこの事実が分かれば劣等感の解釈を”自分で選択可
能”だと。

自分で選択可能ってすごいですよね。要は主観なんか無視して勝手に解釈しち
ゃえば自信なんていくらでも作りだせるということですよね。

この劣等感を使い倒せば(!?)自分の中の「優越性を追求する欲求」を暴走
させ爆発的に成長することもできるわけです。

まさに魔法のテクニック。

この他にもワクワクする実践テクニックを色々吸収させて頂きました。

最初はこの中に出てくる青年のように、自分の人生の土台を作っている思考パ
ターンを何度もひっくり返されるような感じで「え、ちょっと待って」となり
ますが(笑)、それが次第に心地よくなり、最後にははまってしまいました。

自分の事を許す事が出来、そもそも自分を嫌いになる理由なんて全くなかった
のだという気付きを得られて自分を好きになることが出来る本でした。

今回も良書のご紹介ありがとうございました。

投稿者 tadanobuueno 日時 2014年6月30日


嫌われる勇気を読んで。

読んでいて、心臓一突きとの感覚を、何度も感じてしまいました。
同時にアドラーがフロイト、ユング程、日本で認知されていない理由が分かった気がしました。
全ては自分の感じ方ひとつで全て変えられる、故に現状の責任は全て自分にある。
こんな耳に痛すぎる使用の心理学よりも、自分を擁護してくれる所有の心理学、原因論が主流になる、非常に分かりやすかった。

人は変えられない、変えられるのは自分のみ、だから自分が変わる。
自分の物の見方、捉え方で見えている世界の意味付けは変わる。
全ての物事は自分と他者で成し遂げていくこと。
親、夫婦、子供、友人、地域の人々、会社の人々等々、とどのつまり全て人間関係。
自分が生きてきた中で恋愛や仕事での経験を経ることで、これらの点は感じており、人生はシンプルとも感じていた。

今回、本を読んで衝撃的だったのは、自分は本当に表層のみを理解した気になり、そこで悦に浸って思考が停止しており、もっと突き詰めて自分の行動に反映し、自分が変われる、人間関係からも楽になれる機会を逸していたことに気付いたこと。

子供に対しての接し方のくだりは自分にとってただただ心に痛かった。
褒めることは、縦の関係でみている、見返りを求めている、操作の裏返し。
全く仰る通りで、一生懸命人を変えようとしていた。
人を変えることはできないかと分かりつつ、課題の分離や介入の排除の視点から考えれば問題なのは明らかだが、褒めることから抜け出せずにいた。
新人教育も褒める発想から全く抜け切れていなかった。

褒めることは能力がないと自覚させる。
評価しない、対等にみて貢献に感謝する。
本当に心に痛く、でも目から鱗の言葉でした。

縦の関係、競争からの離脱。
行為でなく、評価でなく、存在への感謝を。

本当に世の中はシンプルなんだと思います。
会社の人間や子供達に、何か自分で期待し・見返りを求め、勝手に怒りを増幅させて心理的な余裕・穏やかさを失っている。
もっと存在へ感謝し、良い面をみて素直に学び、信頼する。
書いただけでも優しい雰囲気がする。
この雰囲気が更に信頼を増幅する雰囲気を作り、結局こちらが意図しなくても周りの人も変わってしまうんだと思います。
これから少しづつ、自分の全ての行動に今回読んだ内容を反映させて、自分をもっと変えて、世界まで変えていこうと思います。

本当に素晴らしい本との出会いを戴き、ありがとうございました。

投稿者 hanaoka111 日時 2014年6月30日


**初めて投稿します。拙い文章ですが、よろしくお願いします。

『嫌われる勇気』を読んで

青年と哲人の対話を通じてアドラーの考えを提示していく形の進め方になっており、
最初は対話形式のため少し冗長に感じたが、青年と一緒になり哲人と対話し、
考え悩みながら読み進めることで、理解が深まった。
 仕事をしていると、誰もが上司や同僚、部下との人間関係に悩むことが多いと思う。
他人の行動や言葉が気になり、場合によっては仕事が手につかなく事もある。
本書では、なぜそのような反応を他人や自分がしてしまうのかを、解き明かしている。
その中でも、私は、「原因論」と「目的論」の違いが分かったことが大きいと思っている。
どうしても「原因論」で他人や自分の言動を判断してしまうことがあるが、そうではなく、本人が意識しているか無意識かは別にして、実際は「目的論」に基づいて行動してしまっていることが理解できた。
 次のステップは、本書を読んでこれからどうするのかということであるが、本書には
「あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。」と書かれており、他者からの承認を求めるのではなく、自分が主観的に誰かの役に立っているという感覚(貢献感)を自分で実感していくことが、必要であると考える。
 あとがきに「プラトンがソクラテスの言葉を正しく理解したからこそ、ソクラテスの教えは今日まで伝わっている」とあり、岸見一郎の岸見アドラー学を、もう一人の著者である古賀氏が正しく理解し、本書が生まれた。その結果、より多くの人が本書を読み、岸見アドラー学を理解できるようになることは、素晴らしいことだと思う。以上

投稿者 chaccha64 日時 2014年6月30日


「嫌われる勇気」を読んで

心理学とはフロイトのトラウマ、原因論からのアプローチだとばかり思っていました。同時代に、アドラーが、過去に原因を探すのでなく目的に注目していたことに驚きました。
確かに、同じような経験をした人でも、病気になったりするのに、それを乗り越えて普通に生活する人がいます。それは、その人の気質、性格によるものだと考えていましたが、「目的」に着目すると理由がわかってきます。前者は目的のたまにその経験が必要だったし、後者はそもそも目的が不要だったということです。
この目的を中心に人生をどう生きていくかを考えていきます。課題を自分のものと他人のものとに明確に分離し、自分の課題だけに着目し、処理する。つまり、人生劇場の監督は自分だということ。とはいえ、共同体意識を持ち、自分がその中心だと思わず、共同体員の数だけ中心があり、縦でなく、常に横の関係を考え築くこと。そして、未来のことを考えるのではなく、今何をすることが将来のベストなのかを考え行動すること。
理路整然と説明されて、「なるほど」という感じはしますが、共同体意識のあたりからぼやーっとしか理解できなかったという感じがします。しかし、アドラー心理学の考え方が実践できれば、楽に生きられるように思います。少なくとも、課題の分離、それから次の承認欲求を持たないこと(他人からの承認は他人の課題であり、「嫌われる勇気」を持つこと)から、実践していきたいと思います。

投稿者 ken2 日時 2014年6月30日


『嫌われる勇気』を読んで

【起】
本のタイトルについて

「どうすれば人は幸せに生きることができるか」
という問いに対する答えを端的に、かなり刺激的に表現している。

行間を補足すると
(わざわざ嫌われたいと願う人など誰もいないが、あらゆる人から好かれようとするのでなく)嫌われる(ことを恐れずに、自分の生き方を貫く)勇気、といった感じになろうか。

【承】
アドラー心理学がすごく衝撃的なのは
「常識へのアンチテーゼという側面がある」ことに集約されているようだ。

・原因論を否定し、トラウマを否定し、目的論を採用していること
・人の悩みはすべて対人関係と言い切ってしまうこと
・他者の承認を求めないこと
・自分と他者の課題を分離すること

これらのキーワードを目にしたとき、
当初はなにかとても冷たく突き放されたような印象を受けるが、
ひとつひとつ手に取りじっくり吟味してみると
どれも逆説的で反語的な響きがじわじわと伝わってくる。

自分自身としても他にもツボがたくさんあった。

「縦の関係」と「横の関係」
ほめるもしかるも背後にある目的は操作。
他者の承認を求めるということは
対人関係のカードは常に相手に握られているということ。
他者貢献と自己犠牲の違い。
自己受容と自己肯定。
自己受容→他者信頼→他者貢献は円環構造。
行為のレベルで受け入れるか存在のレベルで受け入れるか。
貢献感
人生は線ではなく、点の連続、刹那の連続、レールではない。
プロセスそのものを結果とみなす。
常に完結。

さまざまなキーワードが頭の中で踊っているが、
それらが本当に腑に落ちるのは、以下に述べるヴィクトール・フランクルのように自分が実際に何かを経験したときであろう。
 
【転】
ナチスドイツの収容所生活をルポした「夜と霧」を著わしたヴィクトール・フランクル。
彼が生き延びて「夜と霧」を著わすことができたのもアドラー心理学、哲学のおかげかもしれない。

フランクルの経歴をみると、
「ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。」とある。

似たような表現を見つけた。

「本書」
「一般的な人生の意味はない。天災などの困難に見舞われたとき、これから何ができるか考えるべき。 
人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ。」

「夜と霧」
「生きる意味を一般論で語ることはできない。
あなたが人生を問うのではない、人生があなたに何ができるか問うている」

また、フランクルは収容所での生活においてまさに
「自己受容」→「他者信頼」→「他者貢献」を実践している。

フランクルが苛烈な収容所生活のなかで、耐え抜いて生き抜いてこれたのも
アドラー哲学を北極星のように「導きの星」としていたからではないだろうか。

【結】
先月の課題図書で読んだ「ピダハン」との共通点もあった。
「いまここ!」に強烈なスポットライトを当てて生きるということ。

「ひとは客観的な世界に住んでいるのでなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる」
ゆえに「何が与えられているかでなく、与えられたものをどう使うか」というように解釈を逆転させること、視点を転換させること、価値観を転換していくことが必要だ。

「共同体感覚」と「他者貢献(感)」を意識して、自分自身がどうあるか、一瞬一瞬を選択します。

今月もありがとうございました!

投稿者 takizawametal 日時 2014年6月30日


痛かった言葉と、それがなぜ自分にとって痛かったのか?について
の考察   「嫌われる勇気」を読んだ感想に換えて

 

 

痛い言葉だらけだったが、特に痛かったのは以下の7個。

 

1.健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、
「理想の自分」との比較から生まれるもの


痛い理由:自分の見てくれにコンプレックスがあるせいか、他者を
見たときにまず「自分とどう違うか?」を確認してしまう癖がつい
ている。ここで作者が言っているのは、けして見てくれの話ではな
いのだが、作者が考えるちっぽけな問題にすら、自分が到達してい
ないことを気づかされた。


2.「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょ
う。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、
人生をシンプルなものにする第一歩です。


痛い理由:常に他者から見て「優しい自分」であろうとし、優しい
自分が結構気に入っていた、しかしそれは作中で語られいる他者の
人生を生きている事にほかならなかった。


3.自由とは他者から嫌われることである。


痛い理由:皆と仲良くしたい、皆を愛し愛されたい、それが自分の
中での普遍的な欲求であると思っていた、そしてそれが正しいとハ
ッキリ思っていた。

この言葉はそれらをすべて跳ね返し、尚且つ「すべての人から嫌わ
れないように立ち回る生き方は、不自由極まりない生き方であり、
同時に不可能なことです。」とキッパリと哲人に言わせる。

現在所属する社内での自分の立ち振る舞いが、まさにこれで胸がジ
リジリとした。この段階ではまだジリジリの正体はわからない。


4.ありのままの自分を受け入れる、つまり「自己受容」する、から
こそ裏切りを怖れることなく「他者貢献」することができる。さら
には他者に貢献するからこそ「私は誰かの役に立っている」と実感
し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」す
ることができる


痛い理由:自分ほど自己受容できていない人間はいない、自分の仕
事のサラリーの低さをいつも嘆いていながら、仕事の中身自体は大
好きで嫌いになれない。自己受容できないから他社貢献もぎこちな
く、通り一遍の在り来たりなつまらないものになってしまっている。


5.対人関係がうまくいかないのは、吃音のせいでも、赤面症のせい
でもありません。ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献
ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部に
だけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。


痛い理由:1の理由にも書いたが、自分の見てくれのせいにして、
どうでもいいはずのごく一部のせいにして、自分と自分の周りを評
価していた。その事を見透かされ、鏡に大写しにされたような気が
した。


6.幸福とは貢献感である。


痛い理由:他社貢献とは、目に見える貢献でなくとも構わないとい
う、私は誰かの役に立っている、と思えればそれでいいと、、、ジ
リジリ感の正体がだんだんとわかってきた。


7.「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。


痛い理由:ジリジリ感の正体は、「本当は分かっていたのに見ない
ようにしていた、後回しにしようとしていたこと」を目の前にさら
され、相対させられたことでした。


早退させられて、見せられてしまい、自分が再認識してしまったか
らには後にはひけないのでしょう、これからは「いま、ここ」にフ
ォーカスし目をそらさずに生きていくしかない。

投稿者 gizumo 日時 2014年6月30日


「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 」を読んで

 大変面白く、大変難しい課題本でした。
 ネットや書評などで評判の本で「へぇえ~」という感じと“自己啓発”好きの自分には興味があったが「いつか読もう・・・」の“欲しいものリスト”入りの本でした。
 今回、ちょっと意外に課題本となり喜び勇んで読んでみたものの・・・。
 主人公の青年にはイライラするし、頭の上にははてなマーク?をいっぱい浮かべながら読み進めることになった。
 実際どれくらいの内容を理解したかは、不明。アドラーの他の著作を読んだり、読み返したりで少し身に着くのかもしれない。
 疑問だったのは、なぜ「心理学の三大巨頭」と称され自己啓発のメンターに多大な影響を与えたといわれるのに今まで日の目を見なかったのか?難解だと思われる部分は他の心理学説が主流ゆえに理解を困難にしているのでは?
 やや、商業的な流れの中での出版では?と穿ってしまうのはよくないと思うが、おかげで読む経験ができたことは大変ありがたく思っています。自分にとっての懸案事項も柔軟に立ち向かえそうです。
 
 一番感動(?)した個所は『「いま、ここ」に強烈なスポットをライトを当てよ』の部分。
 過去を言い訳にし、未来を不安がって行動しようとしない、自分に痛く突き刺さった部分です。そういえば、ポイントはずれると思うが、旅行に行っても楽しみにしていたライブや舞台に行っても、経験しながら(観ながら)冷静に「あと、○○時間で終わるな・・・」と考えている自分はどれだけ“いま、ここ”を楽しまずに損をしていたんだろうと・・・。

 タイトルが若干オーバーでふさわしくなかったのではと感じる自分はまだまだ「導きの星」が見つけられていないのかもしれない。

投稿者 tractoronly 日時 2014年6月30日


先日、あるDVDを見ました。
悟りを開いたと言われるエックハルト・トールの講演を収録した「イリュージョン」「アウェイクニング」「エンライトメント」の3部作です。
その中で印象的だったのが「過去も未来もあなた達の頭のなかにしか存在しない。だから変えることのできる”今ここ”を一所懸命生きよう」というものでしたが、ご存知のようにアドラー心理学とほぼ同じことを伝えており、それぞれ違うアプローチから同じ結論に達しているのは非常に興味深かったです。

それ以外以外には
・「自分自身および他者の本質的要素に対して目を開き、存在についての普遍的な真実を見つめる。」
・「抗わない人生の美しさと、いかにしてそこに至るか。」
などがあり、嫌われる勇気での「行為ではなく存在しているだけで価値がある」「人はいま、この瞬間から幸せになることができる」のように幾つもの類似点が見られました。

それにしてもこの奇妙な一致が不思議でたまりません。まさかアドラー心理学は悟りを開く学問?
そうだとすると、学び実践することがもっとも困難であるという理由も合点がいくし、実践ができなくてもなんだか大乗仏教のように真理を目指しているだけで良いというように肩の力を入れずに気軽に取り組めるように思いました。
なんにしても幸せや自由は”今ここ”に集中することで引き寄せられそうです。

ありがとうございました。

投稿者 6339861 日時 2014年6月30日


答えをいそぐ青年に対し、哲人は言いました。
なぜ、そう答えを急ぐのです。
答えとは誰かに教えてもらうものではなく、
自らの手で導き出していくものです。
他者から与えられた答えはしょせん対処療法にすぎず
なんの価値もありません。

このフレーズが心に沁みました。
セミナーに慣れ、無料のメールマガジンに慣れ
何かを分かったつもりでいても、それは価値がないものなんだと思います。
教わったことから気づきを得て、それを自分なりに腹に落とし、
何度でも再現できるレベルまで血肉化して初めて
自分の欲しかったものを得られる効果が現れるのだと
つくづく思いました。

そのためには意志力と継続力が必要です。

哲人はこうも言います。

人はいろいろ不満はあったとしても「このままのわたし」でいることの
ほうが楽であり、安心なのです。

しょうおんさんも、同じようなことを言っています。

「私のセミナーでも、本気でやれば必ず人生が変わる、そういうホンモノの情報
をいくつも話しているんです。でもね、残念ながら本気でやる人とそうでない
人に分かれるんですよ。後者の人ほど、実はお金にも困っていなくて、生活も
安定していて、そこそこ幸せに生きていたりするんです。」

いくらしょうおんさんから有益な情報をもらっても、意思力をもって、
自分で答えを見つけ、それをやり遂げなくては、なにも変わりません。

アドラーは、それを「幸せになる勇気」と表現しています。

これはそう簡単なことではありません、哲人は劇薬とも表現しています。

しかし、それゆえにシンプルでもあるのです。

そしてアドラー心理学の鍵概念ともいえる”共同体感覚”
これは”智の道”の概念に似ているなと感じました。

今日から少しづつでも勇気を出して、ライフスタイルをチェンジしていきます!

投稿者 kikukikuyuyu 日時 2014年6月30日


万物は流転すれど、その質は変わらず。
「嫌われる勇気」を読んでみて、先ずもっての所見です。
アドラー心理学が生まれた背景には、西洋が地球上の各地に植民地を持ち産業革命を成し遂げ、文明の隆盛を極めいていた時代であり、現代以上に人・物・金が自由に国を越えて行き交うグローバル化された世界があった。アドラーとほぼ同じ時代を生きたオルテガは怒りと共に「大衆の反逆」を世に放ち、シュペングラーは驚愕と混乱の中で「西洋の没落」を書き記したであろうかの時代の潮目が、再び世界を覆いつつあるように思われ、私は興味深く本書を読み返した。
で、感想はアドラーの問題認識はオルテガとソックリではないか!
本書に登場する青年が哲人に食って掛かる様子を、私も含め多くの方が(程度の差こそあれ)我が身にも憶えのある思い込みとして、又は現在進行形の考えとしてチクチクと胸に刺さるモノを感じながら頁を捲り、そして哲人の回答と説明を“あれ?もっと前にどっかのセミナーでも教わった様な…”という気がしながら“然り、然り”と納得し読み進めたであろうと想像する。そして、私は青年の姿にオルテガの定義する「大衆」、哲人に「選ばれた少数者」を見る思いがした。青年(かつての私の大方、そして現在も少なくない一部)はオルテガ風に表現すると、凡俗な人間が、己が凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、至る所でそれを貫徹しようとしながら、自己完成への努力をせず、自分の安楽な生活を最大の関心事としながら、その実、その安楽な生活の根拠に連帯責任を感じていない。自己の中に閉じこもって、何物にも、誰にも関心を払い得ない。一方、哲人をオルテガの表現で言えば、常に自己を超克し既成の自分にを超えてゆく態度を持っている勇敢な人で、自分が常に愚者に成り果てる寸前であることを肝に銘じ、すぐそこまでやってきてる愚劣さから逃れようと努力を続ける人であろうか。
しかし、結論において私はアドラーを選択する。勇気を持って、幸せであることを選択する。オルテガが言うように、「ばかは死ななければ治らないのであって、ばかに抜け道は無いのだ」とい事にならない様に。ポリアンナという落とし穴に気を付けながら、前に進む勇気を持って。
ありがとうございました。

投稿者 andoman 日時 2014年7月1日


「嫌われる勇気」を読んで


"すべての悩みは「対人関係の悩み」である。というのがアドラー心理学の根底に流れる概念である。"
と哲人は述べていた。
人は誰しも他者との関わりの中で生きている。
この本を読み進んで行くに連れ、知らずのうちに"他者との関わり"が自身の人生を左右し、幸福をも支配されている事が理解する事が出来た。
確かに哲人の述べる通り、多くの人が家族、友人、上司、同僚、級友といった、近隣他者からの評価(承認欲求)を重要視するあまり、自由に行動できず、意思や行動に制限をかけてしまっている。
私も仕事上で、上司の顔色を伺い、「これだ!」という自分の意見よりも、上司の意見を採用してしまった結果、納得が行かないままに進んでしまい、無残な結果を被った事が幾度となくあった。
それもこれも、弱い自分の上司へ対する「承認欲求」から来るものであったと思う…。

さて、第一夜「人は怒りを捏造する」について、非常に驚きを隠せなかった。
他の内容については、しょうおんさんのセミナーやこれまでの課題図書、過去に読んできた本から学んだ内容に近いものがあり、「うんうん」と頷いていたが、これについては別だ。
P.33から始まった「大声を出すために怒った」という怒りの説明箇所には驚いた。
正直、「怒る」についてのメカニズムは、これまで全く意識した事が無かった…。

仕事中にミスを行った部下や、質問に来た同僚の低レベルな質問(と、その時は感じた)に対して何度が怒った事がある。
今思い返すと、確かに哲人の言う通りである事が多く、最近では怒りの感情を覚えた時には、その時又はその後に、「最初からその人に怒りたかったのだろうか?」と自分に問いただしてみる。
すると、質問の内容自体については、どうでも良く、私が「(その)相手=怒る」という式が最初から成立していて、"その人が何を言っても怒る事になっている"という事に気づいた。
たまに「そんな事、いちいち俺に聞くんじゃない!」と怒る上司がいるが、機嫌が良い時は「何でもいいよ。言ってごらん」というオーラを醸し出している。
結局はその質問どうこうよりも、その上司個人の機嫌によって、左右されているだけなのだ。
つまり、相手云々よりも、「機嫌が悪い=怒ってスッキリしたい」という、蜘蛛が「巣」を張った所に、「質問」や「ミス」といった格好の餌食を背負った蝶が引っ掛った。という事だ。
こう考えると、あまりにも素っ頓狂な質問や、触れてはならない内容以外で怒られた場合は、サラリと流しても良いという事が分かった。
また、この事が理解出来た事で、自身が何かしら怒る時にも、「なぜ私は怒っているのだろう?」と自身に問いかけてみようと思う。
これを繰り返し行い続ければ、「他人に対して怒る事の無い自分」にもなれるのでは無いかと思う。

幸福の追求とは若干離れてしまったが、新たな扉が開かれた事に感謝いたします。
今月も素晴らしい本のご紹介、ありがとうございました。

投稿者 kikukikuyuyu 日時 2014年7月1日


万物は流転すれど、その質は変わらず。
「嫌われる勇気」を読んでみて、先ずもっての所見です。
アドラー心理学が生まれた背景には、西洋が地球上の各地に植民地を持ち産業革命を成し遂げ、文明の隆盛を極めいていた時代であり、現代以上に人・物・金が自由に国を越えて行き交うグローバル化された世界があった。アドラーとほぼ同じ時代を生きたオルテガは怒りと共に「大衆の反逆」を世に放ち、シュペングラーは驚愕と混乱の中で「西洋の没落」を書き記したであろうかの時代の潮目が、再び世界を覆いつつあるように思われ、私は興味深く本書を読み返した。
で、感想はアドラーの問題認識はオルテガとソックリではないか!
本書に登場する青年が哲人に食って掛かる様子を、私も含め多くの方が(程度の差こそあれ)我が身にも憶えのある思い込みとして、又は現在進行形の考えとしてチクチクと胸に刺さるモノを感じながら頁を捲り、そして哲人の回答と説明を“あれ?もっと前にどっかのセミナーでも教わった様な…”という気がしながら“然り、然り”と納得し読み進めたであろうと想像する。そして、私は青年の姿にオルテガの定義する「大衆」、哲人に「選ばれた少数者」を見る思いがした。青年(かつての私の大方、そして現在も少なくない一部)はオルテガ風に表現すると、凡俗な人間が、己が凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、至る所でそれを貫徹しようとしながら、自己完成への努力をせず、自分の安楽な生活を最大の関心事としながら、その実、その安楽な生活の根拠に連帯責任を感じていない。自己の中に閉じこもって、何物にも、誰にも関心を払い得ない。一方、哲人をオルテガの表現で言えば、常に自己を超克し既成の自分にを超えてゆく態度を持っている勇敢な人で、自分が常に愚者に成り果てる寸前であることを肝に銘じ、すぐそこまでやってきてる愚劣さから逃れようと努力を続ける人であろうか。
しかし、結論において私はアドラーを選択する。勇気を持って、幸せであることを選択する。オルテガが言うように、「ばかは死ななければ治らないのであって、ばかに抜け道は無いのだ」とい事にならない様に。ポリアンナという落とし穴に気を付けながら、前に進む勇気を持って。
ありがとうございました。

投稿者 6339861 日時 2014年7月1日


答えをいそぐ青年に対し、哲人は言いました。
なぜ、そう答えを急ぐのです。
答えとは誰かに教えてもらうものではなく、
自らの手で導き出していくものです。
他者から与えられた答えはしょせん対処療法にすぎず
なんの価値もありません。

このフレーズが心に沁みました。
セミナーに慣れ、無料のメールマガジンに慣れ
何かを分かったつもりでいても、それは価値がないものなんだと思います。
教わったことから気づきを得て、それを自分なりに腹に落とし、
何度でも再現できるレベルまで血肉化して初めて
自分の欲しかったものを得られる効果が現れるのだと
つくづく思いました。

そのためには意志力と継続力が必要です。

哲人はこうも言います。

人はいろいろ不満はあったとしても「このままのわたし」でいることの
ほうが楽であり、安心なのです。

しょうおんさんも、同じようなことを言っています。

「私のセミナーでも、本気でやれば必ず人生が変わる、そういうホンモノの情報
をいくつも話しているんです。でもね、残念ながら本気でやる人とそうでない
人に分かれるんですよ。後者の人ほど、実はお金にも困っていなくて、生活も
安定していて、そこそこ幸せに生きていたりするんです。」

いくらしょうおんさんから有益な情報をもらっても、意思力をもって、
自分で答えを見つけ、それをやり遂げなくては、なにも変わりません。

アドラーは、それを「幸せになる勇気」と表現しています。

これはそう簡単なことではありません、哲人は劇薬とも表現しています。

しかし、それゆえにシンプルでもあるのです。

そしてアドラー心理学の鍵概念ともいえる”共同体感覚”
これは”智の道”の概念に似ているなと感じました。

今日から少しづつでも勇気を出して、ライフスタイルをチェンジしていきます!

投稿者 lapis 日時 2014年7月1日


読んで着る途中は「なるほど」と思えるが
目次をみて思い返した時に
内容を上手く説明できない事に気がついた。

印象に残った箇所は

・承認欲求を否定する
・叱ってもいけない ほめてもいけない

・承認欲求を否定するについて
承認欲求は人間の当たり前に持ってる欲求の1つだと思ってきた。
承認欲求があるからこそ努力をし満足感を得る。
ただ、本書で指摘があるように他者の評価を意識する必要がある。
他者の評価を気にするがゆえに他者に縛られてしまう。

・叱ってもいけない 褒めてもいけない
褒めることは他者を見下す意味が含まれている
という指摘には驚いた。
人間関係を円滑にするためにあえて褒めることもある。
心のどこかに「褒めときゃいいだろ」という
下にみる気持ちがあることは確かである。


普段、当たり前に思ってきたことが
ここではことごとく否定されている。
正直、当たり前すぎて考えたこともなかった。

でもどれもが納得いくもので
人生はシンプルだと思える。

後半の部分はまだ頭の中では整理できていない。
もう少し読み返したい。

投稿者 koro 日時 2014年7月1日


真実はシンプル

今から4ヶ月ほど前、会社帰りの本屋にて、「装丁が凝っているな」と思って手に取った本が、
今月の課題図書である「嫌われる勇気」でした。
書かれている事柄が自分の胸に突き刺さる事ばかりで、
目に涙を溜めながら夢中で読んでしまいました。

他社貢献や、「いま、ここ」に集中して生きるなどは、宗教の教えと類似した内容であり、科学と宗教のつながりを感じる内容でした。

先々月の課題図書「生き心地の良い町」の内容とかぶる部分も多く、
アドラー心理学に触れる人が増えれば、
自殺率の低い地域がもっと広がるのではないかと思いました。

収入や環境などを他人と比較して、将来を不安に思ってしまう事もありますが、
自分がやりたい事をやれていることへ感謝し、
今現在の一瞬一瞬の点に集中して生きていきます。