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第141回目(2023年1月)の課題本


1月課題図書

 

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

正直いってヤバい本です、これは。

 

私がなんとなく非言語で感じていたことを、「錯覚資産」という新語を使って的確、且つ

切れ味鋭く説明していまして、読みながら何度も膝を叩きました。

 

錯覚資産とは、相手から見てあなたを実力以上に評価している状態のことをいいます。

 

この一行を読んで、「あ!そういうことか!」と思えなかった方は、この錯覚資産を使え

ていない人なので、年末年始にこの本を繰り返し読んで来年の戦略を立てて下さいね。ス

キル、運、錯覚資産の3つが揃うと、人生に確変が起こるんです。この中で運を育てるの

が一番難しいので、私はここに特化してセミナーのアジェンダを作っているわけですから、

次にみなさんが意識すべきなのは、錯覚資産をどうやって増やしていくかなんですよね。

 

サラッと読めますが、随所に深いことを書いているので、何度か読み直さなきゃダメな本

だと思います。


 【しょ~おんコメント】

1月推薦者

 

1月の投稿結果はLifeCanBeRichさんが3票、、masa3843さん、tsubakiyuki.yuki1229さんが

各2票、Cocona1さん、1992さん、mkse22さんが各1票となりました。

 

その結果、ここまでの累計ポイントは、Cocona1さんと、LifeCanBeRichさんが7pts、masa

3843さんが6pts、Terucchiさんが4pts、mkse22さんとdaniel3さんが3pts、1992さんとtsu

bakiyuki.yuki1229さんが2pts、msykmtさんとH.Jさんが1ptsとなりました。

 

【頂いたコメント】

投稿者 buttercup1 日時 
この本は成功するには何が必要か?ということを考えさせてくれた。この本の著者は、成長する機会を得るにも、いい環境を手に入れるにも錯覚遺産が必要だと説いている。しかし、私は錯覚資産は必要だが十分ではないと思う。その根拠を3つ述べたいと思う。

まず、錯覚資産を手に入れたからといっていい環境が自動的に手に入るとは限らないので、錯覚遺産によって生じる周りからの期待にこたえる努力が必要だと思う。錯覚遺産があれば、自分の実力以上に能力があるように見えるので、実績になるような大きな案件を任せられる機会に恵まれると思う。しかし、周りは能力のある人へはサポートをあまりしないと思うし、かえって丸投げされる可能性が高くなるので、自分で今の能力以上の仕事をこなさなければならないと思う。この時に努力を怠ってしまって周りの期待を裏切ると錯覚資産で期待された分、周りの人の失望も大きくなると思う。また案件が大きければ大きいほど、失敗したときの影響も大きくなると思う。

二つ目の理由は、どんなに周りの人に評価されていても実質が伴わなければ、成功は長続きしないということだ。例えば、SNSではフォロワーの獲得に錯覚資産が有利に作用する。フォロワーの数が多いということが錯覚資産なので、さらに多くのフォロワーを獲得する機会に恵まれる。しかし、そのフォロワーが自分のファンになって自分の商品を買うかどうかは別の話だと思う。フォロワーの求める情報を提供し、価値のある商品を販売しなければフォロワーをファン化させるのは難しいのではないだろうか。その反対に商品の改良を重ね、素晴らしい品質のものができた時初めて錯覚資産が活かされると思う。自分のファンになってくれた人であれば、商品も実際よりもさらに高く評価してくれ、満足度も高くなると思う。

最後に、例え錯覚資産をもっていても自分の勝てる分野を選択し、戦略的に錯覚資産の運用をしなければならないと思う。例えば、外見の良い人はそうでない人よりも収入が高い傾向にあるという研究結果がある。しかし別の研究では、外見の良い女性は同姓から嫉妬されやすく女性が面接官である場合は雇用されにくいということが発見されている。すべての良いと思われている特性は同じように自分に有利に機能するわけではなく、環境によっては自分に不利に働くことがあることを意識しなければならないと思う。そのことを踏まえたうえで、どういう環境であれば自分の特質が錯覚資産としてみなされるか戦略的に考えなければならないと思う。

この本は錯覚資産の大切さが書かれてあるが、この本を読むことは錯覚資産をどう運用し、自分のスキルをどのようにして伸ばしていくか考えるいいきっかけになった。
 
投稿者 kenzo2020 日時 
よく理解できなかったためか、ふーん、それで?という本だった。この本に書かれていることが本当に正しいのか。実はバイアスがかかっていて、良い本だと思ってしまっているのではないか。まずは、幅広く意見を聞くことからはじめ、対立する意見でも両方の立場の意見を十分に調べ、フラットな考えになっているか自分を一時振り返るというタイミングを持ちたいと思う。
投稿者 daniel3 日時 
本書は、著者が「錯覚資産」と名付けた「人々が自分に対して持っている、自分に都合の良い思考の錯覚(P.14)」について解説している本です。平易な日本語で説明しているため、サラッと読めて、「錯覚資産」の重要性を理解することができます。そして、錯覚資産を手に入れるために「一番簡単なのは、『確変』が入るまでは、小さく賭けることだ。(P.91)」と著者は主張しています。これは以前の課題図書「ニュータイプの時代」でも「大量に試して、うまくいったものを残す(P.236)」という表現で同様のことが説明されており、まさにこれからの時代の必読書と言えます。しかし、実際に「錯覚資産」を作るために具体的な行動を起こせている読者は、どれほどいるのでしょうか。2018年に本書が出版されてからも、相変わらず世の中では「実力」アップを目指す英語やビジネス関係のスクールばかりである状況を踏まえると、多くの人は今までと変わらない人生を過ごしているのではないでしょうか?そこで、錯覚資産を作る行動を起こすために必要だと私が考えたのは、以下の2点です。次の段落からそれぞれについて解説していきます。
 ①思考の錯覚は、根強くあなたの意識に染みついていることを自覚する。
 ②最悪の事態を想定し、どんな経験も錯覚資産になりうると考える。

まず①について説明します。本書を一通り読み終えた後に考えたのが、「錯覚資産が大事なのはわかったけど、実力をつけることも大事なのではないか。」ということです。同じような感想を持った方もいるかと思いますが、これこそが思考の錯覚であることを認識する必要があります。なぜならば、実力をつけることが大事なのは、20代前半ぐらいまでには、この感想文を読んでいる皆さんも気づいていたと思うからです。今まで大した努力もせずに生きてきたニートが、本書を読み、わざわざこのような感想文を書いているとは思えません。そのため、過去に何かしらの努力をしてきたとしても人生ウハウハの状態になっていないならば、この世の中で成功するためのルールからずれた思考、行動をしてきたことを自覚するべきだと思います。本書では、成功のルールからずれた行動をしていることについて、「PV(Page View)とCVR(Conversion Rate)のバランス(P.222)」の例を出して解説しています。「CVRが低い人は、PVを増やすことを嫌がる傾向がある」ことを自覚して、これから一定期間は実力(CVR)よりも錯覚資産(PV)を増やすことに、全振りしてみるぐらいでちょうど良いのではないかと考えました。

次に②について解説します。「PVとCVRのバランス」の章でも触れられていますが、実力がついていないと考えている人は、コツコツとスキルアップすることを選びがちです。コツコツと実力をつける行為を選んだ結果として、今までと変わらない生活を送ってしまうことを①で説明しました。ただ、現実が変わらないことにも実はメリットがあり、「軽くあしらわれたり、見下されたりと、さんざんなことになり、嫌になってしまう。(P.224)」ことを回避することができます。これは、「損失回避」という人間の行動特性であり、わかっていても行動を変えられない原因となっています。では、どうすれば行動を変えることができるのでしょうか。その一つの対策が、「最悪の事態を想定し、どんな経験も錯覚資産になりうると考える。」ことです。

具体的な例を出して説明すると、あなたが得意なことや過去の仕事で上手くいったことを数字を使って表現し、ビザスクなどのスポットコンサルサービスに登録してみることを考えます。上手くPR文が書けたら、自分にはちょっと難しめの仕事の依頼がくるかもしれません。そして、勇気を出して仕事を受けてみたら、慣れない経験のため上手く対応できないこともあるかもしれません。その場合、お客さんに怒られるかもしれませんし、「金を返せ」と言われることもあるかもしれません。でも、せいぜいその程度の出来事ではないでしょうか。もし仮にマイナスの出来事が起きたとしても、行動を続けている限り、負けが確定することはありません。いつか何かしらの錯覚資産が手に入った時には、不遇の時代を乗り越えた成功者のエピソードとして、錯覚資産を際立たせることができます。その意味で、前月の課題図書「全裸監督」を読み、前科7犯、借金50億を背負っても生き抜く男がいることを知ることは、「死ぬこと以外かすり傷」と心の底から思えるのではないでしょうか。

以上述べたように、錯覚資産を作る行動に踏み出せない状況を変えるために、①思考の錯覚は、根強くあなたの意識に染みついていることを自覚する、②最悪の事態を想定し、どんな経験も錯覚資産になりうると考える、ことが重要だと考えました。
 
投稿者 mkse22 日時 
「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」を読んで

本書は、錯覚資産について書かれた本である。錯覚資産とは「人々が自分に対して持っている自分に都合の良い錯覚」のことを指す。この都合の良い錯覚が、一種の資産の機能を果たすため、錯覚資産と命名したようだ。さらに、錯覚資産を使って、世の中を自分に都合よく生きていくための方法が説明されている。著者曰く、錯覚資産を利用することが、実力主義になっていない現実を踏まえたうえでの成功法というわけだ。

本書を読んで、正直、錯覚資産に嫌悪感をもった。なぜなら、錯覚資産を利用することは人を騙すことと同じと思ったからだ。しかし、この仕組みを知らないまま、生きていくことは厳しいとも感じた。自分が錯覚資産を使わなくても、相手がこれを使ってくれば、出世や年収アップなどを自分の思い通りに進めることはできないからだ。錯覚資産を使った方がはるかに有利だ。

錯覚資産の例として、学歴や地位が挙げられる。例えば、本部長と一般社員がおなじ発言をしても、その信用度には大きな違いがある。本部長の発言への信頼度は一般社員よりはるかに高い。なぜなら、本部長という立場が発言内容に信頼感をあたえているからだ。

ここでのポイントは信頼「感」にある。本部長の発言だから正しいと考えているだけで、実は発言内容の真偽については不明だ。だがら、時間が経過すれば、発言内容に真偽は明らかになる。もし偽であることが判明した場合には、それ以降、本部長の発言は信頼されなくなってしまう。

この真偽の判明に時間を要することは、錯覚資産を利用する側にとって有利な点になる。なぜなら、利用する側にとって、最初は嘘であったとしても、それを真実に変更するための時間が与えられるからだ。

例えば、実はプログラミングができないのだが、周囲からはプログラミングができそうと思われている人がいたと仮定する。そして、その人にプログラミングの仕事を振られた状況を考えてみよう。もし、「プログラミングできます」と回答し、裏で必死になって勉強して、周囲にばれるまえに、プログラミングを出来るようになってしまえば、周囲からは発言通りの能力がある人だったと評価され、より高度な仕事を割り当てられる可能性がでてくる。このように、錯覚資産をうまく利用すると、周囲からの評価が上がり、さらに大きな錯覚資産を手にするという正のフィードバックが生まれる。
ここで、正直に「プログラミングができません」と言ってしまうと、そこで話が終わってしまい、次の仕事を得ることができず、プログラミング経験も積めなくなってしまう。ここから、プログラミング経験を積もうとすると、人手不足な現場に参加するなど、通常よりきつい選択をする必要がある。

このように、真偽の判明に時間を必要とすることは錯覚資産を利用する側にとって都合がよい。しかし、嘘を本当にできなかった場合には、期待していた分だけ、より大きな失望を相手にあたえてしまうというデメリットも存在する。

このデメリットを減らす方法はないのかと考えていたら、私の職場にいる人たちが心がけていることにヒントがあった。彼らが心がけていること、それは、できるだけ前向きな回答をすることだ。

前向きな回答は、錯覚資産に対して、完全なる否定も肯定もしない。部分的に肯定するのである。これにより、錯覚資産を真実とすることに失敗したときのデメリットを減らすことができるわけだ。

この前向きな回答は、問題発生時に特に重視される。私が属しているSE業界に限った話ではないと思うが、仕事上での問題が発生した時に、顧客に対して「問題解決はできません」とは簡単にはいえない。できない発言を乱発すると、顧客からの印象が悪くなり、最悪、所属会社へのクレームにつながるからだ。だから、「この部分だけは解決出来る」といった現時点で解決可能なことをひねり出して回答することが多い。

なぜ出来ない発言が顧客にマイナスの印象を与えるかというと、顧客からの信頼、言い換えれば、「あなたたちはプロだ」という錯覚資産が存在しているからだ。
この錯覚資産があるからこそ、取引ができるわけで、信頼がなければ、そもそも仕事がもらえない。この錯覚資産ができない発言をしてしまうことで、減ってしまう。だから、「できない」発言は簡単にはできないわけだ。まあ、顧客の期待するプロのレベルが高すぎるといった別の問題がここには潜んでいるのだが。

錯覚資産に対する部分的な肯定、これが錯覚資産を使いこなす一つのポイントであり、実は多くの人が無意識で使っていることだと思った。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、社会では運と実力に加えて、錯覚資産が成功するために、大きな要素を占めているという事を理解出来ました。


社会の建前上では、実力主義、成果主義による評価が大きな成功へと繋がると謳っていますが、著者はそれを欺瞞であると一蹴し、現代の社会で大きく成功するためには、錯覚資産が存在するという事を自覚するべきである、としています。


本書を読んで自覚したことは、成果が出れば良い環境を得られる、つまり昇進したり、ステップアップしたりして、良い環境で仕事ができるという他人からの評価は、絶対の信頼は置けない、という部分です。


なぜなら、自身では重要な成果を出したと思った事でも、それが他人からは一目で見て分かる重要な成果だと判断されない、という事も起こるからです。


人は、何か一つ優れたところがある他人に対して、他の部分でも優れているのではないか、と無意識のうちに感じてしまうものです。それこそが、著者が本書で紹介している錯覚資産という事です。


本書では例えの話として、イケメンの政治家と普通の政治家が選挙に出馬した場合、イケメンの政治家の方が、2.5倍もの獲得票を得たという事が紹介されています。


なぜ、そのような事が起きたのか。注目したいのは、イケメンの政治家に投票した人達の述べた理由についてです。なぜその政治家へ投票したのか理由を聞くと、容姿ではなく政策や能力など、容姿以外を理由に挙げた人達がほとんどだった為です。


それが起こるのも、私たちの脳は、複雑な思考を嫌い、単純で一貫性のあることを好むという習性がある為です。人は事象を深く考えずに、直感で判断します。


もし、何か良いとポジティブに感じる判断材料があったら、その判断に従い、一貫してその判断を貫こうとするのです。その結果、分かり易い判断材料から、直感的なイメージ通りに思い込んでしまう錯覚資産が生まれるのです。


錯覚資産というものが存在すると上で、自分がそれを使いこなすという事も大事ですが、それと同じくらいに自分を評価する周囲の人達への情報発信や、自分がどのような仕事をしているのかというコミュニケーションを重ねる事が重要であると考えました。


実力がある人は成果が出易い、という事については著者も賛成しています。問題となるのは行った行動について、どのような成果があり、それがどのような利益が出たのかを他者へ説明できなければ、その人が成果とおもっている事は、周囲からは無駄と判断されてしまいます。


当たり前のようにしている自分の仕事が、ただの自己満足で終わるのか、それとも所属している会社のため、もしくは他人のためになっているのかは大きな違いです。


あくまでも、自身の成果を評価するのは他人です。自分の成果を他人がどのように感じるのかが重要になります。行った事の成果を自分だけの自己満足で終えるのではなく、周囲の人へ発信し、それについての評価を確認した上で、自分は次にどうすべきか、という次の行動が決まって来るのです。


他人は自分の評価に対して、錯覚を起こすという事を本書で理解出来たのは大きな収穫でした。
自身を評価する周囲の人達との意思疎通を怠らないようにし、自分の長所となる部分をもっと伸ばしていくようにします。
投稿者 Cocona1 日時 
今月の課題図書は、勘違いさせる力=「錯覚資産」についての本だった。本書では、「運」「実力」に加えて、人生の成功に必要な3つ目の要素としての錯覚資産を、あらゆる角度から解説している。読むたびに違う発見があり、まるで万華鏡のような本である

本書によると、錯覚資産とは、「他人が自分に対して抱く、自分に都合のいい錯覚」だという。私はこの説明を読んで、「他人が」というのが特に重要だと感じた。というのも、運や実力は自分で増やせるが、錯覚資産は他人を巻き込まないと増やせないからだ。また、錯覚資産があると、他人から実力以上に評価されるらしい。しかも著者は、先に錯覚資産を増やすと、後から実力も増えやすくなると述べている。錯覚資産を活かせば、努力が報われやすくなると感じられ、なんとも魅力的である。

逆に、マイナスの錯覚資産は、その人の評価全体を下げてしまう。確かに自分の職場にも、いつも頑張っているのに、なかなか評価されない人がいる。今までどうしてその人の評価が低いのか、深く考えたことはなかった。しかし本書を読み、本人を観察すると、マイナスの錯覚資産が原因だと気づく。例えば口癖は、「自分が憎まれ役になればいい」である。いかにも錯覚資産を減らしそうな言葉だ。こんな身近な例を見ても、錯覚資産を知らないと本当に損してしまうことが分かる。同僚を反面教師とし、ぜひプラスの錯覚資産を増やしたいと思った。

ところが、自分の日常を振り返ると、錯覚資産を減らす行動に気づいた。それは「謙遜」である。謙遜は、自分を下げて評価することだ。自分に都合のいい錯覚を他人に持ってもらう錯覚資産とは、真逆なのだ。つまり、謙遜は錯覚資産の「敵」である。例えるなら、「痩せたい」と言いながら、ケーキを食べるようなものだ。どんなに錯覚資産を増やそうとも、謙遜でマイナスしては、全く無駄になる。

そこで私は、錯覚資産を増やすために、謙遜をやめるよう心がけたい。なぜなら、せっかく褒められてハロー効果が生まれているのに、謙遜で打ち消してはもったいないからだ。私はもともと、日本の謙遜文化が好きではなかったが、それでも謙遜は身についてしまっている。今後は、錯覚資産を増やすのを理由に、堂々と謙遜をやめようと思う。褒められたら、「ありがとう」と素直に受け止めて、錯覚資産を増やしていきたい。

さらに謙遜は、自分だけでなく、身近な人の錯覚資産にも悪い影響がある。というのも、日本の謙遜は、身内もへりくだって表現する文化だからだ。「愚夫」「愚妻」「愚息」「愚女」など、大切な家族をこのように呼んでいては、マイナスのハロー効果につながってしまう。やはり謙遜をやめ、身近な人の錯覚資産も守ってあげたい。

ところで、身近な人の錯覚資産を守った上で、さらに相手の錯覚資産を増やすことはできないのだろうか?私はふと、こんな疑問を持った。本書では、自分の錯覚資産の増やし方として、「ハロー効果×数」を紹介している。私は、この方法を他人の錯覚資産を増やすのにも応用できると考える。具体的には、自分がハロー効果の出発点になって、大切な人について第三者に伝えて褒めることを提案したい。

この方法の大事なポイントは、本人を直接褒めるのではなく、間接的に第三者に伝えて褒めることである。というのも、錯覚資産は「他人が抱く都合のいい錯覚」なので、他人にアプローチしないと増えないからだ。また、錯覚資産を増やすにはハロー効果の数も大切なので、色々な目線から小さくたくさん褒めるのがよい。本書によるとハロー効果は、小さな評価で、かつ直接成績などに関係ないものでも、問題ないそうだ。受け取る側が勝手に一貫性を持ち、その人全体の評価だと考えてくれる。その結果、錯覚資産は増えていくのである。

イメージとしては、育てたい人の一人目のファンになって応援し、他にもファンを増やしていく。はたまたSNSで例えるなら、最初のフォロワーになる、真っ先にいいね!を押してあげる。そんな行動が、身近な人の錯覚資産を増やすのに役立つと信じ、実行したい。

最後になるが、私は、グローバル社会で、錯覚資産はより重要になると考える。なぜなら、謙遜の文化を持つ日本人は、海外の人に比べて、自分を小さくアピールしがちだからだ。海外には、1できることを100できると表現する人が多いと聞く。まさにセルフハロー効果、さぞかし錯覚資産も多いと想像できる。一方、日本人は100できることを10できると表現する人が多いそうだ。かつての、日本人だけがライバルだった時代なら、問題ないかもしれない。しかし現代でこれでは、錯覚資産が増えにくく、海外の人材との戦いは厳しくなる。私は、これからのグローバル社会を生き抜くためにも、謙遜をやめ、褒められること・褒めることに慣れたい。そうして、自分と身近な人の錯覚資産を増やしていこうと、改めて心に誓った。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“錯覚負債の解消”

本書を通して著者が説明しているのは、人間の脳は限られた情報を基に一貫性、原因、結論を求め過ぎるという特性を持っているため、人間は往々にして勘違い、思い違いをしながら生きているということだ。そして、その脳の特性を利用して他人に自分を過大評価させる、または有害な思考を取り除くことで仕事や人生で成功を手に入れることができるのだと著者は主張する。本書は、錯覚資産とは何か、そして、その作り方、操り方、運用の仕方を科学的な根拠を示しながら論理的に説明しているため納得感は高い、また実用性も高そうだ。場合によっては、現在既に持っている実績を雪だるま式に錯覚資産として増やす読者もいるのだろう。私も錯覚資産を上手く作って仕事や人生で成功をしたいと思っている。一方で、私は“「マイナスのハロー効果」によって直感を汚染されている”(P.162)という箇所にも興味を持った。人間の脳は、マイナス方向にも大幅に過大評価してしまう認知バイアスがあるというのだ。であるならば、錯覚資産があるように、『錯覚負債』なるものもあるはずだと私は思うのだ。そして、この『錯覚負債』を身にまとったままの状況、状態では、仕事や人生での成功はままならないと私は考えるのである。

まず、『錯覚負債』を定義する。『錯覚負債』は、錯覚資産が作られる脳の特性、無意識の習性が真逆に働いて作られるものであるとしたら、定義も真逆なものと考えるのが妥当だと思う。つまり、『錯覚負債』とは、自分の損になる、他人の勘違いのこととする。そして、ちょうどプラスのイメージを引き起こすものであれば、なんでも「全体的に優秀」という思考の錯覚で錯覚資産が作り出されるように、マイナスのイメージを引き起こすものであれば、なんでも『全体的に無能』という思考の錯覚で『錯覚負債』が作り出されてしまうのである。本書から例を挙げれば、ある学生の1本目の論文がダメだと『全体的に無能』という印象が生まれ、自然と2本目の論文は手厳しく評価をされてしまうといった具合だ。そして、特筆すべきは状況によって、『錯覚負債』も錯覚資産と同じように複利的に増殖することがあるということだ。その典型的な状況が、人間関係においてネガティブな感情が『錯覚負債』としてこびり付いたものだ。なぜならば、人は嫌な記憶や感情を忘れにくく、思い浮かびやすいと言われるからだ。本書で説明されるように、思い浮かびやすい情報は利用可能性ヒューリスティックとしてバイアスを生み、さらにその情報に引っ張られてハロー効果が更なるバイアスを生み、結果として雪だるま式に『錯覚負債』を増やしていくといった具合なのである。正に、ネガティブな感情が生み出した『錯覚負債』畏るべしと言える。

では、この人間関係における嫌な記憶や感情に基づいた『錯覚負債』は具体的にどのような場所、場面で最も厄介なものとなり得るのであろうか。『錯覚負債』の定義が、自分の損になる、他人の勘違いなのだから、原理的に他人という相手との関係が無くなれば解消するし、またその相手との関係期間が短ければ複利効果は少ない。だとすれば、相手との関係が簡単には解消できない場所、場面こそ、『錯覚資産』が最も厄介な働きをする場所だと言える。その条件を満たす場所、場面がどこかというと、私は上司・同僚がいる職場や家族がいる家庭ではないかと考える。なぜならば、職場の上司・同僚や家族との人間関係は、社会的な制約や拘束が働くため、関係を断ち切るには、それなりの重い判断、決断が必要となるからだ。もしも、自分が過去に職場の上司や同僚とのネガティブな出来事が嫌な記憶や感情として『錯覚負債』になり、その相手の頭の中で増殖し、自分に『嫌なヤツ』というレッテルが貼られていたらどのような仕打ちを受け得るだろうか。おそらく、その上司からの評価は厳しく、与えられるチャンスも少なくなるだろう。同僚であれば、業務上の協力は乏しく、さらには職場内で悪い評判を広めているかもしれない。そして、これが家族との人間関係だったらどうだろうか。想像するだけでもゾッとするのではなかろうか。

それならば、職場内や家族間における『錯覚負債』はどのように解消すれば良いのだろうか。私の考えは、非常に基本的なことにはなるが、関係が拗れている相手を理解する、気遣うということで関係修復を図るというものだ。なぜなら、まずは相手を認め、尊重するということが、兎にも角にも良い人間関係を築く土台になると私は考えるからである。ここで、そもそも自分は相手の考え方や態度、振る舞いが理解できないから、人間関係が拗れる状況に陥っているのだという反論があるかもしれない。そこで、私の提案は相手の心理や心境、行動を読み取り理解する術を学び、身につけて人間関係の修復を図るのはどうかというものだ。例えば、心理学はどうだろうか。現在は、アドラー心理学やNLP、コーチングなど良好な人間関係構築に役立つ心理学がお手軽に書籍でも、Webセミナーでも学ぶことができる。または、家族間であれば生年月日が分かるのだから西洋占星術や数秘術を学ぶのもありだろう、職場内ではハードルが高いかもしれないが、もしも知れる立場にあるならば、これら怪しい系の術は学ぶに値するはずだ。

私は、上述の『錯覚負債』を身にまとったままの状況、状態では、通常であれば錯覚資産になり得る実績を挙げたとしても、そうはならないことが多々起こるのだと思っている。なぜならば、繰り返しになるが人間は嫌な記憶や感情を恐ろしく引きずる生き物だからだ。それ故に、人間関係における嫌な記憶や感情に基づいた『錯覚負債』の解消は、殊のほか重要なのだと私は考えるのである。


~終わり~
投稿者 masa3843 日時 
本書は、大人気ブログ「分裂勘違い君劇場」を運営するふろむだ氏が、世の中で評価され成功するために重要な要素である「錯覚資産」について解説した本である。「錯覚資産」とは、「人を勘違いさせる力」のことだ。著者が伝えたいことは、端的に言うと2つある。1つ目は、自身のことをPRする時は一貫したストーリーを語ることで錯覚資産をフル活用すること。そして、2つ目は、物事を判断する時、とりわけ人物を見る時は、思考の錯覚に注意して正しい判断をすべし、ということだ。本書を通読して私が最も気になったのは、P298の採用面接におけるヒューリスティックの話だ。私が気になった理由は、最近似たような事例で上司が同じような判断をしていたことを思い出したからだ。本稿では、私自身が直面した事例について本書で学んだ知識をもとに再考してみることで、思考の錯覚に陥ることなく正しい判断をするための方法について考えてみたい。

まず、私が遭遇した事例について説明しよう。私がヒューリスティックを経験したのは、とある採用試験の最終面接だ。ある受験者の採点をする際に、評価をした面接官の採点が不自然に低かったのである。その受験者は、同じ業界で働いていて実務経験があり、面接での受け答えも問題なくスムーズで論理的。他の受験者と比較しても、明らかに能力は高いと思われた。ただ、過剰な自信の表れか、面接官に対して少し上から目線で話すような場面があった。話し方の特徴が高圧的で、丁寧な言葉遣いであるにも拘らず、偉そうに聞こえるのだ。この受験者に対し、面接官からは「配属先の上司や同僚とうまくやれないのではないか」「組織に馴染まない」「お客様と問題を起こすのではないか」といったマイナスの意見が続出した。結果的に、その受験者は試験に合格することはなかった。

なぜ、この受験者の評価は低くなってしまったのだろうか。本書を読むまでは、面接官はこの受験者のコミュニケーション能力が低いと評価したと思っていた。人間性に問題があり、職場や同僚とうまくやっていけない人物だと評価されたということだ。組織で働く以上、チームのメンバー間で良好なコミュニケーションを取れることは必須のスキルである。コミュニケーション能力に難があるこの受験者は、他の受験者と比べて能力的に劣っており、合格水準に達していないという判断をしたというわけだ。しかし、面接官達は本当にコミュニケーション能力の不足を理由に、この受験者を不合格にしたのであろうか。本書を通読した後、そうではなかったのだと感じた。面接官達がこの受験者を不合格にしたのは、この受験者の面接態度が気に入らなかったのではないか。単純に、この受験者のことが嫌いだったから落としたのではないか、と思ったのである。

もちろん、面接後の講評で面接官からそのような趣旨の発言が出ることはない。なぜなら、P300 で説明されているように、面接官は無意識に質問を置き換えているからだ。つまり、「この人を採用すべきか?」という質問を「この人は好きか?」という質問に置き換えたのだ。面接官達は、この受験者を好きになれなかった。一緒に働きたくないと強く思ったのである。そのため、置き換えられた質問に答える形で、不合格という評価を下したのだ。ところが、面接官本人は、自分が極めて公平で客観的な評価を行っていると信じて疑わない。そこで、面接官達は無意識に説明がつく適当な理由を捏造したのである。すなわち、受験者はコミュニケーション能力が他の受験者に比べて不足しているから不合格になった、という説明である。この思考の錯覚は、面接官の「人の評価を好き嫌いで決める感情的な人間だ」と思われたくないという心理によって、さらに強まることになった。

では、どうすればこうした思考の錯覚に陥らずに、正しい判断が下せるようになるのだろうか?ふろむだ氏は、「思考の粘り強さ」の重要性を説く。「思考の粘り強さ」がないことで、難しい問題について考え抜くことを放棄してしまうからだ。その結果、無意識に簡単な質問へ置き換えてしまうことになる。逆に言うと、簡単に結論を出さず、粘り強く多角的に思考し続けることで、思考の錯覚に惑わされずにすむだろう。さらに、私が考えた思考の錯覚を避けるもう1つの方法は、敢えて不快な決断をしてみる、ということだ。人間は、難しい問題に直面した時に簡単な問題に置き換える。そして、その簡単な問題には、直感的に正しいと思える快適な選択肢を選ぶのだ。とすると、思考の錯覚に支配されそうな難しい問題に直面した際には、不快に感じる選択肢の方が客観的には正しいのかもしれない。今回の面接の事例でいえば、好きになれないこの受験者を敢えて合格させてみるのである。もしかしたら、その高い能力で組織の課題を解決するスタープレイヤーになるかもしれない。このように真逆の選択肢について考えを巡らせ、可能性を模索してみることが、正しい判断に近づく思考回路を作るのだと思う。
投稿者 str 日時 
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

本書は「この人は凄い人」とか「この人は良い人」といった勘違いをしてしまう、または勘違いをさせる力でもある『錯覚資産』について説いた本。読み終えての感想は「脳ってこわい」ということだった。何を考えているのか知り得ない他人の脳は勿論だが、何より理解しているつもりであった自分自身の脳まで、無意識のうちに勘違いしていることが多々あるように思えてきてしまうからだ。

犯罪者や有名人の不祥事などが良い例だろう。「やっぱりな」とか「いつかやると思った」と周囲から思われている人よりも、「まさかあの人が」と思われる人の方が話題にもなり易いし、慕っていた人からの手のひら返しも顕著に出るものだと思う。さらに深堀していけば実はどんどんボロが出てくるといった例も珍しくない。それが今までその人が周囲に与えていたキャラだったとしても、それだけ多くの人が「この人は誠実で優しい人」といった勘違いをしていたということになるのだろう。

何より怖いのは、本当に実力のある人と、実力があると錯覚させる力がある人とでは、後者の方が周囲の評価が高いということだ。仮に実力が伴っていなくても「やれます」と、あたかも実力が備わっているかのように錯覚させ、良いポジションに就くことができれば、それだけ多くのチャンスが舞い込んでくる。幾つかのうち、どれか一つでも当てることができれば、またその人の評価はグンと上がる。逆に元々実力があった人でも謙遜し、力を発揮できなければ徐々に埋もれていってしまう。“能ある鷹は爪を隠す”とは言うが、ひた隠しにしてきた結果が“能無し”認定されてしまっては、何の意味も持たなくなってしまう。

悪意があるわけでなく、本人が無自覚であっても勘違いさせる『錯覚力』が強いだけの人は、決して卑怯なわけでもなく、社会が理不尽なわけでもない。なぜなら、錯覚させられている側の人も騙されているわけではなく、無意識下で勝手に思い込み、“勘違いしているだけ”に過ぎないからだ。自身のイメージや認識に奇妙なバイアスが掛かっていないか?ということを、一歩踏み止まって考える切っ掛けにしていきたい。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“錯覚負債の解消”

本書を通して著者が説明しているのは、人間の脳は限られた情報を基に一貫性、原因、結論を求め過ぎるという特性を持っているため、人間は往々にして勘違い、思い違いをしながら生きているということだ。そして、その脳の特性を利用して他人に自分を過大評価させる、または有害な思考を取り除くことで仕事や人生で成功を手に入れることができるのだと著者は主張する。本書は、錯覚資産とは何か、そして、その作り方、操り方、運用の仕方を科学的な根拠を示しながら論理的に説明しているため納得感は高い、また実用性も高そうだ。場合によっては、現在既に持っている実績を雪だるま式に錯覚資産として増やす読者もいるのだろう。私も錯覚資産を上手く作って仕事や人生で成功をしたいと思っている。一方で、私は“「マイナスのハロー効果」によって直感を汚染されている”(P.162)という箇所にも興味を持った。人間の脳は、マイナス方向にも大幅に過大評価してしまう認知バイアスがあるというのだ。であるならば、錯覚資産があるように、『錯覚負債』なるものもあるはずだと私は思うのだ。そして、この『錯覚負債』を身にまとったままの状況、状態では、仕事や人生での成功はままならないと私は考えるのである。

まず、『錯覚負債』を定義する。『錯覚負債』は、錯覚資産が作られる脳の特性、無意識の習性が真逆に働いて作られるものであるとしたら、定義も真逆なものと考えるのが妥当だと思う。つまり、『錯覚負債』とは、自分の損になる、他人の勘違いのこととする。そして、ちょうどプラスのイメージを引き起こすものであれば、なんでも「全体的に優秀」という思考の錯覚で錯覚資産が作り出されるように、マイナスのイメージを引き起こすものであれば、なんでも『全体的に無能』という思考の錯覚で『錯覚負債』が作り出されてしまうのである。本書から例を挙げれば、ある学生の1本目の論文がダメだと『全体的に無能』という印象が生まれ、自然と2本目の論文は手厳しく評価をされてしまうといった具合だ。そして、特筆すべきは状況によって、『錯覚負債』も錯覚資産と同じように複利的に増殖することがあるということだ。その典型的な状況が、人間関係においてネガティブな感情が『錯覚負債』としてこびり付いたものだ。なぜならば、人は嫌な記憶や感情を忘れにくく、思い浮かびやすいと言われるからだ。本書で説明されるように、思い浮かびやすい情報は利用可能性ヒューリスティックとしてバイアスを生み、さらにその情報に引っ張られてハロー効果が更なるバイアスを生み、結果として雪だるま式に『錯覚負債』を増やしていくといった具合なのである。正に、ネガティブな感情が生み出した『錯覚負債』畏るべしと言える。

では、この人間関係における嫌な記憶や感情に基づいた『錯覚負債』は具体的にどのような場所、場面で最も厄介なものとなり得るのであろうか。『錯覚負債』の定義が、自分の損になる、他人の勘違いなのだから、原理的に他人という相手との関係が無くなれば解消するし、またその相手との関係期間が短ければ複利効果は少ない。だとすれば、相手との関係が簡単には解消できない場所、場面こそ、『錯覚資産』が最も厄介な働きをする場所だと言える。その条件を満たす場所、場面がどこかというと、私は上司・同僚がいる職場や家族がいる家庭ではないかと考える。なぜならば、職場の上司・同僚や家族との人間関係は、社会的な制約や拘束が働くため、関係を断ち切るには、それなりの重い判断、決断が必要となるからだ。もしも、自分が過去に職場の上司や同僚とのネガティブな出来事が嫌な記憶や感情として『錯覚負債』になり、その相手の頭の中で増殖し、自分に『嫌なヤツ』というレッテルが貼られていたらどのような仕打ちを受け得るだろうか。おそらく、その上司からの評価は厳しく、与えられるチャンスも少なくなるだろう。同僚であれば、業務上の協力は乏しく、さらには職場内で悪い評判を広めているかもしれない。そして、これが家族との人間関係だったらどうだろうか。想像するだけでもゾッとするのではなかろうか。

それならば、職場内や家族間における『錯覚負債』はどのように解消すれば良いのだろうか。私の考えは、非常に基本的なことにはなるが、関係が拗れている相手を理解する、気遣うということで関係修復を図るというものだ。なぜなら、まずは相手を認め、尊重するということが、兎にも角にも良い人間関係を築く土台になると私は考えるからである。ここで、そもそも自分は相手の考え方や態度、振る舞いが理解できないから、人間関係が拗れる状況に陥っているのだという反論があるかもしれない。そこで、私の提案は相手の心理や心境、行動を読み取り理解する術を学び、身につけて人間関係の修復を図るのはどうかというものだ。例えば、心理学はどうだろうか。現在は、アドラー心理学やNLP、コーチングなど良好な人間関係構築に役立つ心理学がお手軽に書籍でも、Webセミナーでも学ぶことができる。または、家族間であれば生年月日が分かるのだから西洋占星術や数秘術を学ぶのもありだろう、職場内ではハードルが高いかもしれないが、もしも知れる立場にあるならば、これら怪しい系の術は学ぶに値するはずだ。

私は、上述の『錯覚負債』を身にまとったままの状況、状態では、通常であれば錯覚資産になり得る実績を挙げたとしても、そうはならないことが多々起こるのだと思っている。なぜならば、繰り返しになるが人間は嫌な記憶や感情を恐ろしく引きずる生き物だからだ。それ故に、人間関係における嫌な記憶や感情に基づいた『錯覚負債』の解消は、殊のほか重要なのだと私は考えるのである。


~終わり~
投稿者 1992 日時 
10代の頃に影響力の武器と併せて読んでおきたい本でした。この本を読んでおけば、もっと勉強に励み、錯覚資産の1つである高学歴を取得していたかもしれないと思ったからだ。そして、過ごしてきたここまでの人生で得られたものが変わっていたかもしれない。
だが、錯覚の評価なんかじゃない!、本物の実力で成功するんだという痛い思い上がりで本を投げ捨てた可能性も多分にある。
いくばくかの社会経験を経て、30才を迎えた私自身はこの本の学びを存分に活用し、さらなる成長や仕事をしていきたいと思った。
つまり、学ぶにもタイミングが大切ということも、おぼろげに感じた学びの1つであった。

前フリはここまでにし、本書から考えたのが2点ある。
錯覚資産を活かすためには、1つ目に錯覚資産を効率的に積み上げ、なおかつレバレッジを効かすこと。2つ目が負の錯覚遺産を作らないこと。

私の考える錯覚資産を効率的に作るためには、マーケティングのフレームワークである3C分析を上司や決裁者に対しておこなうことだ(S塾で教えていただいたことを用いています)
3C分析の1つ目の自社(Company)では、自身のスキルや経歴で錯覚資産に成り得るものを棚卸しする。競合(Competitor)では同僚のスキルや経歴、錯覚資産を分析する。上司・決裁者(市場/顧客)の思考の錯覚の癖、仕事上のニーズ、悩みなどを分析する。これら3つの要素を鑑みた上で、必要なスキルを身に着けたり、日常の業務を行う。分析結果を踏まえた上で行動すると、仕事ができる奴という錯覚が上司等の頭の中に積みあがるのではないだろうか?まして、3C分析をしたうえで、戦略的につくる錯覚資産は効率的かつ効果的な可能性は高いと思う。
次に錯覚資産のレバレッジについてを考えてみた。
例えば、次のようなことである。
東大卒という学歴は非常に優秀な証であるし、錯覚資産としても活かされるだろう。しかし、周りが東大卒や高学歴ばかりが集まる財務省内に所属する若手には有利に働くだろうか?
あって当たり前ぐらいの感じの雰囲気を想像できる。
一方で地方の県庁所在地にも属さないような市町村の役所に東大卒の若手がいたらどうだろうか?あっという間に役所内同僚の噂になり、有名人となるだろう。同期が数人いたとして、地方の地元民しか知らないような大学卒の同僚の中にでは、上司は誰に注目し仕事を渡すだろうか?
イメージすると、誰もが東大卒の若手に期待をよせ、仕事をふるだろう。
つまり、錯覚資産の効果が高い環境選ぶまたは高い効果のある錯覚資産を積み上げることを考慮することも大切だろう。
アマゾン奥地の村民に私は東大卒だとアピールしたところで、まったく意味のないのだ。偏微分方程式を解ける人間より、釣りが得意な偏差値38の私の友達の方がまだ彼らの役に立つのだ。
私はこの2点を考慮して、今後の錯覚資産の作り方を模索してみたい。

2つ目の負の錯覚遺産を作らないことについて、考えを述べる。
本著ではプラスの錯覚遺産について記載があるが、一方で逆に負の錯覚資産も同様にあると私は考える。それは、自身の実力の評価を目減りさせてしまう錯覚資産である。
負の錯覚遺産を作らないことの意義を2つ考えた。
1つ目は当たり前だが、築き上げたプラスの錯覚資産の評価を減らさないこと。
せっかく築き上げたプラスの錯覚資産を増やしたが、減らしたのではいつまでたってもプラスの錯覚資産が増えず、恩恵が小さいままだ。加えて、良い評価よりも、悪い評価のほうが広まりやすい。良い印象を築きあげるのには時間がかかるが、悪い印象は簡単に与えることができる。そして、悪評を覆すのは大きな労力が必要である。
2つ目は錯覚資産を築くための仕事のお鉢が来るかもしれない可能性があることだ。
錯覚資産を生み出す成果をあげるには時間がかかる。著者のような数社の創業や上場という経歴は非常に優位に働く錯覚資産だ。しかし、一朝一夕には成果として成し遂げられないだろう。まして、著者が言うように運も必要だ。優位な錯覚資産がない場合には、優先的に仕事や環境が与えられないだろう。しかし、評価が悪くなければ仕事を任される可能性はある。これを足がかりに錯覚資産を生み出すのだ。

最後に思考の錯覚がテーマであるからして、人生の様々な範囲に錯覚が無意識に影響をおよぼしていることが推測できる。
例えば、私を産んでくれた親だから、親の言うことは絶対正しい?学校の先生の言うことは、正しい?若い時だからこそ言葉を鵜呑みにしてしまうが、大人になってから彼らの言葉を省みる必要があるのでは?自分自身が植え付けた私という人物の自己認識には思考の錯覚はないだろうか?数学が得意と思っていたのは、たまたま初めてのテストでクラス内トップの点数を取れたからでは?
思考の錯覚についてはまだまだ考慮することがありそうだ私は感じています。
 
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
個人的な話になるが、今から7年前、弟に勧められてYou Tube動画配信を始めた。
チャンネル登録者が80人を超えた日、「わぁ、すごい!」と飛び上がって喜んでいると、
普段は優しくてめったに怒らない弟が、すごい剣幕で怒鳴り始めた。

「はぁ!?何、喜んでるの?お姉ちゃん、馬鹿なの!?」

よくよく聞いてみると、こういうことらしい。
「お姉ちゃんの番組のコンテンツとクオリティなら、1万人以上のチャンネル登録者がついて、おかしくないんだよ」
「自分の能力と社会貢献度、わかってるの?もっと世の中を見なよ!」
「たった80人で満足するな!!」

弟の話の意図が全く読めず、キョトンとする私に、彼は
「じゃあ、この世の中、お姉ちゃんより年収が高い人達がたくさんいるけれど、
彼らの年収が多いのは、なぜだと思うの?」
と質問してきた。

私は、「それはもちろん、みんな私よりも頭が良くて努力していて、仕事能力が高いからじゃないの?」
と、至極まっとうで常識的(だと自分が思う)な見解を述べた。 すると・・・

「はぁ!?何バカなこと言ってるの!?そんなの、大間違いだよ!!」
「世の中には、お姉ちゃんより実力がなくて、頭が悪くて、仕事ができなくても、堂々と能力の高いふりをして高い年収を稼いでいる人が、いくらでもいるんだよ!」

何ということだろう。弟が語った情報は、寝耳に水の、驚愕の事実であった。


あれから7年がたつ。

今月の課題図書を読んだ時、久しぶりに7年前の弟の説教を思い出し、
「ああ、あの時、弟が語っていたのは、錯覚遺産のことだったのか」と目から鱗が落ちた。

今の自分には、弟が私の返答にブチ切れた理由も、説教の意味も、6割くらいは理解できる。(完全とは言えないのが悲しいところだ)
というのは、自分自身がこの7年、副業をしたり、仕事の幅を広げる中で
「人生、実力だけでは勝てない」「自分より明らかに実力が足りないのに、自分より稼いでいる人が存在する」ということが、身にしみて感じてきたからだ。

課題図書を読んで共感できたポイントを3点あげる。


1.コピーライティング能力

錯覚遺産をうまく活用している人は、コピーライティングが上手いように思う。
嘘はつかず、誇張せず、それでいて他者にアピールし、強烈に印象付けるよう自分の能力を売り込むのが上手い。

例えば、SNSで集客する際に「今日の●●時ジャストで締め切ります!」と書くと、慌てて申し込んでくる顧客がいる。(締め切りなど、あってないに等しいにもかかわらず。)

あるいは学習塾で、生徒の合格した大学に偏差値の高い所がなかったとしても、「全員が第一志望に合格!」などと書く。(嘘はついていない)

事実は捉え方によって違った見え方をする。同じ事象を別の角度から表現すること、切り取り方が上手い人が、「自分は能力が高い」と他人に信じ込ませ、安心感を与えることができる。

ほぼ同レベルの実力を持つ者が二人以上いる時、最後にトップに躍り出る、その決め手になるのは錯覚遺産なのであろう。能力が高い人ほど、やりがいのある仕事を任せられ、その仕事の中で成長し、さらに能力を上げていく。

実力はもちろん大切だ。だが、実力を使う場がなくては、意味がない。自分の実力を発揮する機会をつかみとるために、錯覚遺産を活用していきたい。


2.演技力

自分の通っているバレエスクールで、先生がよく言う言葉を引用する。

「美人は、自分で作るものです。生まれつきの美人など、存在しません」
「日頃から優雅な身のこなしをすることで、女性は女性らしい美しさを身にまといます」
「踊る時は、自分は世界一美しいと思って下さい」

要するに先生は「あなた自身が、自分を美しいと思い込むことにより、他者もあなたを美しいと考えるようになる。他者から『美しい』と称賛されたあなたは、ますます美しくなる」と言っているのである。これは、「自分が美人かどうか」という事実に一切関係なく(そもそも美人の定義など抽象的・相対的で判断基準がないに等しいが)、「いかにして相手に自分を美しいと思いこませるか?」その技能を極めることは、まさに錯覚遺産の進化形ではないだろうか。


余談だが、中高で演劇部に所属していた頃は、純朴な少年でも、威風堂々とした女王でも、恋人に裏切られて発狂した老女でも、演技により、どんな人間にでもなることができた。大人になってからは、お笑いコントでキャリアウーマンを演じた所、実際の人生で一度として言われたことのない「セクシー」という褒め言葉を、多くの人からもらって仰天した。要は自分がセクシーかどうかではない。あの時の自分は、見事なまでに「自分をセクシーだと他者に錯覚させた」のである。


「私は優秀な人材です」-この錯覚を他者に抱かせるには、自分の演技力やイメトレが、大きなヒントになると考えた次第である。


3)実力か錯覚か、見抜く力

先日、父があるビジネス書を買ってきた。その著者の経歴と肩書を読み、「すごい優秀な人物だな!」と感心したという。


ところが、その著者の経歴と肩書(所有している資格など)は、よくよく見てみたら、私とほぼ同じだと気づいた所で、
「なんだ、うちの娘と同じか。この人、大したことないじゃん」と、思ったそうである。

父の話を聞いて、他者に対して抱く評価・イメージとは、かなり「根拠がなくていい加減」だと思った。


同じような例として、「自分は決して優秀ではない」と誰よりも自分が一番よく知っているのに、
明らかに自分より優秀な人から「すごいですね」と言われることが、ごくたまにある。


こういう時、「これは錯覚だ」と、忘れずにいたい。自分自身が自分に騙されて、人生をナメて図に乗ったら終わりだと思う。
「これは自分の実力。これは錯覚」と、自分を客観的に見つめることで、他者を見る目も磨かれていくと思う。


7年前の自分は、「人生は実力さえあれば、切り開ける」と思っていた。
少なくとも、あの頃の自分と今の自分は違う。
人に錯覚を抱かせることも、また大切な能力の一つであり、
実力を花開かせるために不可欠な能力の一つだと、課題図書の言語化のお蔭もあり、今では理解している。
投稿者 Terucchi 日時 
“人は錯覚するからこそ、注意が必要なのだ”

この本は著者であるふろむだ氏の本であり、「勘違い」を活用して、如何に人生を好転させていくかを書いた本である。私はこの本の中で、著者の造語である「錯覚資産」という言葉を初めて聞いたが、錯覚と資産は本来別々の意味のニュアンスを持つものであると思っていた。それが一緒に組み合わされていることに、最初違和感があったが、本書のいくつかの説明を読んでいくうちに、段々としっくり来たのだった。今回、私がこの本で学んだことは、人は無意識のうちに錯覚してしまうことと、更に、だからこそ気をつけなければならない、ということである。以下にそれについて書いてみる。

まず、人は無意識のうちに錯覚してしまうということについて書く。本書の冒頭のp1から始まるカナダの選挙でのイケメン政治家の例である。私も読みながら、イケメンだから騙されると思ったところ、そう単純なことではなかったのだ。なぜなら、投票した人にその理由を聞いてみるとは、容姿とは別の理由だったからだ。しかし、この本では更に深く分析し、投票者は容姿とは別の理由で投票したのだと「思い込んでいた」ということなのだ。結局のところ、イケメンだから投票した結果なのだが、人はそのことに気づかないというものだったのだ。それを本書では、「ハロー効果」や「認知バイアス」などで説明している。なるほど、この事例と似た話であるが、開業している町医者も背が高いと繁盛するという話を聞いたことがあるが、この本で書かれている理由で合点がいった。では、自分はそういうものには騙されないぞ、と思えば大丈夫だろうか?おそらく無理であろう。例えば、私も正直言って、もし目の前の人が有名大学出身者や有名大手企業に入っているという情報を先に聞いてしまうだけで、できる人なのだと思ってしまう。また、私は実際の仕事においても、部長や役員の人の意見であれば、おそらく正しいと思ってしまう。このような肩書きや先入観というものにも注意が必要なのであろう。

次に、だからこそ気をつけなければならない、ということについて書く。この本の中で、私が最も印象に残ったのは、p348の『現実世界は「実力が正しく評価される健全でフェアで気持ちのいい世界」なんかじゃない。思考の錯覚の泥沼の中で、錯覚資産という卑怯な武器で殴り合う、油断のならないジャングルなのだ。』の文章である。つまり、この世の中のみんなは錯覚の中で生きているということであり、そして、油断をしてはならないのだ。なぜなら、周りの人が自分を良い方に錯覚してくれれば良いが、もし悪い方に錯覚されたら、悪い方の印象が想像以上に大きくなることもあるのだ。もしそうなれば、それを拭うのは大変だろう。私は今サラリーマンとして勤めているが、もし悪いイメージが付いてしまったら、信用をしてもらえず、良い仕事が回ってこないであろう。おそらく、普通に十分できるはずの仕事もチャンスすら与えてもらえないのであろう。これが、p184に書いてある成果と錯覚資産のループで、成功につながっていくことが十分よくわかるが、わかるからこそ逆回りも気をつけなければならないことが痛いほどわかるのだ。

では、ここで良い錯覚をしてもらうことができれば、錯覚資産となり、万事上手くいくのであろうか?実はそれだけでは無理だと思うのだ。なぜなら、やはり実力も必要だと考えるのだ。本書では機会を与えられるから、成功につながるように書かれてはいるが、そのように甘いものではないと考える。では何かと言うと、私は錯覚資産と実力と両方が車の両輪のように必要だと考えるのだ。錯覚資産によって、自分の実力以上に先に行ってしまわずに、錯覚資産に実力が着いて行かなければならない、と考えるのだ。言い換えると、もし錯覚資産によって、周りが偏に期待してしまい、それを裏切った結果になると、実は逆の負の錯覚資産にも成りかねないからだ。だからこそ、注意が必要だと考えるのである。

最後に、この本を読んで、過去の課題図書の「ファクトフルネス」と「戦争広告代理店」を思い出した。「ファクトフルネス」は本書のように、人間の思い込みを書いた本であり、「戦争広告代理店」は広告によって世論が騙され、世論を変えた話であるが、どちらも人の錯覚を捉えた話である。ここで、これらの本を含め、本書によれば、人は錯覚しやすいものである。そういう錯覚の中で、どうやって生きて行けば良いのだろうか?私はやはり自分自身で考えなければならないということだと思う。もちろん、自分自身が錯覚しやすいことを自覚しなければならないであろう。そして、周りの意見もそのまま受け入れるのではなく、よく吟味しなければならないであろう。しかし、最後の選択は自分自身で決断しなければならない。自分自身で考え抜いた答えであれば、決して誰かのせいにするのではなく、納得できるのだ。そして、もし間違って後悔したとしても、次に活かして行こうとするのではないか。錯覚も含めて、自責で考えることが大切だと私は思うのである。

以上、今回の本も、とても考えさせられる良い本であり、このような機会を頂き感謝致します。
 
投稿者 tarohei 日時 
 これまで薄らボンヤリと感じていたことを、見事に言語化してもらえた感がある。思考の錯覚を見破るのは難しいとしても、自分の錯覚資産を増やして、人生をサバイブするのはありだと思った。

 まず、本書を読了して感じたことは、人の記憶というのは自分で認識しているよりも簡単に改変されてしまう、ということだ。時々、誰かと話しをしていて、この前と話が違うじゃないか、わざと知らないふりをしているのではないか、嘘をついているのではないか、と思うこともあるが、実は、人間は自分の記憶を無意識のうちに変えてしまうのが当たり前というのである。
 本書ではこのような脳の勘違い(誤作動)を思考の錯覚と呼んでいる。思考の錯覚とは認知バイアスのことであり、例えばハロー効果は比較的有名な認知バイアスだという。会社や学校といった私たちの日常にはこうした思考の錯覚が蔓延しているという。これらの仕組みを知り、思考の錯覚を自らの錯覚資産として活用することが大事だと、本書ではいう。例えば、他人から仕事がデキる人という印象を持たれたとして、それがハロー効果による勘違いだったとしても、それはあなたの錯覚資産になるという。

 実際に自分の周りを見渡してみても、自分よりずっと実力がない(と思われる)人でも際立って評価されたり、逆に本当に実力があるにも関わらず不遇な境遇に陥っている人も実際に多くいる。
 会社でも、一度、コイツはできるヤツという良い意味でのレッテルを貼られると、つまり期待と信頼を上司や周囲から持たれると、重要な仕事を任命されたり、勉強する機会を与えられたりして、更に実力をつけることができる、ライバルとの差が更についていくのはよくあることだ。報告書やレポートなどを書いていると、同じような内容を書いているのに、なぜあの人が書くとこんなに評価が高くて、自分が書くとそれほどでもないのかと怪訝に思う状況があるが、これが正に錯覚資産の差なのであろう。
 逆に周囲や上司からの期待のプレッシャーで潰れてしまう場合もあるだろうが、錯覚資産の運用の上手い人はプレッシャーによる耐性も持ち合わせているのではなかろうかと思う。また、インフルエンサーとか、0から会社を立ち上げた実業家とか、有名ブロガーなどは、実はこういった錯覚資産の運用方法を経験上無意識に、あるいは暗黙知として熟知しており、実際に効率よくこれらを実行してサバイブしているのだと思っていた。
 こういったこれまでのモヤモヤした気持ちを、思考の錯覚、ハロー効果、認知バイアスなどといったキーワードを駆使して見事に言語化してくれた。

 次に、社会人と学生は違う、とよく言われる。これはどういうことを意味しているのかと言うと、社会人と学生では個人を評価する尺度が違うという。
学生は実力(=学力)を高めれば正当な評価を受けられる。つまりテストの点数や偏差値といった客観的な数字を基準とした平等な評価を受けることができる。
 しかし、社会人になると実力があっても正当な評価を受けられる保証はない。まず、主観的に上司や周囲から評価される、という点で大きく異なる。つまり、実際に仕事で良い成果を出していても評価者(上司)からの印象が悪い、あるいは嫌われていたりすると、決して良い評価は得られない、もしくは成果を出しているにも関わらず、悪い評価を下
されてしまうこともままあるのである。
 こういったことを逆に利用できないかなどと日々悶々と考えていたのである。
 社会人と学生の違いに代表される評価尺度の違い、人が人を思考の錯覚により評価してしまうという不確定な要素、そしてこれを逆手に取るのが錯覚資産の活用、という本書の言葉は見事、今までの自分のモヤモヤを言語化してくれたのである。

 結局のところ、人は信じたいものを信じるし、信じたくないものは信じない。
良きにつけ悪しきにつけ錯覚資産を使ってみるのも良いかもかもしれない。ただし、自分で自分の首を絞め兼ねない諸刃の剣とならないように留意しつつではあるが。
 錯覚資産を上手く利用しながらより良い環境に進み、より大きい実力をつけると同時に、他者の錯覚資産に騙されて価値判断を誤ってしまうことは避けたい。そして判断が難しい問題であればあるほど人の直感は当てにならない。その事実を認識した上で自分の思考が陥っている悪癖を認識することが、人生をサバイブするために必要なマインドセットなのだと思った。
 難しいことかもしれないが、思考の錯覚に陥るのではなく、思考の錯覚の本質を知り、錯覚資産をうまく活用することで、人生を成功に導くことができる、と確信を持った次第である。
 
投稿者 H.J 日時 
本書はタイトル通り、運や実力よりも勘違いさせる力で人生が決まるということを説いた書籍である。
認知バイアスなど一見取っ付きにくいテーマに対して、ブロガーの一面を持つ著者ならではと言うべきか、大変わかりやすくまとめられている。
心理学をベースに、簡潔な文章とイラストや図を用いてるあたりからも活字に慣れてない人にも優しい作りになっている。

そんな本書の感想を述べると、まず、どの様な立場・視点で読むかで受け取り方が変わる本だと感じた。
例えば、サラリーマンであれば評価される為の参考になるだろう。
逆に評価する側の立場の人が読めば、本書で紹介されてる内容を読んで背筋が伸びる感覚になったり、ヒントになるだろう。
転職希望者なら履歴書の書き方や面接時に有利に働かせることができるだろう。
自営業やマーケティング担当者なら錯覚資産を応用した施策が行えるだろう。
本書の内容を正しく利用すれば絶大な効果が見込める。
なぜならば、本書で解説されてることは心理学をベースにしており、人の本能的な部分である。
つまり、大多数の人は逆らえない部分であるからだ。
本書内で繰り返し出てくる”錯覚資産”というワードも色々な捉え方があると思うが、実力以上に過大評価させることも出来るし、逆に実力がある人が過小評価させないために利用する使い方もある。
実際にどう利用・活用していくかは人それぞれである。

そういったポジティブな使い方がある反面、使い方を誤れば悪い方向に強力な力を発揮することもある。
例えば、犯罪グループが詐欺の手法に錯覚資産を取り入れることも可能だ。
先ほども述べたように本能的な部分で逆らえないからだ。
むしろ、既に認知バイアスは使われている。
鶏が先か卵が先かという話になってしまうが、既にあるものに利用されてる可能性もあるし、これから本書の内容を悪い方向に利用すれば強力なものになることは避けられないだろう。
つい先日「数億円当選メールを信じ、振込処理費などの名目で40回近くに渡り総額440万円をだまし取られた」という詐欺のニュースを目にした。
しかも、その被害者は、被害者になりやすい老人ではなく、30代女性であった。
結果だけ見ると信じられない様な内容だが、手法や形を変えて私達に近づいてくる可能性がないとは言えない。
その時に本書に書かれている内容を悪用された手法に騙されないと断言しきれるのか。
例えば、本書を読み、危険が潜んでるということを認識した自身は大丈夫でも家族ならどうか。
何も知らない子どもが狙われたらどうなのか?
そう言った対策を取っておいて損はないだろう。
パッと浮かんだ対策としては、本書に記載されている内容を具体化し、想定ケースを考え共有することだ。
そうすることで危険を認識できると同時に、自身の錯覚資産の使い方の実践トレーニングの効果も見込める。

つまり何を言いたいかと言うと、立場・視点で受け取り方は変わるが、本書の内容を活用できるかできないかは自分自身であり、どう活用するかは考える必要がある。
同じ様に錯覚資産や認知バイアスを用いた悪意から自分や家族の身を守るにも考える必要があるだろう。
当たり前のことのようだが、どんなに凄いテクニックや情報も、まず知って考えなければ何も始まらない。
その上でどう自分のものにしていくか。
それに尽きるなと感じた一冊だった。
投稿者 vastos2000 日時 
『はじめに』で言及されている「思考の錯覚を理解したほうがいい理由」が4つのうちで、特に気になった4番目と1番目、すなわち『錯覚資産がないと、実力をなかなか伸ばせない』と『詐欺に引っかからないようにするには、詐欺の手口を知っておく必要がある』について考える。
その考察を通して、今後の生活で錯覚資産に注意を向けられるようになった結果、他人を評価する時は錯覚資産があるかもしれないことを意識して評価できるようになり、また、自分が利用すべき時はどのようにしたらよいかを見極めたい。


良いものやおいしいものが売れるのではなく、良さそうに見えるもの、おいしそうに見えるものが売れる。と、いうようなことを故石原先生が言っていたような…
これも錯覚資産の一種だろう。
飲食店で、多くの人がリピートする人気メニューがあったとして、誰でも最初に食べる時はその料理の味を知らない。そのメニューを選んだ理由は「ネットや雑誌で紹介されていたから」、「有名人が好きだと言っていたから」、「その店の人気No.1であるから」とか、「メニュー表の写真を見ておいしそうに感じたから」といったところだろう。
その例のひとつが、静岡県内に何店舗か展開しているハンバーグレストランの「さわ○か」だろう。私も何回か食事をしたことがあり、味覚に自信があるわけではないが特別おいしいとは感じなかった(まずいというわけでもない)。だが、現在でも食事時は1時間待ちが当たり前のように発生しているということは、おいしいと感じる人が多くいるということなのだろう。


次に挙げる例は、本書の『はじめに』で言及されている「思考の錯覚を理解したほうがいい理由」4つのうち4番目、『錯覚資産がないと、実力をなかなか伸ばせない』にあてはまるだろう。これは自分が錯覚資産を使う、いわば攻めの使い方だ。

営業や販売など、結果がハッキリと数字で示される職種は状況が異なるのかもしれないが、総務や経理などの成績を数字のような客観的な指標で評価するのが難しい職種では錯覚資産の働きが大きいと思う。
私自身、昇進した時はハッキリとした数字で成果を残したわけではなく、ほかの人がやらないこと(数値分析、改善提案やマクロなど)をしていたことで、人事権者が「こいつはデキそうだ」と思ったことが要因だと思う。
およそ3年前、“本部・会計課への異動を命ずる”という辞令が出た時は晴天の霹靂で頭がクラクラした。1月1日付けという中途半端な時期であること、昇進とセットであることに衝撃を受けた。(「経理の経験ゼロだけど良いの?」と思った)

本書を読んだ後であらためてあの時の異動を考えると、当時の人事権者から評価されていたのだろう。
今でもそうだが、5桁以上の数字はなかなか頭に入らないが、3桁以下ならすっと頭に入ってくるし、覚えていられる。だから、常務理事を始めとした上役と話している際も過去の実績などがスラスラと出てきたので、「こいつは数字に強いな」と思われたのだろう。
ただ、機会を得た後は肩書に実力を追いつかせるための努力はしたつもりだ(勉強したり、関連資格を取ったり)。
おかげで会計と財務の実力をつけることができた。もとからIT系はある程度知識をもっていたので、これで「IT×会計」の経験を得られて、それなりに転職市場における市場価値を身につけることができた。


上記の例に対して、他人が錯覚資産を使っている場合の注意を促しているのが4つの理由のうちの1番目『詐欺に引っかからないようにするには、詐欺の手口を知っておく必要がある』だ。いわば守りの使い方だ。

仕事柄、高校教員や大学教員と接する機会が多く、「センセイ」と呼ばれる人でも問題がある人が一定数存在することを感じている。
教員は学校という狭い世間しか知らずに大人になったケースも多く、自分の専門分野に関しては確かにエキスパートであるが、一般常識が欠落しているケースがある。
生徒たちは特に疑いもせずに教員から就職指導を含めた進路指導を受けているが、企業で働いたことがない教員が、幅広い分野へ就職する生徒たちの就職指導ができるのだろうか?
最近見た例では、白のワイシャツの下にハッキリとした色使いのTシャツを着ていて、Tシャツの文字が読み取れる状態になっている教員がいた。それで教壇に立っていると思うが、中高生と同じレベルのことをしていると感じた。
また、予算組み(予算要求)も滅茶苦茶で、お金がないから借り入れを起こせば良いと言う。簡単に1億と言うが、その金額を得るために何人分の授業料が必要か考えたのだろうか。

話を戻すと、そんな人間でもそれなりの役職に就き、それなりに良い給料を得ている。きっと外部の人間には偉い人だと思われているのだろう。


本書を読んだ後に思い返してみると、錯覚資産を自分が使う時は無意識に使っていた時もあったし、ある程度意識的に使っていた時もあった。ただ、他人の錯覚資産に対しては気づかない時も多くあったように思う。

最近、また転職を意識するようになってきている。すぐにというわけではないが、2024年度から移れたらと思っているので、その時に備え、面接官に「この人材は活躍してくれそうだ」と思わせるような材料を今後一年積み重ねていきたい。
その際は、力を注ぐべき分野の順番に注意せねばなるまい。実力を増やすよりは、実績を増やす。例えばの話として、1億の売り上げを作るのに2億の販管費が使えればそれほど難しいことではない。だが、面接の場では販管費まで触れるケースは稀だ。
実際にそのような赤字を垂れ流すようなことをするつもりはないが、まっとうなやり方でインパクトがある数字や実績を今から仕込んでいけば、きっとよい結果を得られるだろう。錯覚資産とは言ってもその資産を作るための努力は必要だと思っている。ただ、努力に対するリターンが大きいという話であって、運だけに頼るのは悪手だ。
努力の方向性が見えてきたことだけでも本書を読んだ意義が得られたというものだ。
 
投稿者 kodaihasu12 日時 
私が本著を読んで感じたことは以下の4点である。

・自分の考えを疑え
今まで自分が当たり前と思っていることが損をしているのではないかと疑ってみる。例えば、自己主張しないことが美徳と思っていたら、いつまでたっても評価されない。直感で行動して上手くいったと思っていることは記憶の書き換えをしていないか客観的に振り返ってみる。他の選択肢を排除したり、本当はもっといい方法があったのに、それを考えないようにしていないか自問自答してみる。

・錯覚資産を活用するにはどうすればよいか
世の中では錯覚資産を自覚している人は少なく、錯覚資産を判断材料にしていても自分の判断で決めたと思う人が多数である。そんな中で、自らが錯覚資産を活用する必要がある。本著にある例では、身だしなみをきちんとするなど第一印象がよいと有利に立てる。飲み会に頻繁に顔を出すことで自分を売り込むことは、地道に仕事をこなしているよりもはるかにイメージ戦略として理にかなっている。

・主張は両天秤にかけろ
一つの考え方を知ったら、正反対の考え方からも物事を考える必要がある。ロシアとウクライナの戦争においても、それぞれの立場から論じる力を身に付ける。自分の立場にこだわるよりもいかに論理的に多様な選択肢を持てるかが重要である。

・錯覚資産を醸成する際の課題
目立つようアピールして失敗したら、悪いイメージがついてしまう。必ず成功できる案件を待っているわけにもいかないので、最初にいかにいいイメージを持たせるかの戦略をたてる必要がある。
 
投稿者 beautifulseason 日時 
本書は、一読しただけでは、正直よくわからなかった。
人間の判断が、どれほど当てにならないものか、心理学から紐解いて、さまざまな事例で解説してくれているが、一読しただけでは情報が多すぎて、消化不良になってしまったからだ。

2回目の読了後・・・『うおお・・・力がみなぎってきた!』本書の背表紙の挿絵さながらに、『これは、凄いことを知ってしまった!』と思った。
普通に生きている中で、自分や他の人々の判断がこれほど『錯覚』しているなんて、知らなかったから。

人が普段、全く気付かずに過ごしている錯覚について、それぞれの章でわかりやすい例で解説してくれているが、P306からこれまたわかりやすくまとめてくれている。
10個の認知バイアスを再確認してみると、日頃から肌感覚で感じていた、『人は、必ずしも合理的で得する行動をするわけではない』とか、『なぜ判断材料が不足しているのに思い込みで決断してしまうのか』というような疑問の答えがわかった。

本書を読んで、今までの自分の価値観がガラガラと音を立てて崩れ落ち、その向こうに広大な地平線と真っ青な青空が広がっているような感覚になった。
普通の人が見えないものが見えるようになることは、確かに孤独だが、私はワクワクする。
『人生の重要な選択や、組織内の人間関係・利害関係・意思決定において、さまざまな認知バイアスが、具体的にどのような意味を持つかを抉り出し、それを駆使して人生を切り開く方法を書いた「実用書」』である本書に巡り会えたことを心から幸運に思う。この本を紹介して下さったしょ~おんさんに感謝致します。
 
投稿者 okkodonn 日時 

「この人はすごそうに見える」というのがとても大事であるというのは、社会人になって数年してから、特に営業の仕事をしてから肌で感じていた。
すごそうに見えるから、話を聞いてみたい、すごそうに見えるからこの人にお願いしてみたい。
このすごそうに見えるというのを、錯覚資産という言葉で表現し、論理的に解説している本であるとと考えている。

これまで社会人の力を構成している要素は何かを考えると、表現するなら運と実力の2つで構成されていると考えていた。
しかし、本書を通じて、社会人の力は運と実力と錯覚資産の3つで構成されているという事に、深く同意できる。
人々が自分に対して持っている自分に都合のいい思考の錯覚、これが本当に重要なのだ。

実力があると成果を出しやすい。しかし成果だけではダメであり、成果を錯覚資産にすることに成功した場合のみ、より良い環境を手に入れる事ができる。
そして、より良い環境があれば実力が伸びやすい。実力があれば成果が出やすい、これを錯覚資産にすることで、またより良い環境を手に入れる事ができる。
錯覚資産が非常に重要な点として、一点目に、この雪だるま式に増えていく構造があり、二点目として、錯覚資産→成果、環境→成果、実力→成果、この3つのループのすべての通過点になっている事がある。図解を用いた説明が見事であり、この2点の効用により、結果として数年後には、実力においても実力タイプを追い抜いていく。
錯覚資産がないと実力をなかなか伸ばせないという結論にいきつく。

また、この錯覚資産作りについて、PVとCVRで表現している部分が見事なのである。
ページビューでそのページを見ていただいた数、CVRでページを見た人のうち、実際に商品を購入する人の割合。
このCVRが低い人はPVを増やすことを嫌がる傾向にあり、じゃんじゃんPVを増やす事が大事であり、バカにされてもコケにされても、見下されてもPVをあげ、CVRを上げる努力をする必要がある。
という内容の文章である。
バカにされるのは恥ずかしい、恥ずかしい思いをするぐらいならPVを上げないほうがいいという考え方がどうしても自分の中にある。それは何も自分だけの傾向ではなく、ほぼ全ての人間が同じ考えである事は理解している。
このCVRが低い人はPVを増やすことを嫌がる傾向にあり、という文章が深く胸に突き刺さるのだ。
PVを増やす事を嫌がってはいけないのだ。
その気持ちを勇気を出して追い出さないといけないのだ。

錯覚資産を持つ者は、人生はイージーモード。
錯覚資産を持たざる者は、ハードモードであるという表現手法を用いるなど、大変読みやすい本である。勇気をもってじゃんじゃんPVを増やす事が必要であり、それこそが人生のイージーモードに繋がっていくのだ。

頑張っている人には2種類存在する。
・スキルアップばかりする人
・錯覚資産作りもスキルアップもする人

私はこの本を読んで、これからの人生において、コソコソとスキルアップのみに励むのではなく、
バカにされてもいい、恥をかいてもいい。しっかりとPVを増やしていく行動を行うことを忘れず、
錯覚資産作りも大事にしながら、スキルアップも大事にする事を決意した。
とても素敵な本を紹介していただきまして、本当にありがとうございました。