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第109回目(2020年5月)の課題本


5月課題図書

 

インテグラル・シンキング―統合的思考のためのフレームワーク


この本は、ケン・ウィルバーという思想家が唱えたインテグラル理論を解説したものです。

MECEという意味でこれだけ切れ味良く、事象を4つに分解し、それぞれの象限が持つ意味を

明確にした思想はないと思います。

人間の成長がどういう思考を経てレベルが上がっていくのか、その時の外部との関わりがどう

なるのかを解説しているんですが、目からウロコが何枚剥がれ落ちたか、数え切れません。

科学原理主義と、怪しい系との繋がりを意識して読むと、面白い気付きがあると思います。

 【しょ~おんコメント】

5月優秀賞

 

今月一次審査を突破した人を挙げると、masa3843さん、LifeCanBeRichさん、

Yujisatoさんの3名で、優秀賞はmasa3843さんに差し上げます。この方は、書いた内容や、

着想ポイントは特に優れているわけではなくて、どちらかといえばありきたりなんですが、

日本語が適切、接続詞の使い方が正しい、指示代名詞も正しく使っている、このことによ

って、書き手の意図していることがスムーズに理解できる文章になっています。

 

【頂いたコメント】

投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、自分の認知する視点を変えることで、新たな認識を得ることができると分かりました。

本書の冒頭にはこのように書かれています。
『結局のところ、「知る」という行為は、その人独自の「レンズ」を通して世界をとらえるということです。ひとつひとつのレンズは、その持ち主の感性にもとづいています。』

『また、ひとつひとつのレンズは、その持ち主が生きている時代や社会の文化的・文明的な条件の影響の下に形成されています。世界のどこにも「これこそがいっさいの偏見を排して世界を完全にありのままにとらえている」といえるようなレンズはないのです。』 p9

では、どうしたら私達は、統合的に思考することができるのでしょうか。そのための枠組みを紹介しているのが、本書で解説されているインテグラル理論です。それは、「世界の四領域」という視点で示されています。

四領域とは、「個の内面」「個の外面」「集団の内面」「集団の外面」のことです。私達が経験することになる、ありとあらゆる状況や課題には、これら四つの領域が内包されているのです。

私達がこの内包された領域のどれかに目を向けると、私達一人一人が自分の好みの世界観を採用してしまうため、他の世界観で物事を認識することが出来なってしまいます。

私達は、自分自身で責任を持って、未来の選択を行わなければいけません。それができずに、選ぶべきことを複雑にしているのは、他ならぬ自分自身なのだ、と認知することが必要なのです。

アドラー心理学で表現される認知とは、意味や反応を伴った知覚のことを言います。認知論では同じ状況や刺激であっても、個人の認知によってどう意味付けし、どう反応するかは異なると定義しています。認知の方法は、個人の目的によって大きな違いが出てきます。

つまり、その人の生まれ育った環境と、どう在りたいかという目的や、どうやって目的を達成するかという手段や方法によって、私達一人一人が固有の解釈を持つのです。

哲学者のニーチェは、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」という言葉を残しています。一つの事実に対して、様々な解釈を私達一人一人は行います。

事実をどのように解釈して行動するのかは、事実を解釈する私達一人一人の自由です。

過去に起きた出来事や、今起きている事実を変えることはできませんが、自分の解釈によって、自分がこれから行う行動を選択することはできます。事実を知り、悲観の中で停滞することも、ポジティブな発想を見つけ出し、行動を起こすことも出来るのです。

また、事実の解釈が自由であれば、自分が相手の解釈を否定することも、肯定することも私達一人一人の自由です。

『どうして他人は、自分と違った認識になってしまうのか。』と憤るよりも、他人が情報から得た認識を、相手の視点に立って認知した上で、考えてみることが大切です。 そうすれば、同じ情報に対する自分の認識も、より深めていくことが出来ます。

そして、『自分が重要だと認知している情報は、本当に重視すべきものなのだろうか。』と、自分自身の認知に対して、常に問い続けることが重要であることを、本書を読んで学びました。
 
投稿者 yuttysquirrel 日時 
「インテグラル・シンキング」について著者の言わんとしていること、自分の認識した「インテグラル・シンキング」について述べていきます。

世の中に存在する共同体、家族、恋人、仕事、会社、国家、国家間というのはべて妥協点が結晶化された組織だと私は考えています。

妥協点が折り合わなくなると、離別する、組織を抜ける、最後は殺し合いにつながるわけです。

こうした離別や戦争を頻繁に繰り返していると最終目的である人類生き残りができなくなります。

そうした点を解決し、妥協点を探る意味でインテグラル・シンキング的な考え方が必要であるというのが著者が述べていることだと思っています。

私自身は、話し合いのみとか交渉するのみとかで物事を進めようとすると、言った言わないの喧嘩になり物事が硬直すると考えています。

この物事の硬直を避け、共同する作業メンバーの最終目的地に到達するために、お互いの妥協点やコミットできる点を探りあっていくのに

インテグラル・シンキングを使うのが一番のメリットがあると考えます。

次に自分自身に潜んでしまった凝り固まった偏見を融解する意味でもこのインテグラル・シンキングを使うのは非常に有効であると考えますし、

自分が職場で提案するときも、この4つのエリアで考えるようにしています。

自分の直観や考えはその場やその時には正しくても、状況に応じて変化させていなければ結局、仲間外れになりそれは「死」に直結します。

「死」を免れようとする本能は遺伝子レベルで刻まれていますし、自分はどうしようもないんだと落ち込まないためにも、

自分の考えに対して、インテグラル・シンキングの視点で考えることで物事を打開する意思を産むようにしています。

ただ、第1象限にある自分の自己主張を第2象限、第3象限、第4象限に広げていくには、

自分自身に対し、疑問を持って自己否定をしなければなりません。

この自己否定の作業が非常に苦しい作業となります。

あまりにも自己否定をしすぎるとかえって自己崩壊につながり、かつ「自殺」につながることにもなりかねません。

その辺のバランスを取りながら、インテグラル的に考えていくには相当な耐性が求められます。

ここの耐性をもつのが大変なために組織が崩壊につながっていくのかもしれません。

従来人間の中にはやっかいな「承認欲求」あるので、この「承認欲求」をたしなめていく手段としてインテグラル・シンキングを使うことが有効であるし、

人に自分の考えを論理的に伝えるためにインテグラル・シンキングが最適であると思います。

実際に私は職場での話し合いをするときは、エビデンスを引っ提げて、自己主張しつつ、

相手にもメリットがある点を強調して伝えると意外と自分の考えは伝わりやすいものです。

また、自分の中に眠る利己主義と利他主義をどう折り合いをつけていくか、

利己主義でもみんなが喜ぶ利他主義的な状態へどうのようにもっていくかが鍵であると私は考えています。

そうでなければ、共同体や組織の中で「個人」が生き残ることはできず、はじかれてしまいます。

天才芸術家のように突き抜けて生きる方法もありますけれども、それには1万時間の時間の投資が必要で、

そこまで投資できる人は実際は少ないし、そこまで耐えられる人間も少ないと考えています。

私も1万時間を投資するだけの体力と気力が死ぬまで続けることができるかは自信がありません。

だから、「天才」として生きていくのではなく共同体の中で「インテグラル・シンキング」的に考えて、

自分を生かしつつ、利他的にも生きられれば共同体的にはWin-Winな関係であると思いますし、

実際にお互いに話し合おうとする姿勢があれば、うまい着地点が見つかることが多いです。

言葉の定義は時代とともに変わりますし、「言葉」ひとつとってもひとそれぞれで認識のずれは大きいものです。

まずはその認識のずれを洗い出し、自分の考えや相手の考えを話し合うことで物事の硬直を避ける、

目的地をまずは目指すことが重要でることを著者は訴えていると思います。

私自身も物事が膠着することは望みませんし、膠着してもただ時間が過ぎ去っていくだけで生産性がありません。

環境・状況が常に変化を要求する以上、変化に応じて考え方も変えていかねばなりません。

その時に、梃子先のスキルではなく、抽象度の高いインテグラル・シンキングを活用することで、

変化にも耐えうるメンタルをもてるのではないかと私は考えています。

また、やみくもに行き当たりばったりに自分がもつスキルを活用するのではなく、

インテグラル・シンキング的に考えることによって、逆にスキルが最適解が使える可能性があることもこの本では述べられています。

その点については私自身は自分がもつ経験上からスキルを活用することが多く失敗することもありましたけれども、

インテグラル・シンキングを活用することでもっと失敗が減らすことができる可能性があること、

もっと早くに自分が望む目的地に到達できるかもしれないという希望を持っています。

時や状況に応じながら、インテグラル・シンキングを活用することで最適解や妥協点を探り、

「自分」を見失うことなくかつ共同体が目指すあるべき姿を探りながら、生きていきたいと思います。
投稿者 munetaku 日時 
特に印象に残った以下の4つについて説明する。


①対極の専門領域を身につける
 対極領域の知識や経験を意識的に獲得し、異なる領域間の共通項に思考を巡らせることが統合的思考と理解した。しかしながら、仕事で対極の専門知識を身につけようとしても、その機会を得られるかわからないし、都合良く機会か得られてもスキルを獲得するのに時間がかかってしまう。
 その点で読書は異分野の知識を得る良い方法の一つ。本の世界であれば到底体験出来ないことや自分では全く考えが及ばない思考に触れることが容易である。当然ながら、嗜好の偏りに注意して、4つの領域に関する分野についてのバランス良く本を選ぶことが肝要であろう。
 対極領域を行き来して思考するときに気をつけるべきこととして、自分の思考の癖を把握することがある。その人のバックグラウンドや所属するグループによって、無意識のうちに思考に癖が出てきてしまう。個人と集団のどちらを重んじるタイプなのか?内面と外面ならばどちらか?自分の癖を把握しておき、普段から自分の癖と反対のタイプで思考するよう意識し、対極の思考を行ったり来たりする訓練が必要となる。


②世界をありのままに捉える
 思考することで「私たちは必然的に「一」なるものであるはずの世界を分離してしまう」
 インテグラル゛シンキング゛と言いつつ、思考を手放しなさい、というのが面白い。普通のビジネス書を読んでいるだけでは理解が追いつかなそうで、禅や呼吸法、弓道などの知識が理解の助けになりそう。
 本来、世界はそのままで完全なものであり、既に完全な世界をありのまま受け入れるには思考をしないこと。これは禅の只管打坐や、生長の家の生命の實相を想起させられた。世界は、人は、あるがままで完全なものである。完全であることを只知り受け入れれば良い。思考を手放して重心がどこにも偏っていないニュートラルな状態、中庸であることを心掛ける。
 但し、本書では生まれたままで人は完全、世界は完全、な訳ではない。複数、かつ、対極の領域で専門知識を身に着けることが前提にあり、その上で世界や自分をありのままに受け入れて直感に身を任せることで、統合意識が働いてどの専門領域で思考すべきかが自然と分かる。自身の異なる思考様式全てを潜在意識下で利用して思考するイメージなのだろう。対極の専門領域の知識を身につける効果がここで現れる。潜在意識下の領域が広いほど、統合意識から得られるものはより多様になる。
 従って、知識もないのに直感を信じてはダメだし、逆に知識ばかりで直感を信じられないのもダメ。


③人生の質を高める
 質(内面)を高めることが人生を高める手段である。量を追い求めても幸福にはなれない。なぜなら、量は他の何かとの比較によって成り立つものであり、外部を基準としている。外部に基準があるため、どれだけ増やしても満足することが出来ず、幸せにはなれない。
 但し、ここでもやはりバランスを失ってはいけない。質にばかり固執して個人主義、理想主義になり過ぎれば、現実社会での生活に問題が生じてしまう。


④自己に忠実になる
 今の時代、世界は混沌として多様化は進む一方で、変化の速度も速い。さらに、気象災害やコロナなど非日常的な事象が毎年のように起こる現代では、本書にある通り「既存の知識や技術の有効性が突如として消失する」。世界の変化についていくためには、自分をどんどん変容させていかなければならない。
 ここでの注意として、変容とは古い自分を捨てることではない。「真の変化とは、新しい人格構造の中に過去を抱擁できたとき完遂する」とある。ダメな自分から目を逸らさずに認めて、それを乗り越える。あらゆる過去の経験が自分を形作っているわけで、あるときにふと全ての経験が今の自分にとって必要なものであることに気づく。そうすると、過去を含めたありのままの自分を受け入れられるはず。ありのままの自分を受け入れることと、世界をありのままに受け入れることは、どこかつながっている気がする。
 このような世界が変化する中で指針となるのは自分自身である。自分を変容させるのは大事なことだが、外の世界に振り回されていると自分を見失う。拠り所となる自分をどう変容させていくか?その答えは自分の中にある。意識を自らの深層に向けて、自分が本当に求めているものに耳を傾ける。答えは自分自身が既に知っているのだから、自己に忠実になることを心掛けたい。


 最後に。人格構造を創り変えるには「5年」かかると本書にある。長いスパンで自分をどう変化・成長させていくかのビジョンを持つことが鍵になる。
 
投稿者 tajihiro 日時 
鈴木規夫の「インテグラルシンキング~統合的思考のフレームワーク」を読んで

 鈴木規夫の「インテグラルシンキング~統合的思考のフレームワーク」を読んで、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思う。まず、「インテグラルシンキング~統合的思考のフレームワーク」をテーマを一言で言うと『インテグラル理論はそこ(無数の真実が自らの正当性を主張して、相互に反目したり、衝突したりしているとき)に調和と対話を生み出すことができる』(No.54)、そして、『このシンプルな枠組みを習得していただくことにより、現代人としてより充実した人生を生きることが可能となる』(No.54)ではないかと考える。

上記を踏まえ、私なりの新たな気づきを以下に記載する。

1.『たくさんの情報を収集するということではなく、(中略)重要となるすべての領域を考慮するということ』(No.378)
2.『インテグラル理論において強調されるのは、(中略)視点に応じて、異なる世界の姿が見えてくる』(No.564)
3.『第五段階の発想法とは、(中略)同時に鋭敏な直観力と洞察力が働くようになります。』(No.1813)

 その中で、私の一番の気づきは、以下の
2.『インテグラル理論において強調されるのは、(中略)視点に応じて、異なる世界の姿が見えてくる』(No.564)
である。私は、上記2.に絞って更なる考察を行う。

 例えば、現アメリカ大統領であるドナルド・トランプ氏の評価を例に考えてみよう。ドナルド・トランプと言えば、日本においては「不法移民を追放する!メキシコ国境に長城を作る」といった超タカ派的な発言が強く、評価は決して高いとは言えない。しかし、アメリカ国内から見た場合で、アメリカ人の視点へ目を向けてみるとどうだろうか?彼は、「アメリカ・ファースト」と度々語っているように、アメリカの国益を最優先し有言実行の政治を行っていることに疑う余地はなく、アメリカ国内では現在でもまずまずの評価だ(賛成48%、反対44%、米国エマーソン大学が2020年2月19日に発表した2020年大統領選挙などに関する世論調査結果による)。
 一方で、大統領就任前は、アメリカの不動産王とも呼ばれていた。そのことから、「優秀なビジネスマン」という視点から彼を見た場合、また違った見方ができるはずだ。つまり、視点を変えれば、異なる姿が見えてくるということだ。

 著者は『四つの視点として既に私たちに与えられています』(No.567)と述べている。四つの視点とは、①個の内面、②集団の内面、③個人の外面、④集団の外面であり、これら①~④の限定的な視点を、組み合わせることで包括的に捉えることが肝要であると述べている。
 例えば、ある新人教師が研修のために授業を公開するとしよう。そして、あなたはその教師を指導する立場にあったとしよう。そのとき、あなたはどこに着目しながらその教師の授業を観るだろうか?
仮に、あなたが①個の内面に着目すれば、各生徒がどのように感じ何を考えているのかに着目するかもしれないし、教師が伝えるべき知識や価値に対し、誠実であるかどうかに着目するかもしれないはずだ。一方で、②集団の内面に着目すれば、教師-生徒間に信頼関係ができているか、生徒-生徒間のコミュニケーションが意味あるものになっているかに着目するかもしれない。
 また、③個人の外面に着目したとすれば、教師の発声や身振り手振りに着目するだろう。もしかしたら、各生徒の目線や手の動き、座り方や発言回数に着目するかもしれない。逆に、④集団の外面に着目した場合、部屋の光量や空調、机の配置の仕方に着目するかもしれない。もしくは、生徒-教師間、生徒-生徒間の会話の頻度に着目するかもしれないだろう。
 つまり、①~④のように、様々な視点があると知ることで、自身の活動を、今までの限定的な見方を、視座を上げ、包括的で、バランスのとれたものへ拡張していくことができれば、これまで相容れないと思っていた他者との相互理解を深めることにもつながることを、本著を通じ理解できた。
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 最後に、企業の憲法とも言える、基本理念やビジョンなどに着目し、インテグラル理論的な考察ができないかを考えてみたい。例えば、フリマアプリ「メルカリ」のサービスを運営する「株式会社メルカリ」では次のように定めている。(https://about.mercari.com/about/)

■ミッション
 新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る
■バリュー
 Go Bold − 大胆にやろう
 All for One − 全ては成功のために
 Be a Pro − プロフェッショナルであれ

これを、上記①~④の四象限で分けて考えてみた場合、①~④はどのように配置されるだろうか?

■ミッション  
 新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る ⇒ (社会貢献)「④集団の外面」
■バリュー
 Go Bold − 大胆にやろう ⇒ (個の心の持ち方)「①個の内面」
 All for One − 全ては成功のために ⇒ (組織カルチャー)「②集団の内面」
 Be a Pro − プロフェッショナルであれ ⇒ (個のレベルアップ)「③個人の外面」

 メルカリは企業文化の浸透に力を入れているというのを聞いたことがあるが、上記のように①~④の四象限をバランスよく配置したミッション、バリューを保持していることが分かった。メルカリが短期間で成長できた一因として「企業文化の浸透」といったところに理由が隠れているのかもしれない。

 以上、課題図書としての思ったこと、考察を終わります。非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 tadanobuueno 日時 
本書に『質の体験は、私たちの人生に潤いをもたらしてくれる、貴重な領域』であることが触れられている。私自身、楽しく生きていくにはどうしたらいいのか?そう考えながら生きている。楽しいという質の体験を増やすべく、自分との対話を通じて、 仕事を楽しむためにはどうすればよいか?プライベートを楽しむためにはどうすればよいか?を考え、自分の人生をなるべく楽しくして、質の体験を増やせるようにしている。

仕事で質の体験を増やす為に自分が模索してきて気付いたことは、新たな取り組みは仕組みができていないので裁量が与えれやすく、自分のやり方が通りやすい。この為、自分にとっての楽しいことは増やしやすい。そして新たな取り組みに積極的に参加する方が自分の知識は増える(仕事をまわすには増やさざるを得ない)こと。このため、なるべく『非日常』に身を置くようにしている。会社で様々な経験をさせてもらったが、自分を育ててくれたのは、『非日常』だった。私が新人で業界のことをほとんど知らず、一番利益緒大きいお客様から商売を切られそうになったこと。上司から干されたこと。自分の仕事が新規商品開発のみとなったこと。管理部隊に異動になったこと。海外に数か月出張して現地のスタッフへ新規商売のやり方を教えたこと。問題を通して、過酷な状況が自分の古い器を壊し、新しい自分ができてきている。

その中で、色んな人・組織に接してきて、商品を売る時に必要なことはアイテムが異なっても、業界が異なっても、だいたい同じだと感じてきた。『普遍的な法則はシンプル』、そう感じてきた。ただ、それが具体的に言語化できなかった。今回の本を読んで相手・自分の求めることを観察することと感じた。お客様とその会社、自分・一緒に動く人・自社の求める方向。表に出ること・出ないこと、それを観察して気付き、それを加味したみんなが向かう方向・具体的な役割を示して、そこに巻き込んでいくことができれば物事は上手くいくと考えている。

プライベートでも楽しいことを増やすべく、興味の赴くままに色んなことに参加してきた。その中でイベントの参加者からNPOの企画に参加するようになったり、自分の住む地域の父親・子ども向けイベントの運営にも参加するようになった。自分の仕事とは全く異なる組織に属し、売上・利益に向かうのではなく、子育てに携わる人たちをどうやってサポートするかというい理念に向けて動いている。向かうべき理念に向け、ここでも仕事同様に関係者を巻き込んでいく訓練をしていこうと思っている。

現在の自分の課題は、仕事で得られたもの(スキル・人脈等)とプライベートで得られたものをどうやって相乗効果を出していくか。この全く異なる分野で自分の居場所を得ることができたことは幸運であり、この二つを活かせることが何なのかが具体的に思い浮かばずに悶々としていた。ただ、今回本書を読んで、引続き自分の進むべき楽しい人生に向け自分自身との対話を続け、仕事でもプライベートでもやりたいことに取り組み、そしてその過程でともに取り組む人を巻き込むことをこれからも行っていくことで、自分の中で繋がりが出ていないものも繋がっていくと考えている。
 
投稿者 sikakaka2005 日時 
本書では、「視野狭窄」がキーワードだと思う。

多くのページに、広く考えることの大切さを説いており、1つの解決策に固執することで起こる弊害を解説して、広く考えるためのメソッドとして、4つ観点についてくり返し紹介されていたからだ。

これからの時代、さらに視野狭窄になりやすいと思う。

そう思うのは、ひとつに、マーケティングの発展である。

最近のネット広告はすごい。一度でもGoogle検索したワードに関する商品はかならず、ネットの広告に表示される。Facebookも連動するように似たような広告が出してくる。
先日、楽天モバイルに変えようかとほんの少し料金プランを調べていたら、翌日、ネット広告に、楽天モバイルのスマホ本体の広告がデカデカと出ていたときには、ドキッとした。

加えて、SNSの発展により、どこかの国では、選挙を有利に運ぶために、Facebookに仕掛けを入れて、票を誘導して、選挙を有利にしたというニュース出ていた。

それほど、私たちは、気づかぬうちに誰かに誘導されているのである。

善意の誘導ならば、嬉しいがそういうことはまれで、誘導する側の思考を考えれば、サービスや商品を売りつけて、利益を得ることを目的としてだろう。商品や安いサービスにならばまだいいが、高額商品やサービスを売りつけてくる、いわゆる情弱ビジネスに足をはめられると、大変な痛手になる。もしかすると、私もすでにはまっているかも…。

だから、普段から意識して、触れている情報が偏っていないか、チェックする必要があるのだ。


本書を読み、2つのことを思った。

ひとつは、インテグラルに考える人は、仕事ができる点である。

4つの観点は、仕事に以外にも、応用できるであろうが、仕事に当てはめると、分かりやすかった。

インテグラルに考えるとは、自分の考えや能力のことだけなく、周りの人たちの考えや能力や置かれている環境や状況も考えることを言っていると思う。

つまり、思考の幅が広い人たちのことだ。
思考の幅が広い人は、仕事でかならず、ちやほやされていると思う。

仕事をしていて、やりやすいな~とか、また一緒に働きたいなと思う人は、たいがい、思考の幅の広い人だ。

何かの問題や課題を解決しようとするときに、自分のことだけでなく、上司やお客さんやお客さんの上司のことまで考えて、意見できたり、行動できたりする人は、一緒に仕事していて、本当にやりやすい。

そういう意見や指針って、説得力が高かくて、反論できないことが多い。
そういうことができちゃう人は、たいがい、お客さんからも上司からも可愛がられていると思う。

反対に、この人とは、仕事したくないと思う人は、たいがい自分のことしか考えていない。

話を聞けば、自分が忙しいからやりたくないとか、時間がないとか言い訳ばかりする人に多い。

その話を聞いて、周りの人がどう思うのかも、想像できない人は、正直、一緒に働きたくないし、たいがい評価も低い。

思考する幅の広い人は、仕事で成功しやすいことは言うまでもないと思う。

自分も仕事に、4つ観点を取り入れていこうと思う。


二つ目は、対極の情報も取るべし、ということだ。

本書の中盤にこんな1文があった。P138「ひとつの極を完全に尊重しつつも、もうひとつの極に移動するべきときがきたら、そのことを察知できるということ」

どんなにバランスよく考えようとしても、偏りが出てしまうのは避けられない。

そんなときに重要になってくるのが、今の正解を捨てて、反対側に飛び移れるか?ということで、飛び移るタイミングを見極めることが大切だと言っていると思う。

一昔前までは、大企業のサラリーマンがもっとも、優遇されて安定した、勝ち組の働き方であったのが、今では、東芝やシャープのように日本を代表する企業が落ちぶれてしまい、トヨタも終身雇用は続けられないと宣言している。サラリーマンがそれほどおいしい働き方ではなくなっている。

反対に、体脂肪計や体組成計で国内シェア首位のタニタでは、社員が個人事業主として、会社と契約を結ぶような、新しい働き方が始まっている。できない社員を追い出すための施策では一切なく、むしろ優秀と言われている社員ほど、そういった契約に変更して、年収をアップさせて、仕事の満足度を高めているという記事が出ていた。

こうして世の中が変わってきているときに、変わるべきときが察知できるか?ということである。

大切なのは、自分のいる場所の、対極を知ろうとするスタンスだと思う。

右系の情報も、左系の情報も両方知ろうとすることに近いと思う。

対極のことも分かるから、自分の居場所のことも、より分かるのだと思う。

そういった情報を積極的に取っていきたいと思う。

今月も、良書を紹介していただき、ありがとうございました。
 
 

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投稿者 masa3843 日時 
本書は、多種多様な情報を有機的につなぎ合わせる「統合的思考法」について解説した本です。
情報の絶対量が爆発的に増えた現代では、情報をまとめる力の必要性が飛躍的に高まっています。本書を通読した直後は、この思考法が求める次元の高さに圧倒され、上手く咀嚼することができませんでした。何度も読み返した今でも、その根幹部分を心から理解したとは言えませんが、私が強く印象に残った箇所を掘り下げることで、本書の理解を深めたいと思います。

P10に、統合的思考法とは
「多様な情報を精査して、それぞれの中にある重要な真実や洞察をすくい上げて、それらをひとつの物語にまとめ上げていくこと」
であると定義されています。
さらに著者は、この統合的思考法により
「与えられている情報をいったんすべて引き受けたうえで、それらを部分として融合することのできる枠組みを構築すること」
が可能になると説明しています。

しかしながら、P11の中では、
「人間の習性として、いったん何らかの物語の正当性を確信すると、逆にその物語に絡めとられてしまう」
と説明し、さらには、
「今度は無意識のうちにその物語の信頼性を脅かすような情報や視点を積極的に排除するようになってしまいます」
と警鐘を鳴らしているのです。

つまり著者は、統合的思考法によって多様な情報をひとつの物語としてまとめ上げていくことの重要性を説きながら、一方で自分自身の中で確立された物語を過信することの危険性を指摘しているのです。
著者は、
「統合的な思考の前に立ちはだかる最大の障壁とは、あるひとつの物語を絶対化しようとする、私たちの心理的な傾向である」
と断言しています。

ここで私の中に浮かんだ疑問は、統合的思考法によりまとめ上げられた物語と、妄信し視野狭窄に陥らせてしまう物語の違いは何なのか、ということです。

私は、その答えが第3章で説明されている「知の創造者の五段階」にあると考えました。

「知の創造者の五段階」を簡単に説明します。
第一段階は、自己の専門性を確立する段階。
第二段階は、自らの専門領域を超えて、世界を複数のレンズを通して観察できるようになる段階。
第三段階は、複数の領域に視野を拡げていく段階。
第四段階は、多様な文脈に存在する質的に異なる叡智や体験を統合する可能性を模索する段階。
そして第五段階は、世界が本質的に統合されたものであることを直感的に認知できる段階。

このうち、ポイントになるのは第四段階です。

著者は、
「第四段階における統合が、それまでの段階において「統合」と呼ばれていたものとは異なる、非常に独自のものである」(P123)
と述べ、説得力を持つあるひとつの論理や理論が、他のすべてを従えるようなものとは明確に異なると指摘します。
さらには、第四段階とは、自己中心性を根本的に克服し、特定の領域に対する「執着」を断ち切ることで初めて見えてくる全体性の感覚を持つ段階だというのです。

自己の論理や専門性から導き出される第一段階の物語性。
自己中心性と執着を捨て去り、多様な存在の深層に存在する類似点や共通点を見出すことで導き出される第四段階の物語性。

この2つの決定的な違いは、自分以外のあらゆる事物に対する深い共感と理解だと思います。
そうであるならば、常に自分を疑い他者の考えに耳を傾け続ける姿勢そのものが、統合的思考法の極意と言えるのかも知れません。
必要なのは、スキルや知識の習得ではなく、認識の変革であり人間的な成長なのです。

ここまで考えてみて、現代社会において重要なのは機能的能力(コンピテンシー)ではなく深層的能力(キャパシティ)であるという著者の説明が、ようやく腑に落ちました。

今月も素晴らしい本をご紹介くださり、ありがとうございました。
 
投稿者 nagae 日時 
インテグラル・シンキングー統合的思考のためのフレームワークを読んで、四領域の視点での思考するフレームワークを取り入れることで、より充実した人生を生きることが可能となりますよ。具体的にはどうやって言ったらいいかが読書が実施しやすいようにフレームワークの目的、観点、やり方が記載されておりました。

特に印象的だったのは、p156の「質」と「量」の部分で、私の目標設定は、例えば年収○○万円アップ、TOEIC○○点以上等で、全て「量」の目標設定でした。完全に私の視点は「量」に囚われており、不健全な状態の思考に陥っております。本書では、その場合、「質」の思考の「価値や使命の重視」、「品質の確保」を持ち、ダイナミック・バランスをとっていくべきと記載されておりますので、意識して取り組んでいきたいと存じます。

また、四領域の視点でアクションを検討する際には、以前、基本編のセミナーでご教示いただいた「智の道」の視点も考慮すれば、フレームワークが一段上のレベルにステップアップするのではないかと存じました。

そこで、早速、フレームワークに「より充実した人生を生きるため」と設定して、やってみようと存じたのですが、あれ?毎年、年始に今年実現したいこととか洗い出していたけど、これを達成したら充実した人生になるの?そもそも自分の人生の理想像って何?って、何も考えていない自分の人生に不安になりました。って、余談になりましたが、自分的には見直す重要な機会となりました。ありがとうございます。
 
投稿者 akiko3 日時 
「世界は“1”なるものと把握する」という考えに触れた時、“陰陽太極図”が浮かび、インテグラル・シンキングをちゃんと理解して取り組めば21世紀の“非日常の危機の時代”をよりよく生き延び、今取り組んでいる技のキレも向上するのでは?とやる気が増した。

ちなみに、陰陽太極図とは、森羅万象、全てのものが陰と陽の要素で成り立つという考え方なのだが、著書がインテグラル・シンキングに取り組む際、問題解決の道具として紹介している“四領域図”も“個と集団”や“内面と外面”や“日常と非日常”と2つに分けており、この四領域図を自己のすでに持っている“レンズ”を使い、より細かく観察し、バランスよく四領域を行き来することで1つなるものを認識できるという現実の具体的な見方・解決法を解説してくれている。

著書を読みながら、自分は陰陽太極図を感覚的にとらえ、その時の気分で「いい面もあれば悪い面もあるし…、陰極まって陽となるし…」とある時は落ち込み、ある時は希望を感じ、時間が解決するのを待つだけだったり、時折、このままでいいのか?と不安になったり、日々のルーティーンのやる気が下がったり、感情に現実が左右されていたことに気がついた。
そのうえ、人生というものは山あり谷ありで、何か予期せぬ現実が起こるもの。それらは、自己成長の為と思うものの右往左往しており、本当に成長の為に“起こったこと”を活かしきれたのか?も心もとないところであった。
なので、インテグラル・シンキングを使えば、感情に振り回されず現実を俯瞰し、具体的な行動につながる思考ができ、真の自己成長につながる生き方が可能なのだと感じた。

ちょうど、ステイホームの非日常を学び直しのチャンスと思い、読書や動画セミナーに取り組み、改めて呼吸法(基本編セミナーで最初に教わる全ての技の基礎)に真剣に取り組み直し、内側の変化に気づく訓練をしていたのだが、著書に触れられていた“人間に与えられている4つの視点を活性化する”気づき“の訓練になり、器を大きくすることで、“人格の成熟度を上げることで耐性を身に着ける”ことにも、ひいては『深層的能力』を上げることにもなると思い、一層やる気が増した。
このように、外部環境は“潜在意識”の求めに応じ、必要なものを与えてくれる現実に驚くとともに感謝している。

実は、習った技を使って変えたい現実があり、取り組んでいたが思うように変わっていないことがあった。正直、どういう思いでその技に取り組んだらいいのかわからなかったのだ。今回の“世界は1つ”という考えとその技に取り組む前に唱える言葉が自分の中で一致し、わかった気がした。つい成果を求めてしまいがちだが、“必ず解決できるとは限らない”と著書にもあったし、凹凸があってそれらが合わさって“全体が1つ”という真実を思うと、“欠けている”と思うことなくあるがままを受け止めればいいと思えた。もちろん、今後も成果を求めず淡々と続けていこうとは思っているが…。

最後に、今回は“断念”と思ったが、四領域に当てはめ、Input&Outputの訓練をしたい、課題本の投稿という場があるおかげで(年間読書量100冊に遠~く及ばないけど)これまで104冊を通しInput&Outputの訓練ができた、読書倶楽部という場で切磋琢磨できる環境があり、いろんな状況でそれぞれ頑張っていること、また一部でも頑張ることで全体が底上げされることなど、小さく自分の目の前だけ判断し、易きに流されず取り組んでみることにした。これで、Zoom飲み会がたとえ針の筵でも参加はできるぞ!
 
投稿者 mkse22 日時 
「インテグラルシンキング」を読んで

この本を読み終わったとき、正直、複雑な気分となった。
これからその点を少しずつ整理していきたい。

人間の認識には必ず歪みが伴う。本書では、その歪みをレンズと呼んでおり、ものごとをありのまま理解することができない原因と見做している。歪みを是正するために、レンズに共通する四領域(個の内面/外面、集団の内面/外面)の視点から、ものごとを分析することを提案している。
この提案で重要な点は、下記2点にある。
(1)分析は四領域の視点からのみでよい(他の視点は不要)
(2)四領域の視点から生み出される解決方法では真の解決には結びつかない

(1)については考えてみたい。
なぜこの四領域の視点が共通領域として選ばれたのだろうか。
おそらく、これらは人が生まれてから最初に取得する最も基本的な視点だからだろう。私達は、生まれたときから周りの世界を五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)を通じて把握する。そして成長していくうちに自分以外の他者の存在に気付く。
そこで、五感で把握可能なものと不可能なものをそれぞれ外面と内面で分類して、さらに私と私以外をそれぞれ個人と集団で分類すれば、上記4領域が生まれるといった具合だろう。
四領域の視点が『生得的な視点』(Kindleの位置No.556)と見做されているのも、五感という生まれたときにすでに身につけているものから生じた視点であることがその理由だろう。

しかし、(2)にあるように、四領域の視点を用いても真の解決方法を生み出すことができない。
なぜなら、これらもレンズだからである。本書にも以下の記載がある。
『思考では真に重要なことを完全に把握することはできないということに気づくということです』(Kindle の位置No.1871-1873)
それでは、どうして知の成長段階の第1段階から第4段階までの間に、四領域の視点からの分析能力を伸ばす必要があったのだろうか。暫定的な解決方法しか生まないのであれば、そのような能力を身につけずに、直接第5段階の直観力や洞察力を身につけることはできないのだろうか。
その理由もやはり四領域の視点が『生得的な視点』(Kindleの位置No.556)である点にあると思われる。
生得的な視点であるがゆえに、それらがレンズであることに気が付かないからだ。生まれたときから当たり前として受け入れている視点を疑うことは困難だろう。それでは、レンズをレンズとして理解するためにはどうすればよいか。
それは、そのレンズを徹底的に磨き上げればよい。もし、そのレンズに歪みが無くなれば、そこから真の解決案が生まれるはずである。しかし、レンズはレンズゆえにそのようなことは起きない。私達はレンズを磨き上げることで、そのレンズの限界に気付く。そこで初めて、自分が世界をレンズを通して見ていることに気付き、レンズを使わない方法に移行することができるのだろう。そのためにも、私達は、暫定的な解決策しか生まないレンズをひたすら磨かなければいけない。

(1)(2)を知ったとき、ずっと気になっていた物事の把握の仕方に関する疑問点を解決できた。
以前、ロジカルシンキングやフレームワークなどの勉強にのめり込んでいた時期があった。
勉強していく中で、個々のツールは理解できるが、ツール間のつながりが見えないと感じていた。
何か共通する視点があるはずだ。ただ、それがわからないと。
だから、ツールの知識は増えても、使うタイミングがわからない。必要なときに適切にツールを選択できない。
そうするうちに、それらを使わなくなり、忘れていった。

今思うと、各ツールを四領域の視点から分析していないことが原因だった。
そこで、まず自らの知識を四領域の視点から再構築し直す必要があると感じた。そうすることで、それらの理解は格段に深まるだろう。ただし、それでも真の問題の把握や解決に役立つものではないが。

暫定的な解決策しか生まないとわかりつつ、四領域の視点から情報分析する能力を高めなければいけない。
心のどこかで完璧なものはないと感じてはいたが、それを明確に指摘されると正直ショックである。

ただ、救いは以下の言葉にあるようにどんな情報にも真実が含まれているため、何からも学べる点はあるといったところか。
(本書では、私達の試練という文脈で引用されているが)
『誰も完璧な間違いを犯すことはできない。 誰も常に間違いを犯せるほどに賢くはないのである。(Kindle の位置No.28-29)』

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 ktera1123 日時 
インテグラル・シンキングでの怪しい系との接点はどこだろうか?

インテグラル・シンキングの怪しい系との接点はどこだろうか、探してみた。

1.四領域について

怪しい系に該当するのは「科学でわりきないもの」と「シン・ニホン」に書いてあった。インテグラル・シンキングでは「内面」が「科学で割り切れないもの」、「外面」が「科学で割り切れるもの」となる。つまりは、科学で割り切れるものも、科学で割り切れないものも、双方からの視点が重要であることになる。

2.知性の成長段階

知性の成長段階の「第五段階」で「世界を『一』なるものとして把握することができるようになる。」また、第五段階での発想は「思考法」ではなく、鋭敏な直感力と洞察力が働くようになるとあります。世界が「一」なるもので、それを部分として四領域のレンズを通してみているに過ぎない。今の知識は暫定的なものであり「虚構」でしか過ぎない。そのためには「瞑想」や「黙想」を始めとする意識の変容が必要とある。思考が不必要になることはないが、思考の途中で、直感的な認識の可能性(ひらめき)が「瞑想」や「黙想」を始めとする怪しい系の修行をすることにより可能になることが、本書に明記してあることは、驚きでもあり、エビデンスとなりうるのではないか。

3.実践に向けて

実践に向けての章に、実践するためには「型」が必要とある。問題解決や意思決定では「フレームワーク」と言われているものではないだろうかという潜入概念があった。ところが、本書では人格を鍛錬するための修行法(実践法)の「型」と同様である。身体的・精神的変容を促進するのは、自らの精神と身体を総動員して実際に取り組むべき実践方法と同じである。「型」が実践する人間の精神的・身体的状態を瞬時に変化させる。人間が本来もっている能力を活用するにしか過ぎない。今まで大多数の人が意識して行っていないことを、意識して行うに過ぎない。ただし、継続して行うこと、今までの習慣とは異なるので意識して行う必要がある。修行の場ではなく、日々実践する必要があるなど、怪しい系の修行に近いものを感じました。

実践の方法についても、四領域による分析により、今までの悪習による偏りや歪みを矯正する、反復して繰り返すことの重要性、共に学び行動する仲間および、師匠、先達、先輩方などの目標とすべき存在、日々繰り返すための体制など、これまでの怪しい系の修行となんら変わりがないことを知り、修行の方法には、科学的なことも、怪しい系も、方法に相違がないことを知ることができました。

これは、世界が「一」なるもので、どう切り分けているか、四領域のどの視点から見ているのかの違いにしか過ぎません。科学原理主義にも、怪しい系原理主義にもならず、インテグラルシンキングでの四領域の視点のバランスが重要であることがわかりました。

科学原理主義でも、怪しい系原理主義でもない、中庸を目指すことの大切さを教えて頂きありがとうございました。
投稿者 3338 日時 
インテグラルシンキングについて自分なりにまとめてみました。

 働いている組織で問題が起きたとします。
問題が起こる度に、「意欲さえあれば……」
といった思いが頭をよぎったとします。
同じ様に「能力さえあれば……」
「対話さえあれば……」
「設備さえあれば……」いう思いが込み上げて来るとしたら…
それはすでに偏った物の見方をしている証拠です。
 一方方向だけから問題を見ているために、そんな表面の問題に目を奪われてしまいがちです。ですからほとんどの場合、意欲があったとしても、能力があったとしても、対話を良くし、設備が整っていたとしても問題は派生します。なぜならそれが問題の本質ではないからです。本質的な問題を解決したいと願うなら、情報を集めて総合的に原因を探ることが必要になります。それには4つの物の見方を身につける必要があります。
 組織全体を集合とした時、組織の構成員一人一人は個ということになります。それぞれを内側と外側に分けた場合、4つの領域が現れます。それぞれの領域の情報を収集して初めて、問題点を解決するための総合的な情報が得られます。このやり方は周りくどいように見えますが、問題が複雑化している現代では最も有効な手段となります。

四領域
左上-個の内面
これは自分が感じていることです。世界に一人だけの価値観となります。

右上-個外面
これは自分の行動そのものです。評価の対象となる領域です。

左下-集団の内面
これは組織の文化や雰囲気です。関係者を結びつけるものでもあり、縛るものでもあります。

右下-集団の外面
組織を取り巻く物理的な環境や設備そのものです。個人できない問題でも、ここから派生している場合があります。

インテグラルシンキングとは、この4領域から4つのレンズを通して情報を収集し、絡み合った組織の問題を解決していく方法です。
実はこの考え方は実践して始めて、効力を発揮します。ですから、この考え方を実践していく場合の留意点をまとめてみました。

・左上(個の内面)では認知の偏りを矯正し、公正な物の見方を身につける必要があります。
・右上(個の外面)ではこの物の見方を習慣とすることが必要になります。
・左下(集団の内面)では同じ物の見方をする仲間を増やして、お互いに支え合うことがインテグラルシンキングの習得に役立ちます。
・右下(集団の外面)では会社の支援体制を整える必要があります。  

 自分の理解のために、組織に当てはめてまとめてみましたが、このインテグラルシンキングはいかなる状況や問題にも応用可能です。
 実を言えば私は、この4領域に分けて物事を見ることを続けることで、自ずとインテグラルシンキングが身につくのだと思いました。今までやったことのない物の見方ですが、いろいろな事柄に当てはめて、読み進めておりました。ところがこの考え方を実践するには、高い認識力が必要であることが分かり、果てしない道のりを思い気が遠くなりました。なぜなら、自己の内面を高めなければ、どんな考え方をしようとも問題解決には至らないからです。
 それでもこのインテグラルシンキングは大変魅力的です。同じ目線で同じ目的を持つ仲間と、語り合うことができれば幸せだと思いました。
ですからそんな未来を夢見て、職場でも家庭でもこの考え方を実践して行きます。また社会のいろんな問題にも当てはめて、塾生の方々と語り合うことができれば幸せだと思いました。
 
投稿者 charonao 日時 
 本書は、世の中には多種多様な情報が溢れており、それらを統合的に把握し、本当に必要なものを明確にする方法として、「インテグラル理論」の重要概念である「四領域」についての説明と活用法、そして活用事例について記載しています。

 本書を読む前は、多種多様な情報に対しての整理術について書かれた本だと思っていました。
 しかし本書は、情報の背後にある一人ひとりの「世界観」や「価値観」があることで、情報の整理・統合が難しいが、それらも含めてまとめ上げていくことで、問題解決の糸口を掴もうとする点が、単なる情報の整理術の本とは大きく異なると思いました。

 そして情報の整理・統合をするための方法として、本書では「便宜的な一般化」について説明をしています。その法則に基づいた方法論として、ありとあらゆる情報を四つの領域に分類する「四領域」を用いて情報をバランスよく収集し、統合する必要があるとしています。

 元々この四つの視点については、人々の本能的な能力として既に備わっているということを本書では示していますが、ひとつの視点に着目すると、他の視点をぼかしてしまうため、四つのすべての視点を意識的に利用することが重要と書かれています。
 このことから四つの視点を意識していない現状は、今自分が抱えている問題に対し既に「視野狭窄」に陥っている状況であることを認識させられました。

 しかし「四領域」の各領域を絶対化したときに引き起こされる問題について、具体例も含めて書かれていることから、今抱えている問題に対してどの領域に偏っているか、この具体例から当てはめ判断するだけでも、問題を客観視でき、視野狭窄の状態から逃れることができるのではないかと思いました。

 本書ではインテグラル・シンキングを実際の日常において実践することが重要だと記載されていますが、この理論を実践するにあたっての難しさも感じました。

 それはなぜかというと、P93『単なるスキルではなく、それらを利用する私たちの深層的な能力の深化が要求される』という点と、P133『発達をするとは、不確実性と共に生きていくための強靭さを鍛錬することでもある』とも書かれてる事から、インテグラル・シンキングを活用するためには、人々の「世界観」「価値観」が含まれている情報を統合できるスキルの前に、それらを考慮できる人格形成が必須であると感じました。

 この事から、企業組織での活用においては、情報の背後にあるものを感じ取ることのできるメンバーでの集まりのみでしか効果を発揮しないではないかと考えました。
 例えば、一人ひとりの利害関係も含めて全体を包括する考えを持っていない人々が集まった場合だと、ただ単に各々の意見を主張する場に終わってしまうのだと気づきました。
 要するに、必ずしも人格を鍛錬している人々が集まるとは限らないため、そのような場でもインテグラル・シンキングの活用を考えていかなければならないのだと思いました。

 ではそのような場でも活用していくにはどうするか。本書では、企業組織で実践した際、会議終了時にそこでの討議が四領域すべてを考慮したかを確認する、ファシリテーターの役割の必要性をあげています。
 自身がインテグラル・シンキングを習得し、このファシリテーターの役割を果たすことで、企業組織での活用に貢献できると思いました。そうすることで、インテグラル・シンキングを習得していない人々の集まりでも、各々の利害関係も包括した解決策を見出すことができるのだと考えます。

 また、インテグラル・シンキングの活用において基盤となる四領域は、対極的な要素が組み合わさることで成立しており、これをダイナミック・バランスと呼んでいます。相反する両方の要素が正しいと言える状況を許容していく為には、これが維持ができるようになることが必須だと書かれており、この点も人格形成の一環だと思いました。
 ダイナミック・バランスを維持するために大事なのは、今いる自分の領域の把握と、次にどの領域に移動すればよいかを常に意識することです。
 
 そしてその両極のあいだの移動の感覚については、P138『私達の呼吸は「吸う」と「吐く」という対極的な行為を交互にすることで成立している」と書かれており、呼吸で例えているのが印象的でした。

 この例えから、バランスを維持するという感覚を身体的に身につける為に、呼吸法が有効なのではないかと考えました。息を「吸う」「吐く」などの行為で、両極のあいだの移動を感覚的に身につけることが、視野狭窄を防ぎ、次の移動領域が自然とできるようになるのではないかと思いました。
 この感覚を身につけ、インテグラル・シンキングを活用できるよう、様々な場面で実践していこうと思います。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
 
インテグラルシンキングを読んでの感想

私が本書を読んで考えた事は「インテグラルシンキングを自分の中に浸透させるには人称視点※と結び付けると理解が深まるのではないだろうか」という事です。
※ (以前課題図書になっていた石原明先生の「すべてが見えてくる飛躍の法則-ビジネスは三人称で考える-」に書かれている内容)

本書を一周読んで感じたのは「インテグラルシンキングというフレームワーク自体はなんとなく理解できるものの、身に付けるのはとても難しそうだな」という事でした。私がインテグラルシンキングを身に付けるのが難しいと感じた理由の一つに、p39に記載されている【実際のところ、私たちの社会には、今のところ、統合的に思考をするという事が具体的にどういうことであるのかを実際に体現し示してくれる模範が存在しません】という部分があります。書いてあることは何となくわかるような気はするが、自分が実践するとなると具体的にどのようにやるべきかわからないなと感じました。
そこから、何度か繰り返して読むうちに「知性の成長段階と人称視点には関連があるのでは」と思うようになりました。その理由としては、知性を高める(成長させる)ことは、思考する際に視点・視野を上げて考える事が出来るようになるという事であり、視点・視野を上げるという事は人称をあげて考える事、つまり人称をあげて考える事が知性を高める事に繋がるのではないかと考えました。以下、第三章の内容を中心に、そのように考えるに至った理由を記載します。

まず、知性の第一段階は自分の専門領域において型を学んでいる段階であり、その専門領域のレンズからしか世界を見れていない状態です。これは人称で言うところの一人称視点、自分の視点でしか物事が見えていない状態と考え言えます。例えば、新入社員が先輩から仕事を教わる(型を教えてもらう)状態であり、教わっている段階では自分自身が先輩に教わった通りに出来ているかという自分の事しか考えられていない視点で物事を見ていて、先輩が自分をどう見ているかという他人の視点を持つほどの余裕は無い状態と言えると思います。
第二段階は世界を複数のレンズを通して観察することが出来る段階であり、人称で言うと二人称、自分以外の視点を意識できる段階であると考えます。新入社員が成長し、教わった型の通り仕事が出来るようになりちょっと心に余裕がある、または後輩に仕事の型を教えられるような段階であり、自分が他者にどう映っているのか、自分としては一定水準の仕事は出来ているつもりだが、先輩から見た自分はどのように見えているのだろうか、そんな事が気になってくる段階と言えると思います。また、成長した事で一人の先輩の教えを盲目的に受け取るのではなく、他の先輩や上司からの教えなど複数の人からの助言を状況に応じて受け止めることが出来るようになる状態とも言えると思います。
第三段階は【複数の領域に視野を拡げていく段階】、これは人称で言うところの三人称、四人称レベルの視点であり、自分を客観的に見ている第三者の視点・視野で物事を考える事が出来るようになる段階ではないかと思います。ビジネスマンとして他者より高い成果をあげようと思ったら最低限クリアしていなければならないレベルであり、私は現時点でこの段階にあると考えている。この段階の思考を強化し、次の段階の思考を身に付ける為に自分の活動が対極的な活動となるよう意識するとともに、自分(の思考の癖)を知り、日々物事を考える際に
「あの人ならどう考えるのか」という事を繰り返し考える事を実践したいと思います。
第四段階は【シンプルな言葉を用いて複数の領域を繋ぐ共通項を表すことが出来る段階】であり、【便宜的な一般化】という思考が出来るようになるという事がこの段階の特徴です。便宜的な一般化が出来るようになるには、自分が専門としている領域が絶対では無いという考え方を持ち、専門外の領域の良い所を取り入れることのできる柔軟さが欠かせません。これは人称で言う五人称視点以上のレベルではないかと思います。組織において一つの部門の長たる者は、自部門の事だけでなく、会社全体の利益を考え行動することが出来なければ務まらない思うが、第四段階はそういった段階にあたるのではないかと感じた。
最後に第五段階は【直感的な洞察を通して物事の本質を把握する段階】であり、この段階は第四段階までとは次元が異なっています。知性を向上させ思考を鍛えた結果、最終的に行き着くのは直観力や洞察力という科学では割り切れない認知の世界というのはインテグラルシンキングの奥深さを物語っているなと感じました。人称に当てはめようとすると八人称(石原先生曰く神の領域)にあたるのかなと思いますが、この段階については何人称と同等とは言い表せない部分だと考えます。

以上、私が本書を読んで考えた事を記載致しました。
 
投稿者 str 日時 
インテグラルシンキング“統合的思考のためのフレームワーク”

様々な情報が容易に手に入るようになっている現代において、可能な限り遠回りをせず、正しいものに辿り着くため、統合的な観点を持つことが必要なんだと感じた。

「個」の領域に偏りすぎれば「自分の考えが正しい」といった一辺倒な見方しか出来なくなってしまう。自分なりの理論として、各々の分野で成功を収めているうちはいいが、それが周囲への同調や強要に発展したとすれば、個人的な考えで終わってしまう。

「集団」の領域に倒錯し過ぎてしまえば、個性を失い、周囲に流されていくだけとなる。

人格や思考は長い年月とともに形成されており、そう簡単に作り直せるものでもないだろう。加えて昨今、私たちの元に届く情報の多さや速さに翻弄され、それぞれ四つの領域から物事を見ようとしない事を受け入れてしまっているように感じる。

最近のウイルス騒動の最中でも五月雨式に次々と情報が更新されたり、ガセネタが蔓延するなど、「個」でも「集団」でも偏った見つめ方が及ぼす影響は大きい。断片的に入ってくる情報・知識をどのように結びつけるのか。または完全に見落としていることはないか。総合的に受け取ろうとすれば、膨大な数に疲弊してしまうだろう。だからこそ様々な角度から捉えた『統合的思考』を持たなければ、この先苦労する事になってしまう。

これは暮らし・働いていく中での人間関係に於いても同様だろう。自己を主張し過ぎるが故の変人として生きていくか、集団に流されるだけの凡人として生きるか、それを良しとせず他の道を見つけることが出来るかどうか。少なくとも状況に応じて適切な言動を取れるようにはなっていたい。

自分が現在どの領域を重視していて、どの領域を軽視しているのかをまずは見つめ直し、どこを伸ばすべきなのか、どこを削るべきかを良く考えよう。
 
投稿者 eiyouhokyu 日時 
インテグラル・シンキングを読んで

 私が本書から学んだことは、情報が多くあふれる世の中で生きていくためには、「四領域」を意識して思考すると、賢明な生き方ができるということです。

 賢明な生き方とは、他者と対立や衝突、さらには断交をすることなく、相手の考えを理解しようとすることで、バランスのとれた関係性を築くことができる生き方である、と私は考えました。本書に出てくる「調和」という言葉が、他者との関係性を豊かにしてくれるような響きをもって聞こえてきました。

 なぜ、私が賢明な生き方である他社との調和や対話に注目したのかと言うと、自分自身が自己主張を強くしてしまい、かつ、他者を理解することを怠ったため、人間関係の断交を招いてしまったという経験があるからです。私は、自分の視野が狭窄している状態だという認識がなく、左上領域の主観だけで判断していました。
この本を読んでいれば、個の外面や集団の内面・外面といった領域に視野を広げて、共通項を見つけ出し対話の糸口を見出せたのかもしれません。自分と異なる意見に出会い、価値観が揺さぶられた時の環境は、平穏・安定的なものではなかったので、早く不快から抜け出したいという思いが強く、自分の感情だけを信じて行動していました。しかし、異なる価値観に衝突で向き合うのではなく、偏りのある世界観でものを見ている自分自身を認識できるトレーニングを積んでいたら、人間関係の築き方は変わっていただろうと思いました。
 
 実際に、トレーニングとして今困っている仕事を四領域に分けて見たところ、チームが何をしているか見えていないし、同様にチームからも私が何をしているのか見えていないということが分かりました。一番すっと腹落ちしたのは、右上領域で私がどのように見られているかを思考した時です。ここではどのように評価されるかを、他者目線で自分を見つめ直したことで、改善行動が見つかりました。このような視点がなかったら、上司のせいだとか、環境のせいだとか、他者批判の思考になっていたと思います。

 以前しょ~おん先生がTwitterは、自分と反対意見の人や政治で言うなら右も左もフォローした方がいいよと仰っていたのは、レンズを変えるためのトレーニングなのだということにも気付きました。ついつい閲覧していて快を感じる方ばかりをフォローしていましたが、快のぬるま湯でレンズは曇ってしまうことを理解しました。
思考を鍛えるには、不快と向き合うことを伴う・・・これは、誰からも教えてもらわなかったことです。学校では、みんな仲良くと言われてきたので、文字通りみんなと仲良くしてきた私は、何も考えることなく他者と付き合ってきました。人類皆友達のような安易な感覚です。社会人になり、プロジェクトで利害関係が生じた時や、職場での人間関係に悩んだ時に、人間関係って仲が良いだけではないのだと気付きました。理解して、折り合いをつけるような気持ちの整え方について、やっと知ることができたのです。

 今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 sadaharu18 日時 
「インテグラル・シンキング」
視野狭窄に生きないために


自分の好きなことをやれと言うのは本当なのか。
それが幸せに生きることのシークレット・キーなのだろうか。

ワクワクすることをやれ、好きなことをやらなければ成功しない。

自己啓発書や意識高めのインフルエンサーのネット投稿で、目にしてきた言葉だ。
集団や権威が幅をきかせてきた時代から、個が尊重される時代になると、巷でもよく聞く。

耳ざわりがとても良く、心地よい気持ちにさせてくれる。

私は若い頃から何が自分の運命なのか、という漠然とした探求に生きてきたように思う。
自分の合っている職業はなんだろう。本当に好きなものが、この世の中のどこかに
存在している。
使命を果たす為に生まれてきたんだ。
いつかそれに引き寄せられ、運命的に出会い、成功するのさ・・

マイク マクマナスの「ソース」、バシャール、本田健さんの本など、
自分の好きやワクワクっていう本を沢山読んだなぁ。

そんな過去の自分は、少し現実的ではなく、ふわふわしてるような中途半端な存在だった。

学生の時に、野球をやっていた。自分の好きなことだけを見ていた。
自分がどんな投手になりたくて、何を伸ばしたいかだけを強く想っていた。
野球は組織でやるものなので、凡人がその中で抜きん出るには、ファクターは1つではない。
当然、中途半端に終わることになった。

社会人になった。
部活や勉強とは違い、成果を出さなければ生きていけなくなる。
どうしたら、この中で少しでも抜きん出ることができるのだろうか。
考えた。
人の目も気にしたし、組織にとっての課題を見つけ解決する。
部署のコミュニケーションをうまくいかせるには、どうしたら良いのだろうか。

タスク管理
部下の心をつかむ。
プロジェクトの進め方
時間術
プログラミングの勉強
会社文化とは
社長への提案の仕方

会社で生きていく、あらゆることを少しずつ経験し、勉強していくと、なんとか失敗しつつ
認められ、ときに昇格していった。

あれ?自分の好きなことって・・
自分の好きを追求したかった自分が、今でも心の中にはあるが、生きていくのは
多面的な考え方が必要だよなと今では思う。

インテグラル・シンキング
本書を読んで、改めて腑に落ちたように思う。

社会人として学んだり、経験してきたことを、インテグラル・シンキングの概念を適応してみる。

◆左上領域
自分のモチベーションを高める
成果の品質を突き詰める
自分の好きな業務を仕事にする

◆右上領域
仕事しながら大学で情報科学を勉強した
休みにプログラミングをした
ビジネススキル(タスク管理、時間術など)を読み実践してみた

◆左下領域
人を叱る時は、2人になる。褒めるときはみんなの前で
部署で食事の機会を持ち、人間関係にも気を使う
感謝する
会社の文化に合う人を採用するように心がけた

◆右下領域
業務の仕組みを効率化
会社の戦略をしっかり考え、部署の戦略に落とす。
個人の志向より、組織優先

全てが正しいわけではなく、ケースバイケースだ。
右下領域が強くなり、大きく後悔したこともある。多くの組織人はあるあるな感じ
なのかなとも思う。

このフレームワークに人の立場の視点、時間の概念を取り入れ、掛け合わせることが
できるなんて、とても難易度が高く、できるかどうか自信が無いなと正直思う。
ただ視野狭窄に陥らない考えを学ぶことができたのは、とても大きな資産となった。

ワクワクで生きろって視野狭窄だ。
いや、ワクワクは良いのだ。沢山の視点を持ち、それを切り替えることができれば
良いのだ。
複数の視点を統合して、狭い視点に陥ってないことをしっかり考えよう。
そんなことを強く思った。

深いなぁ。
 
投稿者 gizumo 日時 
「インテグラル・シンキング-統合的志向のためのフレームワーク」を読んで

 「“インテグラル”ってホンダの車があったよなぁ…」と言うのがこの本を最初に見た感想…、「インテグラル」に“統合”という意味があるとは全く知らず…。
 情報過多の時代、ボーッと生きていると感じず流されていたが「個人のレンズ」を通して見るということの大切さを実感させられました。むしろ、何かを得るために必死で「他人のレンズ」を使って見ることをしていたために馴染まず、放り投げていたかもしれない…と気づき反省させられました。
 特に昨今の「コロナ騒動」においても「これが正しい」「あれが正しい」と振り回され、どーすればいいの?でも手は洗っておこうと。会社でも、あれこれと議論が戦わせられるなか、立場を変えればなるほどと思われることもしばしば…(でもなぜか自分の意見をムキになって正しいと過信し主張してしまう…)。よくよく考えると物事には、「前後左右」があるのは当然である。ましてや背景の違う個人がそれぞれ理解し感じている。そのため、それぞれの意見や感想、主張があり、対応して課題や対策が取られるべきであり、そこにフレームワークとして、個人と集団および内面と外面を利用するという点が気づかないようで斬新な方法だと感じました。
 日常で都度都度、フレームワークを使うことはないと思われますが困難にぶつかったとき、なにかを深く理解したいときに使える学びを得ることができました。
 自分にとっては、まず相手が自分とは違うレンズで見ていることを意識できるようになったことがこの本での一番大きな気付きとなりました。違いを認識した上で、共通の課題や目標に立ち向かえる機会が楽しみです。
投稿者 sarusuberi49 日時 
 「インテグラル・シンキング」を読んで、成長の方法を新たに学びました。
 私はこれまで、「私はなんで成長できないのか?」と自問自答するばかりで、自分の足りないものを外部に求めようとしていました。この点について本書では、「目標状況の明確化」の前に「現在状況の明確化」と書かれています。これは、まさに最近考えていたことなので、気が引き締まりました。自分の内面と向き合う作業をスルーしたままで目標を立てようとしているから成長しないということを理解しました。

 そこで改めて自分の内面を探ってみると、「今のままではまずい」と思う一方で、未だに「今のままでも別にいいや」と現状に満足している部分があります。「知識の成長段階における第一段階」以前の、自分と向き合う段階からのやり直しが必要と思いました。
 今まで当たり前と思って受け入れたり、仕方ないと諦めたりしてきた価値観と向き合ってみます。一つずつ疑ってみるところから始め、成長できる仕組みを作りたいです。

 そのために、四領域分析の紹介が勉強になりました。
 過去の自分の体験に当てはめて考えてみると、人生において深刻な問題を抱えたときこそ、苦しみに耐えようとガードしようとしてしまい、ますます頑固になってしまっていたと思います。今思えば、「個の内面領域」に閉じこもり、苦しいことばかりに集中して余計に疲れていました。

 この苦い経験を学びとし、今後は統合的な視点で状況を把握しようと思います。そう考考えてみると、自分が困難に直面した時、「助けて欲しい」という他力本願では領域が広がりません。しかし、「人の役に立つ」という目標を立てることで成長できると思い至りました。
 そのためには、自分にできることを探して貢献できるようになりたいです。まずは、自分の周囲や社会にもっと興味関心を持ち、観察力を高めます。

 例えば、最近話題になっている、新型コロナウイルスの蔓延で他県ナンバーのクルマに嫌がらせをする「ナンバー狩り 」と言われる行為は、「集合の内面領域」の肥大化と考えられます。これは社会的な不安が高まっていることが原因と思われます。     

 こういう事件が起きたとき、私はただ傍観していましたが、「理不尽なバッシングはおかしい!」と声をあげるべきだったと反省しました。こんな時こそ恐れずに、勇気を出して声を上げることが貢献につながると考えたためです。

 また本書にある通り、「解決が困難な場合には根本的な解決ではなく、状況が少し改善されることを目指す」というのも深い智恵だと感じました。ここは、状況が深刻で焦っている時ほど見落としがちなポイントだと思いますので気をつけたいです。

 コロナ以前の世界に戻ることができない以上、これから新しい考え方や生き方が提唱されてくることになりそうです。自分の慣れ親しんだ価値観に固執せず、四領域を意識しながら学ぶことで成長し続けたいです。
 
投稿者 vastos2000 日時 
四領域のフレームワークを使えるようになるためには?


費用対効果(時間対効果)の面から、この思考方法を身につけるべきかどうかという問いがあるかもしれませんが、著者はあとがきで『四領域という統合的な枠組みを意識してそれら(これまでに習得してきた技法や技術)を利用することで、そうした技法や技術の効果をいっそう高めることが可能』となる「メタシステム」であると言っています。決して損をする話ではないと判断し、インテグラル・シンキングを身につけるべきであると考えたので、四領域のフレームワークを使えるようになるために何をすればよいかを考えました。

結果、第三章にかかれている段階を意識していくのが良さそうに思いました。

まずは“インテグラル(統合)・シンキング“というくらいなので、何か、分割されたものを統合する思考方法だと考え本書を読み進めて行きました。
そうすると、ルネサンス以降、左上(美術・心理)、左下(倫理・道徳)、右(科学)と各領域は独自の発展の道を歩み始めたとあり、それぞれが分割されているが、『無数の真実が自らの正当性を主張して、相互に反目したり、衝突したりしているとき、インテグラル理論はそこに調和と対話を生み出すことができるのです』とあります。
科学や道徳など、特定の領域の見方や考え方を否定するのではなく、それらを包括するメタな考え方であるようです。


さて、私自身がインテグラル・シンキングを身につけるための課題に話を戻します。
第三章に照らし合わせ、私はいまどの段階にいるのかを考えたところ、第一段階は通過して第二段階にいるのではないかと判断しました。
ためしに、当面の課題を四領域にあてはめて考えてみましたが、どうも右下をうまく使えません。逆に左上はすんなりと書き出せました。
生得的に与えられているはずの四つのレンズですが、意識して使わないと、特定のレンズに偏るようです。
これまで、相手の立場になって考えたり、上司の立場になって考えたり、顧客の立場になって考えたりするといったことは意識してきたつもりでしたが、“集団の外面”の視点が欠けていたようです。この視点があることに気づけただけでも一歩前進です。
当面の課題は第三段階の『複数のレンズを意識的に交換する』こと(水平方向も含めた視点の移動)が課題となりそうです。

さて、順調に段階を上げていくことができた場合の話になりますが、第四段階と第五段階は両者の間に隔たりがあるようです。『第五段階』の節の冒頭(位置55%)あたりには、『そこには、思考だけではなく、洞察と叡智があるのです』と書かれています。

第四段階まではロジカルな思考の積み重ねであるという印象を受けましたが、第五段階からは直感とも呼ばれるような別のアタマとココロの使いが必要となる印象を受けました。
特に『世界が多数の要素を寄せ集めたものではなく、常に「一」なるものであることを認識するのです』というのは、仏教で言う無分別にも通じる話なのかと思いました。
この後に書かれていることで、探求する行為が、「一」なるものであるはずの世界を観察する主体と観察される対象とに分離してしまうと書かれています。もともと一つだったものを、ヒトが「これは○○、あれは●●と呼ぶ」と、勝手に世界を分割したということでしょうか?

学校教育で習ってきたこともあり、科学にはなじみがありますので、世界に存在するものを他と区別して認識することは自然なことと感じます。
ですので、観察する私と観察される対象(他者)が「一」であるとは思えません(ともに世界の一部というのならわかるですが)。

ただ、この「一」なる世界という考え方から東洋的な一元論を感じます。この本が書かれた2011年頃は、従来の価値観がぐらついてきていると書かれていますが、もしかすると第五段階に到達すると新しい価値観やものの見方を得て、智の道の実践も容易になるのかもしれないと感じました。世界が「一」なるものであれば、他者が幸せになれば私も幸せになるというのはもっともな話です。

一見、本書はビジネス書であるように見えますが、この考えが合っているとするならば、基本編を補強するための副読本のようなものであるのではないでしょうか。


この考えが合っているかどうかを確かめるには、第五段階に到達してみなければわからないと思います。
幸か不幸か、これから2ヶ月ほどは、ここ10年のうちでも(仕事でもプライベートでも)課題が最も多くなりそうですし、次月の課題図書もインテグラル・シンキングと関連したものなので、四領域の見方・考え方を身につける訓練を多く実践できそうで、ちょうど良いタイミングだと考えることにしました。
早く第五段階に到達できるよう努めて参ります。
 
投稿者 satoyuji 日時 
『インテグラル・シンキング』感想-問題の変化により求められる考え方について

  考え方と問題とに「ズレ」が生じている。それが本書を読んで感じたことだ。考えることは重要である。学校、仕事など様々なところで言われている。テストを制限時間よりも早く解き終われば「よく考えましたか」と言われ、仕事でミスをすれば「よく考えて仕事しろ」と怒鳴れる。私たちはどこかで「よく考えれば正しい答えを実現できる」と思っている。しかしその「考える」ということ自体への方法が「ズレ」てきている。その結果、自分たちが望む結果を得る手段としての考え方に、欠陥が生じている。だからどうすればその方法の「ズレ」を解決できるか考えた。そして「考える」とは望んだ結果を作るための行動であり、そのためには頭だけはなく、「全身を使って考えないといけない」という結論に達した。ではこの「ズレ」はどうして起こったのか。それは3つのことが変化したからだ。以下にその変化と、なぜ全身を使って考えなければならないかを述べる。

  現代は情報氾濫の時代だ。知りたいと思えばスマホ片手に様々な情報にアクセスできる。何百年前に書かれた古典でも、地球の裏側で起きていることでも、自分の頭に浮かんだ問いかけへの答えを探すことができる。しかし問題は解決されていない。むしろ増えている。それは問いに間違いがあるからだ。問題意識と、解決をするための答えを見つけるための問いに溝があるからである。その理由は現代の問題が複雑化しているからだ。200年前、移動手段は人力か動物によるものだけだった。望みを叶えるなら、身体を頼るしかなかった。100年前、ラジオは国で管理されていた。みんなが同じ認識を共有しいてた。ほんの50年前、電話に留守電はなかった。電話の前にいる相手としかコミュニケーションはできなかった。こうした環境の変化により、私たちの考え方は変わった。環境の変化が、「考え方」を変化させた1つ目の理由である。

  2つ目の理由は、運動量による考え方の変化である。この数百年間で私たちの生活は激変した。地球の裏側にいる人とも、リアルタイムで話せるようになった。それを同時に複数の場所でもできるようになった。今では、遠くの人に伝えるために手を動かし、言葉を綴り、時間をかけて届けてもらう必要もない。知りたいことを知るために自らの足を使う必要もない。移動は交通機関を頼ればいい。以前なら身体を使わなければできなかったことでも、ほぼ身体を使うことなくできるようになったこともある。その結果、運動量は減った。以前なら、あらゆる人の行為は身体によって行われていた。文化によって身体観に違いはあっても、考えることも身体活動であることは共通している。身体能力は運動力と相関関係にある。そのため運動量の減少は身体能力の低下に繋がり、身体能力の低下は考える力の変化に直結した。運動量減少による身体の変化が「考え方」を変化させた。

  3つ目の理由は私たちの抱える問題が「『私』から『私たち』」になりやすくなったからである。「ネットサーフィン」という言葉が死語になって久しい。Wikipediaによると1990年代から使われるようになった。今は誰も使わない。なぜなら当たり前になっているからだ。私たちはいつも繋がっている時代を生きている。電車の中を眺めれば、10人掛けの席で8人はスマートフォンをいじっている。老若男女の違いはない。何か困ったことがあれば検索する。自分と同じように困っている人がいないかググってみたりする。同じような問題を抱えている人はほぼ見つかる。そうして「私」の悩みが「私だけ」の悩みではないことがわかることで、「私たち」の問題となっていく。更に、私たちの悩みは完全に同じではなくても、共通点を見つけてより多くの「私たち」の悩みとして増殖する。これは片付けをしているときのゴミ袋に似ている。ゴミであることは同じだが、それが実は別々のゴミである。こうして問題は複雑化していく。今回のコロナ騒動でもそうだ。共有され、他の問題と繋がることで、離婚・DV・一部商品の売切れなどが起きている。情報が共有されることが当たり前になり、問題の広がり方が変化したのである。

  以上のように私たちは環境、身体そして問題自体が変化した時代に生きている。しかし考え方はその変化に適応して変わっていない。それが私の感じたズレの原因だ。そのズレとは、考えることが「全身で行う運動」から「身体の一部のみによる」変わってしまったことである。ではそのズレを適応するには、何から始めなければならないか。それは考えることを身体全部で行うことである。頭の中だけで行ったり来たりさせるのではなく、思いついたことを書き出してみる。解決策を閃いたら、行動してみる。そうすると、思いも寄らない考え浮かんでくる。その考えに再び手を使い、足を使い、もちろん頭も使い行動することにより全身で考えるのだ。もちろん私たちがいま直面している問題は個人の枠だけでも、一部の社会の枠だけにも収まらず、益々複雑化している。先人のように全身で考えられるようになるだけでは十分ではない。だが、私たちが備えている力に着目して育てることが、問題解決力を養う一歩であることは間違いない。だからこそ人の活動を司る身体をできだけ使い、考えることを全身でできるようになることから始めなければならない。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
 “自己の視点に囚われず、他者の視点を共感的に理解する“


 今月は、「インテグラル・シンキング」を読み、その中で最も心に残った『人格の成長』をテーマに書く。本書を読む以前から、人生をより充実させ、心地よく生きるために人格を成長させることの必要性は分かっていた。ただ、本書を読む以前の『人格の成長』に対する私の考えは、かなり漠然とした“他者を理解し、寛容になる”と言った感覚的な程度なものに止まり、具体的にどのような考え方や実践が必要、有効であるかは定かではなかった。今回、『人格の成長』を促す実践方法を知ることが出来たのは、私にとって本書からの何よりの収穫であった。 

 まず、『人格の成長』の定義を明確にする。本書(インテグラル理論)から抜粋すると、『人格とは深層的能力のことであり、その成熟とは、多様な視点を認識・考慮するための認知能力の高まりである。つまり、深層的能力が成熟しているとは、自身の視点に執着するのではなく、世界には異なる視点をもつ他者が存在することを認識することができることであり、また、それらを尊重できることを意味する』(No.2980-2983要約)になる。
 インテグラル理論が秀逸なのは、上記の定義の中の“異なる視点をもつ他者”を四つの領域に分割し、さらにその四つの視点(個の内面/個の外面/集合の内面/集合の外面)は生得的に人間に備わっている本能的なものであり、かつ個人によって偏りがあると喝破したところだと思う。なぜなら、この分割は個々人に自らの偏りを示唆するばかりではなく、相対する他者の偏りを知る手掛かりとなりうるからであり、さらには、マクロ的に世の中で起きている事象の分析にも実践的で使い勝手が良いからだ。
 1つの例として、沖縄の米軍基地問題に対する世論を四つの視点に分割してみよう。事故の発生や治安の悪化を訴える人々は「個の内面/左上領域」の精神的な視点、地域経済の活性化を訴える人々は「個の外面/右上領域」の数値的な視点、沖縄の風土・象徴である美しい海の保護を訴える人々は「集合の内面/左下領域」の倫理・道徳的な視点、日本の安全保障を優先する人々は「集合の外面/右下領域」の関係性の視点に当てはまる。この方法を本書を知る以前は、糸が複雑に絡まっている様に映った米軍基地問題の論点が、四分割により整理されて見えたのは目から鱗であった。
 また、この問題に関してニュースの映像で見た賛成派と反対派の現地でのデモによる衝突やSNS上で激しく罵り合う両派を生み出しているのは、根源的には人間が本能的に偏った視点で事象を捉えるという『視野狭窄』であることも分かった。では、この視野狭窄に陥っている群衆の中に果たして人格の高いと呼べる人たちはいるのだろうか。上記した『人格の成長』の定義、“自身の視点に執着せず、他者の視点を尊重する”からすれば皆無なのだと思う。
 
 上述のように『人格の成長』を妨げる『視野狭窄』が加速した時代は、本書によれば、どうやらルネッサンス以後である。元々、四つの領域は「人間に自然に与えられている《生得的な視点》」(No.556)とあるようにインテグラル理論に独自のものではなく、「人類の歴史を通じて認識されてきた普遍的な知の領域であり、それらは《真(右上・下=科学の領域)》・《善(左下領域=倫理や道徳の領域)》・《美(左上=芸術や心理の領域)》といわれ、人間の探求の三大領域として位置づけられてきた」(No.603-609要約)とある。そして、ルネッサンス以前は、この三大領域は有機的な相互関係をもっていたが、ルネッサンス以後各領域は互いに疎外し合い、独自の発展を遂げ、結果としてこの数世紀の間に社会を劇的に変化させたと本書は続けて説明する。つまり現在、我々が科学、芸術や心理、倫理や道徳の発展から享受しているものは、言い換えれば、それぞれの領域への特化という、視野を狭めることで得たのである。発展と進化を得る代わりに、三大領域の有機的な相互関係を失ったという歴史的事実は、私にとって非常に興味深く感じた。

 ルネッサンスから時代は進み現在、『視野狭窄」の傾向はインターネットの登場、さらにアルゴリズムの発展でさらに加速している。言わずもがなインターネットは、個人に世の中に無数に散らばる多種多様な知識や情報にアクセスを可能にする。そして、大きな問題はアルゴリズムがその知識や情報を個人の好みに合わせたものに偏って送り付ける特性を持っており、それが『視野狭窄』を加速させている点である。
 例えば、上述した米軍基地問題で言えば、治安の悪化に不安を持つ人には、その事にまつわる知識、情報を検索する頻度が多いためにそれを助長する知識や情報がアルゴリズムよって集まりやすくなるからである。これからの時代は、『視野狭窄』の弊害を知らない人たちや弊害を意識しない人たちは、ますます自らと敵対する人たちを生み出すことになる。それは、人格を育み成長させるとは程遠い状況の中、心地悪い生き方をすることを意味するではないだろか。

 この『視野狭窄』を乗り越えて『人格の成長』を実現する手段は、本書に明確に書かれている。まずは、「すべての知識や情報が何らかの真実を内包しているのだから、そのすべてに意識を開くことが求められる」(No.32-35要約)ことを認識、自覚することだ。次に、「個の内面/左上領域」を鍛える『自己探求』を実践することだ。例えば、「視野を限定することで、何を守ろうとしているのか?視野を拡張することに積極的になれない理由は何か?自らの主張を貫くことに固執してしまうのは何故か?」(No.2833-2836要約)と自問自答を繰り返すのだ。このように意識を開き続ければ、自己の視点に囚われず、他者の視点を共感的に理解することが出来るようになっていくのだと思う。その時、その人間は真に「人格の成長」が促されているのである。


~終わり~
投稿者 wapooh 日時 
202005『インテグラルシンキング –統合思考のためのフレームワーク-』を読んで

 この本を読み終えて最後の一文に辿り着いた時、ようやく心が動いた。

『二○一一年四月一日 東北関東大震災の混乱のただなかで』

 本書は、副題の通り、『思考のためのフレームワーク』の一つの思考方法である『インテグラルシンキング=統合的な思考法』の提示とその実践の手引書だと理解した。実践をするに当たり、インテグラルシンキングのベースとなる「米国の思想家、ケン・ウィルバー氏が提唱した『インテグラル理論』の紹介と、理論の中で最も重要な概念の一つで実践のための『型』である、『四領域図』を活用した日常の日々の実践・修養方法について、具体事例もあげながら紹介している。
 著者の鈴木氏は、本書を通して、日本人が理解をしやすいように、日本の文化・風土に合わせて『インテグラルシンキング』を紹介されている。
人は、思考する。生きている限り、心臓の動きを止められないように、頭の動き=思考求めることは出来ない(たとえ寝ている時でさえ)。
『四領域図』を用いた思考法は短期間に習得できるものではないと言う。単なるツールではなく、『思考法を本能として確立するためには、数年と言う時代が必要』とあるように、体に沁みつけるものだと言う。読んでいる間、私は、まるで、「『インテグラルシンキング』道に入門した人が、練習ツールとして『四領域図』を手渡されて、これからツールの使い『型』を学び修練する手引書を読んでいる」かのような気持ちを味わっていた。
手引書を読むのに心が動く質ではなかったので、果たして感想文に何を書けばよいのだろうと正直困ったまま最後までたどり着いた。
 そして、冒頭に引いた、本書の最後の一文に出会った。今からほぼ10年前に著された一冊。コロナ禍で日本だけではなく世界中が混乱のただなかにあって、従来の常識が崩れて、経済の動きが止まり、人間の生活様式が一変し、ITのデジタル化社会による新しい日常と生活が急速に普及された数か月を体験した、混乱の今、の自分の心境に立って、当時もまた日本の中で、日常が一変した2011年の混乱を想起させられた最後の一文に、ざわざわとするものがあり、感想文を書ける気持ちになった。

 『四領域図』を用いた思考法は、実践が生活の場だから、自分一人で世の中が成り立たないように、自分と他者(社会)とを想定し、自己の振り返りで活用するだけではなく、家族や組織において議論や会議をする際にも活用する。活用方法は、以下の通り。
まず、取り上げる主題を決定した後に、紙面を4分割し、①左上領域、②左下の領域、③右上の領域、④右上の領域の順に、枠を作り当てはまる具体事例を書き込んでいく。
大事なことは一つ、OSの部分。人格を磨くことが重要でありそれを深めるには瞑想や呼吸が必要だと言う事。日々の実践そのもののだった。

その他の気付き、『四領域図』についてまとめつつ、以下のことを感じた。

① 個の内面: : ②個の外面       :
・個人の真相能力 :  ・個人の機能的能力
・OS :  ・ソフト
------------------------------------------------------------------------------------------
② 集団の内面 : ④集団の外面
・文化・風土 :  ・制度・施設・インフラ

 大事なことは、書き込みをする項目について、洗いざらい正直に出し切ることだと言う。批判や正当性を固執することなく、それぞれを尊重し敬意を根底に持って出し切る。その後、それぞれについて、主題を完成(問題なら解決)するために、まとめ上げて行く=統合し、似たものは包括しながら行う。インテグラルの意味は『統合的』『包括的』である。
 個人の認知(本書で言うレンズ)は、その人が属する集団に影響を受けているので一方的であるという認識に立ち、対立する見えていない認知を意識的に探して書き出すことで、出来るだけ広く顕在化し、目標を描く(本書で言う地図)。
インテグラルのもう一つの意味は『必要湯可決』であり、世の中にある膨大な情報の中から絶対に見逃してはいけないものを見極めること。
 この『型』を、体を通して訓練するのだが、常に『思考―行動―結果のフィードバック』と言うサイクルを回しながら、繰り返していくのである。まさに道。
日本の『道』は言語化が明確ではなく、個々人が感じ体現し骨身に沁み込ませて研ぎ澄まされてきたが、それは一つの国で日本語と言う一つの言葉で通じるものだったからだろう。
本書にもあるが、様々な国や言語を話す人々の日常の生活様式を統率するためのガイドラインをまとめる欧米の人々、英語と言う言語で代表して表そうとしてきた欧米人の『道』の一つが『インテグラルシンキング』なのだと思った。
欧米のガイドラインと言えば、思い当たるのがISOやGMPというヨーロッパ発、アメリカ発の管理手法である。私はこれらを業務の一環で活用しているが、ガイドラインは日々更新される。各国から集められる代表委員で組織されるcommitteeを通して、定期的に都度問題点を洗い出し、状況を判断して、個々の文化も考慮し、改定案が出されて改善が続けられるのである。
本書を読むことで、自分の生き方思考の仕方を学びながら、自分を取り巻く業界のありかたについても学ぶことが出来た。来月も本書に通じる課題図書で自己を深められると期待をしている。今月も、思考の機会を有難うございました。
 
投稿者 H.J 日時 
インプットとアウトプットの質を向上させることが出来る。

本書を読んで、そう感じた。

本書はタイトルの通り、インテグラルシンキング、つまり「統合的に思考する」という事がテーマである。
世界のありとあらゆる情報が「個の内面」「個の外面」「集団の内面」「集団の外面」の四領域に分類が出来、それぞれに属する情報をバランスよく収集して、統合して考えることが大切だと著者は言う。
さらに、統合的思考法は、ひとつの領域の論理で考えるのではなく、対局性の統合、つまり互いに対立した二つの要素を統合して考えることが大切であると。

上記を考えたとき、私のインプットの質は低かったのではないだろうか?
という疑問が沸いた。
もちろん、インプットしないよりはマシではあるが、インプットをより良くできるのではないかと思ったのだ。
そう考えた時にインプットにも大きく分けて2種類があると気付いた。
・無意識的なインプット
・意識的なインプット

無意識なインプットは、その名の通り、意識しないで入る情報。
たとえば、テレビやラジオ等、付けっぱなしにしてると自然と耳から入ってくる情報。
特に欲してもない情報がそうと言えるだろう。

逆に意識的なインプットは、自分からある程度欲している情報。
たとえば、グーグル検索で探したいものを検索して手に入れる情報だったり、欲している情報が載っている本から得る情報を指す。
ただ、この意識的なインプットの中でも、自分の中のフィルターで引っ掛かる情報と引っ掛からない情報がある。
フィルターに引っ掛かった情報は、メモしたりして覚えているものだが、引っ掛からなかった情報は忘れてしまう。
まぁ、全ての情報をメモして覚えていたら時間もかかるし、効率も悪いので、引っ掛からなかった情報を忘れてしまうことは必ず悪いとは言えない。
何かしらのテーマだったり目的を持って、情報を手に入れるのだから、その目的に沿わない情報を忘れてしまうことは、仕方のないこととも言える。
ただ、私個人的に振り返ると、「個の内面」や「個の外面」しか見ていなかった。
本を読めば、主観的に見たら〇〇とか、逆に客観的に見れば〇〇だという考え方。
多分、当感想分ですら、「個の内面」と「個の外面」しか語らないで終わると思う。

一方、アウトプットという面で考えるとどうだろうか?
アウトプットについても考えてみると、
私生活では「個の内面」や「集団の内面」によるもの、仕事では「個の外面」や「集団の外面」という偏ったものになっていた。
たとえば、私生活では日記をつけているのだが、読み返したら、見事に内面のものばかりだった。

これは、果たしてインプットやアウトプットの質というテーマを統合的思考法で考えて見るとどうなのだろうか?

答えは当然偏っている。

偏っているのならば直せば良い。
統合的思考法を意識すれば良い。
ひとつの領域の論理で考えるのではなく、対局性の統合を意識する。
「個の内面」だけを見るのではなく、「集団の外面」も見る。
それを意識するだけで、新しいアイデアが生まれるだろう。
偏った考え方に気づき、意識的に視野を広げることで今まで気づかなかったことに気づけるはずだからだ。

そう考えると、今までのインプットやアウトプットよりも質が高まる。
そう感じた一冊だった。
投稿者 kayopom 日時 
『インテグラル・シンキング』を使って思う事


本書『インテグラル・シンキング』でも予言のように語られていた「非日常」の時代を生きる私たちにとって、新たな対処やあるべき姿を検討することが必須となった。
統合的に物事を捉えるために、本書内ではすべての事象を
左上:個の内面
左下:集団の内面
右上:個の外面
右下:集団の外面
という四領域図を用いる事で、「認識」を深化させていき、問題解決を図っていくという。

そもそもこのフレームを使う事が、本で読むだけでは実戦と理解は難しかったのが正直なところで、その領域に当てはめる事象がこれで合っているかが、憶測の域を出ない。
多分きちんと概念を取得しているファシリテータの元で、ワークをこなす事が必要だろう。

合っているかどうかはさて置き、ここでは実践する事が求められていたので、今回は事例として「義務教育のオンライン化実現に向けた課題」を四領域図に当てはめてみた。

左上:個の内面
(生徒)学校に行かなくてもオンラインで授業ができるなら楽だが、理解できるかやってみないとわからない
(教師)今まで対面でしか授業をやった事がないので、IT機器操作も経験がない、生徒の対話が取りにくそう
(親)パソコン代や通信費は家庭持ちなのか、オンライン授業のセットアップが家庭でできるか、トラブルの対処はこっちがやらなければならない
左下:集団の内面
(生徒たち)友達に会って話したり、遊んだり出来ないのはつまらない、体育や図工、音楽も難しい
(学校側)授業全体のカリキュラムは変更が必要、行事を通じた集団行動など、集団生活の体験をさせられない
(行政側)教育課程やインフラまで従来型では対処できない、IT教育のスキルがある人材に乏しい
右上:個の外面
(生徒)テストとかはどうやるのだろうか、実技系授業の評価はつかなくなるのか
(教師)生徒の理解度チェックや、成績評価をどのように行えばフェアなのかがわからない
(親)家庭でもフォローしないと学習ができているかわからない
右下:集団の外面
(生徒たち)学校って何を学ぶためにあるのだろう?大人になって社会に出るための基礎的な知識ってこれでいいのだろうか
(学校側)人材、設備、ノウハウ、すべて手探りになる、在り方が問われる
(行政側)設備などの予算をどうするか、そもそも設備の対象はどこまでになるのか

と、あくまでも一例を挙げていったが、現在の議論に足りない部分を発見する一助にはなりそうである。
義務教育である以上、全児童への授業をもれなく行える事が前提になる。
が、 教育をオンライン化に切り替えることで、何があれば、どんな条件ならば成立するのか。
各プレイヤーと領域において、足りない部分が何かをあげれば課題は浮き彫りになりそうだ。

そもそも授業オンライン化とは、送受信ハードウェアと通信インフラがあって成立するものである。
教師・授業というソフトウェアはあるのだから、あとはハードウェアを揃えればスタートする事は可能だ。
だが、教師や行政のレベルでのそのスキルは乏しそうである。
設備においては、文部科学省ではパソコンを一人一台配布すればいいだろう、との事で法案も予算も通った。
しかし、通信のインフラは各家庭に依存する。そしてソフトウェアやハードウェアの家庭での知識は親に依存する。
前提として、生徒・家庭・学校・行政の各レベルにおける「オンライン」関係の知識レベルを合わせる事、そしてそのハードと通信設備のレベルを合わせる事も必要だと考えられる。

ここまでひとまずワークを実践してみたが、統合的思考の限界を感じる事があった。

一つには、個人の思考の枠から出る事が出来ないことだ。
本書内では、日常的に四領域のレンズを利用して物事を検討する習慣を持つことが推奨されている。
だが一人でやっている時は他人の視点を自らが想像することになる。そういった点において、個人のバイアスに引っ張られ、その個人の想像範囲を脱しない。
やはり集団の内面などを想像するのは難しく、同じ日本の社会と限定したとしても年代、性別、属性などで持つ意見は全く異なると思われる。
対処するには、特定のトピックについて、できる限りたくさんの意見を収集する事だろう。twitterのハッシュタグ検索を利用する事、ニューストピックの意見欄を見ることは参考になりそうである。
何よりも個人的なトピックでない限りは、他者の意見を取り入れて事象を俯瞰する事が四領域フレームを使うには偏りをなくすという点においては必須であると思われる。

二つ目には、集団で検討した場合に起こりうる意思決定の問題だ(あくまでも想像であるが)。
結局のところ、同質的な集団では、異なる意見は出にくい。実権や権威がある立場に対して、対立する意見を出して議論することは難しいと思われる。
例えば政府の諮問委員会などでは、それぞれの立場で意見が出されても、結局のところ「前例を見ない」ような意見は取り上げられにくい。まさに『シン・ゴジラ』の世界なのである。
意見は出されても、そこまで。最終的には元の木阿弥かもしれない。

三つ目にはノウハウの取得時間がある。
この四領域図を理解し使いこなすには「数年」いると書かれている。
残念ながら、このフレームを知ったところで、すぐに使えるものではないと思われる。
非日常を生きる私たちには、前例のないことは前提であり、困難な状況下でも最善を尽くすことが求められる。
今の刻々と状況が変化していく切迫感の中で、意思決定を下していくことは責任がある人ほど保守的なものになりがちであろう。
新しいもの、異質なものに対する柔軟性と、多様性を受け入れる土壌を、集団なり個人なりがどれくらい保持できるのか。

四領域図のフレームワーク取得よりも、常に走りながら考える事が求められているのが今の世界なのだ。
 
投稿者 jawakuma 日時 
インテグラルシンキングを読んで

今回の課題図書は統合的思考法のフレームワークの紹介が書かれていました。フレームワークのメリットといえば決められた型に沿って情報を整理することで抜け漏れがなく、被りがない状態、つまりMECEに情報を捉えることができる点にあります。

本著で紹介されているのは、インテグラル理論の重要概念である「四領域」のフレームワークですが、P.18の世界の四領域の図を見た時、企業分析によく使われるSWOT分析のフレームワークと形が良く似ているなと思いました。「企業と市場」を取り巻く情報を、「強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)」の四領域で整理するのがSWOT分析の手法です。企業の状況分析と今後の方針決定においてSWOT分析は非常に効果的で、ビジネスの分野では一定の評価を得ています。しかしこのSWOT分析を日常生活に使えるかどうかと言われると「企業と市場」を本著の四領域のY軸である「個人と集団」に置き換えたとしても、X軸が「強みと弱み」の分析なので、戦略立案に寄り過ぎてしまう嫌いがあります。たとえば、『地域貢献のボランティア活動を行うかどうか?』といった問題提起に対しては「強みと弱み」と言った評価軸では割り切れない情報が多分に掲出されてしまうためSWOT分析では役に立ちません。一方、本著のインテグラル理論の四領域分析はどうでしょうか?X軸は「内面と外面」でY軸は「個と集団」で分けられています。この分け方は非常に強力です。なぜなら、左上の領域である個々人の内面の情報までをも分析すべき対象として整理することができるからです。会社の企業研修等で前述のSWOT分析や3C分析、4P分析、PEST分析など様々なフレームワークを学んできましたが、‟個人の内面領域“を包含し重要なファクターとすることができる分析手法は他にはありませんでした。一般的に集団の中において個々人の意見や価値観は顧みられないケースが日常生活の中では数多く発生しますが、人によってはその出来事に非常に強いストレスを感じることがあります。その感じ方は人それぞれであり他者からは理解できない点もありますが、その当人とっては大きな問題となって圧し掛かり社会とのつながりを保てなくなるまでに陥るケースも散見されます。そういった状況においても統合的思考法の四領域分析であれば、個人の内面の悩みにまでスポットライトを当てることができるのです。しかもそれだけではありません。悩みを抱える本人も統合的思考法で現状を捉えることができれば、自己の悩みは自分を取り巻く世界の一つの領域に過ぎないことを理解でき、客観的な視点で自己を眺めることができるのです。

そして、個と対局の集団ですが、世の中のすべての集団に対してこのフレームワークを使用することができるので、極めて汎用性が高いです。その集団の内面も一つの領域として分析の対象としています。KYといわれるその場の空気を読む同調圧力も分析対象としてとらえることができるのです。この同調圧力は時に大きな影響を持つことがあります。特に単一民族といわれる我々日本人は周りの意見に合わせることを求められる機会が多いように感じます。たとえば、身近な例では学校教育においての集団行動もそうだと言えますし、国家レベルでは太平洋戦争突入に至る意思決定も政府・軍部、そして世論に同調した結果だということができるでしょう。P.62で書かれている空気の支配で書かれている通り、その場の空気・雰囲気に従うということは、右側領域の客観的な情報、リアリティを無視・軽視することに繋がり、その空間に醸成された漠然とした空気がすべてを決定していくのです。この日本における同調圧力の強さがP.154に書かれているマズローの「凡庸であることの共同謀議」の通り、イノベーション(革新的な新技術)の起こりづらさにつながっているのです。相互理解をしながらも左上領域である個々の価値観、多様性を認識しあうことで、突出した才能が発揮できる組織を作っていくことが今後の日本企業には求められてくることでしょう。

日々の生活の中で統合的思考をとりいれ、自身や組織の偏向を理解し、世界と人生のとらえ方の歪み・囚われを無くしていきたいと思います。

今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 satoyuji 日時 
講評後リライト
『インテグラル・シンキング』感想-考え方と問題の「ズレ」を克服する第一歩について

  考え方と問題に「ズレ」が生じている。それが本書を読んで感じたことだ。もし考えることと問題との間に「ズレ」がないならば、問題を解決することができる。本書のような新しい考え方が求められていることは、考え方が問題解決の方法として機能していないことを意味している。ではこうした「ズレ」はどうして生じたのか。そしてどのように克服するべきか。以下にその理由を3つの変化から考え、克服方法を述べる。

  現代は情報氾濫の時代だ。知りたいと思えばスマホ片手に様々な情報にアクセスできる。何百年前に書かれた古典でも、地球の裏側で起きていることでも、自分の頭に浮かんだ問いかけへの答えを探すことができる。しかし問題は解決されていない。むしろ増えている。それは問いに間違いがあるからだ。問題意識と、解決をするための答えを見つけるための問いに溝があるからだ。その理由は現代の問題が複雑化しているからである。200年前、移動手段は人力か動物に由るものだけだった。望みを叶えるなら、身体を頼るしかなかった。100年前、ラジオは国で管理されていた。みんなが同じ認識を共有しいてた。ほんの50年前、電話に留守電はなかった。電話の前にいる相手としかコミュニケーションはできなかった。こうした環境の変化により、私たちの考え方は変わった。「環境の変化」が考え方を変化させた1つ目の理由である。

  2つ目の理由は、運動量減少による考え方の変化である。この数百年間で私たちの生活は激変した。地球の裏側にいる人とも、リアルタイムで話せるようになった。それを同時に複数の場所でもできるようになった。今では、遠くの人に伝えるために手を動かし、言葉を綴り、時間をかけて届けてもらう必要もない。知りたいことを知るために自らの足を使う必要もない。移動は交通機関を頼ればいい。以前なら身体を使わなければできなかったことでも、ほぼ身体を使うことなくできるようになったこともある。その結果、運動量は減った。以前なら、あらゆる人の行為は身体によって行われていた。文化によって身体観に違いはあっても、考えることが身体活動であることは共通している。身体能力は運動力と相関関係にある。そのため運動量の減少は身体能力の低下に繋がり、身体能力の低下は考える力の変化に直結した。運動量減少による「身体の変化」が考え方を変化させた。

  3つ目の理由は私たちの抱える問題が「『私』から『私たち』」になりやすくなったからである。「ネットサーフィン」という言葉が死語になって久しい。Wikipediaによると1990年代から使われるようになった。今は誰も使わない。なぜなら当たり前になっているからだ。私たちはいつも繋がっている時代を生きている。電車の中を眺めれば、10人掛けの席で8人はスマートフォンをいじっている。老若男女の違いはない。何か困ったことがあれば検索する。自分と同じように困っている人がいないかググってみたりする。すると、同じような問題を抱えている人はほぼ見つかる。そうして「私」の悩みが「私だけ」の悩みではないことがわかることで、「私たち」の問題となっていく。更に、私たちの悩みは完全に同じではなくても、共通点を見つけてより多くの「私たち」の悩みとして増殖する。これは片付けをしているときのゴミ袋に似ている。ゴミであることは同じだが、実際は別々のゴミである。こうして問題は複雑化していく。今回のコロナ騒動でもそうだ。共有され、他の問題と繋がることで、離婚・DV・一部商品の売切れなどが起きている。情報が共有されることが当たり前になり、「問題の広がり方が変化」したのである。

  以上のように私たちは環境、身体そして問題自体が変化した時代に生きている。それにより、考えることと問題との関係性に「ズレ」が生じてしまった。ではそのズレを整えるには、何から始めなければならないか。まず、身体全体を使って考えることからである。頭の中だけで行ったり来たりさせるのではなく、思いついたことを書き出してみる。解決策を閃いたら、行動してみる。そうすると、思いも寄らない考えが浮かんでくる。その考えに再び手を使い、足を使い、もちろん頭も使い行動することにより全身で考えるのだ。もちろん私たちがいま直面している問題は個人の枠だけでも、一部の社会の枠だけにも収まらず、益々複雑化している。先人のように全身で考えられるようになるだけでは十分ではない。だが、私たちが備えている力に着目して育てることが、問題解決力を養う第一歩であることは間違いない。だからこそ人の活動を司る身体をできるだけ使い、考えることを全身でできるようになることから始めなければならない。