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第49回目(2015年5月)の課題本

5月課題図書

 

泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ

 

なんですが、4月にはフツーに売っていたのにタッチの差で絶版になってしまったみたい

です。そうするとマーケットプレイスでの価格が騰がるわけですが、こういう時こそ電子

書籍で読めば良いんです。Kindleを買わなくても、無料のアプリがAndroidにも、iPhone

にもありますから。

この本には夢の叶え方の極意が書かれていますよ。将棋の話ですが、将棋盤はひとつも出

てきませんから、将棋のルールを知らない人でもチャンとストーリーを追いかけられるよ

うになっています。才能、努力、成功、挫折、奇跡、夢の実現、こういうテーマが万遍な

く散りばめられている良書だと思います。

 【しょ~おんコメント】

5月優秀賞


今回の本は内容も平易で、それでいて誰の琴線にも触れるストーリーだ

ったので多くの人が書いてくれました。ところがこういうストーリーだからこそ、他の人

との差別化というか、選者(←私の事ね)の眼をググッと惹きつける何かが無いと、その

他大勢と同じ感想文になっちゃうんですよね。

で、一次審査を通過したのが、「akiko3」さん、「jawakuma」さん、「magurock」さん、

「wapooh」さん、「2l5pda7E」さんの5名で、今回は「magurock」さんに差し上げる事に

しました。

 

 

【頂いたコメント】

 
  投稿者 mahoro 日時 2015年5月10日

■後輩:すごい話ですね。こういうのを「人徳がなせる業」とでもいうんでしょうね。

■先輩:本当だよな。この瀬川さんがプロ棋士入りを目指すきっかけが、最初は自分が主張していたんじゃなくて、周囲の人たちから担がれてのことだったなんて初めて知ったよ。

■後輩:それで、その周囲の人たちの手助けや応援も半端ないですよね。

■先輩:うん。こういう話を読むと、自分の力だけでは為し得ない、大きなことを成し遂げるには、自己主張とか、自分の力だけではどうしようもなくて、まわりの人たちが味方になってくれることが必要で、そのためには人柄とか、人徳が大事だということを改めて実感するね。

■後輩:この本に出てくるエピソードをみていると、この人、本当にいい人というか、よく言えば愛されキャラで、悪く言うとお人よしというか、そういう印象をうけますよね。

■先輩:奨励会時代に自分の下宿が仲間のたまり場にされちゃったのを半ば喜んでいたような感じだからね。逆にそういう人だからこそ「あの人なら」という形で周囲の人たちが積極的に応援してくれたんだろうな。

■後輩:瀬川さんと同じように、奨励会に在籍しているうちに実績が残せなくてプロ入りをあきらめた人は、それまでにもたくさんいたでしょう。そのなかには将棋の実力だって瀬川さん以上の人がいたっておかしくない。それなのにそういう人たちがプロ入りした前例がなかったってことは、この「勝因」は実力より人徳にあったといえるんじゃないでしょうか。

■先輩:そう言えるかもね。あと、この人が立派だと思うのは、サラリーマン時代に、サラリーマンとしての仕事をきちんとこなしていたということだな。

■後輩:会社の上司にも「さびしくなる」とか「プロ入りできなかったらこれまでどおりに一緒に働こう」みたいなことをいわれてますからね。

■先輩:芸術とかスポーツとか、特定の分野に才能があるのに、機会に恵まれなくてその分野で喰えなかった人が「フツーの仕事」に就くと、「自分の本当の居場所はここじゃない」的な認識なのか、その仕事とか顧客とか上司とか同僚とかになんとなく見下した態度をとって、中途半端な仕事ぶりで周りに迷惑をかけてるような感じになることが実際あるんだよ。

■後輩:いますいます、そういう奴。いわゆる「挫折した芸術家タイプ」。

■先輩:この瀬川さんはサラリーマン時代の自分の仕事について「面白くてやりがいがあった」みたいなことを本の中でいっているけど、その裏では相当挫折感から来た葛藤とかもあったはずなんだよ。でもそういうものを全部乗り越えて、自分を雇ってくれた会社とか、まわりの上司とか同僚たちに敬意を払いつつ仕事をしていたんじゃないかと思うんだ。

■後輩:それがプロになってからのスポンサーの獲得につながっているわけですからね。人徳って大きいですよね。

■先輩:この本には中学生が読書感想文を書くための、それこそ「課題図書」にでもなるように書かれている趣があるけれども、いいオトナがあえてそういう一見コドモ向けともとれる本を読んだときに、その内容をどれだけ自分の学びにつなげることができるのか、今回はそれを試されているような気がしたね。
以上
投稿者 kd1036 日時 2015年5月12日

これは本当に面白い本ですね。そんな事ってあるんだなとグイグイ引き寄せられ、あっという間に読了です。そして論点の多い事多い事(笑)

・既存のルール
将棋の世界の厳しさは、折に触れ聞きかじっているので分かりますが、やはり相当に厳しい世界です。その要となっているのが年齢制限です。迫り来るタイムリミットと増し続けるプレッシャーとの戦いで、晴れてプロになれた人・途中で挫折した人など語られるエピソードは膨大な量です。
奨励会を突破した人間と跳ね返された人間では、将棋の強さにどれほどの違いがあるのか?これは非常に難しい問いです。将棋の真剣師は現在どの位いるのか分かりませんが、プロになる夢が叶わずに別の道を行き、プロレベルの実力を持っている人は相当程度存在するでしょう。
とはいえ、やはりプロとアマチュアというものは、0か1かのようなもので、ほんの紙一重(もしくは差がない)としても、厳然と区別されなければなりません。そこのルールについては各業界様々です。碁に関しては将棋よりもフレキシブルで、瀬川さんのような形でプロになれる制度も公式にあるようです。チェスに関しては世界的な競技である事から日本の制度云々よりゴルフやテニスのツアープロのような形態みたいです。それを考えても将棋の世界は厳しい事この上ないです。ですが、その壁を突破した人間がプロとして将棋を職業にしているのです。

・公平性
何かの世界でプロになるのも、どこかの会社に所属するのも、それぞれのルールで区分されます。ある企業の製品の熱烈なファンだからといって勝手に社員ですとは名乗れませんし、スポーツ、例えばサッカーが抜群に上手くてもプロチームと契約もしくはスポンサーが付く等しないとキャッシュは入ってきません。
何かと言うと、厳しい厳しくないとか実力の差等の問題はさて置いたとしても、将棋の世界のプロ選抜方法は、広く周知されており、運営は公正に行われているという点で、公平なものではあると考えられます。
ですので、そのルールに特例を設ける事に対する反発は当然あるものと思えます。しかし、そこに関して、様々な要因が絡んでいるので一言で表せるものではないにしろ、将棋界が自ら動き出したという点には、大変驚かされました。何よりも門前払いが普通の反応でありそうですが、そこにはやはり瀬川さん個人とは別の意識も働いていたようです。
一つ言えるのは、関門を突破してプロの地位を得た人間が認めるから世間が納得するのである、という事でしょう。例えば大学や資格なんかでも、そこの大学に行っても・その資格を取っても意味がないと言えるのは、そこに行った・その資格を持っている・もしくは同等以上の知識技能レベルにある人だけです。そのレベルに満たない人が何かいった所で、誰の心にも刺さりません。
瀬川さんが嘆願書提出の時点で、世間一般の匿名からの心ない言葉の刃にさらされた事は触れられていましたが、おそらく自分が文章から想像した状態を遥かに凌ぐ悪意がぶつけられたのではないかと思います。

・楽しむ事と勝つ事
奨励会での将棋は「友達を失くす」とも表現されていましたが、楽しむ事とは対極にあるものだったようです。
奨励会突破のボーダーにいる人間で突破した人間と跳ね返された人間の実力には、おそらく何かの差は存在するのでしょう。ただその違いはほんの些細な事のような気がしますし、その微妙な違いが本当に大きな部分を占めている気もします。
そこでプレッシャーから解放された人間がプレッシャーに憑り付かれているプロと対戦した時に、勝ち越してしまうような現象が起きるとしても、そこは納得できます。
あるサッカー選手がテレビで高校時代の話をしている場面を目にした時のことです。Jリーグに行くことが決まっていたので、引退後も練習に顔を出してたそうです。その人は高校の現役でやっていた時より上手くなってる気がすると感じ、監督と話したら、みんなそんなもんだよ、と笑いながら言われたそうです。根底には、より精度の高い、いわゆるミスのないプレーを常に心掛けていたために、プレーの中に遊び心が少なくなっていた事があるようだと分析していました。部活の現役引退後はそういう制約がなく伸び伸びできるためで、これは私自身も体験した事がある感覚です。
現在では、脳科学の分野でも人間が一番能力を発揮できるのは、適度な緊張感をもって物事を楽しめる状態にある時だと言われています。アスリートの、試合や大会を楽しんでこようと思います、的なコメントをよく耳にするのも、理にかなっているのでしょう。
瀬川さんは、一度奨励会で跳ね返されています。これはプロになれる微妙な違いを持っていなかったのだと思います。トップアマとしてプロと対戦した時も、実はまだその違いを身に着けていなかったと推察します。挫折を経験し、その後将棋を楽しむかという原点に戻り再び将棋を指し、プロにも勝っていく中で、自分は弱くないという事が分かったでしょう。そして、本当のプレッシャーにさらされる試験将棋の場面に立ち、それを突破した時に初めてその違いを手に入れたのではないでしょうか。おそらく一局目に敗れそこから立ち直った時がその時ではないかと、個人的には思います。

・個人の願望実現として
瀬川さんの将棋のプロになりたいという願望は、個人的なものです。
個人的なものでも、その個人の中で完結するようなものであれば、それ程思慮を巡らせる必要はありません。しかし、瀬川さんの願望は、個人的なものではありますが、関わる人も、思いも、組織も、膨大な裾野の上に広がっており、個人の話の範疇には全く収まりきるものではありませんでした。
自分の力だけで何かを成す事が出来ない時に必要なのは、やはり協力者の存在と時流を捕まえることなのだと感じます。瀬川さんは、たくさんの協力者に恵まれ、時流にも乗り、自分の実力も発揮し、夢を掴みますが、たまたま運が良かった、では無いですよね。たくさんの人の協力を得られるには、ご自身で書くのもアレでしょうから、本文にはありませんが、誠意ある人との付き合い方をされてきたのでしょうし、時流も自ら作り上げています。しかも、そこには瀬川さん自身の事も将棋界の事も考えたうえで骨を折ってくれる人が集まってという流れです。これは、明らかに運がいいのは間違いないのですが、それよりも何よりも運を作り出している事に他ならないと感じます。

・人間の弱さ
本文の中には、人間の弱さを感じさせられる部分がそこかしこに散りばめられています。文章を読んで、その対象を客観的に見ていれば、簡単に分かる事なのですが、実生活ではそこになかなか気付けないですよね。
奨励会時代の、瀬川さんの自分なりに必死にやっているという感覚は、文章にされたものを傍から見ているから、それじゃ足りないと分かります。でも私達の日常にもこういった事はゴロゴロしています。そして、それが大きい事か小さい事かは別として、どこまで本気でやるか、もしくはやったか、という事で振り返る事は少ないのではないでしょうか。本当に大きな対象であれば、そこでやったやらないの分かれ道がはっきりしていて、結果も判断できます。しかし、多くの事は、分かれ道がどの程度か・どれだけやればいいかなんて明確ではない微小な事の積み重ねです。ことごとく、その分かれ道がどちらかの方向に振れていくのであれば、なるほど、そうなってしまいますよねと後からは分かるのでしょう。先輩の小野さんが、頑張れの一言を言いたいけど言わなかった部分には、それでは足りないけど君が必死にやっているのも分かっているという、本当の優しさを感じます。
人間って、ホント弱い生き物ですよね。でも、その自分の弱さから目を逸らさず、弱い自分から逃げずにありのままの自分で進んでいく事が大切なんだと、瀬川さんは語っているのかな。
結構カッコ悪い自分をさらけ出していますが、だからこそ本気の協力者がたくさんいたのかなと。
本文には、どれだけのプレッシャーを人は受け止められるのだろうか?という点も興味深く書かれています。奨励会でタイムリミットが刻一刻と近づいていた時には、おそらく瀬川さんは重圧に押しつぶされてしまっていた印象を受けました。試験将棋の際には、嘆願書を出した時の誹謗中傷にも負けませんでした。お兄さんの、案外強いんだな、という言葉は印象的です。試験将棋でも始めは重圧に押しつぶされていましたが、そこから立て直す強さがありました。プレッシャーという事で同一に定量化する事は難しいでしょうが、自分一人のためよりも多くのものを背負っている時のほうが、プレッシャーに対する耐性は高まりそうです。それプラス、どのような結果になろうとも受け入れる覚悟が出来ている事、もしくは悪い結果が一切思念に入り込まない事(これはレアケースですが、大丈夫なのは分かってるというケースも人間にはあります)等があればプレッシャーを楽しめる位になるのかも。

・人との出会い
この事の大切さが、何より一番ですかね。本書の中で心に残るのは。
逆に、これだけ色々な人に助けられている瀬川さんの生き方には、必ず学ぶべき点があります。私が強く惹かれるのは、誰に対してもぶれない所です。決してスマートで器用にという訳ではなく、むしろ不器用な感じではありますが、何かで飾った訳ではない瀬川晶司で誰とでも接しているように見受けられます。誠意もあるように感じますが、これは意図してそうしているのではなく、自然にそうなっているからで、だからこそ人が集まってくるのだと思います。
健弥君との関係のポイントは、二人とも同じ感情を抱えていただろうけど、それを口にはしなかった、という部分でしょう。もし、二人で奨励会に入っていたら、おそらく二人ともプロに上がれただろう。そんな、たらればを心には持っていても、それを口に出さなかった二人だったから、瀬川さんはプロになるという奇跡をコンプリート出来たのだと思います。

・周囲の人達のカッコよさ
瀬川さんのストーリーなのですが、本書には本当に魅力的な人達が数多く登場します。頑張れと言わない小野さん・奨励会時代から付き合っている棋士の面々・苅間澤先生・瀬川さんが将棋を教えていた平井さん・瀬川さんのお父さん・瀬川さんのご家族・将棋センターの今野さん・遠藤さんや会社の人達・その他諸々。
私は、この中でこうなりたいと思った人がいます。それは瀬川さんのお父さんです。好きな事をやりなさい、これは耳触りがよく口にすると好まれる言葉です。平時には誰でも言えるんです。でも、本当は状況が悪い時・苦しんでる時にこれが言えるかが大事なんです。世の中、普段はいい事言っててもちょっと風向きが悪いと、コロっと変わる人もいるし、自分だってそうです。
その中で、奨励会が突破できずに家に戻った瀬川さんに、お父さんが言った一言。本当に格好良かったです。「ゆっくり休め」家族の中にイライラが募 

 

 

投稿者 matsuhiro 日時 2015年5月13日

 惹きこまれる内容、ストーリー展開だったので、あっという間に読んでしまった。2回読んだのだが、2回目は、仕事について、夢について、人生について、これらよく語られるテーマについて正面から向き合って考えながら読みたいと思った。

 まず、最初に自分自身に基本的な疑問を投げかけた。ある対価としてお金を得る、給料をもらう、という行為は、アルバイトでも、サラリーマンでも、自営業でも、そして「プロ」でも一見同じように見える。では、「稼ぐ」、という行為が同じようにみえるのであれば、そこに違いはあるのだろうか?

 「稼ぐ」という手段をどのように選択したのか、が違っている。ここに着目し、さらに掘り下げてみよう。

 私は現在、「サラリーマン」という枠のなかで、どれだけ対価を最大化させるか、で勝負している。しかしながら、「サラリーマン」という枠組みの中身は非常に広く、私の場合、いまの「職種」は、自らの意思で選んでいない。スタート時点で、私のように自分の意思が入り込んでいなくても、仕事として成立し、対価を得ることができるのがサラリーマンなのかもしれない。

 私は、「好きなこと」「趣味」の延長に仕事を置かなかった。理由は簡単で、「好きなこと」「趣味」を目の前にドスンと置くことができず、仕事とは別に、脇に置いておく安心感を選んだからだ。現在も趣味として楽しんでいる野球、スキー、登山、そして陶芸を仕事として選ばなかったのは、その覚悟がなかった、つまり「怖かった」からである。ちなみに、サラリーマンとして、いまの仕事は好きか?仕事に熱中しているか?と問われたらどうだろうか?サラリーマンとして、成果を出したいと日々取り組んでおり、もちろん、真剣である。仕事にやりがいを感じ、とことん突き詰めたいと思っている。また、対価を最大化させたいという気持ちからしょ~おん先生のメルマガにも出会った。つまり、いまを一生懸命生きていて、それに対する対価としていただく給料込められている想いは、このように十分に熱く、真剣であればサラリーマンでも変わらないと思う。

 それではあらためて問う。なぜ、趣味、好きなことを仕事にするのだろうか?私は、趣味については職業として選んでいないので、いわゆる「アマチュア」なのだが、野球、スキー、登山、陶芸が好きで、熱中でき、今後も続けたいと思う。そして、サラリーマンとしても一生懸命生きている。趣味に、そして仕事に一生懸命生きていると思えればそれでいいのではないだろうか?つまり、趣味、好きなことを仕事にする、ということにこだわらなくてもいいのではないか?

 この問いに対する答えは、Yesでもあり、No でもある。サラリーマン人生と趣味に充実しつつも、著者が35歳にして念願のプロ棋士になったことや、小野敦夫プロ棋士が、高校卒業後にプロ棋士を志し奨励会にはいり夢を実現したことや、そして、苅間澤先生が35歳にして教師になる夢をかなえたことなどを読むと素直に「羨ましい」と思ってしまうからだ。なぜ羨ましいのか?それは、夢を実現することは素晴らしく微笑ましいからだ。そして、どれほどの覚悟で取り組んできたのか、そこに隠れる人生観まで語れてしまうパワーがあるからである。自分の好きな「道」を突き進むと決め、数々の成功体験や失敗体験を積み重ねながら自信を身につけ、人生を左右する人々と出会い、挫折、プレッシャーにも打ち勝ち、乗り越えてきた人々の背中は、とても大きく、言葉がなくても多くのことを語ってくれる。仕事と夢と人生が線で結ばれることは何よりも勝って魅力的なのである。

 仕事と夢と人生を線で結ぶことは相当大変なことで、あらためて、プロに必要とされる要素は実に奥深く、この点についても深く掘り下げていきたいところだが、これだけでも一台テーマであり、プロとして必要な要素は、インターネットなどでもいろいろ載っており、調べられるので、ここでは割愛させていただく。ただ、あらためて感じたのは、プロで活躍する方々は、本当に詳細部分まで細かく覚えていて語れるのだ、ということである。そこまでこだわっているからこそプロなのだ、だからこそ、ダイナミックな成功を手にすることができるのだと感じた。

 ダイナミックな人生設計、成功体験は本当に魅力的で惹かれるものが多い。だからこそ、プロという職業に惹かれる人は多く、また長くプロとして活躍する人々には魅力的な方が多い。しかしながら、私のようなものでも、今からできることはいくらでもあると思う。自分の人生は、自ら決めるのであって、夢、目標はいつでも設定でき、それに対していつでも道は開かれるはずである。著者の父親がそうであったように、企業、組織という枠組みのなかであっても、その道を極め、大成することはできるはずである。そう、今の仕事、今の世界、今の趣味をとことん突き詰めていく道も十分魅力的なのではないだろうか?

 そこで、あらためて、現在の自分と照らし合わせてみる。これからの人生設計、キャリアプランで大切なことは、ビジョンの形成と実行計画である。私たちがこの本から学ぶことは、挫折しても夢を諦めない気持ち、目標を失わず、失敗しても再び挑戦する、いった精神的な要素だけでなく、実は、いかに実行計画が作ることができるか、実現した未来の自分を詳細にまでイメージしながら、具体的な行動部分にまで落とし込んでいくことができるか、だと思う。

 これからの人生がダイナミックかどうか感じるのも、魅力的だと感じるのも、実は自分次第で、実現したいと具体的に声に出し続け、リアルにイメージしたものが実現できれば、自信となって返ってくるはずである。こういった経験を繰り返している人こそが背中で語れることができ、自分らしさを築くことができるのだと思う。私も、これからの人生設計、キャリアプランに対して高い視座をもち、趣味の世界と仕事の世界の両方とも、ダイナミックに、そしてより魅力的なものにしていきたい。 

 

投稿者 Silver 日時 2015年5月23日

「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで


 作者ご本人のプロになるまでの道筋は、まさに【引き寄せの法則】が満載で、勝利の女神を引き寄せるシーンも、見逃すシーンも、大変素晴らしいエピソードに溢れており、胸がいっぱいになりました。この作者が感じたであろう、死ぬような苦しみも、別れも、心の痛みとの向き合い方も、そしてそれを乗り切る術も、人生に起きる事には全て意味があり、そしてそれは全て愛なのだと感じる事が出来ました。

 今回、私が掘り下げてみたいのは、将棋の本でありながら、勝利の女神ではなく、二人の違う種類の女神が出てくる点です。それは「苅間澤 大子(かりまさわ ひろこ)」先生と、作者のお母さまです。
 二人に共通するのは「自分が相手に対してこうして欲しい、影響を与えたい、相手を変えたいという欲を微塵も出さずに見守り、軽く温かな両手でフワリと相手を包み、心を軽くさせて、彼を幸せに導く事が出来る」点です。こんな素敵な女神二人に愛されている作者は、本当に幸せ者だと思います。

 大事な第一局に負けてしまった作者を、慰める人たちがたくさんいます。分かりやすく頑張ってと励ましの手紙を送る人、叱咤する人、電話する人、飲みに誘う人。その大勢の中で、プレッシャに潰れかけて悪夢にうなされる作者に、苅間澤先生は作者にだけ分かるイラスト入れ、そこに一言『だいじょうぶ。きっとよい道が拓かれます。』と書いたハガキを送ります。このエピソードに痺れました。しかも、作者が会いたいと行って探し出しても、積極的に会おうともされません。
 作者のお母さまも、せっかく社会人として安定した職に着いた作者が、年収100万円の世界に行こうとし、嘆願書を見せられ決意を語られた際に行った一言、「もうちょっと綺麗な日本語にならないの。」
 こんな素敵な親になるにはどうしたらなれるのでしょうか。末っ子だからほっとかれたと作者は書いていますが、作者のような末っ子が可愛くない母はいません。私なら、大人になっても一番気にかけて心配して、小言を言ったり、ハッパをかけたくなるに決まっていると思います。

 では、このような女神に、どうやったらなれるのかを考えてみました。ヒーローにふさわしいヒロインではなく、ごく市井の人でありがなら、誰かを救える女神です。神様に詳しくありませんが、例えばお地蔵さんのような感じなのでしょうか。
 この二人に共通している事は、自分も夢を叶えるために努力をしている、自分の好きな事を大切にしている点があります。さらに、夢をかなえるにあたっての障害(一度違う道を選んでぎりぎりで教師になった、家族の介護が続いたなど)を経験している事ではないかと考えます。
つまり、人の心の痛みや、夢への気持ちが分かるからこそ、今かけるべき言葉や態度をわきまえた「他人思いの優しいまなざし」を持つ事が出来るのだろうと思いました。 

 

 

投稿者 akiko3 日時 2015年5月28日

「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで
  
 読後、もっと失敗すればよかったと思った。失敗や負けが続くと落ち込み、自己卑下しかねないが、ちゃんと強いよりよい自分になる為に足りない部分を教えてくれているだけと捉えると違う行動がとれそうだ。一生かけても完璧にはなれないかもしれないけど、目指す努力だけは誰にも負けないという意思が大切なのだ。努力か才能かの問いで、才能があると言われたプロこそ1万時間以上そのことに取り組んでいたと何かで読んだ。努力を継続できることが才能とも言われるほど厳しいことだし、勝負ばかりが人生ではない。実際、著者はプロの将棋界の入り口で放り出された。でも、その後に多様な人々と関わって、生きるとは?を考え、喜びを感じ、“だめな人”から“プロの人”に近づいたのだと思う。
奨励会という将棋のプロを育てるエリート組織で似たような集団と共に将棋界で勝つことばかりを考えていたのでは、どこかに歪みが生れるのではと懸念された。“奨励会員は人ではないから笑ってはいけない”なんて特別意識にしがみついてないと自分を支えられない人の強がりにしか聞こえなかった。(きれいな瞳が印象的な羽生名人に興味が湧いたので機会が合ったらぜひ著書を読んでみたい)著者にとって奨励会脱会は、死をも意味する苦しいものだったが、おかげで周りの違う景色に気づき、味わったからこそ新たに将棋の魅力にも気づけたし、今までのプロとは違うプロを目指す目標も出来た。結果、将棋界を変えたのだからすごいことなのだ。でも、一人の力ではなくプロジェクトSが成し遂げたことだ。だけど、“S”だからこそプロジェクトが生れ、風が吹いたのだ。「やってみる?」と声をかけられた時に「やってみます」と言えるかどうか『運も実力のうち』って好きな言葉だが、著者のこれまでの努力があったからこそだし、瀬川派だからと無償で応援したくなる人徳があったからだ。多くの涙を出した分、乾いた心に将棋に対する、また人としての謙虚さが浸み込んでいったのだろう。実るほど、頭を垂れる稲穂かな…素晴らしい!

人って終わりを意識できた時、底力が出るのかもと思った。懇意にしていた先輩棋士小野さんの死後、白星が続いた。父の事故死後、“好きなことを見つけたら絶対に逃げない”と固く誓った。“人の心に力を与え、見えない力で周りに勇気を与えてくれる”のは、生ききった生きざまからだ。明日はないかもしれないのに安心して生きてしまう。だから、期限を意識させられたら、今にプレッシャーがかかってくる。
  一方、プレッシャーは技術の差を逆転させ異質の強さを生み出す魔物でもある。才能・技術、運・縁、精神、環境あらゆることの掛け合わせで決まる勝負だから面白いのだが、胴元は誰なのだろう?勝負の女神はギリギリまでゲームを楽しむようだ。著者が“自分のことのみでなく、プロになれる道筋を作る為”と心が決まった時に満面の笑みを向けたことを考えると、女神は素晴らしい胴元だなと惚れ惚れした。
  そういえば、じーと座っている勝負事でも、ふすまを開けただけで弾き飛ばされそうになる殺気なのだと驚いた。勝負への執念の気の良し悪しは別にして、エネルギーの強さと単純に考えると、脱会した日、自殺寸前の辛さを味わった分、プロ挑戦に対する誹謗中傷にも耐えられたのではないか?とも思った(人生に無駄はない)。
また、何かに取り組む時に必要な瞬発力や集中力にエネルギーの強さが掛け合わされ、物事が動くとなるとエネルギーを出す訓練も大切だ。もっと自分にプレッシャーをかけよう、目の前に来た話は1回はのってみよう。苦手な事ならなおの事より謙虚に挑めるのではなかろうか?(苦手なことはしたくないという価値観は打破した前提)

著者が生きることを選び、新らたな人生で人間関係、勉強、仕事といつもそれなりに楽しみを見出せたのは、素直な心があり、周りに対し誠実だったからと感じられた。勝負の女神は、“人生の置かれた状況で、たとえ次のチャンスの為にでも、とにかく最善を尽くす者に微笑む”何度も失敗していても、チャンスは生きていれば与えられる。
  気を抜くとぬるま湯に浸る性分なので、著者が26歳になる前のヒリヒリとした崖っぷち感を、なんどか読んで危機感を刷り込み、負けた時こそ孤独を噛みしめながら反省、努力する人の姿をイメージしながら、今、自分の目の前にあることに優先順位つけて取り組んでいる。もちろん「日に日にあらゆる面で私は益々良くなっています」と自分に言い聞かせてもいる。人生に必要なことを沢山教えて頂ける環境に感謝しております。ありがとうございます。 

 

 

投稿者 munetaku 日時 2015年5月29日

主人公は一貫して将棋に熱中し続けた。プロの道が途絶えてからも好きだからやる。ひたすら楽しんで打ち込んだ先に道が開けた。努力する人には応援する人が集まり、神が微笑む。
主人公と対照的なのは、大好きな将棋でプロになることを諦め、現実的な道を選んだ健弥くん。 アマ名人にまでなったのに、その後は情熱がなくなってしまった。好きなことを二の次にしてしまうと段々と意欲が薄れてしまうのではないかと思った。でも、仮に健弥くんと同じような岐路にたったとき、現実路線を選択する人は少なくないのではないだろうか。
対照的な二人を見て言えるのは、例え失敗しても好きなことに熱中したことは無駄にならないということ。好きなことを見つけて熱中することこそが幸せに生きる道である。プロを目指すのはとてつもなくしんどいことに思え、実際、主人公も苦しい思いをしている。しかし、好きなことだからこそ苦しくても頑張れるし、例え上手くいかなくても必死に努力した事実が本人の支えになる。違う道に進む時には同じような努力をまたすればいい。才能があるかはやってみなくてはわからないところもあるのだから、才能なんて気にせずただ好きなことに打ち込む。打ち込む対象を変えていくうちにいつか道が開ける。やりたいことが現実路線ではなくリスクがあったとしても、長い目で見ればやりたいことに熱中した経験は必ず役に立つのだから、決してリスクと思わず飛び込んでいく。そんなことを教えられた本でした。
ただ、大切なのは熱中するならとことんやること。主人公も奨励会の退会間際では、将棋から逃げてしまっていた。成長する人は感情に流されずどんなときも自分を見つめて淡々と努力し続けることができる。一時的な結果の善し悪しで一喜一憂することなく、たゆまず努力する。将棋やスポーツの世界に限らず、サラリーマンであっても同様。そこまで心血をそそいで初めてその道のプロと言えるのだろう。サラリーマンでもそれくらいの気概を持って働いていれば何がしかの道にたどりつけそうではある。 

 

 

投稿者 049158 日時 2015年5月29日

『泣き虫 しょったんの奇跡』を読んで

人はどんな過酷な状況にあろうとも、必要なタイミングにおいては、
ほんの些細な言葉がキッカケで救われることがあるのではないだろうか。
小学生の時に、しょったんが先生に自分の良いところを見つけてもらって、
それをキッカケに変われた子供の頃のエピソードは、
純粋な心を持った子供時代には、凄まじい影響力があったと思います。
この時、しょったんと先生との出会いが無かったら、
その後の人生どうなっていたのでしょうか。
大人になってプロ試験で行き詰まった時も、
先生からの手紙で出会った一言に助けられ、ハッと本当の自分に振り返り、
今まで、誰にも負けないくらい努力を継続してきたこと、そして、
将棋が好きで好きでたまらなくて始めた、純粋に将棋が好きだったことに気付き、
原点に立ち返ることで完全にアマからプロの道へと抜け出し、
しょったんの奇跡は偶然ではなく必然であったと感じました。
この偶然にも思えるベストなタイミングでイベントが発生することは、
科学では証明出来ないにしても、自分の努力が引き寄せた賜物であると思います。
自分が本気(このレベルは死を覚悟するほど凄まじい)になれば、
実現出来ないことは、ないだろうと勇気をもらいました。

また、、私も小学生の時、将棋クラブに所属していたので、良く分かるのですが、
将棋という勝負の世界は、最後まで王将が詰まされるまで、やる子もいれば、
途中で、もう無理だとあきらめる子がいたことを思い出しました。
将棋は、想像以上に厳しい世界で、子供の将棋の世界でも負けたら、
これが、半端な無く、人前でも泣き出したい位、悔しい思いをします。
本当に自分の人生が否定されたような感覚です。
私の場合、この時の経験を生かせず、将棋からの学びは少なく、逃げてしまいましたが、
この勝負を何万回とやって、プロの世界に入ることは、想像を絶する精神的な葛藤を乗り越え、
到達できる領域なのだろうと、直感で感じ、身震いがしました。
この悔しい思いをし、乗り越える勇気を持てるるかどうかが、最初のキッカケであり、
そこから、何を学び、次にどう生かしていくかを真剣に考えることが本当に重要だと思います。

将棋のプロ世界の真剣勝負、昔の武士の戦いのような、まさに命がけの
”真剣”という言葉をココロの中に刻み込み、
あ~しんどいな~途中で投げ出したいな~と逃げ出しそうな時には、
本当にそこまで自分はやりきったんか!!と、自問自答し、活を入れ
今後の行動に繋げたいと思います。

ありがとうございました。 

 

投稿者 aya16497 日時 2015年5月29日

泣き虫しょったんの奇跡 を読んで

読み終わった瞬間のすっきり感が何とも言えず心地よかったです。
それはなぜだろう・・と振り返って考えてみると、夢をかなえるまでの過程が
青春時代のように、悩みもがき苦しみ挫折を味わい、それらを乗り越え
奇跡をおこして夢をつかむまでの経過が、大変共感でき
自分自身が追体験できたからだと思いました。
そしてその状況を最後まで暖かく見守る家族の愛情、主人公の為に力をかす友人、仲間の友情が青春ドラマやホームドラマのようにじんわり心に沁みてきたからでした。

特に、私がこの中で引かれたのは、「才能」「努力」「夢の実現と奇跡」の部分でした。

「才能」について、苅間澤大子先生が生徒を褒める(承認)場面でした。
皆さん、自分のことをわかっているつもりでも、人から思いもかけないことを
言われたことがあるのではありませんか?
それが、褒め言葉ならいやな気はしませんね。
それより、そんなに自分はいいのかと、改めて自分を見つめなおし、自分は
意外といけるのでは・・と自信がついていきませんか?
しょったんが、まさにそうでしたね。
自分に自信がもてない状況で、クラスでも大勢の中のひとりとして
うもれているような子どもでした。
それが、先生の一言からどんどん自信につながり1年後には全く違う生徒と
思われるぐらいの変身ぶりです。
人は、人から認められることで自分の存在を認めることができるのだと実感しました。
そして、もって生まれた才能もあるかもしれませんが、なんでも認められて褒められたら、
それが好きに変わり「好きこそものの上手なれ」という言葉通り
上手になっていくこともあるのだと思いました。
子育てする人にはぜひこの部分を参考にしてほしいと思います。

ただ、心をコントロールするすべを持たないと、どんな素晴らしい才能を持っていても、
才能を発揮できないのだとよくわかりました。
心が悪い仮想現実を作ってしまうのですね。
だからこそ、成功法則でも瞑想や呼吸法で心を制御できるようにと言われるのは
こういうところからだと改めて実感しました。

次に「努力」について。
私は、今まで努力というものは、「目標をもってそれに向けての課題を休むことなく淡々とこなす」
というようにとらえていました。
しかし、現在、私自身、継続中のことがありそれもやりながら、この本を読んでいると、
努力とは、課題をこなす過程で、単に同じことの繰り返しだけではなく、
創意工夫の積み重ねをすることが努力なのでないかと考えるようになりました。
努力とは変化・成長をするための行動です。
実際、同じ作業の繰り返しとなりがちですが、努力の意味を意識をしなおし、
継続していこうと思います。

最後に「夢の実現と奇跡」について
当たり前のことですが、自分が何日も徹夜してでも夢中になれるものを見つけられた人は
幸いです。
しょったんが、挫折を味わい一度はプロをあきらめたが、
もう一度プロを目指したときの目的が、
「自分と同じように再起を目指したいという人の為にもプロの門戸を開きたい」
という、人のための目的になっていました。
自分の行動が、自分の欲得だけだと、その波動がどうしても伝わり人を
巻き込むことができないのだと思います。
就活中の人にも読んでもらいたい本でした。 

 

 

投稿者 jawakuma 日時 2015年5月30日

泣き虫しょったんの奇跡を読んで

私より少し年上の瀬川晶司プロ。恥ずかしながら私は全然知りませんでした。結果がわからなかったのも手伝ってグイグイ引き込まれてしまい。速読で読むつもりが完全に主観が入って逐語読みになってしまいました(笑)

●健弥くんとの早指し―努力
しょったんは小学校5年生から将棋にのめりこんだ訳ですがそこからの努力がすごいレベルです。本書ではサラりと書かれていますが、周りからみたら健弥くんとの切磋琢磨や今野さんの特訓など、尋常じゃない努力を積み重ねています。それを努力とは感じず、日々打ち込むことができたのは、将棋が好き、強くなりたいという気持ちがあったからなんですね。5年生~中学3年生までの5年間での飛躍は“好きなこと”だから打ち込めた努力の結果です。

●奨励会時代のしょったん―挫折
追い込まれているはずなのに妙に現実感のない感じこれは多くの人に思い当たる節があるのではないでしょうか。試験前に時間がないのがわかっているのに、掃除をしたり、漫画を読んだり、いつもはやらないゲームをはじめてしまったり、そんな経験が私にもあります。そして負けた時に寂しさを紛らわすためのつるんでいる仲間たち。負けて辛いときこそ勉強に励み三段リーグを突破してプロになった人たちの例もあったように自分を追い込むことが必要なのではないでしょうか。結果的にはこの時の仲間が後々の財産になるわけなので一概に駄目とは言い切れないかもしれませんが、自分を甘やかさないためにも周囲の環境は整えることが大切だと思いました。

●父の教え―好きなことをやれ
オタク一家といわれる瀬川家、「好きなことをやれ」のお父さんの教えは自分の能力を伸ばし、幸せな人生を送るための教訓ですね。自分の息子が将棋のプロを目指すといったら、もし駄目だったらとか、プロになれたとしても生活していけるのかとか正直考えてしまいますよ。それでも“好きなことをやれ”。研究職で一般的な親の感覚とはややズレていたこともこういう面では良かったのかもしれません。

●かりまわさひろこ先生―奇跡のはじまり
あとがきにあったようにこの先生も夢の実現者だったんですね。結婚後あきらめきれずに先生を目指し35歳の年齢ギリギリで教職試験に合格した先生。そして図工の時間の反対からの模写…右脳を鍛えたかったんでしょうかね。メディアの前に姿を現さないし実はこの先生も怪しい系の知識があったのかもしれません。この先生との出会いが奇跡のスタートになります。褒めて温かく包み込み右脳の感覚でその子の能力を伸ばしてあげる。いい先生ですね。そこで気づきを得た感覚がいままでのセガショーとは異なり、クラス活動で将棋を推すという積極的な行動をとることができ、奇跡の種がまかれたのかもしれません。


●負けないこと―勝負
楽しいから始めたはずの将棋がいつしか辛いものに。これは学生時代の剣道部の経験が思い浮かびました。負けないようにする、剣道の勝負の駆け引きも奨励会3段リーグの指し方に通じるものがあるように感じました。私は学生時代10年程剣道の稽古をつんでいたのですが、はじめ楽しく続けていた剣道が、試合に負けないためというのを意識し過ぎた結果、のびのびとした剣道ができなくなりました。剣道もやはり打ち込む際には隙ができるので行くべきところでいかず、守りを固めすぎ、見ていても楽しくない剣道になってしまいます。けれどもそれを続けていて強くなれるはずもなく、上を目指すにはそれをもねじ伏せる実力差を身につけるべく稽古を重ねるしかない訳です。一度はプロをあきらめ死をも考えたしょったんが、アマになりのびのび指すことで強くなる。顧問先生がいうように勝負って難しいですね。

●周囲の協力―願望実現のプロセス
戦後はじめてのプロ編入試験を実現させた瀬川プロ。その願望実現のためにやったことは、まずは自分で決めたこと。ここでは父の教えが活かされています。そして、協力者の遠藤さんはじめ、職場の上司、家族、メディア、最後に協会と周囲に自分の願望を言葉に出して伝えていきます。ネットでは否定的な意見にもあいますが、それでも願望を曲げずに将自分だけのためではなく、棋界のためにと努力を継続します。これまさに智者の道ですよね。そして周囲の賛同を得て夢、奇跡が実現するわけです。願望実現のプロセスがここに証明されていました。


●勝利の女神を微笑ませるには―開運
これは本書にもプロ編入試験採決時に会長就任で書かれていた故米長邦雄名人の著作でも取り上げられていた。それは“いまおかれている状況で最善を尽くす”こと。どんな状況でも腐らずに自分のできることに打ち込む。これは将棋だけではないですよね。自分の仕事でもなんでもそうです。好きなことを見つけそれに寝食を忘れてのめり込む。その後訪れるスランプやプラトー、または外部要因による停滞期、自分には直接利害のない要因にも妥協せず、出し惜しみをせずに最善を尽くし続ける!これこそが、運命の女神を振り向かせる秘訣なのです。
私も仕事ももちろん、日々の修行にもこの教えの通り日々最善を尽くし続けようと思います。あとはのめり込める楽しいことをもっと見つけていきたいと思います!
そして息子や娘、後輩にもその教えを伝えていきたいですね。

今月も良い本をご紹介いただきありがとうございました! 

 

投稿者 6339861 日時 2015年5月30日

私はこの本で第一章の苅間澤先生との出会いが強く印象に残った。
誰でも、自分の人生を左右する人とので出会いがあるが、
瀬川さんの場合は、間違いなくこの先生が人生で最も
影響を与えた人であろう。

このことから、自分も
・人に会う
・本を読む
ことをこれまで以上に強化しなければならないと感じた
サラリーマンの自分には、社内(人事異動)か、社外(プライベート)
か、本による疑似的な出会いがあるからだ。

苅間澤先生の一番の特徴は、褒めることであった。
『胸の中を突然、熱い血が通いはじめたようなあの感覚を。』
褒めらたセガショーの気持ちである。
「これだな!」と思った。
人を変えるには、このような気持ちをどれだけ持たせてあげることが
できるかだと思った。
人は人を変えることはできないとよく言われるが、
もし、変えることができるとしたら、このように相手の内面から
変化を起こす【何か】をしないといけないということだ。
具体的手法として、やはり【褒める】ということが効果的だ。

『ただひとつはっきりしていることは、意欲さえあれば、
人はよい結果を残すことができるということだ』
褒められたことをきっかけに優秀な作文を自らの意欲で書いた
セガショーの言葉にまったく同感である。

『後悔だらけの十二年間だった。』
セガショーの奨励会での十二年間を総括した言葉である。
後悔の理由にドキッとした
後悔の理由は、全力でぶつかれば夢をつかむチャンスがありながら、それをしなかったことに尽きる。

自分も同じような体験をいくつも思い出した。

この本を読んで、
・夢
・年齢
・何かに夢中になること
・自分の限界まで頑張りぬくこと

について考えさせられた。
自分ももう若くない、でもまだそんなに年老いてもいない。
残った人生で、何かをやり切りたい。
今だモヤモヤした気持ちを振り切って、凛呼するものを見つけたい。
あらためて、そのような気持ちがわきあがってきた。

生きていると、必ず壁が出てくる。
今までの人生でも壁の連続だった。
その壁を超えることで、成功体験を得るか
それとも壁を越えられず、一生負け犬根性を引きずるのか

鍵は【意欲】だと思う。

努力を重ねていても、それが目に見えた形にならず苦しむことが多い。
意欲が、どんどん薄れていくのを感じる事が多い。
自分のやりたいことが、見つからなくて悩む。

でも、今より少しでもよくする【意欲】を持って、まずは
今年残り7か月を全力でぶつかります! 

 

 

投稿者 kumanoko 日時 2015年5月30日

夜道を歩きながら、私は夫に今日読んだ本の内容をかいつまんで話していた。その本とは、「泣き虫しょったんの奇跡」。前日に半分読み、今日、後半を読んだ。駅前のカフェで何度もウルウルしながら。静けさの中、洟水をすするのが恥ずかしいと思いながら、何度も泣かされた。最後まできて、ハッとして最初に戻り、そしてもう一度最後まで読んだ。

夫も、好きな事で食べていきたいと言って10年程前に脱サラした。「好きな事」で食べていくためには、それに24時間関わり続けていても飽くことがない、面白がれる、というのは最低条件だと思う。

そのうえで、絶えず学び続けること、不運が続いても腐らないで前を向き続けること、プレッシャーを跳ね除けて、時には大胆な手を打つこと、そして何よりも好きな事を思いっきり楽しむこと。そこまでやって初めて周囲の人や運が味方してくれるということ。

話をしながら、これは、才能の有無、勝ち負けや稼げる稼げないとは関係なく、誰もがとことん自分の人生を生きる為の共通のエッセンスなのだ、と気がついた。

自分の「好きな事」以外には興味を持たない夫は、聞いているのか聞いていないのか、スマホに目をやりながら歩いていく。

現代の日本では、しょったんのように突き詰めなくても、食べて生きていくことはできる。個人事業主になっても、大成功しなくてもいいと思えばなんとかなる。(そういう時代も終わりつつあるのかもしれないが)

勝負や競技の世界はもっとシビアだ。全ての結果が順位や得点で表示され、一度下った評価が常につきまとう。勝者と敗者の差を強く強く感じているのは、他ならぬ競技者自身に違いない。そしてまた、仲間も先輩後輩も、自分以外は皆ライバルという世界。

そういう世界に身を置いている人の言葉は身につまされる。自分の自分自身に対する甘え、責任感の無さを痛く感じる。

ボクシングのチャンピオンで今はジムのオーナーである大橋氏はこう言っている。

ほんとは兄貴のほうが才能もあるし、運動神経もいい。ただ、兄貴は「練習しないで勝つのがかっこいい」と思ってる。ぼくは「練習を力いっぱいして、それで負けてもかっこいい」と思ってた。けっきょく、その考え方が大きな差に。考え方一つで人生が変わるんだなあと。


http://www.hohjinkai.or.jp/interview/0806.html

そして、将棋の米長名人は

「勝利の女神は、正しいか否かよりも、笑いがあるか、謙虚であるかどうかを重視している」
(『運を育てる』)


突き詰めれば、常に前向きで、誠心誠意為すべきを楽しむ、ということだろうと思う。そうすれば、仲間と幸運の女神はついてくる。

そういえば大学受験の頃、全国模試の結果を手帳に貼り付けて、得意不得意を確認しつつ受験勉強をしていたのを思い出した。半ばゲームのようなものだった。

大人になったら長所・欠点について指摘してくれる人は少ない。模試のように数値化してくれるツールもない。そもそも人間の価値、可能性の途方もない大きさを測りきれるものでもない。だからこそ、自分自身と向き合い、自分の歩くべき道を自分自身と相談する時間が必要である。しょったん曰く「プロの世界では〜〜誰かに教わるものではなく、一人で努力して強くなるものなのだ。」そして、誰もが自分自身のプロであるべきだ。

感想戦ではないけれど、日々のスケジューリングの時間の他に、振り返りの時間を作ってみようと思う。大人になってから日記を書かなくなってしまったが、また新たな気持ちで始めたいと思う。 

 

 

投稿者 ken2 日時 2015年5月31日

『泣き虫しょったんの奇跡』を読んで

 この奇跡の成功物語のドラマチックな展開にとても感動したのだが、見逃してはならない一文がある。

 それは、「港南台将棋センター」の席主、才能の「目利き」である今野さんが、しょったんと健弥くんの第一印象を語ったセリフ。
『二人とも並みの将棋。並みも並みだった』

 さらにもう一文。こちらはしょったんの述懐。
『小学五年生のとき指しはじめてから中学三年生で僕が奨励会に入って二人の道が分かれるまで、僕たちは通算で一万局は指しただろう。』

 さりげなく書かれたライバル健弥くんとの数稽古の多いこと、多いこと。 これは宮本武蔵の「五輪の書」にある「千日の稽古を鍛、万日の稽古を錬という。」に通じる。(しょうおんセミナー基本編でもお馴染みですね。)

 ぜったいコイツには負けたくない、という執念にも似たライバル心がアンカー(錨)となり、結果的に確実な鍛錬を積むことになったのだ。 とはいえ絶対に楽しんでいたはずだ。 はた目にはそこまでやるの?って見えても本人的には寝食を忘れて夢中で楽しんでいる、という境地だったにちがいない。

 並みの人間(泣き虫しょったん=『歩』)が気持ちを込めて継続的に鍛錬すればモノになる。 最初は並みだったとしても、鍛錬を積んだ人間はもはや並みの人間ではなくなっている。 ただの鉄のかたまりも鍛錬すればやがて名刀になる。

 しかし、この本を最初に読み終えたとき、題名に「泣き虫」がつくのはとても違和感を覚えた。 立派な名刀に、云わば『歩』から『と金』という成駒になったしょったんをあえて「泣き虫しょったん」と題したのは、「現在はすごいことになっているけれど元々は『並みの並み』からスタートしたんだよ!」とのメッセージが込められている気がしてならない。

 つまり、この題名は、才能や能力がないとか経験がないとか、ぼやいている場合ではない、その気になりさえすればあなたにもできるよ、という読者全員に向けられた熱いメッセージなのだ。

・好きなこと、寝食を忘れて熱中できることをやろう。
・そして、一緒に熱くなれるライバル、仲間を探そう。

 さらに、熱中できる夢があるならば、それを声に出して言ってみよう。
 その夢が明確で、夢に対する情熱があればあるほど、周りは応援してくれる。

 そうすれば運も味方についてくれる。 しょったんでいえば、
一.)サラリーマンで勤めた会社がたまたま将棋が盛んだったこと。
二.)年齢制限で奨励会を退会させられたおかげで、アマチュアの方々の将棋に対する深くて広い愛、熱意を肌感覚で実感できたこと。
 そのことが奨励会、アマ両方の良さを知っているという強みになり、結果的に視座が高められたこと。
三.)そして、あの羽生善治名人もしょったんのプロ挑戦を応援し、後押ししてくれたこと。

 まとめると以下の二文に収まります(なぜか英語です)。
・You can do it, if you want!
・Everybody will help you, if you speak up your dream!

 この二文こそが、我々読者がしょったんから受け取るべき熱いエールなのだ。

 今月も良書をありがとうございました! 

 

 

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投稿者 magurock 日時 2015年5月31日

この本を入手するのに、少々手間取った。
羽生善治氏の本なら電子書籍が似合う気がするが、この本はぜひ紙の本で読みたい。
そんな直感から、本屋・古本屋をまわり、結局は「入荷日未定」となっていたネットの本屋で、完全版を手に入れることができた。

将棋界の26歳の悲劇は、様々な小説やルポルタージュ、漫画などで知ってはいた。それなのに「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで、しょっぱなから涙を抑えられない。
内容はもちろんだが、行間からしょったんのパワーというか魂というか、なにかキラキラしたものが放出されていて、私の心を揺さぶってくる。
当初は「外出用」の本にしていたのだが、すぐに「家で読む用」に切り換えたくらいだ。

瀬川晶司氏は、61年ぶりにプロ編入試験将棋が実現したこと、それに合格したことを「奇跡」として書かれている。確かにすごい英断を奨励会はしたものだ。
しかし、これは瀬川氏だから実現できたことなのだと思う。
瀬川氏の将棋へのひたむきさ、正直で誠実な人柄を、奨励会の皆が知っているからこそ、与えられたチャンスだったのだと。それは外部の後押しした人々も同じだ。
このままでは惜しいと思わせる、瀬川氏の強さと魅力がなければ、誰も推さなかったはずだ。
そして、自分さえプロになれればいいというのではなく、同じように年齢制限に泣いた人たちの突破口を作りたいという願いのためでもあった。
もし私が神様だったら、この人に味方しないでどうする! と思うだろう。

6期目の三段リーグで相手がトイレに立ったとき、その隙に一手指すことをしなかった瀬川氏。
その戦いに敗れたあとも、指さなかったことを後悔していない、という。
大事な一番の勝利のために、少しのズルをしてしまおうと思うことは、誰にもあるだろう。自分の運命を左右する本気の勝負なら、なおさらだ。
でもそれを割り切ってできる人と、割り切れない人がいる。
割り切れない瀬川氏だったからこそ、奨励会での勝つための将棋を離れ、心から楽しむ将棋に帰ったときに、真の強さを身につけられたのだと思う。

私自身も自分の本当に好きなことをして生きていこうと、安定した生活を捨て踏み出したところだ。
幸いこの夢には年齢制限がないので、自分さえあきらめなければ、いつまでも追うことができる。
いい歳をして、とは思うが、いい歳になったからこそ、本当にしたいことに出会えることもあるのだ。
だから、いい歳をしたプロ編入試験将棋を目指す人が、これからもたくさん出てくるといいな、と自分のことのように思ってしまうのである。 

 

 

投稿者 dukka23 日時 2015年5月31日


しょったんがプロまでになる間に2つの大きなポイントがあったと考えました。

一つ目は、アマチュアになった時に、
もう一度伸び伸びと指していた時の「将棋が好きだ」という思いを取り戻したこと。

何かのため(例えばプロになるために)に将棋を指すのではなく、
将棋を楽しむために将棋を指す、という意識に変わったことが、
目の前の状況に対して最善を尽くせるようになり、
結果的に勝利の女神に微笑んでくれるようになったんでしょうか。

ごちゃごちゃ考えるのではなく、自分の魂を輝かせる方法に
再度気づいたということは大きかったと思います。

二つ目は、しょったんの人間性というか、周りの人への影響の与え方とでも言いましょうか。
プロ試験の審議中に出てきた瀬川擁護の声もこのことから来ていると思います。
同じ業界とはいえ、お互いにしのぎを削る仲になる人を
積極的に増やそうというコメントが相次いだことは、
しょったんはよっぽど人間的に好かれる人なんだと想像できます。

それは、プロ棋士の中だけではなく、
元勤務先のNECグループも、退社後もスポンサーになったりと、
普通のサラリーマンとしては考えられない付き合いをしてもらっています。

そもそもしょったんは両親、恩師、師匠と周りの人に恵まれていますし、
皆に好かれる愛嬌もあるのでしょう。
こうやって周りの人に応援してもらえるようになることも、
奇跡を起こすための必要条件なんだろうと思います。


しかし、この本はなぜか読んでいるうちに涙があふれ出てきてしまいます。
特にプロ試験1回戦を負けた後の、先生からのハガキ。

「自分の好きなことをする」「自分のやりたいと思うことをする」という
単純なことをここまで徹底的にやると、
「人を感動させる」「周りの心を動かす」ことができるということなのでしょうか。

自分もそうですが、特に子供にはこういう生き方をしてほしいということで、
こっそりリビングの本棚に置いておきたい1冊です。 

 

 

投稿者 nkatani 日時 2015年5月31日

課題図書の紹介にに書かれているテーマについて自分なりの考えをまとめてみました。

■才能
一般には「少ない努力で大きく成果が出せる事」を才能があるということは多いですが、
実はそうではなくて、「夢中になるほど好きなこと」ではないのか。
と思うようになりました。

というのも、今回の作品では実力がものを言う将棋の世界において、
・上達の遅さを努力の量でカバーする人
・上達が早く、かつ努力もする人
しか奨励会に入れていないところから見ても、
上達が早くても練習を続けられなければ驚くような成果を残す事はできません。
投下できる練習量を決めるのは、
「(努力する対象が)いかに好きであるか」によります。

■努力
夢に向かって努力しているときの自分の気持ちで、
それが本当の夢がどうかを見分けることができます。
「目標を達成するためなら、多少の苦痛は厭わない」
という思考で努力できるなら、それは本当の夢と考えて差し支えないと思います。

例えば、しょうおんさんがよく話すイチロー選手は、
「野球で良いプレーできる事」が夢なんだと思います。
だから、「そんなことまでするのか」というような努力でもやってのけるのだと思います。

■挫折
目標を達成するのに必要な努力の量>がんばれる努力の量が続き、
その苦痛に耐えられなくなった時に起こるものと考えます。

上記の本当の夢とリンクしますが、
物事は高いレベルにいくに連れ必要な努力の量が多くなってきます。
そして、求められる努力の量に耐え兼ねて投げ出してしまうのだと思います。

■奇跡
今回の本と、テレビで「ビリギャル」と呼ばれる本の紹介を見ていて、
奇跡は「起こるもの」ではなく「起こすもの」という風に価値観が変わってきました。
奇跡は、下記のように少なくとも2つあると思います。
・とてつもなく低い確率のことが起こる事
・人の想像を超えた変化が起こる事
前者は人間の力ではどうしようもありませんが(しょうおんさんの言う怪しい力を借りる必要があります)、
後者であれば、「人の想像を超えた努力を成す」と起こせるので、
奇跡を起こすことは可能だと考えるようになりました。

■夢の実現
私たちは「どうすれば夢がかなうか」という事に焦点を当てがちですが、
それは本末転倒だと考えています。
それよりも前に「本当の夢は何なのか」を内なる自分と対話を重ねて見定めておく必要があります。
それが本当の夢であれば努力することが苦痛にならないし、
嬉々として取り組んでいるうちに似た夢を持った人たちに出会い、
その人たちの助力によってさらに大きな力になるからです。

「楽しい」とか「もっとやりたい」と思えるものの中に「夢」があると考えます、
そういったものを追及してみて、内なる自分と対話してみて、自分の「夢」は何なのかを考えてみるといいと思います。

とは言いつつも注意しておく事があります。
ゲームの類は例外である場合が多いです。
なぜかというとゲームでは上記のように感じられるようクリエイターの方が工夫をしているためです。

話は変わりますが、文章を考えていてふと思ったことがあります。
しょうおんさんのセミナーの一部で、夢の意味って2つの別の意味がある、
という話をされていますが、今にして思えば、
共通したものを持っていると気づきました。
それは、「内なる自分(潜在意識)が見せてくれるもの」ということです。
寝ている間に見ている「夢」は言わずもがなですが、
もう一つの「夢」は、行動したときの気持ちという形で夢を見せてくれていると考えると納得がいきます。
ただし、後者の方は思考で上書きする事や歪める事ができるので「本当の夢」と表現する方が適切です。

こう考えていると、「夢が叶わない」と思っている人の多くは、
叶えようとしているものが「本当の夢」とは違うのではないかと思えてきます。
もしかしたら、社会の価値観や親の願いなどが「夢」に置き換わっているのではないでしょうか?

内なる自分と対話を重ねて本当の夢を知る事は容易ではないと思いますが、やってみて損はないと思います。
一生夢中になって取り組める事が出来る物が見るかる、というのは、人生において意味のあることだと考えます。


長くまとまりがない形になりましたが、以上とさせていただきます。 

 

 

投稿者 andoman 日時 2015年5月31日

「泣き虫しょたんの奇跡」を読んで

この本を読み終えた後、「すぐにもう一回読もう」とページを戻した。
理由は「序章:葉書」だ。
初読した際、はっきり言って、何を伝えたいかがあまりよく分からなかったが、あとがきまで読み終えると、納得が行った。
この本を通して、始めと終わりに、彼女に対する尊敬と感謝の思いが文字から伝わって来る。
著者は小学校の教師である苅間澤先生に多大な感謝を持っているのが伝わって来た。
所々目頭が熱くなるほどに…。

著者と教師の出会いは、閉ざされていた将棋世界に一手を打ち、新たな進化と歴史をもたらしたと言える。
人の人生を決める瞬間はそう多くないが、幼少の頃に植え付けられた種は、大人になるにつれ、心の奥にまで根を伸ばす。
著者にとっては、この教師に褒められたという成功体験が強く根を伸ばし、人生の大木の幹にまでなったのだと思う。
もし、この教師との出会いが無ければ、著者は別の人生を歩んでいたかもしれないし、今でも将棋界は、奨励会で結果を残した人間のみの世界になっていただろう…。

この教師自身、教職の年齢制限ギリギリに教員となり、本人の夢を叶えているが、著者が自分と同じ様な道を歩むことを知っていたかの様に、著者の記憶の中では、この教師はえらく著者をエコヒイキしているかの様に見える。
きっと無意識のうちに、著者が自分と同じ状況になる事を感じていたのかもしれない。
だから、特に目についたのかもしれない…。
いや、その逆もあり得る。
著者はこの教師によって、才能を見つけ出してもらえた。
尊敬のあまり、その生き方を真似る事を、著者の無意識が求めていたのかもしれない…。

人の人生の転換は、心に大きな衝撃が走ると動き出すことがある。
著者の場合は、父親の死がその要因の一つだと思う。
私もかつて、恩師にあたる上司がいたが、ある日突然亡くなった。
うつ病による自殺だ…。
私自身、過労による適応障害で1度壊れかけ、3ヶ月程休職した事がある。
その時、手遅れになる前に、すぐに病院に行く様に命じ、自分の経験談から、その後の復帰まで支えになってくれた人だ。
彼が亡くなったのは、私が復職して、しばらくした後の事だった。
以前、その恩師の「やりたい事があるなら、絶対にやった方がいいぞ!手遅れになる前にね♪」というセリフが心に深く刻まれており、彼の死をきっかけに、(少し時間はかかってしまったが)自分の進む道を変える決心をした。
彼に救われた、生きた証として…。
35歳の時だった…。
それから応援、嘲笑、中傷など、色々な事があった…。
今では何とか成功し、充実した日々を送っているが、不謹慎かも知れないが、あの時に恩師の死が無ければ、今の自分は無かったのかもしれない…。
そこに、著者の父親が亡くなった時に決断した想いと自分の過去の想いが共感した…。

ライバルについて、著者のライバル(健弥くん)とは若干関係は違うが、私が新たな道を目指し始める時を同じくして、中学からの親友が飲食店を始め、互いに未来はどうなるか分からないが、お互い頑張ろう!と励まし合っていた。
その裏では、「あいつには負けるか!」という気も、当然あり、いい意味でのライバルと言える存在になった。
著者も、ライバルと結果的に進む道は違えど。互いに切磋琢磨し高め合っており、その関係も遠からず、非常に共感できた。

この本で「奇跡」と呼ばれる事柄にもう1つ、プロへの道を手助けしてくれた仲間の存在がある。
遠藤氏と秋山氏だ。
私の場合は、派遣会社のエージェントがそれにあたる。
業界未経験の私に道を示してもらえ、業界大手の会社で(今では超ビックタイトル)となったタイトルの仕事を紹介し、潜り込ませてくれた人だ。
(今では彼も、エージェントを辞め、自分のやりたい道に進んだと聞いた。)

著者の「奇跡」には様々な要因があり、社会に対する反響とシチュエーションは違えど、自身の要因にも非常に似ていて驚いた。
ここまで近い要因があると、それぞれの奇跡には、法則やパターンがあるのでは無いかと思ってしまうほどに…。
他にもこういった人生半ばから、自分の道を変えた人の著書を読み、その中で法則があるのか、ちょっと探してみたいと思う。

最後に、この本は著者が苅間澤先生に捧げる一冊だったのでは無いかと思う。
はじめも終わりも、必ず苅間澤先生の話が書かれ、その文章からは感謝の気持ちが滲み出ている。
ただ、著者の性格上、親友や道を開いてくれた様々な恩師恩人に配慮して、バランス良くフラットに書いてはいるのでは?と思う。
なんとなくではあるが、「苅間澤先生、ありがとう。あなたのおかげで僕は自分の夢を叶えたよ!」というメッセージが、この本全体から伝わって来ている気がする…。
著者が苅間澤先生に初めて褒めてもらえたのが詩。
その詩をきっかけに、初めて本気で書きたいと思ったのが作文。
ひょっとしたら、この本はその事に掛けた、御礼の作文かもしれませんね♪

今月も素晴らしい課題図書をありがとうございました。 

 

 

投稿者 sikakaka2005 日時 2015年5月31日

「泣き虫しょったんを読んで」

響いたポイントは2点。

 ●自分が最高のパフォーマンスを発揮できる状態は?
 ●環境やルールは変えていい!

1点目について、著者がプロを断念しアマチュアの立場でプロに挑戦したときに異例の勝率を上げ、著者が自身の勝因を分析したとき、自分らしく将棋が指せたから、リラックスして望めたから、という記述があった。
これは力を抜いたほうが結果が出せることを示す。仕事も読書も力を抜いた方がパフォーマンスが高まる。集中した方が良いとよく言われるが本当に集中した状態は力は抜けているもの。そして、自分らしく、自分に嘘をつかずに行動することは潜在意識の協力を得られるため、普段以上の力が発揮できるようになるのだろう。

2点目について、著者が年齢制限を超えてプロを目指すため、将棋界のルールを変えることを思いつき、実現させてしまう。これは環境やルールは変えられるし変えていいことを示す。仕事ではプロジェクト計画と現場の実態にかい離が出た時に、その対処としてルールや計画を優先してしまい、プロジェクトが炎上することがある。何が大切か。やはり現場、現実に答えがあり、計画やルールは枠組みでしかないので、ルールや環境は現実に適合するように変えていい。現実に即したルールや方針に変えられる人が出世していくのだろう。

最後に。上記で上げた2点は、今の自分が抱いている、薄らとした人生の解釈だった。書籍に自分を投影して、この世界をどう解釈しているか感想に現れてしまう。感想を書くことは世界の認識レベルを確認できる。読書はこの認識のレベル、尺度、広さを確認でき、かつ高める最高のツールであると感じた。 

 

投稿者 2l5pda7E 日時 2015年5月31日


「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで。

本書の内容から成功するための要素が、下記3点あると思います。
1)一つの事に没頭する。
2)人との縁を大切にする。
3)ありのままの自分を肯定する。

1)一つの事に没頭する。
ご飯を食べるのも寝るのも忘れて没頭する。
瀬川さんは、家が向かい合わせのライバルである健弥くんと将棋に没頭しまくっていました。

面白いから、きっと没頭できたのでしょう。
世のプロと呼ばれる人のほとんどが、この様なモチベーションであると思います。
先日、再来日してライブを行ったポール・マッカートニーさんに、ある記者が
質問した内容が印象的でした。(ツアーパンフレットに書いてあった様です。)
 記者 :あなたは大変な成功を収めて、もう十分ではありませんか?
     全世界ツアーをやったり、新しい曲を作ったりしてますね。
     いまだにやる必要はあるのですか?
 ポール:よくそう言われるけど、僕は楽しんでいるよ。
     僕らは音楽をWorkしているんじゃない、Playしているんだ。

サラリーマンでも会社からお金を貰うという事は、その道のプロとして代価を
頂いている訳ですので、きっと没頭しまくるモチベーションが正しいのですね。
耳が痛いです。

2)人との縁を大切にする。
人との関わり合いによって、人生が動いている様に思いました。
恩師である苅間澤先生に出会って、将棋の面白さに気付きました。
ライバルの健弥くんも将棋にハマっていて、良きライバルとなりました。
瀬川さんの亡きお父さんがプロに再度挑戦する事を後押ししてくれました。

苅間澤先生に出会って将棋の面白さに気付くまでは、次兄に殴られまくる日々
がありました。
瀬川さんはその時期の自分を『クラゲ』と表現されていますが、そんな苦しい日々が
あったから、将棋にハマって頼もしい自分に気づくこともできました。
将棋でプロになるためには、次兄の存在も大切であったと思います。

3)ありのままの自分を肯定する。
苅間澤先生と瀬川さんのご両親は、ありのままを受け入れて好きなように生きなさいと
教え、「こうあるべきだ」と価値観を押し付けませんでした。

押し付けられなかったという事は、肯定されたという受け身になります。
しかし、私は35歳の年齢的には大人なので、自分に適用する事で肯定するとしました。

私自身を振り返ると、両親の言うとおりに生きてきました。
反発した時もありましたが、結局は今だって敷かれたレールの上です。
「音楽でプロになって食って行く」と実家を飛び出そうとした時もありましたが、
もちろん両親に止められました。
また、今考えれば瀬川さんほどハマっていませんでした。力もなかったのです。
レールの上という事はまだクラゲであるに違いありません。
多読を以て、知恵を得て、まずはクラゲから猿へ、そして人間になりたいです。
自分のやりたい事を肯定して生きてゆきたいです。

投稿者 senumishima 日時 2015年5月31日

泣き虫しょったんの奇跡を読んで

この本、しょったんの人生から、私が読み取ったことは大きく次の3つです。
1.人生で起こるイベントがある。
2.そのタイミングでどういうアクションをするかによって、次に進むステージが決まる。
3.日々の習慣は、そのイベントのランクを上下するもの。

日々は選択の連続です。何を選ぶかは自分の判断で決めることができるものが沢山あります。
家族と暮らす。会社へ通う。気の合う人間と食事をする。等々。
その選択の中でも特に、それ以降の人生を左右するほどの分かれ道。そのポイントに差し掛かったとき、どう反応するかによって結果が大きく変わってしまうものがあります。
ほんの何十秒しかないタイミングの間に必要な言葉を発することができるか。ある期間内に十分な行動を起こすことができるか。
同じ言葉や行動も、その時でなければ、早すぎても遅すぎてもいけません。

しょったんの人生では、「小学5年生のホームルームにて、クラスで将棋を提案したとき」「小学生の頃、今野さんにプロになる気があるか問われたとき」「日本将棋連盟に嘆願書を提出したとき」等、数多くの節目がありました。

そしてその結果どうなるか。
直接的な結果(嘆願書を提出する:プロ試験に挑戦できる)
目に見えない流れを引き寄せる結果(好きなことに全力で取り組む:恩師や仲間と出会う)
これらが合わさり、次にどの場面に進むかが決まります。
それを大きく左右するのは、日々の習慣と意識です。
「意欲を持って取り組むこと」「苦しい時に歯を食いしばって、冷静沈着にやるべきことをやる」
この習慣と意識が人生の大切な瞬間を底上げして、そこへ費やしたエネルギーに相応しい結果が返ってくるのではないかと感じました。そしてワンランク上のイベントが発生する。というサイクルになっているようです。

プロの棋士になった人間の人生を振り返るのは、振れ幅も大きく、沢山の人を引き付ける内容だったと思います。
そこから学んだら次は、自分のこれまでの結果(人生)に当てはめ、棚卸してみることができます。
そしてどのタイミングでどんな反応をし、その結果どうなったのか、見つめることができ、これから起こるイベントに備えることができます。

そしてさらに、周りの人間についても、どうイベントが起こり、それについて反応し、どんな結果がもたらされているか、意識して観ることができれば、自分一人の人生の何倍も学ぶことができます。
これは自分の体験ではないため、意識への定着は薄いかもしれません。しかし、自分では絶対体験できないであろうことも多くあります。
成功した人間は、どんな意識でどの選択肢を選ぶか。
人気者の人間は…、お金に不自由していない人間は…、部下から慕われる人間は…、会議で目立つ人間は…、避けられている人間は…、年を重ねても魅力的な人間は…、等々。

そうすれば、自分の中にデータが増えていき、どの場面でどうすれば悔いがないか今後の判断材料になると思います。
あらゆる人と付き合ってみることや、本や講演会を通して考え方に触れる際も、こういう視点を持つことが大きな収穫になるはずです。

また、厳しい勝負の世界にいる人間が、運命の女神はどういう生き方に微笑むかを意識しているところも、重要かつ基本的な意識なのだと思いました。 

 

 

投稿者 gizumo 日時 2015年5月31日


「泣き虫しょったんの奇跡」瀬川晶司著を読んで

 サブタイトルの「サラリーマンから将棋のプロへ」を見て正直、「“奇跡”とはまた大げさな・・・」と思ってました。
自分は将棋には縁遠く、ルールがわからないだけでなく将棋の駒にも触れた記憶もないのかもしれません。

 読み進めるにつれ、過酷で閉鎖的な世界であることが理解できるにつれ、瀬川さんの成し遂げたことはまさしく“奇跡”なのだろうと確信できました。
この本の文章は最近の課題図書の中では読みやすく作者はどんな人なんだろうと興味がわいたので、「Wikipedia」で調べてみると、記録係としての遅刻や寝坊などのエピソードもある”人間臭い”エピソードにも事欠かない人物らしいと。
「将棋の世界」というとどうしても、一般社会とは違う世界を想像するのでちょっと意外でしたが、やはり一度普通の世界を経験するような方なのでどこか違う面もお持ちなのかもしれないなと感じました。
今現在、ブログやツイッターも更新されており、本の内容そのままのとても人柄があふれた文章をお書きになっておられます。また、アップされているお写真もどこかのんびりとした、勝負師らしからぬお顔に親近感がわきます。

 本の内容としては、一度あきらめた夢を周囲の協力を得てあきらめず再度実現するというストーリー展開。さらには、ユニークな教育方針の恩師や幼馴染とのライバル対決、ご両親のエピソード、初恋(?!)と再会などのドラマチックな部分が追加され、まるでフィクションであるかのような内容でぐいぐいと読み進められました。

 「好きだけど、やりたいけど、あきらめなければならない」という環境は、”年齢制限”という条件によって現実的になったわけですが、ある意味自分にとってはうらやましく感じました。「年齢制限」があることで自分自身が「決断」することから逃れる理由にできると思ったのです。

 しかし、著者は違った。自分の本当に好きなこと、やりたいことと真剣に向き合ってあきらめずまたスタート・挑戦して実現してしまうという・・・。著者にはそんなギラギラした欲望は感じられないけれども、「将棋」ときちんと向き合ってきたこと、またそれが著者からにじみ出てきて周りさえも動かすことになったのだろうなと。

 これからの自分が生きていく中で、今までを大きく反省するきっかけとなり、また再度挑戦する希望を持たせてくれた本となりました。さらに、尊敬する方の言っていた「神様は見てるから・・・」という言葉を改めて噛みしめた読後でした。 

 

 

投稿者 filefish 日時 2015年5月31日


「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで
ざっと見ただけだと、夢を諦めず本気で追いかければ実現できる、というお話かと思った。
しかしプロ将棋界の特異性から、単に夢が叶った話ではなく、まさに奇跡が起こったような話であるとわかる。
筆者は将棋に関して、とても好きでそれなりに努力もしていたが、すべてを賭けてストイックに打ち込んでいたわけではないように感じた。
適度な息抜きがないととても精神がもたない、と筆者も書いているが、一つの事にトコトン打ち込むことに苦痛を感じない人が「天才」ということなのだろう。
一方で筆者が恵まれていたのは、節目となる場面ではいつも、助けてくれたり、壁を乗り越えるヒントをくれたり、といった人が現れたことである。
以前の課題図書で、「運がいい」ことを「自分の成功にかかわる人と出会うこと」と定義していたが、そういう意味で筆者はまさに「運がいい人」であると言える。
但しそれだけではなく、その「運」を活かせるかどうかが成功の分かれ道であるが、筆者は実にうまくその運を活かしている。人の言うこと、人が自分のためにしてくれることをしっかり受け止め、行動しているのである。「運も実力のうち」とは良く言ったものである。
本文ではさらりと書いてあるが、これは容易にできることではないと思う。プロになった直後、マスコミ対応で自分の時間が取れず調子が落ちても、インタビューはすべて受けると決めて続けていたことにも、筆者の考え方が窺える。

筆者が「将棋というゲームの本質に開眼した思いがした」と表現する、技術的なわずかな差はプレッシャーの有無で時に逆転する、ということは勝負の本質を突いていると思う。アマという立場ではあったが、これに気づき意図的に楽しんで指せた筆者はすごい。

最後に、同級生の彼女との再会の話。ふだんは忘れていても、心のどこかで決して消えることがなかった痛み。確かに私にもある。まずはひとつ消すことを今年の目標にしたい。

投稿者 sakurou 日時 2015年5月31日


「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで

この本は瀬川晶司氏が少年時代から将棋に取り組み、奨励会退会という、本人曰く「挫折という生やさしいものではない」経験を経て、プロ棋士という夢を叶える、人生ストーリである。

この本の醍醐味は何と言っても奨励会の三段リーグ時代の様々な経験だろう。

四段になりプロになれるか、何の実務経験の無いただの26歳の青年になるか、狭い門を目指して戦うのである。その戦い方もえげつなく、相手に「夢も希望も抱かせない」、「友達を失う」指し方とある。それは今後も戦うであろう相手に自分への苦手意識を植え付けるための作戦と言える。

誤解を恐れずに書くと、三段リーグ時代、彼は遊んでいた。その結果、彼は四段になれずに奨励会を退会することになる。

例えば、旅行一つとっても、後日、強豪アマチュアとの旅行で温泉にも入らずに日々対戦を重ねているのは三段リーグでの旅行とは大違いと感じている。

また、兄弟子である小野五段との一連のやりとりも興味深い。瀬川氏が敗れると、彼は競馬や居酒屋に連れていってくれる。単なる気分転換ではなく、ただ一言「頑張れ」と気づいてほしいためのものだった。

自分に足りないものが何で、それを得るためにどういう努力をすべきかは、人からアドバイスされるものではなく、自分で気づくべきものである。ましてや頑張れという言葉は人から言われるものではないし、そう言うことは無責任であること自体、人一倍努力していた小野さんだからこそ言わなかった。

では三段リーグでの日々は無駄だったのか。奨励会退会後、司法試験挑戦や大学、サラリーマン生活という紆余曲折を経て、再び将棋に向かい合い、アマチュア戦に参戦し、初めてプレッシャーの無い、のびのびと将棋を指す喜びを改めて知り、アマチュア名人を手にし、ついには「えげつない」将棋を指し続けてきたプロに連戦連勝の成績を収め、再びプロを志す。

瀬川氏ほどの実力があれば努力を重ねて昇段することも可能だったろう。しかし、プレッシャーを感じないのびのびとした指し手はでなかっただろうし、段が上のプロに勝てることもなかっただろう。

三段リーグでも「格下」とは年齢が上の者を指す、とある。年齢制限というプレッシャーを抱えた者より若くてプレッシャーを感じない方が有利なのは当然である。

そう考えると「プレッシャーは自分が作り出した幻」であることに気付く。

また「遊び」には2つの意味がある。一つは楽しむという意味であり、もう一つはハンドルの遊びのように安全に運転するために必要な機能のことである。
(英語でも同じplayらしい)
瀬川氏は三段リーグで「遊んだ」ことは事実だがその後の人生をより充実させるために必要な時間だったと思う。

私が本書から一番学んだのは、仕事も何事も「ねばならない」ではなく「したい」という意識で取り組むめば、必ず良い結果や学び、気付きにつながる、ということだ。それは瀬川氏の父が語った「好きなことだったら苦しくても頑張れる」にもつながる。

仕事をしていると、例えばクレーム処理や、他の人の仕事のミスのリカバリーといった、正直やりたくないタスクもある。そういう仕事に視点を変えて前向きに取り組むことで得られるものも変わるし、成果も出る。そしてそれを見てくれている人がいる。
(アマチュアとしてのびのびと将棋に取り組んで成果を出していた遠藤さんが再びプロへの扉を開く周到な作戦まで練ってくれてサポートくれたように。)

最近、ある経営者の記事を読んでいたら、技術者である彼が3年目に取り組んだ仕事で、自分の設計ミス(考慮漏れ)で顧客から強烈なクレームを受け、自分の仕事への甘さを認識し、自分の成長につながったと述懐している。

やりたくない仕事でも好きな仕事になるよう意識を変えて、前向きにに取り組むことで違う世界が見えてくる。そう信じて明日から、日々の仕事に取り組んでいきたい。

 

 

投稿者 chaccha64 日時 2015年5月31日


「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで

才能とは何だろう?
才能は生まれながらのものもあると思う。幼児でも初めてのことでもうまくこなす子がいる。その反対に全くできない子も入る。これは遺伝の関係もあるのだろう。
しかし、成功するための才能は違うと思う。生まれながらの才能はある程度そつなくこなすレベルのものではないか。

著者は生まれながらの才能はあったのだと思われるが、それでも一度は奨励会を退会して、戦後なかったアマチュアからのプロ棋士になっている。(人との出会い、運も大きな要因だが)退会後に再度将棋の楽しさに目覚めて、努力をして勝ち取ったものだ。努力、継続が才能を作るのだと思う。

安恵門下の兄弟子、小野敦生さんは努力の人だ。高校卒業後に奨励会に入り、わずか3年でプロ棋士になっている。異例の早さだ。『才能のあるやつには負けるかもしれないが、努力だけは絶対に、誰にも負けない、というプライド』(P150)があったのでないかと著者は述べている。想像を絶するような努力だったのだろう。母校(高校)の後輩がプロ棋士になりたいと相談された時に、超難問で、これがすべて解ければプロ棋士になれるという江戸時代の詰め将棋の問題集をすべて解けたら再度相談するようにという逸話がある。(これは、なまじの努力ではプロ棋士になれないこと、その努力と覚悟があるのかを求めたものだと思う。奨励会という年齢制限がある以上努力の時間が限られるので) その努力と覚悟でプロ棋士になったのだと思います。羽生さんを才能のために「羽生くん」とは呼べないとおっしゃっていますが、才能がその才能を認めた畏敬の念ではないだろうか。羽生さんは小学1年から努力されている。才能だけでなく努力も半端ではないだろう。小野さんは早く亡くなってしまうが、亡くならなければ努力でもっと才能を伸ばされたのではないか。

努力、継続することで才能が育っていく。伸ばすことができる。しかし、努力、継続することは大変なことだ。「好きこそ物の上手なれ」ということが言われるが、これは努力、継続の大事さを言った言葉だ。しかし、好きなものも時には苦しいものになり、継続できなくなることもある。才能が伸びないため、壁の厚さがあまりにも大きく感じられ、憎んでしまうこともある。奨励会退会者で将棋を指さなくなった人たちもそうなのだろう。
著者も大会後は将棋には係らなかったが、小学生時代からのライバル健弥くんとの将棋で将棋の楽しみに再度目覚め、アマチュア名人からプロ棋士になる。奨励会時代とは時間では短いが、「楽しい」という想いで努力した。それが奨励会時代の壁を乗り越えることができた原因だろう。
著者にとって奨励会で苦しみ、退会することは必要なことだったのだろう。将棋が好きだということ、楽しいと想えることを再確認するための時が必要だった。その想いを思い出すために、そして夢を実現するために、人との出会いがあった。

夢をかなえるための、成功するために、努力、継続、人との出会い、時が必要だ。成功するための才能を身につけるために、「淡々」と継続することを続けて生きたい。

投稿者 BruceLee 日時 2015年5月31日


「絶望の先に何があるのか?」

読了後の一言は、ただ「感動した!」であった。久々に心が洗われ爽快な気分になったのだが、
それを上手く言葉で表せなかった。自分の中で整理出来て無い部分もあったし、また本書には
それだけ考慮すべき要素が数多く散りばめられていた面もあると思う。この感動は一体どこから
来るのだろう?様々な要素が絡み合い、完全に独立してはいない気はするが、大きく以下3つ
の観点で整理してみた。

1)文章のうまさと家族
まず、この著者は作家でもないのに文章がうまい。それは言葉にうるさい母の影響か、或いは
苅間澤先生に自分の作品を褒められたことで、書きたいという意欲を持って書いた作文が、
また褒められるというプラスのスパイラルを経験したからだろうか?また、仕掛けや伏線も
うまいと思うのだが、作り物の小説では無いのだから、そもそも著者の人生における出会いや
出来事のタイミングが実に運命的で、夫々が非常にドラマチックと言えるかも知れない。
特に私の印象に強く残ったのは、奨励会で最後の勝負を終え街をふらつく場面。自分を振り
返り、次第に何が起きたのか分かってきて、涙を流しながらさまよう著者。私も過去、大きく
落胆する事などがあった時は、このように街中をさまよった思い出があるのでこの心情は良く
分かり、強く引き込まれた。そして自殺を決心した著者にそれを留めさせたのは車の中の
家族。本書は全編に渡って水面下に家族の絆があり、各所に散りばめられた兄弟含む家族愛
が前提にある気がするのだが、その前提があるからこそ著者はどの場面でも喜怒哀楽の表現
がストレートであり、ふと気付けば小説を読んでいるような錯覚に陥らせるうまさが本書の
特徴の一つと言えるのではなかろうか。

2)正直さと周囲の人
著者は正直でストレートである。ここで言う正直の意味は、裏表無しに自分の心の中を吐露
するという意味においてであり、つまり綺麗事だけではない。一例を出せば、ライバルに
負けて欲しい、負けてしまえばいい、という思いは誰にもあるが、自分の器の小ささや心の
汚さがバレてしまう恐れから、普通は書きたくない点ではなかろうか?が、著者はそれも
隠さない。逆に言えば、だからこそ人に信用され、人が集まり、人に応援される人なのかも
知れない。そして著者の周囲に集まってくる人たちも実に魅力的だ。ライバル、師匠、友人、
家族、そして様々な応援をしてくれる人たち。正直だから人から理解を受け、その信頼関係
があるから周囲の人々から支援を受け、支えて貰える。これはつまり、同類が同類を引き寄せ
ている実証のような気がするのだが、どうだろうか?

3)絶望の後の化学変化
「絶望」とは望みが絶たれると書く。人生の全てであった将棋の世界から26歳にして
離縁状を突き付けられ、追い出された著者。分かっていた事であろうし、厳しい勝負の世界
だから、そんな人は何人もいるのだろう。それでも再チャレンジが出来たり、何らかの形
で関われそうな未来があれば、そこには希望があると言えるが、完全に閉ざされたという
意味で、そこに希望は皆無であり、つまり残るのは絶望のみである。奨励会のこの制度は
実に現実的で厳しい。勿論、芽が出ない若者に対し、徒に居続けない配慮である事も理解
は出来る。が、やはり当人にとっては絶望以外の何者でもなかったろう。それも死を決意
するほどの。絶望を味わいました、だから自殺しようと思いました、とストーリが運ぶの
は容易い。だが、人生は長く、そして事実は小説よりも奇なり。。。

極端に言えば、私は本書のここまでの部分は序説であり、最大の醍醐味はこの後の絶望を
味わった著者がその後、どう生きていくのか?にあると思う。普通の感覚なら、ある意味
自分の人生を台無しにし、裏切られた感を持ってもおかしくない将棋に対し、著者はここ
でも正直であった。そう、好きだからまたやろうと思ったのだ。そして、これもポイント
なのだが、その決意は一番の理解者であった父の遺影に誓った事であり、つまり、ここでも
やはり家族が彼の背中を押したのである。

好きだから再度将棋を指し始める。好きな事がどれだけ好きなのかは、好きな事から離れた
時に初めて分かる、というヒントがこの行間に書かれているような気がした。そして、著者
はその程度が尋常ではなかった。だから大いなる絶望を味わった後に化学変化が起こる。
つまり、プレッシャー無く、楽しんでやれば勝てるという事に気付いたのだ。 その気付きと
周囲の人たちのサポートにより、将棋界の常識を覆す革命を起こした。まさに、たとえ絶望
を味わっても、人生なんて幾らでもやり直しがきくじゃん!を実践したのではないか。絶望
にあるからと言って全てが終わりではないのである。

最後に、本書との出会いに心から感謝したい。そして「もう駄目だ~!と思う時があっても
その後何が起こるか分からないから人生は面白いんだ」と口頭で教えようとしても、既に
父親の言う事に聞く耳を持とうとしない我が子供たちにそれとなく伝えるべく、自分が遺影
になる前に本書を読ませたいと心から思った次第である。

有難うございました。

 

 

投稿者 sumio 日時 2015年5月31日


泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ 感想

既存の業界に切り込み、プロの新たなチャネルを作った開拓者の物語に心揺れました。
原動力は、「知・好・楽」の「楽」の部分。
将棋に対して、知ること、好きになること、楽しむこと、の段階を上がって威力を発揮。
瀬川氏が、既存のルートからいったん離れて、将棋を楽しんむことに改めて気付きで臨んだからでしょう。
切れば鮮血が飛び出すプロの世界の凄さに身の引き締まりました。

文体がシャープで的確な表現。
構成に無駄がなくわかりやすい。
将棋の進め方もかくのごとし、でしょう。

青年の成長の記録としても秀逸です。
厳しくも甘酸っぱい思い出、ちょっとヰタ・セクスアリス。
学級での人とのつきあい方、先生との接し方、近所の子供たちとの遊び方、小・中・高校と少年時代を思い出しました。
恩師の存在に涙しました。
そして、おふくろの味はやはり「カレー」でした。

ありがとうございました。

 

 

 

投稿者 52nao 日時 2015年5月31日


泣き虫しょったんの奇跡

奨励会を退会したにもかかわらず、将棋のプロ棋士になる事が出来た瀬川さん。

野茂投手がそうだったように、既存のルールから外れての挑戦はひどい中傷や批判も受け、すごく勇気のいる大変なことだったと思います。
でも、棋士になりたいという自分の夢はもちろんのこと、アマチュアみんなのために道を開きたいという強い思いがあったからこそ、スランプから立ち直り勝利の女神が微笑んだのでしょう。

私も、人との出会いを大切にし、素直な心、利他の心をもって生活していきたいと思います。

 

 

 

投稿者 52nao 日時 2015年5月31日


泣き虫しょったんの奇跡

奨励会を退会したにもかかわらず、将棋のプロ棋士になる事が出来た瀬川さん。

野茂投手がそうだったように、既存のルールから外れての挑戦はひどい中傷や批判も受け、すごく勇気のいる大変なことだったと思います。
でも、棋士になりたいという自分の夢はもちろんのこと、アマチュアみんなのために道を開きたいという強い思いがあったからこそ、スランプから立ち直り勝利の女神が微笑んだのでしょう。

私も、人との出会いを大切にし、素直な心、利他の心をもって生活していきたいと思います。

投稿者 sumio 日時 2015年5月31日


泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ 感想

既存の業界に切り込み、プロの新たなチャネルを作った開拓者の物語に心揺れました。
原動力は、「知・好・楽」の「楽」の部分。
将棋に対して、知ること、好きになること、楽しむこと、の段階を上がって威力を発揮。
瀬川氏が、既存のルートからいったん離れて、将棋を楽しんむことに改めて気付きで臨んだからでしょう。
切れば鮮血が飛び出すプロの世界の凄さに身の引き締まりました。

文体がシャープで的確な表現。
構成に無駄がなくわかりやすい。
将棋の進め方もかくのごとし、でしょう。

青年の成長の記録としても秀逸です。
厳しくも甘酸っぱい思い出、ちょっとヰタ・セクスアリス。
学級での人とのつきあい方、先生との接し方、近所の子供たちとの遊び方、小・中・高校と少年時代を思い出しました。
恩師の存在に涙しました。
そして、おふくろの味はやはり「カレー」でした。

ありがとうございました。

 

 

投稿者 wapooh 日時 2015年5月31日


201505『泣き虫しょったんの奇跡』を読んで
 不思議な一冊だった。読み進めるうちに、主人公である瀬川さんがどんどんと透明になり、苅間澤先生や今野さんを始め彼を支え育ててくれた人々の心の温かさや、夢を支えたい、かなえたいと思う熱や、思い年齢制限という締切の重圧と戦いながら精一杯勝負の世界で生きえる奨励会の仲間の懸命な思いや悲しみや絶望、家族の様々な思い、人々の心と思いやりの行動ばかりが、イメージとなり感覚を包み込む作品だ。
 それだけ、瀬川さんという方が、人々の心を大事にし、誠実にひたむきに将棋を通して人生と向き合ってこられたのだろうと思う。解説にも本文にも記されていたが、彼の人物評がとても良いからだ。「心から応援をしたくなる人」なのだろう。その一例として、26歳の最終年齢で最後の勝負の重圧のあまり対局中にトイレで中座する勝又氏を、彼は待つ。その間にしょったんが一手指してしまえば勝利は手にできたのに。正々堂々と勝負することを彼は選ぶのだ。課題図書で読んだ米長氏と羽生氏の将棋の勝負から、そういうここ一番の勝負で勝てるかどうかが将棋の女神のほほ笑む分岐点だということを学んだ身としては、「あー、しょったんそこは踏ん張りどころだったのに」と、身がよじれたが、本筋ではない勝負を彼は選ばず、自身が苦境に立つことになり、最後まで女神に微笑まれずに、奨励会を退会する。。。訳だが、彼はもっと大きなところで勝負を手にしていたのだと後で分かる。 これって、智の道なのではないだろうか。。。
 そう、本書はしょうおんさんセミナーの、リアル版てんこ盛り小説としか思えないような一冊だった。
・冒頭の人々の心、はまさしく「自分の夢をかなえるために、他の誰かの幸せをかなえるようにすればOK」。しょったんが、編入試験をパスし、プロ棋士になることで、どれほどの多くの人を笑顔にしたことだろう。
・「有難うより、おめでとう」。基本編で学んだこと、本書でも『人が喜んでいるときに、一緒に喜んであげられるのが本当の友達です』とあって、ライバルの健弥君との関係では、「逆では?=相方の不幸を喜んでいる?」と思わせる場面もあるが、それは子供通しの表層でしかない。
・「片時も思いが離れないくらい熱中して、取り組むことができれば人間何かは達成できる」ということも、奨励会の若者からひしひしと学ぶのだ。
自らが学ぶ姿勢だけではなく、人を支え育てる側の学ぶ姿をも教えられる。
・私財を投げ打ってでも、しょったんと健弥君をプロの棋士に育て上げたい、という今野さんや、小野さんはじめプロキシの先輩の存在、編入試験を支えた人々。・大きな世界=将棋界の将来を考えて、前例を認めようと、門戸を開く羽生氏の一言や将棋連盟。羽生氏の著書を見ると将棋について歴史を紐解き業界の秩序も先達の生き方も本当に熟知したうえで、将棋の将来をロマンをもって見つめているし、米長氏著者では将棋界の女神との対話というか氏の人間臭さを通して、将棋の世界の血肉をひしひしと感じできた。
歴史とプライドだけではない、女神に微笑まれた人々の心の透明性もすこし感じた。

 そして、一番印象的だった、先生の存在。
「ただその人の全てを肯定し、受け止めてくれる存在が一人でもそばにいれば、人はどれほど自分を信じ前を向いて生きていけるだろう」昔何かのブログで焼き付いたコメン。自分が成長したいときに伸びたい思いを受け止め認め伸ばしたいように見てくれる、そんな存在は大きい。苅間澤先生のような存在。『大丈夫』の魔法。いつか誰かにとってそんな存在になれたらと思う。

 最後に、二点。個人的な感想になるが、課題図書への感想文の投稿をしばらく休んでいて、今回久しぶりに書こうと思った。正直、感想文の書き方も熱も勢いも、取り戻せなくている。ひとたび中断してしまえば、次再開するときにどれほど辛いのか?継続により得られるものの深さを痛感している。継続している仲間の皆さんを本当に尊敬している。
 また、課題図書ではいくつものこの世の不条理を学んでいる気がしてならない時がある。セミナーでは色々と、『こうあれ』ということを教わるけれど、現実の人間は本当にさまざまで奥深い。読書を通して知ることで機微というかひだをつけて、自分の世界観を広げてなお、『こうあれ』を思い目指していこうとする。その力があれば、今回のしょったんではないけれど、何か世界の扉が開く気がする。
 漠然としてうまく表現できないが、最近外側にいてふとそんなことを感じていた。
 この一冊と、投稿の機会を下さってありがとうございました。

 

 

 

投稿者 tractoronly 日時 2015年5月31日


泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ を読んで

この本は夢を叶えて成功するために大きく3つのことを伝えたかったのではないかと考える。

まず1つ目は「継続することの大切さ」
この点は全体を通して伝わってくるため、改めて言わなくてもいいぐらいでもあるが、継続することでダメダメだった人生が好転し、夢に向かって動きだす。
そんな経験を幼少期および、恩師の苅間澤先生と過ごしたため、ここまで継続ができたのではないかと思う。
また同時に将棋が心から好きであることも継続できることのポイントではないかと考える。

2つ目「夢が実現する選択をする」
注意深く読んでみると、HRの時間で手をあげたこと、同級生の女の子をなぜだかわからないけど突き飛ばしたこと、奨励会を退会になったあと自殺を踏みとどまったこと、久保八段との対局で奇妙な一手を指したこと
これらが後々の人生のターニングポイントになっていることがわかる。
いい方を選んだように見えるものもあれば、その場では悪い方を選んだように見えることもある。でも全てが終わってみればどれか一つ違った選択をしてもプロの道は歩めていなかったのではないかとも思える。
潜在意識を信じるとはこういうことなのだろうか。

3つ目「仲間を信じること」
著者の周りにはたくさんの仲間がいて、皆が協力を惜しまず動いてくれる。
そんな筆者は対立するポジションの相手に対しても背景的な部分を含め配慮するような人なので、相当気遣いができる方だと推測するが、気遣いができるが故に躊躇してしまう場面も多かったように思う。
だが、最終的には仲間の協力を得るという選択をして自身の決断としているのが重要なことだと思う。

以上のようにこの本は読む人の感動を呼び起こし、数々の教訓を与えてくれるが、同時に自らの心の有り様を問われているようにも感じた。
そちらの点に関しては恥ずかしながらこれほどの熱意を持って取り組むべきものが見つかっていないため今後、何度か読み返し心の研鑽を行っていきたい。

 

 

 

投稿者 tadanobuueno 日時 2015年6月1日


才能があっても意欲がなければ開花しない。
本の中で引っ掛てきた言葉。
それを基に、しょうおんさんが課題図書の紹介で触れていた「才能、努力、成功、挫折、奇跡、夢の実現」の関係を自分なりに整理してみた。

意欲があれば人は努力ができる、そして良い結果を残せる。
意欲があれば、挫折があっても、それを乗り越えられる。
挫折を乗り越えられれば奇跡が起きる。

好きなことをやれ。
瀬川さんが心に持ち続けた言葉。
意欲が持てることと好き、これを同じこととして自分の事を振り返ってみた。

今の自分に意欲を持って取り組んでいることがあるか?
ある。ただ、仕事よりも私事の方が意欲は強い。
子育ての環境を変えられないか?それが自分の取り組んでいること。
そして、そこでは自分の想いが着実に実現していっている。

最初は子供が生まれ、子育てで自分が、父親が、何をしていいか分からなかったから調べただけ。
でも、その次にせっかくだから楽しみたいと思った。
だから自分から動き、様々な人と会い、話をした。
次に自分がやって欲しい会をやってみようと思い、やってみた。
見事に空振りに終わり、人は全く集まらなかった。
でも、その後も人のイベントを手伝ったり、参加したり、やりたいことにむかって歩を進めてきた。
そして、空振りに終わったイベントを再度やってみた。
今度は周りからのサポート依頼が相次ぎ、イベントは成功した。
現在はそのイベントを継続する中で、悩むことはあるが、新たな情報が入ることでどうにか継続して、それが自分の自身にも繋がってきている。
大きなことでは無いが、自分にとっての夢の実現への小さなサイクルはまわせてきていることを感じている。

子育て、地域の繋がりに時間を割くことで自分にとっての様々な学びがある。
だから自分のやっていることは正しい、間違っていない。そう考えてきた。
ただ、週末に大学院へ通う、スキルアップに時間を使う人達をみて焦りを感じ、それを打ち消すためにつくった言葉なのかもしれない、との自分への疑いもあった。
今月の課題図書、この感想文を通して、自分のやっていることは間違っていない。
この考えを今まで以上に意識して学びを得ていく。

私事と比べると意欲が持てていない仕事に関しても問題点がはっきりした。
自分の過去を振り返ると、現在の私事同様に仕事に意欲を持って取り組み、今まで上手く進んでこれた。
ただ、任された役割に対して結果を出せなかったことが続き、大きく評価を落とし、今はその責任を人の性にすることもあり、そこからなかなか抜け出せていない。

今回の課題図書を通して改めてやることは、かつての自分はどこに意欲を持ち、今は何に意欲を持っているのか?の振り返り。その自分の意欲がでる大きな目標、戦略を持ち、それを周りのメンバーの戦術とすり合わせることと改めて気付きました。

たまたまだが直近に、宇宙に上手にお願いする法、を読んだ。
自分は好きを、ありたい自分の姿をイメージして、ある程度のことはできた。今回の仕事での失敗は自分の努力不足により、レベルがそこに至ってなかったことも、この本と課題図書を通じて再認識した。
もう1度、自分の好きに立ち戻り、日々の努力を淡々と進めていきます。

 

 

 

投稿者 morgensonne 日時 2015年6月1日


「泣き虫しょったんの奇跡」を読んで

小説を読んでいるような感じであった。
瀬川氏は自分のことを非常に客観的に捉えて分析できていると思った。

私自身はここまで自分のことを振り返って考えたことはないと思う。
私はあまり人間関係は広くないが、それでも
よく考えてみると多くの人に支えられてきたと思う。
その人たちの期待にこたえてきたのだろうか。
素直ではなかったような気もする。
瀬川氏のような壮絶な人生ではないが、私も自分を振り返り
もう一度自分が何をしたいのかを日々考えるようにしています。



瀬川氏は親の教えもあり、自分の好きな道を選んだ結果
プロ棋士になれることができた。
それと周囲の人たちに敬意を払い人間関係を大切に
していることによって、彼を応援する人があらわれ
夢を後押ししたのだと思う。


自分の気持ちに正直に生きる
努力を継続する
人間関係を大切にする

この本から改めて学びました。


そして『人生に無駄なことはない』


ありがとうございます。