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第120回目(2021年4月)の課題本


4月課題図書

 

LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界

 

長寿が実現したらどうなるのか?肝心の長寿ってどういう感じで実現されるのか?という

テーマをSFではなく、現代の科学をベースにして解説している本なので、未来の情景がリ

アルにイメージできます。ところがこれって、長生きができるイコール、死にたくても死ねない

ということだと気付いている人はどれくらいいますかね?

 

本書で書かれるような長寿を堪能できる生き方をしたいモノです。

 

 【しょ~おんコメント】

4月優秀賞

 

今月はなぜかニューカマーの方の投稿が目に着きました。一次審査を突破したのは、

M.takahashiさん、daniel3さん、masa3843さん、AKIRASATOUさんの4名で、この

4名の投稿を読み返して、今回はAKIRASATOUさんに差し上げることにしました。

初めての受賞、おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 M.takahashi 日時 
健康寿命120年の未来をどう生きるか

 本書を読むと、多くの人が120歳まで、しかも老い衰えることなく、生きることが可能となる未来が来ることは決して夢物語ではないようだ。もちろんそれは、科学の発展や、技術的な面においての可能性であり、その実用が何年先になるかも明確ではない。さらに、そのようなことが技術的に可能になったとしても、政治や思想、あるいは経済的な側面も絡んでくると思われ、希望すれば誰もがその恩恵に預かりうるかどうかは別問題であろう。


ライフプラン、働き方の変化

 ここではそのようなアクセシビリティの問題は一旦棚に上げ、仮に健康な状態で100歳や120歳まで生きることが可能となったとして、そのような世界では生き方がどのような変化するか、という点について考察していきたい。

 すでに数年前より、「人生100年時代」と言われ始めており、従来の「教育→就労→引退」という典型的な「3ステージ」の人生の流れは、60代での引退を前提とするから成り立つもので、本書で述べられているような寿命の大幅な伸びがなくとも、もはや時代遅れなものとなりつつある。もし100歳まで身体の衰えも少なく、働くことを続けるのだとすれば、就労期間が一気に40年増え、二倍近くとなる。この長い就労期間中に、革新的な社会的・技術的変化が起こるであろうことはどのような業界にあっても確実と思われ、大半の労働者は人生で何度か大きな方向転換を迫られることになると思われる。今の小学生の65%は、現在存在しない職業に就くと言われているが、100歳まで働いていれば、初めに就いた職業が引退するまで消失せずに、残っている保証は全くないのである。
 
 生涯にわたり同じ職種につき続けるのではなくて、(同業他社などへの単なる転職ではなく)職業自体を途中で変えることが普通になるだろう。働く期間が長くなることに加え、社会の変化が年々加速していくため、常に技能のアップデートが必要となる。場合によっては一度退職して教育機関に所属し、新たな知識やスキルを身につけて再度職につく、このようなサイクルを場合によっては複数回繰り返して引退する。このような「マルチステージ」型の人生がデフォルトになってくることが予想される。これまでのように、大学までに受けた教育を基盤にして、そのまま引退まで働き続けるには100年という期間はあまりにも長い。

 このような長期的な視点に立つと、「何をして生きるか(what)」よりも「どのように生きるか(how)」あるいは「何のためにそれをするのか(why)」がこれまで以上の重要性を持ってくる。かつて繁栄を誇ったあるアメリカの鉄道会社が凋落した背景にも、飛行機という新たな輸送・移動手段が現れたのにも関わらず、鉄道という手段に固執し続けたことがある。鉄道を提供しているのが、人々の移動や積み荷の輸送という目的であり、手段に過ぎない鉄道というそれまでの事業内容に囚われ、目的を見失った一例である。より合理的に達する飛行機という新たな手段を何かしらの形で受け入れ、変化すべきであった。

拡大する貧富の格差

 ここまで、健康長寿を前提としたライフプランの変化を述べてきたが、本書にもあるように、そもそもこのようなテクノロジーの恩恵を享受できるのは、富裕層に限定される可能性が高い。「老化」が病気ではないとされる世界では、老化を止めるための治療や薬があっても、基本的には公的保険医療でカバーされることはないためだ。

 富裕層ほど優れた医療を受けることができ、健康長寿の点で貧困層よりも有利であることは以前からそうであるが、老化を防ぐ「治療」を受けることができるかどうかというのは、これまでとは比較にならないほど大きなインパクトを持つ。過去の医療は基本的に、すでになってしまった病気を治療したり、進行スピードを抑制したりするものであり、精神的身体的な生産活動を行うことのできる期間を大幅に延長させるものではない。先進的な治療を受けることで10年以上(子供であれば数十年)長く健康に生きられるケースもあるかもしれないが、「老化」に伴って発生する諸症状や、加齢に伴って増加する認知症などは発症してしまえば若い時と同じような生産的な活動を行うことは難しくなる。貧富に関わらず、概ね皆が平等に、不可避なものとして受け入れてきた「老化」についても格差が生じれば、老化によってある程度間接的に抑えられていた富の蓄積につながらう活動が解放され、さらなる貧富の格差の拡大に繋がるだろう。

 寿命が長くなるということは、投資に回した金銭の回収期間が延びることにもなり、リターンが「複利」で帰ってくることを考えれば、寿命が数十年延びることによる効果は計り知れない。現在、世界の富の82%がトップ1%の超富裕層に集中してると言われてるが、この富の偏在は今後さらに大きくなっていくだろう。

 長寿医療を享受できるハードルは徐々には下がっていくかもしれないが、これを受けられるかどうかが、今後の世界を豊かに生きられるかどうかの一つの分岐点になるのではないだろうか。

参考文献
LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略  (東洋経済)
WHYから始めよ!インスパイア型リーダーはここが違う  (日本経済新聞出版)
投稿者 charonao 日時 
 本書を読み終えた一番の感想としては、筆者が老化を治療可能な病気と主張している点に衝撃を受けました。老化の研究者の中でも老化の唯一の原因はないと言われている中で、筆者は老化の唯一の原因はエピゲノム情報の喪失であると述べており、また運動や食事制限などで身体にストレスを与え長寿遺伝子を働かせることで、長寿が見込めると言っています。このように今すぐにでも老化を食い止めるために自分自身で取り組める内容も書かれており、自分の生活習慣を変えることで健康寿命を伸ばすことが出来るのだと思うと、確かに老化も治療可能なのではないかと思わせてくれます。

 また本書では、現代医学について「命に関わる病気の診断や治療を行うときでも、たいていの医師は相も変わらず20世紀前半のテクノロジーを使っている」、「世界中の数々の病院では、ここにあるならこれに間違いない式や、こういう症状ならあれだろう式の診断が依然としてまかり通っている。」と記載しています。私自身も過去に病気で手術をした事がありましたが、その治療が本当に適切かどうかとても不安になり、また自分の体なのに自分で治療方法が選べないもどかしさも感じました。もしその不安を払拭したいのであれば、現時点では本書内で書かれている当初肺がんの診断を受けていたラワンのケースと同様に、セカンドオピニオンに頼るしかありません。しかも、そのセカンドオピニオンが正しいかどうか確実ではない上に、「こういう症状ならあれだろう式の診断」がまかり通っているのであれば、セカンドオピニオンにおいても、結果として同じ診断が下される可能性は高いと考えます。しかし今後、がんに関しては1人の患者に対しオーダーメードの治療法を開発することで、がんが増殖や移転を起こす前に死滅させることができることと、合わせて「自分の遺伝子」を知ることで、不調が生じる前の段階で、対策を講じることができるようなり、更にパーソナル・バイオセンサーを利用で血糖値の上昇や血中酸素量、ビタミンのバランスなども測定できるようになるのです。つまり、これらのことが普通になると、自分の体を自分でコントロールすることができ、たとえ病気になったとしても、自分自身で病気の原因がわかり、適切な治療を選ぶことができるようになるのだと考えます。今は自分でなんとなく体調が悪いで諦めている不調の原因が、自分でわかるようになる未来も近いのかもしれません。コストの問題はあるにせよ、世の中の人々にとって一番メリットがあるのでは、と思ったのはこの点でした。

 このように健康寿命が長くなるだけではなく、老化も治療でき、更に自分の体調もコントロールできる時代が来るのは、普通で考えると喜ばしいことですが、本書を読み進めていくと、どうやら、そうではない人が多いのではないかという疑問を持ちました。そのように考えた理由については大きく2つあります。まず1つ目は世の中の変化への不安、2つ目が自分自身の人生に対する満足度です。
 1つ目については、人間が今より長く生きることにより、社会、政治、経済が大きく変化することについて、ほとんどの人は不安を覚えると書かれている点からそう思いました。実際の変化としては人口問題、大量消費・大量廃棄、社会保障などがあるにせよ、最悪なのは格差の広がりとのことで、変化についての柔軟な対応と、いかに貧困層にならないかが、今後はより重要になってくることに気づきました。2つ目については、まず人にとって一番大事なのは、長生きをすることや、健康寿命が延びることではなく、筆者のように自分の家族を愛し、仕事に誇りをを持ち、いかに自分の現状に満足しているかなので、自分の現状に満足していない人の中で、長生きしたいと思っている人は少数だと考えます。それは、筆者の「不死を願う人は、死をおそれているわけではない。生を愛しすぎているのだ。家族を愛し、仕事を愛し、未来がどうなるかを是非とも見たいと思っている。」という点から、不死を願わない人はこの逆の考えなのだと思います。しかし、筆者自身の講演会でのアンケートにおいて、当初永遠に生きたいと答えた人は数人しかいなかったにも関わらず、いくつになっても健康でいられるとしたらどうする、という質問において、永遠に生きたいと思う人の数が跳ね上がっています。健康寿命が長引けば、筆者の父親の例を見てわかるように、自分の人生を充実させようと努力する人が増えると共に、人生をやり直すことができる猶予期間も長くなると考えます。結果として、今後老化研究をより進めていくためには、筆者の父親のように、健康寿命が延びたことで人生を謳歌している人を一人でも増やし、健康寿命を伸ばしたいと思う人が増えることが重要なのではないかと思いました。
投稿者 BruceLee 日時 
「今をどう生きる?が問われる1冊」

本書で最もインパクトを持つのは以下一文ではないか。

「老化そのものが1個の疾患なのだ」

え?老化って病気なの?と驚き考えてみた。そもそも老化って何だろう?分かり易いのは白髪等の見た目?自分にもソコソコ白髪があるが、自分は白髪を悪とは思ってなく、それなりの年を経た人間の証であり、カッコいい要素とさえ思っているが故に染めようと思った事も無い。ま、その捉え方は人それぞれだろう。では老化とは何か?ヒントとなる言葉があった。

「(『高齢者医療メルクマニュアル』によると)老化の定義は『外傷、疾病、環境リスク、あるいは不健康な生活習慣の選択といった要因が存在しなくても、時とともに臓器の機能が不可避的かつ不可逆的に低下すること』」

そうか、つまり老化とは見た目よりも「身体機能の衰え」を指すのだろう。そこで本書は、

「老化が『避けて通れない人生の一部』などではないことが受け入れられれば、みんなもっと自分の体に気をつけるようになるのではないだろうか」

と各人が健康を考える指南書にもなっていると思う。では一般人である我々がその対策として出来る事は何か?その前提は長生きしても寝たきりでは幸せとは言えないから、本書で強調される「健康寿命」だ。自分は他に何冊かの健康本も読んだが、他の本にも本書にも書かれている事がある。それは「(ある程度の歳になったら)食事の量や回数を減らす」事だ。つまり肥満防止。

例えば飲食店で出される食事量はお子様向け以外は皆一緒である。が、改めて考えてみると20代と50代の食事量が同じなのはおかしいのかも。何故なら消化分解力が違うから。だから50代が20代と同じ食事量を取っていたら太る。これもある意味「身体機能の老化」かもしれないが、だとすればその対策は各人で出来る。というか各人にしか出来ない。食事制限や適度な運動等での自己管理だからだ。個人的には肥満は全ての病の遠因とさえ考えており、その対策として以下をやっている。

・1日2食で平日は糖質制限の食事。
・毎朝オムロンの血圧計とタニタの体重体組成計で身体状況をチェック。その後10分の身体ストレッチ。
・月に20日以上は1万歩/日のウォーキング。週末の土日に10キロ/日のランニング。

ただ、自分は老化防止を意識した事はなく、あくまで健康維持が目的である。一方、食事は人生を楽しむ要素でもある。自分も糖質制限は平日のみで週末は好きな物を食べている。そこで糖分を取り過ぎた場合の対策として日々の運動や身体チェックをやっている訳だ。特にタニタは優れており、体重、BMI、体脂肪率、筋肉量、推定骨量、内臓脂肪レベル、基礎代謝量、体内年齢の全てが把握できる。そして数字は嘘をつかないから、食べ過ぎた次の朝は凹む。が、気を付けねば、とも思う。こんな健康管理をしているのだから、さぞ健康体と思われるかもしれないが、そうとは限らない。何故なら自分はタバコを吸うし、晩酌もするから。以前、お客さんと話していて、

「ランニングしてるのにタバコを吸うんですか?」

と驚かれた事がある。その人にとっては健康と不健康を同時にやってるアホな奴と映ったのだろうが、その通りだと思う(笑) でもタバコや酒が無い人生は、自分的には楽しくない。楽しくない人生で長生きしたいとは思わないのだ。いや単に、

♪分かっちゃいるけどやめられない~

なだけかもしれないが。が、そもそもである。老化を防止して長生きするモチベーションって何だろう?本書にあるように「孫の孫にも会える社会」というのは魅力かもしれない。が、それは子供や孫、その後の子たちがまともに育っている場合だ。仮に凶悪犯罪者になっていたら?そんな孫の孫とは会わない方が幸せかもしれない。また人生100年時代の老後2千万円必要問題で大騒ぎしているのに、150歳まで生きたら一体幾ら必要なの?って話で。まあ、長寿になればその分労働年齢も上がるかもしれないが。つまり何事にもメリット・デメリットがあるように、長寿にもそれがあるという事だ。そんな事を考えながら読み進めたら、後半に大きく頷く一文と出会った。

「ほとんどの人が恐れているのは命を失うことではなく、人間性を失うことなのである」

そして本書は言う。「いい条件で死を迎えられるようにしたい」と。そうか!健康寿命を延ばすとは単に寿命100歳が120歳になるだけではなく、重要なのは死ぬ直前までの健康、つまり寝たきりや障害を持った人生を送らない、という事なのだ。「何歳まで生きたい」ではなく「死ぬ直前まで健康で生きたい」というモチベーションとなり、それには自分も同意だ。それが各人が身体を労わりつつも適度に運動する生活となり、結果的に長寿へ繋がるのかもしれない。

つまり、いい条件で死を迎えられるために、健康でい続けるために、今をどう生きる?を問う1冊だと思うのだ。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、健康に生きる為には意志の力が必要であると改めて感じました。

近年の研究によって発見された動物の寿命を延ばす「長寿遺伝子」とは、寿命を延ばすだけでなく、より健康な生涯を送れるようにする力を持つと紹介されています。

著者の一人であるシンクレアは、もともと出芽酵母の研究者でした。酵母は単細胞ですが、核を持った真核細胞です。人間とは大きな隔たりがあるように見えますが、生命現象の基本的な情報はかなり類似しています。

ウェルナー症候群というヒトの病気があります。若年から老化が急速に進行する早老症と呼ばれる病気の1つで、その原因はWRNヘリカーゼというDNAに働きかける酵素の異常であることが分かって来ました。

シンクレアは酵母でWRNヘリカーゼを働かないようにすると、人からかけ離れたように見える酵母であっても老化が早まることを発見しました。

また長寿遺伝子の1つには、損傷したDNAの修復などを行うサー チュインがあります。
サーチュインはストレスにさらされた時、生殖ではなく修復を選び、私たちの体に「じっとしている」よう命じます。

そして、これまでに行われた膨大な研究から導かれた結論として、酵母からマウス、そしておそらくはヒトまで、サーチュインの働きが衰えることが、老齢に特有の病気を発症する大きな理由の1つであるということが分かってきたのです。

他にも老化細胞によって引き起こされた炎症の軽減を行うTORや、エネルギーレベルの低下に対処するAMPKと呼ばれる長寿遺伝子が見つかっています。

TOR は成長や代謝を 調節する役割を持ちます。サーチュインのように、ストレスのかかった細胞にシグナルを送り、しばらく大人しくして生き残る確率を高める方向にエネルギーを振り向けさせます。DNA の修復や、老化細胞によって引き起こされた炎症の軽減などを行います。

もう1つの重要な長寿遺伝子が、AMPKという酵素をつくる遺伝子です。AMPK は代謝をコントロールする機能を持ち、エネルギーレベルの低下に対処します。

そして、長寿遺伝子に共通していることは、生体にストレスがかかると遺伝子が始動するということです。そのため、運動や絶食などによって適度なストレスを与えれば、長寿遺伝子を働かせることができるのです。

本書でも紹介されていますが、長寿者の食習慣を取り入れる日本の沖縄や、イタリアのサルデーニャ島などの長寿者が多い場所では、昔から実践されてきた野菜や豆類、全粒の穀物を多く摂っており、肉や乳製品、砂糖を控える食習慣を取り入れています。

老化を遅くさせるNMNのようなサプリメントを容易に摂取できない現在、これが健康で長生きするために、今すぐ実行できる確実な方法です。ただし、それを行うには意志力が、必要になります。

国立がん研究センターによる2019年のがん部位ランキングを見ても、男女共に上位は消化器官(胃・大腸・膵臓・肝臓)が多い状態です。これは、食べる行為に関係する内臓器官に対して、負担をかけ過ぎているという結果でもあります。

過食化が進む日本では、高カロリーの美味しい食べ物が沢山あります。街中やテレビ、ネットでも美味しい食べ物の宣伝や、広告が溢れる中で、健康のために食べる量を減らすという習慣を作るには、意志力を多く使います。

過度な飲食を止めて、過食化の状態から脱却するために食べないという選択をすること、それを習慣化するために意志力を鍛えていくようにします。
投稿者 daniel3 日時 
 著者のデビッド・A・シンクレアは、ハーバード大学医学大学院で老化研究の権威として、生物学の観点から老化の研究に取り組んできた方でした。今までの常識では、老化は生物の避けられない宿命として考えられていますが、著者は「老化は病気である」、そして「治療できる病である」と主張しています。種々の慢性疾患を引き起こす老化に対して有効な対策を講じることができれば、人生の後半生をより健康的に生きることができるのは間違いないでしょう。本書の中では、酵母やマウスのレベルでは既に顕著な成果が出ている研究事例がいくつも紹介されており、未来に対して希望が持てる印象を受けました。ただ、そうした明るい未来に到達する前には、経済格差に加えて健康格差というさらなる格差社会に直面するのではないかと私は考えました。

 「まだ老化して消耗してるの?」
 
そんなフレーズで炎上する未来を私たちは迎えるのではないかと。。。


 本書では老化のメカニズムの解明からその治療法、さらにIPS細胞に代表される再生医療など、今後近い将来に技術的な問題がクリアされるかもしれない、夢のような研究事例がいくつも紹介されています。しかし、技術的な課題のクリアと医療技術の普及の間には乗り越えるべき壁が存在していると思います。ひとつには「倫理的な問題」であり、もう一つは「経済的な問題」であると考えています。

 一つ目の「倫理的な問題」について言及すると、技術的な課題がクリアされた医療技術が遺伝子操作などを伴う場合に、大きな反対意見を伴うことは遺伝子組み換え食品などの事例からも予想されます。リスクを伴う治療の認可について日本の厚労省は非常に慎重ですから、医療技術開発から数十年以上も認可に時間がかかるかもしれません。一方で、天然資源の乏しい国が高度先進医療を国家戦略として取り入れ、それを目当てに世界中の富豪が億単位の金を払っても健康な寿命を手に入れようとするかもしれません。これが「倫理的な問題」を越えた後の「経済的な問題」へとつながります。また対象の個人が仮に富豪ではなくても、若さが膨大な利益をもたらす人たち、例えばスポーツ選手や俳優といった職業の人たちは、そのマネジメント会社が費用負担してでも、老化対策の先端治療を積極的に取り入れることは十分ありえると思います。

 もちろん、上記のような高価かつ倫理的な問題を伴う先端医療技術を受けられない場合でも、一般人が先端医療技術の恩恵を受けることがあるかもしれません。NMNのようなサプリメントであれば、低予算かつ低リスクで実施でき受け入れやすいでしょう。その効果として、高齢者の医療費が抑制でき、労働可能期間を延ばすことができれば、国家の財政負担を減らす施策として早期に取り入れられるかもしれません。ただ、人類が120歳まで生きられるようになった時に、より良く生きる準備が出来ている人はどれくらいいるのでしょうか。時間という神様は、ベクトル量を強くすることはしてくれますが、ベクトルの向きを勝手に良い方向に変えることはありません。金や人間関係の問題を長期間放置している人にとっては、寿命が1.5倍になった時の負担は、1.5倍ではすまなくなる後半生を過ごすことになります。つまり思考の時間軸を長くして良い人生を過ごそうとする人と、無為に人生を送る人の格差が広がり続ける社会が到来すると考え、私は戦慄しました。

 本書の中ではポジティブな未来を多く描いていたので、ネガティブな面はないのかだろうかと色々と思考してみました。無為に過ごせば辛い未来になるかもしれませんが、本書の中でも述べられていたように、長生きするほどさらに長生きできる可能性がある未来へと私たちは進んでいるようです。ベクトルな向きが良い方向に向かっているのであれば、プラスの複利効果を楽しめる人生になる可能性もあるわけです。そのために今から進む方向が正しいのかを考え続け、まずは正しい一歩を踏み出すことが大事だと改めて考えた読書体験でした。
 
投稿者 mkse22 日時 
「LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界」を読んで

「老化は病気である」
本書に記載されているこの主張は、私にとって衝撃的だった。

なぜなら、私は老化を避けることが出来ない自然現象として
当然のように受け入れていたからだ。

これは私だけでなく、世間も同様だと思われる。
例えば、ドラマや映画などで老いをテーマとして、老いを受け入れる過程を描いたものがある。
老化は避けることはできないからこそ、どのように受け入れるべきかという問題意識が世間にあるから、
このようなものが作成されるのだろう。

これに対し、本書では老化を病気とみなすことで、治療ができる可能性を示唆している。
老化を自然現象と見做すなら、それには逆らうことができないため、従うしかないが、
病気と見做せば、治癒の可能性があるわけだ。言い換えると、若返る可能性があるわけだ。

もし、老化を治癒し、20~30代の能力を50代でも維持できるようになったら、
日本社会に大きな影響を与えるだろう。

現在の日本でサラリーマンとして成功するためには、特に10~30代の過ごし方が重要だ。
希望の会社に入社するためには良い大学を卒業する必要があるし、
就職後も出世コースに乗る必要があるからだ。
少なくとも20代では出世コースに乗っていなければ、30代以降で出世することは困難だろう。

この考えの背景には、人間の能力は10~20代が成長期で、30代が成熟期、40代からが衰退期といった
経験則が共有されていることにあると思える。
つまり、個人の能力は年齢に依存しているということだ。

企業側もこの経験則を前提に人事制度を構築していると解釈でき、
10~30代のパフォーマンスがその後の人生を決定づけるような制度となっている。

ここで、老化が治癒可能なら、この経験則に大きな変更を迫ることになる。
40代以降でも高いパフォーマンスを出す可能性があることを意味するからだ。

こうなると、20代で高いパフォーマンスを発揮して管理職についた人間も安心できない。
いつどこから自分を脅かす社員がでてくるかわからないからだ。

例えば、20代ではうだつの上がらなったが、40代で突然高いパフォーマンスを出した社員がいたとする。
会社としてはその社員に相応の見返りをする必要がある。そうしないとより良い待遇を求めて他社に転職されてしまうからだ。
(現在は、どの企業も労働力不足に悩まされるため、能力の高い40代の転職は以前より
容易になりつつある)
そのときに、パフォーマンスを出せていない管理職がいたら、その管理職を降格させて、
そのポジションを当該社員に与えるいう話がでてきてもおかしくはないだろう。

このように、老化を治癒できると、社員間・会社間で競争が加速することになり、
その結果として、現在の能力に見合った給料やポジションを得ることになるだろう。

なお、サラリーマン以外(例えば、スポーツ選手や芸術家、研究者など)についても、
本人の全盛期の期間が伸びるため、こちらも同業者との競争が加速するだろう。

整理すると、能力が年齢に依存しなくなるため、どの職種でも年齢を理由にした離脱者がいなくなる一方で、毎年、新入社員をはじめとする新規参画者がいるため、年々ライバルは増えていく。
したがって、いたるところで競争が加速するだろう。

ここで、次の問題が生まれる。辞める決断をするタイミングだ。

これまでだったら、成功していない状況で、年齢による能力劣化を自覚すると、自分の限界が見えてくるため、年齢を理由に辞める決断ができた。
しかし、この劣化がなくなると、いつまでも「自分はまだやれる」という感覚に陥り
チャレンジをし続ける可能性がある。

成功するために必要なものは、能力だけではない。例えば、才能や運も必要だ。
いくら本人の能力の全盛期が長くなっても、そもそも、その分野の才能や運がなければ、成功しないからだ。

辞める決断が難しいことの良い例が、漫才師だ。

M1は2011年に引退した島田紳助氏がつくった番組だが、
この番組の目的の一つに「漫才師に辞めるきっかけを与えること」がある。
売れない漫才師に対して才能がないことを自覚させ、自ら辞めるように促すという意味だ。
その判断基準はコンビ結成10年で、これが参加資格となっている(現在は15年に変更)。
これは、売れないまま漫才師をいつまでも続けている人たちがいる証拠である。

老化が治療されると、いろいろな職種で売れない漫才師のような才能はないがやめられない人が増えるかもしれない。だから、辞める決断をする基準を準備したほうがよいかもしれないと思った。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 tarohei 日時 
 人生100年時代、これをどう生きるか。本書を読了してまず思ったことはこのことである。もし120歳まで健康に生きられるとしたら、どんな人生を送ることになるのであろうか。今までなら、ほとんどの人は学校に通い、卒業し、就職、定年まで働いたあと、静かな老後を迎える、といったありきたりの人生だった。しかし、そうした人生プランは今後成り立たなくなるかもしれないと思ったのである。

 本書では、「老化は病気である」とし、「100歳になっても現在の50歳なみの活動レベルを保てる時代がやってくる」と言っている。そして、老化を引き起こす原因や老化の防ぎ方、老化の未来像、つまり人口増加の問題や経済・健康格差拡大問題、更に地球環境問題、長寿化による人生観や社会制度の変化など様々な問題についても言及している。
 健康寿命が延び人生100年時代を迎えれば、我々の人生観やライフスタイルも大きな変更を余儀なくされる。いくら寿命が延びてもベッドの上で管に繋がれたままでは意味がないし、健康長寿であっても人生に生き甲斐を感じなければ長生きしても意味がないのである。
 では、どうすればいいのか? 本書を読んでそんなことを考えざるを得なかった。
 人生100年時代において、人生設計や働き方をどのように変え、どのような準備をしておけばいいのだろうか? ということについて、考えたことを中心に感想を述べていきたい。

 人生を大まかに3つのステージに分けてみた。第一ステージとして、学校で学ぶ教育の時期、第二ステージとして就職して仕事に専念する時期、そして第三ステージとして会社を退いた後の引退の時期、というようにである。しかし、この考え方は人生100年時代にそぐわないと思う。なぜなら、人生100年時代では人生のマルチステージ化が起きるはずで、人生は以前よりずっと複雑になると思うからである。100歳まで生きる人生は、これまでの人生とは根本的に異なるものになるであろうことと想像に難くない。
 そして、人生100年時代では80歳を過ぎても働く必要があるのであろう。しかし、そのような働きずくめの人生を歓迎しない人も多いはずである。少なくとも自分はそうである。だからこそ常に自分を見直し、働き方そのものを変えていく必要があると思うのである。

 では、どうするか? 人生100年時代では自分の持つスキルの見直しが必要であると思う。たったひとつのスキル、あるいはごく一般的なスキルを身につけているだけでは、長い人生の多彩な状況に対応できない。年齢により変化する時々の状況に応じて、新しいことを学び、新しいスキルを身につけていく必要がでてくると思うからである。そしてそれを実現するためには、ある時点で自分を変えていかなければならないと思う。自分を変えるためには、自分と同じような仲間とだけ付き合っていたのではダメで、自分とは異なるタイプの人たちともコネクションを広げていくことは、難しいことかもしれないが必要なことなのである。
 また、ワークスタイルについても、フルタイム勤務が必ずしも最善であるとは限らないと思う。介護や子育て、スキル習得など人生の場面に応じてパートタイムを選ぶ時期があっていいのではなかろうか。機が熟せば、起業をめざす選択肢もあっていいと思う。
 さらに、老後の暮らし方も変える必要がある。定年後に趣味三昧の生活を送るだけでは、人生100年時代では余生を持て余してしまう。パートタイムで働き社会との関わりを持つ、あるいは地域活動やボランティア活動を通じて社会に貢献をするということも、選択肢として考えていく必要があるのではなかろうか。
 このように、今後は学校(教育)、仕事、引退という単純な区割りではなく、引退も含め、その時々で教育と仕事が絡み合うマルチステージの人生プランがこれからは必要になる、と思う。

 やはり、これらのことを実現するのに一番大事なことは、心身が健康であることだと再認識させられた。どんなに素晴らしい能力や発想を持っていても、健康が伴わなければそれを何かに役立てることはできないからである。また、良好な対人関係もまた、健康を保つのに必要なことだと思う。
兎にも角にも健康第一、その一言に尽きる。そして、その健康第一のための老化の治療法や防ぎ方、老化防止の薬やサプリメント、食事制限などのやり方は本書を読めばわかるのである。
 そう考えると、本書があれば人生100年時代、怖がる必要はないように思えてきた。ある意味、人類に与えられた贈り物だと考えればよいのである。それを有意義なものにするには、人生をマルチステージで考え、自分自身に目を向けることが大切なのであろう。

 以上のようなことをつらつらと考えさせられた一冊であった。
 
投稿者 ynui190 日時 
老化を病気の一種と捉えるところがこれまでの考え方と大きく違う点だ。
病気と捉えるならば、予防出来、なおかつ治療方法があるという事だ。
これを喜ばしい事と捉えるか、憂う事と捉えるかによってその後の人生は大きく変わってくるだろう。
なぜならば、人はいつか死ぬとわかっているから、今を大事にし一瞬を生きる事に全力を尽くす。
平均寿命が延びるとわかれば、どうだろうか。
だらだらと時を過ごすのか、それとも新たな楽しみや自分への課題を見つけ生きていくのか、死ぬまでにどう生きるのかが問われているのではないかと思う。
この本はそれを問うているように感じた。

不老不死は人が昔から憧れてきたことだ。
世界各地に、不老不死についての伝承は数多く残っているし、本書の20万部以上という発行部数を考えれば、人々がどれくらい興味をもっているかもわかるというものだ。

本書にも不老に近づくすべが4つ記載されている。
そのうちの一つ、食べる量と回数を減らすという事など、今からすぐ出来る簡単な事ではないか。
簡単な事かつ、本書で初めて発表されたことでもない。
近年よく言われている事の一つだ。

それなのに、人はそれを実行できない。ありふれた簡単な事のはずなのにだ。
簡単なように思えることを出来ないことこそが、自分の生き方を問われていると言ってもよいのではないだろうか。
自分を律し、よりよい状態で残りの人生を過ごす。
それを実行に移せる人間がどれくらいいるのだろうか。

これからは、最期の時を迎える為に自分の意志で人生を設計していくことが必要となっていくように思う。
ただ単に寿命が延びたからよかったねという簡単な話ではなくなってくる。

どれだけの人が現状を分析し、より良い未来の為に行動出来るのか。
それは自分ごとでは済まされない。
自分と取り巻く環境、人間関係、お金、社会のありとあらゆる面が影響してくる。
そのことに本書が気付かせてくれる。

地球温暖化にしても食糧問題にしても、今はやりのSDGsにしても、これまでその頃には私は既に生きていないからと無関心を装ってきたことが、他人事では済まされなくなっている。
かつて、グレタ・トゥーンベリさんが「皆さんは子どもの未来を奪っています」という発言をし世界に衝撃を与えていたが、それすら古くなってしまった。
今では子どもの未来ではなく、本書によってそう遠くない未来に、私たち自身が当事者となることが示されたからだ。
遠い未来と思われいたことは、科学の進歩とともに速足で私たちの身の忍び寄り、変化を求めてくる。
私たちがどれだけその変化に対応できるか、自分を変えられるかが鍵となってくるのだろう。

不老という本来であれば、喜ぶべき科学の進歩について、ここまで自分の生活や自分の意志を考えさせられるとは思っていなかった。
そして、それは自分だけのことを考えて良いということで済まされないことも大きな事実だと思う。
個人の時代へと突入しているという言葉を多く見かけるが、個人の在り方とともにその集合体である人類の在り方をも考えていかなければならないように感じた。

個人だから変えられないではなく、個人だから周りを考えて行動する時代、責任を負う時代から責任を担う時代へシフトチェンジしていかなければならないのではないか。
本書は不老というこれまで人類が追い求めてきた夢に言及する本であると同時に、人としての個人の生き方を問う本でもあると感じた。

私たちの未来はどこへ進むのかという問いの答えも、私たちの行動が示していかなければならないのだろう。
 
投稿者 str 日時 
LIFE SPAN 老いなき世界

老いという長く生きていれば誰もが通る場所。認知機能や記憶力の衰え、視力の低下や身体のあちこちに不調が出れば「もう齢だから仕方ない」と、つい自分を納得させてしまう。

そんな老化も疾患の一つであり、防止する事も将来的に治療することも不可能ではないと書かれている。もっとも、カロリー制限や適度な絶食・適度な運動。喫煙は害であるなど、健康というものをイメージした際に思い浮かぶものが多い。私自身も喫煙者であり、飲酒もするし動物性たんぱく質も好物だ。身体にあまり良くないモノだと分かった上で摂取し、外見的にも身体的にも衰えを感じている事に関しては自業自得に他ならない。“身体には適度に毒も入れてやらなければ丈夫にならない“といった根拠のない考えで誤魔化してきたが、度が過ぎている部分だけでも考えを改めよう。

本書での“老いなき世界”とは単なる長寿を指すものではなく、心身共に健康で活力に満ちた人たちが多く存在する世界のことだと思う。老化が進み身体が思うように動かない、または寝たきりの状態になってしまい、ただ時が過ぎていくのを待つということを「もう高齢だから仕方ないよ」といった、半ば諦めたような言葉で片付けてしまっていた時代から、それを防ぐ方法・治療する方法が発展し、浸透していけば老化に対する諦めの言葉を口にする人は減り、闘う意思を持つ人が増えるのではないかと思う。

そういった意味では幸福に生きていくことと、若々しさには繋がりがあるともいえる。身体の衰えや認知機能の低下によって、まるで別人のように変わり果ててしまったとしたら、その人は生きてはいるけれど、親しい間柄の人からしたら”いなくなってしまった“のも同然だろう。その人本来の人間性を失うことなく過ごすことが出来るとすれば、幸福な時間には間違いない。ただ、仮に自身で想像してみた場合、嗜好品を断ち、色々制限することが絶対条件だったとしたら、心の底から「幸せだ」と果たして思えるだろうか。現時点ではよく分からないのが正直なところだ。

いずれにしろ、老化という本来仕方ないと考えられていたもののメカニズムが解明され、年齢による壁が少なくなっていくとしたら世界はガラリと変わっていくかもしれない。高齢であっても身体は軽快に動き、トレンドにも敏感であるような人が増え続けるならば、“老害“などという言葉は使われなくなるだろう。むしろ、活力に溢れたベテランが現役で活躍し続けられるということは、下から登ってくる若年層にとっては逆に辛い時代になるのかもしれない。素晴らしい世界のように見えて、色々と解決しなければならない問題も増えることは必須だろう。とても難しいテーマだ。
 
投稿者 keiji0707 日時 
K.MIYAZAKI

健康寿命という言葉がある。これは、平均寿命とは似て非なるものだ。健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間のことをいう。日本人の健康寿命は、男性が約72歳、女性が約75歳で、平均寿命と健康寿命との間には男性で約9年間、女性で約12年間の差が生じている。つまり、人生最後の10年近くは健康上、何らの病に苛まれ、苦痛と闘いながら日々を過ごすことになるのだ。私は、老後とはそういうものだと思っていた。なぜなら、周囲の高齢者をみると、足腰が弱り、複数の基礎疾患を抱え、その苦痛に耐えながら余生を過ごしているからだ。そして、私も年齢を重ねると同様の悩みを抱えるものだと思っていた。ところが本書によると、老化は病気であり、食事や運動など対処すれば老化を防ぐことが可能であり、近い将来、人間の寿命は健康な状態のまま120歳まで延伸できるとのことだ。これまで、老後とは苦痛との闘いであると思っていた私にとって驚きの内容であった。

では、人が120歳まで健康な状態で生活できるようになったら、私は何をするだろうか。恐らく働き方を変えるだろう。現時点では、私は会社内で異動することはあっても、現在の会社に所属したまま定年退職するだろう。ところが、長寿命化により健康な状態が120歳まで続くとどうなるか。もちろん、生活に必要なお金を稼ぐために、60歳以降も働き続けている可能性は高い。だが、社会のルールや仕事の仕方は時代とともに変化するため、持ち合わせている知識や技術だけでは社会で生き残ることがますます難しくなるだろう。そうなると、更なるキャリアアップに必要な資格取得のために、定年退職する前に専門学校で学び直す必要が出てくるかもしれない。あるいは、いままで経験したことがない分野にチャレンジするために、いったん会社を退職して大学に再入学しているかもしれない。このように、長寿命化は仕事は定年まで働くものという意識にも変化をもたらすだろう。

ところで、日本では、少子高齢化を背景に労働力不足が深刻となり社会問題化している。特に、団塊世代の定年退職により、職人の技術が若い世代に継承されない問題がある。この問題は、長寿命化により解決するのではないか。というのも、長寿命化によって人生の労働可能な年数が伸びることから、高齢者から若い世代への技術の伝承に費やすことができる年数が大幅に増えるからだ。また、高齢者の経験と知識は知の集積であり、社会にとって貴重な財産である。この財産を若い世代に受け渡すことは、社会発展に非常に重要なものになる。そして、高齢者は社会において重要な役割を担う存在となり、高齢者の生きがいにつながるものと考える。

いくら健康寿命が伸びて、身体は健康で活力に溢れていても、生きがいや人生の目的がなければ、つまらない人生になる。ましてや人生は120年も続くのだ。そう考えると、気が滅入ってしまう。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルが「人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる」と論じたように、社会が豊かになり、命の危険がないことが当たり前になってくると「生きること」自体の意味を見つけることが難しくなる。そのため、モチベーションを高め、実りある人生を送るには、個々人が生きるための目的を見出す必要がある。それは、趣味でもいいし、仕事や子育て、孫の面倒を買って出てもいい。大切なことは、人生を楽しく実りあるものにするためには、好奇心をもって、社会と関りを持ったり、どこかに帰属することが必要ではないかと考える。どのような生き方を選択し、人生を歩むのか。そして、実りある人生になるかどうかは個人の選択により決定される。そのため、健康寿命の恩恵を享受し、人生を謳歌するためには、好奇心の持ちようが肝要である。

さて、健康寿命の延伸によって、自死に関する問題が議論されると考える。日本の自死数は20,840人で、そのうち健康問題を原因・動機とする自死数は全体の約50%を占める。この健康問題を理由とした自死は、健康寿命の延伸によって減少すると推測されるが、同時に死に対する考え方も変容するのではないか。なぜなら、平均寿命が80歳だった人生が健康な状態で40年も伸びるからである。中には、人生をやり切った人も出てくるだろう。そういう人にとって、残りの人生は退屈でしょうがない。そのため、長寿命化が進展すると、死ぬ権利に関する議論が浮上すると考える。私は、自らが死を選択できる権利を個人に付与すべきと考える。なぜなら、社会が死ぬ自由を個人から剥奪する権利はないからだ。もちろん、年齢や心神の状況等、自死の要件については慎重に議論を重ねるべきではある。私は、個人が自らの人生の終い方を自分の意思で選択できる権利として、自死を前向きに議論すべきだと考える。なぜなら、人生の終い方を自分の意思で選択できる権利を持つことによって、自分の人生に責任を持つことになるからである。そして、自分の人生に責任を持つことによって、今ある人生を精一杯生き、実りある人生を送ることができると考えるからである。

このように、長寿命化と健康寿命の延伸により、人生の幅が広がり、実り豊かな人生を謳歌することが可能となると考える。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、遺伝学者である著者が、老化のメカニズムと若さを維持するための具体的な方法論について解説した本である。私は、本書を読み始めたタイミングでは、老化の克服にそこまで興味を持つことができなかった。その理由は、自分の中に、若くあり続けたいという願望や少しでも長生きしたいという欲求がなかったからである。自分自身の人生に関しては、むしろ長寿を望まず、70歳前後で人生を終える方が望ましいとさえ思っていた。そのため、本書の第1部と第2部については、知的好奇心を刺激されることはあっても、そこまで心が揺さぶられることはなかった。一方、本書の第3部を読み進める中では、なぜ自分が長寿を望まないのか、その理由を認知することができた。本稿では、私が長寿を望まない理由について掘り下げることで、自分自身の未来について考えてみたい。

まず、第3部の中で私が印象的だったのは、P348に記載された平均寿命である。著者によれば、現在研究中の様々な技術が実用化されることで、控え目に見積もったとしても、未来の平均寿命は113歳程度にまで延びるという。平均寿命ベースで33歳延びるというのは、驚異的な数字だ。この113歳という平均寿命が現実のものになる時期は定かではないが、私自身が113歳まで生きるということを想像し、とても恐ろしい気持ちになった。この長寿への恐怖心については著者自身も言及しており、P354では長寿社会に対して多くの人が不安を感じることは当然だと述べ、さらにはその理由として「人類の破滅が待っている予感がするから」だと説明している。しかしながら、私が恐怖を感じた最大の要因は、人類や地球全体の未来を憂いたからではない。

私が、113歳まで生き永らえることに恐怖心を持ってしまった最大の理由は、60~70歳以降の自分が、社会や周囲に迷惑をかける存在であるというイメージを持ってしまっており、長寿は迷惑をかける期間が長くなることを意味すると感じたからだ。これが、冒頭で触れた長寿を望まない理由と重なる。本書の中でも、こうした偏った見方が昔から世の中に蔓延していることについて言及されており、特に仕事の現場においては、高齢の労働者を「病気になりやすく、仕事が遅く、新しいテクノロジーを扱えない」存在として厄介者扱いする傾向が強いと説明されている。また、仕事から引退したとしても、肉体的な衰えが加速して介護サービス等を受けるようになれば、社会や周囲の助けなくしては生活することもままならなくなる。本書のP443で言及されているように、「ほとんどの人が恐れているのは命を失うことではなく、人間性を失うこと」であり、私自身も、『長寿=人間性を失ったまま生き永らえること』というイメージが強かったのである。

ただ、著者はこうした見方を真っ向から否定する。著者の研究が目指すところは、生存期間を延ばすことではなく、健康な寿命を延ばすことなのである。著者は、老化は病気だと断言し、老化に抗うことは不自然なことではないと主張している。そして、健康寿命が延びれば、60代で仕事から引退すべきという固定観念から解放され、70~80代の大勢の高齢者が再び働き始めることになるという。P405では、人が80年でも90年でも、あるいは100年でも働き続けることを選ぶようになれば、経済のあり方が根本的に変わると説明されている。こうした著者の主張を理解したことで、私の長寿へのイメージは一変した。

それでは、ただ漠然と長寿革命の産物を享受し健康寿命が延びれば、充実した老後が待っているのであろうか。私は、話はそう簡単ではないと思う。近年、私の働いている組織においても、再雇用によって60歳以降も働き続ける人が増えてきた。数年前までは、一定程度の役職まで昇格をすれば、再雇用により一般職として働き続ける人はほとんどいなかったが、最近ではかなりの役職まで昇格した人であっても、再雇用によって働き続けている。なぜならば、年金の受給開始時期が65歳に引き上げられたからだ。こうした再雇用の年長者は、職場で疎まれているケースが多い。その理由は、肉体的な衰え、すなわち体力面や知力面で現役メンバーに劣っているからではないだろう。恐らくは、仕事への姿勢や同僚への接し方に問題があるからだ。こうした態度を改めていかない限り、健康寿命が延びたとしても、仕事で必要とされることは難しい。最新のビジネス環境やITリテラシーについてきちんとキャッチアップし、「昔はこうだった」といったような無用な自慢話をせず、以前は部下であったとしても現在は上司なのであれば、年下に対しても敬意を払う。こうした成長意欲と謙虚さを持ち続けることが、60歳以降も働き続けるためには求められるのである。逆に言えば、こうした姿勢を継続することができるのであれば、113歳まで寿命が延びることを恐れる必要はないのだ。本書を読んだことで、私は未来に向けたあるべき仕事への向き合い方を学ぶことができた。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
投稿者 sikakaka2005 日時 
人は、歳を取れば取るほどに気力が衰え、家に閉じこもりがちになり、徐々にボケて、介護されながら亡くなるものだと思っていた。そう考えるようになった理由に、祖母の死がある。祖母は私が小学生のときは、気力に溢れて、いろいろなところに出掛けていたが、私が高校生になるころには、祖父に先立たれて、斑ボケが始まり、親戚中から家に一人でいることを心配されるようになっていった。私が大学生になるころには、徐々にデイケアや老人ホームにお世話になるようになっていった。そして、私が社会人になるころには、老木のように動かなくなり、話すことといえば、家に帰りたいとか、ここはどこなのかと言うようになっていった。そして、入退院を繰り返して、90歳ちかくで亡くなったのである。そうした祖母の一連の様子を見ていて、人間は、老いることは避けられず、徐々に気力と記憶と人格を失っていくものだと思ったのである。それが悲しいとか寂しいとかではなく、人はそういうプロセスを踏む生き物なのだと思ったのである。

また、人は何かしらの限界を迎えると死ぬのだと思っていた。そう考えるようになった理由は、書籍「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んだからである。そこには、体の大きさや機敏さが異なると寿命が異なり、総じて時間の流れる速さも異なるけれども、ある一定の基準に沿って寿命を迎えることが書かれていた。その基準とは、心臓の脈打つ数である。心臓の脈打つ数が二十億回打ち、呼吸が三億回程度行われると、ゾウもネズミもヒトも、命が尽きるというのである。この書籍を読み、生きるということは、生まれた時点で設定されたゴール(死)に向かって、カウントダウンしているのだと考えるようになった。人は、車や家と同様に時間が経てば古くなり劣化していって、修復できなくなり、いつかは使いものにならなくなる。人で言えば、その限界が心臓の脈打つ数だと言われて、なんとなくしっくり来たのである。

しかし、本書は、そうした私の考えを打ち砕く事例が書かかれて、とても驚かされた。

まず、この本で私が最も衝撃的を受けたのが、筆者の父親の若返りのエピソードである。著者の父は、奥さんに先立たれて、奥さんの死を目の当たりにして、それほど長生きは望んでいなかった。また、糖尿病を患っていて、いつもイライラしていた。そんな父親が筆者の研究している長寿サプリを飲み始めたところ、半年ほどで、イライラが減り、気力が取り戻して、頭がシャッキとして、バイク旅行にでかけてしまう。そして、有り余るエネルギーを仕事に注ぎ、70歳ちかくで働き始めてしまったのである。このエピソードには驚かされてしまった。なぜなら、筆者の父は、私の思い描く老人ではなかったからである。私がイメージしていた高齢者像は、年齢ともに気力を失い、家に閉じこもりがち、介護のお世話になり、徐々に自分では何もできなくなっていってしまう姿であった。しかし、筆者の父はそれとは全く異なり、頭が明瞭で、体も健康的で、前向きに仕事を再開したということに、驚きを通り越してワクワクしてしまった。そして、自分もそうなりたい!と思った。しかし、筆者の父が特異なサンプルだった可能性もある。ただ、筆者の父も自身の変化を長寿サプリのおかげと断言できないが、それ以外に説明がつかないと言っている。長生きすることに後ろ向きだった人が、こんなに変化するのかと思ったら、これからの老人は私の思っているようなヨボヨボの姿ではなく、生き生きとした老後を送り、これまでよりもハツラツしていられるかもしれないと思ったら、老後も楽しみになったのである。

次に、衝撃を受けたのが、細胞は何度でも再生し、限界はないということである。結局、サーチュイン遺伝子を活性化させれば、細胞を復活して再生し、理論上は、細胞は何度でも再生するというのである。ということは、これまで私が、心臓の脈打つ数によって、寿命が決まると考えていたことは、誤った説だと言えるかもしれない。なぜならば、「老化(=サーチュイン遺伝子の不活性化)」を食い止められなかったから心臓の脈打つ数がある程度決まっていたが、「老化」を食い止めて改善できるようになったら、心臓の細胞がより長い期間、再生するようになり、心臓の脈打つ数はさらに伸びる可能性があるからである。そうしたら、人間の寿命は、心臓の脈打つ数で決まるのではなく、「老化」の進行によって、寿命が決まるという説が有力になる日が来るかもしれないと思ったのである。科学の進歩にはとても驚かされた。健康に長生きできる未来を予見させてくれたおかげで、長生きをすることが楽しみに思えるようになった。
 
投稿者 Terucchi 日時 
LIFE SPAN 老いなき世界 を読んで

この本を読んだ感想をひと言で書くと、人の寿命が長くなった世界が現実化されるため、その世界で生きていくことを考えなければならないということである。なぜなら、老化のメカニズムが解明されて来ており、老化は病気であるため、治すことができ、それによって人は長寿となるからだ。人生100年時代の話はここ最近よく聞くが、この本では更にもっと上の120歳時代になるとしている。また、単なる寿命が120歳に延びるだけでなく、100歳でも元気で健康であるとしている。この本を読んで、医学の進歩、とりわけ人間の老化のメカニズムがこんなにも解明されていることに、私は正直驚かされた。老化とは当然の自然現象だと思っていたことが実はそうではなく、原因も明確になっており、老化を防ぐ方法まで明確になっている。著者が提案している幾つかの方法においても、個々の誰もが出来ることである。今後、私たちは老化が病気と同じで治すことができ、それによって長寿の世界が実現されるだけでなく、長寿者と一緒に生きていく世界を真剣に考えていかなければならないのだと考えさせられた。それも、その世界は近い将来として、いや既に始まっている現実として考えるべきである。著者はこの本の中で来るべき未来に対しての考えについても書いており、むしろそのことについて課題として捉えて、様々な意見を書いている。私もその長寿になった世界について考えてみたい。今回の感想文では、長寿になったメリットとデメリットを取り上げて、作者の言いたいことについて考えてみたい。

ところで、老化がなくなり、人の寿命が延びた世界はどうなるのであろう。まず、メリットについて、考えてみる。この本において寿命が延びることは、例えば癌などの病気の治療によって延命措置などの単なるベッドの上の生活が延びて、寿命が延びることではない。著者は単に寿命が延びるだけでなく、健康でいられる期間が増えるとしている。著者がいう、老化がなくなることは、仮に100歳だとしても、例えば現代の50歳のように元気に生活していることである。もし著者が言うように、健康で120歳まで生きることができるのであれば、会社生活が60歳と仮定した場合、まだまだ半分であり、それから第二の人生を十分に送ることができるのである。第二の人生では、充実した時間が持てるのである。そして、ゆっくり考えられる時間もあり、人生を満喫できる時間が残されている。これは時間という財産が持てることである。著者はこの時間的余裕を持つことについて、『これこそが最も大きなメリットとなる可能性』としている。

それに対して、次にデメリットを考えてみる。人の寿命が延びることは良い面ばかりではない。むしろ、悪い面がどんどん浮き彫りになってくる。著者は、長寿の社会の問題として、人口が増えることによる大量消費・大量廃棄によって地球の資源の枯渇、老齢人口が占めるために社会保障の危機、労働市場においては若者の働き口を圧迫してしまうこと等を取り挙げている。また、富む者については良いが、貧富の格差がもっと広がってしまう問題も考えられる。著者は『どれだけ長く健康でいられるようになっても、地球の資源を消費し尽くして身を滅ぼしてしまったら元も子もない。すべきことは明確である。消費量を減らし、革新を更に推進し、自然の恵みとバランスの取れた関係を築くのだ。それ以外に私たちが生き延びる道はない』としている。著者はこれら問題について、長寿になっても地球をダメにしたり、人の生活をダメにしたら良くない問題であるとしている。これらの問題は、現代社会でも取り上げているものの、進んでいないものであるのだが、実際にはとても難しい問題であり、課題ばかりである。特に、地球の資源不足の問題については深刻であり、もし不足する事態が現実化してしまうと大問題になる。例えば、世界各国で取り合いになって、最悪は戦争などが発生するの能性もある。また、食べる物が無くなるようになれば、今以上の格差が発生してしまうであろう。なぜなら、今の日本の格差では食べる物がなく飢えるということはないが、食べる物がなければ、飢える者が出てくる可能性があるからだ。

しかし、著者はこれらの問題に対して、必ずしも悲観的に考えていない。そして、著者が最も言いたいのは、『本書で説いてきたように老化が治療されて必然的に健康寿命が延びたとき、それこそが何より世界を大きく変える力になるはずだ。私たちは、先送りにしている問題と否応なく向き合わざるを得なくなる。』としている。これこそが著者の最も言いたいことであり、私たちが向き合わなければならないことなのだ。そして、長寿であることは、問題に対して向き合うための力であるとしているのだ。なぜなら、先のメリットで取り上げたように長寿によって時間的余裕ができるため、問題に対して考える時間が増えるからだ。長生きするということは、ダラダラ長く生きるためではなく、むしろこれらの課題に取り組むための時間なのだと私は考える。そして、長寿社会の実現した時のことを真剣に考えていかなければならないことを私は認識させられた。
 
投稿者 vastos2000 日時 
「老化は病気」というのには少し驚いたが、「120歳まで生きることが珍しいことではなくなる」ということにはさほど衝撃を受けなかった。おそらく、『LIFE SHIFT』を読んだときに免疫ができていたのだろう。
今まではインドや中国の仙人の専売特許だった(?)不老長寿を西洋医学も真面目に考えるようになってきて(まだ反発も多いようだが)、東洋と西洋の融合が進む気がする。

本書でも散々述べられているが、ただ長生きするのではなく、健康な状態で長生きすることが大事だという点は大きくうなずく。「健康である」ならば、長生きしたいと思う。
反対に、死ぬ前の何年かが寝たきり状態になってしまっていては長生きしても意味がないと思っている。
私は、子どもたちに負担をかけて生きながらえるのよりはさっさと死にたいと思うが、いざそうなったときに覚悟ができるか。
そんな不安を持っているので、本書から得たヒントを整理して、寝たきり状態にならぬよう心がけたい。
本書は一流の研究者が書いただけあって、専門用語がバンバン出てくるし、ページ数も多く読み応えがあったが、そんな本書から私がこの感想文に残しておきたいと思った事は以下の通り。

【健康寿命を延ばすためにやっていること、できること】
著者は3つのことを勧めている。すなわち、「食事のカロリーを減らせ」「小さいことにくよくよするな」「運動せよ」。(p474)
すべての人に当てはまるわけではないと断っているが、この3つのうち、私は食事と運動はそこそこ実践している。そのおかげか、2年以上風邪をひいていない。
食事に関しては、朝食に固形物は取らない。ココナッツオイルを溶かしたコーヒーのみとして、胃に固形物を入れない時間を14時間確保している。昼食もおにぎり一個とコーヒーのみ。
運動に関しては、心拍数を上げることのみを目的とした運動はしていないが、週に数回の軽い筋トレと毎週末のサッカーをしている。
単純なスピードや体のキレは若いときより落ちたが、サッカーの基本技術と戦術理解力は若いときよりも向上しており、このままプレーを続け、60歳を超えてもシニアリーグでプレーを続けたいと思っている。

【伸びた分の月日をよい生活にするために健康以外に仕込んでおくことは?】
・お金
資本主義社会が崩壊して共産主義に移行しない限りは、生きていくうえでお金は必要になる。せっかく老化を治療する技術が確立されたとしても、治療費を用意できなければその恩恵にあずかれないし、良質な食事をとろうと思うと、どうしてもそれなりの価格になる。カネがなくなってしまってはどうにもならないのが現実だ。
さらには、多くの人が今よりも長生きするとなれば、当然年金制度をはじめとした社会保証制度や、定年制度も変わるはずなので、死ぬ間際まで続けられるような生業を見つけなければならない。つまりはフロー収入が途切れないようにしたい。
それと平行して、時間をうまく味方につけて資産も増やしたい。
毎月の給与の一部は財形貯蓄に回しているが、基準金利が低いままの現状でこの選択は正しいのだろうか?今のうちにiDeCoに切り替えた方が良い気もするので、次の財形貯蓄の更新時期までにしっかりと情報収集しておこうと思う。

・生きがい
面白くもない毎日が死ぬまで続くのであれば、長生きをしてもその分つまらない日が増えるだけになる。体力はすでに20代、30代のころと比べて落ちているので、体力に頼らない生きがいを見つけなければつまらない人生になってしまう可能性が高い。
となると、将棋、麻雀、楽器演奏と要ったところだろうか。いずれも若い頃に少しかじったので、どこかでもう一度取り組んでみようか。ネットが普及した今、将棋と麻雀は対戦相手を探す苦労がなくなったのがうれしい。
3年間一つのことに打ち込めば偏差値60くらいのレベルになれるはずなので、健康寿命が伸びると、あといくつのことを身につけられるだろう?

・人間関係
生きがいと関連してくることもあるが、人との交流がないと早死にしてしまうという話も見聞きした。今の社会体制では、60歳や65歳で定年退職となるので、会社以外の人間関係を築いておくことが大事とも聞くが、今後はどうなるだろうか?兼業や副業も増えそうだし、働き方が変わってゆる~く仕事関係の人達とつながり続けるなんてこともあるのではないか。
それはそれとして、仕事以外、例えばしょ~おん塾などの、仕事以外で構築した人間関係を維持していきたい。幸い今はネットやSNS、zoomといったツールがあるので、これを有効に使用して、相手から忘れられないようにしたい。もちろん、ただ接触回数を保つのではなく、接する人に何らかの形で貢献することで関係を続けたい。


以上、何やら『LIFE SHIFT』の時と似たような話になってしまったが、どちらも今からできることを始めて、しっかり積み重ねておけば、10年後、20年後に困らないよと言っている。そして学ぶ時間は思った以上にあるんだと教えてくれた。
昨年、10年後に後悔しない生き方セミナーを受講したことをきっかけに、あらためてサッカーを勉強しているが、ようやく子ども達に教えられるレベルに指先がかかるようになったと感じる(一応指導者ライセンスも取得)。今までうまく言語化できなかった原理原則も小学5年生にわかるように話せるようになってきた。あと2年続け、その次のことはまたその時に考えるようにしよう。
このサイクルを10回以上回す時間をチャンスがあるのだから、ちゃんと活用して生ききりたい。
 
投稿者 sarusuberi49 日時 
「大事なのは健康寿命の長さではなく、死ぬときに後悔しないこと」

これまでの常識では、生命にとって老化は避けられないものであった。ところが本書によれば最近の医学の進歩により、まもなく老化は治療できるようになるという。それにより健康寿命が劇的に延びるとは、まるで夢のような話である。しかし私達人類は、その夢のような肉体を手に入れることで、本当に幸せになれるのだろうか? これまでの人類の歴史を紐解くと、残念ながらそうとは思えない。確かに過去数百年で人類の平均寿命は大幅に伸び、数百年前の医学は時代遅れになっている。しかしその一方で、人類の心や思考は大幅にアップデートされたとは言い難く、数百年前の経典や聖典は現代においても人類の英知として重んじられている。これは人類の歴史上、医学や科学と比較して、心や思考はそれほど進歩していないことを象徴的に示しているといえるのではないだろか。心や思考の健康は、未だ研究の途上にあるのである。

私がそう考えるに至った理由を説明する。「死ぬ瞬間の5つの後悔」(ブロニー・ウェア著)という本があり、著者は緩和ケアの介護職として多くの末期患者を看取ってきた女性である。この本は著者と末期患者たちとの交流が基になっている。この中にグレースという専業主婦が登場する。彼女は子どもや孫の成長に喜びを感じる一方で、暴君の夫のために50年以上、つらい思いに耐えていた。実は長年、夫から離れて旅することや、夫に指図されない生活を送ることを夢見てきたのだ。そんなグレースの夫が終身の老人ホームに入ることを了承したときは、解放された思いだった。しかし、待ち焦がれてきた自由を手に入れてまもなく、グレースは不治の病によって寝たきりになってしまったのである。グレースは死に直面して初めて、好きなことを実行する勇気を持てなかったことを後悔し、そんな自分に腹を立てた。世間体を気にして他人の期待通りの人生を歩み、失敗を恐れて自分からは何もしていなかったと気づいたのである。著者によれば、死を前にした人の後悔の根本原因は、自分の本心に向き合わなかったことにあるという。

ここでもし仮に、医学の進歩により健康寿命が大幅に延びていたとしたら、グレースに何が起こっていただろう? 残念ながら、何も状況が変わらなかったのではないだろうか。私がそのように考える理由は2つある。1つ目の理由は、誰もが老化を病気として治療できる未来社会においては、グレースだけでなく、夫の健康寿命も延びることになるからである。つまり、伸びてゆくのはグレースが自由を謳歌する豊かな時間ではなく、自由に恋焦がれながらも我慢を強いられる辛い時間になってしまう可能性が高いのではないだろうか。2つ目は、医学が解決してくれる老化の問題は、私たちの肉体面、いわゆるハードウェアだけであるからである。私たちの心や思考、いわゆるソフトウェアの老化や劣化に関しては、今日の医学ではどうすることもできない。これまでの残念な人生は医学では直せないため、人生をデザインし直すということは、私たち一人一人に課せられた課題なのだ。実際、120年、150年という年月、楽しみを見つけ続けながら夢中で幸せに健康寿命を謳歌できる人が、果たしてどれだけいるだろうか。

身近な例を挙げるとすれば、私は今年の4月から大学の通信教育で学んでいるのだが、そのことを知った家族から猛反対を受けている。「その年齢で新たに学び始めるなんて時間とお金の無駄」と、本気で心配されている。もし本書の通りに人類の寿命が伸びた場合、彼らはどうするつもりなのだろと、こちらが心配になる。彼らがグレースのような人生の結末を迎えるのではと想定すると、暗澹たる気持ちになるのだ。「人生なんて所詮この程度」と考えている人々にとって、寿命が延びることは朗報と言えるのだろうか? 寿命だけが延びて、考え方を変えなければ、辛い時間が延びるだけになってはしまわないだろうか? そうならないためには、誰もが自分の人生について見つめ直すことがますます大事な時代になってくる。自分自身の本音と向き合う行為は時として心に痛みを伴うので、正直やりたくないものだ。それで死の間際になって、グレースのように自分に腹を立てている人は、決して少なくないであろう。私が危惧するのは、寿命が延びることを、自分と向き合うことを先送りする言い訳に用いてしまう人々のことである。

私たちは余計なものを持ちすぎているから、本当に大切なものが見えにくいのかもしれない。しかし、「医療により人為的に健康寿命を延ばす」という時代がすぐそこまで迫っている今だからこそ、医学の進捗に一喜一憂したり、有用なサプリメントや健康情報を入手したりすることのみに躍起になってはならない。寿命を延ばす目的は、望む人生を豊かに生きるためであるのだから、私たちは手段と目的を履き違えないよう注意したいものである。そして死ぬときに後悔しないよう、本当はどう生きたいのか?改めて、心静かに自分と対話したい。こうして心身が元気なうちに、遠い未来となりうる老後への思いを馳せられることこそが、最先端の科学情報を得ることと同じくらい有益な、本書のもう一つの効能と呼べるのではないだろうか。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“不安を希望に変える”


本書を読み始める前、「誰もが人生120年時代を若く生きられる!」という帯に書かれるフレーズを目にし、私は喜びや興奮よりも不安や戸惑いに襲われた。なぜなら、もしも延命医療の発達で寿命が120年に延びるのであれば、ヨボヨボ状態で周囲の人たちに介護される、または、病床で何本もの管に繋がれて生かされるという自身の姿をとっさに想像したからだ。しかし、上記したフレーズの中にも『若く』とあるように、本書を読むと若くいられる時期が長くなり、最後の年月も、その前の年月とそう変わらずにいられるとある。また、著者は老化が自然なプロセスだという考え方に、変化が起きようとしていると述べる。万病の母と目される老化を防ぐことができるというのだ。私には、この考え方は当初驚きであったが、本書に書かれる数々の理論や事例、そして何よりもサプリメントを摂ることで80歳を超えても、以前より活き活きと日常生活を送る著者の父親の様子から、人生120年時代の到来は信憑性が高そうに見えてくる。しかし、本書を読み終えて私の中に残ったのは、やはり長く生きることに対しての多くの不安であり、喜びではなかった。本稿では、私の抱える不安が何であるかを特定し、またその不安を希望に変える手段を考察する。

未来に多くの不安を持つということは、現在の私自身の状況や行動に問題があることの証左だろう。なぜならば、もしも来たる未来に向けて準備ができている、もしくはやるべき行動が分かっているのであれば、そんなにも不安を募らせることはないからだ。では、人生120年時代の到来に対する私の不安は何か?それは大きく分けて3つある。その3つとは、お金、人間関係、そして仕事や趣味にまつわることだ。まず、長く生きることが出来たとしても、お金に困っている状況であるならば、生きること自体が苦行になりかねない。貯蓄は十分なのか、年金は支給されるのか、またはリタイヤ後に生活の足しとなる収入はあるのかと経済的な不安は尽きない。次に、人間関係だ。私が長く生きたとして、家族に愛想を尽かされることはないだろうか。または、気兼ねなく楽しく時間を過ごせる友人や知人がいるのだろうか。この点で、私に不安が皆無であると言えば嘘になる。そして、最後が仕事や趣味に対する不安である。ここでの仕事や趣味とは、生きがいややりがいを感じることができるものを指す。著者の主張のように、精神も身体も若いままで年を取るのであれば、80歳を超え、90歳を超えても働いている時代が来てもおかしくない。そんな中、生きがい、やりがいを感じられない仕事に長く従事するのは、いくら精神や身体が若い状態とはいえ辛いのではなかろうか。また、好きな仕事を可能な限り長く続けようとしてもAIやロボットに奪われることだってあるだろう。さらに、リタイヤ後はどうするのか?ここ数年、私が老後の趣味のためにと始めた書道や気功体操も熱中するほどにやっていない。こうして考えれば、考えるほど不安は募るのである。では、これらの不安をどう払しょくするのか?どう行動して現状を変え、未来に対して希望を持つのか?

まずやるべきことは、勿論上述した私自身の不安の原因となっている問題を解決していくことだろう。例えば、計画的に貯蓄を始める、家族と過ごす時間の確保に取り組むなどは、今すぐにでも始めるべきだ。では、その他の上述した将来の生活の足しとなる収入源を得る、100歳を過ぎても気兼ねなく楽しく時間を過ごす友人や知人を作くるという2つの問題についてはどうだろうか。私は、この2つの問題を解決する鍵は、生きがいややりがいを感じることができる仕事や趣味を持ち続けることが鍵になると考えている。なぜならば、仕事や趣味に対して情熱的に向き合えば、結果として自身の強み、ユニークネスを磨くことになるからだ。そして、それを必要する、興味を持つ人たちと繋がることで友人や知人が増え、更には、それらの人に知識や技能を教えることで収入を得られる可能性があるからだ。もしもそうなると想像すれば希望が湧いてくる。ただ、そんなことができるのか?そんな声も聞こえてきそうだが、本書の中で言及される「個人に特化した医療」(P.298~)にヒントがあると、私は思っている。

「個人に特化した医療」とは、進化するテクノロジーを用いて、医療システムの焦点を個に当て直すことである。本書によれば、従来の医療システムは、殆どの場面で殆どの人に効果を発揮する診断と治療を施すという塊、集団に対してのものなのだ。そして、この医療業界に芽生え出した進化するテクノロジーを使った集団から個への変化は、現在のデジタル化を図る日本の行政にも見てとれる。それは、河野太郎行政改革担当大臣が自身のホームページでDXが創り出す行政とは、一言で言えば集団から個への転換だと述べているところからも明白だ。要するに、私が強調したいのはデジタル化が多くの局面で個への対応を可能にしているということである。それは即ち、時代とともに多様化する人の趣味嗜好への対応もより個へ、細分化の方向へと移行するのだ。その時代の流れに乗るならば、私の場合、現在の仕事にもっと情熱を持って取り組む、また趣味で始めた書道や気功体操にもっと真剣に取り組み続け、さらにインターネットやSNSでそれらに関する情報を発信し続ける。そうすれば、もしかしたら私の仕事で繋がった人に書道や気功体操を教えるという未来があるかもしれないし、その逆のケースもあるかもれない。そんな経緯で出逢った人たちと楽しく時間を過ごす。そんな未来を想像していると、抱いていた長く生きることに対する不安は少しずつ希望に変わっていくのである。

~終わり~
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
「LIFE SPAN 老いなき世界」を読んで

本書は、老化とは治療できる病気であり、適切な措置・対応をすることで健康寿命を延ばすことが出来るという著者の主張について、過去・現在・未来の観点から解説や根拠を示したものである。
老化は人間にとって避けることの出来ない自然現象であると思っていた私にとって、本書の内容(個別の病気が治るように研究を重ねても寿命が延びるのは僅かだが、老化の解消が健康寿命に与える影響は比べものにならないこと、間欠的断食により多大な健康効果を得られること、快適とは言えない環境に身を置くことで生まれるストレスが長寿遺伝子に作用し健康状態が良好になることなど)は目から鱗が落ちるような気づきや自分では言語化出来ないが「やっぱりそうだよね!」と思う事などが多々あり、学びの多い一冊だった。
本書の中でも特に感銘を受けた【健康寿命を延ばすことで、先送りしている問題と否応なく向き合わざるを得なくなる】という点について掘り下げたい。

この点に感銘を受けた理由は、老化の解消と人間の未来の問題解決がキレイにリンクしており、本書を読まなければこの気づきを得られることはなかったからだ。
日本の将来における問題をいくつか挙げると、少子高齢化による老々介護問題や社会保障費が右肩上がりであること、選挙での投票率の低さ、国の借金をどのように返済するのか等がある。これらの問題を解決しようと努力している人は沢山いるはずだ。しかし、今まで上記の問題のボトルネックが老化だと提唱した人はいなかった。著者も日本の個別課題について触れているわけではないが日本の問題に当てはめて考えると、老化を病気と認定し、大半の大人に適切な治療を施すことができるようになれば多くの問題が解決してしまうと思うのだ。
まず、健康寿命が延び、体の自由がきかなくなってから亡くなるまでの期間が短くなると介護に必要な期間や労力、社会保障費は大幅に改善されるだろう。
また、国民が投票に行かない理由の一つとして、政治に興味がない、自分の一票に価値を感じない、一票で未来は変わらないという思いがあるのではないかと思う。若いうちは政治に興味がなく、ある程度の年齢を迎えると自分が一票入れたところで・・・と思い、さらに年を重ねると今更世の中が劇的に変わったところで自分にはあまり関係ないから・・・という悪循環があるのではないだろうか。健康寿命が延び、今まで考えられなかった未来まで自分が影響を与えられる日がくるなら、臭い物に蓋をして知らないふりはできなくなるのが一般常識のある大人の姿だろう。
さらに、健康寿命が延び働く期間が長くなると、生涯年収が大きく伸びることになる。労働人口が増えると税収が増え、年金の支給時期が繰り下がったり、年金の支給額が抑えられたりと国としての支出抑制にも繋がってくる。今は全く解決方法が見えない国の借金問題も、健康寿命が延びることが解決の糸口になるのではないかと思った。政治家が勝手にばらまいた10万円や休業補償等はただの借金で将来子供たちが返さなくてはいけない。今更間に合わないかもしれないが、健康寿命を延ばすことで利益を享受した大人が利子をつけて返すべきだと思う。生涯年収や税収の増加、支出の抑制など単純に解決できる話ではかもしれないが、老化防止の取り組みが一般的になることで今よりは良い未来がやってくると想像できる。

これらのことを総合的に考えると、老化を病気として認め健康寿命を延ばす方向に舵を切ることは、明るい未来を創るための有効な手段の一つであると私は思う。
もちろん本書に記載しているようにお金持ちはより質の高い老化防止に繋がる医療の提供を受けることができ、富める者はますます富み、格差が広がっていく可能性もある。それでも、老化を防止することはそれを望む全ての人にとって健康寿命が延びるというプラスの作用があるのだから、それ自体を規制するのではなく、別な方法によって格差の是正を図る等してデメリットを解消するのが良いだろう。

以上より、著者が主張するように老化を病気と認識し適切な治療が施される未来を想像するととても楽しみであり、より良い未来を送るためにもっと多くの知識を得て、行動しなければならないという気持ちがわいてくる。
 
投稿者 3338 日時 
・なぜこれほどまでに医学は発達したのか?

 その昔、排卵誘発剤を使った妊娠で、5つ子が何組も生まれて話題になったことがあった。産まれて来る子どもの数をコントロールできないために起こったその事態に、人々が口にした言葉は"神への冒涜"という言葉だった。
 しかし、人は神の領域を侵略しようして、医学を発展させてきたのではない。必要に迫られた結果、または難病を克服しようと必死に研究を続けた結果、そして自身の専門分野を探求した結果、神の領域にまで踏み込みそうな業績を上げてしまったにすぎない。そこには真摯な研究者としての姿勢しかない。にも関わらず、業績を上げる度に、それを応用して自分だけが暴利を貪ぼろうと、神を冒涜する使い方をする愚かしい人々が現れては消えていった。  
 新しい技術や理論が発表される度に、真摯に医学に貢献しようとするか、それを使って私利私欲に走るか。常にこの2極化が起こるという図式になってから久しい。

 例えば臓器移植で言うと、1963年に世界で初めて肝臓移植にアメリカの医師が成功している。その後1967年に南アメリカの医師が心臓移植手術の成功し、翌年日本でも臓器移植がスタートした。と同時に脳死に対する強い不信感を産むことになり、日本の移植手術は低迷することとなる。そして臓器移植という医学的革命は、華々しく咲き誇るかのように見えて、その実裏では臓器売買という悲惨な現実を作り出した。医学の発展は、神が人に与えた大きな福音であるにも関わらず、本当の意味で福音を享受できる人は少ない。
 その他、クローン技術や体外受精、遺伝子の組み替えなど、画期的な医学の革命は、人が神の領域に侵しているように見える。だが、恐ろしさを感じながらも、それらを土台にして今の医学の発展があるのだから、どこまで行くのか見定めたい気持ちの方が大きくなっている。

・人は節度を持って老化を治療できるのか?

 ただ、高い理想を掲げて成し遂げられた研究は、人類に希望もたらす結果がもたらされる。そして、そこからまた進化発展して未来へと続いて行く。人に取ってなくてはならない技術や理論は、その時代のベストであり希望でもある。その本質は時代を経ても褪せることなく、次の新たな技術を紡ぎ出す土台となる。
 一方で、私利私欲のために開発された技術や理論は、例えその時代を一時は席巻したとしても、時代の淘汰の波に儚く消えて行く。
 いつも思うのは、徳川家の太平を願った国作りが三百年もの間続き、諸外国の干渉があるまで崩れることがなかったことにも似ている。太古から連綿と続く知恵や技術を継承した上で、産まれた江戸時代技術や理論は、現在にも生きており、この上にまた新たな技術や理論を重ね、今はまだできない未来の技術や理論につながっていくと信じられる。先日、良書リストにある"梅干しと日本刀"を読んで思ったことは、やっと現実に科学的な根拠が追いつい来たということ。その辺の興味は尽きない。

本書では、細胞は2万個の遺伝子の情報が反映されており、その情報が正確に反映されることで正常な営みがなされている。加齢によって情報の反映が正しくできなくなるのが、老化した状態に当たる。とすれば、そんな間違った状態を若い頃(正常な状態)と同じように整えることができれば老化を防ぐとができる、と解説されている。
 老化が病気であると定義され、その治療法やメンテナンスの方法をいくつも挙げている。その技術一つ一つは素晴らしいものであるが、それだけで終わるのだろうか?思いもかけない方法でただ金儲けの手段として扱われることを危惧してしまった。こうしている間も役にも立たない薬が、さも効能があるように処方されていることを思えば、危惧せざるを得ない。
 
 ところでこの新しい発見が、一般的に浸透するのはどのくらい先なのだろうか?と考えたところで上記の答えが出た。そもそも庶民はこの情報の価値を取り沙汰するより、目の前の生活を心配することに忙しいのだから気がつかない。一般化する前に、この情報を知り納得した人たちがすぐ治療を受け始めるのは間違いない。この情報を知っただけで治療を始める人たちはどんな人たちなのか?それは紛れもなく富裕層の人たちということになる。そしてこの場合の富裕層は、先日先生がジョイントセミナーで語られたところの、4つのリッチを持つ人たちに限定される。

 本書で語られる治療は富裕層でなければできないレベルなのは想像に難くない。病気を発祥してから治療を行うのではなく、未病の状態で老化という病を防ぐために、治療行うのだから、病気になってからに治療するという常識を覆した人でなければ、治療を受けることはない。その上、大変に高価なことも予測できるし、そんな治療は大っぴらに宣伝しているものでもない。であれば、行き過ぎず節度を持って、今度こそ神が人を作ったことを誇りに思うような仕組みで、富裕層は恩恵を享受していくだろう。それ故に、そのレベルを目指し、必死で努力したくなるような有り様であってほしい。
 人はお金の使い方に人格が出る。同じ技術で作ったものにも人格が出る。そして行動にも人格が出る。この本読んで本当に価値観を変え、人生を変えたいと強く思った。
 
投稿者 akiko3 日時 
”生かされている”
このことを常々考える。
そして、”人はこの世に自分で課題を設定して、家族や環境を選んで生まれてきて、寿命も自分で決めている”とも考える。
歴史に残る人達が大きなことを成し遂げる過程では、偶然やら奇跡が起こっていたり、危機一髪を逃れていたり、何かの意図を感じていた。
また、高齢の方達の話を聞いた時に、「死ぬのもエネルギーがいる」と聞いたことがある。
危篤の方がご家族の到着を待って息を引き取る例もあれば、みんなが帰った後に眠るようにそっと息を引き取る例もある。最後の力を振り絞るのは自分なのだ。

では、何をもって“終わり”を判断するのだろうか?
私は目的を達成したら終わりを迎えるのだろうと考える。目的とは、命があるからこそできる「体験」、できなかったことができるようになる「喜び」やその過程を味わうことで得られる「成長」。
また、家族や友人達、社会を通して学ぶ「慈悲」…。
もう人生折り返し中なので、終わりもちらっの”ち”ぐらいは考えることもあり、私はいつかくる終わりまでに、これらの体験や学びを通して『幸せを味わい』に来ていると感じている。と、つらつらと生きている意味を考えると、『生かされている』という感謝がじわじわとこみあげてくるのだ。

そんな自分で決めてきた人生の終わりが、100才じゃなく、120才かもしれないと知り、「ちょ、待てよ」と思ってしまった。
旧約聖書には180年という記載もあるようだが、怪しい力を駆使して仙人が生きのびる特別な話ではなく、一般人が120才とか130才まで普通に、いやより若々しく生きられるようになるのだとか。
そんな風に老化を予防をすることは、既存の病を治すことにもなりうるらしい。
風邪は万病のもとと言われるが、老化予防が万病の予防になりそうだ。
以前、人間には125才だったかまでは普通に生きる力があると聞いたことがあるが、特別健康な人の話だと思っていた。一般人でもありうるのかもと思えたのは、
「人類は生態系内で自分に適した位置を自力で作り出す生物、生態系を変容させることで自身を養っている」
「人間の本能は問題に対し新しい工夫で対応していく」それが自然とあったからだ。
これまでの人類の進化を振り返っても、見えざる手により必要が与えられ、奇跡が起こったことも多いように感じる。そのおかげの平和であり、豊かさ、幸せがあるように思うのだ。

では、寿命をそんなに伸ばす意図はなんなのか?
それは、長期スパンで取り組まないといけない難題(環境やエネルギー問題、感染症対策、教育、食料、絶滅危惧種の保護など)があるからだろう。
ちょっと、これらの難題は一般人の自分が受け取るには重いのだが、『人がより長く健康に生きる未来』を思った時、最高齢のアプリ開発者の若宮正子さんが思い出された。
彼女の話題に触れた時、より長く健康に+”よりよく、楽しむ”姿に感銘を受け、いつからだってなんにでもなれる、そんな無限の可能性を感じた。
これからの時代、今のJKビジネスではないが、シニアが自分達が欲しいものを作って提供するシニアビジネスも増えてきそうだし、若者など違う世代と交流することで多様性を互いに学べる。共存共栄の世界が築ける。
そんな生き方ができる社会は、シニアに限らず誰にでも、いつからだってやり直せる世界にもなりうるはずだ。

人は自分で決めて生を受け、生かされて、生を全うし終わりを迎える。
「命が1つ終わるたびに、世界は捨てるべき思想をすてていく。
命が1つ生まれるたびに、世界はよりよいやり方で物事を行う機会与えられる」
細菌の世代交代は20分とか!
人は130年かけて、「いのち」をつないでいくようになるのか...。
残して喜ばれるものを生み出し、伝えていきたいと思った。
しかし、医学や技術の進歩は、最後に自然に息が引き取れるように、モラルを守ってくれるだろうか?
それとも、生かされていると感謝してよりよく生きた先は、大往生だと決めてきているだろうか?
 
投稿者 ZVL03103T 日時 
すみません、期限を過ぎてしまいましたが投稿します。

この本を読む前、私は「老いなき世界」という副題を見て、老いを止められる方法が知れる本なのかもしれないと期待した。それは女性雑誌の美容特集に対する期待とあまり変わりはないものだった。老いを止める、または若返り美しくなる方法が科学的に示されているのであれば、それを実践すれば今より美しくなれるかもしれない、そう思いながら読み始めた。
 しかし読み進めていくうちに、この著者の言いたいことはそんな見た目を美しくするとか、今より健康になると言った表面的なことではないことに気づいた。自分は人生をどう生きるのか、というもっと根源的な問いに直面させられるものだった。1部では老いとは何なのか、2部では今老化についてどのような研究がされ、どのようなことがわかっているのか述べられている。著者によると、老化は病である。寿命を延ばすことは可能で、100歳以上生きることももはや夢ではないと述べている。実際老化を治療するための方法やサプリについても紹介してある。今まで知らなかった情報に、夢中になって読んだが、最も考えさせられたのは3部以降を読んで、未来の世界について考えた時であった。人口増加による地球資源の枯渇の問題やその解決方法の考察、寿命が延びることで同じ政治家が政治を牛耳る問題、国家予算の配分や医療制度の問題など、どれもが自分に関係する問題で、長寿社会が到来すれば避けては通れない。そのような社会全体としての問題にも、一人一人が協力して向き合う必要がある。しかしその前に自分が幸せに生きるために真っ先に考えなければならないのは自分が人生をどう生きるのかを考え、何をすべきかを決定することだと感じた。
 私事だが、私は最近夫ときちんと向き合う決心をした。今まではもっと自分との時間を共有してほしいと感じていたし、私の気持ちを聞いて寄り添う努力をしてほしいと感じていた。しかし日々の忙しさもあり、不満を感じながらも向き合うことから逃げていた。その方が楽だし、傷つかずに済むからだ。けれども、このままでは心からの幸せは感じられないと思い、傷つくのを覚悟で自分の思いを全てさらけ出した。その結果、長い間自分が持っていたわだかまりが解消した。お互いを深く理解するきっかけになった。努力して話す時間を増やしたことで、自分と夫が昔とは考え方が変わってきていることにも気づいた。幸い夫は私との関係の更なる改善を望んでくれた。
健康に生きる時間が長くなるということは、幸せな人は幸せな時間が長く続くということで、不幸な人は不幸な時間が長く続くということだ。もし私が今回夫と向き合うことを決心しなければ、小さなトゲを抱えたままこの先の時間もずっと生きていくことになったと思う。改善や成長を望む人にとっては、人生の時間が増える世界はとても優しい世界だと思う。何度でもチャレンジが可能で、やり直しがきく。
同時に成長を望む人とそうでない人の格差がどんどん広がっていく世界だと思う。同じ時間を過ごしても、成長を求めて上昇する人と、人生をあきらめ下降する人では、感じる幸せや人生の豊かさの差がどんどん広がる。だから同じ上昇ベクトルを持つ人と過ごすことができれば、人生はさらに充実したものになると思う。
医者や科学者は健康で長生きできる方法を見つけてくれるかもしれない。しかし幸せになる方法を模索するのは自分しかいない。私も著者が述べているように、未来に明るい希望を抱き、愛する人たちと過ごしていきたい。そのために、私はどのような人生を望んでいるのかを常に自分に問い続けたい。
 
投稿者 2727 日時 
LIFE SPAN 老いなき世界を読んで

老化は病気で、治療できるようになること、老いない体を手に入れられる可能性があることを知り、率直に驚いた。老化の原因は、DNAの損傷によるもの、エピゲノム情報喪失であるという。損傷したものが修復できなくなる、情報を喪失することが老化で、それにより様々な疾患が発生する。これまで自分や家族の健康や病気に対して考える機会はあったが、それは、脳の疾患、心臓の疾患など個々の疾患で、老化を病気だという視点でとらえることはなかった。本書に出会い、老化を考えるはじめの1歩になった。それではどのように生きれば老化をできるだけ防ぐことができて、健康で幸せな老後を過ごせるのだろうか。

最も興味深い部分は、どうしたら老化を防ぐことができるのか、という点である。カロリーを制限する、適度に絶食する、アミノ酸を制限し、植物性たんぱく質を摂取する、適度な運動をする、寒さ(暑さ)に身をさらすなど、主に5つの方法を紹介しており、どれも不可能なことではなくできそうなことだし、たまたま実践していることも含まれていた。これらの方法は老化の予防に効果的な行動であるが、これからの時代、予防の知識や情報を取り入れて、病気にならない、できるだけ老化しない体を意識していく時代になるのだと本書を読んで感じた。なぜなら、すでに有名なIPS細胞なども含め、最先端の現場では様々な検証が続いており、近い将来、再生医療や、予防接種のような病気になる前に施される若返りの医療もあることが紹介されていたからだ。今後も検証が必要としているが、具体的な老化治療薬として、メトホルミンやNMNも紹介されており、予防と治療の両側面からの老化対策が現実となってきている。生きているうちに私が最先端老化医療を活用し、それによって寿命が120歳になるのかは不明確だが、少なくとも国の制度などで平等に受けることができる場合を除いては、ある程度お金のある人だけの特権になると考えている。

健康長寿時代が現実になると、人々は幸福になるのだろうか。本書では、長寿になることによって予想される変化についてもふれている。老化は病気なので、予防法を知って老化対策をし、それでも治療が必要になってしまった時に治療薬で治すことができたとして、それをしたいと思える社会の土台があってこそ。いくら元気に長生きしても、活躍する場がない、経済的に困窮している、必要とされていない、など、健康以外の問題も存在する。長生きがつらいという理由で自殺者が増え、メンタルケアが必要になることもあるだろう。著者は社会の在り方にもていねいにふれており、高齢者が活躍できる社会、医療費が減ることによって教育費に転用するなど、長寿によって社会の仕組みや、人生観を変えていくことも必要だとしている部分に共感した。

この本を読み終えて、たとえば自分の人生が120年あって、100歳を超えても健康に働ける日常をイメージしてみた。それはいくつかの条件を満たしていれば幸せかもしれないと思う反面、なんだかとても遠く長い道のりのようにも感じた。私が本書を読んでたどりついた結論は、大切な人と共に、健康長寿を育むこと、そして長寿であっても幸せに生きられる環境を創ることである。今はマインドが完全にリセットできていないので、120年必要か、と問われるとそんなに要らないと感じてしまう。そう感じるのは、今の日本の老人を見てあまり幸せそうに見えないという理由や、自分が今持っている長寿に対するネガティブな固定概念を払拭できていないせいもあると思う。また、本書ではふれていないのだが、120歳までの人生で、女性の出産年齢がそのまま変わらないのであれば、残念だとも思った。長い人生を与えてもらえたのなら、ゆっくり人生を味わってから50代、60代からでも子育てができる人生があってもいいと考えている。また、配偶者や家族、友人が皆先に亡くなって一人120歳まで生きるのが寂しくもあり不安である。老いなき世界は、あこがれだけでは語れないネガティブだった自分自身の老後の問題を見つめる材料になった。それと同時に、今までのマインドをリセットして、幸せな老後を自分自身で創っていくことが可能なのだという希望にもなった。
 
投稿者 msykmt 日時 

著書によると、これからはだれもが120歳まで生きるようになるという。しかし、これまでもたいていがそうであったように、80歳を過ぎてからの余生が、繰り返される手術やおむつの着用、大量の薬の服用、人工呼吸器の装着などといった老化による諸症状の苦痛にまみれているようであれば、長く生きていることに意味が見いだせない。そのようであっては、人生を謳歌しているという状態からはほど遠く、むしろ生きながらえているといった表現のほうがふさわしい。そこで、老化は病気である、よってこれからは治療可能になる、と著者は断言する。しかし、いずれ治療可能になるとはいえ、なるべくなら、若いうちに老化による諸症状につながる芽をつんでおきたい。では、そのために、そして、長い人生を謳歌できように、生活習慣をどのように改善していけばよいだろうか。

まずは食事について考える。著者は、食事においては、回数も量も減らしたほうがよいと説く。回数は一日一食、多くても二食、量は少なめに、と。さらに内容についていうと、卵、肉、乳製品、魚といった動物性タンパク質は、老化の治癒するためのサーチュインの働きを鈍らせるため避けたほうがよい。その代わりに、植物性タンパク質をとるとよい、という(ヨーグルトも乳製品であるため動物性タンパク質に位置づけられると思うものの、「私が実践していること」によると著者は毎朝食べているようなので例外か)。私自身は、三食とっているものの、パンや白米などの炭水化物の量はもともと減らしていた。なぜなら消化しにくいと感じるようになっていたから。また、朝食にいたっては、本書を読んでから、卵や肉といった動物性タンパク質をとらないようにした。

次に、運動について考える。著者は、壊れてしまわない程度の、適度なストレスをからだにかけるのは、長寿遺伝子を働かせるのに有効であると説く。当然ながら、運動もからだにストレスをかけるので、有効である。運動のなかでも、健康を増進する遺伝子を一番多く活性化するものとして「高強度インターバルトレーニング(HIIT)」を行うと、心拍数や呼吸数が著しく上昇するため、効果的だという。私自身、本書を読んでから、ジム通いをやめた上で、自宅にてHIITの一形態である「スプリントインターバルトレーニング (SIT)」というものを実施している。いまのところ隔日で三回実施した限りだと、ジムに通っていたときよりも筋肉への刺激が感じられている。

このように、長い人生を謳歌できように、生活習慣を手近な実現可能性の高いところからゆるやかに改善することが肝要であると考える。私自身、今後、食事については、徐々に量を減らしながら、一日三食から一日二食へ移行したいと考えている。