ページをめくりながら、写真を見て思った。
『この青はどこかで見たり感じた青だ』
空を見上げるのが小さい頃から好きだった。毎日、いろんな窓から地べたから目の前または頭上に広がる空と、風景を眺めてボーっとしていた。
浪人時代、毎日京都のオフィス街を歩いて、空を見上げた。
銀杏並木の街路樹越しにまぶしい日差しが、高いビルに挟まれてまっすぐ通う道にきらきら差し込むとき、暖かさとともに気持ちよかった。リクルートのガラス張りのビルに映るもくもく沸き立った雲の白さと青に行き場のない気持ちが晴れ晴れした。
就職して飛行機に乗って、雲を見下ろしたとき、何層もの三次元の広がりに心が躍った。
夜と朝の間の青とオレンジの境界線に息を呑んだ。
今、日本海側に暮らしている。長い鉛色の冬が去って、春、空に青が戻る。
光がまぶしくて、心も体の細胞も踊る。ばら色の夕焼け空に鉛色の飛行機の腹が銀光すると言葉を失う。
春の花の色。梅、雪柳、木蓮の白、桜のピンク、まんさく、菜の花、れんぎょうの黄色。
どれもどれも、心のシャッターを何度も切ってきた風景。
この写真集には自分でシャッターを切った絵よりももっと素敵に、ずっと叙情的に、読んでいて心がきゅっとつかまれる文章も付いが絵が広がっている。プロってそういうことなのだろうなぁと思った。
作者が40過ぎて再出発したときに開いた花の写真展。
病院にも飾りたいと言うオファー。
きっと、誰かが誰かのために見せたかったのじゃないかと思った。私と同じように、心で切ったシャッターの絵、いやそれ以上に心揺さぶられる写真を誰かに見せて、記憶を確認・共有したり、一緒に感動したり、元気になったりうれしくなったりしたかったのだろうと思った。
今月の課題図書のコメントに「人生をどう感じるか」とあって、人生と感想をどう結び付けようかとずっと考えていた。探していた。
dedicate, devote・・・献身、専心、身をささげること。。。そんな言葉が浮かんできた。
写真集の後半の、『少し長いプロフィール』を読みながら、自分の今も感じながら。
作者の年代を読みながら、どんなに底だと思っても諦めないで、可能性はあると思った。
没頭できる何かをみつけたら大丈夫。と。
作者も、任天堂の横井氏も、山口さんも、木村さんも、最近読んだ栗城君も。これ、と言うものに好みをささげて生きていると思った。本になる位の世界を動かすような大きな仕事はしなくても、献身してしまう何か。
梅干と日本人の日々の暮らしうるし職人やかご職人のように名が残らなくても自分の納得のいくものを作るためには専心してる。例えば子育てに没頭する母親だって献身ではある。。
自分のことを考えてみた。長い時間を費やしてきた仕事が幸いにも楽しい。
扱ってる製品や素材のすばらしさに魅せられている。それを材料として処方して使ってくれるお客さんにもよさを分かって、確信を持って私たちの製品をチョイスして欲しい。知って使う喜びを!
その原料となるものを研究している大学の恩師や学科。
この世の中でこんなに魅力を感じて特長を活かして選ばれている素材なのだと知って、自身を持って古臭いこの原料の研究をもっともっとして、まだまだ分からないこと、われわれ企業た知りたがっていることを気概を持って研究しあいたい。そのための橋渡しとしての研究も業務と同時にしていたい。
・・・と思いつつ、停滞しているのが現状だけれど。
「あなたは今、すきなことしてますか」に答えるとすればそんなことだ。
誰かをよろこばせるために。有難うと言ってもらえたら幸せ。
自分が何かをなしてえらいとか良くできる人だとか、そういうのものは結果として付いてくることもあるくらいのこと。
なんだかブルーノートなだけに青臭すぎた感想になってしまったかもしれない。
今回も本との出会いを楽しませ下さり有難うございました。
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