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第77回目(2017年9月)の課題本

9月課題図書

 

自分が信じていることを疑う勇気


この本、非常に分かりやすいです。

 

内容も私がセミナーで頻繁に解説している、「人間は自分が信じたいものしか見ようとし

ない」ということを軸に、それが実際の生活ではどういう場面に当てはまるのか、その隘

路にはまり込んでしまったらどうすればそこから抜け出せるのかを解説しています。

そして人間って口で言っていることと、こころの中で考えていることって実は違っていた

りするんだよという(私には身も蓋もない言ってはいけない真実)ことをサラッと書いて

います。この人、非常に正直でストレートなんですね。この本のように一般には常識、当

たり前と思われていることを完膚なきまでに叩きつぶすかのような言説を書くと、フツー

は嫌われるモノなんですが、この本は読後感が非常に良いんですね。だからか、これだけ

世の人を敵に回すようなことを書いても(世の言論人は常識を語ることでメシを食べている

人が多数なんですから)全然炎上していないんですよね。

 

こういう本は、アメリカ人が書きそうなんですが本書は日本人が書いているんですね。で

も奥付けに書かれた経歴を読むと、非常に尖った生き方をして来た人であることが分かり

ます。

Happy Reading

 【しょ~おんコメント】

9月優秀賞


今月の本は非常に分かりやすく、誤読の余地が少ない本だったので、感想文も安心し

て読 めました。いつものように一次審査を通過した人を発表すると、audreym0304さん、
sikakaka2005さん、wasyoiさん、sakurouさんの4名です。

今回は多くの方が、『過去は現在が作り、現在は未来が作る』というところに共感したよ
うなのですが、ここで非常に惜しかったのがwasyoiさんで、もうちょっと深掘りしていた
ら受賞だったんですけどね。

そして今月受賞されたのがsakurouさんで、この部分の理解が優れていると感じました。

 

【頂いたコメント】

投稿者 H.J 日時 2017年9月29日


自分が信じていることを疑う勇気

ページをめくる度に、視野が広がる様な不思議な本だ。
本書はこれからの人生を切り拓くための可能性を増やしてくれ続けるだろう。
20代後半で本書に出会えた事に感謝と共に私の幸運を再認識した。
同時に、なんだか童心に帰った様な新鮮な気分だ。
本を読んで、こんな気分になれたのは初めてだ。

本書を読んで学んだことは沢山あるが、その中でも大きな結論は次の2つだ。
1.思い込みという縛りを解いて、創造的になれば無限の可能性がある。
2.自分の信じていることを疑うためのヒントは他人からの反対意見に有り。

我々は学校教育の中で、たった1つの正解を求めるために学んできた。
正解をゴールとした場合、答えへの導き方は複数あったとしても、結果的に正解は1つであり、それ以外は不正解となる。
そして、その正解の数で優劣を付け、少しでも良い学校へ進学するためには正解を少しでも多く重ねる必要がある。
そういった経験を重ね、大人になるに連れ、いつの間にか「正解=1つである。」と信じてしまっていた。
「正解=正義」「不正解=悪」という思い込みに支配されていた。
そうなると、不正解にならないための防衛本能が働き、「○○してはいけない」「○○であるべき」そういった「経験」や「常識」から生まれた固定概念が自分自身を縛り付け始める。
思い込みにより、いつの間にか人生も窮屈になっていた。
可能性を自ら無意識に潰していたのだ。

この思い込みという縛りを解くには、まず本書のタイトル通り、自分が信じていることを疑う勇気から始まる。
ハッキリ言って、自分の信じていることを信じることは楽であるが、自分の信じていることを疑うことは、とても勇気が必要だ。
誰だって、自分の積み上げたものを否定したくはないからだ。
だからと言って、自分の積み上げていたものを肯定していたら、自分の信じている可能性の檻の中でしか生きられない。
檻の中から出るには、檻から出る勇気と行動が必要だ。
つまり、自分が信じていることを疑う勇気を持ち、行動することで道は開ける。

今までは、人生を豊かにするために幸せを求めていた。
幸せになるための方法を探していたが、それこそ思い込みだったのかもしれない。
幸せを探しても見つかるわけがない。
そもそも幸せって自分がそう思うかどうかだ。
そうして至った結論は幸せは創造するものなのだ。

創造することに正解も不正解もない。

「幸せ」も「人生」も自分が思うままに創造出来るのだ。
まさに『現実が心を映し出す鏡なのです。(p200)』である。
心は自分で自由に創造出来る。
内側から創造することで現実に無限の可能性が広がる。

そのためには楽しむことが創造の第一歩だ。
楽しくなくてはアイデアが出ない。
目に見えたものに対して「面白そう」とか「やってみたい」など、ポジティブな思考をクセ付けることで楽しくなる。

また、外からの反対意見も貴重なヒントをくれる。
ある日、本書で学んだことをどうやって現実に活かそうか考えていた時に、私は仕事上の師匠から有り難き反対意見を頂いた。
その日は、お互い譲れない信念のもとに、ほんの少し口論になってしまった。
その時は到底納得出来なかった。
本書を読んで学んでいなければ、今も納得できずに自分の意見を肯定し続けていたかもしれない。
しかし、後から考えると、私にとってその反対意見こそ宝だったし、気付けた事がある。

・負の感情の裏には、自分の思い込みが必ずある
・私の思い込んでる事は本当に正しかったのか?
という事だ。

自分の信じたものを否定したくないから、人から否定されるとムキになってしまう。
でも、冷静に後から考えると自分の思い込みに縛られてるだけだった。
師匠からの反対意見は、私の信じていることを疑い、思い込みを解いてくれ、私の知らなかった新しい選択肢を示してくれた。

もちろん、反対意見をそのまま全て受け入れてしまっては、本末転倒である。
飽くまでも疑うヒントでしかない。
ヒントをまず自分の価値観で受け取る。
そして、その価値観とヒントを自分の中で照らし合わせる。
その結果、自分の選択の幅が広がり、可能性が広がるのだ。

『私たちは「知っていることしか知らない」ということを再認識しないとなりません。(p21)』
この言葉通り、私たちは知っていることしか知らない。
しかし、逆に言えば、知らないことは知ればいい。
そして、自分の知らないことは外から情報を手に入れる事で知ることができる。
本を読むこと、人の意見を参考にすること。
一度、自分の中に取り込んで、不要なものは後からでも捨てられるのだ。

子供の頃の卒園アルバムなどを思い返せば、つい笑っちゃう様なアイデアや夢が出てた。
「バカだなぁ」とか思っていたが、今よりも断然可能性が広かった。
新しいことを覚え、経験していくうちに自分の枠組で狭くしていた。
その枠を外すために、自分の信じていることを疑う勇気。
その未来には、無垢だったあの頃の様に無限の可能性が待っている。

投稿者 akiko3 日時 2017年9月29日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで
    
脳みそが自分を騙すなんて考えてもなかった。本音に対し、世間体とか常識を考え、頭で判断して心から望んでいる方を選べないことはある。でも、それは心が未熟で成長段階である意味学びで仕方がないことのように自己弁護していた。“自分の行動に正当性を持たせるためだったら、嘘だろうと理由を作り出す“ショッキングな表現だが、目から鱗だった。本音が言えなくて病気という形をとって表現するとか、心が中心で行動や現象が現れるように私は捉えているのだが、間違った目標を目指させる脳というトラップがあるとは!

何かを選ぶとき、できるだけ自分の心に問うようにしているが、どうしても頭で考えてしまうところもあった。頭じゃない、心はどう反応するか?心の反応を動揺させる巧みな情報を脳が作り出していたってことか?『自分を信じる』だから、自分が出した答えも自分にとって○と思う前には、本当に?本当にいいの?心と右脳と左脳を総動員させて懸念点をつぶして、絞られていく中で“認識”された方法が大切なのだ。

著者の物事そのものでなく、その背景にある概念的なことを大切にする視点が勉強になった。“魚を与えるのでなく、釣り方を教える”まさにそういう考え方、捉え方をすると物事に執着せず『自由』になれる気がした。
今後、今までの物事で多くの人が動いていた部分がAIロボットなどで簡単に補える時代が来る中、この自由度を身に着けた人は、仕事も生活も豊かに楽しめるのでは?とスキルアップとして心の自由度を鍛える大切さも痛感した。

  今、読書会の無料音声を聞いているので(「やれよ、やれって!」とドスの聞いた声がリフレインしている)、著書にも2%の人しかやらないと書かれていた。
  “現実は自分の心が作り出している”ことを自分が講座を企画する時にあてはめた。“今はこじんまりとしかできないから”と思っていた。ちなみに、今年の目標は“制限を外す”なのだが、具体的にどんな制限をしてて、外す=今よりもっと活動的でもっと成果をだして…いや、それは無理かもっとも思っていた(今年もあと3か月でこの思考!)。そんな考えはやめて、確実によくしていく為に、企画が面白いと思ってもらうではなく、自分が面白いと思っていることを少しでも面白いと思ってもらうと同時に来る方の知りたいこともリサーチして盛り込んで、面白そうと確実に人が集う企画を出せるように、その為に行動(他の世界にも参加したり)も変えてみた。持っている時間で何ができるか。著書(と音声にも脅され)のおかげで、前向きな思考、行動力が引き出され、感謝しております。

  あと、携帯バッテリーが寿命になってスマホに…と思ったのですが、費用対効果(特に自己規制も甘いし)を考慮して、携帯継続にしました。“あると便利”が“皆スマホだよ”の前面にでてた。脳みそに騙されるところでした。積読本を隙間時間に少しでも読まないと!
  秋のごとく爽やかな読後感♪ドス声さえも秋風のささやきに…は聞こえないが、病みつきになってます。ありがとうございました。

投稿者 shinwa511 日時 2017年9月29日


『私たちは、自分が信じているようにしか物事を見ることができない。』(表紙見返し部分より)

では、自分が信じている視点を疑ったときに、どんな可能性を得ることができるのか。

今まで自身がしていた、行動の根底にある選択とは、無意識のうちに潜んでいる、“ただ一つ。この方法しかない”という、自分自身の思い込みです。自分で決めた解答以外に、最善の解答に至る選択肢はない、ということはありません。ゴールは同じでも、そこに至る結果と手段は、すべて異なっています。では無意識の判断基準は、いつから身に付くようになったのでしょうか。
幼少の頃には何に対しても疑う、疑問を持つということは誰にでもありました。本書の著者自身も、幼少の頃にはかなりのナンデマンであったと書いています。それ程、五感で感じる世界は新鮮で、触れるものにはたくさんの不思議と、疑問が満ちていました。しかし、成長し知識を多く得始めてから、触れるものにも慣れて、“それがあることは当たり前”という常識を持った大人になります。常識とは集団の人間社会で生きるための、今まで生きてきた経験から得た、知識の一つです。常識を得れば、集団の人間社会で生きることは出来ますが、同時に日常生活での疑問や、問い続ける純粋さを失ってしまいます。今までの知識や、経験で知ったものが当たり前に存在することに、慣れてしまうのです。
著者も幼稚園になぜ毎日行かなければ行けないのだろう?という疑問を大人に聞いていますが、明確な答えを持って説得できた人は一人もいなかったと書いています。その経験から得られたことが、

『人々には理由も分からずにやっていることがたくさんある、と理解したのです。』(80ページ)

此処から、すべてに対して疑うことが始まります。
本書で作者が以前働いていた、イスラエルのユダヤ人について、ユダヤ教という、なぜ従う必要があるのかなど、徹底的に議論を繰り返す教義と、イスラエルという砂漠の厳しい環境で、どうすれば生きることが可能かという、疑問を持ち続ける習慣が、物事の可能性を広げる第一歩であると書いています。
人は、様々な選択肢の中から選び取った結果、今現在の自分が存在します。「自分が信じていることを疑う」とは、今自身が持っている、今まで自分が持っていた、見方や考え方、行動の仕方に疑問を持ち、問い続けて新しいことに挑戦することに繋がることだと感じました。ひとりひとりが無限の思考の可能性を持っていて、限界は無い、出来ないことはない、何でも考えて、実行に移すことが出来るとこの本は書いています。
本書のタイトルにある「疑う」という言葉に一見ネガティブな思考だとも感じましたが、読み進めて行くうちに、「ネガティブな感情でさえも疑いなさい。」と書かれていました。ありとあらゆることを疑い、自分自身の思考の可能性を広げる、変化をポジティブに促してくれる本であると感じました。

投稿者 audreym0304 日時 2017年9月29日


感想―自分が信じていることを疑う勇気

 本書を読み終わってまず最初の感想は、しょーおん塾のエッセンスが凝縮されて詰まった本があるなんて、だった。
本書の著者の名前を見て驚いた。日本人だったからだ。本書を読んで、まさか日本人が書いたとは思わず、帯に書かれた名前は翻訳者だと思っていたのだ。
そして最後に本書との出会いで、自分と家族と周囲を見直すことができて、まだまだ無限の可能性が広がることにワクワクしている自分にきづいた。

 本書を読んで普段、特に学生時代や会社で仕事で、どれだけ「常識」や「あたりまえ」に縛られているのかと改めて思い返してみるとそのほとんどは学校内、会社内でのみ通じる「常識」や「あたりまえ」だと気づきは思わず笑ってしまった。
納得できないこと、気持ちのわるいことが多かったのも道理だと。

 私は、幸いにも「自分が信じていること」が簡単に通用しない世界が夫によって繰り広げられていて、日々、「この世界は有名な遊園地なんかよりもはるかに面白いワンダーランド」と思える環境に身を置いている。
もちろん、互いの「自分が信じていること」が火花を散らすことだってある。
 自分自身の経験を通じて感じるのは、「自分が信じていること」を疑うためには、自分がいる以外の世界が存在していること、「自分が信じていること」が通じないと言うことをほんの少しでもいいから感じなきゃいけないことだ。
 その感じる方法としてテクノロジーの発達は非常にありがたい。沢山の知識を得たり、今まで知らなかったことに触れることのできるチャンスが一部の特権層だけでなく、一般人が手にしている時代は過去にはないだろう。だけど、それも、本人が望めば、だ。

 面白い経験をした。
ガーナ人夫とその従妹があらゆる意味で「日本」を経験したときの違いだ。
夫は「自分が信じていること」が崩壊すると思うと即座に防御態勢に入る。ときには「変だ」「いくら日本だってそんなわけがない」「そんなのは通用しない」と言って、目の前で起こっていることすら拒絶する。
 一方、その従妹は同じものを見たり聞いたりしても「それって、なんで?」「面白い」「世界って広い」「もっと教えて」と「自分が信じていること」が崩壊したとしても、別の新しい「常識」や「あたりまえ」をとりこんで新しい「自分が信じていること」を鮮やかに構築していた。そして、夫を評して、ひとこと。

頭も心もいつもガーナ、ガーナ、日本にはただ住んでいるだけ、と。

 テクノロジーの発達で、夫は「自分が信じていること」が崩壊しない世界にアクセスし、日々、「自分が信じていること」を強固なものにしている。私がそんな夫を面白がって見ていることも夫の「自分が信じていること」がなかな崩壊しない一因だろう。
 従妹はテクノロジーを使って「自分が信じていること」が通じない世界があることを既に感じていて、日本に来て、望んで新しい「自分が信じていること」を楽しみながら再構築していた。中にはガーナにいる家族や友人に深い不快感を示されてしまった経験もあって、受け入れてもらえず落ち込んでしまったこともあるけれど。
 
 人には無限の可能性があることは今の時代、たぶん、誰でも知っている。
でも、無限の可能性を開ける扉に手が届かない人は、「自分が信じていること」を壊さないし、壊れる前に完璧な防御壁を作ってしまい、自分を檻の中に閉じ込めてしまうのだろう。

 無限の可能性を広げるには「自分が信じていること」が崩壊しても恐れない心、もしくは立ち向かう心、それは勇気と言えるのかもしれない、が必要だろう。そして、崩壊した後、楽しみながら新しい「自分が信じていること」を再構築し、それを受け入れる勇気も必要だろう。一度スクラップ・アンド・リビルドができたら、何度でも繰り返すことで、かつて望んでいた可能性を手にすることができるはずだ。一度目は不安に押しつぶされそうだし、恐怖に負けるかもしれないけど、二度目以降はきっとワクワクドキドキしながら次の新しい可能性を手にできるんじゃないかと思う。

 夫は、従妹のおかげか、環境に慣れたせいか、最近は「自分が信じていること」が崩壊しそうになると一旦は強い抵抗を示すが、しばらく時間をおいて

へぇ、そうなんだ~

と本来のエポケーにはほど遠いかもしれないが、言うようになった。
夫は一度目の「自分の信じていること」をスクラップ・アンド・リビルドをしている最中なのだろう。
 いまや私たちには無限の可能性があるが、「自分が信じていること」を疑うことができない人が多いのもほかの価値観を受け入れない人が多いのも事実だろう。
 だからこそ、多種多様な価値観を多種多様な人々と共有できることは生活面でもビジネス面でも非常に有益になるし、なにをするべきかもわからず日々不満とともに生きるよりも可能性が無限に広がりどんどん新しい世界を知っていくほうが生きることが楽しいはずだ。

投稿者 diego 日時 2017年9月29日


今回は、とても読みやすく、すらすらとラストまで行った。
驚きつつも、「そうだよな~」なんて納得しながら本を閉じる。
いちばんヒットしたのは『「時間」を疑う』で、「ここがすごい!」と彼に見せる。
「うーん。確かにわかるけどな。それはそうなんだろうけどな。」との応答。
「えー、すごいよ。なんとなく感じていても、こんなにしっかりと書くことは私にはできない。」
「そっか…」反応がイマイチ。

確かに本書、驚きつつも、「何となくわかる」と、スルーしてしまっているのかもしれない。
なぜなら、私自身、読みながら「うんうん、私もそう感じるし、そう思ってやってきているよ」と思っているだけで、
感想を書く段階で、ぴたっと止まってしまったからだ。

ここで内省。この本から得たことは何?
確かに、大きな文字のところや、線をひっぱってある文章は、他の本でも読んだことがあったりする。
具体例も、最近本で読んで感動したことだったりする。
だが私は、本当に、本書ぐらいのレベルで文章に落とし込めるのだろうか?
誰かに納得してもらえるほど、実体験を持っているのだろうか?具体例を示せるのだろうか?

「考え方」を理解し、同じようにも考えられるようになればよい。
そのことが、本書ではすすめられている。
では、実際にやってみよう。
まず、章立てを理解し、大きな文字で書かれていることを読んでみる。
内容、説明、具体例を読んでみる。

ここで気づいた。抽象的にはわかっているけど、案外やっていない。
人に対してはいくらでもこんなに意見をするのにも関わらず、自分であまり実行していない。それどころか、うまくできなかったことに対しての言い訳に使っているところもある。

例えば、「クリエイティブを疑う」ところ。
未分化、未発達になった状態では、様々なものをつなげることができる。
言い訳にしているのは、「未分化のほうが、突飛で楽しいから、成長しなくていい。」
思考が飛ぶと、楽しいかもしれないが、
ある意味、ただ無秩序に出しているだけだ。

だがそれは、経験の少ない自己中心的な子供が見る夢のようなものだから、我欲も、恐れも入っていて、そこに巻き込まれてしまう。
言ってみれば、憑き物、イタコ状態。
熱狂はあるかもしれないけど、コントロールを逸して溺れてしまうこともある。

幻想を追う一方で、でも子供っぽいので、生理的欲求が満たされたら、つい現状に満足してしまう。大きな夢を見られないまま、なんとなく生きている。
そんなことを考えていたら、数か月ぶりに夢を見た。
いろいろなしがらみの中、「朝イチからカレーうどん…」と思いながら、どうしても食べたいからと言って、すべてを差し置いて、カレーうどん優先で食べている夢だ。
不思議だ。ちなみに、カレーうどんを食べたのは、この10年で4回ぐらい。
これは、朝イチのカレーうどんを実行してみるしかない。
もしかしたら、それだけで、しがらみから解放され、大きな夢を見るようになるかもしれない。

こんな感じで、現段階では、うまく説明できない経験まで出てきて、
本書のこのくだりだけでも、まだまだ、自分には気がついていないことが、いっぱいありそうだ。

そんなこんなで、再読の後、更に一週間の拾い読み期間が過ぎた。
彼が、よかれと思って、例えば自動の掃除機の購入をすすめてくれた時、
あまり物を持ちたくない私は、買わなくてもいい理由を出していった。
「時間の余裕が出るだろうと思って言ってみた。
今、せっかく『自分の信じていることを疑う勇気』という本を読んでいるのなら、
もっと考えてみたらいいのに」と言われて、はっとした。
反論したい気持ちをぐっと戻し、掃除機がある生活について調べて、メリットとデメリットを考えてみた。可能性について、心を開いてみた。
もちろん、自分の中でずっと、言いたいことがいっぱいあって、胸にわだかまっていたのだが、調べて考えているうちに少しずつ消えていった。

先日の仕事の締切では、時間ぎりぎりになってから、
営業さんたちから、いくつかの仕事が持ち込まれてきた。
今までなら、イラッとしながら
「何でもっと早くできないんだ、そのためには何をしたらいいんだろう、
この人たちと私との間の溝を埋めるには、
同じ目標を共有してすすんでいくためにはどうしたらいいんだろう」と考えながらやるところだが、
本書の「人のすべてを理解することはできない」という言葉を思い出し、
気持ちにしろ立場にしろ、共有できないところもあるから、イライラにエネルギーを向けること自体が無駄かもしれないと感じた。
「完全に互いに理解できないということは、今までもわかっていたし、目的を共有することは意義深いけど、イライラにエネルギーを向けること自体には
もう意味は見出せないから、自分のすべきことを果たして、したいことに向かおう」
と感じて、イライラしてしんどくなることはなかった。

今まで自分がこだわっていろいろ考えていた時間やエネルギーは、
自分を高めるための時間やエネルギーにすべて使えばいいんだな、と気付いた。
こだわって衝突していた時は、その解決にばかり気を取られて、それが目標になってしまっていたが
今は、仕事でもプライベートでも、ずっと穏やかで楽しい時間になり、
自分のやりたいこと、例えば精読など、短くても集中していられるようになった。

すごい勢いで、自分の神経系統が書き換えられている感じがする。
これまでは、自分の思いにこだわっていて、目標を持っていて、
それを主張するのは、とても楽しかったのだが、それで終わってしまっていたところがあった。
今はその時期を終えて、目標があってもプロセスにいてもっとリラックスしながらも
こだわりが減って、新しい可能性にもっと自分を開いていっている感じがする。

今月もありがとうございました。

投稿者 sikakaka2005 日時 2017年9月30日


著者が言いたかったこと。これはまえがきにある通り、

「現状を疑うことで新たな選択肢がいくらでも見つかる!
 だから人生でつまづくことなんてない!」

ってことなんだろうと想像する。

そして、日本人に問いたいのだろう。
日本人が「いま」に拘りすぎていることによって多くのチャンスを失っている。
「いま」はそんなに大切なのか?
「いま」よりももっと大切なものがあるのではないか?と。

自分が信じていることを疑うというのは
「いま」握っているものを捨てろと言っているわけではない。
疑うことで得た新たに見えてきた選択肢や可能性を選ぶ勇気を持つべきだと言いたいのだろう。
ここに筆者のやさしさというか嫌わて恐れない思いがあるのだと感じた。

途中で「ハッ!」と気づいたのが、
「日本人なのにこんなに職業をもっていいの?」

ということであった。
そんな思いをいただく時点私は
「サラリーマンで一生終わることで十分なんじゃなん!?」
という思いを浮き彫りになってきてしまって、自分の信念に対してへこんだ。。

筆者の多彩な活動には脱帽するばかりで
「格闘技」「カリグラフィー」「スペイン語」「執筆」など
各分野で人が一生をかけてやるようなレベルのことをどんどん実現している。

「人の何倍もの人生を歩んでいる人」
というのはこういう人のことを指すのだろう。

そんな著者が伝えたいことこそ、
「自らの人生をより濃くするための方法」が「いま」を疑うことなんだろう。

この著者は厳しいことをたくさん言っているけれどもやさしさがにじみ出ている気がする。
もし壁にぶつかっている人が読めば
「壁なんて存在しないよ。すぐそばに脇道がそこにあるじゃん!」
というやさしいエールを送っていうようにも感じた。

著者の生き様こそが
「ほらほらみてよ~、こんなにも人って多彩に活動できるでしょう!
 だからひとつダメになったからって諦めず別の道を探したらいいんだよ!」
と背中を押してくれているようにも感じた。

「いま」を疑うことは恐いことにように感じるけれども、
疑ってみて始めてみえる世界にこそあなたが本当に求めていることややりたいことが
待っているのだよと応援しているように感じた。

じゃあどうやって今の生活に疑うことを取り込むのか?
人は本能的に安心安全を求めてしまう生き物であるから、
ある程度うまく行ってしまうとそこに留まろうとしてしまうことは体験からもよく分かる。

コンフォートゾーンを脱すために何をしたらいいのか?
まさにこだわっていることこそ手放してみるということなのだろう!

今月の人生にプラスになる本を
ご紹介いただきありがとうございます!

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2017年9月30日


 自分の身の回りの人々を観察すると、

① 固定している人
② 固定していない人

に二分される。

 ごく最近、前者の人を観察したのは、町の自治会であった。お年寄りの方達が、良く言えば安定思考で保守的。悪く言えば固定観念に縛られ頑固で、新しい物事を受け入れられないのである。
 何も退職したお年寄りだけの話ではない。20~30代でも「固定している人」を多く見かける。彼らは
「私はそれが嫌い/苦手/できない。だから私には関係ないです。」
と言い放ち、はなから新しい知識を吸収しようとしない。
こういった姿勢の人は、自分の世界を自分で狭めていて残念であり、危険とも思う。

 一方、後者は、エポケーとクリティカル・シンキングのできる人達である。
彼らは新しい物事に出会った時、頭ごなしに否定するわけでもないが、
かといって盲信し全肯定するわけでもない。
感情的に判断せず、事実をそのまま捉える。
かのスティーブ・ジョブズも、スピーチの中で”Don’t settle.”(固定するな)と述べていた。
 人は一度固定すると、自分を作り変えることが難しくなるのではないか。
The rolling stone gathers no moss.の諺が示すとおり、転がる石のように固定せず、苔を生やすことなく動く人は、人生のどの段階においても自分をフレキシブルに作り変え、より良い方へと成長することができる。
そして、筆者・長谷川雅彬氏が本書全体を通じて私達に伝えようとしているのは、この生き方であるように思う。

 著者は、読者の私達の価値観を固定させないため、「常識や価値観など、身の回りのあらゆるものに疑問を持ちなさい」と私達に警告する。
 書物を読み、新しい人に出会い、新しい体験をし、多様な価値観に触れるといった具体的スキルを提示されおり、本書には大いに励まされた。中でも私は「オリジナリティのある生き方を」というメッセージが最も印象に残った。

 実を言うと私自身は、著者が言うような「極端なまでに誰かに嫌われることを恐れる(P.74)」典型的な日本人像と、やや違う生き方をしてきた。(単に天邪鬼な性格で、「他の大多数と同じは、嫌!」と、我がままに生きてきただけとも言えるが・・・。)
例えば自分の読書のポリシーとして「ベストセラーは読まない」というのがある。「ベストセラーを読むと、他の大多数と同じ価値観しか持てず、個性がないから」という理由による。(と言いつつ、ベストセラーの本もこっそり読み、どっぷりハマっているが。)

 だが、そんな表面的なスキルから先へつっこんで、「生涯、自分のオリジナリティを磨くため、何ができるか?」を本書で熟考させられた。オリジナリティを磨くため、今から自分が決意したことを、3点述べたいと思う。

1.真似をするなら完コピを目指す

 ピカソの言葉「普通のアーティストは真似をする。一流は盗む」-が、初めて腑に落ちた出来事があった。
 今月、舞台上である演技をするため、毎日セリフを読み込み、鏡を見たり自分をビデオに撮ったりして、体の動かし方・立ち振る舞いを計算し、役作りに励んだ。
 歌舞伎役者の市川猿之助さんは「呼吸をするように、自然に芝居をする」と周囲に言われているそうである。この言葉に象徴されているように、自分ではない全く別の役柄の演技をする場合、単なる「物まね」に終わらせず、自分が演じていて「これが本当の自分ではないか?」と感じるほど、相手の魂を自分に乗り移らせる。オリジナルを凌駕する意気込みで演じる。そこまでやって初めて、自分の個性が引き出される、というパラドックスを学んだ。
 始めから強烈な個性を持つ人などいない。個性とは、尊敬する人を完コピし、そこから一歩先へ進むことなのだ。
 今後、仕事にしろ趣味にしろ、尊敬する人を見つけたら、その人の魂を自分に乗り移らせ、全霊で盗むことを、心に誓った。

2.月1古典:先人の知恵をインストール

 オリジナリティは「守・破・離」から生じる。従って、数百年に渡って読み継がれてきた古典を読み、それを自分の価値観の基礎としたい。古典文学はこの結論を出しているが、では自分はどうか?・・・と思考のトレーニングをする。

3.何にでも疑問を持ち、発信する

 最近の自分の疑問は、返信用葉書の「行」の字を、なぜ手書きで「御中」や「様」に訂正するという作業が存在するのか?というものだ。コスト削減のため、始めから「御中/様」と葉書に印刷すればいいのに、と思ってしまう。多分ここには、「相手の立場を立てる」という奥ゆかしい日本文化が流れているので、面倒であっても、この作業は日本から消えないのだろう。

 こういった素朴な疑問を「言ったら馬鹿にされるかも」と隠さずに、意味を調べ、発信していこうと思う。

 どんなに科学や文明が発展しようとも、世界と人生は不思議で満ち溢れている。
 それを忘れずに、自由に疑問を抱き、広い世界を見、自らを磨き、進化し続けようと決意を新たにした。
 今回も良書をありがとうございました。

投稿者 J.Sokudoku 日時 2017年9月30日


本書の内容からして
“自分が信じていることを疑う勇気 佐藤正遠”
と、背表紙に書いてあったとしても大して違和感が無いと思ったのは私だけだろうか...。
まず、著者の長谷川さんのプロフィールを見る。「格闘技」、「金融投資」、「芸術」など、自身が夢中になれる複数の領域で自身を磨き上げ、それらを組み合わせることで自身の希少価値を上げている。これこそ、しょ~おん先生の
“自分の池を複数作って、それらを組み合わせよう”
という教えのロールモデルではないか。
また、長谷川さんは、一般常識から乖離した話や信じ難い(怪しい)話をその背後の論理を丁寧に説明しながら積み上げることでそれらの概念を読者に理解させてくれる。この説明方法、そして話の内容の要点・要素はS塾のそれらと重なる部分が多いと感じた。
ただ、長谷川さんの本質的な「役割」である
「人々の潜在能力を引き出し、可能性を広げる」(P.119)
という点を考えると、その重なりも左程不思議では無いとも思えてくる。何故ならば、しょ~おん先生の本質的な「役割」も長谷川さんのそれと同じだと私には映るからである。

今月は、S塾セミナーやメルマガで教えてもっている要点・要素の幾つかに対して長谷川さんが違った角度で例示や説明をしてくれることで理解が格段に深まった。その中で最も深まりを感じたのが、
 「自分が心から望んでいないことに対して創造的になることはできない」(P.9)

 「自分が果たしたい役割を考える」(P.124)
である。

1.本からは知識やテクニックではなく、モノの捉え方や考え方を学ぶ
 “目的、目標を設定する”
という類のフレーズは、自己啓発、スピリチュアル、ビジネスと本の系統を問わず、願望実現の“武器”の一つとして巷で幅広く紹介されているように思う。ただ、この“武器”の切れ味に対して私は少し疑問を持っていた。何故なら私の作る目的や目標は達成できない場合が多いからだ...。そんな私に、本書はこの“武器”について最も大切な捉え方や考え方を一から教えてくれた。

2.未来が現在を形づくる
 願望実現に、目的や目標の設定が重要視される理由は、本書で長谷川さんが述べるように
 「現在は未来が作る。ゴールを変えれば見えるものが変わる」(P.106)
からなのであろう。未来においてなりたい自分の状態や得たい結果を設定して、そこから帰納的に現在の自分と対比することでその差を埋めるべく”必要な行動”が見えてくる、そしてその“必要な行動”を実行に移して行く。
 この未来から現在を形づくり、行動を積み上げる過程を何度も繰返すことで願望が実現する確率が高まるはずなのである。が、私の場合は、そもそも目的や目標をつくる段階で一番大切な要素が抜けていたため願望が実現して来なかったようだ。その一番大切な要素とは、
 “こころから○○○たい!”
という思いから目的や目標をつくり出すことである。

3.こころの曇りを取る
 “ノーベル賞、日本から出なくなる。基礎科学細れば産業も育たない”(日経新聞朝刊 P.4 2017/9/30)
これは、2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典氏のインタビュー記事の見出しである。その記事内容を要約すると、
 “日本は精神的にゆとりがない社会になっている。大学の研究者達も研究費を確保するために、研究の効率を上げることや周囲の注目を集めやすい研究に取り組む傾向になってきている。かつての日本の大学にあった自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られてきている”
となる。大隅さんは、上記現状がノーベル賞の出なくなる原因であり、延いては日本産業の衰退を招くと述べている。この記事を読むと、著者が本書で訴えていることは現時点でこうして大きな現実問題として日本社会に滲み出てきていることが分かる。

 では、私自身はどうなのか...御多分に漏れず、将来のコトを考える時は経済合理性や世間からどう見えるか等をかなり優先してしまっているのが現状だ…。そして私自身の人生を振返ると、中学生の時点で既に“将来の夢”も“なりたい職業”さえ持っていなかったことを思い出した。恐らく、この頃が常識や思い込みに囚われ始めた時期だったのではないだろうか。更には年を重ねる毎に積み重なる自身の経験や知識で自らの可能性を狭め袋小路にはまり込み、いつしか私のこころは様々な常識や思い込みにより曇った状態になってしまっていたようだ。
 この曇ったこころの状態が生み出す「社会の価値観」を基に目標や目的を考え出しても、実現のために必要な創造力を沸かせることは難しい。願望を実現するにあたって、私の場合は、目標や目的を考える前に、まず“こころの曇り”をキレイに取ることから始める必要があったのだ。

4.自分の感性に素直に耳を傾ける
 私は、今回本書と出会い、本書の一節、一節を丹念に自身のケースに当てはめ、問い立てをしながら、その常識や思い込みという“こころの曇り”を取ることに努めた。これからは、その曇りの無いこころが生み出す「自分の価値観」を基に、好奇心、思いつき、気になったコトなど感性に素直に耳を傾けようと思う。そして、こころから本当に好きになれる事について学びを深めて行き、更に自分の中でそれらを自由に結び続けながら新たな目的や目標をつくり、行動に移していく。そうすることで、
 “自分のこころから望む私自身の「役割」”
が見えてくるのだと思う。

~終わり~

投稿者 m.matsu 日時 2017年9月30日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで

「お金が欲しい」「病気を治したい」「上司との関係を良くしたい」など
誰しもが「お金・健康・人間関係」というカテゴリーに分類される願望を持っている。

この本は、それらの願望実現の「確率」を上げるために非常に有用であり、
かつ「思考は現実化する」などのような古典的な願望実現本よりも簡潔に書かれているため、家族や友人にぜひおすすめしたい一冊である。

筆者は、下記の順番で変化が進み、願望実現の確率が上がると解説をしている。

<変化の順番>
①自分の可能性を信じる
→ ②自分の心が変わる → ③自分の中での現実が変わる
→ ④行動が変わる → ⑤結果が変わる→ ⑥結果への意味付けが変わる
→ ⑦「現実」として捉えられるものが変わる → ⑧ポジションが変わる
→ ⑨自分の役割が変わる→ ⑩アイデアや願望を実現する確率が上がる

すべてのスタートは
【自分の可能性を信じる】ことから始まる。
どうすれば「自分の可能性」を「信じる」ことが出来るのか?

そもそも「自分の可能性」と「信じる(信じる力)」とは何か?
筆者の考えは?願望実現の可能性を上げる対策は何なのか?
これらの疑問についてについて述べていきたい。

まず1つ目の「自分の可能性」について。
この本における概念としては、自分の可能性とは、「自分が持つ選択肢の自由度」として捉えることができる。筆者は、「自分の可能性(選択肢の自由度)」を広げるために本文中の『「価値観」を疑う』『「恐怖」を疑う』『「できない」を疑う』『「悩み」を疑う』において、「常識から自由になる」ということや「常識を外れる恐怖」を取り除くには「好かれる」「嫌われる」という価値観から抜け出す必要があることを述べている。

それでは「常識」の枠を飛び出し、可能性を広げるにはどうすれば良いのか?
それこそが本書が最も伝えたい内容の一つである「常識を疑う」という視点ではないか。ただし、あくまで「疑う」ことは、「常識の枠」を認識しただけであり、その枠から抜け出すには、「知識」が必要である。また、本文中で筆者は『「知識」を疑う』において知識の蓄積だけではなく「モノの捉え方や考え方」を学ぶ重要性を説いている。

つまり、自分の可能性とは、自分が持つ選択肢の自由度のことであり、その選択肢を増やすためには知識(考え方)をたくさん得ることが重要である。

その知識を得るためには「読書」が最も効果的だと私は考える。「知識」が広がることで「選択肢」つまり「可能性」が広がる。この本を読み「常識を疑う」という「知識(考え方)」を学ぶことで「自分の可能性(選択肢の自由度)」を獲得することが出来たように、読書は非常に効率の良い方法である。

そして、【自分の可能性を信じる】の2つ目の要素である「信じる力」を高めるために筆者は本文中において『「経験」を疑う』『「できない」を疑う』『「評価」を疑う』などいくつかのヒントを提供している。それは、自分のマインドをコントロールすることの重要性や自分のアイデアなどの価値を、自分で認めることが重要だということである。

それでは、「信じる力」を高めるにはどうすればよいのか?
中には、無条件に自分を信じることができる一部の天才?がいるが、凡人である私たちは、「成功体験」が必要だと私は考える。

自分の事が信じられないのは、過去に自分を裏切ってきたことが大きな原因である(嘘をついてきた自分、怠惰な自分など)。そのため、有言実行し、何かの成功体験があればそれを根拠に自信を持つことが出来る。

一般的に、自身の源となる成功体験としては、「短期的(突発的)な成功」と「長期間の努力(継続)を伴う成功」に分けられるが、今回のような【自分の可能性を信じる】においては、短期的では意味が無いため、長期間の継続が必要な成功が必要だと思われる。


そのため自信をつけるために「何かを継続すること」が最も良いと考えている。
また、既に継続していることがあればその価値を再認識することでより自信につなげることが出来るだろう。

願望実現本とこの本を位置づけ、私が考える結論としては、
願望実現するためのファーストステップとなる【自分の可能性を信じる】ために
「1日必ず30分は本を読む」など読書を継続することが一石二鳥でベストなのではと考える。

これまで説明してきたように「読書」を通して知識(考え方)が身につくことで思考・行動・感情すべてのカテゴリーにおける「可能性(選択肢)」が広がり、自分にコミットしたことを継続するで自信がつき、 【自分の可能性を信じる】という願望実現のスタートラインに立つ事ができる。

ここまで書いてきたが、まさにしょ~おん先生がメルマガやセミナーで伝えてきたこと重複することが多いことに驚く。また願望実現における多岐にわたる要素を「〇〇を疑う」というシンプルな形式でまとめた筆者の頭の良さに感嘆。

自分の願望実現を加速するツールとして、久しぶりに定期的に読みたいと思った本である。素敵な本を紹介していただきありがとうございました。

投稿者 mmnn 日時 2017年9月30日


人は見たいものしか、見えていない。

しょ~おんさんのセミナーで教わった、般若心経の世界に
通じるところが大きいと思った。

著者の言う、「現在が過去を作る」とは、人は自分勝手な解釈で
意味付けをするから、プラスもマイナスも何の意味も持たない
単なる出来事(イベント)を、プラスのものにも、マイナスのものに
勝手に意味付けをして過去を作り上げてしまう、
だから、現在こそが過去を作っている、ようである。

この時間軸を未来にずらすと、まず未来の確率があり、
そこにつながる現在が起こっていることになる。

現在起こっている、いや、自らが起こしている出来事には何の意味もなく
現在の出来事をプラスにも、マイナスにも自分勝手に解釈していることになる。

未来を支配しているのは、不確定性、確率だから、
自分の希望する未来に向けて、現在、人は行動してしまっているのかもしれない。


般若心経での世界観は、「全ては無」である。


この世で起こる出来事にはプラスもマイナスもなく、
物質とエネルギーが変換し合っているだけである。


出来事(物質)をプラスにも、マイナスにもできるのは
目に見えないエネルギー、つまり言葉や考えが大きく作用しているのでは
ないだろうか。

だからこそ、自分の思い描く未来を言葉や考えにすると
その通りの現実、つまり現在になるのでないかと思う。


ここで言うマイナスやプラスというのも、自分の主観的な判断に過ぎないので、
未来をプラスにしたいなら、結局、自分考えを変えなければいけない。

したがって、願望実現、未来をよくしたいなら

・言葉や考えでプラスエネルギーを与えないといけない。
・「プラス」の判断の考え方も変えないといけない。

というようなことになるのではないだろうか。

般若心経の極意は、「現実世界は自らを映し出す鏡」とのことだから、
自分の望む未来にしたいなら、その「望む自分」を映し出さないと
現実は変わらない。


そのためにはどうすればいいのであろうか。

正直、いくら考えて今まで分からなかったし、今も分からない。

しかし、数日前のしょ~おんさんのメルマガでヒントのひとつを得ることができた。

ネガティブな思考や感情をストップさせる、そのために妄想を
利用するというのがひとつのヒントになった。

これこそ、自分の考え方や心を変えることにつながる。


また、ファスト&スロー あなたの思考はどのように決まるか?を読んで
気が付いたことがあった。


私達の判断は、間違えやすい(錯覚しやすい)のである。


ファスト~の著者の言葉でいうシステム1(直感、感情)とシステム2(熟慮)によって
私達は意思決定を行っている。

自分の知っていることを頼りにつじつま合わせに走るシステム1と
時に知識や脳力不足で誤りを犯すシステム2が合わさると、
私達はついつい認知的バイアスに陥って、つまり、錯覚(勘違い)で
意思決定をしてしまう。

これを100%完全に防ぐのは困難であろう。


  
   \____________/
   /            \

 


  
    _______________
    \          /

 

(不完全ですみません・・・)


上の2本の線はどちらが長いのか?


もちろん、私達はどちらも同じ長さだと知っているが
私達の目には上の方が長く映っているはずである。

目に見えるものが間違いで、真実を知るというのは
非常に難しいということを示している一例である。

ファスト~を読んで気付いたのは、見た目に惑わされずに
正しい判断をするには、判断を誤りやすい事例等には
正しい知識を事前に身に着けておくことがひとつ有効な
手段であるということだ。

上記の2本の線の長さが同じにも関わらず、同じように
見えてしまうのは錯視だと知っていれば判断を誤ることはない。


見えているものしか理解できない、知っているものしか知らない
このような私達が判断を誤らないようにするためには
自分が考えるだけでは限界があり、外部から正しい知識を得ておく
必要がある。


その手段のひとつが読書ではないか、と気が付いたのである。


話を戻すと、現実世界という鏡に自分の理想を映し出す方法も、
一人でうんうん唸って考えても閃かないのであろう。
人の話を聞いたり、読書をしたりして、新しい知識を増やすことによって
少しづつ知識を増やすことが理想像を映し出す方法を見つける
ひとつの方法になるのではないかと思った次第です。

新たな気付きをありがとうございました。

投稿者 wasyoi 日時 2017年9月30日


意識的か無意識的かにも信じていることは絶対に正しい思っているから、信じているからこそ今更あまり考えない。あえてその思い込みを疑うことで、新しい視点が得られるというコンセプトの本。それなのにとても読みやすいです。
『自分が信じているようにしか物事を見ることができない』と帯にもあるように、信じていることを疑うということは普通抵抗があることですが、この本はいとも鮮やかに、実はこうだ、とポーンとひっくり返してくれ、逆に心地よいほどです。

その中でも、印象に残っている言葉を三つ選んでみると、
1.『量子力学によって、未来を正確に予測することは、どんな人間でも不可能だと示された。p95』
量子力学についてはこのメルマガでよく出てきているので、岸根さんの本なども読みましたが、この本はとても簡潔に書かれておりすんなりと理解できました。
2.『何をするにも確率に左右されるけど、その確率は私たちの考え方や行動で変化する。つまり、私たちは自分次第で未来を変える可能性を追求できる。p96』
運命は変えられない、とするのではなく、未来は決まったものではないので、自分次第で未来の確率を変えられるというのはとても前向きになれると感じています。
3.『現在の観測が原因となり、過去という結果を決めます。つまり、過去が現在を作っているのではなく、現在が過去を作っています。p102』
この内容がこの本で一番衝撃を受けました。そして何度も何度も読み返しました。過去が現在を決めているとばかり思い込んでいましたが、勇気を持って視点を変えると未来が現在を作っている、という。
さらには、未来とは可能性である、という事でした。
ということは未来、つまり可能性は自分次第で変えられるはずなので、成し遂げたい事へ向けて未来を変える考えや行動をこれからも積み続けようと思いました。
上の三つの言葉のおかげでとても前向きになれました。この本をまだ読んでいない人にもぜひお勧めしたいポイントです。
さまざまなテーマについて真っ向から疑う著者の広範な知識に驚きつつ、学びになった本でした。ご紹介ありがとうございます。

投稿者 satoyuji 日時 2017年9月30日


『自分が信じていることを疑う勇気』 感想

戦略の間違いは戦術では補えない。
本書の感想を考えている時にパッとそんな言葉出て来た。
間違った努力を重ねても間違いの両方が増えるだけである。
頑張りの量と欲しい成果が一致するとは限らない。
間違った道を走っている限り、どんなにスピードを上げても間違った場所に早くたどり着くだけである。
もし欲しいものがあるのなら、それがどうやったら得られるのかよく考えることである。
そして手に入れるための行動を繰り返しながらその道筋があっているのかを考え続けることである。
疑い続けることである。実際には自分が何が欲しいのかすらもはっきりしないことの方が多いのかもしれない。
そして欲しいものが変わることにすら気づかないことも多いかもしれない。
なぜそういうことが起こるかといえば、自らを疑う習慣がないからである。
考え続けることができていないからである。
しかしそうして疑うことなしに行動し続けると自分の得たい結果とは違うところにたどり着いてしまうことが多い。
視野が狭く、目の前のことだけしか考えられなくなってしまうと考えることすらも放棄してしまうことになる。
そして不満を抱えながら自らの定義に縛られて日々を生きることになる。
よしんば考えて行動しようとしても視野が狭くなっている状態での思考では現状を打破することは困難である。
ではどうすればいいのか言えば、著者が書いているように「自分が信じていることを疑う」ことである。
書名にあるようにそれは勇気がいることであるが、それをしなければ思考が狭くなり、思考を放棄するという負のスパイラルを抜け出せなくなる。自分の今を作っているのが自分の価値観であるのなら、今の自分とは違う自分になるには今持っていない新しい価値観が必要である。その新しい価値観を知るためには、すでに当たり前になっている自分の価値観を作り上げているものを認知することであると作者は書いている。難しく感じるとしたらそこには既に自分の「当たり前」が立ち上がっている。私の場合は「疑う事」と「否定する事」が関連づけられていた事である。そして自分の価値観を疑うことが自己否定に繋がるのなら、自分という人間が劣っているとか存在してはならないというネガティブスパイラルにハマっていった。このままではネガティブな思考が繰り返されるだけである。そこで私の中にある「疑う」という言葉の定義・連想を知る必要があった。そして疑うことと否定することが繋がって想起されていたので、「疑う」という意味を再定義した。今の私には疑うとは「現状の当たり前となっていることのそれ以外の可能性を探すこと或いは目の前に見えることの見えない部分を考えること」という意味になっている。

本書では、第1章 扉を見つける、第二章 扉の前に立つ、第3章 ドアノブに手をかける、第4章扉は開くと構成させれている。
各章で自分の中にある当たり前と対峙させれることになる。面白いのは一章から三章までは自分が能動的にする行為であるの対し、最後の4章では「扉は開く」と自動詞、自然に起こることされていることである。つまり自分の中にある価値観が書き変われば、自分に起こる出来事は自然と変えられるということである。自分の望む世界への扉は自然と開かれるということであろう。各章、各テーマを作書の言葉を通りに「疑っ」ていくと自然と見える世界が変わってくる。そしてこれから物事を見るときには「疑う」視点を持つように思うようになった。自分で自分を妨げている思考がまだまだたくさんあるはずである。それを勇気を以て疑っていこうと思った。

投稿者 kakki 日時 2017年9月30日


自分が読んできた自己啓発本とは、一味も二味も違う内容であった。
自分の読解力、理解力のレベルはひとまずおいておくとして
心に刺さるフレーズがいくつもあった。

それらが、しょうおん先生のセミナーで教わった事と
同じものであったり、言い方が違うだけで本質的には
同じことを言っていたりと、腑に落ちまくった内容であった。

今までは、自己啓発本とは知識やテクニックを身に付けるのが
一番の目的だと思っていたが、本書では
『本から学ぶものは、モノの捉え方や考え方である』
と主張されていた。
心にドスンと響いた一文だった。

そもそも、自分の視野が狭すぎたのだと。
今までの自己啓発本も再読し、新たな気づきを得る為に
取り組むことに決めた。

最近は、幸運体質が染みついてきたのか、願望がイメージ出来たことが
実現する事が増えてきている。
しょうおん先生のメルマガのバックナンバーを再読し始めてから、
「そういえば、会ってみたい人をリストアップしなきゃ」と思い
メモし始めてから、数日で「平成進化論」の鮒谷さん主催の座談会
があると情報が目に飛び込んできて、早速申し込みました。
# 少人数で格安の座談会でした。
意識を変えるだけで、こんなにもあっさり現実になるものかと
驚いた出来事である。
ただ、会うだけで終わってしまったので、もったいないことをしたと反省している。

著者が最も言いたかったのは『自らの積極的な意思で何かを信じること』
ではないだろうか。

思い起こせば、高校時代、大学に行くとは漠然と決めていたけれど
「パソコンが出来てるとかっこいい」くらいの理由で工学部系に
進み、就活中もまだ興味が続いていたためIT業界へ。
「あの会社は技術力が高くてかっこいいな」と思っていたら
数年後、出向という形で働くことになったり。
今のままで本当にやりたいことが出来ているのか、と考えると共に
他の顔も持ってもいいんだぞと、自分に承認を与えようと思った。
話しがずれてしまったが、とにかく行動を起こすのは今であり
自分には何が提供できるのか、何をしたいのか
24時間以内にリストアップしてみる。
このまま何もせず、読了して一旦終わらせてしまうと
アウトプットが課題図書提出のみで、先月と同じである。
毎日、限界の1ミリ先へ。by メルマガ過去ログ

また疑う勇気をもって、「1日1疑い」の精神で自分になかった新しい視点
を身に付け、視野を拡げていきたい。
それには、アウトプットする場が必要だと考えられるので、
ブログなり作っていかねばいかんと思う次第。

本書について、3回目の再読に入ったところだが、読みやすいゆえに
重大なエッセンスが、つかみ切れていない感覚が物凄くある。
本書は、迷った時に原点回帰するに値する本だと感じた。

ぜひ、読書会で取り上げて頂きたい本ですが
おそらく、候補に挙がっているのでしょうね。
今月も、素晴らしい本をご紹介頂きありがとうございました。

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投稿者 sakurou 日時 2017年9月30日


~「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで~

本書を読んで、本当に何というか打ちのめされたというか、やられた~というのが正直な感想である。内容が深すぎて、正直、まだモヤモヤした気分なのだが、今の考えを整理してみる。

・お金との関係を見直す
 43ページの「お金を信用しすぎるとお金に振り回される」という一節を読んで、以前読んだ「お金を使わずに生きる」を思い出した。私にも子供がいて、頭を悩ませているのだが、確かに「教育費をどうするか」という一点に囚われると視野が狭くなりがちだ。お金は大切で使いみちは考える必要があるのだが、「どういう使い方をするか」よりも子供を見てどういう生き方がその子らしいのかという点でまず考える必要があるとつくづ考えた。そう考えると、実は例えばコンビニやAmazonとの付き合い方が良いのか、という点にも気付く。お金がかからない生き方もできる。それが本当に必要かというところからライフスタイルを見つめ直すことも出来る。それはそれでなかなか難しいのだが、こういうのは常日頃意識することが重要だと思う。

・相手の立場で考えることでストレスフリーになる
 52ページに 「怒りは「こうあるべき」というこだわりが原因」とある。また子供との話で恐縮だが、子供が片付けていないことでよく怒る。これについて本書の考え方を当てはめてみると、「部屋はいつもきれいにすべき」というこだわりが原因ということになる。ではこれで怒らない方法があるのか(笑)。答えは本書の中にあった。フィードバック関係、即ち「自分が他者に働きかける方法を変えるとよい」とある。子供の立場で考えると、なぜ怒られているのかが分からない。なぜ部屋をきれいに保つ必要があるのかを心の底から理解する必要がある。そう考えると、感情的にならずに、ゴミ屋敷の写真を見せるという方法があることに気付いた。なるほど、これならストレスも溜まらない。

・事象と時間軸は無関係
 本書で一番衝撃を受けつつ、未だにモヤモヤしているのが、102ページの「過去が現在を作っているわけではなく、現在が過去を作っている」という一節である。まだ腹落ちしていないのだが、ちょうど衆議院解散のニュースがあったのでそれで考えてみたい。私を含めて突然の解散話で寝耳に水なのだが、今から答え合わせ的に考えるとよく分かる。都議選での都民ファーストの会の圧勝。その頃から周到にシナリオを練っていたはずだ。都民ファーストの会は都議選直後で国政進出の準備が整わない。また、自滅感のある(ないし、様々な人々の思惑、意図によって自滅感を演出させられた)民進党の混乱。このタイミングで解散を行えば議席は減っても過半数は確保でき、政権及び自民党の長期安定につながる。このタイミングというところで解散に打って出た。安倍政権にとっては我々一般市民と違う世の中が見えていた。まさに本書にある「可能性(未来)とは何を欲しいと思い、何をゴールとするかにより決まる」という言葉のとおりである。もちろんその通りになるかは分からないが、未来をきちんとデザインできなければ今はない。
 「現在が過去を作っている」 とは、今がうまくいっていないと思うと過去の失敗(と認識している) 経験にとらわれる し、うまくいっていると思うと、過去の成功経験にとらわれる。この考え方一つで今を幸せと思うか、不幸と思うか、全く異なってしまうということか。最近のメルマガであるネガティブな部分でなく、ポジティブな部分に着目するということにも通じる。人生はちょっとした意識の積み重ねでこうも変わってしまうということにメルマガを読むと気付く。2番目に取り上げたフィードバック関係も合わせて考えてみたい。

以上、本書の感想を纏めた。タイトルを見ると仰々しく見えるが、改めて感想文を書きながら考えると、実はこの本の内容は非常に実践的なことばかりであることに気付いた。これは日常の意識の持ち方の問題である。このことを忘れずに、常に日々実践していきたい。

投稿者 BruceLee 日時 2017年9月30日


まずは本書のタイトルから疑ってみよう。

自分が信じていることを疑うのに勇気は必要だろうか?個人的事を言えば否で不要だと考えている。何故なら自分が信じている事、つまり自分の常識など無いに等しいというのが今の自分の常識だからだ。そう考える理由は、しょうおんさんのセミナーで「この世には理屈で説明のつかない事もある」事を学び、その後日々の生活で実感しているからだ。端的に言えば、1+1は2にも3にも時に100にも(或いは-100にも)なり得る。信じていた事がコロッと変わる事はある、という前提が自分の中に出来てしまっているからだ。セミナー内容を充分理解した人には本書はスンナリ入ってくるのではなかろうか。

と、ここで本書の重要点に注目したい。それは「疑う=否定」ではない、という一文だ。疑うという言葉には否定的なイメージが伴うが、そうではなく今の自分とは異なる視点で思考してみる、或いは妄想してみる、という解釈で良いと思う。ではここで自分が信じてる事を具体的に疑ってみよう。先日TVを見ていたら「一夫多妻を実現する男」と題し、ある日本人男性を紹介していたのだが、それを見た瞬間、何故か「いいなぁ~」と思ってしまったのでこれをベースに進めてみたい。尚、「いいなぁ~」と思ったのも理屈ではない。思っちゃったんだからしょうがない。

その番組を見て疑ってみたのだ。一人の異性と契りを結んだとしても、一生一人だけと生活を共にし続けるのは自然な姿なのか?と。そう疑った背景として、昨今の結婚したカップルの3組に1組は離婚してる事実、連日の不倫報道、ここ数年20万組/年を推移する熟年離婚、そして付き合った当初以降、徐々に失われる「トキメキ感」等がある。それらを踏まえ、もしかすると一夫一婦制は人間本来の性からすると不自然な制度である可能性はないか?と疑ってみたのだ。もっと幅広く、複数の相手がいる事で結婚生活の彩りに幅を広げる的な、新しい家族の形のような考え方もあるかも知れない、と。

実際、江戸時代の大奥もそうだったし今でも一部の国には一夫多妻制は存在する。ここでフェアに話を進めるため付け加えると、一夫多妻でも一妻多夫でも多夫多婦でも当事者が納得していれば良いのだ。要するに1対1でなければならない、という縛りに限界が来ているのではないか、という事なのだ。我々は生まれた時からそれを「常識」として来たが、それこそ自分で考えもせず、ただ妄信してるだけかも知れない。幼稚園児が「ぼく、A子ちゃんとB子ちゃんとC子ちゃん、みんな大好き~」と言うと微笑ましいのに、成人男性が同じ事を言うと叩かれるのは何故なのさ!って話なのだ。あっ、念のため言っておくと先述のように「疑う=否定」ではないので、決して一夫一婦制を否定してる訳ではなく、あくまで常識を疑って妄想してるに過ぎないので。この妄想、チョット楽しかったりするし。

一人の男性、一人の女性に複数の異性が好意を持つ事は有り得る。そして好かれた当人も自分に好意を寄せてくれる複数の人に魅力を感じる事もあるのではないか。そこで、複数の異性を幸せにしてあげたい!と思ってはいけないのだろうか?そっちの方が人間的な器は大きい気がするのだが、それでも本当に一人に絞らなければいけないのか?と、ここで登場するのが法律だ。日本では重婚が禁じられてるから。だが、法律とは先人が当時の世相を鑑みて作ったルールでしかない。現に法律は変わる事もある。であれば将来「重婚OK!」となる日が来るかも知れないではないか!まさに「限界」を決めているのは、我々自身なのだ!

更に一夫多妻、一妻多夫、多夫多婦制はコミュニティの形成にも繋がる。つまり今問題となっている孤独死、無葬社会への対策ともなり得るのだ。こう考えると一夫一婦制でなければイケナイ!と肩肘張らなくても良い気もするがどうだろう?時代に合わせフレキシブルな関係性を基に考えを巡らす事もアリなのではないか。実際、自分含め殆んどの人は一夫一婦制しか経験していない。であれば経験してない事に良いも悪いも言えない訳で、このように疑ってみるという事も思考の幅を広げる意味では有用と感じたのだ。これ、その他全ての事に応用できるしね。我ながら「思い込み」を疑うことで無限の可能性が広がるもんだなぁ、と感じた次第である。というか広がったのは妄想だけ、と言う話もあるが、 疑う勇気以上にこの投稿をUPする事に勇気が要ったのが正直なところ(笑)

尚、件の「一夫多妻を実現する男」曰く、「一夫多妻の実現には、女性一人当たりの生活費として1億円は見とく必要がある」との事。なるほど、疑うのも良いけど、お殿様でもない限り、まずは先立つものって事ね。ハイ、妄想終わり!

以上

投稿者 str 日時 2017年9月30日


自分が信じていることを疑う勇気

『信じていることを疑う』というタイトルに対し、「そんな否定的なことで良いのだろうか?」という感覚で読み始めたものの、すぐにそうではないことに気付かされる。

そもそも『信じていること』とは、自分の中で正しいと認識していることではないかと思う。それを疑ってかかるのには確かに勇気が必要だ。本書の目次には『○○を疑う』という項目がズラリと記されており、見た瞬間に「こんなに疑ってしまえば一体何を信じろと・・」という抵抗は少なからずあったが、信じていることの多くは『思い込み』や『思い込まされている』ことだという。自分に置き換えると、普段の生活の中で当て嵌まること・心当たりがあることばかりであった。ではこのままではヤバいのだろうか?しかし本書では疑いこそすれど否定はしていない。あくまで『思い込み』を見直すためのヒントが記されていた。他の誰もが信じられなくなったとき、唯一信じられるのは自分自身だろう。その自分の『脳』までもが自己都合と思い込みからウソをつくというのだから大変である。実際思い込まされただけでその症状が身体に出たり、死に至ったケースもあるというし、極度の思い込みは身の危険にまで発展し得るかもしれない。

『あるがままに見る』
要は頭をからっぽにしてみるということ。未経験の状態で自身の解釈が介入すると自ずと選択肢は絞られてきてしまう。つまり思い込みのない状態で受け入れてみることも必要だ。
「アレはつまらなそうだからやったことない」「あそこは何も無さそうだから行ったことない」「これはマズそうだから食べたことない」など、人生に於いて損をしているかもしれないことは多々ある。あるがままに見ること。その上で拒否反応が出たとしたら、それは何に対してなのか疑問を持つこと。結果がどちらであれ、これまで一択だったものが二択になるというだけでも、可能性の幅が大きく増える。

『疑う』という行為は決してマイナスの面ではなく、別の可能性や選択肢を見つける手掛かりとなる。疑うべき部分の視点を変えてみれば全く別の世界も見えてくるだろう。

“自分には出来る” ← “本当に出来るのか?”ではなく、
“自分には出来ない” ← “本当に?方法が間違っているだけじゃないの?”という視点から先ずは疑っていけるようにしたい。そして口に出す・出さないは別としても『ナンデマン』となるべく、何に対しても疑問を持つクセをつけていこう。

本書は“疑わなければ見えてこない可能性”を自分に教えてくれた。
疑うことで、自ら設定してしまっていた制限を取り外していこうと思う。
ありがとうございました。
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投稿者 magurock 日時 2017年9月30日
割とスラスラと読み終えた『自分が信じていることを疑う勇気』、1度目の読了後は、正直「へえ、なるほど、すごいね」くらいの感想でした。こうした違う視点とらえてみよう、というような本はこれまでにも多く読んできたので、そういった類のものかと。それに、ちょっぴり反抗心もありましたし。
でも……。

しょうおん先生のセミナーを受講し始めたとき、これまでの常識がブッ壊されていく快感を味わいました。今まで知らなかったことを教わりましたし、呼吸法や瞑想をすることによって、自分がどんどん変わっていく実感を持ったものです。それが嬉しくて、初めて基本編を受講してからこれまで一日も欠かさず続けていますし、そのほかのセミナーを受けるごとに「儀式」は増え、それも合わせて毎日励んでいます。
でもこれらも、続けることが目標になってしまっているというか、続けることで安心してしまっている状態になってきています。
せっかく常識をブッ壊せたのに、また次の常識に浸かり始めているようで、新しい場所でもやっぱりいい子ちゃんをやっているのか、自分!と突っ込みたくなったりして。

そんなことを考えながら、再び本書を読んでみると、自己啓発本や成功本も「読んでも実践しなければ効果がないのは当然」という言葉が刺さりました。
サルには戻りたくないので、毎年100冊以上の本を読んでいます。おかげでいろんな情報に触れ、これまでより自分の中の世界が広がってきています。でも、いつしか数をこなすことが目標になってしまっていている自分がいます。知識として持っていても、それを生かさなければ意味がないのですよね。
そして、そもそも人の成功話が自分に合うのか、というところから疑うべき、ということ。

自分は弱いので、安心したいがために基準になる常識をつい求めてしまうところがあります。だから、ひとつの常識を壊してめでたしめでたし、ではなく、常に常識をはじめとした環境や感情、価値観などを俯瞰して疑い、それらから自由になることを考えていくべきなのでしょう。
強いから生き残るのではなく、変化するから生き残れて強い、とダーウィンが言ったとか言わないとか。「これをやっておけば安心」というものにしがみつかないよう、変化し続けていかなければ、と感じました。

と言いつつ、これからも読書や呼吸法、瞑想などはやめません。これは強くて柔軟な自分になるために、必要なことですから。続けることだけを目標にせず、きちんと意味をとらえた上で、時は疑いながら、続けていこうと思っています。

投稿者 hira1223 日時 2017年9月30日


「疑う勇気」
タイトルを見て、何となく書きてあることが察しがつくなーと思ったのが最初の印象でした。
しかし
P19で
「アイデアは、まだ実現していないからこそ価値がある」
一度読んだだけでは理解はできなかった。
アイデアは実現してこそ価値があるものではないのか?たぶん私と同じように感じた方は多いのではないかと思います。
もう一度読もうと、表紙を見たとき
「疑う勇気」
すっかり固定概念にとらわれてしまっていた自分がいたので。
しっかりしてやられたって感じです。

私たちは、実現できないアイデアは意味がないって思い込んでしまっているが、実現するためにはどうすればいいのか、どういったことをすれば実現できるのか?
そういった事を考える事が大事なんだと気づかせてくれた一冊でした。
ありがとうございました。

投稿者 present0ghost 日時 2017年9月30日


自分が信じていることを疑う勇気 を読んで

本書を総括してみると「心と現実の関係性」あるいは「自分を縛る無意識の枠」について述べていると言えるだろう。
題にある「自分が信じていること」とは、価値観・見方・視点・視界と複数言い換えられていることの1つの言い方にすぎない。
それを疑い積極的に変えるということはすなわち「心の内側を変える」ことで、それこそが現実を変えるということである、というのが筆者の最も伝えたいことだと私は受け取った。
これは『心が現実を映し出す鏡なのではなく、現実が心を映し出す鏡なのです』(200p)と因果関係についての言及で本書の最後のトピックが終わることからも強調されているように思う。

そして、自分が本書から受け取ったエッセンスは「現実の受け止め方」を今一度真剣に考えるということである。

例えば、電気が利用できることをどれだけ当たり前だと無意識に考えていたか?ということ。
電気の仕組みについてまとめられた本を読んでみて、さっぱり理解できない仕組みの上で成り立つ技術をさも当たり前のように、安価に使えることの有り難さを感じてみるということであるとか。
例えば、一食分の食事をどれだけ当たり前だと考えていたか?ということ。
バーチャル・ウォーターという概念を知って、作物穀物飼料を作るために「どれだけ裏側に大量の水が必要か」にまで思いを馳せてみる、ということであるとか。
例えば、自分の今の境遇をどれだけ当たり前だと考えていたか?ということ。
漂流した人間の伝記を読んで船の上の漂流生活を妄想してみたらそれと比較するだけでも今の境遇に幸福を感じられる、ということであるとか。

こうした「自分が信じていること」を疑って見方を変化させようとしてみると、確かに視界が開ける。
少なくともこれまでの視界の狭さを痛感する。
そして「自分が信じていること」を疑うということを少しでもやってみると、疑うということそのものの難しさ、疑うための着眼点を獲得することに1つの難しさを感じたのである。
「自分が信じていること」にはなんらかのある偏った認識がある、というのが本書を通して主張されている点である。
まずは気付けること。そして、次は偏った認識の『根底にある価値観』を理解した上で自由に距離を取れるようになる、というのが理想的だろう。
だが、「自分が信じていること」にはなんらかのある偏った認識がある、と前提したとしても「何がどう偏っている」のかを気付くにはどうすればいいのだろうか…?

ここで自分なりにそのためのステップを考えてみる。
1. 今の自分にない価値観・着眼点・思考を発見、取り込む
2.自分の考え方・行動・習慣を振り返れるようにして、どれだけの無意識に課した思い込みがあるかを分析する。
3.自分が思い込んでいる因果関係(=認識の偏り)を洗い出してそれが何故発生しているかを分析・理解する。
以上のようにまとめてみた。
そしてまとめてみて膝を打つ。ここまで考えてみてまとめて振り返ってみれば、気付くのは本書で言われていることどおりなのである。
2章90pで『私達がアップデートする必要があるのは、モノの捉え方や考え方なのです』と既に指摘されている。
ご丁寧に傍線まで引かれて。
この気付きを、気づけばそこに扉はあった、と言ってしまったら大げさだろうか。

最後にまとめると、私は本書を読んで「心と現実の関係性」に気付くことができた。
それは「現実の受け止め方」を今一度真剣に考える、という実践に繋がった。
そして「モノの捉え方や考え方をアップデートし続ける必要がある」と気づかせてくれた。
アップデートし続けるというのは知識を増やすだけではいけない。
変わり続けるという覚悟で、能動的に変わるために様々な考え方を取り込まなければ意味がない、という気付きだ。
自分が信じていることを疑う勇気とは変わり続ける覚悟をもつことと同質なのだろう。
作者が『一歩を前に踏み出す勇気を一人でも多くの日本人に持ってもらいたい』とあとがきでも述べている。

作者の言う勇気を持てた日本人の一人になれた、という宣言をもって本書の読書感想文としたい。

投稿者 rarara 日時 2017年9月30日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで。

自分の軸。
他者と関わるときは、受け身がちです。
相手に恥をかかせないようにしなさい。(ある女優さんの子育て論)を軸にしています。
合わせて、私は、何かにつけて自信が持てない。
それゆえ、相手も自分も良かれと思ってしたことや、相手に寄り添ったコメントをしたつもりが。肩透かし。
自分の軸が、ブレまくりです。

そんなダサい自分が変われそうなヒントがありそうです。

こだわりすぎず、『複数の価値観の間を自由に行き来する』柔軟な旅人のように、さらっと、『単なる媒体』として、存在する。
それができたら、モヤッとすることもなくなるだろう。少々、希薄すぎないだろうかという心配も残るが。
そもそも、『自分のことを100%理解されるのは不可能』と思えば、他者との関係における良いとこどりになるだろう。

だが、現状は、自分のマニュアルのようなものをもとに、無心、考えることなく、あり得ない意見(と思い込んでる)をよそにして、大半をこなす事に終われる日々。
常に毎回、全てのことにおいて、状況に応じた判断・また、思いついたことを行動するには時間と体力が足りません。

そうなんです。余裕がないんです。
そうこうしているうちに、9月も終わってしましいます。
何とかしないといけません。

松浦弥太郎の「即答力」という本によると、
『人の話を全部きちんと聞ける柔軟性がありながら、センスよく、相手に不快感を与えない程度に、自己主張をする。』
『個人的の大切にしているベーシックは、正直、親切、ていねい、笑顔』
『みんなそれぞれ違う「大切にしていること」をこちらから察していくといいでしょう』
『即答するための反射神経やリズム感、瞬発力を磨くには、あらゆる仮説をたてておくこと。深い思想や経験という入念な準備が必要なことを忘れずにいたい』
と、引用しすぎましたが、
本書にも書いている
『まずは、自分のスタンスを明確に』
『仕事相手に好意をもち』
『役割を変えたり足したり』

常に柔軟に対応できる為に、体の疲れ、頭の中にモヤモヤをためないように、前倒しで準備をし、シュミレーションをして、嘘でも口角をあげておく。

新しい『モノの捉え方や考え方をアップデート』できるように、自分自身を調えておきたい。

投稿者 msykmt 日時 2017年9月30日


繰り返し読むたび、いやになるくらい思い知らされる。
自分では意識的だと思って選択してきた数々が、相手やその場の状況によって選択させられていたのを。
あるいは、自らが無意識に不自由な選択をしてきた、いうほうがふさわしいかもしれない。

周囲の人間にどう思われるか、いう帰属欲求によって。
他者がなにをやっているか、何が妥当か、いう消去法によって。
多数派の意見に反するのを恐れる同調伝達によって。

自分の目的を明確にした上で、相手の目的との共通項を探る。
そのためには、相手の常識だとかロジック、そのベースとなる価値観への理解が不可欠だ。
そのために、異質な人、異質な体験との接触頻度を上げるにより、多様な価値観に触れよう、と考えた。

投稿者 gizumo 日時 2017年9月30日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで

書かれていることは意外に普通のことであるが、なかなか自分にとっては「聞いたことはあるが、知ってはいるが、理解できていない、腑に落ちていない、身に付いていないこと」だったりする。
振り返ってみると、物や他人は疑うことがあっても、"自分"を疑うことはなかったかもしれない。やはり自分でなく、他を変えようとし、「変わらない」と嘆いていた。
また、改めて価値観や物事に俯瞰して臨むことの重要性に納得が行く内容であった。
さらに「疑う」ことは「否定」ではないということも大きな気付きであった。これからのキーワードは「なぜ?」「本当に!?」となるだろう。

私事ではあるが、職場で自分の息子ほどの年齢の人と組み仕事をしている。彼をみていて、価値観の違いと言えばそれまでだが、あれやこれやそれや!?口にしたくなることばかり…。そんなときこの本を読み「待てよ、これは私の考え方が間違っているのでは…?」と気づき「彼は彼なりに考えてての行動だ」などと考えを巡らせていた。しかし、巡らせていたのは私だけで彼は"サクッと"新天地を求めて旅立つことを決めてしまった。彼にそして残って頑張る自分にこの言葉を贈りたい「自分次第で未来の"確率"を変えられる」。

投稿者 vastos2000 日時 2017年9月30日


最近、哲学や現代科学の本を読み、小学校から高校までで習う物理の法則が原理的に説明できないもので、「こうすればこうなるよ、なぜそうなるのかはハッキリわからないけどね」というものであることを知ったり、二重スリットの実験に対するシュレーディンガー方程式のことなどを知り、自分が信じることが揺らぐ経験をしたばかりだった。(それでもこの世はロジカルな部分も多いので、決してこれらの勉強が無駄だと言うわけではない)

日本人は与えられた環境下や問題に対する最適化、最適解を出すのは得意とされているが、「そもそも問題は何なのか?」という、問題そのものを発見(認識)する能力を持つ人は少ない(と私は思っている)。この問題発見能力が身につくと、どのような利点があるのだろうか?よく出される例が、五輪のスキーで、日本人が勝つようになったら、(相対的に身長が高い)北欧の選手が有利になるようにスキー板の長さに関するルールやジャンプとクロカンの配点を変える、といった変更がされた例だ。
そういったことがあるので、しょ~おんさんはこの課題図書を発表するときに、著者が日本人であることに触れられていたのではないだろうか。


さて、本書は一つの単元(テーマ)が短くまとめられており、それらの内容はセミナーで教わることや、課題図書や良書リストの本に書かれていることも結構多い。なので、その中から特にこの本を読んだからこそ書き記しておきたいことを以下のように3つ(4つ)選んだ。

1.「二者択一」を疑う
→物事を「白」か「黒」かに分ける二元論で判断するとそれ以外の可能性を見失う

この単元には、『「何をするか」より先に、「何をするべきではないか」から触れます。なぜらな、新しい習慣を身につけるのは大変ですが、気をつけるだけなら負担が少ないからです。』と書いてある。確かにそうだ。だからこそ「継続は力なり」と言える。
それはさておき、「イエスかノーか」「やるかやらないか」といった判断が迫れられるケースはよくある。ほとんどの場合、過去の経験に照らして良いと思う方を選んでいる。
しかし、メタ認知というか、視点を一段上げて、本当に選択肢はそれだけかを考えるべき場面があるのではないか。選択することは意志力を消費することなので、些細なことはファストな判断で問題ないだろうが、金額が大きい案件や、後々影響が大きい案件は本当の意味でのゼロベースで考えるべきではないか。
丁度、これから来季の事業計画を立てる時期に差し掛かるが、今まではゼロベースで考えるとは言っても、せいぜい「それをやらないと本当に困るのか」程度の考えだった。なぜその事業があるのか、やるはやるけどやり方を変える方法もあるのではないか、といったことまでは考えが及ばなかった。とは言え、おそらく今もまだ気づいていない道があるはずなので、そこは今年入った新人の率直な意見を期待したい。


2-1.「因果関係」を疑う
→因果関係を見誤らないためには高い視点から物事を見て抽象的に考えることが必要
2-2.「現実」を疑う
→現実が先にあるのではない。まずあなたの見え方があってそれが現実を作り上げている

コグニティブ・バイアス(認識の偏り)が紹介されているが、得てして人は原因と結果を逆にして考えてしまう。すなわち、結果をみて原因を<考える>。
身に覚えがある。目標数値を達成できなかった時、「やっぱりアレをやらなかったから」とか、「経費が減ったから」と考えてしまう。本当にそれが原因なのかは確かめようがない。自分を納得させる理由が欲しいだけなのだろう。
また、『「脳」を疑う』 の単元にも通じるのかもしれないが、物事や出来事を、色を付けずにありのまま見るのは難しい。この癖が、結果から原因を考えてしまう理由の一つではないか。
だが、「人間は自分が見た出来事に色を付けたがるものである」ことを知っていれば、その罠にはまる可能性を下げられるのではないか。


3-1.「時間」を疑う
→過去は現在が作り、現在は未来が作る。ゴールを変えれば見えるものが変わる

ゴールを変えれば見えるものが変わる。これは本書の冒頭(4~5ページ)の問いかけもそうだろうし、心理学でいう、「選択的注意(予期しないことは気づきにくい)」も同じことを言っているのでないか。
何を目的にするかで目に留まるものが違ってくる。最近体験したことでは、子どもがフォルクスワーゲンのマークを覚え、見るたびに「フォルクスワーゲン」と言うようになった。それ以来、毎日の通勤(自動車通勤)時に最低2台はフォルクスワーゲンとすれ違うことに気付いた。おそらくは以前から毎日すれ違っていたであろうに。
ということは、本書にもかかれている通り、ゴールを何にするか(あるいはゴールを定めないか)で、未来で手にするものが変わるのだろう。ゴールを決めて、それを忘れないための方法として、紙に書いて貼っておくとか、手帳に書いておくといった技が多くの本で紹介されているのだろう。ちなみに、私は手帳にはその月の読書のテーマを書き、自宅のデスクの前には欲しいものの写真などを貼っている。(ほしいものが手に入るまでもう少し時間を要するらしい)

以上のように3つ(4つ)のテーマを選んで書き記したが、結局のところ、覚えておきたいのは『常識を疑う』視点を自分の中に持つことだ。
これは、「正解は次のうちどれでしょう?」と聞かれ、選択肢が示されたとき、「実はすべて正解である」とか、
「なぜ~なのでしょう?→1、〇〇だから 2、▽▽だから 3、◇◇だから」と問題が書かれ、正解は選択肢の中に無い場合などに対応できるように、だ。(今までも、出題者だって間違えることはあると思っていたが)
とは言え、全ての事に対して常識を疑うのでは、脳の処理能力をオーバーしてしまうだろうから、場面をある程度限定すべきか。例えば、物事の始まり、システム開発で言えば上流工程に当たるときや、次年度の事業計画を考える時など。こういった場合に、常識を疑い、常識と反常識の二つの相反する考えを自分の中で共存させることを目指すことにしたい。

投稿者 tadanobuueno 日時 2017年9月30日


この本を読んで、自分の心に引っ掛かったのは、自分が言い訳に使っていたことの大部分を否定され、やらざるを得ない、自分にとって痛すぎるこの本の内容が、なぜ心にすっと入ってくるんだろうという点。
その理由を自分なりに考えて以下の3点ではないかと感じた。

①他者への想い
長谷川氏は「チャンスあふれる時代」に「多くの人の可能性の扉を開きたい」との想いでこの本を書かれていた。この他者への想いが自分に響いた。

②長谷川氏のにじみ出る幸せ
本の中で何度も、自分に向き合うことが言われている。長谷川氏の経歴、本の中のエピソードにある通り長谷川氏は、自分に向き合い、その中でやりたいと思った道を進み、プロとなるレベルまでそれを貫き、自身の強みができた。長谷川氏は、この過程、現状、将来、全て、自分の人生が楽しい、という想いが本を読んでにじみでてきていることが自分に響いた。

③長谷川氏の呼ぶ声
①②のまとめにもなるが、長谷川氏はこの本を通して、自分の可能性の扉を開いた同志と、ともにもっと楽しみたい、そんな人たちを呼んでいると感じた。

なぜそんな人たちを呼びたいのか?
自分も子育てという環境に向きあい、変えることが難しいといわれる状況に接している際、自分の考えを持って、現状は変えるだけと考え、現状を楽しんでいる人と会うことがあるが、その時間は本当に楽しい。
その方たちと、お互い共通する問題に取り組むと、状況の打開が当たり前故(言い訳・他責でなく)、お互いの持っている全てを使って打開に動き、それがより良い結果をもたらし、この過程でお互いに多々得るものがある、正の循環が出ることを感じている。
自分ですら感じているこの正の循環を長谷川氏も強く感じており、そういう方の創出だけではなく、そこからの関係構築が真に求めていることと感じている。

こう考えていて、ふと、しょうおんさんから昔聞いた(覚えのある)「私は同じ志をもつ仲間が欲しい、その人達と楽しく人生を過ごしていきたいだけなんです」という言葉を思い出した(あいまいな部分あるかと思いますが、お許しを、、)。

本書に触れられていた部分で一番難しいのは、今までの考え方を変えられたとしても、どこまで継続することができるか、継続の仕組みをどう作るのか、ではないか。
この点では、しょうおんさんがメルマガで仰っている、「仕組みづくり」が一番大事なのだと思っているし、その仕組みはしょうおんさんを核としたコミュニティーで作れると考えている。

しょうおん塾の方といろいろと知り合い、一番楽しいのは、全くことなる境遇・業種にいる方がほとんどだが、変わることを厭わない、変わることが当たり前、との考えが多いこと。この当たり前の方と一緒にいられて、自分自身変化することが普通だと思えるようになった。

そして、課題図書等を通して、物事の根底にある事は変わらないことを理解するようになり、分野は違えど、周りの方が進化し続けることに自分との共通点を感じるようになった。

日本では、ピアプレッシャーがネガティブに語られることが多いが、上記のように、変わることが当たり前で、分野は違えどその共通項の成長に共感を示す方とのピアプレッシャーは自分にとって大きなプラスと感じているし、この関係を積極的に活用させて戴いている。

課題図書への投稿、ブログ発信、塾生の方に触発されて進めている部分は非常に多いし、この中で新たな学びを戴いています。

このポジティブなピアプレッシャーを使い、自分と改めて向かい合い、自分の強みを見つけ、変わっていこうとする、しょうおん塾の皆さんと、楽しく、変わり続けていきたいと思っています。

今月も自分の価値観を揺さぶる良書をご紹介戴き本当にありがとうございました。

 

 

私はこの本を読んで、自分に向き合い、改めて自分の好きなことに目を向けてみたし、自分が尊敬して・大好きな方たちと社会をどうつなげることができるか、win-winの関係でビジネスにできないか、マップに落とすことを始めてみた。

投稿者 wapooh 日時 2017年9月30日


201709【自分が信じていることを疑う勇気】を読んで
① 『思考のタブーを設けずこだわりを拭い去れば目の前のチャンスに気づける』
以前の業務で、研究テーマとして業界の前列にいて海外で需要と駆引きとで交渉があり、まさに前例がないと言う事で上司共考停止で判断を遅らせてしまい、後に他社の後手にまわったことがある。判断がつかないという状態は、将来の自分の可能性を狭めると実感した苦い思い。逆だった。何かしら動けば可能性は今よりも広がる、と言う認識で行動することで現実は変わったかもしれない。
② 『本から学ぶのは知識やテクニックではなくモノの捉え方や考え方である』
勤務先(製造工場)の社内品質監査の席上、議長が「品質は技術が作る。最先端技術分野のクレームは今因果関係が不明な状態であり、データの蓄積&物差し構築段階。失敗は失敗ではないと認識せよ。逆に従来品の特にヒューマンエラーはITや仕組みを自動化機械化して仕組みを作れば0になる。その仕組み自体は人間が作成するが、その際、人間知らないことは認識できないから、本を読み人の話を聞き、他社事例を自分事として翻って考える癖をつけよ。人間そうそうは経験できないので他山の石をよく研究して活用する事」と言われたのだが、まさしく。読書の大切さを再認識したのだ。では翻って自分はこの読書から何を学ぶのか?
③ 『過去は現在が作り、現在は未来が作る。ゴールを変えれば見えるものが変わる。』
我々は時の流れを描くとき「過去⇒今⇒未来」と書くが、本書では「過去←今←未来」と逆向きだ。少し前に読んだ本に『未来の自分を今の自分をつなげる意識で一日も欠かさず自分を受容し肯定し続けて行動をし続ける、行動出来ない時は意識を向けるだけでも良いから、プロセスを途切れさせずにつなげて行く』と言う事を教えられたが、まさしく同じではないか。
丁度、9月に花さんのジョイントセミナーで教えて頂いた朝の行動を日々の習慣として始めていたが、目標を達成するための行動だということにし、紐づけ意味づけして、かつ淡々と続けてみている。なぜか本来の行動も以前よりしっかりと続いて進むようになった。目標は一つではなく多面的にすればもっと今の切り口や意味が変わるはず。
④ 『現実を変えるには「やりたいことをやってもいい」と、自分に許可を出そう』
これを読んで、いくつものなりたい自分をノートに書きつけて「○○を自分に許可します」と書き出してみた。書くほどに自分の心身が軽くなり、アイディアが浮かびやすく思考のリズムもはなくなるのを実感している。
⑤ 『自分がルールを作るという最強の選択』
しょうおんさんのお話で「欧米はルールを作るのがうまく、日本は苦手で不利な立場に回りやすい」と言うのが印象に強いのだが、①の研究にしても気づくと欧米人に合理的に解析され枠が決められていたり、業界紙を読むともう2年も前から無形のIoT資源と捉えいかに標準化(ISO等で定義し管理システムを組む)するかについて熱く議論が進められている。こうして世界がコントロールされるのだと実感するようになった。仕組みの後手に回る側の恐ろしさは思考停止にあると感じている。ルールに負けないルールを作るために声を上げていくことは必要。
⑥ 『オリジナリティとは他者とどれだけ違うかではなく、自分の好みの組み合わせ』
自分コンテンツをキャラ立ちするためには、自分の価値の見極めて、状況や他人との比較による『運任せ』ではなくあくまで自分の価値観に正直に、いかに世の中に役立てられるかをにらみながら、複数の価値を掛け算して自分の存在を鋭く構築するか。と言う事だと認識した。運任せという言葉に惹かれた。まずは実践ありきでそのあとに我々は運も使えるわけで強いだと念を押す自分がいた。
⑦ 『よい出来事も悪い出来事もない。物事をあるがままに見て状況を決めつけないようにしよう』
物事は関係性の上に立っており、ポジションが異なれば解釈も違い良い悪いの判断も逆転する。ライオンとシマウマの例示があったが、消極的な思考のために無意識にシマウマポジションを取り苦しむことで楽をしていないか?アドラーの言う「代替の目的」に逃げていないか、苦しい状況にあったら自分の立ち位置をじっくり疑う事で確かにその時々の自分の解釈が変わるのを実感している、
⑧『自分のことを100%理解することは不可能。まずは自分で自分を承認する』④~⑥に繋がるが他人軸ではない揺るがない自分の価値を認める。『相手に理解されているかを望むより、いかに相手に理解されるように1%でも自分が行動しているか』その事実を自作自覚できているか一つ一つ確認し時間軸を逆に取って行動すればよい。
⑧ 『ネガティブな感情が襲ってきたら実現したいことを思い出し撃退しよう』
最近のしょうおんさんのメルマガの内容ともリンクする。自分の一日を思い出すといかに自分にとってネガディブな事象のDVDを脳内に何度も再生し気分が悪くなっているのか良く分かる。著者の「実現したいこと=自分が心から楽しくなる望みであり他人に貢献できる嘘のない体の自由が利くための未来」だから、どうなるかは言わずもがなだ。

以上、余りにまとまらないので拾い読みをしてみたのは、この本を2度読み返したのに、手の上の浜辺の砂のごとくで、指の間から砂が流れ落ちるように、本書の内容が抜け落ちてしまいまとめられなかったためだ。自分の頭の中がかなり重症なのではと焦っているがここに書きだして少しクリアになった。明日以降、他の方の感想文を読みもう一度本書を見直すことで、自分の現実を変えていきたいと思う。複雑な思いの残る一冊だけに今後も繰り返し向き合い答えを出していきたい。今月も貴重な認識を新たにする機会を有難うございました。

投稿者 truthharp1208 日時 2017年9月30日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読み終えて

本課題図書は10日程度で完読出来ましたが、感じたことをどうアウトプットするか非常に悩んだため、考えを整理するために改めて再読しながらマインドマップを書きました。

一番の気付きは「自分のマインドについて考えさせられる」でした。
私は昔から「どうせ無理」「頭悪いし、かわいくないし、異性に好かれないから幸せになれない。」「こんな自身になってしまったのは親や会社のせい。」と悪い方に考えがちで、今でも自分の隅っこに残っています。改めて振り返ると、自分の可能性を自分で潰していました。
ここ数年はセミナーや交流会、朝活、読書会などに参加して、自分の理想像に近い素敵な方々とのご縁を頂くことが増えました。それでも今まで築いてきた腐ったマインドは相変わらずで、人と比べて卑屈になったり、卑下してしまう行為を改めなければいけないと痛感しています。

マインドセットが課題の私にとって、本書との出会いはグットタイミングでした。ちょうど課題図書が発表された時に花先生のジョイントセミナーに参加した後、少しずつ家の中のガラクタを断捨離し、買ったは良いものの積ん読状態の本は友達に差し上げることにしています。

今月も良書をご紹介頂き、ありがとうございました。

投稿者 19750311 日時 2017年9月30日


パラパラっとめくった所、面白そうなイラストから始まり、大きい字のまとめも所々ある様なので簡単に読めるかと軽い気持ちで読み始めた。最初はカバーの写真イラストも影響し、自分が信じていることを疑うことによってアオムシがサナギの段階を経て蝶になる様に自分を一度壊し、再組織しましょう的な主張だと思ってが、読み進めれば進める程実務的な疑う論理やスキルが展開されていて、自分の新たな人生ステージへの扉を見つけてから開くまで、4章に分かれて段階的で適切に説明されていた良書だった。ナポレオン・ヒル関連の出版社からある意味否定的な「疑う」という言葉を含む題の本が出版されている事を不思議に感じていたが、今感想文を書いている段階では深い納得感があり、また世界で活躍されている同じ日本人が書かれていた事を嬉しく感じ、何か1つでもすぐ実行する事でポジティブな流れを作りたいと考えた。

私が著者から感じたメッセージを強い方から3つ上げると次の通り。
①自分の人生、見逃し三振する事なく行動を起こそう
②自分が潜在的に信じてしまっている事を疑い続けよう
③そして唯一管理可能な自分を変えれば、この世は自分の価値観を表しているので現実も変わってくる

そして、言葉の意味をすぐに自分の行動イメージに繋げられなかったのが以下2点で、価値観を行き来すると言うコメントは次月以降も継続検討(疑い続ける⁈)事となった。
●『社会と自分の価値観を行き来出来る事が、常識から自由になれる』
●『過去を作っているのは現在の観測、未来という可能性が現在のあなたを作っている→目指すゴールが違えば見えているものが違う』

●『やるかやらないかの判断は直感(右脳)に任せよう』
上記メッセージは、この本を通じて1つでも何か実行する事に対して今月実行した事で、単純な性格を証明している様でお恥ずかしい限りだが、今日2017/9/30のお水取りに家族サービス終了後の16時過ぎから弾丸一泊で戸隠神社まで来ました。

最後に、ただ全てを常に意識するのは現実的ではないが、自分の常識と強く思っているような部分は積極的に疑ってみる価値があると感じた。僕には最初のイメージから大きく違い、とても深い本で珍しく月の前半には読了していたが咀嚼して書き出せるまではいつもと同じ月末だったが、著者の言う様に自分が変わったり周囲が変わる事によってこの本の捉え方も変わるはずなので、年に1回なり5年に1回なり定期的に読むべき良書に出会え感謝致します。

投稿者 chaccha64 日時 2017年9月30日


しょ~おんさんがいつもおっしゃっている「あなたの心が現実を作っている」。同じ主張があちこちにあり(例は違いますが)、デジャブを感じました。
勇気をもって可能性の世界に踏み出す。キーワードは「視点」。視点が固定されるから、心が固定され、感情が固定され、現実が固定されてしまう。だから、視点を固定させない、視点を変えてみる、一歩高い視点から見てみることが必要。
視点を上げることで、第三の選択肢を見つけ、複数の価値観、可能性があることがわかる。目の前には、未来には複数の扉がある。
扉の向こうの世界は、量子力学によって全て可能性の世界だということ。可能性の世界なので、可能性を上げる方法を考え、それを実行することが大事だ。
その扉の世界に入ったら、他人の価値、既存の価値という視点を疑う。つまり、レファレンス、ルールを自分で作ってしまうことを考える。
そして、いろいろ試し、努力していくと結果が出てくる。しかし、その結果に固執してはいけない。結果に視点を固定してはいけない。すべては、ポジショニングの問題であり、関連性の問題。時間とともにポジションは変わるし、結果も変わって行く。
心が現実を作っているのだから、心を変えればよい。そのために、視点が大事。何に対しても、一度深呼吸して、今の視点はどこにあるのか、別の視点はないのかという心の余裕を持ちたいと思います。

投稿者 andoman 日時 2017年10月1日


「自分が信じていることを疑う勇気」を読んで

本書の中で特に自身に響いたのは以下の項目だった。

「できない」を疑う
私には現在、人生を通して実現したい事がある。
しかし、それを妨げているのは、資金、人材、環境といった、よくある話(出来ない言い訳)だ。
当初は「出来たらいいなぁ~」程度だったが、そう思い続けているうちに、実際に関連する業界の展示会イベントが目に入り、それに参加して動向調査を行ったり、周囲にも口に出す事で、思わぬ助言を受けたり、今は少しずつだが、実現までの道が少しづつ見えて来ている。
そこで、本書にある、「可能性を上げること」というフレーズが腹に落ちた。
少し前の節の「成功法則を疑う」のまとめ欄で、「確率を上げる」という考えにパラダイム変換する様記載があったが、そちらもまさにその通りで、成功までの完璧なプランというものは、ほとんど作る事は出来ない。
しかし、確率を上げる事なら、いくらでも出来ると思う。
「できない」を疑う事から始まり、「できる」ための考えを見出し、そのための努力を行い「できる」確率を徐々に上げて行く事が可能となり、それを繰り返し継続して行く事で、らせん状に昇り、どこかでビックバンを起こせるのでは無いかという事に本書を読みながら気付く事が出来た。
上記を実現するため、現在では、以下の事を考え、既に行動を始めている。
 ・目的に即した知識と経験といったスキルを、日頃の業務を通して身に付けること。
 ・神様や土地の力をお借りし運を上げること。(祐氣取り、神社仏閣めぐり、風水の学習)
どちらか一方を継続しても、それなりに成功の確率は上がるだろうが、スキル向上で足元を固め、運を上げる事で、トラブルを回避し、幸運の女神の前髪を掴むチャンスを得る。
この2つを同時に行う事で、思わぬ相乗効果をもたらし、成功確率を大きく上げられるのでは?と考え、「できない」という言い訳をし続けている自分を克服できるのでは無いかと、考えている。

本書を読み、現在の自身における固定観念が、ずがーんと殴られた気がしました。
今月も素晴らしい課題図書をありがとうございます。

投稿者 kokchamp 日時 2017年10月1日


この本からの気づきは
結局、自分が何を得たいのか?そこが出発点であり、そこを決めないと始まらないということ。そこが決まれば物事の認識が変化する。「過去が現在を作っている」のではなく、「現在が過去を作っている」のだから。しかし、そこで絶対成功する法則などないし、失敗するかもしれないが、落ち込んだりしてはいけない。そういう二者択一的な視点では、「不測の事態が起きた時に、他の選択肢が見えず希望を失いやすくなる」からだ。
「必ずうまく行く方法を探すのではなく、可能性を上げるアプローチにシフトする方が望む可能性を実現しやすくなる」
2者択一的な視点という意味では、お金持ちか貧乏か?という視点ではなく、自分が望む状況になるために「必要な量を調達する方法を認識できるようになればいい」だけのことである。という話も大きな気づきであった。
要するに、なりたい自分というものは、他人からどう思われているのかとかそういう尺度ではなく、自分の中に尺度があり、それを実現できる可能性を高める視点でものごとを考えて行くことが必要なんだということ。
価値観は1つではなく、複数の価値観を自由に行き来することができるようになれればいい。
これまで、しょうおん先生のセミナーを受けて聞いていたこととかぶる部分が多くあったが、自分にかけているものは、自分のゴール設定が二者択一的で曖昧だったんだなと気付かされた。
とくにお金に関する考え方は今まで何を聞いて来たのかという思いで、この本を紹介してくださって本当にありがたい。