第52回目(2015年8月)の課題本
8月課題図書
戦艦大和ノ最期
戦艦大和の乗組員が実際に体験した大和が沈むまでのすべてがここに明かされます。
その場にいたものでなければ書けない臨場感を味わってください。文体は旧仮名遣い、送り仮名はカタカナを使う事でこれまたまた当時の雰囲気を伝えてくれています。
沈み行く船の中でパニックにもならず、冷静沈着に対応出来る軍人の精神力の高さには驚愕します。
【しょ~おんコメント】
8月優秀賞
今回は最初から最後まで旧仮名遣いで書かれた本を紹介したためか、60冊以上売れた割に
は投稿者は伸びませんでした。ま、途中で挫折しちゃったんですかね。でも何名かの方も
書いてくれましたが、初めは読みにくくてもガマンして読んでいると、いつの間にか旧仮
名遣いのリズムに慣れて来て、最後にはフツーに読めるようになるんです。
そのうちこのメールマガジンの本文も一度全部旧仮名遣いにしてやろうかと思いましたけ
ど、カタカナへの変換が面倒なんですよね。ATOKには「文語」という選択肢もあるんです
が、残念ながらカタカナには変換してくれません。
話を課題図書に戻します。毎回言うんですが、本書の内容と関係無くご自身の意見をひた
すら開陳されても、これは感想でもなんでもありません。今回のテーマで言えば、なぜ戦
争は起こったのかとか、日本が負けた理由とか、あれが如何に無謀な戦争だったかなどを
得々と書いて終わりにされちゃ感想文じゃありませんから。それが本書の内容とどうリン
クするのか、そこに読み手であるあなたがどう影響を受けたのかが書かれて初めて意味を
持つのです。
では発表します。
今回は4名の方が一次選考を通過しました。カキコされた順に書くと、
Akiko3さん、J.Sokudokuさん、BruceLeeさん、そしてsenumishimaさんです。この4名の方
が頭ひとつ抜けていました。今回は2名なので、この中からAkiko3さんと、senumishimaさん
に差し上げる事にしました。
【頂いたコメント】
投稿者 dukka23 日時 2015年8月23日
「死と如何に向き合うか」
タイトルの主語こそ「戦艦大和」となっていますが、
この本のテーマはこれではないでしょうか。
感情的には「嫌だ」と思いながらも
招集され学徒出身として見事に軍人の心得を身につけた著者。
まさに必死の覚悟で出撃しますが、
自身の両親への思いや、周りの兵士の妻子を残す状況を見ての
感情の揺れが克明に描かれており、
「生への執着ではないが、死への恐れでもない」という複雑な心境を
生々しく感じ取れます。
また、戦闘中や沈没後、「生きるか死ぬか」という間際での自身の葛藤も痛烈です。
特攻兵として来たからには生きて帰れないという思いと、
士官として部下たちを犬死にさせないように守り、率先垂範するという行動とが
ぶつかり合う心の揺れを率直に伝えてくれています。
加えて、艦長以下幹部の見事な死に様、暗号兵の責任感の塊のような死に方は、
現代に生きる自分との、人間性の差を痛感してうつむくばかりです。
私はもちろん今死にたくはありません。でもいつかは死にます。
どのような死に方かも分かりません。
仏教では、生きているうちに死を如何に真面目に考えるか、
「後生の一大事」を如何に解決するかが目的と言われています。
表面上は、軍人になりきり死を克服したはずの著者も、
いざ死に直面して二者択一となると、心は揺れ動き、
結局は「生きる」ための行動を取ります。
しかしその行動は、死への恐怖からきたものや逃げでは決して無く、
「納得の行く死に方をするために、生きる」というような
前向きに死と向き合ったが故の行動であったような気がします。
特攻作戦中に一瞬にして肉片へと散っていった者達は
そんな葛藤や心の揺れを思う暇もなかったでしょう。
それだからこそ、「生きるか死ぬか」を選択する暇も考える余地もなかった仲間たちのためにも
「生きていることだけで、すばらしい」ということを
著者は世の中に伝えたかったのではないでしょうか。
投稿者 kd1036 日時 2015年8月25日
大東亜戦争関連の本もある程度の冊数を読んで、毎回同じような事を思うのですが、色々視点を動かしながら考える事が重要かなと最近は考えます。
必敗の作戦?死ぬことが課せられている行軍?
こんな事が間違っているのは、当たり前です。
組織・制度の在り方、日本の文化、国民性、取り巻く状況、諸々あるとは思いますが、責任はやはりトップにあると考えます。
特に、明確な目標を示す・そのための手段の明示・的確かつ素早いデシジョンメイク、この点が圧倒的に不足していました。
確かに、軍部主導でしかも陸軍と海軍が縦割りで連携不足、決定を下すのは天皇だとしても実質戦争を推し進めたのは天皇自身ではない、国民の機運等色々言い訳を並べることは出来ますが、国を一個の組織として見た時に、誰が責任を持っていたのか不明瞭です。
天皇が悪いという論を展開するつもりはありません。
軍部の主導により首相が独自判断をするでもなく、国民の熱気に押されたと言っても正しい情報を与えていたわけでもなく、戦端を開いた後の長期的な戦略もなく、原爆が投下されるまで戦闘を停止できない、これらは前線や各指揮所で云々という話ではなく、指導者層、企業で言うなら経営陣がビシっと治めなければいけない部分です。
首相や軍部のトップなどの個人に帰属するものではないと思いますが、国の運営を担う機関の意思決定権を有する層はすべからくその責を負うべきです。
また、国民には自ら思考し判断を下せる資質を持つ事も必要です。
大まかに足りていなかった点をあげます
・一つは、出口を作っていない事
戦争を始めたはいいが、どこでどのように終わらせるか。
これは勝った場合も負けた場合も等しく必要です。なにやらマネーゲームの頭と尻尾はの話のようですが。
結果論ではなくても、戦場展開が広すぎて日本の補給力にはオーバースペックすぎるのは素人にも分かります。
必敗の作戦、文字通り命を懸けた攻撃等は、既に勝ち負けを決めるシーンにはありません。
初戦で勝利を得たなら、その後はどこまで戦端を広げどこで講和に持ち込むのか。戦局危うしとなればどこを引き際とするのか。何も見えてきません。感じるのは、最初で相手を叩いて調子に乗ってイケイケドンドンをしてたら、段々巻き返されて、だけど新たな戦略も立てられず、変な意地で引くことも出来ず、やみくもに被害を拡大しただけ、といったところです。
本文中に、我々が命を賭して時間稼ぎをする事で日本国復興の礎となる的な部分がありましたが、これとて詭弁に過ぎず、実際大和を砲火に晒して国民の命を失わせた事は、無意味でしかありません。
事象に関しては無意味だと思いますが、戦地に赴いて散った方々には尊敬と感謝と弔いの念を常に抱いております。
・一つは、成功体験に縛られて、進化を止めてしまった事
アメリカは、日本の真珠湾攻撃を手本として自国の軍隊の練度を上げていきますし、軍備の増強(新兵器の投入含む)を図りますし、兵士の命を大切にします。兵士に関しては、人道的見地もありますが、ミッションの中で最も重要な資源であり戦局を一番左右します、そしてコストも多大にかかりますし、その経験が何よりの財産になる部分です。
開戦時の戦力、物量というより兵器の水準は、確かに戦闘力を担保できるものだったかもしれません。ですが戦局が長引くにつれ、物資の不足・相手側の戦闘力の増大が出てきました。
そこで精神論で何とかしようなんていうのは、愚の骨頂です。
しかも、確とした落としどころもなく兵士の命を削っていくなんて。
もし、物量や兵士数などを言い訳にするのなら、そんな戦争はそもそもやっちゃいけないんです。
・一つは、思考を停止してしまった事
指導者層は、大局的・長期的にどう収束するかをしっかり考慮していたとは到底思えません。
日本が負けているという事実、このままいけば配線するという事実、これはどの段階で明らかになったのでしょう?
おそらく、かなり早い段階でその事には気づいていたはずです。
しかし、その事実に対して正面から向き合い、方針を打ち出したのでしょうか?
答えは、否と言わざるを得ません。
ずるずると戦争を継続し、最後は精神論と玉砕では、あまりにも悲しい結末に思えます。
結局、情報収集・戦略立案・人材育成・長期展望・計画のフレキシブル性、全てにおいて不足していたと結論付けられます。
これはテーマを戦争としていますが、別に今の政治でも同じでしょう。ただし違うのは、今の時代、個人で何とかできる部分は大きくなっていますし、日本にこだわる必要も無くなっています。
個人としてどうするかは、個人に委ねるとして。
国の運営には、眼を光らせる必要はあると思います。徴兵をして特攻をさせるなんてことは出来ないでしょうが、舵取りの誤りで国体を為さなくなる場合も可能性はゼロではないのですから。
読み始めた当初は、文体がどうしても入りづらかったですが、読み進めると馴染むものなんですね。
あとがきにたどり着いて、正直ズッコケました。普通に書けるじゃん。
ただ、その弁に触れて深く納得しました。
心の声が流れている場面、沈没後生存者が生きようとして死んでいく地獄絵図の場面、その他諸々、この語り口調でないとはまらない、というのは確かにその通りだと思います。
出征した兵士の方々の精神は想像できない位の状態に置かれていたことでしょう。自分が、同じようにしろと言われれば出来ませんと言いますが、それは選択肢がある前提の話です。
このような形で生命が奪われるという事は本当にあってはならないと思います。
筆者は生還して、家族と再び相見える事ができましたが、二度と会う事のかなわなかった家族の方は、どれほどの悲しみを抱えているのでしょう。帰還兵に何で死んでこなかったんだ!!と詰め寄る、正しい事ではありませんが、仕方ない事に思えます。とてもとても悲しいことです。
あとがきにて、出版時戦争礼賛の文書だから云々といったことがあったと書いてありました。
この辺りが、駄目な所なんだよなと思います。
どうでもいい事に目くじらをたてて、さも自分は正しいというポジションをとる。言葉が汚くてすいません。
こういう事は、今の時代でも往々にしてあります。そして多くの場合、何かを自分でリスクをとって懸命にやっている人に対して、何のリスクも取らず何も行動していない人が、こういったアクションをします。
これは、一般の社会の話ですが、それを是とする価値観があるという事は、規範となる、子供にとっては親、サラリーマンなら上司、国で言えば指導者層に、そういった部分があるからではないのかと個人的には思ったりします。
戦争反対!!は別に悪くはないと思いますが、戦争がない事だけでなく、戦争がなく○○な社会に日本をする。どのような社会を作っていくかは、為政者だけのものではありません。一人一人が求めていくべきだと思います。本当に求めるのであれば、理論上は為政者の層に入ることも可能なのですから。
投稿者 munetaku 日時 2015年8月26日
空軍の神風特攻隊に対する体裁を考えて、海軍も特攻を行うために大和を犠牲にする。実行しても効果は薄い作戦と誰もが知りながら止められない。何よりも体裁を気にするところは日本人らしいと言えるが、人の命を秤にかけても体裁を選ぶというのは信じられない。
しかし、今の日本はこの事実から学んでいるのだろうか?借金から目をそらして、赤字を積み重ねる政府。異常な自体だと言うのに政治に関する議論よりも政党間の争いや保身に汲々としている。政府に限らず民間企業おいても既得権益や体裁を守ろうとして、自滅する姿が見受けられる。日本人の悪い面が引き継がれているように見える。
良い面を見ると、腐敗する軍部や政府のトップの一方で、大和の乗員は国の為、家族の為に自分の命を犠牲にして戦った。しかも、家族を悲しませないように、本当の気持ちを打ち明けずに毅然とした態度で戦地へと赴いた。ここに日本人の相手を思いやる心が現れている。東日本大震災でお互いに助け合う日本人の姿が報道で取り上げられたように、その性質は受け継がれているように思える。
もう一つは、米軍に攻撃を受け続けるしかない極限状態において、自分の任務を達成しようとする責任感。大和から放り出され、死の間際で上官として部下を助けようとするときの冷静さ。決して投げ出さない姿勢。この凄まじい精神力の強さはどこから来るのか?今日の日本人に出来るだろうか。良い面を失って悪い面だけが残されていないか?歴史から学んでいるのだろうか?国民の性質が変わらないのだとしたら、システムを変えるしかないのか。
最後に。神風特攻隊などの日本人の自己犠牲的な姿勢は外国人には理解し難く、破滅思想と思われる。日本人である自分だって同じ状況におかれたら特攻なんて出来るだろうかと思う。しかし、特攻で犠牲になった方々がどんな想いで戦地へ向かったかを知ると、彼らに対して敬意を表するし、日本人であることを誇りに思う。 こうした数多の犠牲の上に存在している日本国、自分という存在を想ったら、自分の命、日本国を大切にしようと自然に思う。 命を大切に、という言葉よりもこうした歴史を知ることの方が遥かに重みがある。
投稿者 akiko3 日時 2015年8月26日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
70年前という自分の親も経験してきた現実、関係ない話ではないのに戦争ものは怖いからと避けてきた。家族や国を守る為に国民が武器を持ち戦った。勝って守るが、いつの間にか死をもって守るとなった。人間が弾になる(死)さえも最善策と受け入れた社会。著者は負けた現実を戦争に関わった自分の人生の意味を真摯に問おうと敗戦後にすぐ筆をとった。日本は敗戦という大きな失敗から何を学んだのか?私自身、恥ずかしながら8月15日は終戦記念日と捉え、敗戦日との認識は薄かったし、戦争への過程も学んでいなかった。いかに平和を築くか、戦争を避けるかを選択する立場である大人なのだから急いで過去の事実を学ばねばならない。
しかし、生と死とは一体何か?生き延びた人は死んだ人に対し罪悪を感じている。あまりに死んだ人が多いと生き残った少数派は申し訳なく思うのか?著者は一つ一つの死のあまりに軽んじられた理不尽さに憤りも抱いていたが、目の前の死、一人一人が背負った人生にどう終わりをつけたか、家族、職業をもった普通の人が軍人としてどう終えたかを見届け、自分も後に続く覚悟をしながら、まだ死ねていないと焦ってもいた。一方でなぜ死ななければならない?との葛藤にも悩み、死の方が甘美にも感じたり…。母親の無事を祈る気持ちを知りながら、特攻に志願したのは刷り込まれた時代の価値観故なのか?あの時代は“みんな”そうだったという、“みんな”はとても曖昧な言葉なのに多くの人が縛られる言葉だ。いまだに“みんな”が…と無意識に安心して使うことも否定できない。
私は人には生きようとする本能があると思う。生きよう、生きようとする人間がいかに死ぬかを考えるのは相当な苦悩だろう。だから、生に濃さがにじみ出るのかと思った。あの時代の人達が人として成熟し、志が高いのはそういう苦悩の中から光り輝く命の炎を見つけたからだろうか?多くは消えた炎だった。いくつもの命が支え合っている日常がいかに尊いか。だから命をかけて取り戻そうとした。その結果の今なのに、自殺や殺人などで命が粗末にされ、日常に感謝もしないことはどんなに罪深いことか!臨場感あふれる文体から消え行く命、一瞬にして消えた命の数々を思い、ただただ頭を垂れるしかなかった。今まで知ろうとしなかったことを詫びた。
戦後70年の今年は、高齢になった戦争体験者が重い口を開き、語り継ぐ姿を報じる記事を目にする。語りたくない現実を語らずにおれない現代の自堕落さは不安だ。でも自分だって、いつか来る死を思い背筋を伸ばして生きているとは言い切れない。せめて8月だけでも生きよう生きようとした命に思いをはせ、生かそう生かそうとしている命を思いながら、今の平和の有難きに感謝し、身近な家族を思いやる行動に繋げたいと先祖に手を合わせたお盆であった。ありがとうございました。
投稿者 magurock 日時 2015年8月31日
「今、この本を読んでいるんだ」
と、『戦艦大和ノ最期』を父に見せた。
途端に表情を硬くし、
「俺も昔、それを読んだけどな、くやしくて腹が立って……」
と言ったきり、いつもは饒舌な父が黙り込んでしまった。
戦時中に多感な頃を生きた父が、本書を読んで抱いたくやしさと腹立たしさは、戦争を知らない私が感じた悲しみや怒りの何倍ほどだろうか。
そう考えると、もう何を言っていいかわからなくなってしまった。
父は普段は戦争の話を避けるわけでもなく、どちらかというとよくするほうだ。
「これを読んでみろ」
と戦争に関する本を押し付けるように持ってきては、早く読めとせかし、感想を語り合いたがる。
だからこの本についても、いつものように興奮しながら自説を述べたがると思ったのだが。
思いがけない沈黙を、
「ラッタルってどんな形?」
などと質問でほぐそうとしたのだが、父の無言に込めた思いを考えると、不覚にも涙が溢れてきて私も黙り込むしかなかった。
それにしても、私は戦艦大和について、何も知らなかったようだ。
大和の出動自体が、特攻作戦の一部だったなんて、本書を読んで初めて知った。
ある記録によると、このときの戦いで、大和だけでも2,740名の戦死者を出したという。
ここまでの犠牲を払いながら、本当に日本は「敗レテ目ザメ」たといえるのだろうか?
自分は「日本ノ新生ニサキガケテ散」った大和の乗組員、国を守るために戦って死んでいった兵士たちに恥じないように生きているだろうか?
まだ、胸を張って頷くことができない有様だが、この問いを、これからもずっと心に抱いて生きていこうと思う。
自分よりうんと若い臼淵磐大尉の言葉を噛み締める、戦後70年目の8月だった。
投稿者 J.Sokudoku 日時 2015年8月31日
1.戦艦大和の「宿命」と吉田少尉の「運命」
「宿命」とは生まれつき宿っていること。自分が日本人であることは「宿命」。自分が男に生まれたことも「宿命」。生まれた時に既に決められたことだ。それと同じく戦艦大和の無残な撃沈は「宿命」と言えるであろう。戦艦大和が誕生した時は、既に戦艦主戦論から航空機主戦論へと変わっていた。それと平行して大日本帝国の敗戦の色は日に日に濃厚となっていた時でもあった。時代錯誤に生まれた史上最大の戦艦、「世界ノ三馬鹿、無用ノ長物ノ見本」とまで揶揄された戦艦大和の無残な最期は「宿命」だったのである。ただ、重要な事は、その戦艦大和の「宿命」、そしてこの特攻作戦は多くの命を奪ったという事実は、果たして日本国と日本人にとって、どういう意味だったのかを見い出すことが重要だと著者は訴えている。
翻って吉田少尉の沖縄特攻作戦からの生還は「運命」である。「運命」とは自分の力で運び、動かすこと。今、自分が課題図書を書いているのは「運命」。自分が今の会社で働いているのも「運命」。自分で選択していることだ。吉田少尉は、戦艦大和の乗組員として、特攻作戦において死を選ぶこともできたはずだ。当時、国のために死ぬことは恥ではなく賛美に値した。むしろ生きて帰ることこそ恥とされた。そして、自らの内面にも死ぬことを選ぼうとする自分がいた。そんな中、吉田少尉は生きることを自ら選んだのである。その選択が正しかったことは帰還後に両親と再会した時に切に感じている。「ワガ電報-文字、形ヲナサムマデニ涙ニジム…故ニコソ生命ノ如何二尊ク、些カノ戦塵ノ誇リノ、如何二浅マシキヲ知リタルカ」
2.吉田満の「宿命」
生還後、吉田少尉は「戦艦大和ノ最期」をたった1日で書き上げた。特攻作戦の戦況を、また、死を目前にした艦員達の心理を淡々と克明に綴ったのである。偉業である。但し、著者は「戦艦大和ノ最期」を書き終えた後に一旦筆を置くことになる。そして彼50歳を経て、「臼淵大尉の場合」、「祖国と敵国の間」、「提督伊藤整一の生涯」等を続きて執筆していくのである。孔子曰く、「五十にして天命を知る」。天命とは、天から命じられたことであるので変えることはできない。「あの戦争」を「戦艦大和」の意味を問い続けること、それが、戦艦大和から必死に生き延びた1人の人間、吉田満の「宿命」なのではないだろうか。彼は「戦艦大和ノ最期」を書き上げた後、「あの戦争」との距離を取ろうとしたのだと思う。少なくとも書物を通して世に問うことは30年間も止めていたのである。ただ、「宿命」は彼を引き戻す。「あの戦争と戦艦大和の無残な撃沈と多くの命が奪われた事の意味を世に問い続ける」ということに。
3.人生の意義
本書では、自らの死の理由・意義をもがき苦しみながら見い出そうとする者達が克明に描かれている。結婚後、直ぐに出征した者。生まれてくる我が子の顔を見ることもなく死んで行く者。そして搭乗員達が大切な家族を思い、残された者達の今後に心を痛めていたということが痛々しく描かれている。誰もが許されるのであれば生き続けたかったはずである。著者は、多くの学徒出陣の搭乗員は国のために死ぬこと以外に理由を求める傾向にあった記述している。やはり国のためだけに死ぬということは、やるせなく受け入れ難いことだったのだろう。では、多くの海軍兵学校出身の搭乗員は“国のために死ねればそれで本望だ”と何故思えたのだろうか。そこには、当時の日本海軍を包み込んでいた※1「全般の空気」と呼ばれた海軍兵だれもが感じ共有した「水上部隊の栄光のために」という思想があったのだという。伊藤司令長官と臼淵大尉の2人の人生観がそれを鮮明に映し出している。伊藤司令長官は、本部参謀長の言葉、「一億玉砕に先がけて立派に死んでもらいたい」を受けて天号(沖縄特攻)作戦を受託する。著者は、当時「一億総特攻」と声を掛ければ一切の言論を封じる魔力があったとも記している(「提督伊藤整一の生涯」より)。臼淵大尉は「日本が目覚めるために、新しく生まれ変わるために先がけて散る。それで本望じゃないか」という。臼淵大尉、弱冠21歳である。こんな若者でさえも飲み込んでしまう「全般の空気」とは如何なるものなのか。また、この2人は、※2「自己超越」の階層に至った人達であるといえるのではないだろうか。「自己超越」とは「目的の遂行・達成だけを純粋に求める」という領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭するという。但し、この2人を含め勇敢に命を差し出した者達を神々しく称えるだけはなく、当時の膨張主義の確たる犠牲者であることを哀れむことも大切なのではないだろうか。
4.「戦艦大和ノ最期」の意味
人は、死に直面した時にその人生の意義を問うのだろう。何のための人生だったのかと。恥ずかしいことだが、自分は真剣に人生の意義を考えたことがない。では人生の意義を問うとは、死と向き合うことなのだろうか。死と向き合うことでしか人生の意義を問うことはできないのだろうか。そうではないとこの本を読み終えて思った。著者がそうであるように人生の意義を問うとは、自らの人生に起こった出来事の意味を考え行動し、問題意識を持つことなのではないだろうか。そして、自ら「運命」を切り開いて行くことなのではないだろうか。自分は今年40歳となる。50歳まであと10年、自らに起こり起こった出来事の意味をよく考えて、問題意識を持って、今を懸命に生きれば天命を知ることができるのかも知れない。
~終~
※1「提督伊藤整一の生涯~吉田満~」
※2「自己実現理論~アブラハム・マズロー~ Wikipedia」
投稿者 andoman 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
帰る事の出来ない出撃…。
大和が特攻により轟沈した事は知っていたが、どの様な作戦内容で、どの様な最期を迎えたかまでは、気になった事はあっても、詳しく調べる様な事は無かった。
本書により、その状況を知る事となったが、想像以上の惨状だった…。
作戦も、作戦と呼べるものではなく、「維持コストが掛かって、そのうち動かせなくなるから、動かせるうちに使い切っちゃえ。搭乗員も沖縄本土戦の補充兵にしちゃえばいいよねー」といった、完全に命の使い捨てだ。
「日本海軍400時間の証言」を読んだ後に本書を読むと、想像が容易だ。
人を人として扱わない上層部の人間達の、無恥で非道な行いに、今回も目を覆いたくなる。。。
多くの乗組員は、生きて戻れない事を覚悟し、死地に赴かなければならない。
例え、逃げようものなら、自身が極刑となるだけでなく、家族・親戚にも近隣の住人による、誹謗中傷や差別等といった形で迷惑が掛かる。
国によって、世論が完全にコントロールされている状況で、いくら「オカシイ」と思っていても、家族が見えない刃で人質に囚われているため、何も出来ない…。
結果、「お国のため、家族のため」と…。
兵隊となった人自身も、その様に考え、自らを奮い立たせないと、自身の行動の意味を保つことが出来なかったのでは無いだろうか…。
表向きは意気揚々と…。
だが、その心の内は故郷を想い、哀しみに覆いつくされていたのでは無いかと思う。
いかに軍国主義の教育による洗脳があったとしても、いったい何処に嬉々として、死を望む人間がいるだろうか。
特に待つ人がいるのであれば、尚のこと、その哀しみは計り知れない…。
そして、多くの兵士がその様な想いの中、大和と共に海に沈む事になってしまった。
大和乗組員の生還率を調べたところ
乗組員数3,332名、生還者数269名、生還確率8.1%
となっていた…。
海軍上層部の見栄のために、3,063名は大和と共に眠りについている。
「お国のため、家族のため」と哀しみのうちに、その命を実際に落とした人たちが…。
今回の「戦艦大和ノ最期」を読み「日本海軍400時間の証言」を思い返すと、ただただ、悲しくて無念で他ならない…。
現代に生きる我々は、この過ちを繰り返さない様、何が出来るだろうか…。
「戦争反対!」「9条を壊すな!!」などと、声だけ出している、残念な人達とは別の何かをしなければならない。
今、自分にできること。
きっとそれは、"休日に国会前でデモに参加する"といった、ほぼ無意味な行動ではなく、戦争で多くの犠牲を出した作戦や、命を落とした人たちの想いを綴った記録をこの目で確かめ、友人や次の世代に、自分が得た知識を伝えて行く事なのではないかと思う。
そして、伝えた相手が、戦争というものに対して、その人自身の意見や答えをきちんと持てる様、支援をする事なのではないかと思っている。
投稿者 ktera1123 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
父方の祖父は私が生を受ける前に死亡したので母親からの伝聞によるが召集の打診がきたが、「君のところは子沢山で戦地に行ってしまうと残された家族が大変だ。変わりに行ってあげよう。」と男気?がある人がいて行かないで済んだと聞いたとのこと。
後日談によると変わりに行った人はどうも「戦艦大和ノ最期」に巻き込まれて戦死したらしいとのこと。どこで何かが左右するのかもわからないのだけど、今、自分がここでこれを書いているのも不思議な縁が少しづつつながってこの機会があるのかもしれない。
本文中の「四十歳ヲ過ギタル老兵ノ処置ヲ如何ニセンカ 戦闘上殆ンド無力ナルハ明ラカナリ マタソノ戦死ノ遺族ニ甚大ナル打撃ヲ与ウル者多シ」の行を読んで四十歳を過ぎてしまった自分としては、当時と平均寿命の違いはあれども、既に若い人ではないことを突き付けられてショックをうけていることは否めない。よくよく考えてみればプロスポーツでシニアツアーがあるような競技を除けば、自分と同世代となると引退して監督、コーチ等をしている選手が多いことを考えるとなんとなくは納得できるかもしれない。
以上
投稿者 sakurou 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
戦後70年。区切りの意味も込めて靖国神社に参拝し、遊就館にて改めて特攻隊員の遺書を読み、若くしてこのように死ななければいけなかったのか、思いを馳せ、この本を読む。
旧仮名使いは読みにくいとおもいきや、すぐに慣れ、読み進めるうちに逆に新鮮さを感じる。その文体ゆえに新仮名遣いよりも戦闘のリアルさを感じる。
当然、ほとんどは戦闘シーンであるが、よく見る戦争映画の戦闘シーンより遥かに凄惨な船内がリアルに表現されている。
「肉塊」「紅キ肉樽」、「四肢、首等ノ突出物ヲモガレタル胴体」「脂臭粉々」等、想像できない世界が広がる。戦場とは今の我々が暮らしている世界とは全くの別世界であることを痛感するし、戦艦大和出撃のきっかけとなった市民を巻き込んだ沖縄地上戦の凄惨さを身をもって知り、今でも語り継ぐ沖縄の人々の心境は計り知れない。
本書を読んで、感じたことを述べる。
1. 大和特攻作戦の意義
作戦の意義についてはWebで見ると、沖縄戦で敗北し、敗色濃厚という状況ながら、海軍の象徴である大和を特攻させずに終戦を迎えるのか、という強硬論もあったようである。一億玉砕という言葉が示すように、とことん戦わねばならないという時代の空気がある以上、軍としてもそうしなければならない、という空気であり、そこには戦略などは無い、ということなのだろう。
本書では兵学校卒組と学徒出陣組との対立として描かれている。兵学校卒は上意下達でやるべしとしてしか思っていないし、学徒出陣組は状況を冷静に見て作戦の意義がないと思っている。大和の中でも一枚岩でなかったということだ。しかし、全く意味がなかったとも思えない。大和特攻作戦が失敗に終わったことで、海軍は海上戦で勝ち目が無いことを客観的事実として認識し、後々の降伏につながっている。つまり、彼らの死があって、終戦、復興とつながり今の私達の生活があるのだ。
2. 当時の人々のメンタルタフネス
昨日まで一緒に行動した戦友が突然亡くなる。しかし、それには目もくれず、作戦遂行のために行動し続ける。兵学校卒ならずとも学徒出陣で出征した兵士でもそのように行動する精神力には驚かされる。死と隣り合わせの戦場、特に特攻といいう特殊な作戦で、彼らはまさに「必死」に戦っていたのである。
今回改めて遊就館やテレビでの玉音放送を「耐え難きを耐え…」の一節は戦争時の状況を取り上げていると誤解していたが、当時から見た未来の日本についての困難さを取り上げていることを学んだ。
戦時中の困難を耐えた上に、敗戦後にあるであろう占領政策(当時の日本製は"Made in Cccupid Japan")や復興の困難さを示したのが「耐え難きを耐え…」である。
翻って今の我々は命の危機も無く、食料も食べたいものを食べたいだけ食べられる。当時の人々とは比べ物にならない程、幸福と言える。この本を読み、当時の世の中に思いを馳せれば目の前にある困難など大したこと無いと思えてくる。
最近、「夏休みが明けて学校がつらかったら図書館においで」というのが話題になっている。もちろん一つの考え方としてはあるし、もし自殺防止としての効果があるなら否定はしないが、図書館に行っても課題は解決されないし、自分で、ないし自分が周りに働きかけて解決するしかない。今の日本人は打たれ弱いとも言えるが、困難を克服するヒントを得ようとする能力が低下しているのかもしれない。
こういう本を読んでメンタルタフネスを上げる営みが重要だと改めて思う。
(もちろん図書館で良書を読んで課題を解決するヒントを得るというのはアリ)
3. 平和を知るということ
本書の記述の中で気付いたことがある。出撃前の待機中に紫電をグラマンと誤認し撃墜した事件が発生し、航空隊司令からの抗議に対し、艦隊司令長官名で、「…艦隊進路ニ無断進入スル航空機は敵味方ヲ問ワズ、前記撃墜ガ当然ナリ」と返電している。コミュニケーション不足により味方機を撃墜するという、軍隊としてあり得ない事象が発生したのにもかかわらず、同じ海軍の中でさえ、組織間の連携は無く、もはや日本軍全体が組織として機能していなかったことがわかる。組織が機能するためには基本的な方針や戦略が整っている必要がある。
しかし、度重なる敗戦で戦略が機能せず、戦闘が場当たり的になったということだ。
遊就館で開戦時の戦力図を見ると、極東、南方、西方と当時の勢力地域が非常に広かったことを改めて感じる。インパール作戦は言うに及ばず、補給路の考慮が十分でなく死者が続出したケースは多数あり、今から見れば開戦自体が戦略的に無理があったと言える。
もちろん、命に優先度は付けらられないが、補給不足や無謀な戦略でで失われた命が勿体無いというのは言いすぎだろうか。
広域になれば戦略や連携がますます重要になる。当時の軍部は(国民もだが)日清、日露戦争の勝因を分析しないまま、アメリカの原油禁輸措置に端を発し、大東亜戦争に突入した。エネルギーや物資の不足は見えていたはずである。(というのは簡単だが、実際は時代の空気などがあり難しかったのだろう)
平和を知るには戦争を知る必要がある。戦争を知るには戦略を知る必要がある。戦争は良くないというのは簡単だが、なぜ開戦しなければならないのか、いかに終結(敗戦)しなければいけないのか、戦略に思いを巡らせないければ戦争や平和を理解したことにはならない。ということを再認識させられた。
本書を通じて、戦争と平和だけでなく、生き方等、自分を振り返る見つめなおす良いきっかけとなった。今の自分のありがたみを実感しつつ、自分の人生戦略をじっくり考える一冊としたい。
投稿者 BruceLee 日時 2015年8月31日
「必敗の作戦」と呼ばれるような、納得し難い命令に従うまま命を落としていった
現場の青年達の無念さを感じ、怒りを覚えながら読み終えた。が、ここでは敢えて
その点から一歩引き、自分の脳内でずっとモヤモヤしていた疑問に関して述べてみたい。
それは、
「大和最期の出撃目的は一体何だったのか?」
という事である。いや、本書にもそれらしき事は書いてあるにはある。
「沖縄ノ米上陸地点ニ対スルワガ特攻攻撃ト不離一体ニシテ」云々、
「米迎撃機軍ヲ吸収シ、防備ヲ手薄トスル囮ノ活用」云々。
。。。よく分からない。旧日本海軍上層部は何処を見て何をしたかったのか?今時の
企業のKPIではないが、「菊水作戦」においてはどんな結果であれば成功と呼べたのか、
その評価軸が不確かなのだ。特攻隊もそうだが、負けが込んでからの上層部指令は徒に
青年達の命を粗末にする愚行と映るのだ。勝つという目的がありその作戦のため、結果
として命を落とす事は、戦争である以上仕方ないかもしれない。が、その目的が見えない
中で自ら命を投げ出すような攻撃は当人たちにとっても無駄死にとしか思えなかった
のではないか。実際、青年達の間でそんな会話がなされる場面も本書に登場する。
それだけ青年達の命を粗末にしても根性論だけで戦いを続けたのであれば、一部で言わ
れるように、まさに狂気でしかなく、更なる怒りが込み上げる。だが、ここでも冷静に
考えてみたい。とはいえ当時日本において最高の頭脳集団である上層部なら、もっと別の
目的があったのではないか?と。それは一体なのだろうか?
そんな時、ある知人から得た考え方に衝撃を受けた。それは「旧日本海軍上層部は敗戦後
に無傷で大和、武蔵の両艦を衆目に曝すことを耐えがたい恥だと思った」という説だ。
なるほど、コレなら実に腑に落ちる。勿論、賛同は出来ないし、上層部は戦争終結後の
日本の事は全く考えていなかったのか?と呆れる面はあるものの、武士の時代から日本人
には恥を良しとせず、という「恥の文化」がある。それを踏襲したのだとすれば、その
考え方自体は理解出来るのだ。つまり当時の時点で上層部の思考は勝ち負けにはなく、
「(大和を無傷で残すという)醜態を晒す事無く、最後まで戦って立派に沈んだという
名誉」をキープする事が目的だったとすれば、負けると分かっている作戦を立てるのも、
現場の青年たちの命を考えず出陣させるのも、上層部に取っては大変意義深く、意味ある
作戦だったのだろう。
だがしかし。。。
仮にこの説が正しいとしても、次に問われるのは価値観の問題だ。恥をかきたくない、
というのはプライドの問題である。つまり、当時の価値観は、
「プライド>命」
だったという事だろう。日本人としてのプライドを傷付けられるくらいなら死んだ方が
まし、大和や武蔵も攻撃を受けて沈めた方がまし、という価値観。たとえそれが他人の
命だろうが関係なく、日本国民ならば天皇のために命を捧げるべきなのだ、という
価値観。逆に米軍は常に人命を重視していた場面も本書に出てくるが、この対比は本書
の大きな ポイントであると思う。「プライド>命」は当時の日本人的価値観であったが、
「その価値観は間違っていたのだ」と断言できるか否かが我々現代日本人に問われている
ように思うからだ。
恥は個人の感じ方の問題である。また、そもそもそれってホントに恥なの?自分の中で
恥だと思ってるだけなんじゃないの?と違った視点や解釈で心を軽くする事も、生きて
さえいれば出来る。一方、命を失ったら最後、何も出来ないしそもそも命は当人だけで
なく、周囲の人達にも大きな影響を与える。自分を生んでくれた親、そして家族・友人
をどれだけ悲しませる事か。まして命は神が授けてくれたものであると考えれば、その
神に対しその命を粗末に扱うなど許されざる愚行ではないか?そう考えれば明白だ。
命の方が重いのだ。
そんなの皆分かってる、当たり前ジャン!と人は言うかもしれない。だが、本当にそう
だろうか?現代でも会社や学校での過労やイジメで自ら命を落とす人は少なくない。
会社が辛くて辞められない、逃げられない、学校でイジメられると分かっていても、
行かなければならない、いっそ逃げたいが、それが出来ない。その苦しさ、辛さが何処
から来ているかといえば、行かない事=負け=恥と解釈してしまう考え方、つまり
プライドの問題ではないか?はっきり言いたい。そんな事で命を落とす必要は全く
無いし、恥をかいても生き続ける方が余程立派なのだ。何故ならたとえイジメから
逃げたとしても、決して人生からは逃げていないからだ。
タイミング的に多くの学校で二学期が始まる時期でもあり、既にその関係かと思われる
ような悲しいニュースも耳にする。が、死にたいほど行きたくないなら行かなければよい。
それで命が救われるなら、行かなくてよい。「プライド>命」という上層部の価値観に
より、多くの若き命が粗末にされた過去は本書に詳しい。であるならば、当時の旧日本
海軍上層部の価値観を反面教師として今に活かすべきではなかろうか。それが歴史を
学んだ我々現代日本人の責務であると思う。つまり、
「プライド<命」
なのである。
最後に、
本書により有能で将来有望な多くの若き命が失われた事を再認識した。もし彼らが生き
残っていたら戦後日本復興のスピードやその形、進め方さえもより良き物になっていた
かもしれないと思うと悔やまれてならない。英霊たちのご冥福をお祈りしたい。
投稿者 senumishima 日時 2015年8月31日
戦艦大和の最期を読んで
課題図書だから読み始めた本書。気が付けば、目をそらしてはいけないという気持ちで真剣に読んでいました。この激しい戦いと凄まじい精神力には、驚きのような尊敬のような感情になり、今の自分の持っているどんな言葉で表現しようとしても軽くなってしまいます。
戦艦大和に限らず、この大戦で失ったものは非常に大きいですが、得たものも大きいはずです。戦術の在り方に疑問を持ちつつ、家族の暮らす国を守るために、自らの命を差し出した数多くの方々の上に現在の日本があります。その犠牲の上に得たものに甘えきっていては余りに情けないです。それを改めて実感した1冊でした。
どんな想いで必死の戦いをしていたのか、今この国で生きている私達には、残された情報でしか知ることができません。それは本当に幸せなことです。しかし自らの体験ではなく歴史から学ぶということは、現実味が薄くなってしまうということでもあります。
このことを繰り返さないために、開戦そして後戻りできない状況へと進んでいった当時と、同じ思考にたどり着きつつものが現在もあるとすれば、それを早い段階で変える必要があります。
対空惨敗の事例において「何ラカノ抜本策ノ喫急ナルコトヲ力説ス」とありました。来た回答は「命中率ノ低下ハ射撃能力ノ低下、訓練ノ不足ヨル」という、こちら側(戦略)は悪くないのだから現場でなんとかしなさい。と言わんばかりの何の解決にもならないものでした。
実際に出撃して命を懸けている、全力を発揮したい側から見れば、考えられない回答です。
「必勝ノ信念トハ、ソモソモ何ゾヤ 惑ウナカレ 得難キ試練ナルベシ タダ突入ノ機ニ全力ヲ発揮センノミ」という思いの兵士も他にも多くいたはずです。そして必要以上の命が散っていきました。
この事例のような、現場とデスク側のミスマッチが、さらに多くの不幸をよんだのではないでしょうか。
例えば原発問題。現在の日本でも、国民と国の意見がこれ程分かれながら、着々と推し進められています。自分の国の人間を犠牲にし、高いリスクを押し付けている政策に対しては、臼淵大尉のように「コノ大馬鹿野郎」とでも言いたくなります。
そして安保法案。いくら武力を直接的に使えるようになったからといって、まさか直接やりあう戦争なんて、この御時世今後はもうほぼ起こらない。これは日本が国際的に有利に話を進めるカードの一つだということなのでしょう。
しかしあの戦争は本当にやりあうつもりはなかったけれども、予想以上に相手国が怒ってしまい始まってしまいました。
日本がアメリカの言いなりに動くことは世界的に周知の事実です。そのため、どの国も真剣に日本の意見を受け入れてきませんでした。将来的にはそこから独立するという意味も持っている法案なのかわかりませんが、近隣国は更なる武力もしくはそれに匹敵する力を持とうとし、泥仕合になってはお互いの資産を浪費してしまいます。今までのやり方ではなくもっと徹底的に法と交渉で戦ってくれたらと思います。
できるなら、正しい史実をを今以上に正式に公表してもらい多くの人に歴史を学んでもらいたい。報道機関も自己都合のままに情報を流すのであれば、あの時代と何が変わったのでしょう。戦時中は軍国少年が育ち、現在は政治に無関心な若者が育っています。そしてそれは両方とも、国に都合の良いものになってしまいました。迅速な中身のある正しい情報からは、それぞれが考え、意見を持つことができます。
過去における日本の選択、その結果国民が負わされた傷跡は残っています。時代も状況も全く違うからと、一切振り返らないのでは、あの時命を懸けた方々に申し開きできません。きっと、もう誰もこんな目に合うことのない国になってほしいと願って、出撃して行ったのではないでしょうか。
戦時中正しかったことは、戦後は間違った考えになりました。時代背景により変化していく”正しいもの”ではなくて、本質的な意味で最善の選択を企業レベル、国レベルでしてほしいと、国民の一人として願います。
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ」
この国は「負ケテ目ザメル」ことができたのか、「進歩ノナイモノ」なのか、あれから70年経ったので戦争の悲惨さを伝えるばかりではなく、そこから今の問題を見直してみることも必要だと思いました。
大和での戦局を見てきた筆者が奇跡的に生き残り、本書がこの世に出版され、さらに課題図書となりこれを手に取ることが出来ました。そのお陰でこの夏はいつもと違う真剣さで、日本を考えることができました。
投稿者 vastos2000 日時 2015年8月31日
この本に書かれている日本人がわずか2~3世代前の人たちとは思えない。
今さらではあるが、太平洋戦争以降、日本人は大きく変わったと感じた。
私は戦争をしたいとは思わないが、日本が関わることのない(安全地帯から見る)戦争に大して関心を持っていない。これと同じように、仮に自国が当事者になるとしても、自分自身が戦場に立つ可能性がない場合、自国をも戦争へと推し進める力が働くこともあるのではないだろうか。再びマスコミの論調に乗っかり、戦争賛成という立場をとってしまう一般国民が出てきてもおかしくなかったのではないだろうか。
この本や太平洋戦争から学び、活かせることは何があるだろうか?
まずは以下に日本が「変わったところ」と「変わらないところ」と感じたものを記す。
■変わったところ
国民の覚悟、顔つき。
写真でしか戦前戦中の日本人の顔を見たことがないが、今よりも鋭い目つきをしている(一重瞼の人が多いからだけ、ではないと感じる)。
明治維新を体験した人も多く生きていた時代であり、今の日本人とは個人の命に対する感覚も違っただろうし、平均寿命も短かった。今の日本より、命の使い方に対する感度が高かったのではないか。
今の30~40代の日本人と、今の少年達もこの点は変わっていると感じる。一例として、1980年前後は、テレビには「バイオレンス」が多かったと感じるが、今は神経質なくらいに「バイオレンス」が排除されている。現在は、『北斗の拳』が地上波で16時から放送なんてとても無理だと思われる。テレビのような強力なメディアが変わったのだから、子ども達も影響を受けるはず。
人間は環境に適応する生物だから、日本の教育内容を戦前のような教育に切り替え、続けていけば、今の幼稚園児が企業の役職に就くような時代になれば日本も再び戦争ができるようになっているかもしれない。
余談になるが、近年、中央教育審議会から出されている『高校大学接続改革』(目玉はセンター試験の廃止)は、今後日本人が、アングロサクソンやアジアの人材と世界経済の舞台で戦っていくためには良いのではないかと思う。知識の記憶は基本的なことを押さえるにとどめ、知識を使ってどう考えるかがヒトに求められるようになるはず。記憶はコンピュータに任せれば良い。
閑話休題。GHQはよく日本人をここまでおとなしい人種に教育できたものと、ある意味感心する。アメリカにしてみれば、日本人の気質をそのまま放置しておけば、経済復興してきたところで再度牙を向いてくるであろうと考え、日本人の気質を変えることは必須だったと思われる。
アメリカ人の心胆を寒からしめた、日本兵の敢闘(命令に忠実に特攻を仕掛けた)精神はGHQに教育改革を思い至らせるものだったのだろう。
■変わらないところ
一つは、マスコミに乗せられやすい(同調圧力が高い)こと。
今は「戦争法案反対」と声高に叫んでいる人が多いが、本当にこの法案が出された背景や、法案の内容を理解してその立場を取っているのか?左寄りのマスコミの情報だけを見て判断していないか?逆に安保法案に賛成している人に対しても同じことが言える。双方のメリットとデメリットの両面をみて判断しているのか?
「法案に反対」の立場を取っている人の半数以上は、何かコトが起きた際は言うことが180度変わるのではないか?(仮にK国からミサイルが飛んできて日本に着弾し、人的被害が発生した場合や、沖縄県の有人島がC国に占拠された場合など)
一次資料を当たったわけではないが、A新聞は戦前戦後で右から左へポジションを大きく変えたと聞く。ネットが普及してきている状況とは言え、まだまだ新聞の情報に対する信頼性は高いのが日本。
今後、他人とネットワークでつながることは容易になっていくが、そのネットワークをどのように広げていくのか?やはり同質な人とのルートが太くなるのが人間の性ではないか?
いま一つは、『訓練時ノ想定ニモカツテナキ最悪ノ事態 シカモコレノミガ唯一ノ現実ナラントハ思エバ無用ニシテ甘キ訓練ノ反復ナリキ』という記述があったが、ここは、今も変わっていない組織が多いと感じる。
私自身もそのような経験を学生時代や社会人生活でもこのようなことを経験しているし、大組織に目を向ければ、東日本大震災における原発事故の東京電力の「想定外」もこのまま。
最良の事態や平均的な事態を想定するのは当然だろうが、最悪の事態を想定しておかなければ、いざその時に、どうしようもない。臭いもの人は蓋をして、ことさら良い面を強調したがる習性がある日本人にはなかなか難しいかもしれない。
■この本からの学び
さて、上に「変わったところ」と「変わらないところ」として何点か記したが、これからの私の人生に活かせることはなんだろうか?
まずは、サンクコストについても気を付けたい。海軍が戦争突入に舵を切った理由の一つに、「多大な費用をかけて軍備増強をしてきたのに、今更勝てないなどと言えない」というものがあったように記憶している。その延長線上に、「巨額を投資して大和を建造したのだから、出撃せずに終戦を迎えられない」という決定が下ったのではないか。
私自身の事にあてはめると、「今までこの商品の開発に一年以上費やし、予算も2000万円を突っ込んだのだから、売れば売るほど赤字でも今更開発中止にできない。さらに投資をしてでも黒字化のめどをつけろ」ということと同じか。皆があるいは会社の方針として進めようとしても、(仮に意見が採用されないことが見えていても)反対を唱えるべき時は、反対の声を上げるべきだと改めて思った。
いま一つは、自分自身の誤りに気付いたら、「私の考えは間違えていた」と表明して、やり方を変えなければならない。(実際には難しいが)
「もったいない」や「メンツが潰れる」といったことは、利益をあげる、または目的に近づくためには、多くの場合役にたたない。著者の場合も、伊藤長官の作戦中止の指令を機に、艦と運命を共にするのではなく生き残る道を探したことが著者の生還につながったのではないか。確かにツキがあった面も多くあったが、ツキを呼び込む行動(僚船の助けが来た時も冷静だった)が生還できた理由だったのではないか。
私自身の今までの人生を振り返ると、「引き返したほうが良いのではないか」、「止めたほうが良いのではないか」との思いが頭をよぎりつつもそのまま進めてしまった場面がいくつか思い出せる。当時、やめる勇気や胆力が自分には備わっていなかった。では今はどうかと言うと良く分からない。だが、少なくとも今はやめるべきことはやめたほうが良い結果になるケースが多いことを知っている。
その時の痛みに耐え、その先を見越した人間になれるよう精進したい。そのためにも自分に課したルールを守るようにしていきたい。
そして、教育次第で人は如何様にもなる。それを肝に銘じて子育てに臨まなければならない。自分の子どももよその子どもも、今の大人(親)が望むような日本人に育つのではなく、自分の頭で考え、その上で自分自身が望むような日本人になれるように育ってもらいたい。
投稿者 6339861 日時 2015年8月31日
「1億総特攻」という言葉がありました。
今だったら、国民を戦争に参加させることも
不可能な世の中だと思いますが、
当時は、国をあげてそういう教育を行い
国全体でそのような、戦争に参加することが
当たり前という空気を作り上げていたのですね。
それでも、特攻といえば確実に死ぬことに
なるわけですから、相当の葛藤があったのでは
なかろうかと思います。
正直、現代の私たちには想像もできないもの
だったのだろうと思います。
生きたくても生きることさえ許されない。
そんな時代に生まれた彼らはどのように
死を受け入れたのでしょうか。
大和沈没後、海に漂流したものが初霜に救助を求めて
船べりにしがみつくも、船が定員オーバーで
転覆する恐れがあり、しがみつく腕を手首から
ばっさ、ばっさと切り捨てる記述がありましたが
切られて落ちていく兵隊の気持ちはどんなだったのでしょうか。
私たちは今、何をするのも自由です。
今の自由な世の中がいかに幸せかということを
あらためて感じます。
せっかく、こんなに幸せな世の中に生まれてきたのだから
何か人生の目的をもって、世の中の役にたてるように
なりたいと思った一冊でした。
投稿者 ken2 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」 を読んで
無念。ことばにならない。
片道燃料で死出の出航をしたということしか知識がなかった(積極的に知ろうとしなかった)自分が恥ずかしい。
その大和に乗艦し、生死の境スレスレのところを何度も何度もくぐり抜け、そして本書を残してくれた著者に本当に感謝したい。
脱出、そして漂流は、想像を絶する極限状況で息苦しくなるが、漂流の死のごとき静寂のさなか、バッハの「無伴奏ソナタ」が胸によみがえってきたという。
聴いてみる。 静かで厳かで切ない調べだ。
著者が死線をさまよったその境地。その境地を想えば、何だってできる。
事実を事実として残してくれた価値を後世につないでいくことこそ我々にできることだ。
若くして命を捧げなければならなかった英霊の方々に鎮魂と感謝の意を表したい。
そして、自分が生きる意味を今一度問い直したい。
ありがとうございました!
投稿者 jawakuma 日時 2015年8月31日
戦艦大和ノ最期を読んで
今回の課題図書は旧仮名使いで送り仮名もカタカナということではじめはテコずりました。この文体が頭の中で疎の状態だったんですね。終盤ではだいぶ慣れることができました。
映画や小説と異なり、70年前の真実が描かれているのでその文体も含め臨場感が圧倒的でした。あれだけ有名な戦艦大和についてですが、往路の燃料のみを積んだ特攻行軍だったとは恥ずかしながら初めて知りました。しかも、空からの援護無しの誰がどう考えても必敗の作戦で轟沈したとは。。。
そもそもなんでこんな巨大戦艦を作ったんでしょうか?戦闘への飛行機の投入により、戦い方のトレンドは大きく変遷していたのに。真珠湾攻撃をはじめ緒戦の戦果で飛行機の重要性は大本営も良く分かっていたはずですよね。今の日本の政策と同じく、一度閣議を通過したものはなかなか止められなかったのかも知れないですね。これだけの資源があればどれだけのゼロ戦が作れるのでしょうか?それでも焼石に水だったとは思いますが、成功の見込みのほとんどない3500人の特攻作戦よりかは随分ましだと思いました。
・戦闘開始まで
自分たちの死の意味を求め多くの議論を交わしたとありました。皇国の家族の盾となるだけでは良しとせず、日本の目覚めのためにバカにつける薬となるべく死んでいくという言葉が印象的でした。若き兵たちが本当に日本の将来を憂いていたと知ると本当に頭が下がる思いでいっぱいになりました。
・戦闘訓練
実戦が始まってからの対空砲火の回想で書かれていましたが、訓練時は浮かべた風船で訓練していたので、飛び交う航空機の後を遅れてついて撃つのがやっとだったと。5発に一度の曳光弾を目測であわせてってそれは当たらんでしょう。雲も垂れ込め発見が遅くなればなおさらです。戦闘機もなく対空砲火もこれでは完全に必敗です。
・死との隣接
生死を分けたものはなんだったのでしょうか?脱出が遅すぎれば船体とともに海中深くに引きずり込まれ命を落とします。逆に余り早くに海に逃れた人は自爆時の爆風で焼かれ命を落とします。その炎を避けるためある程度の深さまで海中に揉まれ、呼吸の限界を超えた頃に冥途かと思いながら浮かび上がった人だけが助かったのです。また筆者はその生死の間の状況でも、波や渦の織り成す自然の美しさや胸に浮かんだバッハの旋律に感動を覚えていました。
・地獄絵図
戦闘の描写は手に汗握る展開で驚きましたが、漂流後の助けにすがる人々の件では、鳥肌が立ちました。ロープで引き上げられる人の足につかまり共に海に落ちる、救命艇が沈むほどに群がりやむなく日本刀で手首を切り落とされる、などリアル版の蜘蛛の糸です。やはり人間追い込まれると斯様な地獄絵図が巻き起こるのですね。
艦長室に閉じこもった伊藤艦長や、羅針儀に身体をロープで結びつけたまま沈んだ兵たちはいまこのときも海の底に沈んだままでいるのでしょう。それ以外の兵たちを見ても、たった70年しか経っていないのに現在の日本人からは遠く及ばない意識の持ちようですよね。いかに政府が戦争立法をしたからといってこれ戦争はできないですね、本当に。
過去の真実を把握し現在の事象に映しつつ、これからを生きていきたいと思います。
今月は戦後70周年にふさわしい良書をありがとうございました!
投稿者 gizumo 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」吉田満著を読んで
自分の年代は「戦艦大和」といえば“宇宙戦艦”である。ご存じ、「古代進」「森雪」、そして「“波動砲”?!すご~い」、「“ワープ”?!理屈はわかんないけど便利そう」といったアニメのリアル世代である。
ただし、あの宇宙での「戦争」に対しても、たとえ「地球が攻撃を受けている」としても気持ちの良いものではなかった。
今回「課題図書」となってついに正面から向き合うこととなり正直、気持ちは重い取り掛かりでした。
しかし読み始めると3月29日の出港から開戦、脱出、漂流、救出、生還が克明に記されその臨場感は生々しくどんなフィクションも超えており、体験者ならではの驚くような克明な事実が残酷な場面もひきつけられて読み進ませる内容だった。
執筆の動機は反省と潜心のためと著者は述べているがあまりにも戦慄で貴重な体験をされていることを深く感じた。しかし、大きな体験をしたので深く反省し改心できるのではなく、「負ケテ目ザメルコトガ最上の道ダ」という白淵大尉の言葉がすべてであろう。「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ」は毎日を怠惰に過ごす自分に大きな気づきとなった。
戦争の良し悪しは、あとがきにも述べられていたが、一概には言えないものかもしれない。しかし、確実に弱者は犠牲となる。またこの大戦は、スタートの時点から戦局は明らかであり犠牲の数を増やしてしまった感もあることはまことに残念である。
4年前の震災でビートたけし氏が『「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことを全く理解できない。「一人が死んだ事件が2万件あった」』とインタビューで語ったと聞いています。戦争も同様ではないだろうか?
自分の両親は幼くして戦争を体験しており、父とこの本の話になった時、当時鹿児島の灯台に勤務していた父の兄が「戦艦大和の沈没時の煙は見えた」と話していたと聞きました。そのせいか、読み終わったら貸してくれと催促されています。
秋にはのんびり、大和をたずねて歴女ならぬ戦女をめざして旅に出たい気分です。そして、今の自分に何ができるか、何をしたいのかしっかり見つめなおしたいと考えたりもしました。
投稿者 filefish 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最後」を読んで
本書を手に取ったとき、価格からは想像していなかった薄さに正直驚いた。
浅はかであった。
本書は実際に戦艦大和に乗艦・出撃し生還した方の執筆であり、大和が出港してから米軍と交戦し沈没するまでの詳細な記録、および特攻に向かう兵士の心理状態について主観的に書かれた記録として非常に貴重である。あとがきには、本書が発表された際、これは戦争肯定の文学であるとの批判があったそうであるが、いつの時代にも都合のいい部分だけを切取って批判する輩がいるものだと思った。意図的にそうしたのでなければ、かなり頭の悪い人たちということだろう。
本書初版が昭和27年に存在したのに、特攻に出撃した方たちが皆「お国のために」「天皇陛下のために」と喜んで死んでいったなどと誰が吹聴したのだろうか。本書からは、少なくとも大和の乗組員たちは自分たちを納得させるためにどれだけ苦悶したか、時々訪れる生への執着と戦っていたのかが読取れる。
大和出撃の作戦は特攻であったことは知っていたが、真相は神風特攻隊への配慮と燃料不足による巨大戦艦維持の困難であったとは・・・そんなことで3千人もの命が簡単に失われることになったとは、非常に悔しい。
また出撃の是非、交戦目標時間帯、航空機の直掩・・・必死の作戦であるのに現場の意見がことごとく却下され、しかも海軍最後とも言える出撃に連合艦隊司令長官が陣頭指揮を執らなかったという。
大坂夏の陣の豊臣家と同じである。末期症状を迎え正常な判断ができなくなった組織は、個々の戦力が優秀であっても全く意味がないということか。もしくは、日本人特有の滅亡パターンなのか。
大和は結局、戦闘機による直掩がなかったため、爆撃・雷撃を受けまくったわけであるが、一方では神風特攻隊主体の作戦が実施され、350機を失ったという。チグハグである。
本書を読むだけでも、先の戦争が何であったのか、なぜあそこまで悲惨な状況まで戦わなくてはならなかったのかがある程度理解できる。現代に生きる私たちはこれらから、どうすれば平和を維持できるのかを真剣に考える義務がある。
また大和出撃の作戦を反面教師として捉えれば、
・状況の冷静かつ客観的な分析
・現場の意見に耳を傾ける
・人を鼓舞し動かすには自ら行動する
・次の機会に備えた勇気ある撤退も
が重要であると考える。
投稿者 sumio 日時 2015年8月31日
吉田満 戦艦大和ノ最後 感想
哀しい事実です。
軍隊とはいえ、やる前から負けると分かっている闘い、に向かわざるをえない愚。
そこから逃れられない愚、集団自殺行為です。
予定調和的なふるまいを強要される、強烈な同調圧力。
無念だったでしょう。
非合理的な精神主義の、鉄拳制裁の暴力で兵士を死地へと追いやったのです。
日本軍は、米軍との圧倒的な戦力差を見せつけられたとき、現実を直視するのではなく、特攻や玉砕などの非人間的な戦法を兵士に強要しました。
日本社会は、いったん責任を負わされたときの損害があまりにも大きい無限責任なので、誰もが責任を避けようとします。
どこにも責任をとる人間のいない無責任社会が生まれ、破滅的な戦争へと突き進んでいったのです。
「吉田満の著作の特色は、あと智恵によってこうしたらよかったというふうに書かないことである。
当事者がどのような状況で決断したかを、注意深く再現している。」鶴見俊輔氏の指摘の通りです。
生々しい、酷な現実が浮き彫りになります。
戦艦大和、一見華々しく至高のようなものが、その実態は実用性ゼロ。
ただただ面妖な存在。
象徴として、二度と戦艦大和のようなものを、許さない、作らせない、認めないことが大事であると思いました。
やるせない、哀しい歴史的事実です。
投稿者 tractoronly 日時 2015年8月31日
戦艦大和ノ最期 を読んで
「海上特攻隊ヲ編成シ...」
要は特攻し海の藻屑となれということである。
なぜこんなにも理不尽な命令が下ったにもかかわらず、乗組員全員が愚直に従い職務を全うしようとしたのか。
上意下達の組織構造があったのは大きな要因ではあるが、その上でもう一つの理由、「恥を嫌う」の意識が個々の人間に強くあったのではないかと考える。
「必敗」という軍令部や上官からの命令には逆らえず、でも敵は日を追うごとに進行してくる。今すぐにでも逃げ出したいような状況なのに免れることのできない死。様々な葛藤を経て、犬死するかもしれないけど命を無駄に使わず、家族に恥ずかしくないよう、お国のため、天皇陛下のため、せめて立派に散ろう。このような気概にも近い理屈があったがために三千を超える犠牲者が出てしまったと思う。
これがもし日本人乗組員でなかったら犠牲者はもう少し減っただろうが、おそらくそこには美しさも気概も無いだろうと思うと少し複雑な気持ちになる。
この犠牲に気高さを感じるのは自分が日本人だからで、それ以外の人にとっては理解しがたい価値観だと思うが、気高さを感じるからこそ無駄にできないと思える。
ただ「日本海軍400時間の証言」で語られた通り、そもそも特攻命令自体が海軍本部のメンツ、つまりここでも恥を嫌ったところから発せられているのは認識しておかなければいけない。
悲しい事ではあるが特攻のような嫌悪するべき命令を生み出した原因も恥、その中にあって気高さを伴った犠牲を生んだのも恥の意識が根本にあるという事である。
自分も「恥を嫌う」典型的な日本人の価値観を持っているが、前述のような狭い組織のメンツを優先することなく、国や世界の事を意識して、自分自身や家族、何よりご先祖様に恥ずかしく無い生き方をしていきたいと改めて思いなおした次第です。
投稿者 sumio 日時 2015年8月31日
吉田満 戦艦大和ノ最後 感想
哀しい事実です。
軍隊とはいえ、やる前から負けると分かっている闘い、に向かわざるをえない愚。
そこから逃れられない愚、集団自殺行為です。
予定調和的なふるまいを強要される、強烈な同調圧力。
無念だったでしょう。
非合理的な精神主義の、鉄拳制裁の暴力で兵士を死地へと追いやったのです。
日本軍は、米軍との圧倒的な戦力差を見せつけられたとき、現実を直視するのではなく、特攻や玉砕などの非人間的な戦法を兵士に強要しました。
日本社会は、いったん責任を負わされたときの損害があまりにも大きい無限責任なので、誰もが責任を避けようとします。
どこにも責任をとる人間のいない無責任社会が生まれ、破滅的な戦争へと突き進んでいったのです。
「吉田満の著作の特色は、あと智恵によってこうしたらよかったというふうに書かないことである。
当事者がどのような状況で決断したかを、注意深く再現している。」鶴見俊輔氏の指摘の通りです。
生々しい、酷な現実が浮き彫りになります。
戦艦大和、一見華々しく至高のようなものが、その実態は実用性ゼロ。
ただただ面妖な存在。
象徴として、二度と戦艦大和のようなものを、許さない、作らせない、認めないことが大事であると思いました。
やるせない、哀しい歴史的事実です。
投稿者 19750311 日時 2015年8月31日
仕事の忙しさに忙殺されながら(この時代の方々の環境と比べれば、結局は自分でこの現実を受け入れているだけですが)40代に入った自分に、今までの自分の甘さ、不勉強、そして知らざる事を知るという事を痛感させられる本でした。
今年の8月は戦争に関する文献を集中して読み込み、自分のこの時代の歴史にある程度のスタンスを確立するという目標を持って、近現代史のまとめの本から中学の教科書を読み返したり、幕末の革命からこの本で語られた時代へ、その時代を生きた人の環境や気持ちを理解しながら読み進めましたが結論付けるにはまだまだ早そうです。
この本での一番の驚きは、想像を絶する作戦前後の環境の中で、作者のこの文章を残された集中力、そして文中に登場する上司部下の相手を思いやる気持ちに人間の大きさの違いを感じ、私個人としては歴史を学び続けながら国際的にも恥じない日本人としての人格を育てていきたいと思います。
投稿者 morgensonne 日時 2015年8月31日
「戦艦大和ノ最期」
勝てないとわかっていても、国のために命を賭けて戦う。
今の時代にはそのような日本人はほとんどいないであろう。
先の戦争の事実を知るだけでなく、そのころの日本人の考え方を
知ることも現代の私たちには必要ではないかと思う。
日本人は思いやりやおもてなしの心を持っているはず。
ありがとうございました。
投稿者 haruharu 日時 2015年9月1日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
著者のように冷静に自分と周りを見れる人と臼淵大尉のように洗脳される人の違いはどこからきてるのか?
メンタルの強さがわかるフレーズがあった。
「絶叫 自己鞭撻ののやむなき手段なり」「常人の堪え得るところに非ず」
私なら、すでに発狂している。その方が楽だからかもしれない。
『ドラッカー365の金言』にも出てくる、組織は人を変える。否応なしに変えるというフレーズが思い浮かんだ。人を育てるというのはキャリアと人生に関わることだと記してあるが、この戦艦大和の話は、人が道具として駒のように扱われてる惨さが凄まじかった。
今の時代でもそういう光景をたまに見たり感じたりする。
道具として扱っているのなら、生殺しというものなのでしょう。
上層部との意見の食い違いも生ずるが、人材の育成というものを真剣に考えていかなければならないと思いました。
下半期に入った今、まずは一人一人を見つめなおし、互いに成長できる環境を考えていかなければ。
ありがとうございました。
投稿者 chaccha64 日時 2015年9月1日
「戦艦大和ノ最期」を読んで
沖縄戦の囮として戦艦大和を使う。戦艦の特攻である。しかも1回の出撃で数千人の命がなくなるという規模の。
出撃後に士官たちの間で、この作戦に対して激論が戦わされる。これが最初から負けることを知っている。そして日本の敗北もわかっている。その上でなぜ戦うのか。
「国のために死ぬ」、「天皇陛下万歳といって死ねる栄誉」があるといい、「死の価値は何か」と問うものもいる。そして乱闘になる。
このような激論が戦闘前の大和の中で行われていたのには驚きだ。統制が厳しく、こんなことをいう雰囲気などないと考えていた。
このような苦悩がありながら、出撃から戦闘、船が沈むまで戦闘員、乗組員は粛々と任務を遂行していく。清清しいほど軍人としての任務に忠実に。
どうして、このようなことができたのか。誰かのために身を投げ出すことならばわかる。しかし、あの戦争は本土決戦まで考え、一億玉砕という考えまであった。それを思うと、自分たちの死で、国内の家族が助かるわけではない。少し時期が延びるだけだと思う。それなのに、どうしてあのように粛々と戦闘に行えたのだろうか。
白淵大尉の「負けて目覚めるが最上の道だ」というのは最上の回答なのだろう。しかし、これも日本が生き残ること、日本人が生き延びることが前提のはずだ。
やはり、負けることはあっても日本が滅びることはないと、そしてたとえ負けたとしても必ず日本は復活すると信じていたのではないか。そうでなければつじつまが合わない。
われわれは、今の日本人は、そういう人達の死の上に、生をもらっている。戦後の繁栄が、快適な生活がある。そういう意味で、あの戦争に関係した人、なくなった人に感謝ずべきだ。非難するだけでなく。そして、われわれが受け継いだこの国は彼らの目指したものになっているのだろうか? 少しは近づいているのであろうか。ということを考えていく必要がある。
投稿者 2l5pda7E 日時 2015年9月1日
戦艦大和ノ最期を読んで。
太平洋戦争時、私の祖父は怪我の為船に乗れず、その乗る予定だった船は沈没したと母からよく聞かされておりました。
祖父は既に亡くなっており、どの船に乗る予定だったかも定かではありませんが、本著の内容に対し身近に感じました。
私がもし大和に乗船していたとすれば、生き残ってはいないでしょう。
死は美徳と教育され、上の命令は絶対の価値観の中では、いざ逃げ出すタイミングの時に瞳孔が開いて虚空を見つめてしまう様に、今の私では何もできなかったのではないかと思うのです。
生き残った著者は生に対し客観的な見解を持っていた様に感じました。もちろん私は客観的に見ることができず感情的になり、沈没間近の命令解除まで生き残っていたとしても我先と逃げ出し、生存率の低い道を辿ったに違いありません。
世界の争いによる殺し合いを無くす為にはどうすれば良いのでしょうか。
私が影響を及ぼせる範囲にできることがないか考えても、答えはなかなか出てきません。
最近の科学技術の発展を見れば、機械化や自動化が進み、船や飛行機に乗る人数は減らす事ができ、無人運転で爆撃してしまうような飛行機まであります。
発展途上国同士の戦いにでは、未だに鉄砲で打ち合う等の人海戦術で戦う必要がありますが、アメリカ•ロシア•日本の現在の技術をもってすれば、第二次世界大戦の時の様な人対人の戦いにはならないと考えます。
私もそうですが戦争と言うと第二次世界大戦の日本の敗戦の姿が思い浮かびますが、近い将来日本が戦争を始めたとしてもその時の様な戦争ではないということが言えます。
だからと言って、戦争を肯定する気は毛頭ありません。時代とともに変わった事を言いました。
平和を切に願っております。
良い書をご紹介いただき、ありがとうございました。