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第105回目(2020年1月)の課題本


1月課題図書

 

明石家 さんま の Jimmy


明石家さんまと、そのお弟子さんのジミー大西とのこころ温まる交流を味わってください。

読後感が素晴らしい小説で、そこいらの小説家は打ちのめされるんじゃないですかね。ど

こまで明石家さんまが書いたのか知りませんけど。

 

どんな人にも、その人に合った居場所ってあるんですね。それを導ける人ってステキだな

と思います。

 【しょ~おんコメント】

1月優秀賞

 

今回の小説(どこまでノンフィクションだか分からないのですが)は、読みやすく、

読後感が良かったので、読んでいて楽しかったと思います。

 

感想文の方も、みなさん似たようなところを選んだようですね。みなさんが同じようなポ

イントを書くと、選ぶ方としては何か違うところを書いている人はいないかな?と思うわ

けですよ。

 

その結果、今回はAkiko3さん、charonaoさん、kawa5emonさん、soji0329さん、andomanさ

んの5名が一次審査を突破しました。5人もいるというところがいつもと違いますよね。そ

して今回は、charonaoさんに差し上げることにしました。おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 BruceLee 日時 
ジミー大西がさんまと出会っていなかったら、今頃彼はどうなっていただろう?

恐らく誰でも出来る単純労働、現代風に言えば「近々AIに奪われる仕事」に就いていたのではなかろうか。そして今のジミー大西は誕生していなかった。そう考えると、細かい点は別にして本書に書かれている事が事実なのであれば、これはスゴイ話である。明石家さんまの「基準」が一人の男の人生を変えてしまったからだ。その「基準」とは、

「おもろいか、おもろくないか」

の1点。大西を「おもろい」と感じた人は他にもいただろう。が、それ以前に成人男性としてあまりに世間の常識から外れた動物的な点、仕事を任せても失敗して周囲に迷惑を掛ける点などから、一般社会からは嫌煙されてしまうのではないか?殆どの企業は面接で落とすだろうし、現に吉本の社員もクビにしたがる。我々がもし、さんまと出会った時の大西の姿を目にしたら、多分近寄らないのではないか?が、さんまは「基準」が徹底しており、だから「おもろい」と見抜いた。たとえ世間の常識から外れていたとしても「おもろい」が勝ったのだ。だから実はさんまも本能的に大西を放っておけなかったのではないか。とは言え本書に何度も出てくるように大西は芸人になりたくて吉本に来た訳ではない。

ジミー大西のギャグは彼自身が考え、作りだしたものではない。「天然」と呼ばれるように何の計算も無くその場の空気をブレイクさせる「突拍子もない言動」である。さんまの言う「緊張と緩和」は実現出来ているものの、他者のフリがないと成立しない。試しにYou Tubeで幾つか彼の過去のTV動画を見返してみたが、確かにそのギャグの前には他者のフリがある。本書にも「大西が笑いを取れるのは、誰かがさんまが作ったフリを使ってくれているからだ」とあり、つまり計算された掛け合い漫才や、シナリオのあるコントなどは、そもそも大西自身がセリフや流れを覚えられないだろう。つまり一人では笑いが取れないのだ。それでも「おもろい」とさんまが感じたからこそ、その大西の面白さをどう展開すべきか?をさんまは考え模索した。「さんまさん、ジミーちゃんにどんな企画が合うかずーっと考えてくれてさ」とあるように、さんまはこの時、芸人としてではなく、お笑いのプロデューサーとして大西と対峙したのだ。例えばことわざと格言のクイズ。前半のフリに対するジミー大西の回答は確かに「おもろい」。恐らくこのような試みは他にも幾つもあり、結果的にボツになった企画も多くあっただろうと想像する。その中で笑いの成立する企画のみが生き残ったのだろう。

一方、不思議に感じたのは、さんまがそこまで「おもろいか、おもろくないか」にこだわる点である。勿論、芸人なのでこだわるのだろうが、他の芸人とはレベルが異なる程にこだわるのは何故か?さんま自身の過去は描かれてないが、想像を助ける記述はある。

「しんみりしたん、嫌いやからな」
「こんなにアホみたいに必死になれるものに出会えた自分は、幸せだと心から思う」
「芸人の世界にいなかったら、自分はとっくにダメになっていただろうとさんまは思う」
「あいつも同じや、あいつは、ある意味、俺や」
「笑えんことなんてな。この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!」
「大好きやったら、しんどいを超えられるねん」

個人的には「一体、過去にどんだけしんどい経験して来たら、こんな格言レベルのセリフが言えるん?」と尋ねてみたくなる。一般的に、お笑いの出来る人はその逆の悲しみや寂しさを知っている人、と言われるが、まさにそんな過去を持っている人なのかもしれない。

結果的に、ジミー大西の絵の才能が見いだされ、彼は画家として歩む事になるが、その才能が見いだされる経緯もさんまとの出会いがあったからこそである。ジミー大西は絵的には天才なのだろう。が、それもさんまとの出会いが無ければ、さんまが彼を「おもろい」と感じなかったら、今のジミー大西は誕生しなかった。「学校を卒業したら企業に就職する」というのが一般常識だろう。が、大西にはそれが叶わなかった。だからこそ生じた出会いなのだ。ジミーという芸名の名付けの背景、岡本太郎との関係も奇跡的に描かれているが、本書で本当に「おもろい」部分は、さんまと大西という共に尖がった二人が出会ったことにより化学反応が起き、計算や策略では実現しなかったであろう人生が実現してしまった点なのではなかろうか。

まさに「事実は小説より奇なり」と真面目に感想を書いた故、「おもろい」ギャグは一つも差し込めなかった新年1発目投稿でした~
 
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
 私が『Jimmy』から学んだことは、道化の魅力、キャンパスからはみ出す生き方、そして人を生かす道の3つである。まずは道化の魅力について考えたことを綴っていく。

1.道化の魅力

 昨年の課題図書『ケーキの切れない少年たち』では、知能の低い子供達が、自分の行為の結果や他者の気持ちを想像できず、最終的に犯罪に手を染めるという衝撃的な事実が問題視されていた。 一方、本書を読む限り、軽い学習障害を持つであろうジミー大西は、大物芸人さんまに目をかけられ、友人の支え、良いマネージャーとの結婚にまで恵まれ、お笑い芸人として立派に成功をおさめただけでなく、画家としての才能も発掘されており、幸福な人生を送っているように見える。彼が人生でこれだけ輝いているのは何故だろうか。

 それは、彼が周りから愛され、彼自身も人を愛する生き方をしているからだと思う。彼がコメディアンとして「ジミーちゃん」の愛称で親しまれていることからも、お茶の間で愛されていることが良く分かる。
 私は本書でジミー大西をほぼ初めて知ったが、彼の芸風は、西洋古典文学、特にシェイクスピアとセルバンテスの作品に登場する道化的人物たちを彷彿とさせた。文学作品の例も挙げながら、ジミー大西の持つ「道化の魅力」を掘り下げたい。

道化の魅力(1) 人を笑いでホッとさせる。親しみやすく、共感しやすい人物

 道化は大きく二種類に分類される。1つは賢くて機知に富み、頭の回転が速く、絶妙な返答で観客を笑わせる道化。もう1つは教養に欠け、愚かで滑稽な言動で観客を笑わせる道化。ジミーは後者に該当する。
 笑わせるつもりがなくとも他人を笑わせ、他人から笑われていることにも無自覚な、natural fool(生まれながらのコメディアン)に近いこの道化は、シェイクスピア劇によく登場する。『ドン・キホーテ』の主人公と従者のサンチョ・パンサもまた、馬鹿な言動を繰り返し、時には周りの人をカンカンに怒らせ迷惑な存在だが、概ね皆を爆笑させ、愛されている点では、ジミーに近いかもしれない。
 かっこいい英雄を見ると、私達は「手の届かぬ憧れの存在」として遠くに感じるが、道化は自分と同じ目線(または自分より下のポジション)にいるので親近感を感じる。ドン・キホーテとサンチョ・パンサは、言動があまりに面白いので、周りの人々は「あの2人には永遠に狂っていてほしい。正気に戻らなくて良い」とさえ願っている。そのつもりがなくとも自然に人を笑わせ、楽しませることが得意というのは、素晴らしい才能として磨き、発揮すべきであるし、道化の与えてくれる安らぎは、社会にとってありがたいものだと思う。

道化の魅力(2)道化は目上の人に偉そうな助言ができる

 中世ヨーロッパの宮廷道化師は、皆に笑い者にされる存在だった。ところが彼らだけが、主人に向かって無礼なことでも自由に言うことができた。
 ジミーもまた、目上の人や先輩に「頑張れよ」と言われた時、「おまえも頑張れよ」と言い返すのを、持ちネタのギャグにしている。この返しを教えたさんまは、舞台監督の目線で「下の者が上の者に、偉そうな態度で物を言う」ことで笑いを生み出す演出をしたことが分かる。道化にしか出来ないという意味で重要な役割である。

道化の魅力(3)道化はつらいこと、悲しいことを笑いに変える

 「子供の頃からいじめられてばかりで、良い事がなかった」と告白するジミーに、さんまは「おまえ、それメッチャ笑えるやん」と言い放つ。この発言から、さんまはさすが舞台芸術を意識したプロのコメディアンだと感じた。ひすいこたろう氏も『ものの見方検定』(良書リストの1冊)で語っているが、人生で大きな不幸に出会った時は「映画だと思えば良い」。
 シェイクスピアの戯曲にも「この世は舞台、人はみな役者」という名台詞が出てくる。 悲しいことやつらいことを、大きな時間の流れの中で俯瞰的に眺める。すると「映画には山も谷もある。不幸な場面があるからこそ、ストーリーが盛り上がって、面白い映画になる」と気づく。 だから、つらい出来事は一歩下がって笑い飛ばしてしまえ!と、さんまはジミーに伝えている。人生で何が起こってもネタにできるコメディアンという職業は、私達をハッとさせ、時に深く考えさせ、価値観を豊かにしてくれる。


2 キャンパスからはみ出す生き方

 岡本太郎がジミーに「キャンパスからはみ出す絵を描け」と手紙で激励する場面があった。この言葉は象徴的である。 その手紙をもらう前までのジミーは、「人に嫌われないように、人に迷惑をかけないように」と気を遣うあまり、自由に絵を描くことに無意識にブレーキをかけていたと思う。岡本太郎は「失敗を恐れるな!失敗したら、それは良き経験として糧になる。全身でぶつかって、自分が生きた証を残せ!」と彼を激励したかったのだと思う。
 さんまにせよ岡本太郎にせよ、「自分が成功したら終わり」でなく、後輩を育てるために手を差し伸べていることが素晴らしいと思った。このように後輩を育て、支えられる存在であるためには、自分自身が実力を身につけ、幸せな生き方をすることなしには、あり得ないだろう。同時に、スター芸人になった後も、師匠の落語を舞台袖で見て技を盗もうとするさんま、そして「名声なんて足枷になるだけ。無名の自分のまま挑戦し続けろ!」と言う岡本太郎の生き方から分かるように、初心を忘れず謙虚な姿勢を貫き続けることが、自分を磨く鍵とも感じた。

3 人を生かす道

 さんまはジミーの特徴を良く捉え、彼が芸人として輝ける番組をプロデュースしている。ジミーの「白痴」的な言動を転じて「面白い」という長所に転じて面白さと魅力を引き出し、本人の自尊心を高めながら育てることに成功している。人を育てる演出家、経営者としての能力に優れ、ビジネスマンとして、さんまから学ぶことは多い。
 完璧な人間などいない。周りの人を生かし、協力して何かの価値を生み出すため、自分に何が貢献できるかを良く分析し実行したいと感じた。
 
投稿者 akiko3 日時 
TVで見かけたジミーちゃんは、はっきり言って何が面白いのかわからなかったし、“天然”の流行にのり、笑わせる人ではなく“笑われる人”として露出が増えていただけの人。でも、たまたま絵の才能が見出され、絵描きに転身したちょっとラッキーな人だったと勝手にまとめていた。その過程にどんな葛藤や思いがあったか、周りの人たちに助けられ、愛され、なかなか幸せな人生を歩んでいるジミーちゃんとは全然知らなかった…。いかに、見えている部分だけで、勝手にいい悪いをジャッジしていた自分だったかと反省した。

さんまさんとの出会いがなければジミーちゃんは絵描きになっていなかっただろうか?
本能で生きるオスであっても、打算とか人を出し抜くとか考えない純粋なところがあり、悪いとわかれば謝る素直さもあり、目の前のことに全力を注ぐ(非常識なことでも本人は真剣という面では誠実だ)、別のルートで絵描きになっていたのかもしれない。そんなストーリーの可能性を考えると、人生には無限の可能性があると感じられた。

何はともあれ、2人は運命の出会いをした。2人とも運に味方されている人達だとも強く感じた。なぜこう見えざる手により導かれたのか?決して順風満帆ではない中で、打算なく我よしではなく、お笑いのため、若のためを考え、全力で生きていたから良き方へと引きあげられたに違いない。

さんまさんはいつもヒャッヒャッと笑っている芸人のイメージが強いが、”生きてるだけで丸儲け“を略して娘を「いまる」と命名したように”生きている“ことにこれほど純粋に感謝している人とは思わなかった。そのことを強く感じたのが、さんまさんがジミーちゃんに「生きるか死ぬか以外に悩むことなし」と言い放った時だった。
さんまさんは結構、厳しい現実を体験(さんまさん3歳の時に実母と死別、継母にはかわいがられず、でも、その継母の連れ子をとてもかわいがっていたのに、その弟も焼死、自身も日航機の事故を回避し命拾い)しているから、命の大切さを感じているとは思っていたが表面的にとらえていただけだった。
死という重い現実、それに伴うやり場のない喪失感を味わった人だから、それらにより構築された人間的な深さをもっているのだとわかった。

芸人という色眼鏡で見てしまっていたが、「人のせいにせず、全部自分が背負う」という覚悟も、一人の人間として清く強い意志を感じ、人生そのものだなと言葉が響いた。自分の人生で起こること、それは全部自分の責任として背負い、進歩していこう。“どうせ同じ一歩なら好きなことした方がええんちゃう?”といわれたら、上司にしたいタレントに速攻一票だ。

ジミーちゃんが人生で3人からだけ違うことしても”個性“として褒められたと話していたが、褒めるって自分を認めてもらえること、生きてていいんだという安心感なんだなと目からうろこだった。
昨今、多様性の時代と話題になるが、ちゃんと多様性を認めているのだろうか?できて当たり前という自分基準で存在を否定しているのかもしれない。もっと基準値を柔軟にしよう。

さんまさんもジミーちゃんもYes.Noを自分で選んで人生の流れにのってきた。自分の基準はなんだ?智の道かな。そして、行動するかしないかなら、一歩踏み出す!
人生はいつだってその時がパーフェクト。面白がったらいいように“ころぶ”いや“はこばれる”思いが強くなった。年齢を重ねたからか、何がいいことなのかすぐにはわからないことように感じ、『人間万事塞翁が馬』という言葉を反芻している。

最後に、どうしてさんまさんはここまでジミーちゃんをかわいがったのか?基準がおもろいかおもろないかだからでも、“誰にも渡したくなかった”という言葉は意外だった。“若”と慕うジミーちゃんの一途さも強かったけど…どうしてそこまでかわいくて仕方がなかったのか?
あっ、ジミーちゃんと死別した年の離れた弟が重なっていたのかもしれない!喉の奥が締め付けられ泣けた。

出会うべくして出会った2人、人生において“出会い”はご褒美であることも思い出させてくれた。

若に言われた“絵を描くことがお礼”を胸に、ひたむきに絵と向き合っているジミーちゃん。これまた運命の出会いだった妻が「頑張ってね」と声を掛けたら、「お前も頑張れよ」とジミーちゃんが返した時には、ぷっと笑ってしまった。
同じオチなのに、若が教えてくれたギャグ、若と過ごした時間の積み重ねの上にある今を生きているジミーちゃんが発したギャグに宿っている温かいものが伝わった。
“最後に笑ったもの勝ち”
ジミーちゃん、笑わせてくれてありがとう♪
 
投稿者 ktera1123 日時 
吉本興業を受けたとある関西人によると、「ひとつウケでも狙おうかな」そんなんで就職試験受けてもいいの?その後、その女性は吉本興業でとある有名芸人さんのマネージャーさんとして、伝説を築き上げていったのであった。そんな経緯が影響したのかどうかはわからないが、「しかし、ある時、死ぬまでこのままだと思ったら途端に全部ひっくり返したくなったのだ。(P224)」と真面目の正反対の意味のました(P318)」の様な修羅場もありましたが、覚悟を決めた結果が、成果を生み出す。ふとしたコトバ「集める」に反応して、いいひらめき、インスピレーションを生み出す。自分の人生にどれだけの覚悟を決めているかが、勝負の分かれ目なのではないでしょうか。ただ、覚悟を決めたからには「食えなけりゃ食えなくても、と覚悟をすればいいんだ。(P323)」と割り切る必要があり、「ダンボールの焼肉をつつく(P124)」になっても責任は負いませんのであしからず。そのへんの極意は某メルマガに書かれていましたので、覚悟を決めた人は熟読するなり、相談するなり、占い(命、卜、相)に頼るなり、想定により試行錯誤するなり(想定していないことは「想定外」ですが、想定の範囲内で収まれば、どんな場合も想定内です)、いろいろ検討して下さい。

さんま師匠の発した「お前に来た仕事やろ。ほんなら成功も失敗も全部お前が背負うもんや。(P322)」コトバを目にして、どれだけ自分の仕事に対して、どれだけの情熱をつぎ込んでいるのだろうかと考えてみたが、「熱しやすく冷めやすい」というコトバがあるように、その場の勢いが必要な状況も時としてはあるかもしれないけど、ふつうの生活をしているうちは、「効果を求めず淡々と」日々の生活を送っている人が大多数なのではないでしょうか。
ただそれだけでは、「変わらん日々もええけど、それもなんかつまらんな。(P340)」ではないでしょうか。それでも変わりたいなら、「変わるにしても、変わらないにしても、決めるのはあくまでも自分だと思っていた。(P341)」にもあるように冷たいようですが自己責任です。自分一人なら、いろいろ冒険してみることも楽しいのですが、転生することもあるかもしれませんが、一度切りの人生ですから、「お前の力で感動させることができるんやったら、絶対にそのほうがええ。(P351)」にもあるように、自分の力をどのようなことで、他人に貢献する、感動することができるか、それが仕事を通じてかもしれないし、仕事以外のことかもしれないけど、その様なことを見つけることができた人が、本当の幸せな人なのかもしれません。

「星は遠くにあるのかな。お手々を伸ばせば、届くのかな。(P361)」実際、お手々を伸ばしてもお星さまには届きませんが、「お手々を伸ばして届くのか」が人生における挑戦を意味しているのでしょうか。人生、「七転び八起き」になるのか、「七転八倒」で終わってしまうのかは、人生を終える瞬間になるまではわかりませんが、自分の好きなことに挑戦し続けることができることは「最高の幸せ」なのではないでしょうか。挑戦すること=過去の自分から変わっていくこと、そんなことに気づかせてくれた1冊でした。

追伸:年末年始の落ち着いた状況で読んで「ほっこり」するのもよかったのですが、改めて感想文を書く前提で読み直してみると新たな発見があり、読む視点により違った箇所がピックアップされることを確認することができました。
 
投稿者 gogowest 日時 
「Jimmy」を読んで

芸人としてのジミー大西は持ちネタの単発ギャグを記憶しているぐらいで、それほど、面白い芸人とは思っていませんでした。しかし、この本で知ったジミー大西としてのキャリアができるまでの話は、一人の人としての赤裸々な半生として、とても興味深いです。
どんな人でも一人の人の人生には、多くのドラマがあり、また人生の岐路があるものでしょうが、「ジミー大西」というパーソナリティができるまでのストーリーは、面白過ぎです。(家族だったら大変ですが。。)

ジミー大西にとっては、明石家さんまとの出会いが重要な転機であり、メンターに事実上なっていることを本書で知りました。明石家さんまはジミー大西に様々な場面で適切なアドバイスをしています。ジミー大西の状況をよく見て適切な時に、動いているし、メンターであり、また先輩の役割もしているということを知りました。

明石家さんまのものを見る視点が、本書の随所に出てきていています。本書を読んで、明石家さんまのモットー「生きてるだけで丸儲け」の意味が分かったような気がします。娘さんの「いまるさん」の命名理由をテレビか何かで聞いたときに、この言葉を知りました。そのときは、ちょっと軽薄な感じの言葉ととらえていましたが、本書を読んで、そんなものではなくて、もっと人生の本質をいっている言葉なのだと認識を改めました。この言葉は、生きてさえいれば、逆転できる可能性がいくらでもあり、自分からできることを打ち出しつづければ、それは、必ず活きて帰ってくる。そんな意味が込められているのだと思います。これは、さんまが日の当たらない時期につかんだ確かな信条なのだと思いました。

そんな信条を持つさんまがその時々での適切なアドバイスをジミー大西に与えています。ジミー大西が自分の半生、「クソみたいな人生」についてかたるところを、別の視点から鮮やかに観点を変えて、客観視させたうえで、笑いにまで持っていく手法はさすがです。
視点を転換して、自分自身を笑ってしまうことで、いったん問題から離れさせて、乗り越えるきっかけを作るなんて、なかなかできることではありません。
さんまが笑いの世界で鍛えた、観点の転換の真価が出ている場面であると思います。笑えないことは、世の中にいくらでもある。それを知ったうえで、あえてそれを笑いに変えて、変化させようというプロ意識はすごいです。

ジミー大西はさんまという良いメンターを得ることとともに、またお笑い界のまわりの人、村上ショージさんたちの暖かい支えもあります。芸人仲間や師匠からも、馬鹿であるとみなされていて、迷惑をかけることも多々ありながら、それでも、人から愛されるキャラクターであるというところ、問題は起こすけれど、憎めないキャラであること、これは重要なことだと思います。お笑い界だけでなく、一般社会でもこのことは有効なことだと思います。

ジミー大西の愚直さとまっすぐで嘘がないところ、これはこの人が、自分の人生を開いていくうえで、重要な要素になっていると思います。
掃除をすれば、徹底的におこない、仏弟子の周利槃特なみに念入りに掃除するぐらいの愚直さがあります。いろいろな場面で、愚直さとぶれないところが一貫しています。
絵の才能を見出された後も、とことん根を詰めて絵に取り組むところがあります。興味を持つことを徹底的に掘り下げていくことで物まねではない、自分の個性を表現することができるといわれていますが、絵という表現で、ジミー大西はこれを行っているのだと思います。

たとえ、生まれ持った才能が人と異なっていて、周りの人との差で苦しんだとしても、真摯に生きていけば、周りの人からも自然に支えられて、かならず自分の人生を前向きに生きていけるという希望をあたえてくれる本でした。さわやかな読後感です。ありがとうございます。
 
 
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投稿者 charonao 日時 
 本書を読み終えて感じたことは、幼い頃から何をやっても失敗ばかりで、いじめまで受けていたジミー大西が、人気芸人となった背景、そして画家として成功できた過程がとても面白いと感じました。そして、なぜジミー大西が画家として成功できたのかを、自分なりに考えをまとめようと思います。

 まず画家として成功できたのは、改めて言うまでもなく、明石家さんまの存在が大きいと考えます。
人気絶頂期で、とてつもなく忙しかったさんまが、弟子は取らないとジミー大西を一旦突き放すも、後に弟子として受け入れ、ジミー大西を人気者に仕立て上げました。

 その過程で考えたのは、さんまの懐の深さです。仕事で多忙を極めているのにも関わらず、いつも余裕が感じられます。なぜそのように振る舞えるかは、さんまがジミー大西に向けて言った、P67「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん。笑ってみい!」という言葉に集約されていると思いました。

 この発言を読んで、吾妻ひでお氏の失踪日記の巻末対談で、吾妻氏本人が言っていた「自分を第三者の視点でみるのは、お笑いの基本」と結びつきました。さんまは常に自分を第三者の視点で見るようにしており、それが余裕を生み出しているんだと思いました。
そして、第三者目線で見ることができるからこそ、ジミー大西という異質な存在を面白いと受け入れることができたんだと思います。

 また、さんまには努力家の一面もあることが分かります。
例えば、すでにタレントとして人気者となっているにも関わらず、忙しい合間をぬってなんば花月に出向き、舞台袖で師匠の技を盗もうとしている行動です。
本書に記載はありませんが、恐らくそんなさんまを見て、ジミー大西は自分なりに努力したから、売れっ子になれたんだと思っています。
また、ジミー大西が岡本太郎から手紙をもらった際も、すぐに本を読んでどんな人物かを理解しています。超一流の人は、職業問わず行動が早く、読書家であるということが垣間見れました。

 ただ、さんまだけではなく、他者の存在の影響も見逃してはいけません。
ジミー大西を弟子として一旦請け負ったものの、弟子を取るのも悪くないと言ってジミー大西をさんまの弟子にさせた、ぼんちおさむ。当初、ジミー大西に対し生理的嫌悪感を抱いてましたが、絵が描けないと言っていたジミー大西のために、忙しい仕事の合間をぬってアトリエを借りたマネージャーの京子。他にも吉本興業に関わる人々が、ジミー大西を受け入れ、色々と動いている姿が素晴らしいと思いました。

 さんまは画家になるきっかけを与えはしましたが、才能を見抜いていた訳ではないと思います。ただ単に面白そうだと思い、番組の企画に参加させただけであり(何かの直感はあったのかもしれませんが)画家を目指せと言った訳ではないので、ジミー大西が画家になれたのは、周りの人々に助けられた影響も大きいと考えました。

 そしてジミー大西が周りの人に助けてもらえたのは、P28『何か役に立ちたい、喜ばれるようなことをしたいという大西の気持ちはなんとなく伝わってくる。』とさんまが言っていたような人に対してのひたむきさが、さんま、もしくは他の人々の心に響いたんだと思います。

 またジミー大西に関しては、小2まで話すことができず、好きな人に「好き」という事ができた為、特殊学級に行かなくて良くなったというエピソードから、軽度の知的障害であることがわかります。
それ故に、学生時代からいじめを受け続けますが、引きこもりにならなかった事を考えると、人との関わり合いは嫌いではない、むしろ積極的に人と関わりたい性格だと思いました。
それは人の喜ばれることをしたいといった行動にも現れていると思います。

 積極的に人と関わり続けたことが、最終的に画家という、自分の才能を生かせる道を見つける事ができたんだと思います。人生を変化させるには、自分から積極的に人と関わり続ける事が必須だと思い知らされました。

 最後にさんまが、ジミー大西を独り立ちさせるタイミングに注目しました。最後の最後まで、絵を書くのが好きな事に気づかず、さんまと一緒にいたいが為に、お笑いを選ぼうとする。しかしさんまは絶妙なタイミングで、ジミー大西の独り立ちを促したと思いました。
人が心から夢中になれる事を見つけ、それをする事で世間に役立つことができると理解した時が、独り立ちさせる適切なタイミングだと学びました。

 元々落語家を志していたさんまが、師匠の二代目笑福亭松之助の推薦で、お笑いタレントに転向した経験が、ここで生かされたのかなと思いました。
そして、ジミー大西が明石家さんまに出会えたように、心から信頼できる人物に出会うことも、自分の才能を見出す事ができる要因のひとつだと思いました。
 
投稿者 mkse22 日時 
明石家さんまのJimmyを読んで

本書は、ジミー大西がお笑い芸人そして画家になった経緯を
本人や明石家さんまなどの目線を交えながら書かれた本である。

ジミー大西という名前は知っていたが、ここまで非常識かつ規格外の行動をする
人物とは思っておらず、読了後、呆れたというより不快感を覚えた。
一歩間違えれば、犯罪になりかねない行動もあり、よく警察沙汰にならずにすんだものだ。

明石家さんまや岡本太郎への思いは純粋でとても私には真似できないが同時に怖さも感じた。
彼の発言や行動は、さんまのそばにいたい、役に立ちたい気持ちから生じたものである。
(性欲を除き)これ以外の動機はないため、傍からみるとわかりやすい人物である。
私にはいろいろな気持ち(例えば年収を上げたい)があるため、彼の一途さにはかなわないと思った。
同時に、求めるものが一つしかないということはそれ以外はどうでもよいという意味であり、
もし、彼がそれを失ったらどうするのだろうかという不安も覚えた。

なぜ、明石家さんまや岡本太郎への思いがこれほど純粋なのだろうか。

それは、このふたりがジミー大西の芸人もしくは画家としての存在理由だからだろう。
彼らのそばに居ることや褒められることが目的であり、芸人や画家はそのための手段だったからだ。
さんまのそばにいられなければ、芸人をやめるといったように。
ただ、最終的には才能が開花して芸人や画家としての居場所を確保できたことは幸運なのだろう。

ジミー大西にとって、このふたりは自分の居場所を提供してくれた恩人である。
特にさんまは、芸人としての役割を与えてくれただけでなく、
次の居場所としのて画家への転身で決定的な機会を与えてくれた大恩人だ。

ジミー大西は居場所を提供された側、明石家さんまは提供した側である。

ここで、視点を変更したい。
明石家さんまは芸人という居場所をだれから提供してもらったのだろうか。

おそらく誰でもない。自分で創り出したのだろう。
長年芸能界のトップに君臨して、数々の高視聴率番組の司会を担ってきた
人物である。このようなことは運だけでなく才能がなければできない。
短期間であれば、もしかしたら運だけでなんとかなるかもしれない。
俗にいう一発屋と呼ばれる芸人のように。ただ、この人たちも一般人と比べたら
遥かに大きな才能と運を持っている気がするが。

自ら居場所を創りだすことができるほどの才能があるからこそ、
ほかの人にふさわしい居場所を提供することもできたのだろう。

しかし、明石家さんまの才能にも陰りが見え始めているように思える。
老いである。

数年前のフジテレビ系の27時間テレビだったと思うが、
「さんま・中居の今夜も眠れない」というコーナーで、
すでに引退した島田紳助との共演があった。
そのときのさんまとのトークの応酬が他の芸人が割り込めないほど
凄まじいもので、あまりのレベルの高さに呆然としたことを覚えている。
これが私の中でここ10年で最高のトークのひとつだ。

これを最後に、彼のトークの印象がどんどん薄くなっている。
ここ数年は、彼の番組にかつてほどのワクワク感を感じなくなり
さらにはテレビそのものを見なくなっている。

同様の考えを持つ人が多いのだろうか。
近年、彼の番組の視聴率が軒並み低下しているようだ。
テレビ自体がインターネットに圧されているため、
特に若者がテレビそのものを見なくなったこともその一因だろう。

さんま自身も数年前から、60歳で引退を公言していた。
しかし、後輩芸人に説得されて、引退を撤回したようだ。
現在もテレビに出演し続けている。

今思うと、彼自身も自らの才能の陰りや時代との感覚のずれを把握していたのだろう。
だから、醜態をさらす前に引退という形で自らに区切りをつけ、
次の居場所を探すつもりだったのではないか。

このままだと、いずれそれほどおもしろくない明石家さんまをみることになるだろう。

笑いの圧倒的な才能をもつ明石家さんま。
彼が今の自分の居場所を維持できなくなり去らざるを得なくなったとき、
次の居場所を自分で見つけることができるのだろうか。
さらに、見つけた場所で満足できるのだろうか。

そう考えると、ジミー大西のほうが実は幸せなのかもしれない。
自分の居場所を2つも提供してもらうことができたうえに
その居場所を移動するきっかけも自らの意志ではなく、さんまから与えられた
ものだから。本人は、当初嫌がっていたが。

明石家さんまが今後どのような選択をするのか、それまでかれを見続けたいと思う。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、超マイナス思考のジミー大西が、超プラス思考の明石家さんまと出会って、人生を激変させていく過程を描いた物語です。

本書では、2人の対極的な考え方が分かるエピソードがいくつもちりばめられていますが、同じ事象に対して2人が真逆の反応をする印象的なエピソードが2つありました。

1つは、大西が吉本新喜劇で放送禁止用語を叫ぶ大失敗をやらかした後に、さんまと話す場面です。
大西は幼少期から現在に至るまで自分がどんな失敗をしてきたか、どれだけダメな人間であるかを語ります。
そして話した後に、ミジメで情けない気持ちになってふさぎ込んでしまうのです。
そんな大西の失敗体験をひとしきり聞いたさんまは、大爆笑しながらこう言います。
『笑えんことなんて、この世にいくらでもある。
けどな、それを全部おもろいって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!』

もう1つは、さんまが大西に「ジミー」という芸名を付けた場面です。
さんまは、ゴリラそっくりの大西に、ゴリラの名前としてありそうな「ジミー」という芸名をつけます。
ところが、その直後に「ジミー」という名前のゴリラが死んだというニュースがテレビで流れます。
このニュースに直面した時、
大西は、縁起が悪いと肩を落とし、
さんまは、死んだゴリラの人気が大西に来ると言って、奇跡だと大騒ぎします。

どちらのエピソードも、事実は1つです。
ですが、その事実の捉え方が全く正反対なのです。
日々直面する1つ1つの現実をどう捉えどう反応していくかが、その人の人生を作っていく大きな要素なのだと強く感じました。

ここまで考えを巡らせて、
さんまが大西をここまで目にかけた理由が気になりました。

大西がさんまに惹かれる理由は明白です。
明るく前向きで面白く、誰からも好かれる国民的スターのさんま。
これまで日陰者として周囲の人から疎まれながら生きてきた大西にとっては、太陽のような存在だったことでしょう。

一方さんまにとっては、 挙動不審で面白くもない大西と一緒にいる理由はありません。
実際に、衝撃的な出会いを果たした後、なんば花月に行くたび大西に追いかけ回されるようになって、さんまは気まぐれで手を貸してやった事を後悔しています。

そんなさんまが、大西に目をかけた理由。
それは、P206に書いてありました。
『芸人の世界にいなかったら、自分はとっくに駄目になっていただろうとさんまは思う。
芸人の世界でしか生きられないのは大西だけではない。』

さんまは、若かりし頃の自分と大西を重ね合わせ、芸人の世界でしか生きていけない、換言すれば、普通の社会人としては生きていけない大西を、何とか生かしてやりたいと考えていたのです。
周りから疎まれ辛そうに生きている大西を救うことで、自分自身が師匠から受けた恩を返そうと考えていたのではないでしょうか。

結果として、大西のことを誰よりも観察していたさんまは、新しいテレビ番組を企画。
大西の突拍子もない言動が天然ボケという言葉を生み、大西は一躍人気者になりました。

ポイントは、これまで周囲の人から嫌われていた大西の破天荒で空気を読まない言動が、長所に変わったということです。
これも全て、さんまがポジティブに大西にしか生きられない道を考え抜いた結果だと思うのです。

最終的に、大西は絵描きとして大成功を収めます。
オチとして参加する予定だった「芸能人絵画オークション大会」でその才能が認められ、プロの画家として生きる道が開かれました。
この芸術的才能の開花も、生かすことに全力だったさんまと、付いていくことに全力だった大西だったからこそ生まれた、必然の幸運だと思うのです。


本書で描かれているストーリーは、ノンフィクションとは思えないほど出来すぎています。
ただ、 同調圧力が強く社会的規範に沿って生きることを強力に求められる日本においては、世間の常識から外れたこのような成功ストーリーが、大きな希望だと感じました。

尊敬できる最高のメンターに出会い、 呆れられるぐらいつきまとってその考え方を吸収していった大西。
世間一般的には落伍者である後輩に目をかけ、その生かし方を必死に考えたさんま。

今いる場所に止まらずに、昨日より今日、今日より明日へ、少しでも成長したいと願う人は、この二人の姿勢から学び、行動の指針にすべきだと強く思います。


今月も素晴らしいを本を紹介してくださりありがとうございました。
 
投稿者 harmony0328 日時 
 テレビでは語られないジミーちゃん、さんまさんの話に驚き、楽しんで本書を読み終えた。自己啓発本の様な学びが得られる会話が随所に散りばめられている。
 さんまさんの価値観には救われ、お二人の生き方をヒントにして、自分の人生をより有意義なものにしたいと思った。

 ジミーちゃんは強運の持ち主だと思った。高校の成績の悪さにもかかわらず、吉本興業に就職できてしまう。吉本興業に入社すると、そこで出会ったさんまさんの弟子になりたいと強く思い、さんまさんに気に掛けてもらえるようになる。後に奥様となるマネージャーに出会ったり、岡本太郎から手紙をもらったり、スペインの画商から、一年間、スペインで絵を描くオファーを受けたりと映画のような人生を送っている。
 実際、事実なのかと疑いたくなるようなシンクロニシティも数回、彼に起こり、人生のターニングポイントになっている。
 最大の強運は彼の絵の才能を開花させたことだろう。表紙の彼の絵もキュビズムでとっても素晴しく、魂が宿っている感じがする。
 その強運を引き寄せているのは自分に正直に、一途に生きているところが大きいと思った。
さんまさんがスキャンダルで大変な時に帳面に「わかをおまもりください。」と何百回、何千回と繰り返し書かれた言葉に仲間達は半ばあきれていたが、本当にその思いは通じている。ジミーちゃんの一途さを表すエピソードであり、祈りの効果はあるのだと思った。

 テレビで見るさんまさんは、バラエティー番組の司会者として大勢のゲストを相手にして番組を盛り上げる才能を持ち、一流芸能人という印象だが、やはり見えないところでは相当、努力をしてきていることが分かった。しかし、彼は努力という言葉は大嫌いだと言う。好きなことをしていれば、努力を努力とは思わず、しんどいなんて思わないと語る。更に、ジミーちゃんに背中を見せて好きなことをするための覚悟、腹を括ることがどういうことかも教える。
 私は本書でさんまさんとジミーちゃんを通して師匠と弟子の関係がどういうものかを具体的に知り、興味深く読んだ。

 私は舞台で放送禁止用語を使ってしまい失敗してしまったジミーちゃんを慰めるさんまさんの言葉に救われた。「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!笑ってみい!」(P.67)である。
 昨今、新聞、ネットニュースを読んでいると過度に不安を煽る記事が目に付き、自分で気を付けていても、無意識に必要以上に不安になっていることに気がついた。不安に対して予防したり準備することも大切だが、必要以上にネガティブな感情に操られていても何も得はない。要は気の持ち様だと思った。人生を俯瞰し、好きなことをして、楽しい気持ちでいようと思った。

 私は本書を読了後、題名の「Jimmy」にひっぱられたのもあり、弟子目線で読んでいたことに気がついた。年齢は関係ないと思うが、本書に出てくる30歳前後のさんまさんより私は随分年上なので、特に年下の友人、知人にも何か教えられるように自分を律し、恥ずかしくない生き方をして行かなければと戒められた。

 なんば花月近くの喫茶店マーチスでさんまさんが仲間達とジミーちゃんや吉本興業の芸人について話し合っている場面では「イタイやつと天才は紙一重や」(P.75)「そのまま世間に出したら、ほとんど病院行きや」(P.76)という会話が飛び交う。その場面を読んで金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」の一節「みんなちがって、みんないい。」を思い出した。ジミーちゃんの様な人はお荷物扱いされがちだが、この世に生を受けたのは何かの役割があって生まれてきたのだと思う。

 この感想文を書くため、思いを巡らせていたら今日一日のことだが、私の意識が変わり行動も変わった。この意識、行動が三日坊主にならない様、継続したいと思う。
 
投稿者 orion999 日時 
本書で、明石家さんまが読者に伝えたかったことは2つある。

1つは、笑いは奇跡を起こすということだ。

今までの自分を笑い飛ばしたら、
いじめてきた奴とか、からかってきた奴とか、
全部見返せると言っている。

つまり、これは過去を変える事ができる
と言っているのだから、奇跡以外の何物でもない。


健康面に関しても、笑いは奇跡を起こすようだ。

ある研究によれば、笑った後には、
健康にとって良い遺伝子のスイッチがオンになり、
逆に健康を損なうような遺伝子は
オフになるという事が分かっている。



「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、
それを全部おもろいってなったら、笑ったもんの勝ちになるんや!
そういう風にできてんねん!笑ってみい!」
とも言っている。

「そういう風にできてんねん」この言葉がとても興味深かった。
明石家さんまは、怪しい系のワザだと
知ってか知らずか使っているのだろう。

しょ~おん先生のメルマガ第2390号に
『不幸は○○をすると無くなってしまう』
と題した回があるが、さんまはこれと同じような事を
体験しているに違いない。
おもろいは感謝に通じる。



2つ目は

人は自分の好きな事、夢中になれる事は何なのかを追求し、
それに携わりながら生きていった方がいい。
その中で、人に喜びを与えたり感謝されたりすることで
自分自身の成長や幸せを感じるものだと。

これは、智の道を目指して生きて行きなさい
と言っている様なものではないか。


世の成功者の多くはこの様な生き方をしてきたはずだ。

幸運にもジミー大西は明石家さんまに出会い、
付き人となって関わることによって
画家としての道が開けた訳で、
明石家さんまによって生み出された
1つの奇跡であるとも言える。

この様な生き方をしていたら、
ジミー大西のような奇跡が起こるかもしれないよと
伝えたかったのではないだろうか。


本書を読み進めて行く中で、
あなたは、本当は何がやりたいの?何がしたいの?
と問われ続けている様な気がした。



以上のことを踏まえて私はこう考えた。

笑いには、自分も他人も幸せにする力があり、
時には奇跡を起こすこともあるのだから
できる限り笑っていたい。

そのためには、日々の生活の中で
意識して笑うことを心掛けるようにする必要がある。

何か笑いのタネが無いから笑わないのではなく、
笑顔を意識的に作るだけでもいい。

『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。』
と言う名言もあるように、それを実践することだ。

そうすることで自分の感情をコントロールする術を、
身に着けていくのではないだろうか。

感情を自由自在にコントロール出来るようになれば、
人間関係において怖い物はなくなる。
他人からのマイナスの影響を受けずに済むからだ。

このスキルは自分の人生を優位に進めて行く上では、
必要不可欠な物になるはずだ。



数年前、私は基本編を受け、智の道を目指すと決めた。
今後もそれはかわらないし、
一生、その道を追求するしかないと思ってもいる。

現状は、思うように事は進んではいないが、
今できる事を毎日やり続けていれば、
必ず状況が好転して行くと信じている。
なぜなら、智の道を目指しているからだ。



エピローグにある最後の2行

「キャンパスには星の他に一人の男が描かれていた。
ひと際輝く星に向かって、必死に手を伸ばす男。
その顔は、どことなく大西に似ていた。」

ここには、ジミー大西の明石家さんまに対する
最大限の感謝が描写されているに違いない。
 
投稿者 kawa5emon 日時 
書評 Jimmy 原作・明石家さんま

読後感が何とも心地よいのは、10月課題図書「ケーキの切れない非行少年たち」では、
確実に問題児に分類され、社会への適合が難しいと考えられる大西氏が、ハラハラ展開ながらも、
本書内で語られる様々な人々との出会いと新たな環境との接触を経て、
社会の中で認められる適所に落ち着き、幸せな人生への入り口に立てたからであろう。
最終的には、そのような個性的なキャラクターは個性自体が問題なのではなく、
周囲の理解と受容、社会参加機会の提供などが重要なのだと前述課題図書の振り返りにもなった。


人の人生を扱った本は本当に学びが多い。本書内だけでも、
他人を理解することの難しさ、奥深さ、仕事に向き合う姿勢、仕事の意味、人材育成手法、
コミュニケーションの重要性やその実例を見るなど、引用できるポイントが多岐に渡る。

その中でも今回の学びは、大西氏の人生が変化した要因に絞って書評を展開していこうと思う。
大枠の結論は、活動環境の選択と人との出会い、そして各々との関係性構築が非常に重要ということ。
更に大西氏の人生変化展開軸で分析していくと、以下の諸要因も重要なポイントだと考える。


1、恐ろしいぐらいの大西氏の真っ直ぐさ、正直さ、必死さ
ここでの正直さとは、自分に嘘をつかない、自分を偽らない、自分の信条に忠実と定義する。
他人とのコミュニケーションは苦手だが、自意識は高く、周囲への気遣いは元々出来る。
大西氏の言動は、一見痛々しいが、その真っ直ぐな言動に心が洗われる感覚を覚えた。
イマルちゃんが大西氏をお気に入りで絵本読み聞かせで即寝する場面が、純粋な心を証明している。
そして結果論だが、必死だからこそ拓けた運命と付け加えたい。

2、さんま氏の傍に居たいという大西氏の一貫した想いと覚悟
少し脇道に逸れるが、大西氏の真っ直ぐな行動は11月課題図書「サードドア」を思い起こさせた。
その想いと覚悟は一貫してブレが無い。強い想いと覚悟が、実現化に繋がった点に反論は無いだろう。

3、さんま氏との出会い、そしてさんま氏の直接、間接のお世話
ここでは、大西氏の人間性を見抜き、会話が成立するさんま氏の人間性、価値観に注目したい。
更にさんま氏の言動から考えさせられる、人材育成のためのスキル、マネジメント手法にも触れたい。
その要点は、相手の理解・許容、きっかけの提供、随時の状況確認、一旦腹を括ったら、
最後まで仲間を守る覚悟・姿勢に見ることができると考える。

4、大西氏を通し、自分自身を振り返るさんま氏の謙遜さと飽くなき自己成長意欲
売れっ子の上昇気流にあっても有頂天になることなく、師匠を慕い、芸を盗もうと努力し、
世間一般には無視されそうな大西氏の個性、言動からも、笑いや人生の多様性を学ぼうとする低姿勢。

5、新たな環境で発生する偶然の出会い(吉本興行や芸能人絵画、外部接触など全てを通じて)
本書に登場するありとあらゆる出会いは、そのどれも無駄ではなかった。
一時的には心身の痛みも伴い、暗雲が垂れ込める場面がありながらも、
そのどれもが関係者含め、血となり肉となり、最終的には笑いの対象となった。
笑いの対象、おいしいネタと考えると、一見厳しく、不都合出来事ほど、価値がある。
換言すると、発生する全ての出来事に意味があると言えるだろう。


結論、現在の環境で行き詰った時は、活動環境を変えるか又は出会う人を変える、そこに本人の意思、
覚悟が加われば、人生を変化させる(停滞を変化させる)ことが出来るとの学びである。
大西氏の場合、各々の歯車が上手く噛み合わない場面も多々あったが、結果的に歯車が入れ替わり、
幸せの入り口に立てたのは、結果論としても本人の必死さと覚悟があった点は再度強調しておきたい。


最後に、やはり笑いの威力を明記しない訳にはいかない
その威力最大化法は、自意識を一旦自分自身から切り離し(他人事のような客観視)、
あたかも自分の人生を他人事かのように笑い飛ばせるか否か(過去のよい思い出とする)。
笑いはやはり最強の開運法の一つと再認識した。心底からの、これ以上ないという至福の幸福感。
大西氏が弟子になれると感じた瞬間の止まらぬ笑いが、その状態を感じさせてくれた。
この状態を意図的に作れたら? 如何に日々が、そして瞬間瞬間が充実するか?
そんな状態を想像するだけでも楽しく、実践しない理由がない。

人生を戯曲と捉え、如何に客観視し、物語を紡ぎ、笑いの状態を作れるか?
さんま氏コメントのように人生を笑い飛ばせれば(過去の清算)、
間違いなく人生の勝者になれるだろう(笑っている、幸せの状態に既に居るということ)。
S塾で学んだ幸せの極意、「どんな苦境にあっても、その状況を笑い飛ばせるか?」を反芻した。


今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで一番感じたのは、自分の存在を肯定して新しいことに挑戦していくポジティブな思考は人生には必要であるということでした。

1自分の存在を肯定的に見守ってくれる人との出会い

ジミー大西さんは、明石家さんまさんに出会わなければ、ジミー大西さんの芸人としての才能も、絵画の才能も開花することは無かったのではないかと思います。それは明石家さんまさんが失敗するジミー大西さんの存在を悲観的に捉えず、肯定的に捉えることが出来たからです。

明石家さんまさんに出会ったことがジミー大西さんの人生を大きく好転させていったのです。

明石家さんまさんのようなポジティブな思考の人は、とにかく明るい性格をしています。元気があり、何をしていても楽しそうな雰囲気があります。この明るさに惹かれる人は多く存在し、その魅力についていく人は多くいます。

そして、ポジティブな人の周囲には、自然とポジティブな人が集まります。ポジティブな人同士の会話には前向きな内容が多く、あれもダメこれもダメという、否定的な言葉を発することは少ないです。

テレビ番組で明石家さんまさんのトークを見ていて好感が持てるのは、話をする相手を決して否定的には見ていないということです。話をする相手の存在を肯定的に認めた上で話をし、話をしている相手をリラックスさせないと、本音を聞き出せないということを知っているからだと考えます。

誰でも自分の話を聞いてくれて、自分の存在を認めてくれる人がいれば、相手に心を開き、自分の本音を話したいと思えるようになります。

明石家さんまさんに出会う前の、失敗ばかりを恐れるジミー大西さんのようなネガティブ思考の人は、何かに失敗するとクヨクヨ考え込んでしまいますが、ポジティブな思考の人は、あまりクヨクヨ考えません。また、何か新しいことを始めるときに、悪いイメージを持ったりしません。

もしポジティブな人が失敗しても、自分が求めている結果が達成されるまでは、諦めずに行動する人が多いです。諦めないために、コツコツと積み重ねる根気があり、失敗して結果が出なかったとしてもすぐに諦めたりすることはありません。

明石家さんまさんがジミー大西さんを途中で見捨てずに、肯定して励ましながら接してきたことが、ジミー大西さんが自分のことを肯定的に考えることが出来、芸人としての才能と、絵画の才能を開花させるきっかけになっていったのです。

2自分の辛い経験や過去を笑い飛ばす

そして、自分の過去の辛い経験を、笑い話にできるということは、過去の人生をすべて肯定的に考えないと出来ない発想です。

ジミー大西さんに向かって、自分の失敗してきた過去を笑い飛ばせと言う明石家さんまさんは社会的に成功している人です。自分の辛い経験や、損した話を面白く人に話せるポジティブさが成功者にはあり、そのくらいの気持ちがないと、成功するまでに心が負けてしまうからでしょう。

自分の過去に失敗したネガティブな話を、面白おかしく話すというのはなかなか難しいことです。

自分が辛いと思う過去の経験は笑い飛ばせる。大好きなことだったら、辛いと感じる暇もなく熱中して取り組むことが出来る。これだけ肯定的に捉えることが出来れば、ジミー大西さんの考え方がポジティブに変化し、人生が好転していくのも分かります。

「あの時、この人との出会いで自分が変わった」というのはジミー大西さんに限らず、誰にでも何時でも起こりえるのです。自分を変えてくれる人に出会い、自分を変えたいと思ったときから、そのようなチャンスは身近に起きるということに気づけるのです。

ポジティブな思考を忘れずに、自分の失敗した過去の話を笑い話に出来るくらいのポジティブな思考を持っていくようにします。
 
投稿者 3338 日時 
実は今でこそ明石家さんまのファンだと言えるが、若い頃の明石家さんまをテレビで見かけるとチャンネルを変えるくらい嫌いだった。それがある時から、非常に話が面白いと思うようになり、最近はテレビを見ることがなくなったので、ちょっと寂しく思っていた。ある人から私が明石家さんまの話が面白いと言うようになったのは、大竹しのぶさんと離婚してからだと指摘されたが、その辺はよく分からない。いつのまにか、前は下品で意味の分からないことを言っていた人が、感心するような事を言うので余計に興味が湧いた。
いろいろあって自分も成長し、受け入れる範囲が広がったということかもしれない。

この本を読んで明石家さんまは若い頃から、世の中というものを知っていたのだと驚いた。本の中の明石家さんまは、私の知っている若い頃の下品な明石家さんまとは似ても似つかない、物事の本質を捉えて拘らない、誰に対しても誠意ある対応する好青年だった。普通ジミー大西のような人間にあったら、途中で愛想を尽かしそうなものだけど、決して見放さないで面倒を見る辺りは、器の大きさを感じさせる。最初明石家氏には、ジミー大西の並外れたエネルギーが見えるのかと思った。でも読み進めるにしたがって、そうではなく、明石家さんまは並み外れた広い視野を持っているのではと思い始めた。
この11日12日に速読編に参加して、人間の器というのは、視野に左右されることが分かり、それを意識していたせいか、明石家さんまのものの見方や行動は、視野の広さのなせる技ではないかと思った。

視野が広ければ広いほど情報が多く入って来る。入る情報が多ければ多いほど、データが蓄積されて行く。しかもそれは無意識に蓄積されて行き、思考や行動に反映される。

p235に直感的に面白そうだと思ったとあるが、これは日頃から明石家さんまがジミー大西の情報を蓄積していた答えに他ならない。このあたりの本質を理解できないために、偶然にという枕詞がつけられることが多い。偶然に見いだされた才能が花開いたのではなく、必然的に情報と情報が結びついた瞬間だった。
ジミー大西の絵は驚くほど生命感に溢れ力強い。これがジミー大西の本来の姿だと誰が想像できただろうか。

側から見ると明石家さんまのまわりでは、偶然に幸運を呼びよせることが多いことになる。
逆に言えば、一見不幸や不運に見えることが、返って良い結果を生むこともあり、これは氏の離婚を機に私も含めてファンが増えた事なとがそれに当たる。やはり、自分がどういう行動するかを計算しているわけではなく、無意識で行動した結果が現状だとすれば、明石家さんまは本当に天才なのだと思った。
ジミー大西の絵が雨で全滅した後で、p322の明石家さんまがジミー大西に言った言葉は、覚悟を促している。
例え天災でも、自分の責任をしっかりと自覚しなければ、良き将来はやってこない。良き将来を受け取る覚悟を促している。

思えばこの物語は、すぐに落ち込むジミー大西を、「おもろい」という感性で明石家さんまが導いて来た物語であるとも言える。自分の全てを「おもろい」と言える人間は、決して諦めずに前を向いて歩いていくことができる。

p329で野球のメンバーを集めるように指示する明石家さんまの考えは、凡人である私にはすぐ理解できなかった。
見ようと思えば、上からから見取り図を見下ろすように、明石家さんまには全て見ることができるのだと思った。

天才の視野はどれほど広いのか確かめることはできないが、自分の視野がどれほど狭いのかは分かっているので、毎日少しでも広がるようにしたい。
視野が広いということは、物理的にどこまで見えるかということもあるが、感覚として自分のセンサーが働く範囲が広がるイメージがある。目の前のことに集中しながらも、周りにも気を配ることが可能かどうか。意識してやってみる他はない。
今、できないことを知っていて、できる方法を教えてもらったのだから、やり続けるという選択肢しかない。
少しでも、今まで見えなかった世界が見たいと思えば、そうなった自分を想像しながら、訓練し続けたい。
偶然も、奇跡も狙って引き起こせるような広い視野を得ることができたら、何が見えるのだろうか。
同じ世界を見た人と語り合うことを夢見たい。

石井 みやこ
 
投稿者 collie445 日時 
私の中でのジミー大西さんの印象は、
画家になったあんまり面白くない芸人さん、
さんまさんとよく一緒に出ていた人くらいで、
ほとんど興味がありませんでした。

さんまさんに対しても、面白い芸人さんだなとは
思っていましたが、特に注目はしていませんでした。

本書を読んでその印象は大きく変わりました。

ジミー大西さんとさんまさんにまつわる話で
こんなに考えさせられることになるとは、
全く想像していませんでした。

まず、浮かんだのは、自己受容と他者受容です。
自己受容とは、
”自分の存在をありのままの、そのまま受け容れていく”
ということです。

最近、心理ワークを学んでいるのですが、
自己受容と他者受容には、自分を受容することで、
他者受容ができるようになると言う関係があります。

さんまさんは、自己受容ができていて、
他者受容もできていたのだと思います。

自分を全肯定してくれる安全な場だったら、
いろんな人間のいる外の社会で、
自分もなんとかやっていけるという自己肯定感が育っていき、
外の社会で行きていけるようになるのです。

最近はこうした変化を私自身も経験しています。

さんまさんとジミー大西さん、
そして、二人と取り巻く仲間の皆さんの関係性も、
ジミー大西さんの自己肯定感を育てていき、
画家としての才能の開花につながったと考えました。

ジミー大西さんの登場シーン、
その場面だけ切り取ったら、変質者にしか見えません。

でも、本人は、全く違った思いを抱えています。

「芸人たちの驚いたような顔、笑いをこらえるような顔、あきれたような顔を見た瞬間、大西はまたやってしまったのだと思った。何をやってしまったのかまだわからない。でも自分がとんでもないヘマをしたときの周囲の表情には覚えがあった。」
P22

「ボタン師匠な、知らん言うてはったで。ミスしたんやったら、反省を態度で示せ!としか言うてへんって」
 大西はすぐさま頷く。もちろんそうだ。そう言われたから自分はこうして反省を態度で示しているのだ。何がおかしいのかわからず、大西はぼんやりと表示した表情でさんまを見る。P24

本人なりに考えた上での行動だった訳です。

表面的な行動を見ていただけでは伝わりませんが、
その後の多くのエピソードを通じ、
さんまさんはジミー大西さんの行動の裏にある思いを
理解していったのだと思います。

なぜ、さんまさんがジミー大西さんを理解していけたのか、
それは、さんまさんの生い立ちにも関係がありそうです。

さんまさんは、3歳の時に、母親を病気で亡くし、
その後、父親が再婚。

継母と年の離れた弟ができましたが、
継母にはかわいがられませんでした。

仲が良かった義弟は、火事で亡くなってしまいました。

また、日航墜落事故機に当初は乗る予定で、
その後予定がかわり、命拾いをしたとのこと。

命の大切さや、人と人との縁への思い入れは
人一倍強かったのだと思います。

ジミー大西さんとさんまさんとの関係性は、
不登校やひきこもりになる親子関係の改善への
ヒントにもなります。

家庭が安全な場、自分のありのままを受け入れる場と
なっていないので、外に出ていくことができないのです。

なぜ、家庭で子供のありのままを受け入れることが
できないかと言うと、親自身が自分のありのままを
受け入れることができないからです。

親自身が自身の親にありのままを受け入れられていない
からです。負の連鎖が起きているのです。

この問題の解決には、
こうした負の連鎖を断ち切ることが重要です。

さんまさんは、それができていたのだと感じます。

さんまさんは、大竹しのぶさんと結婚されました。

大竹さんには連れ子の二千翔くんがいましたが、
実子のいまるちゃんと分け隔てなく可愛がっているそうです。

いまるちゃんと言えば、いまるちゃんの名付けの由来も
「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」
からと言うのは、当時聞いていました。

さんまさんの生い立ちを知ると、私自身、
自分の子供の生命の危機に直面した経験もあり、
その意味の深さに改めて感動をおぼえます。

ちなみに、大竹しのぶさんは、
「いまをいきる(今を生きる)」から命名したと
おっしゃっているそうです。

また、さんまさんの辛い出来事を笑いに変える姿勢は
しょ~おんさんがメルマガで書かかれている
辛いイベントからの立ち直り方と通じるものを感じました。

感情を切り離して、自身を高い視点から客観視することで
道は開かれていく。

壮絶な人生を歩んできたことを知り、
辛い経験を笑い飛ばして前に進む強さと、
さんまさんの温かい眼差しにより一層感銘を受けました。

私は、人を貶めるような笑いには嫌悪感を感じます。

今まで意識したことがありませんでしたが、
さんまさんの笑いで、ほんわかした気持ちになるのは、
さんまさんの笑いに愛があるからなのでしょう。

最後に、ジミー大西さんの愚直さと一生懸命さも
重要なポイントです。

こうした姿勢が周囲の人を巻き込んで
大きな流れが引き寄せてられる。

私自身も大きな流れを引き寄せられるように
日々努力していこうと心を新たにしました。
 
投稿者 tajihiro 日時 
原作・明石家さんまの「Jimmy」を読んで

 原作・明石家さんまの「Jimmy」について、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。
まず、「Jimmy」のテーマを一言で申し上げると、2つあり、それは「好きこそものの上手なれ」「自立・自走」ではないか、と考えます。

 上記を踏まえ、順に深堀りしていきたいと思いますが、その前に、なぜ、この著書が課題図書の題材になったかを考察してみます。

 あくまで、私の主観ですが、課題図書の題材になっているものは、投稿者に対し、何かしらを学んでほしい、という思いがあると考えております。その何かしらとは何か?私は、大きく分けると3つあるのでは、と考えており、1つは「主体的な生き方」、1つは「科学を超越した何か」、最後の1つは「先人への畏敬の念」ではないかと考えております。今回は「主体的な生き方とは何ぞや」というテーマで明石家さんま氏(以下、さんま)がジミー大西氏(以下、ジミー)の半生を例に、笑いと感動を織り交ぜて書き上げたのが本著ではないでしょうか?

 本著のポイントになりそうなところを以下に列記します。

1. 『夢中になれるもん探したら、こうなったんや』(P128)
2. 『ほんまや。これ、奇蹟やで。奇蹟のジミー、ここに誕生や!』(P167)
3. 『何度も同じこと言わすな。人間はな、好きなことせな、進歩出来へんのや』(P269)
4. 『絵を描く方に気がいってんねんな?』『いえ・・・テレビ・・・若と出るんが楽しいです』(P290)
5. 『意味は分からないけど、好きなことをやれと言われている気がした。これまで、人に好きなことをやれと言われても、何がしたいのかわからなくて、苦しかった。でも、岡本太郎の「キャンパスからはみ出せ」という言葉は、不思議と大西を自由にしてくれた。』(P303)
6. 『雨漏りは天災やろ。お前、天災を人のせいにするんか?お前に来た仕事やろ。ほんなら成功も失敗も全部お前が背負うもんや。お前はあれか?舞台でギャグが受けへんかったらマネージャーのせいにすんのか?雨が降ってたからウケへんかったって言うんかい。そんなことは俺は教えてへんで』(P322~P323)
7. 『ピン芸人として、俺に頼らんと、芸で笑わせんと』(P351)
8. 『絵やったら今の芸より、何倍、いや何万人も感動させるかもしれへん。(中略)笑いも絵も感動はいっしょや』(P351)

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1.『夢中になれるもん探したら、こうなったんや』(P128)
 これについては、偉大な功績、成績を残された方(ホンダ創業者・本田宗一郎氏や元メジャーリーガー・イチロー氏など)がそうであったように、何かを成し遂げようとすれば、いや、そこまでいかなくとも、ストレスなく幸せに全うな人生を送ろうと思うならば、このような考え方を持つのは至極当然というか、当たり前の結論になるのでは、と。さんまはジミーにも一般的なサラリーマンみたく惰性で生きるのではなく、好きなことを見つけ、主体的に生きてほしいと願っていたのでしょう。

2.『ほんまや。これ、奇蹟やで。奇蹟のジミー、ここに誕生や!』(P167)
 これはさんまの思いつき、勢いで言った要素もあると思いますが、さんま流の「お前はお笑いの神様に愛されとるで。天命やで。腹くくれや」的な、「お笑いに人生を懸けろや」的な、叱咤激励の要素もあったと思われます。当時のジミーには、村上ショージやMr.オクレのように、お笑いに人生を懸けているというよりは、ただ、さんまに憧れ、さんまと仕事ができればそれでいい、という安直な思いでいることを見透かし、何とか、独り立ちしてほしい、というきっかけを与えたかったのではないかと思います。

3.『何度も同じこと言わすな。人間はな、好きなことせな、進歩出来へんのや』(P269)
 先の1.の部分と同じで、好きでもないことを惰性でするより、好きなことを夢中でやる方が、人生は、断然幸せであり、また、そういうときこそ、普通では、ありえないような奇跡が起きたり、想像もつかないような成果が出たりする、ということを示した発言でしょう。

4.『絵を描く方に気がいってんねんな?』『いえ・・・テレビ・・・若と出るんが楽しいです』(P290)
 このやり取りは、ジミーに対して、さんまならではの最大限の愛情ともいえる部分でしょう。さんまにとってお笑いは大好きで大好きで仕方がないツール、ジミーにも自身の大好きなお笑いで成功してくれたらえぇ、という願いもあったと思われますが、ジミーの、誰にも想像だにできなかった、絵描きとしての才能を見せつけられ、ジミーの将来を考えるならば、さんまに頼らず、主体的に幸せに生きてほしい、という願いを持っていたからこその発言でしょう。後の『こんなおもろい奴、誰にも渡したくなかったんや』(P353)という発言は、これを裏付けていると思われます。

5.『意味は分からないけど、好きなことをやれと言われている気がした。これまで、人に好きなことをやれと言われても、何がしたいのかわからなくて、苦しかった。でも、岡本太郎の「キャンパスからはみ出せ」という言葉は、不思議と大西を自由にしてくれた。』(P303)
 これは、ジミー自身が「自分の絵描きとしての本分」に目覚めつつある描写であると思います。絵を描いているとき、時間を忘れて、ぞっこんできている、夢中になれている、そんな自分に気づき始めたと思われます。

6.『雨漏りは天災やろ。お前、天災を人のせいにするんか?お前に来た仕事やろ。ほんなら成功も失敗も全部お前が背負うもんや。お前はあれか?舞台でギャグが受けへんかったらマネージャーのせいにすんのか?雨が降ってたからウケへんかったって言うんかい。そんなことは俺は教えてへんで』(P322~P323)
 これは、1.や、3.と対照的とも言える部分です。「好きなことをすること」が全ての人間に与えられた「権利」とするならば、「成功も失敗も全部自分で背負う」というのは好きなことで商売をする者の「義務」とも言えるものであり、おそらく、本著の一番のハイライトともいえる部分でしょう。そのことをさんまはジミーに身をもって教えたかったのではないか、と思われます。

7.『ピン芸人として、俺に頼らんと、芸で笑わせんと』(P351)
 これも、4.同様に、さんまならではのジミーに対しての最大の愛情とも入れる部分でしょう。誰かにイジられて笑いを取るのでなく(他人に頼るのではなく)、自らのギャグで笑いを取るべき(主体的に笑いを取るべき)と言っています。今のジミーのままでは、誰かに頼らないと生きていけない、独り立ちはできないよ、と、そう言いたかったのではと思われます。

8.『絵やったら今の芸より、何倍、いや何万人も感動させるかもしれへん。(中略)笑いも絵も感動はいっしょや』(P351)
 これは7.の裏返しでしょう。ジミーのお笑いで感動を与えられるレベルは、たかが知れている、しかし、ジミーの絵なら何千何万の人々を感動させられるかもしれない、俺に頼らずとも、自らの力だけで、自立自走で、何千何万の人々を感動させることが可能であることを実直に伝えたかった、のだと思われます。

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 最後に、本著を通し、今回の学びを今後の仕事や人生にどのように活かしていくかをまとめます。

 ありきたりの結論になるかもしれませんが、人はやはり「好きこそものの上手なれ」でこそ、ありえないような奇跡が起きたり、想像もつかないような成果が出たりするものであり、惰性でなく「自立・自走」でやってこそ、仕事であれ、趣味であれ上手くいくことを本著は示していると思います。

 私自身も、好きでやっている業務(財務経理業務をはじめとするバックオフィス業務)をやっているときが、そうでない業務をやっているときより成果を出せているし、何より楽しいし、時間を気にせず夢中になって仕事ができている、3人のレンガ職人の話で最後の3人目が「俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」というくだりがあるが、今の自分が、まさにそんな境地というか使命心を持って仕事ができていることを再認識できました。
 現在、私は、将来の副業としてあることを進めております。本業であるサラリーマンとは別に、真の意味で、主体的に、そして、自立自走で生きていくことを実現するためです。そのために、仮に、万が一の最悪の状況に陥ったとしてもリカバリーできるようにしっかりシミュレーションしつつ、綿密に計画を立てて、これからの残る半生を邁進したいと思います。

 以上、課題図書としての思ったこと、考察したことを終わります。非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 Terucchi 日時 
今回、この小説を読み、
① 人の人生は人によって変わる
② 人と人との関係が人生
③人は一生自分はどう生きるのかを見つける旅
という3点に自分の考えをまとめたい。
まず、① 人の人生は人によって変わる
jimmy大西は自分の人生の中で、明石家さんまと出会い、さんまに人生を捧げた。またそれが決して嫌ではなく、運命として。
人の人生は人によって決まっていくものだと思わされる。そのような人に出会うことによって、自分の人生なんて、変えてしまうことや自分の人生を捧げることに何の躊躇もない。そんなものだとよくわかる。
ところで、もしさんまと出会ってなければ、良い人生ではなかっただろう。その出会いというのも運命で決まっているとしか思えない。人との出会いは頭で割り切れることではない。運命なのかも知れない。
次に、②の人と人との関係性
さんまはjimmy大西をほっておこうと思えばできたはずだが、なぜかそうしなかった。自分にとって、利益があると思えたのか?足を引っ張るだけなのではないか?それがさんまのいいところであろう。みんな幸せにしたい。たぶん、このjimmy大西を幸せにできないようであれば、他のみんなを幸せにすることはできないと思っていたのではないか。ほっておけない、という優しさをヒシヒシ感じれる。親以上の育ての親だろう。
次に③ 人は一生自分はどう生きるのかを見つける旅、として。
jimmyは自分がどうなるか、まさか自分が絵描きになるなんて思わなかっただろう。それが、人との出会いを通してだと思うが、そういうものなのか。果たして本人は良かったと思っているのか?良い悪いでなく、自分でとことん進むことができ、納得しているのではないかと思う。それが不器用であっても、精一杯生きたことになるのではないか。
最後に、私自身これを読んで、まずは人との関わりから考えることの良いきっかけとなりました。人ときちんと接しているのか?おざなりにしてはいないか?また、まだまだ自分が本気で生きていないと思ってしまった。何か打算で生きている自分がいる。憧れたり、惚れて、何かに打ち込んでいるのか?悔いはないか?自分自身、今まで出会い、お世話になった人に対して、自信を持てるか?これからもどんな出会いがあるのか?もしかすると、会っているのでは?出会ったら、何かできるか?何か人に対して、出来ることは?これら自分への問いかけが増えましたが、一生問い掛け、考えながら、悔いのないよう、何か形にしていきたいと思っています。まだまだこれから。まだまだやり足らない。頑張ります。
しょ〜おん先生、いつも良い本を紹介して頂きありがとうございます。
 
投稿者 gizumo 日時 
「Jimmy 原作明石家さんま」を読んで
 
まず、「さんまさんの原作!?」ということに驚き、「Jimmyって、あのジミーちゃん?!」、色鮮やかで印象的な表紙はそれっぽい!と驚いた今月の課題本。
「ジミーちゃん」と親しげには言うものの、それほどご活躍をテレビで見たこともなく、さんまさんも意図して番組を見るほどでは自分はありません。

「ジミー大西さん」と言えば、絵を描くようになって評判となり、また、マネージャーさんとご結婚される際、「自分の嫁と言われるのはかわいそう・・・」といった理由で写真を見せなかった、とか聞き、「ああ見えて優しい人なんだ・・・」と思った記憶があります。

本書を読んで、今までの短くはない人生の中、「こんな人居な・・・」と思いつつも、あまり友人や同僚に持ちたくないタイプ。破天荒な信じられない行動の数々は少々“盛られている”としても驚くばかりのもので、しかも「下品」。普通の社会生活を出来るものではないだろう。

しかしそこは、問題もいろいろあり現在改善へ向けて企業努力に務めている「吉本興業」の器で花開いた才能なのかもしれない。その吉本興業への入社だけでなく、野球との出会い、さんまさんやその取り巻きとの出会い、また一番大きかった「絵を描く」こととの出会いもすべて彼自身の「人間力」ともいえるものが引き寄せたのかもしれない。"おもろい"だけでここまで周囲を引き付けるのではなくどこか魅力があるのだろう。話を読むだけでも、何かしら彼に対する理解者がおり、一人ではなかったことが幸いしている。もちろん“芸人”という、特別な才能の人たちで形作られる環境の影響も大きかったのだろう。時々思うのが、それぞれの人間が彼のように環境や機会に恵まれその才能を生かせれば、世の中は大きく良いほうへ変わるだろうなと、いじめや病気、経済的事情などでいろいろあきらめることを余儀なくされることは大きな社会損失であろう。まぁ話が大きくなる前に、自分が自分自身をマネジメント出来ていないことを大いにに反省すべきと気づくきっかけとなる読了でした。

余談になりますが、この本は「Netflix」限定のドラマの原作とのこと、今でも視聴することが出来るようです。「Netflix」ではあの「火花」も限定でドラマ化され、そのほかの興味あるアイテムも好評を得ているようです。こういったメディアの選択肢が増えることも自分たちの生活を豊かにするとともに、知っていることと知らないことでの“格差”が広がっていくのだなと、しみじみと感じた次第でもあります。
 
投稿者 nxxxxo1985 日時 
Jimmyを読んで

この本を読んで一番強く心に響いた言葉
「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!
けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!
そういう風にできてんねん!笑ってみぃ!」

過去に犯した失敗、将来への不安、そういったことを全て吹き飛ばし前に進むためのポジティブワード。
こんな言葉を言えるさんまがとても眩しく感じた。
Jimmyよりもさんまの生い立ちが気になり、ググって見ると
母親との幼き日の死別、
義理母に心を開いてもらおうと毎日面白いことを考えたこと。
(結局溝は埋まらなかったらしいが)
溺愛していた年の離れた弟との死別。
著書でも書かれていた日航機の墜落事故逃れや
娘の名前IMALUの由来である「生きているだけで丸もうけ」などなど、
さんまの死を身近に経験したからこその
一度きりの人生、楽しまなければ勿体無いという貪欲さがとても納得できた。

そして、そんなさんまと正反対の性格のジミー大西との出会い。
当時から学校や周りの人たちと馴染めず虐められ、仕事でも失敗、会社からもクビ宣告と
社会生活不適合者の見本のような人物がさんまを恩師と慕い、求め、成長させてもらったストーリー。

成長で必要なものはやり遂げる覚悟と
何があっても信じ合い、助け合う仲間と恩師。

自分の夢に対して、どこまで覚悟して本気で物事に取り組み、
失敗してくじけそうな時にも笑い話にして分かち合える仲間。
そして誓いをたてて、成長したことを恩師へ報告することの喜び。

私自身新しい事業をはじめ、どうすれば良いか手探り状態が続いています。
しかし、私を拾ってくれた恩師を喜ばせるために仲間と苦楽を共にしながら
やり抜くと覚悟を決め、一歩一歩進んで生きて行きたいです。

引き続き、学び、考え、実践し、明日への成功を求めて精進して参ります。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
jimmyを読んでの感想

この本を読むのは2回目。1回目に感動した事を覚えている、にも関わらず泣いた。またしても、とても感動した。
最初は頭のおかしなヤツ(常識外れの奇行ばかりするヤツ)だったのが、さんまファミリーの一員になり、様々な事に苦悩・葛藤しながらも自分が何者なのかを見つけ、自分の進むべき道を見つける。
こう簡潔にまとめてしまうと感動のポイントも何もあるように見えないが、随所に感動し震えるポイントが散りばめられていてあっという間に読み終わった。
本書はタイトルこそ「jimmy」となっているものの、中身は明石家さんまという人間から学ぶ成功哲学だと思う。
ジミーちゃんのさんまさんに対する熱い想い、それに応えるさんまさんの言動の変化、さんま自身の気付きの部分はとても感動的だけれど、今の自分に置き換えると仕事で成功を収める為にはどういう思考や行動が必要なのか、部下や子供をどうやって育てていくか、善く生きる、人格を高める為にはどのような思考が必要か、と言った点において学ぶ事が沢山あった。
以下に学ぶ事があったポイントを挙げます。
p26最初の出会いでジミーちゃんのちんちんの紐を取ってあげるシーンでは、誰もやらない、やりたく無いような事こそ率先して嫌な顔もせずに平然とやる気持ちがあるからこそ、神様はチャンスをくれるだろうし、そういう行為・行動を重ねる事で人間性が高まるという事を学び
p61からの放送禁止用語を言ってしまった事への反省とジミーちゃんの過去を振り返るシーンでの【笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!笑ってみ!】という所では、何事も笑い飛ばせる気持ちがあれば困った事なんか起こらないし、人生うまくいくという確信は持てるし、自己暗示もかけれるよな!という事を学び
p71の【吉本のお偉いさんが何いじめみたいな事言うとるんや!】と、キレたシーンでは、相手が誰であろうと間違っている時には自分が犠牲になったとしても守るべきものの為に闘わなければならない事を学び
p108~の師匠が舞台に立っている際に袖で草履を暖めて待っているシーンでは、たとえ自分が売れたり成功したりしても驕らず貪欲に技を盗み成長しようとする気持ちを持つことや、自分が忙しくても出来る時はお世話になった人への礼儀を尽くす事の大切さを学び
p160 ジミーちゃんにジミーと名付けたとたんに南米に居たジミーという名のゴリラが亡くなったニュースが流れたシーンですが、これは本書の中でも1、2を争う重要な学びポイントだと思いました。その理由としては、思考が人生にどれだけの影響を与えるかという事が如実に表れていると感じたため。
人生上手いこといっているさんまさんは、これは人気者だったジミーのエネルギーがジミーちゃんに流れてくる、めちゃくちゃラッキーだ!!と考えているが、反対にジミーちゃんは自分の芸名がジミーとなった途端に人気者が死んだなんて不運だと言わんばかりに悲壮感を漂わせていた。
同じ出来事に対してどのように捉えるか。その捉え方次第で人生上に進めることも、下に進めることも出来るというとても分かりやすい例であり、今までしょ~おん塾で学んで来た事が書いてあるなぁと実感した場面でした。
p322では豪雨という天災に対して、ジミーちゃんは天災とは言え、マネージャーがこんな場所を借りたせいだと他人のせいにしているのに対し、さんまさんは天災とはいえ苦しい顔をしたり、悲劇的にならない事がいかに大事かという事を丁寧に説明していましたが、この点も我々がより良い人生を送る為にすべき思考・行動であり、そういう思考をする事が人生の良し悪しに影響をあたえているという事を改めて学ばせて貰いました。


また、前回本書を読んだのは半年前、その後様々な本を読んだ事もあって前回とは違う気付きが得られた。その事を特に感じたのは、ジミーちゃんが始めた書いた絵についてさんまさんと大竹しのぶさんが話をするシーン(p284)で、【「あいつには、世界があんな風に見えてるんやなぁ」】といった所。以前の課題図書「ケーキの切れない非行少年たち」の内容が思い出された。ジミーちゃんはさんまさんファミリーや芸人さんたちのお陰で今は画家としてポジションを確立させる事が出来たが、もしさんまさんに拾ってもらえなかったら何かの間違いで犯罪者扱いされていてもおかしくなかったと思う。
前回読んだ際は思わなかったが、ジミーちゃんの奇行の数々を読むと脳のどこかに欠損が有るのでは無いかと思いたくなるし、時代背景もあるが学習能力や思考力が足りない事に対してサポートするような仕組みもなかったのでは無いかと思う。
そういう点を踏まえると読書がいかに大事かという事も改めて身に染みましたし、貧乏でくふしてもらあきあもっともっと本を読んで他人の人生を追体験したり、知識を深める事で自分の人格を高めなければいけないなと感じました。
 
投稿者 soji0329 日時 
「Jimmy」を読んで


私は思う。これは、ひたすら明石家さんまの素晴らしさを称えた本だ。大西秀明からジミー大西へ育て上げる過程を通じて、明石家さんまの凄さを書いているのだと。

まず感じられるのは「狂気」だ。登場人物が皆、異常である。お笑いに魅入られた人々。そして彼らをビジネスの材料とだけみなし、束ねている吉本興業。そこは私が住む世界とはまるで違う。ギャラの保証は無く、セクハラ、パワハラは日常茶飯事(現在がどうかは知らないが)。そしてまったくの実力主義。たとえ売れたとしても一つのスキャンダルでパタッと仕事が無くなる、まさに板一枚の下は地獄の「狂気」の世界。

その中でひときわ輝いているのが、さんまだ。女性ファンに追いかけられ、なんば花月の芸人仲間には慕われ、吉本幹部には一目置かれている。登場した時点ですでにスターである。そこに入ってきた大西。何をするにも失敗続き。吉本芸人からはつまはじきにされ、宇田川からはクビだと言われてしまう。大西に「おもしろさ」を感じ取り、一人身を張ってかばい続けるさんまを、周りは誰も理解できない。「狂気」の世界に君臨するさんまもまた、お笑いに魅せられた「狂気」そのものだ。

そして、この物語を回していくのが、さんまの「才気」である。さんまの芸風は、他の芸人とは全く違う。相手の中に「おもしろさ」を見つけ出し、笑いのコツを教えてその気にさせる。舞台に引っ張り上げて自分の教えた通りのことをさせ、相手が気づいた時には、舞台の下で大笑いをしている。話術と相手との間合いはまさに天才と言うしかない。そして仕組まれたことを嫌う。偶発的に生まれた笑いを何より好むのだ。本の中で繰り広げられる会話はまさにそれだ。大西はもちろん、ショージ、オクレ、お茶子のおばちゃんに至るまで、まるでその場にいたかのような会話描写。皆、さんまの話術を盗もうとしているかのようだ。岡本太郎が大西に宛てた「キャンパスからはみ出しなさい」のメッセージ。さんまはもうこの時点で、自分を卑下して笑いをとる、吉本芸人というキャンパスからはみ出しているではないか。

あらためて見ると、大西はまさにさんまの求める格好の「相手」だった。さんまをしても想像できないほどの偶発的な笑いを生み出す逸材だったのだ。「天然ボケ」という概念は、さんまが大西の中に見つけた才気だ。大西もさんまの芸風に魅了され、さんましか見えなくなる。芸人になりたいと、大西もまた狂気にとりつかれていくのだ。

さらに、物語の最後まで貫かれているのが、さんまの「陽気」さだ。『生きるか死ぬかの話や!それ以外何悩むことがある?』をまさに地で行っている。その明るさは周りにも影響する。『つらい時こそ笑い飛ばす。それが、さんまファミリーのお笑い憲法』だ。さすがにスキャンダルに巻き込まれ、仕事を干されたときにはシュンとしたが、持ち前の明るさで見事跳ね返してしまった。「陽気」なことは、運気を逆転させるパワーを秘めているのだ。

一方、大西は陰気である。陰気そのものである。彼の経歴がなせる業なのかもしれない。やることなすこと裏目に出る。そして頭を掻きむしり、さらに苦境に陥る。中田ボタン師匠に対する反省しかり、新喜劇初舞台での失言しかり。さんまのためを思って麗華の守護霊詐欺にはまり、逆にさんまを苦境に陥れる。本当に疫病神と言っていいほどの、裏目の人生である。

さんまに見出された絵の才能。好評を呼び、描いた絵を世話になった相手にだれかれとなく押し付けたのも暗い性格ゆえだろう。それを逆手に取り、苦境に陥った大西を救ったのもまた、さんまの陽気さからくる才覚だ。『あなた、愛されてるなあ』大西に言った言葉は、おそらく自分にも向けているに違いない。

「狂気」「才気」「陽気」
さんまが大西に教えたのはこの3つに尽きる。「狂気」は芸人になるか絵を取るか、夢中になれるものをとにかく見つけること。「才気」は人に振られなくても成立する、能力を持つこと。そして「陽気」は自分だけが嬉しがるのではなく、周り全員を喜ばせることだと。これらは大西だけではない、読者全員に対するメッセージなのだ。

スペインに渡った大西は、やがてマネージャーの高宮京子を伴侶に迎える。正直これは、さんまは予期していなかったことだろう。大西がさんまを追いかけ、さんまのようになりたいと成長していった結果の副産物としか言いようがない。人生のマネージャーとなった京子が、これからも芸術家、ジミー大西を幸せに導いてくれるよう、願ってやまない。

『星は遠くにあるのかな。お手々を伸ばせば、届くかな』
師匠と死別し、ジミー大西以下弟子も取らない、孤高の天才、明石家さんま。類まれな芸風を今後彼はどのようにしていくのだろうか。私は思う。手を伸ばしているのは、大西だけではない。他ならぬさんま自身だ。国民的なお笑いタレントになった今でさえ、星をつかむため手を伸ばし続ける。そんなさんまの美学を、私はこの本の中に感じた。
 
投稿者 str 日時 
Jimmy

本書は“本当に自分の好きなこと”と“心から尊敬している大好きな恩師の傍に居たい”という二つの想いの中での葛藤や、周囲を巻き込みながらの数々の騒動を経て、最終的には“絵を描く”という自分の好きなことを選択し((指南してもらい)の方が正しいかもしれないが)ハッピーエンドで幕を下ろす。

まさしくチン騒動とも言える初遭遇からのシンデレラストーリーである。笑いの天才・明石家さんまが持つ人生観やお笑いに対する情熱はとても凄まじく、そして素晴らしいものだと感じた。「自分にもこんな兄貴分がもしいてくれたら」と、ジミーの幸運に羨ましさを感じつつも「それで自分がどうにかなるものか?」という考えも頭に浮かんだ。

ジミーがさんまに偶然・それも相当な衝撃を与えた上で出会う事が出来たのは、確かに幸運だったかもしれない。しかし、それをモノにしたのは彼自身が執念で引き寄せたものであると思う。いくら尊敬する人物のためであっても「ここまでするか?」という世間一般からズレたような行動を取り、普通の相手だったら鬱陶しいと感じ、突き放すだろうレベルまで足を踏み入れてくる。

正直、ジミーのようにここまで誰かを強く想い愚直に行動する事も、さんまのように寛大な気持ちで受け入れてやることも、どちらも自分には到底出来ない。しかし、なぜジミーはここまでさんまに心酔するようになったのか?確かに初遭遇の時点で“恩人”や“憧れ”という感情が、彼の中に芽生えたのはなんとなく分かる。だが、ここまで盲目的になってしまう動機としては少々浅すぎる気がしたのだ。“アホ”と称されるジミーに対し、冷徹な態度を取ることなく、寧ろ理解してやろうという気持ちで接してくれていた人は、さんま以外にもいたはずだからだ。

お茶子のおばちゃん・おさむ兄さん・京子やショージたちなど。京子とは後に結ばれるとはいえ、ジミーは一貫してさんましか目に入っていない様子だった。「この人に付き従い、可愛がってもらえれば、良い人生が送れる」なんて計算じみたことが出来たとは、申し訳ないが考えられないが、直感なのか本能なのか「自分の人生には、何が何でもこの人が必要」というものがあったのかもしれない。明石家さんまという一人の男との繋がりや、そこから何かを学び得ることを、ただガムシャラに何よりも優先した結果、自らの幸せを手に入れることが出来たジミー大西。

そういった意味では“人を見抜く力”は案外ジミーの方が、さんまより一枚上手だったのかもしれないとすら思えてくる。

明石家さんまの教え
それらは全て“笑い”がベースとなっている印象だ。つまりは人を楽しい気持ちにさせ、喜ばせる。また、その感情がダイレクトに自分に返ってくることに対して、嫌な感情を持つ人は殆どいないだろう。等価交換のようなものだ。もっとも、さんまは落ち込んでいたり、悩みを抱えた人たちにも無償で提供するスタンスを貫いており、さんまなりの救いの方法だと感じる。心底“笑い”というものに真剣に向き合っているのだろう。だからこそ豪雨で絵がだめになった際に『そんなこと俺は教えてへんで』とジミーを叱責したのではないか。誰も笑えない状況というものが、きっと彼には耐えがたいものなのかもしれない。

同じように『お前ひとり嬉しいだけや。俺は全然うれしくない』とあるように、独り善がりの笑いも、また彼の中では良しとしないものなのだろう。ジミーはさんまとは違う。お笑い芸人の道を選んでも“笑われること”は出来ても“笑わせること”は難しい。しかし、絵の才能であれば誰かを“喜ばせること”はきっと出来ると感じたのではないだろうか。

自らの身に降りかかった出来事もネタとして、お笑いへと昇華させる。何事も極めていけば必ず何かの・誰かの役に立つことが出来る。天才と呼ばれた“明石家さんま”の器のデカさや真剣さ、漢気を感じることができた。

本書はジミー大西の強烈なキャラも相まって、若干ヤバめの構成ではあったが、まさに“事実は小説より奇なり”といったところだろう。
 
投稿者 H.J 日時 
「出会う人によって人生が変わる。」
そんな言葉が本書を読み終えて、ふと頭の中に浮かんだ。
結構ありきたりな言葉だが、奥が深い。

本書は、これ作り話じゃないの?と思ってしまうほど、とんでもないエピソードがてんこ盛りなのだが、そのエピソードのメイン人物がジミー大西という芸人だと考えると、容易に脳内で再生出来てしまう。
ジミーさんはとても素直な性格で、良く言えば天性の笑いのセンスを持っており、悪く言えば過去の課題図書である【ケーキの切れない非行少年】に出てくる非行少年の様に認知機能がない人とも言える。
ただ、それは62ページで本人が言っている『ぼ、僕、小学校二年まで喋れへんかったんです。』というセリフから想像するに、1種の発達障害もあるのでは?とも思ってしまう。
そんなジミーさんが、若と呼び慕う師匠さんまさんとの出会いで人生が好転する様は、見ていてとても心が温まる。

さて、話を戻すと、
「出会う人によって人生が変わる。」
という一言は、当たり前の様に聞こえるが、運良く人生を変えるほどの人に出会えたとしてもそれは分岐点でしかない。
結局最終的に人生を変えるのは自分自身の行動による結果なのだから。
ジミーさんの例で言っても、さんまさんとの出会いはあくまで分岐点でしかない。
運良く絵につながる仕事が舞い込んだり、半ば強引に助けてくれたり等の描写もあったが、結局行動したのはジミーさんなのである。
さんまさんはただ行動出来る環境を整え、背中を押しただけだ。
強引な部分はあったが強制はしていない。
さんまさんの弟子になったことも、芸人の道を選んだのも、絵を描くことを決めたのも、全てジミーさん自身が決断して行動したことであり、
絵の才能があることがわかったのも行動した結果だ。
あの時絵を描いてなければ、京子さんとの結婚もなかったかもしれない。
それどころか入れ替えの激しい芸能界で生き残れたかも怪しい。
そう考えると、さんまさんとの出会いを起因として、それぞれの分岐点で行動したことがジミーさんの人生を好転させた理由になるだろう。

では、なぜそんな行動力があるのだろうか?
その答えはジミーさんの”素直さ”にあるのではないかと思った。
素直が故に、一度信頼したさんまさんを行動の指針にして、一直線に行動出来るのだろう。
これがさんまさんではなく、詐欺師だったらと思うと背筋が凍るが、ジミーさんの場合、最初にさんまさんという人を信じたわけではない。
と言うのが、一つのターニングポイントに思える。
P27に『あの人の言うことはなんとなくわかりたいと思った。』と書いてある様に、最初はさんまさんと言うよりもさんまさんの言ってることを理解しようとしている。
お笑いに興味がなくとも、信じるでも信じないでもなく、直感的に感じた事を素直に受け止めていた。
ここがジミーさんの一番の転機と言っても過言ではないだろう。
なぜなら、ここで”紐を外してくれた人”で終わっていたら、また違う人生になっていたはずだからだ。
直感に従って素直にさんまさんを追い掛けたからこそ、今のジミーさんがあるのだろう。
些細なことや些細な言葉でも”受け取り方”で人生が変わるのだから、とても面白い。

”受け取り方”で変わるのは人生だけではない。
本書の後半でジミーさんは画家としての才能を発揮する。
マネージャーの印象を受け取ったまま素直に表現したものが評価された。
作品を評価するのは画家ではなく作品を見た人々である。
画家が作品や価値を提供する側だとすれば、その作品を見る人々は受け取る側だ。
ただ、価値は必ずしも一致するわけではない。
画家がどんなに自信のあるものを提供したとしても、受け取り手側がその価値に気づかなければ、それは一銭にもならない。
逆に期待してないものでも、受け取り手が評価すればそれは価値のあるものとなる。
つまり、受け取り方次第で価値も変わる。(結果、画家の人生も変わるわけだが)
このことを抽象化すると、色んな事に当て嵌まる。

例えば、1度読んだ本を読み返すと新たな発見があったりする。
受け取り手である自分の状況で、同じ本を読んでも全く別のことを学べることがある。
同じ本でも受け取り方次第で別の価値を見出すことができる。

ジミーさんも学生時代に受けたいじめを惨めに受け取っていたが、さんまさんに促されて受け取り方を変えただけで笑いに変わった。
結局はどう受け止めるかで、物事の見え方やその後の行動も変わる。

そう考えると
「出会う人によって人生が変わる。」
というよりも
「出会う人から何を受け取って、どう活かせるかで人生が変わる。」
と言った方が良いのかもしれない。

ということで、今年は物事に対する受け止め方を意識しようと気付けた新年に相応しい一冊だった。
今月も素晴らしい本をご紹介いただき、ありがとうございます。
 
投稿者 hanaoka111 日時 
400ページ弱の本で、文章もわかりやすいため、サラリと読めてしまう本です。
また、吉本興業の芸人さんのお名前が多く出ているので、漫才やお笑いの好きな人は楽しんで読める本だと思います。
簡単に書かれていて大事なポイントを見過ごしそうですが、私は次の2点をこの本から学びました。

まず、1点目は、起こった出来事自体には意味がなく、その意味付けは自分がするということです。

例えば、
・「ジミー大西」と明石家さんまが命名したとき、「ジミー」という名のゴリラが死んだというニュースが流れるシーンがあります。そのとき、死んだゴリラの名前なんて縁起でもないと思ったジミー大西に、さんまが「ゴリラのジミーの人気が、ジミー大西に移る」と言って、意味付けを変えてしまうこと。
・さんまが仲間と麻雀をしていて停電になってしまい暗いから麻雀をやめようとしたとき「これはチャンス。闇麻雀ておもろいやんか」の一言で、停電の中での麻雀が新しい遊びとなったこと。
 ・画家の岡本太郎の言葉をさんまが引用し、どのような状況でも「その方が面白い」と言って、起こっている出来事と自分の感情を分離して考えること。
 などです。

明石家さんまは、生まれつきかどうかわかりませんが(岡本太郎の本を読んだと言っていることから、常々新しいことや興味のあることを学んでいると思われますが)、起こった出来事の意味付けをするのは、誰でもなく自分だけであると完全に理解していると思われます。そのことが、明石家さんまが今でもお笑いの第一線にいることができている大きな理由と思います。

 もう1点は、なぜ明石家さんまはジミー大西をかわいがったのか?ということです。
さんまは、普通に考えるとまともに仕事ができないジミー大西に1年間もかけて運転免許をとらせ、自分の運転手にします。しかしジミー大西は、ワイパーの動きで寝たり、停車中の車を渋滞と思い込んでしまうなど、まともに運転手としての務めも果たせません。そしてお笑い芸人のはずなのに、お笑いができない(理解できていない)ようです。
 そんなジミー大西が、唯一だれにも負けないのは、「若」と呼んでいた明石家さんまへの「ひたむきさ」だけと思います。ジミー大西のさんまに対するひたむきさが、純粋で本心からとさんまが見抜いていたから、ジミー大西をかわいがったのではないでしょうか。

 ここからが大事なことですが、ジミー大西を自分と考え、明石家さんまを会社の上司やお客様や、身近な例では自分の配偶者と考えてみることにします。
会社の上司に適正な評価をしてもらおうと思うのであれば、上司からの評価を待っているのではなく、上司からの仕事に真摯に取り組むことが重要ではないでしょうか?
お客様と良好な関係を保ちたいのであれば、それを待っているのではなく、お客様が何を欲しているのか?を考え、的確な情報を提供することが重要ではないでしょうか?
配偶者と幸せな家庭を築きたいのであれば、相手の出方を待つのではなく、自分から相手のために動くことが重要ではないでしょうか?
 自己啓発の本によく書いてあることですが、『自分が先に動き、そのあと相手に動いてもらう』ことをジミー大西は自発的に行ったから、さんまの気持ちを得たと思います。

 ここで少し飛躍しますが、ジミー大西を自分と考え、明石家さんまを、神様や仏様、または何か大いなる存在と考えてみたいと思います。
 「毎日、呼吸法を行う」「マントラを唱える」「コンビニでは寄付をする」「信号を守る」などを行っていると、神様や仏様、また何か大いなる存在は、何らかの形で評価してくれるのではないかと思います。もちろん評価されるまで、決まった時間や回数はありません。1年で評価されることもあれば10年でも評価されないこともあると思います。ただ評価を求めず淡々と行動を続けていくだけです。神や仏にお願いをすることが先ではなく、先に自分が行動することが大事だということです。

これからも様々な訓練を、成果を求めず淡々と続けていくことが大事だと考えながら、日々続けていきたいと思います。

以上
投稿者 vastos2000 日時 
一読した時はジミー大西の常識外れの言動に意識が向きましたが、あらためて読み直すとむしろ明石家さんまの言動が心に残りました。原作が明石家さんまなので当たり前かもしれませんが、半分とは言わないまでもこの本の前半で多くのページが明石家さんまについての描写です。その中でも、彼の価値観の軸になっているのは「おもろいこと」であると読み取りました。
明石家さんまは作中で彼にとってお笑い(おもろいもの)は、夢中になれるもの、アホみたいに必死になれるものと言っています。
「お笑いの力」と「笑うこと」の効用を強く信じているのではないでしょうか。作中でお笑いも絵も人を感動させられると言っています。
おもろいことに対する関心が高いからこそ、ジミー大西との接点を持ったのではと思います。
そして、ジミー大西の身の上話を聞いた時、笑い飛ばす(笑い飛ばさせる)ことでジミー大西自身の過去に対する認識を変え、ミジメだった過去をおもろい過去へと変化させています。これは世界観や考え方を変えることで人生が変わることの一例だと感じました。

そんな明石家さんまだからこそ、彼自身を全力で慕うジミー大西のことを行くべき方向へ導くことができたのではないでしょうか。ジミー大西本人は絵を描くことが好きであるという認識がありませんでしたが、明石家さんまやその周囲の人達の後押しで絵の道に進みます。ジミー大西は常識外れな言動が多く、本能的で考え足らずなところも多くありますが、明石家さんまに対する、嘘偽りのないまっすぐな気持ちが周囲の人達も味方にできた要因であると感じました。

絵の才能を見いだされて、岡本太郎から手紙をもらったのも偶然の要素が大きいのですが、そのような偶然・幸運を呼び寄せるような生き方をしていたのでしょう。そして散々迷いましたが、最終的には芸人よりも絵を選んだのは、なるべくしてなったと感じました。

私自身、いまだにアホみたいに必死になれるものに気づけていません。もしかしたら何度か目の前に現れたことがあったかもしれませんが、現時点では「これだ」というものがありません。
最近、突然の異動を命じられ、仕事の内容がガラっと変わったからか、自分のやりたいこと・好きなことは何なのか考える機会が多いのですが、それが何なのかわかりません。私が今いる階層内では「得意なこと」「できること」はわかるのですが、果たしてそれがライフワークとなるほど好きなことであるかはわかりません。
もしかしたら、今後、私自身をあるべき方向へ導いてくれる人に出会うかもしれませんが、それよりは自分が本当に好きなものは何なのか、明石家さんまにとっての「おもろいこと」のような人生の軸となるようなものが何であるかをとことん掘り下げるほうが良い気がしています。
自力でも他力でも自分が夢中になれるものが何であるのか早く気づきたい、見つけたいと思っています。人生100年時代とは言っても、平均寿命の話であって、私自身の人生がいつまで続くかはわからないのですから。
思っているだけではきっと何も変わらないので、自由になる時間が増えたことを幸いに、今までやったことがないことや新しいことにチャレンジしようと思っています。
このタイミングで本書を読んだことでこんなことも思うようになりました。
 
投稿者 andoman 日時 
「Jimmy」を読んで

本書で、自身が受け取ったメッセージは…
 ・自分の本当に好きな事を見つける
 ・不幸は笑いに強制変換
 ・人の縁の面白さと不思議さ
です。

私が小さい頃、土曜日の夜といえば「俺たちひょうきん族」でした。
(本来はドリフ派でしたが、姉とのチャンネル権争いで無条件降伏だったためやむなく…)
本の中で出てきたコーナーはほとんど覚えており、ジミーちゃんの事も良く覚えており、「やってる、やってる」は学校のクラスで一時期流行っていました。(もちろん意味は分かっておらず)
島田紳助の絵の番組についても、なんとなく覚えており、ジミーちゃんの絵が衝撃的で、全員が驚いていた事も覚えています。
あの時、確かマネージャーさんもTVに映っていたような…。
当初、お笑いのジミーちゃんからは、絵の才能があるとは、これっぽっちも思っていなかった事もあり、彼の事は強く印象に残っていました。
「ジミーちゃんでも得意な事があったんだ~」と思っていた事が印象に残っています。
また、その後24時間テレビにも「ジミー画伯」として、壁画か何かを描く形で出演していた記憶があります。

<自分の本当に好きな事を見つける>
本書では、ジミーちゃんとさんまの出会いから、画家になるまでの物語ですが、とても心温まり、電車の中で目を潤ませてしまうシーンもあり若干困ってしまいました。
そんな中、要所要所で何度も出てきたのが、「自分の本当の好きな事を見つける」という事でした。
ジミーちゃんも、さんまも、好きな事を見つけて、その才能を伸ばし、現在ではその好きな事をして、生きています。
そして、「"好きなこと"とはどういう事か?」についても、「集中すると何も見えなくなる。」「なんもかんも忘れてまう」「好きな事をやるのは、努力なんていらない」等、何度か描かれていました。
我々は、今、「好きな事」をして生きているのでしょうか?
日々の仕事を「好き」でやっているのでしょうか?
仕事だから嫌々やっている人が8割以上いるのではないでしょうか?
そして、どの様にして自分にとって「好き」な事を見つけるのか。
それについても書かれていました。
前途した「集中すると何も見えなくなる。」等の他に、自分がそれをする事で、「他の人を笑顔に出来る事」なのだと思います。
もう少し掘り下げると、
 ・自分の内面(魂)に対しては、没頭できるもの。
 ・自分の外面(魂による生産物)に関しては、他者が喜んでくれること。
ではないでしょうか。


<不幸は笑いに強制変換>
上記の様な、自分だけの道を目指す時には、必ずと言っていいほど、数々の辛い事や壁が出てきます。
それらへの対処法についても、描かれていました。
 ・自分の姿を客観的に見て、それを笑いに変える。
といった所です。

どんなに辛い事でも、生き死に関わる事以外は、全て笑いに変えられる。
辛い事の他にも、悲しい事や怒りについても、考え方を変えるだけで、「笑い」にする事が出来るし、実際にそういったシーンがいくつも描かれていました。

「笑い」に変換するポイントは、自身の状況を「客観視」すること。
セミナーで教えていただいた「人生は自分が主人公の映画を、自分が監督の立場で鑑賞しているようなもの。」
まさにそれと同じです。

実際に、自身の過去に起きた残念な事件を「笑い」に変える事で、「不幸」という記憶を打ち消す事が出来た経験があります。
数年前に経験した「ぼったくりキャバクラ事件」や「身内が起こしたアパート火災事件」(詳細は省きます)
当時は、とてもじゃないですが、笑えない事件でしたが、これらをある時「笑い」に変えた事で、今ではすっかり鉄板の「すべらない話」になっています。

こうして、本書を読み終えて、改めて振り返ると、どんな事も「笑い」に変える事が出来る様な気がしています。
マイナス感情を立ち上げるより、「あの事件をどうやったら面白い話に出来るかな」と考える方が、生きてて楽しいと思えます。
これは生きて行く上でも、かなり良い技術なのでは無いかと思います。

また、「笑い」とは違いますが、視点を変えるという意味で、非常に心に刺さった一節があります。
 ・「涙の膜で、世界がきらきらして見える。」
という、一節です。
とても美しい表現で、心に刺さりました。
悲しみの涙でも、この様に見方を変えるだけで、目に入る世界を美しく輝いて見る事が出来る。
この様なマイナス感情をプラスに変換する方法があるのだなと、目から鱗でした…。


<人の縁の面白さと不思議さ>
「人との縁」についても、興味深く語られていました。
自分に合った「好きな事」の道に入るには、「人の縁」が欠かせないという様に感じました。
ジミーちゃんにとっては、高校の教師によって、吉本への道が開かれ、さんまとの出会いと導きで、画家への道に繋がりました。
そしてジミーちゃんの背中を押す事になった「岡本太郎」との縁。
さんまの言う通り、ジミーちゃんの絵がデビューしたその番組を見ていた事は奇跡に近い事だと思います。
更に、手紙まで…。
これは何かを感じざるを得ない話です。

そして、雨漏りで絵がダメになり、個展がピンチになった時、周りの人たちの協力でそのピンチを乗り切れたシーンは、これは本当に素晴らしく、涙腺崩壊でした…。
ジミーちゃんと縁の深い、周りの人たちの優しさが滲み出ていたエピソードでした。

私の人生、これからもきっと多くの人と出会いがあると思います。
その中で、ひょっとしたら、いつか、私の人生を導いてくれる人が、どこかで現れるかもしれません。
これから出会うかもしれませんし、もう出会っているかもしれません…。
その様な人との出会いを楽しみにしています!
※私だけじゃありませんが、しょ~おんさんも間違いなく、その一人です♪(あ。嫌な顔をしてはいけません(笑))

この話は、さんまという「親」と、ジミーちゃんという「子」。そしてその周りの「兄弟」との温かい家族愛にあふれ、そして「自分の好きな事をやって人生を生きて欲しい」という、さんまのメッセージが詰まった素晴らしいお話でした。

今月も素晴らしい本をありがとうございました。
 
投稿者 eiyouhokyu 日時 
Jimmyを読んで感じたこと

 この本を読んで、濡れた心をタオルであたたかく包み込む様な優しさを感じた。不器用な人間が才能を開花させるストーリー。そこには、一人では得られない、仲間がいるからこそ得られた成功がある。応援してくれる人がいること、困っているときに助けてくれる人がいること、そして本気になってくれる人がいること、こういった数値化できない心のつながりについて考えさせられた。

 私がこの本から学んだことは、二つある。

 一つ目は、今の自分がおかれている環境、立場は誰かのお陰という気付きである。ジミー大西さんは、お笑い芸人だから・・・いや吉本興業だから、明石家さんまさんがいたから、失敗談も笑い話に変えて個性を引き立たせてもらえた。性欲むき出しで、仕事もありえないミスをするし、社会的に見ると怒られることが多いタイプだが、このマイナス要素を笑いというプラスに変えたさんまさんが本当にすごい。笑い=人生と言えるくらい、思考の主軸を全て笑いにもっていってる。しかも笑いを一人だけで楽しむのではなく、関わる人を巻き込んで大きな笑いを作っていく。笑いの循環をつくるさんまさんの器の大きさに、人も仕事も集まってくる。そんなさんまさんのもとで、売れっ子まで成長したジミー大西さん。もちろん本人のふりに対する反応の良さもあるが、面白いポイントを見抜いたさんまさんの眼は鋭い。

 このジミーさんの成長事例を見ると、お笑いの世界だけでなく、ビジネスの世界でも、あるいは子育てでも優秀な上司(親)のもとで、ある程度パターンを覚えればそこそこの成長はできると思った。不器用な人でも、型に合えば、形になる。
しかし、その立ち位置は自分で気付いたというよりも上司のおかげである。磨けば光る部分を見つけ、輝けるように導く。個人の体験(幸せ・不幸)を全体の笑いに変えたさんまさんのように、どんなときでもマイナスな一面だけでなく、プラスの面も見れるようになりたい。また、上司のもとを離れたとしても、一人立ちできる自分になりたい。

 私自身で考えるならば、安定して仕事があり、会社でも満足する立ち位置にいる。自分のことを理解してくれる上司や後輩がいる。やりたい仕事をやりたいと主張できる。自分がやったからではなく、認めてくれる人があってこその現状なのだということを、改めて実感した。

 二つ目は、自分の才能を人のために活かしているかという自分への問である。
 ジミー大西さんは、大好きなさんまさんのそばにいられるお笑い芸人から画家へと活躍の場を変えていった。自分に合うフィールドを見つけたジミー大西さんは、水を得た魚のようだ。魚は、水の生き物なので、陸で飛び跳ねても息ができず苦しい。私自身もこのような苦しい思いをしていないか。生きるフィールドを間違えていないかと考えた。

 ジミー大西さんの場合、お笑いで笑わせるよりも、絵を描いたほうが人を喜ばせられる、笑顔にさせられると気付いた。自分の才能は、人を喜ばせるために使いたい。私もそう思った。しかし、私には才能と自信を持っていえるものがなかったので、今月は何か自分が得意だと思えるものはないか考えた。たまたま子どもの保育園時代の友人の送別会があったので、みんなに声をかけ、写真を集めフォトブックを作った。ソフトを使って編集し、サイズや色を替え、順番もストーリーだてを意識する。出来上がったものを渡したとき、みんなが喜んでくれた。

 さらに偶然、会社の周年事業動画を作成することとなった。動画作成は初めてだったが、フォトブックの経験があったので、夢中になってやれた。作った動画を見て、いいねといってもらえて嬉しかった。アウトプットは、自分がやりたいことをやるのではなく、人に喜ばれることをやりたいと思った。写真や映像は、私にとってやりたいが叶う素敵なツール。才能は飛びぬけていなくとも、自分を表現できるものと堂々と言えるように続けていきたい。

 私の周りには、英語が得意な人がいる。料理が得意な人がいる。楽器の演奏が得意な人がいる。歌が上手な人がいる。怪しい系に詳しい人がいる。読書家な人がいる。美味しいお店を知っている人がいる。気遣いができる人がいる。面白いことを言う人がいる。会話運びが上手な人がいる。いるだけで落ち着く人がいる。色んな素敵な人がいる。

 共通していることは、得意なことを自慢するのではなく、人のためにどんどん情報を提供し、人の笑顔のために自分の才能を使っていることだ。さんまさんも、ジミー大西さんも、才能を公開して活かしている。世間の基準内に自分を納めようとせず、やるからには徹底的に自分の色にする。この本からは、自分の色を見つける人生のヒントをいただいた。

今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 wapooh 日時 
202001『Jimmy』を読んで

原作は明石家さんまさん。
本書の主人公は、明石家さんまさんの弟子?付き人で芸人?、今は画家として名声を得たジミー大西さんの成長の物語だ。
私は子供の頃、関西に住んでいたので、テレビをつけると吉本の芸人さんがどこかしらに現れて毎日面白いようでいて、関西在住人でなければ面白くもないであろう定型の笑いが日常の世界で生活をしていた。
芸人さんの流行のギャグやその人を特徴づけるギャグはすぐさま、自分たちの会話に取り入れられて定型となるのが常だった。
ジミー大西さんの『やってるやってる』や『お前も頑張れよ』も良く口にした。
会話のリズムを楽しむあいさつ代わりのフレーズ。

ただ、ジミー大西さんもといジミーちゃんがどのようにしてお茶の間のテレビに登場するようになり、やがては画家として旅だったのかは、本書を読むまで知らなかった。

『人の運命は、人との出会いによって変わる』

良く耳にするものの、ジミーちゃんの人生はさんまさんとの出会いによって、輝かしいものになった。画家としての才能が見いだされ、岡本太郎氏の魂を揺さぶり、スペインにアトリエを構え生涯の伴侶まで手に入れてしまう。さんまさんに出会わなければ、どうなったのかは、本書で語られるジミーちゃんの暴走ぶりを読めば何となく想像が付く。
まさに、
『人の運命は、人との出会いによって変わる』のシンデレラストーリーのようだ。

口にする時の自分の立ち位置と気持ちは、期待の方向にあった。つまり、誰かに導かれて運命が良くなっていくと言うもの。それは都合が良すぎる話であるが、本書の中のジミーちゃんを見ていて、もしも運命を変えてくれるような出会いがあったら?どうすれば良い方向に導かれるのか?感じたことは、「その人の温かい方を信じて、全面的に肯定し、素直に従い付いていく。加えてその人の幸せを全身全霊心の底から望む」と言う事ではないかと思った。だから、師と思える人物と出会ったら、全身全霊を傾けてその人を感じて、信じて距離を縮めて行く、理解しようとすると言う事なのだと思った気持ちを持つこと。
同時に、さんまさんは常にジミーちゃんに問うている。『お前がピンで立てな、意味ないねん。お前は誰の助けも貰わんと、ステージで笑いが取れるんか?』と。
いつかは一人で立たねばならない。「依存は無し」の弟子の時間。

村上ショージさんやMr. オクレさん。確かにひょうきん族でスポットライトを浴びて3人で貧乏自慢してはった。お二人ともさんまさんの弟子ではないようだが、さんまさんの関西のホームの面子なのだ。その他に吉本のお笑いの師匠格の芸人さんやお茶このおばちゃんといった定位置メンバーと言ういつまでも変わらずさんまさんを迎え入れられる家族のような温かいセーフティゾーンが描かれている。さんまさんが連れて帰った面倒なジミーちゃんのことも受け入れて理解できる温かい場所。時に、カルスゴーンばりに恋人を運搬しさんまさんの恋愛も応援してしまう人々。原作はさんまさんなのだから、さんまさんが皆さんに対して向けている眼差しがこの通りなのだろう。お笑いのトップのさんまさんでもなく天才芸術家のジミーちゃんでもない、失礼ながら中間層にあるお二人の心の立ち位置は、一般人の我々も仲間を意識する時に気に留めておく姿勢なのではと学ばされた。

また、ジミーちゃんが主人公でありながら、頁をめくるにつけて読み手の私の心がひきつけられ浮かび上がり印象に残るのは、原作者であるさんまさんの存在なのだ。
何度も『辛い時こそ笑う』。芸=人間の業や逆境への立ち向かい方や、離婚した大竹しのぶさんへの温かいまなざしや描き方(現在でも同じ舞台に仲良く立てるお二人)、娘のイマルちゃんとジミーちゃんの絵本の読み聞かせの際の優しいひと時等どんな場面においてもさんまさんの人への眼差しは温かい。一方芸の世界では、自身がどんなに活躍の場にあっても、帰阪すれば師匠の舞台に向かい袖で直立して待機する謙虚な人柄や、ジミーの挙動で週刊誌沙汰になり自身が負の立場に置かれても、他の師匠に迷惑をかけても、裏で庇い働きかけながら育て上げようとする姿勢や、ジミーの才能を見出した巨匠の岡本太郎氏の著書を読み、その一節を吸収し弟子のココ一番に響くように投げかけられるどこまでも緻密で細やかな生きる姿勢と言うか働きかけと言うか行動する姿に、天才は行動と意識の働きかけの密度と精度の膨大さを感じる。
笑いの奥にある、誠実で賢明な、そして少し寂しさの先の温かさを抱いたさんまさんの姿がとても感じられた。

どんな場面においてもへこたれず、細かく生を刻みながら気持ちを込めて生きて行く。

一年の始まりに温かく、また生きて刻む時間に対する感度が現れる一冊だった。
今月も良書を紹介くださり有難うございました。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
本書は、社会への適応が上手くできない青年が、スターお笑い芸人との出会いをきっかけに“自分の居場所”を見つけるまでの物語である。人と違うという理由でバカにされ、イジメられ、周囲から虐げられてきた大西秀明が、明石家さんまの導きによりジミー大西という売れっ子芸人になり、さらには外国政府から勲章をもらうほどの絵描き人になるというその過程は、まさに事実は小説より奇なりであり、本書は人生の不思議さや奥行きの深さをまざまざと感じることができ、また学びの多い1冊である。そんな本書の中で特に、私は明石家さんまの人生を幸せに、楽しく生きる上での哲学、信念、世界観に大きな衝撃を受けたのと同時に、“自分の居場所”の見つけ出し方について現在の自身の問題点に気がついた。

話は、高校卒業後に行くあてのないジミー大西が担任の先生に連れられて、吉本興業の芸能部長のところに就職相談に来たシーンから始まる。私はジミー大西をテレビで幾度と見たことはあるが、彼の芸風であるボケはある程度計算されたものだろう思っていたが、実は全くそうではなかったようだ。お笑いが好きかと尋ねられて「嗚呼!!花の応援団」とギャク漫画の名前を挙げ(笑)、さらに誰の付き人になりたいかという質問に「早見優ちゃん」って、嘘だろ⁉(爆)こんなヤツ、ホントにいるのか⁉こんなにも驚き笑ったのはいつ以来だろうか。私は、ジミー大西の天然ボケの具合にド肝を抜かれた。
本書をそのまま読み進めていくと話しは、新喜劇の舞台本番で放送禁止用語を叫んだ後に劇場でさんまと語り合うシーンとなる。ここでジミー大西が告白する過去のイジメ被害、火遊びのへま、野球の話も作り話かと疑いたくなる驚きの話なのだが、それよりもっと私を驚かせたのが、「最高やな、お前!めちゃ笑えんで!」から始まるさんまのリアクションである。

「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!笑ってみい!」(P.67)

人が壮絶な失敗談を悲痛に語っている時に、こんなことを言えるのって明石家さんまが唯一なのかも…。ただ、これが一般の人から遠く離れた彼の哲学であり、信念であり、世界観なのである。
 上記のさんまのセリフの本質は、“事象への意味づけは、その人の捉え方次第である”ということなのだろう。この考え方をしっかりと心得え、実践するのとそうでないとでは人生の幸福感や楽しさは全く違ってくる。例えば、私が奥さんに生活態度について小言をもらった時に、それをただのダメ出しと捉えるよりも、アドバイスと捉えるほうが私自身の気持ちや態度は前を向く。程度の差は大きいが、さんまがジミーに伝えたかったコトは、事象の捉え方を変えろ!ということだったのだろう。
ただ…、もしも私がジミーの立場だったとしたら、果たして笑って前を向くことができただろうか。他人の失敗談を笑うのは簡単だけど、自身の失敗を笑うのは難しい。確かに私は野球のサインが分からなかった話、学校への爆弾脅迫電話の話などで大笑いはしたけれども、それは所詮他人事だからであり、もしも、ジミーの話が自分事であったらどうであろうか。実際、ジミーの話と比べれば大したことのない私自身の思い出したくもない失敗談を今の私は笑い飛ばせない。でも、明石家さんまはたとえジミーの話が自分事だとしてもおもいっきり笑い飛ばすのだろうし、現に彼自身は立場上、一般の人よりも辛い目や嫌な目に遭ってきたに違いないのだろうけれども、それでもやはり全てを笑い飛ばして生きてきたのだろう。
「笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!」このセリフは、本当に笑えないことを笑いに変えてきた人にしか言えないことであろう。また、一般の人と抜きん出て成功する人との違いというのは、そもそも考え方、物事の捉え方という世界観にあるのだと痛感した。自身の失敗談を如何に笑い飛ばすのか、これが本書で見つけた私の今後の1つの課題である。

 繰り返しになるが、本書は社会のどこに行っても上手く生きることが出来ないジミー大西が“自分の居場所”を見つけ出すまでの物語である。“自分の居場所”を見つけ出すとは、さんまの言葉を借りれば、「アホみたいに必死になれるもの」(P.128)を突き止めることである。さんまの居場所は笑いであり、ジミーが最終的に見つけた居場所は絵である。そして、本書の原作者明石家さんまが読者に最も伝えたいことは、この“自分の居場所”の見つけ出し方なのだと思う。同時に、その見つけ出し方がS塾の最重要エッセンスである智の道につながるのではとも思った。
 「お前がひとり嬉しいだけや」(P.354)これは、ジミーが芸人になるか、絵描きになるかを決めようとした際に、さんまからジミーへのダメ出しである。その意味するところは、自分だけが楽しくなることだけを考えているうちは、いくら必死になっても、夢中になっても、“自分の居場所”は見つからないということだ。それは、“自分が幸せになることだけを考えるのは、悪の道で幸せにはなれない”という言葉は違うけれどもS塾の原点と本質的に意味するところは同じなのだと思う。

 現時点で、私自身はこれからの人生を懸けて「アホみたいに必死になれるもの」を見つけ出していない。恥ずかしながら、その理由が本書を読むことで明確に認識することが出来た。独りよがりの“自分の居場所”探し…。「お笑いも絵も一緒やと思うてんねん。見てもらう人にどんだけ喜んでもらえるかやろ」(P.324)明石家さんまが言うように、お笑いも絵も、そして人生もそうなのだろう。周囲にいる人をどれだけ喜ばせられるか、嬉しがらせられるか。それが、智の道であり、人生を幸せに生きる極意なのだ。そのことを胸に、心新たに私は“自分の居場所”を探しに行くとする。

~終わり~
投稿者 kayopom 日時 
『Jimmy ーもう一つのサードドアの物語』

 『何言うてんや、こんな面白い話持っている奴、おらんで?』(p66)。その瞬間ザ・サードドアが開いた。
ジミー大西氏と、明石家さんま氏の師弟愛を描いたこの作品に、以前の課題図書『サードドア 精神的資産の増やし方』を彷彿させる場面があった。
 アレックスがのちにメンターとなるエリオットに、資金稼ぎをした時のエピソードに似ていた。ここでエリオットは「ミッションの資金をどう作ったか」をなぜ最初に話さないのかと叱る(p113)。要は「こんな面白い話持っている奴おらん、なんでそれをアピールしないのか」と諭した訳だ。
誰もが敬服するようなキラーコンテンツを持っている人間は、行動次第で成功への近道・サードドアを開けられる。

 しかしアレックスとジミーの人となりには大きな差がある。前者はお金も稼ぐ知恵もあり、行動力に富み、何より熱いミッションを持っている。対してジミーは知恵もなければお金もない、目標もないのにあるのは性欲ばかりだし、
そして自分自身がこれまでの人生にうんざりしている。
だが、ジミー大西は明石家さんまという、気鋭の天才芸人にたまたま出くわした。芸人としてというよりその人間性に惚れ込んでしまった、願うのはただ一つ「側にいさせてください」。この願いが彼の人生を突き動かした。

 ここからはジミー大西としての芸人人生、その延長に画業人生までが立ち現れる。絵の方は元々の才能が際立っていたとはいえ、自分が狙ったことではない。分析するに、彼にはサードドアが開かれるべき行動をきちんとしていたことが後々成功につながったのだと思う。
 
 まず、ミッション、目的が明確である。それが社会的な意義があるか個人的問題解決かは別として。
 次に自分をさらけ出す勇気がある。自分の身の上と考えを話し、夢を語る。ジミーも下半身だけを晒していた訳でなく、自分の人生の恥ずかしさに溢れるエピソードや、切実などうしようもなさ、行き詰まりを語り、この後の人生をどうしたいかわからない、でもどうにかしたいと思っていることを暴露している。結果としてさんまの「面白い」を引き出し、どうにかしてあげたいと思わせたという訳だ。
 そして、自分の恩師に対しては熱意で応えている。それが全て上手くいくかはさておき、きちんと挑戦し続けている。ジミーも貰ったネタだけは瞬時に反応できるように鍛えていた。
 ダメな人生ならばダメなりの、売り込み方ややり方があるのだとジミー大西氏から、特に曝け出す勇気の大切さを学んだ。

 だがやはりラッキーさももちろん重要で、彼が惚れた相手が明石家さんま氏だったことは大きい。
「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもろいってなって笑ったら、笑ったもんの勝ちになるんや!そういう風にできてんねん!笑ってみい!」(p67)
笑いの神様に魂を売ったと言われる人だから言えるのだろうか、この度量の良さ、全部笑いに変える自身と気概がこの人にはあるのだ!(本人が本当に言ったかは問題ではない)
 さらに人をいじり倒し、キャラを引き出す才能も抜群だ。彼が見出した天然キャラのタレントはたくさんいる。

しょ〜おん先生の新春セミナーでは「仕事を●●●にする」と教わったが、さんま氏にとっては「仕事」の枠を超えて「人生をお笑いにする」が至上命題なのだろう。
きっと彼のマントラは「全ては笑いの神様に捧げていることでございます、申し訳ありませんでした」なのではなかろうか?
 仕事なり、人生なり、物事をどういったフレームで捉えるか、このスタンスが人生の明暗を分けるのだと改めて感じた。しょ〜おん先生も何か大変なことが起こった時でも「はっはっはっ」と笑い飛ばせることが重要。と語られていたと思うが、悲惨なことでも「笑いのネタや、儲けもんや!」そう思えたら、長い目で見たらいつでも幸せである。
 さんま氏が常に「笑い」というフレームで事象を捉え、周囲の人々全てに「笑い飛ばす」術なりきっかけなりを与え続けているからこそ、彼はトップの芸人として長年君臨し続けているのだろう。
 この本のさんま氏からは「お笑い」を人生に生かす術を教えてもらった気がしている。

 今後、仕事を●●●にし、かつ笑いで括ればどうなるだろうか。辛くても笑いのフレームがあれば、乗り越えられそうだ。いっぱいあるよ〜、いいネタ入りました!一人でネタを考え、ふふふとほくそ笑んでみたりする。
 女性でこれができたならば、きっと「さんまって芸名気に入っているの?」、「明石家サバでもよかったかも」とつぶやく大竹しのぶさんになれるかもしれない。
 実は本書のここのエピソードが一番好きである。そりゃあ惚れちまうがな。
 
投稿者 akirancho0923 日時 
元旦に3時間半ほどで一気に読んでしまった、読ませる本書の良さはどこにあるのだろう、
と改めて5回ほど読み返しながら気づきや学びを記したいと思います。

人との出会いは偶然ではなく必然である、と言いますが、
本書で感じたのは”執着心”でした。

ジミー大西の明石家さんまに対する想いや己の本能に素直な図太さ
かたや、明石家さんまのお笑いに対する貪欲さやあらゆる事象をロジカルに分析する能力

絵を描く時に見せる何もかも忘れてしまう集中力。
何でもお笑いに変えようとする価値観。
どちらもオタクを超越していました。。

おまけに周りを幸せにしている智の道を歩んでいるわけですから、そりゃ成功するわけですよね。

師弟関係のやり取りはとても爽やかな印象を与えていますが、
私の印象に残ったのは、凄まじい執着心を以って取り組める何かに
出会えることも幸せな人生を送る要素の一つなんだろうな、と感じたことです。

そういう意味では私自身はまだ出会えてないかもしれないのですが、
今取り組んでいることを信じて継続していく所存です。

ありがとうございました。
 
投稿者 jawakuma 日時 
『Jimmy』を読んで

僕はちょうど小学生時代が“オレたちひょうきん族”全盛期だったので、パーでんねんやサラリーマン、ブラックデビルをよく覚えています。そして、〽貧乏~貧乏~涙―の貧乏~は元歌を知らずにこちらのフレーズだけを知っているくらいです。そんな楽しく晴れやかな世界の裏では、こんなアホみたいな実話が隠されていたとは―

子どもの頃からいじめられていた大西秀明は、コネでなんとか入れてもらった吉本新喜劇で、人気絶頂の明石家さんまと衝撃的な出会いを果たします。ここまでの内容から推測すると大西氏は失礼ながら『ケーキ切れない非行少年たち』で登場する軽度の知的障害といわれる境界知能の一人だったのではないかと思われます。よく言えば“天然ボケ”として面白くとらえられるのですが、一般的な社会生活を送るうえでは、本書に多々出てくるエピソードの通りトラブルの連続になることでしょう。そんなトラブルメーカーの大西氏は当時圧倒的な輝きを放ち、面白いかどうかで物事を判断する“若”こと明石家さんまに一目惚れしてしまいます。
TVで放送禁止用語を叫び、しこたま絞られた大西氏に声をかけたさんまは、辛い過去のいじめのカミングアウトを笑い飛ばし、自分でも笑い飛ばすように言いました。そうすれば周囲のいじめっ子たちを見返せると。これは 客観視 の指南な訳ですが、大西氏にはその意味はよくわからなかったことでしょう。さんまやおさむなどの優秀な師匠がどれだけ指導してもこの視点の切り替えは彼には難しかったと思われます。それで見たことも考えたこともない景色なわけですから。客観視することができれば、辛い経験や酷い体験もすべて俗にいう“おいしい”という状態だと捉えられ、芸の肥やしとなるわけです。客観視が理解できないということは、どんな風に自分が見られているかの理解も甘く、フリとオチなども理解できようもなく、芸人としては落第の状態というわけです。まあ、客観視ができればトラブルも回避できますからね。それを許せない周囲の連中からは毎回こっぴどく叱られ、クビまで切られそうになります。さんまは事務所のお偉いさんに、そういう一歩間違えば危ない人たちも昔から芸として取り上げてきたと、大西氏を芸人として舞台に上げるよう働きかけたのです。まさにセーフティネットですやん、これ。イタい奴だからそれが天然のボケとなる。バカと天才は紙一重。でもこれは危険です。さんまの仕込んだネタを披露することで大西氏は“ジミー大西”として人気者になることができました。しかし、自分でお笑いのロジックが理解できていないため、振り役がいなくなると自分で面白い状態が作り出せなくなってしまうからです。ただそんな状態にも元々芸人になりたかったわけでもない大西氏は慌てることもなく、ただただ若のそばにいられればと日々を過ごしているのでした。
そんな大西氏に転機が訪れます。絵との出会いです。小学校の時にこそ、個性的な部分を先生に褒められましたが、正式に美術を習ったわけではない大西氏は、絵を描く依頼に当然悩みます。モチーフが決まらずに時間だけが過ぎていきましたが、マネージャーとのやり取りの中で彼のキャンバスに描くべきものを見つけたのです。番組の最後にオチとして登場したその絵は、独特な線と鮮やかな色彩と特徴とするものでした。少しでも笑いが取れればと思っていると、まさかのその日の最高額30万円の値段が表示されたのです。いつもは食欲や性欲のことばかりを考えている大西氏ですが、絵を描くときにはその絵の世界に完全に入り込んでしまいます。これは客観の正反対で、没入するほどの完全なる主観。これが大西氏の唯一無二の武器なのです。この技が彼を天才たら占めているわけです。お笑いとしても画家としても。芸人としては徹底したボケキャラで、画家としては他人の見え方を気にしない独自の視点と色使いで。異なる分野ですが視点の持ち方が共通しています。(蛇足ですがエッチや食事、お金に関してもそうですね)ここに反応したのが故岡本太郎氏だったのではないかと思います。キャンバスからはみ出せ!という言葉は、没入してのめり込む方のはみ出しにも、客観して俯瞰してみる方のはみ出しにも、もちろん普通に天地左右のはみ出しとしても受け取ることができます。四角いキャンバス=枠=常識に囚われずに自由に書けばいいという氏のメッセージだったのだと思います。
最後にもう一つ印象的なシーンがあったのでそのことを書き添えたいと思います。売れ出してからのさんまが落語家の師匠である笑福亭松之助の芸を盗もうと舞台袖で草履を握りしめてセリフを反芻しているシーンです。浪速の天才もやはり陰では一般人では考えられないほどの努力をしているのだということがわかるエピソードでした。努力を努力と感じないくらいノメり込めるもの、大好きなものが明石家さんまには“お笑い”、ジミー大西には“絵画”と“京子さん”だったのかもしれません。
 
投稿者 dalir 日時 
Jimmy

今回の課題図書を読んで、気づいた事は下記の通り
1.お笑い界が一種のセーフティネットになっている。
2.人との交流の価値 人との交流の条件

1.お笑い界が一種のセーフティネットになっている。
 最初、なんば花月でのジミーさんの行動と
 その行動に対する周りの反応が目に止まった。
 例えば、下記のように
  ・反省を表現する為、奇行に走る。
  ・テレビ放送で禁止用語を言う。
 など叱られる事、吉本からお追い出されそうになる事をしている。
 こう言った行動を普通の人が見たなら
 嫌そうな顔をして避けるなり、無視をしているだろう。
 
 次に、下記の様な事があった場合
  ・草野球の試合で見せた運動神経の良さ
  ・キュービズムで描かれた絵
 さんまさんを含む周りの先輩芸人だけでなく
 普通の人からも褒められ、認められていると思う。
 
 何が言いたいかというと
 一般社会では、ジミーさんの様に
 前者の様な言動を行う人間は
 その言動が手枷足枷となっている為
 後者の様な評価される点が、評価されずにいる。

 だが、”お笑い芸人”というラベルを貼る事で
 ”異様な行動”が”お笑い”に変換され
 迷惑行為が価値ある行為へ変わり
 面白い人という役割が作られた。

 なので
 『ケーキの切れない非行少年達」に出てきた非行少年達にとって
 少年院が国営の収容・更生施設ならば
 「Jimmy」を通して
 ジミーさんの様な人達にとって
 今回の舞台になっている、吉本は民間の収容・更生施設
 セーフティネットのように見えた。

つまり、同調圧力が働きやすく周りと同じである事を求められ
均質的と言われる日本の一般社会では活かせない人を
特殊で尖っているお笑い界で活かしている。

2.人との交流の価値 人との交流の条件
 お笑い界での生活を通して、ジミーさんが獲得・発見してきたモノを見ると
 下記の通りになる。
  ①明石家さんまさんからの”フリ”に反応して披露する”ネタ”
  ②(周りから評価される)絵画を創作する才能
  ③人から応援される何か

 ①〜②は、さんまさんを含め多くの人と関わる事で
 獲得・発見することができた。
 そして、ジミーさん単独で獲得・発見する事は出来なかったと思う。
 
 では何故、さんまさんが交流を持とうとしたのか?
 ジミーさんが持っている③は何なのかが気になった。

 私が考える③とは何かというと
 体力・身体能力の高さ、掃除好きという
 ジミーさんが元々持っている長所・美徳ではなく
 物事の見方と不器用さ加減だと思う。
 
 本書では、さんまさんの事の見方とプロデュース能力で
 ジミーさんが芸人として活躍している様に見える。
それによって
 人と人との掛け合わせによって
 1.で書いた様に、
 ”異様な行動”が”お笑い”に変換され
 以前と比べ、ジミー大西さんは親しみ易くなっている。

 本書を通して
 人が様々な人と環境に出入りする
 効果の一例を知ることができたと思います。
 
投稿者 hikolton 日時 
Jimmy

ジミー大西と明石家さんま
まだ学生時代のころこの二人をよくテレビで見ていた。
おぼろげな記憶では、ジミーちゃんはいつもいじられて周りから笑われている。
さんまさんは周りを笑わせている。そんな印象。
そして、気が付いた時にはジミーちゃんは画家として生きていくために芸人をやめてしまった。

その程度の認識だったが、そこまでに行く過程でいろいろな話があったのだと今回の読書を通じて知れた。

テレビを見ていただけでも、ジミーちゃんがさんまさんを慕っているのは感じていたし、さんまさんが可愛がっているだろうことも伝わってきた。
だが、本書を読むとその関係性は師弟というより、教祖と信者ではないかという趣を感じさせる。

何はさておき、さんまさんを優先させるジミーちゃん。そんなジミーちゃんに困惑しつつも可愛がるさんまさん。
そして最終的にジミーちゃんが幸せになるように導いていく。

まさにジミーちゃんにとってのメンターのような存在のさんまさん。

さんまさんがジミーちゃんに対してした色々なことはだれかを育てる際に大いに参考になるように思う。

まずは出来ること出来ないことを理解する。
また、何が好きで何が嫌いか。
適性を見つけたら、そこを重点的に育てる。

人間だれしも何かしらに適性があり、その適性を見抜きその人の人生をより良いものに変えられることができれば、その達成感はひとしおであろう。

本書の場合、育てられる側がジミーちゃんなのだから、さんまさんの苦労も大変なものだっただろう。だが、そこはおもろいか、おもろくないかが信条のさんまさんである。
育てられる側からとってしても本人は自覚していなかったかもしれないが大変だったであろう。

さんまさんが自分から笑いを作っていけるのに対して、ジミーちゃんは誰かのアシストが必要なことからも芸人としての才能は天と地ほどの開きがあるだろう。
もし、ジミーちゃんが芸人の世界にとどまっていたら、今でもテレビで活躍していただろうか?仮定の話だから、どうなっていたかはわからないが、
画家としての活躍に比べるとどうだっただろうか。おそらく画家としての活躍ほど成功してはいないのではないだろうか。

最終的にさんまさんに導いてもらえて、画家としての人生、自分が自らの力で輝ける場所を選ぶことが出来たジミーちゃんは幸せなのではないだろうか。

人は人の人生を変えられるということを強く気づかせてくれる良書だった。