ログイン | 新規登録

task.gif

毎月1冊、しょ~おんが「これは!」と感じた本を、課題本として選んでいます。

その本をお読みになり、「何を理解し、何を考えたのか」を2000文字程度で書いていただくのが、「今月の課題図書」というプログラムで、この中から1名の方を優秀賞として選び、その方には10,000円分のAmazon商品券を差し上げます。エントリーするには会員登録が必要です。会員登録はここからお願いします

 

優秀賞に選ばれるためには書き方にコツがあります。エントリーしようと思っている方はお読み下さいね。

 

この感想文は、「要約」コンテストではありません。このページに書き込む方はみなさん当該書籍を読んでいるわけですから、ストーリーやコンテンツを改めて説明する必要は無いのです。どうしても引用の必要がある場合にはその部分をカギ括弧『』で囲って下さい。

また、投稿で主観的な感情を表す修飾語を多用される方が見受けられますが、小学生の読書感想文ではないので、「良かった」、「感動した」、「素晴らしいと思った」のような表現を使ったら無条件で落選すると思って下さい。あなたが課題図書を読んでどう感じたのか、を書いてもらう場所ではありません。

書いて欲しいのは、本書を読んで理解したことをベースに何を考えたのかです。読書には2つのステップがありまして、一つ目は著者が伝えたいことを理解するというステップです。もう一つは、理解をした上で何を考え、自分のこれからの人生にどう活かすのかという思考です。優秀賞の選考基準は、二つ目のステップでエッジの効いた思考が出来ているかです。ですから最初の理解のステップでズレてしまうと、残念ながら優秀賞を獲ることは出来ないと思います。ご自身の理解力に自信が無い人は、他の人の投稿を熟読して内容を振り返ると良いと思います。

また投稿は本サイトに直接書くのではなく、メモ帳やワードなどに書いて体裁を整えた上で、本サイトにコピペするようにしてください。それにより誤変換の発見や、二重投稿を防ぐことが出来ます。

過去の投稿で多く見られるエラーに、指示代名詞(それ、あれなど)が適切でない、接続詞(しかし、だからなど)が文脈と一致しないがあります。このようなエラーがある文章は最後まで読まないことがありますので、投稿前にご確認下さい。

初めてエントリーされる方は過去の課題図書からご自身がお読みになったタイトルを探し、その月にどういうエントリーが多かったのか、そして受賞した人はどういうコンテンツを書いたのかをお読みになる事をオススメします。

最後に、毎月二桁を超える方がエントリーされるという性質から言える事は、みなさん同じような目線で、同じような内容を書いてしまうという事です(同じ本を読んでいるのですから、似たような感想を持つのは当たり前です。)しかしこれでは選ばれません。だって他の人と同じならあなたが選ばれる理由がありませんから。

どこか他の人と異なるユニークな視点や思考があるから、そしてそれが際立っているから受賞するのです。他の人と同じような事を書いても選ばれる事はないので、エントリーする前に他の人の書いたモノを読んでから構想をまとめて下さいませ。最後に、文字制限を大幅に超える投稿は選考の対象外になりますのでご注意下さい。

それではHappy Reading!

2020年3月の課題本

3月課題図書

 

武士の娘


かつての武家社会では、自分たちの子供にどういう教育、躾をしていたのかが本書で分か

るんですが、これを現代に置き換えて考えてみたら、ほとんどの人は引っ繰り返るはずな

んですよ。それくらい厳しくて、精神性が高い教育をしていたんです。

 

教育される側の子供の意識の高さといったら、現代に生きる30代のオトナだって負けてい

る人が多いと思いますよ。幼稚園とか小学校低学年で「恥ずかしい」という言葉の概念を

ここまで正しく理解できるのかと驚愕したことを覚えています。とにかく熟読玩味して、

反省することをオススメします。

【感想】

投稿者 toranosuke 日時
現代社会こそ、武士(サムライ)のように高い倫理観を持つべき理由
 

江戸時代から明治時代へと血生臭いドラマの変遷は映画などで知っていましたし、学生の頃の歴史として大体のことを知っているつもりでした。

しかし(普通一般の)藩の家老の娘さんの立場やその家族、使用人たちの人間関係や「武士の娘」としての生活や躾というのがどのようなものであったかは本書を読んで初めて知ることができました。

今回はそのことよりも、今まで歴史的疑問に思っていたことがほんの少し理解・納得出来たことを記したい。

西欧の人は武士のことをsamuraiと呼びます。この言葉は現代ではマスコミが軽々しく侍ジャパンとして使っています。

しかし、実は私たち日本人からしてもサムライという言葉には畏怖と尊敬が複雑に合わさった感情が想起されるのではないでしょうか?

生麦事件のように武士に対して軽率な行動をとるとその相手にも大きな被害を及ぼされていたことが証明されています。

またイギリスなどは、中国のようにアヘンで日本を骨抜きにしたかったのでしょうがその野望を砕いたのも武士(サムライ)だったというのが一般的な日本人の認識です。

そのような血生臭い表舞台のドラマではなく、ほとんどの一般敵藩の武士(サムライ)たちというのは、長岡藩の杉本家のように新しい時代の流れを潔く受け入れ、それぞれが苦労しながらも慣れない新しい仕事(武士という官僚から、あるものは商売、あるものは百姓、あるものは警官など)についたそうです。

そんな急激な時代の変化に会い、土地を切り売りして娘のために学校に通わせたりする様を読むと、現代にも通じる親の愛情を感じることが出来ました。

また父親が時折り参勤交代を思い出したかのように東京旅行に行く様を知って、武士が参勤交代をすることで新しいモノや文化の吸収を積極的に行っていたことを知ったことは大きいです。

日本が西欧の知識をアジアのどの国よりも先駆けて導入できたのは、武士(サムライ)が支配階級であったためだと納得できました。

武士は軍事力を背景にした行政組織を形成しながらも、商人とは違って非常に高い知識と倫理観を持たされるよう教育されてきた歴史があります。

そこが日本と諸外国の行政組織と大きな違いであり、文明開花の際には役に立ったのです。

そのために多くの武士(サムライ)が、失職(官僚を解雇されてしまう)してしまうきっかけになったのは皮肉なものです。

本書ではドラマになるような暗殺者としての武士(サムライ)ではなく、ごく一般的な上級武士の娘さんとしての視点で世の移り変わりを知ることができる点が他の時代小説物とは大きく違います。

コンピュータが普及した現代も100年に一度と言われる大きな時代変化が訪れています。

このような時代の変化が激しい時にこそ武士(サムライ)のように、高い知識と志、非常に高を持ち、併せて高い倫理観をもった生き方が求められていると考えられます。

そのような高い人間性に魅力を感じる人が今後は増えてくるはずです。

今の時代こそかつての武士(サムライ)のように、畏怖されながらも同時に尊敬される人物が求められていると考えられます。
投稿者 BruceLee 日時
本書を読みながら疑問に感じた事がある。それは、

著者は何故本書を書いたのだろう?

という事だ。本書には当時の日本人、特に武家の人々考え方や生き様が記載されており、結果的には彼らの高い精神性を知る事が出来る貴重な資料となっているが、一方、恐らく本書に記載されている事は彼らにとっては「当たり前」だったのでは?と思うからだ。本書を読んでも著者が何かスペシャルな事を伝えようとした感じは全くしない。あくまで武家の人々の日常はこうですよ、と淡々と描いているように感じるのだ。

例えば現代において日記等は除き、我々は日常生活を書く事はしないだろう。「当たり前」を書いても誰も興味を持たないからだ。何かを書くとしたら、情報発信する価値があったり、実体験を面白おかしくコラムっぽく書いてみたり、或いは怒りの感情を発散するなど、「当たり前」ではない事を書いて他者の興味を引くからこそ読んで貰えるのだ。では、なぜ著者は「当たり前」を書いたのか?その疑問への回答は巻末の「訳者あとがき」にあった。

「あちらに渡って以来、いろいろの方から日本についての様々な質問をうけました。私はそれらを書きとめておき、お友達の問いにお答えする積りで書いたのがこの『武士の娘』となったのです」

なるほど。今日のように通信が発達してない環境下、著者は異国の地で相当に興味を持たれたのだろう。そして人々から日本に関する様々な質問を受けた。その人々に対し「日本ではこうです」と
紹介する目的で本書は成立したのだ。現にアメリカで出版された後、本書は7か国語に翻訳され更に他国へ広がった。それは異国の人々が未知なる東洋の国、日本或いは日本人に興味を持った証左であろう。

尚、これは想像だが本書を書くにあたり著者自身も日本人としての自分を見つめ直す機会を持てたのではないか?海外で現地の人たちと交流した事がある人は分かると思う。質問を受け、自分では常識だと思っていた日本の文化・風習等に改めて気付く機会は少なくない。日本の外に出たからこそ気付く日本、そんな背景が本書の土台にもあるように思う。仮に本書の目的を異国の人へ日本を伝える事だとすればそれは「日本文化の横(異国)への情報発信」と捉えられるかもしれない。だとすれば、本書にはもう一つの価値がある。それは「日本文化の縦(現代人)への縦展開」だ。現代人が本書を読んで感じるのは当時の武家の人々の高い精神性だろう。勿論、現代でも高い精神性を持つ人々はいるだろうが、自分含め現代日本人の多くはこんな精神性は持ってないと認めざるを得ないだろう。故に我々現代人が本書を読んで感じるのは「当たり前」ではなく驚愕なのだ。同じ日本人なのに。

よって本書を読んだ海外の人から「日本人ってスゴイですね~」と言われても「イヤイヤ、それは昔で現代人は全然ちゃいますから~」と謙遜抜きで返さねばならない。では我々とは異なる高い精神性とは何だろう?それは読者各人で異なるだろうが、自分の場合最もインパクトがあったのは以下の一文だった。

「武士の娘は眠っている時でさえも、身も心もひきしめていなければならないと教えられたものでございます」

これ、武術の達人とか修行僧とかなら兎も角、フツーの大人や子供も含め現代の日本人にとっては「そんなん言われても。。。」となってしまうのでないか?また当時の精神性をそのまま現代に持ってくるのが簡単で無い事は以下の一文でも明らかだ。

「日本の女は幼いころから己を抑えることを教えられ、いよいよ結婚すれば - 側女となることも一つの結婚でありますが - 女は一切自分を殺して生きなければならないものとされていました」

現代女性もこのように生きるべし、なんて言ったらさあ大変!「#Me Too」みたいな運動が速攻でスタートするだろう(笑)

が、しかし一体、当時の武家の人々は何故そんな精神性を持てたのか?ヒントとなったのは次の一言だ。

「日本人は誰でも最後の旅立ちの支度をしているものですよ」

つまり、常に死を意識していた、という事ではなかろうか?そもそも武士自身はそうだったろうし、武士を支える女性や子供にも同じ精神性が求められたのではないか。個人的には常に死を意識するのは、そう意識していないのと比較し、日常の生活態度や思考に違いが出るように思う。一方、スティーブ・ジョブズが発言したとされる
似たようなメッセージもある。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

何れも死を意識する態度だが、ジョブズのメッセージはやや刹那的な気がするが、反面「最後の旅立ちの支度」とは長い視点で己を省み、日々に生かしている気もする。そんな比較もしつつ、国際的視点を持ちながら読むとより面白くなる1冊であった。
投稿者 tajihiro 日時
杉本鉞子(大岩美代訳)の「武士の娘」を読んで

 杉本鉞子(大岩美代訳)の「武士の娘」を読んで、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。まず、「武士の娘」のテーマを一言で申し上げると「恥を知る」「廉恥を重んじる」ではないかと考えます。上記を踏まえ、私なりに学んだことを以下に記載します。

1.『お嬢さま、そんな気持で勉強はできません。お部屋に引きとって、お考えになられた方がよいと存じます』(P33)
2.『一仕事ごとに賃金をもらう人がありました。(中略)でも、気に入ったところへ石を据えると(中略)その顔には、喜びと満足の色があふれているのでした。』(P237)
3.『東洋人にも西洋人にもかくされた秘密なのです。』(P378)『この秘密は今も尚かくされたままになっております』(P378)

1.『お嬢さま、そんな気持で勉強はできません。お部屋に引きとって、お考えになられた方がよいと存じます』(P33)

 この一文には、私でなくとも全ての読者に強烈な衝撃を与えるのではないでしょうか。なぜか?この一文にこそ、鉞子の受けた「武士の娘」の教育の核心をついているからです。
 遠くは鎌倉時代、そして江戸時代に至るまで、日本女子たるものは、婚姻を筆頭に様々な拘束に従わねばならぬものとされるも、その義務を履行する責任は、両親でなく、あくまで当人にあるとし、言い換えれば、伝統的な日本の娘の教育は、親の躾や体罰でなく、将来、娘が母親になったときに、将来の我が子に対し考えていること、やってほしいことはこうであるだろうということを、納得、承知の上で実践してほしい、という願望的思考からきているのでは、と思われます。
 なぜ、そう思えるのか?それは、『女は一度嫁しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されておりました。』(P216)とあるように、当時の女性は、自身だけでなく、家族全体の幸せのことを考える必要があったからと思われます。また、自身の幼少時の出来事として「寒稽古と呼ばれるお習字」をエピソードの一つとして述べていますが、その出来事のまとめとして、『このように心をこめて筆を運ぶことを通して、私共、子供は心を制御することを学んだのでございます』(P34)とあります。心を制御すること、それは主観でなく、他者はこう思っているだろう、こうしてほしいだろう、という「第三者的思考」「利他的思考」が必要になってきます。その「第三者的思考」「利他的思考」は、「親に孝行せぬのは恥だ」「主君に不忠を働くには恥だ」という考え方が根底にあり、「恥を知る」とか「廉恥を重んじる」という考え方につながっていくのだと考えます。

2.『一仕事ごとに賃金をもらう人がありました。(中略)でも、気に入ったところへ石を据えると(中略)その顔には、喜びと満足の色があふれているのでした。』(P237)

 この一文にも、強烈な印象を受けました。「老子・七十三章」の文言に「天網恢恢疎にして失わず」というのがあります。「悪事をすると必ず罰を受ける」「お天道様はお見通し」という意味です。ここに出てくる職人は、まさにその境地でこの仕事に臨んだのではないでしょうか。報酬は一仕事単位と事前に決まっているのですから、ちょちょいと石を動かして、「へへぃ、できましたぜ!」と5分かそこらで、言うなれば、やっつけで仕事をしても、事前取り決めの報酬はもらえるわけです。
 一方で、朝から晩まで、ああでもない、こうでもないと一切の銭にもならない時間を浪費し、ただただ自分が納得するまでとことんまで突き詰め、あるとき、ビビッと閃きで自身が気に入ったところへスッと石を据える。そして、「えぇ仕事したわぁ」と庭石を眺めながら、煙草をふかし喜びと満足を得るまで仕事をしたとしても、先の報酬と全く変わらず同じなのです。違うのは、先に述べた「お天道様」という「第三者的思考」「利他的思考」の存在有無だけ。そこにあるのは、「(自身の心の)正義に反するのは恥」「(自身の気持ちに)嘘をつくのは恥」「依頼主を欺くのは恥」という考え方が根底にあり、「恥を知る」とか「廉恥を重んじる」という考え方につながっていくのだと考えます。

3.『東洋人にも西洋人にもかくされた秘密なのです。』(P378)『この秘密は今も尚かくされたままになっております』(P378)

 「日米交流の懸橋-杉本鉞子(弘道937号(昭和63年11~12月号/多田建次 執筆))」の中に、このような記述があります。『私はただ外国の友だちに少しでも日本とその女性のほんとうの姿を知らせたいと思って、自分の小さい見聞や感想を書き綴ったのみです』
 著者が生を受けた明治6年(1973年)、長い間、日本社会の規範規制の中核にあった武士階級が滅び、西洋列強との交流が深まり、激変していく明治という時代の中で、家族愛、そして人間の絆がどのように変わり、一方で、不変なのは何なのか、人間として失っていけないのは何なのかというのを、日本とアメリカという、当時としては異質ともいえる環境の中で、精一杯生きてきた一女性の目を通して語ったことに、この著書の意味があります。
 話を戻し、冒頭の「この秘密」とは何なのか?それは著者がアメリカで暮らして知ることができた『西洋も東洋も人情に変わりはない』(P378)ということであり、しかし、東洋でも西洋でも、大半の人たちにそれは理解されず、本当は「秘密でも何でもない」はずなのに、言語や文化の違いによって分かり合えない、ゆえに、「知られざる秘密のまま」であり、それを理解し合わないがゆえに、お互いに疑心暗鬼になり、誤解を招き、最悪の場合には戦争へと発展する。
 著者は「この秘密」を秘密でなくするために、世界で永続すべき日本人像の原点を、本著を通して描き、黒船によって開かれた世界の中の日本を「自分の小さい見聞や感想を書き綴る」ことで、世界へ発信しました。それは、モノやお金とかでなく、人そのものであり、その人となりは、日本古来の教育、躾から成るものとしました。著者が描いた日本人像の核を為すものを敢えて一言で語るならば、それは「日本古来の教育、躾」=「武士道」であり、それは「親に孝行せぬのは恥だ」「主君に不忠を働くには恥だ」「(自身の心の)正義に反するのは恥だ」「(自身の気持ちに)嘘をつくのは恥だ」「客を欺くのは恥だ」という考え方が根底にあり、「恥を知る」とか「廉恥を重んじる」という考え方につながっていくのだと考えます。

---
 最後に、戊辰戦争(1868年)で河井継之助と対立した家老・稲垣茂光の娘による英語で書かれた日本人女性の自伝「武士の娘」に、なぜ、世界が注目したのかを考えてみたいと思います。

 1920年代当時の著名本といえば、スコット・フィッツジェラルド著「グレート・ギャッツビー」、セオドア・ドライサー著「アメリカの悲劇」、アーネスト・ヘミングウェイ著「日はまた昇る」等があります。そして、これらの著書の共通点ですが、当時、アメリカで問題となった「ロスト・ジェネレーション」という言葉に代表されるように、著書の中に出てくる若者が、「社会的成功」「狂乱・栄華の時代」→「挫折」「転落」していく様を描写している点です。
 そこに、戊辰戦争という内戦に敗れても、サムライの誇りを失わず、両親の元で厳しい教育と躾を受け、様々な試練に耐えつつ、キリスト教の帰依を受け、1998年、25歳の時に海を渡り、日本とアメリカという異なる文化で果敢に立ち向かい「ゆるぎない信念」「不撓不屈の精神」で生きてきた点、先の著書と全く逆の展開で書かれている点に、ときのアメリカ人は感銘したのではないでしょうか?言い換えれば、人が幸せになるためには、「ゆるぎない信念」「不撓不屈の精神」があれば、成功するための要素として、国、人種、出自などはさほど関係ない、と。

 以上、課題図書としての思ったこと、考察したことを終わります。非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
(参考文献:鉞子(えつこ)~世界を魅了した「武士の娘」の生涯 内田義雄著)
投稿者 mkse22 日時
「武士の娘」を読んで

本書は、明治生まれの杉本鉞子さんがアメリカの雑誌『アジア』に掲載された原稿を纏めたものだ。

日本で生まれ育ちながら、結婚によりアメリカに住むことになり、新しい生活のなかで感じた考え方の違いに戸惑いながらも、それらを受け入れるようになった経緯を知ることができる。
そこから感じるのは、杉本さんは柔軟な考え方ができる人だということだ。特定の考えを全面的に否定もしくは肯定しているわけではない。過去の伝統を十分に受け継ぎながら時代の変化に合わない部分については変化させるという柔軟さも併せ持っている。

彼女は小さいころから武士の娘として教育を施されてきた。
印象的なエピソードとして、漢籍を学んでいるときに少し体を動かしただけで
先生から叱責されて恥ずかしいと思ったことが記載されているが、現在ではまずありえないだろう。
わかりやすい授業を求められている現在の学校で四書の暗唱が教育として成立するとは考えにくいからだ。すぐに親から英語などの役に立つことを教えろとクレームがくるかもしれない。
先生が生徒を叱りにくい時代とも聞く。

彼女は自身の受けた教育を通じて、精神力の抑制方法を習得したり四書を理解することができたそうだ。
現在の教育でこのレベルまで到達することは可能だろうか。

ここに、学ぶべき点があると思われる。
時間を十分にかけて一流のものを学ぶことの大切さと短期間での成果と分かりやすさを求めすぎることへの弊害である。
現在の教育では生徒は所定の期間内に一定のレベルに到達する必要がある。
そうでないと、卒業や進学ができないからだ。時間制約が勉強へのインセンティブを与えていることもあるだろう。

ただ、このやり方だと知識がつぎはぎになりやすい。
わかりやすさを追求するとどうしても具体化する方向に向かってしまう。そのように身に着けた知識は抽象度が低いため、適用範囲が狭くなる。その知識が他の分野に応用ができたとしてもそのことに気が付かない。小中高と上がっていくにつれ、授業についていけない子供たちが増えるのは、このあたりにも原因がありそうな気がしている。その子にあった抽象度でものごとを順番に理解していく必要があるのではないか。
ただ、暗唱は継続が難しい。何度やっても理解が進んでいると感じられないからだ。私も過去論語でチャレンジしたことがあるがすぐにやめてしまった。おそらく一定の量の練習が必要なのだろう。

このような教育の賜物なのだろう、彼女は日本の伝統を受け継ぎながらも、時代の変化に逆らわず、新しいものも自身の考えの中に反映させようとする考えを持っている。本書全般を通じて日本とアメリカのふたつの異なる文化に対して、一方のみを賛美するのではなく、両方に敬意を持って接しようとする姿勢が見て取れる。古い考えだから悪いといった考えもない。

本書の中でもと武士だが、明治維新後、用心棒や教師となったりしたがどれも長続きしなかった人物について描かれている。過去の教養しかなく、現在に貢献できるようなものがないため、自身の不遇にも耐えて生きている人だ。この人に対しても時代の変化に対応できなかったことを非難したり蔑むことなく、むしろ英雄としてほめたたえている。

彼女にとって、運命を受け入れて自重して生きている人は尊敬の対象なのだろう。
不運に対してただ我慢するのではない。それらを受け入れることが大事なのだ。本書でいう『忍従』(P281)がこれらを指すのだろう。
彼女の生き方の根底には、この忍従があるように見える。
すべての変化を否定せず受け入れようとする態度が、柔軟な思考を生んであるようだ。我慢するという言葉には自信は変化せずにひたすら耐えることに重点が置かれているように感じるが、忍従はそうではなく、耐えるだけでなく自分の考えを変化させるのである。ここに大きな違いがある。

我慢することと時代の変化を受け入れること。この矛盾関係にある2つを高いレベルで実践できる人が明治時代には多くいたから、国家として現在より高い精神性を維持することができたのではないか。そしてそのような人間を育成するために、暗唱や習字などが役に立ったということなのだろう。当時から約200年経過しており、時間の積み重ねにより技術や教育のレベルは今のほうがはるかに高いはずだが、現在の日本人の読み書きの水準をみると、当時の教育を見直したほうがよいのではと感じました(自戒の念を込めてですが)。
今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時
1.自分を愛するように隣人を愛する

 『武士の娘』は、「国や文化が違えど人は本質的に同じ」という、美しい人類愛を教えてくれる本である。グローバル化が進む現代、比較文化や異文化理解をテーマにした本が所狭しと書店に並び、「海外文化は日本文化とは全く異なる。ゆえに我々日本人は勉強すべし」の前提条件を、メディアは私達に押しつけ続けている。
 ところが、「明治初期に伝統的な武家で育った日本人女性が、渡米経験を綴った手記」である本書は、日米の「違い」に惑わされず、「共通点」に重きを置く。「子を思う母の愛」、「故郷への憧憬」といった、どんな人間にも共通して存在する部分に目を注ぐ杉本さんの視点は、現代を生きる私達にも重要なヒントをくれる。
 著者が、全く異なる文化を持つアメリカに移住後も新生活に溶け込み、現地の人々に受け入れられ、自らも「第二の故郷」と呼ぶほどにアメリカを愛するようになったのは、なぜか。
 理由の一つとして、非常に逆説的だが、彼女が日本で「武士の娘」として徹底した教育を受けたからだと考える。自分の家族や故郷、母国の歴史と文化を熟知する著者は、自分に誇りを持っていた。自己肯定感の強い人は、他者を否定し見下すことも、自らを卑下し必要以上に他人にへつらうこともない。土台のしっかりした建築が、台風が来てもグラグラしないのと同様、時代や環境の変化にあってもブレることなく、確固たる自己を持ち、同時に他者を尊重する生き方を貫く。それが杉本さんの生き方から伝わってくる。
 彼女はミッション系の女学校に通ったのをきっかけにクリスチャンになるが、キリスト教の聖書もまた「自分を愛するように隣人を愛せ」と教えている。自分を大切にする人は、自分を大切にするからこそ他人も自分のように大切にしようとする。クリスチャンになった後、彼女は仏教徒の家族と衝突せず、「孫娘が知らない異国の宗教に行ってしまった」と嘆く祖母の悲しみを静かに受けとめる。そして「あなたが大切です。家族や御先祖様への感謝は変わりません」と、祖母に伝え続ける。そんな彼女の生き方は豊かで美しく、国境を越えて通用すると思う。
 もう一つの理由として、著者と神との関係があると思う。キリスト教に限らず宗教を持つ人は、自分と神との関係が人生の核にある。たとえ他の誰にも見られていなくとも、神だけは自分を見ているから、やましいことをする自分に「恥」を感じ、自分を律する。敬虔な信仰心を持つ者は、神に接するように、人にも丁寧に接する。杉本さんは、日本人とアメリカ人を分け隔てることなく、両者に対して真心を持って接したのであろう。

2.武士道や杉本さんの生き方から学んだこと

 武士道の全てを美化し、神聖視したいとは思わない。新渡戸稲造の『武士道』を始め、他の歴史小説に描かれた武士の生き方を読む限り、封建的で男尊女卑で時代遅れな部分も多々あると思う。だが『武士の娘』を読んで、初めて気づいた武士道の良さもあった。
 まず、負の感情さえ美しく表現しようとする点。武士は、悲しみ、怒り、死への恐怖でさえ表に出さず、誇りと尊厳をもって表現する。これまで私は、真田幸村や西郷隆盛などについて「頭の良い彼らは、この戦は負けると予想できていたはずなのに、なぜ最後まで忠義を尽くして戦ったのか?」と長年の疑問を抱いてきた。それが『武士の娘』を読むうちに、武士にとっては勝ち負けでなく「侍として尊厳を持って立派に死ぬこと」が最重要事項だったことが初めて分かった。明るく自由なアメリカの文化に比べ、喜怒哀楽の感情を押し殺すことを強いられる日本人の生き方を「せめ縄をかけた木や、閉じ込めた庭のように」たまらない気がすると、杉本さんが苦痛と共に告白する場面がある(P.230)。この点は大いに共感しないでもないが、負の感情にぐっと耐え、冷静に毅然と立ち向かう勇気は、同じ日本人として誇りに思い、尊敬に値すると思う。
 第二に、彼女の観察力と表現力に圧倒される。杉本さんは武士の娘として、日本の伝統的な四季の行事を大切に行っていた。全ての行事の歴史と意義を理解・実践し、新しい世代(娘たち)に伝えながら、繊細な色彩感覚、匂い、手触りを言語化し、蚕の息遣いにさえ耳を澄まし、五感を研ぎ澄ませて毎日を生きていた。私自身、常日頃、何となく素通りしているが、深い意味を知らない我が国の文化風習がいくつもある。例えば、本書の英語原書”A Daughter of Samurai”は、「床の間」を”tokonoma”と記している。日本独特の概念で、該当する英語がないのだろう。今回初めて床の間についてネットで調べ、その歴史が南北朝時代の仏家から始まったと分かった。今後も我が国の伝統行事を積極的に実践し、自分のメディアで日本語と英語で分かりやすく伝えていこうと決めた。
 最後に、杉本さんが日本の歴史や神話を熟知していたこと。個人的な例だが、私は八丈島に旅行し、家族へのお土産に黄八丈のスカーフを買ってきたことがある。ところが、この島で「昔から、女性が働きに出て男性が家事と育児をし、それで社会が上手く回っていた」…という歴史(P.248)を初めて知って驚愕した。自分の国の歴史や古典神話から学ぶことは、何と多いことか。彼女の武士の娘としての誇りは、歴史や神話への造詣の深さからも来ていると感じた。

3.まとめ
 現代のメディアは「日本は素晴らしい」か、「日本はダメだ」の両極端に偏っている印象を受ける。両者は一見、正反対の立場のように見えるが、「善悪・優劣の判断を下し、思考停止し成長がない」面で共通している。今、私達の選択すべき道は、まず己を良く知り大切にすること。そして「判断をしない」エポケーの心で他者を受け入れ、自らの言葉と感覚で自らの価値観を築き、社会に貢献できる人間となるため自己研鑽する道と決意を新たにした。それが『武士の娘』から学んだ最大の財産である。
投稿者 shinwa511 日時
本書を読んで、自分自身を制御することの大切さを知りました。

鉞子への教育は6歳から始まりました。
すでに明治に入っていましたが、教育は完全に武家としての教育が行われました。

「当時、女の子が漢籍を学ぶということはごく稀れなことでありましたので
私が勉強したものは男の子むきのものばかりでした。最初に学んだものは四書
すなわち大学、中庸、論語、孟子でした。」 (p.31)

鉞子はだけ、ほんの少しだけ体を傾けたことがありました。それを見た師匠は驚き、彼女は叱責されました。鉞子は師匠の叱責に対し「恥ずかしさ」を感じました。それは師匠の要求に答えられず、自分を制御できなかったからです。

渡米後、米国の女性について鉞子がとても驚いたと、書いていることがあります。

「私がこちらへ参ります頃は、日本はまだ大方、古い習慣に従って、女は一度嫁しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されておりました。夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました。婦人が自由で優勢なこのアメリカで、威厳も教養もあり、一家の主婦であり、母である婦人が、夫に金銭をねだったり、恥しい立場にまで身を置くということは、信じられそうもないことであります。」(p.216)

自分を制御する教育を受け、家族のために自分が出来る精一杯の行動をするという教育が、彼女が身に付けていたと感じる言葉です。

鉞子が学んだ「孟子」の中に、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」という教えがあります。精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされない人はいないという意味で、明治維新の精神的指導者と呼ばれた、思想家の吉田松陰もこの言葉を残しています。

ただし、至誠は一時だけのものに終わってはいけません。これも鉞子が学んだ「中庸」に「至誠息むこと無し」という言葉があります。この上ない誠実さと、まごころを持って生涯を貫くことです。

その言葉の後に、「息まざれば久し。久しければ徴あり」と続きます。「この上ない誠実さと、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば長く勤めることが出来る。長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」という意味になります。

日本は明治維新後、急速な近代化を進め、わずか20数年で鉄道や電話、郵便といったインフラを整備し、綿糸や生糸の大量生産・海外への大量輸出を始めるなど、産業革命が起こりました。

時代と共に人々の生活が豊かになるにつれ、経済的な豊かさを追い求めて、自分を制御する術を忘れていったのではないかと考えます。

もし、自分を制御する事が出来れば、もっと自分が属する家庭や社会に貢献することができるのではないかと考えます。

目先の利益に囚われて自分のやりたい主張ばかりを言うのではなく、まず自分が他の人の為に継続して、できることは何かを考えて行動する事が、自分が行わなければいけない事であると感じました。
投稿者 audreym0304 日時
 本書の書き方、言葉の一つ一つ、表現の仕方が美しくまるで厳格な武家で育った女性が目の前に座り、その人の半生を自ら語ってくれているようだった。
思い出話をするときの表現、夫と死に別れた時の表現、こどもをこのまま日本で育てていいのか思い悩む表現など、直接的な言葉を使わずに、読み手や聞き手に深く届きながら、それぞれの価値観に基づいてそれぞれのイメージや考えを持てる表現だ。
これらの表現に比べたら、なるべく短く、なるべく共通のイメージを持つような現在の言葉や表現は明治生まれの著者が聞いたらどのように思うだろう。
品のない乱暴な言葉と思うのだろうか、それとも、国が異なれば表現がことなるように、時代が異なれば当然のことと思うのだろうか。
 本書は元は英語で書かれ、大正時代生まれの翻訳者によって訳されている、そして現代でも読み継がれるくらいの言葉の使い方や表現の仕方をしているから、著者が生まれた明治のころから比べるとだいぶ砕けた書き方、表現の仕方だと思う。さらに大正生まれの訳者ですら、「大変珍しく面白くまた有益に読ませていただきました」と書いてあることから、大正から昭和の初期のころには明治とは生活様式も言葉遣いだけでなく、人々の考え方も価値観もどんどん変わっていったんだろうと思う。あらゆることがどんどん変わっていったであろう時代を日本とアメリカで生きた一人の女性の人生で物事の受け取り方や感じ方から見ることができた。
 
 幕末から明治期の日本を表した著作を何冊か読んだことがあるが、その多くは日本を訪れた外国人の手によるもので、それぞれの故郷と日本で見たものを時には好意的に時には好ましくないものとして紹介しているものだった。
それらの著作を読んだときに感じたのは、風俗や習慣、価値観といったものはその場で日常的に慣れ親しんでいる人々の手では決して残せないということだ。慣れ親しんでいる人の手で残すことがその価値観や思想を正しく伝えられることだと思うのだが、慣れ親しんでいる人にはあまりにも当然すぎて、特筆すべきものではない日常ととらえられるのだと思う。だから、学者あるいは全くの異文化からきて自国の文化と比較をしながらではないと、その文化や価値観の特異性というのは伝わらないと思っていた。
 本書の特出している点は厳格に育てられた武家出身の日本人女性、本書に出てくる著者の母親や祖母の姿を見ても、ある一定の価値観が固定しているとみなされて、新しい価値観を受け入れがたいと思われてしまうような人が、異なる文化や価値観、進歩的とされる考え方を持つアメリカにわたり、両方の文化に慣れ親しみながら、日本の価値観を顧みて、決して日本の当時の価値観を卑下するのではなく、だからと言って日本とアメリカのどちらかに優劣をつけるのではなくまったく異なる価値観として受け入れているところだと思う。
それは「西洋は西洋、東洋は東洋」という言葉に現れていると思う。
 著者は日本とアメリカの全く異なる価値観と受け入れているからこそ、日本や伝統的な家族や社会では西洋の価値観が受け入れがたいことを知っているからこそ、どちらの価値観を大事にし、優先するか、ことに子供がかかわってくればどちらが子供たちにとってより良いのかその将来を深く考え思い悩んでいる。それはどちらの価値観を正しいとしているからではなく、どちらにも良い点もあれば好ましく思えない点があると知っているからこその葛藤だと思う。

 時代が進めどもこの「西洋は西洋、東洋は東洋」という異なる価値観があるということはなかなか浸透しないものだと感じる。むしろ人の往来が当時よりも多くなって世界が狭くなったから、どこに行っても同じ価値観があると感じている人が多いのかもしれない。
 著者が最後に「西洋も東洋も人情に変わりがないことを知った」とするのは、異なる価値観の中にも共通することがあるということだ。これを書いたのは隣国との戦争を繰り返す日本や不安定な世界情勢を心配したからではないか。だから「異人さんも日本の人々も今なお互いの心を理解しておらず、この秘密は今なお隠されている」としつつも、「船の往来が絶えることはない」ということで、未来では少しでも西洋も東洋も分かり合える世界になってほしいという希望をもっているのではないかと思う。
 情報も人の往来も明治のころより活発になっている現在ですら、人はなかなか分かり合えず、秘密は秘密のままになっているが、著者のような考えの人が増えたらもしかしたら世界はちょっとだけよくなるんじゃないかと思う。
投稿者 masa3843 日時
本書は、長岡藩の家老の娘として生まれ、厳しい教育を受けた著者が、渡米して貿易商の杉本氏と結婚しアメリカでの生活を経験したことで、日米の文化の違いについて感じたことを記した自伝的エッセイです。

衝撃的だったのは、当時僅か6歳の著者が漢籍を学び、その2時間ほどの勉強の最中には畳の上に正座したまま微動だにすることも許されなかった、という要求水準の高さです。
現代であれば、6歳の子どもはもちろん、成人した大人でも2時間もの間正座で一切動かないことは不可能でしょう。

このような教育を当時の女性は当たり前に受けていたのでしょうか。
P31に、『女の子が漢籍を学ぶということは、ごく稀なこと』と書かれておりますので、その学習内容は当時としても珍しかったのかもしれません。
ただ、ある日著者がほんの少しだけ体を動かした際に、師匠がその様子に驚きその日の勉強を終了させてしまうというエピソードから、この厳しい勉強の型は、武士の子どもに対して施される教育としてはスタンダードだったのだと思います。

本書の中で私が最も印象的だったのは、著者が日本の生活習慣や文化に強い誇りを持ちながら、アメリカの文化を自然に受け入れることができているという両立性です。
著者が受洗によりキリスト教信者となりながらも、母の死後その弔いを仏式で営んだことからも、日米双方の文化を大切にしていることが分かります。
著者の師事する牧師が仏式の弔いに懸念を示した時も、著者自身の心が揺らぐ様子はありませんでした。

著者が日本とアメリカ双方を受け入れていたであろうことは、P217の表現からも読み取れます。
『祖国日本と第二の故郷アメリカでは、ものごとの標準が大変かけはなれておりますので
二つの国に深い愛情を感じている私は、時々雲の上にいて、二つの世界を見下して考えているような、妙な感じを持つことがございました。』

それでは、著者が日本とは大きく異なるアメリカの文化を自然に受け入れることができたのは、なぜなのでしょうか。

まずは、父親と母親の教育が挙げられるでしょう。
著者がキリスト教に入信する際のエピソードの中で、『他人の意見には寛容であった父の傍にいて、母もその態度を学んでいたことでしょうが、新宗教に対して偏見を持つということはありませんでした』とあります。
ここから、両親ともに他人の考え方や異文化に対して受容的であったことが分かります。
そして実際に、母親はその後キリスト教が祖先をないがしろにする宗教ではないことが分かると、著者の受洗を快く承諾しています。

このように、両親が異なる意見を広く受け入れ、進歩的な考えを持って著者を教育してきたことは、著者の異文化理解力に大きく貢献しただろうと思います。

そしてもう1点が、先述の教育の影響も大きいとは思いますが、著者自身に、物事の本質を見定めてそれを理解できる素養があったことです。

著者のこうした特徴を象徴するエピソードとして、渡米後アメリカの婦人から着物の帯について質問されたときの対応があります。

著者は、単に着物の帯の結び方などを答えるのではなく、日本人にとって衣服の示す象徴が第一でありその材料は第二義的なものであることや、丈や幅の由来から古代の東洋人が信じた神話や天文学が帯という衣服に表れていることまで説明しています。

これは、ただ単に教養を身につけていただけでなく、日本文化の持つ意味や意義を一つひとつ深く理解していたことの証左だと思うのです。

この著者の姿勢は、アメリカの文化を理解し受け入れる上でも助けになったはずです。
アメリカ人の生活習慣をただの異物として捉えるのではなく、その行動の意味や意義を考えて理解しようとすることは、私達が文化や世代を超えて異なる考え方を理解するうえでも極めて重要なあり方だと感じました。

本書の最後に、著者は『西洋も東洋も人情に変りないことを知った』と記しています。
外国が遠い存在であった当時の日本で、ここまで本質的な理解に到達していた日本人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

著者の本質を見定めて物事を受け入れる姿勢を見習うことが、これからの変化の大きな時代を生き抜く力になるのだと強く感じました。


今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
投稿者 H.J 日時
時は明治。
武士の時代が終わり、国が近代化を目指している中、武家の教育を受けて育った杉本鉞子さんが本書の主人公。

その教育の始まりは6歳の頃。当時女の子としては異例である漢籍を学び、習字では運筆を辛抱強く練習することを通して、心を制御することを学んだという。
そんな男の子のような教育を受けながらも裁縫やお茶などの家事向けのことも学んだ。
武士である父の死後に戻ってきた兄の勧めで縁談が決まり、アメリカに嫁ぐことになる。
渡米までの間、花嫁修業と英語の勉強をするために東京に上京。
東京で入学した宣教師の経営する学校で、今までと正反対の価値観に触れ、自由の精神が芽生える。
その後、これまで尼になるために育てられてきた鉞子さんが、自分の意思でキリスト教入信の道を選択する。

私は、この学校生活に於ける価値観の変化というのが、その後の鉞子さんの人生を大きく導いた様に思えるのだ。
一例をあげるのであれば、今より90年以上前にアメリカで発行された本書が現地の人々に認められて、世界7か国で翻訳され、日本では今も残る名書になっている。
まず、日本古風の価値観しか持ち合わせてなければ、現地の人々の共感を得ることは難しいだろうし、90年以上も語り継がれる名書になるとは考え難い。
たとえば、外国人が日本で本を書いたとして、それが母国の価値観で書かれてる本であったのならば、物珍しさはあるが90年以上も語り継がれる様な本にならないだろう。
本書が名書と言われる背景には、著者である鉞子さんに日本文化の幅広い教養があることはもちろんだが、西洋に対する理解とリスペクトがあったうえで、日本との対比が描かれているからであると感じた。
その対比についても、日本(東洋)の教育と西洋の教育の両方を経験した人ならではの視点だからこそ、読む人を惹きつける。
この時代の人で、武士の娘という肩書を持ち、男女両性の教育を受け、仏教とキリスト教、東洋と西洋の文化を両方とも学んで触れた経験がある人が他にいるのだろうか。
私は知らない。
机上の空論ではなく、実体験で書かれていることが、本書に惹かれる一因である様に思える。

また、当時の日本の様子をここまで具体的に書き記されていることにも驚いた。
本書は100年以上経った現代の日本人でも知らないことが多々書き記されている。
(たとえば、子ども時代のほんの少し体傾けただけでお稽古中断など)
以上のことからも、本書は日本という国を知るためのバイブルとしての側面を持っていると言えるだろう。

価値観の話に戻すと、日本古風の規律を重んじる教育によって作り上げられた土台を正反対の自由な価値観に触れたことで、価値観がアップデートされている。
ここで大事なのは、価値観の反転ではなく、価値観のアップデートだということ。
鉞子さんは決して、幼少期に作り上げた土台を壊しているわけではない。
このことは『旧きものと新しきものとを適わせてゆこうとする私の努力は唯むなしく挫かれ、どちらか一方をたて、他方を捨てる様な結果に終るのが時折の落胆でありました。(p320)』という言葉だったり、本書で日本古風の価値観について度々触れてることからも読み取れる。
同時に、私はこの価値観のアップデートに既視感を感じた。
そう、先生のセミナーの基本編だ。
科学原理主義の価値観を怪しい系の価値観に触れることで価値観をアップデートしている。
これが、価値観の反転であれば、ただのヤバい奴になってしまう。

そして、この価値観のアップデートの先には”自由”があると思った。
なぜなら、一つの価値観のみでは、自由に限度があるからだ。
たとえば、科学原理主義の価値観のままでは、科学で証明できることだけを信じて行動する。
科学の枠の中でしか物事を考えないということだ。
そこに怪しい系という価値観があればどうだろう?
科学で証明できない楽しい自由がたくさんある。
鳥かごに入った鳥が飛ぶ範囲に限度がある様に、一方の価値観というかごに入ったままでは自由に限度があるのだ。

この自由というものに対して、鉞子さんは以下の様に書き記している。
『真の自由は、行動や言動や思想の自由を遥かにこえて発展しようとする精神的な力にあるのだということが判りました(P173)』
時代に囚われない本質的な言葉である様に感じる。
どんな状況下においても、発展しようとする人を捉えることはできない。
つまり、「発展しようとする精神的な力こそ、誰の影響も受けない自分だけの自由なのだ。」と受け取れる。
それは、男尊女卑の名残が残る本書の時代でも、現代でも不変である。
発展しようとしない人は今までの価値観に従い、発展しようとする人は価値観を柔軟にアップデートする。
それは先述の通り、価値観を広げないと自由に限度があることを知っているからかもしれない。
そう考えると、自由というのは与えられるものでなく、自ら掴みにいくものなのだ。

今の世の中では、国民が力を合わせなければならない状況下においても、コロナウイルスによる外出自粛の要請ぐらいで自由が奪われるとか幼稚な反論が出る始末。
もし、そんな人が私の目の前に現れたら、真の自由の定義と共に本書をプレゼントしようかな。
投稿者 soji0329 日時
「武士の娘」を読んで


筆者の杉本鉞子氏は明治6年、元長岡藩家老、稲垣平助(茂光・重光とも。以下、平助と記す)の六女として生まれた。「鉞」の字を漢和辞典で調べてみると、「まさかり。昔、征討のとき、威信を表すために天子から主将に授けたもの」とある。「ちょんまげ頭を叩いてみれば、因循姑息の音がする。散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と歌われた明治の世に、なぜこのような名が付けられたのだろう。

父、平助は、官軍と戦おうとする河合継之助らの主戦派と対立。戦争前夜に家族ともども長岡から逃げ出した。その後、恭順派として新政府から許されたものの、主君を見捨てた不忠者と見なされたという。武士の精神を子に引き継ぎ、自分の汚名を晴らして欲しいとの意志をこの名前に込めたのではないか。

武士道や武士の精神について、鉞子氏は様々なところで語っている。主君のためにいつでも命を投げ出す覚悟でいること。先祖代々受け継がれた家名を大切にし、誇り高く生きること。苦しさや悲しさなど、感情は表に出さず、常に平静な心を保つこと。などなど。

因循姑息。辞書によると「古いしきたりにとらわれて、なんでもその場しのぎで過ごすこと。また、決断力に欠け、消極的なこと」とある。欧米列強に不平等条約を結ばされ、日本を窮地に追いやった原因を、明治の新政府はこの武士道の中に見出したのではないか。四民平等、廃刀令、版籍奉還、廃藩置県と次々と発せられた政令。そのため、士族とさせられた武士たちの多くは没落していった。稲垣家も例外ではなかったという。

そんな中で鉞子氏は育てられた。雪深い長岡は、暗く閉ざされた時代の象徴とも言える。しかし鉞子氏は美しい自然を愛で、先祖を祭る神棚と新興仏教の仏壇を両立させての信仰心を育み、さらに家族だけでなく、女中や下男からも可愛がられた。鉞子氏は暗い家の中にあって、一筋の光ではなかったか。だからこそ、皆の期待を受けて、厳しい教育にも耐えていけたのだ。

敗戦後、長岡は米百俵の逸話で知られる小林虎三郎らによって教育が重視され、その後山本五十六を筆頭に多くの人材を輩出するまでになった。私は、それはどのような教育だったのかずっと疑問だった。が、この本で分かった。最も大事なのは、武士道にある、自分を律する強い精神を育むことだったのだ。

家名を継ぐはずだった兄が出奔した。どうも周りの誹りに耐えられぬ弱さにあったようだ。父の死後、その兄が帰ってきた。一時は家督を継がせるために男として育てられた鉞子氏に、兄は随分、申し訳なさを感じたのだろう。縁談をまとめてきた。鉞子氏の中には、アメリカに渡ることへの多くの葛藤があったろう。しかし決して口には出せない。なぜなら、武士の娘だからだ。

その後、鉞子氏は長岡を離れ東京の学校で英語を学ぶことになる。当時の東京までの移動がすさまじい。何日もかけて駕籠に乗り、馬で峠を越えていく。わずか150年前のことである。武士の商法で上手くいかなかった戸田さんの記述がある。死をもって新しい商売を諫めようとしたご隠居様の悲劇は、まさに武士道の持つ弊害のなせる業だ。明治とは、変化についていけない者には、実に苦しい時代だった。

東京で出会ったアメリカ人教師との考え方の違いは、鉞子氏にとっても大きな戸惑いだっただろう。表情豊かで屈託なく質問できるアメリカの文化、風習を受け入れ、キリスト教信者にまでなってしまう鉞子氏の融通無碍さにも驚かされる。それも決して武士の娘の自負を捨てずに、だ。当時の日本でそんなことが出来たのは彼女くらいではなかったか。

その後、武士の娘は、妻、そして母へとなっていく。アメリカ人の持つドライな合理性は、日本人が誇りとしている高い精神性を無視しているようにも見えて、鉞子氏にとっては随分腹立たしかったに違いない。が、「母上」のおかげもあって、偏見を持つどころか、風習の違いをしっかりと見極め、考察しているところが興味深い。彼女らのやりとりには、高い教養から生まれるコミュニケーションの素晴らしさを実感させられる。

二人の娘に恵まれながらも、夫の突然の死で、鉞子氏の運命はまた大きく変わる。日本に戻ったが、同居した母に躾けられた娘たちの変化を見て、再度アメリカに渡ることを決断する。渡米前、姉の家に行き、蔵の品々を物色するエピソードが面白い。死支度の経帷子を見せられて悲しそうにする娘たち。意味は分からなくても、何かを感じ取ることが大事なのだ。まるで鉞子氏が幼いころ、四書を読まされた時のように。

「花野」「千代」。娘二人の名前には、これからの時代、平和に生きて欲しいとの願いが込められている。その思いは、戦うだけが武士ではない。たとえ汚名を着せられても家族を逃がし、自分も生き延びて主君に尽くそうとした平助の願いそのものではなかったか。

「母上」に助けられながら、鉞子氏がこのような本を著すことは、男尊女卑の日本ではまず無理だっただろう。平助も、想像すらできなかったに違いない。ただこの本のおかげで平助の願いはかなえられた。私はそう信じたい。そして現代に生きる私たちにも、日本の美しき精神を伝えてくれた、鉞子氏に心から感謝したい。
投稿者 akiko3 日時
 武士の娘という「型」に自分をはめて、その恥とならぬよう生ききる。
その覚悟と貫く意思の強さ、姿は見えねど凛とした佇まいが文章から立ち上がってくるようだった。

 幼いころから武士の娘としての行動規範の中で成長しながら、学校で花壇を自由に作った時に、“個人の権威”のようなものを感じ、魂の束縛が解かれ、自由の精神にも目覚めている。
 そんな内面の変化と、“武士の娘”という「型」の“自分軸”があるから、異国へ嫁ぐという大変化も受け入れ前向きに異国で背筋を伸ばして生き、伴侶なき後もしっかり二人の子供を育てたのだと思った。
 そして、外国で異文化に触れ違う面も多いが、同じ人間と理解できたのは、日本で“女の道”という女は男より劣る、穢れた存在という考えを咀嚼し、女ゆえの犠牲…などため息をつくばかりでなく「自重は自由と希望に通ずる」と自分をしっかりと持つことができていたからだと思った。

 また異国で日本の庭師の仕事ぶりを振り返り、「誇りをきずつけるということ、努力の結果として到達し得た最高、最善なるものをも支え得なくなることは精神の発達を死に導くもの」と書かれているのを読み、幼いころから家族をはじめ周りの導き、時に厳しい修行のような学びの日常から築き上げられてきた“武士の娘”としての人格に対する誇りも感じられた。

 自分に対する厳しさの差を感じてはいたが、わが子に対する愛を”自己中心“のきざしと気づき、世界へ優しく押しひろげたいと決する、その思考、視点の広さにもう人種が違うとさえ感じた。
 人生の浮き沈みの折々に著者を奮い立たせてきた“武士の娘としての血”とはなんぞやと考えた時、「日本の国民生活の上に、大きな力となり、国民精神を強く特徴つけているものは、神々様よりも、むしろ、人が作った因習です」とあり、武士の娘として仏教を学んだこともあるのにキリスト教徒になっていることなど、様々な価値観に触れながらも、裁くことなく、自分軸はぶれないことなどが腑に落ちた。(因習が違うんだから人種も違うはずだ!)
  武士という職業もなくなり、時代が大きく変わった現代で、爪の垢を煎じて飲んでも到底足元にも及びそうにないが、『千年の老樹の根から若桜』の一句のように、勢いよく大きくなって、もっと大きい力と美しさを今の日本にお返ししなければならないのだなと考えさせられた。

 殿方からは美しく見えたであろう女の美学も、現代人としては「ちょっとわかんないんですけど…」的なこともあったが、理解しがたいことや、受け入れがたい現実もある中、どう生きていくか?と考えた時、著者には“武士の娘”としての「こうあらねば」が支えとなり、自分の役割を全うする原動力になっていたが、自分にはそういう確固たるアイデンティティはないし…と考えていたら、故樹木希林さんが全身ガンの状態で「痛いじゃなくて、ああ気持ちいいって言い変えちゃう(笑)それが当たり前なんだと受けとって生活していく面白さっていうのがあるなって思うんだ。」と対談で語っているのを知り、“ねばならない”だと力が入り、苦しい感じがあるが、“当たり前”と受け取ることは柔軟で軽やかな感じがした。
 著者も武士の娘として、あの時代の女子として、異国で、無駄に戦わず、そういうものなんだと受け取り、自分の価値判断で面白く生きていたことは大いに見習おうと思った。
投稿者 3338 日時
 どの場面で何をどう初めていいか迷いましたが、やはりp29からの寒稽古の場面が特に心にささります。
 年端もいかない女の子の勉強に対するこの心構えはあまりにもストイックで頭が下がりました。
同じ雪国に育ちましたが、この寒の間に特に難しいことを勉強するよう長く時間を取るという考え方は初めて聴きます。そんな中で勉学にはげみ、身につけることがとくに尊いとしていた日本人の矜恃はもうどこにも伝わっていないのだと非常に残念に思いました。

 日本の文化は「恥の文化」だと言われる所以はここにあったのだと納得しました。 
「恥」という観念を態度で教えることがどんなに難しいか、娘を育てていれば分かります。なかなか言っても伝わらないことが周りの人間の態度から伝わる状況はどんな状況なのか。
 一つの型がありそれに自分を当てはめて型通りに生き、そしてその型を次代に伝えていくことが使命となる生き方だと思われます。
それは伝える側の精神性の高さもさることながら、受け取る側の感性も高くなければできないことです。それが当たり前であった当時の武家社会の教育と精神がこの型を作り上げその後、明治・大正と日本を支えたことも肯けます。

 心も身体も厳しく律して勉学に励む姿勢を目の当たりにして、自分の育ちや環境を振り返ってしまいました。
筆者の高い教養と精神性はこのような土壌がなければ育たないことに納得し、今更ですが新しい物事を学ぶときはこの寒稽古に書かれているような心持ちで励みたいと思いました。

 昨年この本を手に取って何度か読みましたが、本を読んでいるというより、絵画集でも見ている心持ちになりました。読んでいるとすぐに心に風景が浮かんできます。悲しみを伴った風景も心の痛みを伴った風景も美しく、愛しさがこみ上げてきます。情景の浮かんで来る本はたくさんありますが、これほどに美しい情景が浮かぶ本は初めて読みました。

 どの場面も澄んだ空気まで感じられるような、あまりに美しい風景が浮かんで来るのは、筆者が心に刻んだ風景を愛しいと感じているからだと気がつきました。

 全て恵として感謝と共に受け容れて、どんなことでも起こった事象を淡々と受け入れる。心に波風の立たないはずがないのに、波風が立つのを恥じるように受け容れる。人であることを受け容れた時に、人にまつわるあらゆる恵みも試練も受け入れることに同意していたかのように淡々と受け入れる。
 自分がこんな生き方をしているかと問えば、全くできていません。先生がおっしゃっていた鏡の表面のような凪いだ湖面のような心持ちとは、このような境地を指すのではないかと気がつきましたがあまりにかけ離れています。何かあればすぐ動揺し、心が不安に駆られてしまいます。
 まず先生がおっしゃる心持ちで全てを受け容れて、生きることを目指したいと思いました。

 もう一つ印象的だったのがお嬢さんの教育に関してでした。
 p297〜p328東京の家からお祖母さまアメリカで英語と英語の身体感で育った上のお嬢さんが日本で教育を受けて、日本語の身体感が身についていく過程が書かれていましたが、まるで別人の様になってしまい、母である鉞子さんも心配になり迷いますが、ここは気持ちがよく分かりました。          

 ここで思い出したのが「体の聲」でした。
ここは育つ環境と言葉に寄って、全く違う人格になってしまいます。言葉による身体感の違いや環境、和服と洋服の違いで性格が変わっだことが良く理解できます。ここでまた「体の聲」読むことで理解が深まると思いましたので投稿後に読みます。 
 鉞子さんのように最初に日本語で教育を受け、その後に外国語を学んで見識を広める方が世界が広がります。というのも日本語の方がハイコンテクストなので感性が磨がかれ、その上で英語などのコミニュケーションを学び、行動に結び付けことができればコミニュケーションの幅が広がるからです。
 英語はやっと日常会話ができる程度ですが、これを機にまた勉強してみようかと思いました。
コミニュケーションの幅が広がれば、自分もまた変われるような気がします。

石井 みやこ
投稿者 gogowest 日時
「武士の娘」を読んで

本書を読んで、特に感じるのは、全編にわたって垣間見える著者の精神性の高さです。
武士の家に生まれたために、選択の余地なく、武士の娘として育てられて、それにふさわしい人になることが当然として育てられているということが、書かれている逸話がよく示しています。それでも、著者はとても柔軟な感性を持っていることが、女学生の時の話とか、外国にわたってからの話にかんじられます。堅苦しいように見える武士の家でのくらしでも豊かな感性と精神性が育まれています。

著者の精神性の高さについては、幼いころからの教育が大きく関連しているように見えます。武士の娘として育てられるなかで、自然に身に付けていく倫理感、道徳がその精神性と関係があるのだとおもいます。
作法の形として伝わっている教育システムにその源がありそうです。
たとえば、幼いころからの礼儀作法として、毎朝、お祖母さんや父親の部屋に行って挨拶をすることをかかさないこと、挨拶されるほうも、威儀を正していたことだと思います。さらに宿を一日借りただけの家のお祖母さんにも、当たり前のことのように、挨拶に訪れるという、長上への礼を丁寧におこなっています。
また「陰膳」の風習について書かれていますが、これも妻としての役割を認識させ、責任感を持たせるために考えられた作法だと思います。
幼少の時から行われた古典の素読、書などの練習には、表面上の技法や知識以上に心を練り上げる意図が込められていると感じます。日本には古来、日常の中に、教育となることが形として組み込まれています。
そういう形を大切にして、日常的に繰り返していくことで、その時代の家の在り方、ルール、その精神性が、おのずと伝わっていくものなのでしょう。

古来の習慣には、さらに象徴的なものを媒介にして、一家をまとめ上げるものがあります。
この本の中で、挙げられている例としては、仏壇があります。仏壇は宗教的な意味とは別の役割もあると思います。仏壇が一家をまとめる象徴のような役割を担っているようです。なにか一家の中でかわった出来事のたびに仏壇をとおして先祖に報告したり、場合によっては仏壇に目張りをしたりして、あたかも実際に「祖先」が見ているという感覚を、日常的に感覚的に持っているということをあらわしています。このように仏壇は、宗教的な意味づけよりも、それ以前に「象徴」として、一家を見守るなにかが存在して、いまも見ているという感覚をもたす役割があるようです。そうすることで今生きている人の行動も自然に礼節が重んじられるようになる効果があると思われます。著者も人の家の仏壇に明かりがともっているのを見て安心したり、仏壇がない家に違和感をもったことが触れられています。
その場にいない人に対して出される「陰膳」が持つ象徴性とも関連しているように感じます。
こういった「象徴」を生活の中にもつことで、生活がだらけず、規律が保てるのでしょう。

古来の習慣や行動の型は今からすると、古い家族形態である家父長制の制度を身につけるようにできています。

現代は昔とくらべて、行動は自由にできるようになりましたが、古来もっていた家庭のなかでの文化の伝承の「型」が持てなくなっています。そのため、現代では、一定線以上の高い精神性を持つためには、自分で自分を律するものを確立する必要があります。
現代で高い精神性をもたすための基準点を作るものは、「美意識」ではないかと自分は思います。行動や考え方、判断基準に自分のなかの高い美意識を適用するということです。
自由の中に規律を持つには、自分のなかの「美意識」という基準、それはその人が持つ哲学でもあるでしょうが、それがその人の徳、精神性の高さを示す。

精神性ということには、道徳とか、倫理感とかいうことが外周部に存在していると思います。そしてその内側に良心とか、善意とかが含まれていると思います。
個々の文化が持っている道徳には、地域性も含まれています。しかし、それを超えた普遍的な良心や善意は人間の中に内在し、万国共通の普遍的なものです。本書の著者は、人としての不変性にいろいろな体験を通して、到達しています。
違う文化出身であっても、本書でいくつも例が示されているように、人が人を思いやる気持ちには、国境も文化の違いもありません。本書の最後にも、人としては東洋も、西洋もなく、同じ人間であり、人情になんの変わりはないということが、著者としての実感として書かれているのが、とても印象的です。

オルテガがいうような無名性を特徴とする「大衆」化が現代には、蔓延していますが、そういった流れに反して、より上位の規範に向かう努力が必要であると感じた次第です。
文化の違いを問題にするのではなく、より本質的な、内在する良心、美意識を大切に新しい時代の指針にしていきたいとおもいます。

大変興味深い本でした。ありがとうございました。
投稿者 str 日時
『武士の娘//杉本鉞子』

・武家に生まれたからには、それなりの教養や礼儀作法を身につける必要がある。テレビなどで観て抱いていたイメージとそう変わらないが、男女問わず・幼少期からこれほどの躾を受ける必要があったのだろうかとも思える。

何事も変なクセがつく前に、早い段階から躾をしておくのが良いのは分かるし、当時は当たり前の事だったのかもしれないが、もしこれらが私の生い立ちであったなら発狂していたに違いない。

しかしエツ坊こと杉本鉞子さんは“受け容れる“といった次元ではなく、自らの不甲斐なさに対して『恥ずかしい』『死刑を告げる鐘の音のように響いた』とまで表現している。僅か六歳の子がこんな感情を抱いたのだという事に、読んでいるこちらの方が恥ずかしくなった。

もっとも今でいう所の虐待などではなく“武士の娘“として生を受けた、エツ坊のことを想っての”躾“なのだということは、当然理解していたのだろう。周りの人たちへの感謝や尊敬の気持ちが至る所から感じられる。

自分に厳しく努め、芯の強い女性の印象を持つ杉本さんだが、武家に生まれ育ちながらも渡米し、異なる文化に触れるなどの柔軟さも併せ持っている。

『世界が動き、時代が移るにつれ、行き詰まりを来すことがあり、主義主張をまげないですむような場合は、穏やかに妥協してゆく方が、賢明な、親切なやり方ではないかと思われます』P.264

日本の文化を大切にしつつ、進歩していくことの必要性を当時から考えていたのだと感じた。

・現代でも、一部の外国人にとって日本人のイメージというのは“サムライ”や“ニンジャ”といった類のものが多いのではないだろうか。最もこれらは後々、映画などによって伝わったエンタメ的な側面が強いと思うが、当時でも“武士”というのは、もしかしたら日本文化の象徴のようなものだったのかもしれない。それを“武士の娘”である杉本さんが、日本の文化や日本人の感性・美学を正しく伝えて下さっていたと思うと、なんだか嬉しい気持ちになった。

本書も同様に、杉本さんと大岩さんの翻訳も相まって淡々とこちらに何かを伝えてくれようと、終始綺麗な文章で纏まっていたが、『様々な質問をうけ、それを書きとめておき、お友達の問いにお答えするつもりで書いた』P.381というので驚いた。

おそらく幼少期の頃から身に付けられたものだと思うが、そういった気配りを自然とやってのけてしまうのは、とても素晴らしいことだと感じた。
投稿者 jawakuma 日時
武士の娘を読んで ~日本人の精神性の変遷~

久しぶりの再読でしたが、改めて読んでみても同じ日本人とは思えない精神性の高さですよね。これは現代の日本人誰しもが感じることだと思います。これを読んで自身も小学校に上がる前から正座で四書を学んで2時間身じろぎひとつしなかったとか、自分の子供にそんな教育を施している、という人は皆無ですからね。でもこの話はたかだか200年前の日本のありのままの姿であり(女性で漢文の教育は珍しいことを差し引いたとしても)、多少の脚色や身分の上下はあれど、当人の(しかも女性の)視点で記された点で貴重な書籍といえるものです。明治の文壇で女性の作者なんて樋口一葉くらいしか思い当たりません。本書にも書かれていた通り、当時女性は完全に主人とその嫁ぎ先の家に尽くすべき立場で、本書の作者のように渡米の境遇にでもなければなかなか、文章を書くことができる立場には無かったことでしょう。

200年前だと私の祖父が明治35年の産まれなので、曾祖父が産まれたころかと思ったのですが、本書のえつ坊の祖母の例を見ると女性は13歳!で結婚してすぐに子供を産んだりしていたので30年間に2代くらいは進んでいるのかもしれません。それにしても4~5代前の日本ではこのような精神世界で生きていたと思うと身が引き締まります。記載がありましたが、当時の日本人は身の回りで起こることに疑問を持つこと自体が不埒な行為だと感じていたそうで、嫁ぎ先やその時期をはじめ家が決めたことであれば諸々の事項を黙ってそれを受け入れるのが当然と感じていたようです。江戸時代の御上の取り決めを守り抜く習慣が染みついた結果なのでしょうか。決められたルールの中で頑張ることが得意な日本人の気質はこの頃以前から培われてきたものなのですね。

本書はちょうど明治の文明開化の頃に書かれているわけですが、その後、我々のような悪く言えばダラっとした弛んだ精神状態にどのように遷移したのでしょうか?ちょんまげを落として、牛鍋を食べて、洋服を着たからといってすぐに精神性が後退したわけではないでしょう。その後の日清・日露戦争や第一次世界大戦、二次大戦の書物を読んでみると戦時中だったからかもしれませんが、高い精神性は保たれていたように感じられます。するとやはり戦後の民主化が進んだ頃からが日本人の精神性は変化した時期なのではないでしょうか。その時代には何があったのか…?それは高度経済成長にともなう生活の西洋化が押し進んだ時期と重なります。テレビ、冷蔵庫、洗濯機の電化製品の三種の神器が家庭に導入され、家事にかかる時間も大きく変わりました。日本人の生活は一気に様変わりしました。さらに平成に入るころにはエアコンが各家庭に当たりまえのように行き渡り、えつ坊が寒九の寒さに耐えながら手習いを収めたのなんて現代の子供からしたら意味が分からないことでしょう。今日では学校の体育館にまでエアコン設置が進んできているのですから。ギリギリ私は昭和のスポ根世代に少年期を過ごしていたので、まだ寒稽古や厳しい部活の指導を体験しているので何となく本書の世界観を想像できますが、ゆとり世代やミレニアム世代以降の若者たちにとっては、全く理解が及ばない世界ですよね。様々な便利な機器が家庭に入り込み日本人の生活は様変わりしました。都市部に人口は集中し少子化が進み兄弟姉妹が減り、子供の頃に我慢する経験も以前より少なくなったことでしょう。生活は豊かに便利になり核家族化で気を遣うべき家族も減少し日本人は“我慢”する必要が急速にかつ大幅になくなりました。この環境の変化が精神性の変化にも影響を与えたと言えるのではないでしょうか。せめて周囲の人を思いやる心は無くしたくないと思います。先人達には及ばないまでも受け継がれてきた日本人のその心遣いが“おもてなし”として今日も諸外国からの来訪者に喜ばれているのですから。

一方、若いころの苦労は買ってでもしろ、可愛い子には旅をさせよということわざがあります。これらは特に若いうちには一定の苦節=我慢を経験させるべきだという教訓が込められた言葉です。これだけ便利で豊かな世の中になっているので、明治初期の生活を再現させることは到底できません。しかしながら我が子や後輩達には少しでも厳しい環境に身を置いて修練を積んでもらいたいと親心に思いますが、なかなか上手くいかないことが多いようです。そんな時こそ本書のような気位の高い先人たちの威光が感じられる書籍を読むよう勧めるべきですね。読書の習慣があれば、こういった時間を隔てた縦軸の旅や、広い世界の横軸の旅を味わうことができるのでまだ救いがありますが、それが無いと何とも手の施しようが無くなってしまいます。みなさんコロナウィルスで外出できない今こそ読書読書読書ですね。

新年から3ヵ月が経ちますが目標の達成度が芳しくない自分への戒めも込めて本書の感想とさせていただければと思います。

今月も良書をありがとうございました。
投稿者 LifeCanBeRich 日時
 “見えやすいものと見えにくいものの両方に目を向ける“


 ただただ圧倒されることと驚きの連続であった本書の時代背景は、江戸時代の末期に黒船が来航し、大政奉還が起き、明治時代が始まるという日本史上で屈指の激動の時である。私は、坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作などをはじめとする幕末の志士たちが、西洋の圧倒的な軍事力、目を見張る文明に危機を感じ、命を懸けて新政府を樹立するまでの一連の流れ、出来事については、学校の教科書や映画、TV、書籍を通じて一般常識ほどには知っているつもりである。
 ただ、本書で語られるのは、そのような華々しい出来事やそれらにまつわる英雄たちの物語ではなく、崩れ去った江戸時代を300年に渡って縁の下から支え続けた武家社会の成りであり、時代の移り変わりとともに戸惑いながらも武家の誇りを持ち続けながら懸命に気高く生きようとする人々の物語である。

 本書で語られる江戸時代の武家社会は、私にとっては全くと言っていいほどに未知の世界であり、おおよそ150年の時を挟んでいるとはいえ、彼らが同じ日本人なのかと感じ思ってしまうほどである。例えば、夫と死に別れた女は、根本から髪を切り落とし、その半分を夫ともに葬る(P.22)、奉納の儀式で念仏を唱えながら街をねり歩くことに狂喜にも似た興奮を覚えた(P.25)、縮れ毛は日本では嫌われていた(P.26)と本書の30ページにも届かない時点で理解すること、共感することが難しい当時の風習や感性が列挙出来る。
 また、お稽古の最中に体を動かしたことに胸がつぶれるばかりに恥ずかしさを感じ(P.32)、『制御の精神』を意味する『きの字』に体を曲げて眠る(P.38)など、本書全体を通して当時の支配階級である上級武家のしきたりと躾そして教養から生まれる気品や自尊心には感嘆させられるだけでなく、自身に対する気恥ずかしさも感じたほどである。ただ、彼ら武家の人々の生き様の根底にある武家のしきたりや躾は、派手さに欠け、禁欲的で、更には意味さえ分かりづらい部分がある。故に、その対極となる見栄えがよく、快楽的で、意味の分かりやすい西洋の思想、習慣、価値観という新しいものを取り入れ、ただ旧きものを捨て去る人々が当時少なくなかった様子が本書には描かれている。
 その一方で、本書には、この新しいものと、旧いものとの衝突(P.43)に翻弄されながらも懸命にこの激動の時代を生き抜こうとした戸田さんという武士の話が出て来る。この話しは、これまでに私が殆ど持っていなかった家名への誇りやご先祖様への畏怖の念を持つことを考えさせる機会を与えてくれた。

 もともと先進的であった戸田さんは、時代の変わり目を生き抜くために事業を始め、色々な失敗を重ねた後、遂に牛乳屋件牛肉家で商売を繁盛させる。ここまでの戸田さんの取った生きる手段は、失敗に挫けずに新たな挑戦を重ねることで成功を掴むことを良いとする現代の価値観で言えば賞賛されるべきものだと思うし、戸田さん本人はそう信じていたはずである。しかし、旧いものを信念にしていた戸田さんの母上は、その商売が元来穢れの類であり、それが家名を汚すと自害を持って訴える…。
 最初にこの場面を読んだ時、えっと思う驚きと同時に、今まで私が自身の家名の誇りについても、ご先祖様に恥じずに生きるということについても、全く考えたことがないことに気がついた。それは何故なのか、おそらく実際的でもなく、目に見えることでもなく、分かりやすいことでもないからだ。そう考えると私は、西洋の思想や価値観というものに偏り過ぎているのかもしれない。

 では、家名に誇りを持ち、ご先祖様へ畏怖の念を持って生きるとどうなるのであろうか。その答えは、母上が自害した後の戸田さんの生き方に表れていると思う。一件の後、戸田さんは商売をすることはなく、時代にそぐわないと知りながら、世間的には不遇に映ることと知りながら、武士の気品を持って生き抜いた。その姿は、本書に描かれる通り私にも英雄に映った。
 本書の主題である武家のしきたり、躾、教養は、決して華々しいものではない。ただ、その決して華々しくはないものが江戸時代の平和な300年を支え続けたということを本書は教えてくれた。歴史の表舞台で揚々と活躍した幕末の英雄伝を知ることは勿論有意義なことである、と同時に、その歴史の裏舞台を描いたとも言える本書を知ることも大変有意義であった。

~終わり~
投稿者 ktera1123 日時
今程、新型コロナウィルスがダイアモンド・プリンセス号以外ではあまり流行していなかった2月中旬にとある落語会にお誘いがあり、その中の題目に「宗論」がありました。あらすじは息子がキリスト教信者になった息子が、浄土真宗宗徒の旦那が「宗論」を交わすがどちらも釈迦の恥という内容のお噺であった。落語の息子さんと本書の娘さんの違いはあれども、東洋と西洋の違い、仏教とキリスト教の違いを顕にしてくれる内容であったし、面白可笑しくはあれども創作当時の大正期の日本側からの宗教観を垣間見ることができたことは、お誘い頂いた方への感謝と当日の演目を決め演じられた演者さんとの不思議な縁を感じた。

時は過ぎ、課題図書締め切りの3月末時点で、世の中の話題はほぼ「新型コロナウィルス」関連ほぼ一色。自分は花粉症だったこともあり(今年は薬を病院で貰ってきて服薬はしているが、例年ほど症状が出ていないのは、とあるもののおかげかもしれないけど)、不要不急の外出は回避する方向で準備していたのですが、それ以外の面でもなかなか普段どおりの日常をおくれない日々が続いている昨今、本書をメモしながら再読していると、新型コロナ関連の情報が頭に残っていたからなのだろうか。筆者から時代を越えて書き記したものの中で役に立つことがあるのではないのだろうか、後世の日本人に伝えるべきことがあるのではないのだろうか、そのような声が聞こえてきたような気がしてならない

その声をまとめると、

作り話に過ぎなかったのですが、「恐怖心が私供の生活に大きな影響を及ぼす(P45)」のは、正確な情報が伝達しにくかった時代の違いはあれども、昨今のフェイクニュースや、デマの拡散による伝わりやすさを考えると、マスメディアが面白可笑しく伝える一面があるのも原因かも知れませんが、人類の進歩と叡智は何だったのだろうかと、人類は全然進化していないのではと悲しくなってしまいます。

そのような「恐怖心」に打ち勝つためにも、日々様々な責務を追っている人は「責任あるものの地位として、務めは立派に果たしたい(P216)」にありますように、「私の務めを果たしましょう、誰もみていなくても一生懸命輝きましょう(P287)」人は夫々様々ですが宿世の縁によりなすべきことがありますので、自分を信じ勤めを果たしていきましょう。なすべきことしない時は「徒らなる犠牲に甘んじては只溜息が出るばかり、自重は自由と希望に通じる(P171)」その言葉を信じて、自重していきましょう。

残念ながら、「上からの命令なしで法律を曲げるようでは、国家は臆断に左右される(P207)」のは昔からのようで、動ける余地が狭いのでなかなか当てにならないは悲しいところがあるのですが、「人類は進歩しているのは確かなのですからP264)」から落ち着いて、今年は地球温暖化の影響もあり少雪でしたが雪が溶けるのを待つよう気長に待ちましょう。
その間は、P153からにもあるように本を通じて知識と幸福を読書から得ることができれば幸いです。(P31にある「百読自ら其の意を解す」を以前勤めていた際の上司から、「仕様書がよくわからないなら百回読めばわかるよ。」と言われたことを思い出しました。その時は百回までいかずに理解することができましたが、その後、何回か困難にあたった時にこのことばが蘇ってきたことがありました。)

この危機を乗り越えた時には、「全知全能にいます愛と理解に富み給う真の力があれば、人類がお互いに理解しあう時が来るにちがいない」ことを希望においてお互いに努力しましょう。またあえる日を楽しみに、力と霊感に満ち溢れた人で溢れた世界を目指していきましょう。

当初は、武士の娘への教育が過去のものと思っていたこともあったのは否めないところですが、どのような不思議な力が発揮したのかは、自分自身も謎なところはあるのですが、現代の自分を含めた、人類に警告を示しているようにならない。昔はよかった等の光栄を振り返るのではなく、過去の経験則を現代に活かすことが「古きを訪ね新しきを知る」に通じるのではないでしょうか。そのような課題図書に出会えたことに感謝します。
投稿者 sarusuberi49 日時
「武士の娘」を読んで

この本を読んで、鉞子の受けた厳しい躾の根本とは何だったのか? について考えました。
私は、「人として豊かに幸せに過ごす道」との結論に至りました。武士として自分を律し、天に恥じない生き方を守ることで世の役に立つことができると思います。そのような正しい生き様は巡り巡って自分の幸せとなって還ってくると考えました。

現代には、狂気とも言えるほどに子供の教育に熱心な親がいます。中学受験の熾烈な学力競争を小学生に強いていても、本当に子供の幸せを願っての行動なのか? 親の見栄のためなのか? と首をかしげるケースも散見されます。

それに反して鉞子への厳しい躾は、将来どんな運命が巡ろうとも、どのような境遇からでも幸せになれる可能性を伸ばしたいとの、深い愛情が根本にあるように思われます。
鉞子は波乱に満ちた人生を歩みますが、幼い頃の厳しい躾によって培われた揺るぎない誇りが、様々な困難を打破してゆく力になっていったように思います。鉞子の文章からは、家族や周囲への献身的な愛情深さが読み取れますが、互いを尊敬しつつ調和しようとする家族の姿は本当に美しいと思いました。

当時、日本で英語教師をしながら娘を育てることは大変だったと思います。そんな中、娘たちの教育のため再渡米を決意した鉞子の母親としての愛情の深さに打たれます。私が娘のためにそこまでできるのか? と問われれば、言葉に詰まってしまいます。当時とは比べものにならないほど渡米のハードルが低い現代に置き換えて考えても、正直、私にはそこまでの勇気がありません。ぬるま湯の人生に流されていることを反省します。

そもそもこの文章が世に出るきっかけは、激動の人生に於いて、運命を受け入れること、その中で絶対譲れないものを守り抜くことであったと思います。異国の地でシングルマザーとして娘を育てていく方法を考えぬいた上での覚悟があったのだと思います。夫の事業の失敗や死別のような思いがけない激震が訪れても、鉞子は不遇を恨んだりせず、自分の望む方向へと人生を切り開く努力を怠りませんでした。これが武士の生き様かと感銘を受けましたし、私もこの姿勢を見習いたく思います。

そもそも鉞子が文筆業を目指したのは、発表したい題材があったからというよりは、子供を育てるという目標がベースにあったのだと思います。ベストセラー作家になったのは、環境や運命を言い訳に諦めるのではなく、そこから望む未来を引き寄せる方法を真剣に考え、努力を続けた結果だと思います。

それに加えて、日本に興味を持つアメリカ人というマーケットがあることに気づいていたこと、英語力、日本文化の知識、文章作成力を含むコミュニケーション力などの複数のスキルを掛け合わせられたことなど、総合的な教養の深さも成功のベースにありそうです。
これらは現代社会でも重要視されており、成功のために必要なスキルが100年前から変わっていないことに改めて驚かされます。

これからの先行き不透明な時代には、常日頃から自分の才能を磨き高めておくことが、ますます必要になってゆくことと思います。本書を通じて、武士の教養とは、死ぬまで自分を鍛え続けること、そのようにして高めた自分を世の役に立てることと思いました。鉞子が自分の運命とどう向き合い、どう行動したか? に思いを巡らせ、鉞子のひたむきさや謙虚さを見習い、学び続けたく思います。

世間では、新型コロナウイルスによる混乱が続いていて、様々な憶測が飛び交っています。
先行きの不透明な状況は鉞子の生きていた時代にも似ています。このような混沌とした情勢だからこそ、鉞子の生き様から学べるところが多々あると感じます。

心を静かに保ち、日々の修行を継続し、知性を磨き続けます。そして、国難ともいえる状況を皆で乗り越えられるよう、未来が良きものとなりますよう精進いたします。
投稿者 harmony0328 日時
 本書を読み、日本の明治維新後、西洋化が進み、現代に至る約150年間の大きな変化を改めて知ることができた。著者の杉本鉞子の生き方を通し、学んだこと、考察したことを述べたい。
 
 この本を読んで一番印象的だったのは、盂蘭盆の掃除の場面に出てくる鍵『女の黙従を物語っているといわれる不格好な木魚』(P.96)という表現だった。まさか、木魚にその様な意味があるとは知らなかったので、のけ反ってしまうほど驚いたが、当時は宗教的に男尊女卑を浸透させ、男女の立場を明確にすることで、社会が円滑に回っていったのだろうと推測される。
 著者の杉本鉞子は6歳で厳しい武家の教育を受け始め、幼くも13歳で婚約している点が現代との相違の一つだが、13歳で婚約し、その時点で彼女の姉も結婚していたので、家族を持つということに於いて自分の責任を強く感じていたと思う。その責任感の強さと、周りに反対されてもキリスト教徒になったことからも想像できるように自分に確固たる信念がある鉞子のような勇敢な女性達のお陰もあり、女性の地位が向上し、現代では女性の生き方が選択できるようになった。
 但し、鉞子の時代には宗教的な考えから女性の生き方のトレンドがあったように、現代でも教育やマスコミによって女性の生き方のトレンドが時代、時代によって作り出される。具体的には戦後は専業主婦、男女雇用機会均等法が施行されると、仕事第一で一人前になるまでは子供は作らない。そして、少子化がクローズアップされるようになってくると、仕事をしながら子育てというのが主なトレンドだ。そのようなトレンドに流されないように自分の生き方を自分の頭で考えることが大切だと思う。他人が作るトレンドに合わせて自分の生き方をしていても、トレンドは変化して行く。それに合わせて生き方を変えていたら何回も生まれ変わらなければいけなくなる。女性に限らず、男性にも同じ事が言える。私も、世間体を気にせず、自分の内側に軸を作り、自信がある生き方をしたいと思う。
 上記では女の黙従を男尊女卑とネガティブに捉えたが、反対にポジティブな意味も含んでいることに気づかされた。
鉞子の母親の葬式のシーンで木魚が再度、登場する。
『もの柔かな木魚の音にまじって、静かに響く読経の声に耳を傾けながら、私はあのやさしい母が最高の信念に対しては微動だにしないで過された生涯を思い、何が母をあれほどに強く真実にあらしめたのかと訝ったりいたしました。』(P.346)
鉞子の父親が捕らわれの身となり、江戸に送られることになるが、母親は20歳を超したばかりの若さで大変な苦労を強いられる。しかし、その試練を乗り越えられたのは夫に対する忠義と夫を守る勇気を忘れない信念があったからだと思う。女の黙従にはそのような意味も含まれるという気づきがあった。

 次に、印象的だったのは『月の女神さま』(P.283)という神話についてである。
すさまじい暴風雨を起こす風の神様と雨の女神様が出てくるが、現代でも台風を風の神様、雨の女神様行ったことと考えれば、台風の捉え方が変わってくるのではないかと思った。昨年も大型台風が起こり、マスコミでは台風の被害状況のニュースが連日報道された。しかし、それは人間が地球上で一番偉いと思い込んでおり、人間の被害者意識が強いとも解釈できる。大型台風の原因の一つは、海面の温度上昇によるところであるというのが専門家の意見である。八百万の神様の気持ち考えれば、昨今、問題にされている気候変動に関する個人個人の行動も少しずつ変わり、改善される方向に向かうと思う。
 
 最後に心に残ったのは当時の日本人の奥ゆかしさだ。
『感情を色に出してしまうことは、無作法なこととなっております。』(P.234)とある。
今日のコミュニケーション方法に於いては欧米化が進み、どちらかというと、自分の感情は表に出し、はっきり自分の考えを主張し、相手に誤解のないように自分の気持ちを伝えることに重きを置かれている。その方法に捉われてばかりいると、時には見苦しい態度になってしまうこともあるので配慮しようと反省した。
 本書で、心惹かれるのは相手を思いやる気持ちや、夫婦間のあうんの呼吸、直接的な愛情表現の言動がなくてもここかしこに愛情があふれているところである。日本古来の教育によって育まれた日本人の人間性によるものも大きいと思う。

 鉞子は父の武家の教え通り、生涯の大事をなしとげた。異文化のアメリカで不撓不屈の精神でシングルマザーとして子育てをしながら、作家として成功する。
それを思えば、私の目の前の問題を解決するのは不可能ではないという勇気をもらえた。
フィクションでなく当時の女性の体験談として大変貴重な本である。
投稿者 vastos2000 日時
「現代の日本人とはOSが違う」と思った。私の貧弱な語彙では“OS”の他に適当な表現が見つからなかった。杉本鉞子は1873年生まれなので、およそ150年前の生まれということである。私の曾祖母くらいの年代の人だが、まるで思想や生き方が違う。武士階級と農家、町民ではまた事情が異なるとは思うが、それにしてもほんの数世代前にこんな精神をもった日本人がそこかしこにいたことにあらためて背筋が伸びる思いだ。
このような教育をする側も当然のこと、厳しく自らを律し、家名を汚すよりも自決を選べる人間だったはずだ。
私は、洋の東西を問わず、自分の子どもは可愛いものであると信じているが、それであるが故に自分の子どもに対し“甘さ”が出てしまうこともあれば、子どものためを思い、厳しく接することができる者もいるのだろう。

各人、性格や性質の違いはあるが、人間は環境次第でこうも異なるのかと再度感じた。
太平洋戦争時代の日本人も、戦後生まれの人間とは気合いや我慢強さ、不便を受け入れるキャパシティに大きく開きがあると感ずるが、その人間がどのような環境に置かれるか(選ぶか)は、人格形成の上で非常に大きなウェイトを占めると信じている。

私は最近、評伝やスポーツ強豪校の指導者や日本代表の監督、一代で財をなした経営者/実業家などに関する本を読むことが増えているが、やはりどのような環境に身を置くかと言うことは非常に大切であると痛感している。特に全寮制の強豪校は本人が望んで入部したのでなければ虐待と言われるような厳しい環境で鍛えられる。そこをくぐり抜ければ心身ともに強くなるのは当然だ。

同じ遺伝子をもった人間でも、明治の日本、明治のアメリカ、平成の日本に生まれるのでは違う人間に育つだろう。今の日本では二十一回猛士は生まれない。なぜなら生きていくことが容易だから。
先の課題図書、『失踪日記』にも書かれていたように、ホームレスでも生きていける。たしかに貧困に苦しむ家庭もあるが、まだ食べられるものも大量に捨てられているのが今の日本だ。

ただ、人間の可能性を知らせてくれるという点においては、本書は非常に参考になる。幕末や戦国時代、戦時に比べれば生ぬるいものだが、現代人でもアドレナリンが出まくっていれば、足が折れてても、靱帯が切れてても走れる。(どちらもこの目で見たことがある)
戦場という、死と隣り合わせの場に出ることを想定している人間は、その覚悟を持つために日常から厳しい環境に身を置くのだろう。

私の子どもはすでに小学生になっているので、ここから急激に厳しく育てることもできないし、私自身がそのような姿を見せていないので、口先だけでは言うことに説得力が無い。ただ、社会の役に立つ人間に育てるべく、親である私自身も自分を見直し、子ども達に何かを感じ取ってもらえるような人間になります。
投稿者 tomooku 日時
武士の娘を読んで

 私がこの本を読んで一番感じたことは、当たり前の基準を高く持つことの大切さでした。

 なかでも驚いたのは寒稽古という章に書かれていた「勉強をしている間、体を楽にしないということは僧侶や師の慣しでありましたので、一般の人々も身に受ける苦しみはかえって心のはげみになるものだと感ずるようになりました」という勉強をするときの姿勢と、その習慣のなかで自分の身を律しながら6歳の子どもが勉強をしていることでした。

 課題図書に向かう自分の姿勢と比較しても、時間がないからとかやる気がでないなどとついできない理由を探し、自分を甘やかしてしまう現在の自分の姿勢と比較するととても恥ずかしいと思うと同時に、なぜここまでできるのだろうと疑問を持ちました。

 今の子ども達の勉強に対する姿勢と比較すると信じられないくらいの厳しさであると感じますが、当時は親や周りの大人たちの教えにより勉強とははそういうものだと思い、疑問も持たずに行っています。周りの環境によって行っている本人が思う『当たり前』が異なっているからという考えに至りました。

 とすれば、自分が今持っている当たり前の基準を高めればより良くなり、より成長できます。武士の娘の中では親や師などの教えにより子どもの当たり前は作られていましたが、自分の当たり前の基準を高めるためにはどうしたらいいのか?

 考えついた答えは、武士の娘をはじめとする自分に負けない、高い精神性をもった人のことが書いてある本を読む、映画を見るなどそういう世界があることを知ることと当たり前の基準を高くもっている人と繋がることでした。


 次に感じたことは、恥についてです。

 著者が稽古中に少し体を動かしてしまったことで師からそんな気持ちでは勉強はできないと言われたことで、著者は「恥ずかしさの余り、私の胸はつぶれるばかりでした」とあります。

 子どもを注意する時に、もう大きくなったのにそんなことをしたら(赤ちゃんみたいで)恥ずかしいよという言い方をしたことがありました。言われた子どもは大して気にもしていませんでしたが、著者は稽古中に体を動かしてしまい注意されたことを恥ずかしく思っています。

 これも稽古中は体を楽にしてはならないという当たり前をもっていたからかもしれませんが、恥ずかしいと思う基準も今より高かったように感じます。

 本の後半では、アメリカの風習に触れることや子どもを持つことで幼い頃からの考えかたや武士の娘としての当たり前の変化も感じられましたが、私は前半に書かれていた武士の娘としての育てられ方、厳しい躾についての記述に、喝を入れられたような読後感でした。
投稿者 nagae 日時
武士の娘

寒稽古の章で、当時僅か6歳の子供に対して、孔子の教え、儒教の根本経典とされる四書を勉強し、かつ勉強している2時間もの間、微動だにせずに畳の上で正しく坐っており、膝を一寸緩めただけで指摘をされ、指摘された本人が悪いことを自覚して、恥ずかしさを意識する境地に達しているというのは、今の自分でも座禅を30分したときでさえ、身体が動くことがあるので、とても意識が高いと感じました。
言い換えると、昔の人に比べて、明らかに私の意識が低い状況であると認識しました。

これより、私が勉強していることについて、あるべき姿を意識して、どういう心持で、自分で課した目標に対して、確実に実施していく意志を持ってやっていきたいと思いを新たにしました。

また、旧と新の章では、立派なお武家様の出身であっても、新しい時代に生かせるものがない場合はそれに見合った生活があるのみであるという厳しい時代の流れを感じ、現代でも終身雇用の世の中から人に価値を提供し続ける人のみが良い生活をしていける状況になってきているので、30代のうちに今の時代、次の時代のニーズを理解し、どういう価値を提供していくかを考えていきたいと感じました。
投稿者 dalir 日時
武士の娘

今回の課題図書(以下、本書)を読み、気づいた事は
日本人にとって、誇りとは何かです。
これを支える要素は下記の通り

まず、気づいた事の核となる要素は
p237〜238に記載されている下記の文です。
「誇りをきずつけるということ、
 努力の結果として到達し得た最高、
 最善なるものをも支え得なくなるということは、
 個人にとっても国家にとっても、
 その精神の発達を死に導くものでございます。」

これは
下記の様子を見て、著者が記した文章になります。

半日掛けて
庭職人が納得の行く出来栄えの仕事をした事に
満足している一方で
(ただ求められていると言う理由で)
日本の文化を知らないアメリカ人を満足させる為
ただ日本で作られただけの日本製品が売られている。

この文章から、当時の
一部の日本人にはお金よりも重要な
価値感がある様に私は感じた。

何故なら、この庭職人は
現代の時給制ではなく、ひと仕事幾らという様に
仕事単位で支払いを受けているからです。

単純に考えて、ただ半日で済む仕事なら
同じ様な仕事を1日に2つこなした方が稼ぎは良い。

しかし、
そうしなかったのは
同じ様な仕事を2つこなすことで得る賃金よりも
本書でいうところの
「努力の結果として到達し得た最高、最善なるもの」
端的にいうと、誇りの方が
重要という価値観があったのでは
ないかと思います。
(そうでなければ、仕事を済ませた後の
 庭職人の顔に喜びと満足の色」が
 浮かぶ事は無かったはずなので)

本書を通して
当時の日本人が持つ高い精神の一部を
見る事ができたと思います。
投稿者 wapooh 日時
202003『武士の娘』を読んで

 良書にあげられた一冊なのに、私はこの本を読むのは初めてでした。赤い装丁のこの文庫本何度本屋で平積みにされていたのを見かけたことだったろう。一度も手にしたことがなかったのだけれど、今回読み終えてみてやり過ごしてきたことをとても後悔した。と同時に、桜の咲き始めた3月の今に課題図書として読むことが出来て良かった、とこの機会を感謝しています。
 P165『日本人は花をめでるにも、その花の持つ意味を考えての故です。幼い頃から、早春の雪を凌いで咲く梅の花は、困難にも耐える花嫁を象徴するものと教えられていました。桜の花は美しく、しかも萎れることの無い花でありました。ほんのそよ風にも、まだ香ばしい花弁を散らして、色美しい浮雲の眺めを添え、地面に散り敷いては、白とうす紅の桜貝の敷物にも似ていました。』
 この美しい表現を学んで桜の木の下にいられる幸せな時間を味わえました。

 本書は日本語に翻訳されたもので、原文は英語で書かれたものだ。明治時代の女性が、現代の我々よりも短期間の英語学習で、本書の深い文章を著せられるものなのだろうか。結婚し渡米してからの、『母上』との会話のやり取りを読む毎に、我に返り、「これを杉本氏は英語で話し相手からの英語を受け取り理解したのだよな」と何度も確認した。描かれている著者と母上やその他アメリカでの交流のある人々との会話を読むにつけ、自分には日本語であったとしてもここまで豊かに深く情報交換や気持ちのやり取りをすることは簡単には出来ない。
 どうしたら本書の様に豊かで深淵な世界と表現力と人格を身に着けられるのだろうかと考えながら読んだ。

 ところで、著者杉本鉞子氏は長岡の家老の家に生を受けた。自分の現住まいから山一つ越えた市だ。越後新潟に住んで20数年が経つので、本書に綴られる雪の風情や暮らしぶり、春の光の喜びや夏の鯨汁、養蚕農家の暮らし、山を越える物々しさや、結婚が決まり渡米に備えて英語を学ぶために東京へ上がるまでの長旅の道々の景色や隣県の暮らしやあれこれを、実感を伴う身体感覚を通して何となく感じられた。逆に、著者が渡米してからの暮らしに関しては、自分の中のアメリカの思い出を総動員して勝手な想像をしながら読んだ。
 不思議なことに、一冊の中で、日本にいる間の記述を読むときには何となく体が知事困ったような湿度の高い空気にわが身が包まれたような気持ちになって、著者の母や祖母や父の話を聞くかのように読んでいる間、心の芯の奥には静謐な雰囲気や穏やかな温かい空気が流れるのだが、アメリカの記述部分になると、読んでいる身体は伸びやかになってとても晴れ晴れしい気持ちになった。一人の人間から紡がれる日本語(正しくは翻訳文)の文章で、違いが判らないのだが、根底に名が得る著者の思いが溢れているからだと思う。強く印象に残り象徴的だった部分がp163-p173までの著者の気付きに記されている。『私は女の尊さを知るにつれ・・・、真の自由は行動や言語や思想の自由をはるかに超えて発展しようとする精神的な力にある』。仏教とキリスト教と理解の間で揺れ動き乗り越えた著者の晴れ晴れとした心持が自分の中にも伝わって来て、その後しばらくのアメリカ編を伸び伸びと頁をくれたのだった。
 伸びやかなアメリカでの生活からアメリカを心の故郷にもった娘2人を連れて帰国し日本での暮らし、特に子供たちに日本の文化や思想を育もうとする時間の中に綴られる杉本氏の行動や心持ちに、自分は日本人の良さを教えられた。読む心に怒りを下した部分はp213の音楽界の記述の一部で、女性の独唱の感想を「私の心に残ったものは、華やかさときびきびした動作と甲高い声だけでありました」と記したのち『これに比べますと、日本の古典音楽は、色彩はやわらかに、動作は物静かに、調べは深く、ものやわらかで何もかも大変違っております。また、大方の日本の芸術は同様音楽でも聞く耳と同時にきく眼を要求されるのでございます』とあった。

「きく眼」=見えない世界を感じる力。描く力。日本人が修養し、我々にも備わっていると思われる力。

 この一冊を通して、まさかりの鉞子さん=ヱツ坊を取り囲む人々との見えない心のやり取り思いやりの育み合いが人生を豊かにするものだと味合わされた。日本人はアメリカ人と比較して物静かで、言葉を酌み交わさなくてもお互いを尊重し理解し合えるもの、と捉えつつも、本書は会話と共感の嵐だ。両親や祖母、兄姉だけではなくいしやてつ、夫の松雄氏。日本人同士の会話に直接的な分かりやすいやり取りはなかったにせよ、『あの時はこうだった。』の思い出話が実に多く紹介されている。思い出話は、ともすると300年前の子孫代々までさかのぼる言い伝えの伝承だったりもする。武家の家に生まれて、蔵を持ち代々に伝わる品を虫干しし手入れしながら人のつながりも言葉により伝えられていく。見えないものを伝えて行く。
 本書の最終章で蔵の中で姉が花野と千代に聞かせる代々の話を聞くにつれ、最初の疑問、「何故杉本氏が短期間に英語を習得できたか」理解できた。言葉と理解力、柔軟な受け皿が暮らしの中で根付き育まれていた。『アメリカは無頓着。日本は伝統も口碑も象徴も日常の中に織り込まれています。…それぞれに由来の語らないものはありません』
 何をどう語るか、思考するか。多くのヒントをもらえた。月の女神の様に諦めず、雨の女神の様な自分を顧み反省し、淡々と修身していく. 今月も有難うございました。
投稿者 wapooh 日時
202003『武士の娘』を読んで

 良書にあげられた一冊なのに、私はこの本を読むのは初めてでした。赤い装丁のこの文庫本何度本屋で平積みにされていたのを見かけたことだったろう。一度も手にしたことがなかったのだけれど、今回読み終えてみてやり過ごしてきたことをとても後悔した。と同時に、桜の咲き始めた3月の今に課題図書として読むことが出来て良かった、とこの機会を感謝しています。
 P165『日本人は花をめでるにも、その花の持つ意味を考えての故です。幼い頃から、早春の雪を凌いで咲く梅の花は、困難にも耐える花嫁を象徴するものと教えられていました。桜の花は美しく、しかも萎れることの無い花でありました。ほんのそよ風にも、まだ香ばしい花弁を散らして、色美しい浮雲の眺めを添え、地面に散り敷いては、白とうす紅の桜貝の敷物にも似ていました。』
 この美しい表現を学んで桜の木の下にいられる幸せな時間を味わえました。

 本書は日本語に翻訳されたもので、原文は英語で書かれたものだ。明治時代の女性が、現代の我々よりも短期間の英語学習で、本書の深い文章を著せられるものなのだろうか。結婚し渡米してからの、『母上』との会話のやり取りを読む毎に、我に返り、「これを杉本氏は英語で話し相手からの英語を受け取り理解したのだよな」と何度も確認した。描かれている著者と母上やその他アメリカでの交流のある人々との会話を読むにつけ、自分には日本語であったとしてもここまで豊かに深く情報交換や気持ちのやり取りをすることは簡単には出来ない。
 どうしたら本書の様に豊かで深淵な世界と表現力と人格を身に着けられるのだろうかと考えながら読んだ。

 ところで、著者杉本鉞子氏は長岡の家老の家に生を受けた。自分の現住まいから山一つ越えた市だ。越後新潟に住んで20数年が経つので、本書に綴られる雪の風情や暮らしぶり、春の光の喜びや夏の鯨汁、養蚕農家の暮らし、山を越える物々しさや、結婚が決まり渡米に備えて英語を学ぶために東京へ上がるまでの長旅の道々の景色や隣県の暮らしやあれこれを、実感を伴う身体感覚を通して何となく感じられた。逆に、著者が渡米してからの暮らしに関しては、自分の中のアメリカの思い出を総動員して勝手な想像をしながら読んだ。
 不思議なことに、一冊の中で、日本にいる間の記述を読むときには何となく体がちぢこまったような湿度の高い空気にわが身が包まれたような気持ちになって、著者の母や祖母や父の話を聞くかのように読んでいる間、心の芯の奥には静謐な雰囲気や穏やかな温かい空気が流れるのだが、アメリカの記述部分になると、読んでいる身体は伸びやかになってとても晴れ晴れしい気持ちになった。一人の人間から紡がれる日本語(正しくは翻訳文)の文章で、違いが判らないのだが、根底に流れる著者の思いが溢れているからだと思う。強く印象に残り象徴的だった部分がp163-p173までの著者の気付きに記されている。『私は女の尊さを知るにつれ・・・、真の自由は行動や言語や思想の自由をはるかに超えて発展しようとする精神的な力にある』。仏教とキリスト教と信仰の間で揺れ動き乗り越えた著者の晴れ晴れとした心持が自分の中にも伝わって来て、その後しばらくのアメリカ編を伸び伸びと頁を繰った。
 伸びやかなアメリカでの生活からアメリカを心の故郷にもった娘2人を連れて帰国し日本での暮らし、特に子供たちに日本の文化や思想を育もうとする時間の中に綴られる杉本氏の行動や心持ちに、自分は日本人の良さを教えられた。読む心に錨を下した部分はp213の音楽界の記述の一部で、女性の独唱の感想を「私の心に残ったものは、華やかさときびきびした動作と甲高い声だけでありました」と記したのち『これに比べますと、日本の古典音楽は、色彩はやわらかに、動作は物静かに、調べは深く、ものやわらかで何もかも大変違っております。また、大方の日本の芸術は同様音楽でも聞く耳と同時にきく眼を要求されるのでございます』とあった。

「きく眼」=見えない世界を感じる力。描く力。日本人が修養し、我々にも備わっていると思われる力。

 この一冊を通して、まさかりの鉞子さん=ヱツ坊を取り囲む人々との見えない心のやり取り思いやりの育み合いが人生を豊かにするものだと味合わされた。日本人はアメリカ人と比較して物静かで、言葉を酌み交わさなくてもお互いを尊重し理解し合えるもの、と捉えつつも、本書は会話と共感の嵐だ。両親や祖母、兄姉だけではなくいしやてつ、夫の松雄氏。日本人同士の会話に直接的な分かりやすいやり取りはなかったにせよ、『あの時はこうだった。』の思い出話が実に多く紹介されている。思い出話は、ともすると300年前の子孫代々までさかのぼる言い伝えの伝承だったりもする。武家の家に生まれて、蔵を持ち代々に伝わる品を虫干しし手入れしながら人のつながりも言葉により伝えられていく。見えないものを伝えて行く。
 本書の最終章で蔵の中で姉が花野と千代に聞かせる代々の話を聞くにつれ、最初の疑問、「何故杉本氏が短期間に英語を習得できたか」理解できた。言葉と理解力、柔軟な受け皿が暮らしの中で根付き育まれていた。『アメリカは無頓着。日本は伝統も口碑も象徴も日常の中に織り込まれています。…それぞれに由来の語らないものはありません』
 日頃から、頓着せず何をどう語るか、思考するか。多くのヒントをもらえた。月の女神の様に諦めず、雨の女神の様な自分を顧み反省し、淡々と修身する。
 今月も有難うございました。


 
 
返信するにはログインする必要があります。 ログイン »