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第88回目(2018年8月)の課題本

8月課題図書

 

昭和16年夏の敗戦


我が国に於ける今次大戦は、昭和16年に始まったわけですが、その年の夏に当時日本のベ

スト&ブライテストを集めて、「もし日本とアメリカが戦ったらどうなるか?」という予

想というか調査が行われたんですよね。これが各省庁から選りすぐりの優秀な役人によっ

て行われた結果、開戦すれば必敗という結論が出ていたんです。おまけに敗戦に至るまで

の流れまでが、彼らのシミュレーション通りだったというオチ付きで。

そしてその調査結果は、時の内閣総理大臣にも伝えられていたのに、どうしてこれを避け

ることが出来なかったのか。調査、数字、データと、意思決定という政治は全く異なる概

念で展開して行くということが分かるわけですが、その先の未来を知っている我々には、

この展開からは怒りと絶望しか出てこないんですよね。

とは言っても、8月はあの戦争を忘れないために、当時の軍部に怒りを爆発させる必要も

あるんですよ。

 【しょ~おんコメント】


8月優秀賞


一次審査を通過したのが、masa3843さん、kawa5emonさん、LifeCanBeRichさん、 jawakumaさんです。

そして優秀賞はkawa5emonさんに差し上げることにしました。おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2018年8月23日


『昭和16年夏の敗戦』を読んで

 第二次世界大戦の開戦前、総力戦研究所というシンクタンクが機能していたこと。
そこでは、我が国最高峰の頭脳を誇るエリート達が結集し、緻密な分析を重ねた結果
「この戦争は必ず負ける」と、実際とほぼ同じシナリオを描いてシュミレーションしていたこと。
 この驚くべき歴史的事実を、本書で初めて知って震撼した。

 ここで誰もが描くであろう疑問を、私も持った。
「じゃあ何で、開戦を止められなかったの?」

 聞けば昭和天皇と東条英機は、元来は反戦派だったとのこと。
「開戦」という大きな決断に至った理由が「ズルズルと雰囲気に流されて、何となく」という
何ともバカバカしい理由だとしたら、やるせなさすぎる。

 総力戦研究所が「日米開戦は何としてでも避けねばならない」と結論を出していた(83ページ)にもかかわらず、日本が開戦に突き進んだ理由を、二点考えた。

1.日本の教育レベルの高さ

 戦前の日本は、今と違って小6までとはいえ、義務教育制度が整っていた。国民の識字率と知性は、全体的に高かったはずである。何も総力戦研究所のエリートだけでなく、多くの賢い人が「この戦争は負けるだろう」と薄々察していたことだろう。なのに、「もうこんな戦争、やめようよ」と止める人がいなかったし、言える雰囲気ではなかった。

 最初、「これは日本人の真面目で我慢強い国民性のせいか?」と考えた。
しかし実は「教育が進んでいるにもかかわらず」ではなく、
「教育が進んでいるからこそ、忍耐力と従順性が育ってしまった」のでは?
・・・という恐ろしい可能性に思い至った。

 非常に失礼な言い方になるが、識字率がそこまで高くないであろう発展途上国-たとえばの話、アフガニスタンや、ソマリアを想像したとする-などで、「これからアメリカと戦争をするぞ!」とカリスマ的指導者が言い渡したとする。国民は、ついて来るだろうか?
 想像だが、多分、ついてこないと思う。
 なぜなら、まず国民の識字率が低くて命令が全国隅々に行き届かない。(日本の明治維新がスムーズに進んだ理由は、江戸時代に寺子屋が普及し、農民の子でも字が読めたからだと聞く。これは、農村地方で字の読めない人が未だに存在する中国のような国でも、尊敬・驚嘆されているらしい。)

 また、それが日本のような単一民族国家ではなく多民族国家だった場合、国民全体の意思が、なかなか統一されず、多くの派閥に分かれ、誰がトップになるかで内部争いが起こる可能性が高い。
 この点、日本は単一民族国家でまとまりやすく、「天皇陛下の元に一つに団結しよう」という協調性をベースにしたピラミッド体制が、しっかり整っていた。
 一見それは、国の発展にとってプラスに働く要素に見える。しかし、日本人の教育の高さ・従順さ・忍耐強さが裏目に出て、「開戦」という最悪のケースを起こしてしまったというのが、妥当な見方では?という印象に変わった。
(これとほぼ同じシナリオがドイツにも当てはまると思う。ドイツも教育が高く、ほぼ単一民族国家で、上に従って組織を整えようという真面目な人が多いように推察される。)

 どんなに高い教育を受けた優秀な人間でも、間違いを犯す。間違いを自覚していても、協調性を重視して止められない。(ドイツ然り。)この人間の習性は、頭に入れておいておこうと思った。


2.サムライの美学
 2年前の8月の課題図書『卑怯者の島』の感想文でも同様のことを感じたが、どうやら日本の武士の生き方として、
「負けると分かっていても、最後まで全力を尽くして戦うことこそ美しい=これぞ武士道」
という思想が、根底に存在するように思われる。

 もちろんこれは思想としては美しい。武士達が常に死と隣り合わせにいた戦国時代には、この価値観がなければ、彼らの尊厳を保つことができなかったのかもしれない。
 しかし時代は変わり、ライフスタイルも変容した。生きていくため、常に死を覚悟して緊張状態で戦わざるを得ない戦国の世は終わっている。第二次世界大戦時のように、軍人のみならず学生や非戦闘員にさえ、命を削って華々しく散る生き方を強制すべき理由など、どこにもない。自分一人が美しく死ぬことより、生き残って未来の世代のために平和な世界を残すことに自分の命を捧げる生き方を、選ぶべきだと思う。


まとめ

 「日本人は歴史を研究して現在に活かすという発想が薄い」
と、あとがきで勝間和代さんが述べておられた。

 確かにそうかもしれない。歴史もそうだが、宗教に関しても、徹底的に分析する・つきつめて考えることが、私たち現代日本人には欠けていたのかもしれない。その証拠に、義務教育の場で宗教に関する教育がない。その歪により、宗教の神秘的な部分に憧れる若者を生んでしまい、それがオウム真理教のような恐ろしい宗教団体を生んでしまったようにも思う。松本智津夫が処刑されたのは記憶に新しく、オウム真理教に対しても「なぜ誰も止められなかったの?」と思ったばかりだ。
 もう二度と、太平洋戦争のような戦争を起こさないため、歴史から学んで生き方を修正するという意識を持ち、まず自分自身が歴史を学んでいきたいと気持ちを新たにした。
 良書をお薦めいただき、ありがとうございました。

投稿者 shin89312000 日時 2018年8月25日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

真っ先に感じることは、国民性というのはなかなか変えがたいことだな、ということです。
 
この本の内容を一言でいうと、総力戦研究所という組織を作り模擬内閣まで組閣し、東条首相に上奏したにもかかわらず、戦争の行方には全く影響しなかったということです。
 これは、日本の国民性というか、江戸幕府の体制が長く続いたゆえの影響なのか、強力なトップによる指導体制というより、なんとなく合議制で進んでしまうという文化がなせる仕業ということだと思います。
 作者の猪瀬氏はなぜ豊かな米国と戦争したのか勝てっこないじゃないかという疑問から出発したのですが、戦前の日本人は勝てると思っていたという驚くべき事実を発見するわけで、これは今の日本でも全くあてはまる現象です。
 この大きな原因は、日本国民の思考は政治はお上が行うもので自分たちはそのお上を監視するという考えはなく、なんとなくいい暮らしが出来ればいいという事なかれ主義です。戦前の日本は危機意識に芽生え国難意識が高かったという人がいますが、私の知る限り一般国民には全くあてはまらないようです。
 ここに1枚加わるのが新聞やラヂオという報道機関で、徳富蘇峰から綿々と通じる国民に対し真実を伝えるという思い込みと、結果としてフェイクニュースを発信するという状態とそれを批判しない国民性が相まって形成する集団的思い違いが形成されやすい土壌だということです。
欧米にも同様に報道機関はフェイクニュースを流しますが、それに対してパブなどで議論を行う国民性というものが必ずバックボーンにあります。ですからイタリアなど一部の国を除いて多くは2大政党が成立するのです。
つまり、お互いの政党の政策が大変明確でそれに対し支持する国民の考え方も明確であるからです。
さて、ここまでいろいろ述べてきましたが、もう一度猪瀬氏のコメントに戻ると、P269に僕の疑問に誰も答えてくれないといいうところから模擬内閣に絞り込み解析を進めたわけですが、結果的には日本は歴史
意識が希薄だという今の時代にもつながる答えとなっています。

 では、なぜ大きく変わらないのでしょうか?私の答えは日本という国は本当に民族存亡の危機を感じたことがなく、結果的には平和な国であったため、その状態に最適な官僚主導の体制の中で、長いものに巻かれ時々お上を批判するというガス抜きと同族がもたらす丸く収めるという心地よさを追求しようとする深層心理がもたらすゆえだと思うからです。
この発想方法は、過大な英雄を望まない代わりに皆が協力して行う総力戦には実をいうと多大な効果を発揮するシステムであり、その証拠に奇跡の復興がなされたわけです。
もちろんこの対極が強い指導者を求めるドイツ人の気質でありこちらも急激な復興になったわけです。

 だんだん、戦争というこの本の本題から離れていますが、この作者の本当に言いたかった日本人とはという観点から見ると、我々日本国民の性向は世界が安定して技術という力が存分に発揮できる状態では、大変すばらしいものであるということです。事実、この本に少しだけ出てきている日本の芸術的なゼロ戦などは、訓練された職人パイロットが操縦すれば無敵の力を発揮しました(なにせもともと敵の弾が当たるという発想がない設計でした故)。ところが有事がはじまり消耗戦になるとパイロットの技量が追い付かずその欠点をさらけ出すわけですが、アメリカのグラマンは普通の自動車運転手が操縦できる状態でしたので、消耗戦には非常に強い状態になっていました。ここに、日本という国の有事に対する考え方の一端がありますね、そうです有事は想定していないのです。

 さて、そろそろまとめに入るわけですが、ここでは、この日本人の強みを生かしたやり方を考察したほうが良いと思います。
我々日本人の特性は既に述べましたが、これこそ困難を自力で脱出しネガティブ経験を自己設計によりポジティブな状態に変換していくという技を生み出すことであると思います。つまり成仏の考え方ですね、自分が進化する。欧米(含むイスラム)は絶対神がいるため人間は不完全である、だから政権に対して物申す、システム化する(ISOなどいい例です)のですね。
一人一人の技量を高めるこれこそ我々の持つ強みですので、欠点を矯正するのではなく良いところを伸ばす発想で、益々より良い国になるのではないかとそんな期待を抱かせる「昭和16年夏の敗戦」でした。

投稿者 2345678 日時 2018年8月27日


「昭和16年夏の敗戦」

昭和16年代(1930年代~1940年代)の内閣

17年間で17人います。これでは、大戦略など無いのは当たり前ともいえる。

同じ憲法下で明治時代には統制できていたものが昭和の時代になり
統制できなくなってきたのか? 個人差なのか?

一つの考え方として他国の行動様式を正確に読み取っていなかったのでは。

なぜなら、日本は近代国家となるために欧米を教師として高い授業料を
支払ってきた。明治新政府はお雇い外国人を招き、その指導下で改革を行い
日清戦争、日露戦争と血の代償も支払って日英同盟やアメリカと通商条約を
結んだ。おそらくこの過程で明治の先達は欧米列強がその主張する正当性とは
違う行動様式を持っていることを知ったのではないか。

平和主義や自由競争・条約遵守を標榜するが実際にはパワーゲームを繰り返す。
列強同士はたとえ争っても利益は分かち合っている。と。

これが1920年代。では1930年代は日本が列強国と目され、アジアでは
欧米の半植民地や植民地しかなかった。

この時に、自国利益の追求ばかりに目を向け、この事実の論理を自分(自組織)
の都合の良いように書き換えていく。

国際法とか国際条約だけでなく、現実認識(事実の論理)を活用していなかった。
あるいは帝国主義時代の国家の行動様式は事実の論理に基づいている。という認識が
少なかった。と考える。

その中で、実務経験10年の各界の精鋭を集めて総力戦研究所が作られた。
(1万時間の法則はやはり有効)

事実の論理で導き出され答申された内容は確かに机上のもの。

図上演習は実際の戦争どうりにはならない。優秀な軍の幹部ならわかっていたはず。

だからトップは失敗を恐れ、そこから逃げだす。あるいは、当事者自身が責任転嫁する。

曖昧なビジョンで各階層での判断に一貫性を欠くが、指示命令系統は明確。
その場その場では情緒的思考が行われ、

局所的、近視眼、戦略的鳥瞰など無用の精神論がどこまでも続く。

肝心の意思決定の際に、「同調的」・「空気」・「その場の雰囲気」が支配する。

このことは、現在進行形で至るところで行われている。
階層型組織(官僚型組織)ではあるが集団主義(情緒的思考)は連綿と続いている。

ではどうするのか?

改めて自分の生き方を示していただいた書籍です。

投稿者 mmnn 日時 2018年8月28日
日本国中からよりすぐりで選ばれた者たちが
出した「日本の敗戦は必至」。

にも関わらず、どうして開戦を避けられなかったのか。

本書を読むまで東條首相は、第2次大戦中の
首相として、戦争推進派だと思っていた。

しかし、実はアメリカとの開戦には
慎重派であったことには驚いた。

と同時に、自分自身の無知を恥ずかしく思った。
やはり、学校で教わっただけの歴史の知識は
薄っぺらいものである。

歴史の真実を知るためには、それなりの読書が
必要なのだと痛感した次第だ。


さて、開戦を避けられなかった最大の理由は、
「どうしようもなかった」
ためではなかろうか。


「どうしようもなかった」ために起こってしまった
事象、イベントというのは枚挙に暇がない。

例えば、現在の日本経済の不景気について考えてみた。

といっても、ここで私が使う、日本経済の不景気とは、
日本全体を一括りにするものではなく、貧富の差が2極化して
格差が大きく開きつつある貧困の方を指すことにする。

「どうしようもなかった」という状況は、
過去の課題図書「漂流」でも同じような状況が描かれていた。

「漂流」の主人公木村実は、一度遭難したにも関わらず、
再度海に出てまた遭難してしまう。

一度遭難したなら、死を隣にして海難の辛さを
味わったにも関わらず、それでも彼が海にまた繰り出したのは
彼にとって海に出ることは、「それ(海に出る)以外にどうしようも
なかった」からだと思う。

彼の生まれた町では、どんな状況になろうとも海で漁をする以外に
生きる術がなかった。また、幼い頃から育った環境も手伝って、
海で漁をする以外に生きる術が考えられなかったのではなかろうか。

生きるためには、危険だろうが何だろうが、海にでるしかなく、
これを私は「どうしようもなかった」と言う。


話を本書に戻すと、負け戦と分かって開戦に踏み切ったのも
同じ「どうしようもなかった」のだと思う。

私が定義した現在の日本の「貧困」における
「どうしようもなかった」も根は同じであると感じた。


まず、両者共に知識が不足していて、世界観が狭いこと。
また、自らを正確に客観視できずに、主観で物事を決めてしまったこと。


この2点が要因だと考えた。


ヒトは、自分に都合のいい部分だけしか
実は見ていない。
ファスト・アンド・スローでも述べられていたように、
ヒトの脳は、理由付けをしたがる。だから、自らの考えや行動を
自動的に都合よく理由付けをしてしまうのだ。

絶対的に知識が不足していたのかもしれないが、
仮に足りていても、当時の「どうしようもなかった」状況では、
軍部にとって都合のいい理由付がなされてしまったのであろう。

また、現在の日本の貧困層は、情弱とも呼ばれれ、知識不足なのに
勉強して知識を得ようとしない。だから自分の周りで見えている世界しか
知らず、世界が狭く、価値観、世界観を広げることができない。

結果、貧困な世界からの脱出が難しくなっている。

生活が苦しいから、ネガティブなイベントには主観でしか反応できず、
自己責任の意識が薄い。結果、私は悪くない、悪いのは、政府だ、社会だ、
経済状況だ、周りの環境だ、と他者責任に走ってしまう。


本書で描かれた開戦への道が「どうしようもなかった」のも
よく似ている。

日本中から各界のエリートが集まって、あれこれと情報収集したので
知識不足ではなかったと思うが、陸軍や海軍などが重要な情報を
出し惜しみしたりした点においては必要な情報が若干不足したかもしれない。


しかし、軍の圧力や国民の形のない期待(戦争に勝てる)に応えなければ
いけない、このような環境の元、戦争に勝てるか勝てないかで開戦すべきか、
どうかを論じるのではなく、石油が開戦後足りるか、どうかで最終的には
議論が進められた。

主観的な、希望的観測(なんとか戦争を数年は続けられる)の辻褄を
合わせるべく石油の数字が並べられて開戦という結論が導かれた。

というより、軍の希望(主観)を結論付けるべく数字(石油)の辻褄が
合わされたのである。


軍の開戦希望も、貧困層の他者責任(自己責任のなさ、私は悪くない)も
どちらも気をつけなければいけない。


もちろん、自分がそうなってしまわないためにである。

過去の課題図書「イノベーション・オブ・ライフ」にあった、
「罪人にならない」に、改めてドキッとする。

戦争開始は、イコール人殺しだからまさに罪人に直結する。
貧困層の犯罪も、人殺しまではいかなくてもモノを盗むとか嘘をつくなどは
日常茶飯事であろう。


罪人にならないためにも、自己を戦争や貧困の環境に置かないよう
努力しないといけない、と思った。


そのためにも、日本が戦争の直接当事者になっていないことに感謝しつつ、
貧困層に陥らないよう、知識武装が必要なのだろうなと思った。


戦争のない今の日本の状況に感謝しつつ、今後、戦争という悲惨なイベントを
起こさないためには、「どうしようもない」状況に陥らないように気をつけよう。

そのためにも、必要な知識の吸収、勉強が大事なのだろうと思うのである。

投稿者 nishimikado 日時 2018年8月28日


「君はこのゲームのプレイヤーだ。プレイヤーの条件はただ一つ、『賭博黙示録カイジ』並みに真剣になってほしい。即ち、もし君が勝てば、君は大金を手に入れることができるが、負けたら高さ74メートルの電流鉄骨から落とされるほどの覚悟が必要ということだ」

「ゲームから降りることは許されない。だが、君の言い分があるというなら聞かせてもらおう。私を説得できればゲームを中止できないこともない。5分間だけやるから君の考えをまとめたまえ」

様子が心配でついてきたあなたの聡明な後輩が、すかさずあなたの袖を引っ張って言います。
「先輩……だめです。過去にこのゲームに勝てた者はいません。どうシミュレーションしても負ける確率は100%です。つまり先輩は必ず死にます。
なんとか相手に納得してもらえる手段を講じてここは撤退しましょう…‼
(つーか、どーしてこんなムチャな相手にケンカ売ったんスか先輩……!!!)」

*****************************************
恥ずかしながら、年表以上に大東亜戦争に関する知識を持っていなかったので、ごく易しい通史から始めて、著名な関連本をゆっくり併読しながらの課題本読書でした。そして、なぜ開戦したのか、開戦は避けられなかったのか、戦場での失敗は何だったのか、東條英機の苦悩etc. は、様々な本で語られているテーマであることを知りました。
『学識、つまり学問から得られる知見からすれば、アメリカと日本の国力の差は当時においても自覚されていました。(中略)こうした絶対的な差を、日本の当局はとくに国民に隠そうとはしなかった。むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂なのだということで、精神力を強調するために国力の差異を強調すらしていました。』(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子、朝日出版社)というのには非常に驚きました。

他書にはない特徴として本書に登場する「総力戦研究所」の存在とは何だったのでしょうか。英米の対日輸出禁止→南方の油田を武力で確保→フィリピン基地の米艦隊により輸送船団への攻撃→日米開戦……とネガティブなイベントを想定し、国の経済力、生産力などファクトを頼りにディテールを積み重ね必敗の結論を出した研究生たち。しょ〜おん先生のコミュニケーション編セミナーの内容が思い出されました。
冒頭の小話と違う点は、研究生たちは内閣直属組織であるにもかかわらず「聡明な後輩」のように「必ず負けるから撤退しましょう」と首相へストレートに進言できる立場になかったこと。実際に、研究生たちが「南方侵略は有り得ない」と統帥部役の講師へ申し出るも有無を言わさず却下されます。
そしてもう一点、冒頭のゲームのプレイヤーであるところの「先輩」ポジションの意思決定者が、現実では一者ではありませんでした。憲法の制度上の欠陥により、天皇も政府も統帥部の開戦意思を止められない。持たざる者(国)が生き延びるために他国の制圧が必要だという軍部の意見は正しかったとしても、「勝つわけないだろ」の志村正氏(海軍少佐)のように手持ちのカードを冷静に眺めることができない。

総理官邸で研究生が発表したときの東條英機陸相(当時)のコメント、「日露戦争では勝てるとは思わなかったけど勝った。戦は計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながる」が当時の軍部の性格を表しているのではないかと思いました。軍部が士気というものを重んじる感覚は理解できなくはないけど、それって単なる希望であって、見通し甘々なんじゃ…?? だがしかし、これは何だか誰かさんにそっくりでもあり……って、計画も資金もいきあたりばったり、思いついたら即行動してしまう私そのものやんけー!! 何ということでしょう。対象のスケールが違いすぎて比較するのも烏滸がましいですが、それでも。
大本営には大本営の正義があり、戦う理由がありました。同じように天皇にも開戦を白紙に戻す理由がありました。両者の正義が重ならなかったことは不幸なことであったし、正直気の利いたコメントを述べられる気がしません。他人の正義を自分の正義で曲げることはできない、そればかりはいつの時代も変わらない。でも、理想を暴走させているのが自分自身なのであれば、それは必要なデータを集め、ニュートラルに観察し、冷静な判断を下すことでもって必ずおさえることができるはずです。
ディテールを重ねて真実を見極め、「勝つべくして勝つ」まで煮詰められない私の中の大本営と戦わせることができる、自分内総力戦研究所を育てようと強く思いました。目的のために“事実”を従属させてしまうことのないように。

最後に、前述の志村氏に関しては印象的なエピソードが多かったですが、開戦反対派だったけれども開戦が不可避となるや軍人らしく最も好機をとらえて先制攻撃という主張へシフトするところが格好よかったです。

投稿者 akiko3 日時 2018年8月29日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで
    
InputなくしてよりよいOutputなし
毎年、戦争ものを読む機会を得て、大きな学びに感謝したい。感情論で戦争は悲惨で悪だ、絶対反対だけでは止められない。どうして戦争になったのか、避けられなかったのか?敗戦により多くを失ったけど戦争しなくても、自給力のない日本はいずれ外圧で締め上げられ三等国として辛酸をなめていただろうか?現在の理不尽さは勝戦国と敗戦国の力関係ゆえなのか、戦争がなくてもいずれはこうなっていたのか?それでも多くの命が犠牲にならない分よいか…。交渉次第で戦うことなく上手く立ち回れていたのか?あの時代は世界中が虎視眈々としていた厳しい時代だと改めて感じた。
A級戦犯東條首相に対する印象も変わった。個人では対処できない何か大きなものとの葛藤があったようにも思ったし、満州事変の陸軍の暴走は原因の一つではあるが、そもそも二元化された政治機構という個人の力では克服できない仕組みにも原因があったとは!
開戦派以外に、反戦派、負けるという結果を引き出した人達(“しがらみがない”から俯瞰してみることが出来た、今、政界は派閥政治のしがらみだらけだが大丈夫だろうか?)も、あの戦争を止められなかったという非常にグレーな部分が大きくなっていったように感じた。反戦をいくら主張していても、戦争無理という数字が弾き出せてもそれを出せる雰囲気ではなく、“全員一致”に引っ張られてしまう。開戦が独り歩きしていく。(他国からの“日本開戦”の念も送られていたし。)
現在の日本でもよくニュースになる大きな組織の不祥事やいじめなどでも、誰が悪いか特定できるが、それ以外に顔のない組織みたいな得体のしれない大きなグレーな存在が引き返せそうなポイントポイントに存在していて、いよいよ明るみになるまでしらを切る。いい思いをしていたいから?腹が痛まないから?責任を負わないから?間違っていると思っている人もその中に飲み込まれ、そのまま流されていく。
“国民一丸”となって同じ方向へ向かう圧力は日本独特だろうか?きっと親は“一億総中流”という言葉の中流目指して家庭を築いてきてたので“みんなと一緒”はわりと身近に聞く言葉で、一緒は安心でもあった。災害時にもみんなが逃げていないからまだ大丈夫という心理がでそうだし、何か自分で決めてたった一人でも動けるか?あの時代でも現在でも組織の歯車の1つとして、グレーな人間になりそうで心もとない。

反対方向へ舵を切るのは難しい。飯塚所長はその後どのような生き方をされたのだろう。未来ある若者達がちゃんと教育され、よりよい社会づくりの為に役割分担をし、組織だって動けていたら、どんな社会が作れただろうか…。

情報がちゃんと得られなかった分、戦後、克明に記憶を記録する人達や定期的に集まって反省会をする人達が少なくない。二度と過ちを犯さない為、自分の無力に対する後ろめたさ、英霊に対する罪滅ぼし、自由に物が言える時代だからでもあるのだろう。

以前、高齢者の方から満洲からの引き上げ話を聞いた。「私は長女だったから幼い妹弟を連れて、怖くてね、でも母は、女は強いよ。あの時“男”になったよ」と。守るものがある人の強さを思い、責任もとらず、自分を守ることばかり考える人達への反感が湧いてきたが、自分の無力さ、小ささ、無知からも目をそらすことができず、『いかに平和を維持するか』重い宿題なのだ。

戦争といってもいろんな角度から見ないといけない事実(理不尽なことが多くて憂鬱になる)があることを知り、あの戦争を理解する、“学び”の大切さを実感しております。ありがとうございました。

投稿者 hikolton 日時 2018年8月30日


「昭和16年夏の敗戦」感想

恥ずかしながら、西暦と元号が今でもごっちゃになる私。ええっと、今平成で何年だっけ?なんてことは日常茶飯事。
いわんや昭和の前半なんて。ただそんな自分でもタイトルに違和感が。あれ?敗戦って昭和16年だっけ??思わずウィキペディアで確認してみる。

「1941年(昭和16年)12月8日 - マレー半島侵攻、真珠湾攻撃、日本政府による対米英宣戦布告。
開戦の詔書(米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔)。戦時中は12月8日を開戦記念日と呼び、毎月8日を大詔奉戴日と呼称した。
詔書は「聖戦の詔書」・「米国及ビ英国ニ対シ宣戦ニ際ニ下シ給ヘル詔書」ともいう。」(wikipedia 大東亜戦争)

やっぱり昭和16年は開戦の年じゃないか!敗戦ってどういうこと?

本書を読みすすめてみる。ふむふむ、総力研究所という当時の省庁、軍、民間の30代のエリートたちが集まり、研究を続け模擬内閣を組織し、日米戦争を想定した机上演習を行い、最終的に日本必敗の結論を出したと。これが昭和16年の夏だったと。

開戦の4ヶ月も前にこんな結論に達したのも驚きだが、

「十二月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても初戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない。」(位置No.933)

この部分には特に驚いた。タイムスリップをしたきたんじゃないかと思うほどの正確さ。各省庁から機密情報も含まれた大量のデータを持ち寄ったとはいえ、この結論に導けた総力研究所の所員には本当に驚嘆する。
データをただの数字としてみるか、それとも何かしらの結論に導くための貴重な情報としてみるかには隔たりがあると思うが、当時の所員たちはデータの正しい使い方をし、恐ろしい程の正確さで開戦すれば日本必敗という結論を導く。翻って当時の上層部は国力差が圧倒的なのを承知した上で、開戦に踏み切る。

この構図は現代社会でもよく見られる光景なのではないだろうか?

現場のことをよく知る若手社員が、上司の無茶ぶりに振り回される。

よく聞く話だ。もし、その上司が確固たる戦略、戦術を持っていて、先見の明があるなどとなれば、部下も安心して従えるだろう。
しかし、精神論や思いこみ、過去の成功体験からくる過信に正当性があるのだろうか。

当時の軍部にはそのいずれもあったように思う。
大和魂を発揮すれば米英も打倒できる。日ソ不可侵条約を結んでいるから、ソ連は参戦してこない。
日露戦争においてアジア人国家が初めて白人国家に対して勝利するという強烈な成功体験。

結果、敗戦。

つくづく組織というものは大きくなればなるほど、動きが鈍くなり、軌道修正が難しいものだと思い知らされる。それとともに歴史から学べることはとても大きいと気づかされる。

失敗から何を学ぶか。また直感や、閃きというものも重要だと思うがそれが何に基づいているものなのかということは常に自問していきたい。それがひいては自分に対しても自分が所属する組織に対しても、発展につながっていくように思う。

投稿者 amigostation2 日時 2018年8月30日


巨船は急に方向転換できない。歴史から学びを得たければ、流れをつかむことだ。
その点で、昭和16年に焦点をあてた本書のみではミスリードの恐れが大いにある。だから、著者や推薦者は読者に考える糸口を与えるという意図がある前提で話を進める。


本書は生産力も加味した日米の国力比較をしているが、僅差ではなく、圧倒的な差があったわけだ。国家の中枢にかかわる人間なら少し考えればわざわざ精緻な比較をするまでもない。間違えるはずのない判断だ。
では、なぜ現実(開戦すれば高い確率で日本は敗北)を踏まえた冷静な判断ではなく、戦わずに現状維持して確実に敗北するよりもわずかな勝利の可能性(その割には終戦計画が杜撰すぎた)に賭けて開戦したのか。
昭和16年に描かれた政治シナリオの内、最悪のものは、対米戦争回避をきっかけに過去の二・二六事件のようなクーデターや内戦で国内や海外の植民地が混乱するといった類のものだと思う。
天皇と宮中側近は、そのような国家運営がコントロールできなくなる事態の回避のため、外交戦で追いつめられた日本は王手(ハルノート)を打たれ一か八かのギャンブルに出た、というシナリオで不本意ながら妥協したように見える。
東條で対米戦争回避できないなら他に適任者がいるのか、と判断したのだろう。
アメリカ側もフランス降伏に続いてイギリスも危ぶまれる状況のなかでは強硬論が優勢(世論は参戦反対)でドイツの同盟国日本と妥協点を見いだす動機が薄かった。
著者は、日本の誤りを止められたとしたら昭和16年ではなく、もっと前だと言いたいのではないか。


ここで日露戦争に「勝った」と言いはじめた頃からの流れをふり返りたい。
賠償金を取るまで戦争する国力がないのだから引き分けと言うべきだった。現に、ロシアは賠償金が欲しければ攻めてこいとまで言ったんだ。戦費調達や航海中のバルチック艦隊への邪魔などイギリスの助けがあったからこそ、日本は(嘘でも)勝ったと公言できるんだといった現実を踏まえた冷静な意見は無視してよいという空気が出始めたのはこの頃か。
熱狂の渦の真っただの最中に、天井があるなんていう冷静な意見は馬鹿にされるだけだ。
だが、この頃は日本の国力を考えて戦争終結に動くなど、リアリストがまだ権力を握っていた。
当時の日本の指導者は列強国の恐ろしさをよく知っていた。だからこそ決して日本を植民地にさせまいと、日清戦争後にロシアの脅威拡大を必要以上に煽り臥薪嘗胆を合言葉に、さらなる軍備拡張と増税を国民に納得させようとした。
だが国民は違った。戦争は儲かる(当時の世界常識)。日清戦争の戦果を強調したマスメディアの報道を鵜呑みにし、次こそはと国家の抑圧に耐えた。
この後、日露戦争終結を仲介したアメリカから南満州鉄道の共同経営を持ちかけられて、断った。多大な犠牲を払って獲得した権益を外国と折半すれば英霊に申し訳が立たないという理屈だ。あるいは日露戦争後の日比谷焼打ち事件のような暴動を恐れたのか、とにかくリアリストの意見より自国の権益を優先した日本は、ここでアメリカからロックオンされたわけだ。
そして、第一次世界大戦中にイギリスからの派兵を断ったあげく日英同盟破棄。当時の覇権国がイギリスからアメリカに移る過程で新覇権国の詰将棋がはじまった。
このあと満州事変、国際連盟脱退、日華事変と権益保護を名目に世界からの孤立と戦争に突っ走る日本を誰も止められなかった。


時代背景も見逃せない。
アメリカはドイツに投資し、ドイツはその資本で生産活動してイギリス・フランスに賠償金を支払い、イギリス・フランスはその賠償金で第一次世界大戦の戦債をアメリカに支払うという循環がうまく回っている間はよかった。しかし、賠償金を削減するかわりに賠償金の支払いをドイツの通貨から相手国の通貨で支払うことになると、ドイツに投資された資本が一斉に引きあげ、しばらくするとアメリカの持つ戦債が不良債権化する不安からアメリカの株価が暴落し世界的な恐慌が発生した。
ヒットラーが政権獲得できたのは、近隣国ロシアの革命で共産党が政権を握り、私有財産を認めない社会が現実の脅威として恐れられる中、世界的な恐慌により右派と左派の極端な二元論に支持が偏り、中道勢力が力を失ったことが大きい。
最後には、独裁を標榜するヒットラーでも私有財産を認めない共産主義よりマシだと政治家や経済界がさじを投げたからな。
日本でも「蟹工船」に描かれた現実や五・一五事件や二・二六事件のような国家体制を揺るがす大事件も起き、ロシア革命を成功させた若い世代に決して権力を渡してはならないという判断が働いたのだろう。特高や憲兵やらが共産主義者を徹底弾圧し治安維持能力に問題はなく、国家として徳川幕府のような末期的症状には至っていなかった。
世界で起きた革命の立役者は若者が多い。明治維新の立役者も若者が多かった。各藩藩主や幕閣など既得権益層は自己保身に走り、革命には逆行した。
失うものがない人たちが革命を担う。


もし昭和16年に戦争を止められたとしたら、明治維新の立役者のような抑圧された若者であり、既得権益層である政治家や軍人、官僚では変化を嫌って自己保身に走り流れを変えられなかった、だろう。
軍の実権を握る官僚に、戦わざるうちに自らの敗北を悟り、これを認め、公言する勇気はなかった(自らの立場を危うくする発言はしないし、それができるのは権力闘争が必要ない者)。
そして、近衛内閣は戦争に自信がないと言って政権を投げだし、天皇から対米戦争回避を託された東條内閣も力及ばず期待に沿えなかった。

また、それまでの戦争と違い、近代兵器による帝国主義のぶつかり合いが第一次世界大戦の多大な犠牲を生んだことへの反省から、世界の潮流は植民地を支配する帝国主義から、民族自決や民主主義、社会主義、共産主義などポスト帝国主義を模索していた。
それに対し、日本は第一次世界大戦で獲得した利権が損失を大きく上回ったため反省ではなく、国家総力戦への備えを名目に国際的な孤立と引き換えに植民地の権益にこだわり続けた。
その結果、ついにリアリストが権力を握る事はなく無残な敗戦を喫してしまった。


ここで「人口圧力」について述べたい。
個人的な印象だが、戦争で生き残った人たちの手記を読むと
「継ぐべき田畑がない農家の次男坊以下の男は、どこかの工場に勤めるか、町の商店の丁稚や奉公人になるか、さもなければ軍隊に入るのが普通だった。田畑を求めてブラジルなど海外に移住する手もあったが農業があまり好きではなかったので海軍に入った。
日本全体では大きな工場もぽつぽつ増えていたのかもしれないが、オレのまわりの工場といえばほとんどが製糸工場で規模も零細かつ薄給。将来性が見こめるところなどはっきり言って皆無だった。あったとしても、オレのようなこまっしゃくれたガキなんかよりも、素直で勤勉な優等生はわんさかいたから採用されなかっただろう。
行くあてのない者の多くが軍隊に入ること自体、当時の日本が日本はまだまだ農業国でまだまだ貧しかったことの証左ではなかろうか」
といった記述が多いように感じていたが、実際の人口でいうと明治初期の3300万人から1920年ぐらいまで日本の人口は増え続けていた(ほぼ倍増)。
実際、ハワイやブラジルなど日本人が移民として海外への移住や台湾や満州など日本人が海外へ進出した例は多い。
ピサロやコルテスが南アメリカ大陸に進出したのも当時のヨーロッパの人口圧力が高かったのが理由の一つだ。
戦国時代でも、応仁の乱以降、天下統一まで戦国大名が日本中で合戦できたのは、当時は戦で次々と死んでも十分補充されたからであり、この観点から、秀吉の天下統一以降は人口圧力のはけ口がなくなったため朝鮮出兵したと見ることができる。
つまり、信長が本能寺で死ななかったとしても朝鮮出兵はあり得ただろうし、同じ論法で、戦争や植民地としてではなくても、日本の海外進出は止められなかったかもしれない。
なぜ日本軍は人命や食料などの補給を軽視したのかという問いには、当時の人口圧力が高かったのも一因だと思うが、このあたりを追求した書籍を課題図書などで挙げていただけたらと思う。


ここからは過ちを繰り返さない観点で述べたい。
もし日本がアメリカ相手の戦争を回避できたとしたら、日英同盟は必須であっただろう。アメリカであってもイギリスの同盟国にケンカは売れない。
実際、アメリカの圧力で日英同盟は更新されなかった。現代においても、国際的な孤立を回避し握手する相手への協力とケンカする相手を間違えてはいけない。ただし、新覇権国アメリカの東アジア進出圧力は非常に高いだろうから、リアリストを冷遇する軍部が主導する日本は遅かれ早かれアメリカと戦争していたか、NATOのような形で駐留(実質的に占領)していたと思う。
また、満州事変後の後処理も問題だ。結局、現地駐留軍幹部と出先機関の武力行使をサポートする陸軍中央の幕僚を更送する前に内閣は総辞職した。ここで内閣が軍を粛清していたら、五・一五事件や二・二六事件、その後の軍人の暴走もなかったかもしれない。
とはいえ、軍の指揮権を天皇が持ち内閣は間接的にしか持たない明治憲法では、軍人の暴走は時間の問題だった気もする。
組織の指揮命令系統とけじめは重要だと痛感する。
そして軍が暴走する報道を快進撃としてとらえた国民も反省する方向性が違うような気がする。
生き残った人たちの話や手記、写真などで戦争の悲惨さを知る機会は多いと思うが、戦争を起こさないためにはどうすればいいかを考える機会が少ない。
その観点からマスメディアに煽られず、時代の流れや他人の意見に踊らされず、自分の頭で考える習慣をつける必要があると思う。マスメディアの自制には期待できない。許認可事業である彼等は基本的に政府のいいなりだから、報道を鵜呑みにしないことだ。トランプ大統領のツイッター発言は問題視されているが、メディアの情報操作の機会を排除している観点では評価できる。
今さら感はあるが、軍はなぜリアリストを冷遇したかも深掘りしておきたい。アメリカなんかと戦えるわけがないと言った軍人は大勢いたのに彼らはなぜ軍中央から遠ざけられたのか、それはいつ頃からはじまったのか、第二次世界大戦は不可避と判断し資源獲得のため満州を確保するところまでは軍人の判断もよかったが、日本の国力と他国の国力の比較評価や友好国と敵対国の判断は都合のいい数字を出して事なかれ主義ですませ現実を直視しない組織体質に変わったのはいつ頃からか(この課題図書で読者に考えさせたかったのはこの点のような気がしてきた)。
戦後はあいつが悪い、こいつも悪い、何もかも軍部が悪いで片づけてしまっているが、権限拡大を図った官僚や利益重視の経済界はその影にうまく隠れた気がする。
革命という点においては、問題の多かった制度、組織を一掃し社会の構造改革ができたのは戦争に敗けたおかげ、と言える。
戦争に敗けてなかったら、共産党が支配する中国のような国家であったと思うとぞっとする。


ふり返れば、当初から重工業中心の経済運営を図り鉄鋼製品や鉄道など高付加価値品(高利益)の輸出の主導権を握ったドイツ(産業革命の出遅れ組)と、綿花や砂糖など農産物を加工して輸出する軽工業中心の産業構造を改革できず輸入超過が解消しなかったイギリス・フランス(産業革命の先頭組)の近隣国同士の衝突は不可避であっただろうし、
第一次世界大戦後の経済的混乱から脱却するためアウトバーンに代表される大規模公共投資による需要創出で経済復興を主導したナチスも、数年後の国債の償還に窮し他国を侵略して財産を収奪するしかなかった。
つまり、大きな時代の流れとして一度目の大戦は植民地主義国家が衝突する従来の流れの中で自然発生し、その後の経済的混乱を収束させるためには景気対策として巨大な戦時需要が不可欠で第二次世界大戦は不可避と言った昭和の軍人の世界情勢分析だけは正しかった。
(この先入観も対米開戦理由の一つだと思う)
そして、日本との戦争のため国内生産を急速に軍需にシフトしたアメリカは、冷戦時の軍拡競争をはじめ大戦後も軍需を必要とする経済運営からいまだに脱却できていない。
各国が軍需に頼る経済体質から脱却しない限り、今後も戦争は続くと予想できるし、軍需に頼る経済運営の危険性を国民が認識し経済体質を転換できれば、戦争は減らせるだろう。
そういった意味で、武器輸出三原則を撤廃し改憲を主張する安部政権の「やりすぎ」の止め役が必要ではないか。
人類は、二度の大戦を経験し多大な犠牲を払ってようやく、暴力的な手段と圧政による先住民の犠牲において本国の利益を図り自国勢力範囲の拡大を目指す植民地主義のおろかさに気づき、領土の不拡大、民族自決、自由貿易、国際的な経済協力、公海の自由、武力行使の放棄と安全保障システムの確立の重要性を認識できたのであり、
寄せては引く波のようなうねりはあれども大きな時代の流れは戦争回避に向かっていると言える。
地球を猿の惑星にしないためにも、軍需産業の縮小が必要で、身近な事であれば政治的なバランスを意識した投票をしたいと思う。
それでも、時代は時計の針のように、同じところをぐるぐる回っているようなものだと思う。自らの立ち位置からしか物事を考えていないような「アメリカ・ファースト」を標榜し、世界各地で紛争の種をまく大統領を見ていると、再び戦争が求められる時代が巡ってくる。
それは、以前の軍事的な争いとは姿形を変えたものかもしれない。
幕末から明治時代に日本が奇跡的な発展をなしえたのは、政治経済や陸海軍の指導層の共有認識として列強国の支配を受けないという意思で一致団結していたからであり、
その共通認識と一致団結が薄れた日露戦争以降は、大正デモクラシーと軍縮の流れにおいて日英同盟破棄や、大不況を前に政治指導層が対応を誤ったり(金解禁)党利党略で権力闘争に明け暮れ損得勘定ばかりで大所高所に立とうとしない政党政治に国民をはじめ天皇や宮中側近さえも不信感がより強まるなか、それに代わる受け皿として国民からの絶大な期待を背景に軍人や官僚が抜け目なく権力を掌握し国家総戦力への備え(満州国など)を強引に押し進めた日本は、なし崩し的に戦争の泥沼にはまりその結果自滅したと言える。
カラー戦略のようなビジョンを描けるアメリカに挑戦できる国家体制ではなかっただろう。ただ、外国から見れば、日本人を一致団結させると恐ろしいという感想を持っているのではないか。
また、政治的な中道勢力が支持を失い極論が力を持つととんでもない事態につながることは、現在のヨーロッパにおける移民問題においても同様であり、日本も注意すべきだと思う。
社会と経済の安定が世界平和の源泉という点では、格差社会より一億総中流。

投稿者 motsu44 日時 2018年8月30日


私の大好きな作家である浅田次郎氏の小説、シェラザードの中で戦時中に誤爆との理由でアメリカ軍から撃沈された弥勒丸を引き上げる話をしているシーンがある。その登場人物の一人があの戦争は、昭和16年の夏に負けることがわかっていたのだというセリフが出てくる。なぜ負けるとわかっていた戦争を日本はしたのであろうか?その謎は今回の猪瀬直樹氏の著作、2016年夏の敗戦で客観的にドキュメンタリー仕立てで詳細に述べてあったことに驚愕した。なぜ負けるとわかっていた戦争をしたのか?なぜ陸軍の暴走を可能にしたのか?我々が当時のことを批判することは結果論から簡単にできるが、敗戦の恩恵をうけて育った我々は当時のことを学ばなければと真摯に思った次第である。
では、なぜ負けるとわかっていた戦争を行ってしまったかということに対する原因分析に入ってみたいと思う。原因として挙げられることは多くあるのだが、まず日本人と西欧人の思考法の違いがあるであろう。西欧人のシステム的な思考法を日本人は苦手としている部分が多々ある。現に当時の各省庁の若手実務家のレベルでのシュミレーションでは、客観的にいまでゆうファシリテーションの手法を使った活発な議論がされて絶対に勝利するわけがないとの結論がなされた。閣僚はシステム思考に対する理解力がなかったからではないかとのいうことが原因のひとつではないだろうか?
実務家レベルではシステム的な思考法がなされたのに、当時の閣僚レベル、そして東條内閣ではこのような思考法での結論を無視してしまった。そして大本営会議で戦争が決定されてしまうことになるのだが、この最大の原因は、陸軍の文化に根付いていた大和魂があったらなんとでもなるとの間違った考えにあったことは言うまでももないだろう。
このことは当時のマスゴミにおどらされていた国民にも責任はあるかもしれないが、やはり物資の不足もなんとかなるとの感情論で結論を導いてしまったことにつきるだろう。
感情と原因究明は別問題であることは言うまでもなく、しょうおん先生のメルマガにもかなりこのことは解説されている。
現在の会社でも時々、特にブラック企業といわれる会社では、昭和の体育会的な気合で勝てるとの何の根拠もない風潮がある。いまだに日大アメフト部やボクシング協会の問題など日本人に深く根ざした問題がこのころから改善されていないことには閉口させられてしまう。次の原因として挙げられることは、この事も思考法の一つの問題でもあるが、外務大臣の松岡外交の失敗で日露不可侵条約を結んだことや日本の満州撤退にかかわる失敗など、大局的にみる人間が最高責任者ではなかったことである。いまでも続く外交下手にかんすることにも関係はしてくるが、日本人は、なぜ大局的にみて最善の手をうつことができないのか?そういう人材が育たない原因は自由がなかったことにつきるのではないだろうか。その人材がこの時期の日本の中枢にいなかったことは、最終的には運というものが日本になかったことなるが、やはり国の繁栄等について考えるとや宗教も関係してくる。この当時の信教の自由は認められなかった神札を全宗教施設が奉るように強制されていた。運をひらくための方法に選択肢がなかった。また言論の自由など現在の日本国憲法で制定されていることが当時なかったため人材が育たなかったともいえる。自由や多様性のないところに繁栄はないことは、もちろん歴史が証明している。自由はフランクリンの良書でもある「夜と霧」の中でも人間が生きていく上での必要不可欠なものである。多様な意見、集合知はというものは、現代企業経営でも絶対に必要なように国の経営にも必要といえるだろう。
今回の課題図書を読ませてもらって考えさせられることは多数あるが、企業も国家もヒト、モノ、カネをどう獲得できるか、その中でも人材をどう育てていくかが繁栄の鍵だということを再認識させられた。そして私自身が有用人材になるために必要なことの一つは、読書であるとこはいまさらいうことでもない。
猪瀬氏と勝間氏の本書の巻末の対談の中でも、歴史を学ぶ重要性が述べられているように、私自身も、せっかく速読セミナー等受講して、1年間で150冊を読めるようになっったので、良書リストに掲載されている本はもちろん歴史小説に重点を置いて、今後もより多くの良書を読み進め、自身の血肉にしていきたいと決意した。

投稿者 ktera1123 日時 2018年8月30日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

「わかっていても"勢い"に押し流されて行くしかない(P246)」この一文が当時の日本を象徴しているように思える。現在は、いわゆる「マスコミ」以外にもSNS等でウソかマコトかはわからないが、ある一方向から見た視点以外の情報も流れてくるが、それが真実かデマかどうかは、過去を学んだものしかわからない。人は歴史から学ばないものなのだろうか。歴史を暗記するのではなく学んだもののうち、過去の教訓を活かしたものが成長していくのかと、著者と推薦文を書いた人の行動の結果をみてある意味、皮肉がきいているように思いました。

結局は、孫悟空が釈迦の手のひらで踊らさらていただけに過ぎなかったこととおなじではないのでしょうか。

投稿者 H.J 日時 2018年8月31日


「空気」
本書を語る上で、この言葉が鍵になるだろう。
そう思った理由は次の2点である。

1.戦争を避けれなかった「空気」
巻末特別対談で勝間さんも言っているが、「空気」によって物事が決まっている事はとても恐ろしい事だ。
その空気は本書を読んでいるだけで伝わってくるのだから、現場にいたら、総力戦研究所の判断を正しいと思っていたとしても、とても「戦争出来ない」なんて言い出せないだろう。
それこそ、274ページで著者の言う様に命を狙われかねない。
世論によって空気が出来上がり、感情によってテロが許される時代の怖さである。
また、組織間の対立もあったり、日本人の組織体質は変わらないんだなぁと思った次第。

そもそも、なぜ「空気」が開戦に向かっていたのか?
第一として、日清戦争や日露戦争での勝利があるのではないか。
スポーツで言うと、ジャイアントキリング。
人の命が懸かってる以上、とても気持ち良いとは言えないが、ジャイアントキリングに似た興奮はあったであろう。
敗北を経験してないから、「また勝てる!」という空気があった様に感じる。
特にそれを経験してきた軍部上部にとっては、その記憶と興奮が残っていたのだから、そういう空気になるのは至極当然の事だ。

逆に若い人が中心の総力戦研究所の模擬内閣は、そういった経験がないからこそ、具体的な「敗北」の結論を出しているわけだが、
軍国主義の当時、国民も巻き込んだ空気を変えるには、とても難しい状況であったのだろう。

具体的に出された「敗北の結論」を、抽象的な「空気」が勝る。
冷静に考えると考えるほど、本当に恐ろしいことだ。

さらに恐ろしいのは、今の日本でも他人事ではない事だ。
大企業の不祥事や低迷は、まさにこの「空気」によって作られたものだろう。
上の言う事が正とする「空気」に、「ノー」と言えば、自分が痛い目にあう。
上の言う事が正しい判断であれば、問題はないだろうが、上の成功体験(勝利)を基にした判断であるところが怖いところだ。
時代背景が変わっても、通用するものとしないものがあるのに、
なぜ、同じ方法で成功すると思うのか、不思議なところである。

勝者も一歩間違えれば、敗者になりうる。
勝負の世界では、勝ちも負けも隣り合わせであり、表と裏でもある。
勝負する以上、どちらに転ぶ確率があるのに、調子が良い時に負ける事を考えられないのは、なぜだろうか。
調子が良い時ほど、初心に返る必要があるだろう。

ここから得られる教訓は、
勝利(成功)に満足しているだけでは、人間としての成長はない。ということだ。
勝利を振り返って、何を得られるか。何を応用できるか。
まさに、「勝って兜の緒を締めよ」である。
現代社会でも、同じ事が言えるのではないか。


2.戦後の「空気」
「空気」の怖さは、国民(民間人)にも感じた。
東條英機の孫に対する態度を始めとした、戦犯に対する態度だ。
勧善懲悪という大義名分の下に誰か特定の敵を作って、多数派に群がって叩く「空気」。
その敵の身近な人も敵と見なす「空気」
読んでいて、とても気分の悪いものであった。

とは言え、批判ばかり出来ないのも事実だ。
なぜなら、自分が戦争によって、大切な人を失った立場だったら?
と考えると、怒りをぶつけてないとは言えないからだ。

私もその場にいて「空気」に触れていたら。
と思うとゾっとする。

たらればの話になるが、万が一、日本が戦争で勝っていたら、東條英機は英雄になっていたであろう。
なのに、日本の教科書では、完全悪としての印象を付けられている。
勝てば英雄、負ければ戦争犯罪者。
勝利も敗北も隣り合わせである。そして、後々の扱いを考えると正反対。

戦争でいうと、生と死、勝利と敗北、英雄と犯罪者。
どっちに転ぶ可能性もある怖さを実感した。

それならば、なぜ日本はアメリカの分析をしなかったのだろうか?
本書に書かれている事も日本側の分析のみだ。
なぜ相手であるアメリカの分析を怠っていたのか。
不思議である。
なぜ軍部上部は負けるというシミュレーションを知りながらも、「相手を知る」という戦で基本的な事を疎かにしたのか。
不思議である。

これを「精神論」の一言で片付けられるのであれば、あまりに言葉が出ない。


そして、ここから出される結論は


「精神論」や「空気」と言った抽象的なものに流されて、大切な事を見失ってしまった。


ということだ。


これは、現代の日本でも見られる光景だ。
戦争は無くとも、違う形で同じ悲劇が起こりえる。

だからこそ、「こんな事あったんだ〜」と思うだけではダメだ。
先人達が残してくれた教訓を自分に落とし込む事が大切だ。
歴史は先人達が残してくれた財産だ。
同じ失敗を繰り返さぬ様、私も胸に刻もうと思う。

投稿者 masa3843 日時 2018年8月31日


本書を読んで最初に痛感したことは、自分が戦後アメリカによって作られた先入観で凝り固まっていたという事実です。
『教科書を含めて、あの戦争は「軍部の独走」として片付けられ、国民はすべて被害者であった。悪いのは一握りの軍国主義者、という図式ができあがったのである。』(P215)
私自身も、この図式を盲目的に信じ込んでいました。

しかし本書では、軍国主義者の権化と思い込んでいた東條英機も、日米開戦を回避したい天皇の意図を汲み、天皇への強い忠誠心から総理大臣として戦争を避けるべく奔走しています。

しょ~おん塾では、常識を疑うことや読書によって知識を身に着けることの重要性を繰り返し説いていますが、改めて先入観の恐ろしさと世の中の常識がいかに作られたものであるか実感しました。

さて、本書のメインテーマである
●なぜ日本は大国アメリカ相手に無謀な戦争を起こしたのか
という点についてです。

この問いは、言い方を変えれば、
●総力戦研究所と実際の内閣で異なった判断をしたのはなぜか
●当時の閣僚は、大国アメリカと戦争をやって本当に勝てると信じていたのか
という問いに分解できると思います。

私が本書を読んで感じたのは、政府側の閣僚達は、日米戦が日本必敗の結果になるであろうことに気付いていたのでは、ということです。
それは、総力戦研究所における模擬内閣の結論を聞く東條英機の様子から分かります。研究生もその事実に気付いていました。
戦えば敗けることは分かっていた。それでも、開戦を決断するしかなかった。

では、必敗の戦争を始めた理由は何だったのでしょうか。
理由は大きく2つあると思います。

それは、意思決定構造と同調圧力です。

1点目の意思決定構造の欠陥については、本書で繰り返し語られています。
天皇の下に国務と統帥が二元化された特殊な構造では、統帥が国家を戦争に指向する事を抑制する機関を欠いており、内閣総理大臣でも統帥をコントロールすることは不可能でした。
これは、軍部独走の構造的素地が憲法にあるため、ある意味では誰にもどうすることもできない制度上の欠陥です。

そして2点目の同調圧力。これは、現代の日本でもあらゆる組織で、あらゆる業界で存在する日本特有の病魔です。
巻末の勝間氏との対談の中で著者は、犬養毅首相を暗殺した青年将校が、国民から助命嘆願の声があがって死刑になっていないという事実について触れ、このような世論の中では損得勘定で客観的に戦争を語れる空気ではなかった、と述べています。

当時、冷静に対米戦争についてシミュレーションを行い、戦争反対の声を上げることは、文字通り命懸けだったということです。
こんなに恐ろしいことがあるでしょうか。
世論や軍部に反する意見を言うと、殺されてしまうのです。
現代を生きる私には、うまく想像することすらできません。

ただ1つだけ言えるのは、たとえ正しいことだと分かっていたとしても、殺されることまで覚悟して、正しいことを判断し実行できるような人間がどれほどいるのでしょうか。
どんなリスクを負ったとしても、命まで懸けることなどあり得ない現代日本を生きる私達に、当時誤った判断をした閣僚達を責めることなどできないのかもしれません。

強すぎる同調圧力に晒され、それでも「正しいこと」をしたいと願う場合、私達はどうすればよいのでしょうか。

先日、Twitterでとても興味深い記事を見つけました。
それは、作家・演出家の鴻上尚史氏が読者からの相談に答えるという記事です。
相談内容は、「帰国子女の娘が、個性的な洋服が原因でクラスで浮いた存在になって悩んでいる」というもの。
これに対する鴻上氏の回答が秀逸でした。要点をまとめると以下の2点です。
・「同調圧力の強さ」と「自尊意識の低さ」は日本の病であり、この娘さんが直面しているのは日本そのもの
・戦おうとしているのが日本そのものであることを認識した上で、戦略的に戦うことが重要

アドバイスをする人間が、同調圧力がある組織の外側から「どんな服装でもそれは個人の自由なのだから、周囲に合わせる必要なんてない」と言うことは簡単です。言っていることは正しいでしょう。
ですが、強い同調圧力の中で「正しいこと」ができずに苦悩しているのです。時速140kmのボールを投げられずに悩んでいる高校球児に、時速140kmでボールを投げればいいんだよ、とアドバイスをするようなものです。
組織にある同調圧力を認めた上で、内部で戦う方法を考えなければいけないのです。

軍部と世論が開戦に向けて突き進もうとしていた昭和16年当時の日本。
総力戦研究所の若き精鋭たちは、同調圧力とは無縁の組織にいたからこそ、正しい結論を導くことができたのだと思います。

考えなければいけなかったのは、同調圧力が強い組織の中で、正しい結論をどう実行するかという、「How」の部分だったのではないでしょうか。

私も仕事をする上ではいつもこの問題に直面します。人によっては、社内政治に関わりたくないと言ってそういったことを無視する人もいます。
しかしながら、どんなに正しいことでも、実行できなければ「絵に描いた餅」でしかありません。
日々の仕事の中で、思い描いた「正しいこと」を実行する方法について、懸命に考えてみたいと思います。

今月も素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございました。

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投稿者 kawa5emon 日時 2018年8月31日


書評 昭和16年夏の敗戦 猪瀬 直樹 著

 8月の課題図書、戦争モノシリーズは毎回学ぶことが本当に多い。
そもそも選書が素晴らしいのもあるが、毎回頭の回転が止まらないループに入る。
それだけ戦争というものが生み出す物語が壮大で、人間のあらゆる側面が凝縮、
そして露わになる活動だからであろう。
 二度と先の大戦のような悲劇は繰り返さない。そのための検証はもちろんであるが、
ビジネス展開や生き方等、平和な世の中でも使えるエッセンスが満載である。

 さて今回の書評では先月書評と同じく、自身の仕事に何が活かせるか?を基点に思考した。
切り口を先に述べると、人称視点、組織論視点、ビジネス視点の3点である。


 まずは人称視点から。
この視点からの切り口に思い立ったのは、良書リスト内に著者で登場の石原明氏、
「すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、で考える。」を、
丁度読み進めていたからである。

 第二次世界大戦での敗戦理由の一つは、首脳部(軍関係者だけでなく内閣側も)が、
国家視点での思考、決断が行えなかったいう点に議論の余地はないであろう。
 当時の各組織の上層部は、所属所帯の存続視点で当時の国家戦略運営を進めた。
結果、省益とそれぞれの利害調整が最終決断要因となり、日米開戦を止められなかった。
 これは結局、自分視点、自分の所属する組織体存続視点が抜けず、無視できず、
石原氏著書でいうところの「問題の中に自分を入れない。他人事として考える。」という視点が、
欠如していたからであろう。問題の中に自分も居た結果、国益視点に比重が移らなかった。

 それを証明するかのように、総力戦研究所は国家視点での思考、
シミュレーションを繰り返し、「日米戦日本必敗」の結論に至った。
これは自分を問題の外に置けたことで、いい意味で状況判断を他人事に出来たからと考える。

 どのレイヤーで物事を判断すべきか、またその際に必要となる人称条件は?
自身のプロジェクト運営も海外事業拡大に際し、会社トップからの視点で物事を思考、
推進すべしと思いを新たに出来た。


 次に組織論視点である。日米開戦如何の結論段階に於ける違いが、何故発生したのか?
組織論的切り口からの自身の考察は、しがらみの有無である。

 現在所属する会社の意思決定プロセスも例外はなく、各上長は自部署が不利になるような
意識決定はなかなか行わない。いや行いにくい。
当然といえば当然だが(従業員及びその家族などの生活を背負っているため)、
それが、判断領域(レイヤー)が変わった時、特に上位概念になった際に障害に成り得る。
 会社組織では、部署のメリットがそのまま会社のメリットになるかというとそうとは言えない。
会社の目指すゴールによっては、既存部署のメリットが会社成長の足枷になる場合もある。
 初の本社勤務、プロジェクトリーダーとして、各部門長と打合せの機会に恵まれているが、
当時の首脳部が演じた、省益のぶつかり合い、責任の擦り付け合いは想像以上に多い。
 
 つまりここで言いたいことは、会社の中長期的将来、又は新規事業企画等の際は、
しがらみのない組織体、既存ライン業務に引っ張られない形での組織体が必要ということである。
 現に本書ではしがらみのない組織体、総力戦研究所が、客観的で現実的な思考と結論を得た。

 有難い事に、自身の立場又プロジェクトも、どの部署とも組織図上、しがらみは無い。
悪く言えば、宙ぶらりん組織体だが、現社長の当プロジェクトへの想いは、
しがらみの無い自由な発想起案にあるはずである。この立ち位置を利用しない手はない。
そもそものあるべき姿は何か?しがらみに縛られない視点での思考、決断、実行を意識したい。


 最後にビジネス視点である。本当に戦争活動は、ビジネス活動へのヒント満載である。
今回の著書でその思考に一層自信を深めたが、戦争にもビジネスにも客観的思考が必須である。
ここでいう客観的思考とは、0or1(数値化)思考である。
しょーおん塾視点では、左脳領域、論理領域、数字の世界である。

 この切り口に於いても、当時の首脳部と総力戦研究所は見事な対比を見せている。
前者は数値化思考が必要な領域で、決断を数値化できない要因で成してしまった。更に、
客観的数字(特に石油需要バランス試算表)を違う目的(国益視点ではなく省益視点)で使った。
後者は真逆で、嘘を付かない数字で現実的な結論を導き出した。数字を正しく活用した。

 数字の取扱いを間違うと現実世界では勝てない。勝てるストーリーを明確には描けない。
戦争は現実の世界で起こる事象。ビジネスも然り。
 そこに大和魂や、十万の英霊に申し訳ない等、違う領域の判断軸を持ってきてはいけないと、
再認識出来た。(所属会社でも同様の精神論を振りかざす社員がいることは言わずもがな)


 最後の最後にもう一つ、本書から学んだ、いや猛省したことがある。
それは、総力戦研究所メンバーの情報量の多さ、広さ、質である。
30代中盤で今の自分よりも若手だが、持っている情報の量と質が全然違う。
国家レベルでの議論に普通に入っている。今の自分に出来るか?相当な確率で負けが見える。
猛省だけである。全くの勉強不足だ。積み重ねてきたモノ、生き様の違いを見せつけられた。
本書に出会って良かった。勉強します。


今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者 ishiaki 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

第二次世界大戦の開戦前、日本国中からよりすぐりで選ばれた者たちが
入っていた総力戦研究所という組織があったのには驚きました

また、そのメンバーが出した結論が「日本必敗」とのこと

にも関わらず政府は無謀な戦争に突入してしまい
本を読んでいるときはなんで止めないんだろうと感じましたが
会議で本音を言えない「空気を読まざるを得ない雰囲気」の中に自分がいたら
私自身も止められいだろうかという気持ちが湧きました

また、組織間で対立してお互い協力しないなど
現在の時代でも起こりやすい問題がこの時代からあったのだなと感じました

物事を決めるとき会社の上層部の方だけで話し合うと
狭い範囲の凝り固まった議論しか出来ないのに対して
柔軟な思考を取り入れたら正しい結果が得られたという
「日本必敗」なような気がしました。

投稿者 audreym0304 日時 2018年8月31日


感想 昭和16年の敗戦

 歴史に「たられば」はないし、いくら語っても過去には戻れない。本書に関しては、あの戦争がなければ、沖縄戦も東京大空襲も広島長崎の原爆も特攻隊も人間魚雷も全部なかったじゃないか、と思わざるを得ない。
また、歴史を過去の出来事として振り返って、問題点や失敗点を導くことはできても、未来を見据えて結論を出すことは、実際の結果とは乖離があると思っていた。しかし、太平洋戦争が始まる前に既に、日本人は「敗戦」という未来を見ることに成功していることに驚いた。しかも、その予測した未来と実際に起こったことは寸分たがわずに起こっているのだから。

 今まで見聞きしていた太平洋戦争関連の話は一般兵士として出撃した男性、もしくは国内で出征した夫や兄弟の無事を祈る女性たちの経験談が主だった。そこでは表立っての戦争反対や、徴兵逃れをすると「非国民」と言われ、村八分にあったり、時には命を落としたりしていたことは知られている。多くの犠牲者と思われる一般の国民が徐々に持つことになった意思こそが実は戦争に突入した原動力であったように本書から感じることができる。ラジオや新聞と言ったメディアが満州国を良く話すなどのプロパガンダと同様に国民の意思形成に徐々に刷り込みをしていった結果、「戦争をすべし」という結論が先に出来上がっていて、その結論に対してただ突き進むしかなかったのだろう。国民も知らず知らずのうち、熱に浮かされるように総意の元に総力戦に突き進んだのかもしれない。

 ここで疑問に思ったのが、真珠湾攻撃をする前に「敗戦」という予測が出ていたことは国民に知られていたのだろうか?
たぶん知られていないだろう。
では、「敗戦」という結果を論理的に国民に知らせていた場合、日本はアメリカを相手取った無謀な戦争につきすすまなかっただろうか?
 実際に軍部の中でもドイツ派と英米有識派で意見は開戦に関する意見は分かれていたと聞いているし、本書を読む限りは無謀な戦争というのは軍部の中でももしかしたら共通認識であったんじゃないかとも思う。開戦に向けて示された石油の備蓄に関する数字が明らかにつじつまあわせであることから見ても

それでも、なぜ止められなかったのか

と思わざるを得ない。
開戦の意思決定にかかわる人々が極めて現実に近い予測から目を背け、つじつまあわせで重大な意思決定をしたのは、

開戦ありき

で全ての議論を進めたからだろう。
きっと国民さえも当時「開戦ありき」で軍部を見守り、真珠湾攻撃や初戦の快進撃を熱狂的に迎えたに違いない。

「敗戦」という予測を論理的に国民に説明したうえで、開戦を避け、満州国の維持をする決定を下したとしても、当時の日本国民が納得しなかったのではないか、と思う。
総力戦研究所でもあったような一方のみの精神力、大和魂を過剰に評価し、ヤンキー魂も相手の技術や資源に関する情報もないまま、遅かれ早かれ開戦をしてしまうのではないかと考えられる。

 無謀な戦争へ突き進んだかつての軍部の結論ありきの意思決定とつじつま合わせの数字の提示は、恐ろしいことに日本中で未だに存在している。そのまんま企業や政府の意思決定ではないか。
 すでに他の国で結論として出ている事象の導入が、十分な検討も改善の余地も回避も考慮されない(ように見える)うちに、しかも国民や社員に十分な説明もないまま決定されている。
 きっとこの意思決定の流れは良くも悪くも日本人的といわれる方法なんだと思う。日本人はこのまま同じような意思決定をしていくのだろうか?
期待をこめて「否」であってほしい。
望むと望まざるとSNSを使うことで現代は様々な情報に触れることができるのだから、十分な情報の入手を元に議論をする場所を意識的に設けることも可能だと思う。
それでも、国民の総意として、後の世で愚かで無謀だと言われる選択をしてしまった場合は、被害者や犠牲者という立場でなく、当事者の一人だったという意識を忘れずにいたいと思う。

投稿者 shinwa511 日時 2018年8月31日


“昭和16年12月対米英宣戦布告前の8月に、米国との戦争シュミレーションで日本の敗戦は既に予見されていた”それなのに、日本は戦争へ向かい現実に敗戦します。

本書「昭和16年夏の敗戦」を読んで感じたのは、なぜこの戦争シュミレーションの敗戦結果が出たのに、戦争をするという決断がされたのかということです。

読み進めていくと、開戦前の政府・軍部には戦争したら負けると言えない空気があり、中国で得た権益の維持と東南アジアへの更なる進出欲求、陸軍と海軍など政府内で所属する派閥の利権争いなど、欲望に走る人間の感情が渦巻いています。

この周囲の空気を読んで行動する同調性と、地位や利権に未練と頑固な気質を持った当時の上層部ですが、現代を生きる日本人は変わることなく、政治や社会の場でこの気質を持ち続けて行動しています。

現代の会社内でも“会議の場で誰も決断をしない”、“自分の権利や地位に執着し全員の合致点を模索し本来の目的を見失ってしまう”ということは起こる事です。

昭和16年夏の敗戦から77年たった今も、日本人は今も日本人であり、集団が働く社会の組織で働く以上、これらの問題を避けて通ることはできません。

本書を読んで、たとえ他の人と対立することになっても、感情論、希望的観測で出された回答には、「無理なものは無理です。」と自分の意見をはっきりと伝えることが、如何に大切かということを感じました。

自分の職場でも、「自分には関係ない」という無関心な気持ちを無くし、自分の決断をして、自分で考えた意見を持って行動するようにします。

投稿者 sunao929 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

総力戦研究所において、昭和16年夏の段階で、緒戦での奇襲攻撃による勝利、長期戦化、石油資源の枯渇、ソ連参戦など、歴史を振り返って見ても、開戦から敗戦までの状況を恐ろしいほど正確に予測されていたことに衝撃を覚えた。
それが、開所から4か月、日米開戦に関する検討を行って1か月ほどで導き出された予測であることに、また驚きが増す。
しかも、この事実が世に知らしめられたのが昭和58年ということで、これまで全く知らなかったことに、自戒の念を込めて、無知というのは罪であるなと感じた。

総力戦研究所で、優秀な人材による分析・検討で、集められるデータで正確な未来予測ができたものの、それが活用されなければ、何の役にも立たない。
軍部では、開戦が既定路線で、日本必敗という検討結果をもってしても、方針転換させることはできなかった。

P143「戦争すべきでないというより以前に、これはできないということを軍需省や商工省のテクノクラートなら誰でも知っていた。」とあるように、総力戦は、単に武力戦だけでなく、経済力を含めた国力の差によって決定するものであり、アメリカとの開戦に踏み切るのは、まさにふんどし担ぎが横綱に挑むようなものだった。
第2次大戦は、資源戦争であり、日本が南方進出を企図したようにドイツも石油を求めて、ソ連侵攻を行った。
石油の禁輸から開戦までの間で、生命線たる石油資源の確保について、具体的な対策・検討がなされていなかったという青年将校の感想に愕然とした。
事前の検討では、石油は、インドネシアの石油を獲得したとして3年しか持たない。それも、本土まで還送できての話で、案の定、輸送船は、アメリカの潜水艦の攻撃でほとんど撃沈され、シーレーン確保は不可能との予測が的中する。
自国の状況や敵国の実情も知らずに、不都合な情報に目を背け、無謀な戦いを挑んだ結果、完膚なきまでに叩きのめされた。

そもそも奇襲攻撃より打撃を与え、短期間のうちにできるだけ有利な形で講和に持ち込むといった相手の反撃を考えない独りよがりな構想であった。
 戦争全体の進め方や展望といった舵取り役がおらず、局所的につじつま合わせをしていった、まさに泥縄式のやり方としか思えない。
実情を知る人で、勝つ見込みがあると思っていた人はいなかったのではないだろうか。
敗ける要素は枚挙にいとまがないが、やって見なければわからないといった日露戦争など、過去の強国との戦勝体験が、軍部、国民、マスコミをして、日米開戦への止められない流れを作り、それがうねりとなって、最後まで行ってしまった。

P208「軍国主義が一転して民主主義になったとき、その転換の生贄が必要だった。その象徴に東條があてがわれた。」とのことであるが、南京大虐殺など、最前線での日本人が行ったこと、国民一人一人が所業を真摯に反省していかなければならない。開戦を前に衆議院で意見を開陳した代議士の言葉が国民の大勢の意見であったであろう。日本国民全員に責任の一端がある。

本書により東條英樹の人物像が変わって見えた。開戦に踏み切った総理大臣で、権力を集中させた独裁者的な人物かと思っていたが、天皇の忠臣たらんとするところで、自らが流れを作ってしまった日米開戦を何とか、平和を希求する天皇の意向に沿おうとむなしい努力するところなどは、こんな一面もあったのかと思った。

日本は敗戦という大きな失敗から何を学んだのか?
二度と戦争は起こしてはならないということは、当然のこととして、平和国家として世界に貢献できることはないか。

約310万人もの尊い犠牲のもとに今の平和がある。戦後73年を迎え、戦後生まれが人口の大半を占め、戦争の記憶がどんどん失われていく。
戦争の悲惨さや無残さ、非人間性に対する反省を踏まえ、平和の尊さを認識し、歴史に学び風化させないために何ができるのか。
同じ轍は踏まないように、戦争のことを知る努力と、この貴重な経験を広めるべく、若い人に伝え続ける努力と工夫をしていく。(実感を持って伝わるよう映像や戦争経験者のオーラルヒストリー(口述記録・証言)を紹介する。)
知る努力と家族と共有するようにしていこう思う平成最後の8月でした。

今回も良書を紹介していただきありがとうございました。

投稿者 diego 日時 2018年8月31日


第二次世界大戦以前と以降では、日本国内の国防の考え方が全く異なるのを知ったのは、6年ほど前。
もともとは、日本という国を列強から守りたかった、守るべきもの、大切な人たちを守りたかった、
幸せにしてあげたかったための拡大方針と思うと、その後に起こった地獄絵にぞっとする。


2年前沖縄に行った時に、ひめゆりの塔で祈りをささげた。
地下の奥は、まだ何かが渦巻いているような苦しみがあるような気がして、出入口から遠くなるほど、怖くて怖くて足がすくんだ。もう無理だと思った。
守るべきものが守れないという恐怖が造りだすものは、もっと大きな総量の恐怖を産むのかもしれないと、ふと思った。

個人は善意で純粋であっても、属する世界が恐怖を動力としているとしたら、
その創りだす世界は、その恐怖を反映する結果となっていくのかもしれない。
知の道を貫くことの困難さを感じた。個人レベルではどうしようもないのを感じた。

本書で出てくるように、知を集めてシュミレーションがなされたとしても、
それを使って後の判断をしたり、対処を考案するということがなされていないように感じた。
シュミレーションした若い世代も、総辞職を選んだ。
当たり前だ。私だって、無力だ。そう感じてしまった。
でも、本当に、それでいいのか?

ロケット、通信やコンピュータは、軍事用のそれらからの発展だったと聞く。
その話を初めて耳にしたのは小学校前。違和感がを覚えた。
もっとすごい何かが軍事に注力されていて、そのおこぼれで、世界がどんどん変わっていく。
軍事とは何なんだろう?殺し合いの事?と、ぼんやり考えていた。
軍事費の予算比率を上げることに対して、新聞の見出しが書きたてる。
本当に軍事費って、必要なんだろうか?軍事に注がれているものは、みんなが幸せになることに
使うほうが、よほど幸せなのでは?

…これがどれだけ、子供の発想だったかは、今にして理解できる。
ただ、世界の全員がこう考えていたら、どんな世の中だったのかと夢想する。
だが、実際は、そうではなかった。

本書で、ロンドンの英国紳士が日独伊三国同盟の記事を読み、隣の佐々木氏に
「お前の国は、大英帝国に宣戦布告したも同然」と話しかけたくだりがある。
確かに、感覚としては私も、佐々木氏と同じ答えで「そうは思わない」のだが、
「味方の敵は、私たちの敵」という具合に、きっちり敵味方の線引きをする考え方があり、
西側ヨーロッパはそんな判断をする国々、という話を読んだ。
契約内容を決めるのは、人はみな不可解で何をするかわからない存在だから、
互いに縛りをつけて、関係を安定させるためだそうだ。
「腹を割って話せばわかる」というのは、日本人特有の考え方らしい。
日本人の考え方のままで生き進んでいた私は、歴史が全くわかっていなかった。猛省した。

意思決定システムの言及もあった、日本特有の全員一致。
この決定の仕方は、「こうしたい」の流れが強いと
それを支える情報を選別し、不利な材料は見ないふりをしてしまう可能性が高いのではないか?
メルマガでもよく指摘がされている、感情と事実を切り離すことができない、というのでは?と感じた。
現実を見ている儀式をし、満場一致で何となくむずかしい判断をえいやっと行い、
皆で一度決めたら、それは守ろうとする。自分を封じ込めても、守っていってしまう。

皆で決めたことは守る性質はすばらしいと思っている。
だが、より大きな不幸、よりひどい惨禍を産むこともある。
そこから、その可能性から目をそむけてはいけないのだと感じた。

今属している組織、地域、国、世界、そういった大きな存在の中でしか、自分は存在できない。
自分はどこに居るのか?それはどんな道か、どんな道だったのか?
知の道を行くためには、今知の道を行くしかないが、大きな存在は知を守ろうとしているのか?

本書のシュミレーションも、機密として隠されていた。
重要なことは秘密として隠されたりするのだから(これもメルマガで指摘されています)、
深い秘密がある可能性は、いつも考えておかなくてはならなかったのだ。

そして、本書に登場してくる人々が皆、本当はどんなことを考え、思い、
行動してきたか、隠していないか、かばっていないかなども、実は全くわからないのだから、
一生かけてもすべての本当のことは理解できなのだから、
せめて、諦めず、せっかく出会った、目の前にあるものは
心を静かにしてありのまま見て、目をそむけないでいよう。

今本当は危険な場所に居るかもしれないが、戦地よりはずっと安全なはずだ。
戦地での苦しみを考えたら、今感じている痛みは、かすり傷ですらないかもしれない。


本書では、東條氏とご家族、A級戦犯についての言及もなされていた。
明確に書いてはいないが、戦前、戦中、戦後に起こった出来事に対して
哀悼を込めたのではないかと、ふと感じた。

課題図書投稿、今月で3年になりました。本当にありがとうございました。

投稿者 BruceLee 日時 2018年8月31日


本書を読んで一層分からなくなった事がある。「なぜ開戦したのか?」だ。本書にあるように「Best & Brightest」の模擬内閣により、開戦に踏み切った際のシュミレーションの結論として「日本は敗れる」とあったのに。その情報も関係者に共有されていたのに。どうも藪の中なのだ。また自分もこれまで東条が悪玉だと勘違いしていたが、彼は軍部を抑えるため首相に任命された真実を本書で知った。模擬内閣の結論も無く「この戦争に勝てる」と誰がも楽観視していたならまだ理解出来る。が、そうではなく、欧米の実力を知る人間や軍部の一部の人間も「日本は敗れる」と分かっていたのに開戦を防げなかった。それは何故なのか?

いや、待てよ。そもそもこのアプローチが間違っているのでは?こう考えるのはどうだろう。「日本は敗れる」という結論は出ていた。が、それでも避けられない戦争だった、が実態ではないか。開戦の責任者が不明確なように、戦争を食い止めたいと思っても誰にどう直訴すべきか、誰が開戦しないと決断すれば開戦せずに済むのか、当時の人たちさえ分からなかったのではないか?それ程収拾のつかない、掴み処のない暗雲に当時の日本は覆われていたのではないか?模擬内閣の面々も戦後暫く口を開こうとしなかったが、それは「分かっていたのに防げなかった無力感」に襲われるらだろう。

では、その暗雲とは何か?

一つは軍部だろう。が、それだけではあるまい。当時のマスコミも開戦を煽り、軍部の内情や欧米の実力を知らない一般国民も開戦にイケイケだった。その証拠に緒戦の勝利を国民は喝采した。我が大日本帝国は神国ゆえ欧米を恐れる必要なし、とばかりに。が、それは同時に弱気発言を許さない暗雲も生んだのではないか。結果、「神国日本に勝利アリ」という精神論が独り歩きしたのではないか。その意味で日本の全国民に「傲慢」な部分があり、その暗雲が日本国を覆った。そして「日本は敗れる」と分っていても自ら突き進む選択肢しか残さなかったのが実態ではなかろうか。

何故そんな事になったのか?布石はあった。「二・二六事件」が軍部を抑えようとする全ての人間の心中に「恐怖」という暗雲を生んだ。また東条自身口にするが「日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります」。皮肉な話だが日露戦争に勝利した事がその後の日本を狂わせた。 一方「日中開戦以来の十万の英霊に申し訳が立つのか」という発想も暗雲を生み日本の選択肢を狭めた。そして東条は模擬内閣に対し決定的なダメ出しをする。

「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでもその意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります」

「英霊に申し訳が立つのか」もそうだが、これらのセリフは全ての反論をシャットアウトする。そして実際、開戦してしまった。そう考えると現代人にとって重要なのは「なぜ開戦したのか?」を分析する以上に先の大戦をどう解釈するか、だろう。例えばあの戦争に勝っていたら?軍部は勿論、日本国民の傲慢は更に巨大化しただろう。そして遅かれ早かれよりその傲慢により更に大きな破滅を迎えたかもしれない。そして日本という国は消失してしまったかもしれない。それをあの戦争のお陰で日本国民は「傲慢はアカン!」と自覚出来た。だからこそ今日の日本の平和があると言えるのではないか。

その現代人。私は個人的に日本人は戦争が大好きな国民だと感じている。何故ならこの言葉は今日も日常的に使われるからだ。受験戦争、(ビールの)ドライ戦争、コンビニ戦争、牛丼戦争、等々。企業競争の煽り言葉としてマスコミは平気で使用する。そして国民も当事者でない限り「お手並み拝見」と遠くでその成り行きを楽しむ。つまり日本のマスコミと一般大衆のメンタリティは当時と変わらないとさえ思う。「戦争は二度と繰り返してはならない」というのであれば、「戦争」という言葉を忌み嫌っても良い筈なのに。逆に集団的自衛権や憲法改正という言葉が出ると「自分事」として過敏に反応し「戦争断固反対!」と声高に叫ぶ。一体どういう国民性なの?(含自省)

あの戦争があったから「戦争は二度と繰り返してはならない」と言えるのだ。あの戦争で大きな痛手を被ったから今の平和があるのだ。その意味では、勿論戦争は無い方が良いに決まっているが、あの戦争があって今日我々は平和を甘受しているのではなかろうか。そう考えると自然と姿勢を正してしまうのだ。避けられなかった戦争に挑み、傷付き、命を落とした多くの先人に思いを馳せながら。

合掌そして感謝。

投稿者 wasyoi 日時 2018年8月31日


#昭和16年夏の敗戦 を読んで

この本は、太平洋戦争前にあった総力戦研究所についての話ですが、そもそもこの組織の存在を今回初めて知りました。
さまざまな官庁や民間から30歳前後の若きエリートたちが集められ、教育を施されやがて模擬内閣を組閣。日本がインドシナなど南の国に石油を取りに行ったとしたら、どうなるか?という机上のシミュレーションをするわけです。その内容が『p83 16年夏、彼等が到達した彼らの内閣の結論は次のようなものだったからである。12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない。』という、衝撃の内容でした。
開戦の4ヶ月前にここまで結果を予測し、時の内閣にもきちんと報告をしているという事実。それなのになぜ戦争を?という思いがどうしてもぬぐいきれません。
そしてその後、実際に戦争に至る経緯も改めて学ぶことができます。大変勉強になりました。

今回私が学んだところは、
『p146 昭和6年の満州事変以来、戦争状態は「非日常」ではなく「平時」になっていた。出征兵士を送りモノ不足にガマンする戦争状態こそ、日常生活感覚を支配していたのである。』
日本はこのとき、すでにもう戦争状態にあった…という事がそもそも頭から欠落していました。すでに中国との戦争中だったわけですね。
どうも今の時代=平時が頭の中心にあるので、改めて指摘されてようやく認識する事ができました。
平和な世の中が急に戦争に入ったわけではなく、物資も制限されてきて、とうとう苦し紛れに戦争を期待する世論が形成されていっただろうことが想像できます。

ということは、これと比較して今のこの平和真っ只中の日本がいきなり戦争に入るということは無いということが理解ができますが、外堀がキレイに埋まって行けば、戦争をするのはもはや「当たり前の空気」となってしまいそうで怖いです。


『p190数字というものは冷酷だと、しばしば言われる。数字は客観的なものの象徴であり、願望などいっさいの主観的要求を排除した厳然たる事実の究極の姿だと信じられているからである。数字が全てを物語る、という場合、それはもはや人知を超えた真理として立ち現れている。数字は神の声となった。』
この後にあらわれる、鈴木貞一の言葉『p191 「…とにかく、僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかといえば、もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていたんだ。僕の腹の中では戦をやるという気はないんだから」』とあわせて印象的でした。
希望的観測に過ぎない数字と判っていながらも、戦争をするという空気が充満してしまっていると、戦争やむなし、ともう抵抗する事ができなくなってしまう。
日本の群集心理の危ない所が見えています。


最後に、
『p8 窪田翁が総理大臣を演じた当時、三十六歳だった。僕もいま三十六歳である。日米開戦を4ヶ月後に控えた局面で、もし、自分だったら、どういう見通しをもちえただろうか。』
個人的なことですが私も今年三十六歳になります。このタイミングでこの本に出会えたことは何か縁があるのではと感じてしまいます。
三十六歳の今年一年を、この昭和十六年の夏の彼らに負けないように、仕事に人生に力を尽くしていかなければ、と改めて感じた本でした。
一生ものの良い本に出会えました。ご紹介、ありがとうございます。

投稿者 joyfull 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

本書を読み終わって、最初の感想は3つの驚嘆でした。①「総力戦研究所」なる先進的な組織が開戦前にあったこと。②開戦前にほぼ正確に開戦後の(敗戦への)シミュレーションがなされて、当時の近衛文麿内閣に対して報告されていたこと。③それだけの情報があったにもかかわらず、開戦に至ってしまったこと。
 これらの驚嘆の後にさらに思ったことは、日本という国は、どう転んでも戦争は避けられなかった。そして、その日本人の本質は、今も変わっていないではないかと、少し恐ろしいモノでした。歴史にタラレバはありませんが、敗戦の原因追及や歴史シミュレーション小説は尽きないし、また、日本人はそういうのが好きな気がします。
 少し前に「失敗の本質」という、戦時中の作戦における失敗を分析している本があるのですが、そこで共通していえることは「目標・目的の共通認識の欠如」「バランス感覚の欠如」「責任所掌の欠如」と、分析されています。しかしふと思うと、これは戦争という特殊状況だからということで片づけてはダメで、今も日々メディアを騒がしている事件の本質も同じではないか?結局、日本人は戦争の前後で経済の仕組み、生活スタイルは変わったが、「行動原理」は変わっていないのではないか?と感じてしまいました。
 あまり考えたくはありませんが、開戦前の同じ状況におかれた時には、また同じ事を繰り返してしまうのではないかという恐怖を覚えました。
 そうならない為にどういうことをすればいいのか社会的は学校教育の変革、社会価値の転換などと壮大になり、すぐには私の手に負えないので、自分思うころでは。
①戦争歴史の勉強 : 学校の授業でも戦争の歴史は表面的にしか習わなかったので、ちゃんと史実を追って、事実と向き合う
②さまざまな価値観の認識:アメリカと日本の成り立ちの最大の違いは、「単民族国家と「多民族国家」が大きいと思う。何事もまったく価値観が違う人々が一緒に生活する為にどうしたらいいか?がスタート地点なので、当然、意思決定のプロセスも日本とは違ったものになる。日本の良さは当然あるが、思考の多様性は行動の選択肢の幅を広げるので、積極的に価値観を知識でなく感覚で覚えたい。
③日本人の本質の認識:矛盾するようだが、感性の部分の本質は変えられないし変えなくてもいいと思う。では、その感性を良い方向に生かす知識をみにつける。
以上、まとまりがない文章になってしまったが、すぐに結論を出す必要もないので、一か月ほど、頭の片隅に常に入れて、悩んでみようと思います。
 素晴らしい本との縁を頂戴しありがとうございました。

投稿者 LifeCanBeRich 日時 2018年8月31日


 本書を読み、以前テレビの討論会等で論理的で分かりやすい説明をする著者の姿を思い出した。その時も、本書も、著者の議論は一貫して、細かな事実を積み上げることで一つの真実を提示する論法である。
本書において著者が、そうして提示した一つの真実は日米開戦決定の舞台裏での出来事である。日本国の「ベスト&ブライテスト」を集めて組織された総力戦研究所が出した結論「日米戦争日本必敗」は、なぜ、どのように却下されたのか。
 知られざる東条英機の意外な一面にも驚いたが、私が著者の提示した真実の全容から気づき、最も学んだのは、昔も今も日本社会に蔓延る同調圧力の恐ろしさ、そして戦時に生きた日本人と現代の日本人の価値観の隔たりである。

 本書には、事実上の最高意思決定機関である軍部の日米開戦必須という意向に合わせて官僚たちが楽観的な見解や辻褄合わせのデータを作り出したりする場面が幾度かある。その中でも
 「これならなんとか戦争をやれそうだ、ということをみなが納得し合うために数字を並べたようなもの」(P.181)
という場面を読んだ時に、異様な既視感を覚えた。この既視感は、ひとつに先月の『林檎の樹の下で』の中で、東レという組織の中で上司の意向を知った途端、部下が自身の意思を脇に置き、上司が求める資料を作り上げる場面を読んだことから来ているのだろう。と同時に、この異様な既視感は単にそれだけでなく私自身の実体験、例えば学生時代の部活という集団内で指導者や上級生という上からの同調圧力に従った経験等からも作り出されていると思う。確かに昔も今も日本は、同調圧力の強い社会なのである。
 そして、本書では日米開戦致し方なしという軍部の意思がこの日本社会特有の同調圧力の後ろ盾を得て、結果として政府、そして日本国民も含めた全体的な意思となった様子が描かれている。
ただ、この集団内の同調圧力はマイナス面だけではなくプラス面も確かにある。その1つが集団内に規律を作り出すことで一体感が生まれ、結果として目的に向かう大きな力になることだ。そして、このプラス面がこの上ない成果を出したのが、圧倒的な不利が見込まれる中で挑んだ日清戦争と日露戦争なのだと思う。しかし、皮肉にもこの2つの戦勝体験が結果として、軍部から発せられる同調圧力を更に強くし日本国を日米開戦に進ませて行く。
 この当時の同調圧力が作り出した日米開戦必須の雰囲気は、客観的で蓋然性の非常に高い「日本必敗」という総力戦研究所の出した分析と結論を机上の空論と一蹴させる程に、軍部と政府内には蔓延っていた。ここで私は、自問したい。

 “もし、私が軍幹部で、この日米開戦必須の雰囲気の中で、「日本必敗」という分析と結論を手にした時、どういう結論を導き出しただろうかと”

 
 この問いに答えるために、エピローグの最後に書かれている終戦時そのままである東郷会館の一隅の空気感と平和そのものである竹下通りの空気感の間にある「隔たり」について私なりに考えてみたい。
 “戦争が日常”であった当時と“平和が日常”である現代の「隔たり」とは、双方の価値観の違いそのものだと思っている。“戦争が日常”であった当時の日本人の戦争に対する価値観は、戦争を内側から見たものであり
 「『戦争の後』という考え方がこの世に存在していることを初めて知って驚く」(P.145)
というほどに、当時にしてみると普通のことだったのだ。その普通さは、『大空のサムライ』で、少年時代の坂井三郎が『海軍少年航空兵募集』を見て胸を躍らし、親に内緒で応募の手紙を送っていたという話からも見て取れる。一人の少年が、死と隣り合わせになる職業に就くこと対して胸を躍らすなんてことは“平和が日常”である現代ではまずありえないだろう。
 対して“平和が日常”である現代日本人の戦争に対する価値観は、戦争を終わった事として外側から見たものである。原爆の恐ろしい威力、空襲で火の海になった東京、彼方南洋で壮絶な死を遂げた多くの日本兵などの事実を知った上で、また平和の良さを知った上に成り立った価値観なのだ。その価値観を持ち出して日米戦が無謀な戦争だったと決めつけたり、なぜ止められなかったのかと非難したりするのは、あまりにも一方的ではないだろうか。
 著者が言うように、あの当時の多くの日本人たちは戦争に勝てると信じていたし、はじめは無謀な戦争だと信じていた日本人も強力な同調圧力によって日米開戦必須という異様な空気に飲まれていったのだと思う。

 ここで、上述した問いに答える。

 もしも、その異様な空気の中で、私が総力戦研究所の分析と結果を手にしたとしても、一度は著者のように主観を排除して数字、データ、事実という客観的に、論理的に戦争回避の結論に至ったとしても、最後は当時の軍部と同じ末路に至ったのだろうと思う。

 それほどまでに、あの当時の日本社会の日常、それを包み込んでいた異様な雰囲気とそれに対する同調圧力は、現代人の想像が到底及ばないほどに強かったのではないかと思っている。

 “当時と現代の「隔たり」は果てしなく大きい”

 故に、本書のようにその「隔たり」を少しでも埋めてくれる事実や真実を教えてくれる書籍を読んだり、映画やTV特番を観たり、そして資料館や記念館に足を運んだりして当時の価値観に触れることが、現代に生きる日本人にとってこの上なく必要であり重要なのだろうと思う。

~終わり~

投稿者 toshi121 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦を」を読んで

太平洋戦争に関する書籍は過去に何冊か読んだことがあり、無謀な戦争に突入するに至った経緯などを自分なりに一定理解していたが、本書を読んで、新たに知ったことは多かった。
開戦前に総力戦研究所で若手エリートたちが集められて、シミュレーションを行っていたことは初耳だった。そして各部門を代表する若手達が、模擬内閣で議論を重ねた出した戦争の経過が実際とほぼ同じだったということに驚嘆した。また東条英機氏が、度々総力戦研究所の議論を参観し、最後にメンバーに結論を口外しないようにと発言していたということが、強く印象に残っている。
それにしても南方の石油を確保することが目的で戦争を始めながら、戦線の拡大に走り、石油の輸送船の護衛を疎かにし、肝心の石油が日本で不足するという事態に至った経緯をみると、当時の全体戦略の欠如を改めて強く感じた。
また今考えると自明の理であることが、なぜ当時政府にも、国民にも受け入れられずに、最悪の道に突き進んでしまったのかの中で、「日中開戦以来の10万の英霊に申し訳がたつのか」という反論しようのない精神論が大きかったことも改めて理解した。
歴史を学ぶということは、現在において将来へ向けてを考える上での糧となることだと思っている。そういう意味で、現在に翻って考えてみると、社会全体および自らのプライベートの両面で、戦前と類似した状況が存在することを感じる。
まず社会全体においては、世間および所属する組織で同調圧力が強く、「空気を読む」ことが賞賛され、言うべき正しいことを言うことを控える風潮がある。国レベルでは、膨張し続ける社会保障費、積みあがる国の借金、減少する人口、根強く残るアジアへの蔑視、中国の発展への無理解・無関心、日本という国の立ち位置などの重要な問題に、真剣に向き合い、耳の痛い意見に耳を傾ける人は少ない。また所属する組織のレベルでは、旧態依然の成功体験や既得権益に固執し、新たなチャレンジを批評家のような発言で妨害する人は多い。
またプライベートの面では、沁みついたサラリーマン根性、近づく定年・老後への備え、家族との関係、自らのあり方などの重たい問題への取り組みが甘く、なかなか新たな行動に踏み出せしていないという自分がいる。
いずれも、あるべき姿・真の目的は何か、そのために何を捨て何に集中するか、様々なリスクシナリオを考慮しEXITをどうするのかということを真剣に考え、自らの固定観念に合わない意見にも耳を傾けることが大事なのだと思う。
国レベル、所属組織のレベルの問題に対して、自分一人でできることは少ないが、あきらめず、声を上げ続けることを心がけていきたい。
自らのプライベートの問題については、自らでできることは多いので、戦前のように最悪シナリオに進むことがないよう、問題に向き合い、研鑽を積み重ねて、耳の痛い意見も聞き、行動していきたい。
猛暑の中、改めて77年前の夏の若きエリート達の議論に思いを馳せ、多くの気づきを得ることができた。今回も、とても良い本を読む機会を与えていただき、ありがとうございました。
以上

投稿者 kokchamp 日時 2018年8月31日


昭和16年の敗戦を読んで
毎年8月に戦争をテーマにした書籍を読み、従来の学校教育では知らなかった戦争の時代について新たな知識を得、考えさせられます。本当に自分には歴史に関する知識がなさ過ぎると痛感する1ヶ月となりました。子供が社会(日本史)の資料集をもらってくるので目を通すと、私は何も知らなかったのだとつくづく思った次第です。戦争については、まだまだ知識が少ないので、今後も今回出会った本をきっかけに様々な書籍に触れて行きたいと思います。
今年もまた、新たな知識を得ることで、いろいろと考えさせられました。今回の題材は総力戦研究所。今まで知りませんでした。そしてすでにドラマ化されているんですね。1991年に。アマゾンなどで探してもないので、どこかにあればなと思います。
この本を読むと、戦争にいたる日本という組織の意思決定過程について当時の憲法の制度的な欠陥などと合わせてかかれていて、伝統的な日本企業に勤める身としては、組織構造や意思決定、リーダーシップといった部分に注目してしまいました。
今の会社でもよく、トップ層から若手の斬新な意見を聞きたいといって、○○研究会というような勉強会的なものが立ち上がる。トップから声がかかるので、優秀な人材が全国から集められる。初回は社長も参加して、みんなやる気になって、通常の組織を超えてしがらみのない意見をまとめ、経営陣に提言する。しかし、提案内容には「素晴らしい」とか「よくやった」とか「この内容を今後の取組みに反映する」といいうようなコメントはもらうものの、提案者たちの思うような会社としての意思決定にはなかなか届かない。まさに、今回の総力戦研究所の模擬内閣が報告として近衛内閣に報告した後の、東条陸相のコメントが、本当にそのようなコメントとなっている。
私は、この報告を聞いて、内閣は本当に日本が負けると思ったのか疑問です。「若造がお勉強で考えた結果だろ。」としか思っていなかったのではないかと思うのです。
ちょっと脱線しますが、林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)というのがあり、その本で総力戦研究所は「研究所と銘打ってはいるものの、各省庁、大手民間企業のエリートを教育・訓練するのが主目的」で「陸軍省の専門研究班は、エリートとは言え素人にすぎない若手集団の研究をはるかに超えた視野と戦略で日米英戦を考えていた」のだと。
私は何が言いたいのかと言いますと、この本の著者も、総力戦研究所のメンバーをベスト&ブライテストだとは到底思っていないということです。これは陸軍の研究所のレベルが高くて、総力戦研究所のレベルが低いということではなく、日本の伝統的な組織には30代は若手と位置づけられ、意思決定権を持つ人々は60代以上で、その人たちが真剣に若手の意見を聞くのか-この部分で言う「聞く」というのは意思決定に取り入るほどの真剣さおよび柔軟性を持って聞くと言う意味-ということなんです。
 あまり熱くなっても本題から外れていくだけなので戻ります
なぜこのような素晴らしいシミュレーションがあったにもかかわらずその結果を取り入れることがなかったのか。それは、この組織構造上の位置づけが本質的に不明確で、内閣直属であっても意思決定に反映するという枠組みが明確に規定されていなかったからだと言えます。それには時間が短すぎたのかなと感じました。新しい組織に魂を入れるのには時間がかかります。組織内での自由闊達な意見交換をだすというところまでは成功したものの、組織と組織をつなぐ部分のパワーバランスが釣合っていなかったのではないかと感じます。
 次に気になったのは、憲法の意思決定における制度上の不備についてです。戦争までの過程をこのような視点で取り上げたのは新鮮でした。この時代の天皇という立場についても意思を持つものの決定権を実質的には保有していなかったという部分も考えさせられました。
 最後に、2代目所長の飯村穣(陸軍中将)のリーダーとしての存在についてです。私が感じている戦争前夜の日本において、忖度もせずこのような自由闊達な意見交換が出来、結果を導き出すことができたのはなぜか?という点です。これは彼の人柄、ここでは雰囲気が非常に大きいのではと感じました。研究所入所に際して実施したはじめての面接に始まり、講義に体育を導入してチームワークを育み、授業冒頭に1分間試問で頭の体操を取り入れ、みんな自由に意見を言える環境作りに努めている。、さらにみんなに愛読書を気軽に与えている。このような人柄が、出来立ての総力戦研究所にカタチを与えていったのではないか。
今月も新しい気づきを得ることができありがとうございました。

投稿者 satoyuji 日時 2018年8月31日


昭和16年の敗戦 感想

私が本書を読んで学んだのは以下のことです。
知っただけでは実行できないが知らなければ実行する選択肢すらないこと。
 知った先の未来を実感できなければ行動は変えられないこと。
 その未来を実現するには感覚と結びつけなければ行動に移すのは難しいこと。

現状維持をやめられなかった。多くの要因が絡みつく中でこの戦争を回避できなかった原因を一言で表すならこれに尽きる。

本書はどうして敗戦必須とわかっていながらも戦争してしまったのか。その原因を知るために、資料を精読し、人を訪ねた記録である。

当時日本の置かれた状況を打開するために総力戦研究所が設けられた。そこでは戦争になれば敗戦するという結論が出た。4年後、その結論に違うことなく日本は敗戦した。

どうして負けてしまったのか。そもそも負けるとわかっている戦争をどうして選んでしまったのか。本書を読むにあたってのモチベーションはそこに集約される。しかし結論はわかっているのにやってしまうことは何も特別なことではない。本人にはわからないが「どうしてそんなバカなことをやってしまったの」と人から言われることは特別なことではない。

そう考えると本書のテーマは、「人はなぜ結論がわかっているのに愚かな選択をしてしまうのか」ということになる。それで冒頭の言葉が浮かんだ。

現状維持をやめられなかった。

日本のエリートを集め未来を予測し状況を打開しようとしたにも関わらず、その結論を受け入れられなかった。外から見たら愚かなことだと言えるのだろう。しかし平成30年に生きる私たちはそう言える資格があるだろうか。あの戦争を教訓として活かせているのだろうか。恐らく何も変わってない。教訓を活かせていない点からいえば、より愚かな道を辿っているかもしれない。

このままいけばどうにもならない結果が待っている。茹でガエルの状態なのはわかっているのに何もしようとしない。もしかしたらその状況は平成30年現在も同じなのかもしれない。

しかしあの戦争と違うところがある。一人一人の人間が自分の欲しい結果を描き、その欲しい結果を手に入れる自由があることである。昭和16年あの当時に生きていたとして、国民が戦争を回避する選択ができたか。事実を知らされることなく、現代と違い知る手段もない環境で不戦を選べたか。おそらく不可能だった。翻って現代は知ろうとすればいくらでも知ることができる。日本語にない情報なら英語で探せばいい。英語がわからないなら学べばいいし、そのための教材は無料でインターネット上に転がっている。学びたくないならネット翻訳を使えばいい。

現代において変化を起こす障害は自分以外にない。もっと明確にするなら、現状維持を良しとしてしまうその人の知性しかない。

このまま真っ直ぐ行けば行き止まりにぶつかる。このまま運動しない生活を続けたらいつか体を壊す。このまま貯金もせず毎月の給与を使いたいだけ使っていたら老後の生活費がなくなる。このままパートナーを持たず子を設けなかったら老後に話す人もいなくなる。このまま趣味も持たず仕事だけしていたら仕事がなくなったら何をしたらいいのか分からなく途方にくれることになる。

「このまま」を続けていたら何が起こるのか。それを知っているだけでは現状を維持に陥ってしまう。知らなければ選択肢もないが、知っているだけでは変化を起こせない。知っていることを感覚的に体感できる、未来を感じ取れる知性がなければ、現状維持という惰性に陥ってしまう。

ではどうしたら未来を「感じられる」知性が養えるのか。月並みではあるが知識と感性を繋ぐことである。骨折して生活に苦労した経験があれば、寝たきりでしか生きられない辛さが想像できる。経験から得た感性を広げることで知識を間接的に体験することができる。自分が「知っている」と思っていることは知識だけなのか。それとも感性と繋がったものなのか。そう自問することが未来を自分で選び取る原動力となる。そして現状維持では茹でガエルになることが確定している現代では知識と感性が一致した知性がないと非常に生き辛い未来しか待っていない。

しかし昭和16年と違い自らの知性を頼りに未来を作っていけるという意味で、私は本書から強い希望をもらった。

今回も自分では読む機会がなさそうな本とのご縁をありがとうございました。

投稿者 vastos2000 日時 2018年8月31日


昭和16年夏の敗戦

本書の読後感は非常に心地悪いものだった。自分自身の経験も影響しているせいか、道理が通らず、無理が通ることに嫌悪感を感じてしまう。
モヤモヤした自分の感情と思考を整理して、4つの点で感想をまとめた。

●日本は昔から同調圧力が高かった
本格的な他民族の侵略を受けたことがない島国であるからなのか、昔から日本国内に住んでいるのは日本人ばかりだった。それゆえ、皆と違うものは迫害されたり排斥されたりする。それは現代も変わらない。

これは、「多数派に入っていれば安心、人と違うことをやるのはいけないこと」と知らず知らずのうちに教育されているからではないだろうか?いみじくも堀江貴文氏が『すべての教育は「洗脳」である』と言っているように、どこの県でも文科省が定めた学習指導要領に沿って授業が行われているので、自然、偏差値上位者(官僚候補者)は同じような知識を身に付け、同じような思考をするようになるのだろう。これは明治維新後の軍や官僚も同じことだろう。

結局、規模の大小はあってもムラ社会のルールに支配されているのが日本であると感じた。
当然、そのルールは良い面・悪い面の両方があると思うが、通信・交通は発達し、人の行き来や交流が盛んな現在では、どうしても悪い面が目立つ。今も戦時も、意見を異にする少数派(戦後、戦争調査会のメンバーに入った渡辺鉄蔵など)はいたが、国民の大多数は同じ方向を見ていたのだろう。だから日比谷の焼討ち事件も起こるし、ワイドショーや朝の情報番組はどこも同じニュース(舛添前都知事のスキャンダルや日大アメフト部など))ばかりをとりあげることになるのだろう。「賠償金をとれ」と国民を煽れば新聞は売れるし、わかりやすい悪役を非難する放送をすれば視聴率が上がるのだから、楽なものだ。

●アメリカ(あるいはイギリスやロシア)だったら?
太平洋戦争の相手国、アメリカでこの結論「自国必敗」のシミュレーション結果が出ていたらどう動いたか?
「ヤンキー魂があれば勝てる」などと言って、そのまま戦争に突入することはせず、情報戦や外交を駆使してより良い妥協点を探っただろうし、そもそも、「必敗」などという状況に追い込まれる前に何か手を打っていたはずだ。
そもそも「戦わずして勝つ」のが最善手で、戦争になるのは悪手である。
アメリカは建国以来、ずっと戦争をやってきた国だけに、危機管理はしっかりしていただろうし、勝利の確率を高めるために、感情を排して冷徹に何をすべきかを論理的に考える仕組みがあっただろう。ロシアもドイツやモンゴルと地続きであるので侵略の脅威は昔から存在していただろうし、イギリスもバイキングの侵略を受けた土地であるので、危機に対する感覚が日本人とは違うのだろう。

そのような国民性の違いも影響しているだろうが、国としての運営の仕組みが違う。
例えば、アメリカでは、戦時もその時の大統領が上級官僚やホワイトハウスのスタッフを選んでいたと思うが、二大政党が政権交代するので、いつかは対立する立場の人間が同じポストに就くことになる。それゆえ、前任者の失敗や不備を躊躇なく公表することができるし、むしろ積極的にやるだろう。
それに対して日本の場合は、同じメンツがずっと組織内に居座るので、ムラ社会の論理によって、前任者の失敗を明らかにすることにためらいが生じるどころか、時には隠ぺいに走る。その事例は薬害エイズや最近の財務省が該当するのではないか。
アメリカの意思決定の仕組みが必ず正解の選択肢を選ぶわけではないが(ヴェトナム戦争の例もあるし)、太平洋戦争の時の日本のような、勝利の確率がごくわずかの選択をすることはないだろう。


●シミュレーションに結果を踏まえた方針をとらせるためには?
総力戦研究所の若手エリート達は、与えられた条件下で精度の高い予測を出した。それぞれの立場・地位を考えると、国(軍)の命令から逸脱するのは難しかったと思うので、シミュレーション結果を披露した上で、戦争回避に日本を向かわせることまで求めるのは酷か。
ただ、(南方進出が前提条件にされたりと)戦争に向かって突き進んでいたことは感じていただろうし、シミュレーション結果が「日本必敗」だったのだから、なんとか戦争を回避するための策を考えることはできなかっただろうか?
こんなことは言論の自由が保障されている現代の日本だから言えることだろうか?当時は2・26事件の記憶も鮮明にあったろうし、治安維持法も適用対象が拡大されていたので、戦争反対を訴えるのは命がけだったのかもしれない。
当時の意思決定ルートを考えると、御前会議に諮る前の段階で天皇の意志として戦争回避を明らかにするしかなかったか?
本書を読んで、ここが最も肝心な点であると思うが、今は答えを出せない・・・。


●自分自身の経験に照らすと?
規模は全く違うが、総力戦研究所の若手エリートと共通する立場に立ったことがある。社長が各部署の若手を集めて、「20年後に会社が生き残るために何をすべきか」議論してくれと言い、本業の傍ら、1年かけて社長への提案を作った。が、しかし、その提案は経営会議で発表されることはなかった。明確な理由は今もわからないが、その時のお偉方の無為無策を批判する内容も含まれていたので、社長は波風を立てたくなかったのかもしれない。

そして昨年も同じようなことがあった。これから新商品を売り出すが、その時のマーケット調査があまりにも杜撰と言うか、開発を進める上で都合のいい数字を出すため(結論ありき)の調査であり、実態とかけ離れたものだった。私は直属の上司とともに、現実的な数字を上層部に提出したが、握りつぶされ、結局その新商品はGOということになった。
結局、前回の経験を活かせていない。うちの上層部は「都合の悪いことは都合よく忘れる」ということを知っていたのに。

ただ、幸いなことに、太平洋戦争当時の日本人と違い、職場を脱出する(転職する)ことができるので、愛想がつきたら転職をする覚悟ができた。今は本当にそうなるときに備え、有用なスキルを磨いている。
閑話休題。
きっと、同じような思いをしたことがある人はたくさんいるだろう。
今は組織人として生きているので、どうしても上の意見を覆すのは難しい。この件で同じ立場の同僚と話した際の結論は「(倒産するよりも)早く意思決定ができる立場に出世しよう」だった。


まだまだ先の大戦から学ぶことは盛りだくさんだ。
積読状態の関連本がまだ5冊あるので、これらも記憶が鮮明なうちに手を付ける。

投稿者 soji0329 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで


「外敵に対抗し、我が国も軍備を配置しよう。戦争出来るよう憲法を改定し、核兵器の保有も検討しよう」

現在の日本でこのような説を唱えたらおそらく、強烈なバッシングに遭うだろう。
しかし昭和16年当時の日本は、この真逆であった。明治からの徴兵制度で、軍部での昇進がもてはやされた時代。神国日本がアジアを白人支配から守る、の旗印のもと、韓国、中国を侵略。だが10年続く戦争の中で配給制度が導入され閉塞感の漂う中、米英が日本の邪魔を始めた。もはやアメリカと戦うしかない。「和平」を口にしただけで公安警察に連れて行かれるような時代だったのだ。

圧倒的な物資の差が戦争の敗因なのは間違いない。が、私はこの本を読んで以下の3つの要因に注目した。

まず一つ目は、国務と統帥に二元化された特殊な政治機構。
軍部の作戦に政府は口を挟めない。統帥権を持った天皇は、御前会議では発言の場を与えられない。これでは戦時中でも、まともな戦略会議にならなかったのではないか。憲法の欠陥は、まさに致命的である。

二つ目は、各所が部分最適を求め、誰も大局を見られなかったことだ。
政治機構の欠陥により、それぞれの組織の独自の判断で動いてしまっていた。世界の情勢を見極められず条約締結を行った松岡外相。『産み放しで世話をしないというのが陸軍に対する世間の従来の非難の通例』にあるように、帰着点を見出すことなく中国を侵略した陸軍。そして、南方石油を護送するシーレーンの確保も見据えずにハワイ、マレーを攻略した海軍。連携を図らないまま、結果的にずるずると戦争を続けざるを得なかったのだ。

そして三つ目は、神国日本という選民意識が思考停止に陥らせたこと。
東條陸軍大臣が模擬内閣に、日本は負けるわけない神国だ。だから神である天皇の命を受けた軍部に従えと、その威光を乱用した。同じように日本はアジア諸国に対し、軍部では上官が下官に対し、そして軍部は民間人に対し、権威を振りかざした。結果、まともに議論し考えることもなく、最後は神に責任をなすりつける風潮が日本全土に蔓延した。そのためだれも責任を取らずに、特攻、本土決戦、そして原爆投下に玉砕と、無常観そのままに突き進んでいったのだ。

国民が開戦を求めて沸き立つ中、昭和天皇は近衛首相に戦争回避を期待した。総力戦研究所はそんな近衛がとった一つの策のようにも思われる。各所から集められた「最良にして最も聡明な逸材」。東大、陸大、海大出身。年齢も30代前半を中心とした研究生。彼らはなぜ日米戦必敗を正確に言い当てられたのだろうか。

第一に、彼らは傾聴と議論のスキルを備えていた。中国撤兵なら陸軍相を辞めると言った東條。戦争は自信のある人でおやりなさいと内閣をほうり出した近衛。研究所の堀場教官でさえ、聴く耳を持たず議論を放棄した。一方研究生たちは、意見の相違があっても辛抱強く傾聴し、議論を重ねたのだ。

第二に、彼らは最前線の現場に立つ専門家だった。事実を正確に掴み、その意味するところを十分に理解し、説明できたことだ。開戦を決定づけた、企画院による石油の需給見込みに対する政府・大本営会議とは真逆の議論である。そのため、情報を理解できない上司が権威的立場で落とし所を求める日本式意思決定システムに陥ることがなかったのだ。

第三に、自由に議論できる場が与えられたことだ。体育の授業があり、全員で汗を流せたことも腹を割って話せる土壌になったのではないか。さらに彼らは政治家でなかった。であるから、目的のために事実を隷属するような考え方は誰もしなかったのである。

我々はこの本から、何を学ぶべきであろうか。
まずは、事実は多面的にとらえよう、ということだ。研究生たちが行った議論のように、自分と違う意見だからこそ傾聴し、自分と違う視点を理解するべきである。そのためには、相手がたとえどんな人間でも、現場に立つ専門家であれば、意見を重視しなくてはならない。

次に情報を疑い、自分の頭で考えることだ。白である、との情報も、白が10、黒が0、ということはまずないものだ。白6、黒4で結果、白、と称されたとき、黒の4を捨ててしまっていいだろうか。東條は『泥棒よりも悪い人』と私も教えられてきた。しかし開戦前、戦争を回避しようとしたこと。自分が犠牲となり昭和天皇の命を救ったことは、評価しないまでも酌量の余地はあるだろう。とにかく短絡的に「良い、悪い」の評価をそのまま鵜呑みにせず、自分の頭で考える癖をつけるべきであろう。

最後に、今こそ国防を真剣に考えるべきだ。隣国ではまだ戦争は終わっていないのである。「戦争放棄」と言えば外敵は攻めてこないと考えるのは、これまで負けたことがないからこの戦争も負けないと言った東條の言葉と違いはない。もはや他力本願では済まないところまで来ているのではないか。そんなことを気付かせてくれた本であった。

投稿者 str 日時 2018年8月31日


昭和16年夏の敗戦

上からの権力と圧力により、敗北すると分かっている戦に飛び込めと言われた人達の心情は計り知れないものだっただろう。耳を貸してくれない悔しさ。シミュレート結果が評価されない怒り。ビジネスの世界であれば時には“負けも覚悟の上で“大きな勝負に打って出なければならない事もあるだろうし、上手く行けば美談や武勇伝にもなり得る。しかしこれは戦争であり“人の命“が懸っている。勝負するために賭ける代償としては余りにも大きい。

現代企業ならトップ層がワンマンであれば、時代の流れについて行けず消滅へと向かっていき、力で押さえつけ続け、それが明るみになればブラック認定され淘汰されていくだろう。データやシミュレーションから得た限りなく具体性を持った未来予想と、「愛国心だ」「大和魂だ」という根性論・精神論で勝利を掴もうとする権力者たち。勝利を強くイメージする事も勿論大切だが、勝算がある事が大前提だ。玉砕覚悟の上だろうが、根拠のない自信やプライドに引き込まれ、付き合わされたのでは堪らない。そういった空気の中に身を置き、目的や思想への同調を強要され、異なった意思を示せば叩かれる。読んでいる内に日本という国がさながら“ブラック国家”のようにすら見えてきた。

無知である事は恥ずかしい。しかし新鮮な情報や知識を受け入れず、無知なまま力を持った権力者と、それに従っていた方がラクであると考え賛同してくる多くの人々。多勢に無勢となってしまっては覆す事は困難だろう。古くからの体制・誤った認識に物申せる優秀な人は故に少数派となってしまう。結局のところ敵国の戦力も、敗北という未来も受け入れようとしない開戦派との多数決となり、開戦→敗戦の流れは避けられなかっただろう。当時どちらの主張が正しかったのか。“敗戦”という結果が出た後にようやく評価されても、その結果を回避すべく奮闘した人達からすれば不本意なのかもしれない。

“失敗から得ることの方が多い“とは良く言うが、確かにこの失敗(敗戦)から得たものはとてつもなく大きいが、失ったものも多すぎる。当時亡くなられた方々の事を考えれば当然だ。しかし、もしもこの戦争自体が歴史上起こらず、”敗戦”という経験がないまま日本という国が在り続けていたらと思うと、少し違和感も感じる。敗北を知らないが故に、当時の思想や体制が根強く残っていたのだろうか。現代でも揉めればたとえ米国相手だろうと好戦的な態度を示すのだろうか。

本来ならば戦争など起こすべきではないし、二度と起こしてはいけない。失敗から学ぶ事は大事だが、多くの人の犠牲の上で成り立つべきではない。けれど日本の今の形が出来上がった背景の一つに、この“敗戦“も関わっていると思うと少し複雑な気分だ。

投稿者 gizumo 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

 毎年の“終戦記念日”、できるだけ戦争に思いをはせ、関連した本を読んだりの時間を過ごすようにしているが、今年は特にあわただしく“黙とう”だけで済ませてしまった。毎年語られるのに「戦争を風化させてはいけない」というものがある。もっともだと思われるものの、すでに73年という月日が流れ、「昭和」が終わり次の「平成」も最後の夏となってしまった。少し趣の違う本書は実に興味深く一気にのめりこんだ。
 実際に、このような組織が存在したことは知らずに勉強不足を恥ずかしく思った。各方面より“精鋭”を集め研究活動を進めることは有意義であり、興味深い試みであると考えられる。それらの精鋭をそろえ、“解り切っていた”ともいえる結論をなぜ研究させたのかの疑問は残った。過去の勝利から時代は流れ、「資源戦争」となった第二次世界大戦は日本にとって「戦争すべきでないというより以前に、できない」という生々しい現実。それをわかりきったはずの人々も流され開戦をむかえ、ほぼ模擬内閣の予測通りの結果に加え、2度の原爆投下という最悪の事態むかえ終わりをむかえる。
 流されてしまったことは、人間のはかなさもろさとして大変残念ではあるが、たとえば、大変僭越ながら「自分自身がこのメンバーだったら何ができるか?」、考えてみるのは面白かったが、間違いなく流され結果は同じだと思われる。
 その後の、彼らが再度自ら集まることはなく、誰一人政治家にならなかったのは、運命にあらがう事の人としての限界をどこかに感じていたのではないかと思う。
 本書を読むことで、平成最後の夏に、「昭和」「平成」の二つの時代を平和に生きることができた自分の人生を反省し振り返る時間を持てたことを感謝しております。そして新しい時代に向けて期待を高めることとなりました。

投稿者 soji0329 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで


「外敵に対抗し、我が国も軍備を配置しよう。戦争出来るよう憲法を改定し、核兵器の保有も検討しよう」

現在の日本でこのような説を唱えたらおそらく、強烈なバッシングに遭うだろう。
しかし昭和16年当時の日本は、この真逆であった。明治からの徴兵制度で、軍部での昇進がもてはやされた時代。神国日本がアジアを白人支配から守る、の旗印のもと、韓国、中国を侵略。だが10年続く戦争の中で配給制度が導入され閉塞感の漂う中、米英が日本の邪魔を始めた。もはやアメリカと戦うしかない。「和平」を口にしただけで公安警察に連れて行かれるような時代だったのだ。

圧倒的な物資の差が戦争の敗因なのは間違いない。が、私はこの本を読んで以下の3つの要因に注目した。

まず一つ目は、国務と統帥に二元化された特殊な政治機構。
軍部の作戦に政府は口を挟めない。統帥権を持った天皇は、御前会議では発言の場を与えられない。これでは戦時中でも、まともな戦略会議にならなかったのではないか。憲法の欠陥は、まさに致命的である。

二つ目は、各所が部分最適を求め、誰も大局を見られなかったことだ。
政治機構の欠陥により、それぞれの組織の独自の判断で動いてしまっていた。世界の情勢を見極められず条約締結を行った松岡外相。『産み放しで世話をしないというのが陸軍に対する世間の従来の非難の通例』にあるように、帰着点を見出すことなく中国を侵略した陸軍。そして、南方石油を護送するシーレーンの確保も見据えずにハワイ、マレーを攻略した海軍。連携を図らないまま、結果的にずるずると戦争を続けざるを得なかったのだ。

そして三つ目は、神国日本という選民意識が思考停止に陥らせたこと。
東條陸軍大臣が模擬内閣に、日本は負けるわけない神国だ。だから神である天皇の命を受けた軍部に従えと、その威光を乱用した。同じように日本はアジア諸国に対し、軍部では上官が下官に対し、そして軍部は民間人に対し、権威を振りかざした。結果、まともに議論し考えることもなく、最後は神に責任をなすりつける風潮が日本全土に蔓延した。そのためだれも責任を取らずに、特攻、本土決戦、そして原爆投下に玉砕と、無常観そのままに突き進んでいったのだ。

国民が開戦を求めて沸き立つ中、昭和天皇は近衛首相に戦争回避を期待した。総力戦研究所はそんな近衛がとった一つの策のようにも思われる。各所から集められた「最良にして最も聡明な逸材」。東大、陸大、海大出身。年齢も30代前半を中心とした研究生。彼らはなぜ日米戦必敗を正確に言い当てられたのだろうか。

第一に、彼らは傾聴と議論のスキルを備えていた。中国撤兵なら陸軍相を辞めると言った東條。戦争は自信のある人でおやりなさいと内閣をほうり出した近衛。研究所の堀場教官でさえ、聴く耳を持たず議論を放棄した。一方研究生たちは、意見の相違があっても辛抱強く傾聴し、議論を重ねたのだ。

第二に、彼らは最前線の現場に立つ専門家だった。事実を正確に掴み、その意味するところを十分に理解し、説明できたことだ。開戦を決定づけた、企画院による石油の需給見込みに対する政府・大本営会議とは真逆の議論である。そのため、情報を理解できない上司が権威的立場で落とし所を求める日本式意思決定システムに陥ることがなかったのだ。

第三に、自由に議論できる場が与えられたことだ。体育の授業があり、全員で汗を流せたことも腹を割って話せる土壌になったのではないか。さらに彼らは政治家でなかった。であるから、目的のために事実を隷属するような考え方は誰もしなかったのである。

我々はこの本から、何を学ぶべきであろうか。
まずは、事実は多面的にとらえよう、ということだ。研究生たちが行った議論のように、自分と違う意見だからこそ傾聴し、自分と違う視点を理解するべきである。そのためには、相手がたとえどんな人間でも、現場に立つ専門家であれば、意見を重視しなくてはならない。

次に情報を疑い、自分の頭で考えることだ。白である、との情報も、白が10、黒が0、ということはまずないものだ。白6、黒4で結果、白、と称されたとき、黒の4を捨ててしまっていいだろうか。東條は『泥棒よりも悪い人』と私も教えられてきた。しかし開戦前、戦争を回避しようとしたこと。自分が犠牲となり昭和天皇の命を救ったことは、評価しないまでも酌量の余地はあるだろう。とにかく短絡的に「良い、悪い」の評価をそのまま鵜呑みにせず、自分の頭で考える癖をつけるべきであろう。

最後に、今こそ国防を真剣に考えるべきだ。隣国ではまだ戦争は終わっていないのである。「戦争放棄」と言えば外敵は攻めてこないと考えるのは、これまで負けたことがないからこの戦争も負けないと言った東條の言葉と違いはない。もはや他力本願では済まないところまで来ているのではないか。そんなことを気付かせてくれた本であった。

投稿者 kenhon 日時 2018年8月31日


昭和16年夏の敗戦を読んで

 日本の大東亜戦争は、開戦時の昭和16年に既に敗戦が決定していた。
 そんなショッキングな題名と内容で、ぐいぐい引き込まれました。

 一般の人は、当時日本が敗戦するなどとは夢にも思えなかったというのは、歴史的背景を見れば頭では納得できる。
 日本全体で戦争を是とする戦前教育がバックボーンとなっており、強大な清国を破った日清戦争、さらに強大なロシアを劣勢な状態に追い込んで終戦を迎えた日清戦争、このような通常あり得ないような戦争での勝利が事実としてあったので、深く物事を考えない人にとっては、例え相手が米英であろうと、負けるということは想像できなかったであろう。

 ただ、視野が広い人、本当に海外事情がわかっている人、物事を深く考える人にとっては、やはり開戦はしてはいけないとわかっていたと思う。
 総力戦研究所に集められたメンバーは、そのような視野の広い人、高い知識を有する人が多く集まっていた。
 中には軍人もいたが、その軍人でさえも、開戦すべきでないと考えていた。
 このような考えを持った人が、国の機関にいたというのは、この本を読んではじめて知った。

 この本は、最終的に、総力戦研究所のメンバーが、日本は敗戦するという結論に至までの課程を、そのメンバーそれぞれにスポットを当てて描き出すという手法をとっている。

 ただ、惜しむらくは、大日本帝国憲法の構造的な欠陥により、軍部の暴走を他の機関が制止できなかったことである。
 少なくとも、内閣(或いは天皇)が軍部を制止できたのであれば、総力戦研究所のシミュレーション結果が尊重され、開戦を思いとどまったかもしれない。

 軍の中にも、米英の軍事力を肌で知る人や、冷静に戦力を判断できる人がいたこともこの本の中で示されている。
 しかし、声の大きい人の意見が通るというのが世の常であり、軍隊であればなおのことその傾向が強いであろう。
 冷静かつ正確な判断が、感情をむき出しにした人たちによって握りつぶされたことも、日本が無謀な戦争に乗り出していった大きな原因であると思われる。

 さて、仮に自分が総力戦研究所のメンバーであったら、どのような判断をしているのであろうか。当時の超エリートで構成されたメンバーでさえ、暴走する軍部を制止することができなかったのだ。
 ただし、当時のメンバーは、軍部の意向に屈して「日本の勝利」などといったありもしない結論を導き出すことはしなかった。当時、このような意見を持つこと自体、自身の立場を危うくすることを考えると、非常に勇気のある行動であったと感心する。
 果たして、自分はどうだろうか。自己保身に走って軍部の顔色をうかがうような結論を導き出したであろうか。
 自分一人であればそのようなこともあったかもしれないが、総力戦研究所は共に学ぶ仲間がいて、それぞれ優秀であり意思が堅い人たちであった。
 このような人たちに囲まれて、戦争のシミュレーションをしたとしたら、自分の弱い心に打ち勝って、自分自身が納得のいく結論を出せたのではないかと思う。

 また、この本では当時の首相、東条英機についても多くの記述がある。
 私が漠然と抱いていた東条英機像は、この本の東条英機とは異なり、独裁的で好戦的な人間であった。
 東条英機は、天皇を敬い、天皇の反戦の意思を何とか実現しようと奔走するも、結局時代の流れに逆らえず、開戦時の首相となり、敗戦後は責任を取らされる形でA級戦犯とされ、日本国民から忌み嫌われる立場となってしまう。
 時代の流れに翻弄されたとはいえ、この本の東条英機像が真実であれば、なんとも悲しい運命を背負わされた人であったと胸が痛む。

 これらのエピソードをこの平和な時代に見ることができる我々がすべきことは何なのであろうか。
 やはり戦争の真実を正しく知り、理解することで、回りの不確かな状況に振り回されるのではなく、きっちりと正しい判断をそれぞれ各人が行い、二度と戦争を起こさないという誓いを立てることではないだろうか。
 また、当時の時代背景等を研究し、どのようにしたら戦争に突入するのかを考え、そのような状況を事前に察知して時代の暴走を止めるということが必要だと思われる。
 現在は、旧来からあるマスコミに加え、ネット情報等でいろいろな情報を得ることができる。当時のように大本営発表に踊らされることなく、何が正しいのか、どこまでが行き過ぎなのか等、普段から肌身で感じるようにすることが必要なのだと思う。

投稿者 soji0329 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで


「外敵に対抗し、我が国も軍備を配置しよう。戦争出来るよう憲法を改定し、核兵器の保有も検討しよう」

現在の日本でこのような説を唱えたらおそらく、強烈なバッシングに遭うだろう。
しかし昭和16年当時の日本は、この真逆であった。明治からの徴兵制度で、軍部での昇進がもてはやされた時代。神国日本がアジアを白人支配から守る、の旗印のもと、韓国、中国を侵略。だが10年続く戦争の中で配給制度が導入され閉塞感の漂う中、米英が日本の邪魔を始めた。もはやアメリカと戦うしかない。「和平」を口にしただけで公安警察に連れて行かれるような時代だったのだ。

圧倒的な物資の差が戦争の敗因なのは間違いない。が、私はこの本を読んで以下の3つの要因に注目した。

まず一つ目は、国務と統帥に二元化された特殊な政治機構。
軍部の作戦に政府は口を挟めない。統帥権を持った天皇は、御前会議では発言の場を与えられない。これでは戦時中でも、まともな戦略会議にならなかったのではないか。憲法の欠陥は、まさに致命的である。

二つ目は、各所が部分最適を求め、誰も大局を見られなかったことだ。
政治機構の欠陥により、それぞれの組織の独自の判断で動いてしまっていた。世界の情勢を見極められず条約締結を行った松岡外相。『産み放しで世話をしないというのが陸軍に対する世間の従来の非難の通例』にあるように、帰着点を見出すことなく中国を侵略した陸軍。そして、南方石油を護送するシーレーンの確保も見据えずにハワイ、マレーを攻略した海軍。連携を図らないまま、結果的にずるずると戦争を続けざるを得なかったのだ。

そして三つ目は、神国日本という選民意識が思考停止に陥らせたこと。
東條陸軍大臣が模擬内閣に、日本は負けるわけない神国だ。だから神である天皇の命を受けた軍部に従えと、その威光を乱用した。同じように日本はアジア諸国に対し、軍部では上官が下官に対し、そして軍部は民間人に対し、権威を振りかざした。結果、まともに議論し考えることもなく、最後は神に責任をなすりつける風潮が日本全土に蔓延した。そのためだれも責任を取らずに、特攻、本土決戦、そして原爆投下に玉砕と、無常観そのままに突き進んでいったのだ。

国民が開戦を求めて沸き立つ中、昭和天皇は近衛首相に戦争回避を期待した。総力戦研究所はそんな近衛がとった一つの策のようにも思われる。各所から集められた「最良にして最も聡明な逸材」。東大、陸大、海大出身。年齢も30代前半を中心とした研究生。彼らはなぜ日米戦必敗を正確に言い当てられたのだろうか。

第一に、彼らは傾聴と議論のスキルを備えていた。中国撤兵なら陸軍相を辞めると言った東條。戦争は自信のある人でおやりなさいと内閣をほうり出した近衛。研究所の堀場教官でさえ、聴く耳を持たず議論を放棄した。一方研究生たちは、意見の相違があっても辛抱強く傾聴し、議論を重ねたのだ。

第二に、彼らは最前線の現場に立つ専門家だった。事実を正確に掴み、その意味するところを十分に理解し、説明できたことだ。開戦を決定づけた、企画院による石油の需給見込みに対する政府・大本営会議とは真逆の議論である。そのため、情報を理解できない上司が権威的立場で落とし所を求める日本式意思決定システムに陥ることがなかったのだ。

第三に、自由に議論できる場が与えられたことだ。体育の授業があり、全員で汗を流せたことも腹を割って話せる土壌になったのではないか。さらに彼らは政治家でなかった。であるから、目的のために事実を隷属するような考え方は誰もしなかったのである。

我々はこの本から、何を学ぶべきであろうか。
まずは、事実は多面的にとらえよう、ということだ。研究生たちが行った議論のように、自分と違う意見だからこそ傾聴し、自分と違う視点を理解するべきである。そのためには、相手がたとえどんな人間でも、現場に立つ専門家であれば、意見を重視しなくてはならない。

次に情報を疑い、自分の頭で考えることだ。白である、との情報も、白が10、黒が0、ということはまずないものだ。白6、黒4で結果、白、と称されたとき、黒の4を捨ててしまっていいだろうか。東條は『泥棒よりも悪い人』と私も教えられてきた。しかし開戦前、戦争を回避しようとしたこと。自分が犠牲となり昭和天皇の命を救ったことは、評価しないまでも酌量の余地はあるだろう。とにかく短絡的に「良い、悪い」の評価をそのまま鵜呑みにせず、自分の頭で考える癖をつけるべきであろう。

最後に、今こそ国防を真剣に考えるべきだ。隣国ではまだ戦争は終わっていないのである。「戦争放棄」と言えば外敵は攻めてこないと考えるのは、これまで負けたことがないからこの戦争も負けないと言った東條の言葉と違いはない。もはや他力本願では済まないところまで来ているのではないか。そんなことを気付かせてくれた本であった。

投稿者 chaccha64 日時 2018年8月31日


「昭和19年の敗戦」を読んで

なぜあの戦争を始めてしまったのか?よくわからなかった。それが実感です。歴史の結果を知っているので、無謀な戦争に突入した理由が余計にわからなくなっているのですが。
模擬内閣のシミュレーションと同じで、現実の東條内閣も「まず戦争ありき」が前提だという感じがする。高橋中尉の「開戦までの半年は、すでに出していた結論をみなが納得するまでの必要な時間」という言葉通りだし、納得するためのデータ(石油の消費量)を整えている。他の選択肢があることを疑おうともしないし、状況の変化も考慮されることがない狭量さ。前提に疑問を持たないし、再検討することもない。
それでは、「戦争ありき」の結論はどこから来たのか? それも、日中戦争から自分たちで作りだしたものだ。東條が陸軍大臣の時にもその方向で調整し、圧力をかけている。ところが、自分が総理大臣になり、天皇から開戦回避の指示で戦争回避に動こうとするが、すでに川の流れを止めることができない。(天皇の忠臣がよいかは別にして、この変節も問題だと思いますが)
模擬内閣に参加した若手だけでなく、閣僚の中に、軍部内部にも負けると、少なくとも勝ないと思っていた人は多い。それなのに戦争に突入している。「みんなが言うから仕方ない」、「流れには逆らえない」という雰囲気があったのだと思う。それは、模擬内閣の「開戦できない」という結論に、教官側からの「演習できないから、開戦したという想定で演習する」というところで、前田が「いったい戦争の後のことを考えているのか」の独り言に、秋葉が「戦争の後」という考え方に驚いている。みんなは戦争が常態なのだ。教育により、メディアにより、世間により戦争を常態にして麻痺させ、流れを作ってしまっていたのだ。そうでなければ、開戦しなかった想定で演習を続けることもできたはず。
頭の良し悪し、エリートというのは関係ない。多くの人間は流されてしまう。そのために、流れを一つにしないようにし、複数の流れ、考え方を受け入れ、モノが言えるシステムを作らないといけない。戦前は難しかっただろうが。今からは少しはできるのではないか。それにはどうするえばよいのか? これ、自分的にはまだないんですよね。まずは、歴史を知ることから始めたいと思います。

投稿者 sikakaka2005 日時 2018年8月31日


戦争本を読むたびに思うことがある。

▼「なんでそんな条約を結んじゃうの!」
▼「なんでそこで勝手に行動しちゃうのさ!」

明らかに戦争へ向かうような言動をする人たちを見るとつい
「ほんと君たちのせいで・・怒」と思ってしまうことがある。

でも、個別の出来事や判断に、良し悪しをつけても意味はないのだ。
部分を積み重ねても、決して全体にはならないように、
全体を取らえなければ、個別のことに心を奪われてしまう。

全体を捉える大切さを学ぶのに戦争は良き教材だと思う。

まだまだ学びは道なかばであるもの、経過報告して感想文にまとめていきたいと思う。

今回は2点あげたい。

まず印象深かったのは、「米国軍の思考の広さ」である。

アメリカと日本で物資に圧倒的な差があったのは、日本の敗因の明らかな原因のひとつである。
しかし、この本を読んでそれだけではないと思ったのだ。

それは、日米開戦したときに、すでにアメリカは

▼ 日本の占領計画を立てたり、
▼ 隊員に日本語を教えたり、
▼ 日本に詳しい研究員を雇ったり、

戦争に勝って日本を植民地化したあとのことを考えている点である。
これは、当然と言えばと当然なのかもしれないけれども、合理的な思考に驚嘆させられた。

片や、日本はとにかく戦争を始めることしか考えていなくて、

▼ 戦争を始めてしまえば何とかなる!
▼ やってみなければ分からない!

という近視眼的な見方しかできていなかった。

アメリカは戦争の終わり方と、その後の世界の権力の地図まで描いていたなんて・・・。
そりゃ~日本は勝てないだろうと改めて思う。

まさに、

● 思考の広さが勝敗を分けた証拠

の例だろう。

このことは当然仕事にも当てはまる。
自分が担当している仕事をとにかく終わらせれば良いと考えるのか
会社の利益を高めるために自分の仕事を定義するのか
によって仕事に対する意欲も考える深さも全く変わってくる。

どこまで考えているのか?かというは
● イケてるビジネスパーソンかを判定する基準
とも言えると思う。


続いて2点として印象深かったのは、「数字のマジック」である。

著者はこの本で最も伝えたかったことだろう。

石油の残有量によっては日本軍は戦争ができるのか?というシーンで、
海軍、陸軍、民間を合わせると、たしかに数百万リットルだったのは事実である。
そして、報告書には「残る」と報告したのだ。
報告者のインタビューにおいても、開戦派に忖度したと発言があった。

あまりに短絡的な報告であったことは否めない。

こういう報告を鵜呑みにして
組織が誤った方向へ導いてしまうことを防ぐにはどうしたらいいのか?

どうしたら、こういった判断ミスを防ぐことができるのか?

これはとてもシンプルな方法で防ぐことができる。

それは、報告者に対して、

● 事実と考えを分けて聞けばいい

のだ。どういう思考のプロセスを経て結論に至ったのかを聞けばいい。

判断する、権力を持つものは、報告内容から、データと考えを分けて話しを聞かねばならない。

そう聞けばいい。

▼「この結論を導いたデータはなにか?」
▼「データを見て考えたことはなにか?」

そうすると必ず報告のもつ前提条件があぶり出せるのだ。

「残る」にはあまりに多くの前提が隠れていたはず。

▼ 1年間はとか
▼ インドネシアから石油が届くとか
▼ 海軍、陸軍の使用料はXXX万リットルとか

もしそれを聞けていれば、
そんなあり得ないことを前提しているならば、この結論に至る確率は相当低いことが分かったはず。。

当時の閣僚たちが報告内容を疑い深堀していれば・・・・、と悔やまれる。

それは開戦の引き金になったことは間違いないけれども、
その考察を誰も疑わなったことがあまりに稚拙であり、結論ありきだったのは明白だ。


事実は小説より奇なりとは言ったものだが、本戦争のことを知れば知るほどにそう思う。

▼ 日本軍や閣僚たちには落ち度があると言わざるを得ないし、
▼ 国民も戦争を望んでいて、稼ぐチャンスだと思っただろうし、
▼ 軍部も開戦ありきで進んでいたし、それを本気になった止めようとしなかったし

ただ、誰が悪いではない、犯人捜しをしても仕方ないのだ。
著者があとがきで語っているように、我々日本人はもっと戦争のことを勉強するべきであると思う。

だって、自分の祖先の失敗がたくさん埋まっているのだから。
同じ過ちを繰り返えさない最も簡単な方法は、歴史から学ぶことであると改めて思う。

今回もよき本を紹介いただき、ありがとうございました。

投稿者 kayopom 日時 2018年8月31日


『昭和十六年夏の敗戦』を読んで

「いったい、戦争の後のことを考えているのか」。これを言われた後、この世にそんな事が存在している事に驚いた人物がいた。
ここに、時代の空気感が現れているように思った。
満州事変以降の昭和六年から、この総力戦研究所が作られた当時まで、戦争は「日常」の姿であった。
十年も続けば、連綿とそれが続いていくような気がしてくる。(まるで今の実感なきデフレのように)
空気はまとわりつき、自然過ぎてもはや違和感がない。
だから誰も「戦争の後のこと」は考えなかっただろうと思う。
特に勝った時の想定はあれども、負けた時のことはシミュレーションに入っていなかっただろう。
敗戦後の姿を想像するなど「縁起が悪い」し、「貴様それでも帝国軍人か?」って問われただろうし、
不吉な予想をすることじたいが御法度だったのではなかろうか。

そんな時代の中で、当時の若手エリートを集結させた総力戦研究所が組織化されたのは意外な事実であった。
さらに、文民官民も混ざった優秀なメンバーにより、冷静に事実や数値を積み重ねられ、シミュレーションが行われたこと。
そして「日本は開戦後の勝利は見込まれても、長期戦においては苦境に立たされ、やがて敗北は避けられない」と結論は導き出されたこと。
ちゃんとそこまで到達していた。特に日常的に物資の数字を扱う経済関係のテクノクラートの間では「戦争なんて無理」は常識だった。
戦争という物量がモノを言う世界において、それを作り出す資源がない国がなぜ戦えるというのか。

理性と数字の世界では、日本はアメリカと戦争することは無謀の極みであった。
だが、「日米開戦やむなし」の空気感は醸成され、東條英機に託された天皇の意思としても叶わなくなる。
せっかくの総力戦研究所の分析結果も「机上のもの」程度として片付けられる。
冷静に考えればわかっていたはずなのに??
この開戦やむなしの「同調圧力」はどこから来たのか。
戦争をやれば得をする人々か、いわゆる統帥部か。

それまで日清と日露戦争での「どういうわけか勝ってしまった」経験が裏目に出たと思う。
東條の言葉を借りれば「日露戰争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの當時も列强による三國干渉で、やむにやまれず帝國は立ち上がつたのでありまして、勝てる戰争だからと思つてやつたのではなかつた。戰といふものは、計畫通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。」
この「意外裡な事」って神風だろうか?常にこの考え方、精神論と根性論と、「カミカゼ論」とでも言えば良いのだろうか。
戦局は常に我が国の良い方に向くと、無邪気なまでの確信に満ちたセリフは多数散見される。
その確信こそが、この時代の日本の異常性であり、警戒心を呼ぶところであったのではないかとつくづく思う。

帝国日本軍は必ず勝つと信じていたのは一般国民も同様で、エピローグでは「戦争が終わってよかったですね」と言うと村八分にされそうになったとのエピソードも出てくる。
それだけ「戦争は国民の幸せと豊かな生活につながる、尊いもの」とプロパガンダが成功していたのだろう。

アメリカからすれば、この謎の行動の精神論は理解できなくとも、現実の物質世界を抑えてしまえば、なんて事はなかった。
奇襲攻撃や零戦に翻弄される事はあっても、石油がなければ戦艦も戦闘機も動かない。
経済封鎖をし、シーレーンを確保すればよかった。
戦争の終結と勝利は、原子爆弾を投下せずともすぐそこにあった。

避けられた戦争を避けられなかった事実を知り、無力感がつきまとうが、この太平洋戦争の無謀ゆえの敗北を噛み締めてくれた人々のおかげで、
現在の日本の平和と繁栄はある。
(エネルギー確保が日本の未来と確信していた出光佐三氏のような。)

そして日本人の精神の中に垣間見える「異常なまでの精神性重視」があることを、自覚しておきたいと思った。

投稿者 jawakuma 日時 2018年8月31日


昭和16年夏の敗戦を読んで

著者の猪瀬直樹さんは流石ですね。30代のときに周りの右左翼の書籍を鵜呑みにせず、戦争に踏み切ることができた理由やどのような決断をしたのかを紐解いてくれました。俯瞰で物が見えていて凄いと思いました。エリートを集めた総力戦研究所なる戦前の一機関の記録を集め、生き残っている人に会って話を聞き、よくぞ本にまとめてくれました。おかけで私たちもこうしてその事実を知ることができました。軍が暴走して状況もよくわからないまま戦争を決めて、情報規制された国民は踊らされていたのだとばかり思っていました。歴史を振り返ると、日本人の流されやすい点と律儀な点、そしてフレームを超えられない点は、今も昔も変わらない国民性なんだなぁとしみじみ思い知らされました。。

総力戦という言葉ははじめて聞きました。第一次大戦までは純粋にその時の軍事力つまり武力を比較すればよかったのですが、産業が進むと兵器の生産力が問われてくるわけです。
いくら撃墜しても代替えの兵器がどんどん投入されればいくら叩いても切りがなく勝てないわけです。これが経済戦。そして思想戦まで日本でもわかっていたとは、留学して学んだ賜物ですね。いくら武力、経済力があっても実際に戦う人をその気にさせなければ戦争なんて成り立ちません。現代のようにボタンを押すだけで攻撃できれば別ですが。

開戦前に各省庁やトップ企業から30代エリートたちが集まって精緻なシミュレーションをした結果、「日米戦日本必敗」。戦況の移り変わりや3年目以降は国力が持たないということまで数字という事実をもとに正確にシミュレーションしていました。真珠湾の奇襲と原爆投下以外はほとんどそのまま!というくらい精度の高いものだったと…そんなことまで分かるなんて天才なんじゃないの?そうなんです天才集団だったんですね。ベスト&ブライテストの彼らは「数字」という事実に執着し、事実を畏怖するようになっていく。高橋という石油の数字をカウントした人の話も驚きました。戦争になるかどうかの緊迫感と日常の仕事とが結びついていなかったと。こういうのってあるんですね。分業制の悲劇というか、その職務の部分的なところにだけ集中してしまうということなんですかね。
御前会議前の相談であった議論は現代でもよく聞こえるやりとりだと思いました。かけてしまったコストをもったいなく感じてゼロベース思考でのベストな選択ができなくなってしまう。いまの公共事業でもありますよね、こういうの。そのうえ “中国に散った十万の英霊”というような数字では置き換えられない対象を天秤にかけ相手の倫理観を問う。日本必敗を知り得ていても、元帥である天皇が戦争をしたくなくても、日本は戦争に舵をきってしまうのですね。集団の意見というのは怖いですよね。天皇までもがその潮流に飲み込まれてしまいました。陸軍からその流れを起こしておいて止められなくなった東城は悲劇の人だったんですね。またアメリカも日本からどう宣戦布告させるかに頭を使い、戦争前から占領計画を練っていたとは今も昔も強かですね。いつまでもBabyしといてはくれなかったんですね。真珠湾奇襲の成功し浮かれている間に、戦争に乗り気でなかったアメリカの国民世論を戦争に傾けてしまったとは。そういう事実を見てみると戦前とはいえたかだか80年前なんだから、感覚も含めそんなに今と変わっていないんだということがよく分かりました。そりゃそうですよね。同じ人間ですから。ただ研究所の彼らをしても秋葉という記者に指摘されるまで「戦後」という状態を思いつけなかったというのは驚きました。戦争が日常の感覚になっていたという感覚はちょっと理解できないですよね。ここでは秋葉は前提のフレームをうまく超えた指摘をよくできたと思いました。また、志村の開戦の日のバカな戦争を始めたと指摘しながらも敵艦に体当たりして死ねたら本望というコメントは、そんなに頭が良いのに何でそんな感覚になれるんだ?と思わずつぶやいてしまいました。

今月も良書をありがとうございました。

投稿者 nagae 日時 2018年8月31日


「昭和16年夏の敗戦」

本を読んで見て、改めて天皇の存在は、すごいなと感じた。戦争賛成派の東條が天皇からの指示により戦争をしないように指示をいただいたことにより、全力で阻止するように人事を尽くして動くあたり、特別な存在であることがわかる。実際に天皇誕生日などで一般参賀した際には、参拝している方々が天皇陛下万歳という声が自然と沸き上がってくる経験をして、天皇は日本の象徴であることを感じました。

ただ、日本における天皇とは何なのか?どのように解釈・理解して、いったらいいのかが自分の中で整理できておらず、もっと本を読み進めていきたいです。

投稿者 eiyouhokyu 日時 2018年9月1日


昭和16年夏の敗戦を読んで

 昭和16年と言えば、今から77年も前のことです。しかし、この本を読んで、ユーモアもあり、私の知っている戦争のイメージとかけ離れており、新しいという感覚が湧き上がってきました。特に印象的だったのが、30代若手エリートたちと政府・軍関係者(50代権力者たち)の対比です。
 正確に戦争をシミュレートできた30代若手エリートたちと政府関係者の違いは何だったのだろうかと疑問に思いました。
 戦争という国家の重要事項を判断するとき、組織はどのように動くのか。時代は変わっても、人間というものは変わりません。本書に出てくる政府は、私の会社の組織と似通っていました。組織もまた、変わらないものだと感じました。
 自分の人生をどのようにいきるか、本書から学んだことを整理して述べたいと思います。

1.権力者たちから学ぶ生き方
 ①自分の今までの発言と反対の意見を言わなければならない立場となることがある。
 東條内閣発足の背景を知り、今までの東條英機元首相の苦労を垣間見ることができました。そして、人事の怖さというものを、知りました。会社の思惑、もしくは上司の個人の意向で自分というコマは動かされる可能性がある。それならば、自分ならどうするか、会社の判断を受けるだけでなく、判断する側の思考をしていかないと、組織に飲まれてしまうという危機感を感じました。
この戦争は、アメリカから見ても、国民から見ても開戦になるだろうというそれぞれの思いがありました。負けると分かっていても仕組みに組み込まれていて、苦しいながらも開戦に踏み切ったことを今も理解できる訳ではありませんが、仕組みを作る側がいるということを知れたことが、私の戦争理解を深めるヒントになると思っています。

②良い組織は、上に立つ人で決まる
 総力戦研究所において、1期生が最も盛り上がりを見せたのは、おそらく飯村所長の存在のお陰であると思います。反抗的な生徒も受け入れたり、身体チェックをしたり、体育と取り入れたり、そして、自ら生徒と一緒に走るなど、陸軍のイメージにない豊かな人柄の印象です。頭と身体を使う、右脳と左脳を使う、能力を最大限に活用する方法を飯村所長はよく理解していたのだと思います。
自分が組織の上に立つとしたら、人は選べないけれども、個々人の能力は高めるように仕組んでいかなければならないです。学生時代にバイトをしたファミレスでは、シフトを組む役割を任されましたが、入って2,3日目の新人も一人としてカウントしなければならないのです。それならば、どのポジションに配置をすればいいのか。尚且つ、教えることも意識しないといけない。休憩を取る人の時間帯はどこがいいか。といったことを考えていたバイト時代をふっと思い出しました。その時に、リーダーとして見られる意識をしなさいと先輩に言われていた言葉が、私の心に今も残っています。

③数字の力を使う
 組織での意思決定で、最終的に効力を発するのは、数字であること。第二次世界大戦で開戦に踏み切ったのも、決め手の一つは数字だったということが分かりました。
 この数字がやっかいな所は、作れるということだと思います。業務上、エネルギーの計算をすることがありますが、省エネというのは目に見えるものではなく、温室効果ガスがこれくらい減りましたというのは、計算上の数字でしか表せないのです。
 日本は持たざる国として戦争に負けましたが、今もエネルギー問題は継続中で、天然ガスの可採年数が残り53年という危機的状況にも関わらず政府が対策を取れていないように見えるのは、当時も今も変わらないのだと感じてしまいました。

1.30代若手エリートから学ぶ生き方
 ①業務においてプロフェッショナルを目指す。
総力戦研究所では、それぞれの専門家が集まり、情報を交換しました。そこには、それぞれの立場の人が集まり、個人的なしがらみや組織的なしがらみから離れ、ストレートに意見を交わすことができる場であったことが推測できます。その場で結果を出すには、自分自身の意見を持つことが必要で、自分が求められる立場での見識をしっかりと持つ必要があることが分かりました。
②海外を知る。理解する。
 国内の政治だけを見て判断することは、正しい判断ができず危険であると思いました。彼らは、海外の情報を知っており、判断する情報量が多いことが今回の正確で迅速なシミュレーションにつながったと思います。
私自身国内で住んでいて、日本のことだけ知っていれば事足りると感じていましたが、自分が正しく判断するには世の中、世界のことを知っている必要がある事を彼らから学びました。
③こんな大人にはならないぞという戒めをつくる。
 30代、家庭あり、子どもの年齢も近い。私は自分を彼らとダブらせて本書を読み進めましたが、当時彼らが何を思い、どうして誰も政治家にならなかったのか不思議でした。おそらく、政治家に失望をしたのではないか。そして、志村正氏の後世を知り、きっと戦後の資本主義、経済の日本になることを読んで、経済から離れた生き方をしたのではないかと思いました。その意味で、志村氏の見ていた総力戦の規模の大きさ、視野の広さには驚かされます。
では、自分はどんな生き方をしたいか。嫌でも年はとり、立場は上になっていきます。
そんな時、後輩や部下たちにどうな風に接している自分でいたいか。まだ具体的なイメージができていないけれど、マネジメントができる人になりたいという漠然とした気持ちが立ち上がりました。

自分はどう生きたいかを問いただせてくれる一冊でした。今月も良書をありがとうございました。

投稿者 haruharu 日時 2018年9月1日


「昭和16年夏の敗戦」を読んで

開戦直前に「総力戦研究所」という組織が発足し、しかも30歳から35歳くらいの中堅エリートが各官庁から、加えて数名の民間企業社員が三十名程度集められたことを知り、その時代に?と思うような自由で最先端のような人員の集め方を感じた。
総力戦研究所の対米戦シミュレーションの結果、奇襲で緒戦は戦火を得ても、結局は日米戦日本必敗と結論を出した。にも拘わらず日本は開戦の道を選ぶことになってしまうのだが、負けるとわかっててもなぜ戦をする必要があったのか?何をそこまで得たかったのか?という疑問は収まらず、著者の言う、「数字というのは冷酷だとしばしばいわれる。数字は客観的なものの象徴であり、願望などいっさいの主観的要求を排除した厳然たる事実の究極の姿だと信じられているからである。数字がすべてを物語るという場合、それはもはや人知を超えた真理として立ち現われている」が印象に残った。そうなのか。だとしたら、数字をだすというのは良くも悪くも結果に反映していくようになるんだと思った。だから、願望実現などや、成功者などの本にはあれほど数字数字と言っているのかと。

私は初めて東条英樹の人間性を知りました。昭和天皇は東条を首相として指名する際に、戦争に突入する方針を、もう一度なかったものとして再度政策を考えること、と指示をしていた。東条は、軍官僚として必死に主戦派を食い止めようとしたが、開戦までの半年は既にでていた結論をみなが納得の時間にしか過ぎなかった。とあるが、あまりにも東条の胸中が苦しい。
巨大な組織の力と闘い意に反して開戦し、負けた後は極悪扱いされるような状況。
実は、昭和天皇に忠誠心が強く、そして日本のために役割に忠実に全うし、家族を守り抜いた男だったんだと初めて知る事ができて良かったです。
ありがとうございました。