第87回目(2018年7月)の課題本
7月課題図書
林檎の樹の下で(上)禁断の果実上陸編 アップルはいかにして日本に上陸したのか
にしました。昨日LINEでご紹介してあっという間に売り切れましたが、この本は売れてい
るので、リアル書店でも簡単に手に入るはずですし、アマゾンでもすぐに在庫されると思
います。 日本人は世界で最もアップルが好きな人種なんですが、そんなアップルという会社
が日本に上陸した時の逸話をまとめた本です。今読んだら、こんなふざけた会社が良く生き残っ
たな、としか思えないんですが、当時も今も、ベンチャーってこういうところがあるんで
すよね。 それでも当時、アップルの先進性に惚れた日本人はどうにかしてこれを日本で広めたい、
普及(布教?)したいと考えて、地獄の日々を送ったわけです。そのあたりは下巻に詳しく書か
れています。 この本は上下巻でセットで、上巻だけだと物足りなく感じるはずなので、セットで
買うことをオススメします。非常に読みやすく、ページ数も多くありませんから、誰でも気軽に
読めると思います。
【しょ~おんコメント】
6月優秀賞
7月の課題図書の優秀賞を発表します。今月はニューカマーが数名いらっしゃいま
して、その方々がなかなか素晴らしい感想文がアップしてくれました。ということで、一
次選考を通過したのが、nishimikadoさん、sikakaka2005さん、kawa5emonさん、saori85
さんで、優秀賞はsaori85さんに差し上げる事にしました。
【頂いたコメント】
投稿者 audreym0304 日時 2018年7月28日
感想―林檎の樹の下で
パーソナルコンピュータを初めて使ったのは、中学生時代の技術の授業だった。一人一台を授業中に割り当てられ、お絵かきソフトと一太郎を使い課題を制作した。近隣の中学校に通っていた友達に聞いても、コンピューターの授業はなかったので、当時の田舎の中学校としては画期的な取り組みだったようだ。高校にはコンピュータールームはあったけれど、授業でも使ったこともなかったし、高校の同級生もコンピューターを使ったことがないと言っていた。
本書で描かれるパーソナルコンピューターの導入期の話は私が想像していたよりも古く、多くの人はパーソナルコンピュータという存在に気づかないだけでなく、現代のスマホのような持ち運びができて、いつでもどこでもネットに接続ができるようなものができるなんて考えた人はいたのだろうか。
本書を読んで感じたのは、日本の会社はとにかく「品質」にこだわる一方で、アップル側は品質よりもとにかく知名度とコンピュータ好きに手に取って使ってもらいたい、という考え方の違いだ。
モノづくりの現場では日本の会社の品質に対するこだわりは異常ともいえるほどだ。日本の会社が製品の製造にあたって各部品の耐久性や使いやすさなどはそれぞれ細かい試験が規定されていて、各部品のサプライヤーはその基準をクリアしなければいけない。しかも、その試験と言うのが通常の使用では決して起こりえない状況を想定しているため、非常に厳しく、クリアするのも難しくなっている。
海外拠点にその製造を委任するためのミーティングでよく聞かれた言葉は、
その試験は厳しすぎて、想定する原価内では収まらないし、サプライヤーにも負担になるだけだ。
日本でこんなに意味不明な試験を設定する理由はなんだ?
ということだ。
日本側としてはどんな使われ方をしても壊れることない製品を市場に投入することを使命のように感じているし、最終的に使用する側もそれなりのお金を払うわけだから、すぐに壊れたり不具合がでない完璧なものを要求する。
だから、日本側では品質と声高に叫んでいるのだが、海外の拠点に言わせれば、
乱暴に扱えば壊れるのは当然、過剰な品質はいらない。
なるべく早くユーザーに届けることを考えるべきだ
となる。
海外の市場と日本の市場における考え方の違いって面白いとおもったのだ。しかも、この品質の問題は本書でも書かれていて、完璧な品質を求める日本ととにかくスピード感を重視するアップルの違いは決して交わることはないだろうと自分の経験からも思ったのだ。
モノづくりに携わった経験から本書を読んで感じたことは、水島氏と曽田氏が密輸した最初の1台のように、モノの導入期には品質なんぞよりもいかに価値のわかり自分でカスタマイズもできるようなユーザーに早く届け、使ってもらい、フィードバックをもらって、製品のブラッシュアップを図ることが重要だということだ。しかも、価値のわかるユーザーの手元に届いてからブラッシュアップまでは早ければ早いほどいいはずだ。品質に関しては、一般ユーザーが手にできるようになってからでいいのだろう。
水島氏の「大型コンピュータの不便さが一番身に染みているのは研究者自身」という言葉を考えると、不便なものを解消するべく先入観なく情報収集をすること、そして、コレと思ったモノを試してみることが後に大きな社会変革をもたらしたのだとおもう。
コンピューターが誕生してから現代のスマホに至るまで、コンピュータを個人が小型でもてるくらいにまで進化し、インフラの一つになった。ボタン一つで情報の収集だけでなく、発信も可能になってて、ブロックチェーンやAIと言ったものが社会インフラとなり、世界中をつなぐ日も近いとおもう。
アップルでは人間の思考を増幅させるための機械としてコンピュータを開発したが、ブロックチェーンやAIはやはり思考を増幅させるための道具になるだろうか?
一人のカリスマがいることで、カリスマの周りに集まった人々によって一つの時代が作られていく。本書はアップルを通して、時代の作り方を教えてくれているようだ。
「不便なものを便利にする」、「人をあっと驚かせたい」、時代を作るのは目的を持った人間の意思だ。意思がないその他大勢の人間には時代は作れないし、ただ流されるだけになって、最悪テクノロジーの奴隷になってしまうのではないだろうか。
今もこれからの時代、ブロックチェーンやAIで踊らされているのではなく、目的と意思をもって、自分たちの思考を増幅させるための道具として、テクノロジーとかかわっていくことが必要なんじゃないだろうか。
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2018年7月29日
『林檎の樹の下で・上巻』(斉藤由多加著)を読んで
上巻を読んで最も印象に残ったのが、1980年アップルが日本での提携会社として、合繊メーカー東レを選んだエピソードである。帝国ホテルの記者会見で、アップル社副社長のジーン・カーターは述べている。(P.154)
①「東レは、資本力、信用、規模、どれもトップレベルです。日本で商売をする上で、このブランドが非常に重要であります。」
②「また、電機メーカーと違って、アップルの技術を応用し、競合することがない点が、アップルにとって重要なのです。(中略)東芝や松下などの電機メーカーと組んだのでは、いずれ我々の技術と競合する商品を出される恐れがあるのも大きな理由です。」
この2点について考えさせられた。東レとの提携が成功に終わったかどうかという結果面でなく、
「歴史と信用のあるブランドを重視し、商品に安心感を求める」という日本人の国民性が指摘されていたことを、興味深く思った。また、
「これまで全く考えらなかった画期的な新製品を世間に売り出す時、似たような企業と組むのは、逆にリスクになる」という指摘も、考えさせられた。
自分が子供の頃には存在しなかった製品-例えばスマホ、アマゾン・楽天でのネットショッピング等-が、現在は日常生活の一部になり、私達消費者はテクノロジーの迅速な変化(しかもその変化は現在進行形でめまぐるしく続行中だ)にスムーズに順応し、むしろ楽しんで享受している。だが、それら新製品の「売る側」には、裏で様々な葛藤があったことが、本書を読んでうかがわれた。
専門知識に優れ、ベテランであることは望ましい。企業として利益を追求しなければならない立場上、慎重になるのはやむを得ないだろう。だが既存の価値観や前例にとらわれ、新しい世界にパラダイムシフトできないことは、自由な発想を奪う足かせとなる。スティーブ・ジョブズが新しいコンピューターを発明した時も、その価値を見込んだ賢き日本人がいた一方で、「ハ?何だ、こんなもの!」と一生に付した者もいただろう。後者は、伝統的な価値観に縛られたベテランだったと予想する。
ここで考えてみた。人には、成長を止めて固定する時期は、あるのだろうか。そして、私自身は固定しているのだろうか。
当然、固定しない方が望ましいだろう。例のスタンフォード大の卒業式のスピーチ(2005年)で、スティーブ・ジョブズ本人が “Keep moving. Don’t settle.”(動き続けなさい。固定してはなりません。)と述べているくらいだ。
固定とは、努力に努力を積み重ねて何かに熟達した人だけが、到達できる極みなのだと思う。そう考えると、取り立てて努力をしていない自分は現時点ではとても「固定している」とは言えない。だからこそ、これまでの自分は「自分はまだまだ。もっと努力しなければ・・・」と思ってきた。
だが、本書を読み、「無知」は自分の武器にもなることを確信した。専門知識が足りないからこそ、新しい世界に先入観なく、勇敢に飛び込める。ジョブズが“Stay hungry. Stay foolish.”(ハングリーであれ。そして愚か者でありなさい。)という有名な言葉を残したのにも、そういった意味合いが含まれているのだろう。
自分はコンピューターのみならず、その他の分野のことも良く分かっていない。しかし分からないからこそ、未知の分野の本を読み続け、新しい世界と繋がりを持とうと手を伸ばし続ける、その態度だけは持ち続けようと再認識した。
本をお薦めしていただき、感想文を表明する機会をいただいて、ありがとうございました。
投稿者 akirancho0923 日時 2018年7月30日
『林檎の樹の下で(上)』を読んで
私が本書を読んで感じたキーワード3点をまとめました。
[理想像]
とりあえず面白いものが見つかったのなら作ってしまう、すぐ発表してしまう、
未完成でも広めてしまう、後のことはそれからだ!という発想・文化が
イノベーション環境を作っているからアップルは生まれたのではないだろうか。
(日本では何故この発想が広がりにくいか、の点については
論点がずれるので、またの機会に。。)
魅力的なものを見つけたのに(理想像だけでは...)という考え・視座で、
発想の制限をかけてしまうと、せっかくのイノベーションがしぼんでしまうので
この理想像を追い求め続ける価値観は、ぜひ自分のものにしていきたい。
私はIT運用自動化のプロジェクトに取り組んでおり、AI・クラウド・RPAなど
現在のイノベーションを起こすツールや概念は情報過多のように溢れかえっている。
改めて理想像を忘れず、本書をヒントに直観を信じて取り組んでいこうと感じた。
[熱量]
恥ずかしながら、私自身が不足している本書で気づかされた部分だった。
水島社長がマイコンショウに足を延ばす”行動”!!!つまり、熱量のある”場”
に自ら赴く行動が昨今滞っている点だった。常に気をつけてはいたはず、なのですが。。
これはメルマガでも何度も書かれている内容であり、同じ熱量を感じる同志が集まる場に
参加するいう行動は運命や出会いを変えることにつながる。(事実、本書でもそうなっている)
8/4にしょ~おんさんのセミナーにも参加するが、
仕事のセミナーにおいてもすぐに計画することにする。
[文化の違い]
この点は、アップルという素晴らしい商品を日本で販売展開するにおいて、
「ロケット・ササキ」に最も強く強調されていた部分だが、
本書でも「共創」の重要性が特に滲み出ていたと感じた。
ベンチャーから生まれた新しいイノベーションを、
投資できる企業が世の中に広めていく例はたくさんあるが、
並大抵ではない数々の壁が立ちふさがっており
本書でもその辺り詳細に描かれている。
ネット記事で読んだことだが、今のMicrosoft社の売上高が良いのはクラウドという
魅力的な商品であることやユーザの便利性ニーズに乗った部分ももちろんあるのだが、
よりユーザが使いやすいように、MACなどの他企業製品との互換性をより良くするなど
企業努力をMicrosoftのCEOは推進・より重視しているからだ、とのことだった。
これはセミナーで詳細に説明がある「智の道」を実施している結果だと感じた。
かつての近江商人がモットーとしていた「三方よし」にも通ずる点だと思うが
教訓として改めて徹底したい。
[本書で得た気づき]
やはり行動、です。今後は年に1回は仕事においても、しょ~おんさんのセミナーも
参加します。理想像を達成する為には、興味あることには貪欲に吸収する意思が必要。
同志と同じ”場”に参加してモチベーションアップの為、熱量を感じ続けることが必要。
異なる考えを自分に取り込む為にも、読書とアウトプットを継続して自らの知性を
際限なく育むことが必要。これらはきっと、新しい出会いや運を呼び込むことに繋がるはず!
ありがとうございました。
投稿者 nishimikado 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下でを読んで
熱い。この熱量は一体何なんだ?! というのが、とにもかくにも第一に感じたことでした。
わたしは1980年、本書においては東レとアップルコンピュータが提携した年、そして米アップル本社が株式公開した年の生まれです。パーソナルコンピュータに触れる年頃には、今より不便ながらも既にインターネットが当たり前に接続されていました。大流行したiMac G3が初めて触れたアップル製品です。
有形無形の何もかもが黎明期を経て、既に完成しつつあったあの頃。先人がどのような苦労を重ねてそれらを我々一般人が享受する道筋を切り拓いたのか、改めて振り返らなければすっかり見えなくなっていたあの頃。我々以降の世代の大半は、熱く生きようとするも自ら発火しないことにはなかなか熱量というものを感じにくいのではないかと思います。
もし、自分が今よりも「熱く生きる」を実践するとしたら何が必要なんだろう?と問いながら本書を読み進めました。
今回、アップル日本上陸の熱量を追体験する中で、“熱”の源とは、自ら設計し見えているポジティブな未来予想図なのだと思いました。熱っぽい人はすべからく“仕掛け人”です。初対面の水島氏にアップルIIのスロットについて尋ねられたジョブズのセリフ「(このスロットは)将来発表されるであろういろいろな外部機器との接続用です」しかり、水島の「わかる人にはわかるんですよ。この名もないコンピュータの持つ力がね」という言葉しかり。過去の課題図書のタイトルにもありましたが、彼ら先行者には「見えている世界」がある。確かに、どんなに硬い食材、例えばカボチャのような野菜でも、調理すれば美味しく食べられる料理の完成形が頭に思い浮かんでいるからこそ、人はカボチャの加熱を試みるのですよね。あっ話が逸れました。
また、まだ何もない“ゼロ”の状態では発生しないというのも“熱”の特徴ではないかと考えます。つまりはカボチャが必要、ではなく、燃やす“何か”が必要なわけで、例えばアップル創始者の2人が所属していた「ホームブリューコンピュータクラブ」の場合はアメリカの体制への反発心であったり、水島氏の場合は官僚制に反発する気質であったりしたのでしょう。もし熱くなりたかったら健全な範囲内で仮想敵を設定するのも有効かもしれません。
そして、熱源に同調する人間が多いほど、社会へ与える“熱”のインパクトは大きくなり、その範囲が広がることで周囲を巻き込み規模がさらに大きくなる……これはもはや革命以外の何者でもありません。まだSNSのない時代に一つのコンピュータが、一つのマイクロチップが、一つの名もない会社がわっと広まる場所、そこにはどれだけ多くの人たちがリアルに交流していたかと考えると、今ではちょっと想像し難い感じがします。実のところはかなり羨ましく感じますが。
特定のコミュニティにおいてアップルIIが時代を変えることを予期しながらも、その一方ではおもちゃを前にした子どものようであった水島氏の「密輸」が、のちの日本企業群へ多大なインパクトを与えることは痛快でもあり、当事者日本人としては複雑でもあります。
最後に、熱く生きることの是非について考えてみます。わたしたちは生き方の選択として、リスクを厭わず“熱く”理想実現を追求することもできるし、それを選択しないことも可能な自由な時代に生きています。よいことだと思います。
私が本書で印象的だった人物は東レの曽田、羽根田両氏でした。二人ともサラリーマンという立場でアップル製品に関わり始めるも、水島氏やアップルコンピュータ社の人間の熱量に巻き込まれていく、そのポジションに非常にシンパシーを覚えました。
熱源の側で生きる喜びも幸せもあると思うし、わたし自身長い間それらを感じてきました。またそういうポジションに適しているという人もいると思います。結局“熱い”というのも、結果的に他人からはそう感じられるというだけの話なので、発火している当事者としてはポジティブな未来設計図に向かって粛々と進めるべきことを進めているだけの話なのだと思います。夢中で。
何か一分野において、水島氏が言うところの「わかる人にはわかる」の「わかる人」になることができれば、それがニッチであればあるほど、その変化の微差を感じられる人間が少なければ少ないほど、発火点となり社会をも変革してしまう力になりうる可能性があると言えそうです。そんな生き方が楽しくないはずがない。
好きなことや興味のあることで未来をポジティブに描きだせる力、そんな分野に出会えるかどうかは運でもあり、SNS時代の今はスキルであるとも思います。いつでも少し多く行動し、その勝率を上げていこうとより一層心に誓ったしだいです。
お読みいただきありがとうございました。
投稿者 masa3843 日時 2018年7月31日
『私はアップルの製品は愛しているが、アップルの製品は大嫌いだ』
日本人で最初にAppleⅡに惚れ込み、日本での普及に粉骨砕身した水島さんの言葉です。
ビジネスにおいて、ここまで製品と社員の評価が180度違うことはなかなかないのではないでしょうか。
ただ本書を読み進めていると、水島さんの気持ちも良く分かります。
日本での販売を進めるにあたって、アップルのどっちつかずとも言えるフラフラとした態度は、読んでいるこちらも苛立ちを覚えるほどです。
日本語への対応も遅く、関係者が再三にわたって働きかけて初めて着手。さらには、コンピュータメーカーではない総販売元のキャノン販売に漢字版の「ダイナマック」に開発させるほどです。
これらの不誠実さと対応の遅さは、水島さんでなくても不満を漏らしたくなるでしょう。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブズへのイメージも本書を読んで大きく変わりました。
今までは、「プレゼンが得意で禅の心を大事にし、デザイン力の高いカリスマ経営者」というイメージでしたが、それが「理想の高いワガママ経営者」というイメージになりました。
アップルを辞めて新しい会社を作ったというエピソードも、自分勝手に好きなことばかりやった結果、愛想をつかされて会社から放逐されたように思えます。
それでは逆に、ジョブズをはじめとしたアップルのメンバー達がイマイチだったにも関わらず、なぜAppleⅡを始めとするアップル製品は売れたのでしょうか。
なぜ水島さんは、密輸してまでAppleⅡを日本国内に持ち込みたいと思ったのでしょうか。
その答えも本書に描かれています。
それは、圧倒的に魅力的な商品力です。
それまでの、回路基板にLEDの簡単な表示装置を付けたマイコンキットよりも商品としてはるかに洗練された外観。
8つのスロットを備え、「ユーザーによって完成される未完成品」として無限の拡張性を備えた先進的な設計構想。
次世代機のLISAにおいては、ユーザーを難解なコマンド習得から開放した「アイコン」と「デスクトップ」というUI。
これらの革新的な商品特性は、間違いなくユーザーの心をがっちりと掴んでおり、水島さんも1ユーザーとしてその商品の虜になったのだと思います。
これらは、ジョブズが「シンプルであることが究極の美」であることを信念に、目先の短期的な利益に捉われず、「高邁な思想』を追い求めた結果と言えます。
ジョブズは、パソコンを「思考のための道具」と捉えていました。
まだパソコンが1人1台どころか1社に1台も普及していなかった時代です。
ジョブズには、これから進む社会の未来が見えていたのかもしれません。
そしてその革新的な未来に進むため、全ての事業を展開していたのかもしれないのです。
爆発的なヒット書品となったiPodやiPhoneのシンプルなデザインと直感的で分かりやすいUIも、このジョブズの描いた未来の延長線上にあったのです。
これらの設計思想は、ジョブズの独りよがりで勝手な考えではないと思います。
むしろ、心の底から社会やユーザーのことを考えたからこそ生まれたものではないでしょうか。
だとするならば、ジョブズが周りの人々から受けた保守的な反応は、彼をイラつかせて当然だったのかもしれません。
日本の商慣習や売り方など、どうでもよかったのかもしれません。
ここまで思索を巡らせて、最近出会った禅語が頭に浮かびました。
それは、曹洞宗の開祖道元禅師の、
『はづべくんば明眼(めいげん)の人をはづべし』
という言葉です。
これは、
「人の眼を気にするなら、物事を正しく見抜くことのできる優れた人物からどう見られるかを気にしなさい」
という意味で、転じて、
「何でもかんでも人の言うことや批判を鵜呑みにするのではなく、誉められても馬鹿にされても、その言葉が真実について述べられているかを常に考えることが重要である」
という意味だそうです。
ジョブズには、周囲の人から何を言われようと、日本から様々なネガティブな反応が返ってこようと、人類が進む未来という「正しいもの」のためにすべきことを考えていたのではないでしょうか。
その「正しいもの」を追いかける上では、周囲の雑音など気にする必要などないと思っていたのではないでしょうか。
私自身は、人の目を必要以上に気にしてしまう小さな人間です。
仕事上の判断をする上でも、上司の反応を見ながらそれに迎合してしまうことばかりです。
しかし、何か大きなことを成し遂げるためには、必要以上に周りの声に捉われすぎてはいけないのかもしれません。
もちろん、他人のアドバイスを聞くことは重要です。
必要以上に人間関係で波風を立てる必要もないでしょう。
ですが、本当に実現したいことがあって、かつそれが前例のない革新的なことであるならば、周りの人から反対され批判を受けるのは当たり前です。
そんな時に、自分にとっての「正しいこと」を貫き通せるか。
ブレずに続けてやり切ることができるか。
それが成功するかどうかの分かれ道になる。
そんなことを感じることができた本でした。
今月も素晴らしい本をありがとうございました。
投稿者 H.J 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下で
現在のアップルといえば、日本では知らない人が少ないほどのブランドであるが、
そのアップルでさえも、日本での販売までにここまでの苦労があったとは驚いた。
私の認識では、スティーブ・ジョブズという1人のカリスマが育て上げたブランドという認識であった。
しかし、本書を読み終えた今では、その認識は大きな影響力を持つものに心を奪われる人間の本質が作り上げたものなのかもしれない。
本書を紹介されるまで、その裏側を見ようともしなかった。
カリスマの影に隠れた、アップル製品に情熱を注いだ人たちがいることを。
本題に入ると、本書から私が得た教訓は、
”人々は見えてるモノしか見ない”
ということだ。
逆に言うと、
”殆どの人は見えないモノを見ようとしない”
アップルは人々が見ない部分を上手く活用している様に思える。
そういった視点で見ると、色々と浮かび上がる。
①P70〜『ユーザーの手で完成する未完成品』
完成品とは目に見えてるものである。
そこをあえて、未完成にする事で見えない部分がある価値をユーザーに提供する。
マニア向けの製品であれば、完成度の高いものでマニアの心を満たす事を考える常識の逆を突く事で、
逆に自分の手で作るというマニアの心を満たしている。
これは、人々が見えてないモノを見ているからこその戦略だろう。
②P200〜LISAの登場
今では当たり前の機能の先駆けのマシーン「LISA」も当時ではさぞ画期的であったのだろう。
誰も見ていなかった、予想していなかったモノだ。
それこそIphoneを発表した時の衝撃と話題があったのだろうと予測する。
“新しい技術” と “新しい使い方”
アップルの強みであり、誰も見ようとしなかった部分を提案しているように感じた。
他方で、この考え方は今を生きる人達が新しい価値を提供するための方法とも言える。
今の時代、スマホで簡単に情報にアクセス出来る世界である。
見えないものがどんどん見える化してる一方で、見えてるものだけに満足をしている気がする。
楽に情報が手に入る反面、検索して出てくる簡単な情報だけで満足をしてないか?
特に日本人は『日本は知っているブランドでない商品を買わない国でしょう。(P155)』の示す通り、
リスク回避型思考がベースになっている。
見えている情報しか信じないのだ。
そう考えると、まさに
”殆どの人は見えないモノを見ようとしない”
であるならば、逆に考えよう。
”見えないモノに気づいて見る”
これこそが、他者との差別化になり、他者にない価値観を持っているということになる。
それが個性であり、情報がフラット化する社会での自分の強みになる。
しかし、見えないモノを見ただけではインプットのみだ。
自分の内面に取り入れる必要がある。
この自分の強みを外に出すこと。
つまり、
”見えないモノを見せて伝える”
ことが大切である。
人は見えなかったものを見せられた時にその価値に気付く。
気付かされた時の衝撃が大きいほど感動が生まれる。
感動が生まれれば、熱が湧く。
熱狂的なファンを作るという意味では、これこそが原点になる事だと感じた。
熱狂的なファンが多いアップルを語る上で、
デザイン性や機能性やジョブズというカリスマの存在が良く挙げられるが、
これは既に見えてるモノにしかすぎない。
結果論になるかもしれないが、
『彼らが求めてるのは目先の売り上げなんかじゃない、信じられないほど高邁な理想なのだ(P135)』
が指す通り、人々の見えない遥か高みを見ていた。
プロダクトインだけに数多くの失敗もあった様だ。
しかし、今ではプロダクトがマーケットを引っ張っている。
この現状は何が生み出してるのだろう?
アップルが一流ブランドになった裏には、人々が見えないモノを見せ続けている事があるのではないか。
それがアップルの強みだと思った。
一見、新しいモノに見えるモノも、人々が見えてないモノに気づいて、具現化、具体化して見せているだけの事ではないか。
そう考えると新しいモノは誰にでも生み出せる。
特にあとがきで著者が書いている様、これから「新しい時代」へと突入するだろう。
その時代を牽引するのは、人々の見えないモノを見ている人なのだろう。
新しい価値を生み出す極意を教わった素晴らしい一冊であった。
投稿者 coco55 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下(上)を読んで
アップルがいかにして日本上陸したのか・・・毎日PCに触っているし、もうインターネットがない生活は考えられませんが、今でもマイコンの時代は一部のマニアにしか受け入れられていなかったレアな世界だと決め込んでいる節があるので、興味がない分野の本を読み進めるのは大変でした。しかし、何度か読み返しているうちに引っかかるフレーズが出てきました。
『シンプルであることが究極の美』by スティーブ・ジョブズ氏
『いいものは安くする必要などない』by水島敏雄氏
『我々が作ろうとしているのは思考のための道具』by スティーブ・ジョブズ氏
この3つのフレーズで一気に読むスピードと理解が早まりました。規模も業界も全く違う分野で仕事をしている私も大切にしていることだからです。何を行うにも信念やプライドは変わらないのかもしれないと思ったら、急に親近感を持てるようになりました。
https://youtu.be/vkSCLvIaCcI?t=10m14s
さらに今回本を読んだ後偶然この動画を見ることでスティーブ・ジョブズ氏は、実は前世は日本人に通じる人なのでは?と感じました。
「シンプルは究極の美」日本の茶室や文化、海外で人気のZENスタイルにも通じます。実際にスティーブ・ジョブズ氏はZENの世界を大事にしていたと様々なサイトで紹介されているのを見かけました。
「安く売る必要がない」本文中ではスティーブ・ジョブズ氏の言葉ではないですが、アップルもそのスタンスを貫いていると思います。アップルストアに行くと従業員、顧客は心からMacを愛していて、スタッフのホスピタリティとその場にいるお客さんたちから発せられる「アップル愛」で非常に良い空間に仕上がっていることを肌で感じます。安売りをしないことはブランドを育てるし、ユーザーもMac製品を持っていることを誇りに思えます。戦後の日本は品質の良いものを作ることに会社が一体となって心血を注ぎました。最初は苦戦してもだんだん世界中で支持されていきました。やはり良いもの本当に欲しいものであれば人は高くても買うのです。
「思考のための道具」はインターネットが普及する前の計算機、今は調べ物、アイディアを出したい時、全く知らない世界を垣間見るなど、あらゆる場面において本当に世の中でなくてはならないものになりました。
私がこの20年で使用したPCは5台全てWindowsでした。6台目は持ち運びに便利な薄いMac Book Airにしました。最初のうちはキー操作などが慣れなくて使いづらかったものの、初めてプレゼン資料を作ったりするのに取説がなくてもとても簡単な操作でできました。Macに慣れると併用して使用しているもう一つのWindowsのノートPCはほとんど電源すら入れなくなりました。全ての面で使いにくく感じるようになったからです。
実際にWindowsとMacを使ってみて、この本を読んで納得しました。創業当時から現在の形になるまでには紆余曲折を経ながらも妥協を許さない一人のカリスマと、それを実現化させる多くの人たちの知恵と行動で出来上がった会社であり製品や流通システムなどが成せた結果だったのですね。
さて、この本を読んで一番息苦しく感じたのは「時代を読む力」「交渉力」「異文化の理解力」をいかに培うかでした。
時代の最先端過ぎて一部のマニアにしか価値が理解できないものに目をつける「時代を読む力」
アメリカと日本の異文化による商取引の違い、しかもスティーブ・ジョブズという難解な人物が率いる企業と折衝する「交渉力」
言葉が違い、考え方が違い、考えている到達地点が違う「異文化の理解」
アメリカと日本の関係者、担当者例えスティーブ・ジョブズ氏であってもめまぐるしく選手交代させられるプレッシャーとスピードにヒリヒリ感やとても息苦しさを感じました。
40年経った今、このようなシチュエーションで海外と取引を行なっている人は日本で山のようにいらっしゃると思いますが、私自身がこの息苦しさを克服するためにはどうしたらいいのだろうと考えました。そしてますますボーダレスになる地球で生き抜くためには、親としてこれからを生きて行く子供達にどうアドバイスをしてあげたらいいのでしょうか。
いつもメルマガでしょ〜おんさんがおっしゃっているように、ビジネススキルを磨くこと、勉強の大切さ、最低1年間に100冊以上は本を読まないと話にならないというのは、ヒリヒリ感や息苦しさを解決する一つの方法であるのだろうと思いました。私がまず取り掛かることは苦手な分野や興味がない分野でも壁を取っ払うことだと思います。
まだしょ〜おんさんのメルマガ全てを読みきれていません。今回の読書感想文を書くにあたり本を読むための理解する知識が薄い、つまり圧倒的な勉強量が足りなすぎることを痛感いたしました。コツコツ過去のメルマガを読みつつ、セミナーにも参加させていただいて、この本で感じた息苦しさを克服して行きたいと思いました。
投稿者 ishiaki 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下(上)を読んで
私が初めてパソコンを触ったのは社会人になってからで
その頃はアップルコンピューターとマイクロソフトの違いさえわからなかった
その後、パソコンの知識が少しずつついてくると
どうやらアップルコンピューターはマニアが使用するパソコンということがわかり
私が使うジャンルのパソコンではないと見向きもしなかった。
その後年月が経ち、アイフォンという電話が発売になったが
やはりアップルコンピューターが作ったボタンの無い携帯電話ということで
そんなものにはついていけないと思いこれも見向きもしなかったが
時代の流れでスマートフォンにしなければならなくなりiPhoneに機種変更をしたら
使い勝手のいいことに気づき、
今ではスマートフォン無しでは世の中やっていけないぐらいの状態になっているが
その礎をつくったのがこの会社だということがわかり、興味深く読んでいった
まだ、日本にはパーソナルコンピューターというものが普及していない時代に
密輸でアップルのパソコンを持ち込んだ衝撃の事実を知って驚いたが
アップルのブランドを守る意識も凄いと感じたが
日本にうまく馴染もうとはせず、あるがままで勝負できる自信があることに
自分も自信を持って行動しようと感じた。
投稿者 diego 日時 2018年7月31日
誰かから生み出された、素晴らしいものに触れることがある。
音楽や映像、文芸といったジャンルをイメージするとわかりやすい。
そして、そこからいろいろなものを感じ取って、
その人は一体どんな人だろう?と更に興味を深めていく。
人として超どうしようもないかも、友達になりたくはないかも、と思うような人でも
なんと素晴らしい音なんだ?どうしてこんな作品を書けたんだ?どうして、
こんなにすごい表現力なんだ?と、魂の根底から揺さぶられることがある。
マックとは、それと同じなのではないか。
はじめてマックを手に入れたのは24年前、フルカラーノートパソコン、価格50万。
起ち上げたら、マックが笑っている。本当にどきどきした。
調子がすごく悪いと、サッドマックが出ると聞いて、出てきてほしくないけど見てみたいと思った。感覚としてはおもちゃを使っているのと同じ。とにかく楽しかった。
こんなおもちゃ箱があるなんて。なんてスバラシいんだ!
時を経て現在。本書を読んで、そのどきどき感を思い出しただけでなく
やはりその感覚は、他の日本の人たちとも共通していたのか、と思った。
その一方で、大きな違和感を持った。
「学園祭のような」という言い方が、本書のはじめのほうに、
更には「まるでロックスターみたいな」という表現が幾度か出てきた。
もしこれが、ロックミュージシャンの話だったら
こんなに大きな軋轢を生まなかったのではないか。
マックのステキさ、ユニークさに触れた人たちは
きっと、わくわくとした中で、自分のわくわくも実現させたいと、
そんな気分になっていったのでないか。
日本のマック一台目が、密輸されていたなんて。
なんてドキドキするんだろう。
だが、社会的信用が必要な企業では、これはできない。
密輸を面白がるのも、アウトだろう。
そういう意味ではきっと、すでに初めから間違っていたのだろう。
東レなどの日本の企業は、アップルに粘り強く応対し、
落としどころを見出した、むしろ評価されるべきかもしれない。
だが、あわないのだ。異質なのだ。
あまりにもアップルが、尖っていた。
2000年代半ば。会社では帳簿も手書きの行程があったし、なんでも印鑑が必要だった。
2020年になろうとしている今、勿論帳簿も手書きはしなくなり承認フローも電子化され、押印する回数もかなり減った。
楽になったとすごく喜んではいるが、
こんな簡単でよく成り立っているなと思う人も時々いる。
その意見も、少しは理解できる。
ましてや、はじめて日本で販売されたマックは、1970年代である。
さぞかし、日本の企業人は、しんどかっただろう。
あまりのギャップ、あまりのいい加減さに、全くついていけなかっただろう。
最近では、多種多様なギャップを間近に感じる機会は、かなり増えた。
身近に接する外国人観光客や留学生、社会人も、ちょっと不思議だなぁと思う。
ニュースや書籍も発行スピードが上がり、身近なエリアから世界の裏側に至るまで、
様々な社会の階層にも触れ、発生しているギャップを疑似知覚する。
更には、身近な人でも、日々接するだけで、考え方が違うなあ、不思議だなあと思う。
不思議だなあと言っている間は、まだ、いい。
これが憎しみに変化したら、世界は豹変する。
マックのPCは、遊び心がいっぱいだった。
だから、みんなにも教えてあげたいし、一緒に共感したい。
でも、それをつくっているのが、わからずやのすごく嫌な奴だとしても
やっぱりマックはすごくステキで
でも嫌な奴は嫌で、何考えているかまったくわからないし
もうマックだけ下さい、という気持ちになるのも、わかる。
現代、生活はまたどんどん変わっていて、
生活が楽なって、とりあえず余剰時間と余剰エネルギーは増えているはずである。
そうなると、もっと学びや文化的活動に、人は向かうのではないか?
人類自体がクリエイティブになるのでは?
私は楽観していて、そのように感じていた。
楽しいと思うことを仕事にして、専念して、個々人が自分の特性を生き、
それでいてまるで歯車が噛み合うように、スムーズに循環し、成長していく社会。
ただ、いつの世にもいたように、超尖った人も必ず出てくるだろう。
そういう人たちとも一緒に生きて楽しんでいくには、どうしたらいいのか?
もう、成熟するしか、大人になるしかないのではないか。
自分を教育することで、嫌な奴がいやでなくなるし
相手から根気よさを学ぶことができるし
理解してもらおうとコミュニケーションすることで、
伝え方をもっと学ぶこともできるし、
更にはいつか認め合う日も来るかもしれない。
懐が深くて、自分の話をしっかりと聴いてくれる人は、好かれる傾向にある。
これも今後AIが一部やってくれるようになると思うが
ステキなAIも、尖った人も内包するような、包容力のある社会を目指すべきだろう。
ただ、社会として成熟するためには、教育が必要だろう。
どんな状況でも自分の規律を自然に守ることができる(「あの子ずるいねん。私もまねする」ではだめ)とか。
うん、そんなことを考えたのですが、
キラキラ輝いていたマックのほうが、よっぽどステキですね。
文化の包容力が大きいと、ステキなものに触れるチャンスは、必ずめぐってきます。
だから、あまり狭苦しく考えずにいます。
心の中は、いつも広いスペースで、素晴らしく不思議な世界に触れ続けたいものです。
敢えて上巻だけの感想です。これか下巻を読んで、個人的に感想を書きます。
今月もありがとうございました。
投稿者 shinwa511 日時 2018年7月31日
何年か前に、アップルから最初に発売されたAppleⅠがTV番組で紹介されて、600万円の値段がついていました。基盤と取り扱いの説明書だけでそんなにするのか、と驚いた記憶があります。Macintosh・iPod・iPhone・iPadが世界を席巻する前の話でしたから、今だったらもっと高いと思いますが。
今も世界に影響を与え続ける、林檎の木と書かれたアップルは、圧倒的なカリスマ創業者スティーブ・ジョブズに率いられ、世界へと進出してきます。新興してきたアップルに対して、本書で特に詳しく書かれている、AppleⅡの機能と可能性に、はじめて気づいた島敏雄、アップルという新しい風を実感しながらも、大企業の一兵卒と自覚する曽田敦彦、国内製造権獲得を目標にアップルと交渉を進める、羽根田孝人の3人の視点や考え方も面白く、結局は3人ともアップルという巨大な林檎の木に関わって行くことになります。
彼らはAppleⅡの高機能性と、スティーブ・ジョブズというカリスマ性に日本進出という時期に、近くにいたからこそ肌で変化を感じていたのではないかと思います。積極的に自分から変化の中に飛び込み、特にこの3人は本書で曽田が感じたという「何か熱いもの」に触れていたいと思ったのでは、と。
人は外からの新しい変化には、いつも悩まされると思います。新しい情報は常に自分の外にあり、それに触れるたびに“さあ、君はどうする。”と問われ続けます。自身が面白そうだ、楽しそうだという変化には、知らず知らずのうちに関わるようになり、影響を受けていきます。その大きな流れの中で、いざ自分が変わっていく時には変化を恐れず、考え方や思いも常に変化して行く事が必要だと本書を読んで改めて思いました。
本書を読んだ今では、何年か前に見たAppleⅠが600万円という値段がついていたのも納得できるようになりました。過去に作った物、これから生まれて来る物にも変化の影響は出てきています。
投稿者 joyfull 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で」を読んで
私がApple社の製品と出会ったのは、1993年の大学の共有パソコンであった。その頃には、ワープロソフトもそれほどの不自由なく動いていたので、Windowsを使うか、Macintoshを使うかは与えられた環境(研究室によってPC偏りがあった)と好みで、私の卒業論文はMacで書いたことを覚えている。Mac使いであったので、Windows95が発売されても、あまり騒がず、既にMacで出来ていたことをやっとWindowsで出来るようになった感想しか持たなかった。そういった背景からか、当時のApple社の私のイメージとしては、価格は知らないが、windowsよりも使いやすいという印象を持っていた。
本書は、それ以前のAppleが日本に入って来てからの、変遷が掛かれているが、私の思っていたものと、全く違っていた。恥ずかしながら、Appleは最初からAppleという売り方を日本でして、今に至っていると【勝手】に思っていた。当然のことながら、英語しか対応していないモノを日本で売り出すとなると、その苦労は計り知れないものになることは、想像に難くない。しかし、その苦労をしてまで、ESDラボラトリーの水島氏が日本に持ち込んだのは、コンピュータショウで「アップルⅡ」に日本では見出すことが出来ない未来の可能性を見つけてしまったからであろう。
今では、apple社のiPhoneやipadを見かけない日はないが、どうしてここまで、AndroidでもWindowsでもなく、Apple社製品が広まったのか、私自身よく分からなかった(というか拡張性でいったらAndroidやWindowsのほうが全然いいと思う)のだが、本書を読んで何とかなく分かってきた。当初はイノベーター、アーリーアダプターから徐々に広まっていったApple Computerだが、マーケットの対象は普段PCを使う、学生、会社員、研究者であり、パイも決まっていた。そのマーケット対象が広がり、中高生・一般主婦などこれまでPCを使わなかった人まで使うようになり、これ程のマーケット規模に発展した。これを狙ってやっていたのだと思う。それは、上巻P183『ようこそIBM殿へ コンピュータが・・・・・すでに人間の労働形態、思考方法、学習方法、コミュニケーション、そして余暇の過ごし方までが改善され始めています・・・・』にあるように、最初から生活スタイルを変える能力を持つものとして作り上げてきたので、その対象がテクノロジーによって広がっただけに過ぎないとも思えてきました。
モノ作りにしても、事業を起こすにしても、どこまでビジョンを描けるかで、そのアクションのゴールが決まり、揺るがないビジョンを持つためには、信念を持つことが重要と感じた。Apple社でいえば、上巻p34『Simplicity is Ultimate Sophistication!』の言葉に集約されていると思う。
今月もよい本とのご縁を頂き、ありがとうございました。
投稿者 mmnn 日時 2018年7月31日
時代は必ず変わっていく。
時代に取り残されたくなければ、
今の状況を正しく読み取り、
変わっていかないといけない。
さもなくば、時代が変わろうとも
何事にも動じない信念、
「自分はこれだ」という信念を
持たないといけない。
本書を読み、自分が幸せに生きていくためには
このどちらを選択すべきだと感じた。
堀江氏の希望で、
本書は、漫画と通常の文章の2本立てで、
物語が進んでいく。
しょ~おんさんのメルマガには
随分前にいち早く漫画を取り入れられた。
余談だがこれも時代の流れの先読みであったのだろう。
おかげで、登場人物があれこれ多く出てきても
スムーズに頭の中に入ってきた。
漫画の右脳刺激と、文章の左脳刺激で
本書は他書と比べても、非常に読みやすく、
理解しやすくなっている。
だから、これからは漫画と文章の2本立てで
構成される書籍が増えていくのかもしれない。
本書は、アップル社がいかにして日本で
地位を築いてきたかが描かれている。
スティーブ・ジョブズの功績が目立つ中、
本書はその脇で語られることもない、
あまり話題にしても興味を持たれることが
少ないような泥臭いエピソードが盛り込まれている。
むしろ、こちらの方がメインのようだ。
日本にアップルを初めて持ち込んだ、水島氏や曽田氏。
一見聞くと「へえ、そうなんだ。」と興味を唆られるが
彼らの晩節はどうだったであろう。
本人は、大手企業の一兵卒として埋もれた人生と捉えたのだろうか。
また、二重契約により裏切られたと捉えて、
やるせない人生だったのだろうか。
御本人の心底の感情は本書で触れられていないので分からない。
羽根田氏は、当初、アップル商品に関わることを嫌がっていた。
しかし、関わる過程で、はまっていき、最終的には
東レを辞めてまで、アップルに関わり続ける道を選んだ。
ただ、言えることは、世代交代、技術革命等の要因で
国内外の情勢は必ず変化する、ということである。
いつまでも、時代に取り残されることなくやっていきたいのなら、
情勢の変化に合わせて、自分は変わっていく必要がある。
もしくは、情勢の変化に流されることなく、自分が幸せを
感じれるのであれば、ひたすら信念を貫き通す必要がある。
選ぶ手段は真逆であるが、目指すものは同じである。
すなわち、「幸せになること」である。
目立つ出来事や仕事に憧れて、幸せを見出そうとしがちであるが
実は違うのではないかと思う。
なぜなら、世の中の出来事や仕事の殆どは、目立つことのない泥臭いもの
ばかりである。
そんな目立つことのない、泥臭い出来事、仕事の中で
「幸せ」を見つける方が、幸せになれるのではないかと感じた。
マニアのように、他を一切顧みずに自分を貫き通せるのであれば
それはそれで幸せであろう。
しかし、そうでなければ、時代は変わるのであるから
自らを意識的に変えていかないと「幸せ」を掴むのは難しいのでは
ないだろうか。
スティーブ・ジョブズのように目立つ成果あるととそれはそれで
「幸せ」なのであろうが、これがずっと続くとは限らないことは
肝に命じておかないといけない。
全ての物事は時代と共に変わっていくものであるからだ。
手に入れた「幸せ」を持ち続けていきたいなら、
周りの状況を読み解いて、変わっていかないといけない。
また、同じ「幸せ」を持ち続けたいなら、
他人の意見や・振る舞いで影響されない、強い信念を
持つ必要がある。
時代と共に変わる方が優れているのか、
変わらないまま貫き通すほうが優れているのか。
私はどちらでもいいと思う。
ヒトに流され、時代に流されるのでなく、
自らの責任で選んだ道を全うできれば、
そしてそれで幸せを感じ取れるのであれば
いいのではないだろうか。
投稿者 soji0329 日時 2018年7月31日
「林檎の木の下で」を読んで
私はこの本を読んで思い出した小説がある。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。
極楽のハスの池からお釈迦様が垂らした蜘蛛の糸。それにつかまり、地獄から抜け出そうとするカンダタ。ふと下を見ると沢山の罪人たちが同じように上ってくる。「おい、来るな。これは俺の糸だ」そう叫んだ途端、ぷつっと糸が切れてしまうのだ。
この本で、カンダタの代わりに登場するのがESDの水島敏雄だ。1977年、偶然出会ったスティーブ・ジョブズのアップルコンピューターに惚れ込み、日本での普及にまい進。その姿はまるで多くの者たちを引き連れ、アップルが垂らしてくれた糸を率先して上って行くように見えたのだ。
当時のコンピューターと言えば、数百万もする大型のオフィスコンピューターを指す。それに不満を持っていた水島だからこそ、アップルの「パーソナルコンピューター」の魅力に気づけたのだろう。しかしそれは、性能面もさることながら、利用者、利用目的や利用シーンまで、従来とは大きく異なるものだった。
日本の水島。アップルのジョブズ。物語はこの二人を軸に、様々な人物や会社を巻き込んで展開していく。水島とジョブズの共通点を見出すとするならば、共に高邁な理想を持っているということか。コンピューターで産業界を、人々の生活を、さらにライフスタイルまで変えてやろう。その理想は、多分に利他的である。世のため、人のためである。それに引き換え、他の人々は彼らの理想を心から理解してないようだ。日本の東レもアメリカのアップルも、ビジネス面だけに終始し、ただただ儲けようとしている姿が痛々しいほどだ。
逆に二人の違いを見てみる。水島が自分の無い物を人に委ね、全体調和で進めて行くのに対し、ジョブズは自己中心。他人は自分の言うことを黙ってきけばいい、というスタンス。物語が進むにつれ、東レの提携解消を皮切りに紆余曲折の挙句、二人とも悲しい結末を迎えてしまう。まさしくアップルの日本進出のドラマは、壮絶の一言に尽きるのだ。
私が初めてパーソナルコンピューターを見たのは1983年。大学生の時だった。アップルジャパンが設立された年だ。あれはNECのPC-8801だっただろうか。一部のマニアしか触れないような機械だった。計算機の延長上にしか思えなかった不思議なシロモノ。それが私たちの生活をどのように変えて行くのか、当時はイメージすることすらできなかった。
一般企業に就職した84年、オフィスにはパソコンは一台も無かった。あるのはワープロだけ。新人だった私は、一生懸命ワープロを覚えたものだ。やがて導入されたパソコンは、PC-9801。多様なソフトが使えるため、ワープロはパソコンに駆逐されていく。そのころの新人たちは、会社から「新人類」「おたく」と揶揄されたものだ。最初、支給されたのは管理職にだけ。しかし使えるのはもっぱら新人たち。使わせてやるよと虚勢を張っていた管理職も、漢字の使えるマッキントッシュが導入されると、自分たちも出来ると思ったのか、新人たちに頭を下げて教わるようになる。「新人類」は先生となり「おたく」は生き字引となった。ジョブズの提唱したインターフェイスによって、利用層が大きく変わることが証明されたわけである。
漢字マックの導入経緯は、この本で初めて知った。ESDとアップルジャパンの軋轢。そして提携後のキヤノン販売とアップルとの確執。ここで初代アップルジャパンの社長、福島正也氏は、失意の中で会社を去って行く。漢字が使えなければ日本では売れない。しごく真っ当な主張も受け付けない、ジョブズの頑なな態度はやがて、アップルからの放逐という悲劇を招く。
一方、アップルに対し二重契約の訴訟を起こしたESDの水島。その手記が悲しい。高邁な理想を追いかけてずさんな品質管理のアップル製品を辛抱強く販売し続けていたが、その権利はキヤノン販売に移されてしまった無念。この手記を最後に水島は物語から姿を消していく。アップル日本進出の陰に隠れた人たちにスポットライトを当てた、著者の慧眼は素晴らしい。
物語の後半から登場するジェームズ・比嘉。ジョブズが去った後、日本語化システムを任された担当者である。彼のスタイルは自分の苦手分野を上手に人に割り振れる水島に似ている。さらに新会社設立後のジョブズとのやりとり。比嘉は、ジョブズにとって理想を共有できる数少ない一人ではなかったか。今後のコンピューター産業を支えていくのは、水島とジョブズの良さを兼ね備えた、比嘉のような若者ではなかろうかと思うのだ。
ジョブズはもうこの世にいない。だからアップルの糸は切れてしまったのか。いや、今でも明るい未来に向かって伸びていっているはずだ。人工知能や音声型インターフェイスによってコンピューターはさらに大きく姿を変え、発展していくだろう。私たちを先導して糸を上っていく利他的なカンダタは、また必ず現れると信じている。
投稿者 wasyoi 日時 2018年7月31日
#林檎の樹の下で を読んで
この上巻は『アップル社が創業から不遇の時代へ突入していくまでの、いわばアップル社の暗黒時代への序章あたりを日本側の視点で描いた作品』(p213)という事で、1970年代にアップルコンピュータが日本に初上陸するところから物語が始まります。
各章の導入の所に部分的に漫画が描かれており、読みやすさに考慮がなされているなと感じます。当時は海外に行くだけ、品物を輸入するだけでも一苦労という時代だったのですね。そしてパソコンのその後の進化を考えると、感慨深いものがあります。
特に印象に残ったのが、
『あらかじめ管理部門に対して使用申請を行い、この途方もなく高額な資源を利用するにふさわしいと管理側から許可されて初めて、厳重に監視された部屋に鎮座するコンピュータを拝顔することができる。』(p58 )
この当時のコンピュータの描写の神々しさについての記述ですが、今のコンピュータにはない、大変ユニークな状況があったのですね。
穿った見方かもしれませんが、コンピュータを前にした人間のこの行動には、「目に見えない力、理解しがたい力への畏れ」という一面があったのではないか、と感じています。
(もちろん、大変貴重であり壊れやすいという面があったことは承知しています。)
そしてそれが、今でいう「AI」に対する考え方などに脈々と繋がっているのでは、と感じています。
コンピュータから人間の理解を超えた何かが起こるかもしれない、という畏れの部分が人間の心の根っこにあることで、普通のコンピュータではない、アメリカで作られたこのアップルⅡという『信じられないほど高邁な理想』(p135)を持つコンピュータが支持されていったのではないかと思いました。そういう所に人を引き付けてやまない力があり、熱情をもって日本でこのコンピュータの販売をしていこうと思った人々が多く出てきたのではないでしょうか。
そういう理想を掲げてコンピュータを作り上げたスティーブ・ジョブズの天才性によって保たれていた商品の力が、ジョブズ不在になるとダメになり、そしてまた会社に電撃的に復帰して盛り返していくことになります。よく理想を形にしたいが制約がありできない、とった話が出ますが、そうではなくて、制約がない状況では理想の商品というものがどういうものなのか?というイメージをしっかりと固め、それを実際に形にすることが結果的に多くの熱狂者を生み出す方法なのではないかと感じました。
下巻は1980年代に入りアップルがまだ日本語に対応していない頃の話です。
「言葉」という視点で読んでいくと、日本語と英語の構造の違いは、コンピュータの文字入力という面で非常に厄介なものになるということが本書で初めて知りました。
1バイトで200程のアルファベットを作れば組み合わせて簡単に使える英語という言葉と、倍の2バイトが必要でしかも漢字が組み合わせでは表せられない日本語。容量をたくさん使うことや、そもそもスティーブ・ジョブズの理解がなかなか得られず、周りはかなり振り回されます。作中にあるようなゴタゴタがあってやっとの思いで日本語化が叶ったことに驚きを禁じえません。1980年前半生まれの自分にとって、パソコンに初めて触れた時からすでに日本語入力が当たり前にあった状況だったので、こういう状況は想像すらしておりませんでした。
この本はひとつの歴史物として非常に面白い本です。また商習慣の違うアメリカと日本で仕事をすることの難しさも1つの例として体験することができます。まったく知らなかったアップルの話が知れる良い本でした。
今回もこのような面白い本をご紹介してくださり、ありがとうございます。毎月選書を大変楽しみにしております。
投稿者 BruceLee 日時 2018年7月31日
大企業のオフィス。多くの社員が机上のPCに向かい仕事をしている。そこに田口トモロヲのナレーション。
「今や職場で1人1台が当たり前になったパーソナルコンピュータ。しかし数十年前、コンピュータは専門知識を持つプログラマーのみが扱える特別な機械だった。しかし、あるマシンの登場により流れは大きく変わる(と、画面にはマッキントッシュ!)。それでも、コンピュータが世に浸透するには長い道程があり、そこには『コンピュータを広めたい!』と強く願った名も無き人々がいた。これは、その壮大な夢を胸に抱いて奮闘した者たちの熱きドラマである」
ここで流れる曲、それは勿論、
♪ かぜの な か の すーばるぅ~ ♪
と中島みゆき(笑) そう、私は本書をPC黎明期の「プロジェクトX」として楽しんだ。大きく感じたのは2点である。
1)新しい時代が始まる際の息吹、興奮、そして混沌
まず最も意外だったのはアップルの最初のパートナーの東レ。何故って東レってマテリアルメーカでコンピュータと全然関係ないでしょ。新規ビジネス開拓を目論んでいた東レがこのビジネスに手を挙げた理由に「品質保証経験を活かせる」とあったが、正直こじつけ感もある。一方、競合への技術流出を恐れるアップルに取ってNECや富士通はパートナーにはなり得ず、その意味では両社の利害は一致したのだろう。そして重要なのは両社を繋げたキッカケは、アップルに興味を持った一個人という点。しかし、結果的に東レのビジネスは残念な結果に終わるが、ここで「やっぱ無理だよね~」で終わらせるのは勿体ない。
当時、コンピュータは新しい技術であり、将来PC一人一台で仕事するなんて多くの人は想像出来なかっただろう。つまり誰(どの会社)がこのプロジェクトを進めるべきか?においては既存プレーヤは存在せず、ルールも正解も無かった。故に本書に描かれているのは「新しい時代が始まる際の息吹、興奮、そして混沌」だ。その意味で当時の東レの姿勢は評価出来る。「誰がチャレンジしてもアリなのだ」という挑戦者の息吹を感じるから。そして様々な人が登場し、そして去る。1点気掛かりなのは、このプロジェクトにアサインされ、のめり込み、最終的に転職してしまった東レ社員。当時は転職自体珍しい事だったろうし、東レという一流企業を辞めるのは大きな決断だった筈。彼が最終的にどうなったかは書かれてないが、結果的に人生を変えてしまった訳で、ここにも一人間の息吹、興奮、そして混沌が描かれていると思う。
2)優れたUIから学べるもの
彼らがそれ程までアップルに魅力を感じたのは何故か?一言で集約すれば「UI(ユーザインターフェース)」ではなかろうか。プログラマーでなくとも、モニターのマウス操作で感覚的に使えるから子供でも操作出来る。これはある意味革命だった。その革命は「企業ユース」というマスマーケットを取る事で成し遂げられるのだが、それを実現したのはマイクロソフトだった。Windows95を目にした時「Macのパクリじゃん」と思った人は少なく無かったのではないか?
UIとは、コンピュータという難しいものとそれを操作する人間との接点。それを如何にシンプルにしてより多くの人に使って貰えるか?この追及はアップルの強みなのだろう。それが証拠に、PCではマイクロソフトに市場を取られたが、後年別の機械で再び世界を席巻する。そう、iPhoneだ。自分が初めてアップル製品を購入した時に最も驚愕した事、それは「マニュアルの少なさ」だった。日本のガラケーユーザは覚えているだろう、誰も読まない分厚いマニュアルが同梱されていた事を。だが、アップルの製品には殆んどマニュアルが無かった。でも使えた。それは感覚的に使えるから。いじっているうちに何をどう動かせばどうなるかが分かってしまう。
ここで考えてみる。優れたUIは我々の日常にも活かせるのではないか?それは「他者への伝え方」。難しい物を難しいまま表現するのは馬鹿でも出来る。だが、それではその難しさを理解出来る人にしか理解されない。その難しいものを如何にシンプルに表現し、より多くの人に伝えられるか?高度な商品を扱うビジネスパーソンならこの点は常に課題だろうし、対顧客だけでなく対社内に伝えるスキルも人を動かす場合、常に問われる。そして人間には自分の考えや思考さえも他者に伝えるのが難しい場合もある。そこを整理し、自分目線、自分思考でなく、相手目線、相手思考で発信できるか?仕事だけでなく、我々の日常の人間関係、家族関係にも活用できる視点があると感じた次第である。
以上
投稿者 toshi121 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で」を読んで
アップルの創業者で一旦追放されながら復帰し、iPhoneで世界を一変させたスティーブン・ジョブスは、その発想やプレゼン、そして早すぎる死であまりにも有名だ。また私自身、大企業のIT関連業務に30年以上従事しているので、パソコンの誕生期から最近までの流れは、アップルのことを含めて一定理解している。ただ、スティーブン・ジョブの若かりし頃のことや、アップルの日本進出については、ほとんど知らなかった。本書を読んで、東レやキャノン販売などが初期のアップルの販売に関わっていたことも初めて知ったことである。
一つの企業の興亡は、それぞれのドラマがあり、またアップルの興隆については既に様々な角度から語られているが、日本への上陸に際して、様々な人間が熱い想いを持って取り組んでいたことは、とても興味深いものだった。企業間での交渉、提携は容易ではないが、それが外国企業、特にスティーブン・ジョブスのアップルのような独特のこだわりを強く持つ企業とのものであることの苦労は、並大抵でなかったことが想像できる。
本書の中で、強く印象に残っているのは、次の二点だった。一つ目は、アップルが東レとの契約期間1年に限定することに固執し、東レが投資した分の在庫、金利、保管料全てを負担するという決断をしたことである。この目先の売上を全く求めず、高邁な理想を掲げているという姿勢に、アップルのこだわりを強く感じた。二つ目は、一貫してアップル製品の日本語化に否定的だったスティーブン・ジョブスが、日本への「警戒心」から日本語化を認めたことだ。ここにも、自らの製品への絶対的な自信と強いこだわりを感じた。
冒頭に書いたように、私自身ITに関連業務に従事していたので、アップルのことも相当初期に耳にしていたものの、大企業のIT部門には縁がないものと思い込み、ほとんど接点も持たず、勉強もしてこなかったことを深く反省している。50代という年齢になり、今更の感も強いが、世の中の新しい動きや、面白そうなものに対する感度を高めて、興味を持って、色々触れていきたいと思っている。
こうした思いを強くすることができたという点でも、本書は私にとって役立つものとなった。
以上
投稿者 dandandaniel 日時 2018年7月31日
『林檎の樹の下で』を読んで
◆なぜアップルだったのか?
まず驚嘆すべきは、この「パーソナル」コンピューターのあるべき姿を求める壮大な物語が、
たった15年間の出来事であったことであろう。そして本書を読んだ人の誰もが、登場する人々が
ことごとくスティーブ・ジョブズに振り回されていることに同情したのではないだろうか。
なぜ人々はこんなにも故障が多く、日本語化も遅れていた手のかかる「パーソナル」
コンピューターを日本で芽吹かせようとしたのだろうか?
一つにはジョブズお得意の大胆な広告によって注目を集めるイメージ戦略もあるだろう。
だがその核心は、ジョブズが抱いていた「パーソナル」コンピューターとはこうあるべきという
『信じられないほど高邁な理想』を、アップルの製品から感じ取っていたからではないだろうか。
◆「パーソナル」コンピューターとは『人間の思考の自転車』
本書の中でその理想を最も象徴しているのは、『第7章 アップルジャパン設立』でジョブズが
語っている『パーソナルコンピューターというのは、人間の思考の自転車』という比喩表現であろう。
CPUやメモリの性能を上げ、コマンドラインで指示をしていた汎用機(人間の立てた計画を素早く
計算する大型機械)を小型化するだけでは、この世に現在の「パーソナル」コンピューターは
存在しなかったであろう。ジョブズの『高邁な理想』があったために改めて振り返ってみれば、
アップルは最初からパクられまくっていた。『AppleⅡ』の海賊版『オレンジ』や『パイナップル』に
始まり、LISAで採用したデスクトップというユーザーインターフェースも日本のメーカーにパクられた。
LISA自体は時代の先端を行き過ぎ、技術水準も追いついていなかったため、それ単体での評価は失敗に
終わった。だが『人間の思考の自転車』という理想は後継の『マッキントッシュ』にも引き継がれる。
本来は時代の半歩先を行くべきところを、ジョブズが時代の3歩ほど先を行き失敗している印象を受ける。
だが時代(技術)が追い付き、『高邁な理想』を周囲が評価するごとにアップルはパクられるのだ。
そういう意味ではジョブズも、振り回されている日本人達も恵まれないと言えるかもしれない(笑)
蛇足だが、『人間の思考の自転車』を目指していたジョブズにとって、「知恵の実」の名前を
冠するコンピューターの名は、まさに理想を体現していたと言えるだろう。
◆これからの10年
この驚くべき15年の戦いを経て、「パーソナル」コンピューターはほぼその完成形を現した。
ジョブズが一度アップルを追い出されている間にアップルコンピューターは迷走したものの、
劇的なカムバックを果たし、やがて「iPhone」というポスト『パーソナル』コンピューターまで
世の中に生み出してしまった。
では天才ジョブズがいなくなった今、次の10年はどう描かれるのだろうか?
その主役はやはり「AI」であると私は考える。今や「自動運転技術」や「ディ―プラーニング」に
象徴される「AI」関連のキーワードを新聞で見かけない日はないが、それらが目指している核心は
人間の「左脳」の自動化であると考える。
振り返れば、汎用機では人間のIN情報をどのように処理すべきかを人間がロジック設計することで、
OUT情報を瞬時に得られるようにした。「パーソナル」コンピューターではロジック設計にとどまらず、
作業効率化・自己表現・情報共有などの分野で『人間の思考の自転車』となった。そしてそれらを
土台として「AI」は、人間の「左脳」によるロジック設計によらず最適解を得られることを
目指していると言える。
これからの時代はオックスフォード大学の論文でも指摘されているように、現在の仕事の大半が
「AI」に置き換えられると言われている。確かに変化を恐れ、既得権益にすがり漫然と生きる人
(しょーおん先生のいう人●製造機)にはそんな未来も待っているだろう。そんな時代に求められるのは、
自動化された左脳といかに有機的に接続し、右脳でレバレッジをかけられる人材ではないかと
考えている。人間は右脳と左脳の接続を良くすることで、速読などの信じられない能力を発揮する。
『高邁な理想』を描き自己研鑽を積み続ける人間がいれば、「AI」という自動化された
「左脳」が登場する未来も悲観するばかりではないのでないかと、本書を読み終えて考えた。
以上
投稿者 akiko3 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で」を読んで
林檎だけど“一粒の麦”なんだなと思った。でも、犠牲という重苦しいものではなく、苦労の中にある好奇心や未来に対する喜びという原動力もあった。誰かに指示されてとか管理されてではなく、自発的に描く未来に向かって進んでいた。仕事に対する面白さが仕事ぶりに現れる…花金を楽しみにしていた頃を恥ずかしく思った。
『人間は道具で力を増幅できる』そんなパワーに魅せられ、シンプルで美しいコンピューターを生み出したジョブス氏。コンピューターには詳しくないので、なんで熱狂的なファンがいるのかわからなかったが、8スロットという拡張性をつけ、ユーザーの知恵で完成させてくれと委ねられたら、可能性を広げられるユーザーは心くすぐられ試して見たくなるだろう。マネではなく無から有を生み出す力は才能だ。
起業して自分で作りたいものを作る若者がいる米国で運命の出会いをした水島氏。水島氏自身も企業から独立した人ではあるが、商品に対する先見の明と決断力はすごい。氏がこれほど商品に惚れ込まなければ、今のアップルはなかったのでは?
会社に対しては妻を亡くした時、会社に対する不足を思った曽田氏だが、縁に引き寄せられ通訳兼ドライバーで、自腹旅行でもお金では買えない「何かあついもの」を得た。直接的な利益にならなくとも必要な努力をしている時、自分を豊かにしてくれるとやりがいを抱いていた。
今でこそグローバルな商取引の経験値は増えているし、外資系企業の進出も珍しくない。IT進化のおかげでフラットになっているので、当時の温度差を知り、難産になるはずだと思った。
そして、管理職に上がる前にはポーンと課題を投げられても、「意味わかんない」って投げる訳にはいかない、相手の望むストーリを描ける力量が必要な日本企業、業界の動きを見て、自分達の強み弱みを見極め、シェアを獲得して生き残ろうとする、その為には一時損してもいずれ業界標準になれば“うま味”が得られるからと譲歩もするのに対し、米国の起業家は自分の立ち位置を変えようとしない、我が道を行く個人主義の強みなのか、妥協しない。損して得獲れって考え方はないのか?きっちりgive&takeにしたがる(でもそれも半々じゃない気もするが…)
品質を大切にし見切り発車はできない日本に対し、try&error 、明日いいものを作る努力優先的なスピードというより競争社会の米国、日本は場合によっては協奏もいとわない社会でもあるな。
見たいものしか見ようとしなかったアップル。マイクロソフトはその点、日本的に全体を見て、策を練ってアプローチしたから(初コンピューターはお下がりのマック…全然使いこなせず)周りのPCはウインドウズが大勢だったのかと納得。
驚いたのは、アップルジャパンの比嘉がふらりと遊びに来た(アップル辞める前に訪日中の)クルグラーをプロジェクトに巻き込んでしまう自由さ。大企業という看板をいうプライドを背負い、騎馬戦のように横隊列で戦おうとする日本企業に対し、個々人が戦いたいように戦う、興味がなければ戦わないかも?な自由さを感じ、違うんだね~と妙なところに感心してしまった。
それでも、規制規制に縛られ慣れか、突き抜けた発想がでない日本人に対し、漢字化できなくもないよ♪と(バケーション中だったからか?)閃く柔らか頭、縛られていないというか、身軽というか、なんか違うよな~と思ったのだ。
でも、そもそもコンピューターを作るのに、人間の不得手な部分を製品に肩代わりさせちゃおうぜという発想、思考の為の“道具”、その発想で使えるものは使おうがベースにあるとしたら…、自然を切り開く米国vs自然と共生しようとする人のいい日本人、思考の違いを肝に銘じておかないと!
ちょうど、サッカーW杯で日本の時間稼ぎ作戦を潔くないと叩かれていたが、そんな強かな作戦がとれるようになったのかと日本を称える記事も見た。多様性に触れる中で、選択肢も増え、人間性が磨かれるのだ。
日系地球人として奮闘した人達のおかげで、地球人思考で生きていかないといけないことや仕事は誇りを持って楽しめることに打ち込む方が“豊かさ”が得られることが学べた。
課題本って本当に選ばれた良書ですね。ありがとうございました。
投稿者 ktera1123 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で(上)」を読んで
本を読んでいて、小学校の頃初めてパソコン(MSX機)を買った当時のことが蘇ってきた。
駅前の小さな家具店ベースのデパートの店頭に展示されていたパソコンではなく、近所の量販店で安売りされていた安価なモデルだったが、買った当時の思い出が冒頭のAppleⅡを手に入れたところとシンクロしているところはなぜなのだろうか。
今考えてみると、幼少の頃「わくわく」したことが、現在の仕事になんとなくつながっていることは幸せなことなのではないでしょうか。
実際、MacにしろWindowsにしろ、ハードウェアとしてのインターフェース以外で使用しているのは「デスクトップ環境」にしか過ぎないので、「ハードウェアはソフトウェアで模倣できる」が進化すると「思考すれば現実になる」ことが100年以内にできるのかな。
投稿者 sunao929 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で(上巻)」を読んで
冒頭「情熱と夢を失わないすべての人に捧ぐ」に始まり、ホリエモンの「社会を変えてやろうという本気を持つ人が増えることを願う。」との言葉が続く。
何か興味のあるものが、好きなものになり、その好きが高じて熱が生まれ、その熱に思いが乗って情熱になり、周りの人を巻き込んでいってムーブメントを巻き起こし、それが社会を変えていくことになる。
社会を変えてやろうとは、何が契機となって考えるものだろう。
社会を変えたいという思いは何によって突き動かされるのだろう。
魂が震えるような体験や何らかの外的要因を受けての体の内部で化学反応が起こって熱になるものか。
最近、引っかかったのは、平尾誠二さんの「スポーツから社会を変えたい。日本の文化や国民性を変える。」といった言葉や、元NHKアナウンサーが取材をきっかけとして、小児ホスピスのマネージャーに転職された。「こういった施設は、社会が支えなければいけない。」と「義を見てせざるは勇無きなり」とおっしゃっていたこと。
社会を変えるまでの道のりにおいて、情熱は確固たる信念がないと続かない。
持ち続けるのは至難の業である。如何に持続させていくか?それが実現することによってより良い社会が訪れることが確信できて、具体的に思い描けることが重要である。
「シンプルであることが究極の美です。」スティーブ・ジョブズのこの信念とも言える一言が、社会に変革をもたらすことになっていく。
「パソコンは、その人にとって困難だったことを可能にする。個人の能力を増幅する道具になる。(=思考の道具)」、その道具をもって、「マイクロコンピューターで社会通念を変革したい。」
パソコン、インターネット、携帯電話など、進化の速度は驚くべきものである。
それらは、登場の当初、なかなか受け入れられないが、爆発的に普及し、今の生活にはなくてはならないものになっている。
禁断の果実の上陸から、当時は想像できないほどの変化をもたらすことになる影響を与えた。
最初、よくわからないものに対しては、当然の反応として、拒否反応があり、理解しようとしない。何でも色眼鏡で見ると良い発想が生まれない。好奇心をもって事に当たることが大切である。
アップルⅡは、より少ない回路で、より多くのことができよう設計されている。趣味が生んだ産物。好きなこと、楽しいことだからこそ、次から次へとアイデアが湧いてくる。
当時、プログラミングは「自己表現」の手段とされていた。
日本での官僚制への反発やアメリカでの政府・体制への反発という抑圧されたエネルギーと、社会を変えたいという情熱がマグマのように地中で増幅し、大きなうねりとなった。
アメリカの強さは次々に仕組みを産みだすこと。アメリカの合理性優先主義は、産業の成長速度にも顕著に表れる。
日本人はなかなか真似できないかもしれないが、日本にしかできないこともある。
現在、日本は、ビザなしで渡航できる国が189か国と世界中で一番多い国である。これは、世界で一番信頼されている国であることの証左である。
極東の未知の国ではなく、ラグビーワールドカップ、東京五輪開催を契機に、「やっぱりいい国だよ日本」と思われるようになればよい。
そのためには、自分個人のためだけではなく、家族や友人・知人といった周りの人、地域社会の人、日本人、地球に生きるすべての人、宇宙全体が少しでもより幸せになるような行動を取っていく。
一人ひとりがそんな心がけを持って生きるとすごく暮らしやすい社会になるのだろうな。大きな和をもって貴しとする。
我々には、子供たちに住みよい世界を引き継ぐ責任があるのだから。
今月も良書をご紹介いただきありがとうございました。
投稿者 kokchamp 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下でを読んで
今この感想をまさにアップル製品のiPadで書いているが、何をこの本から得ることができるのか?とても難しいお題となった。
まず、ビジネス記としてアップルの製品が日本にどのようにして上陸し、後のiPhone大ヒットまで行き着くのか、その中で日本人がどう関わったのかをこの本を通じて知ることができた。
林檎を禁断の果実と掛け合わせて表現しているのは、魅力的だが棘がある、そんなアップルという会社と規律正しい日本のサラリーマンとの戦い、いや翻弄される日本人を暗示しているようだ。
「はじめに」のところで堀江貴文が、「アップルだけはカッコよかった。西海岸の臭いがプンプンしていた。」と憧れ、「当時の衝撃を感じてほしい」と復刊を企画した意図を説明している。そして、この本を読んで「『社会を変えてやろう!』という本気を持つ人が増える事を 願っている。」と当時の人々の想いを感じてほしいと述べている。
2つ目は、当時の熱量、空気感をどのように感じ活かせるか?
その熱量のところは、製品魅力に惹かれてこっそりと輸入した水島さんの行動や日本の陣営とアップルとのせめぎ合いとして描かれている部、アップル社員の極東での行き詰まり、苦悩など、とにかく一筋縄ではいかない日本市場での悪戦苦闘の様子と、それとは別のアップル製品に惹かれ、ビジネスにしようとする人たちの想いの対比にこの時代の熱量を感じた。
まだはっきりとカタチが見えていない需要に対して、我先にという欲望のせめぎ合い、純粋に自分の好きな製品を世に知らしめたいという想い、そこが今の時代でも見習うところがあるのではないかと思います。
しかしながら、この物語では上巻の登場人物は下巻ではほとんどいなくなる。現実は冷酷だというところ、当初総代理店である東レは今は関わった形跡も感じられない。
さまざまな熱い想いの人たちの屍の上に現在がある。しかし振り回されてもなお、人々を引きつけるだけの魅力がアップルの製品にはあったということだ。
社会を変えるにはみんなが幸せになるというようなものの運び方はしないでもいいというメッセージとも取れる。主張し譲れないところは譲らない、それが社会を変える原動力、熱量なんだと。
しかしその譲れない想いとを実現する際に、周りの気持ちも汲み取りながら巻き込んでいくことは、伝統的な日本企業で働いているものとして?な部分もある。
3つ目は、国際的にビジネスを発展させて行くには、文化的背景の違いを理解していないとうまくいかないということ。異文化理解力の必要性をさまざまな場面で感じた。あの本をこの人たちが読んでいたらなと思う。
最後に少し視点をずらして、幸せになるということをこの本から学ぶとすれば、それは反面教師的な教えなのかもしれない。ここまで揉めて、さまざまな人を裏切りながらビジネスを展開して、成功しても、かかわった人の人生は幸せにはならないということを他山の石として学べということなのか。この点はジョブズに関連してしまい、下巻とも関連するのであまり多くを占めていないとは思うが、当初かかわった人たちが報われている感じがしないのは何故だろうか?
色々と考えさせられました。
今月も貴重な思考の時間を得ることができて感謝です。
投稿者 sikakaka2005 日時 2018年7月31日
成功の裏話というのは面白い。
ゆくゆくハッピーエンドになるのは分かっているからこそ、これとこれが実は裏でつながっていて当時はヤバかった、なーんて話しを知れるのは楽しいもの。
いつもの課題図書とはちょっと毛色が違うように思ったが、魅力なストーリーに引き込まれた。
この本で印象的だったのは「潮目の変化」を強く感じたこと。
アップルが発売する商品に熱狂するオタクたちから神のような扱いをうけるジョブズしかり、
アップルが世界戦略を考え始めたり、
ITの巨人IBMがパーソナルコンピュータに参入したり
日本企業も参入してきたりといったように潮目が完全に個人用のコンピュータへ移っていくのを感じた。
ところどころ波として見えることもあるけれども、潮は変化が小さいため目で捉えることは難しいということを象徴するようことが本文にあった。
P80「業界の誰もが確信していること、それは、何からの形でこの「半導体産業」が大きな波となってやって来ること。誰もが認めるところだったが、それがどんな形をした製品なのか?わからない」
まさにこの感覚なんだと思う。
現代に例えるならば、ロボットや人工知能がそれにあたると思う。
多くの研究者たちがテーマに掲げ、さまざま観点の研究がなされ、たまに動画で過去に見たこともないような機能を具備したロボットが軽快に動いている姿をみると、人工知能が世界を席巻するのも間近であるように思う。
でも、まだ具体的なものは見えていない。
生活に根差せていないし、我々の生活を大きく変えてしまうほどのインパクトのある商品はまだできていない。
でも、これこそが潮目なのだと思う。
ではどうしたら、このような潮目のを読み取ることができるだろうか?
波にばかり気を取られることなく、潮の変化に気付くにはどうしたらいいのだろうか?
それは、「日々の小さな変化を見過ごさないこと」だ。
ストーリーとして捉えれば流れにように感じるが、東レとアップルとの偶然の出会いだったり、ESDからの支援だったり、東レがアップルを売り出しても思いのほか売れなかったり、小さいな変化はたびたびあった。
そういう意味で東レは潮流を読む前に撤退してしまったことは、当時は当然だったのかもしれないが、今思えば大きなものを失ったと思う。
下巻を読んでないので、この後の展開を知りませんが、明らかに羽根田は読めていたんだと思う。
東レにいては、制約が多くて身動きが取れないからこそ、小回りが利くしアップルから信頼されているESDならば思う存分アップル製品と向き合えると思って転職したのだろう。アップルは必ず売れるという思いがあったのだろう。
まさに目端が利く人だったのだろう。
そういう人たちは、小さいな変化も意味あるものとして捉えて無為にしない。
普通の人は「そんなこと大したことないって」と言っているから、波が来たときに思いっきりぶつかってしまうのだ。
潮目を注意深く観察して未来を想像する力は、一層スピードが速くなる時代を生きていくために欠かせないと確信した。
今月も学びの多い書籍を紹介していただき、ありがとうございました。
投稿者 LifeCanBeRich 日時 2018年7月31日
“人生においてのキャズム”
今月で個人的には37回目となる課題図書。ただ、今回は過去に無いほどに感想文書きに苦戦した。その原因は、私自身のハイテクやエレクトロニクス全般への疎さや読書力の乏しさにあるだろうが、なかなか本書にのめり込むことが出来なかったのだ。
ただ、色々な角度から本書について考察を続けたことが、結果として私自身の過去を振り返り、そして未来へ向けての心構えを正すことに繋がった。
まず本書を読んで思い出した言葉がキャズムだった。キャズムという言葉の元々の意味は、“地面の深い溝や割れ目”である。ただ、マーケティング用語としては“ハイテク製品やサービスが一部の顧客に受け入れられてから、広く普及するまでの間に存在する、大きな溝”を意味する。
本書は、まさにアップルに関わった人間たちが、日本という市場においてそのキャズムを如何にして乗り越えようとしたのかが描かれた物語だと思った。そして時代の変わり目の訪れとは如何なるものなのか。本来ならば、そのあたりに胸の高鳴りや興奮を覚えるべきなのだろう。
ただ、パソコンを初めて手に取ったのも、マッキントッシュを初めて見かけたのも、極めて遅かったレイト・マジョリティーの私が本書から時代の変わり目であった当時の空気や熱量を感じることはなかった。
更には、様々な立場でアップルの日本進出に関わった日本人、特に水島、曽田、羽根田の三氏の人生の行く末がアップルの成功に付随しなかった、または結末が詳しく書かれていないことが、私の中でモヤモヤ感となっていた。
そのモヤモヤ感が和らぐキッカケとなったのが、あれこれと考えながら本書を読み返している時に私の目に留まった巻頭のジョブスとウォズニアックの写真である。その写真中で、生まれてきた赤ちゃんの如くアップルに接する笑顔の二人を見て、私は本書の主役がいかなる登場人物でもなく、他でもないアップル自身なのだと遅れながらにも気がついた。
そうして主役であるアップルからの視点で登場人物や起こった出来事を改めて見てみると、それまでとは全く違った思いに行き着いた。
“アップルが辿った道のりは、人間の人生と似ている”
そう思った。なぜなら、アップルが経験した様々な人との出会いや別れ、そして困難への直面は人間誰しもが人生において経験することだからだ。そして、その思いは自然と、
“アップルの日本上陸と私のアメリカ留学”
に繋がって行った。
ちょうどアップルが、言語も文化も違う日本に来たように、私は英語も全く話せない、知り合いも全く居ない状態でアメリカへ留学に行った。また、日本にアップルのために奔走した水島、曽田、羽根田の三氏がいたように、アメリカにも右も左も分からない私に手を差し伸べてくれた人たちがいた。語学学校から始まり大学卒業に至るまで、ホストファミリーのメンバーたち、学校の先生たち、そして友人たちと様々な人たちに助けてもらい感謝している。今回、当時の事を思い出すこと出来たのだけでも大きな収穫である。ただ今でも、私が連絡を取れるのはその中の数人だけなのだ。
“人生において出会いもあれば、別れもある”
感謝する人でさえ行く末が分からない場合もある。人生と人生の交錯とはそういうものなのだろう。そう思えた時、私の中にあったモヤモヤ感が徐々に和らいでいった。
最後に話を上述のキャズムに戻す。
“キャズム:ハイテク製品やサービスが一部の顧客に受け入れられてから、広く普及するまでの間に存在する、大きな溝”
もしも人生の中にキャズムがあるのだとしたら、それは
“人生の景色を一変させる経験”
なのかなと思う。その経験の中には、沢山の出会いと別れ、乗り越えるべく困難がある。ちょうど、アップルが日本で自身のキャズムを越えた時と同じ様に。ただ、そのキャズムを越えている瞬間のアップルからの景色は、ユーザーが爆発的に増え、その影響力が急激に広がるという爽快なものだったはずだ。
その様に考えると、私の人生の中でのキャズムはアメリカ留学と言える。留学中、出会いや別れや困難を通して、私自身が変わり、見える景色が変わり行くことの爽快さを肌で感じていたからだ。
“人生においてのキャズムを越える”
現在の私には、これからの人生においてキャズムに成り得ると思える対象がある。ただ、キャズムを前にすると期待と共に不安にも襲われる。アメリカ留学前も期待と不安を抱いていたが、年を取るほど不安の割合は増えるものだろう。ただ、勇気を持って一歩を踏み出してみるとする。
今月の課題図書は、キャズムを飛び越える時の感覚を思い出させてくれ、そしてもう一度人生においてキャズムに挑んでみようという思いに至らせてくれた。感謝です。
~終わり~
投稿者 str 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下で
最初に実物を見たのは私がまだ小学生の頃に父が使用していたアップル製のパソコン。そこから中学・高校は授業で使用し、就職してからは当たり前のようにパソコンという存在に触れる機会が増えた。(アップル製では無かったと思うが)それまで自分が触れてきた物は重く、やたら奥行きもあり、大きさの割に肝心のモニター部分が小さい物ばかり。現行の製品と比較してしまえば当然ではあるが、どんどん薄く、コンパクトになりつつも性能だけは上昇し続けている現代と、本書で語られる当時から改めて技術の進歩を感じた。
アップルと言えば今では誰でも知っている程の知名度であり、iPhoneや林檎のロゴマーク。故スティーブ・ジョブズ氏の名前など、様々な連想が容易になっている。私の周囲だけに限ってみても、自身を含め知人の殆どがiPhoneユーザーである。デザインが好まれるのか。性能が良いからなのか。多くのユーザーが居る事への信頼や安心感からなのか。そういった分野に疎い私からすれば、他社が提供しているスマホやPCとの性能の違いは正直分からない。私も「取り敢えずiPhoneにしとけば間違いないだろう」程度の考えで当時は購入したと思う。
今でこそ流行や特別といったものを通り越し、パソコンもスマホも所持していたところで驚かれることでもないが、初期の頃はその分野である程度の知識と拘りを持つ人。『わかる人にはわかるんですよ』と、水島さんが言ったようにコアなマニアでなければ理解し難いものだったようだ。最も、『わからない人にはわからない』お陰で”密輸”が見事成功したとも言えるが。この”わかる人向け”からスタートしたアップル製の小さなコンピュータ。 これの存在がもし無かったとしたら、現代はどの程度のレベルだったのか少々気になる。
『アップルが目指すターゲットはビジネスというよりも、個人であり家庭市場』
『個人の能力を増幅する道具になること』
こういった想いを基にしてきた彼らにとって、限られた一部からの理解しか得られない時期というのは心外だったのかもしれないが、現在では誰でも手に取ることができ、誰でもそれなりに扱うことが出来る時代になっている。時代に革命を起こし、前線で技術を進化させ続け、”わからない人でも扱える”ようにしてくれた背景。表立ってあまり名を知られてはいないが、裏で大きく業界を変えるべく奮闘してきた多くの人たちの存在。”アップル=スティーブ・ジョブズ”だけではないという事を教えてもらった。
彼らが築き上げてきた理想や情熱が大きな魅力となり“Apple” というブランドがウケた理由の一つなのかもしれない。
投稿者 kawa5emon 日時 2018年7月31日
書評 林檎の樹の下で(上) 斎藤 由多加 著
本書を一読、鳥瞰した時、最初に浮かんだ感想は、
世界を変えたい、変えられるという熱い想いの国境無き連鎖と、
マーケットインの難しさとの対比であった。
日本市場参入を目論むApple側本社とそのプロセスに関係していく日米人の、
巻き込み方、巻き込まれ方。しかしその反対には簡単に市場参入、市場拡大できない
日本市場というよく見えない壁。
いくらその商品、コンセプト、世界観が優れていても、マーケットインは全く別の話。
パーソナルコンピューターという世界初の画期的な着想から始まったApple製PCでさえも、
その世界感で国境を越えた熱量は生んだが、
日本市場へのマーケットインには多大なる犠牲を払った。
ビジネス上の成功は、本上巻に関しては、その成功のキッカケが見えてこない。
何故か?その対比に思考は及んだ。
時を同じくして何のご縁か、本書との出会い前後で、折しも自身が7/1付けで、
グローバル業務推進プロジェクト(仮名)のプロジェクトリーダーを拝命し、
海外事業拡大に於ける将来への重要な、ビジネスインフラ整備を任された。
第二次世界大戦時の日本軍戦線拡大方式に類似した今までの海外事業拡大は、
市場環境の変化と戦線拡大を軸とした海外事業自社資源の変化によって、
その歪みを増している。
勝手に走る事業体、独自で走れない事業体、迷走する事業体、
そしてそれらを統括、管理できない本社。。。
そんな中のプロジェクト発足、リーダー拝命。
本書の登場人物で言えば、Apple側のシャンク氏やションフェルド氏、
日本市場側では、水島氏、曽田氏や羽根田氏らとオーバーラップするだろうか。
そのような上巻での泥臭い物語を、自身の近況と重ねながら思考した。
結論を先に述べたい。日本市場へのスムーズなマーケットインを阻んだのは、
その熱量にあったのではないか?つまり余りの熱量が故に、その関係者間に於いて、
ビジネスに必須の冷静で的確であるべき、分析と判断を失った。
Apple側と日本市場窓口(東レ社)のお互いの過大な期待にその一端を垣間見た。
Apple社と東レ社の契約解消前問答にあるように、マーケットイン、
強いてはローカライズへの理解不足、投資不足がその原因で、
先行発売にも拘らず、後発組に後塵を拝し、且つ、
新市場創出初期の熱気が有り余るが故に、お互いの目線が合わず、
打つべき手を打つべきタイミングで打てなかったのではないだろうか?
そう考えると、本書の復刻企画人、堀江貴文氏の冒頭分にも合点がいく。
世界を変えんとしている大きなうねりと、そのうねりに伸るか反るか、
一発発起を夢見る者には堪らない瞬間であろう。
話を本線に戻したい。本書から何を学んだか?
当PJへの周囲からの期待、自身の立ち位置、本書からの学び等から、
今後の方向性、あるべき姿を棚卸しした。
1、世界を変える、関係者を巻き込むには、熱量が必要。
しょーおん塾からの学びで言えば、右脳領域、感情領域である。
これが無いと、大きさは別として、うねりが作れない。
熱量を伴ったうねり、強いてはコンセプトやアイデアに人は付いてくる。
その変化の度合いは、その参加者数に比例するのではないか?
自身の立場から仲間を増やすとすれば、日本本社は言わずもがなだが、
世界各国のローカルスタッフ巻き込みは欠かせない。
勝手に伝播するぐらいの熱量とうねり創作を意識したい。
2、ビジネス化するには、市場に即した組織、体制が必要。
同じくしょーおん塾視点では、左脳領域、論理領域である。
東レ社の主張がそれであったし、ローカル導線にするにはローカル主導がキーである。
Apple本社が主張したような商品イメージの訴求だけではマーケットインは果たせない。
その方法で刺さるのは、開発者と同じ又は類似環境を共有する市場だけであろう。
そういう意味では、日本人が開発する日本市場向け製品も同じである。
そのまま他国に持っていっても、他国では売れない。
顧客(ターゲット)は誰か?どのシーンで使われるか等、幾ら商品が良くても、
市場に即した訴求方法、流通ルートが無ければビジネス化は果たせない。
世界市場で地域毎のビジネス化(現実化)を目指すなら、ローカルという右腕は必須。
この仮説の検証が本書下巻で行われること、また上巻で未解決の、
日本語インターフェイスへの答えが下巻にあることを期待して、
本書評を締めくくりたい。(本書評への影響を懸念して、下巻は我慢して未読のまま)
今回も良書のご紹介及び出会いに感謝致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
投稿者 vastos2000 日時 2018年7月31日
こんなやり方でもなんとかなってしまうんだな、というのが初読後の感想。
当時はネットが普及していなかったので炎上ということはなかったが、現在同じことをやったら炎上するだろう。
しかし、アップルのような会社であれば、それでもやるだろう。
なぜなら熱烈なファンがついているから。アンチの言う事なんか軽く聞き流し、「その問題はいずれ解決する」とか言いそうだ。
アップルはコンピュータが各社員に1台ずつ配備されるような社会を生み出すきっかけを作った(PCをオフィスに広めたのはMicrosoftと認識している)。
言ってみればマイクロソフト社のWindowsだって、新しいバージョンが出たばかりはバグばかりで頻繁にアップデートが行われる。金を払って購入したユーザーにテストをさせているようなものだ。
現代日本の「全方位に気を配り、極力クレームや炎上を避ける事なかれの姿勢」ではこのようなことはできない(日本の大手企業でこんな未完成品を市場に投入できるのはソフトバンクくらいか)。
もちろん、欠陥のある商品を市場に投下して消えていった企業もたくさんあるだろうけど、商品に魅力を感じる人がいることと、発売後の対処をうまくやることで何とかなることを学んだ。
一発逆転を狙うのでなければ、小資本で始め、クレームや要望に対処していき、それでもどうにもダメならほかのやり方を試せばいいのだ。
さて、本書のテーマはコンピュータなので、それについて私の経験・考えを記す。
パーソナルコンピュータ(以下PC)が普及するきっかけはWindows95の発売だったように思う。当時大学生だった私は、金持ちの友人の家や、大学のPCでインターネットに接続していた。海外で行われているサッカーの試合結果が翌日には分かったり、日本ではなかなか拝むことができないものを閲覧できたりと、その時の衝撃は今でも思い出せる。きっと今の大学生はISDNを知らないだろうし、インターネットがない時代はどうやってわからない物事を調べていたのかわからないだろう。
私には小学生の子どもがいるが、同世代の子どもの中では本を読むほうだと思う。しかし、料理の手順やわからないことがあると「スマホで調べて」と言う。
時代は変わったものだ。
私自身、割と早いタイミング(アーリーアダプターとアーリーマジョリティの境目あたり?)でPCを購入し、インターネットを自宅で利用し始めた。
現在から振り返ると、それが良い方に転んだ。
簡単に言えば、周りがまだ自分のPCを持っていな時期にiMacを購入し、それがインターネット関連の部署に配属されるきっかけとなり、PCやネットのことを自分のため、お客さんのために勉強することでスキルがあがり、そこ(と営業経験)を評価され、今の職場に転職することになった。
今の職場でも研鑽は続け、昨年は社内研修でエクセル講習の講師を務めた。
結果的にPCは普及したので、早い段階でPCになじんだことで利益を得ることができた。
こんな目利きがこの先もできるだろうか。
きっと多くの人は気づかない小さな変化の兆しがどこかに現れており、きっと一部の人は、それがこれからどうなるか見えている。それが「LIFE SHIFT」だったり、「日本再興計画」だったりするのだろう。
歴史は繰り返すと言う。産業革命が起きるまでは、力持ちは重宝されたが、機械にはかなわず職を失った。自動車が発明され、馬車や駕籠がなくなった。
現在からみれば必然と感じるが、その当時の人たちはどうだっただろうか?そして現代でも新しいものの登場でなくなっていく、あるいは変化していくものがあるはずだ。
私が働く教育産業においては、18歳以下の出生数は減少が続いているので、高校や大学がつぶれるということも今後10年以内に出てくるニュースだろう。(人口減はドメスティックなすべての業種に関わることだろうが)
逆にN高やゼロ高のような新しい形態の学校もさらに出てくるだろう。
ネットやAI普及の影響は、学校教育にも影響している。きっと10年後の大学受験は今とは違うものになっているだろう。皆さんもセンター試験があと2年で終了するということは聞いているかもしれない(実際は、名前と形式を変えて、日本全国で一斉に実施するテストは残る)。
この入試や教育に関する変化を非常に乱暴にまとめると、これからは暗記中心のテストではなく、基礎的な学力は身に付けたうえで、考える力や仲間とともに学ぶ力が問われる。なぜならものごとを覚えたり、計算したりするのは機械に敵わないからだ。
今後は、例えば、「何年にザビエルが布教のために日本にやって来たか?」ということが問われるのではなく、「あなたがザビエルの立場(布教のために極東にやってきた宣教師)だったら、どうやってキリスト教を広めますか?」ということが問われるようになる。
試験の運用方法や実施形態など、枝葉の部分で疑問は感じるが、方向性としては間違えてないように思うし、この変化にいち早く対応した者が先行者利益を得るのだろう。
保守的な文科省がこれから大学入試や学校教育のカリキュラムを変えると言っているのだからこれは大きな変化だ。
身近な例として、大学入試と学校教育を上げたが、多くの業界でこれから大きな変化が起きるだろう。
最近の変化はあまりにもテクノロジーの発達の影響を受けている気がする。本書の舞台となった時代の汗臭さや効率の悪さ、コミュニケーションの難しさ、そしてそれを乗り越える熱さがあった80年代を思い出させてくれて楽しい気分になることができた。
投稿者 kayopom 日時 2018年7月31日
「サラリーマンは電気機械の夢を見るのか」
夢があるところに、次の時代があるのは間違いない。
夢があるところに、意欲が沸くのも間違いない。
できれば実現困難と思われても、夢を追って生きていきたいと思う。
だが、それはいわゆるサラリーマンには可能なものなのか。
この本は平凡なサラリーマンがふとしたきっかけで「夢」を持ってしまった話に思えた。
カリフォルニアのヒッピー崩れの若者が作り出したアップルコンピュータ。
来るべきパーソナルコンピュータの設計思想やデザインに心を打たれ、この素晴らしい製品を日本で売りたいと少年のように心に火がついてしまった40代のサラリーマン2人、ESDの水島氏と東レの曽田氏。
当初はこの2名の成功譚のごとく、税関を煙に巻いてアップル第一号の輸入を果たすなど、ワクワクする感じが現れる。しかしページを追うごとに、アップル側の思惑、大手企業東レ側の思惑、アメリカと日本のビジネス慣習の違いなど、一筋縄ではいかない事態が次々と訪れ、当初の夢は何処へやら。
日本市場に合わせたカナ文字や漢字の導入に積極的でないアップルの姿勢は、日本市場での最適化に向けた姿勢は当初ほとんど見られず、一方で大手企業の看板を借りて市場適合に成功した暁には、日本法人を立ち上げて販売網を自社で掌握しようとしている傲慢ぶりだ。
(その傲慢加減は下巻で遺憾なく発揮される。この事実を知っていたらアップル嫌いになるくらいの。)
日本市場参入の初期段階において、アップルに魅せられた日本人サラリーマンの中で、自分が最も気になったのは東レの営業エリート、羽根田氏。
当初は東レがコンピュータ事業に参入することをいぶかしんでいたものの、上層部の意向で自分の会社人生を賭ける羽目になる。一時は花形部署として注目されるものの、東レとしてのアップル製品販売は失敗に終わり、約2年で撤退となる。それでも彼は諦めなかった。東レと提携解消後の日本での総輸入元となるESD社の役員となって、アップルコンピュータの国内販売を切り盛りすることを選んだのだ。
この羽根田氏の心理的な変化、何があったのだろうか?さんざん辛酸をなめたアップルとの事業に骨を埋めるような行動だ。東レにそのままいた方が起死回生のチャンスはあったように思う。だが彼はそれを選ばなかったいうことは、敗残兵として終わるのを否定したかったのだろうか。それとも彼もまた将来性に魅せられアップルに「夢」を見たのだろうか。彼の心情の記述は少ない。
アップルが絡むと、なんか夢見れちゃう感じがする。単純に感性に訴えるものが大きい。夢が夢を呼ぶような自由さ、その空気感がマジックだったのかな。。
水島氏や曽田氏、羽根田氏と、それぞれ自分の人生がアップルと関わることで変わっていった。
彼らは今、この「夢」を追ったことをどう捉えているのか。
アップル製品の市場適合化に寄与したことを誇っているならいいのだが。
(下巻ではESDがアップルジャパンとの訴訟にもつれ込んだことが言及されており、水島氏の悲痛なまでの文章が掲載されている。)
ただ結果はどうあれ、アップルが高慢極まりないとはいえ、自分もMacでこの文章を打っている。最初に買ったパソコンに電源を入れた時に爆弾マークが出ても、Mac使い続けている。アホか、と思う。そんなアップル信者の自分は、アップルが切り開いたムーブメントの中に入り込んでいた人たちを、ちょっと羨ましく思う。ビートルズに熱狂して失神してみたいのと同じくらい。
それほどの熱意、情熱、ワクワク感を仕事で持てるのは、特に40歳過ぎたら早々ないし、サラリーマン人生を賭けたいなんてリスクは取らないと思われる。
現在当時と同じように、夢の技術の萌芽はあるのだろうが、それに目をつけるには理性よりも感性なのではと、最初にアップルと出会った水島氏の興奮ぶりを読んで思う。
情熱と熱意のエンジンはワクワク感だとすると、世の中の未来も、個人の未来もその感度を高めることが切り開く一歩となろう。今日出会ったワクワクは何だったかな?今はモノよりも人との繋がりか。
羽根田氏が登場した時に出てきた一文が印象に残った。
「看板とは大企業に仕えるサラリーマンが持つことができる唯一のプライドだ」
そんなプライドも捨てさせるほどに、アップルは「禁断の果実」だったんだろうな。
蛇足:次の時代の動きを現状で察知するならば何だろうか?AI系か?
どうも自分には映画『レディプレイヤー1』のようなバーチャル系サービスが強い気がしている。
投稿者 gizumo 日時 2018年7月31日
『林檎の樹の下で』を読んで
ちょうど、おぼろげながらもうっすらと記憶にある「パーソナルコンピューター」の私たちの生活への浸透スタート時期の攻防戦。華やかな中に苦悩の真実が生々しく感じられる。
現在、「フロッピーディスクを知らない若者」と仕事をしつつ、この時期を知っていることは幸せだと感謝しました。
マッキントッシュ、アスキー、01ショップ、DOSなど、あ~懐かしい…。
昔の会社には「電算室」なるものがあり、日々のデータを"おっきなペラペラのフロッピーディスク"に落とし込んでお届けしていました。
その後、あっという間に各人に一台パソコンの支給となり、画面は液晶になり、無線になり…、まさに"マウスイヤー"。
それらの裏側にある、企業間の攻防戦。当事者の登場にワクワクさせられた。そして「みんな、いい仕事してるなぁ…」と感動と羨ましさと今の自分を深く反省。
忘れかけていた「仕事への情熱」を呼び覚ましてくれた読了でした。
投稿者 jawakuma 日時 2018年7月31日
林檎の樹の下で を読んで
DTP業界に身を置き20年になるので、Macintoshとの付き合いも相当長く、アップルのことは大体わかっているつもりでした・・・が、しかし。本書でまたも、目からウロコがポロポロ落ちることとなりました!
・最初の1台は密輸
元東レの40代のおっさん2人がアップルⅡを手に入れておおはしゃぎ!しかもトラベラーズチェックで支払いって、あなたたちビジネスでの訪問でしょうが!米国では信用取引がなく、現金取引が主流というのも恥ずかしながら初耳でした。確かにその方が、与信調査等もなく効率性を重んじる米国らしいです。最初に取扱をはじめたのが東レ。あの絨毯カーテンの東レですよね。経緯を聞けば三井系の財閥企業つながりで、東芝の大型計算機を使っていて知見があったとか。大型計算機の使用に管理部門に使用申請をして、許可を得ないといけないだなんて、今では考えられません。しかも社外でバッチ処理用のコードを長い紙に穿って持ち込んでいたとは、いやはや頭が下がります。これが本当にIT革命の第一歩だったんですね。当時からたかだか40年でスマートフォンが世界中で使える世の中になってしまいました。アップルの海外輸出の事始めが日本からだったというのも驚きでした。そのタイミングでアップルⅡの先進性に目を点けられた水島氏の先見の明はすばらしかったと思います。そしてそれを共に理解し、大企業の一サラリーマンでありながら、アップルⅡの輸入のために尽力する曽田氏。2人にはこの世界を変えるマシーンの価値が理解できていたのですね。
・アップル(ジョブス)の高飛車ブリ
いやーこれは自分が当事者だったら即刻告訴だと思うような場面が多多ありました。その溜飲を下げてもあまりあるくらい、アップルの製品は魅力があるのでしょうか。アップルは今でこそ世界をけん引するIT企業の一角で、だからこその高飛車ブリなのかと思ってましたが、1976年の発足当時からそのスタンスだったとは!全く驚きです。どこまで自信があるんだか。創始者ジョブスの人間性がそうさせてきたのでしょうか。もう一人の創始者ウォズニアックとの番号争いは面白かったです。1番に固執するウォズにあっさりと譲っておいて自分はちゃっかり0番とは!Think Different を地ていっています。そしてキャノン販売が日本へ仕入れる際の仕入れ値60%を譲らないジョブス。。自分が担当者だったら胃が縮み上がりますよ。日本語化の件もそうですね。せっかくの試作機を床に落としながら叫び、お前は販売の仕事をしろと言い渡すなんて普通の人格じゃできることじゃないですね。さらにESDと本国アップルとの間で板挟になり、、アップルジャパンの社長福島氏は過労とストレスでボロボロになったのも納得できます。
・日本での販売
ポロシャツ、ガム噛みの若者がつくった商品をスーツのおっさんがどぶ板で売っていく。最近も暑い日が続いていますね。クールビズがはじまるはるか前の出来事ですから当時の営業マンたちは夏でもかっちりスーツを着込み、日本式の販売方法で売りさばいていたことでしょう。デモ機もめちゃ大きくて重たい。通販の仕組みも整備される前だし、全国の販売店に対して取扱を依頼する営業を繰り返しかけていました。販売の依頼もアポなしで米国に飛んでいってしまうなんて、当時は飛行機にそんなに簡単にのれなかったのを考えると、無茶を承知で熱い思いでアップルの門をたたいたことがよく解りました。
・社会を変えるエネルギー
ESD、東レ、キャノン販売、アップルジャパンとアップルの日本帰化に携わる人が変遷していったわけですが、日本語化への動きが遅遅として進まないなかで、随分とやきもきしたと思います。いっそ自分たちで作ってしまえということで、キャノン販売が意地を見せたのがダイナマック。電通のプロモーションが面白かったですね。アップル本社と広告界受けしそうな案ではありました。その時その人がその場所でやるべきことをやり継承していった結果が今のこの世界へとつながっている。モノづくり産業の片隅にいる私も自分の役割を果たしながら、未来を創る仕事がしたいと思いました。
本日も良書をありがとうございました。
投稿者 eiyouhokyu 日時 2018年7月31日
「林檎の樹の下で(上)禁断の果実上陸編 アップルはいかにして日本に上陸したのか」を読んで
この本は、プロジェクトの失敗を経験した私にとって、失敗を客観的に見ることができる一冊だった。アップル・東レの提携を失敗と表現するならば、私の個人の経験と共通する部分があった。敗因分析のヒントとしたい。
1.最初から無理だと思っている仕事はうまくいかない
羽根田氏が、上司の指示を受けてアップル事業の検討をした際、乗るべきではないと気持ちが決まっていたと書かれていた。そして、その後に上司から社長の意向を聞き、考えを改め、実現に向けたプランを作り上げた。
最初の、本当にスタートの心情は、結果に影響を与える。あとで考えを変えても、最初の一瞬の気持ちが重要であることを、私は経験した。あとから気持ちを変えたとしても、その時には既に遅い。なぜ無理なのかという理由がびっしりと頭の中にあって、どんどん成功から遠ざかっていく。提案するためにきれいな言葉やイメージを並べて説明しても、潜在意識に一度入り込んでしまった気持ちはなかなか変えられない。
では、どうすればこの気持ちを変えることができるのか、考えた。新しいことをするという行動を、私はネガティブに考えるようだ。ポジティブなイメージがもてない。まずは、小さなことでもいいからやってみようと思い「親指シフト」というのを練習してみることにした。仕事の隙間を見て、タイピング練習をして記録をつける。10日以上真ん中の段、シフトなしを続けた。退屈だと思えるレベルまで同じことを続けた。そして、真ん中の段、シフトありを初めてやった。すると、シフトなしの入力のスピードと正確率がぐんと上がった。飽きるまでやる→次のステップ→前の段階に戻る→劇的能力アップを実感できた。
変化を加えることを継続することで、自分のできたが増えていく。そうすると、「やったことない=無理」が少しずつ薄れていくのだろうと思う。
2.目的の共有ができていなかった
プロジェクトの成功の鍵は、目的の共有にあると思う。利害が一致していなかったとしても、ベクトルは合わせる必要がある。アップル・東レ・井之上アートプロダクツの足並みがそろわなかったのも、お互いが自社の利益しか考えていなかったからではないかと思う。利用者の視点がなく、結果として3社の関係性はうまくいかなかった。
プロジェクトは、関係している企業との調整がうまくいっていればOKではない。そこには、必ず利用者がいる。シェアを拡大したいアップルと、製造権が欲しい・日本でアップル製品を売りたい東レ。それぞれの目的でズレがあった。目的が異なると、製品に不具合があっても前に進むアップルと品質重視の東レといったように行動に差が出てくる。
自分自身、プロジェクトを進めるにあたり、発注者の要求に応えることができず、品質も恥ずかしい結果となってしまった。品質に関しては、人海戦術を使っている時点では遅く、根本的な解決が必要である。私は日本人の感覚として、ESDの水島氏は、品質には大きく貢献したと思う。売ればいいだけではないことをよく分かっていて、不具合だらけのアップルと付き合ってきた。DV夫の暴力に耐える妻のような役割を果たしたからこそ、下巻では、憎しみに変わってしまったのだと思う。
アップルという製品を日本に持ち込んだのは、ベンチャー企業の水島氏だからこそだと思う。本書では、アメリカと日本、大手企業とベンチャー企業、権力体制と反権力体制といった相反する構造がいくつも出てきた。水島氏がエンジニアでありながら、直感を重視したこと、いいと思った製品をたまたま発見し、すぐにアップルに行くという行動を起こしたことは、ぜひ真似したい。チャンスを呼び込む人は、情報をキャッチしてからの行動が早い。
そして、仲間にも恵まれている。英語を話せて、将来の話を同じベクトルで話せる仲間がいる。水島氏と曽田氏がつながっていたのは、両者の人柄もある。人は、一人では成功できないということを本書から学んだ。
今月も良書を紹介していただきまして、ありがとうございました。
投稿者 saori85 日時 2018年7月31日
『林檎の樹の下で』を読んで感じたジョブズへの印象と、仕事への姿勢
この本を読んで、私には一つ引っ掛かる部分があった。それが憤りだと、後から気づいた。
「おい、ジェームズ、日本人とはどこまでプライドがないんだ?ものまねを恥ずかしいとは思わないのか?」(下巻P112)
ジョブズの発言だ。
上巻では、アップルの製品に魅せられ、しかしアップル本社に翻弄される水島と、製品には全く興味がなかったものの、ジョブズの理想に惹かれて巻き込まれていく羽根田の対比が面白かった。
そして下巻では、同じくジョブズの理想に魅せられたジェームス比嘉が登場する。
日本のビジネスから見ると、アップル社の「奔放な経営姿勢」は、信頼と面子を重んじる日本の会社を不安にさせ、苛立たせ、まさに振り回すが、ジョブズ本人に魅せられた人はその奔放な姿勢を含めてジョブズの魅力なのかもしれない。
ジョブズの理想とは、「パソコンは人間の思考を『増幅』するマシン、それを世界中にいずれ1000ドルで普及させる」というもの。
それを羽根田は、目先の売り上げに拘らない「高邁な理想だ」と評価し、アップルと共に人生を歩むようになる。
しかし本書のジョブズの一連の発言を見ると、私には高邁な理想ではなく「征服欲」に映った。
彼は日本を、自身が開発した製品を普及させるフィールドとしか見ていない。「良いものを与えているんだから買え」といった姿勢に見えるのだ。
現にアップルジャパン社長の福島は、「なぜクパティーノは日本を近視眼的にしか見ないのだ…」と言っている。日本は市場が小さすぎて投資に値しない、として日本語化を検討することなく、一方的な売り上げミッションだけ押し付けるという件がある。
そして日本サイドからの再三にわたる日本語化への要望にも無関心、「開発はクパティーノで行う」として助言を聞き入れず、モノが売れないのはアップルジャパンのやり方が悪いのではと言う。
ジョブズはきっと、アイディアを形にする天才だったのだ。だから品質管理や売ったあとのことには興味がない。
ここで、ESDの水島の言葉が思い出される。
「今まで私たちが蒔いてきた種を決してムダにしないでいただきたい」羽根田に伝えた言葉だ。
水島はアップル製品に魅了され、「日本により良いものを」という信念があったのだろう、1台の密輸から始まり販売後のサポートを一手に引き受けて、外資製だが少しずつ日本社会に根付かせようと奮闘してきたに違いない。
ジョブズと水島は全然違うタイプだが、もしも水島が初めてアップル社を訪れたときにジョブズと再度話ができていら、あるいはジョブズの人柄を理解した上で物事を進められたのではないか、そうすれば結末は変わったのではないかと悔やむのは私だけだろうか。
また、この本の登場人物を通して、自分が「働く」ということに対し、いかに甘かったかを痛感させられた。
この点では私は特に、羽根田、キヤノン販売の社員、ジェームス比嘉が強く印象に残った。
初めはアップル社との提携に手を出すべきではないと言っていた羽根田。「もはや自分の人生が…このパソコンの行く末に預けられていると悟った」ところから、アップル推進派として提案書を早急に纏め、アップル本社に足を運び、そして平行線を辿るアップル本社との話し合いの落とし所を見抜いて提携を纏めあげた。
キヤノン販売のアップル担当部署は、「メンバーのほとんどは…事務機器分野の者ばかりで、コンピュータに関しては素人ばかり」からスタートし、遂にはダイナマックを開発する。
そこで出てくるのは「プロの事務機器屋としての意地を見せる」「我々は事務機器屋だ。しかし我々は事務機流通のプロだ」「そのための苦労は、いとわない」という姿勢。
そしてジェームス比嘉は日本語化に尽力し、一度は日本語化は白紙になり業績悪化で投資しぶりの環境のなか、一人奔走し、遂には3人で漢字トークを開発。
彼らの、人生の波に抗うことなく運命を受け入れ、汗水垂らして最善を尽くす姿に照らし合わせると、自分自身の働く姿勢がとても恥ずかしく感じた。
困難を求めるくらいの気概で仕事に当たっていかないと、彼らに恥ずかしいのではないかと思った。彼らの仕事へのひたむきな姿勢は、読み返して自分を律したい。
今月もご紹介を、ありがとうございました。
投稿者 chaccha64 日時 2018年7月31日
「林檎の木の下で 上」を読んで
アップルの日本上陸。最初の「密輸」ではわくわくさせられた。しかし、その後の低迷、そして東レとの提携。しかし、それもうまく行かない。
それはなぜか? 東レからは、不良率の高さ、対応の悪さ、広告の悪さ、漢字対応ができていないこと。アップルでは、東レの販売業績、アップルへの投資が不十分なこと。
しかし、真の理由は、スティーブ・シャンクが思った「そもそも両社が互いに期待を寄せすぎていたということ」だ。提携話の失敗の多くの原因がこれ。企業が相手にしてもらいたい、してもらえると思っていたことをしてもらえずに相手を非難する。しかし、相手からするとやっている。ただ、相手からするとやっているレベルではない。そうして、不信感ばかりが募ってくる。
結局、東レは提携を解消する。羽根田さんはよくあの場面で撤退すると判断できたと感心する。通常ならあのままずるずると「もう一年」と言ってしまいそうな気がする。退職を覚悟していたのでしょう。
「相手に期待しすぎる」ことは、何も組織に限ったことではない。人間関係にも当てはまる。相手に過大な期待をしてしまう。そのために、「あの人はちっとも~してくれない」という不満ばかりになる。そして、仲たがいしてしまう。これは他人だったら問題ないですが、夫婦や親族だとそうもいかない。仲たがいをして、「さよなら」では済まないので。
では、どうすればいいのだろう。やはり、しっかりと話をすることが大事。自分が何をしてほしいかをはっきりさせること。なぜ相手はその行動をしたのかを確認すること。そして、どうしてほしいのか、どうしてほしかったのかを確認すること。真剣に話し合うことが大事。
翻って、東レとアップルですが、「日本での製造」。やはり、これはもう一度、アップル本社へ話を持って行くべきものだったのではないでしょうか。どうせダメだったとしても、結局は提携解消するわけですから。
投稿者 eiyouhokyu 日時 2018年8月1日
「林檎の樹の下で(上)禁断の果実上陸編 アップルはいかにして日本に上陸したのか」を読んで
この本は、プロジェクトの失敗を経験した私にとって、失敗を客観的に見ることができる一冊だった。アップル・東レの提携を失敗と表現するならば、私の個人の経験と共通する部分があった。敗因分析のヒントとしたい。
1.最初から無理だと思っている仕事はうまくいかない
羽根田氏が、上司の指示を受けてアップル事業の検討をした際、乗るべきではないと気持ちが決まっていたと書かれていた。そして、その後に上司から社長の意向を聞き、考えを改め、実現に向けたプランを作り上げた。
最初の、本当にスタートの心情は、結果に影響を与える。あとで考えを変えても、最初の一瞬の気持ちが重要であることを、私は経験した。あとから気持ちを変えたとしても、その時には既に遅い。なぜ無理なのかという理由がびっしりと頭の中にあって、どんどん成功から遠ざかっていく。提案するためにきれいな言葉やイメージを並べて説明しても、潜在意識に一度入り込んでしまった気持ちはなかなか変えられない。
では、どうすればこの気持ちを変えることができるのか、考えた。新しいことをするという行動を、私はネガティブに考えるようだ。ポジティブなイメージがもてない。まずは、小さなことでもいいからやってみようと思い「親指シフト」というのを練習してみることにした。仕事の隙間を見て、タイピング練習をして記録をつける。10日以上真ん中の段、シフトなしを続けた。退屈だと思えるレベルまで同じことを続けた。そして、真ん中の段、シフトありを初めてやった。すると、シフトなしの入力のスピードと正確率がぐんと上がった。飽きるまでやる→次のステップ→前の段階に戻る→劇的能力アップを実感できた。
変化を加えることを継続することで、自分のできたが増えていく。そうすると、「やったことない=無理」が少しずつ薄れていくのだろうと思う。
2.目的の共有ができていなかった
プロジェクトの成功の鍵は、目的の共有にあると思う。利害が一致していなかったとしても、ベクトルは合わせる必要がある。アップル・東レ・井之上アートプロダクツの足並みがそろわなかったのも、お互いが自社の利益しか考えていなかったからではないかと思う。利用者の視点がなく、結果として3社の関係性はうまくいかなかった。
プロジェクトは、関係している企業との調整がうまくいっていればOKではない。そこには、必ず利用者がいる。シェアを拡大したいアップルと、製造権が欲しい・日本でアップル製品を売りたい東レ。それぞれの目的でズレがあった。目的が異なると、製品に不具合があっても前に進むアップルと品質重視の東レといったように行動に差が出てくる。
自分自身、プロジェクトを進めるにあたり、発注者の要求に応えることができず、品質も恥ずかしい結果となってしまった。品質に関しては、人海戦術を使っている時点では遅く、根本的な解決が必要である。私は日本人の感覚として、ESDの水島氏は、品質には大きく貢献したと思う。売ればいいだけではないことをよく分かっていて、不具合だらけのアップルと付き合ってきた。DV夫の暴力に耐える妻のような役割を果たしたからこそ、下巻では、憎しみに変わってしまったのだと思う。
アップルという製品を日本に持ち込んだのは、ベンチャー企業の水島氏だからこそだと思う。本書では、アメリカと日本、大手企業とベンチャー企業、権力体制と反権力体制といった相反する構造がいくつも出てきた。水島氏がエンジニアでありながら、直感を重視したこと、いいと思った製品をたまたま発見し、すぐにアップルに行くという行動を起こしたことは、ぜひ真似したい。チャンスを呼び込む人は、情報をキャッチしてからの行動が早い。
そして、仲間にも恵まれている。英語を話せて、将来の話を同じベクトルで話せる仲間がいる。水島氏と曽田氏がつながっていたのは、両者の人柄もある。人は、一人では成功できないということを本書から学んだ。
今月も良書を紹介していただきまして、ありがとうございました。
投稿者 Rainbowpot 日時 2018年8月1日
『林檎の樹の下で 上巻』を読んで
禁断の果実がリンゴなのか、イチジクなのか、ぶどうなのか、様々な諸説には未だに決着がついていない。でも、アップル社の商品は、ある意味、禁断の果実だったのだと思う。善悪を知るのではなく、我々に欲望を掻き立てる存在として。
アップル社の日本上陸にこのような紆余曲折があった事を、本書を読んで初めて知りました。関わった人達のその熱量を感じると共に、アメリカ本社の理不尽さに振り回される構図には、外資で働く者として、大いに共感するところで、読んでいるこちらが、憤りの余り、奥歯を噛み締めるようなシーンもありました。
私が初めてアップル社の商品に触れたのは、i-MACでした。それまでの白、黒、グレーな色合いの地味な機械だった、パーソナルコンピューター。そのイメージを打ち破るCMの数々は鮮烈で、カラフルで丸みを帯びたi-MACがPOPな音楽に乗せて画面を踊る姿にときめき、最後に浮かび上がる「Think Different」の文字に、頭の真ん中あたりがじーんと痺れたような感覚になった事を思い出す。まさにこのシンプルなコピーは、本書に書かれていた『我々の作ろうとしている製品は、日本のメーカーが作っているような計算機ではない。思考のための道具なのだよ』を体現していたんだなぁ、とこの本を読んで、今になって気付かされました。そして、自分自身はというと、現在に至るまで、アップル社の製品を多々使いながらも、新しい思考を産み出すための道具に出来ていないという事にも同時に気付かされて、猛省する事にもなりました。
アップル社が産声を上げた70年代アメリカには、一部の特権階級のみ利する体制へ若者たちがスピーチ活動やコミューン生活といった静かなる反発が起こっていたという。
ウォズニアックが生み出したアップルⅡは、水島の心を熱くし、その情熱が日本でのアップル・コンピューターの製品を広めるのに、大きな貢献をした。
でも、彼は何で、こんなにアップルの製品に入れ込んでいたのだろう。
技術者として、新しいパーソナルコンピューターの可能性や技術に魅せられ、ワクワクすることは容易く理解出来る。でも、それを一人で、もしくは仲間内だけで楽しむのではなく、機能を同じくした廉価なアジア発祥の海賊版商品が発売されても乗り換えたりすることなく、アップル社製品のみに情熱を注いだのだ。
彼は、夢と若さが溢れたアップル社の商品に魅せられた。損得やお金で推し量れない「なにか熱いもの」が込められた、商品。彼はその「なにか熱いもの」が込められたアップル社の商品を広める事で、古くさい日本の産業構造を変えるだけでなく、日本中の人達を同様にワクワクさせたかったんじゃないか。下町気質の水島が見た熱い夢は、残念ながら彼が描いたハッピーエンドとは行かなかったけれど、その熱い想いは、その後日本で多くの人達にアップル製品が伝播していくきかっけになったのだと思う。
では、その「なにか熱いもの」の正体は、何だったのだろう。
それこそが、きっとスティーブ・ジョブズの高邁な理念だったのではないだろうか。
日本人は、よくブランド戦力が下手だと言われる。
この本を読んで、描いた夢や理想の規模の大きさが、そのまま巻き込んだり、影響を与える人達の数になっていくのだと気が付かされた。
東レの名をハイテク企業として日本中に、世界に広めたい、羽田。古くさい日本の産業構造を変えようとした、水島。人間の思考の自転車となる道具を広めようとした、ジョブズ。それぞれの描いた夢の大きさが、パワーバランスに与えた影響を、私は感じずにはいられない。
日本で普通に生活していると、本を多読したり、海外ニュースを観たりするなど、自分から積極的に情報を取りに行かないと、海外事情や全く違う視点を学ぶ機会が少ない事を痛感する。
知っている世界の狭さがそのまま、自分が描ける夢や理想や理念の大きさに反映してしまう側面が、あるのではないか。もしそうであるならば、ブランド戦略以前に、世界中を熱くさせる、より高邁な理念を我々日本人が描けるようになることが、新しい時代を担うテクノロジー分野で、イニシアチブを取る為のブランド戦略として、先にやらなければならない事なのではないのか。
では、高邁な理想を描く、その為に何をすれば良いのか。
その高邁な理念を作り上げたいという欲望と広い世界と出会う為のきっかけが、今私の手の中にある小さな禁断の果実に、確かにあるのだと、思わずにはいられない。
投稿者 truthharp1208 日時 2018年8月1日
「林檎の樹の下で」を読んで。
今でこそIPhoneやMacbookなど、ほとんど当たり前のようにアップル社製品の恩恵に預かっているが、アップル社製品がいつ、どのようにして日本に上陸したかは本課題図書を手に取るまで全くと言っていいほど知らなかった。
アップル社製品が日本に上陸した約40年前、日本国内はコンピュータといえば官公庁や大学にある大型コンピュータを指す時代だったが、アメリカではにわかにマイコンブームに火が付きはじめていた。
そんな背景の中で、「第1回ウエストコーストコンピュータフェア」を訪れていた水島敏雄氏が、展示されていたAppleⅡに感銘を受けて、日を改めてアップル社を訪問し、日本に持ち帰りたいと交渉したときは試作機しかなかったため、改めて曽田氏と渡米して、1台持ち帰ることに至った。最大の難関である税関では、テレビゲームと職員に説明して、何とか日本国内に持ち込んだ。
その後、アップル社と東レとの業務提携を結ぶことになったが、日米の文化の違いもあり、軋轢が起きたりと、今の時代では想像をつかない問題も多々起きていた。
今はAIの時代だが、アップル社が日本に進出した頃は国内外でパーソナルコンピューターの時代を迎えようとしていた。いつの時代も、新しいことやものを導入する時の高揚感と不安はワンセットだが、私自身、熱い心と揺らぎない信念を持っているのだろうか?本課題図書を読んで突きつけられた。
今月も素晴らしい1冊をご紹介頂き、ありがとうこざいました。
投稿者 satoyuji 日時 2018年8月1日
『林檎の樹の下で』感想
私が本書から得たのは、「そもそも」思考があれば将来は明るい、ということである。
本書はアメリカ生まれのコンピューター、アップルを日本で根付かせようとした人々の記録である。アップルというコンピューターを根付かせるために多くの人々が関わり、様々な思惑があり、紆余曲折を経て日本に受け入れられた。それまでに多くの時間と労力が費やされたことを初めて知った。それは驚くことである。しかし私の思考に引っかかったのはもっと別のことである。あとがきにある「人工知能の分野でも日本は遅れをとる」と書かれた部分が解消されることなく自分の中に残った。その理由がなぜかと考えながら、そもそもパソコンが日本で生まれなかったのはなぜだろうと疑問は進んだ。
本書はアップルに関する本なので他社のPCについてはあまり書かれていない。しかしマイクロソフトやIBMはライバルメーカーとして書かれている。日本製PCについては書かれているものの、「日本語が入力できる」PCという書かれ方しかしていない。そして読み直した時に腑に落ちる答えが見つかった。
1970年代前半に電卓戦争があった。それはカシオミニの登場で終止符を打つことになる。その一節から日本は既存のものの延長戦に将来を描いてしまう思考の癖があると思考が繋がった。もちろんコンピューターは偶然の発明であったからアメリカで生まれたのはたまたまなのかもしれない。たまたま日本以外の場所で発見された技術だったのかもしれない。しかし思い当たることはある。自動車はどうか。もっと遡るのなら火縄銃はどうだろうか。さらに遡るのなら文字はどうだろうか。全て海外から日本に伝来したものである。それを取り込み、利用したに過ぎない。
他から良いものを取り入れて自分のものにする。そう書くと悪いない印象だが弱みでもある。取り入れるばかりで全く新しい何かを作り出すことが難しくなることである。思考の軸が「今あるもの」を起点としてしまう。その結果、今あるものを前提として「それを改善するためにどうしたらいいのか」という延長線上にしか将来を見定められない思考に陥りやすくなってしまう。それでもいままでの時代なら良かったのかもしれない。人口が増え消費が増えていた時代ならば、今あるものを「より速く、より多く、より安く、より小さく」で良かった。しかし現在はそういう時代ではない。求めていることは同じかもしれない。より速く、より多く、より安く、より小さく。実際にスマートフォンの登場により私たちは手の平に百科事典にして何冊で収まるか分からない知識を手の平に持ち歩けるようになった。それが可能になったのはなぜか。技術的にはインターネットによるものである。その根底には問題を提起して解決策を見つける発想がある。情報をより早く伝えるにはどうしたらいいのか。どうやったら手間なく情報を共有できるか。そうした問題提起からの発想がコンピューターを産みだした大きな要因である。逆に電子辞書は日本的である。紙の辞書という既存物をもっと楽に持ち運びできないかという発想から来ている。
どちらの発想にも長短があり、どちらが優れているかは状況によって変わる。状況が限定され、時間がないならば日本的発想の方が解決の糸口は掴みやすい。逆に時間的空間的制限がない状況ならば、アメリカ的発想で今までとは違った全く違った発明ができるかもしれない。
では今の時代においてどちらの思考の方が有利かと言えば、アメリカ的発想である。今は、必要なものがあり椅子取りゲームの如く既存物の価値が下がり続けている時代である。今あるものの延長線に「より速く、より多く、より安く、より小さく」と求めてもジリ貧でしかない。
求められているのは根本から考えることである。「そもそも」から考えることである。「そもそも」それが必要なのかを考えることである。「そもそも」何が大切かを考えることである。「そもそも」の思考が私たちの生活から無駄をなくし、豊かにしてくれることは間違いない。
あとがきに書かれていた人工知能の時代にも遅れをとるという記述は、日本には「そもそも」思考がないことから予測されたのだろう。
そして最後に、そもそもの時代は価値観を根本から問われる時代である。言い換えれば、人の普遍性と個人の差異を満たすことがニーズとして発生する時代であると言える。つまり人と向きあうことができるようになれば、過去に比べて格段に生きやすい時代ということである。あとがきにあるように、日本は人口知能の分野でも遅れをとるかもしれない。しかし一個人の私としては、一人一人と向き合い、話を聞いて理解しようとすることでより生きやすい将来が待っていると予見される。本書は個人には明るい時代の到来を示唆していると書いたら曲解し過ぎかもしれないが、私にはそう読めた。