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第101回目(2019年9月)の課題本


9月課題図書

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち


今話題のAI(人工知能)と、教科書が読める読めないってどう関係があるのでしょうか?

実はこれ、来たるべきAI時代に人間が生き残るためのライフハックなんですよ。なんたっ

てAIは意味を理解しませんから。

 

AIというかコンピュータって、文章や言葉の意味を理解していないんですよ。知ってまし

た?そして人間は意味だけではなく、コンテキスト(文脈)まで理解出来るんです。ここ

が人間の強みです。ところがこの強みがここのところ地盤沈下の様相を呈していましてね。

それが教科書を読めない子供なんです。

 

私もメールマガジンやツイッターをやっていて、こんな簡単な文章を理解出来ずに、独自

解釈(それはイコールメチャメチャな解釈ということ)をしてコメントを送ってくる人が、

こんなにたくさんいるんだと驚くことがあるんですが、その萌芽は子供時代にあったんで

すね。

 

もしかしたらこれからは、日本語の意味をちゃんと理解出来る人たちと、そうでない人た

ちに分かれてしまうかも知れないってことになるんですかね。後者の人たちが増えてくる

社会って、コワいですよね。

 

 【しょ~おんコメント】

9月優秀賞

 

今月は選考に苦慮しました。課題図書で思索を深めるって、本書に関係無く思いの丈

を書くことでも、ご自身の意見を根拠無く断定的に述べることでも、ましてやご自身の

体験や経験を書き連ねることではありません。ここを勘違いしていると、一次審査にも

通りませんのでご注意下さい。

今回今回一次を通過したのは、tsubaki.yuki1229さん、BruceLeeさん、LifeCanBeRichさんの3名で、

優秀賞はLifeCanBeRichさんに差し上げることにします

【頂いたコメント】

投稿者 ghc01447 日時 2019年9月23日


6回目の投稿になります。よろしくお願い致します。

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んで

・AIとAI技術との違い、一般的なAIと真のAIとの違いを論理的に説明していただいてその違いがよく分かりました。マスコミ等がAIを過大評価や必要以上に喧伝しているのだと分かり、安心しつつも、AIによって職の失う可能性は大いにあり、その未来に備えて自分が何をすべきか、具体的に考える指針を得る事が出来ました。

・AIはまさに膨大なデータ量の数学的計算の集大成の様なものであり、当然ながら、人間の持つ感情や日本人の好きな思いやりや忖度の気持ちなど全くなく、計算式が成り立たないものはAIになり得ない事を専門家の言葉から聞く事が出来て、理解度・納得度が高まりました。よって、コンピュータには不可能で、人間にしか出来ない事…創造、予想、発案、希望、喜怒哀楽、臨機応変、人間関係などをもっと大切にかつ主体的に活かす人生設計をすべきだと思うに至りました。

・そんなAIに携わる仕事やデータを作る仕事…オントロジーの仕事などは今後も生き残る仕事の一つとなるのでしょうが、これも一種の専門分野の仕事であり、適正やスキルや事前準備なしには出来ない仕事だと思います。この方面でも仕事が出来るような能力育成や人脈作りや仕事の方向性の変更や下準備を進めておきたいと思いました。

・そして今のAIについて人に説明するのに、この本の記述にもある「将棋の名人には勝てても、おつかいには行けない」と言うのは分かりやすいと思います。この言葉をそのまま引用させてもらい、他の人に説明する際に使ってみたいと思います…笑

・現在、CMや広告で「AI機能搭載」などと言っている商品が販売されていたりしますが、内心「そんな訳ないだろう」と思いつつも、宣伝効果でちょっと気を引いてしまう事もあります。でも、当然ながら真のAIであるはずもなく、場合によっては誇大広告かもしれません。本当ならその真贋を問うなり訴えるなり出来るのかもしれませんが、賢い消費者なら「真に受けない」のが正解なのでしょう。もしくは、この著者のような専門家や技術者に調査依頼して、偽物ならその賠償を技術者に還元するなどしても良いのかもしれません。ちょっと意地悪な物の考え方かもしれませんが、間違ったAI技術が蔓延るのは避けて欲しいものです。

・そして、この本の主題でもある「読解力」についての説明があり、AIに勝るべき「読解力」が落ちていては話にならない…その具体的な問題も出していましたので、齢、50を超えた私も挑戦してみましたが…恥ずかしながら幾つか間違えてしまいました。これでは今の若い人達の読解力の低下を嘆く立場にはなれません。改めて自分の読解力のなさを痛感しました。実際、この毎月の課題本も読解力はまだまだだと忸怩たる思いをしております。この本にもあります通り、最適・最短となる処方箋は無いみたいですが、それでも読書は頭の体操になり、肥やしになり、おサルさんから人間へ昇格する為の原点として、私は今後も読書を続けて行きたいと思います。そして可能なら、今後の読書を続ける中から読解力アップについて書かれている書籍を探して読んでみたいと思います。(AIに出来ないであろう、迷いながら探す、創意工夫をしながら意外な所から探してみたいと思います。)

・おそらく残念ながら今後の日本国民全体の「読解力」の回復や改善化は難しいでしょう。理由は、どうしても人間は楽な方へ流れて行くからです。一例として、日本人は本を読まなくなったと言いますが、今では本だけでなく漫画ですら読まなくなって来ています。仮に漫画を読んでも、字が多いと読み飛ばしたりしてしまいます。今や娯楽の主流はYouTubeなどの動画を視聴して時間を費やす方向に進んでいます。これも読解力低下の原因の一つだと思います。この対策や改善策は…今の私には持ち合わせておりません。これがこの国の斜陽の未来を物語っている気がします。難しい課題だと思います。それでも何らかの案を出すのが残りの人生が減って来ている自分が未来ある若者達へ贈る社会貢献となるのでしょうが、まだまだ私には具体的事案は生まれておりません。

・AI研究に関して日本の政府の投資額の少なさは愕然としてしまいます。そして、もう中国・米国などには大きく差を開けられているのがネットの情報サイト等から知り得ます。しかし、政府だけに責任を押し付けるのも国民としては情けない話ですので、ささやかな事ではありますが、AI研究への投資や募金や寄付を行いたいと思います。実際、著者はこの本で得た印税は全て研究費に回すと言う意気込みを唱えていらっしゃいます。賛同させていただきます。私も知人等にこの本を新刊で購入するように勧めてみたいと思います。

・私もあと20年は働かないと年金生活には入れないでしょう。時代の変化に対応する力は落ちて来ていますが、それでも生き残る為にはまだまだ勉強して自分の価値を上げて行き、AIに対抗できる能力を持っておかなければダメでしょう。その為の大変刺激になる書籍となりました。まだまだ気を抜かずに読解力だけでなく価値ある人間として昇華出来るように努めたいと思うに至りました。良い書籍をありがとうございました。

投稿者 kouyou1030 日時 2019年9月25日


この書籍は随分前に読んだ。丁度その頃は、AIが囲碁の世界チャンピオンに勝利したとか、ディープラーニング、シンギュラリティといったニュースや言葉がマスメディアを賑わせていた。そこで、私は何冊かAIに関する書籍を読んだのであるが、その時私が理解した内容は、

・ディープラーニングにより、AIは加速度的に発展している
・2045年シンギュラリティが訪れ、AIは人を凌駕し、人はそれに支配される
・現在存在している職業の大半がなくなり、失業者で溢れる、そのための対策(といっても絵空事でしかない)
・ベーシックインカムが導入し、人は好きなことだけで生きていけるようになる(これも絵空事にしか思えない)

くらいであろうか。
ただ、何を読んでも将来の不安や恐怖は払拭されなかった。
具体的に言えば、私は安心な老後を迎えることができるのか、子供は将来経済的に自立して生きていけるのか、全く答えが見えなかった。

なので、この書籍もAIの分野であることから、この書籍に何か指針となるようなものはないかと、私はのめり込むように読んだ。

この書籍は、AIには限界があり、AIが出来ることと出来ないことが丁寧に書かれた唯一の本ではなかろうか。

この書籍によれば、AIは数学で表現出来ること(つまり、論理、確率、統計)のみ出来る。裏を返せば、常識な判断、読解はAIには出来ない。と記載されている。

AIの能力とその限界を、東大ロボくんのプロジェクトにて、明確にさせた著者をはじめとしたプロジェクトチームは見事でしかない。

著者の言葉で、
「シンギュラリティは来ません」
と、断言されている文面がある。
前にホモ・デウスを読んで、人間の生態はすべてアルゴリズムに置き換えられ、データ教に支配されるとの内容に恐怖を感じたものとしては、おおいに安心したのである。

しかし、その後のRSTテストの結果を見て、私は青ざめた。
私はこの書籍の例題テストはほぼ正解だったので、できるのが当たり前だと思っていたら、今の中高生にとっては、当たり前ではなかったのだ。
RSTは6分野に分かれており、AIが得意な係り受けと照応はAIと同レベル、それ以外の4分野では、半分ないしは3分の1の正解率であった。
ということは、将来、社会人になって、AIに仕事を奪われる可能性のある中高生が大半、ということである。

少なくとも、私はもう中年期真っ只中であるから、70歳までは働かなくてはいけないかもしれないが、それでもなんとか逃げ切れる可能性は高い。
今の子供たちが、成人後、AIに負けない大人になれるかどうか。これが問題である。

つまり、小学生から中学生卒業までに基本的な読解力を身につけなければならない、ということである。

いまや、サラリーマンで定年まで勤められる方が奇跡になるかもしれない社会になりつつある。今の小学生が大人になるころには、AIが仮に今よりも発展していなかったとしても、もっと厳しい社会になることは想定される。
当然子を持つ親としては、少なくとも読解力だけでも最低限身につけさせなければならない、と強く思った。

この本を読了後、私はいてもたってもいられず、すぐさま、読解力をつけるための参考書を探した。
そこで見つけた参考書が、「ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集(小学生版)」である。

この参考書が届いてから、私が真っ先に目を通した。
小学生版とはいえ、低学年では解けるようなものではなく、高学年にならないと難しいものであった。大人の私はいくつか問題を解いてみたが、中にはに回答に悩むものもあった。これならば、読解力があがるであろうと思わせるものであった。

子供が高学年になったら、この参考書は必ずやらせるし、できるまで何回も解いてもらう予定でいる。

話は変わるが、来年度からは、小学5年生と6年生に対し、プログラミングと英語が教科として導入される。それに乗り遅れまいとする親たちのニーズを汲み取り、今やその教科の塾やイベントが大盛況である。
当然、うちの子供もその2教科を学ぶことになる。

プログラミングも英語もこれからの社会には必要な知識であろう。
英語は早く慣れさせた方が発音やリスニングに苦労しないし、日本以外にも住む可能性も今よりも格段に高くなっているであろうから。プログラミングに至っては、IT人材が不足している昨今、小学生のうちから、能力の底上げを図るのであろうと私は憶測している。
しかし、なにより大切なことは、学校で日本語(国語)をきっちり子供たちに理解させることではないだろうか。
全校の学校にRSTテストを導入し、今後の学校教育に是非とも役立ててもらいたい。と、強く願う。

投稿者 tajihiro 日時 2019年9月28日


「AI vs. 教科書が読めない子供たち」を読んで

 新井紀子著の「AI vs. 教科書が読めない子供たち」について、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思います。
 まず、本書で著者が一番言いたかったことは、仮にAI技術が、数年後、数十年後のあるとき、席巻する時代がきたとしても『競合者がいないブルーオーシャンで、需要のほうが供給を上回るように仕事をしていけば、その危機は回避』(P275)できる、ということであり、『汚部屋整理コンサルタント』(P277)や『高学歴高収入女性専門の婚活支援』(P277)のように、掛け合わせやエッセンシャル思考的な考え方の本業・副業を持つことができれば、生き残ることが可能である、と考えます。
 
 上記を踏まえ、以下の2点について新たな学びを得ました。

1. 『科学を過信せず、科学の限界に謙虚であること』(P158)
2. 『今のところ、「こうすれば読解力が上がる」とか「このせいで読解力が下がる」というような因子は発見されなかった』(P223)

1. 『科学を過信せず、科学の限界に謙虚であること』(P158)
 私は、この一文を読んだとき、ショックを受けました。私のような一般人が、科学の限界に謙虚であれと言っても、何の根拠も説得力もありませんが、科学の世界の最先端を突っ走っている人がそう発言したならば、もう「すみませんでした…」しかありません。極論を承知で言えば、「現代科学でできないことに活路を見出せ」とか「非科学にこそ、活路を見出すヒントがある」とも言い換えることができそうです。

「現代科学でできないこと」を「できるようになる」にはどうすればよいか?

 ここから先は私の推論でしかありませんが、「現代科学でできないこと」を「できるようになる」の鍵の一つとして「読解力」を身につけることではないかと考えます。P125の例文をもとに「読解力」という観点で考えてみます。

・警報機は絶対に分解や改造をしないでください
・未成年者は絶対に飲酒や喫煙をしないでください

 文法的には似ています。しかし、ある程度の読解力がある人間ならば、その構造が違うことに気が付くはずです。前者は厳密には「(これを読んでいる方は)警報機を絶対に分解したり改造したりしないでください」というように「警報機は」の「は」が、本来、主語の後に使われる「は」と違うことを瞬時に感じ取り、頭の中で「は」から「を」へ置き換え、本来の主語が別の何かであることに気付き、読み換えを行うはずです。そして、この行為はAI技術の場合、『教師データ』(P31)を何万何億と叩き込むことでしか対応できないと著書にあります。

 別の例をあげましょう。これは、スーパーでレジが混んでいたときの話です。スーパーのレジ係が「レジの応援をお願いします」とアナウンスしました。そのとき、行列に並んでいた幼い少女がレジまで走っていき「がんばれ!がんばれ!」と大声で応援を始めました。この著書を読む前は、この状況は、微笑ましい話でしかありませんでしたが、この著書を読んだ後では、この少女がまさに『教師データ』(P31)を叩き込まれる前のAIだと置き換えると、いろいろと考えさせられる話です。

 さらに、別の例をあげますと、たとえば、S.I.ハヤカワ著の「思考と行動における言語」(2019年4月課題図書)の中にある『よせやい!商売は商売だ、かまうものか』(P228)という話はどうでしょうか。はじめの「商売」は特定の商取引、すなわち、外延であり、後者の「商売」はビジネスそのもの、すなわち、語の内包であることは明確です。この前者の「商売」と後者の「商売」を瞬時に理解できるような読解力を鍛えることが、これからの時代を生きていく上で「現代科学でできないこと」を「できるようになる」ために重要であることを、この著書を通じて改めて学べたことは素直に良かったと思います。 

2. 『今のところ、「こうすれば読解力が上がる」とか「このせいで読解力が下がる」というような因子は発見されなかった』(P223)
 この一文にもショックを受けました。というか、ヘコみました。なぜならば、これまでの私は、読書の習慣を継続的に行えば「読解力」は必然的に鍛えられる、読解力は「量稽古」によって鍛えられると考えていたからです。

 しかし、冷静に考えてみれば、「漠然と読書さえしていれば、読解力は上がるという考え方は誤り」ということに気づきます。私の場合、年間150冊以上の本を読むことを自身に課していますが、では、これまで、読んできた本の全てを100%完璧に私が理解しているかと言えば、せいぜい、10%というところが現実的なところです。私がこれまで読んできた本の中で、理解できる、もしくは知っている言葉、フレーズ、言葉だけしか読んでいないゆえに、頭の中には、断片的にしか入っていない、と思えるからです。

 なぜ、断片的にしか入っていない、と考えるのか?

 これは、あくまで私の場合ですが、たとえば、P204の『アミラーゼという酵素は、(中略)分解できない』という出題において、私は「グルコース」か「酵素」のどちらかを正解と結論づけました。なぜ間違えたのかを振り返ったとき、まず、私は、アミラーゼ、グルコース、セルロース、酵素という言葉の意味を正確に把握できていなかった、理解していなかったため、前後のつながりを飛ばし、自分勝手なイメージで、勘に頼っていたことで、「違う」の対称、「正しい」のそばにあるフレーズ「グルコース」と短絡的に結論づけた、もしくは「酵素」を「内包的用語」と考え、「酵素」を正解と短絡的に結論づけてしまったことにあります。P204の文章を、断片的にしか理解しかしていないゆえに、読解力のない人間にあてはまる典型例な間違いを犯してしまったのです。私の場合、この出題において、それぞれの語の『意味を理解する能力』(P232)を欠いていた、とも言えます。

 では、どのようにすれば、より100%完璧に理解できるようになるのか?

 これに対する解はこの本には書かれていませんが、しかし、著者は、少なくとも、『いくつになっても、読解力は養える』(P250)と仮説づけているので、その言葉を信じ、課題図書や読書を継続的に行い、鍛えることこそが、読解力を養うための方法である、と仮説立てて、その上で100%は無理でも、それに近づけていくことが唯一の王道なのかなと、考えました。

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 最後に、「AI vs. 教科書が読めない子供たち」という本のタイトルについて考えてみたいと思います。このタイトル内の「AI」は「AI技術を持ったモノ、存在」であり「教科書が読めない子供たち」は、正確には「教科書『を』読めない子供たちと似たようなレベルのモノ、存在」であり、大雑把に言えば、いずれも「読解力」を持たない「モノ、存在」どうしです。そして、現時点では、引き分けですが、あるとき、どちらかが先に「読解力」を得たときに勝敗が決するわけです。そして、私もそうですが、読書等を通じ、日々「読解力」を上げるための鍛錬をして「AI」に淘汰されない人間に昇華したいと願わずにはおれません。 

 以上、課題図書の私なりの考察を終わります。今回も非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。

投稿者 427 日時 2019年9月29日


 AI(人工知能)について語られている内容は、その多くが短絡的であるか、人々の恐怖心を煽るような扇情的な多い中にあって、今回課題図書に指定された本書は、良識のある、バランスの取れた本であると言える。AI(以降、「AI」と記載するときは、著者の表記方法に倣います)の実相と限界に関する説明を技術的観点からではあるが素人にもわかりやすく説明していて、自身のAIに対する知見を含めるのに役立った。特にシンギュラリティがインチキであるとしたフランスのジャン=ガブリエル・ガナシア教授の発言の意図に関する更なる理解を促進してくれた。

 著者が今回提示してくれたAIに関する事象の中で、以下の点について考察していきたい。

第1は、MARCHと呼ばれる有名私立大学に合格できる偏差値に到達したということを持って、人間の強力なライバルになったと著者は述べている。しかしよくよく考えてみると、AIはまだ開発段階あるいは実験段階の域を脱していないことに注意するべきである。なぜならば、強力なライバルという状況は人間が行っている様々な仕事に実際に従事できる状態になったときに初めて断定できるものと考えられる。直接の土俵に人間とAIが上がっているわけではなく、間接的に比較した上での状態である。換言するならば、AIの実用化ができてはじめて(=土俵に上がる)ライバルになりうる。この点については著者の短絡的な記述であると言わざるを得ない。

 次に、AIによって仕事が奪われ、やがてAI恐慌が起きるという悲観論だが、ここでは10年から20年後になくなると予想される職業が引用され、あたかも人間は確実にAIに仕事を奪われて、ゆくゆくはAI恐慌への道は避けて通れないこと必定でとの錯覚を植え付けられてしまうものと考えられる。確かにAIが得意そうな仕事が書かれているようにも見えなくもないが、リストアップされたすべての仕事には機械的にできるレベルと、判断を必要(=意味、意味合いを考える)とするレベルとが混在されていることに気が付く。例えば上位8位に税務申告代行が記載されている。私は会社経理実務に携わるものとして、普段から適正かつ適法に節税をするために、機械的に申告書を作成する業務と、税法の意味合いを考慮して行なう「判断業務」を行なっており、これらを切り離すことはできないし実際的とは言えない。このあたりの記述については扇情的に執筆されており残念でならない。科学者にだけAIを扱わせてはならない。

 仮にAIが実用化されたとして、ある日突然、人間の仕事を力づくで奪うことは断じてあり得ない。AIを導入しようと決定する企業経営者が人間の仕事を奪うのでである。飽くなき利益の追求、それは経営者の出世欲、金銭欲、安全欲、承認欲求など、人間のもつ際限ない欲望のなせる技と言っても過言ではない。

 最後に、著書の中では触れられてはいないが、人間の仕事を奪い人生をも奪ってしまう危険なものであるならば、なぜAIに対する管理・規制の動きが出てこないのか、という点である。これは前段で述べたことにも関連することではあるが、海のものとも山のものとはっきりとしないAIであるとはいえ、この導入が軌道に乗っていけば、生産性の増大により、企業経営における利益追求に大に貢献することが期待できるからではないか。またAIを研究・開発する立場から見ると、次世代の成長戦略のカギとなると称して多額の研究資金、助成金などを政府機関等から獲得する道もある(日本では過去、1982年に500億円の投資をするも失敗したが、こうしたことが再び出現しないとは断言できない)。

 ここまでで取り上げた3点に共通するものはなにか、これら表層的な事象の地下に脈々と流れるものは一体何か。持続的な経済成長を是とし、際限ない欲望の追求を目指し、あらゆる人間の活動を経済の言葉、考え方に置換した新自由主義によるものなのではないか。となればAIが人間を窮地に陥れるというよりは、新自由主義によって加速化された人間の欲望が自身を危うくしているのではないか、と考えざるを得ない。

 結局のところ、経済的な成長や利益追求が是とされているこうした価値観の転換、パラダイム・シフトを如何にして起こしていくのかがどうやら鍵になりそうで、道徳的、規範的な考え、哲学的思考、歴史的観点からの論考など、リベラルアーツ的思考が必要となるのは論を俟たない。加えていわゆる「怪しい系」という、古代の人々が当たり前のように有していた思考及び生活様式に立ち還ることが最重要であると痛感している。とはいえ、経済的観点との止揚をどう果たしていくかがポイントとなりそうである。

 ただ言えるのは、AIがこれ以上発展しなくとも、一部の企業(ツイッターなど)以外は困ることはないし、欲望にこれ以上身を任せて人間廃業になることは避けたいと思う次第である。足るを知るがいずれにしても必要かと思う。

投稿者 BruceLee 日時 2019年9月29日


本書を読んだ最大の収穫は「AIは意味を理解しない」事を理解できた点だ。

基本的にAIに出来るのは四則演算だけ。そこにビッグデータと高速CPUとアルゴリズムが加わると、何でもできそうと勘違いしそうになるがそうではない。考えてみれば当たり前で、AIは単なるコンピュータなのだから。意味を理解しないとは、つまり教えられた事(インプット出来る事)しか出来ないという事。が、逆に言えば「教えられた事は出来てしまう」という事。AIに仕事を「奪われる」職種もあろうが、AIにより省力化される職種、もあると思う。完全に無くなりはしないが、今まで10人必要だったが3人で回せるようになるとか。この場合、不要となった7人は仕事を奪われたのと同じ事。

では「教えられた事」をやる仕事ってどんな仕事だろう?端的に言えば、マニュアルに落とし込める仕事だろう。ファーストフードの店員などは分かり易い。私は中国に出張に行く機会が多いのだが、最近の中国のマックの中には、注文は大きな画面上で、顧客が直接入力する方式の店がある。自分の欲しい物を全て画面上で選択し、合計ボタンをクリックすると総額が出てWechatで支払い完了。その注文内容が記載された紙が印刷され、その紙をカウンターに持って行くと店員が用意する仕組み。つまり今まで注文対応をしていた店員の仕事は無くなったのだ。では、中の厨房の仕事は人間にしかできないか?いや、ロボットを活用すれば自動化など困難ではないだろう。つまり最終的にマックには機械に問題が発生した際の保守要員としての店長1人がいれば良い、なんて事になる可能性もある。いや、機械の精度が高まれば店長も不要の「無人店」も実現かも知れない。「でも自分の仕事はファーストフード店でないから・・・」と言えるだろうか?職場でこういうセリフを聞いた事はないだろうか?

「これ、教わってないから出来ません」

AIに仕事を奪われるのは職種以上に、こういう姿勢の人間のような気がする。何故ならこれって「わたしはAIと一緒です」って言い放ってるのと同じだから。一方、考えてみると、我々の多くは最初に入った職場で「仕事を教えてもらった」。つまりそれ自体は「教えられた事」である。ではAIには絶対できない我々人間の強みは何か?それは「意味を理解できる事」なのだ。もっと言えば、理解した上で「選択」と「判断」ができる、という事だろう。が、ここで「あ~自分は意味を理解出来るから大丈夫だ~」と安心は出来ない。実は理解しているようでしていない。それが本書のタイトル「AI vs 教科書が読めない子どもたち」に活かされている。この両者が将来戦わざるを得なくなるのだ。AIが実際に活躍し始めるのはまだ先だから、その現実と対峙するのは今の子供たちなのだ。では「AI vs ○○」の○○にならないためにはどうしたら良いか?その答えが本書のタイトルだ。教科書を読めるようになれば良い。一方、現在大人である我々は意味を理解しているだろうか?本書には厳しい指摘もある。では、意味を理解できるようになるにはどうすればいいの?どうすれば我が子が身に付けられるの?と思う親は多いだろうが、残念ながら本書にその回答は無い。

なので、視点を変えて考えてみたい。確かに我々は最初の職場で仕事を「教えてもらった」。つまり、最初のインプットレベルは同じだったはずだ。が、数年、いや数十年経過すると仕事の出来、不出来が明確に出てくるのは何故なのか?その結果、ある者は出世し、ある者は転職して年収を上げ、ある者はどちらでもなく元の地位で薄給のまま、という差が生まれるのは何故か?私が思うに、最初のインプットで誰もが基本問題は出来るようになる。が、仕事で重要なのは応用問題なのだ。応用問題にこそ「教えてもらった」以外が求められるのだ。誰もが経験しているだろうが、ビジネスが思い通りに行く事は稀だ。多くの場合、「想定外」の問題が浮上する。「想定内」の問題は事前に対策がなされている。故にどんなに計画性が高くとも実際に進めてみないと見えなかった開発の遅れ、製造ミス、顧客の仕様要求の突然の変更、品質問題、等々は珍しい事ではなく、これらは言ってみれば応用問題だ。そして応用問題を解決できた人間のみが成功体験を得られる。それは「教えてもらった(インプットされた)」事で対応できる範疇を超えた事が出来る証明でもあり、その時点でAIには出来ない仕事レベル、と呼べるのではなかろうか?結果、本書を読んだ私の結論は以下である。

「将来、今日存在する職種や仕事のある程度はAIに奪われるだろう。が、応用問題が解ける人間の仕事は奪われない。つまりAIに仕事が奪われるか否かは職種でも仕事でもなく、仕事レベルによるのだ」

投稿者 toshi121 日時 2019年9月29日


「AIvs.教科書が読めない子どもたち」を読んで

 今回、今月の課題図書である「AIvs.教科書が読めない子どもたち」に加えて、続編である「AIに負けない子どもを育てる」を読んだ。実は続編は、ネットで見つけて発注しした翌日に、メルマガでも紹介されたので、自らの行動が間違えていなかったと感じ、少し嬉しかった。

 さて、今回課題図書を読んで、強く感じたのは三点である。一点目は、「シンギュラリティは到来しない」ということを実感できたことである。少し前からシンギュラリティの到来が喧伝されており、私自身も一部懐疑的に感じつつも、シンギュラリティは来るのではないかと思っていた。ただ、本書を読んで、AIの凄さとともに、その本質、限界を理解することができた。また、AIの不得意な分野は、どうやっても完全に解決することが不可能であることを知り、少し安心した。そして、AIの限界を明確にするために東ロボプロジェクトを始めたという新井氏の慧眼に感服している。
 
 二点目は、自らの読解力についてである。今回、続編のリーディングスキルテストの体験版を実施してみて、読解力の低さに愕然とした。結果の分析で、私は典型的な「前高後低型」で、『活字を読むことは嫌いではないし、知的好奇心はあるのに、理数系やコンピュータに苦手意識がある』タイプである。そして正に、『一行一行確実に読むよりも、キーワードを拾って「今、こういうことが話題になっているんだな」とザックリ理解していようとしている』ことが多いのである。

 昔は読書が嫌いで国語の読解が苦手だったが、ここ5年は毎月10冊以上の本を読むようになり、読解力も少しずつは上がってきていると思っていた。一方、この課題図書に取り組む度に、読解力はまだまだ不十分とも感じていた。今回、読解力の向上はやはり過信であるという現実を突きつけらえたショックは大きかった。まさに、続編の第10章に『大人の読解力は上がらないのか?』にあるように、『テスト結果に打ちひしがれ、「もう若くない自分の読解力は頭打ちなのではないかと」と不安に感じている』状態であったのだが、『大人になっても読解力は上がります』の一文に救われた感がある。

菅原氏の体験談の中で、『ゆっくりでも正確に読むことの大切さ』が紹介されている。菅原氏のように、リーディングスキルテストのレビューを行える訳ではないので、今の自分にできる正確に読むことの練習として、新聞と本の要約の練習に取り組むことを決意した。時間がかかるが、しっかりと継続していきたい。

最後の三点目は、現在小学校低学年の息子と娘の教育についてである。我が家は妻が中国人で、家族が中国在住のため、現在においても子ども達の日本語の能力が相当に低い。今後も当面、中国で生活する予定のため、日本語での読解力の向上は至難の業であると考えられる。ただ、日本語であれ、中国語であれ、読解力がないと今後の人生に大きな支障をきたすことは間違いないので、親の責任として、子ども達の読解力向上に取り組んできたい。

具体的には、最近子ども達に日本語のレッスンを開始したのだが、今行っているひらがな、カタカナの学習終了後、文章をしっかり読む練習を継続していく所存である。こちらも時間がかかるが、将来必ず役立つものと信じている。

今回も、非常に役立つ書籍を紹介いただき、大変ありがとうございました。毎度、拙い文章で恐縮ですが、引き続き取り組んできますので、今後ともよろしくお願いします。

以上

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2019年9月29日


1.人間にできて、AIにできないこと

 「『東ロボプロジェクト』は失敗しつつある。なぜなら機械は意味を理解しないからだ。ゆえに、AIが人の能力を凌駕する未来は来ない。」-それが、課題図書の著者・新井氏の結論だった。

 私は学習塾で英語講師をしているが、本書がきっかけで、小中学生と東ロボくんの英語学習法に決定的な違いがあると気付いた。それは、人は「全体→部分」「部分→全体」の二方向のアプローチで学習するのに対し、機械は後者「部分→全体」のみに依存している点である。

 赤ちゃんが母語を覚えるプロセスを例に挙げよう。生まれたばかりの赤ちゃんは、まず両親が自分に話しかけてくる言葉や、周りの大人の会話に耳をすます。初めは何も理解できないだろうが、大量の会話から少しずつ、自分にとって重要な意味を持つ単語-マンマ(ごはん)やママ(母)-を抽出し、声に出していく。初めに「完成形の母国語」ありき。全体を認識し、細部は後から注目する。こうして自分の言語と世界観を構築するのが「全体→部分」の動きである。

 対して機械は逆だ。レベル1の知識を吸収したら、より高次元のレベル2の知識に進むという具合に「部分→全体」の積み上げ学習を行う。
通常、日本人の赤ちゃんが小学生になると、学校や塾で「ドリル学習」を始め、ひらがなや漢字、慣用句を学習する。国語の授業で物語や詩を精読し、日本語力を高める。一方で、外の世界(周囲の大人やテレビ・読書等)でも大量の会話に日々、触れる。子供達は「全体→部分」「部分→全体」の2方向のプロセスで母語を完成させる。

 母語でない英語も、この2方向のプロセスが揃って初めて完成する。
「全体→部分」とは「理解できなくても、大量の英語をインプットすること」を指す。私の例で言えば、教師が英語の絵本やニュースを読み聞かせ、子供達は「意味が分からなくても」リピート。あるいは、英語のことわざを「意味が分からなくても」暗唱し、カルタで遊ぶという手法を言う。
 それと同時進行で、「部分→全体」型の学習がある。be動詞が定着したら一般動詞に進むという、文法積み上げ学習だ。余談だが、日本の英語教育は後者(部分→全体)を絶対視し、前者(全体→部分)がほぼ皆無である点に、大きな欠陥があると個人的に感じる。基礎ドリルをたくさん解いて母語がペラペラになる赤ちゃんなど、どこにも存在しないのに。

 しょうおん先生が速読セミナーで「薔薇という漢字を“読めるが、書けない”人がいるように、完全に理解していないが漠然と知っている事柄が、私達の広く浅い常識を構築する」と説明されていた。この言語化できないが何となく分かる知識=常識は、水面下で私達の知的活動を支えている。
 常識は、教科書や学校など教育現場のみならず、自由な時間の中での社会との接触で構築される。家庭での会話、年上の人達との交わり、友達との遊び、読書、スポーツ、習い事、テレビ事などから得たものが視野を広げる。
 機械は常識を持たない。東ロボくんは150億の英文を暗記しパターン化しても、センター試験で簡単な会話問題に正解できなかった。それは常識をベースに文脈を類推できないからだ。
 加えてAIの知識は、著者も指摘するように、過去のデータの蓄積に過ぎない。ゆえにAIは前例のない問題に対処できない。最先端の高度なAIも、地震の正確な予測ができないと本書で述べられていた。

 AIは「速くて役に立つ百科事典・計算機」にはなりえる。私達はAIを、ありがたく有効に使うべきだ。そして、未来を予測し計画図を描くというクリエイティブな仕事は、人間が誇りと主体性を持って担いたい。

2.現代の中学生達に読解力が欠如している原因

 著者が「現代、3割の日本人中学生が、教科書の簡単な文も読めない」と危機感を持って警告する。原因として
1.パソコンやスマホの普及、核家族化で、周囲の大人や近所の人と生(なま)の会話量が減った
2.学校の試験に、穴埋めや記号選択問題が多く、文を記述させる問題が少なすぎる
等の外部的要因が考えられる。

 だがもっと根本的な問題は
「多くの読解力の低い学生が、真面目な性格ゆえに、理解できない事柄を丸暗記して試験を乗り切り、読解力の欠如を放置したまま、社会で上手く世渡りしている」
…という筆者の恐ろしい仮説である。この仮説はおそらく正しい。自分がまさにそれに該当するからだ。

 暗記しているが意味が理解できない人間こそ、AIに取って代わられる。読解力を伸ばすために、どうすれば良いか。

3.読解力を伸ばす方法

 文脈を理解できる能力は、時として「諸刃の刃」となる。(『わかったつもり』西林克彦)
浅い分かり方で思考停止に陥ることが、真の読解を阻む。

 読解力をつけるには、インプットだけでなくアウトプットが肝である。新聞記事や本を読んだら、一文で内容を要約し、感想を書く。社会人になってからこの習慣を毎日続けていたので、自分は30歳を過ぎた頃から読解力が上がったように感じる。

 また、教師として絶対に「キーワードを覚えさせる」だけの授業をやってはならないと強く思う。生徒が電話番号を暗記するように闇雲に単語を覚え、試験が終わったら一気に忘れるような、そんな学習には何の意味もない。授業の最後に、学びや感想を文で書いてもらい、「自分が同様の立場にいたらどうするか?」と、生徒に思考を深めさせる授業をしたい。

 最後に、人間には機械が決して持ちえない“sense of wonder”がある。新しい知識を得た時に感じる、震えるような喜び-。それがある限り、人は勉強をやめない。私もそれがあるから、読書と勉強を続けている。自分は生徒にsense of wonderを与えられる教師でありたい。

 昨今、「自分は不幸だ」と絶望を感じた人が、無差別殺人事件を起こす事件が後を絶たない。犯人達は、自分の人生に対する読解力が欠如している。逆境や孤独にぶつかった時、じっくりと原因と対処法を考えるられる能力。他者の痛みを考えるという思いやり。それらも重要な読解力であり、機械には永久に持ちえない。

 まず自分が読解力を上げ、そして生徒の読解力を上げられる教師でありたい。それにより社会に貢献したい。文の読解力を上げることは人生の読解力を上げ、人格を高めることに通じると信じる。

投稿者 gogowest 日時 2019年9月30日


「AI vs 教科書が読めない子供たち」を読んで

本書を読んで、AIに何ができて、何ができないのかを整理して、理解することができました。いままで、自分の中で「論理」と「意味」をあまり分けて認識していないところがあったことに気が付きました。「論理」は数学の表現の範囲内のことであり、AIで判断可能なことであり、「意味」はまだ数学で記述することができないために、数学を基にしているコンピュータの上に存在するAIは意味を理解していないということをはっきりと認識できました。

オックスフォード大学の研究チームが予測したデータでは今後の20年間にホワイトカラーの約50%の仕事がAIに置き換えられて、なくなると予想しているそうで、AIが今後社会に及ぼしていく影響の大きさがわかります。
技術革新の度に、人間の仕事と雇用が大きく変化するものですが、今回の波は大きくて、仕事のなかで本当の価値を生み出しているのかを問われる時代になってきたのを感じました。

AIは「論理」で推論していくものと思いこみがあったのですが、東ロボくんのプロジェクトでは教科ごとに戦略を考えて、統計的な手法を適用するものがあります。「論理」は数学と物理の一部への適用だけとしたそうです。これは意外でした。
東ロボくんプロジェクトで、5教科のうち、英語が一番実現させやすいものと私は推定していました。辞書データを持ったうえで、論理的に解析すれば、比較的簡単にできると想像していました。しかし、実際には、このプロジェクトでは自然言語処理に論理的な手法を適用するのは事実上、困難なので統計的な手法を適用したという事情だそうです。これが現時点でのAI技術適用の限界なのでしょう。

人間が外国語を学ぶ過程と東ロボくんが「学ぶ」過程を比較してみたいと思います。
人間の外国語学習法としては、私は以下の方法を定式にしています。
未知の西欧系言語を学ぶときには、文法と精選された基本例文を500文から600文を暗記し血肉にしたうえで辞書を用いれば、読み書きが何とかなるレベルになります。あとはその能力を核にして、できることを増やしていく。
以上の方式を使います。
一方、東ロボくんのプロジェクトでは英語は150億の例文を記憶させたうえで、論理ではなく、統計と確率で、大学入試の問題を解こうという方法です。
この二つの方法では、例文の数としては600と150億ではあまりに数に開きがあります。人間は、文法を学ぶ中で身に付ける言語感覚と人間的な常識によって、コンピュータが知ることができない「意味」を軸に、その言語を効率的に学んでいくことができるので、元になる基本例文は絞りこめるのです。

「血肉にする」というプロセスの中には以下のものがあると思います。「まずそのままを暗記する」「日常のなかでその文例を適用しはじめる」「適切な時制、格変化に自動的に変換する」「自動的に単語を入れ替えて伝えたい意味を作り上げる」「論理を用いて、単語、節、文を結びつける」その先に「その言語の感覚が磨かれていく」。人間であれば、こういったプロセスで、「血肉化」していきます。覚えた例文自体が「教師データ」として働きます。こういった思考の作業は、AIではできなくて、意味を知る人間だけができる差別化ポイントということになるとおもいます。

第3章では、中高生向けの「基礎的読解力調査」の結果は衝撃的でした。基礎的な文章が中高生には読めていないという事実がこの調査で明らかになっています。教科書が読めないということは、学ぶことのスタート地点に立つこともできないということです。そして、それは教科書が読めるかどうかという一点で、すでに格差が生まれていることにもなります。

そういう現状を打破するためには、なぜ読解力がさがっているのかを解明し、どうすれば読解力をあげられるのかを明らかにする必要があります。読解力をあげるにはどうするかということについては、本書の中では、結論は出ていませんが、著者が可能性として挙げたキーワードは「精読・深読」です。

私自身は、できるだけ精読を心がけてきました。それは、外国語を学ぶ中で、フィーリング読みやヤマカン読みは誤読の原因となるということを認識したからです。翻訳本で、翻訳が間違っていることが良くあります。この原因の一つにフィーリング読みをしている人が多いことが指摘されています。
言語についてのエキスパートで、外国語の翻訳や教育を長年しているポリグロット研究所の猪浦道夫氏が以前から学習者の読解力が下がっていることを指摘しています。猪浦氏の著書「語学で身を立てる」77ページには『日本人学習者は外国語学習においても文の論理ということに無関心で通りすぎてしまうのです。』とあります。さらに81ページに『私の会社の通信教育の実務翻訳コース受講生の、少なくとも7割はヤマカン読みをしている。』と書かれています。このヤマカン読みが起きる原因に基礎的な文法知識が不十分な人が多いと猪浦氏は分析しています。ここでいう文法とは日本語にない文法知識をもきちんと使いこなす力と定義しています。実務翻訳コースを受けようとするかなり、選別された人たちのなかでも、しっかり文章を読めている人は少ないということです。
中高生のみならず、大人でも母国語の文の構成や、言葉の意味するところにも無関心であるのがRSTの調査結果が示しているのだと思います。

諸事情から、イギリス人が書いた学術書を日本語に翻訳しているのですが、この本は、ピリオドから次のピリオドまで7、8行、長い時で10行あるという込み入った文構造から成り立っているという本です。ロジックはきれいに文頭から文末にまで流れているので、文構造が異なる日本語に翻訳する時は、とても注意して、翻訳作業しました。たとえ些末なことのように見えても、不明点を追求するという姿勢で取り組んでいました。こういった翻訳は、以前から行ってきていますが、自分の読解力をあげることにつながったように思います。

読解力は、時間によって変化していくように思います。これは以前読んだ本を再読する時に、最初に読んだときに自分で線引きしたところをみると、ちょっと的外れなところに線を引いていると感じるということがたまにあります。そしてもっと大切なところがノーチェックになっていることもあります。こういったことは短文レベルでの読解力というより、文脈レベルでの読解力のことだと思います。以前に読んだ本を再読することのなかで、自分の読解力をチェックすることができるように思います。

言葉が伝えようとする意味をしっかりと受け止めるということの大切さを再認識できました。
良書をありがとうございました。

投稿者 shinwa511 日時 2019年9月30日


本書で著者は近い将来、今ある仕事の多くがAIに代替されることを危惧しています。

現在、中高等学校の学生は英単語や世界史の年表、数学の計算などの暗記や計算を得意としていますが、暗記や計算はAIの得意分野です。このままだと将来、人の仕事はAIに代替されていってしまいます。現在の教育を見直さないと、社会が求める人材は育たなくなってしまいます。

特に教育で伸ばしていくべき分野は、国語の読解力です。人工知能の弱点は文章の理解です。読解するには、文脈の背景や心情や前提条件を複合的に捉えないと、正しい答えを出すことはできません。この複雑なプロセスと、心情という感情をAIが理解しないことには、読解力の分野でAIが代替することはできないのです。

しかし、子供たちの英語や国語の読解力は下がっている一方だということも本書では書かれています。その人が持つ暗記力だけで評価をするのではなく、読解力も今後大きな判断基準になっていくのだと著者は考えます。

読解力を身につけるには、様々な文章を読むことが必要になります。そして、ただ読むだけではなく、読んでみて自分はどう感じたかを、積極的に考える必要があります。

実際の社会に出ると、自分の意見やなぜそう考えるのか、その理由を問われることは多くあります。仕事に対して、「何も考えられません」という答えは会社では通用しません。テキストの内容を理解するだけではなく、テキストから読み取ったことについて自分はどう感じたのかということも意見できなければ、思考しないAIに代替されてしまいます。

そうならないためにも、著者は読書が人の読解力を養うのに必要なツールだと考えます。

読書の量が増えれば、それだけ様々な考え方や、発想を持つことができます。そして、本を読んだ自身の感想や評価を公開することで、他の人達からの意見を聞くこともできます。

たとえば、学生に授業で物語を読ませて「主人公の取った行動についてどう思いますか?」と一人一人に聞いてみたり、意見文を読ませて「この意見について賛成ですか、反対ですか?」と理由も含めて問うというようなことが、今よりももっと教育には必要になってくるのではないかと考えます。そして自分の主張だけではなく、他者の主張も聞いて意見を深めていくのです。筆者の主張を理解させることだけに主眼を置いている従来の国語教育ではこういうことが欠けているように思います。

さらに、自身の意見を述べるということについて、InstagramやTwitterなどの投稿アプリも活用できるのではいかと考えます。

投稿された画像を自分なりに考えてみたり、どういう脈絡で自分のタイムラインに出てきたのかということを考えたり、自分の身近なところから得られる情報について考えてみるということから思考していくのです。

そして、その投稿に対して自身の考えをSNS上に言葉で投稿してアウトプットを行っていけば、内容を読み取り、仮説を立てて、自身の考察を発表し、批評を受けるという一連の流れを体験することができます。

中高等学校の学生だけではなく、大人である自分も読解力は落ちているはずです。そうならないためにも、自身の身近なところから自分の考えを発信することを、実践していくようにします。

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投稿者 LifeCanBeRich 日時 2019年9月30日


 怖い、著者の思い描く未来予想図が怖い。その未来は、私が今までに想像したこともない世界である。そして、本書を読めばその未来予想図の到来はただの妄想的な悲観論ではなく、科学的調査の分析と推測を積み上げたもので論理的かつ蓋然性が高そうであるから怖いのだ。
 AI不況という未来予想図。AI技術の普及により半分以上のホワイトカラーが職を失った世の中ってどういうものなのか?日本社会はどうなってしまうのか?これが、本書を最初に通読した後の率直な感想だ。
 ただ本書を読み返し、人間とAIの特性的な違いに焦点を当てながら未来に向けてやるべきことを考えると光明が見えてくる。
 
 本書はAIとシンギュラリティの定義づけから始まる。まず驚かされたのが「AIはまだどこにも存在していない」(P.12)という一文であり、さらに読み進めると「『ディープラーニング』などの統計的手法の延長では人工知能は実現できません」(P.14)とある。これらは、私のAIに関する認識とほぼ180度違う。というのもそのはずで著者によれば、多くの人たちがAIとAIを実現するための技術を混同し、またシンギュラリティの意味も誤解したまま間違った前提の上でAIに関する議論を行い、その議論の内容は当然的外れのものとなっているという。
 どうしてこのような事態になってしまったのか?私は本書を読むことで、その原因は現代の便利社会、情報社会、合理効率化社会に起因するものであり、と同時にこの事態は、AIに対する人間の持つ強みである意味を考えたり、疑問を持ったりする能力の喪失を意味するのではないかと危惧するようになった。

 改めて「AI」と「シンギュラリティ」の定義を調べると、それぞれ『人間が持っている、認識や推論などの能力をコンピューターでも可能にするための技術の総称』、『AIが人類の知能を超える転換点』(コトバンク)とある。では、そもそも「人類の知能」とは何かと調べを進めると…、社会的知能、流動性知能、結晶的知能、収束的思考や拡散的思考など様々な角度から人類の知能が検証、定義がされている。良く分からない…ただ、どうやら人類の知能がそもそも何かという全体像が分かっていないのが実情らしい。ならば、人口知能が存在することも、その人類の知能を越える転換点も来るわけがないのではないか?と、著者の論旨とほぼ合点するわけだが、私がここで重要視したいのは自ら調べ考えたという点だ。
 現代人は確かに便利な社会に生きている。欲しい情報を効率的に手に入れることが出来る。けれども、それらの手に取った情報の内容を表層的に理解するだけではなく、内容を批判的に、懐疑的に考えることが疎かになってしまっているのでないか。その一例が、現在のAIやシンギュラリティを間違った前提の上で議論をしてしまっている事態なのだろう。そして、私にはそのような日本の社会状況が、日本の教育の状況の映し鏡になっているように思えてしまう。

 P.24にあるように本書の大きなテーマは、MARCHや関関同立に合格できるレベルのAI技術が本格的に進出すると社会はどのように変容するのかである。P.73とP.170のオクスフォード大学の10~20年後の職業に関する調査結果によれば、マニュアルに従ってする仕事がコンピューターに取って代わられる一方で、コミュニケーション能力、理解力、柔軟な判断力が必要とされる仕事はAI技術に代替されないとある。そのAI技術が代替できない能力の内でコミュニケーション能力と理解力は読解力を基礎とする。つまり、読解力を持つことは今後AI技術に人間が勝つためには必要不可欠なのである。
 それにしても、MARCHや関関同立とその上にランクされる旧帝大や超一流私大との境目が教科書を読めるか読めないかであるということ、つまり基礎的読解力の有無であるとということを突き止めた著者は世紀の大発見をしたと言っても過言ではないのではないだろうか。さらには日本の教育が育てているのはAI技術に代替される能力であると著者は喝破する。では著者の大発見を活かし、AI技術に負けない能力を育てるために日本の教育がするべきことはなんであろうか。
 そのヒントになるのが、P.33に書かれているコンピューターの性質に書かれている箇所ではないか。コンピューターは、足し算が得意であり「部分の和が全体」になるという画像認識に秀でる一方、言語の塊である文章を全体的に読んで理解することは不得手であるという。本書の例で言えば、コンピューターは「太郎は花子が好き」と「花子は太郎が好き」の意味の違いを判別出来ない。正に読解力をつけることこそが、AI技術に負けないために人間が必要とすることになるのだが、現在の日本の教育はどうなっているかというと、本書のはじめにに書かれるように詰め込み教育の結果、表層的な知識は豊富であるが、中学校の教科書程度の文章を正確に理解できない有様なのだ。
 学校で一生懸命に表層的な知識を詰め込んでいる子供たちは、コンピューターが得意とする「部分の和が全体」と同じ土俵で競い合っているのと変わらない。どうして全体の理解を助ける読解力の上がる意味を考えたり、疑問を持ったりする機会を与える授業をしないのか?そのことについては、本書の続編を読めば分かってくる。端的に言えば、社会の利便性の向上や情報の豊富さ、さらには教室内の合理効率化の推進が招いているようだ。特に腹に落ちたのが、合理効率的に授業を進めるためのプリント配布が板書の機会を失くし、基礎的読解力の向上を妨げていることだ。続編には、その他にも基礎的読解力をつける対策が豊富に書かれているから必読本であろう。

 さて、著者の未来予想図が怖いという私が持っていた当初の感情は、今の段階では殆ど無くなった。それは、本書と続編を読み、真剣に考え、未来に向けてするべきことが明確に分かったからだ。コンピューターに感情は無い、また、するべきことを自ら主体的に決めることもない。人間の良さ、強み、そして素晴らしさは正にここにあると思っている。

~終わり~

投稿者 masa3843 日時 2019年9月30日


本書を通読してまず面白いと感じたことは、著者が可視化することに成功した、AIと人間の違いです。

著者は、「東ロボくん」プロジェクトとRSTを通じて、
〇AIに代替されてしまう能力は何か
〇AIと差別化できる能力は何か
を明確にしました。

さらに、RSTを通じて読解力を点数化することで、
比較可能な指標にまで昇華させた功績は、
日本の将来を担う子ども達への教育の課題を浮き彫りにしたという点で、
広く称賛されるべきものだと思います。

早速私自身も、続編である『AIに負けない子どもを育てる』に掲載されている、
RSTの紙上体験版を受けてみました。

結果は、推論・具体例同定(辞書)・具体例同定(理数)の3分野で1問ずつ間違えてしまい、
自身の読解力もまだまだであることを痛感しました。


さて、本書で著者が伝えたいメッセージはシンプルです。
●AIは「意味」を理解することができない
●人間は「意味」を理解することができるため、読解力がAIに仕事を奪われないための重要な鍵となる
●しかし、近年子ども達は教科書を読解できておらず、このままではAIに代替される人材が続出する
ということです。

〇子ども達がなぜ教科書を読解できないのか、
〇教科書を読解できるようにするためにはどうすべきなのか
という問いについては、続編の『AIに負けない子どもを育てる』に譲ることとして、
私が問題意識を持ったのは、
〇なぜ子ども達は、自身が教科書を読解できていないことに気付けないのか
という点です。

私が立てた仮説は、
●子ども達は、「読む」ことがどういうことか分かっていないのではないか
というものです。

本書のP224に、RSTを受検した先生方の感想が掲載されています。
『教科書を読むことがこんなに難しいこととは思わなかった』
『普段いかにきちんと読んでいないか痛感した』
『日ごろいかに自分があいまいに文を読んでいるかを理解した』

学校で子ども達に教えている先生でさえ、RSTを受検したことで初めて、
自分達が教科書レベルの文章を深く読めていないことに気付いたのです。
ましてや、子ども達であれば当然、
自分達が教科書をきちんと読めていないことに気付けていないでしょう。


ここまで思考を進めたときに、しょ~おん先生の速読編セミナーで、
「読む」とはどういうことか、解説されたことを思い出しました。

セミナーの中では、「読む」ことには
1.情報を取り込む = インプット
2.情報を理解・解釈する = 処理
3.情報を取り出す = アウトプット
の3つの段階がある、という説明がありました。

子ども達も含めて、私達の大半は1の段階で止まってしまっているのだと思います。

文章の中の文字列を追いかけて、何となく理解した気になっている状態。
こんな「分かったつもり」の状態で、かつ自身が「分かったつもり」でしかないことを
自覚することもできていないのです。

一般的には、理解度を確認するためにテストがあります。
しかしながら、本書の中でも指摘されている通り、学校のテストは暗記で乗り切れてしまいます。

加えて、プリントやワークシートを中心とした授業を展開している学校が多いことを鑑みると、
暗記でテストや受験を乗り切ることを推奨しているとさえ言えます。

これでは、読解力が身につかないことも自明のことでしょう。


そうだとするならば、私達が読解力を向上させるためにしなければいけないことは、
「読む」3要素のうち、2と3を繰り返すことではないでしょうか。

RSTは読解力を客観的に計測することに成功していますが、
本来読書とは主観的なものであり、ただ読むだけで終わらせているうちは、
自身の理解度を計ることは困難なのです。

そのため、読んで理解したことをアウトプットし、
可能であれば、それを他者のアウトプットと比較することが重要になるのだと思います。
このプロセスは、課題図書の過程そのものだと言えます。


課題図書への投稿以外に、
私自身が読解力や理解力を深めるためにできることを考えてみました。

それは、仕事において定型的な作業をマニュアル化する、ということです。

作業をマニュアル化するためには、
1.必要な手順を正確にインプットし、
2.その手順の意味や理由を考え、
3.1と2を他者に分かるようにアウトプットする
必要があります。

このステップは、「読む」ことの3ステップそのものであり、
今後、自分のさらなる能力向上を目指すために、有益なトレーニングになると感じました。


本書を通じて、1年半前に受講した速読編セミナーの要諦を思い出すことができ、
明日からさらに読解力を磨いていこうと決意を新たにすることができました。


今月も素晴らしい本をご紹介いただき、ありがとうございました。

投稿者 str 日時 2019年9月30日


AI vs 教科書が読めない子どもたち

AIは完全無欠の存在になりつつある訳ではなく、これから先もそうはならない。万能に思えるAIもこうしてみると案外そうでもないという事が分かる。膨大なデータ量を貯蔵し、計算を行い、選択する。本書で言われているようにあくまで計算機に過ぎないのだ。囲碁や将棋、チェスなどでAIの活躍は良く耳にするし、人工知能と呼ばれているくらいなのだから東大合格だって可能なのだと思っていた。

『数式に置き換えることのできないことは計算できない』
AIは思考をせず、『論理、確立、統計』の限られた表現だけで成り立っているのだという。インプットされていたり関係性のあるワードの中から計算することはできるが、運転免許の試験にありがちな、引っかけ問題のようなものにはめっぽう弱いらしい。SFモノで見かける「AIが自我に目覚めた」といったような展開は現状では起こらないようだ。

関連するワードからそれに適した受け答え、定型文の組み合わせパターンの量やそれらを駆使する技術は唯々凄いと思うが、数式に置き換えられないものは読み解く事ができず、ゼロから何かを創造することは不可能なのだろう。あらゆる商品の評価や閲覧数、販売数などから売れ筋や人気商品を我々に提示する事はできても、AI自らが商品をプレゼンしたり、レビューを書く事ができないのも頷ける。AIに映画や小説を与えてみても、大まかなあらすじのまとめやキャストの情報程度に留まり、感動したシーンの情報やキャストへのダメ出しなどは期待できないだろう。

リアルタイムがもたらす弊害
AIにも様々な弱点が存在する事を知れたが、だからと言ってAIが人類に劣っているのかと言われればそうでもない。折角のアイデンティティである読解力ですらAIと同等かそれ以下になりつつある。それらもネットにより、リアルタイムで情報や回答が得られてしまうことが影響しているのではないかと思う。読み解く・思考するといった必要性が徐々に無くなっているのだろう。試しに『○○は熱いうちに打て』で検索をかけてみたが、難なく正解が表示される。本書に出てきた女の子達もスマホ使用OKならば正解していただろう。

また、教科書に限らず地図なども読めない人の方が増えてきていると思う。私も社会に出た頃にはそれなりにカーナビも普及していたので、恥ずかしながらそのタイプだ。入力したポイントまでのルート案内に従うのみ。徒歩でもグーグルマップに頼ってしまう場合もある。それらの画面を注視している時、周囲の景色や目印となる物を意識し、地形や構造を読み解こうとしていない。そういった点では私にとっても耳の痛い話ではあった。

記憶能力や計算速度では人類は最早AIに太刀打ちできない。けれど別にAIは敵ではなく、むしろ味方であるとラストに記されている通り、それぞれの得意分野で役割を分担させ、共存していくべきだ。その上でAIには成し得ない部分、気付けない部分を補っていけるような意識を持たなければいけないと感じた。

投稿者 mkse22 日時 2019年9月30日


AI vs. 教科書が読めない子どもたちを読んで

本書を読んで、2点気になった点を記載します。

1.シンギュラリティはこない
私は本書を読むまではいつかくるものだと漠然と考えていました。
しかし、著者は、これはシンギュラリティという言葉の意味が
曖昧であるがゆえに生じた誤解であると指摘しています。さらに、
シンギュラリティの主役であるAIについても以下のように指摘しています。

 「数学は人間の認識や人間が認識している事象を説明する手段として、論理と確率、統計という
 言葉を獲得してきた、あるいは、獲得できたのはその3つの言葉だけだった」(p115)
 「「真の意味でのAI」とは人間と同じような知能をもったAIのことでした。ただし、AIは
 計算機ですから、数式、つまり数学の言葉に置き換えることができないことは計算できません」(P118)

ここで、注目すべきは数学を人間の認識と関連付けて説明している点です。
なぜなら、これがAIの限界を明確化しているからです。

「数学とは何か」といえば、幾何学や解析学などの総称として説明されます。この説明も正しいのですが、数学の内容を具体的に記載したのみで、数学とそれ以外との関連については明確ではありません。そこで、「数学とは何か」ではなく「なぜ数学が生まれたのか」という視点に切り替えることにより、数学を数学以外の視点(ここでは人間の認識)から特徴づけています。
「数学とは人間の認識や人間が認識している事象を説明するための手段として生み出されたものであり、 具体的に何かといえば、論理(幾何学など)と確率そして統計である」といった感じに。
 
そして数学は以下のことを扱うことができません。
 ①人間が認識していないこと
 ②人間の意志や過去データから推測できない(規則性がない)事象
これらは、足し算・引き算しかできない計算機であるAIにも扱えないということになります。

以上より、AIを必要以上に恐れる必要がないことがわかりました。
同時にAIやシンギュラリティという言葉に対する誤解より言葉の意味をとらえることの困難さを改めて感じました。

2.基礎読解力の必要性
本書では、AIに仕事を奪われないための方法の一つとして、読解力を身に付けることが挙げられています。AIは意味を理解できないため、意味を理解する、つまり読解力を身に付ければ、AIとの仕事の差別化ができるためです。
その読解力をはかるために6つの分野(係り受け、同義文判定、推論、イメージ同定、具体例同定(辞書・数学))で構成されたRSTが紹介されています。
私自身も文章を読んだり書いたりすることが苦手であり、論理的思考能力を向上させるためにその分野の本を読みあさった時期があります。しかし、その効果があったとは言えない状況です。
これらの本は、読解力のある人が問題と答えを書いていますが、問題からその答えを導出する過程が明確でない場合が多いと感じています。おそらくは文章が読める人にとっては当たり前すぎて無意識に行っていることであるため、言語化しようがなく、従ってそれを本に書くことが出来ないのでしょう。しかし、その箇所がまさに読めない人には知りたいところなのです。

RSTは従来の視点とは異なる視点から作成されたもので、確かに魅力的なのですが、気になる点もあります。例えば、短い文章のみ対象としている点です。
RSTは簡単な文章が読めない子供が増えていると感じており、まずはそれを確認することを
目的にしているため、もともと長い文章は対象外かもしれませんが。

長い文章は短い文章を複数集めたものではありますが、
短い文章が読めることがそのまま長い文章が読めることになるとは言えません。
文同士の関係がわかれば、次は短い文章同士の関係について考える必要があります。
これは、次元が一つ異なるため、長い文章を読むためには上記6分野以外の分野が必要となる可能性があります。その一例が文章を書くときによく言われる「起承転結」でしょう。これは6分野のどれにも当てはまらないからです。

まさに「全体は部分の和ではない」です。
個々の短い文章を理解したうえで、次の段階として文章間の関係についても理解することで、
文章全体を理解することが可能なのかもしれませんが、逆に、文章の全体(テーマ)が分かって
初めて個々の文も理解できるという考え方もあります。やはり、文章を読むというのは
難しいテーマだと感じました。

本書でも指摘されている通り、読解力を向上させるための有効な方法は現在わかっていません。
これは衝撃的な指摘です。この本でも私が求めていた回答を見つけることが出来ませんでした。

どうすれば読解力を向上させることができるのか、これは著者の次回作を読んで確認したいと思います。

投稿者 harmony0328 日時 2019年9月30日


私の夫は6年前に脱サラ後、1年間、自然栽培の農家で研修した後、新規就農した専業の有機農家である。
将来は自然栽培の農業を考えているが、最初から無肥料は難しいので有機農業をしている。私は夫を手伝っている。

私達夫婦がやっている有機農業(少量多品目の野菜を栽培し、主にセットで宅配販売している。)はAIとどう共存すべきか考察する。

第一に、丹精こめて作る、愛情を込めて栽培をするということは感情を持たないAIには無理だと思う。
科学では説明がつかない栽培する人間の気が入る野菜の味は大量生産されるスーパーの野菜の味とは比べ物にならないと思うほど美味しい。実際、お客様にも「野菜のエネルギーが違う感じがする。」と言われることがあった。美味しさの原因は種が固定種であったり、肥料を以前使った肥料より良い物に変えたという要因もあるが、人間の愛情の影響は大きいと思う。
この本で私が感銘を受けたのは埼玉県戸田市の子どもの読解力を向上させるために、一生懸命、努力して指導する教師の愛情だ。そのかいあって、「埼玉県学力学習状況調査」では埼玉県全体の中で、ずっと中くらいだったのが、中学校は1位、小学校は2位で、総合1位に輝く結果を出した。野菜も子どもも愛情をかけて育てれば良い結果出るのは同じだと思う。

第二に、有機農業は科学的に分析出来るところもあるが、出来ないこともある。
慣行栽培ならJAのマニュアルに従えばだいたい出来ると思うが自然栽培、有機農業は土の状態・肥料・天候等の経験則に基づいて推測して計画したり、実際の作業を行ったりしなければならないので、AIには難しいと思う。

以上2点から、私達夫婦が目指す農業は人間が行う意義があると思う。しかし、現在、使っている農機具がAI技術の発展により、もっと便利になる可能性があると思うので、それは臨機応変に使っていけば良いと思う。

 私は冒頭に書いた様に農業に転職した夫についてきた身で、夫を手伝っており、夫に言われたことしかやっていないのが現状だ。私の働き方こそAIに仕事を奪われてしまうと思う。そう思いながら読み進める第4章の「最悪のシナリオ」はホラー映画を見る様だ。もちろん、ホラー小説ではないので著者は解決策も用意してくれている。
私達夫婦の場合、著者のいう世の中の「困ったこと」は次の通りだ。
夫は40歳前後に軽い食物アレルギーが出て、食べ物に注意するようになった。独身時代の会社生活で夜型の不規則な生活、食事は社食か外食で、机にはお菓子、アイスもよく食べていて、出ない方がおかしい状態だった。そうして気をつけてみると、世の中で売っている食べ物がいかに消費者の健康を考えないで、コストを下げて会社の儲けばかりを見ている品物の何と多いことか。食べ物って生きていく基本中の基本のはずなのに、それを粗悪品にして利益追っかけるのは、違うのではないかと、夫はその疑問を無視することができなくなってきた。さらに、野菜や穀物のタネに雄性不稔のF1や遺伝子組換など不自然な操作がされていることだった。
その「困ったこと」を解決するには不自然ではない農業をもっと誰かがしなければいけないと思い、夫自身で農業を始めようと思ったのだ。

今回、私がこの本に出会えて感想文初投稿するのは必然だと思う。読解力を養って、思考、行動も変えて、腹を括って真剣に農業に打ち込もうと思った次第だ。
しょ~おん先生、家に居ながら、無料で勉強する機会を与えて下さり、ありがとうございました。

投稿者 3338 日時 2019年9月30日
@azisai03

 

東ロボ君が東大受験に挑戦するプロジェクトを、残念ながら本書を読むまで知りませんでした。
もし知っていれば興味を持って見守っていたことでしょう。
AIを搭載した人間型のロボットは人類の夢です。ドラえもんやアトムようなロボットがいつか登場するのだと思っていました。

でもシンギュラリティは当分の間、訪れることはなさそうです。

筆者はAIの限界を見極めて、人間がAIと共存するための道を模索するために、このプロジェクトを立ち上げました。
そしてこの思考するというところに人間の可能性を見出したはずなのに、学校できちんと教育を受けた中高生が、教科書を理解することができないと判明した時は、かなりショックを受けたのではないかと思います。

教育を早く見直さなければ困るのですが、これから警鐘をならしても、もう遅きに失した感があります。

これを受けて、今高校生の娘に対して自分が何ができるかを考えてみました。続編を購入したものの、まだ読んでいませんし、答えは分かりません。

ただインプットとアウトプットをすることで何を読み取り、何を見落としたかが分かります。たまたまですが来月の課題図書を娘が見つけて、読みたいと言うので、先に読むように渡しました。これからは課題図書を娘にも読ませ、感想をお互いに読んだ感想を述べあうことで、より深く課題図書を理解できるのではないかと思います。

後で先生の解説もありますし(いつも大変楽しみにしております)、それで自分のレベルが分かるのではないかと思います。娘は国語だけはできますし、これから楽しみです。


今回この本を読んで、二つのことが分かりました。

まず一つ目は、人間の知的活動の全てを数式で表すことができなければ、AIが人間にとって変わることはないということ。
これは絶対に無理だと思います。

東大に合格するためには、自分で深く思考して回答を得ることが必要になります。
特に筆記試験では、問題を理解していなければ、紡ぎ出すことができない回答を、より適当な言葉に変換しながら書き進みますので、この辺りはより深い思考が必要とされます。
東ロボ君は膨大なデータからの検索で、それらしい回答は得られても、人間のように思考して、理屈の通った回答を得ることはできないんですね。

人間の知的活動の全ては数式にできませんが、数式に変えられる分野があります。
それは数学や化学の分野で、人間の能力を特化させた能力です。この部分で人間はAIに勝つことはできません。
走る能力を特化させた車に能力が及ばないのと同じことです。

なぜ、人間はAIに仕事を奪われるのかではなく、むしろAIに任せた方が効率のいい分野は積極的に任せて、人件費をかけない方向に社会は動いていきます。そんな社会に人間が価値提供できる分野のスキルを身につければ、仕事を奪われないで済みます。
このスキルを身につけるのには、やはり深い教養が必要です。
教養の深さによって、理解の深さが違いますので、ここで読書の必要を感じました。

もう一つは化学の限界です。本書のp160にあるように、高校の物理で習うような基本的な物理現象でさえ、わたし達人間は把握できていないという現実があります。どのように計算に優れていようとも、その時の条件で結果が違ってきます。
化学を過信しない姿勢が大切だと思いました。これに関しても、無知が化学の過信を促しますので、益々読書の必要性を感じております。

今AIに仕事を取られると話題になり、それを不安に思う人がたくさんいます。もし、AIの本質を理解できれば、不安を覚える人が少なくなると思います。また、無益な議論も減ります。
周りの人にもこの本を読むように勧めたいものです。

最後になりましたが、今回はお二人の方から、資料をいただきました。 寺西氏から対談の動画シェアしていただき、椿由紀さんからは英語教材資料としていただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。

投稿者 sikakaka2005 日時 2019年9月30日


子どもを持つ親として、気になるのが、「どうしたら子どもの学力は伸びるか?」ということである。
個別指導の塾がいいか?集団指導がいいか?
高校生だと塾代が年間50~100万円程度かかるそうだが、それを払えばいいのか?
いやいや、親が教えるべきか?
本を読む習慣をつける方が先か?私立がいいのか?
気になることは尽きない。
でれきば、子どもには偏差値の高い学校に入ってもらいたい。
そうすれば、好きな仕事に選びやすくなり、好きな仕事ができる方が満足度の高い人生を歩めると思うからである。

結局本書では学力(読解力)を伸ばすちゃんとした方法はないと言う。
残念というか、不完全燃焼であった。

ただ、子どもはいつ読解力が伸びるのか?という問いのヒントは書いてあった。
それはどうやら、中学生の3年間なのである。
RSTの点数の結果を見ると、中学では学年が上がるにつれてRSTの点数が上がっていっていたが、高校では学年が上がっても点数はあまり変わらなかった。
これは、中学の3年間が最も学力(読解力)が伸びる時期であると思う。
鉄は熱いうちに打てと言うとおり、伸び盛りに、学力(読解力)を高めることは効率的なのだ。
それが中学なのかもしれないと分かり、親としてはその時期に、お金や時間を使うべきだと思ったのである。

次に本書から読み取ったのは、力を入れるべき順番である。
RSTは科目に寄らず読解力を測るテストである。そのRSTの値は、教科書をどの程度理解できる力が身に付いているかという数値なのである。
この値が低いうちから、各科目の教科書をいくら、頑張って読もうとしたって理解できることは狭くなってしまう。
各科目を勉強する前に、読解力を上げることに集中する方が、効率的に学力を伸ばす可能性を高めるということである。何事も基礎から始めることが大切ということである。

以前テレビで、10種競技の陸上大会で日本一に輝いた人がトレーニング内容を明かしていた。
それは、個別の競技に時間を使う前に、自分の体を思ったとおりに動かす基礎トレーニングに最も時間を費やしていたそうである。基礎ができてから、各競技のトレーニングをしたので、日本一になれたと言っていた。(そんなことをしている選手は他にいなかったそうである)
学力でも、アスリートでも、基礎力を高めることは重要なのであろう。

読解力が身に付いてない子どもに、高額な塾に通わせていくらお金と時間をドブに捨てるものだと思う。
個別の教科より、まずは読解力向上なのだ。
その順番の方が、結果として、効率的であるということだ。
なので、まずは子どもが小学6年生になったら、RSTを受験させて、どこから手を付けるべきかを子どもと考えたいと思ったのである。

次の気付きとして、筆者のしていることは、まさに智の道だと思ったのだ。

大学生に対する数学のテストの結果から、日本の学生の学力低下を知り、RSTの開発を始めて、日本の中高生の読解力を改善させる活動は、本当にすばらしいと思う。これは勝手な想像だが、著者は仕事だからとか、研究者だからとか言う枠を超えて、やられていると思う。何よりも自分の好奇心に従って動いているような気がしたのである。まず著者自身がこの活動を楽しんでいるように思ったのだ。
加えて、RSTを普及させる活動は、日本人の学力の底上げになる。すでに、RSTの結果を高めるべく、授業内容を見直した学校でいくつも成果が出ている。成績が上がった子は当然嬉しいだろうが、工夫によって、成績を上がるのを手助けできた先生はさらに嬉しいだろう。その手ごたえが教師としての生き甲斐だろう。そうして、教師も生徒もも幸せにしている活動は、まさに智の道であると思ったのである。

次の気付きは、今後必要とされる人材像である。
「AIできない仕事」を探して、転職を続けていても、いつかAIに追いつかれてしまう。
東ロボ君の偏差値が急成長したように、人間の成長よりもはるかに成長のスピードは早い。
ならば、「AIと肩を並べる仕事」ではなく、「AIを使う側に回る」か「AIと競争しない別次元の仕事」かに行かないと、一生落ち着いて暮らせないだろう。「AIを使う側に回る」ならば、AIのことを知り、自分のいる会社や業界に、どうやったら、AIを上手く使えるかを考えて、発信していくことだろう。まずはAIとは何を知って、今のAIの事例を知って、AIを使う方法を考える事である。AIが自分の仕事に来ないことを願うのではなく、AIを使うとしたらどこに使えるか?どう使えるか?どう浸透させられるか?を考える人は、今後貴重な人材として扱われるだろう。そこを目指すべきだと思う。

「AIと競争しない別次元の仕事」というのは、最後の章にある「一筋の光明」にある内容である。
この内容は、10年後後悔しないセミナーと被っていると思った。AIは意味を理解できないために、世の中の困ったことを見つけることはできない。それを見つけて、しかもビジネスにまで発展できるのは、人間にしかできないことなのではないかと思う。そのときに役立つのが、セミナーのコンテンツである。やっぱり、これからAI時代だからこそ、生き残るために必要なコンテンツと思ったのである。

親として、サラリーマンとして、ドキドキしたり、学んだりすることの多い本を紹介してただき、ありがとうございました。

投稿者 ktera1123 日時 2019年9月30日


「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んで

敵を知る

Q.「AIを作るのは?」
A.「AIが作っています。」
Q.「そのAIを作るのは?」
A.「AIが作っています。」
以下、無限に続く(元にした某M精機のコマーシャルでは「機械(工作機械)」でした。)

「機械」で「機械から機械」が出来る以上は「AI」でも「AIからAI」が近い将来できるようになるのではと危機感を感じていたことがありましたが、今の研究成果からは、まだ星を観測して政を行っていた「新ヨゴ公国」のようなファタジーか、「マトリックス」のようなSFの世界の域を超えていないようです。現段階で「AI」はコンピュータ(計算機)上で実装し、計算(四則演算)つまりは、数学(論理、統計、確率)の言葉のみで、「意味を記述する方法がない」現状で「AI」の目標である「人間の知的活動を計算で表すこと。(全ての物事を科学的(数学)で表すこと。)」は不可能です。「人間が思いついたことは、そのうち実現できる。」という考えもありますが、実現にはまだ時間を要するようです。と言っても、現段階で実用化出来ている「AI技術(音声認識、自然言語処理、画像処理、情報処理、文字認識)」で効率化できることもあるので、今後は「AI技術」を如何に活用することにあるのは間違いのないところです。

己を知る

「AI」にできないことはなんだろうか。数学で表現することが不可能なことはなんだろうか。本書では「読解力を基盤とするコミュニケーション能力、理解力、柔軟な判断力、応用力、発想力」が挙げられている。以前、同様な項目を見聞した記憶があり、「優れた技術者に必要される経済社会のニーズに対応するスキルセット」とほぼ一致していました。全員が全員、優れた技術者レベルではないと思うので、少なくとも「仕様書を理解し、手順書通り作業し、『ほうれんそう(報告、連絡、相談)』ができる人」であってほしいところなのですが、「仕事」の求めている本質(弱点)を論理的に理解出来ている人は多くはありませんし、「1を聞いて10を知り行動できる」人は稀少なのが現状です。
「教わってないから出来ません。」には「これから教えればよい」のですが、「教わったこと」は最低限、一人でできるようにならないと、戦力として計算に入れてよいのかという状態になります。

30年前に卒業した公立中学校では「ほうれんそう」の他に「3K(喧嘩をしない、怪我をしない、警察のお世話にならない)」が目標になっているところでした。高校進学する人が大多数でしたが、中には中学で就職する人もいて、「現地、現場、現物」にて体で知識、技能を習得しるように聞いています。「読めばわかる人」は仕様書、マニュアル等を読み独学でき、「聞けばわかる人」は仕様書、マニュアルの読み合わせをして、レベルアップを図った上で説明会に出席し説明を受けています。「本当にわからない人」は手を変え、品を変え、しつこく何回も説明しているのですが、なかなか理解してもらえないのは、読解力以前の問題なのでしょうか。

結論
現時点で存在している仕事のある程度はAI技術に仕事は奪われない。ただ、現在必要としている人数がいつまでも必要とは限らない。「誰を残して、誰を切るか。」その条件は「仕事の要求していることの本質を理解しているか。」ではないでしょうか。「AI、AI、(アイアイ)おさるさんだよ」に負けてお猿さん未満になってしまうのか、「科学の限界をこえてきたんだよ。(初音ミクの『みくみくにしてあげる』)」以上にできる人間になるのか、人間の欲求の「楽」と「怠状」に流されることなく、常に「効果を求めず、淡々と」多種多様な事柄の勉強と実践を進めていければと思っています。そのような機会に出会うことができ、ありがとうございます。

追伸1
「この本に書かれていることは画像にも動画にもできません。キーワードを拾ってもわかりません。速読もできません。一文一文読んで、意味を受け止め、理解していただく以外方法はありません。(P138)」とありました。速読編(1日コース)、速読編のフォローアップ講座を受講したのですが、速読に対して持った違和感が、P246の「著者自身が活字自身は好きなのですが、年間5冊ぐらいしか本が読めません。」と同一のような気がします。著者が読んでいる本と、課題図書など自分が読んでいる本で、速読出来る、出来ないの違いはあるのでしょうが、「精読」、「深読」の重要性を再認識ができました。それ以前の場合に重要なのは「音読」かもしれません。易経を1日3回1週間読み続ける機会がありました。各回21回「音読」したに過ぎないのですが、1週間毎に感想をまとめたこともあり、理解の深まりを感じました。

追伸2
続刊の「AIに負けないこどもを育てる」のRSTサンプルを試しました。結果は「全分野そこそこ型+理数系型」でした。分野毎に多少の偏りがあり得意、不得意はありますが、「基本的には自力で能力を伸ばす力がある」と判定いただけたので、今後も、諸師匠方および皆さんと一緒に諸事いろいろなことの勉強及び実践を進めて行ければと思います。

投稿者 gizumo 日時 2019年9月30日


AIvs教科書が読めない子どもたちを読んで
新井紀子著

基礎学力が低下している等のニュース?は時々耳にしており、子どもや部下がいないなりに気にはなっていた。
本書を読んでそれが危機的であることを実感することができた。

仕事がらお客様対応する中で、「どうしてわからないんだろう?、伝わらないんだろう?」ということが多々あり、本書を読んで腑に落ちた。「読解力がない」のである。それまでは「常識」がないのだと考え、失礼のないようにあれこれ工夫して文言を並べ、注意書きがびっしりとなり文字が小さくなり過ぎ、それが読めないとクレームになる、そこで少し削るとまた、説明書きが必要となり…と堂々巡りをしていた次第である。
「読解力がない」のであればどれだけ書いても効果がないはずである。また逆に、お客様とメールでのやりとりがポンポンと気持ちよくすすむ場合もあり、「きっと仕事もできる方なんだろうな…」と思う場合もある。
また、もちろんプログラム?や活用次第だとは思うが「全知全能」なの が「AI」であり「ビックデータ」で人間の使い方がおいついていないのだと恥ずかしながら思っていました。それらは意外とシンプルな仕組みの組み合わせであること、メリットやデメリットも持ち合わせていることがわかりやすく解説されていた。
これからの世の中は〝逆行〟することはないのであり、それぞれがそれぞれできることに力を発揮することが望ましいと思う。それに「AI」も加わり共存共栄する。そのための〝科学〟なのだろうと思った読了でした。
「読解力」は幾つになっても伸ばせるとの言葉に周りと遅れをとらず楽しん暮らせるためにも日々精進していきたいと改めて決意し、何からはじめようとわくわくしています。

投稿者 tomooku 日時 2019年9月30日


AI vs 教科書が読めない子どもたちを読んで

 A I技術と真の意味でのAI の区別も付いていなかった私は、本の中でも書かれていたように、ただ漠然とAI はすごい技術でありこのまま科学が発展すれば人間のすることも考えることもロボットに超えられてしまう世界になるのではないかと思っていた。

 しかし、この本を読んでAI にも超えられない壁があり、その壁を超える方法は現在では見当も付いていないこと、AI が超えられない壁を人間は意識することなく簡単に超えていることを知り少し安心した。

 RSTで前高後低型に近かった私は理数系は苦手だと避けてきた人間なので、「AIは数学でできていて論理・確率・統計という言葉しか持っていない」と言われてもピンとこなかった。しかし、AI は計算機だと言われたことで万能だと思っていたAI にも得意分野と苦手分野があることを理解し、AI の世界をイメージできた。

 「言葉の意味はAI には理解できない。」

 AI も子どもたちも文字で書かれている文章の意味は理解していない。これは東ロボ君の試験の結果やRSTの結果をみると明らかである。

 AI には現在の技術では言葉の意味を理解するということが到底できそうにない。しかし、人間は特に意識しなくても、言葉を使いコミュニケーションをとり、意志の疎通を図っている。読解力はなくても、会話では意味を理解し伝え合うことができている。

 会話と文章を読むことの違いから、文章からも正しい意味を理解できるようになるためにどうすれば良いのかを考えた。

 まずはインプットの時点で異なる点について。

 会話では相手の話し方で重要な点が強調されていたり、表情や身振り手振りなど純粋な言葉以外にも情報が多い。一方文章では表や図など視覚的に訴えるものがあっても、文字だけの情報であり、どの部分が重要なのかわからないし、読む時点で意識されなければ言葉も無視される部分がでるなど読む手が受ける情報が少ない。

 次にやりとりの方向性について。

 会話では相互のやりとりなので、受け手が理解できないような反応なり表情をしていると、話し手は追加で情報を出したり、わかりやすい言葉に変えて説明することができる。理解の度合いやその理解であっているか間違っているのかの確認もすることができる。しかし、文章を読むのではこれらの反応はなく、自分の理解を確認するすべは文章を何回も読み返すことしかない。

 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』という本によれば、人は文章や文においてその部分間に関連がつかないと「わからない」という状態を生じ、関連がつくと「わかった」という状態になるという。

 〇〇は熱いうちに打てという文の〇〇に当てはまる言葉のクイズに答えていた女子のように、間違えていても関連が付いたときにわかったという状態になっていた。
どこかで訂正されなければ、彼女はそのまま悪が正解だと思っているのだろう。

 これからの自分の読解力を向上させるために、大前提として「読み方にはクセがあり大いに間違う可能性かあること」を念頭におく。分野に偏らず語彙をふやす努力をする(自分の中の情報を増やす)。分章を読むときに、自分が理解した内容であっているのか?間違った方向でわかったと思っていないだろうか?飛ばしてしまっている部分はないだろうか?という視点をもつことができれば、文章からも正しい意味を理解できるようになると考えた。

 今月も大変勉強になる本を紹介していただき、ありがとうございました。

投稿者 soji0329 日時 2019年9月30日


「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んで


なかなか意味深なタイトルである。AIと子どもたちの間になぜvs.が付いているのだろうか。教科書が読めないとはどういうことか。子どもたちが理解できない教科書が悪いのか。その教科書をAIで改善しようとする主旨なのか・・・次々と疑問が湧いてくる。

著者の新井紀子氏は、数学者。全体的に分かりやすい文章でありながら、細部までこだわった論理展開。何度か登場する「この『だから』は非論理的ですが」のフレーズに、学者としての矜持を感じた。

東大合格を目指す東ロボ君の登場で「vs.」の意味は分かった。新井氏はAIの意味するところを詳細に説明している。「AI技術」と「真の意味のAI」とを明確に分けるべきでだと。思うに「真の意味のAI」とは、昔の錬金術と言えるかもしれない。AIに関わるビッグデータも幻想と斬り捨てる。四則演算しか出来ないAIの限界を数学者の見地で見事に示してくれた。

東ロボ君はMARCHの合格圏に入ったことで、近い将来、人間の仕事を奪うのはと新井氏は危惧する。P73には(AIによって)なくなる仕事、P170には残る仕事が紹介されている。が、私なりにいくつか疑問を持った。例えばなくなる仕事の4位に「コンピューターを使ったデータの収集・加工・分析」がある。確かにAIにおおよその作業分は委ねられるだろう。しかし分析はどうだろうか。ある仮説までの提示は可能だろう。が、データマイニングの別方向の検討や、次ステップの調査設計。分析結果を実際に企画に落とし込む作業は人間でなければできない。逆に残る仕事の13位にある「振付師」。これも古今東西の舞踏のデータを収集しAI化することで、斬新で魅力的な振付を生み出す者も出てくるだろう。これまでの振付師は淘汰されていく危険性がある。消える、残る、の二元論は少々乱暴ではないか。

本論とも言える第3章。私はP182の問題文に着目した。「よく観察すると」と言っているのに部分的にしか伝えていない。読む人間に大いに誤解を与える、欠陥のある文章である。この欠陥を見抜けるのが読解力である。逆に読解力があれば、恣意的に誤解をさせる文章も作れるはずだ。もしくは欠陥を利用して自分に都合よく曲解することもできる。あえて汚い言い方をすれば、読解力のある無しで、騙す人間と騙される人間に分かれるのだ。私は残念ながらこの問題、正解出来なかった。騙される側に立ってしまったことに危機感を覚える。

全国2万5千人を対象にしたリーディングスキルテスト(RST)。ここでは、P207~208にあるイメージ同定の問4が気になった。文章を表した正しい円グラフを選択させる問題だ。本来、グラフは数字の羅列をビジュアルで分かりやすく示すことが目的である。それにも関わらず、正答率は衝撃的な低さとなっている。問題文を見ると「28%」や「35%」がグラフ中に表示されている選択肢はまさにトラップで、いい餌食になる危険性が高い。新井氏が言っている『基礎的な読解力は人生を左右する』は、こういうことなのだ。

私は思う。偏差値の高い読解力のある者が、AI技術を活用して仕事をこなしていく、ないしは新しい仕事を作り出していくのだと。この本のタイトル風に実態を表すなら「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」というよりも「AIを活用できる、教科書を読める子どもたち vs. 教科書が読めない子どもたち」ではなかろうか、と。

では、この読解力はどうしたら身に付くのだろうか。答えはこの本には出ていない。どうも続編に回したようだ。私は本のタイトル中にある「教科書」に着目してみた。読解力の前に、まずはいかに読む気にさせるか、読み続けられる力を付けるか、と思ったからだ。

教科書の認定は文部科学省の範疇であり、大きな改定は難しい。しかし教科書を補完する教材なら様々な工夫が可能である。マンガや映像表現、VR、ロールプレーイングなどのゲーム要素を加味して、とにかく教科書に目を向けさせることが肝要だ。

将来就きたい職業を早めに選ばせて、そのために必要な知識を絞り、道筋を示す教材もいいかもしれない。何のために勉強するのか。目的意識の醸成である。ゲームから生まれた「歴女」や「刀剣女子」の例もあるように、関心の対象が決まれば勉強のモチベーションとなる。将来、読解力と、教科書を読む気になる要因との相関関係が見えてくれば、教材開発の有効な指針になるのではないか。

この本を読み、タイトルと扇動的な帯の文言は新井氏の人柄に合わないように思われた。しかしこの本の印税を全額寄附し、RSTシステムの構築に使うとの記載を見て、あらためてタイトルの意味付けを理解した。「第五世代コンピューター」の失敗で資料をすべて消去してしまった当時の国家プロジェクト。新井氏は、国の予算は期待しないと判断されたに違いない。

自分の読解力もさることながら、将来を担う子どもたちにどう貢献できるか、私も出来ることを考えて行きたい。

投稿者 jawakuma 日時 2019年9月30日


AI vs. 教科書が読めない子どもたちを読んで

東大入学を目指すロボット開発者がAIの能力の限界を解きながら、近い将来そのAIの能力に及ばずに仕事を奪われる可能性を説いたショッキングな本であった。その分岐点となるポイントが読解力。日本の子どもたちが行ったRSTの結果に正直、開いた口がふさがらなかった。

私は本書のRST実践の章に幾度となく登場する戸田市に住んでいる。確かにここ最近は県内の学力調査テストの結果が不動の1位を誇るさいたま市を抜いて、県内トップになったと聞いていたが、裏に自らRSTに積極的に取り組む先生たちの努力があったことが初めて分かった。道理で校長室の前には本書と続編が飾られていた訳だ。長男はちょうど小6なのでRSTのことを聞いてみると、パソコン教室に集まりクラスごとに楽しみながらテストに回答しているそうだ。本書にもあったように回答すると次々に問題が表れる仕組みで、早い子は30分程度で完了するが最後まで進まない子は45分の授業時間が終了するまで回答を続けることになる。結果は子どもたちには返されず、もちろん解答も配られない。子どもにとっては“パソコンクイズ授業”のような雰囲気で行われているのだろう。読解力の向上のためか(読書量との親和性がないことは置いておいて)小学校からは全学年を通して毎日必ず音読の宿題が出され、保護者はそれを聞いて確認のサインをする決まりになっている。

読解力はどうやったら伸ばせるかについて明確な答えはないと本書では書かれていたが、そのヒントとして精読、深読が挙げられていた。私もこの点は納得である。自戒の念を込めてだが、表層的な理解で本や仕事の資料を読み解った気になっているが、他者に説明をしている際などに、「あれ?ここは話がつながらないなぁ」というように論理構成の破綻、つまり自身の理解が及んでいない点でつまずき、本典に立ち返るということが何度も起こってしまう。しかし、そうやって突っかかりながらも考えることを繰り返しことで理解が深まり、インプットの精度が高められ、その後の自身の仕事の成果、つまりアウトプットの完成度が高まっていくのであろう。

大学入試が変わるという話はこれから受験を迎える子どもを持つ保護者であれば1度は聞いたことがあるであろう。入試にもアクティブラーニングを前提としたグループディスカッションやプレゼンテーションが導入されるようになっていくそうである。ちょうど先月、地域で新設された中高一貫の進学校の研究発表会を見に行く機会があった。中学校1年生が入学から夏休みまでで各自設定したテーマについて調査や考察を行いパソコンで資料を作成し来校者にプレゼンテーションを行うのだ。プレゼンの良し悪しは正直様々であったが、調査のために行ったアンケートがそのテーマに紐づいているか、論理的な発表になっているかは先生の指導はもちろんあるだろうが、まとまっている生徒が多かった。今年行われたその中学校の入試も歴史や理科の知識を問う問題は少なく、与えられた資料からの読み解きが求められる、読解力が問われる内容が教科を問わず多く出題されているそうだ。

そういった各校の取り組み(読解力のある子を選別する取り組み?)はあるもののAIに仕事を奪われる人の数は今後増えていってしまうだろう。ここから、にわかに行う教育改革ではその近い将来は変えられそうにない。そんな将来に備えてどう生きていくべきか?本書では糸井重里氏が例に挙げられていたような、AIが得意とする効率化や合理化とは別軸でのアプローチが求められる。その商品・サービスの背景にあるストーリーやこだわりに‟共感“を持たせファン層を獲得していくようなビジネスは今後も可能性があるということだ。読解力がありAIに置き換えられない能力のある人材は、将来もハイエンドの仕事で引く手数多であろうが、それ以外の人達は共感・感情を軸としたビジネスを行えばAIの代替えは難しいだろう。AIにはそういったビジネスは立ち上げられない、人間だからこそ共感ができるのだ。東ロボ君は感情どころか意味すら理解できないのだから。地域や知人間だけのスモールビジネスや特定のコミュニティを対象にした商品・サービスでも、そのつながりと一定程度の需要があれば、莫大な富は得られないかもしれないが、少なくとも失業には至らずにその関係の中で幸せに過ごしていけるのではないだろうか。信用やつながりが重視される将来ではそんな生活の仕方も一つの幸せの形なのかもしれない。

今月も良書をありがとうございました。

投稿者 winered0000 日時 2019年9月30日


「AI vs. 教科書が読めない子供たち」を読んで

 本書を読んで、暗い気持ちになり、この国には明るい未来は来ないと絶望感を味わった。映画のターミネーターに見られたような人間とロボットで戦争ができるほど人間に能力があるのであれば、素晴らしいではないかとさえ思った。この映画は、人間並みの知能を持ったロボットは2029年、つまり今から10年後には人間並みに行動できるロボットができるという設定だった。1984年に公開された当時は45年も先の時代には人間並みの運動神経を持ったロボットがが生まれているという設定だったのだろう。実際には、運動神経はそこまでは行かないだろうが、ロボットが感情を持たない設定だったところを見ると、まるっき外れたわけではなさそうである。しかし、さすがにあと10年の間に自然言語で人間とロボットで話ができるようにはなりそうもない。

 さて、本書では、AIに仕事を奪われてしまい『全雇用者の半数が仕事を失う』と警鐘を鳴らしている。時代とともに仕事は変わっているが、自分の仕事がなくなるかもしれないなんて心配になって眠れなくなるくらいなら、さっさとそれを認めて次の手を考えようと思えた。よくよく考えると、今から10年前に今の自分が考えられたかというと決してそんなことはなく、想像していなかった自分になっている。10年前よりも高度なことをやっていて、スキルアップしていると言っていいだろう。では次の10年はどうだろうか。これまでの10年と同じようにスキルアップしているだろうか。もっと収入は増えているだろうか。もっと幸せになっているだろうか。

 少なくとも、この10年の過ごし方は、スキルアップをして収入が増えるといいなぁと思って過ごしてきた。実際に実現できたわけだが、これからの10年はもっと考えて行動しなくちゃはならないだろう。なぜなら、自分の今の仕事の一部はAIに置き換えられるはずだからだ。AIを活用しながら仕事をするようになるのだろうが、それであれば仕事は無くならない。なくならないが、別の仕事をしてステップアップしたい。

 世の中の仕事の多くがAIに置き換わって仕事がなくなるのならば、一方で、逆に時代にあった仕事を作れるチャンスが沢山あるということだ。本書に記載されていた今後の可能性がある仕事として、ほぼ日刊イトイ新聞でのストーリーのある品を販売している例によれば、ただの品物であるよりも、そこにまつわるエピソードによって付加価値がついて需要が高くなるというものだ。ただ売るのでは無くターゲットを決めて、ターゲットは何をされたら喜ぶのかを考えながらアプローチする。マーケティングをする事が重要になってくるのだろう。

 今も鉄道と飛行機で顧客を取り合っているかと思えば、テレビ会議システムが出現したことで物理的に会う必要性が薄れてきて、鉄道と飛行機の利用者が減ってしまう、という事例がある。一例に過ぎないが、これからのビジネスでは、アイデア次第で隠れた顧客を見つけ出せるという例ではないだろうか。読解力がいらないことはAIに任せて、考えることは人間が担当する。理想通りにいけば理にかなった分担である。悲観に暮れるだけでなく、AIを使うことで効率的に仕事をできるようになろうと思う。

以上

投稿者 akiko3 日時 2019年9月30日


  AIってすごいと思っていたが理解している訳ではなく、AIは単なる計算機という事実に驚き、少し安心した。(コンピューターは否定を理解しないとは○○みたい、コンピューターへの質問法は別のワークで活かせるかもしれない)

単なる計算機とはいえ、人間社会をより便利に効率的に動かせるAIの進化には感心するし、その背景に献身的な育ての人々がいるのがみえてくるとコンピューターに感情移入し“くん”づけしたくなるのもわかるが、感情を持たないキレッキレの計算機に負ける未来にやっぱり不安になった。

著書の最後に不安を払しょくするアドバイスとして、面倒臭い仕事は何か?生活の不便を考える柔軟性を持って、リアルな仕事を創造していくことがAIでない人間にできることとあったが、著書を読みながら折に触れ、親から言われたことが思い出された。

「1言ったら10まで言わなくても何か考えなさい」(母と兄の会話についていけなくて、なんでそうなるの?と聞いていた)
「どうしてもっと思いやりを持てないの?(相手の立場を考えなさい)」
「手伝いをしなさい(工夫しなさい)」
「本を読みなさい」
「どうしたら出来るかを考えなさい」
「(解答集を丸暗記しようとして)それじゃ、テストで点は取れても理解したことにはならない」
「子供が自立できるように育てるのが親の責任」
なにかと「~しなさい」とまくし立てられた訳ではなく、生活の中で事細かく親が教えてくれた教育の一部。これらのおかげで常識が身に付き性格も形成された。(「~しなさい」と言われても、口答えは当たり前!言われてもやらないことも多し!!AIのように黙々と吸収するわけでなかい)子を育てるという無償の仕事にやりがいを感じてくれた親の存在に改めて感謝した。昭和という時代がまだ子供にとっては幸いだったのかも。

ちょうど小学校のベテラン教員達が、“児童の語彙が乏しいことに危機感を抱いている”という新聞記事を読んだ。“言語が好・嫌の二者択一で感情を示す言葉が失われ、感じたことを表現できない児童が増えている”とか。まさに!著書で書かれている通り。大人が作った現代生活は会話しなくとも短い選択肢を選ぶだけで事足りる。教育内容も大人が決め、子どもはそんな作られた社会の中で当然成長中。子供達に申し訳なくなった。

生まれた時から便利なAIが身近にあり、大人の行動を真似て幼児の頃からコンピューター画面をスライドさせたりでき、小学校でパソコンが使えたとしても、本当に生活に役に立つ、“生き抜く術”ではないし、幸せになる術でもない。幸せな生活と便利な生活の違いをちゃんと大人が示せてないと。勉強する面白さとか、勉強したことで人の役に立てる喜び。大人も便利さに取り込まれ、大切なものを見失っているから教えられないのだろうけど…。

ちょっと話がそれるが、浅田次郎さんの新聞小説が面白く、登場人物達を通して人の優しさがじわ~と伝わってくるのが心地よく、読み進めたいが、終わりは迎えたくないような…。読解力がないとこんな読書を通して人生を学ぶチャンスを、楽しみを逃しているのかと思うと残念な気がする。小説は人生や他人を学ぶのによいなと、読解力向上と心の栄養補給に読むようにしようと思っている。

親がしてくれたように子供にして返すことはできないが、暮らし良い社会に還元できるよう、読解力を身につけ、人生の経験値と視野を広げ、人として思いやりの心を持って社会に必要なことを創造し…、ああ、やることが尽きない。
   パニックになる前に、AIのように感情や邪念を持たず、やることリストアップし、自分を淡々と動かそう。

投稿者 vastos2000 日時 2019年9月30日


シンギュラティと呼ばれている状況が来るにしても、来ないにしても、AIやロボットの性能が今よりも発達することは確実なので、大人も子どももそれに備えて能力を高めておくことが大切。特に言葉に関する力(読解力や作文力)やコミュニケーション力がより一層求められるようになるのではないかと感じました。


以下、そう思うに至った理由です。

まず「シンギュラリティ(技術的特異点)」ですが、AIに関する書籍をいくつか当たってみましたが、いまいち「シンギュラティ」という言葉の説明で登場する「全人類の知能」はどのようなものなのかわかりませんでした。知能ということばが指すのは、知識なのか、思考力なのか、その両者を組み合わせものなのか、それとも別のものなのか?
記憶力や計算能力ということであれば、とっくにヒトの能力を超えているので別のものなのでしょうが、結局「全人類の知能」をハッキリ説明しているものを見つけられませんでした。
もしかしたら、カーツワイルのような天才的頭脳の持ち主はAIが全人類の知能を凌駕する風景が見えているのかもしれませんが、現状、私には何をもってシンギュラリティとするのか、理解できませんでした。

ただ、だからと言って、一つのグループ(数学的アプローチ)の主張だけを聞いて、「シンギュラティはこない」と断じるのは危ういと思います。世界を見渡せば、AIの研究に多くの予算がつけられ、多くの研究者が日々研究しており、数学以外のアプローチをとっている研究者もいます。なにか思いもよらない発明や発見、アイデアがきっかけで、一気にAIが進化するかもしれません。
そうすると、「シンギュラティは来るかもしれないし、来ないかもしれない」としか言えません。

とはいえ、AIの性能が上がることはあっても衰えることは考えづらいので、より広範囲でAIやロボットが使われる社会が到来すると思っておくのが良さそうです。

次に考えたのは、本書のタイトルは『AI vs.教科書が読めない子どもたち』ですが、私個人は、AIの対立軸に子ども達を置くのはなぜだろうということです。
将来は、今は人間がやっている仕事の何割かはAIにまかせられるようになるでしょう。そのときは若者も大人も関係ないと思います(人生100年時代ですし)。著者が言うように詰め込み教育が読解力低下の原因であれば、それは今の指導要領で始まった話ではなく、センター試験や共通一次が始まったころまで遡るのではないでしょうか。したがって、今の40代くらいは今の子どもと同じように読解力に何がある人間が一定数いると思いますし、私自身、そう感じることがよくあります。

東ロボ君はマーク式の問題には対応しやすいと思います。偏差値を測ったのもセンター模試(当然マーク式)とのことですし、MARCHレベルのような受験生が万人単位の大学は、(公平性を担保するための)採点の都合で選択問題や空欄補充の問題が多いものです。反面、「その理由を100字から150字で記せ」といったタイプの問題は少ないので、記述式の模試を受けていたらどうだったのかという疑念は残ります。
東大の二次試験は記述式問題なので、対応が難しいと推測します。しかし、多くの受験生も記述式問題は苦手とするところです。来年度からはセンター試験に代わり、大学入学共通テストとなり、徐々に記述式問題も増えていく予定ですが、まさにこれからは文章で考えを文字に起こす力が求められると感じます。

もう一つ大切だと思っているのは、フレームからはみ出たり、異分野のものをくっつけたりする発想です。
いくらAIが将棋や囲碁のプロに勝ったとは言っても四角い限定された世界の中でのこと。将棋盤をつかってモノポリーをやるような発想をAIがするでしょうか?私は40代ですが、子どものころはあまりものがなく、ファミコンも家になかった頃は、友達の間でいろいろな遊びをつくっていました。このようなことは、AIは苦手ではないでしょうか。(今の子どもも自分たちでルールを作って遊ぶのが得意とは感じられませんが・・・)
AIとまでは言わずとも、基本的なプログラミングやアルゴリズムの考え方や、数学の論理性を知った上で、枠にとらわれない発想や、数値化し辛いアートの素養を身につけていけば、そう悲観しなくても良いのではないでしょうか。

結局何が言いたいと言えば、子どもだけでなく大人も読解力をはじめとする、国語力(表現力やコミュニケーション能力、母語を使って思考する力)が求められるはずです。そのようなときにAIが苦手とする分野に活路を見いだすというのは十分に納得させられる提案です。

ただ、著者も心配している通り、読解力の無い子どもたちが大人になったとき、どうなるでしょうか?やけを起こして犯罪を起こすようになるかもしれません。
真面目に頭をつかって働くよりも、刑務所暮らしのほうがマシと思う人が増えても不思議ではありません。だからこそセーフティーネットについて、真剣に検討しなければならない気がするのですが、日本国内では「働かざる者食うべからず」の風潮が強いようでなかなか議論が深まりません。
このままでは2極化がますます進むような気がしますが、まずは自分と自分の周囲の人は人間ならではの仕事や生き方ができるよう、AIが苦手とすることを磨いて行きたいものです。

蛇足になるかもしれませんが、ここまで書いて、AIが苦手な分野って女性が得意な分野と重なるところが多いなぁと思いました。私の思うことが正しいとすれば、今後ますます女性の活躍が見られるようになるでしょうね。

投稿者 H.J 日時 2019年10月1日


私は初めて合理的なことが怖いと思った。

本書を読むまでは
「合理的なことって素晴らしいな。」
とか思っていたが、本書を読み終えて考えてみると背筋が凍った。

タイトル名の”教科書が読めない子どもたち”の部分からも解るように、本書を語る上でのキーワードは「読解力」という言葉であることはまず間違いないだろう。
そして、4ページに書いてある様にAI技術も子どもたちも意味を理解するのが苦手なのだ。
これが意味することはなんだろうか?
と考えたときに”合理的”というワードが浮かんだ。

データを積み重ね、検索して最適な解を出せるAI技術。
私達の日常に馴染んで、効率的にしてくれてるのは間違いないだろう。
意味を理解してなくても、人間が足りない部分を補えばいい。
AIはとても合理的だ。
人間が楽になるために、手の痒いところに手が届く存在。
それこそがAI技術の目指すべきところだとは思うが、一方で人間がAI技術を盲目的に信じ切ってしまうと合理化の奴隷になってしまう。
AI技術が便利が故にそれに頼りきってしまう。

これはAI技術に限ったことではない。
テレビやネット動画を見てると思考停止しても情報が勝手に入って、わかったつもりになれる。
さらには、インターネットで検索すれば答えが出るし、計算機を使えば計算の答えが出せる。
こんなこと言っていた10歳のyoutuberもいた。
努力をしないで結果だけが出せるのだから、ある意味でとても合理的だ。
例えるなら、ダイナマイト漁の様に魚を取ることだけを考えて、浮き上がってきた魚を収穫すればいい。

目に見える結果さえ出せれば評価される。
目に見えないところは気にしない。
そんな社会で如何に楽に結果を出せるかを求めた末の姿なのかもしれない。

ただ、それはとても恐ろしいことだ。
意識的か無意識的かいずれにせよ、結果を出すための合理性だけを重視してしまう。
そして、AI技術ですら非合理的なことを行わない(行えない)。
そんな世の中だからこそ、逆に私は非合理的なことを大切にしたいと思った。
一見非合理的なことこそ、結果重視社会を生き抜くためのカギではないか。
一流のプロ選手こそ、基礎練習を欠かさない。
一見、基礎練習は非合理的に見えるが、その非合理的なことを続けることで一流は第一線で活躍し続ける。
意味を理解することも、結果重視社会では非合理的だ。
ただ、そんな非合理的なことを大切にすることが、結果重視社会で生きていくためのカギだとも思う。
なぜなら、非合理的な人間の足りない部分を活かすのが合理的なAI技術だからだ。

投稿者 rarara 日時 2019年10月1日


AIと聞くと構えてしまうが、便利な道具と思ってみる。
気候による変化や、気分のムラもない律儀で便りになる相棒。
ただちょっと、いい感じでお願い、とかの希望は叶わないし、賢すぎて抜け目がない所もあるので、こちらもおちおちできない。

AIがちやほやされる世の中で、
私は、どうあるべきか。
まず、AIの見習うところ。
インプットの量
『データを繰り返し学習して、経験則、重要度を自律的に認識』
1年中、朝から晩までムラのない所

AIが苦手とするところ。
『常識や、さまざまな状況での換起される人の感情』
『定義のはっきりしない入力』

AIをうらやんでしまう所
『願望やロマン』に支えられている
開発途中なのだから、まだAIにできないことがあるのも当然

人間はどこか息苦しい。
ミスをしないように
騙されないように
もう少し、寛容であってもいいかもしれない。
かといって、何もインプットせず、怠け者に対しては寛容になれないだろう。
AIのようにまではいかなくとも、最低限、
『データを繰り返し学習して、経験則、重要度を自律的に認識』をする努力をしていると分かれば、多少は多目にみて、認めあう優しい社会。
ほっとする環境が生まれれば、そっと手を差しのべあう お互い様 と言い合える社会。

ということは、卵と鶏のように

まず、自分から手を差しのべたら、みんながほっとして、みんなのためにと 怠けず働き、切磋琢磨できる環境になるかも。
と期待が生まれました。

まずは、私に時々表れるケチな心をやめます。
AIに見習ってムラのない働き方をしたい。
人間だからこそ持てる感情をいい方向に察知して精一杯働く。