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第138回目(2022年10月)の課題本


10月課題図書

 

公害原論

 

です。

 

今まで何度もご紹介したかったのに、「どうせ誰も読まないよなぁ」と思って止めていた、

歴史的名著です。

 

今月からは、ハイグレード課題図書として、

 

 

   少数の分かる人だけが取り組むレアな課題図書

 

 

に模様替えします。選考方法等については、このページのヘッダーに記載しています。


 【しょ~おんコメント】

10月推薦者

 

10月の推薦者は以下の通りでした。1票あたり1ポイントの獲得となります。

推薦された方はおめでとうございます。

 

LifeCanBeRichさんが3票、Cocona1さんが2票、masa3843さんが2票で、

1992さん、daniel3さん、mkse22さん、H.Jさんが各1票でした。

 


【頂いたコメント】

投稿者 kenzo2020 日時 
まず、この人、本気だと感じた。
なぜなら、本書を読んで、著者の宇井純先生は、関連する資料に目を通し、自分の足で動いて調査し、公害について知識を深めてきた。ぜひ見習いたい。

また、公害は、今のSDGsや地球温暖化と似ているのではないかと思った。なぜなら、どちらも産業を重視し、暮らしが豊かになった反面、地球にダメージが生じているからである。公害原論の事例で、公害の被害にあった住民が立ち上がらないと、解決しないということがあり、SDGsや地球温暖化についても地球に住むわれわれ住民一人一人が立ち上がらないと、解決しにくい問題なのであろう。

経営者を目指す身としては、戦前の地元の住民に配慮した企業の経営者が参考になった。今でも三方よしといわれるが、実際に会社を経営すると、目の前の成績にとらわれ、なかなか実現できないのがほとんどなのであろう。例にあった、戦前の企業の経営者のようなマインドをどのようにすれば持ち続けられるのかが、今後の私の課題である。
投稿者 Cocona1 日時 
本書を読み、まず衝撃を受けたのが、「公害は差別であり、第三者は加害者である」という主張でした。なぜなら、この主張によって、自分も知らないうちに加害者になってしまう恐ろしさに気づいたからです。本書を読むまで私は、公害について自分が完全に第三者だと考えていました。しかし、第三者は公害を自分事として考えていないため加害者なのだと指摘され、まさに自分は加害者だと驚きました。

第三者が加害者なら、公害の加害者にならないために自分はどうあるべきか。その答えを本書から探すと、「自分の頭で考えること」そして「自分の考えを発信できること」。この2つが重要だと考えました。

まず、「自分の頭で考えること」について掘り下げていきます。著者は公害について、自分事ととらえて自分の頭で考える重要性を、何度も訴えています。

その反対として本書に登場するのが、自分の頭で考えずに他人事として動くことで、公害の加害者になっている人たちです。例えば、公害を出している会社で、出世のために人間性を捨て働く人。東大で、金のため立身出世のために、公害を出す側を向いて研究する人。著者は、この例のような、自分の頭で考えずに動く人が多いと述べ、その理由に、自分の頭で考えない部品を作るためにある今の教育を挙げています。本書では、自分の頭で考えない人を「部品」と表現する一方、自分の頭で考えることを「人間らしく生きること」と表現しています。

私はこの主張を読み、「自分の頭で考え、人間らしく生きているだろうか」と自問してみました。残念ながらその答えは、NOでした。なぜなら、本書を読むまで私は、東大では、世のため人のため、金にならなくても、皆にとって役に立つことを研究してくれている、と思い込んでいたからです。まさに、「東大」の肩書で判断し、きちんと自分の頭で考えようとしていなかったことに気付き、「私も部品だったんだ」と認めるしかありませんでした。これからは、部品を卒業し、自分の頭で考えて人間らしく生きたいと決意しました。

次に、「自分の考えを発信できること」について、掘り下げていきます。本書を通して、自分の頭で考えるだけでなく、それを発信できることが大切だと学びました。というのも、著者は公害の被害者について、黙っていたら殺されかねない状況だと言っているからです。つまり、殺されないためには、自分から発信できなければいけないのです。そして、第三者が加害者にならないためにも、被害者と同様に自分の考えを発信できる必要があります。第三者は、被害者の立場になれなければ、加害者になってしまうからです。

さらに著者は、自分の考えを発信するには、「くびになっても食えるという自信」が必要だと言います。会社の方針に反対意見を言うからには、仕事を失う覚悟がいるのです。この表現は一見すると、会社の中の話だけに見えます。しかし、「くびになっても食えるという自信」とは、仕事だけではなく、「今の環境を失っても生きていけるという自信」だと、私は考えます。

著者によると公害は、多数の人間のわずかな便利が、少数の人間にとって死に等しい不利になることがあるそうです。もし自分がこのような少数になっても、今までの居場所を失っては生きていけない状況では、反対意見を主張できません。なぜなら、会社の例で分かりやすいように、周りの多数に対して反対意見を言うには、その居場所を失うリスクが伴うからです。つまり、「今の環境を失ってでも発信できる強さ」がなければ、自分の不利を訴えられず、受け入れるしか道はないのです。

私は、「くびになっても食える自信」の具体例として、仕事では、いつでも転職できるスキル。地域コミュニティでは、どこでも引っ越しできる柔軟性。家庭・家族関係では、たとえ一人でも生きていける生活力。これらを思い浮かべました。しかし、今の私がその自信を持って生きているかと考えると、これまた答えはNOでした。今後は、自分の環境はいつでも変えられる「部品」だと認識し、失うことを恐れずに自分の意見を発信できるよう目指したいです。

ここまで、公害の加害者にならないために必要な、「自分の頭で考えること」「自分の考えを発信できること」の2つについて考えました。さらに思考を広げると、この2つは、公害に限らず、現代の社会問題にも有効な能力だと気づきます。なぜなら、現代の社会問題も根本的には、少数の被害者が大きな加害者と戦うという、公害と同じ構造をしているものが多いからです。その視点で振り返ると、本書は、大きな組織に立ち向かうための攻略本だと感じました。私は、本書での学びを活かして、身の周りの社会問題について、自分が加害者にも被害者にもならないことを目指し、自分の頭で考え、発信できるように心掛けていきたいと思います。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、ある問題に対して自分は関係していないと考えれば、人はどこまでも無関心になってしまう、という事を改めて感じました。


本書で書かれている問題とは公害についてです。問題は1つですが、それに関わる人達の立場が異なると、
それぞれの立場からの主張が始まります。


戦後の経済成長で日本は重工業化を推進していきました。環境の保全保護よりも生産効率を最優先にした結果、工場から出る廃液、排気ガス、廃棄物などの処理には費用が捻出されることはありませんでした。


工場を誘致した地元の自治体も住民からの健康被害の苦情を無視し続けた結果、水質汚染、土壌汚染、農水産物の汚染などの公害が全国各地で発生しました。


当時の日本は、敗戦後の日本経済を立て直すという生産至上主義の中にあったため、政府や企業という大きな集団の主張が通り易かったのも、公害が日本中に広がった要因の一つです


社会に対して不公平なことを問題化させることは、世間では「迷惑をかけること」だと捉えられ、被害者側の意見は抑圧されます。被害を訴えた人が批判を受けるというという事は、現在でも続いている事です。
立場上、人数が少ない方が弱い立場へと追い遣られてしまうのです。


そのような社会で工場がある地元住民は、公害被害者の救済と環境回復、汚染物質の工場内処理などを求める住民運動を起こしました。


しかし、大学の教授や研究者は重工業化を進める政府や企業の側に立ち、公害はないと市民を抑圧するような発言や発表をする例が多数ありました。「学問の府」が権力に迎合する事象が起きたのです。


大学は公害という問題に対して、政府や企業の主張する利益生産追及の立場から意見を述べるだけに留まり、公害被害者側の立場として立っているわけでは無かったのです。


それに対して、学問の在り方を変えようという動きが起こり1970年10月12日に東大工学部の講堂で、夜間公開自主講座が日本で初めて開かれました。主催は本書の著者で当時、工学部助手の宇井純氏です。


公害という問題に対して政府や企業と地元住民、大学と自主講座というそれぞれの立場で主義や主張が異なっています。


本書とは別に著者は、「公害に第三者はない」いう本を書いています。著者の言う、「第三者はいない」とは、公害について社会には加害者か被害者の、どちらかの立場の人しかいないという事です。つまり、社会で公害が発生した時に、その問題に対して関係ない人は一人もいない、という事です。


海が汚染されれば、魚介類を食べる人間に影響が出ます。土が汚染されれば、農作物を食べる人間に永強が出ます。同じ、日本という島国で暮らしていれば、問題に対して決して無関係では無いのです。


政府や企業の意見に迎合した大学を見て分かる通り、守るべき立場の意見以外は、自分には関係ないという思考になれば、人は簡単に無関心になります。公害でどれだけの被害者が出ても、自分には影響が無いと思ってしまうと、そうなってしまいます。


その根底には、自身と一番関係する部分の現状維持を優先し、それ以外の個々の訴えを切り捨てても良いという、問題に対しての傲慢さや慢心という、姿勢があるように思えます。


関心や興味を持つという事は、問題解決への第一歩です。このままでは悪化していく、と分かった時点で対処していかないと、後に手遅れとなる可能性もあります。個人的な問題でも、社会的な大きな問題でも、無関心で長く放置している罪は、いずれ近い将来に罰という形で現れます。


TwitterやFacebook、Instagramなど個人の主義や主張ができる場所が、存在するのが当たり前となった現在、そろそろ公の部分的現状維持を優先し、個々の訴えを切り捨てるという風潮にも、小さな声に耳を傾けるという変化が、訪れているのではないかと思いました。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、環境学者で公害研究家である著者が、1970年から東大で始めた公開自主講座「公害原論」について、初年度の記録をまとめた本である。この公開講座は、著者が沖縄に拠点を移すまで15年もの間続いたというから驚きである。著者の熱量もさることながら、公害問題に対する参加者の思いがそれだけ強かったということだろう。参加者の思いの強さは、本講座の実行委員が作成する講義録が2週間で完成するという事実からも伺い知ることができる。本書を通読して、人類が便利さを享受する過程で、少なくない人達が身体的にも精神的にも傷つけられたという事実を改めて痛感した。本書によって資本主義社会のマイナス面を突きつけられ、私も大いに考えさせられた。本書を読み進める中で感じた最大の疑問は、著者である宇井氏は、なぜこれだけの熱意をもって本講座を運営してこられたのだろうか、ということだ。その答えは、著者が公害問題と向き合ってきた動機にもつながるものであろう。本稿では、著者の宇井氏が本講座を開講することになった原因を探ることで、私達がこうした社会問題に向き合う際の姿勢について考えてみたい。

著者の熱意の源泉を探るために、時代を遡ってみよう。著者は元々技術者で、塩化ビニル樹脂のメーカーである日本ゼオン株式会社に勤めていた。この日本ゼオン時代、水俣病について報道され始めた頃に、工場の中で排水に流した水銀の行方が気になっていたという記述が本書の中にある。著者は、公害病の原因であると言われ始めていた水銀の排出に、企業側として関わっていたのだ。そうした経過から、プラスチックの加工研究という本来の仕事から、水俣病や公害問題の研究に自身の興味・関心が移り、土木工学の大学院に入り直す。そして、アマチュア写真家の桑原氏と水俣病について独自の調査を進めた著者は、水俣病の原因が工場排水のメチル水銀であることを突き止めたのである。しかし、それを自分達の名前で世間に公表するだけの勇気がなかった。本書ⅠのP13には、公表できなかったことを悔いている記述があり、もし公表していれば、第二水俣病の発生を食い止めることができたのではないかと語っている。私は、この水俣病の原因調査を行っていた時代に、著者が自身の行動に対して感じた後悔の念が、公害活動に向かうエネルギーの根幹になっているように感じた。つまり著者は、公害の発生を防ぐためにもっとやれることがあったのではないかという思いがあり、この思いが公開講座を企画するきっかけになったのだと思う。

では、なぜ著者は公開自主講座という形で、この講座を開講することにしたのであろうか。著者は、公害反対運動においては、公害発生地の住民が自分で考えて行動を起こすより他に方法がないことを強調している。ⅡのP159にその旨記載されており、ⅠのP267にも部外者である著者が講演をしたくらいで公害反対運動の形勢が変わることはないことを明言している。さらにⅡのP165では、公害問題では住民に真実を伝えれば、後は住民が自分達で行動していくものだとも言及しているのだ。つまり公害問題は、直接被害を受けた住民が立ち上がり、声を上げることが重要だと繰り返し主張しているのである。ここに、「公害原論」を住民が自由に参加できる公開講座として開講し、講座運営に参加者を巻き込みながら続けてきたことの理由がある。すなわち、公害は国はもちろん、特定の反対運動家の誰かが解決してくれる問題ではない。住民一人ひとりが公害を自分事として捉え、当事者として少しでも行動を起こすことが必要不可欠なのだ。こうした著者の強い問題意識が、本講座を公開自主講座として開講させ、15年もの長い間継続させてきた原動力だったのだと思う。

著者は、水俣病の発生原因を広く公表できなかった経験から、自身の行動を悔いて強い当事者意識を持った。技術者であり科学者である自分が、公害問題の当事者としてできることは何であろうか。著者がそう自問した結果が、公害に対して当事者意識を持つ人を少しでも増やすことだったのだ。社会問題に対してどれだけ当事者意識を持つことができるか。そして、そこからどれだけ行動に移すことができるか。NPOに寄付することぐらいしかできていなかった私は、社会問題に対して当事者意識を持っているとは言い難い。ただ、1つだけ言えることは、人によって問題への向き合い方は様々だということだ。公害被害者として、原因者たる企業に声をあげる住民もいれば、公開自主講座を運営することで多くの住民を公害運動の当事者に巻き込む著者のような人もいる。また、本書に登場する田中正造のように、住民のために全てを投げうつ政治家もいる。私にできることは何であろうか。まずは、考え続けることだ。便利になり続ける今の社会には、その代償として発生し続ける課題が山ほどある。その全てに思いを巡らせることは難しいのかもしれないが、課題の一つひとつに対して、自分ができることを真摯に考え続けようと思う。
 
投稿者 tarohei 日時 
『公害原論』を読んで。

 本書は、公害・環境問題研究の先駆者であり、公害との闘いに生涯を捧げた環境学者、
宇井純の自主公開講座「公害原論」の記録をまとめたものである。

 自主公開講座「公害原論」を催している当時は公害国会、環境庁設置、4大公害裁判等が同時進行しており、中央政府レベルでの環境政策が本格的に始動しつつあった時期である。著者は当時裁判が進行中だった新潟水俣病、熊本水俣病、イタイイタイ病に加えて、足尾鉱毒事件に始まり日立煙害事件、本州製紙江戸川工場事件など明治・大正から戦後復興期にかけての公害事件を取り上げ、企業や行政の対応に言及している。
 日本で公害が激化したのは1960年代のことであるが、小規模であっても深刻な公害は明治初期、日本の産業化が進んでいった当初から発生しており、行政も産業界も、その問題について以前から認識しており、被害者の運動も対策の試みも行われてきた。このように産業公害は古くから存在し、問題として認識され、先駆者たちによって取り組みが行われてきた。
 それにも関わらず、高度経済成長期の公害の拡大を防ぐことはなぜできなかったのはなぜか。なぜ過去の公害対策が忘れ去られ、失敗が繰り返されたのか。産業公害は必ずしも新しい問題ではなく必要な対策もわかっていたのに、なぜ適切な対策が取られなかったのか、どのようにして不十分な対策が採られ、被害が拡大したのか。
 著者はそれがなぜなのかを問い続けた。

 この問いかけに対する答えが、理論体系としての「公害"原論"」の"原論"たる所以ではなかろうか。

 「公害原論」の"原論"と名付けられた本書のタイトル(元々は公開講座名)には上記の著者の公害問題への姿勢を覗わせる。また、原論というと、ユークリッド原論や経済原論など、ある分野の理論体系の根幹を成す理論を彷彿させる。
 著者は公害問題を単なる経験則や過去事象の事例の集大成、そこから導かれる反省や教訓というだけに留めるのではなく、理論体系として公害論をまとめたかったのだと思う。
 そして、公害問題・水質問題について、その歴史的変遷と人々と資源との関わり方に焦点をあてた社会史、政策史を公害論に基礎をおいて展開しようといたのだと思う。あるいは、公害問題が長い間、過去の問題としてしか考えられてこなかったことや、過去の問題と現実を繋いで調べようという歴史的視点を持つ取り組みの動きが少なかったということに対して、経験則だけでは不十分であり,過去の失敗の教訓は簡単に忘れられることへの問題提起なのだと思う。

 公害問題を理論体系としてまとめる、つまり学術体系にまで押し上げようとした時、社会に期待するものとして、社会科学による公害問題、環境問題の理論化、それを問題解決型の学問として社会科学だけではなく、他の分野にも広げていくことが必要である。そのためにも資源論、環境論、政策論など、資源・環境と人々の関わりについての他の学術分野とも同時に並行して問い直すことが重要である。資源論は資源への人々の関わり方に着目しており、社会と自然との境界をデザインするという意味での環境論と重なる部分が大きいし、政策論は資源を利用する側の視点からの開発と環境に関わる資源論とも解釈できる。

 公害問題を根本解決するためには、一長一短とはいかず、公害問題を学術体系までの押し上げ、最低限でも理論化は絶対に必要であると考え、それが”公害「原論」”という本書のタイトル(元々は公開講座名)に結びつき、そこに著者の並々ならぬ思いが隠れているのだと考えた次第である。

 最後に、著者は自然の全体性を無視した開発が公害を生んだと主張し、科学技術のあり方を批判している。公害問題とその対策は単に技術の問題ではなく、環境論や資源論、政策論を巻き込んだ社会科学的な問題と捉えることができる。
 公害問題に対して、この日本に生きる自分たちにとって、環境汚染と技術開発の間にあってどのように取り組んでいくべきかを考えさせられた。
 
投稿者 daniel3 日時 
今月の課題図書「公害原論」では、日本には公害が発生しにくい条件があったにも関わらず公害が深刻化した背景や、その解決を阻む課題が多くあったことが述べられています。本書を読むことで、公害に関する網羅的な知識を手に入れることができますが、900ページ近い本書を読破した人は、7万人のメルマガ読者の中に何人いるのでしょうか。そしてページ数の多さだけではなく、扱っている公害というテーマも、令和を生きる私たちには遠い昔の出来事のため、自分事として考えにくい気持ちも理解できます。しかし、多くの人が本の分厚さや公害というテーマを理由に「公害原論」を読まないことは、非常にもったいないことだと考えました。なぜならば、本書を読むことで、「既存の思考の枠組みに囚われずに問題を発見すること」を学ぶことができるからです。

「既存の思考の枠組みに囚われずに問題を発見すること」を学ぶことについて説明するために、まず公害原論が書かれる前の「既存の思考の枠組み」について述べます。1950年代に水俣病などの公害が問題になった頃、企業は環境面への配慮という意識は希薄であり、より多くの利潤を上げるという方針で、製品の生産を行っていました。その結果、十分に処理されていない廃液が河川に垂れ流されたことにより、水俣病などの公害が発生することになりました。そして、公害が発生し住民から改善を求める声が上がった後も、あるppm以下の排出基準を守っているため、希薄な有害物質が流れ出ているとしても問題が起きるはずがないと主張し、公害との因果関係を否定し続けました。これが企業側の当時の思考の枠組みでしたが、現代の私たちにとっては周知の事実のように、食物連鎖の上位に位置する生物の体内では有害物質の濃縮が起こり、希薄な工場廃液が様々な公害を引き起こすことになりました。また、政府としても、公害を抑制するよりは企業の生産活動を援護し、問題を先送りするような対応を行っていました。法律を整備中であるからといって住民を説得し、制定されるまでの間は世論を抑えることができるという、著者が本書の中で「法律一本・世論三年」と呼んでいた対応です。また、実際に制定された法律の内容についても、例えば水質保全法では、企業がつぶれない程度の基準値を企業側に提出してもらい、それを採用するような対応を行っていました(公害原論Ⅰ P.257)。このように企業としても政府としても、公害を重要視していないのが、公害原論が書かれる前の「既存の思考の枠組み」です。

そのような当時の状況の中、著者の宇井さんは、日本ゼオンで技術者として働いていた頃、水銀を処理せず垂れ流していた対応に疑問を抱いていました。そんな中、日本で有機水銀が問題となっていることを知ったため大学に戻り、都市工学部の助手の口を見つけて公害問題を本格的に研究するようになりました。東大の助手として研究を行っていたわけですが、企業や政府といった機関に人材を送り込む東大も、公害に対する「既存の思考の枠組み」は同様の方針でした。そのため東大内で公害に関する講座を開講しようとしましたが、表立って実施することは認められず、夜間の自主講座のスタイルを取らざるを得ませんでした。そんな、公害が問題として重要視されず、周囲からの協力も得られない状況でしたが、公害について頭と足を使って研究を続けました。そして、「既存の思考の枠組み」にはなかった環境問題を、問題として見つけ出し、自主講座を通じて警鐘を鳴らしました。そのため、冒頭で述べたように「公害原論」を読むことで、問題を見つけ出す宇井さんの思考過程を学ぶことができると考えました。

そして、こうした問題を発見する力こそ、現代を生きる私たちに必要な能力であると考えます。なぜならば、以前の課題図書「ニュータイプの時代」でも語られていたように、現代は問題が希少化し、問題を発見する能力が価値を持つ社会となったからです。現代は、大量生産が可能となり、モノやサービスが過剰となった結果、数百年前よりも生きていく上で困る機会が格段に減りました。そうして問題が希少となったため、、問題を解決する能力よりも、問題を発見する能力が求められるようになったのが現代社会です。そして、その問題発見力を身に付けるお手本とするべきなのが、前述の宇井さんの公害に対して取り組む姿勢であると考えました。

それまでの考え方では見過ごされていた、何かに疑問を持ち、その疑問を頭と足を使って考え、問題がどこにあるのかを探すにあたって「前例はないと覚悟すること(公害原論Ⅲ P.230)」を宇井さんは本書の中で述べています。宇井さんの場合は企業や政府といった大きな存在を敵に回していたため、非常に苦労をすることになりましたが、「環境問題」を問題として見つけ出しました。あらゆる前提が目まぐるしく変化する令和を生きる私たちこそ、宇井さんの姿勢に学び、「公害原論」という名著を読むべきであると考えました。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“物事を全体で捉える“

木を見て森を見ず。私が本書を読んで大いに感じ、思ったのはこのことだ。公害問題において、所謂加害者側の人たちは、往々にして、木という部分を見るが、森という全体が見えていない、または見ようとしない。ここでの木と森が何を指すかというと、例えば、加害者側の人たちは自身に関わる経済的な利得という木は見るが、その利得を手にすることで社会が被る代償を含む森全体は見ないということだ。水俣でいえば、水銀を排出していたチッソ社の人たちは会社の利潤には目を向けるが、その利潤獲得の代償である病気の発生や自然破壊には目を向けない。もう1つ木と森の例を挙げれば、加害者側の人たちは自身の立場という木は見るが、その立場と周囲とのつながりである関係性を表す森全体は見ない。大学で生産技術を研究、発展させる分野の人間は、その生産技術が産業界を豊かにする一方で、生物界、自然界にどのような影響を与えているかには目を向けていないというのがそのことだ。公害問題において、そのような木を見て森を見ずの状況に対して、著者は激しく警鐘を鳴らす。以下では物事を見る時に、部分に囚われることなく、全体を捉えることの重要性について考察する。

まず、著者には社会発展は全体で成し得て行くものだという思想が強くあるのだと私は考える。ここでの全体的な社会発展とは、全国民の生活の豊かさ、及び自然環境が現在においても、未来においても、誰の犠牲の上にも立たないで、繁栄されていくということだ。そもそも、著者自身の出世にも、また企業の利潤向上にも繋がらない、むしろそれらに負の作用がある公害原論という自主講座を15年も続けることを支えたのは、上述の公害の全体を捉えた思想とその背後にある確固たる信念であろう。一方で、当時の多くの日本人は高度成長という経済的豊かさを享受し、浮足立って視野が狭くなっていたのではないだろうか。そして、大きな利得のためには、少数の人の犠牲は致し方ない、自然は破壊されても仕方ないという功利主義的な空気が当時の日本には醸成されていたのではなかろうか。そんな当時、著者が発展は社会全体で成し得るのだという思想の元に行動し続けたことは、社会に大きなプラスの作用を波及したと私は考える。なぜならば、私が幼い時に頻繁に聞いた光化学スモッグ警報も今は聞くこともなくなった、臭くて入れなかった近所の河川では今は子どもたちが水遊びをしている、水俣病をはじめとする四大公害のような事例も再発していない、これらの背景には、著者のような社会発展を全体で捉えた人たちの努力、苦闘があったからと思えてならないからだ。

次に、著者が公害の加害者側の構造を全体的に捉えていることについて述べる。この加害者側の構造とは、政府と企業、学術界の3者の結びつきが公害を激化させたという関係性のことである。私は、この3者の結びつき、助け合いを見抜き、喝破した点が公害問題においての本書、著者の特筆すべき点であり、重要な点だと考える。特筆と述べたのは、今回本書を読み終えた後にインターネットで日本の高度成長が生み出した公害について書かれた記事、資料、論文を色々と読んだが、それらは政府と企業の助け合いについては例外無しに指摘はあるが、それら2者と学術界の結びつきについての指摘は見あたらなかったからだ。例えば、本書でも参考図書の著者として紹介される宮本憲一氏(大阪市立大学と滋賀大学で名誉教授)が作成した資料、論文にさえも、大学の科学技術者の多くが加害者側に立った御用学者であったことへの言及はない。そして、著者の指摘が重要だと述べたのは、いくら政府と企業を叩き、批判しても、それら2者の内部にいる人たちの供給源である学術界を批判、改革しないのであれば焼け石に水のようなものだと思うからだ。その点、著者が加害者側の構造を全体的に捉え、その要諦の一角である学術界の確固たる中心地である東大の中で、東大教員である著者が公害原論を学生、研究者、一般市民に伝えたことの意味、影響は大きかったと私は思うのだ。そのことについては、2006年に著者が逝去した際の各マスコミの訃報、関係者の偲びの中で著者の功績を讃えるコメントの数の多さが物語っている。

最後に、本書から学んだ物事を全体的に捉えることの重要性は、現在の日本でも変わらないことについて述べる。昨今の日本の社会を見渡して、政府や企業、学術界、そして多くの国民が木を見て森を見ずの状態にあるのではと思うのが、2年前からのコロナ対策と昨今の急激な円安対策についてである。2つの対策に共通するのは、政府が打ち出している経済活性化を図るための国債発行と財政出動である。私には、それが政府による企業や国民の前に、経済的な利得というニンジンのぶら下げて、結果として政党支持の拡大の図るという目論見に映るのだ。そして、そして国民や企業も政府の経済政策をあてにする、そして学術界からは政府の御用学者がマスコミに登場し政府の経済政策を擁護する。この状況は、日本が高度成長期だった当時の、日本社会が現在という部分しか見ずに、未来を含めた日本の全体を見ていないという状況に酷似しているように思うのだ。なぜならば、国債発行による借金を返済し帳尻合わせを強いられるのは、未来の国民に他ならないにということに然程関心が向いていない、もしくは気づいてもいないように映るからだ。そんな世の中の風潮に、流されることなく、しっかりと自身で情報や知識を収集し、分析して、部分に囚われることなく、全体を捉えながら考え、行動を起こさなくてはいけないと本書を読み終えて私は思ったのだ。


~終わり~
投稿者 mkse22 日時 
「公害原論」を読んで

本書は、著者の夜間自主講座の講義録である。「夜間自主」講座と呼ばれている通り、この講座は大学が認めた正式な講座ではなく、著者が自主的に開催したものである。講義では、公害の発生原因を特定するまでの経緯やその関係者(加害者や被害者など)の当時の対応について詳細に分析されている。その分析結果から導かれる経験則を宇井の諸原則としてまとめられている。
宇井の諸原則には、「起承転結の四段階」「公害には第3者はいない」「相乗平均の原理」「縦と横の原理」などがあるが、私がもっとも印象に残ったのは『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理で、この原理は特に公害以外にも適用可能だと感じたからだ。そこで、別の例を通じて、この原理を詳細に考察してみたい。

この原理を読んだとき、頭に思い浮かんだのは、コンビニの張り紙である。その張り紙には「家庭ごみの持ち込みはご遠慮します」と記載されていた。家庭ごみをコンビニのごみ箱に捨てていく利用者がおり、そのことについてコンビニ経営者が困惑していることが背景にある。この事例では、加害者は家庭ごみを捨てていくコンビニ利用者で、被害者はコンビニの経営者である。

加害者の行動から推測するに、彼らは家庭ごみをごみ箱に捨てるのであればどこでも問題ないと考えているようだ。そもそも、家庭ごみは、自治体の指定した場所に捨てることが原則だ。ごみ処理は現在の居住地を管轄する自治体から提供される行政サービスの1つであり、それらを利用するためには、受益者負担の原則から、利用者がごみ処理の費用を負担する必要がある。通常、その費用は住民税の一部として管轄の自治体に納付しているため、自治体の指定した場所以外に家庭ごみを捨てることは対価を支払わずに行政サービスを利用することになり、NGである。したがって、家庭ごみは所定の場所以外に捨てることは許されないのだが、このことを加害者は認識できていないようだ。

被害者にとって、ごみ箱に家庭ごみを投入されることは想定していないことだ。コンビニのごみ箱は、商品購入後に不要となった部分をすてるために用意されたもので、このごみは事業系ごみに属する。事業系ごみと家庭ごみでは、ごみ処理の際に扱いが異なるため、混在させてしまうとその対応が難しくなってしまう。だから、張り紙で家庭ごみをいれないようにと注意喚起をしたわけだ。

このように考えると、加害者は、ごみ処理の全体の仕組みを把握しておらず、反対に被害者は、それをきちんと把握しているように見える。このことがから、本事例は『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理が当てはまるものといえる。

それでは、加害者はなぜごみ処理全体の仕組みを把握していなかったのだろうか。
その理由のひとつが、彼らが抽象度の異なる概念を混同した可能性があることだ。ごみには家庭ごみと事業系ごみの2種類が存在するのだが、かれらの中では「ごみ=家庭ごみ」と解釈してしまい「燃えるゴミ向けのごみ箱がコンビニにあるから、そこに捨てよう」といった感じで考えた可能性がある。「ごみ=家庭ごみ」と解釈することで、ごみの概念から事業系ごみが排除されてしまい、ごみ全体を把握できなくなってしまったわけだ。
もうひとつの理由は、加害者に損害がなかったことだ。「ごみ=家庭ごみ」と誤った解釈の下で行動して損害があれば、自らの勘違いに気づき行動を修正する機会があるのだが、損害がなければ、そのことに気づく機会が失われてしまう。
上記ふたつの理由から、加害者はごみ処理全体を把握できずに、誤った認識のもとに行動してしまったと思われる。

次に、なぜ被害者はごみ処理全体の仕組みを把握していたのだろうか。
その理由は実際に損害が発生し、ごみ処理全体の仕組みを理解する必要性があったからだ。彼らは自分の経営するコンビニのごみ箱に家庭ごみを投入されて、その処理費用を負担しなければならなくなった。これ以上の損害を防ぐためには、家庭ごみの持ち込みは違法行為であると加害者に説明することが必要で、その説明のためにはまずごみ処理全体の仕組みを説明する必要があったわけだ。

ここまでコンビニの張り紙の例を使って、『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理について検討した。カギとなるのは、抽象度の異なる概念の混同だ。この概念の混同をさせてしまった人が加害者となる可能性があり、被害者はその混同を解消するために全体を把握しようとする動機が生まれるわけだ。
ここでのポイントは加害者側には悪意がない点だ。被害者を苦しめるために行動しているわけではなく、彼らなりの根拠を持って行動した結果、被害者を生み出してしまった。
このことは、だれでも加害者となる可能性があることを示唆する。なぜなら、抽象度の異なる概念を混同させる可能性はだれでもあるからだ。
このことに気づいたとき、私が加害者にならないように気を付けるべく、身が引き締まる思いがした。
興味深い本を紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 str 日時 
公害原論

本書は半世紀も前に刊行されたとのことだが、その割に大きな違和感を然程感じなかったということは、“公害“つまり環境汚染、環境問題といったフレーズが聞き慣れたものになってしまっているからなのだろう。

リサイクル可能な素材やクリーンエネルギーが生み出され、プラスチック製品削減の動き、産廃の処理技術も向上し、当時に比べれば大分改善されてきているのかもしれない。しかし、個人レベルでも街中や道端に平然とゴミを廃棄できる人が存在する以上、産業発展や生活の利便性向上のため、環境汚染も必要悪であるという風潮が残り続け、また新たな対応に追われるというイタチごっこになりかねないと感じる。かつては水銀も薬として服用されていたなんて例もあるわけだから、現時点で“地球にやさしい”とか“環境に配慮した・・”といった類のものも、「実は有害でした」なんてことにならないとは言い切れないと思うのだ。

これから更に半世紀後を迎えても“公害”だとか“環境問題”なんてワードが現在進行形で残ることなく、過去のものとして扱われるようになっていて欲しいと願う。
 
投稿者 vastos2000 日時 
今回の課題図書を読み、なぜ原因がある程度絞り込めた後も公害を止められなかったのか、考えた。その回答として、個人よりも組織が優先されがちな日本の風土があると考えた。
公害を引き起こした企業の中にも、原因に気づいている人間はいただろうに、それらの人達が声を上げることは難しかったと思う。

水俣や富山も原因がどうやら工場から出る廃水にあるらしいという説が出てから改善されるまでに多くの時間と多数の犠牲を要した。公害の原因となった企業は工場の稼働を止めたくない。地域住民は廃水を垂れ流すのをやめてもらいたい。利害が対立する。
大きな工場を建設できるだけの企業は当然ながら大組織であることがほとんどだ。従業員の人数も多く、大きな組織と言える。それに対して住民は、住民運動でも起きない限りは個人である。一部の例外を除き、個人よりも組織の方が力が強い。そして日本人は個人よりも組織を重んじる傾向がある(ように私は感じている)。

公害の原因となる企業の従業員にも疑問に思う人はいたと思うが、公害全盛期は、今よりも転職が少なかった時代で、勤め先をクビになるあるいは閑職に追いやられるなどの事態におちいることは避けたいという心理が今よりも強く働いたことだろう。
企業だけでも大きな組織だが、さらに国・自治体が手を組んで、公害や工場誘致に反対する住民運動を押さえ込もうとしていたわけだ。各者の動機を考えると次のようなものだったのではないか。
企業は生産増が売上増につながるので、生産を続けたい。国も国力アップには工業化が欠かせないと考えていたので止めたくない。自治体は企業からの税収に加え、その企業の従業員が増えることで住民税等の税収増が見込めるから企業を支援する。
そんな思惑から国や企業は住民運動を押さえ込む手段として、自分たちにとって都合の良い考えを持っている「東京大学教授」といった権威を連れてきたのではないだろうか。

この手法はコロナ対策においても、似たものがあると感じた。感染防止策やワクチンに対する態度など、多くの研究者や学者がそれぞれの論(考え)を持っていたはずだが、テレビに登場する学者は偏りがあったように思う(私自身が記憶している情報も偏りはあるだろうが)。私が直接テレビ番組を見たわけでなくネットから得た情報だが、今まで散々感染爆発の恐怖を煽って、(その煽りが奏功したのか)予測を外しまくっている研究者がまた感染爆発するぞと警告している、と。国やテレビ局はどうしたいんだろう?
今はネットやSNSの普及で個人が情報発信できるようになったので、「みんなそう思っているのね」とは思わず、「反対のことを言ってる人も研究者の中にもいるんだな」とわかるが、ネットがなかった時代はそれこそ、高校教師などが勉強して対抗する他に反対手段(論拠)が無かったのでなかろうか。

おそらく、多くの人は大学教授は専門知識があり、正しいことを言うのだと思ってしまうのだろうけど、よくよく見たり聞いたり観察するとそうでもないし、新しい研究が先行する研究を否定することも珍しくはない。
そもそも大学教授にまでなるには、よほどの天才を除けば、何かを犠牲にして専門性を高める必要がある。その過程で専門バカが生まれてしまう。私の実感値としては、大学教員は人格者よりも、正確に問題がある人間のほうが多い。(そういう人が生き残りやすい業界なのだろう)
それゆえか、割とおだてに弱いタイプも多く、自分の研究成果や論文が受け入れられると思うとテレビなどの媒体にホイホイ出てってしまうのではなかろうか。

話が少々それてしまったので個人と組織に戻すと、教育現場もまた、今よりも集団や組織が重視されていたように思う。ここ10年くらいは「多様性・ダイバーシティ」など、個性の尊重といったことが言われているが、平成初期のころまでは、教育現場では同調圧力が高かった(「お前は協調性がない」と教師から言われることが多かった私の感想です)。
クラス単位や班単位で動くことが多かったように記憶しているが、授業中の生徒の発言においても、個性的な意見よりは、教科書に沿った意見のほうが教師は授業進行がラクだったことだろう。
おそらくは、高度成長期で工業人口が増えていた日本にとっては、教育水準の平均値からそう離れていない人材を大量に必要としていたのだろう。製造業のラインにとって、個性的な考えや行動は、組織を攪乱する要因となったであろうから。
最近の学校に関しては通信制や単位制の高校が増え、選択肢が増えたので、昔に比べればまだマシだろうが、今通っている学校から飛び出しても行き先がある状況だが、20年ほど前まではそうもいかなかった。子どもの頃にそのような同調圧力が高く、くわえて学校内での教師の権力が今よりも強い環境でそだってきた大多数の大人達は、自分が所属する組織に対して個人で対抗することは難しかったのではないだろうか。現在よりもはるかに個人が組織や集団のなかに溶け込み、埋没してしまっていたことと思う。

公害が発生した原因は環境意識の低さや、先行事例の少なさなども原因であると思うが、そのような組織(企業や自治体)の体質も状況が公害が発生してしまった原因の一つだと思う。

著者は自らも東京大学で働いていたが、同じ東京大学に所属していた教授に対して厳しく批難している。大学は(特に昭和の時代は)教授の権力は強大だったので、助手であった著者は東京大学での昇進の目が消えてしまったであろう。勇気と覚悟が必要だった行動だと思う。
こういったケースで私自身のことを思い返すと、最初の転職をした時は、自分(の会社)の都合で、取り扱っている商材とマッチしない人にも売り込まなければならなかった事に嫌気がさして転職を決心した。給料はそこそこ良かったが、ガマンすることができなくなった。深く考えずにやっていく道もあったかもしれないが、そこまでこだわる魅力がその企業にはなかったし、まだ若く転職してもなんとかなるとの思いもあった。この時は特に背負っているものがなく、しがらみもなかったのでそのような決断ができた。しかし、いま、自分が所属する組織が、誤っていると思われることをしているとき、「それはおかしいんじゃないですか」と声を上げることができるだろうか?場合によっては大きな覚悟が必要になるが、そんな時も、少なくとも誤っていることに加担せずにすむよう、思考停止に陥らないよう心がけたい。
投稿者 kodaihasu12 日時 
・日本の公害について
日本は公害が起こりやすい環境にある。現在の日本社会は村八分を恐れる集団社会であり、独立革命を市民が成し遂げたフランスであったり、戦時中に教授が銃殺刑になっても学びたい者が絶えないから、大学近くの近隣住民宅に講義室があるワルシャワ大学(ポーランド)のような個々人が自己を貫こうとする文化がない。
一見、まとまりのあるように見える。良くも悪くも全体主義的な行動により、統制の取れた組織的な活動ができているようで、実は不満や反発を抱えながら、しぶしぶ従っている者もいるため、我慢が爆発した際に分派したり、反対派から賛成派に鞍替えしたりする。
一方で、恩や義理を重んじるため、お金で解決することより、一杯奢ってもらったことで考え方を変えたりする方が抵抗感がない。
従って、懐柔する側としては、大学教授が理論的に説明したり、賠償額の提示をしたりするよりも、労働争議の時のように、膝詰めで酒を酌み交わして直談判の方が効果的である。

・被害を告発するという社会的影響力の怖さ
何事にも軽々しく問題提起することへの怖さがある。告発内容が誤ったものであった場合、損害賠償請求されたり、公権力などからの圧力を受けるかもしれない。また、自身が加害者側に雇われていたり、恩義を感じている場合、草の根レベルであっても、裏切るという感覚を持ち、事の重大性は認識しつつも、外に対して一歩踏み出す勇気を持つことは難しい。
また、特定支持層系からの発言だと、真意がどこにあるのかについて疑念を払拭させなければならず、すぐには提起できない。
或いは、工場も垂れ流し方向を変えたり、海に流れ出す場合政府が補償する例は少ないといった、過去の事例や海外の事例などにより、勝ち組となる可能性を持たずして、告発に踏み切ることは無意味であり、丹念に調べてから行動に移す必要があるため、十分な調査が求められる。

・大学から公害を見る
大学教授は研究分野の成果を出すことが本来業務であり、公害というジャンルを鑑みるに、環境学の観点から汚染水が人体に被害を与えるのか、或いは化学の観点から経済の発展や効率的な化学肥料の生産のために水銀を使用するといった特定分野に特化した考え方を持つ。その上で、その考え方は現在でいうところのコンプライアンスやSDGsに照らし合わせて問題ないか、社会規範や他の分野に悪影響を与えていないか検討する。
また、成分の研究も教授の意向などに流されて誤った見解も出る。水俣病の対応時には、高度経済成長期による地元経済の発展などの影響もあり、すみやかな問題解決に至らなかった社会的な問題がある。

・被害者から公害を見る
被害者が加害者責任を立証していくには証拠が必要なため、水俣病のような理解分野の証拠集めは、漁業を営む人々にとっては困難であり、弁護士や専門分野の研究者が必要となり、費用を捻出しなければならないが、会社のような組織系統ではない複数の寄合が意見をまとめていくことは、考え方の違いもあり、容易ではない。この点において、企業への被害救済を求めていく運動は相当な困難である。現代のようにTwitterをバズらせるといったインターネット社会で世論を味方につけることができれば、政府や企業の行動にも制約がつけられるが、当時では草の根的な活動しかできなかった。
さらに、伝染病であると思われたことによる差別、地元への誘致企業としてチッソを歓迎していた市民から患者への差別を受け、人間は貧しいところへ放り込んで差別されれば、いかようにでも卑劣になり得る(本著P180)ように、本来持っていた豊かな人間性そのものを破壊されてしまった過酷な生き方を強いられることになる。

・まとめ
公害というものが日本でなぜ起きたのか、起こった後どうなっていったのか、加害者側と被害者側のそれぞれの論点・問題点、明治時代など過去の公害の歴史や海外での対応などの講義内容が丁寧にまとめられている。
投稿者 beautifulseason 日時 
厚さ5㎝程の本書が手元に届いた時、正直読めるだろうか・・・と一瞬ひるんだ。
しかし、いざ読み始めると、実際に宇井先生の講義を聴講しているような臨場感を感じた。
公害に関しての知識は教科書レベルでしかもうろ覚えであったので、改めて本書から公害発生の経緯や当時の社会状況を知るにつれ、自分の公害に対する知見の浅さに恥ずかしくなった。

子供の頃、授業で習った公害の被害。なぜ、こんなことが起こるのだろう。どうして被害者は、被害に遭った上に貧困や差別と更に辛く苦しい目に遭うのだろう・・・そんな疑問を持っても、だからといって深く追求すること無く、大人になってしまった。
そんな今の自分に、宇井先生の言葉はグサグサと突き刺さってきた。
公害に対して、強い憤りを感じても、私はその背景を詳しく調べるとか、実際に何か行動を起こすことはしないままだったので、上っ面では無い、本気とは、どういうことかを教えられ、ぬるい人生を歩んできたことを思い知らされた。
また、当時、宇井先生のような方がいたことに衝撃を受けると同時に、時を超えて、宇井先生の言葉を読めることに、幸せと興奮を感じた。

本書の内容は膨大で、取り急ぎ一通り読めたというレベルの今の自分がアウトプット出来ることは、何だろう?

宇井先生が講義をされていた当時から、現在の社会では、強者と弱者の関係はあまり変わっていないのではないかと感じた。
自分が被害者で無ければ、社会の中に被害があることになかなか気付かない。
情報が当時より膨大になって、その中に埋もれ、隠れて行ってしまうのではないか。

そこで宇井先生の言葉を記憶に留めておこうと思った。

『公害はやはり被害者から出発しなければならない。自分が病気にかかったらどうするか。自分が公害にやられたらどうするか。そこから出発する。』

『一人でもやれる人間が多勢集まってきたら、これは強い。
ちゃんと自立するということ、それでも一人でもやるぞ、ということ。
なるべく中心を作らないで、やりたいことをとことんまでやるという原理だけにしておくと、意外に長持ちする。』

自分は自立した市民となっているか?到底なっていない。
本書から得たこの言葉を心の引き出しに入れて、思考と行動が出来る人間になりたいと思った。

日々、家事と仕事と目の前のことをとにかく、滞りなくこなす毎日の中で、深く読書の世界に潜り込んで、多くの聴講生の一人として、宇井先生の講義を受けている感覚を味わうことは、この上ない喜びでした。このような良書を教えて頂き、ありがとうございました。
 
投稿者 1992 日時 
日本の公害の気になった2点を挙げ、これに対して私自身がどう考え人生に活かしていくかを書いてみようと思う。


1つ目、日本の公害は経済発展とトレードオフであるということ。加えて、そのトレードオフのメリット部分の恩恵を受けているのは企業のような加害者だけでなく、影響の受けていない近隣地域住民や日本国民含め第三者も少なからず恩恵を受けているということ。

「公害のタレ流しのためにコスト低下、あるいは過少投資で生産ができた」(P28 Ⅰ 一般的状況)
当時、並ぶはずのないパルプ産業上位6カ国に日本がランクインし、また、戦後日本の製鉄業が早く復興しかつ近代化できたのは諸外国に比べて低コストでの製造ができたからとの記載があります。
この基幹産業の発展が高度成長期につながり、日本が経済的に豊かになっていった要因だと思われます。
水俣病が発生した水俣市もこれと同様に、産業があったおかげで仕事が創出され、人口が増加し、経済的に豊かになった。しだいにパルプ産業が経済的豊かさには欠かせないものとなったことは想像ができます。
 
公害の対策、規制強化や補償を十分におこなうことは、パルプ産業の縮小や競合である諸外国とのパワーバランスの減少を意味するのではないでしょうか?規制を強化することは後々の高度成長期の豊かさの低減や時期の短縮につながったのではと私は想像しました。そしてこれは、日本全体の経済に大きく影響し、日本が先進国として発展してきた欠かせない要因の1つだと考えます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              豊かさの要因の一つでもあると考えます。資本主義で豊かになった反面、虐げられた人々もいるという構図は、以前の課題図書に資本主義と奴隷制がありましたが、これと似た構図があるように思えます。


2つ目、情報や知識を幅広く集め偏らず判断をして大多数に発信する必要があるということ。
本書を読むと当時の被害者や団体が政府や企業のレトリックな言い逃れに対し、科学的な知識で反論できなかった様子がうかがえた。そして、病気により差別され奇妙な目で見られることから、逃れるために、不十分な補償金で示談をせずにはいられなかった人々がいたと読み取れた。

当時の状況を想像し、なにができるだろうと私は想像したがベターな解決策が思いつかなかったです。
身体に激痛がはしる状況下ではなにも手の施しようがないように思えます。

しかし、現代であればインターネットやSNSなどで大多数の人々に発信をすることで問題の周知が当時よりスピーディーで簡単にできます。これにより、世論を味方にすることだって当時より難しくない。科学的知識もインターネットで調べられるし、アマゾンで専門書も注文できる。クラウドファンディングで当面の活動費用を賄える可能性もあります。政治家や企業と癒着していない専門家も見つけられるかもしれない。

公害は住む場所で影響を受けるので、住む場所を越えた様々な場所に住む方々が属するオンラインコミュニティー(FB塾生ページのような)に属し、アドバイスや手を借りることがすぐできる状況をもっておくというのもリスクヘッジになるのかもしれない。



最後に、「新しい産業の発生、産業構造の変化によって新しい公害はうまれる」と著者は言う。電力関係の問題を調べると、原発の核廃棄物処理や廃炉問題、マンガンやコバルトが含まれるEVバッテリーの廃棄問題、山に巨大なメガソーラーを敷設による土砂崩れの誘因問題など。私自身がそれぞれの問題や現状を全て詳しく把握はしていないが、著者のその言葉には信憑性があり、現代でも新しい公害が発生する芽はたくさんありそうである。そして、新しい産業から受ける恩恵が拡大することで、公害の芽が大きく育ち、誰もが新たな公害の被害者または参加者になる可能性を存分に秘めていることが想像できる。トレードオフという観点から考えると、公害のような物理的な被害だけでなく、現在の社会保障制度による構造では、現勤労世代の負担を支柱とした後期高齢者への優遇措置があります。制度から生み出されたメリットを享受する人々がある半面、悲鳴をあげる人々が多数いるのも確実です。これはある意味、制度的な公害かもしれません。

現代に生きる上では、経済の発展や科学の恩恵を受けること=自然破壊や見えない人々の悲鳴が存在しているように思えます。ならば、得たもの以上に世界になにかを与え返していくような行動をとっていくことが求められるものではないかと日々考えています。
 
投稿者 H.J 日時 
まず、本書を読む前の”公害”のイメージは「そういえば、水俣病って学生時代の社会の授業で出てきたなぁ。あの時に聞いたワードだな。」ぐらいであった。
まだ私の生まれる前に起きた出来事であり、率直に言えば時系列が異なる遠い話、完全に他人事なのである。
であるから、本書を書店で初めて見た時には思わず戸惑った。
公害というテーマでこの厚み、テーマもテーマだけに理解できるかという不安もあった。
しかし、読んでみると冒頭のレベルの私でも多少は理解できるほどの丁寧な解説だった。
当時、日の目もあたらない公害の研究に歳月をかけた著者の熱量を感じた。

そんな中で私が思ったことは、”公害=悪とは言いきれない”である。
公害は技術発展による代償であり、公害の無視により安く供給ができている側面もあるからだ。
著者によると公害の要因は下請けに安く請負させるための条件付け(予算)が公害の一因になってる。
例えば、自動車も部品調達の際に価格競争を行い、安値で生産することで庶民の手の届く価格で供給を可能にしている。
我々一般人もその恩恵を少なからず受けることで生活が豊かになり、悪い言い方になるが公害を無視したからこそ生計を立てられてる人々もいる。
そう言った意味で公害を悪と言うにはあまりに説得力に欠ける。
公害とは少し離れるが、最近の話でも似たことが言える事象がある。
SDGsである。持続可能な社会を目指すということでCO2排出量削減を掲げている一方で、船や飛行機のCO2排出量の多さに大きな声が上がることは少ない。
結局、船や飛行機などによる輸送によって生活が豊かになっているため、見て見ぬフリをしてしまうのである。
そう考えると、著者の言う『多勢に無勢、あるいは自分の方もだれてしまいまして、教わった通りに学生に教えるというふうなことをやります。それをその通りにやっているのがいまの昭和電工の技術者の証言です。「俺の専門はこれである。そんなことは誰かがちゃんとやってくれるから俺は知らない。水俣病と関係ない。言われたことだけをちゃんとやればよろしい」と。(公害言論ⅢのP222-223)』の様に流されてしまうことを否定できない。
悪い側面も認識しつつ、その恩恵を受けている状態、どうしようもできない現状で楽な方向に無思考で流されていく。第三者の立場でいれば少しは気が楽だろう。
そして、これこそが『差別現象に、自分は第三者である、ということは加害者として働くことである。(公害言論ⅢのP224)』の通り、第三者意識の加害者化に繋がる様に感じる。
なぜならば、見て見ぬフリして自分の立場や生活を守り、本気で被害者に寄り添うことをしない。あるいは見ているだけ。こうして被害者が犠牲者になり、知らず知らず他人の犠牲の上に成り立った豊かな生活を過ごす。

では、この様な実情を変えるにはどうすればよいのか。
正直答えは出てない。
ただ、その答えに近づくためには、本書の様な本を読んで知識を手に入れ、問題解決のために当事者意識を持って考える。ということが第一歩である様に感じる。
多勢に無勢の状況に強い意志を持って、問題解決へと進むことが大切な様に感じた。