投稿者 mkse22 日時 2022年10月31日
「公害原論」を読んで
本書は、著者の夜間自主講座の講義録である。「夜間自主」講座と呼ばれている通り、この講座は大学が認めた正式な講座ではなく、著者が自主的に開催したものである。講義では、公害の発生原因を特定するまでの経緯やその関係者(加害者や被害者など)の当時の対応について詳細に分析されている。その分析結果から導かれる経験則を宇井の諸原則としてまとめられている。
宇井の諸原則には、「起承転結の四段階」「公害には第3者はいない」「相乗平均の原理」「縦と横の原理」などがあるが、私がもっとも印象に残ったのは『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理で、この原理は特に公害以外にも適用可能だと感じたからだ。そこで、別の例を通じて、この原理を詳細に考察してみたい。
この原理を読んだとき、頭に思い浮かんだのは、コンビニの張り紙である。その張り紙には「家庭ごみの持ち込みはご遠慮します」と記載されていた。家庭ごみをコンビニのごみ箱に捨てていく利用者がおり、そのことについてコンビニ経営者が困惑していることが背景にある。この事例では、加害者は家庭ごみを捨てていくコンビニ利用者で、被害者はコンビニの経営者である。
加害者の行動から推測するに、彼らは家庭ごみをごみ箱に捨てるのであればどこでも問題ないと考えているようだ。そもそも、家庭ごみは、自治体の指定した場所に捨てることが原則だ。ごみ処理は現在の居住地を管轄する自治体から提供される行政サービスの1つであり、それらを利用するためには、受益者負担の原則から、利用者がごみ処理の費用を負担する必要がある。通常、その費用は住民税の一部として管轄の自治体に納付しているため、自治体の指定した場所以外に家庭ごみを捨てることは対価を支払わずに行政サービスを利用することになり、NGである。したがって、家庭ごみは所定の場所以外に捨てることは許されないのだが、このことを加害者は認識できていないようだ。
被害者にとって、ごみ箱に家庭ごみを投入されることは想定していないことだ。コンビニのごみ箱は、商品購入後に不要となった部分をすてるために用意されたもので、このごみは事業系ごみに属する。事業系ごみと家庭ごみでは、ごみ処理の際に扱いが異なるため、混在させてしまうとその対応が難しくなってしまう。だから、張り紙で家庭ごみをいれないようにと注意喚起をしたわけだ。
このように考えると、加害者は、ごみ処理の全体の仕組みを把握しておらず、反対に被害者は、それをきちんと把握しているように見える。このことがから、本事例は『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理が当てはまるものといえる。
それでは、加害者はなぜごみ処理全体の仕組みを把握していなかったのだろうか。
その理由のひとつが、彼らが抽象度の異なる概念を混同した可能性があることだ。ごみには家庭ごみと事業系ごみの2種類が存在するのだが、かれらの中では「ごみ=家庭ごみ」と解釈してしまい「燃えるゴミ向けのごみ箱がコンビニにあるから、そこに捨てよう」といった感じで考えた可能性がある。「ごみ=家庭ごみ」と解釈することで、ごみの概念から事業系ごみが排除されてしまい、ごみ全体を把握できなくなってしまったわけだ。
もうひとつの理由は、加害者に損害がなかったことだ。「ごみ=家庭ごみ」と誤った解釈の下で行動して損害があれば、自らの勘違いに気づき行動を修正する機会があるのだが、損害がなければ、そのことに気づく機会が失われてしまう。
上記ふたつの理由から、加害者はごみ処理全体を把握できずに、誤った認識のもとに行動してしまったと思われる。
次に、なぜ被害者はごみ処理全体の仕組みを把握していたのだろうか。
その理由は実際に損害が発生し、ごみ処理全体の仕組みを理解する必要性があったからだ。彼らは自分の経営するコンビニのごみ箱に家庭ごみを投入されて、その処理費用を負担しなければならなくなった。これ以上の損害を防ぐためには、家庭ごみの持ち込みは違法行為であると加害者に説明することが必要で、その説明のためにはまずごみ処理全体の仕組みを説明する必要があったわけだ。
ここまでコンビニの張り紙の例を使って、『被害者の認識は総体である。加害者の認識は部分である(P223)』の原理について検討した。カギとなるのは、抽象度の異なる概念の混同だ。この概念の混同をさせてしまった人が加害者となる可能性があり、被害者はその混同を解消するために全体を把握しようとする動機が生まれるわけだ。
ここでのポイントは加害者側には悪意がない点だ。被害者を苦しめるために行動しているわけではなく、彼らなりの根拠を持って行動した結果、被害者を生み出してしまった。
このことは、だれでも加害者となる可能性があることを示唆する。なぜなら、抽象度の異なる概念を混同させる可能性はだれでもあるからだ。
このことに気づいたとき、私が加害者にならないように気を付けるべく、身が引き締まる思いがした。
興味深い本を紹介いただきありがとうございました。