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第108回目(2020年4月)の課題本


4月課題図書

 

シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成


ずいぶん昔に、GDPが中国に抜かれて世界第3位になったわけですが、実はあれから日本は

世界の主要国ランキングをズルズルと下り続けておりまして、今や中の上ですらないとい

う状態なんです。そんなヒドい状況を認識せずに、日本の良いところばかりを強調する右

寄りの人と、相も変わらず日本の過去をディスり続ける左寄りの人が混在し、そのため

 

 

  ● 今の日本って、正確なところはどうなってるんだっけ?

 

 

という正しいモノサシを持つことが、私のような人間でも困難になっているんですね。そ

こで見つけた本がこれ。とにかく膨大なデータと、そこから読み解ける冷厳たる現状解説

に圧倒されること、間違いありません。そして落ちぶれつつある日本が、これからも世界

の主要国で居続けるために(その地位を再度取り戻すために)、我々が何をするべきかが

語られます。

 

ここで語られることを、政治家の仕事だとか、エライヤツがやれば良いとか、オレには関

係ないって国民の大多数が考え続けたから、日本はここまで落ちぶれたのだということを、

我々は認識すべきです。そして本書で語られる、これからの日本人が身に付けるべきスキ

ル、能力は、私が日頃セミナーやこのメールマガジンで書いていることとかなり被ってい

ます。それが何かを再確認して欲しいと思います。

  

後半に書かれる日本のお寒い現状には、目を覆いたくなる切ないファクトがたくさん出て

来ますが、これを読んで自分が政治家ならどうするか?を考えるべきだと思うんですよ。

お子さんがいる人は、子供の将来をイメージしつつ読んで欲しいと思います。

 【しょ~おんコメント】

4月優秀賞

 

今月は残念なことに、優秀賞、一次審査ともに該当者はありませんでした。

来月のみなさんの奮起に期待します。

 

【頂いたコメント】

投稿者 masa3843 日時 
本書は、ヤフーのCSOでありながら慶應義塾大学SFCで教鞭をとり、政府会議の委員も務める著者が、様々なファクトから日本の現状を分析したうえで、未来への希望について記した本です。

正直に言って、中盤から後半にかけて記されていた日本の厳しい状況に、切ない気持ちになりました。
特に、第5章で説明されている科学技術予算や大学への投資金額の少なさについては、意思決定者である政府が覚悟を決めて決断さえすれば、すぐにでも変えられるものではないかと歯痒い気持ちになりました。

本書の中で印象的だったのは、日本が新しい未来を切り開いてくために、著者がその重要性を指摘している「問いを立てる力」と「妄想力」です。

第1章のP58では、企業価値の源泉が、ハード軸を中心とした世界から情報・新技術をベースにした虚数軸をかけ合わせた世界に移行しているとしたうえで、その新しい世界で必要なものについて、著者はこう述べています。
「こんな課題を解きたい、こんな世界を生み出したい、そういう気持ちなしで、手なり以外の未来など生まれる理由がない。」(P59)
ちなみに、P112では、「手なりでこれからもある程度以上に豊かな国でいられ続けるのか」という問いに対して明確に「No」と答えており、ただ漫然と今のままの国家運営を続けていけば、明るい未来はないと断言しています。

また、第2章では、日本の勝ち筋として、デジタル革新を起こすための「AI-ready化」が前提条件として必要だとしたうえで、そこに多様な人々の想像力と創造力が先進的なSociety5.0を作り出すと語っています。
加えて、日本は幼少期から妄想力を英才教育している国だと指摘し、他国に比べて優位性があるとも強調しています。

それでは、なぜ新しい日本の未来を作るために、「問いを立てる力」と「妄想力」が重要になるのでしょうか。
私が注目したのは、P391で語られている課題解決の2つの型です。

1つは、あるべき姿が明確なタイプの課題解決。
もう1つが、あるべき姿から定めるタイプの課題解決。

前者の「ギャップフィル型の課題解決」は、原因が特定できれば体系的な知識と論理的な整理で答えを導き出すことができます。

後者の「ビジョン設定型の課題解決」は、ゴールの見極めからスタートしなければならず、かつどうなるべきか見えたとしても、どのようにしたらそこにたどり着けるか、明確な答えも簡単には見つからない種類のものです。
著者は、この「ビジョン設定型の課題解決」こそ、データ×AI時代において人間に求められる真の課題解決だと言います。
なぜでしょうか。
AI時代には、前者のような知識と論理で解決できる課題は、人間の解くべき課題ではなくなるからです。

どのような領域で問題解決すべきか考え(=問いを立てて)、魅力的なビジョンを設定(=妄想)する。
そして、そんな魅力的なビジョンに向けて、知識や論理を超えてたどり着こうと試行錯誤する。
これからの時代に求められる人間の役割はここにあるのだと感じ、こうした役割を担えない人材は、下流以下に落ちてしまうと危機感を持ちました。


著者自身は、未来に向けて生み出したい世界のために、「都市集中型の未来に対するオルタナティブ」という問いと、「風の谷」というビジョン・妄想を設定しています。
このビジョンは、私自身が日頃感じている漠然とした不安感に対する、魅力的な答えの1つであるように感じました。
著者の周りでも、多くの人がこの妄想に共感し、1つのムーブメントが起きつつあるようです。

このような魅力的な問いやビジョンを設定するために、私たちは何をすればよいのでしょうか。

著者は、自分が何をやりたいのか深く考える時間の中で、雷に打たれたように「風の谷」構想を思い付いています。
また、前著『イシューからはじめよ』の中で、著者はこんなことを述べています。
「『何らかの問題を本当に解決しなければならない』という局面で、論理だけでなく、それまでの背景や状況も踏まえ、『見極めるべきは何か』『ケリをつけるべきは何か』を自分の目と耳と頭を頼りにして、自力で、あるいはチームで見つけていく。この経験を一つひとつ繰り返し、身に着けていく以外の方法はないのだ。」

自分自身の目と耳と頭、全ての感覚を総動員して、答えのない課題に立ち向かうこと。
そして、そうした経験を積み重ね続けること。
こうした姿勢が、論理や知識を超えた能力を研ぎ澄ますことになるのかもしれません。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
投稿者 tajihiro 日時 
安宅和人の「シン・ニホン~AI×データ時代における日本の再生と人材育成」を読んで

 安宅和人の「シン・ニホン~AI×データ時代における日本の再生と人材育成」を読んで、私なりに考えたことを以下にまとめてみたいと思う。まず、「シン・ニホン」のテーマを一言で申し上げるならば、帯の『この国は、もう一度立ち上がれる』、P131の『この国は、スクラップ&ビルドでのし上がってきた。今度も立ち上がれる』と考える。

 さて、本著には『新しい問いを立てられるかは明らかに僕らにかかっている』(P174)とある。私も自分なりに問いを立てながら、最後に私自身が目指すべきゴールが何なのか、どこにあるのかを今回の課題図書を通じて明確にしていきたい。

 まず、最初の問いは「日本は、どうやったら立ち上がるれのか?」だ。その解を導き出すためには、まず、日本という国、そして日本人の現状の把握、分析が必要となるはずだ。著書の2章では、その日本の立ち位置のヤバさについて記載されている。すると、のっけから厳しい言葉で『一人負けを続けた15年間』(P68)とあるのが分かる。P71の図2-3bを見れば明らかだ。先進国G7で唯一日本だけが、対1993年比で1.5を下回る1.10である。それ以外は、アメリカの2.37を筆頭に他6か国も1.8を超えている。日本は1.5を超えることすらできていない。一人負けであることを認めざるを得ない。では、なぜ日本は15年間も一人負けを続けたのか?『「当たり前」のことをやるべきときが来ている』(P76)とある通り、単にやるべきことをやっていないだけ、からだった。他に、65歳以上の熟年労働者の扱いをおざなりにしていること、科学技術の衰退、データ×AIの意識の低さ、データ×AIのエンジニアと専門家の不足についての記載などもあるが、いずれも、やるべきことをやっていないことの結果とも言えるだろう。

 「やるべきことをやっていない」ことは分かった。ちなみに「やるべきことをやっていない」には、さらに、次の2つの派生的捉え方ができる。「やっていない→もう希望もない」と「やっていない→しかし立ち直れる、希望はある」だ。著者は今後の日本における希望の有無について『まったくそうではない』(P113)と述べている。

 となると、次は、著者が、なぜ「立ち直れると言える、希望はあると言える」と考えている理由だ。過去があって、今があって、未来がこうなって、だから希望がある、というふうに考えなければならないからだ。ここで、過去の日本がどうだったのかを振り返らねばならない。著者は産業革命をベースに第1フェーズ~第3フェーズで区分けしている。第1フェーズは1750年~1900年、第2フェーズは1900年~1960年、第3フェーズは1990年~と定義づけている。さらに、データ×AI化における産業を「新産業革命」と命名するとすれば、第1フェーズ(データ×AI化の進展)は~2025年、第2フェーズ(データ×AI化の二次的応用)は2025年~2035年、第3フェーズ(インテリジェンスネット化)は2035年~で区分けしている。著者は、日本という国は、産業革命において、フェーズ1をやらずに、『フェーズ2、フェーズ3の勝者』(P115)になったとし、その後、「新産業革命」でのフェーズ1では『大幅に出遅れてしまった』(P116)と分析し、現状の日本は『データ×AIの3条件で大敗』(P148)と記述している。

 かなりアバウトではあるが、現状の日本が「データ×AI」において『大幅に出遅れてしまった』ことは分かった。次に明確にすべきは、日本人が(著者に言わせると)『まったくそうではない』というだけの根拠、つまり「希望はあると言える」だけの根拠、そして「日本の勝ち筋はじゃ、何なのか?」であり、別の言い方をすれば「日本の強みは何なのか?」だ。著者によると、4つあると言っており『妄想力』(P130)『キャッチアップのスピード』(P132)『若い才能を信じ、託す力』(P133)『全体としての美しいものを作り上げる力』(P134)を挙げている。そして、最終的に『夢を描く力とそれを形に力としての技術とデザイン力』(P144)と結論づけている。

 ところで『夢を描く力とそれを形に力としての技術とデザイン力』とは何であろうか?これこそ、P61の図1-14の『課題(夢)×技術(Tech)×デザイン(Art)』であり『未来(商品・サービス)』に他ならない。日本の強み、勝ち筋は、2025年以降における「(第2フェーズ、第3フェーズの)未来」でもあるのだ。

 さて、冒頭の問いである「日本は、どうやったら立ち上がるれのか?」に戻る。「どうやったら立ち上がるれのか?」であるが、これこそ、日本の強みを把握し、日本のお家芸を活かせば、以前のフェーズ2、フェーズ3のときのような勝者に戻ることができる、と著者は考えているようだ。少なくとも著者は『日本のチャンスがかなりリアルに浮かぶ』(P136)と述べていることから、強みを活かすことが勝ち筋であることは間違いないと考えたい。ただ気をつけないといけないこともある。P136~P137にある『丁寧さ、これまで培った技術が勝負』などは、過去の成功法則であっても、今の成功法則にあてはまらないこと、現在(2020年)の状況で「どうやったら立ち上がるれのか」の正解には必ずしもならないことをしっかり認識しておく必要があるということだ。

 では、日本の強みを活かし、勝ち筋を実現するにはどうすればよいか?それが、3章のP146にある「(0)~(3)の箇条書き」であると著者は記述している。特に人的リソースにおいては『(2)いい人を採って、いい人を育て、維持する』(P146)、コスト(予算)と環境(場)においては『(3)リソースを適切に配分し運用する』(P146)が肝要であると述べている。さらに、(2)については「『異人』(P152)であること」、『人としての魅力の育成』(P156)、『経験から生まれる「知覚」』(P181)、そして『「知覚」の深さと豊かさ(=ある種の生命力、人間力)』(P204)を、3章と4章にてポイントとして掲げ、(3)については、5章で『若い人に投資する』(P312)、さらには『もう少し未来にリソースを寄せる』(P318)、具体的には、若い人への投資2超円超+若い人たちへの年金積立1.2兆円、計3.2兆円(内訳はP322~P323)を社会保障給付費120兆円のうち、その3%から振り向けることを提言している。

 ざっくりではあるが、日本は、どうやったら立ち上がるれのか?について私なりにまとめたのが、以上の通りである。

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 最後に、冒頭で掲げた、私自身が目指すべきゴールが何なのか、どこにあるのかを上記のまとめを踏まえ、明確にしたいと思う。

 まず「私の勤める会社は何をする会社なのか?」「自分の会社での役割、位置づけは?」を考えてみたい。何をする会社なのかについてであるが、自分の会社のビジネスモデルを簡潔に書くと「専門知識が必要とされてきた業務を自動化(データ×AIの活用)させるサービスを開発・提供」だ。で、自身の役割であるが、バックオフィスを統括する責任者として、将来、上場を目指すにあたって、経営基盤システム(ERP)を導入し、自社の従業員が自身の担当業務にだけ集中でき成果を出せる職場環境を用意し、新規事業・サービス拡大に備え、特に20代後半の、伸びしろ、ポテンシャルを秘めた人的リソースの調達(採用)を行うことだ。

 新型コロナウイルス感染拡大という近時の状況にも関わらず、役員、従業員全員がテレワークについて100%理解を示してもらい、働き方については改善できている、最低限の職場環境は調っている、と少なくとも私は考えている。よって、次の段階として考えるべきは、人的リソースであり、採用で、このご時世を踏まえ、どのような戦術(オンライン面接、オンライン面談、録画面談など)を採用すべきかを考えている。場合によっては『外部からの人材輸血』(P213)も念頭に入れないといけないだろう。一方で、どうすれば、20代~30代の既存従業員、これから入社するであろう従業員を、より『才能と情熱を解き放つ』(P208)ことができるような労務的な面における環境の用意かもしれない。すなわち、人を増やせばよいという問題ではないということだ。能力を資産として考えた場合、育成であったり、環境改善であっても人的なアセットは増やすことはできるからだ。問いと現在の状況次第では、取るべき戦略、戦術が変わることも意識するのは先に書いた通りである。

 エンジニアの仕事環境についてであるが、自社ではAWSというクラウド基盤を導入してスタートアップしているので、AWS全般に関する知見を深めてもらう意味でもAWSの資格取得を通じてクラウドの知識をさらに深めてもらい、フロントエンドにおいては、Vue.jsを、バックエンドにおいては、AWS Lambda、DynamoDB+Golangの知識と応用を醸成させる育成、研修の仕組み作りも急務になるはずだ。仕組み作りができれば、よりレベルの高い従業員の採用も実現し、従業員同士で互いに切磋琢磨させ、「Al-ready化」ガイドラインのレベル1を早急に卒業し、レベル2、そしてレベル3へ引き上げることもできるはずだ。

 最後に「自分自身は何をすべきか?」を考えてみる。まず、思いつくのは、P152にある『異人』を目指すこと、その中で、異人の定義は3種類あり、自分にできそうなものに限定すれば『自分が頼れるすごい人を知っている人』(P152)を目指すことになるだろうか。次に『「人としての魅力」の育成』(P156)を目指すことになるだろう。これは、呼吸法をはじめとする日々の修業が肝要となってくるだろう。併せて、P219にあるような『考える技術・書く技術』『ロジカル・シンキング』などを通じて、P218の図4-3の「But this」にあるような「思考・コミュニケーション」向上を図るべく、国語力を上げることもポイントになるだろう。先の課題図書「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」にもあるが『AIは意味を理解しているわけではありません』(P107)とあるように、コンピューターは計算機でしかないこと、逆に言えば、AIにできないことである「意味を理解できるようになること」、もっと言えば「読解力をつけること」、本著では、P194の図3-21にあるような『AIのボトルネック』の逆ができるようになること(例えば「知覚できるようになる」)がポイントになるはずだ。

 自身の役割、立場が間違ってもデータ×AIに取って代わられることがないよう、個人レベルでは、①呼吸法などの日々の修行を行い、②読解力をつけるべく読書を継続して行い、会社レベルでは、③「Al-ready化」ガイドラインのレベル2、レベル3、最終的にはレベル5を目指して、よりよい職場作りを図るということを自身の「目指すべきゴール」と設定し、課題図書としての思ったこと、考察したこと、としたい。

 非常に有益で価値のある本をご紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 
 2020年4月最終日。全世界がコロナウィルスの影響を受け、抜本的な社会の変化を迫られている中、私は我が国の対応に危機感と怒りを感じている。緊急事態が宣言されて一か月。テレワークにシフトした会社、オンライン授業に切り替えた公立の小中高の割合が、国内で5%に過ぎないというのだ。なぜ日本は、時代の変化への対応がこれほど遅いのか。

 その答えを本書『シン・二ホン』が見事に立証する。ここ20年で世界の産業は大きく変化した。それまで最も成功していたのは、車や石油など「物」を扱うビジネス。だが今や最大の富を生む企業は、データとAIを使い倒す企業に他ならない。(P.53)しかし悪い意味での年功序列が蔓延る日本では、年配の政治家たちがリアルタイムの変化に追いつけず、「過去の成功体験をいかにして再現するか」のフレームワークでしか思考できない有様だ。才能ある若者が面白い案を出したり、革新的なことをやろうとすると、年配の「じゃまオジ」達が阻止する悪循環が続き、このままでは日本は衰退すると筆者は厳しく警笛を鳴らす。(P.108)
 自分が「じゃまオバ」化せず、未来を担う若い世代に貢献できる道を考えた。

1.考えさせる授業
 英語塾の講師として、小・中学生に「間違ってもいいから、自分の頭で考えて自分の言葉で発表する」授業を徹底する。従来の教育は「知識の丸暗記」が主流だったが、それは高性能のAIに任せれば良い。機械にできず、人間だけができることは、答えのない命題に考えを巡らせること。先日私は「高校生の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの長所と短所を述べましょう。正解も不正解もありません。あなたの考えを話して」と中学生に問いかけた結果、活発な議論が交わされた。その後、自分の意見を「私は彼女を支持する/しない。理由は第1に~。第2に~。」の型で書いてもらった。このような、思考と言語表現の能力を高めてる訓練を重ねるしかないと思う。

 P.171のリベラルアーツの定義には目から鱗が落ちた。「教養」とは文学や歴史に通じることだと漠然と思っていたが、古代ギリシャでは、文法・修辞・論理学が三学と呼ばれ、「母国語で物を考え人に伝えられる」能力が最重要の知恵とされていた。それがあらゆる学問の基礎となるからだ。
一方、日本の母国語教育は「空気を読み、社会に出た時に角を立てずに生きる力を鍛える」のを目的とすると筆者が指摘(P.218)。厳しいが的確すぎる表現で衝撃を受けた。「まず結論。次に理由を述べる」というスピーチの型を、なぜ英語教師の私が小中学生に指南しているかというと、日本の子供達が国語の授業で、この訓練をやっていないのだ。(自分もやった覚えがない。)

 想定外の問題に直面した時、パニックにならず冷静に対応できる知恵を持つ人材を育てたい。人は言葉で思考する。言葉を磨くことは、良いアイディアを生む知恵に繋がる。英語教師として、思考に慣れる訓練を実現したい。

2.新しいものを「とりあえず」使う

 世界は激しいスピードで変わり続けている。私自身に新技術や新商品を開発することはできないが、ありがたく活用させてもらうことはできる。
 この本を読んだ後、今さらだが重い腰を上げ、スマホにPayPayをインストールした。結果、私生活と仕事で役に立った。また、週刊売上げトップ10に入る新しい本も積極的に読もうと決意して一週間で、仕事に役に立つ情報に出会った。
 P.184のグラフは「あるレベルを超えると、知識の増大が気づきにマイナスに働く」と示す。スティーブ・ジョブズの名言”Don’t settle.”(定着するな)の意味が初めて分かった。「慣れ」が人生を形骸化させ、新鮮な驚きを奪うのだ。「既存のもので十分」「前例に従えば良い」の考え方を捨て、新しいものを「とりあえず」使うというスタンスを持ちたい。

3.異質なものの融合

 アメリカの大学には複数専攻の学生が多いが、日本の大学では基本、一分野しか専攻できない。この指摘から「異質なものが融合し、革新的なアイディアが生まれるのでは」と思い当たった。例えば 
●異文化(海外の人と交流)
●他の年代
●異業種
など、普段会わない層の人と交流すると、面白い気付きが生まれる。この意味で、多くの卒業生が母校に寄付するアメリカの大学のシステムは、現役大学生と卒業生の良い繋がり、感謝のサイクルを築いている良い例だ。自分も今後、母校への寄付を決めた。

 また、6章で筆者が紹介した「風の谷」のアイディアは、科学と自然という、一見相反するものの融合を実現する。P.196で「知覚を鍛えるため、言葉・数値になっていない世界が大半であると受け入れるべき」と筆者は言う。確かに、人工的な世界に囲まれていると、人が世界の支配者だと思い傲慢になりがちだが、自然の中では、自然の美しさ・スケールの大きさに畏敬の念を持ち、未だ解明されていない神秘に好奇心を持ち、謙虚な心を持てる。その自然を保護するのが、人の創った科学という視点は、人類を建設的で前向きな方向へ進ませてくれる。

 このように『シンニホン』は大切な気付きをくれる良い本だったが、一つだけ疑問点を挙げる。
 筆者は『ドラえもん』に描かれた夢と創造性を絶賛している。だが、2014年にアメリカのテレビで放送開始されたアニメ”Doraemon”は、アメリカの子供達に全く受けていない。「ワンピーズ」や「ドラゴンボール」は大成功しているのと対照的だ。
(参考新聞記事: https://www.japantimes.co.jp/culture/2020/02/01/general/doraemon-50th-anniversary/#.Xqp9q2j7Q2w )

 『ドラえもん』がアメリカで売れない理由は「のび太が男なのに良くなくので好感が持てない、ドラえもんに頼ってばかりで独立心がない、人格の成長がない」など、のび太側の要因ばかりだ。ここから憶測されるのは、たとえ独創的な夢が描かれた優れたアニメでも、リーダーシップと強さを持ったヒーローが不在では、アメリカで受けないということだ。
 日本の漫画やアニメに描かれた夢は素晴らしい。だが、夢だけでは世界で勝負できないと考えざるを得ない。弱くても貪欲に吸収し、成長して這い上がる強さが、やがて共感を呼び世界を変えるだろう。「このままでは終わらない」と立ち上がる、そんな「シン・ニホン」の一員として自分も走り続けるつもりだ。
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、未来を形にするためには、勉強し知識を得て、他の人達と情報交流していくことが、今後はますます必要になっていくということを学びました。

本書で著者は、0から1を創造し未来を作り出すには、「未来(商品・サービス)=課題(夢)×技術(Tech)×デザイン(Art)」が必要になると書いています。

技術力ももちろん重要ですが、それだけではなく、新しい世界を生み出したい、というアイデアの素養と、イノベーションできるだけの幅広い知識が必要になります。

技術の進歩を、18世紀の産業革命から振り返ってみると、3つのフェーズに整理することができます。フェーズ1は、電気の発見や蒸気機関など、新しい技術やエネルギーが出てきた時代です。

フェーズ2は、この新しい技術が実用性を持つようになり、あらゆる分野に実装された段階になります。エンジンやモーターなども小さくなり、クルマやミシン等の電化製品が次々と生まれました。

フェーズ3は、この新しく生まれてきた機械や産業がつながり合い、航空システムのようなより複雑な、エコシステムが次々と生まれた段階です。通信回線、通信技術、通信端末がつながり合う、インターネットもこの段階で生まれています。

そして今は、データの産業革命フェーズ1の段階にあるのです。

データの産業革命フェーズ1では日本はアメリカと中国に出遅れました。しかし、新技術をいかに効果的に実装化するのかというフェーズ2においては、マンガやアニメなどが輸出産業として成長しています。

このような、創造するために必要なアイデアの素養は、日常生活の観察眼と、そこから得られた情報の考察で鍛えることができます。

例えば、田園に点在している民家を単なる「家」と見るのか、観光資源として保護すべき、文化的伝統居住区域と捉えるのか、民家内部の構造や意匠、使用されている材質から得られる情報から、更に考察しようとするのか、ただ目で見ているだけよりも、知識を前提として見て、触れるという方がはるかに得られる情報量は多いのです。

しかし、素養がないとどこを見るべきなのか、どう理解すべきなのかは分からなくなります。

本書に書かれているAIや、データ分析、ハイテク技術も見えないものですが、それを理解し、自分の道具として使う人になるためには、それを使える知識が必要になるのです。

未来を創造するために必要なイノベーションとは、別々の何かと何かの組み合わせで、作られているものです。

それぞれには、どのような特性があるのか、どの部分とどの部分に組み合わせられる要素があるのか、を考えられる知識と、多面的に理解できる素養がないと、イノベーションすることはできないのです。

一人だけで考えることは難しいでしょうが、様々な知識を持った人達が集まり、どのような未来にしたいのかという意志を持ち、知恵を出し合えば、未来を創造することができます。

より多くの未来を考える視点を作っていくためにも、これからは自分自身も含めた一人一人が、よく見て、よく考えて、行動することが重要になると考えました。
 
投稿者 charonao 日時 
 本書を読んで、日本がAIなどの新技術領域で遅れを取っている事は、近年の中国のIT技術の進化と比較し認識はしていましたが、本書に掲載している各種データより、様々な角度から明確にされている事で、思っていた以上にしんどい局面であることを痛感しました。

 それでも筆者は、このしんどい局面から新技術領域で米・中に追いつく為、様々な解決法を記載しています。過去の出来事から日本の勝ち筋、強みが纏められており、この局面をただ悲観するだけではなく、日本が充分まだAI先進国に追いつけるポテンシャルを秘めている事を認識させてくれました。

 まず本書を読み終えて一番印象に残ったのは、人材育成について記載しているボリュームが多い点です。
 様々な面においてのスキル再生について記載されていますが、世の中を本質的に刷新したと言える人たちは、30代前半までに挑戦の開始が集中していると書かれている点から、若者の育成を特に重要視していると感じました。

 それでは若者を育成する上で、特に重要視しなければならない事は何か。それは国語力の強化と考えます。
 筆者は現状の国語の教育について、P218『本来的な意味の基礎となるコミュニケーションスキル・思考能力を鍛える場になっていない』と書かれている通り、否定的に考えています。

 また、P170『表現力と論理力はすべての学問の基礎だ。この基礎的な考え方、コミュニケーション能力を身につけた上で、サイエンスを学ぶ』ともあるように、そもそも国語ができないと、他の学問を学ぶための入り口にすら立つことができないのです。

 この点に関しては、新井紀子著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」にて、日本の中高生の読解力が危機的状況であると記載していた事を思い出しました。そもそもコミュニケーションスキル・思考能力を鍛える前提として、まずは読解力が必要です。
 そもそも読解力がないと、例えば本書に掲載されている各種データから問題点を見つけ出し、論理的に解決法を導くこともできないと思います。

 ではどのようにして、読解力や論理力などを高めていけばよいか。
 それは本書に記載の反転学習の取り入れ方だと思います。オンラインで事前に学び、自分の理解できなかった箇所を言語化する事が良いと考えます。自分の考えを明確にし、それを伝える事で、表現力も高まると感じます。

 更に理解できなかった箇所で、個別の指導を取り入れるべきだと考えます。
米国のMOOCのような個人に最適化されたプログラムの利用でも良いかもしれませんが、退職した教員の再就職として、1日に数時間程度、教えるのも一つの方法と考えます。(講師のスキル刷新は必要だと思いますが。)
 そうする事でシニア層の活用と、教師のリソース不足が解消され、各子供のレベルに応じた授業ができるのではないかと思いました。

 もうひとつ、本書を読み終えて疑問に思った事として、そもそも日本の社会、個人が米・中と比較し、AI技術が遅れている事に対して焦りを感じているのかどうか、という点です。

 既にAI技術が日常に入り込んでいる米・中と比較し、日本のAIのイメージとして、車の自動運転、aiboなど、日常というよりは、自分の生活を豊かにしてくれる特別なもの、というイメージの方がまだ強いような気がします。
 AI技術がなくても普段の生活に不便さを感じないので、この事から日本の社会、個人がまだまだ焦りや危機感はあまりないと思います。

 その為、まずは米・中と比較し、AI技術が遅れている事を実感する必要があると考えます。
なぜなら焦りや危機感を感じる事で、人は解決に向けての具体的な行動を起こす事が多いからです。

 では焦りや危機感を感じさせるにはどうするか。
 筆者はデータ×AI化について、産業革命に例えており、今後の第2、3の波で勝つべきだと説いています。また、産業革命で日本は第2フェーズ移行時期に大きく躍進したとあります。そのきっかけは文明開化です。文明開化が進んだ大きな理由の一つとして、西洋列強国への危機感です。

 文明開化では、鉄道、照明など西洋化を進めるにあたり、様々な分野でのお雇い外国人を連れてきています。
 文明開化の時と同様に、一気にAI技術で躍進する為には、P213で「海外からの人材輸血、つまり海外から教えられる人、サポートしてくれる人に来てもらうことだ。」の記載の通り、まずは海外の技術者にサポートしてもらい、早急に日常の生活にもAI技術を取り込むが重要だと思います。

 一度日常に取り込んでしまいそこから発展させる事が、日本の勝ちパターンに繋がっていくのだと考えます。

 また日常に取り込んでしまえば、素養のある若者は、当たり前のようにAI技術を学ぶようになるのではないかと考えます。将来AI技術を、不可能だった事柄を可能にするためのツールとして、どんどん活用できる日本になっていけばと思います。
 
投稿者 BruceLee 日時 
結論から言えば、「本書は自己意識改革を促す1冊である」というのが私自身の考えだ。

本書には「残すに値する未来」を目指す、創る方法が書かれている。そして私には「これ、あなたに出来ますか?」と自分自身に問われていると感じた。未来を作り上げるのは日本政府や何処かの誰かではなく、我々一人一人であり各人の意識の問題なのだ。それは何故か?を以下に述べたい。

本書に書かれている「子どもたちが我々の未来」は誰も否定はしないだろう。だが、実際はどうか?


「我が国はかなり立派な額の予算を組みながら、その多くがシニアと過去に使われている」
「未来に賭けられる国になってないだけなのだ」

つまり必要なリソースはあるのだ。だが、それが正しく使われるべき所に正しく使われていないというだけの話なのだ。故に非常に勿体無い、残念な状態が今の日本なのだ。そしてそれは究極的には、

「老人を生かさんがために、若者を犠牲にするような国」=「未来のない国」

となり得る。そうならないために「人づくりとリソース配分こそが今の我々の社会の二大課題」だと本書は言っているのだ。逆に言えば「世界と勝負できる若者の育成、その若者が学べるような様々な援助」さえ出来れば日本の未来は明るいぜ!と言ってるのだ。問題は誰がそれをやるのか?

「日本政府でしょ、国全体の事なんだから」

と私も最初は思った。が、タイミング良く(?)発生したコロナ禍がそれを否定してくれる。今回のコロナ禍で「怖いな〜」と思った事がある。それはコロナ自体ではない。「政府に国民を強制する力がない」という事実だ。全て要請による自粛、自粛。だからその要請に従う人もいれば従わない人もいる。実際、この状況下においても、「STAY HOME」と要請される中でも、GWを沖縄で過ごそうとしたり、パチンコ屋に行列する輩もいる。それはそれで彼らの自由だ。が、コロナの場合その行動が他者にウィルスをうつす危険性があり、そうと知りつつ「自分の自由」を謳歌するのは、自分の事しか考えない迷惑な輩であるという自己認識の欠如がある。日本政府にはそんな輩に外出禁止令を出す強制力もないのだ。こんな非常事態であるにも関わらず。

ならば、例えばシニアに使われている年金を半額にして子供たちの育成費用に回そう!と発言する議員出てきたらどうだろう?その議員に対し猛反発が起きるだろう。そして次の選挙でその議員は落選するかもしれない。だから議員はそんな事は口が裂けても言わない。だから政府からは動かせない。ではどうすれば良いか?

我々一般人の多くが「勝海舟的なロール」を担うのだ。ここで大切なのは「年寄りは年金半額にして未来の子供たちに差し出せ!」と叫ぶ事ではない。「自分が年寄りになった時に年金の半額を未来の子供たちに差し出せるか?」を自問する事だ。自分の事として考える事なのだ。そう考えれば次々に考えねばならない事が出てくる。そもそも年金は貰えるのか?貰えても貰わないで生きていく策はあるか?今からそのためにどんな準備が出来るか?等々。

その結果、どんな結論が出てもそれは自分が下した結論だ。その意味我々は自由である。コロナ禍にパチンコ行くのも自由。未来の若者に援助するのも自由。

であれば私は後者に属する人間になりたい。その一方、自分が年寄りになっても、何も年金の配分を考えるだけが解決策ではない事が本書に書かれている。

「一人でも多くの方が、倒れて動けなくなったとき以外は社会の役に立つ、そして社会保険料を生み出す側に回る」

そう、年金を貰うのではなく、年金をギリギリまで貰わず社会へ税金という形で富を拠出し続けられる人生を模索するのだ。そんな価値ある人間として社会の中で存在し続けられるよう、今から自分が出来る事はないか?を考えるのだ。それには仕事だけでなく健康も関係してくるだろう。が、それを今からうまくこなせば、より明るい社会を実現出来るのでは無いかと私は考える。そんな自分の人生を創る事が出来るのは一体誰だろうか?政府か?どこかの誰かか?いやいや、自分しかいないのである。

故に本書は自己意識を刺激する本なのだ。今回のコロナ禍を怖がり塞ぎ込んでいるだけが能じゃない。このコロナ禍で自分には何が出来るか?を考える試金石として活用してやる!くらい私は前向きに捉えたいと考えている。

追伸:
本書で何度か出てくるのが今後の中国語の重要性。勿論、外国語としては英語が最重要だが、英語が使える自分としては、次に目指すは中国語、という事で毎日勉強中である。勉強自体はなかなか楽しく、また学んだ中国語が通じるか否か直ぐに試せる環境にいるのも有難い(笑)半面、どう考えても正しく発音できてるのに全く通じない時はかなり悲しいが、それでも勉強は継続たい。何も学ぶのは若者だけである必要はないのだから。
 
投稿者 mkse22 日時 
「シン・二ホン」を読んで

本書は、データ×AIにより今後世界で起こりうる変化と日本を再生するのための案を纏めたものだ。

1章ではデータ×AI化が世界に与える影響が説明されている。
データ×AI化は私の身近でも起こりつつあり、AIという単語もよく聞くようになった。しかし、AI導入によるの業務へのインパクトはまだそれほど感じていない。実は私が知らないところで利用されているのだろうが、まだどこか遠い存在だと思っている部分がある。

2章では、日本の強みや弱みに関する分析がされている。特に戦後の勝因が技術やものづくりではなく、技術革新により既存のルールの中で勝負するのではなく、ルール自体を変更する点にあったのは正直驚いた。私も戦後ものづくりで世界と戦ってきたと思い込んでいたからだ。現在の中国が5Gを通じて独り勝ちしようとしているが、それと同じことをかつての日本が行っていたのだ。日本は土俵を変えて勝負することが苦手だと思い込んでいたため、改めて正確な情報を入手する重要性に気付いた。

3章以降では日本の再生のために今後求められる人材とその育成方法、さらには目指すべき未来が書かれている。
日本再生のために、若手への教育内容の刷新やシニアの再教育、そして(人材やお金など)リソースの拡大や再配分が提案されている。
例えば、P328の『(1)年齢・性別などによる雇用差別を禁止する』や提供価値ベースの給料の決定だ。
これにより、結婚などで労働市場から退出した女性が再参入しやすくなったり(リソースの拡大)、付加価値を生みだせていないシニア男性の給料を下げてそのお金を他の優秀な人材に回すことができる(リソースの再配分)。さらには、年功序列型の賃金体系では採用できなかった優秀な外国人労働者を呼び寄せる効果も期待できる。

なぜ、リソース(特に人材)の拡大と再配分がセットで提案されたのだろうか。
被雇用者間や会社間もしくは被雇用者ー会社間で提供すべき価値を明確化して、お互いに切磋琢磨せざるをえない状況を生み出すためだろう。

一般に特定の労働市場に供給量が増えて、需要量が変わらないならば、給料は下がる。それが嫌なら他の労働市場に移るしかない。以前はこれが困難だったが、他の労働市場に移れる可能性を示すことで、被雇用者は必要な付加価値を身につける努力をするきっかけとなる。

先程のシニア男性の例だと、給料が下がったことをきっかけに別の付加価値を身につけ転職するかもしれない(リソースの再配分)。ここまでは被雇用者にとってメリットを指摘したが、当然デメリットもある。給料に見合う付加価値を提供できなければ、給料が下がったり、最悪解雇されたりする可能性があるからだ。
会社側にとっても、代替要員を採用しやすくなるため、給料に見合わない労働者の給料を下げたり解雇しやすくなるメリットはあるが、被雇用者の意に沿わない仕事をさせにくくなるデメリットがある。

会社と被雇用者はこれまで以上に提供可能な価値について意識することになるだろう。
リソースの拡大と再配分、このどちらかが欠けてもこの状況は生まれない。

それでは、なぜお互いに切磋琢磨せざるをえない状況を生み出す必要があるのか。
私の推測だが、データ×AI時代では変化がこれまで以上に加速して、会社や国だけではもはや対応できず、自分で才能やキャリアの即して自ら切り開く必要があるという考えが前提にあるからだと思われる。すべての人が個人で時代の変化に対応していかなければならない。これまでは会社が社員のキャリアを考えてくれたかもしれないが、それが通用しなくなる。むしろ、会社自体が不要になりつつあるのかもしれない。国も基礎研究など民間ではできない部門への投資はするが、世代間で公平にするために、社会保障など特定の層(シニア層)の有利になっている部門への支出は抑制して、大学授業料の負担軽減など若手への投資は増加させる方向だ。ただし、若手への投資という名目で実質はシニアへ雇用を守ることに繋がらないようにする必要がある。本書では大学授業料の負担軽減をすべての学生ではなくRU11に所属する学生の4割に絞ることで、投資効果の高い学生に限定したのはこれが理由だろう。

会社や国の役割は限定され、個人の責任で時代の変化に順応しなければいけない。この傾向は今後どんどん強まっていくだろう。本書を読み終えたとき、そのように感じた。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 Nat 日時 
全体論の無い日本の教育政策の失敗がこの国の没落を招いている大きな一因だと詳細なデータをもとに認識させられる本でした。
その上でこの本を読んで思考したこと、それは国や会社の教育システムや人材育成計画に頼らずに、自分でどう戦略を立てて成長していくか?そして社会に必要とされる人材になるかということです。私は現在、30代ですが、「もし自分が○○代だったらどういったアクションを取るのか?」と自分の年代だけでなく10代、20代、40代、50代と別の年代についても、どのようなアクションを取るか考えてみました。今回は私が現在10代の一般的なサラリーマン家庭で育った大学進学を目指す高校生1年生と仮定して国の教育システムの変更に頼らず、個人が取れるアクションは何なのか?を考えてみたいと思います。

まずは文理選択において理系を選択します。日本の大学の理工学部を目指すためです。本書でも書いていますが、日本の大学進学者のうち、医学、薬学を除く理工系の割合は2割強。それだけでまず日本社会では希少人材化することになります。また後々の留学することを考えるとMARCH、関関同立以上のレベルの大学への進学を目指します。上の大学を目指せば目指すほど海外の大学と提携しており学部生での留学のチャンスが増えるからです。
ここで情報科学系学部を選択しない理由は、一つは日本の大学では本書で述べられているように情報系サイエンティスト、ICTエンジニアを育成する情報科学系学部がまだまだ少ないこと、つまりそれを教える教官がどのくらいの専門知識を持っているかわからないという不安要素があるからです。もう一つの理由は、これも本書で述べられていることですが出口系の産業に関して日本ではまだ廃れておらず日本の大学でも十分な専門知識を獲得が出来る可能性が高いからです。

理工学部の大学に進学した後は理工系の専門分野について学ぶことはもちろんのこと、それに並行して、留学できるレベルの英語力獲得を目指します。これは情報科学分野の研究でトップを行くアメリカの理系大学院で博士課程を目指すためです。なぜ中国や欧州の理系大学院ではなく、アメリカの理系大学院を目指すかというと、アメリカの理系大学院では学費が免除され生活費まで支給されるからです。高校卒業とともに情報科学分野でトップをいく海外の大学に進学する選択肢もありますが、学費と生活費がかかりすぎるため、よほど裕福な家庭でなければ、たとえ受かったとしても奨学金を利用した進学となるため卒業とともに金銭的負担を抱えることになります。これを回避するのが狙いです。
更にアメリカの理系大学院で習得できることはリベラルアーツ教育の基礎となる三学(文法学、論理学、修辞学)です。本書でも述べられている通り多くの日本人は現在のところ、この能力を本などで独学し会社で働きながら使い伸ばしていくという選択肢しかありません。しかしアメリカの各大学には必ずこの三学を学ぶ講座がありますし、論文や授業の中で出されたレポートをチェックしてくれるライティングセンターという施設が設置されています。このように留学することで学生時代に三学を専門的に学ぶことが出来、実践の場で能力を身に着けることが可能となります。またこれは私の経験からの想像ですが、この能力は英語を介しての方が理解、習得しやすいと思います。私は英語を社会人になってから本格的に学びましたが、英語を学ぶことで英語的に日本語の文章を組み立てることが出来るようになり会社で提出する報告書が上司に突き返されることが無くなりました。

もしこのプラン通りに順調に複数の専門知識と能力を習得できれば、社会人になるまでに複数の能力の柱が立ち「異人」と呼べるレアな人材になることできるでしょう。そして来るAI×データ時代のフェイズ2、3でグローバルに活躍できる人材になれると思います。

最後に、これはしょーおんさんがセミナーでも言われていますが、どの年代層でも英語は身に着けておかないといけない能力だということを再認識させられました。今後は情報科学分野に限らず最先端の情報に触れるには、英語で作成された情報源にアクセスしなければならなくなる機会が今まで以上に増えると予想されるからです。私も今まで以上に気を引きしめて英語学習に取り組みます。
 
投稿者 Terucchi 日時 
本書を読んで、大きく3つに分けて書きたいと思います。
1.今後の社会と日本の位置
2.必要な人材
3.作者が目指す未来

1. 今後の社会と日本の位置
今後更にデジタル化が進み、よく世間では日本は遅れているから追いつかなければいけないと言われていますが、作者はどのポイントに力を入れるべきかを言っています。今からGAFAや中国のIT企業のようなデータのプラットフォームを作っても、間に合わない。しかし、諦めずにまだ手があるとのこと。その例えとして、産業革命から戦後の時代をフェーズ1、2、3と例え、産業革命初期のフェーズ1では出遅れていたものの、黒船で気付き、明治を経て、フェーズ3の戦後では世界のトップクラスとなった。現在のデジタル革命もそれと同じく、今がフェーズ1であり、敵わないものの、今後、フェーズ2、3で、キャッチアップと挽回が可能であると信じている。その鍵は日本人の『妄想力』であり、これが世界で戦える武器としている。堅実性を取り上げるのかと思いきや、妄想とはビックリ。そして、ご破算にしてやり直し、キャッチアップできる力や若い力を説いている。
2.必要な人材
『妄想力』とはある面「オタク力」と言ってもいいと思われる。そして、そんな人を『異人』という言葉でも表現していたが、まさに『オタク』であろう。そんな中で、単なるオタクでなく、『人としての魅力(チャーム)』が必要と言っている。イメージとしては坂本龍馬や吉田松陰のような人か。幕末から明治の時代では、結局そういう人の妄想が牽引力となった面があったが、これからもそのような人が求められる変化点にきていると思われる。変化の時代と治世の時代に求められる人間は違うが、正に今がその変化の時代なのだと思わされる。もしかしたら、そのような人間が既に近くにリアルにいるのかも知れない。
他に必要なこととして、『価値を出すスキル』『問題を正しく見極め、解決する能力。嗅ぎ分ける嗅覚』そして、『三学(文法学、論理学、修辞学)』、『論理的思考』と『デザイン力』の大切さも説いている。これは単なる妄想が妄想で終わるのではなく、形ある価値に変える力が必要になることとして説いている。またAIでは課題の解決は出来ず、やはり人の力が必要となる。そもそも、世の中のビジネスも人のためであり、人の価値観の上に成り立っているのであれば、良い悪いの判断も人が中心で決めている。AIは計算力があっても向かう方向がわからなければ単なる計算機であり、道具。だから、人の力が必要であろう。作者は人が道具を使い倒すようにAIを道具として使い倒す、としていたが、正にそうだろう。余談であるが、もしドラえもんやSFの世界のような、心を持ったロボットができる時代もいつか来るのであろう。その時は本当にAIが決めるかも知れないが、更にブレークスルーが必要な、まだまだ先のことであろう。

3.作者が目指す未来
作者にとっては目指すべき未来は『新たなテクノロジー(Society5.0)と持続可能な世界(SDGs)の2つの交点を目指すべき』と言っており、『風の谷ビジョン』を紹介している。自然と共に豊かに人間らしく暮らす。作者が好きな言葉として『来たときよりも美しく』素敵な未来を残せるか?とも言っている。
この本はビジネスの一方だけでなく、自然含めた人間の住む社会の意味も考えさせられる。私は田舎育ちで、自然の中で育ったが、不便さや仕事の面で都会へ出て来た。子供たちは都会で育ってしまったが、自然の大切さが身についているのかどうか。私は都会で暮らしている今さらながら、自然の大切さを実感している。AIは目的でなく手段の一つであり、 産業の発展は大事だが、文明は便利さを追求する産業だけでなく、自然とも調和された未来を目指すことが本当の目的であることをこの作者の言いたかったと思う。
最後に、この本はまずは日本の立て直し、そのためのスキル、そして将来の向かう方向まで、作者にとっての今考えていることの集大成であろう。そしてそれに向けて正に生きている。これから数十年後にどうなっているか。私もこの同時代に生きて、この社会での一員として携わっていることを自覚しなければならない。それがしょ〜おん先生がおっしゃる智の道の方向であり、今、私にもできることを考えていきたいという決意と共に、この世の中で立ち会えることを深く感謝したい。
 
投稿者 akiko3 日時 
シン・ニホンとは、実に秀逸なタイトルだ。
崖っぷちの日本だとわからせ、でも、さあ立ち上がって一歩進みましょう!と背中を押してくれる。

政治経済の大きな組織に一市民に何ができるのかと思った時、ジョン・F・ケネディの演説が思い出された。「あなたが国の為に何ができるかを問うてほしい。…人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。」

今、コロナ対策で外出自粛がでているが、この対応には疑問もあるが、自己投資の時期とありがたく受け取っている。社会の一員としてルールに従う必要はあるが、個々のマインドは自由だ。煽るような報道に振り回されず、物事には二面性があるとバランスをとって情報収集をするようにしている。
外出自粛で世界の観光地の環境汚染が改善した面もある。本当に必要な仕事とは?自分にとって大切なことは?など、「体験して考え」させられている貴重な時間でもある。


データ×AIはすでにインフラの1つで、使いこなせないと生きていけない時代だと痛感させられた。
一方で、コロナと5Gの関係という情報を目にし、(真相はわからないが)負の面もあるかもしれない。
著者は頭がいいだけでなく“来た時よりも美しく”を心にとめている方なので、“成長の前に星がもたない”と警告し、テクノロジーと持続可能な世界を目指していることがわかりちょっと安心した。

正直、データ×AIを理解することはとてもハードルが高い。検索すれば情報がでてくるが、でてくる単語1つ1つでつっかかり、堂々巡りで結局わからないことも多い。だが、わからないからとスルーしていたら、“振り回される側”だと思い直し、データ×AI ありきで考えないといけないと思い直している。


仕事はPDCAを回すと研修をうけた世代にとって、これからは『未来=夢×技術×デザイン』だと知り、TVで紹介されていた世界のエリートが今一番入りたい「ミネルバ大学」のことが浮かんだ。
校舎もなく、講義はオンライン、全寮制で各国から集まっている上、1年ごとに世界を転々とし、現地でのボランティア活動が必須など、まったく新しい形なのだ。このような教育を受けて社会にでていく優秀な若者達に希望を感じた。
日本ではなかなか常識をぬぐえず広まってないようだが、今回のコロナで強制的に常識がリセットされ、現状に対しどうしたら子供達が学べるか、何を学ばせたいか、生きる力をどう身に着けさせるか、考えるチャンスだと思えた。
知り合いの有機農家の方がFBで休校中の子供達との畑作業をアップしていて、おやつ作りは子供の担当、子供達も食べたいものの作り方を調べて土鍋でプリンを作ってたり、夜は庭で子供達を慰労して焼肉!とかなかなかよい時間を過ごされている。


長年、アフガニスタンで人道・復興支援を進めた故中村哲氏も、この未来方程式に当てはまっていたと思った。医者として現地に赴任したが、現地の人達の豊かな生活という夢の為に、本当に必要な用水路を作ろうと重機を操り、自らが活動することで現地の人達と日本のサポーターをつないだ。
社会的成功より人生を楽しむことを選び、”運・根・勘・チャーム“を持つ人でもあったから、長年活動を通し活動の輪を広げ、継続させられた。
『仕事=力(質量×加速度)×距離』で考えると、とても大きな仕事を成し遂げたのだと思う。
よき人生を示していただいたことへの感謝と、改めてご冥福をお祈りしたい。


最後に“人類の自由”の為に、Life as valueの世界(その人らしくいきていること自体が価値である世界)に向かうことが大切だと思う。
風の谷構想も自分が年を取る頃あったらよさそうだが、田舎に暮らす親には土地とそこに暮らす人達を含めての生活なので、守られた安心の生活圏とはいえ単身移り住むには孤独ではないかと躊躇する。携帯さえ携帯し忘れているが、本人に負担にならないデジタル機器がでて、離れていても見守れる未来は近いと思う。
若い理学療法士が介護保険外のよろずサービスを提供する起業をしているが、志をもって暮らしを支えようとしている人達もいることはありがたい。最後はこういう人の“情”に救われる。

自分が社会のお荷物にならないように、独居の老後を視野に入れ備えるなら、自分の生活を支えるコミュニティー作りを自分でカスタマイズすればいいのかと、そのためのプラットフォームはあるので、どう組み合わせるか、どんな風に人を巻き込めるかで希望が見えてくると思えた。
世界最高齢アプリ開発者若宮正子さんは定年後に誕生したことを思うと、思考と行動で人生はいくつになっても楽しめる!と大いに励まされる。


外出自粛中、早春から初夏に変化した。日本の美しい四季を感じさせてくれる豊かな自然がある土地の暮らしが、よりよくなるようなデータ×AIの活用ができないものか?
若いうちは田舎暮らし、子供の進学に合わせ都市にでる。または方向転換や休職など、柔軟な選択ができ、いつでもRestartできる自由度を、社会も人も常識として持てれば生き良いのではと思う。
今後、Life as valueに一人一人が向かえるように、意識を高めてサバイバルしていこう!
 
投稿者 akirancho0923 日時 
本書は今の日本の状態から将来を見据えた再生方法について論じられている内容だと思いますが、
タイトルを「シン・二ホン」と名付けられたのは、今の状態を5割として、
2~3割の投資して新しく日本を創っていくシュミレーション内容のように思いました。

一番私が衝撃を受けたのは、まだ日本は今から立ち直れられる、失われた20年を盛り返す方法が
残されている、という部分でした。

少子化問題が定義されてからかなりの時間が経ちますが、私もその情報に洗脳されていたのでしょう、
生産性を上げて、教育方針、投資を見直せばまだ希望が持てる未来を作れるのだ、という
明るい兆しを感じられてたのはとても嬉しい気分になりました。

また、正しい情報からどのような未来を想像し、どのような問いを立てるのか、
が大事である、ということを改めて感じました。

あと衝撃だったのは、地球が今以上のエネルギーを抱えきれない状態だという事実でした。
今のコロナの状況での自粛状況によるエネルギー消費量の減少は
とても偶然ではなく地球からの叫びといいますか、気づいてくれと言っているように
感じずにはいられません。

また、教育内容、投資配分の見直しなど前向きな考えはもちろんですが、
「シン・二ホン」という再生を促すためには、我々一人ひとりが当事者として、
もっと学ばなければならないとも感じました。

2016年からTEDなどで本書の筆者がずっと「シン・二ホン」について情報発信されたようですが、
私は本書を手にするまで知りませんでした。

この自粛状況の中で、ネット環境が整っている昨今、私たちにできることは
「シン・二ホン」にまつわるあらゆることを積極的に学ぶこと。
そして、自然の中に新しい技術を以ってつくる、「風の谷的未来」に寄与できるよう
明るく希望に満ちた未来に向けて議論を進めることではないでしょうか。

GWに入り自粛の最中、未来の日本のことについて考えられる余裕があることを、
幸せに感じます。
テレワークやリモート飲みなど、新しい技術に伴う、これまでフォーカスされていなかったものが
出始めていますが、一度変化した状況はこれからのトレンドとなる傾向を感じつつも、
今後の日本の働き方の変化に対応しつつ、「シン・二ホン」の未来予想図についても
自分なりに考察していきたいと思います。
 
投稿者 satoyuji 日時 
データ✖️AI技術が社会を激変させる中で自分はどのように生きていけばいいのか。結論は、「データ✖️AI技術も駆使して全力でやりたいことに取り組めばいい」ということになった。

未来はどうなるかわからない。なぜなら未来は想像するものだから。だが勝ち筋はある。データ✖️AI技術を実用化して生活環境を再構築しよう。そのために若者に投資しよう。

本書の内容をコンパクトにまとめるならこういうことでだ。このまま落ちぶれずに勝ち筋がある。それは望ましいことだ。だが正直に書いてしまえば、本書を読む進めて息苦しくなるところが多々あった。なぜなら自分が未来のために何をしたらいいのか、それがよくわからなかったからだ。書かれていることはとりわけ新しいわけではない。データ✖️AI技術による産業革命が今進行しているということだ。それにより現状維持ではなく、変化が求められている。本書は煽るだけでも希望を語るだけでもない。手に入るデータに基づき、現状を提示し、その先にありうるかもしれない未来を提示している。明るい方の未来も暗い方の未来もである。私が息苦しくなった原因は内容にというよりも、そのデータや根拠に基づく提示のされ方にもあった。著者のデータを集め考えて示す姿勢を、自分が全くできてにないことで恥ずかしくなった。そしてどうすれば同じようになれるのかを考えてしんどくなってしまった。なぜなら本書で具体的に示されている若者に必要な教育内容を、自分に当てはめたとき、とてもではないが自分が学び切れる内容に思えなかったからだ。自分がはすでに手遅れであると思ったからだ。では若者に投資する側になれるかと言えばそれも難しい。むしろ投資してほしいとまでいうつもりはないが、他の人に投資できるほど自分が社会的・経済的に成長していないからである。もっとストレートに書くなら「人の成長に投資できるだけのお金もない」と思ってしまったからだ。よくよく考えてみると、自分が息苦しくなった正体は提示された未来への処方箋が自分に効きそうがないからではなかった。その処方箋を作り出せないことでもなかった。その処方箋を使おうとして自分を診断した結果、自分の状態があまりにも情けないように思えたからだ。


だが勝ち筋がないことはありえない。著者が書いている通り未来は目指すものであり、創るものだからだ。自分の現状が惨憺たるように思えても、そこから創造していくことはできるはずである。自分が現状において何をしなければならないのか。若者にも投資する側にもなれないかもしれない自分に何ができるのか。そこで降ってきた一言があった。「甘えるな、もっと勉強しろ」である。言葉通りの意味だ。言い訳していないで求められている知識を理解しろということである。三十半ば、数学を苦手として逃げていた自分でも算数レベルからやり直せば時代に適応できるのではないか。この感覚は今でも自分の中にある。しかしもっと具体的に考えてみたい。「今私がいる位置」から何をしたらいいのか。ここでいう位置とは年齢でもあり、立場でもある。三十代半である。これといった専門スキルもない。そんな自分はどうするべなのか。何ができるのか。

本書を読むまでもなく、時代が転換点を迎えているのは明らかだ。直線上に予測される未来では、後ろ向きな未来しか思い描けない。それは人口推移・年齢推移からも明らかだ。だが何もできずに座して待つのみの状況ではないことも確かである。本書にあるように、データ✖️AI技術は現状を劇的に変えるだけの力がある。この波に乗っからないという選択は確実に悪手だ。背を向けて、技術と向かい合わないことだけはしてはいけない。ではどのように向かい合うべきか。たとえ著者の語る若者にも投資者にもなれない私にできる向かい合い方とはどのようなあり方か。

データ✖️AI技術により起こる変化への適応に努める。それを前提して「生きることを全方位で楽しむ」という結論に落ち着いた。やりたいことをするためにデータ✖️AI技術を使い倒してやろう。そしてデータの部分を提供できる人になろうと思う。例えば私はずっと山が欲しいと思っている。そこで林業・農業を基幹として独立した経済循環を作ることができる共同体を作りたいと考えている。自給自足を前提しているが、他の地域とも交流がある。そうすると出て来るのが物と人の移動である。この問題はAIによる自動運転があれば解決できる。こうしたやりたいことをするためにデータ✖️AI技術を活用する。それがデータを作りだす。そのデータは他の人の生活にも活かされる。自分の殻に引き籠るのではなく、生活の中にデータ✖️AI技術を引き込むことで、発展の一翼を担えるはずだ。こうした技術は人の仕事を奪うという煽りとともに語られることが多い。だが言い換えれば仕事を人の手から解放するということだ。そしてその解放された手がやりたいことをする。そのやりたいことにデータ✖️AI技術が活用される。こうして生き方を見直す機会になっていく。生き方を問う先には労働問題・経済問題だけの狭窄的視野を超えて、生き物全体・地球全体を見据えた生き方の問題が自然と浮上する。そのために今私ができることは、データ✖️AI技術というこれから当たり前になる技術と向き合いこと。それを活用することで、データを増すこと。そしてできるのなら、自然でより豊かな生き方をすることである。やりたいことをやっている生活の中にデータ✖️AIの技術を持ち込む。それがこれからの未来をより豊かにして、明るい未来を創りだすことができるのである。
 
投稿者 sadaharu18 日時 
シン・ニホンを読んで

経済の発展には経済規模が必要になると何度も講義から学んだ。
現在、日本は高齢化社会が進み、人口が減少フェーズになっている。
1人の生涯年収が2億円だとして、ほぼそれと同じ位に人は消費するのであるから、
人口×生涯年収がある期間の経済規模となる。
数十年後には8000万人になっていくという予想も出ているので、当然GDPも
減っていかざるを得ない。
 また、本書にも言及があるが、日本は1人当たりの生産性が低い。
実際に、G7中で一人負けで最低ランクにあり、GDPの推移を見ても同様だ。
GDP規模で見ればまだ世界第3位であり、日本は経済的に強いのではと思ってしまうが、日本はGDPで中国に抜かれ、スマホで韓国に負け、どんどんかつての後進国に追い抜かれている。
 経済規模が右肩下がりで、生産性も悪いとなると良くなるところが浮かばないし、日本はオワコンだと感じてしまうのが正直なところだ。

かつて産業的に日本が成長してこれたのは、車、家電、ウォークマンといったハード面での品質の良いものづくりだ。
車は今でも強いが、Windows95からの産業の変化により、ハードからソフトへと加速的に変化した。
今ではGAFAに代表されるネット企業が時価総額の上位を占めるようになって、この産業において日本ではこれらに匹敵する企業は1つとして無い。
GAFAやBATHといった米中のメガネット企業の強みは巨大なデータとそれを扱うAIだ。
時代はAI×データを使って指数関数的その方向に加速しているとある。

日本の市場規模の変化と、世界を取り巻く産業の変化が相まって、日本はこのまま行くと
世界で置いてきぼりになるのは必須だと本書にもある。
生き残ることはイシューではなく、少しでも良い日本を若い人たちに残していく、ということがイシューとある。
その為に何が必要なのかが記されている。
確かにこのまま何も手を加えて行かなければ、高齢者がどんどん多くなり、社会保障費は増え続け、それを支える経済の担い手である若者に負担がかかり、明るい未来は見えない。

その解として、AI×データ時代に適応していくのが第一だということだ。
ただ、まず人材がいないというのが現実とある。
私はIT業界でエンジニアである観点で日本のIT業界を見てみると、そのような人材がいそうなのは、ネット大企業の一部(研究部門にいる人)や、AIを得意とした中小企業がちらほら存在している程度のものであると感じている。

私の会社でもエンジニアの中でAIをかじっているのは1人か2人といった程度で、それもメイン業務にしてるわけでもなく、アプリ、Webの開発をものづくりといった観点で、積み上げて開発していってるだけで、従来のパラダイムから10年も変化してないように思える。

その原因として、大学以上の高等教育機関でコンピューターサイエンスや数学、統計学といった素養が無くてもこの業界に入れてしまうことだ。実際文系のエンジニアも多く、IT土方と呼ばれる受託開発が多くを占めている日本の特徴があり、人月で売上が決まり、現場で技術力を上げていくしか無いという世界だからだ。(一昔前より改善されてるとは思うが)

これを解決をしていくのは、直近としては、相当数いるエンジニア層をAIとデータの専門家へと目指してもらう事だ。
それには、より上位の経営者やマネジメント層が基礎知識や素養を手にして行く事が求められるとある。
マネジメント層が本当に技術的に理解してエンジニアの興味や成長を促すこと、経営者が時代を正しく見て、AI×データを使った戦略を立て、機会を創造しその方向へ舵をきっていくことが求められる。
私も少しでもその方向の一助となるよう、AI×データの素養の獲得し若い後輩を教育したり戦略を練れるようにしていきたいと強く感じた。

また、この時代に必要になるスキルとしては、技術はもちろんだが、AIが理解・判断できない感性や知覚する力が大事とあった。
目の前の物事を見たり感じて、その具体を抽象化し、それを整理し課題を解決していくといった能力を伸ばしていくことが大事だ。
それには、教育制度の維新、若者への投資が必要だとある。
大きな力が働かないとそれを実現できないが、もうすでに若者ではない私ができることは、
読書を積み重ね、様々な考えや思考に触れ、芸術などで感性を磨き、日々の仕事で上記のような能力を少しでも訓練していき、次の世代へペイ・フォワードして行くことなのかなと
感じた。

以上の事は、日本を成長させる為に大事なことではなく、少しでも存続させるのに必要だということだ。
地球規模でも世界は人で一杯になりつつあり、環境は破壊されて、これ以上の成長を目指すのではなく、維持して住みよい地球にしていくフェーズなのだと言うことが最後に印象に残りました。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
感想文を書くにあたり再度全体的に目を通した際に最も強く印象に残ったのは
「僕らは少しでもましになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ。
もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。
そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。
未来は目指し、創るものだ。」
という箇所(P6)でした。
この箇所を読んだときに感じたのは、日本の中で最上位に入る程忙しい日々を過ごしているであろう著者が、わざわざ時間を捻出してまで本書を作ったのは、多くの人に日本の置かれた現実を理解してもらい、それぞれの思い描く未来予想図を描かなければ手遅れになるという危機感がとても強いのではないだろうかという事と、例え全てを消化しきれていなくても、本書を読んで自分自身がより良い未来を創るために考えた事を明らかにしなければ失礼だという事でした。
そこで私が考えたのは「より良い未来を創るために、もっと自分の子供に投資しよう」という事でした。指数関数的な変化が当たり前に起こる現代において、これまでの学校教育のような知識の詰め込みではなく、夢を持たせたりや妄想を掻き立てるようなきっかけを与えてあげなければならないと強く感じました。
 親として自分の子供には辛く苦しい未来ではなく、明るく楽しい未来を描いてほしいし、そういう未来を歩んでほしいと願うのは当然だと思います。とはいえ、今の教育制度は簡単に変わるものでは無いので、発想を変え学校は基本的な知識をつける場であり、学校では賄えない教育を家庭で補完するという意識を持って行動しようと思います。「書を捨て、町へ出よ」ではないですが、机上ではない様々な経験を積ませてあげなければいけないなと思います。それも子供達が興味を持っている、やりたいと思っている事と自分が大事だと思うことをバランスよく経験させる事が大事ではないかと思います。本書P156に【「好きなことをやれ」は正しいけれど、ある意味で正しくないという事だ。・・・ひたすら探求して、自ら新しく問いを生み出せるかという視点で領域を見たほうがいいだろう】という箇所がありますが、子供たちの時間という貴重な資源を無駄に消費する手助けになってしまわないように、子供の興味関心があることを経験させるつつも、何のためにそれをやるのか、それがただの暇つぶしだったりしないかといった事はチェックしなければならないと思います。
先日、出張料理人をやっているという若者(20代前半)の面白い話を聞きました。簡単に要約すると星付きレストランで働いてお金を稼ぐのは簡単だが、言葉では嘘をつけるので本当に美味しかったかはわからない。美味しいものを食べた時に人間が出す本物のリアクションを間近で見ることで料理を極めるのに役立てる。その為にお店で働くのではなく出張料理人をやっているのだそうです。そんな彼には既にスポンサーがついていて生活の心配は必要無い位稼げていてやりたい事に専念できているという話でした。
こういう話は学校では学べないことであり、本書で言われている「異人」になったり、「異人」の存在を受け入れられるようなマインドも持たせるためには必要だと思います。こういった学びを子供達に提供する為に自分自身も一緒に調べたり、学んだりする事は自身のじゃまオジ化の防止となり、同士が増えれば若者の邪魔をしない、援助をするための一助になるはずです。そのため、まずは自分に出来る事として「子供への投資」にもっと力を入れていきたいと考えます。
 
投稿者 ktera1123 日時 
3月のとある日。出先で空き時間があったので、書店(六本木のブックファースト)によってみた。本書「シン・ニホン」が面陳、山積み状態で置かれていた。「そのうち課題図書になるのだろうな」とその時思った。課題図書に決まった後、地元の書店で探してみたが1冊もなかった。この状況からでも、危機意識を持った人がいるのか、いないのか、わかってしまうのが面白いところでもあり、怖いところでもあった。

本が届いたので、1回読んでみた。様々なことが書いてあることはわかった。しかし、感想文を書くには理解が不足している。「P5テーマが極めて広範だから」と筆者が書かれていた。テーマが広範なのは確かにわかったが、何を訴えたかったがわからないのでは感想文の書きようがない。

再読してキーワードを書き出した。書き出したことで理解が深まり、感想文を書く参考になった。しかし、書き出したた文字数が2000字以上あり、これではまとめようがない。

困った時は、先人の智慧を借りるのに限る。先人の智慧をインターネットで検索してみた。検索した結果を見たが、思考の整理に役に立ちそうなものはなかった。

調べる方法以外にも、聞くという方法もある。ありがたいことに、有志でのオンライン読書会が開催するとのことで参加してみた。参加者が多数で、日程の調整の都合もあり2回開催された。

読書会の中でいろいろな意見が取り交わされた。自分がキーワードを書き出した箇所以外で、意見が出た箇所があった。他者の意見を聞くことにより、自分が気づかず、読み飛ばしていたところを拾うことができた。

その中で「シン・ニホン」、「シン・会社」、「シン・自分」との意見があった。「ニホン」と大きく考えているのではなく、「自分」ごととして捉える。この本から得られる「気づき」で何が自分にとって重要かが大切なのではないか、腑に落ちた。

この本から得られた「気づき」を自分なりにまとめると以下のとおりとなる。

1.この本は未来の「シン・ニホン」を築き上げるにはどうすべきかの提言書であり、そもそもの対象者が政策、立案、提言を行う政府関係者、教育関係、有識者向けに書かれているが、企業レベル、個人レベルでは「何ができるのか」、「何をすべきなのか」を考えなおす必要があるのではないか。

2.考えなおす方法として、P146の「マネジメントの定義」がある。個人レベルで考えると
 0.現状把握、目標設定
 1.いい人間であり続ける、智の道に生きる
 2.勉強、修行など
 3.資産(時間、お金等)をなにに優先すべきか
になる。本書では、「シン・ニホン」を築き上げるためにどうすべきか、マネジメントの視点でまとめられている。国家としての「ニホン」に不足しているものは、国民にも不足しているものでもある。「何ができるのか」、「何をすべきなのか」を悩み考えるのに時間を取るのではなく、本書に列記してある課題の中から、「自分に不足していることはなにか」を見つけ出すことができればよいのではないか。

3.P185感性と知性の関係について、「感性」は内的な世界で言葉・数値にできない世界、「知性」は外的な世界で言葉・数値にできる世界との意見があった。言葉・数値にできない世界は、AI、すなわちコンピュータでは対応することができない。できないところは、人間の力が必要になる。そのために必要なもので今あるものとして、「日本人には妄想力がある」と書かれている。「妄想力」を鍛える「知覚」を鍛える必要がある。

4.P196の「知覚を鍛えるには、言葉・数値になっていない世界が大半であることを受け入れる」とあり、世界は、「言葉」、「数値」、「のこり」(以前伺った国立天文台の先生は『ダークマター(暗黒物質)』と仰られていた。流石に「怪しい世界」と書けないか)である。
「言葉」「数値」「のこり」の中で、自分に不足しているものは何だろうか。

「数値(数学)」は、地図→測量→幾何→数学となるので、取り急ぎ必要はない。
「のこり」は、「言葉・数値になっていない世界が大半であること」は、以前より受け入れていて、知覚(とある人には、知識豊富と思われている)についても、取り急ぎ必要はない。
最後の「言葉」については、先月の課題図書の個別コメントの要旨はP217からの「国語と数学の力を再構築する」の「国語」の箇所と一致していた。P219にある、「社会に出て独学で『体系的かつ徹底的に論理的な思考や表現をする訓練』する必要性を感じている。本書に記載されていた2冊の本を手配したので、届き次第、国語力の再構築を着手する次第である。

本書から得られた上記の「気づき」がP200の「情報間の化学反応」の結果であって、「人の成長」につながることを期待しています。
 
私が「シン・ニホン」を読んで考えたのは、「日本の未来のために若者世代を応援しよう」ということです。

なぜならばこの本から、一人負けの15年を歩んできた日本にも再生の可能性が多分にあり、そしてその鍵は未来を担う若者達にあると学んだからです。

それにもかかわらず、日本の国家予算の配分は社会保障費と医療費に手厚く、教育費と研究開発費が少ないため、せっかくの巻き返しのチャンスを逃しそうになっているというデータに驚愕しました。アメリカや中国とは比較にもならないほどの低予算で、ここまで若者に厳しい状況を知り暗澹たる気持ちにもなりました。この状態が続けば、このままでは、せっかくのチャンスである第二、第三の波にも乗り遅れ、どんどん貧しく国力が低下していってしまいそうです。子を持つ親として日本の行く末を案じ、堪らない気持ちになりました。

そんな状況の中、せめて若者の可能性を潰さない大人になるために、自分にできることとして考えたのは、「『ジャマおじ、ジャマおば』にならないよう自分を磨き続ける。」ということです。

なぜならば、以前の私はまさに若者を潰す『ジャマおば』であったと反省したからです。以前の私は、自分が学生時代に受けてきた、いわゆる『マシン的な人材』を養成する勉強スタイルを子に強要し、自尊心を傷つけていました。
当時子は激しく反抗しましたが、実は私の方が、子が自分らしさや意思を表現できなくなる程に縛っていたことに気づき、申し訳ない気持ちになりました。

そんな私が、今からでも心がけるべき点は、1,自分が理解できないという理由で頭ごなしに若者の言動を否定しないこと。2,新しいものや知らないことに興味関心を持ち学び続けること。3,若者が失敗しそうに思えて口を出したくてもグッとこらえて見守ること。4,教養、知性、能力を磨き続ける努力を怠らないこと。この4点だと考えました。

なぜそのように考えるように至ったのかというと、新型コロナウイルス感染拡大防止のための非常事態宣言がきっかけです。私が在宅勤務、子がオンライン授業になり、家で一緒に過ごす時間が増えたことで気づきがありました。

私が在宅勤務をしていて気付いたことですが、子はオンライン授業中、IT機材を自在に使いこなしていて驚きました。また、一見サボっているようにしか見えないゲームやアニメが、意外にも壮大な世界観で思想を深めていました。これが、この本の中で幼少期から英才教育されているという『妄想力』だったのか。と本の内容が現実世界とつながったように感じました。さらに、もしかして私の価値観の方がもう時代遅れなのかもしれない。と自分を疑う気持ちも湧いてきました。

私たちのような親世代が、未来を目指し創ろうとする若者世代を応援しようとして、逆に足を引っ張ったり、チャンスを潰したりすることのないよう、謙虚に学び続け精進していきたいです。若者を支え夢を応援するのも豊かな生き方の一つと思いました。
 
投稿者 yuttysquirrel 日時 
「シン・二ホン」を読んで

同意できる分と同意できない部分があった本であったし
日本というよりは地球全体で考える必要があると感じた本であった。

まず、同意できる部分は教育にメスを入れるのは賛成である。

教育にメスを入れる施策に賛成するのは以下の通り
・政府が行政に介入して、行政が忖度している状態でまともな施策が出ない可能性が高い
・行政が金もうけ主義に走っていて、様々な研究が削られている
・行政が教育界に対する締め付けがひどく、自由度がほとんどない
・戦後の画一的な教育の影響で今の時代に合っていない

政府・行政にお金を出させて、教育特区のようなものを作って
実施するのが良いと思う。

本来であれば、筑波大学がその位置づけだと思っていたのが
筑波大学はそういう位置づけにいないのだろうか?

あとは子供は柔軟だと思うので、
全寮制、寄宿生など導入して勉強や研究を望む子を
集めて、学園都市的に運営した方が良い気がしている。

また、不要と思われる大学も多いので
もっと大学の数も減らしていいと思うし
職業訓練的な大学を増やしても良いと思う。

過剰な競争はだめだと思うけれど
お金がなくても勉強したいという子供は多いと思うので
そういった子供をスカウトするスカウトマンがいてもいいと思う。

私は高専・大学編入・博士まで目指したことがあるので
実態がわかるが、白い巨塔の状態であるとみても良いと思うし、
大学に寄付したいか?って言われるとそこまで大学には
恩義は感じなかった。就職先だって自分で見つけたし
いい印象は正直持ち得てない。
そんな状態で、大学に寄付したいかって言われると微妙である。

教育界に良い印象はもたないとしても国、国家を残したい
気持ちもあるので、国として存続させていくには
最後は教育しかしないし、すべてが立派な人になるわけでもないし
子供の層は厚くしておいた方が良いとは思ってはいる。

あとは世界と競争というよりは、世界共同プロジェクトにして
地球の一部をを学園特区エリアのような感じにして運用するのは
どうだろうか?

地球の資源は限られているのだから
世界中の英知を集めるような教育特区機関を
置きそこから、世界中へはばたくような人材を
育てる仕組みがそろそろ必要なのではないかと思います。
ただ、無限のお金が必要ですけれど。
ただ、象牙の塔にならないように各国を回っていく
ような留学制度の充実は必要だと思う。

最後の「風の谷」のプロジェクトは非常に難しい。
実際に引っ越して町に住んでもいいと
思う人もいることはいるが、
大半は愛着のある場所は離れたがらない人が多いとみている
そうでなければ、ぽつんと一軒家みたいな番組があったり
放射能にさらされてしまった土地に戻りたくなるだろうか?

それよりは、もっとAI+ロボット的に人間の補助ができる
アシストロボットを作り、たとえ田舎に住んでもしもの時があっても
見守れる状況にしながらいきていけるのは幸せじゃなかろうかと。
イメージ的には映画AIのような世界観に近いかもしれない。

お年寄りについても
実際に年寄りと近くに住んでみて
早く死にたいと望む老人もいたし
認知症になって自己意識がなくなっている状態で
果たして生きているという実感があるのかどうか
私は心配しており、
死の選択肢はあってもいいような気がしている。

実際、認知症にならずにならなかった老人は
自分で食べることをやめ、老衰のように亡くなった方も
いると聞く。
これからは死の選択肢もあってもいい時代と思っている。

地球に対しては、新型コロナの影響、自然災害の多発を考えると
科学と自然を融合させないと
日本どころか地球が生き残れないと
実際に生きていて思うし。
人間にはもっと謙虚さや
自然を畏敬をいただかねばならないと日々感じている。

また、子供の教育大事だが子供を育てる親も教育する機会がないと
子供への投資には回らないのではないかと感じる。

だから全世代にわたって教育を受けられる場を設けて
地球規模で自然と科学を考えられる人間を増やさないと
このまま人類が滅びるだろうと思った。

地球全体で考える必要があると感じた本であった。

以上です。
 
投稿者 eiyouhokyu 日時 
シン・ニホンを読んで

 コロナ禍の現在、将来がどうなるのか世界中が不安に包まれている。未来を考えるよりも、今何をすればいいのかという考えで、私の頭はいっぱいになりがちだった。このタイミングで本書を読んだことで、未来に目を向けることができた。
 
 本書は1章で技術について話を展開している。特に最先端のAIについて触れられている。ただし、技術だけでは未来を仕掛けられず「未来=夢×技術×デザイン」と著者は言っている。
 
 2章では、日本が世界に遅れをとっていることを示すデータが続く。GDP、生産性、賃金や労働時間、主要大学の女子学生比率においても、日本が秀でているものはない。将来に対する不安、危機感が募るデータばかりである。特に深刻なのは、科学技術分野の弱体化だ。私はこの本を読むまで、日本が科学技術に力を入れることに、こんなにも消極的になっているのだという現実を知らなかった。
 科学技術は、未来への投資と考えられる。にも関わらず、データ社会を生きるための専門家が少ない、理系が少ない、理数の基礎素養が足りていない現実があるということは、今までの学校教育で理数系科目が重視されていなかったし、このような未来が来るという予測もできていなかったということだ。過去に未来をデザインして作った教育プログラムが、現在では有効に機能しないということは、その学校教育を受けて私は即戦力にならないだけでなく、アップデートしないままビジネスの場にいると、ジャマおばになってしまう。

 ただ、この状況に、一筋の光を著者は示している。それは、妄想力。しょ~おん先生も、人生を前向きに妄想することが大事とコミュニケーション編で仰っていた。年とともに薄れてきていた私の妄想力。妄想力が現実を作ると思っているから、小説を読んで妄想力を鍛えているという塾生の友人の話を思い出した。小説を読んで、不足しているという自覚がある妄想力を鍛えようと思う。

 3章では、人材ということで個人のスキルやについて述べられている。特に印象的だったのが、「運、根気、勘、チャーム」。チャームに関しては、「人としてのチャームに決定的に課題がある子どもたちには、~中略~OBゾーンを早期に脱してもらうような取り組み」とあるが、子育て中の個人的な感想としては、もう少しここを突っ込んで聞いてみたいところだった。運や勘に関しては、教えるということを考えたことがなかったが、これからの時代、勉強だけでなくこういった目に見えないスキルも向上させる必要があり、これもしょ~おん先生が日ごろ言ってることと通じる内容だと思った。

 もう一つ、P162の図3-4のすでにできた社会を回す人の丸い絵と、未来を変える人のギザギザな絵が印象的だった。学校教育や社会では、はみ出ることは恐れられている。所属するカテゴリーに合わないと、人から嫌われるからだ。嫌われるのが怖い、人の目が気になる、私も含めて日本人はそう感じる人が多い。しかし、それでは価値創造ができず未来を作れないのだと筆者は言っている。限られた人生という時間軸の中で自分が得意なものに注力するということを、自分自身で考えて、才能の配分をしていくことがこれからの時代必要になってくるということだと理解した。

 4章は、人材育成について書かれている。一番興味を引いたのは、「空気を読む国語」から「三学」にという部分だ。私には小学生の息子がいるが、宿題やテストでは毎度おなじみ『登場人物はこの時どういう気持ちでしたか』という問がある。穴埋めで答える日本の
テスト形式では、論理的な文章を書くトレーニングはできない。まさに今、私が課題図書を書いていることが、伝える力としての文章トレーニングとなっている。

 5章では、大学の予算と国の予算の現状が、海外に優秀な人材が採られてしまっても無理はないなと思えるほど乏しい状況で驚いた。教授の年収の推移を見ると、メディアに教授が出ていたりするのもうなずける。
 そして、高齢者への手厚い介護と治療による延命が、幸せな日本の未来につながらないと実感した。日本全体で見ることと、将来子どもに残す未来をどうするかという風に考えたことはなかったので、思考を一段階上げるというのが私の今後の課題だと思った。

 最後に、たまたま本書と並行して読んでいた立花隆著「21世紀 知の挑戦」の最終章に若者たちへのメッセージが記されていた。キャリア官僚となる試験合格者の初任者研修および総合研究大学院大学入学式セミナーで語った内容である。この本は、20年前の本だが科学技術想像国なんてとんでもない、日本は大幅に遅れているという指摘をしていた。それにもかかわらず、20年後の今、立花氏と同じ指摘を著者がしていることに驚いた。つまり、日本は20年間何も変わっていない、むしろ後退してしまっているのではないかと感じた。当時、国のトップ機関に入る優秀な方に行った演説を聞き、熱い志を持った方々は20年間の間に、角が削り取られ丸い形になってしまったのだと思うと非常に残念である。
 誰かを頼って人生を作るのではなく、これからは自分で未来を作っていくしかない、そう思える本書だった。

今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 3338 日時 
 元々PCが苦手な私は、またAI関係の本かと読む前から、きちんとまとめられるか不安になりました。不安は的中し、読んでも読んでも考えがまとまりません。下手な考え休みにに似たりを地でいってしまいました。
 しかし、読んでいるうちに理解できたことは、AIの得意分野をAIに任せて、人間は人間にしかできない価値を生み出そうということでした。そして、それが最後の「風の谷」につながっていきます。
 p116に、今確かにデータ×AIの世界では日本は大幅に出遅れてしまった。とありますが、ここで、日本が1980年代に半導体で世界を席巻したことを思い出しました。半導体に関しては出遅れるどころか、世界の誰もが日本で半導体が作れると思っていなかったにも関わらず、アメリカを抜いてトップに立ちました。その経過は目を見張るものがあり、それらを支えたのは発想の転換でした。この発想の転換こそが、筆者の言うところの妄想力になると思います。データ×AIで出遅れた日本が、世界と同じ土俵で戦うには、ご都合主義の妄想から始まる、発想の転換が不可欠だと思いました。
 また、そのための人材育成やリソース配分、未来への投資、大学への補助なども深い考察でしたが、特に二つの事柄が印象に残りました。
 まず医療の問題です。 
p412に菊の花構想として語られています。またp342に医療・ケア以前にできるだけ予防とありますが、未来を想って舵を切る必要があるなら、この機会に病院を中心にした医療制度を見なおす必要があると思いました。
 というのも、北海道の夕張市が財政破綻の末に病院を閉鎖したため、その後の地域住民の健康が危ぶまれたことがありました。直後から診療所を中心に予防医学に徹し、訪問看護と訪問介護に力を注いだ結果、死亡率は横ばいとなり、救急車の出動回数は半減しています。その後10年以上経っていますが、自宅や施設での看取りが増え、この例から、病院が病気を作っていたと書いてある本もありました。
 介護費は増えたものの、トータルでは経費が減り、誰にとっても住みなれた家で自然に死を受け入れていくことが、一番の幸せであると病院が無くならなければ、市民も医師も気がつかなかったことになります。尊厳死を認めるということも併せて、こちらのあり方の方が、より風の谷につながるあり方ではないかと思いました。
 もう一つが風の谷構想です。
風の谷の部分を読んで、すぐに自分の住んでいるところだと思いました。もちろんド田舎で周りは田んぼと畑だけ。人間関係が難しい上に交通が不便なので、人間関係が薄いもっと便利な街に住むにはどうしたらいいかと考えていました。ところが、この3年ほど先生のメルマガを読むようになってから、田舎に住むのも案外悪くないと思うようになりました。なぜなら、やはり自然が豊かで、季節の野菜や果物を楽しむことができるからです。不便ではあるけれど季節感があり、自然が豊かで新鮮で美味しい野菜がある暮らしを楽しむことは誰でもできます。しかし、面倒な人間関係はそれなりに如才のない人でなければうまく捌けません。ここで妄想ありき!です。
面倒なものは全部排除して、美味しいところだけを楽しむにはどうしたらいいか?
最近はコロナのせいで出歩かなくなり、もっぱらSNSで楽しいやり取りをすることが多くなりました。この状態を発展させて行けば、風の谷にたどり着くのでは無いかと考えました。 
 私はこの自然とともに生きる未来を、子孫に残したいと思います。今すぐに何かできることも思いつきません。でも、ここが風の谷になったらという妄想が膨らんでしまいました。
 今まで好きではなかったこの町を、違う価値観で見られたら嬉しいことです。世界観が変わったら、必ず現実も変わります。できるのならばそうしたいと思いつつ、これから暮らしていくことで、そんな未来につながる道を模索して行きたいと思いました。
 
投稿者 sikakaka2005 日時 
課題図書を読み、3つのことを考えてみた。

1.日本に居続けていいの?

この本を読めば、誰しも思うのではないだろうか。このまま日本にいていいのかと。
日本はまさに、日本の普通のサラリーマンの姿と被る。
生産性はあまり良いとは言えない。遅くまで残業して、残業代で稼ぎを保つ。
土日は平日の疲れを癒すのに精一杯で、新しい技術やスキルを学ぶことはなく、今の会社で居続けることしか考えていない。自分の将来に投資するなんてことは考えない。そんな姿と被った。

そんな国にこのままいていいのかと言ったら、答えはノーだと思う。
なるべく早く脱出することを考えた方がいいかもしれない。

でも、次の疑問が浮かぶ。オレは脱出できるのか?

これまで、日系企業で約12年働いてきた。それなりに大きな会社だ。それなりに人を動かした経験はある。チームをまとめたこともある。業績を評価されたこともある。

でも、他の企業が求めているスキルは何だと問われたら、正直答えに窮する。転職したことはない。
今の会社でうまく立ち振る舞うスキルには自信がある。
けれども、他の会社で求められているスキル考えたことはほぼない。

しかも、これまでのキャリアで日本語以外の言葉を使った仕事はない。
英語は普段の会話ならば聞けるものの、うまく話す自信はない。
英語をビジネスで使ったことないし、外国人を相手に仕事をしたこともない。
これだけ、英語は世界語と言われているのにだ。

仮に日本を脱出できたとして、海外で仕事を探すことなどできるのか?

出身大学を言ったところで、知られているはずはない。
言葉の壁はクリアできても、同じくらいのキャリアならば、きっと、国籍で落とされる可能性だってある。
よほど光るスキルが無い限り、私のような日系の普通のサラリーマンが相手にされることはほぼないのではないかと思った。

私は、仕方なく日本にいるのではない。
日本しか相手にしてくれるところがないのかもしれない。
日本を選んで住んでいるのではなく、日本しか選べるところがないので、住んでいるだけなのかもしれない。

まずいと思った。かっこ悪いと思った。
日本にいることを心配する前に、日本にしか住めない自分を心配しようと思った。
まずは中途半端な英語はビジネスで通用するまでに伸ばそう。
次に外国でも通用するスキルを棚卸ししようと思った。まずはそれからだ。


2.AI-Readyになっているか?

AI×データが、生活に仕事に浸透してくることはもう避けられないだろう。

本のなかでしきりに、AI-Readyな社会が望まれるとあった。
たしかに、社会がそうなるのは良さそうだが、社会が変わる前に、まずは個人だろうと思う。

では私はAI-Readyなのかと言ったら、そうではない。
うちにはAlexaがいるが、AlexaをAIとして使ったことはない。

SNSもAI-Readyなスキルを高めるツールになりえるが、FACEBOOKもtwitterもアカウントはあるものの、読み専門で、発信はほぼしていない。
仕事でも、AIを使うことはまずない。
これでは明らかに、AI-Readyではない。

本のなかで、日本人には、フェーズ1はダメダメだが、フェーズ2,3で一気に巻き返す歴史があることが紹介されていた。このことは、もう少し言えば、発明家よりも、うまく製品化する能力があったということではないか。
日本人は、新しい技術を作る事は太いだか、新しい技術を使って生活を豊かにさせることは得意だということではないか。
だとすると、やっぱり新しい技術を使い倒すことがポイントだと思う。
使い倒すことで、どうしたら、価値が出る使い方ができるのか、考えることが、これからの私たちに求められるスキルなように思う。
本に出てきたジャマオジにならないために、進んで新しい技術を使うフットワークと、価値を出す方法を考え続けることが、必要なように思う。


3.子どもを日本で育てていていいの?

ひとりビジネスマンとして日本を脱出できるスキルも自信もないくせに生意気だが、子どもの教育を、日本でしていていいの?と思う。

うちの子どもは今年小学1年生になった。公立だ。
コロナのせいで、授業は行われないかわりに、宿題が大量に出たのだが、内容を見せてもらったら、私が小学生のころ(約30年前)と何も変わっていなかった。

まだ1年生だからというのはあるかもしれない。
でも、社会は着実に変化し、社会で求められるスキルも確実に増え、誰でもスマホを持ち、誰でも仕事でパソコンを使うようになっているのに、教育は足踏み状態だとすると、致命的だと思う。
学校に任せていては、足りないかもしれない。

世界に目を向ければ、日本の大学が、他国に比べて、資金や基金が少ないことが本のなかで挙げられていた。
できれば、資金が潤沢にある学校の方が、優秀な先生を呼ぶこともできるし、優秀な生徒が集まるし、そういう雰囲気のなかで学生生活が送れることは、代えがたい経験になると思った。

そこまで蓄えがあるわけではないが、大学に行くならば、日本の大学より、海外の大学に出た方が、子どもが就職するときに、有利になる可能性が高まるし、就職先も日本だけでなく、世界を視野に考えられるのではと思う。

そういう風に今から仕向けていこうと思う。

という妄想をしつつ、まずは親が子どもに背中を見せる行動をしようと思う。
 
投稿者 kensho0408 日時 
1.「タイプB」の課題解決
 本書の扱う広大な分野からの膨大な量のデータを用いた考察・分析には圧倒される。それが必要なのは、本書の扱う課題が「タイプB」(あるべき姿から定める必要がある「ビジョン設定型」)の課題解決であるからである(P.391)。これは、「タイプA」(あるべき姿が明確な「ギャップフィル型」タイプの課題解決:世の中の約9割を占める)とは異なり目指すべき姿の見極めから始めなければならず、答えも簡単には見つからない。しかしこれこそが、データ×AI時代の人間に求めれられる真の課題解決だと筆者は言う(P.393)。
この課題解決から現代日本人が直面を避けてきたその帰結としての現状分析が種々行われている。
 確かに、データを見ると昨今の日本は相当に落ち目である。しかし、本書には暗澹たる気分に光を見出す日本の勝ち筋が以下の方程式に描かれている。
 未来(商品・サービス)=課題(夢)×技術(Tech)×デザイン(Art)
(夢)日本は幼少期からアニメなど、妄想の英才教育を施している稀有な国である。クールジャパンのアニメ推し。
(Tech)技術の発展段階をフェーズ1(新しい技術の黎明)、フェーズ2(新しい技術が実用化)、フェーズ3(新しい技術がより複雑な生態系を生み出す)の三段階に分類すると、実は日本はフェーズ1をやったことがなく、フェーズ2、3で急速に追いつき変えてしまうのが日本の芸風である。今のデータ×AIの時代、出だしは完全に日本は出遅れてしまった。しかしこれが日本の勝ちパターンである。
(Art)素晴らしいものを生み出すには、「知覚」の能力が重要である。知覚とは端的に言えば対象のイミを理解することである、美的評価や状況把握もかなり入り組んだ知覚活動といえるが(P.179)、AIはイミを理解することができない。明治時代や戦後のように未知なる変化のときに、知覚の優れた(知り過ぎに毒されていない)若い人に託すのは日本の伝統であり、AIの上に立って使いこなすことが期待できるのではないか。
 なお、本題からは外れるが、P.071の米ドル換算の「G7における一人あたりのGDPの推移」のグラフにおいて、他の先進国のグラフが波打っているのに対し、アメリカだけが線形に一直線に増加しているのは少々出来過ぎで不自然に感じる。
2.結論は「風の谷」(ナウシカ)
 筆者が導き出した解決策は「風の谷」(ロボティクスとバイオテクノロジーが発達しすぎて人が住めなくなった"腐海"の風上にあり、つねに風が吹き込んでいるため"腐海"の毒に覆われていない)である(p.391)。昨今、世界中で人口が増加しているにも関わらず限界集落の崩壊が続いている。この都市集中へのオルタナティブとして地方分散により人と自然の共存を目指すものだが、インフラコスト・子育て・高齢者医療・土地の求心力向上等の課題に取り組む必要がある。
3.アフターコロナの「シン・ニホン」
 新型コロナの影響下にあって、「シン・ニホン」の示唆が急速に現実味を帯びて来たと感じる。新型コロナがバイオテクノロジーの生み出した"腐海"かどうかは別にして、過去の飢饉やペスト・スペイン風邪等で人類が経験した人口減少を見ても数割程度の人口減少は特別ではない(P.384)ことが認識された。三密で都市集中がリスクであるとの認識が浸透した。東京オリンピックでは進まなかったリモートワークが新型コロナで一気に進み、日本のおじさんサラリーマンも「なんだ、わざわざ都心の会社に行かなくても仕事できるじゃないか」と在宅ワークでで気付いてしまった。
 現状の制約条件から、地方分散の方向に進むことは必然と思う。サポートするテクノロジーも、人の意識も浸透しつつある。そもそも会社もこの先どうなるかわからない。自分のビジョンの再設定を強制的に迫られていると感じるが、すぐには結論が出ないものの、「知覚」の能力を鍛えて方向性を見出したい。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“描くこと、分担すること、つなぎ合わせること、見い出すこと”


本書はマネジメント本である。著者は、現在の日本の国家運営は前時代的なものになっているのだから、まずはマネジメントの概念に立ち返り国家運営の在り方を軌道修正するべきだと本書を通して述べている。

本書の構成は
第一章:これからの世界の変化の行方とその変化の前提
第二章:その中での日本の現状と日本が目指すべき姿(ビジョン)と行き着くまでの道すじ
第三・四章:ビジョン実現に必要な人材が持つべき能力、知識、技術とそれら人材の育て方
 第五章:リソース、特に資金の拠出方法と配分方法
であり、P.146で著者が述べているマネジメントのするべきこと
 ●「(0)あるべき姿を見極め、設定する」、「(1)いい仕事をする」(第一・二章)
 ●「(2)いい人を採って、いい人を育て、維持する」(第三・四章)
 ●「(3)以上の実現のためにリソースを適切に配分し運用する」(第五章)
が、具体的に国家運営に落とし込まれる形式になっている。そして、最後の第六章は、著者の描く新しい日本の未来構想(妄想)と計画実行の手引きと読み取れるので、本書は日本の未来づくりをマネジメントの観点から論じた本であることは間違いない。
 今月は、そのマネジメントの要素としても重要で、かつ人生を有意義にする上でも重要である“描くこと、分担すること、つなぎ合わせること、見い出すこと”に焦点を合わせて本書からの気づきをまとめてみたい。


 まずは、“分担すること”について。

 本書を読むと、国家をマネジメントする上で、政府・企業・国民と各々のレベルで環境を見極めた上で、役割を“分担すること”の重要性が分かる。マクロレベルでは今後訪れる「データxAI」という時代の中での“人間とAIの役割分担”、国家レベルではその「データxAI」時代を勝ち抜く人材育成についての“政官民の役割分担”、企業レベルではニューエコノミーを創り出す上での“大企業と中小企業の役割分担”、国民レベルでは“世代間の役割分担”などが挙げられている。この役割分担を理解せずに行動すると、国家という集合体が的外れの方向に進んで行ってしまったり、集合体の中で部分が役割を果たさなくなったり、更には集合体が機能不全に陥ってしまうこともある。
 
 そして、つい先日これらの中で最も重要度の高い「データxAI」時代の中での“人間とAIの役割分担”について興味深い記事を読む機会があった。

 『データの世紀~AIの本領、生かすは人~』(2020/4/9日経)には、今回の新型コロナウイルスが原因で起こった2月末以降の株価暴落に対応できなかった米著名投資家レイ・ダリオ氏について書かれていた。リーマン・ショックでも運用益を維持したということで名を上げたダリオ氏は、AIが導いた『株価暴落は1600億年に1度の発生確率』という分析を鵜呑みにして巨額の運用損失を出す結果になった。“システムを信じたが…“と悔やんだというダリオ氏だが、彼の落ち度はどこにあったのか?
 私は、ダリオ氏はAIを盲目的に過信する余り、自身が持つ知覚を疑り、無視してしまったのではと推測する。それを著者の言葉で表せば、「言葉、数値になっていない世界が大半であることを受け入れること」(P.196)が出来ていなっかたということだ。そして、このことが2つめの重要点に繋がって行く。


 “つなぎ合わせること”について。
 
 上述した“人間とAI”、“政と官と民”、“大企業と中小企業”、“世代間”という集合体の中で分けた役割をビジョンに向かって有機的に“つなぎ合わせること”の重要性は言わずもがなであるし、更に、P.42の「マッシュアップエコノミーの時代になる」、P.60の「デザインの新しい定義」、P.134の「不揃いな木を組み、強いものを作る」、P.151の「異人の時代」などの内容にも、つなぎ合わせる能力の必要性が共通する。そして、上述した米著名投資家レイ・ダリオ氏の件に関係して言えば、AIが導き出した数値化・言語化された情報と彼自身が知覚していた非数値・非言語的な情報を“つなぎ合わせること”で意味を見出すという点が欠けていたのだと思う。と同時に、これからの時代の人間の役割と人間のAIに対する強みが何かなのかが見て取れる。


 “見い出すこと”の重要性について。

 P.333の「現在の逆ピラミッド型の人口調整は人類全体が半ば無意識に行っていることだ」は個人的に本書の中で最も痺れた一文だ。なぜなら、私はこの著者が導き出した見解は、絶対にAIでは導き出せないものであると思うからだ(私は、人間の無意識をAIが測れる事は永遠に来ないと思っている)。
 国家運営の在り方を提言する本書には、数字とデータからなるファクトベースの情報が圧倒されるほどに列挙されている。この情報を作り出す際は、コンピューターをはじめ多くのテクノロジーが関わっているのだろう。ただ、どういう情報を必要とするか、その情報からどういう意味を見出し、結論を導き出すかは全て人間である著者の役割であったはずである。そう考えると、私には本書自体が人間とAIの役割とは何か、人間のAIに対する強みが何かを著者自らがデモンストレーョンして読者に示しているように感じ思えてならない。


 最後に、“描くこと”について。

 国家レベルでも、企業レベルでも、個人レベルでも、夢、ビジョン、目的という全体を“描くこと”の重要性はよく語られるが、その描く上での心の姿勢について耳目にする機会は少ないのではと思う。しかし、この心の姿勢が正しくないと、その他の重要点で挙げた“分担すること”、“つなぎ合わせること”、“見出すこと”も全て間違った方向へ進むことになり兼ねない。
 本書の随所で著者は問う、どんな日本を未来を残すべきなのか?残したいのか?と。正直、これまで私自身はこの問いを思いつくことはなかったし、現在、この問いに対して明確な答えを持っていない。ただ、この問いを考え続けることは、未来を作ろうとする上で普遍的な前提であるべきはないかと本書を読んで考えるようになった。


~終わり~
 
投稿者 soji0329 日時 
「シン・二ホン」を読んで


本書は、慶應大学の教授でありヤフー株式会社CSOの安宅和人氏が、産官学に向けて話した資料を一冊にまとめたものである。多くのデータをもとに、内容は多岐に渡る。巻末で安宅氏は読者にこう問いている。『僕らはどんな未来を残すつもりなのか』これを受けて私は、自分の心づもりをまとめてみた。

どんな未来を、と聞かれても私は、正直何も思い浮かばなかった。今年でさる企業を定年退職し、現在は契約社員となった。本書でいうところの、ミドル層からシニア層に移行したところである。59ページにある未来の方程式『未来=夢×技術×デザイン』。そして夢とは、こんな課題を解きたい、こんな世界を生み出したいという気持ちだという。自分の中でますます見えなくなった。

また第二章で述べられた、15年一人負けをし続けた日本の現状。技術の中心がデータ×AIとなっていく中で、世界の後塵を拝することになった原因が、『ジャマおじ』と指摘された自分にあるようで、かなり息詰まりを感じたのだ。

その中で私は、130ページにある『日本の強みは、この国は3歳児くらいから、この妄想力を半ば英才教育している珍しい国だということだ』のフレーズに着目した。これを読んで私はある友人のエピソードを思い出した。幼稚園に入ろうかという息子に、将来何になりたいかと尋ねたところ、「アンパンマン」と答えたという。「妄想」という言葉は「根拠もなくあれこれと想像すること」であり、「根拠もない」というところに私は、ネガティブなイメージを持っていた。それを安宅氏は「夢を描く」ことだとポジティブな意味に使っていたのだ。息子の答えは、まさに妄想力そのものだ。

私は昔、部下が持ってきたプランに対して、実現性や採算性を指摘した後「妄想に過ぎない」と評したことがあった。プランから抽出した課題に対し、あらためて解きたいと思わせるよう指導できなかったことが、今更ながら悔やまれる。

友人の息子に話を戻す。ここからの会話は私の想像である。私はこう問うだろう。「なぜアンパンマンになりたいの」「だってお腹の空いた人に自分の顔を食べさせてあげるんだよ。それにバイキンマンをやっつけるんだ」

もしこのように答えが返ってきたとしたら、食糧問題、医療問題とイメージを広げ、どのようにパンを届けたらいいか、ばい菌はどうやって退治するか、子どもが興味を持てるように話ができるだろう。子どもは深く考えていないかもしれない。でもきっかけとなった利他の心を膨らませてあげる。これが妄想力の育成であり、夢を描くことなのだ。と私は理解した。

147ページでは『教育を担うのは学校だけではない。家庭もそうであり、コミュニティ全体が未来に向けいい人を育む責任がある』という。コミュニティにおいては、許される限り私も協力していきたい。そのためにはまず自分を鍛えることからだ。156ページでは「人としての魅力の育成」があげられている。これらはとてもベーシックなことだが、あらためて振り返ると今まで出来てきたか、反省させられる。

『知的活動の具体的イメージ』にある、189ページの『課題を見極め解決する』では、適切な問い、解くべき課題(イシュー)を見出し整理することが述べられている。それは先ほどのアンパンマンの例での、問いの繰り返しがそうであろう。相手の興味や関心度合いを見ながら、次のステップに向かうための課題の抽出は、まさにコーチングのテクニックである。

また「知覚」を鍛えるためのハンズオン、ファーストハンド。例えば具体的に美味しいパン屋さんに行ったり、パン工場や医療施設を一緒に見学することで、よりイメージが鮮明となり、次のステップに向かう新たな課題が見えてくることだろう。先人の偉業を目の当たりにすると、また夢が広がるに違いない。どのような経験を積ませるかが重要である。

さらに218ページ、思考、表現の武器としての国語の刷新では『論理的かつ建設的にモノを考え、思考をくみ上げる』育成について触れられているが、これは私が最も苦手であり、現在取り組んでいるテーマでもある。ざっと挙げただけでも、教育に携わるにあたっては、自分の中でまだまだ課題は多い。

とにかく、65歳で伐採される制度には抗わないといけない。まさに、倒れて動けなくなるまで社会の役にたつ心構えが重要だと考えている。334ページでは『年金や医療費は、若者の未来や未来の国力強化のためのリソース投下を犠牲にしてまで最優先されるべき』との記載があった。まさしくこれはローマの将軍マルケルスの言葉『老人を生かさんがために、若者を犠牲にするような国に未来はない』と対をなすものだ。

これは私の妄想になるが、私が残したいのは、老人も若者もともに明るく生きられる未来だ。それはどのようなものか。残念ながら今の自分には生み出せる自信はない。ただ自分が今後目指したい、一番近いフレーズが64ページにあった。『人がいいなと思うであろうことを先んじて感じ、それを自分なりに表現できる力を持った人を育てていく(一部編集)』そのためにも自らが、このような力を持てるよう目指していきたい。
 
投稿者 vastos2000 日時 
本書を1回目に読んだときは個人レベルないしは自分の子どもにはどんな教育を受けほしいかといった、非常に人称の低い考えしか浮かびませんでした。
3巡目に入ったあたりで、今回の課題図書発表の際の『これを読んで自分が政治家ならどうするか?を考えるべきだと思うんですよ』という言葉を思い出し、人称をあげて考えるよう努めました。


【教育の問題】
私は学校で働いていると言うこともあり、教育関連の問題にアンテナが立っています。それゆえか、教育分野の改革をすべきと考えています。
教育を変えるには制度はもちろん変えねばなりませんが、国民の意識も変える必要があります。そのことを萩生田文科大臣の失言でおじゃんになった大学入試改革であらためて思い知らされました。
新型コロナ関連のニュースの増加で露出がめっきり減っていますが、今年は大学入試改革元年です。大学入試改革といっても、実はそれほど大きく変えることができませんでした。
大きな仕事(=力×距離)をやろうとすると、反作用も大きいのでしょう。

【大学入試改革は阻まれた】
個人的には、大学入試改革の目指す方向性は悪くないと思っていました。その方向性を非常に乱暴にまとめると、「知識や技能を身につけるのも大事だし、その知識を使って周りの人と協力して学ぶ姿勢も身につけよう」というものです。
従来の大学入試は知識(暗記量)を問う側面が強いモノでした(今でもそうですが)。センター試験レベルの数学であれば、頻出分野の解法のパターンを覚えれば7~8割程度の得点ができます。
ただこれはコンピュータが得意とする分野ですので、最低限の知識(中学で習う範囲くらい?)を身につけたら、あとは如何に自分で問いを立てて学んでいくか、つまりはAIが不得意とする分野の力を磨いていくことが重要になると思います。どんな天才でも記憶容量と演算スピードでコンピュータに勝てません。

【大学などの教育機関、研究機関への予算】
話が少々逸れました。
本書では教育分野の問題点として、日本における科学技術関連予算の少なさと、理工系学部(と大学院)の少なさを取り上げています。
これは確かに問題なのですが、大学人として、今の大学に投資価値がどれだけあるか?と思っています。
平成20年あたりで大学進学率が50%を越え、それとともに大学の数も定員も増え続け、東京や京都への学生の集中が進み、地方の私立大学では定員割れが当たり前となっている大学が出てきています。
財務省も「補助金はメリハリをつけろ」と文部科学省に圧力をかけており、現時点で学生が集まっていない大学はますます苦しくなり、そのうち募集停止(倒産)する大学がボロボロ出てくるでしょう。
THEランキングも英語圏の大学に有利なポイントの計算方法とはいえ、日本で英語の論文を書く研究者が少ないのは入試制度の弊害があるのかもと思います。理系学部でも英語が必須科目となっている大学は多いのですが、私立の中には数学と理科の2科目でOKのところもありますので、大学院に行くと苦労することになるでしょう(英語の論文を読むことが求められる)。

だいぶ回り道をしてしまいましたが、本書で提言されている「リソース配分を変える」に触れます。
まず科学技術分野の予算自体を増やすことも重要ですが、その増やした予算を広く薄くばらまくのはやめるべきです。残すべき大学を残し、そうではない大学は専門職大学に以降させるなり、潰すなりして、選ばれた大学に厚く予算を割くべきであると思います。実際これをやるとなると反対の声がかなり出てくるでしょう。
しかし、日本のような天然資源に乏しい国では、選択と集中はやむを得ないと感じます。
私自身は文学部の出身であり、決して文学や古典を軽んじるわけではないのですが、それにしてもこの分野の大学教員は自らの存在意義を語れなすぎます。(昨年、「国文学部VS理工学部」のような大学教員による討論があったのですが、国文学の惨敗でした)
本書でも『リベラルアーツとSTEAM』のところで触れられていましたが、まずは国語(母語)でしっかりと思考ができた上で、世界語、データ×AIリテラシーを身につけることが求められると書かれています。

【個人の視点】
最後に、個人レベルの戦略を。
先日のセミナーでも英語を身につけることを進められました。W3Techsによると、全世界のネット上のコンテンツの約52%が英語で書かれているそうで、新型コロナ関連の情報も英語が読めると、非常に収集力が上がるようです。
そこで、3月から英字新聞を取り始めました。新聞なので、書いてあることの概要はわかるのですが、忘れている単語が多く、読み進めるのに苦労しています。
目標を決めないと勉強にも身が入らないと思いましたので、最初の目標として2020年中にTOEIC(L&R)600点としました。
昨年、仕事関係、個人的な趣味で参加したセミナーではAIを取り上げたモノが多かったように感じます。そこで2回、平成元年と平成30年の世界の企業時価総額トップ50社のリストを見ましたが、平成元年はトップ10に日本企業がいくつか入っていたのに対し、平成30年ではトヨタ1社のみになってしまっており、トップ10社はGAFA+Mをはじめとするアメリカの企業(と中国が数社)で占められていました。
イケてない日本を立て直すことは個人では難しいことですが、日本を出て生きていく、あるいはグローバル企業で働くことは、正しい努力をすれば可能であると考えているので、少なくとも私の子どもにはその選択肢を与えたいと思っています。
そのためにも世界語である英語力を再び高める必要があると思っています。
 
投稿者 H.J 日時 
『来たときよりも美しく(P434)』
という言葉がとても心に残る本だった。
本書の感想を語る場で、著者の上司の言葉を最初に持ってくるのはどうかとも思ったが、私が感想を書く上で必要だと判断したため、記載する。

本書は、今年の2月20日に発行された本であるが、まるで今のコロナショックに陥る日本へのエールの様な内容の様にも感じる。
未来の日本を変えようという熱いメッセージの込められた本書と、現状のコロナウイルスにより暗くなってるムードの日本がマッチして、そう見えているかもしれない。
2020年4月現在の日本はコロナウイルスの蔓延により、感染拡大防止と経済対策と教育格差等、コロナの話題を聞かない日はない。
そんな中で話題に上がる度に目に付く政権批判。別に現政権を庇うつもりはないが、批判は正直もううんざりだった。
そんな時だからこそ、
『破壊するだけのアイデアは何も生み出さない。「文句は言っていい、しかし言った人が直す」は僕らが幼稚園や保育園で学んだ、この社会の掟だったはずだ(P2)』
という言葉に、とても共感した。
批判をしてるだけでは未来は変わらない。
というよりも、批判に共感した人が手を挙げるのを待ってるだけの状態だ。
結局、批判をしても何も変わらない。
政府も専門家も経験したことないウイルスを前にした今、未来を他人に委ねてるだけではあまりにも他人事の様に見えてしまう。

既に一人一人の生活が掛かった現状で、批判をしているだけでは現状維持どころか悪化していく一方である。
経済が悪化している中で批判してるだけでお金を貰える様な立場なら別ではあるが、大半の人はそうではない。
著者が語る様に
『僕らは少しでもましになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ。もうそろそろ人に未来を聞くのはやめよう。そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。未来は目指し創るものだ。(P6)』
批判している時間を、このピンチを未来を変えるチャンスと捉えて、想像して創造していく方がよっぽど有意義な時間の使い方だ。

冒頭の話に戻すと、
『来たときよりも美しく(P434)』
この言葉が心に残った理由としては、やはりコロナウイルス騒動がある。
ウイルスが蔓延して、人々の生活が一変した。
外出自粛に、経済影響など様々な暗いニュースの中、在宅ワークの需要増加をきっかけにリモートツールが流行りだした。
半ば強制的な面もあるが、今回の様なきっかけがないとこの分野に多くの日本人が手を出すことは無かったかもしれない。
なぜならば、リモートツールが無くても困っていなかったからだ。
そして、在宅ワークをきっかけに人々の生活や価値観も変わっている。
たとえば、都内に住んでいない人が都内勤務の場合、通勤に片道1時間以上も電車に乗ってたその時間が無くなった結果、家族との時間が出来たり、空いた時間で読書時間が増えたり、新しいことにチャレンジする時間が増えた。
時には散歩をして、近所で意外な発見をするかもしれない。
私には、この変化は大小問わず美しい変化だと思う。
そう考えると、ウイルスが来たから最悪なことしかない。と言っているよりも、この変化を美しく感じる方が有意義に思える。

そして、ウイルスだけに限らず、「来た時よりも美しくする」ために何が出来るのか。
未来に向けて、自分が出来ることを分析して、自分にしか創れない未来を創っていけるよう頑張ろう。
 
投稿者 jawakuma 日時 
シン・二ホンを読んで

シン・ゴジラならぬシン・二ホンということで、マッキンゼー、yahoo!、慶応教授、国のプロジェクトといった経歴の著者が、AI時代の日本の再生計画を語る。という明るい前向きな予想で読み進めたのだが、3~5章では米国、中国をはじめ、海外の国との比較で非常に厳しい現状を突き付けられ、やるせない気持ちになってしまった。ある程度の差は覚悟していたが、ここまで違うとは…。

しかもデータ×AI化産業化のフェーズ1は終わりを迎えつつあるという。本書では、日本の勝ち筋はここからで、フェーズ2・3の高度な応用とエコシステム化の際に、圧倒的なスピードで追いつき一気に変える(p48)と説かれていた。明治維新も敗戦後もそうやって日本は成長してきたのだそうだ。そのためには、後半に書かれている、リソースの再分配と教育改革が必要となる。簡単にいえば、‟未来のために投資し、未来を創る人を育てましょう“ということで至極当たり前なことなのだが、既得権益にすがる人達(じゃまおじ以上に邪魔する人達だが)が相当数いるのも事実だ。

また、明治初期や戦後の日本と違い、衣食住の生活のベースは出来上がっており、人口も減少局面を迎えている。市場は世界を見据えているとしても戦後のように安価な労働力を武器に打ち出していくこともできない。教育改革にしても農耕民族である日本人は、右に倣えで周りと合わせることに安心感を得る傾向が強く、突出したヤバい才能が育ちにくい土壌があるように思う。ではこのまま沈むに任せるのか。いやそれはNOだ。

著者も危機感に追われ、日本再生のビジョンを掲げたのだろう。本書は、日本の現状の立ち位置の危うさを再認識させ、待ったなしの状況からどう立ち上がるかをといた、『復活の書』である。それを東京湾から這い上がり、放射性廃棄物で巨大凶暴化したシン・ゴジラになぞらえて、シン・二ホンとタイトルを付けたのだろう。シン・二ホンはデータ×AIでゴジラよろしく巨大強靭化できるかが問題だ。

最終章で提唱された「風の谷」は奇しくも本書の刊行直後に世界的に猛威を振るっているcovid-19コロナウィルスの影響もあり、都市への過密集中を避けた新しい生活環境のあり方として支持が得られるものとなりそうだ。ニューノーマルな新しい世界がすでに私たちの目の前に出現しつつある。この変革のタイミングを好機と捉え、大きく舵を切らなければいけないのだ。国家としてもそうだし、企業としても、我々個人としてもそうだ。「この国はスクラップ&ビルドでのし上がってきた。今度も立ち上がれる」 そう信じて。

今月も良書をありがとうございました。
 
投稿者 kayopom 日時 
教育を通じて「シン・ニホン」を考える

2月末の喪失感は、親子で決して忘れることはないだろう。
わが子は小学6年生であった、卒業までの最後の1ヶ月小学校生活を楽しみにしていた。
だがいきなりの休校措置により、卒業式はなんとかできたものの、中途半端な小学校生活を終え、気持ちだけが宙ぶらりんとなったまま、
中学校には入れず、Suicaだけが大人料金になり、今に至っている。

晴れやかな終わりも始まりも奪われた。
だが、罹患者と死亡者が拡大する世界はもっと悲惨だった。こんなレベルで悲しんでいてはいけないほどに。

しかしここにきて、コロナ・ウイルスは構造破壊への驚異的な助っ人なのではないかとの正の面に着目するようになってきた。
もちろん経済的な停滞、医療の崩壊、人命の損失など負の側面が断然大きいのではあるが、他国からの外圧や戦争ではなく、全人類が同じ方向を向いて課題解決にあたるという点では、至極軋轢が少ない。
今は人類同士で揉めている場合ではないという危機感が、社会の維持と改善に向けてまとまりつつある。 (ミクロ的な面はさておき)

この驚異的なディスラプターのおかげで、日本社会では遅々として進まなかったことが一気に進んだ。
時差通勤、テレワーク、オンライン●●、書類はPDF化、ハンコは二の次…etc。
そして学校のオンライン化や9月入学・新学期まで検討材料となっている。まさかの急展開には眩暈を覚えるほどだ。

この騒動で最も不幸なしわ寄せがいってしまってるのが子どもたちにも、明るい兆しが現れた。
私立学校がオンラインで授業を始める中、公立は放置状態で、格差は広がるばかり。
先の見えない事態にようやく焦ってくれたのか、区の教育委員会でもオンラインでの支援策が検討され始め、補正予算ではICT教育に向けた小・中学生へのパソコンの配布なども計上されたようだ。

前置きが長くなったが、課題図書『シン・ニホン』においてもっとも注目した点は教育や人材育成に重きを置いている点である。

日本が高齢者に手厚く、教育や若者・子どもたちを軽視した予算配分を行なっていることは周知の事実であり、これに真っ向から反対意見を出し、第5章では具体的な予算の原資まで言及している点に驚いた。著者の試算によると社会保障給付費の120兆円に対する2%以下の金額、2兆円で十分未来を担う世代の予算が賄えるという(p323~325)。
老人に対する身の引き方を考えてもらいたいのか、「老人をいかさんがために、若者を犠牲にするような国に未来はない」(p321)、はたまた最も驚いた部分だったが「尊厳死の合法化」(p331)まで言及している。

一方、数値的には具体的であったが、「未来を仕掛ける人を育てる6つのポイント」(p224~241)では、個性を生かして考える能力を養う理念はわかるのだが、実際実現できるか、一体誰が教えられるのか?など疑問に思う施策も多かった。
何より、誰が構造を破壊していくのか、そんなことが容易にできるのか?が課題と思われた。

だが、今回の休校問題を発端に、オンライン教育の土壌が形成されれば、安宅氏が掲げるような教育プログラムを一斉に配信し、反転学習(p246)を行うこともできるだろう。

とはいえ学校はオンライン授業で済むようなことだけではなく、手や身体を使った授業や、行事をこなしていくことで、「個人の立ち位置」を知る組織なのだと、その機能を再認識した。
学校に通うことで自然とクラスでの個性がわかり、それぞれの得意な面や不得意な面がお互いにわかっていく。
他者を通じた自己認識を高めていく場なのだ。直接のコミュニケーションや、共同作業とはそのために重要なのである。

また、本書では私のようなミドル世代でも、まだまだ橋渡し役としての存在価値があることを語ってくれているのもありがたい(p209)
MOOCなどを通じてAI-readyな社会に必要な人材として再生し、生き残る道も用意されていることが提案されている。

「ネガティブに過去を見て数字で捉え、ポジティブに未来を見据えることが大切」(コミュニケーション編)でしょ〜おん先生が語られていた通り、本書で語られる数字を冷静に捉え、明るい未来を自分なりに形成していかなければならないし、そのためには正しい方向性を見据えた自己研鑽がますます必要なのだと感じた。

今、世界は『風の谷のナウシカ』における「腐海」だ(誰もがマスクを必要とする社会)。
これが「風の谷」になるには人類の英知を集めていかねばならない。
「風の谷」は、老女の手をとって「働き者のいい手だ」と言ってくれる素敵なお姫様がいる世界だ。
そんな優しさが溢れた社会が、抽象的ではあるが私が欲しい未来の世界だ。
 
投稿者 aalaykum2016 日時 
「シン・ニホン」を読んで。
①現状理解
GDPでの世界ランキングの下降もさることながらビッグデータの集積などフェーズ1での大敗を認める。15年間一人負けの状態。他国からは「G7を引退した国」とまで言われている状況であること。今後は「すべての産業がデータ×AI化する」(p34)にもかかわらずAIができることとできないことの区別が出来ていない人が大半であること。ほとんどの人がAIを自分の仕事のどの部分に取り入れどのように活用すればよいのかの方策が立てられていないと思われる。まずはこういった状況に正面から向き合い情報産業分野では日本は周回遅れになっているという現状を理解する必要がある。また世界情勢としてはフェーズ1の終わりぐらいにさしかかり、もうすぐフェーズ2へ進行していくという視点も留意する必要があると思われます。

②今からなにをすべきか
今後訪れるフェーズ2・3での急速なキャッチアップが必要不可欠であるということ。データ×AI化のなかで必要となる能力はまずは理数素養だと思われます。もともと数学は嫌いではなかったのですが、高校2年生から文系に進みました。一度は営業職として社会人を経験してから、医療従事者になった訳ですが高校を卒業してから6年間ほど数学から離れていたことで医療系の専門学校を受験するのに苦労した経験があります。
新しいアイデアや創造をしていくなかで気を付けなくてはならない事として「集めすぎ」と「知り過ぎ」です。固定概念や既定路線での考え方や状況判断だけでは知覚の拡大が得られにくく「気づく力」が養われないためです。      若い人がアイデアにあふれ新しい物や事柄に挑戦することを後押しできる社会制度の確立や「ジャマおじ」的な存在にならないようにすることも必要なである。

③未来へ目指すもの
筆者が今後目指すものとして取り上げていることに予防医療です。このことは私が一番共感する部分で、日々の業務で患者さんと接していて何とかならないのかと思っていることであります。医療の現場では、疾患として成立し、診断名がついてはじめて治療できるため、診断名を無理やりつけて治療をすすめるか、診断名がつかないために満足な治療を受けられないといったケースがあります。理学療法士としてリハビリをしていると、ここまで進行する前に何とかならなかったのかと思う場面やもっと早い段階で関われたら身体的につらい思いをしなくても済んだのではないかと感じることが多々あります。予防医療は基本的に患者の10割負担で行われていますが将来的な全体の医療費を削減する意味でも何割かの公的補助があるだけで変わってくると思われます。

現在、新型コロナウイルスの影響で働き方や、業種・業態を再考する機会がまさに今訪れている。現状を把握し、今何をすべきか、そして未来へ目指すものは何なのかを日本人全員が考える時だと感じています。

課題図書の紹介をありがとうございました。
 
投稿者 aalaykum2016 日時 

「シン・ニホン」を読んで。
①現状理解
GDPでの世界ランキングの下降もさることながらビッグデータの集積などフェーズ1での大敗を認める。15年間一人負けの状態。他国からは「G7を引退した国」とまで言われている状況であること。今後は「すべての産業がデータ×AI化する」(p34)にもかかわらずAIができることとできないことの区別が出来ていない人が大半であること。ほとんどの人がAIを自分の仕事のどの部分に取り入れどのように活用すればよいのかの方策が立てられていないと思われる。まずはこういった状況に正面から向き合い情報産業分野では日本は周回遅れになっているという現状を理解する必要がある。また世界情勢としてはフェーズ1の終わりぐらいにさしかかり、もうすぐフェーズ2へ進行していくという視点も留意する必要があると思われます。

②今からなにをすべきか
今後訪れるフェーズ2・3での急速なキャッチアップが必要不可欠であるということ。データ×AI化のなかで必要となる能力はまずは理数素養だと思われます。もともと数学は嫌いではなかったのですが、高校2年生から文系に進みました。一度は営業職として社会人を経験してから、医療従事者になった訳ですが高校を卒業してから6年間ほど数学から離れていたことで医療系の専門学校を受験するのに苦労した経験があります。
新しいアイデアや創造をしていくなかで気を付けなくてはならない事として「集めすぎ」と「知り過ぎ」です。固定概念や既定路線での考え方や状況判断だけでは知覚の拡大が得られにくく「気づく力」が養われないためです。      若い人がアイデアにあふれ新しい物や事柄に挑戦することを後押しできる社会制度の確立や「ジャマおじ」的な存在にならないようにすることも必要なである。

③未来へ目指すもの
筆者が今後目指すものとして取り上げていることに予防医療です。このことは私が一番共感する部分で、日々の業務で患者さんと接していて何とかならないのかと思っていることであります。医療の現場では、疾患として成立し、診断名がついてはじめて治療できるため、診断名を無理やりつけて治療をすすめるか、診断名がつかないために満足な治療を受けられないといったケースがあります。理学療法士としてリハビリをしていると、ここまで進行する前に何とかならなかったのかと思う場面やもっと早い段階で関われたら身体的につらい思いをしなくても済んだのではないかと感じることが多々あります。予防医療は基本的に患者の10割負担で行われていますが将来的な全体の医療費を削減する意味でも何割かの公的補助があるだけで変わってくると思われます。

現在、新型コロナウイルスの影響で働き方や、業種・業態を再考する機会がまさに今訪れている。現状を把握し、今何をすべきか、そして未来へ目指すものは何なのかを日本人全員が考える時だと感じています。

課題図書の紹介をありがとうございました。

投稿者 tomooku 日時 
シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成を読んで

 すでに始まっているAI×データ時代に必要なスキルとして書かれていることとセミナー等で必要だと言われていることの共通点が多かったのでそこを重点的に整理し考えてみたいと思う。

1、狭き門より入れ
 
 若い人のサバイバル術として紹介されていたが、直接的な競争を避け実質的な無競争空間を生み出すことが人生でもビジネスでも幸せにつながるという。
 1つの軸で極めた存在になるのは難しくても、異なる軸を複数もてばレアな存在になることができる。そのレアさが幸せにつながる。

 変態的にこだわれる領域を複数持つことができれば、その領域でトップになることが出来なくても十分に強みとなる。

2、運・根・勘・チャーム

 人間社会で成功するために必要な要素。運も勘も良いに越したことはないのは説明が要らないと思うが、良くするための方法はセミナーで教えてもらったことの実践あるのみである。
 チャームについても、人として魅力的であるために“智の道”の実践があるのだと思うし、本書でもチャームがあれば運も良くなると書かれている。

3、AI-ready化

 データやAIを使い倒す人になるためにサイエンス力、ビジネス力、エンジニアリング力が必要だろいう。数学的素養も必要だが、文脈の適切な理解や論理的にものを考える力、整理して人に伝える力など読解力や国語力に通じる部分もある。
 課題図書の感想文などはこのあたりの力を鍛えることにも通じていると思う。

4、知性の核心は知覚

  AIのもつ機械的知性と私たち人間が持つ知性は異なっている。人間に求められている知性を高めるために知覚を深める必要がある。知覚を深めるためには、実際に体験してみて自分がどう感じるかを人の感想は気にせずに感じてみること。言葉や数値になっていない世界が大半であることを受け入れた上で感じたことを幅広く受け止められるようにすることとある。

 言葉や数値になっていない世界があることは怪しい系の世界には通じるものがあるし、自分が感じていることに敏感でいるということは身体感覚を鍛えることに通じる。

本を読んでセミナーやメルマガで言われていることとの共通点をまとめてみた。異なる方向からみた日本の未来に必要なスキルが同じということはやはり重要なスキルなのだと再認識できた。

 自分に足りないスキルばかりでだったが、今後のスキルアップに対するモチベーションは高まったので、今後も少しずつでも努力を続けていきたい。

 今月も読んでいてワクワクするとともに学びの多い本を紹介していただきありがとうございました。
 
投稿者 winered0000 日時 
シン・ニホンをよんで

1.日本の課題について
本書ではいくつか日本の問題点を上げていましたが、その中でも最も問題だと感じたことは生産性が低いことです。私の周りでも残業時間が非常に多い従業員が多く、まるで残業代を稼ぐためにわざと残っているのではないかと思う程です。理由はさておき、その生産性の低さを本書では数値で明確に示しています。P72の図2−5「産業別労働生産性の全体感」がそれで、他国と比べてほとんどの産業で日本が生産性で負けていることがわかります。特に農林水産の分野では10倍以上も生産性が悪く、とくに米国とは40倍もの差が開いていて、驚愕しました。40倍もの差は国土の問題等の特別な理由があるのではないかと思わずにはいられないですが、10倍の差だとしても同じ時間働いたら他国は10倍の成果がでるというのは捨てておけない事実です。仮に今後AIxデータで日本の生産性が上がるとしても、他国だって今と同じ生産性ではないのですから、差が広まる可能性だってあるわけです。それだけこの生産性が低いという問題は大きな課題だと感じました。

2.なぜ生産性が低いのか
生産性が低いことに直接つながっている要因となるのでは?と思った点は、本書で書かれている以下の点です。
・P199「「覚える力」を圧倒的に重視してきた」こと
・P229 「仕事とはお金をもらうこと、時間を売ること、人の役に立つこと」と考えていること
まず「「覚える力」を圧倒的に重視してきた」について、仕事を覚えることはできるけど、言われたことを覚えるだけなので、自分でものを考えない訳です。自分で物を考えないから「気づき」にも繋がりません。気づきに繋がらないと、会社の売上を上げるためにはどうすればよいかや、もっと効率よくやるためにはどうすればよいか、について自分なりの提案をすることができません。
また、「仕事とはお金をもらうこと、時間を売ること」と考えていることについて、「やるべきことはやっているんだから余計なことはしない」ということが起こります。
もっと自分の仕事を効率よく後戻りなく予想をしながらこなしていれば、生産性は大いに上がるのではないかと考えます。
そのためには、こうしたらもっと良くなる、自分の思っている理想に近づく、と考えられる目的・目標を持つことが大事だと考えます。目的を持っているとそれに向かって努力しない人はいないからです。

3.自分が今できることはなにか
私自身が日本の生産性を上げるにはどうしたらよいかについて考えると、自分自身や周りの人間に目的・目標を持たせることではないでしょうか。自分の周りの人間の生産性を上げることが日本の生産性を上げることにつながる、というと大げさですが、本書の日本の問題点を放っておくと、将来的には日本が弱小国になってしまいます。少子高齢化となった日本が大国に支援を受けて経済的に豊かでなくなるということが起こってしまうかもしれません。まずは小さなことからでもやってみて、PDCAを回せば、周りの人間だけでなく、自分自身の成長にもつながるはずです。問題ばかりの日本ですが、著者の言うとおり、「この国は、もう一度立ち上がれる」と信じてできることからやっていきたいと思います。

以上
 
投稿者 wapooh 日時 
202004『シン・ニホン –AI x データ時代における日本の再生と人材育成-』を読んで

第一章において、『時代は多面的に「確変モード」に突入している。』ことを様々なファクトに基づき認識した。ビックデータの時代の到来からデータサイエンスの発展をへて、現在はデータxAI突入している。2007年にiPhoneが誕生して以来わずか12年で、経済的に『スマホの上に現在、世界最大の“大陸”があることを理解している人間は残念ながらまだ少ない』とあるが、この目に見えない価値を生み出す産業が、これまでの「目に見える価値を世界にマススケールの製造産業を『オールドエコノミー』と呼ぶまでに変化している。
 今日の新型コロナウィルスで世界中の都市がロックアウトされている中、 2月に本書が発刊され、作者が日本に警鐘を鳴らした上記のデータx AIによるAI-Readyの時代の到来を、いやおうなしに実感する日々を我々は過ごしている。
 正直に言えば、まだ自分は体の中に落とし込めていなかった。と言うのも、地方の製造業の工場(に付属する開発業務)に勤務しており、リモートワークとは縁が無く、地元の感染者も東京からの持ち込みによるものばかり3件だ。
 が、先日Zoomによる読書会に参加し、ほぼ東京近郊の都市に在住されている塾生の方による読書感想を伺う機会をいただき、自分が世の中から大きくずれていることを実感し、焦りと混乱で本書を読み終えた。
 ずれた世界とは言え、職場では、著者のデータxAIを時間する現実は存在する。現在の開発業務において、新たな取り組みが行われている。入社5年目の若手がけん引しているPython他フリーソフトを応用した製造管理手法である。これまでの製造条件や最終的な製品物性の特性値を取り組み、PCで学習させて、実製造試作をするだけではなくソフトによるシミュレーションも活用し、職人技とも言われた管理に、合理的な結果予測がほぼ可能という部分が発生した。トラブル解析についても同様で、対応スピードが格段に短縮された。
我々40代以上の世代は完全に理解できない(本書で言う『じゃまおじ、じゃまおば』の世界)ソフトがはじき出す解析の解釈、特に突拍子もない因子の場合のアタリの付け方には協力が出来る(経験値に助けられる)ので、若手主流としながら補完をしている。本書でも、またこれまでの課題図書でも言われているAIではできない、解釈や飛躍したデータを関連させる生身の人間だからこその部分に掬われながらも、最新のデジタル技術の作業性には想像を超えて恩恵を受けている。
 この経験をもとに第3、4、5章と読み進めて、作者から我々に求められている反省と課題として『もっと、科学技術やそれを支える学術への価値を上げて、教育を肯定し尊重する』姿勢と国家予算含むの投資を投入する重要性が強調されていると感じた。人生100年時代の折り返し地点以上の世代が、今後の日本の未来を創造していく(最先端の変化の激しい知識に対して習得・吸収するスポンジ力がある)デジタルネイティブの若者たちを物質的にも精神的にも支援すること。大学が成果を求められる独立行政法人化して久しいが、アカデミアが目に見える急速な成果を求められず、智の深みを探求する事、大学で学ぶようになる子供たちが小中高で必要な学力・胆力を習得できる体制を整備する必要を感じている。
過去の課題図書等で認識したのは、将来を見越して備えとして学ぶ力を習得すること、長時間・長期間勉強することが出来ない子供の数が増えている、と。身の回りではここ5年ほど、単純作業以上を求められる職場での新入社員の離職率や契約社員で配属される方の定着率が低いことが社内外で聞かれるようになった。勿論、他方では、上記のAIを使い倒す若者ではないが計画的・効率的に高い学力を備える子供も存在しており、拡大しているのだろう。ついスマホに手が伸びる、とは言え15分以下のコンテンツが主な大人の自分にも当てはまる。
さらに、自分事としては大学卒業者の個人寄付が日本の大学では海外と比較し圧倒的に少ないという指摘があった。定年までの楽しみとして貯金を計画することにした。
最後の第6章、『風の谷』の限界集落を拠点とした『スマートな田舎』、という構想の飛躍だけは共感できなかった。
自分は『残すに値する未来』として「人間の都合や思い通りに行かない、自然に左右される部分が残っている暮らし」を思い浮かべた。
地方で長く暮らすと『人間が天候気候や自然に左右されて常に備える暮らし』を強いられる。特に雨の日や冬季の積雪期間中において、数カ月先を見越して備え、日常にプラスされる習慣。いつも以上の意識と行動でいつも通りの日常(就学就業)を過ごす。人間の身体思考の限界を超えた、非常事への予測と行動がある暮らし。自然への畏敬の念を忘れない暮らし。
地方に製造拠点や処分場等があるのは、人口密集地の都会には設置できないリスク等の不都合を安全に許容するためでもある。思い通りにはいかない。自動化も手伝い少ない人員で回す生産の場は、時間当たりの生産性では測れない、一人の多能工ぶりがあり、これについては海外の単純労働者とは比較にならないレベルの高さがある(毎月の海外監査の対応で実感している)。食生活も、保存法含め知恵による豊富さは本書には見えていない世界だろう。
人は限界や不足・不具合を感じた時に、思考を超越することで解決や発展を導くことが出来る、AIでは叶えられない人間の能力を活かせるとしたら、人間都合に至れない今の自然の田舎は残したいと思った。
今月は自分と世界と現状と未来と思考を巡らせて時に停止し、実に頭と心を巡らせた一月でした。有料Zoom登録による智への投資を体現する読書会を開催して下さった塾生の方、リアルと虚数の世界に身を置けた貴重な機会が得られました。景気の良書をご紹介くださり、有難うございました。
 
投稿者 kensho0408 日時 
1.「タイプB」の課題解決
 本書の扱う広大な分野からの膨大な量のデータを用いた考察・分析には圧倒される。それが必要なのは、本書の扱う課題が「タイプB」(あるべき姿から定める必要がある「ビジョン設定型」)の課題解決であるからである(P.391)。これは、「タイプA」(あるべき姿が明確な「ギャップフィル型」タイプの課題解決:世の中の約9割を占める)とは異なり目指すべき姿の見極めから始めなければならず、答えも簡単には見つからない。しかしこれこそが、データ×AI時代の人間に求めれられる真の課題解決だと筆者は言う(P.393)。
この課題解決から現代日本人が直面を避けてきたその帰結としての現状分析が種々行われている。
 確かに、データを見ると昨今の日本は相当に落ち目である。しかし、本書には暗澹たる気分に光を見出す日本の勝ち筋が以下の方程式に描かれている。
 未来(商品・サービス)=課題(夢)×技術(Tech)×デザイン(Art)
(夢)日本は幼少期からアニメなど、妄想の英才教育を施している稀有な国である。クールジャパンのアニメ推し。
(Tech)技術の発展段階をフェーズ1(新しい技術の黎明)、フェーズ2(新しい技術が実用化)、フェーズ3(新しい技術がより複雑な生態系を生み出す)の三段階に分類すると、実は日本はフェーズ1をやったことがなく、フェーズ2、3で急速に追いつき変えてしまうのが日本の芸風である。今のデータ×AIの時代、出だしは完全に日本は出遅れてしまった。しかしこれが日本の勝ちパターンである。
(Art)素晴らしいものを生み出すには、「知覚」の能力が重要である。知覚とは端的に言えば対象のイミを理解することである、美的評価や状況把握もかなり入り組んだ知覚活動といえるが(P.179)、AIはイミを理解することができない。明治時代や戦後のように未知なる変化のときに、知覚の優れた(知り過ぎに毒されていない)若い人に託すのは日本の伝統であり、AIの上に立って使いこなすことが期待できるのではないか。
 なお、本題からは外れるが、P.071の米ドル換算の「G7における一人あたりのGDPの推移」のグラフにおいて、他の先進国のグラフが波打っているのに対し、アメリカだけが線形に一直線に増加しているのは少々出来過ぎで不自然に感じる。
2.結論は「風の谷」(ナウシカ)
 筆者が導き出した解決策は「風の谷」(ロボティクスとバイオテクノロジーが発達しすぎて人が住めなくなった"腐海"の風上にあり、つねに風が吹き込んでいるため"腐海"の毒に覆われていない)である(p.391)。昨今、世界中で人口が増加しているにも関わらず限界集落の崩壊が続いている。この都市集中へのオルタナティブとして地方分散により人と自然の共存を目指すものだが、インフラコスト・子育て・高齢者医療・土地の求心力向上等の課題に取り組む必要がある。
3.アフターコロナの「シン・ニホン」
 新型コロナの影響下にあって、「シン・ニホン」の示唆が急速に現実味を帯びて来たと感じる。新型コロナがバイオテクノロジーの生み出した"腐海"かどうかは別にして、過去の飢饉やペスト・スペイン風邪等で人類が経験した人口減少を見ても数割程度の人口減少は特別ではない(P.384)ことが認識された。三密で都市集中がリスクであるとの認識が浸透した。東京オリンピックでは進まなかったリモートワークが新型コロナで一気に進み、日本のおじさんサラリーマンも「なんだ、わざわざ都心の会社に行かなくても仕事できるじゃないか」と在宅ワークでで気付いてしまった。
 現状の制約条件から、地方分散の方向に進むことは必然と思う。サポートするテクノロジーも、人の意識も浸透しつつある。そもそも会社もこの先どうなるかわからない。自分のビジョンの再設定を強制的に迫られていると感じるが、すぐには結論が出ないものの、「知覚」の能力を鍛えて方向性を見出したい。
 
投稿者 gizumo 日時 

「シン・ニホン」安宅和人著を読んで

はじめから日本のヤバさ(悪い方に)をデータで、しかもこれでもかこれでもかと言うほど見せ付けられて、もやもやと読み進めておりました。「そんなにヤバイのかなぁ…」と思うのが、自分がどれほどぼんやり生きているかの証。次々と現状を見せ付けられ、「日本は日本らしいスピードでやるし…」との思いをなぎ倒される勢い。
今を無難に生きていて感じないこと、気付かないことを認識させる内容に、次には「大丈夫か?」と不安に。「でも自分が生きてるうちは大丈夫っしょ?!」と相変わらず能天気。
しかし自分の知らないところでは、日本の未来に向けて真剣に取り組んでいる方々が存在し着々と進めている事実…。ふと「現在は未来からの借りもの…」と言った台詞を思い出した次第。
大丈夫か?と不安をあおられるもののちゃんと「もう一度立ち上がれる!」と言う希望も見えてきて、「では、自分は今何をすべきか?」深く考えさせられる読了。
この時期にタイムリーな本と出会えたことに感謝します。