第64回目(2016年8月)の課題本
8月課題図書
戦後70年特別企画:卑怯者の島
あの戦争を風化させないために、金切り声を上げて「戦争反対!」と叫ぶよりも、戦争の
持つリアルな悲惨さ、不条理さ、やりきれなさ、悔しさ、やり場のない怒りを、自分自身
が自分事として受け取り、その想いを反芻させる方が効果的だと思うんですよ。
それをマンガで見事に描き切った名作がこれです。
【しょ~おんコメント】
8月優秀賞
今回は初めてのマンガということで、あっという間に読めたためか過去最高の応募者とな
りました。ま、マンガで読みやすいから理解が深まるかというと、そうでもないところが
難しいんですけどね。
テーマに戦争を選ぶと必ず、ご自身の戦争論を語る人が出て来るんですね。あなたが戦争
をどう考えているのかという意見表明をする場じゃありませんから。あのマンガから何を
感じ取ったのかを書いて欲しいのですよ。ご自身の戦争観を押しつけて、「○○なのだ」
と主張する人がスゴく多いのには驚きました。
同様に、ご自身が持つ戦争に対する知識をひけらかす場でもありません。その知識が本書
の感想とリンクするのなら分かるんですが、自己の主張を我田引水的にオーバーラップさ
せる小道具で使っている人が多かったですね。
戦争って誰にでも一家言あるものですから、その気持ちは分かるんですけど、それじゃ選
ばれないんですよ。 いつものように一次選考を通過した人を発表すると、
dukka23さん、BruceLeeさん、strさんでした。
そして今月はdukka23さんに差し上げることにします。
【頂いたコメント】
投稿者 akiko3 日時 2016年8月17日
「卑怯者の島」を読んで
最後の切腹シーンを読み終えると、かみしめている奥歯のあたりに濃い血のしょっぱさを感じた。ふと外を見ると、夏の日差しが少しだけ和らぎ、のんびりと談笑しながら帰宅していく人達の姿が目に入り、その景色が歪み、あわててハンカチで目を覆い、しばし声を殺して泣いた。
戦争とは殺し合い。狂気がなければできない行為だ。”have fun”なひと時も持って戦う米国と、死が最善と追い込まれた日本。生還し家族を助け、国の為に生きたいという思いを抱くことも非国民とされ、”生きがい“もなければ”死にがい”もなく多くは飢餓で死す。
正直、漫画だから脳裏に残りそうで読むのが躊躇われた。でも、女子供も容赦なく巻き込まれたのが戦争だ。数時間の恐怖から逃げてはだめだと思い読むことにした。それでも、手元に置くのも怖かったので図書館で人の気配を感じながら読んだ。
なぜ矢我隊長は弟に生きろ!と言い、部下に死ね!といったのか?この矛盾にしばし悩んだ。普通の人だからか?普通の人達が家族を残した日常から離れ、武器を持って戦わざるをえなかっただけだから人としての矛盾もでるのだろうか?人の判断は感情とともに変化する現実にその都度その都度下されるものだからか?極限に追い込まれ続けた普通の人達の苦痛を思うと何も言えない。
自分の30年、40年前のことでさえもリアルに思い出せる。そんな脳に刻まれた五感で味わった殺気、飢餓などは71年前でもそうとうな記憶だと想像する。あの体験をされた方の生と自分の生とでは、次元が違うと思った。生への罪悪感から死ぬまで解放されることのない人達。相反するものを背負い続け、死を待ちながら繰り返される平和な日常が心安らぐことのなく生きるということ。“なぜ生きているのか?”かつて命をかけた人達が、皮肉にもその平和な国で心からの生きがいを感じられない現実の切なさ…。
戦争ものを読んだだけでも、日常での感謝、感じ方は変わった。昨今の事件は不可解なものが多い。あの時代の若者達の犠牲を知っていればと思うとやり切れない。80,90才というご高齢にもかかわらず口を閉ざしていた方々が語り始めている。ただただ仲間の死を犬死にしたくない、そういう心の叫びが堅く閉ざされた過去に対する思いをこじ開けているのだ。生の罪悪感から、生還者の責務として語り始めたその心境の変化に伴う苦しみにも言葉がでない。
命をかけて守り、卑怯な手を使っても帰りたかった故郷が、生還者たちにとってどうだったかの描写にも唇を噛みしめた。
5年生の時だったか戦争体験者に話を聞く宿題がでた。祖母の家に帰省中に、母が頼んだ方がご夫婦で来て下さり、弟と正座して話を聞いた。「食べ物がないから盗んだり、悪いこともいっぱいした、戦争は二度としてはいけない」と語った優しそうなおじさんは、どんな複雑な思いで語ってくれたのか。「戦争を知らない子供たち」の歌を合唱で歌った世代。敗戦という認識も薄く、ただ生まれた時代が平和だから…と過去を知らないではいけない。現在の日本は病んでいる。平和を取り戻してはいないのだ。このままでは英霊は犬死だ。
「卑怯者の島」というタイトルに著者は何を込めたのだろうか?本を読んでの感じ方は個々にゆだねているが、この本を読まなければ、自分は戦争を知ろうとしない卑怯者だった。戦争に正面から取り組もうとしない、戦いは悪、平和は守ってほしいと矛盾と依存に甘えていた。平和のために払う犠牲は戦いしかないのか?個々の命は脈々と続いている命のリレーの一部であり全体だからだ。
最後のシーンで、刃が自分達に向けられたように感じたが、ただただ気づかせたかったのだ、あの過去をなかったことにしてはいけないのだ。“故郷日本”を取り戻して欲しいのだ。命をかけて残そうとしたのだから、仲間を犬死にせず、ちゃんと受け取って欲しいのだ。一つ一つの命が輝くリレーを続けて欲しいのだ。あの時から失っているものに気づかされた。
最近、世界に堂々と挑む平成っ子の姿が眩しい。オリンピックの白井選手の落ち着いた受け答えと無邪気な笑顔。気負うことなく自分の可能性に挑戦し続ける自然体。アスリート、音楽家…周りへの感謝も忘れず、個としてどう生きるか、個の成長のために世界へ単身羽ばたいている人達の人として生まれ“人生を楽しむ”姿に大いに刺激を受けている。これも育つ過程の教育、環境ゆえか?昭和っこは昭和っこの課題に向き合いながら、人生の楽しみを味わい“生きているって素晴らしい”を体現したい。
お盆前に読み終われてよかった。今年も心を込めて手を合わせることができました。平和ボケの自分に大切な知識も与えられ、心から感謝申し上げます。
投稿者 Valentina 日時 2016年8月22日
「日本が戦争中に中国でどんな酷いことをしたか、僕はたくさん言えるよ。」
2年ほど前、当時ボーイフレンドだったフランス人にその言葉を言われたとき、私は「彼女に向かって、なんて冷たいことを言うんだろう!?」と耳を疑った。フランスだって、ていうかフランスの方が?アフリカやベトナムで酷いことをしたじゃないか!でも、私はそれを漠然と認識しているだけで、具体的にどこでいつどんなことをしたのか知識がないから、何も言い返せなかった。場の空気が悪くなりそうだったので、私は慌てて話題を変えた。
私は、子供のときから歴史の勉強が好きではなかった。何年に日本で誰が何をした、その頃ヨーロッパでは…などという暗記が嫌いだった。理系に進んだことを言い訳に、歴史をテーマとする本や映画から逃げてきた。特に、戦争ものは暗い気持ちになるので避けてきた。
そんな私が、高校卒業から20年経って、思わぬ形で歴史を勉強することになった。日本語教師養成講座のカリキュラムの一環で、日本語教育史について学んだのだ。テキストの「南洋群島」のページに、南太平洋の地図があった。私は驚いた。「こんなに東まで、こんなに南まで、日本の領土だったの!?」おバカちゃんだった私は、「こんな南の島が、今も日本の一部だったら素敵だっただろうな~」なんて、呑気なことを思った。
それから2ヶ月後。私は近所のサイゼリヤで、「卑怯者の島」と対峙していた。戦争系の本から逃げていた過去の私だったら、絶対に手にすることのなかった本。でも、先月から「絶対、毎月読書感想文を投稿する!!」と決めていたので、テーマが戦争だろうが何だろうがとにかく読むのだ。ただ、今月の本は、前評判がちょっと怖かった。それで、ランチタイムのにぎやかなサイゼリヤで一気に読むことにした。
舞台は中部太平洋に浮かぶ一つの島。私の脳裏に、日本語教育史のテキストにあった南洋群島の地図がパッと浮かんだ。私が「今も日本だったらよかったのにな~」と思った島。ヨーロッパ諸国が、「遠くて管轄しきれないから、日本にお任せしちゃおう」ということで委任された島。日本のものになってしまったがために、日本は守らなければいけなくなった。たくさんの日本人兵士達が送り込まれ、地獄の苦しみを味わい、命を落とさなければいけなくなった。
「歴史を知らずに生きるとは、今を盲目で生きているのと同じ」
という言葉を最近知った。私はずーっと盲目で生きていたことに気付いた。そうか!あの時の元彼の言葉は、そういうことだったのか!日本のことを責めたかったわけじゃない。ましてや、私を嫌な気分にさせたかったわけではない。そんな次元の低い話ではなかったのだ。「もっと自分の国の歴史を知らなければいけないよ。日本人じゃない僕でさえ、このくらい日本の歴史を知ってるんだから。」それが言いたかったのだ。今思えば、元彼は日本料理が大好きだったし、日本の小説のフランス語訳もたくさん読んでいた。AVまで日本のものを見ていたし、戦時中を描いた日本映画もたくさん見ていた。そんな元彼だったので、「なんで僕のガールフレンドはこんなに日本のことを知らないんだろう?」とあきれたに違いない。
来年から、私は海外でプロの日本語教師になる。日本人が少ない地域であれば、私の言動から、「日本って、こういう国なんだ。」「日本人って、こうなんだ。」と判断する人が少なからずいるだろう。ある意味“日本代表”だ。その代表が、日本の歴史を知らない、或いは間違った理解をしている、というわけにはいかない。今回、私は脅えながらも「卑怯者の島」を読み切ることができた。これを自信として、日本の過去をテーマとした本をどんどん読み、知識を蓄えていこうと決意した。
アメリカ、ドイツ、ロシア、中国、etc. かつて“敵国”と呼ばれていたそれらの国の人達が、今、「日本語を話せるようになりたい!」と言って、私を「先生」と慕ってくれる。国家単位で見れば、日本とロシアや中国が外交的に良好な関係にあるとは言えない。でも、個人レベルで見れば、良い関係が無数に存在する。階層が上の一部の人が、敵だ味方だと決めているだけで、本来、自分から好んで敵を増やす人間なんていないのだ。同じ人間同士、歩み寄りたいのだ。死を目前にした米兵が、敵である主人公に向かって、かつて見た桜の写真の話をしたのは、その表れだと思う。残念ながら、英語がわからない主人公の心に、その言葉は届かなかった。英語が通じたとしても、その米兵があの状況で助かったとは到底思えない。だが、もし言葉が通じ合っていれば、米兵は心に何か温かいものを感じながら最期の時を迎えたかもしれない。
私が選んだ日本語教師という職業は、正に“言葉が通じる”関係を地球上に次々と作り出す仕事だ。微力ではあれ、平和の構築に少しは貢献できるのではないかと思う。その意義を常に忘れないようにしたい。
海外で働くという目標について人に話すとき、私はよく「日本はもう飽きたから。」とか、「日本にいても、あまりいいことないから。」と口走ることがあった。Skypeの日本語レッスンで十数ヶ国の生徒達と接し、彼らの目を通して見た日本について知るにつれ、日本を客観視しすぎて、マイナスの部分に目が行くことも増えた。しかし、「卑怯者の島」を読んで、その“日本”が、どれほど多くの兵士達によって、いかに守られた国であったかということを思い知った。私は最初、なんで兵士達は、あんな過酷な状況でも戦うモチベーションを失わずにいられるのだろう?と不思議だった。でも、「卑怯者の島」の中に、はっきりと答えが書いてあった。大切な家族や友人達が暮らす日本、彼らとの美しい思い出を育んだ日本を、命に代えてでも守りたかったのだ。そんな先人達がいたにも関わらず、私は日本という国の尊さや、日本人として生まれたことの有難みを忘れてしまっていたことに気が付いた。
“卑怯者”とは誰か?読む人によって、解釈は様々だと思うが、私には、兵士達が守ってくれた日本、世界が称賛する素晴らしい歴史や文化を持つ日本という国の価値を貶める人間のことを指しているように感じる。私利私欲のために活動する政治家、日本の将来に無関心な若者、そして、ついこの間までの私のような、日本の過去を学ぼうともしないくせに、日本人であるが故に受けられる恩恵の中でぬくぬくと生きている者達。
「卑怯者の島」は、私に“卑怯者”を脱するきっかけを与えてくれた。私は、戦場ではなく教育の現場で、兵士達が守った尊い国“日本”の言語を教えることを通して、平和への架け橋となる。そのための学びと行動を以て、彼らへの弔いを表したい。
投稿者 J.Sokudoku 日時 2016年8月25日
最終ページの“死の象徴としてのペリリュー島”と “生の象徴としての富士山”の写し鏡的イラストがとても印象的であった。著者は、ペリリュー島を「死と生がべったり密着した世界」(P.480)と表現している。
死と生は隣り合わせ、ほんの一瞬先に死が待っている、ちょっとした一つの行動が死につながる、そんな決して気を緩ますことのできない死と生の狭間に置かれた人間の心理状態とは?死を感じれば感じるほど生を感じるとは?出来る限りの想像力を駆り立たせて本書を読み進めた。今の自分には到底起こり得ない状況ではあるけれども、想像すればするほど悲愴な気持ちに落とされていった。
ただし、重要なことは、戦争への怒りや悲しみ、または同情等の感情の立ち上げだけではなく、自分なりに思考を繰返し、戦争に対する考えを形にすることだ。今回、戦争に真剣に向き合うということで最も思索を重ねたのが下記の2点についてである。
また長文になってしまいしたが、一読頂けると幸いです。
1. “死にたくない”、“生きたい”、“生き延びる”、“死ねない”、“生還してしまった”
人間は、死に直面した時にまず条件反射的に思うことは、“死にたくない”だろう。これは、“死にたくない”という“意思”が自然と出てきた状態だと言えると思う。そして、“生きたい”とは、その“意思”が出て来た後に立ち上がる“意志”の状態なのだと思う。2つの状態の違いは、“意志”が決意や積極性を含むのに対して“意思”にはそれらが含まれていない点である。
国武新平はとっさに塹壕に隠れた際は“死にたくない”と思った。対して、矢我隊長が洞窟の中で故郷に残した妻を想い出している時は、“生きたい”と思っていたはずである。背後から迫りくる死を意識することの“死にたくない”と、前を見て生を意識することの“生きたい”。2つは紙一重の状態なのだが、全然違う。
次に、“生き延びる”と“死ねない”について。これらは、“死にたくない”、“生きたい”という自己の意識(意思や意志)が立ち上がった次の段階で出る“結果”に置かれた状態なのだと思う。“死にたくない”、“生きたい”という意識(意思、意志)の下、困難な状況を脱し生に留まった状態が“生き延びる”という“結果”である。それに対して“死ねない”とは、死のうという決意があったにも関わらず、生きてしまっているという“結果”に置かれた状態なのだと思う。
国武神平が洞穴に逃げ込んだ状態が“生き延びる”であり、そして彼がアメリカ兵に捕獲された時が“死ねない”という状態だ。“生き延びる”という状態は自己の意識と結果が同調するのだから、ある程度の安堵感、達成感等ポジティブな感情が立ち上がり、思考もポジティブになることが一般的だろう(ただし、上記国武神平の場合は少々異なる)。では、死んでやるというという決意を持ちながらも死に損なってしまったという“死ねない”はどのような感情と思考が随伴するのだろうか。まだ、生の状態にあるにも関わらず、想像を絶するような脱力感、喪失感に襲われ、そして何で死ねなかったのかという、答えが見つかりそうもない問を自らで繰返すのだろうか。
最後に、“生還してしまった”とは、まさに本書の後半に描かれる国武神平のことであるが、悲惨な状況の限界点に達した状態だろう。戦地に向かう際の英霊になるという決意とは裏腹に帰って来てしまった。そして、帰って来た場所の価値観は以前とは全く違う。さらには、戦場での悪い記憶に苛まれる。自尊心を奪われ、周囲への不信が纏わりつき、自己喪失といった状況で上記4つと同じ生という状態であるにも関わらず最も惨たらしい状態だと言えるのではないだろうか。このような状態にいる人達が、現在の日本にもまだ少なからず残っているということを認識することは非常に重要だ。
2.「役回り」
戦争という事象が人間に突きつける現実とそれに伴う極限的な残酷さや理不尽さ、矛盾を描いた本書の中には、自身の心に強く突き刺さり、そして自問自答を迫ってくる場面や台詞が多々あった。そして、その中の1つが「これが俺たちの役回りである!!」(P.262)という矢我隊長が自決する際に放った場面と台詞である。
「役回り」…。妙にこの言葉に引っかかり、その意味について考えているうちに、「役回り」とは宿命的な意味合いなのかなと思った。宿命とは、生まれつき宿り逃れられないこと。つまり「役回り」とは、逃れられないことなのだ。
戦時下に生まれてきた全ての日本人は、戦争という事象に正面から向き合おうが、背を向けようが、戦時下に生きて行かなければならないという宿命にあった。そして、その宿命のもと、どのように生きるかということを各々で決めていく必要があった。その中には、公のために尽くそうと、そのためには死んでも構わないと決めた者、或いはそこに疑問を感じ、死を拒み生き抜こうと決めた者がいた。どちらが正しい正しくないではなく戦争は否応なしに当時の日本人に過酷な選択を迫ったという事実を知ることが重要だ。当時の人達には、とんでもなく酷な「役回り」が与えられたのだ。
では、現代の日本人にとっての「役回り(あの戦争に関しての)」とは何であろうか。それは、あの戦争という過去、そして、その当時生きた人々の犠牲の上に生きている、生かされているという事実が、我々が逃れられない「役回り」であり宿命なのだ。そして、最も重要なコトはその中で、我々はその与えられた「役回り」の中で、どのように生きて行くのか、何ができるのかを見出すことではないだろうか。
“せめて年に1度は戦争という事象に真剣に向き合おうよ”という頂いた提言のもと、本書を読み終え、そして、その他数冊の戦争関連の書籍を読み進めているうちに自然と靖国神社に行かなければという気持ちになった。左よりの両親に育てられた自分にとっては、靖国神社には良い印象は持っておらず、心的距離もあったが、初めて靖国神社正式参拝と遊就館に行ってきた。
遊就館に展示してある資料から、当時を想像し、その時代に生まれてしまった境遇、限られた自由、そして戦時下で生きるという意味を考えさせられ沈痛な気持ちになった。もし、自分がこの時代に生まれていたら…。もし、今日本が戦争に突入したとしても、正直、自分に日本という国のために死ぬという決意ができるとは到底思えない。しかし、当時日本を覆っていた“異様な空気”にもしも包まれたとしたならば、どうなのだろうか。自分も恐らく死んでも構わないという決意をして戦場に行くのではないだろうか。
“異様な空気”…。それは、遊就館に展示された写真、手記、遺品から、当時の日本が“異様な空気”に覆われていたことは容易に感じ取れた。自分よりも一回りも二回りも若い青年達の写真が無数に飾られていた。写真に映る彼らの顔は凛々しくもあり、清々しい。これが死に向かって行く人間の表情なのだろうか…。あんな神々さを放つ背中が映った写真など今までに見たことが無い。あの背中に日本という国や家族を背負っていたのだろう。手紙には自らの決意や別れの言葉が記されていた。国のために死ぬことが美徳とされた戦争という時代。死ぬことに生き甲斐を感じる時代。そんな“異様な空気”に包まれた時代がこの日本にも本当にあったのだ。そして、その時代に翻弄された人々が数えきれない程にいたのだとそこで教えられた。
遊就館を訪った後、本書を再読した。本書は再び地獄の世界へと自分を引き込んでいく。前にもまして、激しく、リアルに引き込んでいく。そして、本書の中に“異様な空気”が醸成されていく様子が最も描かれている箇所を見つけた。それは、矢我隊長の自決と血の盟約という儀式を通して全ての隊員が、死という一つの方向に進んで行く様子を描いた場面だ。これは、まさに戦時下の日本に起きていた異様な状況の縮図だと思った。もしも、あの場に自分がいたら…。自分も血を飲んで特攻に加わっていただろうと思った時、気味の悪い身震いがした。
戦争の開始直後は、戦争に背を向けようとした人々は沢山いただろう、しかし戦争が深みに入って行く。そして、あの戦争が聖戦的な扱いがされる報道や国のために命を投げ打っていく人々を見て聞いて、いつしか自らの価値観がひっくり返り、自らも戦争に足を踏み入れ命を落として行った人達は沢山いただろう。自己の基準が崩れて周りに流されて行く。国家への奉仕なのか、服従なのかももう分からない。そういう“異様な空気”が蚕食され瀰漫していった当時が本当に恐ろしいと思った。
本書を読み、自分なりに出来る限りの形で戦争に真剣に向き合うことで、この平時に生まれて来たことがどれほど幸せなことなのか実感した。また、ありきたりの表現だが、あの戦争があるから今がある、あの当時の人々の苦しみや葛藤の上に生かされていることに感謝せずにはいられなくなった。死を感じれば感じるほど生を感じるという意味も十分では無いだろうが、分かった。そして、この平和の時代に生まれたことで、死と正面から向き合う機会も少ないが故に、生というものにしっかりと向き合えていないのが現代の日本人では、と自省する。
そして、戦後に生まれたという「役回り」の中で、戦争とは何なのか、その戦争に巻き込まれるとはどうことなのか、をまずは自分が納得するまで深く思索することが重要だと思った。時浦上等兵の言った「この時代に生まれた意味」(P.414)というのは、戦時であろうが、なかろうが自らで必死に見出していくべきなのだと思う。
~終り~
投稿者 we6astu 日時 2016年8月29日
私はこの本を通じて、矢我体長が言った『誰もが一秒先に勇敢と卑怯どちらに転ぶかわからないのが戦場だ』という言葉、最後に日本に帰ってきた国武神平が言った『身体はどこも指一本失うことはなかったが、帰ってきたら俺の日本を失ってしまった。俺は英霊になれなかった。』が、自分の心に刺さった。私は故郷に父母、家族、妻、恋人に思いをはせつつも、覚悟を決め戦地に向かい、散っていく通り一遍の日本軍しか知らなかった。しかし、本当は誰もがあの矢我隊長でさえもこの世に最後まで未練を残し、現実と葛藤し勇敢と卑怯の間で揺れ動きながら生きていることがわかり、戦前の日本人はとにかく心身ともにすごくて戦後の日本人は全く足りていないと言ったひとくくりの話では全然ないこと、自分の考えの浅はかさに気づかされた。そして、勇敢と卑怯との間を潜り抜け、圧倒的戦力差の中、戦地奪還ではなく敵兵削減のため、ひとえにその先の日本を回るために散った数百万の英霊たちのおかげにより今日の日本があることを改めて感じた。
また、激烈な環境の後、国武神平は卑怯者として英霊になれずに日本に帰ってきてしまったという自責の念を抱え、戦後日本に残ってしまった卑怯者として戦前の日本から変わっていく様をただ黙視続けるだけであったという事実を改めて知った。私にもフィリピンに出兵した祖父がいたが、戦争の話は自分が中学2年の時に亡くなるまで、自分の禿げ頭はフィリピンでの爆撃が頭上を通り過ぎたためだという、与太話しか聞けず、お酒が好きで寡黙な祖父だったという印象しかなく、戦争のことは団塊世代の母に聞いても聞いたことがないとのことだった。ただ祖父にも戦場があり、勇敢と卑怯のはざまで葛藤した結果、英霊となれずに戻ってきてしまったという気持ちもあることを自分自身がわかっていれば、祖父とどんな話ができたであろうかと思わずにはいられない。この夏この本を読んで、祖父の話を受け継げなかった悔しさもあり、お盆に帰省する妻の故郷広島ではじめて、小5になる娘を連れて原爆資料館に行った。現代日本は問題が山積しているが、少なくとも71年間戦争がなく平和な時代と言われている。私たちに託された最低限の役割は、太平洋戦争を含めた日本の歴史の正しい情報を数多く学び、次の世代に伝えていくことではないだろうかと自分なりに考えられたよい経験をいただきました。ありがとうございました。 以上
投稿者 akirancho0923 日時 2016年8月29日
『卑怯者の島』を読んで
私は毎年お盆には、ご先祖様の前で戦争にまつわる本を読んで
いるのだが、今年はこの漫画を涙を流しながら読んだ。
タイムスリップしたかのごとく引き込まれ感じたのは
圧倒的な価値観だった。
どんなに冷静に考えても、自分自身と対話を重ねても
いったん受け入れてしまった価値観を覆すことの難しさ
そして、染み渡るように刻まれた価値観の前には
こんなにも人間は無力なのか、という寂寥感だった。。
そう思うと、名著「夜と霧」の中で生き残った著者の凄さがわかる。
自分がいかようにも受け止めることができる自由、という価値観を持つこと。
アウシュビッツと戦場を比較することは強引だろうか。
しかし、知性は必要だと思うのだ。
何故って、人生は一度きりなのだ。
だからこそ、二度とこのような戦争という過酷な環境を
人為的に作り上げることは決して繰り返してはいけないと思うのだ。
ありがとうございました!
投稿者 diego 日時 2016年8月31日
生きていることの呪縛
かなり緊張して本書に挑みました。
読後は強烈で、何も考えることができませんでした。
なぜか、清く美しい話のように感じていました。
とても観念的だと感じていました。
すぐに感想を書くことが憚られましたので
再読することにしました。
再読を重ねるうちに、何故か不謹慎とも言えることを考えてしまうようになる。
この世界に、馴染んでしまったのかもしれません。
というのも、どういう姿で最後を迎えたかというところに、焦点が合ってきてしまったのです。
例えば、最後の斬り込みで、生き残った三人が
それぞれ三様の行動を取るのですが、
『こんなバカバカしい殺し合いの世界が俺たちの生きるべき現実では決してなかった!』と言っていた
援護射撃役の通明が、二人の米兵を巻き込んで自爆する。
『死ぬ前に殺せ!一人でも多く多く殺せ!』と言っていた
時浦上等兵は、自分をなぶりものにした一人の米兵と共に死んでいく。
自分に『卑怯者』と叫びながら、這ってでも前進する神平。自爆する寸前に
司令官の自決を聞き、
『俺たち末端の兵隊に降伏命令を出さずに、勝手に自決するのか?』と意識を失う。
指揮系統はすでに分断されていたはずなのに。
そして、被害を大きくするために爆撃目標にしていた弾薬庫は、実は食糧貯蔵庫だったのだ。
極限状態になると、一瞬の心の揺れや判断の喪失があるのかもしれない。
それが、目標とは異なる結果を生む。
この姿が何故か、滑稽に思えてしまうのです。
神平が何人もの仲間の死を見ながら、様々なツッコミを入れる。
その姿は、まるで究極の喜劇を見るようで、つい笑えてしまうようになったのです。
こうなると、エンディングは、
なぜかハッピーエンドに思えてくるのです。
日本に生還してしまってからも
死の瞬間をどうやり遂げるはずだったのか、
それをずっとずっと、持っていたのではないでしょうか。
強く激しい死の瞬間を遂げることを考えていたのに、
そうすることが不可能な世界に、急に戻ってしまったのです。
行動することでしか、この呪縛から放たれることはないのです。
呪縛から放たれること。それは、強く激しい死の瞬間をきちんとやり遂げることでしか、起こらない。
卑怯者でなくなり、仲間のもとに還る、そう感じることでしか、起こらない。
そこまで追い込まれる状況が、一体どのぐらいあるというのだろう。
今、英霊たちは、どう思っているのでしょう。
ここで描かれているように、自分たちの日本を失ってしまった、と思っているのでしょうか。
それは、生きたいと感じている「卑怯者」の私に、
そして英霊たちのために祈ることしかできない私に、激しい痛みをもたらす。
『生きたくて負けてしまう』という葛藤が、
私には、どこまでわかっているというのだろう。
『死ぬべき時に死ねなければ、人は堕落する』という一喝を、
どこまで身に染みてわかっているというのだろう。
戦争で殺し合わない私は、生きたい私は、彼らにとって「卑怯者」なのだ。
ここで繰り広げられる世界は、私に痛みをもたらす。
卑怯者と呼ばれても、それでも私は戦いたくない。それでも私は生きたいし、生かしたい。
生きたい、互いに生かしたいと思う世界を創っていくことは、英霊にとっての日本ではないのだろうか。
英霊たちに応えられる日本であるには、どうしたらいいのか。
まだ答えは出ないし、考え続けること。
答えは出なくても考え続ける。
これは、私にとっての呪縛だ。
この呪縛から解き放たれることは、一生かかってもないのかもしれない。
だが、呪縛があることはそんなに悪いこととは思っていない。
縛られることで守られ、暴走しない私が存在しているかもしれないからだ。
ここで描かれている世界の悲しさ、滑稽さ、喜劇性を感じることで、
ひょっとして、戦争という手段、権力争いというものに対する考え方は
大きく変化するのではないか。
美を感じてしまうとしたら、憧れの対象として後を追う可能性があるが、
滑稽さを感じると、ついついこの世界を見つめて抱きしめてしまいたくなるからだ。
本当にありがとうございました。
投稿者 ishiaki 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
現在の日本があるのは
戦争を体験している人たちが必死に働いて
世界に轟く国に押し上げたことはなんとなくだが20歳を過ぎたぐらいから
思っていたが戦争のことはほぼ解らずじまいだった。
何年か前に社員旅行で沖縄へ行った際に
「海軍司令部壕」を見学したが当時のままをほぼ残していて
兵士が手榴弾で自決した際の破片のあとが残っていたり
司令官の机の上にお供えの花が置いているのを見てなにか胸が締め付けられるような
感じで壕を出たのを覚えている。
その中でこの漫画を読んで同じように胸が締め付けられる感じがして
いたたまれなかった。
特に矢我隊長の振る舞い方が司令郷で見た司令官とダブって
潔く国の為に命を捧げる感じが痛々しかった
現在の日本では戦争は起こっていないがあるネットニュースで
元日本兵のインタビュー記事を見ていたら「今の日本は平和ボケして緊張感がない。それに比べて
隣の韓国人は目が殺気だっている。それは徴兵制がありからかもしれない」と載っていたが
一概に徴兵制で目が鋭くなるわけではないが自分の命がいつ無くなるかわからない状況を知っている人は
この平和な日本で何をやっても怖いものはないのだろうなと感じた
投稿者 dukka23 日時 2016年8月31日
戦争モノの本やマンガは結構好きで今回の本の著者だと、
戦争論1~3、いわゆるA級戦犯、靖国論などを読みました。
読むにつれて、
「うんうん、やっぱ日本人すげーなあ」
「日本人に生まれてよかった」
という感想を強めてきました。
戦争論で、自虐史観から抜けることは出来ましたが、
それはそれで、戦争賛美というか、
戦前戦中の日本を(著者の意図以上に)過剰に美化する価値観に
染まっていたことは否めないと思います。
そして、本書。
1回目読み終えた時には、上と同じような感想でした。
「こういった戦いをしてくれたから、日本は完全に占領されなかったんだよね」
「英霊の皆さま、ありがとうございます」
「今、戦争になったら、オレも少しでも見習わなきゃね」
でも、読み終えてから1~2週間後に疑問が湧いてきました。
▼もし、本当に今、戦争になって、徴兵されて、あんな場面に遭遇したら・・・?
「ウンウン、それでも少しでも勇敢に戦おう、戦えるはずだ。」
「オレは日本に生まれて来たことを誇りに思っているしね。」
まだ感想は大きく変わりませんでした。
そして、もう1週間後。
▼もし、本当に、本当に今、戦争になって、徴兵されて、あんな場面に遭遇したら・・・?
この疑問が浮かんだ時、背筋がゾクッとして、足がすくみました。
あの島に自分が居る状況をありありとイメージできたからです。
「ヤバイ、死ぬのが怖い」
マジメに感じました。
たぶん、私があの場に居れば逃げていたと思います。
卑怯者の一人になっていたと思います。
もう一度、本書を読みました。
主人公の国武神平に自分を重ねて読みました。
「死にたくない」
正直な感想です。
私にはあの状況は耐えられません。
どうすれば死ななくてよいか、そのことしか考えられません。
「あっ、オレも卑怯者だった。それもどう転んでも勇敢に倒れることの無い程の。」
初めて気付きました。ちょっとショックです。
戦争モノでこんな生々しい読後感ははじめてです。
もう戦争モノを以前の感覚で読めません。
ああ、でも、より生きていることへの感謝は出てきました。
ただ、お花畑でほわ~と感謝している様ではなく、
もっと暗い所で沈みながら「生きていることに感謝しなくっちゃ」という感じです。
もっとズシンと重い感じの感謝です。
「こんなことを経験しなくても、生きられている」
正直にこう思ってしまいます。
自分でも卑怯者だなと思ってしまいますが、
今すぐにはこの気持を変えることができません。
この気持ちを、自分の今後にどう活かせるのか?
まだそこまで考えられていませんが、
少なくともこの本を読んで感じたことを思い出すだけで、
私が経験する苦しいことなんて、なんてちっぽけなんだろう、と、
この先は、ずっと思えるような気がします。
投稿者 wapooh 日時 2016年8月31日
201608課題図書【卑怯者の島】を読んで
夏休み、両親の田舎に帰ると戦争に赴いていた両祖父がいました。
母方の祖父は戦時中の自分の写真(新聞記事)を『若かりし頃の自分の立派な姿』と言って見せてくれる度に、当時を思い出してはすぐに号泣してしまうので、戦争中の話を聞けたことなどありませんでした。父方の祖父はずっと寡黙で、結局何も聞けずじまいでした。
ここ2年しょうおん塾の課題図書を通してじっくり戦争について向き合う機会を得たのですが、この本に出合えて、『当時の常識というよりも前提が全く逆だ』と痛感しました。
これまでは、「戦地で戦った前線の軍人は、教科書的な『お国のために死ぬのが当然』という建前に染まり切らず人間として「生きて帰る」という本能で激戦地を生き抜いて、戦後の時代に我々に命をつないでくれたのだ、と思っていたのですが、それは浅はかな自分の創造だけであったと、絵を通して、また主人公の苦悩を通じて、思い知らされました。当時のイデオロギーにより『死んで英霊となる』こともまた、その時は真実であったのだと。決して、戦争が終わり日本に戻り、「良かった、生きて帰れた」と希望や安堵の気持ちで、再スタートが切れたわけではないのだと。
『自分が信じてきたことが否と言われてしまう。』ありていな例では『真っ黒く塗りつぶされた教科書』。魂から正しいと信じてきたものの真逆が真になる世界。その思想の変換は、命がけで本書に描かれている敵も味方の死を目の当たりにぎりぎりの世界で生きてきた人々にはどれほど苦しいことだったろうと思い知らされました。
先日、偶然NHKの番組で、特攻兵器『桜花』を発案したとされた大田正一海軍特務少尉の息子さんが父の面影を尋ねる、というドキュメンタリーを2度見ました。その番組中で大田氏と同じ神ノ池基地で終戦を迎え生存している老人と息子さんとでなされた会話に、本書の主人公の苦しみの現実を見たような気がしたのです。その老人は、基地で『桜花』を指揮してきた上層部と下級士官らの間で論争が起こったエピソードを紹介し、大田氏は上級士官らに向かって「責めるなら自分を斬ってからにしろ」と身を挺して抗議をしたこと、現場士官の大田氏の発案だからこそ大きな反論もなく『桜花』が開始されてしまったことを告げていました。そのお話しを踏まえて息子さんが『ではなぜ父は自らを追い詰め、大田正一として生きることを止めたのか。実名で人生をやり直せなかったのか』と質問をしたとき、その温厚そうな老人がぐっと言葉を詰まらせたのです。しばらくして、「誰一人国のためではない、両親、兄弟、家族や恋人を守るために、敵が本土に上陸し、自分たちと同じ苦しい思いをすることの無いように、という一心で、厳しい戦地を命がけで生きて戦ってきた、一時は『神様』とまで言われた我々が、戦争が終わったとたんに『犯罪人』扱いされたのだよ。ようやく国に戻ってきても、『危険だから』といって職に就くこともできず苦しい生活を強いられたのだよ。これは本当に、言葉に尽くせない酷なことだよ」と、ようやく言葉を振り絞っておられました。
生き残った主人公は、戦地で命を落とした仲間を思い自信を『卑怯者』ととらえています。他方で、主人公の視点で、戦時中の正義をずっと握ったまま物語を読むと、恋人や家族や日本に残った人々が『卑怯者』に見えます。。。
今現実、この本を手にしている自分。祖父達が帰還して祖母と家庭を作り父や母に命を繋ぎ私をこの世に残してくれた、これは『卑怯者』だろうか。今の日本を支えてくれたのはどちらでもある。『卑怯者』誰もがその一面を持っている。思想を変換できずに相手を許せずに極まると、戦争が生まれ易い世の中になるのではないだろうか、と思えました。
『命を軽んずることのないように』。
真剣に考え、瞬間瞬間および長い時間を思い、柔軟に諦めず前向きに生きていけるか。先月の感想文では、幸せを思うはずが自分の心の闇に引きずられて自分の存在が無意味にすら思えたがそれは甘えた感傷でしかなかったと気付かされました。
月後半に本書を読み終えて、また一つ違う観点から戦後を見ることが出来るようになり、当時の記事を読むようになり、さらに現実の物事や人の気持ちに対しても違うとらえ方ができるようになりました。まだまだ先は遠いですが、仕切り直しのきっかけになりました。
今月も良書を取り上げて下さって有難うございました。
投稿者 kawa5emon 日時 2016年8月31日
書評 卑怯者の島 小林よしのり 著
先の第二次世界大戦、太平洋戦争、そして日本の敗戦。
これは日本人にとって避けたくても避けて通ることの出来ない事実だ。
敗戦から今年71年。未だに日本中の広範囲に亘ってその影響の影は息を潜めない。
そう思う理由を誤解を恐れずに言うならば、未だにあの戦争の位置付けが、
現代日本人にとって出来ていない(確定出来ていない)からであろう。
そう、少なくはない現代の日本人が出来れば触れたくない事実なのだ。
絶対に忘れては、避けてはいけない事実。
そういう意味に於いて毎年恒例の8月課題図書で、
当戦争関連図書及びそれらの情報に定期的触れられるこの課題図書は、
非常に有難い機会であり、今回の著書も多くの気付きを与えてくれる良書であった。
特にマンガであった点がいつに無く良かった。
安易な想像を許さない小林氏の絵そのものが語る当時の映像は、
これまでの歴史で例を見ないであろう現代の平和すぎる日本に居ては、
とてもではないが想像できる世界ではないからだ。
実は本書が課題図書に発表された時、夏の日本一時帰国時の一つの予定が確定した。
それが子供2人(長男小5、次男小3)との知覧特攻平和会館への訪問であり、
彼らには、誰か他者から提供された当戦争に関するフィルターに影響される前に、
素直な心の時に素直に事実をありのままに肌で感じてほしいと思ったからだった。
そしてそれは、私自身が同じ年頃で訪問した鹿屋航空基地史料館での
今も色あせることがない衝撃を私自身が再検証する意味も持っていた。
今では全く実感がないけど、100年も経っていない昔、
この日本という国、そして大切な家族を守るために、
自分の命をこの戦争に捧げた日本人(先祖)が居るんだよ。
これは本当の話だ。大切なモノを守るために自分の命を捧げられるか?
もし、自分達がその時代に生まれたいたらどう思う?
特攻隊に選ばれて出撃の日が告げられたら、それまでの時間をどう過ごす?
そんな投げかけをした気がする。会話の記憶が曖昧なのは、
大人になっても未だにその事実が心に痛く響くからだ。
質問も言葉を慎重に選びながら、しかし簡潔にするように注意した。
この英霊達から何を学ぶべきなのか?彼らが伝えたかった想いは何だったのか?
今ここに生きる日本人として、この事実から何を学び、何を繋ぐべきなのか?
ある時点で自分なりにある程度の解釈を確定させてはいても、
当時に思いを馳せると、未だに多くの質問がふつふつと湧いてくる。
さて本書での著者のメッセージとして、
タイトルの「卑怯者の島」が何を指すのか?は、多くの議論を待たないであろう。
島とは明らかに「日本本土」である。そして卑怯者とは特に戦後の、
当時の戦争で命を落とした先祖を敬っていない者達を指している。
先の戦争で大切なモノを守ろうと必死の想いで命を捧げた者に対して、
戦中、戦後での態度の変容を「卑怯」と。正に言い当て妙である。
そしてその潮流は未だに細くはない。残念な限りだ。
その暗喩を以下の一文に見たのは私だけだろうか?
「女の愛国心は信じられんな・・・」
母国、母なる国。私の知り限り、世界中のどの言語も国の名前は女性名詞である。
そうその一文の「女」とは母国、日本本土を指しているのだ。
それは「軍神さま」で登場する中澤家の傷痍軍人が、敗戦後に日本本土に於いて、
どのような立場になったが表現されることで更に強化されている。
全く以て、やりきれない現象、事実である。
敗戦以降は、戦前、戦中までの日本人が持っていた魂を完全に売ってしまった。
しかもその豹変後の態度を、何の後ろめたさも無く日常に還元した横柄さ。
これが現在の日本人に、著者が伝えたいメッセージと捉えた。
あまりにも軽率で、利己的で腹立たしい事実。これを著者は「卑怯」と表現した。
もうひとつ私が挙げたい著者のメッセージがある。
それは、戦後の日本本土と対象の日本人を卑怯と呼ぶだけでは、
戦中に命を捧げた英霊が全く以て浮かばれないからだ。
そこでのもう一つのメッセージは、「生きる」である。
戦争の(一見)無い平和な社会が実現したにも拘らず、
皮肉にも、現代の日本人は生きる意味を持てず、
自己の価値をその社会に於いて感じられない事実を、著書最終話、
主人公がバスハイジャック犯に対してとった言動によって表現している。
「生の輝きが凝縮したあの島」。
主人公が「みんな、やっと死ねるぞ!」と最後に見せたあの表情、あの目の輝き。
それは、第五話で矢我欣也少尉が割腹時、辞世の句の前に見せたあの表情と同じで、
また、別著者の著書「永遠の0」で特攻隊員宮部久蔵を演じた岡田准一氏が、
映画化された特攻突撃場面で演じたその表情とも同じであった。
それにより著者が伝えたいメッセージ。
それは、生き切ることの意味を英霊となった日本兵が示しているのではないか?
生を精一杯活かした先祖が居るではないか?何故そこから学ぼうとしない?
という問い掛けだと思うのである。
生まれた時代、回ってきた役回り、本書中の日本兵が口にしたように、
現在の三次元物質空間的世界観から見ると、当時の日本兵達の置かれた立場は、
あまりにも惨い。現代感覚では、かわいそう、残念でしたぐらいの感想しか出てこない。
これでは、「生きる」ことの意味なんてわかるはずがない。
しかしそれを物質的肉体を纏った命としてだけではなく、
三次元物質空間を超えた「魂」が宿った命として見たとき、
当時の時代背景、置かれた状況下で彼らが取った行動は、
完全に「生を活かしきった」と私は思うのだ。
どのような場面、状況下でも「今を生きる」。「精一杯に生きる」。
これが、英霊が身を挺してまでも後世に残したメッセージであり、
著者が本書を通して読者に伝えたかったモノ、
そして我々現代の日本人が先の英霊達から学ぶべき教えのひとつであると思う。
そしてそう捉え、今、この時を精一杯生きることが、
先の戦争で、図らずも命を落とすことになった英霊達、
及び戦死者の方々の日本人としての魂を引き継ぐことに繋がり、
弔いにもなるだと、本書を通じて学ぶことができました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
投稿者 sakurou 日時 2016年8月31日
~「卑怯者の島」を読んで~
去年読んだ「戦艦大和ノ最期」は旧仮名遣いで、想像力を掻き立てられる作品だったが、今年はビジュアルなので、また違う想像力を掻き立てられる。こうやって毎年違う形で戦争を向き合うのは良い。
この本を読んで、いくつか思い出したり心に残ったものがあった。今回はそれらと結びつけて深掘りしてみたい。
1.死ぬために生きるという矛盾
冒頭、P52の「自分は死の望むままに生きている」という隊長のセリフが深く心に突き刺さった。隊長は徴兵された民間人ではなく、元々軍人として入っている。軍人である以上、死とは背中合わせの職業なのだが、軍人にとっては死とは対峙する、向き合うのではなく、そばに居て共存しているという感覚が非常に興味深い。戦友が死ぬことは珍しくなく、ましてこの本で描かれているように、ついさっきまで一緒に行動していたものが目の前で突然死ぬ。もちろん米国側も事情は同じである。
(実際、ペリリュー島での戦いでは、日本側の約1万人に対してアメリカ軍側にも約2千人の死者を出している)
文字通り死ぬ覚悟で戦わなければいけない、殺さなければ殺される。特にこの本のような白兵戦の場合、より一人でも目の前の人を殺さなければいけないし、もし死ぬならより一人でも多く巻き添えにしたい。そういうメンタリティは想像を絶する。
2.生き残った後ろめたさ
この本を読み終わった時、結末に若干の違和感というか、強引さのようなものを感じていた。しかし、この記事(*)を読んで、自分の考えの甘さに気付かされた。
(*) http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/58575
この記事は対馬丸で乗船していて魚雷攻撃を受け、沈没寸前に海に飛び込み助かった人に関するものだが、同級生の親からは「あんたは生きて、うちの子は死んだのか」と石を投げつけられたり、生き残った後ろめたさで71年経っても慰霊祭に参列できない人もいる。
ただ、71年という時を経て、今だから出来る、今やらないとできない等、苦悩を抱えているのがよく分かる。 10代の経験のために、71年たっても、また、「助かった後ろめたさは、一生消えないんだ」と語っている通り、もしかしたら、彼が天寿を全うする時に神平のように「同級生のところに行ける」と思うのかもしれない。
命の大切さという問題ではなく、死ぬまで生の喜びを実感できないという、命への価値観そのものを揺るがしてしまって、未だに深い傷を残している戦争のやるせなさを痛感する。
この本にもある通り、まともな人なら、こういう話は戦争直後は出来ないだろう。しかし今しかこういう話を掘り起こさないと後世に伝えられない。こういう話を後世に伝えるのが私達の世代に出来ることなんだと切に思う。
3.改めて「食べる」ということについて
個人的な話になるが、先日、夏休みを利用して某断食道場で断食をしてみた。元々昼夜の2食生活をしていて、どうなるか興味があったのである。
実質2日だったので、楽しく過ごせたのだが、そこで読んだ本で辺見庸の『もの食う人びと』であった。
生きるためには食べる必要がある。この本は食にまつわる様々な(楽しい食事は皆無である)ストーリーが綴られているのだが、その中で強烈に私の興味を引いたのが、「ミンダナオ島の食の悲劇」というタイトルの戦時中の日本兵による現地人を食べるという一節である。もちろん、食べ物がなかったということかもしれないが、そういう時になると人は人を食べることもできるのか、と非常にやるせない気持ちになった。しかも当時の、おそらく今よりも礼節正しかったはずの日本人が。
平和を感じる機会は様々あると思うが、実は食べることでも実感できる。特に今の日本のように食べたい物をいつでも食べられるというのは現代の地球上でも珍しい方だし、さらにこの本にある通り、戦時中、補給が絶たれることはままあり、実際餓死する人がたくさんいた(インパール作戦等、補給が絶たれて失敗に終わったのは枚挙に暇がない。また。戦没者の60%強140万人は餓死であったらしい)。
今回、この本の戦闘シーン、および、関連資料を見ながらつくづく感じたことがある。戦争は人を変えてしまう。殺人を推奨され、強奪等の犯罪行為も当然許容される。よく略奪等、戦争中の残虐行為が問題となるが、そういう問題ではない。そもそも戦争自体が残虐行為なのだ。理性があれば戦争を起こす筈が無い。戦争を起こす人は理性が無い、まさに獣なのだ。戦争は人同士ではなく、獣同士が行うものなのだ。
戦争をしてないけない、というのは簡単だが、戦争すると、日本という国は、人々は、そして自分と家族はどうなるのか、それを自分事のように感じて生きていななければいけない。
この本にあるように「生まれた時代が悪かった」という一言は心に深く刺さるし、戦争体験者の方々と違って、戦争がない時代に子供時代を過ごせたことを本当に幸せに思う。
これからも毎年8月には課題図書を読んで、戦争の勉強をしなければいけないし、これを子供達にも伝えなければいけない。
こうやって毎年複雑な気分で8月を終わるのだが、戦争体験者に比べれば図るべくもない。
いつか戦争体験者がいなくなる日が来る。その時にこういう思いを受け継がなければ。
投稿者 yassuz11 日時 2016年8月31日
卑怯者の島を読んで
小林よしのり氏の作品は戦争論と台湾人論は読んだことがありましたが、おそらく10年近く前に読んで以来、佐藤先生の推薦ということもあり、久しぶりに読むこととなりました。
読んでみてあとがきにもあるように「本書はわしの作品群の中でも代表作にしたい一冊となった。」とあるように、出来れば多くの人に読んでもらいたい作品だと思います。
というのも、これが小説なら、自分はこの漫画ほど悲惨な状況をイメージできなかったと思います。おそらく現在生きている戦後生まれの日本人の多くも、自分と同じようにイメージ出来なかったと思います。しかし、現実は、多くのものが血を流していて、手や足がないものが多数いて、亡くなられた方の腐臭や、ここにいるものの糞尿の臭い等で息をするのもきつく漫画よりさらに壮絶な状況だろうと思います。
作品の中では自分は主人公の国武神平に一番近い気がするのですが、おそらく大抵の日本人は自分と同様に彼に感情移入するのではないかと思います。
というのも、生きたいという煩悩が強いのに、自分の所属している部隊が切り込みに行くというと、思わずそちらに同意してしまうという周りの目を気にする典型的な日本人だからです。
ところで、国武神平始め洞窟内の人たちは、島での斬り込みで死ぬ必要があったのだろうか?ということが、本作品のテーマだと思います。
結論からいうと死ぬ必要はなかったと思います。自分は後のことを知っているからかもしれませんが、武士道、武士道という割に、作戦を立てた人物が戦後も普通に生きているからです。
例えばここでの作戦とは直接関係ないが、インパール作戦を計画・実行し、何万人もの日本兵を戦闘行為ではなく、病気と餓えで死に追いやった牟田口司令官は戦後も普通に生きているし、そもそもここでの矢我少尉の部隊は、完全に孤立しており、軍から食料や弾薬の補給が見込めず、国から見捨てられた状態であるのに、国に義理立てして死ぬ必要はないと考えるからです。
ここで生きるためには、アメリカ軍に降伏するしかなく、降伏しても虐殺される可能性は否定できませんが、それでも洞穴に隠れているよりはずっと生存の可能性は高いと思います。
ただしここで、ふと考えたのですが、登場人物の中で矢我欣也少尉だけは、この洞窟の中にいる人たちの中で、立ち位置が違う事に気付きました。
国武神平を始め外の者たちは、階級からすると召集令状によって急きょ陸軍に入れられた今でいう派遣社員であるのに対し、矢我欣也は少尉ということは陸軍の正社員で課長職または、係長職のあたりだと思います。
本来の趣旨からすると、矢我少尉は、天皇から預かった国民(召集令状によって陸軍に入隊した人たち)を一人でも多く生きて日本に連れて帰るのが責務で、部隊全員の命を助けるのを最優先するべきだったのではないかと思います。確かに状況的に厳しいかったのかもしれませんが、戦国時代でいえば、備中高松城主で秀吉から水攻めを受けた清水宗治は、自分の命と引き換えに、家来の命を助けてもらった例もあるし、太平洋戦争でインパール作戦に従事した佐藤幸徳中将は、軍法会議に掛けられるかもしれないのに自分の判断で退却し、何万人もの命を救った例もあるくらいなので、無理ではなかったと思います。
ただ、矢我少尉だけは少尉ということもあり、仮に降伏しても拷問に掛けられる恐れもあり、彼だけは一人でも多く殺して自分も戦死するしかない状況だったと思います。
国武神平の選択肢としては、矢我少尉と一緒に討ち死にするか、虐殺されるかもしれないが、生き残れる可能性を信じてアメリカ軍に降伏するか二つに一つの選択肢があったと思うのですが、二つ目の選択肢を取るなら、矢我少尉と時浦上等兵がどうしても邪魔になってくるので、彼らを殺害することが出来ないとこの選択肢を取ることは出来ないだろうと思います。
恐らく矢我少尉もそのことを分かっていて、彼が一番恐れていたのは、敵よりも味方に後ろから撃たれることで、そのために洞窟の中でもほとんど寝むれない状況だったのだと思います。
最終的に国武神平は、外の者と一緒にアメリカ軍に斬り込みに行き、自分だけ助かってしまうわけですが、国武神平はその後幸せだったのだろうか?と考えたときに自分は絶対に幸せだったと思います。
時々、一緒に斬り込みに行って亡くなった仲間のことを思い出して苦しんだのかもしれませんが、結婚できたし、今回の戦争では確かにアメリカに負けたけど、経済戦争でアメリカに勝つことを見届けることが出来たという意味で、生きていた意味は十分あったと思います。またラストシーンでも、子供がいなくて一人ぼっちになってしまったことから、犯人にわざと刺されるようなことをしたのですが、子供がいたらあのような事はしなかったと思います。
最後に佐藤先生の講義を受けた者としては、なぜ、国武神平だけが生き残れたのかについて考察しないといけないと思います。国武神平は何とかして生きて帰りたいという想いが強く、その想いが、過去の現実を夢に見るほど強かったので、その想いが現実となり生きて帰って来ることが出来たのだと思います。
小林よしのり氏は、恐らく自分の夢である漫画家を職業とすることができているので、願望実現のために具体的に夢をイメージすることで願望実現に近づくことを知っているのだと思いました。
今回は大変に良い作品をご紹介いただきありがとうございました。
投稿者 magurock 日時 2016年8月31日
戦場は、命を惜しむことさえ卑怯になってしまう恐ろしい場所だ。「死にたくない」というのは生物の本能で、ましてや情動が深い人間という生き物は、
「せめてもう一度、あの人に会いたい」
「故郷の景色を、死ぬ前に見たい」
という気持ちに揺さぶられるだろうに、それを押さえ込んで命を投げ出さなくてはならない。
『永遠の0』の宮部久蔵は、愛する妻と子どものために、なんとしても生きて帰ろうという気持ちを隠さず、周りから「卑怯者」「臆病者」と蔑まれた。でも家族からすると、卑怯者でも臆病者でもない。頼もしいヒーローだ。
矢我隊長が、部下には「死を恐れるな」と言いながら、弟の通明を捕虜にしてでも救おうとした行為も、そう考えれば当然だ。家族なのだから。
そして主人公の神平も、ちっとも卑怯ではない。ふと洗脳が解けてしまっただけだ。死を恐れるのが生物の本来の姿なのに、どうしてそれを卑怯といえる?
とはいえ、いくら周りが「あなたは卑怯者ではない」と言ったところで、神平も矢我隊長も、自分を責めることをやめないだろう。戦争はすべての人を罪悪感に陥らせる呪われた魔力を持っている。戦場で死んでゆく者も、生き残った者も、「お国のために」と送り出した家族も、病気で戦場に行けなかった人も、そして現代に生きる私たちも。
昔から本でもドラマでも映画でも、戦争ものに触れるのが怖かった。それは、平和な時代に生かされているのに、このていたらくはなんだ!?と自分を許せなくなるからだ。もちろんそんな甘っちょろい感情は、戦争の中を生き抜いてきた人たちにとってみれば、噴飯物だろうが。
生物の本能さえ許されない、生き残ったとしても死ぬまで罪の意識に苛ませる戦争は、やはり繰り返してはならない。この作品を、少しでも多くの人が読み、国のおえらいさんも同じように感じてくれたらいいのに、と願わずにはいられない。
投稿者 gizumo 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
状況により善と悪は異なり、時に正反対となる。
戦争はその最たるもので、戦中・戦後の価値観の違いは甚だしい。
人間の本質が戦争という“非常事態”にあぶりだされ、その時の判断や行動をトラウマとして抱えた人々はどんなに苦しんだのか想像もつかない。それは現在進行形ともいえるだろう。
情報操作でのつくられた世論・思想であったとしても自分を守りきることはできない非常事態であったと思う。その時に信じていたことや心のよりどころがはかなく散っていくことに自分だったら耐えられるだろうか・・・?
ふと、『夜空ノムコウ』が浮かんできた。
「あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな…、
夜空のむこうには明日がもう待っている…。」
その最後は
「あのころの未来にぼくらは立っているのかな
全てが思うほどうまくはいかないみたいだ」
と、それでも「夜空のむこうには明日が待っている…。」
投稿者 Devichgng 日時 2016年8月31日
『死ぬべき時に死ななければ、人間は必ず堕落する』
矢我隊長が広井一等兵を始末し、自身の命を絶つ場面と
神平が日本に戻ってから感じたことからバスジャックの場面とが
つながったとき、身体が身震いしました。
他人の命を犠牲に、味方の食料を盗む卑怯をしてまで生き延びても、
魂の拠り所となる日本国が滅んでしまったら、そこには生の実感を感じられません。
戦時中の生か死かという究極の場面からは、比較にならないくらいレベルは低いですが、
これは、そのまま仕事と同じなのではないかと感じました。
他人に仕事をやらせ、部下の手柄を盗んで自身の評価としても、
その仕事に対する信念がなかったら、そこには達成感はなかったんだろうなと。
死=仕事のプレッシャーと置き換えると、
そのプレッシャーと隣合わせだからこそ、
仕事のやりがいや達成感を感じることができます。
プレッシャーは避けるものではなく、受け入れることで、
周囲のメンバーに、会社に、社会に貢献できていると実感しました。
やるべきときにやらなければ、人間は必ず堕落する。
堕落し、抜け殻のようになってしまう人生を避けるために、
かつて日本人が持っていた精神性の高さを数々の歴史の本から学んでいきます。
投稿者 BruceLee 日時 2016年8月31日
キョーレツな漫画でだからこそ考えた3つのこと。
1)この主人公は卑怯か?
タイトルに「卑怯」とあったので「一体どの程度卑怯なのか?」と見極めるつもりで読み進めて
しまったためか、自分は本書の主人公を卑怯とは思えなかった。何故なら、少なくとも主人公は
意図的に逃げてはいないからだ。言ってみれば元々強かった彼の生存本能が、極限状況で更に
発揮された、と言う表現の方が適切な気がする。当時はそんな事、言い訳にしかならなかった
だろうが、そもそも生きるとは、神から命を授かった全ての生物の義務である(権利ではなく
義務である)。その義務に全身で応えた主人公を卑怯と呼べるだろうか。
ハッキリ言おう、自分としては主人公よりも恩田美奈の方が余程卑怯だと感じたのだ
(個人的には、美奈にその他日本人全員を投影してる著者の意図を感じた)。女性だから戦地
に行く事はなかっただろうが、「お国のために立派に闘ってきて」と主人公とその友達を鼓舞
する一方、「必ず生きて帰ってきて」の言葉も無く、一方で傷痍軍人を汚いものであるかの
ように接し、そして戦後は割り切って別世界に生き、その下卑た顔は主人公を失望させる。
主人公は自身の行動に罪悪感を感じて悩むが、美奈は自身ではそんな事を感じもせず、主人公
の友人から面と向かって「卑怯」と言われてショックを受ける。
自分で感じる卑怯と、人から指摘される卑怯。卑怯の度合い的にはどっちが高いのだろう?
と、最初に読んで思ったのだが、続けて読んで、より卑怯な奴を見つけてしまった。矢我隊長
である。自分の弟を守るために軍規を犯して米兵と密約し、最後は自分の血をすすって戦えと
部隊に言い残して死んでいく。生前が立派で威厳があった人だけに、残った者達を逆に窮地に
追い込み、その意味、無責任でタチ悪い。が、更に更に「最優秀卑怯者で賞」を贈呈したく
なったのが、本書に顔は登場しない司令部の指揮官だ。状況悪化に伴い現場には何の指示も
出さず自決って。主人公も呆れ返っている。
と、読む度に、より卑怯な者捜しの目で読んでしまったのだが、暫く時間が経つと、主人公
が卑怯でないのなら、美奈も矢我隊長も卑怯でないかも、と思えてきた。彼らも自分の気持ち
に素直なだけだったのではないか?「幸せになりたい」、「家族を守りたい」という気持ちは、
現代人なら誰もが持ってる普通の感覚だろう?或いはそう普通の感覚と思ってしまう今の自分
の感覚が、終戦前のそれとは違うのだろうか?やはり皆が死ぬのだから、どんなに理不尽に
感じても、死ぬのが勇敢なのだろうか?極限状況に身を置いた者で無い限り、それは分から
ないのだろうか。暫く考えてみたものの結論は出ず。これもココ最近、毎夏の事。
2)靖国の重み
「靖国神社で!」「靖国で会おう!」というセリフが何度も出てくる。そのセリフと共に敬礼し、
戦いに向かう兵士達の姿が印象に残った。そして自分は「靖国」の意味を深く理解してなかった
かも、と感じだ。戦争という不遇の時代に生まれてきてしまった自分達の役回りを嘆く事もなく、
戦場で命を落とした者が英霊となれる最後の聖地、それが靖国なのだ。近年、終戦記念日の
公式参拝云々ばかりが話題となるが、そんな低レベルな次元で扱うのは失礼なのだ。仮に
中国や韓国がギャーギャー騒ぐなら、ここは大人になって「ハイハイ」と先方を重んじる
振りをしてやり過ごすのも手である(それが外交というもの)。敢えて公式参拝はせず、
非公式でいいから、英霊達にとっての聖地を厳かに包み、静かに対峙し、想いを馳せるのが
礼儀なのではなかろうか。終戦記念日なら尚更そうすべきなのかもしれない、と感じだ。
3)漫画の効果と最後のエピソードの意味
全体を通して感じたのは戦場の描写の強烈さ。細かく見ると至る所で兵士が戦い、負傷して
いる。眼球が吹っ飛び、肉体が粉々になり、血しぶきが漂っている。と言葉で書くとやはり
違う。人によって自ら心中に描くイメージが異なるからだろう。が、ある意味漫画は容赦ない。
読者がページを捲った瞬間、理屈でなく強烈な場面が刹那的にありのまま飛び込んでくる。
個人的にも顔を背けたくなる場面もあったが読まなきゃ先に進まないのから読み続けた。
これが文章だったら読み飛ばしたり、読んでも自分の中でイメージをアレンジしてしまう事が
出来てしまう。が、漫画はそれを許さない。
それが最も如実に描かれるのは、実は最後のエピソードの不気味さではなかろうか。実際、
老年の主人公とバスジャック犯の若者のエピソード自体は戦争と全く関係ない。が、この
エピソードが逆に戦場の過酷さを更に際立たせ、理不尽に物語を終わらせている。読後感
をより一層重いものにさせる。言葉では忘れてはいけない、と言うが人は忘れてしまうもの。
だが、漫画であるが故、このイメージが残るが故、これはそう簡単に忘れられない気がする
のだ。きっと来夏も思い出すだろう。現場は常に泥臭いのだ!と。
PS:終盤、老年の主人公は言う。「俺は絶対に口を開かなかった」と。口を開くという事は
想いや考えを言葉にする事だが、その言葉の意味や重み自体が発信者と受信者で
ギャップがある場合、何をどう言っても充分理解し合える筈も無い。だから言葉で伝える
には限界があるのだろう。終戦直後、周囲の人々が戦前とは変わってしまった事に気付き、
主人公はそれを実感してしまったのかも知れない。今年も酷暑の8月、強烈な印象を残した
本書を時々思い返しながら過ごした。そして、ふと食事をしてる時などに思った。目の前
にはフツーにご飯があり、家族が揃ってる。「これって幸せな事なんだなぁ」。
戦没者の方々のご冥福をお祈りします。本書を読む機会を頂き、有難うございました。
投稿者 str 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
戦争のない、平和な現代の日本に生まれた自分にとっては時折「フィクションなのでは?」
という錯覚に陥ってしまう。それほど戦争というものに対する現実味がなかったのだ。
学校の授業で得た程度の知識。
戦争モノの映画もよく観たが、あくまで娯楽として観ていただけだった。
しかし本書でそんな自分の枠は容易に破壊された。娯楽などと呼べるものではない。
そして、当然ながら自分が生まれるずっと前に実際に起こっていた出来事であると。
神平は自身の事を『卑怯者』だと自称していた。自分も最初はそう感じ、軽い嫌悪感を抱きながら読んでいた。そこで登場人物たちの誰になら共感出来るのかを意識しながら読み進めた。自分がもしこの場所に居たら・この状況下ならどのような思考をするだろうか?
結果的に神平の思考と行動が一番自分には当てはまってしまった。
あの状況下で、既に瀕死の重傷を負い、精神的にも限界であるなら少しは違っただろうが、身体もほぼ無傷で意識もしっかりしている。それでいて圧倒的な火力と兵力を持った敵を相手にするのは自殺行為でしかないと率直に感じてしまった。
いや、共感どころか自分は神平以下である。それを『卑怯』だと思わなかったのだ。
矢我隊長の死をきっかけに、徐々に変わり始めた神平の元に通明が現れた時も、自分で
あれば捕虜の道を選んでいたに違いない。それを『卑怯』であると罵るのは容易だ。
自分も傍観者の立場であればそう言っただろう。だが、あのような地獄の中にもし自分が立っていたらと考えたとき、それが果たして本当に『卑怯』な行為だと思えるのだろうか。
きっとそれは本当に体験した人にしか分からない事であり、情報としてでしか知り得ない自分には一生分からない事かもしれない。
戦争というテーマである本書には当然ながら“敵”の存在がある。
主人公からの視点がメインでの物語であり、敵=悪であるとどうしても捉えがちだが、
米兵にとっては日本兵が敵なのだ。圧倒的であったとしても死者はゼロではない。
友を失い、故郷に家族を残したまま死んでいった者も当然いる。犠牲者の数が多いか
少ないかの違いはあれど、米兵達も同じ人間である事に変わりはないのだ。
本書も敵をただの悪として描いてはいない。矢我隊長に『私は約束を守る』と言った
米兵の男は憎むべき相手であるはずの日本兵との約束を守った。しらばっくれて殺して
しまう事も出来ただろうが、その場限りのウソではなかったのだ。神平さえも手厚い看護を受けていた。これはあくまで戦争であり、ほとんどが国のために仕方なく戦った者たち。
兵士たちはお互い出来る事なら殺したくないし、当然死にたくもなかったのだろう。
戦争で多くの敵を殺した兵士の中には、殺した者たちの亡霊が夢に出てきて毎晩眠れず、精神をやられてしまう人もいるらしい。必ずしも勝利国だけが幸せだという事ではないのだ。五体満足で帰国した神平も、最後を迎えるその時まで戦争という名の呪縛から解放されていなかった。
生死を問わずあの場にいた全ての兵士。そして残された家族・友人・恋人。
その全てが戦争の被害者と言える。
本書を読み終え、如何に自分が平和であり幸せな時代に生きているのかを強く感じた。
そして「生きる為には殺すしかない」そんな事すらもない今の時代の中でさえ、ちょっとイラついた程度で平気で人の命を奪っていく現代人の人間性にも狂気と恐怖を感じた。
今の時代であっても争いを続けている国がある。これから何年・何十年先にこの世界から戦争やテロがなくなり、全ての争いが“歴史”として刻まれる時代は来るだろうか。
そして、次に戦争をテーマにした映画などを観た時、自身の中にどう映るのか。
これまでのようにただの娯楽として割り切れるのか?いや、きっと無理だろう。
十分過ぎるほど恵まれた「戦争のない国」に生まれ育った自分。
いつの日か「戦争のない世界」に生まれ育っていく子供達が誕生してくる事を願う。
ありがとうございました。
投稿者 nkatani 日時 2016年8月31日
~卑怯者の島を読んで~
若くして戦争に駆り出され、戦っては散っていく兵士たちの勇ましさや、
その覚悟や意志の強さには尊敬の念を抱かずにはいられません。
また、国を守るために戦い散っていった兵隊の方々の犠牲には感謝を感じずにはいられません。
また、戦場の悲惨さやそこで味わう恐怖苦痛も想像するだけで戦慄してしまいます。
と、ここまで書いて、大体の戦争物を見ると同じ感想になるであろうことに気がつききました。
それではこの本の感想文としては面白くないと思い、別の方向で考えてみようと思いました。
この本を読んで引っかかった事が一つだけあります。
タイトルにある卑怯者って誰? ということです。
しばらく考えていると今度は そもそも卑怯って何? という疑問が浮かんできました。
辞書を引いてみると「勇気に欠けていたりやり方がずるかったりして褒められた状態でないこと」
とありますが、物語を何度も反芻し考えてみると、主人公の国武神平(以下、神平)が考えている定義として、
「言動や態度が一貫しない」ということを卑怯とし、それが定義として適用されているように感じました。
要するに卑怯者とは、
物語に出てくる生存している日本人ほぼすべてを指しているということです。
上に書いた卑怯の定義に照らし合わせて考えると、
矢我隊長が弟を捕虜として逃がしつつも神平たちには戦って死ねと命じたことに(神平が)愕然としていたことや、
戦って散ると覚悟したものの、生還してしまった神平自身を卑怯と罵り続けてしまう事、
戦前と戦後の日本人の態度の違いに(神平が)嫌悪感を抱いたことにもうなずけます。
読み始めてしばらくのところまでは、
タイトルの「卑怯者の島」とはあさましくも生にしがみつき、
洞窟に逃げ延びた神平がいる島(戦場となった島)だと思っていたのですが、
最終章のタイトル「『卑怯者の島』への帰還」にもある通り、
「卑怯者の島」とは、(神平を含む)卑怯者のいる島=日本という、
皮肉った笑えないオチがついていました。
#命を懸けて守ろうとしたのは、こんな卑怯な奴らだったのか、という意味で
最後に話題は変わりますが、戦って死ぬことができなかった挫折感や、
そこから残る亡霊とも後悔ともつかぬ感情には、妙な共感を覚えました。
卑怯と罵った自らを許すことができれば、結末ももう少し幸せなものになったのではないかなぁ、と感じます。
以上、このような面白い本をご紹介いただき、
ありがとうございました。
投稿者 sumio 日時 2016年8月31日
卑怯者の島 小林よしのり 感想
表紙 橋本八百二「サイパン島大津部隊の奮戦」は、先日名古屋市美術館で見た、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を彷彿とさせる。
敵味方すらわからないほど茶色で塗り固められた絵。凄惨ともいえる描写の凄まじさ。
その藤田自身が、敗戦後、戦争犯罪の汚名を引き受けろ、と日本画壇仲間に言われ、失望。二度と母国に帰ることはなかった。
「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか」と手記で嘆いていた。
卑怯者の島は、日本のことかもしれない。
「英霊になれなかった!」
なんて悲しい返答だろう。
「生きて虜囚の辱めを受けず、...」戦陣訓を作った東条英機のせいで、死ななくて良い人間がどれだけ命を落としたことか。
戦前の日本は、見事に人の命が軽んじられていた。くだけちる命。
軍国教育の同調圧力は、すさまじい。明治政府になって70年かけて、国民を洗脳した成果のなれの果てがこれだ。
卑怯者とは、勇気のない者。心の卑しい卑劣な者。また、ずるがしこい者。
卑劣とは、することが正々堂々としておらず、いやしくきたならしいこと。
誰が誰に対して卑怯者なのか。
思うに、他人から見えている自分が、内面の自分に対して、卑怯なのだ。
現象面に現れる言動、と心で思っている事との齟齬。
他者に期待されている役割期待は「靖國で会おう!」だが、本人の素直な心は「やる前からわかってるじゃん、こんな無駄な負け戦」。
最後はどれだけ正直に、自分の心にしたがって、生きてきたのか、登場人物各々が、見せてくれた。
それを、卑怯者と言えないこともない。
故野坂昭如氏の言葉を思い出す。
「戦争は人間を人間でなくす。では獣になるのか。これは獣に失礼。獣は意味のない無駄な殺し合いをしない。人間だけが戦争をするのだ。
かつて戦争へと突き進んでいった人間たちと今を生きる日本人は何も変わらない。戦争で多くの命を失った。飢えに泣いた。大きな犠牲の上に、今の日本がある。
二度と日本が戦争をしないよう、そのためにどう生きていくかを問題とする。これこそが死者に対しての礼儀だろう。」
普段から、思ったこと、言いたいことは自由に言える環境にしておかないと、いつまた愚の極みの「卑怯者の島」の情況が出来するかも、と思った。
「さらば、靖國で会おう!」
それで幸せになったかね?
そんなわけない。しっかりしろよ、俺たち!
投稿者 filefish 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
子供の頃から普通に見聞きしていた、「卑怯者」という言葉。
あらためて意味を調べてみると、
勇気のない者、心の卑しい卑劣な者、ずるがしこい者、とのこと。
それだけでなく、かなりの軽蔑が込められているかと思う。
で、ここに登場する人物達が「卑怯者」だったのかと言えるだろうか。
主人公が戦争について語らなかったという理由。
「殺し殺されるぎりぎりの状況で道徳を論じても意味がない。」
まさにそうである。
彼らが「卑怯者」と定義されるのであれば、「戦時中の常識」の
なかでの話である。戦地の最前線、極限の状況で自分の命が惜しくなる、
その考え・行動を、勇気がない、心が卑しいとはとても言えない。
誰もが持っている「生きたい」という本能を、「卑怯」の言葉で
抑え付けられていただけなのである。
そう思うと、日本人は「卑怯者」と呼ばれることをものすごく嫌う
民族なのだな、と思う。
本書で描かれている、もうひとつの重要なテーマは
「人は、自分の思想・行動を支配している"権力"がなくなるとどうなるか?」
ではないだろうか。
ここでいう"権力"とは
・戦時中の常識としての「愛国心」
・信じていた上司
・軍国主義の日本
などで、現代社会においては
・部活等の先輩
・サラリーマンにとっての会社
などがこれにあたる。
そこで、
・戦争の意義に疑問が湧き(「愛国心」が崩れ)
・上司が実は「卑怯」だった
という状況となったとき
・ただ本能に従う者
・前の権力に取って代わろうとする者
・新しい権力にすがる者
が出てきている。
戦争に負けると、GHQが、また反戦主義が権力となっていく。
権力の移り変わりが「軍神さま」の扱いによく現れている。
最後に、途中に「女の愛国心は信じられんな・・・」というくだりがある。
対象の女性は、「愛国心」という権力に意味がないことを察していて
極めて現実的に生きていたのであろう。
男性より女性のほうが、権力に心酔しにくい傾向があるのだとすれば、
そこが女性のしたたかさの秘密であろうか、と思った次第。
投稿者 andoman 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
【対極にある二面性】
本書は、戦地の残酷さや恐ろしさのみを訴えている作品では無く、「生と死」、「建前と本音」、「卑怯者と英雄」など、人間が持ち合わせている、対極にある物事の二面性を、常に描写していた点に強く魅かれた。
・敵兵を殺し、自分も死に行く中で、その背景に描かれていた、兵士が護りたかった故郷の人々の描写。
・壮絶な最期を遂げる勇猛果敢な指揮官が秘めていた、妻や弟への大きな愛。
・戦時中は「万歳!万歳!」と兵士を英雄視していたが、戦争が終わると悪者扱いする国民。
・当初は「死にたくない!」「生きたい!」と最初の戦闘で卑怯な手を使って生き残ったが、戦争が終わって帰国すると「英霊になれなかった!」と嘆く主人公。
等々。。。
中でも、戦地と日本国内での、人の心の在り方のギャップは顕著に分かれていた。
死が隣り合わせとなっている戦地では、命令以外、他人の考えではなく、常に自分の本能の赴くままに考え、行動をしていた。
突撃する者、玉砕する者、隠れる者、盗む者…。
ここ戦地では、何が正しい。という正解は無い。
あるとすれば、「生き残る」という事を目標に設定し、それを達成する事が出来た人間が、正解なのだ。
その反面、日本国内では、周りの意見や顔色を伺って、自分の意見を押し込め、周りの空気に賛同する人間が正解だ。
そう、そのギャップとは、「自分の本能に従うか、他人に従うか?」である。
この対極にある二面性による違和感については、昔からモヤモヤと感じてはいたが、言葉には出来ずにいた。
しかし、本書を読み、キャラクターの表情等を通す事で、ようやくはっきりと理解する事が出来た。
【最終話「卑怯者の島」への帰還】
本書を読み進めて行くうちに、最終話の題名が目に入り、ゾッとし、実際に鳥肌が立った。
『「卑怯者の島」への「帰還」』なのだ。
当初、神平が自身のその行いを責めている事から、舞台の島をそう呼んでいると解釈していたが、実は日本そのものを「卑怯者の島」と表現しているという事に気づいた時、衝撃が走った…。
舞台の島で、米軍の上陸時に行われた「儀式」とも言える戦闘で、刹那の刻に命を失う者。
戦闘を生き残っても、米兵との直接的戦闘ではなく、洞窟の闇の中で、艦砲射撃によって、いつ天井がいつ崩れるかも分からない状況での、自身の中にある恐怖や飢えと傷との死闘の結果、死に取り込まれる者と、それを目の当たりにしている者。。。
一方で、通明が美奈に強く訴えていた、嘘っぱちな国防婦人会。(クレームする事が主目的化している、現代の一部のPTAみたい)
戦後、命を賭して日本の為に闘った兵士を悪者に仕立て上げたマスゴミ。
自らの手を汚さず、戦地に散って行った兵士達の思いを真に理解しようとしない、その様な者達が住まう現代の日本を、著者は「卑怯者の島」と表現したかったのだろう。
そこには恐らく、現代の日本人で、「日本を守る」という建前のもと、他国を信奉して利権を得ている者も含まれているだろう。
最後のページに海面に映る島の代わりに、富士山が描かれている。
そして「サイパン島大津部隊の奮戦」が描かれたカバーを外すと、その下には、睨む神平が描かれている。
『お前は大丈夫か?
お前のその心の裏側はどうなんだ?
お前も「卑怯者の島」の島民か?』
と問われている様に見える。
そしてまた、本書に付いていた付属の帯に、こう記載されていた。
『日本人よこれが戦争だ!』
本書を読み終えた後に、なるほど。と頷いた。
それは、戦闘シーンだけではない。
兵士を始め、全国民の心と世論の変化を含めた、全ての意味であると理解した。
今月も素晴らしい本をありがとうございました。
投稿者 2l5pda7E 日時 2016年8月31日
戦後70年特別企画:卑怯者の島を読んで。
実感が湧かない。
遠い昔の物語としてしか、認識できない。
想像力の欠落?いや違う、あまりに非情で酷いからである。
私はまだ身近な人を亡くしていない。
母方の祖父母を亡くしたが、涙は出てこなかった。
普段離れて暮らしていたから、実感が湧かなかったのかもしれない。
今もどこかで生きている気がする。
核家族化が進み、身近な人の死に触れることも少なくなった。
死に対して、リアリティが無いのだ。
そして今まで生きてきて、極限状態に陥ったことがないのだ。
百聞は一見にしかず実体験に勝るものはないと言うが、今こうして平和な時に読むことができて、良かったと思う反面、戦争まで極限ではなくとも、例えば政府の決め事や教育方針等、この世のルールである外部からの縛り付けの圧力は、今現在も色んな方面からある。
またいつか極限状態になる前に自分が本当に何をしたいのか、人生の目的は何なのかを考えて準備しておくべきであると思う。
良書をご紹介いただき、誠にありがとうございました。
投稿者 6339861 日時 2016年8月31日
それにしても、アメリカとは本当に圧倒的に物量の差があったのだなぁと
感じた。アメリカが夜にはパーティーを開くシーンが印象的だった。
日本は相手がどれくらいの戦力があるのか、とくに現場の兵隊は知らずに
戦っており、最後の最後でそれを思い知ったときの絶望感は途方もないもの
だったのだろう。
現代のわれわれがそれを想像するのは、困難であるが、いつの時代でも
情報は貴重なものであることを感じた。
当時と比べて圧倒的に情報を得ることができる現代でも、本当に有益な
情報は得ることができているのだろうか、とふと不安に思う。
当時の日本がだれかが意図した情報しか受け取ることができなかったように
現代も意図的な情報を受けてしまっているのかもしれない。
幸い、現代では今のところ戦争はなさそうであるが、本当にそうなのか、
見極める目を持たなければならないと思う。
ところで、戦地に行かないためには、どうしたらよかったのだろう
と考えたとき、ひとつの方法は自分が日本のトップ層に入り、戦地へ行かせる立場に
なるか、科学者など特別な技術・知識を持つなど、一般人と差別化を図る方法が
あったのかなと思う。
現代に生きる我々も知恵と未来を見通す力をつけなければならない、
やはり一生勉強だなと思った。
投稿者 vastos2000 日時 2016年8月31日
この作品を読んで、私自身、考えが揺れ、上手くまとまりませんでした。
いろいろ去来した中でいくつかの点を書きます。
神平はこころ揺れていることが多い。死ぬことを覚悟したかと思えば、生への執着からか、卑怯ととれるような行動をしてしまう場面が描かれる。漫画であるので神平の苦悩が見てわかる。
作中では、様々な対比が描かれている。公と私、生と死、前進と後退、夢と現実、現在と過去、聡明と馬鹿、勇敢と卑怯、飢死と戦死など。戦時中と現代など。
第1話の白兵戦の場面では、神平は突撃に対して躊躇し、敵前逃亡ととれる行為に及ぶ場面と、猛然と戦う場面があるが、どちらも根っこは死からの逃避「死にたくない」という気持ちから出た行為ではないか。
この戦闘から生き延びたのは、神平自身は「自分は卑怯者であるゆえに生き延びた」と思っているが、この状況下では確かに卑怯者なのだろう。現代の感覚に当てはめると、「自分の命を守る(“私”を優先させる)ことの何が悪いのか」と思うのだろうが、当時の若者の考えでは“公”を優先させるべきだったのだろう。
この“公”を優先させる感覚が、私は共感することができない。自分の命を捨てて国のために働くとは、どんな気持ちなのだろう。
この第1話と第11話の最後の斬り込み作戦の場面で、神平は足が前に進まなくなってしまうが、このとき、「生きたい」と思ったのか、「死にたくない」と思ったのか、どちらだったのだろう。神平自身は『土壇場になると俺はとことん生に執着する腐った性根の持ち主か~~~っ!?』というセリフを吐き、泣きながら前進する場面が描かれるが、ここでは意識下では猛烈に「生きたい」と思っているのに、理性に当たる部分で「死ななければ仲間たちに申し訳ない」と考えて、体と頭が分離してしまったような状況になったのではないか。矢我少尉が「死ぬべき時に死ななければ、人間は必ず堕落する!」というセリフの直後に武熊が「俺は違うと思う!」と言う。「国のために死ななければならい」と「生還したい」が対立している葛藤がある。
神平は最終的には、自分だけは生き延びて敵の船で島を出てしまうことになるが、このとき、死んだ仲間に対して申し訳ない気持ちと罪悪感で心が埋め尽くされていたと想像する。それが作中の『逃げる!逃げる!逃げる!』に込められているのではないか。
当時の日本の普通の青年が戦場に行くということはどういうことなのか?生命の危機をリアルに感じるような土壇場でどのような行動をとるのか?
現代の感覚では、そもそも徴兵拒否して国外へ逃亡、あるいは投獄を選ぶ国民が多数でると思う。しかし当時は、徴兵拒否はほぼ皆無だったと聞く。明治時代から戦時にかけて、膨大な数の若者が未来のために命を落としていった時代においては、そのような空気が日本を覆っていたのか。
生還してしまってからの神平の苦悩も描かれているが、死に場所を求めている状態だったのではないか。
平和を享受できる現代に生まれた我々は、せめて8月の一か月だけでも、先の大戦に思いをはせねばならぬと感じました。
英霊たちにあらためて感謝します。
投稿者 tractoronly 日時 2016年8月31日
卑怯者の島 を読んで
はたして卑怯者とは誰のことか?
そんなことを思いつつ読み進めてみるものの、この島に派兵された時点で命を賭けているのであり、卑怯者と呼ぶほどの人物はいないと感じました。
そもそも誰が勇敢で誰が卑怯などという区別は「殺し殺されるギリギリの状況で道徳を論じても意味がない」という主人公の言葉通りなのだと思います。
逆に安全圏にいて万歳三唱してお国のために頑張ってこいだの言って、戦争が終わってみれば兵士を悪者にする日本本土にいる人たちの方がよっぽど卑怯なのでは?と思い、ふと改めてタイトルの意味を考えてみると非常にショックでした。
そう、卑怯者の島とは日本全体のことを指しているのだと考えると、この本が主張したい一本のスジがはっきりと見て取れます。
大本営や司令部も十分すぎるほど卑怯ですが、主人公の身近にいる人々も卑怯者で、しかも無自覚、無意識に帰還した人々を傷つけるから余計にたちが悪い。
最終章で主人公が戦後の村になじめず、生きる実感も持てなかったのは、それが大きな原因ではないかと考えてしまいます。
逆に、理不尽渦巻くあの島で懸命に生きようとし、死を覚悟せざるを得ない状況になり、でも生きのびてしまった。しかしそれが生きているという実感を持てた唯一の場所だったという描写はなんという皮肉でしょうか。
最後に、主人公が戦後苦悩し、出来事を一切語らなかったという点について。
亡くなった祖父も戦争でどこに行ったとはいうものの、戦場で何をしてきたという部分には一切口を開きませんでした。
存命だった時分にいろいろ話を聞きたかったですが、当時は聞いて受け止めるだけの知識も想像力も器もなく聞けずじまいだったのが、今回の本を通して少し理解できた気がします。
ただ、この戦後の世界を祖父はどのような目で見ていたのかと思うと何ともいたたまれない想いでいっぱいになります。
せめて、このような出来事があったのだと英霊の方々とご先祖様に想いを寄せることが自分にできるせめてもの供養なのではないかと思います。
それが卑怯者ではない生き方なのではないかと思いました。
投稿者 chaccha64 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
卑怯とは何なんだろう? 辞書には、正々堂々としていないこと、勇気がなく正面から取り組まないこととある。この本の主人公、その他の人達は「卑怯」というまであるのだろうか? それは一時は卑怯な行為をした者もいるが、次には「勇敢」であった。
矢我少尉の「誰もが一秒先に勇敢と卑怯、どちらに転ぶかわからないのが戦場だ」という言葉通りだ。
戦争とは理屈に合わないことだ。基本的に、個人的な憎しみで人を殺すわけではなく、命令で殺すことだ。(憎しみを抱くようには教育されるが) そのため、闘争心、勢いで行うように仕向けられる。訓練をして、反射的に反応するようにする。そして、そうなるように状況、環境を作り上げていく。
そんなところで、友人の一言「突撃するふりだけして隠れていればいい」という言葉で一瞬ひるんで転んでしまう。その目の前の地獄図を見て、塹壕へ戻り隠れてしまう。それを矢我少尉に見つかるがとがめられない。その自分の行為に悩み苦しみ、矢我少尉や他の戦友の卑怯な行い、勇敢な行いを見て、切り込みを決意し、実行する。
だが、結構直前に「司令部の指揮官が自決した」という日本語を聞いて、茫然として結構できなかった。糸が切れた。勇敢ではなかったのではなく、運が良くて生き延びたのだと思う。
戦後も生き残ったことに苦しみ、逃げたという思いで何も語らない。そして、最後まで自分の行為に悩み、考え抜いている。
一時卑怯な行いをしたのかもしれない。(戦後に育った自分からは卑怯というレベルではないと思えるが) しかし、あの島では本当に日本のことを思って戦っていた。勇敢に戦おうとした。戦後も矢我兄弟の母親に報告に行っている。そして、戦いの後遺症に悩みながら、戦後を生きてきた。生きるということに真摯に向き合っている。決して卑怯ではないと思います。
あの戦争で戦った人たちは、防衛線をあちこちで突破され、玉砕していた事実を薄々は感じていたはず。なので、日本が勝てるとは信じていなかったと思います。しかし、日本の存続を信じていた。というよりも、日本に、親、兄弟、妻子に生きてほしいと願って、自分を犠牲にした人たち。それが、あの戦争の英霊だ。その人たちに恥じない日本になっているのか。
今本を読んで、少しでもよい日本にするための助けになるよう努力したいと改めて誓った次第です。
投稿者 haruharu 日時 2016年8月31日
「卑怯者の島」を読んで
『不遇の時代に生まれた。戦争の時代に。これが俺たちの役回りである。』
矢我隊長の言葉が印象に残った。
祖国を永久に失う結果になるかもしれないと危惧しながら戦った、命をかけて軍人としての役割を、長にとっては長としての役割を最後まで全うする戦いがかつてあったのだ。
私は、どんな役回りをもって生きたらいいんだろうか?
私は与えられた役回りを考えたことあるのだろうか?
命をかけて祖国を守った方たちの願いを考えたことあるのだろうか?
日本の50年後100年後を本気で考えたことあるのだろうか?
今の80代くらいまでの方たちだって少ないんじゃないだろうか?
昨今のニュース等からは、見て見ぬふりに始まり身内の恥はもみ消し、隠し、体裁を取り繕う事に長けてきたような気がします。
一昔前は子がペット化という言葉や、最近はモンスターペアレンツという言葉まで普通に聞くようになった。
子らに本気で接する大人がいなくなったのではないか。
戦争を体験してきたはず(といっても小学生で疎開のみ)の方たち(80代くらい)と考え方の違いを時々感じる。戦時中逃げて逃げて、まるで逃げるのがインストールされたんじゃないかと思うくらいの人生もあるのだ。
戦後、がむしゃらに働いてきてお陰で今の日本があると自負してるのは承知している。
他人の人生に関わるという認識が薄いのかもしれない。
大人が弱くなってしまったのかもしれない。
私は、日々の生活の中に於いて、長とパートさんの間にいる自分の役割というのを真剣に考え受け止め、関わる人々がどれだけ豊かな人生になれるか、応援したり関わっていかなければならないと思った。
投稿者 KomuStrauss 日時 2016年8月31日
それから
『卑怯者の島』というタイトル。まず、そこにひっかかる。
この作品で言っている卑怯者とは、誰のことだろう。
それは、「生きたい」「生かしたい」と思っている人たちではないだろうか。
まず、現代の価値観で言うと、生きること、生かすことは、善であり、認められるし、
「死にたい」、「殺したい」よりも、「生きたい」、「生かしたい」という気持ちがいい意味であるとして共感されやすい。
この作品の中では、真逆の考えが全体を支配している。
死が美徳であり、生は卑怯である。
だから敵に斬り込んで死なない奴は卑怯である。死を覚悟していない奴は卑怯である。
現代でも、死に共感されることは勿論あるが、
生きること、生かすこと、特に生かすことが卑怯であるということは、そうやすやすとは受け入れられない。
作中の美奈のような、「御国のために死んで」とあっさり言い、傷痍軍人がどうしても嫌と言うような女は、卑怯者の一人として描かれる。
戦争に行かない女性の本質は生きることであり、生むことである。そして、それは卑怯である。
対して、少尉の妻、弥生は、死を判然と身体の内に持っている。正に、死を覚悟している。
そして最期には、少尉と死を共にする。だからこそ、このひとは美しい。否、そのように描かれるのだ。
神平は「生きたい」と思い、戦闘を回避して塹壕の中に隠れ、更に隠れ場所を作る。
この「生きたい」という思いを持って、行動したことが、たまらなく卑怯である。
これは、ただ事実だけ見せられても、戦争を体験したことのない我々の間では、その気持ちが理解されずに、状況だけを現代風に再解釈してしまう。
「生きたい」という思いは、現代の価値観では、決して悪いことではない。
そのため、神平本人の思い(「俺は何て卑怯なんだ」)が、初めは奇異に響く。受け入れ難い。
しかし、「卑怯者」という言葉を繰り返し目にするうちに、読者は作品世界に入り込んでいく。
刷り込まれた、「生は卑怯である」という作中の共通認識が、
中盤の少尉の死と、それに対する兵士たちの決意を、感動的なものに見せ、
終盤の「生き残ってしまった」神平の虚脱感を、理解可能なものとするのだ。
小中学校において、道徳の時間になされる戦争体験の話は、ほとんど純粋に、体験だけが語られる。
すると、現代日本の掲げる道徳によって、起こった事実が再解釈され、
子供たちの意見は「戦争は悪いこと、悲しいこと」「戦争は何も生まない」「戦争した国はどれも悪い」という風に定型化される。
この漫画は、それとは対照的に、その体験に付随した感情、考え方を、くどいほど提示してくるのだ。
中学生の時、音楽の課題で、ビートルズについて調べていて、ビート・クルセイダーズに所属していた人が書いた文章に出会った。
彼は、『戦争を知らない子供たち』という歌を発表したときに、「現代でも戦争はあるんだ」と批判されたという。
当時の私は、「戦争を知らない」という言葉の定義が、両者で共有されていないことに問題を感じただけだったが、
本書を読んでから改めて考えてみると、
『戦争を知らない子供たち』というタイトルは、
一応平和で兵役のない、戦争に行って死ぬ可能性がとても低い現代日本の我々が、
戦争について語る、ということに対する、ものすごい批判になりうるのかもしれない。
しかし、自衛隊が軍隊になろうとしているこれから、
戦争についての思索が、「戦争は悪いことだ」というただのきれいごとではなくなる。
『卑怯者の島』で、私たちは批判されているのではないのだろうか。否、批判されていると見るべきだ。
「日本列島こそ、『卑怯者の島』である」と。
「戦争が悪いこと」というのは、大抵、歴史的に評価の下された、過去の戦争について述べられることであって、
歴史的に未だに評価されていない、あるいは現在進行中の戦争について、はっきりと意見を言える人間など、限られている。
ましてや、未来の戦争について評価できる人間は、そうはいない。
普遍的な戦争について、悪あるいは善と断定できる人間は、恐らくおるまい。いたとしたら、どこかが破綻しているはずだ。
私の周りには、二十歳そこそこの若者が沢山いる。私や彼らが戦争に行く姿は、私の中では、まだ現実味を帯びていない。
私にとっては、生も死も美しく、貴い。そして、どこか遠いものである。
このような考えは、卑怯者の域にすら到達していない、本当の生死を知らない人間が持つものかもしれない。
では、戦争を知らない子供として、私は戦争について、どう考えるべきなのか。
世界史の教科書は、その半分以上が戦争についての話題にページを割いている。
化学や物理学は、戦争を通じて発展した。原子力や宇宙工学も、戦争の為に急速に研究が進んだ。
朝鮮戦争は日本の戦後復興を生み出し、ベトナム戦争はアメリカの大統領を変えた。
戦争は巨視的にしか捉えられない言葉である。
戦争は国家同士、あるいは人間の集合体同士というように、極めて形而上的で、理念的なものである。
それは、個人から見れば、やむを得ない事情から、人が人を殺すことが是とされている状況である。
AさんがBさんを殺すという極めて具体的な状況である。
それは、想像しただけで、頭痛に襲われるような気分の悪い状況である。
エマニュエル・レヴィナスは、他者の目の中には、私でも相手でもない第三者がいると考えた。
それは、私を見つめ、裁く存在である。それは、神聖で、犯しがたく、それゆえに他者を殺すことは「不可能」である。
これは、一人の哲学者が、第二次世界大戦を経験して、生み出した、人が人を殺すことに対する、戦争に対する、思索である。
私は、他者の神聖さを真に理解できないでいる。
しかし、人が人を殺す模様を想像するだけで頭が痛くなってしまう。
それは、その状況そのものが、叫びを発しているかのようである。
やはり、戦争と言うものは、人間の理性を越えた、何らかの道理に反していると感じざるを得ない。
投稿者 jawakuma 日時 2016年9月1日
卑怯者の島を読んで
しょう~おん先生のお陰で太平洋戦争にまつわる書物はいろいろと目を通してきたが、漫画でここまでリアルに表現されると、文章に比べて描写が具体的なので視覚を通してストレートに脳裏に飛び込んできた。その効用を考えると、普段活字から遠のいている人、子供や若者達にも戦争理解のハードルを下げ興味関心、問題提起を持つきっかけになる書物だと感じた。
・この状況にもし自分が放り込まれたとしたら何ができただろうか?
普通の主人公が普通の田舎から戦地へと送り込まれるこの状況の中で、もし自分が同じ立場だとしたら何ができただろうか?やはり自分も周囲の状況を伺い歩調を合わせつつも混乱などの隙があったら、例え軍規違反であったとしても卑怯な逃亡行為をしてしまうのではないだろうか。それはもちろん私だけではなく、現在の思想を携えた若者たちは、誰もが同じ行動をとるように思う。そう考えると、‟卑怯者の島“はこの戦場の島だけでなく、島国日本そのものを指しているようにも感じた。
最終のエピローグのくだりで、戦争に対する勝手な論調を垂れる連中が現れる。その輩を担ぎ上げるマスコミ達、評論家などなど、、、卑怯者の島はどこまで続くのだろうか。
・圧倒的な物量差
敵の侵入に備える毎日を送る中、ある日とうとう敵艦の船影が現れる。その数は島を囲むどころか水平線を埋め尽くすほどだ。この絶対的な物量差たるや絶望以外の何物でもないだろう。必敗の状況下、何のための戦闘なのか?援軍が来るまでの時間稼ぎか?主力部隊の奇襲のための陽動作戦か?否、そんなものはない。戦闘の目的は後方の主力部隊のための防波堤となり敵戦力の激減させること。死はほぼ前提条件なのだ。その理不尽な状況の中で、もちろん逃げ場もなく、自分の死の意味を問い、死に場所を求めて戦いを続ける。
・自分の死の意味
皇国のための礎とならん。そう書き連ね突撃を行っている先人たち。自分を産み育んでくれた親、共に育った兄弟、友人や恋人、愛する妻や子供、お世話になった先生、地域の人々そういった人達を守るため自分は死する。納得どうこうではなく、そうでも思わなければ自分の死が犬死と感じてしまうだろう。そして矢峨隊長がその切腹劇の際に叫んだように、明治以来膨大な数の若者がこの国を守るため、自分の生きたいという気持ちを抑えて死んでいったのだ。結果、太平洋戦争後日本は敗戦国となったが、その先人達の尊い犠牲の未来の形が今の日本を形作っていることを忘れてはならない。奥歯を噛みしめながらそのことを切に感じた。
過去の真実を把握し現在の事象に映しつつ、これからを生きていきたいと思います。
今月も良書をありがとうございました!