ログイン | 新規登録

第4回目(2011年8月)の課題本

 

 それでも、日本人は「戦争」を選んだ

 

敗戦後66年が経過しても、未だ戦争の残した傷跡は日本人のDNAに刻まれています。

あの戦争がどういうモノだったのかと、戦後日本人はどう変わってしまったのかという、

during the warとafter the warについては、様々な分析がなされています。

しかし、before the warの実態については、特に一般国民の共通感情が共通感情が

那辺に向いていたのかについては、マスコミのミスリードもあって正確には伝えられていません。

巷間流布されている言説は、「軍部が暴走して一般国民を巻き込んで戦争を起こした」

というモノなのですが、戦争が国家として行われている以上、国家のフルメンバーである

国民の意思が全く反映されていなかったとはとうてい思えないのです。

 

本書では当時の国民の気分や、一般的な人(軍人以外の国民)が、日清、日露、満州について

どのような考えをもっていたのかをわかりやすく解説しています。

これを読んで、今一度、 我々一般国民がどこを、どう反省しなければならないのか?

を問う事はとても有意義な思考実験だと思います。 現憲法では戦争行為が禁止されていますが、

第9条が戦争を防止するのではないのです。 国民の総意こそが、国家の意思決定に重要な役割

を果たすという事を読み取る。 その上でその教訓をどう活かすかについて考えて頂きたいと思います。

 

【しょ~おんコメント】

8月の課題図書に9名の方がコメントを書いて下さいました。

さすがに4回目ともなると一人あたりの分量も長くなり、しっかりと読んで内容を理
解するために時間がかかりました。

熟読した結果(何度も言っていますが、これはしょ~おんが独断で選ぶモノですから
ね)、 今月はyokoyayayukiさんに優秀賞を差し上げる事にしました。

おめでとうございます。後ほどアマゾンのギフト券をお送りします。


みなさんのコメントを読み、ずいぶん深いレベルで考えているなぁという感想を持っ
たのですが、 せっかくですからいくつか指摘しておこうと思います。

誰のコメントがどうだ、というわけではないのですが、何人かの方のコメントを読ん
で気になったのが、

1)    論旨がまとまっていない
2)    理路を説明していない

という2点です。

論旨がまとまっていないというのは、いろいろ書いてあるんですが結局のところ、
「何が言いたいのか?」が分からないコメントがあるんですね。

なんとなくその場で思いついた事を羅列していくうちに、自分でも結論として何を
言いたいのかが分からなくなるのです。

文章というのは、結論を先に頭の中で作るのです。2)の理路を説明していないにもつ
ながるのですが、何を言いたいのかという結論を決め、その結論がどうして導かれた
のかという論理的理由を展開していくのです。

そこでは理由や自分が当然だと思っている、感じている事象を読み手に理解させるた
め に例を出したり、別の表現に置き換えてみたりする必要があるわけですね。 同時
に、自分の考え、結論と逆の結論を採用した場合の論理の破綻を示す事で逆説的に自
己の結論が 正しい事を証明したりする事もありますね。

「~です」、「~である」と言っておきながら、「なぜそう言いきれるのか?」とい
う論拠を示さず、 そこで提示した「~です」が正しいという前提で議論を進める書き
方が多く見受けられました。 これは上記の2)が不十分だからです。

この結論と理路の関係性が欠落していたり、不十分(なんでそう言えるの? と感じる
文章)にならないように書くとわかりやすくなるのです。

 

特に、問題提起をする時に使われる「~ではないか」という表現を使う時には、 なぜ
自分がその論を採用したのかを省かずに書く事で、読み手の理解と共感が深まるので
すね。

 

特に今回は長文のコメントを寄せて下さった方が多いので、上記2点の整合性を取る
のは難しかったと思います。

長い文章を書く時には、段落ごとに言いたい事をコンパクトにまとめ、その段落の中
で整合性が取れているのかを確認すると良いですね。

最も重要な事、それはビジネスでのメールも同じなのですが、書いたモノを自分で読
み直すという事です。

書いている時には一種のハイ状態になって筆が進むのですが、あとでじっくりと読み
直してみると全然違う感触を持ったりするんですよね。

あの時には「いけてる」と思っていたのに、読み直したら「こりゃダメだ」となって
書き直しをするというのは私のメールマガジンのネタでも同じなんですね。

頂いたコメント】

投稿者 abc123 日時

 

改めて、教育(学校教育だけではない)の大切さがわかる本書でした。一部分の事実で全体を把握することは、かなり無理があります。推察・仮説をおくことは可能です。その場合、それを検証する事実判断の根拠も大切になります。ある主張(文章・言葉を問わず)を行う場合、必ずその意図を反映した事実以外のものは、隠蔽されるか歪曲してさも全体を表現しているように表現されます。筆者の文章を通しても同様のことが分かることに本書の意義もあると思います。自分の世界に関係ないところでの出来事だと見過ごしているとが、やがてそれらは自分自身に直接関わりのある出来事として突然現れることがあります。人との関わりでしか生きる術を持たない人間・国民・選挙民・個人の自覚が試されており、情報過多の中で、事実の積み重ねから何を基準にどう判断し行動することで、これから後に続く人に何を継承していくのか?喉に小骨が突きささる本書でした。小さな社会集団である会社組織運営とも相通ずるところがあります。多くの方々の犠牲あり、今生かされていることに感謝いたします。



投稿者 sabiking 日時

 

『それでも、日本人は戦争を選んだ』を読んで

私はこの本を読んで、原発問題と重ねあわせてしまいました。
日本は民主主義国家である以上、国民の総意のもとで物事は決まり、進められます。
情報によって国民の総意は作られ、戦争へ向かい、原発も作られる。
国民の総意の出来上がり方という点では、あの頃と現在を比べても
あまり変わっていないのではないでしょうか。
私も操られる側の人間ですが、少なくとも本を読んだ人間として、
そうならないよう、自戒を込めて書きたいと思います。


[統制された情報]

本の中にも書かれているように、戦時中は情報統制がなされます。
とはいえ、戦時中ではない現代の日本でも情報統制はされていると私は思います。
そもそも情報統制は、物事に反対させなかったり、 不満を抑えたり、類推させないよう
目線を違う方向にそらす、といった目的を持っています。
この点については、戦時中であろうと現代であろうと変わらないと思います。
情報統制は、為政者など権力を持ち、利益を得ることができる人間が行います。
本の中に太平洋戦争において、戦死者の総数を国民に知らせないよう新聞に載せない、
ということが書かれていましたが、この辺は今の原発に関する報道とかなり似ていると感じます。

原発事故の犠牲者はどのくらいなのか?
作業員はどのくらいの犠牲になっているのか?
核燃料廃棄物の扱いはどうする予定なのか?
原発1基の総コストは?

といったことはほとんど報じられません。

現代は戦時中と同様、情報は統制されており、私たちはその中で生きている、
という認識が必要なのでしょう。

[操作された情報]

情報を受け取る心理状態によっては、思考停止に陥る可能性があります。
例えば、世界恐慌時の陸軍のスローガンに、
「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な施策」があるという記述が本の中にあります。
政党はそういったスローガンを出さず、それを陸軍が国民軽視だと糾弾する。
金もなく、不況で仕事にも就けない、 といった状況であれば、
魅力的に感じるのは無理もないと思います。
どう進んだらいいのかわからない状況 で、ようやっと道を指し示してくれるリーダーが
やってきて天から蜘蛛の糸を垂らしてくれたぞ!という感覚になるのだと思います。
こういった蜘蛛の糸(に見えるもの)が降りてきたときに、
「考えもせずに飛びついていいのか?」と訝ったほうがよさそうです。

難しい話を簡単に伝えるのは情報発信者にとって立派な能力ではありますが、
反面、情報が脚色・劇化されているのではないか?という視点も必要でしょう。

「郵政民営化是か否か」
「原発がないと電気が足りない・経済が良くならない」
「原発を止めて火力でまかなうと電気料が大幅に上がる」

などが現代ではあてはまるでしょうか。

「農村の一部の人間を分村移民として満州へと旅立たせましょう。村へ補助金を出しますよ」といった満州分村移民は、原発村のカラクリに似ていると感じました。
言いくるめられて移民させられた人たちかわいそう、と思うだけでなく、
国や自治体は何を狙ってるのか?を考える必要があります。
自分の中に一本筋が通ったものがないと、すぐ甘言にひっかかりそうです。
日本によくある「国から補助金を配る」という仕組み自体が、
分村移民・原発村スキームを持っている可能性も考えられます。


[意志を決める]

 私たちは日々、統制された情報の中で生きていると私は思います。
また、自己決定・自己責任の世の中だと言われて久しいです。
責任をとらされる世の中だ、とは言い過ぎかもしれませんが、今まで言われていなかっただけで、
元からこういったものだったということがこの本を読むとわかります。
こういった状況でありながらも、一人ひとりの意思をどう持つか、は重要だと考えます。
正しく情報が流れてくるのが一番望ましいのですが、情報が無いとか嘘だった、
と言い訳をするのは簡単ですが、そうであってもベターな意思を持って生きるべきだと思います。
他者依存ではベターな意思が持てるとは思えません。
この点について3つ書かせて頂きます。


1.集団の心理状態を認識すること

集団生活や企業において日本人は周囲に合わせるのを是としがちです。
多数決で物事を決めようとし、多数派についていないと不安を感じてしまうことも多いです。
必ずしも多数派が正しいとは限らないはずです。
(もちろん、周りと確執を持って生きるというわけではありません。少数派に属した時は、表面上多数派に所属している「ふりをする」ということも時として必要でしょう。)

多数派に属するのが良いのだと考えて行動していると、
自分で思想・言動を抑制し、セルフ情報統制に陥る、という危険性もあると思います。
こういった心理状態を認識し、注意した上で自身の意思を決めるべきです。


2.構造を読もうとすること

メルマガにも誰が最も得をするのか?という視点を持ち、構造を読み取ろうとすべき、
とが書かれていました。
戦時中であればなぜ「満州が日本の生命線だ」と言われたのか、
リーダーシップを発揮できているとは言い切れない政治家が、北海道の泊原発は住民の反対を押し切って震災後初の稼働再開を決めたのか、
ということをなぜか?と推し量る癖をつけるべきだと思います。

3.自己決定を疑うこと

自分自身で決めた事柄は容易には覆せないことが多いです。
自己決定をしているため、世の中の流れにも沿っています。
ただし、全体を俯瞰しなおした時にその決定がベターなのかどうかは別問題です。
この自己決定も操作されていたり、人に言われてそうなっただけで、
自分のアタマで考えた結果ではないかもしれません。
非常に難しいことではありますが、常に自己決定を疑ってみるという姿勢や、
自分はどういう状態が望みか、を持っている状態が必要だと思います。


3つ書きましたが、続けるのも難しく、さらに他にあるかもしれません。
ただ、憲法9条が止めてくれる、法律が止めてくれるという他者にどっぷり依存した思考で
国民全員が生きていると、おかしな国民の総意ができあがるのではないかとも思えます。
少なくともこの本を読んだ者としては過度な他者依存思考はしないようにしていきたいです。



投稿者 ganchan58 日時

 

勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉どおり太平洋戦争に負けた日本は何から何まで悪かったことになっている。戦争を早く終わらせるためにと落とされた大量殺戮兵器の原爆は人体実験とソ連への牽制だったという。戦争に勝った国にそんな事を許して良いのだろうか。しかし大量虐殺を行ったアメリカを裁く事はないし、アメリカは懺悔もしない。キリスト教では許される行為なのだろうか。

歴史とくに近現代史から何を学ぶべきか。それは一つには現代のこの末期状態と思われる日本の現状の理由を探るということでもある。
長い間 日中戦争と太平洋戦争について知りたい気持ちが 私の中に住み続けていた。
だが教科書的な本ではその気持ちを満たしてくれない。

 近現代史を知らないということは、いわば自分自身を育ててくれたこの社会の歴史的な成り立ちを知らずに生きているということで、どうにも心地が悪い。社会上の父と母を知らずに育った子供のような存在ではなかろうか。私にとって、日中戦争や太平洋戦争が最大の謎だったが、史実の一端を紹介してもらい、それを自分自身がどう解釈するか、自分だったらどうしたかを考えさせる。だから人によって考え方が違ってくる。解釈が違ってくる。「人間として」「本当の国益のために」どうしたら良いだろうか、その立場で考える。未だに戦争肯定論、否定論色々あり統一することはないだろうが、一つ一つの出来事そのものが、切羽詰った状態で決定されていったものだった。一般的な歴史上の人物評価は当てにならない。史実から人物の内面まで推し量る努力が求められる。その意味でも加藤陽子氏の「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、私たちなら史実からどう考えるか、どう行動するだろうか考えさせてくれる珍しく面白い本である。
歴史は史実を基に人間に関する深い洞察を私たちに求めているのだと思う。

また歴史というものは、日常私達自身がが人と関わりあうレベルでしか見えてこないのではないか。人間に対する理解度がそのまま歴史を学ぶことに現れる。歴史を知ることは結局自分自信を鏡で見ているようでもあろう。また多くの素晴らしいあるいは酷い史実から、日本のこれからのあるべき行く末を考える糧になるだろう。

 
 私の父は戦前は南満州鉄道に勤務し、戦争中はやはり中国の戦地に赴いた。
戦後、父は抑留されてシベリアで強制労働をし、無事に日本に帰ってきたときには共産主義の洗礼を受けており、日本国有鉄道に再就職することができなかった。
その後苦労して私たちを育ててくれたのだが、滅多に戦争の事は語らなかった。時たま酒を飲んで語ることは機関銃を敵に当たらないように撃ったとか、軍曹であったが自分の部下を殴ったことはないなどと話してくれた。それと中国人の人の良さ、日本兵の中国人に対する暴挙などを時に語ってくれた。
それでも日本国や軍隊に対する愚痴や批判を話したことは無く、人間的に正直で人が良すぎた父はお酒を飲みすぎ、貧乏の中で亡くなっていった。
果たして父が幸せだったのか、不幸だったのか私にはわからないが、父の人生に大きな影響を与えた戦争とは一体何だったのか。その思いがいつも私の中にあったのだと思う。

もう一つ、戦後文芸評論家である小林秀雄氏が戦争に対する態度を本多秋五氏に問われて「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」と述べ、省みての、仮定に基づいた歴史観を持つ事ができないとのべ「僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無知だから反省などしない。利巧な奴はたんと反省してみるのがいいぢゃないか」と語っている。
 私はこの言葉が意味を知りたかった。戦後多くの知識人たちが「戦争は間違っていた。間違っていた過去及び自分たちの思想を清算しなければならない」と語り思想的な転向を行った。確かに戦争は多くの国の多くの国民を悲劇に陥れた。確かに良い戦争などあるはずもない。
小林氏の言葉を私なりに拙い解釈をすれば「愚かではあったかも知れないが、私たちは私たちの立場で精一杯に生きたではないか。それは何事にも替え難い切羽詰った人生だった。なぜあの時戦争を止めなかったのかと言っても仕方が無い。歴史は過ぎてみれば幾らでも反省できるように思えるが、精一杯のかけがえの無い言動や行動が間違っていたと自己否定することに何の意味があるか。」
 戦争に対する反省は当然あるべきだが、小林氏の言葉の意味はもっと深いものだろう。歴史は人と人との関わりから生じ、間違いもあれば素晴らしい事もある。だがそれは一度きりしかない。私たちはそのような歴史に対してもっと謙虚な畏怖を持つべきではないか。別の言い方をすれば、簡単に反省するような軽い決断や生きかたをしてはいけないということだろう。

それでは、加藤陽子氏の著書「それでも日本人は戦争を選んだ」に話を移そうと思う。この本を読んでまず考えたのは、人間というものは歴史から上手く学びより良い国にするような進化を遂げるのは難しいということだ。それに西郷南州のような優れた人物が必ずしも政治の場面で適切に働く場を得ていないということ。および戦後日本人がこれほどまでに自信を失くしてきたルーツも知った。
 加藤氏のこの本を読むと戦争を巡る色々な国の色々な人々が自分で信じる交渉を行い、それは時に賢明なものであったり、また愚かなものであったりした。その過程で国や国家間を巡る壮大な人間ドラマが繰り広げられている。人間は不完全で間違いをおかす存在ではあるが、過去の出来事の変更は不可能である。だからこそ立場は違えども最善を考えて行動していくのだ。
現在進行形の歴史においては私たちは精一杯自分達が良いと信ずることを行う以外にはない。何を良しとするか、間違わないためにも過去の歴史から学べる事が沢山あるだろう。
 
 それにしても日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と大国を相手の戦争で勝利してきた日本は今からは想像もできないほど自信に満ちた国であったことだろう。一方政治家も大国に追いつくために必死なり、堂々と外国の政治家に意見を言っていたであろう。現在の日本の政治家とは大きく違ったはずだ。ただ自信があることが正しい道を行くとは限らないのも事実だ。

 昨日、民主党の代表選があった。コロコロと変わる総理大臣。民主党という政党の中でさえ色々な思惑で考えがまとまらず、東日本大震災の復興は大きく遅れている。震災が原因で起きた原発事故に至っては、日本国民の安全を考えているとは言い難い情報の隠蔽や言動。既に棲めないはずのところに棲む事を許可し、将来の日本を背負う子供たちは許容量を10倍に引き上げられた人工放射能の中で授業を受けている。日本は、責任あるはずの人たちが誰も責任をとらない国になったのは何故だろう。 過去から連綿と続いてきた歴史。日中戦争や太平洋戦争に学ぶ事は多いはずだ。当時の内閣は、軍部の行動を、日中戦争を止められなかった。そして軍部は広く農民層に支持されていた。だが軍部は危険だといって、自国を守る軍隊も持たず、国民の安全にも責任を持たない国が世界の何処にあるというのだろう。何事も極端に走る事は間違いだ。

 現在、私達にできるひとつの事は、厳しい目で政治家を選ぶということ。そしてできれば上級官僚の罷免権や天下り禁止も国民の意見をもっと取り入れ委ねるべきだ。

 歴史を考える時いつも釈然としない思いがある。それは現在の自虐的な歴史観・力の裏づけの無い平和主義・中国やアメリカに舐められきった外交。領海・領土が侵犯されているのに激しく抗議しない政府。領土の侵犯が戦争のきっかけにさえなりうるというのに。それが今の日本の現状。日本はいつから上っ面な平和主義のはびこる国になったのか。力を背景にしない平和はとても危険な状態である。家族で楽しい外出をしたときに暴漢に襲われたときに身を挺して守るのは父親の役割だ。国のレベルでも同じことがいえる。それととんでもない暴挙に及ぶことは全く違うことだ。アメリカが弱体化する現在、日本に向けて思いもよらない攻撃があるかもわからない。しかし、その危機感が日本人にあるようには思えない。誰も助けてはくれないどころか、全土を占領されてしまうおそれだってある。外国にとって日本の政治家も官僚も怖くは無い。自己中心的な人たちが支配する日本。それを選んでいるのは私達であるという厳然とした事実。国民のレベルにふさわしい政治しか実現しないというのが本当なら、私達こそ襟を正すべきだろう。

 列強が植民地支配をしていた時代に安全保障上のために、中国に利権を持つぐらいの事は間違っていないという考えは普通に受け入れられただろう。日本には平和の裡に満蒙権益を守るべきだとの外務官僚もいたし、協調外交を進めようとする内閣も存在していた。だが関東軍は日中戦争を起こしてしまった。驚いたが当時の日本の知識人は、それを戦争ではなく、「東亜」の国々が英米などの資本主義国家とソ連などの共産主義国家に対して起こした革命だと認識していた。現代人の私はそれを随分勝手な思い上がりだと思うのだが、当時の日本ではその考えが軍部の行動を正当化するものだったのだろう。それに異を唱えることは文字通り命がけであった。軍人にも永田鉄山のように戦争は必ずしも必要ないという冷静な考えをするものも居たが、永田は別の派閥の軍人から殺されてしまう。なんと言う過激さ。だが当時はよく言えば命を賭けて国のために働いていいたと言える。日本中が言いたい事も言えない雰囲気に覆われて、戦争の足音が強く大きく響き渡ってきていただろうが、国民はそれを必ずしも嫌なものと受け止めていた訳でもないだろう。日本を包む雰囲気というものに国全体が共鳴していたかもしれない。  中国が条約を遵守しないと国民に向け訴え、一方で対ソ戦争とアメリカの干渉に対抗する準備をしていた軍部。今の日本が中国に対して感じる不快さを、当時は中国が強く日本に対して感じていたのではなかろうか。協調外交を目指していた内閣であっても、日本軍の陰謀で起きた満州事変から戦争を止められず、軍部は内閣をも騙し、天皇を困らせた。この事は日本人として反省というよりも、このような事が起きない仕組を作る必要を学ばなければならない。もし軍隊を持たない事がその仕組であるとすれば、それは逆に自滅の仕組であるかもしれない。

 さて当時、満蒙に対する考え方は、日本の中でも色々な考えがあり、それを巡る列強の思惑も様々であったようだ。少しでも自国を富ませ、強くする。いつの時代も世界の国々はそう考えている。当時の日本もその意味で他の国と同じであっただろう。苦労して手に入れた権益は守りたい。当然と言えば当然な部分もあるし、身勝手といえば身勝手であるが、国と国の駆け引きが外交だろうから、現在の日本と比べると現在は国家の役割を喪失しているように見える。領海を侵犯されても命をかけるのは海上自衛隊員ではあるが、悲しいかな、日本の政治家で命をかけるという人物は殆どいないのではないか。国家とは領土のことであり、領海のことである。それを不法に侵犯されたり占拠されても黙っている日本は、太平洋戦争以前とは随分変わった。平和国家たる所以だろうか。だが、武力を使わなくても、強く抗議はする必要がある。蛮勇ではなく正しい怒りを表現できない者は人間としても間違っているし、国家であるなら尚更だ。

 リットン調査団は日本の権益を守る報告をしたにもかかわらず、中国の主権を認めなさいと言う当然の事に対して、色々な妥協策を探っていた日本の中で再び軍部(陸軍)が国際連盟の規定する戦争行為を行ってしまった。島国ゆえに日本は外交において、協調的にすすめるということが苦手な井の中の蛙だったのか。特に軍部においては、天皇をも苦しめ追い詰めた。
世界の中で協調的な存在を目指す政治家や天皇に対し、軍部は広く国民に支持された上での思い上がりから来ているように思える。

 そして国民の内、当時46.8%もいた農業従事者に向けて農民救済の政策を目白押しに入れ、広く一般国民から支持された。国民のかなりの人たちが軍部を支持していたのだ。ヒトラーも国民から熱狂的に支持されていた。現在の政党はどの政党も国民から支持が薄いが、そのうちに熱狂的に支持される救世主のような政党が現れないとも限らない。そのときには十分に注意をしなければならない。

 中国には素晴らしい胡適という戦略家がいて、ソ連とアメリカを戦争に巻き込み日本に対抗させるための方法を考えたようだ。日本に2~3年負け続けたらソ連とアメリカそれに世界の国々が味方となるという戦略。このような理路整然とした戦略は目先の戦略しかできない日本の軍部と比べると格段の違いがある。個人的には今の中国は好きではないが、当時の中国には私自身同情せざるを得ない。また一方で共産化させないために日本と妥協の道を探るという汪兆銘など、国を深く思い行動する人物が複数いたのも日本が敗戦国となった原因の一つである。
日本ではなぜもっと協調的な国交をする政治家が表に立てなかったのか。農民の大きな支持も受けていた軍部から睨まれるのが怖いということだったのだろう。中国の胡適と汪兆銘のような政治家が日本にこそ欲しいところであった。

アメリカと日本の国力の差は歴然として大きく、相手にならないはずと判っていたはずなのに、無鉄砲な若者のように奇襲により向こう見ずな戦争を始めた。全ての日本国民を大きな不幸に巻き込んでしまった。現在の私からすれば狂気の沙汰である。大和魂でその差を克服せよという精神論が持ち出されたという話は良く聞く。しかし、今ではスポーツの世界でも日本の根性論は通用しない。大和魂とは潔く死ぬという意味ではなかったはずだし、桜の花も戦闘で特攻で潔く死ぬというイメージを持たれて良い迷惑であろう。
日本はアメリカを舐めて見くびっていた井の中の蛙だった。しかし国力の差はいかんともし難く、全くの見込み違いの戦争は日本の敗戦で終わった。

 その被害を考える時慙愧の念に耐えない。硫黄島で一ヶ月足らずの間に日本の戦死者2万3千人に達したという。戦争により外国で戦死した青年の魂は死んだ場所、死んだ時を明らかにして弔ってあげなければならない。これが日本古来の慰霊の考え方だ。その意味では、色々な戦地で弔われる事も無く未だに国が捜索した話も聞かない。個人的に遺骨収拾をしている方がいるだけだ。戦死者に対して遺族に対して誰も責任をとらない。こんな国のあり方はどうなのだろう。こんな事で真の愛国心が育つとも思えない。
 人々が苦しみぬいた大惨事であっても深い反省の無い事は再び繰り返されるかもしれない。いつ戦争が起きてもおかしく無い世界の状況だと日本人は考えなくてはならない。原発事故にしてもその真実は隠蔽されている。太平洋戦争が始まった時もそうだった。いつの世も非常に深刻で重要なことは隠される。
今は危機的な状況ではないだろうか。皆の支持を受けて軍部が先走ることはないが、アメリカの傘がいつまでも安泰ではない。逆にアメリカが安泰である間は私達は安穏と暮らせるようだが、今までもそうであったように自立自尊の国にはなれないだろう。



最後に、自分たち自身どうしたら良いのか、簡単ではないが考えたい。私達が戦争の道を歩まないためには、
①どのように戦争が起きたのかもう一度知る必要がある。まず反省すべきは私達が歴史を知らないということである。歴史が戦争の道をあゆまないための教訓を考えさせてくれる。
②そして、自ら足るを知るという生活態度を徹底させる事。人のモノを欲しがらないということである。渇しても盗泉の水は飲まないという覚悟を持つ事だ
③それでも大事な国民が家族が危機に陥りそうになったときには、闘うことである。
④具体的には自分自身の言葉で考え語る個性を持つ事。現代人に欠けているのは自分自身の独自性を軽視して、付和雷同していることだ。戦争賛成という声が多数になれば、それに流れてしまう危うさがある。戦争を画策している政党が、目先の利益を提供してくれる政策を行えば簡単に支持してしまう危うさがある。当時と同じような事にならないためには、歴史を学び自分の言葉で考え語ることしかないようだ。だからテレビ新聞の報道を簡単に信じるようでは、失格ということだ。

最後にこの本を読んで、初めて歴史を考え体験した想いである。追体験ではあるが、史実に基づきこのように歴史を観るのだと実感できる素晴らしい本。
課題図書にとりあげ紹介して下さって有難うございました。いつもの悪い癖でダラダラとした文章になりました。まだ自分の言葉で考える力が無いという証拠だと思います。

イワモト



投稿者 snow 日時

 

課題図書を読んで、一般国民がどこを、どう反省しなければならないかを問い、その上で、その教訓をどう生かすかについて考えました。
 加藤先生が前書きで触れているように、反省すべきことの一つとして、ある組織や個人に、その目的以上のことを期待してはいけないということがあると思います。日本人は、本来安全保障を遂行するという目的しか持たない軍部に、国民生活の安定のための改革を期待していました。軍部の目的を意識していたら、加藤先生の言う本来見てはならない夢をみるということは回避できるのではないでしょうか。  その教訓をどう生かすかについてですが、現在私は本来見てはならない夢を見ていないかどうかについて、検証することができると思います。
 例えば、絶対安全な原子力発電所、アメリカによる安全保障はその代表ではないでしょうか。そもそも「安全」とは到達することができず、永遠にめざし続ける目標です。そうすると、それは抽象概念であり、「絶対」という具体概念では語れないものでしょう。アメリカによる安全保障もしかり、アメリカ国の利益の範囲で安全を保障するとうだけで、その利益の範囲外に日本の安全がある場合だって存在します。また、世俗的なことで言えば、佐藤さんが述べているように、私達は島田紳助という、本来芸を提供するという目的をもった存在に、なぜか人としての潔癖さを要求しています。それも存在の目的を見失った期待と言えるのではないでしょうか。
 このように、私達は政治家や世間の述べる当たり前に疑問を持ち、見てはならない夢ではないのかということを、目的を見失った期待ではないかということを検証し続けることが可能です。
 ふたつ目に反省すべきこととして、自国の現実、自国の弱さに目を背けないということがあると思います。水野氏の論「日本は戦争する資格のない国である」には、正直驚きました。その論が検証されることなく無視されたことは非常に残念だと思います。
 例えば、原子力発電について言えば、既存の火力発電ではお金がかかる、資源がつきる、だから原子力をなくすなら、その覚悟が必要だという論や第三のエネルギーを見いだすには時間がかかる、現在の自然エネルギーではまかなえない、だから原子力発電をすぐにやめるわけにはいかない、などの二者択一的な論調です。本当にそうなのでしょうか。現に、ソフトバンクの孫社長は、太陽光エネルギーの供給に取り組もうとしています。この方が取り組むと言うことは、ビジネスになるということなのではないかとも思えます・・・。
 このように、私達は専門家と称する人たちの二者択一的な発言は常に検証するという姿勢が持てるのではないでしょうか。もちろん、門外漢のことを検証するにはエネルギーが必要です。しかし、それが生きる者の責任、社会の一員としての責任なのではないかと思えます。
 最後に、原子力発電は、誰かの被爆の上に成り立っていると知りました。アメリカの安全保障の名の下に、沖縄の小さな子どもから大人までが、耐え難い轟音にさらされ、防ぐことのできないストレスにさらされています。私達の暮らしは、誰かの命を犠牲にして成り立っていると考えると、戦争でかり出された人々のことを思わずにはいられません。誰かのために犠牲になっていい命はありません。しかし、私は誰かの命を犠牲にして今を生きています。そんなことは望んでいなくても、それが現実です。今も戦時中と変らないのかも知れません。私は一日でも早く、そんな現実から自分を解き放てるよう、「見てはいけない夢」を知り、適切な行動を選択していきたいと考えました。
snow



投稿者 koro日時

------------------------------------------------------------------------------------------

「日本は戦争をやる資格のない国」の項を読んで思ったこと。

水野廣徳氏の考えは国内で支持されていたなら、
日本が領土問題を抱える事にはならなかったのかもしれない。



投稿者 akiko3 日時

 

“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”を読んで

 戦いはよくない、戦争は無益だ。そう多くの人が思っているにも関わらず、戦争を選ばざるをえなかった背景をよくよく検証をしてみないと人は過ちを繰り返すと加藤教授は言う。“知っているか、知らないかで見方が変わる”という考えから、過去の歴史的事実に関する綿密な情報調査、分析がなされている。それらは、何か過去から現在まで大きな一枚のタペストリーの図柄を読み解くかのように、壮大でありながら、人間の欲望、恐怖などの小さな思いが、あちらこちらから沸きでた結果の断片のようにも思える。それらは、現在にも通じる施策、現在でも行われている扇動とダブってくる。戦争を望んでいなくても、戦争はいけないと思っていても、そういう環境に取り囲まれる危険に対し、恐怖を抱く。他国との利益の奪い合いに加え、自国内での政策の失敗や自然災害など、国の安定を阻害する要因は、内外に潜んでいる。個人として、どう生きていくべきか。もやは自分の足元だけを見ては生きていけない、グローバルな世界の中で生きていかざるを得ない現代、歴史から真摯に学びたいと思った。

 かつて米国の南北戦争のように昔の戦争は、国内の無法者を取り締まるという感覚だった。戦いの後、巨大な戦死者が出た場合、国家には新たな社会契約(憲法)が必要とされ、歴史は進化してきた。  国は憲法を持ち、他国に対し、自国の権利を主張し、将来の安全保障の為、常に世界の中の自国を意識し、国家戦略を練った。また、国民を国家につなぎとめる為、国家目標を設定し、必要であれば、戦争遂行にも国民が疑問を抱かないように、戦争には目的を明確にしていた。

日本と中国は、どちらがアジアの中でリーダーシップをとるかをずっと競っていた。帝国主義時代の代理戦争であった日清戦争は、朝鮮を巡って、日本は中国と争い、アジアの中での特別な国として列強に対し、発展振りを示したかった。しかし、勝ったのに外交が弱かった為、遼東半島を返さなければならなかった。戦った割に利益が少なかったことが、日本は国の仕組みを変え、民意が政治に反映される“普通選挙運動”へと広がっていった。

日露戦争のプロパガンダは、朝鮮を巡る門戸解放という日本(米、英)対ロシア(独、仏)の代理戦争となった。(ただ、この頃、中国はロシアに対し不信感を抱き、日本を援助している。)この戦争で、日本は西欧からの独立を目指し、関税自主権の回復を求め、日英通商航海条約をまとめた。また、戦争の為の増税で選挙権者を2倍にし、政治家の質が変わった。

そして、第一次世界大戦が起こった。クラウゼヴィッツは、戦争論の中で戦争のことを「政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」と述べている。第一次世界大戦は総力戦となった為、死傷者が多かった。このような結果は、国家、国民に対し新しい社会契約を導き出し、帝国主義のロシア、ドイツ、オーストリアは崩壊し、植民地批判も起こった。また、国際協調の仕組みを作る為、国際連盟が設立された。(この連盟の存在は、新しい戦争の側面の象徴でもある)国際連盟は、不戦条約を作り、戦争は、他国から自国の社会秩序を脅かされた場合と侵略してきた際に制裁する場合、許されると定義した。
日本は、第一次世界大戦の機会にドイツ領を狙って参戦したが、日本に対し、イギリス、アメリカはけん制をしてきた為、日本は両国に対し、連合国同士なのに反感を抱いた。
日本は、安全保障上の(戦略的)利益を第一目的とし、植民地を着実に獲得していたが、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、外交官や軍人以外にも政治家やジャーナリストが参加し、先進国と比べ日本は劣っている、政治制度や社会制度を変えないと戦争に勝っても軽視されると危惧した結果、国家改造論が沸き起こった。この会議で、日本は山東問題で批判をあびたが、外交官であった松岡氏は、日本政府に対し、批判的な気持ちを抱きながらも職務に任じていた。このような一外交官の苦悩から見ても、悪い税金をなくすという経済的な運動を含む、国家改造論の11項目は要求されうるものであった。
このパリ講和会議中に、日本統治下の朝鮮が希望をもち、三・一独立運動を起こした。日本軍は(このことを日本の統治が悪かったからだと分析しているが)残虐な方法で鎮圧をした為、会議の席上で委任統治領を持つ資格がないのではと議論された。1919年、中国と日本が山東問題でもめていた頃、アメリカ大統領ウイルソンに対し、日本全権は反発を抱いた。フランス首相 クレマンソーとイギリス首相ロイド=ジョージが日本、中国、アメリカの間に入ってくれ、ロイド=ジョージが日本の主張を是認してくれた。しかし、この頃、アメリカは、国際連盟加盟に対し、議会の反対にあっていた。日本は、アメリカ議会がウイルソン大統領批判の為に日本批判を持ち出した不当さという痛手を負い、この痛手が、1930年頃深く重く出てくる。
また、1923年の関東大震災が発生し、第一次世界大戦の欧州の惨状とが重なり、将来の戦争に対する不安が高まった。そして、将来は、豊かな資源が残されている中国に欧州の国々が殺到し、中国の資源と経済を巡る戦いが起こるのではと予測した。

1931年、2年前よりしっかりと準備、計画をされた関東軍参謀の謀略による満州事変が起こった。1937年には日中戦争が偶発的に盧溝橋事件をきっかけに起こっているが、陸軍の強気さが抗日意識を生み、好んで争いの場を設けようとしていたように思われる。
軍人達、事件を起こす政治主体達は、国民に中国が条約を守っていない、日本は被害者という意識を植え付け、条約論、法律論から中国に対する不満をたきつけた。しかし、裏の目的は、将来の戦争(対ソ連、対アメリカ)の為に満州が必要だったからだ。
満州事変の2ヶ月前の東大生への調査結果では、武力行使に対し、88%が正当と思っていた。満蒙問題に対し、日本人の多くが自らの主権が脅かされたという考えが浸透していた。
満蒙に対し、日本が特殊権益を持っているという主張を中国も、列国も認めていなかったが、そのことに対し、対中国外交をつかさどる部署の局長だった有田氏も、1929年、平和裡に満蒙権益を経済的に守っていけばよいとの文書で述べている。
しかし、軍部はさかんに国民を扇動し、講演会を頻繁に開催した。戦争の為に必要なお金については、陸軍と外務省と商社は手を組んでいた。
そんな中、パリ講和会議から10年後の1929年、世界恐慌が発生し、各国は失業問題に悩まされた。この機会を捉え、政府批判をし、国民の支持を得た。そして、軍は1931年満州事変を起こした。
当時の民政党を与党とする政党内閣は、軍の陰謀的行為としたら、日本の世界における立場はどうするのか?と事件の不拡大方針を指示した。が、当時の内閣は、選挙に勝つことが大切で、与党と野党の提携が出来ず、きっちり結束していなかった為、軍を強く抑えられなかった。この頃、何をやらかすかわからない怖い存在であった陸軍と警察を止めれなくなっていた。

中国は、日本の横暴ぶりに対し、連盟に解決を求めたが、中心国であったイギリスは自国の問題で余裕がなく、中国に対し、他人に頼るなとそっけなかった。
ゆえに、調査に入ったリットン調査団の調査報告書は、日本の経済的権益が擁護されるよう配慮されていた。しかし、日本は満州が中国の主権下にあることを認めるよう書かれていたので、新聞の論調は手厳しいものだった。そして、戦争へと勢いを増していくのだが、政党が戦争に反対できなかった理由として、中国に対する日本の侵略や干渉に反対していた日本共産党員達が1928年に一斉に検挙される三・一五事件があり、さらに四・一六事件で大物党員が検挙されていたことが考えられる。また、戦争に反対すると思われていた合法無産政党の全国労農大衆党は、帝国主義戦争反対をスローガンに選挙を戦ったが、兵士の待遇改善問題を考え、陸軍を怒らせないように、戦争を後押しすることになる兵士家族の保障もスローガンにしていた。
こうして、1932年、日本の中にどれほど苦しくとも不正はすまいといった常識や余裕がなくなり、勝手に満州国を作ってしまい、認めないなら、国際連盟脱退と息巻いた。国際知識のある外交官経験者の芦田氏は連盟規約に詳しかったので、脱退を急ぐことなく、勧告に応じないという態度をとればいいことを書いているが、当時の内田外相は、強気にでれば対日宥和派と直接交渉にもっていけるかもともくろみ、事実、その方向で進んでいたようだ。しかし、このやり方に昭和天皇を始め、牧野内大臣、松岡氏も陸軍から派遣された建川氏でさえも不安を覚え、妥協しろと言っていた。
そういった不安が的中し、この内田氏の駆け引きの最中に、陸軍は軍隊を熱河省に侵攻させることにした。このことは、中国の領土で勝手に日本が自国の軍隊を動かすという事実となり、連盟規約第15条による約束を無視し、戦争に訴える行為をしたことにあたり、日本が全ての連盟国の敵とみなされ、通商上、金融上の経済制裁を受け、除名という不名誉な事態も避けがたくなることだった。それに気づいた斉藤首相は、単純に軍の移動と説明を受け、閣議決定をした天皇に対し、急遽、計画の取り消しを求めたが、天皇の権威が薄れ、陸軍の反抗を懸念した従武官や元老によって、首相の要望を許可してはいけないとアドバイスされた。このようなやり取りがあって、日本は連盟からの経済制裁を受ける恐れや除名という不名誉を避ける為にも日本への勧告案が総会で採決された場合、脱退を選択することになった。 連盟脱退、戦争突入と、戦争をする説明の正当性がないまま、戦うことになってしまった。 日本の孤立を強める戦争への突入にも関わらず、国民は反対しなかった。なぜなら、当時の政治に国民の半分を占める農民が望む政策は実現されない中、農村漁村の疲弊の救済はもっとも重要な政策と断言してくれていたのが軍部だったからだ。
陸軍のパンフレットでも、国防とは軍備増強だけでなく、国家生成発展の基本的活力と定義し、弱いものの生活安定、保障を訴え、支持を得た。

中国の胡適は、日中戦争が始まる前の1935年、世界の二大強国となることが明らかになってきたアメリカ海軍力とソビエトの陸軍力しか日本の勢いを抑止できないと考えるが、その前に日本は中国を攻めてくる。その際、2、3年負け続けても(35年時点まで満州事変、上海事変、熱河作戦と、日本軍の挑発にのることなく兵を引かせてきた)、戦争を受けて立つべきとの考えを主張した。しかし、汪兆銘は、胡適の考えでは中国はソビエト化してしまうと反論し、日本と妥協する道を選択した。
 
第二次世界大戦の勃発
人は重要な決断をする時、過去の出来事について、誤った評価や教訓を導きだすことが多いようだ。 日本が第二次世界大戦に踏み切る時も、軍部は豊臣秀吉、徳川家康の時代、大坂冬の陣を引き出し、“連戦即決“の為と天皇を説得した。説得の為の書類も数字のマジックで軍部に都合のいい数字を並べた。東条英機首相も、戦争を終らせる計画として、天皇説得資料を作らせたが、それは、他力本願的、希望的観測の積み重ねだった。
時の指導者、軍部による作り上げられたストーリに問題があったが、民主主義国(アメリカ)の底力を、日本が予想しえなかった現実という側面もあった。
しかし、水野廣徳という軍人は、国家の安全とは何かを深く考え、1929年に「無産階級と国防問題」という文章の中で、日本が島国で領土的な安全が脅かされないならば、経済的な不安だけだろう。外国との通商関係の維持が国家としての生命ならば、他国に対して「国際的非理不法」を行わなければ保証されると述べた。現代の戦争が持久戦、経済戦である中で、国家重要物資の8割を外国依存している日本は、絶対に勝てないと、“戦争をする資格がない”と冷静な分析をしていたのに、弾圧されてしまった。
日本は、戦争最後の一年半で戦死者の9割を記録している。1944年6月19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦で決着がつくぐらいの打撃を日本は受けていた。それなのに、そういう事実が情報操作により知らされず、国民は戦い、飢え続けた。
国、その構成員である国民を守るのが国家なのに、この戦争により多くの弔われることのない死者を出した。また、地方政治が上手くできない地域には、甘い言葉で地域住民を異国、満州へと送り、苦労を負わせたにも関わらず、満州を失った時、そこに住んでいる日本人を無視した。現地にいた日本人は自力で命からがら帰ってくるしかなかったし、帰って来れなかった人も多かった。
捕虜に対しても、日本人は非情な扱いをして、その死亡率も高い。日本が自国の軍人さえも飢え死にさせるような状態だったから、悪循環で捕虜への虐待につながっている。
日本は勢いで第二次世界大戦に突入し、やみくもに人を戦地に送り、戦わせていたのが災いし、自国の運営、農業生産の落ち込み、炭鉱での捕虜強制労働など、膨大な死傷者をだしている。
戦争が数々起こる中、自国が他国からの干渉を受けた際、別の国に援助を求めたり、各国がその時、その時の自国の利益を優先し、援助したり、かわしたり、実にしたたかなやり取りがなされている。外交が自国の利益の為に、熾烈で緻密な交渉が行われているのを見ると、今のちゃぶ台の座席争いのような内向きな日本の政治で大丈夫だろうかと強い不安を感じた。世界を見て、世界の中で取り決められている規則を守りながら、自国の利益、安全を守ろうとしたたかに立ち居振舞える人達を選ぶことが、選挙権を持ち、社会に関わっている個人の責任として重くのしかかってくる。
歴史の必然に対して、個人の資質がいかに大きな影響をもつか。どうしたら、視角、歴史的なものの見方ができるようになるか。真摯に“問い”、歴史の教訓を読みとる大切さを実感した。技術の進歩により成しえているグローバルな現在、自分さえよければという考えでは、益をなさなくなっており、全体を見て、自分と全体のバランスが考えられることが大切だ。

戦争を思う時、思い出す詩がある。
“原子童話”
戦闘開始
二つの国から飛び立った飛行機は
同時刻に敵国上へ原子爆弾を落としました
二つの国は壊滅しました
生き残った者は世界中に二機の乗組員だけになりました
彼らがどんなにかなしく 
またむつまじく暮らしたか
それは、ひょっとすると新しい神話になるかも知れません

1949.9 石垣りん



medal1-icon.gif投稿者 yokoyayayuki日時

 

8月の課題図書を読んで

恥ずかしながら今日の今までに読み終わらなかったのですが、コメントさせていただきます。
まだ私がルーズソックスを履いていたときにこの本を読んでいたら、人生が変わっていたかもしれないからです。

私がこの本を読んで思った点は3つです。

1.歴史は暗記の科目ではないこと。
「採点のために歴史は暗記の科目になってしまった」旨本書にも言及されていました。
私はそれが嫌で理系に転向してしまったのですが、今流行の「ロジカルシンキング」は、歴史学でももちろん習得できるということが本書から分かります。
しょ~んさんがおっしゃっていた、「フランスの政治家養成学校」でも歴史学を教えるのは、この観点からも納得ですね。

2.現代の日本人は歴史を「ロジカルシンキング」で見ていないこと。
太平洋戦争の生き証人も減っている昨今、終戦記念日関連のメディアは、「引き裂かれた家族」「引き裂かれた恋人」等、「感情」に訴えた内容が多い気がします。
あがった見方をすると、メロドラマの舞台が「太平洋戦争」になっただけではないでしょうか。
泣いて、「戦争はいけないことだ」と思って夏休みが終われば忘れてしまうようでいいのでしょうか。
実際は本書に書かれているように、膨大なバックグラウンドがあるわけです。
1.の観点からも、歴史は「事実」として見つめるべきだと思います。

3.歴史から「考察」しても、失敗することがあること。
私はこれが一番大事だと思います。本書では、各国のリーダーたちが「歴史から学んだからこそ犯した間違い」についてもたくさん書かれています。
彼らは歴史をもとに「そのときに最も妥当と考えられる」決断を下しています。でも後から考えたら、正しくないことも多々あることを学びました。
例えば、太平洋戦争時の原爆投下ですね。

人々は歴史から「事実」を学び取り、論理的に考察しなくてはならない。でも失敗することもある。それを防ぐためには本書の作風のように、多数の人間で対話しながら考察することが大事だと思います。



投稿者 minoru 日時

 

<戦争を通して得た教訓を現代に活かすには?>

戦争を初め、世の中の動きは、やはり利益の追求によって左右されてきたのだと感じました。より大きな利益を得るための植民地化。帝国主義の恐怖におびえる島国日本が、安全保障上の利益のために、国力をつけ植民地を増やそうとしたことは、ある意味自然な流れだったのだと思います。しかしながら陸軍による熱河作戦が意図せずして、連盟脱退、第二次世界大戦へと続いていく。明らかに政府や陸軍のミスであり、日本の運命を決定づけることになったとは。「熱河作戦がなかったら」「優秀な人が作戦の危険性に早く気づいていれば」そんな「もしも」を通して思考することで歴史が大変面白く感じました。

国民の総意はどのように得られるのか?
人々が意思を共有し、目標に向かって邁進することは組織において重要である。それは会社であれ、国であれ重要なことに変わりはない。では、どのような条件が揃えば、みんなが同じ方向を向くのか?
今回、この本を読むにあたり、この点について非常に興味がありました。なぜなら戦争は、国という大きな組織で、国民を同じ方向に向かせることができた結果だからです。しかも、生命の危険が伴う方向に。 キーワードは「同じ境遇(不遇な状態)」「共通の利益」「強力なリーダーシップ」「大義名分」だと思います。
本の中で、最も象徴的だったのは「陸軍のスローガンに魅せられた国民」の部分。強力なリーダーシップ(正しいとは限らないが)をもつ陸軍が当時の状況を分析し、日中戦争へと導いていく。国民の半分が農民にも関わらず、農民の声が政策に反映されない(「同じ境遇(不遇な状態)」)。陸軍のスローガンの中に自分たちの利益を見出した国民(「共通の利益」)。「報償」や「討匪戦」として掲げられた大義名分。これらの条件が揃った結果、人々の総意が得られ強力な推進力をもって突き進む事ができたのだと思います。

景気が後退し、衰退の一途をたどる日本。原子力発電、医療、教育、年金などなど数えればきりがないほどの問題の数々。これらの問題を解決し、新しい日本を築き上げるには、まさに国民の総意のもとに一致団結して問題に取り組むしか、残された道はない。では、現在の日本において国民が同じ方向を向いて問題に取り組むことができるでしょうか? 

日本における問題点は、格差社会や多様化社会の中、「同じ境遇(不遇な状態)」と認識できないため、「共通の利益」を意識できない現状。その結果、一致した大義名分も掲げる事ができないこと。そして、そんな困難な状況の中、多少強引でも同じ方向(正しい方向)を向かせようとする「強力なリーダーシップ」を持った人物がいないことだと思います。

今後どうすれば、この状況がよくなるのか?
いまの困難な状況を作り出している責任の一部は、「マスコミ」にあり、また、この状況を打破する可能性があるのも「マスコミ」ではないかと私は考えています。それは、この多様化した社会の中で、共通点を見出し、国民に意識させることができるのがマスコミだからです。国民が共通点(不遇な状態)を見出し、共通の利益を意識することで、大きな流れが生まれる。この流れを支持するリーダーを立てる。これが日本のかかえる問題点を改善する一つのスキームだと思います。

このスキームにおいて重要なのは、正しい情報を入手し、国民一人一人が考え判断すること。戦争という歴史から最も学ぶべきこともこの点だと思います。考えることを停止した日本人、湾曲した情報を流し一部の人間の利益を最大化させようとするマスコミ。本来、リーダーとなるべき政治家に対する不満だけが国民の共通意識という悲しい現実。このままでは、本当に日本の将来が危ういと思います。

他の先進国も日本と同様に、様々な問題を抱えている。しかし、日本と違うのは、やはり宗教の存在。内田氏が「街場のアメリカ論」で述べられていたように、アメリカならキリスト教という宗教的思考を通して共通意識を持つ事ができる。この点は非常に強いと思います。
では、共通宗教を持たない日本人はどうすべきか?やはり宗教に変わるものとしては、教育しかないのではないでしょうか。教育を通して、日本人としての共通意識を育む。しかし、「下流志向」で述べられていた通り、肝心の教育も崩壊している現状。本当にこの先どうなるのでしょうか?

ここまで、「戦争を通して得た教訓を現代に活かすには?」と考え始め、とりとめなく述べてきましたが、考えれば考えるほど日本がかかえる問題の根は深く、解決策は思い浮かびません。そんな中、私の勝手な思い過ごしかもしれませんが、しょ〜おん先生が「今月の課題本」を通して発するメッセージのようなものを感じることができました。それは、まさしく「日本のかかえる問題、そしてその根が深いことをまずは認識して欲しい。」「少しでも多くの人に問題を共有し真剣に考えて欲しい」というメッセージです。
これらのメッセージは、先ほど述べたスキームのスタートにあたる部分のではないでしょうか??

私は、将来の日本のために、すこしでも正しい判断ができるよう、これからも本を読み教養を深めていきたいと思います。そして、まずは自分の周りの人達に「日本の問題に対する共通意識」を持ってもらえるよう、良書を紹介してみたいと思います。



投稿者 TBJ日時

 

『それでも日本人は戦争を選んだ』を読んで

今回この本を読んで改めて戦争について考えることができました。
日本人はなぜ戦争への道を選んだのかが、政治的、経済的、人間心理等さまざまな角度
から書かれていて非常に参考になりました。

今回のテーマである「我々一般国民はどこをどう反省しなければならないか」について
考えてみたいと思います。

そもそもなぜ人は戦争をするのかを考えたとき、動物の本能に従っているのだと感じました。
本能とは、「自分の安全を確保するため」「生きるための食料を確保するため」、そして
「征服欲」といったところでしょうか。

江戸後期に他国から開国を迫られ、自国を守るために急速に軍事力を身に付けたわけですが、
他国の脅威から国を守るために政府は必死だったのだと思います。そして、朝鮮、満州に
進出しますが、その行動に焦りを感じます。
しかし結果、日清、日露戦争の勝利、第一次世界大戦の結果により、一部の人たちが日本国
の軍事力について勘違いをしてしまい、太平洋戦争から敗戦に向かってしまった。
本来、軍事力は外交における一つのカードであって、決して戦争に勝つためのものでは
なかったはずなのに。
確かに20世紀(括りが大きいですが…)という時代は非常に変化が激しく、政治的にも
難しい時代だったと思います。日本も明治維新後、軍事国家へ変化しましたが、世界の
国々の思想や秩序も変化していきました。。中国やロシア、ドイツなど、国家の思想が
変われば、国と国との関係も変わっていく。その変化の中で外交を進めていくことは
難しいでしょうし、場合によっては武力というカードを使う必要もあったのだと思います。

敗戦後、日本は新たな憲法の下、国を再建してきましたが、何が大きく変わったのか。
一つは天皇主権から国民主権とすることにより、権利を一極に集中することを排除した。
もう一つは戦争放棄により、軍事力という政治的カードをアメリカに頼ることになったこと
だと考えます。
結果、日本は戦後の復興や産業への集中により経済大国となったわけですが、自国の軍事力と
いうカードを持たなくなったことで、外交力が弱くなってしまったと感じます。
さらにひどいことに政権交代が起こり、アメリカとの関係が悪くなり、アメリカに頼っていた
軍事力カードも怪しくなってきました。

冒頭に上げた戦争をする理由(「自分の安全を確保する」「生きるための食料を確保する
」)は、今の日本にはないかもしれません。それは幸せなことです。しかし、世界では
まだまだいろんな国で戦争の火種はあります。尖閣諸島や竹島の問題もそれに含まれる
かもしれません。

ここ100年の戦争を振り返ったとき、日本が反省すべきことは目を海外に向けることだ
と思います。
江戸時代、鎖国によって国内のことに集中した結果、海外に軍事力で水をあけられ、
その差を埋めようと、地位を確立しようとして無理をしました。
戦後、日本は産業でがんばって、世界2位の経済大国になりましたが、内需に目を
向けすぎていたため、海外での競争力はそれほど強くありません。
今、TPPへの参加等で海外に目を向けようとしています。軍事力とは違うかもしれません
が、経済も内需に集中していたしわ寄せが少なからずあると思います。
今回は他国との協調を大切に事を進めていく必要があると思います。


そのためには国民主権である国民の目を海外に向けさせる必要があると思います。
日本の情報はコントロールされていますが、情報をうまくコントロールすれば、国民の
目を海外に向けることは難しくないと思います。そうすることでうまく国民感情を利用する
ことができるのではないでしょうか。国民全体が動けば、それは大きな力となり、
他国も日本を軽視できなくなるように思います。
たとえば、尖閣諸島や竹島について、日本固有の領土ですと主張していますが、
この領土の歴史的背景やその領土の有無が日本に与える影響などを正確に伝えている
メディアはほとんどありません。
海外に対して政府が強く主張できないのであれば、日本国民に自国の領土と意識させ、
主張させることによって海外の対応も変わるのではないかと思います。
そのほか、日本には産業の力や経済の力がありますので、それを使って海外の発展途上国
や経済的に苦しんでいる国を援助していくことによって、国際的に日本を後押ししてくれる
企業が増えてくるのではないかと思います。

そして、国民一人ひとりもたくさんやらなければならないでしょうが、今はあまり将来の
不安に目を向けるのではなく、今このときを一生懸命働く、生きるという意識が必要かと
思います。食べることにも苦労せず、命を脅かされることのない日本であるがゆえに、
今ではなく将来の不安に目を向けすぎなのではないかと思います。老後がどうではなく、
今の若い世代だけを見れば、すでに今が危険な状態ですので、まず今出来る目の前のこと、
例えば仕事や勉強などを一生懸命やることだと思います。
自分が行動した結果で自信がつけば次の行動が見えてくるのではないかと思います。