第16回目(2012年8月)の課題本
8月の課題本は、
すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。
私の敬愛する経営コンサルの石原先生の最新著がこれです。
実は私のやっているコミュニケーション編セミナーでは、一部これと同じ事を
伝えています。
だからこのセミナー(昔はビジネス編って言ってました)に出た人は、この本
で復習して下さい。
三人称というのは、どういう事かというと、自己を客観視するという事です。
これが出来ないヤツは肩書きを上にしてあげられないんですよ。
それを意識するだけで、会社に認められる人になれるんですが、ここに目を付
けた石原先生はさすがです。
【しょ~おんコメント】
今月はなんと29名という過去最多のカキコを頂きました。
今月は力作が多く、最後まで悩みました。内容的には、naruさんとkenkenさん
の理解が頭ひとつ抜けていたように思います。
naruさんは、この本から、『夜と霧』の類似点や、日本人に深く根付いている、
「お天道様」という考え方にまで思考の枠を広げていて、大いに共感しました。
kenkenさんは、同じ石原先生の『成長曲線を描こう』との相互補完について言
及していて、「良く見つけたなぁ、スゴい!」と感心しました。
う~ん、どちらに差し上げようかなぁと思ったところ、なんとkenkenさんは締
め切りが過ぎてからの投稿だったんですね。
一応、ビジネスパーソンとしては、締め切りは厳守して欲しいので、残念なが
ら(内容は素晴らしかったのですが)脱落とさせて頂き、結果として、
『naru』さんに優秀賞を差し上げる事にしました。
【頂いたコメント】
投稿者 Bizuayeu 日時 2012年8月6日
在野のコンサルタントとして名を轟かせている
石原明氏の新著ですが、思うところがあって
虎の子のノウハウを公開したという背景もあり、
非常に実践的かつ汎用的な内容となっています。
業種や職種、年代を問わず、ビジネスマンであれば
是非とも一読すべきではないかと思います。
コンサル業界では、問題を解決するために
「視点を高くする」という言葉が頻繁に使われますが、
それがどういうことか、「人称」という
キーワードで分かり易くまとめられています。
自分だけの利害にフォーカスするのであれば「一人称」、
相手の利害にフォーカスするのであれば「二人称」、
自分と相手を見る第三者も考慮するのであれば「三人称」
といった具合で、思考の範囲と影響の広さが人称の
大きさを規定するという考え方なのですが、
人称が大きいほど長期的で抜本的な問題解決を
志向することに繋がるので、成果も上がるわけです。
ビジネスに対する労働の価値が陳腐化していく時代において、
三人称以上に至れない人は、淘汰の対象となっても
文句は言えないかもしれません。ではどうすべきか?
そのための具体的な方法や考え方もしっかりと
述べられていることが、この本の素晴らしい点です。
感情や主観に流されて一人称に戻されることなく、
大きな人称を自分のものにして種々の前提条件を疑い、
高い位置にある本当の成果を掴み取る。
そんなトレーニングをしてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、私が一番ココロをくすぐられたのは、
交渉では相手よりも人称が大きい方が勝つという一文で、
ハーバード流交渉術にも繋がるものがあると思いました。
相手よりも人称が大きいというのがミソで、
相手の人称を小さくするテクニックも効果的なんですね。
投稿者 zen1 日時 2012年8月8日
今月こそは1番にコメントを書こうとしてたのに!!(更新は1日ではないんですね・・・)
そしてまた、コメント長くなったらごめんなさい。
数年前にとある先生から「お前は鈍すぎる。感性がない。頭で理解しようとしすぎる」とお叱りを受けたことがあって、今でもそれほど成長していなく、本を読んでも著者の言いたいことを理解できない鈍い私。
でその鈍い私が書く感想がこれです!みなさんの様に素晴らしい文章はかけません。
私の3歳の息子は少し注意されるだけでもすぐに機嫌が悪くなります。
とにかく人から何かを言われるのが嫌いみたいです。子供だから仕方がないのですが異常なくらいに
反応します。(少し発達障害があるのが原因かもしれませんが・・)
ですが、私は今でもそうで、人に指摘されたり、注意されたりするのが恐ろしく怖く
常に何かするときも、考えるときも、「◯◯君ならこう言うだろう」とか
「いや、こうすると◯◯君が困るな・・・」と色々な視点から物事を考えて
とにかく人に何かを言われるのを避けようとする傾向があります。
それを客観的にというのかわかりませんし、こだわってもいませんでした。
で、以前に誰がキッカケでそう思ったかのか忘れましたが、「自分は物事を客観的にみている」と発言した人がいて、それまでは客観的とは何か?について深く考えませんでしたが、
「客観的といっても自分の脳で判断しているから主観的な部分は含まれないの?
むしろ主観じゃないの?」と疑問がでて、
それがきっかけで客観的に物事をみる事について考えた事があります。(暇人ですね・・・)
ネットで調べると「特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま」とあり、
やっぱり自分の脳で考えている限り、100%とらわれない事なんて不可能ではないか?
例えば「お客さんならこう望む」というお客さんも自分の想像するお客さんであって、主観性を含まない?
私からみるA君も私の印象や経験から作り出されるA君であって、BさんからみたA君はまた違う。
同じ赤色でも人間の目に映る色はみんな違うように見えている(らしいですよ)と同じように
20人がいれば20人分の私がいる。。。
と色々考えてたら結局わけが分からなくなってしまい、
それ以降客観的にとは何か?について考えることもしなくなりましたが、
この本を呼んだ時にまた、その疑問がふつふつと湧いてきてしまいました。
この本にある「自分を客観的に見ているもう一人のバランスのとれた自分」についても
そのバランスとは誰からみてのバランスなのだろう?
私からみたバランス?他人からみたバランス?宇宙からみたバランス?
「二人の状況を第三者の視点でみている自分」の第三者の視点も結局は主観は含まないの?
肉体がある限り100%第三者なんて不可能では?
全く自分の脳みそや肉体にとらわれず、真の意味での「特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま」ができたらそれはもう神だよなあって。
2人称、3人称といっても結局はその人称の主体は自分にないの?という疑問。
ですから、我々凡人では自分自身を客観的に見ることはできないと認識し、主観を警戒することが
最も客観的に見ようとする行為なんだよなあって、
この本に書かれていることは「主観を警戒しなさい」って事であって、
「あらゆる角度、視点から物事を考える」「感情に支配されて視点や角度を狭くしない」
「物事は大局(時間軸)にたって見る」ということが書かれてる(ですよね?)
そもそも「自分は客観的に物事をみている」という事自体が主観ですもの。
少し私が「客観的」という言葉にとらわれすぎではありますが、
一般に言われる客観的とは真の意味での客観ではないが、
主観を排除して思考しようとすることを差すんだと。
で、先に触れた神の領域は別にあるのではないかと。
石原先生の8人称の解釈とは違ってきますが、私は2人称の中にも神の領域があるのではないかと思います。
でも、それを説明しようと何回も文章に書くのですが、どう表現していいかわかりません。
主観を徹底的に排除した先、肉体と主観にとらわれている私には見えない領域なので
説明ができないんです。
で、またしても何を言いたいかわからない感想ですが、以前社員に
経営者の視点で判断できるようになってほしい、そこまでとはいかなくとも
常に1つ立場が上のつもりで判断する能力が欲しいと言った事がありますが
「経営者じゃないからわかりません」と逆切れされたことがあります。
そういう人って経営者になれないよね。。。と思いました。
自分の環境って本当に自分でつくっているよなあとつくづく思いました。
投稿者 spicy 日時 2012年8月8日
分かりやすい!
<人称>がまるで数学の方程式に見えてきた。
この本は、その方程式を使って解を導き出すための方法を書いてあるテキストだと思う。
「ビジネスで最高のパフォーマンスを引き出す」という解を。
こんなにスッキリと説明してもらえると気持ちがいい。
コンサルタントは商売を手伝うだけでなく、相手が自分で考えられるように教育することも含まれる職業なのだと知った。この<人称>を取り入れた教育方法を考えた著者の仕事の様が美しいと感じた。
さて、この<人称>、3人称までは、普通に使われる言葉なので、すぐに分かる。
3人称ぐらいまでは自分でもすぐに出来そうだと考え始めてしまう。
実際、それぐらいは出来ていると思い当たることもある。
だが、それが、「ビジネスで最高のパフォーマンスを引き出す」という解へ導く方程式なのだと認識されていないから、残念ながら、最高のパフォーマンスにならなかったのだと思った。
この本では8人称の神のレベルにまで設定されているところに完成度の高さを感じる。
3人称が出来るようになっただけで、終わりではないのだ。どんなレベルになっても人は成長し続けることが出来ることの証明だ。人称をどこまで上げることが出来たかが人生(ゲーム)でのスコアのようだと思った。
今、自分が今何人称で考えているのかを知り、人称をあげていくトレーニングを開始しよう。まずは、「わぁ、大変だ、おもしろそう。」を口癖にしてみたいと思う。
投稿者 aquatimez2006 日時 2012年8月11日
本書で最も印象に残った箇所を挙げると、「人間の成長とは、自分の感情や主観との闘いではないかということです。どんな状況でも自分の感情をコントロールできる人、理性的で客観的な姿勢でいられる人になることがとても大切です。」
人間にとって、感情のコントロール、自分を客観視するということは永遠の課題のように思われます。これを本書では、人称の視点を使って克服、解決していこうというのは独特で斬新な発想であると考えます。
あとは、「本来、人は起こることと感情や思考を別々にすることができる。」という箇所です。これにはある程度訓練が必要であると思いますが、人称の考え方を使えば比較的容易にマスターできるのだと思いました。
投稿者 sakai 日時 2012年8月24日
この本のタイトル「すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、
〈三人称〉で考える。」からして、
向上心があるビジネスパーソンが読者の9割を占めるのではないでしょうか。
それではもったいない。
この本は、すべての人に読んで欲しいと思いました。
応用次第では、すべての人がタイトル通り、「飛躍」できると思います。
仮に、嫁姑問題で悩んでいるお姑さんが、読んだらどうなるでしょうか。
お姑さんは、嫁のことが憎くてたまらないとします。
そこでこのお姑さんが人称を2つくらい上げて、
お嫁さんとの関係を引いてみる。
そうすると、お嫁さんの行動にある裏側や、
思考回路に気が付くことができて、
憎しみは消えてしまうかもしれません。
学生さんなら、OLさんなら、年金生活の大先輩なら・・・。
それぞれの方に何かしらの良い変化が起きると思います。
多くの人に読んでもらえるように、
石原先生にぜひともシリーズ化をお願いしたい。
例えば、(三人称シリーズ)
「幸福な結婚生活は、〈三人称〉で考える。」
「悠々自適なリタイヤ生活は、〈三人称〉で考える。」
「億万長者は、〈三人称〉で考える。」
なんて、いかがでしょう。
子供世代には、アニメが一番です。
アニメ化して、世界的にヒットすると、
世界平和度指数を上げることにつながるかも。
・・・妄想は尽きません。
投稿者 uej 日時 2012年8月25日
何人称に関する説明が明快で分かり易かったです。相手(顧客・上司)の気持ちになって考える事ができ、物事を俯瞰する事が出来る人間は、会社も放っておけないでしょう。
メタ認知での「人は起こることと感情や思考を別々にできる」という部分、困難を客観視できるための「え~こんな困難にぶつかるなんてかわいそ~」という考え方はその通り、心から共感しました。
それから一人称になってしまわないための注意事項は本当に気を付けたいと思いました。中学時代、殆ど話した事の無い子に突然「付き合ってください!」と一世一代の勇気を出して告白してましたが、あれこそ正に気持ちが高まり過ぎて第三者の視点どころか相手の子の気持ちさえ考えられない状態でした。
本気になればなるほど視野が狭くなりがちで、気を付けなければ完全に一人称に孤立するおそれがあります。お金・病気・人間関係も含めて、ピンチにこそ冷静な判断が出来るよう、何人称を意識したいと思います。
また危機的状況に陥った時こそ、三人称や四人称のレベルだけでなく「もしもこの辛い状況で、龍馬だったら、ナポレオンだったら、空海だったらどんな答を出すだろうか」と、歴史的人物から見た視野をイメージして状況判断できれば、仕事に於ける殆どの問題は解決するのではないか、最悪なピンチも最高のチャンスに変わるのではないか、そんな事を思いました。
投稿者 nakajirou 日時 2012年8月25日
読んでみてなるほどと思わされた本でした。よく他人やお客様の気持ちを考えて行動しなさいと言われていましすので、自分のことしか考えていない一人称の考え方が論外なのは理解していました。
ただ、お客様の事を考えて行動する二人称の考え方が悪いとの認識はあまりなかったのですが、医療現場で患者の命を救いたいと考える医師の思いと、そうでは経営は成り立たないと分かっているので、冷徹な経営陣の構造の話が書かれていましたので理解は出来ました。
これは二人称の考えがよくないというのではなく、リーダーとして組織を運営していくには少なくとも三人称以上の視点は必要だとのことだと思いましたです。おそらく拘り派の職人や芸術家の人は二人称で視点が多い事だと思いますが、その視点でしか物事を出来ないのであれば、三人称・四人称の視点が必要な、独立し経営者としてなる事は避けた方が良いとのことなのかもしれません。
いずれにしても自分を成長させるのであれば、ひとつ上の認証を持てばいいという事はよく理解できました。私の認証レベルは二人称と三人称を行ったり来たりしているのが、現状ですので課長目線で課の事を考えれる三人称を定着させ、更なる四人称の高みにトライしたいと思います。
投稿者 kakki 日時 2012年8月27日
相手の立場に立って考える
お客様目線で考える。
色々なビジネス書で、言われている言葉で
自分にとっては、何度も出会った考え方である。
ただ、身に付いているかと問われると「No」である。
先日も、上司から「相手の立場に立った文章を書け」と
叱責を受けた。
解ったつもりで、まだまだ身に付いていない事を実感した。
本書は、他のビジネス書よりも具体的かつ親切だ。
一つは、現場リーダー、課長、社長等、立場別に
人称間隔を変えるよう言われているところ。
もう一つは、単純に三人称視点を身に付けて、
「常に三人称でいろ」とは言っていない。
時と場合で、使い分けるようにとのこと。
かなり、実践的な内容なので、取り入れてみようと
する気が起きる。
真剣に考えれば考えるほど、視点が低くなってしまう。
誰でも、経験のあることだと思う。
集中すると周りが見えなくなるのは、しかたがないと
思うが、そんな場面でも視点を高く持とうとする姿勢が
大事なのではないかと思った。
「視点を高く持つ」と意識し続ければ、徐々に集中しながら、
高い視点を保つことが出来るのではないか。
実践して見ようと思う。
本来、人は起こることと感情や思考を
別々にすることができる。
しょ~おんさんのセミナーの中でも、どこかで
言われていたと思うが、これは強力なスキルだと思う。
是非、身に付けたい。
投稿者 naru 日時 2012年8月28日
日頃、先読みが鋭いなと感じる人に会う機会がたしかにあります。なぜ鋭いのか、なにが自分と異なるのかと思っていましたが、頭の回転や記憶力といった能力ばかりではなく、視座が異なるためだと理解できました。そして、異なる視座を持っていない限り、認識すらできない高さにある知識があるのだなとわかりました。自分を振り返ってみると、一時2人称思考でいられた(つもり)としても、トラブルが起きたときに、1人称思考に閉じこもってしまうこともよくあるなと感じました。恐らく、周りのことを慮る余裕が無くなっているためです。感情に包まれている理性は、感情が揺さぶられてしまうと脆いものです。そして、その感情が優位になりやすい時がある。突き詰めれば『お金、健康、人間関係』の話が出たとき。(このくだりは、以前しょうおんさんセミナーで伺った話だなと思いました。)加えて、のどから手が出るほどほしいものを見せることで揺さぶられたりあるいは、ストレスを毎日感じていると(積分で効いてくると)、一人称に戻りやすい。これだけ、1人称に戻りやすいタイミングがわかっているならば、ある程度、感情の揺らぎを防ぐことができます。感情と理性をしっかりイメージ化した状態で行う深呼吸は効果が高そうなので、日常に取り入れてみます。恐ろしいなと思ったのは、人称の探り合いがある事や人称を下げようとする人がいるという事です。そのような場に出くわした事、そもそもそのようなレベルの人と同席できる機会がいまのところ無いですが、嗅覚を持つ人がいるということをしっかり頭に留めたいと思います。そして、人称レベルから相手の求めるものを推し量るレベルに至りたいとつくづく感じました。と、ここまで感想文を書いていて、ふと、フランクルの『夜と霧』が浮かびました。と言うのも、強制収容所の中で生き残った人たちが、期限なしの希望を持ち続けられたり、環境に依らない態度を選ぶことができたのは、どこかで人称レベルを上げていたからでは?と思い至ったからです。信仰に拠り所を求めたり、解放後の目標に標準を当てたり、脳内の別世界から関連づけて、「神様に見られているのでおかしなことはできない」、「解放後に待っている人たちがいる」などのイメージを浮かべることは、人称レベルを上げることと等価だと思います。(対象は"ヒト"ではないかもしれません)いまぞんざいな態度をとることで、自分の中で大事にしている世界へどういう印象を与えてしまうかを感情の機微の輪郭を浮き彫りにするように"想像"できるような人が、過酷な環境でも自分を律することができたのだと思います。逆に、一人称の主観だけで、自らを律し続けるのは困難です。目の前の苦痛と先のない現実しか見えなければ、自暴自棄にもなります。そう考えると、人称を上げる事は、自我を保つくさびとしての機能もあるかもしれません。もう一つ浮かんだのが、「お天道様」です。この概念が有効だった時代は、家族がいようと、独り身であろうと、人称レベルを強制的に切り替えさせるフレームとして、有効に機能していたのでは?と思いました。これらに不可欠なのは、脳内に絵を描く想像力や、再現度を高める感受性です。『夜と霧』の中で、体の屈強な人より、繊細な気質の人が生き残ったという事実が物語ると思います。そうなるには、日頃から想像力を鍛えられるような訓練を自然に続けていることが重要です。アウトプットを意識した読書も、感受性を高めるために有効な方法のひとつかと結び至りました。感情の起伏を生む機会をもつことで、感受性を失わないように。日常のつらい出来事から目を背けて、アパシーに陥らないように。この2点に気をつけつつ、人称レベルを上げた視位を持てるよう意識してみます。
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投稿者 chikaminzai 日時 2012年8月30日
この本を読んで、自分が今、一人称視点では無いかどうかを、日々生活の中で意識するようになった。それに加え、相手がどういう思考の元で発言しているのかも、常に意識する様になった。そしてとても残念な事に、私の周りの人は、かなりの確率で一人称視点の人ばかりという事だった。自分が二人称の思考、三人称を意識すると、どうするべきなのかが自然とわかる様になってきていると思うのだが、それはある意味、とても面倒な事であったり、出過ぎた事の様にためらいを感じる場合も多々あり、なかなか行動できない事もある。上司がやるべき事なのに、私がでしゃばってやるべきなのか?と思うこともあれば、わかっているけど、やりたくない(一人称でいたい)という心の葛藤もあり、たいていこういう場合は、後で、やっぱりダメだしをされるのがオチで、自分の未熟さを痛感する。この本を読んでいる最中に、あるお店で店員と接した。私はその店員の対応に、大変感動した。その時はそのお店では買い物をしなかったけれども、次はこのお店で、彼から購入したいなと、帰りの電車で本気で思っていた。あーこれが、三人称視点の対応なんだなと実感した。しかし、この本を読んでいなければ、そういった態度がどういう思考の元からでた物なのかなんて、感じる事はなかったかも知れない、感動するどころか、気づかなかったと思う。自分の心をコントロールできる様になるまで、何度も読み返したい本だと思っている。そして「しょーおんさんのセミナー」の復習本としては、おすすめかもしれない。
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投稿者 akiko3 日時 2012年8月30日
「すべてが見えてくる飛躍の法則」を読んで 石原先生には、先生のメルマガを拝読しているので親しみを感じていたが、そんな先生から絶対にトライしてみてくださいね!って言われても、自分の写真を撮るなんて、美魔女じゃあるまいし、40すぎてだれが嬉しげに写真におさまるかぃと思いながらも、課題の為だと寝起きの顔を写す。鏡を見るのとは違うドキドキ。寝ぼけた頭ながら、そこに写る現実を一瞬見ただけで再び布団に倒れこみたくなった。 気を取り直して一日を始める。 外出前に再び写メ。寝起きよか直視できるが、その分、やっぱりこのシミは目につくなーとか、完全に石原先生の意図からズレテイル… 若い頃(と敢えて書いておこう)、ダンスに夢中になっていた時期があった。発表の場より、レッスンの時が好きだった。鏡に映る自分の姿と先生の動きとを見比べ、どうしたら近づけるのか、周りのメンバーと振りがあっているか、全体に対して自分の動きはどうであるか、鏡を見ながら、自分を直視するのは恥ずかしかったが、ちょっと焦点をずらして全体に対してできている自分か、どんな動きをしている自分かを見ていた。そんな視線は、他人よりも自分の姿を必死に追っていた。あの目線感覚は三人称だったと思う。 見たくはないが、ガラス扉に写る自分の歩く姿をチラと見る。あの頃とは、歩き方も立ち姿も体型も崩れてしまっている… いかん、思いっきり消極的な思考をもった客観的な自分を形成してしまっているじゃないかっ。引力には逆らえない体型は、自然には抗わないのが良しとして、バランスの取れたもう一人の自分としてはどう見るか?もう若さや愛嬌だけでは許されない(周りも親切心でか求めてくれてないしー)なら、自分には何が求められているのか? 現在、いろんな場に参加することがあるが、気をつけているのは、全体の雰囲気を見て、組織ではないけど、人間関係の成り立ちや個々のキャラを見て、どんな自分のキャラがそこに合うだろうかと考えて、振舞っている。仕事ではないので、そこに無理や過度な疲労感を伴うなら自分に無理することなくパスすることにしているが、幸い、いろんな輪の中でそれぞれ楽しい。 嫌だからと距離を置くことができないのが社会での仕事だが、今は仕事で人間力を鍛えていないので、社会の最小単位である家族に当てはめてみる。家族の問題は、家族の一員として避けることは出来ないが、目線を高く、家族ゆえ切っても切れない血縁の問題を引いて考え、未来に用意されている家族といえども個の人間としてそれぞれに必要な気づきがあると信じ、自分の一人称の感情では絶対に関わらないようにする。また、日常においても、家族ゆえの甘えから、三人称でみて横柄な態度や愛想のない態度とわかっていても、家族からの評価もらってもねーとスルーせずにちゃんと誠意ある態度、気持ちが明るくなる態度をとるように気をつけたい。 客観的視点に立った多人称視点の自分との会話。 寝ぼけた顔を再び直視する。2度目ゆえに冷静に人称を意識してみるので過剰な反応なく直視。外出前の顔を見る。顔を洗って、余分なものを洗い流した新しい自分、新しい朝を意識して、今日一日、新しい自分を作る、新しい体験(成長)をする、そんなワクワクとした予感は表情を明るくし、目はキラキラ(青春漫画の主人公並?!書面なので好きなことを書いている)している。人は体験する為に生まれてきた。この人生のこの一日を(これは俺じゃないに通じるところの)役になりきって生きる。ここで辛い役でもちゃんとこういう冷静な三人称思考で受け取れるかなのだが、愚痴や謗りや恨みがでないように、物事は必ず変化するということを、いつまでも同じではないということを常に意識しておこうと思った。 日ごろから笑いのネタを捜しているお笑い芸人さんは、不幸な出来事にあったら小さくガッツポーズするらしい。笑いにできるぞっとそんな肩肘張らないものの受け止め方は、ぜひ自分の人生にも取り入れたい。 そういえば、本には寝起きを顔をとれなんて指示はなかった。(アイドルへのどっきりじゃあるまいし、なんで勘違いしたのかな~)寝起きの顔も1つのネタだが、感想書き終ったら、速攻で消去しよっと。 三人称目線でみて、自分の役割的にはこれ以上の目線は必要ないように思うが、人間観察上、人生世渡り綱渡り上の参考にさせて頂こうと思う。 石原先生のメルマガは、しょ~おんさんのメルマガで知って以来、拝読をしています。はじまりはじまり~から始まり、まずはちゃんと自分で考えさせるところが、根っからの教育者(コンサル)なのだなーと感心してました。この本も自分以外の多くの人を意識して書かれているように、上から目線で一方的な情報を出すのでなく、目線を合わせて一緒に成長していこうという温かいものを感じました。 いい情報はいい情報源から来ることに改めて感謝しております。ありがとうございました。
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投稿者 mozzy 日時 2012年8月30日
一読した限りで、思いついたのは、「あれ?人称視点、結構身に着いているじゃん?」でした。次男である私は、長男の『真っ向勝負』を見て育ちました。お陰様で、危険を察知する能力は磨かれ、常に戦場から遠ざかる能力が磨かれました。両親の基準を何となく掴んで、怒られないゴールへ向かうことが出来たのです。褒められるゴールを目指せなかったのが残念ですが、よくよく考えるとこれも人称視点の成せる技かもしれません。そんな狡い私も、社会人生活も長くなり、少しずつキャリアやポジションが上がり、より高品質な成果を求められるようになってきました。いつも考えるのは、「上司が気に入る(納得する)にはどうしたらいいだろう」ということです。そのために経緯、結論、体裁など、上司が気に入る形を推察します。もちろん本来の目的や、品質はちゃんと考えた上です。チームでの成果物についても、可能な限り手を加えます。そのお陰か、大きなバツをもらった事はありません。ということをつらつらと考えていましたが、大きな成果を上げていないんです。何故でしょう。少し考えてみました。考えて辿り着いたのは、二つです。一つは、危機に陥らないように、無意識に人称視点を使い分けていただけということでした。時に1人称で、時に2人称で使い分ける事を意識的に出来て、初めて身に着いたと言えるのかなと反省するばかりです。そしてもう一つは、そもそも褒められるゴールを目指していないというところなんです。これは猛省しています…。いくら人称視点があっても、平らなゴールを目指していては、褒められる事なんかないんでした。根本的なところがいつも欠けていました。今回の課題図書は、そんな反省ばかりの感想ですが、威力ある一冊でした。ありがとうございます。
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投稿者 take0125 日時 2012年8月30日
石原先生の唱える「人称」という視点は、昔から良く言われ続けてきたことを
上手く数値化したのではないかと素直に感じました。私自身も昔から会社の
先輩・上司、そして研修などを通じて「自分の立場をわきまえて行動する」、
「相手の立場に立って判断する」、「物事を俯瞰して観る」などといったこと
を指導されてきましたが、それ以上に八人称という視野の広さにまで拡大して
いったというのは本当に目からウロコといった感じでした。
そして私が、とても共感した部分は「感情は厄介な存在」というところです。
個人的な体験からいえば、この間もクレームの電話を受け、低姿勢で応対は
していたものの、相手のあまりにもひどい口調に電話を切った瞬間、
コードレスの電話(電話は会社のPHSですけれど・・)を投げ捨ててしまいました。
自分自身では感情的に、ならないようにと心掛けてはいるものの、十分にコント
ロールできていないのは改めないといけないですね。そして、自分と問題を
切り離し、客観的視点に立った多人称視点の自分と云うものを確立していける
ように心掛けていこうと感じた次第です。
投稿者 koro 日時 2012年8月31日
セミナーの内容を理解する為に、セミナーに出席して書いたノートや、講師の方からのオススメ図書でセミナーの予習・復習をするというのも、もちろん効果的ですが、よりセミナーの内容が腑に落ちるのは、自分が何気なく選んで読んだ本の内容とセミナーで教えていただいた内容が一致していた時だと実感しました。
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投稿者 filefish 日時 2012年8月31日
「すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、<三人称>で考える」を読んで意外とあっさりと読み終えてしまったこの本、コメントを考えながらあらためて読み返してみると本のボリュームに対しての内容の濃さに改めて驚きます。人称については八人称まで(!)が定義されていますが、タイトルの通り、まず必要な<三人称>について「なぜ必要か」「どうすれば身に付くか」詳しく説明されています。「人の嫌がることを進んでしなさい。」昔はよくそう言われました。これではタダの精神論で、人に言われたことだけ忠実にこなす人にだけ通用するものだと思います。一昔前の日本人的な発想です。一方、本書では多人称視点を身に付け視点や時間軸が広がった思考ができると、やりたくないことや困難に対しても「これができたら将来プラスになる」と積極的に対応できる、と。目指すところが同じ(本当は違いますが)であるのに、単なる精神論に聞こえていた事がこんなにクリアに説明されていることに目から鱗が落ちました。またせっかく多人称視点を身に付けても、何かで興奮するとすぐ一人称に戻ってしまうことも述べられています。自分に当て嵌めてみると、感情的になった場合がまさにその通りでした。このことを心に留めておけるかどうかで、ずいぶん差があると思います。最後に、自分を他者の視点から客観視し、知って理解する「メタ認知」は般若心経の教えの「般若の智恵」に通ずると思うのは考えすぎでしょうか。
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投稿者 takizawametal 日時 2012年8月31日
すべてが見えてくる飛躍の法則~ビジネスは、〈三人称〉で考える。
を読んで。
実は、石原明さんの本がちょっと苦手でした。
書いてあることは、100%正しいのはわかるんです。
でも、それは理想なんだよ!
と心のなかで叫んでいたのです。
【営業マンは断ることを覚えなさい】
【イヤな客には売るな!】
これらの本を読んで営業マンである自分は、
「なるほど~。」
と頷く一方で、
「でも、僕らのような、古い製造業には当てはまらないな。」
とくくってしまい、石原さんを
▼ 正しいことは言うけど、理想論の人 ▼
と、自分の中の勝手なポジションに配置していました。
だから【成功曲線を描こう】も、買っただけでずっと本棚にしまいっぱなしでした。
また理想論を聞かされる、と思ったから読めずにいたのです。
そして今回、この本を読み進めていく内に、またも自分の浅はかさを呪いました。
石原さんは、理想論をぶっていたわけじゃない。
その考えと説明を、自分が理解できていなかったんだ。
もしかしたら、最初からうがった見方を”したかった”だけなのかもしれない。
この本で最初に解説されている、「一人称」人間そのものだったんです。
「二人称」視点を身につける為、店舗のサービス現場で
顧客に対してどう接しているか、カメラで接客風景を撮影したという
エピソードの部分では、自分は自分を3割増しで評価している、
というどこかで聞いた言葉を思い出しました。
「怒られても当然ですよね。私、こんな店員さんからは買いません。」
接客態度が一変したスタッフの言葉を、自分に置き換えてみると
恐らくまだ一人称から抜け出せていないぞ、と再認識させられました。
プロの選手が、なぜコーチを付けるのかの解説も、簡潔で素晴らしくわかりやすい。
この説明は、後半でも再び引用されているので、石原さんも言い得て妙と
思ったのかもしれませんね。
コーチは確実に自分よりも技術では劣っている、それでもコーチを必要とするのは
二人称の視点で自分を見るためだ。
長年、スポーツ解説者をTVで見ていて
「お前は現役当時、それをできなかったじゃねえか!
偉そうに解説すんな!」
実はいつもそう感じていました。
そんな私のみみっちい心も、この行で綺麗に溶けました。
そういう事ではなかったんですね。
なんという一人称視点、、。
そして、すぐに二人称視点の問題点も挙げてくれます。
顧客第一主義が行き過ぎると、採算度外視で作業を突き詰めてしまう点です。
これは、我々製造業の現場で、毎日のように起こる話なんです。
職人さんは、少しでもいいもの、自分の納得できるものを
作り上げようとするのですが、それは得てして採算を度外視しがちです。
喜んでくれるお客さんの事を大事にするあまり、手をかけなくてもいい所にまで
手をかけてしまいがちなんですね。
いつも自分が注意していたので、客観視できている、と思っていたのですが、
それも怪しくなって来ました。
本書のタイトルにもなっている、
三人称視点を身につけるための項目の中に
【思考の範囲を広げるために、目線を高くする、引いて考える。】
【問題の中に自分を入れない、人ごととして考える。】
と書かれていて、読み進める内に、
「あれ?どこかで聞いたことがあるぞ。」
という感覚にとらわれます。
文中の、
◇困難が起こったときに、困難と自分を切り離して考えられる。
結果として、精神的に追い詰められる事がなくなり
スムーズに行動に移すことができる。
これに至っては、言葉を変えているだけで、完全に同じ事を学んでいました。
◇失敗はただの出来事で、あなたじゃない。
ごっちゃにしない!
という、ビジネス編(当時)のしょうおんさんの教えです。
この本が自分の中で、ただのいい本に留まらず
心に深く残ったのは、既に教わっていた貴重なことを
思い出させてくれたからだと感じます。
と、同時に良書やセミナーでとったマインドマップは、
定期的に見返さないと、忘れていることや、
新しい気づきを得られる事があるな、と思いました。
後半、状況を一回笑う、だとか、
切羽詰った状況を楽しむ!あたりから、
体がカッカと熱くなり、興奮してきました。
困難が降りかかった時に、他人称視点で引いて考えて、
「わ~~、主人公っぽいピンチ~~」
「でも、主人公だから乗り越えちゃうんだろうな、俺。」
「でもって、また一回り大きく成長しちゃうんだろうな~~」
「う~~ん、そう考えたら、困難よ!ありがとう!」
こう思える人間に、心からなりたいと感じ、
意味もなく、自転車を全力で漕いでしまいました。
【成功曲線を描こう】も本棚から取り出して読みます。
投稿者 whockey51 日時 2012年8月31日
視点を広げるということは、仕事の後や物事が起こったあとの
ビジョンを考えることだといえます。
それは、相手の視点を見ることが出来れば、
それがその人のビジョンに繋がっているからだといえるわけです。
視点を変えることによって、
相手の立場や状況を把握することができる。
そういう視点の高さをいくつ持ち合わせているかで、
判断のレベルが上がってくる。
判断のレベルが上がってくることで、
他者への貢献度も、
一段と良いものに変わってくるといえるのではないか。
ではなぜ、視点を変えるという客観視をできない、またはしない人がいるのだろうか。
それは、自分自身を客観的に判断することで、
視野の高さを得られることがわかっていてもそれが出来ないのは、
客観的にみることで至らない点に目が行ってしまうためだと考える。
例えば、服装で自分ではイケてると思う格好でも、
客観的に見た瞬間に、イケてない服装に感じてしまうからだ。
往々にして、人は自分を甘めに評価しているので、
客観的に見る視点をわざと伏し目がちにしている傾向があるといえる。
視点を変えることで得られるものは、
自分自身の現状の不満足さが一番顕著に見えてくることだ。
それに耐えうることが出来てこそ、
初めて自分の立ち位置がわかり、
他者への貢献や社会貢献へとつながるものだといえる。
だからこそ、この視野の広さは身につけていかないと、狭い範囲でしか貢献ができなくなる。
投稿者 gizumo 日時 2012年8月31日
課題図書として手にして、繰り返し読んで考えこんでしまった本です。自分は比較的、物事を「客観的」にみる方だとは思っていましたが、それは単に関心を寄せないことで関係を避けていただけであり、肝心な自分自身のことは「客観的」に見ることはなかったと反省しました。(実際、鏡や写真で自分を見ることも嫌いでほとんどしません・・・)会社における、自分のポジション的なものを考えるとどうしても「引いて全体をみる」という立場を意識的にとっていました。しかし、ここで「引いてみる」=「反対の意見を言う」という風な理解をしている間違いに気づきました。引いてみることは、視野の広さと思考する時間の長さであることは大きな学びでした。また、二人称思考を身に着けることなく三人称思考やゴールである「客観的視点に立った多人称視点の自分」を演じていて、うまくいかなかった事も腑に落ちた感じがしています。会社で仕事をしている場面でも、この人称思考を学んでからは相手の行動が理解できるようになりました。今まではこれに自分の一人称思考をぶつけ火花を散らすか、「引いてみているんだ」と無理やり完結させるかしていたと思います。上司や会社の方針にも「なぜ??」と理解ができず、「間違った方向」だといたずらに先を不安視していました。この本はぜひ、会社のメンバーをふくめ多くの人に紹介したいと考えています。そして、より良い会社・社会になっていけたらハッピーだなと思っています。最初は、「この本で自分だけ成功しよう」とちょっと思っていましたがそれは一人称思考ではないかと気が付きました。今後も、機会があるごとに繰り返し読み返して読みたい本です。課題図書として紹介されたことに大変感謝しております。
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投稿者 sumio 日時 2012年8月31日
「 すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。」石原明著を読んで
いま自分はどのモードになっているのかしら?
本書のおかげで、何人称で思考しているのか、意識するようになりました。
映画館で映画を観ている自分(客観視、他者意識)と
映画の中で演じている自分(主観視、当事者意識)を
想像してみるとイメージしやすいかもしれません。
ビジネスで成果を上げるためには、三人称以上の視点であることが大事。
そして、人称は固定できない。
すぐ一人称に戻っちゃう。
よくわかります。
実感です。
著者は、人称を上げる方法、場面に応じた対処方法を詳しく親切に
教えてくれます。
実践のための本です。
早速、巻頭の図解シートをコピーして、職場、自宅、手帳にセット。
細切れ時間にふりかえるツールとして活用してます。
十分わかりやすいのですが、「図解版」「実践編」などの
続編を期待したくなりました。
体にしみこませたいセリフです。
・これは俺じゃない!
・その状況を一回笑う。
・切羽詰まった状況を楽しむ!
・こんな経験は滅多にできないから十分に楽しもう。
・コレが将来スッゴイことになるぞ!
・大変だ、おもしろそう!
思考の範囲と思考の時間軸を縦横無尽に使い分ける、
多人称視点の達人になりたいです。
「決断するのは常に人称のもっとも高い人の役目」とは至言ですね。
この役目を担いたいと思いました。
「目線を高く、引いて考える」「問題の中に自分を入れない、人ごととして考える」。
幸せに、充実した人生を送る上で役立つ視点です。
ありがとうございました。
投稿者 TBJ 日時 2012年8月31日
「 すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。」を読んで仕事で上司から「もっと広い視野で物事を考えないといけない。」とよく指導をされました。今でも自分の行動を見ていて、視野が狭いなぁ、視座が低いなぁと感じることがあります。部下や後輩に対しても、上司から指導されたように視野や視座について指導を行っていましたが、教えていてもあまりピンときていませんでした。視野を広げると言われても具体的にどの程度広げるのかが理解できなかったり、視座についてもその景色がイメージできなかったりしていたのですが、この本はそれを解決する一つの方程式を与えてくれた一冊でした。自分のことしか考えていない、相手のことも考える、チーム全体で考える。それを人称という表現で上手く説明されています。確かに登場人物を考えることでその範囲が明確になったように思います。組織での仕事において、このスキルだけで出世される方もおられるのも頷けます。確かに経営者に近づけば近づくほど、考え方における人称数は増えますし、決断にも安定感があると感じています。そして、このスキルは人間の悩みの一つである人間関係の良し悪しにももちろん繋がりますね。人気(人の気)を集められる人は、それだけ周囲の人を気にかけています。家族を気にかけたり、後輩、部下を気にかけたり、友人、お客様、先輩、上司、近隣の方、テレビに出ている著名人、県知事、首相等、広い範囲の方を気にかけています。相手を気遣ってあげること、周囲の人を気遣ってあげること、多くの人に気を配ってあげることで人間関係が格段に良くなることを実感しています。俯瞰的に客観的に物事を見て、自分も多人称の中の一人であることを理解、実感できたとき、人間はまた一つ成長できるのだと思います。そして、俯瞰できるようになったら、ただ見ているだけでなく、見えている範囲の人や物事に対して自ら行動を起こし意思表示する。そうやって見える範囲、気を感じられる範囲、気を配れる範囲を広げていくことが、自分を次の舞台に上げてくれる方程式のように思います。
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投稿者 sishida 日時 2012年8月31日
「すべてが見えてくる 飛躍の法則」を読んで・歳を重ねても新人のような働きしか出来ないおじさん・売り上げはそれなりにとってくるものの、受注する案件がクレーム顧客ばかりの営業・現場に対してこと細かに的外れな命令を出して仕事をした気になっている勘違い会社役員どこにもいそうなこれらの人に対して、 あの人は視野が狭いのだとか 器が小さいのだなどといった曖昧な認識でしか捉えられなかった私の中のモヤモヤした違和感を「人称」という簡単かつ明確な概念で一気に払拭してくれる一冊でした。その中で私が興味を惹かれたのがメタ認知という概念です。「これは俺じゃない!」これほど大胆な思考の切り替え方はお目にかかったことがありません。(失礼ながらしょ~おんさんのセミナーより腑に落ちました)これらの認識&スキルがないことで苦しんでいる人を数多く見てきましたが、この概念を持ち、1つ上の人称を意識するだけでもかなりの効果があると感じました。ピンチの時に「大変だ、おもしろそう!」と思えるまでには至っていないですが、全てチャンスに変えられるこのスキル、身につけられると思うとワクワクしますね!これは仕事を、人生を楽しくする具体的な指南書です。ビジネスマンの成長にはもちろん、主婦の方が旦那を扱う方法、子供の教育などにも活かせる守備範囲の広い本だと思いました。
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投稿者 BruceLee 日時 2012年8月31日
この「すべてが見えてくる飛躍の法則」を読み終えた直後の事。
良書リストにある「プレカリアート」という本を読んだ。いや、特に何の関連もない。
自分は淡々と良書リストを読み漁ってる人間なので、偶然このタイミングの邂逅だったのだ。
ご存知の通り、良書リストには時に難解なやつもあるものの、そのどれからも何らかの学びを
得たり、世界観が広がったり、非常に有益なのであるが、この「プレカリアート」だけはあまり
共感出来ない一冊だった。ページを進める毎に「ん?ソレちょっと違うんじゃない?」と。
そりゃ、就職氷河期というバッドタイミングやそれに起因する苦しさ、悔しさはあると思う。
しかし、それら全てを自分以外のせいにし、文句言うばかりで行動は起こさず、たとえ行動を
起こしてもデモで器物破損したり、ブラック企業の社長の悪口を喚いたり・・・。 その反面、
世界情勢や企業の苦労には目を向けず「政府、何とかしろっ!」って。。。まるで子供が不貞腐れ
てるように感じて腹が立ってしまったのだ。君たちは一体何がどうなればハッピーな訳?
「究極の一人称人間たちだな」と感じて本を閉じたのであった、チャンチャン。
。。。と、少し時間が経って冷静になり省みる。あれ、もしかすると一人で立腹した自分こそ
実は「一人称」でしか物事を見ていないのではないか?確かに自分という個人(=1人称)であれば、
上記の勝手な感想を抱いて「チャンチャン」で終りなのだが、一歩引いて「社会人」としての立場
から見れば、そんな人間だらけの社会になっては困るじゃないか。何故ってそんな部下や新入社員
だらけでは成り立たないから。或いは違う角度で一歩引いて「子を持つ親」の立場でも然り。
自分の子供がそんな人間になって欲しくないもの。やはり若者には夢を持って生き生き働いて
貰いたい、と純粋に思う自分に気付く。自分もその機会貰ったのだし。一方、国際人としての立場
から言えば(と自分で国際人というおこがましいのはどうなのよ、ってのは置いといて)、
「日本はそんなモヤシ君だらけだからチョロいあるよ。今なら島、取れるさハムニダ」と近隣諸国
にナメられたくない訳だ。(あ、自分は中国、韓国は好きじゃないですが、中国人、韓国人は好き
ですよ・・・とフォロー入れとこう)
と考えると、チャンチャンでは済まされない事態である事に気付く。そして早速ググってみれば、
貧困やワーキングプアの問題は厳然たる事実としてある。そして若年雇用戦略への批判、65歳定年
の可決など、若者が怒りを覚えるニュースが日々ある事にも気付かされた。まさに自分の意識が
変わっただけで見えてくるものが変わってしまた体験をここでもした。変な因果だが、これが
「すべてが見えてくる飛躍の法則」を読んでの自分のOJTとなったのである。
前置きが長くなったので(あ、ここまでは前置きね)手短に結論を述べたい。
今回、自分は腹を立てたが、それは「感情」である。そして「すべてが見えてくる飛躍の法則」
には「ビジネスは<三人称で考える>」とある。実はこの時点で大いなる矛盾に気付く。何かって?
ビジネスは本来「理詰めの世界」なのに人間は「感情」の生き物、とういう事だ。どんなに立派な
机上の計画でも、実際なかなかその通りにならないのはそのためだ。でも、ビジネスは人間にしか
できない。ならばどうする?ビジネスには感情を切り離す事が求められるのだ。と言っても感情を
完全に捨ててはダメ。感情は時にモチベーションという人間を動かす原動力にもなるからだ。
う~む、ここが難しいのだ。
結局、重要なのは「感情を制御する」事。そして客観視し第三者の目から物事を見る事。そうする
と何が良いかって、感情がメインになってる当事者同士では気付かない「本質」が見えてくるのだ。
ビジネスにはこれが必要。三人称が必要な所以なのである。
投稿者 yoshitoru 日時 2012年8月31日
これまでも同様のテーマを扱った本を何冊か読んできた。それらの中で書かれていた、客観的に見よう、俯瞰して見よう、視点を高くなどの言葉。頭では何となくわかったつもりでいたが、腹に落ちて理解するまでには至らず、何かモヤモヤとしたものが残っていた。この本の中でも、方法論として客観的に見ることや視点を高くすることは語られるが、何よりも「人称」とうい概念を取り入れることで、こんなにもわかりやすく、理解できるようになるのかと、まずはそこに感動した。別の本で、目標を達成するまでの成長の過程を「成功曲線」という言葉で説明したのもまさにそうだが、何かを伝えるときに、より理解できるように伝えるということ。著者と同じように、コンサルタントを名乗る自分にとっては、そういう面でも、とても参考になる良書であった。この本の中で、感情と人称を結びつけて説明されているところがある、これも非常にわかりやすいポイントである。以前の自分は感情を表に出すことが多くあったのだが、これは一人称の視点で見ていたんだなということがよくわかった。現在の自分が何人称かと考えてみると、最近になってようやく二人称になれてきたという感じだろうか。時々感情的になって、一人称になってしまうこともあるが・・・二人称視点を身につけるまで、いろいろなセミナーに出たり、多くの本を読んできたが、この本を読んだことで、三人称視点はもっと早く手に入れられるのではないかと思っている。
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投稿者 wapooh 日時 2012年8月31日
この本の感想を書こうと思い、特に序章に何度も目を通しました。その気になって行動したつもりで半月。感想を書こうとよくよく振り返ると、自分の視点はまだまだ第一人称、できたつもりで第二人称止まりだったな、と思いました。初めて読んだときは、巻頭の帯に『スペシャリスト=第一人称』とあり、日々の仕事=研究を思い出し、納得したものの、基礎研究従事者=第六人称とある。。。仕事のやりがいは、会社の事業ではなく、研究テーマを掘り下げていくことで、業界もしくは素材の良さを見出して有用性を理論的に解明できれば、豊かなものになる、と思っている。いつかどこかの世界中から集まる会で研究を通して、結びの言葉は「mother natureから学ぼう」と言ってみたいと思っている。夢は果てしないのだ。でも日々の人生は?『おばちゃん思考』。いつかしょうおん先生のメルマガにあったけれど、それを地で行く頭の固さをよく自分に見る。夏休みの帰省時に、この本の一説を説きながらお互いの行き過ぎた妄想を戒めた。先月の課題図書(日本人)。それまでの課題図書で絶賛してきた古きよき日本の文化(梅干と日本刀、木の教え、等々)さえもかすんでしまうような、現代日本人の抱える問題(下流志向など)が古来からの世俗的な日本人の思考の果ての姿、と読んでがっかり来てしまっていた。それでも、物事にはよい面も悪い面も隠されている面もあって、しっかりと目を開けてないと、と(いのちの食べ方)を読んで思ったのだった。その上でどう考えて生きていくか、どう行動するか決めるのだ、と。そのヒントを本書に見つけたような気もしている。第一人称な話題だが、先日、仕事で年に一度の事業部での報告会があった。これまでは、「いかに前期より進歩したか?」「いかにいい素材を生み出したか?」ばかりに目を向けていて、プレゼンもチーム内の毎月の報告のダイジェストにチーフが取ってつける今期売り上げと来期の売り上げ(その差=研究所の成果)の構成で満足していた。しかし今期は、年に一度しか来ない事業部長、工場長、月一の研究所長、特許担当者、。。。それぞれの立場が聞き、知りたい事項を書き出してみた。求められていることが種々であることを実感でき、売り上げも競合情報も進捗も、何もかもが他人事ではなくなった。でもまだ二人称のレベル。下手をすると客なら先方の要望を無理ぎぎして無茶をしかねないレベルだ。第三人称の視点はさらにもう一段引いてみている。相手の立場に立った(つもりで)行動した後の相手と自分の姿を上から見ている。行動の効果へのフィードバックが必要だ。こうして書いてみると「失敗や成功へのフィードバックができるから、次へと生かせるのだ」と妙に納得できる。日々の暮らしも同じ。今月は終わってしまうけれど、まだまだ本を読み込み日常へと落とし込むには時間がかかりそうだ。今もそうだけれど、最後に成長して笑う!そう決めて、この本としょうおんセミナーのノートをデスクに携えておこう。まだまだ課題を終えられそうにありません。今月はそんな感じの、気がつくとおばちゃんの姿が鏡に映っているこの身でした。鏡のおかげで少し背筋が伸び、頭のスクリーンの自分のイメージが年をとりました。
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投稿者 yokoyayayuki 日時 2012年8月31日
今月の課題図書を読んで
「人称」を変えることにより、
「見えない」→「見える」
「耐えられない」→「耐えられる」
という変化が起こることを再確認しました。
(しょ~んさんのセミナーでも習得済みですが)
この考え方によって、人生のほとんどの難局を耐えられるのではないかと思います。
この本を今月月初に読み
・もつれたお客さんとの関係
・こじれたチーム内の関係
・ひどい二日酔い
も乗り切ることができました。
家族・顧客・未来の自分・日本・世界をもっと幸せにできるように、
「人称」をあげていく鍛錬を継続したいと思います。
投稿者 takuro2411 日時 2012年8月31日
読み始めてすぐに、自分が如何に自己中心的な一人称の視点、思考班範囲でしか仕事をしていなかったか痛感し、情けないやら、恥ずかしいやら惨めな気持ちになった。これでは、どれ程努力し、成果を残していても昇進はできないな~と納得させられた・・・あ~ぁ~~~~~~ 今まで何をやっていたんだろう・・・もっと早く本書と出会って、実践していたら、今頃は・・・まあ、後悔しても何も変わらないので、今まで一人称の自分とオサラバして、今この瞬間から変えていこう!本書の内容を頭に叩き込もうと立て続けに3回読み返し、重要だと感じた個所は赤線を引いた。ほとんどのページが赤線だらけになってしまった・・・赤線の引いてない箇所の方が少なくて目立ってしまった・・・やらかした・・・すぐに実践しよう、忘れないように定期的に読み返そうと強く思った。本書は私にとって「座右の書」の一冊に加わった。本書を紹介して頂き、本当にありがとうございます。
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投稿者 yunyunpanda 日時 2012年8月31日
p74~75に記載のあった自分自身の写真を撮るということを実践しました。感想は、「ダサい」。自分のイメージではもっと背筋が伸びてピンとしていたはずなのに、肩がちょっと前にでていて、こんなはずではなかったと思ってしまいました。実際の自分の仕事に人称を当てはめると、得意な分野は人称が3~4人称くらいまでは考えられるのに、苦手な部分では1だなぁと認識しました。また、立て込んで余裕がなくなると人称が落ちているというのが、意外と自分では気づけてなかった点でした。今後は、弱い部分の人称を上げるべく、動画を撮ってみたり客観的に考えられるように他人称視点の自分との対話を増やしていきたいと考えています。
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投稿者 yamag 日時 2012年8月31日
この本のすごさは、「理論の発見」と「再現性」にあると思う。「観る」ステージをシフトすることを、「人称」というキーワードで説明し、その"有用性″と”実現する方法”を紹介している。自分のことで手一杯の「一人称」、相手の立場に立った「二人称」、周囲からの視線を考慮した「三人称」これが、「八人称」まで段階を追い、取り組むステージが示されている。今の自分は、まだ「二人称半」くらいだろうか。「相手の立場になって考える」「物事を俯瞰して観る」など、何度となく先輩、上司に言われたり、本の中で見かけたフレーズを思い出す。しかし、そのアドバイスや本が、理想論に近いものや狭い範囲での経験の紹介にとどまり″では、どうするのか?″がわからないものが多い中で、本書は”絵に描いた魚″や”魚そのもの”の提供でなく、”釣り方”を教えてくれる。「行動科学マネジメント」というものがある。良書リストで紹介されている「石田淳」先生のメソッドであり、行動に着目し、「いつ・どこで・誰がやっても同様の効果が得られる」というもの。正に、それに基づいたように、法則化されている”人称のシフト”という発想は「再現性」素晴らしい。紹介されている方法を職場で実践し、″思考の範囲を広げ、目線を高くし、引いて考えることを習慣に″してみた。その結果、この一ヶ月に限れば、どんな状態のお客様に対しても、抜群の効果を発揮し、怒りから入っても、笑顔で帰っていただいている。「交渉では相手よりも人称が大きい方が勝つ」という本書の言葉を、実感している。そして、この本は、なんとなくの理解の自分に対しては、思考の明確化、そして強化になり、既にいくらか”人称”のシフトができている上司には、発展的な気づきがあったようだ。本書を実践していると自分には、マザーテレサの言葉が浮かんでくる。思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。まずは、本書の概念をつかみ、視点をシフトして考える。そして、そこから観えた人々の最大幸福を考え、行動を定義し、行動に移す。それを繰り返し、繰り返し、繰り返す。そうすることで、意識している状態から、自然にできる状態になり、その結果が、人生のシフトまでつながる。そうできる内容だと思う。そして、本書はビジネス書だが、活用の場はビジネスにとどまらない。特に、コミュニケーションに関して言えば、こうでありたいと思いながら、方法がわからず途方にくれている方に少なからず、解決に導く本だと思う。一歩を踏み出す後押しと、その方法を示す、実践の書だったと思う。本書を紹介していただき、ありがとうございます。
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投稿者 kenken 日時 2012年9月1日
この本に出会う前…ん?なぜか話が通じ合わないぞ…みんなは、どうして、目先の視点でのみ物事を捉えないのだろう。。。将来の行動が楽になるように改善案を考えないのだろう。。。などと、少なからず他者に対して憤りを感じながら、仕事をしていました。そして、他者が目先の視点でしか考えられないのは、自分の伝え方、コミュニケーション能力が低いからなのではと仮説を立てていました。そして、いかにそのコミュニケーション能力を補う企画を考えていくか、を重視してきました。この本を読んだ後…脳内がすっきり整理され、新たなラベル(=人称思考)ができあがりつつあります。振り返って俯瞰してみると、この方々が言っているのは、その視点から言っているのか!と考えられる部分が多々あり、それと同時に、さらに自分自身のコミュニケーション能力が低いことを改めて感じています。しかしながら、コミュニケーションのとりかたをきにかけることで、伝わり方も変わってくるのではと感じさせられています。それは、どの視点から物事を見ているのか?視点の置き位置を互いに共通で持つことができれば、意見がずれていくことはないのではと。。視点の置き位置が違うなかで議論を進めていくから、双方の回答に食い違いが出てくるのはないでしょうか。例えば、石原さんは歴史が長い会社で売上の伸びに困っている会社に対してコンサルをするときに「名刺のデザインを変えましょう」と言うときがあるそうです。これは、言われたほうとしては、名刺のデザインは伝統であり、ここまで長年の歴史を築き上げてきたものだから、そう易々と変えることはできないと考えてしまう。しかし、石原さんの考えは、名刺のデザインをかっこいいものに変えることで、若手が合コンに行って、名刺を見せたらかっこいいと言われる。周りにかっこいいと言われることで自社に誇りが持つことができる。すなわち、会社に対して、さらに貢献をしようとするんです。と話しています。もし、視点の置き場が同じならば、このような説明を「0」からすることなく、組織全体ですぐに行動に移せるのかもしれません。ですので、具体的な視点を定義することで石原さんは互いの共通認識を持つためのツールと、位置づけてこの本を出版しているのではないかと感じてしまいます。それは、出版することで、天才アルベルト・アインシュタインの名言、「我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。 」に対して、それでは一般の人間が解決していくには、こうやって、考えていくんですよ。というものを読み解いているのではないかと思うのです。また、サブタイトルにビジネスで限定的に語っていますが、ビジネスだけでなく、人生一般に対して、この名言が通じる部分は大いにあると感じます。なぜ、そう感じたか。石原さんの著書「営業マンは断ることを覚えなさい」で、売り方には、自分から売る方法と、相手が買いたいと言ってくる方法の2通りを説明し、後者の方法を4ステップマーケティング論を提唱しています。後者の方法は、人に嫌われたくないと深層で考えていたからこのマーケティング論を作り上げたそうです。人に嫌われたくないという部分があるので、この本からも、人の感情を揺さぶるような表現を使わず、自分が「人称」という表現を発見したと驕るような発言をせず、いかに嫌われないようにするかという部分、つまり、人生一般での過ごし方にも大きなヒントになると感じました。しかし、この本、客観の高め方に対してがメインで、主観については、物足りないところ。。そう思っていたのですが、実は「成長曲線を描こう」を読むことで、主観と客観を補完しあうのかと思っています。「成長曲線を描こう」で、「右脳はエンジン、左脳はハンドル」と書いてあり、まさに「すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える」はハンドルの切り方を教えてくれています。もちろん、「成長曲線を描こう」は前者のエンジンの扱い方。実は、この2冊を読むことで、右脳=主観、左脳=客観という部分をバランスよく整えてくれる仕組みになっているのではと。。。改めて、2冊同時に読み直そうと企んでいる次第であります。
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