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第66回目(2016年10月)の課題本

 

10月課題図書

 

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち


我々が如何に無意識に人に色眼鏡を掛けているのかを本書を読むと痛感す

るはずです。だってみなさん(私もそうですが)が持っている障碍者像って、大人しくて、

健気で、人生を世界の端っこの方でこっそり生きています、みたいなイメージになってま

せんか?これは我々が勝手に妄想で作り上げたあるべき論によって作られたイメージなん

です。 冗談じゃねぇ、障碍者にだって強烈な自我があるに決まってるじゃねぇか、という当たり

前のことに本書を読むまで気付かなかった己の不明さを恥じ入ったら、お互いが引け目な

く、虚栄心もなく、タダタダ相手が今必要としている介助に注力出来ると思うんですよね。

ステキな本というのは、読むことで脳みその中で作られていた世界の色彩というか、風景

というか、パーツというか、映像を構成する何かが変化をして、同じ世界なのに読後には

見え方が変わってしまうという本のことなんですね。その意味では本書は間違いなくステ

キな本です。

 【しょ~おんコメント】

10月優秀賞

 

このテーマの重さにふさわしくカキコされた方の内容の深さに私が驚きました。
ここから一人を選ぶのってスゴく大変なんですけど。私の気付いていない視点で書
いて下さった方もたくさんいて、選考に非常に苦労しました。

いつものように一次選考で3人に絞ろうとしても結局、「Innocentius8」さん、「J. Sokudoku」さん、
「sakurou」さん、「BruceLee」さんの4名以上絞れず、この方々の投稿 を再度じっくりと読み直し、
最終的に「J.Sokudoku」さんに差し上げる事にしました。
おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 Valentina 日時 2016年10月19日


「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を読んで

「障害者というより、経営者みたいだ!」私が本書を読み始めて程なくして感じた鹿野さんの印象だった。24時間誰かの助けを借りなければ生きていられない。如何にして、一瞬の隙もなくシフトを埋められるだけのボランティアを自分の下に集めるか?正に命がけの“集客”をする経営者だ。もし、この人が自由の利く身体だったとして、これだけのアイディアとバイタリティーを以て会社を経営したならば、物凄い成功を収めたのではないか?しかし、本当に“命”がかかっていたからこそ、ここまでがむしゃらに行動できたのだろう。鹿ボラの一人が言っていたように、やはり障害もひっくるめて初めて鹿野さんの完成形なのだ。

 著者の渡辺氏が抱いた『なぜ多くの若者たちがボランティアに来るのか』、『その世界には、いったい何があるというのか』という疑問に対する答えは、私自身にとっても最大の関心事ながら、それをなかなか見出せないまま読み進んだ。鹿ボラの人達は、決して暇なわけではない。鹿野さんに夜中度々起こされても、ダメ出しされたり怒鳴られたりしても、そして無報酬でも、それでもなぜ鹿野邸へ行くのか?介助するのか?そのもやもやした疑問が、読み進めるうちにふと、自分が経験した過去の出来事と結び付いて解けたような気がした。

 今から6年ほど前のことだった。当時付き合っていたボーイフレンドが、一緒に海外旅行をしている途中で盗難にあった。彼にとって相当大切なものを多数失った。後から振り返れば馬鹿げた話なのだが、彼は盗まれた責任は私にあると言った。夜中に隣で突然むくっと起きたかと思うと、怒りで思いっきり壁を殴ったり、ホテルの窓から飛び降りようとしたり、声を使った仕事をしていながらストレスで煙草を吸い続ける彼と一緒に過ごしているうちに、段々私は「何か責任を取らなければいけない。」「この人の命を救えるのは私しかいない。」という錯覚に陥っていった。「私の残りの人生を、この人の奴隷として生きるべきではないか。」とさえ本気で思った。文字通り体を張って彼に尽くした。

 片や介助ボランティア、片やダメ男に尽くすおバカな女という雲泥の差こそあれ、鹿ボラ達と当時の私の精神状態には共通点があるような気がする。身近で人が限りなく死に近い状況で闘っているとき、支えられる立場にいる者として、自分を犠牲にしてでも救いたいと願うのが人間の本能なのではないだろうか。特に、それまでの人生で何も達成したことがなく自分に劣等感を感じる学生ボランティアや、失恋のショックで鬱になった女性ボランティアのように、精神的に追い込まれている者にとって、誰かの命を自分が守っているのだという実感が、自分のアイデンティティーを支える軸となり得る。実際、当時の私も、彼への献身を手放してしまったら、自分が崩壊するような気がしていた。だから、周りにどんなに反対されても、彼と別れることができなかった。鹿ボラ達の中にも、介助を通して自分を保てていた者が少なからずいたのではないかと思う。精神的に不安定な鹿ボラ達のエピソードをいくつも読むうちに、鹿野さんが彼らにとってのカウンセラーのように見えてきた。

 ある日、行きつけの整体院で、先生にこの本の話をした。身長が2メートル近くある大男の先生は、元要人警護の仕事をしていた方で、KGBへの派遣経歴もある。とても物知りな上に話し好きなので、1時間の診療の後、私と先生は1時間以上雑談することもある。私は、障害者関連の本を読んだのは初めてなので、様々な発見があったことを先生に報告した。例えば、小山内美智子さんのような重度の脳性マヒで両手を使えない方でも、スウェーデンの福祉施設を見学に行くことができると知って驚いたことなどだ。重度の障害を持ちながら、健常者も驚くほどアクティブに活動している方がいるということは、私が本書から受けた大きな衝撃の一つだった。

 先生は言った。「そう、それだけ動けるんだよ。ただ、普通は周りにそういう人がいないから、俺達が知らないだけで。」しかし、電車の同じ車両に車椅子の方が乗り合わせるような、障害者の方を目の当たりにする数少ない機会があったとしても、私はこれまで意図的に視線を向けないようにしてきた。なぜなら、彼らは街中で車椅子に乗って目立つことでたくさんの人達の目を引くのが嫌に違いないと思っていたからだ。そのことを先生に伝えると、先生は「いや、逆だよ。見なきゃダメだ。」と言った。そして、車椅子に乗った知り合いの方のこんな言葉を教えて下さった。「もっと俺を見ろ!お前らがちゃんと見ないから、俺達はぶつからないように避けなければいけないんだ。」立って歩いている私達は、彼らとは目線の高さが違うので、無意識のうちに邪魔な存在になっていることに気付いていないのだ。

 鹿野さんが外出が好きだったのも、ただ外の空気を吸ってリフレッシュしたかったという理由だけではないだろう。「社会を変える!」と事あるごとに宣言していた彼は、自ら広告塔になって、世の中に障害者のありのままの姿を披露したかったのだと思う。これからは、街で障害者の方を見かけたら、もっと“普通に見よう”と思った。今までのように目を反らさず、かと言ってジロジロ見るのでもなく、お年寄りや妊婦さんに対して気遣うのと同じように接しよう、そう決めた。

 鹿野さんは、自分の全てをさらけ出すことで、自分と接する人々の心を掴み、豊かな人間関係を築き、愛され、惜しまれて一生を終えることができた。もし、この人生に“障害”というファクターがなかったとしたら、それはもう申し分なく素晴らしい人生だっただろう。ということは、健康である私が、もっと自分をさらけ出し、それについて来てくれる人だけと深く付き合うことができたなら、私は今よりももっとずっと幸福になれるということではないか。それを実践することで、鹿野さんがそうであったように周りから「ワガママ」と言われるリスクはある。だが、実際多少そのリスクを背負ったとしても、試す価値があるのではないかと思える根拠が私にはある。それは、昨年末から始めた副業である、日本語のSkypeレッスンだ。これまで通算70名ほどの生徒さんを指導してきたが、最終的に、私のキャラクター、教授法、レッスン可能時間帯、料金等がマッチする生徒さんだけに淘汰されている。おかげで毎回レッスンは楽しく、ストレスもない。もちろん、Skypeレッスン以外の人間関係も全てここまで上手くコントロールできるとは限らない。それでも、まずは素の自分をさらけ出すことで、自分が付き合うべき人達を引き寄せることができるはずだ。

 ラッキーなことに、私にはブログやメルマガ、課題図書の感想文を投稿させていただける場など、自分をさらけ出すチャンスがある。ただ、これは気を付けないとただの“自意識過剰”と思われ、むしろ周りから避けられる人間になってしまう。自意識過剰で終わらず、鹿野さんのように素の自分が受け入れられるようになるにはどうしたらよいか?それは、教養や経験を積むことによって、「自分をさらけ出す=周囲に何かを与えられる」人間になることで実現できると思う。行きつくところは、やはり“智の道”だ。素敵な仲間達と人生を楽しむために、これからは、さらけ出すに値するネタ集めをしていきたい。

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2016年10月26日


1.鹿野さんと軍神様を比較して見えてきたこと

 障害者や病気の方が主人公の本というと、「障害(病気)という過酷な状況にあって、健気に生きていてえらいですね!五体満足な私達は、もっと感謝の気持ちを持ちましょう」というチープでお説教くさい物語が少なくない。(良い本もあるが。)某24時間の夏の番組などは「障害者の方々を利用した感動ポルノ」と揶揄され形骸化している。もし自分が障害を持っていたとして、他の人が私を見て「あの人かわいそ~~。あの人より自分の方が幸せだから、元気を出そう!」と優越感を感じていたら、普通に腹が立つと思う。
 ところが、本書に描かれた鹿野さんと彼の介護ボランティアの関係は、「世話される健気で弱い患者さんと、世話をする優しい人」でなく、全身でぶつかり合う対等な友人同士に近く、暖かさが感じられた。自分の弱点は弱点、出来ないことは出来ない、と受け入れ、足りない部分は素直に他者に頼る鹿野さんは、自己分析に長ける理性の人だったのだろう。特に、鹿野さんがボランティアを「~ちゃん」付けで呼ぶ所は、フレンドリーで人との間の距離を縮める良い方法だと思った。

 ・・・と、ここまで考えた所で、全く別の本の、とある登場人物を思い浮かべた。しょうおん塾の8月の課題図書『卑怯者の島』に、鹿野さんと同じく肢体不自由で、他者の介護なしには生きられない人物が出てくる。「軍神様」と呼ばれていた、中澤という名の傷痍軍人である。(ちなみに、この漫画の中で私が最も嫌いな人物である。)
 一方はノンフィクション、もう一方はフィクション(漫画)であり、生まれつきの障害者と、戦争で怪我をした軍人という違いもある。比較すること自体ズレているが、不思議なことに彼ら2人は「性的な処理さえ他人に頼らざるを得ない」ことまで、共通しているのだ。
 それなのに、鹿野さんのお葬式には彼を愛する多くの人々が訪れ、中澤は戦後「物乞い」という最も屈辱的で孤独な人生を送っていた。この二人を比較分析することで、見えてきたものがある。しょうおん先生はこの2人を比較することを、私達塾生に期待して本を選んだのではないか?と一瞬考えたくらいだ。(十中八九違うが。)

 中澤と鹿野さんの何が違うかというと、中澤は他者を蔑み、鹿野さんは他者と対等であろうとしたことだ。
中澤がなぜ戦争で手足を失った自分自身に、あれだけの自信と誇りを感じていたのかというと、彼の両親が大地主で金持ちだったからで、その財産は自分で努力して手に入れたものではない。性的な処理に関しては、女中の春江さんにお願いしているようだった。春江さんは恐らく、家が貧しく、若い頃に売られてきたのだろうが、中澤の性的な世話をすることで、人としての尊厳を奪われ、心に傷を負っていたに違いない。現代なら立派なセクハラ罪だが、戦前は普通だったのだろう。
 一方、鹿野さんはどうかというと、①ビデオを借りる ②ティッシュの用意をしてもらう ・・・ここまでは介助者にやってもらっていたが、このプロセスにおいて誰にも嫌な思いをさせていない。(女性ボランティアにビデオを返しに行ってもらったことはあったようだが。)
 中澤は女性達に気味悪がられていたが、鹿野さんは女性のボランティアとも仲良く友人になり、女性と恋もしていた。これは、中澤が「大地主の坊ちゃん」という生まれつきの身分に依存し、人に世話されることを当然のように思い、人を見下し、感謝の気持ちのかけらもなかったのに対して、鹿野さんは、心と人柄のみで他者とコミュニケーションをとろうと努力し、何よりも「人が好き」だったこと原因がある。中澤も、家族や女中さんにワガママを言っただろうが、「地主のお坊ちゃま」であるため誰も彼に逆らえず、皆、表向きは中澤に良い顔をし従順でありつつ、陰では嫌って悪口を言っていたのだろう。
一方、鹿野さんがワガママを言うと、介護ボランティア達は、本気で鹿野さんを思って叱り、注意をしていた。これは、鹿野さんを真の友達と思っている証拠である。

 少し前まで、私は「医者は患者を救うもの」と当然のように思っていた。しかし、その価値観をひっくり返したのが、山中伸弥さんだった。彼がノーベル賞を受賞した時、あるジャーナリストが「夜も寝ないで研究をされていて、立派ですね」と声をかけた。すると山中さんは「病気と闘っている患者さん、そのご家族の皆さんは、私よりも遥かに立派です。」と答えていらっしゃった。私はこの言葉を聞き、「与え、与えられてこそ、人生なのだ」という尊い真理を知った。山中さんが、医学研究者で人を救う立場にありながら、患者さんやご家族から励まされていたように、鹿野さんは障害者として人々に助けられていただけでなく、鹿野さんの存在が、周囲の人々を救っていた。同じ「肢体不自由者」でも、生き方ひとつで中澤と鹿野さんくらいの差が生まれる。人と真剣に向き合おうとする鹿野さんのコミュニケーション力から、学んだことは多い。


2.キリスト教について

 本書ではそこまで深く触れられていないが、鹿野さんがクリスチャンということを、興味深く感じた。
 「鹿野さんって、クリスチャンなのに、ワガママなんですね」というニュアンスの言葉が、本書に数回出てくる。私はこの発言を、面白いと感じた。
 おそらく、(クリスチャンではない)一般的な日本人の方は、「クリスチャンと言えば、キング牧師やマザーテレサのような、立派な人格者」と考えていらっしゃるのだろう。

 ところが、聖書に書いてあることを、たった一文で集約すると、
「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい。」
・・・以上である。私自身、教会の礼拝や日曜学校で「人格者/立派な人になれ」と言われたことは、一度もない。クリスチャンの中にも、短気ですぐに怒る人、寝坊して礼拝に遅れる人など、アル中と闘っている人や、ゲームオタクの人など、いろいろいるが、イエス様は「私は欠点のある信者が嫌いです」などとは言っていない。
 私は子育てをしたことがないので分からないが、これは、子供を持つ親が、子供に「将来は優等生になってほしい」と願うのではなく、「いつまでも離れず、自分を頼ってくれる息子/娘でいてほしい」と願うのに似ています、と私の教会の牧師先生はおっしゃっていた。「例えその子に欠点があっても、その子を愛していることに変わりはない」という心理は、まさに親と神で共通している。キリスト教とは、信者に「聖人君子であれ」と要求する宗教ではないのである。

 一方、キリスト教と対照的なのが、儒教だと思う。論語には「君子を目指しなさい」とはっきり書かれている。仏教や日本神道のことはよくわからないが、日本人のノンクリスチャンの人が「キリスト教徒でも、欠点のある人っているんですね~」と言うのをよく見かけるのは、「宗教を信じる人=聖人君子」という儒教の固定観念があるからではないかと思う。

 宗教は一人一人の人間の価値を対等にするという意義がある。例えば、私の隣にビヨンセがいたとする。(ビヨンセはただの例で、著名人なら誰でも構わない。)世間的に見れば、ビヨンセの方が有名で美人で、仕事で成功していて年収も高く、価値の高い人間だと考えられる。
 しかし、神の目には、私もビヨンセも同じ価値を持った人間として映るだろう。神は人が「何をやったか?」ではなく、その人の信仰心を見るからである。

 鹿野さんを見つめる神の目も、愛に満ちていたのだろうと思う。鹿野さんは、新約聖書で言うところの「賜物」(その人に与えられた才能。鹿野さんで言えば、生きるという執念、人と友達になってしまうコミュニケーション能力)を生かし、周囲の人を愛して生きていた。
 世間的に見えれば、鹿野さんは障害者で、一日中寝たきりの生活のため労働をすることができず、税金を納めることもできない弱者である。しかし、「たとえ寝たきりの病人でも、キリスト教徒には、たった一つできることがある。それは、祈りを捧げることだ」と、キリスト教徒の私達は教えられている。祈りは人が一生をかけて行う仕事なのである。

 私には、どうしてもキリスト教徒として生きることが必要だ。なぜならば、自分の価値を教えてもらえるからだ。鹿野さんがクリスチャンとして洗礼を受けたのも、私と同じように、自分の価値を知りたかったからなのかもしれない。

 良い本を薦めていただいたこと、また、これまで考えもしなかったことを考え、表明する機会を下さったことを感謝致します。ありがとうございました。

投稿者 akiko3 日時 2016年10月27日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで
  
脳みそがぐちゃぐちゃになりつつあった。わがままと自己主張の線引きが出来ず、鹿野さんの挑戦には感嘆するが、争いは嫌だし、自分はすごいと思っている人も苦手だ。介助ノートに“我慢することも必要“と反論する文面を読んだ時、読みながら何度となく”我慢“は成長の過程で躾けられてきた”大切なこと“と思っているが(命がかかる人に対してそう主張するのが本当に正しいのか?自問自答し答えがでないままだった)、鹿野さんの状況を、今までのことを知らないのかな?と明らかに批判する感情を抱いている自分がいた。それまでの”入院“”人工呼吸“、でもなんとしてでも在宅で生きようと必死に努力してきた鹿野さん、医療関係者や鹿ボラ(鹿野さんの熱意に影響を受け、価値観が変わり動いた人達、単なる”わがまま“では人は動かない。人や体制までも変えたというのはやはり立派な”主張“なのだ)の頑張りを読む中で私もいつの間にかチーム鹿野に感情が入り込んでいたのかもしれない。

でもわがままと思う部分も確かにある!そういう日常を見ていく内にわがままも含めて鹿野さんと丸ごとそのまま色眼鏡で見ず受け入れられるようになる。逆もしかり。そうやって人間関係はそぎ落とされシンプルにつながるようになるのかもしれない。親がどんなに出来の悪い子供でもまんま受け入れてくれるように、子供がどんな親でもやっぱり親と受け入れるように。どちらが上とか下とかでなく、横並びにぶつかり合い、受け入れていくのだ。(最近は家族関係の崩壊も珍しくないし、社会での人間関係も薄いものを好む傾向があるので、いかに人間関係を築くのが難しいことか、一方だけの思いでは成り立たないのだ。非婚の増加も…)

現在、母は車いすで日常生活での介助が不可欠だが、自己主張することなく穏やかだ。“委ねてくれてる”感がある。その分ちゃんと察して…と思っているが、横から父に「○○してやれ、もう○○はすんだか?○○しとるぞ」と立て続けに言われるとイラっとする。自分の段取りでやりたい(←これって鹿野さん的にはイラっなんだろうな…)。鹿野さんは、自分の人生は自分でコントロールしたい自我(しかも強烈に進化し続ける)をぶつけまくっている。母のように自我を主張しないで生きるってどういうことなんだろう。私にとって母の存在は大きいので、介助が必要でも生きててほしいと思うが、母にとっての人生としてはどうなんだろうか?それこそ“生きてて”と思うのは私のわがままなんだろうか?突然の、しかし、鹿野さんの意思を感じさせる人生の幕引きは、何度となく親の時は?という思いが浮かんだ。穏やかな寝顔を見る時“いつか”が来た時、自分はどう受け取るのか?と考えてみるが、何も新たな考えが浮かばない。だが、確実にちゃんと親として子供の為に考えつくした最後を用意してくれているように思うと、涙でぐちゃぐちゃになった。
また、わがままな人だと閉口した人の最後を聞いたら駆けつけられるだろうか?と思ったが、その時になってみないとわからない。鹿野さんと彼と関わった人達の縁の不思議さも、偉大な設計図の上を動かされ、みんな一生懸命生きようとしていたのだ。書かれている事実は、失恋だ、留年だ、自堕落な日常でも、人と人が出会うことでもたらされる化学反応は、その先の日常だが違う日常がちゃんと用意されていることに感動した。
下記のような記事も視界に飛び込んできた。
『もみじの家』という子供達の医療的ケアをしながら、家族の負担を軽減する目的で建てられた施設がある。そこに、人工呼吸器をつけ生活している中学2年生が24時間365日一緒の母から離れて、“将来の自立に向けた一歩”として利用した話が紹介された記事だった。施設の本来の目的は家族の負担軽減だったが、本人が母を気遣い、「いつか自立したい」という意思を持って一歩を踏み出した。今までずっと母の世話を受けてきたのに、自分で自分に必要なケアをしっかり言葉で伝えて支援してもらう体験は、“自分の意思を伝え、周囲の人たちの力を借りて生活する”手ごたえをつかみ、将来気象予報士になるという夢も口にできた(現実を考えると自信がなく口にできなかったそうだ)。些細な日常、2泊3日、24時間365日ずっとそばにいた母と離れた日常は、こんなにも大きな変化につながっていたのだ!
また、しいのみ学園創設者(107才)のこんな言葉にも出会った。
「人生は自分との闘いである。怠け心に打ち勝って目標に向かう。それが生きがいになる」
まさに、鹿野さんは時にもう障害者嫌だ!とか叫びながらも必死に“生きる”という目標に向きなおしていた。だから日常生活が、障害をもっていて人の介助がなくては生きていけなくても、その姿こそが生きるに値する人生=鹿野さん自身のみならず関わった人達にも“生きていくはりあい”や“喜び”を生み出していたのだとしみじみ思った。
人生の重みを感じる深い一冊となりました。ありがとうございました。

投稿者 Innocentius8 日時 2016年10月28日


■今まで気づかなかった2つの「深度」を教えてくれた本。

この本は、私にとって、知らないことを新しく知った、というよりも、知っているつもりでいた事をより深く考えるようになるきっかけを与えてくれました。また、たまたま個人的にちょっと行き詰っていた時に読んだのですが、行き詰まりの原因が見えてくるきっかけを与えてくれた本で感謝しています。

一つは、ボランティア側から感じたことで、「実は自分の為にやっている」ということ。
もう一つは、鹿野さん側から、「本気で生きる」ということ。この2つです。

初めて本書を読んだのは、メルマガで紹介して頂いた後、確か4年くらい前だったと思いますが、その頃私はちょうど、田舎の寝たきりの祖父母の家に移り住んで在宅介護を手伝い始めた時でした。

祖父母の介護が大変だとずっと聞いていたので休職することにし、田舎の家に帰ったのは良かったのですが、実際の介護は巷にある美化された介護本に書いてあることとは大違いで、全然美しいことなんかなく、むしろイライラや焦りの方が日々つのる一方でした。

自分が「やってあげなきゃ」といった最初の純粋な気持ちもどこへやら、憎しみに近い感情まで出てきて、「やってあげているのになぜ分かってくれない」「どうしてこんな報われないことやってるんだ?」というようなジレンマに陥ってしまっており、「もしかして、やってあげなきゃ、という考え自体が変なのかも?」と思い始めていた時に本書を読んだのです。

だから、この本に出てくるボランティアの人も最初は私と同じような気持ちだったのに、ボランティアを続けているうちに「させてもらっている」という気持ちになってくる、という下りを読んで、はっと気づいたのは・・・

会社でも理不尽だなと思うことは色々ありますが、どこかで、お金をもらっているのだから、と割り切って過ごしていて、本気になって物事に取り組んだり、自分の中で葛藤を整理して克服するといったことが中途半端で終わっていたのだと思います。ただ、介護は、目に見えて特に自分に特になることがあるわけではないので、理不尽さを真正面から受け止めなければならない。割り切ってやり過ごすことができなくなって初めて、私は自分の精神力や自制心、忍耐力、包容力、客観性…などなどが全然足りなかったことに気づきました。

こんな経験は他では経験できない、だから「させてもらっている」という感覚が生まれ、それと同時に辛い事というのは「本当は自分の為にやっている」ということにやっと気づいた瞬間でした。

そこから逆に、仕事をするということも、本当は(お金のためだけでなくて)自分の為にやっているのだと、改めて考えさせられました。


もう一つは、今回もう一度本書に向き合って気づいた「本気で生きる」という点です。
ちょうど今自分自身の生活について見直していた時で、これからどうすべきなのか、何が足らないのかに悩んでいました。

4年前にも感じていたのですが、私は、鹿野さんに対して、少しもやもやとしたもの、なぜか「嫉妬」に近い感情を持っていました。

そもそも私が驚いたのは、障がいを持つ人にも欲望があるということよりも、自分の欲望を他人に、それもどんどん言うこと、このことの方が強烈でした。
私はどちらかというと控えめなタイプで、「ワガママな人」と思われるのが怖くて自己主張を控えるあまり、過度に他人に遠慮しすぎなんじゃないかと思われることまである始末。。一応意見を言わなければならない時は言うけれども、個人的に自分が本当にしたいことや考えていることを、積極的に人に話すことはしたことがないのです。
だから、それができている(というかそうしないと生きていけないのではありますが)鹿野さんに漠然とした嫉妬のような感情が出てきたのかもしれないのかもしれません。

そして今回もう一度この自分の嫉妬のような感情を考えてみて思ったのは、
自分は毎日を大切にしてはいると思うが、必死に生きてはいないと薄々感じている。(かたや鹿野さんは自分をさらけ出して必死に生きている。。。)
逆に言えば本当は自分も真剣に生きたいのだ、という欲求があるのではないか?ということです。

鹿野さんは周りの人に、本当にたくさんの「要求」をしています。しかし、その「要求」は単なるワガママではなく、自分が自分の望むように生きていくために必要な、「真剣さ」から出てきているのだと思います。真剣に生きようとする結果が、様々な「要求」という形になっている。

かたや私は自分を強引に主張しないかわりに、主張しないことで責任を取るという面倒くささを無意識に避け、楽な方に楽な方に生きている。
「主張する」には責任が必要だし、責任を取るには覚悟が必要、覚悟をすることによって「本気で」生きることなのだと、鹿野さんの生き様と自分の生き様を比較して、現在自分はちっとも本気で生きてなくて、自分の人生に対する責任感も大したことがなかったのだとようやく気付いたのです。

それで、自分ももう少し勇気を持って前に進んで見ようと思い、今まで一度も(経済的・家庭的事情を遠慮、というか本当は言い訳なんだと思う)言わなかった長年温めてきた留学の計画(と本当に自分がやりたい仕事)について家族に話してみました。
初回の反応は「?」という感じでしたが、それに向けて今、準備していることなど、タイミングを変えながら言っていると、家族も「そんなこと考えていたのか」という感じになってきたのが不思議です。
さらに言うことで、自分の中でも計画がもっと具体的、現実的になってくるのだから、驚いています。
まだまだこれはほんの最初の一歩にすぎませんが、本気で自分の人生を生きることに繋げていきたいと思います。

こう書いていて改めて振り返ると、日々のメルマガで読んで自分も「そうだそうだ」と納得した気になっていた事ばかりのような気がします。
けれども、どこかその場限りになっていて、全体として自分の人生にリンクさせて理解できていたかというと、できていなかったのだなぁと、少し反省しています。

最後に「生きるか死ぬか」という限界点を意識するからこそ、こういったことに気づけるような気がします。
「生きるか死ぬか」という限界点は普段の生活ではほとんど意識することがないぶん、ぼーっと生きてしまいがちですが、常にこの原点を意識しなければよい人生を送ることはできないという気がしています。

投稿者 ishiaki 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を読んで

電車の中でこの本を読んで、ちょっと一呼吸置いて何気なく周りを見渡すと
優先席に座って漫画を読んでいる人の前に杖をついた年配の方が立っていて
鹿野さんが言っていた障害者の人が普通に生活出来る環境は現時点ではまだ無理だなと感じた。

だが、鹿野さんが生きていた時よりは今のほうがバリアフリーで暮らしやすくはなっているだろうと思う。
ただ、障害者用の施設、保証等を考えているのは大体健常者の人たちが考えて提供しているので
どうしても使い勝手にはズレが生じるし障害者の方のそれぞれの意見を聞いていたら
とてもではないがそのような保証等は作れないのだろう

などと考えていたら胃が痛くなって寝れなくなったが
鹿野さんは呼吸もままならない状態でボランティアの手配や教育などをやっていたのは
想像を絶するストレスだったと思う

ただ、本を読み進めると最後には鹿野さんが亡くなってしまっていたとは
と思うといろいろと残念ではならなかった

投稿者 diego 日時 2016年10月31日


静けさがもたらすもの

本書を読みすすめ、まずは「大変だ…」というのがはじまり。
とにかく、様々な人がたくさん出てくる中での、鹿野の強烈さ。
前半部分、私の頭は、すでに混乱していた。

24時間介護・看護の世界とは、こんなにも雑然としているのか。
静けさはどこにあるのだろう。もしかして、眠りの中だけなのだろうか?
その眠りさえ充分に取れない鹿野の現実とは、一体如何ばかりのものなのだろうか?

更に読み進む。
「うちに帰りたい」という訴えが重い。
「体の状態から考えて、どう考えても無理なのに、道を探そうとして、実現化させ、日常化させる」
この流れがすごい。
どんなに重くても、みんなでそれを目指して、実現化させ、日常化させていく。
その試みと、その中で起こったことが、剥き出しで描かれていく。
さらに、少し距離を置いていたはずの著者でさえ、その流れに巻き込まれていく。

鹿野は、一瞬でも気を抜いたら、手を抜いたら、ボランティアのシフトに穴が開いてしまう。
これの意味することは死である。
動作のすべて、医療行為のすべてを人にしてもらわなければ、生きていけないとしたら。
自分の体の欲求や要望を精確に言葉に変換して、しかも相手に伝えて、しかもやってもらって、
それがどうだったかをフィードバックしあって、信頼関係を築いて、
しかもたくさんの人にこれをし続けなくては生きることもできなくて、
でも自立したくて、やりたいことをやりたくて。


自立していて、やりたいことをやる、やり続けること。
これは、誰しもが憧れる日常ではないだろうか。
その中で今を生き、人と交わり、お互いを思いやる。
これこそは、幸せな日常である。

その幸せがあると、更に気付く。
本当はとても重要であるはずなのに、叶えるのが難しいことは、
人同士がお互いに、自分らしくあること。
やりたいことが、目指す方向が一緒の人と共にやっていくこと。

「あなたはこういう人かもしれないね」
「あなたは今こんな状態かもしれないね」と、
及ばずながらも理解しあい、尊重しあい、共に新しい日常をつくっていく。

鹿野のやりたいことが、相手(その時のボランティア)の信念とぶつかるシーンがある。
「タバコ吸いてぇ」である。その時は、結局鹿野の根負け。
でも、タバコ吸っている写真もありましたね。

こういうのを見ていると、
「願望が、リクエストして叶えられる」ことについて
つくづく考えてしまいます。
(以下、セミナーネタバレですみません。)
鹿野のたくさんのリクエストと、それが叶わなかったら死んでしまうという緊張感。
願いが叶い、日常になり、その時に起こる心配や不安、絶望を見ていると
静けさを心に持つことが、どれだけ重要かということ
自分らしく居させてくれる仲間がどれだけ大切で大事か
その中で得られる幸福感が、どれほど強く自分を支えてくれているかということ、
それを強く感じるのです。

今の自分に引き寄せてみると-
例えば音楽の仲間。お互いに得意だったり大好きだったり
やりたいこと互いにやっていて、音を合わせて。
時に齟齬がありながらも、互いに信頼があれば、
相手を想う心の静けさが続いていれば、
調整しあって、共にもっと素晴らしいリズムとハーモニーを作り出せる。

そんな時に感じることは、
仲間たちが、自分らしくあって、自分らしいやり方で
私を理解してくれていること。
私も、自分らしくあって、自分らしいやり方で
みんなを理解していること。
ひょっとしたら、自分で自分を理解するよりも、
さらに深く、お互いを理解していること。
深く、静かに、理解し合っていること。

これがわかった段階で、私は
自分が年老いて弱っていく未来に対して
少しずつできなくなることが増えていく可能性に対して、恐怖することが、がくんと減りました。
あー、もしかしたら、大丈夫かも。
自分が衰えても、大丈夫かも。
大好きな人たちが衰えても、大丈夫かも。

もちろん、可能性を考えて、対応する、手を打っていく。
支え合う人たちと共にいて、考え続ける。
すでにしていることも更に続けて、新しいこともしていく。
でも、全く動けなくなっても、もしかしたら大丈夫かも。
もちろん、動きたいし、自由がほしいし、一人でいる時間もほしいし、本も読みたいし、
おいしいものも食べたいけれど、
それは経験であって、豊かにしてくれるものであって、自己表現であって、
もちろん生き生きとした生ではあるのだけれど
自分らしく居る、自分らしく生きているというのは
まずは、静けさと共に居ることなのかもしれない、と思えるようになったからなのです。

静けさが手に入れば。
それがすべての流れを作り出すのではないか、と思うのです。


今老いつつある実母を看取る時にも
かつて実父を看取った時のように、
互いに自分らしくしていながらも、
一緒にしたいこと、感じてもらいたい心地よさを作り出すことをしてみようという想いが生まれてきています。
実母は私とは「合わない人」なのですが、ここを心静かに過ごすことができたら、
それは自分が予め設定したチャレンジをきちんと乗り越えたことになるのではないか、と思います。
心静かに、やりたいこと、できることをしていこうと思っています。

ネタバレがあり、すみません。
しょ~おん氏のセミナーで出会った知が、
私らしい形で私の骨肉となっているのでは。
そんなふうに感じています。
本当にありがとうございます。

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投稿者 J.Sokudoku 日時 2016年10月31日


今月の課題本も新たに自分の視界を広げ、新たな気づきや視点を持たせてくれる本であった。2年半にも渡る鹿野さんと関係者への丹念な取材をもとに、社会問題のようなマクロな視点から、人のこころの内部を観察、分析するようなミクロな視点まで、様々な角度から障害者の生き方について書き上げてられている。また、多くの介護、医療や社会制度の専門用語の解説からも多くの知識を得ることが出来た。そして何よりも、著者の渡辺さん自身が鹿野さんをはじめ障害者への接し方、ボランティアの役割や在り方、そして障害者をとりまく社会問題等について、考え、そして悩みながら本書を執筆した様子がありありと伝わってきたことが、自分のこころの中によりメッセージを響かせたのだと思う。まずは、渡辺さんに感謝したいです。

 “可哀そうで見る気になれない”
先のパラリンピック開催中に、自分がこう思ったことを今でもはっきりと覚えている。実際にパラリンピックは観ていない。今までの自分は、意識的にも、無意識的にも障害者の人達から目を背けて来たのだ。見てしまうことで、知ってしまうことで何かこころの中に重たいものが芽生えるのではと恐れ、避けていたのだ。そして、本書を読んでみて…。確かにこころの中に重たいものが生まれ、暗い気持にもさせられた部分はあった。しかし、しっかりとその事実に向き合い考え抜くことで、そのこころの中の暗く、重くなった部分に明かりを差し込み、取り払うことができたのだ。今までの自分は、思い込み、ステレオタイプ、あるべき論で障害者を勝手に哀れみの対象に置き、それ以上踏み込んで知ろうともしなかった。このような態度が、もしも障害者に対する社会一般の空気なのであれば、それこそが障害者を取り巻く社会環境の改善を阻害している大きな要因なのだろうと本書を読んで思った。

まずは知ること、知ることから全てが始まる。それにしても本書を読み進め、鹿野さんのことを知れば知るほど、ガラガラと音をたてるように自分が持っていた障害者へのイメージが崩れ去っていった。自分が持っていた障害者のイメージとは、主張しない、求めない生き方の人達だった。既存の社会制度の枠の中で、大人しく、遠慮がちで、慎ましく、礼儀正しいそんなイメージを障害者の人達に持っていた。しかし、そうではなく、主張し、求める生き方の障害者の人達もいることを知った。置かれた状況に身を任せるのではなく、社会に自分達の存在を周知させて新しく状況を作り出していく。そして、健常者に対しても臆することもなく、そして、ぶつかることさえも厭わない気持ちを持っている。鹿野さんや我妻さんや小山内さんを見ていると如何に自分が恵まれた環境にいながらも惰性で生きてしまっていることを痛感させられる。彼らの生き様を目のあたりにし、自分は何を学び、どう今後の人生に活かして行けるのだろうか。

鹿野さんの言葉だからこそ、こころに深く、深く突き刺さる。

「人は何のために生きているのだろう。生きるって何なのだろう」

自らに何の落ち度が無いにも関わらず障害を持って生きて行かなければいけない。強制的に不自由を押し付けられ、そして、その不自由度は増していく。余命2年と宣告されてからずっと死と向かい合わせ。この状況に置かれた鹿野さん以上に“人が生きる意味”について考えを重ねてきた人は、そう多くはないのではないか。それ故に、鹿野さんの言葉は重い。そして、
 
 「神様が僕に与えた試練は時に残酷に思う。神様が僕に与えた仕事は何かと思う」

という言葉が、

 “もし、神様がいるのならば、神様は何故このような試練を人に与えるのだろうか?”

という問いが自分の頭の中に浮かばせた。何故、こんなにも理不尽な人生を押し付けられた人がこの世に存在してしまうだろうか。自分が知らないだけで、鹿野さんのように重度障害を持って生きて行かなければいけない人達は沢山いるのだろう。

 “何故生まれて来なくてはいけなかったのだろうか?”
 “あまりにも不公平ではないだろうか?”

そんな問いが本書を読み進めている間、ずっと頭の中を彷徨っていた。今までこのような疑問など持ったことも無かったのに…。

“人が生きる意味”って、皆が皆、真剣に向き合い、考えているコトなのだろうか。本書では、鹿ボラとして活躍する多くの人達、鹿野さんの憧れの対象だった我妻さんや小山内さん、そして恩師の西村さんは“人が生きる意味”を真剣に考えていたのだと思う。多くの学生ボランティアが、鹿野さんを通しての「自分探し」は生きる意味を見出そうとしていたことであり、我妻さん、小山内さん、西村さんが社会活動に尽力し人生を懸けたのも、“人が生きる意味”を真剣に考えた上で見出した一つの答えに沿った行動なのだ、と自分には映った。これらの人達は皆が皆、人生に本当に真剣に向き合いながら生きているのだと思った。そして、類は友を呼ぶと言うように、真剣に生きている人は、同じように真剣に生きている人を引き寄せ、お互いが出会えるようになっているのだろう。人と人の出会いは大きな力を生む。お互いの考え方、信念、生き様をぶつけ合うことで大きな、大きな力を生んでいく。1人では確信できなかったことも、同志と触れ合うことで確信ができるようになっていくのではないだろうか。鹿野さんと我妻さんの出会いをはじめ本書に描かれている数々の出会いを見ているとそうと思わずにはいられなかった。本当に真剣に生きると素敵な出会いが生まれるのだろう。

では、自分はどうなのだろうか?“人が生きる意味”に向き合い真剣に考えて生きて来たのだろうか。本書に登場する人達と比べると到底頷くことはできない。障害者から視れば健常者の自分は恵まれた状態にいるのだろう。ただ、自由が多い分、見える対象が多い分、選択肢が多い分、そのことが実は生きる上で最も重要なことから自分の目を逸らさせているのではないかと思うようになった。それは、ある意味とても恵まれていない状態とも言えるの。そんな生き方で良いのだろうか。良い訳がない。

本書を読み終わり、また読み返し、悩みながら、頭が一杯になりながら、この感想文を書き上げようとしている。

 “もし、神様がいるのならば、神様は何故このような試練を人に与えるのだろうか?”

についての自分なりの答えを見出した。それは、

 “そういう人を社会が必要としているから”

である。無慈悲で無責任な言い方だろうか。でも、鹿野さんは間違いなく必要とされていた。鹿野さんは、生きる意味を模索しながら、何が何でも生き抜いてやるという気持ちで生きて来た。その生き様が多くの人達の人生をポジティブな方向に導き、そして介護制度に、社会に新たな変化を生み出した。これが鹿野さんとっての“人が生きる意味”であり、「神様が彼に与えた仕事」だったのではないだろうか。

最後に、本書に出会えたことに本当に感謝する。今、このタイミングで本書に出会った意味。そして本書から伝わって来たメッセージの意味。今後、それをもっとじっくりと考えて、自分の中に落とし込んで行こうと思う。

~終わり~

投稿者 sakurou 日時 2016年10月31日


~「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで~

本書は筋ジストロフィー患者である鹿野靖明氏とボランティア、いわゆる「鹿ボラ」との交流を描いたものである。

そういうと、よくある某番組のような暖かなストーリを思い描きがちであるが、課題図書にあげられるだけあり(笑)、実際はそんなことはなく、歯に着せない物言いで度々激怒する鹿野氏をケアする鹿ボラとの間で、時に鹿野氏vs鹿ボラ という対立構造を生み出してしまう。

そこまでして自立したい鹿野氏と鹿野氏が欲しかったもの、私達に訴えかけたかったことは何なのか?ノーマライゼーションと言ってもよいのだが、敢えて私は「疑似家族」なのではないかと思う。厳しい言葉で言い合う、独特な雰囲気を醸し出す鹿野氏自身の家族もいるのだが、家族に負担をかけさせないよう、自立の道を選ぶ。鹿野氏と鹿ボラの生活を見ていると、単に鹿ボラというコミュニティを超えて、みんなが疑似家族のような存在になっている。雷親父の鹿野パパがいて、時に殺伐とした空気が流れるのであるが、母親のように暖かい雰囲気を作る方もいる。日々勉強に来るボランティアは子供だろうか?もちろん鹿野氏自身も結婚し家族を持つことになるのだが、わずか数年で終わってしまう。負担をかけさせすぎてしまい、お互いがギクシャクしていくのは決して鹿野氏の性格、行動だけではなく、彼女も抱え込みすぎてしまったり、鹿ボラの方も「奥さんがする、すべきこと」ということを意識していただろうし、結果的にその役割分担により、結果的に皆が辛くなってしまったというのもあるのかもしれない。

では、疑似家族とは本物の家族とどう違い、何が疑似家族を上手く維持するポイントになるのか。その答えは、P454にある「合う人は合う、合わない人とは合わない。…性格の奥を考えると分からないので、もっと現実の表面に出ているところを見て、理解できるところはちゃんと受け止め、責任を持つ」という一節にある。実際の家族でもそうなのかもしれないが、分かり合えないことが必ず出てくる。もちろん、お金や教育など、避けられない、譲れないことが出て来るが、ここではそういう問題はない。そういう本質的ではない、譲れるポイント、深いポイントは比較的あっさりスルーして、相手の行っていることそのものにきちんと反応する。これだけで無意味な揉め事はだいぶ避けられるのではないかと思う。

鹿ボラの方を見ていると、離婚等、家族の関係で傷ついている人が少なくない。彼ら、彼女らは鹿ボラを通じて、自身の人生の問題に向き合い、時には熟年離婚や大学再入学のような人生の大きな決断に至る人もいる。ボランティアは一方的に支えているわけではなく、実は支えられている。鹿ボラの方々も家族の問題などを抱えながら鹿ボラで鹿野さんや他の鹿ボラの方々からも支えられている。もっと踏み込んで言えば鹿野氏から「自分(鹿野氏)のように先が見えていない、もっと長い人生を生きるんだから、後悔の無いように自分の生きたいように精一杯生きなさい」という無言のエールを送られていたのかもしれない。

言うまでもなく、日本は少子高齢化という、人を支える上では大きな問題を抱えている。また、障害者、LGBT、シングルマザー等、理解や支援が必要な人がいる。 一方でルームシェアのように、共同生活によりより低コストでお互いを支え合う仕組みができつつある。鹿ボラのように、価値観や生き方が似た人同士が、ルームシェア等を通じて、大きなコミュニティで「疑似家族」として暮らすことで、より低コストで、より生き生きと暮らせる様になるのではないか?もちろん、実現するのは困難を伴うが、例えばベーシック・インカムのような仕組みにより経済的支援を行い、さらにボランティアなどの社会貢献活動が充実すれば、決して難しい話ではないと思う。

日本人は元々利他の精神が高い民族であるように思う。最近知ったのだが、MVNOであるmineoでは知らない人がパケットを融通するフリータンクというサービスがあり、他の人のためにパケットを残す人もいるようだ。こいうサービスは日本ならではと思う。みんなが少しずつシェアすることで、様々な人が生きやすくなる世の中になることを願って止まない。

投稿者 BruceLee 日時 2016年10月31日


本書に関し、私が思考を巡らせたのは以下2点である。

1)鹿野氏は幸せだったのか?
そもそも健常者が一般的に持つ障碍者イメージは、どこからくるのだろう。
そこには暗黙のうちに「障碍者 => 健常者がフツーに出来る事が出来ない人 =>
辛い人生を送る弱者 => 不幸な人 => かわいそうな人」という、実態を知りもしない
健常者による思考プロセスがあるのではなかろうか。私自身そんなイメージを持って
いたので、読み始めて直ぐ、鹿野氏に面食らってしまった。そして読み進めるうちに
沸いてきた疑問。「どんなことをしてでも生きたい」と鹿野氏が強く思うのは何故
なのだろう?。というのも、ストレートに誤解を恐れず言えば、障碍者として生きる
苦悩、苦労、そして両親への負担、自分の将来への不安等々を考えれば、鹿野氏が
「あ~何で俺ばっかこんな辛い人生なわけ?早く死にて~な~」と思うのもアリだと
思ったのだ。そう思ってしまう程、私には彼のそれまでの人生がキツイものに感じた
のだ。が、失恋時のヤケや愚痴を除き、彼にはその類のネガティブ面が見られない。
それどころか施設でサポートを受けず、独立生活を送るという、更にハードルを
上げた、無謀にも思える生き方を選択する。このエネルギーは一体何なんだ?
そう感じた私はその解を求めて読み進めた。が、結論から言えば、その解はどこにも
書いてなかった。少なくとも私には読み取れなかった。但し、行間から感じたもの
はある。それは彼の人生における死との直面経験からもたらされてるのではないか、
という事だ。健常者だって、ある日歩いてたら空から看板が落ちてきて、当たり所が
悪く死んじゃいました、というケースも無くは無い。が、普段我々はそれ程死を意識
して生きてはいない。が、鹿野の場合は実体験として何度も何度も生々しく味わって
いる。というか、常に死と直面している。何たって人工呼吸器の操作ミスがそのまま
彼には死を意味するのだ。その誰にでも必ず訪れる死に対し、最大限抗おうとした
のは何故なのか?そこには誰に対して、何に対して、どんなエネルギーがあったの
だろうか?私などには想像の域を出ないが、彼は常に何かと闘っていたと思えるのだ。
やがて彼に死が訪れ、その闘いも終わる。そして私は再度疑問を抱いた。総じて
「鹿野氏は幸せだったのか?」と。勿論、人の人生の幸不幸を他人がどうこう言う
筋合いはないし、まして健常者である私が、障碍者の人生を想像すること自体、
不遜な事なのかもしれない。が、彼の人生を俯瞰してみると、彼はそれまで誰も
やらなかった事をやりたいと思い、一人で行動し、そして「わがまま」、
「あつかましい」等の周囲の声など気にせず、自分の人生を生き抜き、生き切った。
この点を考えると、障碍者イメージの、辛い、不幸、かわいそう、なんて感傷は登場
しない。その背景には、我妻氏やエド・ロング氏の影響もあるだろうが、もし彼が
健常者であったなら出会わなかったであろう多くのサポーターがおり、彼らに囲まれ、
そのサポーターたちに妥協も手抜きもせず、やりたい事をやり切り、闘い抜いた人生
がある。もし「幸せ」の定義が「自分の望み通りに生きること」だとしたら、ある意味、
鹿野氏の人生はまさしく「幸せな人生」と言えるような気がしてしまうのだ。それだけ
でなく、何かをやりたいのに一歩踏み出せく躊躇している健常者が見習う部分も多分に
あるようにも思える。一方、彼は健常者の苦悩も分かっていた。「もっと個性的で、
もっと魅力的な特別の生き方をしなければならないと言う思い込み」に縛られていると。
それは逆説的だが、彼が健常者ではなかったからこそ見抜けた、健常者の真の姿では
ないだろうか。読了後、会った事も無い鹿野氏だが、私はこう声を掛けたくなった。

「鹿野さん、本当にお疲れ様でした。キツイ人生だったと思いますが、それでも私は
あなたの人生は誰も真似の出来ない、いい人生だったと思います!」

2)鹿野氏が中心のコミュニティの素晴らしさ
これも本書の最後まで明確な解は出てこないが、何故ボラの人々は集まるのか。
無償の活動なのだからお金が目的ではないのは確かだ。では何を求めて彼らは集まって
くるのか。純粋に人の役に立ちたい?生きてる証が欲しい?ボランティアに正しい道
というのイメージを抱いた?本書でも何度か触れられる点だが、私としては
「自分をどうにかして欲しい」と飛び込んでくる、という一節がとてもスンナリと
入って来た。これも理屈で説明付くような類のものではなく、ある意味「自分探し」
なのかもしれない。キョーレツな鹿野氏と対峙し偽善は直ぐに吹っ飛ぶ。そして、
鹿野氏に対し、何を「フツー」と感じ、何を「フツーでない」と感じるか。彼の
わがままをどこまで受け入れ、どこから「おかしい」と感じるか?いや、その
「おかしい」と感じるのは、ひょっとしたら自分の方の問題なのかもしれない、
と考え、自己を見つめられる環境。これに勝る「自分探し」は無いのではなかろうか?
その結果、去る者も、残る者もいる。そしてここがポイントなのだが、全員が全員、
残る訳ではないからこそ、残ったボラたちは「共通の価値観」を持った集団となる。
つまり鹿野氏が独特の「イニシエーション」の役割を果たしているのだ。残ったボラ
達にも、それぞれ抱えてる悩みや問題がある。そんな彼らが時間を異にして鹿野邸に
集まる。そこで接点となるのが鹿野氏発案の「介助ノート」だ。実際には会ったこと
の無い、知らない者同士のボラたちが、夫々行動は別にしながらも、このノートで
繋がり始め、コミュニケーションが生まれ、時に共感を覚え、次第にコミュニティが
形成される。そしてこの繋がりの中から付き合う男女が生まれ、結婚し、その赤ちゃん
が鹿野氏の葬儀でお目見えという、「ドラマかよ!」と言いたくなる様な不思議な繋がり。
と、ここで思うのだ。あれ、これってSNSじゃない?facebookと一緒じゃない?と。
介助ノートは鹿野氏を介したアナログ版のfacebookなのだ。アナログであるが故、
鹿野邸を訪れなければ書き込み出来ないが、反面とても運命的とも言える貴重な出会い
がそこにある。何と言っても出会ったのは、鹿野氏の厳しいイニシエーションを通過
した、価値観を同じくする者同士なのだ。相性さえ合えば、そりゃ、くっ付くのは早い
だろう。その意味では、本書はノンフィクションではあるが、登場人物全員が主人公
とも成り得る、鹿野邸を中心とした群像劇でもあるのだ。そしてその劇を作り上げたのは
紛れもなく鹿野氏であるし、加えて忘れてならないのは、ご両親の存在、特に母親の光枝
さんだったのではないか。鹿野氏の死後、彼女の周りにはサポータの方々の家族が彼女を
「鹿ばあちゃん」と慕ってくるのがそれを物語っている。彼女の人徳なのだろうが、
こんな素敵な大家族は作ろうと思っても作れない。だから、私は彼女にもこう声を掛けたい。

「あなたの息子さんは、サポータの皆さん一人一人の人生に掛け替えのないものを与えた人
でした。最高に自慢出来る、素晴らしい息子さんです!」

最後に。

本書のタイトル「こんな夜更けにバナナかよ」は非常に妙味を含んでる。夜更けだろうが
なんだろうが、時間帯に限らず人間の基本的な欲求の一つである食欲は発生する事、
カップラーメン等それ自体を開封したり、別途お湯を沸かしたりする必要もない、
バナナという、それがそこにありさえすれば、サルでも食べられるもの。そんなサルでも
簡単に食べれるものを、人間である鹿野氏は食べられなかったのだ。私は本書を読んで
鹿野氏、その母親に声を掛けたくなったが、その一方、実は鹿野氏も全ての健常者にこう
問い掛けてる気がしてならないのだ。

「サルでも食べられるバナナを俺は自分で食べられないから、人に頼むしかないん
だけど。。。それが難なく出来るアンタは、何が出来なくて悩んでんの?
ま、健常者もいろいろ大変な事は俺も知ってるんだけどさ(笑)」

以上

投稿者 akirancho0923 日時 2016年10月31日


『こんな夜更けにバナナかよ』を読んで

正直今回の課題図書のテーマは先入観があったのは確かだが苦手な部分だった。
つまりは意識して普段は考えることが少なく、受け入れ難いと思ってしまうのだ。
そのせいで読み進めるのが億劫になってしまい、なかなか進まなかった。

また本書の内容が壮絶過ぎて(と受け止めてしまい)リアルに想像してしまい
すぐにおなか一杯になってしまう。
受け止めきれず、何度も本書を中断した。。

立ち並ぶ専門用語に厳しい現実。
ある意味スーパーマンというか、このような人が現実社会に存在している(いた)という
ことに驚きを隠せなかった。

私はただただ怖かった。新しい価値観が、今の私の価値観を書き換えるがごとく
揺さぶられ続けることが。
しかし本書の主人公はそんな厳しい現実と価値観を真正面から、ホントに真正面から
向き合い、乗り越えていくのだ。

”共生”・・・これまでの私自身の辞書になく、深く深く突き刺さった言葉。
障害者とボランティアにだけ該当する言葉ではなくおそらくは
これからの高齢化社会に直面する私にとって、とても重要な価値観。

そう、逃げるとまでもいかずとも、向き合っていなかった言葉”共生”
本書はこれから何度も再読し、私に必要な価値観を与え続けるような気がする。

まだ頭の中でぼんやり言葉にできない変態の状態が浮かんでいる限りだが
手遅れになる前に、本書に出会えて本当に良かったと思う。

ありがとうございました。

投稿者 2l5pda7E 日時 2016年10月31日


こんな夜更けにバナナかよを読んで。

私は鹿野氏と同じ状況になった時、パワフルに困難に立ち向かえるだろうか。
いや、立ち向かえない。立ち上がることもできないだろう。

鹿野氏は古い思想や制度と縛られず、戦って人生を切り開いた。
鹿野氏と著者である渡辺氏が出会うことができて、世に知らしめようとした運命的な何かがあった様に思える。

2方向から見る事が出来る。
鹿野氏からの目線、ボランティアからの目線である。

鹿野氏とボランティアとの関係は、人間関係の核心をつく、誰にも当てはまるものであると感じた。
鹿野氏をボランティアが介助する中で、残る人と残らない人が出て来る。
全てをさらけ出してぶつかり合った人が残った。

鹿野氏が介助を必要としている代わりにボランティアは自分に何か足りないものを、得ようとしたのではないか。
いきなり結婚して皆んなをびっくりさせた遠藤氏、パワーバランス的には鹿野氏の上に行っていたと思う。
介助をする事によってなぜか優しくなれた。
逆に、鹿野氏の元彼女は全て受け止めて跳ね返せなかった。

良書をありがとうございました。

投稿者 magurock 日時 2016年10月31日


鹿野靖明氏の生きざまが綴られた『こんな夜更けにバナナかよ』を読んで、度肝を抜かれた。
障害のある人を差別するな、とはよく聞かれるが、これは逆差別なのではないかと感じるくらい、鹿野氏は容赦ない。でも、それで去っていく人もいれば、ずっと関わり続ける人もいる。これはいったいどうなっているのだろう?

死ぬときは、誰の世話にもならず、誰にも迷惑をかけず、ポックリといきたいな、と常々思っている。人の手を借りてまで、長生きしたくはない、と。
でも、本書で人の手を借りなければ生きていけない鹿野氏を知ったとき、それは果たして正しいのか、と自問させられた。結局、生命の本当の危機に瀕したことがないから、そんな気取ったことが言えるのではないだろうか。
「生きたい」というのは生物の本能だ。それを常におびやかされている鹿野氏。主張しなければ、自分の尊厳さえ守れない弱い立場にありながら、強烈に「生きたい!」を体現している姿に、我をぶつけられながらも周りの人の心は動かされていくのかも知れない。

健常といわれる人は、つい障害を持つ人に「してあげる」という目線で見てしまう。「いや、そんなつもりはないですよ」という人は、真夜中に起こされてバナナを食べさせるような経験でパッカーンとなった人は別として、自分の差別意識に気づかないままセクハラおやじのような言い訳を言っているに過ぎない。「やだな、そんなつもりはなかったんですよ」「誤解ですって」と、無意識の差別に気づこうともせず、フタをする。それが大部分の健常者だ。

以前、障害ある人が話してくれたエピソードが、胸に刺さっている。
その人は、重度の肢体不自由がありながらも、小学校から中学校まで普通学級に通っていたという。周りは幸いにも優しい生徒が多く、クラスメイトの保護者も、
「彼女がいることで、うちの子どものほうが学ばせてもらっている」
と保護者会で発言する人がいるほど、理解のある人ばかりだったという。彼女の母親も喜びの涙を流したそうだ。
でもある日、PTAの行事運営でちょっとしたことに関してその発言者と彼女の母親の意見が対立したらしい。すると、
「こんなに優しくしてあげているのに」
と捨て台詞を吐かれ、それから卒業まで一度も口をきいてくれなかったそうだ。その人にしてみれば「飼い犬に手を噛まれた」ように感じたのだろう。「こんなに優しくしてあげているのに」という言葉が、すべてを物語っている。

私たちは、社会的弱者には優しくしなければいけない、と教えられてきて、子どもにもそう教える。それは間違ったことではないが、では優しくして「あげる」のが正解なのか、ととられてしまう場合も多い。
でも、サポートも必要だ。そこに「あげる」が入り込む余地、逆差別が生まれる素地ができてしまう。
本当のノーマライゼーションとは何なのか。その答えは、本当は誰にもわかっていないのではないだろうか。わかるときが来ると思うほうが間違いなのかも知れない。人それぞれ望むことが違うのだし。
鹿野氏の生き方は素晴らしい。でも、これだけが正解ではない。だから、サポートが必要な人がいる限り、鹿野氏ほど言いたいことが言えない人にも、想像力をはたらかせて、考え続けなくてはいけない。それが、障害のあるなしに関わらず、すべての人が生きやすい社会につながるのかも知れない。

投稿者 gizumo 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで

 この課題図書を読むことで「共生」というキーワードが強く響いた。「“できること”をやればいい」、「やるべき」。やっぱりできることしかできませんからね。
人に依頼することがわがままではないという、考えれば当然のことがどこか自分は身についていなかったと言え、それをしないことで自分は何を守りたかったのかと考えさせられた。
「病気は個性」とも言われるが、深く理解できた感がある。とはいえ、鹿野さんの自立生活での苦労は並大抵のものではなかったと思う。この本を読んで誰もが考えるだろう「自分だったら…?!」という想像はおそらく彼の苦労(?!)の最低ラインではないか?
細かい描写と作者自身もミイラ取りになってボランティア活動に参加しただけあって具体的かつ客観的な描写が興味深かった。結構なボリュームの本書が苦にならずに、まるで自分もボランティアのローテーションに入ったかのようだった。著者が体験した2年を含んだ介護ノートでつづられる7年間、鹿野さんの生い立ちなど一人の障害をもつ人間の生きることへの欲求の深さは見事なものであり、その影響力と功績は貴重な財産だといえる。さらには、意思さえあれば、意思を発信すれば何とかなるのかもしれないと、なぜが気持ちが楽になった読後でもあった。
 確かに以前に比べると、街で見かける障害のある方は増え、「パラリンピック」に代表される華やかな活躍も目にする機会も増えた。今後はますます「共生」がすすみ、「俺ももっと長生きすればよかった」と鹿野さんが悔しがるような日々が来ることは間違いないと思う。

投稿者 vastos2000 日時 2016年10月31日


『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』


私は人生の折り返し地点に達し(平均寿命を生きられるとして)たが、あと何年健康に生きられるのか?本を読む事ができる状態があと何年あるのか?という事を考えさせられた。
何事かを為すには、残された時間は少ない。鍛・錬にはどうしても時間を要する。
それを考えると、オフの日でもだらだら過ごす事はできない。そして、子どもと一緒に過ごす事ができる時間もまた、あっという間に過ぎていくだろう。過ぎ去ってから嘆いても取り返す事はできない。

早世した人をテーマにした小説やノンフィクションを読むたびに、この思いを新たにするのだが、たびたびそう思うという事は、すぐに気持ちが薄れてしまうという事だ。
この気持ちが薄れないような仕組みを作る必要がある。


さて、この本を読んで上記の他にもいろいろ考えたが、後から振り返ったときにこの物語を足掛かりに、思い出したい事が二つあった。
一つは、「今まで自分が当たり前と思っていた事は本当に当たり前か?」という事、もう一つは、「体が動かなくても、自由に考える事はできる」の二つだ。

まずは一つ目。少し長いが、第6章から引用する。
『つまり、健常者である自分の生活感情・信条を基盤にして「おかしい」事は「おかしい」と言えばいいのだが、同時に「おかしい」のはひょっとしたら自分なのかもしれない、という視点も手放してはならない。常識的に対応すればいいのだが、常識を疑ってみる事も大切である。』
これはなかなか難しい。常識はその都度考える事をせずに判断できる材料だから常識なのだ。宇宙から地球を見たわけでもないのに、「もしかして、自分が立っている地球はグルグルと太陽の周りを回っているのではないか?」と疑う事は、なかなかできる事ではない。

この本の主人公である、鹿野さんと鹿ボラ達は、世間一般が抱く、「さわやかボランティア」のようなものとは違う。
現状、日本では、〔介護や介助を受ける側は、する側に対して「介護(介助)してくれてありがたい、自分のわがままを言っては申し訳ない」と思っている〕はずだ、と思う人が多い。
しかし、鹿野さんは「してもらいたい事」や「やりたい事」は遠慮なく伝える。世間一般の言う、常識的な障害者とは違う。
鹿野さんの存在が筋ジスと切り離せないと言われるように、障害もひっくるめて心身一体となって、心から発する欲求(外出したい等)、体から発する欲求(体交等)をストレートにボランティアに投げかける。決して相手の気持ちがわからないわけではない。(時々介助ノートに、鹿ボラ達に対して「ごめんね」と書いている。)
なぜ、このような事ができるのか?
当然命に関わる事は伝えるだろうし、鹿ボラ達もそこはわかっているだろう。その他の、本書のタイトルになっているような「バナナを食べたい」「もう一本」というような、命に関わるわけではない要望をストレートにぶつけられるのはなぜか?
きっと、強烈に『人生の主役は自分自身なのだ』と自覚していたからだと思う。だからこそ主体的に発言し、今でいうノーマライゼーションを求めていたのではないか。その結果、筋ジスの身でありながら、結婚をすることもできなのではないかと考える。(これに最も衝撃を受けた)


続いて二つ目の「体が動かなくても、自由に考える事はできる」について。
精神障害や脳機能障害の場合は違うかもしれないが、身体がどのような状況であっても思考は自由にできる。ロゴセラピーで言うところの、「人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。」という事を鹿野さんは地で行っている。

もし自分が同じような状況に置かれた際に、そのような自由がある事を知っているからと言って、そのように考える事ができるかと問われれば、同じようにできる自信はないが、少なくとも前例がある事を知っているのは役に立つ。
この本に書かれたことや、将来、事故や病気により身体障害者となっても、絶望せずに与えられた自由(考えることに制限はかけられない)を行使する権利があることを思い出せるのではないか。
映画『マトリックス』や、漫画の『ドラえもん』のオチの一つではないが、この生自体、もしかしたらどこかに存在する、寝たきり状態になった私の脳内で展開されている想像(創造)である可能性を否定することはできない。私の人生においては、私の意識・考えがあることは確かだ。(と思っている)


以上、これら二つのことをここに記すことができたのが、『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』を読んだ意義です。

投稿者 str 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで

自分には障害者と呼ばれる方との接点はほぼ皆無である。
「大変だろうな」という同情、というより偏見に近い感情だろうか。本人達は全く気にも留めていないかもしれないことを勝手にイメージしていた。
その一方でパラリンピックなどで活躍するアスリートの事は素直に「すごい!」と思う。
健常者である自分の身体能力など遥かに凌駕しているし、いくらトレーニングを積んだところでその領域へ辿り着くことなど到底出来ないだろう。アスリートは凄くて、そうでない方々には同情の眼差しを向ける。まったく自分勝手なイメージを創り上げてきていた事を恥ずかしく思った。
鹿野さんはアスリートではない。自由に体を動かすこともままならない病と闘っていた。
もし自分が鹿野さんの立場だったとしたら、どれほど人生を悲観していただろうか。生んでくれた両親を憎んでいたかもしれないし、人と接する事など出来ないかもしれない。
そんな自分などとは対照的に鹿野さんはやりたい放題だった。
本書でも幾度と語られているが、まさに「ワガママで女好きなエロオヤジ」だった。
療養所から脱走しようとしたり、夜の街に繰り出し、入り浸り、ボランティアの女性を口説いたり。それは学校を抜けだし、街を徘徊し、ナンパする。おまけにアダルトビデオまで嗜むとは。もうやっている事は思春期男子とほとんど変わらない。そう、普通の男であるならば珍しくもない事を鹿野さんはやっていただけなのだ。障害は個性・車椅子はファッションであるかのように。自分であれば周囲の視線。身体が自由に動かない事への恐怖から、外へ繰り出す気持ちになれるのだろうか。「外は怖いから家にいる!下の世話をされるのはイヤだ!もうほっといてくれ!いっそ死なせてくれ!でも死ぬのは怖い!やっぱ誰か助けて!」のループを辿っている気がする。どれだけワガママなんだよと。鹿野さんの『ワガママ』はどれかを受け入れ、譲歩した上での事のように思う。

鹿野さんの生活に於いて重要な役割を担うボランティアの存在。
『ボランティアが単なるイエスマンだとおもしろくない』そう思わせるのも鹿野さんの魅力だろう。自分の認識では申し訳ないがイエスマンが当然だと思っていた。鹿野さんは敢えてそうさせない為にも、無茶を言ったり、キツイ言葉を投げかけたりしたのではないだろうか。相手にワザと反発させる・反発できる環境を作ってあげていたようにも思えた。
もちろん鹿野さんの願望である『自立生活』あってこそだとは思うが、結果、本書に登場するスタッフ達は良い意味で“正直”な人達ばかりだ。度々患者と衝突するボランティアなど、本書を読むまで存在しないものだと思っていた。結局『ノート』にて謝りの言葉を書き込む鹿野さんが少し微笑ましかった。同時にスタッフの人生相談や去っていく人たちへの応援メッセージなど、自分勝手かと思いきや、人への気遣いも忘れない。
人との対話・繋がり、その輪をどんどん拡げていき障害を持つ人たちの実情を出来るだけ知ってもらう事。そして信頼関係を築ければ『自立生活』も夢でない事を知らしめた。
数々の『ノート』でのやり取り。加えて本書の各所に掲載されている写真。眠っている時の写真以外、誰かと写っている写真のほとんどが満面の笑みだ。到底自分などでは理解出来ない苦しみを乗り越えてきている事は間違いないが、不幸に見えるだろうか。人より重い荷物を背負いながらも自分らしさを貫き通し、人生を“楽しむ“ことも決して忘れていない。自分の目にはそんな風に映った。

人生なにがあるか分からない。不慮の事故である日突然、身体の自由が奪われる事もあるかもしれないし、家族の介助をする日も来るかもしれない。そんな状況に立ったら自分はまずどうするべきだろうか。
人間は一人では決して生きていけないのだ。それは健常者も障害者も同じこと。
人との繋がりこそが手放してはいけない財産であることを実感させられた。

『ここにいること自体が、命を張ったオレの仕事さ』

真の意味で命を張ってきたからこその言葉だろう。

鹿野さんありがとう。お疲れさまでした。

投稿者 ken2 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで

筋ジスとは違いますが、私の母がALS(筋委縮性側索硬化症)で他界したのは2011年12月のことです。
アイスバケツチャレンジで広く知られるようになるよりもかなり前です。

亡くなるまで在宅介護で約4年過ごしたのですが、ALSの診断が下った当初、母も私も途方に暮れていたときにケアマネージャーさんから紹介されて読んだのがこの本でした。

当時は、主たる介護者として実務的な面でどうすればいいのか、人工呼吸器をつけるかどうかという重い決断に何かヒントはないかとすがるような観点で読んでいたので、鹿野さんの人間的な魅力はあまり入ってきませんでした(というかあえてスルーしていた)が、今回の再読では鹿野さんのパワーにただただ圧倒されました。

鹿野さんのすごいところは、在宅における介助のほとんどをボランティアでまわしていたところです。(制度的に整っておらずそうせざるを得ない状況だったからですが)

強い意思、岩をも通す強い意思を表現する鹿野さん。
鹿野さんが懸命に生きるその生きざまに人が共感し、協力してくれる方々が集ってくる、という流れだと思います。
共依存というか、困難な状況で支え、支えられるからこそ、鹿野さんとボランティアがお互いが成長できるという鹿野ワールドを創り出していたと思います。
「思考は現実化する」の実践者だ。

もし自分が鹿野さんと同じ状況に置かれたら果たしてそこまでできるか? 重い命題です。

私の母の場合、幸いにも(というのも変ですが)ALSが特定疾患の難病指定されているため、介護保険サービス、および障害者自立支援法による助成が受けられ、病状の進行に合わせ、最終的にはヘルパーさんによるほぼ24時間介助体制を受けられたことです。
ボランティア枠を埋めなければならない、というタスクに追われず(ヘルパー事業所の担当の方が枠を埋めるという重いタスクとなりましたが)、金銭面ではとても助かりました。
人材面でもケアマネージャーさん、訪問ドクター、訪問看護ステーション、そして10社ちかいヘルパー事業所の方々、車いす・介護用ベットの設備レンタル、いろんな方々のお力添えで支えていただきました。
体制づくりは、とても勉強熱心で行動的でとても思いやり深いケアマネージャーさんの多大な尽力のたまものです。

とはいっても、最初にお医者さんから診断を聞かされたときは本当にショックでした。
足の関節の動きがわるい、ということで最初は整形外科にかかっていたのに、えっ何?ALS?なんですかそれは?というところから始まりましたので。
状況がわかって、病院の高層階の喫茶室でそれを母に伝えたとき、夕陽を見ながら二人とも涙が止まりませんでした。

日々、筋肉低下の症状が進んでいく中での生活。
昨日できたことが今日できない、、そのやるせなさ。
そういった気持に寄り添う心のケアも本当に必要です。

介護・介助の現場では、利用者(患者とは言わない)さんと介護者ともに「QOL(Quality of life)の向上」をめざすことが重要といったことが言われていましたが、鹿野さんは自立した生活環境が整っていない中、手さぐりでそれこそ命がけで自らのQOL向上をし続けた方なんだなとひしひしと感じます。
鹿野さんのような先駆者の方がいたからこそ、在宅介護体制モデルの原型ができてきたと思います。

私もひととおり、介助に携わり、トイレ介助やたんの吸引という医療行為も行ないました。
介助する側として、夜中に起こされるのは本当に大変です、つらい。
でも本当につらいのは本人だ、といい聞かせながら、たんたんと。

最後の最後まで答えの出なかった重い決断、人工呼吸器をつけるかどうか。
言葉では意思表示できなくなった母が、まばたきでわれわれに伝えた意思は「胸を切らないで。。」だった。
そして介助生活は突然終わった。

健康的で元気だった母がなんで、よりによってこんな目にあわなければならないのか?
なんで俺が介護をしなければならないのか?
という思いが最初はあった。

しかし、こういうかたちではあったけれど、単身住んでいた母と密なコミュニケーションをとることができた。
筋力が弱り、言葉も通じづらくなっていくなかでいろいろ衝突もあったが、時間を共に過ごすことができ、今ではよかった、と思えている。

母とヘルパーさんの間にもたくさんドラマがあり、ヘルパーさんが介護ノートをつけてくれ(最終的に10冊くらいだった)ていたが、
整理して残しておきたいという気持ちと忘れたいという気持ち、両方あり、結局残していない。
今回は図書の感想というより、自己の体験談となってしまった。

著者の渡辺さんは本当に丁寧な文章で鹿野さんと鹿野さんをとりまくボランティアのみなさんを描いて残してくれたことに感謝したい。

今月もありがとうございました!

投稿者 andoman 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで

●ボランティアって「偽善」…なの?
「ボランティアなんて、どうせ、自己満足の優越感が欲しい、偽善者の奴らのする事だろ?」
昔、大学の講義の時間で行ったディベートで、こう言い放った同期がいた。
本書の感想文を書き始めた時に、ふと、この事を思い出した。
私はこの時、どう答えたか覚えていないが、当時この意見に対する答えは出せていなかったと思う。
何故なら、本書を読むまでそれに反論しうる、明確な言葉が見つかっていなかったからだ。

そればかりか、私の中でこの発言に一部納得してしまう所もあったからだと思う。
この発言を肯定するつもりはないが、障害者と一緒に生活をする上で、「自分の利益になる」と思ったことが、幼い頃にあった。
私の伯父は手と言語に障害を持っており、小さい頃からその事や環境には慣れており、特に偏見も何も無かったが、 瓶や缶の蓋を開けられない伯父の代わりに、私が簡単にやってのけてしまった時や、母親から叔父を手伝う様に言われ、手伝いを終えると、叔父から手を合わせてお礼を言われた。
当時、家族内権力序列最下位の私からすれば、簡単な手伝いをしただけで、拝まれる程の感謝をされた時の優越感は、それなりに大きなもので、褒めて欲しさに進んで叔父の手伝いをしていた…。
こういった体験から、身体が不自由な人を助けると、優越感を感じるといった記憶があったからだ。
幼少の頃の私は、積極的に叔父の手伝いをする事で、褒められて優越感を感じたり、お小遣いを多くもらえたりなど、それ目当てな、まさに「偽善者」そのものだった。(今では、そんな事は思わないが…)

本書で、鹿野氏のボランティアに参加した方々のインタビューや介助ノートの内容を読むと、「偽善者」の様子が伺える内容は無く、むしろその真逆で、「鹿野氏とボランティアが、互いに支え合っている。」という印象を強く受けた。
「鹿ボラ」には、「偽善」とか「優越感」を感じたい人間は残れなかったのではないかと思う。
もし「偽善」の心で、鹿野氏のボランティアになった場合、介助を受けているからといって、一切遠慮をしない、我儘言いたい放題の鹿野氏から「お前はもういい、帰れ!」等と言われた時には、「なんだよ、ボランティアしてやってるのに!」と言い捨て、二度と来なかったのではないか?と思う。
鹿野氏は、過去の体験からも、自分を介助する事で、そういった上から見ている人間の心を察し、それを篩にかけるための試練として、ボランティアの皆に「帰れ!」と一度は言っていたのではないだろうか?
そして、その試験をパスした、本当のボランティアの意思を持った人間だけが、彼の元に残り、彼と向き合う事で、自分の中に眠る様々な気づきや感情と出逢い、人として成長出来て行ったのではないかと考える。

ボランティアは「偽善」であるか?
中には「偽善者」のボランティアもいるだろう。
だが、真のボランティアと呼べる人達というのは「偽善」とかそういった次元には存在せず、ボランティアという行動を通して、自分の中の何らかの教示や気づきを得る事を、無意識が求め、その無意識に突き動かされている人達なのでは無いかと思う。


●「小山内さんは、これでいいと思うの?」
本書の中で、強い感動を覚え、印象に残った事が、西村氏が小山内氏に言ったこの言葉だ。
私はこの節を読んで、鳥肌が立ち、涙が出そうになった。
西村氏が小山内氏に伝えたこの言葉には、もの凄い重さと深みを感じた。

これまで、行政や親が全てを決め、障害者本人達の意見などは聞いていない。
そして、障害者本人達もそれを当たり前の様に受け止めていた…。
西村氏はこの状況を何とか打破したかったのだろう。
しかし、西村氏がそれを訴えても、恐らくこれまでと一緒。
小山内氏達本人が、声を上げなければ、何も変わらない。
この言葉には「自分達が変わらなきゃ、未来は変えられないんだ。」という強い想いの詰まった言葉だったのだろう。
西村氏は、小山内氏が声を高くあげられる人間になれると知っていたのだろうか。
小山内氏に本を送り、書くことを教育し、そして、この言葉を繰り返し、小山内氏が考える事により、小山内氏の人生を変えるばかりか、障害者にとっての大きな流れを変えてしまった。
この西村氏の話は、ほんの少しだったが、きっと筆者もこの西村氏に何かを感じていたのではないかと思う。

今月も素晴らしい課題図書をありがとうございました。

投稿者 kawa5emon 日時 2016年10月31日


書評 こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一史 著

今後の自身の人生に明らかに大きな影響を残した一冊だった。
進行性筋ジストロフィーという重度障害者を患った鹿野靖明氏の
人生を綴った一冊。当良書でまた一人の「現人神」に出会えた。

福祉医療の在り方や社会制度が云々などの社会の受け皿議論も
重要なのだろうが、私の心が揺さぶられたポイントはそこにはない。
強調したいポイントは、その生き様である。
求めよ、さらば与えられん。
これを具現、体現した人物がここに居た。
重度障害者だからこそだろう。驚き以外の何物も無い。

以前拝読の視覚障害者を描いた別著者、別著書、
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」にて、
自身の世界観は相当変わり、且つ、もし視覚を失ったとしても、
自分は人生を続けられると感じ、また勇気も得たものだが、
今回の内容の破壊力は、更に見事に自身の世界観を破壊してくれた。

何だその、生きることへの意志力は!
そうか、自分が出来ないことは、出来る誰かに頼めばいいのだ!
言わなきゃわからないじゃないか!
悶々としていたって、何も変わらない。行動が全て!

これぞ、目標とすべきコミュニケーションの神髄。
自分の感情、欲求を完全にオープンにすることで形成された、
情報のハブ。つまり鹿野ネットワーク。ここに価値があると思う。
自分の内面を先にオープンにすることで、関連情報が集まってくる。

本書での介助現場での具体的テクニックは、それらはあくまでも
コミュニケーションのツールであって、その介助現場にて、
介護者、介助者間に実際に生まれたモノは、より良い人間生活のための、
ヒントが満載。そう思える程、その生き様が残したモノは深い。

心の病が大きな社会問題である現代、鹿野靖明氏がその生き様によって、
現代人に投げ掛けた問いは、重度障害者に対する健常者の認識変化や、
社会介護システム変革なども超えて、一般健常者にも十二分に突き刺さる。

前回の課題図書では、「共創」がポイントの一つでしたが、
本書での「共生」も、今までの狭い認識を大きく変えてくれた
メッセージとなりました。
そうだ、もっと素直に真剣に、ガツガツとコミュニケーションします!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者 chaccha64 日時 2016年10月31日


「こんな夜更けにバナナかよ」を読んで

障害者がこんなにわがままでいいのか? 介護してもらっているのに、怒鳴ったり、「もう来るな」と言ったり。そんなことをすれば誰もボランティアなどしてくれなくなるし、相手にもしてくれなくなるのではないかと思ってしまう。
しかし、ボランティアと格闘しながら、そしてボランティアも鹿野さんと格闘しながら、重度障害者の自宅生活が続けられていく。
なぜなのでしょうか? 鹿野さんを「寅さん」にたとえられています。そんな感じがします。基本的には自分のやりたいことし、言いたいことを言う、そのために人には迷惑をかけっぱなし。しかし、どこか憎めない愛嬌がある。そして、相手を拒否したりしないし、受け入れ、親身になろとする。
これは、鹿野さんがボランティアとの格闘の中ではぐぐまれたものではないか。そして、障害者としての環境からも。
人間、他人と会いたくない時がある。健常者であれば、一人になることはできる。しかし、鹿野さんにはそんなことはできない。四六時中誰かが看護していないといけない環境で、プライバシーなどなかったはずだ。否応なく、自分をさらけ出すしかない。その中で悲観することなく、笑いに変えてオープンにしている。
また、一方の当事者であるボランティアも各人が、自分の弱さ、醜い部分、嫌な部分をさらけ出し、そしてよい部分も見せながら、真剣に鹿野さんと向き合い成長している。人と人の付き合いなので、合う人も合わない人もいたようですが。

障害者とボランティアといっても、結局人と人との人間の付き合いなのだということ。そこに、障害というファクターがあるだけなのだと思う。そういうことが、重度障害者の自宅生活の延長線上にあるものであり、鹿野さんが目指していたものではないかと思います。また、ボランティア斉藤大介さんのいう「介助をもっと普通のもの」にということだと思います。
そしてこれは、障害者だけでなく、老人介護にも言えます。介護をすると肩ひじ張らずに付き合いができる環境の構築が必要だと思います。
その前に、健常人の人間関係の構築の方が優先順位が高いのかもという気がしてきました。

投稿者 19750311 日時 2016年11月1日


「こんな夜中にバナナかよ」

きちんとした意見を述べる程読み込めず、箇条書きで失礼します。

・想像もした事がない世界に触れる事が出来、不可触民を読んだ時と同じ様な衝撃が走った
・個人として何か出来る事はないが、自分の価値観が広がった事で、今後自分のアンテナがキャッチするだろう
・世界に出た時の事を思い返すと、キリスト教などの影響もあるのか、障害者の方々1人の人としての生活に対して日本より生活しやすいと感じられる
・ラグビーワールドカップ、オリンピックが数年後に迫る過程で、少しでも障害のある方が外に出出来やすくなる環境になる事をサポートしたい

投稿者 tractoronly 日時 2016年11月1日


こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち を読んで

読後の感想としては現場の人たちの奮闘があって成しえた物語なんだなという点が印象深かったです。
その中で自分自身の意識を変えられた点を述べてみたいと思います。

・介助する側・介助される側を区分けする意識の問題
当事者である鹿野さん自身も我妻さんに影響される前まで、他人に迷惑をかけず、介助者の言いなりになって過ごすのが障害者なのだ、と考えていたように洗脳にも似た思い込みに日本の文化は侵されすぎていると感じました。
私の身近な所でも交通事故で車いす生活になった友人がいるのですが、障碍者になった途端、友人知人がよそよそしくなり、普通に接してくれなくなったと当時のことを語ります。
なぜこんなことが起こるのか考えてみると、普段我々は健常者だけの世界で生きることがほとんどで、知識として障碍者という存在は認識していても異質なものとして扱い、壁を作ってしまうのだと思うのですが、そのような状況の中で鹿野さんは要求をガンガン突きつけ、ボランティアとも斬り合いに近いようなコミュニケーションをとっているのを見て、こんなのあり!?と驚きました。
もちろん、本書に何度も触れられている通り、ボランティアが来てくれないような状況になってしまうと死活問題に直結するため、ある程度の勝算はあってのことだとは思いますが、暴言を吐いてもなぜか惹きつけられる鹿野さんのキャラが実際どのようなものだったのかは非常に興味があるところです。
当然このスタイルでは介助する・介助されるという物理上の区分けはありつつも意識的な壁の存在は皆無です。
最終的には人対人の相性になるかと思いますが、私自身よそよそしくするしかないと思い込んでいた障碍者とコミュニケーションをとる機会に恵まれたならこのようなスタイルを模索してみようと強く思いました(思い返してみれば車いすの友人はあれしてこれしてと主張するし、自分も普通に喋っています。思い込みなのかキャラの相性が良いだけなのか..)。
この点は以前の課題図書「生き心地の良い町」での健常者と障碍者なんて区別しなくても良い。障碍なんて個性の一つだと言い切った住民のエピソードが思い起こされました。

・障害者・高齢者に価値はあるのか
以前「ヘルプマン!」読み、
「ストーリーの構成上ハッピーエンドっぽくなってるけど、こんなに上手くいくのは漫画の中だけの話だよなぁ。体も動かずまともなコミュニケーションも取れない状況となったら、施設に厄介になり、お金もかかって家族に迷惑も掛かって実際のところその人は価値を生み出していないよな、自分自身そうなったら生きる意味を見いだせるだろうか...」
と資本主義的な金勘定的な気持ちが先に立ち、スッキリしない気持ちのままでした。
でも立場は違えど、恩田百太郎ばりの正論を通した鹿野さんのこのスタイルが成り立つなら、家族や自分自身が障碍者や高齢者になっても生きる価値はある、見いだせると思い直しました。
そのためにはかけていい迷惑はかけまくって、本音で語り合う。また、価値を感じてもらえるように人間を磨くことが大切なのではと思いました。

最後にボランティアの一人が「みんな大げさすぎる」と語っていましたが、私個人はまったく同感で、みんな対等にコミュニケーションが取れ、本書の内容のようなことが大げさと受け止められない社会が訪れる事を願っています。

投稿者 dukka23 日時 2016年11月2日


 ×私は障害者です

 ○私は鹿野です。障害を持っています


のいわゆる「be動詞」の間違った使い方を
決して許さない鹿野さんの生き方が印象的です。


私は鹿野だ。
障害は確かにあるけど、あれもやりたい、これもやりたい。
そんな風に生きたいから、みんな手伝って。
オレからもいろいろと与えるものもあるしさ。
それにビビッと来た人は、また手伝いに来てよ。


ただ、そんな鹿野さんも
最初から厚かましい(!?)わけでは無かったんですね。
友人との付き合い、ロング氏の講演、
女性とのお付き合いや結婚。
そんな人生のベクトルを変える多くのイベントを経て、
最終的な「鹿ボラ」が形成されています。

鹿野さんがすごいのは、
それらのイベントをすべて乗り越えプラスに変えてきたところ。
普通のひとなら、イベントごとにヘコみ、
自分の生き方を諦める方が多いのではないでしょうか。
それらを乗り越えるパワーと生きるエネルギーを、
本書からは感じました。

また、身体が全く動かなくなってからの鹿野さんと、
ボランティアの方々の間の絆ですが、
何か「赤ちゃんとお母さん」のような関係が重なりました。

ミルクを飲むにしても、トイレにしても
すべてお母さんにしてもらわないといけません。
赤ちゃんのその依頼には、不安や疑問を微塵も感じていません。
全面的に信頼しています。

鹿野さんもそんな関係をボランティアと構築することが、
一種の理想だったのではないでしょうか。
鹿野さんは赤ちゃんとは違い、
その理想に向けての不満や要望を口に出せるので、
それがボランティアたちとの軋轢の原因になったのではないかと思います。

ですが、それを乗り越えたボランティアたちとは、
相当に強い信頼関係が築かれています。
母親だって、自分の子どもに教えられることがありますし、
子どもの世話をすることで強くなることもあります。
そんな関係を全くのアカの他人と構築できたのですから、
そりゃボランティアたちは、その後の価値観というか
自分の目から見える人生は違ったものになったんだろうなと簡単に想像できます。


be動詞でいうと、鹿野さんは「障害者であること」を通じて、
「他人に影響を与える」ために生まれてきたのではないでしょうか。
その使命に忠実に生きるために、幾度の試練と、
その都度自分の殻を破って突き進んだことに敬意を表したいと思います。
またそんな使命を全うした方には、安らかで言い伝えられるような
死に方が準備されているのだな、とも思いました。