第36回目(2014年4月)の課題本
4月課題図書
生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある
この本は、自殺と住民の価値観の関係性という小難しく解説したら大
学の論文になっちゃうようなテーマを、誰にでも分かりやすく伝えている良書
なんです。いま、20代の人の死因の50%は自殺だってご存じでした?これからこ
の格差社会というか、閉塞社会がさらに拡大していくとこの比率はさらに大き
くなると言っている学者もいます。
これってその人の価値観に大きく依存する話だから、まずは自分が変わらなき
ゃねというアプローチを私はずっととって来たわけですが、なんとビックリ。
マクロな意味での住民の価値観によって自殺の発生を抑えられるという現実が
あったんです。
これでも十分小難しいって?
ならもっと簡潔に言えば、全国でも極めて自殺率の低い町というのがあるんで
す。そしてそのすぐお隣にはそうでない町があるんです。ありふれた田舎町で
ここだけが突出して自殺率が低いなんて事があり得るのか?そういう事がある
のなら、他の町と何が、どう違うのだろう?という疑問から著者は4年間フィー
ルド調査をして分かった事があるんです。
これを著者は、「生きづらい町 VS 生き心地の良い町」と表現しているのです
が、町があたかも生き物のように大きな価値観を持っているという事に気付い
て驚いたのです。ひとりの人間が頑張るのではなく、町が持っている価値観に
スッポリと包み込まれてしまえば、これだけで自殺をしないで済むというのな
らこれは画期的なソリューションになるじゃないかと思ったわけです。
ま、現実はそんなに簡単でも無いんですが、ユニークな視点という意味では飛
び抜けた存在感を持っている本ですね。
【しょ~おんコメント】
4月優秀賞
今回は過去最も選考に苦労しました。
なんたってテーマが自殺ですから、人それぞれ思い入れがあるんですよね。
そして私が誰かを選ぶと、その人の論旨を私が同意していると思う可能性もあ
って、余計神経質になりました。
投稿された方の文章をじっくり2回読んでみたんですが、私の考えとドンピシャ
の人はおひとりもいませんでした。ですから、今月の優秀賞の人が私の考えと
同じというわけではありません。
自殺は少なくしなければいけないのか?10代、20代の自殺と50代以上の自殺を
同列で語って良いのか?という問題提起が良かった『t1100967さん』(もうち
ょっとこの部分を手厚く書いてもらえたら良かったんですが)
「どうして人は自殺をするのか」という問題提起をした『BruceLeeさん』
が印象に残ったんですが、最終的には、「自殺は必要悪」として、残された人
の心のケアをする方が良いという論を立てた(もう少し文量が欲しいところで
すが)『dukka23さん』に差し上げる事にします。
【頂いたコメント】
投稿者 NobuhiroIida5 日時 2014年4月12日
自殺は「悪」!?(『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』)
この本の感想を述べる上でまず最初に断っておきたいことは、僕はこの本の最終章「明日から何ができるか」に書いてある、「どうせ自分なんて」と言うのをやめることや、「病、市に出せ」の精神にはとても賛成です。特に後者については、自分自身、仕事上ソフトウェア設計に携わっている立場から、問題を自分で抱え込まず、早い段階で周りを巻き込み顕在化させることの重要性は重々承知しています。開発の上流行程で見付けた不良(バグ)なら、修正するのに一人掛かりで1日程度で済むところを、それが下流行程や、ましてはお客先に納入された後に顕在化した場合は、下手するとその修正プロセスで100人に1ヶ月以上の手間を取らせることにもなりかねません。この本は人が効率よく生きていく為のリスクマネージメントを言及しており、僕はその部分については多いに賛成出来るのです。
ただ、、、この本を読み終えて、何かつっかえたような、煮え切らない感覚に陥ったのです。それがなぜか考えたら、最終章で筆者が初老の女性に尋ねられた「自殺って、それほど悪いことなのでしょうか。」という質問にはっきりと答えていないことがまずあります。そしてこの本では「自殺率を減らすこと」が「生き心地の良い町」に繋がるようなテイストで書かれていること、そして更には、当の本人たち(徳島県海部町の住民たち)が、自分たち自身のことを「幸せでも不幸せでもない」と感じていることです。僕自身にとっては般若心経の教えの一つである「波羅蜜多(はらみった)」にある通り、「不幸せでない」ことはすなわち「幸せ」を意味するのですが、海部町の人達の多くは「幸せでも不幸せでもない状態」を「心地良い」と思っていることが、なんか煮え切らないのです。僕は常に自分が幸せになる為に人を幸せにすることを考えているつもりで、同じ志の仲間や団体、企業を積極的に応援しているつもりです。自分たちのことを「幸せでない」と言っている町は本当に「生き心地が良い」のでしょうか。
自殺は「悪」なのでしょうか?自殺率が減ればその町は生き心地が良くなるのでしょうか?極端な話、自殺率は極小だったとしてもやたらと交通事故死亡率が高かったら?殺人事件率が高かったら?そもそも紛争地帯で自殺する以前に紛争に巻き込まれて命を落とす率が高かったら?その町で我々は暮らしたいと思いますか?
筆者自身が述べているように「そもそも、日本において自殺により死亡する年間三万人という数字は、交通事故によって死亡する人数の約六倍であり、この事実を知りながら自殺を特殊な死因であるかのように扱うほうが、よほどおかしいといえよう」に心から賛成です。そう、我々にとって自殺はもはやとても身近な問題であり、我が子に対して交通事故に遭わないように交通ルールを教え込むのと同じように、自殺しないように「病、市に出せ」の精神を教え込むことを、同じ感覚で捉える必要があると思うのです。
ところで、先月読んだ本『ヤバい社会学』ではシカゴの低所得者層(大半は黒人)のコミュニティ(ロバートテイラーホームズ団地)について語られており、コミュニティを題材にしているという点では今回の本にも通じるところがあります。そこでこんなことを考えてみました。シカゴのロバートテイラーホームズ団地では自殺率は高いのかな?筆者の調査結果報告にある自殺率が低い土地柄的な特徴である「傾斜の弱い平坦な土地」「可住地人口密度が高い」「地域住民間のネットワークや情報交換が良好」にこの団地は割と当てはまる気がします。ということはロバートテイラーホームズは生き心地が良い場所!?いやいやいや、ちょっと勘弁してください。たまに銃弾がとんでくる場所に住むのは、少なくとも僕は遠慮させて頂きます。
じゃあ仮にロバートテイラーホームズに住んでいた低所得者層の人が急遽、徳島県海部町に移住したとして、その人は苦労なく生きていけるのでしょうか?海部町の特徴である「ゆるやかにつながる」「基本は放任主義」「どちらかといえば淡白なコミュニケーション」という環境なら、JT(ギャングのリーダー)やベイリーさん(地区自治会会長)の圧力という庇護のもとで肩身狭く暮らしている方が、まだ生きていけるのかもしれません。
結局結論は何なのか!?僕にとっての結論は、皆、自分が幸せになる為に人を幸せにすることを考えましょうよ、ということです。この意識が浸透しているコミュニティに僕は心から住みたいと思うし、自分の住んでいるコミュニティがそうなるように、自分が率先垂範で行動することが何より大切だと思うのです。
投稿者 akiko3 日時 2014年4月25日
「生き心地の良い町」を読んで
自殺はいけない、生きたくても生きられない人もいる、親が苦しんで生み出した命を粗末にしてはダメ。そんな風に、義務教育中に何度となく教えられた。
子供心には、それもそうだが、自殺って痛みや苦しみが伴うから怖いと捉えていた。中学の校長先生が朝礼で、「痛くも苦しくもない死に方があります。もし知りたかったら、教えてあげるから校長室に来なさい。」と言われた。痛くないなら自殺もありかも、なんかの時の為に、校長室の掃除当番の時にでも聞こうかと単純に思ったが、聞かずじまいだ。
子供の自殺が懸念されていたから、命の大切さを教えるとともに、いかに食い止めるか、校長先生もきっと楽な死に方なんて知らなくて、最後の砦になればと思ったのだろう。
大人になれば、いろいろな事情があって生きるも地獄の現実もあると知る。死に追い込まれても仕方がないかと思う一方で、半殺しの虐待を受けても生きながらえる命があったり、1%の生存率を潜り抜け生きる命もある。自殺未遂で終わった人のその後の命や、ただ横たわるだけの生かされている命だってある。それこそ、さまざまな生死の不思議を考えると、自殺はやはり間違った選択だと思う。それに、死後の世界を知ると、自殺はやはり負の連鎖のまま、楽にはならないと強く言いたくなる。
人は何かを背負って生きている。時にそれらに押しつぶされそうになるかもしれない。でも、生き心地のよい社会にいれば、救われる可能性が高いと著者は自殺予防因子を導き出した。そして、「どうせ自分なんて…」をやめようと提案する。賛同する一方で、そもそも社会の最小単位の家庭が安らぎの場であれば、かけがえのない家族の一員という刷り込みがあれば、絶対安心の自分の居場所があれば、自分なんて…と自らを殺める選択肢はないと思った。
だが、すぐに、その家庭が崩壊しているから、異常なまでの自殺率になっているのか、とすぐに納得。以前の貧しくとも肩寄せあって…、社会に出たら、頑張って働いて、家族の為に、故郷に錦を飾る!といった純粋な志は、どうしてすたれていったのだろうか?(ここで、“錦を飾る!”という志が自分にあるかと問うてみると、まず、ここが故郷という場(コミュニティー)が浮かばなかった。でも、親には安心してもらいたいとは思う。それに、大きな意味での故郷、いずれ命が帰っていく所を思うと、その時は“はぁ~満喫した!”と満面の笑みで帰りたいと思う。しかーし、その為にがむしゃらに生きているかと問われれば、もう少し力だせるかも…と己の至らなさに頭を垂れる…ちーん)
例え、家族が心地よくても、順番にお迎えが来て、いずれ一人になった時、やはり頼りになるのは、生き心地のよい町だ。だから、この調査結果は非常に参考になる。最後の最後は、病院のベットが自分の唯一の敷地になるやもしれないが、これから在宅介護が主流になれば、包まれる地域によって幸不幸が色濃くでてくる可能性は大だ。
…と、勝手に長寿な自分に妄想するが、誰にも明日の命の保証はない。今、“どのような世界でどう生きたいか”を自分に問いかけ、生き心地のよい人間関係を引き寄せ、環境を整えることが、自殺という選択肢を寄せ付けず、人生を喜んで味わう術ではないか。自分の周りを飛び越えて、広く社会を変えることは出来ない。まずは自分の周りから、自分の中から。遅くとも、中庸の心を得た上で、老年期に入らないと辛そうだ。あれもできない、これもないと、それこそ、年を取ることは自殺要因が膨らむばかりにも思える。自分の命の終わり方も考えるべき課題だが、どのような世界で生きたいかを問うと、“智の道に勤しむことはお得なのだよ”だった。
一つひとつ課題をクリアし、切磋琢磨する機会に改めて感謝致します。ありがとうございました。
投稿者 dukka23 日時 2014年4月26日
生き心地の良い町を読んで
「いかにして自殺を減らすか」
という命題について、著者の清々しい熱意の伝わる書です。
冒頭の「はじめに」から一気に著者のワールドに入り込んでしまいました。
また、研究のプロセスを小説風に仕立てているので、非常に読みやすいです。
テーマ決定から、仮説立案、統計データからの候補地の選定、
そして仮説検証から、結論を導き出す。
研究の進め方や論文の書き方に加え、内容についても、
その分野を知らない人にでも分かりやすく端的にストーリーにして、
研究の状況がまさに頭に映像で浮かんでくるようでした。
その中で、私が最も強く心を打たれたのは「結びにかえて」。
そこから感じたことは、私たちが考えるべき命題は本当に正しいのだろうか?
即ち「自殺者は減らす方が本当によいのか?」ということです。
この書では、自殺予防因子を綿密な分析から導き出しています。
この因子の良いとこ取りをすることで、
もしかしたら他の地域でも自殺を少なくすることができるかもしれません。
しかし、著者も書いてあるとおり、顕在化しない因子や言語化が難しい周辺環境は必ずあるものです。
加えて、「研究によって、海部町の「主な特長」はあぶり出されたものの、
だからといってそのまま海部町がコピーできるかどうかは別だ」
という主旨のことも著者は書いています。
どれだけ研究したとしても、完全に海部町をコピーすることはできないのです。
一方、現実的にはありえませんが、
仮に日本に海部町みたいな街がボコボコできてしまうと困るのではないでしょうか?
自殺者は減るかもしれませんが、何か他のことが犠牲になるのではないでしょうか?
本書では「自殺」にフォーカスをあてているため、
自殺多発地域の街や人付き合いに関してはデメリットが目立ちます。
しかし、その街や人付き合いが、今の形態で何百年も続いているのであれば、
自殺以外の視点から見るとメリットはたくさんあるはずです。
海部町のようになれば、そのメリットはすべて失われてしまうかもしれません。
もちろん、私も自殺は減らした方がよいとは思います。
しかし、自殺を減らすことで、何か別の悪いことが出てくるのであれば、
「自殺は必要悪」としてもいいのではないでしょうか。
少し悲観的ではありますが、決して自殺をゼロにはできないのであれば、、、
その場合には、自殺への誤解や、遺族への容赦ない言葉を減らすなどの啓蒙による、
「社会の自殺への許容度(変な言葉ですが)を増やす」ような施策に主眼を置くのはどうでしょうか。
自殺する方々も、自ら命を絶つほど苦しんでおられたのですが、
残された家族はその悲しみや苦しみが一生続きます。
それであれば、
■「あんた、うつになっとんちゃうか?」
とズケズケと言える海部町のメンタリティーを
●「あの人の奥さん自殺しよったらしいでー。」
●「ほんまあ、そんなら旦那さんを励ましにいってやらないかんのー」
●「しゃあないのー わたしらも前もって助けてやれんかったけんのー」
と応用できるような、
ベクトルに向かう大きな力が作れないかと思う次第です。
もちろん、日本から自殺者が居なくなることは切実に願っています。
投稿者 iristome 日時 2014年4月26日
「生き心地の良い町」を読んで
世の中の理想の姿とはなんだろうか。
生きやすい環境と生きにくい環境って何が違うんだろうか。
海部町の人々は
他者に関心を持ち、
とはいえ、飽きっぽく、
人の評判を決めつけて固定化しない。
人間は時間と環境の波に揉まれて変化していくもの。
それ故に「良いとされること」も「悪いとされること」もその時々で変わるはず。
自分のしてしまった事も、他者がしてしまったこともまたしかり。
同じ1人の人だって成長に従い価値観が変わるのだから。
変わらない方が難しい。
となれば「人の評判を決めつけて固定化しない」それだけで風通しのいい印象を受ける。
人間は自分らしくいられるのが心地がいい。
「色んな人がいていい。
色んな人がいた方がいい。」
この価値観が広く知れ渡り、浸透すれば自殺率は減るのではなかろうか。
しかし現実は「言うは易し行うは難し」
海部町の人々が何も気にせず普通のままでいるのにその「普通」が難しい。
普通じゃない事を普通にしてしまう程浸透させてきた海部町の先人達はきっと賢い人だったんだろう。
もちろん、いらない物は淘汰される世の中で、その「普通」を受け継いできたということは
今の海部町住民たちもまた賢い人たちなのだろう。
理想の世の中とは色んな人が色んな形で
世の中に貢献して、世の中が発展していくことかな、と考える。
だから自分らしくある事が大事。
自分らしさを知る事も大事。
そしてその自分らしくいられる場所も大事。
海部町はその「自分らしくいられる場所」なんだと思う。
投稿者 ntotheg8 日時 2014年4月27日
「A町はうちの実家かと思いました。」
海部町の話で、気になったのは以下のポイントだったんですけど、
・弱音を吐きやすい
・いろんな人を受け入れる
・野暮なことをしない
全部うちの実家とは逆でした。
うちの実家はA町以上にA町です。
高校卒業して東京に出た時は、朝の電車がしょっちゅう、
人身事故で止まるという惨劇にショックを受けたものですが、
うちの実家の方も、東北の山間の集落ですし、
知り合いの家族が自殺したという話はちょいちょい聞きますので、
全国平均よりは上なのだろうなぁと思い当たるふしはあります。
東北人はクソ真面目だというもあるかもしれないですが、
人に迷惑をかけたり、弱音を吐くというのは恥ずかしいという意識が強いです。
今でも夢に出るぐらいトラウマなのは、
中学校や高校に入学すると、応援歌練習といった名目のシゴキがあり、
バンカラをてらった応援団のリーダーが、1年生を2週間にわたって
朝と昼の休み時間に、シゴキ倒すという行事があります。
更には運動系のクラブ活動では説教なるものがあり、
一年生で部活が終わって帰ろうと思うと、
部室には上級生が待ち構えていて、ロッカー前に正座させられ、
あることないこと怒鳴られるというものもありました。
これらの行事は若者組の入会儀式の名残だったんだぁと納得した反面、
こんなのを海部町の人たちが見たら、ものすごく野暮ったく感じるんでしょうね。
今はそんな実家を離れて、九州で暮らしているのですが、
確かに、東北と比べてゆるやかにつながっているなぁという気がします。
この春、息子が近くの小学校に入学したのですが、
息子と一緒に登校してくれる上級生のお兄さんも威張った感じがなく
新入生をかわいがってくれている雰囲気ですし、
そのお母さんがたも必要なところはフォローしてくれるんですが、
深くは立ち入ってこないというスタンスがちょうどいいです。
うちの実家の図書館に寄付しようと思った一冊でした。
投稿者 jorryjorry55 日時 2014年4月27日
生き心地の良い町を読んで
前回のヤバい社会学とは違い、この本の方が目的と結果が非常に明確になっているから、非常に読みやすかった。
ざっくり私の読後感をまとめると、いまでいうダイバーシティを尊重した結果、いつのまにか自殺率の低い地域になったという事か。まあ、そのダイバーシティを尊重するまでは紆余曲折があったのだろうが、町が出来た経緯を考えると自然の事だったのかもしれない。
とはいえ、極端に自己主張が非常に強い人がいたとしてもうまくやっていけるのだろうか?人付き合いが苦手な人にとって居心地は悪いのではないだろうか?とか色々といらぬ心配が頭をよぎったが、そういった人たちは自然と淘汰されて行くのであろうか。それともうまくその場に溶け込んでいって、人としても人間性が高くなるのであろうか。
私が一番興味が引かれたのが、「関心と監視の違い」のところで、他県から嫁いできた人の旦那さんが「町のもんはあんたに”関心”があるだけなんや。あんたを”監視”しとるやないんや。」の一文です。何故か?それは私が人見知りであり、人付き合いがそれほど得意でない人にとっては周りの人からなんやかんやとことあるごとに関心を持たれる事に対して非常にストレスを感じるからです。初対面からいきなり人なつっこさを発揮された日には鬱陶しいことこの上ない、と思ってしまいそうです。
でも、そこまで他人に関心があるからこそ、ちょっとした変化に気づくのだろう。とはいえ、それでも自殺率はゼロじゃないんですよね。あくまでも自殺率が他と比べて「低い」のであって、ゼロではない。
今まで自殺をしたいと思った事がないので、自殺した人のそこに至るまでの心境はわかりませんが、仕方がなかったんだろうな、他にどうする事も出来なかったんだろうな、と思うもののやり切れなさも捨てられないのも確かで。
良い悪いという観点では語る事が出来ないのではないだろうか。
心情的には自殺はないにこした事はないと思う。
話がちょっと飛ぶが、最近、殺人にしてもそうだけど、病死、事故死なんかも含め全ての死因は必然なのではないか?と思うようになっている。人間、死ぬときは死ぬんだから、じたばたしたってしょうがない、と良く考えるようになった。それだけ歳をとったという事かな。まあ、だからといって自殺しようとは思いませんが。
ありがとうございます。
投稿者 kd1036 日時 2014年4月28日
このテーマで論文にしたものを、ここまで分かりやすく表現してくれたことに凄いなという感想は勿論ですが、「ありがとうございます」とういう気持ちでいっぱいになりました。
仮説を立て、データを収集・解析し、一定の判断が出来る結論を導き出す。そういったものの成果物は、小難しくて分かりずらく、データに頼りすぎていて何か腑に落ちない、といったケースがちょいちょいある。というのが個人的な印象ですが、本書では分かりやすいうえに、バックグラウンドを固めるエビデンスもしっかりしていて感動的でした。人に分かりやすく表現するという事の方策を教えてもらえたという事で感謝です。
著者が自殺多発地域の町の人達にも調査結果をフィードバックするという場面で、その人達がどう思うか、自分はどのように伝えたらいいかと思案している部分は、とても重要な部分だと感じました。やり方として、少人数で座談会のような形を基本に行っていった手法には見習うべき部分が多いと思います。講演会のような話をする側と聞く側がきっちり別れる場面では、どう伝わったか・聞いた人はどう感じたのかというのは判断しづらいものです。このテーマはセンシティブな部分でもあるので、より一層工夫が必要だったのだろうと想像しました。
取扱注意のテーマは、「やる意味がない」か「とてつもなく難しい」のどちらかであるケースがほとんどと書かれていました。間違いなく「やる意味がない」訳がないので、おそらくとてつもなく難しかったのでしょう。ただ著者が後半部分で触れているように、通説を見直す(思考停止を回避する)という事に本調査の意味があったのだと感じます。
人との絆が自殺対策における重要な鍵であるという通説は、私自身もそうなんだろう感じていましたが、都会と田舎の違いではなく、田舎と田舎で人とのつながりを大事にしている(自殺稀少地域のほうがそのつながりは緩やかだったりする)地域同士で違いがあったとは驚きです。
その内容については、本文で詳しく触れていますが、どちらかというと昔から美徳とされていた部分が逆に本当の困り事を解決できない足枷になってしまっていると明らかにされています。
我々が生活をしていく場面で、居住するコミュニティでなくても、色々な組織・集まりで、とにかく全員同じようにという空気の場は非常に多いと感じます。私自身は、いやあ~でもさ~、と思ってしまうほうなので海部町の、いろんな人がいたほうがいいじゃないか、という考えには賛成です。ただし、これはどちらが正しい・間違っているという事ではないと思います。自分が今どういう場にいて、自分はどうしたいのか、周りはどうしたい・して欲しいのか、といった事を認識して振る舞っていく事が大事なのではないでしょうか。空気に支配されている場は、ある意味思考停止をしていてもデリートされる事の無い場です。ただし、その空気に反した途端に冷たい処遇を受ける可能性が高い場でもあります。それが自分の意志で、どういうリアクションがあるか分かったうえでした事なのか、思考停止したまま何も考えずにした事が実は空気に反していた事だったのかでは、本人のその後は大きく違うでしょう。
読み進めていく中で、感じていた事は、自殺ってなんだろう?という事だったのかもしれません。テーマは、自殺の原因を明らかにする部分ではなく、自殺の少ない地域にある自殺を少なくしている要因を明らかにするとして書かれています。自殺がゼロの地域ではないんですね。
自殺は社会的な側面で発生率の高い低いはあるが、ゼロではないという事は、自殺対策って本当に難しいんだなと感じながら読んでいました。
結びの部分に、「自殺ってそれほど悪いことなのでしょうか?」というエピソードが出てきた時に、そういう部分も知りたかったんだと思っていました。その両親を責めたてる親戚、彼らは自分の事しか考えてないな、もっと言えば自分とは違うなと感じると思うのですが、本当にそうなの?、同じ場面で自分だったらどう振る舞うかなんてわからないじゃないかと感じます。それと一緒で、自殺した方に、でも自分だったらとか、あの時こうしてくれてればとか言う事は出来ますが、本人は自殺という手段を選択する事しか出来ない状況まで達しているのでしょう。自分にその選択肢を持たない人間にとっては、想像するしか出来ない領域です。ですから、自殺をした人を責めることはしない事にしたという著者の姿勢には共感できます
自殺の原因の主なものとして、健康と経済的な問題が挙げられていました。それと現在問題となるのは、やはり未成年の自殺でしょうか。どうしても自殺にフォーカスしてしまうと、減らす方策・予防する方策に頭が行ってしまいますが、そもそも当たり前に生きている事が出来る社会であればいいのではないでしょうか。それが出来れば苦労はしないと間違いなく言われますが。
思考停止をしない事、これが一番大事だと思います。文中にもありましたが、相談する場を作ってもそこで解決が図られなければ次には相談に来ません。そういった場で通説をそのまま語られ、そんな事は分かってるんだよ、それでもどうしようもないから相談に来たのに、と感じ絶望した人も大勢いたのではないでしょうか。
テーマがテーマだけに、結びが難しいです。一人の人間には膨大な歴史があり、全く同じ人は存在しません。価値観や常識はそれぞれの環境に大きく影響を受けていますが、そこで思考停止しない。稀少地域であっても自殺する人はいる、多発地域であってもしない人はしない、当たり前の事ですが、環境はどうあれ行動の選択は個人がするものです。生き心地の良い町で心地よく生きても、生き心地の良くない町で心地よく生きても、いいんだと思います。どこにいても、人をほったらかしにはしないし、人にほったらかしにもされない、そして心地よく生きる。といっても、それが難しいんじゃないの~?と無限ループにはまりそうです。
投稿者 ktera1123 日時 2014年4月28日
「生き心地の良い町」を読んで。
本を読んでいるうちに、広義の意味で仕事としてお手伝いしている内容に近いのような気がするとデジャブ感が広がってきていたところで、143ページの地図会社の件、たぶんあの人とあの人とあの人の可能性があるのではと感じました。(実際に確認したわけではないのでもしかしたら違うかもしれないけど。)
今年度に入って入社2年目の社員に「仕事には大きく分けて2種類の仕事がある。それは、「作業内容がはっきり決まっているもの」と「作業内容が決まっておらず、お客様と相談しながら進めていくもの」がある。後者の場合はいろいろ考えたり悩んだりすることはあるけれど人としてお客様とともに成長できる。」と説明したこともあるので、きっと本の中の人も後者の典型例と思ったはずだし、お客様が悩んでいるのを解消するお手伝いができたのは仕事に対しての充実感があったに違いない。
お客様が思いついたことをどうにかしてあげるお手伝いするのが仕事ではないのでしょうか。
(文中の説明:ポリゴンとは「面(多角形、閉領域)」のことで、具体的には○○市の範囲を特定ことなどに使用する。)
仕事的な話はこんなところにしておいて、現在住んでいるところの話。
・戦時中に臨海部にある工場地帯の工員さんが不足し、地方から移住してきた人が多数を占める。(海部町ほど歴史があるわけではないので地縁はもちろんない、神社はあるが寺院はない。)
・完全に平坦地(カートをひいておばあさんが買い物にでても苦労はしていなさそう。)
・交通至便(主要駅までバスだが7~8分に1本はあるので、近場のスーパー(バス停よりは遠い)まで歩けなくなるとバスで主要駅までお買いものになるのかも。)
・戦時中に住宅営団が区画整理したので適宜公園があり、近場にスーパー、病院(医院:2歳の時からのかかりつけ医)もある。(母が買物にでかけると、どこかで知人につかまる可能性が高い)
・町内会はある(定年退職になった団塊世代が多くなってきているとのこと)
・バス通りはあるけれど、幹線道路ではないのでどことなくまったりしている。
・もちろん「雪」はあまり降らない。(工場地帯が近いので排熱の影響もあり比較的温暖とも、行政区での公害対策の対象範囲だったが影響はあまりなかった。)
とよく考えたら海部町より条件がいいかもしれない。
ただ、身近に自殺した人がいた(自分が進学した高校よりランクが上の高校に進学した。自分の進学先はどことなくゆったりした空気が流れていた感じの学校だったが、聞くところによるとかなり進学指導が厳しかったらしい)のは確かだけど、伝聞の範囲だけでは彼だけのはずだけだったような気がする。
遠くを知ることで、自分の住んでいる地域のある意味良い点も知ることの出会えたことに感謝。
以上
投稿者 omieakanat 日時 2014年4月29日
海部町の環境から気付いた事
海部町の自殺率の低さの理由と、海部町の気が通った人間関係を見て「すごい
生きやすそうだなぁ」とちょっぴり羨ましくなった。
ただ、海部町以外の地域について、(隣町との比較はあるけれど)逆もまた真
なりなのかな?とも思う部分もあったのと、自分自身が今後どうしたらよいの
かという2点について深く考えるきっかけが得られたので書いてみたい。
筆者は自殺率の少ない要因を5つの予防因子としているが、それらは主に地理
的特性に基づいているような気がした。
要するに「平地で海が近く、昔から人の出入りの多い地域」だったから、5つ
の予防因子発達したのではないのかということ。
地理的特性に偏って考えると、
・海部町のような地理特性で、同様に自殺率が低い地域はあるか?
・海部町のような地理特性で、逆に自殺率が高い地域はあるか?
・海部町とは逆の地理特性で、自殺率が低い地域はあるか?
・海部町とは逆の地理特性で、自殺率が高い地域(これは山間部など)
これらの地域も同様に分析した比較が見たいと思った。
例えば、”島属性”の地域は総じて自殺率が低いようだがその要因は何なのか。
島属性でも自殺率の高い地域はあるのか?
山などの地理的特性の影響は、同様に高い所に住む都会の高層マンション暮ら
しの人にとっても同じなのか?
などを見ていくと、恐らく地理特性が「生き心地」には影響するのだろうけど、
すべてでは無く、他の要因もあると思う。
例えば、山と言えば、日本からは離れるが、幸せの国ブータンはどうか。ちょ
っと調べてみたら、ブータンはあの山だらけで標高が高くて寒い国なのに、人
口10万人あたりの自殺率は4.9人らしい(海部町8.7人)。おお、すごいぞブ
ータン。
高野秀行さんの著書「未来国家ブータン」で語っていたが、「教育水準が上が
り経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。
自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。」
また、国際的に自殺率が高い韓国も、その背景には過剰な競争社会や社会保障
制度の不備があげられているらしい。
この筆者の分析した、海部町のような環境が人が生きるのに良い環境なのは確
かなようだが、少なくとも地理特性だけでは無いようだ。
だから、他者が単に憧れて海部町へ行けば全てが良くなる、ということでは無
いし、海部町の人で、自殺をしてしまう人の要因はそういうところから来るの
だろう。
次に、自分自身なら今後どうするか?という点。
自分が住む世界(地域、会社、家)、特に滞在時間が長く最も影響を受ける”
会社”を見てみるとその環境は残念ながらベストとは言えない。
それこそ「自殺率の多い町に住みながら、そこに住み続ける住人と同じような
ものだなぁ」と感じてしまう。
ただ、会社にいると、良い部署も悪い部署もあるし、我慢も必要だと思うし、
ころころ転職するわけにもいかないのが現実。
そう思う今はそれほど切羽詰まっていなくて、環境を変えなきゃと思いつつい
いつつ「きっかけ」が無く変われないだけ。ほんとにやりたい事が見つかるか、
自殺をするほど悩んだら変わるだろうけど。
いずれにせよ、環境から受ける悪影響は無視できないのは分かっている。
でも、どこに行ったって問題はあると思う。海部町にも自殺者はいるし、前に
海外で暮らした時も、南国アジアは暑過ぎるし、気候が温暖なアメリカ西海岸
では変化が無さ過ぎて半年もすると飽きた、など長くいると不満が出る。
まぁ、こういう地域は”生きやすさ”で言えば、日本に比べれば天国だけど、
日本には家族や親戚が近くにいて、安全で、清潔で、便利でというそれ以外の
メリットもあるから非常に悩ましい。
だからブルーオーシャン”海部町”を求めても、青い鳥を探すようなもので簡
単には見つからないと思う。
結局、環境を変える前に、やっぱり自分が変わるしかないだろう。変われなか
ったとしても、目の前の事を必死に輝かせると決意して毎日生きられないと、
どこへ行っても同じじゃないか、と自分について改めて思った。
まずは覇気を出して、そこからスタートすれば良いんじゃないかという、単純
思考かもしれないが、難しく考えて抜け落ちていた部分にハッと気付いた。
以前読んだ石原明さんの本で、ある若い社長さんが年上の役員に言い返せない
のを見て、ボクシングを習わせ、その後見事に社長はイメチェンを図り会社を
仕切れるようになったそうだ。
根性論でも何でも無く、これは基本的なことだと思う。人間に必要な基礎体力。
まずは健康で、体力をつけ、でかい声を出すことを忘れがちになる。
アジアに行けば、人の声のでかさに驚くし、それに海部町の人達は、みんなに
ぎやかで覇気がありそうなので。
単純ですが自殺をしたい人で環境を変えられない人は、こうした人間の野性味
を取り戻す必要があると思った。
最後、話がズレてしまいましたがいずれにせよ、このように考えるきっかけを
授けて下さった著者の岡さん、紹介して下さったしょ~おんさん、高野さんに
感謝致します。
投稿者 morgensonne 日時 2014年4月29日
『生き心地の良い町』を読んで
このような自殺を扱った本を読んだのは初めてであり、
自分にとって非常に興味深い内容で、読みやすい本でした。
だいたい世の中の負の側面を扱う本は、悪い理由を探っているのが
多いと思いますが、この本は良い面から探っているため、
その切り口も面白かったと思います。
自殺率が低い町を選び、要因を分析し、その要因を掘り下げ、
一方で全国との比較をして、今後の対策を検討していくという過程は、
日常のビジネスの問題解決につながる内容であるとも感じました。
この町のみなさんの姿勢、周囲の人に関心を持ちつつも、
自分の考えもしっかり持っている(「自己効力感」)
という智恵がこの町には継承されていることが大きいのではと感じました。
この本でも述べられているように、自殺を減らしていくには、
命を大切にするという教育も必要かとは思いますが、
それにも増して人との関わり方、まず自分に関心を持ち、
人に関心を持ち、良い面も悪い面も認め合うということを、
大人が自ら意識をして、そして子供に対して教育をしていく必要があると感じました。
その前にまず自分を認める、自分に自信が持てるように
教育をしていくことが必要なのかなと思いました。
最近の投票率の低さもどうせ自分が投票しても変わらないと
いう考えがあるからだろうと思いますが、
自分の住んでいる地域のことを思えば投票の持つ重みは
おのずとわかってくるのではないかと思います。
私は田舎出身であるからか、どうしても人の目を気にして
育ってきたと思います。そして今も人の目は気になります。
ある程度気にするのはいいかと思いますが、
自分と人との関係が一番大切なのではないかと感じています。
家族であれば頻繁に顔を合わす機会を作る、
地域社会であれば挨拶をする、
会社であれば毎朝ミーティングをするなど、
その中で日々変化していることにお互いに関心を持って接する、
ということをもっと意識していきたいと思っています。
ありがとうございました。
投稿者 lupinthethird0710 日時 2014年4月30日
自殺するということは、生きることが辛いからであって、なぜ日本人は自殺する人が多いのか?ということを今までに何度か考えたことがあります。
その答えはやはり日本は生き辛いからだと思います。しかし、日本人のこのような気質があったからこそ、ここまで経済成長が出来て便利になった訳です。
そして私も厳しい競争の上では敗者がでるのは必然で仕方のないことのように思ってきましたし、世の中そういうものだ、両方一辺は無理じゃないかと思ってきました。
かといって、人から聞いたり、自殺の二ュースなどを見るとなぜ防ぐことが出来なかったのかとやりきれない気持ちになります。
そして私がこの本を読んでこれから実行しようと思ったことは、もっと人に関心を持とうということです。対象は家族や親戚といった身内になりますが。
家族などは弱っているかどうかは見ていればわかりますが、今まではどういった事柄で弱っているかということに考えを巡らすことに積極的で無かったですし、
そっとしておいてほいしだろうと良い意味でほったらかしにしてきました。しかし人間はとにかくしゃべらないとダメな生き物だと思います。弱った原因とは全然関係のない話でも
とにかくしゃべることで気分が変わり、考えが変わります。そういうものだと思います。なかなか海部町の人々のように他人にスマートにするのは難しいと思いますので、
先ずは家族や本当に親しい間柄の最小の範囲でいいと思いますし、そここそが自殺を止める水際だと思います。本当に何でもいいのだと思います。そうなってくると常日頃の会話が大事です。
といったシンプルで普遍的な答えに辿り着きますが、要はそうゆうことなのだとあらためて気づかされました。
本当におしゃべりって大事なんですねぇ。
投稿者 bokuno 日時 2014年4月30日
岡壇著「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」を読んで
就職後、大阪から上京し、驚いたことがある。
それこそ殺人的との表現が似つかわしい通勤ラッシュと、よく電車が事故で遅延する事である。
事故のほとんどは人身事故である。
大阪では無いのかと言われたら、何度か遭遇した事があるが、発生頻度は桁違いの印象を持っている。
先進国の中で、日本は自殺率が高く、年間三万人超の人が自死を選ぶという事を後に知った。単純に計算すると、全国で1日100人弱の方が自死を選んでいる計算になる。
東京都民が国民の1/10、1都3県では3割弱の人口が集中しているから、関東圏内では1日30人の自死者が出ている勘定になるので、私の持った印象は、それほど外れていないだろう。
これほど頻度が高いと、感情がマヒしてしまい、命を落とされた方や、その家族・友人を思いやるより、電車遅延で、自分の仕事に影響が出る事の方に目が向いてしまい勝ちになっている自分に気付く。多くの人たちは、私と同様に感じているのではないだろうか。
この著者は、この書籍を著わした直接の動機を明示されていないが、自殺を減じる要素を世に提示する事によって、悲劇を一つでも少なくする事を目指されたのではないだろうか。
そのアプローチの一つととして、自殺率の低い町と、高い町を比較して、なぜ自殺を決意させない考え方や環境要因、自殺を思い留まらせる壁は何かを追究されている。
仮説と模索、実証の為のデータ収集、分析と、科学的で客観的なアプローチとはこうするんだ、とメソッドも勉強させてもらった。
読む前に、こんな事が書かれているんだろうと予測していた事と食い違うことがいくつかあった。
その内の一つが、他人とのコミュニケーションが少ないために、誰とも相談できずに自死を選び、他人と密接に関係する事が、自死を妨げる事につながると思っていたことである。
著者は、「関心と監視」という言葉で表現されているが、海部町は、他人同士の関係をちょうど良い加減の距離感を維持できていると観察されている。
太陽と地球のように、近すぎてもダメ、遠すぎてもダメという感覚だろうか。
(この感覚を持つ事が一番難しいだろうと自分では思っています)
逆に予測通りだったのが、こんな人も居ていいんじゃないか、という寛容性である。著者は「多様性」という言葉を使われているが、最近、企業経営でもダイバシティ経営なんていう用語が出てきていて、こういった考え方が、集団の精神的健全性に貢献し、事業継続能力や、アウトプット品質の向上につながるんだろうと、感じている。
他人に否定される事は、誰しも辛い事であるし、否定される事を承知で、何かを行わなければならない事もままあるが、みんながみんな、いつも強い意志力を保持できるとは限らないからである。その中で、1人でも味方が居るという事だけで心強くなるし、生き抜く力が湧いてくるものだろう。
もう一つ予測通りだったことが、リーダになるべき人が、問題解決能力の高い人を選んでいるということだる。非常に納得できる部分であった。
成熟しつつある社会では、個々に納得感のある調整能力が集団を良い方向に率いていけるんだろうと勝手に思っている。(日本外交もそうであってほしい)
また、データを収集する際に、都道府県のサイズでは雑過ぎで、市町村大合併の弊害を述べられているが、効率性を追求した悪い結果なんだろう。
効率性は2面性を持っている事を忘れてはならないだろう。
テーマが「自殺」だけに少し覚悟しながら読みましたが、下手に感傷的な文章でなくて、非常に心地よい本でした。
この書籍に逢えた事に感謝いたします。
~奥野文司郎~
投稿者 gizumo 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」を読んで
年間3万人の自殺者がいる日本にとって、その事実は実に大きな損失であると常々考えていました。
テーマはその「自殺」をあつかっており、重苦しい雰囲気であるものの海部町ののんびりとした景色がそれを和らげてくれています。
本書には、研究者の実施する調査分析の方法が実に秩序正しく詳細に記述してあり、知らない世界で興味が持てました。さらには、特に特徴なく“のっぺり”とした感のある社会が、著者の詳細な分析で特徴をくっきりと浮かび上がらせてくる様はワクワクさせられました。
実は本を読んでいる途中まで、著者は男性だと信じ切っていたが途中から女性だとわかり女性ならではのキャラクターで海部町に溶け込みデータを収集したんだろうなとほほえましかったです。
しかし、最良のデータを求める著者の思いは“熱く”、地図データ会社とやり取りして新しい「指標」を生み出し、現在の日本に必要な論文作成を完成させた行動は実に感動的でした。
結果、自殺率には地理的要因も大きく関与しているという事は少し残念(変えられない部分の大きい要素なので)で今後の課題も残した感があるが、この点も考慮して政府の施策を実施し日本の損失に歯止めをかけていただき、さらには自分にできることもやらねばと感じました。
海部町の特徴である
いろんな人がいてもよい、いろんな人がいた方がよい
人物本位主義をつらぬく
どうせ自分なんて、と考えない
「病」は市にだせ
ゆるやかにつながる
これらは、個人としても身につけることでストレスなく「生き心地が」よくなるわけであるが、組織作りにも大いに役立てる要素であることは、この本を読んだ大きな学びでありました。
読みながら、「この町、いいなぁ~ 住んでみたいな・・・」と何度となく感じた自分はストレスが溜まっているのではないかと心配になったので、これからは海部町の人々を見習って生活を楽しんでみることにします。
投稿者 akirancho0923 日時 2014年4月30日
生き心地の良い町を読んで。
コミュニティからのアプローチ。
そんなことに成功しているロールモデルとはどのようなものなのか、
本当に可能なのか?、と興味津々で読んだ。
絶妙なバランスが長い年月をかけて、
美しい鍾乳洞のように、このようなコミュニティを作り上げたのだと思った。
生き残るために、脈々と受け継がれた奥義が
そこにはあったのだと感じた。
歴史を紐解けば、きっとそこには数々の無名のコミュニティ達人がいて
切磋琢磨した結果生まれたのだと思った。
この海部町のコミュニティノウハウは、
例えば、小学校の道徳の時間や、企業の研修など、に生かすのはどうだろうか。
はたまた、しょうおんさんのようにメールマガジンのような媒体として
発信され、、一人でも多くの思い悩む方のきっかけになれば、と思いました。
投稿者 t1100967 日時 2014年4月30日
読み終わった感想は、
「『(日本人)』と、同じ結論だな」というものです。
要するに、自殺をしやすいのは、旧来の村社会に生きて居る人(会社に縛られている人を含む)。
自殺をしにくいのは、イングルハートの価値マップの右上に居る人。
そういうことかと思いました。
なので、これから自分が取る行動は、これまでの課題図書、
および、しょうおんさんからの教えにある通り、
・サラリーマン以外の収入源を持つ
・退出可能なコミュニティをいくつも持つ
(ハマれるもの、オタクと会話できる領域を複数持つ)
・日本に縛られないように、英語を身に着ける。
・本を読んで多様な価値観を持つ
といったところです。
また、生まれた町によって価値観が変化し、
その価値観によって自殺率が異なる、ということは、
”自分の寿命も価値観次第”
ということになるかと思います。
そう考えると、つくづく価値観は重要であり、
また、その価値観を生み出す環境は、
非常に重要であると感じました。
本の感想とは違いますが、
そもそも自殺者は少なくするべきなんですかね?
年間3万人という数字は、果たして大きいのでしょうか?
もしも自殺者を故意に少なくすることが出来たとして、
年間の死亡者数は、減るのでしょうか?
(他の殺人とかが増える可能性は無い?)
また、自殺者が減ったとして、
それが日本全体にとって、プラスの影響になるのでしょうか?
自殺者が減ることで、全人口に対するうつ病の人や失業者の人の割合が増え、
それによる悪影響があるということは、
考えられないでしょうか?
10代、20代の自殺と、50代以上の自殺は、果たして同列で語って良いんでしょうか?
(人間の命に優劣は無いとは思いますが、どちらをより防ぐべきかは明白です)
・・・と、自殺というテーマになると、
答えの出ない問いを考えてしまうものですが、
まあとりあえずは自分が自殺を選ばないように、
また近しい人がそうならないように、生きていこうと思う次第です。
投稿者 sumio 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」岡檀著 感想
「まず形から」。
高校生の頃、生徒指導の先生から 長い学生服やだぶだぶのズボン、髪型を注意されたものでした。
なぜ俺たちがこんな格好するのか、その根本原因わかってるんか!
その上っ面の「指導」に反発したものです。
教師の浅薄な指導のことを親に伝えると「まず形から」でよいのだ、と諭されました。
その頃はその意味が分かりませんでした。
ご存じ「割れ窓理論」というのがあります。
一度割れた窓ガラスを放置しておくとそれが「誰もそこに関心を払っていない」というサインとなって、犯罪を起こしやすくなる。
そして、その建物から無法状態の雰囲気がどんどん伝染して、やがて街中が荒んでいってしまう。
そんな理論です。
高校生が服装をいったん不良バージョンにしてしまえば、外見ばかりか内面も不良になってしまう。
それを早期に防ぐ対応策のひとつが口やかましく指導すること。
きっとそういうことだと思います。
逆の意味で、A町が、この割れ窓理論にあてはまるのではないか、と思いました。
割れ窓=そのストイックさ、のことです。
伝統的に美質と思われていたストイックさが、かえって自殺の重要な因子になっている事実。
ガチガチの真面目、四角四面ではなくて、ゆる~く適当がよいのだ!とわかりました。
海部町の住民気質にほっとします。
「頃合いを知っていて、深入りしない」「興味津々で人間観察に長けている」「弱音を吐かせるリスク管理術」「人が助けを求めやすい環境を作る事に腐心」。
賢い人、大好き。
介護で苦労しない秘訣「他人さまに迷惑かけてはいけない、と考えるのではなくて、人に迷惑かけてオーケー」と同じ、とも思いました。
さらに仕掛けとして、「サロン機能」、「社交場所」の拡充、活用。
「共同洗濯もの干し場」、古い建築様式住居「みせづくり」の腰掛け。
「統制」「均質」を避けようとする傾向、寺・神社を町内の寄り合い場所として活用、だべりんぐ、おちゃべり、近隣住民の格好のサロン構築。
「生き心地の良い町、海部町」の良いところを「いいとこ取り」する提案に大賛成です。
海部町のコミュニティの特徴を「まず形から」真似します。
日本国中が生き心地の良い町になるヒントが満載です。
条件の良いロケーションに簡単に移住できるわけないので、今いる環境で海部町というお手本の真似をすることが現実的です。
アプローチの改善をする事で、可能性として日本全国のコミュニティで実行可能です。
物理的に制約を受けますが、そこは想像力を駆使して、「いつでも」「自分が行きたいときに」「自分の力で」アクセシビリティの良好な環境を作れそうです。
青森市で提唱、実施中の「コンパクトシティ構想」あながち的外れでないと思いました。
キモは、隣人と頻繁な接触しコミュニケーションを保ちつつ、必要十分な援助以外淡泊なつきあいに徹する事です。
「淡泊」いいですね。
英国紳士のたしなみとして「寛大な無関心」という言葉がありますが、隣人に注意を払いつつ、その人で対処可能であれば知らんぷりし、手助けが必要なときにはじめて手をさしのべるスタンス
と一緒です。
海部町という町単位で機能し、実績上げていることを、我が身の最小単位である家族で実行します。
疲れたら休む。
無理しない。
できることをする。
「まず形から」やります。
ありがとうございました。
投稿者 BruceLee 日時 2014年4月30日
本書を読み終えて暫し。改めて疑問に思った事がある。
「人は何故自殺するのだろうか?」
いや、もっと正確に表現するなら
「人は何を求めて、或いは何から逃れるために自殺するのか?」
変な表現だが、自殺と言えど本人がそうしたいという欲求を持ち、自らの肉体を動かす
「能動的な行動」である。そこには動機、つまり「自殺したい理由」がある筈だ。
肯定的か否定的かに関わらず、また本人が自覚していようがいまいが。それは何なのだろう?
勿論、事情は様々で一概には言えないだろう。本書でも自殺危険因子としてWHOの情報や
最も多い自殺の動機は「病苦・健康問題」「生活苦・経済問題」とある。確かに表面的
にはこれらが理由なのだろう。それぞれ直面している人にとっては深刻な問題で、少なくとも
自殺を考えてはいない私の想像など及ばない程の苦しみなのだろう。であれば、
「生きている状態を終わらせ、この苦しみから逃れ楽になりたい」
という欲求なのだろうか。しかし、本書を読み終えると、どうもこの理由では不充分、というか
本質を突いてないような気がしてきたのだ。「この苦しみ」とは本当に病苦や生活苦それ自体
なのだろうか?
何故そんな疑問が沸いたかと言えば、海部町でのソリューションからである。
・「病」は市に出せ
・“幸せ”でなくてもいい
・損得勘定を馬鹿にしない、
・野暮ラベル。。。等等
これ、言ってる事は詰まる所、
・他人と違う価値観があって良い
・ゴーイングマイウェイで良い(自己主張していい、弱音吐いてもいい)
・でも、人に対し恥ずかしい事はしない
という事だろう。そしてこれらが自殺率の低さの要因となり得るのであれば逆の視点で眺める
とある仮説が生じるのだ。それは自殺率が平均の地域(特定の島を除く海部町以外の日本全国)
で自殺が減少しないのは
「周囲を気にして世間(他者)の価値観で生きている人が多いから」
と言えるのではないか。一般的には自殺は個人の問題、と考えてしまいがちだが、実は
「自他の関係」において他(者)に対する自(分)の心が苦しくなり、死を選ぶのではない
だろうか?つまり究極的には自殺の理由の大部分は「人間関係」に関係するのではないか?
気になった言葉が本書にある。
「迷惑がかかる」、「みっともない」
これは自分の思いを言っているようだが、実は「自分がどう思われるか=他人がどう思うか」
を言っており、つまり自分ではなく、まず周囲の人の見方や気持ちがあり、他人目線で自分を
見ているという事だ。自分が不健康だと人の助けが必要になり、人にとって迷惑だ、自分が
経済的に困窮してると人にみっともないと思われるから惨めだ、つまり自分が中心であるよう
で実は中心にない。この周囲との関わり方、つまり「人間関係」が大きく関わっているのでは
なかろうか?結果、自殺を選ぶ人は「他者に気を遣う人」と言えるのかもしれない。そして
その気遣いが時に自分を責める攻撃となってしまうのではないか?
本書はあくまでデータと事実の検証結果と仮説が述べられており、その意味では中立で、良いも
悪いも語られてはいない。が、最後の「結びにかえて」に子供に自殺された初老の女性を登場
させてるが、実はこの部分こそ本書の最大のメッセージであると私は思う。具体的には、
「自殺ほど残された者を苦しめる事は無い」
という事だ。これは理屈ではない。いや、理屈で整理出来たらどんなに楽かと思えるほど、
特に親兄弟や関係者を苦しめる仕打ちである事を我々はこの母親から学ぶ事が出来る。
そして他者への気遣いや関わり故の自殺が、実は残された他者への最大の苦しみの原因となって
しまうという大いなる矛盾を生じさせている。だから、残す親兄弟や関係者を苦しめるのが目的
でない限り、自殺は止めるべきである、というのが、実は本書に「書かれてはいないメッセージ」
であり、また本書が書かれた目的だったのではないかと私は想像している。
最後に。。。正直、最も気になったのは、この海部町以外で自殺率が低いのが皆「島」である事。
それは一体何故?島だと何故自殺率が低いの?海風?魚のカルシウム?逃げ場も隠れ場所もない
から大っぴらに生きられる?これはこれで新たな知的好奇心を刺激する疑問であり「それを
知らずに自殺なんかしてらんないでしょ?」という著者のもう一つのメッセージだった
としたら。。。それはスゴすぎです。
投稿者 6339861 日時 2014年4月30日
自殺が少ない町についての調査研究の過程がとても興味深かったです。
学者さんの思考・行動パターンとして、
仮説設定⇒調査⇒検証のように考えるのですね。
考え方、行動が非常に参考になりました。
自分の仮説が正しかったことが調査で確認できたら
さぞ気持ちがよいのだろうと思いました。
会社でもいろいろな問題に直面します。
この本を読んだあと、一見、問題が複雑なように見えたり、
原因が自社ではなく、外部にあって調べようがないような問題であっても
なんらかの切り口を設定して、一番問題がありそうなところについて、
これが原因ではないだろうかという仮説を立てて、できることを
やっていくようにしています。
そのように考え、行動することで、今まで
これは外部要因だから分析不可能と思っていた
問題もけっこうやれることがあることに気づきました。
今後も仮説設定⇒調査⇒検証を実践していきます。
投稿者 chaccha64 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町」を読んで
本書は、取り扱い注意の研究テーマ、「自殺予防因子」、自殺行動を予防する要素、自殺の危険を緩和する要素を調査したフィールドワークです。
確かに、発生原因を調べるのは比較的易しいですが、発生しなかった原因を調べるのは難しいと思います。それを現地に行けばどうにかなるという想いと、直感、感性にしたがって調査して、漠然とした答えを見つけている。それが、5つの自殺予防因子です。
この5つは確かに予防因子なのでしょうが、自分が感心したのは、感じたこと、熟慮して見つけた答えだけでなく、それを補強するためにきちんとした統計調査、比較をしていることです。社会学系に属するので、きちんとした裏づけの統計が要求されるのでしょうが、データは加工、見方、分析方法でかなり違った結果を出せるものだと思います。結論ありきで分析することも可能だと思います。例えば、単純平均だけで結論が出せるのであればそこまでにするとか。
しかし、著者は、それを潔しとせずに、自分で指標、「可住地人口密度」、「可住地標高」、「可住地傾斜度」を作って、分析し、答えの補強をしている真摯さはすごいと思います。昨今、適当なところで妥協してしまう人が多い中、当たり前ですが、研究者のあるべき姿を見た感じがします。これは研究に限った話ではないですが。
著者を見習って、自分もこれからもっと物事に真摯に取り組んで行きたいと感じました。
投稿者 koro 日時 2014年4月30日
"ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。"
役職、地位、経歴等の型に囚われず、
その人自身を観察して評価する”人物本位主義”が根付いているというのは、
海部町の成り立ち自体が流動的であった事に起因しているのだと感じました。
失敗した人に対しても後を引く事なく接したり、多様性を大事にしているのも、
物事は常に変化しているという事を、海部町の住人が十分に認識しているからなのだと思いました。
投稿者 andoman 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町」を読んで
今回の課題図書も、前回の「ヤバイ社会学」と同様に足を使っての現地調査である。
この手のレポートは実体験から来る生の情報が散りばめられ、読むのに飽きる事なくスムーズにインプットすることが出来た。
さて、今回大きく目に止まったのは、自殺予防因子に挙げられた5つの項目と「明輩組」の存在だ。
5つの項目とは以下の通りである。
1.いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
2.人物本意主義をつらぬく
3.どうせ自分なんて、と考えない
4.「病」は市に出せ
5.ゆるやかにつながる
これらの項目は、読むに連れて、とても理にかなっている事が理解でき、この本全体を通して1つのキーワードを導き出してくれた。
それは「我慢しない(させない)」という事だ。
人は社会や組織で決められたルールに則って、その中で行動する。
海部町の場合は、そのルールに「我慢しない(させない)」仕組みが他の町よりも多く組み込まれている。
例えば、1.の「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」の場合、赤い羽根募金では無く、他人を気にせず山車に寄付する『自分のやりたい事を我慢しない』という点や、知的・身体的障害者を学校で分けない『人間関係で壁を造らせない(制限させない)』がそれにあたる。
※障害者は健常者との交流を支持している事と想定。
2,3,4,5にも同様に『我慢しない(させない)』仕組みが含まれている。
『我慢する』という事は『ストレスを溜める』という事であり、そのストレスが溜まりに溜まって、吐き出し先が無く、自分自身に溜め込みすぎた結果、心を病み、それが自殺に繫がってしまう。
とは言え、逆に何のルールも無く、全てが自由になったコミュニティは「ロバートテイラー」の様に、警官も寄り付かない地域になってしまう。
そうならない様、自由を尊重し、ある程度の規制(モラル)を守り、住民が共存して行く活動を水面下で組織的に行う必要がある。
海部町の場合、それが「明輩組」だろう。
海部町は個人の人間性とモラルを高め、治安を守る教育を「明輩組」によって行っている。
また、バランスの良い社会組織を築き、同時にモラルの発信源となり、地域文化を維持する役を担っている組織だと思う。
「明輩組」が何故、海部町で3代以上続いた家系からしか選ばれないかも、理由は推測出来る。
地域を愛する気持ちや、その土地の風俗に同化出来るのは、祖父母や両親が地域の習慣を身体で理解して、始めて3代目で染み込むといった事が理由だろう。
もし、他から来た人間が海部町の地域組織の深く密接な繋がりを理解せずに「明輩組」に入り、好き放題改革されては、これまで根付いた文化やモラル、人間関係も全て破壊されてしまう事は、容易に推測出来る。
しかし、この海部町も江戸時代に多くの地域からの人の流入が無ければ、今の地域文化は生まれなかっただろう。
ひょっとしたら他の隣接地域同様に、自殺ランキング入りしていたかも知れない。
当時の様々な移民が先住民のルールに縛られ、自己の主張を『我慢したくない』といった共通的な思いから、新古の有力者によって地域改革が行われ、現在の海部町の基礎が生まれたのでは無いかと推測する。
その結果、新古の住民が互いに『我慢しない』地域ルールを生み出したのでは無いだろうか。
そしてそれが結果的に「生き心地の良い町」となったのでは無いか?と推測する。
近い将来、日本の少子化が進み、他国の移民を受け入れる事になった場合、かつての海部町の様な事が起こる可能性は非常に高い。
その時、互いに歩み寄り上手く行けば、海部町の様な町が生まれる事になるかも知れないが、違う場合には差別と抗争の地域になってしまう可能性もある。
今回の課題図書は、そういった未来に起こり得る可能性へのヒントになると考える。
今月も、素晴らしい本の紹介をありがとうございました。
最後に。
『結びにかえて』で筆者はこの様な事を述べている。
【悲嘆にくれている遺族に対し、さらに彼らを痛めつける周囲の人々の無知と偏見。「死ぬ気になれば何でもできる」という紋切り型のセリフを、その意味を振り返って考えることもせずに、ただ投げつける。このような仕打ちは、絶対に間違っているーーー。】
この一節について、その理由についての説明が無い事に違和感を感じた。
自身も以前、(過労から来る)適応障害を診断され、ちょっと危ない状況になった経験がある。
その時の自分の心境は「逃げたい。今すぐ全てをチャラにして逃げたい。死ぬ気になれば何でもできるって聞いた事があったし、そう考えていたけれど、そんな気力なんてもう無い。とにかく今すぐに楽にたい…。」
恐らく、自殺を図る人達はこの考え方に近かったのだろうと思う。
自殺問題に取り組んでいる筆者なら、この気持ちを知らない事は無いと思う。
何故筆者はこの事を書かなかったのだろうか…。
それだけが今でも引っ掛かっている…。
投稿者 AKIRASATOU 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町」を読んで
私がこの本を読んで感じたのは、多様性を受け入れる事がいかに大事か。と言う事です。
著者が伝えたい主題は、コミュニティの社会文化的特性がいかに住民の精神衛生に影響をもたらすか、ひいては自殺率にどのような関係があるか。という事です。この点については本書を読めばわかるとおりコミュニティの特性により自殺率に有意な差があると考えられます。が、海部町に強くあらわれている自殺予防因子を他のコミュニティへそのまま応用する事は難しく、海部町だからこそ存在しうる事象や要素が多分に含まれています。そこで、コミュニティとしてどうある事が自殺率を下げる事に繋がるのか。という事では無く、人としてどう生きる事で生き心地が良くなり、自殺するほど追い込まれずにすむのか。という観点で考えると、本書の内容が全ての人の参考となるのではないかと思いました。
そこで私が一番重要だと考えたのはP98に記載されている
「ああ、こういう考え方、ものの見方があったのか。世の中は自分と同じ考えの人ばかりではない。いろいろな人がいるものだ。」そう思って納得がいき、徐々に気にならなくなったと言うのである。
という思考方法です。
自分が正しい、相手が間違っている。と考えて自分と他人の価値観が違う事を受け入れる事が出来なければどうしても生き心地が悪くなってしまいます。そういった生き辛さを避けるためには自分と他人は違う、自分も正しいし相手も正しい、人それぞれ色々な考え方があるという事を受け入れる事ができれば、生き辛さを感じる事無くより良く生きていく事が出来る。それが本書を読んで私が一番大事だと感じた事です。
投稿者 lapis 日時 2014年4月30日
本書の筋から外れるが
データの切り取り方をどうするかという点について
様々な観点から指標を作り検討しており
統計学の側面や社会学調査の進め方という側面は
興味深かった。
最近はビックデータの活用について取り上げられることが多いが、
データをどのように読み解くかで
有効な結果にもなるし意味の無い結果にもなる。
生き心地の良い町の指標として
自殺率が低いことを挙げ調査を進めていく考え方は
データを扱う際に参考になると思う。
ただ、自殺率が低いことが海部町が持つ
「野暮さ」を嫌う特有のコミュニティであるという結論で
それを他の地域に持ち込むことが難しい点は残念だった。
著者は自殺率を下げる対策も記載しているが
海部町の地理的条件、歴史的背景により
作りあがられた風土は一朝一夕にはまねできないものである。
第5章で出していた内容については
「考え方を変えましょう」と個人に頼る方法であり
自殺率低下の有効な手立てにはならないように思う。
自殺率が低い他地域も調査することで別の手立てが
見つかるのかもしれない。
投稿者 whockey51 日時 2014年4月30日
海部町の人口3千人。で老人の自殺者17年間ゼロ。徳島県の人口約78万人。自殺者数162人。1万人に2.05人。東京都の人口1323万人。自殺者数2719人。1万人に2.1人。(2012年の数値から)
徳島県の人口と東京都の人口を比較しないで考えると少なさに驚きを感じるが、同じ割合で考えるとほぼ変わらない結果が見えてくる。
どの都道県も、1万人に対して、1.7人(香川県)~2.8人(新潟県)で推移している。
なので、統計的に考えると自殺者ゼロでもおかしくは無い気がする。
が、自分で数値を調べてから検討してみても老人の自殺者が17年間ゼロは突出していると結論付けできる。
なぜ新潟県が多いのかを推測すると、
①雪が多いから日照時間が少ないから。
②ゆるやかにつながっていないから。
③人物本位主義ではないから。
逆に多くなる可能性を考えることもできる。
自殺率において地域性が絡む問題なら、対策はほぼ再現性の無いものになってしまう。この本から学べたことは、地域性を考慮してビジネスを組み立てる必要もあるという事になる。
投稿者 tadanobuueno 日時 2014年4月30日
「人として賢い」
ほんとうに海部町の方の特徴をいい得た、ぴったりな表現だなあ、と思いました。
海部町が変化への対応を求められ、生き残っていく為に培ってきた特徴、文化。
海部町の方には失礼かもしれないが、心の持ち方は2つのものがあると改めて感じました。
・環境により培われる
・知識・教養により培われる
この人としての賢さは、社会におこる様々な変化を我々が乗り越えていくために必要な基本姿勢だと感じました。
どのように変わっていくべきなのか?
海部町の方の、大成する方がいないという嘆き。
問題がないところなどないし、問題しかないところもないのだと思う。
結局は自分(会社・地域)が長年培ってきた特徴・文化を見つめなおし、その上でのいいとこ取りをするべき。
自分の特徴に立脚し、さらにいいとこ取りをしていく、こういった変化が求められるのだと思った。
著者が指摘する解決策は自分にとってかなりの既視感を覚える内容でに逆にうまく腹に落ちました。
結局、物事の本質にたどり着くには以下が必要なんだと改めて感じました。
・解決策は万能薬や即効性の高いもので無いことが多い
・解決策でやれることを、すぐに実行、淡々と継続すること
本を読んでいて感じたのは、世の中には多くの問題への解決策は既に存在している点。
著書のあげた海部町の特徴は、よく言われる日本の地方ではなく外資系企業かと思う内容でした。
結局、通説で、表層的な言葉で理解したつもりになり、解決策を見落としている可能性のほうが高いのだと感じました。
仕事でも同じような失敗をしていることを強く感じました。
現場での見聞き、その数字での論証、この重要性を改めて感じました。
今回も様々な気付きいただきました。
ありがとうございます。
以上
投稿者 magurock 日時 2014年4月30日
自分は海部町に住めないな。
最初の章の「コミュニティに鍵がある」という文が目に飛び込んできて感じてしまった。
一人の時間さえ確保できないバタついた毎日を送っている身としては、『コミュニティ』という言葉すら空恐ろしい。
どうしてもおせっかいなイメージを抱いてしまう。耐えられない。
ところが読み進むうちに、著者のあたたかい文章も手伝ってそんな印象も薄らいでいき、同調に縛られないところや、新入りに関心を寄せたかと思うとすぐ飽きてしまう町民性が、本当に居心地良さそうに思えてきた。
飽きられたころにはもうその人は余所者ではないのだろう。
自殺者の少ない町ということで、やはり自殺の是非について話が行き着く。
「自殺って、それほど悪いことなのでしょうか」
お嬢さんを自殺で亡くした母親の言葉。
この言葉で、かえって自殺はいけない、と痛感した。
私は、自殺未遂経験者だ。
十代のころ、自分は生きている価値のない人間だという観念にとらわれていた。
死ねなかったことでも自分を責め、死に切れなかったことに少しの安堵を感じた自分を憎んだ。
自分が生まれてきた意味はなんだろう?と未だにわからずにいるが、あのとき死に切れないでよかった、と思う今日この頃。
きっと、たくさんの人との出会いやつながりがあったからこそ、そう思えたのだ。
それは人との絆で癒されたというよりは、人との付き合いから得る知識や経験で、漠然と人間が踏み込んではいけない領域を感じるようになったからかも知れない。
そして結婚して子どもを持ってからは、さらに命を大切に思うようになっていった。
そう思わせてくれた子どもを自殺で失うなんて!
考えただけでも心臓の鼓動が早くなり、涙が出る。
きっと悲しみはもちろん、救えなかった自責の念で、気が狂いそうになるだろう。
自殺は自分殺し。神様が一番嫌がる人殺しの一種。
人が人を殺す権利など、そもそも無いのだ。
自殺なんて野暮、野暮。
そんな見方が広まってくれるといいな!
投稿者 tractoronly 日時 2014年4月30日
生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある を読んで
おそらく海部町には自営業的な生き方をしている方が多いのではと想像するのですが、いざ私がその中に入り込んで生活をともにした場合のことを考えるとあまり気が進まないというのが正直な気持ちでした。
海部町の方々の様子を見るに、これまで出会ってきた中でイメージが重なる人が何人か思い浮かびましたが、大体がへりくつをこねたり、口が達者で私の方が言い負かされたりと、扱いにくい人たちの集まりのように感じたからというのが理由です(もちろん本著で述べられている通りいろんな人がいるはずですが)
しかし本著を読み進めていくと、どうやらそのような感触を持つ原因は自分にあったことに気づかされる言葉がありました。
「思考停止」
これをしないかしてしまうかの違いで、どのような環境でも生きづらく感じ、もう一方では活路が見出せるし、実際、赤い羽根を拒否するような賢い海部町民が多いのも物事に疑問を持ち、自ら考える癖が個人やコミュニティに染み付いているからなのでは?と思いました。
思考停止をやめる。これが自分の周り、ひいては所属するコミュニティを生き心地の良い場所に変えていく根本の秘訣なのではないかと思いました。
投稿者 ken2 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町~この自殺率の低さには理由がある」を読んで
パッと見ただけでは隣町との違いもまったくわからない、代わり映えのしない(とあえて書く)のどかな海辺の町。
そんな「海部町」から自殺予防因子という圧倒的な差異をあぶりだして見せた著者。
その永年にわたる根気強い調査と研究成果をうまく活用すれば日本の未来を変えるかもしれない。
町で見つけた5つの自殺予防因子
1.いろんな人がいてもよい、むしろいろんな人がいたほうがよい(多様性)
2.人物本位主義(年齢や学歴よりも能力重視)
3.どうせ自分なんて、と考えない(自己効力感)
4.「病(問題、課題)」は市に出せ(公にせよ)
5.ゆるやかにつながる(監視ではなく関心)
さらに自由を尊重する風潮をけがすようなことは、「野暮」だと言って遠ざける心意気。
これらのエッセンスをベースに地方の町おこし、若者誘致、過疎化対策を行なったらよいのではないだろうか。
「海部町」と隣町との差異が発生した根本にあるのは「よそ者」の流入である。
その土地での強みをあぶりだし、(海部町の場合は、漁業基地となる港があった)
若者を惹きつける施策を長期計画に基づいて立てれば、何十年、いや何年かのうちに熟成され、
全国いたるところに「海部町」ができるのである。
「生き心地の良い町」がいたるところにたくさんできれば活気もうまれるであろうし、若者はその土地での貴重な労働力になるし、ゆるーくつながる町の後継者もその中からうまれてくるであろう。
町おこし、村おこし、若者誘致に苦労している自治体が基本理念にこれらのエッセンスを取り入れたら、ブレイクスルーのきっかけになるかもしれない。
投稿者 uchdk 日時 2014年4月30日
「生き心地の良い町」を読んで
自殺率がテーマで難しいのかと思いましたが、素人でも非常に分かりやすく書かれていて良かったです。海部町のように適当な距離感で暮らしている町があることを本書で知ったとき、はじめに浮かんだのは会社での部署間の違いと同様ではないかと思いました。
会社の部署において、特にリーダーが変わると同じ業務をしているのに業績や居心地の善し悪しに違いが出るのはなぜなのかと折に触れ感じていました。
「病は市に出せ」は、会社では「問題はひとりで抱えず皆に開示する」ことと同じで、そのように出来る職場雰囲気を作ることが重要であると思います。また、その雰囲気を作るには、各個人が他人の業務・行動に「監視では無く関心を持つ」ことが必要になることが海部町と共通事項かと思いました。
課題図書をきっかけに以前よりは読書頻度が増えてきて、今回は仕事とは関係無いと思って読み始めたのですが、読書するほどいろいろなジャンルは違えど、大切なことは共通しているのかなということが感じられました。貴重な本と出会えて良かったです。ありがとうございました。
投稿者 fingerxfrog 日時 2014年4月30日
生き心地の良い町を読んで
自分にも他人にも拘る事で、視野が狭まってしまい、己を捨ててしまうのではないかと感じた。
海部町の人々に見られる、付かず離れず、しかし互いの人間性はフラットであるということ。これが柵のない生き方の根幹なのだろう。
地域地形的な特質はあるものの、本書の最後でA町に投げかけた筆者の決断が、そのまま年間3万人のココロ内を救ったのは間違いない。
投稿者 jawakuma 日時 2014年5月1日
まず、本書のもととなる調査の着眼点が非常に秀逸だなと感じました。何か問題点を解決しようとするとどうしてもマイナス要因を払拭する方向で考えてしまいがちですが、問題を起きずらくする要素を解き明かそうとするアプローチが素晴らしいと思いました。筆者は物事を多面的にとらえることができる方なのですね。この調査を進めるにあたり、同じ大学院仲間や研究室から反対があったと記述がありました。やはり、前人がいないことに対しては、批判的なアドバイスが集まりがちですね。(日本のお国がらかもしれませんが。)周囲の意見は意見として受け流し自分の決めたこと、興味のあることをやり抜く大切さを学びました。私のこれからに活かしていけるよう努力したいと思います。ありがとうございました。
投稿者 wapooh 日時 2014年5月1日
201404【意着心地のよい町】を読んで
この本には2つの旨みがあると想う。
一つは、仕事のスキルへの旨み。読者は、研究(博士論文)を完成させ、この本を纏める著者である岡さん「私」の後ろ姿を追いながら、幾つかのヒントを得る。
・ 岡さん自身が「私」の姿勢をたどる、自己への客観的目線を持っていること。
・ テーマの選定(自殺の起こらない要因探し)という逆張りの論理展開
・ 研究姿勢とデータ解析に見られる、視点の高低(虫と鳥目線=一人称と多人称)の妙。
・ 「なんとかなる」というベースを持ち、単身町に飛び込めるポジティブなひたむきさ
・ 専門家ではなく素人だからなのか、地道で膨大なデータにもめげない野心(引用文献500本、データクリーニング数300万件など)
・ ひたむきさゆえの、協力者の登場(教授、同僚、保健婦さん、海部町A町の皆さん、統計数理研究所職員)、人たらし力
・ 多数のアンケートから得られる声を纏める創造力
・ 既存の要因にとらわれず、独自の要因を作成しようと言う創造力
中でも、『逆をはる』。
しょうおんさんのメルマガに頻出する言葉の一つで、単純思考の自分の世界になかった言葉。未だにピンと着ておらず、頭の隅にひかっかる言葉。なので、正しい理解・使い方ができているか不明ではある。
『逆をはる』、二つ目の旨み=本書の内容を読み解くためのポイント。二つ目の旨みは、「生き心地を良くする」知恵。岡さんと共に、本書のモデルの海部町の人々を追いながら、心地よく生きるヒントを得る。
・ 心地よく生きる=生き易さ、を正面から向かわず、「生きづらさ」を知り、少なくすることを考える。生きづらくなるのは、「どうせ私なんて」と言う自己効果力の低さからも来るから、そう言わせないようにする。
・ 「どうせ私なんて」と言っても言わせても、誰も得しない。得をする、を正面から向かわず、損に目を向ける。損をするのは、自分と他人が干渉により嫌な思いをすること=野暮をなくすこと。その為に、想像力を働かせる。自分が働きかけるから、主体的に生きる。
・ 野暮にならないために、「自分を大切にする」。大切にする、を正面から向かわずに、粗末に扱われることを考える。追い込まれて居辛さを感じることのないように、柔軟な組織にする。例えば、「朋輩組」の組織。違いを認めて、一度目は過ちを許す。その為に関心を持って人と接する。病や弱みは出させる。過ちも弱みも、本来は負の部分。そちらへと目を向け提言しようとすることで、正が生きる。
・ 幸せに生きるために、幸せに正面から向かわず、不幸を考える。極度に不幸にならないように、不幸を決める自分の心持ちを負も認める弾力のある柔軟な心へと変える。
そのような知恵。
『愛情の反対は無関心』と言う言葉を思い出した。無関心をやめたら愛情に満たされて心地よくなれる?
自他共へのコミュニケーションについて、そんな関心を持って関わっていけたら。追い込まず柔軟になれたら。
仕事と心、両方のヒントを得られた気がする。
会社でもそう。社の方針、上司、顧客への関心を示し、その人を受容れて意見ができたり仕事を進めていけたら、自分が心地よくなれるのではないか?失敗しても立ち上がりまた関われるのではないか?家族でも、住環境でも。
そんなことを感じた一冊でした。今月も、考える機会とアウトプットの機会を下さいまして有難うございました。
投稿者 jawakuma 日時 2014年5月1日
まず、本書のもととなる調査の着眼点が非常に秀逸だなと感じました。何か問題点を解決しようとするとどうしてもマイナス要因を払拭する方向で考えてしまいがちですが、問題を起きずらくする要素を解き明かそうとするアプローチが素晴らしいと思いました。筆者は物事を多面的にとらえることができる方なのですね。この調査を進めるにあたり、同じ大学院仲間や研究室から反対があったと記述がありました。やはり、前人がいないことに対しては、批判的なアドバイスが集まりがちですね。(日本のお国がらかもしれませんが。)周囲の意見は意見として受け流し自分の決めたこと、興味のあることをやり抜く大切さを学びました。私のこれからに活かしていけるよう努力したいと思います。ありがとうございました。