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第129回目(2022年1月)の課題本


1月課題図書

 

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

 

今年もたくさんのノンフィクションを読んだんですが、これはベスト3に入る面白さでし

た。勝てば必ず評価されるはずのプロスポーツで、勝ち続けたのに、勝てば勝つほど嫌わ

れてしまった稀有な存在が、中日時代の落合監督です。そんな落合氏が何を考えていたの

かを、本人にインタビューすることなく、彼の行動と部下、つまり選手たちへの聞き取り

からだけで浮かび上がらせたんです。

 

本書を読むと、プロとは何か、プロとしてどう考え、どう振る舞うべきか、孤高に生きる

ことがどういうことかが、迫力を持ってあなたに迫って来ます。正月最初に読むにふさわ

しい素晴らしい本ですから、多くの人に読んで欲しいと思います。

 【しょ~おんコメント】

1月優秀賞

 

1月の課題図書優秀賞を発表します。投稿者さんによる一次審査で名前が挙がったのは、

 

BruceLee2票、sarusberi49さんが3票、Cocona1さんが2票、LifeCanBeRichさんが2票、

そしてakiko3さん、AKIRASATOUさん、msykmtさんが各1票でした。

 

この7名の投稿を読み込みまして、今月はBruceLeeさんに差し上げることにしました。お

めでとうごさいます。

 

先月はニューカマーのCocona1さんが複数票の投票を受けて一次を突破したのが良かった

と思います。

【頂いたコメント】

投稿者 yosida5508 日時 
嫌われた監督を読んで yosida5508
 学生野球を経験し、その後もずっと野球にかかわっている人間としては、まぁ~面白いし、示唆に富んでいるし、そんな舞台裏だったのと懐かしさもありであっという間の読了。同郷人ということもあり文句なし一冊。
 ところで、野球という競技は小学生からそれこそプロ野球まで、実は練習の手順、やり方はそんなに違わない。ランニング・体操・キャッチボールに始まり打撃練習・守備練習、時々試合形式の練習を挟んで最後にまたランニングと体操で終わる。チームや時期によって順番や比重の違いはあれ、やっていることに大差はない。では各年代の差はどこから来るのか。一言でいえば、パワーとスピード。それが体の成長と共に必要な栄養とトレーニング(~小学生・神経系、中学~高校・持久系、高校~・筋力系)を積むことにより各年代、各個人の能力の差として現れる。ただ残念なことに勝利至上主義により技術・スキル中心の練習が若い年代から行われている現状がある。
 また野球ほど運や偶然が勝敗に大きく作用するスポーツもない。屋外競技ゆえの天候だけでなく、たまたま投手の出来が良かった。いい当たりが正面を突いた。ボテボテのゴロがイレギュラーした。まぶしくて見失った。枚挙にいとまがない。だからこそ、「野球というのは人生の縮図、社会の縮図ですよ。(簑島高校野球部元監督尾藤公氏)」という言葉が生まれ、野球そのものではなく、選手一人一人に焦点を当てた書籍が数多く出版されている。
 さて本書に話を戻そう。選者(しょうおん先生)が言う様に、選手のインタビューを重ねることで監督としての落合氏の決断と葛藤を浮かび上がらせ同時に筆者の記者としての成長と足跡を記録した、まぁ本当に面白い本で、野球を知らない人にでもお勧めの一冊。雑誌の掲載は毎号選手一人に焦点を当て、見事にその選手の人生の縮図、ターニングポイントが描かれているが、一冊の本としてまとめて読むことにより監督落合の人物像が浮かび上がってくる。
 選者が言う「プロとは何か」。本書に見る私の答えは二つ。「契約書」と「結果」。
 プロ野球選手はどの様な練習をしているのか。プロ用の特別な練習、素人受けする派手な練習・・などはしていない。本当に地味な基礎基本に徹した動きをコツコツと地道に繰り返している。松井秀樹氏がNヤンキースに入団した折にDジーター選手の練習が話題になった。守備練習では目の前のコーチからボールを手で転がしてもらい、それをバックハンドでとる練習だけを1時間以上。打撃練習では長さの違うバットでティーバッティング(置いたボールを打つ)を2時間以上。宮本武蔵曰く「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」。練習の初めの段階では、見た通り聞いたとおりに考えながら(左脳)繰り返す。ひたすら繰り返して(量稽古)身体が勝手に動く様にする(右脳)。たとえば短距離選手のフライングは身体反応時間0.1秒以内とされているが、練習によってこの時間を凌駕することが知られている。選者も「怪しい系は調身・調心・調息の三つの基本の鍛錬」と繰り返し述べています。本書では森野将彦、荒木雅博の章で個人ノックも様子が描かれているが、そこにはいわゆる「魅せる」類の物は一切排除されている。逆にバッティングでは福留孝介、和田一浩という基礎が出来ている選手だけに技術が語られる。しかしそれさえも「一流はシンプル」という一言と「三年かかる」という覚悟を求める言葉のみ。そして「自分のために野球をやれ。勝敗の責任は俺が取る。」「チームのことなんて考えなくていい。」「たら、れば、は言うな-」「負けたら意味がない。何の意味もない―」すべては勝利という結果だけのために。
 その勝利=優勝への執着はどこから来たのか。若いころはむしろ勝つための練習や人間関係から逃げていた男が中日球団と交わした契約書。多分そこには「優勝」の文字。そのために必要な現在では考えられないほどの権限。当時を思い返すに球団は一番しがらみのない、いわば繋ぎ、当て馬として落合を持ち出してきたのではなかったのか。そのため落合は自分の依代を「契約書」に求めたのではないか。「今、優勝するために」、可能性のある若手よりも実績のあるベテランを、ドラフト会議では即戦力を、周りの意見に耳を貸さず、時には睡眠薬を飲みながらも自分の姿勢を崩さず、すべてを捧げ、削ぎ落とし、シンプルに、自分の眼だけを信じ、その目にかなった人間だけを信じて。
 世間から嫌われた監督落合も、しかし奥さんや稲尾和久氏とのエピソードは、だからこそ人間は一人では生きていけないとの思いを強くさせてくれる。
 落合博光 昭和28年12月9日秋田県男鹿市生 二黒土星射手座 今度この観点から本書を読んでみるのも面白いかもしれない。
投稿者 akiko3 日時 
落合氏がどんな選手・監督だったのか知らなかったが、ずっと野球の第一線で輝き続けてきた人だと思っていた。
それが、理不尽だと思う上下関係にNOといい、野球を辞め、回り道をしてプロ入りも遅く、期待の星という感じでもなかったから、そんな自分が名を残すためには”三冠王×3度”に狙いを定め、長く野球をして結果を出す戦略で生み出したオレ流、一流だったとは意外だった。
その為の故障しないよう自分に責任持つ姿勢が、わがままと取られたり、勝つ為の情報戦略が野球界の常識から逸脱していると、敵を作ることにもなった。
それでも、自分の価値観を優先させ、考え、欲しいものは自分から取りに行き、周りから学び、失敗・改善・挑戦を繰り返し、オレ流を築いていった。その過程は、人としての成長・悟りでもあった。

落合氏が野球を辞め、映画ばかり見て過ごした挫折時代は、自分の居場所に今一つ満たされず、孤独を味わっていたのでは?と想像するが、何かで名を残した人は、一度は挫折を味わっていることが多く、その挫折から這い上がった先に自分の好きや居場所を見つけ、生きている喜びを味わっていったように思う。

陸上の北京五輪4×100mリレー銀メダルの末續慎吾氏も、10秒の壁に最も期待されていた選手だったが、走れなくなった空白の期間があり、その間、人生さえ終えようと追い詰められ、自分と対峙し、なんで走るのか?本当に自分が喜ぶことは何か?に気づき、走る喜び、生きる喜びを取り戻したと何かで読んだ。

あの生命の永遠の尊さを歌った「千の風になって」の日本語詞、作曲の新井満氏も、インタビューで若い頃、生きていることに絶望し、自殺を考えたことがあったと語っていた。
だが、生かされていることに気づき、自分の好きと居場所をみつけられた。
そんな苦しい葛藤が心を強くしたのだ。

苦しい葛藤は、自分に自信がもてない荒木選手にとっては、日常茶飯事だったようで、試合後、眠れぬ夜には本を読み、その本の言葉の中に自分への指針を見出し、今いる場所で頑張る意味づけを行い、必死に置かれた場所に居続けられるよう努力していた。
荒木選手は技だけでなく、心の筋トレもしていたのだ。
そんな努力の日々が人々の心に残る“大化けする”結果を導き出した。
奇しくも、監督が禁止していたヘッドスライディングでチームの勝利を引き寄せた。
”自分で考えて”、”自己責任”で最善を尽くした結果はチームへの貢献になった。
この瞬間は、落合監督が伝え続けたプロ意識を体得し、独り立ちした証明であろう。
また、チーム内での自分の居場所・役割にやっと自信が持てた。

ちなみに、本の帯に“なぜ、いつも独りなのか。”と独りであることが悪いことのような響きがあるが、自分の居場所にいると孤独を感じず、意外と幸せで快適だと思う。周りは気にならないし、落合氏は自分が評価されるのは「自分が死んでからだろうな...」とつぶやいていたが、そこは少しは寂しさを感じたのだろうか?いや、どっちでもいいけどって感じだろうな。


落合氏は監督として勝利を得る過程を通してチームを構成する『選手』を育てた。
プロとして一日でも長く野球ができるよう、自分の居場所を見つけ、野球をする喜びを味わえ、それは自己責任だと課した。

ここで、世間の基準ではなく、自分の思いを通し、見事金メダルをとったトリノオリンピックのフィギュアスケーター荒川静香選手の話を思い出した。
トリノオリンピック前の移動中、乗っていた飛行機が胴体着陸をすることになったというアナウンスを聞き、死を覚悟し「もし生き延びたら、トリノでは感謝の気持ちで演技しようと思った」とか。
そして、トリノでの演技で一躍ブームになったイナバウアー誕生秘話で、憧れの選手が禁止ワザで大減点されても大喝采を浴びる演技を見て、”ルールに縛られて自分らしさを失うより、人々の記憶に残るスケーターになりたい”と強く思ったと語っていた。
命がある感謝、そして、自分に与えられた”らしさ”を大切に、最善を尽くす

感動を生む金メダル(大化けする結果)

だが、感動=結果ではない。あのメダルには届かなかったが、ソチオリンピックの浅田真央選手のフリーの演技も感動を生み、強く印象に残っている。
そんな感動の演技を会得するまでの日々、そんな演技の司令塔である心の鍛錬。あらゆる努力と犠牲のすべてを一瞬にかける。神業だ。

プロは厳しい世界だと思いながら読んだが、P449の下記の言葉に( )を追加すると少しは監督の指導を自分の人生に落とせそうなのでこれからの指針にしよう。

球団(会社・社会)のため、
監督(上司・親)のため、
そんなことのために野球をやるな(人生を生きるな)
自分のために野球をやれ(人生を生きろ)
勝敗の責任は俺が取る(人生をかけた努力への結果は天にゆだねろ)
お前らは自分の仕事(人生)の責任を取れ

そして、人生の終わりは自分で決めるとも聞く。
その時、「お前、認めてやるよ。自分はもう必要ない。」という声は、自分の内から聞こえてくるのだろうか?
 
投稿者 Cocona1 日時 
本書を読んで、プロとは何か、それは、目的のためにどれだけ捨てられるか、なのだと学びました。というのも、落合監督は、各自が支えにしているものを捨てさせていたからです。

投手にとってはフォームを。
野手にとってはポジションを。
球団にとっては看板選手を。

さらに落合監督自身、心の支えとしていたお守りをも、手放しています。

どれも、本人が一番分かっているけど決心できないこと。それを本人のために自分の意思で捨てさせるように追い込んでいるのが、私が感じた落合監督流でした。

筆者もP129で、プロ野球選手と末席の記者との決定的な違いを、勝ち取ってきたものの数よりも、捨ててきたものの差だと表現しています。

筆者の言う通り、プロの野球選手になるような人は、すでに多くのものを捨ててきているはずです。そんなプロでも、変わるためにはさらに捨てる必要がありました。

しかも落合監督の恐ろしさは、捨てる決断を命令しないことにもあります。自分で決めさせることで、言われたからやったという、言い訳すらも捨てさせています。

正直、ここまでやらないと勝てる選手に変われないのかと驚きました。そりゃ嫌われるわけだ、素直にこんな感想です。

もし、落合監督が自分の上司になったら、自分は精神的に耐えられないだろうと思います。そのくらい、目的のために変わることの厳しさを、実感できました。

「お前の大事なものを差し出せば、願いを叶えてやろう」
マンガなどで悪魔がよく言うセリフですが、本書を読むと、案外人生の大切なことを表しているものだと思えてきます。

読了後、自分がどれだけヌルく甘い生活を送っているのかと、反省しました。変わるためには、何をやるかと同時に、何を捨てるかも重要ならば。。。

改めて、自分が今、捨てたくないものは何か、依存しているものは何かを考えてみました。

もともと私は、何かに頼らずに生きたいというポリシーがあります。人生のターニングポイントでは、依存しない道を選んでいます。例えば、就職でも、大手よりもベンチャー企業を。会社名ではなく職種を優先に、決めてきました。

それでも、本書を読み、今の自分を見つめ直すと、気付けばたくさんのものに支えられていることに、改めて気づきました。

今の会社、家族、過去の成功体験。

それらは確実に、自分の安心につながっています。きっと人間は、捨てたくないものがたくさんあるほど、幸せを感じるのかもしれない、とすら思います。

しかし、明日全てがなくなりゼロから再出発することになったら、間違いなく今日と同じヌルい1日は過ごさないはずです。そうなる前に、自分が叶えたいことと、そのために捨てなければいけないことを、もっと真剣に考えなければいけません。

次に、変わりたい自分についても考えました。今月は1月ということもあり、新年の目標として、やること・やりたいことをいくつも設定しています。

その中でも私は、今年やりたいことの一番上に『速読』を挙げ、新年の速読セミナーも受講しました。思えば、セミナー中にしょ~おん先生が言っていた「must have or die(やらなければ死ぬ)」の言葉が、まさに落合監督の流儀と同じでした。

速読セミナーを受講して、私は、「1週間に2冊本を読むこと」「毎月の課題図書に参加すること」。
この2つを具体的な目標にしました。
しかし、1月ももう終わりますが、読了の冊数は、目標の半分にも届いていません。課題図書も、「来月からにしようかな」と、逃げることを考えたりもしました。

「目標が未達でも速読セミナー受講前よりは増えたから」
「1月は忙しかったから仕方ない」
やれない言い訳は、いくらでも出てきます。

しかし、本書を読んだことで、そんな自分に、妙に居心地の悪さを感じるようになりました。

本書の最後で中日は、落合監督の解任をきっかけに優勝しています。球団が落合監督を捨てたことで、チームの強さが最大になり、奇跡の優勝につながりました。捨てたものを動力にする、落合監督の理論を証明した結果となったのです。

これだけ捨てたんだから勝たなければ、という危機感。それが今の自分にはまったくない覚悟です。

私は、何を捨てれば、速読をマスターできるのでしょうか。
湧いてくる言い訳を捨てるくらいでは、間違いなく叶わないでしょう。

そんなことを考えながら、少しでも自分を追い込むべく、1万円分の積読本をネットで注文し、むだにテレビを見ている時間を捨て、課題図書にも向き合ったのでした。
 
投稿者 mkse22 日時 
「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読んで

落合といえば、三冠王を獲得した野球選手で、野球にそれほど詳しくない
私でもその名を知っている選手だ。

落合が監督になるというニュースが流れた時は、「名選手に名監督はいない」といった
言葉があるように、名選手がよい監督になれる可能性は低いと思っていたので、
当時はあまり期待していなかった記憶がある。

そういう気持ちからなのだろうか、落合監督就任後のスポーツニュースをあまり追いかけた記憶がない。
俺流という言葉ぐらいを知っているぐらいかな。
落合が監督だった時期は、私がプライベートなことで手一杯だった時期と重なっているため、
それが理由でスポーツニュースを見る余裕がなかっただけなのかもしれない。

だから、本書を読んで、落合監督時代の中日の通算成績やリーグ優勝や日本一となった年があることを知って驚いたぐらいだ。

本書読了後に、改めて考えてしまった。
なぜ、私は落合監督時代の中日に興味を持てなかったのか。プライベートが忙しかったから?
監督としての能力を期待していなかったから?もちろん、それも理由の1つしてはあるだろう。

しかし、興味をもてなかった理由はそれだけでなかった。
私が興味を持てなかった理由、それは落合監督の発言や決断に冷酷さが目立ち、
それらに華がないと感じていたからだ。

私のような熱心なプロ野球ファンではない人間は、スポーツニュースを常にチェックしているわけではないので、特に話題となったニュースしか見ない。

長嶋監督や星野監督そして野村監督は発言が頻繁にニュースになっていた感じがある。
例えば、野村監督は今週のボヤキといったコーナがテレビ番組であったほどだ。
最近の話題でいえば、ビッグボスこと新庄監督だ。彼の発言は選手時代から惹きつけるものがある。

それに対して、落合監督の発言はニュースにはなりそうだが、それらは賛否両論となりそうなものばかりだ。発言だけ聞くと、にわか野球ファンの私は問題発言の多い監督というイメージをもってしまい、
中日の試合を見ようとはしなかっただろう。

しかし、本書を読んで初めて理解できたのだが、落合監督の発言や決断の背景には、チームの勝利を最優先にする考えがあった。

よい例が2007年の球界大記録達成と目前にしたピッチャー山井の交代劇だ。
この部分は読んでいて鳥肌が立ってしまった。山井本人から交代に関する事前申告があったとはいえ、
落合監督は大記録達成と目前にしたピッチャーに対して交代を指示をした。チームの勝利のより確実にするためだ。もし、交代したうえで試合に負けていたら、落合監督は日本中の野球ファンから大記録を潰したとしてバッシングされただろう。

この落合監督の決断は、私だったらその重さに耐えられずに決断できないと思ってしまった。
同時に、気づいてしまった。私は勝利を最優先にした試合を見たいわけではなかったことに。
山井が交代せずに続投した試合を見たいと思い、そのような試合を「華がある試合」と考えてしまっていた。続投の結果、中日が負けたとしても、それを受け入れてもよいのではという考えさえ頭をよぎっていた。

プロは結果がすべてあり、試合では勝利しなければいけない。
この考えに選手もファンも異論はないはずだ。私もその通りだと思っていた。
しかし、試合に勝つ可能性が下がる選択をすることを許容している私もいた。
私は本当の意味でのプロ同士の試合を見たいと思っていなかったわけだ。

勝利を最優先にしない試合でも別に問題ないのではないか。負けてもそこに華があればそれはそれでよいではないか。このような考えも頭をよぎったが、すぐに捨てた。

なぜなら、この考えが浸透すると、選手とファンとの間にあるべき緊張関係がなくなってしまい、
選手が次第に試合に勝てなくなると思われるからだ。そうなると、勝てない試合はつまらないので、ファン離れがおきてしまう。
選手側も、ファンを大事にする名目で、能力に関係なく人気のある選手のみが試合に出場するようになると、選手間の競争がおこなわれなくなるので、個々の選手の能力向上が期待できず、さらに試合には勝てなくなる。

『かつて血の結束と闘争心と全体主義を打ち出して戦っていた地方球団が、次第に個を確立した者たちの集まりに変わっていった。』 (p.393)

落合の目指したプロとは、自立した個であり、自分の仕事に責任が取れる選手のことを指す。彼らが集まることで、初めて勝利を目指したチーム編成が可能となる。
その際、ファンも選手が自立するように後押しする必要がある。決して選手と依存しあってはいけない。なぜなら、依存すると、試合の結果に対する責任の所在が曖昧となり、
勝利が遠のくからだ。

チーム勝利のための必要条件は、選手だけでなくファンも自立していることである。
これが本書を読んで学んだことだ。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 daniel3 日時 
 落合は多くを語らず、考えていることがよくわからない、とっつきにくい監督だと思います。そんな落合を、著者は新聞社の記者として約9年間取材し続けました。多くを語らない落合からこぼれ出る言葉や行動を著者なりに解釈した本書からは、落合の監督としての哲学らしきものがぼんやりと見えてきました。そしてその哲学に触れることで、新年から自分の仕事を見つめ直す機会となりました。

 落合は2004年から中日ドラゴンズの監督に就任しましたが、その就任を歓迎する者は必ずしも多くなかったようです。それは星野仙一を「仙さん」と呼んでいた記者が、「オチアイ」と呼び捨てにするところに象徴されています。なぜ、落合はこうも嫌われたのでしょうか?

 その理由の一つとして、記者陣に対するサービス精神が欠けていたことが挙げられると思います。星野仙一が監督であった頃は、記者陣を従えて散歩やお茶会をしたそうですが、落合はそういった記者たちとの交流をシャットアウトしました。

 また、ファンからも「試合が面白くない」と批判されることもありました。それは例えば、スター選手の立浪和義をレギュラーから外したり、日本シリーズで完全試合を達成するかもしれない場面で、山井を降板させるなどといった判断にあると思います。プロ野球とはあくまで娯楽なので、勝つためとは言えファンが見たいシーンを切り捨てる落合の野球スタイルは、魅力に欠けるものであることは否めません。

 以上のように、落合は各ステークホルダーに対して、サービス精神が欠けている面があります。その一方で、落合が監督に就任してから中日ドラゴンズは、毎シーズン優勝争いにからむ強豪チームとなったという側面があるのも事実です。落合がステークホルダーへのサービスよりも「勝つこと」を優先した理由の一つとしては、契約を重視していたためです。(P.383)にあるように、落合の球団との契約には、成績に応じて年俸が上がるという条項が含まれていました。また、クライマックスシリーズが伸びた2011年には、契約期限外となる11月以降の監督業を日割請求もしていました。

 こういった点に注目すれば、ただ金にうるさいだけの監督とも思えます。しかしそれだけが落合の行動原理ではない、と私は思います。落合の行動原理については、P.F.ドラッカーの

 「顧客は誰か?」

という有名な言葉が、推測するヒントとなりました。落合というか、野球の監督のステークホルダーを考えると、以下のような人々が挙げられます。

 ・記者
 ・ファン
 ・球団関係者
 ・選手

 記者やファンといったステークホルダーは、厳密には球団関係者の顧客に分類されます。もちろん落合は球団関係者と契約しているので、球団関係者の顧客にも配慮するべきではあると思います。しかし、球団関係者との契約内容では「勝つこと」を優先条項としているので、間接的な顧客へのプライオリティは下がります。

 そんな関係の中で、落合率いる中日を勝利へと導いてくれるのは、もう一人の顧客である選手であり、落合は選手が成果を出すことをトッププライオリティにおいていました。改めて言うまでもなく、スポーツ選手の選手寿命はとても短く、野球選手の場合の平均は7年程度と言われています。その短い期間で成果を出し、ほぼ一生分の賃金を稼がないと、野球一筋で生きてきた後半生は厳しいものになります。さらに、選手時代に活躍が出来れば、その後タレントや解説者としての道も開けてきます。それは元スター選手であった落合には誰よりもわかっているはずであり、選手にもそれを最優先するように指導していました。例えば、和田一浩に

 「チームのことなんて考えなくていい。自分の数字を上げることだけを考えろ」(P.329)

と伝えたことや、怪我につながるヘッドスライディングをチームに禁じていたことからも裏付けされます。

 「ファンを大事にする」という耳ざわりの良い言葉や、記者とのなれ合いというプライオリティの低いことに流されず、自分の「顧客は誰か?」を考え真摯に向き合う、そういった落合博満という監督の哲学が浮かび上がってきました。

 自分は仕事をしている風を装ってはいないだろうか、本当に顧客を考えた行動をしているだろうかと、新年から自分の仕事の価値を考え直す機会を得られた本書に出合えたことに感謝した読書でした。
投稿者 msykmt 日時 
"軋轢は成功への予備動作"

落合博満という人物は、なぜ嫌われたのか。なぜ周囲と隔絶した存在であったのか。そのような落合の在り方からチームがどのように在り方を変容していったのか。そして、この著者自身が、どのように自身の在り方を変容していったのか。本書は、それらを書き表したものである。ここから、私が学んだことは、周囲の思惑とは異なること、これまでの既定路線からは外れるようなことを、自らの意志で実践する人間にあっては、周囲との不和や軋轢が生じるのは免れようがない、ということだ。

一方で、これまでとはちがうことをやると決めてそれを成し遂げた人間のもとには、その成功によって人が慕ってくるのだから、周囲と軋轢が生じると考えるのは、必ずしもふわさわしくないのではないか、という声もあろう。しかし、それは、当選した候補者の選挙事務所にどこからか人がわいてくるのと同様に、その人物が成功を遂げたあかつきに、事後的に人が慕ってくるのであって、はじめからそうであったわけではない。したがって、その成功の背後には周囲との軋轢があったというのは、どの成功譚を読んでもそうであるように、同様なのだ。だから、意志を立ち上げた人間のもとに、軋轢が生じるのは間違いない。

では、本書のどこからそう思ったのか。それは、まだ落合が選手であったときのエピソードからもひろえる。あるシーズンのときに、当時の監督であった星野から、体重制限とそれに反したときの罰金が課せられていた。しかし、落合はそれを所与のものとしては受け入れなかった。なぜ受け入れなかったのかというと、自らの物差しである、球団と個人との契約をまっとうするためにどんな手段を選ぶかは個人の裁量によるものであるという考え方に照らし合わせると、体重制限やそれにともなう罰金というのは、その物差しにそぐわないから、というものだ。これによって、落合は、新聞各紙や球団から批判されることによって、周囲との軋轢をまねいた。

また、落合が監督になった後では、周囲との軋轢をまねいたというエピソードには枚挙にいとまがない。たとえば、落合ひきいる中日が、リーグ優勝をはたした上で参戦した、とある日本シリーズの決勝戦では、自軍のある投手が完全試合を目前にした状態であったにもかかわらず、落合自らの物差しにしたがって、最終回にその選手を交代させた。この決断は、球界から政界におよぶまで、大きな範囲で議論をまねき、軋轢が顕著なものとなった。

では、なぜ、意志を立ち上げた先には、周囲との軋轢がついてまわるのだろうか。それは、この日本では、周囲と異なることをするものを非難する性質があるからだ。どこからそう発想するのかというと、和をもって尊しとなす、と言うように、周囲との軋轢が生じないことを美徳とする考え方が根底にあるからだ。では、なぜそれが美徳とされるのかというと、我々日本人は、自分以外のものから、たたられないようにふるまってきた、という歴史的な背景があるからだ。どういうことかというと、奈良の大仏が建てられたのも、繰り返し遷都が行われたのも、つづめていうと、たたられたくないという思いからなされたものなのだ。さらにいうと、人をおとしめたり、殺めたりすることによって、そのものたちから、たたられたくないから、朝廷は幕府をつくった。そして、その幕府に紛争処理を委譲することによって、自らがたたられるの避けたというわけだ。そのような背景により、和をもって尊しとなすという価値観がいまだに美徳とされるのは、不遇に終わったものから、たたられたくないから、なのだ。そのような価値観であるから、日本人には、異質なもの、つまり和から外れるようなことをするものを、たたりを呼び寄せるものみなし、非難する性質があるのだ。

さいごに、この学びを、我々はどう活かしていけばよいのか。それは、これまでとは違う、なにかを新しいことをはじめるという意志を立ち上げれば、必ず周囲との軋轢は生じるものなのだから、軋轢は所与のものとして受け入れるしかない、ということだ。では その軋轢を受け入れてまで、なぜ我々は意志を立ち上げる必要があるのかというと、その先に成功があるからだ。ここでいう成功とは、公な立場においての大成も含めば、私的な立場においての個人目標達成によって得られる自己成長も含む。なぜならば、虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うように、リスクの内側にしか、成功のタネはないからだ。たとえば、落合も前述の星野との確執を露見したシーズンでは、最終的に輝かしい功績を残している。また、前述の完全試合目前での交代劇ではチームの勝利をつかみ、日本一を果たしている。つまり、意志を立ち上げずに、漫然と過去の延長線上に生きていては、なるようにしかならず、なにも成し遂げられずに人生が終わってしまうのだ。そうであっては、この世に我々が生まれてきた意味がないじゃないか。だから、我々も落合のように自らの物差しにしたがって、意志を立ち上げた上で、なにかを成し遂げる必要があるのではないか。そうでなければ、この本を読んだ意味がないじゃないか。
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投稿者 BruceLee 日時 
「何故、落合は嫌われたのか?」

私が考えるに、その理由は「契約の遂行に貪欲」だったから。以下が全てを物語っている。

「契約っていうのは、それだけ重いんだ。オーナーと交わした契約書は家に大事にとってある。俺がやるべきことは全てそこに書いてる。このチームを優勝させることってな」

本書では、その貪欲さを表す落合の判断と行動が描かれているが、プロ野球に興味が無い私にとっても驚愕だったのは2007年の球界大記録目前の山井の交代劇だ。この場面で思わず「え!ここで替える?」となったのだ。が、その落合の判断の根底には2004年の日本シリーズでの情実的な采配ミスがある。「全てはこっちのミスで負けた。監督のミスで負けたんだ」と落合は言っている。このミスが落合から情実的判断を一掃したのだろう。二年目から意図的にチームから遠ざかり、冷徹な人事を断行し、マスコミへの情報を遮断した。全ての判断基準は「チームの勝利」となった。だが、ここで素朴な疑問が沸く。

「チームが勝利しさえすれば何をやっても良いのか?逆に勝利に直接関係ないことはやらなくて良いのか?」

プロ野球に限らず、ファンが各チームを応援するのはその勝利も勿論だが、各選手のパフォーマンスや試合展開含め「面白い試合が見たいから」ではなかろうか?つまり勝敗以外の要素としてエンターテイメント性もプロには求められるのではないか?落合の野球にはエンターテイメント性は無く、契約重視故の周囲とのギスギスした関係が目立つ。契約終了後も日割りの報酬を求めた点も含めてだ。が、考えてみればプロの仕事なのだから、報酬を要求するのは当然なのだが、実はそこに落合と世間の間にGAPがあるのではないか?

落合は間違っているのか?嫌われて当然なのか?と考えるとそれは違うと思う。何故なら彼は契約書で求められた結果を出したのだから。あくまで私の想像だが、落合からしてみれば、

「だったら契約書に優勝だけじゃなく、ファンを増やすことも条項に入れておけよ」

と言いたくなるのではないか?つまり提示された元々の契約内容自体が甘いのだ、と。が、落合を嫌う人々は言うだろう。

「イヤイヤ、契約書に書いて無くとも、ファンが応援してくれるよう、観客動員数が増えるよう振る舞うのも大事だよね?契約書に書かれてないことはやりませんとか、手弁当じゃ仕事しませんとか、大人げ無くない?」

つまり、落合と世間のGAPとは契約書に明記無い行間の「常識」ではないか?その常識を排除しチームの勝利のみに拘った落合を人々は嫌ったのだろう。ただ私はプロとして落合の考え方や判断もアリだとは思う。アリだとは思うが、「え!ここで替える?」と思ってしまったように、全面的な賛同はし難いというのも正直な気持ちだ。私がプロとして甘いだけかもしれないが、突き詰めると契約に書かれて無い部分とどう向き合うか?なのだ。

一般的なビジネスの世界で考えてみたい。特に転職で外資系企業に中途入社した人は分かると思うが、会社と社員の関係において最も重要なのはJD(Job Description)だ。職務記述書と訳されるが、要するに社員の職務を明確化する契約書の一部だ。落合の考えでは「自分のミッションはJDを遂行すること」となるだろう。ではJDに書かれてないことはどうか?

本当のプロならこう考えるのではないか?「自分のミッションはJDに記載された自分が会社に結果を提供出来る○○であり、その他の不慣れな仕事で会社に損失を与えたくない」、つまりプロ意識である。その社員もJDに忠実かつ貪欲とも言えるが、落合もこれに近いのではなかろうか?

一方、日系企業では突然の人事発令で仕事内容が全く異なる部門へ異動命令が出ることはある。若手社員なら他部門を学ばせる育成が目的の場合もあるが、中年社員の場合のそれは元の部門で不要となったが簡単には解雇は出来ない故の措置の場合が多いだろう。外資では不要となれば即解雇だ。私的にはこの外資系企業と日系企業の文化の違いが上記のGAPの背後にある気がするのだ。「プロとして専門の仕事で結果を出すべきで、出せないなら解雇も受け入れる」外資と「それまでと異なる仕事を与えられても雇用は守られるのだから一所懸命に頑張る」日系と。どちらが良いかは人それぞれだが真のプロフェッショナルに求められるのは前者のような気がする。恐らく、終身雇用が難しくなる日系企業でも今後は前者の意識が求められると思う。

以上のことから、私が考える落合は完全な外資的人間だ。が、終盤になると落合の周囲で変化が起きる。各選手が個として考え、落合のために動き始める。正直、この部分は深く感動し自分の弱い涙腺に閉口したのだが、落合と接した各選手は落合の判断の背後にあるものを理解したからこそ、落合の表面しか見ない他の人には出来ない力を発揮できたのではなかろうか。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、大多数のマスコミが報道する情報を、自分が何も疑問も持たずに、鵜呑みに信じてしまう怖さを改めて感じました。

本書で書かれている落合さんは、秘密主義的な取材ルールを設け、マスコミの囲み取材では多くを語らない一貫した行動を取ったために、取材し情報を伝えるマスコミの伝え方に偏りが起こり、嫌われるような報道がされるようになったと感じました。

2004年から2011年まで星野仙一さんが中日の監督をしていた時は、取材に来た記者へサービス精神旺盛に朝食やお茶を共にし、監督と記者が持ちつ持たれつの蜜月関係を続けていました。それを考えると、取材する記者達にとって落合さんの態度や、接し方は受け入れ難いものだったのかも知れません。

そして、落合さんが監督就任後には年を追うごとに情報統制が厳しくなり、記者達からの囲み取材でも真偽が分からないような、人を食ったようなコメントが多かったために、記者泣かせだったのは間違いでしょう。

記者という仕事は、取材する人物から話を聞きだす必要があるため、ある程度の良い人間関係を保っておく必要があるのは理解できます。

しかし、記者から取材を受ける全ての人が饒舌で、面白いコメントをくれる人とは限らず、取材に対して何も話さないのを不満に思い、マスコミは消費者に対しての情報提供を大義名分にして、あたかも記者の私情がファンの総意であるかのように行動した結果が、落合さんを批判する結果となってしまったのではないかと考えます。

落合さんはキャラクターとして注目されるではなく、自身の仕事であるチームの監督として試合に勝ち優勝するチームを作り出す事にのみ邁進し、記者への囲み取材へのサービスを行う事については、目もくれなかったのかも知れません。

ただ、自分の周囲にいるごく一部の家族には自分の考えや、伝えたい事を吐露していたように思います。
『「俺が本当に評価されるのは……俺が死んでからなんだろうな」その口調に悲壮感はなかったが、言葉が含んでいるものはあまりに悲しかった。』 (P241)

完全リレーで日本一を勝ち取った翌年の正月に家族へ言った言葉で、非情の指揮官と評価が付けられ、落合さんへの逆風が明確に吹き始めている時期でした。

取材するマスコミが情報を求めるあまりに、取材に応じず情報も出さない人物には、非難の記事を書いてしまうという事が一番怖い状況です。

非情な人だと多くのマスコミが報道してしまうと、報道された情報を見た視聴者や読者は、その通りなのだと信じてしまいます。

取材された人物に対して、どのマスコミも同じような内容ばかりを報道すると、それが正しいものだと自分も認識してしまいます。そうならないためにも新聞やテレビ、ネットニュース等だけではなく、本書のような書籍も読み、報道された人はどう思っているのか、どう感じたのかを知りその事について、自分で考える必要があると改めて感じました。

一方的に報道される情報を鵜呑みに信じるのではなく、なぜそのような事が起きたのか、を自分で考えていくようにします。
 
投稿者 Terucchi 日時 
この本は落合博満が中日の監督であった時のことを、某スポーツ新聞の担当記者だった著者が書いたものであり、テーマは、なぜ落合は嫌われたのか、である。私はずっと名古屋に住んでおり、中日ファン歴は自称生きている期間で、その落合が監督をしていた時代もリアルタイムで見ており、もちろん十分知っている。では、落合が監督をしていた時の中日が好きだったかと問われると、正直言って好きではなかった。本来、ファンであれば、勝って強い方が良いと思うのだが、私はしっくり来なかった。今回、この本を読んでみて、当時を振り返りながら、なぜなのかを考えてみた。また、考えるに当たり、この本以外に、落合本人が当時のことを書いた本である「采配」や本人のインタビューも合わせて考察した。

まず、落合の野球について考えてみた。落合は、とにかく勝つ結果に徹する。不確実な攻撃力をアテにせず、ランナーが出れば、セオリー通りのバントで塁を進めて、少ないチャンスから点を取り、取った点を投手力で確実に守り切る野球である。これは、ある面淡々とした野球である。そのためには、調子の悪い人間は使わず、非常な采配を行う。また、若くて一人前になっていない人間は使わない。なぜなら、目の前の試合で一番確率の高いことを考えるのであれば、若い人間ではその確率が下がるからである。なるほど、勝つためには、そして、プロであるならばやむを得ないかも知れない。面白味がないと言えば、面白味はないが、プロの試合であればこれは一つのやり方である。

次に、落合が当時のインタビューで語っていたことを考えてみる。落合は自身の野球を「農耕民族」の野球だと言っている。例えば、野村監督のID野球は、データを駆使して、理詰めで相手を追い込んで勝ちに行く、謂わば狩猟民族の野球である。それに対して、俺の野球はひたすら選手に練習させて、強い土壌と品種を育てながら収穫する農耕民族タイプである、と言っていた。本書でも、結果を出すためには各自が5〜10%の力を上げる努力が必要であると判断し、そのために野球と向き合う時間を増やさなければならないとして、練習時間を増やしている。例えば、他のチームの練習が4日練習して1日休みにしていたことに対して、中日は6日練習して1日休みとした。更に場合によっては居残り練習もやっている。キャンプ初日から紅白戦を行う意味も、キャンプ初日までに各自で身体を作っておき、初日から100%練習に打ち込むことを意味している。これらの事例から、中日はどの球団よりも練習量が多かった。これは落合が現役時代、誰よりも練習をしたから、結果を出すことができ、それに自信を付けたことから来る。なぜなら、落合は「俺よりもバットを振った選手は王さんぐらいだ。お前たちは俺よりも下手だからもっと練習しなければ勝てるわけがない」と言っており、とにかく量稽古を大切にしたのである。本書の中でも、森野に対するノックなども量稽古で身に付けるやり方である。ところで、選手たちのインタビューでは、みんなが落合のやり方は基本的に古いやり方であるが、むしろ原点を学んだと言っている。落合の野球は、農耕民族だからこそ、コツコツとした確実性を積み上げ、実りに繋がったと考える。これらのことは、落合の野球が嫌われたことではなく、むしろ良いことの方だと考える。

では、なぜ嫌われたのか?私は目先の結果に拘り過ぎたところではないかと考える。例えば、目先の結果に拘るために、スカウトにおいても、すぐに結果が出ない若手よりも、即戦力となる選手を取るように指示をしていた。先を見るか、目先を見るか。中日は、星野仙一の影響が大きいが、星野はスカウトに対して10年先を見た選手をリクエストしていた。ここで、私は明治の文豪である幸田露伴の「惜福・分福・植福」という言葉を思い出す。意味は、自分が幸福に恵まれた時にどう向き合うか、であるが、その幸福に対して、「惜福」=全部取ってしまわずに、「分福」=みんなに分けて共有し、「植福」= 次の世代のために、福の種を植える、ということである。星野は、本書(p253)でも、『俺だって毎年、優勝したいよ。でもな、5年、10年先も考えなきゃならん。それがチームづくりじゃないか』と言っている。目の前の試合で勝ちたいのは当然だが、球団の将来を考えて、スカウトには10年先を見据えた人材を要求していた。本書の中で書いてあるように、実は落合の監督時代で活躍している選手も、星野時代に指名した若手が10年経って戦力になった選手が中心であった。今、中日は落合が辞めてから約10年低迷している。落合の時代にその福を植えることを怠ったツケなのではないかということは言い過ぎではないと考える。本書の中でも、球団は勝っていた当時から、将来に不安を感じていた。私は、露伴の言葉のように、その福への向き合い方が大切だと考えるのである。

ところで、落合は著書「采配」の中で、監督論として『リーダーは部下にも考えを読まれてはいけない』と書いている。それに対して、星野はみんなに自分の考えを言う監督であった。ここで、人はどちらの監督の力になりたいであろうか、どちらの監督を胴上げさせて上げたいであろうか。人それぞれ好みは違うが、私は星野の方である。なぜなら、選手は考えを共有したいと考えるからだ。例えば、星野の「俺は勝ちたいんや。俺をみんなの力で勝たせてくれ」という言葉には力があり、みんなが「星野を胴上げさせたい」と思ってしまう。だから優勝したいという原動力になり、ファンも応援したいと、純粋に思うと考えるからである。先の露伴の言葉で例えると、「分福」=喜びを共有したい、と思うからであろう。もしかすると、中日ファンは、星野のことが好きであり、比較して落合が嫌いとなったのかも知れないと思った次第である。

最後に、私は落合のことを嫌いではないが、私自身、昭和の人間で古い考えの人間なのかも知れないが、星野が好きである。だから、星野が阪神や楽天でも監督として優勝したことを、他球団のことだとしても素直に喜べるのであろう。
 
投稿者 tarohei 日時 
 落合監督の何が凄かったのか?、落合監督が嫌われてまで追い求めたものはなんだったのか?、監督としての落合は、在任期間8年間のペナントレースで全てAクラス入り、そのうち日本シリーズ進出5回、日本一1回の実績を残したにも関わらず(普通なら名監督と言われて当たり前の業績)、マスコミやフロントのみならず、ファンからも嫌われた監督になったのはなぜであろうか?

 まず、本書を読んで印象に残ったことは、プロ(フェッショナル)野球の監督としての采配と決断、そして執念にも近い勝利への飽くなきこだわりである。例えば、チームの支柱とも言うべきスター選手をばっさり切ったりとか、大記録目前の投手を交代させたりしたとかである。しかもそれをマスコミに対してもそうだし誰にも説明しない。そして、無言実行とも言うべく勝ち続ける。勝つためには手段を選ばない、落合監督の非情な決断力である。

 具体的には、当時、選手としては既に過渡期を迎えていた立浪選手。かつて中日のスター選手であった。しかし誰もが加齢と共に体力も運動能力も衰えてくるものである。その僅かな衰えを感じ取った落合監督が下した決断は非情にもスタメン外しである。その後は代打専用要員、スタメン出場は立浪選手本人の引退試合やセパ交流戦や日本シリーズの指名打者ぐらいになったという。そして落合監督からは一言の説明もなし。立浪選手の憤り、雄叫び、慟哭はいかほどのものであったであろうか。
 さすがに、球団のスター選手で多くの功績がある選手を冷酷にここまで断裁できる人はまずいないと思う。人気が落ちてきたというのならわかるが、まだまだ人気もありファン集客もできる選手なら、何らかの形でスタメンの機会をの残すのは妥当な判断であろう。それを一気に立浪選手を代打要員にするのはチーム内外に衝撃を与えたことは言うまでもない。
 落合監督としては、シーズン通して試合を同じ場所からずっと見続けていた、そうすると選手の僅かな変化にも気づき易い、立浪選手の守備の衰えてもいち早く気づくことができた、だから代打要員に切り替えた、ということであろう。チームを勝利に導くために、スター選手とは言え色眼鏡なしに切り捨てることも厭わないのだと思う。

 もう一つ。2007年日本シリーズの日本ハム戦。3勝1敗で迎えた第5戦。1対0でリードした最終回のことである。それまで好調な投球をし、歴史的な記録となる完全試合達成を目前にしていた山井投手をこともあろうか降板させたのである。結果として試合には勝ち中日は日本一となるが、世間からは冷酷・非情などと非難を浴びることになるのである。山井投手にとっても悔しかったことだろう。せっかくの歴史的偉業を目前にして交代させられたのであるから。
 落合監督からすれば、2004年の日本シリーズで岡本投手の続投をベテラン選手たちから促される形で継投策を取るが、結果として敗れ優勝を逃した苦い経験があったからなのであろう。それ以降、情を捨て、選手の意見や周囲に揺るがされない孤高の心で冷酷なまでの決断をするようになったという。これは、ベテラン選手たちの意見を取り入れ、結果的に判断を誤ったことへの反省なのだと思う。
もしかしたら、情を捨てたことにより、プロ野球関係者でも見えない何か(わずかな
変化)が見えるようになったのかもしれない。それは、同じ場所からずっと見続ける、選手の僅かな変化にも気づく、立浪選手のスタメン外しの決断と同じことなのかもしれない。

 以上のことから学んだことは、勝つことへのこだわりとプロフェッショナル精神である。
 チームが勝利するために、常に選手の変化や弱点に目を光らせ、人気選手を外すことも厭わない采配が必要である。明らかに衰えがみえてから外せば、周囲は納得するだろうけどそれではチームを強くはできない。落合監督は、いろいろなものが見えすぎたため、周囲からは理解されなかったし、理解してもらおうともしなかった。そのため誤解を招き嫌われたが、周囲に説明して理解してもらっても勝てるようになるわけではない。勝つことに繋がらないことにはどうでもよかったのだと思う。
 そして、プロなのだから、勝つことにこだわるのは当たり前。実際にプロの世界は実力主義。結果が全て。結果を残さなければ契約を切られ、クビになる。落合監督はそのプロフェッショナル意識が他人より群を抜いてただけなのだと思う。だからこそ、勝つことに対して異常なまでにこだわり続けたのだと思う。

 このことから見えてくるのは、本物のプロフェッショナルの姿である。結果を残すために、つまり監督として勝利するために何が必要なのか?
自問自答して得られたことは、周囲と協調するために一番大事と言われているものを捨てること、情を捨てることである。落合監督は情を捨てることで、勝つことを手に入れたのだと思う。だから、嫌われたのである。
 
 落合監督の何が凄かったのかと言えば、嫌われようが周囲からどう思われようが、結果を残すこと、勝つことにこだわり続けたこと、嫌われてまで追い求めたものは、プロフェッショナル精神を貫き通すことだと思う。落合監督にとって嫌われることなど、取るに足らないどうでもよいことなのだろう。
投稿者 masa3843 日時 
なぜ今、落合博満なのか。2022年現在、旬の野球選手といえば、何といっても大谷翔平だろう。本場アメリカのMLBで二刀流を実践し活躍する大谷は、不可能を可能にした分かりやすいヒーローだ。好感の持てる人柄でファンも多く、誰からも愛されている。誰からも嫌われた落合とは対照的だ。そんな大谷ではなく、今、落合のノンフィクションを読む意味は何だろうか。それは、人から嫌われることを過度に恐れるようになった現代で、落合の生き方が私達に勇気を与えてくれるからだ。少しでも人と違うことを言うだけで叩かれる今。落合は、嫌われることを恐れなかった。そして、結果を出し続けたのである。本稿では、「嫌われた監督」落合博満の内面を掘り下げることで、人からの評価を気にし過ぎる現代に一石を投じてみたい。

まず、落合自身は世間から嫌われていることをどう捉えていたのだろうか。本書のP97で、自分の考えを周囲に説明しないために敵を増やしてることを指摘された落合は、こう答えている。
『別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ』
これは、落合の本音なのか。それとも虚勢なのか。私は、掛け値なしの本音だと思う。なぜなら、P241でも万人に認めてもらおうなんて思ってないと明言しているからだ。さらには、評価されるのは自分が死んだ後だと自嘲する落合から、悲壮感は感じられなかったと著者は言っている。つまり、落合は世間や周囲から自分を理解してもらいたいとは思っておらず、嫌われていることを受け入れているのだ。

「評価されるのは死後」と自嘲する落合と、それを感傷的に見つめている夫人と長男。ここで私は、落合が「嫌われる自分」を意図的に作っているのではないか、と感じた。第10章に書かれている落合の現役時代におけるエピソードを読んで、私の思いはさらに強くなった。当時の監督である星野が課した体重制限に真っ向から反発した落合は、罰金と謝罪をすることになる。このことで、世間的には、監督に反発した自分勝手な選手というイメージが残ってしまう。しかしながら、この舌禍事件によって、落合は星野から離れた沖縄で自分のペースで身体をつくる環境を手にした。結果的に、史上初めてとなる両リーグでの打点王、日本人最高年俸という結果を残したのである。他人に迎合せず、自分を貫くことで結果を出せることを理解した落合は、敢えて「嫌われる自分」を作ることで、常識から外れた「理」を追求する環境を整備してきたのである。

ただ、因果関係を逆に見ることもできる。すなわち、落合は勝利のために冷徹で感情を挟まない采配を続け、その意図を外部に説明しない「オレ流」を貫くことで、結果として嫌われているだけだ、という見方である。しかしながら、私は第5章最後の落合の言葉から、やはり「嫌われる自分」を作っていると感じたのだ。
『俺はどうしても、いつもと同じように戦いたいとか、ずっと働いてきた選手を使いたいとか、そういう考えが捨てきれなかったんだ。でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ』
落合自身は、非情な采配をしているように見えて、まだ自分に甘さが残っていると感じていた。人と比べて非情に見える落合でも、感情に支配されることもある。落合は、自身に残る甘さを許せなかったのではないか。こうした甘さを断ち切るために、「嫌われる自分」を作り、感情を捨てる環境に自分自身を追い込んでいるのだろう。組織や体制を批判する炎上必至の発言を、敢えてする理由はここにあるのだと思う。

落合は、「嫌われる自分」を作ることで、数々の非常識な采配を実現させてきた。中日のスターである立浪外し、完全試合目前の山井の継投、名二遊間の荒木と井端のコンバートなどだ。世間的には、こうした采配の理由が説明されることはない。落合のキャラクターが確立されていることで、これらの采配を「オレ流」として世間も受け入れているのである。結果にこだわり、そのための理を追求し、最適な決断を積み重ねてきた落合。その結果が、在任8年中4回のリーグ優勝、全ての年で3位以上という快挙につながったのである。

本書の12章で、印象的なシーンがあった。落合の退任が発表された翌日、首位ヤクルトとそれを追う中日の天王山の一戦、渾身のヘッドスライディングで得点をもぎ取った荒木に落合が「大丈夫か」と声をかけたシーンである。これまでの落合であれば、決してかけなかった言葉だ。落合がこのような言葉をかけたのは、自立して自分達の判断で躍動する選手達を見て、勝利のために「嫌われる自分」を作る必要がなくなったと感じたからではないか。つまり、自身の感情を素直に出すことを、自分に許したのだと思う。周囲から良く思われたいと望むのは、人間の本能のようなものだ。それを押し殺して結果にこだわった落合の姿勢から、私達は学ぶべきことがあると思う。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
投稿者 vastos2000 日時 
本書を読み、「いつまでもグズグズしちゃいられねぇ」と思った。
たまたま文藝春秋の連載で、和田の章(第8章)を読み、なかなか面白い記事だと思った記憶があるが、今回はハードボイルド小説のような1冊の本となりグイグイと引き込まれ、1章だけ読むつもりが結局一晩で最後まで読んでしまった。
読後、落合の仕事ぶりを知り、わが身のことを考えた時、他の者に代替可能な業務をさっさと仕組化してアウトソーシングなり、自動化なりして、もっと考える(プロがやる)仕事の量を増やさなければ、これからの時代はどうなるものかわかったもんじゃないと感じた。自分個人のこともそうだし、組織の事も同様だ。たとえるならば、ビズリーチやリクルートダイレクトスカウトに登録しておいて、好待遇で声がかかるようでなければダメだと思った。

本書の主人公である落合博満もロッテから中日への移籍の際は前代未聞の1対4のトレードで移籍した。こんなことが起きるのもプロだからこそだろう。
近年は野球に限らず高校の部活強化のために地元以外からも生徒を集め、その生徒に学力は求めず、部活で結果を出す見返りに特待生の地位を与えるというような例を目にする機会が増えた。しかし、それでも高校生はアマであり、プロとは違う。ケガで競技を続けられなくなっても、基本的には特待生の地位から下りれば卒業まではその高校に在籍できるし、大学へ進学できれば復活のチャンスもある。
それに対し、プロではケガだろうが加齢による衰えだろうが、戦力にならなくなったら、新たな契約は結ばれない(独立リーグや他国のレベルが落ちるリーグに行くという手はあるが)。逆に活躍すれば他の球団から声がかかるし、メジャーリーグへの道も開ける。
厳しい世界だが、その世界に飛び込むことができるプロスポーツ選手とは、小さいころからそのスポーツに打ち込み、ほかの多くの可能性を棄て、多くのものをあきらめ、ひたすら技量を高めてきた者たちだ。だからこそ、プロはグラウンドで残した結果で評価されるべきだと考えている。
酒を飲もうがたばこを吸おうが、パフォーマンスに一切影響が出ない、あるいはリラックスできて好影響だというのであれば好きなだけやればよろしいと考えている。
そのような世界で生きているのだから、(私の考え方が古いのかもしれないが)私はプロ野球選手に人格は求めていない。職人気質でインタビュアー泣かせであったり、性格が悪かったりしても、「チームの勝利に貢献していればよし」と思う(暴力行為や犯罪、チームメイトの力をそぐような言動はさすがにまずいと思うが)。大谷翔平のような人格を備えた選手もいるが、「チームスポーツであるので味方から応援される人間であろう」「運を味方につけよう」と考えているのであれば、人格も整えればよろしいと思っている。

そしてプロは、契約を交わした球団から求められる仕事をきっちり遂行することが求められる。たとえ人間的に嫌な奴であっても、チームの勝利に必要だと監督や球団が判断すれば、それらの選手は起用されるし、契約更新や年棒アップをともなう移籍もできる。
契約という面から考えると、もし球団判断として、マスコミによくしゃべり、ファンサービスを重視する監督が良いのなら、そのような監督と契約するば良いし、落合に対する契約書にもそのような条項を盛り込めばよかった(そのような条項があったら落合は断っていたと思うが)。
実際、落合の後任の高木守道はよくファンサービスをしたが、成績は振るわずBクラスに転落し、最後はスタンドから罵声を浴びせられ退任するような始末だった。
落合は「チームを優勝させる」という契約でドラゴンズの監督になったので、チームが勝つために効果がない記者会見やインタビューは行わず、ドラフトにおいても即戦力を求め、球団から求められていることを果たそうとしていた。
テレビや新聞の記者のご機嫌をとってもチームの勝利には貢献せず、逆にチームの事情を競争相手に知られるのはマイナスであるとの判断、何も批判されるものではないと思う。つまりは合理主義者であったのだと思う。
しかし、落合はプロであったが冷血漢であったとは思えない。自軍の選手や記者に対してもプロであることを求めていたが、十分な技量を備えた上で教えを乞うてきた選手にはしっかり指導していたし、日本シリーズの山井の件に関しても監督在任中は沈黙を守っていた。プロとしての実力を備えた選手のことは尊重していたし、WBCへの参加にせよ、メジャー含めた移籍にせよ、選手本人の意志を尊重していた。本書の著者に対しても、人から聞いた事を書くのではなく、自分の目で見て記事を書くことを求めており、そのヒント(定点観測)を与えている。


さて、冒頭の話に戻る。現在私はサラリーマンだが、他社から声がかかるようなプロと言えるだろうかと自問する。先方がゆるめの条件でとにかく人手を確保しようというのであれば声がかかることがあるだろうが、今のところ好待遇のオファーは無いだろう。
その要因を考えた結果「覚悟が足りない」ことに行き着いた。年が明けて早々、今までの仕事への取り組みを猛烈に反省することもあった。今の職場は目標もあいまいでその曖昧な目標に遠く及ばなくても何事も起こらない実にぬるい職場だ。そんな環境に甘えていた面があることは否めない。最近は周囲のぬるさに流されず、質の高い仕事を心がけている。先週からはどの業務に何分かかったかの記録もつけ始めた。
これまでの課題図書などから、これからの時代は個人と組織のつながりが今までよりも緩やかになっていくと感じている。そのような時代にあっては、代替可能な作業員では食いっぱぐれてしまい、家族を路頭に迷わすことにもなりかねない。上にも書いたが、本気になるタイミングが来ていると感じる。そのようなタイミングで本書と出会い、やはり今がそのタイミングなのだと信じ、とりあえず目先の目標として4月まで全力で仕事に取り組むこととして、他のことを考えるのはその後にすることに決めた。
5年後、10年後、どこで働いていたとしても後悔することがないよう今の仕事に取り組みたい。
 
投稿者 ynui190 日時 
「嫌われた監督」を読んで

この物語は、2004年から2011年にかけての8年間に4度のリーグ優勝と2度の日本一を手にした落合博満の話である。

プロ野球というものをあまり熱心に見た覚えがない。そういう私でさえも落合博満の名前は聞き覚えがあるのに、彼の印象について問われれば、どちらかというと信子夫人の方を先に思い浮かべるほど薄い。
国民的スポーツと言っていいほどの野球において、彼は華やかでもなく、スポーツ選手にありがちな熱さも爽やかさも持ち合わせていないような人物という印象が強い。
「嫌われた監督」という題名より、これまであった彼の印象が覆るような、実はとても熱血漢で正義感の強い男の物語を予想していたのだが、その予想は見事に裏切られる。

野球とはなんであるか。
読んでいくうちにそのことをまず考え始める。プロ野球とはなんであるのか。
どの競技も言えることだが、感動さえすればいいのか、そこに勝敗は存在しないのか。
ではプロとは何なのか。

現代社会に置いて、答えを見つけることはとても簡単になった。
どの問題でもインターネットで検索さえすれば、だいたいのことについて答えが見つかる。または似たような問題の経験談を読むことができ、それらの物語に自分のことをあてはめさえすれば、自ずとすべきこともわかるというわけだ。
その結果、人は考えることを放棄し、安易な答えに乗っかるようになったのではないだろうか。
明確な答えだけ求めるようになってしまったのではないだろうか。

この本を読みながら、改めてプロの仕事について考える。
自分が現在就いている職業について、対価としての賃金が得られるような仕事を行っているか。
どこかで落としどころを見つけ、安心していないか。
それ以前に自身の生活は、何かしら責任を負っているいるのか。
プロ野球とかけ離れた話のはずなのに、物語の中の落合博満が語りかけてくるようで、背中に寒いものすら感じる。
薄暗い闇の中から、自分の姿勢を問われているようで落ち着かない。

プロとは何なのか。
物語の選手たちのように、自分自身の限界と向き合い、限界と感じつつも、それでも一歩踏み出すことであろうか。
試合に出続けることを自分で選択し、それが出来ないとなれば二軍に甘んじることを受け入れる覚悟で決断することであろうか。
睡眠導入剤が必要になるほど、そのことばかりを考えることであろうか。
ぶれない目的を定め、情に流されない為に周りと距離を置き、自分を律する為に一線を画し、俯瞰して己を見つめる。
そんな孤独な作業を私自身行えるであろうか。

プロとは何なのか。
それは覚悟の差ではないかと思う。
どうしても自分がそれを手に入れたい。自分の中の何かを犠牲にしてまでも手に入れたい。
本書の中では、その犠牲が選手やコーチ陣達との馴れ合いのような心地よさであったり、ファンからの信頼であったのだと思う。
「つまらない野球」と揶揄されようとも、勝利の為には非情になり、情をも捨てて、勝ちにどん欲になれた。
それほどの覚悟が誰のためであったのかといえば、落合自身のものであったのだと思う。
落合は野球に魅入られていたのだ。自分の信念を曲げてまで、周りが認める野球をやりたいとは思っていなかったのだ。
それがどんなに孤独なことであろうとも、自分に嘘がつけなかったのだと思う。

さて、私はどうか。
自分に対してどこか諦めていないだろうか。
これぐらいでいいだろう、これぐらいしか自分には出来ない、これぐらいが分相応であろうなどと考えてないと言えるだろうか。

この本を読んで、プロとは自分に正直な人のことを言うのだろうと思った。
自分が手に入れたいものに貪欲に素直に覚悟をもって行動できる人のことだろう。
 
投稿者 str 日時 
嫌われた監督

“プロフェッショナルを貫いたが故に世間から嫌われた男“
本書から感じた落合氏のイメージがこれだ。就任一年目から“見定める“ことを徹底して行い、他者の評価や世間からの人気度、長年尽くしてきた人間に対する温情などは度外視し、チームを強くすること。日本一にすることに対し徹底する様には狂気すら感じる。

度々語られていた『プロなんだから』という言葉も、選手を率いる自身も監督としてプロフェッショナルでなければならない。という想いが強かったのではないか。しかし野球というスポーツである以上に、ファンやメディア、スポンサーなど多くの人が関わるビジネスに他ならない。勝利の為とはいえ、自軍の手の内を極力外部に漏らさないようにしたり、人気や知名度より勝率に拘ったチーム編成を優先したり。

本来ならば“強さこそ正義”であり“結果が全て”として評価されるべきなのかもしれない。しかし世間からしてみればそこまでの過程、様々なパフォーマンスや人間模様。所謂ファンサービスも含んだエンタメ性を求めてしまうのも頷ける。勿論、そんな事は落合氏も承知の上だろう。その上で監督としての責務・契約を全うすることを貫いた。一見冷徹なように見えて、時には選手に花を持たせる計らいをしたり、それでいて選手とは一定の距離感を保ったりと掴みどころのない人物だったのは間違いないだろう。

周囲の声に迎合することなく、プロである自分たち当事者がそれまで培ってきた技術を競い合う競技者として、その指揮官としてプロフェッショナルであるという役割を一貫し、結果も出し続けてきた。世間や球団関係者に媚びることもなく、それによって退任することになろうと、落合氏にとっては「自分のやるべきことをやったまで」なのだろう。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
嫌われた監督 鈴木忠平著

本書を読んで感じたのは、自分の力で人生を切り拓いていくには答えの無いことに対して頭を使う、考え続けなければいけないのだということだ。以下に私がそのように感じた理由を述べる。

私が本書の一番のキモだと感じたのはP467~468の落合が荒木へキャンプ初日に紅白戦をやったことの意味を説明したシーンだ。
落合は中日の選手たちに「自分で考え行動する選手」になってほしかったのだ。なぜなら、落合にとってプロ野球選手とは球団と契約を結び、その契約内容に基づいて成果を出せば良いのであって、求められた成果さえ出せばやり方は問われないはずあり、落合自身も選手の時にそうしてきたからだ。
(かつて落合自身が選手だったころ、星野監督がキャンプイン初日にベスト体重を1キロ超過するごとに罰金を取ると言ったことに対しても、真っ当な意見で反論した。本書が落合側に寄って書かれているとしても落合の意見が正しいと感じる。)
しかしながら、当時の中日の選手たちは落合が求めるレベルで思考しているようにはみえなかったのだろう。落合が就任する数年前には、自身とは真逆の考えを持つ星野監督が手腕を振るっていた。間に別な監督が居たとはいえ、星野イズムが浸透していた選手もいたのだろう。

では、なぜ落合は選手に考えさせたかったのか。
プロ野球選手として自分自身の考えもないまま、監督を始め他者が求めるプレーをしているようでは選手生活が短命で終わってしまうことを知っていたからではないだろうか。
落合といえばプロ野球史上唯一となる3度の三冠王に輝いたことがある、超一流の元プロ野球選手だ。その実績に目が行きがちだが、25歳にプロ入りしてから44歳まで約20年もプロ野球選手として活動した。プロ野球選手の平均在籍期間は約9年というデータから考えると20年プロで居続けたことは、長く続けるという意識は少なからずあったと思う。
ヘッドスライディングの禁止や年寄りが若手と同じようにトレーニングをして開幕前に怪我したらどうするのか、とう発言や、WBCへの選手派遣問題が起こった時の発言(個人事業主である野球選手がWBCに行って怪我でもしたらその保証は誰がするのか?誰がその選手の面倒をみてくれるのか?)を見ても、怪我に対してのアンテナ、危機意識はとても高かった。これは長く現役を続けるためという意識の表れだと思う。
また、若いという理由だけでまだ出来上がっていない選手を使うことで選手生命を短くする可能性があることや、ちょっと活躍するとすぐエースと持ち上げるマスコミに対して簡単に持ち上げるなと釘を刺したことは、どちらも長く現役選手として続けるために必要だと思っていたからこその振舞いだったのだろう。

そんな落合だからこそ、自分が面倒を見る選手には言われたことだけをするのではなく、考えて行動し自分にしか無い武器をみつけさせたり、付加価値をみつけさせることで、長く現役を続けさせたかったのと感じた。
答えが無いことにむかって、悩み苦しみ、考え抜いて自分で答えを見つけられたら、万一選手生命が断たれたとしても、その考え抜く力や困難に立ち向かうという姿勢が今後の人生において必ず役に立つ。他の人には見えていないモノが見えている落合にとって、選手たちに考えさせることは野球をするためだけではなく、その後の人生を見据えての無言の指導だったのではないだろうかと思う。

そして、著者の鈴木氏も落合の思考に触れた8年の間に考えることが身につき、自分の人生を切り拓いた人物の一人だと思う。プロローグで著者はデスクに言われるがまま、落合の家へ行く伝書鳩のような存在だった。新聞社に入って4年、序列にさえ数えられないうちは隅っこで順番を待つしかないという無力感に慣れきっているようなレベルの社会人だ。そんな社会の末席が定位置だったはずの人物が、野球に生きる男たち同様に、落合と言う一人の男と8年間時間を過ごしたことで、自身の在り方が大きく変わっていった。
落合が著者に対してどの程度野球について教えてやろうと思っていたかはわからない。いつからか、ちょっと目をかけるようになり、落合もヒントになるような事をポツリポツリと話すようになったのだろう。それでも【この人間がいなければ記事を書けないというような、そういう記者にはなるなよ(P471)】というメッセージは、中日の選手たちに放った【これからも下手な野球はやるなよ。自分のために野球をやれよ。そうでなきゃ・・・俺とこれまでやってきた意味がねえじゃねえか】という言葉と同じくらい気持ちがこもっていると感じた。落合は鈴木氏に対しても、考えることの重要性を伝えていたのではないかと思うのだ。

私自身、日々の生活のなかで「これで良いのか?」「何が正解か?」と悩むことは多々ある。時間が無限にあれば正解を出せるかもしれないが、現実は時間が限られていて何かに折り合いをつけ最適解と思われる答えを出さなければならない。とはいえ、今すぐ決断しなくてもまだ何とかなるんじゃないか、という根拠のない淡い期待を夢見て決断を後回しにしてしまう事が度々ある。
今のところ、私の人生には落合のような監督はついていない。そのため、本書を一つの拠り所として自分で考えて行動し、淡い夢は見ずに覚悟を持って前に進まなければならないのだと意識を改めた。
 
投稿者 sarusuberi49 日時 
落合監督は、本当に世間で言われているような無愛想で得体の知れない人物なのであろうか?本書で描かれる落合監督は、選手達に対しては、自分なりの居場所を見つけ、1日でも長く野球を続けられるよう、将来を見据えた育成指導を行っている。またマスコミに対しては、自身が盾となって立ちふさがり選手への誹謗中傷を阻止し、試合の勝敗を左右する情報漏洩を防止している。私には、そんな父性愛にあふれた人物像が浮かび上がってくるのである。ではそんな落合監督が、選手を駒として扱う非情の権化のように言われるのは何故だろうか。私はそれが、勝利のための落合監督の戦略だったのではないかと考える。落合監督は、8年間にわたって嫌われ者の仮面をかぶり非情で冷徹な監督を演じ続けることで輝かしい成績を残したのである。

私がそう考える理由は2つある。一つ目は、選手育成のためである。落合監督は常識破りの練習方法、理不尽に思える采配、理解し難い選手起用などを行っていたため、選手達が意図を理解できず、悩み、混乱していた様子が本書には生々しく描かれている。「なんでこんな地獄を味あわせるのか」と、恨みに思う選手もいたことであろう。しかしそんな葛藤を経て、「自分は今、何をすべきなのか?」を選手達が自分ごととして考え始めた時、チームは現実離れした強さを見せることとなった。落合監督が禁止していたヘッドスライディングを決めて決勝点をもぎ取った荒木選手のエピソードからもその一端が伺える。本書によると落合監督は、このことをチームの勝敗の行方以上に喜んで感無量であったという。これは、あえて突き放すことで自立を促すという、落合監督の育成プラン通りであったからではないだろうか。つまり落合監督の非情さは、あえて指導や説明をしないことで、選手自らが自分の頭で考えるように仕向けるための作戦であったのだ。

二つ目は、選手をマスコミの攻撃から守るためである。本書によれば、記者達との馴れ合いを絶ったこともあり嫌われていた落合監督に対しては、地元のスポーツ記者達でさえ、監督就任にも、初年度優勝に対しても、冷ややかであったという。2007年の球界大記録目前の山井投手交代劇は、落合監督の勝ちにこだわる非情さを決定づけるエピソードとして語り継がれている。しかし、本書によれば、なんと山井投手自らチームの勝利のために交代を申し出ていたという。しかしそのことを落合監督は一切語らず、批判を一身に受け、自分一人で汚名を被ったのである。優勝請負人と呼ばれ、バット1本で複数の球団を渡り歩いた過去を持つ落合監督だからこそ、強いものが必ず勝つわけではない勝負事の厳しさ、理不尽さ、それに忸怩たる思いを抱く選手達の重圧を知り尽くしていたのではないだろうか。もし仮に、あの時山井投手が続投して負けたら、53年ぶり2度目の優勝チャンスを自分の記録の為に潰したとの汚名を着せられ激しいバッシングを受けたことは想像に難くない。落合監督は非情で冷徹な采配をすると言われているが、実際のところは、そう見えるようマスコミの前で振舞って、真実を語らなかっただけである。監督としての立場を全うし、自分が悪者になって選手を守ったと言える。

しかし、あえて仮面を被り、嫌われ者を演じることに一体なんのメリットがあるのかと首を傾げる意見も想定される。しかし、もし落合監督が選手に丁寧なアドバイスや説明をしていれば、選手達は自分で考える必要がなくなり、依存心が生まれてしまう。また落合監督は、スポーツ新聞誌上で非情な勝利至上主義と書き立てられ、そのイメージが定着したが、そのことは、勝負においてはかえって有利に働いていたことが本書から伺える。落合監督の采配では、シーズン序盤はゲーム差をつけられて「優勝は絶望的」などと言われながら終盤の大逆転で首位に立つことが多々あった。マスコミに嫌われ「調子づいている」などとイメージだけで悪く書かれることで、他チームとの情報戦を制していたことが伺える。これなどは、マスコミからの低評価が有利に働いた一例と思われる。

落合監督に嫌われ者のイメージが定着したのには、マスコミの影響が大きいが、落合監督はそのイメージを払拭するどころか、逆にどう利用するかについて算段していた様子が伺える。落合監督が目指した真のゴールは、勝利のその先の、選手の自立にあったためだ。そんな落合監督の8年間の快進撃が、次第にファンの心を掴んでゆく様は痛快であるが、その冷徹な仮面の裏でどれほど苦悩し、プレッシャーを抱え、眠れない夜を過ごしていたのかと考えると、胸が痛む。そんな落合監督の生き様から私が学んだことは、「世論誘導に洗脳されやすい日本人の弱点」と「自分で調べて分析し、自分の頭で思考することの大切さ」の二つである。どんなに素晴らしい身体能力や野球センスがあっても、自分で考えない選手を落合監督は一流とは認めなかった。逆に、そのような真の実力があれば、例え嫌われ、孤高であっても監督は試合で使わざるを得ず、長くプロの世界で生きられるとの意見は示唆に富んでいる。私も上司に仕える会社員の一人であるが、上司の指示や周囲の空気に盲目的に従うのではなく、自分の頭で考え判断することで、誰におもねることなく、孤高でも生きてゆけると考えるからである。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 

“物事の一側面を見ただけで判断を下さない”

本書の中で、私が最も潜考させられたのは、“俺は何も変わっちゃいないっていうのに、今度は褒められるのかよ”(P.459)という落合のコメントだ。これは、シーズン終盤の優勝争いの真っ只中に、事実上の解任を通告されたにもかかわらず、逆転優勝を果たした落合を世の中が突如後押しするようになった時のことである。落合が言うように、監督に就任した時から彼の信念から生まれる姿勢、考え方、言動は一貫不変であった。落合の信念とは、プロ野球人としてあくまでも勝利にこだわるというものだ。その信念は、時として世の中の想定を超越し、批判の的になることも多々あった。例えば、日本シリーズで完全試合を目前にした先発投手を最終回で交代させて、世の中から批判や顰蹙を買ったことは、その象徴と言えるだろう。一方で、世論は解任騒動の際にその方向性を真逆にした。解任騒動以前は、勝ってもつまらない野球、勝利のための冷徹非情な采配、ファンのために情報を開示しない等と落合の言動を批判してきたにもかかわらず、突如として立場を変えたのだ。

どうやら、人は意識的、無意識的に物事を正義と悪の二元論にはめ込むことを好む生き物のようである。これは、本書の中に出てくる典型的なハリウッド映画「エアフォース・ワン」が正義と悪の対峙になっていることからも、また落合が解任騒動以前に「落合、暴行容認」(P.83)や「中日、WBCボイコット」(P.270)と報じられることで悪の立場に置かれ批判され、その反対意見が正義とされてきた事実からも分かるように思う。そして、上述した逆転優勝を果たした落合を世の中が支持した時も、正義と悪の二元論は作り出されていた。その際、悪の立場に置かれたのが、そのシーズンから就任した新しい球団社長である。落合の勝利至上主義がファンやマスコミ軽視に映ること、また落合の高騰する年俸が球団経営の圧迫になっているという理由から、契約の打切りを球団社長が模索していたことは本書にも書かれている。ただ、私がここで問いたいのは、球団社長の行動は悪と言えるのかということだ。ファンなくしてプロ球団は成り立たない、また経営の圧迫要因の解消に努めるのは経営者としては当たり前のことなのだから、私は悪とは言えないと考えるのである。しかし、世論は退任発表のタイミングが不適切という物事の一側面を捉えて、落合が正義、球団社長が悪という二元論を作り出してしまったのだ。

しかし、落合の考え方や言動は多くの場面で誤解され、悪として扱われてきたのが実情だ。その理由は、世の中が持つ落合の考え方や言動に対する違和感が解消される前に意見が形成されたからだと考える。ここでの違和感とは、例えば三年もマウンドに上がっていない投手を開幕投手に指名したり、WBCの参加要請に全選手が辞退になったり等、落合が生み出す前代未聞の状況を目前にした際に、人々が持った驚きや疑問、嫌悪などが入り混じった感覚のことだ。ただ、落合はこの周囲が抱いた違和感を解消するのための説明を適時十分にしないが故に、誤解され幾度として悪の立場に置かれてしまったのだ。しかし、本書を読めば前者の開幕投手の件は、チームが生まれ変わるために他の選手を奮い立たせるという意図があり、後者のWBC辞退の件は、選手が故障した際の補償に関する問題提起になるという意図があったのである。このように、言動の背後にある理由、立場、状況が分かりさえすれば、落合の考え方や言動は十分に賛同できるものなのだ。

ここで、落合からは適時十分な説明がないのだから、一側面から物事を捉え、その状況を判断することは仕方のないことだという反論があるかもしれない。が、これは危うい考え方だと私には映る。なぜならば、適時十分な説明がされない状況は、普段身の周りにおいて幾らでもあると思うし、その状況は自らの振る舞いで改善できると思うからだ。例えば現在、ある地方の小・中・高等学校において、オミクロン感染者が一人でも出たら、その学校を一時閉鎖するという対策を打ち出している行政があるという記事を私は読んだ。その記事の中には、その対策の背後にある理由や事情が説明されていないため、私は驚きと疑問が混じった違和感を覚えた。なぜなら、若年層がオミクロン株に感染したとしても、重症化などまず得ないのだから、その対策は行き過ぎたものであり、誤っていると感じたからだ。ただ、湧き上がった違和感を一旦脇に置き、もう一度対策の背後にある理由や事情をその地方行政の立場になって考えてみると、私にはそれまでとは違った景色が見えてきた。それは、家族構成の違いによる高年齢層への感染リスクである。おそらく、私の住んでいる都会には核家族が多いことに対して、地方には未だ大家族という世代を跨いだ世帯が多く残っている、つまり若年層と高齢年層が同居していることで起こり得る感染リスクに配慮された対策なのではと思うようになったのだ。このように、十分な説明がされなくとも自らで考えを深め、他の側面から物事を捉えることで状況は改善できるのだ。

私はこれからの時代の中で、物事を安易に正義と悪の二元論にはめ込まない、物事の一側面を見ただけで判断を下さないということの重要性が増していくと考えている。なぜならば、人と人がより多くつながる世界では、人々の価値観や信念、思想、趣味嗜好がより多様性を増す、すると二元論に陥らない、物事を多側面から見ることは、お互いに理解し合う上で大いに助けとなり、それは自身の視野をより拡げることにつながる。と同時に、他者からもより多くの共感を得ることにつながると思うのだ。そして、私はあわよくば一風変わり者だけれども、知れば知るほど魅力が増すという落合のような人物に出会うことを願ってやまないのである。

~終わり~

投稿者 wapooh 日時 
2022.1.31【嫌われた監督】を読んで

 先週から読み始めたのだが、最初の川崎憲治郎氏の章からずっと、両方のこめかみから頭頂部まで、ギューッと委縮する感覚が抜けず、苦虫をかみしめたような口の中が本当に苦くなる時間を沢山過ごしてしまった。理由は、本の装丁がモノクロに鈍い金色でずっしりと分厚いうえに、描かれているエピソードも夜の描写や悪天候や色彩をやや描いたようなイメージが多かったからだと思う。それは、鈴木氏の苦しみやもがきであり、取り上げられている人物が浮かび上がらせる葛藤ややるせなさ、だったりするのかもしれない。
 私は野球を知らない。落合監督について思い出すのは、夫人とぷくぷくとした息子さんとの3人の姿をワイドショーで見続けた記憶だけだ。そのため、試合についても何の思い入れもなく、ただ読んだ。
 ただ読んだにしては、とても胸が痛く心が揺さぶられることが多かった。揺さぶられる、というよりも締め付けられる、本を抱えているのに(分厚いから)フルフルと握りしめているという感覚で体ごと一冊を味わっていた。
今の自分が仕事上くすぶっているからかもしれない。なぜなら、落合監督の挙動がある人と被るからだ。3年前、現職場に8年ぶりに復帰した私は、4年キャリアが上の先輩が室長となる現場で、それまでのキャリアとは別のチームのメンバーになった。「それまでのキャリアで、(私が経験していない)安全意識の高いチームで一から出直してもらう」意向だ、と、となりのチーム長の先輩から聞かされた。仕事は本当に新人には手強くて、それまで女性が入ったことの無い作業もあったで、本当に位置から汗水たらす日々が始まった。
半屋外の建屋での作業で、夏は4度着替えて、水を飲んでも汗をかいてばかりいるからトイレに行くこともなかった。おろおろしているおばちゃんを横目に、20代、30代の若い男性社員が、同じように汗をかきながらもひょうひょうと作業をしている。
冬は温度計が0℃を指した。1年間、ケガなく安全に、そして毎日体力を備えて無事に過ごすにはどうすればよいのか?自分なりに考えて対策し、道具を揃え、環境を整備した。
そんな中でも、求められたのは結果のみ。上司は「できないばかり言わないで、出来るようになって下さい。若手にしめしがつくように。人任せにせず自分の目で見、手足で稼いで下さい。」と表情も変えずに言う。
常時、ポーカーフェイスで、フラットで必要なこと以外口にせず、決まったメンバー(各チーム長)とだけ、濃密に限定的に情報交換をし、チームの運営を行う上司(課長)。
まるで、落合監督のようだった。
 冒頭の川崎氏は、肩の故障と自らの選手生命の潮時を一人突き付けられて、温情という温かみをもって、だが、厳しい現実(引導を渡される)を、就任一年後の落合監督から受けた。
自分も体力の無さや思考の凝り固まり、反応の鈍さ、新しい情報を取り入れる時間の要し方、川崎市の姿に自分を重ねてしまい、色々と考え込みすぎて、第1章を読み終えた翌日、簡単な計量ミスをして落ち込んだ。
 川崎氏の第1章に続く、森野氏、福留氏、宇野氏…。落合監督の意を測りかねて、又それまでの自分達のルールや習慣、文化とは異質な日々に葛藤する人々。共感する著者の鈴木氏の文章もあって、ぐいぐいと引き込まれて苦しくなっていく。
 『優勝しているのに、表浮かされない落合監督』同様に、『優勝しているのに、心が晴れずさらに責任が重くなりキリキリと消耗する選手たち』にも見えてしまう。
 それが、2007年の優勝劇あたりから、変化していくのであった。体の芯は温かいというか、登場人物も、読んでいる自分ももどかしさを感じつつも、何か、本書中でほとんど変わらぬ言葉少ない落合監督と心が通じ合って、物語が閉じられていく。
 印象的だったのは、2007年完全試合を目前に交代される山井投手の姿。重責から解放されて、すっきりとした山井投手の姿に森コーチが忸怩たる思いで視線を投げかけているところだ。『解放』それは、落合監督の野球人への哲学において、一つのキーワードでもあるのだった。
 さて、鈴木氏自身も、駆け出しの記者時代から始まる中日担当の8年間の日々、折に触れ落合監督と言葉を交わし、感情を表さないとされる落合監督を激高させるコミュニケーションを取ったり、夫人からの取材によって監督を通り抜けて野球人生にかけている人間=落合博満を深堀したり、理解しようとし、最後まで距離を埋められたような埋められていないような、ただ暖かなもの、成長した自分を確立した力強い感じで終わっている。
 最後には、私も頭痛は続きながらも生ぬるい温かな気持ちで本を閉じた。
 さて、書き出すと尽きないが、文字制限もあるので、結論に近づける。自分は本書から、何を学んだのだろう?実は本書ともう一冊を通して、私は今回とても学びを得た。
『お前ひとりできたのか?』ではないが、私も一つ疑問になって、落合監督自身に関心が高まり、一冊の本をkindleで購入した。『決断=実行』。開いたとたんに雷に打たれたようだった。鈴木氏がまとめた8年間、落合氏がどのように監督として過ごしていたのか副読本の様に述べられているからだ。
 そこには、チームをマネジメントする監督の高い視座からの言葉がちりばめられている。オーナーからの要請は「根本的にチームを変え、常に優勝争いをできるチームを作って欲しい」であり、そのために常に戦略を整えてきたことが語られている。一年目はなぜ全員残留させたのか?紅白試合を行ったのか?なぜ、森コーチだったのか?目から鱗のエピソードばかりなのである。
 そして、3冠王という実績を残して選手の経験があるからこそ、根底には「シーズン中そして10年かけてもゲームを続けられる選手でいて欲しい」という選手に心を寄り添わせる人物であったこと、ただし上昇のためには距離を置き俯瞰する必要があったこと、様々なことが描かれていた。

その2冊を通して自分が理解したことは、自分で考えることもそうだが、マネジメントの「チームを良くしたい」階差なら「もうけを大社員を幸せにしたい」という思いと視座と圧倒的な量と質を学び吸収する姿勢をわすれない。だ。
「常にできるようになることと、出来ることをできるまま維持する」努力をし、解放感は引退後まで。途中に開放を味わえば伸び悩む。それが私が学んだことだった。
熱い一冊を有難うございました。
 
投稿者 H.J 日時 
本書の主役、落合氏にとっての幸せとは何だろう?
そんな疑問が残った。
勿論、幸せは人それぞれの形があるのだが、与えられた役割を全うするために様々なものを捨ててきた落合氏。
ここで言う役割とは、監督としてチームを優勝に導くこと。
だからこそ、チームを優勝に導けば、監督としては幸せだろう。という見方と同時に落合氏個人の人生を考えると幸せなのだろうか?という疑問が残った。
現役時代、バッターとしては至高のタイトルである三冠王を日本で唯一3度も受賞し、監督としても申し分のない実績を残し、孫の代まで暮らせる大金を手に入れた落合氏。
タイトルである”嫌われた監督”についても『別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ』と語る様に特に気にしている様子も見受けられない。
それならそれで良い。という見方もあるのは承知の上であり、第三者がこんなことを考えるのは余計なお世話かもしれないが、この部分が私の率直な感想である。

中日ドラゴンズというプロ野球チームを在籍8年間でリーグ優勝4回、その在籍時すべてのシーズンでAクラス(リーグ順位3位以上)という圧倒的な結果を残した落合氏。
その実績から名監督であることは誰もが認める反面、本書で描かれている様な勝利に徹した采配は賛否両論の多く、勝利のために選手を駒として動かし続けた非情な采配という言葉がピッタリなイメージだった。
しかし、そのイメージを覆す様な新たな一面や間近で落合氏を見てきた著者だからこそ知るエピソードが描かれている本書。
文章の構成が素晴らしく、まるで小説を読んでいるかの如くスラスラと読め、飽きのこない一冊だった。
特に第10章の一度発車しかけた新幹線にマイペースで乗り込むエピソードは、未見にも関わらずその光景を強くイメージできるほど、圧倒的な文章力である。
このエピソードもそうだが、自身の就任一年目に怪我で殆ど投げられない川崎投手の開幕投手大抜擢、生え抜きスター立浪選手のレギュラー剥奪、前代未聞の日本シリーズ完全試合達成目前の山井投手の交代劇、一見奇抜な行動の裏には常に揺るがない信念に基づいた意図があり、結果を残し続けた落合氏。
常に結果を残す事を求められる世界に於いて、最高の結果を残し続け、契約通りの報酬を手にしながらも、最後はその事が発端となり、契約を打ち切られる。
結果だけ見ると一見皮肉の様にも受け取れるが、視点を変えると一種の救いの様にも感じる。
何故なら、我々の想像を超えるプレッシャーから解放されたからだ。
特に落合氏の場合、並の監督のプレッシャーとは異なるだろう。
嫌われる事も厭わない落合氏だが、WBC辞退や山井投手の交代など中日のファン関係なく野球ファンを敵に回しかねない非情な決断を多くしてきた。
これで結果を残せなかったら、中日ファンだけでなく全国の野球ファンから大バッシング間違いナシだ。
全国の野球ファンからのプレッシャー、熱狂的が故に過激なファンが多い阪神の監督とはまた違うプレッシャーだろう。
落合氏は独特のメディア対応が反感を買ったのか印象操作と言われてもおかしくないレベルで報道され、メディアでも感情を見せないことから、感情の無い人の印象を残した。
8年間間近で見てきた著者が描く本書の中でも、夫人の話や家族に関わるエピソード以外で感情が見える場面が少ないことからも印象と言う意味では遠くないだろう。
そんな落合氏でも眠れなくなるほどのプレッシャーを感じていたことを第8章で夫人が語っている。
落合氏本人もP314で、王氏や野村氏を称える形で監督業のプレッシャーを吐露している。
事実、本人だけではなく夫人までもが睡眠導入剤を服用するレベルにまでプレッシャーが達している。
健康的なリスクを取ってまで結果を残したその姿は正にプロである。
しかし、そこまでして勝利にこだわり続けた。
それはなぜか?
新幹線の中で話していた「契約っていうのは、それだけ重いんだ」という言葉通り、契約が最重要のプロの世界で生きてきたからこその価値観なのだろうか。
そこは、個人の幸せとかそういうレベルで語れない領域なのだろう。
いずれにしても自身の幸せよりも契約を重んじたプロの姿に感服した。
 
投稿者 3338 日時 
信子夫人との信頼関係が全て

落合博満と言えば信子夫人がすぐ頭に浮かぶ。
「野球さえできればいい」という男に、タイトルを取らせ、三冠王を取らせたのは、自分だと言い切っていた。

落合に取っての「野球さえできればいい」を具体的なイメージを持たせたのが、信子夫人であるのは間違いない。二人で今持っている大事なものを手放すことで、より価値のある未来を手に入れるキッカケになったお守り。そのお守りをも手放したことで、得たものはヤクルトへの勝利だったのだろうか。

そこには、信子夫人と二人だけの世界に二人だけのルールがあった。

信子夫人が落合に意識させたことが、落合の中で具体的な行動となっていく。落合はそれを現実にできるセンスと技術を持ち合わせていた。目的が明確になったことで、落合は淡々と行動を続けて行く。それが結果的に身を結んだのがタイトルであり三冠王だった。

好きな野球で評価され実績を残すことができたのは、信子夫人のサポートがあったからに他ならない。それ故、落合氏の信子夫人への信頼は絶大なものがあった。世間では、恐妻家とも愛妻家とも言われていたのは、その絶対な信頼があったからだと思われる。

なぜ語らないのか
なぜ俯いて歩くのか
なぜいつも独りなのか
そしてなぜ嫌われるのか

表紙に挙げられたこの疑問の答えは、意外にシンプルで、落合氏には信子夫人と二人だけの世界がある故に、他の人間も他の価値観も必要なかったのだ。信子夫人に出会って初めて落合氏は、野球で自己実現ができることを知った。そしてその方法を知った。それがオレ流と呼ばれ、他の選手や監督との価値観とは全く違ったものだった。

p82「同じ場所から、同じ人間を見るんだ」と記者に語った落合氏には何が見えていたのだろうか。
「野球さえできればいい」器用な選手がたくさんいる中、成果を残せる選手はほとんどいない。中日ドラゴンズにもそんな選手も何人もいた。その中で、落合氏が信子夫人から体得した願望実験の方法に、ついて来られる選手もほとんどいなかった。あまりに人と軸が違うために理解できない選手がほとんどだったと思われる。

p146「ただ、福留の頭にはたったひとつのことだけしかなかった。バットを振る。振り切る。」この心境でなければできないことがあるのを、落合氏は知っていた。なぜなら、落合氏も同じ心境でバットを振ってきたから。信子夫人に促されて、その心境でバットを振ることが、成果につながるを知っていたから。
ただ、福留選手をそこまで導くために、落合氏は行動していた。どちらかと言うとそれは、落合監督への信頼というより、何かわからない力が働いているのを感じていたからだと考える。

もし、落合氏がやってきた行動を、もう少し相手に歩み寄った形で実現できていたら、全く違う落合像ができていた筈だ。
落合氏はなぜか、誰もが評価しない、良く言う人がいない。
この本を読んでいる間、主人がなんでこんな本読んでるの?と何度も聞いてきた。あまりに何度も聞くので、ついに主人にインタビューしてみた。
あなたの落合観は?好きじゃないの?
曰く「むしろ嫌いで、訳がわからないし、息子もひどいから親としても評価できない。夫人も夫人だし…
良く言われているのを聞いたことが無い…」ケチョンケチョンに言っていた。

そう、あれだけの記録を残したのに、一歩だけでも選手の側に寄ったアプローチができていたら、全然違う評価になったはずだ。しかし、やはり一流選手は孤独なものだから、落合氏だから導くことができた選手がいるのも事実だと納得した。
 
投稿者 wapooh 日時 
2022.1.31【嫌われた監督】を読んで

 先週から読み始めたのだが、最初の川崎憲治郎氏の章からずっと、両方のこめかみから頭頂部まで、ギューッと委縮する感覚が抜けず、苦虫をかみしめたような口の中が本当に苦くなる時間を沢山過ごしてしまった。理由は、本の装丁がモノクロに鈍い金色でずっしりと分厚いうえに、描かれているエピソードも夜の描写や悪天候や色彩をやや描いたようなイメージが多かったからだと思う。それは、鈴木氏の苦しみやもがきであり、取り上げられている人物が浮かび上がらせる葛藤ややるせなさ、だったりするのかもしれない。
 私は野球を知らない。落合監督について思い出すのは、夫人とぷくぷくとした息子さんとの3人の姿をワイドショーで見続けた記憶だけだ。そのため、試合についても何の思い入れもなく、ただ読んだ。
 ただ読んだにしては、とても胸が痛く心が揺さぶられることが多かった。揺さぶられる、というよりも締め付けられる、本を抱えているのに(分厚いから)フルフルと握りしめているという感覚で体ごと一冊を味わっていた。
今の自分が仕事上くすぶっているからかもしれない。なぜなら、落合監督の挙動がある人と被るからだ。3年前、現職場に8年ぶりに復帰した私は、4年キャリアが上の先輩が室長となる現場で、それまでのキャリアとは別のチームのメンバーになった。「それまでのキャリアで、(私が経験していない)安全意識の高いチームで一から出直してもらう」意向だ、と、となりのチーム長の先輩から聞かされた。仕事は本当に新人には手強くて、それまで女性が入ったことの無い作業もあったで、本当に位置から汗水たらす日々が始まった。
半屋外の建屋での作業で、夏は4度着替えて、水を飲んでも汗をかいてばかりいるからトイレに行くこともなかった。おろおろしているおばちゃんを横目に、20代、30代の若い男性社員が、同じように汗をかきながらもひょうひょうと作業をしている。
冬は温度計が0℃を指した。1年間、ケガなく安全に、そして毎日体力を備えて無事に過ごすにはどうすればよいのか?自分なりに考えて対策し、道具を揃え、環境を整備した。
そんな中でも、求められたのは結果のみ。上司は「できないばかり言わないで、出来るようになって下さい。若手にしめしがつくように。人任せにせず自分の目で見、手足で稼いで下さい。」と表情も変えずに言う。
常時、ポーカーフェイスで、フラットで必要なこと以外口にせず、決まったメンバー(各チーム長)とだけ、濃密に限定的に情報交換をし、チームの運営を行う上司(課長)。
まるで、落合監督のようだった。
 冒頭の川崎氏は、肩の故障と自らの選手生命の潮時を一人突き付けられて、温情という温かみをもって、だが、厳しい現実(引導を渡される)を、就任一年後の落合監督から受けた。
自分も体力の無さや思考の凝り固まり、反応の鈍さ、新しい情報を取り入れる時間の要し方、川崎市の姿に自分を重ねてしまい、色々と考え込みすぎて、第1章を読み終えた翌日、簡単な計量ミスをして落ち込んだ。
 川崎氏の第1章に続く、森野氏、福留氏、宇野氏…。落合監督の意を測りかねて、又それまでの自分達のルールや習慣、文化とは異質な日々に葛藤する人々。共感する著者の鈴木氏の文章もあって、ぐいぐいと引き込まれて苦しくなっていく。
 『優勝しているのに、表浮かされない落合監督』同様に、『優勝しているのに、心が晴れずさらに責任が重くなりキリキリと消耗する選手たち』にも見えてしまう。
 それが、2007年の優勝劇あたりから、変化していくのであった。体の芯は温かいというか、登場人物も、読んでいる自分ももどかしさを感じつつも、何か、本書中でほとんど変わらぬ言葉少ない落合監督と心が通じ合って、物語が閉じられていく。
 印象的だったのは、2007年完全試合を目前に交代される山井投手の姿。重責から解放されて、すっきりとした山井投手の姿に森コーチが忸怩たる思いで視線を投げかけているところだ。『解放』それは、落合監督の野球人への哲学において、一つのキーワードでもあるのだった。
 さて、鈴木氏自身も、駆け出しの記者時代から始まる中日担当の8年間の日々、折に触れ落合監督と言葉を交わし、感情を表さないとされる落合監督を激高させるコミュニケーションを取ったり、夫人からの取材によって監督を通り抜けて野球人生にかけている人間=落合博満を深堀したり、理解しようとし、最後まで距離を埋められたような埋められていないような、ただ暖かなもの、成長した自分を確立した力強い感じで終わっている。
 最後には、私も頭痛は続きながらも生ぬるい温かな気持ちで本を閉じた。
 さて、書き出すと尽きないが、文字制限もあるので、結論に近づける。自分は本書から、何を学んだのだろう?実は本書ともう一冊を通して、私は今回とても学びを得た。
『お前ひとりできたのか?』ではないが、私も一つ疑問になって、落合監督自身に関心が高まり、一冊の本をkindleで購入した。『決断=実行』。開いたとたんに雷に打たれたようだった。鈴木氏がまとめた8年間、落合氏がどのように監督として過ごしていたのか副読本の様に述べられているからだ。
 そこには、チームをマネジメントする監督の高い視座からの言葉がちりばめられている。オーナーからの要請は「根本的にチームを変え、常に優勝争いをできるチームを作って欲しい」であり、そのために常に戦略を整えてきたことが語られている。一年目はなぜ全員残留させたのか?紅白試合を行ったのか?なぜ、森コーチだったのか?目から鱗のエピソードばかりなのである。
 そして、3冠王という実績を残して選手の経験があるからこそ、根底には「シーズン中そして10年かけてもゲームを続けられる選手でいて欲しい」という選手に心を寄り添わせる人物であったこと、ただし上昇のためには距離を置き俯瞰する必要があったこと、様々なことが描かれていた。

その2冊を通して自分が理解したことは、自分で考えることもそうだが、マネジメントの「チームを良くしたい」企業なら「もうけを大社員を幸せにしたい」という思いと視座と圧倒的な量と質を学び吸収する姿勢をわすれない。だ。
「常にできるようになることと、出来ることをできるまま維持する」努力をし、解放感は引退後まで。途中に開放を味わえば伸び悩む。それが私が学んだことだった。
熱い一冊を有難うございました。
 
投稿者 okkodonn 日時 
嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのかを読んで
自身が少年の頃から野球を始め、高校球児でもあったことから、プロ野球をテーマとしたこの本は単純に興味があり、かつ、三冠王を複数回獲得した天才打者が監督となり、勝利至上主義として、試合にロマンなどを求めていないある意味、人としての体温が感じられない冷たい監督というイメージを持っていた落合氏について、深い理解ができるのではないかと、興味を持ちながら、読書を始めました。
特に印象的だったのは第2章森野将彦。沖縄県北谷公園野球場で実施されたキャンプでのノックのシーンは、読んでいて、情景が鮮明に浮かび、自分自身が息切れして苦しくなりそうだった。覚悟の有無。プロの世界は奪うか奪われるか。やるのかやらないのか。
これまで本気で何かを望んだことがなかった男が、真剣に望みを明確にし、動き出すことで道が開かれることを垣間見た気がしました。
著者の巧みな表現により、情景を一瞬でイメージさせられる事も手伝い、一気に読み進めることができました。佐藤しょうおん先生、素敵な本をご紹介いただきまして、ありがとうございました。