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第142回目(2023年2月)の課題本


2月課題図書

 

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること

 

未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること

 

これから確実に起こる人口減社会では、我々の生活がどう変わるのかを解説している本

ですが、これはまさに激変と呼ぶにふさわしい変化で、日本という国の凋落がハッキリし

ますね。こんな未来が来るのなら、日本にいない方が幸せなんじゃないの?と思ってしま

うくらいの話で、しかもこれは人口動態的にほぼ100%訪れる未来なんですから。

 

本書を読んで、自分はどうこの事態に備えるのか?を考えるべきだと思うんですよね。

 

 【しょ~おんコメント】

2月分投票結果

 

2月分は、masa3843さんが3票、taroheiさんと、LifeCanBeRichさんとCocona1さんが2票

pakkun01さん、H.Jさん、daniel3さん、Terucchiさんが1票となりました。

 

その結果、累積ポイントは、LifeCanBeRichさんとmasa3843さん、Cocona1さんが9pts、Te

rucchiさんが5pts、mkse22さんとdaniel3さんが4pts、1992さんとtsubakiyuki.yuki1229

さん、taroheiさん、H.Jさんが2pts、msykmtさんとpakkun01さんが1ptsとなりました。

 

【頂いたコメント】

投稿者 kenzo2020 日時 
働いている仕事がまさに人口によって左右される仕事なので、課題図書にも人口推移の想定グラフがあったが、ネットでくわしく調べてみた。すると、退職するまでに人口が激減しているのがわかった。さらには、今年の新入社員が定年、これは65歳になるのか?、となるときは、もうまったく別の世界と言っていいぐらいの人口の減少となる。ちなみに、近々最新の想定が出るそうなので注目したい。つまり、自分の仕事の期間に当てはめてみると、そう遠くはない、現実味がある未来だったのに気付かされた。
それでは、いかに乗り切るべきか。著者の提案にもあったが、自分の5年先、10年先のプランを見直すことが極めて重要である。スキルを上げて、副業ができるようになったり、少しでも今の仕事を長く続けられるようになったりしていきたい。しかし、人口減少のため、今の仕事がそもそも残っているのかがあやしい。シニアの人口が相対的に増えるので、シニアを対象にした仕事や、外国人が増えることも想定して、外国人を対象とした仕事も考える必要がある。
本の中にあった、コンパクトな社会とはどんな社会になるのだろうか。働きすぎをやめること。すると稼ぎも減る。お金を使わなくなる。企業が儲からなくなる。するとさらに給料が減るとなり、まさにデフレの状態となる。AIやITなどと言われているが、本当に便利で快適な世の中になるのだろうか。もしかしたら、今が一番便利で快適な世の中なのかもしれない。
投稿者 flyhigh_matt922 日時 
==読書感想文==
■本
未来の年表 -人口減少日本でこれから起きること-

■タイトル:高齢化向けビジネスは今後の日本の世界で戦える産業になる

■本文
日本は今でこそ1億人を超える数少ない国のひとつですが、それがあと2024年には65歳以上の高齢者の割合が3人に1人になり、更には50年後に人口が半分以下の5000万人を切る可能性がある。と言われたらどう感じるでしょうか。

「高齢化」という言葉は何度も聞いたことはありましたがどこか身近に感じれなかったのですがこの本を読み統計データなどを実際に数字としてみることで、高齢化は私の予想よりも深刻で早いペースで迫ってきているのだと実感することができました。

まずこの本には2024年に、高齢者の割合が3人に1人になると書かれています。つまり人口の約30%は65歳以上というある意味衝撃的な事実を聞いても実感が湧かなかったのはなぜでしょうか。

おそらくそれは私が育ったのが大阪と東京の中心で育ったという背景が大きく影響していると思います。東京の中心では田舎から上京してくる人がおおく日本でも活気のある場所のため若者が多く、高齢者の人たちを見ることが少ないからだと感じました。

実際、団塊世代が一番人口のボリュームが多いので今後さらに高齢者になる人が増えることは明白です。そんな中で日本の経済や年金、政治など心配になることはたくさんありますが、私はあえて言えるとすればこんなタイミングだからこそ日本は高齢者向けのビジネスにもっと注力するべきだと思います。


人口の増減は国によって違い、東南アジアなどの発展途上国ではどんどんと若者がうまれているそうですが、私は日本やアメリカ、オーストラリアなどの発展国では今後高齢化の波が来ると思っております。

それは経済力があるため最低限の食事が食べられる人がふえたことで彼らの平均寿命が伸びたり、栄養管理やエクササイズなど仕事以外の趣味を持つ余裕があることが理由だと思います。

人間の寿命は科学の進歩なども考えるとまだまだ伸びていくと考えられ、そうなった時に先に高齢問題にぶち当たる日本は大きなアドバンテージがあると思います。だからこそ前向きに元気な高齢者が増えるような社会にどうすればできるのかをかんがえ、俗にいう老害と言われる口だけで何も動かない人を減らしていけば日本がまた経済力の底上げにつながると思いました。

この本でも、人口が減るのは防ぐことができない。だがらこそ人口減少を前向きに捉え、戦力的に縮もうと言っています。できないことよりも、現実を受け止めできることに集中することが大切だと著者は言いたかったのではないかと感じました。

数字的なデータは時に残酷ですが、自分のように感覚で物事を考える人間には良い意味での警告に見えました。今後の社会を担う1人としてできることを模索していきたいと思いました。
 
投稿者 pakkun01 日時 
あらゆるデータを調査し、それを元にこれから起こる問題が書かれていました。
作者に一言いたいです。「人口減少日本でこれから起きること」や「人口減少日本であなたに起きること」と本の表紙に書かれていますが「起きること」では無く、「起きうること」と表現して欲しかったです。

難しいかも知れませんが、今後私たちが努力し、生活や仕事のやり方を変えたり、新しい地域コミュニティを形成するなどを行うことにより、作者が「起こる」としている事象が起こらない可能性があるのですから。

作者は、「未来の年表」のP45の2行目に”日本がいまさら「多産社会」に戻ることは考えづらい”とバッサリ「多産社会」を切り捨てています。しかし私は、日本国民が減少し最終的に希少民族又は絶滅となってしまうのは避けたいと思うので「多産社会」とまで言いませんが出生率を2.0以上にし、何とか切り抜けたいと考えます。

私事で申し訳ないですが、私は1988年に結婚し夫婦生活を始めました。高卒であったため、その頃の月収は、約11万円、手取り8万円という大変苦しい状況でした。勤務する会社の社宅を利用することが出来たため(家賃2万円)、何とか生活することが出来ました。

現在のように学費高校まで無償化であったり、18歳まで医療費無料(大阪の場合)という制度はありませんでしたが、無事に子供二人を成人させることが出来ています。サラリーマン(高卒)の年収では、学費や医療費まですべて自前で支払うとなると子供は二人が精一杯だったように思います。

妻に「もし、新婚時代に現在のような高校まで学費無償化や医療費無料という制度があったとすればもう一人子供を産んでいたか?」と聞いたところ、「私は、産まない」とのことでした。

理由は、学費や医療費が無料になれば、生活は楽になるが子供が生まれてから1歳までは、非常に手がかかり、めちゃくちゃしんどいから。子供を2年毎に授かった場合、その乳幼児を育てるといった重労働は、年齢が若かったとしても愛情をもって子供の面倒が見れるのは2回までが限度らしい。子供を2年毎に授かると設定した理由は、約2歳になると子供は、言葉を理解し、ある程度の会話が成り立つため、養育するのが劇的に楽になるからである。楽になれば、次の子供を授かっても良いと女性は、考えるらしい。女性によっても個人差があるため、一概に言えませんが乳幼児の子育ては、精神的にも体力的にもしんどいという事は、言えると思います。(夜泣き、数時間毎の授乳、おむつ交換等)

では、子供を3人ないし、4人産み育てようと思えば、ほかの誰かの協力が必要になってくるのではないでしょうか。夫婦の両親または、祖父母、それともベビーシッターなのか。現在普及してしまった核家族の構成では誰が助けてくれるのか確約はでません。確約できなければ、若者夫婦だって安心して子供を授かれない。となります。

対策1:18歳~30歳の間に結婚した夫婦が借りる賃貸物件は、3LDKまで一律2万円の個人負担とし、負担で借りれるようにする。差し引き分不足分は、国や地方自治体が助成する。(女性が満30歳まで有効)

特に18歳~30歳の間の収入(年収)は大きく見込めないため、支出金額の大きい賃貸料金の助成をすることにする。賃貸物件を3LDKまでとした理由は、新婚夫婦には広すぎる間取りであるが、両親や祖父母等の応援や手助けが必要な場合は、宿泊して協力してもらえるようにする部屋が必要だと考えるからです。また、若くして結婚した場合、広い間取りがあると友人を呼んで〇〇パーティ等を行うことが出来るからです。(新婚生活にも楽しみは必要です。)これは小さなコミュニティですが新しい婚活の場にもなり得るからです。実際私たち夫婦の時代も週末には、友人たちが毎週のように集まり、鍋パーティやゲ-ム大会が行われ、何組かのカップルが誕生し、結婚された方もおられました。

対策2:第3子又は第4子を儲けた場合は、各々18歳まで毎月2~5万円の補助金を支給する。

少々お金のバラマキ感がありますが、日本国を今後担っていく人材育成のためにも必要ではないかと思います。

その助成するお金は、何処から捻出するのかが問題になります。高齢者の方々に申し訳無いのですが、私は、社会福祉費の削減で賄うと良いのでは無いかと思っています。

社会福祉費の削減の別案として、一人暮らしの超高齢者の方々をある一定の地域に集め、超高齢者用の設備を整えることで生活しやすくなり、且つ集中管理が出来、超高齢者の介助等の効率化が図れると思います。基本的には、お互いに助け合うコミュニティを作ってもらい、生活して頂く形になりますが、必要に応じ介助を行います。

もちろんお金のある超高齢者は、個人的に裕福な施設等での生活になりますし、超高齢者の子供たちや孫たちが超高齢者を引き取って面倒を見るというのであれば、そちらを最優先とします。
 
投稿者 buttercup1 日時 
人生というものは、自分でコントロールできる部分と景気など環境に影響を受ける部分からなりたっていると思う。例えば、パンデミックで儲かった会社と潰れた会社があるように、少子化高齢社会が訪れてもきちんと準備をして老後に備えた人とそうでない人では、老後の暮らしが二極化されると思う。そして、その差は現在では考えられないほどの大きなものになっていると思う。

私が高齢者になる頃には日本はガラリと変わっているだろうから、今の高齢者のライフスタイルを参考に自分の老後を考えることはできない。だからいろいろな統計やデーターをもとにして未来を予測する本はとても参考になる。この本をもとに、自分がどのように老後の準備をするか考えてみたいと思う。

著者は、老後の資金が足りない人が増えてくると予想している。これは、会社で給料が上がらないまま定年退職をしてしまうケースが増えると予想されるからである。また、高齢者が増えて労働者の数が減ってしまうと国の財政が圧迫されてしまう。その結果、年金の受給年齢が上がったり金額が下がったりするかもしれない。このように、老後の資金は政府に頼るのはリスクが高いので、定年退職した後でも続けられる副業を今から立ち上げることが優先すべきだと思った。副業が軌道に乗るには時間がかかると思うので、早めに取り掛からなければ時間切れになる恐れがある。

副業の利点は経済的なものだけでなく、老後も自分のコミュニティーで活躍することができるという点にある。例えば、私の母は自営業をしており、毎日様々な人が入れ替わり立ち代わり母のアトリエを訪れる。母はもうかなりの高齢だがまだまだ現役で頑張っている。このように高齢になっても社会とのつながりの中で生きがいを持つことは高齢社会を生きる上で不可欠だと思う。

著者は東京などの大都会では老人ホームの入居が困難になると懸念している。地方から東京へ流入した人が高齢になり老人ホームの需要が増える割には、東京は労働者など若い層が中心に発展してきた都市なので老人ホームの建設が遅れると著者は予想している。もし著者の予想通りになるのであれば、地方への移住を考えるのも得策かもしれない。私はリモートでもできるような副業を模索していて、場所を選ばない働き方ができればそれが理想だと思う。

若いころは目の前の仕事で忙しく、長期的な視点で老後のことを考えないことが多いと思うが、この本は必ず来る社会の変化に対しどのように対策をすべきか今から考えるきっかけを与えてくれた。
 
投稿者 daniel3 日時 
本書を読んで、どれだけリアルに未来をイメージできたかが、日本人の中でも、マシな人生を送ることができる人の分水嶺になるのだと考えました。本稿ではそのように考える理由を説明し、どうすればマシな人生を送れるのかを解説します。

「未来の年表」及び続編の2巻では、少子高齢化の進行により、主に2065年頃までに日本でどのような変化が起こるのかを解説しています。本書を読み、東京や大阪の繁華街にも「幽霊屋敷」が林立し、地方銀行や様々な商業施設が閉鎖された姿が目に浮かんできたでしょうか?また、街を見渡せば、高齢者でデパートやスーパーの売り場が混乱していたり、歩くのが不自由な高齢者により電車のダイヤが乱れ、高齢ドライバーの暴走運転で危うくひき殺されそうになるリアルなイメージがついたでしょうか?そんな光景をイメージして、日本人に生まれてきたことを後悔したあなた!

 「安心して下さい、まだ2023年ですよ!」

2065年までは、まだ時間的な猶予が残されています。

別の例を出して、未来をリアルにイメージする重要性を説明します。ダルビッシュ有は、東北高校からドラフト1位で日本ハムに入団して活躍し、その後メジャーリーガーとしても大成功していることは、野球に詳しくない方もご存じかと思います。そんな彼は、まだ20歳の頃に、何の努力もせずに40歳のホームレスになってしまった自分をイメージしていたそうです。大した活躍もできず、ご飯を食べるお金もない状態になった時、突然神様が現れてダルビッシュに次のように話したそうです。

 「1回だけ20歳の自分に戻るチャンスをあげるよ。でもやること全部やらなかったら、また今の君に戻すからね。」

ダルビッシュはこの神様とのやり取りをリアルにイメージし、今の自分に戻ってきたと考えて真剣に練習するそうです。そして、本書を読んで未来をリアルにイメージできた人は、

 「安心して下さい、ダルビッシュと同じ状況になっていますよ!」

2065年の日本からタイムリープして、2023年に戻ってきたと考えることができれば、まだやれることがあると考えられ、気持ちを新たに行動したくなりませんか?

では、2023年の日本に戻ってきたあなたは、どうすればいいのでしょうか。日本の少子化高齢化を食い止めるために、本書を読むことを周囲の人に薦めてみるのはどうでしょうか。しかし、年に10冊程度しか本を読まない多くの日本人には、あなたの思いは届かないでしょう。多くの人に知ってもらうためにYouTubeやTikTokに解説した動画を投稿してみても、かわいいワンコ動画や、どうしようもない炎上動画に埋もれてしまい、大した影響力を与えられないかもしれません。そのため、周囲の人を変えることが難しいのならば、自分が時代の先頭に立って、少子高齢化の日本でマシな生き方ができる方法を模索すべきだと考えます。すぐに最適な方法は見つからないかもしれませんが、あなたには、未来に何が起こるかをリアルにイメージできているという強みがあり、恐怖心から行動せずにはいられないはずです。やがて、そんなあなたが行動する姿に周囲の人が注目し始めたら、日本が少子高齢化社会に適応するために一歩を踏み出したと言えるでしょう。

具体的な行動としては、もし独身で身軽な状態であれば、真剣に海外で生活する方法を考えてみるのが良いと思います。人口が少ない地域に住んでいて、生活が成り立たなくなる見込みがあるならば、身軽に住む場所を変えられるように、アドレスホッパーやミニマリストの生き方を目指しても良いでしょう。また、家族がいて身軽に引っ越しできない場合でも、できることはあるはずです。例えば、勤務先企業が倒産しても有利な条件で転職できるように、キャリアの棚卸に励んでみても良いと思います。もしくは、住む場所にしばられずに働けるように、クラウドワークスの副業を始めてみるのはどうでしょうか。せっかく神様に、2065年から2023年の日本に戻してもらえたのですから、残された時間で、「やること全部やってみれば」良いと思います。まだ悪あがきをするための時間が残されているのですから!

以上述べてきたように、本書を読み、2065年の日本の悲惨な状況をリアルにイメージすることが、マシな人生を送るために必要であることを説明しました。そしてせっかく掴んだチャンスを活かすために、「やること全部やってみる」ように行動することが重要だと述べました。ここまで言ってもまだやらないんですか?そんなあなたは、この言葉を思い出してください。

「いつやるか、今でしょ!」
投稿者 aguroig 日時 
 今まで、ニュースや新聞などで人口減少・少子高齢化社会問題を見たり聞いたりしてきましたが、本当に日本はそんなにマズイのかと、半信半疑に思っていました。今回、未来の年表1・2を読んで、本当にマズイ、なんとかしないといけない、と思い直しました。なんとなく感覚的にしか実感がなかったことが、具体的に数値化されて示されると、実感として認識することができました。

 まず、未来の年表1に書かれている年表を見るだけで絶望しました。
 団塊の世代が75歳以上になる2025年問題が取り上げられていますが、その子供世代の団塊ジュニアはまあそこそこ人数は多い。でも、就職氷河期世代を放置してきたので、そもそも結婚していない(できない?)人数が多いので、子どもの数が少ないのです。そして、そもそも氷河期世代の子供の数が少ないので、次の世代は更に少なくなる・・・
 2020年には女性の2人に1人50歳以上になるということですが、出産可能年齢の若い女性の数がそもそも少ないので、人口が増える見込みはないのです。さらに出生率が2.07を上回らない限り人口減少は止まらないといいます。
しかし、上記のような状況で、どうやって出生率を2.07まで上げるのでしょうか?
とてもじゃないですけど、出生率が2.07以上に上昇するとは思えませんので、人口減少はどんどん進んでいく・・・
 そして、上の世代で人口が減少すると、下の世代ではその減少した人口をベースに結婚・出産することになりますので、更に人口が減少するという負のスパイラル・・・
 高齢化が加速し、働けない層が多くなり過ぎて、社会保障制度の維持はほとんど困難になるように思えます。
 ある種の悲しみにも似た怒りを覚えました。
 人口減少をなんとしてでも食い止めないと、と強く思いました。

 さて、2025年問題よりも恐ろしいと言われているのが、団塊ジュニア世代や就職氷河期世代が老いる2042年だそうです。2042年には団塊ジュニア世代が70歳を超え始めます。
 今の高齢者はそれなりの貯蓄を持っている人が多いのですが、就職氷河期世代は団塊世代よりも貯蓄は少ないのでお金のないしかも少子化で身寄りのない高齢者が増えるのではないかと予測されています。更に、高齢者の数もピークに達します。団塊世代が生んだ団塊ジュニア世代が高齢化するからです。そして、その団塊ジュニア世代を支える下の世代は更に人数が少なくなるため、それらを支えることは無理なのです。
政府も就職氷河期世代への対策を今更実施しても、結婚適齢期、出産適齢期を過ぎてしまってからでは遅いと思うのです。

 更に、2025年では、団塊世代を支える現役世代は、1.9人で1人の高齢者を支
える時代になります。2042年には、現役世代1人で1人の高齢者を支える所謂マンツーマン時代になるといいます。
そうなると、2042年の現役世代はどうやって生活していくのでしょう?
どこから税金や年金、社会保険料を出すのでしょう?
というか、どうやって政府は徴収するのでしょう?
無い袖は振れないのです。
 これからの少子高齢化社会、非正規雇用が多い現役世代、大人になっても生活できずに親に養ってもらっている状態・・・
 こういう状態が続けば、20代30代の現役世代の老後もかなり悲惨になるように思えます。

 ということで、根本的に制度改革をしていかないと、絶望的な未来しか待っていないのです。政府や行政に頼ってなどいられません。来るべき高齢化社会からは逃れられないのです。
 では、今からどうすればいいのでしょうか?
未来の年表2を読んで、これから実践しようと思ったことは次の通りです。
・出産、それもなるべく多く
・働かなくてもお金の入る仕組みを作る
・副業する
・健康管理、運動習慣を作る
・友人との交流、地域活動に参加する
・居住環境を快適にする
 少子化対策の根本解決は出生率を上げることです。しかも2.07以上。つまり、2人ではまだ足りなくて、3人以上の子供を産み育てないといけないということです。
 働かなくてもお金の入る仕組みは、副業をすることにも繋がるのですが、副業などをしつつ、若い頃にそういう仕組みを作っておけば、年金制度が破綻してもなんとかなります。
 健康管理は言うまでもないです。よく言われることですが、健全な精神は健全な肉体にしか宿らないのです。
 友人との交流を大事にすることで老後の孤独を打ち消したり、地域活動にも若い頃から参加していれば、困ったことがおこった時でも助けてもらえたり、老後の生活も安心です。
 居住環境は、バリアフリーにリフォームしたり、便利なところに住んだり、年をとっても困らないように備えることも含みます。

 今後は、若いということが逆にマイノリティの時代になるでしょう。若い人が少ない分、逆に年寄りにもチャンスがきそうな気がします。
高齢者向けのサービスは既にビジネスとして存在しますが、高齢者が若い人たち向けにサービスを提供するビジネスもありだと思います。
 昔話にある姨捨て山の寓話のように、お年寄りの知恵や知識がビジネスになる。

 最後に、これからの未来、若者が減少し、高齢者が増加していくのはどうしても避けることはできない気がします。
 でも、同じ増減でも、怒っている若い人が減り、笑っている年寄りが増える方がいいように思います。
 なので、できるだけ自分は怒らず、少しでも回りが笑顔になるように、生きていければいいかなと思います。
 本書を読んで、お先真っ暗になりましたが、まずは自分が楽しくごきげんに過ごすことが大事だと思いました。
投稿者 shinwa511 日時 
今回の課題図書を読んで、日本の子供達を育成していくには継続的な支援が必要である、という事を改めて感じました。


2冊の本で大きなテーマとなっているのは、多くのページを割いて書かれている人口減少や、少子
高齢化の問題についてです。日本では長く少子化が進んでおり、今後は子供を生む事が出来る女性が減っていく事が課題となっています。


昨今、出産一時金を支給する政府のニュースが伝えられていますが、出産一時金等の支援だけではなく、子供が大人になり、その大人が結婚し、子供を育てられるという、長く継続的な社会支援が必要なのです。


なぜなら、子供が大人になるまでには長い月日が必要であり、親が働きながら子供を育てられる
仕事面の支援や、医療養育費など、親が子供を育成する為の、家庭への支援が必要不可欠だからです。


近年、北欧諸国やフランスなどでは、政府の政策により少子化を克服し、人口痴漢水準近傍まで合計特殊出生率を回復させて来ている、と内閣府のHPで紹介されています。


例えばフランスでは、家族給付の水準を厚くし、第3子以上の子供を持つ家庭は特に、有利に
なっているのが特徴です。さらに、1990年代以降は家族手当等の経済的支援から、保育の充実へと舵を切り、出産や子育て、就労に関して幅広い選択が可能な両立支援を強める政策を打ち出しています。


スウェーデンでも、40年近くに渡り、経済的支援や両立支援の政策を進めて来ました。それらの芽が育ち、少子化問題を解決したという、大きな実を近年ようやく結んだのです。


アメリカでは、家族政策に不介入である反面、民間の保育サービスが発達しているため、固定雇用の従業員に対しては、子育て後の再雇用や子育て前後のキャリアの継続が容易である事や、男性の家事参加が比較的高い事など、社会経済的な環境を持っています。


両立の支援や、民間の子育てサービス充実など、まだまだ日本では不足している部分がありますが、それらが日本の社会にも浸透し、安心して子供を育てる環境を作ることが必要なのです。


しかし前述の通り、日本のニュースで頻繁に取り上げられているのは、出産時の一時的な支給金についてばかりです。子供が生まれれば、お金が支給されますが、生んだ後の養育費用や養育支援がどうなるのかという話は、ほとんど取り上げられていません。


一時的な支援だけではなく、継続した支援が無ければ、子供を大人になるまで育てる事に対して、不安が残るのは当然の事だと考えます。


出生率を増やすことばかりを考えるではなく、生まれた後はどのような支援される環境があり、それがどのような安心や喜びとなるのかを、もっと発信していくべきなのです。


自分が個人的に行える子供たちの為の支援とは何かを考える際、子供が参加する夏祭りなど地域の行事を盛り上げるイベントに参加し、子供がイベントを楽しめるように支えるのも、自分が子供達へできる支援であると考えます。


子供を育てる親だけではなく、育てられる子供達にとっても楽しかった、良かったと思える地域や環境を作るように、未来のために今から自分が出来る支援を始めていくのが良い、と本書を読んで感じました。
 
投稿者 Cocona1 日時 
私は本書を読み、著者の主張のように変わっていく日本において、自分の人生の「未来の年表」をどのように計画すべきか、考えてみた。

まず本書で強く印象に残ったのは、「ここからの未来は、過去からの延長線上にはない」という一文だ。さらに著者が、そんな未来に向けて個人ができる行動として挙げている、「働けるうちは働く」「ある程度合理的に人々が住む」という2つ提案も、非常に興味深かった。要するに、仕事も住居も時代に合わせて自由に選ぶ、「人生のフリーアドレス化」が大事なのだと読み取った。

この「人生のフリーアドレス化」だが、私は少子高齢化が進むこれからの日本において、とても有益だと考えた。「働けるうちは働く」のは、年金だけに頼らない老後の経済的な支えになる。しかも、仕事を通して人との付き合いができるため、孤立を避けられる。さらに、やる気や充実につながり、精神的な支えにもなる。また、「合理的に人々が住む」も、高齢者になったときに必要な設備が整ったところで暮らせるなら、メリットが大きそうである。

ところが、この、「働けるうちは働く」「ある程度合理的に人々が住む」という提案を聞いて、前向きになれない人もいるだろう。それは、本書に書かれているような日本の未来を考えず、昔ながらの老後を固く信じて疑わない人ではないかと想像する。これまでは、今の延長に変わらない未来があると信じて、人生を計画できた。終身雇用からの退職金・年金・持ち家の3本柱が老後の支えとなっていた頃は、そんな将来を目指してひたすらに突き進めばよかった。そして、今でもこのたった一つのゴールを前提に、人生を計画している人も多いように感じる。

しかし、著者が主張する通り、「ここからの未来は、過去からの延長線上にはない」のだ。それを理解せず、今までと変わらない未来だけを信じ続けた先には、果たしてどんな老後が待っているだろうか。それは、時代の変化に合わせて変われなかった、今の日本の社会保障制度の状況を見れば、嫌でも実感できる。結局、「未来へのツケ」を将来に回すだけであり、自分の人生においてそのツケは必ず自分に戻ってくる。もちろん、年金などの老後の支えが、今後は全く機能しないとは思わない。予定通りの人生を送り、誰もが憧れる悠々自適な老後を楽しめるなら、勝ち組と言えるだろう。ただ、それだけを信じて今を過ごすのは、リスクが大きすぎて、私は心配だ。

いよいよ本稿の主題、自分の未来の年表について書きたい。これからの変わる日本において、人生のフリーアドレス化に対応するためには、どのように備えるべきか。私は、選択肢が多くなるように人生を計画することが大事だと思う。なぜなら、変わりゆく未来には、選択肢を多く用意しておかなければ、変化に対応できず行き詰まってしまうからだ。過去の延長に未来がある時代においては、選択肢の多さは効率が落ちてしまい、魅力が少ない。しかし、変わる時代はその真逆である。

選択肢が多い計画には、長所・短所がある。短所は、割高なのと、楽ではないことだ。一方長所は、リスクを小さくできることと、我慢をしなくて済むことだ。ここでは分かりやすく、旅行で例えてみる。旅行を手配するとき、パッケージツアーを使うと安くて楽である。ただし、柔軟性はなく選択肢も少ないため、予定外の事態への対応が難しい。一方、個人で旅行を手配すると、面倒で費用も高くなりがちだ。しかし、予定通りにいかなくても柔軟な対応がしやすい。さらに、変更の選択肢が増える分、コンディションが悪いときに無理に出発することがなくなり、我慢をせずに旅行をより楽しめるようにもなる。

この「選択肢の多さ」の長所と短所は、人生設計においても同じだと私は考える。選択肢の多い人生を計画すると、コストもかかるし、楽ではない。というのも、仕事においては、副業を考えたり、違う働き方を求めて自分への投資を増やしたりする必要があるからだ。ただし、予想と違う将来に対応しやすいのは、大きなメリットである。また、選択肢が増えることで我慢しなくていいのも魅力だ。心や体を壊してまで、いやな仕事を続けなくて済む。住居についても、不便な土地に住み続ける必要がない。結果、人生をより楽しめそうである。「選択肢の多さ」の長所・短所について、どちらを強く感じるかは、人によって違うだろう。しかし私は、本書で書かれたような日本の未来に備えるには、長所の方が大きいと考える。

先の読めない大きな変化が予想される日本において、自分の未来の年表を思い描くことは、難しいかもしれない。しかし、本書にはそのヒントがたくさん書かれていた。私は、選択肢の多い人生を意識することで、人生のフリーアドレス化に前向きに取り組みたい。そして、どんな時代の変化があっても、明るい未来の年表にできる自分を目指そうと思う。
 
投稿者 mkse22 日時 
「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」を読んで

本書は、人口減少により今後の日本で起こることを整理した本だ。
IT技術者の不足や東京都の人口減少、自治体の消滅危機や高齢者人口が約4000万人など、正直明るい話は1つもなかった。「日本の未来が暗い」と言わざるを得ない根拠が淡々と並べられており、読み進めていけばいくほど、憂鬱な気分となった。
ただ、日本の未来が暗いのは、従来の考え方(例:人口増加を前提)をそのまま踏襲した場合であり、本書にあるように、戦略的に縮むことを前提に考えると、それほど暗い話にはならず、むしろ日本の未来は明るいと思ってしまった。
そのように考える理由を2つの例を通して説明する。なお、ここでいう戦略的に縮むとは『コンパクトで効率的な社会に作り替え』 (p.165) ることを意味する。

まず、2019年に起こる(起こった?)IT技術者の不足についてだ。
著者は人口減少により発生することの1つとして挙げていたが、現職がSEである私の感覚からすれば、もちろん人口減少も原因の1つではあるが、それよりもIT技術者の待遇の悪さが原因で起きたことだと考える。ひと昔前、プログラマ・SEといえば「給料が安く、残業が多い」といったイメージがあった。実際にその通りだったと思う。
IT技術者不足をきっかけに、現在のプログラマ・SEに対して待遇改善がなされる可能性があるため、私にはIT技術者不足はメリットがある。
ここで「IT技術者の不足は、個人としてメリットはあるかもしれないが、日本全体としてはデメリットなのではないか」という指摘があるかもしれない。
この指摘に対しては、IT技術者の指す意味により回答が異なる。
もし、「最先端の研究で世界をリードする」IT技術者という意味であればこのレベルのIT技術者は昔から不足しており、人口減少が原因で生じたことではない。日本のIT技術のレベルは世界と比較してかなり低いことは昔から言われていることだからだ。したがって、本書のいうIT技術者の不足は、この意味ではないと考える。
もし、「システム構築やプログラミングを担当する」IT技術者という意味であれば、(先程はこちらの意味で捉えていたが)、確かに不足しているように感じる。ただ、近年、クラウドやノーコードを筆頭に、SEやプログラマでなくても、プログラミングやシステム構築ができるような環境が整いつつあるため、クラウドやノーコードが利用可能であれば、これらを利用して非IT技術者がシステム構築やプログラミングを実施すればよい。そうすれば、IT技術者の必要な分野が減るため、IT技術者不足の問題が緩和する方向に向かうだろう。さらに、IT技術者は特定の分野に特化して専門知識を深めれば待遇改善を目指すことができるだろうし、日本全体のIT技術の向上にもつながるだろう。現在は、それほどIT技術が必要とされない仕事内容でもSEやプログラマが担当している感じがあり、これが待遇の改善がされない原因の1つとおもうからだ。
新技術を使ってIT技術者の担当領域を小さくすることでIT技術者不足を緩和すること、これが戦略的に縮むことの具体な例と考える。

次に、2025年の東京都の人口減少についてである。2025年で東京都の人口がピークとなり、以降は減少を始めると記載されているが、まずこれは問題ではない。むしろ減少したほうがメリットの方が大きい。なぜなら、現在の東京都の人口が多すぎて、既にその弊害が出ているからだ。特に弊害が出ているのは、朝の列車や商業施設そして公共施設である。列車や施設の収容可能人数と比べて、利用者数がはるかに多く、これらをピーク時に利用する際には、相応の待ち時間が発生するからだ。
だが、2019年からのコロナ流行により本社機能を東京都から地方に移転する企業やテレワークを導入する企業が急増した。このことが、朝の満員列車や商業施設の利用者数緩和に一役買っている。私もコロナ流行後には混雑が緩和されたように感じている。ここにさらに人口減少が加われば、さらに緩和されるだろう。東京都の持つ機能を地方に移したうえで都の人口も減らすこと、これも戦略的に縮むこと具体的な例だろう。

ここまでは2つの社会現象を例に、戦略的に縮むとは具体的にどうすることかを考えてきた。どちらも、だれかが一時的に金銭面などの負担を背負うことにはなるが長期的には日本経済の成長に貢献することになるだろう。
ここで、この戦略的に縮むという考え方を個人に当てはめてみる。本書には、個人への適用例として、働けるうちは働く、家の中をコンパクト化するといったことが記載されている。たしかに、働く期間が長ければ、年金の不足といった金銭的不安はなくなる。これらはよく考えると、私が普段考えていたことと同じだった。実は私はすでに戦略的に縮む考え方を実践していたのだと分かった。

今月も興味深い本を紹介していただきありがとうございました。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“先延ばし防止策について考える”


日本の未来は高齢者で溢れかえり、様々な問題が発生すると書かれる本書を読んで、私は率直に不安や恐怖を感じた。現実の世界と本書を結び付けて一例を挙げれば、昨今、認知力が衰えた高齢者が引き起こすプリウスミサイルをはじめとする交通事故が多発しているが、今後それらが更に増加していくだろうからだ。重要なのは、我々は皆、被害者になり得るということだけではなく、加害者にもなり得るということと向き合わなくてはいけないことだろう。なぜなら、誰しも歳を重ね、認知能力の低下に抗うことはできないのだから。ただ、認知能力の低下などの健康問題だけでなく、日本の財政状況を鑑みれば、年金支給の行方に左右されない老後資金や定年後の収入口の確保というおカネの問題にも今から向き合うべきことだろう。実際、私を含めた読者の多くが、上述の健康やおカネの問題についての対策を思案するはずだ。しかし、それらの対策を直ぐに実行し、それを継続できる人は少ないのではないだろうか。なぜならば、人は分かっていても、ついつい遠くの未来の出来事に対してやるべきことを先延ばしにしてしまうからだ。そこで、本稿では先延ばしを防止する策について考察していくこととする。

分かっていながら、やるべきことを先延ばしにしてしまうことは誰にでも経験があるのではなかろうか。例えば、学生時代の夏休みの宿題を思い出してみよう。宿題はやるべきことであり、やらないといけないことだと分かっているのだから、計画的に早めに取組み始めれば良いのに、ついつい先延ばしをして夏休みの終わりに苦労したという記憶はないだろうか。この夏休みの宿題残しの他にも、ダイエットや禁煙の失敗などに共通する、やるべきことを先延ばしする人間心理、行動を行動経済学の用語で「双曲割引」による意思決定バイアスという。人は目先のことを優先し、遠い先のことを後回しにする生き物なのである。ここで、やるべきことは先延ばしなどしないという意志の強い人は、ここで本稿を読むのを止めてもらってもよいだろう。と言うのも、そのような人には本稿の最後で私が提案する先延ばし防止策などは不要だろうからだ。兎にも角にも、老後資金の蓄えや定年後の収入口、周囲に迷惑を掛けないための健康対策は、夏休みの宿題のように間に合いませんでしたでは到底済まされるものではなく、「双曲割引」による意思決定バイアスを克服し、計画的に取り組まなくてはいけないものなのだ。

では、「双曲割引」の意思決定バイアスによる先延ばしの対策はどのようなものがあるのだろうか。一般的な例としてインターネットで調べた中から2つほど挙げてみる。1つは、“他者への意志表明”により、公言とおりに頑張ろうという気になる人間心理を利用する試みだ。例えば、認知症の対策として危険因子となっている喫煙と多量飲酒について、禁煙と適度な飲酒にすることを家族や友人、同僚に公言することで、節制を習慣化するという類のものである。そして、もう1つが“大局的に物事を捉える”ことにより、自身の行動を習慣化するという類のものだ。例えば、本書を定期的に読み返し、恐怖を感じながら自身に必要な老後資金を蓄えるための貯金を習慣化するのである。ここで、上述の2つの対策で何とかなりそうだと思う人は、インターネットで調べると、これらに類似した「双曲割引」の意思決定バイアス対策が見つかるので、参考にするのが有効だろう。ただ、“他者への意志表明”や“大局的に物事を捉える”はハードルが高いという人はいるだろう。なぜなら、結局は2つの対策とも自身への苦行のようなものになるからだ(インターネットで見つかるのはその類のものだけ)。そこで、そのような人たちのために『S塾的な先延ばし防止策』を私は考えてみたのである。

結論から述べると、未来に向けてやるべきこと、つまりおカネの問題や健康の問題についての実践的な対策などについて、具体的に意見交換できる他者がいる場に身を置くことが先延ばし防止策になると考える。上述した“他者への意志表明”や“大局的に物事を捉える”という策は、結局は自分自身だけの取組であるため、実行に対しての気持ちが盛り上がらない、故に継続が難しくなるのでないだろうか。ただこれが、問題を一緒に解決していく他者がいる場となればどうだろうか。おそらく、アドバイスを与え与えられ、励まし励され、刺激し刺激され、そしてお互いに先延ばしを防ぐ、継続するという場になるのではなかろうか。そして、私はこの意見交換の場が『智の道』になり得ると考えるのである。なぜならば、自身が幸せになることで他者が幸せになり、他者が幸せなることがさらに自身に幸せをもたらすという構図になるからだ。また、意見交換による情報の収集や共有は『風の時代』にもそぐったものだと思うからである。故に、意見交換の場に身を置くことが『S塾的な先延ばし防止策』であると私は考えるのである。

最後に、早速の情報共有として、私が実践し、効果を感じる認知症対策(プリウスミサイルにならないため)が説明されている書籍をお伝えしよう。それは、「1日1杯脳のおそうじスープ」という本である。本書に書かれている対策とは、要するに特製のスープを作って1日1杯飲むことで、脳に溜まっているゴミの掃除をするという至極単純なものである。が、兎にも角にもコレが効くのである。どのくらい効くのかというと、私が以前使っていたNMN(老化防止サプリ)よりも目覚めや、記憶力が断然良くなることを肌で感じられるのである。これについて更なる詳細をお伝えしたいところだが、感想文の字数制限の関係上ここまでにしよう。と言いつつも、SS課題図書倶楽部の3月読書会(課題本の振返り編=意見交換の場)へTo Be Continueとしようと思うのである。

~続く~
投稿者 masa3843 日時 
本書は、人口減少が加速化するこれからの日本で、どのようなことが起こるのか具体的に解説した本である。この2冊の本が刊行されたのは2017年と2018年。2023年の現在では、「年表」に記載された事象が少しずつ現実になっている。例えば、出生数の減少である。「未来の年表」で引用されている、国立社会保障・人口問題研究所が2017年に発表した推計では、2025年の出生数は78万人であった。2022年における実際の出生数は約77万人で、想定よりも3年早く出生数の減少が進んでいる。つまり、この2冊に書かれた未来予測は、決して悲観的で偏った見方ではない。むしろ、現実はこれらの本に書かれている未来像よりも速いペースで悪化の一途を辿っているのだ。本稿では、これから顕在化する数々の課題の中で、「働き手の不足」にスポットを当てたい。課題図書の2冊を読んだ後に、私が感じた「働き手」にまつわる3つのミスマッチについて、整理してみたいと思う。

働き手に関する1つ目のミスマッチ、それは60歳以降も働く高齢社員と、高齢者を「老害」として煙たがる若手社員である。「未来の年表」では、「日本を救う10の処方箋」として高齢者の定義を75歳まで引き上げることが提案されている。また、「未来の年表2」でも、「働けるうちは働く」ことが推奨されており、高齢者自身の希望収入額と実際にもらえる年金額のギャップを埋めるためにも、可能な限り働き続けることが求められるようになるだろう。だが、いつまでも組織に残り続ける高齢社員を、若手社員はどう見るだろうか。役職定年を迎えた後の高齢社員は、一担当者として仕事をすることになる。どんなに優秀な社員であっても、肉体の衰えは顕著になり、急速に進展する業務のデジタル化に対応できるかも疑問だ。こうした高齢社員も、職場に1人2人であれば、若手社員も共存できるかもしれない。だが、高齢社員の占める割合が職場内で徐々に増えるとしたらどうだろうか。新しいことを始めたくない高齢社員が多くなる職場では、若手社員のモチベーション低下は避けられないだろう。

2つ目のミスマッチは、子育てで早く帰らなければいけない共働き夫婦と、中堅社員をできるだけ働かせたい中間管理職である。今の子育て世代は、共働きが多くを占める。男女共同参画白書によると、夫婦共に雇用者の共働き世帯は、2021年時点で7割弱となっており、年々増加している。共働きで核家族の世帯では、子どもの面倒を見るために早く帰宅せざるを得ない。だが、人手不足で仕事が増えるばかりの現場を抱える中間管理職は、こうした中堅社員を少しでも長く働かせたいと考えている。なぜなら、男女問わず、スキルと経験、体力のバランスが取れている中堅社員は、管理職にとって使いやすいからだ。そうなると、共働き夫婦は疲弊し、夫婦のどちらかがギブアップすることになる。つまり、正社員として働くことを諦めて、退職する道を選ぶのだ。そして、性差意識が根強く残る日本では、退職することになるのは多くの場合女性なのである。

最後のミスマッチは、正規雇用として働きたい氷河期世代の団塊ジュニアと、スキル不足の中年を雇いたくない経営層である。人口の多い団塊ジュニア世代は、バブル経済崩壊後の「就職氷河期」を経験しており、非正規雇用に従事している人も多い。この世代は、親の収入によって生活している人も多く、生活を安定させるために正規雇用への転換を望みながらも、その希望が叶えられることはない。これは、転職市場が未発達であることも要因の1つではあるが、最大の理由は、経営者が特別なスキルを持たない非正規雇用者を雇いたくないからだろう。人手不足の現状では、少ない労働力で会社を経営しなければならない。そうなると、少しでも能力の高い人材を求めるのは必然だ。経営者は、40代後半以降の非正規雇用者を雇う理由がないのである。

では、こうした働き手に関する3つのミスマッチを解消するためには、どうするべきなのか。本書の中では、「雇う側の意識改革」が挙げられている。私としては、さらに一歩踏み込んで、組織のマネージャーが多様な人材を活かすマネジメント力を身に付けることを提案したい。前述した3つのミスマッチは、これまでの企業の常識では「使いづらい」とされてきた人材に関するものだ。高齢者、時間的制約のある社員、非正規雇用者、どれも働き手が潤沢にいる社会では、戦力にならなかったのかもしれない。しかしながら、これからの人口減少社会では、こうした人達の力を借りないことには、社会が機能しない。そうであるならば、こうした人材が活躍できる環境を、組織のマネージャーは作っていかなければならない。どんな人材でも活かすことのできるマネジメント力を身につけることができれば、私自身も市場で必要とされる存在になれることは間違いない。なぜなら、日本においては、この先何十年も人口減少が続き、働き手が不足し続けるのだから。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、人口減少が加速化するこれからの日本で、どのようなことが起こるのか具体的に解説した本である。この2冊の本が刊行されたのは2017年と2018年。2023年の現在では、「年表」に記載された事象が少しずつ現実になっている。例えば、出生数の減少である。「未来の年表」で引用されている、国立社会保障・人口問題研究所が2017年に発表した推計では、2025年の出生数は78万人であった。2022年における実際の出生数は約77万人で、想定よりも3年早く出生数の減少が進んでいる。つまり、この2冊に書かれた未来予測は、決して悲観的で偏った見方ではない。むしろ、現実はこれらの本に書かれている未来像よりも速いペースで悪化の一途を辿っているのだ。本稿では、これから顕在化する数々の課題の中で、「働き手の不足」にスポットを当てたい。課題図書の2冊を読んだ後に、私が感じた「働き手」にまつわる3つのミスマッチについて、整理してみたいと思う。

働き手に関する1つ目のミスマッチ、それは60歳以降も働く高齢社員と、高齢者を「老害」として煙たがる若手社員である。「未来の年表」では、「日本を救う10の処方箋」として高齢者の定義を75歳まで引き上げることが提案されている。また、「未来の年表2」でも、「働けるうちは働く」ことが推奨されており、高齢者自身の希望収入額と実際にもらえる年金額のギャップを埋めるためにも、可能な限り働き続けることが求められるようになるだろう。だが、いつまでも組織に残り続ける高齢社員を、若手社員はどう見るだろうか。役職定年を迎えた後の高齢社員は、一担当者として仕事をすることになる。どんなに優秀な社員であっても、肉体の衰えは顕著になり、急速に進展する業務のデジタル化に対応できるかも疑問だ。こうした高齢社員も、職場に1人2人であれば、若手社員も共存できるかもしれない。だが、高齢社員の占める割合が職場内で徐々に増えるとしたらどうだろうか。新しいことを始めたくない高齢社員が多くなる職場では、若手社員のモチベーション低下は避けられないだろう。

2つ目のミスマッチは、子育てで早く帰らなければいけない共働き夫婦と、中堅社員をできるだけ働かせたい中間管理職である。今の子育て世代は、共働きが多くを占める。男女共同参画白書によると、夫婦共に雇用者の共働き世帯は、2021年時点で7割弱となっており、年々増加している。共働きで核家族の世帯では、子どもの面倒を見るために早く帰宅せざるを得ない。だが、人手不足で仕事が増えるばかりの現場を抱える中間管理職は、こうした中堅社員を少しでも長く働かせたいと考えている。なぜなら、男女問わず、スキルと経験、体力のバランスが取れている中堅社員は、管理職にとって使いやすいからだ。そうなると、共働き夫婦は疲弊し、夫婦のどちらかがギブアップすることになる。つまり、正社員として働くことを諦めて、退職する道を選ぶのだ。そして、性差意識が根強く残る日本では、退職することになるのは多くの場合女性なのである。

最後のミスマッチは、正規雇用として働きたい氷河期世代の団塊ジュニアと、スキル不足の中年を雇いたくない経営層である。人口の多い団塊ジュニア世代は、バブル経済崩壊後の「就職氷河期」を経験しており、非正規雇用に従事している人も多い。この世代は、親の収入によって生活している人も多く、生活を安定させるために正規雇用への転換を望みながらも、その希望が叶えられることはない。これは、転職市場が未発達であることも要因の1つではあるが、最大の理由は、経営者が特別なスキルを持たない非正規雇用者を雇いたくないからだろう。人手不足の現状では、少ない労働力で会社を経営しなければならない。そうなると、少しでも能力の高い人材を求めるのは必然だ。経営者は、40代後半以降の非正規雇用者を雇う理由がないのである。

では、こうした働き手に関する3つのミスマッチを解消するためには、どうするべきなのか。本書の中では、「雇う側の意識改革」が挙げられている。私としては、さらに一歩踏み込んで、組織のマネージャーが多様な人材を活かすマネジメント力を身に付けることを提案したい。前述した3つのミスマッチは、これまでの企業の常識では「使いづらい」とされてきた人材に関するものだ。高齢者、時間的制約のある社員、非正規雇用者、どれも働き手が潤沢にいる社会では、戦力にならなかったのかもしれない。しかしながら、これからの人口減少社会では、こうした人達の力を借りないことには、社会が機能しない。そうであるならば、こうした人材が活躍できる環境を、組織のマネージャーは作っていかなければならない。どんな人材でも活かすことのできるマネジメント力を身につけることができれば、私自身も市場で必要とされる存在になれることは間違いない。なぜなら、日本においては、この先何十年も人口減少が続き、働き手が不足し続けるのだから。
 
投稿者 Terucchi 日時 
“これからの少子高齢化の世の中に備える”

私はこの本を読んで、人口減による少子高齢化の認識が甘かったことを知らされた。私は田舎で生まれ育ち、都会に出た人間であるが、特に地方が既に陥っている状況に合点がいき、それだけでなく、更にもっと悲惨な状況が待っていることには愕然とした。都市部ではいづれかも知れないが、田舎では今まさにそのような状況になっているのである。では、今の状況をどうしたら良いかを私は考えてみたいと思った。なぜなら、私はいづれ実家へ帰って、田舎暮らしをしたいからだ。だから、この本書のような将来は絵空事ではないと思ったのだった。

まず、田舎の現状認識として、私が生まれ育った田舎の状況を例として書いてみたい。もしかすると、他の田舎では違った状況かも知れないが、多くの田舎は本書と同様に同じ状況だと考える。私は三重県の山間の田舎に生まれ育ち、今は比較的に都会である名古屋市に住んでいる。今、たまに実家へ帰ると、過疎化が進んでいることを実感する。例えば、私の通っていた小学校は今もあるのだが、私が通っていた当時は1クラス10人ぐらいに対して、今は周りの3つの小学校が合併しても、一学年が3人などのクラスがあり、複式学級を余儀なくされている。私にとって、ここまで少なくなることは予想外であった。しかし、考えてみると、私の小学校の同級生で残っている人間はほとんどおらず、外から来る人も少ないのであれば、生まれて来る子供は少なくなり、人口が減少していくのは当然であろう。ところで、私の実家は当時から商売をやっていて、今も続いており、私は今でも時々手伝っている。その時、顔見知りのお客様が確かにみんな歳をとっているのを見るが、これはよくよく考えてみると、所謂高齢化であろう。結局、田舎で起こっているこれらのことはまさに少子高齢化であり、住んでいる人が歳をとっていけば、自然と老人の占める割合が増えているのである。

次に、その中での生活はどうなっているか。働き先は少なくなり、出て行く人の方が多いため、過疎化が進んでいる状態である。近くにあった商店なども潰れてしまい、町にスーパーは一つあることはあるが、ここも車でなければ行けない距離である。話がズレるかも知れないが、市町村合併で、私たちの町は近くの地方都市と合併した。平成の大合併では、他の田舎でもそうであるが、多くの町や村では公共の役所などの働き先がなくなった影響は大きく、明らかに人口減に拍車をかけたのは事実であろう。しかし、国が地方にかける予算を削減しなければ、それもまた潰れる原因となってしまうため、やむを得ないことはよくわかる。また、私の集落では、子供も大きくなって街へ出て、年老いた老人だけが暮らしていたり、空き家も目立つ状態である。この年老いた老人たちも、先が長い訳ではないという状態を目の当たりにしている。車が乗れる段階であれば、まだ生活ができるが、乗れなくなってしまえば、どうなるのか。私自身、安易に想像できるのだが、直視して想像したくない自分がいるのが本音である。

では、どうしたら良いのだろうか。この対策として、いろんな田舎が町おこしなどの対策を考えている。しかし、本書を読んで、それだけでは日本全体の人口減少に対応できないのではないかと考える。では、どうあるべきなのか。私は破綻した夕張市の取り組みが参考になると考える。夕張市が目指すのはコンパクトシティである。この本の中で言う「便利過ぎる社会からの脱却」と「非居住エリアを明確化」がそれに該当するのであろう。すなわち、限りある資源に対して、選択と集中し、本書による「戦略的に縮む」を考えなければならないのである。夕張市は、昔炭鉱で栄え、閉山に伴い、町おこしのために様々な投資をするも、上手くいかず、2006年に破綻してしまった。もちろん、町おこしが成功するに越したことはないが、借金してまでお金を使うのではなく、そもそも使うお金を見直すことをしている。もし人口が増えていき、経済も良くなって行くのであれば、投資して当てる方法もあるが、そもそもの生活を見直さなければならないのである。夕張市の具体的な取り組み例としては、生活圏を集約し、公共の施設も集約したり、施設利用料も値上げなどもしているが、それもやむを得ないであろう。ちなみに、不満があって夕張市から出て行く人もいるが、残った人間はむしろ愛着を持って生活をしているらしい。この本を読んでいると、今後夕張市以外の町でも破綻が出てくると想定されるが、今一度そのように生活から見直していくことが必要なのであると考えるのである。

最後に、田舎暮らしというと、自然豊かで、のんびり生活できることをイメージしてしまうのではないだろうか。しかし、そのような良い面ばかりではなく、むしろ生活していくことは大変である。だが、それでも自然豊かな田舎は魅力的であり、昭和のようなほのぼのとした原風景は落ち着くのである。確かに、私の実家は観光向けの蛍の里が近くにあったり、カブトムシも家の庭で捕まえることができたり、自然豊かである。私はそのような田舎で何か役立てることを実家の商売を手伝いながら考えていきたいのである。この本を読んで、今後大変になることを知らされたのであるが、同時にその覚悟ができたと私は思うのである。
 
投稿者 tarohei 日時 
 今後の日本は更に人口減少する、言葉としては知っていたが、具体的に言語化されて、数値化されると、背筋が凍る思いがした。例えば、ひとり暮らし世帯が増加、サラリーマンの平均年齢上昇、人件費増加、介護離職の大量発生、地方はおろか都心ですら人口減少、医療機関やインフラ設備維持が回らなくなる、地方自治体の半数は存続機器などである。

 ただし、人口が少ないことが問題なのではない。中国やインド、アメリカなどの人口大国は別として、ヨーロッパの先進国をみても、大半の人口は数千万人ぐらい、ドイツですら約8000万人、イギリスで約6800万人、フランスは約6500万人程度である。
 人口減少問題の本質は、若い人がどんどん減少していき、高齢者だらけになり、人口バランスが崩れることなのである。全体的に均一的にバランスよく人口減少していくのなら、考えようによってはそれはそれでありなのかもしれないのである。

 実際に、冒頭に掲げた問題は、実は人口が減少することで起こるのではなく、ほとんどは若者が減少し高齢者が増加することにより人口アンバランスに起因する問題なのである。確かに少子化は少子化で問題ではあるのだが、今後の日本で本当に問題となるのは高齢化社会の方である。
 高齢化社会の何が問題になるかというと、社会全体の生産性の低下と社会負担の増加である。高齢者を強制的かつ効率的に減少させることができればいいのだが、現実的には不可能であろう。だとすると、継続して高齢者にも働きつづけてもらうか高齢者への医療控除や年金支給額を減らすことぐらいしかなさそうである。外国人労働者の受け入れ、AIの活用などが対策として検討されているが、いずれも効果のほどは懐疑的である。

 ところで、現時点で、高齢者の医療控除見直しや年金支給減額などの政策を掲げる政党はどこにもいない。これは投票に行くのは高齢者ばかりで、若者が選挙に行かないのが要因なのではあるが。
 このままでは、医療制度・年金制度はいつか破綻して維持できないことは自明のことである。だとすれば今のうちから対策を施せば間に合うかもしれないのに、そんなことを言い出す政治家も政党もいない。とりあえず、目先の得票には影響しないから、問題を先送りしているだけなのであろう。
 いっそうのこと、選挙区による1票の格差是正などと言っておらず、むしろ各年代ごとに1票の格差をつけてしまえばいいのである。例えば、20代30代は×2倍、80台は逆に×1/2倍など。
 この先、老い先短い高齢者の意見に重きを置くより、これからの世の中を背負っていく若者の意思を尊重するのは当たり前のように思う。
 もちろん、これで根本解決するわけではないが、ある種のカンフル剤的な働きはするであろう。
 本来なら、こういった問題に対して、各政党の具体的な政策を見極めた上で、若者世代は選挙で投票すべきなのだろうが、果たして次の選挙までに自分なりの答えを見出せるのであろうか。世の中を変えていく営みとしては、選挙が全てというわけではないが、なかなか難しい。
 せいぜい自分にできることと言えば、少子化に歯止めをかけるべく婚活・妊活に精を出すことであろうか・・・

 実際のところ、この手の類の書籍を読んで、啓発、刺激され、明日からこれをやろうと思います、こんなことにチャレンジしようと思います、といった目標を立てることはできたとしても、実際に具体的なアクションを起こすのは難しいことだと思う。
 ただ、本書に書かれていることを、何も知らずに生きていくのと、知った上で生きていくのとでは、生き方そのもの、世の中に対する見方も違ってくるのだと思う。

 要するに、未来の日本で起こることを予測できて、何をしなければならないかを知ればよい、ということなのであろう。
 日本の未来って危ういよなぁと危機感を抱くだけでなく、未来の日本に向けてどれだけ準備できるかである。それは例えば親が寝たりになったり介護が必要になったりすることに備えて事前に対策を練っておいたり、老後に備えて資産運用したり、健康維持のための運動であったり、今の自分にできる事をやっておくことである。
 来るべき未来に備えて、出来る事を精一杯やっておくだけである。
 
投稿者 1992 日時 
人口減少と少子高齢化がさらに進行することで、さまざまな問題が引き起こることを本著では説明している。現在の過疎地域や地方でも見られる問題が、今後多くの地域に顕在するまたは、問題の規模が拡大するようである。思わず、私の住む市の現状を調べてみたが、人口が約27万人、高齢化率が32.3%であった。

周りを見渡すと、隣の高齢者夫婦は二人とも老人ホームに入居し、現在は誰も住んでいない空き家である。そして、向かいの家宅に住むのは、亭主を無くした独身の高齢者女性である。本に書かれている状況がまさに現実として私の目の前にある。背中がヒヤッとするのを感じた。このような状況がさらに進行し、周囲を見渡せば本著の内容が当たり前のように存在するイメージをありありと感じた。

この本に書かれている問題がおこる状況は2つに分けられると思う。
1つ目が社会インフラを利用できないことや各種サービスの低下といった外部環境で発生する問題だ。例えば、未来の年表の84Pの「輸血用血液が不足」や同じ巻の104P「火葬場が不足」、未来年表2の103Pの「中小企業の後継者不足」である。
病気になって手術するにしても血液がなく、手術ができない。血液があれば治療ができるのにもかかわらず、できないのは受け入れられない話である。未来ではドナーから提供される臓器だけでなく、血液も待たなければいけないようだ。
他にも、中小企業の後継者不足によって、生活インフラのような役割をするサービスがなくなるのは困りものである。
例えば、近所のコンビニエンスストアを挙げる。コンビニでは生活用品の購入だけでなく、公共料金の支払いやATMの利用など多くの役割がある。このコンビニのほとんどはフランチャイズオーナーによって経営されている。ただでさえ、時給が低く不人気であり、勤務スタッフが集まりにくいことにくわえて後継者もいないとなっては壊滅的である。数十年もするとコンビニが車でしか行けない距離にしか存在しないようになってしまうのか。
これらは、自分自身の外側にある外部組織が運営するサービスが少子高齢化と人口減により維持できないことによって引き起こされる。このような外部環境の変化は個人では食い止める方法はなく、ただただ変化の流れが緩まることを願うしかない。対策としては、外部環境が整った場所に移住するしかないように思える。

2つ目が自分自身の高齢化から起こる問題を含めた家族から発生する問題や親戚といった内輪からもたらされる問題が主な発生源の内部環境である。
例えば、両親や義理の両親を介護するダブルケア、80Pの「認知症患者が700万人規模」に代表されるような両親や親戚内での認知症の発症やこれにともなう介護である。介護を起点に考えると、介護により仕事が続けられない可能性もある。P91の「貧乏定年の増加」にあるように、両親には老後の資金がない場合には子供が面倒をみることもある。この状況を抱えながら、生活する地力はあるだろうか。
次のようなシーンが頭をよぎった。介護をする必要性から、転職を余儀なくされる。転職する時間にも多くの時間をかけられないだろう。十分な年収を得る転職の確約はない。仮に、年収が下がると自身の年齢だけ高いまま、低年収で定年を迎えて十分な貯金はたまるのだろうか。自身の定年後でも介護が必要とする親がまだまだ長生きすると老老介護にもなってくる。状況がドミノ倒しのようにパタパタと音をたてて変化するイメージが浮かぶ。

内部環境の対策として考えられるのが2つある。
1つ目が自宅にいながらできる仕事の確立である。なぜならば、ケアをしながらも仕事ができるからである。さらにメリットとして、外部環境の変化によって、移住を選択する場合にスムーズに対応しやすい点がある。逆に言うと収入を得られる仕事がインドアで完結できるのであれば、移住という選択の重さに軽さが生まれる。移住する距離にもよるが、固定の場所に通いながらの仕事では、移住できる範囲にも制約が生まれる。しかしながら、介護が必要な者を老人ホーム等に長時間長期間預けられる資産があれば話は別である。

2つ目が健康を維持することである。当たり前のことであるが、改めて考えると、節々が痛くなく、持病もない健康体は非常に高齢化社会では貴重であると考える。60歳を越えた私の母をみるに、膝や足が痛いわ、疲れたは毎日のごとくである。疲れやすく、寝ても疲れが取れないようである。そのような状態から、これから迎える少子高齢化の問題を正面から対応するのは無理であろう。そもそもが身体が動かないのだ。
健康体を維持し、一定のパフォーマンスを生み出せる身体を持つことも、立派な対策であると思う。ひいては、私が周りの世話になることも少なくなるというものだ。
 
投稿者 str 日時 
未来の年表

本書はタイトルの通り未来の年表。過去の出来事を起こった順に記していく本来の年表とは異なり、主に『出生数の減少』『高齢者数の増加』『勤労世代の減少』といった要因がもたらす『人口減少』が起こり得る可能性を示唆し、未来予想図のような形式で描かれている。

それだけならば著者の妄想で片付いてしまう部分も多いと感じてしまうところだが、幾つものデータやグラフの数字に基づいて話が進行していくので、非常にリアリティがあった。テレワークの普及など、既に現実として起きていることも含まれていたからなのかもしれない。というのも、本書の刊行は1・2巻共にコロナ前であるにも関わらず、現在と酷似した状況を予想していたことで説得力がより増していたようにも思う。

つまり、疫病のパンデミックや大規模自然災害、あるいは戦争など。イレギュラーな事象を抜きにしても『人口減少』への道を辿りつつあるということだろう。そしてイレギュラーが発生すれば、それらは一気に前倒しになる可能性もある。実際、利便性を追求する筈の自動化システムも操作についていけない高齢者で渋滞を引き起こすとか、今では当たり前のネットショッピングもドライバー不足。だからといって自身ではもう自由に運転することも、出歩くことも困難になっていてどうすることもできないとか、いずれ自身が高齢者の立場になった際に、そういった利便性の裏に隠された落とし穴のような一面が、前倒しで押し寄せてくると考えるとぞっとする。

仮に日本の人口減少が進み続けたとしても、世界的にみれば技術面も進化し続けるのだろう。政府が示す施策や支援をアテにするのではなく、少しでも健康寿命を延ばすため、生活習慣を見直すとか、流行りモノ・最先端のものに置いて行かれないよう食らい付いていくとか、個人でどうにか出来ることなど微々たるものかもしれない。何より私自身、未婚で『少子高齢化』現象に加担してしまっている当事者としては耳が痛い話ばかりではあった。

『未来の年表』の通りに“なる・ならない”は結果論だが、いずれにせよ楽観視せずに個人レベルでも危機感は常に持っていきたい。
投稿者 msykmt 日時 
"人にやさしく"

文字通り、耳が痛い。これは、本書をオーディオブックで聴いているときの感想だ。なぜかというと本書は、これからの日本の暗い未来像を、星座でいうと山羊座のように、現実的な数字をもって突きつけてくるからだ。さらに、その未来への対策として、惑星でいうと土星のように、縮小という厳しい戦略を突きつけてくる。

本稿では、とりわけ耳の痛かった、労働力人口の減少をとりあげる。その厳しい現実がやがて来るのを知ってしまったからには、なんらかのアクションをとらねばならない。よって、労働力人口の減少に対して、私が身近にできるアクションはなにかを考えてみた。

まずは、仕事関係の人の接し方について。これまでは、従来のやりかたをよりよいものへと変えようとしない人たちや、新しい環境に適応できない人たちに対して、私は厳しい態度をとっていたように思う。なぜならば、彼らは怠惰な気持ちから、変化を拒んでいると私は考えていたからだ。しかし、本書を読んでからは、彼らのようであっても、なんらか価値が生み出せるのならば、長く働いてもらったほうが、社会的に有意義だということがわかった。だから、彼らが価値を生み出せる場面を極力用意するよう努めよう。そして、長く働いてもらえるように、彼らにやさしい態度をとるように努めようと思うにいたった。

つぎに、家族との接し方について。我々夫婦は、お互い働きながら子育てをしていることから、家事分担をめぐって、よく揉めている。これまでは、恥ずかしながら、自分が疲弊してしまわぬように、いかに自分の負担を少なくするかを念頭に、役割のポジション取りをしてきた自覚が私にはある。しかし、そのような態度であっては、妻が疲弊することにつながり、働き手としての妻の生産性が下がることにもつながる。だから、働き手としての自分も妻も疲弊してしまわぬよう、やらずにすむ家事をなくす。また、機械や他の人にまかせられる家事はそれらに委譲する。そのように努めようと思うにいたった。

さいごに、自分との接し方について。これまでは、顧客や上司からの依頼により、不本意ながらも、体調が悪くとも、からだにムチをうって仕事をやりとげることがあった。しかし、そのような自分の健康をないがしろにする働き方はもうやめよう。なぜならば、健康を害してしまえば、これから先々、長く働き続けられなくなってしまうからだ。仮にそうなってしまっては、自分の子孫の社会にとって、負担になってしまう。それだけはなんとしても避けたい。

以上をまとめると、現実は我々に厳しさを突きつけてくるけれども、私は私自身と私の周りの人に対して、もっとやさしくなろうと思うにいたった。なぜならば、自分の子孫の社会への負担を少しでも軽減したいから。
投稿者 vastos2000 日時 
今日(2月28日)の報道で、2022年の出生数が80万人を割り込んだとあった。私は学校教育に携わっていることもあり、ここ数年の急激な出生数の減少は痛いほど感じている。具体的には幼稚園への入園時が減っているのだ。これは数年後には小学校、中学校、高校の入学者数にも影響し、大学進学率が変わらなければ募集停止(企業の倒産に近い)する大学が毎年発生するだろう。

私の子どもは今中学生だが、何度か次のようなことを伝えている。
「将来日本国内は経済も縮小するし、産業も衰退する分野が増えるだろうから働く場所は国内にこだわるなよ。そのためには国語と英語が大事だぞ」
と。個人レベルで打てる対策は、日本から飛び出しても働ける知識やスキルを身につけることだと考えている。
幸い、日本国民は移動の自由が認められているので、その気になれば海外移住もできる。


今回の課題図書を読む前から、少子高齢化と人口減少が同時進行していることは知っていた。少子化と高齢化が同時に起きているので生まれる子どもの数より亡くなる大人のほうが数が多く、そのために人口が減少しているのが今の日本であると認識していた。
年金は払い込み分よりも受給分を増やすのは今の40代以下の人は難しいともだいぶ前から耳にしていたが、社会保障制度以外にも、現在の制度やサービスを維持するのは難しいということがよく分かった。
農耕社会をとっくに脱した日本では、働き手を多く確保する必要性が薄れたので、今更多産社会に戻ることはないというのは納得。『ファクトフルネス』でだったか、乳幼児の死亡率が下がると出生率も下がる傾向にあると知った。

著者は、どうせ個人では何も帰ることができないと諦めず、国民一人ひとりができることをやるよう説いているが、やはり国の関与する影響範囲は広い。国と言ってもそれを構成するのは国民であり、国家予算の原資は基本的に税収であるから、人口減、経済力の減退は当然の国力を削ぐことになる。
経済力は人口とリンクしている。一人の国民が生まれてから死ぬまでにどれだけ稼ぎ、何回食事をとって、何着服を買って、何台車を買ったのか、ということの積み重ねがGDPになって現れるのだから、人口が少ない国よりは人口が多い国のほうがGDPが大きくなりやすい。中国はその良い例で、国内だけで10億以上の消費者がいるのだから、国内だけで通用する商品やサービス形態でもそれなりの金額を売り上げることができる。
それに対して人口減少が進行している日本は今後経済力が落ちていくのは必然。労働者(=消費者)が減っていってしまうのだから。


日本はそんな未来が待ち構えているわけだが、今回の2冊それぞれの最終章で対策を提示されている。“2”のほうでは個人のとれる対策も示されている。
そこで示されている対策はどれも目新しいわけではないが、いままでは少子高齢化+人口減少への備えとして取り組むという発想は無かった。いままでは「国(年金)はあてにならないから、定年退職しても稼げる手段を持っておかねば」といった考えで副業や学び直しのことを考えていた。が、超高齢化社会に対する備えとしても機能することは一つの気づきだった。

せっかく未来はこうなりますよと教えてくれているのだから、今から準備をしておけば何とかなるのではないか。時間をうまく使えば複利の効果で成果が大きくなるし、いくらかの不便を受容すれば寿命まで生きていくのに困らないだけの環境は構築できると考えている。
では、具体的に何をするのかと問われれば、現時点では資産となり得るブログ等の整備と、地理的要員に影響されにくい各種ライティング能力を磨くことぐらいしか思い浮かばない。
いろんな事に手を出す必要はないだろうが、自分にあった手段でなければ長続きしないだろうから、やはり上に挙げた二つを中心に今後の対策を構築したい。
一度作ってしまえば後はメンテナンスを時々すれば資産を生み出してくれるWebサイトを作ることができれば良いのだろうが、現時点ではほぼ手つかずだ。この1年は本業が忙しかったこともあるが、一度始めたWeb構築が滞ってしまった。
生活基盤を安定させるためにも本業でも結果を出し、固定給を増やすことも大事であるが、頑張りに正比例して収入が増えるわけではないので、本業は効率化を図り、複業等で収入を複線化すべきであろう。今はその手の情報も多く出回っているので、後はやるかやらないかの問題だと思われる。
20年後、30年後、に後悔しないよう、今のうちから未来に備えたアクションを取る必要性を痛感させられた。
投稿者 H.J 日時 
本書を読んだ感想を結論から述べると
「この事実を少しでも多くの人に伝えるべき」
である。

まず、本書は”少子高齢化による人口減”という社会問題について、データを基にこれから起きるであろう未来予想図を読者に伝えている二冊である。
我々日本人にとっては不都合な真実が伝えられている。
前月の課題図書を読んだ後に読むと、錯覚資産ならどれだけ良いだろうかと思える様な内容であるが、それは現実逃避である。
そう言えるほど、客観性のあるデータで説明されている。
実際に本日2023年2月28日に発表されたニュースでは、2022年の出生率は初の80万人を割り、7年連続で過去最少を更新している。
このことからも著者の伝えていることに信ぴょう性を感じる。
そして、著者は『人口減は静かなる有事である。』と表現している。
人口が減少すると、経済面と社会面の両方に大きな影響が出る。
特に人口に占めるボリュームの大きい団塊の世代が75歳以上になる2025年頃には社会保障費が膨張し、財政を圧迫するだろう。
このような現象がドミノ倒しのように起これば、ひいては国家の存亡にすら繋がりかねない。ということだ。
言い得て妙だ。

しかし、本書は不都合な真実を伝えて読者の不安を煽るだけのものではない。
本書を通して、著者なりの解決策を提示している。
『未来の年表』では10の処方箋、続編の『未来の年表2』では8つのメニューを解決策として提示している。
「なるほど」と納得できるものもあれば、「それはどうかな?」と疑問に思ってしまうものもあった。
というのも、その立場によって、出来ることと出来ないことがあるからだ。
例えば、『未来の年表2』での解決策、【企業ができること その2】で「テレワークを拡大する」についてだ。
あくまで推奨という形ではあるが、企業や業種によってはテレワークを導入したくてもできない人たちもいる。
特に中小企業は生産性との兼ね合いもあり、企業存続を優先すればテレワーク導入に積極的になれないだろう。
人口減の問題とはかけ離れた問題を天秤にかけなければならないのだ。
しかし、別の視点から見るとテレワーク拡大の余地はある。
本書で紹介されている総務省の「情報通信白書」によると、2022年版の調査では「テレワークを利用したことある」と回答した割合は30%程度、ここから過去形である「利用したことがある」を除くと17.9%だ。
本書に記載されている2017年版の調査では13.3%、つまり5年間で4%程度しか現在進行形でテレワークを導入されていないのだ。
コロナ禍を機に進んでいると思っていたテレワークも数字で見ると劇的な変化はない。
もちろん、5年前と全く同じ人に調査しているわけではないので、誤差はあるだろう。
そして、私がテレワーク拡大の余地があると感じたのは、年代別のテレワークの利用状況を見た結果からだ。
若い世代の方がテレワークの利用率が高く、「テレワークを必要としていない」と答えた割合が低いのだ。
逆に高齢者に片足を突っ込んでいる60代は「テレワークを必要としていない」と答えた割合は60%を超えトップ、「よくわからない」と答えた割合は6.1%と少ないのである。
イメージで語るなら60代が「よくわからない」と答える割合が最も多いのでは?と予想していただけに真逆の結果に驚きだ。
「テレワークを必要としない」考え方は私が当初感じた疑問の様に、生産性の問題もあるだろう。
が、この統計結果を見ると、それ以前にテレワークを理解しようとせずに
「必要ない」と判断している様にも感じる。
逆に若い世代がテレワークに積極的な姿勢を見せていることから、テレワーク拡大の余地はあると感じた。

参照(総務省 情報通信白書):https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/html/nd238220.html

この一例の様に、著者が発案した解決策は出来る人と出来ない人がいる。
その事実は変えることができない。
だからこそ、人口減という静かなる有事への対応策として、本書に書いてある事実を少しでも多くの人に伝えるべきだと思うのだ。
そして、多くの人が人口減という問題に対して、真剣に考え取り組んだ時に大きな結果が出る様に感じた。
つまり、我々に出来ることは実行できる解決策は行った上で、この事実を少しでも多くの人に伝えることである。