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第128回目(2021年12月)の課題本


12月課題図書

 

小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター

 

経営者としてのセンスの良い人を挙げると、リクルートを作った江副氏、安田善次郎氏、

そしてこの小林一三氏が私の中では筆頭に来ます。

 

特にビジネスモデルという意味では、江副氏と小林氏は飛び抜けていまして、どういう脳

みそを持ったらこういう発想が出て来るのかと驚きます。

 

手がけた会社を列記すると、阪急電鉄、宝塚、阪急百貨店、第一ホテル、東宝映画と、こ

の幅の広さはどういうことだ?と驚くわけです。そんな氏がどのような人生を送ったのか

を、ビジネスの視点で描いたのが本書でして、年末を飾るにふさわしいセレクションだと

思います。ちょっと分厚い本ですが、中身は面白いので、読み始めたらあっという間だと

思います。

 

 【しょ~おんコメント】

12月優秀賞

 

投稿者さんによる一次審査は、LifeCanBeRichさんが2票、vastos2000さんが2票、

sarusuberi49さんが2票、BruceLeeさんとH.Jさんが1票という結果になりました。

 

その中から今回は、LifeCanBeRichさんに差し上げることにしました。おめでとうござい

ます。


【頂いたコメント】

投稿者 gogowest 日時 
本書は阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店などを作った小林一三氏が各種の事業を、どのような理念のもとに成し遂げていったのかが描かれています。小林氏が、その時々に廻ってくるチャンスと運の流れを利用し、苦難が起きても逆転して、事業をなしとげ、社会に貢献していく展開にとても引きこまれる内容です。

ビジネス的観点で、小林一三氏の業績を考えることは、多くの人がすると思いますので、今回は、易と九星術(「九星気学」ではありません。)、そして西洋占星術の観点から気が付いたところを書きます。
私の視点からすると、小林氏の足跡は九星術や占星学適用のいい事例になっているのです。


1. 小林氏と易の卦

 小林一三氏の公開されている生年月日から易の卦を出すと「沢山咸」(命宮)になり、感性の豊かさが感じられます。生年月日から出てくる卦はその人の指針となり、開運のポイントを示しています。その個人の本質を示しますから、このことを知ることが、最初の重要なポイントです。

 易の「澤山咸」という卦は感じることを意味しています。感じる能力が優れているということが最初にわかります。分析的な知性よりも、アナログ的な感性がすぐれます。ビジョンを描く力があるのもこの感性からです。「咸」が示しているのは「交感」です。相手があってのことです。ここも業績を理解する上でのひとつポイントになるところです。

 さらに「沢山咸」という卦は、恋愛や結婚に関連する卦であるため、多情、多感というキーワードが該当します。これは実際、小林氏は、愛人がいるのに、見合い結婚をしたうえで、すぐに愛人のところに行ってしまうという行動に現れています。勤めていた銀行の世界では、小林氏が結婚に関して、一波乱あったことと小説を書いている奇妙な人と見られていたことで、評価されていなかったという負の面もあります。

この人の着眼点は他の人と異なるところがあり、それがこの人をイノベーターとしているのですが、易卦がしめすとおり本質的に感性的なすぐれた能力があり、小説を書くというような創作能力がこの人の力の源になっています。

銀行に勤めていた時期は取り立てて活躍できない、不遇の時期でしたが、銀行の中で働くことで、係数観念、金利の計算などの能力を身に付けます。これとアナログ的な感性とが結びついて、その後の会社経営に生かしています。


2. 運が巡ってきた時になにをして確かなものにしたのか。

 小林氏が銀行に勤めている間は、あまりぱっとしない立場だったのですが、阪急電鉄の前身の鉄道会社の実質的な社長になってから、大きく運がひらけてきます。
生まれつきの感性的な能力の上に銀行時代に身に付けた計算能力が付いたことで、自分が描いたビジョンを鉄道事業により実現させていきます。鉄道の事業のなかでこの人の運を後押しすることを行っています。

結果から見ると、九星術的な法則を事業の成功に生かしています。宝塚に鉄道を通すことは運命をひらくうえで重要だったのです。それは小林氏の命宮方位に重要な拠点を作ったことです。九星術の観点からすると、梅田から宝塚は、小林氏の命宮方位です。この人にとって一生をとおして一番重要な命宮方位に位置する宝塚に温泉施設を作り、さらにその後には、歌劇団まで作って、育てたことが、その後の幸運を呼び入れているのです。(歌劇団創設その後の成功は占星術の木星・金星が示す時期と大きくかかわっています。)

新しい事業を作ることはいろいろな波風が立つものですが、波乱がありながらも、ラッキーのほうに、最終的に転がしていける強さは、ビジネス的な意味での手腕もありますが、以上のような九星的な操作も効いていると思います。小林氏のこの方面のブレーンが誰であるのかは不明ですが、結果的にそうなっています。

次に行った事業は梅田から西側に線路を伸ばすことです。これもまた小林一三氏の身宮方位に相当します。事業を展開する中で、命宮、身宮の両方の方位をつかっていることになります。開運装置が設定されたことになります。

九星術の大運(運の波の長いサイクル)で命宮に六白が巡る期間(これは社長運を示す)に実質的な社長の立場になります。
その次の大運は特に強い時期(命宮に強い星が回座)に、箕面有馬電機軌道の開通と宝塚歌劇団を作っています。つまり強い大運の時期に、その後の事業のために重要な基礎を作っています。
女子唱歌隊(のちの宝塚歌劇団)を正式に発足する前年(1913年)に、準備と訓練に九カ月がスタートするのですが、この年は、小林一三氏の命宮の位置に九星術の七赤金星という星が巡ってきていました。七赤金星は八卦の「兌」であり、これは「少女」、「口に関すること(歌はその一つ)」、「人を楽しませること」という象意を持っています。女子唱歌隊のなかに、この要素がすべて備わっています。このように九星の象意を生かした事業ができています。
以上みたように、その時々のテーマに対して、しっかり対応したことができています。
ビジネス的な才覚も備えながら、九星術が示す大運、さらに単年の九星の巡りもうまくいかしているところが興味深いです。
運がいい人というのは、見えない世界の波にもうまく乗れているということです。


3.危機への対処を適切にすること。

 事業には困難がつきものですが、小林氏の困難への対処の仕方も適切な物があります。
特に特徴的な場面として北浜銀行の取り付け騒ぎとその後の出来事があります。
とてもこれは困難な時期ですが、この事件への対応がこの人のその後の幸運を結局、決定づけています。

 北浜銀行の取り付け騒ぎのときは、小林氏はこの月、「水天需」の卦が来ています。小林氏のまわりの状況には「天水訟」が来ています。「訟」は行き違いがあることを示し、卦が示す通りの訴訟が岩下氏に起こります。このことはまた小林氏にも塁が及びます。
しかし、易の「水天需」がきている小林氏はこの困難に耐えて、次につながることを行っています。北浜銀行が所有する箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)の株を買い取っています。このことが小林氏の会社の基盤を確かなものにしています。
当初の岩下氏の思惑ではいずれ箕面有馬電気軌道は、阪神電鉄に吸収する腹積もりであったのですが、この時、株を小林氏が買うことで、将来的な吸収を阻止することが結果的にできました。
「水天需」はその時は物事が進展しなくても、堅忍持久して時を待ち、後でよいことになる卦です。それがこのとき小林氏の状況を示していました。


4.運をなぜ呼び込めて、成果を出しているのか。
 これは以下の三点があると思います。

(1) サイクルのテーマに則った適切な行動をしていること。
 易経に「吉凶悔吝は、動に生ずる者なり」とあります。これは方位のことではなくて、吉凶はすべて、その人の行動、立ち振る舞いにより生まれてくるということです。

 小林氏は九星術、易、西洋占星術が示す象意に則った行動ができています。特に西洋占星術が示している、その人生周期・大運ごとの人生テーマに沿った行動が見事にできています。占星術の大運は発達のプロセスを表しています。そのサイクルのなかで、公的な利益に生きるべきサイクルが来たら、その通りの状況がおこり、その要請にこたえています。田園都市の開発にかかわったことと、そののち東京電燈取締役就任はそれぞれまさにあたらしいサイクルのスタートの年です。
こういった変化を受け入れる柔軟さが小林氏にはあります。これができない経営者が、社会的に失脚していくケースが多いのと対照的です。柔軟さというのはとても易的な生き方です。

人生サイクルは、単年サイクルではなく、より大きなサイクルで見ることになります。種をまいたら、一定のプロセスを経て、花や実になります。そういったサイクルに合致しています。

(2)描いているビジョンがその時代の要請にこたえていること。
  都市化の進展・中産階級の増加をみこして、見合った文化を作りあげる基盤となる電鉄、宅地開発をしています。この事業のなかに郊外文化の発展というビジョンを描いています。東宝は多くの人々に手ごろな価格で、娯楽を提供する視点から事業を行っています。
これは占星術の観点では、小林氏のホロスコープで惑星のパターンの一つ、プロジェクション型がきれいに形成されていることと呼応します。この惑星パターンのまわりの惑星がこのパターンに力を与えています。ビジョンが思いとプランの実現すること、思考の力のパターンです。

(3)危機の時にも、逆転できる布石を打っている。
 北浜銀行の取り付け騒ぎに端を発した危機の時にも、上記のように易の卦の意味を生かして、次のために必要なことをしています。小林氏の物事への洞察力がこれを引き起こしているのですが、それは易の卦と符合しています。これは結果的に易の思想を活用できていること。易は変化という面がありますので、易の体系のなかに逆転法則があります。
 
以上の三点が言えると思います。


5.一つの成功から次の成功に繋げていく

 小林氏のホロスコープのなかの金星(若い女性)、月(女性)、木星(幸運)の三つの惑星が宝塚歌劇の創設とその後の成功を示しています。
女子唱歌隊という40歳代のはじめにまいた種が、54歳の時点でモン・パリの成功につながっています。

宝塚歌劇の前身、「女子歌唱隊」を立ち上げた時期の小林氏のホロスコープと、その後の宝塚歌劇の「モン・パリ」の大ブレークの時期の小林氏のホロスコープの示すものは呼応しています。
とくに「モン・パリ」の大ブレークの時期、54歳は、大吉の木星が直接コンタクトをしています。そのため興行は大成功になりました。
創設からその後の成功にいたるプロセスは小林氏のホロスコープ上の構造のなかで一つにつながっています。ホロスコープのなかの一つの構造が現象的に投影されているのです。
ホロスコープの構造は、プロセスとして分析できるものです。単発のトランシットだけ見ていては見えなくなるものがあります。

以上、九星術や占星術を適用した分析は、長くなりましたので、ここで止めます。

大きな視点でいうと、小林氏はホロスコープ的に「活動的知性」が大きなファクターとなっています。まさにそれを具現化した人生であったとおもいます。


(九星術、易、西洋占星術に関する用語が出てきますが、説明は最小限にしています。ご興味のある人は専門書にあたってください。書いている易卦、ホロスコープは今回の論考では、事象が起きた時の時間からすべて出していますので、だれでも検証が可能です。)
 
投稿者 akiko3 日時 
「女性は冷蔵庫を開けたら手前から見るけど、男性は奥から見るとか。
だから、目の前にあるものに気づかず、ないないとなる。が、逆に、奥でミイラ化したものを見つけて指摘してきたりする」と聞き、なんか妙に納得してしまった。
男女差ではなく個人差なのかもしれないが、3年後5年後が想像できないタイプなので、小林一三氏の人口的視点から未来を予測し、街を俯瞰してみて将来を設計する力にはただただ驚いた。
そして、ビジネスだけでなく、戦後の大きな問題点であった食糧難の解決策として、さつまいもに目を付け、俯瞰して最適解が導き出せ、俯瞰力、着眼点、思考力がどれも今どきの言葉で言えばキレッキレ。

若い頃のエピソードは、普通の人の印象なのだが、どこから変わったのだろうか?
やはり、サラリーマンとして一歯車という姿勢から、我がこととして腹をくくり大金に投資し、責任を負ってから、持っている性質が磨かれていったのだろう。
小林氏のビジネス構想は、著者の字面を追っても想像できない部分もあったが、「想念は物を創る」と言われるように、小林氏の一般人の幸せな日常生活というヴィジョンが現実化していった。
その現実化にあたり、経営者には『決断力』もすごく重要だと思った。チャンスの女神には前髪しかないと聞くが、優柔不断な自分には二者択一がすごく苦手で、経営者という類にはなれないと感じた。
小林氏の決断力は素晴らしく、その結果は自分以外にも大きく影響するのだが、氏の判断基準は市民・お客様、社員・家族の幸福だったので、数々の成功を生み出したのだと確信した。

小林氏の成功には独創的な発想が原点にあるのだが、他の成功者と同様、失敗や災難があっても『逆転の発想』から成功に導いていることが興味深かった。
ここで今年、自分にヒットした陰陽図がまた思い浮かび、人も物もお金もエネルギーと捉え(良い悪いではなく)、そのエネルギーがどう変化するか?
例えば、都市に人が集まるから都市に価値があることに対し、郊外は価値がなく人が寄り付かないならば、郊外に付加価値をつければ郊外の価値が上がると、日ごろから逆転の発想ができる人なら付加価値を見つけやすいように思ったし、良い悪いの判断基準は、価値観により容易に変えられる。
そして、天の采配である運の部分は、本人の自覚外の部分で価値観に影響を与えているようにも感じるのだ。
小林氏は、合理主義者であるので占いや運など気にしていなかったようだが、運は良い方であったように感じた。それは、氏の想念の部分に自分と自分以外の誰の益を思って創造しているから、レバレッジがかかっていたと思うのだ。
その上、「足るを知る」価値観ももっており、公職追放になっても文化に親しむ精神的に豊かを楽しむ人だったので、お金だけでない人々の暮らしの豊かさを創造することも自然なのだと思った。
だから、ずば抜けた経営センスを持って莫大のお金を扱ってもお金に支配されることなく、東宝がストリップから芸術の世界へ切り替えられたら、「もう儲からなくてよろしい。」とお金は運営ツール、利益はお客様や社員に還元する経営者だったのだと思った。

最後に、超一流の経営者である小林氏は、あまりに遠すぎる別世界の人ではあるが、自分も真似したいと思ったのは、「ビジネスマンとして大きな喜びを感じるのは…大衆のために努力したことが報われたと感じる瞬間」という部分を読んだ時だ。
そして、人口減の時代であり、今までの社会システムやビジネスモデル、生活様式が大きく変わっていく時代に、小林氏の言葉「自分の持ち場で創意工夫して努力して働けば、報いられて幸せになれるような人生・仕事を創っていく」を噛みしめ、逆転の発想をすれば、かつてのような土地や人口がない現代、新たに生まれたバーチャル空間に自分の場やコミュニティーを作り、まずはそこを幸せの場に創っていくことだと思った。
今はまだ小さなエネルギーの場だし、どちらかというと目の前のことを深堀りしがちなのだが、それでもどんなエネルギーをだすかを意識し、目の前の人達の幸せのために、創意工夫を怠らず、よき循環をするという一足早い2022年の決意になった。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、小林一三の経営が人を中心に考えているという事に、感心させられました。

小林一三の「需要がなければ生み出せばいい」という本書に書かれている思考方法は、多くの消費者の考え方や行動を、明確に予測した上で実行に移すことにあります。

小林一三は、沢山の乗客を箕面有馬電気軌道株式会社の電車に乗せるためには、多くの人が電車に乗る環境を作り出す事です。そして、鉄道の収益を上げて沿線開発による利益を上げていけば、経営は安定すると考えていました。

早速、沿線である池田にて当時としては珍しい、サラリーマンでも購入できるように、住宅ローンによる分譲住宅を開始しました。これは、当時人口が過密だった都市部の大阪から、郊外に移住したいと思っていた、サラリーマンにとって魅力的な商品でした。

庭付きの一軒家が郊外の沿線に持てる、という事で住宅販売が好調になり池田周辺は次第に、住宅が立ち並ぶベッドタウンへと変貌を遂げることになりました。

さらに、一つの商品を販売して終わりではなく、消費者の生活に根差して何のサービスが提供できるかを問い詰めた結果、生活スタイル全体を含めて考えられていた事が事業経営を行う上での、一貫性にも繋がっています。

週末に家族で気軽に出かけることが出来る、娯楽施設の整備運営もそのひとつです。

1910年11月に終点の箕面に当時日本最大の規模を誇っていた箕面動物園を開業し、翌年宝塚に大浴場、宝塚新温泉を作り、1914年4月に三越の少年音楽隊を模して宝塚唱歌隊を創りました。

その後、神戸本線が開業し、大きなターミナル駅となった梅田駅に、鉄道会社が経営する百貨店を開業してはどうか?という構想を小林一三は抱きました。駅に百貨店があれば、電車を利用するのと同じように、もっと気軽に使ってもらえるのではないか?と考えられています。

当時の百貨店と言えば、呉服屋発祥のものが多く、店舗の場所も駅から離れた場所にあり、車による無料送迎サービスなどで、お客様を迎え入れていました。小林一三の考えた通り、1929年4月に阪急百貨店は開店しました。

働くサラリーマンの郊外にマイホームを持ち住むという需要と、休日に遠くへ行かなくても、電車に乗ればすぐに必要な物を買えて、娯楽を楽しめるという需要を満たし、電車に乗って大阪に出勤し休日は郊外で過ごす、という多くの人達の生活スタイルが作られたのです。

ドラッカーの残した言葉に、「顧客の創造」というものがあります。顧客を集合体としての、市場を創り出す事こそ企業の目的であると言っていました。

生き物の特徴は生きる環境や状況に適応し、変化することです。顧客満足を追っているだけでは、先の未来を創造する事が出来ず、企業の行動が遅くなってしまいます。企業自らが市場を創造し、未来を創り出していかなければならないのです。

現在のパソコンやスマートフォンが販売されたばかりの当時は、明確に形状をイメージし、生活の中で必要だ、と欲求した顧客はいなかったと思います。

市場を売り場として考えるのでは無く、顧客の集団がどのような事を考えて行動しているのかを見て、未来を予想しないと顧客を創造する事は出来ないのです。

未来の生活に必要な物は何か、今そのために何が出来るのかを、掘り下げて考えていく思考力が必要になります。

本書を読んで、現状だけを見るだけで物事を捉えるのではなく、先の未来の事も考えて顧客を創造する、古林一三の思考について、改めて感心させられました。
 
投稿者 daniel3 日時 
本書を読みながら、ふと思いました。

「あっ、小林一三って、先月課題図書のニュータイプじゃないか!」と。

実は以前しょ~おん先生のメルマガで紹介された際に購入はしていたもの、その分厚さから敬遠し続けて、約2年ほど積ん読になっていた本でした。そして2020年の年初に買った本の帯には、以下のように書かれていました。

「Amazonでも、Googleでもない。2020年、東京オリンピック後の日本社会を構想するヒント」

今年1年遅れの東京オリンピックが終わり、この本の購入時には想像もできなかったような2年が過ぎようとしています。今このタイミングで本書を読むと、小林一三の人生はこの先行き不透明な時代にこそ響くものがあると思いました。

冒頭に述べたように、私が小林一三をニュータイプと考えた理由を、以下の2つの要素に沿って述べていこうと思います。

(1)構想する
(2)自らの道徳観に従う

(1)構想する
 小林一三は、将来を期待されながらも報われない三井銀行を退職して、箕面有馬電機気軌道株式会社で新しく鉄道事業を始めようと決意します。そしてまさに大阪へと赴任したタイミングで、日露戦争特需後の株価暴落に遭ってしまいます。都市間鉄道でも市中電車ではない箕面・有馬方面の鉄道建設は、大して乗客数も見込めず、当時の投資家には魅力のないものに映りました。しかしそんな状況にありながらも、小林一三はこの事業の成功に自信を持っていました。その自信の根拠として、鉄道事業自体の収入ではなく、沿線の宅地開発をすることによる地価向上の利益を狙っていたのです。数手先を読む先見性に加え、得意のコピーライティング能力を生かし、

「如何なる土地を選ぶべきか」

と大阪の中産階級に訴えかけます。この広告は住宅環境が悪化していた当時の大阪住民の心を捉え、沿線の新住宅地に人々を引き込むことに成功し、鉄道建設の借金を返済していきました。日露戦争で辛うじて勝利し、世界大戦へと突き進む激動の時代にあっても、時代の大勢と人心を捉えつつ人々の生活を「構想する」力は、現代においても通用するものがあると思いました。


(2)自らの道徳観に従う
 鉄道事業が軌道に乗った後、小林一三は次々と事業の立ち上げに着手していきます。その事業の一つに、百貨店事業があります。当時の百貨店と言えば、金持ちを相手に送迎付きのリッチなサービスを提供するのが主流でした。しかし小林一三は、ターミナル駅に直結した百貨店を構想します。交通の便が良ければ、個別の送迎サービスなどなくても多くの人を集客でき、その結果、商品の値段を下げても十分な利益が見込めるとの目論見でした。その百貨店事業の中でも目玉であったのが食堂事業であり、自社ビルを改造したテストマーケティングの結果通り、本オープンでも大変な人気を博します。

 百貨店の食堂には多くの人が集いましたが、その中には貧乏な若者もいました。彼らの中にはライスだけを注文し、テーブル上の無料のソースをかける者もいました。そのため店としては客単価が低く、好ましくない客であったわけです。商売の常識か考えれば、利益が見込めず切り捨てるべき客であったわけですが、小林一三はそんな彼らを温かくもてなしました。その根底には、

「確かに彼らは今は貧乏だ。しかし、やがて結婚して子供を産む。その時ここで楽しく食事したことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう。」

という考えがありました。当時の日本にも貧しい若者が多くいたわけですが、その彼らを受け入れることでファンとし、やがて大きな利益をもたらす存在になることを見据えていたのです。ただ単に儲けるということではなく、国の発展を支える中産階級を長い目で育成し、日本を豊かにすることに貢献したかったと思われます。その姿勢は、先の鉄道事業で中産階級に快適な住宅環境を訴えたことや、後の東宝設立で庶民に手頃な価格の娯楽を届けたい、という想いにも一貫して見ることができます。


 以上までで、小林一三がニュータイプの資質を持っていると思う点を述べてきました。読み始めた時には、小林一三が活躍した当時と現代では前提となる時代背景が異なるため、あまり参考とならないのかもという考えを持っていました。しかし、大局観を持ちながらビジョンを持って構想する力は、2021年の東京オリンピックを過ぎた今だからこそ求められるのだと改めて思いました。

今年も良い本と出会う機会をいただき、ありがとうございました!!!
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、阪急東宝グループの創業者である稀代のイノベーター、小林一三の生涯についてまとめたノンフィクションである。本書の秀逸さは、一三の行動原理や思考回路について、根拠をもって解説している点だ。そのため、引用の多さに目を引かれる。豊富な文献を読み解き、一三の人物像をあぶり出しているいるのだ。耳障りの良いエピソードを適当に集めたノンフィクションとは一線を画しており、より生身の一三を体感することができる。そんな本書で私が印象に残ったのは、一三の逆境に立ち向かう時の姿勢である。本稿では、一三が人生の中で直面した逆境にどう対処したかを見ることで、この稀有なイノベーターの本質について考えてみたい。

私が注目した最初の逆境は、三井銀行からの転職である。鉄道事業に身を投じる前の一三は不遇だった。自身も、東京の三井銀行における仕事を「耐えがたき憂鬱の時代」と評している。そこで一三は転職活動を行うわけだが、最初にまとまりそうになった三越への移籍話は辞表提出の段で三越から断られてしまう。その後、岩下清周から証券会社設立の誘いがあって三井銀行を辞めるものの、株価大暴落で設立自体が頓挫する事態に。路頭に迷った後に出てきた鉄道事業への参画要請は、箕面有馬電気軌道という創立前から前途が危ぶまれるボロ鉄道。不運や不遇の連続に、心が折れてもおかしくない状況である。ところが、一三はこの箕面有馬電気軌道の沿線を歩きながら住宅経営に活路を見出し、その後のグループ発展の礎を築くのである。

次に、注目したのは、デパート経営への進出である。一三は、これまでのデパート経営とは一線を画したターミナルデパートを発明し、阪急百貨店を開業させた。ところが、阪急百貨店が開業した1929年は、株価大暴落による世界恐慌が始まった年だ。大不況によるデフレが進み、消費活動が冷え込む中、一三はこの逆境を値下げという思い切った決断によって乗り切ろうとする。不況の中、貧乏学生がライスだけを注文してソースをかけて食べる「ソーライス」が流行ると、ライスだけの注文をやめさせようとする責任者を咎めて、ライスだけの客を歓迎する広告まで出したのである。一三は、ソーライスを食べる貧乏学生に対して、「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」という言葉を残している。こうした顧客重視の姿勢は、中長期的な阪急ファンを作り出すことに成功した。

最後に、近衛文麿内閣への入閣である。商工大臣として国政に関わった一三は、太平洋戦争へと向かう中で 翼賛体制への批判により商工大臣の職を追われた。翼賛派の頭目である商工事務次官の岸信介を辞任させ、統制経済への舵を切る経済新体制要綱の修正には成功したものの、その反撃として陸軍統制派と革新官僚から追い落とし工作を受ける。近衛総理は、この政治工作に屈して一三を商工大臣から辞任するよう説得することになるが、一三もそれを簡単に受け入れて辞任。機密漏洩とうい汚名で大臣職を追われたと見る向きもあるが、結果的には、南部仏印進駐以前に内閣を去ったことで、戦犯から免れることができたのである。

これら3つのエピソードを総括すると、一三はビジネスにおいては類い稀なるセンスと計算を働かせて逆境にも負けずに成功したが、功を焦った政治の世界では、自分の構想を形にすることができずに、失敗に終わったという見方もできる。しかしながら、これらは一三の一貫した行動原理で説明が可能だ。一三自身、成功の要諦を「無理をしないこと」であると結論付けている。最初に大方針を立てて、事業等の基礎をしっかり作り、この段階では決して無理をしない。その上で、やり出したならば猛然として突貫する。つまり、勝算のない戦いはしない、ということである。前述したエピソードでいえば、1つ目の鉄道事業、2つ目のデパート経営については、一三の中で確固たる勝算があったため、どのような逆風が吹いてもやり抜き、成功に導いた。ところが、3つ目の商工大臣としてのキャリアにおいては、近衛内閣のもとで自身の描く新資本主義を実現させることは難しいと判断、「無理」をせずに潔く身を引いたとも考えられるのである。政治家・小林一三として勝算なしを判断して国政に深入りせず、それが奏功して東京裁判から免れることができたのだ。つまり、不慣れな国政の世界へ徒に足を踏み入れて晩節を汚したのではなく、事業家としても政治家としても「勝算のない戦いはしない」ことを徹底したことで、この激動の時代を完走して天寿を全うすることができたのである。

小林一三といえば、その突飛なアイデアばかりがイノベーターとしての特質であるように説明されることが多い。しかしながら、一三のイノベーターとしての本質は、大方針を練り上げる構想力と、その構想を時代の流れと照らし合わせ、勝ち筋の有無を見極める計算力の両立にあったのである。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
投稿者 BruceLee 日時 
「運を良くするには世の中に投資すべし」

本書で衝撃だったのは小林一三氏の輝かしい業績以上に、その運の良さだ。
何度も出てくるし当人も「自分は運がいい人間だ」と自覚していたようだが、数多のビジネスを成功させたのは運の良さだけでなく、ビジネス的素養もあったからだろう。が、唸ってしまったのは国鉄初代総裁の話が流れた事である。あの怪事件、下山事件が小林事件となっていたかもしれないのだ。この運の良さは一体何なん?本書では「その『運』のかなり多くの部分はこの人口増にあったといえる」とある。確かに日本の人口増で時代の潮流に乗った面もあるがそれは他の人も同じ条件だった訳で。一つ言えるのは氏は他者と比較し、

アンテナ感度の高さ

が秀でていたと思う。そもそもだが無謀っぷりを省みず心底好きな女性と結婚した事がそれを表しているし、また「顔に現れた情報を見て善悪の判断を下すのを日常としていたのだから、勢い、自分鑑識眼が鍛えられる」とあり、これもアンテナ感度の高さだ。また「日本においては明治末年から大正にかけて、初めてこうした『働かない』という特権を持つ「女・子供」を相手とする商売、すなわち博覧会とデパートが成り立つようになったのだ」と成人男性(つまり直接的に金を稼ぐ人々)以外を相手とするビジネスへのアンテナ感度も高かった。結果、鉄道会社で儲ける、だけでなく「人が集まる」からと、百貨店や宝塚、映画、後にプロ野球チーム等のエンタメ系ビジネスにも乗り出す。が、アンテナ感度の高い人は他にも居ただろうし。これだけで運の良い説明にはならない。では何か?ヒントとなるのは以下だ。

・資産は持たないが、学歴を有するがゆえに、十〇年後、十五年には確実に社会の中核を占めるであろう中堅サラリーマンを分譲地の住人として想定したからである。言い換えれば、「今」ではなく「未来」に住宅を売ろうとしたのである。
・(ソースライス向けのライスだけの注文を断った責任者に対し)「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。その時ここで楽しく食事したことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」

とある。ん?これってつまり。。。投資だよね?投資とは「利益を見込んでお金を出すこと」で突き詰めれば全てのビジネスは「投資」なのだが、氏のそれはかなり壮大でロングスパンだ。今現在は貧しい若者たちに寄り添い「より良き社会」を目指し、今後日本経済を支えていく若者たちに長期投資したのだ。それは短期のリターンが求められる一般ビジネスとは異なる。誰彼の区別をせず若者全体の将来に期待したその姿勢と行為は、寄付やボランティアと同じ位置付けとなるのでないか。加えて日本社会をより良くするという最終目的は、日本の神々からすれば「ほほ~、我々の代わりにコイツが日本を良くしてくれるのか~」と思われる状態にしてしまったとも解釈出来ないか?だとすれば、運が良くなる道理で、氏の人一倍の運の良さは「世の中への投資」が要因ではないかと感じるのだ。氏はこうも言っている。

「君、えらい人ってのは、つまり世の中に対して貸勘定の多い人ってことだね」

この「えらい人」というのは尊敬される人という事であろうが、最終的には他者から感謝される人であろう。感謝されるから運が良いのかく、運が良いから感謝される事が出来るのかはさておき、私はこう解釈する事も可能と思うのだ。

「運を良くするには世の中に投資すべし」

自分の運を良くしたいというのは多くの人の願望だろう。では具体的に何をすれば良いか?神社での神頼み、日々の仕事での社会貢献、寄付等々、がもっとストレートなのはズバリ「世の中への投資」ではなかろうか。何故そう考えるかと言えば「投資とは何か?」を改めて考えたのだ。短期でリターンを得る訳では無く、目減りするリスクも恐れず「資本主義社会の経済発展を信じ、自分の資産を世の中に預ける行為」と整理出来たのだ。その資産を誰かが活用して増やし、人々の生活が良くなり、結果的に自分も多少の利益を得られるとすれば、まさにこれWIN-WINの関係。俗に「お金は使わないと入ってこない」と言われるが、これこそ活きたお金の使い方ではないかしらん。逆に最も悪いお金の使い方はタンス貯金や銀行口座で眠らせておく事。それは経済を停滞させている行為だから。

小林氏が実践したことは日本国に対する長期投資なのだ。株式投資でいうところのポートフォリオで分散投資もちゃんとしており現に動物園は早々に閉じた。そう捉えると私的には腑に落ちるのだがどうだろう?生活防衛資金が確保出来、別途余剰資金が出来た人は投資に回して世の中を応援しよう!自分の場合はインデックス専門だが、オールカントリーなんて世界の資本主義を応援しているともいえる訳で。

と、最後は私の投資論なってしまったがチョット無理あるかな~(笑)
 
投稿者 BruceLee 日時 
「運を良くするには世の中に投資すべし」

本書で衝撃だったのは小林一三氏の輝かしい業績以上に、その運の良さだ。
何度も出てくるし当人も「自分は運がいい人間だ」と自覚していたようだが、数多のビジネスを成功させたのは運の良さだけでなく、ビジネス的素養もあったからだろう。が、唸ってしまったのは国鉄初代総裁の話が流れた事である。あの怪事件、下山事件が小林事件となっていたかもしれないのだ。この運の良さは一体何なん?本書では「その『運』のかなり多くの部分はこの人口増にあったといえる」とある。確かに日本の人口増で時代の潮流に乗った面もあるがそれは他の人も同じ条件だった訳で。一つ言えるのは氏は他者と比較し、

アンテナ感度の高さ

が秀でていたと思う。そもそもだが無謀っぷりを省みず心底好きな女性と結婚した事がそれを表しているし、また「顔に現れた情報を見て善悪の判断を下すのを日常としていたのだから、勢い、自分鑑識眼が鍛えられる」とあり、これもアンテナ感度の高さだ。また「日本においては明治末年から大正にかけて、初めてこうした『働かない』という特権を持つ「女・子供」を相手とする商売、すなわち博覧会とデパートが成り立つようになったのだ」と成人男性(つまり直接的に金を稼ぐ人々)以外を相手とするビジネスへのアンテナ感度も高かった。結果、鉄道会社で儲ける、だけでなく「人が集まる」からと、百貨店や宝塚、映画、後にプロ野球チーム等のエンタメ系ビジネスにも乗り出す。が、アンテナ感度の高い人は他にも居ただろうし。これだけで運の良い説明にはならない。では何か?ヒントとなるのは以下だ。

・資産は持たないが、学歴を有するがゆえに、十〇年後、十五年には確実に社会の中核を占めるであろう中堅サラリーマンを分譲地の住人として想定したからである。言い換えれば、「今」ではなく「未来」に住宅を売ろうとしたのである。
・(ソースライス向けのライスだけの注文を断った責任者に対し)「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。その時ここで楽しく食事したことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」

とある。ん?これってつまり。。。投資だよね?投資とは「利益を見込んでお金を出すこと」で突き詰めれば全てのビジネスは「投資」なのだが、氏のそれはかなり壮大でロングスパンだ。今現在は貧しい若者たちに寄り添い「より良き社会」を目指し、今後日本経済を支えていく若者たちに長期投資したのだ。それは短期のリターンが求められる一般ビジネスとは異なる。誰彼の区別をせず若者全体の将来に期待したその姿勢と行為は、寄付やボランティアと同じ位置付けとなるのでないか。加えて日本社会をより良くするという最終目的は、日本の神々からすれば「ほほ~、我々の代わりにコイツが日本を良くしてくれるのか~」と思われる状態にしてしまったとも解釈出来ないか?だとすれば、運が良くなる道理で、氏の人一倍の運の良さは「世の中への投資」が要因ではないかと感じるのだ。氏はこうも言っている。

「君、えらい人ってのは、つまり世の中に対して貸勘定の多い人ってことだね」

この「えらい人」というのは尊敬される人という事であろうが、最終的には他者から感謝される人であろう。感謝されるから運が良いのかく、運が良いから感謝される事が出来るのかはさておき、私はこう解釈する事も可能と思うのだ。

「運を良くするには世の中に投資すべし」

自分の運を良くしたいというのは多くの人の願望だろう。では具体的に何をすれば良いか?神社での神頼み、日々の仕事での社会貢献、寄付等々、がもっとストレートなのはズバリ「世の中への投資」ではなかろうか。何故そう考えるかと言えば「投資とは何か?」を改めて考えたのだ。短期でリターンを得る訳では無く、目減りするリスクも恐れず「資本主義社会の経済発展を信じ、自分の資産を世の中に預ける行為」と整理出来たのだ。その資産を誰かが活用して増やし、人々の生活が良くなり、結果的に自分も多少の利益を得られるとすれば、まさにこれWIN-WINの関係。俗に「お金は使わないと入ってこない」と言われるが、これこそ活きたお金の使い方ではないかしらん。逆に最も悪いお金の使い方はタンス貯金や銀行口座で眠らせておく事。それは経済を停滞させている行為だから。

小林氏が実践したことは日本国に対する長期投資なのだ。株式投資でいうところのポートフォリオで分散投資もちゃんとしており現に動物園は早々に閉じた。そう捉えると私的には腑に落ちるのだがどうだろう?生活防衛資金が確保出来、別途余剰資金が出来た人は投資に回して世の中を応援しよう!自分の場合はインデックス専門だが、オールカントリーなんて世界の資本主義を応援しているともいえる訳で。

と、最後は私の投資論なってしまったがチョット無理あるかな~(笑)
 
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投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“人生の転機”
 
主人公の小林一三は大学を卒業後、三井銀行に勤めるサラリーマンとして社会人をスタートする。その後、新興企業の重役、そして遂には日本史において最も高名を拝する起業家、経営者となっていく。彼の人生を見て、私が唖然としたのは、人ってここまで変わることができるのか!ということである。学生時代は小説家志望、サラリーマン時代はお茶屋通いに熱中していた頃の小林に、その後次々と事業を興していく偉大なる経営者の片鱗は見えない。が、三井銀行退社後の小林は、日本社会の理想像を描き、実現にこぎつけるまでになる。阪急鉄道とその沿線に一大田園都市を築き上げ、また宝塚歌劇団や東宝の設立によって良質な娯楽を大衆に提供する。そして、それら事業の大前提には、日本の中産階級延いては近代民主主義の確立という大仰な思想があるというのだから只々吃驚するばかりだ。人はどうすれば、こうも変わることができるのか?小林の人生の転機はどこだったのか?何が彼を変えたのか?今月は、特に印象深く残った二つの出来事に焦点を当て、その時の小林の姿勢や態度、考え方を考察する。
 
まず、小林の人生において一つめの大きな転機は箕面有馬電気軌道の設立の時である。なぜなら、この時彼は大金に責任を負う状況に自身を置くことで、経営者になる覚悟を決めているからだ。本書にあるとおり、箕面有馬電気軌道を設立するまでの小林は、「自分一生の仕事として、さらにいうならリスクを全面的に背負い込んでも会社を経営してみたいという覇気と貪欲さに欠けていた」という甘い考え、態度で事業に参画していた。しかし、この時小林は、彼の親分的存在であった岩下清周より、その点を指摘され、考えや態度を改める。それが見て取れるのが、会社創立時の契約書の内容だ。簡潔に言えば、それは、もしも会社創立に失敗したら、五万円を失うというものである。当時(明治四十年)の五万円とは、企業物価指数で試算した場合、現在の五千万円以上になるのだから三十四歳の小林が覚悟を決めるには充分過ぎるといえるだろう。この決断を経て、小林は必死になり、覇気と貪欲さを現わすようになり、結果として彼の人生はそれまでとは違った方向に導かれることになったのだ。
 
次に、私が考える二つめの大きな転機とは、人生最大の試練となった北浜銀行事件を乗り越えた時だ。なぜなら、この時小林は、「災難が身に降りかからなければ、福はなかったのだから、災難を被った自分は運がいい」(P.141)という物事の捉え方を身につけているからだ。北浜銀行事件で、小林は岩下の後任頭取の乗っ取り工作に対処するために、自身が感じる身分不相応の借金を背負うことになる。この時の小林の精神的負担は尋常ではなかったはずである。にもかかわらず、後に小林は当時を回想し、この北浜事件に「私は実に運が良いと感謝した」(P.141)と言ってのける。これは、災難を克服した後とはいえ、中々できない物事の捉え方ではないか。そして、私はこの物事の捉え方を身につけたことが小林の人生の中で大きな転機となったと思う。なぜならば、その後の彼は災難、困難に遭遇したとしても、持ち前の研究熱心と合理的、論理的な思考に加え、上述の自分は運がいいから大丈夫、この災難、困難は福に好転すると想像しながら物事に取り組むようになったと思うからだ。ちなみに、彼のこの思考法や物事の捉え方は、セミナーで解説されるネガティブ・シンキングとポジティブ・イメージに重なる。兎にも角にも、災難を被った自分は運がいいという物事の捉え方は、小林の人生の方向性を大きく変えて行ったのだ。
 
では最後に、上述した小林の二つの人生の転機と私自身の現況の重なりについて述べる。二つの転機の内の前者である箕面有馬電気軌道の設立の時、小林は彼自身が大金に全責任を負う状況をつくることで経営者として覚悟を決めた。また、後者の北浜銀行事件の時、災難を被る自分は運がいいという成功する事業家に共通する物事の捉え方を身につけた。私は、それら小林の姿勢や態度、考え方を今後実践していこうと思う。なぜなら、一つめの覚悟云々も、二つめの物事の捉え方云々も、経営者である私自身にとって必要不可欠であると考えるからだ。まず、覚悟云々について、本書を読む前の私は、情けない話だが小林と同じようにリスクを全面的に背負い込んで会社を経営するという姿勢に欠けていた。それは、私自身が経営する会社で現在持ち上がっている追加出資の件で、多くの自己資金を充てることに躊躇していたことからも見て取れる。しかし、若かりし頃の小林の姿勢を見て、私も経営者としての覚悟を決めた。次に、災難を被った自分は運がいいという物事の捉え方も、災難や困難が多く降りかかる経営者には必要だ。なぜならば、災難や困難に見えることを真面に受け取っていては精神的負担が多過ぎるのと、前向きな思い込みにより有効な解決方法を閃くようになるのではと思うからだ。福と災難は表裏一体なのだ!と思い込む。要するに、心の在り方が重要なのだろう。これら二つのことをはじめに、本書が私の人生の転機になった!!と今後言えるくらいに小林一三から学んだことをドンドンと実践し、私自身を変えて行く次第である。
 
~終わり~
 
しょ~おん先生、2021年もあれやこれやと大変お世話になりました。2022年も、匙を投げることなく、お付き合いをお願いいたします!!!
 
投稿者 mkse22 日時 
小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーターを読んで

人口学的発想を持った日本の実業家。
小林一三を一言でいえばこういうことかもしれない。
彼は日本の人口が急速に増加する時期にビジネスを展開しており、
彼が関与した企業や団体として、宝塚少女歌劇団・東宝・阪急電鉄/百貨店などがある。
関西に約10年住んでいた私にとっては懐かしい企業名ばかりだ。

彼のビジネスの特徴は、当時日本に生まれつつあった中産階級をターゲットにしていたことだ。

例えば、宝塚少女歌劇団では、エロスを可能な限り排除して
中産階級が健全な合理的なモラルと社会・政治感覚をもつように育てようとしていた。
阪急食堂では、ソースライスの逸話として知られているように、
将来の中産階級が阪急食堂のファンとなるように仕向けた。
ソースライスの逸話とは、ライスのみを注文しそれに卓上にあった
ソースをかけて食べていた若者に対して、彼はライスのみの注文を禁止するどころか
反対に歓迎し、さらに福神漬けを多く添えるように指示したことだ。
阪急百貨店では多売薄利の方針のもと、まず多売を目指しこれが実現したら、
利益率を下げることを通じて、中産階級へ利益を返そうとしていた。こうすれば、中産階級が
さらに阪急百貨店の商品を購入してくれるからだ。

このように、小林はビジネスを展開するうえで、ターゲットである中産階級から利益を
獲得するだけではなく、かれらの生活水準・文化水準が向上するように仕向けていた。
利益のみを考えるのであれば、たとえば、宝塚少女歌劇団にエロスを入れたほうが
儲かったかもしれない。しかし、彼はそれをしなかった。
ここに彼が企業の利益のみを追い求める実業家の面だけでなく、
自身の理想社会を作り出そうとする思想家としての側面が垣間見える。
おそらく、彼は中産階級を育成することを通じて、日本全体の経済的・文化的水準を上げたいと
考えていたのだろう。

ただ、本書にあるように、小林のビジネスモデルには前提がある。
それは(潜在的な)顧客人口が増加し続けることである。
そもそも多売薄利は一定数の顧客への売り上げがなければ成立せず、そのためには
中産階級の増加が多売薄利実現のための必要条件となるからだ
この小林のビジネスモデルは、人口減少時代に突入した日本にそのまま流用はできない。

こう考えると、小林のビジネスモデルより学ぶべき点は、薄利多売そのものではなく、
薄利多売を通じて中産階級を育てたことにあるのだろう。
自分の顧客を経済的・文化的に成長させようとした点が
平均的な経営者から小林が頭一つ抜き出たポイントの考える。

この考えを(サラリーマンである)私の置かれている状況に当てはめてみる。
私はインフランジニアとして、自社内にシステムを置いている企業をターゲットに
そのシステムの保守作業をおこなうことで利益を生み出してきた。
しかし、ここ数年のクラウド技術の進歩により、システムを自社内に置く企業が減りつつあり、
さらに保守作業はシステムの維持が目的で付加価値を生み出しているわけではないため、
保守費用を抑えたい顧客が多く、従って、保守作業で利益が上がり辛い状況となっていた。

そこで、まずは薄利多売の考え方を応用してみると、クラウドを利用している企業をターゲットにすることで潜在的な顧客を増やし、その保守作業を担うことで利益を安定的に生み出せる状況を作り出す必要がある。
このためには、私がインフランジニアとしてではなくクラウドエンジニアとして働く必要があり、
それにはクラウドエンジニアへの転職が必要となる可能性が高い。
(インフランジニアとクラウドエンジニアの担当範囲には共通の部分があるため、
全くの未経験での転職というわけではないと思うが)

ここで、薄利多売とは反対に厚利少売を目指し、自社内にシステムを設置する企業を
引き続き担当する案もあるだろう。
厚利少売なら、顧客人口の増加を前提としなくて済むが、
そもそも保守費用を抑えたい客がほとんどのため、まず厚利を実現することが困難だ。

さらにクラウドではビッグデータや機械学習サービスなどを利用できるため、
顧客からの需要さえがあれば、これらを使って付加価値を生み出すことが可能な環境がそろっている。
しかし、クラウドを利用しない場合は、自社内で必要なサービスを自前で準備しないといけないため、
この状況では付加価値を生む出す環境を準備することすら困難だ。

ビッグデータや機械学習サービスなどを通じて顧客を育てるためにもクラウド技術を避けることができないというわけだ。
私は今後のことを考えると、転職を含んだ決断をしないといけないのかもしれない。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 str 日時 
“逆転の発想”
周囲に何もないような郊外に鉄道を通すことのメリットについて考えるよりも、そんな土地にも人が集まりたくなるような場所づくりをしてしまおう。といった発想に至ることができるのが小林一三という人物なのだろう。

都会の高い借家に住むよりも土地の安い郊外に一軒家を建て、そこから目的地まで通う。鉄道を利用しての“通勤・通学・通院”などを一般的なものにした人物ともいえるのではないか。一括で持ち家を購入できない人々の為、現在の住宅ローンの仕組みまで構築している。都会の駅に着いてからも繁華街の百貨店まで買い物に行き、重い荷物を持って帰宅しなければならない人たちの姿から、ならば駅で買い物ができるようにすれば良い。といった発想など、小林氏は大衆が抱く需要を見事に自身の理想とリンクさせ、それらを実現してきた。“ないのであれば生み出してしまえばいい”と思い描いていたとしても、それを叶えるだけの具体的なアイデアや手法、行動力に加えて今もなお残る様々な仕組み。一体どれだけ先見の明があったのかと思う。

現在でこそ当たり前のように存在し、馴染みのあるものだから「この仕組みは理にかなっているよね」なんて捉えてしまいがちだが、当時これほどの発想を次々と生み出してきたことには唯々驚きである。

如何に困難な状況であっても、「こうしたらどうなるか」という“未来“の構想を描き、行動し、実現する。それをまさしく体現してきた人だったのだと強く感じた。
 
投稿者 Terucchi 日時 
「戦略のストーリーを描き、そのストーリーに対して何をすべきかを演繹に考える」

私はこの本を読む前、小林一三について知っていたことは、阪急を作った人であり、電車を利用したビジネススタイル、例えば地方からの人を客として取り込む駅のターミナルビルや、郊外のレジャー施設によって、電車を利用してもらうことによって儲けるというスタイルを作った人ということは知っていたが、電車だけでなく宝塚、東宝、プロ野球、ホテル事業なども詳細まで関わっていることまでは知らなかった。しかし、この本を読んで、今でこそ当たり前になっているビジネススタイルが当時としては手本のない中で発想されたものとは驚かされた。本を読んでみて、小林一三のすごさを認識した次第であるが、その発想のすごさが何なのかを考えてみた。私は、「理想を絵に描いた理想として終わらせずに、現実化した点である」と考える。では、なぜ現実化できたのか?それは、①戦略のストーリーを描いている点と②そのストーリーに対して自分が何をすべきかと演繹に考える点だと考える。以下、その2点を中心に書いてみたい。

①戦略のストーリーを描く
戦略を考える上で、戦略の上位概念である、コンセプトを持ち、どうのようになって欲しいのかのイメージから戦略を描いている。すなわち、コンセプトを明確にして、更にコンセプトのままにせずに、それを達成するための戦略まで落とし込んでいる。例えば、上流階級の一部の人間ではなく、みんなが楽しめるように、そのターゲットを明確にしている。特に、小林一三は中流階級の上の方が日本の文化を牽引していくとして、その層がより良くなることをイメージして、戦略を立てている。また、売れれば良いのではなく、どうなって欲しいかのイメージがあり、そのための戦略である。新しいサラリーマンの階級であるブルジョワジーの階級を見ている。父親が仕事をして、母親が家を守り、子供が教育を受ける、という社会は一昔前のことだと思っていたが、そもそもこれも小林一三がイメージしていたことだったとは驚かされた。

②ストーリーに対して何をすべきかを演繹に考える。
次に、理想を現実化するために、どうするのか?そもそも小林一三の考え方のアプローチが違うのだ。なぜなら、まず採算が合うかどうかを、先に計算して考えているのだ。例えば、想定するお客の人数を事前に調査し、そして、お客がどれだけのお金を払うことができるかを考え、その人数と金額であれば収入がどれだけ見込めるかを考えいる。そして、その収入に合わせて、何をするかを演繹に逆算して物事を見て考えているのだ。この本の例でいくと、第一ホテルを創業するに当たって考えたことは、サラリーマンが宿泊するには、いくらの金額が妥当かを考え、それに合う採算のためには、ホテルの客室を狭くしたり、客室での風呂をなくして共用にしたり、バーなどの設置などをしてルームサービスもなくしたりしている。もし、お客のニーズを優先していれば、部屋は広くてあれもこれも欲しい、となり金額も高くなってしまう。そうなると、儲けるどころか、お客が入らなくなってしまうところ、何を必要として何をなくすか、お金を掛けるでなく、削減するところは削減するということを行っている。ビジネスのバランスがうまい。今でこそ市場調査という言葉があるが、その時代に既に、その調査を行っている。孫子の兵法で言う、「敵を知り、己を知れば、百戦危うべからず」とういう言葉があるが、事前にしっかりとした調査を行い、ビジネスというものも成立させている。いや、ビジネスの成立を前提として何をすべきか演繹で考えているのである。

ところで、小林一三は、やる事業が成功ばかりだったのだろうか?確かに、多くの事業で成功している。しかし、失敗もある。例えば、松竹との演劇の争いや関西でのプロ野球リーグなどはやったけど、ダメだったことであろう。小林一三にとっては、事業としては負けかも知れないが業界の成長には貢献にはつながっている。ただ、目先の勝ち負けの結果論であり、時代を見る目はあったと考えられる。そもそも、小林一三にとっては、おそらく目先の勝ち負けはどうでもよい話であろう。日本全体がWin-Winであれば、それも良しだと思うであろうと考える。なぜなら、事業家である小林一三にとっては、それなら次のチャレンジ、と考えると思うからだ。

ちなみに、もし小林一三が今の時代に生きていたら、どうしようと考えるだろうか?今、かつて目指していた一億総中流という時代から、その中流が上流と下流に分かれ、貧富の差ができつつある。確かに、小林一三の時の人口増加の時代から人口減の時代になっている。時代の流れと考えるのであろうか?そもそも、小林一三は「金がないからできない」という人間を嫌った。「そういう人間は金があっても何もできない人間だ」と言って退けた。常に大衆の目線に立ち、「無から有を生み出す男」と言われ、夢を与え続けた事業家であった。おそらく、今の時代においても、やはり新しい発想で、事業に挑戦しているのであろうと私は思う。
 
投稿者 sarusuberi49 日時 
【豊かな感性と品格を磨くことが幸せの鍵である】

小林一三は、鉄道を中心とした都市開発事業(不動産事業)、流通事業(百貨店)、娯楽事業(観劇、映画、観光)などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を作り上げた経営者である。本書によれば、その経営手法は国内外にも前例のない独特なものであるという。ではなぜ彼は「阪急沿線文化」と呼ばれるような、社会的イノベーションを起こすことができたのであろうか? 私は本書に出てくる「集団的無意識」が小林一三の成功の鍵を握っていたと考える。「集団的無意識」とは心理学用語であり、人の願望や行動(顕在意識)を影で支配している無意識(潜在意識)の中の、普遍的、集合的な意識のことである。言い換えるならば、同時代の国民共通の無意識とも言えるのである。

私は、自他の意識下にある集団的無意識を汲み取れたことが、他の誰にも真似ができない小林一三の天才性であったと考える。例えば、顧客となる一般大衆である観客が払えるお金から逆算して映画や演劇を作るという彼の手法は、一見「マーケットイン」(市場や購買者が求めているものを調査し、買い手の立場に立って、必要とされるものを開発、提供する考え方)に近いようにも見える。しかし彼の考えていた顧客とは、通常の買い手だけではなかったのである。例えば分譲地販売では、今は収入が多くないが、やがて社会の担い手になるサラリーマンをターゲットに月賦での分譲地販売を発明している。また阪急食堂では、ライスカレーのライスだけを注文し置いてあるソースをかけて食べる顧客に対して、やがて収入が上がり家族を連れ再訪してくれると考え、歓迎広告まで出している。つまり彼は、これからどのように世の中が変わっていくのかを集団的無意識まで遡って捉え、そこから演繹して現在自分のやるべきことを考えるという、意識の裏側を起点にものを見ることができた天才イノベーターであったのだ。結果的に、彼の興した鉄道、分譲地、エンタメ業はどれも単に会社としての成功を納めただけにとどまらない。人々の意識や嗜好や文化の質、ひいては社会のあり方まで広範囲に影響を及ぼし、日本になくてはならないインフラとして人々の生活を支え、豊かに彩り、さらには日々に頑張る活力の源となるような夢や楽しみを提供するに至ったのである。

しかし彼の成功要因については、活躍した時代が急激な人口増でマーケット自体が大きく拡大していたためだという見方もある。ではそれとは真逆の、人口減少時代を生きる私達は、小林一三の生き様から何を学ぶべきであろうか。私が注目するのは、当時も現代も大きな時代の変わり目ということである。社会情勢が不安定で戦争と不況の波に翻弄された小林一三の時代と、コロナ禍により人々の価値観が大きく揺さぶられている現代とでは、どちらも先行き不透明という共通点がある。また、環境汚染で心身の健康不安を抱えながらも成す術を知らなかった当時の大阪のサラリーマンと、少子高齢化による社会システム破綻のリスクを感じながらも解決策を見いだせないでいる我々との間にも、似通った面がある。そのため、人間の集団的無意識に対する洞察に基づいた壮大な構想が先にあって、その結果として事業アイデアが出てくるという小林一三の思考スタイルには、今こそ学ぶべきところが多いと思う。例えば彼の人生は、未経験に挑戦する連続であったが、彼は「素人集団の方が上手くいく」「お客様が商売を教えてくれる」と言っていた。そんなニュートラルな姿勢だからこそ、大衆がまだ自覚していない集団的無意識のニーズを察知しやすかったと推察される。

私が特に心に響いたのが、小林一三の最後の演説にあった「努力を惜しまなければ日本は実に立派な国になる」との一節である。誰かに助けてもらうのではなく、自分が必死に努力して日本を良くしていきたいという志があれば、自然に集団的無意識に好かれ応援されるのではないだろうか。私がそう考える理由は小林一三が、顧客だけではなく顧客を含めた世の中全体の集団的無意識の願望を満たし、喜ばせていたことにある。例えば「清く、正しく、美しく」をモットーとする宝塚歌劇団を創設したり、「ホワイトを売るためのホワイトな会社」として東宝を経営したりしているが、これらはいずれも世間の評判を集め、成功を収めている。表面だけを華やかに取り繕って人を欺くことはできても、大勢の無意識で作られる集団的無意識を騙すことは難しい。そんな集団的無意識に好かれ、ファン化するためには真善美を重んじ、クリーンさをウリにできる健全な会社になるのが早道であることに小林一三は気づいていたのであろう。本書を読み解けば、そんな集団的無意識から愛され、応援されるノウハウが至る所に垣間見える。遊び心を持つ、無理をしない、敵を作らない、下品なことをしない、準備に手間暇をかける、執着しない、などである。本年も残り数時間となったが、本書の学びを胸に新たな志を立て、来年も精進したい。
 
投稿者 vastos2000 日時 
主に大正時代から昭和初期にかけて活躍した小林一三を経営面から評価した一冊。小林一三の発想力や経営手腕を評価しつつも、運の良さという点からも描いている。

私は小林一三と言えば、宝塚歌劇団の創設者というイメージを持っていたが、そのほかにも阪急鉄道や東宝を立ち上げるなど、複数の事業の創設や拡大を手がけて成功した事を知った。
確かに戦争による特需や人口増加と言った時代背景に恵まれていたのかもしれないが、それは同時代に生きた他の人間にも言えることで、他の人は気がつかない事に気づくことができたのは、運の良さもあるだろうが、小林一三自身の想像力や着眼点、そして物事の捉え方や考え方がよかったからだろう。

小林一三の、次々と新しい事業を成功させる能力はどこから来ているのか?そしてそれはマネしたり学ぶことで、私たちも身につけることができるのか?
本書を読み、「災難が降りかかるほど運がいい」というような考え方についてはマネすることができるかもしれないが、発想力や着眼点はマネするのが難しそうだ。
容易にマネされないからこそ、時代の十歩先を行くことができ、成功できたのではないだろうか。

発想力や着眼点はマネできなくても、考え方や姿勢はマネすることができそうであるから、今回は小林一三の銀行員時代について見ることにしたい。
なぜこの本人曰く「耐へがたき憂鬱の時代」を取り上げることにしたのかと言えば、私自身が、現在、自分では適性がないと感じる部署に配属され、なおかつ今後数年(後継者が見つかるまで)は異動になる見込みが無いからだ。
異動の直後は転職を本気で考えて、あと一歩で転職するところまでいったが、結局実現せずに終わったこともあり、今の部署の仕事を身につけるまでは転職を封印することに決めた。
それゆえに、今は歯を食いしばって面白みを感じることができない業務に取り組んでいる。

本書では三井銀行時代に割かれているページ数は決して多くないが、銀行員をしていた小林一三から考えさせられることが二つある。
一つは意に沿わない(面白いと感じられない)仕事であっても、しっかり取り組めば無駄にはならないこと。
もう一つは、ダメ社員にも二種類あるということ。

前者については『十五年間の銀行生活で、彼は係数を身につけた。~中略~これが後の事業家としての小林のおおきなつよみになっている』(p67)とある。攻めと守りのバランスを一人でとれるのは確かに強みだろう。発明家や起業家は実務面を支えてくれるパートナーを得て成功する例は、ソニーやホンダなどを思い浮かべるが、一人で企業のアイデアを出し、実務面も自分でやったという例はなかなか思い浮かばない。銀行勤めを足かけ15年続けた効果だろう。
これは、付き合いのある現役の銀行員から聞いた話だが、銀行でそこそこ長いこと勤めていると、最初は営業職でもそのうち本部などの裏方(顧客と直接接点を持たない)の部署に配属されるようだ。その人事異動により、ただ営業の数字を追うだけで無く、ガバナンスの感覚や書類をしっかり作ることが身につき、それが支店長などの管理職になった際に役立つと聞いた。
小林一三の場合は異動では無く転職だったが、事業成功の見込みを立てるときや株主などの利害関係者への説明の際に、銀行で身につけた計数処理の能力が役立ったことだろうと想像する。

後者のダメ社員については、まず一種類目は、すぐに思い浮かぶであろう「能力または適性が無い」ケース。
もう一種類は、「能力はあるのだがその組織のルールに適応できなかったり、本業以外の要因が評価を落としている」ケース。
小林一三は銀行員だった岩下清周から評価されているので、銀行員としても無能だったわけでは無いと思うが、結婚騒動や文学青年だという評判といった本業とは直接関係のない事が原因でその実力よりも低く見られていたのではないだろうか。箕面有馬電気軌道に転職したことで銀行時代と役割が変わったということもあるが、周囲の人間を含めて環境が変わったから活躍できたという側面もあったと感じる。
私の後輩でも部署異動となったことで、人が変わったように生き生きと働きだした例を見たことがある。古い部署ではストレスで帯状疱疹が出たりしていたが、新しい部署では顔色や表情も良くなり、楽しそうに働いていた。
この経験からも本人の適性や置かれた環境は大事だなと思う。置かれた場所で花開くように努力することも大切だとは思うが、土や水が合わなかったら場所を変えてみるのも良いだろう。
私はしばらくは転職を封印することを決めた今だから思うが、異動になってすぐに転職活動をしたのでは、採用する側も「本人が意に沿わない異動を命じたらやめてしまうのでないか?」と思うのは当然あり得ることだ。
それもあり、まずは今の部署で求められる知識や技能を身につけることに集中しようと決めた。転職せずに済むならそれも良いし、転職活動を再開するのもアリだ。

今回の課題図書は、私自身がラクではない状況で読んだ事もあってか、自分でも意外と思うパートが最も印象に残った。
であるが、勇気づけられる内容でもあるので、大いに参考にして今後も仕事に励みたい。

おわり

PS 今回の課題図書とは直接関係ありませんが、毎月課題図書に取り組んで来たことで大いに助かったことがありました(特に『アーミッシュの赦し』)。このページはROMの方もいるでしょうが、アウトプットをすることで歩留まりが高まりますので2022年は感想文を投稿してはいかがでしょう。
 
投稿者 H.J 日時 
タイトル「小林一三 日本が生んだ偉大なイノベーター」
ここまで的確なタイトルがあるのか。と言うぐらい的を得た書籍だと感じた。
明治、大正、昭和の激動の時代を生き、阪急電鉄、宝塚歌劇団、東宝、阪急百貨店という今も残る有名企業の数々を生み出した起業家。
特に阪急電鉄の経営は、私鉄経営モデルの原形として、後の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えている。
阪急電鉄の経営時には、沿線の人口増という部分に着目し、事業を進めた。
その土地の安さや優良さに目を付け、人口増加を予測し、線路を敷く。
結果が出た現在からみれば、逆算が成功して凄いなという認識だが、当時だったらどうだろうか?
医療技術も現在ほど確立していない、いつ戦争で人口が減るかわからない状況である。
鉄道事業は掛けている金額も規模も大きく、失敗時のリスクは計り知れない。
そもそも土地の安さや優良さを基に人口増加予測しているなら、不動産ビジネスを手掛けた方がローリスクハイリターンだが、その数歩先のインフラ整備、つまり鉄道事業の方に活かすあたりが革新的に思える。
単純に逆算が上手く行ったこともあるが、逆算した未来を実現するために行動に移したことあってこその逆算の成功に感じる。

一方、人口増加予測は長期的な要素ではあるが、黙っていて人口増加するわけもなく、乗客を増やすために動物園を開園する。
結果として廃園になるわけだが、そこから派生して宝塚歌劇団のアイデアへとつながる。
その宝塚歌劇団においても、女性や子どもをターゲットにし、出演者を少女たちで構成している。
格式の高かった演劇を一般人にも広めている。
さらには、プロを集めるわけでもなく、良家の少女を集め、教育に投資し、その少女たちが舞台に立つというアイデアも当時としては革新的である。
今では、宝塚歌劇団という大きなブランドを築き、憧れた少女たちが入団を目指し、その手前の宝塚音楽学校へと入学する。
少女たちに夢を与えているともいえる。

さらに利益還元を目的とした「多売薄利」の商業道徳のもと、「いいものをできるだけ安く」をテーマに阪急百貨店も開店している。
個人的にはここが一番革新的に思える。
なぜなら、当時庶民が今まで手の出せなかったものを安く提供することで、多くの人の購買能力範囲内で商品を試す機会を提供しているからだ。
百貨店は人手も多く必要なため、雇用も増やしたことだろう。
他にも広告費代わりに薄利で目玉商品を販売するという戦略の元祖だったとは驚いた。
そういった意味でも革新的に思える。
もちろん、誰もやらなかったことをやったという意味で。

ここまで書いて考えると、最初は的確なタイトルと言ったが、少し違うように感じる。
日本が生んだ偉大なイノベーターというよりも、日本を作った偉大なイノベーターの方が的確な気がする。
なぜなら、現在にまで鉄道会社の経営モデルとして経営手法に大きな影響を与え、少女たちに夢を与え、雇用を増やし、後の日本人に選択の幅を広げているからである。
もちろん、宝塚歌劇団が生活に必要なものかと言われると、必須ではない。
しかし、確実に日本の文化として根付いているため、この一例をとっても日本を作った偉大なイノベーターといっても過言ではない様に感じた。
 
投稿者 msykmt 日時 
"したたかに生きる"

本書は、大阪都市部の人口増の状況にあって、大阪市郊外への鉄道新設を足がかりに、新しい事業を次々とスケールしていった小林一三の評伝である。本稿では、本書で著者が描いた小林一三の人物像と、前回の課題図書である「ニュータイプの時代」で描かれた「ニュータイプ」との対比から、私が着想したことを述べる。ここでのニュータイプとは、これからのVUCAの時代にあって、従前はよしとされた、従順で、勤勉な「オールドタイプ」に対して、優位性を持つとされる、自由でわがままな人物像のことである。

まず、小林一三の人物像と、ニュータイプとで、これは異なると私が感じた点を述べる。なにが異なっていると感じたかというと、「ニュータイプの時代」でいうところの、オールドタイプのポジションとされる「ローカル×メジャー」という市場、それはつまり、一部の都市、あるいは一国内に閉じた、そこにいる大衆に向けた市場をターゲットにしていた小林一三に対して、ニュータイプは「グローバル×ニッチ」という市場、それはつまり、一国内に閉じない、かつ、ごく限られた嗜好の人間をターゲットにしているということである。なぜ、小林一三が「ローカル×メジャー」をターゲットにしているといえるのかというと、たとえば、具体的にいうと、彼が箕面有馬電気軌道の設立発起人になった場面では、大阪市内の超人口密集状態から、事業の成長を確信したという点がローカルであると言える。また、大阪市内に超密集している人びと、つまり大衆をターゲットにしているという点でメジャーであると言える。よって、小林一三はローカル×メジャーをターゲットにしていると考えるのだ。

つぎに、小林一三の人物像と、ニュータイプとで、これは同じだと感じた点を述べる。なにが同じだと感じたかというと、両者それぞれとも、未来を予測するのではなく、未来を構想するという点である。どういうことかというと、小林一三の場合は、同じく箕面有馬電気軌道の設立発起人になった場面にて、彼が線路敷地を往復したときに、沿線における住宅経営の未来像をありありと思い描いたことから事業の成功を確信したということから、彼も未来を構想する側の人間であったといえる。また、彼はその鉄道事業という手段を含め、その事業の目的をたんなる金儲けではなく、もっとスケールの大きい『西欧的な近代的市民の創設』と定めていたという点からも、未来を構想する側の人間であったことを示す証左であるといえる。さらに、それらからいえるのは、「ニュータイプの時代」でいうところの、世の中にこういうインパクトを与えたいという、人間が主体となって意思決定をする「ヒューマニティ」が先立ち、その後に「マーケティング」という手法を活用するという主従関係についても、小林一三とニュータイプとの両者とで同じであるといえる。

さいごに、そこからどう思うか、そこから我々がなにを学べるのか、を整理する。まず、両者で同じ点はこれからも有効であることは疑いない。一方で、両者で異なる点、つまりターゲットが「ローカル×メジャー」と「グローバル×ニッチ」が異なるという点に関しては、「ニュータイプの時代」でいう、バーベル戦略をとればよいと考える。このバーベル戦略というのは、ダウンサイドとアップサイドでリスクに非対称性のある仕事を組み合わせるということである。なぜバーベル戦略をとればよいと考えたのかというと、たとえばサラリーマンの仕事では、「ローカル×メジャー」をターゲットにする一方で、副業ではダウンサイドが低くアップサイドリスクの高い「グローバル×ニッチ」をターゲットにすることで、両者のいいとこ取りができるからだ。たとえVUCAの時代であっても、確度の高く予測できる部分はあるのだから、その実利は確実にとった上で、不確実性の高い部分もあわよくば得ることができるポジションをとることが、先の見えぬ時代にしたたかに生きる術といえるのではないだろうか。