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第122回目(2021年6月)の課題本


6月課題図書

 

起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

 

です。NETFLIXとリクルートの違いや共通点みたいなところに着目しても面白いですし、

江副氏という人物にフォーカスしても面白いと思います。さらには、あの頃から先の未来

を知っている我々が、当時の目線で情報産業を振り返ったらどうなるのかなんて目線で読

むと、江副氏のスケールの大きさが分かると思います。

 

 【しょ~おんコメント】

6月優秀賞

 

今回一次審査を突破したのが、M.takahashiさん、masa3843さん、sarusuberi49さんの3名

で、この投稿を読み返して今月はsarusuberi49さんに差し上げることにします。おめでと

うございます。

 

【頂いたコメント】

投稿者 mkse22 日時 
「起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」を読んで

リクルートといえば、10年以上前に聞いた人事コンサルタント城繁幸氏の講演が印象に残っている。講演のテーマは年功序列で、その中で同社が40歳フリータを採用した話があったからだ。採用理由は彼が優秀だったからで、他の日本企業が彼を採用しないことを不思議がっていたそうだ。現在でも大企業が40歳を採用することは稀だとおもうので、このエピソードからリクルートには、他の日本企業にはない独自の文化があると思っていた。

本書を読んで、その独自の文化が何かが理解できた。まさに先月の課題図書にでてきたNETFLIXのプロトタイプというべき企業だったわけだ。

リクルートとNETFLIX、この2つの会社には共通点がある。
まず、自由と責任に重きを置いている点だ。リクルートでは、良いアイデアを出した本人に仕事を任せる文化がある。良いアイデアを出せば自由に仕事ができるわけだ。ただし、上司が認めたものという条件があるため、上司の承認が不要で仕事ができるNETFLIXほどの自由はないが。そして、どちらの会社も結果については責任を負わされる。

次に、企業の能力密度を高めようとしている点だ。江副氏は年間60億円越のコストをかけて優秀な人材をかき集めていた。NETFLIXは個人の最高水準の報酬を払って人材を採用している。どちらも能力の高い社員のみで会社を構成しようとする意図が見える。

もちろん、異なる点もある。リクルートでは社員が独立することを奨励する文化があることだ(現在では、「かつてあった」と過去形になっているかもしれないが)。退社した社員は元リクと呼ばれており、その例として東京都で初めての民間出身の公立中学校の校長となった藤原和博氏があげられる。NETFLIXには先月の課題図書を読む限りではこのような文化はないように見える。

自由と責任に重きを置くにしても、能力密度を高めるにしても、優秀な人材を社員として採用できることが、これらを実現するための必要条件だ。社員が優秀でないなら、このような会社文化は成立しないからだ。

しかし、優秀な人材の数はそれほど多くはない。人間の能力はみな同じではないからだ。本人の努力の結果という点もあるだろうが、生まれ持った才能に依存する部分もあるため、どうしても個人差が出てしまう。

したがって、リクルートやNETFLIXのような企業が増えると、優秀な人材はそこにあつまってしまうため、その他の企業は平均的な人材しか採用できなくなる。さらに、そもそもだが、仕事量そのものが長期的に見ると減少傾向だ。自動化やAIの発達により、人間から機械に置き換え可能な仕事(特に単純労働)の範囲が増えつつあるからだ。この置き換えの範囲は今後も拡大していくだろう。

機械に置き換え可能な仕事が拡大すると、平均的な人材には働くことすらできなくなる。そうなると、お金はないが時間だけが余りある人間が増加することになってしまう。

「暇になるとろくなことをしない」ということがよく言われるが、これは正しいと思う。
私も大学院生の時、研究に行き詰まって追い込まれ、何もできなくなった時期がある。この時期は、お金はなく、ある意味で暇だったが、ネガティブなことばかり考えていた。数年で研究の道を諦め、転身したため、この状況からは脱したが、あのまま続いていたら、どうなっていたかと思うと今でもぞっとする。

仕事がない平均的な人材が増えれば、その一部は犯罪に走り、その結果、日本全体で治安が悪化する可能性すらあるだろう。

ただ、単純労働が機械に置き換わること自体は歓迎すべき側面がある。なぜなら、奴隷制が復活する可能性が減るからだ。

以前の課題図書である「資本主義と奴隷制」に記載されているように、奴隷制は経済的理由から生まれたものである。資本家の単純労働への需要が奴隷制を生み出したわけだ。しかし、単純労働は機械化によりなくなりつつあり、さらに単純労働以外では奴隷はコストが割高になることも判明している。このように、現代では、奴隷制の生まれる前提を満たしていないため、かつてのような奴隷制が現代に復活することはおそらくないだろう。

仕事のない平均的な人材を救うためには、ベーシックインカムのような制度が導入されるべきかもしれない。これがあれば、とりあえず最低限の生活は可能だからだ。
ベーシックインカムの財源はどこにあるかという問題はあるが、同制度を導入することで社会保障に関係する公務員を削減できるため、その浮いた費用を財源とすることも可能なわけで、検討すべき余地はある。

もし、ベーシックインカムが導入されたなら、今度は時間だけを持て余している人が大量に発生してしまう。最低限の生活はできるが、暇というわけだ。生活ができるため、貧困に起因した犯罪に走る動機はないと思うが、暇という問題が残っている。こういった人種は正直厄介だ。

未来では、サラリーマンでつまらない仕事で忙しいと言っている人がうらやましいという時代がくるのかもしれない。つまらない仕事でもなにもしないよりは成長できるし、時間もつぶせるし。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
投稿者 M.takahashi 日時 
現在の日本には世界的なIT企業が存在せず、国民が使用するサービスもAppleやAmazon、Google、Facebook、Twitterなど米国製が大半を占める。結果、日本人が日本で消費するサービスやコンテンツの売り上げの一部は自動的にアメリカ企業の懐に入る仕組みができている。ところが、江副浩正という人物は今から数十年も前に、現代のGoogleやAmazonが提供するサービスに相当するものを考案ないし実行していたのだ。もしリクルート事件がなければ、リクルートは今頃、GAFAと肩を並べる存在になっていたかもしれず、そうすれば日本がカリフォルニアの経済的植民地になることもなかっただろう。

日本のIT産業の発展に打撃を与えたリクルート事件が起きた根本的な原因には、日本の持つ特異な文化的背景があると考える。日本においては極めて異質であった江副氏のマインド、あるいはリクルートのカルチャーは、大成したがゆえに直接的な利害関係を超えて、意識的あるいは無意識的な嫌悪感や僻みを買っていたものと考えられる。本稿では、リクルート事件の文化的背景として、日本社会に深く浸透している儒教思想、そして古来より日本人が持つ「和」を重んじるムラ的文化の影響を考察したい。

まず、儒教の基本的な考えの一つとして商業蔑視が挙げられ、近代化に伴い緩和してきてはいるが、「モノづくり神話」や「楽をして稼ぐのはけしからん」という思想は健在だ。リクルートの急成長は潜在的なニーズがいかに大きかったかを示しているが、当時日本の主力であった製造業の目には自らモノを作らずに情報を流すことで利益を上げる「虚業」と映った。このような儒教思想は革新的な手段で快進撃を続ける江副氏への不快感や不信感の原因となったのみならず、日本から世界的に有力なIT企業が育つことのできないという環境の土台となったと思われる。ハードの時代からエコシステムやソフトウェア、プラットフォームの時代への変化に柔軟に対応できずに日本が凋落した原因の一端はこの儒教思想にあると言えるだろう。

次に、儒教で重要視される徳の影響について考察したい。いち早く産業構造の変革の胎動に気づいていた江副氏だが、第二電電の主要株主からは外されてしまう。その背景には、稲盛氏が江副氏を徳に欠く「小人」と考えたことがある。また、松下電器の松下幸之助が小売業のダイエー中内に対して放った「覇道をやめて王道を進みなさい」という発言にも見えるように、成功者には徳が求められた。徹底した合理主義で手段を選ばない江副氏は間違いなく王者よりは覇者であった上に、江副氏には義理や礼儀に欠ける言動が多く見られた。信頼関係がタスクベースよりも関係ベースで築かれる日本という文化圏において、儒教思想に濃く染まった大物の感情を害したことでリクルートの潜在的な敵が増えることとなり、リクルート事件の遠因となったと言えるだろう。なお、ライブドア事件の背景にも、同じく手段を選ばずに実力でのし上がった堀江氏への社会からの反感がうかがわれる。

最後に、日本に古来よりある和を重んじる文化の影響について記す。「出る杭は打たれる」というように日本は元来が同調圧力の社会であり、和を乱すものは疎外する「村八分」の風潮が残っている。このようなムラ文化は、ムラが生命維持のための共同体として機能していた時代には必要だったが、社会構造が大きく変化した現代においては百害あって一利なしと言える。

リクルートは既存の利権を破壊しながら成長してきた。既得権益を破壊された利害関係者が利権の破壊者に怨嗟を持つのは万国共通であるが、日本のムラ社会においては和を保つことが最重要であり、競争を避けるために談合や護送船団方式が半ば公然と存在するほどだ。そのような社会において、破壊的創造をしながら加速度的に成長するリクルートに対しては、直接的な利害関係を超えて各種業界から大きな反感が生まれた。

このように、江副氏のやり方は、覇道を歩みながら既存の利権構造を破壊するという、非常に非日本的なものであり、社会全体からのリクルートに対する負の感情を高めることとなった。それが直接的な利害関係者からの復讐心と悪意を持って混ぜ合わされ、結果として生まれた激しい波が、当初検察が立件不可能と判断した一案件を疑獄へと強引に仕立て上げる結果となったのである。

時代の変化が加速度的に起きている現代において、一部業界を除いて企業の生き残りには革新性や柔軟性が必須となるであろう。儒教的思想は保守主義にもつながり、変化の早いグローバル時代においては障害のように思われる。しかし、日本において儒教的思想が日本企業のIT業界への進出を鈍らせたのに対し、儒教の発祥の地である中国はグレートファイヤーウォールを敷き、アリババやWeiboといった独自のサービスを作り上げ、それらが国外にまで普及してる。日本の儒教は中国の儒教とはかなり異なる部分もあるかもしれないし、米国との関係や政治系統の違いなどはあるものの、比較的類似したカルチャーマップを持つ中国の戦略には習うべきところがあるかもしれない。
 
投稿者 daniel3 日時 
 リクルートと言えば、リクナビ、Suumoなどで知られる総合情報系企業であり、起業家精神にあふれる社員が集まったバリバリの体育会系企業のイメージがありました。時価総額も8兆円以上ということで、戦後日本の成功企業の一つと言えるかもしれません。しかし本書を読み進め、江副浩正という稀代の起業家の半生を知ると、今のリクルートは彼が思い描いていた未来の姿には、まだまだほど遠いのかもしれません。日本にGAFAのような情報系企業が誕生していたかもしれないことを思うと、「リクルート事件」で失脚してしまったことを残念に思う方もいると思います。本書で語られる江副浩正という男には、玉虫色に光る魅力があると同時に「もったいない男」でもあるなと思いました。

 複雑な家庭環境で幼少期を過ごし、甲南高校から東京大学に進学した江副は、生活費用を補うため東京大学新聞社で企業向け営業の仕事につきます。当初は苦労もあったようですが、商機を見つける才能を生かし、やがて学生らしからぬ収入を手に入れるようになりました。その後は大学広告社を起業し、求人広告だけで費用を賄うという斬新なビジネスモデルを考え出し、先見性の高さを発揮します。製造業全盛だった日本において、情報に価値があることを理解し、企業と学生の情報ギャップを埋めることにビジネスチャンスがあると見抜いた江副の才能には脱帽します。また、人材活用能力にも目を見張るものがあります。「企業への招待」の事業が軌道に乗り始めたところで、ダイヤモンド社から就職ガイドブック事業で挑戦状を叩きつけられます。当時のリクルートではとても太刀打ちできない大企業でしたが、社員に決死の覚悟を伝え、やがて就職ガイドブック市場を制覇します。その後も、読売新聞と住宅情報事業で戦うことになりますが、ここでも社員に責任と権限を与え、夜明けまで女性社員が働いてしまうほどのやる気を引き出し、住宅情報事業を制します。

 以上ような幾多の苦難を乗り越えた江副は、「はじめに」でも述べられているようにロジックの人と言えるでしょう。ロジックは資本主義において必要不可欠な要素であり、江副はドラッカーの書籍を貪り読むことで、経営者とはどのようなものかを体現してきました。しかし、ロジックだけで経営することのもろさもその半生は教えてくれています。資本主義社会で勝ち抜く能力の高さゆえどんな逆境も乗り越えてきましたが、S塾でいうところの「悪の道」を突き進むことで、徐々に人生の歯車が狂い始めます。それは、東京駅前の自社ビル向け土地買収時に、便宜を図ったくれた江戸英雄への恩義の欠如により野菜が届かなくなったところあたりから始まったのかと読み取りました。その後は奥さんとの不仲を初めとして、本書では語られない数多くの苦難があったかと思います。事業の成功が光輝くほど、その影も暗かったものと想像します。

 Googleでいうところの「Don't Be Evil」のように、大きな力をもつ者は、その力を使うにふさわし道徳や美意識を兼ね備える必要があると思います。本書の中ではそれを、経験豊富なエンジェル投資家が、概ね「いかがわしい」起業家を正しい道に導いていくべきとして説いています。適切な投資家との出会いがなかったこともありますが、今もって日本にはベンチャー起業家を育成する土壌が不十分ですし、出る杭は砕けるまで打つ続ける国民性もあります。日本という国柄やバブルの狂乱に踊らされた江副浩正に同情する気持ちもあります。やがて、当時の日本の法制度から言えばグレーゾーンであった未公開株の譲渡が発端となり、国民感情の高まりを受けて、東京地検特捜部に逮捕されることになりました。

 そんな絶望的な状況になった江副ですが、それでも起死回生のチャンスは残されていたと私は思います。それは、2億円もの保釈金を払って東京拘置所から釈放された時に、マスコミの前でジャンピング土下座をぶちかますことであったと思います。しかし、江副はチャンスを逃しただけでなく、弁護団を組織して徹底抗戦の構えを見せたことで、チャンスの神様の前髪をつかむことはできなくなりました。法律的には有罪ではなかったかもしれないけれども、それまでの自分の行いの責任を引き受けていれば、その後起死回生の一手を打つことができ、マイクロソフトやアップルを超えるメガIT企業が誕生していたかもしれません。その意味で、江副は神様がくれた最大のチャンスに気づけなかった「もったいない男」だと思いました。

 スケールは大分違いますが、「成功したい」と日々考え鍛錬を続ける身として、ロジックを頼りに「悪の道」を進む成功の怖さを存分に思い知らされました。経営者とは何かを考え抜き、資本主義のルールを誰よりも上手く活用した江副は、ロジックだけでは説明できない壁を乗り越えることはできませんでした。江副浩正という男の才能と努力の大きさに触れるほど、ロジックで一時的に成功をすることはできるかもしれないが、真の幸福を手に入れることは難しいものだと改めて思いました。成功という高いビルを建てたいのであれば、まずは心という敷地の大きさを広げ、道徳や美意識を育てようと思った読書でした。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで特に惹かれたのは、江福浩正氏の経営人としての手腕の鋭さでした。

江副氏の言葉に「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉があります。

リクルート事件をきっかけに1988年以降は公式には使われなくなってしまった社訓ですが、現在でもリクルートの社員はこの言葉を受け継いで実践しています。

江副氏は生活に関わる枠組み作りや、仕事の仕組み作りに長けていたと考えます。
必要な人員や物を取り入れながら、販路をどんどん開発拡大し、会社は大きく成長していったのです。

江副氏は東京大学入学後、東大新聞の広告営業で事業のヒントを得て、1960年にリクルートの前身となる「大学新聞広告社」を創業しました。1963年には「日本リクルートメントセンター」に社名を変更し、採用広告を皮切りにして後に、進学、派遣、アルバイト、旅行、食事、就職、転職、結婚、車、住宅など、あらゆるビジネス分野へと領域を広げながら、会社を大きく発展していきました。

さらに、江副氏がリクルートの社長であった1980年代当時、ニューヨークやロンドンと、川崎に作ったデータセンターを専用回線で繋いで、今で言うクラウドコンピューティングに近いことをやっていたというのも驚かされます。

まだインターネットが無い時代に、江副氏がやっていたことは誰も理解できなかったはずです。データセンターをネット回線で繋いで何ができるのかという発想や知見を日本人の誰も持ってはいなかったはずです。

また、江副氏が会社の社員に根付かせたのは、圧倒的な当事者意識です。「君はどうしたいの?」と社員に問い続け、所属している社員の意思を尊重し、本人が「抱えている不満や疑問点」を「前に進むエネルギー」に変えていくのです。これこそが江副氏の「個の経営」という魔法であると考えます。

「じゃあ、やってみて」と任される会社だからこそ、自分で思考し、最後は自分がやるということになります。当事者意識を持たざるを得ない状況を、入社してから自信へ繰り返し、繰り返し問いながら、社員はトレーニングされてきたのだと思います。

さらにすごいのは、江副氏が亡くなった後も、会社が成長を続けているところです。創業者がいなくなっても、社風が脈々と引き継がれ、今のリクルートでは、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という江副氏の理念がさらに補強されたものになっています。

江副氏の経営が正しかったことは、氏が一線を退いた後もリクルートが成長を続けていることや、ビジネス分野だけでなく、政治や教育などさまざまな領域で活躍するOB・OGを輩出していることが証明しています。

一人一人の社員が、それぞれの判断力や行動力を持ち、会社を自分達の力でより良くしていこうとする、ティール組織を作りだした事に、江副氏の経営者としての手腕は、遺憾なく発揮されていたのです。

率先して自分から手を挙げて、自分が考えて行動していく、という事は、積極的な行動に繋がります。機会が与えられるのをただ待っているのではなく、自分から成長する機会の中へ入り、自分を成長させていきなさいという事を、本書を読んで教えられました。

受け身でいるのではなく、自分から行動するという事を忘れずに、仕事にあたって行くようにします。
 
投稿者 BruceLee 日時 
我々は江副氏をどう評価するのか?

正直、読み進めるに従い、今のネット社会と同じで、世の中の黒い面が露呈され、イヤ~な気分になった。自分的には本当に「戦後最大の疑獄事件!」と言うほど、酷い事件だったの?と疑問に感じた。そして、あ~やっぱ出る杭は打たれるのね、とも。全てが集約された一文がある。

「江副が打ち立てた情報誌のビジネス・モデルは、これまで朝日、読売、電通に富をもたらしてきたマスメディアの秩序を『破壊』した。江副は恨まれ、敵を作った」

そう、江副氏はリクルートでそれまでに無かった新しいビジネス・モデルを創造したのだ。故に利益を奪われた人々や団体から恨まれた。しかし自分も本書で知ったのだが、リクルートが無かった頃の就職ってコネと縁故がメインであり、

「しかし企業はどうやって学生を集めて良いか分からないし、学生もどうやって企業を選んでいいのか分からない」

という状態だったのだ。それをお互い未知の企業と学生が知り合う機会を与え、お見合いできるようにしたのがリクルートなのだ。そして後の「住宅情報」もそうだが江副氏が目を付けるのは「情報の非対称性」を正す事。その情報を基に8兆円企業にまで成長させたのだから、それだけ聞いたら「え、スゴい人!」となる筈だが、そうはならなかった。当時の「モノづくり日本」の世界観からすれば、情報産業は疎まれ、怪しく捉えられたのだろう。

が、個人的には江副氏を非難、批判する人はそんなに立派な人なんかい?とも思う。それは現代も一緒で、芸能人の不祥事があると狂喜乱舞してネットに汚い言葉と共に非難する輩がいるが、本来、俳優は人を感動させる演技で評価されるべきだし、芸人は笑いを取れるかで評価されるべきだ。同じ観点で江副氏が評価されるとすれば、新規ビジネス・モデルを開拓し、かつ成長し続けた実績だろう。それを失格ポイントを見付けるやいなや、総バッシング&全否定するのが今の日本なのであり、リクルート事件もそうだったのではないか?という気もしてくる。本書にその経緯が描かれている訳だが、逆に言えば本書が無ければ多くの人にその「スゴさ」は知られる事なく、「あ~、リクルート事件の極悪人ね」で終わっていたかもしれない。その意味でも本書は価値がある。そして、ここまで知って「江副氏をどう評価するのか?」が我々に問われる気がするのだ。

自分的に、江副氏を一言で表すなら「良くも悪くも非常識な人」だと思う。それらは以下に表れている。

[Good point]
ひとつのアクションで二つ、三つの目的を達成することに喜びを覚える発想
大学に進学できなかった進学校の卒業生を採用する目の付け所
圧倒的な当事者意識を社員に植え付ける力
ダイヤモンド社の就職ガイドブックへ「やめていただけませんか」の直談判

[Bad point]
スキャンダル
夫人への暴力
未公開株の配布

まあ、何がGoodで何がBadかは人それぞれだが、自分的にはこう思った。中でも現代視点で言えばスキャンダルと夫人への暴力は絶対的に×だろう。夫人との最初のデートも冷静に考えれば酷い話だし、途中の夫人への暴言もあり、最後は離婚したようだから、その意味では人間的に出来てない部分もあった人なのだろうとは思う。

が、ビジネス面では純粋に「スゴい人」だと思う。何故かと言えば、それだけの事件を犯した人がトップだった会社なのに、事件後もリクルートのビジネスは拡大し続け、今日でも存続しているからだ。その事実こそが、人々や企業が欲する情報を提供し続けるという、江副氏の着眼点と行動力が優れていたというエビデンスではないか?一方、江副氏は自分を理解していたとも思う。

「ぼくにはカリスマ性がない」

と、集団の大将となり皆を引っ張って行くキャラではないと自覚していた。が故に「君はどうしたい?」という社員皆経営者主義が生まれたと思う。が、結果的に非常に皮肉な事が起こった。リクルート社員全員がビジネスパーソンとして成長したお陰で、江副氏が居なくても成長する会社となったのだ。カリスマ社長となり「あの人が居ないとこの会社は困る~」とはならなかった。だから事件後「江副は今、当社と何の関係もない」と言われてしまった。

が、だ。リクルートの大本を創造したのは江副氏だ。今日でもリクルートは就職時に欠かせない会社だし、住宅情報、転職情報、その他諸々の情報を扱っている。つまり、この会社と直接でなくとも一切関わってない日本人の方が少ないのが実態ではなかろうか?そう考えると、多少のBad pointでゲス野郎と見なし、総バッシング&全否定する側もソコソコのゲス人間じゃね?とも思うのだが。。。そんな評価しかできない器の小さい国で良いのかね、日本は?

と思ってしまった次第。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、リクルートを創業した稀代の起業家、江副浩正氏の波乱万丈の生涯について記したノンフィクションである。私が新卒で就職活動をしていた2005年頃、リクルートは起業家の登竜門として異彩を放っていた。そして、その企業イメージは現在も変わっていない。リクルートには、優秀かつ尖った学生ばかりが就職し、入社はかなりの狭き門だった。ただ、私自身、創業者である江副氏についての知識はほとんどなく、リクルート事件で贈収賄に手を染めた人という程度のイメージしかなかった。そんな私が、本書を読んでいて印象的だったシーンは、3代目社長の河野栄子氏が安比のリゾート事業売却をはじめ、「江副の匂い」を徹底的に消していった場面だ。リクルート事件後、江副氏の痕跡が抹消されていったにも拘らず、起業家精神を育む「江副イズム」が存続したことに衝撃を受けたのである。江副氏が作り上げた「社員皆経営主義」は今もなお健在で、学生の間でも「起業したいならリクルートに行け」という存在であり続けた。有罪判決が下されたことで、リクルート社内では存在を抹消されることになった創業者、江副浩正。そんな江副氏の創り上げた組織文化が、今もなお残り続けている理由は何なのか、掘り下げてみたい。

リクルートの「江副イズム」を象徴するのは、何といっても「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」に表される圧倒的な当事者意識と社員皆経営主義だ。江副氏は、社員に対してしつこく「どうしたい?」と尋ねた。社員の意見を繰り返し聞きながら、最終的に「じゃあ、君がやってよ」と言って、その仕事を任せる。この過程で、不満ばかりの「評論家」だった社員を「当事者」に変えてしまうのである。さらに江副氏は、こうした「君はどうしたいの?」思想をPC制度=拠点別部門別会計制度として、会社のシステムに組み込んだ。リクルート社内に独立採算の小集団が1,000以上も存在し、当事者となった社員は自社の業績にも責任を持つことになる。こうして、リクルートには、圧倒的な当事者意識と社員皆経営主義が組織文化として根付くことになり、社内に起業家マインドを育む土壌ができたのである。

それでは、江副氏が社長を退き有罪判決を受けた後も、この社員皆経営主義が脈々と受け継がれた理由は何だったのか。その大きな理由は、江副氏が作ったこの組織文化は、トップが号令をかけ続ける必要のない文化だったことだ。リクルートは、所謂日本的な組織とは正反対の性格を持っており、社長である江副氏が何かを言っても、入社数年目の女子社員が「それは違う」と平気で反論するような組織だった。圧倒的な当事者意識を全社員が持つ社員皆経営主義においては、相手が上司であっても臆さず自身の意見を主張する。このことが分かる象徴的なシーンは、江副氏が持ち株を売却してダイエーの傘下に入ることを決断し、そのことを取締役会で説明するシーンだ。前会長である江副氏の判断に対して、リクルートの取締役達は真っ向から反発する。江副氏自身が保有する株式であることなど関係なく、感情の赴くままに真っ直ぐ反論したのだ。このように、立場や年齢を超えて、自身の意見を強力に主張する社員が大半を占めていたからこそ、江副氏という創業者亡き後も、リクルートは方向性を見失うことはなかった。社員皆経営主義という組織文化も、社員一人ひとりが主役となる性質を持っていたが故に、発明者の号令がなくとも、自然と受け継がれていったのだと思う。

ただ、これだけでは組織文化が継続する理由としては弱い。なぜならば、会社は社員の入れ替わりを繰り返すことで新陳代謝が進むものであり、「江副イズム」が浸透した「江副チルドレン」がリクルートから巣立つことで、こうした文化も弱まると考えられるからだ。特に、リクルートは独立・起業をする社員が多い。会社としても独立起業を推奨さえしている。しかしながら、私はこの新陳代謝を促すリクルートの性質そのものが、リクルートの社員皆経営主義の継続に一役買ったと思うのだ。それは、リクルートの事業内容と密接に関係している。リクルートは、紙媒体やWeb媒体問わず、情報誌を主要な商品としてきた。企業から広告料をとって広告を掲載し、その広告を価値ある情報として消費者に届けるビジネスモデルである。その最大規模のものが、求人情報としての『企業への招待』であり、『リクナビ』だった。こうした情報誌の直接的な顧客は、広告を掲載する大小様々な規模の企業である。リクルートから独立した元社員達は、この情報誌の顧客となることで、リクルートの収益に貢献してきたのだ。ここに、リクルートにおいて起業家を育てる実質的な意味があったのではないだろうか。社員皆経営主義によって起業家マインドを身に着けた社員達が、30~40代の若いうちに独立し、リクルートの主要事業における顧客になる。つまり、リクルートの組織文化は、潜在顧客を創る役割を果たしており、これが江副氏が創り上げた組織文化が継続した真因だと私は思う。

今月も素晴らしい本を紹介してくださり、ありがとうございました。
 
投稿者 str 日時 
起業の天才

現代でのインターネット広告やネットショッピングなどで当たり前となった、自身にとって需要や興味のあるもの。またはそれらに関連性があるものを優先的に表示させ、マッチングさせる。そういった仕組みの基盤を創ったとも言える凄い人物であった。

皮肉なことに、発想力・先見性が突出し過ぎていたことでコンピュータ側のスペックが追い付かずに頓挫したこともあるようだ。また、設備も人も優秀であるに越したことはないが、江副氏は“自分より優秀”な人を採用することを目指し、そこに莫大な資金を投資しており実に合理的な一面も持ち、社員には徹底して当事者意識を持たせることで高い成果を生み出すといった、マネジメントの面でも優れている。江副氏本人は「カリスマ性がない」と自らを卑下していたようだが、様々な点で天才と呼ばれるに相応しい。

私は『リクルート事件』当時の様子を知らないが、その当時既存のマスメディア全体からしてみれば、それまで築いてきた市場がよりリーズナブルで効果が高いものへと移り変わり、奪われる危険がある訳だから敵意を持ってもおかしくないが「江副ならやりかねん」と思わせたほどの手腕が伺える。本意ではないとはいえ、結果的に多くの敵を作ってしまった江副氏は、各方面からの圧力に対抗すべく政財界に足を踏み入れ、脇の甘いところを狙われてしまったのだろうか。

もし『事件』が起こらず江副氏が快進撃を続けていたとしたらGoogleやAmazonの様なサービスが誕生する時期は変わっていたかもしれないし、日本発祥の企業になっていた可能性もゼロではないだろう。どちらにせよ今の環境に触れているから言える“たられば”の話だ。

大多数の人に理解されないからこその先見性。
時代を先取りし、目立ち過ぎてしまった天才故の孤独や苦悩の人生だったのかもしれない。
 
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投稿者 sarusuberi49 日時 
起業家におけるパートナーシップの重要性

本書によれば、「起業の天才」であった江副が「リクルート事件」のダークサイドに堕ちてしまったのは、当時の日本に洗練されたエンジェル投資家がいなかったことが原因とされている。エンジェル投資家とは、起業間もないベンチャー企業に出資し、出資の見返りとして株式を譲り受け、出資した企業が上場したり事業買収されたりした時に、投資した以上のリターンを得ることを目的とした個人投資家のことである。起業家というものは、たいてい最初は「暴れ馬」であるため、そんな暴れ馬をちゃんとした競走馬に育てるためには優れた調教師の役目を果たす、エンジェル投資家が欠かせないという。

しかし江副にはそのような助言者がいないばかりか、会社が大きくなるにつれて意見を言う人すら居なくなってしまった。取り巻き集団にかこまれてはいたが、次第に既得権益を奪われた人々から恨まれ、加えて既存の秩序を破壊したことによる敵を増やし、結果的に江副を潰そうとする巨大勢力を自ら育ててしまう。マスコミの攻撃により、リクルートにより恩恵を受けていたはずの世間一般の人々からも妬まれ疎まれるようになった江副には、今もなお「起業の天才」というよりも、「戦後最大の経済事件の主犯」とのイメージが定着している。

これらが全て、エンジェル投資家不在によるものなのだろうか。私は、実は江副の身近にも貴重な助言者になり得た人は存在していたと考える。それは、妻の碧である。もし江副が碧を公私ともに支え合う良きパートナーと考えて、支えてくれる感謝を忘れず、耳に痛いアドバイスに素直に従っていたら、ダークサイドに堕ちることはなかったのではないだろうか。仕事での成果だけに注目すると、夫婦関係は後回しにされがちだが、私は碧とのパートナーシップを大切にできるかどうかが、起業家としての江副の一番のチャレンジではなかったかと思うのである。現在の私たちが本書を読んで学ぶべきは、パートナーシップの重要性であると考える。ゆえに私は、本稿において、碧が江副にとっての貴重な助言者になりえたと想定し、その理由を掘り下げたいと思う。

私が、碧をエンジェル投資家のようだと考える1つ目の理由は、碧が資金面でのサポートをしていたということである。本書によれば、リクルート創業時から、碧は少なくない額の金を用立てていたという。もし江副がこのことに深い恩義を感じ、報いたいと思っていたならば、結末は変わっていたのではないだろうか。自分を支えてくれる家族の身の安全を守りたいとの気持ちがあれば、「違法でなければ何をやってもいい」などと、世間の常識を覆し、批判を気に留めず、拡大にひた走るような経営姿勢をとることはできなくなる。江副の場合、金銭面のサポートに感謝するどころか逆にコンプレックスとなり、酔って碧に暴力を振るっていたという。たとえ身内であっても、エンジェル投資家からの出資のような気持ちで支援を受けていたのなら、周囲に対する傲慢な振る舞いはなくなり、人から忌み嫌われる局面も減っていったのではないだろうか。

また、2つ目の理由は、碧が岐路で的確なアドバイスをしていることである。本書には財界の大物であり、江副に目をかけてくれた三井不動産社長の江戸英雄の紹介で、銀座本社ビルの用地を取得できたとのエピソードがある。江副は三井不動産ではなく清水建設に本社ビルの施工を依頼してしまい、江戸への不義理を心配する碧のことを怒鳴りつけたそうだ。もしこの時、碧の助言を受け入れて、江戸との人脈を繋ぎ止めておくことができていたならば、三井銀行社長の小山五郎に引き合わせてくれたように、その後も力になってもらえたのではないだろうか。部下に対しては「君はどうしたい?」と意見を聞いて、マネジメントの天才とうたわれた江副が、家族に愛されることについてあまりに不器用なのは、幼少期に母親が3回変わるという寂しい経験ゆえかもしれない。たとえそうであったとしても、人材狂であった江副が、妻の聡明さに気がつかなかったとは意外である。

しかし、専業主婦で会社経営の経験もない碧に、エンジェル投資家の代役は務まらないとの意見も考えられる。ところが碧は、経営者としての資質も備えていた。その一例として、最近の碧について紹介したい。2019年当時の碧は82歳という高齢にもかかわらず、現役で自身の会社を経営していたという。2019年6月18日付の某ブログ記事には、「江副碧さんを囲む会」が催され、碧の振舞う手料理を頂きつつ、碧の数々の人生譚を聞き感銘を受けたとの記述がある。添えられた写真には皆に囲まれ幸せそうな碧の姿があった。もともと碧は、裸一貫から起業し、大阪、茨木市の商工会議所の会頭を務めたこともある西田己喜蔵という名士の娘であり、慶応大学卒の才女でもあった。このように後日経営者として成功できていることからも、碧は経営者としての感覚を備えており、結婚当時の碧の助言は有益であったと思われる。

もし、江副が碧との円満な夫婦関係を大切にしていたならば、「リクルート事件」を未然に防げたのではないだろうか。そうであったならば、リクルートはグーグルやアマゾンより早くネット社会のプラットフォーマーになっていた可能性が示唆されている。そのことを考えても、江副は自らの不足を補ってくれる頼もしい妻である碧を、ないがしろに扱うべきではなかったのである。ゆえに私は、江副の失敗から学ぶべきことの一つが、パートナーシップの重要性であると考える。
 
投稿者 tarohei 日時 
 本書はリクルート社の創業者である江副浩正氏の生き様・人生観やその生い立ち、リクルート社の誕生と発展、リクルート事件の真相と凋落、独自の採用制度など旧弊や慣例に捉われない江副氏の人となりを事細かに語った人物伝である。
 リクルート事件から30年、所謂平成の失われた30年。リクルート事件の発覚により、その後の30年間、日本経済は世界の成長から完全に取り残されたのだと本書はいう。また、本書ではもし江副氏がリクルート事件で失脚しなければ、日本経済は失われた30年を経験せずに済んだのではないか、江副氏がもし逮捕されていなかったら日本で革新的なサービスが誕生していた、という。

 しかし、果たして本当にそうなのであろうか。疑問に感じた。ここでは、この疑問についてリクルート事件とその後の失われた30年の経過を中心に感想を述べていきたい。

 失われた30年を経て、今日の日本企業にとって重大な問題になっているのはIT・デジタル革命といった世界の潮流に乗り遅れたことだといえる。このような背景には、欧米企業のようにリスクを取って新しい分野の技術革新に資金を提供するリスクマネーの概念が不足していることだととも言える。その結果、積極的な研究開発に投資をしたり、打って出たりすることができず、構造改革にも消極的なものとなってしまったのである。リクルート事件発覚より前から、日本企業は高度な技術を持っており、例えば液晶テレビ、DVD、iモードなどの技術開発の分野で世界のトップを走ってきており技術的には世界一といっても過言ではない。しかし実際のビジネスではマーケティング力が弱く技術的強みを市場で活かし切れず負けてしまってきた。技術で勝ってもビジネスで負けてしまえば主導権は取れず国際競争力は育たないのである。リクルート事件以降の失われた30年、日本企業は国際競争力がなく、さまざまなビジネス領域で負け続けてきた。例えば、ネット通販はAmazonに負け、検索エンジンはGoogleに負け、iモード/ガラケーはiPhoneに負け、家電・半導体は韓国・中国勢に負け、、、

 少し話が長くなってしまったが、このような大きな時代のうねりは一人の天才経営者だけの力で拭いきれるものではない。一つの革新的な新兵器の開発だけでは戦局を大きく変えることが難しいのと同じである。
本書では、「日本のメディアがいや、われわれ日本人が、大罪人のレッテルを張った江副浩正こそ、まだインターネットというインフラがない30年以上も前に、AmazonのベゾスやGoogleの創業者であるラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンと同じことをやろうとした大天才だった、その江副を彼の負の側面ごと全否定したがために日本経済は失われた30年の泥沼にはまりこんでしまったのである。」
と言っているが、果たして本当にそうであろうか。
 つまり、江副氏が逮捕されなくても日本経済の凋落は避けることはできず、失われた30年は回避することはできなかたのではなかろうか。結局はリスクを取らない企業体質、イノベーションへのモチベーションの不足、バブル経済崩壊による日本経済全体の厭戦的ムードがそうさせたのではなかろうか。リクルート事件による天才経営者江副氏の失脚より、バブル経済崩壊のインパクトの方が大きかったのではなかろうか。1989年江副氏逮捕、バブル経済崩壊1991年頃、その後、失われた30年へ突入していく。数年の差はあるにせよ、偶然の一致とは思えないのである。
 このことは、その失われた30年の間、ライブドアの堀江貴文氏、ソフトバンクの孫正義氏楽天の三木谷浩史氏、ユニクロの柳井正氏などのカリスマとか天才などと呼ばれる経営者が現れるが、それでも結局、時代の流れは変えられなかったことからも覗える。

 このようなことを考える中、学びは2つあった。一つは、リスクをとらなければ成長はないということである。リスクをとるあまりリスク回避に徹していたのでは本末転倒で成長は難しいだろうが、適度なリスクを取って積極的に打って出ることが成長の第一歩となるのであろう。もう一つは、どんな時でもポジティブ思考が大事ということである。世の中のポジティブな変化を的確に捉えて、未来象をイメージすることでビジネスチャンスにも繋がるというものである。
 
 失われた30年を経験してきた日本にとって、今後は失われただけでは済まないかもしれない。もしかしたら失われた30年ではなく、失われた40年、50年になるのかもしれない。まだ日本経済は暗雲としている。日本は今後もますます凋落の一途を辿るのかもしれない。
そんなことよりも、ポジティブな未来像を描き、未来に向かってポジティブ思考でいこうと思う。
 
投稿者 akiko3 日時 
江副氏は法で裁かれるような悪い人だと、時のニュースを見て思っていた。

しかし、お金がなかったアルバイト学生からスタートし、起業し会社として成長していく過程を知ると、これまでの課題本の成功者やグローバル企業のように、窮していても「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変え」、奇跡を積み重ね成功してきたことがわかった。
ちょうど、読書倶楽部の読書会に合わせ石原明著の『成功曲線を描こう。』を読み、「右脳はエンジン、左脳はハンドルを使って突き進めば、成果はでるし、それは∞」ということと重なった。

しかし、成功すれば幸せなのか?

江副氏は複雑な家庭環境や背伸びした中高時代やお金やコネがない逆境から、ハングリー精神で挽回してきた。同じような不遇(地方、貧乏)でも野望をもつ優秀な学生を集め、チャンスと自由を与え、成果には高給や昇進で応えた。そして、自分にない才を持つ仲間・社員と目標を共有し、共存共栄していった。
そうして得たものは、福利厚生で社員とその家族に還元し、家族的な付き合いを大切にした。
これは、まさにリクルート=江副氏ではないか?子供の頃の寂しさという”空”をリクルートを創り育てて満たしてきたように感じた。
江副氏は、成功して幸せを手にしたと思われたが…。

時代と共に、右肩上がりに成長したリクルートは、プラットフォーマーとして高次元のモラルが求められるぐらいになっていた。
しかし、『情報が人間を熱くする』というキャッチコピーを元に作られた企業CMには、深い意図なくDesperadoという曲が使われていた。この曲の意味”ならず者”とは、開拓の国アメリカでは既存の秩序をぶちこわし、イノベーションを生むと好意的にとらえられるが、日本人には嫌がられる言葉だった。この曲の歌詞に、”もっと愛された方がいい”とあり、この偶然、奇遇にヒヤッとした。
江副氏は、確かに嫌われたり恨まれたりするより、社員達からリクルートで認められ、活躍する場を作ってくれたと、また、世の中の人達から必要な情報を提供してくれたと感謝され、愛された方がよかっただろう。
江副氏の側近の一人は氏が寂しがり屋だったと言っていたが、複雑な家庭環境で右脳に刷り込まれた寂しさと無関係ではないと思う。そして、右脳から引きだされ、現象化されることの意味する深さ…。ヒヤッとする。

せっかく社員にも仕事にも恵まれ、自分が指示しなくても会社が回るようになったのに、それは社内に自分の役割=居場所がなくなったことを意味した。(0→1を生み出すのはやる気がでるが、1→nにするのは興味がなかったようだ。)
それで、株売買という金もうけに自分の居場所を見出してしまった。
このことにもヒヤッとした。
なぜなら、仕事は人の悩みを解決し喜ばれた結果=成果なのに、株売買は単なる金もうけだからだ。その上、江副氏の心にある”空”は、父親の勝手に振り回された結果、作られた寂しさであったと思うし、そんな父親が親心で何かの時に用立てなさいと与えてくれ、教えてくれたのが株売買。
この矛盾がなんとも危うく、皮肉を感じるのは私だけだろうか?
ついでに、祖父の「新聞に載るような人になれ」というすりこみも気になった。

こうして、金もうけという目標が右脳に設定され、もともとキレッキレの左脳を持っている江副氏は、財をなしていったが、財界総理といわれる稲山氏から情報産業を虚業と言われ悪意を感じたり、ともに日本の未来の為に動いている仲間だと思っていたのに、第二電電の大株主にはなれなかったことで、「味方はいないのか?」と再び、心に空ができてしまった。頑張っているのに認められない、居場所がないあの”空”が…。
その後、江副2号と言われるような豹変をしてしまっている。

では、子供時代に不遇だと幸せになれないのか?
いや、不遇をバネに幸せになった人もいる。
ちょうど、新聞の「ありのままの自分 歌う」という連載記事で、カウンターテナー歌手の米良美一さんが難病の「先天性骨形成不全症」で見返したいというネガティブな気持ちで自分を奮い立たせてきたが、スランプに陥り、そうした気持ちでは幸せになれないと気づいたと語っていた。
また、自分を見つめ、母が治療費捻出の為に工事現場で働いていたことを思い出したことも語っていた。
ここを読んだ時、母の愛を感じ、受け取ったことで不遇の空が埋まったのだと感じると同時に、愛とはキリストが、慈悲とは仏陀が説いたことで、どちらも”許し”だと聞いたことを思い出した。

冒頭で江副氏は法を犯したと思っていたが、実はグレーなのだと知り、恨みや妬みは怖いと思った。
駆け出しのベンチャー時に大手から奪い取った富には恨みもついてきた。賄賂を渡した政治家達にもよく思わない人達からの妬みや恨みを買っていた。味方がいないこともパワー不足で困るが、多くの敵には足元救われる危険がある。

最後に、石原氏の著書に「行動すれば次、行動すれば次」とあったが、それが死ぬまで続くのだと思うので、私は望む幸せとは何か?”自分はどうしたい?”と問い、智の道に基づいた目標を正しく入れて生きようと改めて思った。
 
投稿者 ynui190 日時 
「企業の天才!」を読んで

本書は後に8兆円企業となる会社を創業しながら、リクルート事件という戦後最大の贈収賄事件を起こした江副浩正の栄光と衰退の物語である。

「リクルート事件」が起こった当時、高校生の私は飽きもせず連日報道される内容に嫌気がさしていたし、何より贈収賄を起こした江副という人物を欲にまみれた極悪人のように思っていた。
ところが今回本書を読んでみると、江副浩正は戦後の高度成長期はもちろんのこと、バブル崩壊後の日本にも必要な人物ではなかったかとさえ思うようになった。

時代は高度成長期の少し前、江副が東京大学アルバイトを始め、やがて起業するところから始まる。
当然インターネットもない時代、欲しい情報を欲しい個人へ届けるという情報サービスを紙媒体で始めていく。
本書は現代では至極当然のサービス内容が、学生運動の盛んな時代背景とともに記載されている為、一瞬いつの時代の話かわからなくなる。
それほど革新的な内容が多くそれらを生み出す江副と人物を知りたくてページを読み進めた。

起業する人、しかも高度成長期を経験した起業家となるとワンマン、カリスマ性などが思い浮かぶが江副には、それもあまり感じられない。
江副本人もそれを認めていて、だからこそ周りに優秀な人材を配置している。
江副の魅力は、高度成長期という社会が大きく変わってくる時代に、企業と学生をマッチングさせる今までにない仕組みを作る先見性、これまで誰も行ったことのないサービスにコミットできる精神力と胆力は当然のことながら、私個人は適材適所に人材を配置する管理能力、それ以上に社員一人一人に「当事者意識」を持たせ、仕事に取り組ませる社風を作り上げたことが江副の大きな功績であり、魅力だと感じた。

本書の中でも「社員皆経営者主義」として紹介されている。
そうなのだ、会社のお金だからと他人事のように行動したのではイノベーションも会社へ利益をもたらすことも難しい。
管理職の多くがどうやって部下に当事者意識を持たせながら仕事に取り組ませるか、頭を悩ませているのではないだろうか。
そのヒントが本書にある。
江副は、今では当たり前になりつつある(この言い回しを何回使うだろうか)国籍も年齢も性別も関係なく、良いアイディアを持っている人材を登用し仕事を任せている。
こう書くとその方法自体、陳腐で当たり前ではないかと思われそうなのだが、言うは易し行うは難しを地でいくことになる。
社会変動のさなか、一人の天才だけでイノベーションを起こすことは難しく、小さくまとまりがちだ。
同じように江副という天才が一人いるだけでは、リクルートという会社も日本の高度経済成長ここまで大きくならなかったのではないだろうか。

それ故にバブル崩壊後、時を同じくして江副が経営の舞台から降りたことが、日本企業の成長にも多少なりとも影を落としたのではないかとさえ感じる。
贈収賄事件をなかったことにするつもりもなく、江副が関係していないとも思っていない。
ただ、既得権益も考えず、イノベーションを起こし続けた江副だからこそ会社を大きくできたのだろうし、だからこそ創業者であるにも関わらずWEBサイトから名前が消されるという憂き目にあったのだろう。

バブル崩壊以降、日本経済が「失われた20年」と言われて久しい。20年以上たった今も多くの問題は解決せず緩やかなデフレが続いている。現在進行中といっていい。
サラリーマンと言えども、一人一人が「社員皆経営者主義」で行動していかなければ、何も問題は解決しないように思う。
そして、自分の部下にあたる若い世代に「社員皆経営者主義」という当事者意識を引き継いでいかなければ、この先も同じように日本は成長しないだろう。
ことなかれ主義では何も解決しない。
もし私が今イノベーションを起こし、何かしらの既得権益を侵しそうになったとしよう。
それでも私はそのイノベーションを続けていけるのか、若い世代に当事者意識を引き継ぐことと同じぐらいその覚悟が問われている気がする。
 
投稿者 ZVL03103T 日時 
「起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」を読んで
リクナビ、住宅情報、じゃらん。リクルートには昔から知らないうちにたくさんお世話になっていた。しかし、恥ずかしながら私は今までリクルートの創設者が誰かも知らなかった。江副浩正という名前を聞いてもピンとこなかったが、贈収賄事件として騒がれたリクルート事件のことが記憶の片隅にあったため、あまり良い印象を持てなかった。企業の天才!ヤバいやつ。そう表記された表紙と帯を見た時、この本を読んで私に役立つことは何があるのだろう、きっとまたいつもの偉人伝の読み方になってしまうかもな、と思いながら読み進めた。
今まで私は偉人伝を読むと大抵同じ結論になった。素晴らしい成功を収めた人も、昔は苦労していた、何度も危機を乗り越えた。だから自分も辛いことがあっても逃げないで頑張ろう。彼らの大変さに比べたらスケールも大したことはないのだから。ただ、彼らは24時間すべてを犠牲にして仕事や目的に没頭した時期がある。その辛い時期が彼らを成長させた。だけど私はそこまで没頭できる時間も環境もない。だって、もう結構な年齢だし、子供もいるし、今の仕事も忙しいし。だからやっぱり彼らのようなすごい成長は無理だ。成長しないなら成功も無理だ。私がこの本を読んで自分に生かせるのは辛いことは誰にでも起きるのだから、それから逃げないことかな。以上、終わり。
本当にそうだろうか?時間がないと成功はできないのだろうか?経験や自信は成功の必要条件なのだろうか?時間がなくても、自信や経験がなくても何か自分に生かせることは見つけられるのでないだろうか?そう思って読み進めることにした。
まず、私がいつもコンプレックスと感じている経験がないということについて。江副氏は会社に勤務した経験がない。経営者とは何かを自問して成長した。また、自分にカリスマ性がないというコンプレックスと戦っていたとあり、コンプレックスを感じないで済むという性格でもなさそうだ。時間がないということについて。広告だけの本、「企業への招待」は、時間をかければ誰でも創作できただろうか?ネット時代の到来を見越してコンピュータに投資し、社員のモチベーションを極限まで高めるような経営ができるだろうか?答えは否だ。
では、なぜ江副氏は8兆円企業のリクルートの礎を作るという偉業を成し遂げられたのか。
普通の人とは何が違うのだろうか。大きなものを2点思いついた。1点目は、江副氏は今の常識や、今の自分を基に実現可能かどうかを考えていないということだ。何が起きたら世の中が良くなるのか、どうなったら理想的なのかということを制限や縛りなく追及していると感じた。だから現在の一般常識からみたら無理だと思うことであっても、江副氏は思い描くことができるのだ。
2点目はリクルートに必要な人材を求めることにおいて、エゴや偏見にとらわれていないということだ。経営者なのだから自分が一番でいたい、すごいと言われたい、と自分なら思ってしまいそうである。けれど江副氏は自分より人を束ねるのがうまい池田氏に戻ってくるようにお願いする。また「企業への招待」の配本で活躍した小倉氏をリクルートに入るように説得したりもする。優秀な人材の確保に努力を惜しまないということは自分のエゴにとらわれていてはできないことだと思う。また、女性の社会進出が進んでおらず、寿退社が一般的だった時代に女性の能力に着目するということは、当時の男性にとってなかなかできることではないと感じる。今の時代でも会社の制度や政治の政策で女性が自分より優位に立つことを嫌悪する男性は多いのではないかと感じる。それなのに既に50年近くも前から女性に対して男性同様の機会を与えたというのは偏見や先入観を持たず、公平に人の能力に着目していたからだと言える。江副氏が求めていたのは純粋にリクルートという会社の成長であったのだろうと感じる。
その外にも江副氏のその発想力や行動力に感嘆することばかりであった。しかし私が偉人伝を読む時に気になることがある。それはプライベート、特に家族との関係である。その点において江副氏の晩年のように自分はなりたいとは感じない。次女に対して子供よりもリクルートのほうが大切だ、と言うその気持ちは私には理解できない。個人的には、家族との関係と仕事での成功というのは、実は密接に関係しているのではないかと思っている。家族や大切な人に感謝し、良い関係が築けているのであれば、事業が成功しても成功によって思い上がったら諫められ、ピンチになっても支えとなってもらって乗り切れるのではないかと考える。そう考えると江副氏はプライベートよりも仕事に人生が傾きすぎてしまったのではないかなと思う。仕事でリクルートにとって大切な人材を求めたように、自分個人にとって大切な存在が何か、ということについてもっと考えていれば違った人生になったのではないかと思う。
今回、私がこの本を読んでは学んだことは3つある。
1. 今の自分の限界で考えない。自分や世間という枠組みをなくし、何が起きたら理想なのか。どうなったらみんなが幸せになれるのかを考える。自分の可能性に制限をかけない。
2. 偏見や先入観を取り除き、本当に必要なものが何かを見極める。今自分が考えていること、感じている内容は正しいのか、果たして真実なのか何度でも問いかける。
3. 自分が最も大切なものは何かをいつも忘れない。どんな時に幸せを感じるのか、自分の感情を大切にして、一番身近な人への感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
少し意識を変えて読むことで、いつもよりも多くの学びが得られた。そのことは今回学んだこととも一致すると感じた。
 
投稿者 msykmt 日時 
起業は楽しい

本書はリクルートを創業した江副氏が、いかにそれまでの常識をくつがえして結果を出してきたか、そして、時代の先取りが過ぎたがゆえに、あらぬ疑獄にからめとられ、リクルート社史から名を消されるにいたった軌跡をたどった評伝である。ときに、コロナ禍の現代にあっては、これまでの常識が次々と壊れつつある。こんな時代だからこそ、自らが機会を創り出すことにより、新しい時代を切り開いてきた江副氏の評伝から学ぶことは多い。本書を読むことにより、起業することを前提に働くほうが楽しそうだ、という感覚が私に立ち上がった。なぜそのような感覚が立ち上がるにいたったか。その背景には、仕事に取り組む江副氏の姿勢と、リクルート社員の姿勢を本書で学んだことにあった。本稿ではその背景となる、二つの姿勢について、詳しく述べる。

一つ目は、仕事に取り組む江副氏の姿勢だ。江副氏の、これから来る時代を予見した上で、一手先、二手先に、布石を置いていく姿勢に私は感服した。それは、時代を予見しているというよりも、むしろ、時代を創造しているという言い方のほうがふさわしいのかもしれない。なぜならば、次の時代を待ち受けているというよりも、能動的に自らが次の時代に関与しているようなダイナミックさを彼の行動から感じたからだ。では具体的に、江副氏のどういう姿勢に私が感服したのかというと、紙の情報誌でたんまり儲けているときに、情報の本質を見抜き、紙から解き放たれた質量のない情報こそが価値をうむと確信した上で、コンピュータ・ネットワークの分野に多額の投資していることがあげられる。また、辺境な土地を買い占めた上で、保養所や研究所をつくるという表向きの名目とは別に、土地高騰やリゾート開発への布石といった裏の目的を仕込んでおく姿勢にも感服する。さぞ、自らが描いた未来や、自らが仕込んだ裏の目的が実現すれば気分よく、楽しいことだろう。しかし、そのような戦略的アプローチを断行するには、起業家の立場でないと難しい。だから、起業することを前提に働くほうが楽しそうだと私は感じたのだ。

二つ目は、仕事に取り組むリクルート社員の姿勢だ。いわゆる彼らの「圧倒的な当事者意識」をもって仕事へ取り組む姿勢に私は感服した。では具体的に、どういう姿勢に感服したのかというと、読売新聞社が住宅情報誌で競合してきたときに、読売新聞社の社員がやらされ感丸出しの愚痴を垂れるのをみることによって、そのリクルート社員は自分たちの勝利を確信していることがあげられる。なぜ彼が勝利を確信したかというと、自分が会社を背負っているかのように会社にあつかわれているから、経営者と同等の当事者意識をもって、目標の実現にむかって行動するからだ。当然ながら、その目線の高さや視野の広さは、愚痴を垂れる暇人と比べようがないため、負けようがない。そこから言えるのは、経営者と同等の当事者意識を持っていると、やらされ感、コントロールされている感がなくなるため、さぞ気分よく、楽しいことだろう。だから、起業することを前提に働くほうが楽しそうだと私は感じたのだ。

この二つの姿勢を本書で学んだことにより、起業することを前提に働くほうが楽しそうだと感じた。だから、起業することを前提に働くことを私は決めた。

一方で、起業することを前提に働くことによって、家族よりも、仕事を優先せざるをえなくなり、死ぬときに「家族とすごす時間をもっともてばよかった」と後悔することになる。つまり、人生をトータルでみたときに、楽しくなかった、という結果になるのではないか、と異を唱える声もあるだろう。たしかに、江副氏自身も妻となる人との初デートのとき、仕事が終わらないからと彼女をオフィスへ連れていき、仕事が終わるまで平然とそこで待たせるようなことをした。また、リクルート社員にいたっては「会社は好きだし仕事は楽しい」と思っている女性社員が「暗いうちに帰りたいんです」と上役に相談するほどの激務であった様が本書に書かれている。一方で、起業を前提に働いていなかった私自身は、子どもがうまれてからは極力定時に帰宅するように努め、子どもと一緒に風呂に入る、ご飯を食べるなど、仕事よりも家族とすごす時間を優先することができていた。しかし、コロナ禍により、在宅勤務のインフラが急速に普及しつつあるため、場所や時間にしばられずに働ける環境が整ってきた。だから、起業を前提に働くことを選択したとしても、必ずしも家族とすごす時間が減るとは限らない。むしろ、在宅環境が整ってきたからこそ、起業したほうが、自分の好きな時間に働くことができるため、家族とすごす時間も確保しやすい。なぜならば、どれくらい働くか、どれくらい稼ぐかを、起業家であれば自らがコントロールできるからだ。よって、起業を前提に働くことを選択したとしても、家族とすごす時間がもてなくなるわけではないので、楽しいことはゆらがない。
 
投稿者 3338 日時 
私が若い頃、何度かテレビで実際に国会で証人喚問される江副氏を見ていた。その時に見た江副氏は、なんとも冴えない人に見えた。本書で語られる壮大なビジョンを持った人にも、偉大な起業家にも見えなかった。本書を読んだ後で思い返してみても、あの時の江副氏は心許ない話し方で、多分本来の母親に顧みられることのない、自己肯定感の低い江副氏だったのではないかと思う。


妻の碧に言った言葉p295「お前の実家なんて、ただの中小企業だ」「リクルートでは5,000人の従業員が俺のいうことを聞くのに、お前はどうして俺に逆らうんだ!」を読んで、江副氏の自尊心が低いことに気がつき大変驚いた。もし彼が碧の言うことを聞き、妻を大切にし、妻の意見を聞いていたら、あの事件は起きなかったのではないかと思う。
 すでに夫婦の仲は崩壊し、本書にある妻の碧の状態を読んでも、別居していてもおかしくない状態。しかし、碧は出て行かない。それは碧が江副氏のそばを離れなくなかったからだと思われる。自尊心の低さが、江副氏を駆り立て、妻を殴り自分の支配下に置こうとしていることを、碧は理解していたのではないだろうか。私が碧の立場なら江副氏が心配で出ていけない。人としてどこか危うい夫を見捨てられなかった、というのが本心ではないかと推察する。

 
世の中には、やることができてもやったら非難されることや、人格者であればやらないこと、ある程度の地位にある人はやらない方がいいこと、などなど微妙なラインがいくつもある。それは、倫理観とも呼ばれるが、実母も継母たちも江副氏にその辺りの距離感を伝えてはくれなかった。幼い頃満たされなかった江副氏は、生涯満たしてくれる相手を求め続けたように見える。


本書を読んでいて、私は二人の人物を思い出した。一人はホリエモン。ホリエモンを連想した人は多かったのではないかと思う。ただ、江副氏とホリエモンではスケールが全く違うが、逮捕まで至った人はホリエモンしか知らないので思い浮かべたのだと思う。もし、田原氏が言うように江副氏が無実だとすれば、江副氏もホリエモンもみせしめにされた観が拭えない。新しい思考を持った若い世代が台頭することを、良しとしない古い世代が、新しい世代の代表格を叩くといのはよくあることだ。しかも、起業家としては文句の付けようかない、ビジネスモデルを立ち上げている。ついていけない古い世代は、江副氏の倫理観を叩いた。 


もう一人は前田まつと言ってもピンと来ない人が多いと思うが、前田利家の正妻のおまつ様。未だに金沢ではおまつ様と呼ばれ尊敬されているのには訳がある。
徳川家康が前田家に謀反の疑いありと仕掛けた際に、すでに髪を下ろし芳春院と名乗っていたまつは、交戦を主張する長男利長を説得し、家康に二心の無いことを納得させるために、自ら人質となって江戸に下り、14年間そこで過ごした。

徳川家康という人は相手の心を図るために、こんな謀を良くする。わざと謀叛の疑いをかけてここでどう対応するかを見極め、その家の器量を図る。その思慮深い行動を家康は評価し、芳春院は江戸までの道中を、豊臣政権の大老の生母としての扱いを受けつつ、江戸入りするに至る。その14年後長子の利長没後、異母弟の利常が家督を継いで、生母の寿福院が人質として江戸へ下るのに代わり、芳春院が金沢へと舞い戻った。

そして時は流れ江戸時代の末期、加賀前田家は13代藩主前田慶寧(よしやす)の代で明治維新を迎え、藩知事を経て、15代当主利嗣は侯爵に叙勲。現当主は18代前田慶寧(よしやす)氏となっているが、連綿と前田家が続いて来たのには、相応の理由があるのだが、それが深く思考する家風である。無理難題に出会っても、頭を振り絞って考えて、最適解を導くことができたから、あの難しい時代を乗り切ることができたと考察する。

また、江戸時代は全国規模の大飢饉に何度も襲われている。悲惨な結果を招く潘が多くあった。加賀藩領では飢饉のために領民が困窮したという記録がほとんどないことをご存知だろうか?5代藩主前田綱紀は、稗の種子を朝鮮から輸入したり、農民に副業として養蚕を奨励するなど飢饉の対策に心を砕いている。「百姓は生かさぬように、殺さぬように」「百姓と菜種は絞れば絞るほどよし」といった思想が徳川家幕府の農政の根底にあるにも関わらず、特に3代利常・4代光高・5代綱紀の指導のもと、加賀藩が取った農政は稀有な例と高く評価されている。  

要は利家とおまつ以来、脳が千切れるほど考えることを家風として伝えてきたおかげで、現在まで家系をつながげることができたのだと考えられる。

長々と前田家のことを引用してきたが、江副氏にもホリエモンにも、このくらいの思慮深さがあれば、あれほどの弾劾は受けることはきっと無かった。この二人は、ビジネスのことは脳みそが千切れるくらいに考えることができた。でも、そこではなくもっと深く誰からも認められる最適解を、脳みそが千切れるくらい考えたなら、逮捕されなかったのではないかと思う。一つのことをこれほどに深く考えることができるなら、なぜ、一番大切なことを考えることができなかったのだろうか?倫理観が欠けていたとしても、それも考えれば分かることではないか。結局、自分のことしか考えることができなかったからだと思うと、本当に惜しい気がした。
 
投稿者 vastos2000 日時 
リクルートスーツと聞けば、リクルート社の制服ではなく、新卒者などが就職活動の際に着るネイビー系のスーツを思い浮かべる人が多いことと思う。それくらいリクルート社が日本の就職活動に及ぼした影響は大きいのだろう。
そのリクルート社がBigになっていく過程が書かれているのが今回の課題図書『企業の天才!』で途中までは楽しく読むことができたが、読後感は良いものではなかった。
本書を読み、いろいろな思いが浮かんだが、今回はリクルートのビジネスモデルを私なりに考えた結果を書くことにした。


本書を読む前は、リクルートは「販売」を得意とする凄腕の営業マンが集う営業部隊というイメージだったが、読後は4ステップマーケティングで言う「集客」を得意とする国内最強のマーケティング集団ではないのかと思うようになった。

なぜそう思うようになったかと言えば、住宅情報以降の多ジャンル展開だ。私が思いつく範囲では、住宅情報の他、進学情報、転職情報、アルバイト情報、飲食店情報、ブライダル情報、中古車情報と言った分野だ。これだけ事業展開できたのは、リクルートが集客を得意とするマーケッターであるからこそで、専門家(広告主となる企業)と組むことにより、お互いに力を利用しながら事業を大きくしていったのではないだろうか。

本書を読む前は、「リクルートと言えば営業(販売)」というイメージを持っていたが、これは私個人の体験がそのような見方・考え方をさせていたように思う。
その体験は以前の部署でのものだ。私が勤めている学校は、毎年リクルートの雑誌媒体とWeb媒体に広告を出していた。そのため、何人かの営業担当者と付き合いがあったが、歴代のリクルートの営業マン達は、(同業他社の営業マンに比べ)営業スキルが高かった。学歴も高い人が多かったが、知性的というよりは情熱的な人が多かった。

中でもKさんという人は、非常に熱心な人で、その働き方は完全にブラックだった。例えば、23:00頃に送ったメールの返事が0:00に来るといったことがよくあったし、昨日の今日で50ページくらいのプレゼン資料を作ってくるということもあった。
これは会社に強制されてのものではなく、好きでやっているように私からは見えた。
そのような営業マンから営業活動を受ける立場だったので、「リクルートは営業に強い」というイメージを持ったのだと思う。


営業担当者個人レベルでみれば(特に学校業界は)見込み客が最初から絞られている分、「販売」が強い営業担当者が目立つし、クロージングや提案力などの点で同業他社より優れていた。
しかし、会社レベルで見た場合、リクルートがやっているのは集客だ。その先の見込み客のフォローから顧客化は広告主が行うことになる。
いわば、「4ステップマーケティングの中の集客」の中で、営業担当者個人が4ステップマーケティングを行っているようなものだ。(入れ子構造になっているイメージ)
私の視野が狭かったので、営業個人の販売力に注意が向いていたが、本書を通じて視野が広がり、会社レベルの動きに注意が向いて、実は集客に強みがあるのではないかと感じに至った。
本書の中でも競合相手は電通であるという旨の記述があったが、確かに、「広告主が見込み客に伝えたい情報を見込み客になりそうな者に伝える」という点では共通する。
それをセグメントを切り、ターゲットを絞ってやるのが得意なのがリクルートで、マスメディアを使って広くやるのが得意なのが電通なのだろう。



私自身はポケベルやPHSが活躍していた就職氷河期に就職活動をした。その時の情報源は、頼みもしないのに送られてきたリクルート、ダイヤモンド社、毎日コミュニケーション社などの電話帳のように分厚い就職情報誌だった。その分厚い情報誌のページをめくってめぼしい企業を探し、情報誌に入っているはがきを使って会社説明会にエントリーするというのが一般的な就職活動だった。

マッチングさせ、4ステップマーケティングでいう「集客」を得意とし、それを横展開して大きくなっていった。江副氏が引っ越し先の不動産情報を探しているときに、これは就職に関する情報と同じだと気づいたように、顧客を探している者と情報を欲している者をマッチングさせる事業を広げていく。集客ができるマーケッターはパートナー選びを誤らなければどんどん事業を拡大できることがわかった。


江副氏は自らの住宅探しの時に、住宅情報に乗り出すことを思いつき、その後はそれを応用する形で多ジャンルへ情報誌を展開していった。すでにリクルートのビジネスを知っている人は多くいたはずなのに、取締役会の反対を押し切って不動産業界への進出を決めたのは江副氏だった。この要因はビジネスに対する感度や関心が他人よりも高かったからこそだと思う。

私はGWのジョイントセミナーを動画受講してマーケティングに関心が向くようになり、今回の感想文を書くことになったわけだが、新しい情報・考え方をインプットし、タイミング良くアウトプットする機会に恵まれた。まさに人は自分が見たいものや関心がある者しか見ていないことを再認識できた。
この点、今回も学びが多い一冊だった。
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
“楽しく働ける会社をつくる”

本書を読んでいる最中、幾度となくリクルートで働く人たちの生き生きとした姿が目に浮かんできた。例えば、入社して半年の社員が「リクルートはこれからどんどん成長するよ」と堂々と経営方針を語る場面(P.365)や「若者たちはドブ板を踏みつつ『この会社を支えているのは俺だ』」と自負する場面(P.191)を読んだ時は、彼らのように仕事に向き合えたら幸せだよなぁと思ったほどである。創生期のリクルートで働く人たちは、創業メンバーの池田氏が回顧するように「みんな江副の会社ではなく、自分の会社だと思っているから、自分が主役なんだ」(P.37)という当事者意識を持ちながら働いていたのだ。そして、現在もこのリクルートの非階層的で、社員の個人性を尊重して能力とモチベーションを引き出す組織文化は受け継がれている。その組織文化をつくり出した江副氏をはじめとする経営陣の柔軟性、革新性は目を見張る。なぜならば、現在も日本ではリクルートとは真逆で階層的、集団性を重んじ、個人性を抑えつける会社が多数を占めるからだ。私は、このリクルートで働く人たちの姿を目の当たりにし、1人の経営者として是が非でも楽しく働ける会社をつくりたいという思いを持ったのである。今月は、その思いに至った経緯と実現するための方法、留意点について考察する。

まず、なぜ楽しく働ける会社を実現したいという思いに至ったかの過程について説明する。ここでの“楽しく働く”とは、仕事の意義を明確に理解し、また課題を解決することや目標を達成することに喜びを感じている状況を意味する。本書から一例を挙げれば、住宅広告で読売新聞と全面対決になった場面がそうだ。「未知なる不動産業界に飛び込んだ若者たちは、『自分たちは世の中の役に立っている』という充実感を励みに、猛烈に働いた」(P.182)とあるように、彼らは自らの仕事に意義を感じ、結果として読売新聞の情報誌を廃刊に追い込むという大勝利に歓喜を上げたのだ。そして、この“楽しく働く”という状況が、リクルートの組織文化になり、更にこの組織文化が会社の発展、成長の源泉となっているのだ。謂わばリクルートは、働く人たちに楽しく働ける環境を提供することで、小さな雑居ビルからスタートしたベンチャー企業から国内に幾つもの自社ビルを有し、さらには海外でも大きな成功を収める日本で有数の大企業にまでなったのだ。本書の「はじめに」で、江副氏は『経営者とはなにか』について常に考えていたとある。私も今回本書を読み、改めて『経営者とはなにか』について思いを巡らした。その結果、私は社内に楽しく働ける環境をつくり出すことが、経営者の重要な役割だという結論に至った。なぜならば、社員が働くことに喜びや幸せを感じることができ、かつ会社が成長、発展ができるという状況は、まさに社員と会社がWin-Winの関係になるからだ。

次に、楽しく働ける会社の実現方法について考える。リクルートの組織運営の特徴は、当時の成長企業で後の大企業となるソニー、ホンダ、松下電工などの創業者たちが持っていたカリスマ的な『リーダーシップ』を前面に押し出すものではなく、「『モチベーション』を軸に多種多様な人材を生き生きと働かせる」(P.37)というものである。これは、創業メンバーの1人である大沢氏が提唱した『モチベーション経営』と呼ばれるものだ。『モチベーション経営』とは、『ハーズバーグの動機付け理論』など当時最先端の心理学を基礎に人間の感情面にアプローチすることで、社員からモチベーションを引き出す組織の仕組みづくりである。本書と大沢氏の著書『心理学的経営』の内容を併せて解説すると、リクルートは、ハーズバーグの言うところの外的動機要因(給与、昇進、福利厚生など)と内的動機要因(達成、承認、責任、成長など)を有機的に組合せて組織設計している。例えば、トヨタ課を創った下田氏や高卒で入社し、後の大幹部となる重田氏を初任給の高さ(外的動機要因)で引き込み、そして、入社した彼らに対して江副氏が『君はどうしたいのか?』と問いかけ、彼ら自身にやりたいことを見つけさせ、実行させ、達成感や自己成長感(内的動機要因)を味わせたのだ。更に詳しく言えば、自身なりのやり方で仕事に取り組み、自由にチャレンジし、達成すれば、その後に更に大きな責任のある仕事を任せる。そして、その結果を処遇に直結させることがリクルートの楽しく働くための環境づくりだ。故に、今後私が楽しく働ける会社をつくりたいのであれば、『モチベーション経営』を取り入れることは必須だと考える。

最後に、なぜリクルートに続く、社員の個人性を尊重して能力やモチベーションを引き出しながら、大きな成長を遂げる会社が日本に生まれてこないという理由について考る必要がある。なぜならば、この点は私が今後楽しく働ける会社を作る上での留意点となるからだ。本稿の冒頭で述べたように、日本では現在でも、規模にかかわらずリクルートとは真逆で階層的で集団性を重んじる会社が多数を占める。そこについては、当社も多分に漏れてはいない。これは、本書にも言及があるように儒教的な文化の影響だと私は考える。儒教には、年功序列をよしとする階層主義的な側面や対立回避を称するという側面が有るに思う。そして、これらの儒教的な文化が、組織内の対立の原因となり得る自己主張や個人の能力による突出、または実力主義による権限獲得というリクルート的な組織文化を否定、拒否するのである。確かに、当社を省みても、私自身が、自己主張により周囲との調和を乱す社員を諭したり、また業務権限を移譲する際も個人の能力よりも年功序列的に人選をしたりしているのが現状だ。ということは、もしも今後当社が本気でリクルートのように楽しく働ける環境づくりを試みるのであれば、まずは経営者である私自身が変わる覚悟が必要だ。

繰り返しになるが江副氏は、「経営者とはどういうものか、経営者ならなにをすべきか」(P.5)を常に学び、考え、実行していたいう。それに倣い、今後の私は楽しく働ける会社をつくるとはどういうものか、そして、なにをすべきかを日頃から研究しながら、実践を重ねて行くのである。

~終わり~


P.S. 本書の中(P.40、127)で紹介される大沢武志氏の『心理学的経営~個をあるがままに生かす~』を読んだことで、私めは先月(ネットフリックス)、今月(リクルート)の課題図書の理解が更に深まりました~。経営者の方、人事担当の方、その他組織運営に興味ある方で未読の方は、一読されることを激烈にお薦めしますよ!私は身体の根幹、魂から震えました!!
 
投稿者 H.J 日時 
リクルートと聞くと、様々なサービスを提供していることと独立する人が多いなというイメージだった。
本書の主役である江副浩正という人物を知らなかったし、リクルート事件については名前は聞いたことはあるが、内容まで知らなかった。
本書はそんな私でもすごく楽しめて読めた。
基本は時系列順に物語として進めながらも、重要な部分で解説が入るので理解しやすく、本書に出てくる聞いたことない企業名も現在の企業名で表記する等の気遣いも読みやすい一因かもしれない。
リクルート事件の真実を描いた12章あたりからは国家権力に対して腹立ったり感情も揺さぶられ、小説に近い感覚で読み進められる本であった。

さて、本書を読み終えた私の感想は、江副浩正という人物は不幸だったな。と感じた。
著者が言う様に、江副さんの近くにエンジェル投資家の様なアドバイザーがいなかったことや出る杭を打つ様に半ば強引に打たれたことも不幸だと感じる要因だった。
これは言ったところで仕方ないところではあるが、それよりも育ってきた家庭環境に対して、不幸だと感じた。
父は再婚を繰り返し、祖父や叔母に育てたり、継母からの愛も存分に受け取れず、孤独に近い幼少時代。
著者は不器用だと記述しているが、それは愛を存分に受け取れなかった幼少期の環境が一因している様にも思える。
不器用さについては、妻みどりさんとの馴れ初めのエピソード(何時間も待たせたうえに職場に連れていって更に待たせた上、そのまま駅まで送ったエピソードや急に布団を送ったり等)からも見て取れる。
ビジネスマンとして仕事を第一にしており、忙しさを象徴するエピソードでもあるが、器用な人ではないなと感じた。
ダークサイドに落ちかける中盤以降では、みどりさんからの忠告に耳を向けなかったり、手をあげるシーンも描かれている。
時代背景もあるのかもしれないが、仲の良い父と母の姿を見てこなかったということも少なからず影響している様に思えた。
「たられば」にはなるが、もしもみどりさんの忠告に耳を貸していれば、違った未来があったのかもしれないとも思えてしまう。
なぜならば、みどりさんの言っていることは一理ある様に感じるからだ。
三井不動産の江戸さんとのエピソード(ショウ・ボードの土地を紹介してくれた時の筋の通し方の話)でも、もしも江戸さんとの縁を切っていなければ、違ったアドバイスがもらえた可能性があったのではないか?と思ってしまう。

また、時代が江副さんの創造に追いついていなかったというのも大きいと感じる。
現在のグーグルやアマゾンが成功しているのは、アイデアはもちろんのことだが、十分な通信環境が整っているからこそである。
本書でも描かれているが、あの時代の通信環境ではアイデアが活かしきれていなかったであろう。
産まれるのが十数年遅ければ、産まれた国が違えば、また違う未来があったのかもしれない。
しかし、江副さんがこの時代の日本に生まれたからこそ、リクルートという会社があり、リクルート系の独立した企業も増えた。
本来であれば、民間への情報開放という革命を起こした偉人として讃えられるはずの人物だ。
人生をかけて未来を作った江副さんにただ感謝したい。
そして、もっと多くの人にこの事実を伝えたいなと思うほど良い本だった。
 
投稿者 AKIRASATOU 日時 
『企業の天才~江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男~』を読んで

本書はリクルート創業者江副浩正という天才が見ていた風景を振り返ることで、当時の人たちには理解できなかった江副氏の先見の明を解き明かすとともに、『リクルート事件』という疑獄事件によりマスメディアに操作され大衆の意識が日本の経済成長を阻害した一因となったことを明らかにすることで、かつては世界一の経済大国だった日本が再度成長するために必要なことを示している一冊である。

私は本書および先月の課題図書『NO RULES』を読んで、組織運営においてメンバーが主体的に仕事へ取り組むには心理的安全性が確保されている事が重要であると考えた。以下でその理由について述べる。
まず、心理的安全性とは何かという事を説明する。心理的安全性とは「周囲の反応に怯えることなく安心して働ける状態」を指す。
リクルートでは成果を上げるために社員が様々なことを考えて実践していた。例えば、トヨタと取引するためにトヨタ課を作りたいと考え、直談判のためわざわざ東京へ戻り江副氏と交渉しOKをもらっている。また、住宅情報(JJ)を売る際にJJレディは自作のマガジンラックを持参していたり、若い男性社員がキヨスクの女性女性の代わりに店番をすることで恩を売り、一番目立つ場所に置いてもらうようにしたりなど、どうやったら最大の成果が出るかを社員個々が考えて行動していた。
同様に、ネットフリックスでは能力密度を高めて最高のパフォーマンスを発揮することをカルチャーにしており、「上司を喜ばせようとするな、会社にとって最善の行動を取れ」というCEOの信念が伝わっていて、自分で意思決定を下すことが出来る仕組みがあり、万一失敗したとしてもそれを挽回することが出来れば自分のポジションが無くなることはない。例えば、人気番組のプロモーション方法についてアイデアの周知や反対意見の確認をせずに実行し大失敗した例があった。担当者は犯した過ちとそこから学んだことを周囲に説明したことで、新しい社員が入った時に共有される過去の失敗事例として定番となった。担当者はその後昇格している。
このように、リクルートとネットフリックスにおいてはメンバーが自ら考え行動している事例がいくつもあった。リクルートでは「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という行動変容・チャレンジを促す社訓が存在し、ネットフリックスでは失敗は率直に公表するという文化がある。こうした組織風土や文化が出来上がっているのは心理的安全性が確保されている証拠ではないだろうかと考える。

反対に、お役所仕事などの決まっていることをやるだけの職場や上司や経営層の権力が強い職場、一つのミスも許されないような職場は、成果を高めるための主体的な取り組みが起こりづらいだろう。
仕事とは異なるが、先日妻とショッピングモールのフードコートで食事をした際にこんな事があった。隣のテーブルに幼稚園以下の子供3人を連れて食事をしに来ていた夫婦が居た。上の子(推定5歳)は食事が終わり、下の子二人に両親が食事を食べさせている間、上の子は暇を持て余し、テーブルから少し離れたところで遊ぼうとして両親に怒られるというのが何回か続いていた。
私も子供を二人育てたので、少しの間我慢して座ってほしいと怒る親の気持ちも、暇を持て余してフラフラしたくなる子供の気持ちもわかるなぁと思い、少しの間その子供の相手をしてあげようかなと思った。しかし、コロナ禍というこのご時世の中で、他人と距離が縮まることを嫌がる可能性や、コロナは関係なく両親が近くに居るとはいえ赤の他人が子供に手を差し伸べることを嫌がる可能性もあると考え思いとどまってしまった。あまり良い例では無いかもしれないが、良かれと思って主体的に行動しようと思っても、相手に何かネガティブな反応をされたら嫌だなと思いとどまってしまう事が仕事においてもあるだろう。
自分の行動に対してネガティブな反応をされる=心理的安全性が確保されていない状態というのは、主体的な行動に制限がかかりやすくトライ&エラーが行われないため成果も出にくくなるだろう。

以上のように私は本書および先月の課題図書『NO RULES』を読んで、組織に属するメンバーが仕事に主体的に取り組み、能力を発揮するためには心理的安全性が確保されている必要があると感じた。