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第114回目(2020年10月)の課題本


10月課題図書

 

14歳で“おっちゃん"と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」


本書は私が数年前から支援しているNPO団体のHomedoorの代表をしている川口加奈さんが

書いた本です。川口さんは、ホームレスという、ボランティアの世界でもなかなか闇が深

く、光が当たらないところに高校生の頃に出逢い、

 

 

  ● 問題を知ってしまったからには、何かする責任がある

 

 

という一念から、このNPO団体を立ち上げた女性です。その彼女がHomedoorを立ち上げ、

それなりに軌道に乗せるまでの歴史が本書で詳らかになっているのですが、これがなかな

か壮絶です。ここに書かれていることは、フツーに起業家がぶち当たる困難でして、起業

家たちが頑張れるのは最後に会社の上場という栄光のゴールがあるからなんですね。とこ

ろがNPO法人は利益追求団体じゃありませんから、個人としての利益はほとんど無いわけ

ですよ。

 

苦しさ、辛さは民間の起業と同じなのに、リターンは比べものにならない。そんな状況で

彼女をドライブしたモノが何だったのか?を本書から感じ取って欲しいと思います。

 【しょ~おんコメント】

10月優秀賞

 

今月一次審査を突破したのは、はsoji0329さん、masa3843さん、akiko3さん、

H.Jさんの4名でした。そして今月の優秀賞は、H.Jさんに差し上げることにし

ます。おめでとうございます。

【頂いたコメント】

投稿者 0992092 日時 
14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」を読んで
私が感じたことを書いていきます。

「働く意味」とは。
筆者は『「働く意味」は挑戦することで見つけられるものだ』と書いている。
そもそも働くとはどういうことなのか。
辞書には、目的にかなう結果を生ずる行為・作用をする。仕事をする。と書いてある。
私は「仕事」にフォーカスしてこの本を読み進めた。
仕事をする意味。それは、コロナ禍や時代が激しく移り変わっていく今、
多くの人が考えるテーマだと感じる。かくゆう私もその一人だ。

私は、本のタイトルの“おっちゃん”に興味が湧いた。
私が真っ先に想像したのは、おじさん1人だ。
筆者に影響を与えたおじさんがいて、その人との話が展開されると思いきや、
それがまさかホームレスの人達のことだとは想像もしなかった。

ホームレスの人達を“おっちゃん”と表現することで、
ホームレスから想像する強いマイナスのイメージを柔らかくし、
遠く離れた存在と思われがちなホームレスの存在に親近感が湧く表現だと思った。

そして、筆者が高校生の時に一枚の絵を描いた場面がある。
それは、ホームレス問題の根本原因にアプローチする為に書いたものだ。
その絵を描き上げる為にホームレスのことをどれだけ深く思い、考え、
自分事として感じているのかがヒシヒシと伝わってきた。

筆者はそれを「夢」だといった。

夢を実現する為に筆者の挑戦が始まる。
挑戦することで何が変わり、何を得ることができたのかそのストーリーにとても興味が湧いた。

中でも私が興味深く読んだのは、ホームレスになったおっちゃんたちには、
「共通項」はあるものの、ホームレス状態になった理由はさまざまだ。というものだ。

筆者は現場や当事者の声を最も大事にしている。
おっちゃん達がどういう経緯でホームレスになったのかを把握することで、
本当に必要としているものは何かを見極め、一人一人に合ったものを提供している。
その中で最も特徴的なのが「仕事」の提供である。
それは、おっちゃん達のほとんどが働きたいという意欲が高いからできたサービスである。
働き口を決める為の働く場所の提供。
それが筆者の考えた新しい価値観である。

それは、筆者がNPO法人を立ち上げたことにも大きく関わっていると感じる。
本文に『NPO法人は理念が達成され、いつかその存在が不要になる、つまり解散することを目標に立ち上がる。
ホームドアだって問題が解決し、その存在が必要なくなる社会の方がいいのだ』と書いている。
要するに、筆者は社会が変わることを目的とし、その目的の為に様々な価値を提供し、
解散することを目標としている。
だからこそ株式会社ではなくNPO法人を立ち上げることを決めた。
この筆者の視野の広さ、視点の高さ、自分の思考にも取り入れたいと思った。

そして、筆者が『はじめに』で語っていた
『おっちゃんは、「怠惰で仕事を長く続けられない人」だったのではない。』ということが深く理解できた。

おっちゃん達の中には広報から営業活動まで自分で考え、自分で行動できる人がいるということを初めて知った。
拾った材木で自ら看板を作る人、他の地域にも拠点を増やそうと役所に直談判しに行こうとする人。
仕事をすることに意欲的な人が多いということだ。
サラリーマンが多い日本は、指示されたことをこなすことが正しいとされ、指示待ち人間が多い。
そんな日本社会に重要な人材に思えた。
自分の為ではなく、人の為に行動するおっちゃんの行動力を見習うべきだと感じた。

また、筆者は『挑戦することへの不安がなくなれば、みんなが自分なりの「働く意味」を追求できるようになる』と書いている。
それは筆者が不安を抱えながらも自ら挑戦し、行動したからこそ言える言葉ではないだろうか。
失敗から立ち直るルートが自分なりの働き方になり、それが多様化につながり、そして新たな価値観を生み出す。
その積み重ねと広がりが社会を変えることにつながるのではないかと感じた。

この本から私も挑戦し続け、社会に貢献できる存在に変わらなくてはいけないと感じた。
「誰か」がやってくれるのを待つのではなく、
社会に必要なことを「提供する側」に回ることが大切なのではないだろうか。
そして、安心して立ち直ることが出来る社会を自分達で築き上がる必要があるのではないだろうか。
他人事ではなく、自分事として考える。
当事者意識を持つことがホームレスへの偏見をなくし、社会が変わることに繋がると感じた。

また、今私が住んでいるアメリカでもホームレス問題は大きいと感じる。
コロナ以降、ホームレスの数は圧倒的に増えた。
ビーチ、高速道路周辺にブルーシート、キャンプ用のテントで生活する人を多く見かけるようになった。
ホームレスの問題は、日本だけに留まらないと感じている。

筆者は『当事者たちの声に耳を澄まし、必要なことを提供すること。
そうやって失敗しても安心して立ち直っていける社会を作ることが「働く意味」だ』と締めくくっている。
私も筆者のように安心して立ち直っていける社会を作る側の人間になりたいと感じた。
以上が私が感じ、学んだことです。
良書のご紹介、ありがとうございました。
 
投稿者 BruceLee 日時 
大切なのは「失敗しないこと」ではなく「失敗してもやり直せる」ことなのだ。

本書のタイトルの「働く意味」には妙味を感じる。我々が時に抱く仕事への疑問は「何のために働くのか」ではなかろうか?つまり「働く目的」なのだが、敢えて「働く意味」としたのは何故か?想像するに「働く目的」だと、給料、扶養、生きるため、というような外面の回答で片付けられる気がするのだが、ここを「働く意味」とすると、より内面的、精神的な仕事への想いを考える機会となる気がするのだ。では「働く意味」とは何か?著者を見て私なりにまとめると以下になる。、

「自分で感じ、考え、行動し、他者の役に立つこと」

ボランティアや家事を含め、報酬の有無に限らず、働く人にとって最終的に行きつくのはココではなかろうか?それぞれの点に関し、以下に整理したい。

1)感じる
著者は中学生の時に通学電車の中で目にしたホームレスの人に気を留める。そして疑問を持ち、その背景を知りたいと思う。それは著者が何かを感じたからだろう。我々もホームレスの人を目にすることはあるが、住む世界が違う人、程度に気に留めないのではなかろうか。が、著者は違った。

「なんで、ホームレスになったんですか?勉強していたら、がんばっていたらホームレスにならなかったんじゃないんですか?」

著者は反省しているが、実はこの質問、我々がホームレスの人に抱いている素朴な疑問ではなかろうか?そして著者は自分とは育った環境の違う人々がいる事実を知り、恥ずかしく感じる。
この「感じる」がキッカケとなり、より知りたい欲求が高まっていく。

2)考える
ホームレスの人が望んでそうなった訳ではないことを知った著者は考える。

「(家や携帯が無いと)つまり、自力で路上から脱出することは不可能に近い」
「そもそも、なぜホームレスのおっちゃんたちには『やり直す』チャンスがまったく用意されていないんだろう」
「誰もが何度でもやり直せる社会」が必要

私自身、ホームレスの人を勘違いしていたが、実態は「たまたま失敗してしまった人」なのだ。現に登場するおっちゃんたちは、それなりの経験や技術を持ち、それを活かして社会復帰したいと考えている。ただ、そのキッカケが無いだけなのだ。「人間ならば誰でも失敗する」のは誰もが知っている。が、実際に失敗した人に対し世の中は厳しい。だから著者はまず「ホッと安堵できるような居場所」を作りたいと考えた。何でソコまでするん?と我々は疑問に思う。著者の回答は「知って終わりにしたくない」から。

3)行動する
感じ、考えるのは座りながら出来る。が、私が最も敬服する点は著者の行動力だ。

・炊き出しに参加するため現場行く
・全校集会で5分間スピーチ
・新聞を作って全校生徒に配る
・3人で団体をたちあげる

ここには「政治が悪い、国が何とかすべき」等の人任せの発想が微塵も無く、知ってしまった自分に何が出来るのか?という自分VS自分の問いかけしかない。だから「能動的に知る機会をつくり出す」、「現場に出向き、自分も体験すること」等で自分を律する。そして難題がありながらも著者は自身が描いた夢を実現する。が、著者にしてみれば主役はあくまで「おっちゃん」たちだ。だからその気遣いは徹底しており、以下を優先している。

「おっちゃんたちに『誇り』を取り戻す」
「得意を活かしてビジネスをつくる」
「支援される側から支援する側へ。自己有用感を高める」

著者には他者に施しをしている感覚は無く、あるのは自分が出来ることはしたい、という純粋な想いなのだろう。それは一体どこから来るのか?恐らく「自分にウソは付きたくない」という自身への透明性ではないか。そして著者の行動の結果何が起こったか?それはおっちゃんたちが自ら働いたお金で、まず何を買ったか?を見れば明らかだろう。ここから「お世話になったから、自分に出来ることは恩返ししたい」というプラスの連鎖が始まる。著者の思いがおっちゃんたちに広がったのだ。大切なのは失敗しないことではなく失敗してもやり直せることなのだ。

さて、我々は本書から何を学べるだろう?私の場合は「若き女性起業家のサクセスストーリ」よりも「誰もがおっちゃんになり得る」点であった。今後、日本には「ココなら一生安泰」という昭和な会社は無くなり、誰もが踏み外すことが有り得る社会になる。既にコロナ禍でリストラを始めた会社もある。リストラされても家があるから心配ないと思うのは早計だ。その後の家族との関係性、再就職面接で落ちた時の苦痛、徐々に減る貯蓄、などから精神的に病む可能性は皆にあるのだ。が、著者が示したように大切なのはリストラされないことではなく、リストラされても生き抜くスキルを持っていることだ。そう考えると一番ヤバいのは今サラリーマンで年功序列で給料は良いが、特に強みは無く転職も出来ない、という40代後半以降の人かもしれない。

自分が「おっちゃん」にならないため仕事、家族とどう関わっていくか?そんなことを考えさせられた1冊でもあった。
 
投稿者 shinwa511 日時 
本書を読んで、自分が抱いた疑問や問題について、諦めずに一つ一つ考え続けることの重要さを改めて感じました。

著者の川口さんは、14歳の時に参加した炊き出しの現場で、元ホームレスの「おっちゃん」にホームレスになった理由を質問します。

川口さんが14歳の時に質問をされたおっちゃんは、貧乏な田舎でずっと畑仕事をしていました。中学を出たら、すぐに日雇いで働きに出ていたが、50歳を過ぎて体力が落ちたところで働くところが無くなり、肉体仕事ができなくなり、ホームレスになったと話してくれました。

ホームレスになった理由は、その人が怠惰なのではなく、選択肢のある環境にいなかったからです。質問をした川口さんは、なぜおっちゃんにはホームレスになるしか選択肢が無く、「やり直す」チャンスがまったく用意されていないのだろうか、と疑問を持ちます。

川口さんが14歳の時に聞いたおっちゃんのように、ホームレスになった人達の中には、些細なことがきっかけとなって、ホームレス状態に陥っている人が多くいました。そういった人達をなくすことは、確かに難しいことなのかも知れません。

しかし、もしも世の中にやり直すための選択肢がたくさん存在し、行き詰った現状を脱出するための選択肢が用意されていれば、ホームレス問題は解決できるのではないか、と川口さんは考えるようになります。

それから川口さんは、「やり直しができる、失敗が許せる社会」を追い求めるようになり19歳の時には、認定NPO法人Homedoorを立ち上げます。そこでも、実際の現場に行き当事者の声を聞きながら、ホームレスを脱するための多くの課題を見出し、そのための対策を一つ一つ考えていきます。

川口さんが出会ったホームレスになった人に話を聞いてみると、ほとんどの人達は働きたいと言っていました。

住居がないために働き口が見つけられないだけで、本当は働きたいという意欲は高かったのです。だからといって、どんな仕事でも良いという訳ではありません。

おっちゃんにも得意・不得意があるはずです。では、おっちゃんの得意なことは何だろうか、とここでも考えます。

友人たちとNPO「Homedoor」で行っている自主事業でもあるシェアサイクルサービス「HUBchari」というビジネスも、川口さんがおっちゃんが働けることは何か、という問いに答えた「わし、自転車なおす(修理する)くらいやったらできるで」の一言から、考えて生まれました。

「シェアサイクルを始めて、そのメンテナンスをおっちゃんたちにしてもらう。そうすれば、放置自転車もなくなるのではないか」と発想したのです。

これは、川口さんがホームレスになる人達を脱出させるための、選択肢の一つの回答です。川口さんが14歳の時に疑問を持ってから15年かけて、大きな問題の中の一つ一つ問題点を整理し、その対応策を考え、ホームレスになるだけの選択とは別の、選択肢を作りだすことが出来ました。

本書のように、大きな問題でも一つ一つ答えを探し、途中で諦めずに考え続けていれば、必ず答えをだすことができるのです。勿論、問題が大きければ大きい程、長い時間や困難は厳しいものになります。

それを忘れずに、自分でも疑問を持ったら実際の現場で声を聞き、大きな問題でも、一つ一つの対応策を考えて、解決する行動を取って行くようにします。
 
投稿者 gizumo 日時 
『14歳で"おっちゃん"と出会ってから15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』川口加奈著を読んで

機会に恵まれて著者のお話を聞かせていただいた際、「頭のいい人だなぁ…」という感想をもちました。「頭がいい」と言うのは、「"学問的"な頭がいい」ではなく、「物事を筋道たてて進め、周りとの調整をとりながら目標を達成し、自分も周りも幸福に出来る」と言った、私なりの最高の賛美であり、自分の評価に対して表現されたい言葉です。そして、さらに本書を読むことで、その事を確信出来たわけですが、彼女の生き方がドラマや小説ではなく事実だということにも大きな感動を持ちました。

自分の小さい頃にはやはり今で言う「ホームレス」のかたを見かける機会もありました。また、父親の職場が大きな駅であり、多くのホームレスの方が寝泊まりされているとの話を聞いたこともありました。そしてやはりそこには色々な方が居られ、またそのなかでも社会をつくって過ごしていらっしゃる様子を子供ながらに「そんなものかぁ…」と聞いておりました。
時代は変わりましたが、100%"自己責任"とは言えないまでも、昨今 の状況を踏まえると誰もがその世界にいきかねない要素も多くなってきているのかもしれません。まさに「負のスパイラル」とも言えるひとつのつまずきから落ち込んでいく世界から抜け出すことができない恐怖。"豊か"だと言われることが多い日本がこのような現状を見て無ぬふりをしていたなかで、14歳の少女が疑問を持ち行動を起こしたのは無謀とも言えるでしょう。しかしながら、少しずつ少しずつ成果が見えてくるストーリーは、ドラマチックであり、「自分にはできないな」等と言うようなレベルを大きく越える事を著者は成し遂げて行かれています。行動を起こすこと、仲間の大切さ、何よりも人間力を磨くことに大切さを改めて学ばせてもらいました。

この本を読みながら、思い出したのが「ハチドリのひとしずく」と言うお話です。
「私は、私にできることをしているだけ」と言う精神を改めて考え、何か行動を起こしたいと強く感じた読了でした。
 
投稿者 kenzo2020 日時 
のっしのっしと歩いてくる。何かを引っ張っている。リヤカーだ。それも山積みの空き缶が積んである。荷台に収まらんとばかりに手すりの脇にも袋をぶら下げ、空き缶を入れている。その日はえらい寒く、金属の手すりに手袋をしないでつかんでいる両手は皮膚がぴったりと手すりに結合しているのではないかと思えた。その「おっちゃん」の目は明らかに明後日を向いていて、こちらは意に介さずといったものだった。これは私が、数年前に「おっちゃん」に出くわした時の印象である。とてもじゃないが、話しかけたり、手持ちのおにぎりをあげたり、ましてや新品のコートを着させてあげようとは思いもしない。ここは大阪。わりと釜ヶ崎から近い。数年前は青いテントをよく見かけたが、今ではめっきり数が減った。数年前は、わたしも環状線を利用していた。そして、新今宮駅を通過していた。本には電車からおっちゃんを見ていたとあったが、私は見たことがない。いや、見たかもしれない。それだけおっちゃんを気にもかけていなかった。なぜ、ホームレスを続けているのか。自分で、一からやり直せばよい。私もそう考えていた。自己責任でしょうと。また、働く意味とは何か。そんなのお金を稼ぐことに決まっている。そう考えていた。それが当たり前で、ましてや疑うことなどしたことがなかった。しかし、考えが変わった。この本と出会ってから。
 本によると、おっちゃんは路上生活から抜け出したくても抜け出せない。携帯もなく、家もない。日雇いの仕事ならまだしも、継続した職につくことは不可能。個人の力ではどうしようもない負のサイクル。まるで、アリジゴクの巣に入ったアリのようだ。もがいてももがいても這い上がることはできない。このことは川口さんも始めは知らなかった。つまり、私と同じであった。だが、おっちゃんと向き合うことで、生の声を聞くことで知ることができた。私との決定的な違いは行動力である。例えば、熱いご飯をおにぎりにして配ったり、カフェで働いて徐々におっちゃんとの距離を縮めていったりした。また、友人の力も大きかった。自宅から遠いと、釜ヶ崎近くのホテルに泊まり込みでバイトをする友人。すばらしい友人が川口さんにはいた。川口さん、それから友人は私よりもだいぶ年下であるにもかかわらず、しっかりしていて立派である。川口さんの何がそこまでの行動をさせるのであろうか。本には、知ってしまったからにはやるしかないとあった。身近に苦しんでいる人を助けようという正義感だ。もちろんお金儲けなどはつゆにも考えていない。
 しかし、全てが順調に進んだわけではない。例えば、夕食のおにぎりを配って、ホームレス問題が解決したのか、というどきりとする質問を受けた。取り組む前と後で、ホームレスの問題は変わっていない。つまり何も結果が出ていないということだった。何のためにおにぎりを作っているのか。喜んでもらえて嬉しい。困っている人が助かっている。しかし、根本的な解決には至っていなかった。まるで、傷口に絆創膏を貼るだけで、再び擦り剥かないように気をつけることをしないことと一緒だ。自分の満足だけで済んでいた感もある。そんな時、川口さんは根本的に解決をしようと、つまり負のサイクルから抜け出せるように、それこそ頭がすりきれるほど考えた。何かの壁にぶつかった時に、いかに解決するか。答えは一つ、考えて、やってみることしかないのである。なお、先ほどのどきりとする質問を得ることができたのは、それこそ川口さんの行動力の賜物である。なぜなら、コンテストに思い切って応募して、選ばれ、交流会で言われたことだったからである。
 川口さんの行動力、積極性は素晴らしい。なかなかこのような人はお目にかかれない。計画なんて軽く済ませたほうが良いのではないかと思ってきた。やってみて、わかることをもとに、さらに計画を深めて行った方が効率的なのではないか。日常では、計画をきっちりと立てて、ときには練り直し、満足してから実際に活動するパターンが多いが、よく振り返ってみると、計画通りには進まず、ときには計画倒れになり、計画の立て方がまずかったのだと反省することが多い。ああだこうだという前に、やってみたほうが話は早いということを実践していきたい。それが社会貢献につながれば言うことはない。
 私の今の仕事が川口さんの仕事のように、がらりと世の中を変えることになるかといえば、必ずしもそうではない。しかし、だれかの役に立っていることは確実に言える。おっちゃんは働くことで、いきいきとしてきた。働くことは生きることであるといっても過言ではない。AIに仕事を奪われるだの、ベーシックインカムだのと言われるが、たとえ定年を過ぎても働くこと、つまり世の中に何かしらの役に立つことを求めていきたい。
 川口さんの行動力や積極性からエネルギーを得て、それから働く意味を考えさせられる良書だった。
 
投稿者 kenzo2020 日時 
のっしのっしと歩いてくる。何かを引っ張っている。リヤカーだ。それも山積みの空き缶が積んである。荷台に収まらんとばかりに手すりの脇にも袋をぶら下げ、空き缶を入れている。その日はえらい寒く、金属の手すりに手袋をしないでつかんでいる両手は皮膚がぴったりと手すりに結合しているのではないかと思えた。その「おっちゃん」の目は明らかに明後日を向いていて、こちらは意に介さずといったものだった。これは私が、数年前に「おっちゃん」に出くわした時の印象である。とてもじゃないが、話しかけたり、手持ちのおにぎりをあげたり、ましてや新品のコートを着させてあげようとは思いもしない。ここは大阪。わりと釜ヶ崎から近い。数年前は青いテントをよく見かけたが、今ではめっきり数が減った。数年前は、わたしも環状線を利用していた。そして、新今宮駅を通過していた。本には電車からおっちゃんを見ていたとあったが、私は見たことがない。いや、見たかもしれない。それだけおっちゃんを気にもかけていなかった。なぜ、ホームレスを続けているのか。自分で、一からやり直せばよい。私もそう考えていた。自己責任でしょうと。また、働く意味とは何か。そんなのお金を稼ぐことに決まっている。そう考えていた。それが当たり前で、ましてや疑うことなどしたことがなかった。しかし、考えが変わった。この本と出会ってから。
 本によると、おっちゃんは路上生活から抜け出したくても抜け出せない。携帯もなく、家もない。日雇いの仕事ならまだしも、継続した職につくことは不可能。個人の力ではどうしようもない負のサイクル。まるで、アリジゴクの巣に入ったアリのようだ。もがいてももがいても這い上がることはできない。このことは川口さんも始めは知らなかった。つまり、私と同じであった。だが、おっちゃんと向き合うことで、生の声を聞くことで知ることができた。私との決定的な違いは行動力である。例えば、熱いご飯をおにぎりにして配ったり、カフェで働いて徐々におっちゃんとの距離を縮めていったりした。また、友人の力も大きかった。自宅から遠いと、釜ヶ崎近くのホテルに泊まり込みでバイトをする友人。すばらしい友人が川口さんにはいた。川口さん、それから友人は私よりもだいぶ年下であるにもかかわらず、しっかりしていて立派である。川口さんの何がそこまでの行動をさせるのであろうか。本には、知ってしまったからにはやるしかないとあった。身近に苦しんでいる人を助けようという正義感だ。もちろんお金儲けなどはつゆにも考えていない。
 しかし、全てが順調に進んだわけではない。例えば、夕食のおにぎりを配って、ホームレス問題が解決したのか、というどきりとする質問を受けた。取り組む前と後で、ホームレスの問題は変わっていない。つまり何も結果が出ていないということだった。何のためにおにぎりを作っているのか。喜んでもらえて嬉しい。困っている人が助かっている。しかし、根本的な解決には至っていなかった。まるで、傷口に絆創膏を貼るだけで、再び擦り剥かないように気をつけることをしないことと一緒だ。自分の満足だけで済んでいた感もある。そんな時、川口さんは根本的に解決をしようと、つまり負のサイクルから抜け出せるように、それこそ頭がすりきれるほど考えた。何かの壁にぶつかった時に、いかに解決するか。答えは一つ、考えて、やってみることしかないのである。なお、先ほどのどきりとする質問を得ることができたのは、それこそ川口さんの行動力の賜物である。なぜなら、コンテストに思い切って応募して、選ばれ、交流会で言われたことだったからである。
 川口さんの行動力、積極性は素晴らしい。なかなかこのような人はお目にかかれない。計画なんて軽く済ませたほうが良いのではないかと思ってきた。やってみて、わかることをもとに、さらに計画を深めて行った方が効率的なのではないか。日常では、計画をきっちりと立てて、ときには練り直し、満足してから実際に活動するパターンが多いが、よく振り返ってみると、計画通りには進まず、ときには計画倒れになり、計画の立て方がまずかったのだと反省することが多い。ああだこうだという前に、やってみたほうが話は早いということを実践していきたい。それが社会貢献につながれば言うことはない。
 私の今の仕事が川口さんの仕事のように、がらりと世の中を変えることになるかといえば、必ずしもそうではない。しかし、だれかの役に立っていることは確実に言える。おっちゃんは働くことで、いきいきとしてきた。働くことは生きることであるといっても過言ではない。AIに仕事を奪われるだの、ベーシックインカムだのと言われるが、たとえ定年を過ぎても働くこと、つまり世の中に何かしらの役に立つことを求めていきたい。
 川口さんの行動力や積極性からエネルギーを得て、それから働く意味を考えさせられる良書だった。
投稿者 charonao 日時 
 世間一般で言われている、ホームレス状態になるのは「自己責任」という考え方について、私も本書を読むまでは、まさに同じことを思っていました。しかし、本書で書かれているのは、貧乏で高校に行かせてもらえず、中学卒業後すぐ働いた為、肉体仕事しか選択肢がなく、50過ぎてから働き口がなくなってしまったという、生い立ちが原因でホームレス状態になった人や、自分で会社を経営していたが、親会社の倒産にともない自分の会社も倒産したことで多額の借金を背負い、日雇い労働になったものの、心臓が弱くホームレス状態になった人など、自己責任とは言えない理由でホームレス状態になっているという事実でした。これらの内容から、外的環境要因においてホームレスになる人がいて、そうなると自分も何かのきっかけでホームレス状態になる可能性があると思い、全くの他人事ではないと気づかされました。
 
 著者はホームレス状態になってしまう理由を「選択肢のある環境にいなかっただけなんじゃないか」と言っており、更にP9『世の中にやり直すための選択肢がたくさん存在し、脱出するための「道」として機能していれば、ホームレス問題は解決できるのではないか。』と言っています。これらの内容から、私が本書を読んで一番重要だと思ったのは、何事に対しても選択肢を多く持つ、ということです。選択肢が多くあるということは、日常の問題解決の足がかりにもなると考えました。例えば、著者がシェアサイクルを大阪でやろうとする際に、まずは大阪市にお願いしに行くも、たらい回しにされ、話が進まない状況になってしまいました。しかし、結果シェアサイクルができなかったと、そこで終わってしまうのではなく、「行政がダメなら企業にお願いするしかない」「軒先寄付だと協力してもらいやすいんじゃないだろうか」など、様々な選択肢を生み出しています。要するに、様々な選択肢を自分で生み出すことができるかどうかが重要であり、ホームレス状態になる人は、自分で選択肢を生み出すことができなくなっている状況に陥っているので、選択肢を生み出すことができる環境にいる人が、困難な状況にいる人々に対し、選択肢を提示してあげることで、大きな力になれるのだと感じました。

 他にも本書から問題解決の方法を学びました。それは2つあり、とにかく行動し続けることと、人を頼ることです。
 行動し続けることついて、著者は元々行動力があり、疑問を持つとすぐに行動して、その問いの答えを探しています。例えば、電車通学時にホームレスの存在に気づいた事で、どうして日本は豊かな国なのにホームレスになるのかと疑問を持ち、その疑問を解決するため、炊き出しのボランティアに参加している点から、著者の行動力の度合いがわかります。しかしそんな著者も、ホームレス問題が学べる大学に行ったにも関わらず、国際協力系のサークルに入ったりなど別の事柄に興味を持ち、ホームレス問題と距離ができたことで、この問題に対する行動力が鈍っていました。では、再度ホームレス問題と真剣に向き合うきっかけになった出来事は何だったのか。それは渋々ながらも起業塾に入塾した事だと考えます。その結果、問題解決への行動をし続けることを強いられた事で、様々な考えを生み出し、更にそれらを実行するようになっています。これらの事から、問題解決のためには、問題に対して常に考え続け、仮説を立て、そのとおりに動くこと、そして更にそれを継続することが必要だと感じました。著者は期せずして継続せざるを得ない環境に身を置いたことにはなりますが、自分の意志のみで出来ないのであれば、同様の環境を自身で用意する必要があると考えます。

 人を頼ることについては、著者は人への頼り方が上手いと感じました。具体的には、ホームレス状態の人々の仕事づくりに対して、ホームレス状態の人々に得意なことを直接聞いています。その結果、放置自転車を活用してのシェアサイクル事業を開始することに繋がっています。もしここで社会人経験のない著者が仕事を考えていたら、シェアサイクル事業は思いつかなかったと言えます。実際シェアサイクル事業が、Homedoorが成り立つきっかけである事を考えると、ここでの行動が大きな分かれ道になっていたことがわかります。人を頼るということは、ただ単に自分のニーズを押し付ける事ではなく、相手からニーズを聞き出すことで、自分の思いを実現することなのだと気づきました。人を上手く頼ることができるようになると、自分が経験のない分野でも、上手く出来るようになるのだと思いました。

 最後に、著者が主体的に動くようになるにつれて、困難が起こったとしても、次々と救いの手が差し伸べられており、どんどん良い循環を生み出していることが面白いと感じました。それは著者の正しい行動の積み重ねにより、もたらされているのだと思います。
投稿者 MKY 日時 
大阪でNPO法人の理事長を務める方のお話でした。
アドセンターという民間のセーフティネットを管理されている方だということは知っていましたが、非常に苦労されて今のアドセンターまで辿り着いたことは知りませんでした。
特に、自分から主導権を握って活動を始めたわけではない。という点には驚きました。
勝手な思い込みですが、このような活動をされる方というのは自分で確固たる意思があってこそ活動を続けられるのかなと思っていました。

ホームレス支援をされている方の自叙伝ですが、正直自分がホームレスになるという想像はあまり出来ませんでした。
私の場合は会社が倒産したら現状では無職になりますが、貯金がある程度ありアルバイトだけでも生活していくことは出来る。
親兄弟にいざとなれば頼る道もある。
親の持ち家に戻ることも出来る。
この状況では自分が生活保護やホームレス、ネットカフェ難民になることが現実的にイメージは難しかったです。

ただ、印象に残ったのは負のトライアングル。
仕事・貯金・住まい
の3つを手に入れないとホームレス生活からの脱却は難しい。
と著書には書いてありましたが、ホームレスへ入り口はまずは仕事が無くなったことから始まるのだなと思いました。本に出てくるおっちゃんたちも会社が倒産したり、事情があって仕事を辞めたりしたことにより路上生活に繋がっていました。
仮にお金が充分あれば住まいも貯金もあり、住まいがあれば仕事も容易にとは言いませんがアルバイトやパートならば働き口はあると思います。
しかし、通常の人の収入源は仕事ですので、仕事がなくなった場合にお金の供給源が断たれてしまう。
自分の仕事をいかにして確保していくか。
最近では10~30代のホームレス(ネットカフェ難民)も増えているとのことですし、これは他人事では無いことだと思いました。

働くとは、はた、つまり周りを楽にする。ということだよ。と聞いたことがあります。
お金が無いからホームレスになったけれど、ハブチャリでの仕事を通して「おっちゃん」たちはお金以外のもの、働くことの意味を得たように感じました。

初給料を大量のカップ麺に変えて事務所に差し入れした「おっちゃん」
川口さんの誕生日にケーキや服をプレゼントした「おっちゃん」たち

そしてそれは、著者の川口さんが一番感じていたように思います。
一方的な支援を望まなかったことからこそ、きちんと「働く」ことを目指して
「支援を目的としたものではなく、便利だから使われるサービス」
としてハブチャリを立ち上げました。
周りを巻き込んで行くことを実現し、ビジネスとして形にしたところに凄さを感じました。

自分ははたを楽にしているのか。
自分だけ楽をするようなことをしていないか。
周りのことを考えて仕事をしているか。
今後会社に所属するにしてもしなくても、仕事をしていく上で「働く」ことを考えさせられる本でした。
 
投稿者 yassuz11 日時 
私は現在、某市役所にて生活保護の担当をしております。
今回の課題図書は、生活保護担当としてはぜひ読んでおかなければならないと思い、購入しました。
 生活保護担当としては、ホームドアのような団体とは積極的にお付き合いさせていただきたいと思います。というのも、たまに全く縁もゆかりもない人が生活保護の申請に来ることがあります。しかも手持ち金がほぼないといった場合、食料だけはフードバンクから提供することが出来ますが、宿泊施設は宿泊施設側に空きがなければ提供することができないため、常に情報交換はしておきたい団体であります。
 ただ本の内容としては、あまりにもいい話でまとめ過ぎという気はします。第7章に出てくる佐藤さんを警察に引き取りにいくという話が出てきますが、こんなのは序の口で、もっと事件が起こっていると思います。生活保護担当者=NPOの代表者ではないので必ずそうとはいえませんが
 ・家賃を何ヶ月も払わずにすみ続けていられる人
 ・部屋が借りられることになったとのことで、不動産屋に支払うための敷金・礼金を渡したら、そのお金を持って失踪する人。
 ・物を片付けられなくて部屋をゴミ屋敷にしてしまう人。
 ・DVで逃げたいというので逃がしてあげたら、DVの相手に連絡して迎えに来てもらう人
等、ほとんど毎日のように事件は起きていると思います。
もっとも8割くらいの人は、ちゃんと言うことを聞いてくれる人だとは思いますが・・・
 それと2点ほど不明な点があります。
 1点目は、当初シェアサイクルを始めた時に1時間当たり4人工として自給
1, 000円で12時間働かせたとすると人件費だけで48,000円。経費率を25%
とすると1日当たり60,000円の費用がかかることになります。ハブチャリの利用料を300円/回と想定すると1日当たり200人以上利用しないと赤字になってしまいます。確かに晴れの日ならそのくらいの利用者はいるのかなあとは思うのですが、雨の日の利用はほぼ無いと考えたら、自己資金を食ったのか、何らかの補助金が出ていたのかと考えてしまうのですが、実際どのようにしてお金を回していたのかが疑問です。
 2点目は、筆者の夢はかなったのかあ?という疑問です。会社を経営するという夢なら
かなっているとは思うのですが、本当はもっと別のものになりたかったのではないか?と
ふと思ってしまいました。
 最後にもし、私がアドバイスすることがあるとしたら、生活保護受給者で自立生活はで
きないが、病気ではなく、介護保険サービスも利用できない人を預かる救護所を経営した
ら、収入が安定するのではないかと思います。というのも費用は利用している生活保護者
の担当自治体の支払いになるので、確実に収入が得られるからです。
 それと、あれこれと条件はありますが、ここで働いている人のために社会福祉法人を目
指したらどうか?ということです。
 社会福祉法人になると従業員の退職金を国から補助してもらえるため、NPO法人よりも
働いている職員の待遇が格段に向上するからです。
 以上私の勝手な意見ばかり書いてしまい、感想文としてはふさわしくないと思いますが、
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
 
投稿者 2345678 日時 
『14歳で"おっちゃん"と出会ってから15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』川口加奈著を読んで

誰もが何度でもやり直せる社会をつくりたい。

この思い(理念)を形にする創業者のドラマ。これからまだまだ発展する成長と変革のバランスを感じました。


この達成動機がすべてのカギ。


成功するための法則を貫いている。


1.自分が抱えている問題を解決した人を探す。


 最初は身近なひと(母親)、パソコンで検索、炊き出しの参加へとつながる。


目の前の課題に取り組む。実際に会いに行くボランティアに参加し、


自分の限界は自分で作っていることに気づく。


2. 大量にリサーチした中から。効果があるものをピックアップする。


 リサーチは高校生になっても続く、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる。

この意欲が熱く大きい。そして対処療法にとどまらず本質を考え続ける。

立ち止まらず、まず自分のできることから手をつけ、言い訳の壁を突破していく。

正しいか正しくないかの二社択一ではなく。


自分がその人と同じ境遇ならどうだったかとその背景に思いを巡らす。

そして決してその人とは同じ立場には立てないという前提を忘れずに一人一人と向き合う。

共感力の高さ。まさにアメリカ社会学者のバイスティックさんの7原則の一つである受容の原則、非審判的態度。感服しました。


3.選択した方法を徹底的に実行する。

p85 だから私は夢を描いた。成功実現の手順もしっかり踏んでいる。

先輩から学ぶことにも貪欲でニーズの代弁者たれを心に秘め社会起業家として歩む。当事者たちの声に耳を澄まし必要なことを提供する。


自分だけでこの仕事は完成しないことも理解し他者の協力を取り付けることができる。苦しい時でも根本がぶれない。

本質を考え続けて、負のトライアングルp120 を見出す。


仕事・貯金・住まいのトライアングルは、ホームレス問題にかかわらず生活環境、雇用、病気、障害、メンタル低下等を含んだ社会問題を表現している。


途中でやめたら失敗だが、挑戦し続けることでトライアンドエラーを重ねる。

筆者は、人が働くハードルを感じないときは?で

楽しい時。やったことがあることをするとき、いつもやっていることをするとき

得意なことをしているとき と上げておっちゃんたちの得意なことをビジネスに

昇華させる。これも見事です。


様々な経験から多様な選択肢を用意し、脱出の確率を上げる手法にまでたどり着く。


本書が課題図書になったときに、社会福祉士の基礎研修があり、社会資源をどのように創りだすのか?というセッションがあり、

かけ合わせ・組み合わせで資源を作る視点で考える。制度が不十分と訴えるだけでなく、
無いなら創ってしまう。zoom講義で聞くことがすでに実証されている。唸りました。

達成動機のすごさに改めて感じ入りました。

10月にHomedoorがボランティア募集をしていることを知り、いろいろなフィールドの実情を体感するため参加申し込みをし、法人の許可を得ました。

本書の続きを直に確認してきます。ありがとうございました。
 
投稿者 sikakaka2005 日時 
本書を読んで感じたことは、第一に、ホームレスのおっちゃんたちが思いのほか優しい人柄であったことだ。私は、ホームレスの人をこれまで、近寄りがたい、怖い、ずるいといった悪いイメージしかなかった。しかし、本に登場するおっちゃんたちは私のイメージとはまるで違っていた。たとえば、ホームドアの事業が形になり、著者がおっちゃんに初給料が出せたときのこと。給料袋をもらうやいなや足早に著者のもとを去るおっちゃん。どこかへ行ったかというと、コンビニで予約していたカップ麺を買って著者にプレゼントした話は、まるで社会人の初給料で子どもから親に感謝のプレゼントをすることに似た温かさを感じ、感激したのだ。また、著者の誕生日を祝うためにケーキやプレゼントを買ってくれたおっちゃんたちが何人もいたことにも、同じような温かい人柄を感じたのだ。きっとホームレスのおっちゃんたちは食べることで精一杯で金銭的に余裕などないはずなのに、それでもお礼をしたいといって、なけなしのお金から著者にプレゼントしたことに対して、私はホームレスのおっちゃんたちよりずっと稼いでいるはずなのに、自分のことばかり考えて生きていることに気付かされて、恥ずかしくなる瞬間があった。ホームレスの人になかには、義理堅くて優しくて思いやりのある人たちがいることが分かり、これまでの私のホームレス像が変わっていったのだ。

第二に、これまで私はホームレスの人に対して、なぜ人不足なのに働かないのか?生活保護を受けてでもなぜ社会復帰を目指さないのか?といった疑問があり、その答えは、ホームレスの人たちが努力不足であると考えていた。しかし、本に登場する人は、私の答えとは違っていたのだ。たとえば、体調不良により離職して生活保護を受けるようになってから就職活動をしても、生活保護を受けているということで、書類審査を通らないことがようだ。理由は、お店側が生活保護を受けているというだけで面倒なことを起こしそうと思われてしまうことがあるのだそうだ。また、雇用を終えてから長く時間が空いてしまうと、お店側が余計な手間が掛かりそうと思われてしまって雇われにくいことがあるそうだ。つまり、ホームレスの人のなかには、働きたくないのではなく、本当は働きたいのに雇ってくれるところがない場合があるのだ。実際にホームドアで働き出したおっちゃんが最初は覇気の無かったが、働くうちに元気を取り戻して生き生きしていったエピソードにある通り、本当は働きたいし、働くことで活力が出てくることが分かっているのに、雇ってくれるところがないという問題があることが分かり、私がホームレス問題に対する知識不足があることが分かった。

第三に、ホームレス問題は他人事ないから、ホームドアのようなホームレス問題の解決に取り組む事業を応援するべきだと感じたことだ。他人事でないと感じた理由は2つはある。まず1つ目の理由に、ホームレスになってしまったきっけかは、本人だけの問題ではないからである。ホームレスになる前、一生懸命に働いていたが、会社の倒産により職を失ってしまったことがきっけかになった場合や、職場で高齢になり戦力とみなされず職を失ってしまった場合、病気をきっかけになった場合があり、必ずしも本人の努力不足が理由でホームレスになったわけでないことが分かった。そうだとすると、私も会社の倒産や、高齢になった場合や、病気などで、悪い状況が重ねれば、自分もホームレスになるかもしれないと思ったのだ。今は30代で職場でも戦力と見なされて、仕事に子育てに順調に行っている。しかし、万が一間違いが悪い状況が重なった場合、将来ホームレスに絶対にならないとは言い切れないことに気づいたのである。だから、自分がホームレスになるような未来がやって来てもいいように、ホームレス問題の改善を目指す事業者を今から応援するべきだと思った。

また2つ目の理由に、ホームレスの人が起こす犯罪に巻き込まれるかもしれないからだ。本書のなかに、ホームドアのサービスを利用したときの感想にこうあった。「ホームドアの手助けがなければ、犯罪に手を染めていたかもしれない(P279)」つまり、生活に困窮し、そのまま誰からも援助がなかったら、人生を諦め、犯罪を犯していたかもしれないということだ。犯罪の手口は、万引きや空き巣だったかもしれないし、強盗のように人に危害を加えていたかもしれない。もし仮に、自分の身の回りでそういった犯罪が起きて、自分が巻き込まれたり、家族が巻き込まれたりして被害に合うかもしれないと想像したら、他人事には思えなかったのである。だからこそ、ホームレス問題は、他人事と考えず、自分や自分の家族を守る意味や、自分が万が一ホームレスになった場合を想像して、ホームドアのような事業者を支援すべきであり、現在ささやかだがホームドアを支援できている意義を深めることができた。
 
投稿者 Terucchi 日時 
『14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』を読んで
 
この本を読んで、率直な感想としては、作者の川口加奈さんがとても素直な人だと思った。
また、これは単なるお金持ちになるための成功本ではなく、自己実現としての成功本なのだろうと思います。ただ思ったことを実現するのが、周りは成功と思っているかもしれないが、本人としては淡々としていて、まだまだと思っている。でも、それが人としての成功であり、それを続けていくことが人生(=人が生きていく)ということなのであろう。
 
そのような観点で、なぜ成功できたのかを、3つの点で考えたい。
(1)本人が意思を持ち続けた
(2)本人が出来ることをやった
(3)人が集まる人格で、人が集まった
 
(1)本人が意思を持ち続けた
 14歳でホームレスと出会い、その時に何とかしてあげたいと思うことを、15年間経った今でも思い続けている。なぜなのかの疑問を持ち続けて、問いかけ、いろいろと考え続け、そして今、P302『失敗しても安心して立ち直っていける社会をつくる』ということにたどりついた。働かないからホームレスになったのではなく、『働きたくても働けない』という問題の根っこに対して、P56では、『誰かがやってくれる』『その「誰か」って誰?』と考えていたら、結局自分自身がやることになった。普通の一般の人であれば、何度も止めるに値する理由やきっかけはあったはずなのに、本人は諦めなかった。それは楽観からきているよりも、後悔したくない、気持ちから来ているであろう。おそらく、途中で諦めていたら、すごく後悔しているだろうと思う。ただ、もし諦めたとしても、何年も経たずして、途中で気づいて、結局はボランティアなり、何らか実行しているであろうことを容易に想像できてしまう。それはやはり、本人の楽観的な前向きさもあるからだと思う。また、本人にとっては成功よりも、おっちゃんたちを何とかしてあげたいという奉仕の気持ちの方が先である。
 
(2)本人が出来ることをやった
 本人にとって、無理をせずに等身大できることを、コツコツと積み上げている。今のハブチャリもいきなりできた訳でなく、おっちゃんたちにできること、小さな範囲から少しずつ広がっていった。
 
(3) 人が集まる人格で、人が集まった
 この本は作者の川口加奈さんの目線で書いているため、関わる人の話がないため、想像にはなるが、きっと助けて上げたいと思える人だろうことがよくわかる。もちろん、おっちゃんのプレゼントやスタッフが付いてきてくれているため、そうではあるが。作者の川口さんがおっちゃんを助けて上げたいと思うくらい、周りの人も川口さんを助けて上げたいと思っているのではないだろうか。
 
 全体のまとめとして、人柄が謙虚である。普通の人であれば、このようなチヤホヤされたら、驕りがでるのではないかと思うのであるが、そのようには見えない。川口さんにとっては、夢である『失敗しても安心して立ち直っていける社会』というものが、達成している訳ではないから、途中であるからと思っているから、まだまだと思っているため、驕りが出ていないと思うが、夢の高さとその謙虚さに感服する。
 
最後に、しょうおん先生からこの本を紹介して頂きありがとうございます。私自身、実は過去の先生の紹介で知ってから、サポーターとして応援しているのですが、この本を読んで、今まさに、なって良かったと改めて思い、また今後もサポートを続けていきたいと思います。そして、自分自身の力にも変えて行きたいと思います。
 
投稿者 masa3843 日時 
本書は、14歳の女子中学生がホームレスを支援する仕組みを作るまでの軌跡について描いた物語である。何より驚嘆させられたのは、14歳で気付いたホームレス問題の本質を忘れず、15年間着実に活動を継続して、宿泊施設を建てるまでになったという事実である。ホームレス問題の本質とは、ホームレスにはならざるを得ないだけの理由があり、必ずしも本人の努力不足が原因ではないということ、そして一度ホームレスになると、日本は再チャレンジが難しい社会だということである。本書を通じて感じる著者の人物像は、言い方は悪いが、とても普通の女性だ。高邁な理想に燃えているとか、強い使命感に突き動かされて社会を変えようとしているという感じはしない。そんな普通な彼女が、なぜここまで長きに亘ってホームレス問題に取り組み続けることができたのか、考えてみたい。

まず本書を読んで強く感じたのは、著者のホームレスに寄り添う真摯な姿勢である。ホームレスのことを”おっちゃん”と呼んで親近感を持って接しており、その姿勢は活動を始めた中学生の頃から一貫して変わっていない。著者がここまでホームレスに寄り添うことができる理由は何なのか。私は、その理由が2つあると感じた。第一に著者がホームレスと同じ目線に立っていること、そして第二に14歳の炊き出しボランティアで言われた人生初の「ありがとう」だ。

著者は、ホームレスと同じ目線に立って、物事を考えている。上から目線でホームレス問題を「考えてやっている」というような態度を微塵も感じさせない。その理由はどこにあるのか。本書のP37に、ホームレスになった理由を本人に直球で問いかけるエピソードがある。その答えを聞いて、著者は勉強することを選ぶことさえできない環境にある人が世の中にいることを知った。そんな環境に置かれることになれば、自分も同じようにホームレスになったかも知れない。著者はそう考えたのではないだろうか。そんな想像をリアルに働かせたことで、著者はホームレスの”おっちゃん”が抱える苦悩を、自分事として捉えるようになったのだと思う。P52には、「怠けているからホームレスになったんじゃないの?」という世間一般の人が持つ疑念に対し、「ホームレスになるには、ならざるを得ないだけの理由があるのだ」と明確に答えている。

著者がホームレスに寄り添うことができた2つ目の理由は、14歳の時の炊き出しボランティアでホームレスからもらった初めての「ありがとう」だ。おにぎりを渡した時に”おっちゃん”から言われた「ありがとう」は、友達から言われたこれまでの「ありがとう」とは異質だった。その懸命に伝えられた「ありがとう」は、思わず著者の方からも「ありがとう」を返してしまうほどの重さだったのである。この言葉の重さから、ホームレスが抱える苦悩の重さを感じ取り、この人達を何とかしてあげたいと強く感じたのだと思う。その証拠に、この「ありがとう」の直後に、そのホームレスの服装があまりにみすぼらしいことに気付いた著者は、前日母親に買ってもらった新品のコートを渡そうとしている。それでは根本的な問題解決にならないことに気付き、その行為自体は思い止まったものの、何とかしてあげたいという思いがこの体験によって強くなったのは間違いないだろう。

著者のホームレスに対する真摯な姿勢の根底にあるのは、この2つの原体験だと思う。ただ一方で、これだけでは著者が活動を継続できた理由にはならない。なぜならば、人間は忘れる生き物であり、14歳で感じた強い問題意識も、薄れていくことが普通だからだ。それならば、なぜ著者は15年間もホームレスに向き合い続けることができたのだろうか。その理由は、ホームレスと同じ目線で彼らの問題に向き合い続けたことで、ホームレスからの感謝の連鎖が起きたからだと思う。ハブチャリ事業を開始し、NPO法人を設立して雇用を生み出して以降、多くの”おっちゃん”達から感謝の言葉をもらっている。印象的だったのは、本書のP212に描かれてる、初めて給料を手にした”おっちゃん”がカップ麺3箱を差し入れるエピソードだ。著者は、この時にもらった言葉を一生忘れないと記している。ここからは想像だが、著者は多くの”おっちゃん”達からこうした言葉をもらい続けているのだと思う。事業を続けていく中では様々な苦労があるだろうが、その度に著者は”おっちゃん”達からの強い「ありがとう」に気持ちを奮い立たせてもらっているのではないだろうか。

私が本書で学んだことは、当事者意識が生み出す感謝の連鎖だ。自分が感じた問題意識に、当事者として真摯に向き合い、現場に近いところで汗をかき続けると、その真摯な姿勢が強い感謝を生んで、活動を続けるエネルギーになる。これは、仕事という価値提供サイクルの理想形だと思う。こうした好循環が始まれば、どんな困難な問題にも人は立ち向かうことができるのだ。仕事に向き合う姿勢について、改めて考えさせられた一冊だった。

今月も素晴らしい本をご紹介くださり、ありがとうございました。
 
投稿者 soji0329 日時 
14歳で“おっちゃん”に出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」を読んで


かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

この本を読んで、思わず吉田松陰の歌を思い出しました。ペリーの船に乗り込んでアメリカに行こうとしたが失敗し、山口に護送される途中、高輪泉岳寺の前で詠んだとされています。

著者、川口加奈さんもこんな思いではなかったでしょうか。14歳でホームレス問題に出会ってしまった。知って終わりにしたくない。でもこの問題に取り組めば厳しい現実が待っている。が、やむにやまれない。挫折しそうな気持を乗り越え、NPO法人まで立ち上げてここまで大きくされた川口さん。なぜ、このようなことが出来たのか。私なりに考えてみました。

1)自分の弱さをよく知っていたから

この本の中には、川口さんの弱い部分が様々な表現で頻繁に出て来ます。女子中学生だから、何も分からないから、やったことないから、自信がないから…でもそれらの弱さを実感していたから、ホームレスという、社会的な弱者への共感につながったのだと思います。

そして、自分の努力ではどうしようもないと分かった時、情報を収集し、人脈をたどり、交渉してお願いする。自分にないものを調達してきたシーンが随所に見られます。また自分に謙虚だからこそ、人を許容することが出来ます。人を巻き込んでおきながら、無責任な行動をとったKくんに対しても『人を見る目のない自分を恨んだ』とあるように、決して他人を責めない。たらい回しにされた役所や、相手にしてくれない民間企業に対しても愚痴は言いません。逆に自分の中に、失敗の原因を見出そうと考え続ける姿勢があるからこそ、協力者は増えても敵は出て来なかったのではないでしょうか。

さらに、就職活動をしないままホームドアにたった一人になってしまった際も、今は失敗を買ってくれる時代だと、勝手なカンチガイをして自分を励ましています。227ページに『ポジティブ変換の力』が載っていましたが、こうやって弱い自分を奮い立たせてきたことがよく分かります。

2)大きな問題を小さな課題に切り分けて、ひとつひとつ崩していったから

158ページのコラム『やらなければならない環境を自らつくり出す』『小さな目標から始められて取り組むことへのハードルが下がる……気がする』の記載にも目標達成の秘訣が見て取れます。ホームレスという大きな問題に立ち向かおうと気負うのではなく、自分の出来そうな課題に小分けにして、小さな目標から始める。さらに逃げ場を塞ぎ、決して思考停止に陥らず、能動的に知る機会や、やらなければならない環境をつくり出して挑戦し続けた結果が現在であると考えられます。

ただ目先のことばかりとらわれると、不安に駆られます。川口さんが高校生の時に描いた一枚の絵。遠くにある夢を具現化し、目の前の目標に落とし込んで取り組む。両者を均等に見ながら、課題に取り組む重要さを読み取ることが出来ました。

3)当事者に寄り添い、答えを必ず現場に求めたから

中学生だった川口さんは、遠く新今宮駅からホームレスを眺めるだけでなく、積極的に釜ヶ崎に飛び込み、本人たちの顔を見、質問をして背景を理解しました。そしてホームレスという呼称から「おっちゃん」という愛称に代えたのです。「ホームドア」「ハブチャリ」「ホムパト」「アンドセンター」。川口さんたちのネーミングには、当事者のニーズや現場の課題、解決への理念が込められています。必ず実証実験を行い、スモールスタートを心掛け、決して机上の空論に終わらない周到な活動が、おっちゃんをはじめ他の団体、企業、自治体などの共感を呼んだことが見て取れます。

話は変わります。「自助・共助・公助」という言葉があります。発足した菅内閣のスローガンとして、最近多くの人に知られるようになりました。公助がいちばん後とはけしからん。そんな声もあり、私も同感していました。しかし、この本を読んで、考え方が変わりました。

まずは自助。自分が出来ることを行う。そして共助。自分の出来ないことは人に頼って成し遂げる。そうして機能して初めて公助です。行政に制度として取り入れてもらう。川口さんの活動を理解して、こうした流れが正しいものと認識いたしました。行政は大きなものを動かすため、どうしても動きは遅くなる。公助に頼ろうとすれば、そのスピードに不平不満が出てしまうのは仕方ありません。

川口さんが見つけたという「働く意味」を、私もあらためて考えてみました。結果として「働く意味」とは「出来ない人に、自分の出来ることを提供すること」と認識いたしました。これこそまさに共助。失敗しても立ち直れる社会づくりであり、これからの日本を良くしていくポイント、松陰が詠んだ「大和魂」につながるのではなかろうかと実感しています。

とは言え、どうしたらいいか、何をするべきか私には分かりません。ここでホームドアは、寄付という仕組みを提供してくれました。私も働いて得たお金から、ごく一部ですが寄付させていただくことにいたしました。そしてホームドアの活動報告を通じて、これからの社会問題の変化を把握し、少しでも共助・公助に貢献できる自助に取り組んでいきたいと考えております。

今回も有益な本をご紹介いただき、誠にありがとうございました。
 
投稿者 tarohei 日時 
 本書はホームレス問題と放置自転車問題という2つの社会課題を同時に解決するビジネスモデル「シェアサイクル ハブチャリ」の立ち上げ、ホームレスの人たちに居場所と選択肢を提供するNPO法人「ホームドア」の設立、最終的には就職を斡旋し家を借りて路上生活を脱出する支援メニューの用意や宿泊支援施設「アドセンター」を設立するまでの企業家の半生を綴ったものである。
 きっかけは、日雇い労働の街・釜ヶ崎の炊き出しでホームレスの人たちの行列を中学校からの帰り道で見かけ、釜ヶ崎の炊き出しのボランティアに参加したことであるという。また、このボランティアの参加中、ホームレスの人たちと接する中で、「なぜホームレスのおっちゃんたちには『やり直すチャンス』が全く用意されていないのだろう」、という疑問が生まれ、それ以降、中学生の14歳の頃からこの問題に取り組み続け、失敗しても再挑戦できる仕組みが社会にあればホームレス問題は解決できるのではないか、と考え15年間活動を続けているという。

 ここでは、15年間活動を続けてきた原動力は何だったのか、著者を動かし続けたものは何だったのかを中心に感想を述べていきたい。

 最初は「1回失敗したら終わりっておかしくない?」という素朴な疑問からだった。そして、誰もが何度でもやり直せる社会を目指して活動を開始していく。知ってしまったからには責任があるとの一途な思いで、一度失敗したら人生終わりではなくホームレスから復帰するための居場所や選択肢を増やしていく。最初は何も分からずに走り出して、失敗や挫折を経験しそして仲間たちを失ってもそれでもなお諦めずにチャレンジして新しい仲間を見つけて、15年間も走り続けたのである。そしてこれからも走り続けることであろう。
 著者はまず自分のできる小さなことから始め、試行錯誤を繰り返す。そして、最初から具体的なゴールのビジョンや活動の道筋、壮大は計画があったわけではなく、やり直すチャンスを用意したいという一途な思いで行動を起こし、行動しているうちに課題が見つかって、それが解決すると次の課題が見つかって、ということを繰り返すうちに現在に至っているのである。なにかをやり遂げるのに近道や王道があるわけでもなく特別なことをする必要もなく、著者は自分にできる小さいことから行動を起こし、行動すると課題が出てきてそれを解決するために無我夢中で行動を取り続け、また次の課題が出てきて解決するという地道なことを繰り返してきただけなのである。
 それは、「実証実験のような、まずは小さくても試しにやってみる、スモールトライの必要性は、この10年間で何度も体感した」や「こういうことを始めますと宣言することで同じことを目論んでいる人に先制できる可能性もあれば、その人と連携できるチャンスもある。さらには、反応が悪ければやめてしまってもいいわけで、自由度が非常に高い」ということからも覗える。
 著者は疑問を感じても何も行動しないわけでもないし、いきなり壮大なことを始めるわけでもない。ずっとやり続けなければならないわけでもないし、いつでも止めることができる。改善して別のことを試すこともできる。そういった自由度の高い著者の考えと、やり直すチャンスを用意するという目的に向かって目の前の課題を一つ一つ解決していく中で、その問題意識を抱え続けて解決を探ることが、著者のモチベーションに繋がり、著者の活動を突き動かし続けたのだと思う。

 ビジネスの現場でもスモールスタートビジネスやPoC(Proof of Concept、概念実証)という考え方がある。スモールスタートとは、新しい事業やプロジェクトを立ち上げる時、まずは必要最小限のサービスや機能を提供して、需要に応じてビジネス規模を拡大していく進め方である。PoCとは新しいサービス形態や新技術の適用を検討する時、実現可能かどうかとか目的とする効果が得られるかなどを検証するアプローチである。
 例えば、初めて手掛けたある案件ではあるが、まずはPoCを実施しフィールド現場でスケールするか有効性はあるかなどを検証した上で顧客提案し、最初はスモールスタートでやりたいから数台導入、徐々に規模が拡大し最終的にビッグビジネスに発展した事例がある。もしこれが壮大なゴールを目指して計画立案しプロジェクトを推進していたら、途中で頓挫し成功しなかったであろう。突き動かしたものは、いきなり壮大な目標に取り組むのではなく、良いものを作って顧客に喜んでもらいたいという一途な思いで、小さいことでもいいからまずは動き始めることの重要性を感じ取っていたからである。

 ホームレス問題を知ってしまった著者とその責任は何だろうかという問いから逃げることなく、その問題意識を常に持ち続け、自分にできることから始めて一つ一つ問題を解決し続けていく、その活動そのものが著者の行動を突き動かしているのだなと感じ取ることができた一冊であった。
 
投稿者 winered0000 日時 
14歳でおっちゃんと出会ってから15年考え続けてやっと見えた「働く意味」を読んで

本書を読んで、自分の14歳の時はどうであったかと考えたが、社会問題には全く興味がなかった。社会人になってからは、目の前の仕事に向き合うことに一生懸命になっていて、すぐに結果が出ないことについて考えるなどは全くなかった。

30代になるとそれではいけないと思い、将来のためになる勉強とは何かと考え始め、資格を取り始めた。40代の今はというと将来のためにいま何をすればいいかを考えて行動している。まだまだ結果が出る段階ではないが、何も考えていないよりは前進していると感じている。しかし、本書のような自伝を読むと、結果を出す人と出さない自分との違いが明確に思い知らされる。その人が自分よりもかなり若いとなると恥ずかしさすら覚えてしまう。その違いというのは、紛れもなく「行動する」ということだ。

何かを始めるためにまずは勉強から始めるというのはよくあることだが、何もしないよりは前進しているが、それだけでは行動しているとは言い難いだろう。本書に書かれている通り「自分が活動したことでなにかの変化があったのか」についてなにかの答えが出てこないと、世の中には何も影響を与えていない。残念ながらただの自己満足だけでしかないのだ。

では、早速できることから行動しよう、と考えると、できない理由ばかりが思い浮かんでしまう。そんなときに何を行動すれば良いのか、ヒントになることがないだろうかと本書を読んでいると、物事が前に進むときには共通点があることに気がついた。これまでも何度ともなく本などで聞いていることである。「アウトプット」したときに物事が進んでいる。親善大使になったときも、ビジコンで賞を取ったときも、究極はアンドセンターも高校生の時にアウトプットした絵が始まりになっている。

「将来の夢を絵や言葉にする」それだけではないかもしれないが、本書の事例では絵を書いてから10年後に夢がかなって現実のものになっているのだ。今やれることをなんだと考えると、こんな簡単なことを真似しない手はないだろう。絵を書くのにはお金もかからない、時間もかからない、失うものもない、リスクが何もないのだから。早速今思い描いている10年後の夢を描こうと思った。

以上
 
投稿者 akiko3 日時 
卒業したら就職するのが当たり前と漠然とした仕事のイメージで入社し、2年目には愚痴がでた。もっと自分にあう、やる気がでるような仕事だったら…と青い鳥を探すように心がふわふわしていた。
6、7年目には、仕事を通して自己実現とか、できなかったことができるようにと成長を意識し、“人罪”でなく“人財”として必要とされる人になろうと変わった。「働くとは“はた”を楽にする」と周りにどう貢献できるかと考えてはいたが、評価となって自分に返ってくるし、自分のことから離れていなかった。

だから、川口さんのような社会的起業で、ニーズを聞き取り、自分がその代弁者となり、考えて考えて解決策となるしくみを実験する。(知ったなりの責任感で始めたものの、覚悟なき起業だったけれど)“おっちゃん事”として問題に向き合い、アプローチし続ける姿にかつて“自分を高めた”と思った自分が恥ずかしくなった。
若いのに、いや若いからこその素直な心が”奉仕の心“へと進化し、その純粋な思いに運や人やチャンスが引き寄せられ、夢を現実化し、社会や国の”人財“へと成長したのだと思う。

そんな彼女に影響を与え続け、困難にぶつかっても歩み続けさせたのは、間違いなく”おっちゃん達“だ。『働く意味』をおっちゃん達は、背中で教えてくれている。運が良くても低賃金労働にしか従事できないおっちゃん達が、自ら看板を作ったり、掃除しかできないと事務所掃除をしたり、おかずも食べさせてあげたいと、自分以外の人の困ったことに対し、自ら考え、行動し、奉仕する。
わずかな賃金でも人にプレゼントする喜びを教えてくれる。
人としてどう他人と関わって生きることが喜びなのか、幸せなのかを、何もかも失った、何も持っていないおっちゃん達が教えてくれる。

昨今、先が見えない時代だが、おっちゃん達が普通の人だったのに、ちょっとしたきっかけで社会からはじかれてしまったことを知ると、他人事ではないと背筋が寒くなった。
選択肢が少ないことが原因だから、自ら起こる問題に対し、選択肢を増やせるようにしておかないといけない。
また、働くことに対しても、環境や価値観の違いにより定年までという選択肢ではなくなっている。得意や好きを仕事にしようというメッセージも目にするが、得意や好きを趣味から仕事にするには、二人称以上の目線で“どんなお役に立てるのか?”という奉仕の思いが大切だ。そして、何があってもぶれずに原点に戻れるような理念も必要だ。
若くして起業した彼女が成功したのは、“やり直すための選択肢のある環境を作る”がぶれなかったからだ。そして、思いを(のちのアンドセンターになる)「夢の施設」の間取り図として描いたことだ。
でも一番大切なことは、喫茶店を運営しニーズを聞き続けたり、おにぎり握ったり、面談したり、1つ1つ小さな行動を続けたことだ。歩みを止めなかったことだ。
同じ女性起業家の山口さんのkeep on walkingな生き方とも重なった。

最後に、ちょうど政界を引退したウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏のメッセージ「人生の成功とは、勝つことではなく、転ぶたびに立ち上がり、また進むことだ」という言葉を目にし、ホームドアの活動の重要性を痛感した。

(隠居にどこか憧れを抱いていましたが、生涯現役で働く喜びを味わい続けたいと考えを改めました。)
 
投稿者 mkse22 日時 
「「14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」」を読んで

高校生時代の川口さんは、正直どこにでもいる普通の高校生だったとおもう。

『がんばっていたらホームレスにならなかったんじゃないんですか?』(Kindle の位置No.276-277)

川口さんのこの質問は、(私を含めた)多くの人が心のどこかで持っていることだと思うからだ。

この質問の前提にはいわゆる自己責任論があり、少なくとも自分にはホームレスに対する責任や義務はないという考えが透けて見える。

「自己責任だから、かれら自身でなんとかしてホームレスから脱出すべきだ。」
「彼らがホームレスになった原因が私にあるわけではない。
 だからホームレスに対する責任はないし、もちろん義務もない。
 ゆえに、私は何もしないし、する必要がない。ホームレスがどうなっても気にならない。」

これが多くの人の考えの根っこにあるものではないだろうか。

そして、ホームレスの自己責任論やかれらへの責任や義務がないという考えが無関心へとつながっていく。
そのよい例が、川口さんの全校集会での5分間スピーチで生徒たちが爆睡したエピソードだ。
生徒たちは、どこか別の世界の人の話として聞いてしまい、興味をを持てなかったのだろう。
だから、眠ってしまった。こんなところだろう。

実は、私にも似たような経験がある。
高校生のとき、高校で障がい者の講演会があった。講演者の講演後の挨拶で
「生徒のほうが先生より話を聞いてくれました。」と述べたことが、とても印象に残っている。
どうも一部の教師が講演中に居眠りをしていたようで、そのことが発言の背景にありそうなのだ。
(明確なことはもちろんわからないのだが)
もし、そうであれば、居眠りしていた教師は初対面の障がい者の話に興味がなかったのだろう。

責任や義務のないことへの無関心は、ホームレスや障がい者といった社会的弱者を対象にした場合だけに
見られることではない。仕事でも同様のことがいえる。

例えば、チームで仕事をするとき、各メンバーにタスクを割り振り、作業を進めることが多いと思うが、
そのとき、自分に振られているタスクにしか関心を示さないメンバーがいるのではないか。(私は何人か名前が思い浮かぶ)
自分に振られているタスク以外の責任は、自分にはないと考えているから、このような行動をとるのだろう。もちろん、間違ってはいないのが。。。

このように、分野問わず、責任や義務のないことについては無関心となる傾向が見受けられる。
(例外もある。例えば自分の好きなことについては責任や義務がなくても関心をもつだろう)

それでは、なぜ、責任や義務のないことについては無関心となる傾向が見受けられるのか。
それらが自分の生活や仕事に影響がないからだろう。
もし、自分に責任や義務のあることであれば、自身の行動に影響があるため、気にせざるを得ない。
例えば、毎日9時に出社する義務があれば、9時には会社にいなければいけない。10時ではNGだ。
自分の生活や仕事に影響がないからこそ、無関心でいることができる。

しかし、川口さんは(ホームレス支援という)彼女に責任や義務がないことを、あえて引き受けている。

それはこの一文に集約されている。
『知ったからには「知ったなりの責任」というのが実は発生しているんじゃないか。』(Kindle の位置No.387)

その後、川口さんはhomedoorを設立、ホームレス支援を開始して、確実に世の中に影響を与えている。
彼女のスローガンである「安心して失敗できる社会を作る」ことを実現するために、一歩ずつ前進している。

責任や義務がないことを無視することは容易だ。しかし、これでは社会に影響を与えることができない。
むしろ、社会から一方的に影響を受けるだけである。あえて責任を引き受けたからこそ、社会に影響を与えることができる。

責任や義務と社会への影響力は、正の相関関係がある。

これが、本書を読んで痛感したことである。

今月も興味深い本を紹介していただき、ありがとうございました。
 
投稿者 vastos2000 日時 
人間、覚悟があり、周囲の協力を得られれば、大きなことを成し遂げられるということをあらためて学べた。

こんなほわっとした感じの人が、社会課題を解決するNPO法人を立ち上げ、今も運営していることに驚いた。
私の知る(ボランティアや社会課題に取り組む)NPO法人の代表者はエネルギッシュで熱く(暑苦しく)周囲を半ば無理矢理に巻き込んでいくようなタイプの人が多かったので、川口さんの、割と周囲に流されがちなところに軽い驚きを覚えた。

ただ、最初は他者に促されて始めたのかもしれないが、川口さんは途中で覚悟を決めている(p.167、p282)。
Homedoorの目指すところは『誰もが、何度でもやり直せる社会』をつくることだが、川口さん自身も学友が就職活動を本格化する頃に『これから企業は、就活をがんばる学生よりも、“何か”に挑戦する学生を獲得したいんじゃないか。失敗を買う時代になっていくんじゃないか』と思っている。
失敗をする覚悟であると同時に失敗しても目標を達成するまで挑戦を続ける覚悟だったのではないか。
その後も何度かあったピンチも、川口さん本人の頑張りや周囲のアシストでしのいでいる。川口さん本人は膨大なパワーを発揮して周囲の人間を引きずり回すのではなく、周囲の人が川口さんのことを助けたくなるような、そんな素敵な人柄の方であるから、周囲もアシストしてくれるのだろうと推察する。

当たり前のことかもしれないが、一人の力よりみんなの力の方が大きいのである。願望を実現するのに一人の力で足りなければ、みんなの力を合わせればよい。
ただ、みんなの力を集めることは難しいが、川口さんはそこをクリアしている。
川口さんは、(直接的に利益を得るという意味で)自分のために頑張っているのではなく、おっちゃん達をはじめとする困っている人達を助けようという動機で動いているから周囲の人も力を貸してくれるのだろう。
しかし、他人のためであっても(自腹を切ったことはあったが)、いたずらに自分を犠牲にしているのではなく、自分の使命感(自分がやりたいこと)にしたがって動いているので、その点では主体的であるし、川口さん自身も「よい思い」をしていると言えるかもしれない。卑小な「我欲」ではなく、自分だけでなく世の中や人のためにもなる「大欲」を持っているのではないか。


川口さんの人柄の他にも驚いたことは、高校3年の段階でアンドセンターの原型となる構想をすでに考えていたことだ。
結果的にこの構想が実現することになるが、一直線に進んだわけではないし、早い段階で決めた目標に向かいブレずに動いていくことはなかなかできるものではない。
しかし、だからこそゴールや目標を早期に設定するのは大切なのでないか。様々なトラブルは起きるし、嫌なことや制約条件もある。そんなとき、ゴールがハッキリしていればモノサシがぶれないし、迷ったときに向かう方向を決めることができる。
そしてゴールをイメージしておくと、それに関連することに反応する「アンテナが立つ」のだろう。自分自身でもなにか波動のようなものを発し、それに共鳴する波をもった人や物が引き寄せられ、目の前にそれが現れたときに逃さずキャッチできるのではないか。川口さんもアドセンターが入ることになる不動産物件をタイミングよく手に入れている。

日本社会ではまだまだ女性であることや若いことが不利に働くこともあるだろうに奮闘している姿を知ることができた。以前の課題図書の南谷真鈴さんや良書リストの山口絵理子さんのような若い女性が頑張っていることを知ると、男性であるだけで有利なことも多い私のようなおっさんも頑張らねばという気持ちになる。私はここ5ヶ月ほど、自分でテーマ(中期目標)を決めて、取り組んでいることがある。それは仕事においてのキャリアアップにつながることではないが、身近な人の役には立つことで、3年間は頑張ってみようと思っている。
著者の15年間には遠く及ばないが、本書から刺激を受け、続ける決意を新たにすることができた。
 
投稿者 str 日時 
14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」

ホームレスの人たちの再スタートの支援。一度失敗してもやり直せる社会をつくる。本来であれば国や行政が対策を講じるべき問題だとは思うが、一企業ですらなく潤沢な資金もない、まだ学生だった著者が成し遂げたことに唯々頭が下がる。

正直、私自身もホームレスの方たちに対して少なからず偏見はあった。しかし“自己責任”や“失敗”という言葉だけで片付けてしまってはいけないなとも感じた。再就職が難しい年齢になってから勤め先が倒産してしまったり、身体を壊してしまったり。それらは自分の身に起きてもおかしくない事だ。職を失い、住むところも失ってしまっているだけで、一人の人間として下に見るようなことはしてはいけないだろう。皆それぞれ得手不得手があり、自分なんかより遥かに優れたスキルを持っていながらも、路上で生活をするしかないおっちゃんも、数えきれないほどいるはずだ。

明日の保証が一切ない生活を続けていくなかで、自ら犯罪を犯し投獄されてしまった方がただ“生きる”という意味では安全なのかもしれない。それをしないのは人としてのモラルや矜持を無くしてはおらず、もう一度社会復帰したいと誰もが望んでいるからだと思う。

失敗からもう一度やり直せるシステムを作り上げた川口さんは、いったいどれ程多くの人を救ってきたのだろう。“世のため人のため”とは、まさしく川口さんの想いや行動のそのものを指す言葉といえる。
 
投稿者 LifeCanBeRich 日時 
本書は14歳の時にホームレス問題を知って以来、その解決に取り組み続ける川口加奈さんの奮闘記だ。その中で私が学んだことは、問題解決の場において、当事者の目線に立つことで、問題を構造化するとともに、より有効的な具体策を考え出すことの重要性である。

まず、現在の川口さんとホームドアは紆余曲折、試行錯誤しながらも着実にホームレス問題の改善を進めている。これは特筆すべきことである。なぜならば、ホームレス問題に限らず社会問題というのは、社会の欠陥や矛盾から生じているため、様々な要因が複雑に絡み合うという特性を持っていて、その改善は容易ではないからだ。実際、ホームレス問題も川口さんが関わりだした当初は、あまり改善は進んでいなかったようだ。しかし、現在ホームレス問題を改善させるために立ち上げたNPO団体のホームドアは、その活動を軌道に乗せている。なぜならば、川口さんは「仕事」、「貯金」、「住まい」の問題がお互いに相関し合う「負のトライアングル」という構造を見つけ出すことで、より有効的な対策を立てることが出来ているからだ。

そして、社会問題に対して、この構造化と具対策の立案が有効なことを説明しているのが、インテグラル理論だ。この理論は、現代思想家のケン・ウィルバーが提唱する、物事を見る時に、その1つの側面だけでなく、4つの視点(個人の内面/個人の外面/集合の内面/集合の外面)から全体を見ることで構造化を試みるものである。そして、川口さんのホームレス問題への取り組みはまさに、この構造化の理論を実践しているようなのだ。では、ホームレス問題を4つの視点に当てはめるとどうなるか。1つめの個人の内面とは精神面のことであり、おっちゃん達の意思や自尊心になり、川口さんは、社会復帰を希望するおっちゃん達を見つけ出し、支援をしている。2つめの個人の外面とは、おっちゃん達のする仕事や金銭面のことであり、彼女はハブチャリやカフェなどで仕事を提供している。3つめの集合の内面とは、世の中のホームレス問題に対する風潮であり、川口さんは、講演活動や本の出版で世間から偏見を失くすことに努めている。4つめの集合の外面とは、生活保護、炊き出しや宿泊設備など社会の制度、仕組みであり、彼女はアドセンターを設けて食事や寝泊まりする場所を提供している。要するに、川口さんがホームドアの事業を軌道に乗せたのは、4つの領域の全てからホームレス問題にアプローチしていることであり、現に多くのおっちゃんが、「負のトライアングル」から徐々に抜け出せるようになったのは、この構造化と具体策の立案が有効だからだ。

とは言え、インテグラル理論を実践することで、問題を構造化することは至極難しいことなのだ。なぜならば、前段で述べた4つの視点とは生得的に人間に備わっている本能的なものであり、かつ偏りが出ることが通常だからである。事実、従来の行政は、主に集合の外面である生活保護や炊き出しなどの制度や仕組みづくりに偏ったアプローチに留まっていたが故に、ホームレス問題の改善に成果を上げられなかったのだ。では、どのようにして川口さんはホームレス問題の構造化と有効な具体策の立案が出来たのだろうか?私は、2つの理由があると考える。1つが、能動的に知ることと先入観をほぐすことを実践したこと。そして2つめの理由が、ずっと考えることと目の前の出来ることに集中したことだ。これらが、当事者であるおっちゃん達の目線に立ち続けながら、社会の在り方を観つつ、ホームレス問題に取り組むことを可能とさせたのだ。インテグラル理論で言えば、思考法を高次で実践するために、1つの領域(おっちゃん達、または社会の在り方)に偏ることなく両方の領域を行き来したのだ。

そもそも、将来は国際協力機関で働くことを希望していた川口さんが、本書のコラムにある「知る機会は、能動的につくる」と「先入観のほどき方」を実践し、当事者であるおっちゃん達の目線に初めて立ったのが14歳の時だ。私が本書の中で最も衝撃を受けたのが、ここからの一連の出来事である。まず、彼女は毎日通学路で見ていたおっちゃん達に疑問を持ち、炊き出しに参加し、自ら知る機会を作り出す。次に、彼女は炊き出しで出逢ったおっちゃん達に自身の持っていた疑問をぶつける。そして、返って来た意外な答えに悩み、葛藤するも、おっちゃん達が置かれた境遇とその背景に思いをめぐらし、結果として現在もホームレス問題に関わることとなった。しかし、この考え方と振る舞い方が出来る人は、殆どいないと考える。なぜならば、殆どの人が、ホームレス問題に偏見を持っているためだ。正直に言えば私の場合、本書を読んだ後でさえ、その偏見が全くなくなったとは言えない…。川口さんは、「知ったなりの責任」とは言うけれど、何が彼女を駆り立てたのか?おそらく、戦争や飢餓などで困難な状態にいる人たちも、やむない理由でホームレスの状態にいるおっちゃん達も、川口さんの目には同じ不条理な状況にいる人たちに映っているのではないか?そして、その人たちのために何かできることをしたいという純粋な気持ちが、彼女を駆り立てたのではないか?

最後に、川口さんがハブチャリをおっちゃん達の仕事として作り出したことは、目を見張る。なぜならば、通常は、社会に既でにある仕事や職業に、おっちゃん達をはめ込もうとするものだからだ。事実、従来の行政は、その手法でおっちゃん達の社会復帰を支援しようとしたが成果は上がらなかった。なぜならば、おっちゃん達が能力的、スキル的に新しい仕事、職業に適応できなかったからだ。しかし、川口さんはこの問題を当事者であるおっちゃん達の目線に立ってずっと考え続けると同時に社会を観察し、そこで目の前の出来ることに集中し、コツコツと実績を積み上げることで乗り越えた。おっちゃん達の好きや得意と社会問題の自転車放置を結びつけるという具体策を考え出し、実行したのだ。ここで特筆すべきは、おっちゃん達が得たモノが仕事だけではなく、社会に貢献しているという存在意義や誇りであることだ。

~終わり~
 
投稿者 3338 日時 
たとえば、私が筆者と同じスタートラインに立ったとします。中学校で炊き出しに参加して、おっちゃんに出会い、その現状にも心打たれたとします。何かしたい!と痛烈に思っても、間違いなく途中で逃げ出しました。一緒に活動していた仲間が、筆者から離れてしまったように、成功するまで努力が続けられず、逃げ出したと思います。
 なぜ、逃げ出すと断言できるかと問われれば、それは私がこのホームレスの問題を、かわいそうだから何とかしなければならない問題だと捉えていました。おっちゃんたち問題の本質ではなく、偏見でしか見ていませんでした。今回この本を読み、筆者がこの問題に寄り添うことができたのに、私にはできなかったかを考えさせられました。それは全て幼少期からの偏見から来ているのだと気がつきましたので、その偏見を全部取り払いたいと思いました。

逃げ出す理由は一つではありません。まず私にには将来の夢がありました。達成できるかできないか分からない夢が、この問題に取り組むこと以上に大切かと言われれば、全くそんなことはありません。

次に両親を始めとした、学校の先生や近所の大人たちの反応を考えました。勉強のために、ボランティアとしてやるのは結構だけど、程々にしろというのが大方の大人の意見です。この本を読むまでは私もそういう大人の一人でした。
私は周りからどう見られるかで、選択を狭めていたこと気がつきました。おっちゃんと共に歩むことを決めた筆者の方が、選択肢が狭いように見えますが、全く逆で周りの評価を基準にして選択をして来た私は、いつも自分が他人の評価で人生の大半を偏見というフィルターを通して選択して来たことになります。そう思い当たったら、情けなくなりました。

また、私はリターンを期待する人間でした。リターンを期待せずに努力を続けることを知りませんでした。成功するまで努力をする人格もありませんでした。  

筆者は14歳から6年間真剣にこの問題に取り組んできました。6年間地道に課題と向き合って来たことが、ホームドアの設立に結びついたのだと思います。ホームドアの代表となり、シェアサイクルの事業を立ち上げたのは、大学2年生の時でした。必死で「頭がちぎれるくらい」考えたからと言ってちょうど三方良しの案件が見つかるものでもありません。6年間リターンを期待せず、コツコツと努力したことが、この案件を考え出せるだけの土台になったのだと思います。

その後Aちゃんがホームドアを去り、筆者が一人になった時に、止めるという選択もあったはずです。でもここで不安になりながらも、ホームドアを一人で運営して行くことを選択します。なぜこんな選択ができたのか。ホームドアを存続して行くために、筆者が必死で取った行動が筆者を人格を作り上げ、自信につながっていったと思います。(p166〜167)

そして、ホームドアを一人で運営する覚悟を決めたのですが、腹を括った人が強いことは、この本だけではなく、あらゆるところで語られています。次々に望んだことが叶い、応援してくれる人も出てきます。運が良いの一言に尽きます。14歳からおっちゃんに寄り添って、努力して来たことが、運を呼び人を呼び、機会を呼ぶことにつながりました。

ここで、ホームドアと筆者は単に運が良かっただけだという評価をする人がいるようですが、
運が良いというのは成功者に共通したことです。運を呼び寄せるまで、嫌な思いも泣きたくなることも、不安にることもたくさんあったはずです。順風満帆だった訳ではありません。14歳から、それを全部受け止めて、昇華して目の前の問題をこなして行くうちに、逆風も順風も全て取り込んで、し^_^分の力にすることができたのだと思います。

馬鹿げたことに、私は自分が偏見のない方だと思っていました。今回この本を読んで、筆者がなぜここまでの仕事をやり遂げることができたか、を考えるうちに筆者には偏見が全く無いことが分かりました。(COLUMN1p45〜,COLUMN2p89〜)
おっちゃんたちとの交流と通して、ひとりひとりの事情が見つめつつ、筆者は偏見を全て取り払って行きます。

なぜ自分が筆者と同じことができないかが分かったところで、これからどうすればいいのか。
そんな自分を変えたいと心から思いました。そのためには何をすればいいのか。全ての人は同じだと言うことを再認識するには、その人に起こった事象が、自分にも起こり得ることだと弁えることです。自分もホームレスになるかもしれない。性同一障害に苦しんだかもしれない。性風俗に従事していたかもしれない。そんな自分を正面から受け入れてくれる人がいれば、私はきっと救われると思います。

前段に書きましたが、私は偏見というフィルターを通して人生の選択して来たことに驚きましたが、絶望はしていません。これからそのフィルターを外して選択をして行けばいいだけですから。
世界観を変えればそれは一瞬で変わります。
今後はホームレスの人も、性同一障害の人も、迷子になって困った人を助けるというスタンスで接すると決めました。
 
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投稿者 H.J 日時 
まず、本書を読む前の私を包み隠さず言うと傍観者の一人として関係のない問題だと思っていた。
”ホームレス問題”
この言葉を聞いたことはあったし、ホームレスの人が悲惨な被害者になったニュースも何度か耳にしたことがある。
社会的弱者であるホームレスの人に対して「可哀想に」と思うだけで、心のどこかに”彼らは別の世界の人々”という感覚を持っていた。
譬えるならドラマや漫画の世界の人々という感覚に近かったのだ。
では、現実に自分の目で見たことないのか?
と自分に問いかけると、答えはノーである。
自分自身の目で路上生活をする人を見たことがある。
にもかかわらず、全く関係ないとか架空の世界の人々だと思ってしまうほどに無意識に避けていたのだ。
著者の指摘通り、ホームレスの人々に対して”自己責任”という安易な言葉で一括りし、現実に見ているにもかかわらず、関係のない世界のことだと思いこんでいたのだ。
本書はそんなことを最初に気づかせてくれた。

さて、本書の話に移ると、私が感じたのは「14歳から続ける行動力への尊敬」と「”自己責任”という言葉は怖い」である。

まずタイトルに衝撃を受けた。
なぜならば、
『14歳で"おっちゃん"と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』
というタイトルに書いてあるとおり、14歳で”おっちゃん”と呼ぶホームレスの方々に出会い、人生の半分以上にわたりホームレス問題を考え続けているのだ。
著者は”終わりに”で、現在も一緒に活動をしている松本氏や笠井氏を引き合いに自分は一番遅いと謙遜しているが、私から見れば14歳から半生以上この問題を考え続けていることが衝撃的だった。
また、著者は考えているだけではなく、行動をし続けている。
多くの子が将来のことを考えたり、恋愛に夢中になったり、自分のことで精一杯になる思春期真っ只中の14歳から、おっちゃん達のために行動を続ける。
ついにはNPO法人を立ち上げ、ハブチャリやアンドセンターも稼働し、多くのおっちゃん達を助けている。
家族や友人でもない他人であるおっちゃん達のために、苦しい思いや悔しい思いをして問題解決に向けて行動し続けているのだ。
著者は、行動のきっかけについて”好奇心”と”知ったなりの責任を果たしたい”と述べている。
さらに、行動し続ける理由として”路上でなくなる命をひとつでも減らしたい”とも述べている。
そして、その根底にあるのは、本書冒頭に書かれている”誰もが何度でもやり直せる社会を作りたい”という14歳の頃からの思いである。
その思いを胸に行動し続けることは容易ではない。
この様な活動がおっちゃん達または一度社会から外れてしまった人たちを救ってるのだから、尊敬で頭が上がらない思いである。

一方で”自己責任”という言葉の怖さも感じた。
日本では何かがあると度々、自己責任論が沸きあがる。
特に貧困や犯罪に対して自己責任や自業自得という言葉を良く耳にする。
例えば、シングルマザーが貧困に困ってれば「金もないのに育てるな」等の心無い言葉も投げられる。
昨年起きた川崎の通り魔や元農水事務次官事件では、それぞれの加害者と被害者が引きこもりだった事から自己責任や自業自得という言葉が投げられたのは記憶に新しい。
自己責任という言葉を使ってしまえば、確かに頷ける部分がないとは正直言えない。
ただ、その自己責任という言葉を使えるのは、自分が無関係、つまり傍観者であるからだと今回気づかされた。
例えば、この自己責任論を投げかけられる立場が自分や家族や友人や知り合いだったらどうだろうか?
その自己責任論に対して、反論をするだろう。
少なくとも自己責任論を投げかける人達よりもその人の事情をよく知ってるからである。
何よりも著者の言うように自己責任というだけでは何も前に進まない。
そう言った意味でも自己責任という言葉はとても怖い言葉である。

そして、私はと言うと”自己責任”よりも”知ったなりの責任”を意識したいと思う。
なぜならば、”自己責任”では前に進めないが、”知ったなりの責任”を考えれば前に進める。
”自己責任”はただ責めるだけだが、”知ったなりの責任”は誰を責めるでもなく自分事に置き換えることが出来るからだ。
当事者意識があれば、何かをしたくなる。
そんなことを教わった一冊である。
ということで、知ったなりの責任として、遅ればせながら1000円のサポートから始めることにした。
 
投稿者 sarusuberi49 日時 
本書を一読して感じるのは、川口さんの強靭さである。最初はK君に口説かれて、受け身で始めたはずのHomedoorだったが、一緒に始めたK君やAちゃんが辞めてしまっても、川口さんは逃げようとしないばかりか、シェアサイクルの実証実験のために、文字通り寝食を忘れ営業に奔走する。最初は計画も失敗ばかりで、読んでいるこちらの心が折れそうになるが、川口さんは原因を分析し、即座に次の手を打ち続けて行く。このモチベーションの源泉は、一体どこから来るのだろう。私が考える川口さんのモチベーションの源泉は、圧倒的な行動量の多さによる成功体験の積み重ねであると考える。川口さんは、まったく手探りの段階であっても、とにかく行動を起こし、当事者たちに何をして欲しいのかを直接教えてもらい、助言をもらえることに感謝している。まずは小さなことでも行動し、達成感を積み重ねていったことで、当事者たちへの理解と共感がますます深まっていった。このように、行動初期の段階から、感謝と恩返しの小さなサイクルを回せたことは大きかったと考える。

そしてもう一つが、絆や共感を形成し、大勢の人を巻き込んで広いつながりを形成したことである。大阪市役所でたらい回しに会い、ポートの設置を300社に断られ、それでも川口さんはめげないし、様々に支援を仰ぐ。信用がないならまずは実績作りから、常設が無理なら実証実験で、どんどん人を巻き込んで、不可能のドアをこじ開けていってしまうのだ。さらに、そんな川口さんには、運も味方する。丁度良いタイミングで条件に合致する物件が見つかるし、赤字覚悟で借りれば毎月1000円を支援するサポーターが増えてゆく。卒業生がサポートする仕組み、行政と連携する仕組み、他のサービスと相互連携の開始、と次々に協力や支援の輪を広げてゆくのだ。こうして川口さんは、絶体絶命のピンチをなんどもひっくり返し、さらに先の夢を追い続ける。

こうして考えると、川口さんのリーダーシップは興味深い。なぜならば、支援する側とされる側が「頼りあう関係」になっているからだ。川口さんは、悩みを聞いて相談に乗る立場であっても、落ち込んだときは逆に慰め励ましてもらったりしている。確かにHomedoorのビジョンは川口さんが決めている。でも、何から何まで支援するのではなくて、一番最初のきっかけの部分を丁寧にケアしてゆくのだ。それにより、疲弊し絶望していた当事者たちが、自分の人生をリスタートさせるためのチャレンジを始め変わってゆく様は感動的である。なるべく教えずに、自ら思考させて成長を促すという方針は、新しいリーダーシップのあり方という意味でも学ぶところが多いと思う。

このように当事者たちを元気づけ、蘇らせてゆく「働くこと」の持つ意味とはなんだろうか。お金をもらうこと、誰かの役に立つことだけとは限らない。本書を通じて私が考える「働く意味」とは、「役目のまっとう」である。例えば私たちの体内は、各臓器がそれぞれの役割を行っているから健康でいられるが、どれか一つでも機能不全に陥れば、その影響は他の臓器も及んで行く。社会全体を私たちの人体のように捉えれば、社会の中には様々な機能と役目があり、それらが互いにつながりあって暮らしを支えられている。その一方、そのつながりから外れてしまえば、役目がなくなり、存在価値がなくなってしまう。そして、ホームレスになるとは、社会における「役目」を奪われることに他ならない。当事者は、まだまだ働けると思っているし、そのためのスキルもあり、社会の中で何かしらの役目を担いたいと願っているのに、住所も携帯電話も失ったというだけで、社会が「役目」を与えようとしなくなってしまうのだ。私は本書を通じて、ホームレスの一番の辛さは、社会に存在価値を認められないことであると考えた。本書の中には、冬の路上生活の厳しさを語る際の「もう自分、この世からいなくなってもええかなって。」という辛い証言があった。この人がなんとか耐えられたのは、ホームレス仲間の助け合いがあったからだという。誰からも必要とされない壮絶な孤独には、当人を死に追い込んでしまうほどの絶望がある。人は誰しも、なんらかの役目を得て、生きる意味を見つけたいのだと思う。そして、そういう人たちを救えることが、すでに川口さんにとっては報酬以上の喜びになっているのだ。

おそらく、自分の「やりたいこと」と「役目」が一致している人は、人生のすべてがやりがいのあることになるのだろう。本書の川口さんがそうだ。「やりたいこと」を、自己満足レベルで終わらせず、NPO法人homedoorを立ち上げて「理事長」という役目を担っている。本書もその活動の一環として世に出たものだ。私は、川口さん自身にとっての働く意味とは、人や物事の交流拠点である「ハブ」になることではないかと考える。川口さん自身での支援には限界があるが、川口さんを中心として、助けて欲しい人と、支援したい人が交流する「ハブ」ができれば、支援の規模は無限に拡大してゆくからだ。

なぜこんな強運なのかと不思議に思うほどであるが、その秘密は、川口さんが覚悟を決めていることにあると思う。これは、簡単なことではない。私自身、児童虐待問題や貧困問題について目にする機会があり、「これは良くないな」と感じている。にもかかわらず、自ら何も行動せず、国や行政がなんとかするだろうとスルーしてしまっている。しかし、川口さんのように覚悟を決めた人を応援することはできるのであるから、これからは社会に対して自分ができることを考え、行動を起こしてゆきたい。
 
投稿者 jawakuma 日時 
14歳で“おっちゃん”と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」を読んで

★腹くくりギャルのスタートアップダイアリー

著者のプロフィールを見ると、数々の受賞履歴から優秀で華やかな印象を受けるが、
本著では14歳でホームレス問題に着目してから今までの多難な道のりが記されていた。

受賞の主な理由は、ホームレスと自転車放置という2つの社会問題を組合わせて解決させるというモデルだ。そんな優れた一石二鳥モデルを思いつくなんて、凄い発想力があり、さぞや優秀な人なんだろうと思っていたが、そこに至るには自らの発想ではなく、“おっちゃん”への数えきれないほどのニーズ把握の歩みよりが、結実したものであった。


●情報提供の重要性

何かを行うときには情報を取得することが大切だ。著者もビジコンや起業塾等で得た人脈から、当事者じゃないと知りえないでろう情報を取得しながら事業を推進している。それこそ著者の同級生達がおこなっていた就職活動なんかとは、比較できないほどの濃度の一次情報が身をもって吸収され、生きた知識となったことだろう。

本来は上記著者のように、自らの状況に合わせてアンテナが張られ、自然と必要な情報が取得できるものである。人間の脳は生来のフォーカス機能がついているのだ。

しかし、その機能が作動しづらい状況もある。それが“おっちゃん”たちホームレスだ。頼る人もなく、スマートフォンも保持していないおっちゃん達は一番情報を必要とする立場であるのに情報取得が難しくなる。

そして、支援も受けられないまま、本書P119の負のトライアングルに陥り、路上生活から抜け出せなくなってしまうのだ。

そんなおっちゃん達へはどのようにアプローチしたらよいのだろう。もちろん行政だって、全く何もしていない訳ではない。厚労省が中心となって雇用、保健医療、福祉等の各分野にわたった施策を総合的に推進しているのだが、その縦割りかつ一律な自立支援がなかなか機能していないのも事実である。おっちゃんらアウトロー達はいきなりやってくる役所の人にすぐに心を開かないであろう。

そこで、ホームドアでも行っている、夜回り等での接点作りが大切になってくる。まずは相手に心を開いてもらえるよう食事や毛布を提供するのだ。

夜回りで枕元に置かれたお弁当にチラシが同梱され、支援情報が得られる旨が記載されているのだ。ここでのポイントは情報は提供するが強要しないところであろう。
支援の準備があることを通知し、選択肢を提示するが行動を起こすのは自分自身なのだ。


●真の支援を行うには、強制するのではなく、自分で考え行動を起こさせることが重要だ

行政の行う支援のように、ある条件に当てはまる該当者に決められた施しを行う場合がある。
それはそれで一定程度の役にはもちろん立っているとは思うが、例えば生活支援をもらっている人でも65歳以上の場合は就労支援は一般的には受けられないそうだ。
本書P259で登場する問題行動を起こしてしまう佐藤さんも、生活保護を受けていたが担当職員との折り合いがつかず、ホームレスへと転落してしまった人だ。
そんな佐藤さんのように条件に当てはめ生活保護を支給しても、その先のプランが無ければ、安定した生活が継続できなくなるケースもある。

行政の縦割りの指導・支援では、各制度の案内を行うことができても、支援を受ける人が次のステップに移ると対象外となり、継続的な支援が難しくなる。

それに比べて、ホームドアの優れたところは、ホームレスを一括りにせず、一人ひとりのニーズを把握し、ホームレス脱出までのステップを刻み段階的に支援するところだろう。
まずは情報と短期的な衣食住を提供し、安心して考えられる環境を与える。衣食足りて礼節を知るというように、その状態を得てからでないと人は建設的な考え方ができないようだ。
そして、その人にあった中間的就労の支援と、生活の場を提供していくのだ。

つまり一貫して当事者視点を忘れていない。
そこがホームドアそしてハブチャリの強みであり、川口さんの強みであろう。

それを培ってきたのが起業塾の教え、ニーズの代弁者たれ!という言葉かもしれない。
起業に限らず商売をする上では、相手のニーズを把握することが大切である。
しかし、何の関係性も無しにいきなり本音を話してくれる人はいない。
そこでまずはこちらから手を差し伸べて関係を作るところから始まるのだ。


●働いて稼ぐことで自らの尊厳を取り戻すことができる。
「生活保護でもらったお金では、自分の好きなようにお金が使いづらい。」初めての給料でカップラーメンを買いに走ったおっちゃんが言った言葉である。世の生活保護者全員に聞かせたいセリフだ。
本書で登場するおっちゃん達は、安心して生活できる場を得た後は、働くことで自尊心を取り戻し、社会復帰への道を歩んでいっていた。日々普通に仕事をしていると忘れがちだが真の働く意味は、ここにあるのであろう。

自分の意志でホームレスを卒業していった人達は、当事者目線が理解できるゆるいコミュニティを形成することにつながる。
卒業者達は成功事例としてステップの途中にあるホームレスの良い見本。負のループ脱却のステップを刻み、やり直しの好事例→自立へと進みやすくなるはずである。
全く良くできたモデルである。



著者の川口さんはノリのよさそうな大阪ギャルであるにも関わらず、中学での作文発表、NPO起業仲間の離脱、はじめてのおっちゃん雇用、アンドセンター設立の資金投下と数々の腹をくくるシーンが印象的だった。きっと腹の奥底に、これまでの経験で鍛えられてきた、一本の折れない柱を持っているのであろう。

正直、今から同じ境遇を体験し切り抜けろと言われても、サラリーマンで家族も養う私としては、社会起業の産みの苦しみに耐えられる気がしない。

これからもサポーターとしてできる支援を行っていきたいと思う。


今月も良書をご紹介いただきありがとうございました。
 
投稿者 masa3843 日時 

本書は、14歳の女子中学生がホームレスを支援する仕組みを作るまでの軌跡について描いた物語である。何より驚嘆させられたのは、14歳で気付いたホームレス問題の本質を忘れず、15年間着実に活動を継続して、宿泊施設を建てるまでになったという事実である。ホームレス問題の本質とは、ホームレスにはならざるを得ないだけの理由があり、必ずしも本人の努力不足が原因ではないということ、そして一度ホームレスになると、日本は再チャレンジが難しい社会だということである。本書を通じて感じる著者の人物像は、言い方は悪いが、とても普通の女性だ。高邁な理想に燃えているとか、強い使命感に突き動かされて社会を変えようとしているという感じはしない。そんな普通な彼女が、なぜここまで長きに亘ってホームレス問題に取り組み続けることができたのか、考えてみたい。

まず本書を読んで強く感じたのは、著者のホームレスに寄り添う真摯な姿勢である。ホームレスのことを”おっちゃん”と呼んで親近感を持って接しており、その姿勢は活動を始めた中学生の頃から一貫して変わっていない。著者がここまでホームレスに寄り添うことができる理由は何なのか。私は、その理由が2つあると感じた。第一に著者がホームレスと同じ目線に立っていること、そして第二に14歳の炊き出しボランティアで言われた人生初の「ありがとう」だ。

著者は、ホームレスと同じ目線に立って、物事を考えている。上から目線でホームレス問題を「考えてやっている」というような態度を微塵も感じさせない。その理由はどこにあるのか。本書のP37に、ホームレスになった理由を本人に直球で問いかけるエピソードがある。その答えを聞いて、著者は勉強することを選ぶことさえできない環境にある人が世の中にいることを知った。そんな環境に置かれることになれば、自分も同じようにホームレスになったかも知れない。著者はそう考えたのではないだろうか。そんな想像をリアルに働かせたことで、著者はホームレスの”おっちゃん”が抱える苦悩を、自分事として捉えるようになったのだと思う。P52には、「怠けているからホームレスになったんじゃないの?」という世間一般の人が持つ疑念に対し、「ホームレスになるには、ならざるを得ないだけの理由があるのだ」と明確に答えている。

著者がホームレスに寄り添うことができた2つ目の理由は、14歳の時の炊き出しボランティアでホームレスからもらった初めての「ありがとう」だ。おにぎりを渡した時に”おっちゃん”から言われた「ありがとう」は、友達から言われたこれまでの「ありがとう」とは異質だった。その懸命に伝えられた「ありがとう」は、思わず著者の方からも「ありがとう」を返してしまうほどの重さだったのである。この言葉の重さから、ホームレスが抱える苦悩の重さを感じ取り、この人達を何とかしてあげたいと強く感じたのだと思う。その証拠に、この「ありがとう」の直後に、そのホームレスの服装があまりにみすぼらしいことに気付いた著者は、前日母親に買ってもらった新品のコートを渡そうとしている。それでは根本的な問題解決にならないことに気付き、その行為自体は思い止まったものの、何とかしてあげたいという思いがこの体験によって強くなったのは間違いないだろう。

著者のホームレスに対する真摯な姿勢の根底にあるのは、この2つの原体験だと思う。ただ一方で、これだけでは著者が活動を継続できた理由にはならない。なぜならば、人間は忘れる生き物であり、14歳で感じた強い問題意識も、薄れていくことが普通だからだ。それならば、なぜ著者は15年間もホームレスに向き合い続けることができたのだろうか。その理由は、ホームレスと同じ目線で彼らの問題に向き合い続けたことで、ホームレスからの感謝の連鎖が起きたからだと思う。ハブチャリ事業を開始し、NPO法人を設立して雇用を生み出して以降、多くの”おっちゃん”達から感謝の言葉をもらっている。印象的だったのは、本書のP212に描かれてる、初めて給料を手にした”おっちゃん”がカップ麺3箱を差し入れるエピソードだ。著者は、この時にもらった言葉を一生忘れないと記している。ここからは想像だが、著者は多くの”おっちゃん”達からこうした言葉をもらい続けているのだと思う。事業を続けていく中では様々な苦労があるだろうが、その度に著者は”おっちゃん”達からの強い「ありがとう」に気持ちを奮い立たせてもらっているのではないだろうか。

私が本書で学んだことは、当事者意識が生み出す感謝の連鎖だ。自分が感じた問題意識に、当事者として真摯に向き合い、現場に近いところで汗をかき続けると、その真摯な姿勢が強い感謝を生んで、活動を続けるエネルギーになる。これは、仕事という価値提供サイクルの理想形だと思う。こうした好循環が始まれば、どんな困難な問題にも人は立ち向かうことができるのだ。仕事に向き合う姿勢について、改めて考えさせられた一冊だった。

今月も素晴らしい本をご紹介くださり、ありがとうございました。