さっそくぶつけました。

自動車の運転免許保有歴がそろそろ30年になります。四輪の事故(警察が来て事故処理をするレベル)は免許取り立ての20代前半以来全くありません。それなのに、それなのに、早速やってしまいました、キャンピングカーで。

月曜日から連休を使ってキャンピングカーでどこかに行こうということになり、まずは向かったのがダイソー。ここで何を調達したかというと、お皿、茶碗、コーヒーカップ等の食器に、収納ケース、調味料入れ、ちょっとした調理器具(おタマとか)などの小物です。キャンプというと、どうしてもプラスティックとか紙製の食器を使うことが多いんですが、これで料理を食べても全然美味しく無いんですよ。やっぱりチャンとした食器で食べたいですよね。ところが落としたりぶつけたりする確率は、日常生活の比じゃ無いわけです。

こういう時には落としても、割れても惜しくない100円ショップが大活躍なんですよね。ついでにワイングラスまで(もちろんこれも100円)買ってしまいました。コーヒーだってチャンとしたカップで飲むのと、紙コップで飲むのとでは雰囲気が違いますから。

で、こういうのを買いながら、家人と話をしたんですが、ガスコンロ以外にもうひとつ調理器具があるとバリエーションが広がるんだよねぇ、ということに。ここに追加するのなら電子レンジが一番なんじゃ無いの?という話になったんですが、さすがに600Wの交流は車内で作れません。ところがキャンピングカーって外部電源を使えるようになっているんですよね。フツーのコンセントを繋げると車内で100Vが使えるんです。そしてこれはAC電源を装備しているオートキャンプ場(ほとんどのオートキャンプ場にはAC電源が使えるスペースがあるはずです)に行けば、家庭内と同じように電子レンジやドライヤーが使えるということです。しかも車のエンジンを切っておけるので、騒音がしない、排気ガスを出さないと嬉しいことづくめなんです。

ちなみに私が購入したキャンピングカーには、AC電源で起動するルームエアコンが付いていて、電源を繋げば夏でもエンジンを切った状態で冷房が使えるんです。とはいえ、オートキャンプ場って普通は山とか海岸沿いとか、夏でも結構涼しいところに多いので、本当に使うのかどうかは微妙なんですけどね。

そんな話をしたので、ではちょっと帰りに家電量販店に立ち寄って、電子レンジの値段を確認しようということになりました。悲劇というか惨劇はここから始まります。家電量販店に向かう頃には、トラックベースのキャンピングカーの運転にもほどよく慣れて、これなら連休にちょっと遠くまで行けるかもな、なんて考えながら、駐車場に入りました。というか、正確に言えば入れなかった(笑)。

このお店は一階が駐車場になっていて、それ以外にも屋外にも駐車場があります。私はいつも平日に行くので、一階の屋根付き駐車場が満車になっていることは無いんですね。だからいつもと同じように、なんの疑問も持たず一階の駐車場に入れようとしたら、運転席が屋根の下をくぐろうとしたその瞬間、パリンと蛍光灯が割れる音がして、天井からパラパラと破片が落ちて来ました。その後に及んでも一瞬何が起こったのか理解出来ませんでした。

駐車場の高さ制限が2.2メートル、それに対してキャンピングカーの車高は2.8メートル。これじゃ入れるわけがありません。屋根が天井の蛍光灯にぶつかって割れてしまったというオチでした。幸いなことにそのままバックで下がれたので、屋外の駐車場に駐めて、お店にダッシュ。店長さんを呼んで事情を話して、掃除をしてもらい、警察を呼んでもらい、事故の実況見分と約1時間も後始末。

天井のパネルが割れてしまったので、業者見積もりになるそうです。ところがこういうお客って定期的にいるようで、副店長さんの話では、「あっち側は先週直したんですけどね・・・」とのこと。

運転歴約30年でも、車の高さに気を付けたことなんて(気を付ける必要があったことなんて)一度もありませんから、意識の上で、完全に無防備だったんですよね。それからは他の車を運転する度に、高さ制限のあるところってどれくらいあるんだろうか?と注意して見るようになりました。そうしたら屋根付き駐車場はほとんどがNGで、キャンピングカーでは駐車場は常に屋外と覚えることにしました。

もちろん帰宅後は、テプラで「車高注意2.8M」、「屋根付き駐車場進入禁止!」と作ってスピードメーターのところに貼り付けました。これが旅先で無くて良かったです。

で、結局電子レンジはあまりの重さ(軽いものでも10キロ)に、テーブルか何かに固定しないと怖いということで断念しました。調べてみて分かったのは、電子レンジを買う際には周波数フリー(50Hzでも60Hzでも使える機種)にしないと、日本中を旅することが出来ないということでした。安い機種は、周波数がどちらかに固定されているものが多いので要注意です。

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キャンピングカーを買いました

田舎暮らしの必需品ってわけじゃ無いんですが、自動車って用途を目一杯絞ったら面白い遊び道具になるんですよね。他の用途では使い物にならないけど、コレって使い方をしたらものすごく役に立つのです。

その意味ではオープンカーなんてまさにそんな感じの道具で、荷物もたくさん詰めないし人もたくさんは乗せられないけど、天気の良い日に屋根を開けて運転すると最高の開放感を味わえるわけです。

といっても屋根付きのガレージが無いのでこれを買うつもりはありません。で、今回手を出したのがキャンピングカーなのです。

きっかけは今年の7月に行った北海道です。北海道でセミナーをやった後に、1日だけ車でドライブをしたんです。さすが北海道、デッカイドー、ここはアメリカの片田舎か?ってくらいのスケールを満喫したんですが、その時に案内をしてくれたYさんと、「これだけ広いと全道を回るのにひと月はたっぷり掛かるよねぇ」という会話になって、それだけ長いとキャンピングカーみたいなので回った方が、毎日ホテルに泊まるよりも安上がりなんじゃないの?という話になったんです。

ところがこのYさん、去年実際にキャンピングカーをレンタカーで借りて体験済みだったんですね。これはこれでメッチャ面白かったらしいんですが、1日のレンタル代が2万円だそうです。え?ってことはひと月借りたらこれだけで60万じゃないですか。これ以外にガソリン代と高速道路代は仕方無いにして、キャンプをするために必要なお鍋だったり、お皿だったり、布団だったりを積み込まなきゃならないんですよね。

これを現実的に考えると、キャンピングカーをレンタルして、その足でキャンプ道具を調達しに行く。(まさかこれらの荷物を持って北海道に行くわけに行きませんよね。送るったって荷造りは引っ越しみたいになりますからね)食料やガス、水などは途中で適宜追加購入するにしても、ひと月終わって車を返す前には、この荷物を全部引き上げなきゃならないんですよね。特に面倒なのが布団や毛布で、これを寝袋に出来れば良いんですが、ひと月も寝袋で過ごすのは相当キツイよなあ。なんて話になったんです。

で、出張から帰って来てネットで調べてみました。キャンピングカーってこっちでレンタルして、こっちで荷物を積んで、フェリーで北海道に行けば面倒な荷造りから解放されるわけですよ。ところがこれが高いんですわ。保険を付けたら1日に25,000円くらいするんです。これで30日借りたら、ちょっとした車なら買えちゃうかも知れません。そこでちょいと考えたのが、これって中古ではいくらするんだろうか?ということでした。だって中古価格が安いのなら買ってしまった方が便利ですよね。というか、キャンピングカーの買い取りってどれくらい値落ちするんだろうか?もしかしてタマが少ないからあんまり値落ちしないのかも?だったら尚更買っちゃった方が良いんじゃ無いの?という悪魔の囁きが・・・

で、近所の車屋さんに話をしに行ったら、さすがに蛇の道は蛇。いくつかのポイントを教えてもらいました。シャワーは無くてもガマン出来るが、トイレは非常用のものでもあった方が良いこと。ワンボックスカーベースのものよりもトラックベースのものの方が使い勝手が良いこと。ガスコンロと冷蔵庫があると利便性が高まること。バックカメラを付けると駐車の時に助かること。機関(自動車としての性能)の状態と、室内の状態のバランスが重要だが、これは買ってからじっくり整備した方が良いこと等々。で、ひとしきり考えたんですよ。

これは希少性とか、実用性とか、リセールバリューとかを考えたら、セカンドカーとして利用価値は高いぞという結論になりました。

ずいぶん引っ張りましたが、結局買ったのはコレ。

camroad

7年落ち、走行距離38000キロと古い割にはへたっていない状態でした。
これに内装のクリーニング、サスペンションとタイヤ、バッテリー等の消耗品を全部交換してもらって、クラウン1台分という価格感です。

どうやったら元が取れるか、色々イベントを考えたいと思います。

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美味しいコーヒーの淹れ方がようやく分かりました。

美味しいコーヒーを淹れよう

コーヒーに目覚めたのは、高校卒業後初めて社会人となった(といってもバイトだけど)頃で、バイト先の先輩に当時厚木にあった「ポプラ館」という名の喫茶店に連れて行ってもらってからです。この喫茶店、今はもう無いんですがテレビに何度も出て来る知る人ぞ知る名店だったんですね。そんなところで味を覚えちゃったので、コーヒーについては知らぬ間に一家言持つようになってしまいました。

ところがこういう美味しいコーヒーって自宅じゃ再現出来ないんですよね。過去、サイフォン以外のほとんどのコーヒーメーカーを試してみましたが、どうやっても満足出来る味にならなかったんです。その結果、家ではそんなに美味しいコーヒーって飲めないんだろうなと思っていたんですが、それを覆してくれたのが、今使っているネルドリップ式プラスハンドミルです。

これを使ってからコーヒーに関する誤った知識に気付きました。それを理解すると、誰でも美味しいコーヒーが淹れられるはずです。そのあたりを解説してみましょう。

【コーヒー豆について】
コーヒーに拘り始めると真っ先に気になるのはコーヒー豆です。どこのマメ屋のコーヒーが美味いとか、どういう焙煎方法が良いかなんて情報が気になるものですが、実はこれが一番最後のというか、一番優先順位の低い拘りだと気付きました。ハッキリ言えば、「正しいコーヒーの淹れ方が分からないのに、マメに拘っても意味が無い」ということです。テキトーな淹れ方をしても、マンデリンとモカの違いくらいは分かりますが、どのお店のマメが美味いとか、焙煎方式による味の違いはほとんど分かりません。これはマメの問題じゃ無くて、淹れ方の問題です。逆に言えば、正しい淹れ方が出来るようになると、このあたりの違いがビビットに分かるようになるのです。

【ハンドミル】
コーヒーを美味しく淹れるための優先順位の一番先頭に来るのがコレです。高飛車に言わせてもらえば、コーヒーは淹れる直前に挽くものであって、あらかじめ挽いてあるコーヒー豆には価値が無いのです。コーヒー豆って挽いた直後から、ドンドン香りが消えていくものなんです。ある種の料理と同じで、時間が経つほどマズくなるのです。これはどんなに厳重に、空気が入らないように、香りが逃げないように工夫をしてもダメです。そんなことにエネルギーを入れるのなら、最初からマメのまま保存しておいて、淹れる直前に挽いた方が数倍マシですから。だから豆を挽くためのミルは絶対に買ってください。手でハンドルを回して挽くハンドミルにするのか、電動のミルにするのかはどちらでもお好きな方をお選びください。

【ドリップかサイフォンか】
コーヒーの淹れ方には、透過法と浸漬(しんし)法の二種類があります。今回は透過法について解説をします。で、どちらが良いのか?というとこれは好みの問題になるんですが、私はコーヒーは90度弱の温度のお湯で淹れるのが一番だと考えているので、火に掛けてお湯を沸かせながら淹れるサイフォンは淹れ方が難しいと思うんですよね。オマケに道具も高いですし。

ということで今回は透過法つまりドリップで淹れるやり方について解説をします。このドリップという淹れ方は最も普及している淹れ方で、特にペーパーフィルターを使って淹れるのは、代表的なコーヒーの淹れ方とも言えます。今回、ペーパーフィルターではなく、ネルドリップを使うのはそれはそれで理由があるんですが、これは後述しましょう。

まずは我が家で使っている道具の紹介をすると、

DSC_2932左からネルドリッパー、ポット、ミルです。このうちネルドリッパーは消耗品で使い込んでいくとコーヒーのエグミを吸って色が黒ずんで来ますから、定期的に(それでも数ヶ月は使えます)交換した方が美味しいコーヒーを楽しめると思います。

ミルに豆を入れて挽きます。

DSC_2933最初は豆に拘る必要はありません。スーパーで売っている豆を使っても構いません。ミルは機種によってやり方は異なりますが、挽き加減を調節出来るようになっています。ネルドリップの場合にはあまり細かくせず、中挽きからやや粗いくらいになるように調整してください。中挽きとはコーヒー豆がグラニュー糖くらいの大きさになることで、粗挽きとはザラメくらいの大きさになることを言います。

中挽きに挽くとこんな感じになります。DSC_2955

ここからどうするかというと、ここでいきなりお湯をドバドバと注いではいけません。まずはスポイトでお湯をポタポタと垂らすようにして、マメ全体に少しずつお湯を含ませます。お湯を注ぐのではなく、垂らしながら全体に含ませる、という感覚です。そうするとDSC_2956のようになって、さらに垂らしていくとDSC_2961のように全体にお湯がかかります。

この時の注意点は、この時点では下からコーヒーが出て来てはいけないということです。つまり、DSC_2945のようになったら失敗だということ。これは掛けるお湯の量が多かったか、少しずつ掛けずにドバッと掛けてしまったかのどちらかです。ところがここで掛けるお湯の量が少ないとこれまたダメなんです。全体にキッチリとお湯が行き渡るようにするんです。全体にと言うのは、豆の表面だけではなく、ネルドリッパーの下の方のマメにもチャンとお湯が届くということです。これはネルドリップだとすぐに分かります。DSC_2957上の写真が全体の半分くらいにお湯が行き渡った状態で、DSC_2959これが7割くらい、そしてDSC_2960この状態になると9割という感じです。ここまで来ると、下から垂らさないように注意深くあと数滴垂らしてお終いです。

ここでペーパードリップとネルドリップの違いが出るんです。ペーパーフィルターを使ったドリップだと、この「マメのどのあたりまでお湯が届いたのか」が分からないんですよ。ペーパーをドリッパーから一度外すか、透明なドリッパーを使わない限り、下に落ちてくるまで分かりません。で、下に落ちた時にはもう遅いと。だから私はネルドリップを使っているのです。ちなみに余談ですが、それでもペーパーフィルターを使いたいという人は、フィルターをドリッパーにセットしたらコーヒー豆を入れる前に、お湯でフィルターを洗い流してください。そのお湯の匂いを嗅いで頂けば分かりますが、紙ってスゴく臭いんですよ。この匂いがコーヒーに混ざるからマズくなるんです。これを先に湯通しをする事で除去するとそれなりに美味しいコーヒーになりますよ。

マメにお湯が行き渡ったら、ここでじっくりとマメを蒸らします。私はこれが分からなかったんです。蒸らすというのは良く聞くんですが、何がどうなったら蒸らしが完了したのかが分からなかったんです。これが最近ようやく分かったんです。それはこの状態でネルドリップに耳を近づけるんです。そうすると、マメからプチプチ、ブチブチ、プツプツというような音が聞こえるはずです。この音が景気よく鳴っている間はまだ蒸らしが終わっていないのです。その場合にはこのプチプチ音が小さくなるか聞こえなくなるまで待ってください。2人前の分量だと1分くらいは待つ感じです。そうすると音が聞こえなくなりますから。

そうなったらネルドリップの真ん中に勢いよくお湯を注ぎます。どれくらいの勢いが必要かというと、注いだお湯を中心にマメのアクが泡になって出て来るくらいです。DSC_2947これを見てもらうと真ん中に泡が出てますよね。これがアクです。このアクが下に落ちちゃうとコーヒーの味が濁るのです。だからこのアクが下に落ちないように、続けざまにお湯を注ぐのです。そうするとアクの面積が拡大して来ます。DSC_2948
こうなったら、ちょっと湯面が下がったら同じ分量のお湯を追加すると、アクがいつまでも湯面に固定されたような感じになります。そうするとコーヒーの美味しい部分だけが下に落ちるんです。で、必要量のコーヒーが落ちたら、ネルドリッパーにまだお湯が残っていても潔くそこで抽出を終了してください。一番マズいのは、注いだお湯が全部落ちるまで待つという淹れ方です。これだとせっかく湯面に固定したアクが全部カップに入っちゃいますから。ネルの中に半分くらいお湯が入っている状態で外すくらいがちょうど良いと思います。

こうやって淹れたコーヒーは、ビックリするほどエグミや苦みが少なくて、コーヒーの旨味とほのかな香りが際立って来るんです。そうすると豆の違いによる味の違いも明確に分かるようになるんです。高い豆を買うのはこの淹れ方をマスターしてからで良いと思うんですよね。

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原発再稼働に思うパート2。

前回のエントリーを書いてから、いろんな声をもらいました。ま、ほとんどが上っ面だけの知識で反原発を叩こうとする人なんですがね。こういう人たちとコミュニケーションをして改めて感じるのは、「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」という俚諺です。彼ら推進派に悪意は無いんです。本当にこれが日本のためだと信じ切っているんですよ。足りないのは知識と想像力だけでね。

今回はそんな知識と想像力について書いてみましょうか。ここで推進派の方が勘違いしているポイントについて書いておきましょう。彼らが(無知の)善意で原発を推進、再稼働させようとしている論拠になっているのが、「原発で作った電気は安い」という事です。推進派のほとんどの人は、原発を止めて他の方式で発電をすると電気代が騰がって経済破綻を起こすと思っているみたいです。まずはこの部分の無知から正して行きましょう。

原発で作る電気は確かに見かけの上では安く見えます。ところがこれ、正確に言えば安く見えるように帳簿の操作をしているというのが実態なんです。だって原発の発電コストの明細には、「廃炉費用」やら、「高レベル放射性廃棄物処理費」やら、「311のような事故が起こった時の対処費用」やら、さらには「原発を誘致する事による補助金(電源三法)」はほとんど含まれていませんから。つまり発電に関わる最低限のコストだけで安い、高いが議論されているのです。

こういった未来に支払いが必要になるおカネって、経理処理では「引き当て」と言うんですが、廃炉なんてのは発電開始の時からカウントダウンが始まるわけで、いつか来る廃炉の時に向けて少しずつ費用を積み立てる必要があるんです。ところがこれ、全然やっていないんです。引き当てについてについての資料はここ

これを読むと、高レベル放射性廃棄物処理費用に世帯あたり20円、使用済み核燃料の再処理費用に70円が積み立てられていますが、廃炉に必要な300億から800億の費用は除外されているんですね。ではこれがいくら貯まっているのかと調べてみます。東京電力は上場企業ですから財務諸表が公開されています。ウェブでこれを調べたらここにありました。

東電のPL(損益計算書)
で、これを見ると愕然とするわけです。なんと2009年までは引き当てゼロでした。えーと、原発っていつからやってるんでしたっけ?なんでここまでゼロなの?2010年にようやく引き当てを計上していますがその額はなんとたったの22億円。311の事件が起こった(あれは人災なので事故では無く事件と呼ぶのが正しいと思います)2011年は14億円、2012年は10億円、そして3億円、去年が5億円と。なんで金額が減っているわけ?っていうか、こんな金額じゃどうやってもカバー出来るわけ無いじゃありませんか。

これって要するに、反対派にツッコまれた時に、「イヤイヤ、ちゃんと引き当てをしていますよ」と誤魔化すために項目だけ作ったって事じゃ無いんですか。もちろんこんな金額じゃ足りませんから、これは税金を投入するか、その時になってドカンと電気料金に反映させるしかありません。本来これは全部原発の発電コストとして計上されて、その上で他の発電方式と比較されるべきなのです。

推進派の人には耳が痛い話ですが、青森県の六ヶ所村に建設中の再処理工場だって1993年に建設を始めてから今までに2兆円以上の費用をかけていますが、これだって本来は原発の発電コストとして計上しなきゃいけないのに、税金で賄っているんですよ。

これを入れるのは厳しいかも知れませんが、高速増殖炉「もんじゅ」の事業費はトータルで1兆円を超えています。本来これもまた原発関連という事で発電コストにしてもおかしく無い費用です。
つまり、「原発で作った電気は安い」というのはウソまみれの妄言なのです。役人にとってはおカネが掛かれば掛かるほど、関わる人間が多ければ多いほど自分の権力拡大になるので、積極的にこのウソに加担します。役人にとっての予算とはその大きさが自組織の権勢の象徴ですからね。

これが分かると、原発をやればやるほど日本の経済は沈んで行くという事になるのです。

スゴくトンチンカンな意見として、「原発を止めたから化石燃料の輸入金額が増えた、国費が流出している」というのがあるんですが、こういう人はもうちょっとニュースに敏感になった方が良いですよ。輸入金額が増えたのは原油価格の高騰と、為替レートが円安に振れたからです。311の時には1ドル80円だったのが今では125円ですから、これだけで50%も値段が騰がっているの。これは全然原発関係ありませんから。さらに言えば、原油輸入量のうち、火力発電に使われるのは4~14%で全体に占める比率は小さいんです。だから原発を再稼働させても化石燃料の輸入金額にポジティブな影響は与えないのです。
最後に、高レベル放射性廃棄物の処理方法について書いておくと、原発を再稼働させると廃棄物の処理方法にポジティブな影響があると思い込んでいる人がいるんですが、全く関係ありませんからね。中には原発を稼働させてそこから費用を捻出して廃棄物の処理をすれば良い、なんて言う人がいるんですが、原発を稼働させようが止めようが、廃棄物処理費用は別口で出さなきゃならないんです。原発を再稼働させたら楽に費用の捻出出来るなんて設計図にはなっていないんですから。むしろこの費用、これからも原発を続ければ処理費用がドンドン嵩むわけで、これ以上増やさない方が経済的にはプラスになるんじゃ無いんですかね。廃棄物の保管問題については、処理量を増やさないようにして、これ以上キズを広げない、問題を複雑化させない、その上でこれを推進してきた人たちの責任でキッチリとケツを拭いてもらうのがスジなんじゃありませんか。

ここまでが知識の話で、最後に想像力について書いておきましょう。前回も書いたように、原発の処理というのは少なくとも数十年(六ヶ所村は着工から20年以上が経っているのにまだ試験稼働しか出来ていません。もんじゅに至っては35年前からカネを注ぎ込んでいるのに、事故の連続でほとんど稼働していないんですから)掛かるのです。福島の処理だって廃炉になるまでたぶんあと30年はかかると思うんですよ。これが廃棄物の処理方法なんて言ったら、未だにどこに、どうやって、何年間保管したら良いのかすら全く決まっていないんですよ。目途すら立っていない。だから各原発に放置しているんですから。

この問題が決着するのは私たちの子供や孫、下手したら曾孫の世代かも知れません。つまり、今我々が電気というエネルギーを享受するためのツケを、子供や孫、曾孫の世代に押しつけているのと同じなんです。原発推進派の人はその部分で想像力(イマジネーション)が決定的に欠けているんです。数千年、数万年単位で保管しなきゃならないゴミを、未来の世代に強制的に押しつけるという事が倫理的に許されるのか?許されるとしたらその論拠はどこにあるのか?を示して欲しいものです。ただでさえ日本という国は、社会保障費、年金問題、財政赤字という問題を我々の子孫に押しつけようとしているのに、この上さらに原発が生み出すゴミを押しつけるなんて事が許されるのかという議論が必要だと思うんですよ。

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原発再稼働に見る論点のずれを正そうよ。

九州電力川内原発の再稼働が正式に認められ7月下旬にも再稼働する予定というニュースが報道されています。

まったく嘆かわしい。この問題について日本人が正しい知識を持っていない事が嘆かわしいのですよ。

原子力規制委員会の審査がどれだけ的外れなのか、論点はそこじゃ無いでしょってツッコめる日本人ってどれくらいいるんでしょうか。これが100万人ほどもいれば、原発が再稼働するという事は無いはずなんですよね。その意味で、日本人として今一度原発問題の根っこがどこにあるのか?を知っておく事は非常に重要です。

まず現状の議論を振り返ると、再稼働賛成派の人たちは、原発について「安全に稼働出来るのなら問題無い」、「化石燃料の輸入が抑えられ電気料金が安くなるから動かすべき」、「二酸化炭素の排出が無いから地球に優しい」、「放射能についてサヨクが大騒ぎしすぎる」、「原子力の技術力を向上させるためにも動かすべきだ」という理由から再生する人が多いんですが、こういう構図で議論をするところに大きな間違いがあるんです。この議論は東京電力を初めとする原発利権団体が、原発の早期稼働のために苦肉の策として生み出した世論誘導なのです。この構図に乗っかって、反対、賛成を論じると結論は必ず賛成にならざるを得ないのです。なぜならこの構図は彼ら利権団体が描いた設計図ですから。自分たちが不利になるような設計図を描くわけがないのです。

賛成派の人たちで、上記のような理由で賛成と考えているのなら、それはまんまと原発利権団体の作戦にハマっちゃってるという事です。そして原子力規制委員会もまた原発利権団体の一部で、彼らの役割はこの構図の中で、国民が不安に思うところを潰して行き、最後は再稼働をさせるところに持って行くのがお仕事です。ですから規制委員会は決してこの土俵から外れた議論はしません。それが如何に本質的、根源的ものであったとしても。イヤむしろ、本質的、根源的な問題ほど議論を避け、国民の注意がそこに向かないように誘導しているのです。なぜなら、原発利権団体が拵えた構図を外れた議論をする事イコール、日本から原発が無くなってしまうからなのです。

それくらいインパクトがあるから、注意深くその問題に触れないようにマスコミ、世論を誘導し、その枠内で活発な議論をしているように見せているんですね。ちなみに311の前は、活発な議論すらありませんでした。そんな議論なんてやらなくても自分たちで好きなようにやってしまえば良いという驕りにも近い思想を持っていたんです。ところがさすがにあれだけの事故が起こってしまったら、国民の見えないところで好き勝手にやるわけにはいかなくなったんですね。だから国民には、「原発問題については喧々囂々さまざまな意見を戦わせて民主的な方法でやっていますよ」と思わせる芝居をするようにしたんです。その芝居の重要な役割を演じているのが規制委員会なんです。彼らは一見国民の側に立ち、安全審査を厳格にやっているように思えますが、これは実態は逆で、議論の焦点を自分たちが用意した枠組みの中で収まるようにコントロールする役ですから。それに積極的に加担しているのが産業界、経済界、そして御用学者といった人々で、彼らは国民の気持ちをコントロールするのが役割です。

原発に対して不安に思っている人を否定せず、「そうですよね、不安ですよね」と言いつつ、彼らの不安を和らげる情報をもう一枚の舌で流し、国民の多くがこれからの原発は安全なのだ、原発を動かした方が日本のためなのだ、原発が動かないと日本の経済は低迷してしまうのだと考えるようにするのです。もちろんそんな彼らも自分たちの議論がシナリオの枠内で収まるように厳重に発言をコントロールしています。それはつまり、シナリオの枠内のイッシューならば議論を活発化させ、如何にも健全な議論をしていますよ、我々はオープンにやっていますよと思わせるという事です。ところがこれとは反対に、本質的、根源的イッシューになるとこれを完全にスルーし、マスコミがこの問題を一切取り上げないように、国民の目がそこに行かないようにしているのです。

そんな本質的、根源的問題とは何か?というと、高レベル放射性廃棄物問題なのです。原発に関するあらゆる議論は、この問題を深掘りしたら破綻し、「こんな問題があるんじゃ原発は止めなきゃダメだよね」と言わなきゃならないくらいインパクトがあるキラーテーマなのです。これについては小泉元総理などの原発反対派がテレビに出ても、発言がこの部分に触れると巧妙に映像が編集されて、国民の目がそこに行かないようにしています。それくらい賛成派にとってはイヤなポイントなんですよ。

なぜ高レベル放射性廃棄物問題がそこまでヤバいのかというと、これが10万年どころか100万年、1000万年という人類のイメージ出来る範囲を超えた時間軸で保管、管理しなければならないトンデモ無い代物だからです。これを冷静に考えたら、原子力というエネルギーは人間が手を触れてはいけない領域なのだという事が分かってしまうんですね。だってさ、今年は西暦2015年でしょ。たったの2015年なんですよ。右寄りの人が使う皇紀という暦を使っても今年は2675年なのです。ちなみに現在明らかになっている人類の遺産のうち古いものを書き出してみると、

マルタの巨石神殿が約6500年前

ショーヴェ洞窟壁画が3万2000年前

エジプトのピラミッドだってまだ5000年経っていません。パレスチナのエリコの塔だって1万年程度なのです。

ところが原発の燃料となるウランという元素は半減期が7億年もあるんです。ちなみに核分裂の連鎖反応が起こりにくいウラン238だと半減期は45億年です。ちなみに地球の年齢が45億年くらいと考えられているので、地球が出来た時に存在していたウランがようやく半分になったという事です。

こんなものを管理しなきゃいけないというのが、原発問題について議論をする時の最も重要なポイントですから。それ以外のポイントは全部枝葉末節です。そしてこの問題を論じていくと、原発はどうやってもあらゆる発電方法で最もコストが高いという結論にならざるを得ないのです。そりゃそうですよ、7億年も保管しなきゃいけないとなったら、そのコストがいくらになるのかなんて誰にも正確に計算出来ませんから。

では今はこの計算はどうなっているのかというと、これが笑っちゃうことに全部無視しているんです。そもそもどうやって7億年も保管するのかという議論すらしていません。とりあえず50年くらいはガラス固化体というやり方をすればどうにかなるんじゃ無いの?って話をしているだけで、それ以外のポイントについてはガン無視を決め込んでいるんです。もちろんこれから必要になる費用の財務的な引き当てもしていません。つまりこれは全部、これから税金として徴収しようって事なんでしょう。これが「原発は発電コストが安い」の実態です。

ですから反原発を論じる人はこれだけ覚えておけば良いんです。このポイントだけ推進派に突きつければ、必ず議論に勝てるのです。合い言葉のように覚えておきましょう。「高レベル放射性廃棄物っていつまで保管が必要ですか?そのための費用はいくら掛かりますか?その費用は発電コストに入ってますか?」バカのひとつ覚えのようにこれだけ繰り返していれば、言い負かされることはありませんから。

たまに本当に頭が悪い人がいて、「もう既に廃棄物があるんだから、今さら止めたって意味が無い」って宣ったりするんですが、こういう人には「これ以上増えたら余計問題解決が難しくなるって分からないの?」と訊いてあげましょう。もう1回盗んじゃったんだから、2回も3回も同じだよという幼稚な議論と同じだって、こういう人たちは気付かないんですかね?

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大阪都構想に於ける住民投票について思う事。

すでにマスコミで再三報道されているように、注目の結果は残念ながら「反対」だったわけですが、賛成を投じた大阪市民は、早いところ住所を大阪市以外のところに移した方が良いんじゃ無いでしょうか。

橋下市長がなぜ都構想のような事を言い出したのか?この背景を理解しないで、「橋下が嫌いだから」とか「住民サービスが下がるから」とか「今のままで問題は無いから」とか「大阪市がなくなるのはイヤだから」なんて幼稚な理由で反対票を投じた人が相当数いたみたいですね。

彼が自分の権勢拡大や、自己利益のために都構想を打ち出したと思っている人(そういう報道に踊らされている人)がたくさんいる事に、私は暗澹たる気持ちを持つんですよね。ここまで日本人の知性は低下したのかと正直思いますよ。

政治家なんて売れっ子弁護士と比較したらやってられないくらい儲からない仕事なんですよ。収入はガラス張りだし、プライバシーは無くなるし、公人だからあれこれ書かれるし、でも注目されないと選挙に不利だし、そのくせ身分保障が無くて選挙に落ちたら全部を失うし、と列記していくと、こっそりと弁護士で稼いだ方が楽に生きられるはずなんです。彼が政治家にならなければ、浮気の報道もされなかっただろうし、彼の出自も暴かれずに済んだ(政治家で無ければタダの民間人ですから。民間人のそんなネタにニュースバリューはありませんから)はずなんです。

これ全部政治家になって彼が背負った負の荷物です。では正の荷物つまり、クッハー政治家やってて良かったぜ!と言えるようなものがあったのかというと、彼のキャリアから考えたらほとんど無いはずなんですよ。市長としての報酬は確かに我々庶民に比べれば高額ですが、テレビで売れっ子になった弁護士先生とは比肩出来るレベルではありません。退職金と合わせ技で良い勝負かも知れませんが、彼は市長の退職金も自分自身で半額にする条例を成立させちゃいましたから。ではこれ以外に美味しい蜜があるのか?

これが参議院議員の末端に潜り込んだ政治家だというのなら分かるんですよ。歳費をすべて合計すると家一軒分くらいのおカネが毎年もらえちゃって、さらに飛行機代やら新幹線代ももらえちゃうんですからね。そのくせ市長のように頻繁にマスコミに露出されるわけじゃないから、デートをしてもよほど派手な事をしなければフツーは問題になりません(最近問題になった方が2名ほどいましたが、彼らはやり過ぎたということですね)。それと政令指定都市の市長、就中テレビで顔と名前が売れちゃった政治家とは厳しさが違うと思うんです。オマケに彼は維新の党という政党の創立者でもあるわけですから。

政令指定都市の市長にどんな美味しい事があるのかというと、これのほとんどはカネ絡みですから。もちろん市長としての職務権限は強大ですが、それとて国会議員の役付きに比べたらたいした事はありません。所詮権限が及ぶのは市役所内だけです。オマケに地方自治体は予算面で国におんぶにだっこ状態で、国会議員に陳情しないと経営が出来ないようになっちゃってます。こんな状態で、ウハウハ言っている弁護士が市長をやりたいと言い出すからには、何か大きな大義のようなものがあるんじゃ無かろうか?と考えるのが知性ある人ですよ。(もちろん我々の知らないもっと美味しいチカラがあるのかな?と考えても良いですが、まさにそれは反対派が利用した手ですね)

その大義とは何か?これが不思議な事に、マスコミでは正確かつ緻密に報道されていないんです。それが大阪が抱えている巨額の負債と、その負債を生み出したメカニズムです。ここを見てもらうと分かるんですが、大阪って財政破綻した夕張市並みの経済状況なんですよ。市民一人あたりの市債は全国ダントツ首位の195万円

で、地方債の残高は大阪市だけで5兆円です。

これを同サイズの横浜市と比較すると差が際立ってきます。しかも横浜市は東京のベッドタウンとしてもうちょっと成長する余地があるのに対して、大阪市はこれからも成長が見込めるプラス材料がほとんど無いんです。その結果、5年で10%も市税が減少しているんです。

大阪市の市税推移

平成19年の6785億から、平成24年には6066億円に減少。

横浜市の市税推移

ここのP5に出ていますが、平成20年の7295億円が平成24年は7012億円へと4%の減少に留まっています。

そんなの人口が違うんじゃ無いの?と鋭い突っ込みをする人がいそうなのでデータを出しておきます。

大阪市の人口推移

ここからエクセルをダウンロードすると、平成24年の人口が267万人である事が分かります。

横浜市の人口推移

ここを見ると、同じ平成24年で369万人である事が分かります。

つまり、横浜市の方が人工的に言えばサイズが30%以上大きい都市なんですね。だから税収が多いのは当たり前。それなのに市民一人あたりの借金が一番多いってどういう事かと言うと、要するにムダ金を使いまくる体質があるという事です。それが如実に分かるのが職員数です。なんと大阪市には3.9万人もの市役所職員がいるんですね。ちなみに横浜市は2.8万人。これを市民人口でならすと、大阪市は人口1万人あたり147人の職員がいて、横浜市は同じく1万人あたりたったの77人しかいないという事です。これを他の市で見てみると、名古屋は120人、神戸は112人、京都は108人、札幌は77人、福岡は72人、仙台は94人とダントツで大阪市が多いんですよ。

そもそも大阪には区が24区あるんですよ。たった267万人しかいないところに24区っておかしくありません?人口が915万人いる東京都の区部で区は23区しかないんですよ。なんですか、この24区って。このそれぞれに区役所があって、そこには同じような仕事をしている職員がいるんです。これをある程度まとめて一つにした方が効率化されるってのは自明の理ですよね。せめて東京並みにすると大阪市には6.7区あれば東京の区部と同じ行政サービスが出来るはずなんです。それを訴えたのが橋下市長なんです。これのどこに問題があるんでしょうか?

会社でも同じですが、人件費って固定費の代表みたいなモノですから、これがムダに多ければ市の財政を圧迫させるのは当たり前で、これにメスを入れなきゃダメだというのは経営者なら誰でも分かる話なんです。

これについて言及しているテレビ報道って見た事無いんですよね。NHKなんかでも大阪都構想について報道する時には、「いわゆる大阪都構想問題については・・・」みたいな表現をするんです。なんだよこの「いわゆる」って?「いわゆる」という枕詞を使う時には、聞き手のほとんど全員が何が語られているのかを理解しているという前提が必要なんです。みんなが、ああそれね、と知っている時だけ「いわゆる」という枕詞で説明を省略出来るのです。でも大阪都構想については日本人の大多数、そして大阪市民でさえちゃんと理解されていないのに、なぜマスコミはこれを説明するという本来自分たちに課せられた職責を全うせずに勝手に省略語を使ったんですかね?こういうのを「不作為の作為」というのです。「いわゆる」という言葉を使わずに、「大阪市の二重行政によるムダを無くす事を問う大阪都構想」とチャンと説明する報道をしていたら、投票結果は反対になっていたと思います。つまりこれはマスゴミを総動員したネガティブキャンペーンに他ならないのです。なぜ大阪都なるアイデアが出て来たのか、その背景にどういう問題が横たわっていたのかについて日本人のほとんどは知らずに、橋下市長の出自やら彼の言動のおかしさについてだけが一人歩きをして投票されちゃったんですね。その問題の本質を理解せずに、賛成、反対を論じるのはナンセンスですよ。

追記すると、この稿を書いている5月18日のNHKクローズアップ現代で、この大阪都構想について解説をしていますが、これを投票前に放映していたらあと6000人くらいはひっくり返った(つまり賛成派が勝利した)と思います。このあたりNHKは巧妙というか姑息です。

特に悪質だったのが反対派で、彼らは殊更にこの根本問題を市民のそして国民の目から逸らそうとしていました。彼らが訴えていたのは、橋下市長のキャラクター問題、都構想の矛盾を衝く事、そして都構想が実現したら起こるかも知れないネガティブケースの誇大化、さらには今のままでも不都合は無いという変化を嫌うジジババの心情に訴える情緒的ストーリーでした。その前に、大阪が今どんな問題を抱えているのかを論じなきゃ話は始まらないんじゃ無いのとはならなかったんですね。だってこれって反対派には目を背けたい不都合な真実ですから。

橋下市長が訴えていた二重行政とはまさにこのムダ使いを止めようという事で、これに反対するのはこのムダ使いによって甘い汁を吸っている人だけのはずなのに、甘い汁を全然吸っていない市民ですらこれに反対したのは、反対派の戦略勝ちというところなんでしょう。

このままこのムダ使いが続けば(ここを見ると大阪市という組織がどれだけムダ使いをしてきたのか、それが職員の役得になっていたのかがよく分かります。これだけ逮捕者を出し続けている市役所ってありませんから。)遠からぬ将来、大阪市が財政再建団体に降格するのは確実じゃ無いかと思います。その時になって、市民サービスが減ったとか、生活保護の需給審査が厳しくなったとか、乗客の少ないバス路線が廃止されたとか文句を付けても遅いんですよ。今回の住民投票では悲しい事にそういう理由で反対した人がたくさんいる事が出口調査で分かっているわけですが、こういう人たちは大阪市が財政破綻したらもっともっとヒドい状態になるって事を知っているんですかね?

で、ここまで読んで、オレには関係無いよと思った大阪市民以外のみなさん。関係無いわけ無いじゃありませんか。冒頭書いたように、地方自治体というのは国の財政にぶら下がって生きながらえているんですから、大阪市が財政破綻したら我々が払っている国税からおカネが回されるって事ですよ。だから対岸の火事じゃ無いんです。それなのに、全国放送で橋下氏と反対派の中心人物を集めて徹底討論させようと考えた番組はほとんどありませんでした。これがマスコミの世論操作でなくてなんなんだ?と感じましたけどね。

今回の住民投票で、反対派が勝ったことにより、これからさらに守旧派は大手を振って好き放題の贅沢浪費三昧を行うんじゃありませんか。今まで通りカネを使う事が民意なのだ、くらいは言い出しかねません。そういう風土というか価値観が、この借金と市職員の逮捕者を生み出したわけですから。彼らがこころを入れ替えて、自らの力で自浄プロセスに入れるとは思えません。

ちなみに、大阪市が財政破綻をしたら一番ガミを食うのは周辺の地方自治体です。地続きなんですから、誰が好き好んで住民サービスの悪いところに住む必要があるんですか。賃貸ならなおさら東大阪、羽曳野、尼崎、門真、池田という周辺の市に引っ越すに決まってるじゃありませんか。破綻した夕張市だって平成19年の破綻時から平成25年には20%も人口が減ったんですから。がめついじゃなくて機を見るに敏な大阪市民が、大阪市を見捨てて他に移るというシナリオは彼らのビヘイビアを考えるととても自然です。それなのに、周辺自治体はこの大阪都構想については傍観を決め込んでいたのがもうひとつ理解出来ないところです。(積極的に反対をしていた市長もいて、この人の脳みそは一体どうなっているんだろうか?と思いましたけどね)私が周辺自治体の市長なら、大阪市が破綻したらワシらにも累が及ぶんやから、とっととダウンサイジングしてくれやって言いますけどね。

ここまで書いていたらむかっ腹が立ってきたので、投票結果についてひと言言っておくと、今回の投票結果はジジババによって支配されたのです。珍しく朝日新聞が面白い記事を今朝アップしました。

20・30代は6割賛成 都構想 朝日・ABC出口調査

これを読むと、実は今回の投票、20代から60代までは全世代で賛成が反対を上回っているんです。唯一反対が上回っているのが70代以上の高齢者層です。この要因は70代以上が人数も多く、投票率が高い事にあると論じている報道が多いんですが、ここで思考を終了させちゃダメだと思うんですよ。そもそもこれから社会のフルメンバーとしての地位を明け渡していく老人たちが、自分たちの世代が拵えた負の遺産を子や孫の世代に押しつけて良いのか?という議論が必要じゃ無いですかね。彼ら70代の方々は大阪市の財政破綻を見る事は無いかも知れません。早ければあと10年、どんなに頑張ってもあと30年後にはほとんどの方が鬼籍に入られるわけですから。そういう人たちが、この問題をこれから背負わなきゃならない世代の意見をねじ曲げる(60代以下は全世代が賛成なんですから)という事が許されるべきなのか?デモクラシーという制度としてこういう事態を看過して良いのかという視点は、これから活発に議論されてしかるべきだと思いますよ。次の世代に負の遺産を押しつけるというのは、原発問題でも根底に存在するキーワードなんですが、こちらでもこの部分に焦点が当たる事はありません。未だに稼働させる期間内に於ける安全性云々で再稼働させるかどうかが議論、報道されているお寒い状態ですからね。

それにしても6.7区しか必要ないところに24区も作って手厚い住民サービスをした結果財政破綻してしまう、そしてそれを先に死んでしまって後始末をしないだろう年代の人たちが、この制度を存続させたいと決めてしまったという事実は日本人が須く記憶しておくべき事だと思うんですよ。先ほど、「住民サービスが低下するから反対」と言った人に「悲しい」という形容詞を使って表現したのはそういう事です。

こんな結果になるんなら、もっと前からこのブログやメールマガジンで事の本質を伝えておけば良かったなあとちょっとだけ自戒する気持ちもあるんですよ。でもまさか本当にこういうバカげた結果になるとは想像すら出来なかったというか、そこまで大阪市民はバカじゃなかろうと思っていたんですけどね。

とはいえ、もう決着がついちゃったわけですから、大阪市は自らの意志で没落する事を決定したという事で、これからの推移を見守るしか無いんですよね。住民投票で賛成を投じた人は、自分の力でこれから来るカタストロフィーに備えてください。この流れが加速したらその「いつか」は必ず来ますから。その時に狼狽えなくて済むように準備だけはしておきましょう。私も橋下市長の人格には大きな問題を感じますが、それを差し引いてもこのアイデアは起死回生の素晴らしい一手だったと思いますよ。これがスポーツなら「ナイストライ!」って褒めてもらえるんですが、政治はそうでないところが冷酷だと思います。逆に、既得権益を死守した反対派は当分お屠蘇気分が抜けないでしょうな。彼の記者会見を見ていて感じたのは、「別にオレは今のままでも何も困らないんだけどさ。でも市民の多くは塗炭の苦しみを味わうよ。それをどうにかしてあげたいと思って政治家になったのに、これが伝わらないんじゃもう仕方無いよね」という徒労感で、その顔が印象的でした。

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書評『最後の職人』


子供の頃、家の食事でどうしても好きになれないものがあった。それが天ぷらである。数ヶ月に1回、もしくは半年に1回くらい、しかもそれは日曜日である事が多かったのだが、母が台所に新聞紙を敷き始めると、ああ今日は天ぷらかとウンザリしたものである。当時食べていた天ぷらというのは、衣がボテっとしていて、油臭くとても食えた代物では無かった。しかも最悪なことに、全部のタネを先に揚げてしまうのだから始末が悪い。これだと一番最初に揚げたものが口に入る時には平気で30分とか経っているので美味いわけが無い。さらに言えば、我が家には天汁(つけ汁)が無く、全部のタネに刺身のように醤油を付けて食べる、という恐ろしい習慣だったのである。

その結果、私は極度の天ぷら嫌いになってしまった。長じて高校を卒業して、外で働くようになってからも、天ぷらだけには手を出さないように気を遣っていたくらいである。ところがある先輩に食事に誘われてたまたま入ったのが天ぷら屋だったのである。美味い店があるから行こうと言われてノコノコついて行き、店の前に来た時にここが天ぷら屋である事を理解した私は戸惑った。さすがにここまで来て、天ぷらは嫌いなので遠慮します、とはもう言えない。

覚悟を決めて店に入り、最も安い天ぷら定食を注文した。最悪の場合、ご飯と味噌汁、お新香だけを食べて、先輩に天ぷらを食べてもらおうと考えたのである。ところが、運ばれてきたお膳に箸を付けてみてビックリした。初めて見るホンモノの天ぷらは衣が薄かった。ピーマンなんて衣の膜の向こう側に緑色の果肉が透けて見えるじゃないか。我が家の天ぷらは衣の肌色が見えるだけで、その衣の形からたぶんこれはピーマンかも知れないなとアタリを付けるのがせいぜいであったのだから。オマケに口に入れると香ばしいゴマ油の香りが広がり、適度に水分が蒸発したタネがサクッとした歯ごたえで割けるのである。おまけに天汁の出汁の香りがまた油に合うのである。

なんだ!これが天ぷらなのか!と私を襲った衝撃は忘れられない。件の先輩も呆けたように天ぷらを味わう私の姿に驚き、「何だ?そんなに美味いのか」と身を乗り出して訊いてきた。今考えれば天ぷら定食で1000円以下だったので、全然高級店でも、老舗でもなく、値段の割にはそこそこ美味い、今思えば、チェーン店の「天丼てんや」のような店なのに、こちらは一人前1万円を超える高級店でのみ見る事が出来るリアクションをしたのだから、驚くのもムリは無い。

爾来結婚するまで、天ぷらは外で食べるというのが、私のポリシーとなり、美味い天ぷら屋を見つける事が密かな楽しみにもなった。

ところが、である。外食でまともな天ぷらを食そうと思うと、それはそれはギョッとする金額を払わなければならないのである。ちょっとしたところで3000円から5000円、本格的に美味いと言えるものとなると8000円以上は覚悟しなければならないだろう。これがどうにも腑に落ちなかったのである。天ぷらのネタって、魚介類でもどちらかと言えば安い部類に入る、エビ、イカ、キス、ちょっと高めだと思われるモノでも穴子くらいが良いところで、これ以外は野菜である。しかも量はと言えば、ひとつのタネは二口で食べられる程度の大きさがひとつかふたつだけ。なぜこんな分量のもので、これだけの価格になるのかが理解出来なかったのである。

寿司やウナギが高いのは理解出来る。素人目に見ても本マグロの大トロが安いわけ無いし、天然物のウナギが簡単に入手出来ないのは分かるから、でも天ぷらって極ありきたりの、それこそスーパーで買えるようなものを、ほんのちょっとだけ使って、衣を付けて油で揚げただけなのに、なぜあんなに高いのだろうか?と常々感じていた。

しかるに、無知ということがどれだけ恐ろしいことだったのかを本書を読んで痛感したのである。天ぷらってこんなに原価が高いわけ?っていうか、一人前の天ぷらを揚げるのに、ゴマ油を三度も四度も交換するって、そんな事をやったら儲かりませんがな。しかも揚げ手の力量というかスキルが、ここまで味にインパクトを与える料理だとは想像の範囲を超えている。あんなもの、衣を付けてテキトーに油に入れれば、それなりに似たようなものが出来るんだろうと思っていたのだが、温度計を使わず油の温度をピッタリ読み、衣の濃度と付け具合をタネによって変え、タネの揚がり具合を読み切り、完璧なタイミングで上げ、タネによっては余熱を利用してさらに熱を通す。すべてに絶妙の技術が要求される職人芸で、いくらタネが良くても腕が悪ければ全部がパーになってしまう厳しさがあるのだ、と恥ずかしながら本書を読んで初めて知ったのである。

本書には「天ぷら近藤」の店主近藤文夫氏の人生を振り返りつつ、天ぷらという料理の奥深さと、それを支える裏方の人々にもスポットを当て、さらに天ぷらという料理が歴史的にどういう変遷を辿ったのかについても書かれている、一冊で何粒美味しいのだと言いたくなるようなコンテンツなのである。ここでは、近藤氏にとって当たり前の事が、他の天ぷら屋ではどれだけ非常識なのかということが随所に出て来るのだが、このエピソードを読むだけで読者は「天ぷら近藤」で食べてみたいと思うはずである。

食材の旨さをどう最大限に引き出すかを考えれば、切った野菜を水にさらして準備するなどもってのほか。魚介は、内臓こそすぐに取り出しますが、乾燥を防ぐ意味でも、お客様の顔を見てからおろすのが当然です。そうでなければ香りも旨味も飛んでしまいますから
P168

かき揚げを上げる時の描写では、

青柳など貝類は水分を含んでいます。つまり、揚げている最中に水分が中から漏れ出そうするのですね。これを適度に飛ばしながら、それでいて青柳は半生の状態でとどめる。もちろん衣にも水分がありますから、この全体のバランスを掴んで、火力の調整と実際の油の温度を調整する必要があるのです。
中略
”近藤は涼しい顔をしてそんなことをのたまう。けれどもかき揚げを一度に六個も揚げ切る職人は天ぷら界でも数人いるかいないかだろう。普通、かき揚げを揚げる際、職人は、箸先に全神経を集中せざるをえない。心の状態が落ち着いていなければ、思い通りにかき揚げは揚がらないと語る職人もいた。また、人によっては、ひっくり返したと同時に箸でかき揚げに穴を空けて、その中心まで火を入れるというが、近藤はそんなことはしない。箸先で、ヒョイ、ヒョイ。玉蜀黍と同じようにいとも簡単にかき揚げをひっくり返して、じーっとかき揚げを見つめて終わりである。
P197~198

仕入れについても近藤氏の食材に対する真摯な態度は変わらない。築地市場には、毎日足を運ぶ料理人というのがごく少数いるらしいのだが、その数少ない料理人の一人が近藤氏なのである。なんとかれこれ五十年近く、市場が開いている日には休むことなく自ら足を運ぶ。その前日は深夜まで働いているにも拘わらず、六時に起きて河岸に足を運び続けているのである。その結果、仲買人たちは、いつでもその日最高の素材を近藤氏のために取っておいてくれるのである。これで作った料理が不味かろうはずはない。

本書は天ぷら職人の人生を書いたものだが、その裏に横たわっているのは、職業に命を賭けるサムライの心とはどういうものなのかである。口では誰でも「命を賭けている」と言えるのだが、それがどの程度のものなのか、本書で描かれている近藤氏の生き様と比較してみればよく分かるだろう。口で言わずとも五十年も休まず続けていれば、そこに伝説は生まれ、語り継がれる何かが滲み出てしまうのである。それを理解するために本書を読むというのもひとつの読み方であろう。

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日本が当分戦争を出来ない5つの理由。

今日のネタは右寄りの人にはちょっと残念な、左曲がりの人にはうれしい内容かも知れません。ここ最近、安倍政権が右傾化しているとか、集団自衛権を行使出来たら日本は戦前のような軍国主義に戻ってしまうとか、色々な意見が出ていますがこれはちょっと頭を使って考えれば、心配する必要すら無いという事を、情緒や思想を排除して、論理的にハッキリさせたいと思います。これは言い換えると、日本が戦争をする国、戦争が出来る国になるにはこれだけのハードルを全部クリアする必要があるという意味でもあります。

【日本が戦争出来ない理由その1】
まずひとつ目の理由は財政です。戦争という行為にはとにかくおカネが掛かるんです。軽火器と言われる小銃や機関銃の弾だってタダじゃ無いんですから。オマケに軍隊を抱えていれば、移動するのも、メシを食うのも、風呂に入るのも、寝るのだってカネが掛かるんです。日本は日露戦争の時に、そのカネが無くなってジェイコブ・シフというユダヤ人を通して戦時国債を買ってもらってどうにか凌いだわけです。ちなみにこの戦時国債を利息を付けて返済するために、なんと80年かかったって知ってますか?つい先日、麻生財務大臣が「日本は借りたおカネは利息も、期日もキッチリ守って返済した」と発言したのはこの事です。

翻って日本の財政状況を見てみると、戦争どころか医療費や年金すら満足に払えないくらい金欠状態なんですよ。この状態で戦争するカネがどこにあるんだ?って思いませんか?今次大戦だって、政府はカネが無くて国民を騙して貴金属の供出をさせて、そのカネで戦ったんです。それでも足りずに膨大な戦時国債を発行した挙げ句、戦後は支払いが出来なくなってハイパーインフレが起こり、預金封鎖という荒業をせざるを得なくなったんですから。財政的にはその頃と変わらないくらいのヒドい状態が今なんです。日本に佐渡金山の数倍規模の金鉱が見つかったというような事態にならない限り、日本に戦争をするカネはありません。

【日本が戦争出来ない理由その2】
戦争というのは、軍人だけがやるモノではありません。これは国を挙げての総力戦ですから、極端な事を言えば、小学生が積極的に応援するような情熱が無いと遂行出来ないんです。そんな事がかつてはあったのかって?これがあったんですね、それが軍国教育です。戦前は教科書に兵隊の話がいくらでも題材として使われていて(有名どころでは日清戦争で戦死した木口小平というラッパ手が、死んでも口からラッパを離さなかったという事で、修身の教科書に掲載されて、全国民のほぼ全員がその逸話を知っていたなんてのがあります。)

その結果、小学生の将来の夢は陸軍大将か、海軍大将になる事。遊びと言えば兵隊ごっこだったんです。町で軍人を見かけたら尊敬の眼差しで見つめるなんてのも、軍人にとっては影ながらの応援ですよね。ところが今はどうかというと、自衛官は怖くて町で軍服(制服)を着られないって言ってますから。渋谷や新宿、北新地とかの繁華街で陸自や海自の制服を着ていたら、酔っぱらいに絡まれて大変な事になりますよ。それが今という時代です。

つまり、日本が戦争をするためには、国民の大多数が軍人(自衛官)に尊敬の念を抱き、子供たちの将来の夢や目標が軍人になる事だというレベルに国民を洗脳教育しないとならないんです。そしてあらゆる施策の中で、これが一番重要で、最も難しいと思います。

明治維新後に政府当局が打ち出した「富国強兵」とはまさに国民を戦争に駆り立てる洗脳を、生まれた時から確実にやるぞという宣言でもあったのです。生まれた時からというのは大袈裟だって?トンデモない、これが歴史上の事実ですから。このプログラムは出産時から綿密に作り込まれていますから。赤ちゃんが生まれて、産婆さんが取り上げる。そして分娩室の外にいる父親が、赤ちゃんの泣き声を聞いてようやく産まれたかとホッとして、分娩室に入ってくる。そこで父親が真っ先にする質問は何だか分かりますか?これは今でも同じで、ほとんどの場合、「(男か女か)どっちですか?」ですよね。当時の産婆さんはなんて答えたか知ってますか?男の子の場合には、「おめでとうございます、兵隊さんです」って答えたんです。では女の子の場合はなんと答えたんでしょうか?正解は、「おめでとうございます、海軍さんです」って答えたそうですよ。(海はドイツ語で女性名詞だからです。だから海に関するものは、女性を代名詞にしているんですよね。「兄弟」港ではなく、姉妹港ですし、「童貞」航海じゃなくて、処女航海ですしね)

スゴいでしょ。生まれた瞬間から将来戦争に行く事、戦争に加担する事をプログラムしちゃってるんですから。人間として生まれて最初に聞かされる言葉が、兵隊や海軍じゃそりゃ潜在意識に残りますよ。

こうやって綿密にプログラムしないと、国民が戦争に参加する事は出来ません。これは軍人にならなくても同様で、新型の兵器や武器を考案して設計するエンジニアが、「オレは人殺しの道具なんて作りたくない」って思ってたらどうなりますか?学問というのは自由意志の発露ですから、これを強制させる事は(基礎教育ではなくて、高いレベルでやるものについては)出来ないんです。零戦を設計した堀越二郎氏のような優秀な技師だって、お国のためにと思ってやったわけで、彼が心の底から戦争反対論者だったのなら、必ず何らかのサボタージュをしていたはずなんですよ。

一般人でさえこうですから、実際に命を捨てる可能性が高い軍人になるというハードルを越える(超えさせる)ためには、遠大なプログラムが必要な事は論を俟ちません。当時は本当に優秀な人ってみんな東大じゃなくて陸軍士官学校か、海軍兵学校(どちらも幹部養成学校)を目指したんですから。これに落ちた人が仕方なく東大を受験したんです。しかも脳みそだけじゃ無くて身体強健、堅忍不抜で無ければ合格しなかったんですから、単なる秀才じゃダメだったんですね。現代でこういう若者が競って防衛大学に行くかというと、どう考えてもノーですよね。これを変えさせるような教育プログラムを作って、それを浸透させ、実際に成果が上がるまで何年かかるんですかね。

【日本が戦争出来ない理由その3】
さらに彼ら幹部候補に加えて、実戦部隊としての兵隊を集めなければ戦争は出来ません。将棋を指す人ばかりいても、将棋の駒が無ければ話になりませんから。つまり、徴兵制の復活が必要になるんです。これは憲法改正と同じくらいハードルが高いと思いますよ。民主制で、移動の自由が保証されていて、しかも国民等しく衣食住が足りている状態で、誰が好き好んで徴兵されるんですか。当時は20歳になったら徴兵検査があって、甲乙丙のレベルに分けられて登録をされたのはご存じでしょう。その後、召集令状(所謂赤紙)が来ると、すべての生活を放擲してでも期日までに入営したわけです。

いま、これをやったらどうなると思いますか?まずパスポートを抱えて、預金を全額引き出して家族を連れて海外に逃亡しますよね。そしてそれを誰にも止められないんです。全てを抛って馳せ参じるなんて人がどれくらいいると思うんですか?だって軍人になったら死ぬかも知れないし、敵国の人を殺さなきゃならないわけで、こんな事を喜んでやるのはヤクザものか、一部の人格破綻者だけじゃありませんかね。それを仕方の無い事だ、イヤでもやらなきゃならないのだ、と精神的に納得させ、そして法的に国家が権力を行使出来るようにするためのハードルを、今の日本という国が超えられるとは思えません。

【日本が戦争出来ない理由その4】
もう一つの問題がマスコミです。戦前はマスコミは完全に政府の支配下にあって、反政府的な発言は出来ない仕組みになっていたんです。検閲も当たり前でしたし、発禁処分も頻繁にありました。だからこそ、国民は限られた報道で、しかも偏った報道だけを目にし、耳にしたわけで、それがあったから全体国家として、戦争というひとつの方向にまとめる事が出来たんです。でも今は、発禁処分出来ないでしょ。検閲もやれますか?ネットの時代で、誰でもブログやメルマガ、ウェブサイトやツイッターのアカウントを持てる時代に、どうやって検閲が出来るんでしょうか。まさか中国みたいに数百万人を雇ってネットの書き込みをチェックしますか?そもそも戦後の日本には言論の自由という文化が完全に浸透していますから、今からこれを制限する方向に動く事は、国民主権、民主制の国では不可能です。これを強行した瞬間に政権はひっくり返ると思います。では今の状態のまま放置していたら、国民は戦争に賛成するんでしょうか。これもまたあり得ないというのが現実的な答えですよね。

【日本が戦争出来ない理由その5】
よしんばここまでの事を全部クリアしたとしましょう。日本に新しい巨大金鉱が見つかって、なぜか三陸沖で巨大油田が見つかって、財政問題がクリアして、エネルギー問題も解決した。さらに国民への洗脳が上手く機能して、婦女子から老人まで全国民が、お国のために命を捨てるのは尊い、素晴らしい行為で、願わくば私もそうやって国に貢献したいと思ったとします。それでも日本は戦争が出来ません。正確に言えば、戦争をやった瞬間に、宣戦布告の10分後に日本は滅亡するんです。

それはなぜかというと、日本に原子力発電所があるからです。原発と戦争になんの関係があるのかって?これが大ありで、GPSで進路をコントロール出来る通常ミサイルを、原子炉に当てられたら日本は一貫の終わりですから。中国や韓国、台湾、北朝鮮、樺太あたりから狙われたらかなりの精度で当てられると思いますよ。

こんなのはアメリカもイギリスもフランスも同じじゃ無いか、という人がいそうですが、彼は自国の周りに仮想敵国を持っていないんです。イギリスやフランスはEUという一心同体の共同圏を作っていますし、アメリカが敵視しているロシア、イラン、アフガン、中国、北朝鮮はどれも本土からかなり離れています。ここにミサイルを狙ったところに撃ち込むには相当な技術力が必要で、これが出来るのなら世界は核戦争によって滅ぶでしょう。近所にキューバという敵がいますが、あの国の国力では何も出来ませんし、最近は和解もしそうですから。

ところが日本の周りには、日本の事が気に入らない国がたくさんあるんですよ。日本が嫌いな国としては中国、韓国、北朝鮮が挙げられますし、逆に日本の方が快く思っていない国としては、北方領土問題を抱えるロシアもすぐ近所に存在します。その意味では隣国といっても良い国々と、今ひとつ仲が良くないわけで、それはイコール将来の仮想敵国にもなり得るわけです。そういう国が福井や新潟にある原発にロックオンしてミサイルを飛ばしたら、距離が距離だけに当たりやすいは、撃ち落とすための時間が無いはで、どうしようも無いと思うんですよね。

つまり日本が戦争をするのなら、原発は全て止めて、使用済み核燃料を一か所に集めて、その周りには迎撃用ミサイルをビシッと配備しておく、という事が必要なんです。原発大嫌いだけど、このおかげで日本が戦争をしなくて済むのなら、これはこれで役に立っているなあと思うわけです。

ここまで、日本が今後も戦争は出来ない理由を5つ挙げましたが、逆に言えばこの5つを修正させる如何なるアクションも見逃しちゃいけないって事です。ここさえしっかりウォッチしていれば、良いと思うんですよね。

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戦後70年、今年は戦争についてじっくり考えてみるぞ。

久しぶりの書評はこれ。


戦後70年となる今年、あの戦争が意味したものがなんだったのかを知るには、このような本に頼らざるを得なくなっているのが現在の日本である。戦後70年とは、つまり明治維新から数えると昭和10年頃になるわけで、つまりは日本が破滅への道をひた走り始めた時期と重なるのである。

昭和10年からの10年間で日本は都市圏がすべて焼け野原となり、軍人、軍属230万人、民間人80万人が犠牲となった。それら戦災者の一人ひとりに、この小説に出て来る片岡直哉や鬼熊軍曹のような物語があったはずである。しかしこのような物語を心の奥深くに格納し、吸収し、背骨の中心部に凝縮して集めるためには、浅田次郎のようなストーリーテラーが必要なのである。彼の筆によって、あたかも自分が片岡直哉や、鬼熊軍曹に成り代わったような錯覚を読者に起こさせるのである。

この小説のストーリーについてはくどくどしく解説をしない。終戦直前に臨時召集を受けた3人が千島列島の最北端占守島に向かうところから始まる。占守島がどこなのか、私もこの小説を読むまでは地理的な位置が分からなかったのだが、なんとカムチャッカ半島のすぐ南、たったの12キロのところにある島なのである。ここの島に向かうということは、かつてはこの島は日本の領土だったのだ。

我々日本人が一般的にイメージする北方領土というと、国後島、択捉島、歯舞色丹諸島だけであろう。しかし歴史的には、千島列島すべてが1875年(明治8年)当時のロシア帝国と締結した樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)によって、日本の領土となっているのである。つまりこれは日露戦争の勝利によって奪った南樺太とは質が違う、平和時に平和裏に国対国が交わした約束によって確定した領土であり、その意味では、国後、択捉と同レベルで日本の領土と言えるのである。

然るに何故、北方領土というと国後、択捉、歯舞色丹諸島に限定されているのであろうか。ちなみに信じ難い事だが、これら千島列島すべてが日本固有の領土であると主張し、ロシア側に返還要求をしているのは、自由民主党でも民主党でも、公明党でもなく日本共産党なのである。

日本国内でもこのような状況になっているため、その千島列島の最北端にある占守島を現代に生きる日本人が知らなくても不思議は無いのである。そしてこの島には終戦まで、日本陸軍最強の精鋭たちが集っていたのである。ここには満州で実践と経験を積んだ関東軍が、アメリカの北からの侵攻を防ぐために、当時最新鋭の武器を携えて待ち構えていたのである。ところが、アメリカは北からでなく、南の沖縄から侵攻をする道を選び、そして日本がそれに気付いた時には制海権を失い、部隊の移動が既に出来なくなっている状態だったため、結局終戦まで全く戦う事無く放置された部隊となってしまったのである。

彼らを占守島に移動させず、そのまま満州に配備していれば、昭和20年8月8日から起こったソ連の対日宣戦による満州侵攻も、あれほど無様な、そして民間人の甚大な被害は抑えられたのでは無いかと考えられるのである。この満州侵攻により、中国残留孤児のような悲惨な事態が起こったのは良く知られている通りである。

しかし、この満州侵攻については百歩譲ろう。日ソ不可侵条約を一方的に破棄しての宣戦布告という卑劣な行為も、日本がまだポツダム宣言を受諾していない戦争状態だったので、こういう事も歴史上ゼロじゃ無いという事で、腹の立つ事ではあるが仕方がない。

このソ連による宣戦布告並びに、日ソ不可侵条約の一方的な破棄については多くの日本人が歴史の授業で習い、ご存じであろう。しかしこれから書く事、そしてこの小説で書かれている事というのは、それ以上に卑劣極まり無いソ連の悪行で、これが教科書からも、歴史についての報道からも消し去られているため、ほとんどの日本人が認識すらしていない事実なのである。

日本は昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾して、連合国に降伏をした。つまり、この時点で戦争は終結したわけである。ここからは双方戦闘行為をしてはならないというのが国際法の常識である。然るに、ソ連は8月18日に突然カムチャッカ半島から占守島を攻撃し千島列島を占領しに来たのである。繰り返すが、ソ連の侵攻は日本の降伏後である。先ほどの満州侵攻は8月8日で辛うじて戦時中であり、宣戦布告もしている事なので許容範囲と言えば言えるのだが、占守島への攻撃は断じて許容範囲外である。

しかしこの占守島には先述したように、関東軍の精鋭たちが準備万端整え、いつ敵が来てもこれを撃退する能力を持っていたのである。その結果、攻めてきたソ連軍はたったの2日で3000人以上の死者を出すボロ負け状態になるのである。ここまでは気分がスッとする話なのだが、このまま日本の勝ちとはならなかった事が次の悲劇を生むのである。占守島の日本軍は勝ち戦を展開していたが、日本という国は連合国に降伏をしたわけである。この矛盾を解くために、軍命により8月21日に占守島の日本軍は降伏し、23日に武装解除となる。

この結果何が起こったのか?日本軍が優勢に戦いを進めていたという事はソ連軍は負けつつあったわけで、それなのに公式には日本が降伏したということになると、ソ連としては腹の虫が収まらないわけである。これは個人のケンカを思い出しても同じであろう。殴り合いをして負けている方が、政治的な裁定で勝ちに転ずると、今まで殴られた仕返しをしたくなるわけである。この心理状態がソ連軍にも起こった結果、全く法的根拠もなく、平和裡に武装解除に応じた日本帝国軍人を捕虜としてシベリアへ連行し、そのまま抑留してしまうのである。この抑留は最長で、日ソ国交回復のなる昭和31年までという気が遠くなるような奴隷生活で、抑留者の10%以上が劣悪な環境による餓えや病気によって死亡したとされるシベリア抑留問題である。(もちろんシベリア抑留者は占守島にいた軍人だけでは無く満州で捕虜となった軍人も多数いて、総勢で60万人とも70万人とも言われている。)

実は日本降伏の前に連合国首脳で行ったヤルタ会談では、千島列島はソ連のものという約束が出来ていた(アメリカは明確な回答をせず、文書にも残っていないが、ソ連を参戦させるためにそのようなリップサービスをした可能性は極めて高い)が、このまま日本が降伏して、千島列島に日本軍及び日本人が居住していたら、ソ連の領土にはならないと考えたスターリンが火事場泥棒に参戦したというのが実態であろう。これが北方領土問題の全貌で、だからこそアメリカは今に至るも、(日米安保条約があるにも拘わらず)北方領土問題については全く日本の味方をしない理由であろう。それこそがヤルタ会談で、北方領土はソ連のものという合意があった証左にもなろう。

つまり国際法上では、ソ連の行いは文句なしに違法ではあるが(降伏後に戦争を仕掛けて領土を奪うなんて事が許されるはずが無い)、政治的にはなし崩し的に奪っちゃったものは大目に見るからね、という事であろう。こうして奪われた領土がいつの間にか、国後、択捉、歯舞色丹だけに限定されてしまったのはいつの事なのか?幌筵島(パラムシル島)も、阿頼度島(アライト島)も、占守島(シュムシュ島)も、松輪島も全部日本の領土なのだよ。

戦後70年となる今年、改めて我々日本人は、このような歴史について勉強する必要があるはずで、そのためにこのような小説は間口の入りやすさという意味で、とても貴重な存在なのである。日本人の中にある、ロシア人に対する得体の知れ無さというか、気味の悪さというか、抜きがたい不信感もまた、このような歴史が産んだ帰結であるとも言えるのである。

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wmvやmp4形式のファイルをDVDプレーヤーで見るためには。

wmvやmp4形式のファイルをDVDプレーヤーで見るためには

私は専らPCで仕事をしていて、従って情報収集や個人の勉強のために見る、有料、無料のビジネス系セミナーもほとんどをPC上で再生して見ています。

マルチモニターを使っているので、一方の画面にセミナー動画を流しながら、メールマガジンの記事を書いたりしているワケです。これはこれで便利なんですが、ちょっと困るのがこの動画を運転中に見たいと思った時です。

実は先日、10日ほど掛けて九州ツアーをして来たんですが、とにかく日中は車で移動するのが仕事みたいになるんですよ。多い日には1日で500キロ以上走りますから。つまり1日のほとんどを車中で過ごすわけで、そうなると車内でのレクリエーションというか楽しみが無いと、耐え難い時間になるわけですね。さすがに家人と10日も車の中で話し続けられるネタはありませんし。

で、初めは家にある映画のDVDでも持って行こうかと思ったんですが、最近買ったDVDのほとんどがBlue Rayになっていて、古い私のカーナビでは再生してくれません。また映画ってのはやっぱり映像をじっくり見るのが楽しいわけで、そうなると運転中の私は全然楽しめないんですよね。おまけにサービスエリアなど途中で停まる時のタイミングが難しい。今盛り上がってきたのに、ここでトイレに行きたくなったって事になると興ざめするわけですよ。

そういう事で、それならこのツアー中はビジネス系の勉強をしようと考えて、PCのハードディスクに保存されたままほとんど目を通していなかった、ビジネス系セミナーの動画を持って行くことにしました。これなら結構適度なタイミングで休憩が入っていますし、映画のような派手な映像もありませんから、運転中にガン見する必要もありません。

こりゃ我ながら良いアイデアだと言うことで、さっそくこの動画をDVDに焼いて車で再生してみると、「ディスクの読み込みに失敗しました」となってこれが全く再生しません。音楽だとMP3形式を再生出来るのに動画だと、wmvやmp4形式を認識しないんですね。つまりこれをいわゆる市販のDVD形式に変換してディスクに焼かなきゃいけないんですね。
こういう時にはまずはぐぐってみろって事で、あれこれ調べてみました。そしていろんなフリーソフトをインストールしてや変換してみたんですが、やってみても全く動かなかったり、動くんだけど使い勝手が良くないプログラムを削除しては再度ググって、という事を繰り返してようやく「これだ!」というツールを見つけたのでここでご紹介しつつ、使い方の解説をしてみようと思います。
まず、何は無くとも以下の2つのツールをインストールして下さい。

Xmedia Recode
http://www.forest.impress.co.jp/library/software/xmediarecode/

DVD Flick
http://www.gigafree.net/media/dvdconv/dvdflick.html

特に設定を変えず、デフォルトで「次へ」をクリックするだけで大丈夫です。必要な設定変更はインストール後にやれますから。

インストールしたら、Xmedia Recodeを立ち上げます。ここで変更しなきゃいけない設定は以下の赤丸で囲ったところです。

V1

プロファイルをカスタムにして、形式をMPEG TS(DVB TS)を選ぶと、ファイル拡張子が自動的にtsになります。そして、映像と音声を同期するにチェックを入れて下さい。

これが出来たら、「ファイルを開く」をクリックして、変換したい動画ファイルを選びます。

V2これはPCの性能によって変換時間が極端に変わるので、初めは様子見でひとつかふたつ選ぶと良いと思います。また、下の方にある「保存先」を変更すると任意の場所に変換後の動画ファイルを保存出来ます。

ここからの手順がちょっと面倒なので、下の図で説明します。

V2-1
変換するファイルを選ぶと、リストにファイル名が追加されます。この図では2つのファイルが選ばれています。ちなみに今、ここではそのファイルがふたつとも青になっているんですが、ファイルを追加した時にはひとつしか青になりません。この状態でシフトキーを押しながらカーソルの上下を押すと複数のファイルが選択出来ます。この画面はそこまでが終わった状態です。

こうやって変換したいファイルを選択したら、「リストに追加」ボタンをクリックします。そしてその右側にある「エンコード」ボタンをクリックすると変換がスタートします。ちなみに、「リストに追加」をクリックしないと、「エンコード」ボタンはグレーアウトしてクリック出来ないようになっています。これで任意の場所に、ts形式に変換された動画ファイルが保存されました。
ここまで出来たら、次はこれをDVDに焼きます。私はここで躓きました。だってこんなのフツーにDVDを焼くソフトで焼けば良いと思うじゃ無いですか。私もそう思っていつも使っているライターソフトで焼いてみたんですが、これだとデータファイルがコピーされただけなんです。意味分かりませんね。これだけでも、他のPCでは再生出来るんです。だってデータファイルがDVDにコピーされていますから、これを選択すれば動画再生ツールがインストールされていれば(Windowsならメディアプレーヤーが自動的に起動して)動画を見る事が出来ます。
ところが市販のDVDプレーヤーやカーナビに付いているDVDプレーヤーってそういうわけに行かないんですよ。完全に市販のDVDと同じ形式になっていないと読み込んでくれないんです。これを調べるために、手元にあった映画のDVDをPCに入れて、エクスプローラーで確認したところ、どうも拡張子がtsになっていないとダメなんじゃ無いか?という事が判明した(というか推測した)んです。

しかもDVDに焼く時のクロージング処理も市販のDVDライクにやらないとダメみたいで、それをやってくれるツールを探すのが大変でした。これがDVD Flickというツールです。ではさっそくこれを立ち上げてみましょう。

立ち上げるとこんな画面が出て来ます。

V3ちなみに、このメニューを日本語化するツールもあるみたいなんですが、私は別に英語で不自由しないのでこのままにしています。

ではここで必要な設定をしましょう。
まずは、Project settingsをクリックします。
ここの左側にあるGeneralというタブをクリックして、Target sizeをDVD(4.3GB)にしましょう。

V4

次にVideoタブをクリックして、以下のように設定します。

V5

さらにBurningタブをクリックすると、PCに付いているDVDライターの情報が表示されますから、以下のようにチェックをします。特に大事なのが赤丸で囲ったところで、ここは必ずチェックをしてください。ちなみに、画面を閉じるには、右下のAcceptをクリックするんですよ。Cancelをクリックしたら設定は保存されません。

V6

ここまで出来たら、あとはDVDに焼きたい(ts形式に変換された)ファイルを右側のメニューにあるAdd titleから選ぶだけです。

V7

ところが、ここにちょっとした落とし穴があります。実際に動画ファイルを選んでみると分かるんですが、ファイルを選ぶたびに、左側のメーターが変化します。これは何かというと、あとどれくらい容量が残っていますよというメーターなんですね。ちなみにこの画面では2つのファイルが選ばれていて57%まで使っていますよ、という事です。

V8

次のスクリーンショットを見てもらうと、3つのファイルで98%まで使っています。つまり、もうディスクに空き容量は無いよ、という事です。

V9
ここで無視して、さらに同じサイズの動画ファイルを2つ追加してみましょう。そうすると不思議な事に、使用領域は98%のままです。

V10

これが何を意味しているのか初めは分からず、100%になるまで追加してやろうとジャンジャンファイルを選んでいたんですが、いつまで経っても100%になりません。ここで気付きました。というか、これをDVDに焼いてみて分かりました。容量をオーバーすると画質の低下という形で帳尻を合わせるんですね、このツールでは。ですから画質との兼ね合いでファイルを押し込んだ方が良いです。画質にもよるんですが、よほどの高画質で無ければ、2時間分くらいの動画ファイルはひとつのDVDに押し込んでも見づらくはなりませんでした。

ここまで来たら、空のDVDをセットして、Create DVDボタンをクリックすれば後は焼き終わるのを待つばかりです。同じファイルを複数枚焼く場合には、1枚焼き終わったら次のDVDをセットして再度Create DVDを押せばお終いです。別のファイルを選ぶ場合には、右側のメニューにあるRemove titleか、単純にキーボードのDeleteキーでファイルを消して、次のファイルを選びましょう。もちろんその前に、Xmedia Recodeでファイル形式を変換しておかなきゃダメですよ。
作業効率を考えるのなら、次のファイルをウラ側で変換させながら、DVD Flickで焼くというのが良いと思います。私のPCは、Core i7-4790で3.6Gの64ビット、8Gのメモリを積んでいるんですが、これを使っても2時間の動画ファイルを変換して焼き終わるのにたっぷり30分は掛かります。

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