原発再稼働に見る論点のずれを正そうよ。

九州電力川内原発の再稼働が正式に認められ7月下旬にも再稼働する予定というニュースが報道されています。

まったく嘆かわしい。この問題について日本人が正しい知識を持っていない事が嘆かわしいのですよ。

原子力規制委員会の審査がどれだけ的外れなのか、論点はそこじゃ無いでしょってツッコめる日本人ってどれくらいいるんでしょうか。これが100万人ほどもいれば、原発が再稼働するという事は無いはずなんですよね。その意味で、日本人として今一度原発問題の根っこがどこにあるのか?を知っておく事は非常に重要です。

まず現状の議論を振り返ると、再稼働賛成派の人たちは、原発について「安全に稼働出来るのなら問題無い」、「化石燃料の輸入が抑えられ電気料金が安くなるから動かすべき」、「二酸化炭素の排出が無いから地球に優しい」、「放射能についてサヨクが大騒ぎしすぎる」、「原子力の技術力を向上させるためにも動かすべきだ」という理由から再生する人が多いんですが、こういう構図で議論をするところに大きな間違いがあるんです。この議論は東京電力を初めとする原発利権団体が、原発の早期稼働のために苦肉の策として生み出した世論誘導なのです。この構図に乗っかって、反対、賛成を論じると結論は必ず賛成にならざるを得ないのです。なぜならこの構図は彼ら利権団体が描いた設計図ですから。自分たちが不利になるような設計図を描くわけがないのです。

賛成派の人たちで、上記のような理由で賛成と考えているのなら、それはまんまと原発利権団体の作戦にハマっちゃってるという事です。そして原子力規制委員会もまた原発利権団体の一部で、彼らの役割はこの構図の中で、国民が不安に思うところを潰して行き、最後は再稼働をさせるところに持って行くのがお仕事です。ですから規制委員会は決してこの土俵から外れた議論はしません。それが如何に本質的、根源的ものであったとしても。イヤむしろ、本質的、根源的な問題ほど議論を避け、国民の注意がそこに向かないように誘導しているのです。なぜなら、原発利権団体が拵えた構図を外れた議論をする事イコール、日本から原発が無くなってしまうからなのです。

それくらいインパクトがあるから、注意深くその問題に触れないようにマスコミ、世論を誘導し、その枠内で活発な議論をしているように見せているんですね。ちなみに311の前は、活発な議論すらありませんでした。そんな議論なんてやらなくても自分たちで好きなようにやってしまえば良いという驕りにも近い思想を持っていたんです。ところがさすがにあれだけの事故が起こってしまったら、国民の見えないところで好き勝手にやるわけにはいかなくなったんですね。だから国民には、「原発問題については喧々囂々さまざまな意見を戦わせて民主的な方法でやっていますよ」と思わせる芝居をするようにしたんです。その芝居の重要な役割を演じているのが規制委員会なんです。彼らは一見国民の側に立ち、安全審査を厳格にやっているように思えますが、これは実態は逆で、議論の焦点を自分たちが用意した枠組みの中で収まるようにコントロールする役ですから。それに積極的に加担しているのが産業界、経済界、そして御用学者といった人々で、彼らは国民の気持ちをコントロールするのが役割です。

原発に対して不安に思っている人を否定せず、「そうですよね、不安ですよね」と言いつつ、彼らの不安を和らげる情報をもう一枚の舌で流し、国民の多くがこれからの原発は安全なのだ、原発を動かした方が日本のためなのだ、原発が動かないと日本の経済は低迷してしまうのだと考えるようにするのです。もちろんそんな彼らも自分たちの議論がシナリオの枠内で収まるように厳重に発言をコントロールしています。それはつまり、シナリオの枠内のイッシューならば議論を活発化させ、如何にも健全な議論をしていますよ、我々はオープンにやっていますよと思わせるという事です。ところがこれとは反対に、本質的、根源的イッシューになるとこれを完全にスルーし、マスコミがこの問題を一切取り上げないように、国民の目がそこに行かないようにしているのです。

そんな本質的、根源的問題とは何か?というと、高レベル放射性廃棄物問題なのです。原発に関するあらゆる議論は、この問題を深掘りしたら破綻し、「こんな問題があるんじゃ原発は止めなきゃダメだよね」と言わなきゃならないくらいインパクトがあるキラーテーマなのです。これについては小泉元総理などの原発反対派がテレビに出ても、発言がこの部分に触れると巧妙に映像が編集されて、国民の目がそこに行かないようにしています。それくらい賛成派にとってはイヤなポイントなんですよ。

なぜ高レベル放射性廃棄物問題がそこまでヤバいのかというと、これが10万年どころか100万年、1000万年という人類のイメージ出来る範囲を超えた時間軸で保管、管理しなければならないトンデモ無い代物だからです。これを冷静に考えたら、原子力というエネルギーは人間が手を触れてはいけない領域なのだという事が分かってしまうんですね。だってさ、今年は西暦2015年でしょ。たったの2015年なんですよ。右寄りの人が使う皇紀という暦を使っても今年は2675年なのです。ちなみに現在明らかになっている人類の遺産のうち古いものを書き出してみると、

マルタの巨石神殿が約6500年前

ショーヴェ洞窟壁画が3万2000年前

エジプトのピラミッドだってまだ5000年経っていません。パレスチナのエリコの塔だって1万年程度なのです。

ところが原発の燃料となるウランという元素は半減期が7億年もあるんです。ちなみに核分裂の連鎖反応が起こりにくいウラン238だと半減期は45億年です。ちなみに地球の年齢が45億年くらいと考えられているので、地球が出来た時に存在していたウランがようやく半分になったという事です。

こんなものを管理しなきゃいけないというのが、原発問題について議論をする時の最も重要なポイントですから。それ以外のポイントは全部枝葉末節です。そしてこの問題を論じていくと、原発はどうやってもあらゆる発電方法で最もコストが高いという結論にならざるを得ないのです。そりゃそうですよ、7億年も保管しなきゃいけないとなったら、そのコストがいくらになるのかなんて誰にも正確に計算出来ませんから。

では今はこの計算はどうなっているのかというと、これが笑っちゃうことに全部無視しているんです。そもそもどうやって7億年も保管するのかという議論すらしていません。とりあえず50年くらいはガラス固化体というやり方をすればどうにかなるんじゃ無いの?って話をしているだけで、それ以外のポイントについてはガン無視を決め込んでいるんです。もちろんこれから必要になる費用の財務的な引き当てもしていません。つまりこれは全部、これから税金として徴収しようって事なんでしょう。これが「原発は発電コストが安い」の実態です。

ですから反原発を論じる人はこれだけ覚えておけば良いんです。このポイントだけ推進派に突きつければ、必ず議論に勝てるのです。合い言葉のように覚えておきましょう。「高レベル放射性廃棄物っていつまで保管が必要ですか?そのための費用はいくら掛かりますか?その費用は発電コストに入ってますか?」バカのひとつ覚えのようにこれだけ繰り返していれば、言い負かされることはありませんから。

たまに本当に頭が悪い人がいて、「もう既に廃棄物があるんだから、今さら止めたって意味が無い」って宣ったりするんですが、こういう人には「これ以上増えたら余計問題解決が難しくなるって分からないの?」と訊いてあげましょう。もう1回盗んじゃったんだから、2回も3回も同じだよという幼稚な議論と同じだって、こういう人たちは気付かないんですかね?

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